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この本の成り立ち 米光一成 6・14・22・28・36・44・50・58
青柳美帆子 7
田久保あやか 8
fukigen 10
ミノシマタカコ 12
小川未来 15
田澤美沙 16
平原学 18
古田ラジオ 20
オグマナオト 23
市川新悠 24
岩井九三 26
岸田浩和 29
アサノシンカ 30
石水典子 32
原口裕紀子 34
斎藤純子 37
梶原上記子 38
Haruna Keisen 40
平野友紀子 42
中桐基善 45
芹澤圭美 46
成瀬瑛理子 48
松澤香織 51
奥田理美 52
キョウオカ 54
名久井梨香 56
渡邊宏美 59
宮下周子 60
山崎祐介 62
講座名が長すぎる。
「宣伝会議 編集・ライター養成講座 上級コース プロフェッショナル・ライティングクラス」
長いので専任講師の名をとって「米光講座」と呼ぶ。二〇一〇年からはじまり、二〇一四年の一月十一日にシーズン5がスタートした。
講座のなかで「インタビュー回」がある。受講生は3人チームになる。編集ライターとして活躍している先輩をゲストに呼んで、インタビューするのだ。
そのインタビューを原稿化したものを一冊にまとめたのが、この本だ。
──最初の原稿、ネタ探しの方法は?
書くキッカケは、米光講座の「エキレビ!」オーディション。同人文化でネタを出したら、「メジャーなネタじゃないとデビューは難しい。テレビネタが狙い目」って言われて。そこで普段見ないテレビをつけたらやってたのが、「ヒルナンデス!」という番組の「3色ショッピング」コーナー。面白かったので、約20回分を見て「いける」と思った回のレビュー記事を書きました。米光先生のチェック後、「エキレビ!」編集長のアライさんに、たくさんアドバイスをもらって原稿が完成。米光講座がなければ書く場所ももらえなかったし、文章も上手くならなかったと思います。
──次のネタは、どうやって?
「次もイケイケ女子っぽいネタだ」と、ギャル系の読者モデルが大勢のフリーマーケット取材に行ったんです。キラキラしたとこ苦手なのに、ギャルに囲まれちゃって。私独りダサイ女で、アワアワして。そんな気持ち書くわけにいかず、自分を偽ってキラキラを楽しんでいるていで書いちゃった。そりゃ、嘘ついてるから面白くないよね。10回以上書いてもNG。いま読み返しても、ちょっとつらい記事です。そこからしばらく、全然書けなくなっちゃった。
──再び書き始める転機になったのは?
「anan」のセックス特集号。読んでて超面白くて。レビュー原稿を書いてみて、書き終わってからアライさんに見せたら、ほぼ一発OKで掲載。そこから、調子をつかんだ感じ。今、ネタ探しの基本は「面白いこと」。好きなアニメ情報を調べたり、人に聞いたりね。「なんか面白い話して」って、困った彼女みたいな質問してます(笑)。
──これから書きたいことは?
以前は、原稿をかっこつけて書いてたんですよね。キラキラ女子ぶっていた。ただ、最近、自分はしっかりしてないし、アホで抜けててダメダメだなーと気づいて。そしたら、なんだか「かっこつけて書くこともないだろう」と思うようになりました。今は、ダメな自分をどんどん書いていきたいと考えています。自室の汚さを電書カプセルにしたり、メンヘラばっかりの恋愛歴を「女子SPA!」で暴露したり……。自分の恥ずかしいところを、面白く書いていけるようなライターになりたいですね。
聞き手・田久保 あやか
──原稿は誰かに見せていますか?
「この原稿はおもしろいかな?」と疑問に思ったら、編集者に送る前に知り合いに見てもらうこともあります。新聞記者の知り合いや、高校のときの友だちが多いかな。
──読んでもらって、なるほどと思ったことはありますか?
「ぷよぷよ」のプロデューサーのインタビュー記事を書いた時に、分かるだろうと思って、「ぷよぷよ」を「ぷよ」という表記にしたんです。そうしたら、読んだ友だちが「ぷよってなに?」って言った。アニメ系の記事を書いていると、みんながこれを好きで、みんながこの単語を知っているって前提で書いてしまう。それではダメなんだ、と思いました。
──ライターの仕事をしていて、難しいところ、苦労するところはどこですか?
一番好きなものはすごく書きにくいです。たとえば『三月のライオン』をレビューする。大好きなものを「大好き」って言葉を使わず、良さを公平に書くのは難しい。
──公平に書く、ですか……
受賞歴を書いても、私が好きなポイントは伝わらない。でも、「作者の羽海野先生の人柄が……」とか、「柔らかくて傷つきやすい登場人物が……」と言っても、知らない人には意味がわからない。
──でも、ファンには分るだろう、と書いてしまいそうです
「ファンはみんなこう思っているだろう」では、ダメなんです。どんなエピソードがあって、どこに繊細さが現れているのかを書かなければいけない。その「良さ」が自分にとって自明であればあるほど、かえって書くのが難しい。
──ライターになって嬉しかったことは?
自分の書いた記事が読まれることが単純に嬉しいです。普通なら会えない人に会える嬉しさもあります。大好きなアニメ、『少女革命ウテナ』の幾原邦彦監督や、J・A・シーザーという神にも会えた。でも、ファンで会いに行っちゃダメなんです。仕事として、制作者に喜んでもらえるような記事にしたい。そして、ファンにも作品を知らなかった人も面白く読める記事を書きたいですね。
聞き手・fukigen
──講座に通ってよかったことは?
もし、ここに来ていなかったら、今のような形でライターをやっていなかったと思います。「エキレビ!」編集長のアライさんにも出会えていないだろうから、多分文章もうまくなっていなかったでしょう。
──ライターになってから、米光講座で学んだことが役に立ちましたか?
講座の中で、米光さんが「感想より観察」とか「不機嫌な沢尻エリカに読ませるつもりで書け」と言っていることを聞いて、しばらくは「なるほど」と思いながらも、ぼんやり原稿を書いていたんです。でも「エキレビ!」で書き始めてから1年くらいしたときに、ようやく先生の言葉が「こういうことなのか!」とわかってきた感じですね。
──今はどのようにしてモチベーションを維持されているのですか?
