───────────────────────
───────────────────────
ある四月の週末、私達文具研究同好会は部員の中でも特に命知らずの無法者を集め、副会長の故郷である千葉県は房総半島の夷隅郡に出向きました。
目的は、副会長御一族の私物である山を我が物顔で覆い尽くす竹林ファミリーを刈り取り、ついでに地中の可愛いベイビー達を美味しく見せしめ、山の支配者が誰かということを今一度奴らに思い知らせる事です。
ちなみに、集まった無法者の内訳は、今回の討ち入りの企画立案者である副会長、部員の各駅停車氏、予てより文具研と親交のあった同大学二部漫画研究部の部長ふもっふ氏、そしてこの記事の文責である会長の四人でした。
本来なら当同好会の抗争とは無関係な漫研の部長まで計画に引き入れたのは、今回の企画に部員の大多数が難色を示し、計画の初期段階から深刻な戦力不足が予想されたためです。
「土曜は千葉県の山奥でナタとクワを振り回しましょう。きっと最高の週末になります」
と部会で提案したときの、部員達の「勝手にやってくれ」という顔が今でも忘れられません。
そのような事情もあり、二部漫画研究部の部長氏には
「土曜は千葉県の山奥でタケノコを掘って、それを肴に日本酒で一杯やりましょう。きっと最高の週末になります」
と一部計画をかいつまんで説明し、まんまと当日の待ち合わせ場所である東京駅八重洲口のバスターミナルへとおびき出したのでした。
高速バスは東京湾アクアラインを通り抜け、出発から一時間ほどで房総半島に入りました。この日は天候にも恵まれ、透き通った青空にのんびりと雲が漂っていました。車道の周りには街路樹や芝生が整備されており、遠くには山の輪郭も見え始めました。普段見慣れぬのどかな風景に、東京のコンクリートジャングルで生まれ育った生粋のアルファルトモンキーである私が思わず「緑が多くていいところですね」と言うと、隣に座っていた副会長が「こんなものは緑とは呼ばねぇ」と眼光を鋭くしました。
私が敵対組織への強襲を前にピクニック気分に浸っていた自分を恥じていると、間もなくしてバスは山道へと入りました。先ほどまでの開けた視界はなりを潜め、杉を初めとした背の高い針葉樹林、竹林、切り立った崖などが車道の両脇を挟み、高低差のある蛇行した道が容赦なく三半規管を揺さぶりました。
次に視界が開けた道に出たときには、田植えを待つ幾重もの棚田、東京都民が道楽でたしなむ家庭菜園とはあまりにも規模が違いすぎる広大な畑など、確かに街路樹や芝生などとは比較にならない緑が車窓風景を埋め尽くしており、このとき私は初めて「どうやら凄いところへ来てしまった」ということに気がついたのでした。
東京駅を出発して二時間ほどで、バスは目的の停留所に到着しました。バスを降りるとすぐさま副会長のお母様が迎えて下さり、そのまま車で御実家まで送って頂きました。
副会長の御実家に到着すると、ツツジなどが咲き乱れる手入れの行き届いた庭に大きなお屋敷が鎮座しており、このお屋敷と比較すれば自分の家など犬小屋に等しいということを思い知らされた私は、胸の中で副会長への永遠の忠誠を誓ったのでした。
車から降りた私が「立派なお庭ですね」と声を漏らすと、副会長は「庭なんてものは畑のなり損ないでしかない」と言い捨て、家の中に入っていきました。
玄関先で副会長の忠実な愛猫から歓迎を受けた私達はひとまず和室に荷物を置かせて頂き、身支度を整えつつ、
「掘り出したタケノコはどうしてやりましょうか」
「タケノコご飯、煮物、天ぷら、なんでもござれだ。幼いタケノコならエグ味もなく刺身が絶品だ」
などと生け捕りにしたベイビーの処遇について話し合っていると、お母様から昼食へのお誘いを頂きました。日頃の堕落がたたり、この日も当然のように寝坊して朝食を抜いていた私は、絶食状態で山に入る事態が回避されたことに安堵の涙を流し、二つ返事でご厚意に甘えさせて頂くことにしました。
お母様に案内され食卓に入ると、机の上でほかほかと湯気を上げていたのは一升のタケノコご飯でした。爆笑する一同。
既にタケノコ掘りのシーズンは始まっており、先日も副会長の御祖父様が先駆けて山に入り、いくつかのタケノコに目印を打って下さっている、といったお話を伺いながら食卓を囲みました。甘く味付けされたタケノコご飯は、風味がよく食感ももちもちしており、大変美味しく頂けました。
