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芯のない林檎

八桑 柊二

大湊出版



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  この本はタチヨミ版です。

















          < ピラトは・・・群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わた
しには責任がない。お前たちの問題だ」>
                                    (マタイ二七・二四)

 

 一



 ひとたび、部屋に足を踏み入れると、その"異様な"空気に驚かないものはいないだろう。
 今井勇は畳の上にあぐらをかき、一心腐乱に漫画本を読み漁っていた。収集したビデオと漫画本の山に囲まれ、あたかも、繭のなかに居る虫のような姿で、雑誌を読み耽っている。それは胎児が母親のおなかのなかにいる際の、"声なき声"を表現したものであった。
・・・全く、なんでこう、不快なんだ、 ここはいちばん安全なところではないのか。せわしく動かされるのはまだよいが、低いどなり声は不快だなぁ。誰?いつも同じ調子だ・・・。そのあとはおれのママに当たるひとの涙声が続くの・・・。おれはいい加減、うんざりだ。おれの母に当たるひとはろくすっぽ食事を摂らないのだろうか?おれは栄養不足気味なんだ。腹にあるへそから十分、栄養がこないみたいなんだ。ぷかぷか浮遊しているのは居心地はよいが、"ようすい"というのだがーーだれかが言っていたーそれを伝わってくるひびきは不きそくで、おれをふゆかいにする。おれの母に当たるひとは分からないのだろうか?ろくすっぽ、教わらなかったのか?おれのママに当たるひとのそのママがさかな屋で、かいがいしく働いていたおれのママに当たるひと、おれがこのように浮いているひとをみそめ、息子の嫁にしたらしい。そんな話をしているのをいつぞや、きいたことがあった。ママに当たるひとのママはいまだに、おっとの浮気に苦しめられているらしい。この親にありてこの子ありか・・・おれのちちに当たるひとも浮気のうわさがあるらしい。ママに当たるひとに、ばかだ、のろまだ、おれの足を引っぱるんじゃないと、もんくたらたらなんだ。きくに耐えないふゆかいなひびきに、おれはざわざわし続けだ。このおれの身にもなってくれよ、伝わるなら、"声"をあげて、言いいたいくらいだよ・・・」
 勇はきつい表情で、漫画本から顔をあげた。彼は思った。ーーそうなんだ、俺が「母なる人」のおなかにいる間、おそらく、同じようなことが起こっていたのだろう。俺の手が不自由になったのはその時、「父なる人」の「母なる人」への暴力が原因になったのかもしれない・・・ーー勇は手に持った漫画を読み、納得するのだ。
 勇は漫画本を足元に置いた。子供のする「ちょうだい」を両手でやってみるのだが、上手に出来ない。手頸が十分に曲げられないのだ。勇は己の手を恨めし気に凝視した。すると、幼稚園時代の記憶が蘇えってくるのだ。
 
 勇は手を曲げられないのを園児から、「いさむちゃんの手、おかしい」と奇異に見られた。彼は恐縮し、恥じた。すぐ、手を背中の後ろに引っ込めるのだ。男の子らはその仕草を見ると、一層、はやしたてた。
「みぃ~ちゃった、みぃ~ちゃった、いさむちゃん、手をみせろ!手をみせろよ!」勇を取り囲んだ園児らは囃し立てた。勇は下を向いたままだ。
「あっちへいけ、いけよ!」と、勇は言えないのだ。居たたまれない気持ちである。己で処理のできない感情に囚われた。勇の心は傷つくのだ。
 その時、教室に入るベルの音が鳴った。勇を囃したてていた子らは一目散に教室に入った。遠ざかる園児らを尻目に、勇は皆が教室に入った後、忍び足で入るのだ。このようなことは一度ならずであった。それが続き、勇は幼稚園を嫌いになった。幼稚園に行くのは針のむしろの上に座らせられるように感じたのだ。
 登園時、玄関でぐずついていると、母は「早くしなさい!」と、うながすのだ。勇は我慢し、一時間かけて幼稚園に通っていた。親が決めたものだ。どうして、こんなに遠くまで通わねばならないのかと、勇は感じた。だが、そのことは、もちろん、親には言えなかった。
 幼稚園で、勇の一番の苦手は遊戯であった。勇にとっては「残酷な時間」だ。両手が不自由だから、園児と手をつなげなかった。ひとり、園庭の隅で、遊んでいることが多かった。鉄棒は大の苦手であった。言うまでもなく、鉄棒を上手に握れないのだ。畢竟、勇はひとりでいるのを好んだ。ひとり遊びしていることは多くなった。先生は他の園児と遊ばせようとするのだが、勇は嫌がった。無理矢理、やらせようとすれば、勇は翌日、園を休んだ。そのことで、先生は利恵と話し合った。
「勇君を皆と遊ばせようとしますと嫌がるんです。無理に一緒にさせると、翌日、休みますよね」先生は不審顔で言った。
「家でも、幼稚園に行くように強く言うのですが、そうすると玄関先でぐずついて、泣き出す始末で、ほとほと、困っているのです」母親の利恵は弁明した。
「神経過敏な子で、そこのところを先生方も理解してもらいたいのです」利恵は訴える。しばらく、先生は考えていた。そのことは分かっていたのだろう、この際、無理強にはしないと決めたようであった。
「私どもは<子供の個性を尊重する>をモットーにしている幼稚園です。勇君は難しい子ですが、あまり、干渉しないように、心かけてみましょう」先生はそう言って、一応の結論を出した。
 先生方は事情をのみ込むと勇の好きなようにさせるようになった。他面、ほったらかしていたのだ。しかし、勇は他人に迷惑をかけることはしなかった。勇は他人と交わるのを極力、避けていた。

