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 小説を書こうと思っているのに、なかなか書き出せない。
 作家志望の少女がジレンマに惑いながら迎えた孤独な中学卒業の夜。

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月と風

夏山繁人

夏山繁人出版



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 秋の月は白く輝く。春にはほんのりとした桜の色を身にまとい、夏には太陽に負けじと金色に光り、冬は凍てつく氷のような青に染まる。別に、本当に月が色付くわけではない。気候や湿度や大気中の二酸化炭素や窒素の密度が影響しているわけでもない。これはただ、自分のイマジネーションが豊か過ぎるからなのだ。絵美はそう考えた。周りにいるのはボンクラばかりで、人なのか猿なのか、ひょっとしたら猫や鼠とそう変わり無いのかもしれない、そんな中で自分一人は、類い稀なる想像力と創造力を兼ね備えて、他の連中とは一線を画した人間だと信じていた。
 まだ幼い頃のこと、絵美は自分に読心術が備わっていると思い込んだ。大人にしろ同年代の級友にしろ、何をどうすれば相手が笑い喜ぶのか、その正解がなんの理由も根拠も無く頭脳に閃いていたからだ。会話をしていて、次に相手が何を話すのか、口を開く前に察しがついた。直感的に人の心の奥底までも見透かせる、超能力だと信じていた。 次第にそれは読心術などという魔術的な代物ではなく、自分の頭が良いから、相手の思考を先回り出来ているのだという、ほんの少しだけ現実的な解釈へと変化した。彼女があと一歩でも思考を前に進めれば、それが、大抵の人には経験のある、ありふれた現象だと気付いただろう。親しい人との日常的な会話ならば、そしてよほど独善的な人でないのなら、会話の流れというものを掴み取って、目付きや表情の変化を感じとって、無意識のうちに相手がこれから何を言うつもりなのか、おおよその見当は付くものた。ましてやそれが理知も利害も含まずに喋る子ども相手なら、優れた頭脳も超能力も必要無い。加えて、外れたことより当てたことのほうばかり都合よく記憶しているだけならば、十人並みの洞察力があれば十分だ。しかし彼女の思考はそこまでには至らなかった。結果、彼女は今でも自分の頭脳の明晰さを誇りに思って頼りにしている。
 カボチャ相手にいちいち対等に付き合ってやらなければならないという、苦痛を模した優越感に浸りきる心の内にいつも必ず付きまとう冷たい風の正体に、彼女はいつまでも気付けなかった。風が吹くたびに胸の奥がぐっと詰まり、穏やかさを失った。そんな自分に彼女は苛立ち、冷たい風を冷たい言葉に乗せて周囲へ吐き散らしていくことでのみ、胸の内の平穏を求めていた。
 中学校で書くことになった卒業文集には、あらかじめテーマが決められていた。将来への抱負、中学校生活の思い出、友達へのメッセージ。これが絵美には気に食わない。頭の足りない子供じゃあるまいし、どうしてわざわざボンクラ教師の決めたテーマに唯々諾々と従って、自分の、この私の文才をただで披露してやらなければならないのだと気炎を上げて、一人勝手に怒っていた。絵美は将来、自分が作家になると決めている。それに見合った才能を持っているのだと自覚している。そして才を振るえばいつでも道は開けるとうそぶいて後生大事に出し惜しみ、今まで一度も人前で自分の文才を披露したことがない。卒業文集などというくだらないもので、幼稚で青臭いテーマに縛られては自分の才能は生かせないから駄文になるのも仕方ないと言い訳じみたことを呟きながら、適当に手を抜いたありきたりな言葉を綴った。出来上がった卒業文集を受け取って、ぱらぱらとめくるうちに後悔の念が膨れ上がる。再び、心に冷たい風が吹いてきた。誰に向けて送るでもない、大した記録に残るでもない、こんな駄文を記していったい何の意味があるのだろう。いっそのこと縦横無尽に才を振るって名文美文を書き残し、将来作家になった時に引っ張り出して、彼女の才能は中学生の頃からこの通りすばらしいものだったと多くの人から賞賛される仕掛けにしておけばよかったと、頼りなく心地よい妄想に耽っていた。
 卒業式にて、絵美はおそらく会場でただ一人、涙も流さず感慨も抱かずにいた人間だ。少なくとも彼女自身はそう思っている。卒業生達はみんなそれぞれのお友達と一緒になって、また会おうね、高校行っても元気でね、と声を掛け合っていた。部活動では先輩だ後輩だと馴れ馴れしくて気持ち悪い連中が送別会の相談をしている。焼肉行って、カラオケ行って、夜まで遊ぼう。実に、実にくだらない。
