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第 一 信
Subject: 親愛なる
Date: Fri, 7 Nov 1997 21:45:15 +0900 (JST)
From: 親愛なる者より/
いとうせいこう <seiko@bccks.jp>
To: who@where
長いメイル、確かにいただきました。
僕は今、リマのホテルで返信を書いています。
人質事件からまもないペルーを見ておきたいと願い(なにしろ大好きな国で、これが三度目なのでした)、とんでもない時間をかけてやってきたリマでは、反フジモリのデモがさかんに行なわれています。
親しい日系三世のコーディネーターに、日本人はなるべく外に出るなと言われ、大統領官邸に近いホテルの窓から事態の推移を見守る毎日。仕方なく、明日はセスナでナスカ見物でもしようかとさえ思っています。
もちろん、ペルーと日本の長い関係について思いをめぐらせながら……。まったく、何をしにやって来たのやら。
そこに見ず知らずの貴方から、長大なメイルが届いたわけです。
メイラーが壊れてしまうのではないかと心配になり(以前、そんなことがあって懲りているのです)、あわててエディタに保存して、メイル本体を削除しようと思ったほどでした。
ちなみに、四百字詰めで計算して三十枚弱あったこと、ここに御報告しておきます。そんな長さのメイルは生まれて初めていただきました。次からは是非、時候の挨拶を添付書類にして下さい。ひらにお願いいたします。
いや、時候の挨拶を含めてすべてを添付書類にして下さった方がいいかもしれません。それだけですでに四百字詰めで二枚ありました。読みながら、これはもう、ひとつの芸ではないかと感服した次第です。
拝啓
さわやかな若葉の頃も過ぎたとはいえ、鬱陶しい梅雨にはまだ少し時間があり、公園や人家の庭に立つ樹木のあちこちから小さな緑色の生命が、まるで若者の汗のごとく自然に噴き出し続けている様子、ついつい目を見張ればこちらの心の中にも穏やかな風が吹き渡り、その度血液の中に酸素ばかりか不思議なエネルギーを送り込まれているようで、
と、六月の気候を、微に入り細にうがつタッチで描写し始める冒頭は(しかも、四百字詰めでたっぷり二枚分、句点なしで続いています)、あのウィーンが誇る作家ムージルの未完の大作『特性のない男』の始まりを思わせたものです。
有名な書き出しを引用すると、確かこんな具合です(すさまじい書き出しなのでよく覚えているのです。つまり、枕草子みたいなものですね)。
大西洋上に低気圧があった。それは東方に移動して、ロシア上空に停滞する高気圧に向かっていたが、これを北方に避ける傾向をまだ示していなかった。等温線と等夏温線はなすべきことを果たしていた。気温は、年間平均気温とも、最寒の月と最暖の月の気温ともそしてまた非周期的な月の気温の変動とも、規定どおりの関係を保っていた。
このまま気象の描写は長く続き、ようやくいったん帰結します。
以上の事実をかなりよく一言で要約するとすれば、いくらか古風な言い回しにはなるけれども——それは、一九一三年八月のある晴れた日のことだった。
そんなことなら初めから、「一九一三年八月のある晴れた日のことだった」と書き出してくれればいいものを、ムージルは天文学的な年表だの、大気中の水蒸気の様子だのを持ち出してきて、ようやくその後で「一九一三年八月のある晴れた日のことだった」とやるのです。
余談ですが、僕はこの『特性のない男』を四巻まで買い、あとは読むのをあきらめたものでした。
ですから(ですからというのもおかしな話ですが、どうぞ気持ちをくみとって下さい)、メイル自体には短く「親愛なる」とだけ書いて下さい。あとは添付書類の方で読みます。
……もし失礼でなかったら、時候の挨拶そのものを抜きにしていただけませんでしょうか?
さて、通常、知らない方から長いメイルをもらうのは多少なりとも不愉快なものです。読み込みを待つ時間に比べて、内容が今ひとつ面白くないことが多いので、僕は普通最初の数行にだけ目を通してすぐに捨ててしまいがちです。
ところが、貴方からのメイルは冒頭からして奇妙な魅力を持っておりました。一体なんのために、このメイルをお出しになったのか。そんな疑問がふつふつとわく中、貴方はぐんぐんと筆を進め、いつの間にか、抱腹絶倒の旅行失敗談など始めます。
僕は“もしかしたら、知りあいと間違えて出したメイル”なのではないかといぶかしみつつも、読むのをやめることが出来ず、没頭さえしてしまったものです。
サウジアラビアの田舎で下痢になりかけた話など、そのまま短編小説に仕立てたいほどでした。特に以下の部分。
ところが、どうでしょう。腹を押さえてうずくまる私の横に、同じ格好をしてうずくまる人々がいるのです。
ちょうど祈りの時間が来ており、彼らはメッカの方向に敬虔な祈りを捧げていたのでした。私はあろうことか、偶然メッカを向いて倒れていたというわけです。
「お願いします。トイレはどこか教えて下さい」
必死にそう言ったのですが、彼らは片言の英語を理解してくれず、むしろ“東洋人のイスラム教徒が熱心に祈っている”と感心するあまり、次々と私のそばに集まってうずくまる始末。
私は群衆にはさまれた格好で腹痛に耐え続けなければなりませんでした。
神聖な祈りの横でもらしてしまうなどということは倫理上許されないばかりか、生命の危険をも意味すると思ったのです。
ここなど読むと、貴方が男性であるとしか思えないのですが、一方韓国はソウルでのラブ・ロマンスのくだりでは、一転して女性的に見えてきます。
長い文章であれば、必ず男女の別がわかるものなのですが、どうも貴方のメイルはその決定打をうまく避けて書かれているようにも思えるほどです。
