spine
jacket

-essence-

移 動
    セルジュ・ルタンスと白檀。憧憬に導かれて。

寝台列車
    初めての寝台列車。想像をひっくり返す車内の情景。

最初の印象
       不吉な予兆と恐怖の襲来。

Mysore点描
        暮し/風景。

食。
      個人的「美味しいもの」覚書。





マイソール鉄道博物館
       居心地の良い場所。

Mysore Palace
    マハラジャのパレスと“魔法の国”を彷徨う。

バザール
    ざわめきと色彩。香りの良いもの。

白 檀
       ゆめの、かおり。

柘 榴
       混乱と疑問。

移動

長く居続けたMamallapuramをようやく出てMysoreへ向かう。セルジュ・ルタンスの香水の名前から長い間憧れていた場所、上質な白檀の産地。

MysoreマイソールへはChennaiから寝台特急で向かうので、Mamallapuramを出発したのは午後になってからだった。チェックアウトの時間が遅くなることを事前にオーナーに相談すると、「こんなに長く居たんだから好きな時間に出て行けばいい。」と言われる。1か月以上の滞在でいつのまにか増えた生活用品や荷物を整理して移動の準備をする。まだ使えるが、持って行くか迷ったものは全て置いて行くことにした。到着した時と同じ、大きくはない布製のリュックひとつの荷物で出発する。
当日はオーナーは不在で、宿のむっつり顔のおじさんと、最近働き出した若い男の子2人に簡単に挨拶をして宿をでる。普通に、いつもチャイ屋に出かける時と同じように。




Chennaiに入ってから一度バスを乗り換え、Central Stationに到着。チケットは予約時にはキャンセル待ちの状態だったので、乗車できるか確認するため駅内の事務所に行く。が、担当官が休憩だか何だかとにかく離席していて待つしかない。一時間以上待って、威厳に満ちた担当官が登場し、「車両に貼り出される乗客車名簿を見なさい」のひとことであしらわれる。

列車の到着を確認するため、発着の状況が逐次表示される電子掲示板の見える場所で待つ。列車には遅れがでていて、後発予定の便名が掲示板に表示されても目当ての列車がなかなか到着しない。表示を睨んでいると、頻繁に事故防止啓発の映像(つまり轢かれた人の顔や姿が、何の加工も無いまま大写しにされる)映像が流れる。インドの人々は平気で線路を横切ったり、線路上を歩いたりするので当然人身事故も多いのだろう。繰り返し見るのに気分の良い映像ではない。画面に映りそうになると、目を逸らした。
旅に出てからは、何かを待つのには随分なれたつもりだったが、ここでの待ち時間は堪えた。
嫌になるほど何時間も待って、列車はようやく到着した。

寝台列車

若干の不安を抱えながら乗車する車両を探す。乗車口付近にワープロ打ちされた簡単な乗客者名のリストが張り出されている。とりあえず、自分達の名前を見つけて安堵する。

Jと私の席は、近くではあったが離れていた。隣同士の席が空いていたのでそこに座ってしまう。何か言われたら席を交換して貰うつもりで。後からわかったことだが、席は取れていたが、私とJの席はベッドの付いていない横長のイスのみの席だった。(寝台列車では、通常座席の上に日中は畳まれたベッド部分が付いていて、夜になるとベッドの部分を広げる。)普通のイス席とは言っても、後ろに背を凭れて足を伸ばしたまま座れるくらいのスペースはあるので快適だし、寝るときも特に問題はない。
席のことで若干トラブルがあったようで、車掌と乗客がやって来たり、何かごちゃごちゃやっていたが移動しろと言われることもなくそのままの席で落ち着いた。パスポートチェックをされている人もいたが、何故か私達はノーチェック。



インドの寝台列車と言えば多少物騒なのかも知れないと後から気づいたが、実際の車内は想像とは全く異なっていた。



車内はインド人の家族で一杯だった。ちょうど休暇のシーズンで学校も休みになるので、家族旅行する人たちが大勢乗車している。私達の隣のコンパートメントには、夫婦に男の子二人の兄弟(小学生位)の家族と、後から別のインド人の奥さんがやって来た。物騒どころではない。休暇の、家族旅行の、特別な時間を過ごしている(或いは過ごそうとしている)高揚した気分が車内に溢れていた。持ち込んだビスケットをつまんだりしながら記念すべき初体験の寝台列車(日本でも乗ったことはない。)の光景を観察した。



