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モザイク|ショートショートアンソロジー

ショートショートアンソロジー電子書籍化計画編

ショートショートアンソロジー電子書籍化計画



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はじめに

『みんなでショートショート(超短編小説)集を作ろう』

 その呼びかけに集まった四二人の作者が、ひとり一作品ずつ書き上げたショートショートアンソロジー、それが本著『モザイク』です。

 ショートショートは、少ない文字数にアイデアやセンスを詰め込んだ小説で、その独特の面白さによって、多くのファンを獲得しています。
 また、ショートショートを書いている方も多く、WEB上には膨大な数の作品が発表されています。しかし、それを読むためには散在する作品を探し歩かなければならないという状況です。

 ショートショート集という形で、多くの作品を集めたものがあれば良いのですが、ボリュームのある作品集には中々出会えません。一話が短い分、書籍としてまとめるために数多くの話が必要となり、ひとりで書き上げることが難しいことが理由のひとつだと思っています。

『ショートショートを読みたい』という人は沢山います。
『ショートショートを書いて発表したい』という人も沢山います。

 僅かでもその架け橋になればという想いで、このアンソロジーを電子書籍化することにしました。ひとりで書き上げることが難しいのなら、多くの人間が協力し合えばいいという発想です。

 この考えは正解だったと思っています。

 収録作品数四二編という圧倒的なボリュームを持ち、しかも全作品が各作者の自信作、そして作風が違うためバラエティーに富む、予想以上のショートショート集ができあがりました。

『モザイク』というタイトルは「小さな欠片が集まって創りあげた作品」という意味を込めて名付けました。正反対と言えるほど方向性の違う作品が上手く融合して、不思議な世界を形作ったまさにモザイクのようなショートショート集です。

 テイストの異なる四二編のショートストーリー、きっとお気に入りの作品に出会えるはずです。

 あなたにとっての珠玉の一品を是非探してみて下さい。



ショートショートアンソロジー電子書籍化計画
代表 まえぞう

目次

はじめに
うちの妖怪
 ── 田中せいや
てのひらの光
 ── 青海玻洞 瑠鯉
吐き気
 ── るうね
ロボットは製作者の夢をみるか?
 ── SPICE5
神様はじめました
 ── 飴
スイカ
 ── ⑨郎
龍と人
 ── 爪楊枝
ショート
 ── 唯野誠一

Happy Birthday!
 ── 清久 志信
氷菓子の夢
 ── かずラ
……イジョウ文字
 ── くにさきたすく
ふたり
 ── ooda
化けて馬鹿して
 ── 江ノ藤 真羽
易牙のスープ
 ── リンメイ
優秀な庭師
 ── 城田寺 皓
銀河鉄道と夜
 ── すずひめ
誠意
 ── たそがれイリー
寿道
 ── @清水孝俊
かわいそうな怪獣のはなし
 ── むらさきあおい

 ── ぱぴこ
疑惑
 ── ておまさお
方法
 ── 域外
ビッツ
 ── ドーナツ
ショパン
 ── 楠樹 暖
遠出
 ── 熊猫二郎笹助
キューピッドになれるか
 ── ほわみ
起承転転
 ── ゼニゴン
楽園
 ── ザード@
リセットボタン
 ── ほみち
悪魔のふりをした天使
 ── みそっかす
瞳の中の流星群
 ── 椿紀夫
シーラカンス
 ── ラジコ
月天使
 ── でんでろ3
あなたには、あげない
 ── kakua
機械の花
 ── 茶屋
大人になる
 ── densen
夢の虫
 ── ことは
王様の島
 ── 山田
岩棚で龍を待つ
 ── 飛火疲
窓がなくても空は見える
 ── 星影月夜
不幸自慢の会
 ── 馬場大吉
酒飲み父さん
 ── まえぞう
表紙作成
 ── 偽尾白
あとがき

うちの妖怪

田中せいや

 こたつに入ってみかんをたべていると、
「こんばんは」
 ぼろぼろの着物をまとった少年が、むかいにすわっていた。
(な、なんだこいつ)
「あ、いま、〈なんだこいつ〉っておもったでしょう」
(ひょっとして……)
「こんどは、〈ひょっとして〉だね」
(化けもんだあ!)
「あたり」
(こ、こいつは、ひとの心をよむ妖怪だな)
「そうだよ」
(たしかこいつは、村人が鉈で薪を割っているのをみていて、ぐうぜんとんできた木っ端が目にささり、逃げていったんだよな)
「よく知ってるね。そう、ぼくを退治するには、ぐうぜんに頼るしかないのさ」
「ひゃああ」
 文庫本をとってペラペラとページをめくったり、みかんの皮をあたまにこすりつけたり、ティッシュを何枚もひっぱりだしたり……、とにかく目につくものを手当たりしだいにいじくりまわした。
「へへへーん。そんなことやったってむださ。ぐうぜんなんておこら──ぐええっ!」
 いつのまに来たのか、徘徊癖のある認知症気味の祖母が、背後にまわってくびをしめている。
「……ぐ、ぐええ……ぐるじい……だずげでぐれええ……」
 妖怪はどうにか祖母の手から抜け出し、
「化けもんだああ!」
 と叫びながら逃げて行った。

 祖母が生きていたころの、なつかしいおもいでだ。

  〈了〉

作者紹介

田中せいや

 おもにショートショートを書いてます。エッセイもたまに書きます。
 ただいまむかし書いたものを修正して書籍化しています。
 好きな作家は、筒井康隆です。

◆WebSite
 http://plaza.rakuten.co.jp/seiyan123/
◆Twitter
 https://twitter.com/sekiyasu1

てのひらの光

青海玻洞 瑠鯉

 それは、スーパーに売ってあった。昔ながらの幼児向け首飾りである。「懐かしい」と思いつつ、私はその陳列されたうちの一つを買った。
 中を開けると、金の花型飾りの中央に、紫色に輝く、プラスチックの楕円形の首飾りだった。若干、期待していたものとは、違ったが、それでも、童心に返ったようで、嬉しかった。
 小さい頃はよく買って貰ったものだ。でも、その内気に入ったモチーフは、たったの三つだけであった。三つのモチーフに共通するのは、中央のプラスチックが星型にカットされている。たった、それだけ。
 しかし、この三つの星の象形の中に、今回当てた首飾りは、該当しない。しないけど、なんとなく、嬉しい気持ちは、いまだに心に残っている。
 私の掌におさまる小さな偽物の光は、いつも、ちゃち。そんな風に思う時、脳裏に浮かぶのは、いつも、あのバンドの歌詞。
 昔からの癖だろうか。なぜだか、本物の宝石より、磨かれていない原石とか、ありきたりの玩具を求める私。けど、私はこれでいいと思っている。これが、最もふさわしく思う。そんな風に思う私を愛そう。

  〈了〉

作者紹介

青海玻洞 瑠鯉

 こんにちは、青海玻洞瑠鯉です。
 基本的には、詩を書いてます。
 短歌も書きます。
 SSもちょいちょい書きます。
 美しい物好きです。
 そんな人間のちょっとした、呪いです。
 どうぞ、ごゆっくり。

◆Twitter
 https://twitter.com/RURI_SAORI

吐き気

るうね

 気持ちが悪い。

 さっき食べた賞味期限切れのカップラーメンのせいか、それとも昨晩、飲み過ぎたせいか。ともかく気持ちが悪くてたまらない。
 俺は、とりあえず胃腸薬を飲んでみた。できれば吐きたくない。俺は吐くのが好きではなかった。いや、好きな人間などいないだろうが、どうにもあの胃酸が喉から口元にせり上がってくる感覚が嫌なのだ。
 だが、薬を飲んでも、吐き気は治まらなかった。むしろ、ますます強くなってきた感がある。
 もうだめだ。限界だ。
 俺は、たまらずトイレに駆け込んだ。便器の蓋を開け、げえげえとやり始める。
 まず、ほとんど消化されていないラーメンが出てきた。次に、昨日食べた餃子と焼き鳥らしきもの。
 それで治まるかと思ったが、まだ胃のあたりがむかついている。再び、便器に向かって口を開いた。
 カボチャが出てきた、ナスが出てきた、ニンジンが、キュウリが出てきた。不思議なことに、吐けば吐くほど、吐いたものが原型を留めるようになってきていた。キュウリなどは、一本まるまる出てきた。
 そのうち生き物が出てくるようになった。
 ネズミが出てきた、犬が出てきた、猫が豚が、よく分からない魚が出てきた。今、出てきたのはニホンオオカミだろうか。
 なおも吐き気は治まらない。
 オオサンショウウオが出てきた、鳩が出てきて飛んでいった、インド象が出てきた、インド人も出てきた、ジャントニオ猪木とアイアント馬場が出てきて闘い始めた。
 そして最後に、俺自身が出てきて、吐いていた俺はいなくなってしまった。

  〈了〉

作者紹介

るうね

 いや、紹介するほど面白い人物じゃないっす。面白いのは作品だけ。なんてね。

◆Twitter
 https://twitter.com/Ru_une

ロボットは製作者の夢をみるか?

SPICE5

「こんにちは」
「コンニチハ」
「きょうも いい てんき ですね」
「キョオ ビビ テキ デスネ」

(まだまだだな……)

 一通り今日の会話学習を終了し、僕は目の前の彼の頭を撫でながら、

「上手に出来たね」

 と労を労う。
 コーヒーでもいれようと立ち上がる。思いつき、ふと

「君も飲むかい?」

 と尋ねてみる。

「ハイ」

 頷き、僕は冷凍庫から豆を取り出すと銀色の手動ミルに入れた。
 ガリガリとレバーを回すと香ばしい香りが辺りに広がる。

「いい匂いだね」
「イイ ニオイ」

 この些細なやり取りは意地悪のうちに入るのだろうか。

 ──僕の恋人は新品の機械でできている。

 彼を作り始めたのはくだらない理由からだった。

『ロボットと恋をすることは可能だろうか』

 これまでのロボットは作業効率向上の為一部を特化したパーツの塊、もしくは若い女性や動物等可愛らしいフォルムの愛玩人形代わりのものが主流だった。
 反骨精神溢れる僕は特に同性愛者でなかったのにも関わらず、こうして中年男のロボットを制作してしまった。
 だって、可愛い女の子ならこちらから相手に恋をすることは簡単だ。理想の外見なんて初めからときめく目的で作られるものなのだ。

 今の僕が求めているのはそんなことではない。

 相手からもこちらを求めさせる、両思いの恋なのだ。

 ロボットが心を持つなんてそう簡単にいかないことは分かっている。
 これは長期戦だ。
 僕が死ぬまでに相手に心を持たせ、尚且つ恋をさせることができれば僕の挑戦は成功となる。それだけ長いこと相手をしていれば、こちらも情を持つ事は可能になっているかもしれない。そう、恋というよりそれは家族愛に近いのかもしれないけれど。
 けれど、心無い相手に早々に片想いなんてするのはごめんだ。

 想うより想われた方が楽だ。
 だから、同性の中年を選んだ。

 コーヒーをいれ終わり、マグカップを両手に持って戻る。

「はい、これは君の分」

 目の前にことん、と青いマグカップを置くと、彼はそれをじっと興味深げに眺めた。
 僕は向かい合って座ると、コーヒーを啜りながらそんな彼を観察する。
 眼鏡の曇る向こうに、マグを手にして真似ようとする男の姿が見える。

「そういえば、君に名前を付けてなかったな。
 恋人であれば名前を呼ばなきゃ」
「ナマエ」
「そうだな……じゃあ、マグカップ持ってるから『マグ』」
「マグ」
「そう、君の名は今からマグだ。
 僕は圭一」
「ケイイチ」
「そう、圭一」
「ケイイチ。マグ」

 目の前に座りブツブツと名を繰り返すと、男は僕の真似をしてマグカップを口元に運んだ。

「美味しいかい?」
「オイシイ?」
「好きかどうか、ってことだよ。まあ、味は分からないだろうけど」

 彼の口にはチューブを接続されていて、擬似飲食ができるようになっている。最も、それはコミュニケーション相手の為の自己満足機能であり、マグ本人が味を楽しむことなんてできない。

「マグ。僕と一緒に恋ができるか、今日から毎日練習してみよう」
「コイ?」
「まあ、今の君には分からない感情だよ」

 僕はマグカップをコトン、と置くと「おいで」とマグを呼んだ。
 マグは立ち上がると素直に僕の傍に来た。当たり前だ。彼はロボットなのだから命令と判断すればどんなことにも応じる。
 僕は立ち上がると、マグと向き合って命令した。

「マグ、僕を痛くないように抱きしめてみて」

 マグは「痛くないように」の基準を暫し考えているようだった。
 やがて、ゆっくりした動作で屈み込みながら、マグが僕の身体に手を伸ばす。

 ギギギ……

 行われたそれは、抱擁というにはあまりにもぎこちないものだった。

「よくできたね」

 僕はマグの頭を撫で、その冷たい唇にキスをした。
 生理的嫌悪感は無い。中年男性とはいえマグの顔立ちは端正にしているから。

「これが、キスだ」
「キス?」
「そう、好きだという気持ちの表現の一つだよ。僕達は恋人同士だからね」
「コイビビビ・ト」
「『愛してるよ、マグ』
 こうして、言葉をかけて名前を呼び合うのもスキンシップの一つだ。
 やってごらん」

 マグはピ、と了承音を鳴らすと、僕に手を回したまま唇を寄せた。

「アイテテル ケイイチ」

 あまり上手く話せないくせに、マグは僕の名前は綺麗に発音した。

 向けられる感情が偽りでなくなるのはいつの日になるのか。

「マグ、これからたくさん恋人の事を教えてあげるよ」
「ハイ」
「愛してるよ、マグ」

 偽りの言葉でも雨を降らせていれば、種を芽吹く力になるだろうか。

「ワタシシ モ オイシイデス、ケイイチ」

 マグの学習能力に、僕は笑った。

   〈了〉

作者紹介

SPICE5

 読むことも書くことも好きです。
 差分(境遇、身分、外見、年の差、人外 等)混じりの恋愛ファンタジーを書くことが多いです。

◆小説家になろう
 http://mypage.syosetu.com/201949/
◆Twitter
 https://twitter.com/spice5water

神様はじめました

 神様始めました。
……何ですかその目は。さては信じていませんね。これだから最近の人間は嫌ですよ本当に。先ほど通りかかった犬は、神様である私に敬意を示して尻尾をパタパタと振ってくれましたよ。犬のほうが余程すなおじゃないか。
 最近の人間は全くどうなっているんだろうか。目をきちんと合わせようともしない。ああ、嘆かわしいことです。
 まあ私も昨日までは人間だったんですがね。だからこそ今までの、人間だったころの生き方を振り返り、それを嘆かわしく思うとも言えます。昨日までの私だったら、いきなり神様が現れても、にわかには信じられなかったかもしれません。
 ですが私は神様なんですよ。今日、朝の光を浴びた瞬間わかったのです。この日から、私は神になったのだと。神様を始めたのだと。
……だから何ですかその目は。言いたいことがあるなら言いなさい。言わなくてもわかりますがね、私は神様ですから。どうせ私の頭がおかしいとでも思っているんでしょう。
 もう、本当に人間ってやつはどうしようもない。信じられない事だって、信じてみなければ何も変わらない時だってあると言うのに……、ちょっと、ちょっと。どこに電話を掛けているんですか。まあ話を聞きなさい。
 いいですか? 私が、今、この手をひとつ打ち鳴らせば、この地球からすべての生き物を消すことだって出来るのに、それでも頭がおかしいと言うんですか……ああ、言うんですね。もういいです。消します。

《ぱちん》

 見てみなさい。真っ暗だ。この世界にはもう、誰もいない。私が消したんですよ。あなたも見ていたでしょう、これでも私の頭がおかしいと言いますか。……なぜ誰も応えないんですか。私が消したんですよ! この世界の人間すべてを……すべてを?

 ああ、しくじった。
 だれもいない。

 神を信じる人間、生命を燃やす生物、私は全てを消してしまった。全てだ。何もかも! これじゃあ私は神様である意味がない。生命の作り方なんて知らない。私は昨日まで人間だったんだから、そんなこと、知るわけがないじゃないか。私はこの真っ暗闇の中で、たった一人ぼっちの神様なのか。
 どうしたらいい。
 どうしたらいい?
……神様。


《ぱちん》


(神様、終わりました)

  〈了〉

作者紹介

 小説書いてます。よろしくお願いします。

◆WebSite
 http://cop.4.tool.ms/
◆Twitter
 https://twitter.com/ameame13

スイカ

⑨郎

 すっかりと日も落ちて暗くなっているにも関わらず、じっとりと湿った空気がまとわりつく。このあたりは夜になってもなかなか気温が落ちない。
 満員電車から吐き出されると、黒いネクタイの襟元を緩ませた。
 家族と共に暮らすマイホームが手に入ったとはいえ、通勤時間が大幅に増えたというのはやはり代償としては大きすぎたかもしれない。
 しがない、サラリーマンの悲しい定めか。
 駅の改札を出ると、大きくため息が漏れた。
 少し早い時間に帰宅できたせいか、駅の回りではまだいくつもの商店が明かりを灯していた。店先にはいくつもの売り出しの広告が並んでいる。
『タイムサービス実施中!』の言葉につられるようにのぞいてみると、なんともうまそうなスイカが目に入った。
 私は無意識に一人分のパックに手が伸びていた。
(ああ、家族の分もちゃんと買わないとな)
 日頃の節制にうるさい妻の顔が一瞬頭をよぎったが、私はそれをかき消すようにして、小分けに切られたスイカのパックを手に取った。
 私の頭には妻のあきれ顔と息子の喜ぶ顔が同時に浮かんでいた。
「ただいま」
 ドアを開けると妻が出迎えてくれる。早かったのね、と意外そうながらも嬉しそうな声だった。私は、そっと片手の袋を持ち上げると妻が怪訝そうな顔をしてその袋を覗き込む。
「駅前で安かったからさ」
 もう、と少し口をとがらせるがそれ以上は何も言わないところを見ると、まんざらでもなかったらしい。
「亮太にも食わせてやろう」
 息子の名を口にすると、妻は何も言わず、わずかに口元を緩ませた。なぜだか、それが一瞬だけ泣いているようにも見えた。
 寝ちゃったわよ、と妻が告げる。
「そうか」
 息子の笑顔を期待していただけに、私は肩を落とした。
 先にご飯にするでしょ、という妻の言葉に従って食卓へとついた。
 テレビを付けると他愛もない番組が流れ出す。出演者たちの笑顔が、どうしてか不愉快なものに見えて、私はNHKのニュース番組へとチャンネルを変えた。
「今日は亮太の様子はどうだった、サッカー教室だっただろ」
 並んだおかずに箸をつけながら妻に話しかける。
 元気に走り回ってたわよ、と妻は笑った。
「サッカーの感想か、それは」
 周りよりも少し小柄な亮太が、ちょこまかと同級生たちと走り回っている姿を想像するとほほえましく思えた。
「日曜日には、一緒に公園にいってやらないとな」
 食事も早々にさっそくとばかりに、私はスイカのパックを広げた。
「おまえもこっちに来て食べろよ」
 洗い物が終わったらね、とつれない返事が返ってくる。すっかりと主婦が板についてしまった妻の姿が恨めしくもある。
「たまには亮太の寝顔くらいみてみるか」
 小さくカットされたスイカをほおばりながら、席から立ち上がる。
 普段、私の方が早く家を出て、帰って来るころには息子は既に寝てしまっている。私の方も仕事に追われ、家には寝に帰るようなものだ。こういうときくらいじゃないと、ゆっくりと顔を見る時間もない。せめて寝顔だけでも見ておきたいというのは、親心だろう。
 立ち上がったところで、妻の声がした。
 だめよ、目が覚めちゃうわ。
 その言葉の強さに私はなぜだか、不快感を覚えた。
「少しくらいいいだろう」
 お願い、やめて。
 妻の言葉を振り切るように私は亮太の部屋へと向かった。
 そして、そのドアを開ける。
 そこには誰もいなかった。
「どういうことだよ、亮太はどこにいった」
 振り返る。妻の姿はない。
 部屋は暗く、ただテレビだけがついていた。
『○×鉄道の事故から本日で5年が経ちました。今日はその遺族たちが集まり──』
 画面の端には私の姿が映っている。
 妻は、亮太は……。
 暗い部屋の中、私は力なく膝をついた。

  〈了〉

作者紹介

⑨郎

 pixiv小説において、オリジナル小説の投稿活動をしています。
 ジャンルはラノベから現代小説まで様々に書いておりますのでよろしければご覧ください。

◆pixiv
 http://www.pixiv.net/member.php?id=2427279
◆Twitter
 https://twitter.com/c_9row

龍と人

爪楊枝

 龍と人との争いが最盛期だったのは二代前のへルウィン世の時代だろう。当時は龍が家畜を略奪し、人を食らうことも、人が霊薬として龍の卵を盗むこともごく普通に起こっていたそうだ。憎しみ合いながら続けられたその激しい戦の種火が消えたのは、先王ラッサネーロ世が龍族の長老バルトロスと相互不可侵の盟約を結んだからだ。双方が長く不毛な戦いの終焉を祝い、宴を催した。その中で人は龍の知性を知り、龍は人の情愛を知った。その意義は深く、龍も人もお互いを対等な存在として認めあうようになった。その誓いは現王へルウィン世の治世下でも変わっていなかった。つい先日までは。
「フィムネンよ。妹の病がようやく平癒したというのに、その祝いの席を待つことすらせずに、任務に旅立つと言うのか?」
「はい、父上。龍がディミトア城を襲ったことは、我が国を揺るがす一大事です。私が動かないわけには参りません。必ずや事態を収束させて参ります」
「そうか……。わかった。御身に天の守護あらんことを」父上は涙ながらにそう言った。
「お兄様。お戻りになる日を心待ちにしております」大病が治ったばかりだと言うのに、妹はわざわざ玄関まで見おくりにやってきた。そのか細い立ち姿を見て、必ずや任務を果たそうと改めて心に誓った。
 へルウィンⅤ世に命じられた任務は、盟約を破って龍が城を攻めた理由の特定と、龍王のバルトロスに釈明を求めることだった。返答如何によっては大戦争が勃発するかもしれず、大切な使者の役割だった。供の者を連れ、龍の国バーラドへと向かった。

「フィムネン将軍よ。お主がヘルウィン王の名代か。そろそろ来るころだと思っていた」バルトロス王は山脈に形成された大洞窟の最深部で鎮座していた。
「龍王よ。お久しゅうございます。再び謁見できましたこと、光栄でございます」
「世辞は良い。お主ほどの地位の者が、ただの挨拶に来るわけがない。用件はディミトア城のことであろう」
「はい。ご存知とあれば単刀直入に申し上げます。此度の襲撃の理由をお聞かせ願いたい。ラッサネーロ王と龍王とのご友誼は今も継続していると考えてよろしいのでしょうか」
「然り。襲撃は我が国の総意ではない。ある龍の独断で行われた行為である。我々も死者が出たことを歯がゆく思っているが、ラッサネーロ王との盟約を守る為にお主の国の領土に派兵することができなかったのだ。へルウィン王が使者を遣し、許可が出るまで静観することしかできなかった。我が一族の不明を深く詫びたい」バルトロス王はその眼を憂愁の色に染めていた。
「事情はわかりました。ならば、我が国の法と兵によって処罰して構わぬのですな」
「いかにも。しかし、私にはなぜあやつがそのような罪深いことをしたのか理解できないのだ」
「と仰いますと」
「龍は盟約を重視する。それ相応の理由がなければ、誓いは破らぬ。それに本来は狩りか迷子になった子龍を追いかける時くらいしか領土は出ない。そういう種族なのだ。故にあやつがなぜ城を襲ったのかは未だに分からない。もし可能ならばその理由を調べ、私に個人的に伝えてもらえないだろうか。同じことを二度と起こさないためだ」
「承知いたしました。謹んでお受けしましょう」深く頭を垂れた。
 バルトロス王の言葉が伝わるや、へルウィン世は精鋭兵を選抜し、大規模な討伐軍を編成した。その部隊を率いることとなり、王都から一路ディミトア城へと向かった。その道すがら、たくさんの難民と遭遇した。彼らはディミトア城から取るも取りあえず逃げてきた者ばかりだ。彼らの話によると、
「龍は突然やってきたんだ。街に降り立って、建物を破壊してまわったんだ」
「警備兵は勇敢に戦ったが、あの寡兵じゃあ龍とは戦えない。弓や弩の矢の備蓄だってあまりなかった」とのことだった。不思議なこともでもない。ディミトア城は商業都市として発展はしていたが、他国との境界ではなく、龍の恐怖が去った今は軍備が縮小された城だったはずだ。よくわからないのが、なぜ龍はそんな場所を襲ったのかということだった。地理的に龍の国からは遠い上に、王都からは近い。すぐに討伐部隊が送れてしまう。物質的には家畜が多いわけでもなく、宝石といった価値のあるものも少ない。大学や病院や工房などの総本山があり、どちらかというと学問や産業の街である。龍にとっては無価値なはずだ。往路のさなかずっと悩んでいたが、答えは出なかった。
 龍は市街地の真ん中で寝そべっていた。小高い丘から城壁の中を遠望すると、その巨体が微動だにしていないことが分かる。陣を張ってから数日、様子を見たがやはり動きは無い。変に思って、偵察部隊を送ると、
「龍、すでに死す」の報がもたらされた。さっぱりわけがわからない。
 翌日、龍の元へ行くと、龍は何かを守るように腕を組み、その上に頭を載せて石のように眠っていた。その下にあったのは店の残骸だった。龍の腕の隙間から、その中を確かめると、それは薬屋であることがわかった。そして、その店は正規の薬ではない、違法な薬を売買する業者であることもわかった。その店の奥には大きめな水槽があった。龍が襲った衝撃で床に落ち、中身がこぼれている。それは黄色だった。薬として精製するために様々な材料とともに発酵させたためか、鋭い異臭を放っていた。この匂いは覚えがあった。鶏の卵の腐った匂いだ。しかし、その液体はあまりにも量が多かった。そして、ゴミとして棄てられようとしていた物の中に明らかに大きな卵の殻がいくつもいくつもあった。龍の卵だった。
 その時直感した。あの龍は盗まれた我が子を追って、龍の国から遠路はるばるやってきたのだ。そして、間に合わなかったことを知り、悲観して死んでしまったのだろう。龍の一族は生涯に数度しか卵を産めない。子供を根こそぎ奪われた恨みや苦しみや怒りはいかほどだっただろうか。部下に隠れて一人涙した。
 へルウィン王にことの次第を伝えると、若く聡明な王は憤慨し、国中に指名手配して犯人を捜した。そして、賭博の借金を返すために卵を盗んだ男と、卵から薬を作って販売した薬屋の一党が根こそぎ捉えられた。彼らはヘルウィン王の「われらの友情を汚す者」という簡潔な罪状によって、問答無用で処刑され、その躯は天へ還れぬように塩漬けにされ、バルトロス王に捧げられた。
「この者達の処刑によって我らが友誼は保たれた」という龍王の声明が国中を安堵させたのであった。
 全ての任務を成し遂げ、久しぶりに我が家に帰ると、ちょうど夕餉を終えたところのようだった。
「お兄様。お帰りなさい。ご活躍なされたんですってね。お話を聞かせてください」晴れやかな顔で妹が走り寄って来た。
「待ちなさい。病気はほぼ治ったが、もうしばらくは薬を飲みなさい」そう言って父上は妹を手招きした。
「わかりました。お父様」そういって父から薬匙を受け取って、妹は黄色い液体を口に入れる。その香りがぷーんと鼻孔をくすぐる。
 それは、鶏の卵が腐ったような不快な匂いだった。