米光さんの言葉で「ひとつの媒体で100本書いてからが勝負だ」というものがあります。オグマナオト先輩はそれを聞いて「本当にそうだな。じゃあ、1年で100本書こう」と思ったそうです。1年100本ということは、逆算すると1週間に2、3本。去年私がオグマさんにインタビューしたときに、それを実行にうつしたという話をされて「マジか!」と思ったんです。それで、真似しようとモチベーションをあげて頑張りました。
──ライター志望者にアドバイスをお願いします
うけうりばかりになってしまいますけど……まずは先ほどの米光先生やオグマさんの言葉。それから竹書房の営業さんに言われた「ギャルのしゃべりかたを真似しろ」。ギャルは話のオチから言うんです。それを真似しろ、と。あと、島影真奈美さんからもらったアドバイスで、相手から良い意味で「こいつバカなんじゃねーの(笑)」って思われろ、というもの。あとは、自戒の念をこめて「事務関係に強くなれ」。ホウレンソウ(報告・連絡・相談)がしっかりしているライターに、私もなっていきたいです。
聞き手・ミノシマ タカコ
インタビューする側は3人で1チーム。それぞれがテープ起こしをして原稿を書く。だから原稿は3つできる。
この本に同じ人のインタビューが複数掲載されているのはそのためだ。
インタビューし、同じ話を「テープ起こし」して原稿化する。
もともとは「同じ話」なのにこんなに違う原稿になる。ふつうは、ひとつのインタビューから生みだされる原稿はひとつだから、これは講座ならではの珍奇なケースだ。
ひとつのインタビューから生み出された複数の原稿、読み比べるとおもしろい。
──最近ではイベント企画など幅広い分野でご活躍されていますね
「編集」といえば、15年くらい前までは紙媒体でしたが、いまの編集はいろんなことをやりますね。電子書籍だけでも、本や雑誌とは全然違うバリエーションを考えられる。講座で電子書籍のフリーマーケットに参加して、紙に比べて電子書籍が越境しやすいコンテンツであると知りました。僕が企画した出版イベントでは、来場者に電子書籍の「お試し版」を100円で販売する、ということもやりました。コンテンツの設計段階から、常にああいう風にまたげるな、と考えつつやってます。
僕は、イベント企画なども「編集」と呼んでいるんです。一般的には「ディレクター」の方が理解されやすいとは思うのですが、自分はメディアの人間だと思っています。
──コンテンツの中身より打ち出し方にこだわっているようですが
スキルもない僕を紙編集者が面白がるのは、僕がコンテンツの枠をパッと外せる柔軟性があるからなんです。逆に言うと、校正は苦手で僕のメルマガは誤字だらけ(苦笑)。
コンテンツのベストな出し方は、僕ら世代が一番考えるべきだと思っています。ちょうど高校の頃からスマートフォンに触れてきて、Web上にあるコンテンツを肌で知っている世代。今の30代以上は、テレビの人はテレビ、紙の人は紙しか出来ない。その職人芸は素晴らしいけど、それに肉迫できるものが、Mac1台あれば作れる時代――音楽だって10万くらいのソフトでそこそこのものができる。そういう方が僕は面白いし、そこに特化するほうが社会が変わるのが早いのではないかと。
──出版社を受けないのはなぜですか?
僕、全然オタクじゃなくて。あれもこれも要領よくやって、根本的に一つのことに打ち込めないんです。僕がすごいと思う紙の編集者って、オタクというか、入れ込む人が多い。既存の出版社では、それが才能とされる。でも、僕が出来ることは、それぞれが専門分野に入れ込みすぎて分断されてる情報を、一歩引いたところから、「それ、本でわざわざ出す意味ないじゃん!」と言えることなのかな、と。そこに向き合いたいと思っています。
聞き手・田澤 美沙

──講座の受講を決められた当時のことを教えてください
高3のとき、内部生だったので受験が忙しくなかったんです。それで就職のことに意識が向いて、Twitterで講座を見つけ出しました。無料体験で、感銘を受けましたね。けれど大学生活に余裕があるかわからず、受講料も高3にとって安くなかったので、その年は諦めて翌年に申し込みました。
──受講時はどんな生徒でしたか?
各講座生が小さな専門分野を持たなきゃいけなくて、僕は「左利き」を選びました。他の人に比べると打ち込めていなかったですね。課題の原稿もなかなか直しきれず、伸びない生徒の典型でした。いい評価をもらっている人は、オタクで、「ガッ」とやってる人です。僕はぜんぜんオタクじゃなくて、コンプレックスに感じていました。じゃあ僕なりにできることがあるのかって言うと、物事を一歩引いて見て、別のものと混ぜたり、リアレンジしたりすることだと思います。それで一応、今は編集者を名のっています。
──編集者として携わられた仕事は?
イケダハヤトさんのブログをもとに電子書籍を作り、出版記念イベントをしました。僕がアシスタントをさせてもらっていた雑誌の編集長とイケダさんで「編集を語る」という企画を組んで。来場者には、電子書籍のお試し版を販売しました。また、テレビの公式Twitterアカウントで番組を実況する仕事もやっていて。ツイートをまとめる、また別のプラットフォームに載っける。コンテンツの作成・転用・リアレンジですね。設計段階から、媒体間をどう越境できるか考えています。
──小川さんにとって、編集とは?
「紙の本は作ってないから編集者じゃない」という意見には反論したいですよね。例えば「アンビエント」という音楽ジャンルも、ヘタすればただのノイズです。編集されているから、音楽として文化性を帯び、人に伝わりやすくなっているんです。今はWebが普及して、おのおのが好きな事をやれるのはいい。けれどそれだけで終わってしまうものも多い。みんなを一つの文化としてまとめることが必要です。その文化を作るのが、編集の役割ですね。

聞き手・平原 学
──講座を知ったきっかけを教えてください
きっかけはTwitterです。当時高校生でしたが、出版・ライターという職種に興味がありました。それで、たまたまシーズン1の無料講座の告知をTwitter上で見つけたのが2010年の3月。当日はめちゃめちゃ緊張しました(笑)。当時高校生で、知り合いもいないし、そもそも自分が何もできないし。でも、参加したらものすごく感銘を受けました。
──講座はどんなものでしたか?