*     *     *

夜が更けてくると、車内の明かりは消され真っ暗になる。乗客たちは騒ぐこともなく、多くは早々に寝静まったようだ。隣の席では家族みんなが寝てしまっても兄弟のうちのお兄ちゃんの方は、ひとり起きていつまでも暗い窓の外をみつめていた。彼は弟とベッドを共有していて、弟のほうはもうすっかり眠り込んでいた。私も窓の外を眺めながら、一人静かに外をみつめている男の子の様子が気になった。賢そうな瞳をして、走る列車の窓から吹き込んでくる風に吹かれて、随分遅くまで彼はそうしていた。


眠りこけている弟は、寝ている間もしょっちゅう動き、しかも車両が揺れるので、身体が小さいせいもあるのかも知れないが何度も狭いベッドから転げ落ちそうになった。お父さんが起きている間は、だんだん身体がずれてくると落ちないようにお父さんが身体を引き戻し、お父さんが寝てしまうと、お兄ちゃんが弟の身体を引っ張りあげた。熟睡している弟の身体は重そうで、華奢なお兄ちゃんが引っ張り上げるのはなかなか大変そうに見えた。けれどもお兄ちゃんは文句ひとつ言うでもなく、かいがいしく弟の面倒をみていた。旅行中に何度も見たけれど、インドの子供は兄弟姉妹で上の子が下の子の面倒を本当に良く見る。自由で暢気で甘えっこな弟を、しっかり者で賢く、たよりになる兄が世話をする。見ていて微笑ましく、ちょっとうらやましく感じた。

やがて、お兄ちゃんも弟に寄り添って眠りについた。弟は相変わらず動いている。車両が揺れるたびにベッドから転げ落ちそうになるので、それが気になって目が離せなくなった。ベッドと床の間はそれなりに高さもあり、硬い床に叩きつけられたら怪我をしかねない。はらはらしてみていると、ついにその時が来た。ドタッというかなり大きい音をたてて本気で転げ落ちた。恐ろしいことに両親も頼りのお兄ちゃんも弟が転落したことに全く気が付いていない。誰も起きない。落ちた本人は深く眠り込んでいたので状況が飲み込めず、泣くでもなく、まだ夢の途中にいるようだ。直ぐに動き出したので、幸い、怪我はなかったようだ。彼はもそもそと立ち上がるとベットに潜り込んだ。兄が待つ本来の自分のベッドではなく、向かい側の他所の奥さんが眠っているベッドに。奥さんは突然知らない子供が潜り込んで来たので混乱しているようだが彼女も熟睡していたので完全に覚醒してはいない。弟はほとんど夢の中にいながら何か違うと感じたのか、むっくりと身体を起こした。見かねた私が指で彼の本来のベッドを指し示すと、弟は夢遊病者のように自分のベッドにもどり、そのままぱたりと眠り込んでしまった。向かいの奥さんも結局起きることはなく眠ったままだった。
その後、少年が転落することもなく私もいつの間にか眠ってしまった。

翌朝。インド人の朝は早い。早朝から顔を洗ったり歯磨きをしたりするために人が通路をうろうろし出す。寝ていた人もベッドを畳んで起きだしてくる。声をかけながらお茶や軽食を売る人が車内の通路をやってくる。通りかかったチャイ屋を呼び止めて買い求める。熱いチャイが寝起きの身体に沁みこんでゆく。朝一番にお茶が飲みたいと思えばお茶屋がやって来る、小腹が空いたと思えばスナックを売りに来る、よく出来たシステムだと思う。

マイソールに到着する前の停車駅、大都市バンガロールで随分人が降りる。終点マイソールは間もなくだ。車内も慌しい空気になる。
お隣の家族もマイソールで降車。昨夜の転落など全く誰の記憶にも無いらしく、兄弟は今日も元気だ。

