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あらすじ

筆者は青森県津軽地方、岩木山のふもとで生まれ育った。
戦後間もない日本復興の時代、1頭の馬が家族のために働いて一家の暮らしを支えていた。
馬の名は「青馬(アオ)」
アオは来る日も来る日も休む事なく、山で伐採された杉の木を運ぶ仕事を手伝っていた。
戦後まもない不自由で物の無い時代、子供だった筆者たちに白いご飯をおなか一杯食べさせたアオ。
その為にアオは辛く苦しい、最も過酷な仕事を引き受けて働いた。
馬と人間との繋がりを描いた感動の実話物語。

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「青馬」と過ごした物語

中野壽美

DYNAMO Publishing



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   目 次

 アオとわたし
 アオのなみだ
 アオの異変いへん
 アオ、転落てんらく
 アオ、ことなきを
 はしれ!アオ!
 突然とつぜん再会さいかい
 もったいない
 憔悴しょうすい
 わか
 アオ、ありがとう

   アオとわたし

 わたし青森県津軽地方あおもりけんつがるちほう岩木山いわきさんのふもとでまれそだちました。
 戦後せんごまもない日本復興にほんふっこう時代じだい一頭いっとううまわたしたち家族かぞくのためにはたらいて、一家いっからしをささええてくれました。
 うま名前なまえは「青馬(アオ)」。
 アオはやすむことなく、やま伐採ばっさいされたすぎはこ仕事しごと手伝てつだってくれました。
 アオとかなしいわかれをしたのは、いまから五十数年前ごじゅうすうねんまえわたし小学二年生しょうがくにねんせいぐらいのときでした―。

 戦後せんごまもない、本当ほんとうもののない不自由ふじゆう時代じだいでした。いまのようにくるま自転車じてんしゃもなく、バスが一日五いちにちご六本ろっぽんしかはしっておらず、どこにくにもそれはそれは不便ふべんでした。
 わたし小学生しょうがくせいころは、校内こうない上履うわばきはわらぞうり、おんなかすりのもんぺをいたものです。いまどもたちには想像そうぞうもできないことでしょう。

 当時とうじわたし実家じっか林業りんぎょう製材業せいざいぎょういとなんでいました。山林さんりんっていたので、アオがてくれたことで仕事しごとがとてもはかどりました。

 あるちちわたしやまれてってくれたとき、ちょうどお昼時ひるどき職人しょくにんさんたちはみずのある木陰こかげでお弁当べんとうべていました。その様子ようすて、わたしはびっくりしたのをいまでも鮮明せんめいおぼえています。じゅう十四人じゅうよにんくらいの職人しょくにんさんが、みんなおなじおかずをべていました。おおきなアルミのお弁当箱べんとうばこにごはんめられ、梅干一粒うめぼしひとつぶとたくあんがぎっしりのっていました。むかしはそれだけで美味おいしくいただいたものです。
 そんな時代じだいうしんぼにはいり、うま木材もくざい荷物にもつはこび、それぞれのいえのためにはたらいたのです。

 あるさむ出来事できごとです。すぎそりからトラックへえていたとき、そのトラックがゆきのぬかるみにはまって転倒てんとうしそうになりました。もう一台いちだいのトラックでってもぬかるみからけることができず、三時間さんじかんしてあっというにあたりもくらくなり、吹雪ふぶきなかみんなが途方とほうれていました。
 そんなとき一人ひとり職人しょくにんさんが「アオしかいない!」とさけび、馬小屋うまごややすんでいるアオをれてきました。そしてアオとトラックをワイヤーでつなぎ、アオにらせる用意よういをしました。

   アオのなみだ

 しろいきくるしそうにきながら、アオはみんなのごえわせてちからいっぱいトラックをりました。時々ときどきムチでたたかれながらも、アオは頑張がんばりました。
 そんなアオの姿すがたて「アオ頑張がんばって!頑張がんばって!」とこころなかさけんでいるうちに、わたしは「アオをたたかかないで」とおもわず大声おおごえさけんでしまいました。わたしこえいたのか、ちちも「アオをたたくな!」といました。その一言ひとことむねがスーッとしたのをおぼえています。
そして、アオは見事みごとトラックをげました。

「よくやった、アオ!」
 そういながら、手綱たづな職人しょくにんさんがアオのかおいてやりました。
 すると、ムチをたれながら精一杯頑張せいいっぱいがんばってくれたアオのにはなみだかんでいました。きながら頑張がんばってくれたのです。そのわたしはアオのなみだあたまからはなれず、なかなかねむりにつくことができませんでした。