ライターとしてはいい評価はもらえなかったですね(笑)。講座では各人がプチ専門分野を決めました。僕は左利きをプチ専門にしました。自分が左利きなので調べても楽しいし、自分のためになるので選んだんですが、神奈川の左利き専門店まで行って、少し本を読んだぐらいしかできなくて。毎回、講座の課題を提出しても、「もうちょっと……」みたいな事言われて。でも書きなおしきれないっていう典型的な伸び切らない講座生でした(笑)。
──それはご自身にとっては挫折だったんでしょうか?
講座でいい評価をもらっている人は、どんどん面白いモノを取材したいといった、好奇心の強い人が多かったですね。彼らのように自分がプチ専門に打ち込められなかったのはコンプレックスでした。ただ、講座の後、インターンをしたり、編集者のアシスタントをしたりする中で、自分の価値は様々なジャンルを越境できることだと気が付きました。それが、イケダハヤトさんと組んで電子書籍を編集したり、「現代ビジネス」に寄稿したりという、現在の活動に繋がっています。「越境的編集」と呼んでいますが、自分が考える編集とは単に紙の本を作るだけじゃなくて、メディアの設計そのものに関わる事なんです。
──小川さんと米光先生との関係は師弟関係のようなものなんでしょうか?
米光さんのような、純粋さをもった人が社会的に認められているのを18歳の時に見れた事はすごくよかったと思います。この人と会ってなかったらこんなことやってないですよ(笑)。だから、米光さんには常に影響をうけてるし、認められたいっていう意識はあります。その意味で、自分も米光一成の弟子の1人だと思っています。
聞き手・古田 ラジオ
語り手は、米光講座の卒業生でプロとして活躍している新人ライターや新人編集者。聞き手は、いま講座で学んでいる受講生だ。
だから、編集者ライターを目指し第一歩を踏み出した若者(っても、まあ、いい年の人もいるけどね)を、その第一歩を踏みだそうとあがいている若者(っても、まあ、いい年の人もいるけどね)がインタビューした本になっている。後輩が先輩にインタビューしているという図式だ。
そういう状況を想像して行間を読んでもらえると、またちょっと違った楽しみ方ができるかもしれない。
──デビューのきっかけは?
2011年の女子サッカーなでしこフィーバーのとき、米光講座を通してつながった「エキレビ!」の1周年パーティーに一読者として参加したんです。そこで「エキレビ!」にはスポーツネタを書ける人がいないっていうのを聞いて。後日「僕が書きます」って手を挙げたんです。そうして書いたのがその年8月の、なでしこリーグレポートです。
──活動を拡げていった方法は?
編集のかたに「これ書いていいですか?」って自分からネタを提案していきました。そのうち書いたもののなかからアクセス数が伸びる記事が出始めるようになって。アクセス数が見込めるものであればスポーツネタは好きに書かせてくれるようになったんです。
──しばらくは兼業で執筆活動を?
はい。広告会社に勤めながら、月4~6本ぐらいのペース。仕事を終えて終電で帰ってから書いてました。
──フリーになろうと決意したきっかけは?
決意とかとはちょっと違うかな。とにかく広告の仕事よりも、ライター仕事の比重を高めたいと思っていたんです。そこで2012年、1年で記事を100本書く目標をたてた。ただ、すぐフリーになっても食えないので準備期間を持とうと思ってました。それがあるきっかけで喧嘩別れ的な形になって辞めるのが予定より数カ月早くなってしまったんです。いいチャンスだと思いました(笑)。それでフリーになった。
──1年で100本の記事を書くのはネタ探しも大変だったのでは?
例えば僕は風車に興味がある。でも風車についてなにかを書くんじゃなくて風車を切り口にして書くと考えるんです。そうすれば興味なかったことにも接点が見つかりネタになる。その年は結局120本くらい書いたかな。月10本書けば1年で120本になる。月10本はまあ大変だけど全然いける。
──現在進行形の企画は?
紙の本。構成や編集で関わっているものが動いています。いずれは単著の企画も具体的に進めていきたいと思っています。
聞き手・市川 新悠
──デビューのきっかけは?
2011年7月に「エキレビ!」1周年記念パーティーがあったんです。編集の方が「なでしこジャパンが話題になってるのに、書けるライターがいない」って言ってたので、後日書かせてくださいって連絡したのがきっかけ、というか節目です。
──それで女子サッカーの記事を?
一発目に持ち込んだなでしこジャパンの記事が採用されました。野球の記事が多いのは、自分がやってたのと、他の競技より知識を持っていたから、かな。「エキレビ!」は、書くことを自分から提案できるので、かなり自由にできるんです。
──デビューして、「エキレビ!」に年間100本書くことを目標にしたとか?
ライターとして自信をつけたかったんで、やろうと思って。会社を辞めてライター一本に絞ってからは月10本、確か2012年は1年で112本くらい書きましたね。まあ大変だけど、全然できます。はい。
──受講中はテーマに「風車」を選んだそうですが、本当に書きたいのは風車?
いや、書きたいネタって訳ではないです。専門的なこともわからないし。書くとしたら、風車を切り口に何かを書くってことです。たとえばインタビューの場合、取材対象者の専門分野がまったくの畑違いという場合もあります。その分野について下調べもしますが、その分野以上に対象者とぼくの間に共通点があるかもしれない。ちょっと視点をずらすと自分が興味のある方に持って行けるんですよ。
──フリーランスになる決断は?
自分はとっとと辞めたくて、でもすぐにライターになったところで食えないから、設けておいた準備期間が繰り上がっただけです。収入の目処も立ってませんでした。決断とかそういう立派なものはないです。
──安定がなくなったことへの不安は?