最初の印象

先を争って降車しようとする皆を先にやって、私達はゆっくり降りる。整然として、予想外に綺麗な駅だ。駅の構内をでて、とりあえず小さな軽食屋みたいなところで熱いチャイを飲む。一息ついてリキシャを捕まえようとすると、マイソールの駅から出るリキシャは全て先にチケット売場で乗車券を買って、買った順番でリキシャが割り当てられる仕組みだということが分かる。観光客が多い街なので、料金をぼったくられないために前払いするシステムなのだろうが少々面倒だ。それに、インドの人は基本的に列に並ぶとか順番を守るという意識はあまり持ち合わせていないので律儀に順番を守る日本人には不利だ。インドの奥さん方が堂々と私達の前に割り込んで来た。


何年か前の版の「ロンリープラネット」から適当に選んだ宿へ向かう。駅からたいして離れていない。大きいが、どことなく雰囲気が暗い。古くからある宿だと推察された。ホテル内でチベット僧を何人かみかける。ロビー前に座っていたチベット僧は小豆色の袈裟を着て、暗い顔をして何事かをひそひそと囁きあっていた。にこりともしない。挨拶もなし。陰鬱な感じ。
通された部屋は古いが随分広く、一応夜にはお湯が出るのが救い。マイソールはMamallapuramの灼熱がウソのように、寒いくらいに涼しかった。

*

荷物を置いてホテルの周囲を簡単に散策。チャイ屋がなかなか見つからない。雨が多く気温も低いマイソールでは屋外チャイ屋ではなく、カフェやレストランなどの店内でお茶を飲むことが多いようだ。ようやく見つけたチャイ屋も外でお茶を飲むのではなく屋根のかかった店内の椅子に座ってお茶を飲むスタイルだった。(店内とはいっても入口のドアがあるわけではなく外と地続きなのだが)。雨で地面はぬかるんであちこちに水溜りができ、繋がれたままの牛は当然泥と糞尿にまみれ汚く、寒いしチャイ屋は少ないし、何だか暗い街、というのがマイソールの最初の印象だった。

その後、ホテルの陰鬱な第一印象が的中する出来事がおこる。

部屋に戻り、私は部屋のあれこれを点検したり、荷解きを始めたりしていた。Jはいつもどおりベッドに座って枕を背にパソコンを叩いていた。しばらくすると、Jが身体のあちこちを痒がって「アレルギーの薬をくれ」と言い出した。普段は飲めと言ってもなかなか飲まないのにどうしたのかと見ると、首の後ろを中心にぽこぽこと虫刺されのような腫れが幾つもでき、身体中に蕁麻疹がひろがっていく兆候が見られた。放っておいたらまずいことになるのは明らかだった。直ぐに手持ちの中でも強力そうな抗ヒスタミン剤を飲ませて様子をみる。


原因はベッドやら枕やらに大量に隠れていた吸血ダニだった。


ベッドに座って枕を後頭部や首に押し当ててずっと同じ姿勢でパソコンを叩いていたJは格好の餌食だった。私も数箇所は刺されたかもしれないがずっと動いていたので大したダメージは受けなかった。

枕から数匹出てきたかと思ったらちょっと叩いてみるだけでうじゃうじゃと虫がわきだしてくる。枕やベッドは吸血ダニの巣窟だった。虫を潰すと赤い液体がでる。吸血した血だろう。物凄く気持ちが悪い。ベッドに置いた荷物を動かすと早くも虫が移り住もうとしている。部屋に置いてあったイスに荷物を置こうとするとイスからも吸血ダニが這い出して来る。この部屋のコンクリート製以外の部分には隈なく虫が集っていることは明らかだった。


とりあえず、自分達の荷物に付いた虫だけを何とか駆除し、コンクリートの床に布を敷いて身体を横にし、その夜は浅い眠りをとった。夜も遅く、今さら部屋を変えるのも面倒だった。

翌朝、早々にホテルを出た。硬い床に寝たせいで身体は強張っている。チェックアウトの際、ホテルのスタッフにダニがでたことを伝えても「ふうん。」という気の無いリアクションだった。きっとあの部屋はこれからもずっとダニ巣窟のままに使われ続けるのだろう。