 そのもこんな出来事できごとがありました。
 わたし実家じっかのそばに岩木山神社いわきさんじんじゃという第二だいに奥日光おくにっこうわれる立派りっぱ神社じんじゃがあります。当時とうじ山田様やまださま宮司ぐうじさんでした。ある宮司ぐうじさんがちちにおねがいにやってきました。
じつは、先日せんじつ台風たいふう神社じんじゃすぎたおかってあぶないのです。なんとかたおしてもらえませんか」
 宮司ぐうじさんの依頼いらいけたちちは、現場げんばてこうかんがえました。
がけがあってあぶない仕事しごとになりそうだ。これはアオしかできない!」

 数日後すうじつごアオをれてくると、早速さっそくアオとすぎをワイヤーでつなぎました。
「さあアオ。二、三回にさんかいったら今日きょう仕事しごとわりだよ」
「なあアオ。今日きょうたのむよ」
 職人しょくにんさんたち期待きたいに、アオは懸命けんめいすぎはじめました。
「アオ、頑張がんばってくれよ。ソレーガンバレー!もう一回いっかい。ソレーガンバレー!」
 みんなのごえわせ、アオはくるしそうにしろいきをはきながらちからしぼりました。

   アオの異変いへん

 アオは懸命けんめいすぎりましたが、生木なまきなのでかなりこずっているようでした。
 すぎすこしだけよこになったので、職人しょくにんさんがワイヤーをむすびなおすためすぎした近寄ちかよりました。
 すぎ根元ねもとをよくるとおおきな空洞くうどうがあり、のぞむとなにやらうごくものがえました。じっとしずかにていると、なんとそこにはおおきなヘビがんでいたのです。
 職人しょくにんさんはあまりのおおきさにびっくりしてさけびました。
大変たいへんだ!巨大きょだいなヘビがいる!」
 職人しょくにんさんたちすぎしたあつまり、それぞれのおもいをくちにしました。
「こんなおおきなヘビはいままでにたことがない!」
あぶないからころすべきか。そうでないと安心あんしんして仕事しごとができないぞ」
ころすにしてもどうやって?」
 ざわざわ、ガヤガヤとさわいでいると一人ひとり職人しょくにんさんがこういました。
神社じんじゃ境内けいだいにいるヘビだからころすのはやめたほうがいい。むかしからヘビはかみつかいというではないか。ころしたらいいことはないぜ」
「そういえばそうだな。おれどものころばあちゃんからそんなはなしいたよ。ものをむやみにころしたりいじめたりするものじゃないってな」
 そこに宮司ぐうじさんがやってきました。
「どうしました?」
「ああ宮司ぐうじさん。ものすごくおおきなヘビがいるので退治たいじしたいとおもうのですが、どうしたらいいでしょうね。」
「それはおどろいた。どうかころさないでそっとがしてやってください」
「そうですか。わかりました」

 職人しょくにんさんたちはなごえになったのか、いつのにかヘビはいなくなっていました。
 手綱たづな職人しょくにんさんがアオにこえけました。
「アオ、もう一度いちど頑張がんばってくれ!ひだりがけだからちないようにをつけるんだぞ。ソレーガンバレー!」
 職人しょくにんさんたちごえひびわたなかふたたすぎはじめたアオに異変いへんきました。