  〈了〉

作者紹介

爪楊枝

 超短編小説会で主に活動している物書きです。いろんなジャンルのショートショートを書いています。まえぞうさんの呼びかけで参加させていただきました。楽しんでいただけたなら幸いです。

◆超短編小説会
 http://ssstory.net/userinfo.php?uid=923
◆Twitter
 https://twitter.com/tumayouji2

ショート

唯野誠一

 五歳になる長男のたけしが、リビングで歌を口遊みながら木製の積み木で作った森を崩していく。
「ぞうさんぞうさん、おはなが短いの、そうよかあさんがこわいから」
 近頃はおかしな歌を歌うんだな。最近の幼稚園ではそんな替歌が流行っているのか。
「たけしちゃん、もう寝る時間よ」
 たけしの母親であり、俺の妻であるまさこはソファーから立ち上がりながらそう言った。
「もう少し遊びたい。ぞうさんと遊ぶ遊ぶ!」
 たけしが俺の膝の上に這い上がろうとして、手にしていた積み木を放り投げた。
「ぞうさんじゃないでしょ? とうさんよ、たけし!」
「ねえお母さん、あたしのネイルジェル知らない?」
「またそんなもの付けているの? もう京子ったら寝る前にそんなもの付けちゃだめよ!」
「またたけしが悪戯してない? ちゃんとしまっておいたのよ!」
 十五歳になる長女の京子はオシャレにご執心だ。
 もうそんな年頃になったか。
 そういえば俺は何かを忘れているような気がする。何だったかな。
 ああそうか。すっかり忘れていたが、明日はたけしの幼稚園で父親参観だった。
 俺は手元に置いたスマホの画面で、解除という表示を選びタップした。
 すると、不意に猛烈な眠気に襲われた。
 そして重い瞼を支えきれず、すっと両目を閉じた。
 俺は夢を見ているのだろうか。
 薄墨が滲んだようにぼんやりと闇が広がる荒野に、俺は一人きりだ。
 ここは見慣れた我が家ではなく、知らない場所だ。
 どのくらいこの場所にいたのだろうか。
 足元には辺り一面に生えた苔のような鮮やかな緑色をした植物が、足首の辺りまでびっしりと纏わり付いている。
(薄気味悪いな)
 手で払ったくらいでは、苔は剥がれそうもないようだ。
 何かが焦げるような匂いが広がる。
(何だか嫌な予感がする)
 俺がそのことに気付いた時には、全てが間に合ってはいなかった。
 鮮やかなオレンジ色の炎が、あっという間に俺の足首まで這い上がってきた。
(火事なのか?)
 炎はその勢いのまま、俺を追い越して遥か遠くまで走り去っていった。
 やがて炎の隊列はいく筋にも分かれて燃え上がり、ついには遠く見えなくなっても、空は炎の後を追うように、いつまでも赤い夕焼けのようなまだらな模様を映しだしていた。
 辺りには鼻腔を突くような刺激のある匂いと熱気だけが残り、俺は一人きりで真っ黒に焦げた世界にとり残された。
「ねえ母さん、ニュース見た?」
「え? どうしたの京子?」
「ほらこれ見てよ」
……対象商品は二〇四五年製の育児介助ヒューマノイド、とうさん三号と操作用の専用アプリを搭載したt-phone、通称ぞうさんです。
 この商品はアプリの誤作動により回路がショートして発火の危険性があります。
 メーカーでは緊急回収を呼びかけております……。
「あらいやだ。うちのとうさんも二〇四五年製だわ。すぐに電話しなきゃ。何だか焦げ臭いわね……いやだ、ショートしたのかも知れないわ!」

  〈了〉

作者紹介

唯野誠一

 唯野誠一、小説家志望です。まだまだ道のりは遠いかもしれません。でも明日、その入口は僕を待っているかも知れない。そう思いつつ作品を書いています。

◆小説家になろう
 http://mypage.syosetu.com/321663/
◆Twitter
 https://twitter.com/tadano_narou

Happy Birthday!

清久 志信

 時計の針が真上で一つに重なる。時を示す数字はリセットされ、また新たに生まれ変わった日付へと移行した。そんな時間帯。
 ピンポーンとどこか間の抜けたインターホンの音がとあるマンションの一室に響いた。少し間をあけて、今度はピンポンピンポンと連打される。
 深夜にこんな非常識な訪問をする人物に、怜は残念ながら心当たりがあった。億劫ながらも冷え冷えとした玄関へと向かう。
 サムターンをカタンと回すと、その音を耳聡く聴きとった外の人物は、怜がドアノブを握るよりも先に、ドアを開けていた。
「寒いっちゅーねん! もっとはよ開けてーや!」
 自分に向けられたその言葉を聞くや否や、怜は無言で、そしてかなりの勢いでドアを本来あるべき位置に戻し、再度鍵をかけた。
 途端に、ドアを壊しかねない勢いでドンドンと叩く音が聞こえてくる。近所迷惑も甚だしい。
「ちょっ、怜ちゃん!? 何すんねん開けろー!」
「斎ちゃん、人にモノを頼む時は何て言うのかなー?」
 ドア一枚を挟んで怜がそう訊ねる。その口調はまるで小さな子供に対するように優しげで、表情も笑みの形をとってはいた。しかし、斎にはその背後に黒々としたオーラが陽炎のように揺らめいているのが見えた。本人の姿は見えなくとも、しっかりと脳裏には思い浮かんだのだ。
 拙いと本能的に察した斎は、すぐさまノックするのを辞める。
「……スミマセン。開けてください、お願いします」
「よくできました」
 満面の笑みで怜が斎を出迎えると、斎は驚くほどの素早さで部屋の中に滑り込み、真っ直ぐに奥の部屋にあるコタツへと潜り込んだ。
 今は十二月。厳しいことでも有名な京都の冬の寒空の中、歩いて怜の家まで来たことが寒がりの斎には堪えたのだろう。
 コタツ布団を肩まで持ち上げて一刻も早く体を温めようとする斎が、恨めしげな視線を怜へと送る。
「わざわざ寒い中来たった友達にする仕打ちがそれですか、怜ちゃん」
「別に怜さんは斎ちゃんに来てほしいなーとか言ってないけど?」
 逆に言えば、普通は何の前触れもなく突然に押しかけられても迷惑極まりない。相手が斎だから許しているだけなのだ。
「怜ちゃんのことやから、忘れとるんやろ」
「は? 何を?」
 忘れていると言われ、怜はここ数日の斎とのやりとりを思い返す。しかし、今日遊ぶ約束をした覚えはまったくなかった。思い当たる節を見つけられない様子の怜に、斎はアゴでコタツの上を示した。どうやら手を出すことすら嫌らしい。
 示した先には、ケーキなどを入れるような持ち手のついた箱。
「何ソレ」
「ケーキ」
「ケーキ? こんな時間に食べたら太るだろうに」
「おいっ! 今日は誕生日やんか!」
 斎が噛みつくように発したワンフレーズにしばし考え込み、ようやく状況を理解した。
「ああ、もう二十日だっけ」
 指摘されるまで完全に忘れていた。
 先ほど突入したばかりの『今日』は、十二月二十日。怜の二十三回目の誕生日だったのだ。
 斎は誕生日を祝うために訪ねてきたのだろう。
「コレ、買ってきたん? よくこんな時間にケーキ屋さんが開いてたなぁ」
「いや、作った」
「作った? 誰が?」
「可愛い可愛い斎ちゃんが」
「って、斎が!?
「可愛いにツッコミできんくらい驚かんでもええやろ」
 唖然として、怜はコタツにへばりつく斎を見つめ返した。
 もともと斎は器用で料理などは得意としている。だから驚くことではないのかもしれないが、まさかケーキまで作れるとは思っていなかったのだ。
「お皿とフォークとグラス出してー」
「何で? お祝いしてくれんなら、準備もしてくれるもんでしょ、フツー」
「怜ちゃん家やんか」
「その怜さんの誕生日でしょうが」
 祝ってくれる気がある人間の台詞とは到底思えなくてそう言うと、斎の目が点になった。
「何言うとるん?」
「いや、だから、本日は怜さんのお誕生日でしょう? ってことは、接待されるのはこっちじゃないの? って言ってんの」
 怜はあえて嫌味なくらい丁寧に説明してやるが、斎には全く納得する様子がない。
「あんなぁ、怜ちゃん」
「何さぁ、斎ちゃん」
「誕生日ってもんは、誰の為にあると思っとるん?」
「当然、自分の誕生日は自分自身の為でしょうが」
「あぁっ、何と嘆かわしい……」
 怜が答えた途端に、斎は芝居がかった口調と仕草で頭を抱えた。
 一体いつの時代の人間だとツッコミを入れたくなるのを我慢して、怜は大きくため息をつく。
「斎、意味がまったくわからんのだけど」
「そんなん、怜ちゃんの誕生日はウチの為にあるに決まっとるやん」
 さも当たり前のように、それが唯一の正解であるかのように、斎はそう言い放つ。さすがの怜も、呆れてしばらく言葉が返せなかった。
 どこをどう考えればそういった思考に辿り着くのか、全く見当がつかない。見当がつかないので、怜は斎の思考回路を理解しようとする行為を放棄した。
「まさか、このケーキも自分で食べたいからとか?」
「レシピ見て美味しそうやったしなー。あ、お酒はちゃんと『とっておき』持ってきたし」
 自分の真横に置いていた紙袋を、斎は目線だけで示す。怜がちらりと中を覗くと、『国士無双』と銀色で書かれたラベルが見えた。二人が共通して気に入っている銘柄だ。しかも今回は地方限定発売のものらしく、斎なりに気を遣った結果のセレクトなのだろう。
「ほら、はよ皿とフォークとグラス! あと包丁は、お湯で温めてな」
「はいはい、わかったわかりましたよ」
 斎の傍若無人さは今に始まったことではないので、怜は諦めて用意を始める。箱を開けると、予想していたよりもずっと見事なケーキが入っていた。デコレーションはほとんどなく見た目は至ってシンプルなのだが、買ってきたものだと言われても信じてしまいそうなほどの出来映えだ。せっかくだから、包丁を入れるのはもう少し後にしようと思い、先に酒の封を開けた。それぞれのグラスに、透明な液体が注がれる。
「かんぱーい!」
「……乾杯」
「何やテンション低いなぁ」
「斎が無駄に高いだけ」
 普通は「誕生日おめでとう」とか「ハッピーバースデー」とか言うもんじゃないか? と怜は心中で考えつつ、けれど実際斎にそんなことを言われても恥ずかしいだけだと思い直した。
 しかし、そんなことを考えていたのが顔に出ていたのか、見透かすようにニヤリと斎が笑う。
「しゃあないなぁ。ほな、『誕生日』──」
「うわっ! 斎! サムイからやめんか!」
 グラスを掲げて声高に叫ぼうとする斎を、怜は慌てて制した。
 そんな怜に、斎は悪戯な笑みを浮かべる。
「ええやん、別に」
「この年で『誕生日おめでとう』もないと思わん?」
「ちゃうって」
「は?」
 ひらひらと手を横に振って否定する斎に、怜は疑問全開。何が違うというのかがわからない。
「『誕生日おめでとう』とちゃうよ」
「じゃあ、何さ?」
 まだわからないままの怜に、斎はニッと笑みを深める。
「さっき言うたやん? 誕生日は自分の為のものとちゃうって」
「あぁ」
「だから──」
 斎がグラスを持ち上げ、怜にも倣うようにと促す。
 訳のわからぬまま怜もグラスを手に取った。
 それに斎はカチンと軽く触れ合わせ、
「『誕生日ありがとう』や」
「『ありがとう』?」
 その感謝を向ける相手が分からない。斎はそれを察し、グイと酒をあおると、今度は柔らかく微笑んだ。
「年数える為に誕生日はあるんとちゃうやん? その人が生まれてきたことを、そんでもって今まで生きてきて出逢えたことを感謝する為にあるんとちゃうんかな?」
「斎……」
「ウチえぇこと言うたわー」
「それは自分で言わない方がいいと思うけどな」
 呆れながらも、怜の頬は自然と緩む。
 冗談ぽく茶化した言い方ではあったが、そこにはちゃんと斎の本心が垣間見えていた。
 そして、怜も心の中で小さく感謝する。
 そんな友人と出逢えたことに。
「ちゅうことで、ウチの誕生日にはウチに感謝せなあかんで、怜ちゃん。あ、お酒はアレでええわ、『雪中梅』」
 押しつけがましく斎の指定したのは、新潟県の有名な銘柄。そして斎のお気に入りベストスリーに入るものだった。
「おまえ、自分の誕生日は自分の為か」
「当たり前やん」
 即答する斎に、怜は反射的に仄暗い笑みを浮かべた。先ほどまで胸の内にあった感謝の気持ちを即時返却してほしかったのだ。
「こらこらー。さっき自分で何て言ったのか覚えているかいー?」
「んー。もう忘れたー」
「都合のいい脳味噌なのねー、斎ちゃん」
「せや、ホンマに忘れとった。もうそろそろナクちゃん来るしー」
「ナク?」
 ナクとは二人の共通の友人・名倉優のことだ。斎ほど怜の家に入り浸ってはいないが、遊びに来る頻度は非常に高い。といってもその半分近くが斎に強引に誘われた結果であった。今回もそうなのは疑うべくもないだろう。
「来る前にメール入れといてん。『怜ちゃん家集合!』って」
「本人に了承取ってからにしようね」
「そんなん面倒臭いやん」
「じゃなくて、ここの部屋の主は誰ですか」
「怜とウチとナク」
「連名にすんな!」
 思わず怜がツッコミを入れた瞬間に、インターホンが鳴り響いた。斎の予告通りなら、強制召喚された友人だろう。
「ほら、怜ちゃんはお出迎え。ウチは食器用意しとくし」
「いつも思うが、自分とナクの扱い違わないか?」
「だってナクちゃん見とったらオカンな気分にならへん?」
「……まあ、わからんでもない」
「やろ? ほら、行った行った」
 怜を玄関へと促して、斎は台所へと姿を消した。
 一息ついて、怜は玄関へと向かいながらこれから始まるだろう宴にそっと笑みを浮かべる。
 多分、今夜は夜通し飲み続けることになるのだろう。酒と特製ケーキと、居心地のいい友人たち。
 そんな誕生日もいいと、またも怜の口元から笑みが零れる。
 斎を出迎えた時とは違う柔和な笑みを伴って、怜はゆっくりと玄関のドアを開けた。

  〈了〉

作者紹介

清久 志信

 恋愛、ファンタジー、伝奇などを気ままに書き散らしております。

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氷菓子の夢

かずラ

 そのときはとにかく金がなかった。ギターの弦を買ったり、スタジオを借りるたりする金はもちろん、まともに食っていけるだけの収入すらなかった。昔の彼女に土下座して金を借りたこともあったが、結局焼け石に水だ。
 なんにせよ、働かなくてはならない、と思った。親には大学を退学して以来勘当されたようなものだし、ヒモにしてくれる恋人だっていない。労働というものに従事しなければ、生きていくのもおぼつかない。
 さりとて、長年定職にもつかなかった男を雇用したがる会社などないことも知っていた。
 暗い気持ちで就職情報サイトを検索していると、ひとつの求人が目に止まった。

──────
簡単な作業のお仕事
※未経験者歓迎
時給一三〇〇円~
交通費支給、制服貸与
アイスクリーム工場での簡単な作業!
三〇代男性活躍中!
──────

 この求人は、書いてある住所がとにかく近かった。それに、時給もかなり高い。バンドマン崩れなどお呼びではないかもしれないが、ちょうど電気代も止まりかけていた。一度だけでも、電話をかけて話を聞いてみよう。
 電話をかけると、すぐに工場に来てくれと言われた。俺は住所を見返して、少し首をひねった。こんなところに工場なんてあっただろうか。
 はたして工場はそこにあった。入り組んだビルとビルの間にうねるように存在していた。俺はよくこの道を通っていたけれども、こんな建物は初めて見た。
 履歴書を持って行ったら、いらないと言われた。そりゃ俺だってこんな水増しだらけの紙切れは見て欲しくないが。
「あなたはいままで何をやっていたんですか?」
 一瞬答えに詰まった。しかし、嘘を言っても仕方がないと腹をくくった。
「バンドをしていました」
「バンドを?」
「はい」
 落ちたか、と察して、それからの応答はあまり覚えていない。最後に明日から来てくださいね、と言われ、やっと自分が受かったことを知った。
 この工場で作っているものはアイスクリームだった。よくスーパーで八九円で安売りされている。味はバニラ、いちご、メロンの三つ。俺も何回か買ったことがある。
 まずは牛乳や砂糖やその他の原材料を機械で混ぜあわせる。それをごみが含まれないようにろ過して、「ホモジナイザー」とかいうよくわからない機械にかけ る。一度液体を殺菌してから、0くらいまで冷やす。それから味をつけて、やっと凍らせる過程に入る。色とりどりのカップにつめて、さらに凍らせたらだい たいはできあがりだ。あとは検品をして、出荷する。
 この説明をしてくれたのはまだ年若い青年だった。多分俺よりずっと年下だ。
 会話の合間にいくつなのか聞いてみると、一九歳だという。しかも、しばらくはこいつが上司なんだそうだ。やってられない。
 一九歳にさせられることになったのは検品の作業だった。ベルトコンベアで流れてくるアイスに異常がないか調べる。
「まあ、たいていは機械がはじいてくれるんですけどね」
 一九歳はすました顔で付け足した。時給一三〇〇円の仕事だとは思えない。体も何も使わないじゃないか。
「Nさんってバンドマンだったんですよね」
 唐突に、一九歳はたずねた。俺が肯定すると、さわやかな顔に笑みを浮かべて、こうのたまった。
「そういう人は、この仕事に向いているんですよ」
 結局、ばかにされているのだ。
 ともあれ他に行くあてもない。俺は素直にアイスクリームを見守る仕事についた。非常に退屈な仕事だった。やっていると少しずつ、自分の人間性が擦り切れていくように思えた。
「Nさん、独身ですか? うち、寮があるから入れますよ」
 ある日の休憩時間に一九歳が言った。家賃も滞納しかかっていたから渡りに船だった。少ない家財道具を寮に移し、俺は働いた。
 次第に、何かがおかしいな、と思い始めた。
 どんな音楽を聞いても、心が動かなくなった。仲間のライブにも行かなくなった。ギターそのものに触ることも減っていく。バンドは自然消滅して、もうメンバーがどこへ行ったのかもわからない。
 ストレスを感じているのか、とはじめは思った。だが、気分は凪のように落ち着いている。曲作りに四苦八苦していたあのころが、蜃気楼だったように感じる。
「仕事に慣れてきましたね」
 一九歳が満足そうに笑う。薄っぺらい顔だ。だが真実なのかもしれない。ブルジョワとはとても言えないが、少なくとも世の中には参加している。前よりよほどマシな人生なのかもしれない。
 やがて俺は、みんなと同じ制服を着て、みんなと同じ髪型の、みんなと同じ仕事をするただの人間に成り下がった。
 本当に不満はなかった。だからそれを見てしまったのは本意ではなかった。
 急にベルトコンベアが止まってしまったので、その場を他の従業員に任せて一九歳を探しに行った。探してもいない。機械の波をかき分けていると、まったく知らないマシンが置いてあるところに出た。
 無機質な機械の群れとは反して、その機械は禍々しかった。魔術的に入り組んだパイプが、大きな樽のようなものに巻き付いている。その下に一九歳はいたので、俺は話しかけようとした。
「Nさんベルトコンベアが止まっちゃったんですか。たぶんこれが調子悪かったのが原因ですね」
 俺は別に魔術的機械について知りたいとは思わなかったが、一九歳は勝手に続きを話した。
「うちの会社のキャッチコピーを覚えていますか。『アイスクリームに夢を』。その機械です」
 CMでやっているのを見たことがある。俺は頷いた。早く元の位置に戻って欲しいと思っていたからだ。
「これは夢を搾り取る機械です。つまり、昔のあなたみたいな人から、『将来の夢』を拝借して、アイスクリームに混ぜているんです。だからうちのアイスクリームは売れるんです」
 怒るべきなのだろうか、と考えた。けれども心は動かない。俺はとても安らかな気持ちだった。
「あなたのような、いつまでも夢から覚めない人間は害悪ですからね。だった、と言うべきでしょうか。当然の報いだと思いませんか。僕は家が貧しくて、ろくな夢を見ずにこの会社に入りました。だからいつまでも夢を追い続けている人間を見ると腹が立ちます」
 そういうものかもしれない。自分が一九歳に嫌われていると知っても、大した感慨はわかなかった。

「僕はこの仕事、好きですよ」
 一九歳はまた笑った。本心からの感情に見えた。
 俺はやがて検品よりもう少し責任のある仕事を任されるようになった。その間にアイスクリーム工場にはさまざまな人間が訪れた。残る人間もいれば、去っていく人間もいた。
 あの魔術的機械を、再び見ることはなかった。それこそ俺の罪悪感からやってきた、蜃気楼だったのかもしれない。ただ今となっては、どうでもいいことだった。

 〈了〉

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かずラ

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……イジョウ文字

くにさきたすく

「博士。やっと仮名文字を捕まえました」
 汗だくになった若い助手が、仮名文字をつまんで高く掲げた。黒い文字がぴちぴちとその体を振り乱して助手の手から逃れようとしている。
「そうか! よく捕まえてくれた。良かった良かった。これで異常事態を収束できた」
 助手から文字を受け取った博士は、ほっと溜息をついた。
 シャーレを大型にしたような槽の中には透明な液体が入れてあり、その表層にたくさんの仮名文字が浮かんでいる。博士がつまんでいる文字をそこに落とした。驚いたのか〝ぬ〟は一瞬動きを止めたが、文字の間を縫うようにぬらぬらと泳ぎだした。
「いやいや、一時はどうなる事かと思った。この文字槽から逃げ出した文字は、使えなくなってしまうからな。しかし、〝ぬ〟の存在価値と言うのは、やはり無いのだな。〝ぬ〟を喪失していた間もとくに不便はなかったな」
「ええ」
「かなのキー配列で端に追いやられている理由が身に染みてよく分かったよ。〝ぬ〟のつく単語もそれほど思い浮かばない。〝布〟、〝犬〟、〝カヌー〟ぐらいだ。君もそうだろう。他に〝ぬ〟が付くような単語を見たことがあるか?」
「……みません」
 助手は文字槽に目を落とした。
「だろうな。〝知らぬ存ぜぬ〟などと否定形で使われる場合もあるだろうが、特に使う必要もないしな。そう。〝ない〟と言い換えてしまえば問題はない」
 博士は反応の鈍い助手の代わりに、うんうんと深く首を縦に振った。
「よし、念のためにもう一度確認しておこう。文字は全部そろっているな。もう逃げ出した文字はいないな」
 助手は泳ぐ仮名たちを一つ一つ指を差して確認して言った。
「ええっと。……いません。博士」
「そうか。よかったよかった」
「いえ、博士。違うんで……」
「どうした? もう逃げた文字はいないのだろう?」
「……みません。いえ、……いません。いえ、ごめんなさい。どうやら一文字逃げ出しているようで……」

  〈了〉

作者紹介

くにさきたすく

 アマチュアショートショート作家。
〝小説家になろう〟にて、王道から変り種まで、ジャンルを問わず様々なショートショートを書いています。
 公募ガイド「小説の虎の穴」や小説現代「ショートショートコンテスト」に挑戦中です。

◆WebSite
 http://taskuni.hatenablog.com/
◆小説家になろう
 http://mypage.syosetu.com/289779/
◆Twitter
 https://twitter.com/taskuni

ふたり

ooda

 この間、君の妹をみたよ……

 え? どうゆうこと? 幽霊でも、見たの?

 ああ、たぶん。

 うそよ、夢でも見たんじゃないの?

 そうかな……

 私に似てた?

 ああ、君に似て物悲しそうだった。

 そう……私の代わりに死んだのよ彼女。保育器、一台しかなかったの、未熟児で生まれて。もし生きていたら、私と同い年……でも……そんなの幻覚よ、きっと……

 かもな……でも……もしそれがわかるなら、幽霊なんていないよ。

 え?

