spine
jacket

───────────────────────



獅子の傍系

風城国子智

WindingWind



───────────────────────

「ようこそ、我が騎士団へ。我々は、君を歓迎する」
 突然、目の前の人物にそう言われて、ルージャはぽかんと口を開けた。
〈……騎士、団?〉
 ルージャは、人里離れた山の中腹にひっそりと佇む、村と言うには小さ過ぎる場所で育った、ただの少年。この前ようやく十四になったばかりだ。父からは野山で生きる術や弓矢の技を、父の兄である伯父からは剣術を、そして伯母からは読み書きを習ってはいるが、どれもまだ中途半端。日々の暮らしで精一杯の、ちっぽけな存在だ。冬の夜に暖炉の傍で伯母が話してくれる物語に出て来る、弱きを助け悪を倒す存在である『騎士』から、自分ほど掛け離れた存在は無いだろう。なのに、俺が、『騎士』? この人は何を言っているのだろうか。
「……あ、れ?」
 ルージャが戸惑いの表情を浮かべたのに面食らったのか、ルージャの目の前に立つ青年は、肩に掛かる濃い色の髪を左手でぐしゃぐしゃにしながら言った。
「あ、やっぱり、俺、『騎士団長』には見えない、か?」
 そう言われて、改めて目の前の人物をじっと見詰める。ルージャと同じくらいの背丈で、ルージャよりはほんの少しだけ年上に見える、おそらく男性。緋色のチュニックの上に、鎖帷子の肩と胸部分を板金で補強した黒光りする鎧を身に着け、幅広の剣を黒い剣帯で吊り下げてはいるが、小柄でほっそりとした身体つきをしている所為か、武よりも文で王侯に仕えている人に見える。顔立ちも、纏っている雰囲気も、中性的で優しげだ。伯母が話してくれた物語に出て来る『騎士』からは、やはり、掛け離れている。しかもルージャの父より若い。こんな人が『騎士団長』になれるのだろうか?
「まあ、よく言われることだから」
「そうよね」
 不意に、青年の声に女性の声が被る。顔を上げると、胸に複雑な模様が描かれた緋色のローブと、肩まで覆う黒い頭巾を身に着けた赤い髪の女の子が青年の右横で笑っているのが見えた。
「ラウド兄様は騎士に見えないって、みんな言ってるもの」
「おいおい」
 少女の言葉に、ラウドと呼ばれた青年が肩を落とす。そっと辺りを見回すと、少し暗い、荘厳な雰囲気のある大きな部屋のあちこちで、緋色と黒の服を身に着けた人々が小さな塊を作っているのが見えた。同じような服装をしているので、おそらく、この場にいる人々は、青年が言っていた『騎士団』に所属する人々なのだろう。
 一体、ここは、何処なのだろうか? 思わず首を傾げる。父と伯父伯母、そして従妹のライラと暮らす小さな集落から出たことの無いルージャだから、こんな場所は勿論知らない。
「ダメよロッタ、兄上にそんなこと言っちゃ」
 再び不意に、先程の少女より少しだけ低い声がルージャの耳に割って入る。今度は、青年の後ろに、青年と同じ緋色のチュニックの上にしっかりとした黒色の板金鎧を身に着けた、大柄で短髪の、しかし雰囲気は女性である人物が微笑んでいるのが見えた。
「えー、でも本当のことなのにぃ」
 その言葉に頬を膨らませた少女を、大柄な女性が静かに青年の腕から外す。
「ま、それはともかく」
 ルージャの混乱には構わず、騎士団長を名乗る青年はこほんと咳払いをすると、ルージャの方に手甲を嵌めた右手を差し出した。
「おいで。女王が待ってる」
 青年の言葉に呼応するかのように、大きな部屋にいた人々が左右に分かれ、二列を作る。ルージャの前に不意に作られた通路の終点にいた人物に、ルージャは目を見開いた。
 その、人は。
「ライラ!」
 思わず、叫ぶ。
 何故、このような場所に、従妹のライラが居る? しかも、金色に光る王冠と柔らかな緋色のマントを身に着けて。
 混乱するルージャには、ライラの微笑みすら、目に入らなかった。

 衝撃で、目覚める。
「やっと起きたっ!」
 夢のことでまだ混乱の最中にあるルージャをベッドから引きずり下ろしたのは、伯母。
「早く逃げるんだよっ! ライラと一緒に!」
 次に入って来た伯母の言葉に、戸惑いは最高潮に達する。覚束無い足でどうにか床に立ったルージャの腕に、柔らかいものと細長いものが押し付けられた。
「ほら、ぼうっとしてないで。裏口から逃げるんだよ!」
「母様?」
 ルージャと同じく叩き起こされて呆然としているらしい、従妹のライラの細い声がルージャの腕から響く。何が何だか分からないまま、ルージャはライラと共に、裏の山林に繋がる小屋の勝手口から外へと放り出された。
 朝霧が、濃い。戸惑いつつ顔を上げると、目を吊り上げた伯母の顔がはっきりと見えた。……分からないけど、今は、伯母の言う通りにすべきだ。ルージャはライラと包みを抱え直すと、裸足のまま、家の裏手から続く山の中へ飛び出した。
 道無き道を、ライラの手を引っ張って走る。初秋の、まだ枯れていない下草が、足裏に痛い。何処まで逃げれば良いのだろう。走りながら首を傾げたルージャは、しかし、木の根に足を取られて無様に地面に鼻をぶつけた。
「ルージャ! 大丈夫?」
 ルージャの上に倒れ込んだライラが素早く身を起こし、頭を上げたルージャの横に座り込んだのが見える。戸惑いと、疲れが、ライラの顔に浮かんでいるのをルージャはすぐに認めた。
「ライラこそ、大丈夫?」
 幼いころからライラは華奢で、よく熱を出して寝込んでいた。強引に手を引いて走ったのでライラの疲労はかなりのものだろう。しかしルージャの言葉に、ライラは首を横に振った。
「大丈夫。でも……」
 その後は、分かっている。母のことが、心配なのだろう。ルージャは思わず、ライラの結われていない白金色の髪に手を伸ばした。何が起こったのかは分からない。だが「逃げろ」と言われたということは、ルージャやライラの命に拘わる何かが起こったということ、なのだろう。そして、ルージャの父や、ライラの父母の命が危険に曝されるような、物事が。
 と。鋭い風を感じ、ライラを庇うように地面に倒れ伏す。ルージャの赤い髪ギリギリを駆け抜けた冷たいものに、ルージャは戦慄を禁じ得なかった。これは、矢、だ。
「当たらなかったか」
 面白がっているような、ある意味残酷な声が、霧の向こうに響く。
「射殺すより、槍で刺し殺した方が楽しいさ」
 別の声と共に、鋭い光が複数、ルージャの視界に表れた。
 霧の中から出て来たのは、白い服に青黒いマントを纏った、男達。皆一様に冷たい笑みを顔に貼付け、そしてそれぞれの手には、槍あるいは剣が鋭い光を放っていた。
「ル、ルージャ……」
 ライラが、ルージャをぎゅっと抱き締める。ライラを、守らなければ。そう思うルージャには、彼らの刃に対抗できる武器は、無い。ただ為す術も無く、死の刃がこちらに向かって来るのを、見ていることしかできない。ルージャはぎゅっと唇を噛み締めた。
 不意にライラが、ルージャが持っていた細長い包みを握る。巻かれていた布が解け、表れた中身に、ルージャは殆ど絶望した。ただの木剣。小屋の暖炉の上の壁に掛けられていた、見た目だけは本物の剣に見える、刀身に炎のような模様が彫られた飾り物の剣ではないか。こんなものを、伯母は何故、ルージャ達に持たせたのだ? ルージャが思わず地面を殴りそうになった、次の瞬間。
「え……?」
 ルージャの周りが、眩し過ぎるほどの光に包まれる。あまりの眩しさに目を閉じたルージャが、しばらくして目を開けると、ルージャの周りに居た筈の刃は全て無くなっていた。ライラが、ルージャの傍で目を閉じているだけだ。
「ライラ?」
 そっと、ライラの身体を揺さぶる。恐る恐る目を開けたライラは、辺りを見回し、霧しか無いことに驚いたらしく目を見開いた。
「ルージャ。これって……どうしたの?」
「ライラこそ、何か、した?」
 ルージャの問いに、ライラは首を横に振った。だが、ルージャは魔法に対する素質を持っていないが、ライラは持っている。だからルージャは、ライラが何か魔法を使って、襲って来た男達を消したのだと理解した。そして。
「戻ろう、ライラ」
 力強く、立ち上がる。何故伯母が「逃げろ」と言ったのかは分からない。だが、ライラの力があれば解決できるのではないか。ルージャはそう、判断した。そして。ルージャと同じ判断をしたのであろう、ライラも、多少の戸惑いの表情を見せながら立ち上がり、手にしていた木剣を握り直した。

 だが。
 山道を駆け下り、住み慣れた集落に辿り着いたルージャとライラを待っていたのは、煙と静寂。
 山腹を切り開いて作られた小さな畑も、ルージャが父と住んでいた藁葺きの平屋も、ライラがライラの父母と暮らしていた木造の家も、全て焼き払われていた。飼っていた家畜達も全て、首を斬られた上で焼かれており、異臭と、大量の血が、小さな空き地に渦巻いていた。そして。
「母様!」
 ルージャの後ろに居た筈のライラの声に、はっとする。いつの間にかライラはルージャから離れ、ルージャの小屋の前に尻餅をついていた。そのライラの前に横たわっていたのは、かつてライラの母親だったものの、半分焼け焦げた身体。その身体からは首が切り離されており、赤黒い血が、地面を濡らしていた。
「酷いな」
 見知らぬ声に、はっと振り向く。次の瞬間。ルージャは集落の入り口に表れた背の高い影に向かって、拳を振り上げながら飛び込んでいた。だが、ルージャの攻撃はすぐに、影の前に居た男に遮られる。
「何だ、お前は? ……レイ様、大丈夫ですか?」
 身体を押さえる男に手足を振って抵抗しつつ、ルージャは前にいる、レイと呼ばれた背の高い影を全力で睨みつけた。
「お前達が、やったんだろっ!」
 ルージャを押さえつけている男も、それを見ている背の高い影も、白い上着に濃い青のマントを身に着けている。ルージャ達を襲った、あの刃を持つ男達と同じ服装。
「何のことだ?」
 レイという名の、背の高い影が、ルージャの言葉に首を横に振る。
「私達は、先程ここへ来たばかりだが」
「嘘つくなっ!」
 何とか、押さえつけていた男を振り切る。ルージャはぱっと跳ね起きると、レイに飛びかかった。だが、レイの方が素早い。あっという間に、ルージャは全身を押さえつけられ、再び地面を舐めていた。今度は、身動きすら取れない。
「このっ!」
 先程までルージャを押さえていた男が、ルージャの脇腹を蹴り上げる。
「止めないか」
 お前の押さえつけ方が甘かったからだ。レイは静かにそう言うと、ルージャを押さえつけていた力を緩め、ルージャを地面から起き上がらせた。
「どうして、私達が犯人だと言う?」
 あくまで冷静な言葉に、怒りが削がれる。ルージャは顔を上げ、小さな声で言った。
「あんた達と、同じ服を着ていた」
「なるほど」
 この服は、『新しき国』と呼ばれている、この国を守る騎士達が身に着ける制服。レイはそう、口にする。
「騎士を名乗る者が、こんな酷いことをするとは」
「騎士を詐称する盗賊の仕業かもしれませんな」
 レイの横に居た男の言葉に、レイはルージャに向かって頭を下げた。
「とにかく、こんな酷いことになってしまったのは、警備を怠った我々の責任だ」
 その言葉に、何も言えなくなる。ルージャはレイの蒼い瞳から目を逸らすと、住み慣れた集落の残骸に目を落とした。
「レイ様」
 そのルージャの視界に、もう一人の、レイ達と同じ色合いの服を身に着けた男がライラを抱えてこちらに向かって来るのが見える。
「酷いもんですよ。……ほら、もう大丈夫だよ」
 男の言葉に、ライラは頷くと、ルージャの横に立ってルージャの腕をぎゅっと握り締めた。
「男性が二人と、女性が一人。皆、首を斬られて焼かれてます」
 耳に入る報告に、背筋が凍る。父も、伯父も、伯母も、……殺されたのだ。
「それだけか、ここに住んでいたのは?」
 レイの質問に、ルージャはようやく首を縦に振った。この場所には、ルージャとルージャの父、ライラとライラの父母。たった五人しか住んでいなかった。その倹しい場所を、壊されたのだ。悔しさに泣きたくなり、ルージャはライラをぎゅっと抱き締めた。
「酷いものだ」
 再び、レイが同じ言葉を口にする。濃い金色の短い髪が、陽の光にさらさらと揺れるのが見えた。
「しかしこのままにしてはおけない」
 レイは小さくそう言うと、男達に、死者を埋葬するよう言った。

 二人の男達を手伝って、汚れた地面に浅い穴を掘る。その穴に、ルージャは父と伯父伯母を、切り落とされた首を胴体に並べて葬った。
 涙は、出ない。心にあるのは、悔しさと怒りのみ。
「お前達、他に家族は?」
 そのルージャに、レイが問う。
「いいえ」
 ルージャの母は、ルージャが生まれてすぐ亡くなったと聞いている。それ以外の肉親について、ルージャの父は何も話さなかった。ライラの父と母も、ライラには親族のことを話していないらしい。だから、レイの問いに、ルージャは首を横に振ることしかできなかった。
「ならば、私のところに来ないか?」
 不意にレイは、思いがけないことを言った。
「私は、見習い騎士を育てることを職務としている」
 レイの傍にいる男達も、レイが鍛えている見習い騎士であるらしい。レイの言葉に、ルージャはレイと男達を見、そしてレイの傍でルージャ達を見詰めているライラを見た。この場所には、この悲しい場所には、もう、住めない。頼れる肉親も、居なくなってしまった。自分はともかく、ライラは、この人に守ってもらう方が良いかもしれない。それに。もう一度、レイの服を見、そして誓う。この人と一緒に行って、父と伯父伯母を殺したあの敵を捜そう。この人と一緒に行けば、疑いを持たれること無く父達の敵を討てるかも、しれない。
 そこまで考えて、やっと気が晴れる。
「お、お願いします!」
 ルージャはレイに向かって、勢い良く頭を下げた。

「あれが、副都だ」
 住み慣れた山腹の集落から離れ、レイが麓の村で雇った無蓋の馬車に乗り込んで二日目のこと。御者席に座るレイが示した街道の先に、そそり立つ峻険な岩山と、その麓にこぢんまりと盛り上がっている茶色の塊が見えた。
「ここからだと、まだ小さいがな」
 副都というものがどういうもので何処にあるのかすら分からず、遠くを見据えて首を傾げたルージャに、横に乗っていたレイの部下の一人が笑う。
「その内びっくりするぜ」
 その騎士の言う通り、副都に近付くにつれ、茶色の塊はどんどん大きくなり、傍に来た時にはルージャの背の何倍もの高さのある石造の城壁になっていた。
「この中に何万人もの人が住んでいる」
 副都の城壁の中に入ってしまえば、野原をうろつく盗賊や悪さをする者なんかは入って来れないからな。安全なんだ。次々と発せられる騎士達の言葉を、ただ呆然と聞く。しかし。ふと、副都の裏にある岩山が目に入り、ルージャは思わず首を傾げた。副都の裏に、峻険な岩山に囲まれた平地があるのが、街道から少しだけ見えた。平地への入り口を副都が塞いでいる格好になっている。城のようなものも見えたその平地に街を作れば、岩山が城壁の代わりをするだろうからこのように高い城壁を作る必要は無いのに。しかし、ルージャがその疑問を口にする前に、馬車は城壁に設けられた小さな門を通り、灰色の壁が立ち並ぶ一角にある両開きの木の扉の前に止まった。
「ここが、私の騎士団宿舎だ」
 そう言いながら、レイが馬車を降りようとするライラに手を貸す。誰の手も借りずひらりと飛び降りたルージャがライラの手を取ると、レイは二人を宿舎の中へ押し入れ、扉の向こう、吹き抜けになっている玄関ホールで出迎えた眼帯の老人の前に立たせた。
「爺、新しい騎士見習いだ」
 そしてライラの手を取ると、レイはライラだけを玄関ホールの奥にある扉の方へと連れて行った。
「婦人の着替えを覗くのは失礼に当たる」
 そのライラの後に付いて行こうとしたルージャの腕を、『爺』と呼ばれた老人が意外に強い力で掴む。老人はルージャの腕を掴んだまま、手近の戸を開いた。
 灰色の家屋に囲まれた中庭を突っ切って、老人はルージャを井戸へと案内する。
「騎士は清潔であることが必須だ。身体を洗え」
 静かな、それでいて有無を言わせぬ言葉に、ルージャは頷くしか無かった。
 ルージャが井戸の水を被り、老人から貰ったタオルで全身を拭いている間に、老人が服を一式持ってくる。新しき国の見習い騎士が着るという青色のチュニックも青色の脚絆も、ルージャには少し大き過ぎた。
「すぐに大きくなるだろう」
 しかし老人は意に介さず、ルージャに青色のダブレット(キルト地で作られた前開きの上着)と剣帯、そして白色の短いマントを渡した。
「剣は持っているようだから、後は短刀と、……何か得意な武器はあるか?」
「弓を、習っていた」
 父の後ろ姿が脳裏をちらつき、喉が詰まる。黙って木剣を剣帯で吊るしている間に、老人は一張りの短弓と矢が沢山入った矢筒を持って来た。
「とりあえず、これで良いだろう」
 そしてルージャを促し、再び家屋の中に入る。次に案内されたのは、二階に並ぶ部屋の一つだった。
「ユーイン、アルバ、いるか?」
 そう言いながら、爺はノックも無しに部屋の扉を開ける。部屋の中に居たのは、青色のチュニックを身に着けた大柄な男と小柄な男。
「でかい方がアルバ、小さい方がユーイン」
 簡潔に、老人が男達を紹介する。
「どちらも、レイ様が預かっている見習い騎士だ。仲良くしろよ」
 そう言ってから、老人はルージャを部屋に入れて去って行った。
「あんた、新しい見習い騎士か?」
 すぐに声を掛けてきたのは、ユーインという名の小柄な男の方。
「あ、はい。ルージャと言います」
 父に教わった通り、ルージャは短く頭を下げた。
「俺はユーイン、細剣が武器だ。あっちのでかいのがアルバ、大剣を振り回すのが得意だ。無口だから何も言われなくても気にするんじゃないぜ」
「よろしく」
 ユーインの言葉通り、アルバは座っていた窓際のベッドから立ち上がって少しだけ頭を下げると、再び自分のベッドに座った。しかしルージャのことを邪険にはしていない雰囲気だ。
「ここは一応三人部屋だから、そこのベッドを使いな。荷物入れる長櫃はベッドの右のやつな」
 ユーインが指し示す、扉のすぐ近くに設えられている綺麗に整えられたベッドの上に、ルージャは腕に抱えていた武器や服を置いた。
「疲れているだろうけど、もうそろそろ飯だから片付けたら降りて来いよ」
 そう言って、ユーインとアルバは部屋から出て行った。
 一人残ったルージャは、ほっと息を吐くと、ベッドに腰をかけた。と同時に、思い出したのは、ライラのこと。レイの、ライラに対する馴れ馴れしさが気になる。何も無ければ良いのだけれど。そこまで考えて、急に心がざわめく。ルージャは大急ぎで立ち上がり、部屋を出た。宿舎は中庭を囲むように建っているので、廊下も中庭を巡るように設えられている。二階には人の居る気配が無かったので、ルージャは階段を見つけ下に降りてみた。……いた! 玄関ホールの奥にある部屋で、レイと談笑している。
「あ、ルージャ」
 部屋に入って来たルージャを見て、ライラがにこりと笑う。
「綺麗な色のチュニックね。似合ってる」
 ライラに言われて、着心地の悪かった服の調子が良くなったようにルージャは感じた。
 ライラが身に着けているのは、首元と胴回りをきっちりと詰めた青色のローブと、ルージャと同じ白色の短いマント。魔法を伯母に習っていたライラらしい服装だ。ルージャは何故かライラを眩しく感じた。
「胸元は、開いていた方が今風なんだけど」
 不意に耳に入ってきたレイの声に、ムッとする。
「ライラは、きっちりの方が良いと言うから」
 ライラの左肩に大きな痣があることは、今ではルージャだけが知っている秘密。レイは、それを見たのだろうか? いや、口ぶりからするとおそらく見ていないし、痣のことを恥ずかしがっているライラがレイに積極的に話すとは思えない。しかし油断は禁物だ。何故かそんなことを考えながら、ルージャはレイを睨むように見詰めた。
「さて、見習い騎士達の仕度もできたし、御飯にしますか」
 しかしレイは、ルージャの視線など何とも思っていないらしい。二人を見詰めてにこりと笑うと、食堂はこっちだよと中庭の向こうを指差した。

 広い街路に溢れ出ている、たくさんの人々に、思わず足を止めてしまう。
「どうした?」
「人混みを見るのは初めてか? 口が開いているぞ」
 先輩である見習い騎士、大男のアルバと口の軽いユーインが自分を笑いながら見詰めているのに気付き、ルージャは慌てて口を閉じ、息を整えてから歩き出した。大丈夫、怖くない。初めて街を歩いた時には、正直なところ人の多さに息が詰まりそうだったが、もう、慣れた。
 ルージャとライラは、見習い騎士の先輩であるユーインとアルバに連れられて、副都の繁華街に来ていた。その理由は。
「こっちだ」
 ユーインがルージャの腕を引っ張って向きを変える。美味しそうな匂いが、ルージャの腹をくすぐった。
「ここが俺の一押しの食堂」
 今日は、いつも宿舎の食事を作ってくれる賄いの小母さんの休暇日らしい。晩御飯は外で食べて来るよう、ルージャ達が所属する騎士団の団長であるレイに言われたルージャとライラは、ユーインとアルバに誘われるままここまでやって来た。
 満員の食堂に、何とか四人分の席を確保する。
「おばさん、いつものね。飲み物は子供用エール二つと普通のエール二つ」
 ユーインとアルバは、この食堂の常連らしい。ユーインがそれだけ言うとすぐに、ルージャ達のテーブルの上に美味しそうなものが並んだ。肉の入ったパイ、ソーセージ、パン、ほかほかと湯気を上げる具沢山のスープ。
「ソーセージはおまけしておくよ」
 新人が入って来たお祝いだ。そう言ってから、食べ物を持って来た小母さんは急に声を顰めた。
「アルバにユーイン、あんた達、北に行くそうだね」
 ルージャとライラ以外の、レイの騎士団に所属する全ての見習い騎士が、騎士として北方の国境に派遣されるとレイから通達があったのは、今朝のこと。
「街の噂は早いな」
 頭を掻くユーインの横で、ルージャは朝と同じ疑問を考えていた。
 ルージャとライラがレイの騎士隊に所属するようになって、十日ばかり。宿舎の中庭で武術を鍛えたり、副都周辺を歩き回り異状が無いか確かめたりすることで、『新しき国』の騎士になる為に必要なことを学んでいる。そして、新しき国やこの副都のことについても、大体のことが分かってきていた。
 『新しき国』は、北西の一辺以外を海に囲まれたほぼ八角形のこの地を支配する王国。王は代々『獅子王』を名乗っており、北方にある都に住んでいる。王国には王の他に様々な爵位を持つ貴族達がいて、王より与えられた領地を支配している。副都とその周辺を支配しているのは、王の信頼厚い貴族の一人。そして彼は、レイの父親でもあるという。すなわちレイは、副都の太守を父に持つ、ある意味エリートな騎士なのだ。なのに何故、レイは見習い騎士達を育てる小さな騎士団の団長なんかをしているのだろうか? 副都の太守の他の息子達、すなわちレイの兄弟達は皆、副都の周りに領地を与えられているらしいのに。
「最近は見習い騎士の昇格が早いねぇ」
 ルージャが色々考えている間に、テーブルの上が騒がしくなる。
「隣国と戦争になるんじゃないかしら?」
「それは無いだろう。……おい、ルージャ、冷めないうちに早く食べろよ」
 今の獅子王は穏やかな人柄で、ただ一国だけ陸続きである隣国の王の妹を娶っている。そんなことを小母さんと話しながらスープをかき込むユーインを見ながら、ルージャも近くにあったパイに手を伸ばした。香辛料の利いた肉のパイは、ルージャには少し辛い。宿舎の賄いの小母さんがお弁当に作ってくれるパイの方が好きだな。ルージャはそう思い、子供用エールの方へ手を伸ばした。
 先輩達が全て居なくなった後、自分とライラだけで、見習い騎士の責務を果たすことができるのだろうか? 甘いエールを飲みながら、考える。副都周辺には現在、二つの問題が跋扈している。一つは、かつて新しき国が併呑した『古き国』の騎士を名乗る盗賊達が傍若無人に暴れ、特に新しき国の騎士達を選んで残虐に襲っていること。そしてもう一つは、人に取り憑き、取り憑かれた人間を狂わせる『影』の存在。盗賊は一応人間だから、怖くないと言えば嘘になるが対処はできる、と思う。だが、『影』は。……考えるだけで空恐ろしくなってしまう。何時の間にか仲間に取り憑き、その人を豹変させてしまうのだから。『影』に取り憑かれた人を助ける方法は、その人を殺すことだけ。昨日も、レイと共に副都周辺を警備している最中に、ルージャの先輩の一人が『影』に取り憑かれた。その、レイにとっては部下に当たる人物を、レイは自身の剣で彼の胸を刺して殺し、蘇生しないよう、首と胴を切り離した。その処置をし、遺体を街道脇に葬った後の、レイの蒼白く暗い表情を思い出し、ルージャも暗い気持ちになった。
 と。
「何だ、子供が居る」
 馬鹿にするような声の響きに、ムッとして顔を上げる。小母さんが居なくなった後の空間に、にやりとした顔が四つあるのが見えた。いずれも白のチュニックに青色のマント、新しき国の騎士の制服を身に着けている。だが、彼らのチュニックの裾はかなり短く、下に身に着けている股袋がこれ見よがしに見えていた。
「ここは子供が来るところじゃないぜ」
「普通のエールが飲めるようになってから来な」
 ルージャが手にしているジョッキを見て、男達が喚く。
「良いじゃないか。ここは普通の食堂だぜ。あんたらが出入りしているようないかがわしい場所じゃない」
 その言葉にとっさに反応したのは、ユーインだった。アルバも、ルージャとライラを守るように二人の前に立つ。
「お、レイのところの見習いじゃないか」
 ルージャ達を囲んだ男の一人が、ユーインを見て声を荒げる。
「うだつの上がんねぇところの、弱虫の見習いが、今度北へ飛ばされるそうだな」
「弱虫じゃねぇ!」
 嘲り笑う男達に、ユーインは腕に巻いた細い鎖を見せた。
「ほら、『廃城』の宝物だ」
 男達を睨むユーインの後ろで、アルバもユーインと同じ鎖の腕輪を示している。
「ふん、そんなもの、廃城じゃなくたって有るだろうが」
 しかし男は、ユーインを鼻で笑ってみせた。
「こーいうのを取って来てこそ、真の勇者だぜ」
 そう言ってルージャ達の眼前に見せびらかした男の指には、半分ひしゃげた指輪が鈍く光っていた。
「ま、北でせいぜい頑張りな。凍え死ぬがオチだろうがな」
 馬鹿にしたような笑いを残し、男達が去る。その男達の油染みた大柄な背中を、ルージャは強く睨んだ。言われていることは半分しか分からなかったが、ユーイン達が馬鹿にされているのは分かる。立派な先輩達を馬鹿にするなんて、許せない。
「いつものことながら、嫌な奴らだな」
 座り直してお代わりのエールを頼んだユーインの言葉に、アルバが頷く。あの高飛車な男達は、レイの父が指揮権を持つ騎士団の見習い騎士達であるらしい。
「しかし俺達が居なくなると、あいつらはルージャ達を虐めるだろうな」
 アルバが呟く、何時になく長い言葉に、ルージャの全身が震えた。まだまだ小柄な自分が、あんな奴らと戦って勝てるのか? いや、勝ち負けの問題ではない。ライラを、守らなければ。
「よし、これから『廃城』に行くか」
 そう思ったルージャの横で、不意にユーインが手を叩く。
「はい、じょう?」
 ライラが不思議そうに首を傾げたのが、見えた。
「ああ」
 副都の後方、岩山に囲まれた平地の奥にある、かつて『古き国』の女王が住まっていたという、城。今はすっかりぼろぼろになっているその『廃城』に夜侵入し、何か珍しい宝物を持って帰る『肝試し』が、副都の見習い騎士達の間では自身の勇気を試す場となっているらしい。ユーインとアルバが腕に付けている細い鎖も、廃城から拾って来たもの。勿論、この『肝試し』は何処の騎士団でも禁止されている。丁度良いことに、レイは、何かの打ち合わせがあるらしく父である副都の太守が住む副都の宮殿に行っている。今日は戻って来ないだろう。今日ならば、門限までに帰っていなくてもごまかせる。
「よし、そうしよう」
 唐突な決定に、ルージャはぽかんとユーインとアルバを見詰めた。だが、自分はともかく、ライラが虐められるのは御免だ。だからルージャは、震えるライラの手を大丈夫だというようにぎゅっと掴むと、ユーインとアルバに向かって了承するように頷いた。

