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ジャポニカ・ウィルス

八桑 柊二

大湊出版



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  この本はタチヨミ版です。

目次

  一 2022年「非の国」
 
  二 新聞記者 春芳
 
  三 失敗した男装
 
  四 不当な家宅捜査 

  五 護民の活躍

  六 護民と長官

  七 万世長官の憂鬱

  八 護民、「非の国」の発祥地へ

  九 脱走君の゛小王国"

  十 護民の救出作戦

  十一「未来は君たちのもの・・・」 

                     


                     ジャポニカ・ウイルス


                       


                       

1 2022年 「非の国」



 秘密警察の追跡を逃れ、ビルの乱立する大通りを避け、昔、賑やかであった裏通りを抜け、護民寛はアジトに向かった。ビルの排気口が吐き出す異臭に慣れることはないのだ。顔を歪めた。街灯の光で白く光る水たまりをまたぎ、路地を抜け、護民は首尾よく追跡をまいたと、ほっと一息つく。彼は振り向き、人気がないのを確認すると、薄汚い、今にも朽ちかけた木製の緑色の扉、合図のノックをした。鍵を差しむ。ドアが開く。護民は細長い通路を過ぎ、右の部屋に入った。仲間のK君がパソコン画面を見ていた。軽く挨拶を交す。部屋を通り抜け、暗い階段を二階に上がる。外観の古びた建物からは想像も出来ない立派な年代物の家具が置いてある大きな部屋。真ん中にマホガニーのテーブルが王様のように鎮座している。ノミ市での拾いものだ。窓はこざっぱりとしたレースのカーテンがかけてある。東の窓からS街のビル群の光が黒い夜の幻の蛍のように見える。今の世界に似つかわしくなく、美しく夜空を色どっている。
 護民はタバコを取り出すと、ピストル型のライターを点火し、タバコの煙を大きくひと息はきだす。
「首尾はどうだったの?」隣の部屋から中国系の張春芳が笑顔で声をかけた。
「この通り、ぴんぴんしてる。一時は危なかったが、男がドジで助かったよ」護民は川べりの土手を駆け上って逃げる際、男が河原にころげ落ちるのを見た。護民は思い出し含み笑いをした。
「しつっこい奴だった。あの男、前に見かけたな。俺をマ―クしていた奴だ。気をつけなくちゃな」彼は自戒するように言った。
「何かおっしゃった・・」同志で、恋人である春芳(ツォン ファン)は氷の入ったコップにウィスキ―を注ぎながら言った。「何でもないよ」護民はグラスを受け取ると、恋人にほほえむ。心配をかけたくないのだ。
 中国服に身を包んだ春芳は服の割れ目からすらりとした美しい脚線がのぞいている。彼女はうり型の顔、まゆ毛はいわゆる、蛾眉の何とも形容し難くなまめかしい。鼻は高くはないが程よく整い、唇は薄いが笑うときれいな歯並びがのぞき、愛らしい。目はいたずら好きの、生き生きと輝いている。必ずしも美人の部類ではないが、個性的で、スレンダ―な肢体と知的なきびきびした表情に魅力があった。護民は春芳の笑顔に救われるのだ。
 護民は部屋の隅のコンピュ―タのスィッチを入れた。護民はeメ―ルを読んだ。仲間からの情報だ。また、F地区の一家庭から施設送りの子供が出た。親が当局に通報したのだ。ここ一週問、施設送りの子供が急増している。親達は当然の義務みたいに子供を当局に告げ、そのくせ、平然と暮らしている。護民は怒りを禁じ得ない。大人でも、“かたわもの”とレッテルを貼られると、”矯正収容所”送りになっていた。護民はこの当局のやり方にずっと抗議を続けてきた。当局からは要注意人物とマ―クされていた。