 わからないから幽霊なんだよ、きっと……


 大変な時代だったな……

 ええ、でもあのときの方が幸せだったような気がする……

 そうだな……でも、おれはここに君といれてうれしいよ。

 わたしもよ。

  〈了〉

作者紹介

ooda

 ジャンルに拘らず、いろいろやってます。小説(などという代物ではありませんが)は超短編小説会さんの方でお世話になっております。ミクさん、大好き!

◆超短編小説会
 http://ssstory.net/userinfo.php?uid=476

化けて馬鹿して

江ノ藤 真羽

 その日、とある中小企業を、三匹の獣が訪れた。
 狐、狸、いたち
 緊張した面持ちの彼らは、「人材募集」の貼り紙を見てやってきたのだ。

「……ふむ。君達、アルバイトの経験は?」

 顔中に脂を浮かべたが、ぎろりと三匹を睨む。人事担当の蛙の手には、風が吹けば飛んでいってしまいそうな、履歴書。

「私は寿司屋で接客を少々」

 弁の立つ狐が、率先して答える。
「同じく、牛丼屋で接客を」

 空気を読むのに長けた鼬が、後に続く。

「私はうどん屋で。厨房の方でしたけど」

 マイペースな狸が、おっとりと締めた。
 蝦蟇は目線を履歴書に落としたまま、聞いているのかいないのか。相槌の代わりに、唸るような独り言を零す。

「どれも〝動物相手〟ばかりか……」

 過酷な〝人間相手〟のバイト経験がなければ、大した意味はない。暗にそう言われたのだ。

「……まぁいいや。明日、入社試験するから。今日はもう帰っていいよ」

 そっけない言葉で面接が終わり、三匹は会社を後にした。敷地の外へ出た途端、一斉に大きく息をつく。その背中は冷や汗でぐっしょり湿っていた。
 三匹は昔からの幼馴染。悪友といってもいい。地元では、〝三化けトリオ〟ならぬ〝三馬鹿トリオ〟の呼び名で知られ──要は、あまり出来はよろしくない。
 それでも時代の流れには逆らえず、三匹もついに就職活動を始めた。大企業での出世なんて望まない。最低限の地位と収入があればそれでいい。
 しかし、現実はとことん厳しかった。

「これでダメだったら百連敗だぜ」
「よしてよ鼬くん、僕すでに泣きそうだ」

 三匹は蝦蟇の陰湿な眼差しを思い出し、すでに意気消沈している。
 あぁ、我らが未来に光あれ。縋る思いで三匹は、寝床に帰っていった。


 翌日。入社試験の会場は、人間の行き交う繁華街。三匹がこっそり裏道に入ると、試験担当官が待っていた。

「君達が採用応募者かい?」

 艶やかな毛並みを誇示し、社員証を首から下げた三匹の男。右から、営業のフェネック、企画のアライグマ、広報のミンク。いかにも優秀そうで眩しい。あれが自分達の未来の姿だと、想像するのは難い。

「今日はよろしくお願いします!」

 狐達はうわずった声で、不自然なほど直角なお辞儀をする。その様子を、ある者は他人事のように、ある者は嘲るように見下ろす。

「入社試験の課題は〝おつかい〟だ。これから指定するものを、人間に化けて買ってくるだけ。ね、〝簡単〟でしょ」

 彼らが人間界で買い物をするのは一苦労だ。化ける能力は勿論のこと、適応能力、コミュニケーション能力、常識、臨機応変さなどが複合的に求められる。
 それを〝簡単〟と言えない人材は不要、ということだ。

「買ってくる物は……狐は手袋、狸は糸車、鼬は鎌としよう」
「糸車ぁ!? そんなのここいらに売ってるんですかぁ?」

 自分に与えられた課題の難易度に驚く狸。けれど社員達には取り合ってもらえない。

「これは個々人の能力を測る試験だからね、協力しあっちゃダメだよ。ほら、行った行った」

 狐達は各々人間に化け、街の中へと繰り出していった。


 数分後。裏道のフェネック達はへらへらと談笑していた。誰も試験の成り行きは気にしていない。
 そこに、慌ただしい足音が近付いてくる。一つではない。いくつも重なり合って、まるで地響きのようだ。

「すみませーん、失敗しました!」

 必死の形相で駆けてくる狐達。変化の術はすっかり解けてしまっている。その後ろには多くの人間達。明らかに狐達を追いかけている。

「ば、馬鹿野郎! こっちに来るな!」

 油断していたフェネック達は、その巻き添えをまともに食らう。こうなっては、社員も落ちこぼれも関係ない。彼らも狐達に混ざって、死に物狂いで走りだす。
 狐達は人間に追いかけられるのには慣れっこだ。馬鹿をやってはヘマばかりの毎日。畑に忍び込んではどやされ、ゴミを漁っては叩かれる。こうして逃げ回るのも日常茶飯事だ。
 三匹は和風の店を見つけると、その角を勢いよく曲がる。そしてすぐさまひらりと化ける。
 狸は信楽の置物に。鼬がその首に巻き付き、風呂敷に化ける。狐は腰で、瓢に化けた。
 こうしていればまずバレない。三匹が失敗から学んだ、逃走の知恵だ。
 そんな三匹の目の前を、フェネック達が通り過ぎる。あまりにも必死で、狐達にも気付かない。その後を、人間達が砂埃を巻き上げながら追う。

「ペット!」
「動物園!」
「毛皮!」

 身もすくむような言葉と共に、騒々しさが路地を遠ざかる。それすら聞こえなくなったところで、三匹は変化を解いた。元の姿に戻った途端、一斉に大きく息をつく。その背中は冷や汗でぐっしょり湿っていた。

「これじゃあ試験は中止かな」
「失敗したんだから不採用だろ」

 また一からやり直しか。三匹はがくりと項垂れる。その肩が小刻みに震えて──ついには堪えきれず笑いだした。
 あんなに気取ってエリート然していたフェネック達の、あの焦った顔、お粗末な逃げ様といったら!
 三匹は顔を付き合わせて、くすくすげらげらと笑い転げた。

「もうやめたやめた!」
「僕お腹減ったなぁ」
「どっかの飼い犬驚かして、餌をくすねてやろうぜ」

 結局彼らに必要なのは、それなりに化ける能力と、人間から逃げるための知恵。それさえあれば、生きていける。なんて〝簡単〟なのだろう。その上、一緒に馬鹿をやれる仲間もいる。こんな贅沢なことはない。
 愉快愉快。チンドン屋に化けた三匹は、狸の腹鼓に合わせて行進する。出くわした人間は、目を丸くして彼らを見送った。
 あぁ、我らが未来に光あれ。吹っ切れた思いで三匹は、寝床に帰っていった。

  〈了〉

作者紹介

江ノ藤 真羽

「小説家になろう」にて、ファンタジーや童話風の物語を中心に執筆しております。

◆小説家になろう
 http://mypage.syosetu.com/390559/
◆Twitter
 https://twitter.com/enofujimaha

易牙のスープ

リンメイ

 マンションのインターホンを鳴らすと、すぐにドアがあいた。そこには、何年ぶりかに見る彼女の顔があった。
「こんばんは。お待ちしていたわ」
 彼女は、にこやかに笑った。だが、笑顔だからといって油断はできない。昔からそうだ。本心を隠すのが上手い人だから。
「こちらこそ、お招きありがとう」
 だが、それはこちらもおなじこと。本心を隠すのには自信がある。
「はい、出産おめでとう」
 私は、プレゼントの箱を彼女に渡す。幸せいっぱいの彼女に。いや、本当なら、幸せいっぱいであるはずの彼女に、と言うべきか。
「ありがとう。さあ、入って」
 彼女に促され、私は部屋に入った。結婚して二年目。子どもも生まれたばかり。そんな家庭なら、鮮やかな絵画が壁にかかり、華やかな色の絨毯やカーテンで彩られた、そんな部屋が普通だろう。
 だが、この部屋は違う。落ち着いた、といえば聞こえはいいが、黒と灰色で支配された、地味で陰気な色使いの部屋。そこら中に配置された、埴輪やら土偶やらのレプリカ。うず高く積まれた無機質な古書……。
 学生時代のアパートとおなじ。これは、すべて彼女の趣味。こんなところで暮らしているから夫はあんなことになるのだ。もっとも、顔がきれいだというだけで彼女を選んだ彼もばかなのだけれど。
「すてきなお部屋ね」
 心にもない社交辞令をいいながら、部屋の中を見回した。
「赤ちゃんは?」
「隣の部屋よ」
 彼女は、しっかりと閉められたドアを指差した。
「お顔を見たいわ」
 男の子だという。やはり、彼にそっくりなのだろうか? だとしたら、将来、顔はよく、仕事もできるようになるだろう。だが、性格は、いい加減でだらしのないものになるのだろう。
「ごめんなさい。いま、寝ているの」
「静かにすれば大丈夫でしょ?」
「だめよ。明りをつけたら目が覚めるわ」
 彼女が許しそうにないので、諦めることにした。別に、そこまでして見たいわけではない。いや、むしろ、見たくはないかもしれない。彼の血と、彼女の血が半分ずつ混ざったものなど。
「さあ、食事にしましょう。冷めないうちに」
「ええ、楽しみにしていたのよ、あなたの料理」
 そのことに関しては、嘘はない。彼女の料理が絶品。そのことは、否定しようがない。どんなに悪意があったとしても。
 彼女とは、高校の時に出会い、大学を卒業するまでは親友だった。そう、だった。
 だが、おなじ男を好きになり、彼が彼女を選んでからはそれっきり。
 絶交を宣言したわけでも、けんかをしたわけでもない。だが、どちらともなく話をしなくなり、そのまま自然に付き合いがなくなってしまった。彼女は大学に残り、私は一般企業に勤めた、というのも距離が開いた一因かもしれない。
 そんな折に、彼女から手紙が来た。生まれた赤ちゃんの顔を見に遊びに来ないか、という誘いの手紙を。
 単なる誘いとは思えない。だって、こんなタイミングなのだから。だが、私は招きに応じることにした。彼女が、どこまで知っているのか、それを見極めるため。私と、彼女の夫の関係をどこまで知っているのか、を。
 いまのところ、なにもわからない。とりあえず、ゆっくりと食事をしながら彼女を観察することにした。
「さあ、まずはスープから召し上がれ」
 彼女は、鍋のふたを開けた。部屋中に、おいしそうな匂いが立ち込める。
「中華風ね」
 独特の香辛料の香りで、見なくともわかった。
「ええ」
 彼女は、お椀にスープをついで私に差し出した。褐色で透明な汁の中に、肉の塊が数個ばかり浮いていた。
「いただきます」
 私はまずスープをすすった。口の中に、芳醇な香りとコクが広がる。ついで、肉をすくって食べた。
「うん?」
 柔らかく、噛む度にうまみがあふれ出る。だが、食べたことのない味。そして食感。
「この肉、なあに?」
「エキガのスープよ」
「エキガ?」
 聞いたことがない。珍しい動物だろうか。
「この料理、名づけて『エキガのスープ』」
 彼女は指でテーブルに『易牙』と書いた。
「中国の伝説的な料理人でね。現在の中華料理の基礎を築いた、とも言われる天才よ」
「いえ、私はお肉のことを……」
「易牙は、中国の春秋時代。紀元前七世紀に存在したと伝えられているわ」
 どうやら、お肉の説明は後回しになりそうだ。彼女の歴史講釈、始まると長いのだ。
「その当時の中国は、王の権威が衰え、各地の諸侯が覇権をめぐって争っていたの。その中で、いまの山東省にあったせい、という国の殿様は、かんちゅうという有能な宰相のおかげで国を強大にして、諸侯の盟主、覇者となったの」
「易牙は、その殿様の料理人だったの?」
「ええ。そうなの。この殿様、斉のかんこうというひとは、国が豊かになるにつれ贅沢になってね。とくに食事に贅をこらしたの」
 世の中はいつもそうだ。権力を持った男は、美食と色気に走る。
「ありとあらゆる珍味を食べつくし、そしてある日冗談でいったの。『余が食べたことがないのは、ひとの肉だけだ』って。それを聞いた易牙は、自分の子どもを料理して、桓公に食べさせたの」
 私は顔をしかめた。いくらなんでも、食事中に、しかも肉を食べている人の前でする話ではない。だが、彼女はかまわず続ける。
「桓公は感激したの。余のために、そこまでしてくれるとは、って。でも、管仲は言ったの『自分の子どもを愛せないような人間が、主君に忠義を尽くすはずはない』って」
 そのとおりだろう。だいたい、こういうことをする人間には下心があるのだ。
「でも、管仲の死後、桓公はその諌めを忘れて、易牙を重く用いて、ついには政治にまで関わらせたの。結局、易牙は自分勝手な政治をして、国は乱れ、斉の国力は衰えることになったのよ」
「へえ……」
 まあ、興味深い話ではある。時と場合にもよるが。むかしから変わらない。こういう、無神経なところは。だから、愛想をつかされるのだ。夫に。
「でも、私はなんとなくわかるの。易牙の気持ち」
「子どもを犠牲にしてでも、出世したいって?」
 そういえば、彼が言っていた。彼女は大学での地位を守るため、子どもを堕胎することさえも考えた、とか。本当に酷い人。これでは、子どもの将来が思いやられる。
「違うわ。仕事人としての気持ちよ」
「仕事人として?」
 私は首をかしげた。意味がわからない。
「わからない? おそらく易牙は、最初は別に政治をどうこうしようと考えていたんじゃないと思うの」
 そんな私を彼女は冷たい目で見る。むかしからそうだ。頭の回転が悪い私をいつもばかにしていて、こんな目で見下していた。いや、私だけではない。彼にも、いつもこんな目を向けているらしい。
「ただ、仕事人……料理人として純粋に興味があったのよ。人肉を料理することに」
「純粋に?」
「ええ。いままでありとあらゆる肉を、食材を調理して、新しい未知の食材に挑戦したくなった。料理人としては、むしろ当然のことね」
 彼女の顔に、不気味な笑みが張り付いた。
 そのとき、私の頭に、ある想像が生まれた。
 それは、『食べたことのない肉』、『人肉の料理への興味』という言葉を両親として生まれた連想。
「興味? ただ、それだけで自分の子どもを?」
 私の声は震えていた。まさか、そんなはずはない。あるはずはない。
「自分の子どもだからいいんじゃない。だって、どこからも文句がでないでしょ」
 私の背中に、冷たいものが走った。彼女は、突き詰めようとすればとことんやるタイプだ。彼女自身、興味があったのではないか、人肉の料理に。文献だけの世界では飽き足らず、とうとう実行に走ったのではないか。
 そして、彼女はあのことを、夫の不倫のことを知ってしまった。だから、復讐するつもりだった。夫に。
 それに、憎らしかった。夫の血をわけた赤ん坊も。
 だから。
 では、このスープの肉は。
 その時、
 隣の部屋から、泣き声が聞こえた。
「あら大変」
 彼女は隣の部屋に飛んで行き、そして泣きじゃくる赤ん坊を抱いて出てきた。
「目が覚めて、誰もいないから怖かったのね」
「そう、そうなの……」
 私は胸をなでおろした。よく考えてみれば、いくら彼女でもそんなことまでするわけはないではないか。ばかばかしい。
「ところで、これなんのお肉?」
「でも、純粋に料理だけを愛していた易牙は、心に変化が生まれたのよ、たぶん」
 彼女はこちらの質問に答えようとしない。
「政治に関わるようになり、政治の、そして権力の味を知ってしまったの。国を料理することに快感を覚えてしまったのよ、きっと」
 まるで、見てきたように語る彼女。
「だって、私もそうだったから」
 私の心の声を聞いたかのように、彼女は言った。
「あなたが?」
「ええ。私も、もともと歴史にしか興味がなかった。彼と付き合ったのも、彼が教授の親戚だったから」
 彼、という言葉にアクセントが置かれていたような気がして、思わず心臓が蠢いた。
「でも、そのうちに知ってしまったの。彼の魅力を。そして、恋愛の楽しさをね」
 彼女は、じっと見つめながら言った。私を。いや、そうではない。私の前の、お椀を。そして、その中の肉を見つめている。
「罪な人よね。あの人さえいなければ、私は研究一本で、心を乱すこともなかったのに」
 まさか。
 この肉は。
 彼女は、愛しながらも憎んでいた。自分を惑わせた彼のことを。
 それが許せず、そして、彼が別な女のものになることも許せなかった。だから、罰を与えたのだ。
 では、この肉は……。
 そのとき、インターホンが鳴った。
「あら、夫だわ、きっと」
 彼女は玄関へと向かった。
 なんだ、彼は生きているのか。私は、色々な意味で胸をなでおろした。
 安心すると、急に尿意を感じた。しかたない、マナーには反するが。私は立とうとした。
 だが、どうしてだろうか、力が入らず、立ち上がることができない。変だ。お酒を飲んだわけでもないのに。
「夫じゃなかったわ。宅配便だった」
 小さな箱を抱えて彼女は入ってきた。いつのまにか赤ん坊は部屋に戻したらしい。
「あ……あの……」
 なにか変だということを伝えようとした。だが、唇が動かず、言葉にならない。
「これ、海外製の高級品よ」
 そんな私を尻目に、彼女は包みを開いた。中から出てきたのは、一本の包丁。
「特別に注文したの。きょうのためにね」
 彼女が、私を見た。楽しそうな、心から楽しそうな顔で……。
 お帰りなさい、あなた。
 ご飯まだでしょ。はい、どうぞ。新作料理よ。
 どう、おいしい?
 え、なんの肉かって?
 とても珍しいお肉よ。
 希少な生き物、「泥棒猫」のお肉なの……。

 〈了〉

作者紹介

リンメイ

 故事や昔話(民間伝承)を題材にした作品が多いです。基本的に、ブラックな内容が多いと思いますが、読んでいただければ幸いです。

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優秀な庭師

城田寺 皓

 あるところに、非凡な才を持つ庭師がいた。
 この庭師、卓越した腕の良さもさることながら、非凡と人々に言わしめるに相応しい不思議な力があった。
 彼は、手入れする庭の家主が好むものが何なのか、教えられずともたちどころに分かってしまうのだ。
 それにより猫が好きな家主の庭木は愛くるしい猫の形に、酒が好きな家主の庭木はワイングラスやボトルの形へと見事に剪定してしまう。
 その素晴らしい働きぶりに、依頼人たちはみな声をそろえて称賛の言葉を彼に送った。

 あるとき、庭師の噂を聞きつけた大きな屋敷の夫人が、彼に庭の手入れを申し出た。
「主人が出先から帰ってくるまでに、手入れをお願いしたいの。聞くところによると、私たちの好きなものへと仕立て上げてくれるようだけど、大丈夫かしら?」
 屋敷の主人が帰ってくるのは、一週間後だと言う。それに対し、庭師は胸を張って応えた。
「ご心配なく、五日程でこの広い庭を見事に手入れしてみせましょう」
 この言葉に夫人は満足気に笑みを浮かべ、庭師に全てを任せることにした。そして彼女は自らも楽しみにしようと、庭師の指定した五日間は屋敷を離れることにした。

 五日後、夫人は期待に胸を膨らませながら屋敷へと戻ってきた。
 庭へと足を踏み入れる。見るとそこには、様々な人の形に剪定されたたくさんの庭木があった。
 初めこそその意図が分からなかった夫人だが、近付いて見るや否や思わず息を飲んだ。
 なんとその庭木は、女学校時代から今でも交流を続けている夫人の友人にそっくりだった。
 それだけではない、他の庭木も夫人と親しい女友達の姿へと見事に剪定されていた。
 これには夫人も感動し、興奮した様子で庭師へと賛辞を述べた。
「こんなに素晴らしいものに出来上がるなんて、感激のあまりに言葉も出ないわ! ただ気になったのだけれど、主人の好きなものは一体どこにあるのかしら?」
 すると庭師は自信たっぷりに口にした。
「ご安心ください。確かにこれらは旦那様の好きなものでもありますので」

 〈了〉

作者紹介

城田寺 皓

 城田寺 皓(きだいじ あき)と申します。ショートショートのジャンルの中では、特にブラックジョーク系が読むのも書くのも大好きです。「読者の期待を良い意味で裏切る」をモットーに日々精進しております。

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銀河鉄道と夜

すずひめ

 私はソファに深く身を沈め、こつこつと足音を立てる秒針をぼんやり見続けていました。波のように寄せては返す陣痛は徐々に間隔を縮めながら、「その時」が近づいていることを教えてくれます。
 お腹の子の父親は不在でした。この星では、出産は自分ひとりで行う決まりなのです。ずっとひどく不安でしたが、それを周りに悟られぬよう、こんなことくらい何でもないという顔をしてこれまで暮らしてきました。しかしいざ「その時」になってみると、もう覚悟を決めるよりありません。だから私はひとりで準備を済ませ、思いのほか落ち着いた心もちで臨んだのです。
 出産は、拍子抜けするほどあっけなく終わりました。血に染まった赤ん坊やへその緒や胎盤と一緒に、不安や緊張がするりと抜けていったようでした。
 私の産んだ赤ん坊は、女の子でした。彼女はただのひと声も上げずすやすやと眠り続けていたので、最初は死んでいるのではないかと疑ったほどです。外に出てくる瞬間、確かに泣き声を聞いたような気がしたのですけど。
──ああ、顔立ちが私に似ている。
 出産が無事に済んだことよりもそのことに安堵を覚えたのは、子供の父親の顔を私自身がよく思い出せなかったからかもしれません。

 生まれた子は、まず何よりも先に「洗礼所」に連れていく決まりでした。私は眠り続ける我が子を腕に抱き、家を出ました。
 この星に「昼」という概念はありません。空はいつも深い藍色に染まっていて、そこに無数の星が輝いているのです。昼と夜を繰り返す世界で生まれ育った私には、朝の来ないことが最初は不気味でなりませんでした。しかし慣れてしまえば美しい世界だと、いつしか思えるようになりました。どんな不安や哀しみも、夜空にとけてしまうように感じられたからです。闇が濃くあればあるほど星がきらきらと瞬くので、お天気の良い日はその輝きで心を慰めることができました。
 この日も、空気がひんやりとしていて、星がとてもきれいでした。私は空に浮かぶカシオペヤ座を見上げながら、ゆっくりと歩みを進めました。

 程なくして駅に着きました。駅のホームには私たち以外に誰もおらず、ひっそりとしています。ただ薄暗い蛍光灯に羽虫が触れるぱちぱちという小さな音だけが、かすかに空気を震わせていました。
 やがて二両編成の列車がホームに滑り込んできて、静かにドアが開きます。私はできるだけ足音を立てないよう、そろりと列車に乗り込みました。
 車内はやはり静かで、私たちのほかには赤ん坊を連れた一組の男女がいるだけでした。男性が付き添っているところを見るに、きっと別の星から来た人たちなのでしょう。私は彼らが視界に入らぬように背を向け、二人掛けの座席に腰を下ろして、我が子をしっかりと胸にかき抱きました。
 列車はゆっくりと動き始めました。景色を見ようとしましたが、街は暗闇に沈み、あの無数の星すら見当たりません。車内のおぼろげな明かりが窓の向こうの闇を濃くしているのでしょう。車内には列車がレールの上を走る振動だけが響き、音という音はすべて外の冷たい空気に吸い込まれてしまったようでした。ふいに、この列車ごと宇宙空間に放り出されたかのような感覚に陥りました。
──銀河鉄道みたい。
 私は幼い日に読んだ物語に想いを馳せました。かの人の描くような色とりどりの世界に、憧れていたはずなのに。あぁ、私の今いるこの星は、どうしてこんなにも色彩が少ないのでしょう。
 私は少しだけ泣きました。何が哀しかったのか、自分でもよく分かりません。なんだかひどく心細くて、自分の体が今にも闇にとけてなくなってしまいそうな気さえします。ただ、腕の中で眠る、私の面影をもつ小さな命だけが、私という存在をこの場につなぎ留めてくれていました。私はもう一度強く、我が子を抱き締めました。

 やがて列車は停まり、車内の放送が「洗礼所」に到着したことを知らせました。しかし私はその場から動くことができませんでした。なぜだか「洗礼所」がとても恐ろしい場所であるように思えてならなかったのです。
 いつの間にか、乗客は私たちだけになっていました。車掌らしき男性が、ちっとも腰を上げようとしない私を見かねて声を掛けてきました。
「降りないのですか」
 早くこの座席を立って、列車から降りなければ。そうは思っても、体は石のように固まったままです。床に着く足が、子を抱く腕が、ぶるぶると震えています。
 そんな私に、彼はやさしい声で言いました。
「大丈夫ですよ、すぐに済みますから」
 彼は私を急かすわけでも咎めるわけでもなく、ただ口元に穏やかな笑みを浮かべています。
 赤ん坊は相変わらず眠ったままです。私はようやく心を決めて、ゆっくりと立ち上がりました。そして我が子の寝顔をしっかりと目に焼き付け、一歩を踏み出したのでした。

 ■ 

 意識が戻って真っ先に視界に入ったのは、わざとらしいほど白い天井でした。窓から差し込む光が、私の顔をあたためています。
「目を覚まされたんですね」
 ふいに掛けられた声に顔を向けると、白衣を着た女性が立っていました。
「……もう済みましたよ」
 その哀しげな微笑みに、私は悟りました。
 もう、いなくなってしまったんだと。
 夢の中で、日の光の当たらない世界で、確かにこの腕に抱いていた小さな命は、永遠に失われてしまったんだと。
「午後には退院できますからね」
 再び明るい世界に踏み出していく力を、私は持っていませんでした。

