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運命の泉 下 (後編)

垣根 新

垣根 新出版



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運命の泉 (左手の小指に赤い感覚器官(赤い糸)と羽衣)

第百二十八章

 一人の男の悲鳴が響くことで、この場にいる者達の興奮は収まった。その悲鳴は喜びではなく、痛みを堪えるような感情だった。そのために、皆は、安堵したことで気持ちが治まったのではなく、恐怖を感じて辺りに気持ちを向けたからだった。そして、自分に危険がないと感じてからだった。その悲鳴を上げた者に視線を向けた。だが、その時には、悲鳴と同時に駈け付けたのだろう。何人かの者が体の状態を診ていた。
「大丈夫か?」
 三人の男が同時に声を掛けた。
「ああっ心配を掛けたな。大丈夫だ」
 その男達の言葉に答えた者は、新だった。男らしく理性的で低い声だった。三人は安堵したが、先ほどの上空に居た女性が聞けば悲しみを感じるはずだ。それは、当然だろう。自分のことを憶えてないはずだからだ。だが、なぜ、記憶を無くした。いや、記憶が戻ったと言うべきだろうか、それは、おそらく、羽衣が、この地から強制的に運命の泉に戻ったことだからだろう。まるで、電算機器が強制的に切れたことで、自動的に再起動が起こり、一番近い記憶と感情が表れたのだろう。
「何があったのだ」
「えっ?」
「突然に、悲鳴を上げて驚いたぞ」
「俺が悲鳴を上げたのか?」
「何を言っている。本当に大丈夫なのか?」
「すまない。少々記憶が混雑しているようだ。それよりも、伯爵の部隊の混乱は収まったようだが、これから、どうするのだ?」
「まず、誰に伯爵の部隊を任せるか、それと、食料物資が明日でなくなる。その二つが、至急にしなければならないことだ」
 聖が、深刻そうに言うのだった。
「公爵に任せたら、どうだろうか?」
「だが、あの性格では・・・・」
「たしかに、分かる。だが、隊の半分ではなく、全ての北東都市の軍を任せれば、反発する相手がいないだろう。上手く行くのではないか、それに、隊を仕切るために部下の人選もするだろう。何も問題は起こさないはず。いや、適材適所な人選ではないか!」
「そう言われると、そうだな」
「そうなると、残りの問題は、食料などの物資だけだ。う~ん。聖殿!」
「何でしょう。登殿」
「この者達は、北東都市が召抱えるのだろう。物資なども用意は無理なのか?」
「いや、都市には使いは出したのだが、何時、届くかは分からない」
「そうだったか、使いは出したのか・・・・」
「再度、使いを出して、直ぐに手配してくれたとしても、四、五日は掛かる」
 陣の中央で四人は相談していたが、突然に、登が後ろを振り向いた。部隊後方が騒がしく、その隊は自分の隊であったために少々怒りを感じたのは当然だろう。登を含めて四人は、これからの相談が邪魔されたからだ。だが、心配でもあり。誰かに指示を命じようとしたのだ。
「襲われたのか?」
と、登は不安の言葉が口から出た。
「いや、違うようだぞ。何やら、酒が飲める。そんな言葉が聞こえたが・・・・」
「新殿。聞こえたのか?」
「あっそう言えば、俺も、登殿が振り返る少し前に、「酒だ!」と聞こえた感じがする」
 そう言って竜二郎も頷いた。
「気のせいでないか、食料が無いのだ。酒などあるはずもない。だが、騒がしいな」
「そうだな。聖の言う通りに、食料も酒もないのだ。何を騒いでいるのか様子を見てくる」
「もしもの場合もある。北東都市の兵だが連れて行くか?」
「その様な騒ぎ方ではない。その心配はないだろう。それより、先ほどの相談の結果が出たら教えてくれ!」
「ああっわかった」
 竜二郎が返事をするのだった。後は、何も問題がないと、登は叫びながら駆け出した。
「何があった!!!!」
 すると、海の水が引くように隊の人垣が中心で割れた。
「まさか、荷馬車なのか?」
 登は驚き後ろを振り向いて、三人の男たちに視線を向けた。
「隊長。そんなに驚いて、どうしたのですか?」
「あの荷馬車は、誰が手配した物だ?」
「えっ何を言っているのですか、毎回、伯爵殿が手配した物しか届きませんが?」
「そうだったな」
「ですが、先ほど言われたのですが、前渡し金では今回で切れるらしいのです。また、同様に手配するのなら前金を頂きたいと、そう言われました」
「そうか、二、三日の間に返事をするから待ってくれと、それと、物資はいつもの場所で構わない。片付けた後は、適当に寛いでくれと、そう伝えてくれ」
「承知しました」
 登は部下に指示をすると、三人が居る場所に戻った。
「何の騒ぎだった」
「伯爵が手配した。食料などの物資が届いたのだ」
「何だと!」
「驚くのは当然だ。もしかすると、伯爵は、村を占領していた。あの同胞に騙されたのかもしれない」
「それが、本当なら物資には毒が入っているのでは?」
「その心配はない」
「何故だ?」
「それをするなら、待ち伏せして、弓矢の嵐などせずに、毒で全部隊を殺していただろう」
「たしかに、そうだな」
「それより、聖殿」
「何だ?」
「物資の補給も今回までらしい。伯爵が渡した前金が無くなったと言うのだ。本当か、嘘かは分からない。だが、補給物資は必要だろう。それで、何て答えたら良いだろうか?」
「北東都市に使いを出す。その者と同行してもらい。都市の者と交渉して欲しいのだ」
「わかった。そう伝えよう」
 直ぐに、聖の言葉を伝えるために部下を呼びつけた。三人の男は、その様子を見ながら
内心で、これからのことを考えていた。
「それにしても、あの残党は、次は何をするかだ」
「そうだな。心配なのは、今も一つに纏まって行動しているかだ」
「それは、無いと思うぞ。我々と同じに食料などの物資を手配できるはずがない」
「だが、村を襲っているか、伯爵の時のように誰かを騙しているかもしれないぞ」
「たしかに・・・・ん?」
 などと、三人は相談していたが、新が無言だったために何をしているのかと、登は新に視線を向けた。すると、この地方の地図を見つめ続けていたのだ。
「この山奥の村に、全ての残党を追い込めれば、投降してくるのではないか?」
 新は、無表情で人の血が通ってない機械仕掛けのような様子で、平然と冷たい提案を口にするのだった。
「そうなるだろう。だが、それを実行すれば村の者達の命はないだろう」
「一つの村を犠牲にして、この騒ぎの全てを終わらせるか」
「んっ・・・あっ!」
「どうしたのだ。登殿?」
「この村は駄目だ」
「何故?」
「新殿が居た村だぞ!」
「仕方がないだろう」
「ふざけるな。今のお前は記憶がないから許すが、二度と、そんなことを言うな!」
 新が、まるで、動物の罠を仕掛けるかのようなことを言うために、登は怒りを感じた。
「それなら、こちらには兵員は十分にいる。兵員を分けて、その村に兵を置くか、村の近くに兵を置いては、どうだろう?」
「それなら、問題はないが、誰に行かせるかだな。新殿には行ってもらうが、もう一人だ。竜二郎は、騎馬隊だから無理だし、そうなると、俺が行くか・・・」
「登殿。わしに行かせてくれないか!」
 登の言葉を遮って、公爵は思いを叫んだ。
「だが、そうなると、北東都市の指揮官がいない」
「伯爵側にいた者達のことを言っているのだろう。わしが居ても居なくても、状況が悪くなると逃げるぞ。あいつらは、自分の欲しか考えていないはずだからな。そう言う者なのだから監視も兼ねて、聖殿の隊と共にいる方が問題はないだろう」
「そこまで言われては任せるしかないだろう。だが、新殿が良いと言うのならばだが!」
「別に、誰だろうと、構わんぞ」
 自分達では公爵の説得ができない。そう感じたのだろう。それで、新に任せたのだ。だが、意味が分かっているのか、何か意味でもあるのろうか、信じられないことに即答するのだった。
「新殿。本当に構わないのか?」
「まあ、登殿が良かったが、前後両方から投降を呼びかければ承諾するかもしれない。それを考えるのなら公爵が適任だろう」
「そう言うことか、それなら、新殿に任せよう」
「それで、物資を少し分けて欲しいのだ。まさか、村から調達することなど出来ない」
「安心してくれ、公爵殿」
「済まない。それで、この村に行くとして・・・・」
 公爵が地図を指出した。そして、指で歩くように距離を測るのだ。長年の経験で分かるのだろう。だが、街道は一つ、村々を通り過ぎて行く方法しかなかった。
「街道を通れば三日の行程だ。だが、残党に見つからずに村まで行くのは難しい。どうしても村まで行くとすれば強行突破しかないのか?」
「公爵殿。新殿は、獣道を通って村に入ったはずなのだ。いや、獣も通らない道なのかもしれない。その道では、どうだろうか?」
 聖は、人差し指で地図に線でも引くように真っ直ぐに示した。
「新殿。それは、本当なのか?」
「・・・・」
 新は無言で問い掛けられたことが本当なのかと、自分の記憶を思い出そうとしていた。
「今の新には、当時の記憶はないのだ。だが、本当のことだ」
「そうなのか、それなら、一日、いや、二日で地図上では行けるかもしれない。だが、それは、地図上のことだ。何日掛かるか予想もつかない。それよりも、物資を運ぶのは無理だろう。う~ん。各自で持てるだけにするか」
「物資も問題だが、村まで三日以上掛かるのなら共同作戦は無理だぞ。おそらく、我らの軍は三日後には戦うだろう。そして、残党を攻め続けて投降するなら問題はないが、もし新の村に逃げ込まれたら、村が戦場になるだけでなく、逃げ場のなくなったことで我を忘れて戦い続けるだろう。そうなれば、投降作戦など無理だ。そのために、残党と戦う前には村で待機して欲しいのだ」
「その心配はないだろう。徴兵隊には、この近くの者もいる。その者に案内してもらえば最短で行けるだろう。三日以内には村に入れるはずだ」
「新殿。それが、本当なら何も問題はない」
 登と竜二郎が、新の肩を叩いた。まるで、兵員として無事に期間満了した友に二度と戻らずに残りの人生を楽しめ。そんな笑みと様子だった。もしかしたら、新と徴兵隊は戻ってこなくても許す気持ちなのだろう。
「直ぐに出発するのだろう」
「ああっ公爵が良ければ、そうしたい。少しでも早く村に着きたいからな」
「わしは構わんぞ」
 公爵は頷くと、物資に視線を向けた。そして、何か言いたそうに聖を見たのだ。
「我らの部隊など気にせずに好きなだけ持っていけ!」
「だが、どの程度の量の物資があるのか、調べていないはずだ。本当に良いのか?」
「こちらは何とかする。新殿、公爵殿と兵達は、村に行くと言うことは、逃げ場もなく孤立する可能性があるのだ。だから、気にするな」
「分かった。心底から感謝する」
「・・・・」
 公爵は、新に視線を向けた。この男は何事も人を仕切りたいのではなく、即、行動する性格のために、少しでも行動が遅い者には、公爵だと言う立場もあるのだが、指図する癖があるのだ。だが、誰にでも内心を隠さずに言うだけで、人から嫌われるような悪い性格でもなかった。
「それでは、新殿。準備をして直ぐにでも行こうではないか!」
「あっああ、だが、まだ、先ほどの戦いから気持ちが落ち着いていないだろう。食事でも食べてからの方が良くないか?」
「まあ、伯爵の側にいた者達なら動揺しているだろうが、我々側の者たちは、何も心配することはないだろう。それに、兵とは、命令されたことに従うだけなのだぞ」
「・・・・・・」
 当然のことだと感じたのだろう。新は、無言で頷くと、聖の後を付いて行き。物資を一緒に検分した結果、自分達の部隊が持ち出しても、困るほど少ない物資ではなかった。それを確認後、直ぐに、自分たちの部隊に戻り。部隊を整列させて物資を配るのだった。すると、聖は、本当に驚くことに直ぐに出発の号令を掛けたのだ。まるで村までの行き方を分かっている様に行進するのだ。その様子を見て、新は慌てて号令を掛けるしかなく、その後を付いて行くしかなかった。だが、山道に入る寸前になると・・・・・。
「この草木を除けて進むのか?」


第百二十九章

 上空からある山中を見ると、大きな蛇、いや、大きな百足だろう。無数の足と思える物があるからだ。もう少し近寄って見ると、足だと思った物が一つ一つ別な物であり。その数は千を超えていたのだ。それも、驚くことに動作が同じなのだ。もしかすると同一の遺伝子を持つ物なのだろうか、それは、分からない。だが、山を上ったと思えば、直ぐに山を下りる。そんな過酷なことを何度も繰り返すだけでなく、深い川の中を溺れるのが出ないことが不思議な状態で進み続け、そして、獣も通るはずもない所を草木に体を刻まれながら切り分けて進むのだ。さすがに、ここまでの過酷な行進では、疲れが表れて足並みが乱れるのは当然だった。
「新殿。今まで歩いてきたのは、本当に獣道なのか?」
 聖は、新に近寄り。新の歩調に合わせた。
「そのはずだが・・・んっ、どうしたのだ?」
 新は、左手の赤い感覚器官の機能が体の隅々まで行きわたるだけでなく、百パーセント以上の機能が働くために興奮状態と似た効果で疲れを感じていないのだろう。だが、運命の修正が終わり、全ての記憶が戻った。その後には、死ぬほどの疲労感を感じるはずだ。
「予想していたよりも過酷過ぎる。それで、部下達が疲れているのだ。まだまだ、村まで距離があるのなら休ませたいのだ。どうだろうか?」
「今、聞いてみる。少し待っていてくれ」
 先頭を歩く、一人の徴兵隊の者に村までの距離と時間を聞いた。そして、新は、立ち止まって聖が来るのを待つのだった。
「新殿?」
「公爵殿。時間まで分からないが、村まで半分まで来たらしいぞ」
「・・・・・」
(まだ、半分だと!)
「公爵殿。どうしたのだ・・・んっ?」
「・・・・」
(休まんのか、これ以上は無理だぞ)
「何か考えでもあるのか、もしないのなら休もうと思ったのだが・・・・んっ?」
 聖が青白い表情だったことで、新は、心配した。
「休憩か、そうだな。休憩をとった方が良いと思うぞ!」
 公爵は青白い表情から赤みのある表情に変わると、破顔するのだった。
「それなら、直ぐにでも、この場で休むとするか」
「お~い。この場で休むぞ。行進は停止だ!」
 公爵は、両方の腕を振り回しながら叫んだ。すると、皆も同じように疲れていたのだろう。谷の傾斜だろうが、草木が邪魔で足が伸ばせないとしても、安堵したように傾斜してゴツゴツした地面に腰を下すのだった。
「疲れているようだな」
 新は、腰を下した者たちを見た。食事と休憩時間を伝えようとしただが、皆は膝を曲げて、その膝の上に頭を乗せて寝ているようだった。
「獣も通らないような所を進んだのだから当然だろう」
「そなのか、それでは・・・・ん~」
「だが、我らを心配などせずとも良いぞ。少しでも早く村に行かなければならないのだ。我らは、どのような所でも付いて行く気持ちだ!」
「分かった。なるべく、楽な道を歩くとする」
 公爵は、意気込みを伝えることで、自分の苦しみも伝えていたのだ。その思惑の通りに新に気持ちが伝わったことで安堵するのだった。
「公爵も少し休んだ方が良いのではないか?」
「そうさせてもらうか」
 皆と同じように膝を曲げて頭を膝の上に乗せるのだった。新は、虚空を見つめていた。今までのことを思い出しているのか、いや、村に着いた時のことを考えているのだろう。
あの上空に居た女性が間違いなく話を掛けてくるはず。その確証を感じていた。自分には前の記憶が無いと言っても信じないか、いや、何の理由でも泣き叫ぶだろう。その時に困らないように何か良い言い訳でも考えているようだった。そして、現代的な時間で言うのなら一時間が過ぎていた。新も寝ていたことに気がつき起きてみると、周りでは、心身ともに疲れが取れたのだろう。何人かの者達が、周りの景色を見るほどまで気持ちの余裕ができたことで歩き回っていた。
「あっ」
「起きましたか、公爵殿」
「寝ていたようだ。済まなかった」
「気にするな、自分も寝ていた」
「そうだったのか」
「ああっ・・では、そろそろ出発するか、もう疲れは取れたのだろう」
「そっそうだな」
 公爵が頷いたことで、新は、皆に出発の指示を伝えた。もちろん、何も問題などなく歩き出した。それも、無言だが、辺りの景色を見るゆとりはあった。だが、歩いても、歩いても、今まで進んできた景色と変わらない。まるで、村に向っているのでなく戻っているのではないかと、錯覚するほど景色も足元の悪さも変わらない。そして、やっと行進が停止したと、皆が喜ぶのだが、村までの案内する者が、崖のような斜面を登れば村だと言っているのを皆は聞いて無理だと叫びたくなるのを抑えた。それでも、自分の生まれ育った者だからだろう。何も問題なく登っていくのだ。その姿を見ては、誰も何も言えるはずもなく、後を続くのだったが、崖を登ことに夢中で、先ほどまで気持ちを和ます小鳥の囀りだったのが変な鳴き方に変わった。言うのに、誰も気がつく者はいなかった。
「また、北東都市の兵か!!」
「なんだ。何だ?」
 崖の上には多くの村人が居た。それも口笛で仲間を呼んでいるようだった。その響きは鳥の声で、複数の者と会話する暗号だと悟ったのだ。そして、今の状況では、上方から我々が居る下方に戦いを仕掛けられたら全滅すると・・・・・。
「待ってくれ!」
 公爵が願いを訴えた。その様子よりも、隣に立つ者を村人たちは見た。
「新・・・殿・・・・なのか?」
 顔の表情が硬く鋭かったことで判断ができなかった。だが、ある意味、村に居た時とは違うのだから別人と考えても間違ってはいない判断だろう。
「そうだ。新だ!」
「だが、俺が知る。新殿は、そんな殺気を放つ者ではなかったぞ」
 村人は、弓矢の構えを解かなかった。
「そうだな。別人のようだ。まるで、村を占領する考えで兵を連れてきたとしか思えない」
「待ってくれ。落ち着いてくれ。この理由を話す。だから、戦いの構えを解いてくれ!!」
「いや、話を聞く気持ちはない。直ぐに皆を連れて帰ってくれ。だが、新殿と村人の帰還の護衛なら喜んで持て成す気持ちだが、違うのだろう?」
「ああっ・・・違う。だが、村の危機を救うために来たのだ!」
「もう北東都市の者達が可なり居るのだ。これ以上は必要がないのだ。だから、必要がないから帰ってくれ。それと、正直に言うが、新殿と村の者達が一緒だったから何もしなかったのだ。それでなければ、途中で全滅していたはずだぞ」
「えっ」
「当然だろう。今村に居る者たちは裸で歩き回っていたのだ。そんな者達なら同情もする。もし村に来られたのなら握り飯に風呂くらいは提供したくもなるだろう。だが、千人も超す人数で武装までしていれば、村に入れられないのは当然だろう」
「・・・・・・」
 新は何も言えなかった。その様子を見て、公爵が・・・・。
「それなら、新殿と徴兵隊の者だけは、村で休ませてくれ。我らは、何が起きても渓谷にいる。もし村が襲われても村の者が助けを求めてきた場合だけ、村の中に入ろう。それでも駄目だろうか?」
「構わんが、見た目で判断すると、食料は三日分も無いと思うのだが、食べ切ったとしても、この渓谷にいる。そう言うことか?」
「その通りだ。だが、我らの予想では、三日も経つことなく、北東都市の残党が村を攻めにくるぞ!」
「そこまで確証的に言われたのでは・・・ますますもって村に入れられんぞ。元同族なのだから今でも繋がりがあるとしか思えないからだ。だから、何があっても村には入れん!」
「待ってくれ!」
 隊長らしき者は、伝えることだけ言うと後ろを向いて立ち去ろうとした。その後ろ姿を見ながら叫んだ。それも一度では振り返らず。二度目は喉が潰れると思われる声量だった。その気持ちに答えてくれたのだろう。ゆっくりと振り返った。
「何だ?」
「先ほど言っただろう。新殿と徴兵隊は迎えてくれるのだな?」
「ああっ仕方がないだろう。それだけか?」
「それと、村と村を繋ぐ街道を注意してくれ。俺が言った通りに大部隊が必ず来る。その部隊が村に入ってからでは助ける方法はないのだ!」
「分かった。村長には伝えておく」
「あっ・・・・」
「んっ・・・俺を呼び止めたのは、それだけだな!」
「あっああ」
 公爵は、大きく口を開けて、何か伝えようとしたが、何も言うことは出来なかった。
「新殿。それでは、行くぞ」
 新と徴兵隊だけが、男の指図で崖の上に登るのだった。男は、直ぐに崖の上から見えなくなったが、皆が登り終えると、驚くことに待ち構えているだけでなく、笑みを浮かべて無事を喜んでくれたのだ。
「新さん。無事で成りよりでした。本当に、長老も美雪も心配していましたよ」
 先ほどの様子とは別人で、新だけでなく他の者も驚いて何て態度を表してよいかと唖然としていた。
「皆もご苦労様です。それでは、村に入りましょう。それと、他の村の方達も自分の村のつもりで寛いでください」
「・・・・・」
 皆は、頷くことだけしか出来なかった。そして、男は、簡易な手の仕草で命令だろう。それを伝えると、村の方向に歩き出したのだ。
「それでは、皆さん。行きましょう」
男は優しく手を振りながら声を掛けたことで、自分達は歓迎されているのかと、思うと同時に、この豹変では断る理由がなくなり、後を付いて行く選択肢しかなかった。だが、新は、崖の下の仲間と村のことが心配になり、男に何て話しかけるかと悩んでいた。
「どうしました?」
「あっ」
 男は、新の不安の表情を見て問い掛けたのだ。
「我らが来たのは・・・・・・」
 新は、全てを話した。
「そうでしたか・・・・ん~む。ですが、自分の判断では答えを出せないのです。今回の指示は、大勢の兵が村に向っていると、その者達を村の中に入れるな。それを実行することなのです。どうしても、作戦を実行したい。と言うのなら長老に相談してください」
「長老殿に、ですか」
「はい。そんなに悩むことはないです。もう、この状況は全ての村の者が分かっていることです」
「えっ?」
「お忘れのようですね。鳥の鳴き真似の会話ですよ」
「これですよ」
 男は、口笛を吹いた。その音色は、鳥が囀りとしか思えない響きだった。
「あっ」
「誰より先に、美雪さんが出迎えると思いますよ」
「この口笛は使える」
 男は、自分のことのように笑みを浮かべて喜んだ。だが、新の真剣な表情を見て不審を感じた。新は喜んでいるのでなく、まるで、難問を解いた学者のような表情だったのだ。
「えっ、何のことです」
「村と村を繋ぐ街道にも、鳥の鳴き真似する警護は居るのですか?」
「誰も居ないが、それが、どうしたのです?」
「直ぐに街道に配置してください。この程度のことなら長老に相談しなくても宜しいのでしょう」
「ああっ確かに、ん~む。だが、仕方がない、今確認を取ろう」
 何か複雑な理由でもあるのだろうか、難しい表情を表した後に、仕方なさそうに口笛を吹くのだった。後から、皆の噂を聞いて分かることだが、村の全ての者に伝わるためもあるのだが、この男は、口笛が上手ではないらしく、子供や女性が使う簡単な口笛の会話しか出来なかったのだ。もう少し分かり易く言うと、漢字の読み書きができず。ひらがなでしか書けない。と言う感じの理由だった。男らしい武人らしい者が、女性や子供の言葉を使う。それは、男色を好む者と思われるのではないか、それが、我慢できなかったのだ。
「えっ」
 新は、男の言っている意味が分からず驚いた。何をするのかと、視線を向けると、口笛を吹くのだ。それも、長くて鳥が歌を歌ったかのような響きだった。その響きの後、一本のタバコを吸い終わるくらいの時間が過ぎると、短い歌のような鳥の鳴き声が響いた。だが、新には口笛なのか鳥なのかは判断ができなかった。だが・・・・。
「長老殿の返事が来たぞ。村と村を続く街道に監視を置くそうだ」
「えっ・・・それなら、良かった」
 やはり、短い鳥の鳴き声が返事だったのだと、新は驚くのだった。だが、この口笛で驚く者は、新だけでなかった。もう少し正確に言うのなら歓喜な喜びと言い直した方が良いだろう。その者は女性であり。その者の名前は、美雪だった。


第百三十章

 村では祭りの前日のような騒ぎで浮かれていた。それは、当然のことだ。徴兵されて無事に村に帰ってきたからだ。特に、その中でも一人の女性が興奮しているのだ。どのような状態だと言うと、女性なら愛する者に会う場合は同じなのか、それは、判断が出来ないが、母親が呆れるのだから普通とは違うのかもしれない。
「もういい加減にしなさい!」
 親が呆れる。その原因とは、家のある部屋の中で、歩く場所もないほど衣服や下着が広げられていたのだ。まさか、商売でも始めるつもりなのか、と、一瞬だが考えが過ぎっただろう。だが、娘の興奮度から判断するのと、その衣服などの数の多さから判断して、一つの服を選べないのだろう。そう判断したが、母からの気持ちとしては、片付けるのは自分の役目になるはず。それで、これ以上は増やされたくなかった。だが、同じ女性だ。好きな男性に綺麗だと言って欲しい。その気持ちが分かるからだろう。優しく穏やかな叫び声だった。
「お父さんの後は嫌なのでしょう。早く湯浴みに行きなさい。そうしないと、困るのよ。お父さんが、先に入って良いのかと、部屋の中をうろうろしているの。もう見ていられないわ。本当に困るの。だから、早く入りなさい!」
「・・・・」
 母は叫ぶのだが、娘は服を選ぶことで話が耳に入らないようだった。
「聞いているの?」
「ねね、お母さんは、何が良いと思う?」
「私の話を聞いていなかったのね。それなら分かったわ」
「・・・・・・」
「これと、これと、これにしなさい。そして、直ぐに湯浴みに行くのよ!!!」
「キャ」
 女性として男性を喜ばせたい。そんな肌の露出が高い服を買ったが、恥ずかしくて一度も着たことがなかった。それでも、内心では今度、今度と、手に取るが、勇気がなかった。その気持ちが分かっていたのか、それとも、自分に対しての嫌がらせなのかと、その気持ちを確かめるために母に疑いの視線を向けた。
「私には、まだ、早くないかしら?」
「まあ、私の娘とは思えないことを言うのね。私は、あなたの年の頃には傭兵をしていたのよ。そんな程度の服なんて、まだまだ、子供のお遊びよ」
「この服でも子供のお遊び!」
「そうよ。その服以上の露出の服を着て、男達を惑わして戦ったものよ」
「ひっひっひえぇ」
 美雪は、驚くが、その驚きは傭兵家業のことを想像しているのでなく、視線にある衣服よりも際どい物を想像していただろう。だが、脳内の想像と思考の限界を超えていた。
「この程度の服も着られないのなら、下着や服の選り好みするなんて百年は早いわよ!!」
「おかあさん。なぜ、怒っているの?」
「怒ってないわよ」
「でも・・・」
「もう、余計なことを考えないでいいから、湯浴みをしてきなさい」
「はい」
 母も女だったのだ。結婚する前は、いや、娘が出来る前と言い直した方が良いだろう。様々な戦場で共に戦い、自分の背中を預けても良い。そう思う男らしい男だったのだ。それが、娘のことになると、まるで、借りてきた猫のようになるのだ。その様子に我慢が出来ずに、自分の娘なのだが怒りをぶつけてしまったのだ。そんな、母の内心が分かる筈もなく、美雪は、逃げるように部屋から出た。その時に、視線の中に入る中で、適当に普段着ている服から比べたら明るめの服と下着を選んでいた。
「本当に、もう・・・馬鹿!」
 父の前を恥ずかしそうに駆け抜けて湯浴みの場所に向った。そんなことを言われた。父は不審議そうに首を傾げながら娘を見送るのだった。
「先に風呂に入れ。そう意味なのか?」
「難しい年頃なのよ。湯殿の前でうろうろしていたら恥ずかしくもなるでしょう」
「・・・・・・・」
 母の言葉を証明するように美雪が母を呼ぶのだった。
「お母さん」
「どうしたの?」
「ちょっと、来て」
「はい、はい。石鹸でも無かったの?」
「ねね。あの時々しか使わない。あのお母さんの石鹸を貸して」
「あなたには、まだ、早いわよ」
「お願い。ねえ、お母さん」
「うぅ・・・・・む」
 愛する夫の様子と娘の恋の行方を天秤に掛けた。だが、傾くことなく、自分の宝(高級石鹸)を犠牲にすれば、両方の要求に対応ができると答えが出たのだ。
「もう仕方がないわね。わかったわ。少し待っていなさい」
 居間に居る愛しき夫に優しく、もう少し時間が掛かるはずだから適当に時間を潰してきてと、そう言った後に、寝室から宝を持ち出して湯殿で待って居る娘に手渡した。
「ありがとう。お母さん」
「いいわよ。それよりも、急ぎなさい。あまり遅いと、他の人に夢中になって、あなたのこと忘れるかもね」
大事な宝物では、親子の血の繋がりでも負けるのだろうか、母は娘を少しからかうことで、自分の気持ちを慰めようとした。だが、勝気な普段の反応を期待したのだが、娘の瞳から涙がこぼれては、忘れかけていた母性本能が湧き出してきた。
「うっうう、心配だから・・町のお洒落な女性に負けないように・・・だから・・だから」
「ごめんなさい。嘘、嘘よ。新さんが美雪のことを忘れるはずがないわ」
「でもね。でもね。お母さん。でもね」
 美雪は、運命の泉から飛ばされて、なぜか空中に浮いていた。その時に、新に会ったことを思いだしていた。
「風邪を引くわよ。心配しなくても大丈夫だから湯浴みしてきなさい。ねえ、少しでも早く新さんに会いたいでしょう」
 下着姿の娘を見て心配するのだった。
「ひっく、ひっく、はい。お母さん。そうします」
 母が心配したように、娘は小さいくしゃみをした。
「もう、バカねぇ。早く入りなさい!」
「はい」
 娘が湯殿の扉を閉めるが、母は心配そうに視線を向け続けた。その表情に母性から娘を心配する気持ちもあったが、同時に、物欲的な心配も感じられたのだ。おそらく、娘が幼い時に、大事な化粧品を台無しにされたことが思い出したのだろう。そんな母の心配など気がつくはずもなく、石鹸を泡立てることをせずに体に刷り込むように擦るのだった。まるで、垢すりと勘違いしているのか、それとも、田舎くさいと思っている。その内心や外見が削れると思っているようだった。だが、母が、この様子を見たら間違いなく悲鳴を上げるだろう。そして、二度と、何も貸してはくれないのは確かなことだった。それから、男性から考えると、体がふやけると思うほどの長い時間が過ぎた。だが、女性からの思いでは、鴉の行水だと反論するだろう。そんな、中途半端な時間だった。
「おおっ綺麗だぞ。美雪!!」
「そうね」
 父親とは違い。母親の方は驚かなかったが、なぜか、娘よりも自分の連れ合いの方に冷たい視線を向けていた。まるで、久しぶりに聞いた言葉で、長く自分に言われたことがない台詞に、少々怒りを感じているようだった。
「おかあさん。行って来る」
「ゆっくり会って来なさい」
「ねえ。お母さん」
「分かっているわ。新さんの家で料理を作るのね」
「うん。それに・・・・その」
「分かっているわ。遅くなっても構わないわよ」
「本当に!!!」
 二人の女性が楽しく会話している。その横で、一人の男性が怒りをぶちまけていたが、無視と言うよりも、この場に存在させてもらえなかった。
「本当よ」
 そんな時だった。鳥の鳴き声に似た口笛を聞いて、三人は驚くのだった。
「街道を厳重の警備だと!!!」
 男は、この場に存在すると証明するように叫んだ。
「美雪。あなたは、何も気にしないで行って来なさい」
「うん」
「今の口笛を聞いていないのか、村始まって以来の危機なのだぞ。この状況で娘を家から出すなんて出来るはずがないだろう・・・・ん」
微かな風の流れが男の鼻を擽った。その香りは娘の方から漂ってくるのだ。すると、何かを思い出したのか、驚きの表情を浮かべた。
「気付いたようね。そうよ。あの石鹸の香りよ」
 この石鹸の所有者である。その母が、ここ一番と言う場合に使用していたのだ。娘が生まれてからは自分の連れ合いにしか嗅がせることはないが、独身の時は正体だけでなく性別も隠して傭兵をしていた時に、この匂いを嗅いだ者は命が無くなる。そんな噂が流れていたが、一人の男だけが命があった。それは、今の連れ合いのことだ。まあ、様々なことがあって、この男が唯一の背中を預けることが出来る者となり。そして、結ばれることになったのだ。
「まさか、お前、自分の腕前を娘に手解きしていたのか!!!」
「何を言っているのよ。馬鹿ね。そんなわけあるはずないでしょう」
「それでは、どう言うことだ!」
「男には、いろいろな、ここ一番ってあるでしょうけど、女性には、唯一の男の時しかないのよ。そのために貸してあげたの」
「なんだと、新ことだな。二人で会うのは分かっていたが、この香りを嗅ぐくらい接近するなど許さんぞ」
「もう何を言っているのよ。村々の英雄よ。このくらいでも大人しい方よ。それに、運命の亡くした人もいるのよ。その人たちならもっと積極的よ」
「そんな人は居るかもしれないが、我が娘には必要はないのだ」
 夫婦の馬鹿馬鹿しい会話を娘が見ていたが、何も口を出せることが出来るはずもなく、その様子を見ていたが、父よりも母の方は冷静だったのだろう。会話の流れを邪魔せず。悟られないようにして、早く新の所に行け。と娘に指示をするのだった。
「チョット待って。まだ、話が終わってないぞ」
 父が気付いた時は、娘は叫んでも聞こえない距離まで走り去っていた。行き先は、口笛では知らせていないが、村長宅なのは確かだった。だが、村長宅まで駆け続ければ、新の家の前で待つことはできる。それが、一番の理想なのだが、肌に念入りに練りこんだ石鹸の香りが汗で消えてします。それだけは、何があっても維持しなければならかった。それで、新たちが、村長宅に向う途中の道で待ち伏せする考えだったのだ。
「遅いわね。もう通り過ぎたのかしら?」
 無言で一点の方向を見つめ続け、少々疲れを感じ初めて不安になる頃だった。その気持ちの表れだろう。周りをキョロキョロと見回すのだった。それでも、気持ちが治まらないのだろうか、それとも、口がさびしいのか、指を銜えるのだ。そして、何をする気持ちなのか、大きく息を吸うと、調子を取りながら息を吐いた。すると、心を揺さぶる綺麗な鳥の鳴き声と同じ響きが辺りに響いた。
「新さんは、まだ、通り過ぎてないのね。良かったわ。おっ、五分も過ぎれば会えるのね」
 美雪が、銜えた指を離すと、直ぐに返事のような鳥の鳴き声が響いたのだ。それは、間違いなく秘密の口笛の会話だった。全てを聞き終えた後に、感謝の気持ちなのだろう。両手を合わせて聞こえて来た方向に嬉しそうに拝むのだった。そして、五分が過ぎると・・・・。
「ん?」
 驚きの言葉を上げた。だが、新の姿を見たのではなかった。なら、何が起きたのか、それは、この世に生きる全ての鳥の鳴き声が一斉に鳴いた。そう思える鳴き声だったのだ。それも美しい鳴き声ではなく、初めて楽器を持った素人の集団の演奏のようだった。それは、人を殺すことも出来るだろう。まるで、超音波の兵器の様だった。だが、特定の女性には救いの響きなのだった。自分の愛する者の情報を知るために鳴き、そのお礼として情報を教えるために鳴き返す。その繰り返しで村中に響き渡るのだった。
「ごめんなさい」
 美雪は、誰となく人に謝った。それは、当然だろう。私語での口笛の会話は禁止されていたからだ。その禁忌を初めに犯したのは自分だから騒ぎが収まった時に罰が与えられるだろう。だが、村中の女性の口笛は収まらずに広まり続けていた。それも、鳥だけでなく蛙の鳴き声など様々な響きが出てきたのは、恐らく、口笛が吹けない子供まで参加してきたのだろう。その話題の一行は、そろそろ、美雪の視線に入る所まで来ようとしていたのだが、坂道でも地平線の先に現れるのでもない。田畑がある曲りくねった道だった。
「騒がしくなったな。何が起きているのだ。まさか、地震の前触れ?」
 新は不思議そうに呟いた。問い掛けられた男は、何て返事をして良いのかと迷っていると、視線を遠くに向けた。すると、その先には、何かを待っていたかのような様子で・・・・・。
「美雪ちゃん?」
 知り合いに似た女性が立っていたが、こちらに気がついたのだろう。手を振りながら駆け寄ってきたのだ。
「新さん。新さん!」
 美雪は、嬉し涙を流しながら生きて帰ってきたことに安堵するのだった。だが・・。
「俺の名前を叫んでいる。あの女性と知り合いなのか?」
 新は、美雪が向って来る事に対して、手を振ることも笑みを浮かべることもせずに、視線だけを向けるだけだった。それも、敵意とは大袈裟だが、不審を感じているようだった。


第百三十一章

 女性は、男性の所に走り続けた。それも、もう、この世では会えないかもしれない。そう思っていた。その愛しい人と会えた嬉しい気持ちが内心では抑えられないのだろう。手を振り、それでも、我慢できずに身体全体で嬉しさを表していた。だが、気持ちを伝える相手は、自分に視線を向けてくれるが、なぜか、他人を見る様子なのだ。それでも、毎日、毎日、愛しい人の無事を祈り続けた。それが、念願が叶って会えるのだ。おそらく、命を掛けた戦いで精神が少し疲れているのだろう。それでも、自分の思い伝え、温もりを与えれば、元の優しい人になってくれる。そう感じて、また、想い人の名前を叫んだ。
「新さん。新さん!」
 満面の笑みを浮かべながら両手を広げて抱しめようとした。すると・・・・。
「誰なのだ。それよりも、なぜ、俺の羽衣を持っている?」
「何を言っているの?」
「あっそうだった。済まない」
「思い出したのね!!」
「いや、だが、羽衣を渡したと言うことは、私は貴女に告白したと言うことですね」
「まっまっ・・・・はい」
 美雪は顔を真っ赤にして頷くのだった。
「だが、俺には・・・・・記憶がない・・・のだ。貴女を(好きな感情はない)」
「新さん。大丈夫?」
「大丈夫だ。だ・か・ら・済まないが・・・(羽衣を返してくれないか)」
 新は、言葉を吐くごとに顔色から赤みが消えて真っ青になる。それだけでなく、何かの力だろうか、伝える気持ちの言葉が口から出ないのだった。そして、その場に倒れた。
「新さん。確りして!」
 美雪が、新の身体を抱き上げた。他の者達は、新を心配するが顔色も元に戻り、穏やかな寝息だったので、疲れが出たのだろう。と安堵するのだった。そして、案内する村の男達は、二人が恋人だったのを知っている。それに、美雪が、どんなに新に会いたかったのかも知っていた。それで、新を美雪に託した方が良い。そう感じたのだ。
「美雪ちゃん。自分達は、早く長老の所に行かなければならない。新さんを任せても構わないだろうか?」
「はい。任せて下さい」
「お願いします。それでは、先に行きます」
 美雪が頷くと、男達は笑みを浮かべて立ち去るのだった。
「長老には、この状況を伝えて下さい」
「それは、分かっている。新殿の看病は頼みますよ」
「はい」
 美雪は、皆が見えなくなるまで視線を送り続けた。すると、頭痛を感じると同時に、何かの言葉が脳裏に過ぎるのだ。運命の泉に入れ。と、だが、思案したことと同じだったために、気の所為だと感じた。
「運命の泉は不思議な力があるわ。だから、中に入れば、何かの効果があるはずよ。急がなくてはならないわ!」
 愛しい人の意識を戻すことや何かの病気なのかと感じて、様々な治療の方法を思案して答えを出した。だが、何通りの方法を実行するには、この場からの移動させることになるのだったが、女性の力では大人の男性を担ぐことは出来るはずもなかったのだ。それならば、口笛で誰に助けを求めたら良いだろう。そう思うだろうが、先ほどの騒ぎで長老の一喝で禁止されたのだ。そんな時だった。
「あっ」
 二人の女性が、自分が居る方向に向って来るのだ。確かに、道は一本道だから何か用があれば通るだろう。それでも、この先にある民家は、自分の家しかない。もしかすると、元北東都市の兵に用があるのかと、女性達の理由を思案し続けていた。
「大丈夫?」
「意識は戻ったの?」
「それが・・・・・」
「疲れているのかしら・・・・。それで、美雪の家に連れて行くのよね?」
「女三人なら運べるかしら?」
「でも、何かの用があって来たのでしょう?」
 美雪は、二人の女性に問い掛けた。
「そうよ。美雪と同じにね」
「えっ?」
「愛する人を出迎えに行ったの。そしたら、自分達は用があるから新殿の様子を見に行ってくれ。そう言われたのよ」
「もう本当に馬鹿にしているわ。でも、仕方がないわよね。村の為らしいし」
「そうそう、でも、他の人がいるから恥ずかしかったのかもね」
「うんうん。本当に、男って馬鹿よ!」
「美雪も、そう思うわよね」
「う・・・ん」
「あっごめん。こんな馬鹿な話しよりも、新さんを家に連れて行かないとね」
「いいの。それより、私の父か母を呼んできて」
「そうね。動かさない方がいいかもね。分かった。待っていて」
「それが、いいわね」
「あっ明日(あす)は、美雪と一緒に待っていて」
「えっ何故よ」
「まさか、美雪を一人で待たせるの?」
「分かったわ。胡桃(くるみ)」
「でしょう。直ぐ来るからね」
 胡桃と言われた者は、二人に手を振ると、体の向きを変えて走り出した。勿論、行き先は美雪の家だ。そして、驚くことに、もし美雪が煙草を吸うのなら二本を吸い終わるくらいの短時間で、父が戸板を持って現れたのだ。
「美雪。大丈夫なのか?」
「えっ」
 父の背中越しから女性が舌を出して謝っていた。おそらく、美雪が怪我をしたとでも言ったのだろう。その女性の後方を見ると、母も救急箱を持って向って来るのだった。
「怪我をして動けない。そう聞いたのだぞ!」
「ああっわたし慌てていたから新さんと、自分の名前を間違ったかも」
「どうしたの。あら、美雪。元気でしょう」
「新殿らしいのだ」
「それで、新さんの容態は確かめたの?」
「まだ、なのだが・・」
「何をしているのよ」
「仕方がない。家に連れて行こう。はっはぁ。手を貸してくれないか?」
「本当に、嫌々と言うのね。まあ、気持ちは分かるけど、動かしても大丈夫そうね」
 父親は、新の頬を軽く叩いて起きるかと確かめていたが、あまりにも適当な様子なので、新のことが心配になり。母親が代わって容態を確かめるのだった。
「何をしているの。早く乗せてよ」
「ああっ分かっている」
 最愛の妻と娘に頼まれては、拒否できるはずもなく、嫌々と、病人に接するとは思えない接し方で、戸板の上に乗せるのだった。そして、美雪の二親は、自分の家に連れて行くのだ。だが、外傷もないと言うのに目を覚まさなかった。それでも、先ほどの簡単な診断でなく、注意深く身体の隅々まで診断するが、何も問題がなかったのだ。
「お母さん」
 美雪は、その診断の結果を聞いて、何も出来ないことの悔しさと、このまま目覚めないのではないか、その心配で、今にでも泣き出しそうな表情を表しながら母に助けを求めたのだ。だが、娘に抱きつかれても頭を撫でるくらいしかなかった。
「それなら、運命の泉にすがってみる?」
 母親は、娘が何も出来ない気持ちが分かり。気休めだが神頼みを勧めたのだ。
「それは、考えていたの。だけど、この状態では連れて行くのは無理だわ」
「まあ、それも良い考えだけど、違うのよ。運命の泉の水を飲ませてみたら!」
「あっお母さん。それ、試してみるわ」
「でしょう」
 母と娘は、初恋の人に恋文の渡し方を相談する。まるで、少女達の様にはしゃぐのだった。そして、母親が携帯容器を手渡した。
「言ってくる。新さん。直ぐ来るから待っていてね」
 母に見送られて直ぐにでも泉の所に駆け出す。そう思われたのだが、何か重大な物でも忘れ物でもしたかのように振り向くと、何一つの不安がない。そう思う笑顔で、新に話を掛けた。勿論、返事はないが、泉の水を飲ませば正気に戻る。それを信じているようだ。
「必ず、助けてあげるわ」
 美雪は、家から飛び出した。そして、泉の不思議な力だけを信じて無我夢中で駆け出したのだ。それも、草木などの邪魔だと考えずに最も近い方向である。道でない所を直線で進むのだった。着いた時には、手足に複数の傷跡から血を流していた。その状態のまま祈る礼儀を無視して入った。その行為は罰が当たっても当然なのだが、不思議なことに泉の水が手足に掛かる所は怪我が治ったのだ。その理由は分からない。おそらく、羽衣に共鳴しているのだろう。だが、運命の泉に意思はないが、美雪の願いが受け入られた。その証明なのだが、美雪は夢中だったために気がつかなかった。
「これで、正気に戻ってくれるはず」
 泉の水を汲み大事そうに胸に抱いて、この場に来た時と同じように無我夢中で家に向うのだ。勿論、折角傷が治ったのに、家に着く頃には無数の傷跡ができていた。
「美雪。どうしたのよ。血だらけよ」
「えっ・・・あっ本当だわ」
「もう仕方がないわね」
「何をしているのよ。もう良いわよ。自分で飲ませるわ」
 母親は、娘のことが心配で傷薬を取りに行ったが、母の行動が信じられない。と思う様子を表して、自分のことよりも新に駆け寄った。
「新さん。運命の泉の水よ」
新の口に水を流すが零すだけだった。何度もするが飲んでくれず。泣きそうな表情で母にすがるしかなかった。そんな娘の様子を見て、大きな溜息を吐いて頷くと、なぜか、嬉しそうに新の上半身を抱えて、まるで、赤子に飲ませるように優しく水を飲ませるのだ。
「美雪の時も、この様に飲ませたのよ。ゆっくりと、少しずつね」
「・・・・」
「美雪もしてみる?」
「うん」
 飲ませるごとに顔の表情が柔和になってきた。そして、ゆっくりと目を開けたのだ。
「ここは?」
「わたしの家よ。一度、来たことあるでしょう」
 新は、周りを見回した。何かを思い出そうとして見るが、何一つとして記憶にある物はない。それでも、室内の様子を何度も注意深く見るが、初めて見たとしか思えなかった。
「それは・・・・」
「えっ・・・これ?」
 何を言っているのか分からず。家の中を見回すが分からず。その視線を追ってみると、自分が手にしている携帯容器だと感じたのだ。
「運命の泉の水よ。泉を憶えている?」
「いや・・・ごめん」
 大きく首を振り、そして、女性の気持ちに裏切ることなので謝るのだった。
「行ってみる?」
「えっ・・・はい」
 新は、どうでも良かったのだ。だが、美雪が嬉しそうに言うので頷いてしまったのだ。
「それなら、行きましょう」
「でも・・・・この場の人・・・に失礼か・・・と・・」
 二人で行くのも抵抗があったが、美雪と自分を何か心配していると、そう感じたのだ。
「美雪。行って来なさい」
「そうよ。一緒に行って来なさい。わたし達は帰るわ」
 美雪の母が言うと、その後に、二人の女性も同じ事を言うのだ。父親は、気分悪そうに視線も合わせてくれないが、三人の女性と気持ちは同じようだった。もう少し本心を言うのなら娘の嬉しそうな笑みが見たかったのだろう。
「そうします。新さん。そうしましょう」
「それでは、運命の泉まで案内をお願いする」
 女性たちが、なにやら、少々興奮していると感じたので、その感じ取ったことを悟られないように仰々しい兵士の様な態度で表した。
「いいわよ」
「何をしている!!!」
 突然に、自分の左手に女性の温かみを感じて驚いた。
「手を握っただけよ」
「離せ!!」
 美雪の右手を離そうとして、左手を大きく何度も上下に振った。
「恥ずかしいの?」
「違う。独身女性がすることではない。そう言うことだ!!」
「わたし、独身女性ではないわ。婚約はしているわよ」
「それならば、なおさらのことだろう!!」
「ふ~ん。そう分かったわ。手を離してあげる」
 美雪は、新が演技でなく本当に記憶がない。それをはっきりと確認した。自分が知る。新ならば、顔を真っ赤にして、驚きの悲鳴を上げるからだ。だが、態度は違うが同じ様に恥ずかしい気持ちを表してくれたことで、心の中が同じだと分かり安堵するのだった。