 護民はJRのS駅前で、ビラを配っていた。手に取ってくれる人は少ない。それでも、始めたころは熱心に読む人はいたのだ。しかし、当局は公の場での示威運動の全て禁止した。し方ないので、護民はもぐりで、服装は身元が割れないよう、サングラスにボ―イスカウトの縁の広い帽子を深目にかぶり、顔を隠しながらやっていた。当局の公示による民衆への圧力もさることながら、彼の格好が胡散くさかったので、ほとんど、通行人は避けて通った。それでも、彼は信念の人である。果敢に活動を続けていた。今日、たまたま、駅周辺を巡回していた秘密警察の係官に見つかり、追われたという訳だ。
 護民は矯正収容所に収容されている人々の大脱走計画を練っていた。まだ、実行段階ではないが、必ず、成功させ、当局にひと抱を吹かせてやりたいのだ。そのため、仲間づくりをしてきた。eメ―ルによる連格もそのひとつだ。eメ―ルにも当局の検閲があるのだが、いかんせん、膨大な情報量だから、当局がやりきれるものではなかった。
 護民の仲間は少数派である。監視役のK君もそのひとりだ。彼は高校生で、いわゆる「落ちこぼれ組」のひとりであった。学校に嫌気をさし、家でぶらぶらしている所を当局の人狩りにあい、危うく捕まるところを、逃げ出したのだ。昼は廃校の小学校校舎に寝起きし、夜になると自動販売機を壊し、飲み物と食べ物を盗んで生活していた。彼が潜りこんだ校舎には先客がいた。その男を通じ、護民を知ったのだ。その男はその後、行方知れずである。おそらく、収容所送りになっているのだろう。
 K君は喜んで護民のアジトの監視役を志願した。恋人の春若は言うまでもなく、護民の同志である。彼女に「かたわもの」のレッテルを貼るには健康このうえないのだが、混血というだけで、当局のチェックを受けた。住民登録は必ず、出生を書かなければならない。護民達は「ジャポニカ・ウィルス」と仮に名付けているのだが、最近、とみに急増している人狩り同様の社会の憂うべき傾向、「多数の強者の論埋で、彼らの常識に合わない者を劣等な人間として隔難してしまおう」の風潮、こんな自分勝手な人間の急増は、それなりの理由があるに違いないと護民は考えていた。それが何かはわからないが、感染作用のある、目に見えない「精神の病」とも言えるものだ。とりあえず、「ジャポニカ・ウィルス」と護民は名づけた。それには伝染性がある。護民はその元凶を取り除かなければ、世の中がますます、「NO」をはっきりと言う人間は「皆と同じでない」との理由で疎んじられ、また、少し故障のある者は、当局が「健康者・強者・汚れのない者」という恣意的な基準で、”人狩り”の対象にしていたのだ。今の事態は悪化するばかりであった。
 護民の母国、「非の国」の国民は、中国はいうまでもなく韓国、又、南の国との混血が増え続けていたにもかかわらず、反動で、「強者・純粋者」の論埋を振り回す「ジャポニカ・ウィルス」の感染者?が急増していた。さらに、「非の国」の直系を名乗る連中が現れ、アナクロもいいところだ、と護民は思った。
「ジャポニカ・ウィルス」の症状に段階があった。「人を疎んじる」から「臭いものに蓋をする」との積極的に社会から隔離する、もしくは亡き者にするの最悪の症状までだ。しかし、特効薬はだ発見されていない。そんなものはないのかもしれないが・・・。
 混血の感染者は当局に「忠誠」を誓い、媚びる有様である。だから、春芳はそんな同胞の人々を軽蔑していた。彼女は独立心が強かった。同胞の連中が自尊心を持って生きられるよう、役立ちたいと、権力に媚びないジャ―ナリストとして働いていたのだ。だから、この問題に特に熟心であった。その春芳が精神科医の護民と知り合ったのだ。