 〈了〉

作者紹介

すずひめ

 2千字程度の掌編から、12万字を超える長編まで、いろいろ書いています。日常もの、SFが多め。主にpixivで作品を公開しています。

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誠意

たそがれイリー

「久保方くん、今自分が置かれている状況は、理解しているね?」
「はい、所長。所長が私にかけていただいている期待……その期待にお答えできていないことは、しっかり理解しています」
「なるほど。今日はやけに聞き分けがいいようだが……では、これから私が君に言わんとしていることは、理解できているかね?」
「はい……成果を、成果を出すことです!」
「それも、早急に……だよ」
「分かっています」
「その分かっているとは、早急に成果が出せないという君の能力の無さも、自分でわかっているということかね」
「……ご想像にお任せします」
「そうか。だが、こうして成果の出せない研究生の君を、わざわざ時間を割いて私が、この私が呼び出しているということ、その意味は理解できているのかね?」
「……わかっているつもりです」
「そうか。ならば話が早い……さっそくはじめようではないか」
「……分かりました」
「時間がないんだ。これ以上君と会話をしていると、他の者にも勘ぐられてしまう」
「……所長がそうしろと、おっしゃるのであれば」
「じゃあさっそく開きたまえ。はじめよう」
「……今日は、そんなつもりではなかったのですが……所長がそれでよいとおっしゃるのであれば……私は……」

「誰が股を開けと言った。ノートを開けと言ったんだ。早くまともなレポートを書いて、大学を巣立ってくれないか」

 〈了〉

作者紹介

たそがれイリー

 ショートショートを書き続けてもうすぐ二〇年。他にもエッセイや詩、言葉というものの意義とありがたみを感じながら様々な物語を「紡いで」生きたいと思う男です。

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寿道

@清水孝俊

 古来より秘密裡に続く我々の武道・寿道は、短くとも一試合に七十年を要する。試合自体が、極めて栄誉に満ちた行為であり、選ばれた戦士である寿道家にしか行えない、聖なる儀式なのである。
 試合は、時間無制限の一本勝負。二人の寿道家のうち、長生きした方が勝ちだ。まさにデスマッチである。男子と女子とに分かれている。そして、寿道家同士はお互いに、相手を傷つけたりすることはないし、たいていの場合、会うことすらもまれである。寿道家が物心ついて、この競技への参加を受諾したころ、試合は開始されることが多いが、好記録を狙って受胎時からをカウントする場合もある。この方法にアドバンテージはあるが、問題点は後述する(文末注参照)。
 以前は、形式的に五年に一度ほど顔合わせをしていたのだが、その事によるプレッシャーから、記録が悪くなることが分かったため、パフォーマンス向上のため現在は誰も行っていない。

 寿道家たちは、一般社会で、おおむね普通に生活していく。もちろん、大きな病気や怪我を避けることは当然のことだが、不慮の事態はつきものなので、日頃はあまり考え過ぎずに自然体で暮らしていくスタイルのほうが最近は好まれる。
 随伴士、多くの場合は心得ある両親だが、彼らの果たす役割も並々ならず重要である。過度のストレスを避けるということが、好成績を収めるためには重要なので、そのために幼少期から正しい生活習慣を教え込む必要があるのだ。とくに、食の好みなどは、いちど刷り込まれてしまえば、挽回は難しいので、細心の注意を払って伝授される。ジャンクフードなどは論外だ。
 その他には、睡眠の長さや、起床時間、どの程度運動するかなどを、寿道家の成長過程やもともとの体質を考慮して、教育していく。義務教育の終わるころまでは、最大の関心はこうした身体面の問題だ。
 ちなみに、旧弊な方法では非常に重視されていた運動だが、現在では過度な肉体の訓練は故障につながり、むしろ成果を悪くする場合が多いことから、ほとんど顧みられることはなくなっている。事故につながりやすい格闘技はもちろん、ひじやひざなどを痛めやすい野球、テニスなども好まれない。エアロビックな要素を含み、体への負担も少ない、水泳やサイクリングなどを趣味にするような指導が多い。

 さて、高等学校に入学するころ、最初の関門がある。進路選択をどうするか、という問題だ。このことは、「家法」を使用するかという、この武道において最も重要な一点につながるため、ないがしろにする者はいない。
 「家法」とは、分かりやすく言ってしまえば、家族を持つか否か、ということだ。家族の真価は、勝負が佳境に入り、八十歳を過ぎたころに発揮される。孫やひ孫がいることで、精神的にかなり余裕が出てくる。しかし、「家法」は諸刃の剣なのである。
 まず、配偶者や子供は寿道家ではない以上、非協力的な場合もある。また、家族を養うために、余計に働かなければならないというのは、かなりの弱点だ。
 よって、現在の戦法は二種に分かれている。「家法」を用いない場合は、随伴士の残す財産を効果的に運用し、なるべく早く仕事からリタイアする。そうして、家庭以外の場所で、生きがいと居場所を見つけ、負担を最低限に抑えるのだ。しかし、この方法は、寿道家に孤独によるストレスを強いるため、現在では主流ではない。もっとも、「家法」を用いた場合、試合ではなく、家族のほうを重視してしまうという、最悪な事態にもつながるため、こちらの手法を選択し続ける者たちもいる。その場合は、如何に宗教的な自己陶酔に至れるかがポイントのようである。
 また、それ以前の問題として、社会情勢の変化は、大きな影響を寿道家たちに及ぼす。誰よりも強壮で、誰よりも冷静で好結果を嘱望された寿道家・沢村が、太平洋戦争に徴兵され、南方で戦死したときの悲嘆はすさまじかったそうだ。奇しくも野球の賞と同名だが、「沢村杯」が毎世紀開催されている。恐慌やインフレなども致命的な問題となり得るが、その程度ならば、試合技術の発展とともに、近頃は備えができている寿道家がほとんどだ。

 戦いは続き、還暦を過ぎたころになると、大病をしないことが最重要になる。年一回の精密検査は当然として、適度な運動とストレス解消が求められる。配偶者がいても、できれば恋をするとよい。趣味に打ち込むのも有効だ。孫やひ孫の世話を楽しめるならば、かなりペースを作れていると言える。
 八十を過ぎ、いよいよ戦いは佳境を迎える。この武道の、そしてあらゆる武道の真髄である、己との戦いが最高潮に達するのだ。随伴士も、もう死んでいる場合が多い。寿道家は、孤独に自らと向かい合い、世界と四つに組む。

 どちらかの寿道家が、その命運尽きて天に召されると、勝者に通知が送られ、使者が正式に試合の終わりを告げる。華々しい式典などは不要である。己の達成した偉大な成果の、その栄光と不朽は、寿道家自身がもっとも知悉しているからだ。

 なお、寿道界で、いま一番問題となっているのは、対戦相手が比較的若くして死んだ場合、自らも後を追う寿道家が後を絶たないということである。おそらく、中断した勝負を、彼岸でも続けようというのだろう。その心がけはまさに寿道家の鑑であるが、このままでは、我々の存在が当局に感知されることも懸念されるため、相手を喪った者同士を、ふたたび組み合わせ、新たにマッチングを行うことも検討されている。寿道家にとって、まさに、試合は生きることそのものなのだ。真に文字通りに。

(注:なお、受胎時から試合を始め、寿道家として登録することの問題点だが、ごくごくまれに、寿道家自身が、試合への参加を拒否する場合があるため、現在では、あまり推奨されていない)

 〈了〉

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@清水孝俊

 だいたい生きてます。

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かわいそうな怪獣のはなし

むらさきあおい

 その怪獣はみんなから嫌われていました。何故なら、みんなの大事なものをことごとく踏みつぶしていたからです。彼は天へ届くほどの巨体を持ち、大木のような足に全体重をかけて、のっしのっしと山の向こうから毎日やってきます。

 例えば、とある女の子のパンジー、マリーゴールド、ヴィオラなどが咲くお庭。ある日、女の子がお庭に水を撒いていたとき、怪獣が歩いてきたのです。もちろん、女の子は悲鳴を上げて、鉄製のじょうろも投げて逃げ出しました。その後の悲劇を待ちかまえるようにして、じょうろはその場で空しくからころ鳴りましたっけ。
 そして、怪獣は女の子の目の前で、大切なお庭をぐちゃりと踏みつけたのでした。女の子は、小さく「あ」と口を開けました。でも、時は既に遅く、大事に育ててきたお庭は見るも無惨な光景に変わっていました。
 あんなにも美しかった花びらは土にまみれ、茎からは汚い汁から滲みだしています。豊かな土も怪獣の巨体に押しつぶされ、ぎゅうぎゅうに押し固められていました。
 しかし、そんなことをしでかした怪獣はさっさとどこかへ行ってしまいました。憎々しい背中を睨みつけながら、女の子は踏みにじられたお庭にたたずんでいました。

 他にも、木の上に作られた秘密基地だって怪獣に壊されてしまいました。その持ち主である男の子のショックははかりしれません。
 事件が起きた日、男の子は友達を誘って、基地でトランプゲームをしていました。勝負は白熱し、なかなか盛り上がっているところでした。そういう意味でも、怪獣はとんでもないことをやらかしたのです。
 奴はそこに森がひろがっているにも関わらず、無神経に踏み込んできました。一歩進む度に、辺りの空気や地面がぶるぶると震えます。当然、男の子たちは基地から一目散に抜け出しました。近づいてくる怪獣の姿を見上げつつ、その大きな足に押しつぶされないように必死で走ります。
 その結果、怪獣の足が男の子たちの基地をぐしゃりと踏みつけました。そこに隠しておいたセミの抜け殻も、海辺な見つけたきれいな貝がらも、すべてすべて無茶苦茶に壊されたのです。もちろん、トランプゲームの決着もあやふやになってしまいました。
 男の子たちは呆然として、怪獣の去っていく姿を見つめていました。その顔は悲しみの余り、真っ青に染まっていたそうです。

 こんなことを何度も繰り返し、人々の怪獣に対する憎しみはどんどん強まっていきました。そんなことにも気づかず、怪獣はのんきに過ごしていました。どうしてそのようにしていられたのかと言うと、彼は自分を怪獣だということを知らなかったのです。
 朝、山の上で彼は目覚めて空を眺めます。その透き通るような青空には、可愛らしい白い顔が浮かんでいました。怪獣は、それが自分だと思い込んでいたのです。本当は汚らしい緑色のうろこまみれの皮膚に、凶悪そうにつり上がった目、鋭い牙が光る大口が揃った顔だというのに。
 自分は愛らしく、弱々しく、誰からも守ってもらえる存在だと信じていたのです。まったくふざけた話ではありますが、怪獣は大まじめでした。
 だから、彼は誰を傷つけても気づかずにいたのです。自分のやったことは大したことではない。みんなを大変傷つけるような真似などしていない。自分は、悪くない。
 もちろん、そんな屁理屈が人々に通じるはずもありませんでした。

 やがて、怪獣の住む地のそばから一人、また一人と人々が遠くへと去っていきました。これ以上、怪獣に大切なものを壊されたくないからです。それは賢明な判断で、怪獣のいない地に行った人々はそこで幸せになりました。それを風の便りで聞いた人々は、どんどん怪獣の地から離れていったのです。
 それだけではありません。散々踏みつぶされた草花や樹木も、怪獣の地から無くなっていきました。それと時を同じくして、動物たちも別のすみかを探しに旅立たねばなりませんでした。ただ、彼らも怪獣から度々被害を受けていたため、いずれは逃げようと考えていたのです。
 こうして、怪獣は独りぼっちになってしまいました。彼は毎日のように誰かを呼び続けましたが、その恐ろしい叫び声がほんの少し残っていた人や草木や動物すら遠ざけました。こうなってくると、動物も、草木も、いませんので、食べるものすら採ることができません。そんな中で、怪獣は急速に弱っていきました。緑色の皮膚に覆われた巨体はしぼんでいき、地を這う叫び声はかすれていきました。
 それだから、最後の最後には、その身を砂地に横たわらせ、死んでしまいました。その後、怪獣の身体は腐り果てましたが、その地には一切草木が生えることはありませんでした。

 このかわいそうな怪獣の骨は、誰にも埋葬されることなく、長い長い時の中で風化してしまったとのことです。もしも、風の中に恐ろしい叫び声に聞こえたら、ひょっとしたら怪獣が未だに誰かを呼んでいるのかもしれません。

 〈了〉

作者紹介

むらさきあおい

 世間の隅っこでチマチマ創作を続けています。主に執筆しているジャンルはファンタジーですが、他のジャンルにもよく首を突っ込んでおります。今後も長編・短編問わず創作していきたいです。

◆Website『ソラ/ミ/ファラ』 
 http://purety.jp/soramyphara/
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ぱぴこ

 満月を見るとなぜだか悲しくなる。
 漠然とした不安が沸き広がってきて、心にぽっかりと隙間ができたような気にさせる。
 怖い、わけじゃない。
 ただなんとなく、寂しくなるのだ。
 それは、秋の夜長に人肌恋しくなるのと似ていた。

 そんなことない?と隣の恋人に尋ねると、彼は優しく微笑んだ。
 そして大きな腕を伸ばしてきたかと思うと、わしわしと頭を撫でられ、肩を抱いて自分の方へと引き寄せた。
 くたっとしたシーツがわたしの顔を埋める。
 わたしはそれを剥がしながら、彼の胸に身を寄せた。
 とくとくと聞こえてくる彼の鼓動に安心する。
 触れている耳が、熱を持ったようにあつかった。

 エアコンの効いた部屋で、わたしたちはベッドに横になっていた。
 ひとしきりかいた汗もすっかりひき、ごろごろとくっついたり離れたりを繰り返している。
 幸せの余韻に浸る瞬間。
 単純だわ、などと思いながら、何度目かにくっついたわたしを、彼はそっと引き上げた。
 下から覗き込む彼の顔は、とても穏やかに見えた。

「君は月が好きじゃないの?」
「え?」
 意外な質問にわたしは彼の目の中をまじまじと見つめた。
 好きじゃない?
 そんなこと、考えたこともなかった。
 たしかに悲しくはなるけれど、だからといってそれが嫌いになる理由にはならなかった。

「そんなことはないと思う」
 わたしは正直に答えた。
「むしろ好きなほうだと思うわ」
「そっか」
 彼は静かにそう言った。

「飲み物、なにがいい?」
 冷たいの、とわたしが答えると、彼は下着一枚の姿で床に降りた。
 彼は優しかった。
 こうしてわたしが喉が渇いたと言う前に、まるでエスパーのように汲み取ってくれるほどに。
 静かに後姿を見遣る。
 わたしは彼のふくよかになった腰まわりさえも愛しいと感じていた。
 もちろん、引き締まった背中に愛撫するのが極上の幸せだと思うのに代わりはないのだけど。

「どうぞ」
 ベッドに腰掛けるよりも早く片方のグラスを差し出す彼。
「ありがとう」
 わたしは受け取りながら、横に座れるだけのスペースを空けた。

「さっきの話だけど」と、彼。
「僕は、月のことも君のことも好きだよ」

 なにそれ、と笑うわたしが、答えになってないと気付いたのは、それから実に数日後のことだった。

 〈了〉

作者紹介

ぱぴこ

 ちまちまとですがtwnovelを書いたり折本を出したりしている、創作クラスタ兼コスプレイヤー。表現者としてその時々を刻んでいきます。

◆Twitter
 https://twitter.com/papiusagi
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 http://www.cosp.jp/prof.aspx?id=310725

疑惑

ておまさお

 清々しい朝の静寂は、金切り声が切り裂いた。
「社長! 聞いてください。彼氏ったら、酷いんです! あたしがいながら、もう一人彼女がいたんですよ!!
 いつもは清楚で物静かな秘書が、険しい表情を浮かべて男のもとにやってきた。
「まあ、落ち着きなさい。二股をかけられていたということかね?」
「はい。昨日、彼の部屋に行ったところ、そこに見知らぬ女がいたんです! しかも、二人とも素っ裸で抱き合っていたんですよ!! ああ、ムカつく」
 秘書は興奮冷めやらぬ様子で、男の飲もうとしていたお茶を取り上げ一気に流しこんだ。
「それでどうしたのだ?」
「ムカついたから、女を彼氏から引き離して、近くにあったハサミでズタズタにしてやったんです!」
「そ、それは……」
 男の脳裏には、血糊のべったりついたハサミを持ち、返り血を浴びて仁王立ちしている秘書の姿が浮かんでいた。
「そうしたら彼氏が何て言ったと思います?」
「何て言うもなにも……」
「『それ、高かったんだぞ』ですって! あいつ、自分が何をしでかしたのか、ちっともわかってないんです」
「えっ? それって、もしかして……」

 〈了〉

作者紹介

ておまさお

 普段は、ツイッターやアメブロで時事ネタをおもしろおかしく書かせていただいております。とても短いので、ちょっと空いた時間にでも覗いてみてください。

◆Blog
 http://ameblo.jp/nakazakinobuyuki
◆Twitter
 https://twitter.com/teomasao

方法

域外

 その窃盗団は、ある事に悩んでいた。悩むと言っても良心の呵責とかでは無く、単に窃盗の方法について悩んでいた。
 今日、犯罪の科学捜査が進歩して、もはや窃盗を捕まらないのは、少なくとも日本では殆ど不可能だった。しかし、窃盗してから犯人の引き渡し条約の無い、国外へ逃亡すれば、一生警察に捕まらないことも可能であった。
 なので、その窃盗団はどうやって警察への通報を遅らせられるか考えていた。犯罪を行ってから、警察への発覚が遅れれば、国外逃亡するまでの時間が稼げるからだ。
 そしてある日、窃盗団のメンバーが集まり、どうすれば逃亡の時間が稼げるか、長々と議論していた。しかし、中々良い案が出ず、議論は手詰まり感が漂い始めていた。
 その時、ずっと黙り込んでいた、一人のメンバーがふと、思い付いた様に手を挙げ、発言をする。
「今思い付いたんですけど、こんな方法はどうですか? まず……」
 そのメンバーの思い付いた方法は、今までどんなメンバーも考え付いたことが無い様な、奇抜な方法であった。メンバーの何人かは、あまりにも奇抜な方法であるため、本当に上手く行くかどうか異議を唱えたが、窃盗団のリーダーがその方法に感嘆し、反対意見を退け、その方法で窃盗を計画することを決めた。

 そしてある日、窃盗団は計画を実行に移した。人々が多く通る銀行を白昼堂々襲い、中に居た客と銀行店員を縛り上げ、奪った金をワゴン車の中に詰め込んで、そのまま港まで走り、待機させていた船に乗り、無事に国外へ脱出することが出来た。多くの人々に見られていたのにもかかわらず、窃盗団が無事逃げ切れるまで、一般人が警察へ通報する事は無かった。
 
 計画を提案した、そのメンバーは、ある一つの立て看板を銀行前に立てておけば、逃亡の時間を稼げるのではないかと提案したのだ。そして銀行を襲う前に、実際にその立て看板を銀行前に立てたのだ。


 立て看板には「ドッキリを行っています! ご協力ください!」と、大きく書かれていた。


 〈了〉

作者紹介

域外

 三年程前に、星新一氏のショートショート集を読み、その作品に惹かれ、自分もこの様な作品を書きたいと思い、地道にショートショートを書いています。現在、五〇〇編以上の作品をサイトやブログ等に載せています。

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 http://mazedistorted.blog.fc2.com/
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ビッツ

ドーナツ

 教室の入口へかけてあったベージュのダッフルコートをエルマーは乱暴に抜き取った。
「見ろよ、ほら。思った通りだ。ここにぼくのイニシャルがあるだろ?」
 襟のタグに刺繍で文字が綴られている。エルマーは得意満面に教室を突っ切った。一番後ろの席を陣取っていたジェイコブの机へコートを投げ出す。
「みんな聞けよ。このコート。ぼくの母さんが教会へ寄付したものなんだ。だけど、今はこいつが着てるよな。何でだろう?」
 次の瞬間、ジェイコブの拳がエルマーの鼻を押し潰していた。

 ジェイコブ・アドキンズは校長室で母親の到着を待っていた。
「今、きみとエルマー君以外の生徒は、授業を受けている。だが、きみはここで私と向かい合わせに座っている。何故だかわかるかね?」
 初等科の問題児が頷くのをグラント校長は胡散臭げに眺める。
「エルマーをぶん殴った」
「何だって?」
 校長は耳に手を添え、わざと前屈みになった。
「……エルマーをぶん殴ったからです」
「その通り。しかし、正確ではない。『エルマー君に暴行を加え、全治二週間の骨折を負わせたからです』と申し立てるべきだろう」
「二週間?」
 ジェイコブは舌打ちする。
「そう。さっき病院から連絡があった。エルマー君のお母さんは厳罰をお望みだよ」
「……俺。刑務所に入るの?」
 そばかすの浮いたジェイコブの顔が弱気に歪んだ。色の褪せたジーンズを履いた足を交互に揺する。スニーカーは痛み、発売元を判別できない状態だ。
「きみは十才だ。残念だが、そう一足飛びにはできない。しかし、このままでは、その日も遠くはないだろう」
 突然、扉が開き、女が飛び込んでくる。ジェイコブを見るなり、一気呵成に歩み寄り、彼を平手で引っ叩いた。
「まあまあ。お母さん。暴力はいけません」
 おざなりに校長が間へ入る。
「これは取り込み中でしたかな?」
 声に振り向いたジェイコブ以下、三人は、半分開いているドアから室内を伺っているスーツ姿の男に出くわした。

「そんなお金。とても払えません」
 治療費の金額を聞いたジェイコブの母親、エイミー・アドキンズは身を乗り出した。
「この子の給食費だって市の補助なんですよ!」
 エイミーは、未婚である。公道沿いにある簡易食堂のウェイトレスとして働き、生計を立てていた。
「校長先生。ここは、私が説明したほうがいいように思います。よろしいですか?」
 母親とジェイコブの前には、校長の他に先刻の中年の男が座している。
「そうですね。専門家が話したほうがいい。よろしくお願いします」
「それでは、お言葉に甘えましょう。私は、エドガー・バジョットと申します。市の福祉委員を任されています。早速ですが、お母さんの窮状は、理解しているつもりです。そこで市の行っている『更生プログラム』への参加を提案したいと考えています」
 パジョットはエイミーに名刺を差し出した。
「それって、何ですか? まさか感化院じゃ?」
 名刺を矯めつ眇めつしながらエイミーは男を見やる。
「いえいえ。そうじゃありません。教育的かつ実験的なプロジェクトです」
「実験?」
「ええ。工業地区の廃校をご存じでしょう? あそこを問題児童の更生施設として再利用する躍進的事業です」
 エイミーは曖昧に頷いた。
「更生施設といっても学校と同じです。自宅から通園して授業を受け、帰宅する。開示される可能性のある書類に記載されることも、まずないでしょう。つまり、ほぼペナルティはないわけです」
「でも、エルマーって子の治療費は?」
「その点も運が良かった。エルマー君のご両親が利用されたのは、市営の医療施設でした。このケースであれば、一時的に市が仲介することが可能です。治療費は、お母さんの余裕ができた時に少しずつお支払いいただくこととしようじゃありませんか?」
 シャツを掴んでいる息子の手をエイミーは軽く叩く。
「そうなんですか。……それだったら、悪いお話ではなさそうですけど」
 エイミーは首を傾げていた。
「承知されるということでよろしいですな。ご理解いただけて良かった。では、とりあえず、通園期間は二週間としましょう」
 クリアーファイルに挟まれたパンフレットを残し、福祉委員は席を立つ。
「ジェイコブ君、こんなに素敵なお母さんを困らせてはいけないよ。頑張りたまえ!」
 ジェイコブは、バジョットの背に舌を突き出していた。

 工業地区にあった工場は、そのほとんどが不景気の煽りで閉鎖している。現在でも操業している施設の数は片手に余った。ジェイコブは、バスの窓越しに人気の絶えた建造物を追う。金属のぶつかり合う音が、どこからか響いていた。まるで断末魔の悲鳴である。
 その閑散とした佇まいの中に市の教育施設は存在していた。
「これがクラス番号、こっちが教科。この通りに授業を受けていくわけ。教室へ行ったら用紙に先生からサインをもらって、全部終わったら、この箱に戻しといて。だけど、最初はカウンセリング室へ行くのが、ここの決まり」
 クッキーの屑を用紙に落としながら受付の女はジェイコブへ説明する。
「……私の話してること、わかるわよね?」
「うん」
「カウンセリング室は、廊下を右へ折れて二つ目のドア。今の時間だと『キャサリン』って札がかかってるから」
 ジェイコブの足の下で傷だらけの廊下が軋んだ。対して壁は塗り直したばかりなのだろう。白く滑らかである。

 カウンセリング室は、ほどなく見つかった。
 新品ではあるが、安っぽい事務用品に埋め尽くされた部屋をジェイコブは眺める。書類の空欄を個人情報で埋めるよう指示され、知能検査、ロールシャッハが行われた。
「保護者は? 一緒に来なかったの?」
 キャサリンは、ジェイコブの母親より大分、年嵩に見える。老斑の浮いた掌を机の上へ広げていた。
「……仕事が終わってから来ます」
 目を細め、爪に塗ったマニキュアを検分している。
「あら、そう」
 記入を終えた書類をジェイコブは、机の天板へ載せた。キャサリンは、嫌々といった風情で書類を摘み上げる。
「ジェイコブ・アドキンズ。この結果からするときみは、ごく平均的な児童ね。ものすごく平凡な四学年生ってわけ。『メイフラワー学園』へようこそ!」
 赤い爪でドアを指差していた。
 
 用紙に記載されていた教室では、既に授業が始まっている。
「……ああ、そうか。初日だからね」
 老齢の教師は勝手に解釈し、用紙へサインしてくれた。これに味を占めたジェイコブは、次の授業も終了間際に当該教室へ出頭し、教師のサインを受領する。繰り返しているうちに昼食の時間を迎えていた。

 ハンバーガー、ハッシュドポテト、ピーナツバターで和えたセロリ、ポテトサラダ、茹でたブロッコリー、フライドチキン、豆のスープ。
 見慣れたメニューの中からトレイに惣菜を盛っていく。カウンターの出口でジェイコブはピーナツバターのパッケージを二つ掴んだ。
「グレープゼリーとピーナツバターはひとつずつ」
 食堂の職員から咎められる。
「ゼリーいらない」
「決まりなの。ピーナツバターが一個、グレープゼリーが一個」
 ジェイコブのトレイに葡萄の図案のパッケージが投げられた。
 ピーナツバターを戻すジェイコブの脇から手が伸び、グレープゼリーがひとつ消え去る。ジェイコブは目だけ動かし、それを追った。顔の半分を眼鏡に占拠された同年代の子供が他所を向いている。
 子供は、順番が来ると新たにピーナツバターとグレープゼリーをトレイへ放り、列を離れて行った。職員は気付かず、ジェイコブを睨みつけている。