月によって収入に増減がありますが、勤め人に戻りたいと思うことは一切ないです。お金の面以外、全て今がいいですよ。
──今後の目標は?
ずっと追いかけているスポーツアナウンサーもので単著を出したい。長期的には……まだ決めてないですけど、フリーでずっとずっと書き続けていきたいです。
聞き手・岩井 九三
米光講座は実践を重んじる。やらなきゃわからん。頭で考えても、口頭で教えを受けても、実際にやってみるまでは本当のたいへんさや苦労はわからない。
だから、実際にやってみる。たいへんだし、思いもしなかったトラブルにみまわれる。それを乗り越える。いくつかは失敗する。どうにかそれをカバーする。経験を積む。完成させる。そのために何を犠牲にし、どう考えるべきかを体感していく。
やったものだけがつかめる秘密がある。
その果てにできたのが、この本だ。
──動画を撮ろうと思ったきっかけは?
元々表現したいという思いがあり、宣伝会議のライター養成講座へ。最初、書き手を目指していて写真とか動画も一緒にできた方がいいよね、という感じだったんです。講座後、震災のことを伝えたいと思って。きっかけは、高円寺で反原発のデモをやってたので、動画を撮ってYouTubeにあげたことでした。1日で3千回も視聴数が伸びて、反響の大きさに驚きました。そのとき、音とか人の多さとか雰囲気がすごかったんで文章で表現するの難しいな、と感じて。最初、写真と文章で書いてたんですけど音が表現できないと思いました。
──これまで東北の取材をされて東北のどんなところに魅力を感じますか?
シャッターが閉じた商店街、人口流出、求人があっても年配の人ばかりとか、日本の未来に起きることじゃないですか? 東北に起きていることは将来的に日本中の地方都市で活かせる事例なので、すごく興味があります。タイムリーでそこに熱がある。震災後、宿不足なので、交渉して空き家をボランティア用のシェアハウスにした若者がいたんです。彼のことを記事で取り上げ、布団が足りないと書いたら宮崎県の布団屋さんから60枚、敷き布団だけ送られてきたんですよ。僕には30人泊める力はないけど、表現者として書くと何かが動くんですね。地方都市や地元をなんとかしなくちゃいけないとかみんな思ってると思うけど、文章は誘導するんやなくて背中を押すんですよ。書いたことがどういう風に視聴者に届くか、それを自分も見たいし、表現することでみんなの思いを伝えることですね。
──「日常を伝える」と言われるのは?
その人が普段やってる、一番頑張ってることを丁寧に取材して描写して、日常を詳しく表現すること。今、そこにある営みを息づかいと共に読者や視聴者に届けることです。テレビなどは意図した主旨でニュースを組むので、こういう感じの撮らせてください、って言ったりします。すると、取材を受けた人たちは雰囲気がそうさせるのか、取材の意図をくんで本来思っていないことも言ったりする。自分の存在価値は大きなメディアといかに違う切り口の取材ができるかということなので、日常を描くことでテレビや新聞、他の媒体とも違う、差別化ができるかな、と。自分でもそういう記事や映像がおもしろいと思っています。
聞き手・アサノ シンカ
──講座に来たきっかけは?
何か表現したいという気持ちがあって来ました。最初はライターを目指していて、写真と動画は一緒にできたらいいかな、ぐらいの感覚でしたね。
──なぜ動画を始めたんですか?
書く媒体を探していた時にたまたま高円寺で原発のデモをやっていて、そこで初めて動画を撮りました。しばらく書くことも写真も動画も受けていましたが、さすがに一人で3つ同時の取材はそれぞれの品質が保てなくなるし納期もきつい。独立するにあたり、映像作家の肩書きに統一しました。
──ご自身から発信する理由は?
これは年齢的なものが関係していて、自分が25歳だったら編集社や編集プロダクションで経験を積むという発想になったと思います。でも、35歳で宣伝会議の総合クラスに入って36歳で上級クラスを卒業。それから時給換算数百円の世界で下積みを経験するのは厳しいじゃないですか。それで自分から発信していく方法を取りました。
──映像作家と名乗るのはなぜ?
仕事として考えた時、「映像やってます」より「映像作家です」と名乗ったほうが、映像の単価が高いんです。それに映像作家ならお客さんに自分の表現の意図を提案出来るんですよ。自分がいいと思ったことを表現して結果的に一人しか共感しなくても、そっちのほうが価値があると思います。
──『缶闘記』で意識したことは?
テレビの取材は見せたい画が決まっていて、「こういう画を撮らしてください」って取材先に言うことが多いんですよ。すると相手が取材側の意図をくんで普段考えていないような発言や動作をしてしまう事があります。誘導じゃなくて、相手の思っていることを引き出したい。そのために現場の人が普段やっている仕草や行動のディテールに注意して描写します。こうした表現法は他の媒体との差別化にも繋がります。
──今後の活動を教えてください
作品を撮ることが大事だと思っています。たまたま『缶闘記』が受賞したから、キャリアが皆無でも制作会社で7、8年経験した人と同じレベルに立てました。また、作品を作って評価されたらもう一個上の段階に進めると思っています。どうしたらそこに行けるかを常に考えていますね。
聞き手・石水 典子
──岸田さんは私たちの先輩ですね
初めはライターを目指して総合コースに。終了後にお金の貰える書き手になりたくて、上級コースを受けました。
──肩書きが少しずつ変わっていますね
ライターや映像など1つのテーマに対し表現の幅を広げる事は出来たけど、同時平行でやる事は無理だってのも気づいた。動画の表現が自分にとって一番、ストレスが少ないんですよ。独立する時にひとまず専門を決めようと思って、映像に絞りました。
──それで映像作家と名乗ったんですか
作家と名乗ることで自分の表現したいことが出せるんです。「映像やってます」と「映像作家です」は、仕事の内容も単価も大きく異なります。表現者として大事ですよね。最初、なに調子乗ってんねんって言われんじゃないかと思ったんですけど、そこは勇気出して言うんです。ひとつでもこれができますって言うと自分に共感してくれる人、求めてくれる人と繋がっていける。米光講座は、編集者の人が来たり僕がしていることを広げてくれる人に会えたり、憧れを現実に変える道が見える場かな。
──作家活動で食べていくことは可能?