 絵美は式の始まりから終わりまで誰とも話さず、さっさと家に帰ってきて、途中のコンビニで買ったエクレアを食べながら机に向かい、原稿用紙を開いたまま時間が過ぎるのを待っていた。夕飯が出来たと告げる母親の声を聞いて我に返ると、白紙の原稿用紙が目の前に広がっている。机の上には、まだ何もしていなかったのに、気分転換が必要だと言い訳しながら読み始めたマンガが三冊、くしゃくしゃに丸まったエクレアの包装が一つ、お気に入りのペンが転がっている。今はまだ作品を書く気分じゃない、そう呟いてから彼女は夕飯を食べにリビングへと向かった。いつもより早く帰宅した父親と、ゲームの続きが気になる弟、シチューの出来に満足している母親、みんなみんな、カボチャの仲間だ。卒業と高校進学を祝うためのちょっと豪華な夕食を終えると、テレビを見てからお風呂に入り、ヨーグルトを食べてから歯を磨き、おやすみを言って部屋へ戻る。原稿用紙へは目もくれずにパソコンを立ち上げて、いつも見ている動画サイトの巡回を始めた。馬鹿な奴が馬鹿なことを言っている。馬鹿な奴が馬鹿なことをやっている。世の中みんな、馬鹿ばかり。
 やらなければならない事がこれまであった。やるべき事がたくさんあった。それより多くのやりたい事があたり一面に満ちていた。今から高校の入学式までは、やりたい事を自由にやれる。ならば、急いで今からやる必要は無い。また明日、また明日。書き始めれば出来上がる。出来上がれば認められる。認められれば自分の未来は約束される。ならばいつでも構わない。書き始めれば全てがうまくいくはずだ。また明日、また明日。飽き足りないほど呟いて、中学校の三年間を無為のままに過ごしたのだ。書き始めれば出来上がるのか。出来上がらないかもしれないという不安がある。出来上がったら認められるか。否定されたらどうしようと怯えている。認められれば夢は叶うものなのか。次もまた認められるとは限らない。だから彼女は書き始めることが出来ないでいた。絵美が自分で明晰と呼ぶ彼女の頭脳や炯眼と自称する対の目は、決して自分自身に向けられない。そこに彼女の不幸があった。
 その晩、絵美は自分が月になる不思議な空の夢を見た。夢には月を愛でるために大勢の人々が現れた。絵美がボンクラと罵った教師達だ。カボチャと思った同級生だ。一人ひとりの顔が浮かび、絵美にとって都合の良い、憧れと賞賛を込めた笑顔を浮かべていた。中学校の校長が一歩前に出てこう叫ぶ。君はわが校の誇りだ、と。彼女は誇りになりたかった。自身が自分を誇るように学校中が、知人全てが、通りすがりの人までもが、絵美のことを誇らしい人間であると認めて欲しかった。
 ただ自分のことを認めてくれれば、それでよかったのだ。絵美がこの場にいるのだと、誰かが見つけてくれたなら。自分のことを誰かが必要としてくれたなら、それでよかった。そう感じるたびに冷たい風が心に吹いて、それまで思い浮かべていた言葉の全てを吹き消して、ただの苛立ちと理由の見えない焦燥感へと変貌させてきた。今でも風の正体には気付けない。
 たった一人で中学校に通い続けた三年間、使い続けた学生鞄は机の脇に放り出したままだ。卒業文集とアルバムはその鞄から出していない。出すつもりもない。三年間の思い出になど興味は無いのだ。開いたところで、自分の書いた文章は手抜きの果ての駄文であって、他人の書いた文章にはもともと読む価値などあるはずもなく、絵美の姿はクラスの全体集合写真と名簿順に並べられた個別写真以外にはろくに写っていない。最後の寄せ書きページには、誰もペンを入れていなかった。誰からも入れてもらえなかった。白紙のページの一番上に、みんなからのメッセージ! というポップ体の大きな文字が、冷たく記してあるだけだ。だから決して、開かない。
 夢の中では桜色に輝く月が大粒の涙を流していた。

月と風

2014年2月3日 発行 初版

著  者:夏山繁人
発  行:夏山繁人出版

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夏山繁人 @Shigeto_Natsu

横浜生まれ横浜育ち、いちおうM.A.の20代。SF、恋愛、ホラー、青春、純文学などジャンル問わず色々な話が好きです。サイトでも小説を公開中、見てね!

夏山繁人の端鏡
http://natsuyama-shigeto.jimdo.com

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