『メイフラワー学園』はハイスクールの建物を再利用している。窓際のテーブルへトレイを載せようとしたジェイコブは肘を押された。
「さっきは黙っててくれてありがとう。あっちへ行こう。みんなに紹介する」
 先刻のゼリー泥棒である。案内されたテーブルには、ジェイコブと同年と思しき子供が二人、既に席へ着いていた。
「座れよ。ミスター・ノックアウト!」
 一人は、浅黒い顔に歯ばかり白い。急き込むような早口で話しかけてきた。
「ノックアウト?」
「みんな、そう言ってるぜ。気に食わないヤツの顔を拳でぶち抜いたって。なあビリー。みんな言ってたよな?」
 もう一人は、食事に夢中の肥満児である。
「うん。その子の頭の後ろから拳が突き出したんだよね? 大穴が開いたんだろ? ……痛かっただろうな」
「バカ! 痛いじゃすまないぜ。きっぱり死んでる」
 ジェイコブは席に着きながら二人の顔を眺める。
「……まさか。信じてないよね?」
「何で?」
 隣の席に腰を下ろすゼリー泥棒は首を傾げていた。

「何を言ってるか、よくわからなかったね?」
 学園長と三者面談を終えたエイミーは欠伸を漏らしている。
「今日、早番だったから、先生の前で危うく寝そうになっちゃった。……ねえ。上手くやれそう?」
「心配ないよ」
 ジェイコブは母親に請け合った。
「本当? いつもそう言うけど、あんなことになったじゃない」
「……エルマーが悪いんだ」
「そうかもしれないけど、殴ったりしちゃ駄目なのよ。そのせいで私まで、あなたを叩かないといけなかったんだから。わかるでしょ?」
 ジェイコブの頬をエイミーは撫でる
「痛かった? ごめんね」
 彼女の掌は洗剤で荒れていた。
「うん」
「私も頑張るから、ジェイコブも頑張って」
 エイミーは大欠伸しながら鞄を探り、紙袋を取り出す。
「家に帰ったら、すぐに眠っちゃうと思うから。夕飯は、これを食べて」
「わかった」
 袋の中には、様々な揚げ物の残りカスが入っていた。すぐさま手を突っ込んでいる息子を見やり、エイミーは微笑む。
 芳ばしい匂いが辺りへ漂っていた。

 〈了〉

作者紹介

ドーナツ

 現代日本か米国風の舞台でホームドラマっぽい話を書いています。
 レトロな話が多いと思います。
 タイトルの「ビッツ」は揚げ物のカス(天カス)のことです。

◆Blog
 http://donutno.hatenablog.com/
◆Twitter
 https://twitter.com/donut_no_ana

ショパン

楠樹 暖

 ピアノ発表会で、姉と連弾することになった。しかし、姉はなかなか練習に来ない。
 発表会一週間前、ようやく姉が顔を出したが、やはり演奏はボロボロ。
「だいたい、課題曲のショパンの練習曲って難しすぎるのよ。練習曲っていうならもっと簡単にしてもらわないと」
 なんだかんだと理由を付けて真面目に練習をしない。
 発表会当日、姉は来なかった。結局、演奏は私一人でやることに。
「お姉さん、今日はお休み?」
「えぇ、ショパンの事情で……」

 〈了〉

作者紹介

楠樹 暖

 最後の一文で、あっと言わせる短い話が好きです。
 自分自身は言葉遊び(ダジャレとも言う)の掌編を好んで書いています。
 織豊出版から折本や電子書籍も出しています。

◆織豊出版
 http://www.oritoyo.com/
◆Twitter
 https://twitter.com/kusunokidan

遠出

熊猫二郎笹助

 ふと、どこかへ旅に出ようかという気になった。一週間ほど肌寒い日が続いたのが、今日になって突然暖かな陽気になったものだから、つい窓を開けて庭を覗いたのがいけなかった。
 冬独特の軽く乾いた鋭利な感触に比べ、ふわりとしながらもやや重みの増してきた外気。家のそばに佇む白木蓮は、萼の方を淡い黄緑に染めた白色の大きな花を幾つもつけている。秋以来手入れをされないままだった庭土には、様々な雑草の新芽がすっかり顔を出していた。萌葱色を基調としたペルシア絨毯でも敷き詰めたようなそれは、室内からやや遠巻きに見るからこそ、より鮮やかに目に映った。
 そういった、いかにも春の訪れを感じさせるものが多く庭にあって、挙げ句そよそよと暖かな南風が、妖婦の手つきで肌を擽るものだから、ひとりでは滅多に外に出ない私にさえそういった気が起こるのも無理なかった。
「どうも」
 そうしていると、背後から声がかかった。首だけを捻り、肩越しにその姿を確認する。
「何だ、また今年も来たのか」
 私は肩をすくめた。部屋の入口に男が立っている。ジーンズに白いシャツとベストを着込み、その上にはまだ厚いコートを羽織っていた。
「来ますよ」
「もういいと、去年も言っただろう」
「いいと言われても、僕は来ますよ」
 彼が微笑を浮かべた。それを見て、私は苦笑する。
 彼とはもう二十年以上の付き合いだ。最初の頃は顔を合わせるのも苦痛で仕方なく、訪ねてきた彼に門前払いを食らわしたことも何度かあった。しかし、それでも毎年この季節になると、彼は私の元を訪れた。
 彼は私の暮らす地方の小さな町からは、遠く離れた場所に住んでいる。少なくとも出会った当初は、首都圏に在住していた。そんな彼は私の元まで、鉄道を使って半日もかけてやってくる。その労苦を思うと、さすがの私も良心の呵責を覚えるようになり、出会ってから五年程経った頃からは、彼をすぐには追い返さず、家に上げてぽつぽつと話をしたり、時には泊めたりすることも増えていった。
 そういった折々に彼という人物に触れることで、私の心を蝕んでいた苦痛は徐々に和らいでいった。そして今では、私は彼のことを歳の離れた友人のように思っている。ただ、彼自身はそうは思っていないだろうが。
 彼はこちらへ歩んできて、私の隣に並んだ。一年前に会った時より、頬が随分痩せているようだった。皺も少し増えただろうか。髪にも白いものが混じっていた。
「こんな日には、旅に出たいと思いませんか」
 窓から庭を眺めながら、彼が言った。
「ああ。丁度そんなことを考えていたところだ」
 私は優しげな萌葱色を眺めながら答えた。
「それはいい。じゃあ、吉野にでも行きませんか」
「吉野? 奈良のか」
「そうです。吉野へ行かれたことは?」
 吉野と聞いて、私は少し陰鬱とした気分になった。首を横に振って、彼に答える。
「あそこの桜は良いらしいですよ。山の低い場所から順番に、桜が咲いていくそうです。広範囲に咲くものですから、そこらの桜並木とはわけが違います」
 そう言った彼はどこか得意げだった。おおかた、旅行会社のパンフレットか何かで予め情報を仕入れておいたのだろう。
「きみは、知らないかもしれないが」
 そう、ひとこと前置きをしてから、
「吉野の桜は、信徒の寄進によって植えられたものだ。吉野山は金峯山寺の信徒たちだ。信徒による寄進の意図は、ひとえに功徳を得ることにある。つまり死後の安楽を求めんがために、彼らは功徳を積むのだ。また、吉野は古くから熊野詣の入口であるとされてきた。……きみ、紀伊熊野へは?」
 今度は私から尋ねた。彼の顔からは、先ほどまでの得意げな様子は消え失せていた。代わりに酷くばつの悪そうな表情を浮かべている。そして黙って首を横に振った。
「熊野の地には、日本神話の神・イザナミが葬られたと伝わっている。イザナミは、イザナギとともに多くの神とこの国を産んだ、神産み・国産みの神だ。しかし火の神を産み落とす際に、イザナミはその炎に焼かれて命を落としてしまう。そして後に黄泉の国の主宰神となったのだ。イザナミは、生の象徴でありながら、死の象徴でもある。そんなイザナミが葬られている熊野は、現世でありながら現世にあらず。参詣者が熊野を訪れるのは、この地で、生きながらにして死ぬためだ。吉野は、死地へ向かう旅路の入口でもあるのだよ」
 彼は何も言わない。言えるはずもない。喋りすぎてしまったと私は思った。彼には悪いことをしたとも。
 気付けば、庭は一面灰色だった。すぐそこにあった春が、すっかり色褪せてしまっている。ゆるりと流入してくる空気は、暖かいというよりは生温く感じられ、またその温度が、心の内にまで侵入してくる気配がした。私はそれを、窓ガラスによって遮った。力の加減を誤って、思いの外大きな音がたつ。隣に立っていた彼の体が小さく跳ねた。
「吉野はよそう」
 私は、できるかぎり無為を装ってそう口にした。
「あそこは山で、上り坂ばかりだ。それに、桜の季節は酷く混雑するからね。きみはともかく、私には無理だろう」
「……吉野のこと、よくご存知だったんですね」
 彼の言葉には苦笑が混じっていた。
「私だって無駄に歳を重ねてきたわけじゃないさ。行ったことはないがね」
 言って、私は彼の左肘の辺りを、冗談めかして軽く叩いた。そしてゆっくりと向きを変え、窓から離れる。
「あ、じゃあ、大阪はどうです? 造幣局の桜も綺麗ですよ。あそこは平坦ですし、僕も行ったことがありますから、案内できます」
 私の背に、慌てた調子で彼が提案してくる。その声はどこか必死さを含んでいた。
「大阪もひとが多いからね」
 私はまた、無作為を演じた。
 旅に出たいと彼に告げたのは、間違いだった。それがたとえ、一年ぶりに再会した友人に近況報告をするように、何気なく口にした言葉であったとしてもだ。何しろ彼は、私の望みを叶えること自体が自身に課せられた責務であり、そしてそれこそが、彼にとって唯一の贖罪の道であり、存在理由であると考えているのだ。そんな彼が私のことを、どうして友人と思えるだろうか。
「大阪も、よそう」
「……そう、ですか」
 その声色に落胆の色が濃く滲んでいた。
「代わりに、今から少し遠出をしないか」
「今から、ですか。この時間だと、上りでも下りでも、四時半頃の新幹線には間に合うと思いますけど……観光するには少し時間が遅いですね。行った先でホテルでもとりますか?」
 唐突な申し出にも関わらず、何の疑いもなくそれを受け入れた彼が、酷く哀れに思われてならなかった。そうやって彼が、私の上辺の願いばかり叶えたがることが悲しく、そして少しばかり悔しかった。
「……そんなに遠くに行くつもりはないよ。そうだな、川向こうのタバコ屋まで行こうか」
 私は彼にそう提案した。そして続けて、
「きみが車椅子を押してくれると助かるが」
 首を捻って彼を見る。すると、彼の表情が見る間に明るくなった。
 我ながら、残酷なことをしているとは思う。もっと早くに彼を突き放していれば、彼が贖罪という行為自体に自己の存在意義を見出してしまうことはなかっただろう。それができなかったのは、私が彼との関係に、心のどこかで未練を感じていたからだ。妻を喪い、ひとりきりになった私は、年に一度、彼との友人ごっこに耽ることでしか、自分の心を慰めることができなかったのだ。
 彼に対する相反するふたつの想いに板挟みになった私もまた、誰にも指摘されないだけで、彼と同じく、哀れな人間の成れの果てなのであろう。
「菜の花が咲いていますね」
 長閑な田舎の、交通量の少ない道路の端を、私は車椅子に乗って、彼に押されるままに進んだ。路肩には菜の花が列をなして生え、眩しいほどの黄色い花を揺らしている。
「すっかり春だ」
「ええ、本当に」
 そう言ったきり、私たちは沈黙した。ごとごとと、車椅子の車輪が回る音だけが聞こえる。
 私たちにとって、春は一生忘れることのできない喪失の季節だ。二十余年前、私は妻を、彼は恋人を亡くした。私の運転する車の前に、彼らの車がセンターラインを越えて衝突した。互いに、旅行先での出来事だった。私は一命を取り留めたはしたが、両足を失った。唯一彼だけが軽傷で済んだ。
 運転していたのは彼の恋人だった。免許を取ったばかりの彼女に、運転を勧めたのは彼だ。彼はそれを酷く悔やんでいた。だが、嘆いたところで死者は帰ってこないことを、彼は私以上に理解していた。だからこそ余計にも、生者である私に尽くそうとするのであろう。
「なあ、次の春は」
「来ますよ、僕は。……来年の春も、再来年の春も」
「きみは頑固だ」
「何と言われようが、また来ます」
 私はそれ以上強くは言えなかった。私たちの関係は、結局今年も変わらないままだった。恐らく、死ぬまでこうなのだろう。そう考えると、もはや諦めや呆れを通り越して、可笑しくなってきた。私は思わず声を出して笑った。彼もつられるように笑った。
「どれ、じゃあ来年こそは、本当に遠出をしてみようじゃないか」
「いいですね。どこへ行きます」
「そうだな、熊野にでも行こうか」
「さっき、嫌だって言っていたでしょう」
「吉野と大阪はよそうと言ったんだ。熊野は嫌だなんて、ひとことも言ってないよ」
「……春の熊野で、生きながら、死にますか」
 彼が静かに尋ねてくる。
「私たちには──それも、いいだろう」
 暫し間をおいて、私は答えた。
 風がそよいだ。車椅子の肘掛にのせた手の甲を、暖かい空気が撫でる。柔らかく、あまりにも優しいその感触が、どこか懐かしいもののように感じられた。気付けば頬に涙が伝っていた。彼は黙ったまま、ただ車椅子を押し続けている。ひたすらに前へと進む車輪の音が、どこまでも果てなく広がっていく気がした。私たちが目指す場所までは、まだ少し、遠い。

 〈了〉

作者紹介

熊猫二郎笹助

 ごろごろとしながら趣味で小説を書いているぱんだです。『好きなものを好きなだけ』を心に掲げ、のんびり活動中。作品はWEBサイト及びPixivに掲載しています。

◆WebSite
 http://h-h.velvet.jp
◆Pixiv
 http://pixiv.me/pandanchu
◆Twitter
 https://twitter.com/Xpandanchu

キューピッドになれるか

ほわみ

 突発性難聴の治療のために入院した夫カツミが、朝っぱらから電話をかけてきた。

「ワタルに紹介したい看護師がいるから、見舞いに来るように言って」
「パパ本気なの?」
「本気だよ。今日ベッドメイクのときに聞いてみたら、見舞いに来たときに見てみると言っていたから」

 エミ子には看護師が患者に合わせるためにお世辞を言ったとしか思えない。長男のワタルは役者志望で、バイトをしながら一人でアパート暮らしをしている。カノジョいない歴三一年だ。

 次の日の午後ワタルが見舞いに訪れた。ベッドの上でうつらうつらしていたカツミは「おっ」と言って、起き上がる。
「看護師を呼ぼう」
 呼び出しベルを押す。するとほどなく例のかわいらしい看護師さんがやってきた。
 彼女は別なようで呼ばれたと思い
「はい○○ですね。今用意します」と言った。

 夫はワタルを紹介する。夫はワタルが長身であるので坐っていたワタルを起たせる。ワタルは一八九センチあるのだ。
 看護師は「背が高いんですね~」とか何とか言って調子を合わせている。
 他の看護師さんもワタルを見に来た(???)その看護師さんは長身が好きなようだ。

 ワタルはと言えば看護師さんの名前をプレートでチェックしたらしく彼女が居なくなった後、「カンダさんはいくつ?」と父親に聞いていた。二五、六の女の子とみられる。

 夫のカツミは「どこかで一時間でも話せば相手が自分に合うかどうかわかるさ」と勧める。でもその約束を取り付けるのは、相手はいつも勤務中であるから、なかなか難しいと思われる。

 息子のカンダさんの印象は「愛想のよい子」だそうだ。
 この出会いは果たしてうまくいくだろうか(笑)

 〈了〉

作者紹介

ほわみ

 古本屋好きの父がせっせと本を買ってくれたので、とっても読書好きの子でした。
 でも中学時代に暗い教室で近視になってから、読書家ではなくなってしまいました。
 中高年になってから小説のようなものを書くのは楽しいけど、恥ずかしい(笑)

◆WebSite
 http://blog.goo.ne.jp/meguha_12

起承転転

ゼニゴン

〈 起 〉

 現代社会は、立ち止まり思考する猶予さえも何ら与えず、かつ、油断をしていると奈落の底のような落とし穴があちらこちらの死角に潜んでいる。

 空想が現実を狂わせるのか、現実が空想を支配するのか。日常を装う奇妙な世界は闇に浮かび上がる野獣の目のごとく、未知の獲物、つまり、あなたをじっと観察している。

 
〈 承 〉

 真夜中、正確にいうと午前二時三十四分。ぼくは妻に起こされた。

「ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるの」

 ぼくの意識は、深い海の底から謎めいた気体に吹き上げられたかのように急浮上。明かりを消した寝室はほの暗く、少ない光を最大限にとらえるべき反応、こうさいきん縮小による瞳孔拡大は、まだ、完了していない。声の方向に薄影色、妻のシルエットが徐々に浮かび上がる。

「あたしの、あたしがたいせつに隠していたものを探しているの」

 どこかに隠された何かなんて、さっぱりわからない。オルフォイスの鈴にでも聞いてくれ、なんて思いながらも返事はうらはら。こう見えても、ぼくは紳士なのである。肺に吸い込んだ空気を少しずつはき出すように、ぼくは答える。

「何を探しているの?」

「冷蔵庫奥にあるはずのプリンが無いの。あなたしかいない」

 ぼくの記憶回路は、ぱらぱらと風でめくれるノートのように時間逆行しながらも、素直に謝るべきなのか、居直るべきかの判決を探しはじめる。このケースの場合、五秒以内に判決しなければならない。もちろん、判決は日常生活における夫婦間の力関係が深く関与している。ぼくは素直に謝り、ブルージーンズ、RELIABLEの黒ジャケットに着替えたあと、自転車で真夜中のコンビニエンスストアへとプリンを買いに出掛けることとなる。

 プリンの名前は『No.17』、風変わりな製品名だ。

 ひっそりとした住宅街を抜けると、コンビニエンスストアへと続く県道が現れる。走行車両は無く、街灯さえも無い田畑に囲まれた県道、およそ四百メートル先のコンビニエンスストアが人工的な白色光に輝いていた。

 草木も眠るうし三つ時、ぼくはプリンをめざして、自転車のペダルをひたすら踏み続ける。

 自転車をコンビニエンスストアの前に止めて、店内に入ると男性店員が一名、季節外れの日焼けをしており、髪型の特徴は、ジャマイカあたりで火炎放射器から間一髪、逃げ延びたように縮れていた。入店チャイムにびくりとしたあと、架空の砂時計から解放されたような顔つきに戻り、事務的に『いらっしゃいませ』と告げる。そして、ぼくは目的である製品名を厳かな面持ちで、店員へと告げた。

「No.17をください」

〈 転 〉

「ほんとうに、No.17でよろしいのでしょうか」店員の声に緊迫感がこもり、表情が硬くなりつつある。

「No.17に間違いない。今すぐに必要なんだ」ぼくが告げると店員はコードレスの電話を手に取り、どこかへ問い合わせをはじめた。近隣の在庫確認かと思ったが、言葉が違う。日本語ではない。問い合わせが終了したあとで聞いてみたが、『 プラクリット語 』と店員は答えた。どちらにせよ、さっぱりわからない。

 突如、店内の奥からエンジン音がとどろいたかと思うと蛍光灯が一瞬消え、すぐについた。店内を流れているメロディー、アコースティックのかろやかなBGMが途絶え、代わりに『蛍の光』が聞こえてきた。地球最後の夕焼けみたいなメロディーが店内を支配しはじめる。ぼくは両目を見開きながらも、無言の問いかけを店員へと投げつけている。

 しばらくすると、店員はおずおずと話はじめる。
「当店は自家発電に切り替わり、お客さまのリクエストであるNo.17をめざして、起動したんです」

「キドウ? キドウって何? よくわからないなぁ」

 ぼくは、店内のフロア、地の底からの微振動が大きくなりつつある状況に戸惑いながら、非常事態におけるきまりごと、脱出すべきであろう入り口までの距離を、視線のみ動かしながら目測をしている。
 やがて、地底空間への鋼鉄扉が開くような鈍い摩擦音、店内を流れるメロディー『蛍の光』を打ち消しながらとどろく。

「お客さま、地震ではありません。No.17をめざして、この店は地下へと移動開始しました」
 と、言い終えるまえに、コンビニエンスストアは地鳴りを引き連れながら、地底空間へと沈み始めた。店の上部外壁沿いに設置されたチェーン店特有のブルー照明は、沈み行く店から地上へと置き去りにされながら破壊され、電気配線ショートによる火花をまき散らしている。その閃光きらめくなかで、ぼくの自転車は、哀愁漂う『ドナドナ』を唄うかのように、静かにたたずんでいたのである。
 思わずぼくは、声にはならない小さな叫びを上げる。「マジですか!」

 コンビニエンスストアに乗せられて、地底空間へと潜りはじめてから、五時間が経過していた。次第に店内の温度は上昇しはじめ、我慢できずに清涼飲料水の冷蔵棚へ上半身を投じようとしたが、店員にしかられたので中止した。No.17への道のりは、銀河系の惑星探査よりも果てしない道のりを感じる。

 きっと、明日の朝刊トップには、『コンビニエンスストアが突如消息を絶つ。店員と男性客Z氏が巻き添えか!』なぁんて感じだろう。コンビニエンスストアが存在していたであろうぽっかりと開いた地底口、その上空にはマスコミ各社のヘリコプターが飛び交い、世間の好奇心を必要以上にあおりたて、視聴率アップを狙うのだろうなぁ。妻は心配しているだろうか。思案しどころ雨あられ、料金を請求され憤慨したけれど、温かいおでんを食べながらも、妻のたいせつなプリン、No.17を内緒で食べてしまった罪がこれほど重いのかと、ぼくは心底、嘆いていた。

〈 転 〉

 まるで、無明の宇宙空間を漂うような地底潜行は、唐突に終わりを迎えた。コンビニエンスストアが停止したのである。
 かすかに火山ガス、さん硫黄いおうのにおいがしており、店の外は地獄変の屏風びょうぶみたいに、遠火とおびしの火鏡に照らされているような赤い世界が拡がっていた。念のために店員の縮れた髪を見つめて、鬼の角が無いか確認したが幸いなことに彼は鬼ではなかった。
 唐突に入店チャイムが聞こえて、ほんとうにぼくは驚いた。ぼくの妻が立っていたのである。

「反省したかしら。あたしが手を三回たたくと、あなたはかくせいするの。おわかり」

 妻が手を打ち、ぱん! そして二回目のぱん! と手の打つ音が続いた。おや、三回目が続かない?