   アオ、転落

 みんなのごえわせ、アオは何度なんどすぎ懸命けんめいつづけました。
「もうすこしだアオ、ガンバレー!」
 そのときです。アオとすぎをつなぐワイヤーがれ、アオはがけからあしみはずし、さかさまにがけしたちてしまいました。
大変たいへんだ!はやむら人達ひとたち一人ひとりでもおおれてきてくれ。うまながいことよこになるとんでしまうそうだ」
 みんなむらのほうへ必死ひっしはしりました。しばらくして、むらからおおくの人々ひとびとけつけました。
「アオ、大丈夫だいじょうぶか!いまたすけるからな。アオも頑張がんばるんだぞ!」
「おや、なんだかアオの呼吸こきゅうがおかしいんじゃないか?」
 アオに近寄ちかよってみると、さきほどがしてやってヘビがアオのからだうえり、なでるようなかんじでズルズル、グルグルグルとうごいていました。
「さっきのヘビがいるぞ!」
「そんなことよりはやこさないとんでしまう!」
 職人しょくにんさんは手際てぎわよくアオのからだ毛布もうふやらぬのくと、そのうえからふといロープを何重なんじゅうにもきつけました。
「みんな、こえわせてってくれ。ソレヨイショ、ヨイショ!」
 アオの無事ぶじねがいながら、みんなはこころひとつにしてりました。そのとき、アオのあしがバタバタうごき、アオはがったのです。
「アオがきてたよ!たすかった!」
 みんなの歓声かんせいがりました。
「アオ頑張がんばったね。よかったね!」
 アオのからだをなでながら「よかったよかった」と、職人しょくにんさんたちむら人達ひとたちもみんないていました。なんと、アオは無傷むきずだったのです。
不思議ふしぎだなあ。あのがけからちて無傷むきずとは。ところであのヘビはまたどこかにってしまったのかな。アオのうえ異様いよううごきをしていたな」
 手綱たづな職人しょくにんさんは、アオのからだてあの不思議ふしぎなヘビのことをつぶやいていました。

   アオ、ことなきを

「もしかしてあのヘビは神様かみさまだったのか?ころさないでかった」
宮司ぐうじ山田様やまださまはそれをかっていたんだよ。だからころさないでがしてやってくれとっていたんだ」
山田様やまださま神様がみさまみたいなお人だからな!」
 むら一番いちばん尊敬そんけいあつめる宮司ぐうじさんと不思議ふしぎなヘビのことを、みんなざわざわ、ガヤガヤとはなしていました。
 アオがたすかったこと、大仕事おおしごとえたことで安堵あんど表情ひょうじょうかべ、みんなわらったりいたりしていました。
「みんなのちからでアオはたすかりました。本当ほんとうにありがとうございました」
 手綱たづな職人しょくにんさんはそううと、深々ふかぶかあたまげました。それをわたしはみんなへの感謝かんしゃ気持きもちでむねがいっぱいになり、子供心こどもごころなみだまりませんでした。
「アオ、うちかえろう。あるけるか?」
 手綱たづなり、職人しょくにんさんはゆっくりゆっくりアオを気遣きづかいながらあるしました。
 すると、一人ひとりのおばさんが大声おおごえでこうびかけました。
「みんなでアオをおくっていこう!」
 みんなも「そうだそうだ」とって、ぞろぞろとあるしました。アオを先頭せんとうに、まるで大名行列だいみょうぎょうれつのようでした。
 いえくと、一足先ひとあしさきもどっていたちち玄関先げんかんさきっていました。
みなさんのおかげでアオはたすかりました。本当ほんとうにありがとうございました。アオのあの姿すがたときはもうだめかとおもいましたが、みなさんが手際てぎわよく手伝てつだってくれたことでことなきをました。みなさんも怪我けがなどく、本当ほんとうによかった。食事しょくじ用意よういをしていますのでがっていってください。さあ、どうぞどうぞ」
 ちち何度なんどあたまげておれいうと、みんなをいえまねれました。
今日きょう大変たいへんなことがきたけど、みんな無事ぶじ本当ほんとうによかったね」
 みんな笑顔えがお夕飯ゆうはんべ、そのはまあまあ無事ぶじ一日いちにちわりました。

   はしれ!アオ!