僕の経験年数でライターや写真だけだと、かなり難しいと思ってる。動画は機材が高いという壁があってプレイヤーが少ないから行けるってわかった。ジャンルに関しては、一般に文章も写真、動画もドキュメンタリーは喰えないと言われるけど、やりたくもない仕事はしたくないでしょ。
──やりたいことで稼ぐためには?
作品作りはすごく大事。映画祭受賞作品の『缶闘記』があるから、映像作家と名乗っても詐欺といわれないけど、すべて自分が先を見て行動したことじゃない。最短距離で次のクラスに上がれる方法を考え中。
──これからやりたいことは?
僕は書くのも撮るのも、現場に出て取材を行う事が好き。じっくりと自分の視点で取り組めるドキュメンタリーが一番しっくり来るんです。大手メディアの看板がなくても、自分で切り口を見つけていいと思ったことをどんどん表現していきたい。たとえ一人しか共感しなくても、そのほうが表現者としての価値はある。表現で、誰かが持っている力を後押ししていきたいな。
聞き手・原口 裕紀子
「米光講座に卒業はない」
半分冗談でそう言っている。インタビューを受ける側としてゲストに来てもらったのは、「卒業生」だ。メッセージのやりとりをしたり、いっしょに仕事をしている「卒業生」もいる。講座に遊びに来てもらって、新人としての立場で話をしてもらったりもする。
講師が話しても伝わらなかったことが、近い存在である先輩が話すと「そうか!」と簡単に伝わったりするケースがある。まあ、だからどんどん先輩に遊びにきてもらって、わいわいと話せる場にしていきたいと思っている。
──なぜ妊娠中、米光講座に?
子どもが欲しかったので、少しのんびりしようと勤めていた輸入食品会社をやめたんです。そうしたら幸いなことにすぐに授かって。となるとバイトもできないし、それならこうした機会に通ってしまおうと。もともと「書くこと」と「食べること」のふたつが好きで、両方に関われるよう新卒で食品商社に入りました。その後、もっと深く食べることに関わりたいという思いが強まりベーカリーレストランへ。「食」はがっつりやったので、次は「書くこと」を攻めてみたいとWeb制作会社へ移りました。そこでは編集補助からサイトのコーディングまでなんでもやりましたね。
──プロフィールを卒業生に渡したとか
同期にはすでにライターとして活躍している人もいました。(プロフィールの紙を取り出して)なのでこれを、「自分はただの妊婦じゃない! 昔は書くこともしてたんだ!」って、名刺といっしょに渡したんです。このプロフィール作成は課題であって、名、生、駅、軸、仕、部、研、目、特、人、物、作、について考えるものですが、5〜6回ダメだしをくらいました。最後にOKをもらったものに、自分はこういうことをやってきて、こういうことに興味がある、などの情報を加え、編プロの人もくるし、せっかくだから使っちゃおう!と。
──母になってから仕事を受けていますね
出産後、「All About News Dig」にブログがとりあげられ、そのブログと渡したプロフィールをみてくださった馬場企画の島影真奈美さんから「テープ起こしやってみない?」と声がかかりました。その流れで、いま「マイナビウーマン」の『ガールズ健康ラボ』で記事を書いています。これから、子育て、仕事、家事のプライオリティをどうつけていくかやどういった働き方ができるのかは、子どもの成長にあわせて変化するでしょうから、楽しみだけれど怖いっていうのはありますね。
──将来の夢は?
取材も好きなので、シェフのインタビューを何かの形にすることかな。企画力や提案力をつけないとならない。編集の仕事をすることも必要だし、人脈を広げたり時間を工面することも。ああ、ぼーっと抱っこして過ごしていちゃダメですね(笑)。
聞き手・梶原 上記子
──講座を受講したきっかけは?
食品輸入販売会社で働いていましたが、子どもが欲しかったので妊活を頑張ろうと思い退職して。そうしたら幸いなことに2カ月くらいで授かることができたんです。次にどうしようかと考えたときに、もともと書くことが好きだったし、以前ライターや編集の仕事もしていたので、この機会にライター講座に通おうと思って。ただ妊娠5カ月くらいだったから、全部出席できるか不安でしたね。最後の授業は出産1週間前でギリギリ出席、次の土曜日には子どもが生まれていました(笑)。
──仕事のチャンスをつかんだのは?
顔をつないだ方がいいと思っていたので、懇親会では名刺にじぶんのプロフィールを添えて編集の方に渡しました。これは講座で作ったのですが、ダメ出しを5、6回受けて7回目くらいの改定バージョンです。それに好きな本の項目などを加えて。わたしは激辛マニアとしてコラムを書いたり、Webのディレクション経験があったから「ただの妊婦じゃなく、書くこともやっていました!」と知ってもらう一番いい方法かと思ったので。馬場企画の松浦達也さんは以前わたしがお世話になった方をご存じで「この編集さん、いまどこにいるの?」と話が盛り上がりました。あとAll Aboutの荒井洋平さんから「おもしろいブログは『News Dig』で拾うよ」とうかがって、ブログなら子育てをしながらできると思い、毎週書き続て。そうしたら他のライターさんに文章を見てもらう機会が増え、馬場企画の島影真奈美さんから「テープ起こしやってみない?」と誘われました。
──ライターとママ業の両立のコツは?
うまくいっているかは分からないんですけれど、なんとか。原稿は子どもがおんぶで寝ているときに書いたりしています。いまは「マイナビウーマン」の『ガールズ健康ラボ』のメンバーになって、お医者さんなどへ電話取材をしています。ヘルスケアはやったことがなかったから最初は不安で。でも「取材は前にやったことがあるし、やっちゃおう!」といった形で挑戦しています。ライターは楽してできる仕事でもないので、頭の切り替えなどちゃんとしなきゃいけないな、と思っていて。わたしの働き方は子どもの成長に合わせてつねに変わっていくだろうけれど、それは楽しみなところでもあります。
聞き手・Haruna Keisen
──米光講座に通われた理由は?