しかも、書き出しの調子からはかなり年齢の高い方だとお見受けしたのですが、以下の部分などはむしろ年下を連想させます。
そこで私は、いつでもバッグの底にしのばせてあるスニーカー・カタログを取り出して、型番を確認したのでした。
まぎれもなく、それはビンテージ・ナイキ! 特に青のソールはまずお目にかかれないといわれるスペシャルものです。
サイズは超ビッグですが、自分がはけなくても買ってしまうのが悲しい性……。
こうして、私はまた残り少ない資金を使ってしまったのでした。
とはいえ(貴方の正体はともかくとして)、“残り少ない資金”を惜しげもなく使ってしまうのは、いかがなものでしょうか。
知人でもないのに、こんなことを申し上げるのは大変失礼だとはわかっているのですが、貴方は少しお金にルーズなところがありはしないかと思うのです。
いや、僕はいまや知人以上の立場かもしれません。なぜならば、貴方から借金を申し込まれているからです。
こんなことをお願いする相手が、恥ずかしいことですが、私にはありません。
見聞を広めるために日本を出て、はや半年あまり。
にっちもさっちも行かない状況におちいっております。
必ずお返しすることを条件に、また私の海外での体験を御自由にいとうさんのものとして使っていただくことを条件に、どうか少しでいいのです。送金していただけないものでしょうか。
日本円でけっこうです。こちらで両替いたします。
もちろん、大変なことは理解しております。しかし、まず初めに御両親、あるいは御親戚に急ぎ便りを出してみてはいかがなものでしょうか。
書きにくいことですが、お金のトラブルというのはお互いにいやなものです。これほどまでに僕を楽しませて下さった貴方との新しいメイル関係を壊してしまうのが、もったいないのです。
また、僕も今海外におります。自由に出来るものも、そう多くはありません。しかも、貴方の思ってらっしゃるほど、僕は財産を持っていないのです。
なんでも、いとうさんは庭園をお持ちとのこと。
そこで花々を育て、その様子をホームページで発表しているとのうらやましいお話を聞きました。
私も草花は好きで、将来は自分の庭を持ち、そこに四季ごとに咲く花を持とうと考えています。
しかし、実際読んでいただければわかりますが、庭園などという贅沢なものは夢のまた夢。是非、ホームページをのぞいて見て下さい。そこには、マンションの狭いベランダを工面して植物にいれあげる僕の小市民的な姿が描かれております。
ここに行ったら、隠しページを探してみて下さい。その隠されたページの中に、僕のベランダでの様子が描かれています。
さらに言いにくいことですが、貴方はメイルにこう書いていらっしゃいます。
ただ今、ようやく台湾にたどり着き、台北の安宿で日本への旅費を待つ毎日です。
どんな毎日かというと、
このあと、またまた抱腹絶倒の日々が書かれていて、実に面白く読んだのですが、しかしながら、貴方のメイルの冒頭にあったあの長い時候の挨拶によると、貴方自身は日本にいらっしゃるとしか思えないのです。
いえ、まさか、嘘を書いているなどというのではありません。
僕は貴方を信用しております。本当です。
ただ、もうひとつ書かせていただけば、例の下痢事件の初めに貴方はこうお書きになっています。
それは、サウジアラビアの首都ドーハから列車で数時間の田舎町でのことでした。
細かいことですが、ドーハはあの日本サッカー・ファンが涙を飲んだカタールの首都ではないでしょうか。サウジアラビアならリヤドだと思われます。
ともかく、おそらく貴方は長い旅が続くうちに、かなり混乱なさっているのではないかと思うのです。
ですから、ここはひとつ一度冷静になっていただき、見ず知らずの僕などより、もっと信頼出来る方を思い出してみるべきではないかと考えます。
大変長く書いてしまいました。
ともかく、僕は貴方にお金を工面するほどの度量がございません。度量どころか、残高もそう多くはないのです。その意味では、
いくらでも他に適任者はいるように思われます。
これで気を悪くなさらぬよう祈っています。
お互いに旅先で体を壊さないよう、気をつけましょう。
では、乱筆乱文失礼いたしました。
いとうせいこう拝
Sincerely yours, Seiko Ito
第 二 信
Subject: 親愛なる
Date: Wed, 19 Nov 1997 20:08:56 +0900 (JST)
From: 親愛なる者より
いとうせいこう <seiko@bccks.jp>
To: who@where
メイル、確かにいただきました。
僕は現在、東京に戻って来ております。
このところ海外に出る機会が多かったのですが、なぜかモジュラージャックに恵まれず、メイルがうまく読めずにいました。
そして、帰国してから貯まったメイルを読み、貴方からの手紙に気づいたわけです。
御返事、必ず書きますが、少し時間を下さい。
色々と混乱していることがあり、一日ほど考える時間が欲しいので、この短いメイルをお送りした次第です。
長いメイルは必ず明日。
ひとつだけ確認させて下さい。
貴方のアドレスは who@whereでよろしいんですよね?
なんにせよ、くわしいことは明日。
いとうせいこう拝
Sincerely yours, Seiko Ito
『親愛なる』立ち読みはここまでとなります。
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2014年6月16日 発行 初版
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