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サイババが帰って来るよPart2

張 世潮

ポニョ出版



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序文

現在世界が直面している多くの問題が、人が牛や豚を殺して食することによってもたらされている事を理解している人はほとんどいません。霊的な法則によると牛などの多くの動物は、その牛としての生を、仔牛を育て上げたり、人に牛乳を出したり、畑を耕したりして、牛としての徳を積めば次の生で人として生まれ変わっても、立派な人としての生を送ることが出来ます。ところが食肉の為に牛たちが牛として一生を終える前に、途中で屠殺されてしまうと、次の生で人の身体をとって生まれ変わってきたとしても、牛であった時、牛としての徳を積んでいないために未熟な霊のまま人の身体を取ることとなっています。そのため、今、私たちの周りを見渡しても、信じられないような凶悪犯罪、猟奇事件が多発しているのです。それだけではなく、私たちの社会にも利己主義や暴力が蔓延し、自己中人間が肩を張って跋扈しています。思いやりのあった、社会道徳がとても高かったあの素晴らしい日本が、あの世界に誇った道徳心の豊かな社会はどこに行ったのでしょうか?この国に生まれ育った者としてとても心が痛みます。この本の冒頭では、以上の事について社会に切り込んで行きます。それでは、世界に平和をもたらす露払い役のポニョと一緒に至福の千年に向かって旅を始めましょう。

地球の大掃除が始まるで


ヨシオ:牛や羊や豚などがその生の途中で人に食されるために、その動物たちの霊体は充分に発達しきれずに人の身体を取るから、人として分別のある行為が出来ない社会に迷惑ばかりかけるお邪魔虫人間として生まれ変わるんや。

ポニョ:それが、今世界に自己中人間が腐るほど、闊歩している根本原因なんや。

ヨシオ:それらは全て、人が罪なき生き物を殺して食しているのが原因や。すぐに肉食をやめよう。

ポニョ:動物実験もやめようぜ。牛乳を搾乳するために雌牛を閉じ込めて運動もさせず乳がかれた途端に殺してしまう恐ろしい世界。

ヨシオ:しかも、乳の出を良くしたり、肉牛が大きく育つために飼料に牛の脳みそまで入れる気狂い文明。

ポニョ:遺伝子組換え作物も飼料に混ぜ、肉を食べたり、ミルクを飲んだ人が不妊になるように仕組んでいる悪魔の世界。

ヨシオ:これらに目をつぶり、今の世界を楽しんでいる自己中人間たちの終わりがやって来る。

ポニョ:物質主義文明の終焉が近づいている。

ヨシオ:それと、同時に明るい光に満ち溢れたゴールデンエイジの足音がすぐそこまで聞こえて来ている。

ポニョ:もうちょっとの辛抱やで。今まさに屠殺場に連れて行かれようとしている牛君豚君、鶏君。我慢してや。



そろそろ地球の大掃除が、始まるで。
千年至福の時代の為の大掃除や。
今苦しんでいる、人や魚や、豚君や、牛君や、ニワトリさん。もうちょっとの辛抱やで。
君たちの苦しみおじさんはよ~く分かってるで。
君たちの痛みは、このおじさんも感じてるで。
君たちの悔しさも、骨身にしみて毎日のように、おじさんの魂を揺り動かしているんやで。
君たちの苦しみのこと考えたら、ほんまにやりきれん、涙を堪えて祈ってる。
ごめんやで。ホンマにごめんやで。
おじさんと、おんなじ人間が、こんなに地球をグチャグチャにしてごめんやで。
許してや。
おじさんが、人間の代表やったら、千回いや、何万回生まれ変わっても罪を償いきれへんのを知ってる。
口も聞かれへんで、ただ涙だけ流して屠殺場へ送られて行く君たち。
家族や仲間から切り離されて、人の胃袋に放り込まれる為だけの命と違うやんな。
人間に言うたれ、俺ら豚はなあ~、お前らに食われるためにこの地球に生を受けたんと違うぞ。って。

人間に言うぞ~。俺らニワトリはなあ~、唐揚げにされる為に、この地球に生を受けたんと違うぞ。
俺たちの肉食べたら、あんたら間抜けになるねんで。しゃーから、お願いやから食べんとってな

そやそや、その調子で言うたれ。

人間に言うぞ~。俺ら魚はなあ~。
刺身になりたくないねん。活き造りやめてーな。
生きたまま、お腹裂かんとってや。切腹やないで。
あんたらの死体も飾り付けて、熊か虎に食べてもらったらどんな気するねん。

小エビ君や白魚君がどうしても言いたいことあるねんて。

あの~。踊り食いだけやめてくれる?
あの~。誤解してはるかもしれへんけど、あれ僕ら踊ってるのんと違うねんで~。
痛くてのたうち回ってるねんで~。
そうや、俺たち、ドジョウも生きたまま食われるねんで。
胃酸の海の中で、自分の身体が溶けて行くって地獄やで。
暴れまくらなあかんぐらい痛いねんで。
そんなんの為に、俺ら生まれたんと違うねんで~。ええ加減にして欲しいわ。

もっと言うたれ。牛さん。あんたが、一番大きい声で言うたれ。


人間よ。ええ加減にせえよ。わしらの事バカにするな。
どんだけ苦しい思いしてるか知っとんのんけ。
わしらは、物とちゃうぞ。生きてるんやで。
ワシらにガキもおるし、家族もおる。
人間と同んなじ心もある。
さみしい気持ちも、嬉しい気持ちもあるねん。
人間と変わらんのやで。
たまに落ち込む時もあるで。
わしら、もう お前らに食われたくないのや。
あんたら、わしら動物よりひどい生きもんやな。
天罰下るぞ。天誅や。
わしら、何もしゃべられへんと思ってるんやろうけど、殺される前にお前の瞳をじっと見てるねんで。
じっと見て、わしを食べた奴、承知せんって言うとるんや。
もう食べてんとってくれや。
そんなんの為に生れたんやない。
わしらは、プラスティックで包装されてショッピングセンターに並んでると思ってんねんやったら
そこへ行く前のわしらを見てから、ワシの肉買うてんか。
そこで、そこの屠殺場で、ワシらの怨念のうめき声聞かしたるわ。
それ聞いても、まだ買うと言うねんやったら、
てめえは、人間やってる資格はないぜ。

皆んなよう言うてくれた。ここで特別にこの子等にちょっと喋らしたってな。

あの~。私たち猿やネズミ、モルモットは動物実験に使われるんです。


頭や身体の毛を剃られて電極を付けられたり流されたり、なんか訳の分からん薬も飲まされるんです。それで、どれくらい飲んだらガンになるかとか死んでしまうとか調べられるんです。
私たちまるで死刑囚なんですよ。
それも、何にも悪い事してへんのに。
人間はそんなに薬を欲しかったら、神様が昔から薬草とか鉱物とかいろいろ与えてくれてるのに何で私たちをこんな目に合わしてまで薬を作らなあかんのん。
それも、全部金儲けのためやって聞いたんですが…ひどい…。

おじさんは、あんたらもっと言いたいことあるのん知ってる。
でもな、もう少しで、もうちょっとであのアホな人間どもの住んでる世界がひっくり返る。
あいつら、君らの事ただの物扱い、商品扱いして来たやろ。
あいつら、君らを金儲けに利用してきたやろ。
そんな世界は、もう終わりや。
バイバイや。
あの高層ビルの眺めのええオフィスの部屋で、ふっくらした椅子に座って電話一本であんたらの命、弄んできた連中、莫大な金をその後ろで動かしてきた連中、世界を陰で操ってマスゴミ使って嘘ばっかりこいてきた連中、全部終わりや。
新しい世の中になったら、君たちの子孫は君たちの事を悲しむだろう。嘆くだろう。
何という酷い時代に、自分たちの両親や祖父母が生きていたんだろうと。
おじさんは、知っている。
このような、ひどい、とっても地獄のようなひどい時代はもう終わりだってことを。
君たちのような酷い扱いを受けた時代は、君たちで最後だと。
安心して逝くがよい。
おいらの、兄弟たちよ。
本当に悪かったな。ごめんよ。
許してな。恨まんとってな。


すべての人、すべての生き物は愛の具現です。
あらゆる鳥や動物や昆虫は、人間と同じように幸せを手に入れたいと望んでいます。
それらも人間同様に幸せを味わうのです。
2/4/2003


ポニョ:世界には、多くの悲惨な出来事が起こり、子供達もたくさん犠牲になっている。
普通、低いレベルの霊が人の身体を取る時、生まれた時から飢餓線上のようなところや、戦時下に生まれて、長く生きれない状況下で死んで行く。
でも、自分たちと同じ人類がそのような苦しみを受けているのは、見るに堪えない。

ヨシオ:神様から見ても同じことだ。牛も、豚も、鳥も、魚も、そして人も神様からみたら同じ一つの命。

ポニョ:人が、自分たちの兄弟であるべき他の生き物に苦しみを与えているのを、神が放って置かれるわけはない。
人は、自分で蒔いた種を刈り取る時がやって来たぜよ。

すべての生き物に優しくするのは、人間にとってとても大切です。
物事を正しく見極めて、優しさを深め暮らしに活かす道を探らねばなりません。
すべての生き物に優しくすると言うのは、苦しんでいる人や生き物の面倒を見て、助けようとすることです。
他の生き物の痛みや苦しみを和らげるために、力を尽くして下さい。
優しさという言葉を何度唱えても、それだけでは何にも役立ちません。
優しさを身をもって示し、人生の一部とするのです。優しい心は神と同じだと信じて下さい。
SSIBc27

神の信者になろうとしている者は、肉食、アルコール、喫煙をやめなければならない。SS12/1994p315
今日、どうして人口の増加が起こっているかといえば、それは人々の行為のせいである。
人々の小さな胃袋を満たす為に、神は世界に沢山の食料となる物を創造しました。
大量の米、大量の小麦、大量の果物のような良い食料を神が与えているのにもかかわらず、人々は肉や魚などを摂っています。
そしてそれらの人によって殺され食された魚(や動物たち)が,人として生まれ変わってくるのです。SSIB1977p182
人々の為に飲料水を提供する施設を創設し、同時に人々が動物を食料として殺しているのを止めさす、という二つのことが太古の栄光を取り戻す上で基本的に必要なことです。
どんな形にせよ、罪のない動物を殺すということは暴力であり、悪であり、野蛮な行為なのです。SS12/94p323
真の信者になろうと思うならば、肉食を完全に止めなければならない。
人は動物を殺しながら、どうして自らをサイやラーマやクリシュナの信者だと言えよう?そのような人は悪魔である。
そのような人は、神の恩寵を決して受けることは出来ないであろう。
誰であろうと、その人がインド人だろうが外国人だろうが、サイババの命に従わなければなりません。今すぐ肉食を止めなさい。SSN春95p33
動物を殺すのは罪です。
しかしあなたは、動物を殺すのは自分ではなく,肉屋だと主張するかもしれません。
それは正しくありません。
というのもあなたが肉を食するからこそ、動物が殺されるのです。
もしあなたたちが皆、肉食を止めたならば、誰が動物たちを屠殺場へと連れて行くでしょうか?それゆえ罪を犯している者は、動物たちを屠殺しているものだけではなく食している者も含まれるのです。
このように我々は正しい食生活をしていない為に人間的な価値を失い、獣的な性格を身につけて来ているのです。SSN春95p,16
 今日、自分をサイの帰依者であると思おうと思うまいと、だれもが肉食をやめるべきです。
なぜでしょう? 
肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。
何を食するかによって何を考えるかが決まるのです。
さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。
人間と同じく五大元素でできている動物を食べることは、いかに罪深いことでしょう! 
動物を食べることは、人に悪魔的性癖をもたせ、その上、動物への残虐行為という罪をも犯します。
ですから、真に神の帰依者になろうと努める者は、非菜食の食べ物をやめなければなりません。自分たちをサイの帰依者であるとかラーマの帰依者であるとか言いながら、鳥や肉を食べて肥えている人たちがいます。
それでどうして真の帰依者であると見なされるでしょう? 
それでどうして神がそのような人を帰依者として受け入れることができるでしょうか?
ですからインド人であっても無くても、そうした肉食をやめるべきです。 23/11/94

牛は食われて人になる

星やんと一緒に街を歩いていると、その辺りの人を見て、よく「うわー、見てあの人、ひどいわ。」などと叫んでいた。

おいらが、「一体どうしたんや。普通の兄ちゃんやんか。ヤーさんらしくないし。おいらの方が、もっとヤーさんポイで。」

星やん「違うねん。あれは人の皮まとった動物やねん。」

ポニョ「なに。そんなんてあり?羊の皮を着た狼って聞いたことはあるけど。」

星やん「僕分かるねん。その人がどんなレベルの霊かが。街の中ひまそうにウロウロして物欲しそうな顔をしている連中は、ほとんどペケや。低い動物に近いバイブレーション持ってる霊やで。」
ポニョ「どうしてそんなん分かるねん。」

星やん「その人のオーラから出てるバイブレーションを感じる事出来へんか?」

ポニョ「…ちょっと難しいな。おいらには。」

星やん「喋ったらすぐ分かるで。そういう人は、自分の事しか話せへんし、すぐに人を利用しようとするからすぐ分かるで。要するに、自己中や。それに、人を騙すのん平気や。嘘ついたり、人を裏切ってもまた利用できると思ったらすぐにしっぽ降って戻って来よる。」

「霊的に低いレベルの人は、自分の良心のささやきが聞こえへんのや。まったく。動物より落ちる輩って、なんぼでもおるで。」

ポニョ「おっそろしいわ。こんな輩と一緒に世の中住んでると思ったら。」

星やん「ウジャウジャおるで。もう一度、動物に戻らなあかん奴らが。ちょっと、この世界狂ってしまってると思うで。」

「霊の世界に行くと、こんなんと違うねん。もっとちゃんと霊的法則に基づいてみんな生きてる。ちょうどピラミッドのように、上手い具合に霊的にレベルが上がる程つまり、てっぺん行くほど少なくなっているんや。」

「そやのに見てみ、この世界。ピラミッドどころか、逆三角形やんか。てっぺんにおるはずの人の身体に、レベルの低い動物たちの霊が入りこんで来てるんや。」

「動物の霊が人間の身体を取っとる。それも尋常な数やあれへん。そんな奴らが、いっぱいこの世界でのさばっとる。大きい顔しとる。」

「政治家の人相見てみーな。一部の人除いてみんなめちゃ悪いで。そいつらに献金しとる経済、ビジネス界握っとる連中も、ロクな顔してないで。」

「こいつら、みんなまとめて引き摺り下ろさんことには、まともな世の中来ないで。昔やったら、この物質世界もきれいなピラミッド型の三角形してたんや。」

「人の身体を取る霊は、一部を除いてそれなりの一定のレベルに達した霊しかとれなかったんやで。だから、昔は、人は人らしく思いやりもあり、親切心もあり、同情心もあり、モラルもあり、信仰心もあったんや。昔は泥棒でも五右衛門みたいに人情持ってたんや。」

「今見てみ。ひどいもんやで。人情のかけらも無いやんか。世の中ヘイトばっかりで住みにくくなってきてるやろ。これもみんな、肉食のせいや。僕も昔、鶴橋の焼き肉大好きで通うてたけど、大きい罪作ってたと思うわ。」

「ある日、焼肉屋からの帰り、食べた肉を突然全部、胃から戻したんや。めちゃ苦しかった。その時、腹の底から『もう肉食べるな。』という声聞こえたんや。」

「それ以来、一口も肉を食べられなくなってんやんか。それからやな〜。色んな事が見えたり聞こえたり、魑魅魍魎の霊の世界に足突っ込み始めたん。」

「自分でよう分かったんや。肉食していると、自分の霊的なレベルが動物に近くなるってのが。ほんまやで。保証したるわ。」

だれもが肉食をやめるべきです。
なぜでしょう? 
肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。
何を食するかによって何を考えるかが決まるのです。
さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。
人間と同じく五大元素でできている動物を食べることは、いかに罪深いことでしょう!
 動物を食べることは、人に悪魔的性癖をもたせ、その上、動物への残虐行為という罪をも犯します。
ですから、真に神の帰依者になろうと努める者は、非菜食の食べ物をやめなければなりません。

星やん「肉を食べると、とても身体が怠い雰囲気になって何もしたくない気分になる。感傷的にもなるし、落ち込みやすくなったりもする。感覚のコントロール何てとんでもない。性的な欲望は強くなるし、他人が言ったことや、したことが、気になって仕方なくなるし、嫉妬心、復讐心なども湧いてくる。」

「僕は一度、肉食やめてから、もういっぺんだけ最後に一回だけやと思って、口にしたら今言ったような、色んな想念や思いが噴き出してきて自分でもビックリしたで。」

ポニョ「牛や豚、羊の肉だけやなくて、魚を食べたら想念に影響するってのをおいらは聞いたことがあるで。確か魚を食べると汚い想念が浮かぶって事だったな。」

星やん「どういう事かって言うと、例えて言えばふた癖もみ癖もある政治家のように、一体何を考えているか分からん人っておるやろ。心と言ってる事バラバラな人や。」

ポニョ「他人のカードを出来るだけ読んで、自分のは見せない。権謀術策にたけた人間って奴かのお。おいらの嫌いなタイプだぜ。豚肉を食べると傲慢になり、鳥肉を食べると、間抜けになるっていう話も聞いたことがあるぜ。」

星やん「受験生は、鳥肉カレーなんぞを夜食に摂ると、志望校に入れなくなるかもね。」

ポニョ「おいらが思うに、間抜けという意味は、霊的な意味だと思うぜ。」

星やん「つまり、自分を、身体と同一視してしまうという事じゃないかな。」

ポニョ「でも物質的にも、霊的にも、間抜けは間抜けじゃのう。」

肉を食することによって、精神的な安定や集中が出来なくなり、霊的な進展は望めません。
食べ物によって心は左右されるのです。
肉を食べることによって、動物的な思いが心に浮かんでくるのです。
例えば、羊肉を食する前に羊はどのような性格の動物か調べてご覧なさい。
羊は従う、従う、従うことだけです。
それ故あなたは羊肉を食べることにより識別心を失うでしょう。
豚肉を食べると、傲慢な豚の性格があなたにも現れます。
このように肉食は我々の想念に悪い影響を与えるだけではなく、暴力的傾向も強くさせます。
動物を殺すのは罪です。
しかしあなたは、動物を殺すのは自分ではなく、肉屋だと主張するかもしれません。
それは正しくありません。
というのもあなたが肉を食するからこそ、動物が殺されるのです。
もしあなたたちが皆、肉食を止めたならば、誰が動物たちを屠殺場へと連れて行くでしょうか?
それゆえ罪を犯している者は、動物たちを屠殺しているものだけではなく、食している者も含まれるのです。
このように我々は正しい食生活をしていない為に人間的な価値を失い、獣的な性格を身につけるのです。SSN95

ポニョ「少し話は飛ぶが、前世が犬だった者は、人間になってもその傾向が残っており、攻撃的で、すぐ人の話に噛み付くらしい。また、前世が飼い猫だった者は、高いところでの仕事が平気で、盗みグセが治らん者になって生まれ変わるらしいのお。前世が、鹿だった人は、自分の好きな音楽がかかると、もう何もかも忘れてうっとりしてしまうそうじゃ。インドでは、鹿のそういう習性を利用して、捕まえるのだそうじゃ。牛から生まれ変わった人は、とてもプライドが高く傷つきやすくて、また人を傷つけやすい人になって生まれるそうじゃな。」

人が持っている清らかなハートと無私の行いは、人が繰り返し生きてきた前世の功徳によってもたらされたもので、人間として生まれてきた証といえましょう。
愚かさ、高慢、貪欲等の属性は、羊、水牛、猫であった前世から引き続き持ち越してきた性質です。
憎悪に駆られて人を攻撃し危害を加える性癖のある人は、犬であった前世の傾向をあらわします。
心の安定が無く、一つのものから別のものへと心が飛び回る者は、嘗て猿だったという性質を反映しています。
ヤグナ(供儀)を行うのは、そのような悪い属性を除去するためです。
19/10/93

自殺したら怖いねんて

ポニョ:この世の全ての物は、実は、それぞれ違った振動数で細かく振動している。
それが、まるでダンスをしているように振動しているので、シヴァダンスと表現しているんや。
それがいろんな違うレベルの霊界と呼ばれるものも創り出している。
でも細かい振動数を持つものは、荒い振動数に影響を与える方が出来るんや。

ヨシオ:マトリックスという映画で、ネオという主人公が悪者の身体に入ってやっつけたシーンみたいやな。

ポニョ:そうや。これは余談やけど、そのネオのパスポートが一瞬写るシーンが映画の場面にあって、なんとパスポートの有効期限が2001年の9月11日やねんで。

ヨシオ:映画は、事件の三年も前につくられたと云うのに。

ポニョ:誰かが悪意を持って世の中をかき混ぜとるのお。
そういう輩は、微かな霊体に悪い想いを、砕石機で刻み込んでおるようなもんじゃから、次の生は動物に近いバイブレーションの身体しか取れんじゃろう。
あんたの次の身体のポチ君が待っておるぞよ。ハイお手。

ヨシオ:なんやそれ。犬に生まれ変わるんかい。

ポニョ:つまり霊界では、振動数の大きい荒い霊体は、物質の持っている振動に近くて、ほとんどの地縛霊はそのたぐいなのじゃ。
神さんは、この世界を創造した時、どこにも隙間など無いように造られているので、地縛霊と呼ばれるレベルの低い霊もいろいろ悪さをしながら、共存しておるのじゃ。

人間は死にますが、心は死にません。
人間が一生の間にすることはすべて心に焼き付けられて、次の一生まで持ち越されます。
誰も心の性質を理解することはできません。
中には、自分の経験するすべての問題に終止符を打つための方法は、自殺しかないと考える人がいます。
彼らは「私の苦しみの原因は心である。それに終止符を打とう」と考えるのです。
自殺は最大の罪です! 心はそれほど簡単には殺すことができません。
そのような低劣な考えを抱くべきではありません。人は、いかなる困難にも根気強く立ち向かい、自分の人生を神聖なものにする用意ができていなければなりません。
24/7/02


ポニョ:レベルの低い霊は、特に自殺をして自分の天命を短くした霊に悪さをするようやな。
また、奴らはこの世俗の世に強い執着を持っているが故に、自分達と同じ欲望を持っている者に付きまとってその欲望を間接的に満たしてる。
そして機会があれば、その身体をいつでも乗っ取ろうと企んでおる。

ヨシオ:しかし、それは大変難しいやろ。地縛霊といってもずっとそこにいる訳では無いんやろ。。

ポニョ:そうやねん。やがて、物質に近いバイブレーションを持った霊体が崩壊する時が来れば、そのレベルからバイバイする時が来る。
そして、その低いレベルの意識に合った肉体を取ることになるが、そのような霊は残念ながら動物に逆戻りだわさ。
また、自らの命を、何らかの理由で絶った霊は、もともと持っていた天命を全うしていない。
そのギャップの年月が、十年あったとしたら、その間は、生まれ変わられない。
そして、その間、人の身体を取りたくても取れない地縛霊共にいじめられるんや。

ヨシオ:でも、よく末期ガン患者の自殺のニュースが流れるが、寿命がもう残り少なくなっている場合は別やろ。

すべての人間は、決められた寿命を持っています。
それは借家契約している家に住んでいるようなものです。
その家を出る前にあなたは新しい家を探さなくてはなりません。
同様に、人がその身体から離れる前に、その人のカルマに応じて神は別の身体と寿命を用意します。
もし、死が独断的に刑罰によってもたらされた場合、あなたは、カルマを支払って高いレベルの境地へ恒久的に行ける機会を逃すことになります。
自殺の場合は、あなたは中途で立ち往生した状態となります。
それは、あなたにとって恐ろしい状態となります。
この自然界には空白というものは存在しません。神は、霊魂やその他の目に見えぬ霊体達でこの世界を満たしています。
自殺を図ると、それらの者たちがあなたのところにやって来るので、あなたは恐怖におちいるでしょう。
それゆえ、自分で神様から戴いた命を絶ってはならないのです。
正義に基づいて人生を送りなさい。人生の中で困難にぶつかってもいつも神を思い、落ち着いて乗り切ればいつの日か必ず神の祝福を得ることが出来るでしょう。
この真理を疑ってはなりません。
神への信仰を持ちつつ,それらの困難に立ち向かいなさい。
P290Anandadai


ポニョ:全ての霊は、神霊を目指しているので、本質的に上の方に向かって昇る。という性質を持っており、実はここ地上が霊の最終目的地一歩手前の約束の地なんや。
どういうことかというと、霊が人の身体を取って初めて他のレベルの霊と交わることで自分を浄化できるねん。それは、肉体を取れるこのこの地上において他ないからや。
それゆえ、すべての者はこの地上で生を受ける目的は、違うレベルの霊を持った人を助けて自分を浄化して神と融合することなんじゃよ。

ヨシオ:この地上の生活で修行を積むということは、自己犠牲を伴った人への奉仕を神に捧げてエゴを無くす事やねんやな。

ポニョ:そうして自らが神と悟った霊はもう上がりじゃ。
実はこのような、肉体を取ることが出来る惑星は、地球だけなのじゃよ。
霊の上がり、つまり、解脱ができるのは、いつもこの地球からだけなのじゃ。まるでピラミッドのてっぺんのようなものじゃの。
ピラミッドの先端は、一つだけじゃ。そこにたどり着いた霊は神に融合出来るのじゃ。
それゆえ、人は、この地球に生まれ変わることがどれほど幸運な事か。
以上のことから分かるように、もし誰かが、実は自分は別の惑星から来た宇宙人です。と言っている人がいれば、その星のお土産でも頼めば良いのじゃ。でもそんなものはどこにも無いのじゃ
確かに、全ての他の惑星に住んでいる霊たちは、この地上に人として生まれ変わりたいのじゃ。それゆえ、前世は、アンドロメダ星から来てウルトラマンと友達だった。
という宇宙人の霊が人の身体をとって生まれ変わっている可能性はあるが、アンドロメダ星人の肉体なんて無いのじゃ。
それでは、あの目ん玉の大きい、よく目撃される宇宙人は誰なのだ。一説によると、それらはバイオロジカルロボットで、自らの意思で動いているわけではない。
他の星の霊が、自分たちは、肉体を持たないので代わりにそれを使って地球人に働きかけようとしておるのじゃ。
そしてそれらを造るために、牛などが血を抜かれた状態で殺されたりしておるのじゃ。

船はいつ来る今日か飛鳥

ヨシオ:おとつい久しぶりに街の中を歩いたわ。お袋の死亡証明書を取りにフリーマントルの裁判所に行ったんやけど、なんか観光客になった気分で嬉しくなった。
裁判所の待合室に暴力団こちらではバイキーと言うんやけど、柄が悪そうなおっちゃんがおって、みんな緊張して座ってた。もちろんそのバイキーの隣は誰も座れへんから空いていたから俺は隣りに座ったんや。そのバイキーは、長い髪の毛を三つ編みに括って何本も綺麗に頭から垂らしてるねん。俺は、見とれてたら、バイキーはこんだけ伸ばすのに二十年かかったんやで。と言ってた。俺は、どうやって毛を洗うねんと聞いたら、普通に洗ったら終わりや。でも、リンスはマメにしないとあかんねん。と言ってたな。それで俺は、海に泳ぎに行ったら塩だらけになるやろ。そんな時はどうするねん。と聞くと真水で流したら大丈夫やと言うてた。俺は、でも、そんなに長かったら毛が重くて抜けるんと違うかというと、俺のダチはみんなをハゲ頭になった。ウワハッハと言って喜んでいた。
それで、ちょっと鬱陶しかった待合室は明るい雰囲気になった。

ポニョ:誰とでも喋るんかあんたは。でも、あんたの農場はめちゃ田舎やから喋る人がおれへんて言うてたな。

ヨシオ:そうやねん。毎日、嫁さんと子供以外に誰とも会うことないな。時々、近くに住んでる嫁さんのお兄さんに挨拶に行くぐらいや。隣の家も一キロぐらい離れてるし、それに、子供というても外で働いているから一日中家におれへんし、嫁さんも家のペンキ塗りで忙しいし誰ともしゃべれへんから、毎日自然に無言の行みたいになってるんや。

ポニョ:おいらとスカイプで話すぐらいか。

ヨシオ:そうやな。でも、実はネットもうちまで来てないから、街に出た時にコンピューターを使うんや。電話線も繋げてないし、テレビも見ないし、携帯も無い。原始時代に住んでるみたいやで。
それで、パースに住んでる息子たちの家に行っても、末っ子のバスケのゲームに応援しに行くぐらいや。だから、久々にフリーマントルの街を一人でウロウロして面白かった。

ポニョ:テレビもラジオも電話もコンピューターも無い生活って考えられへんな。

ヨシオ:静かでええで。感覚が研ぎ澄まされるのがわかるんや。内観もし易いし、それに、久しぶりにバイキーでも誰でも人を見ると嬉しくなってくる。昔は人の数だけ神さんがいたんや。だから、この地球に人がたくさん住んでるけど、本当はみんな神さんやねんで。

太古の人々は、神は遍在であるという完全な信仰を抱いて神を憶念し、礼拝したものでした。我々の太古の聖典によれば、神々の数は三千万にのぼると言われています。
この神々とは誰のことでしょう? それほど多くの神がいるのでしょうか?
実はそれらの聖典が書かれた当時、世界の人口は三千万だったということです。
この声明は、一人ひとりの人間を神の存在と見なして為されたのです。
「サハッスラ シールシャー プルシャハ」(神には何千もの頭がある)という声明は、それより以前、世界人口が千人単位であった時のものです。
今、世界の人口は五十八億です。
その一人ひとりが皆、神性の具現です。
人は皆、神の化身です。
なぜ人はそれほど神聖で貴重な、人としての生を浪費しているのでしょうか?
神は特別な姿を取って、自分とは別に存在しているなどと考えるべきではありません。2/4/2003


それで、フリーマントルの街を歩いてたら、たくさんの日本人ぽい人が歩いてたんや。
それで、港を見ると飛鳥という船が停泊してた。昔、そう言うたら、お袋も、妹夫婦に招待されて日本国内だけやったけど豪華なこの船に乗船して喜んで帰ってきてたな。と思い出したんや。
俺も、お袋から飛鳥の印が入っているよく切れる爪切りをお土産にもらったことがある。
少しそんな事を思い出しながら船を見てたんや。そのうち、その日は少し街を歩いて暑くなったから身体を冷やそうと思って、無料の循環バスに乗って近くのビーチに泳ぎに行った。

ポニョ:海パンをいつも持って歩いてるんか。

ヨシオ:いや。下着で泳いだらええやんか。誰も何にも言えへんで。それが嫌やったらヌーディストビーチもあるし、あとは、ビーチに座ってゆっくりしてたらすぐ乾くし。

ポニョ:何〜。そんなスッポンポンビーチもあるんかぁ。今度行った時案内してくれるか。いっぺん行って見たいぜよ。おいらの夢ぜよ。

ヨシオ:昔、あんたみたいなスケベージジイを連れて行ったことがあるけど、あんたみたいなおっさんばっかり来てたわ。類は友を呼ぶってこのことやなと思った。

ポニョ:なんじゃ。ヌーディストビーチって、ギャルばっかりやと思ったわ。

ヨシオ:それやったら、どうやってポニョが行けるんや。アホやなほんまに。自分の妄想の中に生きてるやろポニョは。

ポニョ:でもあんた、暑かったらさっとビーチへ行くなんて、そんな生活してたら絶対もう日本で住まれへんと思うわ。

ヨシオ:そうかな。昔、三十年近く前に俺がパースへ来た頃、エアコンもなかったし暑い夜なんか、人がビーチへ行って一晩寝て、あくる日、背広に着替えて直接会社に行ってた人が何人もおったで。だから、靴を持って行くのんを忘れて背広は着てるけど、ビーチサンダルでウロウロしてるサラリーマンもオフィイス街で時々見かけたな。

ポニョ:日本やったら、会社をなめとんのかキミィ〜。とか言われて首になるで。でも、あんたみたいなおもろい人が普通に住んでる国みたいやな。

ヨシオ:それで、バスに乗っていたら、一人のお婆ちゃんが、人に尋ねながらフラフラとバスに乗って来て、俺の足を踏んだんや。おばちゃんは、しまった。踏んじゃった。ソオリー。と言ったので俺は、ユーアーオールライトと思わず言ったんやけど。ああこのお婆ちゃんも日本の船で来た人かな。と思いちょっと声をかけたんや。サイババさんは、一日に少なくとも五人の人を幸せにしなさいと言っておられるし、普段田舎におったらそんな機会はないから、少しは役に立つことが出来るかなと思ったんや
「お婆ちゃん。日本からですか。俺、この辺に詳しいから、何か困ってるんやったら言うてな。」と言うたらお婆ちゃんはびっくりした顔をして、「あなた、ちょっと訛ってるけど日本語ががお上手やね。」と言われたわ。「ありがとう。ちょっとフリーマントルマーケットに行きたいけど何処で下車したらいいのかか分からないんです。」と言ったので俺は、「大丈夫や俺がちゃんと降りるところ言うたるわ。」と言ったんや。
そのお婆ちゃんは、お袋ぐらいの年格好やし、そのお婆ちゃんを見てたら、なんかお袋の事思い出したんや。認知症になってなかったら、まだこんなふうに人生を楽しんでたやろなと思って…。
それで、「お婆ちゃんも、あの飛鳥で来たんか。俺のお袋も、昔乗船して楽しかったっていうてたわ。豪華なええ船やねんやろ。」と言うと、お婆ちゃんは、「実は、もう飽きてきたんです。私はこの船でもう何度も地球の周りを回ってるんです。一回の旅で一千万円以上掛けて、地球一周の旅をするんだけれど、もう何処に行っても、何処を見ても感激しなくなったんです。人は、あんたはラッキーな人ですね。と言われるんだけど、私は、ちっとも楽しくないんです。」と言われたんや。

ポニョ:よっぽどお金持ちのお婆ちゃんやねんな。何遍も地球一周の旅をしてるって。

ヨシオ:そうなんやろな。それで俺は、「そうやろな。そんなにいっぱいどこでも行きはったんやったら、飽きるよな。」と言うと。お婆ちゃんは、「でもこれで最後にしようと思っています。また何か違うことしようかなぁと思ってるんですけど、何をしていいか分からない。」と言ったから、「俺は幸せを外に求めてもチルチルミチルみたいに見つかれへんもんな。
例えば、みんな豪華客船に乗って世界一周の旅ってすごい憧れるけど、お婆ちゃんのように飽きてしまう人もいてる。だから、豪華客船の旅の中には、幸せって無かったんや。
それと同じで、スポーツカーが欲しくてそれを手に入れたら幸せになれると思っている人もいるけど、その同じ車を違う人に見せても、俺はベントレーみたいな車が好きや。こんな車は好きじゃない。と言うかもしれん。だから、そのスポーツカーの中にみんなを幸せにするもんは無いんや。物や地位や権力、そういうものの中に幸せは無いんや。それは、自分の中にある。お婆ちゃんみたいに我足るを知るや。だから、そういう気持ちになったんはとてもええことやで。」という話をしたんや。
お婆ちゃんは、あなたはお坊さん見たいですね。オーストラリアで、法話を聞くとは思いませんでした。と言ってた。

平安と幸福は、満足のうちにあります。最も裕福な人は誰でしょう。
満足している人が最も裕福な人です。
それでは最も貧しい人は誰でしょう。
たくさんの欲望を抱えている人が最も貧しい人です。STPSp118


ポニョ:あんたは見ず知らずの人にもそんな話をいきなりするんか?おもろいなホンマに。

ヨシオ:俺は、そういうこと以外本当は興味が無いねん。自分も含めて人を霊的に高めるのが俺の仕事やと思っている。でも、それは、口だけではいかん。自分が自分の良心を裏切らずに、神さんの方を見て真っ直ぐに生きて行くという模範を示さないと、誰も着いてこないしそんなことを言っても鼻でせせら笑われるだけや。お天道様を見て、お天道様に恥じない生き方をするって日本にも昔からええ言葉があるやんか。それだけでええねん。そういう風に生きて行ったら神さんも喜んでくれはるわ。だって、そのお天道様というのは、自分の中にある良心であり、神さんやから。

ポニョ:あんたの、農場にあんたを訪ねて人がいっぱい来た時もそういう話をしてたんか。

ヨシオ:そうやな。それに、実際のところ俺には、その人だけではなくて、その人を俺のところに導いて来ているその人の守護霊もいてるのが分かるんや。それも一人や二人と違う。たくさんの守護霊や先祖の霊や。そんな魂も俺の話を、サイババさんについての話を、つまり大本の神さんがこの世に降臨されて俺を通じて仕事をしておられるという話を聞きに来てくれてるんや。
だからええ加減なことは言われないで。でも面白いのは、話が詰まって次の話が出てこない時に、さっとインスピレーションが湧いてくるんや。
まあこういう事は、説明しても分かりにくいと思うけど。一言で言うと、俺の身体を使っていろんな事を神さんがされているのが分かるんや。
神さんは誰にも何か大きな奉仕や、たくさん人を助けたり、援助したりする事を望んでおられるわけではない。神さんは綺麗な心で捧げたらどんな小さな事でも喜んでくれるんや。

だから、このブログを読んでくれている人が、俺が以前住んでいた天神橋筋商店街で仕事をしていて、天満駅に座ってる身寄りのないお婆ちゃんに弁当を毎日手渡したというコメントを紹介してくださっているけど、そういう行為を神様がとても喜んでおられるんや。だから、毎日どんな小さい事でもええから、あなたの周りの五人の人を幸せにしたらええよ。と言うてはるんや。

ポニョ:一日五善やな。俺も頑張ってお膳の前に座りに行こうかな。そろそろ晩御飯の時間や。というわけで今日か昨日か飛鳥を、お届けしました。サイババさんが帰って来られるのは飛鳥?

ヨシオ:もうええっちゅうに。

ポニョ:違うんか?それじゃ、あっスカや。
毎日少なくとも五分を神の御名を唱える時間として捧げ、さらに数分を貧しい人や、寄る辺のない人びとへの祈りに捧げなさい。
あなたの日々の祈りに、全世界の人びとの幸せを込めなさい。
悪意や他人を傷付けることのない生活を送るように努力しなさい。
これが霊性の規律であり、自分の人生を償うことであるとみなしなさい。
神の名を唱えるだけで十分ではなく、神聖な行動に参加しなさい。SS3/90p60~1

控えめに浄らかな食事を摂ることによって、心の安らぎは促進され健康も良くなります。
バランスの取れた食事をしなさい。腹八分目に摂りなさい。
タバコをやめれば、多くの病気にかからないでしょう。
酒類や刺激物は心を波だてる傾向を持つゆえに有害です。
少なめに食べ、話すことを少なくし、欲望を少なくすること、正直な勤労で得た僅かなもので満足すること、他人に奉仕し、あらゆる人々と喜びを分かつことに熱心であること、これらはどのような薬にまして強力な効果があり、健康を維持します。
これらは、太古の健康の科学サナザナアーユルヴェーダに記されていることです。21/9/60

ませガキUFO少年


さて、おいらは今はもう無くなっておるが、昔、カスツーリ記念館という図書館がアシュラムにあってのう、よくそこへ本を読みに行ったもんじゃ。

ヨシオ:どっちでもええけど、ポニョのしゃべり方訛ってきてるで。あんたすぐその気になってはまってしまう癖あるな。

ポニョ:今は、聖者になってるつもりやねん。話の腰を折らんといてくれるか。
それで毎日そこへ行くもんじゃから、そこの常連と親しくなったのじゃが、ある落ち込んだ感じの若者がおっての。
まだ、十代に見える青年じゃ。少し話でもして、元気づけたろと思うたんじゃ。
おいらが、「君は、若いのにこうしてサイババさんのところに来て偉いのう。」
「両親に、連れて来てもらったんかい。」と聞くと、
そうではない。という。両親はサイババのことを知らないらしい。
ペルーのサイセンターの人に連れてきてもらったという。
「じゃ、君はどうしてサイババの事を知ったの」と聞くと、「おじさん、UFOの事を信じる?」と聞くので、
「もちろんだよ。おじさんも見たことあるよ。」と言うと、とても喜んだ顔をして次のような話をしてくれた。
自分は、ペルーの農場で働いている。ある日、農場の中の雑木林の中を歩いていると、木立の上に音もなく浮かんでいるUFOが見えた。
今まで一度もそんなのを見たこともなかったので、驚いて眺めていると、突然一条のビーム光線が自分を照らした。
その後のことはあまり覚えていないのだけれど、気がつくと光線を浴びたところで倒れていた。左半身が少し麻痺していた。
しばらくすると、身体は元に戻ったが、あの日、他の農場で働いている人も複数UFOを目撃していた。
それを聞きつけて、日本も含めて外国のテレビ局が取材に来た。
その日以来、自分の頭の中でイメージが写るようになった。
ただのどこにでもある小さなビルだった。周りの景色から判断してペルーの首都であるリマのようだった。
ある日、用事でリマに出掛けた時に、同じようなビルを車に乗って探し始めた。
全く同じビルを見つけた。興奮して中に入ると、そこはサイババセンターが入居していた。
そして、そこにいた人達に経緯を説明すると、是非インドに行ってサイババさんに会いに行きなさい。と勧められてこうして来た。
自分は、サイババさんのことをまだ何も知らないので、ここに来れば、サイババさんのスペイン語で書かれた本がいっぱいあるので読みに来ているとのことだった。
でも実は、自分にはサイババさんの事よりもっと、大きな悩み事があると言って、涙を流し始めた。
それは、自分はまだ十九歳だが、すでに結婚して離婚し、娘がいる。別れた妻が、娘を連れて外国に行ってしまって帰って来ないので、とてもさみしい。娘に会いたい。とのことだった。
ナンチュウませガキや。十九で離婚して娘までいるってあんた。
若者は、もっと若い時にする事があるじゃろ。女のケツばっかり追いかけるからじゃ。とかなんとか言ったんじゃけれど。泣いてばかりじゃった。
なんで、UFOがこんな、ませガキをサイババさんへ導いたのか分からんが、しばらくしてこの、ませガキがインタビューに呼ばれた。
サイババさんは、娘の事は心配しなくても良い。と言われて、これからの人生の指針をアドバイスしてもらった。と喜んで帰って行った。
それから、しばらくしてサイババさんはご講話の中であの若者について、「若干十九歳で結婚し離婚して、子供もいる。その子供に会いたくて落ち込んでいる青年がやって来た。」
「君たち、若者は若い時にしかできない素晴らしい能力を神から授けられている。」
「それを、あんな風に使って無駄にしてはいけない。」と言われた。
多分、おいらが思うにあのませガキの前世は、あのような、ませガキばかりいるマセマ星から来ているのじゃろう。
また、イスラエルから来た夫婦は、ある夜中に裏庭に光るものが見えたので、裏口のガラス戸越しに見ると、UFOがいた。
次の瞬間、ガラス戸に映画などで見たこともある、目の大きなETが立っていた。
驚いて、家の奥に逃げ込んで家具の隙間から見ていると、長い指でガラス戸に何かを書いている様子だった。
暫くすると、UFOごといなくなったので、何を書いたのか見に行くと、<何をしようと、愛でもってやりなさい。>と書いてあった。

彼ら(UFO)は多くのいい活動をしている。EOL

UFOの話はキリが無いのでこの辺にして、この世には、自分は多重世界から来たという人もいるが、もちろん霊の世界は多重になってはいるのだが、この地球と同じ物質で出来た人が住んでいるような、平行世界など残念ながら宇宙のどこを探してもないのだ。
そういうことを言う人は、全く霊の世界のことを分かっていない妄想人間か、平行世界に行けばこの世界のゴタゴタから逃げ出せる。と嘘ぶって、わざと、自分達の起こしているゴタゴタから人の目を逸らそうとする、悪意を持った奴らか、その尻馬に乗っておる連中じゃ。
霊界というのは、それぞれが違う振動数を持った、多重世界だがそれを波動と呼ぶ人もいるが間違っていない。
もともとは、鈍重な五代元素から出来ている物質がこのような波動を持つことが出来るのは、創造主、アートマンと呼んでもいいんじゃが、それが放射しているエネルギーが霊体を純化させ、それが物質に作用して振動しておるのじゃ。
例えて言えば、汚れた鏡をヴェーダできれいに拭き取れば、あんたの顔もべっぴんに映るよ。と言う事じゃ。
ルッドラムは、その創造主、アートマンのバイブレーションを詠唱することによって体感することが出来るんじゃよ。
言ってみれば、神の光を放射する小さな太陽源をもらったようなものじゃ。
それゆえ、創造主自らの人類への贈り物であるルッドラムの放射の力が、一人ひとりの中の霊体を純化させて細胞を活性化させ、認知症であれば、脳細胞が活性化し、それが東洋子の劇的な回復につながったと言えるんじゃろうな。
つまり、霊的な力が、肉体を癒したということが言えるのじゃ。霊主体従とはそういうことなんじゃろうな。
もし、ヴェーダを学びたい人がいれば、日本中にあるサティアサイ オーガニゼーションジャパン に問い合わせば、最寄りのセンターを教えてもらえるはずじゃ。
全て無料だわさ。テキストは、買い求めなきゃいけんのやけどのう。
今日は難しいことばっかり言ったので、頭痛がして来よった。
明日から、また軽く行くぜよ。
そうじゃ、おいらはまだ年越し蕎麦を食べておらんぜよ。

生命は宇宙に満ちあふれています。
創造には終わりがないのです。
この宇宙で人間のような生命やそれに似たような生命体はないのです。
転生は宇宙の他の星に生ずることはありません。
すべての生命は、人として生まれ変わるのを望んでいます。
というのも、人として生まれ変われたものだけが生死の輪廻の鎖から抜け出ることが出来、神を完全に体現出来る、という二つのことを実現できる機会を持っているからです。
それはこの地球だけで起こりえることなのです。
他の星や、言葉に出来ないくらいこの広い宇宙のどこにもそのような機会は存在していないのです。
ですからこの地球に人として生まれるという事は、とてもユニークなのです。
CWSSB

肉食やめよ。いつ?今でしょ

ポニョ:世界の人口が、どんどん増えて止まらん様になっているんだって、肉食が原因なんやで。

ヨシオ:肉食と、人口が増えることって大きな因果関係があるんや。

ポニョ:霊的な法則では、霊の旅路は小さい微生物から、植物、爬虫類などから、哺乳類へ進化して行く動物の身体を取る。つまり、それぞれのレベルの霊体はそのレベルに合った肉体を取ることが出来るんや。そして、その頂点に立っているのが人間の身体や。

ヨシオ:そして、その頂点に立っているのがポニョや。

ポニョ:その通り。よう知ってるな。あんたはその次にしといたるわ。

ヨシオ:ありがとう。嬉しくて涙出てきた。

ポニョ:嘘言うな。それでその一つ手前の身体は、人間のためにミルクを出したり、畑を耕したりして奉仕し、良いカルマをたくさん作っている牛や。

もちろん、馬も畑を耕したり、人を乗せたり物を運んだりして良いカルマを作ってはいる。
また、ペットとして飼われている犬や猫、引いてはペットの鹿でさえも次の生は人間に生まれ変われるのや。いつも人間に触れられているから、いっぱい人間の霊体が体の中に取り込んでいるからなんや。霊力というのは、水のようなもので肉体同士が触れ合うと、お互い相互に流れ合うという性質を持ってるねん。

ヨシオ:そういや、飼い主と、ペットは似てくるって言うな。夫婦もそうやし。友達同士だって、いつも一緒におって体が触れおうとると、兄弟みたになるっていうやんな。逆に、兄弟でも豪邸に住んで別々の部屋をもらって、あまり身体同士の接触がない家庭では、兄弟でもよそよそしくて兄弟らしくない。小さい部屋に押し込まれて、小さい時から喧嘩ばっかりしている兄弟の方が兄弟らしいやんか。

ポニョ:夫婦もそうや。単身赴任だと夫婦の接触が少なくなるので心も離れるとは、この事や。
それで、人が肉食べるということは、牛や豚を殺すということやろ。そういう、殺されて人に食された牛や豚の霊が、生まれ変わって人の体に入ってくるんやで。どうしてかって言うと、霊的進化の法則では、その次に取る肉体は人の身体って決まっているからや。人になって、生まれ変わるんや。考えただけでもおっそろしいやろ。

ヨシオ:今、世界でどんだけの数の牛や豚、鶏、魚などが殺戮されていると思う?大変な数や。それらが、みんな人になっても生まれ変わって来よる。人口が増えるはずや。

ポニョ:でもその殺された牛や豚は、牛や豚としての生を全うしてないから、霊が中途半端なんや。もし、牛や豚も人に食されずに、自分たちの子供の面倒を見て育て上げ、飼い主のために畑を耕し、ミルクを提供しておれば、牛としての徳を積むことが出来る。そして、その牛としての徳のある生を終えて人の体をとったとしても、十分に一人前の人間として社会に迷惑かけずに生きていける人となれるんや。これが、霊的進化の秘密や。ところが、牛としての生の中途で人に肉として食される為に殺されてしまうと、霊が徳を積んでおらず成熟してないので、人間の身体をとっても、人間としての分別ある行為が出来ない、そんな人間になってしまうんや。

ヨシオ:それが理由で、この世の中に、いっぱい変な人間が増えてるんやな。昔やったら、考えられへん凶悪犯罪や、猟奇犯罪が増えているやろう。

ポニョ:昔の日本みたいに人情もあり、知らん人でも助け合って、苦しい時を乗り切る美徳みたいなもん、だんだん薄れてきてる。

ヨシオ:それって、すべて肉食のせいというわけか。

今日、どうして人口の増加が起こっているかといえば、それは人々の行為のせいである。

人々の小さな胃袋を満たす為に、神は世界に沢山の食料となる物を創造しました。

大量の米、大量の小麦、大量の果物のような良い食料を神が与えているのにもかかわらず、人々は肉や魚などを摂っています。

そしてそれらの人によって殺され食された魚(や動物たち)が,人として生まれ変わってくるのです。
SSIB1977


ポニョ:だからサイババさんは、バジパイという人がインドの首相になった時、『あなたが、首相としてしなければならない第一の事は、インド中の屠殺場を閉鎖することだ。』とおっしゃんたんや。

でもインドに屠殺場を無くそうとしたのはいいけれど、貧しい農家の人たちが年取って働けなくなった牛を、昔やったら死ぬまでペットみたいにして見とっていたけど、今は二束三文で業者に売りとばすねん。業者は輸送費を節約する為に牛たちを鞭で追いたてて、屠殺場のある隣国のパキスタンやバングラデシュに死の行進のごとく連れて行き、牛革を取るために殺しているのが現状や。それをバッグにして、いっぱい日本に輸出し、コギャルどもが喜んで買っているんや。

ヨシオ:サイババさんは、誰も人口の増加を止めることは出来ない。と言われたんや。

ポニョ:イエスが、この世に来られた主な目的は、エルサレムの寺院で可哀想な鳥などが売買されているのを、止めさせに来られたんや。というのを聞いたことがあるけれど。

ヨシオ:現代の方がもっと大規模で酷すぎるやんか。この現状をほっといてもええのんやろうか。オーストラリアの農場に住んでて景色はいいけどキリングフィールドやで。肉が硬くなるので三歳より年取った生き物はおれへんで。みんなそれまでに殺されるんや。羊も豚も牛もニワトリもみんなみんな殺されるんやで。オーストラリアの、屠殺場は大忙しや。知り合いの農家の人が仔牛を飼ったから、子供連れて見においで。と言われたので喜んで毎日連れて行ってたら、ある日突然おれへんようになった。仔牛ちゃんはどこへ行った。と聞いたら「冷蔵庫に今朝入れた。」って言うねん。自分の耳疑ってもう一度聞くと、肉の塊がいっぱい入っている冷蔵庫の扉を開けて見せながら、今日から、美味しい仔牛のステーキいっぱい食べれるって喜んでたわ。あんなに可愛がっていたのに。餌もやってあんなに子供らになついていたのに、腹立って涙しか出てけえへんわ。こいつ、精神に異常きたしているか、それとも、こいつがこの社会で普通の人と呼べるんやったら、社会全体が異常をきたしているか、それともその両方か、と思ったぜ。

ポニョ:寺院で、可哀想な鳥たちを助けるためにイエスさんが来たんやったら、この地球規模でやられている大殺戮をアヴァターであるサイババさんが黙って見ているだけで、見逃してはるんか。
ヨシオ:ちょっとした事で俺にキャンディ投げはる、あのサイババさんやで。絶対、このままでは、すめへんで。

ポニョ:お膝元のインドの牛はどうやねん。めちゃ可哀想やんけ。魚やったら殺してもええのけ。クジラはどうやねん。ニワトリは殺されて唐揚げになってもそれが、あいつらの運命なんかよ。あいつら、人に食われるために生を受けたんやないぜよ。

ヨシオ:ニワトリの養鶏場を見に行ったことあるんやけれど、酷いもんやで。身動き出来ない狭いゲージ入れられて、餌を無理やり食べさせられて、病気にならん様に、抗生物質いっぱい入った餌食べさせられる。まるで、物扱いや。あいつらかて、自分の鳥としての喜びや生き様があるのんと違うんか。

ポニョ:それを、全部人の都合で奪い取って、商品として扱う。生命を全然尊重しとらん。
あいつらだって、俺たちのように痛みを感じるんだぜ。叩けば悲鳴をあげよる。それなのに、叩くんと違うで、殺すんやで。どうやって殺すか見たことあるか。牛の場合はまず、頭に弾丸ぶち込むんや。ぶち込まれんのん知っているから、殺されるのん知ってるから、殺される前に泣くねんで。涙ポロポロ出して。あのでかい図体の牛が。それに、弾丸ぶち込まれても、まだ牛は体力あるからすぐに死ねへん。まだ、フラフラして生きとる。その生きとる牛ののどに、カギ型のフックを引っ掛けてチェーンで天井にあるレイルにぶら下げるんや。それでもまだ生きてて震えているんやで。
それから、腹を首から一文字に裂いて内蔵を出すんや。電気ショックで殺すとすぐ死ぬけど、肉の中に血が残って、肉の質が落ちるからせえへんねん。だから、弾丸を脳みそにブチ込んで失神させるだけで殺せへん。生きてる間に大きな刃物で頸動脈を切って血を抜くんや。でも、二三発撃たな失神せえへん時もあるんや。牛が暴れたら、危なくて頸動脈切られへんからな。失神しているから牛に痛みはない。って言うけれど、撃たれた時や急所を外されて撃たれた時に、痛みは全然ないと言えるのか。本当は、麻酔薬注射して眠らしてから血を抜く。ということも出来るんだけれど、血や肉の中に薬が混ざって利用出来ない、時間がかかる。人手もかかるし、金かかる。ということで牛さん人の都合で痛いけど我慢してや。ということや。

ヨシオ:それに、牛も魂や。そのあと、自分が解体されるのを恨めしい顔して、しっかり横で見てるねんで。それらの生き物は、自分と掛け離れたものでもなんでもないんや。本当は、自分の一部やということに、人は気づかなあかん。生きてる地球生命の一部なんや。俺たちみんなもそうや。あいつらは自分たちの兄弟姉妹や。あの哀れな生き物たちは、もちろん魚も含めて、地球という惑星に、何十万年にもわたって誰にも迷惑かけんと自然と調和して住んで来たんや。あいつらも人間と同じ権利を持っている地球の住人やで。人間と同じこの地球で、平和に暮らす権利を持っているんやで。

ポニョ:あいつらだって、きちんと自分の生を全うしたい。幸せになりたい希望は持ってるんやで。ちゃんと、わしらと同じ心を持っているんやで。

ヨシオ:そやのに人間だけ特別にこの地球上で、何をしても許される。という特権を持っているわけではないんや。

ポニョ:もし持っているとしたら、他の生き物より少し知恵がある分、他の生き物の面倒を見て、彼らが健康で幸せな生を送るのを手助けする義務を、逆に人に課せられているという事を忘れたらあかんのに、なんやねん。このざまは。めちゃくちゃやないか。

ヨシオ:そして、そういう人に殺戮された生き物たちが今、人に食された後、不完全な人として生まれ変わって人の世に生きとるんや。

ポニョ:世の中、グチャグチャなのは、人の世がこんだけ荒れ狂ってるのは、自分らが巻いた種や。それを、今自分たちは刈り取ってるんや。

ヨシオ:「母なる地球は、いつまでこんな人の蛮行をお許しになるのか?

ポニョやっぱり、地球は一度、大掃除しないといけないのと違うかな。と思うぜよ。
こうして、このブログ読んでいる間だけでも、何千という罪もない生き物が殺戮されている。
そして数え切れないくらいたくさんの、人間としての身体を持て余している者どもが、ゾンビのように、この世に復讐するかのように、生まれ変わって彷徨っている。
もういい加減に、この辺で肉食やめようぜ。
いつ?今でしょ。
こんだけ説明しても分かりまへんか?あんさん、ちょっと焼き鳥の食べ過ぎと違いまっか?
気をつけやな、鳥肉食べたら......

今日、どうして人口の増加が起こっているかといえば、それは人々の行為のせいである。
人々の小さな胃袋を満たす為に、神は世界に沢山の食料となる物を創造しました。
大量の米、大量の小麦、大量の果物のような良い食料を神が与えているのにもかかわらず、人々は肉や魚などを摂っています。
そしてそれらの人によって殺され食された魚(や動物たち)が,人として生まれ変わってくるのです。

Summer Showers in Brindavan 1977

一時間だけの愛

ヨシオ:皆さんこれは何だかお分かりになりますか?
これは、アメリカのオレゴン州にある仔牛の檻です。
仔牛たちは約六週間ここで過ごしたのち、屠殺場へ向かいます。
もちろん仔牛たちは全てオスの牛です。生まれたたときに、乳をだす牝の仔牛はお母さんと一緒にされ、雄の仔牛はここに連れて来られるのです。
肉が固くなるので運動はさせません。暑い時も寒い時もこの中に閉じ込められたままです。ずっとこの檻の中で死を待ちます。
でも、生まれたばかりの仔牛は、少なくとも一時間はお母さんと一緒にいることが出来るのです。仔牛のこの世での生で一番幸せな時です。
お母さん牛の愛をたっぷりもらえるのです。たった一時間だけですが…。
というのも、その一時間の間に赤ちゃん牛を生んだばかりのお母さん牛は、体があちこち痛いし苦しいのにも関わらず、赤ちゃん牛の為に必死になって身体中を舐めてきれいにしてくれるのです。
人間はそのことを知っているので、一時間だけ仔牛をお母さんの近くに置いておくのです。
そうすれば、仔牛の体を洗う手間が省けるのです。
生を受けてお母さんからもらった、たった一時間の愛。
そのことだけを思って、あの優しかったお母さんの愛だけを思いながら、あの小さい檻の中で六週間を過ごすのです。
そして、そのまま屠殺場へ直行です。運動も出来ず、太陽も見れず、暗くて狭いプラスチックの箱の中にいたので、柔らかい肉の出来上がりです。
結構、良い値段で売れます。
フカフカのソファーに座って、いくらの利益になるかお金の計算をしているあなた。

ええ加減にさらせー!
われはなんぼのもんじゃい!
命をなんやと思っとるんじゃ!
めちゃ大きいカルマ作っとるんやどおのれは!

突然失礼しました。思わず興奮してしまいました。
でも、こういう事を、神さんは御許しになっておられるんですか?
平気なんですか?
あなたが、創造された生命ですよ。
ちょっと、あなたに聞いているんです。さっきから。
あなたですよ。神さんでしょ。あなたは。
こんな事を、この宇宙を愛で創造されたあなたが、ほっといておられるんですか。
それで、平気なんでしょうか。全ての生命の中にあなたはおられるって聞きましたけど。
それじゃ、あの仔牛の中にも、あなたはおられるはずですよね。
あの小さい檻の中に閉じ込められている間、あの哀れな仔牛は幸せだたんですか。
それは、あの仔牛と一緒におられたあなたが一番よく知っておられるでしょう。
こういうことを、あなたはいつまで御許しになるんでしょうか。
俺たちは、もう我慢の限度を超えています。
だから、このブログを立ち上げたんです。
俺たちは、あなたが愛そのものと知っています。
でないと、神様なんて信じませんし、信じたくありません。
その、愛そのものである神さん。つまりあなたの事ですが、早く地球の大掃除をしてもらわないと、こういう画像が目に飛び込んでくる度に心が痛みます。
俺は知っています。あなたも、傷ついているってことを。
ただ、あなたは、俺よりもっともっと愛があって、忍耐強くて、我慢強くて、そして、お母さんから引き離されて殺された仔牛だけでなく、あのふかふかのソファーに座ってお金ばっかり数えているおっさんのことも愛してるってことを。

俺の娘はこれを見て、もうミルクを飲めなくなりました。
もうチーズを食べれなくなりました。
ビーガンになってしまいました。
それほど、強烈な写真だったようです。
皆さんも何か感じられましたか?
少なくとも、肉食はやめましょう。
いつ?
今でしょ。

だれもが肉食をやめるべきです。なぜでしょう? 
肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。何を食するかによって何を考えるかが決まるのです。さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。
人間と同じく五大元素でできている動物を食べることは、いかに罪深いことでしょう! 
動物を食べることは、人に悪魔的性癖をもたせ、その上、動物への残虐行為という罪をも犯します。
ですから、真に神の帰依者になろうと努める者は、非菜食の食べ物をやめなければなりません。自分たちをサイの帰依者であるとかラーマの帰依者であるとか言いながら、鳥や肉を食べて肥えている人たちがいます。
それでどうして真の帰依者であると見なされるでしょう? 
それでどうして神がそのような人を帰依者として受け入れることができるでしょうか? 
ですからインド人であっても無くても、そうした肉食をやめるべきです。
23-11-1994

ウサギの目は赤い月を見て赤くなるのか

ポニョ:最近赤い月がアメリカで見れたようですね。そう、月と言えばうさぎさんですね。今日は、うさぎさんの話から入って行きましょう。
棚の上に何百匹も並んだウサギさんたちが大きな赤い目をしておとなしく鎮座しています。
みなさんこれは棚に並んでいるウサギのスリッパです………か?
いいえ。化粧品開発のために実験台にされているウサギさんたちです。
こうして、首だけを出せる小さい容器の中に閉じ込められて、いろんな実験をされるんです。
皆さんの肌をきれいにするために、殺される小さな命たち。
いろんな人たちが声を上げて反対していますがまだ少数です。
うさぎ小屋というと小さい家のことを指しますが、これじゃシャレにもなりませんよね。
うさちゃんも、私たちと同じように、この素晴らしい世界に生まれたのに、なぜこんなひどい目に会うんでしょうか?
それも、私たちが使う肌をきれいに保つ化粧品を開発するためにですよ。
ウサギさんだけではなくて、動物実験に使われる動物は様々です。
新薬の開発や大学病院での様々な実験台に、こうした罪もない口も聞けない動物たちが使われています。
幾つかの、化粧品会社は人々が立ち上がって反対したおかげで動物実験をやめました。または、やめる方針のようですがまだまだ一部です。
マハトマガンディーは
「その国の偉大さと道徳の高さは、その国における動物の取り扱い方で判る。」
と言っています。
なのに特に日本でこういうことにあまり人は関心を示さないのでしょうか?どうして、このようなことになってしまったんでしょうか。
実は、こうした動物実験の裏には、被験者である人を丸太と呼んであのおぞましい人体実験をした731部隊や優生学や人種差別主義者の論理が見え隠れしているんです。
そうです。このブログを読んでいただいている読者の皆さんには、周知のイルちゃんたちの人間牧場、ジョージオウエルの1984の論理です。
因みに、731部隊の持っていた人体実験の資料は占領軍が没収したかった資料のトップリストに入っていたのです。
彼らは、それらを使って何をしようとしているのでしょうか。そうです。マインドコントロールです。
人を人ではなく、羊のように従順なシープルにsheep+peopleに変えようとしているのです。
どこを切っても金太郎飴のような同じ顔。上からの非道な命令にもそれが、たとえ自分の良心に逆らうことであっても従う人の群れ。あなたの周りにもいるじゃないですか。
そして、何かのサインを見せたり聞かせたりすると、つまり、引き金を引けばある日突然性格が変わって凶悪犯罪を起こせる。
アメリカでの銃乱射事件の犯人はほとんどがこの手の類いです。
マイクロウエーブを使って人の頭の中に直接話しかける。マイクロチップを身体の中に埋め込み、人の行動をコントロールする。あるいは最近のものは、皮膚の上に印刷するだけでいいのです。また、注射針の穴の直径より小さなカプセルを予防注射の時に人の体に入れることもやっています。残念ながら、この小さいカプセルは日本製です。
愛知の万博で入場券に刷り込んで人の動きを探っていました。
今は、お札に刷り込んでいるそうです。
そうです。本当は罪もない動物、口もきけない、か弱い動物を使って実験などしなくてもいいのです。
もう、科学は充分に発達していて、こんな事をしなくても他にいろんなやり方で、新薬の検査や新しい化粧品の開発は出来るのです。
旧態依然としていまだに、口聞けぬ動物たちに対して弱いものイジメをしているのです。
彼らは、地球に住んでいる全ての生き物はお互いに尊重しあって生きて行かなければならないということを、学校で教えてはいけないように仕組んでいます。この地球に住んでいる様々な生き物と共存して助け合って生きていく代わりに、自分たち優れた人間は自分たちより下等な動物や、劣った種族の人間を殺したりしても罪にならないと子供達を洗脳する為に小学校の時から、カエルの解剖や動物などの解剖を教育の場で教育課程の中でやるのです。
子供達は、学校の先生がそういうことを教え、自ら動物などを解剖するので、そういうことをやってもいい事なんだと間違った考えを身につけてしまうのです。
自分より劣ったものであれば、命さえ奪っても構わないという恐ろしい考えを、子供の時に植え付けられて育って行くのです。
だから、うさちゃんのような動物実験を見ても平気なんです。
洗脳されまくってますよ。
反対の声を上げる人は少数なんです。
実は彼らは昔からずっとそうしてきてるのです。
彼らが、行くところ全てが血の色で染まっているでしょう。
アメリカでどれくらいの、インディアンが虐殺されたでしょうか。
オーストラリアでは、タスマニアのアボリジニは虐殺されて全滅しました。猟銃でピョンピョン跳ねないカンガルー狩りをしました。
アフリカではどうでしょうか?奴隷はどこから来ましたか?南アメリカのインディオは、どんなふうにしてカソリック教徒になったのでしょうか。
エスキモーや。イヌイット、アボリジニの子供たちはどうして親たちから取り上げられなくてはならなかったんでしょうか。
これは、悪魔の論理です。地球のほとんどの富をコントロールし、自分たちの都合の悪い国に対して、様々な方法で圧力をかけ政府を転覆させ、自分たちの言うことを聞かない指導者を暗殺し、また今、現在ウクライナでやってるように、でっち上げの事件を起こし反政府勢力を使ってその政権に揺さぶりをかけたりします。
それもこれも、全て自分たちが信じている悪魔的な計画をこの世界に実現さすためです。
彼らは、そういうことを実現するために入念な計画を立て、その準備を進めています。
これは、以前にもこのブログで紹介したモニュメントです。アメリカのジョージア州にあるのでジョージアガイドストーンと呼ばれています。
ここには、これから彼らがやろうとしている事が箇条書きに世界中の主要な言語で書かれてあります。
幸運な事に、日本語は有りません。
まず最初は、人口を五億人に減らすことだそうです。そしてそのために何百万という棺桶まで用意しているそうです。
これのために、門さんとという会社を立ち上げ、遺伝子操作によって作られた様々な毒になる野菜や穀物、豆類などを作っています。
最近、この会社の大株主で、ワクチンを通じても、不妊にしようと画策してるビルゲー出るツが、Twitter創始者ヴィズストーン等と一緒に大豆製の肉まがい、鳥肉まがい、卵まがいの製品に乗り出しました。もうヨーロッパの一部の国や台湾では、ベジタリアンのための、肉屋さんができて結構はやっているようです。ビルゲー出るツは、人口を減らすために大豆製品を食べるように、勧めていますが、遺伝子操作で毒をもっている大豆だけです。
最近では、キャベツの中にサソリの毒を遺伝子操作で混ぜ合わせたものを、開発したようです。
そして、こういう毒が入っているものを人に食べさそうとしているのです。
ベジタリアンのための肉屋さんで売っている遺伝子操作をしてない大豆の肉より、安くて美味いベジ肉を作るために画策しているのです。
そのためにこの二人は大金を出資しているそうです。
もう、とことん根性が曲がっているでしょう。

ポニョ:大豆に多く含まれているグルタミン酸は、脳を萎縮させアルツハイマーになる可能性が高まるといわれているのに、畑の肉やとか言うてキャンペーンし、わざといっぱい人に食わして、世界中の老人をアルツハイマー病にしてしまう。と考えて実行している輩がいるらしいぞ。
また大豆に含まれているイソフラボンは、女性ホルモンと同じ働きをするので一日の許容
量は70mgやのに、その危険性をわざと知らせない。70mgというと避妊薬と同じ量やで。
それ以上摂ると男子の精子の数を少なくさせる。ひいては、子供ができなくさせるというのにじゃ。
だから、今不妊症の人だらけになってる。
でも、納豆、テンペーなどの発酵させた大豆は問題ないらしい。
それでそういう大豆の危険性を指摘しようとしている学者は、皆、迫害されたり、消されたりしているらしいぜよ。

ヨシオ:ポニョよ。いろいろ調べてご苦労さん。ポニョも一人やったら標準語に近い日本語を話せるんや。
最近関西弁しか喋ってないからすっかり忘れてたわ。

ポニョ:なにゆうてんのん。方言覚えるために折りたたみのカヌーを担いで日本中の川を下ったんやで。おいどんの事を軽く見たらあかんぜよ。

ヨシオ:そんなチャンポンな方言喋ってたら誰でも軽く見てしまうで。今日はちょっと中途半端やけどそろそろストップしようぜ。こういうダルマに反する行為をするから将来、人は大きな代償を支払うことになるんや。
その後に待ってる世界は素晴らしいものやろな。

ポニョ:今がひどければひどいほど、お後がよろしいようで。
そういう意味で、落語でも前座の方が二つ目、真打ちより下手なのが当たり前や。
逆に前座があって二つ目、真打ちが上手いとわかる。そういう意味で何があっても全ては本当はええことなんやろうな。
いつも何があっても幸せに生きましょうね。

菜食の有名人から新年のご挨拶です

ヨシオ:みなさん、明けましておめでとう御座います。今年も宜しくお願い致します。今年こそサイババさんが出て来られることを祈りましょう。世界が平和になりますように。全ての生きとし生けるものが幸せになりますようにお祈り致しまして、お正月のご挨拶とさせて頂きます。ポニョがスリランカで川下りをしているようです。いつまで経っても子供の心を持っているオジんですね。それでは、ポニョになりかわりまして、今日はお正月ということで無礼講で、世界の菜食をしている有名人からのご挨拶です。まず最初に、アインシュタイン博士からどうぞ。

アインシュタインです。みなさん明けましておめでとう。「私は肉も魚も取らずに生きている。けれどもこの心地よい感覚は何であろうか?こんな感覚に陥る度に人間は肉食として生まれてきたのでは無いような気がするんだ。」

ヨシオ:ハイ、話が難しくなる前にジョージ・バーナード・ショーさん、どうぞ。

ジョージバーナードショウ:2015年ですね。おめでとう。「人間は自分たちを地球上で一番優れている動物だとおもい、人間は動物たちを平気で支配し続けている。だが、もしも地球に人間以上に優れた種がやってきて、人間を征服したら、僕たちはそれを許すことができるだろうか?」

ヨシオ:ハイ、これぐらいで良いでしょう。次は俺がめちゃ尊敬してるマハトマ・ガンディーさんです。

ガンディー:みなさんナマステー。「動物たちへの言動で人々の進化がわかる。羊の命と人間の命は同じくらいの価値がある、わたしはその価値のある命を剥奪しようとは思わない。」

ヨシオ:今までで、一番ハートにグッと来た御言葉でした。ありがとうございました。霊界にお戻り下さい。次はこの方も俺が何度も読んだ本の著者ですね。巨匠という名に値しますよね。ではお願い致します。

トルストイ:正月から縁起が悪いけれど、「屠殺場が無くならない限り、戦争も終わらない。”儲け”というものの存在がある限り、動物に対する人間の虐待は果てしなく続くだろう。」

ヨシオ:さすが作家ですね。言葉を選んで話していただきました。次は哲学家のエマーソンさんです。ハイ、どうぞ。

ラルフ・ワルド・エマーソン:私は、肉食をしている人にこう言うんだ。「君は今まさに食事を終えたところだね、そしてなかなかラッキーなことに屠殺場はここからとてもとても離れたところにあるんだよ、丸で謀ったかのように。」

ヨシオ:エマーソンさんはヅケヅケと嫌味っぽくものを言う人ですね。たぶんお友達が少ないんでしょうね。でも、今度そのギャグを使わしてくださいね。次は…


アイザック・バシェヴィス・シンガーです。みなさん明けましておめでとう。正月におせち料理を食べている人に申し訳ないが、「動物たちに対する人間をみると全員がナチスに見える。自らが被害者の時は非常に苦痛を感じるくせに、自らが加害者の時だけは丸で何も考えないのが人間だ。」

ヨシオ:手厳しい御言葉でした。あなたも友達が少ないのでしょうね。ノーベル文学賞を受賞されたアイザック・バシェヴィス・シンガーさんでした。それでは、次はバットマンの出演されたキム ベイシンガーさんです。

キム ベイシンガー:明けましておめでとう御座います。私は、一言だけ言いたいの。「もしあなたが「苦しみ」や「痛み」がわかるなら、命を奪わないで。肉を食べないで!」

ヨシオ:キムさんの優しさが伝わって来ましたね。素晴らしい新年の挨拶でした。お次は…ジョシュ ハーネットさんですね。

ジョシュ ハートネット:お正月から血なまぐさい話で悪いけど、「12歳の時に母親が 僕のためにチキンを調理してくれてたんだ、そうしたらチキンの血管にナイフが刺さって 血が噴き出したのを観た。---もうあれで充分だった、僕はそれ以来一切肉を食べなくなったよ。」

ヨシオ:ハイハイ、ちょっとどぎつい話題でした。今度からもう少し、お正月に見あった話をして下さいね。レインマンに出演されたジョシュ ハートネットさんでした。次も女優のジュリエットルイスさんです。

ジュリエット ルイス:鶏のファクトリーファームがどれだけ不潔きわまりないか知って欲しい。小さいケージに鶏が何十羽もぎゅうぎゅうに詰められてくちばしを切られ、とにかく酷いわ。扱い方もすごくひどかった。可哀想というのもあるけれど、 あんな所で育ったお肉を食べろと言われても無理。健康じゃないしね。

ヨシオ:そうですよね。俺も行ったことがあるけど、狭いところに文字通り押し込まれているもんな。鳥さんが可哀想で見てられなかったな。次は、シンガーソングライターのブランディーさんですね。

ブランディー:おめでとうございます。私が肉食ををやめてビーガンになったのは「人って中身から変わっていくと思うの、自分のスタイルや音楽にまで影響するとも思うわ。やっぱり心も体も健康でいたいと思ったの、それにはやっぱりヴィーガンになるのが一番だと思ったのよ。」

ヨシオ:そうですよね。まず最初に食べ物から入って行きましょう。霊的な道へ歩む第一歩は菜食からですよね。次は音楽家のモービーさんです。はいどうぞ。

モービー:みなさん。ぜひ聞いてください。「動物は人間みたいに言葉が話せない、けれども動物には人間と同じように「痛み」や「楽しみ」を感じる感情を持っていると思う。ハンバーガーと生きている動物が同じものだということ、そんなこと人はよく忘れがちでいる、けれども、それを忘れないでいて欲しい。それらは生きている動物からきていることを。」

ヨシオ:そうです、そうです。何気無く食べているハンバーグだって元を正せば、心もあり感情もある生き物から来ているんですよね。ショッピングセンターの棚から来ているんじゃないんだってばよ。次は、ビーガンでモデルのデヴォン アオキさんです。

デヴォン アオキ:「時々考えるの、『誰かの母親のお乳を飲めるかしら?』って。うーん、、多分無理。。。人間のお乳ですらも無理だと思うんだもの、まして牛からなんか飲めないわ!」

ヨシオ:そうかな?飲む人だっているようです。次は世界一速い男カールルイスさんです。

カール・ルイス:みなさんハッピーニューイヤー2015!「世界規模の陸上選手が果たしてお肉無しでプロテインが摂取できるかだって?それが出来るんだよ! もっと言えば、僕の世界新記録、最高記録を出した時、実は僕はヴィーガンダイエットをしていたんだ。お肉や魚は勿論、ミルクも卵も摂らなかったよ。けれども、その時期の結果が一番いい成績だったんだ。」

ヨシオ:そうですか?意外だったですね。そう言えば、家の周りでピョンピョン飛び跳ねているカンガルーも菜食だよな。次は、ビートルズのポールマッカートニーさんです。

ポール・マッカートニー:ハッピーニューイヤー。「ある日、日曜のお昼の時に羊を食べようとしていたんだ、そしてふと窓の外で楽しくはしゃぎまわっている羊を観た。僕は自分のお皿に乗っている羊の肉を見たよ、そして、あの外でのんびりしている可愛らしい羊とこのお皿にあるお肉が一緒だと感じた時から、僕はもう一切お肉を食べなくなったんだ。」

ヨシオ:感性が強い人ですね。さすが一流のミュージシャンは違いますね。次はエクソシトで憑依された少女役を演じたリンダさんです。

リンダ・ブレア:明けましておめでとうございます。「私はかなり長い間ベジタリアンでいます、環境や地球のことも考えて。私の母親が癌で亡くなったというのも私をベジタリアンにする大きな要因でもありました。いま現在、菜食でいれる自分にとても良かったと感じています。」

ヨシオ:次は青春映画スタンバイミーで有名になられたイケメンのリヴァー・フェニックスさんです。

リヴァー・フェニックス:「僕がお肉は全て動物が殺されて僕たちの食卓に来るんだってやっと理解できた時、人間は言葉も言えない抵抗もできない動物たちをどれだけ強いて拷問してきたのかわかった。丸で学校でいじめっこが弱虫たちをいじめているのと全く一緒だ。」

ヨシオ:少し、興奮されたようですね。次はバットマンにも出演されたアリシア・シルヴァーストーンさんです。

アリシア・シルヴァーストーン:「自分で飼っているペットを誰が殺して食べようとするの?私は政治的・倫理的理由のためヴィーガンになった。すごい決断だと思ったけど、どうしてもそうしなければならなかったの。だってもうこれ以上世の中の暴力に加担したくなかったもの。」

ヨシオ:誰が自分のペットを食べるもんか。でも、俺の近所の人はペットの子牛を殺して冷蔵庫に入れよった。てめえは人間じゃねえ。の世界やな。最後の挨拶はETの子役で活躍されたドリュー・バリモアさんです。

ドリュー・バリモア:皆様、新年明けましておめでとうございます。「私はもう何年もの間ベジタリアンでいます。かといって肉食の人たちを責めたりはしないわ、私はただ、生きている動物を食べたり身につけたりすることがどうしてもできないだけなの。」

ヨシオ:ハイ。みなさんご苦労さんでした。今日は西洋の菜食をされている有名人の挨拶を紹介させていただきましたが、これ以外にもたくさんおられますよ。それでは今年も宜しくお願い致します。

その他大勢。あの〜僕たちも菜食なんですが…。リチャードギア、オリビアハッセイ、ブルックシールズ、ジャッキーチェン、ダスティンホフマン、クリントイーストウッド、ジョンレノン、スティービーワンダー、ミックジャガー、ダ・ヴィンチ、マイケルジャクソン……

聖者が説く男女の産み分け方

ポニョ:今日は相方の都合で、おいらが一人で聖者になったつもりで話しますので聞いて下さいね。
人の身体は、実は三つあると言われているんじゃ。
それらは、肉体、霊体、神体があるんじゃが、その中でも神体が本当のあんたで、アートマンとも呼ばれていて常に神的エネルギーを放射しているんじゃ。
肉体は、誰でも知っているように、母親のお腹の中で形成されちょる。
でも、6000年前にいたヴィヤーサという聖者は、遺伝子操作によってツボの中で受精卵を培養し、百人の兄弟を作ったことがあるんじゃ。
全員男じゃった。どうしてこげん事ができるかって言うと、ヴィヤーサは、男女の産み分ける霊的な秘密を霊眼によって知っておったのじゃよ。
その秘密も、今回は出血大サービスで世の中に公開しようと思うぜよ。
ヴィヤーサは、それをガルーダプラーナという本にしたためたんじゃ。
というわけで、少し内容を紹介しようかの。

先ずは、受胎の秘密から行こうかの。
二ヶ月間お父さんの精子の中で過ごした霊体は、受精後更に十ヶ月をお母さんのお腹の中で過ごすんじゃ。
計十二ヶ月かかって、この世界に生まれ変わってくるのじゃ。
しかし、お母さんのお腹の中での、最初の五ヶ月はゼリーの塊みたいなもので霊体はまだ意識は持ち合わせておらんのじゃ。
それゆえ、本当に大事な胎教は、妊娠五ヶ月目を過ぎてからなのだよ。
その時に、ホラームービーを見たり、悪いバイブレーションのところに出入りしたり、人の悪口を言ったりすると。生まれてくる子供に影響するので注意が必要じゃの。

皆さんが悪いことのために感覚を使えば、皆さんに生まれる子供たちも悪い心を持つようになります。
ですから、悪いものを見ず、悪いことを聞かず、悪いことを語らないようにしなさい。
昔の人々は、身ごもっている婦人が悪いものを見たり聞いたりしないように、注意を払っていました。
彼らは妊婦に、神の神聖な物語を話して聞かせ、良いものを食べさせ、善い知らせだけを伝えるようにしていました。
彼らがそうしたのは、母親が善い感情を持っていれば、生まれてくる子供もまた善い心を持つようになることがわかっていたからです。
両親が犯した罪は、間違いなく子供たちにも影響を与えます。
5/7/01

不道徳な映画を見ることは性格形成の上で悪影響を及ぼします。
お母さんのお腹の中に入っている赤ん坊にも影響を与えるのです。
不幸なことに、生まれたての赤ちゃんやお母さんの子宮の中にいる赤ん坊にも悪い想念が影響し、そしてその赤ん坊が大きくなると、そのときに受けた悪い想念が増大してもっと邪悪な人間となってしまうのです

SRBM

先ほど、霊体は十二ヶ月かかってこの世界にくると言ったが、特別な場合を除いて、人が死んだ時、やはり十二ヶ月かかって霊の世界に戻って行くんじゃ。

肉体を脱ぎ捨てた霊は、どの人でもその人のことを思うと、すぐに光より早くその人のもとに行けるのじゃ。
時間や場所に制約されんのじゃ。
というのも、人の想念の力と霊体の構成物は基本的に同じだからじゃ。

想念はきわめて強い力を持ちます。想念はその人の死後も存続続けます。それゆえ心に悪い想念を抱かぬことが大切です。24/5/90

受精が最初の生理日から数えて七日以内の場合、利己的な低いレベルの霊が宿ると言われておる。この場合、男女どちらが生まれるか分からないのじゃ。
さて、8日目以降じゃが、8日目に受精すると男の子が、9日目は女の子という様に、偶数日は男の子が、奇数日に受精すると女の子が生まれて来るんじゃ。
ヴィヤーサは、この創造の秘密を知っていたので、百人の男の子をつくれたんじゃ。
鋭い人なら気が付いていると思うが、これでは女の子の方が出生率が少し低いが、それは出生後の死亡率が男の子の方が高い為じゃ。上手くできとるわいの。
男と女の双子が生まれる場合は、時間差で日付けが変わる前後に受精したか、前に述べたように七日目までに受精したと考えられるのじゃ。
もちろんヴィヤーサ仙は、遺伝子操作にも長けておったのでで、XとY遺伝子をうまく組み合わせて、男のみを造ったという可能性もある。
さて、霊体はこの世界に属する全ての生き物の細胞中に、生命の源として存在しており、また、一つひとつの精子の中にも存在しているんじゃ。
これは、ウイルスから、数え切れない生きとし生けるものに共通していることなのじゃ。
そして、性的欲望が湧いてくると、その欲望をもたらした想念の力が霊力となり、精子と結びつき一丸となって子宮に突き進んで行って受精が起こるんじゃ。
先ほど紹介した聖仙ヴィヤーサは、性交渉はその家庭に、良い子を授かるための行為であって、性的な快楽を得る為では無いと、忠告しておる。
性交渉は良い魂を、家族に迎えるための聖なる行為として捉えなければならないとな。
しかし、現代ではどこを見ても性欲を刺激するような媒体ばかりで、歩く性器のような人間ばかり目立つのには、困ったことじゃ。
第一次大戦前、フランスで主に若者がモラルを失ったので第一次大戦で国が破壊された。とスワミが言われておるが、現代ではどうなるんかのー。
わしゃ知らんぜよ。世界中がめちゃくちゃじゃけんの。モラルのある国って一体どこにあるんかのー。

フランスのような当時たいへん豊かな国であっても、第一次世界大戦で敗れました。
何故でしょうか。それは無謀な若者達と、その当時、社会にはびこっていた不道徳のせいです。
今人々の間にそのような傾向が強まっています。
人は低い欲望を満たすために生き、働いています。そうではなく、人は理想のために生きるべきです。


話題を元に戻すが、現代物理学でも存在が証明された素粒子も、実は西洋ではアカーシャ、と呼ばれているものなのじゃ。
それが、人の思いや、感じたこと、ひいては執着心や、愛憎など私たちが心と呼んでいるものを刻み込むんじゃよ。
人の霊体は、いろいろなレベルの霊体から出来ていて、自分のチャクラの位置するレベルの霊界に属していると自分では思っておるのじゃ。
霊体というものも、基本的に五代元素から成り立っておっての、本来は物質なので肉体のように死ぬと間も無く消滅するものもあれば、長い時間をかけて消滅するものも色々あるんじゃ。それが持っておる振動数によって変わってくるのじゃ。
ただ、一番微かな波動を持つ霊体、アカーシャは宇宙の全てに満ちていて、究極的には宇宙が消滅する時にはこれらも消滅するが、それまでアカシックレコードとしてほぼ永遠に存在し続けて、全ての個霊の記録を保持しているのじゃ。
これは、まるでアメリカがやっとる誰のメールでも盗み見れるようなもので、裏からなんでも見れるんじゃ。
つまり、アカシックレコードにアクセスすると、あんたのその時々の考えておることでさえ、全て誰でも見ることができるということじゃ。

