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この本はタチヨミ版です。
オフィスの窓から町を見下ろすと、一面に闇が広がっていた―相変わらず、夜が早く来る町だ。
上を見上げれば、月のない空。この半年間で、こんな光景を何度目にしたことだろう。こうして闇と闇の真ん中に浮かんでいると、自分がひとりであるという事実に否応なしに直面させられる―私は軽いめまいを覚えた。
軽いノックの音がした。振り返ると、社長の笹神さんが、コートを片手にドアの傍に佇んでいた。
「今日も晩いね。エジプト行きは明日だろう?」
「ええ…」
「したくは済んでるの?」
「あとちょっとだけ。出発間際までトラブル対応で、どうなることかと思ったけど、何とか出発できそうです」
「そりゃよかった」
笹神さんは声を立てて笑った。そして、まじめな口調で言った。
「傷心旅行と聞いた時には驚いたよ。済まなかったね。もう確か、半年になるんだろう?」
「ええ…」
「もっと早くに、ゆっくりする時間が取れるようにしてあげるべきだった」
「いえ…」私は言った。「忙しさに救われたところもあるんです。あの時はとにかくショックで…全身が麻痺したようになって、何も出来ませんでしたから。仕事をしていると、否応なしに現実的な問題に直面させられるでしょう?最初は思うように動けなかったけど、やっているうちに頭もシャンとしてきて、それからだんだん思考力を取り戻すことが出来たんです」
笹神さんは、目を閉じてじっと聞いていた。そして一言、
「分かるよ。妻を亡くしたときは、私もそうした」
顔を上げて時計を見ると、
「もうこんな時間か。櫂ちゃんは早く帰って休んだ方がいい。長旅になるんだろう?」
「ええ。かなり」
「良い旅を」
「ありがとうございます。ちょっとの間、不在にしますけど、よろしくお願いします」
十一月中旬の東京は、かなり寒かった。寒いのだから、素直に上に何か着て出かければ良いものを、私はそうしなかった。こんな寒さは東京にいる間だけ、それも、自宅から電車の駅まで、外を歩く間の辛抱だ。エジプトに行けば、寒さとはおさらばのはずだから、余計な荷物は持たないことにしよう―特に、衣類はかさばるので。
これが大誤算で、この後十日間、私は夜のエジプトの寒さに苦しめられることになる。
成田第一ターミナルに着いたのは十一時。集合時刻の一時間以上前だったが、そこには、チェックイン待ちの荷物が所狭しと並べられていた。手続きの後、ロビーのソファで、辺りを歩く人達を眺めていると、私同様、早く手続きを済ませた老夫婦がやってきた。
「ここ、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
二人は、手荷物を膝の上に抱えて、私の隣に腰を下ろした。
「あなたは、学生さん?」
「いいえ、まさか」私は笑った。「お勤めしています。だから、旅行に行く時間を見つけるのが、なかなか難しくて…」
「まあ、そう。大変ね。うちも主人が働いている間は、やっぱり家族そろってというのはなかなか…」
私はバッグから名刺入れを取り出し、名刺を一枚差し出した。
「私、こういう者です」
奥さんは、眼鏡ケースを取り出した。その間に、隣に座っていたご主人が、奥さんの手の中にある名刺を覗き込み、言った。
「企業研修…ほお、専務さんなのかい。お若いのに」
奥さんは、大きな眼鏡を鼻に乗せると、名刺に見入った。
「まあ、本当!私なんて、名刺をお持ちというだけでもビックリしてしまうのに、専務さんなの?」
私は笑って答えた。
「出来て一年の若い会社ですし、私の専務歴はここ半年ですよ」
「どんなお仕事をされているの?」
「いろいろな会社に出向いて、研修をしています。会社相手の家庭教師みたいなものですね」
「ああ、なるほど」ご主人が言った。「うちでもやってたな。うちの若い連中に、外部講師の研修を受けさせていた。新入社員には、あれだ、マナーの研修をやってたな。名刺の渡し方とか、お辞儀の仕方とか」
「そうですね。ただ、私の会社では、マナー研修ではなくて、もうちょっと経験のある方々を対象に、ビジネス・スキルの研修をしているんです」
二人は、感心したような表情を見せてはいたが、それ以上質問はしなかった。奥さんが言った。
「大変ですね。お忙しいでしょう」
「お陰様で。でも、それを喜ばなければならない立場ですからね」
二人は笑った。私は一緒に笑いながら、胸の中で呟いた。
忙しいのは結構なことだけど、忙しさの理由が問題なのよ、と。
私の会社では、企業研修の企画と出張指導を行っている。様々な会社から依頼を受け、クライアントの要望に沿ったプログラムを企画したり、講師を派遣したりする仕事だ。プログラムの内容は千差万別だが、どのプログラムでも、終了後に、受講者一人一人に修了証とアセスメント通知書を発行し、受講者本人と、必要に応じて会社の人事部や上司宛に発送する。
八日前のこと、ある企業の人事部から苦情電話が入った。他企業の人のものと思われる通知書が送付されて来たというのだ。
「弊社には、この通知書にある名前の社員はおりません」
電話をかけてきた人事担当者は言った。
「幸い、弊社の受講者分の通知書は、二日ほど前に全て受領しております。しかし、弊社の社員に関する情報が、他社に送付されてしまう可能性もあるということですよね」
