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となりの芝生が青かったころ



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次


一.月曜日のジャック


二.イニシエーション


三.罪と罰


四.土曜日のジャック


五.瓦解


六.日曜日のジャック


七.奈那子


八.金曜日のジャック

一.月曜日のジャック

 木の枝に、カラスが逆さまにぶら下がっていた。
 一体、どうするつもりなんだろう?じっと見ていると、カラスは、ぶら下がったまま、勢いをつけて前方にくるりと回転し、枝の上に乗った。
 私は、目を見張った。観客がいることに気付いているのか、カラスの奴は、それから少しの間、もったいぶって、羽繕いをしていた。私は、辛抱強く、カラスの次のアクションを待った。
 やった!カラスは、勢いをつけて、体を前に傾けると、今度は、そのままクルリと一回転して、また枝の上に乗った。と、思うや否や、バサッと大きな羽を広げ、飛び立った。
 私は、思わず口笛を吹いた。
「アレン君?」理事長のサカタ氏が、怪訝な表情で言った。「どうかしたのかね」
「いえ、理事長」私は、視線を理事長の顔に戻し、努めて平静を装って言った。「何でもありません。ただ、思いがけないお話だったので、驚いただけです」
 理事長は、もっともだという様子で、重々しく頷いた。
「それは、そうだろう。私も、本当のことを話すべきかどうか、随分考えた。何か他の理由をこしらえて伝えるべきか、それとも…」
「お心遣い、ありがとうございます」
 このクソったれ!私は、内心で毒づいた。危険な兆候だった。これ以上ここにいると、内心ではなく面と向かって、もっとひどい言葉を投げつけかねない。今が引き際だろう。私は、席を立った。
「では、これで失礼させていただきます。今後とも、どうぞよろしくお願い致します」
「そう言っていただけると、こちらもホッとするよ。君の研究には、大いに期待している。頑張ってくれたまえ」
 私達は、握手を交わした。

 理事長室を出て、私は、廊下の窓から、研究所を取り囲む山々を眺めた。さっきのカラスは、どこに行ったのだろう?
 あの回転技は、実に見事だった。私は、器械体操が好きで、小学生のときから各種競技に出場して、同じように体操好きな連中と技を競った。学校を卒業してからは、器械体操はやめたものの、水泳、山登り、サイクリングを楽しむようになった。仕事の関係で、日本に引っ越して来たのは十四年前のことだが、ここでも、私はすぐに、地域のトライアスロン・クラブに加入して、毎年、試合に出場していた―一年前、原因不明の難聴を患うまでは。
 研究室に戻ると、部屋の中は刺すような寒さだった。私は舌打ちした。いきなり理事長から電話がかかってきたので、動転して、ヒーターのスイッチを入れ忘れたのだ。
 私は、かなり早くに出社する。大抵の場合、七時半にはオフィスにいる。この研究所では、その時間帯に出社しているスタッフは、私のほかにはいない。ところが、今朝、オフィスに入るなり、電話で理事長に呼び出された。受話器の向うから、理事長のたどたどしい英語が聞こえてきたとき、私はギクリとした。ここ数週間、取りざたされていた、WHOとの共同研究。私の所属する社会統計部から、誰が代表として参加するか、その結論が出たのだろう。
 結果は、私の同僚、ヤマシタの勝ちだった。理事長の説明によると、これまでの研究実績、国際的な環境で仕事をする能力、いずれについても、私とヤマシタは、甲乙つけ難かったそうだ。最終的に私が選ばれなかった理由は、私の難聴だった。
「これは、かなりタフな仕事になるからね」理事長は言った。「海外出張も多いし、深夜にテレカンで打ち合わせをすることも多いはずだ。やはり、健康に不安がある君は、無理しない方がいいのではないかと思ってね」
 これだけでも、十分意気消沈させられる話だったが、これに加えて私を不快にさせたのは、この後の話だった。私の健康上の問題を理由に、無理させるべきではないと主張したのが、当のヤマシタだという話である。
 理事長は、恐らく、ヤマシタが、どんなに私のことを気遣ってくれているかを伝えたかったのだろう。しかし、私は、そうは受け取らなかった。理事長よりも私の方が、ヤマシタの性格は知っている。自分がこの仕事をしたいがために、私の健康問題を取り上げたのだろう。そうに決まっている。この狡猾で陰険なやり方―それが、「優しさ」という見せかけに包まれている分、私には一層不愉快だった。
 私は、腹立ち紛れに、乱暴に壁際のヒーターのスイッチを入れた。勢いあまって指を滑らせ、傍にあったデスクの脚に、手を思い切りぶつけてしまった。私は、また舌打ちした。
 痛む指をさすりながら、私はデスクに向かい、コンピュータの電源をオンにした。まるでロボットだな、と自分でも思うことがある。この十四年間、毎日ほぼ同じ動作の繰り返し。コンピュータを立ち上げた後は、メールをチェックし、必要なものに返事を書く。それから、本業にとりかかる。
 私は、社会統計学者で、日本、米国、欧州の様々な分野の研究者を相手に、統計的処理を必要とする課題について、コンサルタントを行なっている。また、ある種の問題について、より適切な統計手法を考案し、論文を書いて専門雑誌に投稿したり、学会で発表したりする。日本人の書いた論文の校閲を依頼されることもある。研究室にいる時間のほとんどを、自分のデスクにかじりついて過ごしているわけで、ちょっと見には、単調極まりない生活だ。
 週末に来るメールは、ほとんどが海外からのものだ。この日も、アメリカの共同研究者の一人からメールが来ていた。六月に、京都で開催される学会があるので、日本で会えるのを楽しみにしているというものだった。
 これを読んで、この朝初めて、私は気分が和むのを感じた。私は、すぐに返事のメールを書いた。親愛なるヘンリー。メールをありがとう。私も、久しぶりに会えるのを楽しみにしている…。
 コンピュータが乾いた音を立て、画面の左隅に、「新規メールがあります」というメッセージが現れた。受信画面に戻ってみると、妻のマリーからだった。

