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解読できません・・・

八桑 柊二

大湊出版



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  この本はタチヨミ版です。


 ニ0三一年が過去になつている時代の物語である。

 慶山家は息子の美路(みろ)の教育をアンドロイドに委ねていた。アンドロイドTと呼ばれている教育係は見かけは生身の人間と全く変わらなかった。しかし、唯一の特徴は目が瞬きしないことだ。最新のアンドロイド(人造人間)は瞬きするがその動きは、まだ、機械的であった。
 父親五郎はコンピュータソフト開発の専門会社に勤めていた。その開発と研究に忙しく、図面とCPに首っ引きの生活である。
 母親は生命科学者で、アンドロイドTの開発、製造にひと役かっていた。彼女の名前は優子。某国立の研究所に勤めている。
 慶山家はありきたりの共働きであったが、この時期、アンドロイドを息子の教育係りにしている家庭は稀であった。慶山家は優子の職業柄、実験的にアンドロイドTを導入した。優子自身は研究生活を送っていたから、助っ人として大いに重宝していたのだ。
 息子の美路は五歳になったばかりだ。ずっとアンドロイドTに教育されてきた。
 彼は早熟で、この年齢で、三角関数をマスターしていた。彼の友達はアンドロイドTに接続できるCPであった。ロイドTは音声部門を持ち、生身の人間の声に似せて話ができた。
ーー人間ハ元ヲ遡レバ、宇宙ノ星星カラ デキテイル トイウノヲ 知ッテイマスカ? 
アンドロイドTは美路に尋ねた。
ーー聞いたことあります。星間物質、水素やヘリウムから出来たのでしょう。
美路は答える。
ーー正解デス。太陽ハ ホトンド水素ノ塊デス。デハ、ビック・バン ト イウノハ 知ッテイマスカ? 宇宙ノ背景輻射、絶対温度三度Kヲ逆算シテイクト、宇宙ノ始マリハ、火ノ玉ノ、ビックバント ト イウ解答ガデマス。
ーー面白いね。膨張し続けた結果、今は光と物質に分かれていたが、その時は分かれていなくて、時間が経つに従い、光より物質の方が優勢になってきたのでしょう。電子図書館のファイルで読んだ。
ーーヨク勉強シテイマスネ。美路サンハ 物理ニモ興味がオアリナンデスカ? 
 美路とロイドTが会話している最中、母親が美路を呼んだ。
ーー美路ちゃん、お菓子をお上がりなさい。
ーーカロリーはどのくらいなの? 糖分は何%入っていますか? 
美路が聞いた。
ーー計ってなかったわね。何故? 
 母親は不審顔だ。
ーー今朝と昼の合計は九五0キロカロリーだったから、夜は、残りの六00キロカロリーの食べ物しか食べられないのです。間食したら、美味しいものが食べられなくなります。夕食が貧しくなってしまいます。
 彼は真面目になって訴えた。
ーーそんなこと心配しなくてもいいの。ママがせっかく、腕自慢でこしらえたのだから、食べなさい。
ーーママは自分を満足さするのかもしれませんが、ロイドTが科学的な食事をしなければいけないと教えてくれているし・・・ロイドT、そうなのでしょう? 
 美路はロイドTの方を向いて尋ねた。
ーー美路サンの言ウ通リデス。コレハ、優子、奥様ノ命令デモアリマス。
ーーお前の命令ソフトを改良しなければならないね。今、すぐっていう訳にはいかないけど・・・
 優子は憂鬱になってきた。一部の手直しでは済まず、新しい設計アイデアを考えださねばならなかったのである。それに、このアンドロイドTのフィードド・バック機能を設計し直すといっても、まだ、十分に使いこなしきれずにある。分析資料の不足を感じていた。結論は性急に出せなかった。
 優子は息子の教育をアンドロイドTに任せてきたのは、ひょつとすると、間違っていたのかもしれないと、思い始めた。