「ねぇ、ちょっと聞きたいことがあるの」

 ぼくは、『No.22』という名前のチョコレート、身も心も溶けてしまいそうなくらい甘い味を思い出しながら、後悔しはじめたところである。

 〈了〉

作者紹介

ゼニゴン

 出張の多い会社員です。移動時間に本を読む、なぁんてことがエスカレート、お話しを書くようになりました。

◆超短編小説会
 http://ssstory.net/userinfo.php?uid=235

楽園

ザード@

 その楽園に至るには代償を払わないといけないという。巨大な壁に守られ強固な門で閉ざされた楽園。その楽園への招待状にはこう書かれていた。
「皆さんを楽園へと誘います。最愛の人とともにいらして下さい」
 差出人不明、自分の住所も書かれていない、なのに不思議と彼の元へ届いたその手紙。どうやら他にも受け取った人がいるようで楽編の門の前には他にも何十名ものカップルや夫婦がいる。しかし彼らはある現実に直面していた。門が開かないのだ。何度叩いても、どれだけ叫んでも誰も何の返事もしない。彼は彼女を抱き寄せた。自然と、彼女の体温を感じる。それからふと気づく。楽園に至るには代償を払わないといけないという普遍的事実に。
「まさか……」
 言いながら彼は辺りを見回す。すると、突然騒ぎは起きた。ある男が女の首を絞めたのだ。力強く。必死に抵抗する女。しかし、段々とその力は弱くなっていった。
「お前を殺して俺は楽園に入る!」
 男は叫んだ。それから女は事切れた。そうすると次の瞬間には門は開き、中からピエロが現れる。
「ようこそ。楽園に入る資格を得た方よ」ピエロの後ろは白く光っており楽園の中の様子は分からなかった。女をたった今殺したばかりの男は誘われるように門の中に入っていった。そして門はあっという間に閉じた。

 それからはありとあらゆる手段でお互いのパートナーを殺そうとする人間でその場は溢れかえった。一人死ぬ度に門は開き、男が、女が吸い込まれるようにピエロに向かって進んでいく。
「まさかあなたまでこんな馬鹿げた真似しないわよね?」
 彼の妻である彼女が言った。
「さあ? 君が僕を殺さないとも限らない」
「信じていないっていうの?」
「違う。どうすればいいのか分からないんだ。目の前に楽園があるのに、君と一緒では入れないなんて」
「帰りましょう」
 見ると、引き返す人たちもパラパラと見られた。それから彼らを除く全ての人がいなくなった後、男女の死体が大量に転がるその場に彼と彼女は残った。
「ここに楽園はない」
「そうね」
「あるのは、ただの地獄だ」

 〈了〉

作者紹介

ザード@

 KDP作家にしてファンタジー作家。
 影響を受けた作家はゲド戦記の作者であるアーシュラ・K・ル=グィンとレヴァリアースを描いた漫画家である夜麻みゆき(敬称略)
 現在のKDP代表作は「月光のリフレイン」
 今回寄稿させて頂いた「楽園」はル=グィンの「オメラスから歩み去る人々」(風の十二方位収録)の影響を受けた作品です。
 ショートショートを執筆したのは初めて故至らない点等多々あると思いますが、お楽しみいただけたなら幸いです。

◆Website(The Wonder's Twilight Claudias)
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リセットボタン

ほみち

 しりとりでしか会話できない世界で
 全ての出来事をリセットできるボタン
 リセットボタンを巡る揉め事が起こる。


A「リセットボタンは使わない」
B「言ってられるのも今のうちだ」
A「誰なんだ、お前……!?
B「偉そうな口を聞かないほうがいい……こっちには人質がいるんだからな」
A「なんだと……!?
B「とにかく、お前は俺の望みを叶えてくれればいい……」
A「……嫌だ、それだけは」
B「話のわからないやつだな!」
A「なんと言われようと、嫌なものは嫌だ!」
B「だとしたら、お前の息子の命は保障できねぇな……」
A「……なおや!? なおやなのか!?
B「構わねぇよなあ? 例えば俺がコイツの耳を削ぎ落としたとしてもな……」
A「なんて惨いことを……!」
B「おいおい、俺も鬼じゃねぇ。はじめっから言ってるだろ? 望みは、ひとつだって……」
B「……手を出さないと、約束してほしい」
A「いいだろう、さあ、早く」
B「……くそっ! まさかこんなことになるなんて」
A「手始めに……そうだな、俺が今履いているジーンズをリセットしてみせろ」
B「ろくでもないことに使うなよ!」
A「よく言うぜ……お前もコイツで上手い汁吸ってきたきただろう?」
B「うるさい!」
A「いいから、早く」
B「くそ……弱みさえ握られてなければ……」

(ぽちっ)

A「馬鹿な! 信じられない! ダメージジーンズのダメージがない!」
B「いいのか? それじゃあただのジーンズだぜ」
A「贅沢言えば……もう一度リセットしてダメージジーンズに戻して欲しい」
B「嫌だ」
A「だよな」
B「なんに使うつもりだ、このリセットボタンを」
A「お前はおかしいと思わないのか? 俺達はしりとりでしか会話できないんだぜ?」
B「全然気にしたことなかった……でもまあ言われて見れば不便かもな」
A「な? 俺、今本当はおうむ返しに『不便だよな』って言いたかったのにこんなに遠回しに伝えなくちゃならないんだから、確実に不便だ」
B「大体、俺達が唯一おうむ返し出来る言葉は回文だけだからな。例えば……新聞紙」
A「新聞紙」
B「新聞、だけだと『ん』がつくから言えない」
A「いかにも」
B「もしも、最後に『ん』がつくと、それ以上進めなくなり死んでしまうらしいな」
A「名前にさん付けなんて、迂闊に出来ないよな」
B「何より、『ん』がつくとこの世界もろとも消滅してしまうと聞いたことがある」
A「る……? る……? る、る……」
B「るからは繋げにくいよな」
A「なんだか嫌になる、毎日毎日こんなこと」
B「とにかく、本当のところ『ん』がつくとどうなるのかは誰も知らない……なんとかならないものかな」
A「なんとかなるんだよ、それがあれば」
B「馬鹿な……どうやって」
A「てめぇのそのリセットボタンで、この世界をリセットするんだろうが!」
B「が……? が……? が……」
A「『が』では繋げにくかったな」
B「ナイスアイデア!」
A「ありがとよ!」
B「よしじゃあ、早速押すとしよう」
A「麗しき新しい世界! 待ちきれない!」
B「行くぞ? せーのっ! スイッチオン!」
A「ん───────!?

 〈了〉

作者紹介

ほみち

 星新一が好きで、個人サイトでひっそり活動しております。

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悪魔のふりをした天使

みそっかす

 ある、大昔の話。天界から、天国の使者「天使」と地獄の使者「悪魔」が舞い降りた。
 天使と悪魔は、それぞれ目的を持っていた。

──天使は「人々にいたずらをし、人間たちを困らせること」

──悪魔は「人々に善い行いをし、感謝されること」

 つまり、天使は悪魔のふりをし、悪魔は天使のふりをしなければいけなかった。
 これは、それぞれいつもとは逆の行いをし、改めて自分たちのしてきた行いを尊ぶ為、神様が言い渡した指令であった。
 そして天使と悪魔は、それぞれ人間の姿に身を包んだ。

 天使は青年に。
 悪魔は年頃の少女に。

 二人は目的を果たしていき、やがて、天使は人々に嫌われ、悪魔は人々に感謝されるようになった。
 そんなある日、村で火事が起きた。と言っても、それはすぐに発見され、ボヤ程度の騒動で済んだ。
 これは誰が火をつけたわけでも無く、自然についた火だったのだが、村人は「あの青年の仕業だ!」と口々に揃えた。

 数日後、ある満月の夜、悪魔は天使を呼び出し、久しぶりに顔を合わせた。
「よう、調子はどうだ?」
「うん、ぼちぼちだよ」
「そうか……それは何よりだが、俺はそろそろ限界近いぜ。人の笑顔を見る度に胸クソ悪くなる。いい加減、人間の困り果てた顔でも拝みたいもんだぜ」
 悪魔がそう言うと、天使は無理に笑顔を作ってみせ、こう言った。
「君が羨ましいよ」
「何故だ?」
「君は、僕が生き甲斐としている、人々の笑顔を見て生活しているんだから……」
 すると悪魔は「ニシシシ」と笑って答えた。
「俺はその逆だから、お互い様だぜ」
 そして悪魔は「あっ」と思い付いたような表情を浮かべると、こう続けた。
「なあ、一日だけ入れ替わってくれないか? そうしてくれよ。頼む!」
 天使は、神様に知られたらまずいと思い断ったが、悪魔があまりにしつこかったので、一日だけ入れ替わる事にした。

 次の日──
 青年に扮した悪魔は、好き放題いたずらを働いた。
 そして教会へ忍び込んだ時、どっと押し掛けた村人たちにより取り押さえられた。
「──うっ! くそっ!」
「コラッ! もうこれ以上の悪さは許さんぞ!」
「この前の放火もお前の仕業だろ!」
 村人たちは、青年が悪魔とは知らず、口々に彼を罵った。
 尚も抵抗する悪魔。
「離せ! クソッ!」
 そしてそのまま連れて行かれ、小さな地下収容場に入れられた。
 悪魔は諦め壁にもたれかかり、ふて腐れていると、少女の姿に身を包んだ天使が、周りを気にする様にやって来た。
「捕らえられたって、本当だったんだ……。ごめんね、僕がイタズラばかりしていたから……」
 すると悪魔は、壁に背中を付けたまま口を開いた。
「……仕方ないだろ。まぁ、反省したふりでもしてりゃ、すぐに出してもらえるだろうよ」
 すると天使は焦った感じでこう言った。
「え! 聞かされてないの!?
「ん? 何を」
「捕らえた青年を火刑に処すって、村中大騒ぎだよ!」
「──!」
 悪魔は檻にしがみついた。
「マ、マジかよ!? ヤバいって! 火は……まずいぜ……」
「火は……僕らの魂でさえ消滅させてしまうからね……。どうしよう……。それじゃあ、今入れ替わろうよ」
 天使は提案したが、悪魔は首を横に振った。
「駄目だ……。村人に抵抗するので力を使い切っちまった……。入れ替わるのに必要なだけの力はもう残ってない」
 悪魔は檻に手を掛けたまま、うなだれた。
 そして「まぁ、俺のわがままだったし……。自分の責任だよな」と、顔を伏せたまま続けた。
 それから数時間後、悪魔は村の広場へ連れて行かれた。
 広場には、円を囲むように村中の人々が集まっていた。広場の真ん中には杭が刺されており、そこに幾数の薪が積まれている。
「こりゃマジだぜ……。火か……熱いって、どんな感覚なんだろうな……フフフ」
 悪魔は虚ろな目で、ニヤッと微笑んだ。
 そして村人は、青年を杭へ縛りつけると神父を側へ呼んだ。呼ばれた神父は、ぶ厚い本を広げ、青年に慈悲を下した。
 そして、火の灯ったたいまつを薪へ近づけると、途端に火は薪へと燃え移り、あっと言う間に青年を包んだ。

──あぁ……「熱い」ぜ。なるほどな、こりゃあ、人間も悶絶するわけだぜ。クククク……──

 悪魔は焼かれ、物凄い勢いで煙が天へと昇っていった。
 天使は「ごめんね、ごめんね」と何度も繰り返した。
 そして、煙の昇る先に目をやった。

「──あ」

 そこには光が溜まっており、それは燃え盛る業火の中へと、一直線に伸びていた。
 そしてその光の中を、黒く大きな翼を持った悪魔が、数人の天使により、天へと導かれて行った。
 それを見た天使は「まさか……悪魔の彼に、天使の迎えが来るなんて……」と、驚いたが、少しだけホッと胸を撫で下ろした。
 その時、天使は声を掛けられた。
「おい、お前さん、この前は大丈夫だったかい?」
 振り返ると、そこには顎髭をたくわえた、しわくちゃの老人がいた。
「──?」
 天使はポカンとした表情で「何がですか」と聞き返すと、老人は話し始めた。
「忘れたのか? ほら、この前の満月の日、ワシがあの青年の火刑決定の話をした時の事だよ。火刑執行が今日だと知った途端、お前さん血相変えてどっか行っちまったろ。気分でも悪かったのか?」
「──!」
 天使は愕然として、その場に泣き崩れた。
 そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。

──ありがとう。君はきっと、悪魔のふりをした天使だったんだね──

 〈了〉

作者紹介

みそっかす

 作家、シナリオライター志望ですが、活字、文学系の進路とは全く無縁な人生を歩んできました。
 主に「小説家になろう」様にて同名でショートショートを書いております。が、長編も執筆中です。
 ショートショートは、ラストにどんでん返しのくるような作品を目指して書いています。
 好物は伏線。
 タイムスリップ系の物語が好きで、そういった物語ばかり考えています。
 拙い文章ですが宜しくお願い致します。

◆小説家になろう
 http://mypage.syosetu.com/416356/
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瞳の中の流星群

椿紀夫

 彼女の瞳には流星群の輝きが収められていた。
 これは冗談でも何でもなく去年の十二月に彼女と双子座流星群を見物しに近所の展望台に上って以来、晴れ渡った夜空に輝いていた星の白線が彼女の瞳の中にいとま無く輝いて見えるようになったのだ。
 その瞳は宛ら硝子の球体のようで、双子座流星群が降りしきる夜空を彼女の瞳の中に幽閉したかのように思えてしまう。
 彼女もそのように思っているらしくて
──私の両目には流星群が住み着いているんだよ、きっと。
 そう言っていつも笑っていた。
 彼女の瞳に流星群の輝きが収められている事に気がついた当初は、彼女が奇妙な病に罹ったか、或いは私の目が壊れてしまったものかと思って不安だったのだが、段々と歳月を経てゆくと自然と危機感も薄れて行って、私は彼女の瞳に宿る流星群に愛着を持つようになっていた。彼女もまた流星群の瞳に愛着を持っているようだった。
 彼女の風変わりな瞳が常にセンセーショナルな事柄を求め続けている小煩い世間に注目されたかといえば、けしてそんなことはなく、彼女の知り合いからは良く出来たカラーコンタクトを付けている──その程度にしか思われていなかった。彼女の瞳は深夜になると狭い一室なら照らし尽くす程の目映ゆい輝きを放つのだが、朝方にはどうも艶艶と僅かに明るいだけで、夜遅くに見せるような蒼褪めた流星群の輝きを見せることはなかった。そのため彼女の流星群の瞳は私と彼女の家族だけが知っている細やかな秘事であった。
 彼女の家族は流星群の瞳に対してとても寛容な態度を取っていて、彼女の父はふとした拍子にこんな事を言っていた。
──流星群の瞳もかぐや姫のように、いつか自然と自分の家に帰ってしまうさ。
 私は彼女の父親からこの事を聞いた時、腸を捕まれたような心地になって、泉のように沸いて来る不安を抑え込むことに必死になる事しか出来なかった。そんな例えかたをされてしまったら彼女自身がかぐや姫であるように思えて仕方がなくなってしまうのだ。
 そうして不安なまま時を重ねていくと、案外季節は平穏に過ぎて行き、相変わらず彼女は瞳に流星群を輝かせて私の傍らに座っていた。

 しかし、私の胸に蟠る不安はまだ生きていた。だから私は彼女を画いてみようと思った。写真でも良かったのだがそれだともし彼女がいなくなったあとすぐに忘れてしまいそうで何となく恐ろしかった。私は扱い慣れない絵筆を取って拙い描線を重ねてゆき精一杯彼女を画こうとした。だがなかなか満足の行く絵を画くことが出来ずそのため毎日のように彼女を画いていると、いつの間にかまた夜空を流星群が彩る季節になってしまった。
 すると彼女は
──また、あの日の展望台に行こう。
 そういって私と約束を交わした。
 彼女は微笑んでいたが、私の胸は苦しかった。
 私は、あの時交わした刹那の胸の痛みを一体いつまで感じ続ければいいのだろうか。
 胸を震わす不安に苦しんでいれば、瞬く間に時は過ぎて、気がついた時には彼女と約束した日になっていた。
 私は、久しぶりにイーゼルの前から離れて彼女と共に夜遅く、重たい足を引きずって展望台に向かった。
 彼女と共に大通りを抜けて煉瓦で舗装された道を上り山の茂みを抜ければ天を摩する展望台が閑寂と立っている。
 私と彼女は木製の階段を踏越えて、眼下の町並みを一望出来るところまで歩いてゆき、立ち止まった。
 その日は示し合わしたかのように月の光が淡い夜で、夜空は少しの迷いも無く鮮やかに晴れ渡り、眼下に拡がる町並みはそこかしこに煌めく極彩色のライトが輝いていた。
 きっとこの景色を眺める私の瞳は、絢爛な町並みを映して絶えずきらきらと輝いているのだろう。
 だけど、彼女の瞳は違う。
 彼女の瞳は町並みの絢爛な輝きすら遠ざけて、ただ流星群の輝きを瞳の中に収めているだけなのだ。
 それは何を見ても──どんなに輝かしく、例えどんなに愛おしいものでも、彼女の流星群の瞳に混じるものは何一つだってこの世に存在し無い。
 ただ彼女の瞳はどこまでも流星群の輝きを湛えているだけなのだ。
 夜空に輝く流星群の輝きは今夜、彼女を連れて行ってしまうのだろうか。
 ここまで美しい夜ならば、それでも良い気がしてきたが、胸を締め付ける不安は絶えず私を襲っていた。
 黙っていると、流星群が瞬く間に夜空を彩り始めて、また去年の輝きが私の視界に収まった。
 夜空に画かれては消えてゆく白線を眺めていると、この輝きに彼女が連れてかれてしまうのではないかとそれが脳裏に過ぎって彼女の掌を探しそれを見つけるときつく握り締めた。
 すると彼女は流星群の瞳で私の顔を見つめ
──あら!
 驚きの声を漏らすと私の瞳を指差した。
──流星群が!

 〈了〉

作者紹介

椿紀夫

 怪奇小説や幻想小説が好きです。Twitterに幻想文学太郎という名前で登録しています。

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シーラカンス

ラジコ

「シーラカンス、見たことあるか」

 帰り道、突然肩を叩かれた。よく飲み込めず、あー、シーラカンスってあれか、何年か前に話題になった。記憶という魚をおびき寄せてなんとかそれだけ返す。
「それそれ。あれがさ、いつもの沼にいるんだ」

 ふうん。鼻から声を出すと、だんだん曇りの取れてきた眼鏡の奥から、坂田は俺の目をじっと覗き込んだ。いるんだ、本当に。相変わらず甲高い小声に、熱を含んでいる。
 おかしいだろ、あの沼? 確かシーラカンスが見つかったのってアフリカかどこかだろ。そんなおれの言葉を聞いていたのかいないのか、時々噛みながら坂田は続ける。
「昨日足滑らせてさ。沼の中、一匹大きい魚が泳いでた。圧倒される感じだった。なんだかこっちを見てる。時々口の端から泡出してるんだ。しばらくして自分が沼の中だって事に気がついて、慌てて泳いだんだけど」
 そんなことを唾を飛ばしながら続け、綺麗だったな。お前も落ちてみろよ。坂田は恋をしているように目を輝かせた。足が周りの目にねじられ重くなり、苛立つ。一体その魚がどうしてシーラカンスなんだ。弾む声がぴたり。そして1mほど先を歩いていた坂田は急に振り返った。

 あれはシーラカンスでしかありえないんだ。
 一気に冷えた声とそればかり大きすぎる目と。一瞬鳴り止んだセミの声が、再びけたたましくなる。


 結局気のない俺にそっぽを向いて、坂田はまたぶつぶつ呟きながら離れていった。学年が上がると同時になんとなく疎遠にもなった。道の向こうを見てしまえば、あまりにも頼りない関係だったのかもしれない。


 だが、何年経ってもあの会話は俺の中に息を潜めていた。考えるたびにうんざりするのに、シーラカンスを。その思いに抗えなくなってきていた。腹を決める。
 今俺は沼の淵に立っている。遂にあの目の真偽を確かめる。足からとぷりとガムシロップのように滑り込む。沼の水の、中。
鮮やか さ、を、    徐 々 に、
          失   
                             う
                     。


 ゴーグル越しの景色は、思っていたよりも遥かにビー玉だった。苔が一斉に踊り、時折、自分自身の鼓動を感じる。青暗さに五感が僅かに膨張する。
 揺らめく影に気がついたのは、奇妙な視線を感じたからだ。振り返ると、俺よりもでかそうな魚がこちらをじっと見つめている。腹から下は闇に紛れてよく見えない。ひれの動きに合わせて鱗が滑る。こぽり。不定期な気泡が脳の働きを鈍らせる。そして俺の焦点は、彼の目へと絞られていく。こぽり。

 こぽり。

 こぽり。


 体の内から疑問が浮き上がってくる。
 「どこかで、」
 それは体の内からだったろうか、それとも、もっと奥の? 殺せなかった声がごぼごぼとまとわりつく。彼はこちらを一瞥すると体を翻し、また深い闇へと潜っていく。慌てて追おうとするも、尾ひれの勢いに押され、届かない。逆上がりのできない小学生のようだった。意志と無関係に体が押し戻される。伸ばした手に、たわむ気泡を捕まえたかった。


 気がつけば目の前に郵便受けがある。右手を置き、左手の葉書を見つめている。全身がじっとりとしている。宛名も差出人もない、ただの水中の写真だ。でもそれは葉書だった。

 だんだんと、濁る記憶の中へ、メッセージが溶け込んでいく。周辺の都市開発が進み、あの沼も埋め立てられることが決まった。
 何を忘れるなと、覚えていろと言うのだろう。知っているさ。知っている。痣も手紙も汗に混じる沼臭さもシーラカンスも、意味を飲み込んで溺れないように、俺には目蓋がついている。
 水面下、それはいる。こぽ、こぽり。薄まりはしても決して消えないあのぬるい肌触りを、呼吸を思い出す度、見つめた瞳が懐かしい眼差しを湛えているような気がするんだ。
 なぁ、坂田?

 〈了〉

作者紹介

ラジコ

 いつだって全力で蛇行運転

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月天使

でんでろ3

 いつもの駅の、いつもの立ち食い蕎麦屋。券売機で一瞬迷う。いや、月見にするのは決めている。そばにするか、うどんにするか。いやいや、やっぱり、そばでしょう。卵の黄身の絡みが違う。そばに決定!

 私の前に、月見そばが置かれる。割り箸を割る。
「いただきます」
 早速、卵の黄身の膜を破ろうとすると、
「待ちなさい」
 と、直接、頭の中に、高く澄んだ声が響いてきた。
「何だ? 今の?」
 おかしいな? とは、思ったが、気を取り直して、卵に向かう。
「待つのです」
 またしても、声が、頭の中に、直接響いてきた。
 店の中を見回してみる。店員が1人、両隣りにサラリーマン風の客。3人ともおっさんで、響いてきた高く澄んだ声とはイメージがかけ離れている。
「まっ、いっか」
 今度こそ、食うぞと箸を伸ばすと、
「待てっちゅうとんのじゃ、こらっ!」
 という声がして、右手が何か見えない力に縫いとめられたように動かなくなった。
 頭だけ、後ろに、ぐ、ぎ、ぎ、ぎ、ぎ、と回すと、そこに不思議な光を放つ何かがあった。それは、宙に浮かぶ、赤ん坊のようであった。背中に白い小さな羽をもち、頭の上に光る輪が水平に浮かんでいた。
「き、君は?」
「私は、月天使」
「月天使?」
「そう、月を守るのが私の役目」
「……後にしてくれませんか? とりあえず、これ食っちゃいますから」
「いや、だから、月見そばや月見うどんの月を守護するのが私の役目……」
 私と月天使は、しばし、見つめ合った。
「……意地でも食ってやる」
 私は、月見そばに向き直った。
「まぁ、そう、慌てなさんな」
 月天使は、とりなすように言ってくる。
「別に、食べるなと言っているわけじゃない。しばし、卵の黄身を割るのを待ってはくれまいか? 美しい月を見ながらそばをすする。これぞ、まさしく、月見そばではないか?」
「何言ってやがる。俺はなぁ、崩した卵の黄身を麺に絡めて食うのが好きなんだよ。見てるだけじゃ、味が変わらねぇだろう?」
「だから、食うなとは言ってない。最後に、卵をチュルッと、すすれば……」
「それじゃあ、そばと卵を食ったことにはなっても、月見そばを食ったことにはならん。えぇい、左手で食ってやる」
 私は、左手で、右手の箸を、ひったくるようにして取り、卵の黄身に箸を伸ばした。すると、慣れない左手だからというべきか、なのにというべきか、箸の上に黄身が乗っかり、そして、黄身は再び、麺つゆの中にダイブした。
 すると、その瞬間、黄身が落ちたあたりに濃密な湯気が立ち上り、あっという間に、それが晴れると、そこに、白いローブをまとい白く長いひげを蓄えた老人の小人が立っていた。
「わしは、この月見そばの精じゃ。お前が落したのは、この銀の卵の黄身か? それとも、この金の卵の黄身か?」
「いえ、私が落したのは、普通の本物の卵の黄身です」
「うむ、偉い。お前は正直者じゃ。よって、この銀の卵の黄身と金の卵の黄身を与えよう」
 そう言うと、老人の小人は麺つゆの中に消えていった。
「えっ、おいっ、ちょっと待て。俺の本物の卵の黄身、返せ。おいっ!」
しかし、小人も、卵の黄身も、戻ってはこなかった。
「くそっっっ!」
 私は、荒々しく、立ち食い蕎麦屋のカウンターを拳で叩いた。
 すると、麺つゆが丼の淵からこぼれて、丼の外側を伝った。
「あっ、いっけね」
 私は、急いで、紙ナプキンで、丼を拭いた。
 すると、もくもくと煙が立ち上り、魔人が出てきて言った。
「私はこの丼の魔人だ。願いを3つかなえよう」
「……悪いが1人にしてくれないか?」

 〈了〉

作者紹介

でんでろ3

「ギャグで感動を超えよう」と、ギャグ一筋できたけれど、さすがにギャグだけでは無理と悟り、2年前くらいから、色々なものに手を出しています。やってみると、意外に楽しいものですね。 でも、1つだけ選べと言われたら、やっぱりギャグですけどね。

◆Twitter
 https://twitter.com/dendero3

あなたには、あげない

kakua

 なつのー、と後ろから大きな声で呼ばれていることがわかっていても、奈津乃は簡単には振り向かない。
 呼ばれる度にふわりと自分の顔が紅潮するのに気付いていても、後ろからバタバタと駆けてくる、聞き覚えのある足音に胸が躍っても。
 奈津乃は、振り返らない。

「奈津乃ー!」

 自分に向かって無防備に笑って駆けてくる、彼の顔など見たくはなかった。見なくてもどんな顔をしているかわかるほど、その顔を大好きでも。
 見れば見るほど好きになるとわかっているから。

「無視するなっつの!」

 後ろから肩に触れた指に、心臓が痛い位に高鳴っても、何でもない風を装って奈津乃はやっと、彼の顔を見る。

「……、何、」
「んだよ冷たいなあ」
「だってあんたの彼女に喋んなって言われたよ」

 なるべく冷たい声音をつくって、無愛想に奈津乃は応える。悠斗は、それにも慣れた様子で、笑顔で奈津乃に話し掛ける。

「別れた! だから今日カラオケ行こうぜ」
「また別れたんだ……」
「だって奈津乃に文句言ったじゃんあいつも」
「自分の彼氏が他の女と仲良かったらむかつくじゃん、しょうがないじゃん」
「しょうがなくねーよ」

 ふてくされた悠斗に、やっと奈津乃は少し笑ってみせる。

「奢ってくれるわよね」
「奢る奢る」
「じゃあ行く」

 お互いの授業が既にないこともわかっているから、奈津乃は食堂に向けていた足を止め、まるきり逆方向に歩き出した。悠斗はそれにも慣れた様子でついてくる。
 悠斗はよく彼女が変わる。別れる時には大概奈津乃が原因で、けれど悠斗は奈津乃との関係を変えようとはしない。奈津乃も悠斗が変えようとしない限り、自分から変えてやるつもりもなかった。
 悠斗はいつも期待しすぎるのだと奈津乃は思う。
 今度の子は奈津乃とも遊んでいいって言うんだ、そう嬉しそうに報告してくれはするのだが、大概、悠斗にはそう言いながら、奈津乃に牽制するのだ。
 余り遊ばないでほしい、
 余り喋らないで欲しい、
 余り彼女である私の気持ちを、私のプライドを、傷つけないで欲しい──、
 しかも、奈津乃にそれを要求するのはご本人様でなく、彼女の友達だったりするわけで、きっちり計算ができているなと奈津乃はいつも感心する。