 いよいよさむくなり、ゆきもちらちらはじめ、ふゆおとずれました。
 あさきると、ゆうったゆきどものわたしのひざうえまでもっていました。
 使用人しようにんのおじさんが玄関げんかんから道路どうろまでゆきかきをしてくれ、みちをつくってくれました。そのとき村人むらびと一人ひとりがだいぶあわてた様子ようすいえはいってきました。
「こんな朝早あさはやくに何事なにごとか?」
 使用人しようにんのおじさんがこえをかけると、
「この大雪おおゆきでバスが一里先いちりさき往生おうじょうしている。となりあかぼうゆうべから高熱こうねつあぶなない。まち病院びょういんくにもあしい。羽黒はぐろ神社じんじゃところでバスがってくれているようだが、そこまであるくのは大変たいへんだ。そりでおくってください。おねがいします」
いそいでアオをしてくれ!」
 ちちはそううと、使用人しようにん馬小屋うまごやへとはしりました。
「アオ、大変たいへんだ。この大雪おおゆきでバスがむらまではいってこられないそうだ。むら人々ひとびとたすけてやってくれ」
 使用人しようにん一人ひとりがそういながら、そりにむしろをき、七輪しちりんをおこして、みんながすこしでもだんをとれるよう準備じゅんびととのえました。
 そこへ村人むらびとあかぼうきかかえて、いまにもきそうなかおをして「お世話せわになります。たすかります」と、何度なんど何度なんどあたまげてそりにりました。
 全員ぜんいんそりにむと、
ってくれ、わたしせてくれ」
 と一人ひとりのおばあちゃんがとおくでげていました。使用人しようにん一人ひとりそりからりてはしってき、おばあちゃんをおぶってもどってきました。
 ようやく出発しゅっぱつ準備じゅんびととのいました。
「アオ、いそいでくれ!あかぼう大変たいへんなことになっているからな!」
 と、手綱たづなくおじさんにアオにはなしかけながら手綱たづなをアオのおしりにぽんぽんとかるくあててやると、そのリズムでアオははししました。
 吹雪ふぶきの中、とうげはしるアオの足音あしおとと、くびからげたすずだけがカランカランとしずかなやまひびきました。 
 やっととうげえたところで、とお弘前ひろさき町並まちなみがえてきました。
「あとは坂道さかみちを下るだけだ。アオ、もうすこしだぞ!たのむぞ!」
 ようやくバスがえると、一人ひとりのおじさんががってくびいたぬぐいをはずし、バスにかって「っててくれ!」とさけびながらまわしました。いくらさけんでもとどくはずがないのに、よほどあかぼうのことが心配しんぱいだったにちがいありません。
 そんなことをっているかのように、アオはしろいききながらスピードをげてはしはしる!

 やっとのおもいでバスていまでたどりき、みんなそれぞれバスにみました。
「アオ、たすかったよ。ありがとう!」
 みんなアオと手綱たづなくおじさんにおれい言葉ことばをかけると、やがてバスはまちへと出発しゅっぱつしました。
 そして、みんなをせたバスがとおえなくなるまで、アオと手綱たづなくおじさんは見送みおくりました。

   突然とつぜん再会さいかい

「ごめんください」
 ある見知みしらぬ一人ひとりのおじいさんがアオをたずねてきました。
うませてくれませんか?」
「はあ、どうぞ」
 突然とつぜん訪問客ほうもんきゃく手綱たづなくおじさんはびっくりした様子ようすでした。アオは気持きもちよさそうにねむっていましたが、はなごえこえたのか、ますと、くるくるまわったりしっぽを左右さゆうったりといつもとちがうごきをはじめました。
 見知みしらぬおじいさんはアオに近寄ちかより、こうはなしかけました。
「アオ、おぼえているか?もうわすれてしまったかな・・・・・」
 アオはおじいさんのつめました。おじいさんはアオのかおをなでてやると、アオはおじいさんのかおにそっとほおずりしました。
「そうか、おぼえてくれていたか」
 おじいさんはうつむいたまま、なかなかかおげませんでした。
「アオ、わるかった!ゆるしてくれ!」
 おじいさんはとうとうくずれてしまいました。その姿すがたて、手綱たづなくおじさんがこえをかけました。
「どうぞ、こちらにおすわりください」
 おじいさんはなみだきながらがりました。そこへちちがやってきました。おじいさんは帽子ぼうしぎ、ちちにお辞儀じぎをしました。ちちはおじいさんをいえまねれると、いろんなはなしはじめました。じつは、このおじいさんはアオのもとぬしだったのです。
「これからは日本にほんにも自動車じどうしゃ時代じだいる。農機具のうきぐつぎからつぎへとあたらしくて便利べんりなものが誕生たんじょうしている。もううまはいらない―」
 いまから何年なんねんまえ、おじいさんはそうおもつと、わかかったアオを手放てばなしておおきな事業じぎょうはじめました。しかし、すべ大失敗だいしっぱいわりました。
「アオがはたらいてくれたころ本当ほんとうなにをやっても成功せいこうした。かえれば、アオが私達わたしたち一家いっかささえてくれていた。それなのにわたしはアオに心無こころないことをした。あれから何年なんねんもたったのにアオはわたしのことをわすれれないでくれていた。こんなばかなわたしのことを・・・・」
 おじいさんはまたしてしまいました。