*      *      *


疲れたからだを引きずって、ホテルを探す。道端の建物の前に座っていると、鈴や色とりどりの飾りを着けた馬だか驢馬だかをつれた人が来て「金よこせ」のジェスチャーをする。普通は首をふればすぐに諦めて去っていくのだがこの時は異常にしつこくて、いつまでもお金を要求し続ける。本来は飾った馬を見せ、何か芸をしたりしてお金を貰うのだろうが通りすがりに外国人を見つけて、何もしなくてもしつこく要求すればお金を出すと思っているようだ。こちらも昨日のダニ騒ぎでただでさえ機嫌が悪いのにますます不愉快になってくる。誰が金なぞ出すか。結局相手が根負けして去っていった。

何となく近所で見つけた宿の一室に落ち着く。借りる際は確かにテレビ付きと言っていたのが、実際に部屋に行ってみると、テレビの「台」しかなかった。フロントに訴えてみるが「テレビ付きの部屋はもっと料金が高い」と言ってしらばっくれている。そもそもテレビがそんなに見たい訳でもないし、面倒なのでその部屋に決める。早くゆっくり休みたかった。ダニホテルの一件を伝えると、「ダニを連れてきてないだろうな?」と念押しされる。ダニは念入りに、全て払ってきたつもりだったが、一匹だけ荷物から出てきて、慌てて撃退する。恐るべし、吸血ダニ。

このホテルは外から入ると小さな受付用のカウンターがあり、その前を通って進むと奥は中庭のようなコンクリート敷きのスペースがあり、その空間を取り巻くように部屋が並んでいる。上階の部屋にはそこから階段を登って行く。ホテルのオーナーの住居は1階にあるようだった。スペースの一角にはテレビが置かれ、その正面の特等席のイスに座って、オーナーはいつも「クイズミリオネア」を見ていた。使用人の男の子たちも階段に腰掛けて少し離れた場所から熱心に画面を見ていた。皆「ミリオネア」が大好きなようだ。オーナーが居ないときはテレビをつけてはいけないようで、白い布が画面にかけられていた。

Mysore点描

暮し / 風景。


雨が多くて、寒い。からっとした青空はなかなか見られない。ホテルの前の通りは舗装されておらず、雨のために土はぬかるみ、あちこちに大きな水溜りができている。近くの映画館の側にはいつも大きな牛が繋がれていて、泥だか糞だか区別のつかない汚泥にまみれ酷く汚れている。Mamallapuramのからっと清潔で自由にうごきまわる白い牛達と比べると、あまりの違いに気の毒になってくる。同じインドの牛の暮しにもいろいろあるらしい。マイソールでは真っ白い牛は見なかった。黒や茶色だったり、ブチだったり。皆サイズが大きい。


映画館で上映中だったのは警官が主人公のアクションとラブシーン満載の映画。実際に見なくても、看板の絵を見ただけで十分推測できる。主役の俳優は日本的感覚から見ると、小太りで(お腹も出ている)薄毛の中年のおじさん。この人は昔から人気がある人らしく、色々な映画に出たり、歌ったり踊ったりしているのをインドのテレビで何度も見た。


映画館の隣は「MILK BAR」と書いてあるお店。軽食も出すカフェみたいな店のようで、ラッシーもメニューにあった。(メニューが壁に大きく書いてあるので外からでも見える。)飲んでみたかったが、体調が良いときに飲もうと言っているうちに、結局滞在している間には飲めなかった。幻のバナナラッシー。それにしても「MILK BAR」というのは心惹かれる名前。


飲みに行っていたチャイ屋は2件。車の行き交う通りに面した、若い男の子たちがやっていて、客も若い人ばかりのお店と、小さな店がごちゃごちゃと並んだ一角にある家族経営の店。前者の店のほうが最初に見つけた店で、ホテルに近く、夜遅くまでやっているのでときどき飲みに行っていたが、味は大して美味しくない。ある夜行ってみたら開店しているのにお茶を淹れようとしない。「クローズか?」と聞いても携帯を弄って返事もしない。その場にいた友達らしき別の男の子がとりなしてくれたが、二度と来るもんかと誓い、その後二度と行かなかった。