 2 新聞記者 春芳



 当局のレッテル張りと隔離政策に疑問を抱いた春芳はこの問題の取材に走り回っていた。家庭における、親の子供の放逐、隔離政策への支持という親達の偏った愛情の表れ(大真面目にそう考えていたのだ)に疑問が起こり、護民を取材したいと思った。
 春芳が以前、取材した子供の不登校に手を焼いたある親は、当局に泣きつくと、自分の息子を強制的に矯正学校に入れてしまった。母親の言い分は、「息子は病気なのだから(むしろ、この母親が病気だが・・)あなた達が上手に管理しているこの社会に適応するよう、あなた達の教育方針(強者の論理)に従って、徹底的に教育し直して欲しい」というものであった。
 春芳はあきれ、開いた口がふさがらなかった。しかし、こうした考えを持つ親は例外ではなかった。それを知るにつけ、春芳はますます憂鬱になった。
「子供はしょせん、子供なのだから、親の考えに従うのが当然だ」と別の親はぬけぬけ言った。親達は子供の考えをじっくり聞こうとの態度は徴塵もなかった。親は子供を己の好き勝手、都合のよいように教育する権利があると考えていた。当局の幹部の父親は同様に、子供を幹部に昇進させる意図を露骨に表し、学校をふける子は親の地位にふさわしくない、むしろ、恥だと考えていた。よくある話なのだが、春芳は心を傷めた。
 このように、当局の方針は人々に強制力を発揮していた。ところが事態が事態であれば、義憤を感じる者は必ず、出現するものだ。春芳は義憤を起こし、こんな事態を食い止めねば、一層、「自由のない国」になってしまうと真相を追究していた。極めて困難であったが、春芳は矯正学校に入れられた子供の取材に成功した。何しろ、その場所を捜し出すのさえ至難であった。当局の秘密主義はそうした場所を公開する必要を一切、認めなかった。公的情報の公開は以前からなされてはいたが、コンピュ―タ・ネットワ―ク、「カウンタ―・ネット」のホ―ム・ペ―ジの公開だけである。それでことたれると当局は決め込んだのだ。当局の都合のよい情報しか流さなかった。さらに、アクセス先をチェツクしていた。こうした情報管理はどのネット・ワ―クも五十歩百歩だが、「海賊ネットワ―ク」、即ち、もぐりのネットワ―クは情報の垂れ流し状態で、玉石混合ではあったが、うまく利用すれば、興味ある生の情報を得ることが出来た。護民の電子メ―ルはその一つなのだ。
 さて、春芳が子供達から聞いた話は次のようなものである。秘密厳守なので、名前は伏せる。その子を脱走君としておこう。
「僕が小さい時、母は今のようにうるさくなかった。結構、自由に遊べたのですが、中学に入る頃、たしか、当局の元首が死んだ時だったと思います、その頃から、急に当局の元首を褒める記事が電子新聞でも盛んに流されました。何か、国中が元首の喪一色に染まったように思えました。ご存じでしょう。学校では礼儀を厳しく言われだしたのです。アナグロもいいところです。ひいお祖父さんの時代にもそのようなことがあったと聞きました。その頃から、両親が「孝行とか礼儀作法」をうるさく言出しました。突然、険しい顔になり、父は当局で働いていたのです、一層、そうなのだと思いました。僕は、何で、今なんだよ、やってられないよお、と猛烈に反発しました。体力は親に負けませんから、けっこう、暴力を振るいました。僕の意見を親が無視するからです。頭ごなしに命令するから頭にきましたね。僕は忘れませんよ。五月十日の午後二時ころです、自室の水製ベッドに寝転んで、テクノ音楽を聞いてたら、僕はBY(ぶっとばせ、野郎)のファンなのですが、いきなり、黒覆面をした男数人が僕の部屋に乱入して、僕を床に押さえつけ、矯正パジャマ、「沈黙の羊たち」という一昔前のDVDで見た精神病者の自由を奪うあれですよ、それを強引に着せられ、目隠しされ、矯正学校に入れられたのです。ひどい所で、全く、僕たちはロボットでした。こんなところにいたらアホになると思いました。だから、仲間と図って脱走したのです。偶然も手伝って、うまくいきました。けっこう、やばかったのですが、建物の裏で爆発騒ぎが起こり、警護員がそちらに気を取られているすきに、逃げ出したのです。あれがなかったら、多分、捕まっていたでしょう。今、僕らと同じように考えている連中を脱走させようと計画を練っているんです。僕らの脱走が起こってから、監視の目が一層厳しくなったので、どうしたら首尾よく出来るか、今、作戦を練っているところです」脱走君は当局から追及されていながら、自分の望むことをしているからだろう、生き生きと語った。話を聞き終わると、春芳は勇気がわいてきた。この国も捨てたものではない、若い人達が希望の星なのだ、と思った。