「俺いつも裏切られるよね女の子に」

 悠斗がぽつりと呟き、奈津乃は左隣に並んだ悠斗の頭の上に、ぽんと軽く右手を置いた。

「女性不信になるかもしれん」
「もういっそなりなよ、あんたしばらく彼女つくるべきじゃないわ」
「奈津乃が付き合ってくれんならそれでもいーけど」

 悠斗はいつも、そう言う。奈津乃はそれを冗談だとわかっているから、真面目に聞いたりはしない。奈津乃は悠斗の頭に置いていた右手で、彼の頭を軽くはたく。
 胸が痛んだ。

「やだよ」

 冗談だと、わかっているから。
 冗談だと、わかってしまっている、自分が滑稽で、奈津乃は悲しかった。

「あんたのことは好きだけど、あんたとは寝たくない」
「……あからさまに言うなよ……」

 悠斗は恋愛初心者でもない癖に顔を赤らめて、狼狽える。
 奈津乃はくすと小さく笑ってみせる。悠斗は拗ねたように小さく、バカ、と呟いた。

(寝たくない、わけ、じゃ、ない)

「お前俺子供扱いしてるもんな」
「してないわよぅ。経験豊富な男ですもの悠斗サマは」
「……、わかった、子供扱いはしてなくても馬鹿にはしてんな」
「あーそうかもねー」
「認めんなよ!」

(一度寝たら、もう、戻れない)

 悠斗は大声で笑いながら、左手でがっしりと奈津乃の肩を抱いた。奈津乃も右手を悠斗の腰にまわす。
 悠斗は奈津乃とは手を繋いだりしない。男友達にするみたいに肩を組む。奈津乃はそれを知っているから、嬉しくても喜べない。胸が高鳴っても期待は、しない。
 つい先刻まで彼女だった女の子と、学校の門をくぐるあたりですれ違ったけど、悠斗も奈津乃も、お互いを離したりはしなかった。みるみる泣き顔になっていく彼女を、奈津乃は優越感と嫉妬とがないまぜになった気持ちで見ながら、彼女の横を通り過ぎた。

(……悠斗、)

 奈津乃は悠斗に向けて、そっと言葉を紡ぐ。伝えることの出来ない言葉を。

(私は、女で、)
(悠斗の嫌いな嫉妬もするよ)
(彼女にごめんねなんて、思わないよ)

 奈津乃は悠斗にまわした右手で悠斗の脇腹をくすぐる。のけぞった悠斗を指差して笑って、そして奈津乃は逃げるために走りだす。

(だから、悠斗、)
(好きだ、なんて、言わない)
(親友のまま、側にいて、)

(ずっと、待ってる)

 他の誰より、奈津乃がいいんだと、奈津乃がわかってくれるんだと、言わせるための罠を張り巡らせて。
 躰も心も、だから、簡単にはあげない。
 悠斗を注意深く、罠に誘い込むまでは、好きだなんて言わない。キスもセックスも、悠斗とは、しない。

 ──例え、その過程で傷つくのが、自分ばかりでも。


(あいしてる、)

 〈了〉

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kakua

 なんとなく割り切れない、よくもわるくも現実的な、でも青臭い小説を書いています。

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機械の花

茶屋

 ショロロロ……
 綺麗なアクアマリンの花びらに茶色の雫をかける。
 私は今日も花に水を与える。
 もっともこの花は機械仕掛けで、かける水は油だが……


 文明がエネルギー資源に行き詰まったとき、この花は生まれた。
 どこかの国の誰だか知らない研究者がある画期的な発明をした。

 その形が花に見えることからその発明品の名は、

 Deus ex Flora(デウス・エクス・フローラ)
『機械仕掛けの花』と、そう呼ばれた。

 世紀の大発明と謳われたその発明は世界を一変させた。
 その発明(私はフローラと呼んでいる)は海の水を油に替えることができるというものだった。

 使い方は簡単だ、海水の溜まった場所にフローラを植えるそして少量の油をかける。
 するとフローラの中心、花芯のように見える場所からまるで涙のようにアクアマリンの花びらをつたい透明な、純度の高い油がでてくるのだ。
 一滴の廃棄油で数リットルの純度の高い油を作る、しかも原料を海水とするその仕様は地球上からエネルギー不足という言葉を消した。

 技術はあるが資源に乏しい私の国はフローラを絶賛し、先進国の優越を最大限に利用し権利をものにした。
 そして片っ端からフローラを植えエネルギーを大量生産した。

 フローラは合金と特殊な樹脂さえあれば簡単につくることができ、その結果、利益を目的とした人々が個人個人でフローラを作り出すようになった。粗悪品、劣化版など様々なものが流通した。

 そうして世界は変わって行く。

 油を燃料とする火力発電が電力生産の九九パーセントを占め空はスモッグで覆われていった。
 海に直接フローラを植えるという行為をする人々のせいで海の生物のそのほとんどが死滅した。

 それでも世界は豊かになった。

 魚も野菜もプラントで生産されるようになった。
 なにせエネルギーは無限にある。安心で高品質なものが安価で手に入る、正に夢のような話だった。

 こうしてこの美しい花が生まれてからわずか一〇年で地球は水の惑星から油の星になった。


 ショロロロ……
 私は今日も花に水をやる。
 フローラには実は欠点がある。
 フローラにかける廃棄油は最初の内は石油から作られたものの油になる。
 しかし世界がフローラを使い続けた結果、フローラにかける廃棄油はフローラが作り出した油の廃棄油になる。それが繰り返され続けるとフローラからでる油は揮発性と毒性を帯びることになる。

 この欠点については私がフローラを作り上げたその時からわかっていた。
 しかしこの国の要人はその事実を隠し目先の利益の為にフローラを公表したのだ。

 結局、私がしたことは時計の針をちょっと進めただけのことなのだろう。
 私は詰まる所、破滅と再生……どんでん返しのように回る世界の歯車であったというだけのことだったのだ。

 〈了〉

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茶屋

 ゆっくりのんびりとショートショート書いています。どうぞよろしくお願いします。
 普段は超短編小説会というサイトにお邪魔しております。

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大人になる

densen

 今日は、しっぽを切る日。
 今日は、ちょっぴり大人になる日。
 今日は、嘘つきの仲間入りをする日。

 正直者のしっぽは、ありのままの気持ちを表してしまう。
 嬉しいときも、哀しいときも、なにもかも。

 子供は、ありのままでいい。
 子供は、嘘がつけない。

 大人は、ありのままじゃだめ。
 大人は、嘘がつける。

 僕のまわりの世界は、大人の色。嘘の色。みんな、染まってる。
 だから僕は、しっぽを切る。
 僕も今から、この世界の1ピースに染まっていく。

 今日は、しっぽを切る日。
 今日は、ちょっぴり大人になる日。
 今日は、嘘つきの仲間入りをする日。

 今日は、ほんとの自分にさよならする日。

 〈了〉

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densen

 超短編小説会というところでSSや詩をメインに活動しています。
 さまざまな作品を通して、沢山の方と交流できたらと思っております。

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夢の虫

ことは

 かぐわしい薫りにつれられてゆく先には、これはまた見事な藤棚。
 垂れ下がる、藤の花の大群生の膝元に居ながらにして何故だか明るいのが不思議であった。

 強烈な藤の甘い匂いに酔いそうになるのは私だけではないようだ。
 淡い紫の蝶があちらこちらふらふらと飛んでいた。
 こちらもまた幻想的な程に美しい蝶である。

 一度花に触れた指を差し出すと、蝶は易くその指先に留まった。
 寝入った人の呼吸のようにゆったりと、優美に翅を上下させている。

 それに見とれていると、あることに気付く。
 この淡い紫の蝶は、金色の鱗粉を纏っているのである。
 そして蝶自身もまた僅かに甘い香りを放っていた。


「此処は現と幻との狭間。ゆめゆめご留意なされや」

 しゃがれた声が聞こえた。
 振り返るとご老人が朗らかな顔で立っていた。

「どなたですか」

「儂は爺じゃ。永らくここの番人をしておる」

「……爺?」
 名前があまりにそのままだったので唖然とした。

 すると爺は何かに気付いたか目を見開いた。

「お主、あの蝶に触れたか」

「ええ」

「あれは不死蝶といっての……その。あれに触れると夢から覚めなくなるのじゃよ」

 爺はバツが悪そうに言った。
 成る程此処は夢だったのか。

「本来なら出くわすことも稀じゃて、……そなた、もしや、現側で何か、しでかしたか」

「……………」

「なに、儂は問わん。決めるのは閻魔殿だからの」

 思い当たる節があり顔を背けると、爺はさらりと流してくれた。
 そして直ぐ様しかめっ面になり何やら考え込んだ風になった。

「しかし困ったものじゃの。お前さんも現に帰りたいじゃろ。否、帰ってもらわんと困る」

「………」

「まあ、手を打つ。心配するな。ただ、二、三日は此処に居てもらうことになるじゃろうなぁ」

「ええ。お世話になります」

 私はひょこりと頭を下げ、藤棚をあとにした。


 爺の後について乳白色の道を歩いていくと、扉がひとつ。手元の紙と表札とを照らし合わせてから、爺は扉を開けた。

「あったあった。ここがお前さんの部屋じゃ」

 基調はオフホワイトで纏められていた。
 部屋に入るととても懐かしい感じがした。
 例えるならば羊水に浸っていた頃のような。


「まあ座りなさい」

 云われた通りに、円座に腰を下ろして、淹れられた茶を啜る。

 白い円卓の上にある仙人掌が気にかかった。

「これは……?」

「ああ、これはお前さんの基となるものじゃよ」

「もとい……」

「基はそれぞれ違うんじゃ。人によっては、花だったり小石だったり、毬藻だったり。お前さんのは仙人掌だっただけのことじゃ」

 ふむ。しかし私の外見も内面もこんな刺々しいとは思わない。

「ふうん……なんだか、自分のイメージと違います」

「ほっほっほ、そんなこともあるじゃろて」
 爺はケラケラと笑った。


 爺のもてなしで出してくれるものは懐かしいものばかりだった。
 ドロップ、練り飴、金平糖。等々、童心くすぐられるお菓子ばかりである。
 若干子供扱いされているような気にはなったが、何より嬉しそうにお菓子を頬張るこの爺さんの血糖値の方が気掛かりだった。


 別れ際、爺は云った。
「現側で何をしたかは知らぬが、お前さんは性根が良い。しっかり償えば或いは……閻魔殿は許してくれるやも知れぬ」


 悪いがそんなことは有り得ない、と思った。
 私は最後に会釈して、此処を去る。


 藤棚に舞う蝶の夢をみた。
 誰に知られることもない罪を背負った私のことを咎め立てずに、ただ美しく舞っていた。

 〈了〉

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ことは

 和風/郷愁/幻想的/透明感/情緒的
 そんなSSを書くのが好きです。読むのも好き。
 超短編小説会様にて、お世話になっています。
 別枠で詩や短歌、俳句、都々逸も詠んだり。

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王様の島

山田

 ある島に、一人の王様が住んでいた。
 正式には王様ではなかったかもしれない。けれど、その島には長年王様以外、動物や虫しか住んでいなかった。だから、王様は必然的に王様になった。
 自分と同じ存在はいなかったけれど、王様は、寂しいとも、辛いとも思わなかった。
 毎日花を愛で、風に謳うこの生活がたまらなく幸せだと感じていたし、話し相手ならすぐ側にいつもいたからだ。
 ある日、王様はいつものように森で実り過ぎた果実を穫り、川で顔を洗って、海に散歩に出た。
 ずっとずっと繰り返してきた当たり前の行為。けれど、その日は一つだけ違うことがあった。浜辺に人が倒れていたのだ。
 随分久しぶりに見る人。王様はしばらくその場で硬直したが、遥か昔一緒に住んでいた人を思い出し、少し懐かしくなってその場で飛び跳ねた。
 跳ねている場合じゃない。ふと冷静になった王様は、両手に抱えていた実を落とさないように注意しながらその人に駆け寄る。
 死んではいないと分かっていたので、うつ伏せになっているその人をやや乱暴によいしょと仰向けにした王様は、そこでまた人に会ったことを実感してにんまりと笑った。
「ここは?」
 程なくして目が覚めたその人に、水分補給にと、割った実を差し出した王様は、王様の島だよ。と告げた。
「王様?」
 状況が把握できず、瑞々しい果汁を一息で飲んだその人は首を傾げた。
 もう一つ実を差し出した王様は、その人の手をひいて森の方へと歩き出す。何が何だか分からないその人は説明を求めたが、王様は問い掛けには答えず、ただようこそと笑うだけだった。
 その人はまだ不安そうな顔をしたものの、その島がとても美しかったこと。頼れる相手が他にいないこと。そして王様が余りに嬉しそうだったから、そう時間が経たないうちにすっかり笑顔になっていた。
 その日から、王様とその人の短くて長い共同生活が始まった。

 王様は一日のほとんどをその人と一緒に過ごし、この島での暮らし方、森の管理、動植物との共存方法を伝えた。
 初めこそ、もう家には帰れないのかと悲観していたその人も、時間が経つ内にこの島と王様に魅了され、前向きに事を考えるようになった。
 出来ることが増えると、王様はまるで自分の事のように喜んだ。そんな王様が愛おしく思え、やがてその人は進んで事を覚えるようになった。
 王様は不思議な人だった。
 王様はいつもにこにこと笑みを絶やさず、そしてとても口数が少なかった。まるで言葉を必要としていないように無口な王様だが、笑顔を絶やさないせいか素っ気ない感じはしなかったし、王様が伝えたいことは言葉にせずとも理解する事が出来た。
 何より不思議なのは、王様は時折誰かと楽しそうに笑い合っている事だった。
 誰もいない場所で、嬉そうに笑う王様は、いつもの穏やかな笑顔ではなく、心底楽しくて仕方無いと言うようにキラキラと輝いていた。
 普段自分には見せない笑顔に、その人は少し悔しい思いをした。
「いつも笑っているけれど、相手は誰?」
 気になって睡眠不足になった頃、その人は思い切って相手の正体を聞いてみた。
 けれど王様は、いずれ分かるよ。とはぐらかし、優しく笑うだけだった。
 答えてくれないことにその人は少しむっとしたが、きっと王様が教えてくれないのは、自分がまだまだ未熟だからだ。と考えて、より一層島の管理を覚えるようになった。

 その人がほとんどの管理を出来るようになった頃。王様は舟に乗って島から出た。何でも、王様同士の話し合いがあるそうだ。
 初めて島に一人ぼっちになったその人は、少し寂しいなと思ったが、帰ってきた王様を驚かせてやろうと、なるべく早く島の管理を終わらせようとした。
 雑だね。せっせと管理作業をしていたその人は、そう言われた気がして顔を上げた。しかし、当然周囲には誰もいない。
 気のせいか。そう考えてまた作業に戻ると、また、雑だ。と言われたような気がした。当然、誰もいない。
 何だって言うんだ。そう思って視線を戻す。途端、その人は言葉の意味を理解した。
 急ぐあまり、作業が雑になって何本もの木を折ってしまっていたのだ。取り急ぎ、木の修復を行ったその人は、身勝手な行動を反省し、丁寧に行うことを心がけた。
 そしてその日以降、その人は度々不思議な声を耳にするようになった。

「王様、王様のやっている事、全部出来るようになりましたよ!」
 時間は多少かかるものの、島の管理を一人で出来るようになったその人は、話し合いから帰り、海岸で日向ぼっこをしていた王様に喜びを隠さずに告げた。
 少し疲れたような表情をしていた王様は、その報告に歓喜し、まるで自分の事のように手を叩いて喜んだ。けれど、次の瞬間、王様は何故か酷く悲しそうな顔で俯いた。
 王様が笑っているところ以外を見た事が無いその人は、思いがけない王様の姿にすっかり驚き、言葉を掛けることすら出来ずただ王様を見つめることしか出来なかった。
 その後、王様はすぐに笑顔に戻ったのだが、その日から王様は一人でぼんやりすることが多くなり、どことなく存在が薄くなった。

「話したいことがあるんだ」
 ある日、その人は王様に話しかけられた。
 初めて王様に話しかけられたその人は、二つ返事でそれを了承し、いつもより早く、けれど丁寧に島の管理を終わらせ、王様の待つ海岸へと向かった。
 その人が海岸に着いた時、既に日は落ち、空には満点の星空が広がっていた。王様はその星空の下で、その人が打ち上げられた場所で腰掛けていた。その日は、いつもより王様が薄く感じた。
「君は立派になったね」
 隣に腰を下ろすと、王様は目を細めてその人の成長を褒めた。王様の手解きを受けたその人は、今や島の全ての管理を 一人で行えるようになっていた。
 そんなこと無いですよ。照れながら返すと、王様は本当さ。とまた目を細めて笑う。
「そんな事無い。君は立派な王様さ。もう、私は必要無いもの」
 その言葉に、体が凍り付く。
「黙っていてごめんね。この島は、必ず王様が一人必要な島なんだ。島は時を見て次の王様を誘う。それが君だったんだ」
 王様が二人でも良いじゃないか。そう言うと、王様は笑いながら首を振る。
「それがね、駄目なんだ。ほら、私の体を見てご覧よ。もう、ほとんど透けて見えないだろう? 島には王様が一人必要だ。けれど、二人は要らないんだ。私も、前の王様からこうして王様になったんだから」
 どうして今まで黙っていていたのですか? 裏切られたような気がして、涙を流しながらそう尋ねると、王様は、水平線の星が見える位透けてしまった顔に困ったような笑みを浮かべ、
「君と過ごした日々が楽し過ぎて言えなかったんだ。何度も言おうとしたけど、怖くて出来なかった。黙っていて、ごめんね」
 ただ黙って涙を流すその人に、王様は静かに謝る。王様が悪い訳じゃないのに。と、その人は余計に悲しくなった。
「実はね、私は君を消してしまおうかと考えた事があるんだ。私はこの島を心から愛している。島の行く末は王様によって決まる。だからもし、君が島を駄目にしてしまうような人であれば、いらないと思っていた」
 物騒なことを言われ、涙が止まる。そんなその人を見て、王様は愉快そうに笑った。
「けれど、君はこの島を私と同じように愛してくれたし、共に過ごして君がとても素晴しい人だと分かった。だから私は安心してこの島を預けられると思ったのだよ。私の次に、王様になってはくれないかい?」
 手を差し出し、柔らかに微笑む王様は、もはや目を凝らさないと見えない程に薄くなっていた。
 断れる訳が無いじゃないですか。涙を乱暴に拭い、その人は、ゆっくりと王様へと手を伸ばす。
 初めて握った王様の手は、ほとんど感触が無く、空気を握っているようだった。それがとても悲しく思えて、またその人の目からぼたぼたと涙が溢れる。
「王様は次の王様へ役を渡すと、島になるんだ。今は分らないだろうけど、君も、王様になれば分かるよ。だから泣くのは止めなさい。王様は、笑っていないと」
 そこで、王様はにっこりと笑い、感触のない手で強く強くその人の手を握った。
 そして、その人もすっかり充血してしまった目を細め、不自然ではあるがにっこりと笑う。
「楽しかったよ、王様」
 ありがとう、王様。
 感謝の言葉を土産にして、島から王様は消え、そして島に新しい王様が生まれた。

 王様になったその人は、今日もいつものように森で実り過ぎた果実を穫り、川で顔を洗って、海に散歩に出ている。
 その人が王様になってから、変わったことが二つある。
 一つは、この島に来てから、心待ちにしていた人の漂流を望まなくなったこと。
 自分が王様との別れで辛い思いをしたからというのも理由の一つだが、一番の理由はまだ島にいたいから。と言うのが大きいようだ。理由がどちらにせよ、新しい王様が人を望むのは、まだまだ先になりそうだ。
 そして、二つ目は島を更に好きになったこと。
 王様は、森で、川で、海で。島の至る所で懐かしい気配を感じるようになった。
 それは時折王様に語り掛け、時には他愛のない話しを。時には王様に助言をくれた。
 それが一体誰なのか。その質問に答えてくれる人はいない。けれど、王様は分かっていた。何故なら、前の王様が消えてしまう前に言った言葉を覚えていたから。

 今日も王様は笑顔で花を愛で、風に謳いながら、緑豊かな島の管理をする。
 歴代の王様に守られた島で。
 王様の、島で。

 〈了〉

作者紹介

山田

 童話をイメージして書きました。楽しんで頂けたら幸いです。
 いつもはファンタジーを。たまに妖怪コメディを気ままにのんびり書いています。

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岩棚で龍を待つ

飛火疲

 龍にまつわる言葉は少し変わった意味を持っている。
 例えば、『森に龍を見つける』と言う言葉はなぜか、優しい嘘と言う意味になる。
 また『岩棚で龍を待つ』とは「立派な挑戦」の意味を持つのだが、この言葉は文脈次第で「大変愚かな試み」となってしまう。それにはこんなわけがある。

 人類がまだ弓と槍で争っていた時代。ある夫婦が難病に患った。彼らの長男は優れた医者だったが、その医者にも治せない。商人である次男が方々から薬を集めて試したが、それでも治らない。
 家族が途方に暮れていたとき、旅人が妙な報せを持ってきた。
 龍の鱗ならば治せるのでは、と言うのだ。
 龍など本当にいるのか、人が聞くと、旅人は、春、天に昇り、秋、地に降りてくるのをよく見るではないか、と言う。
 しかして龍の鱗などに薬効があるものか、と言うと、ないはずがない。なにせ龍と言うものは齢千年を経た蛇がさらに五百年を経て龍と化すのだから。
 そのような恐ろしい生き物に刃向ってただで済むだろうか、と問われると、親孝行と言うことであれば天の神々も許してくださるだろう、と言った。
 これを聞いて飛び出していった者がある。狩人となった三男坊だ。彼は愛用の弓とわずかばかりの装備を手に取ると、村に覆いかぶさる大きな山を登って行った。彼は家から遠くない岩棚に拠点を築き、そこで龍を待った。夜になっても降りてこない。三日三晩が過ぎてもまだ諦めない。
 家族は、立春が過ぎるまでは好きにさせておこう、と言って放っておいたが、春を過ぎても止める気配がない。
 心配した末の妹が拠点を訪ねると、三男はやつれた頬に目を炯々と光らせて、龍を待っている。妹に請われて一度山を下りたものの、両親の容態が良くないのを知ると、また山に戻ってしまった。
 母親は大変寂しがって、末の妹に、あれを世話してやってほしい、と言った。それからと言うものの、けなげな妹は山の兄を訪ねては、足りないものや山では取れない食物を届けてやった。寝ている間に龍が現れるのではないかと思って夜も眠ることができないと兄が訴えるのを聞くと、兄の寝ている間、岩棚で森を見張ってもやった。
 龍の降りてくると言う秋を過ぎても、その霊獣は一向に姿を見せなかった。
 山の中で冬を越すことは大変難しい。三男はしぶしぶ家に戻ったが、雪が解け始めると、両親が止めるのも聞かずに、山へ登ってしまった。
 村人はこう言ってからかったものだ。春になると天に昇り、秋になると地に降るものは何? 龍。では、雪が降ると村に戻り、雪が解けると山に戻るのは? 親思いの三男坊だ。
 呆れ顔の長男、次男に代わって、末の妹はよく兄の世話を務めた。なぜそこまでしてやるのかと人に問われても答えなかったが、彼女は兄をよく支えた。
 しかし、両親は子が龍の鱗を手に入れる日を待たずに、逝った。
 知らせを聞いた三男坊は岩を跨ぎ川を飛び越して帰ってきた。彼の涙は長い間乾くことがなかった。
 龍の鱗取りに冷ややかだった兄たちもさすがに憐れんで、山に戻るのが悲しいのであれば、自分たちの下で働かないかと手を差し伸べた。しかし三男は、心配には及ばない、と言って、狩人の仕事に戻って行った。
 一番上の兄は医業に、二番目の兄は商業に忙しくなり始め、三カ月もするころには、弟のことなど忘れてしまった。だから、向う見ずな三男がまた何日も家を留守にしていることになかなか気づかないでいた。
 三男が両親の死後なおも龍を諦めず、岩棚にとぐろを巻いているのを見つけたのは、末の妹であった。
 なぜまだ龍を待つのか、妹に問われて男は言った。俺は龍を待つために、親の死に目にも会えず、送ることもできなかった。そうまでして固執した物を、おいそれと諦めるわけにはいかない。俺は今心の中で、龍などいたのだろうか、と疑っている。だがもし、龍と言う生き物などいないと言うのなら、弱った母親の願いも聞かずに山籠もりしていた、俺の、あの日々はどうなるのだ!? そう思うと、一目龍を見たい、一枚だけでも鱗を奪いたい、あの日々が無駄ではなかったと言う証に。そんな思いが抑えきれなくなるのだ。
 目を血走らせて語る兄の顔を見て、妹は何も言えなくなってしまった。男はもう構ってくれなくともよい、自分の世話は自分でするから、と言ったが、次の日も、次の日も、妹は兄を訪ねた。そして村に戻ってほしいなどとは言わずに、兄の必要なものをそっと置いて帰るのだった。
 長い年月が経った。末の妹は嫁入りし、子供を産んだ。それでも山の兄を訪れることは止めなかった。さらに時が過ぎ、この山籠もりが始まったころ村に生まれた子が、立派な若者となって村を出て行った。それでも男は龍を諦めなかった。
 雪が解けた。村人のからかう声を無視して、男はまた山に登った。長兄も次兄も家族を持っていたのに、この男には妻も子もいなかった。誇りにしていたたくましい肉体にも、いよいよ衰えが見えるようになった。
 骨ばった顔の、くぼんだ目の中に、かつて盛んに燃え盛っていた火はなく、その名残が、恨めしそうに燻っているだけであった。彼は山の中で、妹だけに告げた。
 この春、龍が昇らなかったら、俺は龍を諦める。弓を折る。矢を棄てる。兄に頼み込んで、下働きとして使ってもらおう。
 妹は良いとも悪いとも言わなかった。ただ、長い時間に打ちのめされた男の横顔を、心配そうにのぞきこむだけだった。
 太陽が昇り、凍える岩棚に涼しげな風が吹いた。木々は沈黙の中に、明日への力をため込んで、蕾を育てている。曇りがちな空に、龍は見えなかった。雲間に太陽が覗くたび、兄妹は、龍の鱗がきらりと光るのを探したが、とうとう見なかった。やがて空は赤く、風も冷たくなってきた。
 俺は大馬鹿だと、男は言った。いもしないものを追いかけて、長い時間を費やしてしまった。俺がまっとうに生きていれば、あるいは家族を、あるいは富を、あるいは知恵を得ることができたかもしれないのに。俺がなし得たことと言えば、この固い岩棚に腰かけ続けて、岩をわずかにすり減らしたことだ。
 妹は思わず森を指差した。その時、兄は森に背を向けていて、見ていなかった。
 龍!
 妹は叫んだ。
 なんだと?
 龍が見えた! 今、森の木々の上を、優しく撫でていったんだ。
 どこにいる!
 もう、森の中に入った。
 二人は目を皿のようにして、森を見張った。日が落ちてからも、あたりが完全に見えなくなるまで、火を熾すことも忘れて龍を待った。
 だが、龍は二度と姿を見せなかった。
 妹は、明日もまた龍を探すか、と聞いた。
 男は首を振った。もういい、龍がいた。それがわかっただけで、俺には何の悔いもない。
 男は妹に礼を言って、長い眠りについた。

