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屋上の星

夏山繁人

夏山出版



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1.放課後の生徒会室

 週の終わりの金曜日。ホームルームが終わって、さあ帰ろうかと思っていた僕は、教室を出た所でいきなり黒ずくめの男達三人に拉致された。
 ようやく目隠しと猿轡を外された僕はあたりを見回して、連れて来られた場所が見慣れた部屋であることに気が付いた。そこは週に一度の会合で必ず来ている、この学校の生徒会室だった。僕は手足を縛られ、椅子に固定されていて、正面には二人の人影が立っている。夕日の差し込む窓を背にして立っているので、僕の方からは逆光で顔がよく見えない。
「栗田嘉彦くん、あなたは何故ここに連れて来られたか、わかりますか」
 背の高いほうの人影が、生徒会長の声で言った。聞き間違うはずも無い、週に一度、この部屋で同じ声を何度も聞いているのだから。
「ちょっと生徒会長……何なんですか、これ?」
「例の噂は、あなたも知っているでしょう。」
 ぎくり、と背筋を冷たい汗が流れた。
 その噂は文化祭も終わり、学校全体がようやく落ち着き始めた十月の半ばになって広まり始めた。男女数人が夜中に学校へ忍び込んでいるという。それも、犯人は生徒らしい。夜遊びならわざわざ学校まで危険を冒してくる必要は無いし、数日に渡って繰り返されるのはおかしい、という怪しさもあって噂は急速に広まった。ついには守衛さんが侵入者を確認した事で、生徒会と風紀取り締まり委員会が事件の調査に乗り出したのだった。
 なるべく警察沙汰を起こしたくない学校の思惑と、この事件の本質が男女が集まって不純異性交遊に耽っているのだと確信している風紀委員会の熱意が、かつてない大規模な捜査を実現したらしい。
 同じ生徒会でも風紀取締りに興味が無い僕は、その捜査がどんなものなのかはまるで知らなかった。どうせ大したことはないと思っていたのに、まさかこんな方法とは……。
「これから風紀取締り委員の権限で、あんたを取り調べるからね。」
 生徒会長の隣にふんぞり返っている、僕と同じクラスの三島と言う女子が敵意をむき出しにした口調で言った。どんな権限を持たされているのか知らないのが余計に恐ろしい。
 細身で背が高い美人の生徒会長と、寸胴スタイルで背の低い三島とは、外見こそ対照的だが、「不純異性交遊を取り締まる」という強い意志で繋がっている。
 今年度の初めに「生徒の本分は学業であり、また学校生活を通して円滑で優良な人間関係を築く事が大切であって、淫らな不純異性交遊や不良行為は断じて認めません」と保護者相手に演説して見せた生徒会長は、教師陣と保護者会の圧倒的な支持を受けて風紀取締り委員会を立ち上げた。三島はその委員会の委員長である。
 僕なりに邪推すると、生徒会長の場合は生真面目さゆえの厳格さだろうけれど、三島の場合はちょっと違うと思う。モテない奴の僻みなんじゃないだろうか。理由はともあれ、この二人は不純行為を憎んでいる。自由で奔放なスクールライフを送りたい僕としては、何とかしてこの闇黒の時代を打ち破る救世主が訪れないかと、毎日いろんな神様に祈っている。
 昨日は神社にお参りして神頼みをした。
 一昨日は、メッカだと思う方角に向かって祈ってみた。
 先週は十字架に向かって拍手を打って、しかもお経を唱えてみた。
 だからご利益が無いのかもしれない。
「栗田は、星野輝美と中学校で同級生だったらしいですからね。どうせ、誑かされたんですよ。だってこいつ、普段から風紀の取り締まりに協力しないし、軽そうな顔してるし」
 三島が偏見に満ちた事を会長に言うので困る。
 星野輝美はこの事件の中心人物だとされている女子だ。他にも三組の江藤や、六組の岩井など、普段から委員会が目を付けている『要注意人物』も、名前が挙がっていた。
 守衛さんが警備の途中に忍び込もうとしている生徒を見つけて追いかけたのだが、捕まえることが出来なかったそうだ。懐中電灯に照らされた後姿が星野輝美にそっくりだったと言う。岩井や江藤は同じく夜になってから学校の傍をうろついていた所を目撃されたそうだ。
「俺は関係ないよ」僕は言った。「星野さんとだって、中学の時に一年だけ同じクラスだったけど、別に仲良かったわけじゃないし」
 本当は仲良くしたかったけれど、出来なかったのだ。あんまりにも可愛い人だったから、恥ずかしくて声も掛けられなかった。僕はナイーブだから。
「三組の江藤とも仲良いでしょう」
「そりゃあ、同じ部活だから」
「何か隠してるんじゃないの?」
 三島がぐいっと顔を近づけてくる。あまり長く見続けていたい顔じゃない。
「知らない、知らない、知らない」
「吐けば楽になるんだから……」
 刑事ドラマの尋問みたいだ。
「先週の水曜日、夜の八時から十時過ぎまでの間、どこで何をしていたか教えてくれる?」
 三島とは対照的に生徒会長は落ち着いた声で言った。感情的になっている三島よりも、説得しやすそうだ。
「家でテレビを見てました」
「またそんな嘘を」
「三島はちょっと黙ってろよ」