 一度宿舎に戻り、ルージャ達が門限を破って外にいることを悟られないように工作するアルバを残し、白いマントを羽織って外に出る。夜でも通り抜けることができる小さな出入り口から、ルージャ達は副都の城壁の外に出た。
 そのまま、何も無い夜道を、カンテラ一つだけで進む。星明かりすらない、疎らに生えた草だけが戦ぐ丘は、不気味というより淋しいという感覚をルージャに与えた。
「ここには昔、『古き国』の都があったって話だ」
 ルージャ達の前を、カンテラを持って歩くユーインの声が、闇を縫うように響く。
「今じゃ、兵共が夢の後、って感じだがな」
 『古き国』を創始した初代の女王が、荒涼とした土地に都を建てたのが、そもそもの始まり。女王自身の魔法の力で、まっさらな土地を峻険な山々でぐるりと囲み、その中に、女王自身が住まう城と、騎士達が暮らす街を作った。だが、『古き国』を侵略した新しき国の王、獅子王レーヴェは、城を残して全てを破壊するよう命じた。それ故に、この場所は、何も無い平原のまま。
「戦いで殺された『古き国』の騎士達を、弔わずにこの地に埋めたって話もある」
 ユーインの言葉に、背中が震える。ルージャは思わず、繋いでいたライラの手を強く握った。ライラも、ルージャの手を強く握り返してくる。怖いのは、自分だけではない。ルージャはすっと、怖さが無くなるのを感じた。今は、とにかく、何が起こってもライラだけは、守らなければ。
「まあ、葬られただけマシ、なんだろうな。骨になるまで晒されて捨て置かれた騎士団長もいたって話だし」
 背筋が凍るようなユーインの言葉を聞きながらしばらく歩いて、石作りの壁の傍に立つ。これが、古き国の王城を守る、城壁。だが、昔は綺麗に磨かれていたのであろう城壁は既に苔生し、所々に蔓草が絡まっていた。
「そこが正門」
 カンテラの明かりが、大小の石が無造作に積まれた城壁の一部を照らす。
「封鎖されてるけどな」
 そういいながら、ユーインは石が積まれた場所よりも五歩ほど横に行った場所を指し示した。
「肝試しをする奴らは、ここから入っている」
 カンテラの明かりで見ると、元は通用門として機能していたのであろう、小さな隙間が、光を反射していた。
「気をつけろよ。入ってすぐのところに落とし穴があるからな」
 ユーインの言う通り、隙間の一歩先に、ぽっかりと開いた穴が見える。ルージャはユーインから火を入れたばかりのカンテラを受け取ると、ライラの手を引いて落とし穴の脇を慎重に進み、廃城の中へと足を踏み入れた。
「真っ直ぐ行けば、城の正門がある」
 大声でアドバイスするユーインに頷き返し、ライラの手を引いて城庭を歩く。庭に生えている少し枯れかけた草は、ルージャ達が踏む度にカサカサと音を立てる。そして時折、何の予告も無く、何か小さな影がルージャの横を素早く通り過ぎ、その度にルージャは肝を冷やした。
「だ、大丈夫?」
 ライラの声も、震えている。
「あ、ああ」
 ルージャ自身、すぐに踵を返したいくらい、怖い。だが、ライラの前で弱音は吐けない。だからルージャは、虚勢を張って返事をした。
 おっかなびっくり歩いているうちに、多分玄関だろうと思われる石組みを見つける。ユーインが言っていたように、石組みの間に隙間があり、暗い空間が見えた。どうやらここが、城の中へ入る入り口になっているようだ。
「は、入るよ」
 ライラから手を離し、隙間に慎重に手をかけ、ゆっくりと城内に足を踏み入れる。
 城内も、城の外と同じく、ぼろぼろに荒れ果てているように見えた。ルージャが現在立っているところは、かつては吹き抜けの広間であった場所だと推測できたが、床に敷かれていた絨毯は僅かしか残っておらず、壁に掛けられているタペストリーも真ん中から無惨に破られている。そして床には、金属片や石や暗い染みが、生えた僅かな草の間に散らばっていた。
 恐る恐る、足下の金属片らしきものの一つを拾ってみる。カンテラの明かりに照らして見ても、ルージャが拾ったものは街中にも落ちている、ただの小さな塊にしか見えなかった。……これでは、廃城に入ったという証明には、ならない。しかし、辺りを見回しても、めぼしいものは既に全て採られてしまっているのか、特にこれといったものはない。どう、するか、ルージャはもう一度、ぐるりと辺りを見回した。
 と。右脇に、小さな階段を見つける。広間にある階段には蔓草が絡み付き、段面もぼろぼろで登るのに勇気が要りそうだが、こちらの小さな階段は陽の当たらない場所にある所為か、あまり損傷は見られない。これなら、登れるかもしれない。ルージャは後ろに居たライラの手を再び握ると、階段をそっと登った。
 小さな階段は、壊れることなく、ルージャとライラを上の階へ運んでくれる。階段が終わったところには、広間の吹き抜けをぐるりと巡る廊下と、金色に光る狼の形をした飾りがついた大きな両開きの扉があった。この飾りを取って、ライラと二人で分ければ、廃城に入った証明になる。ルージャは扉に近付き、ぐっと背伸びをして、狼の飾りに手をかけた。
 次の瞬間。
「誰だ?」
 誰も居ない筈の空間に響いた声に、飛び上がる。いきなり扉が向こう側に開いたので、扉に預けていたルージャの身体は前のめりに倒れた。
「おっと」
 そして何か固いものに当たる。
「大丈夫か?」
 怖々と、顔を上げる。カンテラが要らないほど明るくなっている空間で、倒れかけたルージャを支えていたのは。
「親父……?」
 思わず、呟く。しかし二度見して、ルージャはすぐに、目の前にいる人物が父親に似ているが父親ではないことに気付いた。ぼさぼさの赤い髪を肩まで垂らし、緋色のダブレットに黒の脚絆を身に着けた目の前の人物は、まだ若い。ルージャよりも二、三歳くらい年上なだけだろう。そのような人物が、父親である筈が無い。いや、父が若い頃は、こんな感じだったのかもしれない。
 ルージャが父親と見間違えた若者の方は、片腕だけでルージャを立たせると、再び部屋の中へ入っていった。
「ラウド兄者、騎士見習い志望の奴らだぜ」
 そう言いながら、若者は扉傍の椅子に座り、テーブルの上のコップを取り上げる。テーブルの周りには、緋と黒の、同じ色合いの服を着た何人かの男女が座り、テーブルの上に置かれた砂糖漬けや焼き菓子を食べていた。美味しそうだ。場違いにも、ルージャはそう、思った。
「それだけか、ルイス」
 呆れた声が、部屋の奥から響く。その声に釣られるように部屋の奥を見たルージャは、丁度机から立ち上がった人物にあっと声を上げた。あの人は、かつての夢で見た、騎士団長に見えない騎士団長!
「ようこそ、『狼』団へ。俺のことはラウドと呼んでくれ」
 騎士団長に見えない騎士団長が、手を差し出しながらルージャに向かってくる。
「待っていたよ」
 どうして良いか分からず、ルージャはその騎士団長の手を握った。
「そちらのお嬢さんも、ようこそ」
 ラウドという名の騎士団長は次に、ルージャの後ろに隠れていたライラに握手を求める。ライラは尻込みしたが、意を決したように唇を引き結ぶと、ラウドの小さな手をそっと握った。
「良いなぁ」
 テーブルの方から、溜め息に似た柔らかい声が聞こえてくる。
「『熊』団にも、可愛い志願者が来てくれると良いのに」
 大柄で短髪の、しかし線が丸く見える若者が、ルージャ達を見て口を尖らせているのが見えた。
「こちらの扉に現れれば『狼』団、向こうの階段から向こうの扉をノックすれば『熊』団。それは昔から決まっている」
 ラウドが、若者の声に静かに反論する。
「だから諦めるんだな、リディア」
「むぅ」
「ところで、何時までここで喋っているつもりだ?」
 そして。テーブルの上をぐるりと見たラウドは、呆れたような声を出した。
「任務はどうした?」
「えー!」
 ラウドの言葉に反論の声を上げたのは、リディアという名の男装の麗人の横にいた、赤いローブを纏った小柄な少女。
「せっかく、リディア姉様がお城に来てくれたのに。それに、ミヤ姉様とマイラが、オーガスタ叔母様が作って下さったお菓子を持って来てくれたのに」
「なら自分の詰所で食べなさい、ロッタ」
「私はまだ『竜』騎士団の隊長職だから、ラウドお兄様みたいに個室を持ってないの」
「自分の宿舎で食べれば良いだろう。ここは執務室。宴会場ではない」
「けち!」
 テーブルに座っている他の若者達も、ロッタという少女の言葉に賛成しているようだ。リディア以外は、あからさまではないが、文句を言いたそうにラウドを見ている。それでも、ラウドは横を向いて、机の傍に立っていた、緋色の頭巾で頭をきっちりと包んだ少年に鋭く声を掛けた。
「アリ、俺が女王の所に行っている間に、こいつらを片付けておいてくれ」
「分かりました」
 アリと呼ばれた少年は、ラウドの言葉に頷くと、テーブルの上の物を容赦なく片付け始めた。
「さあさあ、お仕事に戻って下さい」
「ちぇっ」
 扉を開けた若者が舌打ちする中で、ラウドは壁に掛けられていた黒のマントを羽織り、銀色と金色の二つの留め金で留めると、ルージャとライラを手招きして部屋の外へ出た。その後を、付いて行く。
「煩くて悪かったな」
 どちらかというと優しい口調で、ラウドが言う。『古き国』には『竜』、『熊』、そして『狼』という三つの騎士団がある。男装の麗人、リディアは、ラウドの実妹で戦闘を担当する『熊』騎士団の副団長。その横に居たローブの少女、ロッタは、ラウドの異父妹で女王の身辺を守る『竜』騎士団に所属している。扉を開けてくれた若者ルイスは、ラウドの異父弟、そしてルイスの横に居た女性は、ルイスの従妹で婚約者に当たるミヤと、その妹のマイラで、三人ともラウドと同じ、探索を主たる任務とする『狼』騎士団に所属する騎士だと、廊下でラウドはルージャ達に説明した。
「リディアとは、会う機会がそう無いから、はしゃいでしまって」
 そういいながら、ラウドはキラキラと光る綺麗なタペストリーが規則正しく並んでいる廊下を通り、三階へと続く吹き抜けの階段へとルージャ達を誘った。
「行こう。女王が待ってる」
 いつの間にか辺りが明るくなっていることも、陰惨さや雑然さが無くなっていることも、ルージャは疑問に思わなかった。自分とライラが何故か、既に滅びてしまった筈の『古き国』にいることも、そしてラウドの後に付いて行っていることも。

 三階には、二階と同じように吹き抜けをぐるりと巡る廊下と、その向こうに大きく広がるバルコニー、そして縦も横もルージャの五倍はある恐ろしく大きな頑丈そうな扉が、あった。
「女王陛下。『狼』騎士団の見習い志望者を連れてきました。目通りをお願いします」
 その扉に、ラウドがそう、声を掛ける。ラウドの声に答えるように、扉は大きく震え、そして誰も押していないのに大きく開いた。その向こうに見えたのは、奥まで続く薄明るい空間と、その終点にある、一段高いところに座った柔らかな影。
「ラウドか?」
 その影が、身動ぎする。ラウドは真っ直ぐ、その影に向かって歩き出した。そのラウドに付いて行っていいのかどうか、一瞬、迷う。第一、ルージャ達が此処に来たのは『肝試し』の為で、『狼』騎士団の見習いになる為ではない。だが。
「おいで」
 振り向いて手招きするラウドの言葉は、ルージャを従わせるに十分な力を持っていた。
 ゆっくりと、ライラの手を握ったまま、ラウドの後ろを歩く。どこか既視感のある、広々とした荘厳な空間に、足音すら響かない。何故か緊張してきて、ルージャは何度か唾を飲み込んだ。
 やっと、一段高くなった場所のすぐ前に辿り着く。漆黒のローブに柔らかそうな緋色のマントを羽織った女王は、年寄りにも、また何故か、ルージャよりもずっと若いようにも見えた。緋色の帽子の下から覗く、輝くような白金色の髪は、ライラに似ている。
「ようこそ、『古き国』の王城へ」
 ラウドに押し出された二人を見て、女王が微笑む。
「新しい見習いを、歓迎するぞ」
 少しだけ、女王が指を動かす。何処からか現れた小箱を手に、女王はルージャの傍に立った。女王の細い腰に吊された剣が、軽やかに揺れるのが、見えた。
「これが、証だ」
 ラウドに渡した小箱から、女王はその細い指で椿の形の銀色に光る留め金を取り出し、ルージャのマントに留め付ける。爽やかな香りが、ルージャの鼻をくすぐった。
 女王はライラのマントにも、小箱の中の銀の留め金を留め付ける。そして二人から一歩離れて、ニコニコとした顔で二人をまじまじと見詰めた。
「うむ、よく似合っておるぞ」
 女王がそう言った、次の瞬間。急に辺りが暗くなり、ルージャは思わず目を瞬かせた。
「ルージャ!」
 横に居たライラの手が、ルージャの腕をぎゅっと掴むのが、分かる。
「だ、大丈夫だよ」
 そう言いながら、ルージャは暗闇を透かすようにしてぐるりと辺りを見回した。……居ない。ラウドも、女王も、何処にも居ない。ルージャとライラの周りには、どこか寒々とした広い空間が広がっていた。それが、先程までと同じ、女王の謁見の間だと理解するのに、しばらく掛かる。
「女王様は、どこに行ったのかしら? ラウド、って人も」
 ライラの問いに、ルージャは首を横に振った。
 マントの重みに気付き、下を向く。女王から頂いた留め金は、ルージャとライラの胸元で、確かに、輝いている。何が何だか分からないが、とにかく、この留め金を持って帰れば、廃城に入った証となるだろう。ルージャはライラに頷くと、ようやく慣れてきた闇の中に一歩踏み出した。

 それから、何処をどう歩いたのか、覚えていない。
 気が付くと、ルージャとライラは元の入り口の手前まで戻って来ていた。
「早かったな」
 ランタンを左手にぶら下げて蔓が伝う壁に寄りかかっていたユーインが、二人を見て安堵の声を上げる。落とし穴に気をつけろよ。この廃城に入ったときと同じ言葉をユーインから聞いてやっと、ルージャにも戻ってきた実感が湧いてきた。
 しかしながら。
〈あれは、一体何だったのだろうか?〉
 夢の中に出て来たのと同じ人々。ラウドと名乗った、騎士団長には見えない優しげな青年。そして女王を名乗る女性が見せた、慈悲に満ちた笑顔。廃城の中での出来事が、ルージャを捕らえて離さない。
「……おい、ルージャ! 大丈夫か?」
 ユーインに肩を揺すられて、やっと我に帰る。
「お宝、小さいのでも良いから拾ってきたか?」
 ユーインの言葉に、ルージャは何とかマントの下の銀色の留め金を示した。ルージャに習うように、ライラも自分が貰った留め金をそっと見せる。ランタンの明かりで、ライラの留め金がきらりと光った。
「おっ、良いもの拾ってきたじゃん」
 その留め金に、ユーインが歓声を上げる。これで、他の見習い騎士達に馬鹿にされることも無いだろう。ユーインはにっこり笑ってそう言うと、二人に帰宅を促した。
「帰ろう。まだ夜明け前だから、レイにばれずにベッドに潜り込める」

 だが。
 暗い道を軽い足取りで帰った三人を宿舎の玄関ホールで待っていたのは、目を吊り上げて腕組みをしたレイ。そのレイの後ろに、頬を赤く腫らしたアルバが椅子に項垂れて座っていた。
「こんな深更まで、どこに行っていた?」
 明らかに怒っている声で、レイが三人に問う。
 これは絶対殴られるな。ユーインの呟きに、ルージャは背中が震えるのを感じた。アルバの頬を見なくとも、レイの鍛えられた腕を見るだけで、殴られたらどうなるかはすぐに予測がつく。
 と。
 そのレイの腕が不意に、ルージャの方に伸びる。あっと思う間もなく、レイの手はルージャの襟を掴み、ルージャの身体を床から浮かび上がらせていた。
「これは何だ!」
 レイの言葉に、戸惑う。レイはルージャの胸元を凝視していた。
 そして。再び突然、ルージャの足が床に着く。レイは唇を震わせてルージャを睨みつけると、何も言わずに玄関ホールから出て行った。

 崖下に点在する青と白に、胸が悪くなる。
 対岸に倒れているのは全て、新しき国の騎士達。敵である筈の者の遺体に無惨さを覚えるのは、彼らの命を奪った者が誰であるか、知っているからだろうか?
 探索を主な任務とし、『古き国』を守る『狼』騎士団の長、ラウドは、『古き国』を支配する女王から城の背後を守る砦を守るよう命ぜられた直後、「探索」の名目で部下達全てを戦場から遠ざけた。既に大陸の殆どを新しき国に奪われ、残っている領土は女王の住まう王城とその僅かな周辺のみ。そういう状況だから、ラウドは部下達を生き延びさせる為に探索を命じたのだろう。「どうしても一緒にいる」と駄々をこねた自分以外。それは、理解できる。しかし、……『古き国』が滅びることは時間の問題であるこの時期に、このように、敵の命を大量に奪うことに、意味があるのだろうか? もう一度、崖下を見て、出て来るのは溜め息ばかり。
 ラウドは、砦の対岸を守る部隊の大将がまだ若く経験不足であることを見て取るや否や、部隊所属の騎士達が補給に立ち寄る村々や商人街に「部隊の大将は小さな砦一つ落とせない無能だ」という噂を流した。そして、大将が激高し、雨降る闇夜に大軍を引き連れて、谷に掛かる吊り橋を渡ろうとしたところで、橋を支えるロープを切って敵軍を折から増水した川へ落とした。そのことは、すっぱりと切られた面を見せて微風にゆらゆらと揺れる吊り橋に残るロープを見れば容易に推測可能。しかし、その作戦を冷静に完遂したラウドは、砦にも、吊り橋の残骸の傍にも見当たらない。一体、何処へ? まさか、自分が落とした橋と一緒に川へ落ちてしまったのか?
 崖下に注意しながら、走る。白と青の制服を着ている新しき国の騎士達と違い、ラウドは『古き国』の、緋色のダブレットと黒の脚絆を身に着けている筈だ。色が違うから、簡単に見つかる筈。そう考えながら早足で川が下る方向に向かうと、予想通り、対岸に赤と黒を見つけることができた。しかしその影は、微動だにもしない。まさか。不吉な予感に胸を締め付けられながら、走る。幸い、川の水は既に大分引いている。多少足が濡れるかもしれないが、川を渡るのは簡単だろう。そう思い、崖を下り切った次の瞬間。
「なっ……」
 仰向けに横たわるラウドの横に、白い服の大柄な影を認め、思わず叫ぶ。その影の主、新しき国を支配する獅子王レーヴェは、ラウドを一瞥するなり腰から抜いた剣の切っ先をラウドの首筋に叩き込んだ。
 溢れ出て、川の水と混じった血の赤に、息が詰まる。
 そして。あまりのことに動けないまま、ルージャの意識は闇に包まれた。

 はっとして、目覚める。
 やっと見慣れてきた天井に、ルージャは大きく息を吐いた。
〈夢、か……〉
 ゆっくりと、起き上がる。脂汗に濡れた頬を拭うと、頬に何かが流れるのを感じた。
 しかし、本当に、現実味が有り過ぎる夢だった。もう一度、安堵の息を吐く。何かを振り払うように腕を動かすと、固いものがルージャの手の甲に当たった。
 今日は朝から雨が降っていたので、ルージャは中庭の軒下で弓の練習をした。そして昼御飯の後に自分の部屋に戻り、レイが読むように言って半ばルージャに押し付けた新しき国に関する歴史の本を、最初はベッドに座って、そしてその内にベッドに横になって読んでいた、筈なのだが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 手に当たったその本を、取り上げる。眠りに落ちる前に読んでいたのは確か、支配力を失っていた『古き国』を滅ぼし、大陸を統一した『統一の獅子王レーヴェ』の業績の部分。そこまで思い出し、ルージャは乱暴に本を置いた。そうだ。ラウドは、……獅子王レーヴェに殺されたのだ。そして、『古き国』に仕えていた、ラウドの部屋で楽しそうにお菓子を頬張っていたあの人達、も。
「ルージャ、夕御飯だって」
 不意に、ノックの音と共にライラの優しい声が耳に響く。
 ライラが勝手にドアを開けない、礼儀正しい女の子で良かった。ルージャは大慌てで両の目をごしごし擦ると、無理矢理気持ちを飲み下してベッドから滑り降りた。