もう一軒のチャイ屋は、客の年齢層もばらばらのスタンダードなチャイ屋。お茶の味はこちらのほうが美味しかった。ここは店に置いてあるクッキーやパウンドケーキみたいなものもなかなか美味しくて朝ごはんやおやつに何度も食べた。


ある日。お茶を飲みに行くと、お父さんに連れられた男の子が店の中に居た。小学生位だと思う。彼は何も飲んでいないようだった。隣でお父さんが誰かと話していたり、お茶を飲んだりするのを静かに聴いている。お父さんは私達にも話しかけてきて「どこから来たのか」とかよくある世間話をしていたが、私の目は少年に釘付けだった。一緒にいるお父さんは普通のインドの男の人の顔なのだが、少年は眼を瞠るような、とても美しい顔をしていた。「インド風」とも「西洋風」とも簡単に括って評すことが出来ない。ただ綺麗なだけではない、心をうつような美しさ。それなのにここに居る人たちは私の他には誰もそのことに気づいている人はいない。少年は一言も言葉を発さず、黙って控えめにお父さんの隣に座っている。私は完全に目を合わせてしまわないように、密かに少年の美しさを観察していた。やがて店内のイスが一杯になると少年はお父さんに促されて外へと出て行った。インドでは、こんな風に奇跡のように美しい人に出会うことがしばしばある。その美しさの多くは長くは続かない、ある時期だけの特別な姿のように感じられた。


夕方になると、頻繁に盛大な雷が光る。音はそれほど聞こえなくても雲全体がびかびかと光る。
日本では見たことの無い、スケールの大きな光り方。

*     *     *


open時間を待って、近所のローカルの銀行で日本円からルピーに両替してもらう。両替したいというと、2階に行けと促される。薄暗く、カーテンで仕切られた2階にはデスクが二つだけ。マハトゥマ・ガンジーに似たおじさんがエクスチェンジの担当。パスポートを見せ、簡単な質問に答えて両替して貰う。レートは良かった。




暑すぎてこれまで中々できなかった読書が進む。重さに耐えてここまで担いできた金子光晴の旅もの三部作、その他にとりかかる。全て再読するのはひさしぶりだ。「マレー蘭印記行」から初めて「どくろ杯」→「ねむれ巴里」→「西ひがし」と順番に読み進めていく。東南アジアの混沌を一端に過ぎないとしても垣間見た後で、インドで読む、というのは日本で読むのとは、読みながら味わう感覚が大分違った。もともと生々しい文章が、より生々しく立ち上がってくる。以後インドにいる間、飽きずにくりかえしこれらの本を読んだ。その本を読むべき時と場所、タイミングがある。

食。

マイソール滞在中に食べたおいしいもの。


滞在二日目に見つけたミールスを食べさせるお店。ここで最初に食べたミールスはとても美味しかった。ミールス部門ではインドで食べた中で私的第一位だ。特に変わったものが出てくるわけではない、いたって普通のミールスなのだが味付けが絶妙。ライスのほかにチャパティも付いてくる。さらにカレーやサブジが無くなると継ぎ足しにやって来るお代わり係のタイミングも良くて、観光客は後回しにされたり、呼ばないとなかなか継ぎ足しに来なかったりする店も多いのだが、ここはいい感じに欲しいものを足してくれた。お腹一杯食べて、さらに料金も安かった。
ワイシャツ姿のインド人ビジネスマンがスプーンで食べる中、我々は手で混ぜ混ぜして食べた。絶対に  ’ ’ ’そのほうが美味しいのだ。
あまりに美味しかったのでその後もう一度同じ店でミールスを食べた。美味しい事はおいしいのだが初回ほどの感動は無かった。やっぱりその日によって特に調子のいい時とそうでは無い時があるみたいだ。