第百三十二章

 一人の女性が、自分の家の玄関の前でクルクルと身体を回すのだった。おそらく、喜びを表しているのだろうが、同じ歳の男性にしては、そんなに、何が楽しいのかと分からなかった。二親は、家から出てこないが、もしかすると、父親が、男と二人だけで泉に行くのを憤慨しているはず。それを母親が宥めているはずだ。それを二人の若い女性が、美雪に伝えるのだ。泉に行くのを止められる前に行きなさいと、そして、女性達だけが分かる。運命の泉の加護がありますように、と願いの仕草をしてくれるのだった。
「ありがとう」
 身体をクルクルと回ることで興奮を抑えていた。だが、それ以上の加護の祈りを見たことで興奮を抑えることができたのだろう。その感謝を二人の女性に返したのだ。
「何をしているのだ。泉に行くのではないのか?」
 女性達の不思議な様子(女性達は、神聖な祈りなのだろう)を、しばらく、見ていたが、終わりそうにない。と言うよりも、この場に心がないようだった。それで、仕方なく、三度同じ事を言ったが、心ここにあらずのようだったので、四度目は、少し待つことにした。すると、三人は、同時にお辞儀するので終わったと感じたのだ。
「泉に行くのではなかったのか?」
「そうよ。行くわよ」
「もしかして、行かないと思った。それとも、同じ言葉を二度も言ったのに返事をしなかったことを怒っているの。ごめんなさいね。祈りの時は、口を聞けないのよ」
「・・・・」
 新は、同じ言葉を三度も言ったとは訂正しなかった。それは、三人が別れの挨拶をするのを見て、言っても無駄だと感じたからだった。
「それでは、行きましょう」
 一度、手を繋ごうとして手を伸ばすが、先ほどのことを思い出して、何歩か歩いてから手巻きにするのだ。
「まあ、行ってもいいが、神聖な場所なのだろう。俺も祈らなくていいのか?」
「神聖な泉だけど、先ほどの祈りとは違うの。だから、気にしなくていいわ」
「そうなのか、それなら構わんが・・・行こうか」
 なぜか、美雪の顔色が赤いことで不審にもったが、祈りの内容を聞く訳にも行かないし女性らしい悩みなのだろうと、気づかない振りをした。そして、女性が歩き出し、その後を付いて行くのだった。そして、草木を手で払いながら進むだけでなく、何度かの傾斜を進む時に、草木を持つことで身体を支えて道とは思えない所を進み続けた。とても、人が通る所ではない。まして、女性が通る。それが、親が知った場合は許すはずが無い。それが原因で、家の中で二人親が言い争いをしたのかと、今思い浮かべていたようだった。
「大丈夫?」
「大丈夫だ!!!」
 女性の言葉で、かなり憤慨した。たしかに、男でも好んで進みたくない道のりなのだが、それよりも、女性に心配されることの方が侮辱だからだ。
「それにしても、獣も通らない所を通らないとならないのなら女性には大変だろう」
「そうでもないわよ。まあ、今日は近道だから通ったけどね。でも、普段の道も傾斜などの危険な所はないけど、草木などは避けながら歩くわよ」
「そうでしたか」
「はい。帰りは、遠回りですが、普段の道を通りましょうね」
「はい。う~む。それでしたら、村の外には多くの兵が待機していますので、泉までの道を作ってさしあげよう。我々のような兵は道も作りますので、女性や子供達が怪我など心配しなくても良い。楽な道を作りましょう」
「嬉しいことですが、それは、遠慮します」
「えっ・・あっ何も心配はいらないですよ。勿論ですが、費用などは頂きません」
「そう言う意味ではないわ。村の宝でもあるし、この村で代々隠し続けた泉なの。だから、道を舗装されては、誰にでも探し出されてしまうわ。だから、今のままでいいの」
「そうでしたか、村のために何かしたかったのです。残念です」
 新は、残念そうに肩を落とすのだった。この道の舗装ができれば、村に入る口実ができる。それは、良い考えだと思ったのだが、美雪に必要ないと言われて、本当に残念だと思った。そんな、新の落ち込んだ気持ちが伝わったのか、まだまだ、先があるのだが、美雪は、立ち止まり、両手で草木を避けて、指差しながら嬉しそうな声を上げたのだ。
「あれが、泉よ。綺麗でしょう!」
「えっ・・・・・ほうほう。綺麗ですが、思っていたよりも小さいですね」
 男性の感情と女性の感情では、表現の表し方が違うのだろうか、いや、内面の捉え方と知性の感覚が違うのだろう。おそらく、男の感情は、結局、ただの水であるとしか思っていないのだ。おそらく、喉の渇きを潤すためと、汚れを流れ落とすだけだと、だが、女性には自分を写す鏡であり、その姿を見ながら化粧をするだけでなく、異性に好かれようとして泉に写った姿に相談もするのだ。それだけでなく、汚れを落とす時でも水に祈るのだ。綺麗な肌になってくださいと、そんな様々な思いがあるのだ。それだから、泉を見た時の喜びが、男性とは驚きの度合いが違うのだった。
「あまり、驚かないのね」
 などの、男性の気持ちがわからず。少し憤慨するのだった。だが・・・。
(もしかしたら、記憶がなくても、運命の泉には何度も来たのだし、驚きの感情が記憶して慣れてしまったのね)
「凄い泉だと思うよ。それに、綺麗で喉の渇きが取れるだけでなくて凄く美味しそうだ」
 やはり、男性の感情は女性が違うようだ。これが、美雪が知ることがあれば、異性など好きにならない。と男性不審になったはずだ。
「たしかに、美味しい水よ。でも・・・なにか・・・」
「すまない。今、本当に喉が渇いているので、言ってしまったが、神聖な泉を侮辱したのではない。そのことは分かって欲しい」
「それなら、いいわ」
 などと、会話をしていると、二人は、泉が見える崖の上に着いた。
「ここから下りると言うのか!」
「そうよ。まさか、下りられない。何てこと言わないでしょうね!」
「そんなことを言うはずがないだろう。俺は、女性だと下りられないと思い。先に下りて手を貸してやろうかと、そう思っただけだ!」
「そうでしたの。ごめんなさい。許して下さいね」
「ああっ気にしていない。それでは、下りようか」
 新は、大丈夫だと言われても、女性なのだから心配になり。先に自分が下りて手助けしようとした。勿論だが、美雪の気持ちを憤慨させないように接したのだ。だが、恥ずかしいのか、子供扱いされた。とでも感じたのか、手を払いのけようとして滑り落ちてしまったのだ。
「大丈夫ですか?」
「はい」
(もう嬉しすぎて恥ずかしかったわ。元の記憶があれば恥ずかしくて女性の手なんて絶対に触れようなんてしないわ。それに、女性として優しく接するなんて思い付きもしないわ。やっぱり別人なのね。でも、もし記憶が戻った時は、今のような気持ちが少しあるといいわね。あっでも、おどおどした恥ずかしそうな姿もいいわ)
「どうしました。もしかして、どこか痛めましたか?」
 美雪は、思い耽ることで、今の、この場の状況を忘れていた。
「えっ・・・あっ・・・何でもないの」
「それなら、水を飲まないか、なあ、一緒に飲もうよ」
「はっ、そうね」
(やっぱり、中身は同じだわ。喉が渇いていたから急ぎたかったのね。わたしの心がドキドキしたのが、馬鹿みたい)
 美雪は驚き、そして、落胆したのだった。そして、二人は、泉の岸辺に膝を付いて水面を見詰めるのだった。
「飲もうか」
「そうね」
 二人は、泉に両手を入れた。すると、まるで、電気が通っているのか、身体全体にビリビリと痺れた。
「おっ!」
「キャ!」
 すると、身体が膠着して声も出なくなり、ゆっくりと、泉の中に倒れるのだった。その痺れは、羽衣の反発だった。二つの羽衣の記憶が違うための不具合だった。どちらの記憶を優先して上書きするか、その反発の反応だったのだ。そして、記憶が消える予感がしたのだ。だが、美雪は・・・・。
(わたしは、嫌よ。記憶を無くしたくないわ)
 そして、新は・・・・。
「・・・・・」
 何度も記憶を無くしていることで、身体の免疫が出来ていたのだろうか、抵抗することはなく、泉の反応に身を任せているようだった。
「あっ美雪さん」
 突然に、新の驚きの声が聞こえ。美雪は驚いた。それだけでなく、自分の名前を呼ぶのだ。それも、他人行儀の言葉でなく、親しみを感じる優しい驚きの声だった。それだけでなく、顔の表情も硬い表情でなく、柔和な温かみのある子供のような表情だったので、記憶が戻ったと感じて喜びの声を上げようとしたが、違ってたらのことを思い。小さい声で呼び掛けるのだった。
「新さんなの?」
「そうだよ」
 初めの言葉はあまりにも小さかったのだろう。美雪の返事が無かったので、もう一度、声を掛けるのだった。そして、新は、なぜ、問い掛けられるのかと、驚くのだった。
「徴兵の生活は、どうです?」
「何を言っているのです。これから徴兵に行くのですよ」
「えっ何を言っているの?」
 美雪が驚くのは当然だった。徴兵されて村から出て、噂や村に戻ってきた人たちの話を聞いて、想像もできない凄い戦いを何度もしたと、そして、やっと村に戻ってきて、今自分の目の前にいるのを喜びと同時に安心したのだけど、それは、徴兵の終了でなく、この村で最後の戦いをするらしいと、そう聞いたからだ。それが、なぜか、あの思い出したくもない、村を出る前日の記憶しかないのだ。
「美雪さんも、変なことを言うなぁ」
「そうね。ごめんなさい」
 美雪は、頭を下げて謝るだけで、何一つ訂正をしなかった。それは、自分だけ知る。新であり。本当の恋の続きができるからだった。
「いいよ」
「そんなに、大きな声を言わないで、誰かに聞かれると恥ずかしいわ。それに・・・」
「ギャ」
 美雪の唇が耳に当たったからと、身体の温もりを感じたからだ。それでも、新は離れなかった。それは、耳元で囁きが聞こえるからだった。
(それに、村の住人でもない人に聞かれて、変な噂になるのは嫌だわ。そうでしょう?)
「そうだね」
(もう、新さん。大きな声を上げないで、わたしと同じように耳元で囁いてよ)
(うん。聞こえる。その美雪さん・・・・・)
 新は、おどおどとしながら美雪の身体に触れた。それでも、耳だけには唇が触れないように頑張った。だが、そうすると、美雪の身体に触れる面積が増えるのだ。すると、心臓の鼓動がはっきりと聞こえるだけでなく、良い匂いと息遣いが感じられた。そうなると、恥ずかしくて何も言えなかったのだ。
(な~に?)
 美雪は、また、新の耳に触れながら返事を返すのだ。そして、新が驚くと、クスクスと笑うのだから故意にしていると感じられた。それは、愛しい人にだけに接する感情表現だった。その余韻を楽しみながら新の言葉を待った。
(良い匂いがする)
(ありがとう。チュ)
 美雪は、嬉しそうに頬に唇を当てた。
(ありがとう。僕もして良い?)
(もう馬鹿ねぇ。良いに決まっているでしょう)
(うん。ありがとう。チュ)
 耳元で囁いた。その後、唇に思いを乗せて頬に触れたのだ。
(大好き。チュ)
(ありがとう。僕も、チュ)
 二人は、本当に同じことを繰り返した。それも、恋人のように楽しそうに、何度も、何度も同じ事をするのだった。まるで、元は一つだったのが、何かの理由で分かれて、また、一つになろうとしているようだった。
「チュ」
 美雪は、触れ合うだけの温もりだけでは我慢できずに、きつく両手で抱きしめるのだ。
「ありがとう。チュ」
 そして、新も同じ気持ちなのだろう。抱き締めながら唇を頬に触れた。
(嬉しい!)
(ねね、そろそろ)
(チュ。な~に?)
(ありがとう。チュ。そろそろ、泉から出ませんか?)
「もう~わたしと一緒にいるのが、嫌になったの!!」
 美雪は、叫び声だけの怒りでは、我慢できずに突き放してしまった。
「そう言う意味ではないよ。身体が冷えて寒くなってきたからだよ」
「そうね。ごめんね。泉から出ましょう」
「美雪さん。ありがとう。また、泉での遊びをしようね」


第百三十三章

 秘湯の温泉のような小さい泉の中で、二人の男女が戯れていた。それでも、男性の方は、泉の中に長い間いたからだろう。それで、疲れたのか、それとも寒いのか、その両方のはずだ。それでも、女性の方は、まるで気持ちが反対の有様だった。もしかすると、愛情の度合いの深さの表れなのか、二人でいることが、嬉しくて、楽しくして、我慢を抑えられないようなのだが、それでも、つい先ほど、男性の一言で、この世の終わりとでも感じているように顔を青ざめた。おそらく、何時までも泉の中で触れ合いたい。そう同じ思いだと感じていたからだ。だが、男は、泉の外に出ようとして、一歩、また、一歩と歩くのだった。その後ろ姿を見て、女は、ポロリ、ポロリと涙を流すのだ。まるで、今生の別れのように見つめ続けた。そして、後ろ姿だが脳裏に焼き付けようとしているようにも、想い人の命の無事を祈るようにも、いや、今生の別れよりも辛い。自分という存在自体を失う状態を恐れている。そう思う涙の流し方だった。
「どうしたのだ。たしか、神聖な泉のはず。なぜ、泉の中にいるのだ・・・あっ・・まさか、清めの儀式なのだな。本当に済まなかった。直ぐに、ここから離れる!」
 新は、泉から出ると、直ぐに後ろを振り向き、まるで、信号機のように顔色を変えて謝罪するのだった。
「違うの。後ろを振り向かなくていいわよ。だから、こっちを向いて下さらない」
「そう言うのならば従うが、良いのか、何か理由でもあるのか?」
「泉の水を飲んで見て」
「水だと、何故だ?」
「昔の記憶が無いのでしょう」
「確かに、そうだが・・・・・・なぜ泉の水なのだ?」
「不思議な水なの。だから効果があるはずよ」
「そうなのか、確かに、君が羽衣を持っている理由を思い出したい」
「何なのよ。確かに、確かにって、何度も、何度も、それに、私は君でなくて、美雪よ」
 美雪は、先ほどよりも、ますますと、新の他人と思える。冷たい言葉遣いの接し方に不満を感じて、頬を膨らませた。
「すまない。美雪さん。と言うべきだった。本当にすまない。許して欲しい」
 新が、美雪の記憶が無くても、困り顔の表情の癖は同じだったことで、美雪は喜ぶのだった。それで、不満は消えたのだ。
「もう、いいわ。許してあげる」
「感謝する。それで、泉の水を飲めばいいのだろう」
「もう、いいわ。無理やりでは体に悪いし、もしかしたら、何かの拍子で思い出すかもしれないわ。もう少し待ってみる。新さんも、その方が良いでしょう」
「ああっそうする」
「それでは、家に帰りましょうか」
「いや、村の村長に会わないとならないのだ。良ければ案内してくれないだろうか」
「仕方が無いわね。いいわよ」
「感謝する」
「それでは、行きましょう」
 美雪は、嬉しくて手を握った。新の態度も言葉も冷たいが内心は同じだと感じている。それならば、自分のことを愛しているのは確かなはず。だから、結果が分かる物語と同じなのだ。必ず幸せになれる。それで、途中の内容は、どのようになるのかと、楽しむことにしたのだ。もし、例えで言うのならば、ある映画が完結したが、主役が同じで続編として作られる。それと、同じだと思っているのだ。
「何度、言えば分かるのだ。独身女性なのだから男性の手を握るなんてことするなと、言っているだろう」
「そうでしたわね。ごめんなさい。クスクス」
 美雪は、新が恥ずかしくて手を離したと感じて、自分が知る。新だと感じて喜んでしまった。新は、その笑みを見て、遊ばれている。そう感じたが、その笑みを見て思うのだ。この笑みに惚れたから羽衣を渡したはずだと、そして、運命の泉の水を飲むのだったと、悔やむのだ。そんな思案をしているが、案内人である。女性の後を付いて行くのだ。今度は、泉に向う時とは違い。帰りと言うべきか、村長の宅に向うと言うべきか、人が通れる道だった。
「この坂を登り、そして、下りれば、村長宅が見えるわ・・・・・」
(新さんの家もね)
 美雪は、思いの言葉を全て伝えることができなかった。それは、思った返事でなく、言われたくない言葉を聞きたくなかったこともあるが、今の状態は、新と美雪だけの人生と言う物語である。何かの結果が起きることを楽しみもあったのだ。
「あの大きな建物が、村長宅だろうか?」
「そうよ」
「それならば、案内は、ここまでで構わない」
「いや、最後まで案内をします」
 まだ、手を繋ごうとして手を伸ばすが、それは、やめて、隣に近寄り共に歩いた。その目的は、新の視線の先を見るのだ。自分の家を思い出してくれているのかと、そして、自分が片付け、掃除などしたことをしたことで、新は、喜んでくれる。もしかしたら、頭を撫でてくれるのではないかと、嬉しい期待を心の中で思うのだった。
「この家よ」
 長老宅を指差すが、大きな溜息を吐きながら、新の家に視線は向けていた。だが、新は気付いてくれない。それでも、何かを探すように辺りに視線を向けていた。
「済まない。案内を感謝する」
「どうしました?」
「先に着いているはずなのだが・・・・・」
 自分よりも先に徴兵隊と村の者が着いているはず。それなのに、長老宅の庭には、誰も居ないのだ。この村の出身なら家に帰るだろうが、他の者達が居るはず。そう感じて、長老宅の扉を叩くのだった。
「西都市の者だ。徴兵隊の者達がお邪魔していないだろうか?」
 一度、玄関の扉を叩いたが、返事がなかったことで叫び声を上げた。
「聞こえている。少し待つが良い!」
 扉の向こうから片足が不具合のような足音がする。だが、松葉杖とか麻痺などでなくて、老人の特有の歩き方と言うべきか、足腰が疲れた時のような感じの歩き方に近いだろう。だが、言葉からだけで判断すると、老人ではないかもしれない。新は、そう感じた。
「西都市の者が何の用だ!」
 玄関の扉が開かれると同時に怒声が聞こえた。
「すまない。尋ねたいことと相談があるのだ」
「何だと・・・・えっ・・・まさか、新殿なのか?」
「はい。そうです」
 長老は、新と美雪を家の中に招いた。勿論、断るはずもなく二人の男女は中に入るのだ。
「村に帰ってきたと知らせを聞いたが、無事に徴兵のお役目をご苦労だった。それにしても、見た目の様子が変わったぞ。男らしくなって良い感じだ。これなら、美雪も惚れ直すだろう」
「もう、長老様ったら~馬鹿!」
「それにしても、大人しすぎないか、まさか、息子の戦死したことを気にしているのか、それは、任務なのだから気にしなくていい。それよりも、村に帰って来た。その者達に聞いたぞ。良く頑張ってくれたらしいではないか、だから、何も気にしなくて良いのだぞ」
 長老は笑みを浮かべるが、何か悲しみを感じるのは、息子の死が忘れられないのだろう。
「すまない。本当に、すまないが、記憶がないのだ。それよりも、この場に着いているはずの徴兵隊の者達は、どこに居るのだろうか?」
「この村の者なら、自分の家に帰した。他の者は、村の入り口にある兵員の所に行かせた。その所なら寝る場所も食事も取れるはずだからな」
「えっ、ちょっと、待ってくれ。この村に兵が居るのか?」
「まあ、その理由を話すには面倒なことだが、悪いようにはしないだろう」
「それは、助かる。感謝するが、俺の話を聞いて欲しい」
「その話とは、北東都市の残党のことか?」 
「その通りだ。だが、重要なことなのだ。この村が危ないのだ!」
「この村を攻めに来るかもしれない。その話のことだな」
「いや、間違いなく、確実に、北東都市の残党は来るのです」
「それなら、もう、この村に来ているぞ」
「えっ、それは、どう言う意味なのです?」
「先ほど言った。兵員とは、北東都市の残党が逃げて来たのだ」
「そうなのか・・・・村の占領は諦めたのか?」
「新殿が言う。その者とは違うだろう。この村に裸で逃げてきたのだからな」
「そうでしたか、それでしたら、自分たちが連れて来た兵達も入れてくれないだろうか」
「それは、無理だ。これ以上、よそ者を村に入れられない」
「せめて、食事と暖をとりたいのだ。宜しいだろうか?」
「何だと、村を助けに来たのでなくて、援助を求めにきたのか、戦の礼儀とは、その地域の物資の調達するのでなくて、自分たちで準備をして戦うことのはずだ!!!」
 長老は、理不尽な事を言われたと感じて、脳内の血管が切れるのではないか、それほどの怒りを感じたのだ。
「違うのです。長老様。新さんが言いたいのは、兵隊さんたちが休める場所を提供して欲しい。そう言うことだと思うわ。そうでしょう?」
 新に問い掛けた。すると、何度も上下に首を振った。
「そう言うことか、勘違いしてすまない。だが、村に入れることの許可は出せない」
「なぜ、そこまで、そこまで・・・・」
「この村を戦場にしたくないだけだ」
「分かりました。それでは、村に入るだけでも許して下さい。直ぐに村から出て、村の境界線で陣を置きます。それなら、宜しいでしょう」
「そこまで言うのなら許可しよう。だが、この許可は、村の英雄でもあるし、息子を守り。そして、看取ったことに事に対しての気持ちだと分かって欲しい。これで、二度とお会いしたくない。それを憶えて欲しい」
「長老様。あの・・・・」
「後は、美雪にお願いする。お任せしましたぞ」
 新に対しての怒りを美雪にぶつけるように睨んだ。だが、違っていた。それは、村の重要な所は見せるな。その指示だったのだ。それでも、席から立つ時に涙を我慢しているようだったのは、やはり、内心では、自分の息子が死んだことの悲しみが占めていたに違いない。美雪は、新の気持ちを伝えたかったのだろうが、そんな、長老の様子を見ては、頷くことしかできなかったのだ。
「・・・・・」
 長老が、室内から消えると、美雪に話をかけた。
「美雪さんにお願いしないとならないようだ。案内を頼む」
「もう、そんなに真剣に頼まなくても、勿論。いいわよ。直ぐに行くのでしょう。それでは、行きましょう」
「本当に、済まない。感謝する」
「本当に(もう、馬鹿!!)謝らないで、何でもないことだからね」
 美雪は、怒りを我慢するしかなかった。もし伝えても記憶がないのでは、何を言っても無駄だと思い。無理をして笑みを浮かべたのだ。そして、悲しそうに玄関の扉を開けた。
「行きましょう」
「ああっ頼む」
 二人は無言で歩き続けるが、美雪は、溜息を吐きながらちらちらと新を見るのだった。久しぶりに会えたのだから話をしたいと、その思いを視線に込めるのだ。そんな様子に気が付いて、恥ずかしそうな表情を浮かべるのならば喜ぶだろう。だが、正面だけを見続けるだけでなく、冷たい表情で鋭い視線には、戦いのことしか考えていなかった。そのまま歩き続けて、徴兵隊が待機しているのが見える。崖の上に着くのだった。
「この場で待っていてくれ。直ぐに話を伝えて戻ってくる」
「はい」
 新の言葉を信じて待つが、直ぐには戻ってこないのだ。それでも、崖の下を見ると、蜂の巣を突っ突いたような大勢の者たちが動き回っているのを見るのだった。そして、皆が一箇所に集り始めると、新と知らない男の二人で集まりから抜け出して、美雪のところに向って来るのだ。
「新さん!」
 一人残されて不安だったのだろう。一人でなく連れ合いがいると言うのに、想い人の名前を叫んでしまったのだ。
「遅れてすまない」
「その謝罪は、自分から言うのが本当だろう。美雪殿。済まない。重ねて、二人の楽しい一時を無くしたことに対しても許して欲しい。自分の頭を下げることで許してくれるのなら何度も頭を下げよう。本当にすまない」
「・・・・・・」
「あっはぁ。何も気にしないでください。わたしは道案内に来ただけです」
 美雪は、目の前にいる者が、元は雲上人のような貴族なのだと感じたのだ。それは、言葉使いに立ち居振る舞いが理由だった。そして、その者たちの特有の話し方で、心底からの謝罪を述べているのだろうが、聞いていると、自分が悪いと思ってしまうのだ。そして、新が他人事のように聞いているのを見ると、悲しい気持ちになるのだ。その気持ちを我慢しようとしたら大きな溜息を吐いてしまうのだった。


第百三十四章

 崖の下には大勢の者達が、かなり疲労を感じている様子なのだが、規則正しく整列して不安そうに崖の上を見るのだ。
「皆が、不安を感じているのだ。良ければ直ぐにでも行動をしたいのだが・・・」
 公爵は、美雪に視線を向けた。その後、自分の言葉が本当だと証明するかのように崖の下を見るのだ。
「分かりました。直ぐに行きましょう。ですが、村長の言っていた通りに、村での休息はできません。通り過ぎるだけです」
「それは、分かっている」
「それを承諾しているのでしたら何も問題はありません。直ぐにでも出発しましょう」
「感謝する」
 公爵は、美雪に深々と頭を下げた。その後、崖の下に合図を送った。すると、その合図を待っていたのだろう。直ぐに全兵員が崖を登るのだった。先頭部隊が、公爵の所まで来ると、美雪は、二人に視線を向けた。
「行きましょう」
「お願いする」
 新が答えた。そして、美雪は、新の冷たい言葉を聞いて泣き出しそうだったが、その気持ちを我慢しながら先頭を歩くのだった。勿論、心底からの悲しみを感じても長老の指示を忘れるはずがなかった。暫く、皆は、無言で美雪の後を付いて行くが・・・・・。
「美雪殿。この村に北東都市の兵がいる。そう聞いたのだが、会えるだろうか?」
「村の入り口にいます。だから、会えるはずです。それでも・・・・もし前は友だったとしても、昔の通りに接してくれるか分かりませんよ」
「それは、今までの経験で分かっている。我が知る者は、市民の手本となるとことが貴族として生まれた義務だと言う者が、殆どだった。それが、村を襲って略奪をするまで変わってしまったのだ。その者たちとは違うが、会ったとしても快く思ってくれないだろう」
「そうだと思います」
「・・・・・」
 美雪の返事を聞くと、皆は無言になった。それを望んで言ったのではなかったが、案内をするには丁度良かったのは確かだった。そのまま進み続けて村の入り口が見える所まで着たのだ。もう少し正確に言うのなら数個の簡易小屋が道の両側に建てられていた。その建物の後ろに、庭とは規模が大きいが畑が広がっていた。その畑に大勢の者たちが作業をする者と多くの者が街道を警戒していた。その中の何人かの者が、北東都市の兵装をしている部隊を見て、部隊の隊長に報告に行ったのだ。それでも、指示を聞く前に、臨機応変の指示を叫んだ。
「全部隊は、防御の構えで待機!!」
 すると、街道を守っていた者たちは、簡易な建物を守るように隊列を組んだ。それは、他の者達が武具を装備する時間を稼ぐためだった。そして、一人、二人と武具を身に着けて隊列に加わったのだ。全ての兵が並び終える頃に、部隊の長が現れた。
「本当に北東都市の兵のようだ。でも・・・・なぜ、村に北東都市の兵が居る?」
 なぜかと、悩むが、視線では、知り合いでもいるかと探すのだった。
「我が隊は、この村を占領するためにきたのではない。この村を救いにきたのだ。それに、北東都市の残党狩りでもないのだ。だから、戦いの構えを解いてくれないだろうか?」
 公爵は、美雪の前に立ち、自分の思いを叫んだ。すると・・・・。
「父上なのか?」
 部隊の長は、公爵が叫んだ内容よりも、死んだと思っていたのが目の前にいる。嬉しくて涙が流れた。
「息子よ。危険などない。頼むから前に出て来てくれないか?」
 公爵は、噂だけを信じて、どんな境遇になっても、会えることを心の支えにしていた。
「・・・・・・」
 一人の男が、公爵の前に現れた。
「我が息子なのか、本当に、我が息子なのだな」
「そうです。父上!!」
「久しいな。無事で安心したぞ。それよりも、武人らしい目になった。誇らしいぞ」
「たしかに、無事ですが、あの雷で一族はちりちりになり生死は不明ままなのです」
公爵は、息子を抱き締めたかった。だが、二人は指揮官だったこともあり。心の思いのまま感情を表すことが出来なかった。それでも、少しの温もりを確かめたかったのだろう。
それで、握手を求めたが、なぜか、手を払いのけられた。
「・・・・・」
「それにしても、父上。なぜ、北東都市の武具を身に着けて、この村に居るのだ?」
「息子よ。回りの状況は知らないと思うが、幾つかの村を北東都市の兵に占領されているのだ。それで、村を救いに来た」
「そうだったか、それは、知らなかった。それよりも、息子とは呼ばないで欲しい。今は、丹公爵と言われている。それと、肝心なことだが、その武具を身に着ける。その意味は勿論、主様の指示だと言うことなのか?」
「そうだ。主様の指示だ!」
「まさか、西都市を攻め落としたのか、だが、それなら残党とは言うはずがない」
「詳しく話そう。それよりも、たしか、軍隊での教官は、旗野だったな!」
「そうです」
「頭首の旗野男爵は、見事な最後だった」
「見事でしたか・・・・・ぐふ・・・うっうう」
「男爵のこともだが、全てを話そう」
 息子の気持ちが落ち着くまで待って全てを話すのだった。
「その話が本当なら自分も共に戦おう」
「感謝する」
「だが、長老は、何と言っていたのだ?」
「直ぐにでも村から出て行け。そう言われたのだ」
「そうなのか、共同で戦うのならば、共に村から出るしかないか」
「それで、良いのか?」
「構わない」
「感謝する。だが、我らの部隊は、先に行かなければならない。準備と覚悟ができたら何時でも来てくれ」
「分かった。必ず行くから待っていてくれ」
 丹は、父の部隊を通すために、自分の部隊に仕草で命令をした。すると、隊は両側に分かれるだけでなく、勝利を願って敬礼しながら見送るのだった。
「後ほど会おう」
 公爵は、息子の部隊に、今度の戦は勝つ。その意気込みを見せるために堂々と行進を見せた。その意気込みは、村と村の境まで保たれていた。その知らせは、獣などの鳴き声を真似た。あの口笛の響きで、長老に伝わるのだった。その鳴き声の内容はしらないが、堂々と陣を置いて戦に備えるのだった。
「斥候を放て!」
数人の男たちは、公爵の命令を遂行するために、即座に、桜村の隅々に散った。新も心配したが、思っていたよりも早く斥候が戻ってきたこともあるが、報告を聞く前に想像ができたのだ。それは、皆の表情が穏やかだったからだ。それでも、報告を聞かなければならないが、想定された内容だったので苦痛を感じることはなかった。だが、かなり遅れて戻ってきた。一人の男の表情には、血の気を通ってないほど青白かった。
「何があったのだ?」
「それが、それが!!!!」
「落ち着け!」
「はい」
「何があった?」
「それが、斥候の命令以上のことをしてしまったのです」
「それは、分かっている。だから、落ち着いて報告しろ。それと、命令違反は許そう。これで、安心して話ができるだろう」
「はい。自分は、桜村では、何も問題がなかったために、隣村の雲海村の様子を見に行ったのです。すると、何処かしこも北東都市の兵がいたのです。あまりにも多すぎて数えられないほどでした。おそらく、最低でも、兵力の差は、二倍、いや、その倍の四倍は間違いないはず。挟み撃ちで、投降を説得する作戦など無理です。各個撃破されます。直ぐにでも、登隊長と連絡を取り合って、作戦を変更しなければ、間違いなく全滅します」
「それが、本当ならば、変な点があるぞ。信じない訳ではないのだが、それほどの人数ならば、食料が足りないはずだ。まだ、桜村の方が豊富な食料がある。そうではないか、それなら、なぜ、雲海村に来ないのだ」
「それは、森の奥の奥ですから村があるとは分からないのかもしれません」
「なんだと!本当なのか?」
「はい」
「なら、道が無いのか?」
「あるのには、あるのですが、雲海村に行くには、吊り橋を渡らなくてはならないのです。ですが、木々に隠れているだけでなく、霧にも隠れることもあり。桜村の者も注意深く探さないと分からないらしいのです」
「そんな、状態で、村と村の付き合いなどは、どうしているのだ?」
「それが、村が出来た生い立ちが原因らしいです」
「ほう、知りたいが、分かるのか?」
「はい。それは、都市として区分けされる前は、ある国だったのですが、戦に負けて、支配者の孫が逃げてきたらしいのです。それで、主を守るための防衛策の一つらしく、ですが、村の生活になれることなく、主である。その孫が亡くなったのですが、気質と言うのでしょうか、今までも変わらず生活しているのが原因らしいです。まあ、村との付き合いが、殆ど無いために噂だけですが、正確な情報が欲しいのでしたら至急に調べます」
「それは、構わん。だが、その防御策は使えるぞ。桜村の境でなく、雲海村の境に陣を置くことにしたほうが良いかもしれない」
「それだと、即、戦になる可能性があります。もし、陣を整える前に開戦したら、いや、あの兵の数では、勝てるはずがありません」」
「だが、いざとなれば、吊り橋を落として、弓矢で、あっ弓が届くくらいの谷なのか?」
「届くのが、やっとの距離です。弓戦は無理だと思います」
「そうなのか、むむっ、だが、吊り橋を落とせば、二つの村だけは助かるな」
「それでしたら、吊り橋を落として、雲海村を決戦場とする考えですか?」
「う~む。それも、良いかもしれない」
「それでは、登殿の軍と合流ができるように使いに行きましょうか!」
「合流とではない。挟み込む作戦は変わらない。その追い込む地点が桜村に変更する」
「承知しました。それでは、直ぐに行って参ります」
「頼む」
 斥候の者は即座に駆け出した。だが、早くても半日は掛かると思ったのだが、驚くことに一時間くらいで戻ってきたのだ。
「どうしたのだ?」
「それが、吊り橋は、もう探し出されて占拠されていました」
「なんだと!」
「ひっ」
 公爵は、怒声を上げた。斥候の者は恐れを感じて、新に助けを求めた。すると、それに、応える考えなのか、二人の所に現れた。
「新殿。作戦が遂行できなくなった」
「何があれば、対策を教えてくれないだろうか?」
「それが・・・・・」
 今までの経緯を全て伝えた。
「それなら、問題はない。吊り橋の目の前で陣を置いても大丈夫のはずだ」
「なぜ、そこまで確信があるのだ?」
 登なら何も疑問に感じずに行動をするのだが、聖には、不安を感じるだけだった。
「確信よりも、登の隊と我らの隊とで挟み撃ちだと思わせなければ、登の隊は崩壊するぞ」
「そうだな。このままでは、各個で撃退されるだけだ。新殿の言う通りに陣を置くしかない。それで、その場での対策をするしかないだろう」
「すまない」
「いいのだ。新殿の言うことが正しい決断だ。それでは、斥候を前面に、情報を確かめながら行進とする。では、皆よ。気をしき締めろ。直ぐに、全部隊は出発するぞ!」
 全兵員に、指示の内容を伝えた後に、感情の高ぶりのまま腕を振り回して命令を発した。
「うぉおおお」
 作戦は、成功する。北東都市の残党は、生き恥をさらすよりは、武人としての誇りで戦って死にたい者が半分の兵と意地でも生き残り村を占領して領地にする考えをする者達がいた。それで、聖と対峙しているほうは命など捨てる覚悟の戦いだが、新の側の吊り橋に集まった者達は、戦う気持ちなど微塵もなかったのだ。それは、名誉の負傷をしても評価もされない。それは、褒賞が無いのだから怪我でもしたら損だと感じて、人任せに戦いを押し付ける。そんな、考えしかなかったのだ。そのために、公爵が心配することが起きるはずがなかったのだ。だが、それは、まだ、誰も、分かるはずがなかった。
「吊り橋に着くぞ。覚悟を決めろ!」
 吊り橋の手前、弓は届かない距離だが、人の目でも布陣が分かる所で陣を置くのだった。だが、街道が狭いために、陣らしい陣ではなく、ただの隊列だけだった。普通ならば、何の恐れを感じるはずもなく、吊り橋に渡って来た者を個別に叩くか、兵力の差があるのだ。正攻法でも十分の戦いになるはずなのだが、北東都市の残党は、逃げる様に吊り橋を放棄して森の奥に逃げ込んでしまったのだ。その様子を見て、策略かと感じたが、そのまま道を進み続けた。そして、公爵と新の部隊は、吊り橋を渡り。その手前に陣の置くことができた後、自分の兵の目的を宣言するのだった。そして、この戦いで重大な役目に係わる者たちが、まだ、この地に集まっていなかったが、何をしているのか、それは、数日前・・・・・・。