「がるるるるる……・」
 今にも噛み付いてきそうな勢いだ。
「三島さん、落ち着きなさい。それで栗田君、それを証明する人は?」
「家族ですよ。母さんも居たし、親父はまだ帰ってなかったけど、弟もいたかな。九時からは水曜ミステリー劇場を観てたんだ。ストーリーも覚えてる。三津川警部が崖で犯人を追い詰めるんだ。犯人が自殺しようとしたんだけど、何故か突然現れた猪に突撃されて死んじゃっておしまい。原作だと車にはねられて死ぬはずだったんだけど、スポンサーがポヨタだったから設定が変わったんだろうって、母さんと話したのも覚えてる」
「ずいぶん詳しいじゃない。会長、これは逆に怪しいですよ」
 三島はそう言って、僕の事を猜疑の視線で睨みつける。冗談じゃない、そんな事を言われたらこっちはどうしようもないじゃないか。
「大体、なんで僕なんですか。怪しまれるような事、一回でもしましたか?」
「江藤に尋問した時に、あんたの名前を吐いたのよ。栗田に聞けば何か分かるってね」
 あの野郎、覚えてろ。
「それはあいつが逃げる時の悪い癖ですよ。前もあいつ、部活の時にガラス割ったのに先生には他の後輩が割ったんだって嘘ついたんですから」
「そう言えばそんな事もあったわね」
 二人とも思い出してくれたようだ。
「でも、まだ疑いが晴れたわけじゃあないんだからね。あんたはいつも、風紀の取り締まりに非協力的だし、星野輝美に惚れてたって事も裏が取れてるんだから」
 いきなりそんな事を言われて、僕はうろたえて顔を真っ赤にした。
「だっ、誰がそんな事を」
「江藤に決まってるでしょ」
 またあいつか!
「あんたは中学時代に星野輝美に惚れてて、自分は関係ない掃除も手伝ったし、宿題をあの女が忘れた時にもノートを見せてやったんでしょ。それに、体育の授業で創作ダンスをやった時には同じ班にはなれたけど星野のパートナー役を他の男子に取られて悔しがってたっていう話も、しっかり話してもらったんだからね」
 いくらなんでもプライバシーの侵害だ。
「だから今回も星野輝美に誑かされてるに決まってるわ」
「濡れ衣だ!」
「三島さん、あまり彼を刺激しないで」
 刺激とかそういう問題じゃない。
「大体、星野さんは三組の岩井と付き合ってるって聞いたから、もう諦めたんだ」
「岩井……あの女たらしね」
 その点だけは三島に同意できる。
「ちょっと……いや、けっこう顔がイケてるからって女の子をとっかえひっかえ遊んでるっていう最低男……ま、星野みたいな尻軽女とは同類だから気も合ったんでしょうね」
「星野さんは悪い人じゃないよ」
「それが騙されてるって言ってんの。あの女、可愛いからって調子乗ってんのよ。しかも昼休みに、いつも男子連中と一緒につるんでるし、しかも教師にまで色目使って……あちこちでバイトやって小金稼いでるのも怪しいわ」
 やっぱり僻みだ。
「バイトは仕方ないだろ。星野さんのトコは母子家庭だから、バイト代を家計に入れてるんだ。星野さんがケータイ持ってないのも、お金を自分のために使ってないからなんだよ」
「そういう、いかにもな美談って逆に怪しいのよね。いかにも悲劇のヒロインを演じて同情を誘ってるみたいじゃない」
「三島さん、それは言い過ぎですよ」
 会長に諭されて三島は視線を床に落として、すいません、と小さく言った。
「まあ、どうやら栗田君はこの件については、深くは関係してないようですね」
 無関係と言い切ってもらえないのが悲しい。
「それでもまだ疑いが晴れたわけじゃないんだから。江藤があんたの名前を出したのは事実だし。侵入事件があったのは水曜日だけじゃないし……疑いを晴らしたいなら、身の潔白を証明してもらわないと」
 三島が変な事を言った。
「身の潔白って……何だよ」
「あんたも風紀取締り委員に入りなさい」
「嫌だ!」
 生徒の大多数から嫌われている風紀委員会だ。そんなのに入ったら、これまで築いてきた僕のクラスでの人間関係が一瞬にして崩壊してしまう。
「じゃあ正式に委員に入らなくてもいいわ。この件についての調査をするから、あんたも協力しなさいよ」
「協力? あんまり表立った事はしたくないよ、みんなに勘違いされたくないから」
「うちは人手が足りないのよ。だからこうして、先生達にも手伝ってもらっているんだから」
 三島は顎で、僕の後ろに立つ黒ずくめの男達を指した。振り返って見ると、三人の黒ずくめは覆面を取る。
「岩室先生に小島先生に田中先生まで……」
 三人とも体育教師だった。田中先生は僕のクラスの担任で、生活指導の担当でもある。確かに風紀取締りには一番協力的で、しかも力仕事の出来る人たちだ。
「拉致って犯罪ですよね、先生?」
「あんたには裏方の仕事をやってもらいたいのよ」
 僕の言葉は無視された。
「それか、生徒への聞き込み調査ね。どっちがいい?」
 どちらか選ばなければ帰してもらえなさそうだ。聞き込みをすれば顔を晒すことになる。書類の整理だろうが三島の肩揉みだろうが、風紀取締りに協力した事がみんなにばれないのならいい。
「……裏方でお願いします」
 言った途端、三島がにやりと悪魔のように笑った。
「ふふん、裏方ね。それじゃあ今日からさっそくお願いするとしましょうか」
 何故か先生達も怪しい含み笑いを洩らした。