 ジャック
 昨夜はごめんなさい。ヒステリーを起こしてしまって。
 でも、私の気持ちも分かって欲しいの。                    マリー

 私は一瞬、同情と苛立ちの混じった気分に襲われ、大きなため息をついた。やれやれ、今度はこれか!少しの間でいい、お願いだから、僕のことは放っといてくれ!
 大方の男はそうだと思うが、私は、女の泣き言が苦手だ。どんな顔をして、何を言ったらいいのか、見当もつかない。こればかりは、いくつになっても同じで、ティーン・エイジャーの頃も、五十の今も、途方に暮れることしか出来ない。それが、「私の気持ち」に関する泣き言となると、一層手におえず、耳を両手でふさいで逃げ出したくなってしまう。マリーが悲しんでいるのは分かる。だが、私には、それを解消してあげることは出来ないのだ。マリーには、どうしてそれが理解できないのか。そう考えると、同情の気持ちは薄らぎ、苛立ちの方が優勢になったりする。
 私は、書きかけのメールのことも忘れて、席を立った。コーヒーを淹れて来よう。
 ドアに向かう途中、右手の書棚の傍を通った。一度通り過ぎ、一瞬立ち止まって、後戻りした。書棚の一番上には、フォト・スタンドが置いてあった。私とマリーの写真。結婚式のスナップだ。いかにも結婚式らしい写真で、私達は、これ見よがしに幸せそうな笑みを浮かべている。
 そう言えば、この週末も、若手の同僚の披露宴によばれた。WHOとの共同研究のことで頭が一杯で、披露宴などに参加する気分ではなかった。何か理由をつけて断りたかったが、適当な理由がなく、出席する羽目になってしまった。
 案の定、会場には出向いたものの、ほとんど上の空で、何を食べたのかも覚えていない。ただ、披露宴のパーティで、満面の笑みを浮かべている二人を見て、皮肉な気持ちにならずにいられなかった。結婚して十六年、数え切れないほどの諍いと、その結果残された二人の絆の綻び―不完全な縫合で、あちこちで傷口が開いたままになっている裂傷―そんなものを抱えて生きている身にとって、披露宴の光景は、ある意味、傷口に塩をすり込まれるようなものだ。その痛みを中和しようとして、思考は、必死で皮肉にすがりつく―そんな笑い方が出来るのは、今だけだぞ。二人の希望という幻想で満タンの車で、この先ずっと快調なドライブを続けて行けるなんて思っていられるのは、ほんのわずかな間だけだ。そのうち、二人を乗せた車は、不満と失望という燃費の悪い燃料で、動かそうにも動かせない状態になる。そうして、あっちでもこっちでもエンストを起こすことになるんだ…。
 私は、再びため息をついた。これだから、披露宴には出たくないんだ。これから幸せになろうとしている二人を、素直に祝福してあげることなど、絶対に出来ない。そして、そんな自分を発見して、惨めな気持ちになるのが落ちなのだ。
 特に、去年、病気になってからは、マリーとの諍いの頻度も増えている。仕事のこともあったし、今回の披露宴は、本当に最悪のタイミングだった。
 再び棚の上の写真を見ると、ますます気分が落ち込むのを感じた。私は、右手を伸ばして、そのフォトスタンドを棚の上に伏せ、オフィスを出た。