このクライアントは、トラブルの原因調査とその結果報告、改善対策の説明を要求してきた。苦情電話の翌日、誤送付された通知書が返送されて来た。私はそれを、本来それが送付されるはずだったクライアントに届けに行った。事情を説明してお詫びすると、
「笹神さんと櫂ちゃんの会社で起こすトラブルとも思えないわね」
その会社の教育研修部長、かつての私の同僚でもある小西さんはそう言った。笹神さんと私は、以前はこの会社の教育研修部で仕事をしており、笹神さんが部長の任に就いていた。一年前、笹神さんが独立して自分の会社を作るためにここの部長の座を去り、その少し後に私も辞めた。笹神さんが去った後、ここの部長職を引き継いだのが小西さんだった。彼女は言った。
「今日は、笹神さんは?」
「アメリカです。ビジネススクールの視察に行っているわ」
「そう」
私は続けて言った。
「小西さん、本当にお恥ずかしい話です。申し訳ありません」
「まあ、お詫びはいいわよ。でも、ホント、らしくないじゃない?笹神さんは、ご存知の通り、仕事の鬼みたいな人だし、櫂ちゃんだって、およそミスなんてしない人だったのに」
この言葉に、私は、ここ半年の間、痛切に感じていたことを言わずにはいられなかった。
「自分が実務担当者なら、勿論、こんなことしないと思うわ。でも、人を使うとなると話は別よ。社員全員に同じレベルの仕事を期待できるかと言うと、これがなかなか…」
「ふーん。櫂ちゃんが指揮を取っててもそうなんだ。じゃ、やっぱり笹神さんがすごかったってことかな」
小西さんは、脚を組み変えると、コーヒーをすすった。
彼女の言う通りだった―私は、この研修部の、かつての活気に満ちた様子を、たまらなく懐かしい気持ちで思い出した。私達の任務はかなり特殊なもので、一歩間違えれば、すぐに嫌気が差して放り出したくなるような仕事だった。それを、使命感とやりがい、時に喜びさえ感じながら完遂することが出来たのは、ひとえに笹神さんの巧みな「人の動かし方」ゆえだった。
その笹神さんが、自分の会社を始めると聞いた時、最初は驚いたものの、彼がトップに立つ組織なら、理想的な会社になるだろう―そんな希望も湧いてきた。そして、その希望に背中を押されるようにして、新しい組織作りという未知の世界へ飛び込んだのだった。
ところが、実際に始めてみると、物事は、そう簡単に思い通りには運んでくれなかった。というのは、大きな企業の研修部であれば、自分の担当業務に専念することが出来るが、独立して経営者になると、何よりも会社を存続させて行くことに力を注がなければならなくなる。つまり、外に出て、顧客を開拓し、契約を取り付ける必要があった。新しい会社では、まだ優秀な営業担当者の確保が出来ていなかった。そのため、笹神さんは、自ら営業活動のために外に出ることが多くなり、私が内部の問題に対処することになった。そして、誰かの指揮のもとで有能な選手であるということと、自分が指揮を取って人を有効に使うこととの間には、大きなギャップが存在することを思い知らされることになった。
私が物思いに耽っていると、小西さんが急に話題を変えた。
「最近、ご主人はいかが?櫂ちゃん、今も、病院と会社を往復する生活をしているの?」
小西さんの言葉に、私は我に帰った。
「え…ううん、今はもう」
小西さんの顔が、ぱっと明るくなった。
「あら、じゃ、ご主人、退院されたの?」
「いえ、そうじゃなくて、あの…」
私は言葉を濁した。だが、咄嗟のことで、上手くごまかすことが出来なかった。彼女は眉をひそめた。私は、黙って首を横に振り、「…半年前よ。でも、病気が原因じゃないの。交通事故で」
「交通事故?入院したきりの人が?」
「回復して、一時退院していたのよ。その時に飲酒運転で…」
小西さんは、言葉を失った。
「まあ」ようやく口を開くと、彼女は言った。「全然知らなかったわ。ごめんなさいね」
「いいえ、いいのよ。気にしないで」
これ以上、この話をしたい気分ではなかった。私は、ソファから立ちあがった。
「それでは、今日はこの辺で。今回のミスについては、調査が完了次第、報告のために改めてお伺いさせていただきます」
小西さんも立ちあがって言った。
「分かりました。今後ともどうぞよろしく」
私と小西さんは握手を交わした。
翌朝早く、私は、青柳課長と打ち合わせを行なった。
今回の送付ミスは、彼の部下である瀧田さんという講師が実施した研修で発生した。青柳さんは、入社してまだ二ヶ月、仕事の方法も、関係者のことも、よく分からない中で起こった事件に、心底困っている様子だった。当の瀧田さんは、海外旅行中で連絡が取れず、事情をきくことが出来ない。しかし、クライアントには、可能な限り速やかに、事情説明に行かなければならない。私はきいた。
「瀧田さんの所で何も問題がなかったと仮定して、他にミスが起こる可能性があるのは?」
「はい、それなんですが」彼は言った。「事務の平山さんが、間違って郵送した可能性があります。それで昨日、平山さんにもきいてみたのですが、自分は間違っていないと言っていました」
私は、内線電話で平山さんを呼んだ。
一分ほどして、オフィスに現れた平山さんは、そこに青柳課長がいるのを目にすると、露骨に顔をしかめた。
「この人のいるところでは、話したくありません」