 その晩のレイは、何時に無く苛ついているように、ルージャには見えた。
「父に、北方への遠征命令が来た」
 賄いの小母さんがテーブルに並べてくれたパンを無造作に齧りながら、独り言のようにレイが言う。
「兄弟達も、連れて行くそうだ」
「あらあら」
 叩き付けるようなレイの言葉に反応したのは、賄いの小母さん。
「それじゃあ、副都の守りはどうするの?」
 小母さんの言葉に、レイは顔を歪めて舌打ちした。
「第三王子とやらが来るそうだ」
「副都に割と近い場所に領地を持っているからだろうな」
 素行はあまり宜しくないという評判だが。ルージャの横で黙々と夕食を食べていたレイの従者である爺が、呟くようにそう付け加えた。「第三王子」と呼ばれてはいるが、王家に代々伝わる『徴』を持っていないため王位継承権を剥奪されているとも。
「全く、父上は何を考えているんだか」
 レイは苦い顔でそう言うと、少し乱暴に夕食のスープに手をつけた。
 レイの言葉は、理解できる。先輩である見習い騎士達が皆副都から去ってしまい、旅人の護衛や街道の治安維持などといった見習い騎士の職務をライラと二人で遂行できるのか、ルージャ自身不安なのだ。『古き国』の騎士を名乗る盗賊の件も、人に取り付き狂わせる得体の知れない黒い『影』のこともある。父と伯父伯母を無残に殺した奴らの行方についても、未だに手掛かりすら掴めていない。
「面倒なことが起こらないと良いのだが」
 そのルージャの横で、爺が呟く。爺によると、レイの騎士団に所属するルージャとライラの他、レイの父が指揮権を持つ幾つかの騎士隊は、第三王子と彼に指揮権がある騎士団に副都とその周辺のことを案内するよう命じられているそうだ。副都の騎士達と、第三王子の騎士達が衝突しなければ良いのだが。爺の言葉に、徒党を組んで威張りながら都を闊歩していた騎士達の背中を思い出し、ルージャは背筋が震えるのを感じた。とにかく、ライラがごたごたに巻き込まれないようにしなければ。
「まあ、第三王子の騎士達がどのくらい仕事ができるか分からないが。……ルージャ」
 不意にレイが、ルージャを見詰める。
「君の父親を殺した奴らの手掛かりが、見つかるかもしれないな」
 レイの言葉に、ルージャの全身は固まった。ルージャの隣に座っているライラも、震えているのが分かる。
 副都の騎士と、王都に近い場所で王に仕えている騎士とでは、制服の着こなし方や制服全体のシルエットが多少違うらしい。レイはルージャにそう、説明した。だから、副都では手掛かりすら掴めなかった敵のことが、何か掴めるかもしれないと。
「まあ、期待はしない方が良いと思うが」
 それでも、何故父と伯父伯母が殺されたのかが全く分からない今のイライラする状態よりはマシになるかもしれない。ルージャはぎゅっと奥歯を噛み締めた。
 だが。

「……暑い」
 石の多い川原にへたり込むように座り、雲一つない秋空を睨む。ルージャの横では、ライラが青い顔で俯いていた。
 レイや爺の言う通り、使えない奴らだな。イライラを込めてそう呟きながら、ルージャは振り向いて川沿いの街道を見やった。ルージャより裾の短い制服を着た、第三王子付属の騎士達は、まだ見えない。何をやっているのだろう。ルージャより大柄なくせに体力が無いのか? 考えるだけでイライラして、ルージャは手近の石を川に投げた。
 第三王子が連れて来た騎士達の一隊を案内して、街道の治安維持に当たっているところである。だが、暑いだの飯が不味いだの良い女がいないだのとぐちぐち文句を言いながらだらだらと歩き、街道脇に小鬼の小集団がいても剣すら抜かない彼らに、ルージャは既に愛想を尽かしていた。挙げ句の果てにライラにちょっかいを出そうとするのだから、尚更。
 ライラは、大丈夫だろうか? そっと、隣を見る。青い顔をしているのは、小鬼を倒す時に魔法を使い過ぎたからだろうか、それとも、騎士達から引き離す為にルージャが早足で引っ張ったからだろうか? ルージャがそう思った、丁度その時。
 街道からの叫び声に、はっと立ち上がる。ルージャの背でも、騎士の一人が街道を走ってこちらに向かっているのが見えた。
「何かあったのかしら?」
 立ち上がったライラが、ルージャの脇に立ち、魔法使い用の小さな杖を握り締める。ルージャも弓を構えると、騎士の後ろを注視した。だがすぐに、弓を短刀に変える。黒い靄のようなものが、騎士の背中で揺らめいている。逃げた方が良いか? そう考える間もなく、ルージャの目の前に、黒い影を背負った騎士が立ち塞がった。
「ルージャ!」
 叫ぶライラを突き飛ばすなり、騎士の急所を蹴り上げる。ルージャの蹴りが的確だったのか、騎士は声も上げずに川原に倒れた。
「大丈夫?」
 ライラの声に頷いてから、倒れている騎士を見る。「影に取り付かれたものは、殺さなければならない。さもないと他の人間を襲う」。そう言いながら、レイはさっきまで一緒に歩いていた者の身体に剣を突き刺した。自分も、そうしなければならないのだろうか? 震えが、ルージャの全身を襲った。
 と。
「ルージャ!」
 悲痛なライラの言葉に、はっとして顔を上げる。ルージャが逡巡している間に、他の騎士達がルージャとライラの周りを取り囲んでいた。皆、背後に黒い靄のような影を付けている。ルージャがそれを確かめるより早く、剣の切っ先がルージャの眼前を切り裂いた。
「ルージャ!」
 その切っ先を、危ういところで躱す。躱しながらライラを自分の背中の方へ隠すと、先程までライラが居た空間を別の剣が薙ぐのが見えた。ルージャだけでなく、ライラも守らなければ。左腕と背中でライラを庇い、右手の短刀で自分を守りながら、ルージャは考えに考えた。しかし短刀しか使えないルージャ一人に、相手は三人。どうすれば? 解決策が思いつかない。
 だが。ルージャが絶望するより早く、目の前の騎士が呻きながら倒れる。その騎士の背後に居たのは、緋色の制服の青年。
「ラウド、さん?」
 ライラが青年の名前を呼ぶ前に、ラウドはライラとルージャを引き離そうとしていた騎士の脇腹を蹴り上げ川原に沈めると、最後の一人の腹に肘を入れて気を失わせていた。
 ラウドの、鮮やか過ぎる手並みに、呆然とする。自分も、このくらい戦えたら。ルージャは初めてそう、思った。
「大丈夫か?」
 そのルージャの目の前に、ラウドの顔が現れる。背格好といい、顔立ちといい、この間廃城で見た通り、ラウドは全く騎士には見えなかった。
「怪我は、してないな」
 そしてラウドは、川原に転がった四人の騎士達を見て溜め息をついた。
「『悪しきモノ』だな」
「あしき、もの?」
 ラウドの言葉を、繰り返す。そんなもの、聞いたことも無い。首を傾げるルージャには構わず、ラウドはいきなり何も身に着けていない左手甲の皮膚を噛み切ると、流れ出た血を倒れている騎士達に振りかけた。
「『古き国』の騎士の血と力で以て命じる。『悪しきモノ』よ、去れ!」
 静かな声が、川原に響く。騎士達に憑いていた黒い靄のようなものがゆっくりと消え去るのを、ルージャは瞠目して見詰めていた。
「これで、良し、っと」
「ほ、本当、に?」
 にっこりと笑うラウドに、尋ねる。
「ああ」
 まだ『悪しきモノ』が憑いて間も無いようだから、これだけで大丈夫。気絶から覚めれば、ルージャ達を襲ったことなど綺麗さっぱり忘れているさ。ラウドは事も無げにそう言った。
「……こ、殺さなく、ても」
「『古き国』の騎士の血と力で『悪しきモノ』は祓ったから、平気さ」
 後で『悪しきモノ』の本体を探し、『核』を叩いておかないといけないけれども。ラウドの言葉に、ルージャはほっと胸を撫で下ろした。
 と。不意にライラが、ルージャとラウドの間に割って入る。
「ラウドさん、怪我、してる」
 ラウドが身に着けている鉄の肩当てを左側だけライラが外すと、確かに、緋色のダブレットが黒く染まっているのが見えた。
「おれがやる」
 ラウドのダブレットのボタンを外そうとしたライラの手を掴み、脇へ寄せる。ライラに、男性の服を脱がせるようなことはさせたくない。そう思いながら、ルージャはラウドのダブレットのボタンを半分ほど外し、左肩部分だけ脱がせた。
「……あ」
 見えたものに、はっと息を呑む。ラウドの左肩にあったのは、獅子の横顔に見えるはっきりとした、痣。
「戦闘中にこっちに飛ばされて来たから、たぶん向こうでの傷だな」
 傷口に手を当てて治癒の魔法を唱えるライラと、それを見守るルージャに、ラウドはそう言って笑う。しかしルージャも、そしてライラも、傷よりも痣の方を見詰めていた。
 そして。
「あの」
 治療が終わり、ダブレットに再び腕を通したラウドに、ライラが意を決したように口を開く。
「その、左肩の痣」
「ああ、これ。生まれた時からあるんだ。厄介な痣さ」
 ラウドの言葉に舌打ちが混じったように、ルージャは感じた。
 だが。
「あの、……私にもあるんです。その、同じ痣」
 ライラの告白に、ラウドが改めてライラをじっと見詰める。そしていきなり、ラウドはライラをぎゅっと抱き締めた。
「きゃっ!」
「ラウド!」
 戸惑うライラとルージャの声が、川原に響く。
「ごめんごめん」
 ラウドはすぐにライラを放すと、照れたように頭を掻いた。
「でも、嬉しかったから」
 ラウドの言葉の響きが、ルージャには奇妙に思えてならなかった。

 ライラと二人、副都に帰ってきた時には、既に日が暮れていた。
「やっと、帰ってきた」
 街の明かりに、ふっと息を吐いてから、後ろを歩くライラを振り向いて見る。田舎道を歩いている時も、何度、ライラの方を振り向いたことだろう。ライラは自分のものであるという感覚は、ルージャには、多分無い、と思う。だが、ライラをいきなり抱き締めたラウドの、優しい笑顔が脳裏を過る度、ライラは自分のものだと、叫びたくなる。いやいや。もう一度ライラの方を振り向き、ルージャは心の中で首を横に振った。ライラが誰のことを好きかは、ライラにしか分からない。ライラの選択に、自分は従う他無いのだ。
 それはともかく。今日は、色々有り過ぎた。川原に伸びた騎士達を近くの村に預けた後、『悪しきモノ』の『核』を捜すラウドに付いて行ったのだ。
「……これが、『悪しきモノ』の『核』」
 街道から少し離れた木々の間を、ラウドが指差す。地面から煙のように立ち上る黒い靄が、ルージャ達の眼前にあった。これが、『悪しきモノ』の本体。ルージャは何故か背筋が震えるのを感じた。
「これに触れると、呪われる。触れなくても、近づいただけで、こいつらは人間を襲う」
 ルージャ達の気配に呼応してか、急に大きくなった靄に、後退る。そのルージャとライラを背中で庇うと、ラウドは腰の剣を抜いて左腕を傷つけ、流れ出た血を剣に流した。
「『古き国』の騎士の血と力で以て、『悪しきモノ』を鎮める」
 その言葉と共に、ラウドは血の付いた自分の剣と、ラウドの背丈の倍の大きさに膨らんでいた『悪しきモノ』本体の、一段と濃い部分に突き刺す。震えと共に、『悪しきモノ』が消え去ったのは、その後すぐのことだった。
「これで、良し」
 背中が震えたままのルージャに、ラウドが不敵に笑う。余裕に満ちたその笑顔が、ルージャには悔しかった。
疲れが、全身を支配しているのを感じる。早く宿舎に帰って眠りたい。ルージャは心からそう思って、いた。
 だが。
 大通りから一歩離れた、割と人通りが少ない場所で、突然、五人の大男に囲まれる。青と白の、新しき国の騎士団の制服を着ているが、白いチュニックの丈が、副都の騎士団よりかなり短い。王都から来た、第三王子が率いる騎士団所属の者に違いない。ルージャはそう、推測した。しかしそいつらが、ルージャ達に何の用だろうか? 今日街の外を案内し、途中で『悪しきモノ』とラウドが呼んだ『影』に取り憑かれた騎士達ではない。
「お前達、レイの騎士団の見習いだな」
 ルージャの疑問に答えるように、真ん中の、マントに金の縁取りが付いている男が声を出す。
「廃城を、案内しろ」
 男に言われた言葉に、ルージャは驚きで口が利けなくなった。そんなことを、何故、自分達に頼む?
「お前達が、前に肝試しにあの城へ入ったと聞いた」
 廃城に入り、しかも何かを持って出て来ることができる見習い騎士は、実はあまり多くないらしい。ルージャの持っている銀色の留め金のように、宝物として高く売れそうなものを持って帰ることができた者はかなり少ないと、北へ行く直前にユーインから聞いた。だから、他の騎士に虐められそうになったら、その留め金を見せて罵れと。その手段を、ルージャは用いたことは無かったが、それでも噂は伝播が早い。まだ小さく弱そうに見えるルージャとライラにちょっかいを掛けてくる騎士達は、今までのところいなかった。だが、……その噂が、仇になるとは。
 とにかく、ライラは巻き込みたくない。
「良いよ」
 真ん中の、この騎士隊のリーダーらしき男に向かって、ルージャは頷いた。
「でも、ライラは要らないだろ。ライラを宿舎に帰してから……」
「それは、ダメだ。……レイって奴に知られたら、ただじゃ済まない」
 だが、ルージャの言葉は、強い言葉に打ち消された。
「その女も一緒に来てもらう」
 逆らうと、何をされるか分からない。その状態に、俯いて唇を噛む。
「私は、平気」
 後ろから囁かれるライラの言葉と、ルージャの背に触れるライラの柔らかさが、ルージャを惨めな思いにさせた。
「さあ、どうする」
 それでも。騎士隊長の威圧的な言葉に、決断する。とにかく、ライラを守る。それしか無い。
「分かった」
 ルージャはきっと顔を上げると、目の前の男を睨みつけた。

 廃城も、その前の荒野も、肝試しに入った時と同じだった。違うのは、ルージャとライラの周りを大柄な男達が囲んでいたこと。
「ここが、入り口」
 暗い道を城壁に辿り着き、ユーインに教えてもらった入り口を指し示す。
「すぐ側に落と……」
「うわっ!」
 ルージャが説明する前に、男の一人が中に入ろうとしたらしい。叫び声が、地中に消えた。
「カッサ!」
 マントに金の縁取りを付けた騎士隊長が、入り口の床にぽっかりあいた穴に叫ぶ。
「全く、粗忽者め」
 そう言いながら騎士隊長は、落とし穴にカンテラを掲げた。
「斜めになっている。深そうだな。……サイン、ロープを持って助けにいってやれ」
 騎士隊長の指示に、男の一人が一礼して、副都の方へ向かって去って行く。ルージャとライラ、そして三人になった男達は落とし穴を避けて廃城の内部へ入った。
 前と同じく、草の間を走る影に心臓が飛び上がりそうになりながら、ライラの手を取って、男達を先導する。振り向いて見詰めた限り、男達はルージャのように、唐突に走り去る影には全く驚いてないようだった。
「ネズミかなにかだろ」
 男達の一人が、そう言う。
 だが。城の正面玄関に辿り着いたとき、その中の一人が高い悲鳴を上げた。
「な、何だ?」
 悲鳴を上げた男は、背中を掻くような仕草をする。そして掻き終わった両手を自分の目の前に掲げ、再び大声を上げた。
「血、血だぁ!」
 カンテラの明かりだけでも、男の両手が乾いていることは見て取れる。何故男が騒いでいるのか、分からない。そして。
「く、首が、バルコニーに……」
 あっけにとられているルージャ達の前で、不可解な言葉を叫びながら、男は闇雲に走り去って行った。
「お、おい、エスト!」
 騎士隊長が、狼狽したように男を呼ぶ。
「ミル、エストの後を追ってくれ!」
 騎士隊長は、最後に残っていた男にそう、言った。
 ルージャとライラ、そして騎士隊長とで、壊された正門から城内へ入る。
「おお」
 吹き抜けの広間に足を踏み入れた途端、騎士隊長は感嘆の溜め息を漏らした。
「さすが『古き国』の力。守るには向いていないが、美しい」
 騎士隊長は、古き国や建築についてある程度の造詣があるらしい。ツタと苔に覆われた半壊の階段のカーブの優美さや、吹き抜けを巡る廊下に設えられた柵や柱の様子に、いちいち感嘆の声を上げている。
「一階の奥は『竜』騎士団の詰所か。確か二階に『熊』と『狼』の騎士団の詰所があったそうだな」
 そう言いながら、騎士隊長は部屋という部屋を見て回る。ルージャとライラは、惰性で彼の後を付いて歩いた。どの部屋も、ルージャには暗く、陰に籠って不気味に見える。早く帰りたい。苛立ちと共に、ルージャはそう感じていた。
 と。
 三階に辿り着いて、辺りが急に明るくなる。
「あれ、女王様じゃない?」
 ライラの囁きに、バルコニーの方を見ると、確かに、黄色に近い明るさの中で、女王が一人、バルコニーから外を見て佇んでいるのが見える。何を、見ているのだろうか? 好奇心に駆られ、ルージャはライラと共にバルコニーへ向かった。
 だが、バルコニーから見えた光景に、好奇心を後悔する。バルコニーの向こうに広がっていたのは、小さな煙があちこちから上がる都。そして、そこだけ岩山が途切れた、都の入り口を守るように建つ二つの塔の向こうに見えたのは。
「ラウド!」
 思わず、叫ぶ。身体から切り離されたラウドの首が、立てられた柱の上に乗せられているのが、ルージャの視界にはっきりと、映った。身体の方は、首が乗せられている柱に縛り付けられ、これも無惨な姿を晒している。
「ああ」
 ライラが、バルコニーに頽れる。支えるようにライラを抱き締めると、ライラはルージャを見、そしてルージャの胸に顔を埋めて泣き出した。
「皆、戦いに行ってしまった」
 静かな声に、顔を上げる。ルージャの傍に、青い顔の女王が、ただ静かに立っていた。
「誰も戻って来ない」
 そして不意に、女王は真剣な赤い目をルージャに向ける。
「ルージャ、そなたは騎士になって、何がしたい?」
「え……」
 女王の問いに、というより、その真剣な口調に、絶句する。ルージャが騎士を目指している理由は、父と伯父伯母を殺した奴らを捜す為。しかし、今この場所で、それを口にして良いのだろうか? 女王の問いには、この答えは相応しくないように思える。だが、これを答えるより、他に無い。
「親父と、おじさんとおばさんの敵を取りたい」
 蚊の鳴くような声しか、出ない。ルージャの解答に、女王は目を細めた。
「それで、その後は?」
「え」
「その後、その敵の血縁者が、そなたを狙ってきたら、どうする? そなたに近しい者として、そこにいるライラの命まで狙ってきたら?」
 それは。思考が、止まる。
「不合格だな」
 言葉の出ないルージャに、女王は静かに身を翻した。
 途端。再び、景色が暗くなる。
「おい、何処へ行った!」
 件の騎士隊長の声に、ルージャははっと我に帰った。バルコニーの外から見えるのは、何も無い暗い荒野と、副都の城壁の僅かな明かりのみ。自分達の時代に、戻って来たのだ。ルージャは胸を撫で下ろした。
「ここにいたのか」
 騎士隊長が、ルージャ達の前に立つ。
「お前達も、幻を見たのか?」
 騎士隊長の問いに、ルージャは首を横に振った。幻ではない。あれは、過去に本当に起こったこと。
「ここは、止めておいた方が良い」
 騎士隊長は、しゃがんだままのライラを軽々と抱き上げると、バルコニーから離れるようルージャに指示した。
「『古き国』の女王は、この場所で首を斬られたらしい」
 女王の首を斬ったのは、統一の獅子王レーヴェ。そして切り離された女王の首は、その長い髪でバルコニーの欄干に結びつけられた状態で放って置かれたらしい。
「ただの古城だと、思っていたが」
 そう言った男の袖から、何か光るものが落ちる。男は、女王の謁見の間で小さな宝物を幾つか見つけたらしい。一つ要るか? そう言われて差し出されたブレスレットをルージャは丁重に断った。何故か、貰ってはいけない気がしたのだ。
「そうか」
 騎士隊長の方も、あっさり、ブレスレットを引っ込める。
「俺の方はこれで満足したし、帰るか」
 騎士隊長の言葉に、ルージャはほっと胸を撫で下ろした。

「全く。どいつもこいつも、肝試しが好きな奴ばかりだとは」
 不機嫌なレイの声が、ルージャの耳を圧迫する。半分以上、レイはルージャに対して怒っているように感じるのは、気のせいだろうか?
「その結果がどうなるかも知らないで」
 大の男五人に囲まれて脅されたのだから、仕方無いだろう。ライラも、守る必要があったし。そう、言いそうになるのを何とか堪えて、肩を聳やかして歩くレイの背中を見やる。ルージャがどんなことを言っても、「お前が弱いからだ」で片付けられそうな気がするし、ルージャ自身、内心自分のことが情けなく思えてきていた。
 ルージャと、件の騎士隊長に率いられた騎士達が廃城に侵入したのは、二日前の夕方。その時に侵入口の穴に落ちた騎士は、何故か、副都のゴミ捨て場で、全身打撲の状態で見つかった。よく分からないことを喚いて走り去っていった騎士は、廃城の外の平原を、正気を破壊された状態で彷徨っているところを保護された。そして。見つけた財宝を抱えて副都に戻った筈の騎士隊長は、次の日の朝から行方不明になっていた。
 今朝、ルージャとライラがレイに見たのは、心底うんざりした面持ち。行方不明になった騎士隊長と一緒に居たという目撃情報がどこからか垂れ込まれたらしく、ルージャはレイにこってりと絞られ、しかも今も、野宿を伴う野外探索に必要な食料や装備などを一人で持たされている。
「手掛かりが何も無いのだから、闇雲に探すしかないか」
 そう言いながらレイがルージャ達を連れて向かったのは、副都近くの林だった。
「ここが一番、誰からも発見され難い所だからな」
 掠われたのなら掠われたなりに、正気を失って何処かを彷徨い歩いているのなら彷徨い歩くなりに、誰かからの目撃情報がある筈だ。副都にも、その周りにも、人は大勢住んでいるのだから。その情報が無いということは、騎士隊長は人が居ないところ、すなわち廃城か、何故か人が近づくことのないこの林にいるに違いない。それがレイの推測。
 副都の近くにあるこの林に入るのは、ルージャは勿論初めてである。林なのだから、ルージャ達がかつて暮らしていた山の中の森のように、役に立つ動物や植物がたくさんあり、副都やその周辺に住んでいる人々がその資源を活用していても良いはずだと、林に入る前は思っていた。だが、今は。
「静かね」
 小さな声で、ライラが呟く。ライラの声が震えていることに気付き、ルージャは両手の荷物を片手に移してからライラの手を握った。
 ライラの言う通り、確かにここは、静か過ぎる。夏は終わった筈なのに、未だに青々とした下草に覆われた地面。その地面からただ生えているだけの細い木々。風が吹いている筈なのに、木々も草も揺れることなく、ただ静かに佇んでいるだけ。そして、レイとルージャとライラ以外、生きて動いているものは何も、無い。虫さえも、居ないのだ。
「ここは、『時が止まった場所』と言われている」
 ルージャ達の疑問に答えるように、前を歩いたままのレイが振り向かずに呟く。
「何故ですか?」
 しかし、ルージャの次の疑問には、レイは黙ったままだった。