だから、聖者や西洋の国ではエドガーケイシーは過去や未来も覗き見れるし、人の思いも全て読み取れるのじゃ。そうそう、そのエドガーケイシーはロシアが世界の希望の星になると言ってるぜよ。今クリミアを巡ってややこしいが、国際西欧金融マフィアに対抗出来るのがロシアだけだから、ケイシーさんのリーディングが当たってるんじゃろな。

彼らは、また、ある人の過去生や未来のことを知るのに、その人が普段身につけておるネックレスや指輪、はたまたスプーンなどを手にしてその人の想念が、バイブレーションとしてその物の中に浸透している波動を感じ、それと同じバイブレーションをアカシックレコードの中に見つけて読んでおるのじゃ。
それはタラタラ新聞を読むという感じではなく、一瞬のうちに欲しい情報が頭の中に入ってくるんじゃ。
そしてこのアカーシャがつまり、微かな霊体が、今世での人が体験した行為による様々な感情や思い、恨みや執着心などを刻み込むと、来世にそれらを持ち越すような事になり大変じゃ。
それは生まれ変わる原因になり輪廻の車輪が回り始める事になるんじゃ。
それゆえ、今世で為した全ての行為を、良い行為も悪い行為も、神に捧げれば微かな霊体に行為から生まれた思いが刻まれないので、輪廻の車輪は動きを止めるという仕組みじゃ。
まあ、一言で言えば、人はこの車輪を止めるのに、努力するために生まれとるようなもんじゃ。
このためには、全ての行為の結果をなに一つ期待せず、行為はするが、後は神任せという態度を取る必要があるんじゃよ。
まあ、平たく言えば何事にも影響されずに何が起こっても、自分にとってそれは良い事だと思い、平静さを保ち、神を思いながら、幸せに淡々と生きようぜ、ということじゃな。
それが、以前このブログでも紹介したアーナーシャクティヨガの精神なのじゃよ。
しかし、残念な事に、今世での行為の結果による様々な想念が、微かな霊体に刻まれているのであれば、次にまた生まれ変わって来なくてはならない。
そして、そのようにして微かな霊体に刻まれた想念が、生まれ変わるにあたって新しい肉体に遅かれ早かれ何らかの影響を与える。
その為、難病になったり、認知症になることもその一つなのじゃ。
しかし、そのようなカルマを持っていても、神に深く帰依すれば、東洋子のように、その恩寵によって影響を少なくしたり、キャンセルしたりしてもらえるということじゃ。
神に帰依するという意味は、霊的な法則を知り、自分がどうしてこのような悪い目にあっているかを、カルマの法則をもとに理解し、悔い改めて二度と間違いを犯さないと神に約束して全てを委ねることなんじゃ。
あのなおっさん。過去生の間違いなんか分かるわけねーよ。デタラメなこと言うな。という御仁がおれば、己の顔を鏡に照らし出してよーく見さんしゃい。
過去生からの、悪い傾向が良く見えるでザンショ。
ほれほれ、またすぐに嘘をつくし、見栄は張る。嫉妬深いし、執念深い。十倍返しをしようとしておるし、陰口を言う。けなされたら、すぐに落ち込み、逆に褒められたら、自分を失って天にも昇る勢いだわさ。
謙虚さのけの字もなく、腹が減ったら、人に当たり散らす。わめき散らす。もうこれでも、前世からの間違いなんてねーよ。なんて言えるもんだね。
もっと謙虚になって、自分の悪い性格を見つめ直して、反省して、少しは真っ当な人間になりやんしょ。
皆でお天道様に顔を向けて生きていこうね。
その方が、お天道様もお喜びになるんだよ。
霊の世界から見ると、偉大な人になるより、良い人になる方が意義があるのじゃよ。

肉体が死ぬと、人が内に持っている宇宙的神聖さが、外にある宇宙の力と一緒になるのだ。
SSIB1993

世直しが始まるぜ

今回は、遥かカナダからのお話です。ポニョ

アシュラムの西洋人向けのカンティーンで最高に美味い本場のべジタリアン ピザを、至福の思いに浸って食っていた。
多分、イタリア人のボランティアがキッチンで働いているんだわさ。
後で少し、皿洗いの御奉仕でもしたついでに、ありがとう、って言ってあげようね。
おいらが、至福の思いに浸れるのはこの瞬間だけだもんね。
だって、美味しいものを食べている時、この時が永遠に続いて欲しい、他に何もいらない、他の何にも関心が無い、美味しいものがあれば、なんにもいらない。というような気分になるのじゃ。これって、神の至福に浸る事と同じではないか?
と経験したことのない、神の至福を、ピザ一枚で、しかも自分の舌で味わえるってのは最高じゃね。
これって、至福って言わないんだってさ。失礼しました。凡人は、悲しい〜!
早く、至福の体験がしたいよ〜。
というような迷走する思いで頭の中を一杯にしながら、とろけるような本場のピザをほおばっていると、背の高い白人が、
「ココニスワッテモイイデスカ?」
「アナタハ、ニホンジンデスカ?」
「ケンサン、シッテマスカ?」
「ワタシ、アッタコトアリマス。」
と、ビックリするぐらいのとても流暢な英語で話しかけてきた。あたりまえじゃ。
「そら、健さんぐらい、日本人だったら誰でも知っているさ。国民的映画スターだぜ。」
というと、
「カレガ、エイガスターナンテ、シリマセンデシタ。」
「フットボールヲヤッテルヒトデスヨ、マチガイデハ、ナイノデスカ?」
「おい、おい、どの健さんのことを言っているんだよ。おいらは、フットボールの健さんなんて、聞いたことがないぜ。
「なに健って言うんだい。そのフットボールのケンさんって野郎は?」
「トロントニスンデル、ウエヤマ ケンサンデス。」
「それを、早く言いなよ。こちとらは、てっきり高倉の健さんだと思い込んじゃったじゃねーか。」
「ほんと、手間とらしやがって、これだから金パツ野郎と話すのは、面倒なんだぜ。」
「ところでよー。そのトロントのケンさんって野郎は、一体どんな野郎なんだい?」
「ケンサンハ、…」
「分かった。分かった。もう喋らなくていいから。たくー!カタカナの変換ボタンを、いちいち押すのが面倒になってきやがった。」
「こちとらで、お前さんの、言ったことを平仮名でタイプするんで、もういいよ。金パツの兄さんはもういいから、舞台の裏に、引っ込んでおきな。ご苦労さん。」
という具合で、いきなりカナダの金パツの兄さんからトロントのケンさんの話を聞く羽目になっちまいました。
せっかくの、ピザが冷めちまったじゃねーか。おいらの胃袋を満たす、至福の時を犠牲にして聞いた、ケンさんの奇跡の話でヤンス。
ケンさんは、大学在学中に奥さんと知り合いサイババさんの事も知った。
もともと、クリスチャンで牧師になり、プロフットボールの選手でもあった。
奥さんは、是非サイババさんに会いに行きたいという希望を持っていたので、ケンさんもあまり乗り気はしなかったが、一緒について行くことにした。
早朝のダルシャンに参加しないといけないと言われたが、奥さんだけ行かして自分は部屋にいた。しかし、奥さんにお尻を叩かれて行くことにしたが、朝早いので、ダルシャンラインで居眠りしてしまった。
サイババさんが、出て来られて足で踏まれて起こされた。周りの人たちに笑われた。
それ以来、また行くのをやめた。
ある日、ボランティアで地面を馴らす仕事をしていると、サイババさんの車が横に停車して、調子がおかしいのでちょっと見てくれと言われた。
ボンネットを開けて、チェックするとキャブレターの故障のようだった。
サイババさんにそう告げると、サイババさんは宙から、手を回してキャブレターを取り出した。
驚いて、製造ナンバーが同じか照らし合わせて見ても、ナンバーは無かった。
サイババさんが、いろんな工具を持っていたので、無事にキャブレターを交換出来た。
その後、インタビューに呼んでもらい、ケンさんの前世はシルディババの信者だったと告げられた
サイババさんは、ケンさんのトロントの家を訪れるつもりだ。そして、いろんな奇跡を見せてあげると言われた。
ケンさんの家には小さい地下室があり、そこに祭壇をおいて神様を祀っていた。
インドから帰って来てそこで、夫婦でバジャンをしていると、小さなヒンドゥー教の神さんの像が祭壇の上に現れるようになった。
また、果物をお供えしておくとバジャンが終わったら、その果物にいろんなサイババさんのメッセージが書かれてあった。
お供え用の果物がない時には、メッセージが書かれた果物が出現する時もあった。
驚くべきことに、お供えの果物が小さくてまだ食に適していない時は、バジャン中に大きくなり、バジャンが終わる頃にはちょうど食べ頃の大きさになっているのだった。
もちろん、メッセージも付いていた。
そのような奇跡の噂を聞きつけて、多くの人がやって来た。電話も絶える事なく鳴った。
だが、残念なことに地下室はとても狭かったので予約して行かないと皆んなが入りきれなかった
それでも来た人たちは、ビデオカメラやカメラで果物が大きくなったり、突然メッセージや神の像などが現れたりするのを撮って喜んで帰って行った。
地元のマスコミやラジオ局も取材に来た。トロント中で有名になった。
暫らくすると、サイババさんが家に現れ始めた。
奥さんには見えないのだが、ケンさんにだけは見ることが出来た。
見えるだけではなくて、話すこともまた、一緒に台所の皿洗いも手伝ってくれた。
話す内容は、雑多な毎日の出来事から始まって、最近では主にトロントの郊外に引っ越す話題が多くなっていた。
農場を買って、そこで新しいアシュラムを始める話だ。
サイババさんはそこは将来、大きな社会動乱が起こるので避難民キャンプになると言われたのだ
場所は、ケンさんの夢の中でその農場の景色を見せるので、自分で探すように言われた。
そして、ケンさんは、それを見つけた……。
おいらがその話を金パツの兄さんから聞いた時に、この話どっかで聞いたことがあるぜ。と思ったんだ。
そう、あんたのナロジン プロジェクトとおんなじじゃんか。
サイババさんは、オーストラリアだけではなくて、カナダでも何かの準備をされているってことなんじゃろ。
ヨシオ:俺の知っているだけでも、ブラジルやノルウェーでもサイババの帰依者がそういう事をやっているらしい。
また、こうした事に関わっているどの帰依者も、俺のように地元のサイの組織から批判されたり、つまはじきされたりしているみたいやな。

ポニョ:あんたらやってる事は地球規模の天変地異への準備の為じゃろう。
そうした事が起こるので、事前に一部のサイの帰依者を使って何らかの準備をされておる。
しかも、サイの組織から距離をおいたところでやっておられる、というのが面白いのお。
しかも、あんたらの前世はあのシルディババの信者だったというから、普通の人ではチョットやれないお仕事に就かす人材を、シルディババの頃から準備しておったという、神様の遠大な計画には恐れ入ったのお。

ヨシオ:ノルウェーでは、ノルウェーのサイの組織がわざわざアシュラムから出版しているサナザナサラチという雑誌に投稿して、準備をしている人達を批判をしてるんや。

ポニョ:いろいろと大変じゃのお。まあ、本人達は気にしておらんじゃろがのお。
何れにしても、もう2014年に突入しよったぜよ。早いもんじゃ。今年が、勝負の年じゃ。
正月に出した記事にも言ったと思うが、このブログを立ち上げたのは、警告するためじゃ。
信号機の黄色の点滅と一緒じゃ。
その点滅の後は、赤信号じゃ。つまり、今の自分の生活をチョット立ち止まって見やんしゃい。ということじゃ。
このままじゃ、足をすくわれてしまうぜよ。その時に、ジタバタ、アタフタせんように、しっかり神様の方を向いて生きなされよ。神様の御名を唱えて生きなされと言うことじゃ。

ヨシオ:つまりポニョが言いたい事は、毎日の今のような生活がこれからもずっと続くと思ったらあかんで。ということやろ。

ポニョ:その時が来て、なんで、こげん、どえらいことを事前にサイババさんは言ってくれんかったとねー!と人は言うやろな。

ヨシオ:そういう人の為に、このブログを立ち上げた。

ポニョ:このブログに書かれたことは、ほんまの事じゃ。サイババさんが、出された地図も、地軸が傾く話も、空にサイババさんが現れたり、たくさんのサイババさんが現れたりする話も、また山脈を持ち上げて大津波を山脈の下にやり過ごさせる話も、全部これから本当に起こる話じゃ。

ヨシオ:それが、もうすぐ見れる。この、めちゃくちゃな世界の世直しが始まる。

ご飯の前に手ぐらい洗えや

ヨシオ:俺、何でも凝り性やろ。それで一時期ガラスアートにトライしてた時があってな。材料を買って家でいろいろな絵をサンドブラスターを使ってガラス板に描いてたんや。

ポニョ:ホー。知らんかった。そんな高尚な趣味持ってたんか。全然あんたに似合わへんやんか。
ヨシオ:そうやろ。俺もそう思うわ。うるさいほっとけ。
それで、ガラスをエアーコンプレサーを使って、なんとアルミの粉を吹き付けるんや。
素人やし、寝室の横で家中にアルミの粉を撒き散らしながら、長時間作業をしてたんや。もちろん吸引機で吸いながらやけどそんなん追っ付けへん。
もうそこら中アルミの粉だらけやった。

ポニョ:それはひどいな。家の中でケムトレイルやってるようなもんや。

ヨシオ:後で、ポニョの話聞いて、こりゃ大変なことしたって思い、綺麗に拭きまくったけど、後の祭りや。ほんまに食べるもんの中に気を付けていても、こんなにアルミや毒がいつの間にか入っているなんて知らんかったな。

ポニョ:MSGもやで。もう、俺たちの身体の中は毒だらけや。手遅れかもね。

ヨシオ:還暦迎えたおっさんが何を心配しとるんや。あとよう生きても二十年かそこらやろ。どっちでもええやんか。それより若い人、赤ちゃんには人一倍気を付けたらないかんな。

ポニョ:妊婦さんもや。お腹の子供に毒が全部入ってしまうからな。

ヨシオ:そうやな。子供を産むことは一種の解毒作用みたいなもんで、お母さんの身体にはいいけど、赤ちゃんには色んな毒が入ってしまう。

ポニョ:でも、あんたみたいにアルミをめちゃ吸いまくった人も、身体の中にいっぱい毒を取り込んだ人も全然心配することないんやで。サイババさんは、身体を構成してる全ての分子は七年毎に入れ替わる。と言うてはったで。

ヨシオ:それは、ええニュースやな。特に、福島のお母さんには。

人間の身体を作り上げている身体の分子は、七年ごとにすべて入れ替わります。SSIBc17

ポニョ:今、放射能が心配で福島から避難されている親御さん。事故の後、すぐに避難しなかった為に自分の子供が放射能に犯されたと、自分を責めておられる素晴らしいお母さん。
これから、しっかり子供達の環境と食べる物に注意さえすれば、何も心配することはありません。骨に蓄積した放射性物質も幾ら半減期が長くても七年経てば骨が分解時に、一緒に身体の外に排出されるんです。過去は戻ってきません。後悔せず、明るい未来だけを見て子育てをしましょう。
何も心配することはありませんよ。

ヨシオ:今、面白い話を思い出したわ。

コダイカナルにサイババさんが滞在されている時やねんけど、サイババさんが来られるのでサイババさんが歩かれる赤いカーペットに沿って座って待っていたんや。

そこには、小学生もいておとなしく、辛抱強く待っていたんや。
一人の小学一年生になったばかりの男の子が。、その赤いカーペットの上に小さい泥が付いているのを見つけたんや。

それで、このカーペットの上を神の化身であるサイババさんが歩かれるのに、万が一、その泥を踏みつけたら足が汚れてしまうと思い、カーペットにこびりついている泥を小さな手で一生懸命こすって取ったんや。

でも、その取った泥をその辺に捨てる場所がなくて、自分のズボンのポケットに入れたんや。
そうこうしているうちに、サイババさんがやって来られてその男の子の前を何事もなかったように歩いて行かれたんや。

そのあと、昼ごはんの時間だったので食堂に入り他の同級生たちと一緒にお祈りをし、昼ご飯を食べようとしたら、突然サイババさんが食堂に入って来られたんや。

サイババさんが食堂に来られる事なんて今まで無かったのでみんなびっくりして緊張してたんや。
すると、サイババさんはさっきのカーペットの泥を取った男の子の前で立ち止まり、ご飯を食べる前は手を洗いなさい。と言われたんや。

それで、その男の子は急いで洗面所に走って行って手を洗おうとしたんやけど、水道の栓が高いとこにありすぎてその子には届かなかったんや。

サイババさんに直接、手を洗えと言われたもんやから必死で言いつけを守らないかんと思って、飛び跳ねたりしてタップに手をかけるんやけど、届かなかったので仕方なくズボンの太もものところで手を擦って拭いたんや。

それで、何気ない顔をして食堂に戻ってくるとサイババさんがまだおられて、男の子にもう一度、手を洗ったか。と聞かれたんや。

男の子は、手を洗うように言われたのに洗っていなかったので、サイババさんの顔を見ることが出来ず、下を向きながらまだです。と言ったんや。

サイババさんは、ご飯を食べる前は必ず手を洗わなければならない。と言われてその子の手を引いて洗面所に連れて行かれたんや。

そして、その子を抱き上げて届かなかった高いところにある水道の栓をひねられて、両手でそのこの小さな手を包み込むようにして、洗われたんや。

そのあと、自分のハンカチで丁寧にその子の手を拭かれた後、ところで、君のポケットに何が入っているの。と聞かれたんや。

その子は、口をモグモグしているとサイババさんは、その子のポケットから泥の塊を取り出し、洗面所で一体何が起こっているんだろうと見に来ていた人々に、その泥の話をされたんや。

その洗面所に来てサイババさんと小さな男の子のドラマを見ていた人たちは皆、感激して涙を流したんやで。

ポニョ:サイババさんは、こんな小さな男の子の大きな神への愛を受け取られたんやな。

ヨシオ:そういうことや。神さんから見たら、大きい額のお金を寄付しようが、大きいビルを寄付しようが、高価な車や花やそういうものを寄付しようが、関係ないねん。

その人が、どのくらい綺麗な心でそれを神に捧げているのかをいちばんに見られるんや。
純粋な神に帰依する心。それが例え、小さな泥の塊であっても神さんは大変喜ばれるんや。

皆さんが純粋な心で行うことであれば,それが何であれ私は喜びます。
私が望むのは皆さんの心の純粋さだけです。
皆さんの心に純粋な愛があればどのような奉仕を行ってもよいのです。

子供は神の申し子と言われています。子供のうちは、憎しみや怒りや嫉妬に駆られることはありません。
イエスは、子供にはどこにも悪いところが無いのだから、子供は神のようだと言っています。子供のうちは、心にも身体にも何も悪いところはありません。
悪い心からおこる悪い感情が無いから、子供は美しいのです。SSIB c19

あなたにゆるぎない信仰と帰依があり、重ねてしっかりとした純粋なハートを持っていれば、あなたは神を自分の前に出現させることができます。22/7/02

純粋な心に持ち主とは、心が愛で満たされている人のことです。~神は心の純粋さを見るのです。CWSSB
短期間のうちに、すべての人間社会が一体となり、次のヴェーダの祈りの中で尊ばれている理想に沿って、平安と一体性のうちに生きていることに気づくことでしょう。共に生きよう、共に成長しよう。共に知性を育もう。互いに仲良く暮らそう。私は、黄金時代はとても近いと断言します。バーラタ(インド)、そして、全世界で、個人の対立、不和、同胞への憎しみは、過去の遺物となるでしょう。10/10/05

カヌーの川下り楽しいな

ポニョ:そっちはどう。今は日本と逆やから夏なんや。

ヨシオ:パースで43、3度あったで。こんな暑いのん久しぶりやとみんな言うてたら
しいわ。異常気象かもね。
ここナロジンは標高が高く、うちの農場で400メートルあって、その分少しパースより低かったと言っても41度あったね。
でも、内陸やから夜はグンと冷えるで。

ポニョ:43度か、体温より暑いところによう住めるな。
星やんが、身体溶けそうやと言うてたん分かるわ。
こっちは、日本中が冷蔵庫にすっぽり入っとるみたいやった。
二つ足して二で割ったら丁度ええのにな。

ヨシオ:ほんまやな。でもうちにエアコン無くても大丈夫やで。
木陰に入ると40度でも湿気がないからサラッとしてるで。
ところで、ポニョさんが、紹介してくれたアクアポニックスやけど、お袋の件で忙しくて暫くの間、鯉の世話出来なくて、鯉のいけす久しぶりに見たらアオコがビッシリ生えてて酸素不足で何匹か死んでしもうたわ。

ポニョ:あらあら。夏は上にカバー掛けたらちょっとましかも知れへんな。オーストラリアは、日差しがきついからな。
普通、エアーレーションしっかりしてたら大丈夫やけどな。

ヨシオ:次からしっかり見るわ。難しいな。生きもん飼うって。

ポニョ:そうやな。お袋さんの冥土土産になったな。
実は、おいらの幼なじみのおやじさんも、東洋母さんの一週間後に亡くなりはってな、自分にとってはとても思い出深い人やねん。

ヨシオ:というと?名付け親とかそんなん。

ポニョ:違うねん。近所の幼なじみの親父さんやねんけどな、おいらの事可愛がってくれてて、毎年おいらを連れて幼なじみの田舎に夏休み中遊びに行ってたんや。

ヨシオ:へー。どこにあるのん?その田舎。

ポニョ:めちゃ田舎でええとこやで。但東町という兵庫県の山の中やねん。但馬牛の産地でどの農家も一二頭飼うてるとこや。
仔牛の時から、飼いはじめて大きくしてから売るねんけど、朝夕散歩に毎日連れてくし、正月になると牛も一緒に祝ってビール飲ますし、ブラシは毎日かけるし、そらめちゃ大事にされてるで。家族の一員と一緒や。
もちろん名前もあるし、牛も自分が大事にされてんのん知ってる分、よう人の言うこと聞くで。
おいらは見てないけど、話によると売りに出す時、皆涙で送り出すんやて。
その話聞いて、子供心に耐え切れんもんあったな。
毎日一回は、牛小屋行って牛の顔見て撫でてやるんや。話しかけたり、スケッチしててん。

ヨシオ:ポニョの生き物への優しさの秘密は、その辺から培われたんやな。

ポニョ:また、家の裏には幅三メートルぐらいの小川が流れてて、魚や、カエルはもちろんの事、大きな川蟹やうなぎ、鮎もおったな。マムシもおるで。
近くに、滝があって、その滝壺で毎日泳いだ。
まあ言うてみたら、その田舎はおいらのバックボーンや。

ヨシオ:そうやな。あんたは自然児やもんな。
オフロードバイク乗って、カヌー漕いで川下り、山登りにスキューバダイビングとなんでも有りやもんな。

ポニョ:それもこれも。幼なじみの親父さんのお陰やねん。
いっぱい、自然との遊び方教えてもろたわ。特に、カヌーでの川下りは最高やね。

ヨシオ:どこの川が一番良かった?

ポニョ:そらもう、日本で唯一ダムの無い川、四万十川や。
普通、どの川でもダムがあるやろ。水を放出する時、もちろんダムの底の水を構造上放出するんや。ダムから川に流れ出す水は冷たい氷みたいな水やから、川の生態系乱すんや。
だから、四万十川はダムがないのでずっと昔から一緒の生態系のまま、今でも自然の姿を残してるのや。
魚はもちろんの事、虫もいっぱい違う種類のが見れるで。特に、トンボは有名や。
中村行ったら、トンボばっかりの昆虫館あるで。
四万十川を下るには、おいらはまず上流の窪川というところから下り始めて、中村まで一週間かけてゆっくり下るんや。
途中、いろんな土地の人と世間話しながら、チンカ橋のある川原でテント張って飯盒炊爨、最高やで。

ヨシオ:何やそのカチン橋って。渡ってたら腹立ってカチンと来る橋か。

ポニョ:カチン橋と違う!チンカ橋。沈下橋や。川の水位が上がると、そのまま水の下になって水没してしまう橋や。

ヨシオ:えっ。そんなんやったら、渡られへんやんか。

ポニョ:ちょっと大回りして大きな橋に行ったら終わりや。
無理して大きい背の高い橋作る必要ない。そんな橋は金はかかるし、維持も大変や。
でも、川の水が橋の上ギリギリ覆っている時は、気をつけて渡らなあかん。
足元見てわたると、水が横切るから錯覚で真っ直ぐ歩かれへんから、川に落ちてしまうねん。人は自然に川の流れる方向と、逆の方へ行こうとするからな。
橋には、流木なんか当たってもダメージが無い様に、欄干なんか無いから、いっぺんに水の中へ落ちるで。

ヨシオ:めちゃ危ないやんか。泳がれへんかったら、住まれへんとこやなあ。そこ。

ポニョ:そんな時は、橋の延長線上にあるものを目標にして見ながら渡るんや。遠くのものを見ながら。

ヨシオ:そうか、それやったら出来そうやな。神さん見ながら、神さん思いながら生きるのと同んなじや。

ポニョ:ちょっと違うと思うけど…。まあええわ。そういえば、似たようなもんや。あんたやから許したる。
沈下橋は、自然と調和した橋なんや。川に近いから、水位が高いと暑い日なんか渡っている途中に足を水につけて冷やせるし、橋の中ほどは水深が深いから橋から飛び込んで遊べる。
魚釣りもできるし、人と川が仲良くなれる橋やねん。

ヨシオ:ちょっとちょっと。ブログに魚食べたらあかんって言うたん誰や。

ポニョ:キャッチ アンド リリースやんか。食べるなんて言うてない。

ヨシオ:それやったら許してつかわそう。

ポニョ:なんであんたに許してもらわなあかんねん。おいらととっくの昔に肉食べるのんやめたのあんた知ってるやろ。
また、ある知り合った人は、半家(はげ)という集落から来てて、そこはもともと平家の落人の集落で、平家と分からないように、でも平家の誇りを持って生きたいと、平家の平という字の真ん中の棒を上に突き抜けさせて半にして、半家になったというような興味深い話もしてくれた。

ヨシオ:毛が有っても半家(はげ)と呼ぶのか?フーン面白い。

ポニョ:鎧兜もまだ持ってるって言うてたわ。歴史感じるぜよ。

ヨシオ:そのあんたがよく使う、ぜよは高知弁か?

ポニョ:そうやぜよ。
ヨシオ:無理して使わんでもええやんか。大阪弁と混じっとるで。

ポニョ:ほんまやぜよ。

ヨシオ:もうええっちゅうに。

ポニョ:また、川下りの途中、自然が豊富で、目を楽しませくれる。
鳥やら、魚や、他の野生のいろんな生き物が水を飲みに川辺まで来るけれど、カヌーは自然と調和して流れているので、動物たちは逃げない。
こうして昔の人は自然と一緒に生きてたんや。こんな豊かな自然に囲まれて幸せや。という気持ちになる。
神さんに感謝の心も湧いてくるで。

人は自然から数え切れないほどの借りを作り、いろいろな面で自然から恩恵を得て楽しんでいます。しかし彼はどのような感謝の気持ちを神に捧げているのでしょうか?
彼は、すべてをお与えになっておられる神を忘れ去っています。
それが原因で、人は様々な困難や災難の犠牲になるのです。SSvol21chap19

愛の山登りも楽しいな

昔の田舎の人ってとても心がきれいで純粋やなと思うな。おいらが、カヌーで四万十川の川下りしてる時に出会ったいろんな人々を思い出すわ。

ヨシオ:そうやな。なんか人の反応が素直やな。サイババさんの神聖さを疑っているときは、疑っていると言うし、神聖さが分かった時は参りました。一本取られました。と言って兜を脱ぐし。

ポニョ:あのね、柔道をしてるんやないんやから、もうちょっと違う表現してくれる?

ヨシオ:とにかく誤解してたら、誤解しててごめん。と言ってすぐに自分の過ちを認めるなんて心がきれいな人でないと、難しいと思うで。みんな、プライドやエゴがあるから。

ポニョ:サイババさんが、神として降臨するために自ら選ばれた家族やから、それだけええもんを持ってはるんやな。

ヨシオ:特に、お母さんのイシュワランマさん。このお母さん、さすがに神の化身を産みはっただけの事はあるぐらい純粋な心を持ってはるで。
ある日、サイババさんがムンバイに行く時に一緒について行かれたんやけど、そんな大きな都市へ行くのは初めてやし、喜んでついて行きはったんや。そこではインドのビジネスキャピタル、商業の中心都市と言われてるから色んな良い物が安くて手に入るんや。
それで、お母さんがサイババさんに近所の人や孫たちにお土産を買いに行きたいから、小遣いくれへんか。と頼んではったんや。
そうしたら、サイババさんは、僕の着てるローブにはポケットが付いてないからお金や財布を入れるとこが無いやろ。だから、そんなん持てないねん。と言われたんや。

ポニョ:ちょっと、関西弁でサイババさんを喋らさんとってくれるか?イメージが崩れるわ。

ヨシオ:わかった。それでお母さんは、あんたそんなこと言うても私は知ってるんやで。何遍も見てるんやで。あんたが、手をクルクル回しただけで何でも手から取り出せることを。私の目は節穴違うで。
早よ、もったいつけんと、手をクルクル回して小遣いちょうだいな。と言われたんや。
そういう会話を聞きながら、周りにいてた人はみんなニコニコしていたんや。
もちろん、その後でサイババさんはお母さんの欲望を満足させはったんや。

ポニョ:神の化身やと言っても、こんなふうなやりとりを聞いていると、その辺にいてる親子の会話と一緒やな。もちろん、手をクルクル回して小遣いをお母さんにあげれる息子なんていないけどな。面白いな。

ヨシオ:みんなはサイババさんは、その辺にいてる人間見たいやな。なんて言ってるけど、実は反対なんや。みんなが、神の化身みたいやねん。その証拠にどこの家庭を見まわしても、お母さんは子供を愛してるやろ。
街に出ても人々はお互い気を使いながら込み入ったところを歩いている。誰も棒を振り回して歩いている人なんかいないやんか。
もしそんな人がおったら、やめときや、危ないで。と言って誰かが注意するやろ。
年寄りが通りでひっくり返っていたら、誰もほっとけへんやろ。
子供が、一人で夜道で泣いてたら、知らんふりして通り過ぎて行く人の方が少ないわ。
みんなは、こんな事は普通の町の原風景やと思っているけど、実はこの世界はどこを見ても愛がいっぱいあるねん。
本当は、一人ひとりが、愛の化身なんや。人によって、その人の中に入っている霊のレベルによって動物的な要素が90%ある人や、10%の人やいろいろや。
逆に、神の化身に限りなく近い人もいれば、自分の事しか愛せない人もいてる。
最悪なのは、自分の事が嫌いな人や。そういう人は、悪霊があんたが身体をいらんねんやったら、もらっとくわと言って、身体を乗っ取ろうとして悪さをされる。
そんな風にして乗っ取られた人は、突然性格が変わったり、訳のわからんことを叫んだりして、生き霊やと言って恐れられるんや。
でも、どんな人でも神さんの方に向かって歩いて行ってるんや。例えて言えば、みんな神さんが頂上で待っている大きな霊的な山に登っている登山者なんや。
もちろん、一人ひとり登る道も違うし、ペースも違う。寄り道する人もいてるし、近道してる人もいてる。ヘリコプターで一気に五合目まで登っても、また降りてくる人もいてる。
人それぞれ違うんや。
早くから登り始めた人は、早くに人の姿を取った人で、動物から人に生まれ変わったばかりの人は今登り始めたばかりやから、言うて見たら登山の素人や。
熟練の登山者が、素人を批判しても仕方が無い。その人は、登り始めたばかりやから、まだマナーもルールも知らんので当たり前や。
熟練登山者はそんな素人登山者を批判する権利なんて無い。だって自分も一昔前は、素人登山者やってんから。
それより、熟練登山者は、こんなに人より早く登山を始めたのに、まだ頂上に着かんとその辺をウロウロ登ったり降りたりしてることを恥やなあかん。
それに自分の登山の事ばっかり考えやんと、素人登山者に正しいルートを教えたり、登山のマナーを教えたりするのが、熟練登山者としての義務や。
そういうことをしてお互い助け合って山登りをしているのを、山の管理者である神さんも見てたら嬉しい。
安全に、みんなが頂上を目指して一歩一歩ずつ助け合って登ろう。
余力がある人は、疲れている人の荷物を持ってあげよう。足をくじいた人がいたら手を引いてあげよう。喉が渇いている人がいたら、自分の水筒の水を分かち合おう。お腹が空いていて歩けそうにない人には、ちょっと景色のええとこに行って、大きな岩にでも腰をかけ、自分が持っている弁当を広げて、一緒に食べよう。もうこんな山登りはしたくない、なんて言ってる人には、頑張って一緒に登ろうと声をかけ、山崩れの方に歩いているパーティーがいてるのを見つけたら、そっちは危ないで、山崩れのあるとこやで。と警告したげよう。
霊的な視点から見たら誰でもみんな一緒や。その魂が早く出発したか、遅いかだけや。

ポニョ:おいらは金子みすずの詩が好きやねんけど、こんな詩の部分があったな。みんな違って、みんないいって。おいら、そこのところ大好きやねん。

ヨシオ:みんな違って、みんないいか…。本当やな。神様が、俺たちを見守りながらいつも思っている気持ちと一緒やな、その言葉。だから、ポニョの心に、そして、みんなの心に響く言葉になったんやろな。ほんまに神様の気持ちを表している言葉や。

ポニョ:こういう言葉を胸に入れて人と接したら誰も批判出来なくなるな。その人の悪いとこが見えても実は、自分が素人登山者やった時の自分を見てるんや。結局は全て自分なんやて分かるマジックワードやな。
この言葉は、世界にはいろんなものがあるけど、その中にある一つのもの、つまり愛を全てのものの中に見なくてはいけないっていうことやな。
多様性の中の一体性や。
おいらは、この言葉が何気なく好きやったけど、神さんの気持ちになれる言葉やと分かってもっと好きになったわ。この言葉を忘れへんと毎日生きてたら、いっぱい人を愛せそうな気がしてきた。

イルちゃんなんか怖くない

ポニョ:ピカピカの新入生が、そろそろ学校に慣れてきたと思ったら、中間テストがもうすぐやな。おいらは、英語が大嫌いやったな。


ヨシオ:でも今は、結構いけるやんか。いろいろ訳せるし。

ポニョ:読んだりは出来るけど、話すのは未だにダメやな。何と言っても、中1の時の初めての英語の時間で教科書を読まされて、めちゃ緊張してONEを、オネと読んでしもたんや。
みんなに笑われて授業は中断するし、それ以来、英語コンプレックスになった。

ヨシオ:オネはないよな。ローマ字読みやないか。それって。でも、緊張したらそんな事もあるよな。テストと言えば、サイババさんが受験生を助けた話を知ってるで。
インド人でもあまりサイババさんのことを知らんかった頃の話やねんけど、ある女の子が親と一緒にずっとサイババさんのアシュラムに住んでいて、学校に行ってなかったんや。
でもサイババさんが、もうすぐしたら大事な試験があるのんと違うんか?学校に戻って試験を受けに行きなさい。と言われたんや。
でも、何ヶ月も学校に行ってないし、何の準備もしてないし、無理です。と言ったらサイババさんはペンを物質化してこれを使って答案用紙に書きなさい。と言われたんや。
それで、試験当日学校に行くと、友達とか先生とかが驚いてなんで来たんや。と言われたんや。
そら、一回も授業にも出てないし、答えなんか書ける訳ない。
実際、答案用紙が配られても、じっと見てるだけで何にも書けなかったんや。
他のみんなは、一生懸命書いてるのに自分だけポーッと座ってたら、試験監督の先生があんたボーッとせんと早よ書きや。と言ってから机の上に置いてあったサイババさんの写真を見て、この人は誰や。と聞いたんや。それで、女の子は、私のグルです。と言ったんや。
それで、試験監督の先生は、何処かへ行ってしばらくすると、そっと紙切れを一枚持って来てくれて女の子に渡したんや。そこには、全ての答えが書いてあった。
それを写して書いたら満点やったんや。その後。先生のところへ行ってその話をすると、先生は何にも記憶になかったんや。
また、テストの設問をお兄ちゃんと二人で山かけて考えてたら、ヤモリが横でキッキと鳴くんや。それでヤモリが鳴いた設問だけ覚えて行ったら二十問のうちの十五問が設問と一緒やったんや。
アシュラムに戻ると、サイババさんが最初は試験官になって答えを教え、二度目は私がトカゲになって正解を教えたったやろ。と言われたんや。それ以来サイババ大学でテストをする時は誰も不正をしないように、必ずヤモリが壁に張り付いているかどうかチェックしてから試験をするらしい。

ポニョ:それは、嘘や。でも、すごいよな。最初は、試験官の中に、次はトカゲの中に入っていろいろ出来るって。

ヨシオ:神様に帰依すれば全ての面倒を見てくれるって本当やな。今の例でも分かるように、霊体は肉体よりも波動が細かいからその体に入っていける。
この場合は、試験官の体に入って、その体のオーナーである先生さえコントロールして答えをくれた。もちろんこれは、サイババさんが細かい波動を持っていると言うより、神さんは波動よりも上のレベルである光の放射のレベルやから、どんな人の中にも入って何でも出来る。
だから、霊に憑依されるとかという話を聞くけど、その場合は、その憑依された人の波動が霊よりも荒い場合に限られるんや。
でも、普段神様とかの事を思っていても、人が恐怖に陥るとその人の波動は急速に荒くなって普通にしてたら幽霊なんか怖くないのに、自分で自分の波動を恐怖によって荒くするためにいろんな怖い超常体験なんかするんやで。

ポニョ:世間的には恐怖とは自分に降りかかるであろう災難を恐れるってことやけど、霊的には恐怖や怖がるという意味は、そこには実際無いものをあると見做して怖がることやろ。

ヨシオ:そうや。夕方になって周りがよく見えない時に、道に落ちていたロープを蛇と間違って恐れるやろ?でも本当は、蛇なんかじゃ無かったんや。懐中電灯の明るい光で照らしたらただのロープやったんやて分かる。その懐中電灯が英知やねん。夜になったらロープなんて見えないから怖くない。昼間もロープと分かるから怖くない。怖いのは、無知の闇が覆っていて英知の光が薄っすらと差している夕方だけやねん。
つまり、ロープか蛇か識別出来ない時、言い換えたら、移り変わるこの世界にあるものが、永遠のものと取り違える時、もっと言い換えると、自分自身をただの器である肉体と同一視した時に恐怖が起こるんや。
イルちゃんたちが人を恐怖に陥れるという事をよくやるんやけど、一つの理由は、そうしたら、怖がった人の波動が荒くなって イルちゃんたちがコントロールし易くなるんや。
だって、今も言ったように恐怖って自分がそんなカルマを持っていなかったら降りかかってこないもんやのに、それが自分に災難をもたらすと自分んで想像して怖がることやろ。
その恐怖を怖がるということは、その恐怖自体のことを知っているから怖いんやろ。だから、自分自身を恐怖自体が持っている波動のレベルに落としてしまうんや。
だからこのブログでは取り上げないけれど、イルちゃんたちがやってる悪魔の儀式なんかでも、人を極限の恐怖状態にさせて、その人の波動のレベルを下げさすんや。
そして、肉体に近い荒い波動を持っている悪霊や悪魔君が、恐怖によって自分より荒くなった波動を取り込めるようにするのが儀式やねん。
普段、ほとんどの人の波動は細かすぎて悪霊などは俺ら達に悪さを出来ないから、こういう儀式をしよるんや。ここでは、もうこれ以上取り上げないけど。

ポニョ:でも、そういうことをするお城とかは、エネルギーが走っているレイラインの上に位置していて、その恐怖の荒い波動がそのラインに沿って地球中に影響するとか言ってるぜよ。

ヨシオ:たとえ、そういうラインがあって、そういう荒い波動がそこを伝って世界中に流れることがあっても、それを喜ぶのは肉体に近い荒い波動を持った霊たちであって、細かい波動を持っている普通の人には何の影響もない。それより、神に近いと言うより神そのものである波動を持っているヴェーダを唱える方がこの世界にもっと大きな良い影響を与えることが出来るんや。
というのも、そのヴェーダの神そのものである細かい波動はイルちゃん達や、彼らが信奉している悪魔くんたちの中にでも入っていけるから。

ポニョ:そんなに、イルちゃん達にも影響するんやったら、もっと早くからヴェーダの詠唱をみんなでやってたら、世界は今よりもっと平和になってたのになんで最近始められたんやろな。

ヨシオ:多分早く始めると、イルちゃんたちがあまり悪さをしなくなって、世界の大掃除が出来なくなるからやろな。いっぺんドンと底まで落とすためにギリギリまでヴェーダの中でも、強力なルッドラムを唱えるようにプロモートしはれへんかったんやろ。

ポニョ:イルちゃんが、イイ子ちゃんになったらサイババさんも出てくるタイミングを逸してしまうよな。
ビルゲー:栗金トンさん。あんたでしょう。こんなにポリ製の棺桶を大量に注文したのは!もう、みんなが俺たちの悪さに気がついて人工削減なんか出来ないわ。どうするのん。

栗金:いや、これらをオーダーしたんは、ブッシュのおっさんや。僕と違うで。それやったら貧困家庭に配ったらどうやのん。

ビルゲー:四人も入る大きな棺桶なんか誰もいらんわ。それより、いっぱい川に浮かべて子供の遊び場にしよか。

栗金:誰が、棺桶の中で遊ぶねん。あんたほんまに痴ほう指数が160もあるんか?それにあんたの、モンサントも人気無いな。あんたそれに、例の民間軍事会社で、今ウクライナで悪さしてる傭兵を派遣してるアカデミ旧Xe社または、ブラックウオーターと呼ばれる戦争犯罪会社が200人ぐらいの規模でウクライナの兵士の服を着て悪さをしてる会社のオーナーやねんやろ。バレバレやで。そんなんしてたら、うちの嫁はんみたいに、みんなに嫌われてるで。

ビルゲー:知ってる。それに、ウクライナ軍も全然思ってたよりあかんかったわ。すぐに、相手に投降しよるんや。もうネットを通じてなんでもバレバレやで、やりにくくてかなわんわ。
それになんか、この前死んでくたばったと思っていたあの、サイババが帰って来るらしいで。

栗金:なに〜!あんだけ小児性愛者とこなんとか言うてネガティブキャンペーンをしたのに、しつこいやっちゃ。僕も、いっぺんどんな奴か1999年に会いに行ったんやで。少なくとも、僕たちよりええ奴やったけどな。あいつが帰って来たら僕たちもお終いやな。首を洗って待っとかなあかん。
ビルゲー:俺も、今から人気を取り戻すために、オーガニックのひよこ豆で作った肉を安く提供しようとして頑張ってみようかな。そうしたら、もう牛とか豚、鶏を殺さなくても皆さん自然に菜食になるやろ。ちょっとは、罪滅ぼしでもしとかないとな。サイババが帰って来て、「次の生のポチ君」なんて呼ばれたら俺、多分立ち直られへんわ。

栗金:それは、ええ考えや。僕も、一口乗らしてもらおうかな。
とかという会話を、イルちゃんたちが始めたら世界は面白くなくなるかな。

ヨシオ:なんでやねん。ええや事やないか。それより、ポニョの一人芝居久しぶりやったな。

ポニョ:サイババさんのストーリーをし初めたからすぐにスペースが無くなって出来なくなったんや。でも、イルちゃんのことを調べていて悲劇的なことは、僕は騙されないぞと思って彼らの事を知れば知るほど、猜疑心や恐怖心がその人を支配してしまう。そうなると、その人の波動が荒くなるので、逆にイルちゃんたちがその人をコントロールし易くなって、彼らの思う壺になってしまうんや。

ポニョ:ミイラ取りがミイラになるんやな。分かるんだってばよ。そんな人知ってるで。ええ人やったのに、イルちゃんのことを知りすぎて人相が悪くなった人。

ヨシオ:だから、家族を持っている人、守らなくてはいけない人がいる人は、もちろん世界を食品や水に毒を入れ、経済を落としたり、今は、戦争を起こしてグチャグチャにしようとしてるイルちゃん達のことを調べて、特に変な毒を食べさせないように彼らから家族を守るのは義務や。
でも、デンバー空港の壁画や、空港のシンボルの死の馬、フィー魔収容所、地下にある収容所やガス室、それに昨日の記事で俺が中途半端で終わるって言った意味やけど、何百万個の棺桶などは人に恐怖心を与えるだけで、読んでる人の波動が恐怖で荒くなるだけでマイナスの影響しか与えへん。
だから、ポニョが棺桶の話を昨日した時に俺は、ちょっとフォローアップしたかったんやけど、スペースが無かったのでで中途半端やって言ったんや。
ブログによってはそういう事ばかり言っている人もいるけど、一番重要なのは、何でもポジティブに取らないかんねん。つまり、このブログでいつも言ってるけど、全てはいい事やって。イルちゃんのやってることも大きな目で見たらいい事やということが分かったら、ハッピーになれる。イルちゃんが悪い事をすればするほど、反動でもっと素晴らしい世界が来るんや。
だから、イルちゃんにもっと悪いことをしなさいと言っているわけではない。

ポニョ:あれ?あんた、この前、今と反対の事を言うたで。

ヨシオ:俺もアルツハイマーが始まったかな?それにいつも、ポジティブやったらどっかに逃げる必要もないし、逆に全くイルちゃんのことを無視して、知らずに子供に遺伝子操作の大豆で作った粉ミルクも飲ませなくてもすむ。
そういう、いつもポジティブな見方で世の中を見れば何が周りに起こっても全然影響を受けないし、逆に困難な時が来てもいつもニコニコして周りの人たちを励まして行けるんや。
恐怖に陥っている人は何にでも怖がって、いつも後ろ向きにしか生きてないから、その人が歩む人生の一歩ごとに死がたくさんやって来るのと同じや、と言われてるけど、全てが神さんやと分かって、全ての物や人の中に神さんを見れる人は恐怖を克服した人となり、いつもポジティブでその人の人生では、一回だけしか死がやって来ない。

五つ頭の蛇のペットって可愛いかな?

ヨシオ:俺の農場は、ダム湖のある自然保護地区の隣やから、カンガルーが沢山いてるよ。

ポニョ:カンガルーって最初にイギリス人のクック船長がアボリジニに、あのピョンピョン跳ねる動物は何かと聞いた時に、知らない。(カンガルー)と答えて、それがカンガルーの名前になったって本当か?

ヨシオ:それは、みんなが酒を飲んだ時に言った冗談で、本当はオーストラリアの東北端のファークイーンズランドに住むアボリジニーであるグーグイミッディル(Guugu Yimidhirr)人の言葉で、東部灰色カンガルーを gangurru といい、これが語源だろうというのが最有力説だよ。

ポニョ:そうだと思ったわ。だって、アボリジニが知らんわけないもんな。

ヨシオ:毎日のように、カンガルーの家族がうちの農場にやって来てくれるねん。

以前、隣の農家の人が母親が殺されて、お腹の袋に入っている子供のカンガルー、こっちではジョウイーと言うんだけれどを助けて育てたんや。カンガルーは、牛のミルクを飲むと死んでしまうんや。脂肪が多すぎるから。だから、ヤギのミルクで育てるんやで。

ポニョ:可愛いやろうな。

ヨシオ:まだお母さんの袋に入っているつもりにさすために、毛糸で編んだ靴下を壁とかに吊ってその中で育てるねん。

ポニョ:五六匹天神橋筋商店街に吊ってたら、可愛いくて人だかりできるやろな。

ヨシオ:すぐ盗られるやろな。それで充分大きくなったら、靴下から出して家の周りで育てるんや。それで、隣の農家のペットのカンガルーがうちの家まで遊びに来よるんや。

ポニョ:俺の家の犬と交換したいぜよ。

ヨシオ:人の手から、ナッツとかいろんなものを直接手から食べよるねん。
そして、その子はメスやったんやけど、野生のオスの率いるグループに入って子供を産んだんや。
その生まれた子供を時々俺たちに見せに来てくれるねん。
でも、子供は野生やから怖がってお母さんのお腹の中に慌てて逃げ込むんやけど、急ぎすぎて頭から袋の中に入るねん。だから、時々足だけ袋から出てバタバタしとる。
そのペットやったカンガルー、ジェシーっていう名前やけど、だんだん年取ってきても自分たちのことを覚えてくれていて、今来ている家族もジェシーの子孫なんや。
ある時、しばらく家を留守にしていて、帰ってくるとジェシーの家族がみんな集まって、道に五頭ぐらい並んで挨拶してくれた。カンガルーは、夜行性やから夜になるとウロウロしよるねん。
家の木の板を張ったベランダの上にも毎晩来るので、バンバンと跳ねる音がうるさいで。スイカの皮が大好きで、夕方置いとくと朝方には綺麗に無くなっているわ。もちろん、ナッツや小麦も大好物やで。でも、ある日を境にあまり来なくなったんや。調べてみると、自然保護地区の中のカンガルーが増えすぎたので頭数調整をするために何百頭も殺したんや。その肉は、ペットフードになってスーパーに並んでいるわ。

ポニョ:人間て勝手やな。誰がそんなん決める権利があるんや。

ヨシオ:保護地区の中は、充分水もあるし、エサもある。もし増えすぎてんやったら、自然の法則に任しておけば大丈夫やねんけどな。大体、保護地区から抜け出したカンガルーが、近くの小麦畑を荒らすと言うてるけど、そんなんしれてる。それに、植え付けてる小麦だって自然からの贈り物やから、1,2%ぐらいカンガルーにくれてやってもええやんか。

ポニョ:俺のとこも、果樹園があって鳥が来よるけど、その近くにアーモンドの木を植えてるから、鳥はそっちの方を食べよるねん。もちろん少しは、食われるけどそれは、想定内の事や。それを、被害と考えるから人間は傲慢やと言われるんや。被害ではなく、一緒に生きて行こうや。
消費者も、ちょっとぐらいのダメージは目をつぶって欲しいよな。

ヨシオ:そういう事やな。それで、隣のペットのカンガルーは俺たちのペットになってしまって子供たちが喜んで遊んでたな。

ポニョ:そう言えばサイババさんもたくさんペットを飼うていたよな。象のサイギータとか。

ヨシオ:そうやな。ペットを飼う西洋人はたくさんいるけど、インドでは少ないと言ってられたな。ペットを飼うことによって飼い主の波動がペットに流れてそのペットの霊的進化が促進されるんやろ。だから良い事なんや。サイギータの世話をしてる人も言ってたけど、サイギータがサイババさんに会いたくなった時にいつもババがタイミング良く会いに来てくれるんやて。サイギータはほとんど人の霊体を持ってる象やったな。

ポニョ:でも、その象の気持ちまで分かるってすごいよな。サイギータの次の生は人間やろな。

ヨシオ:ホワイトフィールドでインタビュー呼ばれた時に、大きなゲートをくぐって入って行くんやけど、ゲートの中に鹿がいてたで。


ポニョ:アメリカの歌手の帰依者が有名なバジャンで「私達と神様は一つ」という曲を作詞作曲されたんやけど、ババからお前の前世は鹿やったな、なんて言われたそうや。というのも、鹿は美しい旋律の曲を聴くと聞き惚れてしまって動けなくなるそうや。その人も、そんな傾向が有ったんやて。

ヨシオ:それって、まるで俺やんか。昔から良い曲が流れてくると、確かに聞き惚れて動けなくなるんや。それで、周りの人がこんなに素晴らしい曲が流れているのにどうして平気でいられるのか不思議やったな。

ポニョ:そうか、あんたの前世は鹿やったんや。でも、今のあんたの容貌からは想像できないけどな。多分厳つい鹿やったんやろな。長い顔した。あんたの前世が鹿やって言うと、鹿が気を悪くするやろな。

ヨシオ:あのな、喧嘩売ってるんか。ポニョは。それに鹿はみんな顔が長いんだってばよ。

ポニョ:それで、その歌手が二度目にインタビューに呼ばれた時、ババに以前お前は鹿やったんやと言われた言葉を思い出して、そのババのペットの鹿になった気分になって不思議やったなんて言ってたな。

ヨシオ:不思議な話と言えば、ジャックとジルの二匹の犬の運命も不思議やったな。

ポニョ:そうそう、前世ではババの同級生で三人一緒の机に座っていたんで、いつもババの強烈な神聖なオーラを浴びてババが学校から離れられた時二人とも、相次いで亡くなられたんやったな。
ヨシオ:そして、すぐにババのペットの犬になって戻って来たんやったな。そして、その犬になった同級生もそんなに長生きせず相次いで死んだんや。

ポニョ:次の生はどういう形で生まれ変わってくるんやろうか?

ヨシオ:そう言えば、昔、ババが二十歳ぐらいの頃、古い方の礼拝所の近くでババは蛇をペットにして飼うておられたことがあるんや。大きな穴が地面に空いていて、夜になればその穴の周りが怪しく光るので、ある帰依者の方が何ですかあの怪しい光は?と聞くとババは蛇だよ。一人で近づいてはダメだよ。明日、僕が餌をやる時に付いておいで、と言われたので何人か一緒にババに付いて行ったんや。ババは、毎日この蛇に餌をやってるんや。

ポニョ:蛇ってネズミを食べるんと違うんか。それとも菜食の蛇っているんか。

ヨシオ:ババはこの蛇は五百年生きている神聖な蛇で、と紹介していたら穴から首を出したんやけど、なんと五つの頭が有ったんや。

ポニョ:何!八岐大蛇は八つの頭があるって知ってるけど、それって神話の世界やろ。本当の蛇が五つも頭があるって凄いやんか。

ヨシオ:それだけやないで。なんとその蛇の額には立派な宝石が付いてたんや。だから、夜になると蛇の巣の周りが怪しい光を発してたんや。

ポニョ:そんな話を聞くと是非言って見たいぜよ。まだ居るんやろうかその五つ頭の蛇さん。
確か、古い方の礼拝所は今、村の結婚式場として使われているらしいからまだ建物はあるはずや。今度インドに行ったらその穴を見つけて餌をやりに行こう。ところでさっきも聞いたけどババは何を餌としてやっておられたんやろうか。

ヨシオ:バナナとミルクやて。

ポニョ:やっぱりベジタリアンの蛇やったんや。でも五つも頭があるってことは五つも口があるって事やろ。どの口から餌をやったらええのか迷うよな。それに俺の方が先やなんて、頭同士が喧嘩し始めたら収拾がつかんぜよ。

ヨシオ:大丈夫や。毎日餌をもらう代わりと言っては語弊があるけど、五つの頭を揺らして蛇ダンスを披露してくれるんやで。

ポニョ:すごいな。それを見るだけでインドに行く価値があるよな。そうか…、今結婚式場に使われている古いマンディールのすぐ近くの蛇の穴やな。覚えとくぜよ。多分もう結構有名になっていて、結婚式での出し物になってるかもね。もしまだやったらおいらが付き人になって興行権をもらいあっちこっちでショウをしたらええやろな。

ヨシオ:あのな、ポニョよ、カリユガの影響がきつく入りすぎてるんと違うか。このブログには神聖な事象を紹介する記事を載せるって言ったんはポニョやろ。何が興行権や。早よ吉本でも行って雇うてもらいなさい。その方があんたに合ってるわ。

神と共にいることの至福が与える体験にまさるものは何もありません。
あなたがすべてを愛すれば、すべてがあなたを愛します。
犬や猿、猫とさえあなたの愛を分かち合いなさい。
そうすれば、動物たちがどのようにあなたの愛に報いるかを知ることができるでしょう。
人間は、犬でさえもがもっている感謝の念を忘れてしまいました。
多くの外国人たちは、ペットとして犬や猫を飼っています。
あなたが動物を愛せば、動物もまたそれに応えてあなたを愛します。9/10/02”

“ペットの犬に毎日えさを与えていると、餌をやる時間になれば、犬は必ずあなたのところにやって来るでしょう。そうではありませんか。
定期的にそれを行うことで犬がそれに応えるのなら、なぜ神は人に対してそういうことをしないということがあるでしょうか。
定期的にあなたが霊性修行を行えば、神の恩寵を確実に受け取ることが出来るでしょう。STPSp59”

すべての人、すべての生き物は愛の具現です。
あらゆる鳥や動物や昆虫は、人間と同じように幸せを手に入れたいと望んでいます。
それらも人間同様に幸せを味わうのです。
けれども、それらが楽しむ幸せと人間が楽し“む幸せには違いがあります。
鳥や動物や昆虫は、幸せによって有頂天になることもなければ、悲しみによって落胆することもありません。幸せと悲しみを平静に受け取ります。
しかし、人間は平静さに欠けています。
人間は欲望が満たされると有頂天になり、満たされないと欲求不満に陥ります。
欲望と怒りは人生という木を枯らす害虫のようなものです。
2/4/2003”

良心のささやきが聞こえますか

また、梅雨明けの波がまだ穏やかな時の日本海、洞窟巡りもええで。
鳥取から余部まで五日ぐらいかけてゆっくり漕いで行くねんけど、途中いろんな洞窟があるから中に入って行くねん。洞窟探検や。

ヨシオ:それって中、真っ暗なんと違うの。

ポニョ:もちろん、懐中電灯持って行くで。
それである洞窟なんかは、外から見たら、三つやけど一つ目と三つ目が中でつながっていて、細い水路みたいなとこ抜けると上から滝みたいに綺麗な水が落ちてきて身体も洗えるんや。
地面が割れてて下から隙間が見えるねん。
そこから太陽の光が漏れてきてるから、中は充分明るいで。
天井まで、結構高いし洞窟特有の圧迫感なんて全然ない。
地面から落ちて来た水に射し込んだ光が反射してキラキラ輝いてるねん。
教会の礼拝堂みたいな、すごい綺麗なところやで。
また、その近くにある洞窟は、満潮時には頭を打つぐらい低くて細く、奥行きが深くて、クネクネ曲がってるけど、周りの岩肌を手で押しながら進むと、そこはコウモリの巣で、何百匹というコウモリが細い洞窟の奥から飛んできよるねん。
めちゃうるさいで。臭いし。あいつら絶対風呂入ってないと思うわ。

ヨシオ:当たり前やないの。でも、めちゃ面白そうやな。

ポニョ:ポニョ:そんな面白い洞窟まだまだあるで。
海外にもマレーシアのイポーというところにサイババタンバン洞窟というのがあってそこの洞窟を入って行くとサイババさんの祭壇が有ってみんなでバジャンや礼拝をするからとても波動がええとこやで。

ヨシオ:俺がインドに行く途中にクアラルンプールに乗り継ぎ便の都合で時間があったので半日観光したけど、ガネーシャ神の兄弟スップラマンニャン又の名をムルガンを祀ってあるバツー洞窟寺院がものすごく大きくて感動したな。

地下の洞窟に神さんが祀ってあって、なんや規模が小さいなと思っていたら、そこから長い階段を登って岩山のてっぺんに行くと、また大きな岩の割れ目があってその中に入ると奥の方に祭壇があった。

ポニョ:ムルガン寺院と言えば本場、南インドにあるムルガン洞窟寺院が一番やろ。

ヨシオ:でも、インドの寺院はヒンドゥ教徒でないと入れないところがたくさんあるよな。星やんは身体にブラミンのように聖なる糸をつけてあっちこっちの寺院巡りをしてたな。

ポニョ:そういやどっかの寺院でヒンドゥ教徒になるための儀式もやってもらってたで。日本人でそこまでしてヒンドゥの文化にのめり込んでいる奴も少ないよな。

ヨシオ:また、二十五年ほど前に出版された本に紹介されてあるヒマラヤのバドリナートの近くにあるガネーシャ神が祀ってあるPatal Bhuvaneswar洞窟の話がすごいよな。

ポニョ:そうやったな。アシュラムに来た人たちが帰りにヒマラヤのPatal Bhuvaneswar洞窟に立ち寄ってから自分の国に帰るのが定番みたいになってたよな。知り合いが行くから一緒に行こうって誘われたけど断った。
ガネーシャ神の形をした鍾乳石がある。
実際、洞窟の中に入ってみるととても細いクネクネした鍾乳洞の洞窟でとても凄いバイブレーションを感じることが出来るって言ってたな。
後で写真をみせてもらったけど。
凄いとこやったな。

ヨシオ:でも、今では名が売れすぎて観光地みたいになっているらしいで。
でもインドって奥深い国やな。すごい人があっちこっちにいてるもんな。
以前ヒマラヤの洞窟で修行してるヨギ達がシヴァ神が地上に降臨したというメッセージを受けて南インドまでシヴァ神を探しに来てサイババさんを見つけたって話をしたけど、それと同じように十人ほどのヨギのグループがヒマラヤの洞窟から抜け出てサイババさんのアシュラムに来たことがある。
ババは毎日食べ物がないので大変やろ、と言われて食べ物が無限に出る壺を物質化されてそのヨギのグループにプレゼントされたんや。
そして、このグループの中に一人弱い奴がおるな。それからもう一人はすぐに死ぬ事になっておるけど助けてあげよう。と言われたんや。
アシュラムからの帰り道ヨギたちは湖のほとりで瞑想を始めたんやけどとても長かったので一人だけ脱落してグループから抜けたんや。
というのも一人だけ弱い奴がいるって言われた時それは自分だと知っていたんや。
その時にババが物質化された壺を癇癪を起こして湖に放り込んだ。
しばらくして一人ひとり瞑想から覚めてみると一人のヨギが消えていて壺も無くなっているのに気付いたんや。
それで、一人のヨギが心眼を使ってツボを探したところ湖の底に沈んでいるのを見つけたので潜って取りに行ったんやけど、とても深くて取り戻して岸に浮かんだ時にはもう仮死状態やったんやけど、暫くして生き返ったんや。

ポニョ:神様って何でも知ってはるな。
そのヨギが湖に潜って仮死状態になるのまで見抜いておられたんやな。それに洞窟など、本当におもしろいものを創造してはるな。

そんな面白い洞窟まだまだあるで。神様って本当におもしろいもの創造してはるな。
ディズニーランドよりもっと面白いもん身近にあるのに、なんであんな高い金出して人工的な乗りもん乗って、お土産いっぱい買わされる。おいらには分からんわ。

ヨシオ:お土産は、自分で買うもんや。強制とちゃうで。

ポニョ:でも、これ買え。あれ買え。の世界やろ。金をいかに使わせるかが勝負やからな。
みんな家の中で小さいネズミ見ただけでギャーギャー言うて逃げまくるのに、あんな化けもんみたいな巨大ネズミが、踊ったり抱きついたりするのんが平気って、不思議やと思えへんか。

ヨシオ:そう言われれば、そうかな。でもぬいぐるみやし、怖くないで。それってメチャ、ポニョさんらしい発想や。

ポニョ:言うとくけど、ディズニーも奴らの手先やねんで。あいつら絶対に、家族愛とか描いたアニメ作れへんやろ。それに映画の中にエロいシーンとか、早口で喋る時にとんでもないセリフが混じってるんやで。無意識のうちに子供や若者を洗脳するんや。
もともと家族愛とか神を愛するとか、そんなんは、あいつらの信じてる事と正反対やねん。
あいつらは、神を認めへん。悪魔崇拝者やからな。

ヨシオ:何や。その悪魔崇拝者って。昔、水木しげるの悪魔くんっていう漫画あったけど、その漫画のファンか?

ポニョ:あのな、漫画のファンやったら誰も苦労せんわ。奴らは、自分らは、悪い事して地獄に行っても地獄を支配する悪魔ルXファーを崇拝してるから、罰せられへん。と勝手に思い込んどるんじゃ。

ヨシオ:メチャ自己中やないか。

ポニョ:奴らは小児性愛傲慢同性愛偏愛悪魔崇拝遺伝子組換門産都毒撒人口削減毒混人工甘味料毒混枠珍通貨勝手発行戦争大好武器商人気狂麻薬密売殺人地下秘密基地嘘付自己中愚弄把瑠襟都死愛映画操ってる偽湯田屋のグループやからな。

ヨシオ:それって、メチャややこしそうなグループやな。あのところで、ようそんだけ漢字並べられたな。
でもあいつらが言うてるように、地獄ってあるんか。悪魔ってそこにおるんやろうか。

ポニョ:それはこういう事や。死んだら一番怖いのは、閻魔さんや。と教えられて来たやろ。
インドやったらヤマ(死の神)や。でも、本当は一番怖いのは、自分のりょうしんやねんで。
それを、閻魔さんって言うてるんじゃ。

ヨシオ:自分の両親が、閻魔さん?うちの両親は優しかったで。考えられへんわ。

ポニョ:そうや無い!良心や。呆け方ひどいで。あんた。
生きてる時に、人は自分の良心の声を無視して悪い事をたくさんする。

人間の内面には良心というものがあり、つねに正しいアドバイスをささやき、正しくない行動を止めようとします。
人間はこの良心の声をほとんど黙らせてきましたが、それは神の声であり、その声を黙らせることはできません。
子どもたちに良心の声があることを意識させなさい。
20/12/65
でも、本当の自分は、あかんで。そんなんしたらあかん。やめときや。って言うてるねん。
しかし、心が欲望や復讐心、性欲、貪欲、傲慢、高慢、プライドなどで汚れているから耳を傾けることが出来ないんじゃ。

ヨシオ:また、いっぱい出て来たな。それやったら俺にも言えるで、嫉妬に、失望、それと執着、妬みに憎しみ、ディズニーランド。

ポニョ:何やねん最後のディズニーランドって。

ヨシオ:だって、あんたさっき、ディズニーランドは奴らが、コントロールしてるやから、あかんて言うたやんか。

ポニョ:おいらあんたとおったら、何を話してるか分かれへんようになって来たわ。
そや、思い出した。自分の良心があかんって言うてるねん。でも死んだら人は魂となって身体から離れる。
それらの悪い性格は、身体に関係していることやから、身体が滅んだと同時に何処かに行ってしまい、自分の今までささやいてきた良心の声が、コンサートのボーズのでっかいスピーカーの横に立っているみたいによく聞こえるんや。

ヨシオ:それちょっとうるさすぎるのとちゃうか。

物質、生命力そして良心を一つと見なしなさい。
常に真実を告げる良心の声に注意していなさい。
良心の声に従えばあなたは決して誤った道へ迷い込むことはありません。SS21/1/93

ポニョ:その時、今までささやいて来た良心の声は、実は自分自身の声やった。って気付くんや
それって、めちゃ怖いと思えへんか。

ヨシオ:怖い怖い。絶対怖い。

ポニョ:その時、人はものすごく後悔するんや。だって、自分が自分の良心の声に従わなかったおかげで、人に迷惑、社会に迷惑、国に迷惑をかけたということを実感認識するんや。
しかも、霊になったら、想念が手に取るように分かるから、その時に傷つけた相手の苦しみや、悔しい思いまで遡って分かるんやで。
だから、もういっぺん地上に戻って今度は、お天道様を見て生きて行こう。
迷惑掛けた人には、次の生でお返ししよう。悪うございました。
あっしの為に、こんだけ迷惑をかけやした。どうやってこの罪を償うたら良いか分かりませぬが、もう一度でも、二度でもいや、千回生まれ変わっても償わさせて頂きやす。
と言って、ものすごく後悔するんやで。

ヨシオ:なんで、突然時代劇みたいなしゃべり方するねん。おもろいな。あんた。

ポニョ:それでも、カルマを支払い足りない時は、自分が身障者になってでも、精神障害者となってでも、人から蔑まれ続ける人生であっても、その生の最後の一瞬まで耐え抜いてカルマを支払うんや。
と後悔して、誰でも自分で自分の次の生を決めて、生まれ変わって来るんや。だから、地獄で罰を与えるのは自分自身や。
後悔して後悔して、泣き叫ぶ場所が地獄や。

真理は純粋で汚れのない心から、良心のささやきとして聞こえて来るのです。SS3/96p, 70

良心のささやきが、聞こえますか〜
御仏の心の痛み分かりますか〜
物質文明花ざかり
カリユガの悪のその中で
真理の叡智に触れるため
私は、御仏求めます
ナミアミダブツ唱えます

(Sainatha Bhagavan Sainatha Bhagavan のメロディで)

自分のカルマによって、次の生の人生や、身体が五体満足か、裕福か、ええ配偶者か、子供はどんな子が出来て、ええ子かどうか、長生きするか、早死にするかはさっきも言うたように、全部もう生まれる前に決められてるねん。
この世にあんたらが生まれて変わってくる前に決められてるねん。
だから、この世を幸せに生きるコツは、どんな事、たとえそれが受け入れられないぐらい苦しいことであっても、なるべくしてなってるという確信を持って受け入れて、生きる事や。
それと、新しいカルマを作らん様に、人からされた悪い事はすぐ忘れる。そして、人にしてあげた良い事もすぐ忘れる。
逆に、人から良い事をしてもらったらいつまでも感謝の気持ちを持って、忘れない。自分が間違ったことをして人を傷つけたら、もう二度と同じ間違いを防ぐために忘れない。
という、二つの忘れると忘れないを人生の伴侶として行きて行けば、おいらのような素晴らしい人生を歩めるのじゃ。

ヨシオ:ちょっと質問。

ポニョ:はい、どうぞ。

ヨシオ:ポニョさんの人生が素晴らしいんやったら、誰も今、あんたが言った事を守って生きないと思いますが…。

ポニョ:あのな。君。おいらと友達でいときたかったら、もうちょっと遠慮して喋ってくれますか。
ヨシオ:怒っちゃたの。それやったら、今言うた事に、‘人から言われた悪い事はすぐ忘れる。’も、付け足さなあかんね。

ポニョ:あのね…。(汗)
君もおいらとずっと良い友でいたいなあ、と思ってるみたいやね。

各人は神聖なエネルギーを与えられています。
それを正しい目的の為に用いなさい。
良心の命ずるままにしたがって、力を正しく用いねばなりません。
良心が満足する時、エネルギーは神聖化されます。
今日人々は神聖なエネルギーを利己的な目的の為に誤って用いています。18/12/95

満員電車の中で白蛇を逃がせばどうなるの

ポニョ:おいらが子供の頃よく大阪城公園に行ってよく遊んだな。まだまだたくさん自然があって、ベニトカゲや赤とんぼ、芋虫、尺取り虫などを捕まえてきて家に持って帰って来て親に怒られた事があるな。

ヨシオ:その頃、大阪も自然がいっぱいあったな。道路もガタガタで雨が降ったら水溜まりがいっぱい出来て、それに太陽が映ってキラキラして綺麗やったな。それに川や運河がどこに行ってもあって、オニヤンマも時々飛んでたよな。俺は、天神橋筋商店街で育ったから自然なんてポニョみたいに周りに無かったけどな。
公園って言うたらその当時、木が全然無い扇町公園だけやった。
家の前にあった大きなセメントで出来たゴミ箱のゴミを取りに来てくれた後にたくさんウジ虫がわいていて、それを捕まえてきれいに洗ってペットにしようとしていたら近所の人に「よしぼん汚い事やめなはれ。」と怒られたのを覚えてるな。

ポニョ:なんちゅう不潔な事をしてたんや。そんな話は聞いたことがないな。

ヨシオ:子供やったし訳分かれへんもんな。城北公園に市電に乗って行って淀川のわんどみたいになっているところで、ドンコとかタガメ、タニシなどの小動物を捕まえて来て家で飼ったことがある。

ポニョ:ドンコってドンコにいてる魚やねん。

ヨシオ:ドンコ知らんのか。淀川の汚い水でも住めるタフな魚なんや。ポニョは丹後のきれいな水の川しか知らんもんな。
小さい黒っぽい魚で、ポニョ見たいな大きな口をしてる魚や。ナマズ見たいな形をしてるんや。それを水槽に入れると小さい石を大きな口を開けてくわえながら巣を作り始めよるんや。
一日中見てても飽きなかったな。

ポニョ:おいらのホームグランドである兵庫県出石川上流でサンショウウオは見たことがあるけどな。
こうしてあんたの話を聞いてると、君とは子供の頃の遊んで来た環境のレベルが全然違うよな。可哀想な奴やったんや。
同情したげるわ。
ウジ虫をペットやて...。涙がちょちょぎれるわ。
でも子供の頃って一日が長くって、毎日楽しかったな。どんな小さい事でも興奮して、冒険やったな。

ヨシオ:俺も、夕方になって誰もいなくなった工事現場に潜り込んで、近所の悪ガキのグループと一緒になって秘密基地を造り、対抗するる悪ガキグループと粘土の塊を投げ合いして遊んだな。
銀玉鉄砲という小さな玉が飛ぶピストルがあって撃ち合いしたり、放課後は商店街を歩いている人を店の陰から狙い撃ちして遊んでたな。多分千人以上は殺してると思うわ。

ポニョ:あんたはほんまに悪ガキやったんやな。でも面白そうやないの。子供って罪が無いよな。そんな悪い事をいっぱいしていても、楽しかったな。

ヨシオ:子供の時は真っ白なきれいな心を持ってたな。ある時いつも下校の時に通る神社の境内で見る長い二メートルぐらいの白蛇が雨で道の横を流されてるのを見つけたんや。
可哀想やからすぐに拾いあげて、助けたったんやけど、このまま離したらまた雨に打たれて寒いやろうと思って傘をたたんで、ちょっとの間この傘の中に入っときや。と言って自分は雨に濡れながら蛇を傘に入れて歩いてたんや。それから環状線の電車に乗ったんやけど、ちょうどラッシュの時間に引っかかっていて人でいっぱいやったんや。
でも、白蛇は電車の中に入ると暖かくなって来たんで、たたんだ傘の中で、もぞもぞ動き出してきたんや。
電車の中の方が気持ちよかったんやろ。白蛇さん出て来るか?この俺たちが立っている床の下に電車のモーターがあるから温もるで。出て来るか。気持ちええで。と言ってたら傘の中から出て来たんで外に出したげたんや。そのあと、どうなったか分かるやろ。

ポニョ:パニックになったやろ。満員電車の中にいきなり白蛇なんかもぞもぞ這い始めたら。

ヨシオ:みんな叫びまくって逃げまくってたな。満員電車が突然、俺と蛇の周りだけ誰もいなくなった。俺は、なんでみんなワーワー言ってるのか分からんかったな。
今から思い返しても本当に子供って罪が無いよな。
きれいなキラキラした心を持ってるよな。

ポニョ:サイババさんが子供の心を持ってるって分かるぜよ。

ヨシオ:俺の知り合いに、二人の娘さんがいるサイババの帰依者の夫婦がいたんや。
長女の方は知恵遅れで世話がかかって、横で見ていても大変やなぁと同情してしまうんやけど、三つになったばかりの下の娘さんは逆に、とても頭がきれて良く気が付くテキパキとした子供さんでとてもサイババさんの事を愛してるって分かるんや。
というのも、バジャンをする時に祭壇を作るんやけどそこに置くババの写真を見て嬉しそうにニコニコしてるんや。
それでまだ小さいのに両親の手伝いをしてお姉ちゃんの世話もしてたんや。
両親も、その次女さんの事を誇りに思ってられて、バジャンの時も大きい声でいろんな歌を歌わせたり、ヴィブティをみんなに配らせたり、とても可愛いみんなのマスコットみたいな娘さんやったんや。
それで、ある日両親は二人の娘さんを連れてサイババさんのところへ行かれたんや。
次女さんはとても喜んでサイババさんに見せるんや。と言って自分がダルシャンの時に着る服を選んだりしてたんや。
そして、いよいよダルシャンに出たんやけど、初めて本当のサイババさんを見た途端、その次女さんの顔が大きく光輝いたまま何も話さなくなってしまったんや。
笑い顔のまま目を、大きく開けて黙り込んでしまい、そのうち高熱を出し慌てて医者に連れて行ったんやけど、しばらくして亡くなったんや。
両親は娘さんの遺体はチットラヴァティ川の河原に埋めてそのまま帰ってきたんや。
それにババはその夫婦に一度もインタヴューの機会を与えられなかったんや。
インドから帰ってきた夫婦に慰めに行ったんやけど、それはそれは夫婦の落ち込みようは酷かった。
お父さんは仕事を辞職して家に引き込まれたな。
特にその娘さんはお父さんっ子やったから、お父さんはいつも娘さんと遊びに行ってた森の中に一人で入って、娘の名前を大きな声で呼びながら一日中泣いておられたな。俺も何と言って慰めていいか分からんかったし、苦しかった。
だって、十五歳までに亡くなったらもう生まれ変わらないっていうサイババさんの教えも知っておられるし、子供に対する愛情は情愛で一種の執着心やって事も知っている人に何をこれ以上言える?

ポニョ:それは、難しいやろな。時間が解決するしかないやろな。

ヨシオ:そう思って俺もその人の家に足蹴に数年に渡って何回も通ったな。実は、その家族は三百キロメートルも離れた山の中に住んでるんや。でもそこに行くたびに、だんだん生活が荒れてるのが見えるんや。
祭壇もサイババさんの写真も無くなっていて、もうサイババなんかやめたと言っていたな。
一時期マリファナ漬けになってた。でもそのあと少し持ち直して、奥さんがサイババさんのところにもう一度行く気になったんや。
それで俺たち家族と一緒にインドに行き、幸運にもサイババさんがインタヴューに呼んでくれたんや。でも、その奥さんは何もババに質問されなかった。ババは俺たち家族にはいろいろ話されたんやけど、その奥さんには何も話かけられなかったな。でもインタヴューが終わってから、その奥さんがニコニコされていたので俺は精神的に少し助かった。後で話を聞くと、サイババさんが心の中でいつでも必要な時に話しかけてくれるようになったと言って喜んでおられたな。
この試練を乗り越えられて偉いって褒められたらしい。
そしてお前たちをもうひとつ上のレベルへ連れて行ってあげるとも言われたんや。
俺は、その家族はそれぐらい高いレベルにいるんやなて分かった。ババと肉体のレベルで繋がっていなくても霊的なレベルで繋がる方が霊的なレベルは高いんや。だから、ヒマラヤの洞窟から出て来た聖者は、ババがダルシャンで歩いている御姿を見ただけで満足して何も話さずに帰って行くんや。でも、心の中では充分な繋がりが出来ているんやけどそれは他人には分からないんや。

どのような子供が死ぬと生まれ変わらなくてもよいのか?
それは、病気等で亡くなった子供の両親が健康で病気ではないこと。
その子供自身も、なんら先天性の病気も無く健康で生まれたこと。
もしそのような子供が死ぬとその子は生まれ変わってこないのです。
15歳までは貪欲、怒りなどは子供たちの心を毒さないので、15歳になるまでは健康だった子供が死んだ場合、その子は生まれ変わってこない。

ポニョ:それで、その次女さん亡くされた家族はどうされてるんや。

ヨシオ:一番最後に会った時は立ち直られていて、大工さんの仕事を始められていたな。でも、こんな事を言ってた。この世から得られる幸せは全て一時的なものやということがよく分かったって。
今は、年寄りや困ってる人の家を施しだけのお金をもらって修理するのが楽しみやそうや。
その年寄りの中に神さんが見える。神さんと一緒になった娘がお父さん良くやってるねって言ってるのが分かるって言ってた。
そして、俺に今まで友達でいてくれてありがとう。僕はもう大丈夫や。神さんがいつもどこでも誰の中にでもいてるって分かったから嬉しい。いつも神さんと一緒やってよく分かったから幸せなんや。と言っていた。
もう仙人みたいになってたな。
世俗にまみれた俺たちより、ずっと上の高いところにおられたな。

ポニョ:本当に頭では分かっていてもそういう自分の子供の死をさっと受け入れられる人って少ないよな。

ヨシオ:多分その次女さんは前世は聖者で、ほんの少しだけのカルマを持って生まれて来たんやろな。ポニョや俺たちは長生きしそうや。

もしヨギがいくばくかのカルマを持って生まれ変わってきた場合、その魂が子宮の中にいる間や,子供時代を不憫に過ごすなどして短期間にカルマを支払ってから死ぬ。
その場合,それが最後の生まれ変わりとなる。

子供は愛と至福で溢れています。成長すると、子供はおもちゃを愛し始めます。
それから遊ぶことを愛し、徐々に友達を愛するようになります。
青年になると人生の伴侶を愛し、次に自分の家族を愛し、次第に職業や地位や財産への愛を持つようになります。
このように愛は様々な方向に流れるに任され、その為に愛は薄められ、ついには執着へとなり下がってしまうのです。

“子供は神の申し子と言われています。
子供のうちは、憎しみや怒りや嫉妬に駆られることはありません。
イエスは、子供にはどこにも悪いところが無いのだから、子供は神のようだと言っています。
子供のうちは、心にも身体にも何も悪いところはありません。
悪い心からおこる悪い感情が無いから、子供は美しいのです。
大きくなるにつれて、子供達に少しずつ悪い性質が身についてきます。そうなると、子供の持っている美しいものが失われてしまいます。
悪い心は、悪い言葉と悪い行いとなって、子供の美しさを無くしてしまうのです。
人の持っている美しさは、少しずつ無くなっていきます。

良い子はウジウジしないよ

ポニョ:先日の記事であんたがウジ虫をペットとして飼ってた話が、結構受けてたで。ほんまに可哀想やな。都会の子供は。

ヨシオ:箱の中に二十匹ぐらい入れて土や残飯を餌として与えて秘密で飼ってたんや。
見つかったら怒られるからな。すると、そのうち全然ウジ虫がいなくなったなと思ったら、小さい小豆みたいな赤っぽい色の殻の中に閉じこもってしまいよったんや。
今まで、毎日餌をやってモソモソ動くのを見てるのが楽しみやったんやけど、急に動きがなくなってしまったんや。
しばらくすると、殻から小さいハエが出て来よった。
そして、折りたたんである透明な羽を後ろ足で器用に体を捻じりながら伸ばして行きよるんや。
その動作が面白くって笑ってしまったな。そして、あっという間にサヨナラも言わずに飛んでいきよった。

ポニョ:サヨナラって言うわけないやろ。でも、ようそんだけ観察してたな。ウジからサナギ、そしてハエやて。信じられへんな。きったね〜。ここもなんか臭ってきたな。あのね、もっと何か違う昆虫おれへんかったんか。あんたの周りに。

ヨシオ:ゴキブリは、いっぱいいてたな。女郎蜘蛛とかな。あと、丸虫も探したら土の中におったけどな。でも、観察しようとしてもすぐにクルクルと丸まって面白くなかったんや。無理やりこじ開けたら死んでしまいよったな。
ミノムシも捕まえたけど、箕の中に入ってしまって出て来よれへんやろ。俺、長いこと待ってたけど出て来ないから、とうとう癇癪を落として、一枚一枚ミノムシの箕を剥いてたんや。そうしたら、細い芋虫の痩せやような奴が震えて入ってたな。身ぐるみ剥がされてよっぽど寒かったんやろな。くしゃみしてた。

ポニョ:するわけないやろ。

ヨシオ:その点ウジ虫は、きれいに洗ってから飼ってるから大丈夫やで。白くて、くねくねして可愛いもんや。黒っぽい口がちょんととんがっていてそこからモソモソと何でも食べるんや。それに触ったらふわふわで、気持ちええしな。机の上に並べてレースもして遊べるで。面白いねんこれがまた。そして、夏休みの自由研究でハエの観察という題を付けて、絵も描いてたんや。俺が小2ぐらいやったかな。大体二、三週間ぐらいでうじからハエになるで。ポニョも夏休みの自由研究にピッタリやと思えへんか?

ポニョ:思いません。知ってるか。ハエってとても繁殖力があって、もし一匹も死ねへんかったら半年で二匹のハエが地球の表面を高さ150メートルまでびっしり覆うぐらい増えるんやで。

ヨシオ:そんなに増えるんか。すごいな。隠れて飼うていたんやけど、ある日お袋が自由研究の絵を見つけたんや。「あの〜。ちょっと、世潮君。これはひょっとしたら、ひょっとしたらですか?」

「ハエ。そうです。ひょっとせんでもハエの絵です。セミに見えますか。ゴキちゃんに見えますか。トンボには見えんでしょう。」

「見えません。立派なハエの絵に見えますね。ところでこの絵は何をもとにして描いたんですか。この家にうじちゃんとかがいるんでしょうか。そして世潮君はそれらをどうするつもりなのでしょうか。」

「夏休みの自由研究としてうじごと学校に持っていきます。絵は上手く描けてるでしょう。」

「あのな、世潮。ええ加減にしなさい。何がハエの研究や。そんなんを学校に持っていったら、私が母として恥ずかしいわ。父兄懇談の時に先生に一言、苦言を言われるやないの。ハエの観察は不潔ですよ、お母さん。って言われるわ。あんた、どこでそんな汚いものを飼ってたんや。どっかに捨てて来なさい。」と言ってこっぴどく怒られたので、仕方なく諦めたな。一匹一匹名前まで付けてたんやけどな。その代わり天神祭の夜店でクワガタ虫と兜虫を買ってもらったわ。
でも、二匹をいつも喧嘩させて遊んでたから、二匹とも甲羅がボコボコになって死んでしもたな。ポニョはどっちが強いか知ってるか?