彼女はそう言い捨てて、その場を去ろうとした。
「ちょっと待って」私はデスクを立って、彼女を引き止めた。「大切な話なの。青柳さんには、外に出ていてもらうから、お願い」
青柳さんが出て行くと、平山さんはしぶしぶ中に入った。
「今大切なことは」私は言った。「誰がやったかではなくて、どうして起こったかなの。通知書をクライアントに送るまでの手順で、こういうミスが起こりそうな所、何か思い当たる?」
平山さんは、しばらく考え込んでいたが、やがて口を開いた。
「コードの入力ミスじゃないですか」
「コードの入力ミス?」
平山さんの説明は、こういうことだった―クライアントに通知書を送付する際、封筒のあて先をパソコンで印字する。その時、あて先をいちいち入力するのではなく、「クライアント・コード」を使って、該当するあて先を検索しているという。
「だから、そのコードを間違えれば、別のクライアントのあて先が印字されちゃうんです」
「中の通知書の行き先と、封筒のあて先が合っているかどうか、確認しないの?」
「確認のしようがないんですよ。通知書には受講生の名前しか書いてませんから」
「なるほどね…」
ミスの原因は、どうやらこれらしい。私はメモを取り、赤ペンで大きく「手順の改訂・通知書に企業名欄追加」と記載した。
「もう行っていいですか?」
「ええ、ありがとう。助かったわ。あ、待って」私は、平山さんを引き止めた。「さっきの話は?青柳さんのことだけど…」
彼女は、ジロリと一瞥をくれると、吐き捨てるように言った。
「瀧田君がミスをする筈ないだろう。やったとしたらキミ以外考えられないのだから、早く正直に言いなさい―昨日、あの人から、いきなりそう言われました」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼女は、激しく泣き始めた。私は、内線電話で青柳課長を呼んだ。
三十秒後、彼は私の目の前に立っていた。顔面蒼白で、目には怯えと怒りの混ざった表情が浮かんでいた。
「専務、何か…」
「今、平山さんから聞いたんだけど、あなた、平山さんを今回の事件の犯人に決めつけるような言い方をしたって本当?」
青柳さんの顔から血の気が引き、右頬がかすかに引きつった。
「いえ、そんな、専務、私は決してそのような…」
私は手を横に振って、彼の話を遮った。
「クビになりたいの?」
「は?」
「この会社には、ウソつきは要らないのよ。平山さんはこう言ったわ―『瀧田君がミスをする筈ないだろう。やったとしたらキミ以外考えられないのだから、早く正直に言いなさい』。あなた、本当にこう言ったの?それとも言わなかったの?どっち?」
「いえ、専務、私は事情をきこうとしただけで…」
「どっちかってきいてるのよ。あなた、昨日自分が言った言葉を思い出せないの?そんなに記憶力が悪いんじゃ、うちの会社の仕事は務まらないわ。それだけで、あなたをクビにする十分な理由になるけど、その方がいいのかしら」
青柳さんは、ここまで言われてようやく自己弁護を止める気になったらしい。私から目をそらし、俯いて言った。
「…言いました」
この時、私は平山さんを見ていた。彼女は、青柳さんの言葉を聞くと、口の端に微かな笑いを浮かべた。私は言った。
「平山さん」
彼女はビクリと肩を震わせ、怯えた目つきでこちらを見た。
「あなたはウソを言っていないんでしょうね。もしも、青柳課長を陥れようとして、虚偽の訴えをしたのなら、あなたもクビよ」
「そんなこと、ウソだなんて!」
「あなたの仕事にミスが多いことは、別の人から報告を受けています。研修資料の発送先を間違えたり、通知書にコーヒーをこぼして、再発行させたりしているそうね。今回のミスが、自分には関係ないと言い切れるの?」
平山さんの表情が強張った。私は言った。
「近々、クライアントに原因と改善策を説明に行かなければならないの。原因については、コードの入力ミスのことを説明するわ。改善案は、現場の意見を募ります。後で、私からメールを出します」
私はテーブルを離れ、自分の席に戻った。
「お二人に忠告しておくわ」私は言った。「青柳さんは、日常の業務の中で困っていることがあったら、お腹に溜めないこと。溜めると、何かのきっかけで、日頃の怒りが爆発して、不適切な言動に走る恐れがあります。それから、平山さん」
「ハイ」
「あなたは、仕事に対する不満を、よくお友達にこぼしているみたいね。業務中の私用メールでも、よくそういうことを書いているらしいじゃない。愚痴を言っている暇があるんなら、自分の仕事にミスがないかどうか、確認しようって気にならない?」
「……」
「お二人とも、朝からお疲れさまでした」
私は、起立して頭を下げた。平山さんも席を立ち、青柳さんと一緒に頭を下げて、部屋を出て行った。
社員全員に、今回の件に関するメールを送信した後、私は大きな溜息をつき、椅子の背もたれにどっと寄りかかった。そして、ぼんやりとデスクの上のカレンダーを見た。もう金曜日。苦情電話が火曜日、小西さんに会い、トラブル調査をしたのが木曜日、そして、今日は朝からこの騒ぎ。
今回のトラブルには、この会社が抱えている問題の全てが凝縮されている―漠然とした欲求不満、いい加減な仕事の仕方、指示待ち、自己弁護。一体どうして、こういうことになったのだろう?