ちょうど結婚を機に退職した直後で、妊活に専念していたら幸いなことにすぐ授かって。小さい頃から書くことが好きで、フリーで雑誌に書いた経験もあったので、この機会に講座に通おうと思いました。最後の授業が出産1週間前でギリギリだったんですけど、なんとかなりました。
──妊娠中で焦りはなかったですか?
めちゃくちゃありました。もともと酒飲みなので、お酒を飲みながらいろいろ話をして交流を深めたり、つなげていきたいと思っていたのにそれが叶わない。なので、編プロの方が講座に来た時に、何かきっかけになればと思い、自分のプロフィールを名刺とともに渡しました。自分がただの妊婦じゃない、むかし、書くことも一応していたんだってことを伝えるために、細々と関わった仕事を書いて。いま読むとすごく恥ずかしいですけど。
──ライターデビューのきっかけは?
All Aboutの荒井洋平さんが講座にいらっしゃって、ブログを「All About News Dig」で拾ってくれるという話があって。自分のペースでできるしお題も毎週やってくるし、まずそこで書いてみようと思い、子どもが生まれてから毎週書いていました。書くのをやめたら多分書けなくなっちゃう。講座をやめてからそれがすごく怖かった。しだいに記事が取り上げられ、プロフィールを渡した馬場企画の島影真奈美さんや他の方の目にとまるようになって。子どもが5ヶ月位の頃、島影さんから「テープ起こしやってみない?」と声をかけていただきました。その後、「マイナビウーマン」の『ガールズ健康ラボ』のメンバーに誘われ、主にヘルスケアコンテンツを書いています。
──ライターの仕事と育児の両立は?
ようやく子どもをおんぶできる月齢になり、昼寝のペースも決まってきたので、そういうタイミングで電話取材などやりながら、なんとか。家でできる仕事で子どもと関わりながらと思うなら、ライターはいいのかな。でも、そんなにラクしてできる仕事でもないので、自分で頭の切り替えをもっとしなきゃいけない。それは本当にこれからの課題で、おすすめって言えるようになりたいです。
聞き手・平野 友紀子
BCCKSというネット上のサービスを使って、この本は作られている。電子書籍や紙の本をつくり、公開できるサービスだ。
ネット上で編集できるので、頻繁に会えなくてもだいじょうぶ。Facebookのメッセージで対話しながら共同編集して進めていくことが可能だ。
とはいえ、今回は本当に期間が短くて、だいじょうぶだろうかと少し心配(まだできてないので過去形で書けないのがつらいところ)。でも、だいじょうぶだろう。だいじょうぶですよ。
──講座生の時、気にしてやっていたことはありますか?
先生とちゃんと名刺交換していました。途中からは「握手をするようにした方がいい。握手をすると接触を持つから印象に残る」というアドバイスを受けて、実践していましたね。あと、終わった後に先生方と毎回飲みに行っていました。
──ライターとしての初仕事は何でしたか?
立川・八王子エリアの女性向けフリーペーパー「ecco!!」でブーツ特集を担当しました。流行のブーツを店舗から集めてきて、カメラマンに撮影してもらい、キャッチを書くという仕事。女性特有のブーツであるブーティとかわからないまま、色々調べて取り組みました。20足を借りるのも一人で全部やらねばならず、ほんとに地獄のようでした。
──企画のアイデアはどのようにひらめきますか?
アイデアはひらめくというよりは、多分何かで見たり、聞いたりしているものだと思うんですよ。だから別にハッと思いつくというより、本や雑誌を読んだり、ネットやラジオを見聞きして蓄積していくと、ふっとマグマのように湧いて出てくるような……。インプットをしていくと、何かが組み合わさってアウトプットできるのだと思います。友達に会うこともインプットの一つですし、要は情報量なんですよね。みんな何やかんやで、ゼロベースから思いついていることはないんじゃないかなと。
──ライターになりたい人へアドバイスをお願いします
ライターになりたい人はいろんな人に会って、自分のやっていることを話すことが大事です。また自分のやりたいことが伝わる人のところで、評価されてやった方が僕はいいと思います。ある人にダメだと言われたからといって、自分が全部ダメなわけじゃなく、「考え方や媒体が合わなかった」という風に切り替え、別のところに持っていくなりする。フットワークを軽くして、自分を評価してくれる人に出会うまで、人に会い続ける! 多分、恋愛と一緒だと思います。
聞き手・芹澤 圭美
──上級コースを受講したきっかけは?
最初に受けた総合コースは書くことよりも業界全体を知るという感じでした。そこでさらにライティングの技術を身につけたいなと思って上級コースを受講しました。
──講座を終えて、フリーでやっていける自信はつきましたか?
それはなかったですね。不安は今もあります。だけど、会社員よりフリーの方が合っていると今は感じています。ちゃんと働かないとゴハンが食べられないから。正直、会社員時代手を抜けるところは抜こうという発想ばかり持っていました。それは自分の弱さだとは思うんですけど。だから会社員だった頃、営業で外回りの時に、ラーメン屋に行って、漫喫に行って、これは一度家に帰れるんじゃないか?、みたいなことばかり考えていました(笑)。だけど、それでは自分が成長していないことにふと気づいたんです。そこで自分が本当にやりたかったことをやろうと思い、大学時代に出版社を目指したことがあったので、もう一度挑戦しようと決めました。
──最初にリクルートHRMという広告の道を選んでいたのはどうしてですか?
大学の時から「週刊現代」でアルバイトしていて、卒業してもそのまま続けていました。だけど入社できるわけでもなく、ダラダラ続けているうちに「ああ、自分にはこっちの道の才能がなかったんだな」と一度出版業界への気持ちを封印したんです。それで中途でリクルートに入社しました。
──ライターに向いている資質は?