 暗い廊下を、玄関の方に歩いていくと、左手に給湯室がある。秘書の吉川さんが、コーヒー・メーカーに水を注いでいた。
「おはようございます、アレン先生」
 彼女は、きれいな英語で挨拶した。
「おはようございます、吉川さん」
 この研究所は、地理的には日本に存在しているものの、中身はまるっきりアメリカである。全体の半分くらいは日本人スタッフだが、日本語を使って仕事をすることはまれだ。
 私は、食器棚からマグカップを取り出し、ポットにコーヒーがたまるのを待った。空になったコーヒー袋を片付けながら、吉川さんが言った。
「そう言えば、川喜多さんは、お元気でいらっしゃいますか?」
 私は、一瞬、何のことか分からなかった。私の顔を見て、吉川さんは言った。
「先日ご紹介した新しい生徒さんですよ。私の大学時代の同期の方で、イギリスに留学するので、英語の先生を紹介して欲しいと…」
 少し考えて、ようやく思い出した。先週の火曜日だったか、吉川さんからメールが来て、新しい生徒の面倒を見る余裕があるかときいてきたのだった。
 私は、研究の仕事の傍ら、英語の教師の仕事を引き受けていた。これは、この職場の人間としては、非常に珍しいことだった。ここでは、研究にしか興味がなく、本業以外のこと、例えば、言葉の通じない人間を相手にお喋りをする、などということのために、時間を無駄にしたくないという気質の人間が多かった。私自身は、折角異国にいるのだから、少しはこの国の人たちのことも深く理解できれば…と考えていた。そのため、来日当初から、随分多くの日本人を相手に、英語を教える仕事を続けて来た。
 吉川さんのメールには、OKと返事を書き、それを受けて、吉川さんは、最初のレッスンのアレンジをしてくれたのだった。それは確か…
「ああ、吉川さん」私は言った。「その方には、今日お会いする約束ですよ。吉川さんがアレンジして下さったんじゃありませんか」
「まあ、そうでしたね、済みません」吉川さんは、微笑んで言った。「私からも、よろしくとお伝え下さいね。今まで、仕事でいろいろと大変だったようですが、やっと決心がついたって…。うらやましいですね、イギリスに留学だなんて」
「そうですね。ではまた」