一年前、笹神さんの独立からしばらくの間は、笹神さんも私も講師として外に出ていた。笹神さんは、同時に、精力的に営業活動を行い、その結果、徐々に仕事が増え、講師の増員が必要になった。講師が、研修プログラム開発で多忙を極めるようになると、補助職員が必要になった。こうして、人が増えるに従って組織が必要になり、私は講師の仕事を止めて、会社の内部環境の整備にあたることになった。半年ほど前からは専務と呼ばれるようになり、社内外のありとあらゆるトラブルの仲裁役を引き受けている。
しかし、人が増えても、仕事は減らない―それどころか、増えているとしか思えなかった。しかも、私自身の「仕事」について言えば、その中身はどんどんつまらないものになって行く。講師だった頃は、人と接することは楽しみだった。研修の場で、受講生達は、緊張と、慣れないことをさせられる不安とで口数も少なく、他の受講生達との関係もぎこちない。そこを解きほぐし、もっと主体的に研修に参加させるのが、私の役割だった。始めのうちは、私が何か言うまで、自分から動こうとはしなかった受講生が、後半に入ると私を遮るようにして話をするようになる。人は、自由に話せる環境にいると感じている時、どれほど生き生きとするものか、私はそれを見るのが楽しみだった。
ところが、今の私の仕事は、「報告を受ける」ことから始まる。「報告」―それは、「自由に話す」ことの対極にある行為だ。言いたくないことを言わなければならない。そして、報告を受ける立場の歯がゆさときたら―出来事は一つのはずなのに、関係者各々が創作をする。各人各様の誇張、各人各様の失念、それらが絡み合って描き出されるシナリオは、一つの事柄について語っているとは到底思えないほどだ。起こったことをありのままに伝えるという行為は、人間の能力を超えるものかもしれない。そうだとしても、よくもまあ、一つの出来事について、これほど隔たりのある話が出て来るものだと、何度呆れさせられたことか。
しかし、呆れてばかりいるわけにもいかない。私は、その「藪の中」から、真実に近い情報を探り当て、それをもとに何らかの決断をしなければならない立場だった。そして、なるべく事実に近い情報を集めるため、専務就任の三週間後に、ある手だてを考えた。それは、トラブルホットラインの設置だった。大きなトラブルが起こる時には、それに先だって、無数の小さなトラブルが発生している。何か問題ありと感じたら、直ちにこのホットラインに連絡を入れるように―私は、社員全員にそう指示を出した。
平山さんの就業態度に関する情報も、このホットライン経由で私の耳に入っていた。一ヶ月前の入社当日から、簡単な仕事でも覚えが悪い、ミスが多い、電話を取らない、勤務中に携帯電話で私用メールを書いている等々、苦情が殺到した。中には、「本当に面接やって採用したんですか」と書いてきた社員もいた。
入社早々のこの訴えに、私は正直、関わりたくない気持ちになってしまった。それでなくとも、問題は沢山あるというのに。ホットライン設置は、そもそもは、大きな問題が起こるのを未然に防ぐことが目的だったが、対応する責任のある私が、目をそらして問題を棚上げにしたことも、今回のトラブルの一要因だっただろう。
この日、私は、重い足取りで帰路に着いた。
翌朝、目を覚ましたときには、十時を回っていた。
眠ったという気は全然しなかった。会社で過ごす時間があまりにも長く、頭の痛い問題が常につきまとい、眠りによって一日の区切りをつけることが出来ない。睡眠はとっていても、何年も眠らずに生きているような感覚にとらわれていた。
それに、過労のせいか、何かにつけ気が滅入る。以前なら、気にも留めなかったような些細なトラブルで、何かを実行する気力が挫かれたり、仕事に着手しても、すぐに嫌になり、放り出してしまったり。一種の燃え尽き症候群かもしれない。やらなければならないことがいろいろあっても、その「いろいろ」に優先順位をつける気力が、恐ろしく低下していた。
コーヒーを淹れながら、私は二ヶ月前のことを思い出していた。インターネットでエジプト・ツアーを見つけたこと。十一月出発分から随時受付けという広告を見て、即座に参加を決めたこと…。
しかし、旅に出ようと思い立ったのは、それよりずっと前―今年の五月だった。夫の寛治が、交通事故で急死した直後のことだ。
「私、傷心旅行に行きます」
五月末、寛ちゃん―私は、彼をいつもこう呼んでいた―の葬儀を終え、会社に戻った私は、笹神さんにそう宣言した。
「傷心旅行?」笹神さんは、目を丸くして言った。「日本語の遣い方を間違っていないか?傷心旅行って、普通は失恋した時に行くんだよ。配偶者を亡くした時に行くものじゃない」
私は言った。
「いいんです。私にとっては、これは一種の失恋なんです」
笹神さんは、黙って静かに微笑んだ。この一年ほど前に、長年連れ添った奥さんを病気で亡くしていた彼には、何も説明しなくても私の気持ちが分かったのかもしれない。
寛ちゃんが死んだ時、私は、ある当たり前のことに気付いた。それは、結婚している二人も、死ぬ時は別々だということだった。私が寛ちゃんと結婚したのは二十五歳の時で、それからは、私は、生活の全てを彼と結び付けて考えていた。私達は、二人の世界に住んでいて、そこでは、何をするにも、「二人の合意」で決めるのが当たり前と思っていた。しかし、寛ちゃんは、私に何の断りもなく一人で先に死んでしまった。それは、とても奇妙な感じだった。例えて言えば、二人で船旅に出る計画を立て、私が船着場で彼を待っていたら、誰かがやってきて、
「寛治さんなら、たった今、飛行機で出発してしまいましたよ」
と、告げた―そんな感じだった。
「どういうこと?」私は呟いた。「一緒に行く約束だったのに!」
「そんな約束をした覚えはないよ」空から彼の声が聞こえてきた。
「だって、旅行に必要なものは、全部あなたが持っているのよ」
「そんなことないよ」寛ちゃんが言った。「あるいは、そうかもしれない。でも、あとは自分で何とかするんだね」