2.夜の学校前

 夜。僕は学校の校門前に居た。
 正確に言うなら、校門前にある自販機の陰だ。しかも三島と一緒になって身を隠しているから、狭苦しくて息が詰まりそうになる。
「あんまり押すなよ、三島」
「あんた、もうちょっと痩せたらどうなの」
 その台詞はそっくりそのままお返しするよ。
「ちょっと、胸に肘が当たってるじゃない!」
「え、腹の肉の間違いじゃないか?」
「がるるるる……」
「わかった、わかった。怒るなって」
 こんな所で三島とくっついてるのを誰かに見られたらたまったもんじゃない。変な噂が立ったらそれこそ、僕は自殺するか転校するかのどちらかだ。
 夜の学校で侵入者を捕獲する。
 三島が言った『裏方の仕事』とは、こういうことだった。確かに聞き込み調査ではない。ただ、これは『裏方の』仕事じゃなくて、『裏の』仕事だ。
 騙された感がしないでもないが、聞き込み調査よりはマシだと思って泣く泣く了承した。母さんには、友達の家に泊まることになったと嘘をついている。
 見張りに立っているのは全部で七人。僕と三島が学校の正門前で張り込み、山室先生が裏口に潜み、小島先生は駅から学校へ上がってくる坂道の途中で監視を続けていて、田中先生は校舎の玄関に身を隠している。あとは守衛さんが二人、学校の校舎内部を順次見回り続けている。
 風紀委員会が人手不足だという話は本当のようだ。
「まさか、毎晩見張ってるのか?」
「一応、交代制でやってるの。それよりあんた、縄は持ってきた?」
「なわ?」
「決まってるでしょ、星野輝美をとっ捕まえるための縄よ」
 そんなもん持ってくるわけがない。
「いやいや、いくらなんでもやりすぎだろ。縛ったりしたら犯罪だぞ」
「誰が縛るって言った? 縄の先を輪っかにして、逃げる星野輝美に向かってビューンと」
「お前いつからカウボーイになったんだ?」
「ふんっ……まあ、冗談はこれくらいにしておくわ」
 三島は『学校防衛作戦』と描かれた紙を広げると、ペンライトの光を細く絞って紙を照らした。学校の見取り図だった。
「これまでの調査から、侵入拠点は三つに絞り込まれてるわ。一つは正門の通りを曲がったところにある、樫の木の陰。フェンスに土が付着していたから、きっと乗り越えているんだと思う。もう一箇所は校舎裏……山室先生が張り込んでいる所ね。ここは巧妙にも植木に隠れたフェンスの下部に抜け穴が空いていたの」
「抜け穴?」
「ウチの学校、変質者防止のためにフェンスを高くしてあったけど、頑丈には出来てないのよ。どうやらペンチか何かを使ってフェンスに穴を空けたみたいね」
 どうも話が穏やかじゃない。犯罪一歩手前だ。
「それで、三箇所目はどこなんだ?」
「あんたやる気になってきたじゃない」
「スパイ映画みたいで面白そうだからね」
 ふふん、と三島が笑った。「三箇所目はね……」と言いかけた三島が、急にペンライトの明かりを消すと、正門を挟んだ先の曲がり角の方をキッと睨んだ。
「誰か来たみたい」
 まさか。あの道は駅から上ってくる坂道だ。小島先生が監視しているのをどうやって潜り抜けてきたんだ。
「いい、相手の姿を確認したら、即座に確保に移るからね。それまでは、音を立てないで」
 三島は音を立てないように紙を懐にしまうと、自販機の陰からそっと顔を出して様子を探った。正門の前は電灯が照らしているけれど、僕らが潜んでいる場所までは光が届いていない。おそらく相手に僕らの姿は見えていないだろう。
 よほど警戒しているのか、なかなか姿を見せない。しかし、不意に足音が近付いてきた。正門の方からだ。どうやら相手の方が先に痺れを切らしたらしい。
 暗闇から電灯の照らす場所にゆっくりと姿を現したのは、僕も三島も見慣れた相手だった。僕らと同じ生徒会のメンバーだったのだ。
「裏切ったわね!」
 突然、吼えると同時に三島は大地を蹴って闇から飛び出すと、その外見からは想像もつかない獲物を追う肉食獣のような勢いで侵入者に肉薄した。驚き、慌てて逃げようとした相手の背中に飛び掛ったかと思うと、たちまちその場に組み伏せていた。恐ろしい恐ろしい。
 気弱な太っちょ男子、二宮は三島に組み伏せられたまま、涙を流していた。
「栗田、ちょっとこれ持ってて」
 三島は僕に『学校防衛作戦』を渡すと、ウエストポーチから何か取り出した。
 …………縄だよ。
 こいつ本当に持って来てたのか。