ポニョ:そんな事知りませんです。あのね、君。どうして喧嘩さすの。甲羅がボコボコになったって。可哀想やないの。ようやるわ。ほんまに。信じられへんな。あんたはほんまに都会っ子やったんやな。

ヨシオ:その代わり、阪急百貨店の屋上のゲームは誰にも負けへんかったな。アイススケートも上手かったで。

ポニョ:こうして今、おいらのような素晴らしい子供時代を送った御曹司が、あんたみたいな不遇な子供時代を送った奴と友達付き合いしてるのが信じられへんな。

ヨシオ:どこが御曹司やねん。座敷童みたいな顔をして。サイババさんも、手のひらの上に小さいローラーベアリングを置き、それを銀紙で包んでクルクル回しながら、それをお母さんのイシュワランマさんに見せながら、中で虫が忙しそうに走り回ってるで。と言ったらイシュワランマさんは可哀想に早く出したげなさい、と言ってまともに虫のことを心配されていたな。

ポニョ:本当に昔の人は心がおいらのように純真やな。どっかの都会の子供とえらい違いや。

ヨシオ:また、黒色っぽい床の上に黒い糸を置き、それにババの写真をくっ付けたマッチ箱を繋いで、汽車が並んで走っているように見せかけたトリックをサイババさんに見せたところ、子供のように興奮して大きな声を上げて、どのようにして動かしてるの?早く教えて!と言われたので、今回は私がマジックマジックをかけて動かしているんですよ。とおちょくったら、僕にもやらせてと言って、まだ見てない人たちを呼んで来て、さあご覧あれ、サイババのマジックショーの始まりです。と言って得意そうに黒い糸を引っ張っておられたんや。
そして、皆が驚いて見ているのを見ながらすごいだろうと言って、得意そうに腰に手を当てておられたんや。

ポニョ:ほんまに子供と一緒やな。それってまるで純真無垢な田舎の子供やんか。

ヨシオ:その通りや。それが神さんや。そのような昔、誰でも持っていた子供の心を俺たちも取り戻さないかんな。それが神への道なんやろな。それに、お母さんがババに輪をかけたぐらい純真な心を持っておられるんで、ババとお母さんの会話や口論を聞いているととても面白いんやで。

ポニョ:それは面白そうやな。でも、どんな風な会話になるか大体予想はつくけどな。

ヨシオ:ある時、ババが幾つかゼンマイ仕掛けのおもちゃを持っておられて、それらのゼンマイをいっぱい巻かれ、シンバルを叩くお猿や、逆さ宙返りをするピエロや汽車などの全てのおもちゃを一カ所に集めて動かしたんや。

ポニョ:そんな事をしたら、全部がぶつかり合ってグチャグチャになるやんか。

ヨシオ:そうやねん。それを見てお母さんは大笑いをされて、その中のお猿さんのおもちゃを孫にあげるからちょうだいな。と言われたんやけど、ババは、これだからあなたに見せるのが嫌だったんや。と言われて全てのおもちゃを膝の後ろに隠されたんやけどお母さんは、あんたはもう大人やのになんでこんなオモチャがいるんや、と言って全部持って行かれたことがあった。

ポニョ:本当や。いつまで経っても子供やな。

ヨシオ:また、貧しい人用に配るサリーがババの部屋に積んであるのを見て、お母さんが私にも一つちょうだいと言われたんだけれど、ババは、お母さんはもう充分持っているでしょう。きれいなサリーをいつもタンスにしまい込んだままで全然着ないのに、新しい物を欲しがるって良くないでしょう。あなたはケチだから。と言って渡されなかったりすると、お母さんはすねられて部屋を出て行こうとするとババはお母さんの鼻をつままれて坐らせた後、もっと奥から別のサリーをプレゼントされたことがある。そして、二つあるうちの一つだけ選んで持って行ってもいいよ。と言われたのにお母さんは二つとも持って行かれたんや。そのあとババは、一つだけあげるって言われたのに、二つとも持って行きよった。と嘆かれるふりをされたこともあった。

ポニョ:こういうやりとりを聞いていると、その辺の親子と同じやな。なんか親しみを感じるぜよ。
ヨシオ:お母さんのババに対する愛はとても深くて、ババがダルシャンを与えるために人々の間を歩かれる時も、悪い人がいるかもしれないのに人混みの中を歩かないように心配されていたな。
ババはこの世には、ラーマの子孫もいる反面ラヴァナの子孫もいると言われたことがある。

ポニョ:そら、お母さんにして見たらいつまで経っても子供は子供やもんな。

ヨシオ:そして、ダルシャンから帰って来られたサイババさんはお母さんに、「何ともなかったでしょう。誰も私に指一本触れることさえ出来ないのです。彼らはどうなったと思いますか?毒歯を抜かれた毒蛇のように大人しくなって私の召使いになったんですよ。」と言われたんや。
そして、とてもサイババさんの事を心配していたお母さんを抱きしめられたんやで。その場でそれを見ていてた人は、ババのお母さんに対する深い愛情に感動して涙したんや。

ポニョ:すごいな、神様に誰も対抗できる奴なんてこの世には存在してないもんな。だって、ラヴァナの子孫の中にも神さんがいてるもんな。

ヨシオ:不思議なことにお母さんが亡くなってからも、ババに対するお母さんの愛情や母としての心配事は変わらず、ある日、ババが二階の御自分の部屋におられた時、お母さんの霊がやって来て、ババにダルシャンであなたはハンカチを人から受け取って口を拭ったりされますけど、ある人がそのハンカチに毒を塗っているので注意して下さいと言われたんや。
また、ローブの下に着けているドーティの紐が長すぎるので替えなさいと言われたんや。

ポニョ:それって、おいらも御講話で言われたのを読んだことがあるっちゃ。公共の場で言われるって事はそういう事をする輩が本当にいるってことやな。どうしようもないな。ラヴァナの子孫か?
ヨシオ:これも全部、ババのこの世でのお遊びの一つやからカリカリ来なくても良いんだってばよ。

決して自分の母親の愛を忘れてはなりません。母の愛は最高です。
子どもの中にある神聖な思いは、唯一、母の愛によって発達します。
気高い性質を備えた母親のいるところには、必ず平和と繁栄がもたらされるでしょう。”

“母親の気高い考えに従って人生を送るとき、あらゆる苦しみは取り除かれるでしょう。
他の人のことは尊敬してもしなくてもかまいませんが、自分の母親のことは必ず尊敬しなければなりません。
人は自分の母親の愛を勝ち取るために一生を捧げるべきです。
母の愛にはつねに私心がありません。
私たちはそのような愛を育めるようにならなければなりません。
どこに行こうとも、何を見ようとも、母の愛という祝福があってこそ繁栄を得ることができます。母の愛を勝ち取れないまま神の恩寵を勝ち取ることを望むことなどできますか? そんなことは出来ません。”

“人には皆、母親がいます。母を喜ばせることなく、その愛を受け取ることもない人は、真の息子ではありません。母を敬うことは、子どもの最大の義務です。”

愛がいっぱい無料の病院

ポニョ:おいらこんなに、自然が好きになったんも、あの亡くなられた幼なじみの親父さんのおかげやねん。

ヨシオ:そうか。残念やったな。それで死因は?

ポニョ:胃がんやねんけど、絶対病院には行けへんと、言い張って家で亡くなりはったんや。あの親父さんらしいは。

ヨシオ:ガンの治療拒んで在宅で最後の時を迎えるって増えてるらしいな。

ポニョ:そうやな。日本のガン治療に警報を鳴らしてる人が増えてきたね。
ガンになったら病院行くなとか。

ヨシオ:何やそれは。

ポニョ:つまり、末期ガンになったら、身体から自然にモルヒネのような化学物質が出るから痛く無く死ねる。とか、いろいろ言うてはる。

ヨシオ:そりゃええこと聞いた。俺も昔、医者と大げんかしたことあって、叔母がガンになって何度も手術して、もう切ったり貼ったりは嫌やと言うてんのに、まだ手術しようとするんや。
それで治ったらええけど、もう手遅れで延命治療という奴や。
俺は、頭に来て医者にもう止めたれや。って言うたんや。
その医者は治療するのが私の義務や。って言うんや。
だから治療ということは治るかもしれん。という前提条件があるのと違うのんか。
ほんならこのケースは、1%でも治る可能性はあるんか。と聞いたら無いと抜かしやがった。
このガキ!と思って怒鳴ったたわ。
見舞いに行っても叔母が可哀想やった。手術ばっかりで。
ある日、病院抜け出して、突然俺の家に来られたんや。
座敷に置いてある俺の親父つまり、自分の兄の仏壇に手を合わせて長いこと拝んではったわ。
あの医者によっぽど腹立ってるのか、私があとであの医者に思い知らせたる。
あの分からず屋の医者のために、これから何人の患者が私みたいな思いをするか。
一度鼻の骨、へし折ったらな分かれへんからな、あの医者。と言って次の日に飛び降り自殺したんや。
しかも、病院の目と鼻の先の大阪城から。悲劇やで。ほんまに。
医者は俺に、あの時はすみませんでした。と謝りにきよった。けど後の祭りや。

ポニョ:ほんまに今の医療制度、どっか間違うてるの。金儲け主義やからのう。

ヨシオ:叔母の時も、叔父は手術の度に十万円単位の現金を袖の下から、泣きながら家内のことお願いします。と言うてその医者に渡してたで。
その医者、ポーカーフェースで当たり前のようにして受け取ってたわ。
人の弱みにつけ込んで、ろくな死に方しよれへんぞ。あの医者。
でも後で謝りきたのは偉い。俺は許す。

ポニョ:そんな簡単に許すなよ。あんたは。もう…。
最近読んだ本で東大の集中医療室長の矢作直樹先生の本が素晴らしいわ。

ヨシオ:あ、それ聞いたことあるで。「人は死なない」とかゆう本やろ。何でも霊とか、魂を信じてられるお医者さんらしいな。

ポニョ:日本にも、やっとまともな医者が出てきたな。という感じやね。

ヨシオ:そう。身体だけでは説明つかん病気や症状、沢山あるもんな。
やっぱり、霊の事わかった医者ってこれからも、活躍される場が増えてくるで。
特に、末期ガンの心のケアとか。わりと日本では、輪廻転生とかカルマの法則とか、さっと受け入れられる人が多いやろ。このような医者がもっといててもええぐらいや。
こんなタイプのお医者さんが出てくるのが遅すぎたぐらいやなあ。

ポニョ:こんな医者が、日本で大手振って歩けるようにならへんと、まだまだっていう感じやな
何でってまだこのお医者さん日本では変わりもんと見られているやろ。
この医者の言葉にちょっと耳を傾けてみ。こんなええこと言うておられるんじゃ。

「摂理によって人は生かされており、肉体は滅んでも霊魂は永遠である。」
「亡くなった人の霊に、いつも自分は見守られている。」
「そのように考えれば、生きている限りは感謝の気持ちを持って生きられ、死に直面してもあわてずに済むのではないでしょうか」

こんな医者おれへんで。ちょっとそこらに。

ヨシオ:どう言うわけで、こんな俺たちのような、変な考え持つようになったんやろうな。

ポニョ:あのね。変な考えというのは、余分や。おいら達がまともで、世界が無知なんや。

ヨシオ:そうやな。そういうふうに言われたら、ちょっとは自分に自信が出てきたわ。

ポニョ:何ぬかしてんねん。自信の塊みたいな男が。
この人も、山とかで何回か危ない目にあって幽体離脱体験してるみたいやで。

ヨシオ:やっぱり、俺たちのお仲間やんけ。

ポニョ:向こうは、嫌がるやろうな。特にあんたとじゃ。

ヨシオ:何か言うた?最近耳が悪うなって聞こえへん時もあるねん。許してな。

ポニョ:都合の悪いことは聞こえへんねんやろ。相手にできんわ。もう、ほんまに。でも、もっと増えて欲しいね。こういう医者。
ほんなら 、あんたの叔母さんも自殺せんで良かったかもしれへんな。残念や。

ヨシオ:その点、インドのサイババ病院は最高やね。医者も看護婦も愛でいっぱいやし。
心臓手術まで無料なんやろ。そんな病院世界にないで。
手術後の食事のことも一人一人の患者に合わせて給仕してくれる。
患者を病院で待ってるだけ違うで。
治療用の器具をのせたバスで、病院に来られへん患者に巡回治療までしてんねんて。
全部、ただや。

ポニョ:それってすごいよな。

ヨシオ:でもどうやって、出費を賄ってるんやろ。

ポニョ:それは、信者からの寄付金を銀行に預金してその利息で賄うとるみたいじゃのう。

ヨシオ:一度、中に入った事あるけどめちゃ清潔やで。ボランティアがいつも来て掃除するんやて。廊下に顔が映ってたわ。
トイレもピカピカや。
何と言っても、医者も看護婦も働いている人がニコニコして輝いているから、患者までニコニコしてる不思議な雰囲気やったな。
サイババさんは、あと千年間この病院は人々に奉仕するって言うてはったな。

ポニョ:すげー。

ポニョ:同じ病気になって、医者にかかるんやったらそんな病院に行きたいよな。

ヨシオ:それこそ、正真正銘の妄想やで。

ポニョ:なんでや。

ヨシオ:しゃーかてあんた、今まで病気になったことないやろ。健康の化身みたいな身体やんか。

ポニョ:今度は、褒めてくれたんやろ。ありがとう。

ヨシオ:あんたええ性格してるわ。

ポニョ:また褒めてくれてありがとう。今日はなんか嬉しいな。

不幸にして現代では、一切の活動と職業は商業主義的な考え方と、金儲けをするという欲望によって汚染されました。
医師という神聖であるべき職業でさえ、ビジネスに下落しました。
医師は犠牲、愛、慈悲という三位一体の徳を持って患者の治療にあたらねばなりません。
しかし医師の中にはこれらの徳を全く備えていない者がいます。
彼らは医師という神聖な職業を金儲けの手段に悪用しています。
金は大切です。しかし金銭に対して分別を持ちなさい。
あなた方は金持ちからは正しい料金を徴収しても良いのです。
しかし、貧しい患者にはもっと思慮深く接しなさい。
貧しい人には無料で治療するように努めなさい。
百万長者と乞食とを治療費の面で一様に扱うべきではありません。
医師は神に等しい。という諺があります。
至高の神が愛と慈悲を持つように、医師も又、至高の神と等しくこれらの徳を持つように努めなければなりません。
それらの徳を持たぬ医師は、その者を医師と呼ぶことは絶対に出来ません。
〜医師が毎週二日間を無料診療の日として貧しい者に捧げる覚悟をすれば、人々はもっと健康になるでしょう。
21/1/94

演技が上手すぎてアカンデミー賞ものや

ポニョ:サイババさんの若かりし頃の話を聞いていて一番感じたのが、サイババさんがちょっと寂しそうやって事や。これは、ちょっと以外やったな。

君達と一ヶ月半に渡って一緒に過ごした日々を今から思い出してみても、僕の心が溶けてしまいそうになるくらい幸せになるんだよ。
それで、あのような幸せだった日々が懐かしくって、もう一度あんな風に過ごせればいいなぁと思うんだ。
君達がまたここに来てくれることを心から望んでるよ。

ヨシオ:特に、サイババさんが帰依者の人に出された上記のような手紙にそれが如実にあらわれていたよな。

ポニョ:そういや、あんたの息子さんが、なんで神さんが宇宙を創ったんや、と聞いた時にあんたが一生懸命答えていたけど息子さんは納得しなかったよな。
神さんは宇宙を創る前は一人やったから寂しかったんや。だから宇宙を創ったんや。なんで大人はそんな事が分かれへんねん、と言ってたな。

ヨシオ:そういやそんな事もあったな。あいつがまだ子供の時やったな。

ポニョ:子供はきれいな心を持っているから神さんの気持ちが分かるんや。

ヨシオ:だんだん大人になるに連れてそういう純粋な心が汚れて行くんやな。俺の近所の知り合いが、子供の事を考えて色々な世話を良かれと思ってやっているんやけど、子供が小さい時は素直に親が言う事を聞いてくれるけど、大きくなってきたら生意気になって来て難しいと言ってたな。
ポニョ:フィリピンのフォークソングでそんな歌があったよな。
確か、「息子よ、」というタイトルやった。

ヨシオ:そうやったな、懐かしい。何か哀調を帯びたええ歌やったな。俺たちがまだ学生やった。確かお時さんも歌ってたよな。

お前が生まれた時 父さん母さんたちは どんなに喜んだ事だろう
私たちだけを頼りにしている 寝顔のいじらしさ

ひと晩中 母さんはミルクを あたためたものさ
昼間は父さんが あきもせず あやしてた

お前は大きくなり 自由がほしいと言う 。私たちはとまどうばかり

日に日に気むずかしく 変ってゆくお前は 話を聞いてもくれない

親の心配見むきもせず お前は出てゆく 。あの時のお前を 止めることは
誰にも出来なかった

息子よ お前は今 悪の道へ走り 荒んだ暮しをしていると聞いた

息子よお前に何があったのだろうか 、母さんは ただ泣いている

きっとお前の目にも 涙があふれているだろう。

一番目の歌詞しか覚えていないけど確かこんなんやったな。

ポニョ:この歌に、二番目の歌詞てあったんか。一番目でこんなに悪ガキになってるんやから、二番目の歌詞まで有ったら相当の悪になってるやろな。三番目まで有ったらそれこそヤクザの抗争の歌になるで。

ヨシオ:あのな、もうええってポニョはすぐに一人芝居の世界に入って行くからな。
放蕩息子の歌か。神さんから見たら俺たちもこの歌の放蕩息子みたいやねんやろな。

ポニョ:おいらは、おとなしいええ息子やったけど、あんたは昔は、やんちゃそうやもんな。

ヨシオ:まあな。サイババさんの手紙を読んでいて、どうして僕がこんなにあなた達の事を愛しているのに分かってくれないんや。という悲壮な心からの愛の叫びみたいなものを感じるよな。

ポニョ:神さんはあのフィリピンのフォークソングに歌われている両親と一緒で、これだけ小さい時からあんたの面倒を見て愛して来たのに、どうしてその愛を分かってくれないんや。という思いを持っておられるんかな。

ヨシオ:インドまでわざわざ行ってダルシャンに出ても、手紙はとってくれないし、顔や目も見てくれない。もちろんインタビューなんてとんでもない。そういう状態が長く続くと落ち込んで来てサイババさんに反発したり、投げやりになったりして、もうサイババなんかやーめた。なんていう人を俺はたくさん見て来たな。

ポニョ:おいらもそんな人をたくさん知っているぜよ。

ヨシオ:そういうサイババさんの帰依者に対する態度は、なかなか簡単には理解できないけれど、でも全てその人の為に良かれと思ってやっておられるんや。ハートからの愛の行為なんや。
なのに、人々はサイババさんの批判を始めるんや。そういう態度を見れば直ぐにその人の神に対する帰依の心や信愛の程度がどれくらいか分かるよな。

ポニョ:人って自分の理解出来る範囲で他の人を判断するもんな。て言うか、自分の能力を超えたものに対して正しい判断なんて出来ないのは当然や。ましてや、神の化身の心を計るなんてトンデモの世界や。

ヨシオ:ラニマーさんという古い帰依者の方がこんな風にサイババさんに言われたって言ってられたな。

「あなたは(ここに)来て、それから帰宅途中の電車の中で考えていましたね。
『なぜ スワミはこのようなことをなさるのだろう? スワミに愛はないのだろうか? スワミの愛はどこにあるのだろう? まったく愛がない! 』そのようにあなたは心の中で考えていました。
これがあなたの最初の思いです。
そして二番目の思いは、『ああ! スワミは最善をご存知だ! スワミはどうすればよいのかご存知だ。どうして私がスワミに疑問を持つことなどできるだろう? 』そして、あなたは自分自身を慰めました。
しかしながら、そこには理解がありませんでした! あなたは理解することなく自分を慰めたので、悲しかったのです」
スワミは続けておっしゃいました。
〜あなたの二番目の思い、『スワミはすべてをご存知だ!』 を、最初に思うべきでした。
私に疑念を持ったあなたの最初の思い、『なぜスワミはこのようなことをなさるのだろう? 』は取り消されるべきでした。
私に疑念を持つことなど、誰にもできません。
理想的な帰依者は何も問うべきではありません。
あなたの二番目の思い、『スワミはすべてをご存知だ!』が正しい思いです。
それであなたの仕事は完結し、あなたは理想的な帰依者になります!
ですから理想的な帰依者になるためには、グルに一切疑問を呈してはなりません!」

自分の両親がどれだけの愛をもって育ててくれたのか、そしてどれだけ、今現在も愛でもって見守ってくれているのか分からないのが当たり前や。
それが子供であって神の心が分からん俺達なんや。
両親は、子供のためにはどんな事でも犠牲にする覚悟でいてるんや。
命さえ子供の為には惜しまないぐらいの愛を持っているのが両親やというのが分からんねん。
その心を子供に分かってもらえないってちょっと寂しいやろな。

ポニョ:それが、神さんの想いなんかな。おいら達も自分の若い頃を振り返ってみたら、親っていつもいろんな事に干渉してくるし、うっとうしかったなという気持ちを持ってたな。

ヨシオ:ちょうど、子供から大人になる頃って自分で何でも出来るようになるし、その限度も知らんから自由に飛び回りたい頃なんやろな。それを阻害するのが親やと思い込んでしまうんや。
でも、神さんって自分の中にいつもいて見守ってくれてはる。心の中の良心やからその囁きに耳を傾けやなあかん。

ポニョ:でも、若い時って異性やバイクや車などの世俗的なものへの関心が強くて、欲望に打ち勝つのんが難しいから自分の良心の囁きに声を傾けるなんてなかなか出来ないよな。

他人が褒めようとけなそうと、そんなことはどうでも良いのです。
自分の良心が自分がしようと思うことが善であるというなら、親族であれ友人であれ他の人がなんと言おうが前向きに進みなさい。
恐怖や脅威に屈服してはなりません。20/11/91

真理は純粋で汚れのない心から、良心のささやきとして聞こえて来るのです。SS3/96p, 70

“人間の内面には良心というものがあり、つねに正しいアドバイスをささやき、正しくない行動を止めようとします。人間はこの良心の声をほとんど黙らせてきましたが、それは神の声であり、その声を黙らせることはできません。”

あなたは毎日毎日、神の恩寵を享受しています。
神がこれまでずっとあなたのためにし続けている一切に対して、あなたはどのようにして神に感謝を示していますか?
神はあなたに何一つ要求しません。
しかしあなたは、感謝を表すことによって、自分の義務を果たさなくてはなりません。
恩知らずな人間は、残虐な動物より悪いものです。
あなたが人生で活躍できるのは、両親のおかげです。2/4/2003

良い仲間と交わり、良い思いを育てなければなりません。
嫉妬心や、怒りや、エゴをもってはいけません。
それだけではありません。他の人がしてくれた良いことすべてに対して、感謝の気持ちをもつべきです。
感謝はとても大切です。感謝の気持ちのある人は、どこにいても善果を得るでしょう。
中には、自分に良いことをしてくれた人たちすら裏切るような人もいます。
それは良いことではありません。
自分がしてもらった良いことには、たとえ小さなことでも感謝をすべきです。

ヨシオ:人の心の中に、その人の良心としておられる無相の神さんが俺たちのように肉体をとってこの世に降臨されているのが神の化身サイババさんや。
だから、サイババさんをダルシャンで見ることって、自分の良心、つまり本当の自分自身を見ている事なんや。

ポニョ:そうか。普段、欲望やエゴなどで心を汚していて、自分の良心の声なんか聞こえない人もサイババさんの御姿を見て、話し、その講話を読むってことは本当の自分自身、良心の声に向き合うって事なんやな。

ヨシオ:だから、この世にいろんな人がいてサイババさんについていろんなことを言っているけれど、それはその人が普段どれくらい自分の良心に向かい合って生きているかが反映してるんや。

ポニョ:ということは何か、つまりサイババさんの事を批判している人は、普段から自分の良心の声に耳を傾けず無視して生きている人って事なんか。

ヨシオ:こんな事をサイババさんが言ってられた。君は自分の時間も私自身の時間も無駄にしている。自分の父を尊敬せず、父に乱暴な口をきくと、君がここに来ても二人の(私との)時間を無駄にするという問題が起こるのだ。

この世に何も偶然はないんや。サイババさんが本当に神の化身で、しかも自分自身の良心であるって事を確信を持って生きている人は決してその帰依の心はぶれないんや。そういう人がババからインタビューを呼ばれなかっても無視されても全然影響はされない。
でも、大多数の人はそうではない。
だから、ババが帰依者の人たちに課されるテストであるその人の手紙を取らなかったり、無視したり、インタビューに呼ばれなかったりする事はその人が自分の良心の声を普段からどれぐらい無視したり、軽視したりしているかの反映なんや。

ポニョ:つまり、自分がどれくらい自分自身の良心の声に向き合って行きているかによってダルシャンでのサイババさんのその人に対する態度の違いが出てくるんやな。それって面白いぜよ。

ヨシオ:ひどい場合には、六回以上もババに会いにインドに通っている方がいるけれど、いつ行ってもちょうどその時に、ババがアシュラムから離れていて会えないという人を知ってるで。

ポニョ:それはちょっと酷いな。そういや、以前若かりし頃のババが、昔やからわざわざ遠いところ苦労してアシュラムまでやって来た人に対して話したくないし、見たくもないので、ずっと首を垂れて誰とも話されず、その人が帰るまで無視されていた話があったな。

ヨシオ:その頃は、多くても五十人程しか人がいなかったから、そういう普段、自分の良心を無視して生きている人が来ればババも大変やろな。その人が如何に、普段の生活で自分自身の良心の声に背いた生活をされているかを、無視することによって教示されてたんやろ。

ポニョ:そういや昔、ババがある地方都市で講演された際に、将来この同じ場所で、私はある人を皆さんの前で正すのを見る事でしょう。と言われたことがあった。それから、何年も経って以前よりも、もっともっと多くの人達が集まっている集会でババは、その集会に来ていた来賓の人が演説し終えてから、今、私の前で皆さんに対して立派な事を言って演説された人は、自分自身、自分が今言った、そういう理想的な生活から程遠い生活をしています。と言って懲らしめられた事があったな。

ヨシオ:俺たちがこの世に生まれ変わって来たのは、前世で自分の良心の声に逆らって生きて、正しい行為をせず過ちを犯して神様の試験に落っこちたからなんや。
だから、この世に生まれ変わって生きている人は誰一人例外なく何か欠点や悪い性癖を持っているので当たり前なんや。だから、ババがこの世に来ていつも遊んでおられるけれど、少し淋しさも感じておられるのは、この世にいる全ての人がエゴや、欲望などによって程度の違いがあるとはいえ、自分の良心である神さんを無視してしまう事なんや。

ポニョ:そうか、それでいつも寂しそうなんや。そういや、ババが若い頃にいつも一緒に遊び、結婚する相手まで見つけて世話をされ、その上結婚式で、ババがコンサートまでされた帰依者の人に、ババが君は結婚したら僕の事を忘れてしまうやろね。と寂しそうに言われた事があったな。

ヨシオ:ババは、君たちが神を求めてここに来ているけれど、実は神が本当の帰依者を探しているんだよ。と言われたことがある。この世に降臨されている限りババにとっても、エゴや欲望などが無い帰依者なんていないから、アヴァターが本当の帰依者捜すって蜃気楼を追っているようなものなんかもしれんな。
どこにも、神が求めているような真の帰依者何ていないのかもしれん。
もしいたら、その人は神様と一緒のレベルに達してる人やろな。

ポニョ:それに帰依者側から見ても、神と合一するには世俗的なものへの欲望を無くし、自分という自我意識を無くしていかないかんから、終着点に着くまで常に苦しい旅が待っている。

ヨシオ:神様も帰依者がいなかったら存在しない二元論の片割れを演じておられるから、帰依者も神様もこの世がある限りそのもう一つの片割れと一緒になって創造主ブラフマン、つまり全ては唯一つの「私」であると悟るまで、帰依者はまともに涙を流し、神様も寂しい思いをする振りをされるんやろな。

僕の子供よ。あなたがくれた手紙は、僕を幸せの海へ突き落として溺れさせたんだよ。
そして、その幸せの海の上を僕はこうしてまだ浮かんだままなんだ。
でも僕のハートは、僕自身の涙の中に沈んでしまったままで、ペンを動かすことも出来ず手は便箋の上で止まったままなんだ。
特に、チルマルラオさん達がここに来た頃のことが懐かしくって…。
だって、みんな僕一人をおいて帰ってしまうんだもの…それが、寂しくて僕はとても傷ついてるんだよ。

ポニョ:なんや、あの寂しそうな手紙やそぶりは演技やったんか。
ジーンと来て損した気分や。こんな話を聞いたら、なんか人生を真剣に生きるのがアホらしく思えてきたな。もう何があっても悩まんと楽しく生きよっと。ほんまに神さんってパーフェクトな俳優やな。人を騙して喜んでいる、やんちゃ坊主みたいやな。
この世にいる全ての人を騙せる素晴らしい演技ばっかりしてたらあかんデミー賞をあげるわ。

“神は宇宙の舞台監督であり、脚本家であり、俳優です。
神はあなたの姿をとって演じてさえいるのです。
神は批判する者であり、批判される者です。神は泣く者であり、泣かせる者でもあるのです。
それらが神の本質ならば、一体誰が神について何か断言できるような事を言えるのでしょうか。23/11/87

この世という舞台には、様々な登場人物がいます。
人々は、それぞれの役割をきちんと演じることを学ばねばなりません。
監督である神の指示通りに従った時にのみ、その、演技を完成させることが出来ます。
人生という劇において、登場人物が神の指示に背いてなす行為は何であれ、その人を価値のないものにし、孤独にさせます。
エゴと執着という二つの要因が、人が監督の指示に背かすのです。PD32”

“朝、目を覚ました時、至高の神によってあなたに割り当てられた役割りを演じる舞台劇に登場した、と思いなさい。
その役を上手く演じて神に褒められるように祈りなさい。
夜、眠りに着く時は、舞台を降りて自分の演ずる役割の衣装を着たまま楽屋に居ると思いなさい。なぜなら、おそらくあなたの役は未だ終わっていないので、衣装を脱ぐことを許されていないからです。
おそらく、あなたはまた翌朝舞台に立たねばならないでしょう。
何も心配はありません。彼の意思に従いなさい。
彼はすべてを知っています。
彼が劇を書いたのです。
そして、彼は劇がどのように終わるのか、どのように続いて行くのかを知っています。
あなたはただ、与えられた役割を演じて退出すれば良いのです。OCSp12”

なに〜!結婚の祝議に五百万円?


ヨシオ:実は、この世に起こる全てのことは悪の中に善を含んでいるという意味で良い事なんだ。絶対的な悪ってこの世に存在しないんだ。
つまり、人は悪を見たり経験してこれではあかん。と反省して善の方に顔を向けるんだ。
そういう意味で、悪も善の内って事。

ポニョ:そういう意味で、現代の世界はとてもおかしな事になっているな。

神のなさり方についても、私たちは不愉快なことを経験します。
私たちは善の内側に悪を見つけることが出来ます。
神の行為は善悪の組み合わせです。悲しみがなければ誰も幸福に価値を見出さないでしょう。
その為アヴァターの降臨する前には、この世で損失や悲惨さや、困難さが先行するのです。21/5/95

ポニョ:世界が複雑すぎて何が間違っているのか。どうなっているのか、新聞やテレビのニュースを見てもよく分からん。あいつら、本当の事を報道せんと嘘ばっかりつきよるから。
リーマンショックでも、本当に起こったことはリーマンブラザーズとゴールドマンサックスの二つを奴らがコントロールしてるから、二つの金融会社に全く逆な事をやらしてわざと一方を倒産させ、もう一つを救済するという名目で国民の金を騙し取ったんや。このように、いろいろややこしい世界やけど、今の世界のいろいろな問題を解く鍵はある。
それは通貨発行権や。
例えば、アメリカの大統領オバカが、推薦した次の絵付RBの副会長は、バリバリの奴らの本拠地の国、椅子ラエルで中央銀行の会長やってた男やで。

ヨシオ:絵付RBってドルを発行するとこやろ。なんで、違う国の中央銀行の会長がアメリカの絵付RBの副議長に就任できるねん。

ポニョ:それも、大統領推薦やで。と言う事は、オバカ大統領は、あいつらに操られているっていうことや。

前にも言うたが、絵付RBは個人企業なんじゃ。それが証拠に電話帳に個人の会社の欄に載っている。フェデラルエクスプレスの隣や。
あの、リンカーンにしてもケネディにしても暗殺されたんは、二人とも絵付RBの通貨発行権を制限して、アメリカが自分の国の判断で通貨を発行出来るようにと、絵付RBに挑戦したからなんやで。

ヨシオ:そう言えば二年前、ハリウッドでリンカーンという映画公開されたけど。

ポニョ:奴らは、リンカーンが本当に殺された理由を一般に知られたくないので、あんなリンカーンを冒涜するような映画を作ったんや。
なんでリンカーンがヴァンパイアみたいなんと戦わなあかんねん。
ヴァンパイアはてめえらや。

ポニョ:サイババさんもリンカーンの事は褒めてはるで。

JFK という映画も一緒や。ケネディが殺された本当の理由は、リンカーンと同じ通貨発行権を取り戻そうとした為やのに、それから一般の目を逸らすためにあの映画を作りよったんや。

ヨシオ:そう言えば、あの映画では、ケネディが殺されたのは、ベトナム戦争やめようとしたけれど戦争屋が軍需産業がオジャンになるから暗殺したように描いてあったよな。確か。

ポニョ:そうやったな。うまく本当のことを隠して人を騙そうとしとる。

ヨシオ:通貨発行権って自国の金を自国で発行することやろ。

ポニョ:奴らは、如何に通貨発行権が重要かを二百年以上も前から知っていた。
こんな事を言っているぜよ。「 私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうと、そんなことはどうでも良い。」
マイヤー・アムシェル・ロス茶位ルド(1790年の発言)

ヨシオ:そうしないとアメリカは独立国と言えないやろ。

ポニョ:あいつらが中央銀行を握ってない国は、世界でイラン、北朝鮮、シリア、リビアだけやったけれど、最近アイスランド、トルコ、ハンガリーが、中央銀行を取り戻した。
でもリビヤは奴らの手にかかって落ちた。

ヨシオ:リビヤってカダフィー大佐一家が独裁政権でムチャ贅沢して国民から追い出されたのんと違うのん。

ポニョ:あんたまた、足すくわれとるで。
絶対にマスゴミの言うこと信じたらあかんで。
あいつら嘘ばっかりつきよるから。

ヨシオ:もうニュース見るのんやめとくわ。

ポニョ:そうや。やめとき。

リビアのカダフィー大佐って言うたら国民からお父さんのように慕われていたんや。
六十年前に、アフリカ諸国の中でも一番貧しかったリビアを納豆から侵略を受ける前には、アフリカ諸国の中で一番生活水準が高い国に作り上げたんや。

ヨシオ:へえー。それは知らんかったわ。

ポニョ:ロシアやサウジアラビア、ブラジルより高かってんで。
新婚夫婦には、国から五百万円の祝議が出るし、全ての家庭の電気代は無料や。

ヨシオ:ちょっと待ってや。
五百万円の祝議ってあんた!ちょっと、ポニョさん。冗談でしょう?メチャ大きい額やで。
しかも、電気代はタダって、いくら使ってもタダなんか?

ポニョ:その通り。それだけと違うで。

カダフィーのお父さんは貧しくて家を買えなくて亡くなり、とても苦労をしたので、カダフィーは全ての国民に家を与える約束をしたんや。
おいらこの話最初に聞いた時、なんか感動して涙出てきたわ。それに、なんか腹立って来た。今までで騙されてきた事に。

ヨシオ:そうやな。こんな事、どの新聞も報じてないで。

ポニョ:その国民との約束守るために、銀行ローンは利息0%て法律で決められてるねん。
それだけやないで、驚くなかれ医療はタダなんや。
教育も無料やで。
だから、建国当時80%の文盲率が逆に、80%の識字率になったんや。
医療も、もしその患者の病気をリビヤで治せない場合、国が責任持って外国の病院や医師を紹介してくれるねん。

ヨシオ:それはすごい話やな。

ポニョ:ガソリン代は一リッターたった14円。
しかも、新車を買う時は、国が半額出してくれるねんで。
もしおいらみたいに農業をやりたかったら、国が家付きの農地をくれるし、農機具、家畜、種なども無料で与えてくれるねん。

ヨシオ:俺もう口ふさがらんわ。これやったら、生活水準世界で一番やんか。

でも、どうしてこんなに国民が優遇されとるのに納豆が侵略始めた時、みんな反対せえへんかったんや。

ポニョ:そら、ものすごくしたぜよ。
首都のトリポリだけでも170万人というから首都の95%の人口が侵略に反対して緑の広場に結集したぜよ
でもそんなことは、西側マスゴミに完全に無視された。
お陰で、世界の世論はカダフィーを悪者にしたてあげたマスゴミの言うことを信じて、地球の一つの良心を黙殺したんや。
三万人が犠牲になったんやで。アフリカの星が地に落ちた日や。

ヨシオ:悲しい話やな。
でも、やつらは何でカダフィーを目の敵にしたんや。

ポニョ:それは、さっきも言うたキーワードや。

ヨシオ:通貨発行権か。

ポニョ:そうや。
カダフィーはアフリカン ディナール別名、ゴールドディナールという金本位制のアフリカ統一通貨を他のアフリカ諸国と一緒になって発行しようとしていたんや。
リビヤだけでも、144トンの金の延べ棒を持っていたんので、それをベースに通貨を発行しようとしていたんや。金と換えれるねん。

ヨシオ:そんなんされたら、アメリカのドルはおしまいや。

ポニョ:だから、やつら慌ててカダフィーを消しにかかったんや。
話は飛ぶけど、イラクのフセインも石油の決済代金をドルからユーロに換えようとした事も一因で、奴らに消されたんやで。

ヨシオ:ひどい話やな。

ポニョ:とにかくアフリカでは、奴らは三つの占領政策をずっととってきてる。
一つは、部族間や国家間にわざと緊張を作り殺させ合う。
もちろん、どちら側にも武器を提供する。
二つ目は、教育を受けさせない。奴らの支配に気付かせない。文盲のままにさせる。愚民政策や
三つ目は、目覚めた者、気付いた者やそういう勢力を抹殺する。
という政策や。
これらは、ずっと昔から奴らがやって来た手法じゃわい。
日露戦争の時も、日本の二束三文の国債を買って日本を借金漬けにし、自分の軍艦を買わしたのもロス茶Xルドじゃ。
世界中の戦争や悲惨な事件の後ろにおって儲けておるのじゃ。
あの坂本龍馬もただの奴らの武器商人だったに過ぎないんじゃ。
坂本龍馬が通っておったグラバー邸の灯篭に、降りーメイソンの印が刻まれてるぜよ
カダフィーがやろうとしていたのは、通貨の件でロス茶位ルドに戦いを挑んだだけではない。
アフリカ諸国の通信業を奴らから取り戻そうとしたんじゃ。
奴らは、毎年500億円もアフリカ諸国から利益を上げておった。
カダフィーは、ロシアと中国に頼んで400億円でアフリカを全てカバー出来る通信衛星を打ち上げる予定じゃったのだ。
カダフィーは、そのうちの300億円を拠出する予定だった。
しかし、それもこれも全て奴らの軍隊、納豆に侵略されてオジャンになってしまった。
もちろん、リビヤの中央銀行もロス茶位ルドに乗っ取られたわいのお
例の144トンの金の延べ棒もポッポ無い無いじゃ。
カダフィーが殺された日は、アフリカが殺された日じゃ。
アフリカ諸国民すべてが泣いたんじゃよ。
後世の歴史家によって、巨大なロス茶位ルドに挑んだ現代の英雄と、正しく評価され直されるであろうのお。
今、世界の抱える諸問題はより奇怪な姿をとり、より大規模になってきました。
それはもはや個人的な問題でも無く、限られた地域の問題でもありません。
規模は世界的であり、すべての人類に影響を及ぼします。人間は且つてないほど悪くなりました。
彼らは、現在まで培って来た知性と技術を、残虐な行為につかっています。
人は他の人に苦痛を与えるのを喜んでいます。
歴史の示すところによれば、過去5500年間の間に15000回の戦争が起こりました。
この戦慄すべき災いが終わりを迎えるきざしは、全く見当たりません。
目前に迫る核戦争の脅威は人類全体を滅亡さすだけの威力を持っています。
これら一切の脅威と不安の原因は何でしょうか。
それは、人の内にある獣性がはびこり、克服できていないことが原因です。
この獣性の克服に成功してはじめて、インドの国は平安と歓喜を得ることが出来るのです。
Vidy

世界一素敵なレストラン


ポニョ:スリランカに行く途中、シンガポールに行ったら、飯を食いに行って来いよと言ってあんたが勧めてくれた、アンナラクシュミというインディアンレストランは良かったぜよ。

ヨシオ:俺は嫁さんが料理したもの以外口にしないんやけど、このレストランだけは例外なんや。このレストランは世界にパースとシンガポールそしてチェンマイにあるんやけれど、全部ボランティアで運営されているんや。

ポニョ:おいらも、あんたからいろいろ話を聞いていたから、厨房を覗かしてもらったんやけど、みんな楽しそうに働いておられたな。料理を作りながらバジャンを歌ってたで。

きれいな心で食事の準備をしなさい。
というのも食事の準備をしている時の想念が、それを食べている人の心の中に取り入れられてしまうからです。P, 74 ANDI

ヨシオ:そうやろ。そのレストランのモットーは、心のこもった食べ物をお客さんの姿を取って来られた神様に捧げる。そして、お代金はそのお客様の姿をされた神様に決めていただくという、すごいレストランなんや。

ポニョ:それはすごいよな。だって、どれだけ食べてもバッフェスタイルやから、誰も文句を言わないし、食べ逃げだって出来るんやろ?

ヨシオ:払いたくなければ払わなくてもええんや。だから食べ逃げにはならないんや。

ポニョ:みんなそういうことをしたら、そのレストランは倒産するぜよ。

ヨシオ:ところがどっこい、全てを神様に捧げているから神様が全ての面倒を見てくださっているんや。ある人なんか十万円の小切手を置いていかれるんやで。

ポニョ:あんたの息子さんがバイトしていた菜食レストランもそんな話があったな。

ヨシオ:息子が働いていたところは、ビーガン菜食の中華料理屋なんやけど、やはりお代金は自分が納得した額だけ支払えばいいんや。だから、レジには大きな貯金箱のような箱が一個置いてあるだけで、人が出て行く時にその中に好きなだけお金を入れてから出て行くんや。それに菜食をすることがとても大事な事だとプロモートするために、店にある大きなスクリーンでいつも菜食になりましょうというプロモーションテープを流しているんや。それに台湾から輸入した大豆製の菜食肉や菜食鳥肉なんかも売ってるな。でも、アンナラクシュミと違って、シェフとか俺の息子のように何人かは、給料をもらっているようやな。

ポニョ:でも本当にみんなお金を箱に入れるんか?

ヨシオ:それは、分からんな。そこは学生が多いところで、たくさんの学生が昼飯を食いに来てたな。でもどれくらいの学生がお金を箱に入れていたのかは知らん。でも聞くところによると、材料費とかはしれているんや。人件費が結構大きな出費やから、それをボランティアでまかなえるんやったら、売り上げが少なくてもやっていけるんと違うか?まだ、その店は今も続いているから大丈夫やと思うで。

ポニョ:でも、アンナラクシュミは本当にしっかりと運営してるよな。店もきれいし、料理も美味しいし、ボランティアの接客係の人も愛想が良いし、また何度でも行きたくなるぜよ。

ヨシオ:実は、インドの家庭料理を食べていただこうと、母親が息子や娘に調理するつもりで作っているんや。調理している時に神様に捧げるから、料理が神聖化されるし、残り物とかは絶対に出さない。それに、どこで野菜はどこで買ったものか、入手先もきっちりと調べてから買うし、霊的に見てもとてもしっかりと管理されているんや。それに毎日、違うシェフが作るからいつ行っても違う味やし、いろんなものが食べれるから面白いよな。アーナラクシュミは、ここパースでレストランの最高の栄誉賞であるゴールデンプレートという賞をもらったんや。それに菜食レストランだけではなく、お客さんに菜食はどれだけ大切なことかということを分かってもらうために、菜食の料理教室もやってる。それだけではなく、音楽やダンスを通じて神さんへの信仰心を高めようとするアクティビティもやっているんや。シタールやタブラの教室もあるし、レストランが突然コンサート会場に様変わりする時もあるんや。

ハートを純粋にするために努力をしなさい。
このことにあなたの最大の努力を傾けなさい。
ハートが純粋であれば、どのようなことでも成し遂げることができます。
ハートを純粋にするには、神聖な食物を食べなければなりません。
食物を調理する人は神聖な感情をもっていなければなりません。
昔は、正統のブラーミンは、自分の妻が調理した食物にしか手をつけませんでした。
その理由は、主婦は、家族全体の幸福を願って食事の準備をしたからです。
一方、料理人を雇えば、彼らがどんな感情で食事を作るかは、神のみぞ知るところです!
料理人の不浄な思いが料理に入れば、それはあなたの心を毒します。
アンナム ブラムハ(食事は神)です。
ですから、食事は神聖な気持ちで調理すべきです。
物理的な清潔さのみでは不十分です。
心もまた純粋でなければなりません。
料理に使う野菜は、正しい方法で手に入れたものであるように気をつけるべきです。
例えば、夫が市場から野菜を持って帰ります。
彼は、職権を乱用して、お金を払わずにそれを持ち帰ったのかも知れず、あるいは、小売り業者自身が、不正な手段でその野菜を手に入れたのかも知れません。
そのような野菜を食べれば、あなたの心は汚染されます。
あなたは、自分が食べる食物があなたの行動の原因であることに気づきません。
不浄な食物は、人に神聖でない行動をとらせます。23/11/02

ポニョ:それってレストランの範疇を超えているぜよ。でも、来てくれたお客さんの中におられる神様に食事を捧げるように奉仕をするって理想的やぜよ。それに、お客様の中におられる神さんがお金をどれくらい支払ってくれるかを信じてレストランを運営するって、並大抵の神経じゃやっていけないズラ。

ヨシオ:このアンナラクシュミは、世界で腐る程レストランがあるけど、多分、神さんが一番喜んでおられるレストランやろな。

ポニョ:でも、世界でパースとシンガポールとチェンナイにしかないねんやろ。日本にも出来ればええのにな。おいら毎日食べに行くぜよ。

ヨシオ:それには、ポニョのようにそのレストランをサポートするリピーターやボランティアがいるよな。ポニョはマレーシアから第一回サイババ大会に来られたジャガディーサンさんを覚えているやろ。

ポニョ:よく覚えているぜよ。あれから何度も日本に来られているぜよ。最近も再婚されて奥さんと日本のセンターを回っておられたぜよ。昔、ジャガさんとアートオンジュンサイさんと星やんとおいらとあんたも一緒に晩飯を食いに行ったよな。

ヨシオ:そうか、再婚されたんか良かったな。ちょうど。ババのアシュラムに滞在している時に奥さんが急逝されたからな。その時、ババはダルシャンにいたジャガさんに何も言われなかったんや。でも、後で奥さんはババの方にお辞儀をするようにして亡くなったと知って流石に俺の奥さんや。と喜んでおられたな。実は、ジャガさんの二人の妹さんがパースに住んでおられるんや。それで、ジャガさんがよく妹さんに会いに来られるんやけど、俺に妹の家に一緒に晩飯を食いに行こうと誘われたことがあって、そこで妹さんたちがアーナラクシュミの奉仕活動をされているって知ったんや。

ポニョ:そうやったんか。狭い世界やな。

ヨシオ:このジャガさんは、元々はアンチサイババだった人で、サイババの帰依者がどこそこにいると聞けばそこに行って、その帰依者の人に、神様があんなアフロヘアで来るわけがないとか、自分で神の化身やとは、本当の神さんは言わないとか言って挑戦するのが趣味やったんや。それで、いつものように、ある帰依者の家に押しかけてババが神の化身かどうか言い争いをしてたんや。やがて、その家の人が呆れてその部屋からいなくなり、ジャガさんが一人になったんや。その部屋にはサイババさんの写真が飾ってあったんや。ジャガさんはそのババの写真を見ながら、ババさんよ。あんたが本当に神の化身と言うんやったら、この俺の目の前のあんたの写真の上にヴィブティを出してみろ。と写真をにらみながら言ったんや。すると突然、すごいエネルギーを感じたかと思うと、一瞬のうちに壁にかけてあったババの写真全体がヴィブティで覆われたんや。その時に感じたエネルギーがとても強烈だったので、ジャガさんは家の人を大声で呼び、ババが来られた〜。と言って男泣きに泣かれたんや。その後、ババのアシュラムに行かれ、インタビュールームでババに、今まであなたの事を疑って大変失礼しました。と言って謝ると、ババは、疑っていただけではなくて、強力に反対していたじゃないか。と言われたんや。

ポニョ:それで、今ではババの教えを世界中に広めておられるんやな。歌もめちゃ上手いし、生まれ持っての語り部のように話も上手いし、話し方に迫力があるよな。

ヨシオ:妹さんたちの家で、ジャガさんは面白い話をしてくれたな。彼は政府関係の仕事をしておられるので、世界中を飛び回っておられるんや。ある時アフリカに行かれた時に、その土地の霊媒師というかメディシンマンのところに行くと、その霊媒師はとても驚いて、あなたにはアフリカ人ではないけれど、アフロヘアーの神さんがいつも付いておられます。と言われたそうなんや。

ポニョ:そら、大元の神さんがアフロやったら霊媒師もびっくりするやろな。

ヨシオ:また、アフリカで一つの国から別の国に行こうとしたら飛行機がキャンセルになり、仕方なしに陸路で行くことになったんや。でも、国境の警備人はとても腐敗していて、ビザがあっても賄賂を渡さないと通してくれないんや。でも、賄賂はババの教えから反しているし、そういうことは出来ないので、国境の検問所で立ち往生してしまったんや。しかも別の国に行くにはそういう国境の検問所を少なくとも五つぐらい通らなければならなかったんや。ジャガさんは空を見上げて通してください。とババに頼みながらジャガさん定番のバジャンであるサイラム、ラデシャームを歌っていたら突然、検問所の警備人が通ってもいいよと言ってくれたんや。それも全ての検問所で。その時に、ジャガさんはババの偏在性をこれほど感じたことは無かったと言っておられたな。

ポニョ:あんたがいつも言っている、全ては神さんだということやな。実は、全ては神さんだということやな。だから、レストランでいちいちお金を支払って下さいと言わなくても、神さんがその菜食レストランがハッピーやったら、お客さんはきちんとお金を置いて帰っていかれるんやな。
ヨシオ:このブログで何度も言ってるけれど、この世界がグチャグチャになっているのは、罪もない牛や豚がその生の途中で人々に食されるために殺され、その霊が中途半端なまま人の身体を取るから、そういう霊が人間社会のお邪魔虫となって、この世界がチョー自己中人間だらけになっているんや。だから、このような菜食レストランを神様はとても喜ばれるんや。

ポニョ:おいらも、いつかアンナラクシュミのようなレストランを始めたいな。神さんにも喜んでもらえるし、毎日ご馳走を食べれるし、おいらにぴったりやな。

ヨシオ:ええ考えやな。それで、ポニョのアクアポニックスで採れた野菜もサラダとして出したら、無農薬で放射能もゼロやしお客さんに喜ばれるやろな。ところで、なんでポニョがご馳走をそこで毎日食べるんや?自分の為にレストランをするんか?

ポニョ:腹が減っては戦は出来ぬ。武士の常識やぜよ。

ヨシオ:どこが武士やねん。武士は武士でもポニョの場合は浪花節や。

今日、自らを帰依者だと思う人もそうでない人も、肉食を止めなければなりません。
何故でしょうか? 肉食は動物的な性質だけを育てるからです。
摂取する食物がその人の思考を決定すると言われています。
様々な動物の肉を食べることによって、動物の性質を吸収しているのです。
人間と同様に五大元素で維持されている動物を食べるとは、何と罪深いことでしょう!
それは、動物に残虐な行為をするという罪を犯すだけでなく、人を悪魔的な傾向に導くものです。
それゆえ、純粋に神の帰依者となることを求める者は、非菜食の食物を口にしてはなりません。非暴力 P.30
肉食は人間の身体の必要と相入れません。
医者達は肉食には蛋白質があるようなことを言いますが、実は野菜、豆類、ミルク、カードなどにはもっと良質の蛋白質が含まれているのです。ブリンダヴァンの慈雨p48

頑張れ悪魔君!とちょっと違うな

ポニョ:サイババが帰って来るよ。Part1の裏ページにイルミナティのシンボルであるホルスの目が描いてあるのかという人がいたけど。あの絵はあんたが描いたんやろ。

ヨシオ:ああびっくりした。こんなにも早く、俺がイルちゃんの一味だとバレるって思わなかったな。人をサイババさんの教えを通じて人間羊にして、来るべき新世界秩序になったら、鞭を持ってポニョのお尻をペンペンしようと企んでいたんやけど。

ポニョ:もしもし、言うてる事とやってる事がバラバラでっせ。

ヨシオ:確かにあの目はイルちゃんの象徴ホルスの目を意識して描いたんや。
ホルスの目はイルちゃんのシンボルであるピラミッドのトップに描いてある全てを見渡す第三の目と言われているんや。

ポニョ:それって、今エヌ、エス、エイが、全ての携帯やメイルを盗聴していることとも繋がっているんやろ。羊人間よ、私達はお前たちをいつも監視してるぜよって。

ヨシオ:そういうことやな。それで、そのイルちゃんは、その第三の目はスペシャルなパワーを持っていてそれを羊人間には持たさんとこって画策してるんや。
このイルちゃんのシンボルであるホルスの目は、エジプト神話から盗ってるんや。
これを、彼らは第三の目とか呼んで特別扱いしてるんや。というのも、エジプト文明もサンスクリット語がラテン語の母親であるように、世界中の全ての文明はインドからスタートしてるんやけど、ホルスの目も元はと言えばヒンドゥー教の破壊の神様、シヴァ神の第三の目から来てるんや。
そのシヴァ神の第三の目は、シヴァ神が悪を滅ぼす時にそこから火が吹き出て焼き殺す恐ろしいパワーを持った目なんや。
だから、いろんな神話をちょい取りして自分のチンケな世界支配の理論を作り上げているイルちゃん達には、世界を破壊して自分たちの思ったような変な世界を作るために、この第三の目は最高のシンボルと映ったんや。

ポニョ:イルちゃん達のマスコットである悪魔君であるルシファーも実はインドの最高に強い神様であるインドラ神、日本ではフーテンの虎さんが産湯に浸かった帝釈天やねんやろ。
自分たちが大悪魔ルシファーに仕えることによって、いくら悪い事をこの世でしても悪魔の弟子やから地獄に行っても、悪魔の弟子としてムチを持って地獄に落ちてきた人を、ペンペンしばけるって思ってるメチャ自己中の化身みたいな人の集まりやな。

ヨシオ:そうやな。世の中には自己中の人が掃いて捨てるほどおるけど、その自己中の究極の人たちの集まりがイルちゃんやろな。その彼らが慕って信仰してるルシファーの話は悪魔君を退治する神様インドラ神の神話から取ったものなんや。だから、インドの文化に詳しいものにとっては、イルちゃんの後ろ盾にしているいろんなシンボルとか理論とかは、チンケなものに見えてまともに相手にするようなものではないんや。
古代エジプトでは、人の様々な超能力や超自然的な力の秘密を探ろうと、頭の中を解剖して脳みその探求をしたんや。そして、彼らは発見した。人の持っている超自然的な能力の秘密の器官を。
それは、松果体と言われる内分泌を出す器官なんや。
それは、目とそっくり同じ形をしてるんや。古代エジプト人たちは見つけたぜ。これや。第三の目が脳の中にあったと言って喜んだんや。
彼らが言う通り、この松果体は元々は目として働いていた器官やったんや。しかし、まだ人間ではなく下等な魚として泳ぎ回っていた時なんや。そのナメクジウオという魚は、一つしか目がなくても生きて行けたんや。その魚の脳も一つの塊で、その後進化により左脳と右脳が分かれた時に、それぞれの脳に目が出来、元々の目は、発達して大きくなって行った脳の中に埋れてしまったというわけや。

ポニョ:それじゃ、第三の目ではなく、第一の目やったんや。

ヨシオ:そういうことや。その第一の目が、まだ脳の中で目として機能していて光を感じることが出来るんや。体のいろんな器官から送られてくる光に関するシグナルを制御して、夜には眠くなるようにメラトニンという物質を分泌する役目を持った。昼間の十倍から二十倍もこの物質を分泌するんやで。それで眠くなることが出来るねん。
だから、夜になってベッドの横にたった3ルクスというから豆球の光でも、松果体は感じ取ることが出来て、睡眠に影響を与えるんやで。だから、寝る部屋は真っ黒黒助で無いといかんねん。でないと、メラトニンの分泌に影響を与えるんや。

ポニョ:そうか。これで、分かったわ。夜暗くなってくると、脳の中にある第一の目が暗くなってきたっていろんな器官から報告を受けるんやな。それでそろそろ寝てもらいましょか。と言ってメラトニンをザーッと分泌するんや。そうすると、なんか眠たくなってきたわ。お母ちゃん先に寝るでお休み。と言って人は心地よい睡眠につけさす器官が松果体か。おもろいな。

ヨシオ:余談やけど、今の時代は夜勤とか人工照明とかあって夜でも昼間みたいやろ。だから松果体にはとても大変な時代なんや。だから、いつメラトニンを分泌したらええのか分からなくなって、昼と夜のリズムが狂ってその結果肥満やらいろんな疾患が出てくるんや。不眠症の人が多いのもそういうことが原因かもしれんな。
それに、スピ系の人は、この第三の目といわれる松果体がメラトニンを分泌することに目をつけ、メラトニンがたくさん体にあれば霊的なパワーが得れると思ってサプリを取ったりしてる。朝陽を見たりすればメラトニンが増えるとか言ってるが、さっきも説明したように実は反対なんや。

ポニョ:ところで、それとイルちゃんと何の関係があるんや。

ヨシオ:何にもない。シヴァ神の全てを破壊する第三の目と、松果体をかたどったホルスの目、それらを自分の都合の良いようにただくっつけただけのしょうもない事を、第三の目とか言ってピラミッドのトップに付け取るだけなんや。霊的なシンボルをあっちこっちの経典から盗み取っただけのイルちゃんの世界制覇の理論の構築には、このようなチンケなものがいっぱいある。

ポニョ:でも、奴らはまともに松果体にはすごいパワーが宿っていると信じて、それを石灰化さすために世界中の水にフッ素を混ぜているぜよ。

ヨシオ:そうらしいな。無駄な努力や。スピ系や陰謀系のサイトでもこれは大変なことや。人の持っている超自然的なパワーをあいつらが独占するつもりや。と言って大騒ぎしている人もいるけれど、霊的な修行をしている人から見たら、子供が、漫画で見たお化けを怖がっているようなもんやねん。もちろんフッ素は危険な物質やけどな。大体、霊体が肉体を支配しているのであって、身体の松果体が石灰化したところでその人の霊的な力には何の影響もない。それに、霊的な力を手に入れるためにいろんな薬や薬品を飲むなんて発想はとても危険なんやで。オーム真理教とか、いろんなカルトがやってることや。だから、松果体が世界かするから霊的なパワーを失うという発想は裏返せば、松果体の分泌する化学物質を摂れば霊的なパワーを得ることが出来るということにつながるんや。インドでもエセグルが信者にハッシッシを食べさせてエクスタシーを経験さしてるけど、こんなのは霊的な体験から程遠いただの妄想ゲームや。
逆に、肉を食べたりして、霊体にダメージを与えると肉体にも大きな影響を与えるから、そっちの方が大きな問題や。ちょっと霊的な事をかじった人なら誰でも分かる。そんな事は、ABCや。だから、肉を食べたらあかんねん。霊体が肉体を支配しているってよく分かるのは、何かの事故で足や手を切断した人に聞いてごらん。もうそこには無いはずの手の指や足がまだあるように感じているはずやで。それが、霊体や。肉体は無くなっても霊体はまだあるんや。

ポニョ:おいら達のように長年瞑想とか霊的修行をしてきたもんは、松果体なんて瞑想に何の影響もないことは知っている。霊性修行をして来て一定のレベルに達した者は、何が第三の目か知っている。そういう、霊的な事を何にも知らないとイルちゃんがやっていることに振り回されるんや。それに、たとえ百歩譲って、世界中の人の松果体を全部石灰化させても人類はゴールデンエイジを迎えることが出来るやんな。ただ、夜寝付くのが難しくなるかもしれんな。

ヨシオ:そんな時は、あんたがいつもやってるように、飯をたらふく食べて難しい本でも読んでたらすぐ寝れるわ。

ポニョ:よう知ってるな。おいらの事。ところで最初の質問やけど、あんたが描いた絵について解説してくれるか。

ヨシオ:あのバックカバーに付けた絵は、イルちゃんたちのシンボルである全てを見るホルスの目が、大元の神サイババさんが空に現れて再びこの世に来られたのを見てる絵やねん。
それで、この世に世界を創造された神さんがいてたんや。俺たちは自分たちが創造主になって羊人間どもを支配しようとしてたけど、実は、俺たちのもっともっと上に本当の神さんがいてたんや。と言ってホルスの目から感激の涙が出ている絵やねん。
この世には、本当は悪なんてないんや。全てが善やねん。つまり、全てが神さんや。イルちゃんも一見いろいろと悪いことをしているみたいに見えるけど、これらは後で全て反動となって大きく跳ね返りの力となって、素晴らしい千年至福の世界が来るんや。つまり、イルちゃんが世界をかき混ぜて世界を大動乱にさせないと、人々は神の方に顔を向けないやろ。いつまで経ってもこの物質世界に囚われたままや。そのためにイルちゃんがこの世界をぶっ壊そうとして、一見悪いことをしてるみたいやけど、大きい目で見たらええ事なんや。

利己心の増大に伴い物質的反動がくるでしょう。幾ばくかの環境調整作用が地球上で作用し、ある部分は、きれいに掃き清められるでしょう。TEOLp225

そして、彼らが引き起こす悲劇的な事件も実は起きるべくして起こってるんや。カルマの法則や。この世には何の偶然も無いんや。全ては為るべくしてなる。
本当はこの世には、何の悲しみもなく、嘆きもないねん。実は全ては愛で包まれてるんや。愛しか無いねん。それを見つけるために俺たちはこの世に生まれ変わったんや。
人の難点を見つけて批判をしたり、陥れたり、恨んだりするために生まれたんやない。
この世界中に満ち満ちている愛を自分の中に見つけ出すという大冒険の旅を一人一人がせないかんねん。
だから、俺のこの絵は、世界で一番自己中のチャンピオンのイルちゃんでも救われるで。神様は君たちのような低いレベルの霊でもお見捨てにならないよ。頑張ってもっともっと、いっぱい悪ことをしなさいというメッセージなんや。

ポニョ:あの〜。それってちょっと違うと思いますが〜。

心の動揺、不安定、失望、気落ち、失敗はすべて、あなたの誤った考え方に原因があるのです。
考え方が完全に間違った方向に向いているのです。
人生に何が起ころうとも、あなたは、「これは私にとって良いことなのだ。」と考えるべきです。
あなたに起こることすべては、結局あなた自身のためになると言うことを知るべきです。
これがポジティブな考え方です。
今、人はこれとは逆にネガティブな考えで頭がいっぱいです。
あなたの身体と心と知性と感覚は完全にネガティブですが、魂や良心、すなわちアートマはポジティブです。神があなたの良心です。
どうしてあなたが、神を悟り、体験することが出来ないか知っていますか。
それはあなたのネガティブ思考と姿勢のせいです。
ですから、霊性の向上のためにはポジティブ思考と行動が必要不可欠なのです。
そうして初めて、平安と悦びに満ち、成功することが出来るのです。
私たちは、神聖な感情、神聖な考え、良い思いといった、あらゆるポジティブな思考で心を満たすべきです。
そうして初めて、あなたは絶対的にポジティブなものである「サット絶対実在、チット純粋意識、アーナンダ至福」すなわち神を体験することが出来るでしょう。
困難は自分にとって良いことであると考えることが必要です。
これがポジティブな考え方です。問題、困難、もめ事、失敗、損失、非難、その他諸々たとえどんなことがあったとしてもです。
あなたは後に、それらはすべて自分のために起こったのだ、ということが分かるようになるでしょう。STPS

脳が破壊されるのにNOと言わないのうか?

ヨシオ:俺は、ガンディーのこの言葉が好きやな。

わたしたちが犠牲になることなく、システムを変えるただひとつの方法は、悪魔が張り巡らした蜘蛛の巣の罠一つひとつに対し、力強く「ノー」と声をあげることである。『ガンディー 魂の言葉』
この言葉の通り、ポニョが頑張って色々と真実を伝える努力をしてるやんか。

ポニョ:おいらがしなくても、誰かがもうやってるし、それにその気になったら誰でもちょっと調べたらネットにいろんな情報があるし、たいしたことしてないと思うんやけど。

ヨシオ:やはり、この情報統制をやってるような世の中で真実を探すってとても大切なことやって思うで。俺もポニョに言われるまでたくさんのことを知らなかったし。最近のツイートで人工甘味料がこんなに凄い毒やったと知ってびっくりしたな。

ポニョ:先日も、二人お子さんがいてるお母さんが、人工甘味料を使った砂糖でコーヒーを長年飲んでおられて、一人の子供さんが知的障害やけど、こういう事をつぶやいてはる。

この記事を読んで驚きと恐怖を感じました。私は49歳で二児の母です。
パルスイートを二十歳くらいからコーヒーが大好きなので、使っていました。実は娘は知的障害です。妊娠中も服用していました。ひょっとしてこのせいだったとすると娘に申し訳ない気持ちで一杯です。もっと早く知りたかったです。
こういう事を知っておいらももっと頑張ろうと思ったな。可哀想やもんな。

ヨシオ:そういや、知り合いの人がお腹が夫婦でめちゃ出てて、肥満の典型みたいな人たちやねんけど片手にダイエットコークを離さないぐらい飲んでるんや。
それで、人工甘味料パルスイートまたの名をアスパルテームが入っているから、脳と胃の間の神経を破壊していくら食べてもお腹が空くし、脳細胞を破壊するから良くないって説明したら、よく分かってくれてその時の飲みさしのダイエットコークをゴミ箱にほってしまった。
これを許可した政府は殺人罪やとか何とか言って興奮されてたな。

ポニョ:本当に殺人罪やで。もう少しこのアスパルテームが認可された経緯を説明したら誰でも驚くで。

ヨシオ:それじゃ今日は予定を変更してちょっと、その事について話してもらおうか。

ポニョ:先ず、このアスパルテームは1981年に認可されたんや。それも十六年もかかって認可されたんや。
1965年にカロリーが0で甘さが砂糖の180倍甘い物質が見つかったので、アメリカの食品局FDAの認可をもらおうとして猿で安全性を確かめたんやけど、七匹の猿のうちまともに生きたんは一匹だけやったんや。
それで、1970年にネズミで安全性を確かめたら脳に穴が空いたんや。
1973年にも、実験したけど196匹中98匹が死んでしまったんや。それで、これでは許可が下りないのは当たり前なので、データを改ざんして申請したんだけど、改ざんがバレて連邦検事局から犯罪の恐れがあるという事で裁判で訴えられたんや。
それで、この会社は逆に調査したスキナー検事を高額の金を積み上げて買収し、自分の弁護士事務所に再就職させたんや。
それでも、まだFDAからの認可を得るために何と、レーガン大統領に働きかけてあの、悪名高いラムズフェルドをその会社のCEOに抜擢したんや。そして、アーサーヘイズという子飼いの人をFDA長官に任命させてから、もう一度アスパルテームの認可を申請したんや。

でも、審査員は五人で三人が否決に票を入れ、却下されたんやけどこのアーサーヘイズがもう一人審査員を任命して六人にして、もう一度多数決をしたら三対三になったので長官が良しとして、許可になったといういわく付きの毒物なんやで。

ヨシオ:そんなに長い間、十六年もかけて奴らはこの毒物を人に使おうと思ってたんや。それで、何の悪い影響があるんや。

ポニョ:2010年にデンマークの政府機関の調査によると一日に4缶ダイエットコークを飲むと早産のリスク値が78%も上がるんや。
また、二缶だけでも11年後に腎臓の機能が30%下がるんや。
それだけではなく、脳神経を結ぶ神経細胞の神経伝達物質ニューロンを破壊して躁うつ、興奮、気分障害が現れるだけではなく、脂肪細胞に入ってるホルモンであるレクチンを破壊して、食欲抑制が効かなくなるんや。

ヨシオ:ああ、それでダイエットコークって名ばかりで飲めば飲むほど太るんや。そう言えばダイエットコークを飲んでいる人は太ってる人が多いわ。

ポニョ:あと、糖尿病の原因にもなるし、慢性疲労、高血圧にもなるんや。でも一番のターゲットは脳細胞を破壊することやねん。それで上の命令に何の疑問もなくハイハイと従う人間羊を作ろうと思ってるんや。
あの、超ブラック企業であるモンサントが今はこのサール社を買収して、何万という食品にこのアスパルテームを混入してるんや。チューインガムなんかは100%と違うか。
それで、独立研究機関がこの毒性を調査したんやけど、100%毒性があるっていう報告をしたんや。でも、FDAが頼んだ研究機関は毒性が無いって言ってるんや。でもその割合は92%が
黒という結果で政府の御用研究機関は8%だけやけど全部が白と言ってるんや。
それに、モンサントの元顧問弁護士であるタイラー氏が現在のオバマ政権下でFDA副長官として『活躍』しているんやで。

ヨシオ:どこでも、腐ってる奴がおるねんな。ひどい話やったな。こんなもんを、子供の頃から食わせられてたんかと思うと腹立つよな。さっきのお母さんの怒りの気持ちが分かるよな。

ポニョ:こういう事に目を向けずに、逆にこういう事を暴いて真理の為に戦っている人に、君らは ネガティブに生きすぎやとか、悪いことは無視しなさいとか、神の方だけ見てたら全部面倒見てくれるとか言ってる人は、最初に載せたガンディーの言葉をもう一度読めばええ。

ヨシオ:サイババさんも、この現代の世の中でたくさんの人がダルマのため、正義のために戦っていると言っておられる。がんばってね。あのような悲しいお母さんを出さないためにも。

男は真実と正義に基づいた人生を送るべきです。
そうして初めて男は国を守ることができ、真の男と呼ばれるに値する者になるのです。
そうでなければ、どうして英雄的な男性になることができるでしょう?”

世界一幸せな野良犬がいる国

ポニョ:以前、サイババさんが子供やった頃、近所の仲間たちにランプを持って外に来い。今、天使が空を横切ってる。と言われたな。

ヨシオ:でも、同じような事がマドラスでもあったんや。ババが突然、あっガンダルヴァがやって来た。毛布を持って来なさい。そしてその毛布の四隅を持って広げるのです。
さあ、用意して…もうすぐすれば彼らが何かをここに落としてくれるから。と言ってしばらくすると、ブーンという音が聞こえはじめ、翼がはためくバサバサという大きな音が鳴り響いた途端、ガラスの瓶が毛布の真ん中にポトリと宙から落ちてきたんや。
それも、普通のガラスの瓶ではなく周りに細かい金などの装飾をしてあったんや。だから、ぱっと見たら金のボトルかガラスか見分けがつかない程のきれいな細工がしてある入れもんやったんや。
それに、中から光が出ていてキラキラしていたんやて。

ポニョ:フーン。すごいな。天国からわざわざ天使のガンダルヴァが翼をバサバサってしながら持って来てくれたんか。
よく君たちもガンダルヴァ。

ヨシオ:頑張るなやろ。ちょっと苦しい洒落やったな。

ポニョ:でも、その翼の音をみんなが聞こえたってすごいよな。姿は見えずとも音はするって奴や。ところで一体それに何が入ってあったんや。

ヨシオ:甘い十五種類ぐらいのアムリタのようなシロップやったんや。

ポニョ:それを、そこにいた人たちにババは配られたんやな。

ヨシオ:ババはその時に右手をその目に見えない天使たちに向けて祝福されてたんや。

ポニョ:おいら達は、羽が背中に生えた天使たちって宗教画の中で見たことがあるけど、霊界に行けば本当にいるんやな。面白い。

ヨシオ:このガンダルヴァっていう天使は半人半獣なんや。以前このブログでも紹介したけど、クリタユガにはその手の天使たちが肉体を取って遊ぶために、大挙して地上に生まれ変わって来たことがある。
ポニョ:ギリシャ神話みたいなもんやな。半分馬で半分人間みたいなのが本当に地球を闊歩してたんや。面白いな。それって。おいらもその時代に生まれ変わっていたら何の動物に半分なろうかな。
そうや。おいらは、カヌーで川下りが好きやから半分魚で半分人間って面白いやろな。そうしたら、別にカヌーを持っていかなくてもどこの川でも下って遊べるもんな。

ヨシオ:そして、ポニョの好きな川や池にいてる鯉ちゃんたちと恋が出来るんや。

ポニョ:鯉に恋する、鯉恋人生か。悪くないよな。やって見たいな。

ヨシオ:ポニョだけやそんな事やりたいのんは。


ポニョ:というわけで、半人半動物の話が出て来たので、今日は少し話題を変えてペットの話をしようと思ってるねん。
最初に話はベネズエラからしてみようかな。
ベネズエラの首都カラカスに着陸しようとする飛行機から見下ろすと、一方にハリウッドに並んでいるような豪邸が並んでいる立派な地区が見え、他方には窓もないようなシャンティタウンと呼ばれるハーレムが延々と続いているのが見える。
ベネズエラは、とても二極分化が激しく今まで石油権益を国際金融資本マフィアに売り渡してそのおこぼれをもらっていた連中と、90%以上全く自分の国の富である石油利権から切り離された貧困層に分かれてるんや。
日本に留学に来るベネズエラ人の多くが自分の国のことを良く言わないのは、ほとんどが富裕層の家庭から来ているからなんや。
奴らはマスゴミをコントロールして、強烈な反政権キャンペーンを毎日して人々を洗脳している。
それに対して、政権はようやく国営のテレビ局を立ち上げたんや。
そして、今までアフリカのように教育も受けさせず愚民化させ続けて来た旧政権に対し、全ての国民に無料で教育を受けれるようにしたんや。
大人の識字率はとても低いので、今まで社会保障制度を利用しようとしてもその存在すら知らせず、知っても書類に書き込むことも出来なかった人々も、無料の夜間学校へ行き始めて文字を学ぶことができたんや。
そして、彼らが初めて手にした本は何と、ベネズエラ憲法やったんやで。
そこには、ベネズエラ国民としての義務と権利が誇らしげに謳ってある。
それを今まで知らされてきていなかったが、初めて知った時の感動は口に出して言えないほどやったんや。
それで、やさしく書かれた憲法の本がどこの貧民層が住んでいる商店や公民館に置いてあり、ベストセラーになってるんや。
今まで医者にかかったことがなかった人々が、無料で病院に行けるようになったんや。もちろん歯医者もや。
それまで、ベネズエラの経済を牛耳ってきた者共の多くは、自分の国の悪口を言いながら国を後にしている。
大金を持って逃げ出し、主にフロリダに大豪邸を構えている。
国の経済運営は厳しく治安もとても悪いがイランと連携して助け合っているので、多くのイラン人が、ベネズエラにないものを提供するために、ベネズエラに技術面で協力して貧しい人に家を建てたりしてベネズエラで働いているみたいや。
人の霊が見えるという霊能力者ベネズエラのマドゥロ大統領は、3回もサイババさん詣でをし、サイババさんが身体離れはった後も、信仰心は全く変わっていない素晴らしい人やで。
最近も路頭に迷っている野良犬や野良猫は処分する事になっていたのに、大統領は霊的な法則を理解しているので、人々に野良犬や猫を引き取って飼い主になるようにキャンペーンをしている。
自らも野良猫を引き取って育てているんや。
こんな大統領世界中探してもなかなかおれへんで。
それに、今までは、富裕層しか持てず、国民の大部分を占める貧困層には夢のまた夢だった携帯を、貧しい人も持つ権利があると言って、全てのベネズエラ人に無料でスマホ提供してるんや。

ヨシオ:どっかの金持ちや、と言われている国と大違いやな。

ポニョ:日本と今ややこしいあの中国が、年間一兆円、向こう五年間五兆円もベネズエラに援助するんや。
まあ、ベネズエラの石油狙っとうるかもしれへんけどな。
それで、ベネズエラはこの金で主に貧しい人のために、二百件以上のプロジェクトをスタートしてるんやで。めちゃええニュースやろ。

ヨシオ:そんなニュースは日本では、絶対報道されへんな。
そういえば、トルコでも捨て犬や野良犬を捕まえて殺すのをやめたらしいで。

神と共にいることの至福が与える体験にまさるものは何もありません。
あなたがすべてを愛すれば、すべてがあなたを愛します。
犬や猿、猫とさえあなたの愛を分かち合いなさい。
そうすれば、動物たちがどのようにあなたの愛に報いるかを知ることができるでしょう。
人間は、犬でさえもがもっている感謝の念を忘れてしまいました。
多くの外国人たちは、ペットとして犬や猫を飼っています。
あなたが動物を愛せば、動物もまたそれに応えてあなたを愛します。
9/10/02

ポニョ:それもええニュースやないの。

ヨシオ:そうやな。だって、ペットはいつも飼い主と触れ合ってるから、常に霊体をお互いに人と交換しあっているから霊のレベルは人に近いんや。
だからペットは飼い主に似るって言うやろ。
いつも、飼い主に触れられて可愛がってもらっているペットは次の生は人に生まれ変わるんや。

でも、飼い主に捨てられて野良犬になって生を全うせずして殺処分されると、肉牛のように、牛としての生を全うせずして殺される為、人の身体をとっても人として充分やっていくことが出来ない動物的要素がとても強い人間になって生まれ変わって来るんや。だから社会に迷惑をかけるお邪魔虫人間になってしまうんや、ってあんたもブログで書いてたな。

ポニョ:そうやで。恐ろしい話やな。それでトルコではどうしてるのん。

ヨシオ:まず、野良犬や捨て犬を捕まえたら避妊手術をして耳に小さい札をつけて放すんや。
それで、政府が広報して犬の面倒みて下さい。と人々を教育してるねん
だから、トルコに行くとレストランであろうがファーストフードであろうがどこでも、人が残り物を野良犬にやるので、太った毛並みのええ野良犬がゴロゴロおるで。
みんな嬉しそうにウロウロしてる野良犬天国になってるねん。
良さそうな犬は、人が家に連れて帰って飼う人もたくさんいてる。

ポニョ:ペットショップはつぶれてしまうなぁ。それやったら。

ヨシオ:でも、もともと自分らが売った犬やからなぁ。
イギリスだけでも一年間に九百七十万匹の犬猫が捨てられて路頭に迷うんやで。
ペットショップで買われた仔犬の六割が、四才の誕生日を迎える前に捨て犬になって処分されるんやで。
人間って仔犬の可愛い間だけ可愛がって、あとは捨てるんや。
勝手なもんやなぁ。トルコとベネズエラさん頑張ってね。世界のお手本や。

ポニョ:でも、世界を見渡してもこのように犬や猫の事を考えている国ってとても少数なんや。今月も中国で犬肉祭が催されて、一万匹もの犬が人に食べられたんや。
それに日本でも年間二十万匹以上の犬猫が殺処分されるんやで。

ヨシオ:それって多いよな。でも日本でもそんなお祭りやってるよ。牛肉祭とか豚肉祭、鳥肉祭。それらは別にええねんやろ。だって、牛や豚は人に食べられる為に生まれてきたもんな。

ポニョ:魚もや。そういや魚肉祭もあったな。この世の全ての生き物が生まれて来たのは人様に食べてもらう為やったんや。牛や豚は嬉しいな、おいらの身体を食べてもらって、と思っているんやろか。
おいら達人間もついでに、人類の中でもエリートと言われる痴能指数が高いお方にマイクロチップでも埋め込んでもらって管理して欲しいな、グローバルエリート様の言うことを何でも聞く人間羊になりたいな、と思うんやろか?
皆さん、動物たちを殺して肉を食べるのと、人々を人間羊にしようとする論理は同じなのです。
強いものが弱いものを支配出来る思想なのです。
その考え方を元にグロエリたちは植民地化を進め、原住民を殺戮し、世界中で戦争を起こして金を儲け、今私たちに毒を食わせ、飲ませ、注射し、彼らが思い込んでいる適性人口まで人口削減をしようとしているのです。
目覚めましょう。

ヨシオ:皆さん犬や猫を蹴れば痛がって泣きますよね。俺たちと同じ神経を持っているんです。いやもっと繊細かもしれない。
牛や豚も同じです。頭に銃弾を撃ち込んで半殺しにするんです。
即死さすと血が体の中で凝固して体に残ってしまうので肉が売りもんにならないんや。だから心臓が動いて血が体から出て行く程度に半殺しです。
業者は痛くないって言ってますが誰か体験した人はいるんでしょうか?
麻酔薬で殺すと高くつくし肉の中に薬品が残り商品になりません。
こんな事を人間が地球の仲間たちに続けていると痛いしっぺ返しがやって来ますよ。

ポニョ:こういう人間がやっているひどい事をもう誰も止められないやろな。
世界中で人は肉食してる。それだけではなく、戦争まで又し始めている。あのノーベル平和賞をもらったオバカ大統領が率先してやっとる。
最近ニューヨークタイムスは、経済が停滞してるのは大きな戦争が無いからだ。という記事を掲載していた。

ヨシオ:俺たちがこうして過去半年の間毎日記事を掲載して今こうして終わろうとしているのは、今年の後半から地球のしっぺ返しが始まるって知っているからなんや。
それが、経済的に落ちるのが先か、地球規模の災害が起こるのが先か分からんけど、ババは俺に大きな事が後半から起こるって言われたんや。
こうして地球を見ても暗雲が立ち込めてきてる。
訳の分からん地震が起きてきてるし、火山も噴火を始めた。
動物を殺して食べたら殺された動物の未熟な霊体が人になって生まれ変わってお邪魔虫人間になって生まれ変わって来るって何度も発信したよな。
それでも、まだ人々はおんなじ事をしている。でも少し希望も出て来てるのは確かや。
神奈川県の黒岩祐治知事は、「(神奈川県を)殺処分ゼロを継続する。動物に優しい県を目指す」と宣言したんや。

ポニョ:てことは、神奈川県では犬猫の殺処分が行われてないってことなんか。

ヨシオ:この宣言は、平塚市にある神奈川県動物保護センターで、2013年度に収容された犬の殺処分数がゼロになったことを受けてのものなんや。
神奈川県動物保護センターには、30以上のボランティア団体や個人が登録して新しい飼い主を探したりして殺処分ゼロを達成したんや。

ポニョ:俺、なんか嬉しくなって叫びたくなる気分や。神奈川が出来るんやったら他の県でも出来そうやんか。

ヨシオ:熊本市も殺処分ゼロを目指して頑張ってるけど難しいようや。

ポニョ:ベネズエラやトルコみたいに国をあげてやったらええのにな。

ヨシオ:ペット達にも良い世界が来るといいのにな。

ポニョ:でも、人々が魚も含めて、肉食をやめた世界なんて考えられないよな。世界に何か起こらんと人々は目覚めないからな。カルマをいっぱい作ってるね君たち、ちょっと頭を打ってもらいましょうか、と神さんは思ってられるんやろうな。

ヨシオ:俺が若い頃、中国に旅したことがある。広州に行った時そこで知り合った人が美味しいもんを食べさせてあげるって言われてついて行った先がカエル専門のレストランやったんや。
店先に元気いっぱいピョンピョン飛び跳ねているカエルが水の入っていない水槽にたくさんいて、友達がこれとこれと言って食べるカエルを選んでいた。
俺はどんな風にして料理するんやろうかと調理場をちょっと覗いたんや。
すると、鍋に張った水の中にカエルが浮かんでいて、下には火がついていた。
俺はこれ以上見たくないのでそこを離れたけど、そのカエルの事を考えてたんや。
それはまるで俺たちと一緒やなって。
俺たちもカエルのように水に浸かってスイスイ泳いでいるけれど、その下には火がついている。
そして、だんだん水が湯になって来て熱くなるけど、そのうち茹でカエルになってしまうんや。
それまで、こうして何度も下には火がついてるで、熱くなって来てるでと言っても耳を貸さない。
今も一緒や。これだけ地震が起こり火山が噴火し、放射能まみれになってるのに何事もなく平然と生活してる。でも、気がついた時には手遅れや。
茹でカエルの一丁あがりで福島ネックレスが首の周りについているんや。

ポニョ:今、大事は清く正しく生きて行くことや。
肉食をやめ、嘘をつかず、神様や仏様の事を信じて自分自身の生活を純化して行きましょう。

多くの自然災害は人為的なものなのです。
地震、火山の噴火、戦争、洪水、飢饉や他の災害は厳重な自然の乱れの結果です。
それらの乱れは人の行為の帰結なのです。
人は、未だに人と自然の関係を完全に理解していないのです。”

地球は一つの球です。
球を安定な状態にしておくには、バランスをとらねばなりません。
今、限度も無く天然資源を消費し、地球のバランスが崩れば地軸が傾くのです。

低い動物の霊をとった者に告ぐ

ポニョ:今まで、うっとうしい奴らの事を見てきたけれど、実は権力と資金力持ってる奴らには、ガンディーの不服従運動やったら奴らの動きを麻痺できるんや。
このブログをこの時期に書き始めたんは、もうすぐ経済恐慌や戦争を起こして、社会を混乱させ、貨幣価値や株を一夜にして紙くずにし、パンデミックやテロを起こして世界をかき混ぜようとしているのが迫っているからやねん。ウクライナも一つの大きなサインや。奴らは踏み越えてはいけない一線を越えよった。預言者のエドガーケイシーはロシアが世界の希望の星になる。と言っている。今、世界を見渡しても奴らと対抗出来るのはロシアぐらいしかいない。
もうそろそろやで。
今から、もし金を銀行に入れている人があったら、今出さないとその時が来たら出せなくなるで。
それに、引き出したとしても金や株券は紙くずになるぜよ。
HSBC (High Society Bank of Criminal )というトップバンクは、預金引き出し制限を始めたぜ
ここ二三日、銀行の不正を知っているトップの連中が自殺と見せかけて、殺されとる。
相手は巨大な力もっとうるけど、今、たくさんの人が目覚めて来ている。
奴らの姿は白日の下にさらされている。
こんなとてつもない巨大な組織に歯向かっている人は、ほんまの現代のヒーローなんやで。
命をかけとるんやで。尊敬するな。
ヨシオ:平行世界へ逃げ込んで、マヌケなお猿面して、平行棒にぶら下がっている奴よりよっぽど偉い。

ポニョ:ちょっと遅くなったけど、このブログで色んな当て字がありすぎて読み辛い、という声が上がりましたが、これは裏からこのブログを読めないようにするためなんじゃ。
奴らは、このブログで当て字にした語をコンピューターに登録して、それを調査しよるんや。
そうすると、そのブログにアクセスしてきた人にも迷惑がかかるので当て字にしとるんじゃ。
電源を切って、SIMカードを抜いていても奴らは、あなたの携帯についているカメラやGPSマイクを使ってあなたの事を監視出来るんや。
だから、マイクの穴に携帯を使わない時にプラ粘土を詰めたり、カメラをテープで貼ったりする工夫が必要じゃ。
スカイプ、メイル、はもちろんスケスケじゃよ。
日本の警察はスマホを会議に持ち込まないようにという通達を出しておる。
サーチ エンジンもオランダのスタートページに変えたり、メールもロシアの@mail.ruに変えれば少しはましかのう。