   もったいない

 ちちはおじいさんのはなしき、いている姿すがたをじっとつめていました。しばらくすると、おじいさんはかおげていました。
「アオはお宅様たくさまわれ、大事だいじにしていただいている。本当ほんとうかった。アオは元気げんきでいるか、それだけが心配しんぱいでした。えてかった。またいにてもいいでしょうか?」
 そういながら、おじいさんはちちあたまげてたのみこみました。
いたいときはいつでもおいでください。アオもよろこぶでしょう。アオは本当ほんとうによくはたらいてくれています。木材もくざいはこ仕事しごともっと過酷かこくですが、先頭せんとうって全部ぜんぶやってくれています」
 アオの活躍かつやくぶりを、ちちはおじいさんにはなしました。
「アオは大黒柱だいこくばしらでありたからです。アオがてくれてから、げた事業じぎょうはすべて方向ほうこうすすんでいます。自分じぶんちから努力どりょくだけで、こう、うまくことはこぶものかと不思議ふしぎおもいました。そのとき、アオは不思議ふしぎちからっているうまだとづいたのです。この大切たいせつたからをくれたのはあなたさまです。事業じぎょう成功せいこうみちびいてくれたのはアオとあなたさまなのです。このごえんわたし大変たいへん感謝かんしゃしています。本当ほんとうにありがとうございます」
 ちちはそううと、おじいさんに深々ふかぶかとお辞儀じぎをしました。
わたしにできることがあればなんでも協力きょうりょくします。どうぞ遠慮えんりょなくはなしにてください。ちからになります」
 そういながら、ちちはおじいさんのにぎりしめました。
「こんなわたしにもったいない言葉ことばを、本当ほんとうにありがとうございます。ありがとうございます―」
 おじいさんはなみだながらにちち両手りょうてにぎり、しばらくはなそうとしませんでした。
「アオはもちろん、これからはあなたさま私達わたしたち家族かぞくですから」
 ちち言葉ことばに、おじいさんは「もったいない、もったいない」ときながらいました。

   憔 悴しょうすい

 アオは、いつものようにやま出掛でかけました。
なんだかあめりそうだな。らないうちにかえろう。ハイ!出発しゅっぱつ
 手綱たづなくおじさんの合図あいずしたがい、アオは山道やまみちすこあせるようにあるしました。
「アオ、まだらないからいそがなくてもいいよ」
 それでもアオはいそあしでした。
「なんだ、アオ。どうしたんだ?」
 アオはあるつづけ、やがてみず小川おがわところまりました。そしておいしそうにみずはじめました。
「なんだ、みずみたかったのか」
 おじさんはアオがみず姿すがたながめながらたばこにをつけ、一服いっぷくはじめました。たばこをふかしながら、おじさんはおもいました。
「いつもとなにかがちがう。様子ようすへんだ」
 みずをいっぱいんだアオ。いえもどからだあし丁寧ていねいあらってもらったあと馬小屋うまごやはいりました。すこししてからおじさんが食事しょくじしましたが、アオはべようとしませんでした。
「どうした?アオ?」
 おじさんは心配しんぱいそうにアオをつめました。
 そのから、アオはだんだんとせていき、仕事しごとられないつづくようになりました。

 あるあさ獣医じゅういさんやむら人々ひとびと馬小屋うまごやまえあつまっていました。わたしどもながらに「アオが大変たいへんなことになっている」とかんじ、裏口うらぐち木戸きどけ、馬小屋うまごやへとはしりました。
「アオ!どうしたの?」
 わたしはアオのかおをなでながらさけびました。アオのからはなみだがぽろぽろとながち、からだには点滴てんてきはり何本なんぼんさっていました。そのときちち獣医じゅういさんにいました。
わたし知人ちじん獣医じゅういさんがもう一人ひとりいます。ちからわせて治療ちりょうたってください。おねがいします!」
「アオ、もう一度いちど元気げんきになってよ!」
近所きんじょのおばさんがこうさけびながらくずれました。
わたしなみだまりませんでした。