 二宮はあっと言う間にぐるぐる巻きにされた。可哀想に、さっきから三島を見る目が恐怖の色に染まっている。三島は、身動きの取れない二宮を尻の下に敷いてどっかりと座り込むと、田中先生にケータイで連絡を取った。
「栗田君、栗田君」
 二宮が僕に助けを求めてくる。
「ねえ、栗田君お願いだ、助けてくれ。星野さんに頼まれて、仕方なく来たんだ。本当だよ。だから……」
「悪いな二宮。助けてやりたいんだが、俺も後には退けない状況なんだ」
「まさか栗田君が委員会に味方してるなんて……」
「言っておくけど、メンバーじゃないよ。強引に引き込まれたんだ。こっちだって被害者なんだよ」
「なら……っ」
「駄目だ。お前らをとっ捕まえない限り、俺に自由は与えられないんだよ」
 どこかの映画で観たようなやりとりを続けていると、連絡を終えた三島が戻ってきた。
「二宮が生徒会を裏切ってるんじゃないかって薄々は感づいてたけど、まさか侵入者一味だとは思わなかったわ」
「なんで二宮が怪しいってわかったんだ?」
「女の勘よ」
 当てになるのかならないのか。
「ビビりの二宮が、不法侵入なんてやるとは思ってなかったけどね。まあ、尋問しやすい相手が捕まってくれたのはありがたいわ」
 そして彼女は悪魔のような笑みを浮かべる。こいつはサディストに違いない。
「知らない、知らないってば。僕は……僕は知らない」
「答えられる事から言えばいいのよ。別に難しいことじゃないでしょ、知ってる事を喋るだけ喋ればいいんだから。まずは首謀者からね。誰に言われてここに来たの?」
「それは……星野さんに」
「やっぱりあの女か。それで、目的は……聞くまでも無いわね。尻軽女に誘われて男が集まってやることなんて、どうせ不純異性交遊に決まってるわ」
 二宮は何も答えずに俯いて、地面に視線を落とした。
「おい、そうなのか?」
 彼は僕の問いかけに答えないで、泣いてばかりいる。まさか本当に……。
「残念だったわね、栗田。これが星野輝美の正体よ」
 三島が、残酷にも宣告する。
 考えてみれば、女たらしの岩井と付き合い始めたと聞いた時から諦めてはいたのだ。いつまでも子供のままじゃない。当然と言えば当然だ、みんな大人になっていくんだから。それでも、初恋の相手である星野さんに対しては、まだ僕は自分勝手な理想を抱き続けていたかった。まだ清純なイメージを崩したくなかった。勝手な願望だけれど。
「まあ、仕方ないよ。星野さんと俺とは、縁が無かったんだ」
 もしも僕がもっと早く、星野さんに告白でもしていれば、今は少しでも変えられたのかもしれない。
「片思いが無残に散って悲しんでるところ悪いけど、まだ仕事は終わってないんだからね。今夜一晩は気を引き締めててよ」
「ああ、わかってる。わかってるよ」
 一度深呼吸をしてから、僕は二宮に向き直った。涙目の二宮は、今までと違って憎らしく見えた。
「それで、他の奴らはいつ来るんだ。いや、そもそも誰が来るんだ」
「僕のほかには、江藤君と岩井君だよ。後は知らない。時々、一年生の子も来る」
「一網打尽にしてやるわ。それで、あんた以外のメンバーはいつになったらここに来るの」
「ここには来ないと思う。多分、もう中に入ってるよ。八時半に集合する予定だったんだ」
 僕は腕時計を見た。針は午後八時三十五分を指している。
「他の入り口は見張ってるわよ。校舎裏もしっかりとね」
「校舎裏? そこは違う。裏口のところにあった穴は、委員会の見張りを引き付けるために用意したって岩井君が言ってた」
 フェイクまで仕掛けている。
「本当は、駅の方からぐるっと回って学校の反対側に出るんだ。そこのフェンスがちょうど忍び込みやすくなってるんだ。その後に、音楽室前の廊下から中に入るの。そこだけ鍵を空けておくんだ」
 三島は舌打ちをすると、二宮を睨み付けた。
「つまり、アタシたちはまんまと騙されたって訳ね。ふふん、いいじゃない。何としても今夜中にけりをつけてやるわ。二宮は田中先生に引き渡す。栗田、あんたは一緒に来なさい」
「どこに?」
「もちろん校舎内部よ。さあて、二宮。星野達がどこにいるのか知ってるんでしょ。さっさと吐きなさい!」
「お、屋上に……」
 何でまたそんな場所で。
 どうもこいつから話を聞いていると、余計に星野さん達の目的がわからなくなってきた。だが三島はそんな疑問を抱くことも無く、闘志を燃やした瞳を校舎に向ける。
「よーし、いよいよ大詰めね。行くわよ、栗田っ! あいつらぎっちょんぎっちょんにしてやるんだから!」

