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そこに物語あり(一)
広尾・坂本直行入植地

龍馬の情熱受け継いだ
自然画家

CMC,INC. Tokachi Mainichi Newspaper,INC.



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広尾町下野塚の直行の入植地。標柱の右下にあるのが礎石

広尾・坂本直行入植地

龍馬の情熱
受け継いだ
自然画家

原生林に囲まれ下野塚の開拓へ

 「小弟はエゾに渡らんとせしー」。幕末の志士・坂本龍馬は1863(文久3)年、知人への手紙にこう記し、北海道開拓への情熱を打ち明けた。広尾町下野塚に残る、坂本家8代目当主で自然画家の坂本直行(1906~82年)の入植地跡に、その思いが眠っている。
 龍馬のおいの孫に当たる直行は1930年、友人を頼りに初めて広尾を訪れ、36年に下野塚に入植。当時、原生林に囲まれた一帯は、足元にはカタクリやオオバナノエンレイソウが咲き誇り、目を上げれば雄大な日高の山並みがそびえていた。スケッチの材料には事欠かなかった。
 直行の次男の嵩さんと小・中・高校の同窓生だった高瀬佳郎さん(73)=芽室町在住=は、往時の坂本家の暮らしぶりをこう話す。「搾った牛乳もまずは子供たちに飲ませ、余った分を出荷するやり方だった。経営は軌道に乗らなかったが、生活を楽しんでいる雰囲気があった」
 一方、絵の具に触るだけでゲンコツが飛び、家で自習しようとすると「勉強など不要。灯油が惜しいから早く寝ろ」と怒鳴る、怖い父親の一面も直行にはあったという。

地元のアイヌと酒を酌み交わす

 この地で直行は広尾又吉というアイヌと出会う。又吉は野塚の山中に1人で住み、熊撃ちで生計を立てていた。戸籍上は1872年生まれだが、明治以前の話にも精通し、1957年に没した時、地元では「100歳は超えていたろう」とうわさされた。
 直行と又吉は、又吉のナイフを作った同町豊似の小西鉄工所(現在は廃業)で酒を酌み交わす仲だった。同鉄工所の当時の経営者・小西悌二郎の息子の伸彦さん(78)=札幌市在住=は、子供の頃に出会った又吉を「小柄だが、白髪交じりのひげをなびかせ、立派な雰囲気を持った人だった」と思い起こす。2人はよく狩猟の話をしていたという。自然に精通した又吉との会話から、直行は制作上の多くのインスピレーションを得たのかもしれない。
 直行は60年に離農。龍馬の宿願だった開拓事業に終止符を打つ。高瀬さんは「直行さんは龍馬の家系ということを口にしなかった。だから僕も最近までずっと『りゅうま』と読んでいた」と笑う。入植地に残る直行の住居の礎石は、一族に受け継がれた北海道開拓の夢の墓標にも見える。

この本の内容は2011年44日付十勝毎日新聞掲載時のものです。

そこに物語あり(一)龍馬の情熱 受け継いだ自然画家

2014年4月29日 発行 初版

著  者:CMC,INC. Tokachi Mainichi Newspaper,INC.
発  行:CMC,INC.

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