  



 ある日、勇は父親に手のことを訴えた。
「手が動かないのだけど、お父さん・・・」父も息子の手は気にしていたのだろう、勇を病院に連れていくことにした。医者に診察してもらおうと考えたのだ。
 診察室に入ると、「両手を胸の前に、まっすぐだしてみて」医師は勇に言った。勇は言われた通り、両腕をぎこちなく出した。
「手のひらを上に向けられるかな?」医師が言った。勇は厭な感じを抱いたが、言われた通りにした。しかし、上手に出来なかった。医師はじっと診ていた。机の上のカルテに目を落とすと何やら書きこんでいた。その間、勇はまだ、まっすぐ腕を伸ばし続けていた。医師は何も言わないのだ。勇はいつまで、このまま伸ばしていなければならないのか?と我慢をしていた。疲れてきた。しかし、それを訴えられない。
「もう、おろしていいよ」医師は勇を一瞥すると不審な表情をした。『何をまだ、伸ばしているのか?』とも言っているようだ。言われなけば、訴えない子なのだと担当医は少し、あきれていた。
 勇はようやく、腕をおろし、ほっとした。腕に疲れを感じた。『早く、言ってくれよ・・・』との気持ちなのだ。
 医師は付き添いの父親に告げた。勇の手は先天的なもので、可能性は少ないが手術をすれば、治るかもしれない、というのだ。
 「母親に相談してみます」雄一郎はそお言うと即答をさけた。彼は勇を障害にさせたのは利恵だと思っていた。息子は未熟児で生まれたが、栄養失調気味の利恵のからだを見て、父親は顔を曇らせたのだ。原因は母親だと思った。利恵をこき使っていたのは、むしろ、自分だというのに、その自覚はなかった。
 
 医師は「手術をするなら、早めになさったのがよいですよ。後になるとそれだけ、難しくなります」と忠告した。雄一郎はそうなのだろうが冷静に考えた。そして、普段の生活で、息子は不自由をしている訳ではないので、ことさら、手術をするまでもないと自身は考えた。
「勇、普段の生活に不自由しないのだろう」雄一郎は勇が選択する余地のない、おどすような言い方をした。父は目撃していないのだ。ーー勇が大便を終え、尻を拭く際、トイレットペーパーを適宜に使えないーーそれに、早めにしたのがよい、という医師の告知をどう聞き違えたのか、手術をするなら、もう少し、大人になってからのほうがよいと、父親は間違えて記憶していた。それで、ほったらかしにしていた。息子の苦痛をおもんばかる気持ちはなかった。息子がそのことで苦んでいるとは想像力を働かせられなかった。息子のそうした姿を目撃していなかったのもそうなのであった。そして、そのうち、忘れてしまった。結局、手術じまいになった。しかも、雄一郎は勇の手は治る確率が少ないなら、万一、手術して、治らなかったら、無駄骨だと本気で考えていた節があった。父に息子の辛さは届いていなかった。
 勇は父親の怖い顔をみると、訴える勇気がなえてしまう。それに、勇自身、そのことを恥じていた。
 勇は母の利恵にも訴えた。「僕の手、自由に使えないの?」彼女は一瞬、息子の手を凝視した。だが、忙しそうである。
「お前が生まれた時から、そうなのだよ、でも・・・治せないものか、とうさんに相談してみるよ・・・」彼女は生返事だ。彼女は息子が未熟児で生まれてきたことを自身、負い目を感じていたのだ。
 利恵は隣接する事務所と家事の母屋を忙しく往復する毎日であった。母屋に帰れば、神経をすり減らす姑との関係があった。それは嫁いだ当初からであった。
 勇を身籠っだ時期、姑に遠慮して、十分に栄養を摂れなかった。姑は己の夫との関係がまずく、その鬱憤を嫁にぶつけていたのだ。(勇の祖父に当たる人は外に女をこさえていた)したがって、臨月になっても、姑の畑仕事を利恵は手伝っていたくらいであった。
 実際、利恵は雄一郎の経営する印刷会社の理経・事務を兼務して、多忙であった。小規模の印刷会社は妻も労働力である。利恵はそれらにかまけて、いつのまに、息子の手のことは忘れてしまったていた。勇は二度と、手のことを母親には訴えなかった。
 
  