第百三十五章

 一人の男が、疲れを取るために木陰で休んでいた。その割には、強張った表情をしているのだ。もしかすると、人生最大の危機か、不快な夢でも見ているのだろう。
「奇襲の攻撃だが、部隊数は少ないのだ。全力で応戦すれば砦を守れるぞ」
 その者は、仁の相談役でもあり。傭兵団の隊長だった。勿論、近くには、美雪の母も様子を見ていた。
「木陰に座ったと思ったら寝てしまったわね。本当に疲れているみたい。それにしても、苦しそうだが、どんな夢を見ているのだろう?」
 おそらく、想像もしていないだろう。その夢は、自分のことと連れ合いとの二人に関係する夢だったのだ。
「にゃははは」
「また、猫のような声が聞こえる。隊長。助けて下さい」
「ぐっえ」
 人が息を引き取る。最後の呼吸音のような響きだった。
「化け猫が出た!」
「どうした?」
「隣にいたはずの。誰だか分かりませんが、血を流して倒れました」
「何だと!」
「にゃははは」
「出た。隊長。助けて下さい」
「にゃははは」
「何をしている。早く明りを点けろ!」
「にゃははは」
「ぎゃ」
「ぐっげ」
「げっほ」
「どうした?」
 自分の周囲で、部下が倒される声が聞こえ、恐怖を感じていた。指揮官でも、怯えているのだ。当然、部下などは、極限の精神状態を超えて、狂った様に逃げ惑うのだ。それも、人に当たり踏みつける。又は、壁に突進して失神する者。転んで這いずる者など、精神が崩壊した者の全ての症状を見ることができた。それを楽しんでいるのか分からないが・・・・。
「にゃははは」
 また、化け猫とような声が響くのだ。そして、一人、二人と、人の苦痛の声が響いた。
「どこに居るのだ?。早く明りを点けろ!」
 月も隠れた暗闇で、姿や顔の表情は見えないが、声色で判断すると、まるで、猫が、ネズミや小鳥などで遊んでいるように感じるのだ。それだけでなく、一人の女性だと思うのだが、周囲のどの場所から聞こえるために、何人も居る様にも思えるのだ。
「助けて~助けてくれ!」
「死にたくないよ!」
「うぉおおん」
「今度は、何だ。狼か?」
「人を騙し。仲間を裏切り、人質を取り。脅して金をむしり取る。今度は、部下を盾にして生き抜くのか、そして、部下を置いて一人で逃げるのか?」
「この場の者など現地での間に合わせ人員だ。部下ではない。それよりも、お前は、誰だ?」
「多くの者を裏切ったことで、誰だか記憶もないのか、お前だけは許さんぞ!」
「どこだ!!」
「くぇけけけけ」
 精神を不快にするだけでなく、狂わす程の笑い声が響いた。勿論、その間も猫のような鳴き声が響き続けた。
「にゃはははは」
「うぁああ」
 女性の顔と短刀が目の前に迫った。
「あっ夢だったか、はっはっはぁ。あの時は、本当に死ぬかと思ったぞ」
 自分の悲鳴に驚いたのか、それとも、恐ろしい夢を見て、いや、両方が原因で目覚めたのだろう。直ぐに額の汗を拭くと同時に、大の大人が悲鳴を上げた。その恥ずかしさで周りを見回すのだから証明されたと同じだった。そして、誰も居ないと思ったのだろう。大きな安堵の息を吐くのだった。だが、近くの林から見ている者がいた。女性には、気が付いていなかった。
「それにしても、驚きだわ。あのコウモリでも恐怖を感じることがあるのね」
 女性は、心底からの驚きで、思わず声に出したが、自分が出演していた夢であり。恐怖の元凶だとは、想像もしていなかったのだ。そして、男性は、夢の内容で独り言を呟くのだ。それは、夢の内容の続きでもあった。
「あの時は、小次郎の角灯で命が助かった。だが、あいつは、傭兵家業をするような性格ではなかった。たぶん、親や兄弟のためだろう。それで、仕方なく、斥候や監視に見張り役などをさせていた。あの状況も、人質が逃げたので知らせるために建物から出てきた時の角灯だったはず。それにしても、小次郎は・・・・・・・」
男が、高等数学の難問でも解いているかのような百面相を見て、美雪の母は、邪なことを考えているはず。そう感じたのだ。それは、鏡泉村に係わりがあることで、絶対に阻止しなければならない。そのためには、男から絶対に離れない。そう考えたのだ。
「あいつらから逃げたくても、行く所も分からずに、無理やりにでも、雑用でもされているのだろう。あのままにはしてられない。この一帯の北東都市の残党は討伐されるはず。小次郎だけでも助けてやらなければならない。一応、命の恩人だしな」
 男は、先ほど街道で別れた部下達のことを思っていたのだ。その中で、おどおどと、していた。一人の男のことが、脳裏から消えなかったのだ。それと、自分を腰抜けだと笑ったことも思い出されて、百面相の一つの理由でもあったのだ。
「それにしても、なぜ、あんな昔の夢を見たのだろう・・・・」
 もしかすると、近くで美雪の母が、いや、化け猫のような女性がいることを気が付いていないが、今までの戦場の経験で、殺気だけは、身体の機能の感覚器官は感じているのかもしれない。それが、夢として現れたのだろう。
「さて、村に帰るか」
 大きな背伸びをすると、立ち上がり。鏡泉村に向って歩き出した。勿論、その後に、美雪の母は隠れながら後をついていくのだ。その途中で、新と公爵の部隊と会うが、鏡泉に向うことの理由などを聞かれるのが面倒だったこともあり。林に隠れて会わずに村に帰るのだった。直ぐに、丹が居る簡易小屋に顔を出した。すると、労いの言葉と同時に、食事と湯に入って疲れを取ってからで良いと、言われたのだ。その通りに二時間後に、また、簡易小屋に戻って報告をするのだった。勿論、全てのことを伝えた。すると、自分のことのように憤慨して直ぐに救出に向う。そう全部隊に指示を下した。
「丹公爵さま」
「何だ?」
「先ほど、お伝えした。水の塞き止めなどの件は、自分達にお任せ下さい。以前に、この作戦を実行した経験がありますので、丹公爵さまは、戦のことだけに気持ちを集中して下さい。そして、片付けしだい。直ぐに隊に戻って参ります」
「分かった。全てを任せるが、我が隊が出発を待たずに向うのか?」
「いえ、別に行動すると目立ちますので、新殿と公爵さまの軍と合流した時の騒ぎに紛れて行動したい。そう考えております。それと、我が主人である。仁さまのことですが、今回は、隠密の任務ですので、村人などの変装などもあります。共に行動では支障があるかもしれません。ですが、智謀にたけておりますので、お側に置いていただけたら良い働きをすると思います。それをお許し下さい」
「分かった。そうしよう。それでは、頼むぞ」
「はい。承知しました。それでは、これで、失礼します」
 コウモリは、簡易小屋から出て直ぐに、仁の所に向い。丹の側近くで居られることを許されたと伝えるのだった。すると、喜んでくれたことで安堵するのだった。それを見送った後に、部下たちと合流するのだった。そして、街道であった部下のことを伝えた。すると、憤慨するが、小次郎だけは救い出そうと話が合うのだった。勿論と言うべきか・・・・。
(本当に昔とかわったのかしら・・・むむっ・・・あの人に相談しましょう)
美雪の母は、この話も聞いていた。だが、今回は、畑仕事しながらのことだったので苦労することなく聞くことが出来たのだ。そして、適当な頃合いで、男達から離れて自宅に向うのだった。
(お腹が空いたわ。それと、久しぶりのお風呂に入れそう。まあ、それと、私と何日も会えなかったからって寝込んでいたりしてね)
 自分の連れ合いをついでの様に言うけど、一番の疲れが取れるのは。愛する旦那と会えることだと言っているような嬉しい表情を浮かべるのだった。連れ合いを驚かそうとして殺気を消して帰ってきたのだが、驚くことに玄関の前で待っていたのだ。さすが、背中を任せられる同士の者だ。遠くからでも帰って来たのが分かったのだろう。
「おかえり」
「ありがとう。そう言えば、何か、痩せたのでない」
「ああっお前に会えなかったからな」
「もう~馬鹿ねぇ。嬉しいわ。でもね。身支度を済ませたら、また、行かなければならないわ。だって、まだ、コウモリを信じられないわ」
「また、邪なことでも考えているのか?」
「それは、・・・・・」
 今まで隠れながら聞いたことの全てを伝えるのだった。
「そうだったのか、確かに、まだ、信じていい状況ではないな」
「でしょう」
「ああっ食事の用意でもしておく、湯にでも入って来るのだな。直ぐに行くのだろう」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
 湯殿を勧められたことで喜んで向うのだ。そして、ゆっくりと寛ぎ、想像していた通りに好みの食事が食卓の上に用意されていた。二人は、ゆっくりと味わいながら食べ終えると、妻は席を立って出掛けると言うのだ。それを夫は見続けるのだった。


第百三十六章

 聖と新が作戦の通りに後方に陣を置いた。その頃に、登と竜二郎の陣では、倍の兵力の差だが、一人一人が勝手に戦っているために対等に戦うことができた。だが、死ぬことしか考えていない者たちの戦い方では簡単に倒すことができなかったのだ。そして、勢いに負けて陣が崩れる。そう感じた時だった。予想もしてなかったことが、敵の後方から援軍が出て来たのだ。これでは、完全に崩壊が確実だと感じた。そのために、一時的にでも兵を引いて大勢を整える。その指示を叫ぶかと思った時だった。その後方から現れた者たちは信じられないことに、山火事でも起きた。まるで獣のように方々に逃げるのだ。それも、酷いことに戦っている者を押しのけて倒し、その者の踏みつける者がいたのだ。
「何が起きているのだ。新殿の策略なのか?」
 そんな時だった。陣太鼓の音が辺りに響くのだ。
「雲海村の吊り橋まで戻れ。そこで、陣を整えるだと!誰の指示なのだ?」
「助かるかもしれない。いや、助かる。吊り橋まで後退だ!」
 何度も同じ陣太鼓の響き渡るのだ。そして、望む死に方だけを考える部隊と、死にたくないために逃げ続けるだけだった。その二つの部隊は正気を取り戻したのだ。すると、先ほどまで、渦を巻く何通りの川の激流のような人の流れが、一つの流れに変わっただけでなく、死だけ考えていた集団が、逃げ回る集団を援護に変わり。逃げる者達も理性がある後退をするのだ。これ程までの激変の精神状態の理由は、骨の髄までの武人の生活と、上官の絶対命令に従うこと、それが、絶対的な陣太鼓だった。その激変の変わりようで、登と竜二郎は、全兵に後退の指示を下すしかなかった。
「公爵殿と新殿の部隊は、残党の勢いを持ちこたえることが出来るだろうか?」
「同胞です。戦いよりも交渉するだろう」
「それなら、良いのだが」
「そんな、心配よりも、新殿の作戦の通りに、北東都市の残党を追い込まなければならないだろう。それよりも、部隊に指示を出さなくて良いのか?」
「だな」
 即、二人の部隊は、指示を叫び、北東都市の残党に戦いを挑んだ。だが、登と竜二郎の心配は当然だった。作戦予定なら良くて兵力は同等の兵力で、同胞からの投降を呼びかけることだった。投降することだけが逃げ道なのだから成功するはず。だが、兵力は、残党が多く、新の作戦の通りに行くのかと不安を感じていたのだ。そんな、新の陣営は・・・・、一時間ほど戻ることになる・・・・・。
「残党が戻ってきます」
「逃げ戻ってきたのか!」
「いや、整然と行進して、我々の目の前に陣を置きました。それだけでなく、先ほどよりも戦意は向上しているのは確実です。ですので、一時、後方に陣を移動した方が・・・・」
 突然に、陣の崩壊と同時に逃走したことで、何が起きたのかと、斥候を放ったのだ。それが、必死に最低限の情報だけを胸に収めて戻ってきたのだ。
「後方に下がるしかない。そう思うのだが、新殿は、どう考えている?」
「桜村側の吊り橋まで後退が良いと思う」
「そうだな。それだと、少数しか渡って来られず。確実に吊り橋の占守ができるはず。そして、登と竜二郎の部隊が、北東都市の残党部隊を追い詰めてくれれば、予定通りに、投降の説得ができるぞ」
「直ぐに後退だ」
 新と公爵は、直ぐに、後退の指示を出して、無事に吊り橋を渡り占守をしたのだが、突然に、陣太鼓の響きがかわった。それは、命令の変更だろう。そして、同様に吊り橋の反対側に陣を置いたのだ。驚くことに、陣形も同じで、吊り橋を渡って攻めて来るのを待っているのだ。これでは、手詰まりで様子を見るしかなかった。この状況を軍隊経験が無くとも、北東都市の方が有利と感じるのは当然だった。その時だった。鳥や獣が怯えているような鳴き声が響いた。それは、村の長老に、援軍をおくるべし。と知らせていた。
「新殿。この鳴き声は、もしかすると、鏡泉村の者が、村に危機を知らせているのか?」
「そうだ。間違いない。丹殿が来るはずだ」
「その兵を合わせても、状況は変わらず。何も打つ手はない。これなら、まだ、吊り橋を渡るべきでなかった。我が息子と協力すれば、登殿と竜二郎殿の兵と合流もできたのだ」
「その作戦は考えていなかった。それだと、鏡泉村まで北東都市の残党が逃げ込む可能性がある。それを避けたのだ」
 公爵の不満解消の呟きに、新は、珍しく苛立ちを表していた。その怒りのまま敵陣に駆け込み、部隊を蹴散らして、砦の指揮官を倒す。そんな思考が浮き上がってきた。だが、赤い感覚器官からは、気持ちを落ち着かせて状況の変化を待て。そんなことを伝えているように感じるために、興奮を抑えようと我慢していた。
「新殿。だが、投降を呼びかける。その作戦は無理だぞ」
「何か状況が変わる。それを待つ」
「何か考えがあるのか?」
「・・・・・」
 新は答えなかった。だからではないが、二人は、口を閉じて、向こう側を見るのだけでなく、陣太鼓の響きが変わるのを待っているようだった。その間も鳥や獣の鳴き声は止まらなかったのだが、何を言っているのか、鏡泉の村人しか分からないことだった。その内容は、一本の煙草を吸い終わる位の時間で、鏡泉村の全てに届いていた。直ぐに、村人は長老宅に集まるのだった。その中で、真っ先に、長老宅に来た者が・・・・。
「長老殿。村の危機らしいが、対策はあるのですか?」
「その話をする前に、丹殿を連れて来てくれないだろうか」
「はい。分かりました」
 男が丹を連れて来る頃には、全ての村人が殺気を放ちながら長老宅に集まっていた。なぜ、殺気を放っている理由も、何があって呼ばれたのか、直ぐに分かり。長老に、直ぐに援軍として行きたいと告げるのだ。だが、少し待って欲しいと返事を返した。
「長老殿。急がなければならないのだ。なぜ、引き止めるのだ?」
「それは、伝えたいことがあるのだ」
「言われなくても分かっている。村からは協力ができない。それを言いたいのだろう」
「いや、二人の男女を連れて行ってくれ。間違いなく役に立つ者だ。それと、村に一人も
通さない気持ちだろうが、心配しなくても構わんぞ。少々の兵が来ても撃退はできる。だから、好きなように戦って欲しい」
「承知した。それで、二人は、どこに?」
「そろそろ、来るだろう」
 その言葉の通りに・・・・・」
「長老殿。遅れてすまない」
「いや、丁度良いところだった」
「それで、話は伝えてくれましたか?」
「ああ、伝えた」
「村からの協力は、自分と妻だけで十分です。それ程の働きをしてきます」
「分かっている。娘さんのことは心配しないでくれ」
「はい、頼みます。それでは、丹殿。共に行きましょう」
 長老と村人に視線を送った。その後、丹に頭を下げるのだった。
「もう一人は、どうしたのだ?」
「先に行っているから気にしないでくれ」
「その様な勝手な行動は困る。他の兵に示しがつかない」
「何か誤解しているようだ。俺達は、そちらの指揮に入る気持ちはないぞ」
「えっ、我が隊の監視なのか・・・・出来れば、斥候をして欲しかったのだが・・・」
「ああっ斥候なら構わんぞ。だが、好きに行動させてもらうからな」
「・・・・・」
(隊の主が若いからだと、侮られているのか?)
「まあ、そちらの作戦行動の邪魔はしない。手を貸す気持ちなのだ。安心しろ!」
「分かった。それより、鳥や獣の鳴き声での情報は何て知らせてきたのだ?」
「状況は悪いぞ」
 美雪の父は、状況を詳しく全てを伝えた」
「それで、何も打つ手がなくて、睨み合っているのだな」
「ああっそうだ」
「我が隊が合流しても戦力差は変わらないのか!」
「そうなるな」
「むむ・・・・」
 立ち止まって悩んでいると、部下の一人が近寄ってきた。
「どうしました?」
「それが・・・・」
 部下にも全てを伝えた。すると、直ぐにでも出発すると、主に許可を取り、直ぐに全部隊に指示を伝えると、全ての兵が直ぐ村から出発した。
「ピュルルル」
 美雪の父は、やはり、丹の指示に従わずに、部隊の最後尾から呑気に歩くと言うか、嬉しそうな表情を浮かべていた。だが、何かを知らせるように鳥の鳴き声を上げ続けた。その内容を知るのは、自分の妻だけだ。その内容と陽気な理由には、視線の先を見れば想像は出来る。それは、二人が危惧していた。あのコウモリが、自分には気が付かずに部下と話をしていたからだ。そして、何事もなく、丹公爵の部隊は、新と父親の隊と合流するのだった。
「丹殿。来てくれたのだな。済まない。感謝するぞ」
「それよりも、何も打つ手が無い。そう聞いたのだが、そうなのか?」
「その通りだ。最後の手段である。都市の旗の力を借りるしかない」
「それしかないのか!」
「ああっそれで、部隊の最後尾に旗をなびかせてくれ、そうすれば、後方にも兵が控えていると誤魔化せるかもしてない。そして、北東都市の残党に見えるように、ゆっくりと隊の前方に流れるそうに移動させて欲しいのだ。まるで、初代国王が風に乗って降臨した。そのように見せたい。これなら、投降する気持ちになるだろう。そして、実施されて、先頭に旗がはためくと、その時・・・・。
「あっ痛い?」
 赤い感覚器官が激しく動いた。また、修正することが起きた様にだ。すると、新の片目には陽炎のように修正行動の様子が見えるのだった。新は、直ぐに駆け出した。何をするのかと、皆は視線を向けるが、不思議なことに、と言うか、意味が分からない変な行動と言うべきだろう。様々な種類の落ち葉を拾っているのだ。それも、両手で抱える程だった。
「新殿?」
 皆が、不審を感じて問い掛けようとするが、誰の言葉も聞こえないのだろう。枯葉を抱えながら吊り橋を渡るのだ。そして、中央まで来ると、その場でしゃがんで落ち葉を置いた。すると、祈るように両手で上空に撒き散らした。両陣営は、その様子を見るのだ。だが、陣太鼓は、弓矢を放てと、響きを変えた。すると、新に向って嵐のように弓矢が降り注ぐのだが、勿論と、言うべきだろう。左の小指の赤い感覚器官が、全ての弓の矢を弾くのだ。だが、新以外の者達の目には枯葉が弾いているとしか見えず。北東都市の残党は、また、竜の様な架空の生物が現れて奇跡的な現象が起きるのかと恐怖を感じるのだ。その気持ちを振り払うためだろう。弓矢を放つ数が増え続けた。それとは違って、公爵側は、本当に初代国王が降臨したのかと興奮するのだ。その感情のために恐怖など感じなかったのだろう。丹公爵が旗をなびかせながら新を救おうと駆け出した。すると、信じられないことに弓矢の嵐が止んだのだ。当然とは変だが、まだ、貴族の存在理由を忘れていなかったのだ。旗は主と同義なのだから弓を放つことなど出来るはずがなかったのだ。だが、信じられないことに、陣太鼓は、弓を放ち続けろと指示が続くのだ。皆は、信じられないと、陣太鼓が響く方向に視線を向けた。本当に、自分達と同じ貴族の指示なのかと・・・・。そして、公爵の陣営では、コウモリの部下が仲間の場所を探しだして隊長に知らせに戻りたかったのだが、矢の嵐のために戻れなかったのだ。だが、今の混乱している状況だったことで戻ることができた。・・・・・。
(砦に居るのか、それならば、今が、絶好の機会か!)
 コウモリは部下から情報を聞いた。そして、吊り橋を渡るのではなく、少々危険な谷だが、慎重に下りて、谷を登って反対側に着くのだった。その様子に気がついたのは、美雪の二親だけだった。勿論、父の方は、悟られないように後を追った。母は本当に登れるのか、何処に向うのかと、同じように後を追うのだ。すると、コウモリは、砦の前に着いた。だが、報告では砦と情報だったが、簡易な監視塔だったことと、護衛の者たちがいないことに驚くのだった。だが、驚きは、まだ、終わらなかった。
「コウモリよ。何をする考えだ。その内容に寄っては、考えがあるぞ」
「そうよ。何をするの」
 美雪の二親が木の陰から言葉を掛けた。
「誰だ?」
「わたし達は、覚えているが、わたし達を忘れたの?」
「まさか、化け猫と狂った狼なんか?」
「そう言う人も居たわね」
「待ってくれ。仲間を助けるだけだ。頼むから邪魔はしないでくれ」
「内容によっては、協力をするわ」
 コウモリは、恐怖を表しながら全てを話すのだった。
「分かったわ。その話を信じるわ。砦に誰も入らないように見張ってあげる。だから、早く助けてあげるのね」
 美雪の二親は、怯えていることもあるが、鏡泉の村での様子を見ていたこともあり。今回は、信じて協力すると決めるのだ。
「すまない。感謝する」
 コウモリは、数人の部下を連れて、砦に向った。


第百三十七章

 地表からは木々に囲まれて、探しづらいが、周りにある木々よりは高いことで、回りは良く見えた。おそらく、その砦は、もともと、吊り橋を通る者たちの監視の目的で作られたのだろう。護衛と言える程の者たちが居なかったが、それでも、誰にも気づかれなかったのは、二人の男女の協力もあったからだ。砦の中に入ると、一階には、数人の貴族たちが怯えて隠れていた。その者たちを無視して二階に上がるのだった。すると、元の部下が全て居るかと思ったが、小次郎だけが陣太鼓を鳴らしていたのだ。
「何をしているのだ。他の者たちは?」
「貴族の様子を見て、勝ち目がないと逃げました」
「なぜ、一人で居るのだ?」
「わたしは、今までの生き方は、誰かの命令だけで行動していました。ですが、前から思っていたのです。自分が考えた作戦を実行したら勝ち戦になっただろうと、そう思うことが何度かあったのです。それで、今回は、一人になったこともあり。自分の作戦案を実行する機会だと感じたのです。今までは上手く行ったのに、なぜ、小隊が現れると、いや、旗が現れると、命令をしているのに、指示の通りに動いてくれないのか、敵の何倍も兵力があるのに、なぜ、戦わないのか、戦えば勝てるのに、何を考えているのか分からない」
 天を仰ぐように呟いた。
「それが、何が起きるか分からない戦であり。我々には分からない貴族という者なのだ。だから、俺たち傭兵が、ある貴族の敵なったとしても、味方に変わっても、貴族たちは気にしないことなのだ。そんな感情など気にせずに、俺たちは金を貯めて夢の実現だけを考えればいいのだ」
「・・・・・」
「そんな、馬鹿馬鹿しいことに悩まずに、俺達と行こう」
「分かりました」
「分かってくれたか、あっそれと、一つ頼みがある」
「何でしょう」
「陣太鼓で、武器を捨てて、投降するように鳴らしてくれ」
「そんなことをしなくても、戦意は消えていますよ」
「それでも、投降の切っ掛けを与えたいのだ」
「分かりました」
 陣太鼓が響くと、一人、二人と、武器を捨てる者が増えて、二本の煙草を吸うくらいの時間が過ぎると、全ての北東都市の残党が武器を谷底に捨てた。すると、陣太鼓が止むと同時に、適当に少し歩くのだ。そして、地面に腰を下して旗を見つめるのだった。
「全てが終わったようだ」
 公爵は、安堵の声を呟くと、吊り橋の中央にいる息子の所に歩き出した。すると、部下も後を続いて吊り橋を渡るのだ。
「父上、北東都市に帰りましょう」
「そうだな」
 丹と公爵とは吊り橋を渡った。そして、地面に腰を下している一人に・・・・。
「旗を持ってくれないか」
「はい」
 一人の貴族が、旗を掲げながら丹と公爵の後から歩き出した。その様子を見ていた。と言うよりも、旗が進む方向に、全ての北東都市の兵たちは歩き出すのだ。その方向は、北東都市がある方向だった。途中で、登と竜二郎の部隊に会うが、何事もなかったように通り抜けるのだ。そのふらふらと歩く行進が、登と竜二郎の視界からに見えなくなると、二つの部隊は、吊り橋がある方向に歩き出した。すると・・・・・。
「新殿!」
 新が、吊り橋から少し離れたところで倒れていたが、一人でなく、美雪の二親とコウモリと部下達が容態を確かめていた。
「大丈夫だ。身体と極度の精神的な疲れで寝ているのだろう。心配することはないぞ」
「それでは、後を頼めるか?」
 美雪の父に話を掛けた。
「会わずに帰るのか?」
「ああっそうする」
「分かった」
「それと・・・・」
 登は、感謝の気持ちだろう。頭を下げると、近くに居た部下に、新の荷物を持ってくるように頼み。それを美雪の母に手渡すのだった。そして、自分の部隊の方に身体を向けて大きな息を吸い込むと、直ぐに・・・・。
「徴兵隊は、この今の時で徴兵期間を終了とする。自分の村に帰ることを許す」
言葉を吐き出すのだ。徴兵隊は、それぞれ、目的の方向に歩き出した。その騒ぎで、コウモリと部下も知らない間に消えていた。そして、鏡泉村の者たちだけが、新を心配するように集まってきた。
「手を貸してくれるか」
 美雪の父が、誰となく人に声を掛けると、何人かは適当な木々を集めてきて、簡易的な担架を作り。新を乗せると、村に帰るのだった。そして・・・。
「長老殿」
 美雪の父が、長老宅の扉を叩いた。すると、直ぐに現れた。
「全てが終わりました。ですが、新殿が目を覚まさないのです」
「ご苦労だった。新殿は、隣の部屋で休ませえくれないか」
「はい」
「それと、徴兵された者たちも帰ってきたのだな。本当にご苦労だった。自分の家に帰っていいぞ」
「はい」
 皆は、それぞれの家に帰って行ったが、美雪の二親だけは残り。全ての顛末を長老に伝えたから家に帰ろうとしたら・・・・。
「新の容態が心配だ。家に帰る途中で良いから先生宅に寄って、わしの家に来るように伝えてくれないか」
「分かりました」
「ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」
 二人を見送った。すると、十五分くらい過ぎると、長老宅の扉が叩かれた。
「先生。新殿が、外傷はないのですが、なぜか、目覚めないのです」
 長老は医者に状態を知らせた。
「容態を診てみよう」
「どうでしょう?」
「身体だけでなく精神的にも疲れているようだ。明日まで寝かせば目を覚ますだろう」
「そうですか」
「ああっ明日の朝にでも来ます」
 医者は帰り。長老も居間に戻るのだった。そして、朝になると・・・・・・。
「長老さま。新さんが帰って来たと聞いたのですが、大丈夫なのですか?」
「隣の部屋にいるぞ。まだ、目覚めないだろう。少し様子を見てくれないか」
「分かりました」
 美雪は、直ぐに、隣の部屋の扉を開けた。すると、新は、起きて椅子に座っていたのだ。だが、寝起きなのか、不思議そうに、見つめるのだ。
「裕子?」
「えっ」
 美雪は、返事を返そうとすると、同時に、扉を叩く音を聞くのだった。後ろを振り向いて扉を開けようとしたら扉が開けられて医者が入って来るのだった。
「あっ美雪さん。もう、来ていたのですか」
 医者は、礼儀的に扉を叩いた。室内には新だけだと思ったのだろう。それなのに、美雪が居たことに驚くのだった。
「おはようございます」
 美雪は、医者に挨拶をするが、新を見続けるだけで返事がないことで、何があったのかと、同じように視線を向けた。
「誰ですか?」
「おはよう。私は、医者だ。君の様子を診にきたのだ」
「そうですか、でも、どこも怪我がないようです。それよりも、ここは、どこなのですか?」
「あっ済まない。直ぐに戻ってくるので、少し待っていてくれないか?」
「はい」
「美雪さん。一緒に部屋から出てくれませんか」
「はい。構いません」
 二人は、新に頭を下げると、部屋から出るのだ。そして、何歩か歩くと・・・・。
「美雪さん。もう分かっていると思いますが、また、記憶を無くしたみたいです」
 新が居る部屋に視線を向けながら話を始めた。その視線を向けた理由は、新に聞こえない距離を測ったのだった。
「はい。それは、気付きました」
「そのことなのですが、新の見た目だけで判断すると、普通だと、記憶消失の時は、不信、不安などで、目は澱むのだ。だが、診てみると、生き生きと生気を感じるだけでなく、何かの意思が感じたのだ。まるで、心の底にいる。もう一人の新が、このまま二度と目覚めさせずに寝かせてくれ。そう願うような強い意思を感じたのだ。
「もう一人の・・・新の・・・意思・・・・」
「そうだ。目覚めさせるのは不吉だ。だから、美雪さんには、済まないが・・・・」
「いいえ。わたしは、嬉しいです」
「えっ」
「だって、苦しい思いが多かった。新さんとの恋だったのが、また、初めから恋ができるのですよ。今度は、全てが楽しいはず。だから、嬉しくて、嬉しくって・・・・」
「美・・・雪さん」
 美雪が、大きな瞳からぽろぽろと涙を流すのを見て、何て言葉を掛けて良いのかと・・・。
「どうしたのだろう。嬉しいのに、本当に嬉しいのに、なぜ、涙が出るの?」
「美雪さん」
「は・・・・い」
「もしかすると、新殿の心の底にある。もう一人の感情を感じ取ったのかもしれません」
「それって・・・・・」
「そうです。もう一人の心の底にいる。新殿も、美雪さんが好きなのかもしれません。ですが、会うことも、話をすることもできない。その悲しみだと思います」
「わたしは、どうしたら・・・・いいのかしら・・・」
「二人がいる。そんなことは考えなくていいのです。新を愛するだけで、自然と、二つの意思は、一つに融合するでしょう。ですが、出来ればですが、年に一度でも、思い出してあげるだけで、もう一人の新も嬉しいと思いますよ。それくらいの気遣いだけで十分だと思います」
「それでは、新殿の所に戻としましょうか!」
「はい」
 二人の男女は、新がいる。その部屋の扉を叩くのだった。
「どうぞ」
「どこか、体の痛いところはありますか?」
「いいえ」
「それなら、大丈夫ですね。もし良ければ、気晴らしに外にでも出ては、どうでしょう」
「外に出ても良いのですか?」
「構いませんよ」
「それなら、直ぐにでも出たいです」
「一人では、心配ですね。そうそう、美雪さん。一緒に付き合ってあげては、どうです?」
 医者は、始めから考えていたのだろう。適当とは変だが、少々わざとらしい様子で診断していたが、頃合いを見計らって、後ろにいる。美雪に言葉を掛けるのだった。
「はい。行きたいです。あっ新さんが、私で良いのでしたら・・・ですが・・・・・」
 新と二人で居られるのに、喜んでしまったが、急に恥ずかしくなり。俯いてしまった。
「勿論、良いですよ。こちらから、頼みたいくらいです」
「本当ですの?」
「はい。本当です」
「それでは、後は、美雪さんに頼んでも宜しいですね」
「はい」
 医者は、新に気づかれない様に、美雪に片目を瞑って、がんばれと合図を送ると、一人で部屋から出て行った。直ぐに、部屋から出ると思ったのだが・・・・・・。
「美雪さんと、言うのですか?」
「そうですよ。あなたは、新さん。そう言うのでしょう?」
「そうですよ。誰から聞いたのです?」
「兵隊さんよ。名前はしらないけど、その人から、名前を聞きました」
「たぶん、登さん。かな?」
「そうかもしれません」
 二人は、初めて出会ったのでないのだが、まるで、本当に初めてのような感じで自己紹介をするのだ。そして、新が、崖から落ちて、宛もなく歩き回り、赤い感覚器官の導きから旅に出た理由と、その生まれた所から旅だったことの全てを伝えるのだった。だが、崖から落ちてからの様々な出来事があったことを忘れているのだ。


第百三十八章

 二人の男女は、楽しそうに会話を楽しんでいた。だが、男の方が、何か恥ずかしそうにしているというか、不審そうに、ちらちらと、美雪の目線から逸らすのだった。
「どうしました?」
「あの・・・・その・・・羽衣は、どこで?」
「あっ・・えっ・・・そうそう、風に吹かれて飛んでいたのです。それで、見たことも無い物だったので追いかけたら、丁度、木に引っ掛かったのを手に取ったのですが、触り心地が良かったので、その・・・」
「それで、自分が倒れていたのを見つけたのですね」
「あっそうです。そうです」
 美雪は、適当な話を作り言い訳みたいなことを言っていたのだが、新が勝手に納得して頷く姿を見て、また、美雪も話を合わせて頷くのだった。
「そうだったのですか」
(自分が怪我をして動けないために、羽衣が勝手に体から離れて助けを呼んだのか、でも、勝手に離れるだろうか、もしかすると、運命の相手が近くにいて、その人に反応して呼びに行ったのか、それなら、目の前にいる。美雪さんが運命の相手なのか?。たしかに、美人だが、羽衣を返してもらった方がいいか、いや、左手の小指に赤い感覚器官があるのか、それを確かめる方が先だろう)
「難しい表情をして、どうしましたの?」
 美雪は、故意なのか、先ほどから両手を後ろで組んでいた。そして、顔だけを近づけては、また、離れてと、新に問い掛けるのだ。
「いや、その・・・」
「大事な物でしょう。羽衣なら返しますよ」
「そうでなくて、もし、良ければ、両方の掌を見せてくれませんか」
「構いませんが」
 美雪は、元気良く返事をすると、両手を前に出した。
「あっ」
 新は、驚きの興奮を表した。
(左手に赤い感覚器官がある。あるぞ)
「ねえ。美雪さん。僕の左手の小指に赤い物は、見えますか?」
「見えるわよ」
「うゎああ、美雪さんは、僕の運命の相手らしいです。僕では駄目でしょうか?」
「運命の相手、とは、恋人のことでしょう。構いませんよ」
「ありがとう。嬉しいです」
 新は、椅子から立ち上がり、飛び跳ねて喜ぶのだった。
「それでは、それではね」
「それよりも、そろそろ、散歩でもしませんか?」
「はい、はい。そうしましょう」
 新は、外に出ても、興奮を抑えられなく、何から何まで伝える考えなのだろう。何時までも話が終わりそうになかった。美雪は、そんな、様子を楽しそうに話を聞くのだ。
「えっ何て言ったの。何か結ばれるとか、結ばれないとか、言ったわよね」
 前ににも言われたことを聞いていたために、上の空で聞いていたのだったのだが、嬉しいような恥ずかし言葉を聞いて、新に問い掛けたのだ。
「はい」
「駄目とは言わないけど、まだ、愛し合う。その結ばれるのには、少し早いようにも思うけど、でも、新さんが、どうしても、そう言うなら・・・・・良いわよ」
 美雪は、恥ずかしくて顔を真っ赤にして、最後は、言葉にも出来なかった。
「はい。そう言いました。ですが、変なのです。手を握ってもいいですか?」
 新は、悩み、悩みながら美雪の左手の小指を見つめるのだった。
「えっ・・変なの・・いいですけど・・・・その・・・きゃ」
 美雪は、そんな新の様子を見て、いや、言葉を聞いて不審に思うのだ。確かに、手を握られるのは嬉しいのだろう。だが、言っている意味が理解できないだけでなく、自分の思いとは、違う意味に感じたので、悩んでいると、新が手を握ってきたのだ。
「変だ。赤い感覚器官が絡み合わない」
「何を言っているの?」
「確か、裕子の話では、愛する人と結ばれる。いや、運命の修正が終わると、赤い感覚器官が絡み合うはずなのです。なのに、手を握っているのに何も反応がない」
「反応?」
「はい。美雪さんと出会ったことで、修正が終わったはずなのに、なぜ・・・・」
「旅に出るの。また、戦うの?」
「また?」
「あっ、何でもないの、気にしないで、それで、旅って?」
 新は話を始めた。その話は、何度も聞いたことだった。だが、何度も聞いた話しでも何の話題でも一緒にいられることを幸せと感じているのだった。
「わたしを連れてってくれるの?」
「勿論だよ」
「旅って危険ではないの。新さんも旅の途中で記憶を無くしたでしょう。わたしの親を説得してくれないと、一緒に行けないわよ」
(まあ、新にとっては、初めての出会いだから、少しでも、私のことをおしとやかな女性に見せないと、嫌われるかもしれないわ。でも、親が駄目だと言っても行く気持ちなのよ。だから、心配しないでね。今度は、絶対に一緒に行くわ)
「親の説得ですか?」
 新に記憶がある。無いとは関係なく、美雪の言うことが理解できなかったの。それは、当然だったのだ。物心が付く頃には、親だけでなく、人が誰もいない状態で育ったのだからだ。それでも、機械人形の裕子が、一般常識などを教えていたために常識はあった。だが、人の情だけは理解できなかったのだ。その理由もあるが、一般的な女性の親に会う。その緊張も恐怖も感じていなかった。
「家の家族って、村の噂では、少々怖いって言われているけど、恐れたりしないでね。もう、新の家族でもあるのだからね」
「家族!」
「そうよ。家族になるの。新さん。もしかして、嬉しいの?」
「はい」
 新が、家族と聞くと、ニコニコと嬉しそうに満面の笑みを浮かべるのだ。その姿を見た。美雪は、嬉しくて抱きつくのだった。
「うぁあ」
「もう、どこも行かないで、直ぐに家に行きましょう」
「美雪さん。歩けないよ」
「嫌なの?」
 新は、突然のことに驚くのだった。だが、驚きは、まだ、続きがあった。美雪の突然の言葉だったのだ。それでも、嬉しそうに、頷くことで承諾するのだ。
「それなら、行きましょう」
 美雪は、嬉しそうに抱きしめていた。その両腕を離し、今度は、右手を握りしめた。すると、少々強引のように引っ張るようにして自宅まで案内するのだった。そして、記憶が無いのを確かめる気持ちがあったのだろうか?。
「ここが、私の家よ。少し外で待っていてね」
「ほう」
 驚くのだから忘れているのが、表情からでも判断ができた。その様子を見てから家に入った。直ぐに、二親の驚きと怒りの言葉が外に漏れた。だが、新は、家から少し離れていたことで耳に入ることはなかった。それを証明するように嬉しそうに笑みを浮かべていた。五分くらい過ぎた頃に、美雪が家から出てきた。
「美雪さん!」
「お待たせ!。家の中に入って、両親を紹介するわ」
「はい」
 新は嬉しそうに笑顔のまま家に入るが、美雪の両親は、どの様な態度をしていいのかと、顔の表情が痙攣していたのだ。当然だろう。前に何度も会っているし、戦場では共に居たのだからだ。だが、まるで、幼い子供のように嬉しそうな表情を見て、本心から自分たちの家族になりたい。その気持ちが感じられた。
「初めまして、わたしは、天家の新、と言います。宜しくお願いします」
「えっ・・・はい」
「・・・・・」
 二親は、何て態度をしていいのかと、迷ったのは当然だろう。もう何度も記憶を無くしているのだ。だが、今回の様子は、世間知らずの青年らしく見えて、今までの中では、娘の運命の相手として最良だと感じたのだ。そんな、二親の気持ちなど分からず。その様子を緊張しながら二親と新を交互に見るのだった。だが、二親は、無言で、新を見つめるだけだった。それでも、しばらく、新に言葉を掛けるだろうと、待っていたのだが・・・・。
「・・・・・・」
「お母さん。お父さん。何か言ってよ。新さんに失礼よ」
「あっそうね。新さん。って言うのね。美雪の母よ。宜しくね」
「はい。宜しくお願いします」
「こちらの無口なのが、わたしの連れ合いよ!」
「ああっ・・・・父です」
「それでは、椅子に座りましょう。直ぐに紅茶でも用意するわね」
 玄関で立ち話だったので、美雪の母は中にある食卓の椅子を勧めた。新は、頷くと、美雪に隣を勧められて座るのだった。正面には、指定席なのだろう。美雪の父が鋭い視線を向けながら無言で座るのだ。おそらく、再度、自分たちの家族の一員として良いのかと、最終判断をするのだ。そんな時・・・・。
「ミントの紅茶は飲めるかな?」
「お母さん。遅いよ」
「仕方がないでしょう。湯を沸かしていたのだからね」
「はい。大好きです」
「それは、よかったわ」
「お父さん。美味しい?」
「ああ・・・・美味いぞ」
「美雪は、苦くない?」
「丁度いいわよ」
「それで、新さん。ニコニコとして嬉しそうだけど、何の話題だったの?」
「何も、お父さんたっら、新さんを見ているだけ」
「そうだったの。ねね、新さんって、どこの人なの?」
「何かね。両親も亡くなって、お姉さんと二人で育ったみたい」
「はい。そうです。だから、家族って憧れていたのです」
「そうだったの。それで、それで!!!!」
 新は、家族になれるだろう。その喜びを体全体で表しながら、始めは裕子のことから話しだして、村のこと、そして、今まで育って来たことなど全てを話すのだった。
「そうだったの。苦労したのね」
「それで、最終的には、村に帰って暮らすのか?」
「はい。この村に帰って、骨を埋める気持ちです」
「旅は、必ずしなければ、ならないのか?。それも、美雪と二人でないと駄目なのか?」
「もう、お父さん。何度、言ったら分かるの」
「まあ、仕方がないわね。旅に出るのを許してあげましょう」
「・・・・・」
「お父さん。そうしましょう」
「ああ」
 二親は、新の様子が、自分たちと家族になりたい。その気持ちが、偽りのない喜びだと体全体で表していることで、美雪の旅を許可するだけでなく、一生連れ添う相手だと認めるしかなかったのだ。
「いいのね。お父さん。お母さん。ありがとう。直ぐにでも旅の用意をするわ!」
「そんなに、急がなくても。ねえ、お父さん」
「ああっ、そうだ。運命の泉には挨拶を済ませたのか!」
 父は、娘を誰にも渡したくないのだろう。最後の抵抗を示した。
「何を今さら、と言うよりも娘の幸せ打ち壊したいの!」
「おかあさん。大丈夫よ。そんなことで、わたしと新の恋が壊れないわ」
「運命の泉って、何ですか?」
「教えてあげる。一緒に来て!」
 新の手を掴むと、直ぐに、引っ張るように外に飛び出した。
「ちょっと、待ちなさい。美雪。美雪。家に戻って来るのでしょうね!!」
「うん。直ぐ来るわ。心配しないで!!!」
 美雪は、母の言葉で振り返るが、二親は、言い争いしていた。おそらく、運命の泉の話題を出したことの話題だろう。それだから、一度、家に戻るかと考えたのだろうが、二人の様子を見て、戻るのも馬鹿馬鹿しい様子に発展しそうだったので、運命の泉に急ぐのだった。そして、泉に着いてみると、何度も見た情景だが、今日は、何だか、空気が澄みきっているからだろうか、神聖な雰囲気を感じるのだ。
「これが、運命の泉ですか!」
「そうよ。運命の相手が見えるの」
「ほうほう」
「さあ、一緒に泉の水を見ましょう」
「作法が分からない」
「はい、はい。分かりました。でも、男性って誰でも同じ態度なのね。そんなに、運命の相手が知るのが怖いのかしらね」
「そう言う意味ではないよ」
「はい、はい。一緒に手を握って泉の水面を見るだけよ」
二人の男女は、同時に泉を覗くのだった。