残された私は思った。自分にも、いずれこういうときが来る。これまで、仕事と彼の看病とに生活の時間全てを使っていたが、生きている間にやっておきたいことは、まだ他にあるのではないだろうか?明日が私の寿命だとして、今日、絶対にやっておきたいことはなんだろう?もう、何かを決める時に、「二人の合意」は必要ない。自分がやりたいと思ったら、一人で決めてよいのだ。そんなことを考えていて思い浮かんだのが、未知の土地への旅行だった。
私は、大した旅行家ではなかった。仕事の忙しさを思えば、慣れない旅行の計画作りは、プロにお任せしようというわけで、私はツアーを利用することにした。「添乗員プラス食事付きの遠足みたいなツアー」がないものかと、インターネットで調べまわっていた時に鉢合せしたのが、このエジプト・ツアーだった。
北はアレキサンドリア、南はアブ・シンベル、距離にして、実に900km以上に及ぶ大移動。十日間でエジプトの主な見所はほとんど網羅されていて、基本料金が十六万円弱という破格の値段。私は、その場でこのツアーに申し込むと、早速エジプトのトラベルガイドと、CD付きのアラビア語の本を購入した。
ところが、それから今日までの間、狙い済ましたかのように、新規の仕事が殺到し、アラビア語の勉強はおろか、ガイドブックさえ読む時間が取れない有様だった。エジプトと言えば、誰もが一度は歴史の授業で習ったことのある世界四代文明発祥の地の一つ。そのような由緒ある地に赴くというのに、こんな罰当たりなことでいいのかしら?そう考えると、後ろめたい気持ちになった。しかし、会社での現実的な問題が次々に襲いかかってきて、容赦なく時間が過ぎて行ってしまった。
気がつくと、今日は、もう出発の五日前。私は、買い物リストを眺めた。それは、ここ数週間で、ガイドブックを少しずつ読んで、購入の必要ありと判断したものを地道に書き連ねたリストだった。
この週末を逃したら、チャンスはない。とにかく、この旅行だけは絶対に行くと決めたのだ。未知の土地で、持ち物の選択を誤れば、無駄に苦しまなければならない。
「気乗りしないなどと言っている場合ではないわ」
私は、何とか気力を奮い立たせて、買い物に出かけた。
月曜日、私は、改善案を作成し、クライアントに郵送した。お昼はデスクで簡単に済ませ、午後は講師の一人に手順書改訂の指示を出し、夕方五時には、新規クライアントの所に出かけた。
翌火曜日は、京都で同業者の研究会に出席し、東京に戻ったのは夜の十一時。水曜日、朝早く出社すると、笹神さんの部屋のドアが開いており、中から話し声が聞こえてきた。
「ええ…、また連絡します。はい。ありがとうございます」
笹神さんが受話器を戻した時には、私は彼のオフィスの入り口に立っていた。笹神さんは、私を見ると言った。
「おはよう、櫂ちゃん」
私は笑い出した。
「おはようございます」
「調子はどう?」
「最悪」
「最悪か!それはまたどうして?」
「人間不信になりそう」
「通知書の件で?」
「もうご存知なんですか」
「青柳君から聞いたよ。昨夜ね」
「昨日、会社にいらっしゃったんですか」
「成田から直接ね。だいたいの話は聞いたよ」
私は黙って俯いた。笹神さんは、席を立って言った。
「久しぶりだし、皆に挨拶しようか。何人くらい来ているかな」
私は時計を見た。
「出張の人以外は来ているでしょう」
「そうか」
スタッフルームには、八人の社員がいた。笹神さんの姿を見ると、皆の顔に笑顔が浮かんだ。
「おはようございます。昨夜、アメリカから戻りました」
笹神さんが大声で言った。皆、キーボードを打つ手を止め、姿勢を正して、笹神さんの話に耳を傾けた。
「私の不在中、通知書をめぐるトラブルがあったと聞きました。しかし、中村さんから連絡がありました通り、皆さんの協力で、問題なく対応出来たようで、良かったです。今後とも、仕事上の問題点の発見と改善には積極的に取り組んで下さい。自分の仕事をやりやすくする。他人の仕事もやりやすくする。そのために頭を使うのに、何も遠慮する必要はありません」
皆の顔に、再び笑顔が浮かんだ。私も微笑んだ。
「今後の予定ですが、当分、出張の予定はありません。相談がある方は、いつでもどうぞ。今日も一日、しっかりやりましょう!」
笹神さんが、そう言って両腕を持ち上げると、拍手が起こった。彼は深々とお辞儀をして、スタッフルームを後にした。
廊下の途中で、私は言った。
「笹神さん、ありがとうございます」
「お礼を言わなければならないのは、私の方だよ」笹神さんは立ち止まり、私を見て言った。「苦労をかけるね。櫂ちゃんがよくやってくれているから、私がこうして外に出ていられるんだよ」
私は黙って微笑んだ。そして、言った。
「後でお時間いただけますか?相談させていただきたいことが…」
「勿論。今日は外出の予定はないから、いつでもいいよ」
私は頭を下げ、自分のオフィスに向かった。
部屋に戻り、後ろ手にドアを閉めると、私はため息をついた。一年前だったら、私は泣き崩れていただろう。労いの言葉の威力―それは、人を安心させ、心を開かせ、素直にさせる。この朝の時間のお陰で、この日は終日、静かな気持ちで仕事をすることが出来た。
夕刻、私は笹神さんの部屋で、今回の事件の詳細を説明した。
「青柳君の場合は」笹神さんが言った。「仕方がない部分が多いと思う。なにしろ、彼が前に勤めていた会社は、上下関係にそれはそれは厳しい会社だったらしいよ。彼の直属上司が…、まあなんと言うか、暴君で、彼は、長年、その人の下で苦労しているんだ」
「暴君ですか」
「そう。僕は、彼の気持ちは想像がつくけどね…勝手が分からない会社で、自分の部下がミスをした。そういう場合、長年中間管理職をやっている人が考えることと言ったら、とにかく早く犯人を見つけて、自分が迅速に対応していることを上の人間に示すこと。それが普通じゃないかな」
「……」
「だから、慣れの問題だと思う」彼は続けた。「上の人間に率直に話すということにも、彼は慣れていないんだ。しかし、研修プログラムの開発や、講師としての力量は確かなものがある。実際、彼が担当したプログラムは、クライアントからの評価も高いんだよ」
そのことは、私も知っていた。笹神さんが言った。
「ただ、この会社で彼に期待されていることが何かについて、もう少し具体的に説明するべきだろうね。これは、私から説明するよ」