 辺りが薄暗くなったので、とりあえず、林内の小さな空間に野宿の準備をする。
「ほら、さっさと薪を拾って火を熾して」
 野宿の準備をするのも、何故かルージャのみ。傍の木に背中を預けたレイは、ただ指示するだけ。幾ら何でもこれは、ルージャへの罰としても酷過ぎるのではないか? ルージャはそう思ったが、やはり、黙っていた。
 一方、レイは、ライラには優しかった。
「水を汲んでおいで、ライラ。近くに泉があったの、覚えているだろう?」
 ルージャが持ってきた荷物から手桶を出して、ライラににこりと笑う。
「水を汲んだら、水浴びをすると良い。汗をかいたままでは気持ち悪いだろう」
 ライラがにっこりと笑って、小さく頷くのを、ルージャは焦燥と共に見ていた。
 レイは、ライラに優しい。ライラは可愛いから、優しくしたいとルージャも自然に思う。だが、レイのライラに対する優しさは度が過ぎているように、ルージャには思えた。まさか。副都に案内された時に感じたのと同じ、怒りに似た感情を、レイに抱く。レイは、ライラをルージャから奪おうとしているのだろうか。いやいや。ルージャは慌てて首を横に振った。ライラは、誰のものでもない。ライラが誰を選ぶのかは、ライラ自身が決めること。ルージャには、……何も言えない。
「ほら、早く夕食の準備」
 ぼうっとしているところを、レイにどやされる。
 しかし、ルージャの思考は、夕食の時も、眠る為に横になった時も、同じ所をぐるぐると回っていた。ライラは俺のものだと、はっきり言いたい。しかしそれを言ってしまうと、ライラは、ルージャを軽蔑するだろう。それは、嫌だ。
 ぐるぐると回る感情に、水の音が混じる。雨、か? はっとして起き上がったルージャは、焚き火の向こう側で眠っていたはずのレイの姿が見えないことに気付いた。ライラは、ルージャの近くで軽い寝息を立てている。では、レイは、……何処に消えた? まさか、今日は遭遇しなかったのですっかり忘れていたが、『悪しきモノ』に掠われたのか?
 近くに置いておいた短刀を握りしめ、音の方へと急ぐ。だが、水音のした方、泉がある場所の傍で、ルージャの身体は動かなくなった。
 微かな月明かりが、泉と、泉で水浴びをしているレイの仄白い裸身を浮かび上がらせる。レイの左肩にある黒々とした痣は、ライラの左肩にある痣と同じもの。そして。レイの両胸は、ライラよりも大きく膨らんでいた。
「お……」
 無意識に、呟く。
 次の瞬間。飛びかかって来た冷たく濡れたものに、ルージャの身体は為す術もなく冷えた地面に押しつけられた。
「見たな!」
 ルージャの瞳に、目を吊り上げたレイの顔が大写しになる。
「私の秘密を知った者を、生かしておくわけには……」
 レイの両手が、ルージャの首に掛かる。
「レイ?」
 だが、レイの手がルージャの首を締め付ける前に、ライラの声が、救いのようにルージャの耳に響いた。
「レイ?」
 驚きで目を大きく見開いているライラが、木々の間に見える。レイは諦めたように目を伏せると、ルージャの身体の上から退いた。
「しばらく向こうを向いていてくれないか?」
 ぶっきらぼうに、ルージャにそう指示する。起き上がったルージャは、ライラの立つ場所へ向かった。
「レイ、って」
「ああ」
 ライラの問いに、首を縦に振る。男の人だと思っていたレイは、女性だった。
 しばらくそのままでいた二人の前に、服をきちんと着たレイが現れる。制服をきちんと着たレイは、どう見ても、大柄な男性にしか見えなかった。しかし、肩の痣も、胸の膨らみも、幻ではない。
「話しておくよ」
 泉の傍の木に背中を預け、レイが座り込む。ルージャとライラはレイの傍に座り、呟くようなレイの告白を聞いた。
 副都を支配するレイの父は、『統一の獅子王』レーヴェの血を引いていることが自慢だった。そして、父が若い時に即位した現在の獅子王に飽き足らぬものを感じていた。自分なら、もっと良い政治を行い、新しき国をますます富ませることができるのに。しかし獅子王の血を引くが、獅子王の証である『左肩の獅子の痣』を持たない自分は、王にはなれない。だがしかし、自分の息子に、獅子の痣を持つ者が生まれるかもしれない。そうなれば、自分が実権を握ることができる。そう思い、レイの父は奥方に多くの子を産ませた。しかし、残念なことに、獅子の痣を持って生まれたのは、レイチェルと名付けられたレイと、末の妹の二人だけ。諦められないレイの父は、レイを男児として育て、性別を偽ったままレイを王にしようとした。だが、蔑んでいたはずの獅子王の治世は、父が納得するほどの賢政だった。偽って娘を王にするよりも、もう一人の娘を王あるいは王子の正室にし、その息子に希望を託した方が賢明だ。そう判断したレイの父は、レイを見捨てた。
 レイの告白に、怒りを感じ、そっと身動ぎしてレイから離れる。ルージャのその行為に、レイは嘲るような笑みを浮かべた。

 眠れぬまま、朝を迎える。
 頭が痛くて起き上がったルージャは、木々の向こうから聞こえる微かな叫び声にはっと耳を欹てた。
「誰か、居るな」
 飛び起きたレイが、剣を手にして声の方へ向かう。ルージャも短刀を手に取ると、起き上がったライラに木剣を渡してレイの後を追った。
「こいつは」
 しばらくして、レイが立ち止まる。レイの足下にいたのは、四つん這いになって咆哮を上げる人間。すっかり泥と血で汚れてはいるが、白と青の、新しき国の騎士の制服を着ていることが、ルージャにもはっきり分かった。金の縁取りのあるマントを身に着けていることも。……件の、騎士隊長だ。
 飛び下がりながら、レイが剣を抜く。騎士隊長の背が、泥と血以外のもので黒く汚れていることを、ルージャは認めた。
 不意に、騎士隊長が大きく伸びる。飛びかかって来た騎士隊長をレイは何とか躱した。だがバランスを崩したレイの身体は、地面に横様に倒れてしまう。そのレイの上に、騎士隊長は素早くのし掛かった。
「レイ!」
 どうして良いのか、分からない。ルージャは不覚にも、その場に固まってしまった。
 と。
「レイ!」
 聞き知った声と共に、空間が揺れる。いつの間にか、ラウドがレイの身体から騎士隊長を引き剥がし、その身体を遠くに投げ捨てていた。
「我が血と力で以て、彼を鎮めよ」
 ラウドの剣が、一閃する。それまで唸り声を上げていた騎士隊長は一瞬にして地面に伸びた。
「あ、ありがとう、ラウド」
 やっと呪縛が解けたルージャは、ラウドに向かって頭を下げた。
「このくらい」
「まだだ」
 だが。ラウドの言葉に、レイの緊迫した声が被る。
「あそこに」
 レイが指さす方向を見て、ルージャはあっと声を上げた。
 木々の間に、黒っぽい小さな影が四体。地面からふわりと浮かんで佇んでいるのが、見える。前に見た『悪しきモノ』とは違う形だが、これも『悪しきモノ』なのだろうか。
「ああ、これは違う」
 起き上がり、剣を構え直したレイの肩を、ラウドがぽんと叩く。そしてそのまま、ラウドは四体の影の方へ向かうと、その影を四体全てぎゅっと抱きしめた。
「怖かっただろう。ごめんよ。俺に力が足りないばっかりに」
 ラウドの言葉に、腕の中の影が震え、そして消えていくのを、ルージャは呆然と見詰めていた。
「これで、良いのだろうか?」
 ラウドの呟きが、静かな森を駆け巡る。
 この場所は、新しき国が『古き国』を滅ぼした際、城から逃げた女王の幼い妹達が獅子王自身によって惨殺された場所。その悲劇の為に、森は時を止めた。未来を知っていても、過去を変えることはできない。ラウドは吐き捨てるようにそう、言った。
 ラウドの言葉に、胸が冷たくなるのを感じる。首を斬られ、焼かれた伯母の遺体を思い出し、ルージャはぎゅっと目を閉じた。ルージャも、何もできないまま、後悔だけを胸にして生きていかなければならないのだろうか? いや、そんなのは、嫌だ。
 不意に、ルージャの肩を、ラウドが叩く。
「大丈夫。俺も、おまえも」
 ラウドの言葉に、ルージャはこくんと頷いた。
 そして。
「久しぶりだね、レイ」
 ラウドが、親しげにレイに声を掛ける。しかしレイはラウドから顔を逸らした。
「何時になったら機嫌直してくれるのかな」
 諦めたように、ラウドがそう、口にする。次の瞬間、現れた時と同じく唐突に、ラウドの姿は消えた。
 そして。思い出したように、森の草木が、風に煽られて音を出す。
「……行くぞ」
 レイがそう言って、歩き出したのは、ラウドが消えてしばらく経ってからだった。
「あの」
 虚勢を張ったような、その背中に、思わず声を投げる。
「レイは、ラウドを知って……」
「それ以上言うな!」
 しかし、勇気を振り絞ったルージャの質問は、突きつけられた剣の切っ先に黙らされてしまった。

 件の騎士隊長を無事に副都へ連れて帰った、その次の日。ルージャはレイから、一人でお使いを命ぜられた。行き先は、副都近郊の、少し遠いところにある村。その場所を守護する騎士隊長に手紙を届けることが、今回の任務。勿論、ルージャに異存はない。ライラを副都に置いて行くのは心配だったが。
「ライラには、本の中にある魔法の勉強をして貰う必要がある」
 レイにはっきりとそう言われて、頷かざるを得ない。ルージャ自身も、闘い方とか、探索の方法とか、騎士になる為に学ばなければならないことはたくさん、ある。それを暗に指摘されたような気がして、内心面白くなかったが、……仕方がない。ルージャ自身、自分はまだまだ未熟だと思っているのだから。
 村へ行く道では、幸い、何も起こらなかった。だが、副都への帰途。
「有り金全部置いてけっ!」
 突然、明らかに盗賊然とした男達三人に囲まれる。利益は少なそうだが、一人なら多勢に無勢で何とかなるだろうとの判断か。バカにしている。ルージャはちっと舌を鳴らすと、目の前の男の急所を何の前触れもなく蹴り上げた。
「いてっ!」
「このっ!」
 抵抗されるとは思っていなかったのか、目の前の男が尻餅をつくと同時に、両側に居た男達が短刀を閃かせ、顔を真っ赤にして一斉にルージャに向かって襲ってくる。右側からの攻撃は何とか避けたが、左側からの攻撃は避けきれず、制服の袖が広く割けた。
「つっ」
 傷の痛みに、思わず呻く。だが両側にいる男達は左右を入れ替え、再びルージャに向かって襲ってきた。今度は、両方ともちゃんと避けて、後退る。男達の背後に、黒い染みが見える。『悪しきモノ』、だ。ルージャの心臓が、飛び上がる。『悪しきモノ』に対しては、今のルージャでは何もできない。とにかく逃げた方が良い。ルージャの思考はそう、告げていた。
 と。
「はいはい」
 不意に、ルージャの前に赤い小柄な影が立つ。
「弱い者虐めはやめようね」
「ラウド!」
 ルージャの前に立ったラウドは、ルージャににこりと笑いかけるなり、三人の男達の最中に飛び込む。あっという間に、大柄な男達はラウドの剣の下で伸びていた。
「ま、こんなもんだろう」
 振り向いたラウドの顔色が悪いことに、驚く。しかし。
「『悪しきモノ』の影響は、小さめだな」
 そう呟きながらルージャの傍に戻ってくるラウドに、劣等感を覚えてしまう。自分は、また、ラウドに頼ってしまった。ラウドに頼らなくても、自分一人で様々なことに対処し、ライラを守るようになれる日が、来るのだろうか? 永遠に来ない気がする。
「何悄気てんだ?」
 不意に、ラウドがルージャのぐしゃぐしゃの髪を更にぐしゃぐしゃにする。
「おまえが騎士見習いになって何日経つ?」
 ラウドの問いに、ルージャは日にちを数えてみた。……レイに連れられて副都に来てから、まだ一月も経っていない。短い期間なのに、色々なことが有り過ぎたので長く感じてしまっていたようだ。
「そんな短い間に騎士になれるわけないだろう? 騎士になるには長い研鑽が必要だ。俺だって、見習いの頃は怒られてばっかりだった」
「本当に?」
「ああ」
 ラウドの言葉は、俄には信じられない。だがラウドは、次に驚くべきことを言った。
「女王にも、一度、騎士叙任を拒否されている」
「え?」
 騎士叙任の際の女王の質問に、ラウドは「新しき国に復讐したい」と答えた。それで公衆の面前で不合格を貰ってしまったのだと、ラウドは笑って、言った。
「なんで」
「俺の、左肩の痣は知っているよな」
 ラウドの言葉に、こくんと頷く。ライラと同じ場所にある、ライラと同じ獅子の横顔の形をした痣のことは、忘れてはいない。
「その痣の所為で、殺したい程憎い奴が、新しき国にいる」
 不意に、ラウドの声が変わる。その声の凄惨さに、ルージャは息を呑んだ。ラウドが、憎む相手とは、一体? しかしルージャの疑問に、ラウドは一切答えず話題を変えた。
「そいつが憎いことは、今も変わりはない。でも、その憎しみの所為で自分が大切に思っている者や場所を壊すわけには、いかなかったんだな」
 だからラウドは、次の騎士叙任の時に「大切な人を守りたい」と答え、無事騎士叙任を受けた。
 ラウドの言葉に、考え込む。女王に対するルージャの解答が、騎士として間違っていることは、分かっている。だが、それ以外の目標が、ない。父や伯父伯母を殺した犯人の見当も、未だついていないのに、それ以外の目標を、どうやって探せというのだろうか? 分からない。ルージャは首を横に振った。
 そして。
「その痣を、レイも持っていることを、ラウドは知ってる?」
 思い出した質問を一つ、ラウドに投げかける。
「ああ」
 レイは、獅子王レーヴェの血を引くから、持っている可能性はあるだろうと思っていた。ラウドは事も無げにそう、言った。
「最初に逢った時は、そんなことは分からなかったがな」
 レイも、ルージャ達と同じように、まだ見習い騎士であったころに『肝試し』として廃城に入っている。そしてそこでラウドと出会い、レイの騎士としての素質を見抜いたラウドはレイを女王の謁見の間に案内した。しかしレイは、「私は新しき国の騎士だ」といって見習い騎士の証である椿の留め金を受け取ることを拒んだらしい。レイらしい。ラウドの話に、ルージャは心の中で笑った。
 そして更に、もう一つ。
「ライラの痣は、どうなんだ?」
 左肩の獅子の痣が獅子王の血を引く者に表れ、そして獅子の痣を持っている者だけが新しき国の王になる資格がある。それならば、ライラにも王となる資格があり、それ故に、王位継承権を持つ他の者によって、ライラを守ろうとした父と伯父伯母は無惨にも殺されてしまったのだろうか。心の奥底にしまっていた懸念を、ルージャはラウドに問うた。
「あー、それは……」
 ルージャの問いに、何故かラウドは言い淀む。
「まあ、ライラが獅子王の血を引くことは確かなんだけど」
 おそらく、ルージャの住んでいた集落が襲われた原因はそうではないだろう。ラウドはゆっくりとそう、言った。現在の獅子王の息子の内二人は、殆ど原形を留めていないらしいが『獅子の痣』を持っている。副都の太守の娘であるレイとその末妹もいるので、王位に関しては女性であり、誰とも知れぬライラには何も権利は無いだろう、と。
「それよりも」
 そう、前置きして、ラウドはある意味恐ろしいことをルージャに告げた。
「ライラが、『古き国』の女王の血を引いていること。それが、原因だと俺は思う」
「は、い?」
 ラウドの言葉に、ぽかんと口を開けてしまう。ライラが、『古き国』の、女王の血を、引いているだって?
「その、木剣」
 ルージャの驚愕には構わず、ラウドはルージャが剣帯で吊り下げている木製の剣を指差した。
「君の腰以外の何処かで見たことが無いか?」
 ラウドに言われて、思い出す。確か、廃城に居た、古き国の女王の腰にあったのも、同じ形の剣。
「その木剣は、女王の『徴』である三つの宝物の内の一つだ」
 女王がその『力』を発揮する為の三つの宝物、王冠、首飾り、そして剣。その三つがあって初めて、女王は『悪しきモノ』を封じる力を持つ騎士を任命することができる。ライラは確かに、この剣を持った時に光を発し、ルージャ達を殺そうとした騎士達を滅した。それが『女王の力』だと、ラウドはルージャに答えた。
「残念なことに、新しき国は予言に惑わされ、女王を殺そうとしている」
 『古き国の女王が、新しき国を滅ぼす』。何時からか言われ続けている予言に従い、代々の獅子王は、元々『古き国』に仕える辺境伯の一人だったにも拘らず、『古き国』を攻め、そして併呑した。新しき国の支配者の考え方は、『古き国』が滅びた後であるルージャの時代でも変わらないだろう。そう、ラウドは言った。
「だから、ルージャ、君は、命懸けでライラを守らなければならない」
 ラウドの言葉に、当たり前だというように頷く。しかしラウドは更に、冷たく思える言葉を叩き付けた。
「君の為ではない。この地に生きる人々を助ける為に、ライラを守らなければならないんだ」
 『悪しきモノ』から人々を守る為に。ラウドははっきりとそう、言った。
「『悪しきモノ』とは、一体何だ?」
 そのラウドに、問う。
「俺達とは違う生き物で、俺達に害を為すものを、俺達はまとめてそう、呼んでいる」
 ラウドは少し考えてから、ルージャに向かってそう答えた。
 この世界には、人間とは違う生き物達が多く暮らしている。そのもの達の営みは勿論、人間の営みとは違うわけだが、人間に害を為すような営みを行うもの達も、この世界には確かに存在する。それが、『悪しきモノ』。『悪しきモノ』が生じる原因は、分からない。だが、この大陸に生じていた『悪しきモノ』を、女王と『血の盟約』を結んだ辺境伯達と、女王が任命した特別な騎士達とで封じた初代女王以来、『古き国』の女王より叙任された騎士達の血と力によって『悪しきモノ』を鎮めることができることは分かっている。
「だから、古き国の騎士達っていうのは、『悪しきモノ』に対する生け贄、というか、まあ言われているほど格好良い存在じゃないってことさ」
 『古き国』自体に、領土的野心は無い。新しき国が良い政治をするのであれば、『新しき国』が『古き国』に取って代わっても全然構わない。ラウドははっきりとそう、言った。但し、女王は必要。
「なるほど」
 『古き国』の女王も、ラウドのような『古き国』の正式な騎士もいない現在、『悪しきモノ』から人々を守る為には、『古き国』の女王の血を引くライラが三つの宝物を得て女王となり、『悪しきモノ』を祓ったり封じたりすることができる騎士を叙任することが必要なのだ。ルージャはそう、理解した。その為に、ライラを守らなければならない。その為には、今は、ライラが女王であることを隠さないといけない。例え、自分の身が滅びても。全身が、震えるのを感じる。恐怖、だ。心に渦巻く感情を、ルージャはそう、分類した。
 だから。
「ラウド」
 その震えのまま、ルージャはラウドに最後の質問を投じた。
「ラウドは、その、自分の未来を知っているのか」
 ルージャの問いに、ラウドはルージャを見、そして頷く。
「怖く、ないのか?」
「正直に言えば、怖い」
 そう言ったラウドの顔は、先程よりも更に蒼くなっているように見えた。
「大丈夫か?」
 思わずそう、尋ねる。ルージャはラウドを覗き込むように見詰めた。
「ああ」
 その蒼い顔のままで、ラウドはこくんと頷く。悪いことを、聞いたかもしれない。答えは、分かり切っていた筈なのに。自分が情けなくなり、ルージャは下を向いた。
「大丈夫だよ」
 そのルージャの方を、ラウドが優しく叩く。
「痛いのは、慣れてる」
 最近も、戦闘中に後ろから矢を複数浴び、致命傷になる一歩手前だったし。事も無げな口調に戻ったラウドに、ルージャは再び顔を上げた。まあ、治癒の魔法を十分に使ってもらったから、大丈夫だよ。ルージャの眼前でラウドはそう言い、普通ににやりと笑った。
 その笑顔に、救われる。それでも、ルージャは泣きそうになり、思わず下を向いた。
 どのくらい、下を向いて歩いていただろうか。ふと、顔を上げると、ラウドの姿は既に無かった。おそらく、過去に帰ったのだろう。ラウドのように、強くなりたい。ルージャは心からそう思った。
 副都の城壁が、大きく見える。辺りは既に夕方の黄色に染まっており、ルージャの周りにも、街道を急ぎ足で副都の方へと向かう商人や旅人が多くなっているのが、見える。早く帰って、ライラに今日のことを話そう。ルージャは足を速めた。
 と。城壁から少しだけ離れた、木々の間に、見知った影を二つ見つける。一つはレイ。そしてもう一つは。
「ライラ!」
 叫んで、走る。レイとライラの周りにいたのは、夕方の光でもはっきりと判別できる黒い影を纏った、新しき国の騎士達。『悪しきモノ』から、ライラを守らなければ。ルージャは全速力でライラと敵の間に割って入ると、相手の武器を短刀で叩き落とした。
「ルージャ!」
 驚いたようなライラの叫びに、にやりとする。しかし次の瞬間。
「レイ!」
 ライラの悲痛な叫びに、ルージャは思わずライラを背後に隠した。
 レイが、大柄な男二人に羽交い締めに去れ、その首筋に短刀を突き付けられている。
「その娘と、この騎士を交換しろ」
 そう言いながら、レイを掴んでいる男の一人が、ルージャを見て嫌な笑みを浮かべる。レイの白い首に血の筋が走ったのが、夕日の中ではっきりと、見えた。
「レイ!」
 ルージャの前に出ようともがくライラを、何とか押し止める。レイも大事だか、ライラも大事だ。二人を助ける方法は。ルージャの頭脳は高速で回転を繰り返していた。
 と。不意にライラが、ルージャの腰の木剣を掴んでルージャを押しのける。
「ライラ! ダメだ!」
 前に出たライラに襲い掛かる男達からライラを守ろうと、ルージャはライラの腰を掴んだ。
 次の瞬間。目が潰れるほどの光が、ルージャを包む。眩しさに目を閉じ、そして開くと、ルージャの腕の中でライラがぐったりしているのが見えた。そして、黒い靄を纏った男達は、一人もいない。
「ライラ!」
 腕の中のライラを、強く揺さぶる。
「……ん」
 すぐにライラは、眠りから目覚めるように目を開けた。
 これが、女王の力。しばらく呆然としていたルージャは、しかしラウドの言葉を思い出し、はっと辺りを見回した。……大丈夫だ。気を失って地面に倒れているレイの他には、誰も居ない。ライラに潜む女王の力は、誰にも見られては、いない。
 ルージャはほっと息を吐いた。

 しかし、その夜。
「ルージャ!」
 装備も解かずにうたた寝をしていたルージャは、ライラの怯えた声にはっとして飛び起きた。
「玄関に、騎士達がたくさん来てる!」
 何時になく蒼い顔でノックもせずにルージャの部屋に入ってきたライラに頷いてから、耳を澄ます。確かに、玄関ホールの方からいがみ合う声が聞こえてきていた。何が、あったのだろうか? 嫌な予感に囚われ、ルージャはライラを背後に隠すようにして部屋を出ると、廊下を歩き、玄関ホールの吹き抜けの周りに設えられた廊下の一歩手前の壁際に陣取った。
「謀反人だの『古き国』だの、戯言はいい加減にしてくれ」
 吹き抜けに反響して、レイの声が少しびりびりした調子で響く。
「こんな夜更けに、言いがかりをつけに来たのか?」
「いいえ」
 レイの声に答えるのは、高慢を絵に描いたような声。顔を半分ほど出して玄関ホールを窺うと、明らかに他の騎士達よりも飾りの多い制服を身に着けた大柄な人物が、傲慢な顔をレイに向けているのが見えた。あの顔は、一度だけ街を歩いているのを見たことがある。副都周辺の警備を担う責任者である、現在の獅子王の第三王子ジェイリだと、その時誰かが言っていた。
「先程言った通りですよ。あなたが謀反人を匿っているという通報がありましてね」
 謀反人? ジェイリの言葉に、思わず首を傾げる。盗賊や獰猛な動物、そして悪霊や『悪しきモノ』達は跋扈しているが、現在の獅子王に反逆し新しき国を滅ぼそうとする輩のことは聞いたことが無い。ルージャが知らないだけだろうか? だが。
「『古き国』と『新しき国』との因縁は知っておられるでしょう、レイ殿」
 ジェイリの言葉に、はっとする。まさか、この男は、ラウドのことを謀反人だと言っているのだろうか? 確かに、『古き国』の騎士であるラウドは常に、『古き国』の騎士の装いをしている。その、新しき国とは異なる、緋色と黒の制服を見れば、『古き国』の騎士を装った者が新しき国を滅ぼそうと画策していると見えないこともない、と思う。ルージャはとっさにそう、考えた。『古き国』の騎士を名乗る盗賊の件もあるのだから。しかしながら。
「『古き国の女王が新しき国を滅ぼす』。この予言のことも」
 続けて放たれた言葉に、冷水を浴びせられたようになる。ラウドだけでは無い。ジェイリは、『古き国』の『女王の力』を持つ者、ライラを探しに来たのだ。夕方にライラが使った『力』を見た者が、それが『女王の力』だと見抜いてしまったのだろう。とにかく、早く逃げなければ。そう思う前に、ルージャはライラの手を引っ張って廊下を走り抜けていた。
 階段を降り、裏口に近い窓から外を見る。裏口には予想通り、騎士らしき影が居た。だが彼らが宿舎全体を取り囲んでいるわけではないことが、ぐるりと見回すと分かった。それならば、脱出可能。玄関と裏口の中間地点にある窓から、ルージャは辺りの様子を確かめて誰も居ないのを確認すると、ひらりと窓から外へ飛び出した。続いてライラも窓枠に足を掛ける。多少バランスを崩して窓から外へと飛び降りたライラを、ルージャは身軽に抱き締めた。
「何処へ、逃げるの?」
「城へ」
 ライラの問いに、間髪を入れずに答える。古き国の廃城より他に、逃げ込める場所をルージャは思いつかなかった。

 ライラの手を引き、薄い星明かりの下を早足で進む。松明やランタンは、他人の気を引くから使えない。夜目が利くことを、ルージャは感謝した。
 そしてそのまま、すっかりお馴染みになった入り口に、飛び込む。次の瞬間、斜めになった床に足を取られ、ルージャとライラは一緒によろめいた。入り口傍に、斜めになった落とし穴がある。そのことを思い出したのは、穴に滑り落ち始めた時。
「ライラ!」
 斜面が急過ぎて、落ちるしか無い。それでも、ライラは守らなければ。ルージャは無意識に、ライラを守るように抱き締めた。