道端のおじいさんの屋台のパコラ。これはインドで食べたスナック部門の私的首位だ。おいしくてリピートして食べた。ここのはいつ食べても、間違いなく美味しい。営業時間は夜に限られる。
あまり辛くない大きな青いとうがらしや野菜のパコラ。それをつけて食べるソースが絶妙。それほど凝ったレシピだとは思えないのだが凄くおいしい。辛い青唐辛子のチリソースで、何とも言えない旨みがあって、再現不能。付け合せの生の玉ねぎとコリアンダーを刻んで混ぜたものも気が利いていてパコラによく合う。
美味しいだけに人気の屋台で、私達が買っていると、インド人の男の人が話しかけてきて「日本人は辛いものが苦手なんじゃないのか?」と不思議がられた。「苦手な人も多いけど、自分たちは辛いものが大好きだ」と答えると彼は満足そうに微笑んだ。

若者チャイ屋の隣は、これも若い(完全に愛想の無い)お兄さんが店番をしているお菓子屋さんで、よく店先の大鍋でポテトチップスを揚げていた。それがとても美味しそうで買ってみたら、すっかりはまってしまった。ノーマルな塩味と唐辛子がまぶされた辛い味がある。辛味は結構強く、人工的な添加物を使っていないシンプルな味付けが美味しい。今でもときどき思い出して食べたくなる。

マイソール鉄道博物館
Mysore Rail Museum


Toy Trainに乗るつもりだったのに、残念ながら今はやっていないとのこと。レールだけが残っている。ここは入場料さえ払えばカメラの持込料がどうとかうるさい事は言われずに、のんびりできた。観光に来ていたインド人家族と出会う。子供達は好奇心旺盛でどんどん話しかけてくる。
博物館へ来る前にマイソールパレスを見学してきたという彼らにパレスの感想を聞く。いちばん年下の男の子は「すっごく綺麗で、素敵だった。」と大絶賛のコメント。



気づかないで、見落としてしまいそうな敷地の奥まった場所に、展示施設がある。係員が教えてくれなければ私達もそのまま見逃してしまったかもしれない。入口に係りの人がいたが「やあ」と挨拶する程度で全く監視されていない。中にはかつてインドの高貴な人を乗せて走っていた御用列車みたいな車両が展示されていて、いろいろと(たぶん)貴重で豪華な調度をみることができた。
質素なつくりの建物ながら、高い位置に配された簡素な窓から柔らかい日の光が差し込んでいて不思議に居心地が良かった。

Mysore Palace

マイソールの有名な観光スポット、マハラジャのパレス。広大な土地にアラビアンナイトに出てきそうな白亜の大宮殿。バラやいろいろな植物が植えられた庭園。夜には美しくライトアップされる。


ある夜。食事の帰りに立ち寄ってみた。宮殿全体がライトアップされる日や、ライトアップの時間帯が決まっているらしく、このときは門のあたりがいくらかライトアップされていただけだった。色を使わない、黄白色の光が好ましい。近くより、遠くから光につつまれた姿が暗闇に浮かんでいるのを見る方がかえって綺麗。



*      *      *

パレスの周囲に立ち並ぶいろいろな屋台、見慣れない文字盤の時計塔、行き交う人々のざわめき、美しいアザーンの響き。漆黒の闇の中に浮かぶ黄白色の光の中の人々の暮し。いつか物語で読んだ魔法の国を彷徨うような感覚。


昼間。パレスを見に行く。パレスの方向へ行くと毎日がお祭りのような物凄い人混み。外国人の観光客は少なく、インド人旅行者が大挙して押し寄せている。屋台から高級そうなお店までぎっしり立ち並び、食べもの、衣類、食器…あらゆるものが売られている。インド人旅行者の購買意欲は旺盛で、サリーの布地を扱う店はいつも女性客で大盛況だ。



パレスに入場するには料金を取られる。例によってインド人の入場料は非常に安く、外国人の入場料は反対に高額だ。観光に全く興味のないJも一応入場はしたが、結局パレスの中には私一人で入ることになった。パレスの内部は撮影禁止で、カメラは一時預かり所に預ける。広い敷地をインド人観光客に混じって進みパレスへ向かう。履物を預けると履物係のおじさんに破格のぼったくり料金(屋台のチャイが何杯も飲める。)を要求される。交渉する気にもなれかったのでやわ´ ´な観光客としておとなしく支払う。