第百三十九章

 運命の泉の岸には、二人の男女が手と手を握りしめて水面を見ていた。すると、映像が陽炎のように見えた。もっと、正確に見ようとして目を瞑った。男の方は驚きのために岸側に少々倒れそうに、女性は、誰かと会話でもしているように、まるで、何かの話が聞き取れにくくて体を泉側に倒れそうだった。そのために、丁度、釣り合っていたのだ。おそらく、無意識なのに違いなかった。この様子を見ただけでも、理想の運命を共にする者たちだと感じられるだろう。それにしても、男性の方の様子は、美雪と結ばれた時の未来でも見ているのだろう。それで、初めて経験したことで驚いている。と、理解できるが、女性は、本当に、誰かと話をしている様だった。それなら、誰と・・なのだろうか・・・・・。
「誰・・・なの?」
 小声で聞き取れなかったが、誰かと話をしているのは確実だった。そして、もっと、聞き取れるために体を傾けた。すると、二人の均整が崩れて、左手が水面に触れたのだ。
「あっ」
 二人は、同時に、電気にでも触れたように声を上げた。すると、泉に意思でもあるのだろうか、泉の水が光った。だが、泉の水の冷たさを感じるのと、変わらない感覚だったので、二人は、目を見開くほどではなかった。
(初めましてと、言うべきかな、俺は、新の不の感情とでも言うべき者なのだ。だが、正確に言うのなら何度か、挨拶する程度だったが、心と心では会っている。だから、一度でも機会があれば話がしたかったのだ。その気持ちは、全ての記憶が集まり、運命の相手だと分かったことで、どんな手段を使っても必ず伝えなければならないことがあるのだ)
「私には、何の力もないから何もできないわ」
「いや、あなたの母のような夜でも見える目に、敏捷な体の機能もあるし、父のような直観や先を読む感覚がある」
「私が、新を守れというの?」
「そうではない。新も、命の危険などの出来事が起きた場合なら体が反応するだろう。だが、何か事が起きた場合は、協力というべきか、自分の危機は自分で回避する。そう思って欲しいのだ」
「私は、戦いなんて無理よ。人なんて殺せないわ。って言うか、したくないわ」
「あたなの母も有名な傭兵らしいが、誰一人として命を奪ってない。もし、そこまでの覚悟あれば、父よりも強いぞ」
「え?」
「様々な人から話を聞いているだろうが、恐怖を感じるくらい恐れられているのには、生きてなければ感じないことだぞ」
「あっ」
「そうだろう」
「まあ、結ばれる程度のことなら問題はないが、運命を共にする覚悟ができたなら旅に出るのだな。それで、時の流れの修正があるぞ」
「ああっそうだ。今なら分かるだろう。新と繋がっているのだ。今まで何をしたか感じ取れるはずだ」
「はい。分かります」
「どうしても出来ない場合は、修正を拒否して村に帰るのだな。それは、新を諦めることだ。一人で村に帰ることになる。おそらく、新との出会いの記憶は消えるだろう」
「ああっ間違いないだろう」
 もし、この者の表情を見られたら、嘘だと分かるはずだろう。なら、なぜ嘘を言うのか、それは、早く修正を終わらせたいためだ。もし、拒否した場合でも、修正の期間が延長するだけで、二人の運命は消えるはずがないからだ。
「記憶が消えるなんて、いや、必ず修正をするわ。お母さんのように出来ないと思うけど、頑張るわ」
「それは、良かった。今の軟弱な新を頼みます」
「うぁああ」
 美雪は、体を引っ張られる感覚を感じた。それと、同時に、自分の叫び声と同じ言葉だが聞こえた。それは、新の叫び声だったのだ。そして、泉の光も消えた。
「新さん。どうしたの?」
「美雪さんが、僕を引っ張るから泉の中に入るかと思ったよ」
「そうだったの。どのくらい過ぎたのかな」
「そうだね。一本の煙草を吸うくらいの時間かな」
「そうなの」
(そんな、短い時間だったのね)
「それよりもね。美雪さんが見えた。それも、知らない異国の様な街を歩いていたよ」
「それは、本当なの?」
「本当です。これから、あの異国の様な街に行くのかな?」
「必ず行きましょうね」
「楽しみです。それでは、そろそろ、戻りましょうか」
「はい。そうしましょう」
 二人は、この世に何一つとして不満も恐れもないだけでなく、これ以上の幸せもない。そんな様子で家に向かうのだ。そして、勿論と言べきだろう。もう、この先の予定を話し合い、家に着く頃には、子供の名前まで決まっているはずだろう
「嬉しそうね。何かあったの?」
 娘を心配していたのだろう。玄関の前でうろうろとしていたのだ。
「あのね。家に向かう帰り道で、新さんと将来の話をしていたの。そしたらね。美雪の好きなように生きられる手助けをするって言うのね。本当なのかと話してみたの。すると、嬉しそうに、そんなことなら問題がないよ。二人で協力したら何でも出来るよ。そう言ってくれたの。でも、名前だけは、僕に決めさせて欲しい。そう言うの」
「美雪!。まさか、もう、結ばれたの!!」
「そうなの。凄かったわよ。二人の赤い感覚器官が、一つに繋がったのよ」
「えっ・・・あっそう。そうだったの。良かったわね」
「どこまで、話したっけ・・・・え・・と・・・」
「それより、あんた、子供の作り方は分かるわよね」
「もう、分かるわよ」
「それなら、いいのだけど、もし、分からなくても、私たちには、聞かないでよ。恥ずかしいし、馬鹿馬鹿しいことだからね」
「うん。大丈夫。そうそう、でね。お願いがあったの!」
「何?。変なことは、嫌よ。まあ、子作りのことなら、新さんに聞いて見なさい。まだ、子供のような人で心配だけど、分かるはずだわ」
「もう、そんなに、心配なら旅行から帰って来る時には、連れてくるわよ」
「えっ、ちょっと待って、旅行って何年もするの?」
「いえ、数か月くらいよ」
「もう、馬鹿馬鹿しいわ。新さんに、分からないことは聞くのね」
 母は、顔を真っ赤にして、恥ずかしいのか、怒っているのか、複雑な表情をして、家の中に入ろうとしていた。もしかすると、自分の連れ合いにでも相談しようとしたのだろう。
「おかあさん。待ってよ。お母さんにしか相談ができないことなのよ」
「何よ」
「一、二時間くらいで取得できる護身術を教えて欲しいの」
「無理よ。諦めなさい」
「無理なのは分かっているわよ。あかちゃんだって、十月十日も掛かるのだし」
「親をからかったのね」
「普通は、あんなこと聞かないわよ。もし、聞かれても何て答えるのよ。だから、お母さんは、特別な人のよ」
「特別ね」
「それに、女性で、村の外のことを知っているのも、お母さんだけでしょう。だから、女性だと、いろいろな、危険があるでしょう」
「確かにね。むむっ分かったわ。武術の型だけね。それで、痴漢とスリくらいは防げるでしょう。でも、その型で、無理な状況の時は、死ぬ気で逃げるのよ」
「分かったわ」
 娘の今まで見たことのない真剣な顔を見て、自分も娘のために覚悟を決めた。
「美雪は、帰ってきたのか!」
 家の中でも、母と娘の漫才のような会話は聞こえていたはず。二人の会話の頃合いを見計らって出てきたのだろう。
「お父さん!」
 父が家から出て来たことに驚くのだった。
「おかえり。娘よ」
「ただいま。お父さんにも話があったの」
「何だ?」
「新さんが生まれ育った村に行くことにしたから、もし、止めても無駄よ」
「止めはしない。父も一緒に行くのだからな!」
「何を言っているのよ。嫌よ」
「それなら、二人係でもいい。父の手を地面に付けるのだな。それが、出来るのなら二人旅をさせても安心だ。それなら、許そう」
「あんた!」
「そんな・・・無理よ・・・」
「美雪さんと二人なら何とかなりますよ。ちょっと、来てください」
 新は、美雪を手招きした。すると、少しの希望に縋ろうと、隣に立つのだった。そして、新は、美雪の耳元で囁くのだった。
(あのね。良い考えあります。先に、美雪さんが、お父さんの背中から抱きしめて、赤い感覚器官に願うのです。上半身を拘束して)
「えっ、無理よ」
 美雪は、驚き、新の顔を見た。それを、新は、また、顔を横に向けて囁くのだった。
(大丈夫ですよ。それくらいなら指示に従うはず。でも、頭の中で考えるのですよ。赤い感覚器官が伸びて、両腕と一緒に体に巻く。とね。その後、僕が、両足を拘束するからね。その拘束が整えれば、後は、二人の力で地面に向かって倒すだけです)
「ほうほう、ふふっふ、そうしましょう」
 美雪は、成功した場面でも目に浮かぶのでしょう。含み笑いをしてしまうのだ。
「がんばりましょう」
「お父さん。何時でもいいの?」
「勿論だ」
「お父さん。行くわよ」
 美雪は、父を背中から抱きしめた。
「馬鹿だな。そんな力で倒れるはずがないだろう。でも、大人になったのだな」
「馬鹿!。お父さんのスケベ!!!」
「そう言う意味でないぞ。力が強くなったと言いたかったのだ」
 真っ赤な顔をして、妻の視線を向けながら狼狽えるのだった。
「馬鹿、馬鹿、お父さんの馬鹿!!」
(左手の赤い感覚器官さん。伸びて、父の両腕と体を巻き付いて動けないようにして!)
「うっ・・・何だ。何だ」
「それでは、お父さん。僕も戦わせて頂きます」
 新には、美雪の赤い感覚器官が見えた。動けないのを確認すると、父に丁寧に頭を下げてから両足に飛びついた。直ぐに、美雪と同じ様に左手の赤い感覚器官が、、両足をぐるぐると巻きついた。
「何だ。何だ。なぜだ。両手も両足も動かないぞ。なぜだ?」
 父は、逃げようともがくがピクリとも動かなかった。
「美雪さん。今です。一、二、三、で、倒しますよ」
「はい」
 新の言葉で同時に力を入れた。それも、美雪は背中を押し、新は、足を後ろに力を入れた。これでは、赤い感覚器官が巻き付いてなくても倒れるだろう。それが、巻き付いて力も入れらない状態なのだ。おそらく、野生の熊でも倒れるのは確実のことだった。
「あっあああ」
 新と美雪は、武士の情けとして顔から地面に倒れるのをぎりぎりの所で止めた。そして、ゆっくりと地面に下して、二人の左手の赤い感覚器官は巻き付いているのを解いた。
「お前ら、何をしたのだ?」
 体が自由になると、直ぐに起き上がり、二人に詰問した。
「赤い糸の力よ」
 美雪は、自慢するように正直に言うのだった。
「すみません。どうしても勝ちたかったのです」
 新は、深々と何度も頭を下げるのだった。
「赤い糸だと!」
「もう、お父さんの負け。素直に認めなさい」
 妻は、連れ合いを落ち着かせようと、手を握るのだった。その様子を見て、新は・・・。
「もし、宜しければ、美雪さんとお母さんと同じように、お父さんから簡単な護身術を教えてくれませんか、何かがあった場合に、美雪さんを助けたいのです」
「良いぞ。教えてやろう!!」
「もう、少しは落ち着いて、それに、そろそろ」
 父親は、今直ぐにでも叩きめそうとした。だが、そろそろ、昼が近いことでもあり。母親が、先に昼にしようと引き止めたのだ。
「分かった。分かった。後からにする。そんなに、怒らないでくれ!」
「男たちは、椅子に座って待っていて」
「いや、おかあさんも座っていて、私が作るわ。その間、新さんとでも話をしていて」
「美雪!。料理なんて作れるの!」
「それを証明したいのよ」
 二親は、頷いた。だが、母の方は、料理を作れないのは知っていた。それでも、長老の奥方に、習ったのなら出来るだろうと、信じるのだった。


第百四十章

 新は、まず、この村に来た経緯を話し始めた。すると、・・・。
「記憶があるの?」
「えっ」
 二親が驚くのは当然だった。新は記憶がない。いや、ある。と言うべきなのか、登と東都市に行く途中で崖に落ちてからの全ての記憶がないのだ。それでも、前の新の記憶では、
西都市に着く前の記憶がなかったのだから記憶がある。と考えていいかもしれない。この話を聞くことで、二親は、新の全てのことが分かる。それで、真剣に耳を傾けるのだった。
「何でもないの。話を続けて」
「自分は・・・・」
 新は、自分が育った。全ての歴史を話し始めた。
「俺は、様々な地域や村に、戦や諜報活動に行ったが、そんな国、いや、村など聞いたことがないぞ」
 父親は、連れ合いに視線を向けた。
「私もないわよ」
「それは、当然かもしれません。僕が、物心つく前には、誰も居なかったのですから・・・」
「でも、育ての親は、いるはずでしょう。たしか、裕子さん。でしたっけ?」
「裕子は、人ではないのです。何て言うか・・・言っても信じてくれるか・・・」
「ごめんなさいね。話を中断させて、良いのよ。何でも話をして、全てを信じるわ。だって、家族の一員になるのだから当然でしょう」
 父は連れ合いのある言葉が納得できず。口を挟もうとしたが、肘で腹を打たれて何も言うことができなかった。それに、気が付かない。新は、また、話を始めた。
「人ではなく、機械の人形なのです。ですが、寂しくなかったですよ。裕子も、良く遊んでくれたし、飼い猫も一緒だったから楽しい日々でした。ですが、その猫が、二十一年になる。少し前に、僕が、十一歳の時に、亡くなりました」
「そうなの。機械のお姉さんに、猫のお母さんに育てられたのね。そうだったの」
「あの。確かに、裕子は、おばあさんと言うと怒るけど、動かない人形では・・・」
 新の話が理解できないのは当然だった。美雪の二親は、空想で動かない人形を母とも姉とも思って育った。それだけでなく、赤子が獣に育てられたと言う噂も良く聞くので、猫でも親代わりが出来るだろうと、解釈して、勝手に納得するのだった。
「良いのよ。辛い子供時代だったのね。うっうう。もう、心配いらないわ。わたしたちは家族よ。私が、お母さんになってあげるわ。だから、甘えられなかった分甘えていいわよ」
「まあ、今の話を聞いて家族になりたい気持ちは分かった。家族になるのは考えてみよう。それよりも、旅は許そう。だが、」
「おとうさん。それは、本当なの!!」
 料理が出来て食卓に並べるために近づくと、父の話が聞こえて最後まで聞かずに喜ぶのだった。
「旅に出るのは、許そう。確かに、新殿の村の歴史などには興味がある。この機会を逃せば、村は風化して何も知らずに消えるだろう。それを確かめて来るのだ。だが、部屋は別々だぞ。それだけは、許せんぞ」
「お父さん。何を言っているの。何を心配しているのよ」
「まあ、それは、だな。大人なのだから分かるだろう」
「まさか、赤ちゃんのこと?」
「そうだ。旅とは、安全ではない。何が起こるかわからないのが普通なのだ。だから・・」
「お父さん。赤ちゃんてっキャベツ畑から生まれるって聞いたわよ」
「ななっなんだと・・」
「違うのね。なら、お父さん。私に詳しく教えてよ」
「ななっなにを言うのだ。もう分かっているだろう」
「分からないわ。だから、お父さん。教えてよ」
「美雪。もう、そのくらいで止めなさい。お父さんが困っているでしょう」
「でも、お父さん!」
「分かった。もう、許す。好きなようにしなさい」
(親の気持ちが分からないのか!。結婚もしてないのだぞ。それに、もし、新に何か起きて、一人になったとして、一人では子供を育てられないだろう。それを心配したのだが、いつから、こんな可愛くない娘になったのだ)
「ありがとう。お父さん。必ず許してくれると思っていたわ。だから、大好きよ」
 娘は、父の首に抱きつくのだった。
「分かった。分かった」
 父は嬉しそうに破顔するのだった。だが、その妻は、その様子を冷たい視線を向けた。
「もう、そのくらいにして、食事を食べないと冷めるわよ」
 自分の連れ合いに嫉妬しているのか、いや、娘が母には見せない姿を父に見せることに悲しみを感じているようだった。
「は~い」
 美雪の明るい返事を聞いたから食べ始めた。と言うよりも、野生的な母性の有無を言わせない力と同時に、元は命があった食物を無駄にできない。その両方の気持ちからだろう。
皆は無言で食事を食べることに専念するのだった。
「料理の腕が上達したわね」
「本当?」
「本当よ。何の料理か分からない。野菜と肉のごった煮とでも言うのかな、パンに良く合うわ。主婦とは、家の中にある食材だけで何でも作れる。それが、一番大事なことなのよ」
「は~い。お母さん」
「それで、旅っていつから行くの?」
「昼を食べたら行こう。と、思うけど・・・」
「何だと!」
「早いわね。そんなに、急ぐ理由でもあるの?」
 二親は、驚きと同時に不審を感じた。
「もう村の外が見たくて、見たくて、仕方がないの。新さんの村も見たいし、裕子さんにも会いたいわ。だから、一分でも一秒でも我慢ができないの」
「でもね」
「なに?」
 母は、娘の目を見て、夢見ごこちだったために、引き留められない。もし、引き留めたら旅立ちの挨拶も交わさないで行ってしまう。今まで育ててきたことで行動の予測ができたのだろう。仕方なく許すしかなかった。
「分かったわ。好きな時に行きなさい。でも、行く時は挨拶だけはするのよ」
「何を言っているのだ。旅の心積りや護身術を教えなければ駄目だろう」
「はっはぁ~。美雪の目を見てみてよ。それでも、引き留められるの。私には無理よ」
「うっ」
 二親は、娘の目を見ると、何も言えなかった。好奇心に輝く目と言うよりも、まるで、欲望丸出しの光り輝く目をしていたからだ。
「ごめんなさい。お父さん。お母さん」
「気を付けるのだぞ」
「許すわ。でも、これだけは忘れないで、美雪は、感情が高ぶっている時は何かしらと、間の抜けた失敗するから気持ちを抑えるのよ」
「分かったわ」
「それでは、新さん。美雪を宜しくね」
「新殿。もし娘に傷でも付けて帰ってきた時は、命が無いと思え!」
「お父さん。また、同じことを言うの。部屋には一緒に泊まるわよ」
「その傷ではなくてだ!。体の外見のこと言っているのだ!」
「はい。はい。でも、旅では掠り傷するでしょう。まあ、そう言うなら気を付けるわ。それで、良いわよね。お父さん!」
「むむむ」
「お父さん。それくらいにして、気持ち良く送り出しましょう」
「う~ん。分かった。本当に気を付けるのだぞ」
 新は、今までも、今の状態でも、何も言わずに頷いているだけだった。ここで、口を開けば面倒なことになる。そう感じているのだろう。
「はい」
 美雪は、大きく返事をした。もうこれ以上、同じことを言わないで、そう思う程の大きな声だった。そして、調理器具や食器を洗い終わると、二人して楽しそうに、旅の荷造りを始めるのだった。そして、美雪は、大量の荷物を居間まで持ってくるのだった。
「こんなに持っていけないよ」
「だって、着替えは必要よ。そうでしょう。お母さん!」
「あっそうね。服などは・・・・」
「駄目だよ。僕も、裕子に多すぎるって注意された。それ以上の荷物だよ」
「えっ何々、お母さん」
 娘が声を掛けて喜んで返事を返したのだが、新が話を掛けると、母に問い掛けたのを忘れてしまったのだ。
「何でもないわ」
「そう、なら、良かった」
 母は、娘に悲しそうに視線を向けているが、気が付くことがなかった。
「でも、これと、これと、これは、絶対に必要よ」
「そう、それで、そんなに、パンパンに詰め込んで、持てるの?」
「うっうう、重くて持てない」
「仕方がないね。少し減らしな。僕が持ってあげるよ」
「ありがとう」
 二親は、何を言っても耳に入ることはない。そう感じたのだろう。無言で二人を見るのだった。かなり、長い時間に感じただろうが、十分も過ぎてなかった。そして、・・・・。
「お父さん。お母さん。新さんの生まれた所を見てきます」
「気を付けて行くのよ」
 母が、旅立ちの挨拶をしていると、父が、先ほどから書き留めていた。紙片を手渡すのだった。何かと、二人は不振を感じていた。だが、妻が中を見ると、何人かの名前と村の地名が書いてあったことで、一瞬の間だけ悩むが、その関連を気が付いて紙片を取り上げようとしたのだ。それは、当然だった。昔の同僚の名前だったからだ。
「美雪。村では宿などないのだ。この者に、俺の名前を言えば、快く、一夜くらい泊めてもらえるはずだ。だから、これを持っていきなさい」
「何しているの。それを寄こしなさい」
 妻が嫌がるのは、当然だ。娘が生まれる前の職業と言うべきか、それは、傭兵だったことを全て、元仲間から娘に伝わることを恐れたからだ。
「ありがたいけど、必要はないわ。だって、それでは、新と私たちだけの旅にならないわ」
 美雪は、正直に言わなかった。その紙片の名前の家に行く。それは、父の監視をされていると同じ意味だったからだろう。
「お父さん。そんなの渡さないでよ」
「そうだが・・・でも・・・」
「はい。はい。分かりました。それでは、行ってきます」
 美雪は、二親から逃げるように家から出た。そして、大声で旅に出ると告げるのだった。その様子を心配そうに、二親は玄関の外から娘に手を振って無事を祈っているようだった。
「こんなお別れでいいのかな?」
 新は、何も言う気持ちがなかったが、やはり、二親の気持ちを感じ取り、一言だけ言うのだった。それは、美雪の気持ちの確認でもあったのだ。その気持ちは、美雪も感じて・・。
「行ってきます!!」
 美雪は、満面の笑みを浮かべて叫んだ。その言葉と表情を見て、二人は、泣き出しそうな表情から安堵の表情に変えて、腕が外れるのではないか、と、思う程大きく振り続けた。
「それでは、行こうか!」
「はい」
 新も美雪の満面の笑みを見て安心した。もしかすると、美雪も旅の不安、新に心配をかけている。そう思ったのだろうか、嘘ではないが、嬉しそうに返事を返して、安心させるのだった。そして、二人は、もう、後ろを振り向くことなく、歩き続けて、村と街道の境で、一度だけ振り返り、目に焼き付けようとしているのか、暫く、見つめ続けるのだ。
「私ね。村から一度も出たことないの」
「そうだったの」
 美雪は、村の様子を目に焼き付けたのだろうか、新より先に歩き出した。その後を新は、慌てて付いて行った。
「それだから、村から出るのが少し怖かった」
「本当、なら、もう少し気持ちを落ち着かせる。二、三日過ぎてからにしようか?」
「でも、新さんが隣にいるから、今は、何も心配はないし、怖くもないわよ」
「それなら、良かった」
 新は、美雪が行きたい所、見たい所、食べたい物などの話を聞くのだ。その話は尽きることがない。そう感じたのだが、村と村の境に来ると・・・・・。
「あっ新さん。少し待っていて」
「あっ僕もです」
 二人は、方向と場所は違うが、森の中に入ったのだ。すると、直ぐに、驚くことに、枯葉を両手で持てるだけ持って現れたのだ。
「美雪さんも、なのですか?」
「はい。新さんもだね」
「美雪さんは、何て指示なのです?」
「まっまっ」
 美雪は顔を真っ赤にして恥ずかしいために、言葉にすることが出来なかったのだ。それでは、何て指示だったのか、それは、初めての共同作業をする。そう指示だったのだ。何をするかは、この時点では、枯葉を集めるだけだったために、何が何だか意味が分からずに、少し、恥ずかしい想像をしてしまったのだ。その後は、街道に枯葉を置くと、指示されて、その場、その場で、見るのと、同時に指示を感じるのだろうと。そう思うのだった。


第百四十一章

 二人は、と言うか、美雪はと言うべきだろう。鳥類が愛の巣を作る時の様に、丁寧に、生まれて来る子供のために心血を注ぐように、多くの枯葉を一か所に置くのだった。だが、それにしても、少し神経質と思うまで一枚一枚の枯葉の向きまで、腫れ物に触るような様子で枯葉の位置を変えるのだった。そこまでする理由の一つは、初めての経験でもあるが、目の前には陽炎のような映像が見えているのだ。それと、まったく同じ様にしようとしているためだった。
「美雪さん。そこまで、丁寧にしなくても、良いのですよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「でも、修正する指示よ。正確にしなくていいの?」
「だって、修正って、僕と美雪さんと結ばれるための時の流れを変えるのだよ。同じくしたら変わらないような気がしない。だから、陽炎の映像とは同じでなくていいよ」
「そう言われれば、そうだね」
「勿論、限度の範囲はあるけどね」
「分かったわ」
「それでは、ばら撒こうか!」
 美雪が頷くと、二人は、同時に、枯葉を上空にばら撒いた。すると、まるで、噴水が高々と枯葉が吸い込まれて上り続ける様だった。そして、流れるように落ちるのだが、途中の空間には湖面があるように横に流れて無数の波紋を作るのだ。その波紋に乗りながら枯葉を周囲に運ぶのだった。その様子を二人は見続けた。
「本当に不思議ね。あの枯葉が修正の切っ掛けを作るのよね」
「そうだよ。これで、旅の始まりであり、修正が始まったよ。なら、行こうか」
「はい」
 二人は、鏡泉村から出て桜村に入った。新は平然としているが、美雪は、何が起きるのかと、少し怯えるように周囲を見るのだった。すると、何も起きる様子もなく、辺りは、平穏そのものだった。確かに、この村は戦場になっていないが、それなりの被害はあったはず。それなのに、嬉しそうに笑顔を向けられて会釈されるのだ。勿論、新に向けてのことだが、変に思うと同時に、新の嬉しい表情を見て、戦は終わったと、心底から安堵する。それが、修正なのかと感じることもできた。それなら、新の幸せな表情を浮かべさせる役目が、美雪だと、確信するのだった。
「美雪さん。どうしたの?」
 美雪が突然に、新を抱きしめたのだ。
「皆、本当に嬉しそう」
「そうだね。おおっ手を振っているよ」
「本当だわ」
「美雪さんが、美人だからだね。おおっ男が立ち上がったよ。もしかして、こっちにに来ようとしているのかな?」
「もう馬鹿かぁ。違うわよ」
「おおっ怒られているよ。そうだよね。奥さんがいるのに女性の話をしたら怒るよね」
「そうなのかな?」
(新さんに手を振っていると思うわよ。たぶん、徴兵の兵隊さんね。松葉杖をついているから間違いないわ。私がいるから新さんの邪魔をして駄目よ。そんなことを言っているのかも、もしかして、奥さんとか思われていたりしてね。キャッ!)
「どうしたの。楽しそうだね。それに、顔が赤いよ」
「もう、良い夫婦に見えたから、私たちも見えるかなって思ったの」
「そうだね。僕たちも夫婦に見えるといいね」
「うん、うん」
 美雪は、満面の笑みを浮かべて喜んだ。そして、二人には、分からないことだが、村の中を歩くことで、皆に新の無事と噂の美女である。美雪と一緒になれたことで、村人も安心したのだ。この安堵を与えることが時の流れの修正であり。桜村の修正が終わりだったのだ。その証明と言うべきか、時の流れの修正する行動を起こした結果なのだろう。二人には分からない所で数枚の枯葉が砕けて消えた。
「この吊り橋を渡るしかないのかな?」
「かもしれないわね。でも、頑丈そうよ。渡れるわよ。大丈夫よ。もしかして、新さん。吊り橋が怖いの?」
「そんなことはないけど、凄く深そうな谷だね」
 美雪には、怯える気持ちが分からなかった。村には吊り橋が無かっただけでなく、底が見えないほど高い所から下を見たこともなかったのだ。恐怖など感じずに、珍しい物を見られて楽しい気持ちを感じていたのだ。それでも、無数の矢が刺さった状態や矢を抜いても無数の小さい穴があったら気持ちは違ってたろうが、今は修理が終わり。何も問題はなかった。それでも、新は、恐ろしいのだろう。渡ろうとはしなかったが・・・・。
「私が、手をつないであげるから渡りましょう」
「・・・」
「もう男でしょう。行くわよ」
 美雪は、新の手を引っ張りながら吊り橋を渡るのだ。近くで二人を見る者たちが数人いがのだ。だが、笑うのでなくて、今にでも泣きそうな表情だったのだ。その感情は心の中だけに収めることができず。知らずと、言葉を出していた。
「新殿は、高所恐怖症だったのか、それで、あれ程の戦いをしたのか!」
「俺たちのために、村のために死ぬ覚悟で助けてくれたのか!」
「せめて、お礼の言葉でも・・・」
「それは、駄目だ。それをしたら一緒にいる女性の笑みを消すことになるぞ」
「なら、せめて、自分たちの無事の姿だけを見せて、会釈だけでもしよう」
 五人の男たちは、内心の気持ちを決めると、吊り橋の前に立つのだった。それは、吊り橋を渡る順番でも待っているかのようだった。
「私たちが渡るまで待っていてくれて、本当にすみません」
 新と美雪は、心底からすまないと感じて、深々と頭を下げるのだった。
「吊り橋が怖い人は多いのですよ。だから、何も気にしないで下さい。渡り切るのを待つのも礼儀ですからね」
 五人の中で、一人だけが気持ちが落ち着いたのだろう。代表のように言葉を掛けた。
「ありがとう」
「すみません」
 新も吊り橋を渡り切ると、気持ちが落ち着いたのだろう。五人に挨拶をするが、勿論のことだが、誰一人として記憶はなかった。それが、良い結果になったのだ。徴兵隊の指揮をする時や共に行動している時には、鋭い視線や固い表情だったが、今の笑顔の表情を見て、本当に全てが終わった。そう感じたのだ。
「良い旅になるように祈りましょう」
「ありがとう。あなた達の無事も祈りますね」
「ありがとう」
 五人の男と新と美雪は、何度も頭を下げながら別れた。五人の行先は分からないが、新と美雪は、雲海村に入った。そして、驚くのだ。無数の矢の傷跡や戦った痕跡を見て、激戦だったと感じとり、生涯忘れないように心に刻み付けるのだ。自分の子供や村の子供たちにでも伝える気持ちと、村の防御の参考にでも長老や村人たちに伝えるのだろう。そのまま村の中を通り過ぎて、滝崎村に入ろうとした時だった。また、二人の知らない所で枯葉が砕けて消えた。その頃になると、日が傾き始め、そろそろ、野宿か泊まる所を考えなければならなかった。
「新さん。村には宿はないわ。長老に挨拶に行きましょう。もしかしたら泊めてもらえるかもしれないわ。駄目な時は、野宿しかないわね」
「挨拶に行こう。泊まれるといいね」
「そうね」
 都市から離れた村では旅に行く者も居ないし、村に訪れる者も殆どが、長老に会いに来るために、宿などなかったのだ。そのために、野宿か少々お金に余裕がある者は、小瓶の酒を手土産として、村の夜間警護の簡易な建物の休憩室を借りるのは普通だった。二人は気が付いていないが、女性が旅に出るのは珍しく、殆どの村長は、女性がいる場合は、余程の理由でもない限り泊めるのが普通だったのだ。それと、初めての村で長老宅を直ぐに探せるだろうかと思われるだろう。だが、それは、決められたことではないが、村の入り口にある場合と、村の中心にあるのが普通だったのだ。そして、大通りとは大げさだが、村としては大きな通りに建てられるのが普通だったので簡単に探せるはずなのだ。
「あれかな?」
「そうみたいだね」
 滝崎村では、村長宅は村の中心に建てられていた。その建物に二人は向かうが、何て理由を言って泊めてもらうかと思案していた。だか、考えても考えても良い考えなど浮かぶことができずに長老宅に着くのだ。直ぐに、扉を叩く気持ちになれずに、その場で立っていると、長老宅の庭に、一人の老人と目があった。
「どうしたのです。何か御用でもありますのかな?」
「それが、その・・・」
 美雪は、泊めてもらう理由を何て伝えていいかと、言葉にすることが出来なかった。
「村の人ではないですね。もしかして、女性ですか?。女性が旅ですか、珍しいですね」
「はい。夫婦になるので、好きな人の村に行こうかと、でも、家族は誰も居ないのですが、村の様子だけでも見ようと、旅をしているのですが、その・・・・」
「そうでしたか、それで、わしの家に来たのですか、それは、それは、なら、良い所を紹介しましょう」
「本当ですか、ありがとうございます」
「それでは、その場所も教えますので、家の中に入ってください。それに、喉も乾いたでしょう。茶でも飲みながら教えますよ」
「ありがとうございます。それでは、お邪魔します」
 二人は、長老の後に続いて家の中に入るのだった。そして、驚くとは変だが、二十畳くらいの土間があったのだ。そして、何席もの椅子と食卓があるだけでなく、壁の周囲には、手紙や託などの紙片が貼ってあるのだった。
「その紙片は、わしの家に泊まった者たちが残した物だ。それで、連れ合いの婆さんが・・」
「あっ」
 長老は、いくつか有る煮炊きする設備の釜や鍋を使うかと迷いながらお茶を用意しようとしていた。それで、美雪は、手伝うかと思ったのだが、嬉しそうにしているので、様子を見ていたが、長老の連れ合いの話を聞いて、勝手に判断するのだったが・・・・。
「それは、何て言っていいのでしょうか・・・・」
「そうではないのだ。まだ、元気なのだが・・・」
「それは、良かったです」
「どうぞ」
 お茶を出されて、二人は、一口を飲むと・・・・。
「それが、最近のことなのだが、女神様が降臨したとは聞いたことはないですかな?」
「えええええ~それは!」
(それって、私のことよね。まさか、ばれたのかしら!)
「驚かれるでしょう。本当のことなのです」
「あっはい。はい」
(私だと思ったのでないのね)
「それが、その、何て言いましょうか、降臨された地点に、数人の男が、御利益があると思ったのか、忘れてはならない場所でも思ったのでしょう。自分たちの剣を指して目印にする考えだったのでしょう。それは、良いことなのですが、その刺した所から湧水が湧きまして、それを、連れ合いの婆さんが、毎日のように飲みに行っているのです」
「何か御利益でもあるのですか?」
「どうなのでしょうか、ですが、その男たちは、その湧水だけで四日も過ごしたらしいのです。まあ、最終的には、行き倒れ状態で、わしの家に連れ込まれたので、その男たちの話が本当か分かりませんがね」
「はい」
「女神が降臨したのは本当らしいのです。それを見た者が大勢いまから・・・・」
「そうなのですか、私も見たかったです。女神を見ただけでも御利益がありそうですしね」
「そうでしょう。わしも信じているのですが、村人は、わしよりも信心深い者たちで、婆さんもなのですが、その湧水を垂れ流しでは罰が当たると考えまして、近くの砦の跡に貯めることを考えたのです」
「そうでしたか」
「御利益と思うのは当然だと思いますし、男たちが、四日も湧水だけで過ごした。それを信じて、体に良い水だと飲み続けているのです。たしかに、婆さんが、この家から砦まで歩いて毎日行きますので、健康には良いと思います。だから、御利益があるのでしょう」
「そんなに、遠いのですか?」
「そうですね。老人の足で一時間くらいですかな」
「一時間も歩くとは、大変ですね」
「まあ、若い人なら半分くらいの時間で行くでしょう。それで、紹介する所でも、わしの家に泊まるのでも構わないが、わしでは料理を作れない」
「それでは、私が作りましょうか!!」
「それは、嬉しいのだが、女性の旅など一生に一度あるかないかのこと、旅の祈願と旅の記念として立ち寄ると良いでしょう。それに、頼みたいこともあるのです。婆さんから奉納するお茶を持って行くと約束したのだが、一時間も歩くのは疲れるし、そろそろ、暗くなる時刻にもなる。それを持って行ってくれると助かるのだが・・・・・」
「構いませんよ。ねえ、新さん!」
「そうだね」
「それでは、お願いする。直ぐに用意するから待っていてくれ!」
「はい」
 二人は、頷くのだった。そして、本当に直ぐに用意された。それも、両手でやっと持てるくらいの荷物だった。新は、こんなに老人が持って行けるか、と考えたが、おそらく、何日分なのだろうと、そう思って受け取るのだった。


第百四十二章

 美雪が、先に玄関の扉を開けて、新が通りやすいように扉を開けたままで押さえていた。新が出ると、長老を通して、最後に美雪が出て来たのだ。
「それではお願いする。道は、この通りを真っ直ぐに歩き続けたら見えて来るからな」
 その様に長老に言われて、美雪は方向を確かめるために指差すのだった。
「この道をですね」
「そうだ。宜しくな」
「ごちそう様でした」
 新が感謝の気持ちを言うと、二人は歩き出した。そして、やはり、長老の言う通り、三十分も歩くと、美雪が声を上げるのだった。
「確かに、ここだと思うわ」
 新は、周囲を見回した。すると、開けた空き地だった。遠くに視線を向けると、山々と言うか、周囲が森に囲まれているのが見えた。そして、その後、美雪の視線の先を見るのだ。すると、数本の剣が刺さっているのが見えるのと、手首くらいの大きさの水が流れる側溝が見えた。その先を辿ると、砦のような建物が見えたのだ。
「あの建物が、そうかもしれないね」
「そうね。行きましょう」
(本当に、新さんは記憶がないのね。この上空に私が浮かんでいたのよ)
「はい」
 美雪は、暫く新の表情を観察した。本当に記憶がないか確かめるためだった。この地は、と言うか、今立っている所は、旗野男爵であり。旗野勝次郎が死んだ所だった。それと、確かに、女神(美雪)が降臨した地であり。島畑伯爵が消えた所でもあった。そして、美雪は納得したのだろう。砦に向かって歩き出して、砦に着くのだ。
「長老に頼まれて、奉納の茶を持ってきました」
 城門は開けられているが、閉められた様子はなかった。その前に、一人の男が座って帳面を持ち、何かを待っている様に空を見ているのだった。そんな、男に、美雪は言葉を掛けたのだが、視線も向けてくれないが、返事は答えてくれた。
「建物の中に、どうぞ、中に老婆がいるから話し掛けてください」
 建物の中に入ると、直ぐに老婆が目に入った。だが、何をしているのか疑問だった。確か、前に使用していた時と別の家の様に中が変わっていた。現代で例えるのなら博物館の中のような様子だったこともあるが、老婆は、なぜか、洗濯をしている様に見えたのだ。
「あのう。滝崎村の長老殿の奥方様でしょうか?」
「はい。そうですよ。あっお茶を持ってきてくれたのですね。ありがとう」
 老婆は、手を休めないまま返事をするが、丁度、手を休める頃合いだったのか、振り返って、二人を見た後に、奉納のお茶を持っていることに驚くのだった。
「それで、何をしているのですか?」
「友達や知人の衣服を清めているのよ。まあ、身に着ける物ならなんでもいいの。この湧水で洗うと、傷や腰痛などが治るのよ」
「そうなのですか。凄いですね」
「うぁああああ」
 すると、一人の男が、美雪の顔を見て、悲鳴のような声をあげたのだ。
「女神が、女神が、女神が降臨した」
「本当か!」
「どこに?」
 悲鳴を上げた者が、美雪に向かって指差すのだった。
「えっ・・・・あっあああ、間違いないぞ!」
 酒にでも酔っているのか、ふらふらと歩き出して近寄るだけでなく、両手で空間を泳ぐように振るのだ。おそらく、男は、美雪を見ているのでなく、幻想の美雪と、現実の美雪と重ねながら見ているのだ。そして、重なると、同じ女性だと思って叫んだのだ。
「・・・・・」
「・・・・・」
 新と美雪は、男の様子に驚いて、言葉にすることも体を動かすことも出来なかった。呆然と、男が近づくのを見続けるしかなかったのだ。だが、男の両手が、美雪の体に触れそうな距離に近づくと、恐怖を感じたのだろう。悲鳴の様な言葉を吐き出した。
「わたしは、女神でないわ!!」
「えっ・・・・あっああ・・・済まない。あまりにも似ていたのだ。許して欲しい」
 男は、美雪の悲鳴なのか、それとも、言葉に反応したのか、正気を取り戻した。すると、謝罪のつもりなのだろうか、美雪の目の前で土下座をするのだ。
「わっ分かってくれたのなら・・・いいです。許しますから、だから、立ってください」
「お願いがあるのだ。頼む。頼むから女神を描くことの模写になってくれないか!」
「えっええええ、無理です」
「頼む。自分のためではないのだ。これから、この地に訪れる者たちの希望になって欲しいのだ。あっ勿論、幻想的に描く。誰が見ても、貴女だと分からない。迷惑を掛けない」
「でも・・・・でも・・・」
「頼む!」
「・・・・・」
 美雪は、突然に、目の前の光景がぶれて、陽炎のような光景が見えた。その中心には、自分に似た。女神の絵が描かれているのを見るのだった。そして、美雪は・・・・。
(これも、修正の一つなのね)
「分かりました。模写になります。だから、立ってください」
 美雪は、内心で思い。そして、決断するのだった。
「本当ですか、ありがとう。ありがとう」
 男は、嬉しい感情が抑えることが出来ず。美雪に抱きつこうとしたのだ。
「だから、近づかないで!」
「あっすまない。つい、興奮してしまって、本当にすまない」
「どうすれば、宜しいのですか?」
「直ぐに、描くことの準備をする。だから、そのままでいいから、動かないで立っていてください。それだけで、構いませんから・・・・・」
 男は、直ぐに、絵を描く準備をするのだった。美雪は、男の言う通りに動かずに、三十分くらい過ぎた頃に・・・・。
「終わりましたよ。もう、動いてもいいですよ。本当にありがとう」
 男は、女神を描き終えると、興奮を抑えながら絵を美雪に見せた。その絵を見て、美雪は、陽炎のように見えた映像とまったく同じ物を見て驚くのだった。その時だった。二人には知らない所で枯葉が砕けて消えた。だが、知らなくても、また、一つの修正が終わったと感じることは出来た。それほどに神々しい女神の姿絵だったのだ。
「凄いわ。わたしが模写とは思えないわ。こんな人が本当に空中に浮かんでいたの?」
「本当ですよ。でも、なぜ、空中にいたと知っているのですか?」
「ああっだって、女神が降臨と言えば、空中に浮かんでいると思うでしょう」
「ほうほう、もう少し、その話を聞きたいです。ぜひに!!」
「えっ・・・その・・・・その・・・」
 美雪が、言ってはならないことを漏らしてしまった。それを誤魔化す気持ちで、新に視線を向けた。だが、新は、老婆と何かを話をしていたのだ。
「新さん。何を話しているの?」
 美雪は、男から逃げた。男が付いて来ると思ったが、自分の描いた絵と美雪を交互に見るが、ありえないと感じたのだろう。直ぐに、自分の絵に興味を戻し、接吻でもするのではないかと思う程まで興奮を表していた。その興奮が伝染でもしたのか、他の男たちは集まりだした。その様子に、美雪は安堵して、新に問い掛けたのだ。
「あっ美雪さん。ちょっと、迷っていたのです」
「どうしたの?」
「それが、東都市に住んでいる。妹の夫婦にシーツ届けて欲しい。そう言われてね」
「シーツなの?」
「介護に効果あるって、何か、敷いて寝るだけで腰痛が完治する効果あるらしいよ」
「そうなの。いいわよ」
「でも、先に西都市に行って見たいのでしょう」
「良いわよ。東都市の後でもね」
 二人の話を黙って老婆は聞いていた。それが、承諾してくれると聞いたので、立ち上がって握手を求めた。
「本当に、良いの?」
「良いわよ。でも、効果とは使用の方法は教えてね。妹さんは使用方法をしらないのでしょう。シーツを渡す時に聞かれると思うわ」
「そうね。妹に聞かれるわね。それなら、あなたも旅で疲れているでしょう。試してみるといいわね。次の日はスッキリするわよ」
「その効果を体験させてもらうわ」
 などと話をしていると、女神の絵を見て興奮していた者たちの声が聞こえなくなったので、視線を向けて見ると、夕食の用意をしていたのだ。もしかすると、空腹を感じたのでなく、一日の日課の時間割の通りの生活をしているためだったのかもしれなかった。
「二人は泊まって行くのですよね」
「はい」
「それなら、お布施を頂いても宜しいでしょうか?」
「私が払います。金額は、どのくらいでしょうか?」
「金額は決まっていません。それは、人によりますから気持ちで構いませんよ」
「そうですか、それでは、二人分で、銀貨二枚にしますね」
「そんなに、宜しいのですか!」
「はい」
 その値段は、高級旅館に泊まる値段と同額と考えてよい金額だった。だから、喜ぶのは当然で、食事は共に食べようと勧めてくれたのだ。おそらく、とは変な言い方だが、普通は泊まるだけで食事は用意されることはない。勿論、質素な食事のはずだが、食事よりも、こちらが話題を言わなくても、女神のことなどのことを話し掛けてくるはず。それも、金額と比例して熱の入る内容だろう。それでも、二人には楽しい会話になり。この日は生涯の記念になるはずだ。そのことを考えもしていなかった。それでも、良い思い出にしようとしたのか、時間つぶし程度の気持ちなのか、二人は外や室内を見学していた。その全ては、聖地となった理由から始まり、女神が降臨して戦いを止めたことで平和の女神と呼ばれることも知る。それだけでなく、お布施の理由もしるのだ。二度と女神が降臨してまで、人の馬鹿らしい争いをしないことを将来に伝える役目だった。それが、女神を守護する館であり。その館を建てること聖地を保存しなければならない。などを見ていると、二人は旅での疲れが出たのだろう。二階に上がろう。と、どっちが言うのでない二階に向かうのだ。その部屋は好きなように使うことを許されていたからだ。二人は体を休ませていたのだ。すると、確かに、時間的にも空腹を感じる時間でもあった。だが、動くのも面倒だったのだろう。もう少し休んでから食事のことでも聞いて見ようと考えて目を瞑って休むだったが、何十分は寝たのだろうか、それとも、空腹で目覚めたのか、丁度良い具合に・・・。
「食事が出来上がりました。さあ、食べましょう」
 隣の部屋から数人の男たちの声が聞こえて、その中の一人が知らせに来た。二人は、喜んで部屋に駆け込むのだ。すると、食卓には、二個の鍋と可なりの数のおにぎりが用意されていた。
「好きなだけ食べてくださいね」
 女神を描いた男性の言葉が合図のように皆は食べ始めた。数個のおにぎりを食べ終えるまでは無言で食べていたが、予想の通りに、男たちは、新が初対面のような様子だったので、問い詰めることはしなかったが、美雪に興味を感じて話を掛けるのだ。だが、美雪の方も、新に不審に思われたくないと、その様に言い難いような感じながら話すので、男たちは、心中を察して話題を変えた。ほとんどが、男たちの経験したことだったが、皆は、楽しみながら食事を食べることが出来た。その後に、美雪から問い掛けたことで、老婆も頼みごとの意味からシーツなどの利用方法などを教えたのだが、一時間くらい過ぎると、老婆は話し疲れたのか、自分の部屋に戻ると、そう言うのだ。もしかすると、今日は泊まる予定ではなかったのだろう。そして、日の出と同時に自宅に戻る気持ちだったのだろう。それで、少しでも早く睡眠を取る考えだったのかもしれなかった。それが、合図のように楽しい夕食が終わった。新と美雪も、老婆の話を信じて、湧水で水洗いしたシーツを持ちながら室内に消えるのだ。少しの間、二人が居る部屋の中が騒がしかったが、それも、直ぐに静かになった。体が疲れて寝たのだろう。その少し後に、男たちも寝るのだった。
「おはようございます」
 美雪は、起きて直ぐに老婆の部屋に行くが、室内は片づけられて誰も居なかった。すると、後ろから朝の挨拶の言葉を掛けられたのだ。
「日の出と同時に、自宅に戻りましたよ」
「そう」
「それで、このシーツを渡してくれと、言っていました。出来れば、使用方法も伝えてくれると、嬉しい。そう言っていましたよ」
「そう・・・分かりました」
「私たちは、朝食は食べない習慣なのですが、何か作りますか?」
「いいわよ」
「そうですか、それでしたら、何個かのおにぎりとお茶を持っていってください」
「分かりました。でも、いいの?」
 美雪は嬉しいが、男たちの心配するのだった。
「構いませんよ」
「それなら、喜んで頂きます」
「それと、部屋の片づけや自分たちのことなど気にせずに、いつでも出発してくださいね」
「はい」
 部屋の中に居た。新も話が聞こえて、美雪が部屋に戻ると、出発の用意をするのだった。そして、朝食用として作ってくれた。そのおにぎりとお茶とシーツを持って、東都市に向かったのだ。