 オフィスに戻った私は、吉川さんからのメールを探した。新しい生徒の名前は、川喜多奈那子。この春から、絵の勉強をするために渡英の予定。その前に、大急ぎで英語の勉強をしたい。最初のレッスンは…二月十三日。今日に間違いない。
 私は、慌てて教材の用意を始めた。普段は、その日読んだ新聞記事とか、雑誌の切抜きを用意しておいて、生徒のレベルの見極めから始める。しかし、この日は、新聞にも雑誌にも目を通してこなかった。昨夜、マリーと喧嘩になり、家を出て、近くのホテルに泊まった。その後も気持ちが収まらず、ホテルの部屋でテレビをつけたまま、考え事をして過ごしてしまった。自分で意識している以上に動揺していたのだろう。今日からレッスンが始まることさえ忘れていたとは…。
 私は、吉川さんのメールを再読し、この新しい生徒が、製薬会社勤めであることを知った。そうだ、先週読んだ雑誌の中に、医薬品業界関係の記事があったはずだ。私は、マガジン・ラックを漁って雑誌を取り出し、その記事を探した。記事はすぐに見つかり、私はそれをざっと読み返した。長さも語彙も、ちょうどよさそうだ。
 その記事のコピーを取ろうとして立ち上がったが、手を滑らせて雑誌を床に落としてしまった。拾い上げると、さっきの記事とは別のページが目に飛び込んできた。大学時代の友人の写真が、見開きで掲載されていた。彼は、昨年、起業して成功し、それからは幾度となく、テレビや雑誌で彼のニュースを目にするようになった。
 これを見て、私は今朝の話を思い出し、気が滅入ってしまった。WHOとの共同研究という面白そうな仕事は、他の人間の手に渡ってしまった。かつて、大学で机を並べていた友人も、こうしてチャンスをつかんで成功している…。なんでこう、他のやつにばかり、いい風が吹くのか。
 私はしばらくの間、コピー機のそばでぼんやりしていた。ふと時計を見ると、会議の時間だった。ヤマシタとも顔を合わせなければならない。私はまたため息をつき、雑誌のコピーを取った。
 新しい生徒との待ち合わせは、夕方六時半。オフィスを出るのは、十五分前で十分だろう。それから、忘れないうちに、今晩泊まる場所を確保しておかなければならない。今日は、あの家に帰る気にはなれないから。
 一体、帰る気になれる日が再び来るだろうか?私は、訝しく思った。結婚して十六年、昨夜みたいな激しい喧嘩は初めてだった。マリーがヒステリーを起すのは珍しくなかったが、昨日は、私の方が興奮してしまった。今も、それが落ち着いているとは言いがたい。
 いっそのこと、ウィークリー・マンションでも借りる方がいいのかもしれない。