「お願いします」
平山さんについては、彼はしばらく黙っていたが、
「私なら、彼女にそういう言い方はしなかっただろうね」
私は黙って笹神さんの顔を見つめた。彼は続けて言った。
「性悪説の罠にかかったんじゃないかな、櫂ちゃんは?相手を疑ってかかるか、善であることを前提とした姿勢で臨むかにより、その後の関係は、大きく変わってくるものだよ」
私は、彼女に対する自分の言動を振り返った。確かに、気持ちの中に苦いものが混じっているのを感じないわけにはいかなかった。私が深刻な表情で考え込んでいるのを見て、笹神さんが言った。
「まあ、やってしまったことをクヨクヨ考えても仕方がない。私は、私だったら、という話をしたんだ。自分の言動の結果がどう出るか、それを見て、何を変え、何を変えないか。それは、他人から教わることではない。平山君のことにしたって、私のやり方で対処したら結果が変わっていたかどうかは、分からないんだからね」
笹神さんは、コーヒーカップを手にして、肩をすくめた。
「ただ、一般論として、何か嫌なことがあっても、それを性悪説的に解釈する必要はないということは覚えておいた方がいい。そのスタンスが、結局は自分自身を苦しめることになるからね。相手の悪意は、実在するのか、それとも自分の妄想に過ぎないのか?性悪説的な解釈をする癖を身につけると、実際には存在しない他人の悪意に悩まされることが多くなるんだ」
この言葉に、私はギクリとした。しかし、笹神さんは、私の様子には気付かず、腕時計に目をやった。
「テレカンの時間だな…。櫂ちゃんは、まだ帰らないのかい?」
「ええ、もう少しかかると思います」
「あまり無理をしないように」
私は、どうにか微笑を作り、笹神さんのオフィスを後にした。
自宅に戻ったのは十時過ぎだった。私は溜息をつきながら、荷造りの仕上げにかかった。
荷造りをしながら、私は、笹神さんの言葉について、ずっと考えていた。彼と私とでは、配偶者を亡くしたことは一緒でも、「傷心」の意味合いがまったく違う。しかし、このことは、まだ誰にも話せずにいた。
寛ちゃんは、ある遺伝性の病気だったが、結婚当初、病状は安定していて、彼は普通の生活をしていた。やがて病状が悪化し、終わりの見えない入院生活を余儀なくされると、私が仕事に出て、生活を支えることになった。
それからは、ずっと仕事をしながら彼の看病をしていた。その間に、知らず知らずのうちに、彼を「失う」ことについては、ある程度、覚悟が出来ていたのだろう。実際に彼が亡くなった時、「一緒に生きる人がいなくなった」というとても奇妙な感じがあって、これに慣れるのにしばらく時間がかかった。彼の着るものや、好きな本をバッグに入れて病院へ向かおうとして、家の外に出てから、ああ、あの人はもう病院にいないんだっけと思ったり。しかし、それも単に時間の問題だった―ひとりという状態は、私にはなじみの深いものだった。記憶する限り、私はいつも、「ひとり」を感じていた。不思議なことに、それは結婚してからも変わらなかった。変わったのは、何かを決める時の習慣だけ―全てを「二人の合意」で決めること―それだけだった。彼の死そのものは、私にとって耐えられないほど悲しい出来事ではなかった。
耐えがたい出来事、私の心が、何の覚悟も出来ていなかった出来事は、彼の死後に起きた。忙しさにかまけて、数週間、家のことはほとんど何も出来ずにいた。ようやく彼の遺品の整理を始めたある日、私はそれを見つけた―生前、彼が私あてに書き、結局投函されなかった手紙。彼の離婚の希望について書かれた手紙だった。
最初に読んだ時には、吐き気がした。手紙は、およそ一ヶ月おきに三通あり、三通目に、記載済みの離婚届が挟まれていた。手紙の文面は、さっぱり要領を得ないもので、何度読み返しても、彼が離婚したがっていた本当の理由が何なのか、見当をつけることも出来なかった。
「君のせいではない」彼は書いていた。「ただ、僕は一人でいたい。僕達は違いすぎて、一緒にいて居心地が良いと感じられない。僕には僕の人生がある。君だってそうだ。君には―」
彼は、彼が、私が持っていると信じていた、ありとあらゆる長所を述べたて、こう結んでいた。
「君も僕に縛られていない方がいい。君は僕に腹を立てるかもしれない。それは当たり前のことだ。でも、そのせいで、君の仕事への情熱や、仲間達に対する献身が損なわれることがないように」
これが、二通目になると、がらりと調子が変わっている。
「君がどう思うかは知らないが、僕は一人になりたい。これ以上、僕たちの『関係』を続けて行くのは、無意味だし、不必要な拘束でしかない。長引けば長引くほど、お互いにとって不愉快になる。早いところ、平和的解決と行こう。これ以上のストレスは無用だ」
そして三通目―
「離婚届に必要なことは記入した。証人が二人必要だ。忙しいところ、やることを増やしてしまって申し訳ないが、残りの仕事をお願いしたい。区役所に出したら、受理証明書か何かを貰えるのではないかと思う。それを貰ってきて欲しい」
私は、手紙の日付を見て、これらの手紙が書かれた期間のことを思い出した。その間、彼の態度からは、こんなことを考えていたとは少しも感じられなかった。確かに、彼が入院して私が仕事を始めたことで、二人の生活が大きく変わり、多くの諍いはあったけれど、そんな時でも離婚の話が出たことは一度もなかった。
「一緒にいて居心地が良いと感じられない」
他に何が書いてあろうと、この言葉だけで、私に深手を負わせるには十分だった。この言葉は、まるで死刑の宣告のように私の胸に響いた。私が笹神さんに話した「ショック」というのは、彼を亡くしたショックではなく、彼の本当の気持ちを知ったショックのことだった。「二人の世界」が存在していると思っていたけれど、それは勘違いだったのだろうか。二人で船旅に出る計画を立てたと思っていたのは、私だけだったのだろうか?私は、笹神さんが言った通り、今となっては知る由もない寛ちゃんの本心について、悪い方へ悪い方へと考えた。そして、その妄想で自分を苦しめた。怒りと、名状しがたい気味の悪さがごちゃ混ぜになり、悲しみを遥かに凌駕してしまった。私は、彼に関したもの全てを自分の生活から末梢しようとした。写真を処分し、一緒に過ごした家も引き払った。