「……ージャ? ルージャ!」
 ライラの言葉に、飛び起きる。
 微かに光る空間でライラがほっとした表情を浮かべているのが分かった。
「大丈夫? どこか痛いところない?」
 ライラの言葉に首を横に振る。ライラ自身も、何処にも怪我をしていないようだ。そのことが、ルージャをほっとさせた。落とし穴のことを忘れていたなんて、バカ過ぎる。ルージャは自分を責めるようにふっと息を吐いた。しかしライラも自分も無事で、良かった。後は。
 滑り落ちてきた斜面を、見上げる。ずっと上の方に、おそらく落とし穴の入り口であろう、小さく切り取られたような四角が見えた。
〈あの場所までは、登れない〉
 斜面の急さと、出口の遠さに、諦める。他に出口は無いのか。ルージャは注意深く、ぐるりと辺りを見回した。すぐに、人一人が通り抜けられそうな亀裂を見つける。大丈夫だろうか? その隙間の向こうの、不思議な程重たげな闇に、ルージャは思わず身を震わせた。しかしながら。……この道を採るより他、無いだろう。
 落ちていた小さな木切れに、チュニックの裾を細く破ったものを巻き付け、即席の松明を作る。幸いにも所持していた火打石で火を付けてから松明を隙間の向こうに差し込むと、松明は闇の中で頼りなく燃えた。空気は、大丈夫そうだ。
「行こう、ライラ」
 ライラを、というより自分自身を励ますようにそう言うと、ルージャは先に立って亀裂を超えた。そしてそのまま、手を伸ばして辺りを探る。どうやらルージャとライラは、石作りの壁に囲まれた細い廊下にいるらしい。その廊下を、ライラを守るように後ろに従えて、少しずつ進む。地下らしく、辺りは少し湿っている。足下は、障害物が無いので歩き易い。問題は、廊下がすぐ、右へ曲がったり左へ曲がったりすること。十字路やT字路も当たり前のように出てくる。まるで迷路だ。出られる気がしない。不意に弱気になり、ルージャは慌てて首を横に振った。落ち着け。曲がった回数は、ルージャとライラで数えている。十字路やT字路には爪で印をつけた。戻ろうとすれば、戻れる。ルージャは立ち止まり、ゆっくりと息を吐いた。
 と。
 いきなりの攻撃が、横からルージャを襲う。ライラを庇うようにして何とか避けたが、ルージャの身体ギリギリを通り抜けた拳が纏っていた重さに、ルージャはびくりと身を震わせた。まさかこいつが、あの案外博学だった騎士隊長の部下の一人を全身打撲にした張本人か? 崩れた体勢を立て直しながら、ルージャは松明の外の闇を見透かすようにして相手を捜した。次の瞬間。あっけなく、ルージャの腕は、闇から伸びてきた太い腕に捕まる。松明を取り落とした腕を背中側に捻り上げられて、ルージャは痛みに大声を上げた。
「ルージャ!」
 尻餅をついていたライラが、両手と足で地面を蹴って起き上がるなりルージャの後ろへ飛びかかる。だがライラがルージャの傍に来る前に、闇から伸びてきたもう片方の腕がルージャの腰にあった木剣を奪い取り、ルージャをライラの方へ投げ飛ばした。
「きゃあっ!」
 ライラの悲鳴が、すぐ側で響く。
「ごめん」
 ルージャに突き飛ばされるように再び床に倒れるライラの様子を確認する間も無く、ルージャは木剣を掴んだ影のような背の高い男の方へ体勢を崩したまま飛びかかった。ライラも大切だが、ライラの『力』を証明する女王の宝物、木剣を奪われるわけにはいかない。だが、ルージャのがむしゃらな攻撃は、今回も効かなかった。飛びかかったルージャの身体を、男は木剣を持っていない片腕だけで無造作に止める。そして暴れるルージャを総無視して、男はじっと手にした木剣を眺めていた。
 そして。全く唐突に、男はルージャから手を離すと、木剣をルージャに返した。
「え?」
 その行動に、ルージャは全く動きを止めてしまった。
「え?」
 驚いたのはルージャだけではない。ルージャと同じ言葉を、男に優しく助け起こされたライラも呟く。その二人を、男はその鋭い目でじっと見つめると、二人に向かって手招きをした。
「どうする?」
 ルージャの方へ近寄ってきたライラに怪我が無いことを確かめてから、男に聞こえないような小さな声で尋ねる。
「出口を、教えてくれるかもしれない」
 ライラの言葉に、ルージャは同意するようにこくんと頷くと、落とした松明を拾い、ライラの手を再び掴むと男の後を見失わない程度に少し離れて付いて行った。

 細い廊下を、何度か左右に曲がる。
 しばらくすると、少し遠くに、明るい場所が見えた。
 その明るい場所の方へ、影のような男は無言のまま進んで行く。その沈黙が重苦しくなり、ルージャは何度か声を出して息を吐いた。その度に、前を行く男がルージャを睨むが、息苦しいのだから仕方がない。
 そうこうしながら辿り着いた場所は、炎とは違う色が灯るランタンに照らされた廊下と、その先にある黒っぽい扉。その扉を、男は静かに叩いた。
「何?」
 すぐに、細い声が聞こえてくる。男が大きく扉を開けたので、ルージャにもすぐに、声の主が見えた。
「どうしたの、サク? こんな夜更けに?」
 ルージャとライラの前方に居たのは、濃い色の髪を綺麗に切り揃えた小柄な少年。少し白っぽい光の所為か、少年の顔色は病的なまでに蒼く見えた。
「誰?」
 少年は、ルージャとライラを見て、その黒曜石のような瞳を大きく見開いた。
「珍しいね。サクがお客さんを連れて来るなんて」
 少年の言葉に、サクと呼ばれた男性が不意にルージャの肩を掴む。
「おい!」
 ルージャの驚きには全く関与せず、サクはルージャを少年の方へ押しやると、ルージャが抵抗するより早く腰の木剣を取り上げ、少年の方へ恭しく差し出した。
「これは……」
 ルージャの木剣を見詰めた少年の瞳が、再び見開かれる。少年は座っていた大きな椅子から立ち上がると、ルージャに木剣を返し、そして傍らの棚の上に載っていた簡素な箱から何やら円環のようなものを取り出した。
「これを」
 そしてその、キラキラと揺らめくように見える円環を、ライラに向かって厳かに差し出す。
「被ってみて」
 ライラはルージャを見てから、恐る恐る少年の手から円環を受け取り、おっかなびっくりとした調子で頭に乗せた。
 次の瞬間。
「えっ」
 辺りの光量が倍以上に増えた気がして、思わず目を瞬かせる。ライラ自身が、輝いているのだ。それが分かるまでにしばらく掛かった。
「やっと、見つけた」
 その声と共に、光が収束する。目をぎゅっと閉じて光を追い出してから再びライラを見ると、ライラの傍で少年が円環を持ってにこりと笑っているのが、見えた。
「僕の名は、リヒト。君たちは?」
 ライラを見、ルージャを見てから、少年が名乗る。
「ライラ」
「ルージャだ」
 礼儀正しく、二人もそれぞれ自分の名前を名乗った。
「ライラ。君は『古き国』の『女王の力』を受け継いでいるね」
 リヒトの問いに、ルージャとライラは同時に頷く。昼間ラウドが話してくれた言葉を、ルージャはライラに伝えていた。最初は驚いていたライラだが、木剣と、自身が二度行った『奇跡』のことを思い出したのだろう、最後には、ルージャに向かって頷いてくれたことを覚えている。
「そして『力』の源である『剣』と『王冠』が揃った。言い伝え通りに」
「言い伝え?」
 首を傾げたルージャに、リヒトは再びにこりと笑った。
「この場所には、『古き国』の歴代の女王と騎士達の記憶と想いが眠っている」
 リヒトの言葉に、辺りを見回す。この部屋の全ての壁には床から天井まで本棚が設えられており、どの棚も様々な色の背表紙で一杯だった。その本の中から、一冊をリヒトが抜き出す。
「最後の女王の言葉にある。『剣と王冠が揃う時、後継の女王が生まれる』、と」
 あれ? リヒトの言葉に、違和感を覚える。確か、ルージャが見た女王は、王冠を被り、剣を剣帯で腰に佩き、そして血のように濃い赤色の宝石が嵌った首飾りをしていた、筈だ。
「首飾り? うん。女王になる為には首飾りも必要だよ」
 この地に蔓延る『悪しきモノ』を封じ、初代の女王となった者の記憶を記した本にはそう書いてある。ルージャの問いに、リヒトはあっさりとそう答えた。
「でも、最後の女王は、剣と王冠だけで良いと言っている」
 そこが、分からないんだけど。リヒトの声が、急に小さくなる。
「おそらく、君たちが過去に行くか誰かが過去から現れるかして、首飾りのことは何とかなるのかもしれない」
 それならば、納得がいく。ルージャはこくんと頷いた。
「『悪しきモノ』を封じる為に、女王はどうしても必要だからね」
 リヒトの言葉に、ルージャもライラも大きく頷く。『悪しきモノ』が憑いた所為で味方に襲い掛かる騎士、そしてついさっきまで部下だったその者を倒した、レイの震える唇。それを思い出すだけで、十分、『悪しきモノ』に対抗する為に『女王の力』が必要なことは、分かる。そして。ライラが女王であることに、ルージャは誇りを感じていた。
「あの」
 不意にリヒトが、ライラに濃い赤の本を差し出す。
「新しい女王に逢ったら、ぜひ知っておいて欲しいと思っていた物語があるんです」
 言葉を改めたリヒトから本を受け取ったライラの横から、本の表紙をまじまじと見詰める。革で表装された表紙には、何も書かれていない。これは一体何の本だろう? ルージャは訝しく思い、リヒトの方を見た。
「ラウドの運命は、知っていますね」
 リヒトの言葉に、ライラと同時にこくんと頷く。
「これは、もう一人の『傍系獅子』、リディアの物語です」
 リディア。確か、夢の中でラウドの背後に居た、背の高い断髪の女の人。
 そのことを思い出す前に、ルージャの意識はすっと遠くへ、飛ばされた。

 見慣れぬ天井に、はっと息を飲む。
 ここは、何処なのだろうか? 全身を巡る微かな痛みと気怠さを脇に押しやりながら、リディアはこれまでのことを思い出そうと努めた。確か、兄であるラウドの遺体が首を斬られた状態で無惨にも晒されているのに激高して、守備の任に着いていた東の塔から飛び出し、塔を包囲していた新しき国の兵達を次々と屠った所までは覚えている。深手を負ったところで部下達に塔まで無理矢理連れ戻され、騎士達が立て篭る一室で魔術師から回復の魔法を受けたことも。そして、その、後は? 何故自分は、見知らぬ部屋のベッドの上に横たわっている?
「リディア様! 気付かれましたか!」
 聞き知った高い声に、ゆっくりと首を動かす。小さな顔を緋色の頭巾で包んだ少女が、リディアの方へ腫れた瞳を向けているのが、見えた。この、子は。ラウドの従者だった。
「アリ」
 何とか、唇を動かす。
「貴方は、無事だったのね」
 リディアの小さな声に、アリはこくんと頷き、そしてうわっと泣き出した。
「良かったです、リディア様、気が付かれて。もう、このまま目覚めないのかと……」
 そのアリの、頭巾が乱れて白金色の髪が垂れている頭を、リディアは軽く叩いた。そして訊きたいことを尋ねる。
「ここは、何処なの?」
 リディアの問いに、アリは唇を噛んで下を向いた。
 どうしたのだろう? アリの態度をリディアが訝るより先に。
「意識が戻ったのか?」
 低い声が、耳を打つ。ほぼ同時に視界に入って来た人影に、リディアははっと飛び起きるなりアリを庇うようにアリと人影の間に立った。途端、全身に痛みが走る。それでも何とか、リディアは傍らのベッドを支えにして足を安定させ、目の前に立ち塞がる大柄な人影をきっと睨んだ。肩で揺れる濃い黄金色の髪、リディアを睨みつける冷たい眼光、そして全身を覆う威圧感。この場所に武器が見当たらないのが口惜しい。剣があれば、こいつの身体を叩き斬ってやるのに。ラウドの敵として。
「元気だな。塔の倉庫で見つけた時には死体と間違えそうになったが」
 リディアの目の前の人物、新しき国の王である『獅子王』レーヴェは、リディアを一瞥してフンと鼻を鳴らすと、窓辺へと歩を進めた。そして手招きで、リディアを誘う。何の用が、あるのだろうか? 心の中の怒りを押さえ込み、冷静を保つよう心がけながら、リディアは身体を庇うようにゆっくりと一歩を踏み出した。鎧を付けていない獅子王レーヴェが闊歩している所を見ると、この場所は彼の拠点、おそらく新しき国の首都に建つ彼の居城の中、だろう。と、いうことは、『古き国』の騎士であるリディアもアリも、彼の捕虜ということになる。何故レーヴェ王は、『熊』騎士団の副団長であるリディアを殺さず、自身の王城内で療養させていたのだろうか? その謎は、レーヴェ王の傍らに辿り着き、窓から外を見ることですぐに解決した。
 リディアの瞳に映ったのは、殺風景な中庭と、大きな切り石を運ぶ、緋色と黒の服を身に着けた男女。『古き国』の騎士であった者達だ。リディアにはすぐ、見分けがついた。
「王城の周壁を直させているところだ」
 おそらくまともに食べさせてもらっていないのであろう、ふらふらと重い石を運ぶ元騎士達に胸を突かれるリディアに、獅子王レーヴェの声が残虐に響く。
「だがその作業ももう終盤だ」
「何が、言いたいのです?」
 身体と心の痛みに震えつつ、横に立つ王を睨みつける。獅子王レーヴェはそのリディアの視線を軽く受け流すように口の端を上げた。
「リディア。お前が私に仕えるのなら、あの者達を解放してやっても良い」
 元々、獅子王レーヴェが古き国を滅ぼす決心をしたのは、『古き国の女王が新しき国を滅ぼす』という世迷い事のような予言を信じたが故。
「だが、『古き国』の女王も、女王の血を引く者も全て、この手に掛けた」
 リディアの怒りを増幅させる言葉を、レーヴェ王はいとも簡単に吐いた。
 『古き国』の女王であることを証明する三種の宝物、王冠、首飾り、剣は未だ見つかってはいないが、時間と人手を掛ければその内見つけることができるだろう。とにかく、『女王』となることができる者は、既にこの世に居ないのだ。予言は成就されないとみて良い。だから、現在捕虜となっている『古き国』の騎士達を解放しても差し障りは無いだろう。王は事も無げにそう言った。
「断ったら、どうされるおつもりですか?」
 できるだけ平静を装って、そう、尋ねる。リディアの問いに、レーヴェ王はふっと目を細めると、リディアを見詰めたまま言った。
「明日の朝、全員処刑する。勿論、後ろの従者も一緒だ」
 リディアの後ろに立ち、リディアを支えていたアリの腕が震えるのが、分かる。それならば、自分に選択肢は、無い。
「どうする? 私のものになるか?」
 王の言葉に、リディアはふっと息を吐いた。この王は、……諦めていないのだろう。レーヴェ王はかつて、ラウドにも同じことを言った。「俺のものになれ」と。それが永遠に叶わなくなったから、リディアで代用しようとしているのだろう。それが何となく、……癪に触る。だから。
「ラウドの、代わりに、ですか」
 意地悪な言葉が、口をつく。リディアの言葉に、目の前の王と、背後に居るアリの腕が同時に震えたのが、分かった。
「貴方が、貴方が殺したのに!」
 不意に、アリがリディアの前に出る。
「アリ!」
 とっさにリディアは、アリの腕を掴み後ろへ引いた。目眩がして踏鞴を踏んだが、それでも何とか態勢を立て直す。息を吐いてから顔を上げると、王の顔が怒りに赤く染まっているのが見えた。……言い過ぎたかもしれない。後悔が、胸を噛む。
「分かりました。貴方に仕えます」
 静かに、それだけ口にする。
 怒りを顔に浮かべたまま、それでもレーヴェ王が頷いたことに、リディアはほっと胸を撫で下ろした。

 次の日。
 同じ窓から、中庭の様子を眺める。
 『古き国』の騎士団の制服を没収され、代わりに支給された目立たない灰色の服を来た元騎士達が、疲れてはいるがどことなく希望に満ちた足取りで都を出て行く様が、リディアの目には羨ましく映った。
「大丈夫、ですか、リディア様?」
 その横で、同じ光景を見ていたアリが、小さな声で尋ねてくる。その問いに、リディアは外を見たまま首を横に振った。
 例え女王が居なくなっても、『古き国』の騎士達の職務――この場所に暮らす人々を守る為に、『悪しきモノ』を、その力と血で以て封じること――が無くなるわけではない。いや、女王の『力』が無くなった今、騎士達の職務は増えこそすれ、減ることは無いだろう。
 それに。アリの方に目だけを向け、少しだけ微笑む。
「私は、ラウド様に呪いを掛けられたのです」
 昨晩、他の捕虜達と共に都を去るように勧めたリディアに、アリは静かにそう言った。
 自分の部下である『狼』団の騎士達を、ラウドは探索を名目に自身の許から去らせていた。そして、「どんなことがあっても絶対にラウド様の傍に居ます。死ぬ時は一緒です」と言い続けたアリを無理矢理抱き、アリにラウドの子を宿させることで、ラウドはアリを生かした。
「私は、どんなことがあっても生き抜かないといけないのです。この子と共に」
 アリの本名がアリアであり、『古き国』の女王の血を引く女性であることを知っているのは、当のアリとアリを育てた義父、そしてラウドとリディアだけ。その秘密を知っていたラウドは、女王の血を残す為にアリを抱いたのだろう。そして、自分は。……アリとその子供を守ることが、ラウドから託された、使命だ。レーヴェ王も、まさか自分が目の敵とする者が都の内部に居るとは思うまい。そう思ったからこそ、リディアはアリを自分の従者として側に置くことに決めた。
 頼りにし、また目標としていた兄、ラウドは既にこの世に居ない。もっとしっかりしなければ。
 泣きそうになるのを堪えつつ、リディアは一人、納得するようにこくんと頷いた。

 ノックに応じて扉を開けると、月の光に懐かしい顔が映る。
「ルイス!」
 夜にも関わらず、リディアは思わず大声を上げた。
「しっ、姉者。夜だよ」
 商人風の装いをした異父弟ルイスに嗜められて、慌てて口を押さえる。
 獅子王レーヴェから拝領した屋敷は、近衛兵達が多く暮らす通りの一角にある。弟とはいえ、『古き国』の騎士であった者がリディアの屋敷に現れたと知れ渡った日には、獅子王に対する反逆だとあちこちから怒鳴られることは目に見えている。心が落ち着くよう、大きく息を吸ってから、リディアは改めて弟を見た。
「無事だったのね」
「兄者に追い出されてたからね」
「そうだったわね」
 ルイスは、兄ラウドと同じ『狼』騎士団に所属していた。だから獅子王レーヴェが古き国の都を落とした時、ルイスは探索を名目に都から離れた場所にいた。
 そのルイスの後ろには、ルイスの妻である従妹のミヤと、ミヤの妹であるマイラが、黒いヴェールで全身をすっぽり覆った人物を両側から支えるように立っている。もう一人は、誰だろう? リディアが訝るより先に、ルイスは「入るよ」と一声掛けて後ろの女達をリディアの屋敷に入れた。
 アリが用意したランプの明かりが煌めく居間で、ミヤとマイラが支えていた人物のヴェールを剥がす。
「ロッタ!」
 ヴェールの下から現れた、自身の異父妹の姿に、リディアは再び声を上げた。女王の近衛である『竜』騎士団に所属していたロッタは、都が攻められる前に逢った時よりも痩せているように見える。いや、痩せて窶れているだけではない。どこかおどおどとしているような感じがする。かつてのロッタは、物怖じしない少女だったのに。
「妊娠してる」
 妹を見詰めることしかできないリディアの耳に、怒りに満ちたルイスの言葉が響く。
「強姦されたんだ」
 ロッタの職務は、女王の四人の妹達を守ること。『古き国』の都が落ちる前、ロッタが女王の血を引くその四人の少女を連れて城から脱出したところまでは、リディアも報告を受けていた。だが、城から幾許も行かない林の中で、ロッタ達は新しき国の兵士達に見つかってしまったらしい。少女達は無惨に殺され、ロッタは気まぐれに犯された。ルイスが現場に到着した時には既に事が終わった後。服を破られたロッタは裸のまま、少女達の亡骸を抱え、呆然と座り込んでいたという。
「まったく、酷過ぎるぜ」
 そう言って、ルイスは唇を噛む。
「兄者の、扱いも」
 古き国の都の背後を守る砦をまかされていたラウドは、新しき国の戦意を削ぐ為に対峙していた騎士達を罠にかけ、大量の命を道連れにした。その報復の為か、ラウドの遺体は古き国の都を守る二つの塔の目の前に晒され、戦闘が終わった後も捨て置かれた。今でも、朽ち果てた遺体はその場所に晒されたままだという。
 頬を、涙が流れるのが、分かる。解体した古き都の堀を埋める為に、都を守る為に命を散らせた騎士達の遺体を使うよう獅子王が命じたとアリから聞いた時にも、かつての部下達のことを想い、泣いてしまった。兄のことも、妹のことも、本当に酷過ぎる。
「それでも、俺達は生き抜く必要がある」
 ルイスの言葉に、ふと顔を上げる。
「生き残った者として」
 ルイスは決然とした顔で、リディアを見ていた。
 そうだ。ルイスに向かって、こくんと頷く。幾ら王が残酷でも、リディアは王に仕え続ける必要がある。……アリを、生き残った『古き国』の騎士達を、守る為に。
「俺は、今、女王が持っていた宝物を探している」
 そう言ってから、ルイスは妻であるミヤの方を見、そして再びリディアに向き直った。
「ロッタを、預かってくれないか? ミヤとマイラを付ける」
 確かに、宝物を探しながらロッタの世話はできないだろう。リディアは承諾の印に頷いてみせた。この屋敷なら、アリとリディアに後三人増えても十分余裕がある。しかし、懸念が一つ。
「お義父様の所には、預けられないの?」
 育ててくれた義父のことが気になり、尋ねる。
「親父には、俺の子を預かって貰っている」
 ルイスとミヤには、一年ほど前に生まれた男の子がいる。都で一緒に暮らしていたのだが、新しき国が古き国に対する攻勢を強めた時に、ルイスとミヤは大陸の端を支配する辺境伯である義父に子供を預けた。その義父は、新しき国の支配に移ってからすぐに辺境伯の地位を剥奪され、今はかつての支配地だった地域の隅で静かに暮らしているという。
「親父の所にロッタを預けても良かったんだけど、まだごたごたしているから」
 なるほど。それならば。
 リディアはルイスに向かって、もう一度強く頷いた。

 獅子王レーヴェに仕えているリディアは王の傍に居ないといけない。だから、ロッタの世話は実質、アリとミヤとマイラが家事と分担して行うことになった。
 ショックが身体から抜けず呆然としたままであるロッタは、屋敷の地下室に設えられたベッドの上に座ったまま、何をされても表情一つ変えない。だが、アリが食事や身体の世話をすると、少しだけ笑うように見えるという。アリも妊娠しているから、だろうか。そのことを聞いたとき、リディアはとっさにそう思った。おそらくロッタは、アリも自分と同じ身の上だと思っているに違いない。
「何だか申し訳ない気がするのですが」
 ある日、ロッタのことを相談に来たアリは、リディアにそう打ち明けた。
 仕方がない。リディアはアリにそう言った。命をこの世界に留める為には、騙すことも必要だ。
「そう、ですね」
 リディアの言葉に、アリがこくんと頷いたのが、切なかった。