 約束の喫茶店に着いたのは、六時二十分。新しい生徒は、すでに来ていた。マスターが、私を見ると、ポットを片手に、目で店の左手奥を指した。そちらの方を見ると、一人の女性が、カップを片手に静かに本を読んでいた。
 私は、コーヒーを注文して、彼女の席に向かった。気配を感じたのか、彼女は本から顔を上げて、私を見た。
「アレンさんですか?」
「コンバンハ」
 私はふざけて、わざと日本語で答えた。これは、私が、先生の仕事をするようになってから考案したジョークの一つだった。英語の勉強をしに来ているのに、私が日本語を話すと、思わず日本語で話し出す学生が多かった。しかし、この生徒は違った。眉一つ動かさず、言った。
「アレンさんは、日本に来て何年になるのですか」
 私は、ゲームを続けた。
「ソウデスネ、モウ十四年ニナリマス」
「どうりで、日本語がお上手なはずです」
 そう言って、彼女は、にっこり笑った。私も笑った。こんなに反応のよい生徒は、ひさしぶりだ。私は嬉しくなって、英語に切り替えて言った。
「ジャック・アレンです。どうぞよろしく」
「川喜多奈那子です。よろしく」
 私のコーヒーが来た。私がそれに口をつけるのを待って、彼女が言った。
「質問してもいいですか」
「どうぞ」
「今、何人教えていらっしゃるんですか」
「ええと…あなたを入れれば四人ですね」
「皆さん、週に一度?」
「そうです。ただ、その内二人はグループレッスンで、水曜日です。もう一人は木曜日」
「私が月曜とすると、週に三日教えることになるわけですね」
「そうですね」
「一週間が、忙しすぎるという気持ちになりませんか?フルタイムで、研究職をしながらでは」
 彼女は、真面目な顔つきで言った。
「教える仕事というものが」私も真面目に答えた。「私にとって、ただの小遣い稼ぎのようなものだったら、そんな風に思ったかもしれません。しかし、私は、私自身が、教える仕事から得るものがあると思えばこそ、この仕事をしているわけで、あなたが仰るような意味で忙しすぎるという気持ちになったことはありませんね」
「なるほど」
 彼女はそう言うと、一人納得した様子でコーヒーを飲んだ。
 彼女の質問につられて答えつつ、私は、内心かなり動揺していた―英語の練習をしに来た生徒という感じは全くしないな。まるで、取引先との商談に臨むビジネス・パーソンのようだ。
 今度は、私から話し始めた。
「春にはイギリスに行かれる予定とか。絵の勉強のためでしたね?」
「そうなんです」
 彼女は、そう言いながら、実に嬉しそうな笑顔を見せた。
「今は、製薬会社にお勤めされているんですよね」
「いえ、会社は辞めました。もう大分前に」
「そうですか…」私は、吉川さんのメールの内容を思い出しながら、話を続けた。「あなたは特に、改めて英語の勉強をする必要など、なさそうな気がしますけどね。今のまま留学されても、問題ないかと思いますが」
「いえ…」ここで初めて、彼女は躊躇いらしきものを見せた。そして、少しの間考え込むと、言った。「話題によります。実は、大学時代に、一度だけイギリスに行ったことがあるのです。一週間のホームステイで、英語学校に通いました」
「ええ」
「クラス分けのテストで、スコアが良かったので、上級クラスに入れられました。英語の検定試験用のクラスで、語彙や文法のレッスンの量が多かったですし、そういうレッスンの時は問題なかったのですが…」
「そうでしょうね」
 私は、思わず笑った。私の生徒達も、文法のドリルでは満点に近い点数を取る。各種検定試験でも、高いスコアを持つ人が多い。
「ですが」彼女は続けた。「作文のクラスで、困ってしまったのです。自分が書きたいことがハッキリしていても、それをどう要領よくまとめたらいいのか分からないとか。自分のことを説明しようと思っても、それを伝えるための語彙が不足していたり」
「なるほど」
 私も、日本語のレッスンで似たような体験をしている。テキストで、いろいろな言い回しを勉強して知っているにも関わらず、何か話そうとすると、必ずといってもいいほど、知らない単語や表現が必要になる。やむを得ず、知っている表現で言い換えて要点を伝えることはできるものの、最適な伝え方が出来たかどうか自信がないし、フラストレーションがたまる。一種の挫折感さえ感じる。
「そのときのことがあったので、勉強の方法を変えてみることにしました」
 そう言って、彼女は、バッグから分厚い紙束を取り出した。上をクリップで留め、クリア・ファイルに入れられている。
「ここ数年間の自分の生活について書いてみたんです。留学先でも、自分のことを話すことが一番多いでしょう?向こうで知り合う人たちは、質問してくるでしょう―何のお仕事を?どうしてイギリスに?予め考えられる質問に対しては、十分に答えられるようにしておきたいのです。向こうで生活を始めれば、段々応用が利くようになって、準備などしなくても大丈夫になるでしょうけれど、最初が肝心だと思うんです。言葉が不自由なばかりに、得体の知れない人間だと思われてしまうと、人間関係を修復するのに時間がかかってしまう」
 彼女は、真面目な表情で私を見つめた。
 私は、これは面白いことになったと思った。
 彼女の言葉は、私にとっても他人事ではなかった。私が日本に来たときも、最初の一年くらいは、この問題で非常に苦しい思いをした。職場では、英語が通じるので、年齢と経験相当の一人前の人間として扱ってもらえたが、一歩外に出れば、私は、「ヘンな外人」であった―買い物の場で、銀行で、駐車場で、英語を解さない相手と一緒だと、決まって幼児扱いされたと感じたものだ。彼女は、私と違って、外国語でしか話の出来ない環境に身を置くのだから、こうした準備は非常に役に立つだろう。私は、自分が教材を用意してきていたことも忘れて、言った。
「面白い作戦ですね。すると、あなたは、私にその作文を添削して欲しいというわけでしょうか?」
「その通りです。ちょっとご覧になっていただきたいのですが…」
 彼女は、その分厚い紙束を差し出した。
「ご覧の通り、もうかなりの分量になっています。それでも、まだ全てというわけではないのです」
 私は、渡された紙束をパラパラとめくってみた。きれいにタイプされており、目だってひどい英語のミスもなさそうだ。
「一週間で処理できると思いますか?」
 顔を上げると、彼女が心配そうに私を見ていた。確かに、これだけの量の文章を一週間で添削するのは難しいかもしれない。それに、詳しく読んでみないことには、どのくらいかかるか見当もつかない。私は言った。
「二週間いただいてもよろしいですか?一週間でも不可能ではないと思いますが、念のため」
「ええ、その方がよいと思います。ゆっくり見ていただけますし。それに、私の都合もあります。続きを書くのに時間が欲しいので」
「なるほど」
「では、二週間後、あなたは私に添削済みの作文を返却する。作文の追加分は、後でお送りします。返却していただく際に、必要であれば私が補足説明をする。作文だけでは分からないことがあったら、何でも質問して下さい」
「ラジャー」
 私は、思わずそう答えてしまった。彼女は目を丸くして、笑い出した。私も笑った。テンポのよい話の運びが心地よく、つい砕けた調子になってしまった。最初に感じた、商談に来たビジネス・パーソンみたいだという印象は、どうやら間違いではなかったようだ。彼女は、まんまと自分のやりたい方法でレッスンを行うことに決めてしまった。
 私は、気分が良かった。交渉の仕方を知っている相手と話すのは心地良い。自分が欲しいものがハッキリ分かっていて、それを手に入れるためにフェアな態度で交渉する。
 私は、マリーにも、こういう姿勢を身につけて欲しいと思っていた。しかし、生まれつきなのか、教わっていないせいなのか、こうした話し合いは、およそ彼女には出来ない芸当らしかった。私も、マリーのこういったところに漠然とした不満を感じつつも、これまでどうにかやり過ごしてきた。それがまさか、こんなところで、彼女のこういう性格が原因で、ここまで話がこじれようとは、思ってもみなかった。
 マリーのことを思い出すと、せっかくの楽しい気分にも影が差した。私の表情の変化に気付いたのか、奈那子は、元のビジネスライクな調子に戻って、言った。
「では、今日はこの辺で。二週間後、同じ時刻に。場所はここでよろしいですか?」
「ええ」
「よろしくお願いします、アレン先生」
「ジャックで結構」
「では、私は奈那子で」
 奈那子は、そう言い残して、軽く会釈すると、店を出て行った。