ヨシオ:でも、面白いな。今まで言うて来た事、全部神さんの創作劇やもんな。
人間の社会が飽きない様にしてはるわ。
何が起こっても、唇に微笑み浮かべて人生を生きようね。

ポニョ:でも、騙されて足をすくわれんように。

ヨシオ:そうやな。俺も今まで知らんかったので食べてたけど、考えたら豆腐などの大豆食品摂り過ぎてたわ。減らさないかんなぁ。

ポニョ:あのなぁ。おいらはあんたの子供のことを心配しとるんや。
あんたのことは心配してへんねん。
あんたはまだ子供をつくるつもりかぁ。もう五人もおるのに。

ヨシオ:そうやな。……俺はもう子供要らんもんな。誤解してました。ほんなら、今度から大豆食品をもうちょっと多めに摂るようにするわ。

ポニョ:そや、あんたはそうした方がええな。
でも、あんたの子供は気い付けやなあかんで。

ヨシオ:心配せんでもええ。この世の不正があまりにも酷いからアヴァターが降臨してくれたんや。神さんがちゃんと面倒みてくれはる。
俺たちのように、自分は肉体をまとっている身体じゃないと信じているもんは、何も恐れるものは無いやんか。
それに、ダルマをやってたら、ダルマが守ってくれるんや。
俺はあんたみたいな人を通じて、神さんがこの食べ物は危険や。とか水も危ない。ワクチンもや。とか教えてくれたと思っている。
ありがとう俺の知らんこといっぱい教えてくれて。
でもたとえ、百歩譲って精子が無い人間だけらになって人類が滅んでも、また違う生き物になって俺たち生まれ変わっても、それはそれで面白いかもしれんで。
羽が有って飛べて、それでもって馬みたいに四つ足で早く走れて、水の中でも泳げるように、えら呼吸もできるねん。

ポニョ:欲張りすぎやでそれ。

ヨシオ:いずれにしてもポニョは、ちょっと熱入れ過ぎや。
冷ました方がええ。カリ来てるで。頭から湯気出てるわ。
この世を渡って行く一歩一歩の足跡の上に、自分の思いを乗せてしもたら、喜怒哀楽が付いてきて、生まれ変わる原因になるよ。
いつもハッピーで生きて行こうぜ。

ポニョ:そ....そうやな。
そう言うたら、ちょっと興奮しすぎたわ。一人でしゃべってもうたわ。
おいら悪いもん見たらほっとかれへんから。

ヨシオ:この世に本当は悪いもんて何にも無いねん。
たとえ悪いように見えてても実はええ事なんや。
あんたもブログで言うてたやないの。全ては神さんやって。
こんな一見悪いように見えてても、後で大反発が来るというのが、霊的な法則やねん。反響、反応、反射の法則や。
だから、今が悪ければ悪いほど後でメチャ素晴らしい世界がやって来るんや。目覚めた聖者はいつもハッピーなのは、その為なんや。

ポニョ:頭で分かってても難しいな。実践するのって。おいらすぐにカーってなるから。

ヨシオ:それがまた、あんたのええ床屋の丸刈り、いっちょ上がり…や。

ポニョ:なんやそれ?ちょっと今のん、分かれへんかったわ。もういっぺんゆっくり言うてくれるけ。
ヨシオ:唯の意味のない言葉の遊びや。あんたほんまにええ性格してるわ。
ポニョよ。友達でいてくれてありがとう。俺は感謝するぜ。愛してるよ。

ポニョ:気持ち悪いこと言うなよぜよ。

《 低い動物の霊をとった者に告ぐ 》

巨大な組織に歯向いている。
まるで、蟻が象に挑んでいるように。
真理のために。
自らの子供達の命を守るために。
母なる地球のために。
名もなき小さな命のために。
洗脳されまいと、頑張っている。
汚染されまいと、頑張っている。
家族を護ろうと、頑張っている。
子孫のために、頑張っている。

神の名を汚す者よ。
自らを神の上に据える者よ。
よく聞くが良い。
お前たちが、いくら母なる地球を凌辱しようとしても失敗に終わる。
世界で一番強力な軍隊を持っていても、
世界で一番大きな額の小切手を切ろうとも、
世界で一番破壊力のある武器を使おうとも、
世界で一番影響力のあるマスコミでもって騙そうとも、
真理は隠せない。
神の名を汚せない。
人の良心を買うことは決して出来ない。
そして、お前自身の良心も裏切れないのだ。

モラルの無い者共よ。
低い動物の霊をとった者よ。
よく聞くが良い。
お前たちが、認めたくないあのお方が来られているのだ。
お前たちが、知りたくもないあの方が来ておられるのだ。
お前たちが、決して超えることの出来ないあの方が来ておられるのだ。
お前たちが、名を汚そうとしても決して出来なかったあの方が来られているのだ。
そして、お前たちのやろうとする事を、
ことごとく粉砕して、宇宙のチリとしてしまわれる事だろう。

創造主である神を認めぬ者よ。
世界を傷つけ、そしてお前自身を傷つけている者よ。
よく聞くが良い。
お前たちの時代は終わったのだ。
金のために、権力のために、そしてその汚れた名を売るために
如何ほどの人々を、殺せば気がすむのか。
如何ほどの街を破壊すれば、気がすむのか。
如何ほどの赤子の泣き声を聞けば、気がすむのか。
如何ほどのおなごを犯せば、気がすむのか。
如何ほどの虚偽を言いふらせば、気がすむのか。
ゲームは終わったのだ。
あの蛍の光の寂しいメロディーが聞こえぬか。

悪魔の申し子共よ。
母の愛を知らぬ者よ。
来られているのだよ。
お前たちの目と鼻の先に。
そしてこう言っておられるのだよ。
あの悪魔のような者共も、
私が助けずして誰が助けるのかと。
全てを諦め、投げ出してあの方の前に差し出しなさい。
あの方は、お前を母のように愛してくれる方。
あの方は、お前をお創りになられた方。
そうなのだよ。お前達は、あの方の創られた劇を演じるただの人形なのだ。

悪魔的人間は人間の守るべき道徳律を無視し、恥ずべき感覚の悦楽を追い、エゴと慢心に満ちて利己的な目的の為に他の人を傷つけることをなんとも思いません。
彼は傍若無人に罪深い行動をし続けます。
自己中心が彼の息吹であり、執着は彼の背骨です。このような利己的な人を称して悪魔といいます。25/12/92

クンダリーニのパワーは熱いのだ

ポニョ:心がさまようのを防ぐのは難しいな。ババはハンカチを持っているより放す方が易しいと言われたけど、そんなに簡単な事やないよな。

ヨシオ:誰でも欲望はあるから、心がそっちの方に興味を持つのは当たり前や。目を閉じて瞑想していても美味しい料理の匂いがしてきたら、ポニョみたいに頭の中は食べることばかり思うようになる。この世界はとても魅力的に創られてあるから、人の興味を引くものがたくさんあるんや。それらに没頭して一生を終わってみると、何の事は無い、俺が追い求めていたのは蜃気楼やったと分かるんや。

ポニョ:そうやな。神さんがご自分の想像力を使って創られた世界がおいら達が住んでいるこの世界やもんな。もともと、想念だったのが物質化しただけの話なんや。

ヨシオ:ババは、この世界は全て変化する。地球も人の体も何もかも永遠のものなんて無いんや。インタビューでババは俺の息子の手を取ってご自分の前に立たせ、この子はまだ六才や。でも三十年も経つと一人前の男と呼ばれる。そして六十年経つと年寄りと呼ばれる。この子の身体はどんどん年と共に変化して行くが、この子の中のアートマンは変化しない。そのアートマンこそが実は本当のこの子なのだよ。と言われたんや。おかげで、うちの息子は三十を過ぎても結婚せず独身貴族で生活を楽しんでる。36歳で結婚しようかなとか言って。

ポニョ:この世界は全て変化して行くけどアートマンは変化しない。でもこの世界にある全てのものは実はアートマンそのものやろ。

ヨシオ:変化して移ろい移り行くものの中に、変化しないアートマンを見るのはとても難しい。そんな事が簡単に出来る人ってそこらにいないやろ。だから、永遠で目で見ることの出来ない、全てに偏在する神様を人の目に見えるように石や絵画などで自分の好みの神様を作り、それを拝めて徐々にその神様が全ての変化するものの中におられることを感じ、最後に全てが自分も含めて姿形を持たない神さんだと悟れば、今まで崇めてきた神さんの彫像や絵画などが要らなくなるんや。そういう段階になれば、自分が見る聞く感じる全てのものは神になって、瞑想さえする必要はなくなるんや。

ポニョ:その人が朝起きて寝るまで、見るもの聞くもの全てが神だと分かって生活していてば、その人が生きていること自体が瞑想していることになるんやな。

ヨシオ:俺に会いに、こんな田舎まで外国からもたくさんの人が来てくれた時があって、その時に色んな人がいろいろと聞いて来るんや。ある人はあなたはどのような瞑想をしていますか?という質問をして来た。俺は、神様を体験するのが瞑想やと思っている。と答えたんや。そのように答えた後、サイババさんが夢に出て来て、俺に瞑想って神を体験することやもんな。と言われて微笑まれたんや。

ポニョ:神を瞑想の時に体験するってどうやって出来るんや。

ヨシオ:これはあくまで二十年以上前に俺がやってた方法やけど、サイババさんの御姿をイメージして一緒に遊ぶんや。ババと手をつないで、いつもの散歩のコースを歩いたり、子供達と芝生の上に座ってピクニックランチを食べたり、一緒に歌を歌ったりするんや。だから、瞑想が楽しいしどれくらい時間が経っているのかも分からん。

ポニョ:でも、そんな事誰でもすぐに出来ないやろ。サイババさんと手をつないで散歩なんて。

ヨシオ:ババは、人はテレビや映画などを見るけど、それは甘い味が付いているナイフを舐めているようなもので、徐々に人の想像力を奪ってしまう。と言われている。俺はこういう事が誰でも出来るんやと思っていたので、来た人たちに俺の体験を話すとみんな驚くんや。その反応を見て俺はもっと驚いた。

ポニョ:元々誰にでもある能力なんかもしれないけど、だんだん失われて行くんやろな。

ヨシオ:俺から話を聞いた人は、これは前世からのもんやからあんただけがそんな事を出来る、と言うんやけど、でもその人たちは自分の家に帰って今までと同じように、テレビをつけて面白いドラマを見、コンピューターゲームをして自分の想像力を傷つけているんや。俺は、テレビを見ないしコンピューターゲームもしない。やはり、これは霊性修行やからババの言われたことを守って生きていかないかんと思う。自分を甘やかせて欲望や感覚の奴隷となって毎日の生活をしていても、きちんと瞑想が出来ないのは当たり前の話や。

どの家にもテレビがあります。
テレビは、金持ちの家には、各部屋に置かれています。
テレビが出現してから、人の心は汚染されました。
テレビの無かったころには心はそれほどは汚染されてはいませんでした。
暴力行為も、以前にはそれほど多くはありませんでした。
今日テレビはどの部屋にも置いてあります。
人々は食事を取りながらテレビを見ます。
その結果、テレビに映る下劣なことも(霊的身体にも取り入れて)消化します。
テレビに集中することは、見る者の世界観に影響を及ぼします。
テレビの見せる、感覚、思い、行為は見る人の心をいっぱいにします。
知らず知らずのうちに苛立ちと悪い思いが人々の心に入ります。
やがてそれらは心に根を張るでしょう。
それゆえ、食事をしながら恐ろしい事件を話題にすべきではありません。
心を興奮させる話題を食卓にのぼらしてはいけません。
食事をしている間は静粛にしなさい。
音響さえ心に侵入して影響を及ぼします。
食事の時はテレビを見てはいけません。
それは蜂蜜を塗った刃。
蜂蜜をなめるなら、刃は舌を切ります。
バラタのみではありません。
全世界がテレビの悪影響に犯されています。
世界には無秩序、不和、欲求不満が溢れています。
テレビを見ることを完全に止めなさい。
ことに食事中であれば尚のこと、仕事中であれば仕事に集中しなさい。15/1/1996

ポニョ:特に、肉食をしていたら、動物や魚の想念が入って来るから心のコントロールなんて難しいよな。そういう意味で、あんたの子供達が通ってたシュタイナースクールは菜食を勧めているし、テレビやコンピューターは御法度やし、想像力を養うのにはピッタリの学校やな。

ヨシオ:長男がシュタイナースクールの小学生やった頃に、ババが勧めておられる光明瞑想を教えようと思っていたら、僕はそんなことしなくても神様に集中出来るで。と言ったんや。それで、どんな方法で集中してるのか聞くと、自分が水の水滴の一滴になり、空から大きな波が立っていない静かな大海にポツンと落ちるんやて。そして、そのまま大海の一部となって静かにそしてゆっくりと大海に飲み込まれて行くんや。と言っていた。

ポニョ:小学生でそんな事が出来る子っていないんと違うか。面白い子やな。

ヨシオ:長男は以前も紹介したように卓球が好きで、卓球場へトレーニングに連れて行ったんや。その日は、元世界チャンピオンの中国人の人が練習をしてくれるって言われたので連れて行ったんや。そこの卓球場は卓球台と卓球台の間が天井から薄い布で仕切ってあって、ゆらゆらと揺れているんや。長男が元チャンピオンの人とたくさんのボールを使って練習をした後、散らばっているボールを拾い集めるんやけど、その時に仕切りのカーテンに体が触れてそのカーテンが大きく揺れたんや。その瞬間ボール拾いをしていた長男が凍ったように動かなくなって、そのゆらゆら揺れているカーテンを長い間見つめていたんや。元チャンピオンの人も長男が動かなくなったので、不思議がって近づいて行って声をかけても返事をしないんや。俺はすぐに長男が瞑想モードに入ったって分かったから、チャンピオンだった人に少しそっとしておいて下さいと頼んだんや。長男はしばらくして、何事も無かった様にボール拾いを始めてまた練習を始めたんや。俺は、その事について何も聞かなかったけれど、帰りの車の中で、お父さんカーテンが揺れているのを横から見たことがありますか?と聞いてきたんで、いや、正面からしか見たことがないな。と言うと長男は、今度機会があったら見て見たら面白いよ。とても綺麗やで。一つひとつのカーテンのひだが少し飛び出たり、たくさん飛び出てきたり、忙しくしてるんや。でもカーテンは一つやろ。でもひだはたくさんある。それぞれのひだの動きはバラバラでも、カーテン全体から見るととても調和が取れていて、踊っているみたいに見えるんや。また、あのカーテンを見て見たいな。と言ったんや。
ポニョ:子供の感性ってすごいよな。カーテンの動きだけでこの世界の創造の秘密を看破してるぜよ。一人ひとりは違っても本当はそれらはひとつであって、踊っているように美しいって。すごい話やな。

ヨシオ:俺も、子供がこんな事を言うとは思わなかったので、とても驚いたんや。その時、シュタイナースクールに入れて良かったって思ったな。

ポニョ:おいらも、今度から瞑想をやってみようかな。今まで何回もトライしたけどいつも途中で寝てしまうんや。ババが光明瞑想を勧めておられるって言ってたよな。それをしてみようかな。

瞑想中に眠気をもよおす原因は、食物の不消化であることが多いのです。
食べ過ぎ、過度の運動による疲労、睡眠不足などによっても眠気が生じます。
ですから普通は、瞑想の修行をする者は昼寝をすべきではないのですが、前の晩に眠りが足りない時は、昼寝を少し取るのも悪くありません。
本当に空腹を感じるまでは、食事を摂ってはいけません。
食事の量は控えめにしなさい。
腹が四分の三満たされたと感じたら、それ以上食べないように。
つまり、もう少し食べれると思っても、そこで止めるのです。
このようにすれば、胃袋を正しく振る舞うように教育することができるのです。
運動のし過ぎも好ましくありません。
歩くのも度を超えてはなりません。
眠気が覚めるまで歩くのは良いのですが、眠気を追い払ったあとに、瞑想に入ることは出来ないことも忘れてはなりません。JV


ヨシオ:ポニョは集中力が強いから瞑想をしても直ぐに深く入っていけるかもしれないな。

ポニョ:昔から集中し過ぎて、他に気が回らないな。と言って叱られたな。

眼を閉じると、心の目の前に小さい黒点が現れます。
その黒点が動かぬよう、心を12秒間その黒点に集中しなさい。
この方法により瞑想の力がつきます。29/6/89
集中の実践は瞑想への準備です。
瞑想の持続時間は集中の12倍です。
つまり12x12=144秒.即ち、2分と24秒です。
正しい瞑想は集中を正しく行うことが出来て初めて可能です。
12の瞑想は三昧の一つ分に相当します。
つまり144秒x12で28分と48秒です。
1時間よりもずっと短いのです。
もし三昧がこれよりも長くなったらそれは生命に危険を及ぼすかもしれません。
以上が、ヨーガ行者の実践する修行法です。
今私が述べた修行法は、これまでのどの経典にも記されていません。29/6/89


ヨシオ:実は瞑想というのは、八つの霊性修行のうち二番目に高い修行なんや。だから、先ずポニョのように集中力を高めなくてはいけないんや。ポニョはアシュタンガヨーガって聞いたことがあるやろ。

ポニョ:知ってるぜよ。もののけ姫に出てくる男の子やんか。

ヨシオ:それは、アシタカや。俺が言ってるのはアシュタンガや。

ポニョ:あんまり変われへんやんか。それで、その後アシタカと、もののけ姫は上手く行ってるんか?

ヨシオ:知らんちゅうに。俺が言ってるのは、アシュタンガヨーガと言ってサマディに至るまでに昇って行かなければならない八つの段階の事なんや。

ポニョ:なんや。それやったらよく知ってるぜよ。きちんと座って、寝ないようにして、食べ過ぎないようにして、とかそんなんやろ。

ヨシオ:それとはちょっと違うんや。先ず、正しい生活を送ること、心を清め、清く正しい生活をすること。もちろん肉食をしたりするのは御法度なんや。そして、ポニョが言ったみたいに正しく座り、呼吸を整え、感覚をコントロールし、揺らぎない神への信仰心を持って、神様に集中出来ること等や。そして、次に来るのが瞑想で、それは第七番目の段階なんや。

ポニョ:それって、おいらが思っているより厳しい条件やな。特に感覚のコントロールなんて無理や。食事を抜いて断食なんて絶対出来ないし。心は綺麗けどな。

ヨシオ:自分で言うてどうするねん。でも、そういう条件をクリヤー出来た人だけが瞑想をする資格があるんや。それらの前提条件を飛び越えて瞑想を始めると、集中出来ないだけではなく、瞑想をしている間、いろんな世俗的な事や、欲望を頭に浮かべてしまうので、気が狂ってしまう人もいるのでとても危険なんや。特に、瞑想を人に教えるなんて、厳密に言えば無理なんや。だって、教える人は瞑想をしている人が、瞑想をしている間に何を頭の中で想像しているのか、分からないやろ。その人の霊的レベルによっても違うし。

ヨガを行うその人の感覚の力が未だ相当に強い場合、その人の感情と熱情をそのままにしてヨガをすれば、悲惨な結果を生むことになるでしょう。
その人は狂気に陥り、自分自身や他の人にばかげたことや下劣なことを言ったり書いたりします。
私は、このように道に迷った多くの修行者を知っています。
それゆえ感覚をコントロールし、あなたの中にある感情や熱情をコントロールし、心が外的なものを追いかけさせないようにさせ、寒さや暑さ、悲しみや喜び、得たり失ったりしても平常心でいられる力を得なさい。
経典に記されていることや、聖者たちの体験を信頼しなさい。
それゆえ何事にも動じない心、忍耐心が、(神と融合するという)大志を抱く者の必要条件だと強調されてきたのです。SSvol10p118


ポニョ:でも、さっきも言ったけど、ババは光明瞑想を勧めておられているよな。また、トライしてみようかな。

ヨシオ:ポニョの気がすむようにすればええやんか。例のサイの学生のマユールさんも、クンダリーニヨーガの本を読み、自分もクンダリーニのパワーが欲しくなって瞑想をすることにしたんや。それで、一人になる場所を探していたら、ちょうどサイカレッジの校舎の建設中だったので、半分完成しかけた工事中の校舎の誰もいない教室に入り、ババの光明瞑想を始めたんや。一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、そして半年近く、毎日のように長い間、一日も欠かさず瞑想に励んだんや。するとある日、何時ものように光を身体中に回して、霊体を浄化し、その光を第三の眼のある眉間に持って来ると、その光が大きく輝き、自分がその光に飲み込まれるようなヴィジョンを見たんや。少し怖くなって来たので、目を開けようとしても、その光が強烈で身体中が焼けるのではないかと思うぐらい熱を感じて、目も開けられなかったんや。マユールさんは、これが僕が長い間瞑想をして追い求めていたクンダリーニのパワーか?と感激したんや。そして、しばらくすると精神も落ち着いてきて、今日の瞑想は最高だった。と、とても喜んで目を開けると、なんとロウソクの炎が風よけに使っていたダンボールの紙に燃え移って灰になっていたんや。ババは、このあとマユールさんを全校生徒の前で、君!「ヒビ割れた壺君」こっちに来なさいと言って呼ばれたんや。マユールさんはどうしてババが自分の事を「ヒビ割れた壺君」と350人もいる全学生の前で呼ばれたのか分からんかったんやけど、この後ババは、講話でアシュタンガヨーガについて話されたんや。

ポニョ:つまり、瞑想をする段階に達していない人が瞑想をしても、それはまるで「ヒビ割れた壺」と同じで瞑想で蓄えられた霊力が身体から漏れて行ってしまうって事なんや。やっぱり、おいらは瞑想やめた。アシュタンガヨーガを一つひとつクリヤーしてからや。


善い性質を培うためには、根気強い努力が必要です。
あなたはその過程で、幾つもの障害物を乗り越えなければなりません。
美徳を培うことによって初めて、あなたの心は浄化され、集中力を獲得することができて、神の黙想や瞑想に没頭できるようになるのです。
そのような善い性質が備わっていなければ、心は一時の間も静かにしていることができません。心に善い性質や善い想いが備わっていないのであれば、どうして心を瞑想だけに向けることができるでしょう? 
レンガや漆喰を準備しなければ、どうして家を建てることができるでしょう? 
ですからあなたが、瞑想に没頭したいと望むのであれば、まず初めに、善い性質と善い想いを身につけなければなりません。KSHより

富士山が見える部屋を予約してね

ポニョ:昨日の記事の中で、印象に残っているのが、カーテンが揺れているのを横から見ただけで、神様が創造された宇宙の創造の一端を見た長男の感受性がすごいなと思ったぜよ。

ヨシオ:あいつは昔から、そういう直感が鋭くて妹が友達を家へ連れて来たのを一目見ると、あの子は妹にとって良くない友達や。すぐに追い返した方が良い。と俺に言いに来たんや。それで、俺が何を言ってるんや。お母さんは校長先生やし、しかもババの帰依者として有名な人やで。人間の価値教育の先生として十年以上もサイのセンターで奉仕されているんや。悪い娘な訳が無いやんか。と言って一蹴したんや。

ポニョ:そんな人の娘さんやったら誰でもええ娘やと思うよな。

ヨシオ:ところが、しばらくすると、娘が俺にもうあの子とは付き合いたくない。と言い出したんや。あの子と付き合ってたらとても疲れるねん。欲望や欲求が強いし、もうしんどいねん。と言って頭を押さえたやんや。俺はその頭を何気無くみると大きな円形禿げが出来ていたんや。それで、その親御さんに鄭重にもう娘さんとうちの娘と付き合わさない様に頼みに行ったんや。

ポニョ:長男が一目見てどういう人か分かるってすごいよな。親は、どうしても世間的な目で見て判断してしまうからな。その長男って以前紹介してくれたよな。

ヨシオ:もう三十過ぎてるんやけど独身なんや。日本では普通やけどな。どの娘と会っても直ぐにいろんな欠点が見えるんやろ。だから、嫁さんはゴールデンエイジになってから探すって言ってた。いわゆる直感人間なんや。うちの嫁さんよりも直感が強いと思うで。

ポニョ:あんたもそうやないの。そう言ったら、あんたのお袋さんも直感人間やったな。

ヨシオ:コインランドリーの店をやってた時、お袋が店に入って来たお客さんを見た途端、警察を呼べと言ったんで、無理やり俺が警察を連れて来て店の外からあのお客はちょっと怪しいねんけど、と言ったら実は指名手配中やったんや。それも、指名手配になったばかりやったので刑事も驚いていたな。おかげで、その刑事と仲良くなって何か情報はありませんかとか言って、いつも俺の事務所に来ていたな。それで、ドライブに行こうとか言って覆面カーに乗せてもらって街をウロウロしたな。

ポニョ:また、なんか手柄を立てたかったんやろな。

ヨシオ:お袋がだいたいややこしい事を感じるからこんな事になったんや。刑事の友達なんか要らんのに。友達で思い出したけど、最近うちの田舎町にインドから歯医者の夫婦が引っ越して来て娘と友達になったんや。俺は未だ会っていないねんけど、テルグ語を話すって言ってたからババと一緒やと思ってたんや。キーホルダーにシルディサイババの写真が付いていたから、シルディババの帰依者だと思うって娘が言ってたけどな。それで、インドの歯医者の資格はオーストラリアでは認められないので、夫婦で苦労して一から勉強し直して取ったんやて。それで、最初オーストラリアに来た頃は何も資格はないし、果物を収穫するアルバイトを二人でやってたんや。

ポニョ:なんで二人ともインドやったら歯医者として働けるのに、わざわざオーストラリアくんだりまで来て、果物を収穫するアルバイトをしてたんや。

ヨシオ:それは、奥さんのカーストがブラミンで、ブラミンの女性はブラミンの男としか結婚出来ないのに、歯科大学でブラミンではない恋人が出来て家族中から反対されたので、二人でオーストラリアまで駆け落ちして来たんや。

ポニョ:インドは、そういうカースト制度の弊害があるから大変やな。ブラミンの男は違うカーストの娘と結婚出来るんやろ。それっておかしいよな。ババも若い時にブラミンであるスッバンマさんの家に出入りして食事を作ったりしてタブーを破ったので、住んでいた小屋に火をつけられたり、食べ物に毒を入れられたりして大変苦労されたな。

ヨシオ:おかげで、娘は良い友達が出来たって言って喜んでいる。何と言っても菜食やから、娘がしょっちゅう食事に招待されて、本格的なインド料理を楽しんでいるんや。

ポニョ:それはラッキーやな。俺も友達になりたいな。

ヨシオ:ポニョの友達になりたいっていう動機はこの前も言ったけど、不純やないか。でも、この前娘が家に帰って来て面白い話をしていた。その、旦那さんはもちろん俺がこの田舎町に住んでいる理由なんて知らないんや。でも、最近、世界中が洪水になる夢をよく見るんやて。本人も気持ち悪がっているんやて。そんな夢を今まで見たことがなかったから。

ポニョ:それは気持ち悪いやろな。でも最近地球は確かにおかしいぜよ。イタリアのジェノバは大洪水やし、あっちこっち地震や火山が噴火してるし。大きな台風がやって来るし。

ヨシオ:星やんがババに是非日本に来てくださいと頼んだことがあったんや。するとババは、それでは富士山がよく見える部屋を用意しておいて下さいと言われたんや。ババは絶対余計な事は言われないやろ。俺はその話を聞いて近い将来富士山が噴火するんやろなと思ったな。

ポニョ:それは当たってると思うで、だってここ三百年間も富士山は噴火してないやろ。平安時代の最初の三百年間だけでも十回は噴火してるんや。平均して三十年に一回や。だから富士山はいつ噴火してもおかしくはないんや。

ヨシオ:それに、将来大きな天変地異が起こるとき地殻変動が起こるやろ。その前触れとしてあっちこっちの火山が噴火してると思うで。

ポニョ:富士山が噴火したら首都圏は麻痺するし、それに連動してあっちこっちで地震や津波があるやろうし、大変やろな。グロエリや陰謀やなんて言ってられないやろな。


残念ながら、今、科学技術の進歩の結果として人間性が衰退し、世界は楽しむためにあると人は考えています。
そのため、世界に脅威を引き起こす形で自然の力が使われています。
世界は単なる楽しみのために創造されたのではありません。
自然の資源を乱用し、自分の根本的な人間性を忘れて、人は創造の目的に反しています。
多くの天災は完全に人間の振る舞いのせいです。
地震、火山の噴火、戦争、洪水、飢饉(ききん)といった災難は、自然が深刻な異常をきたしている結果です。
こうした異常は、もとをたどれば人間の行いが原因です。
人間は人類と自然界との切っても切れない関係に気づいていません。
人体においては、目や耳や口といったあらゆる器官は互いに完全に結びついています。
人間にとってこうした器官が重要であるのと同じように、社会にとって個人は社会有機体の手足として等しく重要です。
個人は人間社会の一部です。
人類は自然の一部です。自然は神の手足です。
人間はこうした相互関係に気づいていません。Sathya Sai Speaks Vol.25 C37


ヨシオ:俺の友達がニュージーランドの北島にあるでっかい火山、トンガリロ山がよく見えるところに住んでいるんや。あっ、そうそうこの友達もカーストが違う人との結婚を望んでいて、両親から反対されたんやけど、ババが両親を呼ばれて世界には人類という一つのカーストしか無い。結婚を認めなさいと言われたんやて。話は戻るけど、昔、その友達の家に二週間程滞在させてもらった際に、その活火山にみんなで登山しに行ったんや。頂上に野球場ぐらいの湖があって湖水の温度は普段、五十度ぐらいやねんけど、その時は七十度もあって登山禁止令が出る直前やったんや。湖面から湯気がたくさん出てたな。それに火口の淵に座って弁当を食べようと思ったんやけど、地面が熱くて座れなかったんや。もちろん火口から煙がもうもうと上がっていたな。

ポニョ:恐ろしいな。いつ噴火するか分かれへんな。

ヨシオ:俺たちが、登山してから一週間後に小噴火したけどな。その友達はサイの帰依者なんやけど、ババが夢に出て来られて、あの火山は将来大噴火するが、私に帰依すれば私が全ての面倒を見る。と言われたんやて。もう、二十年以上も前の話や。

ポニョ:トンガリロ山が大噴火したら大変やろな。大きな火山やから。そういや、メキシコシティに住んでいる人もメッセージをもらって、ポポカテペトロという大きな火山が近くにあるんやけど、それが大噴火したら時は近いって聞いたことがある。

ヨシオ:世界中の火山が噴火し始めるのが、地軸が傾くサインという訳か。それがサインやったら分かり易いな。まあ、何れにしても火山から目を離せないよな。

ポニョ:今、ニュージーランドの話が出たけど、ババはニュージーランドのグループがインタビューに呼ばれた時に、フランスがニューカレドニア沖で行った核実験のせいでニュージーランドで将来、たくさんの人がガンで亡くなると言われたことがあったな。

幾度か行われた太平洋での核実験のつけは、ニュージーランドにおいて特に顕著に現れるであろう。人々が海産物を摂ると、食物連鎖の結果、心臓麻痺や身体のあちこちに癌を発病することになる。7千万トンもの魚が毎年捕獲された結果、魚の量が減り、魚による海洋浄化が進まなくなった結果、海洋を不健康にして汚染度を増大させている。SSALp,46


ヨシオ:世界中で人は自然を破壊し、好き勝手に自然から収奪しているから、いつか大きなしっぺ返しが来るのは時間の問題や。


あなた方は自然界の法則に基づいて如何に自らの活動を調節すべきかを学び、自然の法則に逆らうべきでないことを学ばねばなりません。
人間には創造主の創られたものを享受する自由があります。
しかし、どのようなことをすれば恩恵を受け取れなくなるのか、という識別力を働かせることが必要です。
あらゆるものを享受しても良いという事は、それらを好きなように使って良いと言う訳ではありません。
というのも、自然に対して何をしようとその反作用が必ず伴うからです。
あなたはその結果から逃げることは出来ません。
結果を気にせず、それに直面する覚悟があれば好きにしなさい。
しかし、実際には当初、人は喜んで何でも好き放題しますが、後になってその悪い反作用に苦しみ、嘆くのです。
それは、心が弱い証拠です。
~それゆえ自然界の領域では、あなたが何をなそうとも遅かれ早かれその結果から逃れることは出来ません。22/5/92

ポニョ:カナダにアスベストという町があるんや。その名の通り、アスベストの産地なんやけど、アスベストは肺がんの原因なんや。だから、どの国もそれを建築資材に使うことは禁止になっているんや。でも、インドはアスベストは安いので、まだ低所得者の家の屋根材として使っているんや。それが原因でたくさんの貧しい人々が肺がんになって亡くなっているんや。

ヨシオ:サイの帰依者であるインドの首相のモディさんが、早く輸入禁止にしてくれればいいのにな。

ポニョ:でも、そのアスベストを輸出している会社はとてもひどいブラック企業で、賄賂を撒き散らして役人どもを丸め込んどるんや。もちろん、トップは裏社会の人間もどきや。

ヨシオ:何やねんその人間もどきって。まさか爬虫類人間じゃないやろな。

ポニョ:そんなものは存在しないぜよ。そういう事を言っている人は洗脳されているか、偽情報を流してる工作員や。

ヨシオ:ババはビジネスがモラルを失くせば、とても危険だと言っておられる。本当にその通りやな。でも、サイのカレッジの学生たちがどんどんビジネスの世界に飛び出て、インドの悪しき習慣である、賄賂、汚職、非効率、低賃金などを改善して来ているんや。州立銀行の幹部が、とても調和があって、効率的に仕事をするチームがあると聞いて、そのチームの主任に会いに来たんや。その幹部は、その主任にどこのカレッジの出身なんだ。と聞くと、主任はボパールの大学の名前を言ったんや。そこは、トップの大学でとても有名なんや。幹部はそれ以前はどこにいたんや。と聞くと、農村事業発展センターで講習を受けていました。と言ったんや。すると、その前は?とまた聞いてきたので。ボパールのXX高校を出ました。と言ったんや。それで幹部は、その前はと、もう一度聞いたので、サイババ中高校に数年間在籍していました。と答えるとその幹部は、プッタパルティのか?私はそれを聞きたかったんだ。最初から君がババの教育を受けていたことは薄々分かっていたんだよ。だって、チームをこんなに上手くまとめれる人材はいつも、サイの教育機関を経て来た者の証明なんだよ。と言ったんや。

他の人々がどう言おうとも、我々の学生たちは黄金のように素晴らしいのです。
彼らの足跡の埃でさえ、他の人々の不正を阻止することができるでしょう。
私たちの教育機関の卒業生たちは、男子も女子も神聖で他の者の見本となるような人生を送っています。
我々の女子大学の卒業生が作っている「サティア・サイの使者」と呼ばれる組織は、様々な国において幾多の奉仕活動を行っています。
彼女たちは、夫を感化して奉仕の道を歩かせることまでしています。
我々の学校の卒業生たちは、スイス、アメリカ、日本、ロシアといった様々な国々で活躍しています。
一部の外国人たちが、彼女たちを買収してサティア・サイババを非難するための話を捏造(ねつぞう)させようとしています。
スイスでは、女子大の卒業生に対して、ある人物が、サイババを陥れるための作り話を考えて欲しいと言って近づいたとき、彼女は烈火のごとく怒って、すぐさま自分の履いていた靴を脱いで手に取り、ほとんど相手を打ち据えるような勢いで「これがあなたの宗教の教えですか? これがあなたの宗教が広めようとする理想なのですか? 恥を知りなさい! ここを出て行きなさい!」と迫ってその人物を追い払いました。
しかし中には、ユダのように買収されて、サイババを陥れる虚偽の攻撃をする裏切り者たちがいます。25/12/20000

怒りの波動は世界を駆け巡る

ポニョ:エゴや欲望を持ったまま瞑想や苦行をすると良くないって聞いたな。もちろんひび割れた壺のように霊力が漏れてしまうのは分かったけど。

エゴを持ち続けている限り、どのような霊性修行も実践できません。
あなたが行ってきた様々な霊性修行が心やエゴ、すなわち「私という意識」を伴って行われたために、あなたは今まで向上できなかったのです。
中には「私は肉体である」として、自分を肉体と同一視しながら霊性修行をしている人もいますが、そのような修行はあなたを真の目的地に連れて行ってくれないでしょう。
ラーヴァナ、カンサ、バスマースラといった者達はこの部類に属します。
~生きとし生けるものすべてのものの内に同じ神聖さを感じ、体験することが真の愛です。STPSp196

ヨシオ:以前、クンダリーニ ヨーガの事を記事にした時に、クンダリーニのパワーが背骨をクルクルと蛇のように螺旋状に昇って行って、頭頂部にある千枚の花弁の形をしているサハスラーラチャクラに到達する。そして花の中心にある光が大きく膨張して花弁に触れると神を経験するけど、世俗的な欲望を持ったままサハスラーラチャクラに到達すると花弁の方から光に触れなければならないということを言ったよな。どちらも神の力を得ることは出来るけど、一方は間違った方へ行ってしまうんや。

ポニョ:つまり、神と融合するという真の目的地に行けないって事やな。

人体の脊柱上には、シャド・チャクラと呼ばれる生命を維持する六つのポイントがあります。
一番低いところに位置するのはムーラーダーラー・チャクラと呼ばれる、生命を維持する根本的、根源的なポイントです。
プラーナーヤーマでは、二番目の段階である保息をしている間に、シャドチャクラを通過する空気の供給が欠乏するために、クンダリーニーが目覚め動き出して上昇し始めます。
最上部には、サハスラーラチャクラすなわち「大泉門」があります。
そこには花びらに囲まれた神聖な光りが存在しています。
サハスラーラーチャクラは、千枚の花弁がついた蓮華の花のようなものです。
人が鬼のような性質を持つと、それらの花びらが中央の神聖な光りに触れます。
逆に人が神の性質を持ち始めると、神聖な光りの方から花びらに触れ始めるのです。
このように、霊性修行を行うとクンダリーニが、人体に影響を与えるのです。STPSp213

ヨシオ:普通、人は霊力が多いとか少ないとか言っているけど霊力って想念の力なんや。その想念の力が霊的磁力となって全てのものを引きつけたり、いろんな物に変化するんや。

ポニョ:磁力って言うと鉄しかくっ付かないと思うけど、霊的磁力は何でもくっ付くんやな。

ヨシオ:以前も紹介したけどロシアの女性はこの霊的磁力が生まれつき強くてスーパーに行っても何でも身体にくっついて来るから大変やったんや。でも、このパワーをコントロール出来なかったのでで早死にされたけどな。

ブリジッドというロシア女性は、強力な磁力を持っていました。
彼女が道を歩くと必ず鉄分を含んだ物体が彼女に引き寄せられました。
彼女が店に入ると商品が彼女に引っ付くために入店を断られました。
しかし磁力を備えるだけではなくそれをコントロールする力も必要です。
彼女はそれができなかったために、食事も満足に摂れず早死にしてしまいました。13/3/02

ポニョ:ババがひび割れた壺から漏れるのはこのパワーなんか?

ヨシオ:瞑想をして神の御名を唱えたり御姿を浮かべたりすると、神を思う想念の力はどんどん貯まって行く。でも世俗的な欲望と結びつくと、心がせっかく浄化し始めているのにまた世俗の垢で汚れて行くんや。その事をひび割れた壺と表現されているんや。

ポニョ:ということは、霊力って霊的磁力の事で、それはナイフみたいなもんなんや。医者が使えば患者を手術して助けられるけど、悪もんが持てばそれを使って強盗が出来る。

ヨシオ:霊的には、それは有害な力と呼んでいるんや。分かり易く言えば黒魔術師が使っているパワーやな。怒り、嫉妬、執着などの想念はこの霊的磁力をすぐに使い切ってしまうんや。だから、怒った後とても疲れるやろ。

ポニョ:そうやな。目が充血するし、体温も上がってるんやろな、だって顔が真っ赤になるし、手足が震えるもんな。すごいパワーを使っていると思うで。

ヨシオ:俺の知り合いの旦那さんもめちゃ短気でいつ見ても怒ってたな。早く逝かれたけどな。

人の力は怒りによってかなり減少します。
寿命は、ねたみと怒りと憎悪という大きな刃によって短く切りきざまれます。
妬みは人の寿命を短くさせる主な原因です。
怒ると身体全体が震えます。
血液が熱くなります。血液が冷めるまで3ヶ月かかります。
一瞬の怒りは、6ヶ月間食事で得たエネルギーを消耗してしまうのです。10/8/83

人間が不浄なものを見たり感覚的快楽を追求するために、寿命が縮められています。
そして、不浄なものを見る結果 、人の目に備わる何十万という光線が失われています。
人間の目が悪くなっている原因はここにあります。

ポニョ:短気は損気っていうもんな。

ヨシオ:逆に物静かで神様の事を思い、必要以上なことを話さず、いつもニコニコしていたら霊力は貯まって行くんやろな。

ポニョ:おいらの知り合いに散髪屋さんがいて、ある日電話がかかって来たんや。それで、彼が言うのには、ものすごいネガティブな霊力がおいらからやって来たって言うんや。ポニョの怒っている顔がお客さんの髪の毛を切っている間中、頭に浮かんで離れへんかった。一体何を怒っているかまでは分からんかったけど、ものすごい血相で怒っていた。だから、次のお客さんを椅子に座らせて新しいジャンプを読んでもらっている間にこうしてポニョに電話してるんや。と心配してかけてくれたんや。確かにその時、あることでめちゃ頭に来て壁を蹴って一人で怒鳴りまくってたんや。おかげでそのあと、熱が出て三日間寝込んだぜよ。

ヨシオ:ポニョは頭に来ても普通は直ぐに機嫌を直すけどな。そんな頭に来るってポニョには珍しいな。その知り合いの人は散髪屋さんと言ってたな。散髪屋さんっていつも人の髪の毛に触れたり切ったりして、いつも誰かのオーラに触れてるんや。だって人の霊力は爪や髪の毛に貯まるから。だから人一倍、霊感が強い人が多いな。

ポニョ:でも、変な事を考えたり思ったりしている人の霊力には触れたくはないよな。驚いたのは、その知り合いの人の店は、おいらの家から三百キロも離れているのにおいらの怒りを感じることが出来たんぜよ。

ヨシオ:霊力には距離は関係無いんや。それに霊的なスピードは想念やから、光より速いんや。

ポニョ:あんたも昔みたいにカーッと来なくなってるけど、腹が立った事は無いんか?

ヨシオ:もちろん人間やからあるな。最近と言っても六年ほど前やけど、下の息子が十五才でプロバスケットボールのチームにスカウトされてデビューすることになったんや。それで、その日の試合の立派なプログラムを切符を買えばくれるんやけど、大きく息子の紹介が写真入りでしてあったんや。スタジアムもたくさんの人が詰めかけていて、俺の家族や友人も一人千円も払って息子のデビュー戦を見に来てくれたんや。試合の経過は一方的ではなかったんやけど、余裕の勝ちゲームで、いつ息子が出てもゲームの勝ち負けには影響しない展開やったので、みんなでコーチに息子を早よ出さしたってくれや。と心で祈ってたんや。結果は試合時間残り十六秒でやっとコーチに呼ばれてコートに出て一回ボールに触れただけでゲーム終了になったんや。家に帰ってから、嫁さんにブツブツとコーチの悪口を言って寝たんやけど、その夜、サイババさんが夢に出て来たんや。俺と息子と二人で立っていたらババが来られて、お前の息子の身体はまだ細すぎる。こんな大きな身体ばかりのレベルでやるのは危険だ。それにお前がこの息子の親だと思っているんやろうがそれは大間違いだ。私が、この子の本当の親だということはお前も知っているはずだ。私がコーチを使ってわざと十六秒間だけこの子をコートに立たせたのだ。この子の身体がもっと大きく、しっかりしてくれば私はこの子のコート時間を増やすつもりだ。それと、お前のコーチに対するネガティブなエネルギーは、私がもらっておいた。と言われたんや。

ポニョ:ババがネガティブな想念のエネルギーを取られたんか。

ヨシオ:俺たちのように神を信じて酒も飲まず、常に真理を言って菜食でピュアな生活をしている者が発するネガティブなエネルギーは、人を病気にしたり事故に遭わせたりするほど強力なんや。しかもおまけに、一度そういうエネルギーを発するとそれを後悔して取り戻す事も出来ないんや。悪いことにそのエネルギーは、自分に十倍に膨れ上がって将来戻って来るんや。だから、ババが自分の身に取ってくれたんや。この件があって絶対に、ほんの小さな事でもムカッと来たらあかんと思ったな。蛇足やけど息子は今ではスタメンで、コートタイムは平均三十五分ももらっているんや。

腹立ちやすい環境にいても、怒りをコントロールすることができるなら、それは見事な成就です。
そのような環境でないところで、怒りの感情をコントロールしたといってもそれは意味のないことです。
それゆえ、怒りや憎悪が起こりやすい世間の生活をしつつ、それらをコントロールすることを学ばねばなりません。SIP5-52
心の力を表現することなどとても出来ません。
思考の速度は、光や風やこの世界の何よりも速いのです。
人にこのような計り知れない力を与えられているというのに、人は自分で弱いものだと思い込んでしまうことは悲しいことです。
また、心と肉体の心臓とは何の関係もありません。SS3/90
愛の速度は非常に速いので、全宇宙を1秒で一回りすることがでます。
光の速度を測ることはできるかもしれませんが、愛の速度を測ることはできません。
しかし人間は、そのような超越的で無限の愛の周囲に障壁を張り巡らし、それを取るに足りない目的のために使っています。今日、世界が混沌に陥っているのはそのためです。
世界に平和と安全が欠如している原因を、人々は様々に考えるかもしれません。
しかし、最大の原因は、人間が心の中に愛を育てることができないからなのです。
人々は、自分たちの中に、無限で不滅の、甘露のごとき愛が内在していることを自覚するための努力を何ひとつしていません。想いと言葉と行動を愛で満たしなさい。
あなたの人生を愛で満たしなさい。

ポニョ:そうかそんな事があったんか。おいらもその事があって以来、自分が怒るっていろんな物に影響してるって分かったな。だから、それまで怒りっぽい反面、直ぐに怒っている事さえ忘れてしまうキャラを、忘れてしまうだけを残すようにしてるんや。

ヨシオ:それって、よく分からんけどな。いずれにしてもポニョや俺の怒りの波動は世界中いや、宇宙中に影響するんや。だから、逆にヴェーダを唱えると、その神聖なバイブレーションは世界中に愛の波動を広めて世界の平和に貢献出来る力を持っているんや。

人は人間社会を全面崩壊の寸前にまで追い込んでいます。
人はその知性を使って、土地と大気と水を汚染しています。
また解脱の道具である心を自分を縛る鎖に変えました。
人は、教育、法、政治、商売、科学を通して自らを偏見や、教条主義や、国家エゴの中に閉じ込めてきました。
通信技術の発達に伴い、世界はますます小さくなってきましたが、隣人への愛はどこにも見られません。
人類がこれまでに体験した、いかなる革命よりももっと強力で 政治的、経済的、科学的、技術的よりもっと深く普遍的に広まる 根源的な革命が今進行しつつあります。それは霊的革命です。
それは、人間の内的視力を研ぎ澄まさせてアートマに関する真実を見ることができるようにします。その影響は、必ずや人類社会全体を包んで豊かにし、人々を神性という無限の海に向けて流れる求道者たちの中に放り込むことでしょう。
インドはこの霊的革命を先導するのです。この革命の手段と目的は愛です。
それは世界中の教育、道徳、法律、政治、商業、科学の分野に、愛の泉を呼び覚まします。
それは、父なる神と人類同胞という意識を人々にもたらして同胞に奉仕するよう啓発するでしょう。
どんな人でも、どこにいようが、どのような身分であろうが、また何を信仰していようともこの霊的革命に加わって、人類を無知から解放するための道具になることができます。Prema Dhara2

嫌いな人でも好きになれるレッスン❶

ポニョ:マユールさんがクンダリーニのパワーと思い込んでたら実はロウソクの炎が風よけに使っていたダンボール紙に燃え移っていた話は笑ったぜよ。でも、ダンボール紙が燃えたら焼ける匂いがするやろ。

ヨシオ:その校舎はまだ建築中で隙間だらけやったんや。だから風が吹き込んで来てロウソクの火を消すぐらいやったのでダンボール紙が必要やったんや。たとえ匂いがしても風で吹き飛ばされていたのかもしれないな。

ポニョ:ところでエゴや欲望を持ったまま瞑想や苦行をすると、好ましい方向に行かないってその時の記事で言ってたな。もちろんひび割れた壺には霊力が漏れてしまうのは分かったけど。

エゴを持ち続けている限り、どのような霊性修行も実践できません。
あなたが行ってきた様々な霊性修行が心やエゴ、すなわち「私という意識」を伴って行われたために、あなたは今まで向上できなかったのです。
中には「私は肉体である」として、自分を肉体と同一視しながら霊性修行をしている人もいますが、そのような修行はあなたを真の目的地に連れて行ってくれないでしょう。
ラーヴァナ、カンサ、バスマースラといった者達はこの部類に属します。
~生きとし生けるものすべてのものの内に同じ神聖さを感じ、体験することが真の愛です。STPSp196


ヨシオ:以前、クンダリーニ ヨーガの事を記事にした時に、クンダリーニのパワーが背骨をクルクルと蛇のように螺旋状に昇って行って、頭頂部にある千枚の花弁の形をしているサハスラーラチャクラに到達する。そして花の中心にある光が大きく膨張して花弁に触れると神を経験するけど、世俗的な欲望を持ったままサハスラーラチャクラに到達すると花弁の方から光に触れなければならないということを言ったよな。どちらも神の力を得ることは出来るけど、一方は間違った方へ行ってしまうんや。

ポニョ:つまり、神と融合するという真の目的地に行けないって事やな。

人体の脊柱上には、シャド・チャクラと呼ばれる生命を維持する六つのポイントがあります。
一番低いところに位置するのはムーラーダーラー・チャクラと呼ばれる、生命を維持する根本的、根源的なポイントです。
プラーナーヤーマでは、二番目の段階である保息をしている間に、シャドチャクラを通過する空気の供給が欠乏するために、クンダリーニーが目覚め動き出して上昇し始めます。
最上部には、サハスラーラチャクラすなわち「大泉門」があります。
そこには花びらに囲まれた神聖な光りが存在しています。
サハスラーラーチャクラは、千枚の花弁がついた蓮華の花のようなものです。
人が鬼のような性質を持つと、それらの花びらが中央の神聖な光りに触れます。
逆に人が神の性質を持ち始めると、神聖な光りの方から花びらに触れ始めるのです。
このように、霊性修行を行うとクンダリーニが、人体に影響を与えるのです。STPSp213

ヨシオ:普通、人は霊力が多いとか少ないとか言っているけど霊力って想念の力なんや。その想念の力が霊的磁力となって全てのものを引きつけたり、いろんな物に変化するんや。

ポニョ:磁力って言うと鉄しかくっ付かないと思うけど、霊的磁力は何でもくっ付くんやな。

ヨシオ:以前も紹介したけどロシアの女性はこの霊的磁力が生まれつき強くてスーパーに行っても何でも身体にくっついて来るから大変やったんや。でも、このパワーをコントロール出来なかったのでで早死にされたけどな。

ブリジッドというロシア女性は、強力な磁力を持っていました。
彼女が道を歩くと必ず鉄分を含んだ物体が彼女に引き寄せられました。
彼女が店に入ると商品が彼女に引っ付くために入店を断られました。
しかし磁力を備えるだけではなくそれをコントロールする力も必要です。
彼女はそれができなかったために、食事も満足に摂れず早死にしてしまいました。13/3/02

ポニョ:ババがひび割れた壺から漏れるのはこのパワーなんか?

ヨシオ:瞑想をして神の御名を唱えたり御姿を浮かべたりすると、神を思う想念の力はどんどん貯まって行く。でも世俗的な欲望と結びつくと、心がせっかく浄化し始めているのにまた世俗の垢で汚れて行くんや。その事をひび割れた壺と表現されているんや。

ポニョ:ということは、霊力って霊的磁力の事で、それはナイフみたいなもんなんや。医者が使えば患者を手術して助けられるけど、悪もんが持てばそれを使って強盗が出来る。

ヨシオ:霊的には、それは有害な力と呼んでいるんや。分かり易く言えば黒魔術師が使っているパワーやな。怒り、嫉妬、執着などの想念はこの霊的磁力をすぐに使い切ってしまうんや。だから、怒った後とても疲れるやろ。

ポニョ:そうやな。目が充血するし、体温も上がってるんやろな、だって顔が真っ赤になるし、手足が震えるもんな。すごいパワーを使っていると思うで。

ヨシオ:俺の知り合いの旦那さんもめちゃ短気でいつ見ても怒ってたな。早く逝かれたけどな。

人の力は怒りによってかなり減少します。
寿命は、ねたみと怒りと憎悪という大きな刃によって短く切りきざまれます。
妬みは人の寿命を短くさせる主な原因です。
怒ると身体全体が震えます。
血液が熱くなります。血液が冷めるまで3ヶ月かかります。
一瞬の怒りは、6ヶ月間食事で得たエネルギーを消耗してしまうのです。10/8/83

人間が不浄なものを見たり感覚的快楽を追求するために、寿命が縮められています。
そして、不浄なものを見る結果 、人の目に備わる何十万という光線が失われています。
人間の目が悪くなっている原因はここにあります。

ポニョ:短気は損気っていうもんな。

ヨシオ:逆に物静かで神様の事を思い、必要以上なことを話さず、いつもニコニコしていたら霊力は貯まって行くんやろな。

ポニョ:おいらの知り合いに散髪屋さんがいて、ある日電話がかかって来たんや。それで、彼が言うのには、ものすごいネガティブな霊力がおいらからやって来たって言うんや。ポニョの怒っている顔がお客さんの髪の毛を切っている間中、頭に浮かんで離れへんかった。一体何を怒っているかまでは分からんかったけど、ものすごい血相で怒っていた。だから、次のお客さんを椅子に座らせて新しいジャンプを読んでもらっている間にこうしてポニョに電話してるんや。と心配してかけてくれたんや。確かにその時、あることでめちゃ頭に来て壁を蹴って一人で怒鳴りまくってたんや。おかげでそのあと、熱が出て三日間寝込んだぜよ。

ヨシオ:ポニョは頭に来ても普通は直ぐに機嫌を直すけどな。そんな頭に来るってポニョには珍しいな。その知り合いの人は散髪屋さんと言ってたな。散髪屋さんっていつも人の髪の毛に触れたり切ったりして、いつも誰かのオーラに触れてるんや。だって人の霊力は爪や髪の毛に貯まるから。だから人一倍、霊感が強い人が多いな。

ポニョ:でも、変な事を考えたり思ったりしている人の霊力には触れたくはないよな。驚いたのは、その知り合いの人の店は、おいらの家から三百キロも離れているのにおいらの怒りを感じることが出来たんぜよ。

ヨシオ:霊力には距離は関係無いんや。それに霊的なスピードは想念やから、光より速いんや。

ポニョ:あんたも昔みたいにカーッと来なくなってるけど、腹が立った事は無いんか?

ヨシオ:もちろん人間やからあるな。最近と言っても六年ほど前やけど、下の息子が十五才でプロバスケットボールのチームにスカウトされてデビューすることになったんや。それで、その日の試合の立派なプログラムを切符を買えばくれるんやけど、大きく息子の紹介が写真入りでしてあったんや。スタジアムもたくさんの人が詰めかけていて、俺の家族や友人も一人千円も払って息子のデビュー戦を見に来てくれたんや。試合の経過は一方的ではなかったんやけど、余裕の勝ちゲームで、いつ息子が出てもゲームの勝ち負けには影響しない展開やったので、みんなでコーチに息子を早よ出さしたってくれや。と心で祈ってたんや。結果は試合時間残り十六秒でやっとコーチに呼ばれてコートに出て一回ボールに触れただけでゲーム終了になったんや。家に帰ってから、嫁さんにブツブツとコーチの悪口を言って寝たんやけど、その夜、サイババさんが夢に出て来たんや。俺と息子と二人で立っていたらババが来られて、お前の息子の身体はまだ細すぎる。こんな大きな身体ばかりのレベルでやるのは危険だ。それにお前がこの息子の親だと思っているんやろうがそれは大間違いだ。私が、この子の本当の親だということはお前も知っているはずだ。私がコーチを使ってわざと十六秒間だけこの子をコートに立たせたのだ。この子の身体がもっと大きく、しっかりしてくれば私はこの子のコート時間を増やすつもりだ。それと、お前のコーチに対するネガティブなエネルギーは、私がもらっておいた。と言われたんや。

ポニョ:ババがネガティブな想念のエネルギーを取られたんか。

ヨシオ:俺たちのように神を信じて酒も飲まず、常に真理を言って菜食でピュアな生活をしている者が発するネガティブなエネルギーは、人を病気にしたり事故に遭わせたりするほど強力なんや。しかもおまけに、一度そういうエネルギーを発するとそれを後悔して取り戻す事も出来ないんや。悪いことにそのエネルギーは、自分に十倍に膨れ上がって将来戻って来るんや。だから、ババが自分の身に取ってくれたんや。この件があって絶対に、ほんの小さな事でもムカッと来たらあかんと思ったな。蛇足やけど息子は今ではスタメンで、コートタイムは平均三十五分ももらっているんや。

腹立ちやすい環境にいても、怒りをコントロールすることができるなら、それは見事な成就です。
そのような環境でないところで、怒りの感情をコントロールしたといってもそれは意味のないことです。
それゆえ、怒りや憎悪が起こりやすい世間の生活をしつつ、それらをコントロールすることを学ばねばなりません。SIP5-52

心の力を表現することなどとても出来ません。
思考の速度は、光や風やこの世界の何よりも速いのです。
人にこのような計り知れない力を与えられているというのに、人は自分で弱いものだと思い込んでしまうことは悲しいことです。
また、心と肉体の心臓とは何の関係もありません。SS3/90

  愛の速度は非常に速いので、全宇宙を1秒で一回りすることがでます。
光の速度を測ることはできるかもしれませんが、愛の速度を測ることはできません。
しかし人間は、そのような超越的で無限の愛の周囲に障壁を張り巡らし、それを取るに足りない目的のために使っています。
今日、世界が混沌に陥っているのはそのためです。
世界に平和と安全が欠如している原因を、人々は様々に考えるかもしれません。
しかし、最大の原因は、人間が心の中に愛を育てることができないからなのです。
人々は、自分たちの中に、無限で不滅の、甘露のごとき愛が内在していることを自覚するための努力を何ひとつしていません。
想いと言葉と行動を愛で満たしなさい。
あなたの人生を愛で満たしなさい。


ポニョ:そうかそんな事があったんか。おいらもその事があって以来、自分が怒るっていろんな物に影響してるって分かったな。だから、それまで怒りっぽい反面、直ぐに怒っている事さえ忘れてしまうキャラを、忘れてしまうだけを残すようにしてるんや。

ヨシオ:それって、よく分からんけどな。いずれにしてもポニョや俺の怒りの波動は世界中いや、宇宙中に影響するんや。だから、逆にヴェーダを唱えると、その神聖なバイブレーションは世界中に愛の波動を広めて世界の平和に貢献出来る力を持っているんや。

人は人間社会を全面崩壊の寸前にまで追い込んでいます。
人はその知性を使って、土地と大気と水を汚染しています。
また解脱の道具である心を自分を縛る鎖に変えました。
人は、教育、法、政治、商売、科学を通して自らを偏見や、教条主義や、国家エゴの中に閉じ込めてきました。
通信技術の発達に伴い、世界はますます小さくなってきましたが、隣人への愛はどこにも見られません。
人類がこれまでに体験した、いかなる革命よりももっと強力で 政治的、経済的、科学的、技術的よりもっと深く普遍的に広まる 根源的な革命が今進行しつつあります。
それは霊的革命です。
それは、人間の内的視力を研ぎ澄まさせてアートマに関する真実を見ることができるようにします。
その影響は、必ずや人類社会全体を包んで豊かにし、人々を神性という無限の海に向けて流れる求道者たちの中に放り込むことでしょう。
インドはこの霊的革命を先導するのです。
この革命の手段と目的は愛です。
それは世界中の教育、道徳、法律、政治、商業、科学の分野に、愛の泉を呼び覚まします。
それは、父なる神と人類同胞という意識を人々にもたらして同胞に奉仕するよう啓発するでしょう。
どんな人でも、どこにいようが、どのような身分であろうが、また何を信仰していようともこの霊的革命に加わって、人類を無知から解放するための道具になることができます。Prema Dhara2

嫌いな人でも好きになれるレッスン❷

ポニョ:昨日は、なんかおいらの頑固さがばれてしまったぜよ。前から、気が付いていたんやけどなかなか治すのは難しんや。

ヨシオ:そらそうや。誰でも性格を変えるなんて一朝一夕に出来るもんやない。時間かけてゆっくりと変えていけや。まず、自分の主張にこだわらないことやな。自分は自分が言ってたり信じていたりしていることを100%正しいと思っていても、他人の方が自分より知っている場合だってあるやろ。それに、少し見方を変えたら他人の行ってることの方が理が通っている場合だって多々あるんや。だから、他人が言ってることに1%の真理があるんやったら、自分の方が99%正しいと思っていても他人の人の話に謙虚に耳を向けて、そこから学ぶっていう姿勢が大切なんや。でも、そんな風にポニョはしてるって思っていたんやけどな。

ポニョ:時々、変に昔のキャラが出て来るんや。これだけは仕方ないな。それじゃ、おいらの話はこれぐらいにしてサイの学生さんの話に入ろか。

ヨシオ:そうやな。このゴパール君はグジャラティというところにある王国の跡継なんやけど、悪い奴がいて、お婆ちゃんを騙して銀行口座から大金を引き出して横領したり、慈善事業に寄付した金を横取りしたりしてたんや。その事がばれて、ゴパール君は頭に来てたんや。家の人たちは全てババの帰依者でこの世に何の偶然もない。全てを神に捧げたと思えばええやんか。これはカルマを支払ってるんや。仕方のない話やと言って、受け入れていたんやけど、ゴパール君は受け入れられなかったんや。それで、サイの高校に十一年生から編入したんやけど、編入して三ヶ月程してベランダにいる時に、突然ババがインタビュールームから怒った顔をして出て来られて、ゴパールよ。ちょっと中に入れ。と言われたんや。そして、驚いて恐々インタビュールームに入ると、ババはいきなり、お前は一体何をしとるんじゃ。と言って叱られたんや。ゴパール君はベランダに座っていただけで、何も悪いことはしていないのに、どうして叱られているのかさっぱり分からないので困惑してたんや。それでババに、あの〜僕が何かしましたか?ベランダに座っていただけなんですが。と答えるとババは、そこに三十分座っている間に三回も人を殴り殺しているやないか。と言われたんや。ゴパール君はベランダの座っている時にその男の事を思い出し、頭の中でその男を殴っているのをイメージして想像に耽っていたんや。

ポニョ:ババが怒って来られたのはゴパール君がそういうことを想像していたからか。頭の中で想像しただけで叱られるってボーッと出来ないな。

ヨシオ:だから、ババの近くにいつもいるって大変難しいことなんや。とても気を使って気を抜くことが出来ないんや。だから、いつも頭の中で良い事を思って、且つ、頭の中で思ったことと言葉と行為が自然に一つに出来る、子供の心を持ったような人でないと難しいんや。

ポニョ:おいらはそれが普通に出来ているな。逆に、何で人は頭の中で思ったことと違うことを言葉として言えるか理解出来ないし、それをやろうとしたら声が震えたり、言葉に詰まったりするからちょっと無理やな。

ヨシオ:ポニョのような人間はババのそばに居てても大丈夫やろな。それでゴパール君はババに、あなたは何でも知っておられるでしょう。あの男は僕の家のお金を盗んでいたんです。許すことなど出来ません。あなたがなんとかして下さいよ。と言うと、だからこうしてお前をここに呼んで殺される事から救っているんや。と言われたんや。ゴパール君は全然意味が理解出来なかったので、どうして僕が殺されるんですかと聞くと、ババは、このお前たちが住んでいる世界では気に入らない連中がいれば殺して消してしまえばそれで良い、と思っているんだろうけど、神の法則では違うんだ。神の法則では、頭の中でイメージした途端にそれが実現するのだよ。だから、良くないことを頭の中で想像すると七倍になってその人に戻って来るので気をつけなさい。お前の場合では、三回も人を殴り殺したので、その七倍だから21回も将来殺されそうになるんだ。でも、その男はお前の事を全然何とも思っていないので、お前のようなカルマを作っていないのだ。さあ、これでもまだその男のことを、嫌いか?と尋ねられたんやけど、ゴパール君はそんなの不公平です。まだ嫌いです。そんな簡単に許せないです。と言ったんや。

ポニョ:この前は十倍になって返って来るって言ってなかったか。状況に応じて違うんかな。でもこのゴパール君はやっぱり、おいらと反応が一緒やな。おいらも同じ事を言うやろな。ほんまに不公平やんか。なんでその男の事をボコボコにしてしまう事を想像しただけで、そんなカルマを作り、将来21回も殺されそうになるんや。絶対不公平やんか。受け入れることなんて出来ないぜよ。

ヨシオ:まあそれが普通やろな。それで、この後ババはゴパール君にヴィジョンを見せられたんや。突然ゴパール君がいたインタビュールームが断崖絶壁の上に変わって、その男がゴパール君の前にいて、ババがさあ、男がいるぞ。殴るんだろ。と言われたので、一発ブチこましたんや。そこから男は大きな悲鳴をあげてゆっくりと後ろ向きに歩き、地面にある先のとんがった石につまづいて後ろに転び、崖から落ちそうになたんや。その時ババの声がまた何処からともなく聞こえて来て、ゴパールよ、何が見える?と聞かれたんや。ゴパール君は男が崖から落ちようとしています。と言ってその光景を冷たい目で見ていたんや。するとババは、その男は手に何か持っているだろう。と言われたので、よく見るとなんと、可愛い赤ちゃんを必死に一方の手に持っていたのが見えたんや。その赤ちゃんはゴパール君を無垢な目で笑いながら見つめていたんや。ゴパール君は男に恨みはあってもその赤ちゃんには何の恨みもないので、赤ちゃんを助けなければいけないと思い、とっさにその崖から半分落ちかけている男のところに行き、その男の身体を抱えたんや。そして渾身の力を込めて男を崖の上に引っ張り上げようとしていたんやけど、とても重くて、ババに助けてください、と大きな声を出してお願いしたんや。すると、なんとか男を引き上げることが出来、赤ちゃんも助かったんや。そしてゆっくりと目を開けるとババが来てゴパール君の肩に手を置き、ゴパールよ。これでもまだその男のことを嫌っているのか?と聞かれたんや。ゴパール君は、いいえ彼に対する恨みは消えました。もう嫌いではなくなりました。と言ったんや。そして、これはお前の為に私が仕組んだ、恨んでいる人を恨まなくなるレッスンなのだ。これからの人生で、もし嫌いな人が出来たら、今日のようにお前の中にある愛の泉から愛の水を汲み出し、その者をお前の愛の水で溺れさすのだ。自分の愛が引き出せるものならなんでも良い。今回は赤ちゃんだったけれど、それが可愛い子犬でもなんでも良いのだ。とにかく、自分の愛の泉から愛を引き出せるものをイメージして、その自分が恨んだり嫌いだったりしている人の上に投影するのだよ。そうすれば、その者を今のように嫌いではなくなるようになるだろう。一番理想的なことは、その男もお前もお互いに愛を持つことなのだ。
でもそれが難しければ、お前だけでも、あの男を嫌いにならないようにイメージすれば良いのだ。でないとさっきも言ったように、もしこのまま放置したらあの男ではなく、お前が新しいカルマを作ってしまうのだ。あの男が何処か遠くにいてお前のことを嫌っているかどうか、そんな事は問題では無いのだ。大事な事は、お前がその男を愛しているかどうかなのだ。と言われたんや。

ポニョ:これは、すごいレッスンやぜよ。こんなレッスンをされたら誰でも、嫌いな人がいなくなってみんなを好きになれそうやな。

ヨシオ:ゴパール君も同じ事を言っていた。もういつでも、心を開いてその男と一緒にコーヒーを飲みながら談笑出来るって。恨みのうの字さえもう無くなったって言ってたな。

ポニョ:おいらも、裏社会の連中の上に、おいらの愛するオクラの天ぷらでも投影して食べてしまおうかな。

ヨシオ:あの〜それって愛の行為なんか?

平常心を養うために様々な方法があります。
誰かが、あなたのことを罵ったり、中傷したり、無視しても、それらを笑顔で受け入れなさい。
こういうことが起こるのは、この世界では普通のことなのですから。
それは、基本的には感謝知らずで礼儀知らずな行為だけれども、結果的にはそういうことを通じてあなたを強くするのです。
そのような体験をしても、怒ったり恨んだりせず自分自身を勇気づけながら、口元に静かに勝利の微笑みを浮かべれば良いのです。SSSvol8p229

愛の心を育みなさい。
だれをも嫌ってはなりません。
起こることはすべて自分のためだと信じなさい。
いついかなる困難や苦しみが降りかかってきたとしても、その原因は自分自身にあります。
他の人を敬いなさい。
その行為自体があなたを守ってくれるでしょう。
反対に、もしだれかを侮辱したなら、その行為自体があなたを罰するでしょう。
喜びも苦しみもあなた自身が作り出したものです。
あなたが積んだ徳や犯した罪は影のようにあなたについてきます。
現代人は他人に説教をしながら自分ではその教えを守ってはいません。
そのような教えにどんな価値があるというのでしょう?
そうしたものはすべて欺瞞にすぎません。
どんな教えを読もうとも、どんな教えを聞こうとも、それを実践しなければ、その教えが役に立つことは決してありません。
少なくとも、小さな形で人類同胞を助けなさい。
そうした行為そのものが皆さんを助けてくれるでしょう。
自分が遭遇する困難を他人のせいにしてはなりません。
決して人をののしってはなりません。
すべてを愛しなさい。
すべての人を兄弟姉妹として扱いなさい。
神が父であり人類は同胞であると感じる心を育てなさい。1/1/04

手を振りすぎたらちぎれるで

ポニョ:ゴパール君って人が良さそうやな。

ヨシオ:だから、今まで人に利用されて来たんや。

ポニョ:おいらのクラスメイトにも、そんな奴がいてたな。金を悪ガキから巻き上げられるんや。

ヨシオ:ババはゴパール君に、お前がもっとシャキッとしないから、人に利用されるんや。時には人に対して厳しい態度を取らないといかん。と言ってたしなめられたんや。

ポニョ:まあええわ。とか言ってたら、いつまで経ってもハイエナみたいに、しつこくひっつき回る奴がおるもんな。

ヨシオ:ババは、そういう輩のカルマはお前のせいで作ってるんや。お前がしっかりすれば奴らも来ないやろ。と言われたんで、それ以来シャキッとするようになったんや。

ポニョ:シャキッか。被害者のせいでカルマを作るって、なんか腑に落ちないけどな。でも、そういうことがあるんやろな。

ヨシオ:いくらカルマを作っても神の恩寵で取り消しになる場合もあるしな。例えば、その人がそのカルマを支払うのに、とても大変で耐えきれない時には、神さんが介入されて苦痛を軽減してくれるんや。神さんだけやろなそんな権限を持っているのは。

良い行いは、誤った行いによる悪い結果を取り消すことが出来るという考えは、貸し借りの発想です。
神の貸借対照表は、それと種類が違います。
神は善行善果、悪行悪果と言った具合に、あなたが自分の行為の結果に直面するようにします。
神は人のどのような行為の結果にも、足し引きはしません。STPS2p153
皆さんは、神の恩寵を得るにふさわしくなるために、正しい行いをして、功徳を積まねばなりません。
生まれ出たるとき、皆さんは首もとに何の花輪もかけてはいません。
しかし、良かれ悪しかれ、すべての過去の行為の結果 という目に見えない花輪をかけているのです。
そのカルマ(行為の結果)の首輪なしにこの世に生まれ出る者は一人としてありません。
しかし、人はこの真実を忘れ、常に快楽と富を追い求めます。
世俗的な喜びがどれほど長く続き得るでしょうか?
若者たちは、自らの若さや富を誇りに感じます。
しかし、それらは一時的なものなのです。
この真理を悟り、私たちは、神の恩寵という富を蓄えなければなりません。6/5/03
皆さんは、カルマの結果から逃れる方法はあるのだろうかと思っているかもしれません。
方法はあります。
神の恩寵を得た人々には可能です。
ひとたび神の恩寵の受取人になれば、カルマ・パラの影響を受けることはなくなります。
ですから、神の恩寵が得られるよう努力すべきです。
カルマから逃れるのは不可能だ、と学者は言います。
学者の言っていることもある程度は真実です。
けれども、ひとたび神の恩寵を得たならば、たとえカルマの結果を被らなければならないとしても、もはやその痛みを感じなくなるのです。
薬が入ったビンを例にあげましょう。
ビンには薬の有効期限が記してあります。
有効期限を過ぎれば、薬の効き目はなくなります。
それと同じように、神の恩寵はカルマ・パラを「期限切れ」にします。
つまり、神の恩寵はカルマの結果 を無効にするのです。
ですから、カルマの結果から逃れることは可能なのです。
人間は神の恩寵を受けるに値することができるように、必要な強さと意志の力を培うべきです。
ひとたび神の恩寵を得たならば、カルマの足かせから解放されるのです。21/7/05

ポニョ:コダイカナルの帽子売りの子供も、そんな感じかな。ババが学生たちに帽子を買いに行かすまでの二週間の間、一個も売れなかったんやろ。それにあの子、孤児やったんやな。知らんかったぜよ。

ヨシオ:ババは学生たちにお金を渡す時に、絶対に帽子を値切って買ってはいけないと言われたんやけど、その子は、夏のシーズンも終わりやからと言って、大幅な値引きしてくれたんやけど正価で買ったんや。それである学生が、君サイババって聞いたことある?て聞いたら、大事そうに古新聞の切り抜きを財布の間から取り出して来て学生に見せたんや。それはババの写真で、その子はいつもババに礼拝していますって言ったんや。

ポニョ:ババは、自分に帰依するものを決して見捨てられないんやな。この話はつい最近聞いたばかりやけど、いつ聴いてもええよな。心にジンと来るぜよ。おいらの家にはババの写真がたくさんあるので、一枚持って行ってあげようかな。

ヨシオ:もう、学生があげてるやろ。そんな事心配せんでも。コダイカナルでは、学生たちとババがいつも一緒やから、いろんなエピソードが伝えられているな。ババのお住まいであるサイシュルティでは、一週間に一度、奉仕の日というのがあって貧しい人たちにサリーやドーティという服などを配布するんやけど、その日はたくさん毛布が残ったんや。ババは、ここに来た人たち全員が受け取ったかどうか、もう一度チェックしなさいと言われたので、チェックしたんやけど、皆もらっているようなので、ババに報告すると、ババは何も言われずに部屋に戻られたんや。しばらくして、ホールに出て来られたんやけど、とても機嫌の悪い顔をされていて、近くにいた学生に喉が渇いたと言われたんや。それで、その学生がコップに水を入れて持って行くと、横によけて飲まれなかったんや。その学生も含めて、一体どうしたものかと、気をもんでババを見ていたら、ババは運転手を呼ばれて何かを言われ、そしてそのまま車に乗られて何処かへ行かれたんや。小一時間ほどで帰って来られたんやけど、どういうわけか満面に笑みを浮かべてられてたんや。みんなは、一体何があったのか運転手に聞いたところ、ババは残りの毛布を全部車に乗せて、あちこちの家を回られて毛布を配られていたんや。

ポニョ:それってすごいよな。ババが自ら毛布を配りに行かれるって。もらった人は驚いたやろな。突然ババが、あの〜毛布を持って来たんですよ。よかったら使ってね。君たち、私のダルシャンに来たくても交通の便が悪くて来れなかったでしょう。だから私がこうして来たんですよ。ここは標高が高くて夜は冷えるからね。しっかり毛布にくるまって寝なさいよ。と言って配られたんやろな。

ヨシオ:ポニョの言ったとおり、人々はババがコダイカナルに来られているのは知っているんやけど、交通の便が悪くて来れない人が多いんや。学生たちはババのそういう行為を見て、奉仕というのは、助けを求めに来て人だけにするものではなくて、助けを必要としている人のところにも出かけなくてはならないのだ、という事を学んだんや。その後、ババが戻られてから、ババは一息でコップの水を飲み干されたんや。

カルマを支払い、奉仕や霊性修行を行う上で、あなたは様々な困難に出合います。
しかし、それはあなたが生きているこの世界では自然なことです。
この世界には善と悪、喜びと悲しみ、光と影といったように二面性を持っています。
それらのことにあまり重きを置かないようにしなさい。
あなたに降りかかるものを、あなたの義務として神への祈りと共に受け入れることです。
そしてその結果については神の御手にゆだねなさい。SS11/1996

今日教育を受けたものは皆、利己的な欲望の追及にのみ関心を持っています。
他人への奉仕をしようと思わず、国益も念頭にありません。
卒業しないうちから就職を心配します。
教育と就職のつながりを、きっぱりと断ち切りなさい。
教育は人生のためであり、食べるためではありません。21/5/92


ポニョ:喉が渇いたと言われた意味は、帰依者がババのことを心から呼んでいる。という意味だったんやな。ババに会いたくても会えない苦しさを、喉が渇いたと表現されたんやろうな。それより、あの孤児のところにも行かれたんやろな。

ヨシオ:ポニョがさっきから孤児の事ばっかり心配してどうするんや。その帽子屋の子供は両親を亡くしたけど、本当の両親であるババが面倒見てくれるので心配ないんや。それとも養子にでもするか?