*        *


場内はこれも物凄い人混みで芋洗い状態。人々は行列して少しづつ前進してゆく。インド人の人波にもまれながら、豪奢なパレスを見学するのは不思議な体験だった。
パレスの内部に入ると見学するコースは決められていて、立ち入り禁止の部屋がたくさんあり、全体の広大さからすると見学できるのはほんの一部に限られているようだ。歴代のマハラジャの肖像画がかけられている部屋とか玉座が展示されている部屋とか、正直私にはたいして興味の持てないものもあったが、インドの人は我先に展示室に押し寄せ熱心に語り合いながら見ている。材質を確かめるかのように神妙に展示室のドアや階段の手すりを叩いている男のひとたち。女性たちは観光地に来るときの常として、お出かけ用の綺麗なサリーを着ておしゃれをしている。子供達もひらひらキラキラと着飾って可愛らしい。Tシャツに半ズボンの観光客がみすぼらしく見えた。本当は彼らのほうが(たぶん)ずっとお金持ちなのに。



見学の最後はマハラジャがかつて下々のものを睥睨したであろう、パレスの正面が見渡せる広々としたテラス。大理石でできていて天井は薄いブルー、雲や星座が描かれている。外が遠くまで見渡せて、晴れ晴れした気分になる。見学終わりで皆リラックスし、綺麗な床に思い思いに腰をおろし、柱によりかかったりして休んでいる。私もしばらくのんびりして、外を眺めてぼおっとする。





鏡の間やこのテラスを歩いている間、買わなかったコムデギャルソンの薄水色のシフォンのロングスカートがこの場所にはピッタリだと思った。裾をひるがえしてこの場所で着たら似合いそうだ、ここで着たいな、と思った。この場に限らず、インドにはコムデギャルソンの服が似合うとしばしば思った。特にカラフルなものとか、シフォンやチュール、オーガンジーなんかの透け感のある薄い生地を使ったもの。インドの女の人はきっと好きだと思う。







パレスの庭園は花が咲き乱れる時期には豪奢な風情になるのだろうか。訪れた時はバラがちらほら咲いているほかは、野に咲くような可憐な花が咲いているだけだった。預かり所からカメラを取り戻し、庭で何枚か撮る。

バザール。


ぐるりを塀で囲まれた市場。四方の古めかしい門をくぐって内部に入る。売っているのは、鶏(食用。)から、野菜、フルーツ、スパイス、花、色粉、香料、アクセサリー、鍋、釜…とにかく生活に使うものは何でも売っている。通りかかるとわあわあとあちこちから声がかかる。観光地のバザール、という雰囲気は否めないが、それでもバザール特有のごちゃごちゃざわざわした感じの中を歩くのは楽しい。

ここでは香油を幾つか買う。フルーツや花の匂い。量り売りしてくれる。値段は高いし、値段交渉にも応じない。観光客なれしているなーという感じ。ブランド物の香水まで量り売りしているところが怪しかったが、オイルの匂い自体は良いのでギフト用にいくつか選ぶ。帰りがけ、「他の店のオイルは混ぜ物をしているから買ってはだめだよ」と言われる。同業者間の競争はなかなか激しいようだ。

白檀 / Santal de Mysore

憧れのマイソール産の白檀。古いロンリープラネットには白檀のピュアオイルなどを抽出している工場があり、見学も出来るし付属のショップでまがい物ではない製品が購入できる、と記述されていたがリキシャのドライバーに聞くと、見学できるそんな場所は無いとの回答。仕方がないのでカルナータカ州政府公認の直売店でマイソール産白檀100%のピュアオイルを購入。インドのサンダルウッドは希少価値が高く、「バンガロールでは同じものが倍の値段で売られている」と言う店員の口上はともかくとして、オイルの値段も高価だ。


買って、宿にもどると直ぐに開封して匂いを嗅いでみた。アルミの入れ物に入ったオイルはキャップが厳重に封をされ、固定してあって、開けるのに一苦労する。Jに開けて貰う。