様々なことに興味を広く持つことだと思います。実は結構飽きっぽいことが大事ではないかとさえ感じています。飽きっぽいと次にいくから、興味の幅が広がると思うので。僕はいろんなものに興味を持ち、組み合わせることで書くネタを作っていく手法をとっています。ライターには専門分野を軸にするタイプと、組み合わせでやっていくタイプの2つあるんじゃないかな。
──編集ライター志望者にアドバイスを
編集ライターになれるまでやめない、ですかね。いろんな人に会って自分がやっていることを伝えることも大事だと思います。フットワークを軽く、自分を評価してくれる人に出会えるまで、人に会い続ける。恋愛と一緒だと思います。
聞き手・成瀬 瑛理子
書籍化のメンバーを紹介しよう。リーダーとして活躍した平原学。寺嶌茂美と平野友紀子がそれを支えた。さらに先輩の与儀明子が加わって、前シーズンの経験を伝授しつつ導いてくれた。石水典子が表紙のイラストを描いてくれた。
これを書いているのは第8回の米光講座を終えて、打ち上げ呑みで酔っ払って帰宅して、ってタイミングなのだが、講座の前に集合して校正大会をしたみんなもGJ。そして「米光先生、インタビュー本の原稿そろそろよろしく」と呑み会で催促してくれた平野もGJ。
──この仕事を目指したきっかけは?
幼少期から漫画が好きで、大学時代の就職活動では出版業界を志望していました。でも、希望の出版社にはすべて落ちてしまい、印刷会社に就職をすることに。印刷会社の仕事は好きでしたが、働き始めて5年目の頃、仕事漬けの生活の中でどうせ働くなら「漫画に関わる仕事がしたい」と思い、再チャレンジしました。
──講座を受講したきっかけは?
やると決めたものの、どこから手をつけたらいいのか分からないというのが本音でした。そんな時、インターネットで見つけたのが宣伝会議の総合コースです。開講が迫っていたのですぐ申し込み、通い始めたのは2012年5月。その時の米光先生の授業がとても印象的で、上級コースも受けることにしました。編集の仕事をしている方が講義にゲストでいらっしゃると聞いていたので、人脈作りができればと思いました。
──受講してよかったことは?
上級コースはワークショップやライブ添削などがあり、講義の間中考え続ける感じです。ゲストスピーカーのお話を聞く機会もあって総合コースよりさらに実践的。ゲストでいらしてた方に「一緒にやらない?」とお声をかけて頂いて、お仕事につながることも。講座で学んだことから生まれた自分の記事にコメントがついたりすることはモチベーションにもつながりますし、何より修了した今になってもとても心強いです。
──プロを目指すのに大切なことは?
自分のテーマをはっきりと決めることです。ライターの仕事は、ただ自分の書きたいことを書くだけでは成立せず、媒体のカラーやアクセスが伸びるかなどを考慮して書かなければなりません。その上で、自分のプチ専門がはっきりと決まっていれば、読者の興味関心を引き出しやすい記事が書けると思います。講座でも「テーマを決めることの重要性」は言われましたが、実は私は決まりませんでした。これはライターを続ける上で、向き合っていかなければならない課題だと思いますね。
聞き手・奥田 理美
──講座を受講するきっかけは?
漫画の編集者を目指して就活したけれど内定をもらえず、印刷会社に就職して営業をしていました。28歳の時に、30代をどう働こうかと悩みました。印刷の仕事は好きでしたが、やっぱり読み物を作ることに情熱を注ぎたいと思ったんです。ネットで検索して最初に出てきたのが宣伝会議の「編集・ライター養成講座」で。ここで迷っても仕方ないと、即申し込み。2012年5月から総合コースを受け、その後上級コースに進みました。受講がきっかけで2013年5月に媒体に記事が載ってから、しばらく兼業でライターをしていましたが、2014年2月に退職。現在はライター・編集アシスタントをしつつ、本格的に編集職へ転職活動中です。
──印象に残っているライターの仕事は?
初めて「エキレビ!」に載った記事です。上級コース講師の米光先生が「エキレビ!セピア」という、新人ライターが挑戦できる場を作ってくれたので、チャレンジしました。セピア組として第1弾の記事です。掲載された日のニュース総合ランキングで2位までいきました。多くの人に読んでいただけてとても嬉しかったです。実はセピアにチャレンジしたときはすでに講座を修了していました。でも米光先生はとても丁寧にご指導してくださり、忘れられない記事になりました。
──将来、どんな風に漫画に携わりたいですか?
もっと漫画にどっぷりつかって、面白いのに知られていない漫画がもっと知られるようなお手伝いがしたいです。面白いって認知されれば、その作家さんが次の作品を描ける可能性が高まりますから。
──そう思うようになったのは?
子どもの頃、すごく好きだった作家さんが若くして亡くなられたんです。面白い作品だったけれど、2巻で打ち切られたことを覚えています。その後、だんだんと見かけなくなりました。久しぶりに見たニュースが訃報。生活に困窮されていたと聞いて、とてもショックでした。「あの漫画、面白かったのに」って。あの先生の新しい漫画が読みたかった。この経験が根っこにあると思います。
聞き手・キョウオカ
──講座を受講した理由を教えてください
8年間印刷会社で営業をしていました。チラシや通販カタログなどの商業印刷が主な仕事です。25歳くらいから朝帰ってシャワーを浴びてすぐ会社に戻るような生活が続き、体を壊しかけました。28歳のとき「30代はどうしようかな」と考えるように。印刷の仕事は好きでしたが、読み物により近い「現場」に行きたいと思いました。ネットで検索して、最初に出てきた宣伝会議の編集・ライター養成講座の総合コースを受講。その後、上級コースに進みました。講座修了後、約1年兼業でライターをして、今年の2月に退職しました。現在は、講座で知り合った編集者の方や講座の先輩に声をかけていただいて、紙・Web問わずお仕事をさせていただいています。
──最初の仕事を教えてください
最初の記事は「マイナビウーマン」です。講座受講中だったため、同期の人がお祝いしてくれました。1番印象に残っているのは、「エキレビ!」に載った記事ですね(『今が狙い目。2巻が出ていない超面白漫画ベスト5』)。実は講座で受けた「エキレビ!」のオーディションは通らなかったんです。大好きな漫画に初めて関わったお仕事ということもあり、忘れられません。友人からの反応も良く、SNSで拡散してくれたこともあってPVもいい感じに。たくさんの人に読んでもらえたのがうれしかったです。とある書店員さんがTwitterで「なかなかいいチョイスしてるな~」ってつぶやいてくれて。ありがたかったですね。
──10年後はどのように仕事をしていきたいですか?