第百四十三章

 村から出ると水の音が聞こえてきた。二人は、暫く歩くと川が現れて、紅葉の美しい景色を川が映し出す流を見ながら心が癒された。そして、鳥のさえずりを聴きながら会話を弾ませるのだ。そんな雰囲気だったのだが、美雪が空腹を知らせる音が響くのだった。それを聞いて、新は、遠くに視線を向けると村の標識が見えた。
「美雪さん。村があるらしいよ。寄り道してみる?」
 美雪は、恥ずかしいのだろう。真っ赤な顔をして無言で頷くのだった。そのまま無言で歩くのだ。もしかすると、空腹を我慢しているのだろうか、それとも恥ずかしいのか、いや、両方の感情かもしれなかった。すると、富峰(とみみね)村に入ると、鶏が飛び出してきた。それと、同時に、男が慌てた姿で現れて、二人にぶつかりそうだった。
「キャ」
「おっ!」
「あっすみません。大丈夫ですか?」
二人に謝罪して頭を上げると、・・・・・。、
「新殿?」
 男は、新の顔を見て驚くのだった。それは、徴兵隊に在籍していたことを証明したと同じことだった。だが、囁くような声だったので新は気づかなかった。それでも、女性特有の感覚とでも言うのか、囁きの言葉を聞き取っていたのだ。そして・・・・。
「新さんはね。今記憶喪失なの」
美雪は、男の耳元で囁き返すのだった。勿論、当然の反応である。いや、少々大げさに驚くのだった。
「えっ!」
「どうしました?」
「もう、何でもないわよね。ねえ、そうよね」
(新さんに知られると困るの。何も言わないで、だから、静かにして!)
 美雪は、口を押えながら、また、男の耳元で囁くのだった。
「はい。はい。そうです。そうですよ」
「そうですか、でも、鶏は逃げましたね。良かったのですか?」
「構いません。もう、どこに行ったのか分かりませんしね。それよりも、空腹ではないですか、良ければ、この村の発祥と言われている。美味しい料理がありますよ」
 男はかなり強引な誘い方だった。だが、それは、当然だったのだ。それは・・・・。
(新殿には、料理長の供養のためにも食べてもらわなければならないぞ)
「そんなに、腕を引っ張らないでくれ。まだ、行くと決めてはいない!」
「そうね。どんな料理なのかも分からないから行けないわね。それよりも、かなり強引ね」
「そうだよ。強引すぎるよ」
 美雪は、また、男の耳元で囁くのだった。
(何か理由があるの?)
(それを口で言えたら苦労しないよ)
 美雪に返事をするために手の力が抜けて、新は、自分の腕の自由を取り戻した。
(新さんが、記憶を無くしたことに理由があるのね)
(そうです)
(なら、仕方ないわね。お店に行ってあげるわ。美味しい料理が食べられるのでしょうね)
(それは、保証しよう)
(なら、決まりね)
「美雪さん。何を話しているのです?」
「それはね。女性には食べて行けない。具材ってあるのよ」
「そうなんだ」
「そうよ」
(新さんと一緒だと、嘘が上手くなりそう。心配だわ。わたし大丈夫かしら?)
「それで、美雪さんは、食べたみたいのですか?」
「そうね。一緒に食べましょう」
「いいよ」
「本当ですか!」
 何て説得するかと考えていたのが、簡単に済んだことで破顔するのだった。
「それにしても、この村には店はないのですか?」
 新は、辺りを見回した。だが、男の店も店舗らしい建物もなかったことに驚くのだった。
「それでは、自分の後に・・・・」
 男は、慌ただしく歩き出した。その後を二人は付いて行った。すると、街道の両脇に伝書鳩の生業の小屋の建物の後ろに入り。、四軒くらい後ろの建物に男が入るのを見た。看板も暖簾もなかったが、表札らしき小さい物に目が行った。
「料理長の味を継ぐ二番目の者」
と、書かれていたのを新が声を出して読んだ。
「暖簾分けされた。二番目って意味かな?」
「そうかもしれない」
 二人が、悩んでいると、中から・・・。
「どうぞ中にお入りください」
「入ろうか」
「そうね」
「いらっしゃいませ」
 まるで中の様子は、高級な寿司屋のような調理場から直ぐに出来た物を置ける長い食卓だった。それも、新しくて作られてから三日も過ぎていない。そう感じる位で六脚しかなく、二人は真ん中の席に座った。そして、何が出てくるのかと、男の様子を見ていた。すると、五分も過ぎた位で、丼が出された・
「これは、なんですか?」
「豚の角煮丼です」
「おいしそうね」
「それでは、食べようか!」
 新が言うと、二人は食べだした。
 新は、美味い、美味いと言いながら食べるのだが、涙が出てくるのに驚くのだった。
「確かに、美味しいけど、なぜ、涙が流れるのだろう」
 男も何度も頷きながら同じ様に涙を流していた。
「どうしました」
 美雪が、二人に不思議そうに問いかけたのだ。
「いや、料理長が作った物は、この男性のように泣くのです。ですが、自分には出来なくて、店を閉店するかと悩んでいたのです。それが、この人が泣いてくれたことで、正しい味の継承ができたと、喜んでいるのですよ」
「そうだったのね。本当に美味しいわよ」
「それで、もし良ければ、料理長の墓に報告したいので、一緒に来てくれませんか?」
「えっ」
 新は、自分が行くことの意味が分からず驚くのだった。
「わたしは、構わないわよ。新さんも行きましょうよ」
「でも、遺骨はないのですが、育った所ですから思いだけは戻って来ているはずです」
「もしかして、戦などで亡くなったのですか?」
「そうです。遺骨は西都市にあるので、この村にお参りしなくても、西都市だけでも訪れてくれると、料理長も喜びます」
「良いわよ。両方とも行きましょう。ねえ、新さん」
「知らない人のお参りって変でないかな?」
「いえ。特に女性が好きな人でしたので、訪れてくれるだけで喜ぶでしょう」
 男は、新に訪れて欲しくて嘘をついた。そして、美雪に片目を瞑ることで合図を送った。それは、新を連れて行ってくれることの感謝だった。
「まあ、そうなの。なら、行かなくてはね。新さんも一緒に来てよ。幽霊になって出てこられたら困るわ」
 美雪は、承諾したと、同じように片目を瞑るのだった。
「いいよ」
「本当ですか、それなら、案内します」
「お店は、いいのですか?」
「はい。味の確認中でしたが、これで、本格的に商売をしようと思います」
「本当に、美味しかったから儲かると思うわ」
「ありがとう」
 男は、何度も頭を下げて感謝を示した。新の涙が収まると、男は、料理長の墓に案内した。その行先は、村の街道に出てから何十分か歩くと、村の境があり。と言っても、何かの目印や線が引いているのではない。この墓地が村の外れであり。周辺が西都市と東都市と村の境とされているだけで、森や荒れ地などがある普通の街道だった。
「この墓地です」
 小さな丘の斜面には段々畑のようなの墓の列が作られていた。それを指で示すのだが、まるで、料理長の家でも向うように喜んでいるのだ。その様子を見て、二人は・・・。
「墓参りに行くのですよね」
「そうですが?」
「何だか嬉しそうだから本人の家にでも行くように感じました」
「料理長の知人や友人の殆どが訪れてくれました。ですが、あと、一人だけ・・」
「あと、一人だけですか、それなのに、僕たちを案内するために店を閉めてもいいのですか、その一人が訪れるかもしれませんよ」
「あっああ、新さん。その・・・あのね。新さん」
「その何て言っていいのでしょう。その方は、おそらく、訪れません。ですから、料理が美味しい。そう言ってくれる人を連れに行けば喜んでくれますよ」
「ですが、その・・あの・・・男の方って墓石の前で、その・・・特に戦場を共にした人って思い出を語りながら酒を飲むのですよね。」
 男は、美雪が何て言いたいのか、その気持ちが分かったのだろう。また、片目を瞑って合図を送るのだった。
「まあ、そう言う人は多いですが、誰でも、料理が美味しかった。そう言って線香でもあげてくれるだけでも嬉しいはずですよ」
「そうなんですか」
「それなら、美雪さん。料理長に、真剣に美味しい料理が食べられたってお礼をしようか!」
「そうね」
 二人は、丘の斜面の手前まで来た。遠くから見たこともあるが、登り口は丘の反対と思ったのだろうが、男は、門も鳥居も階段もない斜面を登るのだ。たしかに、普通の村で有名な寺も神社も領主などの墓もないのだから厳かなお墓らしい所とは考えていなかったはず。だが、階段くらい有ってもいいだろう。そんな思いをしながら転ばぬように登るのだった。すると、丘の中腹を登った辺りで段々の横に向きを変えた。男は、墓が並ぶ中間辺りで立ち止まり手を振るのだった。二人は、墓の前に着くと、辺りを見回すのだ。そして、周りの墓よりも、いや、この丘の全てを見回して比べても一番の豪華な墓だと感じて、生前は、本当に凄い人だった。そう思っているのが分かるほどの真剣な拝みようだった。
「ありがとう。本当に、ありがとう。料理長も喜んでいるはずです」
「いいえ。それでは、また、村に帰る時でも寄りましょう。ねえ、新さん」
「そうだね。また、食べよう」
「ありがとう。それで、東都市に行くのですよね」
「はい」
「それなら、この街道を真っ直ぐに行って、十字路が見えますから真っ直ぐに行くと、西都市、左が東都市の方向ですよ。右に進んだら、この村に戻ってしまいますから間違えないでくださいよ」
「ありがとう」
「料理長さん。ごちそう様。また、食べにきますね」
 美雪が別れの言葉と感謝の気持ちを言った。すると、まるで、料理長が返事を返すような感じの優しい風が吹いた。勿論と言うべきだろうか、料理長の返事ではなく、新と美雪が結ばれるための何個目かの修正が終わった。その枯葉が砕ける知らせだった。だが、何をして修正なのかと、疑問に思うだろう。それは、この男が、料理長の味を引き継いだ者たちに、新が記憶を無くしたことを知らせるだけでなく、正しい味を継承しているか、それを確かめることと、何か、新が困った場合は助けて欲しい。と皆に知らせるのだった。


第百四十四章

 一人の男が走り続けていた。まるで、親の死に目に間に合ってくれ、と、そんな急ぎ方だった。だが、駆け込んだ場所は鳩小屋だったのだ。そして、何を考えているのか、鳩の足に手紙見たいのを括り付けては外に逃がすのだ。もしかすると、葬儀の通知でも知らせているのか、それとも、少々興奮しているので、敵の襲来の知らせなのか・・・・。
「あっ!」
「えっ、あっ鳩だね」
 美雪の驚きの声を聞いて、新は上空を見上げた。この鳩は、先ほど別れた角煮丼の店主が放ったのだった。
「どこまで飛んで行くのだろう。ねえ、美雪さん」
「危険な知らせかもしれないわ」
「なんで?」
「わたしたち、村人意外の人に悟られない様に、鳥とか動物の鳴き声を真似て会話するのね。でも、遠くの村とか口笛で届かない所には鳩を飛ばすのよ」
「と、言うことは、何か危険な知らせ?」
「でも、このような沢山の鳩なら余程の大事な緊急の用事なのかもしれないわ」
「それなら、急いだ方がいいかもね」
「むむっだけど、これから、東都市に行くのだし。そこで噂を聞いても遅くはないわ」
 二人は、心の思いの不安を話し合いながら歩いていた。そして、話題が何ども変わり。体も疲れを感じる頃にある物と言うんべきか者というべきか、馬車を街道の路肩に止めて、一人の男が煙草を吸いながら虚空を見ていた。
「・・・・・・」
 美雪と新が、男とは関わりにならないように通り過ぎようとすると・・・・。
「お前たちは、どこに行くのだ」
「どうして?」
「この道は東都市に行く道だが、俺は都市に戻る。荷台でいいのなら乗せてやるぞ」
「えっ」
「乗せてもらおうか、ねえ、美雪さん!」
「う〜ん」
(男一人だし、堅物そうだから安心からしらね)
 美雪は、男を値踏みする感じで見るのだった。そして、悩み、結論を出した。
「ありがとう。お言葉に甘えるわ」
 二人は、荷台に乗った。
「馬車を出すぞ。捕まっていろよ!」
 男は、簡潔に、怒鳴る声だったので、凄い速度でも走り出すと思って荷台に捕まるのだが、歩く速度と変わらない。ゆっくりと走り出すのだった。
「ん?新さん。寝たのかな?」
「起きているよ。夕日を見ていた。綺麗だね」
「うん。それを教えるつもりだったの」
「そうか!」
 二人は、夕日の話題を上げていたが、だんだんと声は小さくなり口数も減ってきた。しばらくすると、無言になり。もしかすると、寝てしまったのかもしれない。それには、御者台で馬を操る男も気がついているはずだが無言だった。そして、寝息を聞くと、安心したのか、それとも、思わず。内心の気持ちが出たのだろう。
「新殿。幸せそうですね。でも、自分のことも徴兵隊の皆も憶えていないのですね。この程度の借りしか返せないけど、東都市まで安心して寝てください。着いたら起こしますよ」
「・・・・・」
 二人は、男の言葉など聞こえないほどまで熟睡していた。それを確認するつもりだったのか、男が、また、ボソリと呟いた。
「でも、鳩が飛んで来たときは、本当に何事かと驚いだぞ。俺は、何とか手を貸すことができたが、他の者たちは、どうやって手を貸すのか、それを考えるだけで、良い酒のつまみになりそうだ。ふっふふふ」
 この言葉を最後に、東都市が見える所まで無言だった。だが、男は言葉にしなくても他の友の様子を見て楽しんでいるはず。だから、苦痛ではなかった。それを証明するかのように表情がコロコロと凄く動くのだった。そして、馬車は何事もなく都市に着くのだった。
「・・・・」
 美雪と新は寝ていて気が付いてないのだが、馬車の持ち主である御者の者は、検問所の者と言い争いをしていた。この騒ぎが大きくなると・・・。
「ん?」
「・・・」
「どうしました?」
 美雪と新は、騒ぎの声で起きた。すると、検問所の男たちは言葉を掛けてきた。
「大丈夫でしたか?」
「そうですぞ。この男は、あなたたちを騙して売るつもりだったはずです。そうだ。と承諾してくれたら直ぐに牢屋に入れられます」
「そんな人ではないです。この人に失礼です。謝罪してください」
「この騒ぎは何だ。何があったのだ!」
 竜二郎は、不機嫌そうな顔をして現れたが、新と美雪に悟られないように、馬車の御者と部下には、片目を瞑って合図を送るような仕草をするのだった。この様子の理由は、鳩が東都市にもたどり着いていたのだ。そして、自分たちも何かのお礼と言うか、結婚を祝福したかったのだ。
「そうよ。本当にいい人だから可哀想よ」
「それは、すまなかった。それでは、謝罪をしたい。丁度、これから部下の結婚式をする所だったのだ。それに、参加してくれないだろうか、祝福など考えなどしなくていい、自分が主役のように飲んで、食べて、楽しんでくれるといい。勿論、三人の泊まる宿も用意するから安心して楽しんでくれて構わないぞ」
「えっ」
 この提案に、部下たちは驚くのだった。元々の予定では、新と美雪に、因縁をつけて謝罪のために酒盛りする。その様な作戦があったのだ。
「それでは、女性は特に疲れているだろう。先に宿に案内させよう。まあ、一階が宴会場だから好きな時間にでも来てくれ。俺たちは、明日の朝まで騒ぐつもりだからな」
「新さん。どうしよう」
「そうだね」
 二人が、即答しないので、御者の男が、オロオロと困るのだった。特に、竜二郎からは、何とかしろと、鋭い視線を向けられては、困るのを通り過ぎて泣きたくなったようだ。
「なあなあ、俺は、久しぶりに酒を浴びるほど飲みたいのだが、駄目だろうか?」
「そうね。結婚式を断るのも失礼ね。ねえ、新さん。行きましょう」
「そうだね。いいよ」
 美雪と新の承諾を聞くと、竜二郎が満面の笑を浮かべた。
「何か、無理を言っているようで済まない。それでは、オイ、お前!。三人を直ぐに案内して寛いでもらえ」
 一人の部下に案内を頼んだ。まるで、二人の気持ちが変わるのを恐れているように慌ただしく指示をするのだった。
「はい。承知しました」
 馬車の御者を邪魔だと態度を表すように部下が手綱を握るのだった。その馬車が走り出すと、新と美雪が聞いたら怒りだすのではないかと思う言葉を吐くのだ。
「後は、適当な部下を結婚させるか、誰にするか!」
 この場の部下に適当に選ぼうとしていたので、そんな適当なことをされては堪らないと、皆が、一人の男に指さすのだった。
「こいつ、告白したいとか悩んでいました。なあなあ、そうだよな」
「・・・・」
 指さされた男は、驚きの余りに何も言えなかった。
「うんうん。俺も聞いた!」
 この場の男たちが、何ども頷くのだった。
「それは、丁度いい。俺が、告白の手伝いをしてやるよ」
 竜二郎が、男の肩を叩きながら歩きだした。その間に、誰なのか聞いては、まるで、遊びのように楽しんでいるようだった。今直ぐに、告白しろ。隊長命令だと、言われてしぶしぶと思い人の所に行くことなる。すると、隊の中では有名なことなのだろう。新と美雪を案内した。その男が、宿に案内したと報告に来たのだ。
「そうか、そうか、後は、お前の結婚だけだ。直ぐにでも告白してこい」
 人事だと思っているのか、煙草に火を付けろ。そんな軽い感じで部下に言うのだった。
「はい。行ってきます」
 すると、直ぐに男が戻ってきたのだ。
「どうしたのだ?。頬が腫れているぞ」
「それが、結婚してくれ。今日、式場を用意してある。そう言うと殴られました」
「そうかもしれないな。それなら、俺も一緒に行こう」
「は・・・い」
 拒否が出来るはずもなく、このまま結婚したら一生、奥さんに尻に敷かれるのを覚悟するしかなかった。だが、思い人と結婚できる嬉しさもあるので複雑な表情をしていた。それでも、確実に結婚できると考えているのは、この当時では、親や上官の一言で結婚が決まるのが当然だったからだ。当然と言うべきか、結婚は決まった。だが、竜二郎は、済まない気持ちからだろう。
「奥方と呼ばせて頂く。これは、軟弱で告白ができない。そう聞いて手を貸したのだ。だが、気持ちが収まらないだろう。その気持ちとして俺の名前で好きな花嫁衣裳から指輪など気持ちが収まるだけ買い物をしてくれ。それで、許して欲しい。勿論、連れ合いには、今から三ヶ月の休みを許す。好きな都市でも旅行すると良いだろう。その費用も、自分が持とう。それで、今日の結婚式を考えたことを許して欲しいのだ」 
 部下の男は恐縮して何ども頭を下げるが、奥方になる者は直ぐには頷いてくれなかった。だが、竜二郎が、これでもか、これでもか、と、まるで、景品でも付けるように言うことばで、やっと、承諾してくれたのだ。だが、同時に、直ぐに衣装などの買い物に行くと言うのだった。
「構わないぞ。だが、二時間後の式に間に合うように帰ってくれよ」
 奥さんが少々憤慨をしていたので、部下に会場の場所を教えた。その後、新と美雪が居る建物に向かうのだった。そして、その建物に着くと、中が騒がしかった。確かに、普通なら夕食などを食べに来る時間も時間だったのだから当然の騒ぎようのはず。だが、中に入ると、自分の部下の半数がいたのだ。その部下は交代勤務の休みの者たちのはずだ。
「ほうほう、もう来ていたか!」
 竜二郎は、驚くが、普通なら違う方で驚くはず。数時間前で、稼ぎ時の貸し切りは普通なら断るはず。だが、この店は、東都市が、兵員のために作られた施設だった。勿論、一般の者も来るが、部隊が使う時は一般の人が苦情を言わない。それは、暗黙の了解だったのだ。
「それで、新殿たちは?」
「一緒に来た。あの男は、奥で飲んでいます。新殿と美雪殿は、二階で休んでいますよ」
「そうか、済まない。本当に、休みだと言うのに済まない」
「頭を上げてくださいよ。新殿のことなら誰でも祝福したい。皆が思っていることです。それだけのことをしてくれた人なのです」
「そうだな。では、俺も頂こう」
 名目的に酒宴の主役が二時間丁度に現れた。そして、形だけでなく本格的に結婚式を始めた。直ぐに新と美雪を呼ばなかったのは、名目的な主役でも礼儀を尽くす気持ちと、強制的な結婚式の愚痴を新に伝わるのが恐れからだ。それでも、もし愚痴を言ったとしても酒に酔っての言葉なら誤魔化せる。それを考えたからだ。
「そろそろ、良い頃合いだろう」
「承知しました」
 部下の一人が二階に上がった。そして、新と美幸の部屋の扉を叩いた。だが、直ぐに返事がなく、再度、扉を叩こうとしたら返事が聞こえた。それでも、声色から判断すると、今起きたと思える返事だったが、意味が聞き取れなく再度、問うと、直ぐに行くと言われて、新の言葉を竜二郎に伝えに行くのだ。竜二郎は、分かったと言って部下に席を座ることを指示した。すると、数分後に、新が二階から降りてきた。
「うぁ!」
「どうしたと言うの?何があったの?」
 まるで、新と美幸が結婚式の主役であり。その衣装替えでもしてきたかのような騒ぎようで驚くのだった。直ぐに、主役と勘違いされたのかと、後ろを振り向き、だが、誰もいない。そして、主役がいるはずの最上の段の二席に視線を向けた。少々不満そうな表情を浮かべたからでないが、二人を祝福したいからだろう。最上の段に向かった。その途中で、竜二郎から席を進められたが、頭を一度下げるだけで断るのだった。
「素敵な結婚式ですね。末永くお幸せに!」
「素晴らしい結婚式ですね。わたしの理想です。幸せになってね」
 美幸と新は、二人に拍手するのだった。挨拶が終わるか、終わらない間に、竜二郎が二人の肩をつかむのだった。


第百四十五章

 美雪と新は、竜二郎の勧めで席に座るが、豪華な結婚式があるものだと感心するのだ。特に、祝福する宴会には付き物の鯛が一人に一匹も用意されているだけでなく、お膳に載り切らない程の品数の豪華だと言うのに、新たなお膳が次々と箸をつける暇がない程の料理が運ばれてくる。だが、変に感じたことがある。それは、まるで、自分たちが主役のような騒ぎ様で、皆が笑顔を浮かべながら人が入れ替わり立ち代わりにお酌が来るのだったのだ。これほどまでのお酌を飲めば、どんな酒豪でも酔い潰れるのは当然だった。
「大丈夫か!!」
 新が倒れた。すると、皆が集まり容態を確かめた。そして、酔っただけだと安心するのだ。直ぐに、竜二郎が部屋に運ぶように指示を下して、美幸も一緒に行こうとするが、竜二郎に引き留められた。
「美幸さん。いや、奥さんと言うべきなのかな、新を頼みます」
 竜二郎が、号泣するのだった。
「はい。そのつもりで、今から部屋に行きますよ」
「そう言う意味でないのです。これからの人生のことなのです」
 部下が、竜二郎が嗚咽を漏らしているので、付け足したが、落ち着いたのだろう。また・・・。
「そうです。我々は、新殿に命を救われて、何かを返したいのですが、俺たちの記憶がない。それで、少しでも気持ちを返そうとして、この酒宴を開いたのです。あんな、新殿の楽しそうな表情は見たことがないです。それほどまで、美雪さんが好きなのでしょう」
「わたしも、新さんが怪我もなく、無事に帰ってきたことが嬉しいですし、皆さんとお会いできて嬉しいです。新さんを助けてくれて、本当にありがとう」
 美雪が涙を浮かべながら皆に感謝を示すのだった。
「何かあった時は、何でも言ってくれ。新殿の奥方の頼みなら何でも手を貸そう」
「ありがとう。それでは、新さんの所に行きます」
「そうだな。俺たちの介抱よりも奥方の方が良いだろう」
 美雪は、皆に感謝の気持ちを込めた。そんな、挨拶をすると、二階に上がっていた。
「新さん。大丈夫ですか?」
 もし寝ていたら起こさない様に小声で部屋に入るのだった。もしかして寝顔が見たいのかもしれない。すると、寝息の声が聞こえると、まるで、忍者の真似事の様に無音に近い歩き方で枕元まで行くのだ。そして、嬉しそうに寝顔を見た。
「新さんって、本当に凄いことをしたのね。あの強面の男の人たちが、わたしに土下座して泣いて頼むのよ。その・・・その、新さんと、これからの、生涯のことよ」
 美雪は、新に話を掛けるが、聞こえていると思っているからなのか、恥ずかしそうに言葉を詰まらせるのだ。だが、新は酒酔いからの苦痛を表しているが、美雪の話など分かる状態ではない。それを証明するかのように、苦痛などから百面相の様なコロコロ変わる表情をするのだ。その表情を見て、美雪は、今までの人生経験の喜び、苦痛、悲しみが表情で全てが判断できる。そう思うのだろう。そして、表情が苦痛や恐怖を感じれば冷や汗を拭うだけでなく、癒そうとして頬と頬をスリスリと頬ずりしてまで、穏やかな表情に戻そうとするのだ。そんな時に、美雪は、驚きと同時に喜びの声を上げてしまった。
「もう、新さん」
 新が、誰かに助けを求めようとしている。そんな夢を見ているのか、それとも、頬ずりが嫌だったのだろうか、美雪の手を握るのだった。
「新さん?。起きたの?」
「うっうう」
 偶然だと思うが、新は、うめき声で返事を返すのだ。だが、誰でも良くて助けを求めているのか、美雪の手だと感じて握った手は離さなかったのか、それは、分からないが、美雪は、嬉しそうに両手で握り返した。すると、新は、安心したのだろうか、落ち着いた寝息になり、美雪は、片手だけ離して、新の頭を撫でると、深い眠りついたのだ。それでも、時々、苦しい寝息になる度に頭を撫でると落ち着くので、楽しくなり側から離れられなくなった。それでも、美雪も疲れていたのだろうか、知らない間に一緒に寝ていたのだ。
「美雪さん。美雪さん。美雪さん」
 新は、寝苦しく起きた。すると、美雪が手を繋いだまま寝ているのを見て、初めは、小声で段々と大きく呼びかけるが、起きる様子がないので、今度は、新が寝顔を見続けていると、子供が猫の寝顔を見ていると、眠気を誘われて寝る様に、新も一緒に寝てしまった。
「トントン」
「キャ!」
 扉の叩く音が聞こえて、美雪が目を覚ますが、目の前に、新の顔が見えて驚くのだ。
「起きたね。おはよう」
 新は、嬉しそうに挨拶をした。
「キャ!」
 また、美雪は悲鳴を上げた。それは、手を握っているからだった。
「どうした?。何が遭った!」
 先ほど扉を叩いた男が、部屋の中らか悲鳴を聞こえたことで、何度も扉を叩き続けるので、扉を蹴り壊すのではないかと、そう思ったのだろう。それを止めようとしたのだ。
「何でもないわ。大丈夫よ!」
 美雪は、大声を上げた。
「そうですか、それは、良かったです。隊長が、別れの挨拶をしたいそうです」
「分かりました。直ぐに行きます」
「あっ」
「新さん。手を離して、動けないわ」
 おそらく、新も手を離したかったはずだ。だが、一晩中も手を握っていたことで、手が痺れて動かすことが出来なかったのだ。そして、血の巡りが良くなったのだろう。手を動かすことができた。
「先に行っていますね」
「は~い。直ぐに行きます~」
と、返事を返すが、それから、部屋から出るために、十個の欲求の行動することがあった。まず、一緒の部屋だと言うのに、美雪は、突然に恥ずかしさを感じて、新に見ないでと言うのだ。仕方なく、新は、後ろを振り向くが、それだけでは、信じられずに浴室に駆け込んだ。だが、湯船を見ると、入りたい欲求を感じて自制できずに入るのだ。すると、昨夜だけでなく、村から出てから入浴していないのを気が付いて、洗髪だけでも済ませようとしたのだが、心地よい湯の感触と、洗髪した時のさっぱりした感覚を味わってしまったら全てを洗い流したい。そのの欲求から抵抗などできるはずもなかったのだ。
「ねえ。美雪さん。そろそろ、行かないと、下で待っているはずだよ」
「直ぐに行けないわ。先に行っていて!。お願いよ!!」
「分かった。直ぐに来てね」
「はい」
と、返事は返すが、まだ、欲求の半分が終了しただけだった。風呂から上がると、当然のこと肌のお手入れから始まり、最後は念入りに化粧してから、やっと、部屋から出たと思ったのだが、慌てずにゆっくりと一階に降りるのだ。
「奥さん。済みませんでした。女性にとって朝一番は、一日で大変に忙しいと思ったのですが、二人に伝えたいことがあったのです」
「えっ・・・私にですか、そうだったのですか、本当に済みませんでした。それで、今からでも伝えたいことって大丈夫なのですか?」
 美雪は、のんびりと十の欲求をしたのは、皆も、新と思い出を作りたい。そう思ったこともあったのだが、それが、二人だと言われて驚いたのだ。
「大丈夫だぞ。見たこともなく、想像もできない。おいしい料理店を予約してきたのですぞ。東都市に来て、これだけは、食べなければ、人生の損失になるぞ」
「それは、何て言う料理なの?。あっ、ですの?」
「内緒だ。それと、新殿に、都市の観光とか、良い土産物や貴金属の店も教えておいたぞ。いろいろな所を案内してもらうと良い。だが、正午には、この店に来るのだぞ」
「でも、そんなに、いろいろな所に・・・行けるかな・・・」
「新殿。先ほど言ったのは憶えているだろう。それに、地図にも印をつけた。奥さんを案内するのだぞ」
 この場の者たちは、一人一人が地図を見せては、あった出来事を記憶しているか確かめたのだ。だが、表情もピクりともせずに、完全に記憶がないと分かり。皆は、がっかりするのだ。まるで、別人の様だと、だが、今の少年の様な姿や表情を見ると、自分たちも記憶を失くして、昔の様な無邪気な子供と妻との生活をしたい。そう思うのだった。だから、これ以上の記憶を探るのは止めようと思うのだった。
「それでは、行って来ると良いぞ。もし迷子になった時は、俺の名前を出せ。良いな!」
 竜二朗が、皆の気持ちの代弁をしたのだ。もし他の者が言ったのなら嗚咽を漏らすほど悲しみの言葉が出てくるはずだからだ。
「ありがとう。そうします」
 二人は、真っ先に、と言うか、新は美雪に、記念になるような貴金属を送りたかった。それと同時に、同じような物も一緒に身に付けて、常に一緒に触れ合っている感じを味わいたかったので貴金属の店に向かった。すると、美雪は、同じ考えだったのか、ネックレスと指輪を選んだのだ。そして、買い求めた後に、ネックレスを新の首に掛けた。その後に、指輪を新に渡して、美雪の指に嵌めてって求めるのだ。少し困っていると、左手の薬指にと言うと同時に、何でもいいのよ。常に触れ合う感じが欲しいと、言うのだった。それを聞いて、新は、心の中から同じ思いなのだと、そう思って嬉し涙がこぼれるのだった。それを隠す気持ちなのだろう。
「遊覧船に乗ろう」
 そう言うと、少々強引に船着き場に連れて行くのだ。それは、顔の表情を隠すのと涙を見せたくないためと、女性には言えない。男性の気持ちを悟られるのが嫌だったからだ。
「私・・・船って初めて・・楽しそうだけど、船って揺れるのでしょう・・・危険でない?」
「松が有名で見ごたえがあるらしいよ。それに、殆どが湾内だから大丈夫らしいね」
「そう、それなら、良いわね。それでは、乗りましょう!」
 美雪の手をきつく握って船に乗るが、新も初めてだったのだろう。怖かったのではないだろうが、手を離すことはしなかった。おそらく、握っていることを忘れるほど緊張していたはずだ。それだけでなく、竜二朗たちの遊覧船の小島や木の由来だった。それは、運命の男女の結ばれる理由と、ある物を見ると必ず幸せになる。そして、どんなことでも願いが叶う方法と、その意味の言葉だった。
「船って揺れるのね。でも、木の葉にでも乗っているみたいで楽しいわ」
「そう。なら、良かった」
 新は少し疲れた様な話し方だった。まあ、当然かもしれない。美雪のために、思いだし、思いだしなのだが、真剣に観光案内人の様なことをしていたからだ。それも、残り一つになる所だった。
「あれ、夫婦と子供みたいな岩ね」
「美雪さん。運がいいですよ。普通、天候の条件で見られないのが多いのですよ。あの夫婦と子供に似た岩を一緒に見られた人は、良縁に恵まれて、健康な男子が生まれる。そう伝わっていますよ」
「きゃ、まあ、まあ、子供ですか、わたしは、一姫二太郎がいいわね」
「そうだね」
 新は、恥ずかしそうに視線を逸らした。美雪が何か言いそうだったのだが、それには気が付かずに、船が岸壁に着こうしたので、美雪の手を掴み引き寄せた。
「きゃ」
 美雪は、恥ずかしさと同時に驚くが、自分が言いたいことが言えなかったからだろう。少々不機嫌な表情を浮かべたのだ。
「大丈夫?」
「う・・・ん」
「降りられる?」
「手を貸してくれると、安心する」
 新は、まるで、西洋の紳士の様な感じで船から降りるのだった。そして、美雪は、地面に両足が付くと、恥ずかしさを隠そうとしたのだろう。問いかけるのだった。
「次は、どこに行くの?」
「そろそろ、正午のはずだから竜二郎さんとの約束の場所に行こう」
「そうね」
 二人で街の中に戻ろうと歩いていると、死ぬ気で走り回っている人がいた。何やら、見たことのある顔だったので、その者に声を掛けようとして手を振るのだが、男は直ぐに気が付いて、真剣な表情と言うか、何かに恐れているかの様な感じで向かって来るのだ。
「何をしているのです。もう、時間が過ぎていますよ」
「えっ・・・そんな時間ですか?」
 新は、上空の太陽を見た。だが、丁度、昼頃だと思える太陽の位置だった。
「何を言っているのです。今が正午なら遅刻ですぞ。決められた時間より早く来るのが礼儀でしょう。皆が待っているのですよ。だから、急いでください」
 新の返事など聞かずに、新の手を握ると、美雪と新を引きずるように駆け出した。
「あっ、待って、待ってください。新さんも手を離して痛いわ」
「ごめん。美雪さん。少し辛抱して!」
 男の脳内では、いや、全ての体の感覚器官では、少しの時間でも早く着こうとする気持ちで、裏道、また、裏道と、考えられるだけの近道を思い出すことで、美雪と新の言葉など聞こえるはずがなかった。そろそろ、美雪の体が限界だと思う頃に走るのを止めた。
「おおっ連れてきたか、本当に済まなかったな。直ぐに食事が用意せれる。それまで、中でゆっくり休んで構わんぞ」
「承知しました」
 男は、激しい息づかいを整えられると安堵したようだった。その後を、竜二郎と美雪が建物に入った。だが、新は、辺りを見回していた。