食事を終え、身支度を終えた私達は再びお母様の運転する車に乗り込み、いよいよ敵の総本山の麓に降り立ちました。
本日攻めるポイントは二カ所。一カ所はこれから私達が向かう、孟宗竹という太身の竹がはびこる山の上で、こちらはタケノコ堀りのためのポイント。もう1カ所は、孟宗竹より身の細い品種が生える平地の竹林で、こちらで採れる。
各人、得物を手に山へと続く砂利道を進みます。私はこのとき、自分が数ヶ月ぶりにコンクリやアスファルト、石畳などではなく、土を踏みしめて歩いていることに気がつきました。
入山の直前、麓に生える一本のタケノコを見つけた副会長からタケノコ堀のレクチャーを受けました。
竹は地中に伸ばした根から地上に向けて茎を分岐させ、それを新たな竹とするため、通常タケノコは親となる竹の近くに生えていること。一見まっすぐ地上に伸びているように見えるタケノコも、実は地中では根が湾曲しており、その湾曲は親となる竹の方向を向いていること。タケノコの先端の芽は特定の方向に曲がっており、芽の方向が根の湾曲する方向を示しているので、実際は根元まで掘らずともタケノコが地中でどちらに湾曲しているか読めること。よって、タケノコを見つけたらまずは芽を観察して根の湾曲方向を読み、芽の周囲を軽く掘り起こした後、根の湾曲とは反対方向の地面を掘り進め、最後に根元にクワの一撃を入れることで、タケノコを傷つけず深い根元まで収穫できる、とのことでした。
副会長からタケノコ堀のいろはを伝授され改めて足を踏み入れた竹林へと続く山道は、草木の枝葉が目の高さに生い茂る急傾斜でした。その道と呼ぶにはあまりにも心許ない土の壁を這い上がる登山は、遠巻きに見える山々や人の手で整備された田畑、増してや道路脇の街路樹を見て緑がどうのという戯れ言を抜かしていた私に対する洗礼に思えてならず、副会長の言う『緑』の真意をここで初めて理解しました。
傾斜が厳しい分道のり自体は短く、ものの数分でタケノコ掘りのポイントに到着しました。普段は日の落ちたビル街でひっそりと活動している虫も殺せぬ文化系の私達が、白昼堂々と物騒な道具を片手に山林を闊歩している光景は身内からすると大変シュールです。
早速竹林の方々へと散り、各自獲物を探し始めました。副会長の御祖父様が打って下さった目印も参考にしながら、地面に目を見張り、クワを振り下ろします。
しかしコンクリートジャングルで育った都会っ子にクワを扱う経験などあるわけもなく、これまでの人生で最大の農業体験が小学校でやらされたバケツ稲である私の体は、使い慣れない筋肉の酷使によりみるみる内に力を失っていきました。クワを片手に軽快に竹林を駆け回る副会長を横目に、もやしのヒゲより軟弱な己の細身を顧みて、しばし堀りかけのタケノコに視線を落としたりしました。
それからはほとんど無心でクワを振り、軍手で土を掻き出し、ひたすら地面に穴を開け、時に狙いを誤りスイカ割りよろしくタケノコを粉砕したり、振り上げたクワにこびりついた土が頭上ではがれ落ちて頭髪を泥にまみれさせたり、しぶとい竹の根に幾度もクワを振り下ろし背筋から異音を上げたりしている内に、気がつけば1時間半もタケノコ掘りに没頭していました。
収穫したタケノコを車に積み込み、一度副会長の御実家に戻った私達は、荷物を整理してすぐさま竹竿を刈るため第二のポイントへ向かいました。
今度は帰りに大量の竹竿を積むため、乗用車ではなく軽トラに乗り込み出発します。
先ほどと違い、お母様ではなく副会長ご本人が運転手を引き受けて下さいました。ナタやノコギリといった工具とともに私達が荷台に乗り込むと、車体は重厚なエンジン音を上げ、軽トラとは思えない初速度で急発進、したように思えました。
軽トラの荷台に乗り込むという都会の猿にはいささかレアな体験に舞い上がった私がそう思い込んだだけで、実際は安全運転だったのだと思います。車道に乗り出した副会長操る軽トラから見る風景は、先ほどお母様が運転する車から見た車窓風景よりもかなり速く流れていくように見えましたが、おそらくは錯覚だと思います。