あれから半年。手紙の真意に関する疑問は、絶えず私に付きまとった。仕事の忙しさで気を紛らわせることはできるものの、頭の中で謎は膨らむ一方で、肥大化した腫瘍のように神経を圧迫した。
私は、自分を統制する力を失いつつあった。寛ちゃんのことに限らず、いつの頃からか、未解決のまま放置された問題が積もりに積もって、今にも雪崩を起こしそうになっている―そんな危険を感じた。寛ちゃんの手紙の謎―たとえ答えが出せなくても、この謎には時間をかけて向き合う必要がある。それには、自分の体を仕事から完全に引き離すしか方法がなかった。
持ち物を確認していて、化粧水を入れ忘れているのに気がついた。私は洗面台の戸棚から、化粧水の瓶を取り出した。十日間の旅行に、この重いガラス瓶一本を丸ごと持って行く必要はない。プラスチックの容器に必要な分だけ移そうとして、私は化粧水の瓶を逆さまにした。しかし、化粧水はなかなか出て来ない。
出来の悪い瓶だ。その時、初めて気がついた。空気の入り口がほとんど無いので、中の液体が効率よく外に出てこないのだ。
私の心も出来が悪い―疲れた頭に、ふと、そんな言葉が浮かんで来た。悲しみが効率よく外に出て行かない。そういう作りになっているらしい。これを、設計し直すことは可能だろうか?可能だとしたら、どうやって?
私は、少し力を入れて瓶を振ってみたが、無駄だった。中蓋を外そうとしたが、外れなかった。挙句の果てに、力の入れ過ぎで手を滑らせた。化粧水の瓶は床に落ち、粉々に砕け散ってしまった。
「えー、皆さん、お集まりでしょうか?」
添乗員の今さんの声が聞こえた。顔を上げると、ツアーメンバーが集合していた。私は席を立ち、そちらへ移動した。
今さんは、手帳を片手に話し始めた。
「皆さん、改めまして、こんにちは。わたくし、今回のツアーに同行させていただきます今と申します。どうぞよろしく」
今さんは、満面に笑みを浮かべて挨拶をした。彼を取り囲んでいたツアー客一行も会釈した。一応、無言ではなかった。各々、自分にしか聞こえないような声で、「よろしくお願いします」とか、「こちらこそ」とか呟いている。
私は、これから一緒に旅をする人達を見渡した。ここまで平均年齢の高い顔ぶれになろうとは。見たところ、私の両親か、もしかすると祖父母と同世代の人ばかりのようだった。
「えー、皆さん、私の右手にございますこのスカラベのフィギュア!これが、私達の目印です」
今さんの声が、突然大きく聞こえた。見ると、彼は右手に細長い棒を持っていて、その先端に丸い物体がぶら下がっていた。
「ちなみに、この虫の名前をご存知の方、いらっしゃったら手を挙げていただけます?無理かな?行き先がエジプトですから、ご存知の方もいらっしゃるかと期待しているんですが…」
私は黙って手を挙げた。向かい側の一番後ろにも、手を挙げている人がいた。
今さんは、私とその人を交互に見比べて言った。
「ふ~ん、お若い方の方がご存知らしいですね。はい、じゃ、あなた、そちらの男性の方、どうぞ」
私は、体の位置をずらして、当てられた人を見ようとした。
「フンコロガシです」
彼は、真面目くさって答えた。白のTシャツにジーンズ、野球帽という出で立ち。多分、学生だろう。今さんが言った。
「ハイ、正解です!この虫は、フンコロガシですよ、皆さん、覚えましたか?ハイ、皆で言ってみましょう!フンコロガシ!」
ツアー客達は、自分にしか聞こえないような声で、「フンコロガシ」と呟いた。今さんは、笑顔を顔に貼りつけたまま、皆の反応の乏しさにたじろいだ。だが、団体ツアーの添乗員たるもの、これしきのことでめげてはいられないのだろう。今度は、私に向かって言った。
「ハイ、では、そちらの女性の方、中村さん」
「はい」
「何故スカラベなのか。分かりますか?分かりますよね?スカラベを知っているのなら、何故スカラベかも分かるはずです!」
「…行き先がエジプトだからでしょう。スカラベは、エジプトではお守りの一つだから」
「ハイ、その通りです!」
今さんは、一人で拍手した。他のツアー客達は、曖昧な笑みを浮かべてこちらを見ている。しかし、誰も拍手をしなかった。
「え~~……」
今さんが咳払いをして、真面目な顔つきになった。私は静かに目を閉じて、心の中で祈った―添乗員さん、無理よ。ツアー客は、ほんの一時間前に顔を合わせた赤の他人どうし。この場でチームビルディングが出来るようなら誰も苦労しないわ。時間が必要よ…。
私の祈りが通じたかどうか分からない。しかし、次に口を開いた時、彼は、話を今後の予定に関する説明に戻してくれた。
「この後、皆さんに航空券をお配りします。搭乗ゲート集合時刻までは自由時間です。免税品のお買い物も結構ですが、どこかで水を買っておいて下さい」
彼は、現地視察の際に、滞在予定のホテルの部屋を確認していた。冷蔵庫はあるが、中は空っぽ。蛇口から出る水は茶色い。
「現地で見学に行く時には、ミネラル・ウォーターをお配りします。しかし、初日の分は用意しておりません。また、到着が夜中になるので、途中、水を買えるところがありません」
引き続き、彼は、機内食の予定、現地通貨について説明し、最後に航空券を配布した。
十四時五分発アリタリア航空七八七便にて、ミラノまで十二時間四十五分。ミラノで乗り換え、約三時間半でカイロ。カイロ到着は現地時刻で二時四十分の予定だった。
免税品の買い物に興味がなかった私は、まっすぐに搭乗ゲートに向かい、近くの売店でヨーグルトを買った。売店の隅でそれを食べながら、手帳を取り出し、今日の出来事のメモを取り始めた。エジプトから、友達に詳細な手紙を書くつもりだった。すると、レジの方から耳障りな声が聞こえてきた。
「アタシ、ラーメン頼もうかしら」
「あんた、飛行機乗ったらすぐ食事なのに!」
声の方を見ると、女性の三人組だった。同じツアーの参加者だろうか。しかし、私は彼女達を見た記憶がなかった。見ていれば、絶対に覚えているはずだ。他の参加者より更に一世代上と思しき三人組で、耳に、首に、指に、手首にと、大ぶりの宝石類をてんこ盛り。私は訝しく思った―一体、どこに行くつもりでいるんだろう?