第百四十六章

 新が、不審に思うのも当然だった。今入ろうとしている店は開店しているが、他の店は開店していないのだ。それで、なぜ、この店だけ営業しているのだろうと、考えていたのだ。確かに、不審は当然だろう。この店は、夜に働く女性たちの行儀見習いを兼ねた。特別の店で、夜には見せる姿と違って、昼の様子を見せる。と、言うか、どうしても店の外で会いたいと頼む男達からの避難する店でもあったのだ。そして、竜二郎が建物の中に入ると、男女の歓声が辺りに響いた。次に、美雪が入ると、男性だけだったのか、歓声が半減したと感じられた。と、同時に、女性が立ちはだかり、女性を追い出そうとしているのだ。それを、もう一人の男が・・・・・。
「私の連れです。済みません。女性は入れない店でしたか?」
 その男とは、新だった。
「そう言う意味でないわ。竜二郎さんの良い人だと感じたの」
 女性は、謝罪のためもあるが、自分の彼氏だと思われたことに恥ずかしかったのだろう。下だけを見ていたが、新の声が聞こえて、顔を上げて、新を見た。すると、破顔した。
「あっ無事だったのね。お帰りなさい。また、楽しんでね」
「えっ」
 新は驚きの声を上げた。
「綺麗な人ね。新さんの知り合いなの?」
「う~ん。知らない人のはずだよ」
 新は首を傾げた。
「まあ、まあ、何てことでしょう」
 女性は、怒りのために頬を目一杯に膨らませた。
「それ位で許してくれないか」
「竜さんが、そう言うのなら・・・・でもね・・・・」
 女性は、竜二郎の隣の席に座り、耳元で囁き始めた。
「後で、理由を話す」
 女性に対して、少々面倒くさそうに答えた。その後・・・・。
「新さん。美雪さん。どうぞ、席に座ってください」
 二人は、竜二郎に正面の席を勧められた。すると、女性は立ち上がった。
「ちょっと、来て」
 竜二郎の耳を引っ張って強制するのだ。
「分かった。分かった」
 隣室の調理場の扉を開けたが、女性は、中に入るまで我慢できなかったのだろう。扉に寄りかかりながら竜二郎に問いかけた。
「失礼でしょう。私だけでなく、同じく戦った仲間も無視しているのよ」
「それは、記憶がないからだ。俺たちとも、この店に来たのも初めてだと思っているのだ」
「それでは、なぜ、あった出来事を教えないの?」
「戦を経験した者は、記憶喪失になれるなら金を払ってもいい。そう正規兵も傭兵も願っているからだ」
「なぜなの?」
「戦で様々な経験をする。それは、生き残るためには良いことなのだが、退役した時に、些細な音などでも体が勝手に反応してしまうのだ。これでは、普通の生活はできない。それでも、我慢するのだが、結局、耐えられずに、傭兵になって戦地に戻るのだ。だから、記憶がない。それは、喜ぶことなのだぞ」
「そう、分かったわ。ごめんなさい」
「ああっ気にするな」
「うん。カレーの用意をするわ。席に座って待っていて」
「ああっそうするよ」
 先ほどの席に戻った。すると、美雪と新が、視線を向けてきた。おそらく、迷惑なら出る。そう意味のはず。それで、首を横に振って気にするな。そう伝えたのだ。そして、暫く待っていると、数人の女性がカレーを運んできた。全ての人数分が並べ終ると、数人の女性たちも席に着くのだ。その中の一人が、先ほどの竜二郎との会話の内容が知らなかったのだろう。やっと収まった雰囲気だったのだが・・・・。
「久しぶりね。無事で本当に良かったですわ」
「えっ」
「新さんって、女性の友達が多いのね」
「えっ」
「もう、嘘なのですよ。お客さんには、同じことを言うのよ」
「嘘って・・・・」
「私もあったわよ。あの時、未成年の可愛い子がいたでしょう。どうしたの?」
「そうよね。美味しい。美味しいってお代わりしてくれたわよ」
「いい加減にしなさい。ちょっと、隣の部屋にきなさい!」
「ええええ」
 この場の女性が不満をぶちまけた。
「ごめんなさいね。少し席を外すわね。直ぐにきますから・・・・」
 ここの女主人だろう。この場の雰囲気を感じ取って、女性たちを隣室に呼んだ。おそらく、戦のことと、特に新に関係あることは話題にするな。そう言うはずだ。残された者たちは、美味しく料理を食べるのだが、特に美雪は、話題の人が村長の息子だと分かり・・・・。
「どうしたのだろう。涙が出るわ。香辛料がきついのかな?」
「そうだね。美味しいね。でも、美雪さん。僕も涙を流しているよ。何故だろう?」
「そうね。なんで涙が出るのだろうね」
 新は、首を傾げながら涙を流すのだ。
「・・・・・」
 皆も二人の涙にもらい泣きするのだった。
「皆も泣いているね」
「そうね」
 美雪が、即答で相づちを打つが、何て答えていいのかと、迷っていたのだ。それを、助けようとしたのだろう。竜二郎が・・・・。
「カレーを一緒に食べたことがある。亡き戦友を思い出しているのだろう。だが、亡くなった者の名前を言うと、その者と一緒に天国に連れられるから、涙を流すだけでも、その者も喜ぶのだ。だから、新さんの知らない者でも良い供養になるのだぞ」
「そうなのですか、それでは、涙を拭きません」
「すまない。感謝する」
 先ほどとは違った雰囲気だが、それでも、話題が変わって落ち着いたからだろう。女性たちが戻ってきたのだ。
「お代わりは、ありますよ」
「うん。頂こう」
 皆は食べ終えていた。勿論と言うべきか、皆がお代わりを求めた。
「分かりました。少々お待ちくださいね」
 本当に直ぐにお代わりが配られた。そして、先ほどの話題には触れずに、適当な話題を上げては、皆の気持ちを落ち着かせた。そんな様子が二時間も過ぎただろうか、新と美幸が旅立つと、本当に済まなそうな様子で、皆に伝えるのだ。竜二郎は、この食事会の締めのつもりで・・。
「この時間の頃に出発するなら街道の途中で夜になるだろう。我が東都市と西都市の中間に中継所がある。そこで、俺の名前を言えば一晩くらいは泊めてもらえるはずだ」
「ありがとうございます。その気持ち喜んで受けさせて頂きます」
「気を付けて行って来い。村に帰る時でも、また、来いよ」
「勿論、来ますよ。ねえ、美雪さん!」
「そうですね。また、美味しい料理を食べさせて下さいね」
「勿論、そのつもりだ!」
 美雪と新は、皆に何度も頭を下げて別れの挨拶を返すのだ。男たちは記憶がなくても戦友とは心の中にある。そう感じているはず。その思いが、新の幸せと旅の無事を心底から心配している様子を表していた。だが、女性たちは、今回のことも忘れる。そう思っているのだろう。形だけの別れの挨拶を送るのだった。一人、竜二郎だけが建物から二人が見えなくなるまで見送るのだった。
「旅には気をつけろよ!」
 美雪と新は、西都市に向かう街道を間違えないようにと探す方に集中していて、竜二郎の言葉は聞こえていなかった。そんな様子の二人を見ても、気分を壊すことなく見続けていたが、西都市に向かう街道の方向に曲がるのを見ると、安心したのだろう。部下と女性たちがいる建物の中に消えるのだった。
「今度は、西都市に行くのね。龍が見られるのでしょう」
 美雪は、カレーを食べていると時の話題のことを言っていた。
「うん。そうみたいだね。龍を見られるといいね」
「でも、少し怖いわ。だって、北東都市の兵に雷の嵐を降らせたのでしょう」
「そうらしいね。もし今も降ってきたら怖いね」
これからの行先などのたわいない話題を話しながら都市の城門を抜けようとしていた。すると、突然の突風が吹いたのだ。当然の条件反射だろう。美雪は、風から逃げようとして、ある店に視線が向いた。すると、立て看板が目に入った。それは、戦で亡くなった人達の手紙や荷物を送ってあげよう募金に協力して下さい。と書いてある張り紙に気付いた。
「ねえ。新さん。ちょっと、お母さんに手紙を送りたいの。少し時間いいかな?」
「いいよ。この門の前で待ち合わせ場所ね。僕もちょっと用事がある」
「いいわよ」
 二人は、歩き出した。そして、美雪が店に入ろうとしたのだが、新が一緒に中に入るのかと思って問いかけて見た。
「一緒に来るの?」
「そうしようと思ったけど、違う店にするよ」
 新は、三軒隣りの店を指差した。
「そう、なら、後でね」
「うん。門の前でね」
 美雪は、安心して店に入る。すると、接客業をする者とは思えない無愛想な態度で要件を言われるのだ。もしかすると、若い女性だったために儲けにならない。そんな態度だったが、美雪は、初めて利用する店だったので何も感じなかった。それでも、何て言っていいのかと悩んでいたのだ。すると、商売の邪魔だと感じたのか・・・・。
「何の御用でしょうか?」
 美雪は、何て答えて良いか困り、外の看板を指差した。
「外の募金のことなのです。全てを送ってあげたいのです?」
 店主は、驚きと同時に一瞬だが笑みを浮かべたのだ。だが・・・・。
「軍か都市の使いの人ですかな?」
「そうではないのです。わたしの連れ合いの仲間のはずなのです」
「そうでしたか、この都市の方ですか?」
「いいえ」
「そうですか、もし良ければ、詳しく話を聞かせて頂けませんかな?」
「はい」
 美雪は、分かる全てを伝えた。
「ああっ西都市の方ですか、それも、新殿の奥方様でしたか!」
「知っているのですか?」
「知っていますよ。あの西都市と北東都市の戦いでは、新殿と言えば有名ですからね」
「そんなに、新さんが・・・・危険なことを・・・」
 美雪が泣き出しそうだったので、店主は、話題を元に戻して落ち着かせようとした。
「奥さん。それで、費用でしたら金貨で十枚は必要になります。ですが、新殿の奥方様でしたら、登殿に、この募金の状況を伝えれば、西都市で払ってくれるかもしれませんよ」
「あっでもいいです。金貨十枚なら払います」
「そうですか、それでは、募金箱の入れてください。それと、領収書と手紙を渡しますから手紙は、西都市の登殿に渡してください」
「あっそれは、困ります。お会いできません」
「そう言われても、西都市の方と配達が重なると困りますので必要な手紙なのです」
「手紙を渡すだけで、それで、いいのですね」
「はい」
 店主は、全てを伝えなかった。確かに、西都市でも遺族から手紙は来るはずなのだ。勿論、この店から配達した物は戻る場合が多い。それに、西都市に送って返事が来ないと、発送元のために、この店に戻って来る。そのために、西都市と連絡を取りたかったのだ。それで、手紙を渡せば、こちらの状況を伝えるだけでなく、金貨十枚も払わせるのは気が引けるために、女性に戻るように伝えたい。そのために手紙を託したいのだ。
「直ぐにできますか?」
「直ぐにできますよ。それでは、少々お待ちください」
 新が戻ってくるのではないかと、店の中から外を見ていた。新は、その頃、三軒隣りの店にいた。胡椒と塩と砂金を貨幣に交換しようとしたのだ。だが、一か所の店ではできないと走り回っていたことで、まだ、門の前には立って居なかったのだ。それでも、門ではなく、自分の用事が終わった。そう言って店に来るのではないかと、いらいらしていたのだ。だが、新の命の結晶とも言えるお金を無駄遣いしていると感じて、誤魔化すためのいらいらではなかった。ただ、戦の経験を隠したかったのだ。
「お待たせしました。領収書と手紙の用意ができました」
「はい。これを登さんに渡せばいいのね」
「はい。またのお越しをお待ちしています」
 店主の慇懃無礼な挨拶を最後まで聞かずに、美雪は、店の扉を勢いよく開けると、新が待っている門の所に駆け出した。すると、突風が、都市から外に吹かれた。美雪の行動で修正が終わったのだ。急いで、次の修正の場所に赴け。そう言っているようだった。


第百四十七章

 西都市の主は、何時もの様に書物を読んでいるが、ここ何日は、読書に集中で出来ないようだった。それは、家宝でもある。書物に興味が向くようだったのだ。今も、また、少し読むと、家宝の書物に視線と手を向けてしまうのだ。その理由は、建物の外に興味があったためだ。今では、都市の象徴とも言える。塀に描かれた龍の絵と上空の龍に理由があったのだ。それは、龍の絵だ。時の不具合の結晶である水分が蒸発するかのように干からびてきたのだ。それを計るように、竜玉の月の満ち欠けの様な動きと同時に、絵がぱらぱらと剥げ落ちそうだけでなく、今では陽炎の様な不安定な龍の姿を防ぐ対策が書かれているのかと、思うためだった。
「今日は、特に騒がしいな!。まさか、龍が消えたのではないだろうな?」
「龍は消えてはいません。ですが、何時、消えてもおかしくない状態だと、その噂が広がり、西都市に訪れる観光客が増えているのです」
「そうなのか?」
「はい」
「なあ。小津よ」
「何でしょう?」
「書物の続きを読んだ方が良いだろか?」
「それは、龍が消えるのを防ぐ方法が書いてあるかもしれない。それを確かめたい。そう言うことですね」
「そうだ」
「書物を読むのは良いでしょう。ですが、奇跡を何度も起こそうと願うのは、人が誕生した時から誰もが思い続けている人の夢です」
「そうだな。何度も夢が見られるはずがないか!」
「夢だから何度も神に祈るのです。奇跡を起こしてくださいと・・・・ですが、主様が常に楽しみながら読まれている物語は、もしかしたら事実かも、いや、預言書なのか、そう思って読んではいないでしょう。それと同じ思いで読むのでしたら何も問題はない。そう思います。それに、自分も物語は好きですが、読む前から結末が分かると、読む気持ちが消えてしまいます」
「それは、同じだ。だが、命に係わることだ」
「それは、そうですね。ですが、今回の奇跡を体験した者だけでなく、奇跡の証拠である龍を見ている者達が噂を流すでしょう。それで、誰も西都市を攻めようなど考える者はいないはず。もしあるとしても、我々が死んだ後に、主様が読んでいる書物の様に空想だと思われて、本当は事実なのに忘れられた頃に起きると思います」
 小津は、内心の正直な気持ちを言わなかった。今回の戦で何人の命が消えた事と預言書を読んでも助けられなかった命があったことをだ。そして、まだ、主も小津も誰も知らないことなのだが、もしかしたら、書物に書いてあるかもしれない。それは、龍のことは忘れられた未来で、この地方では女神信仰の発祥地として広まるのだ。
「そうだな。手元にある全ての書物を読んでからにしよう。それと、小津!」
「何でしょう」
「紅茶が冷めた。入れ直してくれないか」
「承知しました。少々お待ち下さい」
 小津が室内から退席すると、主は、黙々と読み続けた。そして、小津が、新しく紅茶を入れ直して戻って来ると、丁度、読み終わるのだ。珍しく、次の書物を読まずに紅茶を味わっていると、小津は、登から今回の報告書と書物を渡されるのだ。
「これは、何だ?」
「登殿から渡された物です。女神が降臨したのは知っていると思いますが、その地に信奉者が募金を集めと、女神降臨の関係などを書き留めた書物です」
「それは、面白そうだな。直ぐにでも読んでみよう」
 小津は、主に手渡した。すると、直ぐに主は読み始めた。この様な状態になると、自分は邪魔になる。そう感じたのだろう。部屋から退室するのだった。
「ほうほう、絶世の美女なのか」
 西都市の主が想像している者は美雪のことなのだが、主は知らないし、美雪も本の内容を知ったら赤面して驚くはずだ。その本人は何をしているのかと言うと、新と共に西都市に向かいながら別の意味で興奮を表していたのだ。
「本当に、この街道は凄いわね。夕方なのに明るいわよ」
「そうだね。立て看板に書いてあったけど、かがり火と言うらしいよ。もし、悪戯して消した場合は金貨五枚の罰金らしいよ」
「大金だね」
「そうだね。それにしても、何個くらいあるのだろう」
 二人は、街道を歩きながら思い出などを話していた。そんな、新は、数を数えながら聞いていたために数が分からなくなった。
「そうね。西都市まであるのでしょう。何百個かしら・・・ねえ。それより、かがり火を見ていると、祭りを思い出すわ」
「どんな祭りなのですか?」
「祭りを知らないのね・・・・それは・・・いろいろなご馳走や踊りもするわ。でも、皆が一番の楽しみはね。最大のかがり火から種火を貰うの。それが、家まで持って行って火を熾せれば願いが叶うのよ。殆どが大人の人がするの子宝を願ってね」
 美雪は悲しかった。一緒に祭りを経験したのに忘れているからだ。だが、それを伝えることは出来ない。だが、悲しみのために直ぐに答えられなかった。それでも、必死に声を出して伝えたのだ。
「そうなんだ」
「新さんは、何人子供が欲しい?」
 美雪は、先ほどの気持ちは吹っ切れたのだろう。それとも、夜の二人だけの街道を歩いているのを良い機会だと感じたに違いない。それは、顔を真っ赤にして問いかけるのだ。
「二人は欲しいね。それも、美雪さんに似た可愛い。男の子と女の子がいいな」
「そう二人の子供が欲しいのね」
「でも・・・・」
「何?」
「男の子ならいいけど、美雪さん似の女の子だったら気が強いかな」
「まあ、酷いわ。新さんたら・・もう・・えっ・・誰?」
 美雪は、殺気を感じて、街道の先を見た。すると、成人の男らしい人を見た。
「何をしているのだ!」
 新は、男を見ると、即座に、美雪を守るために前面に立った。 
「西都市に行く途中です」
「この時間での街道の通行は許可書か、紹介人が必要だぞ。誰かいるのか?」
 この男の許可とは、街道三日の工程の内、東都市から一日の工程までは観光に利用されている。勿論、西都市から一日の工程も同じだ。だが、東都市と西都市の中間では国境的な理由と軍事的な理由で拠点が設置されているので、周囲は深夜の交通を禁止されていた。だが、荷馬車などの理由での通行は認められていた。それも、かなり緩い許可書なのだ。都市から出る時に、門番から署名を書いてもらうだけで十分だったのだ。だが、宿から宿の区間には、民間施設もないのだ。この深夜の時間を無理して走るのだから普通は野宿をするか走り続けるのが普通だった。
「その・・・」
「まあ、まだ、深夜ではない。十キロも戻れば、街道のかがり火祭りを見る宿がある。まだ、泊まれるはずだ。戻ってみるのだな」
「宿ですか?」
 新が、もし記憶があれば驚くだろう。自分の提案でかがり火が焚かれた。それが、かがり火を見る祭りになっているのだ。それも、片道、十キロの道を歩くだけなのだ。だが、夜道は危険と思われていたので夜の空間を楽しむなど考えもなかったのだ。だが、かがり火で交通も増えて、人々の気持ちが変わったのだろう。
「簡易な食事と寝るだけの宿だけどな」
「その・・・」
「何をしている。かがり火の薪の追加をしたのか!!」
 男の上官が現れたのだ。
「それが、民間の者、この時間だと言うのに歩いているのです」
「本当なのか・・・紹介者とか許可書はないのか・・・あっ・・・」
(新殿ではないか!)
「その・・・竜二郎と言う隊長の許可なら・・・その・・・分かりますか?」
「竜二郎隊長の知人なのか!」
(鳩の情報では記憶がなかったはずだが・・・)
「竜二郎さんの部下の結婚式に招待されたのです。後、一緒にカレーを食べましたよ」
「ああっ結婚式は、多くに祝福して欲しいからな!」
(もしかして、演技の結婚式でもしたのか、そこまでする人だ。なら、何かしないと駄目だろうか・・・・・むむ・・・・)
「おお、それと、名物のカレーも食べたのか、美味しかっただろう」
「はい。美味しかったです」
「それは、良かった。それと、泊まるのは良いのだが、女性と一緒なのだから竜二郎隊長の部屋に泊まると、良いだろう」
「良いのですか?」
「構わんだろう」
「それでしたら、喜んで泊まらせて頂きます」
「だが、女性用の浴室がない。士官用の食堂と浴室を二人に提供しよう」
「でも、そんな・・・」
「気にする必要はない。士官は三人しかいないし、小さくて古いが、それで、良ければの話だ。元々、部下に気を使わせないためと、部下に密談を聞かされたくないための用途なのだ。竜二郎隊長の許可があるのと同じなのだ。ゆっくりと寛いでくれ」
「新さん。素直に厚意を受けましょう。断るのは失礼よ」
 美雪は片目を瞑って、新が、何一つとして記憶がないのを謝罪したのだった。
「良い奥さんと結婚できて幸せですね」
「まだ、結婚はしてないのです。新さんの両親のお墓に知らせてから、わたしの村でする予定なのです」
「そうでしたか、それは、楽しみですね」
「はい」
 美雪は、幸せ一杯の可愛い声と満面の笑みで答えた。新は、その声に反応して視線を向けるのだ。本当に可愛いと惚れ直すのだった。その様子に、二人の男も、いや、部下の男は新を知らないからだろう。自分の思い人と重ねていたが、上官の方は、嬉しそうに祝福の笑みを返した。
「それでは、行きましょうか、自分に付いてきて下さい」
 上官の男は、新と共に戦った時は末端の兵士で会話もしたことがなかったが、命の危機を救ってもらったことを忘れてはいない。その時のことが鮮明に思い出すのだ。今の新は別人の様な幸せの笑みを見て、何があったのかと知りたい気持ちが込み上がり、中継拠点まで話し掛けるのだった。


第百四十八章

 正式名称である西東第3号街道だが一般には森の道と言われている。だが、今では、かがり火の道と呼ぶ者が多くなった。その中間に、西都市と東都市の軍の拠点があった。もし今でも新に記憶があったとしても、街道も拠点も整備されているために別な所だと思うはずだろう。
「この拠点は、西都市と東都市の境界線に沿って敷地が分かれています。ですが、線が引かれているだけで行き来は自由なのです」
 先ほどの上官の男は、二人に説明をしていた。不思議とは変だが、自由だと言う証拠だろう、拠点に入る門は、一つしかなかった。確かに、中に入ると、白い線が引かれていて右が東都市で左が西都市の完全の左右対称に四階建ての建物が作られてあった。この者は東都市の者なのだろう。東と書かれた建物に向かったのだ。その途中で運動場なのだろうか、鍛練場だろうか、一万人は整列できる規模には、誰もいなかったのは当然だったが、建物には灯りの光がある所もあった。おそらく、夜間勤務の者達なのだろう。男が案内するのは、その建物だった。
「この建物の四階は、上級士官階級の特別室ですから誰も来ませんので寛いで下さい。それと、食事は適当に作らせます。その間に、体の汚れと疲れを落としていてください」
「ありがとうございます」
「これから、案内しますが、部屋と湯殿以外は入らないで下さい」
「分かりました」
 男と共に四階に上がり、浴室と部屋を案内された。そして・・・。
「それと、そろそろ、自分は交代の時間ですので、食事だけは共に食べましょう」
「はい」
「それでは、後程に・・・」
 美雪と新だけが部屋に残されて直ぐに出た言葉は、歩き疲れたね。と美雪が、そして、新が、お風呂に入ろうか!。なのだった。だが、先ほど案内された浴室は、一人で入るには大きくて寂しく、灯りを灯してくれたが、遠くまで見えず少し恐ろしかった。美雪は頷くが、何か言いたそうにしていたのだ。新は何も気が付かずに風呂に入る用意をしていた。
「どうしたのですか?」
「その・・その・・・暗くて・・・一人で入るのが少し怖い・・でも・・・大丈夫」
 美雪は、真っ赤な顔して呟くのだった。
「えっ・・・あっそうだね。暗くて怖いよね。良いよ。暗いから何も見えないしね。いいよ。一緒に入ろう」
 新は、美雪の気持ちなど分からずに勝手に解釈して承諾するのだ。
「はい」
 二人は、手を繋ぎ湯殿に向かったが、新は入ると直ぐに手を離して衣服を脱いで、一人で浴室に入って行った。すると・・・・。
「大丈夫だよ。ここからだと、何も見えないし、誰も居ないのを確認したから浴室に入っておいでよ!」
 美雪は、嬉し恥ずかしそうに、まるで、新婚初夜の気持ちのようだった。だが、その相手は、まるで、幼子の様な無邪気の警護の遊びの有様だった。美雪の嘘の言葉を信じているのだ。甘い色っぽい計略で女性と二人で浴室にいると言うのに、まったく意味を理解してなかった。それでも、成人の男性を刺激させようと、ゆっくりと体の汚れを落としてから同じ湯船に入るのだった。美雪は、期待と同時に、この先の男性の行動に少々の恐れを感じながら視線を向けた。確かに、居るのは感じるが暗くて何も見えない。それでも・・。
「夜の風呂は、建物の中で入るのでないね。月の明るさを隠して何も見えないね」
「そうね。でも、暗い方が恥ずかしくなくていいわ」
「本当に何も見えないね」
 新は、話し続けた。本当にぐだらない話を続けるのだった。それでも、美雪は、うん、うん。と返事を返していた。だが、期待を抱いていた状況に発展することにならず。段々と、殺意をこもってきた。そして、ついに・・・・。
「もう~本当に~馬鹿!。上がるわ」
(一泊目は、神様が居ると思って、そんな気持ちにならなかったのは分かるけど、何なのよ。もう~何を考えているか分からないわ。本当にっもう~)
 美雪は、心の中で悪態を叫んだ。
「そうだね。僕も上がろうかな」
「馬鹿。私の裸が見たいって言うの。まだ、入ってなさいよ!」
「そうだね」
 新は、言われた通りに、十分に着替えが終わる時間まで入っていた。そして、着替えて部屋に行くと、美雪は、頬が破裂するのではないかと思えるほど膨らませていた。
「むぅう」
「良いお風呂だったね」
「・・・・」
 さらに頬を膨らませるだけで、口を開くことはなかった。そして、何分だろうか、時間が過ぎると、扉を叩く音がした。返事がなかったからだろう。入りますよ。と、言葉を掛けた。その後に、ゆっくりと扉を開けて、先ほど、案内してくれた男が料理を運んできた。
「どうしました?」
「いや、何でもないです」
 新の何を怒っているのかと首を傾げる姿と、美雪の頬を膨らませて怒りの表情を見たのだ。料理が遅いからかと思って謝罪をしようかとした時、二人から石鹸の香りが漂うのを感じて、二人で風呂に入ったと感じた。その場を一瞬想像した後・・・・。
「ぎゃはははは」
 男は爆笑してしまったのだ。
「どうしたのです」
 新は、不審を感じて問うた。美雪は、大きなため息を吐いた。おそらく、この男でも分かる。成人男性ならする行動をしなかった。美雪の怒りが分かったのだ。なぜ、新は同じ行動をしてくれなかった。そのため息だったのだ。
「あっ済みません。本当に済みません」
 男は、必死に美雪に謝罪した。
「いいのです。私が変でなく、新さんが変だと分かりましたからね。それでは、食事を食べましょう。早く食べて寝ますわ」
 そう言うと、疲れているのと、夜遅いと言う理由からだろう。お茶漬けだった。熱いはずだが、不満を解消する気持ちからだろうか、かっくらって食べると、寝ますわ。と一言だけ言うと隣室の寝具に潜り寝てしまった。男も気まずい雰囲気を感じて、無言で食べ続けて食べ終わると部屋から出て行った。新は、何故なのだろうと、食べ終えてからも少し考えたが、答えが出なかったのだろう。美雪と同じ部屋だが隣の寝具に向かった。その時、美雪の寝顔を見るが、安心して楽しそうな寝顔だったからだろう。新も先ほどの美雪の怒りを忘れて寝具に入った。そして、新も歩き疲れていたのだろう。直ぐに寝息を立てるのだった。だが、もしかすると、これも、赤い感覚器官の修正の一環なのか、新が精神的に子供なのか、それは、判断の答えは出ないが、もし、成人らしい態度をしていたら美雪は安心して寝られずに期待と興奮で、また、違った意味で旅の支障が出たのかもしれなかった。それを証明するように次の朝は、美雪の機嫌が直り。
「朝食の用意が終わりましたよ」
 新をやさしく起こすのだった。
「うっふぁぁ~おっおはよう」
 新は目を擦りながら起きるのだった。すると、目を開けると、美雪の顔を見たのだ。
「朝食を食べましょう」
 食卓には、これ以上の想像が出来ない。完璧な朝食が並べてあった。
「それでは、食べたら直ぐに西都市に向かいましょう」
「そうだね」
 美雪は、何だか急いで出発したいらしいのだ。まるで、恥をかいたために逃げたい様にも、西都市の龍が見たいのか、はっきり判断ができないが急いでいるのは確かだった。
「食器は、このままでいいって言われたわ。だから、わたしは、旅支度するから、新さんは、洗顔して着替えて待っていてよ」
「分かったよ」
「あっ遅かったわ。もう朝礼が始まってしまったわ」
 外では、西都市と東都市が分かれて、この拠点で最上の階級の者が、挨拶をしていた。それから、今日の一日の予定を知らせていたのだ。
「でも、良いわ。直ぐに出発しましょう」
 建物の正面では、朝礼をしているために裏口から出て、運動場の真ん中を進むのだ。それは、二つの都市の部屋が並ぶ中の中心だった。だから、誰が通るか見ることが出来た。
「えっ新殿?」
「新殿?」
 西都市、東都市の両方の最上の階級の男が檀上から話の途中のまま驚きを表していた。その言葉、小さくも大きくもないが、全隊員に伝わるのだった。
「あの英雄の新殿?」
と、男女の歩いている方を見るのだ。
(元気の様だ。あれは、思い人なのだな。幸せになってくれ)
 二人の檀上の男と、同じような思いのまま・・・・。
「敬礼。右に倣え」
「敬礼、左に倣え」
 同じ命令を叫ぶのだった。この場の男は、新を除いてだが、同じ思いで・・・。
(お元気で、我々のことや戦のことなど忘れて、幸せな人生を楽しみ下さい)
 この思いは、美雪には届かなかったようだった。
(昨夜、新さんと一緒にお風呂に入ったのがばれたのかしら、あの男が爆笑したけど、皆も笑いを我慢しているように見えるわ。もう、私が新さんを誘って失敗した。なんて思っているようだわ。本当に恥ずかしいわ)
 美雪が、一秒でも早く中継拠点から出たいために、新の手を握り走り出した。その勢いは敷地からでても止まることがなかった。それでも、無限に走れるはずもなく、振り返っても門が見えない所までは続くのだった。
「どうしたのです?」
「少しでも早く龍が見たくて」
「そうでしたか!」
「わたし昔に聞いたのですが、龍とは二種類いて、空を飛ぶのと飛べないのがいるらしいのです。どちらも興味深いですが、西都市のは、どの種類なのでしょう。そう考えると、会いたくて、会いたくて気持ちが収まらないのです」
 美雪は、やっと安心したのだろう。すると、好奇心が込み上がり我慢ができなくなった。
「分かる。分かるよ。僕も見たくて、見たくて」
「それに、まだ、まだ、楽しみがあるの。噂の仙人の霞の饅頭が食べられる。そう思うと、直ぐにでも駆け出したい気持ちなのよ」
「後、一日の距離だし駆け続けるのは無理だね。また、一泊しないと駄目だね」
「そうね」
「今度は、宿があっても通り過ぎないで泊まろうね」
「そうね。そうしましょう」


第百四十九章

二人は、西都市の話題を話し続けた。その間、今までなら時々休憩するのだが、楽しかったからだろうか、休むことを忘れていた。それでも、足腰の疲れよりも話し続けて喉の方が疲れたのか、そんな時、宿の看板が目に入ったのだ。だが、西都市に近い宿は、数軒だけだったのが、東都市の方では、十件以上はある。そう思うほどに両側だけでなく横にも並んで建てられてあったのだ。それも、どの店も新築と思える建物だった。これには、西都市の側の宿もだが、全ては、かがり火の見物人のための新築だった。それなら、なぜ、西都市の側は、規模が違うと言うと、龍を見る人達が多いために宿が建てられたのだ。その理由など二人は知るはずもなく、どの宿に泊まるかと迷っていた。それで、適当な宿屋に入って見ると、驚かれるのだ。今頃の時間になって宿を探そうなんて、家の宿だけでなく、どこも満室だと言われるのだ。それを確かめるのでないが、何件か聞いてみると、同じようなことを言われたのだ。それで、仕方なく、宿の街道をうろうろしていると、一軒の宿の前で、おそらく主人だろう。それと、客の家族かもしれない四人が何か言い争いをしていたのだ。
「何て亭主なのだ。俺たちは客だぞ!」
「俺の接し方が嫌なら出て行っても構わんぞ」
「何だと!。ああっ出て行くとも、金を貰っても泊まるか!」
「それにしても、変よね。昨夜までは、優しく気持ちのよい接し方の亭主だったのにね」
「何か言ったか!」
「何でもありません」
 夫は怒りのために妻の話を聞いていなかった。成人前の姉妹も母が言った言葉を何度も頷いていたのだ。そんな夫は、馬車を止めて何か話していたので、おそらく、泊まらずに西都市に帰るような雰囲気だった。そんな、場面を立ち止まって見ていた。美雪と新だった。すると、亭主が二人の所に来るのだった。
「どうです。一部屋が空きましたが、泊まりませんか?」
 先ほどとは、別人のような亭主が笑顔で言うのだ。
「美雪さんが、良いなら泊まるけど、どうする?」
「その肩に止まっているのって鳩よね。良く逃げないわね」
「はい。頭の良い鳩でしてね。足に手紙を付けない限り飛ばないのです」
「そうなんだ」
「美雪さん。どうします?」
「何が?」
「この亭主の宿に泊まるか聞いたのです」
「この宿に泊まりましょう」
「本当に良いの?」
 新は、美雪の耳元で、先ほどの客との言い争いのことを伝えてから問うのだった。
「鳩に好かれているの人よ。良い人だと思うわ」
「亭主。泊まらせて頂きます」
「それでは、どうぞ!。あっそれと、家族用の部屋で広いですが、二人用の部屋の値段でいいですよ」
「ありがとう。ございます」
 新は、先ほどとは別人の様だと感じて不審を感じたが、他に泊まる所があるはずもなく、亭主の案内のまま宿に入るのだった。部屋に通されたが何も問題は感じないし、他の従業員にも何も問題はなかったのだ。それで、いろいろ考えても仕方がない。先ほどの言い争いは忘れることにした。だが、理由はあった。先ほどの家族も美雪も新も分かるはずもないが肩に止まっていた。あの鳩は、料理長の味を継ぐ二番目の者の亭主が、方々に飛ばした。その中の一羽の鳩だったのだ。それで、美雪と新のために無理やりに一部屋を空かしたのだろう。
「良い部屋ね」
「そうか、そうか、美雪さんが気に入ったのなら良かった」
 新と言うか、男性には分からない。そう言うべきだろう。部屋の扉を開けると微かな花の匂いが漂い。入ると、丁度良い所々に生け花が飾られて、新築だからと言うのではなく
女性ならば目が付きそうな箇所まで埃が無いのは当然だが、茶器や布巾も一つの皺もなく清潔な室内と感じられるのだ。それだけでなく、茶菓子も多くも少なくもなくて置かれてあり。家具や椅子なども質素だが適切な場所に設置されて、未使用ではないが、掃除がされていると分かる覆いがしてあったのだ。美雪が、良い部屋ね。と、一言だけ言ったことに、これ以上良い点も悪い点も考えられない。そう言う意味の言葉だった。それと、同時に、先ほどまで客が居た部屋なのか、ここまで客の気持ちを考える亭主なら文句を言うはずがない。何があったのだろう。そう思うのだった。
「菓子があるね。食べようか!」
「それでは、お茶を入れますね」
 新は、頷くと同時に、えっ、と驚くのだ。お湯が沸かせるのか、そう思ったのだろうが、先ほどまで客がいたのなら同然だと思ったに違いない。だが、おそらく、茶器があるのだから常にお湯を沸かすことができるだずだ。そして、二人は、楽しい会話をしながら菓子を食べて気持ちを落ち着かせた。すると、次は、温泉なのか分からないが湯殿に入り。出てくると夕食が用意されていた。肉、魚、野菜と、一般的かと思うが満足する料理だった。
「美味しかったわね」
「そうだね」
 些細な会話をした後に、もう一度、温泉に入ってから寝ると会話が終わった。昨夜は美雪が先に寝たが、今日は、美雪が上がって部屋に戻って来る前には熟睡していた。
「もう、熟睡して・・・女性としての魅力がないないのかしら・・・・でも・・・男らしい態度で迫られたら、どうしようって思っていたけど、自然に、そうなった時でいいわ。今は、旅が楽しいから気にしないわ。それでは、お休み」
 美雪は、独り言を呟くと、頬を赤らめて悩んだ後に、唇と唇を重ねてお休みの挨拶をするのだった。
「おはよう」
 先に新が寝たはずなのに、もう美雪が起きてお茶を飲んでいた。
「おはよう」
「新さんも、どうぞ」
 すると、扉を叩く音が聞こえた。何の用なのかと返事を返すと、亭主が、朝食の用意をしても良いかと、訪れたのだった。勿論、直ぐに食べると言うのだ。直ぐに、朝食が持ち込まれた。一般的な軽い食事だったが十分に満足するのだ。ゆっくりと味わった後に、なぜか、亭主が現れた。
「お持ち帰りの、昼の弁当を用意してきました。いつでも、好きな時にお出かけ下さい」
「ありがとう」
 美雪と新は、同時に、本当に嬉しそうに感謝を表した。
「又お越しください。今度は是非可愛いご家族もご一緒に!!」
 美雪は恥ずかしそうに俯き、新は、嬉しそうに、はい。そう頷くのだった。そして・・・。
「本当に、満足いく接客でした。どこかで、修行でもしたのですか?」
「いえ、この一帯の宿屋は、先の西都市と北東都市の戦争で、負傷して働けなくなった者が、西都市の主様が宿の仕事をさせたのです。勿論、将来的には自分の物になるのですよ」
「良い。主様ですね」
「はい。それでは、失礼します」
 亭主が部屋から出てから食後の余韻を楽しみながらお茶を飲んだ後に、宿から出て西都市に向かうのだった。
「ねね。新さん」
「何かな?」
「昼食のお弁当って何だろうね」
「そうだね。昼の楽しみだね」
「うん」
 亭主は、全ての客に昼食を渡していたのか、それは、分からない。だが、そろそろ、街道を歩くのにも、景色にも飽きてきたのだ。そんな時だった。昼を食べるには、まだ、少し早いが、それでも、口寂しくなる頃に、昼食の話題をしたのだ。さすが、亭主と言うべきか、昼食がなければ、適当な魚でも捕まえるか、少ない保存食で小腹を落ち着かせる程度の食事で我慢するしかなかっただろう。それが、簡易な二つの弁当なのだが、楽しい旅が台無しになることもなく、一個、一個違う料理かもしれない。とか、何が入っているのか、何が入っていると嬉しい。いや、入ってないことを祈りたい。それから始まり、その料理方法や産地など、と、想像する話題が尽きなかったのだ。新も頷き、好きな好物を言う。それでも、話題が尽きる前に、喉も小腹も、そろそろ我慢が出来なくなってきた。すると、心地よい。水の流れの音が聞こえたのだ。まだ,水筒には水があるが、汲んで直ぐの水が美味しいのは当然で、二人は、顔を見合わせて、ここで昼食を食べようと、同時に言う。勿論、拒否するはずもなく、川の流れを見ながら食べることに決めるのだ。
「昼も食べたし、では、行こうか、夕方までに着きたいからね」
「うん。そうね」
 二人は、興奮していた。それは、当然、西都市の龍を見るためだった。今までと同じに会話は始まるが、それでも、前方の上空に興味が向くのは仕方がないだろう。などと、歩き続けていると、微かに雨雲のような風景が見えた。美雪は、驚き、新に問い掛けた。だが、正確な答えが出るはずもなかったのだ。もう、可能性がある。そう思うと、会話などできる気持ちでなく、無言で見続けて歩き続けるのだった。初めて気になる物体を見てから何時間ぐらいだろうか・・・。
「やはり、龍だわ。新さんも見えるわよね。そうでしょう」
「間違いなく、一匹の龍だ!」
「急ぎましょう」
「ここまで近づけば、急いでも、急がなくても対して時間は変わらないよ。それよりも、動く様子と言うか、移り変わりを見た方がいいかもしれないよ」
「そうね」
 もし、新に記憶が消えてなければ、龍の姿が薄れている。そう感じただろう。二人は、まるで、記録映画でも撮るような視線を向け続けて、やっと、念願の西都市の全貌が見えた。まだ、一キロくらいはあるだろうが、上空を見る見物人も増える。それに、かがり火を灯す人も、それを楽しむ者もいた。そして、街道の出口が見えたのだ。
「凄い人、人ね。何人くらい居るのかしらね」
 まるで、現代の大掛かりな花火大会の状況に似たような人混みだった。おそらく、他の都市だけでなく、他の国の人々も来ているはずだろう。
「それにしても、凄く大きいわね。小さな山脈が浮かんでいる様に思うわ」
「そうだね」
 これ程の圧倒する状況を見ても、この龍は数日で消える運命なのは、誰も知る者はいないだけでなく、奇跡の様な状況も忘れて、口伝や数冊の書物だけが残る頃には、龍がいる状況は、長い街道のかがり火の道のことを龍だったと思われてしまうのだ。それが違うと証明されるのは、島畑家の伯爵の様な者たちが、未来から過去に飛ぶことが出来て、やっと、伝説や空想でないと分かるのだった。
「あっ新さん。西都市の上空に龍が浮かんでいる絵があるわ。村の人にも見せたいわね。ねえ、買いましょうよ」
 様々な屋台がある。その中で、塀に龍の絵を描いた者たちも、記録を残す気持ちもあるが、絶好の商売の機会と感じたのだろう。人々に書いては売っていたのだ。
「そうだね。絵でも見せないと、理解も想像もできないね」
 この先のことなど分かっていない。まるで、観光客の様だが、記憶がないのだから仕方がないだろう。そんな、新は、絵師に料金を渡して、絵を頂くと、絵師と顔と近づけた。すると・・・・。
「あっ新・・・殿?」
「何です?」
「あっ・・いえ・・・何でもないです。それより、お嬢さん。都市の中の塀の龍も見てごらんなさい。我々が描いて、それが、上空に物体として現れたのですよ」
 絵師は、新の顔を覚えていた。それで、話を掛けようとしたのだが、まるで、別人のように穏やかな表情で無邪気な笑みを浮かべるのだ。どう考えても、戦など見た事も経験したこがない。もしかすると、厳しい戦の時、頭か精神の障害で全てを忘れているのかもしれない。そう感じて、記憶がないのなら無理に思い出させるのも辛いだけだと感じて、絵師も知らない振りをするのだった。
「そうなの。見たわ。見たいわ。ねね、新さん。龍の絵を見に行きましょうよ」
「そうだね。本物になった絵なんて凄いだろうね。見よう。見よう」
 美雪と新は、絵師に、龍の絵の場所を聞くと、丁寧に感謝の気持ちを表した。その後は、人混みの中を泳ぐようにして、西都市の門を通るのだ。 