3.夜の校舎内


 夜の校舎はしんと静まり返っている。普段の賑やかな廊下を知っているからか、無人の廊下を二人で歩いていると、まるで別の世界に迷い込んだような錯覚を覚える。懐中電灯を手に進む三島と並んで歩く僕は、複雑な思いで歩を進めていた。
 この先に待つのは、星野さん達の集まっている『現場』だ。彼らの目的が三島の予想通りだとすれば、その『現場』を僕は直視することになる。一晩に続けて衝撃を受けたくない。やっぱり星野さんは、僕の理想の星野さんのままでいて欲しい。勝手な願いだ。非現実的な願いだ。それでもそう願ってしまう僕は、口では諦めた諦めたと言いつつもやっぱり片思いの初恋を引きずり続けていたらしい。こんな形で自分の未練がましい恋を再確認したくは無かった。
「綺麗だね、月が」
 いつもと違う口調で三島が呟いた。空には、やや楕円になっているものの、満月に近い形の月が銀色の光を放っている。月光は静まった地上に降り注ぎ、窓から差し込んで廊下を照らしている。
「いつも見てる昼の廊下は真っ白なのに、夜になると綺麗な夜の色になるんだね。夜の色って不思議だと思わない? 青くも見えるし、銀色にも見えるけど、黒くもあってさ」
 三島が、三島らしくない事を言っている。
「水平線の先みたいな色だよね。藍色に染まった海と空の境界線の色って、夜の色と似てると思うわ」
「海と空の境界か。あんまり見たことないな」
「一回、見てみなさいよ」
「機会があったらね」
 僕らは取りとめもない会話を自然と交わす。それが一番奇妙と言えば奇妙な出来事だ。何がおかしいのかはっきりとは分からないけれど、自分の中で違和感を覚える。違和感と、不安と後悔と何やらで喉の奥がむず痒い。深呼吸を繰り返しても取り除けないむず痒さは、治まるどころか強くなっていくばかりだ。やがて僕らは屋上へと出る扉の前に着いた。
 三島が扉に耳をくっつけて、「声がする」と囁いた。いつの間にか、夜の色を語っていた三島の顔が消えて、獲物を追う狩人のような目付きに戻っている。こっちのほうが僕の見慣れた三島である。
「行くわよ」
 二人そろって深呼吸。不思議と僕らは息が合ってきていた。三島はドアノブに手を掛けると、勢いをつけて一気に扉を開いた。
 そこに、星野輝美がいた。岩井や江藤もいる。予想通りの顔ぶれ。しかし、屋上で繰り広げられていたのは、僕らの予想とはまるで違う光景だった。
 三人はそれぞれ手を握って、円を作っていた。屋上の真ん中で、三人は輪になって立っている。決して、不純異性交遊ではないが、何をしてるのかよくわからない。
「はっははぁ! 星野輝美とその一味! 学校は完全に包囲されてるわよ、大人しくお縄に着きなさい!」
 時代劇の見過ぎだ。
 七人で完全な包囲なんてできるわけがない。
 大体、一味って。
 ツッコミはいろいろ浮かぶ。口に出して三島を怒らせたら怖いから黙っているけど。
 星野さん達は目を丸くしている。てっきり、遅刻して来た二宮だと思ったのだろう。それが、現れたのは三人が最も恐れる……であろう……風紀委員の三島だ。二人は驚きのあまり声を失い、もう一人……江藤は僕の顔を見て、「うあ」と声を洩らした。
「えとおおおおぅ! お前のせいで俺はこんな所にいるんだぞ、わかってんだろうなあ!」
 何しろ奴は僕が委員会の取調べを受けるキッカケを生んだ相手だ。親の仇以上の仇敵だ。こいつだけはこの手で捕まえてやる。
「ふっふっふっ……二宮は先に宿直室でお説教されてるからね、あんたらも……」
 桃太郎侍というよりは、山吹色の饅頭を受け取りほくそ笑む悪代官のような顔をした三島が、星野さん達ににじり寄る。見ていて不安を誘う光景だ。
「逃げてっ」
 星野さんが叫んだ。石化の呪縛が解かれたように、岩井と江藤の二人が我に帰る。だが屋上からの出口は僕らが立っている扉だけだ。
「に、逃げろったってどうすりゃいいんだよ……」
 岩井がうろたえている。僕としては、女たらしのこいつも許せない。星野さんの彼氏だって言うのも個人的に許せない。どさくさ紛れに一発でも打ん殴ってやりたい相手だ。
「逃げる場所なんてないわよ! 諦めて、宿直室に行きましょうか」
 その時、岩井が星野さんの腕を掴んで引き寄せると、近寄りつつあった三島の方に向かって、江藤の背中を蹴って突き飛ばした。
「うわっ」
 バランスを崩した江藤が三島に倒れ掛かり、予想外の行動に反応できなかった三島を巻き込んでその場に盛大にすっ転ぶ。すぐに岩井が星野さん腕を掴んで、二人そろって僕の方めがけて走り出した。
「栗田ぁ、捕まえろお!」
 三島が叫ぶ。けれど僕は喧嘩なんてしたことがない。岩井の奴は僕の目の前まで来ると、いきなり襟首を掴んで力強く引き寄せる。殴られるっ! 思わず僕は目を閉じた。
 僕は両手で奴の腕を掴んで振りほどこうとした。だが岩井は、今度は急に両手を使って僕の事を突き飛ばす。勢いよく突き飛ばされた僕はそのまま仰向けに倒れて、後頭部を床にガツンと打ちつけた。一瞬目の前が真っ暗になって、真っ白になって、夜空とは別の星がチラついた。気絶しなかったのは奇跡かもしれない。