その香りは……今まで、白檀の香りと名の付くものは結構嗅いできたが、このオイルはそれとは全然違っていた。

深く深く甘く甘く、濃厚な香りがして、長い間熟成された上等なウィスキーを思わせるような、うっとりするような香りだ。オイルを直接嗅いでもキツさは全く無い。厚化粧の婦人や抹香臭さをイメージさせる要素は皆無だ。


ごく少量を腕の内側につけると、柔らかく、ふわりと香りが広がり、眼を閉じていつまでも匂いを嗅いでいたくなる。その匂いは不思議なほど長く続き、一日中甘い香りが自分のまわりをやさしく取り巻いている。


それ無しではいられない、と思わせるような。

とりこにする。

ゆめの、かおり。

柘榴


ある日。パレス周辺の賑やかな一帯を歩いていた時。信号待ちで止まっていると、ひとりの男の人が私の目の前に手のひらを差し出してきた。手のひらにはいくつかの断片に割られて、果肉がむき出しになった柘榴が載せられていた。歩きながら手に握った柘榴を道々食べていたのだろう。彼は一言も言葉を発しなかったが、手をさらに私の方に突き出すそのジェスチャーから、柘榴を食べろと促していることは分かった。でも、私はその柘榴を食べたくなかった。欲しくなかった。

「Thank You、but No Thank You.」
やんわりと断った。が、彼は柘榴を勧めるのを止めない。
何回か、同じ行動が繰り返された。彼が柘榴の乗った掌を突き出す。気持ちは嬉しいけれど、今は欲しくない、という意志を私が示す。やがて信号が変わり、私は彼のことはそれ以上気にかけなかった。



あちこちうろついて、宿へ戻ろうと元来た道を逆方向に歩いていたとき。突然、背中に何かがあたるのを感じた。同時に何か実のようなものが地面を転がるのが見えた。それが偶然にではなく、故意の行為によるものだということは瞬間的にわかった。驚いて振り返ると、先ほどの「柘榴の男の人」が歩いていて、こちらを見ているのが見えた。背中に触ると何か粒のようなものが手に当たった。私は慌てて背中をはらった。彼はまだ柘榴をほおばっていた。彼は口に含んだ柘榴を、その種を吐き出す風を装って私の背中に吐きかけたのだ。訳がわからなくなって、抗議の態度も示せずにいる私の横を、彼は鼻歌を歌いながら愉快そうに通り過ぎた。


泣きたいような気もした。屈辱も感じた。でも、それ以上に何故そのような行為をされなくてはならなかったのかがさっぱりわからなかった。どう客観的に考えても、私は彼に対してニュートラルに接したし、横柄な態度も、拒絶するような言動も取らなかった。彼が気にいらなかったとすれば、柘榴を食べなかったことだけ。無理をしてでも食べればよかったのだろうか?でも、それは出来ない。私はとにかくその時柘榴を食べたくなかったのだから。断るしか選択肢はない。自分で自分の気分を悪くする行動はとりたくない。


宿に帰ってブラウスを脱いで背中を確かめると、柘榴がひとつぶ残っていた。
急いで、念入りに、洗濯した。
混乱と疑問は、なかなか消えない。

何故、私は彼に柘榴を吐きかけられなければならなかったのだろう?

余白に。


旅に出たからといって、毎日夢のように素敵なことばかりがおきるわけではない。(恐らく、多くの場合は。)
旅が日常の日々になれば、それだけ理不尽な、わけのわからない目に遭う確率も上がる。


反対に、一日しかその場所に居なければ気づくことができずに、ひとつの印象だけが残ったであろう街が、何日か滞在したことで印象が変わってくることも多い。たとえ表面しか見えていないとしても、薄皮1枚が捲れるだけで、見えてくるものは変わる。





マイソールは、私にとってはそんな街だった。


継続して観察しなければわからない、
気づけないことがある。


移動の日々が始まって、記憶の彩りはさらに鮮やかになる。

MYSORE days

2014年3月3日 発行 初版

著  者:Neko
発  行:MANGO BOOKS

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