第百五十章

 西都市の門を潜り者たちは、都市に入るよりも出る者の方が多かった。おそらく、夕方になるために街道にあるかがり火の観光を楽しむために向かう人々なのだろう。
「本当に人が多いわね」
「でも、そろそろ、人が少なくなるはずだよ」
「うん。かがり火の道を通るためだね」
「そのための人の流れだろうね」
「それなら、龍の絵は後からにしない。かがり火が焚かれて夜でも見られるらしいわ。わたし、仙人の霞の饅頭を食べたいの。それに、宿も探さないとね」
「いいよ。そうしよう」
「それにしても、東都市よりは小さい都市なのに、同じくらいの人混みよね」
「そうだね」
「西都市の主様って、どんな人なのだろうね」
「会ったことないけど、白髪のお爺さんでないのかな」
「えっ・・・そうなの?」
「これ程まで、都市の成功を収めている人だし、それなりに、歳は取ってそうだろう」
「そうだね」
 新は会ったことはあるはず。だが、忘れているのだ。その主は、まだ、少年で、殆どの時間は読書をしていた。今も・・・・手に取るかと、迷っている本があった。そんな時、扉が叩かれた。
「御主人様。新殿が、この都市に来ているようです」
「そうなのか・・・・何か要件があってのことだろうか?」
「只の観光かと、それで、若い娘と一緒なのかもしれません。もしかすると、奥方かと・・・・」
「新婚旅行と言うものなのか・・・・・・むむ・・・・分かった。下がって良いぞ」
「はい。失礼を致します」
 西都市の主は、小津が部屋から消えると、今まで読んでいた本にも視線を向けずに、何かを思案しているようだった。
「新殿が現れた・・・・か・・・・・それなら・・・」
 虚空を見ていたが、何を思ったのか、視線を家宝の本に向けた。すると、何かの切っ掛け、それは、新のことだとでも思ったのか、ついに、手に取ったのだ。そして、今まで読んだ。その箇所を探して、パラパラとめくり、続きを見つけると読み始めた。
(塀に描かれた絵がぱらぱらと剥げ落ちて来る。皆は、竜玉の月の満ち欠けのような光の動きを見て消える時間だと思い。消えないでくれと願い。上空の不安定な姿を見ては消えると思って、人々は悲しみを表していた。だが、もし、上空まで昇り龍に触れられる程まで近づくことが出来たのならば、悲しみよりも喜びを感じるはずだ。まるで、脱皮をする様に中で動いているのを見ることができるからだ。だが、塀の絵と上空の龍は同調しているはずだが、なぜか、同じではなかった。それは、神の意志で龍を存在させたのではないからだ。人の意志であり。人の力で誕生させたからだ。それでも、神でなければ実現できない。未来、過去の移動。それを人の力で実現してしまった。その人工的な時の流れの移動には時の流れの不具合が発生する。その修正は神も頭を悩ませることだった。そのために、神も龍の存在を許して修正の一つとして利用した。だが、許したのは一時の時間だけで、神は龍の消滅を望んでいる。そのために、龍の本体である塀の絵を消そうとして、太陽の熱で水分を蒸発させて、雨を降らせて流し、風の力で吹き飛ばそうとした。結果は少しの絵柄がパラパラと落ちる程度だった。人の強い願いからなのか、龍は意志を持ってしまったことで、それ以上は、剥がれ落ちることはなかった。仕方がなく、神は、強制的な行動を起こした。見たこともない大きな雨雲が現れたのだ。まるで、神が仁王立ちしているような恐ろしい形だった。そして、雲から雷雲になり。中空に浮かぶ龍に雷を落とすのだった。一度、二度、三度と、その威力で、龍は痛みを感じているように痙攣して苦しそうに悶えているようだった。もしかすると、誕生させた人を親だとでも思って、地上の人々を守ろうとしているのか、それとも、脱皮の途中のために移動ができず、耐えに耐え続けて、三十度は落ちただろうか、体の中身なのか、龍の本体と言うのか、正体とでも言うのか、材料とでも言うべきだろうか、ちらちらと、傷ついた箇所から七色の光が漏れるのだ。だが、雷は止まらずに、雷が落ちるほどに傷が開いては、虹色の光が溢れ出すのだ。そして、何度目だろう。ついに、体が二つに分かれた。そう感じた時に、龍の体は消えて半円の虹だけになったのだ。その虹も時間が過ぎるごとに薄れて消えた。それと同時に、本体である。塀の龍の絵も綺麗に消えてしまった。それならば、地上の人々は悲しむと思うだろう。だが、人々は、最初は、自分たちに雷が落ちると恐れていたが、落ちないと分かると、花火で見るかのように喜んで、龍が消える姿を見ていたのだ)
「はっあぁ。何てことだ!」
 西都市の主は、人とは残酷な生き物だと感じたのだ。これ以上は、読めないと本を閉じた。だが、続きが気になるのだろう。手から離すことはできなかった。それでも・・・・。
「神と同義の者が消える場面を喜んで見るだ・・・と、それだけでなく、守ってくれたことに感謝もせずに、龍が消えても涙一つ流さないとは・・・・この都市だけでなく、この世は終わった。この先を読んでも意味がない。もう・・・もう・・・」
「御主人様。どうなさいました」
 主の悲鳴のような叫びが聞こえたのだろう。扉を叩くのだった。
「丁度良い所に来た。中に入れ!」
 普段の主の声色だったので、安堵したのだろう。小津は落ち着いてゆっくりと扉を開けるのだった。すると、涙を流している。姿を見たのだ。
「御主人様!」
「大丈夫だ。何でもない」
 小津は無言で頷き、主の言葉を待った。
「この本は、これ以上、何が遭っても読まないと決めた」
「何か、良からないことが書いてあったのですね」
「ああっそれよりも、この内容の通りなら神も我々を見捨てるだろう。だから、これ以上の続きがあるが、読んでも意味がない」
「・・・・」
 小津は、言葉にすることができなかった。
「この本を元の場所に戻す。それと、雨雲は空にあるか?」
「いえ、雲は一つもありません」
「雨雲が出たら知らせてくれ。本は、内容が証明されたら戻す」
「承知しました」
 小津が部屋から出て、主は一人になり。、虚空を見た。そして・・・・。
「新殿。あなたなら涙を流すか・・・・」
 西都市の主は、新が居るだろう。都市の方を見た。名前を呼ばれた。新は・・・・。
「美雪さん。あったよ。仙人の霞の饅頭の看板があったよ」
「本当なの」
「ほら、あれ、あれ!」
 新は、指差した。
「本当ね」
 二人は、店舗に駆け出した。そして、売れ切れを心配しているのか、少々慌てて店員に言うだけでなく、全種類を二個ずつ欲しいと、店員を驚かすのだった。確かに、夕方でもあるし、店の周りの人混みに店の前の行列だが、それでも、少し大げさだと思えた。その後は、飲み物を買って、美味しそうに食べながら都市の中を見学していた。そして、人も少なくなったことで塀の龍を見に行くのだ。それを見て、勿論だが、想像以上に驚くのだ。
その余韻のまま宿を探しに行く。都市内の宿は予約済だったが、都市の外の簡易宿は空きがあり。泊まることに決めるのだ。食事と寝室は簡易宿にあると言われたが、風呂だけは都市内の共同風呂に入ることになると言われたのだ。食事は期待してなかったが、龍を見るだけに集まったのではない。そう感じる美味しい料理だった。もう一度、龍が見たいと、美雪が言うので、風呂の後に見る。そして、この日は大人しく寝るのだった。
「新さん。起きて下さい。良い天気ですよ」
「おはよう。美雪さん。早いね。どうしたの?」
「わたし、登さんって人と会わないといけないのよ」
「えっ・・・どこで知り合ったの?。知人だったのですか?」
「手紙を渡さないとならないのよ」
「それなら、朝食を食べる前にした方が良いよ。食事は一緒に食べるはずだよ。その後は、いろいろと、忙しい人かもしれないからね」
「そうなの。それでは、直ぐに行きましょう」
 二人は、急いで着替えて宿に出るのだった。その時、受付には帰ってから朝食を食べると伝えるのだった。急いでいるために、上空の龍を見るゆとりはなかった。新の指示で門にある。隊の詰所に向かった。建物の中に入ると驚かれたが、登に用件がある。そう言うと直ぐに知らせて、会う時間を聞いてくると言ってくれたのだ。すると・・・・。
「新殿。元気だったか!!」
 おそらく、登は、新が居ると聞いて、朝食を全て食べずに急いで来たはず。それは、嬉しい表情とも何があったのかと心配している。そんな、表情から判断ができた。
「元気ですよ。崖から落ちて以来ですね。直ぐに、私の無事なのを知らせるべきでした。本当に、ごめんなさい」
 登の必死な表情を見て、新は、恐縮してしまったのだ。そんな、言葉を吐いたことで・・。
「えっ・・・・ああっそれは、大丈夫だったぞ。噂で、新の無事を聞いて安心していたのだ。それよりも、何が遭ったのだ?」
 登は、一瞬、意味が分からず悩むが、美雪の頷きと、横を振る仕草で記憶がないのが分かった。それで、新の話に合わせたのだ。
「登殿と、言うのですか、初めて会ったとは思えません。本当に、宜しくお願いします」
 美雪は、片目を瞑り、握手を求めた。その意味が分かったのだろう。最後の戦いで新が倒れて村まで連れて行ったことを登は思い出したのだ。
「そうですね。本当に初めて会ったとは思えませんね。こちらこそ、宜しくお願いします。それで、何があったのでしょうか?」
「それが・・・・・」
 美雪は、北東都市での手紙のことなどを全て話したのだ。すると・・・・。
「そうでしたか、それは、良く知らせてくれました。手紙は預かりますし、費用から全ての手続きはしますので安心してください。それで、観光はお済ですかな?」
「これからなのです」
「そうですか、それなら、部下に観光の案内をさせましょう」
「それは・・・・新さんと・・・・」
 美雪は、新に視線を向けて、自分たちの理由を言って欲しそうに向けるのだった。それを、登がさっして、謝罪するのだった。
「あああっ新婚旅行でしたかな。済みませんでした。それでは、お泊り先でも教えてください。結果など知らせたいので・・・それも・・・・」
 その結果を心配していたので、喜んで泊まり先を教えたのだ。そして、登は、急ぎの要件でもあったのだろう。簡単な挨拶をして立ち去るのだった。
「お腹が空いたわね。宿に戻りましょうか!」
「そうだね」
 二人は、宿屋に戻った。すると、女将が早いお帰りですね。そう出迎えるのだ。そして、当然のことだが、食事は、皆と同じ時間に用意していいのかと問われるのだった。
「はい。お願いします」
 美雪が、そう返事を返した。その後、時間があるので、二人は湯殿に向かって朝食までの時間をつぶすのだ。
「おおっ美味しそうね」
 部屋に戻って見ると、食事が用意されていたことに驚きたが、冷めているのではないかと、思ったのだろう。だが、食べてみると熱々で美味しく頂くのだった。その時に、女将が登の使いが来たと、二人が食べている所に現れるのだった。登だと思ったが部下だったのでがっかりしているようだったが、部下の話を聞くと、感謝の気持ちを受けとってもらうには、部下でなければ無理だと感じたからだと言うのだ。だが、それと別に、新に気がつかないように、美雪には手紙と何かの包みを渡した。
「登殿に返してください。僕は、感謝の気持ちを頂く理由がありません」
 新は、きっぱり断るが、使いの男は泣きそうな表情を浮かべるのだ。
「困ります。受け取るまで帰るな。そう命令されていますので、受け取ってくださいよ」
「そうなの。本当に、兵隊さんって大変なのね。新さんも、大の男が泣きそうな顔をしているのだし、気持ちよく受け取りましょう」
 新も同じようなことがあったはず。そう思って、素直に受け取ろうと言うのだ。美雪に言われては、断ることができずに受け取るのだった。それでも、美雪は、部下に伝言のようなことを言うのだ。受け取るけど、挨拶には行くわ。何時ごろなら会えます。男は仕方なく、昼には皆と食べるために戻って来ると、そう言うしかなかった。その部下が帰ると、これからの一日の観光の予定を話し合ってから宿から出るのだった。その時、今日もお泊りですか、言われるのだ。そして、夕方までは帰ってきます。と、美雪は伝えるのだが、少々慌てて、今日の天気を聞いた。女将は、意味が分かったのだろう。笑みを浮かべながら雲一つない天気です。龍の鱗のしわまで見られるかもしれないわよ。そう言われて、美雪と新は、嬉しそうに駆け出して上空を見るのだ。
「うぁあ!!!。本当に大きいわね」
「凄い!!!!」
 二人の周囲には、同じように上空を見る人が大勢いた。それと、皆と同じように驚きのあまりに、口をあんぐりと開けて見るだけでなく、普段なら首が痛くなる時間だが、驚きの心理状態だったからだろうか、痛みを忘れているようだった。


第百五十一章

 西都市の主の部屋では珍しく窓が開けられていた。それは、本を読むのには心地よい日の光と暖かさと、気持ち良い風と本を読むには風の囁きが耳に届くのだ。おそらく、本の内容と重なる場面なのだろう。嬉しそうに読み続けるのだ。そんな時に・・・・・。
「御主人様」
「なんだ!」
 主は、苛立ちの声を上げた。おそらく、良い場面だったのだろう」
「窓を閉めに参りました」
「なぜだ!。まだ、外は明るくて、心地よい風だぞ。雨雲が来るとは思えんぞ」
「長年の勘です。それに、薄い雲ですが出てきました。数時間も経たずに雨雲が現れるでしょう。その後、直ぐにでも雷雲が現れるでしょう」
「そうなのか・・・・分かった。閉めて良いぞ。だが、部屋を明るくしてくれないか、本が読めないのだ」
「承知しました・・・・・直ぐに御用意を致します」
 小津は、言葉に詰まった。これを見逃したら一生と思っていいだろう。その龍が消えると言うのに、本の内容の方が大事なのですか、そう伝えようとしたが、何も言えなかった。
「・・・・」
小津だけでなく、おそらく、いや、確実な状態とでも言うべきか、都市の外も中も都市民でも、手を休めて上空の龍を見ているはず。それは、少しだが、冷たくなった風を感じて、何かを感じ取ったようだった。それは、龍が消える。そう思うからだ。その証拠とでも言うのか、龍の周囲に黒い雨雲が集まりだした。そして、ぽつり、ぽつり、と雨が、まるで、龍は、地上で這いずる者たちと別れたくない。いや、危険だから逃げろ。そう言いたいようにも思える。そんな知らせの雨が降り出した。それも、段々と、強く降り出した。そして、想像も出来ない雷雲が表した。それでも、逃げない者たちがいるためだろうか、怒りを表したかのような上空でゴロゴロと、雷の音が辺りに響く。さすがに、殆どの者たちが建物の中に避難するが、まあ、死んでも構わない。そう思う数人の変わり者が残っているからだろうか、龍の体に何度も雷が落ちるのだ。この状態では、さすがに、変わり者でも龍の周囲から人々は建物の中に消えた。それが、神か何かの合図なのだろうか、目がくらむ程の雷の嵐が龍の体に落ちる。そんな状況でも、少々離れているからか、いや、主のための報告と考えているのか、いや、主の代わりに体験と記憶しなければならない。その使命感なのか、小津だけが、いつまでも、いつまでも、見続けるのだった。そんな時・・。
「小津。本と同じ状況なのか?」
「はい。それ以上に酷い。惨い状況です」
「そうか、分かった」
 主も興味はあったのだろうか?。小津に状況を聞くが、報告を聞くと、直ぐに本を開いて読み始めるのだ。それでも、視線は本から離れないが、何か気に掛かることでもあったのか、それとも、主としての責任を感じるのだろう。
「そんなに、酷い状況でも、都市市民は大丈夫なのか?」
「はい。皆は驚いているでしょう。ですが、一度も雷は地面には落ちていません。龍の背に当たるだけです。心配でしたら調査隊を派遣しましょうか?」
「いや、この状態が収まってからで構わん。だが、要請された場合と避難してきた場合は、それなりの対応をしろ。それと、費用は気にするな」
「承知しました」
 主は、最後まで言わずに言葉が途切れてしまったが、小津は、長年の経験で意味は伝わり、龍を見続けた。そして、主が言った本の通りに全てが済むのだった。皆は、存在していた空間を見続ける者、その場で拝む者など、と、いろいろな者がいるが、気持ちが落ち着いた後は、同じ行動をする。それは、まるで、祭りが終わった時と同じく、それぞれの方向に移動するのだ。そんな中の二人の男女は、大勢の人の流れに逆らうことが出来ずに、西都市にある一つの公園に流されるのだった。それは、西都市の主の庭であり。都市のために亡くなった人たちの墓地でもあった。一番大きく豪華な墓は料理長の墓で、その周りには普通の墓だが同じように犠牲になった人達の物だった。
「料理長とは凄い人なのだね」
「新さん。知り合いなの?」
「知らない人だけど、この人数がお参りするのだよ」
「でも、新さん。涙を流しているわよ」
「あっ本当だ・・・・何故だろう」
 新は、驚きながら袖で拭おうとしたが・・・。
「ここの皆の人たちの感情が移ったのね。でも、涙を流すのっていいことよ。亡くなった人も喜ぶと思うわ」
 すると、抑える気持ちがなくなったのだろう。新は、号泣するのだった。その涙の理由は今の新には、分からないはず。だが、心の肉体機能では、料理長のことも周りの墓石の者たちを分かっていた。そのために、悲しみを思い出して泣き出したのだ。自分の周りでは、新を知る者や料理長を知る者が多い。皆も我慢できずに泣き出すのだった。美雪は、これ以上まで涙が流れるのかと感じた。だが、新の涙が枯れるまで泣かせてあげるのだった。その間、美雪は、新の背中を心臓の鼓動と同じく、とんとん、と叩くのだった。
「美雪さん。もう大丈夫だよ。ありがとうね」
「それなら、良かったわ」
 皆に会釈をしながら都市の中に戻るのだった。
「それでは、宿に戻ろうか」
「そうね。あっ仙人の霞の饅頭を買って帰りましょう」
「それは、いいね」
 店に向かうが、かなりの人が並んでした。それでも、諦めることはせずに列に並んでいた。その時に、暇つぶしの些細な会話をするのだ。
「これから、どうする?」
「宿に帰るのでないの?」
「そうでなくて、私の育った村に行く。それとも、美雪さんの村に帰ろうか?」
「北東都市も行ってみたいわね」
「危険かもしれないよ」
「大丈夫でしょう。戦が終わったのだしね」
「まあ、そうだけど・・・・誰かに相談できれば・・・いいのだけど・・・・」
「そんなに、もう、心配しなくても大丈夫よ」
 などと、話していると、順番が来て、また、全種類の饅頭を買って宿に戻るのだった。
「客さん。お帰りが早かったですね。もしかして、龍が消えたからですか?」
「まあ、その」
 神とも主とも言われている。その龍を見に来た。罰当たりの者と思われたくなかったので、何て誤魔化すかと悩んでいたのだ。
「いいのですよ。この辺りの宿は、ほとんど、龍を見に来る見物人ですからね。それで、お泊りになります。いや、解約ですよね。夕飯だけは食べていきますか?」
 女将は、全てと言っていいほどの、お泊りの解約を聞いて、怒りよりも、どうでもよくなってしまったのだろう。やや、いい加減の対応をしてしまうのだった。
「えっ泊まりますよね。ねね、新さん」
「そうだね」
「そうでしたか!!。それは、済みませんでした。夕食を楽しみしていて下さいね。それと、湯船なら何時でも入れますし、貸し切りのように誰もいませんよ」
「それは、楽しみですね」
 美雪が、嬉しがる表情を見て、女将が、耳元で囁くようにして、本当に、二人しかいませんので、女湯の方で二人だけで入っても構いませんからね。と言うのだった。
「まっもう」
 美雪は真っ赤な顔をして狼狽えた。
「どうしたのですか、美雪さん?」
「何でも、ないです」
「そう・・・あっ女将さん。予定の通りで、朝を頂いた後、出掛けますから、昼は弁当を作ってくれると嬉しいのですが・・・」
「構いませんわ。それよりも、北東都市に向かうのですか?」
「はい」
「それでしたら、仙人の霞の饅頭は好きですよね。毎日買っているようですし・・・」
「はい。そうですね」
「その店なのですが、北東都市に支店を出すらしいのですの」
「そうなのですか」
「その護衛と共に同行した方がいい。そう思いますわよ。登さんの知り合いらしいし、野宿するとしても、宿があっても個人は断る場合があるわ。龍も消えたから北東都市に帰る人が多いからね。同行をお願いした方がいいわよ」
「そうね。新さん。やっぱり、登さんには、旅立ちの挨拶はした方がいいわ。その時に、それとなく、聞いてみましょう」
「そうだね。そうしよう」
 すると、女将が・・・。
「夕飯までは、まだですし、今からでも行ってみたらどうでしょう」
「そうしましょうか!。ねえ、新さん」
「そうだね。では、女将さん夕食までには帰ってきますから部屋に用意をお願いします」
「畏まりました。ごゆっくり」
 二人は、宿の後にして、都市の中の詰所に向かった。すると、美雪と新を見かけると、嬉しそうに近づいてきて挨拶をするのだった。新は、会った記憶はないが、挨拶をするのと同時に、訪問してきた用件を伝えると、詰所の中で待っていてくれと言われたのだ。直ぐではなかったが、待ち疲れを感じない程度の時間で、登が現れたのだ。
「もう行くのか」
「はい」
「村に帰るのか?」
「いえ、北東都市に行こうと思っています」
「それなら、丁度いい。仙人の霞の饅頭は分かるだろう」
「あっ、その話は聞きました。北東都市に支店を出すのですよね」
「そうだ。もしかして、同行を希望したいのか、それなら、構わんぞ。こちらから、頼もうと思っていたくらいだからな!」
「僕を頼んだからって何もできませんよ?」
「まあ・・・・・そうだぞ。正直に言うなら・・・・あっ・・美雪さんに来て欲しいのだ。こちらは、店の主でもあるが、一人の女性だけだからだよ」
 登は、適当な言い訳を考えていた。それをぽつり、ぽつりと、口に出していた。
「そうでしたか!。こちらも良かったです。女性の同行なら断られる。そう思っていたのですよ。これで、安心だね。みゆきさん!」
「はい」
 新は、感情が鈍いのか、美雪には、登が嘘を言っている。そう感じて、片目を瞑るだけでなく会釈をして感謝の気持ちを返した。
「それで、いつ出発するのですか?」
「明日の日の出と共にだ!」
「分かりました」
 新は、美雪に視線を向けた。そして、美雪が頷くのを見て承諾したのだ。
「もし時間があるなら饅頭屋の主を紹介しようか?」
「・・・」
「そうさせて頂きます。少しでも早く女性が同行すると知らせたいわ」
 新が、美雪に問い掛けるので、美雪は、自分の思いを即座で答えた。それで、三人は、直ぐに、仙人の霞の饅頭屋に向かった。
「あっ登おじさん。それに、いつも全種類の饅頭を買ってくれる方ね。知り合いだったの?」
「ああっまぁな!」
「私、北東都市に同行することになった。美雪と言います。宜しくお願いします」
「新です。宜しくお願いします」
「キャッ本当なの。嬉しい。女性一人だったから心細かったの。本当に嬉しいわ。ねね、中に入ってよ。これからのことを打ち合わせしましょう」
「はい」
 三人の男女が勧められて中に入った。すると・・・・。
「私ね。いろいろ苦情を言いたかったのでも、女性が一人だったし、歳も若いから頷くことしかできなかったのよ。だから、美雪さんの大人としての意見が知りたかったのよ」
「そうでしたか、それで、例えばでは、なんでしょう」
 饅頭屋の主は、真っ先に挙げたことは、最低一度の湯浴みをしたいから始まり、寝室は簡易小屋で女性だけだよね。と、ねだるように抱きついて、私と同じ気持ちよね。そう確認するのだったが、話は止まらずに、当然便所も女性専用だと言うのだった。美雪が言葉に詰まると、どうせ、北東都市が全て費用だすのだすのよと、強制的な何度目かの同意を求めるのだった。そんな態度をされて、少し悩む美雪だったが・・・。
「費用の全額を北東都市が払うなら問題はないのでしょうか?」
 自分たちの後ろで、呆然としていた二人の男に問い掛けたのだ。
「・・・・」
 新は、登に視線を向けて問うが、登は、おそらく、なるべく費用を抑えてくれと、北東都市の者から言われているはず。だが、二人の女性の喜びを見ては、頷くことしかできなかった。特に、先ほどまで饅頭屋の主が怯えていた姿から変わった。そんな、姿を見ては、何を言われても通してやるしかないと、心に決めるしかなかった。
「仕方がないだろう」
 登は、承認した。その後は、女性特有の会話が長々と続き、さすがに、時間的にも肉体的にも疲れた。男たちが、登は、明日の用意をすると店を後にして、新は、明日のためにゆっくりく寛ぎたいから宿に戻ろう。それで、やっと、解散するのだった。
「そうね。また、旅をしながら話しましょうね」
「はい」
 店の主の言葉を聞いて、美雪と新は、深々と頭を下げて店から出て、宿に向かった。


第百五十二章

 今まで都市の象徴であり。守り神でもあった。上空の龍が消えてから初めての朝日が昇ってきた。龍が存在していた時は、鱗だったのか、空気の屈折だったのか、それは、証明は、もうできないが、まるでダイヤモンドに光が当たったような、きらきらと光が見えたのだ。その時は、大勢の者たちが見物していた。だが、今は、辺りの明暗だけしか感じられないからだろう。誰も見物する人々は居ない。いや、数十人の者たちがいた。それは、美雪と新と北東都市に一緒に向かう関係者だけがいた。
「おはようございます」
「遅れてすみません」
「いや、まだ、出発する時間ではない。店主と登殿と部下たちがまだだ」
「そうでしたか!」
 今で言う、荷物の運搬者である。運送屋の人々だけが、荷物の点検をしていたいのだ。
「もう来ていましたのね。本当に遅れて済みません」
 仙人の霞の饅頭の主と部下が駆けてくるのだった。
「まだ、護衛の人が着ていません」
「そう、登おじさん。まだ、来てないのね。どうしたのだろう?」
 辺りを見回した。すると、荷馬車が向かって来るのが見えて、見つめ続けると、登と数人の男たちが目に入った。そして、この場の皆は、見続けた
「もう、皆が来ていたのか済まなかった。まあ、両替屋が金額の数えるのに手間取ってなぁ。本当に待たせて済まなかった」
「それでは、行きましょうか?」
「そうだな」
 一行は、北東都市に向かった。その中の登と部下たちは、これで、二度目だったが、不安を感じていた。あの時は、龍の加護があったが、今は存在しない。だが、存在はしないが上空を見ながら無事を祈っているようだった。そんな様子だったが・・・・。
「大丈夫ですよ。今の北東都市からは戦の気配は感じませんよ。もう我々は、何度も行き来をしています。安心してください。勿論、盗賊などの襲来も西都市の周辺の警護隊も監視していますから安全な旅ができます」
 運送屋は、恐怖を感じていた者たちを安心させる気持ちだったのだろう。本当は、護衛などいらないのに、そう感じる笑みを浮かべるだけでなく声色も表していた。
「そうなのか」
「はい。ですから、肩の力を落として下さい。旅を楽しみましょう」
「そうだな」
 登の不安が皆に広がっていたのだ。その気持ちを落ち着かせる気持ちだっただろう。その後は・・・・。
「西都市と北東都市の間には、今では宿もあるのですよ」
「本当なのか?」
「さすがに、今回は、人が多く荷物も金銭的にも合いませんので泊まりませんけどね」
「そこまで、友好的になったのか、商人たちとは凄い者だな!」
 登の驚きを感じて、皆の安堵を確認すると、それぞれの好きな会話をしながら旅は順調に進むのだ。そして、予定の通り進み渓谷まできた。さすが、この地だけは危険な場所だと思われているのは同じで、渓谷の手前で簡易小屋を建てて明日の朝まで泊まることになったのだ。もう何度もしてきたことなのだろう。運送屋たちは、簡易小屋から食事と用意を全て終えると、宴会を始めるのだった。さすがに、登も新も店主も止めることも理由もないために様子を見ていたが、運送屋の方が不審を感じて宴会に誘うのだった。勿論、断ることもなく皆も参加するのだった。だが、登は最低限の護衛だけは配置に付けた。その支持を聞いて、運送屋の方は、考えすぎだと言うが、警護が仕事だからだと妥協はしなかったのだ。その妥協しなかったことと、宴会の浮かれで皆は安心して休むことができた。
「何だ?」
「朝食の用意と出発の用意が整いました」
 軍隊なら強制的に起こすために木槌の音が響くのだが、運送屋と言うか民間では、宴会をしてもすることはする。それを証明だろう。自分たち以外は睡眠を邪魔しない様に静かに片づけを済まして、朝食の用意まで終わらせると、それとなく、時間を知らせたのだ。
「出発するぞ」
 皆は朝食を食べると、直ぐに北東都市に向かった。渓谷を過ぎると、宿もあるからだろう。通行人が増えてきた。何の行列かと視線を送る者たちもいたが、何も問題は起こらずに、そろそろ、都市が見えるところまできた。旅でのことを振り返ると、騒ぎとは、通行人に不審がられたことだけ、それくらいだった。
「特には、変わった雰囲気はないな!」
「そうですよ。税を納める所が変わっただけ、何も変わりませんよ。それでも、人々の表情と何か開放的になった感じはしませんか?」
「そう言われると、確かに、人々の表情が柔和になった感じがするな」
「あっ」
「キャ」
「どうしたのだ。新殿。美雪殿?」
 登は運送人たちと話をしている時だった。それが、突然に、新と美幸の悲鳴を聞いたのだ。そして、周囲を見るが、何も不審なことも殺気も感じなかった。それなのに、何か問題があるかのように、二人は、馬車を降りると、この場で分かれて行動すると言うのだ。
「何が、遭ったのだ?」
「何でもないの。風景を見たいだけ、そうよね。新さん?」
「あっ・・・うん。そうです。景色が見たいのです」
 新と美幸は、誰が聞いても嘘だと分かる様子だったが、二人の表情を見て、恐怖でも悩みでもなく、本当に、木陰から泉でも発見をしたかの様な感じだったので別行動を許したのだ。それでも、待ち合わせ場所を決めるために、登が悩んでいると、運送屋の者が、門番の人に託を頼めばいいよ。そう言うのだ。それで、登と会いたい。そう言う者が来たら伝えて欲しいとね。
「そう言うことだ。住所を調べて伝えておくから必ず来てくれよ」
「はい」
 美雪と新は、何度も頷いた。何が起きたかと言うと、左手の小指の赤い感覚器官の修正を知らせる物だった。二人の目には、陽炎のような映像が見えていたのだ。それは、草むらに懐中時計が落ちているのが見えていた。その物は今の時代には存在していない物で未来に返さなければならなかった。二人は知らないが、この懐中時計を未来人が落としたことで、飛躍するための質量計算と古代に存在しない遺物が、時の流れの拒否反応を示して未来に帰れない原因だったのだ。だが、探すことが出来ずに、西都市と北東都市の戦いと女神信仰の女神の誕生などの一連の騒動の切っ掛けだったのだ。
「これのために、新さんと結ばれる簡単な修正だったのが、大幅に修正することになったのね。でも、これで、本当に修正は終わりなの?」
「何とも言えないけど、終わった場合は、二人の赤い感覚器官が繋がるはずだよ」
 美雪は、走馬灯のように全ての事柄が見えて、修正の意味を理解したのだ。だが、新の言葉の通りに、最後までは知ることができなかったのだ。だが、新も同じ走馬灯を見たかと思って、新を見る。もしかして記憶が戻った。そう思ったが、一瞬で理解をした。それは、弓矢の弦と矢の意味だった。弦が新で、矢が美雪だった。標的に向かって当たるための情報の取得だったために、美雪だけが知る情報だったのだ。
「それでは、修正をしましょう」
「そうだね」
 荷馬車から離れ、街道からも離れて林の中に入ると、二人だけになったことで安心したのだろう。心の中で思っていた気持ちを話したのだ。そして、修正をするための行動を始めた。まずは、懐中時計を探すのだった。
「北東の方向みたいね」
 まるで、指紋と指紋を重ね合わせて確かめている。それに似ていた。美雪の目には、懐中時計が落ちている場所が見えていた。だが、目の前の景色とは重ならなかった。そのために、一歩、また、一歩、右に左と景色が重なる所を探すのだった。そんな機能があったとしても、林の中であるだけでなく、地面に枯草が多く絨毯のように落ちている。そんな状態では、簡単に探せるはずがなかった。だが、二人で探すために段々と地域が狭まり。美雪が、先に驚きの声を上げた。そして、指差して、新に伝えるのだ。
「うん。あったね」
 新は、恐る恐ると、懐中時計を拾うのだが、微かな振動と音が聞こえて落としそうになるのだった。そして、美雪は、不審そうに、懐中時計と新を見るのだ。
「それは、何ですか?」
 美雪に問い掛けられて、音を正確に聞こうとして耳に当てた。すると、留め金に触れたのだろう。蓋が開くのだ。数字がと日付が書いてあるのを見るのだ。
「これ、時間を知らせる機械だよ」
「やはり、そうなのね」
「美雪さんには、何なのか分かっていたの?」
「分かっていたのでないのよ。ただ、未来からの品物だと感じていたの」
「そう」
 新が、次に何か問い掛けようとしたが、美雪は遮るのだ。
「そんな、恐ろしい物は、あるべき所に返しましょう」
「そうだね」
 新は、頷くと、辺りから枯葉を集めて小さい山のように積み上げた。
「二度目だから大丈夫だよね」
「大丈夫よ。それでは、ばら撒きましょう」
 その合図で、二人は、枯葉の小山に両手を入れて上空にばら撒くのだった。だが、前回と違って、枯葉はクルクルと円を描くように周りながら渦を起こすのだ。その中心は、一枚、五枚と枯葉を吸い込む。すると、数が増える毎に空間に浮かぶ穴のような物が広がるのだった。小山が全て舞い上げると、新は疲れたように座り込む。すると、美雪は頷くのだが、新が疲れたから後は任せて。と言う意味でなく、誰かから次はお前の番だと言われたのを頷くようだったのだ。それと同時に、また、前に見た走馬灯よりもハッキリと、何をしなければならない。そんな映像見るのだった。そして、視線を懐中時計に向けると、上空に浮かび上がり、渦の方に近寄る。なぜか、磁石の同じ極と極のように反発するのだ。
「お願い。元の時の流れの世界に戻って!」
 そう、美雪が叫ぶ。すると、少しは近づくが駄目だった。だが、諦めることが出来るはずもなく、両手を懐中時計の方に向けて、重い物を押すような仕草をした。すると、段々と、渦に近づくが流れに乗らない。最後の手段だと思ったのか、目を瞑り走馬灯のような情報を思い出して、同じ様になれ、そう祈るように願い続けた。
「お願い。私が見たのと同じになって!」
 美雪が、最後の気力を出し切ったような叫び声を上げると、懐中時計は渦の流れに乗って消えた。と、同時に枯葉も周囲に散ったのだ。
「終わったわね」
「うん。終わったね。ありがとうね。美雪さん。本当にありがとう」
 二人は、その場の地面に座り込む。
「これで、新さんの生まれ故郷に帰れば終わるのね」
「そのはずだよ。でも、北東都市に来たのだし、少し観光しようよ」
「そうね。帰りも、登さん達と一緒に帰りましょう」
 二人は、一時間くらい疲れを取るためだろう。新の故郷の話しなどをしてから北東都市の中に入るのだった。勿論、登の言葉を忘れるはずもなく、門番の番人に話を掛けるのだ。
「少し、この場で待っていろ。そろそろ、隣国の江の大商人の一行が来るのだ」
「そうでしたか、すみません。はい、待っています」
 すると、時間が決まっていたのか、外で待っていたのだろうか、本当に直ぐに一行が現れたのだ。美雪と新だけでなく、この場の全ての者と言っていだろう。視線を馬車に向けるのは当然かもしれない。その一行は、仰々しく大規模だったのだ。その中でも、荷馬車の上で宴会の様な騒ぎをしている者たちに多くの視線が向くのだ。そんな視線を向けられても、何も問題がない。と言うよりも、自分たちが貴族の様になった感じで、喜んでいるようだった。だが、ある二人を見ると・・・・・。
(新と化け物夫婦の子供か、美雪とか言っていたか、娘がいるとは、親も居ると言うことか、なら、逃げた方が良いか?。だが、今は一国の代表としての交易人だ。何も疾しいことをしていないぞ。俺は、俺たちは、人から後ろ指を指されることはしてはいないぞ!)
「隊長?。どうしました?」
 昔からの仲間が同じように問い掛けるのだった。
「いや、何でもない。都市に着いたことだし、酔いを覚まそうと思っただけだ。
 コウモリは、先の戦いで隣国に逃げたのだ。その国に預金もしていたが、自分たちの傭兵時代の活躍を知る貴族がいて、交易の護衛件交易の交渉を任せる。提案をしたのだ。物が岩塩であり。金と同等の価値がある物だったために、大規模的な交易ができなかったのだ。襲われる心配もあるし、荷物を持ち逃げされる可能性があったのだ。だが、貴族は傭兵の内心が分かっていた。安住の地を求めているのと、交易の誤魔化しも、命の代償として許すとまで言われては断るはずもなかった。国としては、それほどまで定期的な大金が欲しかったのだ。
「凄い数の岩塩だわ。小さい町の一年の収益くらいあるかもね。これでは、直ぐに対応はしてくれないわ。新さん。どうします?」
「町の中を見物でもしようか」
「そうね。お城もあるみたいだし見たいわね」
「そうだね」
 二人は、遠くに見える城を見て興味を示した。そんな様子は、この場の誰もがする行動なので、注意も不審も感じない。だが、一人の男だけは安堵するのだった。
「俺に気が付いていないのか、それとも、子供だけの旅行か?」
 そんな呟きをするが、誰も部下たちも聞き流すことだった。だが、また、美雪と新を知る者が、二人に視線を釘付けになったのだ。


第百五十三章

 岩塩の品質の検査と荷置き場所を指示する命令を伝えるために現れた。あの聖だった。その他の部下も新を知る者がいた。だが、聖以外は、自分の役割を果たすのに気が付かない者やコウモリと些細な会話と言うか、喧嘩でもしているような声量で、少々きつい漫才でもしている感じの傭兵特有の言葉の遊びをしていたのだ。そろそろ、普段なら部下たちの会話を止めて、仕事に専念しろ。そう言うのだが、まるで、人目ぼれでもしたかのように視線と首まで動かして見つめているために交通の邪魔になり始めた。そんな、視線に新は気が付かないが、美雪は、聖に心当たりがあり。今までのように歩きながらだけど会釈をした。すると、待てと言う仕草だったので、片目を瞑って片手で無視して欲しいと伝えた。すると、理解できなかったのだろう。二人の所に向かおうとしたが、新と視線があったが、まるで別人の様だったことで、一瞬で、武将の勘だろう。新は演技でなく記憶を失くしたのか、それとも、他人の振りをして話を掛けない方ががいい。そう理解したのだ。
(新殿。いろいろ感謝する)
 聖は内心で感謝の言葉を呟いた。そんなことを知らずに、二人は城に向かった。
「凄い、賑やかね」
城がある旧城下町は昔の貴族の邸宅だったが大規模商店になり。新区画は塩が運ばれる新倉庫群と新しい邸宅が建設されて新しい城下町に変わろうとしていた。自由都市で、城下町とは変だが、都市の主であった者は、都市の象徴になり身分はなくなったが、塩の交易だけは権利を主に戻したのだ。小隊規模だった以前の交易とは違い。コウモリの様な国や都市間の交易の大規模になったことで、外交での接客一つで戦争に発展になりかねない。そんな理由があったのだ。そのために、新城下町の中だけは、王権とは大げさだが、元近衛師団だけの規模で王権を認めた。勿論と言うべきか税収も政治にも関わりなく、塩の交易権だけで賄っていた。それと、元貴族は商いで成功した者は少ない。殆どの多くの者は都市の兵員や主が貸付して都市の外の地で、それぞれに適した職を与えた。このことで、貴族の蜂起を納めることができた。などと、何も知らない。新と美幸は、二人が結ばれる時の流れが修正されて、上空で枯葉が砕け散ったことを気が付かずに都市を満喫するのだ。
「そろそろ、門番さんに、登さんのことを聞きに戻りましょう」
「そうだね」
 昼も食べずに、都市の中歩き回ったことで、疲れと空腹で、やっと、登のことを思い出したようだった。それでも、急いで向かった。すると・・・一人の男が、門の周囲をうろつきながら首をキョロキョロと見回していた。その男は、手を振っていた。美雪と新には誰に振っているのかと、辺りを見回すが、自分たちの所に駆け寄ってきたのだ
「どうしたのです。遅いから待っていたのですよ」
「ごめんなさない」
「もういいですから、行きましょう」
 二人は、男に何度も頭を下げるのだった。男は何も問題はないですと、そう言って急ぐように登の所に向かうのだ。その後を疲れ切って歩けない。そんな状態で、旧貴族街に向かった。その中の貴族としては一般的な二階だての屋敷を改良して店らしき物にしていた。看板には仙人の霞の饅頭と書かれてあり、二人の男と女性が入って行った。すると、建物の中は、一階の玄関には貴族が好みそうなガラスの陳列棚が置かれ、おそらく、全種類の饅頭を並べるのだろう。そして、その隣の二つの部屋には、座敷で食べられるようになっていたのだ。その置くには、普通の人が入れない。調理室と倉庫があったのだ。
「連れて参りました」
 男は、倉庫の方に向かいながら叫ぶのだった。すると、登と店主が現れた。
「遅かったなぁ。昼食を用意していたのだぞ。何かあったのか?」
「そうよ。一緒にお風呂も入ろうとして待っていたのよ」
 二人の男女の言葉の内容は違っていたが、心配をしていたのは確かだった。
「ちょっと、都市の中の観光をしてきたのです」
 新が言った言葉に、美雪は頷くのだ。そして、女性たちは、風呂から上がってから昼食にすると、美雪を引っ張るようにして二階に上がって行った。
「新殿。女性たちは風呂に行ってしまった。もう少し片づけを終わらしてから昼にしたい」
「構いませんよ。僕も手伝いますよ」
 女性たちは、片づけが終わり。昼食の用意が終わっても上がってこなかった。男たちは、仕方がなく、先に酒宴を始めていたのだ。そして、少々酔いを感じてきた頃に女性たちが上がってきた。男たちの様子を見て驚くが、女性たちも喉の渇きに我慢できずに一緒に参加するのだが、もう新は、その頃には酔いつぶれていた。
「うっうう」
「新さん。大丈夫?」
 新の顔色が青白く、美雪が心配するが・・・。
「大丈夫よ。酒酔いなんて寝かせていれば治るわ。だから、一緒に飲みましょうよ」
 美雪は、皆から誘われるが、食事だけを食べると、二階に新を連れて行ってもらい。新の世話をするのだった。
「大丈夫?」
 店主は、美雪と新が心配で様子を見にきた。それなのに、返事をしても扉を叩いても返事がなかったのだ。それで、扉を開けて入ってみると、返事があるはずもなかった。美雪が新の顔に寄りかかるように寝ていたのだ。おそらく、好きな男性の寝顔を見て安心して寝てしまったに違いない。この無邪気な姿を見ては、一言の言葉も掛ける気持ちになれず。起こさずに静かに階下に降りて行くのだった。そして、皆に言うのだ。新は当然だとしても美雪も疲れたいるだろうから朝まで寝ているかもしれないわ。と、だが、誰も心配する者はいなく、酒の摘みとして盛り上がり続けて、次の日になろうとしても終わる気配がなく、それでも、一人、二人と酔いに倒れるが、それでも、朝日が昇ろうとする時間でも宴会は終わることがなかった。
「誰かが起きてきたぞ。一気飲みの勝負の開始だな!」
「まだ、飲むのですか、そろそろ眠いです」
「なら、負けを認めて、寝たらいいだろう!」
 登と部下が話している時に、美雪が起きだして、声がする方に向かった。
「もう起きていたのですか、お腹が空きませんか、何か作りますよ」
 二人の男は、口を押えて断るのだった。酒なら体に入るのだろうが、食事を食べたらだけではなく想像しても吐き気を催すらしい。それは、二人のろれつの回らない話し方と顔色を見れば感じられた。それでも、おかゆ程度なら後で食べるだろうと、作りに向かった。勿論、新と自分のだけでなく、他の人達も空腹のはずだから一緒に食事も用意する気持ちだった。それを証明するかのように、包丁の音に気が付いたのか、調理の匂いなのだろう。一人、二人と起きて来るのだった。皆が起きて来る頃には料理は出来上がっていた。美雪は喜んで席に座って待つ人達に料理を運んで一緒に食べるのだ。それ頃になっても、新は起きてこない。それで、新に喜んでもらおうと、部屋に持って行くのだ。だが、起きているようだが、苦しそうに青白い顔をしていた。
「大丈夫?。食べられそう?」
「ごめんね。食べられない。でも、久しぶりの美雪さんの料理だから弁当にしていて、馬車に乗っている時に食べるからね」
「うんうん、弁当にしてあげるね」
 新は、完全の二日酔いで体を動かすだけで吐き気を催すようだった。だが、美雪の気持ちが心底から嬉しかったし、食べたい気持ちがあったので、偽りでなく本当に嬉しそうに作ってくれた気持ちを笑顔で返すのだった。そんな様子を見て、美雪がつまらなそうに一階に降りるのだったが、階下に降りると、皆は、美雪の落ち込みを見て、新は、男ではないなどと励ましてくれるが、料理を台所に置くと、水と薬を持って戻るのだった。それから、一階では、騒ぎになるのだ。珍しく登が寝てしまって、出発の時間になっても起きないのだ。仕方がなく、新と同じように馬車の上に寝かせるしかなかった。その横で、美雪が二人の手拭いを冷やしては交換するのだった。そんな時・・・・。
「美雪さん。と言うのですよね」
 登が薄目を開けた。
「起きていたのですか、大丈夫ですか?」
「いや、今起きたのだが、まだ、起きられそうにない。それより、旅の話しでも聞かせてくれないだろうか、駄目なら仕方がないが諦める」
「いいですよ」
「そうか、そうか、それで・・・・」
 起きられないと言っていたのに、上半身を起きだして喜びを表していた。まるで、美雪と新に話がしたくて二日酔いが嘘のそうだったが、直ぐに具合悪そうに寝るので判断ができなかった。それに、美雪は気が付いているのか不明だが、嬉しそうに話を始めるのだった。まず、今まで通ってきた村や都市などは、戦争被害は復興したと、そして、ある村の角煮丼を食べたことを嬉しそうに伝えて、機会があればと、登に勧めた。それと、もう一つの不思議な味をした。北東都市のカレーのことも美味しかったと伝えるのだ。そして、最後を締めるように、仙人の霞の饅頭が村にも伝わっていて本物を食べるのが、この旅での一番の目的でもあったのだと、そして、本当に食べて見ると、噂以上の味でしたと破顔するのだ。その様子を登が見ると、自分の事の様に喜ぶのだ。
「本当に、美味しかったわ。だから、北東都市の店屋も成功すると思うわ」
「そうだな。ありがとう。済まないが昼まで寝かせてもらうよ」
 登は、全ての不安と思っていたことが済んだと思い。肩の荷が降りたのだろう。酒の酔いもあったが安心して寝るのだった。そして、新は昼頃になると起き上がる気力はでたが、食事の方が、美雪の朝の料理を箱に詰めた物だけは食べてから又横になるだった。勿論のことだが、登は昼には起きて本当に酒を飲んだ次の日なのかと思うほど食べていた。それから、美雪も他の者たちも食事を済ませてから二時間の休憩後に、新以外は普通の状態に戻って自分の任務を実行しながら西都市に向かうのだ。その後の行程は何も問題もなく予定されていたのだろう。自分たちの帰る時間でもある家族の夕飯の時間には到着するのだ。すると、登が・・・・。
「今日は都市に泊まって、明日の朝にでも出発するのだろう。それなら、俺の家にでも泊まらないか、何も気遣いする必要はないぞ。俺だけの家だからな」
「そうでないのです。父や母に旅の話をお土産にするので、宿の食事や風呂などの話をしたいので出来るだけ泊まりたいのです」
「そうか、残念だが、そう言うことなら諦めよう。良い旅を・・・新に宜しく・・またな」
「はい。伝えます。それでは、新を起こしてきます。さようなら」
 登は、別れの挨拶を少しでも長くして気持ちを変えようとしたが無駄だった。美雪はあっさりと返事を返して、馬車に寝ている新を起こしてから立ち去るのだった。その様子を登は見ていた。もしかしたら遠慮していると感じたのだが、美雪とふらつきながら歩く新を支えながら嬉しそうに宿屋を選ぶ姿を見ては何も言えずに、登も家路に向かったのだ。
「どこの宿のしようかな」
 新に問い掛けているのだが、美雪さんに任せる。それだけを言うだけだった。まだ、体調が戻っていないのだろう。それよりも、そんなに選ぶほどの宿があるのか、あったとしても金銭的に折りが合わないのでないか、そう思うだろうが、龍が消えたことで、殆どの店が満室でなく値段も下げています。と店の前に張り紙をしていたのだ。そして、選んだ店は、普通なら豪華な宿なので入ることも考えない宿屋なのだが、外には数人の従業員なのだろう。格安の宿の様な呼び込み人らしき者いた。まあ、女将から無理やりに客の呼び込みをしろ。そう言われたような様子だった。そんな一人が、美雪に話を掛けてきたのだ。まあ、そんな人だから信頼もできる。そう思ったのもあったが、料理も直ぐに出せると言うし、二日酔いに良い薬も良い温泉もあると言われて、その宿に決めたのだ。勿論、直ぐに新を部屋に案内されて、約束の二日酔いに効く薬も食事と一緒に持ってきた。冷めると持ったないので、美雪は、新に薬を飲ませると、食べ始めるのだが、食べ終わる頃になると、新も薬が効いたのだろう。食欲を取り戻し食べ終わると、二人は、浴室に向かった。 
 浴室には、薬湯、滝の流し湯、露天風呂、人口的な温泉と、本当に一流の宿屋だと思える豪華な浴室だった。勿論とは、変だが貸し切りのように誰もいないのだ。当然の権利のように全ての浴室を堪能して、最後の露天風呂に入り月を見ていた。すると・・・・。
「良い月ですね」
 新は、露天に人が来たのを感じて、おそらくだが、女湯にも美雪だけと思っての言葉だろう。だが、もし違うことを考えて、誰にでも変でない言葉を呟くのだ。
「新さんね。本当に綺麗な月ね。それより、酔いは治ったの?」
「薬と温泉が効いたみたいだよ」
「それなら、よかった」
 二人は、静かに、暫く月を見ていた。そして、部屋に戻ろうか、殆ど同時に言って部屋に戻った。湯疲れでも感じたのだろう。些細な会話の後に、それぞれの布団に入ったのだ。