「痛ぇ!」
 頭を抱えながら起き上がろうとした僕の腹を岩井が力強く蹴り上げる。衝撃に一歩遅れて激痛が襲ってきた。さすがにこれは堪える。夕食に食べたスパゲッティが喉から飛び出しそうになった。
「ダメっ」
 星野さんの声がした。
 うずくまる僕を、なおも岩井の奴は蹴飛ばそうとしている。星野さんはそれを押しとどめていた。
 一瞬、僕と岩井の目が合った。獰猛な目をしている。こんな奴に僕は負けてるのか。こんな奴に星野さんを……。そう思うと悔しくて涙が出そうになった。
 が、それも束の間。視界の外から急に大きな声が響く。
「あんたら二人、ぎっちょんぎっちょんにしてやるからねっ!」
 三島復活。ついでにその隣では、犠牲にされた江藤も恨みがましい目で岩井の方を睨みつけている。
 形勢不利と見たか、岩井は星野さんの腕をがっちりと掴みなおすと、階段を駆け下りていった。僕は彼らを追いかけることも出来ず、蹴られた腹を抱えてうずくまっていた。最初に僕のところへ駆け寄ってきたのは江藤だった。
「よぉ、マロ彦、大丈夫か?」
 こんなときでもいつものあだ名で呼んでくる。栗田嘉彦が僕の名前。栗を英語でマロンと言うから、マロ彦。中学の時に付けられたあだ名だけど、高校に入ってからもマロ彦で呼ぶのは江藤くらいだ。
「……元はと言えば……お前の……せいで…………」
「ああ、悪かったよ。今度なんかおごるから、許せ」
「…………二千円以上じゃなきゃ許さない」
「千五百円にまけとけ」
 とりあえず、それで許してやることにする。すぐに嘘をついたり、誤魔化したりするのも折り込み済みでこいつとは友達をやってるんだから、いつまでも根に持っていたって仕方ない。そういうのも含めて付き合うのが友情ってやつだろう。
「今頃あの二人も、先生達に捕まってる頃ね」
 三島は案外なほど落ち着いていた。余裕から来る落ち着きだろうか。
「栗田、怪我はしてない?」
「多分。とにかく痛いだけ……かな」
「なら平気でしょ。頑張れ男子っ」
 けど、涙が出ちゃう。だって男の子だもん。
「岩井の奴、俺の事まで突き飛ばしやがった」
「栗田よりはマシでしょ。あの女たらし、この貧弱男を張り倒した上に、無抵抗なのを見ても蹴り飛ばすなんて、いくらなんでも許せないわ。あいつら、カップル揃って晒し首にしてやる」
「いやいや三島さん、さすがに首チョンパはまずいッスよ」
 江藤がへらへら笑いながら言う。ようやく痛みが引いてきたので、僕もその場に立ち上がった。
「それで、江藤。お前ら何してたんだ?」
「へ? 何って、なんだよ。二宮から聞いたんじゃなかったのか」
「あのデブは、いくら聞いても泣いてるばっかりで、何も答えてくれなかったのよ」
「ははは、二宮がデブなら三島さんだって相当……いや、深い意味はないッス」
「二宮は逃げようとしたから縄でぐるぐる巻きにしてやったんだけど。あんたもそうされたい?」
 目が本気だ。
「いや、ねえ。星野さんがUFOを呼ぼうって言うから着いてきたんだよ」
「UFO?」
 三島が素っ頓狂な声を上げた。
「何よ、それ。その為にわざわざ夜に学校まで忍び込んでたわけ? バカじゃないの」
「そりゃあ、もしかしたら……って下心もあったけどさ、別に変な事はしてないよ。みんなで手を繋いで輪になって、『ベントラー、ベントラー、スペースピープル、スペースピープル、こちら地球です』って言うの。ただそれだけ。終わった後にみんなでマック行くのもなんか楽しくてさ。へへへ、星野さんとずっと手繋ぎっぱなしだったんだ。マロ彦、よかったらあとで間接握手させてやろうか」
 間接握手って何だ。
「何でお前の手を握らなきゃいけないの」
 江藤は僕に向かって右手を差し出した。
「ついさっきまで握ってたから、温もりが残ってるかもしれないぞ」
 とりあえず握ってみる。
「あんた、それ握るの? バッカみたい!」
 三島が呆れた声を上げる。そりゃあそうだ、自分だってバカだと思うんだから。
「あちゃあ、こっちの手は岩井と繋いでた方だった」
 うわあ、ばっちい。
「からかってんのか」
「うん」
 やっぱり二千円以上おごってもらう事にしよう。
「江藤、あんたさっきから随分とヘラヘラしてるけど、勝手に学校に忍び込んだのは事実なんだからね。停学処分くらいは覚悟しなさいよ」
「あ、やっぱりそういう事になるの? 反省文とかじゃあ、無理ッスか」
 こんなときでも江藤は、嘘吐き特有のヘラヘラした愛想笑いを崩さない。こいつにとっては怒られるのなんて日常茶飯事なのだ。ある意味、大物かもしれない。
「さあ……それは宿直室で他の三人と一緒に聞いたらどう? 田中先生と山室先生と小島先生が待ってるから」
 ずらりと並んだ体育教師の名に、さすがの江藤もちょっと怯んだ。それを見て、ようやく三島は満足そうに笑った。