 木々が疎らに生えた草地は、冷たいほど冴え冴えとしていた。
 少し、寒い。思わずマントを掻き合わせる。やはりここは、あの場所より北にあるのだ。『古き国』が懐かしくなり、リディアはそっと首を横に振った。今は、感慨に耽っているときではない。
 新しき国の都の郊外に暴れ竜が出たとの知らせが入ったのは、昨日のこと。獅子王レーヴェはすぐに、自ら精鋭を率いて退治に赴くことに決めた。その精鋭に、何故かリディアも選ばれたのだ。おそらく、暴れ竜だろうがゴーレムだろうが悪霊だろうが、部下への適切な指示と自らの剣の力で全て容赦なく屠ってきた兄ラウドの『名声』故のことだろうが、かなり迷惑な話である。
「リディア殿は、ドラゴンを退治したことがおありか?」
 馬を降り、馬の鞍に結びつけていた投げ槍の入った筒を下ろしているリディアに、近衛の一人が声を掛ける。彼ら近衛兵達は、何かに付けて新参者であるリディアの能力を量ろうとしている。そう、リディアには感じられた。まあ、仕方の無い面もあるだろう。かつては敵方に居た自分が、王の傍近くに仕えているのだから、彼らが疑心暗鬼に陥るのも無理はない。
「私は、ドラゴンを退治したことはありません」
 だから殊更丁寧に、答える。
「それに……」
 リディアがそこまで口にした、その刹那。草原に、影が落ちる。暴れ竜だ。上を向いてそれを確かめるより早く、リディアは影の落下地点へ走り、その場に居たレーヴェ王の巨体を突き飛ばした。
 落下してきた暴れ竜の爪は、地面に伏せた王とリディアの身体ギリギリを通り過ぎる。竜の影が再び小さくなったのを素早く確認してから、リディアは立ち上がり、掴んだままの筒から投げ槍を取り出し構えた。黒い影を背中にこびりつかせている暴れ竜は、有翼二脚。翼と腹を狙えば、何とか。再び近付いてきた竜に向かい、リディアは冷静に細い槍を投げた。
 リディアが投げた槍の幾つかが、竜の翼に当たる。バランスを崩した竜に、今が好機と何人もの近衛兵が飛びかかった。だが、翼をやられても竜は竜だ。竜が繰り出す鋭い爪と吐き出す炎に、近衛兵が次々と倒れていく。その光景に、リディアは暴言を吐くのをぐっと堪えた。竜は、一筋縄ではいかない。剣だけで倒せる相手ではないと昨日散々言った筈なのに、誰も聞いていなかったようだ。それが、……悲しい。だから。
 再び、剣を構えるレーヴェ王に向かう竜の横から、その黄色い腹に剣を押し込む。次の瞬間、爪か尾に引っかかったのか、リディアの身体は弾き飛ばされ、地面に叩き付けられた。しかしそれで怯むわけにはいかない。もう一度。痛む全身を宥めると、リディアは落ちていた他人の剣を拾い、再び竜の腹にその剣を突き立てた。
 今度は、剣は竜の腹深くに突き刺さる。暴れる竜にもう一度弾き飛ばされ、地面に倒れ込んだリディアの瞳に映ったのは、飛び上がった獅子王レーヴェが首尾良く竜の首を掻き切った、その力強い姿だった。
「大丈夫か?」
 血の滴る剣を手にしたまま、レーヴェ王がリディアの傍に膝を付く。王の問いに、リディアは地面に倒れたまま首を横に振った。怪我は、特に問題ない。ただ、悲しいだけ。
 女王の近衛が『竜』騎士団と呼ばれていたように、古き国では、『竜』は気高く神聖な動物として扱われていた。その竜を殺す事は、例え『悪しきモノ』に取り付かれていたとしても、不名誉で避けるべき事柄だった。だから兄は、「竜殺し」と言われることを酷く嫌っていた。
 兄のことを思い出したからなのか、リディアの頬に涙が伝わる。
 そのまま、リディアの意識は闇に呑まれた。

 やけに豪勢なベッドの上で、目を覚ます。
〈ここは……?〉
 全身の痛みを堪えて起き上がったリディアは、自分が下履きと胸押さえしか身に着けていないことに気付き、思わず叫び声を上げた。
「気が付いたか」
 その声で、隣で眠っていた人物が身動ぎする。その人物の正体を知り、リディアは再び大声を上げた。
「あ、貴方は、じ、実の妹に……」
「その痣で分かったよ」
 起き上がった獅子王レーヴェは、リディアの裸の肩を指差し、自虐の表情を浮かべた。
 レーヴェ王の視線に耐えられなくなり、そっと辺りを見回す。自分の服がきれいに畳まれているのを見つけると、リディアは瞬時にそれを掴み取り、身に纏った。
 次の瞬間。リディアの腕が、後ろに引かれる。一瞬のうちに、リディアの身体はレーヴェ王の下に組み敷かれていた。
「なにを」
 必死で、抵抗する。だが何処を押さえられているのか、リディアがどれだけ身体を動かそうとしても、身体が全然動かない。もがくリディアの顔すぐ側に、レーヴェ王の蒼い瞳が近づいた。
「ラウド、は……」
 囁かれた言葉に、はっとする。王の懸念が分かったリディアは、はっきりと口にした。
「ラウドは、私の実の兄です。同母同父の」
 リディアと、兄ラウドの母は、現在のリディアと同じように、近衛の一人として先代の獅子王に仕えていた。そして、先代の獅子王に愛され、子を生した。しかし、男児を生んだ母は先代の獅子王の正室に妬まれ、お腹にリディアを宿したまま、ラウドと共に新しき国を追い出された。だから、リディアもラウドも、獅子王の血を引いている。その証が、左肩にある獅子の痣。この痣を、ラウドは心底嫌っていた。リディアを身籠もっていた母と共に王都から追い出され、義父に助けられた時までに負わざるを得なかった苦難の所為だろう。普段は毛ほどにも素振りを見せなかったが、ラウドの憎しみは、『新しき国』と異母兄である獅子王レーヴェにまで及んでいたことを、リディアは知っている。
「と、すると、私は異母弟を手に掛けたわけだな」
 その言葉と共に、圧迫が外れる。唇を噛み締めるレーヴェ王に、リディアの心も悲しくなった。しかし、同情してはいけない。ラウドを残虐に扱ったのも、この王だ。
「ベッドの裏に、外に出る抜け道がある」
 服を着たリディアに、レーヴェ王はそれだけ言う。
 自分に背を向ける王に一礼してから、リディアは静かに王の許を去った。

 ロッタは、男児を早産してすぐに亡くなった。
 そしてその日の夜、リディアは王の寝室へと続く抜け道をこの前とは逆に辿っていた。
「私を、殺しに来たのか」
 突然現れたリディアに、獅子王レーヴェは不敵な笑みを向ける。その笑みを総無視して、リディアはマントに包んで胸に抱えて来た、生まれたばかりのロッタの息子を王の眼前に掲げた。
「貴方ね、ロッタを犯したのは」
 裸の赤子の左肩にあるのは、獅子の痣。この痣を見たとき、リディアは赤子を王に押し付けることに決めた。そこに有ったのは、怒り。王の好色は、知れ渡っている。異母妹と知らないままリディアまで犯そうとしたのだから、その程度は推して知るべし。しかし何故、まだ幼いロッタまで犯したのか。しかも、ロッタが守っていた幼い者達を殺したそのすぐ後に。王の残酷さに怒鳴りたくなるのを無理矢理押さえ込み、リディアは眠る赤子をレーヴェ王の腕に押し付けた。
「痣か。確かに、今この痣を持っているのは私だけだ」
 赤子を押し付けられて、それでも昂然と、王は言葉を紡ぐ。
「しかし時期からするとラウドの子ということも有り得る」
「ラウドは、妹を犯すようなことはしません」
 ラウドは、貴方と違う。軽蔑の目で王を見る。こんな奴、殴るだけ無駄だ。
 リディアの気持ちに気付いたのか、王はふっと息を吐いた。
「分かった、乳母御に預けよう」
 レーヴェ王を育てた乳母は、新しき国の高位の貴族の妻であり、夫婦で獅子王から信頼されている。その家に預けるのなら、赤子は大切に育てられるだろう。リディアは承諾の印にこくんと頷いた。

 異父弟のルイスがリディアの許に現れたのは、アリが正常出産で女の子を産んですぐのことだった。
「アリを預かる準備ができたって、親父が」
 ルイスの言葉に、頷く。一時は自分が守らねばと思い詰めてはいたが、ここはやはり敵の国。悲しいことに、今では女王の血を引く者はアリとアリの赤子しかいないのだから、味方が沢山居る場所で預かって貰った方が良いだろうし、アリも赤子も幸せだろう。
 そして。
「女王の宝物も、王冠と剣が見つかった」
 ルイスの次の言葉に、安堵が胸に広がるのを感じる。後は首飾りさえ見つかれば、『悪しきモノ』を封じる為の『力』が手に入る。『悪しきモノ』の所為で人々の哀しみが増えるのは、嫌だから。
「宝物が奪われないように、俺は地下に潜る。……ミヤと一緒に」
「それが良いわね」
「姉者にはマイラを置いていくよ」
 従者がいないと何もできないだろう? 久しぶりに見るルイスのにやりとした笑いに、リディアも久しぶりの苦笑いを浮かべる。『熊』騎士団の副隊長だった時にも、掃除や洗濯などの家事も煩雑な事務仕事も、全て部下達に任せていたっけ。「身の回りのことくらい自分でやれよ」とラウドにはいつも呆れられていた。そのラウドには、身の回りの世話をするアリが常に付いて回っていたけれども。
 楽しかった昔のことを思い出すと、胸が詰まる。
 リディアは俯き、落ちかけた涙を堪えた。

 刺すような風に、震える。
 リディアは馬の手綱を緩めて片手で持つと、空いた片手で厚手のマントを身体の周りに巻き直した。
 北西方向以外を海で囲まれた大陸の、北西部分。陸続きの隣国から嫁を娶る準備の為に馬を走らせる獅子王レーヴェの供を、リディアは幾人かの近衛兵と共に仰せつかっていた。
 何故自分が。そう思いながら、ずっと前を走っている王の背を睨む。大陸の南側育ちの自分には、大陸北側は寒過ぎるというのに。しかしレーヴェ王に仕えると決めたのは自分なのだ。仕方が無い、諦めねば。でも。これまで何度繰り返したのか分からない問答を、リディアは再び繰り返した。
 と。王を乗せた馬の速度が、急に遅くなる。何か有ったのだろうか? リディアが訝るより先に、レーヴェ王がリディアの隣に並んだ。
「『古き国』は、隣国と交易が有ったのか?」
 大声で、王が尋ねる。そのことか。リディアはふっと息を吐くと、首を横に振った。
「支配者が女性であることを馬鹿にされたので、丁重にお引き取り願いました」
 隣国と『古き国』とで、獅子王が支配する新しき国を挟み撃ちにすれば、『古き国』が滅びることは無かっただろう。だが、『古き国』の女王は、その方法を採らなかった。プライドを捨ててまで組む相手ではなかったし、『古き国』の存在理由は、大陸を支配することでは、無い。そういえば。ふと、思い出す。隣国の使者が女王を言下に愚弄した時、怒り狂う騎士達を宥めたのはラウドだった。使者を丁重に隣国まで送り返したのも。おそらく、女王を侮辱されて一番怒っていたのはラウドだった。だからこそ、ラウドは怒りを顔にも出さず、使者を隣国まで送り届けたのだろう。ある意味ラウドらしい。リディアは少しだけ微笑んだ。
「そうか」
 一方、レーヴェ王はリディアの言葉を半分ほどしか聞いていない様子で俯くと、それでもいつもの通り集団の先頭を走るでもなくリディアと並んで馬を走らせた。
「まだ何か御用ですか?」
 その様子を訝しく思い、思わず尋ねる。王はリディアの方を見、そして前を向いて言った。
「うむ、何というか。……実は迷っている。隣国の姫を正室に迎えて良いものだろうか、と」
 王の言葉に、正直驚く。女と見れば容赦なく襲う(リディアの偏見も入っているが)好色な王が、何を躊躇っているのだろうか?
「昔は、周りの辺境伯の娘を正室として迎えていた」
 新しき国も、かつては女王に心服する辺境伯の一つだった。隣国と陸続きだった為、交易や戦争を経て、「国」として大きくなってきた国なのだ。そして。初代の女王が『悪しきモノ』を封じ、この大陸に新たな国を打ち立ててからずっと、初代の女王と『血の盟約』を結ぶことで『力』を得た辺境伯はその『力』を維持する為に、辺境伯は辺境伯同士で婚姻を繰り返して来たと、義父から聞いている。と、すると。王の懸念が分かり、リディアは思わず笑い出しそうになった。王は、これまでずっと受け継がれて来た辺境伯としての『力』――その中には現在の王が纏っている威圧感やカリスマ性も含まれるであろう――を失うことが、怖いのだ。
「女王を弑したのに、昔の慣習に囚われているのですか?」
 揶揄するように、尋ねる。怒るかと思ったが、王はリディアの言葉に、息を吐くように俯いた。そして何も答えない。風の音だけが、リディアの耳に響いていた。
 と。風の中に微かな血の匂いを感じ、思わず手綱を引く。地平線の前に、靄のような黒いものが揺らめいている。あれは、まさか、『悪しきモノ』!
「止まって!」
 風に逆らうように、叫ぶ。次の瞬間、先頭に居た近衛兵が、急激に大きくなった黒い影に馬諸共飲み込まれるのが、見えた。
「何だ?」
「ここに居て下さい!」
 前に行こうとした王を制し、馬を降りる。
 『悪しきモノ』だけがこんなに大きくなってここにあることが、信じられない。『悪しきモノ』を見つけ、封じるのが、『古き国』の騎士達、特に『狼』騎士団の役割だった。だが、新しき国との戦いに明け暮れていた所為で、こんな国境沿いまで流石のラウドでも手が回らなかったのだろう。そのことが、口惜しい。だから。リディアは腰の剣を抜くと、手袋を嵌めていない左腕を傷付け、流れ出た血を剣に擦り付けた。
「我が血と、剣で以て、彼らを封じる。女王よ助けたまえ」
 誰にも聞かれないように、いつもの呪文を唱える。そしてリディアは、裂帛の気合いと共に『悪しきモノ』の黒い影の直中に飛び込んだ。
 リディアを絶好の『餌』と見て取った影達が、次々とリディアに向かって黒い手を伸ばしてくる。その細い影を際限無く切り落としながら、リディアは封じる為の『核』を探した。有った。周りより一段と濃い、どす黒い塊に、リディアは自分の血の付いた剣を突き刺した。途端に、周りの影が無くなる。普通の草原の風景が戻って来たことに、リディアははっと息を吐いた。
 次の瞬間。景色が回る。リディアの視界に、空の青が遠く映った。
 おかしい。動かすことのできない自分の身体に、首を傾げる。今までは、どんな戦いでも、身体が痛くなることはあっても冷たくなることはなかった。風が冷た過ぎるからだろうか? それとも。
「リディア!」
 不意に、レーヴェ王の顔が大写しになる。
「リディア、しっかりしろ!」
 王がリディアの上半身を持ち上げ、抱き締めたことが、微かな温かさで分かった。
 そうか。視線が移動したことで見えた、大地を濡らす黒さに、息を吐く。自分は、死ぬのだ。この地に蔓延る『悪しきモノ』をその血で封じてきた、かつての古き国の騎士達のように。それならば、構わない。薄れゆく意識の中、リディアは満足げに笑った。
 唯一つ、不満があるとすれば。
 ……リディアを抱いて、その命が尽きることを泣いているのが、ラウドだったら良かったのに。

 肩を叩かれる衝撃に、はっと目覚める。
「大丈夫?」
 リヒトの尖った顔が、ルージャの視界に大写しになっていた。
 ゆっくりと、横になっていた床の上に座る。そうだ、確かリディアという人の『物語』を体験して、そして。頬が濡れていることに気付き、ルージャは慌てて目を拭った。そうだ。ライラは? 慌てて辺りを見回す。いた。最初にリヒトが座っていた大きな椅子の腕乗せを枕にして眠っている。ルージャはほっと息を吐くと、ライラの横に座り、ライラの頬を伝う涙を自分のチュニックの裾で拭った。

 「これを昇れば外に出られる」とリヒトに教えられた、螺旋階段を、ライラの手を引いてゆっくり昇る。リヒトが住まう部屋は廃城の地下にあり、いざという時には女王や騎士達が隠れられるようになっていたらしい。リヒトの言葉を、ルージャは疑問と共に聞いていた。……逃げる場所があるのに、何故、女王は逃げなかったのだろうか?
 ルージャの後ろを歩くライラの足取りが、普段よりずっと遅い。リヒトに見せられたリディアという人の人生がライラの心を悲しくさせているからだろう。そう思ったから、ルージャは殊更しっかりと、ライラの手を握っていた。ルージャ自身、リディアの生き様に衝撃を受けていたのだ。但し、『悲しい』という感覚は、感じていない。リディアという女性の、強く脆い生き方に、ルージャは尊敬と、そしてもどかしさを感じていた。
 しばらく昇ると、天井が低くなる。天井に手が届くようになった地点で、ルージャはライラの手を離すと、天井を両手で探り、リヒトに教えられた通り天井の窪みに椿の留め金を差し込んでから、天井に手を掛けてそっと押した。
 音も無く、天井が横に滑って開く。朝近くの鮮烈な空気が、ルージャの肺に入って来た。どうやら一晩、地下に居たらしい。
 用心しいしい、頭を半分だけ外に出し、辺りを探る。少しだけ明るい、誰も居ない、だだっ広い空間が、外には広がっていた。ここは、……女王の謁見の間、だ。誰も居ないなら、大丈夫。ルージャは身体を押し上げるように外へ出ると、螺旋階段を上がり切るライラに手を貸した。
 と。
「来たな」
 静かな声が、ルージャの耳を打つ。びくりとして振り向くと、『古き国』の女王が玉座に座り、疲れた目をルージャに向けていた。
「もうすぐ、妾を殺そうとする者達が来る」
 衝撃的な言葉を、淡々と、女王は綴る。そして女王は、すっくと立ち上がると、立ち尽くすルージャの傍に滑るように歩み寄った。
「今一度、問う。ルージャ、そなたは騎士になって、何がしたい?」
 女王の言葉に、考えるように俯く。父親と伯父伯母の敵を討ちたいという感情は、ルージャの中では小さくなっていた。彼らのことを大切に思う気持ちが、無くなったわけではない。だが、あの時、自分にもう少し『力』や『知恵』があれば、父親も伯父伯母も、ライラと一緒に助けることができたかもしれないと、今のルージャは思っていた。そして。これまでのことが、走馬灯のように蘇る。リディアという人も、そしてラウドも、自身に降り掛かる物事を運命として受け止め、そしてある意味『諦めて』いるようにルージャには、思えた。それが、ルージャの中のもどかしさ。だから。
「俺は、これ以上の悲しみを、作りたくない」
 女王に答える、というより、自身に言い聞かせるように、そう、口にする。
 ルージャの言葉に、女王は笑みを浮かべた。
「宜しい。そなたを我が騎士として認めよう」
 跪くが良い。女王の言葉に操られるように、冷たい床に膝をつく。項垂れたルージャの右肩に、女王は腰の剣をぴたりと当てた。
「『古き国』の騎士として、その血と力で以て、この世界を守れ」
 三度、剣で肩を叩かれる。叩かれる度に、言い知れぬ力がルージャの中に入って来るのを、ルージャは戸惑いと共に感じていた。
「立つが良い」
 女王の言葉に、顔を上げる。女王はルージャに笑いかけると、今度はライラの方を見て言った。
「次の女王は、そなたじゃ」
 そう言って、女王は首から重い宝石の付いた首飾りを外すと、ライラの首にその首飾りを掛けた。赤く光る首飾りを見、そして女王を見詰め、こくんと頷くライラ。そのライラの表情に決然とした表情を読み取り、ルージャははっと息を吐いた。
 不意に、視界が半透明に染まる。響いてきた鎧の音に、ルージャは慌てて、傍のライラを自分の方へ引き寄せた。
 白い服の上に銀色の鎧を纏った、新しき国の騎士達が次々と、女王の謁見の間に入ってくる。彼らはルージャとライラを無視し、真っ直ぐに女王の方へと向かった。
 そして。金の髪を揺らした、威圧感のある巨漢が、女王の細い腕を強く掴む。そしてそのまま、巨漢が女王をバルコニーまで引き摺っていき、そこで女王の首を刎ねるのを、ルージャはライラの震えを感じながらただ呆然と見詰めて、いた。

「……終わったかい?」
 足下からの声に、ふと我に帰る。
 下を向くと、ルージャ達が上がってきたのと同じ螺旋階段を、リヒトが上がって来るのが見えた。
 同じ朝だが、謁見の間の様子はがらりと変わっていた。先程までしっかりと壁に掛かっていたタペストリーが、今は全て破れ朽ち果てている。自分達の時代に帰ってきたのだ。ルージャはふっと息を吐いた。そしてまだ震えているライラをそっと抱き締める。
「過去のことだから、どうしようもない」
 ライラを、いや自分を説得させる為に、言いたくない台詞を、吐く。ライラはルージャを見て、悲しそうに目を伏せた。
「女王になったんだね、ライラ」
 そのライラに、リヒトはただ静かに、持っていた女王の王冠を渡した。
「私を、騎士に任命して欲しい」
 その言葉と共に。
 ライラは、どうするだろうか? そっと、ライラを見詰める。リディアやラウド、そして先代の女王のような悲しい目に遭わせたくないという理由で、拒否するだろうか。それとも。
「良いわ」
 ライラはリヒトに向かって強く頷くと、ルージャに笑いかけた。
「私は大丈夫。剣を、ルージャ」
 勿論、ライラが良いのなら、ルージャに異存はない。
 リヒトから受け取った王冠を被り、ルージャから受け取った木剣を掴むと、ライラは跪いたリヒトに尋ねた。
「リヒト、あなたは騎士になって何がしたいの?」
「私は、全ての思いを次へ繋ぎたい」
 リヒトの言葉は、澱みがなかった。
「良いわ」
 ライラはこくんと頷くと、先代の女王がルージャにしたように、リヒトの右肩を木剣で三度、優しく叩いた。

 騎士団の宿舎は、一晩で変わり果てるほど荒らされていた。
「これは、酷い」
 荒らされる前の状態を知らない、ルージャ達に付いてきたリヒトが、ルージャの後ろから部屋を覗き込んで息を吐く。リヒトの言う通り、応接室も、食堂も、ルージャやライラの部屋も、これでもかというほどにめちゃくちゃに荒らされていた。そして。宿舎中を探しても、レイの姿が、何処にも見当たらない。この宿舎で働いていた賄いの小母さんと、レイの従者である爺の姿も、だ。
「……これは?」
 レイの部屋で、リヒトが小さく光るものを拾う。レイの持ち物とは到底思えない小さな宝石箱の傍に落ちていたのは、黒く汚れた、何処かで見たことがあるような、楕円形の留め金。
「ルージャ、ライラも!」
 甲高い声に、振り向く。賄いの小母さんが、ライラの身体をその太い腕でぎゅっと抱き締めたのが、見えた。
「あんた達は無事だったんだね」
 全く、いきなり押し入ってきて、あちこち荒らすんだよ。あのジェイリという獅子王の三男は、礼儀ってもんを知らないねぇ。涙ぐみながら捲し立てる小母さんにルージャはそっと、尋ねた。
「あの、レイ、は」
「ああ」
 ルージャの問いに、小母さんはしゃくり上げると再びライラを抱き締めた。
「王都に連れて行かれたよ。『謀反人を匿った』とかと言われて」
 捕らえられたレイは、ジェイリが寝泊まりしている副都の宮殿に連れて行かれた。その宮殿はレイの父がジェイリに明け渡したもので、中で働いている人々はレイの父の頃と変わらなかったので、レイの乳母である小母さんは、伝を辿れば酷いことをされずにレイを解放できると思い、レイの従者と共に宮殿へと向かった。元々レイに掛けられた嫌疑には無理があるのだから。そう思っていたにも拘わらず、画策は失敗し、そして早朝、ジェイリは荷台の上に檻を載せた馬車と共に王都へと向かった。震える声で、小母さんはそう、告げた。
 賄いの小母さんの言葉に、背筋がすっと寒くなる。ライラの顔も青ざめていることが、ルージャには見て取れた。おそらく、『女王の力』を持つライラのことを吐かせる為に、ジェイリはレイを連れ去ったのだ。それならば。
「小母さん!」
 ライラを抱き締めたままおいおいと泣く小母さんの腕を、ぎゅっと掴む。
「俺達が、レイを助けにいきます」
「え」
 ルージャの言葉に、小母さんはぽかんとしてライラを放す。そのライラも、小母さんの腕を掴んで言った。
「レイ、私達の所為で連れて行かれたんです。だから、私達が助けないと」
 ライラの言葉に、まだ内容を掴めていない顔をしたまま、小母さんはこくんと頷いた。
「無茶は、しないでおくれよ」
「勿論です」
 レイは、かつてルージャを助けてくれた、ルージャにとっては大切な人の一人だ。その人を『諦める』わけには、いかない。だから。ルージャは心配顔の小母さんに向かって、できるだけ強く頷いた。