 以前から、護民は当局のやり方を犯罪行為と激しく抗議の声を上げていた。数少ない精神科医の反抗者なのだ。その経緯は後に述べよう。
 春芳が取材した他の精神科医の言い分を要約すると次のようなものだった。
「彼らは遺伝的に劣等種だ。治療のため、当局の隔離、矯正手術は正当であろう」うわさによると、(手術の失敗例を当局は隠している)失敗で障害者になった生徒を秘密警察が密かに葬っているというのだ。その死体はどこに埋葬されたのかも遺族には知らされなかった。独の詩人が言ったように、「ひとまとめに彼女らは水に投げ込まれた」と言う訳なのだ。まるで、二十七年前、「非の国」の南米在大使館会邸が当地のゲリラに占拠され、四カ月余り後、現地の特殊部稼が突入して、ゲリラを全員射殺。そのゲリラ達の墓は遺族に知らされなかったと同じだ。殺された子の遺族には「子供たちは元気で、社会復帰の学習に励んでいる」とだけ知らされた。そして、突然、病死したという知らせが一部の遺族に通知されるのだ。怪物みたいに変身してない遺体だけはかろうじて、家族に引き渡された。遺族の心が長く、息子達から離れていたとは言え、その悲嘆は想像に難くはない。愁嘆場が演じられたが、当局の係官は眉に皺を寄せ、困惑の表情を表すのみで、書類にサインをするよう促し、それを受け取るとそそくさと去ったのだ。
 他方、比較的穏やか意見の医師でさえ、「そのようになるにはそれなりの理由がある。いちがいに、当局だけが悪いと決めつけられない。当局の処置は一時的、応急的な処置であろう」と当局を弁護する始末だ。春芳はこうした意見を取材しながら、胸がむかついてきた。
 春芳は落ち込み状態で、何気なく、気休めに、「海賊テレビ」をつけた。すると、護民がブラウン管に写り、「ひと狩り」の犯罪を激しく糾弾していた。すぐ、消えたが、強烈な印象が残った。春芳は裏社会に通じる同僚の浦氏にその男の消息を尋ねた。しかし、はっきりしなかった。春芳は相当、慎重な男なのだと思った。興味が起こった。
 それから、春芳は別の臨時の仕事を頼まれ、護民のことは忘れていた。
 ある昼、公園のベンチでハンバ―ガ―を食べていた。ふと、見ると、何とその包みに護民の顔が印刷されていた。「強制収容に抗議する!人狩りはナチだ!」と包み紙に書いてあった。彼女は手がかりになると思った。しかし、護民に渡りをつけるには数日かかった。捕まえるのは難しいのだ。日々を無駄に過ごしていた。
 春芳は店の女の誰か?護民の仲間に違いないと、粘りづよく、店を張った。ようやく、当人と思われるアルバイト娘に目星をつけた。
 娘は若いが護民の支持者なのだろう、こんな大胆な行為をしでかしたからには、間もなく、店を辞めねばなるまい。というのは、護民らのチラシを当局へ密告する者は必ず、出たのだ。彼らに言わせると愛国者(小心なスパイ。当局は賞金を出して奨励していた)、そうした連中が賞金目当てに密告するのは時間の問題なのだ。女性の逮捕に、秘密警察の係官が店に駆けつけるに相違ないのだ。そのへんの事情は支援者も心得えたもので、摘発される前に店を辞めていた。
 春芳がわたりをつけた娘は春芳を警戒していた。無理もないのだ。当局のスパイはどこにでもいた。春芳は偽装したスパイかもしれないのだ。春芳は身分証明書を見せたが、女性は信用しなかった。そんな手口は当局の常養手段なのだ。仕方ないから、春芳は彼女を新聞社に連れて行った。編集長に直接、会い、証明してもらおうと思った。しかし、彼女は新聞社の手前で、急に、態度を変えた。会わないという。考えられる理由は、新聞社には既に、当局のスパイが紛れ込んでいると考えられるのだ。事実、春芳の勤務する社は当局の監視の目が光っていた。春芳はそんな空気、つまり、何か知らないが圧迫感を感じていた。あらためて言われると、当局の力に身震いした位である。この時からだ、春芳は新聞社に長くいないだろうと予感した。それはともかく、彼女は切り札として、矯正学校の写真を娘に見せた。春芳が隠しカメラで撮影したものだ。何の変哲もない、郊外にある建物だが、娘はその建物を知っていたのだろう、また、当局のスパイなら、わざわざ、秘密の場所を公開するはずはないから、はじめて、娘は春芳を信用したのであった。



  タチヨミ版はここまでとなります。


ジャポニカ・ウィルス

2014年6月21日 発行 初版

著  者:八桑 柊二
発  行:大湊出版

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八桑 柊二

1946年、生まれ。明治大学文学部卒、業界紙・誌に勤める。今は無職。

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