4.夜の屋上

 星野さん達はみんな反省文を書かされた。週明けの月曜日には保護者も呼び出しを食らって、随分と長いお説教を受けた。さらには田中先生指導の下、校外マラソンを一週間毎日続けると言う罰も科せられた。ただし、不純異性交遊が確認できないという事で、三島率いる風紀委員会も厳しい追及を続ける事は無かった。正直なところ、不法侵入はじゅうぶん風紀を乱していると思うのだけれど……委員会の価値判断はイマイチよく分からない。
 それから、後になってから生徒会長に尋ねたところ、委員会の権限では、二日間停学までの処分なら職員室とは別に、独自の罰則として与えられるそうだ。なんと生徒手帳にも記載されている、学校公認の権限らしい。とんでもない権限である。頑張ってる三島には悪いけれど、やっぱり委員会にはさっさと無くなってもらいたい。
 しかし結局のところ、星野さんがどうしてあんな方法を選んでまでUFOを呼ぼうとしたのかは、誰にも語らなかったそうだ。三島によれば「あの女はどっかネジが抜けてんのよ」だそうだ。確かに今のままでは僕もそう思う。
 駅から学校まで上る坂道は、日が暮れると電灯が点る。けれど、線路沿いにしばらく山に沿って進むと、人気の無い細い裏道が現れた。古びた石段のあちこちから雑草が飛び出していて、家と家の間を縫うように曲がりくねった階段が、ずっと上まで続いている。商店街から響いてくる喧噪や、電車が来るたびに流れる駅のアナウンスと、トンネルから響き渡る列車の走行音。様々な音が家の外壁同士で反射して、方向感覚が狂わされるようだ。音に酔った僕は、何度か立ち止まって自分の足がしっかりと石段を踏んでいることを確認しながら、一歩一歩、階段を上がっていった。
 上りきると、あの夜に二宮が確かに言っていた通り、学校の敷地を挟んで駅と反対側にある、人気の無い道に出た。住宅に面した通りで、普段から使う人もほとんどいない。夜になれば人通りなどあるはずもなく、しんと静まり返っていた。
 探せばすぐに、星野さん達が忍び込むのに使っていた場所は見つけられた。フェンスがちょっと低くなっている箇所がある。確かにこれなら乗り越えやすいだろう。何故か、真新しい土がフェンスにくっついていた。
 辺りを見回して、誰もいないのを確認した僕は、助走をつけてフェンスに飛び乗ると、何とか乗り越えて学校の敷地に入った。
 先週の金曜日、あの日の夜に三島が持っていた『学校防衛作戦』を見たから、ある程度、守衛さん達の配置も頭に入っている。音楽室前の廊下にある窓を見ると、鍵が外されていた。これも二宮が言っていた通り。
 つまりは、処分が下された後も状態が何も変わっていない、という事だ。誰かが侵入しているという状況さえも。
 あの夜よりも若干細くなった月は、しかし前と変わらない夜の色をした光を放っている。廊下は、海と空の境界線にもよく似た、深い藍色に染まっていた。不思議と懐かしい感覚がする。あれから数日しか経っていないのに。
 途中で何度か守衛さんをやり過ごしながら、ようやく僕は屋上に辿り着いた。三島が待ち構えていたらびっくりだけど、さすがのあいつも、今になって僕が忍び込むとは想像もしていないはずだ。
 重たい扉を開いて屋上に出ると、月光が降り注ぐ中に彼女がいた。
 星野輝美は一人で屋上の真ん中に立って、夜空に向けて差し伸べるように両手を広げていた。名前を呼ぼうか、それとも何か別の呼びかけがあるか、考えているうちに星野さんが振り返って、僕の目をまっすぐに見返してきた。そして、にこっと笑った。
「なんでわかったの、マロ彦くん」
 いきなり昔のあだ名で呼ばれて、ちょっとうろたえた。その名前を星野さんが知っているとも思わなかった。
「何となく。もしかしたら、まだ来てるんじゃないかなって思っただけ」
 星野さんはやっぱり笑ったままで、その場に座り込んだ。
「で、やっぱり委員会としては、不法侵入を放っておけないの?」
「僕は委員会じゃないよ」
「へえ、そうなの? でもこの前、三島さんと一緒にいたじゃない」
「あれは……」なんて説明したらいいのか。「……強引に誘われたというか、脅迫されたというか、何と言うか」
「三島さんってパワフルだからね」
 あれをパワフルなんて言葉で片付けてしまっていいのか。むしろ、獰猛な野獣だ。
「じゃあ、いま一緒にいる所を見つかったらマロ彦くんもわたしと一緒に捕まっちゃうわけだ」
「その……マロ彦って言うの、やめてくれないかな」
「でも、君の本名知らないから」
「栗田だよ」
「下の名前は?」
「嘉彦」
「うーん、やっぱりマロ彦でもよくない?」
 何をどう考えてマロ彦のほうがよくなったのだろう。
「……うん、まあ、別に何でもいいや。マロでも栗でも」
 僕は近くの手すりにもたれ掛かるようにして座り込んだ。真っ暗な校庭をちらりと見たけれど、怖くなって視線を空に向けた。
「今もUFO呼んでたの?」
「そうだよ」
「何で」
「だって、夢があるじゃない」
 よくわからない。
「わたしの家ってお父さんがいないんだ。子供の頃からずっとそうだから、顔も知らないんだけどね。まだちっちゃい頃には、他の友達にはお父さんがいるのに、なんでうちには居ないのってお母さんに聞いたりしたけど、大人の都合なんて子供に説明できないでしょ、だからお母さんね、『お父さんはUFOに乗って行っちゃった』って嘘ついてたの」
 とんでもない嘘だ。江藤もビックリの嘘の付き方。
「だからUFOを呼んでるの?」
「そう。お父さんに会えるかもしれないでしょ」
 星野さんはちょっと寂しそうに笑った。僕には両親が揃っているから、お父さんに会いたいという気持ちがあまり実感できない。
「前からね、自分の家の屋根に上ってUFO呼んでたんだよ。お父さんが乗ったUFOが来るんじゃないかって。小学生の頃までだったかな? 結局、一度も来なかったけど」
 毎晩、来るはずも無い相手を待っているのはどんな心持だったんだろう。
「それで、何でわざわざ学校に来るようにしたのさ」
「夏休みに新しいお父さんが出来たから、かな」
 短く、さっきよりも早口に彼女は言った。吐き捨てるように、と表現してもいいかもしれない。
「初めて紹介されたのが、夏休みの初め頃。今年中には入籍するみたい。別に今さらお母さんが再婚したって別におかしくないんだろうけど、なんか、何かが違うって思ったんだ。本当のお父さんってどんな人だったんだろうって、今さらだけど、気になっちゃってね」
「わかるよ、その気持ち」
「本当に?」
 実はあまりわからない。実感がわかないから。
「うちの親って、この学校の卒業生なんだってさ。お父さんの事で、お母さんが、私に教えてくれたのはたったそれだけ。この高校で初めて出会って……わたしを産んで。でもお母さんだけになっちゃって。わたしはお父さんの事を何も知らないまま。この学校に通ってた事しか知らない。だから、学校はわたしにとっていちばんお父さんに近い場所なの。変な理由かな?」
「うーん……いや、いいんじゃないかな」
 星野さんは立ち上がると、また、夜空に向かって両手を広げた。僕の方からは、十字架に似た姿に見えた。
「岩井君が最初に、一緒に来てくれてね。まあ、岩井君ってあんまり良い噂聞かないから、正直ちょっと悩んだんだけど」
「付き合ってたんじゃないの?」
「ああ、そういう噂もあったっけ」事も無げに彼女は言った。「でも、噂は噂。私、まだそういうの興味ないから。映画観に行った事もあったけど、それは、UFO呼びたいなんてワガママに付き合ってもらったから、断りにくくて仕方なく。でも、それだけ。だって、ご飯食べてる最中に次の人との予定入れてるんだから、まともに相手なんかしてたら堪んないよね、ああいうタイプって。遊びだって割り切れる人じゃなきゃダメだと思うよ」
 なるほど、ちょっと安心した。
「マロ彦、あの時に蹴られた所、大丈夫なの?」
「平気だよ。あいつの蹴りは大したこと無かったから」
 あのとき涙が出るほど痛がってたのも忘れて、ついつい強がってしまった。
「頑丈なんだね」
「まあね」
 強がったからには後に引けない。
 星野さんは、踊るようなステップを踏んで僕の隣まで来ると、ひょいっと身をかがめて僕の事を覗き込んできた。
「ねえマロ彦。よかったら今夜だけでいいから、一緒にUFO呼ばない?」
「いいよ。どうすればいい?」
「呼び方は簡単。教えてあげるね。まずは最初に輪を作るの。二人だけでも、円なら作れるでしょ」
 二人で屋上の真ん中まで行くと、お互いの両手を握った。僕よりも一回りは小さい手を握り締めたまま、僕らは二人で大きく手を広げて、小さな輪を作る。
「空を見上げて」
 視界一杯に広がるのは、まばらに煌めく秋の星と、鈍い銀色に輝く下弦の月。
「念じながら、唱えるの。『ベントラー、ベントラー。スペースピープル、スペースピープル、こちら地球です』。簡単でしょ」
 僕らはそれからしばらく、二人きりでUFOを呼び続けた。