漫画に関わることをしていたいですね。レビューを書きながら漫画編集者を目指しているのは、少しでも漫画業界のお手伝いをしたいというのが根っこにあるからです。「面白いのに消えてしまう漫画」があるのは辛いです。面白いと認知されて売れれば、作家さんは生活できるようになって、また面白い作品を生み出してくれます。レビューがその知るきっかけになればと思って書いています。また「エキレビ!」はAmazonのリンクが貼られているので、レビューを読んで、買ってくれる人がたくさんいればいいなと思っています。
聞き手・名久井 梨香
追い立てられるようなスケジュールで作ったものなので、原稿を書いたみんな、書籍化するためにがんばったメンバーは「もっとこうしたかった」と忸怩たる思いもあるだろう。インタビューに答えてくれたフレッシュな新人達も「もっとうまく答えたかった」と思っているだろう。
だが、それでいい。それがいい。
これはプロセスの中のひとつの区切り。区切りとして成果物を作ったことが「もっと」という気持ちを生み出す。欠けたところもあるだろう、でも全力で、何かを形にした。それは、もっと自由になるための次のステップにつながっている。もっと! もっと書いてください。
米光講座シーズン5専任講師 米光一成
──フリーランスを目指したのはいつ?
フリーになりたいと思ったのは米光講座を卒業してからです。講座生のときは本当に劣等生で、何かにチャレンジすることもなかった。すでにポータルサイトでコラムなどを書いていたので、どこか気のゆるみがあったんでしょうね。でも次第に、ファンだったジャニーズの素晴らしさを伝えたいと思うようになって、卒業後、米光先生に「やっぱり書きたいので見ていただけますか?」って相談しました。講座が終わったら関係ない、という先生ではないので本当に感謝しています。
──これまでで一番の会心の原稿は?
ジャニーズを専門に書き始めたら、キムタクが宮本武蔵を演じるタイミングに「All About News Dig」からオーダーをいただきました。〝キムタクは何を演じてもキムタク〟というところからキムタクの演技について論じるというお題です。でも自分は演技を語るほど演劇を見てないし、言語も持ってない。キムタクカッコイイとしか見ていなかったから、演技がうまいかヘタかもわからない。それで一度なんとなく書いたのですが、「もうちょっと深くしましょう」と担当の方に言われ、「どうしよう……」と焦って。
そこで最後の手段として、劇団を主宰している知り合いに取材することにしたんです。事情を話して、「キムタクの演技って率直にどう思いますか?」と。そしてそれを記事に盛り込んだところ、すごく内容が濃くなって、原稿に色が出てきました。本当に白黒だったんです、最初の原稿。どこにでもあるようなダメ原稿で、何の色も持っていませんでした。でもそこで思い切って人に頼って具体的なエピソードを入れたことで、ちゃんと色がついた文章になったと思います。それはすごく感動的でしたね。
──これからの目標は?
「今年で会社を辞めてフリーになる」が元日に立てた目標です。でも、語彙力や表現力など、課題もたくさんあります。それから今の私は、自分が見たこと、体験したことしか書けません。キムタク演技論もそうですが、タレントがどう変化してきたのかなど、知識や分析をもとに物事を串刺しで論じられるようになりたいと思っています。
聞き手・宮下 周子
──講座を受講したきっかけは?
2005年からポータルサイト「goo」で働いていて、Webの編集やコンテンツの作成、コラムの執筆を始めました。でも、コラムを作るときにうまく書けない自分がいて、基礎がないことに気がつき、編集・ライター養成講座の総合コースに申し込んだんです。受講中に米光さんのことを知り、米光講座シーズン2に参加しました。
──当時からフリーでやりたいと?
フリーでやるなんて夢というか、今でもフリーじゃないんですけど(笑)。米光講座に通っていくうちに、フリーでやりたいと思うようになりました。講座の卒業後に米光さんの「表現道場」に通い、そこで「やっぱり書きたい」と宣言しました。
──初めて取り組んだ仕事は?
「エキレビ!」の「キスマイBUSAIKU!?」というテレビ番組の記事。「ジャニーズなのにブサイク」というオチが面白いと思い、レギュラー番組になったタイミングで書かせていただきました。
──執筆していて大変だったことは?
観察をして「具体」に落とし込むことです。最初の原稿はただ長く、淡々としていてテンションも低いと、「エキレビ!」編集長のアライさんに言われて書き直しになりました。でも、コンパクトにまとめ、深夜に放送された内容をつけくわえて完成させ、その日の昼に載せてもらいました。
──会心の出来と感じた仕事は?
「All About News Dig」の記事で、キムタクが宮本武蔵を演じたことから、「キムタクは何を演じても『キムタク』なのか」という観点で彼の演技について論じました。でも、演技を語れるほど演劇を見ていないし、語る言語も持っていません。書いていて上手いのか下手なのかも分からず困り果てたので、劇団を主宰している知り合いにキムタクの演技についてインタビューしました。そしてその回答を入れたところ、「白黒」だったダメ原稿にだんだんと色がつき、内容が濃いものになりました。
──今後もジャニーズが中心?
自信があるのはジャニーズですね。KAT-TUNとNEWSを応援しています。嵐のように爆発的な人気はないけれど、魅力を伝えていけたらと思います。
聞き手・山崎 裕介
2014年4月27日 発行 初版
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