ポニョ:そこまでは考えたことないな。そんなたたみかけるような喋り方をしなくてもええやろ。
ヨシオ:帽子屋の孤児にこだわり過ぎや。不毛の惑星の東半球に、一人で住んでいる奴のことをもっと心配したれや。

ポニョ:分かったってその話は。今度、一緒にコーヒーでも飲もうって約束したんや。でも、いつババの話を聴いてもババは優しいなって思うよな。本当に子供のような純真な心を持っておられるもんな。

ヨシオ:子供で思い出したんやけど、ババは子供達にテトラパックというジュースを配っておられたんや。そのジュースを飲んだ後、空になったビニールの中に、もう一度ストローを突っ込み息を吹き込むと風船みたいに膨らむんや。それを手で割ると大きなパーンという音がして、周りの人を驚かせることが出来るんや。それで、その日はもちろんババがおられるし、そういう音を立ててはいけないので、みんな、飲んだ後のテトラパックをゴミ箱に捨てていたんやけど、誰かが大きなパーンという音をさせてテトラパックを破裂させたんや。みんなはこんな大きい音をさせたんやったらサイババさんにも聞こえたかもしれん。もしそうだったら後で怒られると思って、恐る恐るサイババさんを見ると、こちらを何気無く見られていたんや。ほら、スワミにも聞こえたやんか。これは絶対後で怒られると思っていたけど、この後、先生も誰も何も言ってこないし、ババも普通にされていたので、良かったと言ってみんなで安心して教室に戻ろうとしたら、誰かがまた、大きなパーンという音をさせてテトラパックを破裂させたんや。うわ!今度は絶対に怒られるぞ。二回もババの前でそんな音を立てたらと思って、誰が破裂させたんやと思って周りを見回すと、ババがテトラパックの破れたビニール袋を持って、やんちゃ坊主のような顔をして笑いながら子供達を見ておられたんや。

ポニョ:ほんまに子供やな。ババは。子供がパーンと大きな音を立ててジュースの袋を割ったのを見て、自分もやりたくなったんやろな。人を驚かすのが大好きやからなババは。へえ〜。このジュースのパックはこんな音を出すことも出来るんや。面白い。私もやって見よかな。子供たちも驚くやろな。ワン、ツー、スリー 行くぜ!パーンという感じやろな。おいらもっと早くババとお友達になってたら良かったな。おいらと一緒に自然の中でいろんな事をして遊べたのにな。

ヨシオ:今からでも遅くないやんか。ポニョのイメージの世界の中で、俺みたいにババと遊べるで。昨日の瞑想で、俺はババと組み体操して遊んだな。ババはいつも上の方ばかり行きたがって俺はいつも支える側や。もう面白くなくなって途中でやめたった。でも、学生さんに頼んで一番格好がええところをカメラで撮ったけどな。

ポニョ:普通の人が聞いたらあんたの事、頭がパーになってるって思うやろな。

ヨシオ:自分でもそう思うわ。でも他の人のことは何にも気にしてないんや。俺とババだけの秘密の、お遊戯の時間や。以前、ウーティのサイババ小学校の話をしたやろ。ババがそこの学校に行かれる時は、子供達と一緒に寄宿舎の一室で寝られるんや。子供達も、とても喜んでババがおられる間とても興奮するんや。でもいつかは別れの時が来るやろ。それまでクリスマスと正月が一緒に来たみたいに、ペンやらお菓子やらペンダントやらノートブックやら物質化してプレゼントされるやろ。それに小さい学校やから、一人ひとりに神の無限の愛情を注がれるので、子供達はババをとても愛していて、ババが帰って行く時を恐れているんや。だから、ババは早朝四時に、みんなが寝ている頃に、そっと音を立てないようにして車で帰られるんや。でも子供達はそれに気づいていて、ババの車が出るや否やベッドから飛び起きて、二階にあるガラスの部屋と呼ばれている、景色がよく見える部屋に競って駆け上がって行くんや。ウーティの学校は丘の一番上にあるので、遠くの方までよく見えるんや。それで、子供達は泣きながら、ババの名前を呼んで手がちぎれそうになるまで振るんや。ババの車がだんだん小さくなって、見えなくなるまで10分ぐらいかかるんやけど、その間、みんなの目はババの車に釘付けになるんや。ババも、もちろん子供達が自分に手を振っているのを知っておられるので、その十分間の間、車中の誰とも話をされず、よそ見もせず、ずっとリヤウインドウから子供達を見ながら手を振り返されるんや。分かるやろ。俺、自分の長男をウーティの学校に行かしたかった理由が。

苦行とは自分が神と別れてしまっていると感じるときの辛い気持ちのことです。
神と別れているという苦しみがあれば、何時どこにいてもそれは苦行をしているのです。
苦しみを感じながら神を熱烈に求めていけば、三つのグナの魔力に捕らわれなくなります。
その時、三つのグナは融け合って一つになります。
~それが出来れば、言葉に尽くしがたい大いなる悦びがやってきます。SGc11
ハヌマーンは「私はラーマ様の僕だ」という一途な気持ちによって大きな悦びを味わっていました。
ただその気持ちはいつまで続くでしょうか。
それは神の恵みを受け、神の近くにいるときだけです。
神と別れてしまったら大変苦しむことになるはずです。
「私は神」の段階になれば苦しみの問題は全く起こりません。
高度な段階になれば、いつも神と一つなのですから、神と別れたり苦しんだりすることはありません。
「神の僕」の段階では、神と僕が別れてしまう事もあるが「私は神」の段階では悦びが途切れることはありません。
二つに分かれることは決して無いからです。SGc9
神を忘れるのは人間です。神は決して信者から離れていることはありません。
信者が神から離れているだけです。
あなたは神があなたから離れていると思っています。
しかし全くそうではありません。
あなたは神を忘れ、神があなたを忘れたと宣言していますが、実はあなた自身の感情があなたに反映されているだけなのです。14/1/96
現代人はすべての物事に関して疑います。このような猜疑心は、自分が神から離れた存在だと思うことから生じるのです。23/2/06

大根役者は辛いよ

ポニョ:ババは本当は子供たちと混じってジュースの空袋を破裂させながら遊びたかったんやろなと思ったぜよ。

ヨシオ:ババは、舞台の上の玉座に座りシリアスな顔をして神さんのように振る舞うより、子供達と一緒に遊んでいる方が、幸せなんかもしれんな。現に、ヴィジャヤさんたち女性のグループと一緒に部屋で談笑されていた時、前にも言ったけど、あゝ僕のお兄さんがやって来る、みんな静かにしてくれる?僕は今から神さんのように振舞わなければいけないから、と言われた途端にお兄さんが部屋に入って来たんや。そしてババは神妙な顔をされてお兄さんの話を聞き、お兄さんが出て行かれた途端、また元のババに戻られたんや。

ポニョ:ババは、私は女性といる時は女性のように振る舞い、子供といる時は子供のように、年寄りといる時は年寄りのように振る舞うって言われたことがあるよな。でも、それだけいろんな役を役者のように出来るってすごいよな。

ヨシオ:ババは鏡のようなもので、その人が思っている神のイメージになれるんや。だって、子供達が思っているババのイメージと違う、怖い威厳のある神さんとしてババが振る舞われたら、誰も二階の窓から手がちぎれそうになるまで、ババに手を振らないで。

ポニョ:そうやろな。でも可愛かったな。子供達がババァ〜と言って泣きながら、別れを惜しむ姿。イメージが目に焼きつくようやったな。

ヨシオ:今、ポニョが何気なく言ったイメージが目に焼きつくという言葉は、霊性修行にとってとても重要なんや。正確に言うと、自分がイメージしたいものを心のスクリーンに焼き付けて、それを再び自分が好きな時に取り出してイメージすると言うんだけれど、これが意識的に出来れば神さんを、いつでもどこにいても自分の目の前に呼び寄せることが出来るんや。

ポニョ:まるでアラジンの魔法のランプを持って歩いているのと一緒やな。そうか、あんたはそうして、ババと組み体操したりして遊べるんか。

ヨシオ:どこにいても、どんな時にでもババを呼び寄せれるし、話し相手にもなってくれるし、慰めてもくれるんや。例えば、一緒にババとピクニックに近くの自然保護区を歩いている事をイメージしている時に、ここから先は人の領域ではないから行かないように。デーヴァの領域やからと言ってくれたりするんや。人は俺に、ババが帰って来るってあんたは言ってるけれど、肉体のババに執着するからや。宇宙意識としてのババが今まで通りババの使命を果たすために働いておられるのを分からないのか、とか言ってアドバイスか批判かどっちか分からないことを言って来るんやけど、俺は別に肉体を持ったババを恋しがったり、執着したりしてるからこういう事を言っているわけではないんや。だって、今ポニョが言ったようにアラジンの魔法のランプのようにいつでもババと会えるから。ババは肉体を持っておられる時も、宇宙意識として働いておられたし、肉体を離れた後もそうされる。それは、疑いのないことや。俺が言いたい事は、ババが肉体を持っておられる間になされるって言っておられた事が、まだ成就していませんよ。と言っているんや。

ポニョ:あんたのように、インドに行ってババのダルシャンを得、そのイメージを発展させて、心にそれをいつでも映し出せれる人は、ババを心に持っているってことやもんな。

ヨシオ:俺自身はもう、五人の子供も育て上げて、母に対する義務も果たし終えたし、明日死んでも何の悔いも無いんや。この世界で、俺が果たすべき義務は全て果たし終えたんや。だから、真っ直ぐ神さんの目を見れるんや。何のやましいことも無い。だから全然死は怖くない。さらに付け加えて言うなら、将来、家にいた時にババが空に現れたとして、みんなで一つの小さな窓からしかババを見れなかったら、俺はその窓の横に座っていても誰かに喜んで席を譲るやろな。俺にはババがいつも一緒に居てると分かっているから、それだけでハッピーなんや。それに、今ポニョがいろいろとグローバルエリートの犯罪を暴露してくれているけれど、神さんが全てを後ろでコントロールされているのを知っているから、何の心配もしていないし、全てはなるべくしてなるので、ポニョのように感情的にもなれないんや。もちろん、ポニョがアドバイスしてくれたようにワクチンや、食べ物に気をつけてるけどな。

ポニョ:そう言うたらあんたはいつも冷めてるもんな。

ヨシオ:ジャイナ教徒であるインド人の友達に、子供達が海外旅行に行く時に一緒に家から見送った後、俺はこのようにして人に手を振ってさよならを言う時、これが現生での最後の別れやと自分に言い聞かすんや。子供達や愛するものが、例え事故かなんかで亡くなったとしても、もうその時に心の準備は出来ているから、取り乱したりしなくなるんや。と言うと、それはおかしい。旅立つ人には、無事に帰って来るように神様にお願いして送り出さなければいけない。とか言っていたけど、俺は神様にそんな事を頼んだことがない。俺は、いつもどんな事が人生に起こってもそれに負けないような強い心を下さい、と言ってお願いするんや。だって。神様に無事を願ってその時は叶えられても、その事故は次に延長されるだけで、カルマは遅かれ早かれ支払わなければいけないし、それに俺の子供と言えども、どんなカルマを持って生まれて来たのか父親でさえも分かりようがないやろ。神さんだけが知っている。それを信じるか信じないかは、あなた次第です。
ポニョ:何を言ってるんや。どっかのテレビ番組のセリフやんか。

あなた方は神に、至福や平安を下さいと祈るべきですが、人々は何でも好き勝手なものを神に祈っています。
あなたは自分自身にとっての幸福とは一体何かを知りません。
神はあなたにとっての幸福を知っています。
ですから、神はあなたの願い事を聞き遂げないのです。
神はあなたの幸福を知っていますから全てを神に捧げなさい。
そして、神があなたに与えるものを受け取りなさい。17/7/97

神を信じる人には四つのタイプがあります。
一つ目は、悩みや苦しみのあるときに神に祈る人。
困ったときや、人生の試練にであったときにだけ神に祈る人です。
二つ目は、富や財産や権力を神に祈る人です。
長寿や子孫の繁栄を祈り、財産や牛や、宝石や金などを願う人です。
~たいていの人は、そういう俗世間の願い事ばかりしています。
三つ目は神の節理を知りたいと努力する人です。
神はどこにいるのだろう。
神とは何だろう。
どうすれば神に達することが出来るのか。
私と神はどんな風に繋がっているのか。
私とは何か。等の知識を身につけようとします。
~これらの知識が身についたとき、四つ目の英知の人の段階にたどり着きます。
英知とは世間一般の知識では無くて神に向かう知識、すべてを超えた知識を言います。
英知とは、すべては一つだと悟ることです。
~世間の知識は、何をしてもそれは自分に戻ってきます。
何を言っても、何を考えても、結局は自分自身に返ってくるのです。
ところが神に向かう世界には、触れるものも、見るものも、聞くものも、何の反応もありません。
ただすべてを超えた知識があるだけです。
これこそは真の知識です。
そこには反応するものも、響き渡る音も、映し出される姿もありません。
そこには二つ目のものが無いからです。
そこではすべては一つです。
二つのものがあるところには、一方を手に入れたいという思いか、一方を退けたいと思う思いがいつでもおこります。
つまり欲望か、恐怖の感情がいつも起こるのです。
けれども、真の知識に満ちていれば、他の人も他のものも経験する事はありません。
他のものなどどこにもありません。
そうなれば、欲望も恐怖もおこらないでしょう。
それこそは英知、最高の知識と呼ばれるに相応しいものです。
高度な意識の状態では、何を見ることも、何を聞くこともありません。
ただ究極の悦びに満たされています。
これこそが、「完全存在、完全知、完全至福」と呼ばれる、永遠の悦びなのです。SGc14


ヨシオ:俺たちがこの事件は大変不幸な出来事やとか、悪い奴らの陰謀によってたくさん人が殺されたとか言って騒いでいるけど、ババはそれらの事を宇宙をお創りになる前から知っておられて、そういうことが人類に降りかかる事をお許しになっておられるんや。だから、劇のディレクターが台本通りに劇の進行を進めているのに、舞台に上がってそれぞれの役を演じている大根役者が、ディレクターにこの場面はちょっと悲しすぎるから台本を変えてくれるけ。とか俺の子供をこの場面で殺さんとってくれるか。とか言って劇を台無しにしてるのが俺たちなんや。もちろん、劇を演じてる役者が役の中に入り込み過ぎて、自分が演じている役者と自分を同一視してしまい、悲しみのあまりディレクターに変更をお願いすればディレクターはマイナーな変更をしてくれるやろな。それが、神にお願いすれば叶う願い事や。だから、俺たちはただの役者で自分の役を演じていたらそれで劇は上手く回るんや。劇の台本にまでいちいち口を挟む必要もなければ、他の役者が演じている役についても、あの子は可哀想すぎるとか、目立ち過ぎるとか言って批判やコメントなんてする必要もないんや。自分の置かれた条件、場所、状態、状況、時に応じてやらなければいけない役者としての義務を台本通りしっかり果たし,ディレクターに褒められるようにならないといけないんや。もちろん大役者になれば余裕も出来、監督やカメラマン、音響、照明係、舞台裏の人たちを手伝う余裕も出て来る。そんな時は自分の出番がない時に、ディレクターの手足となって働けば、ディレクターも喜んでくれるやろな。

ポニョ:そうか、ええ役者にならないといけないんか。おいらには、ちょっと無理やな。だって、舞台に立っていても、綺麗な女優さんが横にいたら胸がドキドキして、あの〜良かったらこのシーンが終わったらあとで舞台裏でお茶でも飲みませんかと言ってしまうやろな。

ヨシオ:それが嫁はんに見つかると、どうなるか知っているんか?バチキ食らって、ポニョの低い鼻が曲がってしまうで。

ポニョ:それを言わんといて〜な〜。この前も、卍固めをかける練習相手をさせられて、股関節が抜けそうになってしばらく歩かれへんかったんやで。

ヨシオ:ええ年こいて夫婦で何をいちびって遊んでるんや。卍固めやて…。えらい古いもん持って来たな。アントニオ猪木の技やったな。

ポニョ:古かったかな。「あん時の猪木」って言うもんな。

ヨシオ:それも古いギャグやな。

今、豊かさは増しましたが、人間はますます欲深くなっています。
その結果 、人は人間本来の性質を忘れてしまいました。
正しい方法で稼いだお金が必ずしも幸福をもたらすわけではないとしたら、どうして不正な手段で手に入れたお金で幸福を得ることを期待できるでしょう? 
ですから、決して過大な富が平安や幸福をもたらすことはできないということを理解するようにしなさい。
もし、あなたが多額の財産をもっているなら、他の人を助けるためのよい活動にそれを差し出しなさい。
そうすることで、あなたは充足感を得るでしょう。
第二の悪は力への渇望です。
村人から都会でトップの地位にいる人まで、だれもが力を追い求めています。
力には制限と義務が伴います。
力には五つの種類があります。
それは、情報の力、知性の力、名声の力、人格の力、犠牲の力です。
この五つの力をすべてもっている人だけが、権威ある地位 を望むべきです。
 昨今、人は権威の使い方を理解することなく、権力のある地位に就いて行動しています。
村落の五人会議の議長から国の政府の長に至るまで、あらゆる人が力のある地位 を求めます。
力を追求する中で、人は道徳と正義を犠牲にする一方で、進んでありとあらゆる手段を使います。
力を確保するためにあらゆる種類の不正行為が行われています。法と秩序はむしばまれつつあります。
 このような具合に、人間本来の性質は忘れ去られつつあります。
これは非常に危険な状態です。
地位 と権威を求める人はそれらの義務を知っておくべきです。
そうした地位にある人は、制限を守ることに対して当然払うべき注意を払って、力を行使すべきです。
「制限のないところでは偉大なことは何も達せられ得ない。」
このように、富と力はどちらも制限付きで使われるべきです。
しかし、今やそうした制限は破られています。
今日、国が抱えている混乱やもめごとはすべて、そうした違反行為によるものです。
人は神の性質に気づくことができずにいます。
一人の役者としてこの世の舞台に降り立ってはいるものの、神は自らの役割を演じるのにふさわしい時を待っているのです。
果 物が熟すのには時を要します。
果物は熟すと自然に落ちます。
それと同じように、自分の行為の報いを得るための機が熟したとき、人は行為の本質に従って報いを得る準備ができていなければなりません。
悪い結果 や良い結果へと導くのは自分自身の行為です。
それゆえ聖典は、人間の心が輪廻や解脱の原因であると宣言しているのです。23/11/94

1番打者サイババく〜ん

ポニョ:この世界では、おいら達は劇を演じている役者だ、という例は分かり易かったけど、ディレクターである神様は全ての話の展開をすでに知っておられるので、面白くないのと違うやろか?
ヨシオ:ところがそうではないんや。ポニョは田舎の方によく行ってたから知っていると思うけど、田舎の人って、余り都会のように余興が無いので劇団とかが巡業に来ると、とても楽しんで役者たちに声をかけながら見られるやろ。

ポニョ:今は知らんけど、昔はよく三文芝居が田舎の街を巡業していたな。

ヨシオ:俺の家の裏に、以前そういう劇団が劇場を構えていて、田舎から都会に出稼ぎに来ている人なんかがよく見に来て繁盛してたな。俺もそこによく連れて行ってもらったんやけど、人気の役者なんかが出て来ると、お客さんがあちこちからその役者の名前を呼ぶ掛け声が聞こえてきたり、クライマックスシーンでは興奮して大きい声をかけたりして、なんか独特の雰囲気があったな。リピーターだらけやったしな。

ポニョ:大阪にもそんなとこがあちこちにあったよな。ほとんどがチャンバラモノやったけどな。おいらもおばあちゃんに連れられてよく行ったぜよ。赤城の山の〜とか、清水の次郎長とかをよく覚えてるな。みんな、興奮してその劇の人物になったように涙を流したり怒ったりしてたな。

ヨシオ:ババもその劇のディレクターやなんやけど、そのお客さんたちと一緒で、帰依者の人たちや、学生たちが演じる劇を見られている時、その劇を演じている役者たちに感情移入をしてしまって涙を流されたり、大きな声で笑われたりしてその劇をとても楽しんで見られて喜ばれるんや。
ポニョ:ババが涙を流しながら劇を見られるんか。ちょっと意外やったな。

ヨシオ:ババの近くにいた学生がそれを見ていて驚いたんや。それも一回や二回ではないんや。ババはとても純粋な子供のような心を持っておられるので、目の前の舞台で繰り広げられる劇の物語にすぐに感情移入をされるんや。まるで純粋な心を持っている田舎の人みたいに。

ポニョ:そうやったんか。そう言えば、ババは子供の時から劇とかを自分で書いて自分で演出し、自分も登場人物となって演じておられたよな。

ヨシオ:そうそう、覚えてるかな。高校時代の友達の家でその友達と家族だけのために、劇のシナリオを書き、わざわざ舞台まで作り、自らも一つの役を演じて家族を楽しませていたな。

ポニョ:ああ思い出したぜよ。その劇は、本当はその友達のために書かれたんやろ。確か、ババは自分は神だけれど、その友達とは友人として付き合っていたから、自分の足に触れて帰依しなさいと言えなかったので、わざわざその劇のシナリオを書いてその友達が演ずるクリシュナの頭を、回し蹴りで蹴るシーンを作られたんやったな。

ヨシオ:もちろん劇では本当に蹴られていないけど、足が頭にかすったって言ってたな。とても怖かったって。

ポニョ:そら、誰でも回し蹴りを食らったら怖いよな。でも、その友達は後ほど、ババが有名になり神の化身として世界中から帰依者が来るのを見て、自分は本当にラッキーだと思うと言っていたな。自分が立っているだけで、神の御足が頭に触れる事が出来たんやから。本来は、自分が神の御足にひれ伏して額を御足に付けるんやけどな。

ヨシオ:ババは、このように劇が大好きで、学生や子供達がフェスティバルで劇を演ずるためにリハーサルをしているのを何度も見に行かれたり、演技の指導もされるんや。

ポニョ:この世界を創造された神の神聖劇が、今こうしておいら達の目の前に展開しているんやけど、ババはその劇のシナリオを書かれていて全ての劇の展開を知っておられても、この世界で起こる様々な事を楽しんでおらるんやな。

ヨシオ:以前、アメリカの女性がババに、この日は何の日ですかとか言ってある特定の年月日を聞かれて、ああその日は、私たちの結婚記念日です。とか、誰それの誕生日ですとか答えていたんやけど、ある年月日だけ答えられなくて、その日は何の日だか分からないとババに言った話があったやろ。

ポニョ:よく覚えているぜよ。それで、その日はその女性が主人と朝から喧嘩して、スーパーで腹いせに万引きした日やったんや。あれは衝撃的な話やった。

ヨシオ:ババは、私はあなたが覚えていないような、どんな仔細なことでも興味があるから、覚えているのです。と言われたんや。

ポニョ:どんな仔細なことでもって、全てを覚えるのは大変やろ。

ヨシオ:ババはそういう表現をされているだけで、実際は、ババ御自身は宇宙中に充満して宇宙にある全てのものを創造しているチットと呼ばれる純粋意識でもあるので、結果的に宇宙で起こる全ての事象や人の想念の動きまで知っておられるんや。

 私たち自身が、サット・チット・アーナンダという三つの特性の化身なのです。
あなたが自分のことを思うあなたは「サット」(真理)です。
他の人があなたのことを思うあなたは「チット」(意識)です。
本当の あなた自身は「アーナンダ」(至福)です。
これらの三つの特性は、人間の特権です。
それは人間に生まれながらにして備わっている権利です。
それらは人間の本性です。
実にそれらは、人間の本質的な特性なのです。
  この本質的な真理を忘れ、私たちは人間の尊厳に対して何の敬意も払わず、他者を非難し、嘲笑し、彼らの悪口を言います。
他者を嘲笑することによって、私たちは彼らの罪の一部を我が身に負うことになります。
決して他者を嘲笑して、彼らの心を傷つけてはなりません。
もし誰かの欠点を見つけた場合は、優しく彼らに話して道理を説き、理解と愛を持って彼らに判らせ、正すように努めなさい。 KSH


ポニョ:だから、この世の全ての事柄に興味があるって言われたのか。面白いな神さんって。

ヨシオ:そして、その御自分で創られた神の創造劇の中に自分自身も登場人物として出られるのがアヴァターや。

ポニョ:今回のアヴァターは劇のメインキャラで出て来られるから、待ち遠しいよな。クライマックスシーンはまだやけど。

ヨシオ:すごいシナリオを準備されておられるもんな。本当に、この世界に化身として降臨されて目一杯楽しんでおられるな。

ポニョ:グローバルエリートという悪役の役者たちも揃っているし、後は正義の味方の月光仮面が出て来るのを待つばかりやな。

ヨシオ:月光仮面って、白バイに乗ってるミイラのおっちゃんか?

ポニョ:ミイラのおっちゃんはないやろ。おいらのヒーローやったんや。顔に白い布を巻いているんは顔を火傷したからやないんや。

ヨシオ:ミイラみたいやんか。額に三日月を付けて。火傷で思い出したけど、昔、ソーラーホットウオーターシステムをサイの小学校で取り入れて工事が完成した時、ババはメインの来賓としてお湯の栓をひねってお湯を出す事になっていたんや。そのセレモニーにはいろんな人が招待されていて、子供達も全員出席しいてたんや。ババは、とても興味深くそのシステムについて関係者に質問されていたんや。そして、みんなの目が注目する中を、ババはメインのイベントであるホットウオーターを出す栓をひねられたんや。ところがお湯は一滴も出て来なかったんや。それでババは続けて栓をいっぱい回されていたら、突然ものすごい量のお湯が飛び出して来て、ババは頭からローブまでぐっしょりとお湯浸しになったんや。そこにいた全ての人はショックで、何て言ってババに声をかけていいのか分からなかったし、ババがお湯で火傷をされていなかったのか、心配して成り行きを固唾を飲んで見ていたら、ババは突然、僕が一番打者だ。と冗談を言われたので張り詰めた雰囲気が和んだんや。

ポニョ:一番打者か。英語ではなんて言われたんや。

ヨシオ:I've got first batや。インドはクリケットが盛んやろ。だからゲームの最初にコインを投げて、裏表を当てた方が言う時によく使う言葉やねん。まあ、野球で言ったら先攻や。

ポニョ:ババはクリケットがお好きなんやろか。

ヨシオ:好きも何も、放課後、毎日のようにされてたで。何年か前にもヒルビュースタジアムでインドのナショナルチームと世界のオールスターチームが試合をしたんやで。相手はかき集めやったからインドが勝ったけどな。でも大観衆は大喜びやったんや。サッカーも良くされていたけど、ゴールキーパーをやられてたな。あと、大きな木の枝にぶら下がりながら、鬼ごっこをするモンキー遊びもやられていたし、普通の子供がする遊びは全てされていたってババの弟さんが言ってたな。

ポニョ:でもそんなに緊張した場面を解きほぐすために冗談がとっさに出て来るってさすがやな。ババは何を言われてもされても人のためだけやもんな。

多くの人々は、私の言葉を重視せず軽く取っています。
これは正しいことではありません。
私が話すことは、例え私が軽い調子で話し、冗談として話したとしても、全て真理であり真理のみなのです。
しかし、人々はそのことに気付いていません。
肉体的にスワミの近くにいる人でさえも、このことを正確には理解していません。
その結果しばしばスワミの言うことを無視しています。
私の言葉を真剣には受け取らず、スワミは軽い調子で話をしたのだと思っています。
そして、私の言葉が真理である事を後でそれが現実となった時にようやく気付くのです。
人は未来のことを何も知らないので、私の言葉を軽く受け取ります。
けれども、私の言うことが全て本当だということが将来判明するでしょう。
そうして初めて、人は私の言葉を理解することが出来るのです。
眼の前で、私が歩き、話しているのを見、起こっている事を全て目撃しているのにもかかわらず、人々は私の言葉を理解することも、私の神聖さを認識することも出来ずにいます。
人々の多くは、私の言葉を冗談でかたづけます。8/08

ヨシオ:ババは引っ掛け冗談がお好きみたいやな。子供達に、君の兄弟は何人いるんだい。と聞かれて、二人とか三人とかと言って答えると、全ての男の子は君の兄弟だよ。と言われるんや。そして、その横にいる子に君の姉妹は何人だいと聞かれてまた、二人とか三人とか答えると、いや全ての女の子は君の姉妹だよ。と言われるんや。そして、そのまた横に座っている子に、君の奥さんは何人だい。と聞かれて、その子は最初の二人が間違った答えをして、ババに修正されたのを見ていたので、ババが言われた通り、全ての女の子は僕の妻ですって答えたんや。ババは、それを聞かれてお腹を抱えて笑われたんや。このような質問を、子供達が忘れた頃に繰り返しされては大笑いされるんや。

ポニョ:引っ掛け冗談やな。あんたが好きなやつやんか。

ヨシオ:またこんな話もあった。プッタパルティの小学校では毎朝三時に起床し、朝食が終えたらババのダルシャンに行けるんやけど、早く行けばババが来られる横に座れて、ババに言葉をかけてもらえるチャンスがあるんや。それで子供達は早食い競争をして、食べ終わるや否や裸足でダルシャングランドを目掛けて一目散に飛び出して行くんや。ババの近くに座りたい一心で食事もせずそのまま走り出す子もいてるんや。ババはそんな子に、今日はどんな朝ごはんだったの。と聞かれるんや。その子は、朝ごはんを食べてないというのがバレるのが嫌だけど、嘘もつけないので朝ご飯はお饅頭でした。と言ったんや。ババは幾つ饅頭が朝食に出て来たの。と聞かれて、二つです。と答えると、じゃあ、君は幾つ食べたんだいと聞かれたんや。

ポニョ:はい。この最後の質問で捕まりましたね。朝飯を食べていないのがバレました。ババはしっかり子供は朝飯を食べましょうと言っておられるから、こういう質問をされたんやろな。でも、世界中どこを探しても神さんの近くに行きたい為に、また神さんに言葉をかけてもらいたい為に、友達と裸足で競争して走り、朝飯を抜いてまでも神さんのところに一目散に駆けていく子供が通っている学校って無いよな。普通の子はコンピューターゲームやら映画やらが、話題の中心やもんな。

ヨシオ:逆に言えば、聖者や苦行者が何十年もかかって得ることが出来ると言われている、神の御姿を拝めるダルシャンが、朝飯を抜いてちょっと走れば得ることが出来る子供達自身が、それだけ良いカルマを持っているって証拠なんやろな。

お前たちは将来ダルシャンを得る機会が少なくなるだろう。
~悲しんではいけない。
遠く離れた場所からのダルシャンや、私の講話を印刷物で読む事はインタビューを得たことと同じくらい価値あることなのだ。
私の責任は増し、私自身、新旧の信者から肉体的に距離を置かねばならないのだ。ANDIp270
私がヒマラヤで苦行に従事している者にダルシャンを与えるとき、たとえそれがほんの数秒であっても、彼らはその神のビジョンを得られたことでこの上 ない至福を感じます。
そして、それをとてもすばらしい経験であると見なします。
しかし、あなた方は皆、毎朝毎夕私のダルシャンを得ていながら、未だにその価値にまったく気づいていません9/98SNSarthi

太古のインドは極地にあった

ポニョ:今インドではディパバリー祭を祝っているな。インドの子供達が一番楽しみにしているお祭りやな。

ヨシオ:プッタパルティでも、大きな祝日やもんな。この頃、たくさんの帰依者がインド中からやって来るもんな。

ポニョ:ディパバリー祭は、ろうそくに火を一晩中灯したり、花火や爆竹を鳴らして賑やかやもんな。

ヨシオ:プッタパルティでも子供達が一番楽しみにしているのが、このディパバリーや。何と言っても花火に火を点火するのがサイババさん御自身やからな。

ポニョ:ババも子供達や帰依者が喜ぶのを見て喜ばれるんやろな。

ヨシオ:そうや。御本人も結構楽しみにされているんやで。でも、ある年のディパバリーで、ババが花火に点火される時にこんな事件があったんや。その日、花火の点火式でババがスイッチを押すと花火や爆竹がなるしかけやったんやけど、万が一スイッチを押しても花火が点火しない場合を想定して、皆に分からないように、手動で点火する用意もしていたんや。このような用意をしていたら、万が一花火に点火しなくても、ババがたくさんの来賓の前で恥をかかなくてもすむやろ。それで一人の学生が目立たないところに隠れて万が一に備えていたんや。ババは、このような花火のスイッチ点火は毎年やっているのでとても楽しみにされていて、左手の人差し指でスイッチを押される振りをして、来賓に具体的にどのような仕組みで点火するか説明されていたんや。そして、後ろにいた来賓たちと雑談をされていたんやけど、それを見ていた手動で点火する役の学生が、ババが既にスイッチを押したのに花火が点火していないものと思い込んで手動で点火したんや。そしてたくさんの花火が大きな音を立てて、夜空に舞い、爆竹もけたたましく音を鳴らし始めたんや。ババはそれを見て直ぐに前を向き、花火が上がっている空を見たり、周りを見回して、僕はまだスイッチを押していないのに花火が上がってるやないの。と困惑した顔をされていたんや。ミステイクに気づいた学生たちも右往左往していたんや。

ポニョ:ババが自慢そうに、この装置はうちの学生が作ったんや。上手く出来ているやろ。僕がこのスイッチを押しただけで、花火がドーンと上がるんやで。と言って自慢してたらいきなりドーンやもんな。

ヨシオ:学生たちは、もちろんババに申し訳なく思っていたけど、その時のババの困惑して学生たちを見られた表情や仕草が、神の化身とは思えない人間らしさで溢れていたんでとても面白かった。ババのまだ見たことのない側面を見れたといって喜んでいたんや。

ポニョ:無相、無属性で偏在の神さんが、人の姿を取られておいら達の間をウロウロされているだけでも驚異やのに、その宇宙を創造され、宇宙の支配者であるババが花火の点火が出来なかったというような小さい事件で困惑されたのを見ると、神様にとても親近感を抱くようになるよな。

ヨシオ:以前にも言ったけど、実はそれは逆の話で、ババが人間のように振舞っておられるのではなく、俺たちが限りなく神様に近いんや。特に純真な心を持っている子供達は、別に手をクルクル回して物質化したり出来ないけれど、ほとんど神と言って良いぐらい神様に近いんや。

ポニョ:ババは、一日に五分だけでも子供の時の頃を思い出して、その頃の純真な心を取り戻しなさいと言ってられるもんな。

子供は神の申し子と言われています。
子供のうちは、憎しみや怒りや嫉妬に駆られることはありません。
イエスは、子供にはどこにも悪いところが無いのだから、子供は神のようだと言っています。
子供のうちは、心にも身体にも何も悪いところはありません。
悪い心からおこる悪い感情が無いから、子供は美しいのです。
大きくなるにつれて、子供達に少しずつ悪い性質が身についてきます。
そうなると、子供の持っている美しいものが失われてしまいます。
悪い心は、悪い言葉と悪い行いとなって、子供の美しさを無くしてしまうのです。
人の持っている美しさは、少しずつ無くなっていきます。
そういったはかない美しさは、永遠の悦びを与えてくれません。
ロバだって生まれたばかりの時はかわいいものです。
それが大きくなってくると、腹が出てきて醜い姿になってしまいます。
悪いところが無いうちはどんなものでも美しく見えます。
ですからこの世界では、どんな人もどんなものも美しさは限られています。
ということはそこから生まれる悦びも限られているのです。
美しさと悦びはいつも一緒にやってきます。
美しいけれどつまらないものなどどこにも無いし、おぞましい姿の楽しいものも見ることはありません。
永遠に喜ばしく、永遠に美しいただ一つの摂理は何でしょう。 それはアートマです。
アートマは変わることも移ろうこともありません。
それどころか、アートマには何の姿も無いのです。美しさと悦びが、アートマの姿です。SGc19

ヨシオ:その五分が一生涯続いているのがサイババさんなんや。ある日、こんな事もあった。サイの小学校で、一学年毎にババにカードを作って捧げる催し物があって、学年の代表が一人ひとりクラス全員で作ったカードをババに見せて読んでもらうんや。ある低学年のクラスの代表の子がババに、自分たちで作ったカードをババに見せて説明していたんや。そのカードにはランプの絵が描いてあって、まだ光は灯されていなかったんや。それで、そのカードを見せながらババにあなたが私たちの心の中にあるランプに火を灯して下さいと頼むと、ババはあの〜。ランプに火を灯す為にマッチがいるんだけど、持っていますか?と聞かれたんや。その低学年の子供は、ババ様。いやそうではなく、僕たちの心の中のあるランプに火を灯して欲しいんです。これはただのランプの絵で、火を灯して欲しいのは私たちのハートの中のランプなのです。と丁寧にババに説明しなければいけなかったんや。その様子を横で見ていても、とても喜ばしい情景だったんや。

ポニョ:御講話で、演壇に立たれたら学者でも難しいヴェーダの真髄を講義されるのに、心のランプに火を灯して下さいと言うと、マッチ箱を持って来てください。って子供みたいな質問をされるんやな。冗談で言われたんやろか。

ヨシオ:もちろん、冗談ではない。ババは女の人たちと一緒のいる時は女性に、子供達といる時は、子どもになるって言われたことがあるやろ。この時も、その低学年の子供がそばにきた時点でババはその子のレベルになられたんや。

ポニョ:一瞬にしてそういう事が出来るんやな。摩訶不思議やな。

ヨシオ:ポニョだってやってたやんか。小さい子供の手を引いて歩いていたお母さんと街で会って、お母さんと話していても、その子供さんと話す時には突然子供のようになって話すやろ。

ポニョ:確か、お母さんに何を買ってもらったの?可愛い人形やね。とか言ってたな。

ヨシオ:そうやろ。誰でも出来るんや。また、違うカードにはババの絵が描いてあったんやけど、ババはその絵を見て、口をとんがらせながら僕と似てないやんか。僕の髪の毛はこんなんと違うよ。あんたらが描いた絵では僕の髪の毛はまるで洗面台みたいやないの、と言って不満を言って子供を笑わせられていた。

ポニョ:洗面台みたいな髪の毛ってどんなんやねん。だいたい想像出来るけどな。ババの髪の毛を黒色で塗りつぶしたら洗面台みたいになるよな。

ヨシオ:なるか?ちょっとひどいでそれって。それに洗面台って四角いやろ。

ポニョ:底が丸い洗面台もあるで。ババはそのことを言ってられたんやろ。

ヨシオ:その後ババは子供たちに御褒美のアイスクリームをあげるんや。先生たちがマンディールの中で食べたらいかんと言っているのを見て、食べても良いよ、溶けるもんな。早よ食べや。と言われたんや。そして子供達が喜んでアイスクリームを美味しそうに食べているのを見て喜ばれるんや。

ポニョ:おいらも食べたことがあるで。そのアイスクリーム。ジョイアイスクリームと言って帰依者の人が経営しているアイスクリーム会社なんやで。夏のとても暑い日、ババは帰依者たちを引き連れてそのアイスクリーム工場に行き、工場の冷凍室でバジャンをされたことがあったで。それでババはバジャンの後、工場からのプレゼントのアイスクリームを帰依者の人たちと一緒に食べられたんやけど、君たちこんなものを美味しいと言って食べてるんか。僕はこのような食べ物を好きじゃないな。とか言われていたんや。

ヨシオ:ポニョは食べ物の話はよく覚えていているんやな。さすがや。

ポニョ:おいらも、その工場の冷凍室の中でバジャンをしてただのアイスクリームを食べたかったんや。でも、ババがアイスクリームが嫌いって聞いてショックやったな。

ヨシオ:ババは子供達がそのアイスクリームを食べている時に、君たち神さんってアイスクリームのようなものなんだよ。だって、神さんのハートはその君たちが今食べているアイスクリームのように真っ白でピュアーで、とても綺麗なんだよ。それから、そのアイスクリームの会社の名前のようにいつもジョイしてるんだ。と言われて子供達の心に直接優しい言葉で霊性の話をされたんや。

ポニョ:子供達がアイスクリームを食べるのを見ながら、そしてよだれを流しながら言われたんやろな。

ヨシオ:ババはアイスクリームが好きじゃないって言ったのは誰やねん。何でも自分の欲望に照らし合わせて話すなよ。このように、ババはいろんな機会を捉えて霊性の事について大人だけではなく、子供達にも話されるんや。ある小1の子にも、僕の手の中には何があるか知ってる?と聞かれて手のひらを広げて見せられたんや。そして、その子が何にも無いよ。と言うと、突然砂糖菓子を物質化されてあげたんや。ほら、神さんの手の中には何でもあるんだよ。と言われたんや。その子は目の前で初めて奇跡を見たので、自分の目が信じられずババの手を掴んで手の両面を一生懸命チェックしていたんや。

ポニョ:そんな小さい時にババの奇跡が目の前で見れるってすごいカルマを持っているな。

ヨシオ:ディパバリーの話に戻るけど、昔、インドは極地にあって半年間は太陽が昇らない暗闇の世界やったんや。そして白羊宮に太陽が入る4月13日に太陽が顔を出し、天秤座に入る11月15日に太陽は地平線の下に入ったまま次の4月まで出て来ないんや。だから、人々はその日から毎日ランプに灯りを灯すのでディパバリーという祭日が始まったんや。

ディーパヴァリの祝日を科学見地から見れば、太古私達の祖先が極地に住んでいたことにまず注目する必要があります。極地では一年のうち6ヶ月が暗闇でした。
太陽が十二宮の白羊宮にはいるメハシャンクランティの日(4月13日)に、太陽は現れます。
太陽がてんびん座に入るトウラシャンカランティの日(11月15日)に太陽は沈みます。
その2点を太陽が移動する期間が六ヶ月なのです。
太陽がてんびん座に沈むと、暗黒の半年が始まります。
今日は、カルテイカの月の14日(チャトルダシ)です。
それは新月の日(アマーヴァーシア)です。この月は、カウムデイと呼ばれています。
極地の人々はその日から灯火に火をともすのが習慣でした。
ランプに灯火をともすことにはそれ以外の意味もありました。
長い間、暗闇の中で過ごす習慣があった彼らは、灯された灯火をニティアジョーティ(永遠の光明)と呼びました。5/11/91

ポニョ:おいらが読んだ本にはラーマ神がラヴァナに勝って勝利を祝う日だと言っておられたで。
ヨシオ:全ての祭日は人々のハートを清め、心の神さんを抱くようにするのが目的やねん。ディパバリーも例外ではない。この祝日をラーマがラヴァナを退治したように、自分の心の中の悪い傾向を退治すれば良いし、太古の人のようにこの日から六ヶ月間毎日灯すランプを二ティアジョーティーと呼んで暗闇を照らす永遠の神の光と思って拝んだらええんや。

ポニョ:でも、なんでそんな極地にインドがあったんやろ。

ヨシオ:いろんな説があるけど、一つの説はババはユガ期の終わりはいつも世界が大洪水で覆われるって言われてるから、ユガ期毎に地軸が傾いていて、その当時インドは極地に位置していたんやろな。しかも、地軸が傾くと極地だったところの氷が全て溶け、新しく極地になったところも温暖な気候になるんやろな。

新しい赤道はサハリンを通る

ポニョ:昨日の記事でインドは太古極地にあったという説は一つの説や、って言ってたけど、まだ他の説があるんか?

ヨシオ:俺が知っている説は、主にイギリス人の学者たちによって主張されている説なんやけど、アーリア人がウラル山脈の方から南下して来て、パキスタンを通ってインドに入り、彼ら独特の進んだ文化をインドにもたらしたという説や。因みにアーリアという意味はサンスクリット語で「高貴な」という意味なんや。この説によると、アーリア人たちは高度の霊的な文明を誇り、火を崇めてヴェーダなどを広めていたらしい。だから、ルッドラムの中にもソーマ神がよく出てくるけれど、このソーマというのは元々乾燥したところにしか生えないお茶の一種で覚醒作用があるんや。今もパキスタンに行けばソーマ茶の葉をバザールで売っているんや。でも、この植物はインド原生ではないんや。だから、ヴェーダをもたらしたのは、古代アーリヤ人たちで南インドの土着のタミル人などのドラヴィダ人ではないという説なんや。それに、ラーマヤーナという物語自体が、アーリア人であるラーマがインドに勢力を広げていたドラヴィダ人達を征服する物語ではないかと主張している研究者もいるんや。

ポニョ:でも、ババはラーマーヤナをそんな風に解釈してはいけない。それは間違っていると講話で言ってられたのを読んだ覚えがあるぜよ。

ヨシオ:そうなんや。だから、アーリア人達が南下してインドにヒンドゥー文化を広めたという論説自体は、西側の学者たちによってもたらされたもので、インドの多くの学者は反対しているんや。というのも、これはイギリスのインド植民地支配に都合が良い説なんや。つまりアーリア人たちはヴェーダという聖典を武器にして、ドラヴィダ人が支配するインドにヒンドゥー教をもたらして支配し、その結果インドは北部のアーリア人と南部を支配するドラヴィダ人の二つに分かれているといって、インドを二つに分離して植民地支配をし易くしたんや。それとアーリア人によるヒンドゥー教を使ってのドラヴィダ人の支配からの解放、カースト制度を徹底的に悪く言って叩いて、カースト制度からの解放という論拠をでっち上げてイスラム教やキリスト教や西洋文化がインドに入るのを正当化したんや。

ポニョ:アーリア人達が太古のインド文明をもたらしたって事は、ディパバリーは北の方から来たアーリア人のお祭りであってインド独自のものでは無いということになり、地軸は傾いていないってことになるんと違うんか?

“多くの自然災害は人為的なものなのです。
地震、火山の噴火、戦争、洪水、飢饉や他の災害は厳重な自然の乱れの結果です。
それらの乱れは人の行為の帰結なのです。
人は、未だに人と自然の関係を完全に理解していないのです。”
地球は一つの球です。球を安定な状態にしておくには、バランスをとらねばなりません。
今、限度も無く天然資源を消費し、地球のバランスが崩れば地軸が傾くのです。


ヨシオ:その説にはたくさんの無理があるんや。だいたいからして、他国の文明を支配したりすることはヴェーダの教えに反してるし、もともとアーリア人たちはコーカサスの北の住人と言われているんやけど、そこから極地までは程遠いんや。それにその説が正しいとしたらインドに伝わる太古からの叡智サナザナサラチは、コーカサスの牧羊民からもたらされたもので、インド太古からの叡智では無いって事になるやろ。そうではなく、インドは霊的叡智の宝庫と言われるように、古代から多くの叡智が伝わって来ており、アーリア人達の叡智もそれに花を添えた形になるんと違うかな。と言うかアーリア人達も実はハラッパーという最古の都市を建設した当時からインド文明に関わっているんやろな。ドラヴィダ人を放逐したとかと言っている西側の植民地肯定論の元となっているアーリア人によるインド侵略論は、ババが言われたように根拠が無く、いろんなものの寄せ集めなんや。さっきも言ったけどヴェーダの教えは平和主義そのもので、他国を侵略して拡張を謀る西洋文化とは全く違うんや。モヘンジョダロの高度な都市もアーリア人に侵略されて放棄されたものではなく、サラスワティ川が干上がって地下に潜り地下水脈となってしまったので、仕方なく放棄したんであって、イギリスの学者たちが主張してるアーリア人侵略説には無理があるんや。

ポニョ:そうやったんか。アーリア人による侵略説は、イギリスによる植民地支配肯定論をサポートするためのプロパガンダやったんやな。また騙されていたぜよ。

ヨシオ:だから、極地にいたアーリア人によってヴェーダやディパバリー祭りがもたらされたのではなく、サラスワティー川の流域のハラッパー周辺で、アーリア人やドラヴィダ人によって太古のインド文明は平和的に築かれ守られて来たんや。そして、そこは地軸が傾く前は極地やったんや。それに、昨日も言ったけど、ババはバガヴァッドバヒニという本の中で、ユガ期の終わりはいつも大洪水になるって言われてるから、それは地軸の傾きによる世界規模の大洪水だと説明すると、自然に理解出来るんや。

ポニョ:ノアの箱舟の話も本当やったのかもしれんな。でも、もし傾くとしたらどれくらいの角度で傾くんやろな。

ヨシオ:実は今、ポニョがいるここオーストラリアも、地軸が傾く前は極地やったんや。その証拠に大陸の真ん中が、巨大な氷の塊に押し潰されてへっ込んでいるやろ。大鑽井盆地て言うんやけど、学校で習ったやろ。

ポニョ:いや、その時間はいつも寝てたな。退屈な先生で、一人でずっと話していて、誰にも質問もせず、ベルが鳴ったらすっと消えていなくなる、事なかれサラリーマン先生やったからな。

ヨシオ:ポニョの先生は横に置いといて、大鑽井盆地に乗っかていた氷が溶けてオーストラリアの地下に巨大な真水の地底湖があるんや。その広さは日本より大きくて深さは深いところで七百メートルもあるんや。あるところでは地表から二十メートル程掘れば地底湖の水面にぶち当たるんや。

ポニョ:確か、この話は以前記事にしたよな。アボリジニの聖地になってるって。そしてその地底湖にたどり着いたら目の無い魚がたくさんいたって話をしたよな。

http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/3d8b9781e707e5b4d7bb922813a970dc

ヨシオ:そうやったな。だから、オーストラリアも昔は氷に覆われた極地やったんや。

ポニョ:それが、今では乾燥大陸や。ハエが多いよな。ここんところ少し暑くなってきたら、信じられないぐらいたくさんのハエが顔にまとわりつきよるぜよ。頭からすっぽりかぶる虫除け帽子が無かったら頭が変になるぜよ。

ヨシオ:すぐに慣れるで。お友達やと思っとき。俺はハエのことは詳しいで。

ポニョ:よっぽどハエと良い関係を持っているんやな。これも前世からのもんなんか。

ヨシオ:と言うと、俺の前世は蝿取り紙かなんかやとポニョは言おうとしてるんやろ。

ポニョ:そうか、あんたの前世は蝿取り紙か。思いつけへんかったけど、そうやったかもしれんな。前世でたくさんハエを殺したから、今生でハエをペットとして飼ったり、こんなハエ王国みたいなとこに住んでいるんや。おいらはこの仕事が終わったら、さっさと日本に帰るぜよ。ハエは嫌いなんぜよ。

ヨシオ:まあもうちょっとの辛抱や。砂利洗いもそろそろ終わりやしな。それでさっきの話の続きやけど、俺がこの仕事を始めてしばらくしたら、ババが夢に出て来られたんや。そして、俺と二人で地球のはるか上空から地球を見下ろして、アメリカの西海岸を指差しながらここが新しい赤道になるって言われたんや。

ポニョ:その話は初耳やな。興味があるあるあるぜよ。

ヨシオ:あの〜。あるが二つ多いですが?

ポニョ:また人の上げ足とって喜んでるやろ。もったいつけんと早よ説明しなさい。

ヨシオ:ババによると、新しい赤道はアメリカの西海岸沖を大陸と並行して走り、サハリンの北を抜けてモンゴルに入り、ウランバートルの横を走ってヒマラヤを横切るんや。そしてこの新しい赤道を延長して行くと面白い事が分かったんや。それはインドやねん。そこでは、もし地軸が傾くのが昼の十二時やったとすると、東の空から昇って来た太陽が西に沈む代わりに、中天で突然向きを変えて南の方へ沈む事になるんや。

ポニョ:ヘェ〜なんでそんな事が起こるんや。

ヨシオ:それが起こるのは今の赤道と新しい赤道が交じる周辺だけやねん。他の地域では太陽の位置が急激に変わるんや。例えばシドニーでは夏の太陽が容赦無く照っていたとしたら、突然太陽は北西の方角に向きを変えて沈んで行き地平線の上を這うようにして、一晩中沈まなくなるんや。
ポニョ:それって極地で見られる現象やんか。それじゃシドニーは南極になってしまうんか。

ヨシオ:その通りや。オーストラリアの西海岸でもニュージーランドの南の端よりまだ南に位置するんや。

ポニョ:それってシドニーはすぐに氷に覆われるんか?

ヨシオ:それはない。だって、赤道は南極岬の先をかすめるようにして通るので、南極の氷は瞬く間に溶けて地球は寒冷地が無くなり、温暖な極地でも人が住める惑星になるんや。

ポニョ:あゝ。そういうわけで、昔のインド人は局地に住んでディパバリーを祝ってたんやな。

ヨシオ:そういうことや。因みに北極はモロッコやスペイン周辺になるやろな。

ポニョ:これが本当やったらすごい情報やぜよ。面白い。なんで今まで親友のおいらに隠してたんや。

ヨシオ:別に隠してたわけはない。ポニョが聞いて来なかったからや。それにこんな事は今まで地球の歴史で何度も繰り返して起こっていることなので、別に珍しい事でも何でもないんや。俺たちが学校で教わっていないだけなんや。

ポニョ:学校って何やねん一体。こんな大事な事を教えずに暗記力を試すテストばっかりしてるやんか。

ヨシオ:おかげでポニョのようなええ性格な人が巣立って来てるやんか。

ポニョめちゃ嫌みやね。君。おいらはB層の典型やって言いたいんやろ。

科学者と科学技術者たちは、利己的な興味や名声を追い求め、社会と国家の安全と幸福にはまったく注意を払わず、自然のバランスを崩して社会全般に災害や損害や苦痛を招いています。
人は欲に限度を設けるべきです。
人間の行いが本末転倒しているために、今日、自然災害が起きているのです。
皆さんはグジャラート州で起こった地震による惨害を知っていますね。
何万という人が命を落としました。
このようなことが起こる原因は、人が過度の欲望を心に抱いていることにあります。
神は自らが創造した宇宙の完全なバランスを保っています。
神の創造物の中で、大地と海はバランスが授けられています。
ところが、人間は地球の天然資源を無分別に採取して、石油を採掘しています。
毎日何万トンもの魚介類が海で捕獲されています。
このような天然資源の無差別な収奪が地球のバランスを失わせ、人間の生活を破綻させています。
心の不安定さ(カムパム)から解放されたとき、初めて人は地震(ブーカムパム)に悩まされることがなくなります。SSS Vol.34C3
地球は一つの球です。
球を安定な状態にしておくには、バランスをとらねばなりません。
今、限度も無く天然資源を消費し、バランスが崩されています。21/1/93
私達は、創造物をただの物質とみなして自然界を規制し、多様の構成物に正しいバランスを与える知覚ある機能と本性を無視して創造物を無造作に扱いがちです。
科学者と科学技術者は、利己的な関心と名声を追うことに熱心なあまり、世界の国家の安全と安寧を完全に無視し、自然界のバランスを崩しています。
その結果,さまざまな事故、災害、損失、惨めさが大規模に人々を襲います。
今日不幸にも科学とテクノロジーの進歩の結果、人間らしさは衰え,人々は世界が自分達の楽しみの為にのみあると考えます。
その結果、自然の力は世界を大きな脅威にさらす様になってきました。
世界は単に人間が楽しむために創造されたのではありません。
自然資源を乱費し、人間性を無くしてしまった人間は創造の目的に背いています。
このような人間の行動が原因で、数多くの大自然災害が引き起こされました。
地震・火山爆発・戦争・洪水・飢饉などの災害は、自然界の由々しい混乱の結果です。
これらの混乱はもとをただせば人間の行動が原因です。
人は、人間と自然界とが円満な関係でなくてはならないことを認識していません。
人は自然界の出来事に関して、一種の舞台監督であるといえましょう。
この責任を忘れて人々は権利を主張して争います。
深く熟考するならば、この世界に人間が権利を欲求しうるものなどは何一つないということがわかるはずです。
人間には義務があるのみで、権利はありません。
義務を果たさず権利を主張して争うのは愚かなことです。
世界の混乱と争闘は、全て人間が義務を忘れたことから生じました。
全ての人が自らの義務を果たすなら、世界は平安で繁栄します。22/11/92
人間には創造主の創られたものを享受する自由があります。
しかし、どのようなことをすれば恩恵を受け取れなくなるのか、という識別力を働かせることが必要です。
あらゆるものを享受しても良いという事は、それらを好きなように使って良いと言う訳ではありません。
というのも、自然に対して何をしようとその反作用が必ず伴うからです。
あなたはその結果から逃げることは出来ません。
結果を気にせず、それに直面する覚悟があれば好きにしなさい。
しかし、実際には当初、人は喜んで何でも好き放題しますが、後になってその悪い反作用に苦しみ、嘆くのです。
~それゆえ自然界の領域では、あなたが何をなそうとも遅かれ早かれその結果から逃れることは出来ません。22/5/92
人は自然から数え切れないほどの借りを作り、いろいろな面で自然から恩恵を得て楽しんでいます。
しかし彼はどのような感謝の気持ちを神に捧げているのでしょうか?
彼は、すべてをお与えになっておられる神を忘れ去っています。
それが原因で、人は様々な困難や災難の犠牲になるのです。SSvol21chap19

僕は犬と違うで

ポニョ:昨日の記事で一つ分からなかった事は、どうしてインドだけが太陽が方向を変えてゆっくりと地平線に沈んで行くだけで、他の地域は太陽が急に大きく何処かに動いて行ったりするんや。

ヨシオ:、新しい赤道と古い赤道が交差した周辺の地域だけにそういう現象が起こるんや。そして、地球にはそれが二地点にしか起こらないんや。そのうちの一箇所がインドで、もう一箇所が南米の太平洋沖合なんや。

ポニョ:ということは、その二地点だけ地軸が傾いても、あまり大きな影響を受けないって事なんか。

ヨシオ:その通りなんや。以前にも何度もこういう事が起こったって言ったやろ。前に起こった時も、この新旧の赤道が交わった地点にあり、今も赤道下に位置してるインドネシアとガラパゴスの周辺ではあまり大きな影響を受けなかったので、世界でこの二地点にだけ、まだ大トカゲが生息してるんや。あとは、みんなはぼ全滅や。

ポニョ:そう言うたらそうやんかな。その二地点は対極になってるもんな。ということは、今回起こるであろう地軸の傾きによって、インドが大きな影響を受けないと分かっていてババは、プッタパルティにアシュラムを作られたんやろな。

ヨシオ:しかも、デカン高原の真ん中や。そこが安全って知っておられるんや。だから、恵みの水のプロジェクトにしても、新しい病院も、今いろんなところで設立されているサイババスクールも、ほとんどがデカン高原とかブルーマウンテン山脈の周辺に限られているやろ。

ポニョ:そう言うたらそうやな。クリシュナも、この世を離れる前にアルジュナに、将来女子供を連れて私の宮殿に避難しなさいと言われたな。そして、大洪水が来てもその宮殿は大丈夫やったけど、その周りは水の下に沈んだんやったな。

ヨシオ:ババは決して無駄なことは言われないし、されない。生誕地をデカン高原に選べれたのも、いろんなプロジェクトをその周辺でされていることも、全て将来に何が起こるのか知っておられるからなんや。

ポニョ:全てを知っておられるババか。ババは純粋意識であるから、人々の小さい心の動きまでも知っておられるもんな。いろんな人がババの元へきて、まず驚くのがそのババの何でも知っておられるというその偏在的知識やもんな。昔、あまり人が来なかった頃にババに呼ばれてインタビューに行くと、ババがその人の心の中に持っている疑問を全て答えられていたそうやな。

ヨシオ:そうやったな。質問をする必要がなかったって言ってたな。ある帰依者の家ではババのために素晴らしい椅子をデザインして、祭壇の横にいつも置いているんや。それは普通の椅子ではなく、椅子の背もたれの上に幾つもの首を持った神聖な蛇が飾られて、椅子に座られたババを、その蛇の頭で覆い被せるようなデザインになってたんや。そして、その家族がインタビューに呼ばれた時に、一番最初に言われた言葉があんたの礼拝室にある椅子に座るといつも蛇で頭を打つので痛いんやけど。と言われたんや。

ポニョ:その家族は、いつもババがその椅子に座っておられると思ってお祈りをしていたから、実際にババからそういうコメントをもらったら本当に嬉しいやろな。

ヨシオ:ババのそういう何でも知っておられる話を聞いて、ケララ州の運輸課の人がババに、どうしてケララ州では他の州と比べてバスの事故が多いのか教えて欲しいと言って来たことがある。ババはこんな簡単なことが分からんのか?と言ってアドバイスをしたらその日から事故が劇的に減ったんや。

ポニョ:ほう。そんな事があるんやな。それでどんな解決法を伝授されたんや?

ヨシオ:とても簡単や。女性専用席の位置を変えなさい、というアドバイスやったんや。

ポニョ:何で女性専用席の位置を変えたら事故が減るんや。

ヨシオ:ケララ州では、女性専用席は運転席の真後ろやったんや。だからそこに女性がいつも座っているんやけど、バスのドライバーはその女性たちをリアミラーでいつも見ながら運転するので事故が多かったんや。

ポニョ:なんやそれって、おいらみたいな運転手ばっかりなんや。

ヨシオ:ババは、人のモンキーマインドが、このような事故を多発させていたと言われたんや。

ポニョ:危ないよな。脇見運転は。というより後ろ見運転やな。それって余計に危ないやないか。
ヨシオ:ババはこのように全てのことを知っておられるので、別に言葉などで話されなくても、心で思っただけで通じるんや。

ポニョ:マインドリーディングやな。星やんもインタビューでババがテルグ語で話され、星やんが日本語で答えていたな。インタビューの後、そのやり取りを見ていたインド人の人に、あんたはテルグ語が分かるんかすごいな。とテルグ語で言わてれたけれど、星やんはそのインド人が何を言っているのか分からなかったんや。聞き返すと、英語で同じことを言ってくれたんや。それで始めて、ババが自分とテルグ語で話しているって知ったんや。

ヨシオ:ということは、ババは星やんの心を読まれただけではなく、自分が話されたことも星やんの心にダイレクトに伝えられたんやな。ところで星やんはババが言われた言葉を何語で聞き取ったんやろか。

ポニョ:もちろん日本語に聞こえた。と言ってたな。星やんが話し終えると、ババはあっそう。と言われた。と言ってたから。でも、それって昭和天皇の口癖やったな。ババ天皇か。面白い。

ヨシオ:俺と一緒に仕事をしていたイタリア人の人も、ババがイタリア人のグループを呼ばれた時に、あるイタリア人の帰依者とテルグ語で話され、その帰依者はイタリア語で返事をしていたって言ってたな。

ポニョ:おいらには大阪弁で聞こえるように話して欲しかったな。インタビューでは、英語でおいらに話しかけられたからな。ポニョ、元気にしてたんか?朝起きたらな、いつも愛を持って一日を始めるんやで。一日中愛で持って愛を振りまいて過ごすんや。それで、寝る時までそうしたら神さんのところに行けるんやで。とか言ってくれてたら、もっと心にしっくり来たんやけどな。

ヨシオ:もう自分で言うぐらいやから、しっくり来てるやないの。また、こんな話もイタリア人の人から聞いたな。ババはそのイタリア人の手を片手で取ってもう一つの手でパシンと叩かれたんや。多分悪さをしてたんでそれを罰せられたんやろな。するとそのイタリア人もババの手を取って、もう一つの手でパシンと叩き返したんや。

ポニョ:なに〜叩き返すって神さんに何をするんや。

ヨシオ:でもババは、自分の出来の悪い子供を見るようにニコニコされていたんや。

ポニョ:その人は多分しっぺ返しか何かしてババと遊んでいるつもりやったんやろな。ババは実はいろんな方法で罰を与えて、その人のカルマを取られておられるのにな。

ヨシオ:ババはポニョが言ったように、いろんな方法でカルマを取られるな。ある学生もババといた時に、君の脈拍数はいくらぐらいなんや。と聞かれたんや。その学生は時計をしてなかったので、そばにいた学生に時間を計ってもらって脈を取り始めると、ババは86と言われたんや。すると脈をとっていた学生はその通りです。と言って驚いたんや。ババは私は時計がなくても脈を測れるんだよ。と言われたんや。そして、全ての生き物は鼓動が早い方が寿命が短いと言われて、ハートの形の指輪を物質化されて、その学生のシャツをはだけさせて心臓に手をやり、でもお前は私の学生だから大丈夫だよ。と言われたんや。

ポニョ:ハートの形をした指輪って、男がしたらちょっと恥ずかしいけどな。でもそれがその学生のお守りなんやろな。多分心臓が悪いんやなその学生さん。

ヨシオ:ババはその隣にいた学生に、お前はここでは良い子ぶってるが、デリーに帰ればいつもタバコばっかり吸ってるやないか。と言って叱られたんや。

ポニョ:喫煙って一度病みつきになったらなかなかやめられないもんな。でも本当になんでも知ってられるんやな。

ヨシオ:アメリカの帰依者の家族は俺のように農場に住んでいるんやけど、毎週家族でバジャンをしてたら、飼い犬が一緒に歌いたいって吠えるんや。うるさくて仕方がないので、犬を母屋につないで、犬に聞こえないように少し離れた納屋の二階でバジャンをしていたら、またその繋いであったはずの犬が納屋の中まで入ってきて、階段の下で仲間に入れろ。俺も歌いたいって吠えるので、うるさくてバジャンを中断したんや。家族の人たちは、繋いであった犬がどのようにして納屋に入って来たんかな。納屋の扉も閉めてあったのに、と言って訝しがっていたんや。それで多分あの犬はババ様かもしれないね。と冗談を言って皆を笑かしていたんや。しばらくして、インドに行くツアーがあったので合流し、幸運なことにインタビューに呼ばれたんや。ババは近くにいたインド人の夫婦にヒソヒソ話しをしながら、アメリカから来た家族に向かって指をさされていたんや。インタビューが終わり、その家族は一体ババ様が自分たち家族を指差して、何をヒソヒソ話しをされていたのか気になってそのインド人の夫婦に、あの〜先程あなた方と一緒にインタビューに呼ばれた者なんですが、ババ様が僕たちを指さされて何かあなたにヒソヒソ話しをされていましたよね。あの〜差し支えなければ、ババ様があなたに何を言われたのか教えていただけませんか。と言うと、ああ、あの時のことね。ババは、あそこに座ってるアメリカ人の家族は、実は僕のことを犬だと思っているんだ。と言っておられたんですよ。あなた達、神様の事を本当にそんなふうに思っておいでなの?と聞かれたんや。

全宇宙に神聖なエネルギーが充満しています。
この偏在のエネルギーを経験するためには、一定の霊性修行をする必要があります。
その一つは、あなたが何をしようが、何を認知しようが、何を体験しようが、そこに神を見ることです。21/11/95

外に神を探す代わりに、自分に内在する神を実感認識するよう努めなさい。
自分の中で、自分は誰かを探しなさい。
肉体意識は脇へ置いておきなさい。
自分を体と同一視してはなりません。
「私」と「あなた」という問題が起こるのは、自分を体と同一視しているときだけです。
「私」と「あなた」が一つに融合すれば、一体性が生じます。
しかし、不幸なことに、現代の人々は利己的な「私」を忘れられずにいます。
どこを見ても、「私」の原理〔アートマタットワ〕があるのみであり、それはすべてに存在しています。
ひとたび、同一のアートマ〔真我〕がすべての人の体に偏在していることを実感認識すれば、「私」と「あなた」の違いは消え去ります。
ところが、皆さんは体と同一視する事を手放すことができずにいます。
生まれたときから自分を体と同一視することに慣れてしまっているのです。21/3/04

天国より上の世界ってあるの?❶

ポニョ:久しぶりの川下りが楽しかったな。おいらがよく行く四万十川でも自然はいっぱいやけど、川沿いに道路があって結構車が多いんや。でも、こっちは、車も見かけ無いし橋も無い。人もいないし騒音も無い。の無い無いずくめやったな。もちろん商店も食堂もコンビニも何にも無かったけどな。自分が自然の一部になったみたいで良かったぜよ。

ヨシオ:ところでしょうもない質問やけど、ポニョらは一台の車で行ったやろ。どのようにして川を下った後、帰って来たんや。ヒッチハイクでもしたんか?あの辺は車もそんなに走ってないやろ。

ポニョ:最初の日は短い距離やったから、二人で一緒に下って自転車で帰って来たんや。二日目以降はA地点から一人が下り始め、もう一人がB地点まで車で行ってC地点まで下るんや。それで、A地点からB地点まで下ってきた人が、車に乗ってC地点に行き、もう一人の人を迎えに行くんや。その次の日は、下るところを入れ替えるんや。

ヨシオ:そうか。頭が賢なかったらすぐに思いつかないないな。そんな事。

ポニョ:車一台で川下りする人達はこれが常識やぜよ。そんな事はどっちでもええんやけど、おいらがちょっと聞きたかったのは、少し前の記事で、二十年以上も前にあんたが瞑想の時にババとハグして一つになる事をイメージするようにしてたら、ババがそれはとても良い方法やって感心されていたやろ。それ以来二十年以上も経っているけど、今はどんな霊性修行をやってるんや?

ヨシオ:全ての人の中にババを見るようにしてるんや。

ポニョ:全ての人の中に神さんを見るって、難しいのんと違うんか。

ヨシオ:最初は難しいけど、だんだん慣れてくるな。もう今では誰を見てもババを見てるような気になるな。全てが神さんだって実感出来るんや。全てが神さんって実感出来るようになると、自分がその人の中にもいるような感覚になるんや。例えばある人がやって来て、その人が車で帰る時にお互いに手を振るやろ。その時に、その車に乗って帰っていく人の目から、俺が手を振っている姿が見えるんや。その人の苦しみや痛みが分かりすぎるくらい分かる時もあるし、また、人と話している時に、その人が嘘を言ったり事実で無いことを言ったりすると、その人の中に居てる自分が、それは嘘やと言ってるんや。だから余り人と接触するのが苦手やな。星やんもこの世に生まれて来て一番辛い事は、他の人のエゴと接触することやって言ってたけど、俺もそんな気持ちやな。

この世のあらゆる人間の姿は、どれも私の反映にすぎません。
私は、あたかも鏡であるかのようなそれらの体の中に、自分自身を見ることができます。
あなたがこの段階に到達することができたとき、初めて皆さんは本当の平安を味わうでしょう。22/11/08
どんな人に対しても、どんなものに対しても、神を見ることが出来ないとき、そこに恐怖が生まれる。
宇宙のあらゆるところに存在する、様々な名前と姿のあるものはすべて五つの元素の組み合わせに過ぎない。
そして五つの元素がどんな形をとっていたとしても、それを支え助けているのは神だ。
そのことに気づきそれを深く信じるならば、恐怖はその足場を失う。
そうなれば恐怖から永遠に解放されるだろう。SGc28

ポニョ:面白いな。どうやってそんな風に感じれるんやろか。ちょっとコツでもあったら教えてくれるか。

ヨシオ:別にコツなんてない。でも、俺たち人間って何か?私って誰か?ということを追求して行けば、自ずと答えは出て来るんや。例えば俺たちはみんな同じ鏡を持っているんや。動物から生まれ変わった時は、その鏡は獣的な欲望などで汚れてよく見えない。でも何度も人として生まれ変わって徳を積んで行くと、その汚れがだんだん無くなってきて、他の人を見ると他の人の鏡も自分の鏡に映るようになる。二つの鏡は同じやから、汚れの程度だけ違うんや。つまり他の人の鏡の汚れが自分の鏡に映るんや。だから、自分の鏡の汚れとすぐ比較出来るんや。それで、その人の鏡がどれくらい汚れているか、どの部分が汚れているか一目瞭然となるんや。でも、その人の鏡の中で自分より綺麗なところは見えないんや。だって、自分の鏡のその部分は汚れているから映らないんや。

ポニョ:それでか。そうやたっんや。人って他人の欠点や悪いとこはよく見えるもんな。ババはそういう観点から見ると、一点の曇りもない鏡を持っておられるから、その人の欠点や短所、偽りや過去のカルマなんかも全てがお見通しなんやろな。だから、ババは人々に正しい霊的なアドバイスもできるし、矯正も出来るんや。神様だけがグル中のグルやな。

平安の境地にある人の性質は、おのずから、波一つない鏡のごとき湖面 のようになります。
貯水槽に水が入っていれば、風の動きによつて、水面にはさざ波が立っているのが見えるでしよう。
水の表面が振動していれば、水に映ったあなたの姿も揺れているはずです。
泥が多く、濁った水に映ったあなたの姿は、はっきりせず、ぼんやりしたものになることでしょう。
透明で波のない水の場合は、そこに映ったあなたの姿は、動くこともなく、はっきりと見えます。
同様に、根本的な真理、すなわちアートマ(真我)の実質は、宇宙万物に遍在しており、唯一にして変わることがありません。
 ところが、それが反映された姿は、それを反映する媒体の純枠度と特質によって、アートマが反映される度合いが異なります。
〜 ですから、反映された姿は異なっているように見えても、それらはすべて同じ神聖な原理に由来しているものであるために、基本的には同じものであるということを認織しなければなりません。
このように、神と人間と宇宙は、本質的には同じものなのです。
したがって私たちは、万物の根源である、根本的な真理(ムーラダーラ=サティア)を理解するように努めなければなりません。KSH

ヨシオ:だから、人はポニョが言ったように人の欠点は自然に目に映るけど、人の良いところや長所は見えないんや。だから、俺たちは意識し努力して人の良いところを見つけないといけないんや。 時々俺たちも、この人は自分に無い良いものを持っているなって感じるけど、それを訓練によって意識的に高めて行けば、自然に、もっともっと人の良いところを見れるようになれるんや。そしてそれによって自分の鏡の汚れている部分も消えて行くんや。だからババは人の良いところだけを見なさい。悪いところは無視しなさいって言っておられるんや。

ポニョ:逆に言えば裏社会の連中の悪さを暴露しているブロッガーの人たちがたくさんいるけど、裏社会の連中の悪いところばかり見てるから、だんだん性格が暗くなって来て、他の人のブログを批判したり、だんだんとっつきが悪くなって来ている人たちがいるな。

ヨシオ:俺たちのような能天気なブログを救い様のない馬鹿ブログって批判してた人もいてたな。

ポニョ:でも、晴耕雨読の早雲さんや、世界の裏側のニュースのJapan up risingさん、アセンションのもりさんたちや、もちろんサイ帰依者のすまブログさんやシャクティプラネット、シャーティジョーティさんたちも色々と励まして下さっているな。今回、ブログを再開したって連絡してないけど、大まにの元気丸さんは、人は自分が光の子であるっていうことを忘れているよね。と言われてたな。そして年末の忘年会にも誘われたぜよ。陰謀系のブログでもポジティブな良い人がたくさんいるよな。

ヨシオ:でも、普通の人たちはそういうものを見たり聞いたりすれば悪い影響を受ける。だから俺はポニョに裏社会の連中がやっていることは、見かけは悪いように見えるけど、大きな目で見たら良い事なんやと何度も言っているんや。そのように見ないと、ポニョの綺麗な心の鏡がまた汚れてしまうんや。でも、普通の人はそういう見方をするのは難しいから、あるサイセンターではグローバルエリートの話題を禁止にしたとこもあるんや。

ポニョ:でも、毎日の生活の中で、彼らがおいら達を毒漬けにしようと食品や薬、ワクチンに色々と毒を混ぜてるけど、それらから自分や自分の子供や大事な人を守るのは義務と違うんか。

ヨシオ:その通りや。だから俺はこのブログでポニョがその手の話をし始めた時に反対しなかったんや。でも、神さんは全てを超越してるんや。そういうことを全然知らなくて自分や子供達が裏社会の連中が入れた毒を食べていても、きちんとフードマントラを唱えれば無毒化してくれるし、例え身体に摂り入れたとしてもデトキシックしてくれるんや。

ポニョ:でも、そういう裏社会の陰謀を知って且つ、子供達にフードマントラを唱えれば大丈夫だからと言って毒が入った食品を与えるのは罪と違うか?

ヨシオ:もちろんそうや。ジャイナ教の友達も同じ事を言っていた。彼はもう二度と子供にアルミの入った塩を食べさせないし、フッ素の入った歯磨きを使わないし、GM大豆の入った粉ミルクも飲ませないし、水もフィルターで濾したやつしか飲まない。大豆食品も不妊になるので控えているし、俺たちがアドバイスした事を出来るだけ守って生活をしてるんや。俺もポニョが言ってくれるまでそういう事を知らなかったから、自立して生活している子供達に知らせられなかったんや。子供達は大好きなベジタリアンピザを食べにドミノへよく行っていたんや。ピザハットやドミノで使われているチーズには、たくさんのシリコンが含まれいるんや。その事を知らすと子供達が自分でどのピザにそのチーズが使われているか調べたら、なんといつも食べていたピザにだけ、そのチーズが使われていなかったんや。

ポニョ:それはラッキーやったな。

ヨシオ:一見ラッキーのように見えるけど、実はこの世にはラッキーもアンラッキーも無いんや。全ては神の意思通りに動いているんや。だから、子供達が数あるメニューから一つだけシリコンが入っていないピザを選んだことは必然なんや。

ポニョ:そういうことなんか。神さんはあんたの子供の中にもおられるし、ピザを作って売っている人の中にもおられる。全てはなるべくしてなっているのがこの世の中なんやな。

ヨシオ:俺は昔、コーランを研究していた時期があって、その中の一節ががとても気に入っていたので、バジャンにして日本のサイセンターに送ったことがある。


見えざる秘界の宝の鍵は、神の御手にあるなれば人知るすべもなかりけり

陸と海にあるものは神皆それを知りたもう

神知りたもう事無くて、一葉も落ちる試しなし

暗き地中の種一つ、湿り乾きの違いさえ

神の御文に記されざるはなかりけり

(シルディ サイ ドワラカ マイ プラシャンティ バーシー サーイ ラームの曲で)


ヨシオ:神様は、この世で起こる事や過去や未来の出来事を全て知っておられるんや。地中の種が乾いているか、湿っているか。大きな木に付いているたくさんの木の葉のうち、どの木の葉が一番最初に地面に落ちて来るのかも知っておられるんや。どんなにグロエリの連中が世界を掻き乱して悪さをしようと、それはまるで御釈迦様の手のひらの上を金斗雲に乗って飛んでいる孫悟空のようなものなんや。この世界で起こる全ての事は、神のコントロール下にあるんや。そしてその神様は愛そのもので、俺たちを実の母より千倍も愛してくださっているんや。だから世界に何が起ころうがこの世で何も心配することなんて無いんや。

ポニョ:だからババはいつも幸せでいなさいって言われてるんやな。神の元に行ける第一の条件は、その人が幸せかどうかやもんな。

神を実現する為には、幸せであることが欠かせません。
幸せでいることは、神に至る幾つかの重要な門の一つです。
人が幸せでないことは、単なる一つの欠陥であるに留まらず、それは、あらゆる欠陥の中で最も重大なものです。
幸せでないことは、自己実現への障害です。
人々は世俗的な追求、執着、楽しみなどのために不幸になります。CWSSBJp123
すべての人、すべての生き物は愛の具現です。
あらゆる鳥や動物や昆虫は、人間と同じように幸せを手に入れたいと望んでいます。
それらも人間同様に幸せを味わうのです。
けれども、それらが楽しむ幸せと人間が楽しむ幸せには違いがあります。
鳥や動物や昆虫は、幸せによって有頂天になることもなければ、悲しみによって落胆することもありません。
幸せと悲しみを平静に受け取ります。
しかし、人間は平静さに欠けています。
人間は欲望が満たされると有頂天になり、満たされないと欲求不満に陥ります。
人は幸せを味わうためさまざまな努力をします。
幸せになりたくない人は世界中でほとんどいないでしょう。
しかし、幸せは外から得られるものではないことを理解しなければなりません。
幸せは心ハートの中から生じます。
心が至福の源です。
私たちが楽しむ外側の世界の幸せは単に、内なる幸せの反応、反映、反響でしかありません。
この真理を理解できる人は非常に限られています。
今日、人が体験する外見上の喜びは人工的で一時的です。
心の中から湧き出る幸せのみが永遠のものです。14/1/05

人間として生まれた目的は何でしょう?
それは神の愛を体験することです。
神の愛を受け取った人だけが、世界に変革をもたらすことが出来ます。
現代社会は不安と悲しみに満ちています。
どこを見ても悲しみ以外何もありません。
洪水などの自然災害の多くは、大変な惨状を引き起こします。
これらは神によって引き起こされるものではありません。
人間の苦しみの原因はすべて人間にあります。29/10/09
世俗的な愛は彼の執着する心の反映でしかないために、月日が経つに連れてだんだん冷めてくるものなのです。
しかし神の愛は、絶えることなく不変です。
それは、永遠にして神聖、無私のもですが、誰でもこれを理解できるというわけではありません。
人は自分達の欲望が満たされなければ、この愛を誤解し、神を非難さえします。17/7/97
欲望とむさぼりを戒め、いつも満ち足りていて、神の愛を受け取ることが出来るように努める。
ただ神様を愛しているだけでは足りません。
どうすれば神様から愛されるか。
どうすれば神の恵みを得られるか。
どうすれば神の愛をじかに得られるか。
それを良く理解せねばなりません。
神は自分のものだと言って泣いたり叫んだりしても何もなりません。
おまえは私のものだと言ってもらうように願うべきです。SGc23

天国より上の世界ってあるの?❷

ポニョ:昨日の話は面白かったな。もうちょっと聞きたいな。違う例をあげて説明してくれるか?
ヨシオ:そうやな。どんな例が分かりやすいやろか。まあ、平たく言えば神さんは光で、と言っても想像出来ないくらい強烈な明るさで輝いているんや。愛の光や。そして、その光が放射するパワーで宇宙の一つひとつの粒子や原子や分子などを振動させているんや。それがシヴァダンスと言われてるものなんや。そして、それらがお互いくっついたり離れたりして物質を形づくり、この世界が成り立っているんや。人の身体も一緒なんや。人はこの広大な宇宙の雛形なんや。聖書にもそう書いてあるやろ。

ポニョ:神は自らの形に似せて人を創造された、とか書いてあったっけ。

ヨシオ:それで一人ひとりの人間の中にその神さんである愛の光が存在していて、その光の放射パワーが波動となって一つひとつの細胞を振動させて生命を与えているんや。

ポニョ:宇宙と一緒なわけやな。

ヨシオ:その光のパワーがその人を通じて100%出て来たらその人は神そのものなんやけど、残念ながらそうはいかないんや。というのも、人は自分を神から離れたものと思い、その体を自分と思ってしまうんや。

ポニョ:それがエゴと呼ばれるもんやな。

ヨシオ:そのエゴがある限り、人は神の光のパワーをその人の身体を通じて顕現出来ないんや。どうしても、エゴの影響を受けるんや。エゴは光を遮ることが出来る雲みたいな役割をするんや。その雲がどれくらい多くて厚いのかは、人によって違うんや。ある人は80%、またある人は40%の雲量という具合に。

ポニョ:その例は分かり易かったなぁ。つまり、人って雲に覆われた太陽のようなものなんやな。時々雲の切れ目から光が射すように、神様が、こんにちはと言って時々挨拶をされるんや。

ヨシオ:そういう事や。俺たちが毎日の生活でしなければならない事は、人と会ったり接触したりする時に、その人を覆っている雲を見ないことなんや。その雲に隠されている太陽を見なくてはいけないんや。

ポニョ:しかし、人によっては雲が厚すぎて太陽があるなんて感じられない人もいるで。

ヨシオ:でも、その雲自体も実は太陽が無かったら存在してないやろ。

ポニョ:うーん。そうかな。海の水が太陽で熱せられて水蒸気となり、それが上昇して雲になるんやもんな。そう言えばそうや。という事は、その人のエゴも神様である太陽が創造されたってことになるで。

ヨシオ:それが、マーヤー迷妄と呼ばれている力なんや。太陽を覆い隠し人々を神ではなく、肉体を持っている自我だと思わす力なんや。俺たちが空を見る時に、空に浮かんでいる雲に目が行くやろ。その雲のいろいろな形や色、そして雨を降らせたり、突風を巻き起こしたり、ひどい場合には竜巻を作り出して惨事を招かせたりする雲に目が惹きつけられるけど、その後ろでいつもニコニコと笑って光っている太陽を忘れたらいかんのや。

ポニョ:でも、夏の暑い日に陰を作ってくれる雲もあるで。入道雲がもたらす夕立は夏の暑さをしばらくの間忘れさせてくれるし、お百姓さんは梅雨時期に雨が降らなかったら困るから、雲よ雨を降らせたまえ、と言って空を見上げるで。

ヨシオ:全ての人は大なり小なり雲に覆われている。今ポニョが言ったように、人に役立つ雲に覆われないといけないよな。でも、その人に役立つ雲も所詮は雲なんや。太陽を隠す事には違いないんや。だから、太陽を現れさすにはその雲も最終的には取り除かなくてはいけないんや。

ポニョ:つまり、人の社会に災害をもたらす雲から、太陽の周りで、太陽を飾っている雲になり、最後にはその雲自体も取り除けば、君は自分が実は太陽そのものだったんだと悟るんやな。分かり易い例えだったぜよ。今日、おいら、二箇所もトゲが刺さったけど、とげぬきでたトゲを抜いた後は、そのとげぬきも要らんようになることと一緒やな。

ヨシオ:最初、人が動物から生まれ変わった時に、まだたくさんの獣が持っている貪欲さとか、怒り、嫉妬、傲慢、残酷さなどを持って生まれ変わって来ている。でも、それらの獣的性質を何度も人として生まれ変わって徳を積みながら、投げ捨てていかなあかん。そうすれば、神に近づいて行けるんや。人の性質は鈍性、激性、浄性と三つあって、誰でも動物から生まれ変わった時は鈍性の性質をたくさん持っているけど、浄性の性質である同情心を持った人や、親切な人にならないかん。でも、これらの浄性の性質も雲と一緒で、太陽を隠す役割をすることには間違い無いんや。だから、最後にはこれらの三つの性質も乗り越えて行かねばならないんや。

ポニョ:ババが浄性の性質を持っていたらダルシャンで大変やろな。あら〜ポニョ君久しぶりやね。いつから来てるんや。あと二週間程したらインタビューに呼んであげるから我慢して待っててね。おお、君か。お母さんの病気は治ったかね。この前あげたヴィブティが無くなたら遠慮せずに言いなさい。また物質化してあげるからね。あれ〜。君は前に言ったように子供は出来なくても良いんだよ。子供を育てるカルマを持っていないからね。何?どうしても子供が欲しいの。それじゃ来年女の子が出来るように取り計らってあげよう。どんな感じの娘が欲しいにのか手紙に書いて後で持っといで。霊界にはたくさん人になって生まれ変わりたいソウルがいるからね。ああそうだ。この前死んだ象のサイギータなんかどうや。ちょっと太めの大きな赤ちゃんになって生まれて来るけど、鼻は高〜い女の子やで。まあ考えておきなさい。とか言ってダルシャンがめちゃくちゃ賑やかになるやろな。

ヨシオ:俺はそんなダルシャンやったら嫌やな。この世に囚われている人だらけで、そこから抜け出されへんやんか。神さんの役割って、この世での人生を快適にするように人々を導くのではなく、この世から抜け出すように導くのが仕事やからな。

ポニョ:それで、全ての人の中に愛の太陽として輝いている神様を見つけて生きて行くんや。

ヨシオ:ババは、君たちは同意しないかもしれないけれど、私の目から見るとこの世は愛しか見えないとおっしゃっていたけど本当にそうなんや。雲を見てたらこの世のいろんな悪い事や、不幸などが見えるけど、その後ろに控えている愛そのものである神さんを見なくてはいけないんや。
ポニョ:全てに愛を見るってとても大変なことやもんな。ババはその人が過去で犯した罪深い行為などを知っておられるので、その人が苦難に遭って嘆いていてもそれは過去のカルマを支払うために必要な事だと分かってられるから、ニコニコされているけれど、おいら達はそう言うのが見えず、いま起こっている惨事を見て心を動かしてしまうから、神のような超然たる態度を取れなくなってしまう。

ヨシオ:逆に、目の前で繰り広げられているいろんな不幸や惨事で苦しんでいる人たちを見ているのに、神さながらの超然たる態度を取らなければいけないと、彼らは今、過去生で犯したとてもひどいカルマを支払っているから良い事なのだ。ワッハッハと言ってのんびりとテレビを見ながら我関せずの態度を取るのは利己主義やしな。

ポニョ:その辺のところが難しいところや。

ヨシオ:詰まるところは、ババがいつも言われているように、全てを愛し、全てに奉仕することが一人ひとりに求められているんや。災難を受けた被害者が金持ちだったら奉仕をしないとか、ネットを撹乱する工作員だから冷たく扱うとかしないやろ。奉仕をする時にいちいち奉仕をされる人が、奉仕をされるに値するかどうか吟味してから奉仕をしない。惨事を受けて被害に遭われたり、食べ物が無くてお腹を空かせている人には、その人たちの過去生のカルマがどうであれ、自分たちの出来る範囲で助けるのが当たり前や。

私には自分に直属する三つの部門があります。
それは、愛、無私の奉仕、霊性修行、という三部門です。
誰であれ、私を愛する者を私も愛します。
私への愛だけで十分です。
その人の性質や資格を調べたりはしません。
また、誰であれ、私は何の見返りも求めずに奉仕する者の世話をします。
最後に誰であれ、いつであれ、霊性修行の道を行く者は私の保護下に置きます。
私はその人の世話をします。
これら三つ以外の部門は私の大臣達がそれぞれの役割に応じて人々の面倒を見ています。ND

知性と共にまた、人格も磨かなければなりません。
なぜなら知性だけを用いて社会に奉仕することは出来ないからです。
他の人の苦しみを和らげるために、自分の楽しみをも犠牲にできることが、良い人格をつくる上でとても重要だからです。SSSVol10p49

ポニョ:はい。皆さんお待たせしました。ここに並んでくださいね。今から炊き出しをします。オクラがたっぷりと入っている美味しいカレーですよ。その前にここにおられるサイキックの人にあなたの過去生をチェックしてもらいます。もし過去に犯した罪を返す為にあなたが二三日、食事にありつけないということが判明しましたら、残念ですが今回ご奉仕出来ませんので立ち去ってくださいね。

ヨシオ:それはひどいよな。何か勘違いしとるな、そんな事をする人がいてたら。神さながらの超然たる態度って何を見ても聞いても、至福でいることなんや。でも、それと目の前で不幸にあっている人たちを支援しない事と関係ないんや。それよりも全ての行為を神に捧げて、その行為をしたっていう事を忘れる事が大切なんや。良いことも悪いことも含めて。そうすれば良いカルマも悪いカルマも作らないやろ。良いカルマも結局は人をこの世に縛ることになってしまうんや。そういう良いカルマをたくさん作り、この世界で慈善事業家とか呼ばれている人は天国に行けるけど、そこで、ああ俺はこんな良いことをした。あんな良いこともしたな。なんて思い返して自己満足し、やがてそういう思いが薄れて来たり、飽きた来たりしたら、またこの世に生まれ変わって来るんや。だから天国の門を叩いてはいけないんや。そのもう一つ上の世界に、もう二度とこの世界に帰って来なくても良いところまで霊的な階段を登りつめないといけないんや。そのレベルにまで昇る方法を教えておられるのがババなんや。

解脱は天国の住人でさえ手の届かぬものなのです。
天国も地獄も行為の結果であり、創られたものであり、それゆえ不滅ではありません。
誕生、成長、衰退、死という条件によって縛られています。
無始の始めから存在し続けたものではありません。
それはつくられたものなのです。
行為以前には、天国も地獄も存在しませんでした。
過去に無かったもの、未来にも無いものは、現在にも無いのです。
それは行為の報いによって、天国か地獄を与えるだけで、不滅の歓喜を与えるわけではないのです。UVc11
皆さんの中には、貧しい人に施しをしたり、儀式に出たり、苦行をしていれば、天国に行ける。と思っている人もいるはずです。
ところがクリシュナは、天国など儚いものだといっています。
「アルジュナよ、天国よりはるかに偉大なものがあるのだ。
儀式や苦行などは、止めた方が良いといっているのでは無い。
むしろそういうことは、君の務めだと言っていい。
ただしどんなことも世界の幸いのために行うのだ。自分のために働くのでは無い。全世界が平和で豊かで幸いであることだけを願って、どんなことも私欲を捨てて行うのだ。
天国に行きたいなどと思ってはいけない。
天国をはるかに超えたもっと高い境地を願うのだ。
天国は、前世で積んだ功徳がある間は続くだろう。
だが功徳が無くなれば、君はまたこの地上に戻ってこなくてはならない。
だから天国のような儚いものを求めてはいけないのだ。
神に近づき、神に親しむのだ。
そして神と一つになれ。
本当に大事なことはそれだけだ。
神の摂理は、天国よりもはるかに偉大なものだ。
行為の本当の意味を知り、正しいものの見方と共に行為をすれば、神そのものを手に入れることが出来るのだ。」SGc32
神聖で淨らかな行為によって得る最高の賜物は、天国です。
死後、天国に行く人の浮世から解放される期間は、他の人に比べて長いのですが、しかし天国にいる期間にも終わりが来ます。
求道者は、天国に行くことを欲するのを止めなければなりません。UVc4

瞳の中にあなたが見える

ポニョ:全てのものの中に神様を見るという記事が面白かったな。

ヨシオ:神様は舞台のディレクターで俺たちは役者やって言ってたやろ。その役者ってどんな意味なんか考えたことがあるんや。だって普通役者って事前に台本を読んで劇の流れを知っていて、その役割を演じるために演技を練習するやろ。

ポニョ:いきなり舞台に立つなんて無理やもんな。特に立ち回りのシーンなんか、何遍も練習しないと出来ないよな。

ヨシオ:でも、俺たちがこの人生で役者として演じているけど、舞台の役者と違うのは自分たちが演じている劇の台本を知らないんや。そうやろ。次のシーンは何かなと思っても誰も将来の事なんて分からないし、一緒に演じている隣の俳優さんに聞いても教えてくれないやんか。

ポニョ:台本が分からなかったら劇がぐちゃぐちゃになるで。うわ〜斬りつけられたぜよ。待ち伏せなんかして卑怯なやつじゃ。らりるれるろうに剣心も、もうこれで終わりか?いや待てい!坂本龍馬がお助け申すぞ。龍馬どのかたじけない。この借りはきっと返しますぞ。剣心殿それでは先にグラバー邸の屋根裏で待ってるぜよ。おお、そのあと博文どのと一緒にスコットランドにお主も行かぬか。いや、拙者は日本の民を裏社会の連中に売り渡したくはないので結構でござる。なんていうひっちゃかめちゃかの会話になるよな。

ヨシオ:ちょっとなり過ぎやでそれって。精神分裂気味やなポニョは。

ポニョ:いいえ。そうではござりませぬ。拙者の気がまともで、あなた様が狂っておいででおられまする。

ヨシオ:いつまでやってるんや。もう、るろうに検診は終わりやっちゅうに。

ポニョ:何が検診ぜよ。あんたが役者の事を考えたって言ったから話がわからん様になったでしょう。

ヨシオ:ポニョのせいやんか。でも、本当は一人ひとりの中に神さんがいてられるので、と言うか、本当のその役者はディレクターそのものなんや。だけど、自分を役者やと思っているので役者になっているんや。

ポニョ:ということは、元々は全ての役者はディレクターで全てのストーリーの展開も台本も知っているんやけど、舞台に上がれば自分は役者やと思い込んで、何某かの役を演じているんか。

ヨシオ:そうなんや。俺は、お袋が認知症になって以来人格が変わったみたいになったんやけど、その時に、前のお袋はどこに行ったんや。といつも思っていたんや。そして、突き詰めて考えれば、人格て何やろ。個人って何かな?と真剣に考え始めたんや。すると、分かって来たことは全ての人の中におられる神様が一人ひとりにエネルギーを供給し、その人を動かしておられるんや。そして、人格やその人の性格などそれぞれ違うけど、それは各人の過去のカルマの結果、そのような人格という衣服をまとっているだけで、それらの衣服が動けるのは神様がエネルギーを与えているからなんや。だから、人はいろんな過去生を体験して、それぞれのカルマに見あった衣服を来て生まれ変わって来るんや。神様はそれに命を与え動くようにされているだけで、その動くようになった衣服が何をしようが神様の責任では無いんや。でも、あまりにもひどい行為や、自分の中にいる神様に気づいてその神様にお願いすれば良い方向に導いてくれたり、カルマを取って下さって、次の生はもう少しマシな衣服を着れるようになるんや。

ポニョ:なるほど、いろんな衣服を神さんが着ておられるのが、それぞれの違った人間っていうことなんや。でも、以前あんたが言った他人の目から、自分が見えるって言ったけど、それはどういうことなんや。

ヨシオ:どんな人に会っても、実はその人の目を通じて神さんがポニョを見ておられるんや。だから、誰でもええから、その人の目の中をじっと見つめてご覧。神さんが奥の方に居るのが見えて来るよ。

ポニョ:ラッシュアワーの時に、となりにくっついている娘さんの目を覗いて見よかな。女神さんが見えるかもしれんな。

ヨシオ:アホ、やめときそんなこと。色気狂いに間違われるだけや。嫁さんの目の中でも覗き込んどきなさい。そして、どんな人でも真理を話す時、あるいは優しい愛の言葉をかける時、そして困っている人に手を差し伸べる時に、その人の中にいる神様がその人の身体を使って直接社会や人々に働きかけておられるんや。

ポニョ:ということは、その人は奉仕をしたりしている時には、その人は神そのものになっているって事なんか?