 ミルクの補給、排泄物の後始末、寝かせつける際のデジタル子守唄(空気の振動数を二進法による数値に変換し、その音階による歌)など、アンドロイドTがやってくれていた。息子との感情的な関わりは休日、電子カーに乗って、子供の電子公園に遊びに連れて行く程度だった。そこで、美路が遊ぶのはCPカーに乗り、問答しながら、目的地に着くという論理遊びだ。解答できないと一回転して、降り出しにもどるというものだ。そして、エラーの罰ゲームを子供達はひどく楽しむのだ。三回エラーすると、一昔前のジェットコースターみたいに、地下に落っこちるという恐怖感覚を味わうのだが、美路は何故か、ひどくこれを気に入っていた。
ーースリルを味わえるから、わざと間違えます。
と、優子に話し聞かせていた。もちろん、大概の子供達は泣き出すのが普通でだ。同伴席もついているから、父兄も楽しめるが、悲鳴をあげるのは母親がほとんどであった。それで、間もなく、落下速度は減速され、傾斜も緩やかになったと聞く。
優子はなかなか、息子と話し合う機会をつくりだせないことに、苛立ちを覚えていた。彼女は最近、息子との情緒的なふれあいが不足しているのを痛感するのだ。
 こんなことが起こった。
 優子が息子に外で遊ぶようにいうと、美路はロイドTを連れて、近くの島公園に行くと行った。
 優子はロイドTの同伴を許さなかった。仕方なく、彼は一人で出かけて行った。しかし、そこは、子供達は遊んでいなかった。彼は池の橋を渡り、中の島にあがった。その傾斜を降りると、小さな地下の広場があって、池の中の水族館になっていた。
 女の子が混じった数人の先客がいたのだが、彼は反対側のガラス窓に額をくっつけ、窓の下のボタンを操作していた。ここから超音波が出て、魚を呼べるようになつている。
 彼が楽しんでいると子供達がよってきて、彼に話しかけた。美路は夢中になっていたから、(別のボタンで他にも楽しく遊べた)聞こえなかった。返事をしなかった。彼らは美路を避けて通る素振りを、全身に表している。美路はうるさく、付きまとわる低脳な訳のわからない生き物が離れていく位に考えたのか、面倒がなくなったと思っていた。実は、美路には聞こえていたのだが、彼の〝反応回路〟が混乱していたのだ。
 美路は同世代の子供達とは遊びたがらなかった。彼は次第に、〝話し型〟までロイドTに似てくるのだった。このことを優子は憂慮していた。しかし、ロイドTのデータを研究所に提出する義務があったから、実験を継続していた。この研究は研究所の一部門なのだ。別の言い方をすれば、国家の要請であった。彼女は拒否する立場になかった。しかし、モルモット実験は最終段階にきているというのは確かであった。美路への憂慮を考えあわせると、優子は実感していたのだ。
 こんな会話が親子で交わされていた。
ーー美路、顔色が悪いわよ。
ーーどういう意味ですか? 明るい方に何%パーセント、暗い方に何%と正確に言って下さい。
ーー何、言ってんのよ! ママはあなたの身体を心配しいるのよ。どこか具合悪くない? 
母は本当に心配顔で言った。
ーー心配っていうのは厳密に当たっていませんね。根拠のない憶測に過ぎません。僕の身体のリズム曲線が二十七日周期で、二十日目の下降曲線に当たっているというなら、それは理解できますが・・・。
 美路はロイドTの胸についている小型のモニター画面に自分の体調リズム曲線を入力しつつ言った。
 優子は唖然とすると同時に。ひどく不安になった。彼女はすぐに、腕を伸ばし、ロイドTのスイッチを切った。そして、言った。
ーー美路、あんた、この頃、変だよ、よそよそしくなって、冷たいね。
 彼女は息子の顔をじつと見た。
ーー何度くらいなのですか? 
 彼は真面目な顔で言った。そして、付け加えた。
ーー分かっています。物体じゃないんだから。ママの〝温度センサー〟は複雑なんですね。僕の感受・・感受・・は機能を停止しているんです。解読できません。
ーー感受性でしょう。あなた、ロイドTにますます、似てきたね。考えなくちゃ・・・。
 母親き表情を曇らした。
ーー相似形ということですか。でも、そうは言いますが、似てないところも沢山あります。ロイドTの方が優秀です。
 彼はそう言って、ロイドTの回路をフリーにしてやった。こうすると、一時的に、ロイドTはリフレツシュする。つまり、器官内のチリやゴミを洗浄して、活性液を補給してやれる。