私は、出発前に見ておいた「ナイル殺人事件」を思い出した。あの映画で見る限りでは、欧米のお金持ちは、まさにこの三人組のような出で立ちで旅行に行くらしい。趣味の良し悪しは議論しないことにして、要は、お金のかかるおしゃれをして行くという意味だ。
その時、生憎と私の隣りの席しか空いていなかった。三人組は、ラーメンの載ったお盆を手に、狭い店内をこちらに向かって歩いて来る。やがて、どやどやと隣の席になだれ込むと、猛烈な勢いで食べ、かつお喋りした。私は、ものを書く気分になれず、その場を離れた。その時、隣りのテーブルとのわずかな隙間を通り抜けた。それを見た三人組の一人が、大声で言った。
「アラ、アラ、細い方はいいわねぇ」
そして、それを聞いた残りの二人共々、声を立てて笑った。
私は、軽く目礼をしてその場を立ち去り、搭乗口近くの席に腰を下ろした。そして、我知らず、大きな溜息をついてしまった。
一応、この旅行は、私にとっては一生に一度あるかないかの傷心旅行だ。しかし、どうも雲行きが怪しくなってきた。フンコロガシを目印にする添乗員さんといい、売店で遭遇した成金三人組といい…。あの人達相手に、「傷心旅行」なんて口にしようものなら、また大声で笑われそうだ。
このツアーは、私を含め二十六名の参加と聞いた。あの三人を除いて、あと二十三人。彼等とはまだ直接口を利いていないが、一体何人、危険人物がいるのだろう?そう考えると先が思いやられた。
私は、心ひそかに、おさおさ警戒を怠らないようにしようと誓って、飛行機に乗り込んだ。
ミラノで乗り換えの後、カイロ空港に到着する間際に、後ろの席から微かな歓声が上がった。
「見てあれ!すごい!」
窓の外を見ると、地上に灯りが見えた。初めて見るカイロの夜景。東京のそれとは全然違う。東京の夜景が、色とりどりの宝石をばら撒いたものだとすると、カイロの夜景は、真珠だけを整然と並べたようなものだ。夜の闇の中に、淡い橙色の丸い灯りが数珠繋ぎになって、見渡す限りどこまでも伸びて行く。
やっと着いた―私は、大きなため息をついた。
ホテルまで、バスで四十分と聞いていたが、真夜中の道路が空いていたのだろう。十分ほど早く到着した。私は、今さんに続いて、一番のりでホテルに入った。今さんは、フロントを通り過ぎて、団体用のカウンターデスクの方に行った。そこには、ウエルカムドリンクが用意されていて、今さんは、私にそれを勧めた。私は咽喉が乾いていたので、それを一息に飲み干してしまった。
椅子に座ろうとして、荷物を取り落としてしまった。その時、近くを通ったエジプト人らしき男性が、思いもかけず、日本語で、
「大丈夫ですか」
と話しかけてきた。私も反射的に、
「ええ、大丈夫です」
と答えてから、驚いて言った。
「日本語が分かるんですか?」
彼は赤面して、へどもどし始めた。悪戯を見つかった子どもみたいだった。彼は言った。
「あの、その、ええと、少しだけです。少しだけ」
私は何も言わずに、笑って彼を見た。
団体受付は、ツアー客ですぐに一杯になった。皆、配布されたキーを手に、自分の部屋へ向かおうとした。その時、今さんが大きな声で言った。
「皆さん、キーを受け取ったら、明日の予定表も忘れずにお持ち下さい!一部屋に一枚でお願いしまーす!」
彼の手にあったのは、今後の主な行動予定について書かれたメモだった。そこに、面白いことが書いてあった。
「タオルは、床に投げてあるものだけクリーニングされる」
このホテルには二泊する予定だった。滞在中にタオルを交換して欲しい場合は、床に投げておかなければならないらしい。妙な習慣もあるものだ。
私は、フロントの時計を見て、腕時計を現地時刻にセットした―十一月十八日午前三時三五分。モーニングコールの予定は、八時。
タチヨミ版はここまでとなります。
2014年6月9日 発行 初版
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