ヨシオ:その通りや。だから、ババは医師たちに一週間に一回でもええから、無料で困った人たちを診療してご覧。神聖さを体験出来るよと言われたんや。

人として生まれて来た本来の目的は、おのおのが生まれもって持っている神性さを体現さすことです.SS10/94p268

ポニョ:つまり、全てを神に捧げるような奉仕活動をすれば、誰でも神自身になれますよっていうわけなんや。

ヨシオ:そして、神さんのことを思う時は、その人は真の自分自身の存在のことを思っているんや。だから、バジャンで神様のことを思って歌う時、本当は真の自分自身自身を思っているんや。

ポニョ:人は、真の自分の名前を湯婆婆に盗られ、仮の名前でこの世を生きているんやな。そして、真の名前を取り戻した時に、真の自分自身が一体誰であったのか気付くんや。そして、白い龍に乗って一緒に飛んで行くんや。この後、どうなったんやろな、あの二人は?

ヨシオ:知らんちゅうに!話がめちゃくちゃになって来たやないか。俺は、どんな人に会った時も、その人の目の中のババが見えるんや。そしてその人の目の中にいて俺のことを、しっかりと見つめ、話を聞いておられるババが満足するように話すようにしているんや。でも、ほとんど人は、自分の中に神さんがおられるって知らないから、神さんを無視して傍若無人に振舞ったりしてて、人を傷つけるんや。そんな時、その人の中にいる神さんは淋しそうな目をされているな。

ポニョ:神さんは全ての人の中におられて、その人の行為を静かに見守られているんやな。

ヨシオ:俺たちは生きている限り、自らの内におられる神さんが俺たちの身体を通じて世の中に働きかけれるように、心をきれいにしていかなければならないんや。そうでないと人生を無駄に過ごしてしまう事になるんや。

あなたが信者ならどのようにしてあなたの信仰心を体現させていくのでしょうか?
私に言わせれば、神聖な性質、神聖な徳、神聖な愛、神聖な力を体現さすことです。
そうすれば、あなたはサイになり、サイそのものとなるのです。SSSvol8p137
神へ近づくことによって、人は神のレベルにまで高められます。
しかし多くの人 はそうすることができずに人生を無駄にしています。
愛は一人ひとりの内にあります。
しかし、利己的なものへと向けられるために、執着になってしまうのです。
あなた方は神の愛を体験しようと切望すべきです。
この現代の世界にあって、青年たちは愛の本質を知らねばなりません。17/7/97
生命は宇宙に満ちあふれています。
創造には終わりがないのです。
この宇宙で人間のような生命やそれに似たような生命体はないのです。
転生は宇宙の他の星に生ずることはありません。
すべての生命は、人として生まれ変わるのを望んでいます。
というのも、人として生まれ変われたものだけが生死の輪廻の鎖から抜け出ることが出来、神を完全に体現出来る、という二つのことを実現できる機会を持っているからです。
それはこの地球だけで起こりえることなのです。
他の星や、言葉に出来ないくらいこの広い宇宙のどこにもそのような機会は存在していないのです。
ですからこの地球に人として生まれるという事は、とてもユニークなのです。CWSSB

大トカゲと友達になりたいな

ポニョ:あんたとこはほんまにいっぱいいろんな動物がおるな。今日ガレージのドアを開けたら上からゲッコーという尻尾が平たいトカゲが落ちて来てびっくらこいたぜよ。

ヨシオ:夜の間にガレージのドアの裏側にセアカゴケグモが巣を作りよるんやけど、それらを食べに来よるんや。

ポニョ:毒蜘蛛を食べるんか。腹こわせへんのかな。そのあと、家の横を歩いていたら大きなガサガサという音が聞こえるからカンガルーでもいるんかなと思って、背の高い雑草が生えているところに行くと、何とツチノコがおったぜよ。でかい頭しとるな。

ヨシオ:ああ、どこにでもおるな。時々フルーツをやると喜んで食べるで。ブルータンゴアナって言うんや。確かにツチノコに似てるよな。

ポニョ:それで、お前か?大きい音だしてた奴は。何をしとったんじゃい。とか言って話しかけていたら、俺じゃないと言うようなことを少し首を振って偉そうにぬかすんや。そうか、お前と違うんか。ほんなら誰やったんや。とか言って倉庫に向かって歩き出すと、後ろからすごい早いスピードで何かが大きな音を立てて追いかけて来るんや。おいらは驚いて立ち止まると、すぐ横に1m以上のでっかい大トカゲが来ておいらを見てたんや。めちゃびっくりしたぜよ。じっと立ち止まって見ているから、お前が大きい音を立てていたのか?と言うと少し首を振って、そうや俺や。とか言ってたな。そして、また大きなバタバタという音を立てながらものすごいスピードで走って行ったぜよ。ここに住んどる生き物は訓練が出来てるなって思ったぜよ。おいらと話に来るもんな。

ヨシオ:俺はいつもみんなに話しかけるんや。ちゃんと聞いてくれるで。あの大きなトカゲは、代々この辺に住み着いているレースホースゴアナやねん。家族で住んでいるんや。大きなプラムを丸ごと食べるんや。この辺にたくさんいたウサギも食べられていなくなったし、蛇も見なくなったな。なんでも食べてしまうんや。大食らいやな。あいつは。この前プラムをあいつの親父に五つやったら全部食べてしまったで。その話を以前記事にしたやろ。

ポニョ:あんたのペットみたいなもんやな。そのあと、レンガを運んでいたら手の上をでっかいムカデが這ってたのでうわ〜と言って叫んでしまったな。あんなでかいムカデを見たのは久しぶやぜよ。

ヨシオ:あそこにはムカデの一家が住んでいるんや。時々毒蛇も見かけるな。

ポニョ:そんな事黙っていないで早く言いなさい。危ないやないの。噛まれたらどうするんや。

ヨシオ:こちらから、殺そうと思わん限り何もしないで。共存共栄や。自然と付き合うには自分も自然の一部やと思って生活してたら、向こうも全然怖がらないで挨拶しに来てくれるやろ。可愛いもんや。

全世界を包括し、全世界に遍満しているものが愛です。
人間であれ、鳥獣であれ、昆虫であれ、いかなるものであっても、愛がなければただの一瞬も存在することができません。
この愛こそは、神の姿そのものです。
ところが人間は今日、この神聖な愛を、移りゆく世の中に向けることによって、無駄に使っています。
決して愛の力を過小評価してはなりません。
奥深い森の中に一人で住んでいた太古のリシ(聖者)たちは、野獣たちとさえも、調和して暮らすことができましたが、それは愛の力があったからに他なりません。

ポニョ:そういや、カンガルーも一家でやって来るな。近くまで来よるしお腹の中におる子供が可愛いよな。

ヨシオ:結構賢い動物やな。隣の農家の人が、車に跳ねられて死んだお母さんカンガルーのお腹に入っていた赤ちゃんカンガルーをペットにして育てていたけど、うちは子供が多いやろ。いつも子供と遊びに来てたな。ジェシーっていう名前やねん。

ポニョ:カンガルーをペットにするってええよな。世話しなくても大丈夫やろ。

ヨシオ:赤ちゃんの時は大変みたいやな。だって牛のミルクは乳脂肪が多すぎてやったら死んでしまうんや。だからわざわざ糖尿病患者用のミルクを飲まさないかんねん。

ポニョ:そうなんや。以前にも聞いたっけこの話は。

ヨシオ:近くの農場のお父さんがトラクターに乗っている時に心臓停止になってしまったんやけど、ペットカンガルーが家まで家人を呼びに行ったんで助かった話しをしてくれたな。

ポニョ:賢いな。ちゃんと考ルーことが出来るんや。

ヨシオ:今のんは良かった。80点あげよ。このように人は自然と協調して住まないといけないんや。前にも言ったけど、自然は神が映し出されたもので、一つ霊的にも人より上の段階にあるんや。だから軽々しく扱ったりすると人の社会に痛いしっぺ返しが来るんや。

ポニョ:今、人類が自然に対してしていることって逆やもんな。ロス茶が握って入る会社が地下資源を収奪しまくっているやろ。しかも、石油などを使わない新しい技術やアイデアが出てくるとそれを買い取ったり、権力を使って潰したりして人が自然と調和して住めないようにわざとしてる。

ヨシオ:昔は、日本でもインドでも八百万の神様達に礼拝していた。全ての自然を尊敬し尊重し、そして丁重に扱って来た。アメリカインディアンのホピ族はそこに転がっている小さな岩を何処かに動かすことさえ自然の神に許しを得てからしか動かさなかった。それぐらい自然と調和した生活をしていたんや。

ポニョ:そう言えば、聖者のアシュラムでは聖者が何処かへ旅立つ時に、その辺りにいる動物たちが見送りに来るって言う話しを聞いたことがある。それに、動物同士も殺し合いをしなくなるって。

ヨシオ:今俺たちが住んでいる世界は異常なんや。罪も無い動物たちを物のように扱って殺して食べたり、卵を産ますだけ産まして、後はブロイラーや。牛もそうや。産まれた雄牛は直ぐに食肉用に、雌牛は乳の出が悪くなるまでミルクを絞るだけ絞って、後は食肉や。

ポニョ:ここに来ても、周りは牧場で一見平和やけど、実際はキリングフィールドなんやな。

ヨシオ:モンサントのGMの作物がたくさん入って来ているから、自然がおかしくなってきているんや。ミツバチが少なくなって来たりして。それにオーガニックファーマーが育てている作物の隣に、モンサントがやって来るのでオーガニックファーマーがオーガニックで育てた作物だという資格を取り消されるケースも出て来てるんや。裁判沙汰になってもここはポチの国やから勝てないな。

ポニョ:そう言えばここはまだイギリスの提督が居座っていてオーストラリア人が選挙で選んだ首相の首を切ることが出来るんやてな。

ヨシオ:そういうことが一度あったな。奴らの秘密地下基地で世界中の盗聴をしているんやけど、それを閉鎖しようとしたらイギリス女王の命令で首相の座を追われたな。

ポニョ:完全なポチの国やな。ここは。日本よりひどいやんか。

ヨシオ:似たり寄ったりや。ブータンなんかは、しっかりしてるで。国土の70%は自然林にして残しておくと法律で決められているんや。それに、化石燃料で発電するのは公害を発生するので小型水力発電で国の電力をまかなっているんや。電力の輸出も始めてるしな。

ポニョ:サッカーのワールドカップの順位決定戦でブータンがビリッケツから二番目かべったか決める試合に出場してたけど国をあげて応援し、全国民は喜んで試合を見てたな。めちゃ下手なサッカーやったけどとてもハッピーそうやった。

ヨシオ:ブータンは国民総生産量ではなく国民総幸福量の方が大切やと言っている国やからな。

ポニョ:そういう国が増えればもっと地球は住みやすくなるんやけどな。

ヨシオ:サイのカレッジで人材管理をテーマにした講義にババが来て講演された事があるんや。そこでババは、環境汚染問題について話されたんやけど、その時にすごく強い調子で学生たちを指差しながらこう言われたんや。
「君たちに言っとくことがある。ここを卒業して外の世界に出た時、君たちは環境を汚染することがあってもこのババが許すと思っているだろう。でも決してそんな事はないのだ。逆に環境を破壊した罰は多様な形で増しながら君たちに返って来るのだ。というのも君たちはこのサイババカレッジの学生であったからなのだ。環境汚染が良くない事を知っているのにそういう汚染をしている会社に就職し働いただけでも、自然は君たちを許さないであろう。」

科学者は、天然資源を過剰に撮り尽くせば如何なる結果が発生するかについて、深く考えることをしません。
~自然は人間よりも一段上のレベルにあり、その自然を保護するために自然の開発には限度を設けなければなりません。
人間が無思慮に自然に干渉するならば、自然は人間に逆らい問題が生じます。
自然を守るために欲望に限度をもうけねばなりません。
自然が人間に対して不利益をもたらさぬように十分に配慮しなさい。
この点に関して、科学者達は彼らの発明が社会にもたらす有害な影響については全く無関心です。21/1/93
最近、自然が災害という形で反旗を翻しているのをよく目にします。
それは人が自然の資源を強奪する際に、あらゆる限度を無視しているからです。
豪雨、干ばつ、地震、洪水は人間の貪欲に対する反作用です。
科学の進歩を理由に、科学者たちは世界の幸福を考慮する事なく、ますます利己的になっています。
科学者たちは、自然を報復へと駆り立てているのです。 25/5/95
多くの自然災害は人為的なものなのです。
地震、火山の噴火、戦争、洪水、飢饉や他の災害は厳重な自然の乱れの結果です。
それらの乱れは人の行為の帰結なのです。人は、未だに人と自然の関係を完全に理解していないのです。
地球は一つの球です。
球を安定な状態にしておくには、バランスをとらねばなりません。
今、限度も無く天然資源を消費し、地球のバランスが崩れば地軸が傾くのです。
SSvol25

マーヤーの力は凄すぎてマ〜嫌ヤ〜

ポニョ:いよいよ明日や。帰る時がやって来たぜよ。

ヨシオ:三ヶ月間ご苦労さんでした。

ポニョ:もう、三ヶ月も経ったなんて信じられないな。とても充実してたな。久々に肉体労働をしたぜよ。こちらに来たら忙しくてブログの記事なんかアップ出来ないと思ってたけど、毎日アップ出来てよかったぜよ。少し暑くなって来たからおいらには良い季節やけどな。光陰矢の如しやな。静かで自然がいっぱいで夢のようやったぜよ。川下りにも行けたしな。でももうお別れやな。

ヨシオ:この世の別れなんて本当は見せかけだけなんや。俺たちが自分はこの体だと思っているから別れがあるんや。本当は誰とも別れてなんかいないし、別離なんて存在しないんや。

ポニョ:ということは、身体だけさようならと言ってるだけで、心は繋がっているって事なんか。

ヨシオ:俺たちはアートマのレベルで繋がっているんや。全ては一つなんや。この世界は神様がご自分の想像力を働かせ、その想念の力で創られたんや。

ポニョ:愛の化身である神様が想念の力を使って創造された世界がこの世界やったら、何でこんなにもゴタゴタとして愛の無い苦しみのある世界なんやろな。

“私は人間に四分の三の幸福と、四分の一の苦痛を与えている。
~私は時々、人々に少しだけ苦痛を与えます。
そうしなければ人々の心は、神のほうに向かないだろう。
このことを理解せず、人は神をののしるのだ。"
“あなた方は、なぜ私のダルシャンを得た後も苦悩を経験しなければならないのか?と思う者もあるだろう。
それは、いくつもの前世で積み上げたカルマを支払っているからなのだ。
~私のダルシャンを得た後、次の世で良い人生が待っている。
良い人生であれば間違いを犯すことはない。
そして、間違いを犯さなければ、再び生まれ変わることも無い。
これは単純明解な真理なのだ。P260ANDI”
“あなたは私が理由もなくあなたに痛みを与えると思いますか。
あなたが今楽しみに対して心を開いているように、痛みにも心を開きなさい。
というのもその痛みは私の意思であり、あなたのために私が与えたものであるからです。
痛みを歓迎することをあなたの課題としなさい。
それから逃げてはいけません。
内を向いてそれに耐え、そこから恩恵を受ける力を引き出しなさい。
それらは全て私が計画したことなのです。
願いが叶えられないという苦しみを経て、私の声を聞くことを切望するようにあなたをし向けているのです。
私の声が聞こえれば、あなたのエゴや心も消え去るのです。
サイババと精神科医c16”

ヨシオ:窓の外を見ると鳥が舞っている。空には白い雲が浮かんでいる。風が木についているたくさんの木の葉を動かして、その木の葉に陽の光が反射してキラキラ光っている。神さんが、愛の神さんでなかったら俺たちは一瞬でも生きていくことは出来ないんや。どこを見ても実は愛で満ち溢れているんや。自転車に乗っている小さい子供がひっくり返って道端で血を流しながら泣いているのを通行人は誰も無視しない。駆け寄ってハンカチやティッシュペーパーで傷口を拭いてあげるやろ。誰も雨上がりに気分がいいからと言って他の通行人の迷惑も顧みず傘わ振り回して歩かないやろ。通行人に向かってひっつき虫を投げるやんちゃ坊主はいても、石を投げつけて喜んでいる人はいない。足の悪いお婆ちゃんが交差点を渡りきれないので立ち往生しそうになったら、一緒に手を引いて渡ってあげるやろ。周りを見渡せば本当は愛しか無いんや。俺たちがこうして話が出来るのも俺たちの中にある生命力が働いているからやろ。その生命力が実は愛そのものなんや。その愛の力をどのように使うかはそれぞれの人次第なんや。

ポニョ:ある人はその力を使って他の人々を傷つけているぜよ。それはそうと、ひっつき虫を投げてたやんちゃ坊主って自分の事やろ。

ヨシオ:神は全ての人や動物、生き物たちに生命力を与えた。この力を使って俺たちはこの力の根源を探らなければならないんや。それが人生の目的なんや。他の生き物たちはこの力を使ってそういうことをしない。人間だけがそういう探求出来る力を持っているんや。なのにその力を獣より残酷な事に使っている。この世界はカルマの法則が支配しているから、そういう人には大きな負の力が返って行くんや。でも、負の力が大きくかかればかかる程、その人は後で大きく学ぶことが出来、次の生では厳しい環境の下に生まれ変わり、頭を打って他の人の気持ちが分かる少しはまともな人生を歩むことになるんや。

ポニョ:そう意味で全ては良い事なんやな。一見悪い事のように見えていても、実は良い事やなんてあんたはいつも言ってたけど、こうして具体的な例をあげて聞くとよく分かるぜよ。

ヨシオ:この世は学校なんや。汚れた心を綺麗にし、自分の良心という名の神さんを見つけてそれに従って生きて行くことが出来るようになるための学校なんや。

ポニョ:ということは、学校では英語や国語や算数などいろんな教科があるけど、お掃除の時間が一番大切な時間なんやな。

ヨシオ:そういうことや。心を綺麗にする時間や。それが一番大切な時間なんや。そのために神様は何をしなくてはいけないかを教えてくれているんや。

ポニョ:それは、神様の名前を唱えたり、その人の中に神様を見て奉仕したり、自分て言うエゴを少なくしていかないかんということなんやな。そもそもエゴっていうのは何やねんやろや。

ヨシオ:それは、自分と血や肉で出来ている肉体を同一視する事なんや。同一視すると、この世に執着してしまって生まれかわる原因を作ってしまうんや。

ポニョ:そして、カルマの法則が支配する世界に投げ出され、輪廻の大きな車輪に巻き込まれて、何度も糞まみれになりながら生まれ変わって来るんやな。

ヨシオ:糞まみれはないやろ。

ポニョ:でも同じようなところから出て来るやんか。

ヨシオ:その話はやめとけって言うてるんや。ポニョはしゃーないな。

ポニョ:昨日の記事でも言ってたけど、おいら達の住むこの世界は、カルマの法則が支配する世界であって、マーヤーの力で覆われているやろ。その力は実は神様の想念の力やなんて言ってたよな。それってすごいと思えへんか?思っただけで、こんなにもすごい世界が創造出来るんやぜよ。神さんのパワーっておいら達の想像力を超えたところにあるよな。

ヨシオ:有名な話やから誰でも知っていると思うけど、ブラフマ神の息子でナーラダという人がいたんや。そのナーラダがクリシュナと歩いている時に、マーヤーの事について聞いていたんや。クリシュナはナーラダに喉が渇いたから水を一杯持って来て欲しいと頼んだんや。ナーラダは近くの村に行き少しの水を分けてもらおうとしたら、その村人の家からとびきりの美人の娘が出て来て、ナーラダは一目惚れしてしまったんや。そして、その娘の心を射ることに成功して娘のお父さんの許しも得て、めでたく夫婦となって良い家庭を築いたんや。やがて義父が他界したので田畑や家畜を相続し何の不自由もなく豊かに幸福に暮らし始めたんや。そして十二年の月日が経ち子供も二人出来て幸せな生活を送っていたところに大雨が降り、近くの川の堤防が決壊し家が流されたんや。家畜や家も一切が流され始めたんや。それで必死に一人の子供を頭に乗せ、もう一人の子供と妻を左右の手でしっかりと握りしめながら激流に流されまいと頑張っていたんやけど、まず最初に頭の子が激流に流されてしまったんや。泣き叫びながらその子の名前を呼んだけれど、その子は激流に呑まれて一瞬のうちに見えなくなったんや。もう一人の子も力尽きて手を離してしまって水に呑まれてしまったんや。最愛の妻を持てるだけの力を使って抱きしめていたけれど、激流によって引き離されてナーラダの手の中からすり抜けて行ったんや。ナーラダは絶望の叫び声をあげて妻や子供達のために泣いたんや。しばらくして一人堤防に打ち上げられたまま自分のひどい運命を恨み泣き続けていたんや。すると誰かが自分を呼ぶ優しい声が聞こえたんで頭を上げると、そこにクリシュナがいたんや。クリシュナは、ナーラダよ。お前に水を一杯持って来ておくれと頼んだのに、どうして私を半時間も待たせたんだね。心配してこうしてやって来たんだけれど、こんなところで休んでいたんだね。心配したよ。と言われたんや。ナーラダはその言葉を聞いてマーヤーの力がどんなにパワフルなのかを思い知ったんや。

ポニョ:おいら達がマーヤーの力に取り込まれてるってよく分かったぜよ。十二年間の出来事がたったの三十分間うたた寝してたら起こった事なんや。

ヨシオ:俺たちが死んだら同じ事を経験するんや。死んで生きていた時のことを思い返すと、長い人生で、泣いたり叫んだりしていたことも、実は夢やったんやって分かるんや。だからこの世で起こることは全て幻のようなものやけど、自分がせねばならない義務を粛々と為し、その結果がどうなろうと冷静に受け止め、受け入れるんや。そうすれば、人生の終わりで両手を広げて待っていてくれている神様に、良くやった。素晴らしい人生やったな。悲しい時でも、苦しかった時にも私の事を忘れず、人生の目標から目を離さず私の元にたどり着いたね。頑張ったね。大変だったろう。私はお前の人生に満足しているよ。息子よ。と言ってもらえるやろな。
あなたが正しい事を願っているのであれば、私は必ずあなたを助けます。
あなたが世俗的なものを望んだとしても、あなたに与えますが、あなたはそのマーヤーにまた巻き込まれてしまうでしょう。
しかし、あなたが望むのであれば、私はあなたに全ては夢であるという自覚できる体験を与えましょう。
そしてそのマーヤーの体験はあなたに影響を及ぼさないでしょう。
あなた方は皆、自分という役割を演じているだけなのです。
そに役割とは個我なのです。
私はだれそれです。というのはエゴなのです。
誤った同一視で、本当のあなたではありません。
あなたは自分自身に言い聞かせなければなりません。
私は自分という役割を演じているだけで、本質はアートマです。
私は、自分が自分と思う事を超越します。と。
あなたは、絶え間無くこのような思いを、心に抱かなくてはなりません。
でなければ、あなたは目の前の困難に屈するでしょう。
苦しんで、不安で、そして心配するようになるでしょう。
そうではなく、解毒剤を飲むようにそれらを体から追い出さなくてはなりません。
スワミこれは、全て夢ですよね。と言い続けなさい。
もしそう言ってもまだ自分が気づかなかったら、私に願いなさい。
私は常にあなたが望むものは全て与える用意があります。
しかし、あなたは願わなくてはなりません。
私が勝手にあなたにそれを授ける事は出来ないのです。
ラニマーとの会話
あなた自身をあなたが演じている役と同一視しないことです。
そのような同一視は、あなたの進歩を遅らせることになるでしょう。SSSvol6p21

神様みっけた

ポニョ:墜落して行く飛行機の中でめちゃ面白い冗談を言ったら、笑ってしまうけど顔が引きつってしまうやろな。

ヨシオ:もちろんそんな状況の時は、神さんの名前を唱えながら肉体から離れるのが一番やけど、パイロットの集まりでそんなことを言っても誰も聞く耳を持たないから、このようなジョークを言ったんや。

ポニョ:そうやったんか。でもあんたやったら言いそうやな。それはそうと、この前の記事のババのお言葉の中に、この世に何も実在するものはないのです。と言ってられたけど神さんは実在するやろ。でないと意味が分からんぜよ。

ヨシオ:ババはこの世は、神さんが創造されたいろんな自然と人とその人が礼拝する神様で出来ている。大きなキャンパスに絵の具で自然を背景に人と神が描かれているようなものだ。一見すると三つのものが別々に見えるけど、本当はキャンパスに描かれた絵の具しかなく、それらは一つなんやとおっしゃっている。

個我と神と物質世界を、絵に描かれたものと想像して御覧なさい。
物質世界を背景にして個我と神は描かれています。
同じ絵の具で書かれているにも関わらず、三つとも違う実態のように見えます。
これらは心の産物で実は価値を持たないのです。

ポニョ:つまり帰依者がいなければ神も存在しないという意味での神様なんやな。創造主ブラフマンという意味での神さんではないんや。それなら意味が分かったたぜよ。

ヨシオ:この前言ったマーヤーの二つの力により、人は自分も一緒にキャンパスに描かれた物質世界に目を向け、それに惹かれて行くんや。そして、その物質世界も自分と同じ絵の具で描かれた絵というのを忘れて、その絵の中の登場人物としてキャンパスの中に囚われてしまいマーヤーの餌食となるんや。

ポニョ:つまり、人は自分も物質世界も、この世にある全てが同じ絵の具で描かれた絵だというのを忘れて、その絵の中のゴタゴタに巻き込まれてしまっているんやな。

ヨシオ:創造主ブラフマンは自らの意志の力、想念の力を使ってその絵を描いたんやけど、その絵に描かれた人も創造主と同じ想念の力を持っていて、その絵の中に描かれている物質世界に心と呼ばれているその力を使ってキャンパスに描かれた魅力的な物質世界の絵を手に入れようとする衝動や何かをやり遂げようとする意思を持ち始めるんや。

マーヤーは真の本性を覆い隠す力と、真の上に非真を投影する力によって、唯一無二の存在であるブラフマンを個我、神、物質世界という三者に分かれた存在をとらせました。
マーヤーの力は潜在していますが、それが一度顕れる時は心として顕れます。
その時、物質世界という巨木の種子は芽吹き始め、心の衝動という葉を茂らせ、心の意思という果実をつけます。
従って、外界の全ては心の繁茂にすぎません。
個我と神は心の繁茂によって捕らえられ、物質世界の中で離れ難く絡み合っています。

ポニョ:つまり、この世にはいろんな魅力的な物が周りにいっぱいあるけれど、それらは全て自分も含めて創造主が描かれたキャンパスの絵なんやな。そしてマーヤーの力は人の心となって顕在化して、そのキャンパスに描かれた絵に対する心の衝動や意思となって現れて来て、人をこの世に縛り付けてしまうんや。そして自分の真の本性を忘れてしまうんやな。

外に見るものはすべて幻想に基づいたものです。
架空の世界に心を奪われないようにしなさい。
そうして初めて平安を得、ついには「私は私である」という真理を悟ることができます。25/12/03

ヨシオ:ポニョは俺よりきちんと理解してるやないけ。頭がクリア〜やな。

ポニョ:下手に年取って無いんや。髪の毛が薄くなっている分、叡智が頭に詰まっているんぜよ。

ヨシオ:以前紹介したけど、ババは学生たちにご自分を指差されて私は誰だと思うと聞かれたんや。学生たちは、それぞれ自分たちが知っている限りの神さんの名前などを言って答えたんやけど、全て外れやったんや。それでババは私は私や。と言われたんで何人もの学生たちがその深い意味が分からずにババの答えを聞いて笑ったんや。

ポニョ:私は『私』です。って言えば誰でも笑うぜよ。でもその『私』っていう『私』は創造主ブラフマンの事やろ。世界には物質世界や人や八百万の神さんを創造した創造主ブラフマンしか実は存在していないんぜよ。って前にも記事にしたよな。だから、『私』の名前はブラフマン。創造主である。世界はブラフマンしか存在していないのだ。だから私は『私』なのだ。ワッハッハ。

ヨシオ:最後のワッハッハは何やねん。

ポニョ:自分で難しい事を言ってたら、マグマ大使のゴアになったような気分になったんや。

ヨシオ:だからこの前も言ったように、このマーヤーの二つの力は、夢を見ている時と起きている時に働いているのでとても現実感があるんや。

ポニョ:自分が自分と同じキャンパスに描かれた絵に夢中になるぐらいやもんな。それぐらい素晴らしい絵なんや。特にオクラの絵が上手く描かれているな。

ヨシオ:でも、人が実は自分はキャンパスに描かれた物に夢中になっていたんやと気付くと、心の衝動や意志が消えてしまい英知を得た人になってしまうんや。すると心として顕現していたマーヤーの力は何処かに行ってしまって人は絵に描かれた人ではなく、その絵を描いてそれを眺めて喜んでいるブラフマンと一緒になってしまうんや。つまり私は『私』になるんや。

覚醒時と夢の中ではこれらは現実味があります。
しかし、熟睡時や気を失った時などは心は働かないので、これらは存在しません。
それゆえ、人が英知を獲得した時に心の働きが無くなり、これら三つは消滅してしまうことが容易に理解できるでしょう。
心の働きを分析して得られる英知のみが、マーヤーに終止符を打つことができるのです。
マーヤーは、無知や識別力が欠如しているところに繁殖します。JV

ポニョ:絵描きが、描いた絵の中の人物が絵の外に飛び出して来て、その絵かきと一緒になりなさいよというのがババの教えなんやな。何や、簡単やんか。誰でも分かるぜよ。

ヨシオ:自分が絵の中の人ではなく、絵描きなんやって気付く事は誰でも可能なんや、例えば友達が新車に乗って家のやって来たので、一緒に乗せてもらう時ってあるやろ。そのあと自分もあんなええ車が欲しいなと思って一生懸命働いてお金を貯め、ディーラーに行って値段の交渉をするやろ。その時にいろんなオプションが付けられていて思ったより高くて自分が持っていたお金では買えないので値切ろうと思うやんか。でも、その交渉の途中で自分は本当にその車が要るんやろうかという疑問が湧いてきて、ああそうや。これだけの金があれば他にもっと欲しいもんが買えるやんかと気付いて、ディーラーの人が自分が買えるまで値段をまけくれても、もうその車に興味がなくなってしまう時ってあるやんか。人の心ってそんなもんなんや。本当は自分で自分の心なんてあっという間にコントロール出来るんや。

ポニョ:おいらも心の衝動や意思は比較的コントロールし易いな。今日はカレーが食べたいなと思っても、台所で嫁さんが天ぷらを揚げているとそうや、天ぷらの方が美味しそうやって思って直ぐにカレーを諦められるぜよ。

ヨシオ:あのね…。そうとは違うんやけど…。ポニョに車の例を出すのが間違っていたな。とにかく俺が言いたかったことは、この世で見るもの聞くもの全ては絵に描いた餅なんや。だから、車であろうと天ぷらであろうと、恋人であろうと、親兄弟子供も含めて全て、それらを愛しているとか好きやとか言っても、絵の中に描いてあるもんやから、永続するもんではないんや。いずれは絵の具が剥げてきたり、埃をかぶったり、ネズミにかじられて絵が欠けたり、雨漏りがして絵が台無しになったりして消えて行く運命なんや。だからそんなものを愛するのではなく、絵の中に描かれたものや自分の身体に執着するんではなく、永遠の愛を求めなければならないんや。その永遠の愛というのが絵描きへの愛なんや。つまりそれが本当の自分なんや。

この世の愛は一時なものです。
それは愛とは呼べません。
本当の愛は不滅です。
そのような愛を育てるべきです。
肉体は成長し衰えます。
一体どうやってそれを実在するものと見なすことができるでしょうか?
実際には、この世にあるものはすべて現実には存在していません。
迷妄の原因は肉体への執着です。
それゆえ、徐々に肉体への執着を減らしていきなさい。
これは、皆さんが始めなければならない一番大切なサーダナ(霊性修行)です。
ジャパ(神の御名やマントラを繰り返し唱えること)、タパス(苦行)、ディヤーナ(瞑想)、ヨーガ(神との交流)といったものは、真の意味でのサーダナ(霊性修行)ではありません。
皆さんが実在していると思っているものはすべて、実際には存在していません。
実際に存在していないものは、すべて手放さなければなりません。
まず第一に、この真理を理解しなければなりません。
肉体への執着を手放すことはとても簡単です。
どうして人々がそれをできないのか私には不思議でなりません!25/12/03

ポニョ:この前においらはマーヤーって毛布見たいやって言ったやろ。今話を聞いていて、神さんっておいら達と隠れんぼしたいのと違うのんかなと思ったぜよ。だって神さんはいつも遊んでおられるやろ。何を話しても、何をされてもいつも遊んでおられるやんか。だからマーヤーを創られたんは、御自分は毛布の中に入って隠れておいて、人が英知を使って自分を見つけて欲しいなと思っておられるんやなと思ったぜよ。

ヨシオ:まさしくポニョが言った通りなんや。神さんは俺たちと隠れんぼをして遊んでおられるんや。でも、なかなか俺たちに見つけてもらえないし、長い間毛布の中に包まって隠れているのも退屈やし、ちょっと声を出したり歌ったりして何処に隠れているかを教えてくれているのがアヴァターなんや。

ポニョ:そのヒントを聞いて、やっと分かった。ここにおったんや。神様見っけた。と言って毛布をめくり取るとそこには自分がいたんやな。なんちゅうトリッキーな神さんや。笑ってしまうぜよ。


人間が目の前に見るものは、世界ではなく、まさしく神なのです。
しかし、無知ゆえに人間はこの真理を理解できず、外側の世界に神を探そうと努めます。
あなたが自分の前に見つけるものすべてが、まさに神の姿なのです。
あなたはすぐ目の前に神を見ているのに、まだ自分は神を探し当てていないと思っているのです。
何と愚かなことでしょうか!
あらゆるものが神の顕れであるという堅い信念を育てれば、あなたは確実にすべての人の中に神を見いだすことでしょう。16/3/03
神の存在を発見することは、各人の能力の範囲内にあります。
必要なのは、創造の神秘を追求するために努力することです。
目に見える世界の下には、目に見えない神性が横たわっているのです。
実は現代人が知っていることは、無に等しいのです。
探求、探求、探求です。確固たる努力を払いなさい。
霊的探求を緩めてはなりません。
認識に必要なのは、根本原因の原理を追求することです。
必要なのはそれに対する心の中の渇望です。
それは霊的探求へと変容を遂げます。
渇望が無ければ、神の探求は長続きしません。30/5/95
人間の理想とは、全てのものの内に神を見ることです。
まずあなたが好む何か一つのものの内に神を見なさい。
次に、それ以外のものの内に神を見ていきなさい。
そのようにして一歩ずつ歩んで行くのです。
あなたの魂の周りには、永遠の生命がとりまいているのです。
あなたのペースで進んで行けば、やがて目標に到達することができるでしょう。PD41

神は、生物・無生物の別なく、万物の内に存在しています。
大宇宙から小宇宙に到るまで、神は全宇宙に満ち満ちています。
この宇宙は、神の姿です。
朝から晩まで、私たちはこのような神の姿を体験していますが、この事実に気付くことができないでいます。
皆さんの眼で見ているもののすべてが神の姿なのです。
皆さんが聞くすべての音にも神が遍満しています。
皆さんの心にある思いさえも、神の姿です。
心から放射される至福もまた神なのです。
見えるもの、聞こえるもの、体験されるもの、喜ばれるもののすべてが神であるとき、それ以外の場所に神を探そうとするのは、何と愚かなことでしょう。
〜皆さんは、世界という姿の神をした神を、毎瞬毎瞬見ています。
皆さんは、神聖な感情が欠けているために、世界を神として見るのではなく、神を世界として見ているのです。
いったん皆さんが宇宙はヴィシュヌ神の姿であるということを理解しさえすれば、必ず世界を神として見ることができるようになります。
『感じる通りの結果が生まれる』のです。
神は、全宇宙に遍満しています。
神がある特定の場所にいて、他の所にはいないという感じ方をしてはなりません。
神はいたるところにいます。
あなたが神を見つけようと思えば、どこを探しても、そこに神がいます。
まず皆さんは世俗的な思いを手放して、自分の視点を神聖な感情で満たさなければなりません。
そうして初めて、皆さんは、『全宇宙に神が遍満している』というヴェーダの教えを理解し、体験することができるのです。
神を特定の名前や姿に限定してはなりません。
神は、真我の原理として、すべての存在とすべての姿に内在しています。
実際皆さんは、神の力によって、見聞きし、話し、体験し、喜ぶことができるのです。
そうであれば、困難や、心配や、不幸もまた神であるのかという疑問が生じるかもしれません。
実は本当にそうなのです!
それらもまた神の姿なのです。 23/11/99

神を探す必要などないのです。
なぜ神を探すのですか?
それをするのは、自分自身の中に聖なるものが無いからではないですか?
自分の中に優しさがないから、どこかに愛の化身を求めにいくのでしょう?
もしあなたが優しい心を持っていたなら、愛の化身は私たちの前に下に上に家の中に外にと、いつも私たちと一緒にいるはずです。
その人自身が自らの内に持っているものを外に探しに行きますか?
あなたがそれを持っていないからこそそれを探しに行くのでしょう?17/2/96

絵かきの世界は奥が深い

ポニョ:この前の記事で、おいら達がキャンパスの中に描かれた絵で、同じキャンパスに描かれた物質世界の絵に対して執着や意思や衝動などを持っているので、なかなか絵を描かれた大元の神さんを見ることは出来ないというところが面白かったな。ババの本を読んでいてもマーヤーの説明がイマイチ分かりにくい所やったから何かスッキリしたって感じかな。でもその同じキャンパスに描かれているガネーシャやいろんな八百万の神様はどういう役割をしてるんや?

ヨシオ:キャンパスの例を使って言えば、俺たちが拝んでいる神さんたちは、皆キャンパスの絵の中で絵描きの方を見てるんや。つまり正面や。そしてキャンパスに描かれた他の全ての人々は、絵描きの方ではなくあっちこっち違う方向を見てるんや。だからいろんな神さんたちは私たちのように正面を向きなさい、そうすると私たちを創造されたお方を見ることが出来ますよ。と言って神様の方を指差しながら俺たちを導いておられるんや。

ポニョ:あゝそういう役割をされているんか。そのキャンパスに描かれた物質世界が余りにも魅力的なので、それらに気を取られて、おいら達を描かれた大元の神さんを見ることが出来ないから、そっちじゃないよ、こっちだよと言って指差されているんやな。では、絵を描かれたご本人であるサイババさんの場合はどうなんや。

ヨシオ:絵描きがキャンパスに自画像を書く場合もあるやろ。それと同じことや。

ポニョ:ああそうか。そのキャンパスの中で、他の全ての神さんたちはババが来られるまで大元の神さんはあっちにいますよ。あっちを向きなさいよ。そうすればもう生まれ変わらなくてもいいですよ。とか言ってたのに、大元の神さんである絵描きがやって来て、同じキャンパスの中で君たちを描いたのは僕ですよ。僕が絵描きなんですよ。僕に礼拝して僕にたどり着きなさいと言っておられるんやな。おいら達はもう苦労してあっちを探さなくてもええんや。大元の神さんが俺たちのレベルに降りて来られたから。以前,ババの伝記を連載している時に、ガンガー女神様がババに挨拶に来られたやろ。また、蛇の神様である化け物みたいな大きくて長いナガサンが来られた時もあったな。これらの八百万の神さんも、大元の神さんが来られたので嬉しかったんやろな。わざわざ来るぐらいやから。

ヨシオ:コモリン岬に行かれた時も、海の神さんが挨拶に来られ、大きな波がババを覆ったっと思ったら綺麗な真珠を108個も手土産に置いていかれたな。この世に住んでマーヤーの力に圧倒されて悲喜こもごもの生活を送っている霊的B層人間たちは、ババがこの世に来られたありがたみを全く分かっていない。聖者たちは、大元の神さんである絵描きの姿を見ようとして何十年も、時には何十回も生まれ変わって苦行を積み、やっとほんの少しだけ、大元の神さんの御姿を垣間見ることが出来て至福の喜びに包まれたんや。

ポニョ:でも今、こうして大元の神さんが自ら御姿を現されて、キャンパスの絵の中でウロウロされているんやな。面白い時代やな。
"ハーイ君たち。僕が君たちを描いた絵描きですよ。よろしくね。ほら、手をクルクル回せばこんな奇跡も出来ますよ。死人も生き返らせますよ。僕にたどり着けるためのいろんな英知を教えてあげますよ。今まで明らかにして来なかった転生の秘密や宇宙創成の秘密、大成就などの秘訣などもどんどん明らかにして行きますよ。極めつけは、僕が本当に大元の神さんだって事を明らかにするためにビッグサプライズを準備している事なんですよ。今少しだけ明らかにしようかな。でも、これはビッグサプライズなんですよ。人類に対するビッグプレゼントなんでちょっと明らかにするのは気が引けるな。でも、空に現れるって以前に口をちょっと滑らせて言ってしまったから、それを覚えている巳年のしつこい帰依者が「サイババが帰って来るよ」何てブログを立ち上げて、僕がやろうとしているビッグサプライズを嬉しがって世の中に宣伝しまくっているんで、少し困っているんですよ。嫌だなぁ、ああいう帰依者は。少しだけ漏らした秘密を、あんな風に恥ずかしげもなく無分別に世の中に宣伝して。神の化身も楽じゃないな。ああいう訳のわからない顔の長い帰依者がいると…。ベントフもそうだったけど、ああいうちょっと僕の秘密を知ったからと言って世間にバラしている連中は、早く僕の中に吸い上げてしまおうかな。"なんて言っておられるんやろな。

ヨシオ:ところで顔の長い巳年の帰依者って一体誰やねん。この前の記事で、この世に実在するものは何一つ存在しないって言われたババのお言葉を紹介したけど、この世界には実は一つだけ実在があるんや。それは今ポニョが言ったように大元の神さんが人の姿を取られた時なんや。それ以外の全てのものは被創造物で、創造主である大元の神さんだけが実在なんや。その証拠にその絵描きであるババは、俺たちも含めて、この想像も出来ないぐらい広大な全宇宙を一瞬にして消してしまうことが出来るくらい大きな力を持っておられるんや。

ポニョ:それはすごいパワーやな。それだけの想像も出来ないくらいの力を持たれている神さんを疑って、ただの手をクルクル回してものを出す手品師呼ばわりして批判している人がいるけど、それってちゃんちゃらおかしいよな。

ヨシオ:ババから見れば、ダイアモンドもその辺に転がっている石ころも同じものに見えるんや。人は指輪などをババから欲しがっているけど、ババは自分が持っている宇宙をも創造できる全てのパワーを俺たちと共有したいって思っておられるんや。

ポニョ:なのに、小さい事しか人は望んでいないな。インタビューに呼んでもらえないとか、手紙を受け取ってもらえないとか、目を見てもらえないとか、これだけ帰依しているのに自分の願いが叶わないとか、無視されたとか言って、しょうもない事でババを誤解して、離れていったり批判している人が多過ぎる。

ヨシオ:ババは私から小さいものではなく、もっと大きなものを望みなさい。と言ってられるけど、ババの本性に気が付いていない人ばかりやから仕方が無いな。本当はダルシャンでお姿を拝見させてもらっただけでも大変ありがたいのに。

ポニョ:どれだけ大元の神さんを目の前で見れる事がすごい事なんて分かっていないもんな。過去の全ての罪がぶっ飛ぶぐらい凄いことなのに。

ヨシオ:さっきの話に戻るけど、人ってキャンパスに描かれた絵なんやけど、でも人は神の雛形やから、人は創造主と同じように意思の力で世界を創造する力を持っているんや。それで、絵の中に描かれた自分の周りにある物質世界に魅了されて、自分の想念の力で、自分の中にそのマーヤーである物質世界を複製して取り込んでしまうんや。そして完全にマーヤーの世界に騙されているので、その世界が真実だと思い込んでしまうんや。一度そのように外界から受けた対象物を取り込んでしまうとそれに執着し、その人は、自分が、とか自分のもの、というエゴが膨らんで霊的に進歩するのは難しいんや。

私たちの認知している世界のすべては、実は私たちが創り出しているといわれていますが、それには例外が一つだけあります。
外から人間の中に入ってくるものが一つだけ存在するのです。
それは、外的な対象物に執着することによって発生するエゴです。
この世俗的な欲望を切り取ってしまえば、エゴは自動的に消滅します。
外界から受けた印象を自分の中に取り込んで、それを真実と見なしてしまうのは有害です。
人間は外で見たものを自分の中で複製して作り出すことができるので、自分が再び創ったと勘違いするからです。
ところが、実は、外界で見るものは、すでにその人の中にある(アートマ)の記憶を呼び起こすだけなのです。CWSSBp110


ポニョ:今の御言葉の中で外界で見るものは、すでにその人の中にあるアートマの記憶を呼び起こすだけって言っておられるけど、それって創造主がキャンパスに描かれた絵のことを指しておられるんやろ。

ヨシオ:そうや。何度も言ってるけど、大きなキャンパスに創造主が三界も含めて、大きな絵を描かれて俺たちがその絵の中にいる。そして、同じキャンパスの中の物事に心を奪われて喜んだり悲しんだりしてる。そして俺たちも創造主と同じように想念の力を持っているから、そのキャンパスに描かれた絵を真実と勘違いして自分の中に取り込んでしまう。そして自分の持っている小さいキャンパスにそれらを描いて行くんや。それが、俺たち一人ひとりが持っている内的世界なんや。

ポニョ:ということは、その内的世界は人の数だけあるってことか。

ヨシオ:ババはあまり死後の世界やこの一人ひとりの内的世界について言及されないやろ。だってその内的世界は人がマーヤーに囚われた世界なんや。ババの教えはそのマーヤーを克服して創造主の元に帰って来るように教えておられるから、いちいち何十億もある一人ひとりのマーヤーの世界の事なんてどっちでもええんや。オリジナルの絵は創造主が描かれたキャンパスの絵やから、人は自分が生まれ育った環境や条件でそれを歪曲して、それを自分なりに複製しているだけなんや。

ポニョ:ということは、元々のオリジナルの絵は同じやから、それらの個々人の内的世界にも共通点もあるやろ。

ヨシオ:そうやな。例えば人が死んで肉体から離れたら、日本人やったら閻魔さんのところに行っていろんな犯した罪を裁いてもらうやろ。西洋人やったらそれが裁判所の裁判官に変身するんや。インド人やったら死の神ヤマになるんかな。でも、犯した罪を裁くところは一緒やな。

ポニョ:でも、オリジナルの絵を元にしているとはいえ、人の数だけあるから内的世界は大きな世界なんやろな。

ヨシオ:内的世界と言っても今ポニョが言ってる世界は、「微妙な世界」と言われているものなんや。それは一人ひとりが創り出す小さな世界で、その上にあるのが創造主が描かれた大きな世界である「因果の世界」があるんや。そしてそれらを全て超えて支えている宇宙の最高原理、神の摂理、不滅の真の自己であるアートマがその後ろに控えているんや。

ポニョ:ふーん。絵描きの世界は奥が深いんやな。ということは、この世界は物質世界、微妙な世界、そして因果の世界の三つがあるんやな。

ヨシオ:この事について話し始めるとキリがないので今日はこの辺で終わろか。

ポニョ:なんや、せっかく乗って来たのに。腰砕けのさっぱりわいや。

神の宇宙普遍相は「物質的な世界」と同じものです。
これが心の世界と繋がれば、神は繊細で微妙な姿を取るでしょう。
それが、「微妙な世界」です。
物質的な世界と微妙な世界では感覚や心が働いています。
感覚も心も超えているのが「因果の世界」です。
目の覚めている状態では、感覚と心が激しく動いています。
夢を見ている状態では感覚に左右されることは無いけれど、心の影響はあります。
深い眠りの中にある因果の状態では、心も消え去ります。
物質的な世界は感覚器官と結びついています。
微妙な世界は夢を見ている状態と結びついた、心の世界です。
因果の世界は感覚も心も無い深い眠りの状態です。
深い眠りの状態で、心も感覚も働いていないときに、はじめて形も性質も無い神を経験することが出来ます。SGc3

プラナは、宇宙の生成から消滅までの期間は、31,104x10の十乗倍であると述べている。
これはくしくも光が100年間かけて進む距離と同じである。
宇宙での一秒は、地上の十万年にあたる。
宇宙が一度創造され消滅する間に、この物質世界と二つの霊界は(Bhu,Bhuvah,Suvah)36000回にわたって破壊されそして創造されるのだ。
これは、432x10の七乗年と等しいのです。
これらを称して宇宙の一日と呼びます。そしてそれが百年経たときにこの物質宇宙も霊界も消滅します。
宇宙が消滅した後、時というものも無くなります。
時、空間、物質、等は同時に創造されます。ガルーダプラナP3

最後のお別れ言葉は何ですか?

ポニョ:ナーラダの家族が洪水に呑み込まれて流されて行ったけど、幾らマーヤーの力とはいえ可哀想やったな。そのマーヤーについてもう少し詳しく説明してくれるか?

ヨシオ:このマーヤーというものが何であるのかが分かれば神になれるぐらい凄いことなんや。でも、人って生まれた時から死ぬまでこのマーヤーの中で生活し、それに影響されて泣き笑いして一生を終わるのが普通なんや。

ポニョ:十二年間も連れ添い、子供も出来て幸せに暮らしていたのに、その生活が洪水によって一瞬にして破壊されようとしている時に、これはマーヤーやから平気だよ。なんて言ってられないよな。激流に子供が一人ひとり流されて、最後には最愛の妻まで流されて行くのを見ながら、行ってらっしゃーい。もうちょっとしっかり泳ぎを練習してたら良かったな。また機会があったら会いましょうね。バイバーイ。何て泣き叫んで流されて行く子供達や妻に向かって言ってたら、それがお父さんの僕たちに贈る最後の言葉か?あんたは血も涙もない鬼じゃ。なんて言われるやろな。

ヨシオ:マーヤーの力ってそれ程パワフルなんや。生まれた時からこの肉体をまとってお母さんのお腹の中から出て来たら、誰でも自分は肉体だと思うのが当たり前やもんな。

ポニョ:そらそうや。おいらはチビやったけど、元気なええ子やった。君は少し意地悪なところがあるな。あなたは目が大きくてえくぼが似合う素敵な笑顔をしていますね。お嬢さん。でもそんなに口を大きく開けて笑うと喉ちんこが見えてますよ。とか、周りの人を見回してもみんなそれぞれの身体を自分やと思って生きている人ばかりやもんな。

ヨシオ:あのねポニョ、それと喉ちんこと何の関係があるんや。とにかく毎日の生活で常に自分は肉体ではない。この変化し衰えつつある肉体ではない。本当の自分はこの物質世界には属していない。自分の周りの人々も、過去のカルマによってこうして自分と結び付けられているだけであって、全ては一時的な関係で永続する関係では無いのだ。というように常に言い聞かせていないと、ナーラダのように突然降って湧いたような幸せな生活に十二年間も浸りきってしまい、子供達や妻に執着心を持ってしまい、別れの時が来ても受け入れられずに悲しみに打ちのめされるんや。

ポニョ:う〜ん、そうか。これから毎朝起きると、神様、おいらは今からあなたがお創りになられたこの物質世界に、ポニョという一人の人間として参りますが、この世界の誘惑や執着に負けて囚われられないようにお導き下さい。特にオクラの誘惑に負けないようにお導き下さいと言って一日を始めよかな。

ヨシオ:と言ってもやっぱり美味しいものをみたらポニョやったら囚われられるやろな。

ポニョ:そうやろな。

ヨシオ:と直ぐに同意してどうするねん。そのようにならない為にポニョはもう少しマーヤーの事を知っておいた方がええな。

ポニョ:マーヤーって一体何やねん。いつ誰がどうやって創ったんや。そんなややこしいもんを創ったからこっちはえらい迷惑してるんや。

ヨシオ:そんないっぺんにたくさん質問されても答えられへんやんか。先ず最初にどうやって出来たかって言うと、創造主がこの世界を創られた時に御自分を隠されたんや。その時に出来たのがマーヤーなんや。

ポニョ:と言うと、マーヤーって毛布みたいなもんやな。神さんが毛布を被って自分を覆ってしまわれたんや。

ヨシオ:因みにその瞬間にオウムという音が発生したんや。でも、その時にはまだ時が無かったし、それは何時ごろだったんですか?と聞かれても時間の概念がないので答えられないんや。この無時間の場は今でもあるんや。そこはブラックホールの中で、全ての創造物が強力な重力場によって時空と一緒に破壊され、無時間の場となっているんや。そしてそこでは破壊と同時に、創造も行われているんや。


宇宙創成の原初の動きによって自らを生じさせたマーヤーが、ブラフマンを覆った時にプラナヴァ(オウム)の音響が響きわたりました。SIP4-11


ポニョ:それって以前にも取り上げられたやんな。確かトーラスという名前が付いたいたな。

ヨシオ:英語ではトーラス。インドではリンガム。日本語では黄金の宇宙卵や。

ポニョ:黄金の宇宙卵焼きか。美味しそうやな。

ヨシオ:焼きは余計や。もっとこのマーヤーについて分かりやすく言うと、創造主を太陽とするとマーヤーはそれを隠している雲みたいなもんなんや。雲ってよく見ると水蒸気が集まって出来ているやろ。そしていろんな形に変化するやんか。まさしくこの雲が持っている二つの属性が、マーヤーそのものなんや。

ポニョ:水蒸気で出来ている雲がいろいろ変化するって事がマーヤーなんか?えらい簡単やんか。

ヨシオ:霊性って聞くととても難しいように錯覚するけど、実はとてもシンプルな例で説明出来るんや。マーヤーには二つの力があって、一つ目は自らを覆い隠す力。二つ目はいろんなものを写し出せる力なんや。

急に恐怖に捕らわれたのは、目の前の道に蛇がいると思ったからです。
紐が蛇に変わって恐怖に捕らわれたのは、心の中の出来事です。
蛇は本当にいたのでしょうか。
いいえ蛇などいません。
それならどうして、ただの紐がどうして蛇になってしまったのでしょうか。
それは、マーヤーのせいです。
どんな場合にマーヤーが現れ、それに捕らえられてしまうのでしょうか。
薄暗がりや闇の中では、紐しか無いのに蛇が見えているように思い込んでしまいます。
闇のせいでマーヤーが皆さんを捕らえてしまうのです。
本当は、紐が蛇になることはありません。
迷いが人の心を曇らせ、正しくものを見る目を覆ってしまうのです。
この迷いが、マーヤーです。
懐中電灯を照らしてみれば、蛇などどこにもいなくて、ただ紐が落ちているだけだと分かるはずです。
光りが射すとともに迷いが払われて、本当は何があるか分かるのです。
現実にあるものは、いつでもそこにあります。
消えて無くなることはないし、別のものに変わることもありません。
少しも変化することはありません。
現実を覆い隠しているマーヤーだけが現れたり消えたりするのです。
心の中でマーヤーが、形になったものが写し出す力と呼ばれるもので、マーヤーのもう一つの力です。
変わることの無いものの上に、まるで違ったものを写し出します。
この場合は蛇でしたが、別の状況ではまた違ったものになるでしょう。
気分、楽しみ、苦しみは、どれも現れて消えていきます。
親戚の人が家にやってきても、いつまでもいるわけではありません。
それと同じように、マーヤーは、人を迷わせながら現れては消えていきます。
心を迷わせて紐を見えなくさせるのが「覆い隠す力」です。
心の中で蛇のように見せている妄想が「うつし出す力」です。
明かりがあれば、紐はただの紐でしか無いことが分かるでしょう。
そうなれば蛇は消えてしまいます。
マーヤーの二つの力は、闇とともに現れて、光りとともに消え去るのです。
「覆い隠す力」と「写し出す力」はいつも一緒に現れるのでしょうか。
それとも別々に現れるのでしょうか。
この二つの力は、普通同時に現れて消えていくものなのですが、熟睡状態では、「覆い隠す力」があるだけです。
二つは別々に現れたり消えたりします。
マーヤーは、言葉では説明し難いものです。
いつ始まったとも言えず、いつ終わるとも言えません。
マーヤーは、英知の光が輝くとともに消えて無くなります。
その時、ただ一つの変わることの無い真実が姿を現すのです。SGc33

ポニョ:だから雲で言えば、太陽である創造主を覆い隠す力といろんな形に雲が変化する力ということなんやろ。

ヨシオ:雲と水蒸気は同じもんで、普通同時に現れては消えて行くんや。

ポニョ:あのね、さっきから当たり前な事ばっかり言わんといてくれる?誰でも知っている事ばかりやんか。

ヨシオ:ポニョはレム睡眠とノンレム睡眠って聞いたことがあるやろ。ノンレム睡眠の時つまり熟睡している時は夢を見ないやろ。その時はマーヤーの二つの力のうち、いろんな形に変化する力は働いていないんや。だから夢を見ないんや。でも夢を見ている時や、起きている時は両方の力が働いているんや。

ポニョ:という事は基本的には夢見の世界も、このおいら達が住んでいる物質世界も、マーヤーの二つの力が働いているということでは同じやって事ぜよ。

ヨシオ:その通りなんや。雲は水蒸気で出来ているから太陽が昇り昼間になって来ると、太陽の光と熱で水蒸気が気化されて雲が無くなるやろ。それと一緒で太陽から英知という光が差し込めば、マーヤーである雲もまさしくその名の通り雲散霧消してしまうんや。

ポニョ:という事はおいら達が住んでいるこの世界は、実は太陽の光だけが満ちている世界やったんやと分かるんやな。

ヨシオ:よく考えてみれば、実はマーヤーってものは無いんや。雲だって実は太陽が作っているやろ。いつも言っているけど、この世界は創造主が意思して創られたものなので、想念のパワーの塊なんや。まるで雲のようなものなんや。だからババが意思されただけで手からダイヤモンドや猿やら何でも物質化出来るんや。

物体はどのようにして生じるのでしょうか?
物体は意志の力によって創られます。
(ここでスワミは黄金の鎖を物質化なさり、スワミがこれを意志したとおっしゃいました。)
この鎖は、私の意志から生じ、意志する前には存在していませんでした。
すべては神の意志によって生じます。
神はマーヤー〔幻影〕の原因です。
全創造物はマーヤーと神が結合したものです。
マーヤーがなければ創造はあり得ません。
それゆえ、マーヤーはすべての人に影のようにつきまといます。
人はマーヤーの影響のもとに人生を送ります。
マーヤーは影と同じように私たちから去ることはありません。
マーヤーはあらゆる迷妄の原因です。
太陽が昇るとき、影はとても長くなっています。
太陽が頭上にあるとき、影は足の真下にあります。
このように、影は長くなったり短くなったりします。
ですから、私たちは影を人生の基盤とするべきではありません。26/12/07

ポニョ:全ては神さんが意思されて創られた夢の世界に、おいら達が住んでいるって事やな。でも自分の身体をつねると痛いし、失敗して人から叱られると落ち込むし、苦労して手に入れたものを盗まれると腹立つし、ご馳走を出されると嬉しいし、この世に生きているといろんな事で影響を受けてしまうよな。

ヨシオ:人は生まれてから死ぬまで肉体を持っている限り、マーヤーの影響を受けるんや。だから、この世で苦しんだり悲しんだり喜んだりするんや。全てのこの世で経験する悲哀や喜びは、実は自分自身が作り出しているんや。だからそれらを超然とした態度で受け止め、この世のゴタゴタを一歩後ろに下がった位置から見ないと、いつもそのゴタゴタに巻き込まれてしまって人生を誤ってしまうんや。それを霊性修行って言うんや。

光りが射すと、先ほどまでそこにあった暗闇はどこに行ってしまったのでしょう。
光りの不在が暗闇です。
暗闇は出てくることもありませんし、何処かに行くこともしません。
光りのために、暗闇に気づかないだけなのです。
ひとたび光が消えれば、前と同じように暗くなります。
ここでは光りは英知であり、暗闇は無知でありマーヤーです。
マーヤーは実は存在しません。
それはあなたの創造物です。
しかし、あなたがサーダナつまり霊性修行を止めると、マーヤーがあなたの人生の中に入ってくるのです。
ですからサーダナこそが、あなたをマーヤーの影響を受けずに済む状態に保ってくれるのです。
もし霊性修行を止めれば、あなたは再びマーヤーの餌食となってしまうでしょう。
ですからあなたが生きている間は、決してあなたはマーヤーから逃れられないのです。
持続的な霊性修行のみがあなたを助けてくれるのです。STPSp230

ポニョ:という事は、おいらがさっき冗談で言った、ナーラダが家族から激流によって引き離されようとしている時に言った言葉を、そんな状況でも言えるようにならないといけないって事なんやな。難しいよなそれって。

ヨシオ:俺は飛行機乗りやから、パイロット仲間で話をする機会があって、あるパイロットが俺にこんな事を聞いてきたんや。もし飛行中エンジントラブルで操縦不能になって墜落して行く飛行機の中にいたら、あんたやったらどんな言葉を最後に言う?って。それで俺だったら周りの人が笑って死ねるように、そんな時のために取っておいた飛び切り面白いジョークを言うやろな。と言うと、みんな呆れて俺の顔を見てたな。

ポニョ:そらそうやろ。ほとんどの人は奥さんや子供達に、愛してるよ〜なんて言うんやろな。あんたは変人やって思われてるやろな。ほんまにその通りやけど。

ヨシオ:この世界は裏社会の連中に騙されたまま生かされて喜び悲しんでいるB層の人々のように、マーヤーに騙されてずっぽりとマーヤーの海に浸り切り、世俗的な事で喜び悲しんで生きている人ばかりやから、逆に俺のように変人って言われている人の方がまともなんや。

マーヤーに屈服するならば、人は自分自身がマーヤーになります。SS10/93
神がマーヤーの主人である。
神が迷わす力を持ち、そしてそれを破壊し、コントロール出来る力も神が持っている、という事を知っている者。
そしてまた、真理とダルマを維持すべく努力する者。
それらの者達の心はマーヤーによって曇らされることはない。
だからその者達は何をも恐れることなく~神を讃える歌を唱って三界を自由に動き回ればよい。
P176バガバッドバヒニ
喜びや苦しみは皆さん自身が作り出しているものです。
喜びも苦しみも神が授けるものではありません。
他の誰でもなく、あなた自身があなたの苦しみの原因です。
この真理を知りなさい。
霊的な視点から見るなら、苦しみもこの世の関係も幻です。
それらは現実に存在するものではありません。
人は明けても暮れても迷妄の生活を送っています。
人として生まれたからには真理を体験すべきです。
肉体は一定の期間成長し、その後、弱って老けていきます。
生まれることも成長することも、体という、現実には存在しないものと結びついています。
けれども人は、体を現実に存在するものと思い、そのために苦しむのです。
〜自分は体ではなく、この世の何も自分に属してはいない、ということを一度悟ったなら、苦しむことはなくなるでしょう。
この世のすべては皆さん自身が作り出しているものです。
実在するものは何もありません。25/12/03

熟睡すればハッピー気分

ポニョ:三つの世界があるって話しの続きやけど、そういう手の話は好きやな。昔、よくトワイライトゾーンていうテレビ番組を見ていて、三次元とか四次元の世界や霊界とかUFOの話が出て来て面白かったな。

ヨシオ:めちゃ古い番組やな。俺がまだ小学校の低学年の時にやってた奴やろ。半世紀以上も前の番組やんか。俺も何回か見たことがあるけど。子供やったからテーマが難しすぎて分からん話ばかりやったな。

ポニョ:おいらがまだ覚えているストーリーは、第二次世界大戦前にあるグライダークラブに恋人同士のメンバーがいて、彼氏がグライダーの操縦士なんや。彼女はグライダーをロープで引っ張って離陸さすウインチを扱うことが出来るんや。いつもそんなふうにして二人は仲良くクラブにやって来て彼氏が空を飛んでいる間に、彼女は将来結婚して子供が出来た時のために、編み物をしたりして彼氏が帰って来るのをクラブハウスで待っているんや。でもそこでいつも一人で待っている彼女に横恋慕した男がいて、ある日悪事を働くんや。それは離陸準備が出来た彼氏に近づき、彼氏をナイフで刺すんや。そして彼女に離陸ウインチを作動さしても良いという合図を送るんや。グライダーはそのまま離陸し、何処かに飛んで行ってしまうんや。彼女は何時ものように飛行場で編み物をして待っているんやけど、彼氏を乗せたグライダーはその日帰って来なかったんや。彼女は事故にあったと思って探すんやけど見つからなかったんや。やがて時が過ぎ、同じグライダー乗りのその男が彼女に優しく近付き、彼女を口説き落として結婚したんや。そして世界大戦が終わり飛行場に二人で行くと、何処からともなくグライダーが降下してきて着陸したんや。彼女はその見覚えのある機体を見て喜んで走って行き、中を見ると叫んだんや。それで物語は終わりやったけれど、多分骸骨の胸にナイフが刺さってたんやろ。

ヨシオ:怖い話やな。でも俺は彼女が見たのは、昔の彼氏が雲の上にいた綺麗な天女さんと出来ていて、二人でグライダーの中でいちゃついていたのを見たんと違うかと思うな。

ポニョ:あんたはアホなぐらい、とことんポジティブやな。そんなコメント聞いたことがないぜよ。

ヨシオ:でも、これでその男も終わりやな。殺人がバレたからな。でも不思議なんは、俺は飛行機乗りやからグライダーにも時々乗るけど、ウインチのロープはパイロットが外すのと違うのか?それに、いくら彼氏が行方不明になったとはいえ、直ぐに別の男に乗り換える女って嫌やな。

ポニョ:物語やからええやんか。今で言えば「Xファイル」のようなもんやから硬いこと言わんとってくれる?このストーリーを見て、おいらは人にわからん様に悪い事をしても、いつかは見つかるんや。ええ事だけをせなあかんな、と決心した記念すべきストーリーなんやぜよ。

ヨシオ:そうやったんか。ポニョの正直でストレートで正義感溢れるキャラは、グライダー殺人事件から作られたんやな。

ポニョ:なんか皮肉っぽいなそれって。まあええか。そんなコメントを気にしてたら話が進まへんやんか。早く三つの世界の話に入ろうぜよ。

ヨシオ:ポニョがオープニングにいきなりトワイライトゾーンの話をするからややこしくなったんやんか。それじゃ行こか。三つの世界の話やったな。この三つの世界は物質世界がブータカーシャ、微妙な世界はチッダカーシャ、因果の世界をチタカーシャと呼ばれているんや。

ポニョ:いきなりサンスクリット語が出たな。なんか眠たくなって来たぜよ。

ヨシオ:直ぐに眠くなるなっちゅうに。それで最初の物質世界は誰でも知っているように五代元素から出来ていて、それぞれの元素は人の五つの感覚器官とも関連し合ってるんや。例えば空はエーテルとも呼ばれ創造主がこの世界を創ったと同時にオウムの音と共に出来たんや。だから音が聞ける耳と関連しているんや。そして次がその音を感じれる風が来るんや。だから耳と触覚や。次はそれを見れる火が来るんや。火は見れるし触れると熱いし炎は音を立てる。つまり三つの感覚器官に対応してるんや。そして水。水には味があるから以上の他に味覚を加えれるやろ。だから四つや。そして最後は地や。土は匂いがするって言うやろ。だから嗅覚が加わるんや。これだけ見ても人って五大元素から出来ているって分かるやろ。そしてこれらの物質世界を造っている五代元素は、全て変化して永続するものは無いんや。

ポニョ:神さんが自分の想念で創られたもんやからそうなるやろな。移ろいゆくのが想念やから。女心と秋の空って言うもんな。お芋さんとトウモロコシが美味しい季節や。

ヨシオ:食べもんはどっちでもええっちゅうに。この俺たちの肉体も五大元素で出来ているから、もちろん変化して行くんや。細胞や骨も七年毎に全部入れ替わるんや。

人間の身体を作り上げている分子は、七年ごとにすべて入れ替わります。SGc17

ポニョ:ほう。それじゃ身体に取り込んで骨に付着した放射能も七年後には身体からデトキシックするって事か?ええ話やないの。

原子が動いてその配置を換えれば、原子で出来ているそのものの形もそれに応じて変わってきます。すべてのものの中にある原子は、その配置を急速に変えています。あるものの変化がいつ起きるかは、誰にも分かりません。変化はいつも起こっているからです。
人間を作り上げている原子は、他のあらゆるものの原子と同じように、あらゆる瞬間において変わっており、その為に人の身体は、絶えず変化しているのです。~絶えず形を変え一つになっていく過程、変化と同化の過程は、いつまでも続きます。これこそは物質的な世界の特性です。SGc22

ヨシオ:そして心の世界である微妙な世界も、この五大元素の霊妙な部分から成り立っているんや。だから物質世界と同じようにある日崩壊してしまうんや。だから、永続しない五大元素を使って永遠の光を放つ最高のお方を計り知ることは難しいんや。

ポニョ:神さんを求めて巡礼の旅をし、お寺や寺院に着けば手を合わせて目を閉じるもんな。神を求めて寺院に来たんやったら。その寺院にいておられるはずの神さんを大きな目をして探さないといけないのに目をつぶるって事は、神さんは物質的な目ではなく心の目で見ないといけないって無意識的に知っているからやろな。

ヨシオ:そういうことなんやろな。実はこれらの移ろいゆく儚い世界は、因果の世界を通じて放たれるアートマの光輝によって保たれているんや。だから、その創造主であるアートマの光輝を見ようとすれば、俺たちがいるこの世界で鏡と同じ役割をする心を磨かなければならないんや。

ポニョ:そうすれば光が心に反射して映り易くなるんやな。

ヨシオ:そうすれば神をもっと体現できる人生が歩めるようになるんや。

ポニョ:神の化身に近づくってわけやな。

ヨシオ:この俺たちが住んでいる物質世界では、人は自らを向上させて神のレベルに持っていける修行が出来るんや。というのも肉体を持つと時間、活動、目的、結果という四つの要素を体験出来るんや。例えば駅でホームレスの人を見かけたので、自分の弁当をあげて三十分ほど身の上話を聞き、少し幸せな気分にしてあげた。そして別れる時に涙を流しながら手を握ってくれたという体験は、さっき述べた四つの要素が全部入っているやろ。そして、こういう自己犠牲を伴った行為を通じて人はエゴを少なくしていけることが出来るんや。さて、これが夢の世界、心の世界である微妙な世界だったらどうなるのかと言えば、さっき述べた四つの要素はなくなって全て想像やイメージの話となるんや。だから、大阪の道頓堀で人混みにまみれて歩いていても、次の瞬間にはパリの凱旋門の近くのカフェでコーヒーを飲んでいる場面に一瞬で変わるやろ。しかもパリに行った目的も無いし、時間も関係ない。それに結果なんて無いしな。
だから、霊界にいても霊的な進歩は望めないんや。ババはこの広い宇宙で物質世界である地球に人として生まれ変わった人間だけが次のレベルである神に到達出来るって言っておられるんや。

生命は宇宙に満ちあふれています。
創造には終わりがないのです。
この宇宙で人間のような生命やそれに似たような生命体はないのです。
転生は宇宙の他の星に生ずることはありません。
すべての生命は、人として生まれ変わるのを望んでいます。
というのも、人として生まれ変われたものだけが生死の輪廻の鎖から抜け出ることが出来、神を完全に体現出来る、という二つのことを実現できる機会を持っているからです。
それはこの地球だけで起こりえることなのです。
他の星や、言葉に出来ないくらいこの広い宇宙のどこにもそのような機会は存在していないのです。
ですからこの地球に人として生まれるという事は、とてもユニークなのです。CWSSB

ポニョ:地球は霊的進化の学校みたいなもんなんや。でも、心って凄いよな。一瞬の間に道頓堀からパリに飛んで、大阪のたくさんの人混みを作り出したと思ったら、パリのシャンゼリゼも作り出せるんやから。

ヨシオ:それがマーヤーの力なんや。創造主は、俺たちが夢の中でとりとめもないものを想像して、それは夢だったなんて寝ぼけた顔で言ってるけど、その同じ力を意識的にコントロールし、アーティストのように自由自在に使って全ての宇宙を創られたんや。三つの世界の話に戻るけど、物質世界では人は自分の感覚器官を使って、いつかは影も形もなくなる物質的なものを追いかけているやろ。はかなく移ろい行くものを、これまたはかなく移ろい行く感覚器官で追っているんや。そんなはかなく移ろい行くもので、全てを超越した絶対心理の神さんを理解するなんて正気の沙汰ではないんや。もっと自分に深く沈静して、因果の世界から照らし出されている光を使って探求しなくてはならないんや。だから、物質世界は神への旅の第一段階なんや。次の段階は、心の世界、微妙な世界で肉体が無い分、因果の世界からの光が心に直接反射さすことができるんや。でも、心が映し出しているものは、その人のエゴや欲望などで汚されているために、はかない偽りのイメージなんや。そして因果の世界は、真実の結晶で変わることのないアートマの光だけが輝いているところなんや。

ポニョ:ババは起きている状態と夢見の状態、そして熟睡している状態の三つがあるって言われているけど、この三つの世界と関係があるんか?

ヨシオ:それらの三つの意識の状態と今まで言った三つの世界とは深く関わりがあるんや。人は熟睡して起きた後、理由は分からんけど、とても快適な気持ちがええ気分になるやろ。その時に三つ目の世界に行ってアートマの光を充分に浴びてフルチャージの状態になっているからやねん。

ポニョ:よく寝たら気分がええのはそのせいやったんか。

ヨシオ:人は、最終的にこれらの三つの全てを超える領域に達しなければならないんや。それはツリヤという状態で熟睡している時に感じることが出来るアートマの至福を、起きている時にも常に感じることが出来る状態なんや。

ポニョ:普通は、熟睡時に感じている至福感を起きるや否や忘れてしまうもんな。それを、起きている間も感じれるって凄いよな。意識を超えたツルシという状態か。このような状態で普段の生活をすると、ボーッとして職場でツルシ上げられるぜよ。

熟睡とサマーディ(三昧)の違いは、サマーディにおいては、その時に得た至福感がそれが生じた時に、知覚されることです。CWSSBp88

太陽エネルギーは人の無数の神経系統を通って降り注いでいます。
感覚は死の瞬間、心に融合します。
心によって制約されながらも、このことを認識した者の魂は、神経を通ってハートの虚空にたどり着き、ついに身体が死ぬ瞬間、魂はハートより上昇するきわめて微かな一筋の神経通路に沿って太陽光線に赴き、さらに太陽界へと旅立つのです。
しかし、旅はそこで終わるのではありません。
魂は更にブラフマ神の司る界へと赴くのです。
しかし、無知な者の魂は、心の働きを、心そのものが為していると思い込み、目や耳やその他の感覚を経て、カルマの支配する界へ赴くのです。
熟睡した人が、目覚めたのちでないと満ち足りた喜びに気づかぬのは、彼の魂がまだ無知によって包まれているからです。UVc9
人が平安でいるのはスシュプティ(熟睡)している間だけであることがわかるでしょう。
それは、熟睡中は、諸感覚が活動せず、心が不活発になり、感覚や感覚の対象物から離れているからです。
したがって、諸感覚が心を外へ引きずり出すことをやめさせれば、人間は平安を得ることができるのです。
諸感覚を外界から引っ張ってくること(ニヴリッティマールガ、内側へ向かう道)こそが、真のサーダナ〔霊性修行〕であり、基本のサーダナです。21/4/67

木の精の囁きは気のせいか?

ポニョ:旅を切り上げて西豪州のデンマークから帰って来て気がついたけど、あんた怪我でもしたんか?顔が腫れてるぜよ。

ヨシオ:まあ話せば長くなるから後でおいおい話すけど、それよりデンマークは良かったやろ。俺は以前そこに住んでいたことがあるんや。友達がシュタイナースクールを作るから来ないか、と言ってたから子供達のために引っ越したんや。そこのシュタイナースクールは世界で一番環境がええとこやな。五万坪ぐらいの山の中の土地に、校舎が点々とあっちこっちに建てられていて小川も流れているし、机や椅子も親たちが手作りで作ったんやで。

ポニョ:あんたに聞いておいらも行って見たぜよ。ここが学校やと信じられへんかったな。まさしく森の学校やったな。それにあんたが絶対行けって言ってくれた海岸も綺麗かったぜよ。グリーンズプールて言うんやろ。南氷洋に面した外海やけど、大きな岩が海岸を囲っていて波もなく緑のプールみたいになっていたな。

ヨシオ:そのプールに、俺が住んでいた時にクジラが迷い込んで入って来て死んだんや。その死骸を食べにサメもやって来たんで夏中遊泳禁止になったな。

ポニョ:そこから、隣の海岸への散歩道も勧めてくれたけど良かったぜよ。エレファントビーチって言うんやろ。本当に象の形をした岩があったな。

ヨシオ:子供達はそのビーチが好きで学校の帰りに毎日連れて行ったな。大きな岩が海からせり出したように出ているやろ。そこに登って海に飛び込んで遊ぶんや。

ポニョ:大人でもちょっと怖いで。そんなとこから小さい子が飛び込んで遊んでたんか。タフなオージーになるよな。そんな事を子供の時からさせていたら。今回は途中で切り上げて帰ってきたけど、次はゆっくりと滞在したい場所やな。

ヨシオ:でも、デンマークでアボリジニを見かけなかったやろ。特にシュタイナースクールのある山はアボリジニの神聖な場所で、昔から精霊とコンタクト出来る司祭のような者しか立ち入りが許されていなかった所なんや。そのアボリジニの聖地に白人が乗り込み、木々を切り倒し、土地を開墾して牧場を作り、アボリジニの文化を踏みにじって来た場所なんや。

ポニョ:一見するととても綺麗な平和なとこやけど、アボリジニから見たら自分たちの聖地を泥靴で踏みにじられた屈辱の土地なんやな。今ウクライナでもやっているけど、昔から裏社会の連中は民族浄化という名目で虐殺と略奪ばっかりして来てるな。

ヨシオ:ここオーストラリアでも、ほとんどのアボリジニは混血にさせられた。ヌンガー(混血)と言うんやけど、まだ純血を保っているノーザンテリトリーのアボリジニからはそう呼ばれているな。今では自分達で自分達をそのように呼んでいる。

ポニョ:昔はアボリジニだけではなくて、世界中で木や岩や滝や山、海や川、太陽などを神とみなして礼拝していたのに、現代社会では地球を開発するとか言って、八百万の神を崇拝するどころか収奪しまくってるよな。
残念ながら、今、科学技術の進歩の結果として人間性が衰退し、世界は楽しむためにあると人は考えています。
そのため、世界に脅威を引き起こす形で自然の力が使われています。
世界は単なる楽しみのために創造されたのではありません。
自然の資源を乱用し、自分の根本的な人間性を忘れて、人は創造の目的に反しています。
多くの天災は完全に人間の振る舞いのせいです。
地震、火山の噴火、戦争、洪水、飢饉(ききん)といった災難は、自然が深刻な異常をきたしている結果です。
こうした異常は、もとをたどれば人間の行いが原因です。
人間は人類と自然界との切っても切れない関係に気づいていません。
人体においては、目や耳や口といったあらゆる器官は互いに完全に結びついています。
人間にとってこうした器官が重要であるのと同じように、社会にとって個人は社会有機体の手足として等しく重要です。個人は人間社会の一部です。
人類は自然の一部です。自然は神の手足です。
人間はこうした相互関係に気づいていません。Sathya Sai Speaks Vol.25 C37

ヨシオ:普通の人には聞こえないやろうけど、そういう自然はいつも人に語りかけているんや。

ポニョ:もうこの世の中で何人の人がそういう声を聞くことが出来るんやろな。

ヨシオ:実はこの顔が腫れた件やけど、それに関連した事件があったんや。俺は最近頭を打った事があってな。

ポニョ:顔が腫れているから、頭ではなく顔を打ったんと違うんか。

ヨシオ:顔を打つことによって、頭を打ったんや。少し話が長くなるけど、ポニョがここを出た次の日、俺は物を運びながら、今作っているアクアポニックスのシステムの横にある大きな木の下を歩いていたんや。そして木の葉がたくさん舞い落ちてシステムの掃除を毎日しなくてはならないし、冬になればシステムに太陽の光が当たらないし、この木を切ろうかなと考えていたんや。するといつの間にか下に落ちていた小枝に足を引っ掛けて転倒したんや。両手に物を抱えていたので、倒れた時に手で身体を支えられずに直接顔を木の根っ子で思いっきり打ったんや。

すべての人の中に神がいると分かれば、揺れ動く諸々の感情を抑えることが出来るはずです。
そうなればもう、心が乱れることは無いでしょう。
それが出来れば、皆さんは神の恵みと一つになります。
どれほど辛い運命に巻き込まれても必ず乗り越えられるようになるでしょう。
ただ一つの神がすべての人の心にいると強く信じれば、どんな障害も乗り越えることが出来ます。
内なる神を完全に信じていれば、すべては思いどおりになります。
信じる心が鍵です。
信じる心が神に向かう生き方の基本です。
内なる神を信じなさい。
これこそは、皆さんの目標です。
木を切り倒すためには、枝や葉を切らなくても良いのです。
根元を切ればそれで木は倒れます。
神を捕らえることが出来れば、すべては思いのままです。
普段の暮らしの中で神を捕らえる為には、すべての生き物に対して真心を持ってあたることです。
そして内側と外側の汚れを取り除き、身も心も明るく清らかにするのです。
その時はじめて、あらゆるところにいつも神を悟ることが出来るでしょう。
神を信じ、神に祈り、神にすべてを従うとき、すべての人の心にそれと同じ神がいることに気づくべきです。
それゆえ人を非難しないように気をつけなくてはいけません。
あなたが、誰かに対しても口汚く罵るなら、その言葉はその人の心の内なる神に対して、そっくりそのまま向けられることを、深く信じるのです。SGc27

ポニョ:そら痛かったやろ。まだ血が出た後が残ってるぜよ。

ヨシオ:俺は半分気を失ったような状態で、大きな根っこに顔を付けたまま横になっていたんや。
ポニョ:あんたはおいらがいない時には、いつも一人で働いているから事故があったら危ないぜよ。携帯も持っていないし。

ヨシオ:そのような状態でしばらく横になって寝ていたら、木の根っこから囁くような小さな声が聞こえて来たんや。その声は俺の名前を呼んでいたんや。
世潮、世潮、ヨシオ、聞こえますか?私です。あなたが切ろうと考えている木です。少しそのままでいて私の話を聞いてくれますか。お願いします。二十五年前、あなたは私をここに植えてくださいましたね。私はまだとても小さかったですね。あなたは周りの雑草に押し潰されそうになっている私を大事に育ててくれましたね。周りの雑草たちを抜いて、水やりも子供達と欠かさずしてくれました。カンガルーから新芽を食べられるのを防ぐために囲いまで作ってくれましたね。私はこの場所をとても気に入りましたよ。何といっても大きな貯水槽にあなたが滑り台を付けたので、子供達が大喜びしながら滑って水に飛び込むのがとても面白くて笑いながら見ていました。またその貯水槽の横にあなたがコンクリートを流し、バスケットコートを作りましたね。夏の日差しが照り続ける中、一日中あなたは線引きしたり、コンクリートの上からペンキを塗ったりしていましたね。そして夕食が終わると、ランプで照らし出されたコートで毎日、家族中でバスケットボールをして遊んでいましたね。二つのチームに分け、あなたのお母さんもチームに加わってディフェンスをしていました。特に一番下のチビさんは負けず嫌いで、試合に負けると泣いていましたね。実は彼は学校から帰って来るや否や、カバンを放り出して一人で長い時間シュートの練習をしていたんですよ。また私の周りを小さなトラクターで耕してひよこ豆を育てていましたね。豆の収穫期になると五人のお腹を空かせた子供達がやって来て、収穫した豆をそのまま座って食べていましたよ。そうそう、クッカバラが貯水槽に落ち溺れているのを助けて介抱したこともありましたね。残念ながら水を飲み過ぎていて死にましたが…。でもそのあと、そのクッカバラの相方が笑い泣きしながら、私の周りを気狂いのように飛び回っていたんですよ。彼らは一度夫婦になると死ぬまで寄り添い遂げるのです。間も無く相方も何も食べなくなって死んでしまいましたが。また昨年まで一人で歩けなくなったお母さんの手を引いて、二人で毎日私の側を歩いていましたね。そして私の作った木陰に椅子を置き、あなたが近くで仕事をしている間、お母さんを一人で座らせていましたね。その時、お母さんはあなたの事だけをじっと長い間、愛情のこもった目で見ておられたのですよ。そのお母さんも逝ってしまわれましたね。もう一年になるんですね。都会に出て学業をおさめた子供達も立派になって一人づつ帰って来て、またここで住んでいるんですね。毎日子供達が仕事が終わると、何周も私の周りを走っていますね。本当に大きくなりましたね。でも、覚えておきなさい。あなたやあなたの子供さん達も皆、あなたのお母さんや私のように最後はこの世界にさようならをして灰になるのですよ。この世界には何も永続するもの何て無いのです。
色々とありましたが二十五年の年月の間、私にとってあなたの家族を見守るのが喜びでした。今、こうして私を切ろうとしているあなたの上にも木陰を作っていますが、チビさんがシュートの練習をしている時も、子供達が豆を摘み取り、土の上に座って美味しそうに豆を食べているときも、貯水槽に飛び込んで水しぶきを上げた時も、あなたがコートを作っている時も、私は暑い日差しからあなた達を少しでも守ろうと日陰を作って来ました。あなたが私をここに植えて下さってとても感謝しています。私にとってここにいることが毎日毎日が喜びの連続でした。
私が大きくなり過ぎたので、私を切り倒そうと考えておられる気持ちは分かります。だって根を張りすぎてコートの床を持ち上げひび割れさせてしまいました。また、貯水槽にたくさん葉や種を落としてしまいました。またあなた達が毎日一生懸命働いて作っているシステムの上にも、葉っぱや小枝などを落としています。ごめんなさいね。もうすぐいなくなりますから。でも本当の私の気持ちは、寿命が尽きるまであなた方家族を見守りたかったのですが…。願いは叶わぬようですね。でもいいですよ。私は、私が切られて死ぬ前に、一度どうしてもあなたに私が幸せだったよ、という気持ちを伝えたかったのです。ヨシオ、この二十五年間の間、木陰を作る以外あなた達に何も出来ませんでしたけど、あなた達家族と一緒に過ごせて嬉しかったです。本当にありがとうございました。私を切った後も是非、あなたの家の暖炉で私を燃やして暖をとって下さいね。それがこの二十五年間私を幸せにしてくれたあなた達家族への少しばかりの恩返しです。それから、次から他の木を切ったりする時は、私の事を少しは思い出して下さいね。そして私とこうして話しているように、その木を切る前に少し話しかけてあげてやって下さいね。人は私たちと話さなくなったので、本当はみんな寂しい思いをしているのです。さあ、私はいつでも覚悟は出来ていますよ。さようなら。ヨシオ。さようなら…
と話しかけられたんや。

ポニョ:そんなふうに話かけられたら切れなくなるやろ。

ヨシオ:苦しいよな。切るのが。でもほっといたらもっと大きくなるでこの木は。

ポニョ:でも、木の精と語り合えるっておとぎ話の世界やな。木の精ではなく、気のせいと違うのんか?気にせんと切ってしまったらええやんか。木も覚悟は出来ているって言ってたで。

どんなものでも石から植物、植物から動物、動物から人へと進化しようともがいています。
人から動物への後戻りをしてはいけません。
光り輝く神の方に向かって昇っていくのです。TEOLp75
小さな種が芽を出し、大きな木にゆっくりとなるように小さな善行、耳に優しい言葉、親切な行為が人を進化させ、神そのものとなってゆくのです。SSSvol4p368

ヨシオ:そういうわけにはいかんやろ。ブリンダヴァンで昔、ババはダルシャンを大きな菩提樹の木の下で与えておられたんや。その木の下に座っているとババが来られて、木の下に座っている帰依者の周りを一周歩かれて帰って行かれるんや。もちろん当時はそんなに人もいないので、ダルシャンが始まるギリギリに着いても、一番前の列に座れることも出来たんや。でも別の年に行くとその菩提樹は切られていて、代わりに大きな屋根のあるダルシャン会場が出来ていたんや。俺はその菩提樹が大好きやったんで、どういう経過でそれが切られたんか聞いて見たんや。するとそのアシュラムの責任者の人は、こんな話をしてくれた。
ババがある日、その責任者に菩提樹を切りなさいと言われたんや。それで直ぐにチェーンソーで切り倒そうと切り始めると、少し切った所から樹液ではなく血のようなものが出て来たんで慌てて ババに報告したんや。するとババは次のような話をしてくれたんや。ラーマが森に追放された時に、同じ森でアシュラムを構えていた聖者がいてたんや。その聖者はとても有名でプライドも高かったので、ラーマがヴィシュヌ神の生まれ変わりである事を心眼で知っていたんやけど、この森は長年自分がアシュラムを構えている所なので、ラーマがここにやって来たのなら、自分がラーマに挨拶に行くのではなく、ラーマが自分のアシュラムに挨拶に来るのが礼儀だと勝手に思い込んで、ラーマが近くにいるのに挨拶に行かなかったんや。

ポニョ:えらいプライドが高い聖者やな。ビシュヌ神の生まれ変わりが自分のアシュラムの近くにまで来ているのに挨拶に行かないって。

ヨシオ:その聖者の弟子たちも順番にラーマに挨拶に行ってたんや。そして聖者に是非ラーマのダルシャンを受けるように進言してたんやけど、聖者は聞く耳を持たなかったんや。ラーマは挨拶に来たその聖者の弟子たちに気にしなくても良い。将来、彼の下で私は何度も何度もダルシャンをするからという謎のような言葉を言われたんや。

ポニョ:ラーマの時代はトレタユガやから二万年前の話やで。

ヨシオ:そして、二万年後その聖者は菩提樹として生まれ変わって帰依者の為に日影を作り、ババのダルシャンを毎日二回受けていたんや。

ポニョ:ラーマの言われた、彼の下でダルシャンを与えるってそういう意味やったんか。すごいよな。二万年も生まれ変わるのを待っていなければいけなかったって。

ヨシオ:ババは、彼はもう充分私のダルシャンを得た。木としての生を終わりにさせてあげよう。これで彼は私の元に来れる、と言って木を切りなさいと言われたんや。

ポニョ:すると血のようなものが出てきたんやな。切った人もびっくらこいたやろな。うわー痛い何するんや。俺を切り殺すな。とか言って木が叫べば。

ヨシオ:実は、世界中の切り倒されている木はそのような叫び声をあげているんやけど、人がそれを聞くことが出来ないだけやねん。虫も鳥も獣も草も魚も木々もみんな人間がこの地球でやっている横暴に泣き叫んでいるんや。なんでその声が聞こえへんのかさっぱり分からん。

ポニョ:人はそういう同じ地球の住人たちの声を聞くことができる能力をとっくに失ってしまったんやろか。それとも聞こえていても知らん振りをしているんやろか。いずれにしても大きなしっぺ返しが待っているな。

木や動物は自然の法則によって統御されています。
神の命に背いているのは人間だけです。
人間は堕落してしまいました。
この解決策はただ一つだけです。
~あらゆる生物のうちに秘められた真我を認識すること。
これが霊性です。STPSp209

今、自然は世界の多くの地域で、地震、飢饉、洪水、火山の噴火といったさまざまな災害を引き起こしています。
その理由は何でしょう?
人間の精神の堕落がそうした災害の原因です。
心(人間のハート)の乱れは地震に反映されます。
よい思いで心(マインド)を満たし、よい行いをしなさい。
神の御名を唱えなさい。
空気が神の御名のバイブレーションで充電されると、環境全体が浄化されます。
そうした神聖化された空気を吸う人は、純粋な思いを抱くようになります。
大気を浄化しなさい。
今、大気は汚染されています。SSSVol.26” C31

お猿さんも並びましょう


ポニョ:木の精の話が面白かったな。木が囁いているって知らなかったな。おいらも近くの里山に散歩に行った時に、そんな木たちの囁きが聞こえたら面白いやろな。
あら〜ポニョさん。しばらくぶりね。オーストラリアに行っておられたって聞きましたよ。少し色が黒くなって帰って来られたんですね。たくましく見えて立派ですわよ。まるで焦げたパンダみたいですわ。なんて言われるんやろか?