第百五十四章

 部屋の外から朝を知らせるかのような鳥のさえずりが部屋の中に響いた。まるで、これから人が来るから起きて。と教えているようだった。
「新さん。起きている?」
「今起きたよ。可愛い鳥の声で気持ち良く起きられたよ」
「そうね。可愛い鳴き声ね。鳥が起きている時間だし起きましょうか?」
「そうだね」
 二人は着替えてから椅子に座って、外から聞こえる鳥の鳴き声を楽しんでいた。すると・・。
「おはよう御座います。起きていましたでしょうか?」
「はい。起きていますよ。何でしょう?」
「朝のお茶をお待ちしました。それと、朝食の用意を始めても宜しいでしょうか?」
「はい。お願いします」
 新は、鳥の鳴き声に夢中で、美雪に受け答えを任せていた。
「それでは、失礼します」
 昨日の呼び込みの男が現れた。もしかすると、それなりの役職の者かもしれない。いや、普通なら朝食は終えるだけでなく、部屋の清掃を済んでいる時間だった。癖のある客だと感じて無理やりに対応を任されたのかもしれなかった。その様な内心など表すはずもなく笑みを浮かべながら食卓の上にお茶を用意していると・・・・・。
「お願いがあるのだけど、宜しいですか?」
「構いわせんよ。何でしょう」
「昼食の弁当を作って頂けませんか?」
「構いませんよ」
 男は、満面の笑みを浮かべるのだ。それも、心底から喜びようだ。これが、もし接待からの内心を騙しての笑みなら男は天職だ。おそらく、これからも店は繁盛するはずだ。
「ありがとう」
 男が退室すると、直ぐに朝食が運ばれてきた。それも、予想された朝食よりも豪華で量も豊富だった。そして、二人は、食べ終えた後に、仙人の霞の饅頭の店に向かうのだ。すると、もう店の前には行列が出来ていた。大人しく並んでいると、手渡せる饅頭の数と人の人数を数えていた。すると、美雪と新を見かけて声を掛けてきた。
「どうしたのよ。饅頭を買うなら言ってくれたら用意するのに・・・もう他人行儀の人ね」
「お願いがあったのです」
「なんなのよ。本当にみずくさい人ね。旅の間でも何でも言ってくれたらいいのに、もう、店の中にきてよ。お茶でも用意するからゆっくり聞かせて!」
「はい」
 二人は、女店主の後に続いて歩き出して裏口から中に入るのだった。そして、予想されたことだが、お茶の他に新製品の味見をしてと、饅頭が出されるのだ。美味しいと言った後に、言い難そうに饅頭を作る材料が欲しいと言うのだが、当然の反応だろう。なぜかと理由を聞かれるのだ。そして、美雪は正直に言うのだ。新の親に、と言うか、二人の墓前に上げたいと言った。すると、涙を流しながら良いわ。と、隠し味まで教える。そう言ってくれたのだ。二人は、喜ぶだけでなく、感謝の気持ちとして、詳しく味見の内容を伝えた。その話を聞く間に、二人に待たせる時間が惜しいと感じたのだろう。従業員に原料の用意を伝えるのだ。
「用意が終わりました」
 三人で盛り上がっている。正確には女性二人だが、無愛想な態度で知らせるのだ。もしかすると、店の忙しさの中なのだ。本当に邪魔だと感じての態度だと感じた。それに反応したのは新だけだった。新が会話の邪魔と言うか、そろそろ、帰ろう。と言わなかったら二人の女性は会話が続いていただろう。そして、新は、従業員から荷物を渡される時に、ありがとう。そう感謝されたのだ。
「それでは、美雪さん。そろそろ、行こうか」
「はい。そうします」
 女店主は、残念そうだったが、自分の店の中も外も猫の手を借りたいほど忙しいのを思い出したのだ。それでも、別れの挨拶は丁寧に再会を楽しみだと、二人に伝えることを忘れずに送り出すのだ。勿論、美雪も新も、再会を約束することは忘れるはずがなかった。二人は、裏口から出て、少し離れると、饅頭の話題だろうか、嬉しそうに何かを話し合っていたが、特に美雪が本当に嬉しそうだった。その二人の姿を見て、お幸せにね。そう心の中で女店主は呟くのだが、その気持ちが届いたのだろうか、偶然だろうか、突然に、振り向いて手を振って別れを惜しんだのだ。それからの二人は、寄り道をせずに宿屋街に向かう。そして、そろそろ宿に着く頃に・・・。
「ねえ、新さん。直ぐに出発するのでしょう」
「そうだね。そうしよう」
「はい」
 二人は、宿屋の中に入った。
「お帰りなさいませ。それと、昼のお弁当は直ぐに作っても宜しいでしょうか?」
「はい。お願いします。あっそれと、宿代とは別にお弁当のお金を出しますので宜しくね」
「分かりました。お楽しみしてください、最高のお弁当を御用意する気持ちです」
「うぁあ、それは、楽しみね。新さん!」
「そうだね。あっお風呂は、まだ、入れるのですか?」
「勿論です。入れますよ。あっそれなら、湯殿から出てくるまでに弁当を用意いたします」
「お願いします」
 美雪と新は、丁寧に頭を下げて頼むのだった。男は、気持ち良い感情を感じたのだろう。普通なら言わない。はい。と返事を返すのだ。その返事を聞いて安心したのだろう。部屋に戻って直ぐに湯殿に向かうのだ。そして、新は、出来る限り長く湯に入ったが、部屋に戻ってみると、やはり、美雪は戻っていなかった。仕方がなく戻るまで待っていると、男が弁当を持ってきたのだ。少々大きく一人で二箱だったので、中身を見なくても満足したので、宿の値段の他に心付けと弁当の値段としては十分に払ったことで、新と美幸に無料で手技治療を含めた疲労回復の治療人を寄越すと言うのだった。そのお蔭で美雪が戻るまで十分の満足する時間を過ごせた。
「凄かったわよ。新さんが呼んでくれたの。疲れが取れたわ」
「弁当代を多めに払ったから無料で寄越してくれたのだぞ」
「そうだったの」
「それでは、出発しようか」
「はい」
 美雪は頷き荷造りを始めた。その様子を見て、弁当以外は、新が持つと言うのだ。すると、楽に歩けるわ。そう嬉しそうに言って宿をあとにするのだ。
「どのくらいで、新さんの村に着くの?」
「確か、前は、半日だったよ」
「なら、近いわね。行きましょう」
 新は地図と方向磁石を使用して村の方向を確かめて歩き出したのだが、美雪は心配そうに新の顔を見るのだった。それは、段々と、思ったことが確信に思えてきた。それは、磁石と地図を見るだけで、道にある立札の文字を見ないで歩くのだった。それだけでなく、大きな道を歩いたと思えば、森に入り獣道を歩くからだ。その迷路を歩いている様なことを何度繰り返したか、さすがの、美雪は変だと感じて、新に言うのだ。
「この場所、何度か来ましたよ。本当に間違ってないの?」
「本当?・・・・あっ」
 新の驚きの表情を見て迷っているのを確信したのだ。大きな溜息を吐いて、内心で思って居る考えを提案しようとしたが、新は、茂みに入り枯葉を持ってきた。直ぐに修正だと気が付き一緒に枯葉を集めるのだ。だが、今までとは違って何も感じなかった。それで、もしかすると、不思議な新さんのことだし、村の場所とは簡単に入れない迷宮の様な村のための鍵なのだと思ったのだ。新は迷宮とは思ってないが、森に入る時に修正をしたのを思いだしたから同じことをしなければならない。そう思ったのだった。
「きゃ!」
「お!」
 適当な分量の枯葉を集めて上空に散らした。すると、目が悪くなったのか、頭が変になったのか、目が回ると言うのか、まるで、万華鏡を見ているかの様な景色がぐるぐる回っている感覚を感じたのだ。それが、収まると、驚くことに、初めて修正をした場所であり。村まで真っ直ぐの道に現れたのだ。
「あの村が、新さんが生まれ育った所なのですか?」
「うん。そうだよ」
 道の先の方にある。家々に指差すのだった。
「この村で、新さんは育ったのね」
 美雪は、心の中で思っていたことを興奮の高まりで声に出したのだ。
「そうだよ。でも、一人も住んでいないよ」
「えっ」
「僕が最後の一人だったよ。人はね」
「人は・・えっ・・・動物?」
「何て言えばいいのかな、先祖代々からの自動に動く意識がある案山子かな」
「そう・・・・案山子なの。それが、私に似ているのね」
「そうだよ。先祖は、上空の月を船に改造して、この地に来たらしいよ」
「月に乗ってきたのね。凄いわね」
 二人は歩きながら話をしていたが、新から月の話題がでて、まだ、月は出ていないが、美雪は立ち止まって上空を見るのだ。立ち止まったこともあり。新は、自分が教わった全てを伝えようと話を掛けるのだ。すると、目の前の村のことだったからだろう。実物を確かめようと歩き出した。それでも、新は、話し続けた。そして、村の敷地に入るのだった。
「ねね、それで、新さんの家は、どれなの?」
 美雪は、周りの家々を見回しながら言うのだった。
「当ててみて!」
 新は、久しぶりに帰ってきたことの喜びなのか、美雪との家選びという遊びが楽しいのか、興奮を表していた。
「そうね。う~ん。あの一番の大きい二階建ての家でしょう」
「当たり!」
「家に入れるの?」
「たしか、鍵は・・・」
 新は村から出る時を思い出そうとした。そして、鍵の隠し場所を思い出して中に入るのだ。先に新は家の中に入った。すると、大量の埃が積り無数の蜘蛛の巣がはってあった。まるで、蜘蛛の巣の本拠地の様な有様だった。
「まず、掃除からしないと駄目ね。その前に、弁当を食べましょうよ」
「そうだね」
 二人は、弁当の蓋を開けると、驚きのあまりに興奮するのは当然だった。予想よりも豪華な料理だったからだが、食べ終えても簡単には興奮は収まらなかったのだ。特に、美雪は、新の生まれ育った所だからだ。先ほどは、食べるために口を開け閉めしていた。同じ口が、新に生まれてから運命の旅に出るまでのことを質問攻めするのだ。
「そうだったの。それなら、まだ、中に裕子さんがいるのね」
「そのはずだよ」
「女性なのよね。化粧して綺麗にしてあげましょう」
「うん。ありがとう」
「始めましょうか」
「まず、蜘蛛巣からだね」
 美雪は、頷くだけだった。おそらく、駆除する生き物を想像もしたくなかったのだ。それでも、台所から駆除してね。そう言うのだった。その間に、美雪は、井戸や畑などを見て回ってから、新の家族の墓の掃除と一緒になることを許してもらいに行くのだ。すると、新が、蜘蛛の駆除は終わったよ。どこなの?。そう叫ぶ声が聞こえて戻るのだが、新の所に行き理由を告げずに、ごめんね。そう謝るのだが、新は、何をしていたか問い掛けたい気持ちだが、無事なのが分かるだけで安心するのだ。そんな新の気持ちを感じ取って、裕子さんよりも、台所の掃除をお願いして、ありがとう。そう感謝するのだ。
「家に入ろうか、あっ、でも、待って」
「えっ」
「僕の家の家系ではね。結婚して初めて家に入る時は、女性を抱っこして家の神様に許してもらうのが決まりなっているのだよ」
「何か恥ずかしいわね。でも、仕来りなら仕方がないわね」
 新は、美雪を抱え上げて、台所に入り。かまどの前で・・・・。
「僕の奥さんです。これから、かまどを使う人だよ。宜しくね」
「美雪です。神様。これから、宜しくお願いします」
「それでは、他の部屋を掃除してくるね」
 新は、この場を美雪に任せて、他の部屋の掃除に向かった。


第百五十五章

 新が台所から消えると、何度も悲鳴が響くのだが、何度目のだろうか、悲鳴でなく名前を呼ぶのに変わるのだ。その名前は、誰のか、美雪は知っていた。そのために、再会を楽しんでいるのだと思ったことで、聞き流していたのだが・・・・。
「裕子。裕子、どこにいるのだ!」
 新の泣き声に変わったことで心配になり台所から叫んだ。
「新さん。どうしたのです?」
「裕子は?」
 新は、美雪の言葉に反応したと言うよりも、裕子が自分で台所に歩いて行ったのか、そう思った。そんな様子で現れたのだった。
「裕子さんなら居るわけないでしょう。案山子のように動けないのでしょう」
「そうなのだよ。それなのに、裕子が居ない」
 新は、発狂寸前のようにうろたえていた。美雪は、落ち着かせようと、蜘蛛の巣と埃で埋もれているはず。だから、だと、掃除が終わったら一緒に探しましょう。と、様々な思い付きを言葉にして並べ上げた。それで、やっと、落ち着かせたのだ。だが、美雪の考えでは、案山子のような人形では、朽ち果てている。そう思っていたが口にはしなかった。それでも、新の裕子と名前を言いながら掃除をしているのを聞くのだった。
「人形でも親の代わりだったのよね。後で、泣くことになるわ。だから、これが必要ね」
 美雪は、呟くと、急いで、仙人の霞の饅頭と作り始めた。出来上がる頃に・・・。
「やっぱり、裕子がいないよ」
 新は、急いで掃除を終わらせて台所に現れた。
「たぶん、出掛けているのよ。村の中を探しましょう」
「うん」
「それよりも、お父さん。お母さんに挨拶しなくていいの?」
「あっそうだった。美雪さんを紹介しないとだめだった。忘れていて、ごめんね」
「うん。いいの。でも、思い出してくれてよかったわ。その後、裕子さんを探しながらでいいから村の中を案内してね」
「そうだね。いいよ」
「それなら、直ぐに行きましょう」
 美雪は、嬉しくて興奮していた。それでも、自分が作った。あの仙人の霞の饅頭を持って行くのを忘れなかった。新は、美雪の用意が終わったのを確認すると、父と母の墓に向かうのだ。そして、綺麗な墓を見るのだ。
「墓が綺麗だ。まるで、今掃除したみたいだ。やっぱり、裕子が生き返ったのだ」
 新は、やっと気持ちが落ち着いたのに、生きていると感じて辺りを振り向きながら名前を叫び続けるのだ。それを止めようとして、美雪は自分が掃除をしたと、そう言っているのに聞こえていないようだった。
「お願いよ。新さん。私の話を聞いて!」
 美雪の涙や悲しみの感情か、新と親たちの係わりがある。仙人の霞の饅頭が重要な係わりなのか、それとも、新の狂った感情を感じ取ったのだろうか、有り得ないことが起きたのだ。それは・・・・・・。
「わたしの大好きなご主人様。正気に戻ってください」
「裕子だね。どこにいるのだ?」
 どこなのか、分からない。だが、機能が停止したはず。もしかすると、脳内機能の記憶を保存する機械だけは、機能していたのか、だが、それは、電源供給しないで動かした場合は、ただの機械の人形になってしまう。それを知っているはず。
「私なら神社にいるは、御神体の本があるところよ。それよりも、運命の人を探したのね。がんばったわね。その子が泣いているわ。正気に戻りなさい」
「裕子は大丈夫なの?」
(ふぅう。もう機能停止をする気持ちだったのよ。まだ、私が居ないと駄目なのね)
 人間だと溜息とも思える様子を表すのだ。その証拠のような言葉を新に聞こえないように吐いた。新は、返事が聞こえずに、状態と場所を何度も聞くのだった。
「それよりも、運命の人を落ち着かせなさい!」
 久しぶりに聞いた。裕子の真剣な怒りを感じて正気に戻った。
「ごめんね。美雪さん。気持ちが落ちつたよ。もう大丈夫だよ」
「良かった。あのね。あのね。墓の掃除は私なのよ。ごめんね」
「そうだったのか、ありがとう。それでは、裕子の無事も分かったし、父と母に一緒に報告しよう」
「そうね」
 二人は、目を瞑って真剣に思いを伝えていた。真っ先に目を開けたのは、新だった。父と母の言葉が聞こえたのか、嬉し涙を流していた。後から目を開けた美雪も同じだった。
「裕子の所に行こうか」
「そうしましょう」
 新が、嬉しそうに歩き出した。その後を美雪が付いて行くが、笑みを浮かべていた。おそらく、子供が寝る時にタオルや人形を抱いてないと寝ない。それと同じと感じて、まだ、子供なのね。そう思っていたのだ。だが・・・・。
「凄く大きな建物ね」
 新の自宅が一番の大きな建物だと思っていたが、長屋の家のような家の三階建てがあったのだが、普通は長屋なら両脇に階段が作られているが、この建物は正面に階段が作られてあり。最上階には厳粛的だと思わせる目的なのか鳥居が作られてあった。その奥に、また、正確な長方形の建物があったのだが、まるで、裏山の三角山の遺跡がある洞窟を隠すように建てられてあったのだ。新は興味がなく、美雪は分からないことだが、洞窟には、建設された年代も分からない古い都市がある。そこに入ろうとする場合は、一階の隠し部屋から出ないと入れないようになっていたのだ。
「上ろう。美雪さん。手を貸そうか」
「いいえ。大丈夫よ。これから、一人で上るかもしれないしね」
「うん。そうだね。分かったよ」
 鳥居を通り、最上階の建物に入ると、広い大広間があった。村の人口で考えると大き過ぎるのだ。もし、村人全員が居て全員が入ったとしても、それでも、余る広さだからだ。
「新さん。ここは何?」
 美雪は、広間の三分の一が暗くて何も見えないことの驚きと、広さに驚くのだ。だが、高度な建設が出来るのだから故意に太陽が入らないようにしているのだった。
「奥に、神話を伝えるような絵があるのだよ。それと、祭壇があるよ。奥が暗いのは、その絵を太陽から隠すのが目的かもしれない。そう伝わっているよ」
「そうなの。楽しみね」
 二人は奥に、一歩、二歩と歩いた。祭壇が見えてきたが、側面の置くの隅の置くに、何か人形のような物が置かれている。そんな感じの物があった。そう認識はする程度だった。もしも暗闇になれて隅を見れば、確実にある。そう思うのだが、祭壇と絵に気持ちが向いていたので分からなかった。
「えっ」
「どうしたの?」
「前に見たのと違う。絵も半分隠れているし、祭壇も変だ。御神体のように本なんて置かれていなかった」
 新が驚くのは当然だった。新が記憶していたのは、四枚の襖絵のようになっており。手前に祭壇があった。だが、現代の者が見れば、祭壇は、電算機器の操作盤で、襖は鉄ではないが、材料は不明な物で、奥の部屋か物を隠すような横に動く扉だったのだ。
「あっ・・・・それよりも、裕子。裕子は、どこ、どこなのだ?」
 新は、周りを見回して、名前を叫ぶのだ。だが、返事がない。 
「裕子さんは、この建物に居るのね。それも、この部屋なのね?」
 新は、叫ぶだけだったが、美雪は、冷静になり。目を瞑り暗闇に目を慣らそうとした。そして、目が暗闇に慣れて広間の隅に視線を向けると、何か、不具合的な物をみつけた。その時、新は、広間から外に出ようとしていた時・・・。
「新さん。待って!。広間の隅に何かあるわ!」
「裕子に違いない。どこ、どこ?」
 美雪は、指差した。すると、新が駆け出して近寄るのだ。直ぐに、裕子の無事などを話し掛けるので見つかったと、安堵するのだが、直ぐに、嗚咽を漏らす声が聞こえて、慰めようとして近寄った。
「えっ・・・なんなのよ。案山子でなくて人でしょう。何しているのよ。直ぐに外に出して容態を見なくては駄目でしょう。早く手を貸して!」
 裕子を一目見て、一瞬いや、一分だろうか、自分の目を疑ったのだ。だが、直ぐに脳裏の中で人だと認識した後は、二人で、裕子の上半身と下半身に分かれて日の当たる所に連れだしたのだ。だが、容態を確かめるよりも、自分の息を整えるのに、やっとだった。
(重い。なんで、こんなに重いの?)
「あっ・・・そうだ。美雪さん。裕子を家に連れて行くから手を貸して!」
 美雪は、頷くのがやっとだった。だが、人の命に係わることだ。無理して、また、下半身を持つのだった。途中で休みたいと思ったが、我慢して家に着くのだが、変なことに地下の物置らしき所に連れて行き椅子に座らせるのだ。なぜと、問い掛けようとしたが、一キロくらいの長距離を走りぬいたかのような状態だったために、新がすることを見るだけが、やっとだった。見ていると、椅子の裏側に回り。カッチリ、ポチ、とか、コンセントを入れたり、ボタンを押したりと、様々な音が響く、手動で電源の供給しているのだろう。だが、美雪には、まったく、想像も出来ずに、首を傾げるだけだったのだ。
「これで、良いはず?」
 新は、突然に、幼い時のことを鮮明に思い出したのだ。一度だけ、裕子の指示を聞きながら手動で電源の供給したことだった。もしかすると、運命の人を見つけたことで、過去、未来の時の流れに関わったことで、感じたい。見たいを見られるようになった。いや、これは、美雪が人だと感じての必死の感情と新の気持ちが重なっただけ、一度だけの過去を見られただけだった。だが、供給の音が響くが目を開けることはなかった。
「新さん。裕子さん。息をしていないわよ」
「前から息をしてないよ」
「そう・・・・そうなの・・・・」
 美雪は、自分も犬が死んだ時のことを思い出した。母から死んだと言われても、信じられず。直ぐにでも目を開いて起き上がる。それ状態を自分の時と新の思いが重なり。新が、返事をしてくれたことだけで安堵したが、暫く、待つしかない。そう思ったのだ。
「新さん。裕子さんが起きた時のために、いろいろと、用意してくるね」
 新は返事をしてくれなかったが、裕子のために着物の用意から湯を沸かすのだ。女性だから身だしなみを整えようと思ったからだ。それだけでなく・・・・・。
「いい匂いだ。何だろう。もしかして、仙人の霞の饅頭の匂いかな?」
「・・・・」
「そう言えば、裕子が言っていたね」
 裕子は何も、答えてくれない。それでも、新は、独り言のように、楽しい思い出なのか、悲しいことなのか、嬉しいことなのか、直ぐには判断できない様子で呟くのだ。その内容とは、自分の父と母とが理由で、仙人の霞の饅頭が出来たことを教えてくれたことを思い出すのだ。それで、父と母が買いに行くと、騒ぎになるからって、裕子が買いに行ったのだったよね。そう言いながら泣き出すのだ。
「新さん。どうしたの?」
 美雪が、新の泣き声を聞こえて地下室に現れた。
「裕子のことを思い出していたよ」
「そう、食卓に紅茶と仙人の霞の饅頭があるわ。わたし、今から裕子さんを綺麗にするわ。だから、先に食べていて」
「でも、裕子、椅子と繋がっているから、美雪さんにできるかな?」
「そうね。確かに、重かったわね」
「それなら、裕子さんの背中を押さえるだけでいいから手伝って」
「いいよ」
 美雪は、裕子の髪から顔と段々と下へ下へと綺麗にするのだが、体の方を拭く時は、二人で裕子を立たせてから、新に目を瞑ってと言って体を拭きだすのだ。そして、綺麗にしている時に、つい力が入って、パキ、ポキと音がするので、骨が折れたと感じたが、新は、大丈夫だよと、頷くのだ。いろいろと、困る場面もあったが、何とか、体を拭き終って、やっと、着替えも終わらせた。
「まっさきに、仙人の霞の饅頭を裕子さんに上げましょう」
「そうだね。あっ美雪さん。この地下室では駄目かな?」
「仕方がないわね。裕子さんと一緒に食べたいのね。いいわよ。少し待っていて」
 新は、一言だけ、ごめんね。そう言いながら頭を下げるのだが、美雪には聞こえていないだろう。それよりも、新は気が付いていないが、微かだが、裕子の起動する音が鳴った。
「お待ちどうさま」
「・・・・」
 新は、美雪が来たことも言葉を掛けらてたことも気づかずに、裕子を見ていた。まるで、母を心配する幼子のようだった。


第百五十六章

 室内には、電気を供給する音が、まるで、裕子が泣いている様な、キュ~ン、キュ~ン、と響くのだ。美雪は、目覚めたのかと、新に問うが答えてくれなかった。もしかして、と美雪は、自分の時のような不思議な感覚の、心と心で会話しているのかと、そう感じて、邪魔しないように、静かに、食器などを床に並べるのだ。そして、三人分の紅茶や仙人の霞の饅頭を皿に移し終えて、全ての用意が終わると、もう一度、言葉を掛けるのだ。すると、ゆっくりと、裕子が目を開けるのだ。
「今日の仙人の霞の饅頭は良い香りで、形も良い仕上がりですね」
 裕子は、未来の光景でも見ているのか、そう感じる言葉を呟くのだ。そうであろう。美雪は、初めて自分で作っただけでなく、初めて、新と裕子に出来上がった物を見せるのだからだ。だが、次に出てきた言葉で、新は驚くのだからだ。それは、新の母の名前だったからだ。その名前に、美雪は、誰なの。そう聞くのだ。すると、母だと、新は言うので驚くのだ。まさか、母が生きていて、どこかに居るのかと、辺りを見回して、立ち上がろうとしたが、新が、手を掴み、立ち上がろうとしたのを止めて、横に首を振るのだ。
「美味しいわね。まったく同じ味です。これなら、もう私が買いに行かなくてもいいわね」
 新と美幸は、裕子が食べていないのに変なことを言うが、そのまま聞いていた。
「はい。御主人さま。必ず、新坊ちゃまをお育てします。ですから、安心してください」
 新は、頷き、美雪は、今の言葉で、昔の夢を見ているのだと感じた。
「時間だわ。そろそろ、新坊ちゃまを起こさなければ!。あっ又、言ってしまったわ。怒られるわね」
 裕子は、クスクス笑い。立ち上がろうとしたが、機械の駆動の音がするが動かなかった。いや、途中で止めたようだった。それは、次の言葉で納得できたのだ。
「そうだったわ。新坊ちゃまは、運命の旅に出たのだったわ。それなら、掃除でも・・・あっ急ぐことでもないわね。それに、汚れている方が、二人で初めての共同作業って楽しみを残してあげなくてはね」
 新は、自分が旅に出た後に、目覚めることを信じていたが、本当に目覚めたことに嬉しくて涙をポロポロと流すのだ。美雪も自分の事を考えてくれたと、嬉し涙を流した。
「あっ何もするこがないからって待機電源にしていたのね。まあ、電源の供給まで忘れていたわ。直ぐに供給しなくては・・・・あれ、あれ、体が動かないわ。再起動すれば動くかしら・・・・・あっ動いたわ・・・・・電源の供給は出来たようね。でも、このままでは、いつ活動が停止するか分からないわ。新坊ちゃまに、この村、いや、都市の代々として継承してきた本だけは渡さなければ、本の封印を解除しなければ、解除だけしておけば、後は、手に取れる。それだけは、直ぐにでもしなければならないわ。お願いだから体を動いて・・・・これで、何の障害もなく本を取れるわ。もう役目は終わりね。でも、新坊ちゃまの運命の人は見たかったわね・・・・・・・・」
 新と美幸は、裕子の続きの言葉を待った。だが、一分、五分と待っても言葉がないために、美雪は泣き出した。だが、新は、信じられずに、立ち上がって、裕子の体を揺すった。この突然の動きは、正規の起動ではなく、先ほど、美雪が体などを拭く時に、強く握ったりしたことで、偶然に回路が繋がっての起動だった。
「裕子、裕子、運命の人を連れて戻ったよ。さっき、裕子が見たい。そう言ったでしょう。裕子、お願いだから起きてよ。起きてよ!」
「新坊ちゃま。止めてください。壊れてしまいます」
 裕子は、理性のある言葉を吐いた。おそらく、自己防衛のために強制起動したのだ。そのために、予備の回路に切り替わったのだった。だが、動くことば出来なかったことで、言葉として危機を切り抜けようとしたのだ。
「僕が分かる?」
「分かりますよ。お帰りなさい」
「うん。ただいま。それでね。この人が、僕の運命の人だよ。美雪さん。そう言うのだよ」
「そうでしたか、初めまして、裕子と言います。私は、母であり、父であり、友でもありますよ。これから、新坊ちゃまを宜しくね」
「はい。こちらこそ、宜しくお願いします」
「美雪さん。もしかして、それ、仙人の霞の饅頭でなくて、何か、その香りで、理性感覚機能が反応したみたい。あっ、まあ、二人には分からないことだわね。今のことは忘れてくださいね。それよりも、食べてみていいのかしら?。手作り、買ってきたの?」
「どうぞ。手作りか、買ってきたのか、食べて判断してみてください」
「そう。それなら、確かめてみましょう・・・・・・」
 二人は、裕子が立ち上がると思って様子を見ていたが、動く気配はなかった。
「ごめんなさい。両手しか動かないみたい。手に載せてくれる!」
「あっ、はい」
 美雪は、喜んで、右手に仙人の霞の饅頭を載せて、左手に紅茶を持たせた。すると、嬉しそうに口に運んで食べるのだった。
「材料は、この地のでなくて店屋の材料ね。あっでも、水の含量物は、この地の水ね。そう言うことは、ここで作ったのね」
 美雪は、意味が分からない言葉は聞き流していたが、最後の言葉には反応して、当たりですよ。と嬉しく頷くのだった。
「私が知る。仙人の霞の饅頭と違いはないわ。料理が上手いのね。これなら、新さんを任せることができるわ」
「はい。任せてください」
(初めて褒められたとは言わない方が良いわね。裕子さんが心配するわ)
 美雪は、内心を悟られないように破顔して誤魔化すのだった。
「でも、久しぶりに、裕子の手料理が食べたいね。駄目?」
「それは、考えておきます。それよりも、神社にある本は手にしたの?」
「まだ、裕子が心配だったから・・・・本なんて後でいいよ」
「そういうことは言わないの。その本を子供たちに読んで聞かせなさい。今まで私が、新坊ちゃまに話した全てが書いてありますからね。これから、美雪さんの村に行くのでしょう。その本を持って行きなさい。その本を孫、ひ孫と代々に伝える。それが、新坊ちゃまの務めなのよ」
「分かったよ。そうする。安心していいよ。必ず伝えるからね」
「がんばってね。それでは、まだなのでしょう。村も神社も洞窟の都市も案内してないのでしょう。美雪さんを案内してきなさいね」
「でも、立てないほどに体が悪いのでしょう。心配だよ」
「大丈夫。死ぬことはないわ。いつ目が覚めるか分からないだけ、でも、二人が旅立つまでは、起きているようにはするわ。だから、安心して案内してきなさい」
 新は、美雪と、ゆっくりと全てを案内して帰ってくると、何度も名前を呼ぶが、裕子は起きてくれなかったことで、新は泣き続け、裕子から離れようとはしなかった。美雪も悲しかったが、新を落ち着かせようと、泣き止めさせようとしたのだ。
「新さん。裕子さんは疲れているのよ。起きるまで待っていましょう」
「もう少し、裕子の側にいる」
「そう、そうよね。分かったわ」
 美雪は、がっくりと、落ち込んで地下室から出た。ガチャ、ガチャと、何かしている物音は聞こえていたが、新は、裕子に話し掛け続けた。何分後だろうか・・・・。
「きゃー」
 美雪の悲鳴が聞こえて、台所だと感じて急いで向かった。
「どうしたの?」
「蜘蛛が顔に張り付いたの」
「そうだったの。でも、蜘蛛でよかった。恐怖の黒い物体やネズミだったら、僕でも対応は無理だったよ」
「そうだったの。それだと、裕子さんが駆除していたのね?」
「うん」
「そう、なら、今度からは、裕子さんでなくて、私が助けてあげるわ」
 美雪は、嘘なのだろう。顔が痙攣していた。
「本当に大丈夫なのかな、嘘なのでしょう」
「本当よ。だから、もう、泣いたりしないで、わたしが、裕子さんの代わりになるわ。そうではないわ。新さんの奥さんになるのだから、それ以上の関係よ」
「そうだね。そうだね。そうだね」
 新は、嬉しいのか、悲しいのか、複雑だった。だが、どちらの、気持ちなのか、両方に違いない。新は、また、涙を流すのだった。気持ちが落ち着く頃に、美雪は・・・。
「直ぐに元気になって、そういうことは言わないわ。だって、両親以上の人なのだしね」
「大丈夫だよ。死んだ訳でないし、でも、僕は、いざとなれば、美雪さんのために、熊だって倒すからね。それは、信じてね」
「はい、はい」
「私は、少しすることあるから、新さんは、裕子さんの様子を見ていて」
「分かった」
 新が、地下室に向かったのを確認すると、料理の手を休めて建物から出るのだ。新を驚かそうと思いと同時に、裕子が大事な物と言ったからだ。直ぐにでも持ってこなければ盗まれる。そう思ったからだ。神社の前に着き、長い階段を上り、本を手にして下りようとして、数段を降りた時だった。
「きゃー」
 美雪は悲鳴を上げた。その頃の新は、裕子のことが心配で、いつ目を覚ますか、と様子をみていたのだ。それでも、何かを感じたのか、それとも、祐子が寒いと思って毛布でも用意しよう。そう思っての行動だったのか、一階に上がり、ちょっと様子を見ようと、台所に向かったのだ。すると、裕子が居なく、名前を呼んだが返事がなく、同じ建物の中に居ない。そう感じて、外に向かって駆け出した。それも、大声で名前を叫びながら探すのだ。だが、何度も叫ぶが返事がなかった。そして、立ち止まって考えるのだ。二人で行った中で、一番の興味が引く所はと・・・・。
「あっ!」
 新は、裕子が居た場所であり。大事な本がある。そう聞いたはず。それなら、本を取りに行ったのかと考えて、新は、神社に向かった。すると、階段の上段の方でうずくまる姿の人を見つけたのだ。それは、当然、美雪しか有り得なく、名前を叫びながら階段を駆け上がるのだ。
「美雪さん。大丈夫ですか?」
「ごめんなさい。大丈夫よ。少し足をくじいただけなの!」
「それは、良かった。本当に心配したのだよ。何をしていたのです?」
「大事な本が盗まれるかと、そう思って本を取りに行ったの。ごめんね」
 新は、美雪の笑顔を見て安堵した。だが、それ以上の気持ちに気がついたのだ。裕子は大事だが、裕子が居なくても生きていけるが、美雪が居なくては生きて行けない。そう思ったのだ。
「帰ろう」
「うん」
 新は、美雪の前にしゃがみ背中に背負うから乗って、そう態度を示した。美雪は、少し恥ずかしそうな表情をするが、新意外は誰も居ない。誰にも見られない。そう感じて、新の背中に体をあずけるのだ。二人は無言で歩き続けるが、内心は同じ気持ちだったのだ。
「温かい」
「何か言った?」
「いいえ」
 美雪は、新の背中の温もりに優しさを感じて癒されていたのだ。その思いが言葉として口から出ていた。そして、二人は、無言のまま建物に入り、二階の新の部屋の寝具に、美雪を座らせた。
「湿布を持ってくるから待っていて」
「はい」
 新は、直ぐに戻ってきた。直ぐに手当をするが、先ほどまで背中と胸が当たっていたことで、美雪に意識をしまい。手が震えてしまい。中々上手く治療ができなかった。その気持ちが美雪にも伝染したのか、いや、美雪も、新に意識していたのだ。それで、つい、新は、力を入れすぎてしまった。
「痛い!」
「ごめんね。ごめんね」
 新は、とっさに、美雪の頭を撫でて痛みを取ろうとした。すると、視線が近くになり。息づかいが感じるだけでなく心臓の鼓動も感じて、美雪に対する愛しい気持ちが高まり、唇に唇を重ねていた。そして、二人は、自然と寝具に倒れ込んだ。その思いを感じるままに身体を重ね続けた。もうこの時は、裕子のことは忘れて何時間も触れ合い続けていたが、何時の頃か眠ってしまうのだった。
「おはよう」
 新が目を開けると、美雪は、衣服の乱れを直し終えているが隣で横になっていた。おそらく、新の寝顔を見るのが楽しかったに違いない。
「おはようごさいます。起きましょう」
「そうだね」
「着替えていて、私紅茶の用意してくる。待っていて」
「はい。待っている」
 新が着替え終わる頃には、美雪が紅茶を持ってきてくれた。そして、二人は、昨日の出来事でも思い出したのか、恥ずかしそうに紅茶を飲むことで誤魔化すのだった。それでも、新は気持ちが落ち着かずに神社から持ち出した本を手に取るのだ。美雪は、その本を伝える者たちの事を考えると、昨夜の行為を思い出して頬を赤く染めるのだった。今の美雪の気持ちを感じ取り・・・。
「自分たちの子供だけでなく、村の全ての人に本のことを伝えようね」
「はい」
 美雪は、恥ずかしそうに頷いた。
 新たちは、この後、村に一週間だけ滞在することにした。それは、村の全てのことを忘れないように記憶する。それは、人々に正確に伝えるためだった。一番の心配だった。裕子は、滞在する間の様子を見るのだが一度も目を覚ますことはなかった。美雪も心配するが、新の話しでは、椅子に座って電源を供給し続けることが出来れば、活動は停止することはない。意味が分からないことだが最善の選択だと聞いて安堵したのだ。それでも、裕子の目が開いたままだったので、自分たちを見ている。そう感じて、この一週間の間は地下室で食事をすることを決めていたのだ。それでも、最後まで言葉を聞けないままだった。だが、二人が村から出て行く時に、家の鍵を閉める音が響くと、ゆっくり目を閉じた。それは、偶然ではないはず。全ての会話や様子を機械仕掛けの目だが焼き付いているはず。おそらく、体が朽ち果てる最後まで楽しい気持ちのまま存在できるだろう。いや、不確かな断定ではなく、最後の電力を使用してまで、神社の祭壇の隠し扉を開けて本を取れるようにした。あの行動は、ご主人が帰ってきて本を手にするのが希望だったが、その時まで身体が持つ保証がなかったためだった。村に人がいれば本を託すことも、語り継がせることもできる。だが、誰一人としていない。このまま朽ち果てる。それでは、語り継がれてきた歴史が消えてしまっては時の流れが変わってしまう。変わるということは、ご主人が時の流れの余分な修正をするだけでなく、運命の相手と結ばれない可能性もある。それだけでなく、本なのか、人々の語り継がれた内容のためなのか、時を飛ぶことが夢物でなく本当にあった証拠なのだ。その希望を持ち続けて完成させた人々が、遠い未来から過去に飛んでくるのだ。そのお蔭で一度だけ、一万年前に、再起不可能状態だったのを再起動してもらったから今の時の流れがあるのだ。だから、自分の命を犠牲にしてまでも、誰かに歴史を伝えなければならなかったのだ。それが、一番に手にして欲しかった者。その新が手にしてくれた。それだけでなく、運命の糸と糸が繋がっているのを見た。本物の運命の相手にも会えたのだ。だから、身体が朽ちるまで幸せのまま過ごせるはずなのだ。
「また、来ましょうね」
「そうだね」
「もし浮気でもしたら裕子さんに叱ってもらうわ」
「えっ」
「今の私には、これがあるのだからね。一人でも来られるわ。もし起きなくても、仙人の霞の饅頭の匂いを嗅がせれば起きるかもしれないわ。それと、私の涙を見せれば確実よ」
 美雪は、左手の小指の赤い糸が新と繋がっているのを見せるのだった。そして、最後の言葉には、新に、裕子は、生きている。そう思わせたのだ。
「そう言うなら羽衣だけでも返してもらう・・かな・・・もう命の危険もないだろうしね」
「駄目よ。この羽衣で村から村に飛んでくるのに必要なの。だから、駄目よ」
 二人は、冗談なのか本気なのか分からない会話をしながら美雪が生まれ育った村に向かうのだった。そして、村に無事に帰り。直ぐに運命の泉に映るのを確認後、その前で結婚式を行い。子供が生まれ、子供が成人を過ぎても、新が戦を経験したことは思い出すことはなく柔和な新のままだった。そのお蔭だろう。嬉しいことなのか、悲しいことなのか分からないが、美雪と新の家庭では笑みが消えることがなかった。だが、あの本を悲しそう に読んで、自分の子供だけでなく、全ての村人にも本の内容を話したので歴史が忘れられることがなかった。それから、新が育った村だが、新の存命中でも、誰かが訪れて機械仕掛けの裕子などが見つかり大発見。そんな噂も聞かない。また、長い時の流れが過ぎて、新の村が人口のダムの底に沈むことになるが、その時の調査でも発見されなかったのは、すでに、風化して無くなったのか、それとも、草木で覆い隠されたのか、それは、分からない。だが、これからも、また、長い時の流れても発見されることはないだろう。水の底なのだから探したくても探せないのは確かだった。それでも、本当の歴史なのだから、子供たちの将来の夢の資料として、子守唄としての物語としても、両方で語り継がれる。その夢の原動力として、夢まぼろしと思われた。時を飛ぶ機械を作る。その心の力になるはずだ。それと、忘れてならないのは、運命の相手を映す泉は、新と美幸が結婚式の後に見た。その後は、普通の湧水に戻るのだ。まるで、二人だけのために存在したかのようだった。だが、そのまま泉は残り、新と美幸の噂から神社となり、いつの世でも縁結びの神社として長く残り続けた。

運命の泉 下 (後編)

2014年1月13日 発行 初版

著  者:垣根 新
発  行:垣根 新出版

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垣根 新

羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。

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