5.ベントラー、ベントラー


 当然と言えば当然だけど、UFOは来なかった。
「来るわけないよね」
 帰り道。駅まで下りる坂道を二人並んで歩きながら、星野さんはぽつりと呟いた。
「本当はわかってたんだ。来るわけないって」
 それはUFOの事を言ってるのか、それとも、彼女の本当のお父さんの事を言っているのか。あるいはその両方か。
「頭ではわかってたけど、それでも来て欲しかったの」
 やっぱりお父さんの事なんだろう。
「これだけ世界中に空があって、宇宙はその先までずっとあって、見えない星がいくつもあるんだから、一台くらい来てくれててもいいと思わない?」
 あれ、UFOのほうなのか。
「お父さんとも、会えるかもしれないよ」
「そうかなあ? でも、うちにはもう新しいお父さんがいるからね。戻って来ても近付けないんじゃないかな」
 何故か星野さんは笑いながら言った。
「別にわたしも、新しいお父さんが嫌ってわけじゃないんだよね。割といい人だったし。今まで無理してバイトもやってたけど、これからは余裕ができそう。概ね、幸せだよ」
 概ね幸せとはどういう事だろう。やっぱり、幸せと言い切れない部分があるのだろうか。でも多分、それは僕の家でも同じ事で、おそらく三島や江藤や、他のみんなだって同じであって、概ね幸せだから毎日笑ったり泣いたり出来るんだろう。絶対の幸せが続いたとしたら、寧ろ作り物っぽく感じるのかもしれない。不変の幸せに馴れるよりも、毎日が概ね幸せいっぱいならば、そのほうがきっと毎日が楽しいと思う。
 屋上ほど力いっぱい握ってはいないけれど、僕らは確かに手を繋いだまま坂道を下っていた。腕を組んだり寄り添ったりするわけではない、概ね満足。少なくとも間接握手とかいうものよりはずっと良い。
「こうやってさ」
 何を言おうか決めたわけではないのに、僕は話し始めた。
「なんて言うのかな……」
 シチュエーションならたくさん考えていたはずなのに、台詞なら星の数ほど揃えていたはずなのに、肝心な時に出てこない。今さらはぐらかして逃げようとは思わなかった事だけが、僕の僅かな勇気だろうか。
「ずっと前から、こうやって、一緒に帰りたかったんだよね」
 精一杯の声を絞り出したつもりだったのに、星野さんの耳に届かなかったのか、なんのリアクションも見せないで彼女は、変わらぬペースで歩き続けている。
「あのさ、星野さん……?」
「ん、何?」
 聞こえてなかったのか。
 自分の臆病さが嫌になる。勇気の小ささが嫌になる。
「……なんでもない」
「じゃあ、明日から一緒に帰ろうよ」
 事も無げに投げかけられた言葉が、脳みそに届くまでに数秒掛かった。
「一緒に?」
「そう、一緒に。どうせ駅まで一本道だから。ほら、あとちょっとで駅に着いちゃうよ。マロ彦はどっちのホームなの?」
「僕は駅から歩きだよ。商店街のど真ん中に家があるから」
「へー、そうなんだ。いいねえ、学校から近くて」
 いつの間にか僕らの手は離れていた。でも、手よりも温かいものはさっきよりも近付いているんだと思う、何となく。
「わたしはここから、電車で二十分も掛かるの。市街のほうだから。小さな家だけど、今度遊びに来てよ」
 僕は頷いてみせた。本当ならもっと話したいし、聞きたい事だって山ほどある。けれど言葉が出てこない。喉が動かない。以前ならもっと焦っただろう。けれど今は、少し余裕が感じられる。
 駅の改札口で彼女を見送るときに、「また明日」とだけ言葉を搾り出した。
 その一言で充分だった。まだ明日がある。その次にもまた明日がある。山ほどある聞きたい事や、一緒に話したい事は、その明日のためにとっておけばいい。尽きる事は無いだろうけど、焦ることもない。
 ホームに上がる階段を昇る前に、彼女は立ち止まり振り返って、僕に向かって大きく手を振った。周りに人がいるにも関わらず、僕も同じように大きく手を振り返した。彼女の姿が見えなくなるまで振り続けた。
 また明日。もう一度呟く。
 僅かに手のひらに残っていた温もりも、夜風に吹かれて消えていった。

屋上の星

2014年3月16日 発行 第5版

著  者:夏山繁人
発  行:夏山出版

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夏山繁人

横浜生まれ横浜育ち、いちおうM.A.の20代。SF、恋愛、ホラー、青春、純文学などジャンル問わず色々な話が好きです。 Twitter @Shigeto_Natsu 自サイト:夏山繁人の端鏡 http://natsuyama-shigeto.jimdo.com/

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