   わか れ

「アオ元気げんきになって!頑張がんばって!」
 おばさんのさけごえに、みんながいていました。
 すぐそばにいたおじさんがしゃがみこみ、こえふるわせながらいました。
自分じぶん病気びょうきとき、アオはそりで病院びょういんまではしってくれた。わすれもしないふゆあらしのようなだった。猛吹雪もうふぶきなか、アオは必死ひっしはしってくれた。本当ほんとうにありがたかった。いまアオがこんなにくるしんでいるのに、自分じぶんなにもしてあげられない。くやしいよ!」
 わたしはバケツのなかのにんじんをし、何日なんにち食事しょくじをしていないアオにしました。アオはにんじんをべてくれました。口元くちもとでにんじんをさえているわたしに、アオのなみだがぽとぽとこぼれちてきました。
「アオかないで!かないで・・・」
 わたしはアオのかお両手りょうてかかえながら、アオと一緒いっしょきました。
「アオ、もう一度いちど元気げんきになってくれ!たのむよ!元気げんきになったらもうはたらかなくてもいいんだよ。ゆっくりやすんでくれ。そうおもっていた矢先やさきに、まさか病気びょうきになるなんて・・・」
 そういながらちちなみだして、なにえないままアオのからだをさすっていました。

 そして夕方ゆうがた獣医じゅういさんたち懸命けんめい努力どりょく家族かぞく村人達むらびとたちねがいもむなしく、アオはきながらたおれ、天国てんごくへと旅立たびだっていきました。アオはきようと頑張がんばりました。しかし、力尽ちからつて、たおれ、息絶いきたえました。
「アオ、なんでんでしまったんだ!もう一度いちどあががってよ!」
「アオ、もう一度いちどけて!おねがいだからけてよ!」
 わたしはアオのかおをなでながらさけびました。
 そのとき息絶いきたえたはずのアオのから一粒ひとつぶなみだがぽとっとこぼれちました。
 わたしおもいました。みんなのおもい、かなしみを、アオはわかっていたのかもしれないと。

 秋深あきふか肌寒はだざむ夕暮ゆうぐどきさけぶみんなのこえ山里やまざとひびわたりました。時折ときおりかぜくと、一層いっそうさむかんじられる津軽つがるあきのことでした。

   アオ、ありがとう

 すでに息絶いきたえたアオのそばから、だれはなれようとしませんでした。そのときわたしは、どんなときもアオと一緒いっしょだった手綱たづなくおじさんがいないことにづきました。しばらくすると、おじさんはいきらせながらもどってきました。アルミのやかんをに、やまみずみにっていたのです。アオはやまくとつめたいみずむのが大好だいすきでした。
「アオ、どうしてっててくれなかったんだ!病気びょうきなんかにけるんじゃあないよ!なんんでしまったんだ・・・。なんでだよ、アオ!」
 おじさんはあたまいたぬぐいをはずし、くちぬぐいでさえながら大声おおごえきじゃくりました。おもいたあとすこ気持きもちがいたのか、おじさんはんできたみずをアオの口元くちもとながしてやりました。
「アオ!大好だいすきなみずだよ。いっぱいみな!おいしいか?いままで本当ほんとうにありがとう・・・」
 おじさんはきながらすこ微笑ほほえんで、アオにはなけていました―。

 どんなにやんでもアオはかえることはありません。でも、みんなのこころなかにアオはつづけています。かなしいわかれから六十年ろくじゅうねんちかくがぎたいま一日いちにちたりともわすれることはありません。戦後せんごまもない不自由ふじゆう時代じだいに、もっと過酷かこく仕事しごと率先そっせんしてけ、わたしたち家族かぞくささえてくれたアオ。かえれば、やまでの仕事しごとだけに怪我けがすくなくありませんでした。猛吹雪もうふぶきなか病人びょうにんそりにせて病院びょういんまではしってくれたこともありました。

 アオは、あのころどもだったわたしたちにしろいごはんをおなかいっぱいべさせてくれました。そのためにどんなにつらく、くるしいおもいをしてはたらいてくれたか。おもすたびにせつないおもいがこみげ、なみだてきます。
本当ほんとう感謝かんしゃ気持きもちちでいっぱいです。アオありがとう。
 わたしはあなたのうたうたつづけ、くなった動物どうぶつたちをしのび、そして動物愛護どうぶつあいごのためにこれからも活動かつどうつづけていきます。

「青馬」と過ごした物語

2014年6月19日 発行 初版

著  者:中野壽美
発  行:DYNAMO Publishing

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中野壽美

青森県弘前市(旧岩木町百沢)出身。聖愛高校卒。
幼少期に出会った1頭の農耕馬「青馬(アオ)」との物語を、全国の子供達やお年寄りに紙芝居で伝える活動を展開。その思いを詩に託し、2011年にCD『「青馬よ」私は祈っている』(徳間ジャパンコミュニケーションズ)をリリース。有線放送で放送されるや多くの人がこの歌に感動し大反響を呼んでいる。東京都在住。

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