 
 ところで、多忙な利恵に代わり、勇の面倒を見ていたのは工場で働いていた発達障害の青年であった。名前は武雄と言った。彼はもっぱら、勇の世話をまかされていた。これは今井家の慣習であった。
 今井家は祖父以来の機屋で、赤ん坊は乳母が育てる習わしであった。父、雄一郎も乳母に育てられた。だから、勇の授乳やおむつ替えは武雄がもっぱらしていた。
 青年は「武にぃ」と親しみをこめて呼ばれていた。彼は性格は優しく、のんびり屋で、決して、勇をしからなかった。生まれつき足が不自由なのだ。それにも関わらず、松葉づえをつき、勇が「山に行きたい」とせがめば同行し、遊ばせていた。近くの山に連れていき、一緒に遊んでいた。
 勇の部屋でテレビを一緒に見ることもあった。武にぃは「まんが 日本昔はなし」が好きであった。勇も見た。一寸法師の物語で、小人が大男をやっつけるのを面白がって見ていた。
 時たま、利恵はそっと、お菓子を部屋の戸口に差し入れて、黙って、置いていった。勇は気付いて戸口の方に顔を向けると、利恵はすぐに戸を閉めて、立ち去るのだ。
 見終わってから、二人はそれをむしゃむしゃほおばった。次回のテレビが楽しみであった。
 武にぃは発達障害があったからだろう、その素朴な性格は勇と波長が合ったらしい。
 晴れた日など、「武にぃ、川で遊ぼう」と勇が頼めば、彼はきいてやった。夏には近くの林へセミ取りに連れて行った。
 二人は一列になり、坂を上がって、平地に出た。木々に囲まれた所は昼間でも薄暗かった。セミしぐれは、プールに水を充たしたかのように、辺り一面に降り注ぎ、充満していた。
 勇は捕ったセミのかごをのぞいていた。武にぃは草むらに腰を下ろしていた。すると、突然、一条の光が木々の葉影から差し込んできた。もし、セミしぐれを消せるものなら、静寂になった空間には、天からの斜めの光が差し込み、神神しいまでに一層、厳かであったろう。
 武にぃは『美しい!』と感じた。しばらく、その状態にひたっていたかった。
 
 勇が虫籠を開けたのだろう、ジィ、ジィと鳴き声を残し、セミが飛んでいった。
「逃げた! 武にぃ、セミが逃げたよ!」勇が叫んだ。武にぃの充足の時は刹那、破られた。武にぃは不自由な足を器用に動かし、起き上がると、勇の方に歩いていった。
「勇ちゃん、また、捕ればいいよ、俺が捕ってやるよ」武にぃは優しく勇を慰めた。勇はセミの飛んでいった方向を気にしながら、素直に頷くのだ。
 雲が太陽を遮ったのだろう、辺りは暗くなった。斜めの光をもはや見えなかった。
「勇ちゃん、セミとりに行こうか」武にぃは勇に呼びかけた。
「うん」勇は勇んで林の中を歩いて行くのだ。

  



 この“蜜月”は突然、奪われた。
 ある日、武にぃは、何の予告みなく、突然、会社を辞めさせられた。その訳は親の陰口があったらしい。ひとつは勇は昆虫を殺したのだが、(子供の頃、これくらいのいたずらは誰もがするものだ。それよりか、犬の首に針金を巻きつけたことらしい)これは武にぃが教えたと誤解されたのだ。むしろ、いいがかりと言ってよかった。母親の利恵にしたら、一人の息子を他人にとられ、二人がひどく仲良くしているのを目撃すればそれだけ、一層、嫉妬を感じたに違いない。
 一方、雄一郎にすれば、優しいが、のろまの武にぃと勇が仲良くする時間が多ければ多いだけ、なおさら、“のろま”の性向が影響しては、将来、社会で、使い物にならないと、考えていたのかもしれない。勇は雄一郎の唯一、後継者である。それなのに、雄一郎は出来るだけ勇に関わらないようにしていた節があった。必要ごとがある時だけ、息子に関わるのだ。
 彼は息子に近づきたがらない。何故だろうか?利恵はそのことに感づいて、思うのだ。『もう少し、息子に親しく話しかけてくれたらよいのに・・・』
 利恵は比較的、勇とは饒舌ではないが、機会があれば話しかけていた。彼もそれに応えた。しかし、雄一郎が話しかけると、勇は返事をしないのも稀ではなかった。
 雄一郎の言い方は指示口調である。勇はひりひりとした感覚を覚えた。不快なのだ。彼は父親を無視した。というより、雄一郎にはそう見えたのだろう。そのような親子の関係であったが、雄一郎は勇の学校の選定に介入したのだ。
 雄一郎は勇に面と向かって、文句を言うことはしない。利恵を通じ、間接的に息子に注意した。先の犬の首占めの件もそうであった。
 勇は武にぃがいなくなったことにひどくショツクを受けた。楽しくシーソー遊びをしている最中に、突然、片方が消えていなくなり、ドスンと地面に衝撃を受けたような感じであった。
 勇の自我はゆっくりと結晶化していたのだが、中途で、崩れてしまい、不完全のままに残ってしまった。



  タチヨミ版はここまでとなります。


芯のない林檎

2014年6月22日 発行 初版

著  者:八桑 柊二
発  行:大湊出版

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八桑 柊二

1946年、生まれ。明治大学文学部卒、業界紙・誌に勤める。今は無職。

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