「……まだ、追いつかない」
 無蓋の馬車を操りながら、小声で呟く。
 新しき国の第三王子ジェイリに連れ去られたレイを助ける為に、一頭立ての馬車を借りて、街道を北西に向かっている途中。しかし、レイが連れ去られたのとルージャ達が宿舎に戻ってきたのには一晩しか差が無い筈なのに、一日馬車を走らせても、レイを連行する集団らしきものの影すら、ルージャ達には見えなかった。
「彼らも、馬で移動している筈なのに?」
 逞しいが穏やかに身体を揺らす馬の背を見ながら、考える。
「馬の速度が違うのでは?」
 荷台からのリヒトの、ある意味冷静な声に、ルージャははっと我に返った。レイを護送する為にジェイリ達が利用しているのは、おそらく四頭立ての馬車だろう。馬も悍馬を揃えているに違いない。それならば、馬力が違うのだから、今ルージャが操っている一頭立ての馬車よりは格段に速い。ジェイリ達が乗っているのも良馬に違いないのだから、彼らに追いつけないのも当たり前だ。ルージャは思わず天を仰いだ。ルージャ達も同じものを借りれば良かったのだが、四頭立ての馬車を使えるのは貴族だけ。平民の見習い騎士であるルージャには無理な相談。それに、馬車の操り方は、ルージャの知識にはない。唯一何とか操れたのが、この大人しい馬が引く、一頭立ての小さな無蓋馬車。
「追いつかなくても、良いんじゃないかな?」
 王都に護送するのだから、ジェイリ達はレイを殺す予定はない。レイが知っていると予想される「陰謀」を拷問によって吐き出させる予定なのだろう。街道よりも王都の方が、レイを助ける手立てを色々取り易い。何故そこまで冷静にものを考えることができるのか、リヒトの声は揺るぎがなかった。
「そう、だね」
 自分を納得させるように、それだけ、口にする。
 荷台にいるはずのもう一人、ライラは、何も喋らない。おそらく揺れる馬車に酔ってしまったのだろう。そう思い、振り向いたルージャは、女王の証である木剣を抱えたままぺたりと座り込んでいるライラの横顔の蒼さに、はっと胸を突かれた。ライラの顔色の悪さは、自分を責めている印。
 ルージャ自身、レイが理不尽に捕らえられたことに、責任を感じていないわけではない。ルージャが、『古き国』の騎士であるラウドと歩いていたこと。そしてライラの『女王』としての力。その為に、ルージャとライラを拾い騎士として育てていたレイは「新しき国を転覆せんと企む輩」だという濡れ衣を着せられているのだから。だから、ライラの為にも、レイは必ず無事に助け出さなければ。ルージャは一人こくんと頷くと、再び前を向いて手綱を振るった。
 と。風を切る音に、身を竦める。ルージャの頭皮ギリギリを掠めたものが矢であると気付いた瞬間、ルージャは手綱を振る前に怒鳴った。
「伏せろっ!」
 おそらく、街道で旅人を狙う盗賊だろう。見えた赤色の人影に、そう、見当を付ける。こんな時に。しかも、ライラとリヒト以外何も乗っていないこの馬車を狙うなんて、馬鹿だ。しかし捕まるわけにはいかない。幸い、相手は徒歩だ。馬車を急かせば振り切れる。そう思った矢先。
「はいごめんよ」
 御者席のルージャの隣に、赤い服を着た大柄な影がぬっと座る。あっと思う間も無く、ルージャは太い腕に羽交い締めにされ、手綱を奪われた馬車は簡単に止まった。
「ルージャ!」
 ライラの声に、顔を上げる。いつの間にか、ライラもリヒトも、乗り込んできた二人の赤い服の破落戸達に羽交い締めにされていた。
「さて、新しき国の見習い騎士さん達よぅ」
 ルージャを押さえつけていた大男が、にやりと笑う。
「おまえさん達に恨みはないが、身包み全て置いていってもらおうか。抵抗しなけりゃ命は取らない」
 ここは、大人しく従うしかないか。悔しさと共にそう、決断する。今の優先事項は「レイを助ける」こと。それさえできれば。
 と。ルージャに掛かっていた重みが、不意に外れる。戸惑うルージャの横を、緋色と黒の影が通り過ぎた。……ラウド、だ。次の瞬間、ルージャは腰の短刀を抜くと、突然の事態に身体が固まっている御者席の後ろの二人の破落戸に飛びかかった。
「よくもっ!」
 ライラとリヒトから破落戸達を引き剥がすと同時に、光が走る。リヒトの魔法で、ライラとリヒトを捕まえていた破落戸二人は馬車から転がり落ち、地面の上で伸びてしまった。そして。
「『古き国』の騎士の格好で盗賊行為とは、良い度胸だな」
ルージャを羽交い締めにしていた大柄な破落戸は、彼の半分以下の体格しかないラウドに襟を締め付けられ、呻き声を発していた。
「しかも『狼』の騎士団長印まで付けているとは」
 凄みの利いたラウドの声に、はたと気付く。ラウドが掴んでいる破落戸が着ているのは、ラウドや他の『古き国』の騎士達が身に着けている、赤色のダブレットと黒の脚絆。襟元で短いマントを留めているのも、彼らが身に着けている銀の椿の留め金と、ラウドが身に着けているものと同じ金の狼の留め金である。まさか、この者達が、副都の噂に上り、レイを連れ去る誤解の一つとなった、奴らなのか?
「あ、あの、そ、それは。……ばあちゃんが、その」
 破落戸が吐き出した言葉に、ラウドの手が緩む。その隙に逃げだそうとした男は、しかしすぐにまたラウドによって襟を締め上げられた。
「……祖母?」
 案内しろ。ラウドはそう言って、男の襟元を放す。観念したのか、男は街道脇の森の方へ顔を向けると、森の向こうを指さした。
 その男に付いて行くように、ラウドが歩き出す。
「ラウド」
 そのラウドの服を、ルージャは強く引っ張った。
「逢っておきたい。それだけだ」
 それに。ルージャの心の怒りと葛藤を知っているのか、ラウドはしっかりとした声で囁いた。
「レイの件で、彼らの協力が得られるかもしれない」
「盗賊の、味方なんて」
「味方は多い方が良い。今の時点では」
 ラウドの言葉に、リヒトとライラが大きく頷くのが見える。そうだ。レイが捕まったのは、半分は彼らの盗賊行為が原因としても、もう半分はルージャとライラ、そしてラウドにあるのだ。ルージャは何とか気持ちを飲み下すと、馬車を操り、盗賊の後に付いて行くラウドの後にのろのろと付いて行った。

 ルージャ達が辿り着いたのは、森の中にある小さな集落。
 その集落の外れにある大きな家から張り出されたテラスの、安楽椅子を揺らしている小さな影の傍で、破落戸の男は立ち止まった。
「ばあちゃん」
 男は屈んで、安楽椅子の影にそっと声をかける。
「ばあちゃんに会いたいって人が」
 次の瞬間。安楽椅子の小さな影が、ぱっと起き上がる。
「ラウド様!」
 今にもラウドに飛びかかりそうな小柄な老婆を、ラウドはそっと安楽椅子に戻した。
「久しぶりだね、メアリ」
 確か最後に逢ったときは、まだ騎士見習いの兄達の傍を駆け回って邪険にされていた子供だったっけ。ラウドの言葉に、メアリと呼ばれた老婆はほろほろと涙を流す。
「あいつ、本当にばあちゃんが言っていた『伝説の団長』なのか?」
 いつの間にかルージャの横に来ていた男が、ルージャに向かって当惑げに尋ねてきた。
「ああ」
 短く、ルージャが答える。
「すげぇや!」
 ルージャの答えに、男は――エルという名前らしい――感嘆の声を上げた。
 古き国に仕えていた騎士達が新しき国の侵攻を逃れ、森の奥に作ったこの集落で、エルは祖母が話す『古き国』の騎士達の物語を聞いて育った。そして長ずると、祖母が作ってくれた『古き国』の騎士の制服を着て、徒党を組むようになった。銀の椿の留め金と、金の狼の留め金は、祖母からその形を聞いて自分で作ったもの。そして、街道を通行する新しき国の騎士達や、新しき国の見習い騎士の制服を身に着けたルージャ達を襲ったのは、『古き国』を滅ぼした新しき国に、漠然とした怒りを抱いていた為。
「そう」
 やっとそれだけ、口にする。と、すると、大本の責任はラウドにある、のか。半ば諦めと共に、ルージャはふっと息を吐いた。
「これは、仕方ないね」
 リヒトの言葉に、今度は素直に頷いた。
 そこへ、老婆との短い話を済ませたラウドがやってくる。
「もう夕方だから、泊まるところを探そう」
 エル達の、新しき国の騎士達に対する攻撃の件があるから、『古き国』の騎士の制服を着ているラウドはここに泊まるわけにはいかない。泊まって、あらぬ疑いが老婆とこの集落にかかってはいけない。ラウドははっきりと、そう言った。
「レイの件は、明日考える」
 そしてラウドは、驚くべきことを口にした。
「第三王子、だったか? そいつは王都に行っていない」
 何故? ルージャがそう口にする前に、エルが丁寧口調で答えた。
「ジェイリ、ですか? 彼の領地なら、この近くです」
「あ、確か、そうでしたね。書物にも、そう書かれていました」
 続いて、今まで黙っていたリヒトも、ラウドの言葉に同調する。
「ならば、レイはおそらくそこにいる」
 確かめる必要は、あるが。ラウドの言葉は、はっきりと、ルージャの耳に響いた。何故、そう断定するのだろう? 思わずラウドを疑念の目で見つめる。
「『昼頃、森の中を、黒い覆いの馬車を守るような格好の騎馬隊が、森の中を走っているのを、エルの友達が見ている』。メアリがそう言っていた」
 しかしラウドの次の言葉に、ルージャは頷かずにはいられなかった。ここはジェイリの領地に近いということ、そして黒い覆いの馬車。レイがジェイリの領地に連れ去られたことを推測するには、十分だ。
「ばあちゃん、いや祖母には、起こったことを何でも話しているのです」
 ラウドに話すエルの言葉も、ルージャを納得させるに十分だった。
「仲間に話して、確かめてみます」
「頼む」
 エルの言葉に、ラウドがにっこりと笑って頷く。その笑いが、ルージャにはかなり悔しかった。

 その夜は、エルが勝手に住み着いている、街道から外れた丘の上にひっそりと建つ廃砦に泊まることになった。
「ライラ、メアリから頼まれたことがあるんだけど」
 案外小綺麗な広間に設えられた、藁の上に綺麗な布を敷いた上に落ち着いたライラに、ラウドが静かに言う。
「『出来損ないの孫だが、彼とその仲間達を古き国の騎士として認めて欲しい』って」
 ラウドの言葉に、目を丸くするライラ。しかしすぐに、ライラはこくんと頷いた。
「ありがとう。すぐにみんなを集めよう」
 しばらくすると、この小さな砦に何人住んでいるのだとルージャが驚くほどにたくさんの、赤いダブレットを身に着けた者達が広間に集まってきた。男もいれば、女もいる。皆、様々な理由から普通に暮らせなくなった者達だと、エルがラウドに話しているのが聞こえた。
 リヒトから王冠を、ルージャから木剣を受け取ったライラが、赤い石の首飾りを身に着ける。その前に最初に現れたのは、エル。
「エル、あなたは騎士になって何がしたいの?」
 跪いたエルの右肩に木剣の切っ先を置いたライラが、優しく尋ねる。
「俺は、……ラウドみたいになりたい」
「おいおい」
 戸惑うラウドの声に、ライラの優しい笑い声が被る。
「分かった。頑張ってね」
 凛とした、それでいて優しい笑顔のまま、ライラは次々と、自分の前に跪く者達の騎士叙任を行う。
 その様子を、ルージャは何故か沈んだ心で見守って、いた。

 眠れずに、砦の中庭に佇む。
 考えるのは、やはり、自分の至らなさ。
 ライラは、既に、女王としての『風格』と呼べるものを身に着けている。夕方の騎士叙任の儀式で、ルージャは確かにそう感じた。ライラがずっと遠くに行ってしまったような気がする、その感覚と共に。
 そして。今回も的確な判断をして、ルージャ達を救ってくれたラウドに比べて、自分はどうだ。情けないくらい成長していないではないか。ルージャはイライラと、足下の草を蹴った。自分は、ライラを守ることができない。騎士としての素質がないのではないか? 泣きそうなほどの悔しさが、ルージャの心を噛んでいた。
「……ここにいたのか」
 不意に、カンテラの明かりが目に入る。まぶしさに目を細めると、明かりの向こうに大柄な影が見えた。エルだ。よく見ると、エルの背中に小柄な影がある。
「ばあちゃんが、話したいことがあるって」
 そう言って、エルはルージャの横に老婆を下ろした。
 見知らぬ老婆が、ルージャに何の話を? 首を傾げつつ、座り込んだ老婆の横に座る。老婆はルージャの顔をじっと見つめると、ラウドに逢ったときと同じようにほろほろと涙を零した。
「やはり、あなたはルイス様の……。良く似ていらっしゃる」
 ラウドの異父弟の名を、老婆が呟く。
「噂通り、ルイス様は、女王の血を引く者を守っていたのですね。自分の長子を、アリア様の娘に付けて、子々孫々まで守るよう言いつけて」
 始祖であるルイスの言葉通り、ルイスの長子とその子供達は、アリア(アリ)が生んだ娘とその子供達を守る為に大陸中を彷徨い、人目を避けて暮らしていると風の噂で聞いた。老婆は囁くように、そう、言う。確かに、ルージャの父親と伯父伯母は、山奥に人目を避けるように暮らしていた。その理由は、ライラが女王の血を引いていると、知っていたから。そして、新しき国の騎士達の格好をした者達に襲われた、無残に殺された理由も。
 その時、ふと、気付く。確か、あの時、ルージャ達を襲った騎士達の背後には、『悪しきモノ』のような黒い影がべったりと付いていた。まさかとは思うが、『悪しきモノ』が、彼らを滅ぼす力を持つ『古き国』の騎士達を任命できる『女王』となることができるライラを殺す為に、新しき国の騎士達を利用してルージャ達の棲む場所を襲ったのではないだろうか? きっとそうに違いない。
「本当は、若いあなたをこんなことで縛ってはいけないんだと思うけど」
 不意に、老婆が言い淀む。
「あなたも、ルイス様の血を引く者。だから『古き国』の宿命には抗えない」
「大丈夫です」
 老婆に、大きく頷く。ライラを守ることは、ルージャ自身が決意したこと。自分には、ラウドのような判断力も、リヒトのような知識も、エルのような体力も無い。それでも、ライラを守りたい。その気持ちだけは、誰にも負けない。
「あなたに会えて良かった。新しい女王にも」
 老婆の言葉に、ルージャはもう一度こくんと頷いた。

 その、次の日。
 与えられた部屋で微睡んでいたルージャは、扉を激しく叩く音に文字通り叩き起こされた。
「もう、何だよ、朝っぱらから」
 ベッドに起き上がったルージャの視界に、隣のベッドで眠っていたリヒトが、眠そうな目で扉を開ける様子が入ってくる。開かれた扉の向こうに立っていたのは、既にきちんと着替えたエルだった。
「済まない。起こしちまって」
 ちょっと来て欲しい。エルはルージャに向かってそう言うとくるりと向きを変えて出て行った。一体何の用だ? ルージャは訝りつつ、上着に袖を通しながらエルの後に付いて行った。
「あれなんだけど」
 エルがルージャを連れてきたのは、砦の正門。今は閉まっている、格子の落とし戸の向こうに見えたものに、ルージャはあっと声を上げた。降りている跳ね橋の上に倒れているのは、……レイだ。
 すぐに、落とし戸を上げてもらう。ルージャとエルとで両脇から支えるようにして、大柄なレイを何とか砦の中へと入れた。
「味方なのか?」
 新しき国の騎士の制服を着ているレイを不審に思っているのだろう、エルが疑わしげな声を上げる。ルージャはこくんと頷くと、支えたままのレイの身体の具合を確かめるように、そっとレイを見詰めた。身体は冷え切っているが、息はある。怪我も、見えている限りは無さそうだ。しかし服の下のことは分からない。誰か女の人に手伝って貰って服を脱がせてから、ライラに治癒の魔法を掛けて貰った方が良いだろう。エルと一緒にレイの身体を広間へ運びながら、ルージャはそう、考えた。
 エルの部下が呼びに行き、すぐに、ライラが広間に現れる。広間の隅でぐったりと倒れているレイに、ライラは引きつけのような声を上げると、小走りでレイの傍に膝をついた。
「あ、だ、大丈夫?」
 ライラの小さな右手が、微動だにもしないレイの胸元に触れる。次の瞬間。起き上がったレイの左手がライラの右手首を掴み、ライラを引き倒したのを、ルージャははっきりと、見た。何も持っていなかったはずのレイの右手に、鋭い切っ先が光ったことも。
「ライラ!」
 広間の床に腹ばいになったライラを庇うように、ライラの上に乗る。ライラの温かさの次にルージャが感じたのは、背から胸を貫く鋭い熱さ。
「ルージャ!」
 ライラの悲痛な声が、遠くに聞こえる。頑張って目を開けると、いつの間に現れたのか、暴れるレイをラウドが羽交い締めにしているのが、見えた。
「泣く前に治癒の魔法!」
 何時になく鋭いラウドの声が飛ぶ。ぼろぼろ流しながら、それでも懸命に呪文を唱えるライラの顔が大写しになった。
 もう一度、レイの方を見る。レイの身体から黒っぽいものが発生していることに、ルージャはこの時初めて気付いた。
「『悪しきモノ』だな」
 あくまで冷静に、ラウドが呟く。
「だが、もう大丈夫だ。ルージャの血が、『悪しきモノ』を浄化している」
 ああ、そうか。ゆっくりと、思い出す。『悪しきモノ』は、『古き国』の騎士の血と力で浄化できるんだった。レイを殺さなくても、良いのだ。ほっとしたルージャの意識は、ゆっくりと、闇の中へと降りていった。

 そして。再びゆっくりと、目覚める。
 見慣れない、しかし砦の中だとすぐに分かる荒削りの石壁の部屋のベッドの上に寝かされていることに、ルージャはすぐに気付いた。隣では、レイが静かな寝息を立てている。どうやら、看護の労力を減らす為に怪我人同士で同室にされたらしい。
 右胸が、ずきずきと痛む。ライラを庇って、刺されたのだから、当然だ。痛みで身動きが取れず、ルージャはだるい脚だけ動かすことで気を紛らわせた。でも。……ライラに怪我がなくて、良かった。そのことが、ルージャを心底ほっとさせた。そして。次に思い出した、ライラの泣き顔に、今度は心臓が痛くなる。ライラの為に身を挺して、ライラを泣かせてしまった。
 と。不意に、視界が暗くなる。首を動かすと、いつの間に起きていたのか、レイがルージャの方に身体を屈めているのが、見えた。
 背中の痛みが、酷くなる。全身が固まってしまったルージャの、怪我をした右胸に、レイはそっと指を這わせた。そして不意に、泣きそうな顔になる。次の瞬間、どこから取り出したのか、レイがナイフのようなものを自分の首筋に当てるのを、ルージャははっきりと、見た。
「レイ!」
 叫んで、レイに飛びかかる。ルージャに押し倒されるように床に頽れたレイの手から、ルージャは何とかナイフを取り上げた。
「う……」
 その動作に無理があったのだろう、胸から鉄の味がこみ上げてくる。ルージャは吐くまいと、慌てて袖で口を押さえた。
「ルージャ!」
 レイの声が、遠い。
 ルージャの意識は再び闇に飲まれた。

 次に目を覚ました時には、既に辺りは薄暗かった。
「気が付いたっ!」
 泣きそうな声と共に、頭が温かいものに包まれる。
「良かった、良かったぁ」
 至近距離だったので、暗がりでも、ライラの顔がぐしゃぐしゃになっていることが分かった。
「レイ、は?」
 そんなライラに、そっと尋ねる。尋ねてからすぐに、尋ねるのではなかったとルージャは思った。レイは、ライラを泣かせた原因に、なるのだから。
「隣の部屋。ラウドさんが見てる」
 しかしルージャの心配は杞憂だったようだ。ライラは囁くようにルージャにそう、言った。
「だいぶん参っているみたい」
 それは、そうだろう。悄気たようなライラの言葉に、胸の痛みを堪えつつ頷く。悪しきモノに取り憑かれていたとはいえ、部下であるライラを殺そうとし、ルージャに怪我を負わせているのだから。絶望して自殺しようとした気持ちも、分かるような気がする。
 と。
「ルージャは、大丈夫か?」
 気遣わしげな声と共に、ラウドが部屋に入ってくる。その後ろにいたのは、リヒトと、……レイ。
「ライラ、頼みがある」
 ラウドは、椅子に座っているライラの横に跪くなり、ライラに向かってそう言った。
「レイを、『古き国』の騎士として、認めて欲しい」
 ライラの顔が、驚いたように歪む。『新しき国』の騎士であるレイが、『古き国』の騎士になることができるのだろうか? ラウドの言葉に、ルージャも驚きを隠せなかった。だが。あることを思い出し、ルージャははっと考えを改めた。
「ライラ。俺の荷物袋取って」
 ライラの腕を引っ張り、そうお願いする。ライラがベッド脇に置いてくれた小さな荷物袋の中をあちこち探して、ルージャはやっと目的のものを見つけた。
「レイ、これ……」
 荒らされたレイの部屋で見つけた、汚れた金の留め金をレイの手に乗せる。
「おい、これ、……俺の留め金、じゃ」
 レイよりも、レイの手を覗き込んだラウドの方が驚きの声を上げた。
「ラウドが晒されていた場所を探し回って、見つけた」
 小さな声で、レイが呟く。
 レイも、まだ新しき国の騎士見習いだった頃、ルージャやライラと同じように、肝試しの名目で廃城に侵入し、ラウドに出会った。見習い騎士への叙任は断ったが、歴史に詳しかったレイはラウドの最期を知っており、その残酷さに胸を痛めたが故に、せめて骨の一つでも探して埋めてあげたいと思った。その結果が、レイの手の中にあるラウドの留め金。
「ありがとう」
 ラウドが、レイに頷く。レイも、ラウドに頷き返すと、ライラの横に膝をついた。
「ライラ、いや、『古き国』の女王陛下」
 決然とした声が、辺りを震わせる。
「私を、『古き国』の騎士にして下さい」
「良いわ」
 頷いたライラが、すっくと立ち上がる。リヒトから受け取った王冠を被り、身に着けている赤い石の首飾りをローブの下から引っ張り出すと、ライラは木剣をレイの肩に当てた。
「レイ、あなたは、騎士になって何がしたいの?」
 ライラの問いに、レイは一瞬だけ考えるような表情を見せる。
「私は、……自分の弱さを克服したい」
「もう、克服してる」
 ライラの言葉に、ルージャは思わず笑ってしまった。

 そして、夜が明けて。
 ルージャは今度はラウドに叩き起こされた。
「少しまずいことになっている」
 来るようにと言われ、傷を庇うように起き上がる。レイに刺された所為で制服が汚れてしまったのでエルの祖母が作ってくれた緋色の上着に袖を通しながら広間に向かうと、蝋燭の光の下、エルが難しい顔をして立っているのが見えた。
「正門前に、大将っぽい奴が来てる」
 そう言いながら、エルは、渡されたという書状をルージャに見せた。
「俺は、字が読めないから、ラウドに読んで貰った」
 見せられた書状を、急いで読む。
「話し合いがしたい。女王と共に、正門まで来るように」
 書状にはそう、書いてあった。そして第三王子ジェイリのサインが添えられている。
「どうする?」
 エルが、ラウドに問う。
「ライラを出すのは、得策ではない」
 ラウドは首を横に振ってから、ルージャを見た。
「とりあえず、ライラに一番近い君が行って、ジェイリの真意を確かめてくる、かな」
「え?」
 ラウドの言葉に、耳を疑う。代表者を出すのであれば、エルが行くのが一番良いのに。何故ラウドはルージャを指名する?
「『古き国』の真意を、君は理解しているはずだ」
 ラウドの言葉に、頷く。『古き国』は、新しき国に復讐したいわけでも、ましてや滅ぼしたいわけでもない。『悪しきモノ』から人々の生活を守る為に、『古き国』の騎士達の力が必要であり、その為に、『古き国』の騎士達を叙任できる『女王』を守る必要がある。それだけだ。第一、様々な不備や不満は勿論あるが、大体において新しき国はうまくきちんと機能している。そのような国を滅ぼすなど、言語道断。そんなことをすれば、自分達は『悪しきモノ』よりも最悪な存在になってしまう。
「分かった」
「あ、勿論、俺も後ろにいるから」
 ルージャの不安を察したのだろう、ラウドは不敵に笑うと、先に立って正門へと向かった。
 安全の為に、二重になっている正門の後ろの扉を閉めてもらってから、前の扉を開け、格子の落とし戸を上げてもらう。跳ね橋の向こうに、見たことのある影が立っているのを、ルージャはすぐに認めた。新しき国の第三王子、ジェイリだ。
「君が、代表か?」
 少し鼻に掛かる声で、ジェイリが尋ねる。
「女王は、何処だ?」
「まず、そちらの真意を聞きたい」
 廊下を歩きながらラウドと打ち合わせた通り、ルージャは声を張り上げた。
「真意?」
 不満そうな声が、聞こえてくる。
「私はただ、『女王の力』をこの国の平和の為に使いたいだけだ」
「どのように?」
 ルージャの後ろにいたラウドが、大声で尋ねる。
「自分が王になる為に、ではないだろうな」
 ラウドの言葉が的中したらしい。跳ね橋の向こうが、押し黙る。
「やっぱりね」
 何時の時代の何処の奴らも、考えることは違わないな。ラウドは肩を竦めた。
 次の瞬間。
「ルージャ、しゃがめっ!」
 叩き付けるような声と共に、ラウドがルージャの腕を掴んで引き倒す。仰向けに倒れかけたルージャの、鼻先ギリギリを、鋭い風が通り過ぎた。
「何て短絡的な!」
 そう言いながら、ラウドは、バランスを崩したルージャの身体を支え、城門の方へ押しやる。
「跳ね橋を上げろ! 落とし戸を落とせ!」
 ラウドの声は、確かに、ルージャの後ろで響いていた。
 だが、次の瞬間。振り向いたルージャの視界に入ってきたのは、ゆっくりと頽れるラウドの姿。そのラウドの背に複数の矢が刺さっているのを見て、ルージャは顔色を変えてラウドの方へ走り寄った。だが。丁度降りてきた格子の落とし戸が、ルージャとラウドを隔てる。
「大丈夫だ」
 青い顔でルージャに微笑んだラウドは、次の瞬間、朝靄の中に消えた。
「ラウド!」
 思わず、叫ぶ。そのルージャの身体は、強い力によって後ろへと引っ張られた。
 いつの間にか、ルージャの身体は砦の中にあった。
「大丈夫か?」
 ルージャの腕を掴んでいたエルが、そう言ってルージャの顔を覗き込む。
「ひでぇ顔色してるぜ」
「ラウド、が」
 涙を、堪える。そのルージャに、涼しい声が降ってきた。
「ラウドは、過去に帰ったんじゃないかな」
 顔を上げると、エルの傍にリヒトが立っているのが見えた。
「ラウドが死ぬのは、ここじゃない」
「ん」
 そうだ。ラウドは。
 急に力が抜け、ルージャはその場に尻餅をついた。