ヨシオ:何で、里山の木々がそんな変な女将さんみたいな話し方をするんや。

ポニョ:その方が心がこもっているし、色気があってええやんか。近くの里山を今度からクラブ里山って呼ぼうかな。でも、今度から嫁さんが一人で散歩するのを許してくれへんようになるやろな。

ヨシオ:いつまでもポニョの世界の中で一人で話とき。実は石も含めてこの世にあるものは、全て心を持っているんや。だって神さんの心から創造された物やから。だから、ババが意思されただけで何でも物質化することが出来るって今まで何度も言ったよな。

ポニョ:でも、人は自然を心の無い物として扱っているから、自然も聞く耳を持たない人間に対して呆れてしまっているんやろな。

ヨシオ:リグヴェーダに母なる自然を自分の実の母親とみなして面倒見てあげなさいと書いてある。

ポニョ:自分の母親として扱うどころか、金をそこから稼いだ後、使い捨てのボロ雑巾のようにしてして扱っているぜよ。

ヨシオ:人は鉱山など物質的に地球の貴重な資源を収奪しているばかりではなく、その想念の力によっても自然を破壊してるんや。ババは人の悪い想念も自然を破壊する。とおっしゃっている。元々人も自然も神さんも一つのところから来てるんや。だから自然を破壊するって事は自分自身を傷つけているのと同じ事なんや。

ポニョ:そう言えばババがある学生に、もし君が森の中を歩いていて棘を踏んだらどうするって聞かれたことがあったな。それで学生が手で抜きますと言ったんや。するとババが足が棘を踏んだら手がそれを助ける。目も痛みを感じて涙を出す。このように人の身体にはいろんな器官があるけれど、身体全体が社会としたら、それぞれの器官は人間で、それぞれ痛みを分かち合って助け合いをしなくてはいけないと言われたんや。そして、社会の上に位置している自然や神も繋がっていると言われたんや。

ヨシオ:個人、社会、自然、神やな。神さんの次が自然なんや。

ポニョ:だから昔の人はそのことを知っていて、自然の中の神様である八百万の神を礼拝してたんやな。

人類は私のサンカルパ シャクティ(神の力、宇宙エネルギー)のシェアホルダー(分かち持っている者、株主)です。私は人類を通して働き、人類に宿る神を目覚めさせ、人類が自然の法則と力を支配することができるよう徐々に人類をより高次の実体へと進化させなければなりません。
もし、私が何でも即座に治して人々を今のレベルに留まらせていれば、人々はすぐに、すべてをめちゃくちゃにし、また互いにいがみ合い、その結果、世界は前と同じ混沌とした状態になってしまうでしょう。
苦難も困難も、宇宙のドラマの避けることのできない一幕です。
そうした災害は、神が定めたものではなく、人間が自らの悪業(あくごう)の報いとして招いたものです。
それは人間を矯正するための罰です。
そうした罰は、人間が「サット・チット・アーナンダ」(絶対実在・純粋意識・至福)、すなわち英知と至福を有する神に近い状態を体験できるよう、人々に悪の道を歩むのをやめさせ、正しい道へと連れ戻します。
これらはすべて、大いなる統合の一部であり、そこではネガティブなもの(負・陰)はポジティブなもの(正・陽)の栄光に服従します。
そのようにして、死は不死を称え、無知は英知を称え、苦は至福を称え、夜は夜明けを称えます。
ですから、結論として、もし、あなたが言ったように、即時の終焉をもたらすためにアヴァターが災難を引き起こすとしたら――私にはそれができますし、どうしても必要とあらばそれを行いますが――カルマの法則にのっとった、創造のドラマ全体が崩壊してしまうでしょう。
そうした災難は、神が人間にもたらしたものではなく、まさしく人間が人間にもたらしたものであるということを覚えておきなさい。
ですから、人間は、カルマ的なものを超越して指揮権を持つことができるよう、エゴを滅ぼし、代わりに超越的な意識を持つことによって、自らを壊して作り変えなければなりません。MBAIp95-p96

ヨシオ:日本だけではなく、世界中で人々は自然を敬って崇拝し、神として拝んで来たんや。オーストラリアではアボリジニによって、インドでも蛇神様や、蟻塚神様まであるんや。ババはその自然を創られた神さんやから、自然を全てコントロールすることが出来るんや。昔、まだアシュラムに人が少なかった頃、ババがブリンダヴアンに来られて散歩をされていた時、マンゴーの木の上に猿の集団がいたんや。ババは近くにいた人にラジュマタさんの家に行ってピーナッツをもらって来なさい。と言われたんや。そして、それを片手いっぱいに掴むとおもむろに手を上にあげて手のひらを開けながら、木の上にいる一匹の猿に見せながら目配せして降りて取りにこいと合図されたんや。するとその猿はスルスルっと木から降りて来て、ババの手のひらの上に乗っていたピーナッツを取って行ったんや。それを見ていた他の猿たちも一斉に木から降りてきたんや。
ポニョ:そんな事をしたらパニックになるで。おいらも経験あるけど、インドの猿ってとても人馴れしてるから、平気でカバンの中やらポケットの中まで手を突っ込んで食べ物を取りにきよるんや。攻撃的やしな。

ヨシオ:と、普通やったら思うやろ。ところがなんと、全ての猿がババの前に行儀良く一列に並んで、一匹ずつババからピーナッツをもらってたんや。そして全部の猿に行き渡った途端、また全部の猿が木の上に登って行ったんや。

ポニョ:信じられないぜよ。野生の猿が行儀良く一列に並んでピーナッツをもらうって。

ヨシオ:それを見ていた一人の帰依者は、ババのことを神様だと知っていたけど、これほど凄いとは思わなかったので、改めて心底からババのことを神様だと実感したと言ってたな。

ポニョ:そら、誰でも野生の猿までそんな風にコントロール出来るシーンを見たらそんな気になるよな。

ヨシオ:今社会が病んでいる一つの原因は、人々の強欲にあるってババは言っておられる。欲望を節制した生活を送らないと、欲望ってキリが無いからどこまで行っても終わりが無いやろ。

ポニョ:会社の儲けも、その会社がどれくらい社会に貢献したかによって利益を得る仕組みにならないといけないのに、反対に利益だけを追求して社会のことなんて二の三の次になってるよな。特にグローバル企業が全然なっていないな。利益の追求だけやもんな。役員は、桁が四桁ぐらい違うめちゃ大きい額の給料を取ってるしな。

ヨシオ:お金も神さんやから金持ちがどんどん金持ちになり、貧しい人はますます貧しくなって行く今の社会のあり方を根本から変えていかなあかんやろな。プラトンは人の理想的な社会では貧しい人の給料と金持ちの収入の差が四倍を超えてはならないと言ってたけど、今では四倍どころか四千倍ぐらいになっているんと違うか?ひどい世界や。

金持ちといわれている国の人々に精神的な平安はありますか?
彼らは恐れ、緊張、心配事、不満足というものをその国から追い出しましたか?
そうではないでしょう?金持ちというのは、これらのことに関して気にとめないのです。SSSvol6p125
裕福な人に、幸せですかと尋ねると、どんな答えが返ってくるでしょうか?
おそらくその人は、次のように答えることでしょう。
「私にはお金がたくさんあって、子どもたちも安定した生活を送っています。私の家にはさまざまな家具や、便利で快適な設備が整っています。生活に必要なものは何でもそろっていますが、心の平安だけはありません」。
どうすれば心の平安が得られるのでしょう?
自分の神性に気づいたときに、初めて心の平安が得られるのです。
私たちはどうして平安を体験することができないのでしょう?
どこが間違っているのでしょう?
私たちは、いつも他者に向かって「あなたは誰ですか?」と尋ねますが、「私は誰だろう?」と、自らに問いかける努力をしていません。
そこが間違っているのです。
いったん私たちが本当の自分に気がつけば、苦しみや困難から永久に解放されます。
ですから、何よりも先に、私たちは本当の自分を知るための努力をすべきです。
本当の自分を知らないままに、それ以外のすべてのことを知っても、それがいったい何の役に立つでしょうか?23/11/05

ポニョ:そういう意味で、ババがコダイカナルで孤児のために学生たちに麦わら帽子を買って、経済的に支援するようにと言われた話は良かったな。

ヨシオ:実は、麦わら帽子だけの話だけではなく、ババはいろんな困った人たちを助けておられるんや。ある日コダイカナルでババは学生たちに綿菓子をプレゼントされたんや。ババの座っておられる椅子の横の箱の中を見るとなんと百本近くの綿菓子が入っていたんや。それでその綿菓子をどうしたのか聞くと、孤児の男の子がいて、昼間に学校に通い、夜になると綿菓子を売って学費を稼いでいるんやて。ババは、その子の売っている綿菓子を全部売値の倍の値段で買ってあげたんや。そして、その子にしっかり勉強して立派な人になるんだよって祝福されたんや。

ポニョ:綿菓子って子供が喜んで買って食べるやつやろ。それをもらった学生たちも子供の心になって食べたんやろな。

ヨシオ:またある時も、学生たちに500ルピー札を渡して、ある露店で買い物をするように言われたんや。その露天商はチベットに残してきた子供達や家族を養うためにわざわざコダイカナルまでやって来てるんや。ババはその露天商を支援したいので、このお金を他の店で使わないようにと言われたんや。

ポニョ:その露天商がチベットからわざわざ来て、子供達を養うために働いているのを知っておられるのはババだけやもんな。本当においらの神さんは愛の化身やな。

ヨシオ:このように、ババは人々にお金をどのようにして使えば良いのかを教えておられるんや。お金だけではなくて、時間の使い方や、エネルギーを無駄にしないような生き方を学生たちに自分が手本を示して教えておられるんや。ある時ブリンダヴアンでコーヒーが入った魔法瓶を持って階段を降りて行く人がいて、ババが階上からちょっとこっちに来てくれますか?とその人を部屋から呼ばれたんや。その人は下にある台所のテーブルの上に魔法瓶を置いてから行こうと思って、まず下まで降りてからまた、階上へ行きババの部屋に入って行くと、ババはどうして一分前に来なかったの?もう用は済んだから戻ってもいいよ。と言われたんや。

ポニョ:たった一分違いでもババにとったら、大きな事なんやろな。

ヨシオ:ババは神さんやから、言われたり、命令されたりした時は何をしてても直ぐに従わなければならないんや。俺も、プライベートインタビュールームにジャパン入りなさい、と言われた時に俺はオーストラリアから来てるしなと一瞬躊躇したら、私の時間を無駄にしないで下さいね。と叱られたことがある。

ポニョ:でも、さっきの魔法瓶の件やけど、本当はコーヒーを飲みたかっただけやったのと違うんか?

ヨシオ:あのねそれやったら、魔法瓶を持って来てって言われるやろ。また、ババはインタビュールームに入られたらいつもご自分で、扇風機や証明のスイッチを点けられるんやけど、いつも器用に二つのスイッチを一緒に点けられるんや。ババはどうしてこんなふうに一緒にスイッチを点けるか分かりますかと聞かれて、最初に一つのスイッチをつけてから、三秒後にまた違うスイッチを入れると三秒間エネルギーを無駄に使ってしまう事になるから、同時にスイッチを入れると言われたんや。というのも、このエネルギーはあなた方が作ったものでは無いので、それを少しでも無駄に使うと罪を作ることになると言われたんや。

ポニョ:あのね、大企業のオフィイスを見てみ。残業のためとはいえ、大きい部屋に一人しか残っていなくても全てのビルの電気が煌々とついたままやで。どれだけエネルギーを無駄にしてるか分かれへんな。三秒間だけ無駄に使っただけで罪を作るやて。神さんから見たら人類は罪作り生物やな。

ヨシオ:俺はババの代わりにスイッチを入れようとしたら、ババが肩を叩いていいよいいよ、私がするんや。と言われたけど、本当は自分のやり方でスイッチを入れたかったんかもしれんな。それに、インタビューが終われば直ぐに全ての電気を消されるしな。

ポニョ:まあ言ってみれば、ババは京都や名古屋人向きやな。

ヨシオ:なんでやねん。

ポニョ:めちゃケチやんか。あっそんな悪い冗談言ったら怒られるな。取り消し取り消し。

ヨシオ:残念でした。もうアカシックレコードに記録されましたよ〜。

 あなたがたは、意味のないものを追い求めることによって多くの時間を浪費しています。
時間の浪費は人生の浪費です。
私たちの祖先は、ただの一分さえも、決して時間を無駄にしませんでした。
彼らは、神を時間の化身であると見なし、次のように称えました。
「時の化身にひれ伏します。時を制するものに、時を越えるものに、時を定めるものに、ひれ伏します」
あなたがたは、なぜ、時間がまさに神であるという真理を忘れてしまったのですか? 
皆さんは、日曜日を、リラックスして楽しむことができると思いつつ待ちわびます。
実際のところ、日曜日に何の仕事もしないことによって時間を無駄にしていることを悲しむべきなのです。
皆さんは、自分の時間を適切な方法で活用すべきです。
仕事が何もないときは、社会奉仕を引き受けなさい。
仲間を助けなさい。
母国のためにいかなる犠牲をも払う覚悟でいなさい。19/11/02



信じる者は救われるのか?

ポニョ:アクアポニックスのシステムにそろそろ上手く水も回り始めたし、もうおいらがいなくても大丈夫やろな。あとは、タネを蒔いたり、野菜を植えたりするだけや。水質を最初はチェックしないといけないで。それで、バクテリアが砂利や玉粘土に付着し始めたらもうこっちのもんや。鯉も順調に大きくなっているし、餌によく食らいついて来よるし、まだ少しペーハーが高いので少し低くなってからで無いとオクラとかの実の付きが悪いから、でも余り酸性に近いと今度は鯉に影響があるから注意した方がええな。でも一度システムが回り始めるとポンプが潰れん限り毎日野菜が育って八百屋さんに行かなくてもオーガニックの新鮮な野菜を食べれるで。

ヨシオ:良くやってくれたな。奉仕でこんなにやってくれたらありがたいな。少しは俺も賢くなったな。六十の手習いとはよく言ったもんや。人間て死ぬまで毎日自分を謙虚にしてたら、学ぶことはたくさんあるな。

ポニョ:これらは全て神さんの恩寵やね。ババがあんたの夢に来られてノンハイブリッドの野菜のタネを買いなさいと言われたんやろ。そして、その朝、口座を調べたら大金が入金してあったって、すごい話やと思うで。だからおいらはあんたをヘルプせないかんと思って来たんや。
それに、神に帰依するって言うけど、人はエゴがあるからとても難しい。でも神さんを心から信じていればこの世の中でなんでも出来るってここに来て思ったぜよ。

ヨシオ:ババは俺に、私とお前で、この世界で出来ないことは何もないと言われたことがある。でも、時々俺もかんしゃくを起こしてババに文句をたれるけどな。でも、ババはそんな俺でも愛して下さっているので嬉しいな。

ポニョ:全ては帰依の心をどれぐらい強く持っているかによるんやろな。

ヨシオ:こんな話を知っている。山登りをしている途中、氷河を滑落してしまった登山者がいて途中で引っかかって止まったんは良いのだけど、暗くなって来たので、こんなとこで夜をあかしたら凍え死ぬと思い持っていたロープを伝って少しずつ急斜面を降りて行ったんや。でもロープの端まで降りたらもう辺りは真っ暗で何も見えなくなってしまったんや。それで、その登山者は神様に助けてくださいと泣きながらお願いしたんや。このままロープにぶら下がっていたら凍え死にます。僕は生きたいです。死にたくありません。と言ってたら、何処からか声が聞こえて来てこう言ったんや。分かった。今回は助けてやろう。でも、私の言う通りのことをするんだ。そうすれば助けてやろう。いいね。と言われたので、その登山者は分かりました。あなたの言われた事なら何でも言う通りにします。是非おっしゃって下さい。と言ったんや。すると、声はそれでは、私の言う通りのことをしなさい。その両手で掴んでいるロープを離すのだ。と言われたんや。登山者は、何をおっしゃるのですか。神様。僕は助かりたいのです。ここで死にたくないのです。ロープをこんな崖の途中で離せば落下して死んでしまうではないですか?僕は、あなたに助けて下さいと頼んだのですよ。殺してくださいとは頼んでいないのです。このロープは絶対離せません。と言ったんや。でも、もう神様の声は聞こえて来なかったんや。明くる朝になって、登山バスの運転手が、道から僅か数メートル上のところで、ロープを身体に結び、ぶら下がりながら凍死している登山者を発見したんや。

ポニョ:ギャハ〜。なんちゅう結末や。頭が結末炎になるぜよ。だから、神様の言う通りロープを手離せばバス道に落ちて助かっていたんやな。

ヨシオ:人って自分のエゴがあるから全てを見通している神様のいう事に疑問を持つんや。

私は、自分自身を私に全託する人々を救うために降臨しました。
人々が『私はあなたのものです。それゆえ、あなたは私を救ってくださらなければなりません』と一度でも心の底から祈るなら、私はその人を受け入れ、行為と結果、生死の輪廻、という悪循環からその人を救い出します。
実際、私の愛を理解していない人々は、なぜ私が悪事を働く人々を保護するのか不思議に思っています。
もし私が罪びとを受け入れず、罪びとを変容させないなら、いったい誰がそれを行うというのですか? ND

ポニョ:エゴを持っているのは、無知のせいやなんて言ってたな。

ヨシオ:そして、無知の原因は身体意識、つまり自分がこの肉体やって思うことなんや。でも、その肉体意識を捨てれれば、神さんの元に行くのは容易なんや。こんな話を聞いたことがある。まだアシュラムのインフラが今日のように整っていなかった頃の話や。ポニョは降誕祭に行ったって言ってたよな。すごいたくさん人が来るやろ。

ポニョ:おいらが行った時には人、人、人ですごかったな。宿泊所はいっぱいで泊まるところが無かったので、タクシーの中で寝たな。

ヨシオ:そんな時に一番困るのがトイレやろ。

ポニョ:その話はやめとこ。おいら、そのトイレの話は思い出したくないんや。

ヨシオ:インドはまだ下水道のインフラが整っていないもんな。

ポニョ:知ってる?世界で一番長いトイレってどこにあるのか?

ヨシオ:知ってるで。答えはインドやろ?

ポニョ:それは答えになっていないやんか。今インドの話をしているから、誰でもそれぐらいは答えれるやんか。正解を言えばインドの線路やぜよ。

ヨシオ:なんで線路がトイレやねん。

ポニョ:インドでは下水のインフラが整っていない為に、スラムだけではなく普通の家にもトイレがないところがたくさんあるんや。部屋にコンピューターやビデオはあるけどトイレがない家はザラや。だからみんな、汽車の走っている線路に行って用をたすんや。

ヨシオ:それはひどいな。列車に乗っている時に窓を開けられへんやんか。

ポニョ:それだけではないねん。海や川が近くにあればみんなそこで用をたすんや。昔、アシュラムにいた人達は皆、朝暗いうちに川や丘に登って用をたすんや。特に女性は明るくなる前にしないと恥ずかしいやろ。

ヨシオ:俺も昔のマンディールの見取り図を見ていて、浴室はあるけどトイレが無いなと不思議に思っていたんや。そうやったんか。線路や丘、海や川がトイレやったんや。それって自然でええよな。ポケットに小さいスコップを入れて行けば、これは簡易トイレですよ。なんて冗談が言えるもんな。

ポニョ:今は大丈夫やろけど、アシュラムの公衆トイレはひどかったな。特にブリンダヴアンの女子トイレは悲惨やった。

ヨシオ:俺は自分でそういうことがコントロール出来るから、最初にアシュラムのトイレに行った時、もうトイレに行きたくないと思って次の二週間行かなかったで。でもお腹が腫れてきたので久しぶりに行ったら…。

ポニョ:もうええちゅうに。聞きたくないわ。そんな話は。

ヨシオ:でもトイレに行ったあくる日にインタビューに呼ばれた。それで、さっきの話の続きやけど、その当時の下水設備が整っていなかったので、降誕祭の時に量が多すぎて下水タンクのパイプが詰まってしまったんや。それを直すには一度、汚物で一杯になっているタンクに飛び込み、そしてパイプに詰まっているものを取り除かなければならなかったんや。でも、誰もそんな事をしたくないので、みんなでタンクの前に立ってどうしようかと話し合っていたら、横にたまたま通りがかったオリッサから来たセヴァダル(アシュラムのボランティア)がその話を聞いていて、服を脱いだと思った瞬間、そのタンクに飛び込んだんや。そこにいた人達は唖然としてそれを見ていたんや。そしてしばらくするとその人は、汚物にまみれたままタンクから這い上がって来て、ニコニコしながら一言も喋らずにシャワーを浴びに行き、何事も無かった様に再び自分の奉仕の場所に戻って行ったんや。

ポニョ:それは誰でも出来る事ではないぜよ。

ヨシオ:ババの帰依者になって、その神の教えに接し、その教え通りに生きて行こうとしても、自分のこの身体を、自分と思ってしまう身体意識がある限り神さんとは融合出来ないんや。

ポニョ:この人のように、自分は身体ではないと心底信じている人でないと、こんな行為は決して出来ないやろな。

ヨシオ:人は、奉仕というとお金を持っている人は、お金を出すのが奉仕だと思っているけどババはそうではないと言っておられる。どんな大金であっても神様には関係ないんや。だって元々は全ての富は神さんのもんやから。それより、その人がどれくらい心から神さんの事を思ってしている奉仕なのか?このオリッサの人のように、その人が奉仕することによってどれくらい自己犠牲を伴っているか?ということの方が神さんにとっては関心事なんや。

なぜ私が人々に奉仕をしろ、というか分かりますか?
それはもう一度生まれ変わってほしくないからです。
たとえあなたの心がきれいでも、あなた自身の身体が充分働ききれていなければ、もう一度生まれ変わらなければならないのです。
特にこの事は霊的に高いレベルの人に当てはまることです。
あなたはもう一度生まれ変わらないようにしなければなりません。P, 315 ANDI

ポニョ:おいら達は、子供の時から歳末助け合い運動とか、赤い羽根募金とか言って、お金で困っている人を助けるんだという考え方を植え付けられてしまっているから、なかなかそれを変えるのは難しいよな。最近もインドネシア震災でいろんな奉仕団体が、物では無く現金を寄付して下さいってテレビや新聞で広告を出していたけど、ネットで調べて見たらほとんどの金が自分たちの経費や運営費人件費などに使われてしまい、現地に手渡される金ってしれてるんぜよ。

ヨシオ:そうなんや。そういやその手の奉仕団体の本部は、立派なビルの中にあってとてもたくさんの人が働いているのを見たことがあるな。

ポニョ:しかも、幹部は高級取りで世界中を飛び回っているやろ。ファーストクラスに乗って被災地へ行くんやで。おかしいなと思って裏を調べると、全部裏社会の連中が運営してるんや。この前飛行機事故で死んだ国境のない石段の会長も、ロックンロールフェラーの息子や。

ヨシオ:何やねんその石段って。当て字になったらおもろいな。ババはお金の使い道には、充分注意しないといけないと言っておられる。特に乞食には現金ではなく現物を与えるように言っておられる。

ポニョ:そうしないと、その金でギャンブルをしたり、酒を買ったりするかもしれないもんな。

ヨシオ:でも、ババは神さんやから、そういう事をしない乞食を選んで現金を渡されるんや。

ポニョ:おいらはいつも金欠でピーピー言っているから関係ないけどな。

ヨシオ:さっきの話やけど後日談があるんや。その下水タンクに飛び込んだオリッサから来たセヴァダルのグループが、奉仕の期間も終わり帰る時が来たんや。それでいつものように二列に並んで座り、ババのダルシャンを得ようと待っていたんや。するとババはまっすぐその下水槽に飛び込んだ人の前に行かれ、こう言われたんや。お前はもう二度とこの世界に生まれ変わることはないだろうって。
賢い人は、お金と力、知性と技能、能力と機会を、他者を助けることに使い、自分の人生をより幸福なものとし神の恵みを得ます。
なぜなら、セヴァ〔奉仕〕は礼拝の最高の形態だからです。
飢える者、絶望している者、苦しんでいる者は何百万といます。
貧しい人たちに食事を分け与えることができるよう、私は皆さんに食事の量を実際に必要なだけに限るよう指導しています。
お金は、有害なことに浪費せず、他者を助けるために使いなさい。
時間とエネルギーを無駄にしてはなりません。
あなたの技能が他の人のためになるようにしなさい。21/11/85
私が、信者は神への奉仕の方法として人類に無私の奉仕をしなくてはならないという時、それはあなたの利益とあなたの霊的向上の為にのみそう言うのです。
何が永遠であり、何が束の間ではかないかを識別し、永遠の至福につながる道を歩みなさい。23/10/93
無私の奉仕に励みなさい。
ひとかけらの利己心も無い奉仕をすることによってのみ、心は清められます。
受け取ることよりも、与えることを喜びとしなさい。
神がおられてあなたの必要とする全てを与えているのに、他の人に何かをしてもらうことを期待したり、物を貰うことを頼む必要があるのでしょうか?
あなたの一切の行為はハートを清め、神を体験することを目的とするものでなくてはなりません。
ハートが清らかな時、英知の光が輝きます。
自分を助けてくれた人を助けるのはもちろん良いことです。
自分に危害を与えたものを助けることは、もっと良い事です。
人は、さまざまな方法で世話になった社会に対して奉仕をしなくてはなりません。10/5/92

汚い米は食べれないよ

ポニョ:いよいよ明日お別れやな。日本に戻る前にあんたが勧めてくれた休暇は途中で切り上げたけど、楽しかったぜよ。

ヨシオ:今度は俺が日本に帰る番やな。長いこと帰って無いから浦島太郎になるやろな。もちろんババが再降臨されてからやけどな。今帰ってもやることは何にも無いしな。

ポニョ:今帰ってきても、アホな妄想を書いているブログの管理人が、何をウロウロしてるんや。と言われるだけや。ところでアクアポニックスのシステムは、最初の数ヶ月が一番大切やから、しっかりと毎日、水質とか流量、ペーハーなどをチェックせなあかんから、最低三ヶ月間はどっこも行かれへんやろな。それに、野菜が育ち始めたら収穫などで忙しくなるで。

ヨシオ:早速パッションフルーツやら神聖なトゥルシを嫁さんが植えたんや。楽しみやな、大きくなるのんが。

ポニョ:もう少し経てばミミズを入れたら良いで。野菜の育ち具合が良くなるぜよ。

ヨシオ:腰を曲げて仕事をしなくても良いし、肥料や農薬も要らないし、耕したりしなくてもええから楽やな。小さなポンプ一個だけで全部に水が回るしな。

ポニョ:出来た野菜が将来人様の役に立てば良いな。まあ、また何かあったら連絡して来いや。

ヨシオ:俺も早く自家栽培の野菜を食べたいな。

ポニョ:オクラなんかよく育つで。それじゃ本題に行こか。今日が最後のオーストラリアでの対話になるな。

ヨシオ:今日も帰依全託の話から入って行こか。ある聖者と幾人かの信者達が森に入り、小屋を建てることになったんや。それで、ほとんど建て終わったと思ったら、聖者が気が変わった。そこじゃなくて、ここにしなさい。と言ったので仕方なく、また分解して建て直したんや。すると聖者は、やっぱりそこじゃなくてこっちにしようと言ったのでまた建て直したんや。それを数回繰り返している内に、一人二人と信者達が怒って帰って行ったんや。やがて最後には、たった一人だけになったんや。聖者は量ではなく質が大切じゃ。信者はお前のようなどんな事があってもマスターの言うことを100%聞く人間が一番なんじゃ。と言ったんや。

神の指示に対して、疑いを持つこと、異議を申し立てること、背くこと、非難することが決してないようにしなさい。神の指示を厳格に守ることは、全託と呼ばれます。
これを育めば、人生における成功は必須です。stps2p180

ポニョ:聖者は何を言ってもされても愛でしてるって信じれば、怒って帰って行かないもんな。

ヨシオ:そこにプライドやエゴとかがあれば、マスターの言うことに疑問が湧いて来て怒りの感情などが出て来るんや。

ポニョ:でも、誰でもそんな状況に置かれれば、同じような行動を取ると思うで。おいらやったら、ストレートに聞くけどな。なんで一生懸命建てた小屋を分解してまたちょっと離れたとこに建てるんですか?労力と時間の無駄ですよ。もう気を変わらないようにして下さいね。と言って話し合えば済む事なのにな。

ヨシオ:そんなふうにしてババと対話出来るか?ババさんいつまで待たせるんですか?今度インタビューに呼んでもらえるのはいつですか?どうしていつも無視して手紙も取ってくれないんですか?

ポニョ:ちょっと無理やろな。それじゃとにかく何でもグルが言われたことを無条件で受け入れることなんやな。難しいよなそれって。

“人間は一生懸命働く様に創られており、仕事をしていれば、心は無価値で気儘な想念に没頭する時間がなくなります。
何も仕事がないのであれば、瞑想や御名を唱える、良い書物を読む、善人と交わるなどの霊的努力を続けるべきです。
神に全託する事は難しいと感じる人もいるかもしれませんが、すべての人は時間に全託しています。そして時間は神なのです。
一日ごとに人の命は縮まっており、私たちはその時間に、自分の一生を託しています。時間は人間の命を征服します。
そしてその時間は神なのです。
ですから、第一に仕事があり、それから英知、次に愛があります。
仕事そのものが愛、いや神になる時がいつかやってくるでしょう。”

ヨシオ:神さんは結果オーライの世界からメッセージを送っておられるんや。つまり何があってもみんな神様にたどり着くため山登りをしているもんなんや。途中でいろんな事があっても、いろんな道があっても。全ての道は頂上に続いているんや。

ポニョ:そんな事を記事にしたよな。神様の愛のパワーに引っ張られるようにして、山登りをしてるんやな。

ヨシオ:一見悪いように見えていても、そういう事を通じて人は頭を打って賢くなって行くからええ事やんや。みかんの皮を食べたことあるやろ。苦くて焼きみかんにしないと食べれないやんか。それと一緒で神の甘い甘露を味わうには、苦い体験をせなあかんねん。

私たちのあらゆる苦痛と悲しみの原因は何でしょう? 
私たち自身の、善からぬ 不浄な想いが、私たちの苦痛と悲しみの原因です。KSH
あなたが自分の苦痛を取り除くために神の恩寵を切望しているのと同じぐらい、私はあなたの苦痛を取り除きたいと切望しています。
それはあなたは気付いていませんが、私はあなたの苦痛を感じることが出来るからなのです。4/3/62

ポニョ:なるほど、ええ例やったな。

ヨシオ:でもそういう苦い体験や苦しみが人生には付きものやけど、それを苦しいと感じないようにするには帰依全託の心が要るんや。ババが腰の骨を折られた時にでも、帰依者のために無理をしてダルシャンに出て来られるんや。周りの人たちは心配して、ババ様痛くないですか?と聞くと、痛みはあるけど、私はそれを感じないのです。と言われたことがある。

ポニョ:ババは感覚をコントロール出来るからな。でも普通の人は難しいぜよ。やはり人生で苦しい時には、泣いて悲しむで。それを帰依全託の心で乗り切るってよっぽど霊的なレベルが高い人でないと難しいぜよ。

ヨシオ:頭では分かっていても、実際体験すれば取り乱したりするもんな。でもその時に神さんと向かい合うことが出来るんや。その苦しい時こそが。その人が霊的に伸びていける大きなチャンスなんや。

困難がなければ決して幸福を得ることはできません。
幸福から幸福は得られないのです。
逆に困難にだけ陥る苦難もありません。
困難が無ければ決して喜びの価値を知ることはできないでしょう。
自分の家族が不死ならば、母親でさえ我が子を愛せなくなるでしょう。
今あなたの味わっている幸福は、将来不幸をもたらすかもしれませんし、また不幸は幸福をもたらすのです。
絶対的な幸福や不幸をもたらすものはありません。
冬に着るコートは夏に着れば不快になるように、幸不幸は時間と状況と場所によって変わってくるのです。
喜びとは二つの苦しみの合間のことであり、苦しみは二つの喜びの合間のことです。
悲しい時に、困難や苦しみの辛さを思うと、その苦痛は二倍になります。
不運な時には幸福だった日々やその時のことを思い返すべきです。
そうすれば苦しみの辛さは軽減されるでしょう。
苦難を神の試練と見なして、あらゆる困難に立ち向かいなさい。STPS2p164

ポニョ:苦しい時の神頼みって言うもんな。神さん、なんでやねん。なんでおいらがこんな目に遭わなければいけないんや。と真剣に神さんの方を向くもんな。

ヨシオ:森に身を隠せなければいけなかったパンダヴァ兄弟とドロウパティは、その頃の苦しかった生活を思い出して、あの頃程、神様であるクリシュナを毎日感じた時は無かったと回顧してたな。

困難に直面しても悲しまないように。
あなたはその時、神を体験しているのです。SS5/95p124

ポニョ:苦しみ、悲しみはそういう意味で良い事なんやって言いたいんやろ。

ヨシオ:苦しい時は、これらの苦しみを体験させて頂いてありがとうございます。この苦しみを通じて少しでもあなた様の栄光を耳にし、口に出して人生の荒波に負けずに歩んで行けるようにお導きください、とお祈りすれば、少しは苦しみも和らぐやろな。

あらゆる困難や苦難は人の想像にすぎません。
困難のない幸福などあり得ません。
喜びは苦しみと苦しみの合間にあるものです。
困難は皆さんに幸福を与えるように意図されたものであり、より多くの悲しみによって不幸にするためのものではありません。
ですから、自分に何が起ころうとも、それを神の贈り物と考えて、幸せでいなさい。
自分を苦しめるために与えられたものだと考えてはなりません。
お腹が痛くなったとしましょう。
医者は何をするでしょう? 
もし、医者が手術をするなら、それは苦痛を与えるためではありません。
医者が与える苦痛は、苦しみを取り除くためのものです。
ですから、困難は自分の苦しみをなくすための手段であると考えなさい。15/12/07
困難を体験せずに幸せを体験することはできません。
「誰も幸せから幸せを引き出すことはできない」。
幸せは困難に出会って価値を得るのです。
克服できそうもない困難でさえ、勇気と自信をもって立ち向かえば、それらはまるで薄い霧のように消え行くことでしょう。問題は山のように見えるかもしれませんが、皆さんの心の中に恐れと不安が入り込む余地を与えてはなりません。28/8/04

ポニョ:そのためには、毎日何があってもハッピーに生きていかないといけないという事なんやな。以前こんな事を記事にしたよな。

ヨシオ:あったな。確か俺の友達が、いつもニコニコして笑顔で毎日を過ごしているからどうしたらそんな綺麗な笑顔で一日中過ごせるんやと聞いたら、毎朝目を覚ました時に、ベッドからすぐ出て行かずに自分の心の中のネガティブなものの中に良い事を見て、嫌いなものや人を好きになり、愛のパワーがハートにいっぱいになってから、ベッドから出るって言ってたな。ポニョもいつもニコニコしてるけど何か秘密でもあるんか。

ポニョ:おいらは秘密って程の事やないけれど、人のええとこだけを見るように努力するんや。それと、あんたの友達の話を聞いてから、毎朝自分はハッピーにその日を過ごすか、それとも人の批判をして過ごすか決めるんや。そして、その日にいろんな事があるけど、その度に自分はハッピーで持ってその事に対処するかそれとも、怒ったり批判したりするか自分自身に問いかけるんや。この世界に住んでいると、どうしても自分がこの肉体と思ってしまうから、エゴが直ぐに風船みたいに膨らんで行くから注意しないといけないよな。そういう事を毎日の生活の中で意識的にやっていかないとすぐ忘れるぜよ。おいらは直ぐにカーッとなるから。

ヨシオ:それって昔の俺みたいやな。今、ポニョが言ったことはダソーハムという霊性修行なんや。

ポニョ:駄ソーハムってソーハムの亜流か何かか?

ヨシオ:字が違うやろ。何が駄ソーハムや。ソーハムってポニョも知っているやろけど、私とあなたは一つです。というマントラを、息を吸うときにソーと言って、出す時にハムと言うんや。そして、それを長く続けていたら、AUMのサウンドと一緒になって来るんや。でも、このダソーハムは、自分を神の僕、召使いとみなすんや。そうすれば今ポニョが言ったみたいに、エゴがどんどん小さくなって行って素粒子のレベルまで行き、そこまで行くと実は全ての物質の中に自分がいてるって悟れるから神に到達出来るんや。ラーマクリシュナパラマハンサはこの方法を取って自分を小さく小さくして神を悟った人なんや。逆にその弟子のヴィヴェカナンダは自分を宇宙大に大きくして、神のように全てを包んで行くやり方を取ったんや。

ポニョ:ふーん。じゃあおいらは知らず知らずのうちに、ラーマクリシュナさんのやり方をして神を悟ろうとしていたのか?こうしてみると、おいらも結構捨てたもんやないぜよ。勇気がそして元気が湧いて来たぜよ。

ヨシオ:勇気がそして元気が湧いて来ましたって、オリンピックの入場行進やないで。それにポニョはいつも身体から元気が溢れ出し過ぎてるで。でも、ポニョは元々性格が良いもんを持っているからな。心が綺麗や。だから何をやっても神様は喜ばれるやろな。

ポニョ:久しぶりに褒めてもらって嬉しいな。今回はあんたの夢にババが来られたので奉仕のつもりでやって来たので、楽しかったな。いろんなところに旅をするのは楽しいって言うけれど、おいらが一番幸せやと思う時は、自分が持っている知識や経験が何かの役に立っていて、それで喜んでもらえたら、その人の中にいてる神さんもきっと喜んでおられるから、そう思ったらおいらも幸せになるんや。

ヨシオ:その通りやな。いくら世界旅行をしてあっちこっち行っていろんなもんを見ている時は、いつも忙しくしてないと満足しない心を満足出来るけど、家に帰ってしばらくすれば、また、何処かに行きたくなるもんな。結局そういう事ばかりをしてたらきりがないもんな。

ポニョ:でも、若い時は旅をして学ぶことがたくさんあるで。おいらは高校生の時から夏休みになると、ユースホステルに連泊してあっちこっち行って楽しかったな。夜のゲームの時間が好きやったぜよ。

ヨシオ:ユースホステルの話は横に置いといて、さっきポニョが言ったように綺麗な心で奉仕するって大切な事なんや。昔の話やけどある女性の帰依者が、ババに是非私どもの町に来てくださいと頼んでいたんや。ババはお前の街に行っても良いが、お前の家には行きたくないと言われたんや。その女性は、それでも是非来て欲しいとしつこく頼んでいたんや。ババはところで、お前たちの奉仕活動、セヴァの活動は上手くやっているかい?と聞かれたんで、その女性は、ええ私たちは熱心にやっております。と答えるとババは、安物の二ルピーの米を貧しい人に配り、家では五ルピーの米を食っているではないか。ニルピーの米はとても汚くて食べれない。と言われたので、その女性はいいえそんな事をした覚えはないです。としらばっくれると、ババは、お前は覚えているだろう。二年前に私が乞食の姿となってお前の家に行き、米を乞うた事を。お前は台所にいつも食べている五ルピーの米があるのに、奉仕用のニルピーの米を持って来て、私にその汚い米を手渡した。と言われてババは奥の部屋から米の入った赤い袋を持って来て、これがそのときの米だ。と言われたんや。

私たちが人間として生まれるのは、平安を得るためであって、権威ある地位 に就くためではありません。
たとえあらゆる種類の富や快適さがそろっていても、平安を失えば、生きること自体何の意味もありません。
世の中には、裕福で、高度の教育を受け、権威ある地位 に就いている人がたくさんいます。
しかし、社会は彼らからどのような恩恵を受けているでしょうか?
彼らは、苦しんでいる人々の涙をぬぐう時間も、そういう気持ちも持ち合わせていません。
私たちは、どうすれば貧しい人々や虐げられた人々を助けることができるでしょう?
権力の座に就いている人々は、この点に心を砕かなければなりません。
しかし、このようにものを考える人は、一人もいないように見えます。
社会事業という名のもとに、人々は「人に見てもらうための仕事」をしているのが実情です。
彼らは食べ物を求めて戸口に立つ乞食たちを追い払います。
人間は、平安を得ようと思えば、慈善行為に携わらなければなりません。23/11/05

様々な困難を経てはじめて、あなたは人生の中で自分自身を高めることが出来るのです。SS5/1995p124
私たちは神の恩寵を獲得するために努力すべきであり、困難と損失によって妨げられてはなりません。
神を味方に付けたとき、成し遂げられないものはありません。
あらゆる困難と苦しみはたちまちの内に消え去ります。
そのような全能の神が私たちに内在するというのに、なぜ私たちはとるに足らない事を心配する必要があるのでしょう?
愛は困難を克服するための勇気を私たちに与える神の力です。
愛の力で何ごとも成し遂げることができます。
私たちは罪を恐れるべきであって、困難を恐れるべきではありません。28/8/04

神様とお友達になろう

ポニョ:今回こちらに来て、アクアポニックスのシステムを作っていて、あんたらがここでやっている事は神様の仕事やな、と思ったな。というのも、ガネーシャがいるのかと思うほど、全てが信じられないくらい上手く行ったし、もう事前に誰かが計画している事をおいら達がやっているって分かった事やねん。

ヨシオ:どういう意味や?

ポニョ:あんたは気づいていないかもしれないけれど、例えばおいらが来る前に、誰があれだけの量の焼き粘土玉や砂利を注文したんや。

ヨシオ:ババが俺を通じてやったんやろ。

ポニョ:分かっていたらええんや。でも事前に用意してあった全ての材料がきれいに無くなったぜよ。120袋の焼き粘土玉、二十トン近くの砂利、それに以前使って余っていた鉄で組み立てた野菜栽培台、五センチしか勾配がないバスケのコート、その隣にある鯉タンク、そして予備の水タンクがすぐ横にもう設置してある。おいらがバスケットのコートに合わせて設計したシステムの野菜栽培台の面積が、偶然90平米でババの数字やし、一平米野菜台当たり約一キロの魚がいるので計算したら、あんたの鯉が一匹あたり300グラムほどの大きさに育っていて、全部で何匹いてるのか数えたら丁度300匹。つまり一平米当たり一キロの鯉がいてたんや。しかもアクアポニックスは塩素が入っている水はバクテリアに良くないので雨水とか地下水を使うけど、あんたのタンクには、もう一杯雨水が隣の倉庫の屋根から取れるようになっている。今回、こんな大きなシステムを作るのに使ったお金は、焼き粘土玉代と四万円の砂利だけや。全ての他の全ての材料はもう既に手元にあったやろ。アクアポニックスのシステムを作って下さいね。と言われているような気がしたぜよ。

ヨシオ:そう言うたらそうやな。材料も全部前にやった仕事の残りもんやな。金はかからんかったな。肉体労働はしんどかったけど。途中で何度も死んだで。

ポニョ:それに、あんたが自分で計画していた設置サイトは立地が良くないので、おいらがバスケのコートを使うように変更したけど、そこで全てが上手く行ってぴったしカンカンやったで。

ヨシオ:そこでやるってババが事前に計画してたんやな。でもあの木があるから日陰が出来るんや。

ポニョ:まだその話をしてるんか。夏の間はこのまま様子を見たらええやんか。こっちは日差しがきついし、ちょっとぐらい日陰の方がええかもしれん。それに木にあんな事を囁かれたんやったら切りにくいやろ。

ヨシオ:そうやねん。今は、毎日君の事を記事にしたよって話しかけてるんや。するとあの大きなゴアナも近くにやって来て僕にも話しかけてくれませんか?と言ってきたな。

ポニョ:あいつか。1m以上あるな。しょっちゅう近くに来るんでびっくりコクよな。それにシステムの水を目当てにカエルや蜘蛛や小さな虫たちが寄ってきたな。水は命の元やぜよ。

ヨシオ:このシステムが上手く機能して、将来ここで育つ野菜が人様の役に立てば嬉しいな。

ポニョ:世界がカオス状態になれば、コンビニやショッピングセンターの棚が空になるからな。こうして野菜などを生産出来れば役に立つやろな。でないとババがわざわざあんたにノンハイブリッドの野菜のタネを買いなさいなんて言われる訳が無い。しかも、お金まで下さったやろ。

ヨシオ:俺は毎日ババと一緒に仕事をしているから、ポニョにいろいろとこんな偶然があるったと言われて初めてそうやったんかと気付くけど、俺にとってはこれが普通なんや。でも、去年久しぶりにババと言い合いしたな。それは、ポニョも知ってる通り、大きな倉庫に毛布やら農具やらを入れてるんやけど、メインテナンスが大変なんや。全部で三千平米もある大きな倉庫やから、一年間に町に支払う金が百万円ほどかかるし、屋根から雨水が漏れて中にある毛布とかが濡れて痛むし、めちゃ大きい建物やから毎日修理やなんやかで大変やったんや。それで、ババにこの大きな倉庫を買って以来、修理だけではなく、金銭的にもとても大変や。どうにかしてくれよ。と言うと、ババは、私が意思しないと何も起こらないってお前も知っているだろう。雨漏りも含めて全ての事は私がやっているんだ。お前は自分がやっているって思うから、そんなふうな感情が湧いてくるんや。と言われたんで、俺は売り言葉に買い言葉やないけれど、俺は、よっしゃ、上等やないか。よく言われたな。ババさん。神さんやったら自分が言ったことに責任を取ってもらおうやないか。もう、そこまで言われたんやから取り消しは出来ないで。自分で神の化身やと言ってるんやろ。それやったら余計にそうや。OK!ええ度胸やないの。口から出た言葉は行為と一緒で無いといけないって言われたのは、どこのどちらさんやったかな?それじゃメインテナンスもあんたがやってくれや。俺はもう面倒見きれないで。と言ってさじを投げたんや。それで、大きくなり過ぎて倉庫に当たってダメージを与える木などを切ったり、倉庫の周りのフェンスの上に倒れた木を切ってフェンスを修理したり、水漏れを修理したりして普段はとても色々忙しいんやけど、その年は見回りに行くのもやめ、ほったらかしにしてたんや。でも、久しぶりに最近アクアポニックスのシステムを作る為に材料を取りに行くと、ゲートの鍵は潰され、倉庫のドアもぶち破られてたんや。盗られたものは余りないけれど、この25年間一度も被害にあった事が無く、ババさんがきちんと面倒見ておられるなと思っていたんやけど、今回はこの様や。俺はしばらくの間、潰されたドアの修理や警察への報告で大変やったんや。しかも、修理に金とエネルギーを使うし、もう頭に来て、ババさん、あんたが全てをやっているって言ったからお任せしたのになんやねんこの様は。えらく良い仕事をやってくれてるやないの。あんたに言わせれば、その泥棒も私なのだ、なんて言われるんやろな。あのね、それって屁理屈って人の世界では言うんや。あんたがおられる神様の世界ではそうは言わないかもしれないし、想念の世界やから、ドアやフェンスなんかあっという間に修理出来るかもしれないけどね、この物質世界にどっぷり浸かって生活している俺たちにはそんな屁理屈は通じないんや。全部私がやっていると大見得切って、大上段に構えて言われるんやったらな、その盗人の中にいる時に、こんなにめちゃくちゃドアを壊すなっと言うとるんや。と言ってババに食ってかかったんや。するとババは、この倉庫とそこに保管してある物は全て私のものだから、私が誰にそれをあげるかは私の問題や。私はお前を通じて、この倉庫のメインテナンスをしていたという事は、お前もとっくに気が付いていたろう。毎日良くやっていたな。でも去年、お前の母親の、この世での生が残り少なくなって来たので、お前に母親との時間をもっとやろうとして、わざと、お前をこの仕事から離れさせたのだ。おかげでお前はゆっくりと母親と最後の時を過ごすことが出来たろう。今私のそばにいるお前の母親も大変喜んでいるよ。そして、彼女はすぐにまた、お前の近くに生まれ変わるから会えるよ、と言われたんや。

ポニョ:そうやったんか。知らんかったな。そういう事情があったんやな。

ヨシオ:今週末、ちょっと値段ははるけど警報装置を付けるんや。保険は高くて入らないけどな。
ポニョ:でも、あんたは神さんであるババと、本当に友達みたいにして話すんやな。面白かった。今では借りてきた猫みたいに大人しいけど時々、昔、組長というあだ名が付いていたガラの悪い本性が出て来るな。

ヨシオ:そうか?これがなんでガラが悪いねん。ババも自分を友達だとみなして扱ってくれるのが一番嬉しいっておっしゃってるやないか。俺も、ババと話している時は、ババを友達とみなして話すのが自分に一番合ってるんや。ババを身近に感じることが出来るしな。本当の本音を言える自分になれるし。まあ、でもどんな事があっても、ババは愛の化身やから、俺の事をとても愛しておられるって感じれるから嬉しいな。

あなたは、神との友情を培うべきです。
もし神があなたの友人であれば、全世界をコントロールすることができます。
しかし今日、不運な人々は、神との友情を失いつつあります。
神と友達になるのは容易なことではありません。
しかしあなたは、このことにあらゆる努力を傾注すべきです。
いったん神と友情を培うことができれば、サーダナ(霊性修行)を通じてそれを最大限に活用しなければなりません。おしゃべりをして時間を無駄 にしてはなりません。23/11/02
神よりも偉大な友はないことを認識しなさい。
人が神の期待に応えることに失敗した時も、神は彼を見捨てません。
それゆえ神は良き友といわれるのです。
神は誰からもいかなる贈り物も求めません。
にもかかわらず、人はそのような良き友をなかなか受け入れないのです。
そうではなく神を良い友人として受け入れる者のみが、神の友情の完璧な意味を理解することが出来るのです。
このような信念こそ真の知識です。14/1/91


ポニョ:今回の件も、ババがあんたとお袋さんに良かれと思ってされたことなんやもんな。

ヨシオ:お袋が生きてた頃、あの倉庫の周りを車でくるくる回って運転させたことがあるんや。初めての車の運転やったからとても興奮して喜んでたな。それでアルツハイマーになってからも、俺が倉庫に行く時はいつも一緒に連れて行って、俺が働いているのを横で長い間座って見守ってくれたな。

ポニョ:そういや、そろそろ一周忌やもんな。早いな、時が経つのは。

ヨシオ:俺が全ての人の中にババを見れるように、ババはお袋を通じてトレーニングしてくれたんや。

ポニョ:ほう。どうやって?

ヨシオ:アルツハイマーが進行してもう自分の事が何も出来なくなって来たお袋やったけど、時々信じられないぐらい、話すことが理にかなっていた時があるんや。俺にアドバイスもしてくれるし、ババの教えを話してくれる時もあったな。俺は別に瞑想とかしなくても、お袋の言葉に注意して耳を傾けていたら、毎日の生活をする上での指針を聞くことが出来たんや。

ポニョ:どんな指針が聞けたんや?

ヨシオ:普段の生活での細々した事やら、面白かったのは、下の息子が中学生の頃、一年間ほど日本のバスケ重点校に受け入れられる事になって行く準備をしていたら、その頃寝たきりで口も殆ど聞けなかったお袋が突然、見も知らずのところにまだ小さい息子を、行かすのはもってのほか!やめなさい。と言ったな。お袋の部屋は居間から壁二つ離れたところにあるので、俺たちの会話なんて聞こえないのに。また、日本から突然人が訪ねて来た時、ここはお前のような霊的レベルの人間が来るところではない。すぐにこの家から出て行け。とかも言ってたな。

ポニョ:急にババになられるんやな。驚くぜよ。

ヨシオ:また、お袋はお風呂が大好きで長湯をするんやけど、オーストラリアではガスで湯を沸かしたりしないから、追い焚きが出来ず、熱いお湯の入れ具合で湯加減を調整するので、とても難しいんや。妹に日本製の湯加減調整器を買って来てもらったけど、説明書を読むと人が風呂に入っている時は使ってはいけませんやて。バカにしてるよな。それで時々、湯加減を間違えて熱くなりすぎて、のぼせさせたことがあったんや。そんな時、きつく叱られな。「この様に、この体を扱えば寿命が来る前に死んでしまうぞ。もっと注意して扱え!」と言って唾をかけられて、ピンタされるんやで。

ポニョ:ババは唾はかけないと思うけど、ピンタはよくされるもんな。そうか、そういう事があればお袋さんの中にババがいるって丸分かりやな。

ヨシオ:そうやろ。家族たちもそれを実感し始めて、お袋のことを、おババ様とか言って呼び始めて尊敬するようになったんや。そして当然の帰結になるけど、お互いの中にもババがいることが理解出来るようになったんや。

ポニョ:あゝそれでか。あんたの家族は、お互いの名前の下にババを付けて呼び合いするのは!

“あらゆる種類のサーダナの目的は、全てのものの内に神を見るように心を訓練することです。CWSSBJp275”
“人間が目の前に見るものは、世界ではなく、まさしく神なのです。
しかし、無知ゆえに人間はこの真理を理解できず、外側の世界に神を探そうと努めます。
あなたが自分の前に見つけるものすべてが、まさに神の姿なのです。
あなたはすぐ目の前に神を見ているのに、まだ自分は神を探し当てていないと思っているのです。何と愚かなことでしょうか!
あらゆるものが神の顕れであるという堅い信念を育てれば、あなたは確実にすべての人の中に神を見いだすことでしょう。16/3/03”
“全てのものに神を見るならば、あなたは3日のうちに自分の中に潜む神聖な感情が育ち始めるのを感じることが出来ます。
さもないと、30回生まれ変わって霊性修行に励んでも何の役に立ちません。11/93SS”
近い将来、あなた方はスワミが様々な姿を取ってあなた方の前に現れるのを見るであろう。
このような素晴らしい機会を逸しないように、努力して私の教えに従いなさい。6/1976
神はあなたの真の身内です。神はあなたの息子や娘、友人や他の身内という姿をとってあなたのところにやって来ます。神はあなたのあらゆる困難の中に存在する、あなたの真の身内です。
神がアーパドバーンダヴァ(困難なときの友や身内)と呼ばれるのはそのためです。1/5/08
“私は偉大な人物になるのが重要だと思いません。
善良さは偉大さに勝ります。
偉大になることを目指すより、善良であるように努めなさい。
良い人間になる方が、偉大な人になるよりもずっと大切です。
両者の違いは何でしょうか。
それは、偉大な人は神の内に人を見ますが、善良な人は人の内に神を見ます。STPSp111”

神さんを好きですか?

ポニョ:以前あんたが言っていた他人の長所は意識して探さないとよく見えないけれど、逆に他人の欠点は努力しなくても自然に見つけれるって話が最近良くわかって来たぜよ。

ヨシオ:あゝ、人が心に持っている鏡の話やったかな。

ポニョ:そうや。まだ覚えてるか?そんな話をしたやろ。他人に会うって事は、その人の鏡と自分の鏡をお互いに向き合わすってことやって言ったやろ。そうすれば、自分の鏡の中のきれいな部分に相手の鏡の汚れている部分が写り、この人はこんな欠点があるなって分かるやんか。でもその自分の鏡が汚れているところには、その人の鏡の汚れていないところ、つまり長所が写らないから、何となくあゝおの人はどこかしらよく分からんけど、おいらには無い良いものを持ってられるなという感じがして惹かれるやんか。

ヨシオ:あゝ思い出した。そんな事を話したよな。だから、サイセンターで人々が集まっておにぎりとか作ってホームレスの人たちに配ったり、炊き出しをしたりするやろ。そんな浄性な、きれいな心の鏡を持っている人たちが集まってする仕事は、それらの人の心の鏡のきれいな部分が同じやから、それらが集まって神の光が収束して反射し、周りを霊的な光で明るく照らし出すことが出来るんや。

ポニョ:そうか。それで、おいら達は人間は光の子と呼ばれるんやな。

ヨシオ:ポニョは別の意味でな。

ポニョ:どういう意味やねんぜよ。何を言いたいか分かっているぜよ。言葉に出すなよ。

ヨシオ:ハイハイ。目くじらを立てるなよ。ポニョらしくないで。どうしたんや。いつものポニョと違うな。カリ来たらあかんで、髪の毛が薄いぐらいで。

ポニョ:言葉に出してるやんか。

ヨシオ:その人の心に写る神の光が多ければ多いほど、その人からたくさん霊的光が飛び出して周りを照らし出すことが出来るんや。イエスや仏陀、それに聖者なんかは、飛び抜けた強力な神の光を常に放ち続けていたので、光に引き寄せられる蛾のように、周りにいる野生の動物でさえ引き寄せることが出来たんや。

ポニョ:ババの心の鏡は一点の曇りもないやろな。大元の神さんやから。

ヨシオ:ババの場合は心を持っておられないんや。光そのものやから。そこが俺たちと違うんや。俺たちはエゴという心の鏡を持っているけど、大元の神さんはそれを持っておられない。

ポニョ:だからすべてのものを照らし出し、引き付けることができるんやな。おいら達も、どこかは分からないけど、何かしら自分に無い良いものを持っておられる人に引き寄せられるもんな。

ヨシオ:その引き寄せられる部分は、自分の鏡では汚れている所やから、その人の何に惹かれているのかはっきりとは分からないのが普通や。でも、その聖者とかイエスなどの心の汚れがより少ない人にはグッと惹かれるんやろ。それを霊的磁石とも言うんや。その人たちの心はいつも愛の光を放っているんや。

ポニョ:だから、ババは私は別に誰にも個別に招待状を出して呼んだわけではないけれど、こんなにたくさんの人が私の元にやって来るのは、私の愛の力、霊的磁石の力によるものです。と言われたんか。

ヨシオ:その人が持っている神の愛を反射出来る心の鏡がきれいできれいなほど、神の力、神の光、神の愛をその人の身体から顕現出来て、神のような人になっていけるんや。そして、その人はモークシャ、大成就を生きながらにして実現出来るんや。

ポニョ:生き神様になるって訳やな。おいらは鼻紙様になれるけどな。

ヨシオ:ほんまにちょっと調子が悪そうやな。どうしたんや。鼻ばっかりかんで。

ポニョ:多分、花粉症や。ここは裸子植物が多いやろ。今丁度ワイルドフラワーの季節で外に出ると猛烈な花粉だらけや。それにやられたと思うぜよ。頭が痛いし、目から涙は出る、鼻水も出るし、屁も出る。

ヨシオ:しょうもない事ばっかり言うなよ。何を話しているのかサッパリ分からん用になって来たやんか。あのね、俺はここにずっと住んでいるから環境に慣れてしまって大丈夫やけど、ポニョのような外から来た人は、今頃の季節はマスクをしなくてはあかんっていつも言ってるやろ。こっちのユーカリの木の花粉が鼻の粘膜に付くと取れないで。

ポニョ:今回、良い経験をしたぜよ。でも、マスクをして肉体労働をすると酸欠になるぜよ。

ヨシオ:なれへんっちゅうに。話は戻るけど、いつも自分の鏡に写る他人の欠点ばかり見ていると、自分の鏡も汚れて来るから注意せなあかん。

ポニョ:すごく繊細でピュアな感じの人に限って、いつも人のちょっとした欠点を指摘する人がいるよな。違いが分かる男やな。

皆さんは人のことを悪く言う権利も、悪く考える権利もありません。
自分の至らないところを反省する方がずっと大切です。
人の良いところを見て下さい。
そして自分の悪いところを改めるのです。
自分の内面を探求する力を深めていないのに、人のことを見抜けるはずは無いのです。
まず自分の人生を完成させなさい。
自分を救うことが出来て、はじめて人を救うことが出来ます。SGc17

ヨシオ:そういう心の鏡の汚れがより少ない人たちは、他人の欠点が自分の鏡のきれいな部分にたくさん写るので、他人の欠点がよく見えて他人の欠点を指摘してばかりすると、結局自分の鏡も汚してしまうんや。

ポニョ:そんな人おいらの周りにたくさんいるで。時々、おいら、そういう人と話していると、マスクをしている時みたいに息苦しくなる時があるな。今も鼻が詰まって苦しいけど。

ヨシオ:ババは人差し指を他人に指差して批判すれば、他の4本の指は自分を指していると言われている。人の良いところだけを見なさいと言っておられるやろ。

ポニョ:この前、あんたの嫁さんにいつもニコニコしている秘密は何やと聞いたら、他人の欠点を見ないこと。自分に無いその人の良いところだけを見て、どんな小さな事でも、神様にありがとうって言うことやって言ってたな。

感情、情念、衝動、態度、反応を浄化しなさい。
それこそが、あらゆる宗教で定められている霊性修行の本質です。
心と思いを点検しなさい。
過ちの多い人間を求めてはなりません。
純粋なるものだけを求めなさい。
いかなる人の悪口をも言ってはなりません。
だれをもはずかしめてはなりません。
長所を見てその人を敬いなさい。
あなたの行いに対する人々の嘆きは、あなたが息を引き取るとき心につきまとって離れません。1008の宝石 P.97

ヨシオ:あの人は、子供の時、近くにある京都教会に遊びに行ってたんや。家が中京区にあるから周りはビルばかりやろ。子供が遊べる公園とか無かったんや。それで、教会の二階の席にこそっと忍び込んで行って座り、宣教師さんの言うことをいつも聞いていたんや。ある時宣教師さんが、人の良いところだけを見なさいと言われたので、それを実践してたらだんだん笑顔が似合う顔になって来たんや。俺は嫁さんを小学校の時から知っているんやけど、子供の時は眉毛と眉毛の間にシワを作っていつもごねまくってるとても気難しい女の子やったな。気に入らんことがあると、その辺の地べたに転がって泣き叫ぶんやで。まさか、そんな子と将来一緒になるなんてその時には想像も出来なかったけどな。

ポニョ:ヘェ〜。そんなゴネ娘やったんか。えらい変わりようやな。人の良いところだけを見て生きて行きなさい。というイエスの教えに触れただけで子供の性格にこんなに影響を与えるんやから、大元の神さんがこの地上に降りて来られて、ヴェーダンダの教えを説いておられる。その一つでも実践したら花粉症が治るやろか?

ヨシオ:ヴェーダンダと花粉症と関係ないやろ。一つでも教えを実践するって大切やな。ババはある時学生たちの前で、君たち私を愛していますか?と尋ねられたんや。それで全員、もちろんですともスワミ。と声を合わせて答えたんや。すると、ババはこんな話をされた。人は犬をペットとして飼う。その犬の毛並みや性格、気性などが好きでエサをやったり散歩をさせたりして遊んでいる。でも、人はペットの犬が好きなだけで愛しているとは言えない。その犬が何を本当に望んでいるのか知らないし、犬を幸せにするには何が一番その犬に必要なのかも知らない。ただ自分が遊ぶペットとしてその犬が好きなだけだ。私は君たちに愛されていない、君たちは私をそのペットの犬と同じように好きになっているだけだ。と言われたんや。

ポニョ:それってショックやな。みんな急に黙りこくってシーンとしたやろな。でも神を好きになる事と愛することの違いって何やろか。

ヨシオ:人はババを愛していますと言うけれど、本当に愛していればババの教え通り生きなければいけない。それが神様を愛しているという意味なんや。

ポニョ:そういや以前記事にしたよな。息子が誕生日にお父さん愛しています。でもあなたの言うことには従いませんと言えば、お父さんはその息子を家から追い出すやろなって。

ヨシオ:それと一緒やな。ババは私の教えを愛しなさいと言われている。サイの学生はカレッジにいる間は寮生活でテレビも見ないけれど、夏休みになって実家に帰れば、一日中テレビの前に座って見たりボリウッドを見るために映画館に通い詰めの人もいる。ババのことを愛していると言っても、その教えを守って生きていかないとババの帰依者だと言えない。ババをペットの犬のように好きなだけなんや。

ポニョ:あんたの嫁さんみたいに、たった一つだけでも神の教えを守って生きて行けば、あんなにきれいな笑顔で人生を送れるんやな。ほんのたった一つの教えだけで。

ヨシオ:俺の娘がまだ高校生の頃、友達と昼休みに学校を抜け出して学校のすぐ横にある、俺が持っている空き家のベランダに座って、友達と数人とだべってたんや。それを見つけた近所の人が、悪ガキが学校を抜け出して空き家で悪さをしていると勘違いして、警察に連絡したんや。俺の嫁さんが警察まで娘を引き取りに行ったんやけど、その時に警察署の中でいつもニコニコしてしていたから、娘の友達や、警察官に不思議がられてたな。

ポニョ:誤解とはいえ、娘が警察に連行され引き取りに行く時は普通、神妙な顔をして行くけどな。

ヨシオ:娘の高校でその話が笑い話となって、たくさんの生徒が知るようになったんや。あんたのお母さんはとても良い人やなって。本当の事を言えば、もう嫁さんは神妙な顔や悲しい顔を出来ないんや。怒った顔も見たことはない。いつもニコニコしてるな。俺は、結婚する時に昔ゴネ娘できかん子やったのに、こんなに良い性格になったのはイエスさんのお陰やと思い、イエスに感謝して、クリスチャンではなかったけれど、その京都教会で式を挙げたんや。その時に教会に出入りされていた一人の牧師さんが偶然にも俺の高校の先生やったんや。俺は高校では悪ガキで有名やったから、その牧師さんは驚いていたな。今日は昔の話をしてしまったな。最初に嫁さんに会ったのが半世紀近く前になるな、いろいろあったけど長い付き合いや。ありがたいと思っているな。良い家庭を築けたし。五人も子供を産んでくれたしな。

ポニョ:でも戌年の女の人って、子供をポコポコ産むらしいで。

ヨシオ:犬の話が出たからって、子供がポコポコはないやろ。


蟻は砂と砂糖が混ざったものを見つけると、そこから砂糖だけ取り出し、砂は無視します。
他の人の良いところだけを見て、悪いところは気に留めないようにしなさい。
また、誰かがあなたを批判したり咎めたりするようなことがあるかもしれません。
けれども、あなたは平静さを保ち、そうした言葉を心の中に入れないようにしなさい。
締め出してしまいなさい。
それらは、砂粒にすぎないのです。SSSVol7

“愛の心を育みなさい。
だれをも嫌ってはなりません。
起こることはすべて自分のためだと信じなさい。
いついかなる困難や苦しみが降りかかってきたとしても、その原因は自分自身にあります。
他の人を敬いなさい。
その行為自体があなたを守ってくれるでしょう。
反対に、もしだれかを侮辱したなら、その行為自体があなたを罰するでしょう。
喜びも苦しみもあなた自身が作り出したものです。
あなたが積んだ徳や犯した罪は影のようにあなたについてきます。
現代人は他人に説教をしながら自分ではその教えを守ってはいません。
そのような教えにどんな価値があるというのでしょう?
そうしたものはすべて欺瞞にすぎません。
どんな教えを読もうとも、どんな教えを聞こうとも、それを実践しなければ、その教えが役に立つことは決してありません。
少なくとも、小さな形で人類同胞を助けなさい。
そうした行為そのものが皆さんを助けてくれるでしょう。
自分が遭遇する困難を他人のせいにしてはなりません。
決して人をののしってはなりません。
すべてを愛しなさい。
すべての人を兄弟姉妹として扱いなさい。
神が父であり人類は同胞であると感じる心を育てなさい。1/1/04”

僭越ですが法悦に浸り悦に入っています


ポニョ:野菜台の一部から水が溢れてるな。まだ上手く水が循環していないので、排水口の位置を下げたり、上げたりして調整せないかんぜよ。それに下から水が漏れているところもあるから、ライナーを修理せないかんので、最悪の場合、全部砂利を取らないといけなくなるかもしれんな。
ヨシオ:それは大仕事やな。ポニョはまだちょっと足止めやな。それより、さっき夕食後の散歩に出かけようとしたら昔良く来ていた、この辺のカンガルーのボスが挨拶に来てくれたんや。おお、君か。久しぶりやのお。元気にしておったかい?ちょっと年取ったな。飛び方に元気が無くなって来たな。でもまだたくさん筋肉が付いているな。なに、腹が減ってるんか。よっしゃ小麦でも食べるか?ちょっと古いけどな。待っとけよ。とか言って小麦をあげたら喜んで食べに来よったんや。

ポニョ:そのカンガルーは昨日も来てたで。めちゃ大きい奴やろ。おいらよりはるかに背が高かったぜよ。ニメートル近くあるんと違うか?近くに行っても逃げないし怖かったぜよ。

ヨシオ:そうか。昨日から来てたんか。それで二十分ほど散歩して帰って来たら、連れに自分の小麦を食べさせてたんや。自分は周りを見張ってたな。俺は、こいつはえらい奴やなと思ったな。自分も腹が減っているのにわざわざ連れを呼んで、連れに食べさせているんや。それで俺はもっと小麦を持って来てボス君にあげたんや。

ポニョ:それだけ自分を犠牲に出来るから、リーダーになれるんやろな。次の生は人間になるやろな。多分オリンピックの走り幅跳びで優勝すると思うで。

ヨシオ:そうやろな。でも両足で踏み切って飛ぶ癖が抜けへんから、失格になるやろな。

ポニョ:本当に優しい顔をしてるよな、カンガルーって。でも近くに来ても攻撃して来ないのか?昔、あんたとこの子供がいっぱいこの辺をウロウロしてたやろ。大丈夫やったんか。

ヨシオ:俺とこに来るカンガルーは大丈夫や。でも、時々人が蹴り殺された話を聞いたことがあるな。

ポニョ:カンガルーに飛び蹴りされるんか。そら強烈に痛いぜよ。

ヨシオ:嫌そうじゃなくて、カンガルーが近くに来てポニョの肩を両手で持つんや。そして両足を反動をつけて蹴って来るんや。お腹を蹴られて背中まで届くくらいきついねんで。まあ、オスの発情期のごろがやばいな。

ポニョ:そんなこんな聞いたら、今度から近くに来た時においら怖くて逃げてしまうやろな。

ヨシオ:大丈夫やって言うてんねん。ポニョが行って帰ってきたデンマークに住んでいた頃、家の近くにあったヌラキ半島に歩きに一人で出かけたんや。そこは道なんか無くて半島の先まで人身未踏の世界や。時々断崖絶壁からハングライダーが離陸しとるけどな。そして低い雑木林の中を砂にまみれて歩いていたら、突然今まで見たこともないような巨大な赤カンガルーが地響き立てて俺の前に立ち塞がったんや。俺の家の周りに居てるのはグレイカンガルーで大きくても二メートルを越えないけど、赤カンガルーはゆうに二メートルを越え筋肉ももっと付いていて体重も重いんや。俺はふざけてそいつに、俺はお前の敵ではないよ。仲間だよと言って両手を頭の横に持ってきてカンガルーの耳のように動かしながら、両足でピョンピョン飛び跳ねていたらそいつは変な生き物がいるなという感じでそこに釘付けになって俺のパフォーマンスを見ていたな。

ポニョ:そんな人身未踏な地にいてるカンガルーは普段、人を見たことはないので近くに来たら、それがピョンピョン飛び跳ねているのを見てなんじゃこの生き物は、と不思議に思って見ていたんやろな。

ヨシオ:その点、ここに居てる奴は、俺があいつらがお母さんのお腹の袋に居てる時から知っている奴ばかりで、いつも家のベランダとかまで来て餌をねだりに来る奴やから人を襲ったりしないよ。新しい子供が生まれたら、見せに来てくれたり、新しい連れを紹介してくれるんや。家族の一員みたいなもんや。それにこの世に起こる全てのことは、その人の反響、反作用、反映やからその中に神の愛を見て、愛で持って接すれば愛で返して来るんや。

“人々は自分の幸せや悲しみは神のせいだと思っています。
けれども神は幸せも悲しみも与えません。
どちらも神のせいではありません。
そうとは思えないとしたらそれはあなたの妄想です。
もし今日あなたが誰かをぶてば、あなたは後で、その人か、あるいは別の人にぶたれるでしょう。もしあなたが、今誰かを傷つけたなら、あなたも同じように傷つけられるでしょう。
つまり、人は誰もが自分の行為の報いを受けることになっているのです。
あなたが体験することはすべて、あなたがしたことの反作用、反映、反響以外の何ものでもありません。
神はそれに何の関係もありません。
あなたがすることはすべてあなたに返ってきます。
ですから善を見て、善を為し、善を味わいなさい。
神は何もあなたに与えませんし、何もあなたから受け取りません。
神は何にもどんな時にも干渉しません。
あなたの悪い行いが、あなたの難儀の原因です。
この真理を理解すること無く、人は自分の受難について神を責めます。
あなたの損失と獲得、幸せと悲しみ、生と死を神のせいだと考えるのは大間違いです。
神は永遠の照覧者です。
何についても神を責めてはいけません。
あなたの望みが叶うのも、叶わないのも、あなた自身に責任があるのです。
人は皆、自分が体験することはすべて、自分に責任があると考えなければなりません。30/1/10”

ポニョ:ふーん。そんなもんか。

ヨシオ:昔インドでそういう話を聞きそれを試した男がいたんや。その男は王様の一行が象に乗って通りを行進されている前をに飛び込んで、象が自分を踏み殺すかどうか試すことにしたんや。それで象の中の神様に今から行きますよ。と言って身体を投げ出すと、象は歩くのをやめて、鼻でその人を掴んで道の脇に置き、何事も無かった様にまた行進を始めたんや。

ポニョ:命知らずの間抜け野郎やな。多分不幸な結婚をして、家に帰ったら嫁はんにいつもグイグイやられているんやろ。

ヨシオ:なんやねん、そのグイグイって。

ポニョ:でもあんたみたいに、こんな野生動物と一緒に生活出来るってええよな。日本では田舎に行けばクマとかいるけど、襲われるしな。都会の野生動物って言ってもカラスやスズメぐらいやろ。放射能の影響でツバメが少なくなってるし。

ヨシオ:このように野生動物と信頼関係を打ち立てようと思ったら、定期的にエサをあげたり、いつも話しかけてあげたりしなければいけないな。霊性修行と一緒や。ババは、神は発電所で人がそこからパワーを取ろうと思ったら、送電線を自分のところまで引かないといけない。そして、その送電線を引くのには、送電線鉄塔が決まった間隔で立てないといけない。それがサーダナ霊性修行やと言われたな。

ポニョ:定期的にサーダナをするんダナ。それって簡単なようで難しいよな。突然仕事が入ったり、冠婚葬祭で忙しくなったりして予定が狂ってしまう。

ヨシオ:ババは霊性修行を動物に例えたら三匹の生き物に例えられる。と言っておられる。最初の生き物は鷲や。鷲は空からすごく速いスピードで舞い降りて来て、獲物を狙って掴むやろ。それでその獲物がダメージを受ける。それと一緒で早く結果を望むために、急いで熱心に色んな霊性修行をやり出す人がいるやろ。霊性修行っていくら急いでやっても効果は上がらへんのや。二番目はお猿や。この瞑想の仕方をやったかなと思ったら、しばらくするとやれハタヨガやとか超越瞑想やとか言って色々違うやり方をする。また、信仰する神の名前を変えたり、違うグルに乗り換えたり色々忙しい人がいるやろ。

ポニョ:まるでおいらの事を言われているようやな。おいらはお猿さんタイプの霊性修行をしてるんやな。モンキーマインドスタイル霊性修行か。名前の響きは悪くないな。

ヨシオ:モンキーマインドも酷くなると、猿が酒を飲んで酔っ払ってしまったモンキーマインド。そして、その酔っ払った猿がサソリに刺されたモンキーマインドという様に、人によっては手が付けれないほどひどいモンキーマインドがあるって、ババが言ってられたな。

ポニョ:俺はオクラの好きなモンキーマインドやな。略してオクモンや。

ヨシオ:なんやねんそれは。そして三番目の生き物は蟻や。蟻は少しずつコツコツと毎日働くやろ。それに砂の中に砂糖を混ぜて入れても、砂糖だけを選んで取って行くやろ。そのような霊性修行が一番効果があるんや。

ポニョ:そうか。おいらもオクモンを卒業して蟻さん霊性修行をせなあかんぜよ。

ヨシオ:また、帰依にも二種類あって、生き物で例えると猫さん式帰依と猿さん式帰依や。

ポニョ:犬と猿って仲が悪い人たちの例えやけど、猫と猿って聞いた事が無いぜよ。

ヨシオ:猫って子猫を口にくわえて運ぶやろ。鋭い歯が有っても優しく口に子猫をくわえて子猫を傷付けないように運ぶやろ。子猫は全てを親猫に委ねているから、何も心配せずに親猫の口からぶら下がっているだけで、自分は安全なところに運ばれているって知っているんや。ところが猿の子は親猿が木の枝から枝へ飛び移る時に振り落とされないように、お母さんのお腹を逆さま向きになって、必死にしがみ付いているやろ。猫式帰依は、バクティ ヨガで、猿式帰依はニャーナ ヨガを表しているんや。

ポニョ:バクティ ヨガってラーマクリシュナさんたちがやっていたよな。神さんに全てを委ねて、神さんをお母さんのように慕って愛するんや。ニャーナ ヨガは英知のヨガと言われていて、自分は誰か、とことん問い詰めて行くんやったかな。

ヨシオ:ババはバクティ ヨガを勧めておられるな。その一つがナーマスマラナと言って神の名前を切れ目なく唱えるんやけど、これがこのカリユガの世では一番効果がある霊性修行やと言っておられるな。ポニョはやったことがあるやろ。

“ナーマスマラナはカリユガにおいて人が解脱に達するのを助けるために規定された最高の方法です。10/9SS”

ポニョ:うん。でも途中で飽きてくるな。機械的に唱えていてもだんだん退屈になってくるし、眠たくなるし。

ヨシオ:一度前にも言ったけど、クリシュナダスさんの歌を聞きながら、一緒に神の名前を唱えてみ、一日中唱えられるで。周りの事を気にせんと一度でええから大きな声で一緒に歌ってみ。俺は一人で働いている時ばかりやろ。だからいつもポケットにipodを入れてクリシュナダスさんの曲を、リピートにして一日中同じ曲を聞いているんや。そして大きな声で一緒に歌うんや。すると突然心の底から、大きなすごい溶岩の塊のようなものが湧き上がって来て、火山が噴火するように、ドカーンと体中から出てくる時があるんや。そんな時でも口は一緒に歌っているんやけど、声が震えて音は外れるし、涙で顔はぐちゃぐちゃになるし、とてもハッピーな気分になるんや。なんて言ったら良いか分からないけど、法悦の気分ってこの事かなって思ったな。もう、神さん以外の事は何も考えたくなくなるし、興味も無くなってしまうんや。俺の日常生活で一番大切な時間や。神様に感謝したくなるよな。だってこんな簡単な修行で神の至福を体験出来るんやから。神様に生かせてもらってありがたいって心から思うな。そんな時…。

“あらゆる方角へ彷徨うとする心をナーマスマラナ(と瞑想)によって集中させるならば、虫眼鏡で太陽光線を一点に集中させると炎となって燃え上がるように、知性と心の波が集中し、歓喜を照らす神聖光線として現れます。集中すれば、どんな困難なこともやってのけられるのです。人には、無限の力が備わっているのです。"DVJp6”