 私は、一人になると、再びマリーのことを考え始めた。しかし、考えたからといって、どうなるというものでもなかった。大体、自分でも何を考えているのか、よく分からなかった―いろいろな思い出が何の脈絡もなく蘇って来て、当時感じていた幸福や、苛立ちや、悲しみやらが、胸の中で錯綜する。思考は、同じところをぐるぐる回るだけで、気持ちの整理をつけるのに、全く役に立たなかった。
 私は、そんな思いを振り払うかのように、軽く左右に頭を振った。そして、ぬるくなったコーヒーをすすった。私の目の前には、さっき奈那子から渡された作文があった。私は、それを手に取り、何となくページをめくってみた。
 さっきは気付かなかったが、ローマ字で名前だけが綴ってある表紙の見返しに、一行だけ文章が書かれていた。

 となりの芝生が青かったころの思い出に

 私は、この一文が、過去形で書かれていることに興味を持った。私にとっては、となりの芝生は、いつでも青かった。今でもそうだ。
 私は、もうしばらく、この店にいることにした。ホテルの部屋に一人でいるのが嫌だった。一人になれば、また取りとめのない考えごとに付きまとわれる。それよりも、この店にいて、作文を少しだけでも読んで帰ろう。



  タチヨミ版はここまでとなります。


となりの芝生が青かったころ

2014年6月6日 発行 初版

著者:想

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