「ダメだ、すっかり囲まれちまっている」
 エルの声に、広間は絶望に包まれた。
 寄せ集めであるこちら側には、戦う為の十分な装備も、籠城する為の食料も無い。早晩、降伏するより他無いことは明らかだ。しかし、降伏してしまうと、……ライラの命は無い。
「あの、私、行……」
 椅子から立ち上がって発せられた、決然としたライラの言葉を、ライラの口を押さえて封じる。それは、いけない。
「ダメです、女王。あなたが敵方に渡ってしまっては」
「『悪しきモノ』を封じることができなくなってしまう」
 慌てたエルの言葉に、あくまで冷静なリヒトの言葉が被る。彼らの言葉に納得したのか、ライラが口を噤むのを、ルージャは感じた。しかし心から納得してはいない。その証拠に、飛び出すことを心配して掴んでいるライラの手が酷く震えている。
「ライラ」
 ルージャ自身を落ち着かせるように、そっと、呟く。ライラはルージャに向かってこくんと頷くと、崩れるように椅子に座り込んだ。
「身代わりを、立てるか」
 レイの言葉が、残酷に、広間に響く。
「それは」
「だめっ!」
 しかしルージャが反論する前に、ライラの声が広間の諦念を打ち壊した。
「それは、いや」
 自分の為に、誰かが犠牲になることは、耐えられない。呟くようなライラの声に、そっと息を吐く。レイが放った致命的な一撃からライラを守ったときの、ライラの泣き顔が、ちらつく。「これ以上悲しみを増やしたくない」が故に騎士になったのに、これではダメだ。ルージャは無意識に首を横に振った。
 こんな時、ラウドならどうするだろう? ふと、今ここに居ない奴のことを考え、心の中で首を捻る。ラウドなら、この場にいる者全員が無傷で砦を退去する術、奸計でジェイリを説得する術を持っているだろう。しかし、ラウドはいない。では、どうしよう? 考え込んだルージャは、人々の間にリヒトを見つけ、はたと手を打った。……この砦が、古き国が建てたものであるのなら、あるかもしれない。
「地下の逃げ道とか、無いのか?」
 傍らのエルに、尋ねる。
「有ったらとっくに逃げ出してるさ」
 いらいらしたように、エルは答えた。
「でも、古き国の砦には、女王の城と同じように何かしらの地下の仕掛けがある、筈だ」
 探しに行こう。リヒトの言葉に、エルはむっとした表情で頷くと、広間の皆に外からの攻撃に備えるよう、指示を出した。
「ライラは、ここにいた方が良い」
 リヒトの言葉に、頷くライラ。
「私が、ライラを守ろう」
 レイの言葉に、ルージャは一瞬疑いの目を向けてしまった。
「大丈夫だ」
 ルージャに答えるように、レイが笑う。
「私も、今は『古き国』に忠誠を誓った身。誓約は違えないのが騎士だ」
 レイを疑ったことが、恥ずかしくなる。ルージャはそそくさと、リヒトとエルの後に続いて広間を出た。
 エルを先導に、地下室に降りる。砦の地下室も、少し湿った感じがある以外は砦の他の部屋と同じく、荒い石壁で囲まれていた。そして、その部屋の真ん中には、大きめの井戸が一つ。
「水入ってるね」
 その井戸を覗き込んでルージャは落胆の息を吐いた。
「そこから逃げるのは無理だ」
 むっとした声で、エルが叫ぶのが聞こえてきた。
「うーん。……あ」
 しかしリヒトは、井戸を覗き込むなり大きく頷く。
「ルージャ、じゃなくてエルじゃないと届かないか」
 そしてエルを手招きすると、荒い石造の井戸壁にできた隙間の一つを指して言った。
「あの隙間に、『古き国』の騎士団章を差し込んでくれないか? ルージャが持っている本物の方が良いんだけど」
 何を見つけたのだろう? 首を傾げつつ、マントを留めていた銀の椿の留め金をエルに渡す。受け取ったエルが前屈で何とかその隙間に留め金を差し込むと、カチャリと音がして井戸が少し、揺れた。次の瞬間。
「……え?」
 エルと同時に、驚きの声を上げる。満々と湛えられていたはずの井戸の水嵩が、音も無く引いていくではないか。
 しばらくすると、井戸内の水はすっかり無くなってしまう。そして、井戸の底には、綺麗に削られた石で作られている横道が、確かにあった。
「書物の通りだ」
 にっこりと笑うリヒトの小さな背を、エルが叩く。
「よくやったぜ、坊主」
「褒めるのならルージャを褒めるべきだ」
 咳き込みながら、リヒトはそれでも冷静に、ルージャを見てにこりと笑った。
「地下室の話を持ち出したのは、ルージャだ」
「お、俺は、ただ、廃城にあんな複雑な地下室があるんだったら、ここにもあるんじゃないかと」
「それで正解だ」
 褒められ慣れてなく、戸惑うルージャに、リヒトが声を立てて笑う。そしてそのルージャの背を、エルが強く叩いた。
「本当だ。よくやったぜ、ルージャ!」
 とりあえず、何処へ出ているのか調べてみる。そう言って、エルが梯子を取りに地下室を出て行く。
 後に残ったルージャは、満足の余韻を、噛みしめていた。
「ところで」
 そのルージャに、リヒトの静かな声が響く。
「この通路で逃げられるとして、何処へ行くの?」
「……城へ」
 しばらく考えて、ルージャはそう、答えを出した。
 ……ライラを匿えるところは、女王の住まいであった『古き国』の廃城しか、ない。

 見つけた地下道は、砦からずっと北の方へ離れた洞窟へと繋がっていた。
「ここからだと、副都へは背後の谷から入った方が早いな」
 別行動を取るエル達と別れ、レイの指示通りの道を進む。人里離れた暮らしが長かった所為で、ルージャもライラもリヒトも大陸の地理には強くない。だから、レイに従う他無いのだが、それでも、心配がないのは、レイへの信頼が回復したから、とルージャは思っている。
 そして。
「あの橋を渡れば、廃城の裏に着く」
 ルージャ達は何とか、追っ手に会わずに廃城の裏手、峻険な谷を刻む小川に掛かる小さな橋の傍まで辿り着いた。
「渡るか?」
 物陰に隠れたルージャ達に、レイが問う。
 時は、夜。月明かりが小さな吊り橋を煌々と照らしている。月の光があるから渡りやすそうに見えるが、追っ手が現れた時の狙われやすさも倍増している。それでも、早く隠れられるところに行った方が良いだろう。それが、ルージャの本音。だから。レイの言葉に、ルージャは無言で首を縦に振ると、ライラに向かって右手を差し出した。
「行こう」
 ルージャの言葉に、ライラがこくんと頷いてルージャの右手を握る。ライラの手の温かさにほっとしつつ、ルージャは月明かりの中に歩を進めた。
 吊り橋は思ったよりも細く、少し動いただけでゆらゆらと揺れる。足下のすぐ横に川の白い流れが見えて、ルージャの心臓は縮み上がった。だが、ライラに、自分の怯えを見せるわけにはいかない。少しずつ冷たくなるライラの手をぎゅっと握ると、ルージャはしかし慎重に歩を進めた。ライラを、落とすわけにはいかない。
 ルージャとライラの後ろには、少し及び腰のリヒトと平然としたレイがいる。その後ろを何気なく見て、瞳に映った人影に、ルージャの全身は総毛立った。
「レイ、後ろ!」
 そう言って、土砂降りの雨の中をライラの手を引いて走る。そのルージャの背後から、多くの者が放つ叫び声が迫って来た。こんな急に、追っ手が。何故? そこまで考えたルージャの足が、濡れた橋桁に滑った。
「わっ」
 バランスを崩し、横滑りする。だが、橋から落ちる前に、ルージャの左手は強い力に引っ張られた。
「気をつけろ!」
 聞こえる筈の無い声色に耳を疑う。ルージャの腕を引っ張り、橋から地面に飛ばすように下ろしてくれたのは、確かに、……ラウドだった。
「リヒトもレイも、早く」
 そしてルージャと同じように、ラウドはリヒトの腕を掴むと対岸の地面へと下ろす。そしてレイが橋を渡り終えるや否や、ラウドは橋の片端に立ち、緩慢にも見える動作で吊り橋を支えるロープを剣で切り落とした。
「ラウド!」
 思わず、叫ぶ。ラウドは、橋を渡ってくる新しき国の敵兵達を、橋を落とすことによって全滅させようとしている。ラウド自身の身の危険も、顧みずに。
 させない! ルージャはライラの手を離すと、支えるものを失って煽られるロープの一つを掴み、両足で崖に突出する岩の一つに足場を確保しながら、もう片方の手で橋と共に落ちていくラウドの剣を持っていない方の手首をしっかりと、掴んだ。
「ルージャ!」
 崖上と崖下から、声が上がる。雨の所為で、手が滑る。ルージャはありったけの力を込めて、ロープとラウドの手首を握った。
「離せっ! ルージャっ!」
 崖下からの声が、耳を打つ。
「お前も一緒に落ちる!」
 幸い、明かりが乏しいので喚くラウドの顔は見えない。答えの代わりに、ルージャはラウドの手首を更に強く握った。
 と。不意に、ロープを持っていた方の手が緩む。あっと思うまもなく、ロープを持っていた方の手が宙を掻いた。だが次の瞬間。その手を、細く冷たい手が掴む。
「大丈夫か?」
 レイの声に、ルージャは胸を撫で下ろした。
「レイ、まで……」
 ラウドの溜息が、風に乗って聞こえてくる。
「ライラ、リヒト、風の魔法を使えるか?」
 次のラウドの言葉に、ルージャは今度は心底ほっとした。
「竜巻系のヤツで、持ち上げてくれ」
 リヒトの魔法で、ラウドをルージャごと持ち上げ、固い地面に下ろす。とりあえず、ラウドが無事で良かった。そう、胸を撫で下ろすルージャの襟を、ラウドはいきなり片手で締め上げた。
「このっ、バカっ!」
 ルージャの鼻先に、ラウドの鼻が当たる。ルージャを見詰めるラウドの瞳は、怒りで燃え上がっていた。
「過去を変えたら、ライラもレイもおまえも消えるんだぞっ!」
 ラウドの言葉で、ようやく、ルージャは自分達が過去に居ることに気付いた。ラウドが無謀な作戦を敢行し、『統一の獅子王』に殺される、その時に。それでも。いや、それならばなおのこと。ライラも大切だが、恩人であるラウドを、見殺しにはできない。
「ラウドに、いや誰にも、死んで欲しくない」
 ラウドを、睨み返す。
「それが俺の我が儘でも、構わない。諦めたくないんだ」
 睨み合ったまま、時が流れる。先に目を反らしたのは、ラウドだった。
「だ、だが、しかし」
 躊躇う声が、響く。ルージャは確かめるように、後ろを振り向き、そしてラウドの襟元をぎゅっと掴んで引き寄せた。
「見ろよ。あんたを助けても、俺もライラもレイもリヒトも消えていない」
 ルージャを見詰めるラウドの口から細い息が漏れるのが、確かに、聞こえた。
 その時。
「ラウド様!」
 雨が上がり、少しだけ明るくなった崖上の道から、甲高い声が上がる。岩場の間から緋色の服を着た少年が現れるなり、ラウドとルージャに向かって短槍を構えた。
「あ、新しき国の兵士達! ら、ラウド様にそれ以上無礼を働くと、許しませんよ」
 従者らしきこの少年、何を言っているのだろう? 思わず、首を傾げる。しかしレイの服に目を留め、ルージャはすぐに納得した。レイは、白色のチュニックに青色のマント、完全に新しき国の騎士の格好をしている。怪我をして着ていた服を汚してしまったルージャは、貰い物の緋色の服に元々の白のマントを羽織っている。ライラの服装も青のローブに白のマントだから、見ただけでは新しき国の兵士達がラウドを襲っているように見えるだろう。
「あ、こいつらは味方、だから」
 従者の少年の思考にルージャより先に気付いたラウドが、ルージャのマントを留めている銀色の留め金を引っ張って少年に見せる。そういえば、この従者を前に見たことがある。ラウドが「アリ」と呼んでいた、男装の従者だ。ルージャがそれを思い出すより先に。
「ラウド様!」
 アリが手槍を投げ捨てるなり、ラウドの胸元へ飛び込む。
「えっく、えっく、ラウド、様、心配、しました。勝手に、無謀なことをして、勝手に、私を置いて、死んでしまうんではないかと」
 彼女の言葉に、ラウドは気まずそうに顔を上げ、ルージャの方を見た。どうすればよいか分からない、ある意味情けない顔をしたラウドに、思わず吹き出す。しかし味方はできない。無謀にも命を投げだそうとし、アリを泣かせてしまったのは、ラウドなのだから。
「あらあら、泣かしてしまいましたね」
 ルージャ以外の三人もそう思っているらしい。あくまで冷静に、リヒトが呟く。
「それでもご立派な騎士さんなんだろうかねぇ」
 ルージャも、助けを求めるラウドを、軽蔑した目でじっと見つめた。
「あー、もう、わーったわーったわーったわーったわーったわーったわーったわーったわーったわーった!」
 皆のその想いに、折れたのはラウドの方。
「分かったからそんな目で見ないでくれ!」
 ラウドはふっと肩を落とすと、まだラウドの胸で泣いているアリの頭を撫でてから、諦めたように言った。
「何とかしましょう。みんなの命を、助ける為に」
 そして少し唸ってから、再びルージャ達の方を見る。
「とりあえず、城に戻るか」
 濡れた服を着替えたいしな。ラウドの言葉に、ルージャはふっと笑った。

 アリの先導で、城の裏手から城内の『狼』騎士団長の部屋へ入る。
 着替えを探す為に隣の詰所へ向かったアリと女の子達の姿が見えなくなってから、ラウドは濡れた制服をあっさり脱いで部屋の奥に置かれている櫃を開けた。
「ほら、下履きと下着」
 うら若き乙女達に男の下着を探させるわけにはいかないからな。そう言いながら、ラウドは櫃の中に入っていた白い衣服をルージャとリヒトに渡す。
「新しいものを常備しておいて良かったよ」
 ラウドの持ち物らしい下着は、ルージャには小さ過ぎ、リヒトには大き過ぎた。
「ま、そこら辺はしばらく我慢して貰って」
 不意にラウドが、下着姿のまま二人の前に立つ。
「女王の宝物、持っているな」
「あ、はい」
 慌てて、脱ぎ散らかした衣服の下になっていた木剣を取り出す。リヒトの方は、王冠をきちんと騎士団長用の机の上に置いていた。
「うん、なら良い」
 そういって、ラウドは再び衣服を入れてあるらしい櫃の方へと向かった。
 ラウドの、何か吹っ切れたような明るさに、不安を感じてしまう。冷静になって考えると、やはり、ラウドを助けて過去を変えたことは間違っていたのではないだろうか? そう考えたから、というわけではないのだが。
「ラウド」
 探し出した上着を着ているラウドに、尋ねる。
「怒って、ないか?」
「はい?」
 ルージャの言葉に、ラウドは心底驚いた顔をした。
「助けたのは、おまえだろ?」
「うん、それは、そう、なんだけど」
 言い淀むルージャの前に、着替え終わったラウドが立つ。ラウドは、ルージャの顔をじっと見詰めると、ルージャの、雨の所為で更にもじゃもじゃになってしまった髪を更にぐしゃぐしゃにした。
「昔、殺したいほど憎い奴がいた、って話をしたよな」
 顔を上げると、ラウドが笑っているのが見える。
「そいつに殺されなくなって良かったと、ほっとしてるよ」
 ラウドの言葉より、その心底清々しく見える姿に、ルージャはほっと息を吐いた。
「着替え終わりました」
 丁度良く、古き国の騎士団の制服を着たアリとライラとレイが入ってくる。アリが急いで直したのか、それとも丁度良い大きさの服があったのか、ライラもレイもぴったりと背丈に合った服を着ていた。ライラは緋色のローブに黒のマント。レイは緋色のダブレットに黒の脚絆と黒の短いマント。
「ルージャさんとリヒトさんの着替えも持って来ました」
 アリから手渡されたのは、ラウドやレイが着ているのと同じ形の緋色のダブレットと黒の脚絆。二人がそれを身に着けている間に、ラウドはライラに尋ねた。
「女王の首飾りは、まだ持っているよね」
 ライラが頷いたのが、見える。
 ライラの答えに満足したラウドは、まだルージャが着替えているというのに「じゃ、行くよ」と皆を促した。

 ラウドを先頭に、上階の謁見の間に行く。
 謁見の間にいたのは、女王と、おそらく女王の妹達であろう怯えた顔の幼い少女達に囲まれたラウドの異母妹ロッタ、そして心配そうに顔を歪めたラウドの実妹リディア。
「ラウド! 何故?」
「砦にいたんじゃ?」
「新しき国の兵士達と戦って行方不明になったと」
 現れたラウドに、三人の女性が叫ぶ。
「このルージャが、ちょっと無茶をしましてね」
 リディアとロッタ、二人の妹に両脇を挟まれたラウドは、それでもあくまで冷静に、女王に向かって言葉を紡いだ。
「それに。……悲劇を減らす策を、考えついたので」
 そう言って、ラウドはルージャ、ライラ、リヒトを女王の前に押し出した。
「今、この場所に『女王の宝物』は二組あります」
 『古き国』の女王の『証』となり、『悪しきモノ』を滅ぼす力を持つ騎士達を叙任する為に必要な『女王の宝物』とは、『古き国』を創った初代の女王が持っていた王冠、剣、首飾りのこと。その三つの宝物はどのような魔法を使っても複製できず、それ故に、置いて逃げることができないもの。
「でも、二組あれば、片方を置いて逃げても問題は無いわけです」
 置き去りにされた片方を、新しき国の王である獅子王レーヴェが見つければ、彼はその宝物を再生ができないほどに破壊し、それで目的は果たしたと満足するだろう。例え後世に『女王の力を持つ者』が出てきたとしても、女王であることを証明し、『悪しきモノ』を滅ぼす力を持つ騎士を叙任する為の宝物が無いのだから。
「なるほど」
「確かに」
 ラウドの言葉に、リディアが目を丸くし、女王がにっこりと微笑む。
「みんな、逃げなくても助かるのね」
 ロッタがほっとしたように呟き、少女達をぎゅっと抱き締めたのが見えた。
 女王が徐に、身に着けていた宝物を外す。そしてその宝物三つ全てを玉座に置くと、女王はひらりとラウドの前に降り立った。
「それならば、……妾も生きていて良いのじゃな」
「はい」
 ラウドが頷くと、女王は微笑みを浮かべたまま静かに床に膝をつき、床の一部分をそっと撫でた。すぐに、かつてルージャとライラが地上に出る為に上ってきたのと同じ螺旋階段が現れる。
「ラウド、先導を務めよ」
 女王の命令に、ラウドは腰を屈めて了承する。そしてラウドは、従者であるアリの方へその小さな手を差し出した。
「おいで、アリ」
 幸せそうな笑みを浮かべたアリと一緒に、ラウドが地下へ消える。
 その様子を、ルージャは晴れやかに見詰めて、いた。

 目覚めると、涙でぼやけた視界の先に、見慣れぬ天井がきらきらと輝いていた。
 何の夢を、見ていたのだろうか? 首を傾げつつ、固く冷たい床から起き上がる。今日は、とても大切な日なのに。夢の内容は、思い出せない。だが、泣いていたことが不吉に思えて、ルージャは慌てて両目を袖で擦った。
「起きているか?」
 不意に、ノックも無く、扉が開く。
「寝てはいけないのに、起きているもなにもないだろ、レイ」
 規則に背いて眠っていたことが露見しないよう、ルージャは扉から首だけ出してにやりとしているレイに強がって見せた。だがレイのにやりとした笑みは引っ込まない。
「ルージャだったら、緊張で眠れない、ってことはないと思うけど」
「いやだから、騎士叙任の儀式の前は徹夜で自省しないといけないって規則」
 だからこその、この粗末な小部屋なのではないのか? 少し湿った、そして何も無い石壁の部屋を見回して、ルージャはむっとした声を出した。
「まあ、それはいい」
 急に、レイの声が改まる。
「準備をしよう。女王を待たせるわけにはいかない」
 そうだった。背筋がぴんと伸びるのを感じる。今日は、ルージャの十八歳の誕生日。そして『騎士叙任』の日、だった。ルージャはレイから渡されたタオルで身体中の汗を拭うと、レイが持って来た緋色の上着に袖を通した。普段は、こんな派手な色の服は着ない。でも、今日だけは、別だ。……『古き国』の騎士となる日、なのだから。目の前のレイも、いつも着ている青と白の『新しき国』の制服ではなく、緋色と黒の『古き国』の制服を身に着けている。『新しき国』と『古き国』の騎士の両方を、レイは器用にこなしている。それが、ルージャにはいつも不思議でならなかった。……レイ自身が納得しているなら、それで問題は無いのだろうと、思ってはいるが。
「だいたい良いか」
 マントを銀色の椿の留め金で留め、きっちりと姿勢を正したルージャを確かめるように上から下まで見詰め、レイが頷く。そしてそのまま、ルージャは中々追い越すことのできないレイの、女性にしては大柄な背中に付いて部屋を出た。
 狭い廊下を、レイに遅れないように歩く。遅れてしまうと、この迷路のような地下の廊下で迷ってしまうから、必死だ。謁見の間までの通路は、日によって変わる。女王から依頼され迎えに来た人間にしか分からない仕組みになっている。だが、心の余裕が無くても、廊下に飾ってある歴代の騎士団長の肖像画の一つの前で止まることだけは、忘れない。
「ラウド」
 濃い髪を肩まで垂らした、いかにも肖像画に描かれるのが厭そうな顔をした『狼』騎士団長の肖像画に、小さくお辞儀をする。このラウドという騎士団長は、冷静さと部下への的確な指示、そして自身の剣の力の為、歴代の騎士団長の中でも希有の存在として知られていた。ルージャの父が少年だった頃まで生きていて、年と共に身体の自由は利かなくなっていったが、その冷徹な判断力は病で死ぬまで衰えることがなかったという。
「ああ」
 ルージャの横に並んだレイも、ラウドの肖像画に首だけ動かしてお辞儀をする。ラウドの肖像画の横には、レイに良く似た、濃い色の短い髪に包まれた頭を昂然と上げているリディアの肖像画が掛かっている。その隣には、ルージャの曾祖父であるルイスの肖像画、そしてまた隣にはロッタの肖像画。『古き国』が『新しき国』に滅ぼされた時、『悪しきモノ』からこの大陸を守ることがより重要であると選択して、女王を守り地下へ降りた騎士達の、肖像画、だ。そして、今日、ルージャも、その気高き騎士達の系譜に連なる。
 これまでずっと、遍歴の職人に扮し、『古き国』の見習い騎士として大陸を巡り、『悪しきモノ』を封じる為の訓練を行ってきた。そのルージャに様々なことを教えてくれた『古き国』の騎士達は、数え切れないほどたくさんいる。だから、今日、自分がその者達と同じ騎士に叙任されることが、ルージャには素直に嬉しかった。
「行くぞ、女王が待ってる」
 再び、レイがルージャにそう言う。
 肖像画の場所から少しだけ進んだところに、女王の謁見の間があった。
 その場所で、待っていたのは。
「ルージャ」
 優しい声が、謁見の間に響く。騎士叙任の為の王冠を被り、首飾りを身に着けた、幼馴染みで従妹であると同時に女王でもあるライラがいつも以上に眩しく見えて、ルージャは無意識に俯いた。ここへ来て、怖くなったかのように心臓が早鐘を打つ。自分は、『古き国』の騎士になって、良いのだろうか? 何度か胸に去来した痛みを、ルージャはもう一度、味わった。
 その時。
 明け方に見た夢を、不意に思い出す。あの時の、自分、は。そして。
 俯いたまま、ルージャはライラの前に跪く。そのルージャの右肩に当たった木剣の切っ先が、答えを示しているようにルージャには思えた。
「ルージャ、あなたは騎士になって、何がしたいの?」
 騎士叙任時に常に問われる、言葉。
「俺は」
 その質問に、ルージャは一息ついてから、揺るぎない声を出した。
「俺は、絶対に諦めない」
 そう言って、ゆっくりと顔を上げる。天井から差してくる微かな光にきらきらと輝くライラが、心が温かくなるような笑みを浮かべていることが、ルージャには心から幸せに、思えた。

獅子の傍系

2013年11月4日 発行 初版

著  者:風城国子智
発  行:WindingWind

bb_B_00121127
bcck: http://bccks.jp/bcck/00121127/info
user: http://bccks.jp/user/120620
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

風城国子智

へっぽこ物書き。

jacket