荷台に乗り込んだ三人とも、体を預けられるものにしがみつき、舌を噛みちぎることを恐れて口を堅く結ぶか、言葉にならない絶叫や嗚咽をだだ漏らすことしか出来ませんでしたが、副会長の思慮深いハンドルさばきに対してなんと大袈裟な態度であったことか、今となっては己の無礼を恥じるばかりです。
軽トラがアスファルトの道路を外れ、舗装された砂利道なのか単なる自然地形なのかの判別があやしい崖沿いに下って行ったところでいよいよ死を覚悟すると、ちょうど崖の手前で軽トラが停止しました。
ふらふらと荷台から降り、工具を持ち作業を開始します。副会長がノコギリで竹を切り、会長が軽トラ付近まで切られた竹を運び、各駅停車氏と漫研の部長がナタで枝葉を削ぐ、という役割分担で作業を進めました。
私も一度ナタを持ち枝葉切りの作業を体験しましたが、やってみると所々茎がしっかりしていてなかなか切り落とせない部分が出てきます。そんなとき作業を代わって頂くと、まるで副会長に握られた途端ナタの切れ味が良くなったのかと思うくらい鮮やかに枝が削ぎ落とされていき、改めて木工屋の御曹司としての実力に瞠目せずにはいられませんでした。
収穫した竹を軽トラに積み込み帰ってくると、今度は御実家の庭にある加工場にて竹ペン作りの始まりです。いずれは同好会を挙げて竹ペンを啓蒙するという野望のため、大学のイベント等での配布も視野に入れ少々趣味の域を超えた本数の竹ペンを作り続けました。
加工作業についての具体的なお話は、副会長が記された竹ペン製作の記事を参照して頂ければと思います。
夕刻になり加工場での作業に区切りをつけた私達は、泥まみれの運動着から私服へと着替え、副会長の運転する車で地元の温泉へと赴きました。
肉体労働で汚れ、疲弊しきった体を温泉で清め、癒やすという行為は、普段自宅で惰性から浴びる風呂とは断然格別で、脳味噌の弛緩しきった私は露天風呂からどこまでも続く夕暮れの山々を望みながら「俺は今人として最強に正しいことをしていると思う」などと意味のわからない事を喋り出し、周囲を困らせたりしました。
あちこちの肉が溶けかけてきたところで湯船から上がり、全身に湯気をまとったまま瓶のコーヒー牛乳を飲み干して車に乗り込むと、既に日は落ち山道はとっぷりと暗闇に呑まれていました。
副会長の御実家に戻る車中で、副会長から「今家人に夕食を用意させている」との話を聞いた私達は、うららかな週末に突如として家に押しかけ、和室を占有し、昼食をたかり、車を出して頂き、私有地のタケノコを掘り返し、帰ってきたと思えば加工場を荒らすという、今日一日だけで働いた副会長御一族に対する数々の非礼の上に、更にタケノコの調理まで丸投げしてしまう事の畏れ多さなど完全に忘れ、飯じゃ酒じゃと、なぜか酒までたかる前提で舞い上がりました。恐らく前世がシロアリか何かだったのだと思います。
網焼きを食いたいだけ食い散らかした後は屋内へと上がり込み、今度は本格的なタケノコ料理を頂きました。煮物や天ぷらといった王道料理から、幼い新鮮なタケノコでしか味わえないタケノコの刺身などを頂き、日本酒を開け、酔い、騒ぎ、やがて力尽き、副会長御一族が用意して下さった布団で倒れるように眠りました。もはや人の皮を被ったイナゴと言われても返す言葉がございません。
翌日、日も昇りきった昼過ぎにもぞもぞと布団から抜け出た私達は、またもや副会長御一族に用意して頂いた朝食という名の昼食を頂き、再び車で最寄りのバス停に送り届けて頂きました。
この記事は文具研のタケノコ掘りなどと銘打ってはいますが、筆者の本意は副会長および御一族への感謝と謝罪に終始しております。
月並みになりますが、この度は大変お世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。
2014年5月12日 発行 初版
bb_B_00121846
bcck: http://bccks.jp/bcck/00121846/info
user: http://bccks.jp/user/126929
format:#002y
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
1992年生まれ。メガネ男子。東京理科大文具研究同好会会長。