 それで、岩棚で龍を待つ、と言う言葉には「立派な挑戦」と「大変愚かな試み」と言う、相反する意味があるのだ。 

 〈了〉

作者紹介

飛火疲

 ヒヒヒと申します。龍を兄に、ロボットを弟に持つ次男坊です。

◆超短編小説会
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窓がなくても空は見える

星影月夜

 あの白くそびえ立つ建物はなんですか?
 この地に訪れた人の多くが、まず口にするのがその問いだ。この街の──シントのどこからでも見ることのできる、並び立つ二つの巨大建築。
 一つはこの街の最高学舎。身分の差異なく、実力のある者だけが名を連ねることのできるこの学舎は、街の外からの評判も高く毎年多くの人間が門を叩き、その多くが夢半ばに立ち去る。間違いなく、この大陸最大の学習機関だ。
そしてもう一つの、この街を成り立たせる最重要施設。
 魔道具研究所。
 正式名称はほかにあるが、多くの人々はあの建物をそう認識している。
 今や人々の生活に欠かせないものとなった魔道具の生成はほぼすべてこの研究所内で開発され、量産に至ってもこの研究所の直轄範囲内で行われている。もちろん所員は最高学舎を卒業したエリート、エキスパート揃いだ。
 その研究所内の廊下を、一人の女性が歩いていた。
 特別華やかな印象を持つ外見ではないが、その上品な物腰は十分に女性としての魅力に満ちている。研究所員らしい理知の瞳が鋭く、何者も寄せ付けない空気がそこにあった。
 その彼女は今、憂鬱な気分に足を重くしながら、一階のホールへと向け足を進めている。
 上の階からホールに向かうには、おおよそ研究所には不釣り合いな華美な螺旋階段を降りていくしかない。階段から見える過度に装飾された研究所の入り口ホールを見て、彼女は少し眉を寄せる。
 まるで高級ホテルのように調度品を拵え、少しの埃すら許さないかのような掃除をほどこし、来もしない客に備える必要がどこにあるというのだろう。 
「オデットお嬢様!」
 真下から大声で名前を呼ばれ、オデットと呼ばれたその女性は深いため息をついた。周囲に壁がないおかげで、階下の人物が彼女を見つけるのはたやすかっただろう。
 これだから見た目ばかりを気にした螺旋階段とやらは好かない。向かっている最中に声をかけられてもどうしようもないではないか。現にその名前を呼んだ人物も階段のすぐ近くで、なにも出来ずにおろおろとするばかりだ。 
 そういった微妙な「距離」がオデット・コーディは何よりも嫌いだった。
「……ここでその呼び方はやめてと何度言えば分かるの」
 階段をすべて降りてから、オデットは目の前の人物に語りかける。
 彼女を呼んだ人物は、こぎれいな黒服を身にまとった気の弱そうな(事実、弱いわけだが)三十手前の男だ。オデットは彼の顔に見覚えがあったが、個人的な知り合いではない。家にいる、多くの使用人の一人だ。
 つまり、彼女はそういう位置にいる女性ということになる。
 オデット・コーディ。その名前が示すのはこの地を治めるシント領主、その次女にあたる貴族の娘だ。
「す、すみませんお嬢様……。その、領主様がお呼びですが」
 やめろ、と言ったことを真っ先に実行した彼に、オデットは小さく肩を落とす。使用人は、それを知ってか知らずか、ただただ目をさまよわせていた。
「それは研究所職員である私に対してか、領主の娘である私に対してか、どちらの案件?」
 あえてそう訊いたのは、ちょっとした八つ当たりだ。
 もし、「研究所」に用があるのなら我が家の使用人ではなく行政担当者が来るだろうし、わざわざ自分を名指しすることもない。そもそも用件など最初からわかりきっている。
「え、えーと、お嬢様の今後に関する事柄と……」
「では、後にしてと伝えてくれるかしら」
「しかし……」
 今の私はただの一研究員よ。それがいちいち個人的な事情で仕事を放りだすわけにはいかないわ」
 あなたも仕事をしてる身なら分かるでしょう、とオデットの瞳が語る。
「とにかく、今日はきちんと定時に帰るから、お話はその時にしてとお父様に伝えること。いいわね?」
 使用人の男はその言葉にしばらく困り顔をして立ち尽くしていたが、やがてあきらめたかのようにその場を去った。
 主に命令されただけの雇われの男を哀れには思う。だがそれを気にして自身のプライベートに関わっていられるほど、今の彼女には暇など与えられていなかった。


 与えられた研究室へと戻り、扉を開けてすぐ目の前に机の上に足を乗せた男の姿が目に入った。
 粗暴な茶の紙を揺らしならが、手にした双眼鏡をのぞき込んでいる。それはただの双眼鏡ではなく、この研究所で開発された──より正確に言うと目の前にいるだらけた男が発明した遠所双眼鏡だ。事前にポイントを設定しておけば、たとえ世界の反対側であっても見通せるという代物である。もちろん、実際にそんな離れた距離の物を見ようとしたらかなり高額な素材を使わなくてはならないだろうが。
「相変わらずだなオデット」
 双眼鏡から目を離し、にやけた顔で男はそう言った。
 世界の反対ならともかく、同じ建物の中であるなら試作品程度の質の物でも余裕で見通せたことだろう。
 勝手にやり取りを見られていたことをとがめるのも面倒で、オデットは深いため息をついた。
「……仕事中なんだから、そういう態度は改めなさいグレシス研究員」
「固いねぇ」
 机に上げていた足を下ろし、男──ハーレット・グレシスは手にしていた双眼鏡を棚へと戻す。
 広いはずの研究室にはそうして所狭いしと試作品や資料が並べられており、実際のそれよりもひどく手狭に感じる。現在部屋には個人机が四つあるが、今部屋にいるのはオデットとハーレットの二人だけだ。
「別にいいだろう? 今は俺たち二人だけなんだし、俺とお前の仲だ」
「誤解を生むようなことを言わないで! あなたはもう少し、立場に合わせた言動を心がけるべきよ!」
「俺がそんなタイプなら、そもそもお前と巡り合わせ自体がなかっただろうな? シント領主のご息女さん?」
 からかうような笑みでそう言われ、オデットはぐっと言葉に詰まる。彼女は、同僚で人生における唯一の理解者である彼に対して、どうしても強気には出られなかった。彼女の立場や性格、能力の全てを把握した上で対等に渡り合える人間は、目の前にいるこのふざけた男しかいないのだ。
 領主の娘であり、学舎始まって以来の天才。オデットに与えられた才覚は素晴らしいものだが、それは一人の女性がただの娘として周囲と交友を結ぶには大きな枷でしかなかった。
 ただの、一人を除いて。
 オデット以上に優れた能力を持ち、しかし貧民街に産まれ落ちたハーレットは文字通り常識知らずで、それ故に彼女の側にあり続けることが出来た。その後幾度となく、オデットは彼に借りを作り続けている。
「……もういいわ。それで、調子はどう?」
 だからってどうしてこうなってしまうのだろうと胸の内で嘆きながら、オデットはハーレットへの小言をぐっと内に秘めた。
 ハーレットは机の上に散乱していた資料のをいくつか手にとって、オデットに手渡した。
 今彼らが手につけているのはとある魔道具の開発だ。
 それも、ただの魔道具ではない。シント領全体が、中央からの要請で極秘に開発している物。
 ──それは、時空転送装置だ。
「一応やってはいるけどな」
 渡された資料に目を通す。
 どれもハーレットの走り書きのような内容だが、開発が困難なことだけは一目見て分かった。
「いくら魔道具って言っても限界があるからな」
 机の上に置かれた魔道具の一つを、ハーレットは手に取った。
 水筒のような形をした魔道具で、すでに一般に広く流通している代物である。
「たとえばこれだって簡単にいえば水を出してくるってことになるわけだけど、実際他のところから持ってきてるってわけじゃないだろ?」
「ええ。それは空気中から水分を補給するミュータントの素材を使っているから、厳密に言うと変換しているだけね」
 オデットの言葉に同意するようにハーレットは深くうなずく。
 魔道具の研究をするものにとっては、基本中の基本だ。
「そう、だからこれを参考にしたって次元転送装置なんて作れない。他の魔道具だってちゃんと原理をたどればどれも大きく空間をゆがめるなんてことはないんだ。それなのにいきなり人間を転送する魔道具を、秘密裏に作れってのは無茶がすぎる」
 これはもはや技術の問題じゃない、とハーレットは続ける。
 シント一、いや世界一の研究者である彼の言葉にはそれ相応の重みがあった。
「私たちは原理を知っているからそう結論できるけど、多くの人はそれを知らずに使っているからそういうことを平気で言ってこれるのよ」
「首都の領主様は何を考えてこんな命令を出してきたかね。それに応じるお前の親父さんも親父さんだが」
 ハーレットの言葉に、オデットは申し訳なさそうに目を伏せる。彼女には、中央の指令の理由も、それを受けざる得なかったシントの事情も、それが実現不可能だとしか言えない現場の状況も全て理解できてしまう。
「……仕方ないわ。この国には資源がほとんどないもの。今は両大国の中立にいれるけど……。その関係がいつ崩れるか分からない」
「その時のための武器が次元転送ね。まぁ不安なのは分かるけど」
 机に魔道具を放り投げて、ハーレットは部屋の窓から外を眺める。
 正確には双眼鏡魔道具の応用で、外の光景や日差しを映写して取り込んでいるだけだ。研究所の一番奥に作られたこの部屋に、窓はない。
「どうせならもっと分かりやすく人の役立つものが作りたいな。こんな陰気臭い特殊プロジェクトルームじゃなくて、実地実験ができるようなのとか」
 魔道具を通して外を見る彼の目は優しい。
 そこから見える景色は、魔道具の恩恵を受けた人々の日常だ。
「……文句を言ったって始まらないわよ。他のみんなが帰ってくる前に少しはこのあたりの資料片付けましょ」
「あえてこのままのが分かりやすいと……」
「そんな奇特な人間、あなたぐらいよ」
 オデットににらまれて、ハーレットは小さく肩をすくめた。  

 〈了〉

作者紹介

星影月夜

 ちまちまと小説を書いています。掌編と異世界ファンタジー小説が主流。
 フリーゲームやら絵本やらも作ってます。

◆Blog
 http://kimagurezakka.blog129.fc2.com/
◆フリーゲーム
 http://natumaturiyume.huuryuu.com/
◆オンライン即売会企画
 http://eaharu.uijin.com/
◆Twitter
 https://twitter.com/hosikagetukuyo

不幸自慢の会

馬場大吉

「よし、到着したよ」
 僕と藤井さんの目の前には三階建ての古びたビルがあった。会社から徒歩十分ほどであり、住宅街の中にぽつんと建っていた。どの部屋も電気が灯っていない。
「ここ……ですか?」
「うん。中へ入ろうか」
 藤井さんと僕はビルの裏口に回った。藤井さんは鍵を取り出して裏口の扉を開ける。扉の中は薄暗く、上へ向かう階段と地下へ降りていく階段があった。藤井さんは迷う素振りを見せずに地下へ降りていった。
 一体どこへ行くのだろう。僕は藤井さんを追いながら疑問に思った。仕事終わりに声をかけられものだから、てっきりお酒を飲みに行くのだと考えていた。しかし、この人気の無いビルに居酒屋があると思えない。
 地下には更なる扉があり、藤井さんはドアノブを捻り中へ入った。その先には殺風景な部屋があった。八畳ほどの室内には円卓が置かれており、藤井さんが机上にある蝋燭に火を灯すと、部屋にある影が揺らぎ始めた。椅子は十脚用意されており、誰も座っていない。
「ほら高田君、これをつけて座るんだ」
 藤井さんは薄暗闇の中、僕に何かを手渡した。目を凝らすと舞踏会を連想させる、目元のみを隠す仮面が見えた。
「あの、今からここで何を?」
「直に分かるさ。面白い集いだよ」
 藤井さんは仮面を装着すると椅子に座った。僕は色々と訊ねたかったが、大人しく藤井さんに従った。すると数分も断たずにぞろぞろと男たちが入室してきた。服装や年齢はばらばらだったが、全員仮面を装着していた。十の空席があっという間に埋まると、藤井さんは立ち上がった。
「さて。皆さん、本日もお集まりいただきましたね。それでは早速ですが『不幸自慢の会』をここに開催します」
 藤井さんがそう言うと僕以外の人が拍手した。僕も慌てて拍手をする。
「人によって不幸の質も種類も異なります。気楽に自慢を聞きましょう、話しましょう。それでは話したい方、どうぞ」
 それからたっぷり二時間、各々が持っている不幸な出来事を聞くことになった。交通事故を起こし賠償をしなければならない、会社をリストラされた、五股をかけられた──話し手によって内容や度合いは差があったものの、不幸話という根底は同じだった。
 聞き手は目を爛々と輝かせながら話を聞いており、笑い声を上げて手を叩く人さえいた。これじゃあ話の途中で怒るだろう、と感じ話し手を見ていたが驚いてしまった。語り始めこそ沈痛そうな面持ちをしていたが、話が佳境になったり終盤になると、身振り手振りを用いて熱弁をふるい始めるのである。
 僕は面食らったまま、その会の様子を見ていた。自分から話をすることも出来ず、かといって他人の不幸を笑うことも気が咎める。何故こんな場所に来てしまったんだろうと思った。時が過ぎてしまえばいいとも思った。
 ところが僕の心情に少しずつ変化が生じ始めた。不快感は時間に経つにつれて薄れていき、代わりに胸の奥にどす黒い感情が現れた。それが僕に『笑え』と訴えかけてくる。僕はその感情に任せ小さく笑ってみると、快感が背筋を昇っていった。その快感が病みつきになり、僕は少しずつ笑い始めた。会が終える頃には、僕は誰よりも大声で笑っていた。
 不幸自慢の会はお開きとなり、やってきた人たちは順番に部屋を後にしていた。仮面を全員装着しているが、表情がすっきりしているのは一目で分かった。
「どうだ高田君。面白い集いだっただろう」
「最高でした。この集い、癖になりそうですよ。でも何でこんなに面白いんでしょうね。傍から見たらゲスな会なのに……」
「不幸というのは幸運の種なんだ。現状が悪いのなら裏を返せば、これから良くなるということだろう? つまり不幸を話すというのは、未来の幸福を先取りした一種の自慢になるんだ。話し手は溜まった鬱憤で他人を笑わせられる。聞き手はざまあみろとほくそ笑む。お互いにストレス発散できるだわけさ」
 そう言った藤井さんは驚くほど爽やかに微笑んだ。
 それからというもの、月に一度、不幸自慢の会に参加するようになった。他人の不幸を笑うことが病みつきになってしまっていたのだ。
 この集会に幾度も参加するうちに、僕は参加者の共通点に気がついた。それは参加者の人間性である。自堕落で陰湿。仕事にやる気が無いから成果は出ずに貧乏、もしくは無職。一時だがそんな中に自分がいていいのか、と思ったこともある。しかし他人の不幸話を聞いて笑っている僕も、他の参加者とさほど変わりはない。自分の人間性を自覚すると、余計に不幸を笑うのが快感になっていた。
 不幸を笑い語りあう奇妙な会──半年が経ち、いつものように会が始まった。
「では今日も元気に不幸を自慢しましょう。不幸の質や種類は人それぞれです。気軽に話してください」
 長である藤井さんのあいさつで不幸自慢は始まる。この日も参加者の不幸話で大笑いし、また自らも積極的に不幸話を披露していた。
 僕が減俸になった話を終えると、一人の若い男性が手を挙げた。長い髪で目元が隠れているものの相当な男前だった。しかも青年からは陰鬱とした怠惰な人間の持つ雰囲気を感じない。こんな参加者は初めてだった。
「あなたは……今日が初めてですね」
「はい。けど、俺みたいな奴が話をしてもいいんでしょうか……」
 青年の声は小さく消え入りそうだった。藤井さんはにこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。どのような不幸でも構いません。お気軽に」
「……分かりました。ではつい最近の出来事です。先日、女性から告白されました。俺の好みの容姿でしたし、若手の弁護士だそうです。涙を流しながら告白されてしまい、つい断り切れず、付き合い始めたのですが……実は既に三人の彼女がいるんです。ちなみに彼女たちの職業はトップモデル、人気歌手、社長令嬢です。一体、俺は誰を選べば幸せになれるんでしょうか。考えても結論が出ず、今ではすっかり不眠症で……辛いんです」
 青年は話し終えたが、他の参加者は声も出さずに引き攣った笑いを浮かべていた。それは僕もである。室内に微妙な空気が広がった。すぐに別の参加者が空気を変えようと話を始めたものの、結局この日は微妙な空気のままお開きとなった。
 その日以来、青年は毎回のように会へ参加するようになった。話す内容と言えば『異例のスピードで出世している。しかし今の部署では自分のやりたい仕事が出来ない。ストレスで肌が荒れてきた』や『趣味の株で大金持ちになった。だがその使い道が分からない。いつか誰かに盗まれてしまうんじゃないか、と不安になる。不安のせいで胃に小さな穴が空いてしまった』などといったものだった。明らかに他の参加者と不幸の毛色が違っていた。青年の不幸は恵まれた人間の持つ些細な不幸だったのである。
 青年の不幸自慢により参加者が少しずつ減っていった。青年の話を聞くのが苦痛に感じたのだろう。彼の不幸話を聞いていると、不幸そのものより彼の恵まれた背景ばかりがいやでも伝わってきたからだ。
 僕も一年間は我慢したがやがて怒りが爆発してしまった。青年が二カ月ぶりに顔を出した時だった。何故か彼は右腕と右足にギプスをしており、松葉杖をついていた。彼が着席すると同時に、僕は力強く机を叩いいた。
「いい加減にしてくれ。君は何のためにここに来ている。不幸な事を自慢するためにこの会はある。君は二度と来ないでくれよ」
「そ、その通りだ! 君は私たちより恵まれている。ここにいる資格は無い!」
「金持ちのご子息様はお門違いなんだよ」
「月に一度の楽しみを奪いやがって、さっさと出て行けよお!」
 僕の言葉が堰を切り、他の参加者も次々に彼を批判した。藤井さんは何も言わなかったが、怒りを堪えているせいか頬が震えていた。この会の参加者が減り、一番苛立っていたのは藤井さんである。青年は困惑した表情を浮かべたが、必死になって反論した。
「でも俺にとっては不幸なんです! 最愛の女性を選ぶのに神経質になる、仕事でやりたくないことをやるのは苦痛、金がありすぎて不安、全部事実ですよ! それに長だって『不幸の質や種類は人それぞれ』って言っていた。俺はただ自分の不幸を話しているだけなんです。お願いだからここにいさせてください。不幸を吐きだす場を、俺に下さい」
 場が静まり返った。すると藤井さんが何度か頷いた。
「……確かにその通り。去る者は追わず、来る者は拒みません」
「じゃ、じゃあ、話してもいいんですか?」
「もちろんです。ただ、考えてから話してください。いいですね? 皆さんも彼を許してあげましょう」
 藤井さんも怒りを抑えきれないのか、声が微かに震えていた。それでも顔に作り笑いを浮かべている。僕は納得いかず腕を組んで口を閉ざすと、他の参加者も口裏を合わせたわけでもないのに僕と同じ態度になった。
「見たところ……随分大変な目にあったようですね」
「はい。見ての通り骨折してしまったんです。いやー、とても痛くて大変でした。この怪我をした時のことなんですが、彼女と世界一周旅行に出かけていた時に──」
「さっさと出て行け!」

 〈了〉

作者紹介

馬場大吉

 ショートショートばかり書いてきました。これからも書いていきます。
 小説は読書じゃなくても楽しめるのでは、なんて最近は思っています。

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 http://daikichi-baba.tumblr.com/
◆note
 https://note.mu/daikichi_short2
◆Twitter
 https://twitter.com/Daikichi_Short2

酒飲み父さん

まえぞう

 山に登る途中、道ばたにぽつんと座っている男の子に出会った。こんな山奥に子供がいることを不思議に思い、つい声をかけた。
「ねえ、君こんなところで何しているの?」
「お父さんを待ってるんだ」
「君のお父さんって何してるの?」
「うーん、いつもお酒を飲んでる」
「あ、そうじゃなくて今何してるの?」
「今もお酒を飲んでるよ」
「え? こんな昼間から?」
「いつも昼間から飲んでるよ」
「いつもって……。今どこにいるの?」
「あっち」
 そう言って、男の子は山の上の方を指さした。
「山の上で飲んでるの?」
「うん。お父さんは、いつもお酒の瓶を腰にぶら下げてるんだ。それに直接口をつけて飲むんだよ」
 何てだらしない親なんだ。子供をこんなところに待たして、酒を飲むなんて。俺は怒りを感じ始めていた。男の子は更にしゃべり続けた。
「お父さんは、お酒を飲むだけじゃなく人を殴ったり、蹴ったりするんだよ」
 酒を飲んで暴力をふるうなんて最低の人間だ。俺はちょうどあの山の上に行く予定だ。この子の父親に会って懲らしめてやろう。

「お兄さんは、今から山の上に行くんだ。君のお父さんに会って、お酒を飲むのを止めさせてあげよう。大丈夫、お兄さんは強いんだから」
「でも、多分お父さんの方が強いよ。今まで負けたことがないんだって。僕も将来、お父さんみたいになりたいんだ」
 お父さんみたいになりたいって……。父親を嫌っているんじゃないのか。昼間から酒を飲んで人に暴力をふるうような父親を。どういうことだろう。悩んでいると男の子が俺に訊ねてきた。
「お兄さん、何しに山の上に行くの?」
「修行だよ。あの山の上に、有名な拳法の師匠がいるって聞いたんでね。何しろあの幻の酔拳の師匠らしくて……」

 〈了〉

作者紹介

まえぞう

 ショートショートばかり書いている自称ショートショート作家です。「オチがあって、くすっと笑える作品」を目指し、これまで書い作品は四百作以上。現在は過去作の焼き直し、ショートショート集としてまとめ、電子書籍化を進めています。

◆WebSite
 http://cyokohima.com/
◆Twitter
 https://twitter.com/maezou_SS

表紙作成者紹介

偽尾白

 pixivで絵を描いてます。
 割と節操なくやってます。

◆pixiv
 http://www.pixiv.net/member.php?id=2326110
◆Twitter
 https://twitter.com/niseojiro

 あとがき

 本著を製作するため「ショートショートアンソロジー電子書籍化計画」というサイトを立ち上げ、参加者の募集を開始したのは、二〇一四年三月一〇日のことです。
「参加者が全く集まらなかったらどうしよう」という不安の中でのスタートでした。
 しかし、そんな不安はすぐに吹っ飛ぶことになります。
「少なくとも三〇人は集めたい、何とか半年くらいで集まれば」などと思っていたのですが、参加表明者が目標の三〇人を突破するまでわずか二週間、そして六週間後の四月二五日には四二作品が出揃いました。
 嬉しすぎる誤算です。

 これは「計画に参加したいという作者が予想外に多かった」ということだけで達成できるものではありません。知り合いに声を掛けたり、ツイッターで拡散したりして、応援下さった方々が大勢いたからこその結果です。

「はじめに」で書いた言葉を繰り返します。

『ショートショートを読みたい』という人は沢山います。
『ショートショートを書いて発表したい』という人も沢山います。

 まさに、このことを実感しました。
 それも、私が考えていた以上だということを。

 読み手も書き手も沢山いるのにそれが上手くつながらない──そのことにもどかしさを感じていました。参加者とのやりとりで、同じ想いの作者さんが多くいることもわかりました。
 おそらく、同じ気持ちを抱いている人が大勢いるのだと思います。だからこそ、沢山の人に応援して頂けた、そう考えています。

 この『モザイク』で、僅かでも状況が変わることがあれば、何も言うことはありません。
 もし、この本で見つけたお気に入りの作者のサイトへ行き、他の作品を読み、感想を書き、人に薦める、そういう人がひとりでも現れてくれたなら──それが、状況を変える大きなきっかけになると思っています。

 最後になりますが、参加頂いた作者が活躍しているサイトを紹介させて頂きます。ここに行けば、他にも多く方の作品が読めますので、是非立ち寄ってみてください。
 また『超短編小説会』さんには、色々ご協力を頂きましたことを、この場を借りて感謝申し上げます。


 ◆超短編小説会
  http://ssstory.net/

 ◆小説家になろう
  http://syosetu.com/

 ◆pixiv
  http://www.pixiv.net/

 二〇一四年五月一一日
 ショートショートアンソロジー電子書籍化計画


モザイク
ショートショートアンソロジー

2014年5月18日 発行 第2版

著  者:ショートショートアンソロジー電子書籍化計画編
発  行:ショートショートアンソロジー電子書籍化計画
代  表:まえぞう

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