“恩寵への近道はありません。ナーマスマラナは安全な道です。もっと近道があるという人のことを信じてはいけません。彼らは、プラナヤーマ(呼吸法)や、ハタヨガ、の事を紹介するかもしれませんが注意しなさい。それらは危険をはらんでいます。それらに耳を貸したり、ヨーガの本を読んで実践したりしてはなりません。私はそういう本を読んで実践した結果、精神病や精神錯乱に陥った多くのケースを知っています。SSSVol2c34”

“ナマスマラナの火は心の中の不純物を燃やし尽くし最後には心を純粋なものにする。これが心の秘密です。P, 298 ANDI”

“サイの名前を唱え続けている人は、生きながらの解脱者です。
なぜなら、サイを常に憶念することによりエゴが小さくなって行き、永遠且つ、不変のアートマ真我への悟りがもたされるからです。
サイの御名は帰依者とサイを繋ぐ絆です。
その名前によって、帰依者はサイと向かい合い、自分が実はサイと一つであったという英知を得ることが出来るのです。29/3/81”

俺が、いつも聞いているクリシュナダスさんの曲です。

<a href="https://m.youtube.com/watch?v=rqk_blhpHRI">https://m.youtube.com/watch?v=rqk_blhpHRI</a>

プリーズ スワミとプリーズ スワミ

ポニョ:今日はちょっとやばかったな。もう少しで鯉のタンクの水が無くなってしまうところやったぜよ。

ヨシオ:そうやったな。早朝、ガネーシャの像の前でルッドラムを唱え終わり、朝日を拝みながらガヤトリマントラも唱え、部屋に戻ろうとしたら、あかんそっちじゃない。鯉を見に行けという囁きが聞こえたんや。俺はそんな早朝に鯉なんかに餌もやったことがないし、見に行ったことはないけど、心から聞こえる囁きは大切にしてるから慌てて見に行ったら、タンクの水が二十トンほど無くなっていた。よく見ると昨日、新しいポンプの試運転をしていて、上手くポンプが動いたからスイッチをオフにしてそのまま家に戻ったんや。

一日二回ガヤトリを唱えるならば、その日のうちに無意識に犯した罪や、払い終えてないカルマを燃やし尽くすことが出来る。
~毎日これを行えば、他のどんなマントラを唱える必要もない。
あなたは自分の人生を神聖化することができる。
ガヤトリは万能で、あなたを災害から守るだけではなく、あなたを賢くし、学ばせ、成功に導くのだ。P,177 ANDI

ポニョ:でも、ポンプの排水パイプが鯉タンクの中に入れたままやったから、サイフォンの作用でタンクの水が逆流して一晩中タンクの水が吸い出されていたんやったな。これは素人がよくやるミステイクなんや。でも、おいらが驚いたことは鯉タンクの水が多すぎて減らそうと思っていたところやったので、ちょうどおいらが適当やなと思ったところまで水位が下がっていた事なんぜよ。というのも、おいらがデザインしたアクアポニックスのシステムは、前にも言ったけどCHOPシステムといってシステムの一番低い所から、ポンプで鯉タンクへ水を吸い上げ、システムの一番高いところにタンクから溢れ出た水が自動的に流れ込むんや。だから、タンクの水の表面が野菜栽培台の少し上に設定しないといけないんや。でもあんたのタンクの水は多過ぎて、野菜台に水が流れ込み過ぎていたので水を減らそうとしていたとこなんや。今回の件も見ても、ババがおいら達と一緒に働いておられるって思ったぜよ。

ヨシオ:ババは全てにおいて関与されるんや。あんたはいっちょ神や、って俺はババにふざけて言うんやけど、ババはそれがどうしてダメなんや。私はこの世で起こる全ての物事に興味があるんや。と言われたんや。

ポニョ:ババさんはいっちょ神か。面白いな、おいらも今度そんな風にババのことを呼んでみようかな。

ヨシオ:さっきのシステムの話やけど、つまり、ポンプが汲み上げた水の量だけが野菜栽培台に自動的に流れ込むんやな。それって上手く考えてあるよな。

ポニョ:でも、今ではもっと改良されているシステムも考案されているんや。でも、おいらはシンプルなのが好きやから、これがあんたに合っていると思うぜよ。

ヨシオ:俺たちはこの身体をまとっているので、この身体を自分やと思い込んでいる。それがエゴと呼ばれているんやけど、何事をやってもこの体がやっているように錯覚してるけど、本当はその中におられる神が、全ての行為の元なんや。それにいろいろ失敗したり、困難な事にぶち当たったりするけど、それら全ての事は、その人が頭を打って賢くなればいいなと思って与えてくださっている神様からの贈り物なんや。

ポニョ:そういう風に人生で降りかかる苦しみや、不幸な事を受け入れることが出来れば、いつも何があっても落ち込んだり、怒ったり、悲しんだりしなくてもええもんな。

ヨシオ:いつもニコニコ人生を歩むことが出来るんや。ポニョやうちの嫁さんのように。

ポニョ:おいらは元々こんな顔なんや。でもムカって来ることが何度もあるで。腹立ったりすることが多過ぎるなこの世の中。

ヨシオ:そういうものを見ない方がええでポニョは、まだニュースなんか見てる興奮してるんやろ。
ポニョ:犬HKは大衆洗脳ニュースを流すから、見ないようにしてるけどな、でもちょっと見ると腹立つな。例えば最近消費税のニュースをやっていたけど、分かれ道の絵があって一つは上げる、一つは延期するやて。馬鹿にしてるよな。廃止するという道が無いやんか。原発の時もそうやったし、放射性廃棄物の処分場の報道の時もそうやった。二者択一しか無いように人々を洗脳しよるんや。めちゃズルかしいやっちゃ。ひどいニュース番組やでほんまに。精神衛生上良くないなああいう番組は。ムカつくぜよ。

ヨシオ:そういうのって良くないな。もう見なければいいんやんか。ババは人は色んな霊性修行をするけれど心を浄化させないと意味がないと言っておられる、すぐに怒ったり悲しんだり、喜んだり嘆いたり、嫉妬心が出て来たりするのは、まだまだ修行が出来てないんや。

ポニョ:でも自分の霊性修行が効果を上げているかどうかは、どうやって分かるんやろな。

ヨシオ:ババは、皆さんは飛行機に乗っているのだと想像して下さい。と言っておられる。飛行機に一旦乗ってしまえば自分が今どこを飛んでいるのかを窓の外から地上の景色を見て、ああ今ちょうどポニョの家の上や。オクラの天ぷらの匂いがして来た。とか、ああ今、天神橋筋商店街の上空か、菊水のお好み焼き屋がなくなって寂しいな。とか言っていちいち自分の飛んでいるところをチェックしないやろ。それと一緒で、どれくらい自分の霊性修行が進んでいるかは、神様にお預けして自分は今自分がやっている修行を続けて行けばええんや。逆に、もし自分の霊的進歩が分かれば、ガヤトリを唱えていたら突然、霊的光線が目から出てきて暗闇でも見えるようになった。君はまだ暗闇で何も見えないの。もうちょっと心を込めてガヤトリを唱えないと僕のレベルまで達するのは難しいかもね。とか言ってエゴが膨らむだけやろ。

決してガーヤトリー マントラをやめてはなりません。
他のマントラは、やめても、無視してもかまいませんが、ガーヤトリー マントラは少なくとも一日数回唱えるべきです。
ガーヤトリー マントラは、あなたがどこにいても、旅行しているときも、家で働いているときも、あなたを危害から守ってくれます。
西洋人はガーヤトリー マントラによって生み出されるバイブレーションを調査して、ガーヤトリー マントラがヴェーダで規定されている通りの正しいアクセントで唱えられると周囲が目に見えて光に満ちあふれてくることを発見しました。
つまり、ガーヤトリー マントラを唱えるとき、ブラフマプラカーシャ、すなわち神の光輝が、あなたに降り注ぎ、あなたの理知を照らし、あなたの道を明るくしてくれるのです。20/6/1977

ポニョ:でも、瞑想をしていたら、どれくらい集中出来たか自分で分かるで。

ヨシオ:集中は普段の生活の中で誰でもやっていることなんや。ラッシュアワーの電車の中で自分が今興味がある記事が載っている吊り広告を見つけると、周りにたくさん人がいて、騒音がすごくて、次の駅のアナウンスがあってもその吊り広告を必死に読むやろ。

ポニョ:そういやそうやな。瞑想に至るには、まず集中、黙想、そして瞑想と三つの段階を通るってババは言っておられたもんな。

ヨシオ:それに、自分がどれくらい怒りをコントロール出来るようになったか、そのレベルを知ることなんて難しいやろ。他の人に最近無口になりましたね。おどやかな表情になりましたね。とか言われてああそうかな。とか思うぐらいで、霊的進歩のレベルを分かる方法を知りたいなんて神様が時々くれるテストの採点方法を教えてほしいと願っていることと同じなんや。

ポニョ:神様はその人のレベルに合ったテストを課されるから、それに合格するように頑張るだけでええんやな。結果とかテストの傾向とか対策は考えなくてもええって事や。

ヨシオ:俺たちは、朝起きてから寝るまで、何をやるにしても、誰と会うにしても全て自分の意思でやってると思っているやろ。でも、実は毎日の生活の一分一秒は神がコントロールされているんや。だから、全てをお任せして、自分がやらなければならない義務をしっかりしてれば、あとは飛行機に乗って旅をしているように、どこを飛んでいるのか気にしなくてもええんや。だって、その飛行機のパイロットは俺たちの事を、母親の千倍の愛情でもって愛してくれている神さんなんやから。安心して毎日をハッピーに過ごして行けばええんや。

ポニョ:そういう自分の霊的進歩を知りたいって思う心は鈍性の心から来てるもんな。

ヨシオ:神が持っておられる資産に、誰がアプローチ出来るかそれは神さんが決めることなんや。俺たちにはその資格はないし、その基準を知る権利もない。まだ、霊性修行も出来ていない人は子供と同じやから、親は子供に自分の金庫番なんてさせないやろ。もっと大きくなって世間的な常識も分かり、しっかりしてからでないと親は自分の財産を子供達に任せて管理させないやんか。それと一緒や。

ポニョ:だから、子供としては自分が学校や社会でしっかり学び、世間的に一人前やと認められるように努力さえしていれば、やがて親は子供を呼んで、もうお前に私たちの財産管理を任しますと言ってもらえる日がやって来るんやな。

ヨシオ:そういうことやな。俺たちはまだ子供やから、しっかり努力してたら結果は自ずからついて来る。親である神さんに一人前やって認められるようにお互い頑張ろうぜ。

ポニョ:そうやな。親孝行せなあかんもんな。世話にばっかりなっているもんな。

ヨシオ:ババは信者たちがたくさん来るけど、ほとんどの信者はお願い事をしてくる。プリーズ、スワミ、インタビューをお願いします。プリーズ スワミ手紙を取って下さい。プリーズ スワミ病気を癒して下さいのように。誰も、神さんをハッピーにさすために来る人はいないと言っておられる。

ポニョ:Pleaseスワミと頼んでばかりしないで、Pleaseスワミ、つまりババを喜ばす事をせなあかんってことやな。

ヨシオ:やった!今日のオチはこれで決まりやな。さすがポニョや。今のは良かった。

ポニョ:あの〜。実はスワミが言われたことを言っただけなんやけど…。

神は決して、誰にも、何も求めません。
けれども人々が神に誠意を持って捧げ物をするならば、神はそれを千倍にして返します。
もし神から何かを得たいのであれば、まず何かを捧げなければなりません。
これは神の法です。
たとえ、それが小さな取るに足りないようなものであっても良いのです。28/5/95
心はいつも神を思うようにしましょう。
強い集中力を常に持っているべきです。
でも、なぜあなたはこのような努力を神を得るためにしなければならないのでしょう。
それはあなたに神を求める心も無く、神への執着心も無く、神への愛も無いからです。
しかし、努力を続ければそれらを手に入れることができるでしょう。3-52 SIP
神はあらゆる愛の源です。神を愛しなさい。
世界を神の衣以外の何ものでもないものとして愛しなさい。
愛により、あなたは愛の大海へと融合することができます。
愛は、狭い心、憎しみ、貪欲を癒します。愛は束縛を解き放ち、生と死の苦しみから人間を救います。
愛はやさしく穏やかに調和を奏でながら、あらゆる心を結びつけます。
愛の目から見れば、すべての生あるものは美しく、すべての行いは献身的で、すべての考えは純粋です。
世界は一つの大きな家族なのです。1008の宝石 P.40

ハイジャッカーに愛を捧げましょう


ポニョ:昨日は久々においらのオチで終わったな。英語でプリーズって言うと二つの意味があるもんな。頼む時と喜ばすという意味と。俺のオチはラジオサイでババがこんな事を言っていたという事を聞いたのをコピーしたでけやけど、ババはいつも言葉遊びをされるよな。

ヨシオ:ダイヤモンド、ダイ ア マインドつまり心を無くせという意味なんや、また、ディヴァイン神聖さという意味なんやけど、それを味わえたかったら神のディープ ワインを飲めとかおっしゃっている。プリーズ スワミ、神を喜ばす事やけど、俺が90年代に家族全員を連れてアシュラムに長期滞在していた頃、波動研究会という名前のグループが大型バスでやって来たことがある。俺は日本人がこんなにたくさん一度にやって来たのを初めて見たし、皆さんインドの旅は慣れていないようだったので、少しでも力になろうといろいろお世話させてもらっていたんや。すると、毎日ババの話を聞かせて欲しいと言って俺の部屋に何人か訪れるようになって来て、毎日その数がどんどん増えて来てしかも一時間ぐらいやったのに三四時間も毎日、ババの話をするようになって、しまいには廊下にまで人が溢れて来たんや。

ポニョ:まるで語り部さんやな。

ヨシオ:そう。そんな感じやった。毎日長い間話続けていたので喉はかれるは、頭はボーッとして来るは、いつも部屋には人がたくさんいるはで家族も大変やったと思うな、今から考えると。一部屋に家族八人全員を押し込んで住んでいたからな。下のチビもまだ一歳になってなかったしな。

ポニョ:そら大変やな。

ヨシオ:そしてある日、ダルシャンに行こうとしていたら、ある婦人が俺にちょっとダルシャンの後で息子に話を聞かせてあげて欲しいから、少し時間を取って下さい。息子はバイクの事故で半身不随になってあなたの部屋まで車椅子で行くことは出来ないのです。ババ様の話を聞きたいのですが、行けないのです。とお願いされたんで、ダルシャンの後その息子さんと会って話をしてたんや。まだ若いハンサムな息子さんやったな。お母さんの気苦労を思うと苦しくなった。お母さんは、ここにこの子を連れて来たのは、もう日本では下半身不随で一生車椅子で過ごさなければならない、と言われたのでワラにもすがる思いで、ババ様やったら歩ける様にさせて頂けるんではないかと思ってやって来たと言っておられたんや。でも、一週間近くなるのに、まだ何もしてくれないんです。と言って泣いておられたな。

ポニョ:人生相談もやってたんか。どうするんや、何か言えることは有ったんか?

ヨシオ:お母さんの苦しげな表情を見てたら何か慰める言葉をかけようという気になったけど、言葉を十分選んで答えないと返って傷つけてしまうしな。困ったな。

決して人を傷つけるようなきつい言葉を使ってはなりません。
決して嘘をついてはなりません。
ときには、真実を語ることが危険につながる場合があります。
そのような状況では、真実も嘘も語らずに、沈黙していなさい。
皆さんは真実と非真実という二元性を超越しなければなりません。23/11/02

ポニョ:でも、はっきりと言えばええやんか。おいらやったら、あのねお母さん。息子さんにバイクを買われたのは誰ですか?あなたが買われなかったとしても、こんな若い息子さんにバイクを乗ることを許し、自由放題させていたんでしょう。今頃こんなふうに下半身不随になって車椅子生活を送らないかんようになったのは、自業自得ですよ。この子のカルマやね。困った時の神頼みやて。ちょっと調子が良過ぎるやおまへんか?残念やけど、旅費はドブに捨てたと思わな仕方ないやろね。ババは多分こんなバイク息子の足を癒さないと思うで。と言うやろな。

ヨシオ:あのね。そんな事を言ったら回復出来ないほど落ち込まれるやんか。だから俺は、息子さんの事故のおかげで、こうして神の化身であるババに直接お会い出来るようになったやないですか。事故が無かったら今まで通り、神さんの事なんてほんの少しも思わないような生活をされていたんでしょう。だから、神さんへ向かう心が出来たという意味で、バイクの事故は良かったんですよ。一生健常人として神さんの事を忘れて生活するよりも、車椅子生活でも神さんの事を思って生活する方が神さんは喜ばれるんですよ。だから、今回の件もババさんからの贈り物やと思って受け入れられたら良いですよ。と言ったんや。

ポニョ:そんな事を言っても普通の人は簡単に受け入れられへんぜよ。自業自得やの一言で済むやんか。

ヨシオ:あのな、もうちょっとお母さんの気持ちを察してあげろよ。ポニョは頭の回路がシンプル過ぎるんや。お母さんは大切なお金を旅費につぎ込んでやって来たけど、もしこのまま帰ったら、無駄になるとか言われたんで、俺は決してそんな事はない。ババが息子さんの目の前を歩かれた。息子さんの目を見られた。というだけで十分過ぎるほど、ここに来られた価値はありますよ。日本に戻られても、ダルシャンでのババのヴィジョンを忘れずにして下さいね。それと、今回ここに来られてババに歩けるようにして下さい。とか言ってお願いばかりされていますけど、逆にあなたの為に車椅子の私でも何かできるお仕事をお与えください、とお願いする方が大切なんですよ。そのようにお願いしたら、ババがきっと息子さんに、車椅子生活で返って良かったな。素晴らしい出会いがいっぱいあったし、今まで車椅子の人の苦しみなんて毎日の生活で一瞬たりとも考えたことは無かったけれど、今は自分がそうなって、車椅子の人の気持ちが良く分かり、仲間もたくさん出来た。心から話せる友達もたくさんいる。と、人生の終わりに自分の人生を振り返った時に、良い人生やったって思うことが出来るでしょうね。だから、神様にお願いばかりするんではなく、何かあなたの為にできる仕事をさせて下さいと神様を喜ばすことを考えてご覧と言ったんや。

ポニョ:つまり、プリーズ スワミじゃなくして、神を喜ばす方のプリーズ スワミやな。

ヨシオ:幸せも苦痛もその人への神様からの贈り物やから、ありがたく受け入れることなんや。自分の都合で、これは受け入れるけど、これはダメやとか言う権利は人には無いんや。全てを受け入れたらええねん。

ポニョ:それで幸せな人生を歩めるんやったらええやんな。

ヨシオ:ババは人生の幸せの秘密は外の世界に幸せの鳥を探しに行った、チルチルミチルではなく、自分の中を探しなさいと言っておられる。英語で言えばSAIつまり、See Always Insideや。

ポニョ:これも、ババが得意な言葉遊びやな。JOYが欲しかったらJeosus 神を最初に持って来て、Others他の人のためを次に、そしてyourself自分自身を最後にする。そうすれば幸せな人生を歩めると言われたな。つまり自己中ではダメや。と言うことやぜよ。今の世の中自己中人間だらけやもんな。社会が廃れてきたぜよ。

ヨシオ:自己中は犬も食わんて言うからな。そういう人間が大手を振って 歩き、出世し他の人の上に立ち。社会や政治、経済の権力を握り好き放題、地球の生き物を殺したり傷つけて、資源を収奪してる。

ポニョ:おいらはあんたと違って、いろんなブログを読んだりコメントを見たりするけど、特に若い人はもう希望を持っていないな。だんだん生きる気力も無くしてきている。大きなものに押し潰されているんぜよ。特に、日本では裏社会に操られた官僚が好き放題やってるやろ。

ヨシオ:ようこそ日本へ。裏社会が操っている裏しかない国です。お-も-て-な-し、表無しの国にようこそ。

ポニョ:表無しの国か。ピッタリやぜよ。アラシがバーコードで裏で操作している選挙をしても何も変わらないし、偉そうなことを言っていても一旦政治家になれば、大きな力に巻き込まれるし、一部の太郎のような議員だけが頑張ってる。やっぱり、大きく根底からひっくり返さないとこの世はダメやと思うぜよ。

ヨシオ:ババが描かれたこの世界は全て幻や。前にも言ったけど、その幻に惑わされることなく神さんの方だけを見て毎日の生活をして行けばええんや。自分には有り余るほどの大きな問題やトラブルが降りかかってきたら、それを神様に捧げたらええんや。絶対自分で問題を背追い込まない事や。特に日本人は実直で生真面目な人が多いから、全ての問題を抱え込んで、ニッチもサッチも行かずに袋小路に追い込まれてしまう人が多い。そういう時には自分は二次元のような神様が描かれた絵の世界に住んでいて、その中でトラブルに巻き込まれたと思えばええんや。そしてそれを乗り越えるには、その二次元の絵から飛び出して、三次元の世界から自分の描いた絵を見て喜んでいる神さんの手の中に飛び込んで行くんや。そうすればこの世の全てのトラブルから自由になれるんや。神さんは愛そのものやから、全てのトラブルを受け入れて下さるんや。そしてそのトラブルを神様に捧げたら、それを取り除いてくれるんや。そういうパワーを持っておられるんや。だから愛の力がこの世で一番強いんや。

私たちは神の恩寵を獲得するために努力すべきであり、困難と損失によって妨げられてはなりません。
神を味方に付けたとき、成し遂げられないものはありません。
あらゆる困難と苦しみはたちまちの内に消え去ります。
そのような全能の神が私たちに内在するというのに、なぜ私たちはとるに足らない事を心配する必要があるのでしょう?
愛は困難を克服するための勇気を私たちに与える神の力です。
愛の力で何ごとも成し遂げることができます。
私たちは罪を恐れるべきであって、困難を恐れるべきではありません。28/8/04

ポニョ:そうか。どんな大きな問題でも、困難な目に遭っても、自分の力でどうしようもないなと思えば、それらをババに捧げるようにすればええんか。そうすればババが解決してくれる。それってなんか肩の荷が降りたような気になるな。

ヨシオ:1974年というから今からちょうど40年前の話やけど、フィリス クリスタルさんという帰依者がこんな事を言ってられた。

ポニョ:知ってるぜよ。会ったことがるぜよ。日本のセンターが招待したんや。なんでもイメージやシンボルを使って人の隠された抑圧されたものを見つけ出して、それを解決されるんやろ。日本語の本も二冊出てるぜよ。

ヨシオ:その中にこんな話がある。彼女がアシュラムからオランダ経由でアメリカに帰る途中、飛行機がハイジャックされて彼女が座っている横の通路でハイジャッカーがガンを片手に、アルコールを撒き、タバコに火をつけて人々を脅していたんや。彼女はとても恐ろしくなってババァババァババァと叫んでいたんや。するとババの声がして、そのハイジャッカーを愛で包んであげなさいと言われたんや。彼女はそんなことをしても何の解決にもなりませんよとか文句を言ってたんやけど、結局ババのいう通りそのハイジャッカーをババの愛で包み、愛するイメージを抱いたんや。すると不思議なことに、そのハイジャッカーは体が小刻みに震えて来て、自信を喪失しボーッとなってガンを手放して床に落とし、飛行機は無事オランダのアムステルダム空港に着陸したんや。

ポニョ:へえ〜、面白いな。そんな事があったんや。でも何でオランダのアムステルダム空港に着くとガンを手放してアホみたいにボーッとなったかおいらは知ってるぜよ。

ヨシオ:なんでやねん。俺より先にオチを言うなよ。

ポニョ:Armアームって武器のことやろ。だからその空港に着く前に捨てないといけないんやんか。それに、dumbダムってアホなことやろ、だから、アーム捨てるダム空港って言うんやぜよ。

ヨシオ:ギャハ〜。ポニョの久々のエンタイトルツーベースヒットが出たな。面白い、その英語と日本語の混じったシャレは。冴えてるな。どうしたんや今日は。

ポニョ:さっきからババの言葉遊びの話を聞いてたから、影響を受けたんぜよ。

ヨシオ:ああ面白かった。のちにババは、フィルスさんが飛行機の中で叫んだババァババァババァという叫び方を真似して、フィリスさんをからかわれたんや。そして、あの時、お前が愛でハイジャッカーを包んだので飛行機の中の波動が一変して、キャビンが全て愛で満たされたんだよ。だからあのハイジャッカーは何も出来なくなったんだ。と言われたんや。

ポニョ:へ〜凄いぜよ。愛の力ってそれ程威力があるとは知らなんだぜよ。驚いた。今度から何か自分の手に余る問題が起こればババの名を呼んで、ババに捧げれば全てを解決してくれるんやな。ええ事を聞いたぜよ。人生が楽しくなって来たぜよ。早く立ち直れないぐらいの問題がおいらにも降りかからないかなぁ。楽しみ楽しみ。

ヨシオ:ポニョに降りかかっても、ポニョはそれを問題と気付かんやろな。能天気やからなポニョは。でもアーム捨てるダムは最高やった。今度そのシャレ使わせてもらうで。

誰をも憎んではなりません。
憎しみはあなたの最悪の敵です。
いったんあなたの中に愛を育めば、憎しみは自然に消え失せます。
敵対しているライバルに出会ったら、愛をもって彼に挨拶をしなさい。
彼もまた、同じ感情を返してくることでしょう。
あなたが他者をまったく愛することなしに、どうして他者からの愛を期待できるでしょうか? 
私が実践しているのも、伝えていることも、愛であり愛のみなのです。
愛の力を理解するよう努めなさい。
愛はあなたの最も偉大な富です。
誰もその価値を見積もることができません。
神はあなたから何を期待しているのでしょうか? 
あなたの愛のみです。
愛は、神があなたに与えたすべてのものに対して、あなたが神に支払わなければならない税金なのです。5/10/03
困難に直面しても悲しまないように。あなたはその時、神を体験しているのです。SS5/95p124

お袋へ捧げるチンコンカン

ポニョ:早いもんで、今日は、もうあんたのお袋さんの一周忌やぜよ。

ヨシオ:ババの降誕祭の一日前やもんな。その日、ババがお袋になって目の前に現れた時は驚いたな。いつも言っているけど人って何も言葉を話さなくても、愛で持って見つめるだけであんなに凄いパワーを他の人に伝えることができるんや。俺は座っていたベンチから落ちそうになった。
ポニョ:愛のパワーは世界で一番強いぜよ。

“この世には、愛以上に素晴らしい美徳は存在しません。
愛は真理であり、愛は正義であり、愛は富であります。
この世は愛から生まれ、愛によって維持され、最後には愛に融合します。
すべての原子が愛から生まれました。
この世には、原子力、磁力等々、無数の力が存在していますが、愛の力はすべての力に勝っています。
信仰と愛のない人生は無意味であり、無益です。
この世に生きる人間にとって、愛こそが人生であり、愛がすべてです。
五元素は愛から生まれました。
すべての人の中にまぶしく輝いているものは、愛に他なりません。
しかし人間は、愛の意義を理解できずに、愛が肉体的関係によって生じるものと考えています。”

ヨシオ:その俺を見つめていた目を見ることは難しかったな。口で上手く言えないけれど、何て言うかマーヤーのベイルの向こうにある真理の強烈な光が、その目から直接差していて燃えそうやった。ちょっとの間やったら見てれるけど、長い時間見続けると体が燃え尽きてしまう、マーヤーで出来ている自分の身体が消え失せてしまうそんな感じやったや。

ポニョ:人間て神さんがキャンパスに描かれた絵と一緒やって話してたもんな。それが絵かきである神さんによって消されてしまうんやろな。

ヨシオ:ポニョはダルシャンでババに見つめられたことがあるやろ。どんな感じやった?

ポニョ:そうやな。ババに直接見つめられると、自分の肉体の覆いを通り越して、ババの中の本当の自分と、自分の中の本当の自分が見つめ合っているって感覚になったぜよ。自分を肉体と思っている自分が消えてなくなる様な感じかな?

ヨシオ:凄いことを突然言うな。ポニョは。でも、そんな時の感覚って口に出して言えないよな。俺も、ババにチラッではなくじっくりと見られた事があって、その時涙がほとばしって出て来て、すぐに周りが涙で何も見えなくなったな。愛のパワーってこんなに凄いんやって心底思ったな。愛、愛、愛の世界や。強烈な愛だけの世界ってすごいパワーやって感じたな。それと、同じパワーをババがお袋を通じて俺にくれたんや。その目はじっと長い間、俺を慈愛の眼差しで見つめ続けていたんや。その後、私は良いお母さんやったか?と聞いたんで、俺は、もちろんや。素晴らしいお母さんや。と言うと、お袋は突然ババのように、このような母は世界中どこを探しても見つからない。世界一の母や。と言ったんで驚いて顔を見ると、また一言こう言ったんや。もうすぐしたらサイババさんが帰って来はるな、って。そしてそれがお袋のこの世での最後の言葉やった。その言葉を聞いて俺はとても驚いたな。何度もお袋の顔を見返したんや。

ポニョ:そら驚いたやろ。確かその後、お風呂に入られたんやったな。

ヨシオ:家にゆっくりと歩いて帰り、そのままお風呂場に連れて行ったんや。俺は知っていたんや。もうお袋はそろそろ逝くって。だってそんなに急にババになったり、以前のお袋みたいに頭が正気に戻ったり、余計な事を何も話さず聖者のように、言葉を選んでゆっくりと霊的な事を話し、いつも穏やかな表情をして、もう神様みたいになっていたんや。それに、亡くなる三日前から起きている時間はとても少なくなっていたんや。

ポニョ:毎日、介護をしていたら変化が良く分かるもんな。

ヨシオ:お袋がお風呂に入り、しばらくして俺は水槽の金魚に餌をやっていたんや。ちょうどその時に嫁さんがお袋の様子を見に、お風呂場へ行くと様子がおかしいので悲鳴をあげたんや。みんな急いでお風呂場に飛んで行ったんや。でも俺はその時、まだ金魚に餌をやっている途中やったので、そのまま手の中の餌が無くなるまでやり続けたんや。自分では一体何が起こったか分かっていたんや。其の間たった二三秒やったけど、心の中でお袋に、逝ったんか。突然やったな。良かったな。長い間苦しかったやろ。ご苦労さんやったな。変な病気やったな認知症って。俺の母親になってくれてありがとうさんやった。嬉しかった。たくさん愛をありがとうと言ってお別れの挨拶をしたんや。そしてお風呂場に走って行くと、もう息が途切れていて看護師や、救急隊員である子供たちが、いろいろ蘇生を試みていたんや。

ポニョ:自分の子供が看護師やら救急隊員やったら便利やな。歯医者や弁護士、薬剤師までおるんやろ。

ヨシオ:家がクリニックみたいなもんやな。でも肝心の医者はいないけどな。それで、お袋を見るとまだ生きているみたいに暖く、血の気も失っていないから、死んだふりをしてるだけと違うかと思うぐらい生きてるみたいな身体やったんや。ほんの二十分ほど前に、一緒に歩き話していたお袋やったのに魂が身体から抜け出てしまった。突然やった。その後、お袋が好きで大事にしていた妹からもらった服を着せて、床に横たわっているお袋の手を握って話しかけたんや。其の間、顔からだんだん血の気が失せて行き、身体も冷たくなって行ったんや。身体にいてる間大変やったな。ご苦労さんやったな。と言うと、お袋は、突然逝ってごめんなさい。驚いたでしょう。と言って何度も謝っていたな。俺は謝らなくてもええやんか。今はババのことだけ考えて旅立ったらええよ。ご苦労さんやったな。と何度も言って見送ったんや。

ポニョ:お袋さんの数奇な人生を、あんたの娘さんが本にしたやつを読ましてもらったけど、とても面白かったな。その年のノンフィクション大賞を取ったんやろ。


ヨシオ:ああ幾つか大きな賞をもらってたな。お袋の七五三の時の写真が表紙になっている本を、お袋を連れて本屋に見に行ったことがある。お袋はその自分の本を手に取って、それがすぐに自分の写真やと分かったんや。そして俺に、誰か私の許可なしに私の写真をこんなところに勝手に使っているなって言ったんで俺は笑いながら、あんたの孫娘があんたの人生を本にしたんやで。と言うと恥ずかしそうに、人に知らせたくないことも書いたんやろかと言って心配していたな。そしてありがたいことや。嬉しいって言っていたな。出版記念パーティーに連れて行った時も、孫娘にありがとうって言ってた。そしてたくさんの人がお袋の写真を撮り来たので、ニコニコしてとても幸せそうな顔をしていた。

ポニョ:とても、幸せな人生やったな。最後の日まで孫に囲まれて面倒見てもらえたんやから。

ヨシオ:お袋に、俺が子供の時から病弱で世話になっているから、世界で一番幸せなアルツハイマーの患者になってもらおうと努力したんや。親父は俺が三歳で病気で死んだから、お袋の苦労を見て来てるしな。

ポニョ:おいらも何度も生前お袋さんにお会いしたけど、とてもピュアな感じの正義感の強い人やったな。

ヨシオ:曲がったことが大嫌いやったな。根性もあってチンピラとも平気で喧嘩してたな。負けてなかったで。怒っている時はお袋のお父さんの江戸っ子の言葉を話すんや。めちゃ迫力があって横にいてもこれがあのお袋か?と思うぐらいやったな。

ポニョ:この親にしてこの子ありやな。同じやないか。

ヨシオ:俺は東京弁なんか喋れへんで。河内弁や。アシュラムにいた頃は、毎朝花を使って、キャンティーンのババの祭壇の飾り付けをしていたな。日本人の典型みたいな人やったから、とても丁寧に几帳面に、長い時間をかけて綺麗に飾り付けていたな。みんなから綺麗やって感心されていたな。

ポニョ:何才の時に未亡人になられたんや。

ヨシオ:二十二歳の誕生日の二週間後や。妹が生後四ヶ月で丸々してたな。

ポニョ:再婚されなかったんやろ。

ヨシオ:亡くなるまで、親父のことを思っていたな。アルツハイマーで俺の事を介護の兄ちゃんと思っていたのに、親父の写真を見ながら、この人は私の一番大事な人です。この世で私を一番愛して下さった方です。と言って写真にキスをするんや。お袋はとても美人やったから、再婚の話は何度もあったんやけど、自分の夫以上の素晴らしい人なんてこの世に二人とはいません。と言って話を断り続けていたな。俺は、ババの写真も親父の写真の横に飾ってあったから、お袋に、それじゃこの方は二番目に好きなんですか?と聞くと、この方はいつも私をじっと見ておられるだけの、おっさんの神さんです。と言ったんで俺はお腹の皮がよじれるぐらい笑ってしまったな。

ポニョ:じっと見ているだけのおっさんの神さんか…。それって当たってるやないの!

ヨシオ:そこで何を感心してるんやポニョは。

ポニョ:一度の人生、一人の男か。純潔な貞操観念の強い人やったんやな。死ぬまで旦那さんのことを思い続けるって、女の鏡やな。今時いないでそんな女の人。結婚してたった四年間ぐらいやろ一緒に生活してたんは。今やったら一度の人生、十人の男や。

“貞操は婦人を最高に美しく見せます。SSSvol3p70”

ヨシオ:こんなジョークがある。イエスキリストは絶対にオーストラリアでは生まれることは出来なかった。それは一人も聖母マリヤのような処女を見つけられなかったからだ。

ポニョ:イルちゃんの国やから、若者をセックス、スポーツ、スクリーンのスリーSと酒、ドラッグ、ギャンブルに溺れさして、若者をコントロールし易くさせてるからな。純潔なんてみんなバカにしてるやろ。

ヨシオ:そうやな。離婚が当たり前やし。家族制度が崩壊してるな。教育制度もガタガタやしな。モラルもとっくの昔に無くなっているし、子供は大人を尊敬しないし、孫を叱ってお尻を叩いたお爺ちゃんが孫に訴えられて、牢屋に入れられた話も聞いたな。めちゃくちゃや。周りは悪ガキだらけや。学校でドラッグの売り買いしてるもんな。俺が来た時より、ますます悪くなって来ているな。

ポニョ:日本を始め、世界中どこでも一緒やで。世の中狂っているんやぜよ。一度、リセットせなあかん時が来てるぜよ。

ヨシオ:そういう事なんやろな。その為に大元の神さんがわざわざ来られているんや。大きいリセットがやって来るんやろな。いっぱい人が頭打つで。

ポニョ:そうしないと、いつまで経っても神の方を向かないやろ、人って。この世に囚われている人ばっかりやしな。その点おいら達は神様がこの世に降臨され、その神様に人生を委ねて導いてもらっている。本当に幸せな人生を送っているよな。

不浄の傾向は、低い欲望をかきたてるもの、例えば映画などを見たがったり、魚や肉などを食べたいと思ったり、人格を台無しにするアルコール類を飲みたいと思ったり、怒り、迷い、貪欲、自惚れ、欺瞞、憎悪、嫉妬などの念を生じさせます。
そのような不浄の傾向には、栄光、権力、個人的な栄耀栄華を手に入れようとする世俗に関する前世からの欲望傾向、世に名の聞こえた学者となり、同じ分野の競争相手を負かそうとする学問に関する前世からの傾向、美しい肉体、筋骨たくましく、なめらかな肌を愛し、それらが皺や筋肉の歪みで衰えるのを好まない身体に関する前世からの傾向の三つがあり、それらは、あなたを生々流転の浮世の車輪に縛り付けます。
そして、ハートに侵入して次々に悩みを作り出します。
それは、過去の経験を思い起こさせ、快楽を思い出させるので、人はまたそれを味わいたいとの欲望を持ち始めるのです。
心は執着という傾向を持つゆえに、物資と外界に引きつけられ物質のことを絶えず考えるようになり、物資の属性に囚われます。
すべてそれは、心に前世からの傾向があるからなのです。
心に前世からの傾向が無い人は、外界の事物によって影響を受けません。DVJp80~3

ヨシオ:お袋のこの世での最後の日、俺にこんなに高い霊的境地まで私を連れて来てくれてありがとう。私はあなたから遅れないように、離れないように必死でついて来たんです。と言って礼を言ったんや。俺は、いやしっかりついて来てくれてありがとう。って言ったんや。でも、今から振り返って考えたら、俺がお袋の中にいてるババの愛をもらってここまで来れたんやと思う。そのババの愛が無かったら、これだけ人を愛する事なんて出来なかったし、愛するという事自体も理解出来ていなかったと思う。今になってみれば、これだけお袋から愛してもらって世話になっているのに、晩年のお袋を少し介護したぐらいで恩を返したつもりになっている自分をとても恥ずかしく思う。お袋は命をかけて俺を愛してくれたんやって、今になって気付いたんや。まさしく、神の愛やった。

ポニョ:今日はお袋さんの一周忌で追悼の記事やったな。レクイエムや。お袋さんに捧げる鎮魂歌や。

ヨシオ:お袋へのチンコンカンか?ええなそれって。お袋がよく見てた、犬HKのど自慢の鐘や。

ポニョ:のど自慢の鐘のどこが鎮魂歌やねん?

子どもは、母親が善良であるときにだけ善良になるのです。
嫁が善良であれば、嫁ぎ先の家族全員が善良になります。
私たちは皆、善良な性質を育てるよう努めなければなりません。
皆さんが得ている教育は、お金を稼ぐためのものでも、仕事に就くためのものでもありません。
徳を身に付けるためのものです。8-1977
母親に対する名誉と尊厳を守って初めて、真の息子と呼ばれる資格を与えられます。
母親の愛を獲得できなかった人の人生は浪費にすぎません。
ですから、私たちはまず第一に、母の愛を得るに値するようにならなければなりません。
母の愛を言葉で説明しつくせる人などいません。
母親の意志の強さがあってこそ、息子は人生で成功を収めます。
ですから、人は自分の母親を敬い、愛するべきなのです。
母親には最高の地位を与えなけれなければなりません。
それができる人だけが、真に国をリードしていくことができます。
神々は崇めても崇めなくてもかまいませんが、母は必ず神として崇めなければなりません。
決して自分の母親の愛を忘れてはなりません。
母の愛は最高です。子どもの中にある神聖な思いは、唯一、母の愛によって発達します。
気高い性質を備えた母親のいるところには、必ず平和と繁栄がもたらされるでしょう。
自分の母親の愛を無視して人々の愛を切望するのは愚かなことです。
それゆえ、人は母を崇め、尊ぶべきです。
経験によって母の愛を知ろうと努めるべきです。
母親を尊敬し、母親の愛を獲得して初めて、人は真の意味で人間と呼ばれることができます。
この世には母親より偉大な神はいません。
残念なことに、今、人々はこの真理を忘れ、さまざまな場所に神を探しに行っています。
目に見えない神を切望する代わりに、自分の目の前にいる生きた神に、礼拝し、奉仕すべきです。
これをしないで、神の聖なるダルシャンを得ようと、苦行や聖地巡礼、礼拝や儀式といったさまざまな行いを始める人がいますが、それは無駄です。
まず自分の母親の愛を勝ち取らずして神の恩寵を勝ち取ることはできません。
 母の愛は底流としてすべての人の内に流れています。
偉大な人物の歴史を調べてみれば、母の愛という助けがあったからこそ人生で高い地位 に達することができたことは明らかです。
母親の気高い考えに従って人生を送るとき、あらゆる苦しみは取り除かれるでしょう。
他の人のことは尊敬してもしなくてもかまいませんが、自分の母親のことは必ず尊敬しなければなりません。
人は自分の母親の愛を勝ち取るために一生を捧げるべきです。
母の愛にはつねに私心がありません。
私たちはそのような愛を育めるようにならなければなりません。
どこに行こうとも、何を見ようとも、母の愛という祝福があってこそ繁栄を得ることができます。
母の愛を勝ち取れないまま神の恩寵を勝ち取ることを望むことなどできますか?
そんなことは出来ません。
ですから、まず第一に、自分の母親の愛を勝ち取れるよう努力しなければなりません。
母親の気持ちを傷つけるような仕事を引き受けるべきではありません。
母の心は非常に傷つきやすいものです。
ですから、母親の気持ちを傷つけないようにしなければなりません。6/5/05

タイムマシンに乗って降誕祭に行こう

ポニョ:スワミ!89歳の誕生日おめでとうございます。ところでいつ帰って来られるんですか?ああ、そうもう少しだけ待ってね。分かりやした。もうちょっとだけやで。来年の今頃やなんて言わんといてね。それでなくても首がキリンさんになって来ているのに。

ヨシオ:ポニョは何を一人でブツブツ言ってるんや。ほっといたら、ずっとしてるやろ。飽きないよないつまで経っても。こういう人間は。嫁さんもポニョとおったら、いつもおもろいから喜んでるやろ。

ポニョ:いや、こんな一人芝居を結婚以来見てきてるから、またかっていう感じやな。でも、いつも笑って見てるわ。

ヨシオ:誰でもおもろいと思うで。そうか、ババは数え年で89歳になられたんやな。お袋は生きてたら80歳やから九つ年違いや。

ポニョ:ということは、お袋さんは戌年やから卯年やったんかババは。

ヨシオ:いや虎と違うか?うちの長女と一緒やと思うで。

ポニョ:そうか、寅年か。虎神さんやな。それで、いつも虎の剥製と一緒に写真を撮っておられるんかな。

ヨシオ:偶然やろ。その虎は王様の宮殿に置いてあったものなんや。サイババさんが座っておられる虎の敷物は、イギリス人が狩りに出て撃ち殺した奴や。その時、ジープがエンコしてババに助けてもらおうとアシュラムにやって来たら、ババがあんたが殺した虎の子供がお母さん虎を探して森を彷徨っているので、捕まえて動物園に連れて行きなさいと言われたんや。この事記事にしたよな。

ポニョ:やったやった。その頃のプッタパルティはまだ、僻地っていう感じやったもんな。野生の虎がうろうろしてたんやもな。そん頃のババに会いたいな。降誕祭もそんなに人が来ていなかったよな。

ヨシオ:それじゃ、今日はババの二十五歳の時やから、63年間までタイムマシンに乗って遡ろうか。そして、若かりし頃のババの降誕祭をみんなで祝おうや。

ポニョ:ええ案やな。それじゃすぐ始めよか。

ヨシオ:その年、マンディールが完成するんや。荒野に突然巨大な建物が出来て、人々は驚くんや。でも、それと同時にどうしてこんな僻地に、こんなに大きなマンディールを建てないといけないのか、さっぱり理解出来ないんや。

ポニョ:そら、誰でもそう思うぜよ。クレーンでさえ入って来るのが難しかったもんな。

その巨大な建物は荒野の真ん中に忽然と姿を現しつつありました。
どうして、こんなに辺鄙な何もないところに、こんなに大きなマンディールを建てなければいけないのかという疑問を心の中に持っていた帰依者の人と、プッタパルティの村外れの丘を歩いていた時に、サイババさんは南の方を指差して言われました。
このサイの降臨は、この地方を最高の平安の場所に変えるであろう。
多くの建物が建ち並び百万人もの人々がインド中いや、世界中の人々が私のダルシャンを求めてやって来るであろう。
君は将来ここに立ち、そして私があのマンディールのポーチにいるのを(人が多すぎて)ほんのかいましか見れなくなった時に、今のこの私の言葉を信じるであろう。
さあ、いよいよマンディールが予定通り、ババの25歳の誕生日に完成しました。

早朝六時から十日間に渡る降誕祭と落成式典が始まりました。
サイババさんは式辞の中で、先ずこのマンディールをプラシャンティ ニラヤム(至高の平安)と名付けられました。そして、続けてこう言われました。
ここは、悪い思いもなく、新しく生まれた子供のような心を君たちに与えるでしょう。
人としての身体は、たくさんの動物などの生を経て取ることが出来たのです。
あなたの、思いが次のあなたの生を決定するのです。
プッタパルティという名はテルグ語でプッタつまり誕生、とパルティつまり変化もしくは無いという二つに分けることが出来ます。
つまり、誰でもここプラシャンティニラヤムに滞在して、瞑想やバジャンや他の霊性活動をする者は生まれ変わることは無いのです。と。
ババは、バラやジャスミンの花で飾られたお神輿に乗られ、村の道を帰依者たちと練り歩かれました。ブッカパトナムから音楽隊が駆けつけて来ており、バグパイプなども一緒に演奏されて人々は大きな声でバジャンを歌いながら歩きました。
そして、多くの人たちはババの眉間に、まるでシヴァ神の第三の眼のようなとても明るい光るものを見つけたのでした。そのお神輿に乗っておられる間、ババはお神輿に付けてある花から花びらをむしり取って手の中にたくさん集め、遊んでいるように見えました。
しかし、ババがそれらの花びらを帰依者たちに投げられると、それらは宙でシルディババとサッチャサイババの像が描かれた銀のロケットや、指輪、ペンダント、キャンディ、干しぶどう、ナッツなど、様々なババからの帰依者へのお土産と変化したのです。
神輿が、昼の一時にプラシャンティ ニラヤムに戻って来ました。

お神輿を下ろそうとするとサイババさんは、ちょっと待つように合図されました。
そして、今まで花から花びらをむしり取られていた花弁を、神輿の上から下にいる帰依者たちに放り投げられたのです。
その、数え切れないほどのたくさんの花びらは、なんと宙で銀貨に変わったのでした。
それらの銀貨には一様にサイババさんの絵と、インドのあらゆる言語と英語で私がここにいるのに何を恐れることなどあろうか。と刻まれてあったのです。
それらの奇跡は、そこにいた全ての人々を興奮のルツボに陥れたのでした。

降誕祭で、とても印象的だったのはサイババさんがジョーラという吊りソファーに座られて、ゆっくりと前後に揺られながら落成式典を見られていることです。

その間、詩人たちが自分の作った詩を披露したあと、ババから銀の宝石箱を与えられたり、マンディールの建築労働者達にもいろんな物をプレゼントしておられました。
男性には、男用の腰巻を、女性にはサリーやブラウスをプレゼントされました。
エンジニアリングの会社から二十台近くのモーターバイクの寄付がありましたが、これらは全て建築労働者に寄贈されました。
そして、様々なアーティストたちが音楽などを演奏して、ババから鈴のついた鎖を物質化して与えられていました。
また、ある帰依者のカップルがその日に結婚式を挙げましたので、花嫁に神聖なネックレスを物質化して与えました。
この神聖な首飾りは本当は誰の手にも渡したりしてはならないのに、様々な人たちが見せて欲しいと押しかけてきて人が触れた途端、消え失せてしまったのでした。
もう一度、物資化して欲しいとババに懇願したのですが、これをきっかけにあなたはもっと注意深くならなければなりません。と言って与えられませんでした。

また、このような出来事もありました。
マドラスからやって来たアーティストに君はシータの劇を披露してくれるかい。と言って席に着かれて見る用意をされました。
でも、その人は、まだ音楽家達が全員そろっていないからそれを披露するのは無理だったのです。それで、大観衆の前で両手を上げてサイババ~と言って泣き始めたのです。
サイババさんは、席を立たれて観衆の中をウロウロされて四五人の人たちを選び、舞台に行くように指示されました。
その人たちは、お互い全く知り合いでも何でもなかったのですが、そのアーティストがいるはずだったヴァイオリニストや、歌手、ドラムなどの音楽家だったのです。
そして、観衆が固唾を飲んで見守る中寄せ集めのパフォーマンスが始まりました。
その劇の一場面にシータの結婚式のシーンがありますが、アーティストの人がババにあなたがシータに結婚式の首飾りをかけて下さいませんかと尋ねました。
するとババは、その首飾りは用意してあるの?と尋ねられてから、自ら観衆の前で首飾りを出されました。
そして、その首飾りのペンダントには何も描かれていなかったのですが、ババがそれを両手で握ってから開くと、一面はババの画像でもう一面はヴィシュヌの劇をプラシャンティニラヤムでサラスパティバイによって演じられた。と刻まれていました。
そして、ババはラーマの役になってシータに結婚式用の首飾りを首にかけられたのでした。

マンディールが完成してから、サイババさんは毎日のスケジュールに追い回されていました。
帰依者と一緒にバジャンを歌ったり、花輪を作ったり、壁や天井を飾り付けるために梯子に上って遊ばれたりもしました。
そして、チットラヴァティ川を渡ってやって来たり、帰って行く帰依者の荷物や子供を抱いて一緒に渡ったりしました。牛車に荷物や子供を乗せるのを手伝ったりもしました。
また、食事の準備を手伝ったり、水を汲んで来たり、食事の準備で忙しい時にはその間子供の世話もされていました。
また、近くの村からやって来た人には、バジャンが終わって外が真っ暗になると、自らオイルランプを持って行く道を照らしながらその人たちを隣村まで送って行かれたことなどは、一度や二度ではありませんでした。

また、ある帰依者が若くして寡婦になり、生きる望みを失った為に自殺しようと森の中を一晩中彷徨い歩き、毒蛇を踏んで噛まれてそのまま森の中で横たわって死んでしまうところを、ババに翌朝助けられてババが自ら食事を作られてその未亡人に食べさせました。
そしてそれは、その夫人がこの世を去るまで続いたのでした。

サイババさんに神聖な光を見たクマールさんの体験です。
全ての信者たちが、丘の麓に集まってババを見ていました。
すでに、陽は地平線に沈んでいてサイババさんは皆から見えるところにおられました。
すると、ババの頭の後ろから赤い光が見え始めました。まるで夕日の光のようだったんです。そうしてるうちに、その光はゆっくり消えて行きました。
でも、その代わり太陽の何百万倍もの強い光線が蛇の頭にダイアモンドが光っているような感じで輝き始めたのです。
その強い光に耐えきれず二人の人が気を失って地面に倒れてしまいました。
他の人々は、この凄い光景を見逃すまいとして歓喜に満ち、大きく目を開けながら見ていました。光が突然消え失せ、辺りは暗闇に戻りました。
眩しい光を見ていた後、突然暗闇になったおかげで、しばらくの間盲目状態になって何も見ることが出来ませんでした。
でも、ゆっくりと視力は回復して行きました。
そして、周りがはっきりと見えるようになったと思ったら、サイババさんが目の前におられて大声で笑っておられたんです。
私たちみんなも幸せな気分になりました。
そして、気絶している帰依者のところへ行きヴィブティを額につけられました。
彼らは気がつくや否やサイババさんに平伏していました。
私が推測するに、私たちがいたところから、ババが立っておられた丘の頂上まで六十m程あったと思います。

“何も心配することはありません。
何を体験しようとも、そして何が起ころうとも、それはアヴァターが意図したことだと思いなさい。
このアヴァターが地上に降臨し、そしてその使命を果たそうとするときに、それを遅らせるような力などこの世に存在しません。”

“私は神である。
あなた達はこの私が来た機会を逃さずに、川を渡らねばならない。
あなたがやらねばならぬ事は、船に乗ることである。
私が船長で、あなた達が乗船して来るのを待っているのだ。
次の二千年の間、誰もあなた方を今私がやっているように、対岸へ連れて行ってくれるお方はこの地上に来ないであろう。”

“私があなた方と同じように話し、笑い、歩き、食べているからといって惑わされてはなりません。
身体の感覚に惑わされてはなりません。私の行為はすべて無私、無私、無私です。
私には利己心は全くありません。
この真実を固く信じなさい。
完全に信じるなら、たとえどこにいようとも、あなたの願いは求めずともかなえられます。
完全な信仰を抱かない者のみが苦しむのです。
自分への自信をもっと持ちなさい。
これはあなたが最初に取りかからなければならない霊性修行です。”

誰か僕の気持ちを分かって下さい

ヨシオ:俺はサイババさんのことを知ってから、毎日のようにサイババさんの教えをよく知ろうといろんな本を読んできて、自分では結構知ってるつもりでいたんやけど、ある日長男がまだ小学生の頃、俺にこんな質問をしたんや。

なんでサイババさんは至福に満ちてるのに、この世界を創造されたんやって。
俺は、自分の知っている限りの答えを言ったんやけど、納得しよれへんねん。
なんで、サイババさんは幸せやったのに、幸せの化身やのに世界を創造せなあかんかったんや。
パパの言うてることは分かるけど、でも間違ってるよ。僕分かるねん。サイババさんの気持ちが。パパはこんなふうに、僕に何べんも説明してくれた。

ブラフマンが宇宙を創造した。この世界を創造した。創造する前は、自分一人やった。自分以外に何もなかった。至福に満ちていたけど、自分一人だけやった。自分が自分の存在を証明したいと思った。本当は、自分しかいてないと知っているのに、自分で自分を見たいと思った。
だから、ブラフマンは、二元論の象徴や。
この世界を見るものと見られるものに分けたんや。
だから、ブラフマンは自分では、自分しかいないことを知っているのに、もう一つ自分を見れる自分を創ったから、ブラフマンは鈍性と言われている。
逆に、ヴィシュヌ神はこの世を維持するのに忙しい。大きなマンションの管理人みたいや。いつもなんかゴタゴタがあるから面倒みないかん。だから、激性や。
そして、全てを破壊して、元の神さんやった状態に戻すシヴァ神は浄性や。
そういうことは、理屈として分かるけど、神さんは、宇宙をお遊びで創造されたって理屈では分かるけど、でも本当の理由はそうじゃないって僕は知ってるねん。て言ったんや。

それで、俺は、じゃぁ、お前が知ってるという神様が宇宙を創った理由てなんや。って聞いたんや。すると、まだ10歳になったばかりの子供がこう言った。
そんなん決まってるやないか。なんで大人はそんな簡単なことが分かれへんねん。
いくら、自分は至福に満ちていても、たった一人だけやったら寂しいやないか。
遊び相手が欲しいのん決まってるやないか。
だから、宇宙を創造したんや。ブラフマンは無知やとか、鈍性やとかいろいろ言ってるけど、パパはいっぱいサイババさんの教えを知ってるけど、サイババさんの気持ちを知らんやんか。
僕は、まだ子供やけど、サイババさんの気持ちはすぐに分かったわ。
寂しがりやねん。神様は、もっともっといっぱい遊びたいねん。みんなと楽しく僕が学校で遊んでるみたいに。誰でも、一人やったら嫌やねん。と言ったんや。
俺は、その時、頭をガーンと打った気がした。確かにサイババさんの教えを知っている。そのようにずっと努力して来たし、今もしている。
でも、サイババさんが自分の口では言われない、サイババさんの気持ちを理解しようとしたことがあったんかな。と思うと振り返って考えたら無かった。

ダルシャンで、サイババさんを見て心で何かお願いしてる時も、インタビュールームで話しかけられて、言葉を交わした時も、俺がいつも思ってたことは、あなたの元へ行かせて下さいとか、世界が平和になるようにとか、子供がまた生まれたので、祝福して下さい。とか自分をあなたの道具として使って下さい。とか頼み事ばかりやった。…。
それまで一度も、今まで一回も、俺はサイババさんの気持ちを察しようと努力した事は無かったことに気が付いたんや。お頼みごとばっかりやった。
サイババさんの手紙を翻訳しながらつくづく、俺の息子の方が正しかった事が分かる。サイババさんは、子供の心を持っておられるから、子供の方が俺たち大人より神さんの事が分かるんやって事が…。

サイババさんの手紙
僕の子供よ。あなたがくれた手紙は、僕を幸せの海へ突き落として溺れさせたんだよ。
そして、その幸せの海の上を僕はこうしてまだ浮かんだままなんだ。
でも僕のハートは、僕自身の涙の中に沈んでしまったままで、ペンを動かすことも出来ず手は便箋の上で止まったままなんだ。
特に、チルマルラオさん達がここに来た頃のことが懐かしくって…。
だって、みんな僕一人をおいて帰ってしまうんだもの…それが、寂しくて僕はとても傷ついてるんだよ。

人は、子供の時ですら喜びと平安の泉を心の内に持っています。SSSvol2p260
子供の無垢なハートには、より高い理想と目的に対して献身して傾倒するという潜在的能力が秘められています。
この可能性は皆さん大人によって引き出され培われるものです。
子供達は何も知らないとか、子供達を自分の思い通りに変えれると思ってはなりません。
それは誤りです。
子供の素晴らしい可能性に気付きなさい。
子供自身が提案したり、示唆したりする方法を採用しなさい。子供が神性へと到達し、自らの高邁な運命に気づくよう手助けするのです。
子供のことを、幾分劣った存在であるとか、そのような高みへたどり着けるはずはないなどと考えるのはやめなさい。SSSVol9
もし、もう一度皆さん全員が子どもになることができれば私はとても幸せです。
子どもは怒り、情欲、嫉妬、うぬ ぼれ、そしてエゴという悪い性質をもつことは決してありません。イエス キリストはいつも子どもたちの無垢な性質を喜んでいました。
ある時、イエスは群集の中にいた一人の母親のひざから小さなこどもを抱き上げて言いました。
「私はこの小さな子どもが大好きです。彼女は神のすべての資質をもっています。純粋でエゴもなく、完全な至福の中にいます」子どもは本質的に神です。
大きくなるにつれ、子どもは過度の欲望、執着、怒り、嫉妬などといった悪い性質を育ててしまいます。
年令を重ねるとともに、悲しみと困難もまた増します。
ですから、人は自分の欲望をコントロールできるよう努力すべきなのです。
それは欲望に上限を設けること(節制)です。
もし、このコントロールを身につけることができれば、あなたは神の力の影響下にあります。
さもなければ、あなたは欲望の力に惑わされ、決して出ることができない渦巻きにはまってしまうことでしょう。
単純で純粋無垢な子どもは、神への道です。
私はあなた方に、少なくとも一日に一分間、子どもになってほしいと思います。
皆さんは子どもの特徴である気高い性質を見習うべきです。
たとえば、あなたが欲望に悩まされているとすれば、欲望はあなたの気高い性質にふさわしくないとみなして追い払いなさい。
そうして初めて、あなたは胸を張って歩けるのです。 28/8/04

初夢はババの夢!


ポニョ:みなさん!明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

ヨシオ:もう正月はとっくに過ぎたんやけどな。連絡してくるのが遅かったな。ネットが無いジャングルの中ばっかりおったんやろ。どうやスリランカは?まだ今もウロウロしてるんか?

ポニョ:嫁さんが、おいらの為にいろんなアウトドアのツアーを組んでくれていたから毎日忙しいな。おかげで身体中筋肉痛になったぜよ。

ヨシオ:そっちは今は雨季やから雨で大変やろ。

ポニョ:でも、毎日美味しいフルーツが食べれるからええで。それにツアーに行ってもそれ程人はいないから、特別においら達の為に菜食のレストランにも連れて行ってくれるしめちゃラッキーやな。

ヨシオ:ポニョは相変わらず食べることばっかりやな。例の五千五百段の階段を駆け登った山やけど、二時間半で登りきったんか。すごいな。

ポニョ:ツイッターでその事を呟いたら、ある人が自分は若い時に一時間半で登ったと言って来られたな。おいらだって、若かったら一時間二十九分で駆け上がれたかもな。

ヨシオ:あのな。一分速いだけやないか。ええ年のおっさんが若い人に対抗心燃やしてどうするんや。それにそんなに速く駆け登って何の意味があるんや。頂上には神さんが祀ってある寺院があるんやろ。それやったら一歩一歩階段を登る度に、自分のエゴや欲望を少なくして、綺麗な心で神さんにお会い出来るように願いながら、サイラム、サイラムと唱えて登る方がええやないか。ええ年こいて何が若かったらもっと早く登れたやて。おまけにそのあと筋肉痛になったんやて?調子に乗りすぎや。

ポニョ:また行きたいな。その人は五十回も登ったんやて。すごいやろ。今度は二時間切りたいな。
ヨシオ:あのな。人の話している事をさっきから一言も聞いていないやろポニョは。

ポニョ:あんたの方はどうや。アクアポニックスは上手く行ってるか?

ヨシオ:ポニョのおかげで上手く回っているな。でも、幾つか改良したけどな。その事はまた別の機会に話するわ。それより今年の正月に初夢を見たんや。ババが出て来られたんやけど、とても意味深な夢やった。

ポニョ:初夢にババが出てこられるってラッキーやんか。おいらなんかババの夢は今まで数える程しか見てないし、それに大体、普段夢なんて見ないぜよ。

ヨシオ:そういや、読者の方も初夢にババが来られたってコメントされてたな。ババがお猿さんと一緒にいてその方をニコニコして見てたんやて。お前は相変わらずモンキーマインドやというメッセージやと思うと言っておられたな。

ポニョ:ババがお猿さんとおられたからモンキーマインドか。ババらしいメッセーやな。面白い。

ヨシオ:俺のは大きな部屋の真ん中にババが座っておられて、その前に俺たち家族がいてババが話しておられるのを聞いていたんや。ババが話終えてから俺はババに嬉しくてハグしたんや。ババのアフロヘアが俺の顔の右側に触れて、その髪の毛がソフトで気持ち良かったんや。そして、ババときつく抱き合っていた時に、これが俺が望んでいたことや。これでババと一緒や。と思って至福の思いに耽っていたんや。ハグが終わりババの前に立ってその時に触れたババのアフロヘアが気持ち良かったので、もう一度右手でババの髪の毛を触ったんや。するとその髪の毛は突然アフロの縮れ毛ではなく、真っ直ぐな毛になっていたので驚いてババを見たんや。するとババの顔も東洋人の男の子の顔に変わっていたんや。俺は、あっと叫びそうになったんやけれど、後ろにいた嫁さんがババが男の子になられた。と大きな声で言ったんや。そこで目が覚めた。

ポニョ:ヘェ〜面白い夢やな。なんで東洋人の男の子に変わられたんやろか?それに誰やねんその子は。あんたの隠し子と違うか?そんな話を一度記事にしたよな。シンガポールの帰依者の家族がインタビューに呼ばれた時に、ババが旦那さんにどうして息子さんを連れて来なかったの?と聞かれたんやろ。その時まで嫁さんも誰も旦那さんに隠し子がいるなんて知らなかったんや。あれは面白い話やったな。

ヨシオ:あんなシンガポールの帰依者と一緒くたにせんとってくれるか?俺はあの後、瞑想モードに入ってもう一度その夢の至福の思いを味わっていたんや。するとその男の子の顔は、実は俺の子供の時の顔やったと気づいたんや。

ポニョ:でもなんで、ババの顔があんたの子供の時の顔に変わったんやろな。

ヨシオ:俺もそれが不思議やったんやけど、ババはこのように言われたんや。お前は私を抱きしめた時、これで願いがかなった。ババと一緒になれた。と思ったろう。でも、ずっと昔からお前は私で、私はお前だったのだ、と。

ポニョ:お前は私で私はお前か。それってすごい深いよな。不二一元やぜよ。つまりあんたの子供の時からババはあんたやったんや。今お前はそれに気付いたんか。アホタレと言われたんやな。

ヨシオ:アホタレとは言っておられないちゅーに。勝手に付け加えるなよ。この世は全ては神さんやからババがこのように言われるのは当り前だの…

ポニョ:クラッカーやな。この流行り言葉は古すぎるぜよ。お互いそろそろもうこの世からおさらばしようぜ。でないと博物館に入れられるぜよ。

ヨシオ:それもええ考えやな。俺は何の執着もないし、いつでも神さんに命を持って行ってもらってもOKや。でも、ポニョと一緒じゃ嫌やな。

ポニョ:なんでやねん。それより、もう一つのババの夢ってどんなんやったんや?おいらの事をババに紹介してくれたんやろ?実は、ポニョという友達がいるんですが、ポニョも抱きしめてあげてくれませんか?と頼んでくれたんやろ。友達ってええもんやな。嬉しいぜよ。

ヨシオ:それは自分の世界の中でババに頼みなさい。俺に頼むな。元旦の夜に見た夢は初夢の続きやったんや。昨夜と同じ部屋に俺や家族達といて、ババも部屋の真ん中で床に座って西オーストラリア州の地図を広げておられたんや。俺はババに何を見てるんやと聞くと、ババはある町を指さされて、この町からこの町まで車でどれくらい時間がかかるんや。と聞かれたんや。それで俺はババさん、距離を調べないとどれくらい時間がかかるか分からないな。と言うと、近くにいたお付きの人が約一時間ちょっとですと言ったんや。それで、ババはその二つの町を線で引き将来その町を訪れる準備をされてたんや。そして、準備をすることは良いことだ。と言われたんや。俺は本当に一時間で行けるんかいなと思って、もっと詳しい地図で距離を測っていたところで目が覚めた。そしてすぐに地図を引っ張り出して来てその二つの地点を測ると115KMやったんや。ここはポニョも知ってるとおり、最高速度は110KMやから一時間ちょっとで着くんや。

ポニョ:そのお付きの人が言われたんは正しかったんやな。ということは、ババが西オーストラリアに来られるって事やな。そのための準備をしなさいっていう意味なんやろ。

ヨシオ:ババは自分の持っておられた地図に行かれる町々に印を付けておられたな。そして線を引いておられた。だから、ポニョが言ったようにそろそろ時が近いって事なんやろな。

ポニョ:ババは講話の中で将来たくさんのババが一度にあちこちに現れるって言われたことがあるから、そのうちの一人のババが西オーストラリア州にも来られるってこたなんやろな。多重影分身の術や。お色気の術も使われるんやろか?

ヨシオ:あのな、使うわけないやろ。そういう多数になられたババが日本を始め世界中で見られるって事なんやろな。ババはアシュラムでたくさんの帰依者を前にしてこう言われたことがある。私の身体は一つなので、こんなにたくさんの帰依者たちの願いを叶えられない。もし全ての帰依者の願いを叶えようと私の足をマッサージをするために帰依者の前に差し出したら、私の足はどうなってしまうのでしょうか?と。

ポニョ:インドでは帰依者は、グルの足をマッサージするのが夢やもんな。そら、みんながババの二本しかない足をマッサージしたら、足がマシュマロみたいになってしまうやろな。

ヨシオ:マシュマロはないやろ。それに、アシュラムに来た人全てがインタビューに呼ばれるわけでもないし、手紙を取ってもらえるわけでもない。それに声もかけてもらえず、目も見てもらえず、帰って行く帰依者も多いやろ。

ポニョ:初めてダルシャンに出てババが手紙を取って帰られたあと、神の化身はいつ来られるんですか?と聞かれたアメリカ人もいたな。その人はババのことを郵便屋さんと勘違いしていたらしい。ワロタぜよ。

ヨシオ:確かその話、記事にしたよな。俺が言いたいのは、このように帰依者と距離をわざと置くことで、帰依者たちにババともっとお近づきになりたいという思いを植え付けられているんや。そういう神を思う心があって初めてババもポニョが言ったババが多重影分身の術を使って帰依者の元に行かれることが出来るんや。

ポニョ:なるほど。帰依者のそういう思いがないと、いくら神と言えども、君たちが望んでいないけれど、君たちの国にやって来ましたよ。と言えば、なんかおせっかい神さんになってしまうよな。

ヨシオ:だから、ほんの近い将来、ババが何千もの身体となって世界中に現れられるんや。正月に俺の夢に現れたんは、その準備をそろそろしておきなさいという意味なんや。

ポニョ:嬉しカルカルやな。やっぱり、もうちょっと生きていとこかな。ババが再降臨されたらこの世界も素晴らしい世界になるやろな。【絵】私待〜つわ。いつまでも待〜つわ。たとえあなたが ふり向いてくれなくても【絵】

ヨシオ:古い歌やな。ポニョは先に博物館に行っとき。

1976年6月ウータカマンドでの講話


(スワミは、インドの地図とサンスクリット語が描いてある直径10センチメートルほどの銀のメダルを物質化された後、講話を始められた。)
 このメダルには、これから将来にわたってインド各州に設立されるであろう大学や記念塔などが描いてあります。
この身体はあと46年間生き続けます。(2022年)
そしてその間、インドで何が起こるかが、このメダルに示してあります。
このメダルにはまた、インド各州のリーダーになるであろうサイ大学の学生達の名前も書いてあります。
~近い将来、インドの霊的遺産を、ここにいる若者達が世界中に広めるであろう。
学生達を出来るだけ簡素に保っておけば、私が彼らを世界のリーダーに育て上げるであろう。
このメダルには未来における世界のリーダーの資質や、性格、赴き先などが書き記してあります。
ここにいる若者達は、自分にどのような未来が待っているのか案じているが、私はこのメダルに、将来においての各自の指針を書いておいたので、これらの指針に注意深く従い、他の者の模範となって欲しいと思っています。
近い将来、あなた方はスワミが様々な姿を取ってあなた方の前に現れるのを見るであろう。
このような素晴らしい機会を逸しないように、努力して私の教えに従いなさい。
神の計画を世界に顕す為に、私はこのような教育機関を設立したのです。
ごく近い将来、あなたは私がマンディールにいる同じ時に、別の私をあなたのクラスルームで見るでしょう。
そして私がクラスルームにいる間に、人々は別の私が講堂にいるのを見るでしょう。
私が講堂で講話をしているときに信者達は、私がマンディールでアラティを受けているのを見るでしょう。
あなた達はそのような体験を近い将来するのです。
あなたはこのような体験をし、その体験によって得た至福を世界中に広めるでしょう。
これが、この教育機関を設立した主な目的です。
私はインドの伝統的な文化、古代からの叡知を現代に甦らすでしょう。
こういうことがもうすぐ起こるのです。
甦ったバラタの古代の叡知はこれからずっと続き、あなたがたは世界中にダルマを教え広めるという機会が与えられるのです。
勝利はどんどん近づいてきており、あなた方は必ずその使命を成し遂げるでしょう。
未来については、あなた方にはよく分からないかもしれませんが、私には私の意図した計画が、実現するのがはっきりと見えています。
今、私の神聖さを無視している連中も、私の元にひれ伏すようになるでしょう。
間もなく、私の神聖さはすべてに知れ渡るようになるのです。
私は意図的に私の神聖さが世界に広まるのを遅らせています。
しかし、一度、私が私の真の姿を顕現すれば、すべての世界がプラシャンティニラヤムになることでしょう。
少なくとも、今日この日からスワミの神性な教えに従いなさい。
今日この日からあなたはスワミの教えに従い、堂々と胸を張って世の中を渡っていくのです。
将来、あなたはこのような機会を得ることが難しくなるかもしれません。
また、私に近づくことさえ叶わなくなるかもしれません。
何十万人もの人々がここにやって来るからなのです。
そのようなときに備えて、あなたの人生を、スワミの愛が得られるように奉仕と愛で満たしていなさい。
人は、ダイヤモンドを小さなかけらにカットします。
小さなかけらとなってもダイヤはとても高価です。
花を剪定すればよりきれいな花が咲きます。
剪定をしたことにより、花の美しさは極まり、それを見る私たちも幸せになります。
同じように、サイの組織や教えも邪悪な者どもの嫉妬心により妨害を受けたり、批判をされたり、侮辱されたりします。
しかしこれらのことは、一時的なものです。
そのような邪悪な者達の妨害にもかかわらず、私の使命は滞りなく成し遂げられるでしょう。
そのような妨害は、逆にこの神の化身の偉大さを際立たせるだけなのです。
嫉妬心に駆られた者どもが、いろいろな虚偽をふりまくのです。
そのような虚偽に惑わされず、サイの組織に関わる者は、自らに与えられた義務をまじめに、そして献身的に果たしていかねばなりません。
そうすれば、あなた方は祝福され、サイの神聖な使命の一翼を担うことが出来るようになるのです。
私の言葉をあなたの心の中にしっかりと刻み込み、あなたに課せられた義務を果たしなさい。

ゴールデンエイジにようこそ


ポニョ:先日紹介した1976年6月にウータカマンドでの御講話やけど、あれはサッチャサイスピークスに載せられていないぜよ。おいらは見つけられなかった。

ヨシオ:子供の時に何処かに隠れていて、友達が来たら、うわっとか言って驚かした事が誰でもあるやろ。驚かすまえに誰も俺はそこの茂みに隠れて、お前が前を通った時に驚かすから、びっくりしろよ。何て言わないやろ。

ポニョ:当り前だの…

ヨシオ:クラッカーはもうええっちゅうに。それと一緒で将来、僕は空に現れて歩いて空を横切りますよ。とか山脈を持ち上げますよ。とか多重影分身の術を使いますよ。皆さん期待していて下さいね。きっと驚きますよ。そしてああやっぱり神さんてこの世にいたんや。神さんが自分たちを護って下さっていたんやと畏敬の念に包まれる時が来ますよ。とは言われないんや。

私は本を読みません。でも私はすべての宇宙の歴史を知っています。
私は過去、現代、未来を見ることが出来ます。
私は、時空を超えた存在です。
あなたは私を同時に二つの違った場所で見て驚きましたが、将来、二つどころか何千もの身体を取って、同時にあらゆる場所に出現することでしょう。P, 66 ANDI


ポニョ:そうやろな。だってそんな事を公言したらその時の感動が薄れてしまうぜよ。でも、もう公言されているやんか。

ヨシオ:だから、それをサッチャサイスピークスには載せてないんやろな。

ポニョ:YouTubeで見れるぜよ。でも幾つかの記事はサッチャサイスピークスに掲載されているぜよ。今さっき言った山脈を持ち上げますよという講話はしっかり載っているぜよ。

以前、ゴヴァルダナギリの丘が小さな少年によって高く持ち上げられた時、牛飼いの少年少女たちはクリシュナが神だと気づきました。
今日、ゴヴァルダナギリのような丘ではなく、山脈全体を私が持ち上げるのをあなた方は目にすることでしょう。
その時が来るまで我慢強く私を信じて待つのです。P 22cap5SSS,Vol3

ヨシオ:俺はその事を、三十年ほど前に、こちらのセンターのスタディサークルで言ったんや。それを取り仕切っておられる人は、サイババ生き字引というあだ名を持っている人で、ババのことなら何でも知っておられるんや。でも、俺がそのことに触れると、その人はそんな話は聞いたことがないと言われたので俺の方が驚いた。

ポニョ:そういうことをババが言われても、人は冗談とかと思って軽く聞き流してしまうんやろな、だって人の想像の範囲を超えているやろ。だって、そういう人はこの世界に生きていて余裕の生活をされているとか、今の世界に充分満足されているとか、今の生活を続けて行けばハッピーだとか思っておられるから、そういう想像を超えた奇跡なんて必要が無いんや。

ヨシオ:だから、俺たちがこうして、ババはこんなすごい奇跡を将来されますよとか言って、ブログを使って発信していても、それらの事を否定されるんや。実際、ババがケララ州でハイテク産業が将来興ると言われている講話を読まれて、近所に住んでいるサイの帰依者の方が、ババが物質化された地図ではケララ州は洪水に呑まれているけれど、ババはこんな事を言われたから、その将来の地図は間違っているとわざわざ俺に言いに来られたんや。それで俺は、わざわざそれを俺に伝えにきて頂いてありがとう。ババに、あんたが出した未来の地図は間違っているって言っておきます。うちの神さんがデタラメな地図を出して世間をお騒がせして申しありませんでした。と言っておいたんや。

ポニョ:おいら達は別に世間様を騒がしたり、恐がらしたりして喜んでいるわけではないもんな。ただ、おいら達が知っている情報を皆さんと共有しようとしてそれをブログで公開しているだけやもんな。もし、知りたくなければ話を聞かなくてもいいし、ブログの記事を読まなければええんや。わざわざあんたのとこにまで来て批判しに来るって、来るっているぜよ。

ヨシオ:あの〜字が違いますが…。

ポニョ:でも、東北だって津波の後、元に戻りつつあるしおいらはケララ州の州都トリヴァンドラムにも行ったけど、あそこは、ブルー山脈の山裾やで。ババが山脈を持ち上げられるって言われている山脈ってブルー山脈やてあんたが以前言ってたよな。だからトリヴァンドラムも一緒に持ち上げられるかもしれないぜよ。

ヨシオ:インドではな。でもそこだけやない。世界中の山脈を持ち上げられるんやろな。ある外国のサイの組織のリーダーの方に、今住んでいるところから山の方に移りなさいと言われたのを聞いたことがある。でもそのリーダーの人が、どうして私だけに言われて私が引き連れてきた多くの帰依者の人たちに言われないのですかと聞くと、彼らは今いるところでその生を終わることになっているからだ。と言われたんや。

ポニョ:ということは、おいら達がこうしてブログを使ってピーチクパーチク騒いでいるけれど、ババから見れば、うるさいのう君たち。ちょっと静かにしてくれんかのう。私が秘密にしていたことを君たちが世間に知った振りをしていろいろさらけ出すから、私が近い将来みんなを驚かそうとしていることがバレバレやないの。君たちの命を死神のヤマ君に頼んで取り上げようかな?なんてぶつくさと、ふさふさ頭の毛を掻きながら言っておられるんやろか?

ヨシオ:多分そうやろな。それじゃ、いろいろと発信するのをもうそろそろ終わりにしよか。充分やって来たしな。ポニョもスリランカやインドをウロウロしていて忙しいし。

ポニョ:ババは子供の心を持っておられるから、今からみんなをびっくりさせようとワクワクしているのに、おいら達に邪魔されるって嫌やろな。でも、人はこういう地球の大掃除がなくても世界に平和がやって来るって思っているんやろか?
皆さ〜ん。ちょっと聞いて下さ〜い。おいら達が今まで言ってきたババが再び降臨されるとか、山脈を持ち上げるとか、空を歩いて横切られるとか、影分身の術を使われるとか、地球の地軸が傾いて世界中が津波に飲まれるとか言ってきたのは、聞かなかった事にして下さ〜いね。忘れましょう。と言いますのもババ様はおくたばりになられましたし、気が変わられてサッチャサイババではなく、プレマババとして降臨された時にそれらの奇跡をされるという風になったようです。このように気が変わられ言われたこともちょいちょい変わりますので、真理という名には相応しくなく、100%お約束は出来ませんが、それらの奇跡をプレマサイに期待しましょうね。そして、この世界がこのままゆっくりと光り輝くゴールデンエイジを迎えることも期待しましょう。いや、実は前にも言いましたが、神様がこの世に降臨された時から広義の意味ではゴールデンエイジは始まっているんですよ。だから肉体のババはこの世からいなくなりましたが、ババは決して私たちの前からいなくなったわけではありませんよ。私たちの心の中にいつもおられます。ですから、別にババが戻って来られなくても良いのですよね。それに、この偽ユダ金、グローバルエリートたちが支配している世界はもうすぐ自然に崩壊しますよ。彼らは朝露が知らぬ間に消え去るように、世界からスッといなくなりますよ。彼らがこの五百年もの間、世界中で悪さをしていた事も、数多くの戦争を起こしていた事も全てが昔話になりますよ。人が今まで自然を破壊したり、環境を汚染したり、放射能を垂れ流したりしたことも、神様の恩寵で帳消しにしてくれるそうです。また、汚職や天下り、金権政治、賄賂や袖の下、嘘や虚言、不正や暴力などの腐った行為も許して下さるそうです。そして世界中で殺戮され、人の食料として胃袋の中に入っていく牛さん鳥さん豚さん魚さんも安心して下さいね。吉野家を始め、全ての食肉業者やレストランは菜食レストランになります。というのも、全ての人類は自分たちの動物たちに対して犯した罪に気づいて深く後悔し、菜食主義者になるからです。今までの辛い思い、ご苦労さんでした。ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした。そして新しい愛の世界にようこそ。皆さん、おめでとうございます。明日からゴールデンエイジの始まりで〜す!

ヨシオ:一人でそれだけよく喋れたな。でも、人類が地球や生きとし生けるものに対して犯した様々なカルマを支払わずに、ゴールデンエイジになればいいなって普通の人は思っているんやろな。

神は人類に地球を破壊する事を許しています。
人類は、完全な挫折を体験しないと神の方には向かないのです。

今、世界の抱える諸問題はより奇怪な姿をとり、より大規模になってきました。
それはもはや個人的な問題でも無く、限られた地域の問題でもありません。
規模は世界的であり、すべての人類に影響を及ぼします。
人間は且つてないほど悪くなりました。
彼らは、過去の歴史において用いた以上の知性と技術を、残虐な行為に使っています。
その者たちは他の人々に苦痛を与えるのを喜んでいるのです。

今日どうして人口が爆発的に増大しているかと言えば、それは人々の誤った行為のせいである。
動物や魚が殺され食されると、それらの魂は、人となって生まれ変わってくるのである。

良い行いは、誤った行いによる悪い結果を取り消すことが出来るという考えは、貸し借りの発想です。
神の貸借対照表は、それと種類が違います。
神は善行善果、悪行悪果と言った具合に、あなたが自分の行為の結果に直面するようにします。
神は人のどのような行為の結果にも、足し引きはしません。STPS2p153

あなたは自分が捧げた供物に見合った結果を受け取ります。
自分の行いに応じた結果を手にするのです。
悪行を為して善果を手に入れることは不可能です。
ですから、良い行いをして、善果を味わうようにしなさい。
〜しかし、今の人々は、言うこととすることがバラバラです。7/3/08

“世界は単に人間が楽しむために創造されたのではありません。自然資源を乱費し、人間性を無くしてしまった人間は創造の目的に背いています。このような人間の行動が原因で、数多くの大自然災害が引き起こされました。地震・火山爆発・戦争・洪水・飢饉などの災害は、自然界の由々しい混乱の結果です。これらの混乱はもとをただせば人間の行動が原因です。人は、人間と自然界とが円満な関係でなくてはならない事を認識していません。22/11/1992

後書き

「サイババが帰って来る」Part2を最後まで読んでいただいてありがとうございました。昨年、2014年には、ババが再降臨されるのではないかと期待していたのですが、残念ながらまだもう少し時間がかかるようです。結婚式の披露宴で、花嫁さんのお色直しを待っているような気になりますが、待てば待つほど花嫁さんは綺麗に着飾って花道に現れますので、ババも今、あちらの世界で、私たちに両手いっぱいのお土産を抱えてこちらに来られる準備をされているのでしょうね。ババは、2020年以降もその肉体の身体をとって、私たちのためにこの地球で仕事をされるとおっしゃっていますので、辛抱強く待つのみです。でも、再降臨される時期が遅くなればなるほど、肉体をとってこの世界でお仕事をされる期間も短くなってきますので、本当に一日でも早く戻って来ていただきたいものですね。そのためには、多くの人々が心からババ様〜!と呼ぶ状況が世界で起こるのでしょうね。今出て来られても、多分、ニュースや新聞の記事の第一面には載るかもしれませんが、ブームで終わるでしょう。そうではなく、この私たちの住んでいる世界がひっくり返るほどの大きな出来事が起こらないと、人々はなかなか神様の方に向かないと思います。
という意味で、今、地球で悪さをしている裏社会のグローバルエリートの連中の陰謀を、と言っても、ほとんどのやらせの事件は表に出てきていますが、暴露しようとこのPart2,で何本かの記事を掲載しましたが、連中のほとんど全てのでっち上げ事件は、想定外のことが起こり、うまく連中が思ったように行っていないようですね。その前に、地球の女神様が堪忍袋の尾を切られるのが先になるかどうかは私たちも分かりませんが、人類や全ての生き物が幸せになりますように祈ることが唯一私たちに出来ることだと思っています。最近、と言っても先月のババ様の降誕祭の日に、イエンガーさんというババの帰依者の家にババ様が現れたようです。そして、ここでしか言えんが〜、と、次のような話をされたようです。「もうすぐ、私は現れます。心配しなくても良い。私は今、人々に真理に立脚するかどうかという機会を与えているところなのだ。つまり、今、世界で非真に立脚し悪さをしている連中は、来るべきゴールデンエイジの元では存在することを許されないので、私が再降臨する前にこの世から、自然の摂理によって淘汰されてしまうということなのだ。ゴールデンエイジになって生き残れる者達は、真理にもとづいて生きている者達で、そうでない者達は生き残れないのだ。だから、今、人々はどちらを選ぶか決めなければならないのだ。宇宙の法則は誰に対しても公平に働き、偏見を持たず、それは、世俗的なものを追い求める者ではなく、真理を求める者にそういう(ゴールデンエイジに生き残れるものとしての)資格があると認めるのだ。」つまり、真理に基づいて生きているものが、次の輝かしいゴールデンエイジの一翼を担えるという事なんでしょうか。そのために今、私たち一人ひとりにババが真理に基づいて生きていくチャンスを与えられているそうです。このメッセージが本当にババ様からのメッセージかどうかは知る由もありませんが、しかし、真理に基づいて生きるってことはとても大事なことですので、ゴールデンエイジの一翼を担うか担わないかに関わらず、そのように生きていきたいものですね。それでは、皆様全てにババ様の恩寵がありますように。
2015年1月 吉日 張 世 潮

サイババが帰って来るよPart2

2014年3月4日 発行 初版

著  者:張 世潮
発  行:ポニョ出版

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ポニョ

アクアポニックスという魚を使った自然農法をやりながら、千年至福の時代を待ちわびております。

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