 優子は息子との意思の疎通が難しくなっていたから、非常に心配していた。
 美路が三歳になるかならないうちに、優子はその育児と教育をロイドTに全て任せていた。ロイドTは見かけは生身の人間と変わりはなかった。ただ、情緒的にはまったく無能だった。だから、感情表現に関して、「解読できません。モウ、一度、述ベテクダサイ」という返事を繰り返すのみなのだ。
 息子の美路は完全にロイドTに洗脳されていた。というより、むしろ、彼の教育が成功したと言える。美路はロイドTのプログラムを忠実に履行していたのだ。

 ある日、優子は夫の五郎に言った。
ーーあなた、美路のことですけれど、あの子、ひどく分析的に物事を考える傾向があるんですけど・・・。
 優子は否定的に述べたのだ。
ーー結構なことではありませんか。科学的に物事を整理することは好ましいことです。あの年齢で、論理的だなんて、エクセレントでしょう。
 彼はCPに日記を入力しつつ、返事をした。
ーー頭がよいと言われるのはいいのですけど、食事どきにも分析されたんじゃ、美味しいものもまずくなりますよ。
 彼女は呆れ顔で言った。
ーー僕も聞きました。でも、カロリー計算は大切なことです。君はダイエットしてる? 必要あるんじゃない・・・。
 夫は目をじろっとアンドロイドのように動かし、優子の身体の線をなぞるのだ。優子は顔をしかめた。藪ヘビになってしまったと思った。だが、そうしたことよりも、夫の反応がロイドTに似てきたのが気になった。
ーーあなた、ロイドTを研究所に返そうかとおもうのですけど、どう思います? 
 彼女の気持ちは決まっていたのだが、一応、夫にお伺いを立てたのだ。
ーー彼はよくやってくれています。能率的で、人間的な感情のもつれなど一切なく、極めて付き合い易いです。私はよいと思っています。
 彼はそう言うと妻の方を向いた。
 優子は一瞬、夫はアンドロイドではないかと錯覚した。

 その夜、優子は夢を見た。彼女は冷や汗をかいて起き上がり、下着を取り替えた程なのだ。
 彼女は息苦しさから、家を飛び出し、街に出かけた。万能販売店の店員もアンドロイドなのだ。優子は足早にその前を通り過ぎようとした。道を尋ねようと、十歩程前を歩いていた警察官に声をかけた。振り向いた男もアンドロイドなのに驚いた。彼女は走った。そして、ある店に入った。酒場なのだろう、とぼんやり思っていた。そしたら、一斉に、店の客全員が彼女の方を振り向いた。彼女はその瞬間、瞬きひとつしない、薄暗がりのなかに光っているアンドロイドの無数の目にぶつかった。彼女は外に逃げ出した。この街は全員、アンドロイドに占拠されてしまっているのだ。
 彼女は自宅に戻った。優子は地下のガレージに降りて、電気メスを手に取った。何故、それを手にとったのかは分からなかった。殺意? があったのかもしれない。そして、切れ味を試そうと、床に落ちていた合成ゴムの切れ端を切った。その拍子、自分の指を傷つけてしまった。その時、赤い血ではなく、天然ゴムみたいな白い液体が流れたのにはっとした。優子は己がアンドロイドなのに、びっくりして飛び起きた。
 優子はベットの上に上半身を起こすとあたりをうかがうのだ。
             *      *
ーーカット! よかった。ご苦労さま。今日はこれまで。
 監督は上機嫌であった。
ーー監督、飲みに行きましょう。
 助監督が誘った。おごってもらおうとの魂胆だ。
ーー例のところか。お前、あの娘に気があるんだろう? 
監督が茶化した。
ーー監督だって、まんざらではないんでしょう。先生、先生って言われて・・・・
 助監督は腕でこずくと、切り返した。
 二人は脚本家を伴い、行き付けのバーに出向いた。映画完成の、最後の詰めも兼ねていた。

ーー最終のカットどうしましょうか? 
 助監督が尋ねた。
ーー優子に、実際、夫と息子、それにロイドTを破壊させましょう。
 脚本家は一案を出した。
ーーそれはきがすすまないね。されよりか、優子もアンドロイド風に同化させるのはどうかね? 
ーーそれはいいアイデアですね。
 助監督が相槌を打った。
ーー・・・だが、今のアンドロイドは喜怒哀楽を理解するまでになっていますからね。むしろ、十年前のアンドロイドは不完全品として、抹殺してしまつたのが、人間達も受け入れ易いのと違いますか? 
 脚本家が反論した。監督は科学清涼剤を口にふくみながら、少し、考えていた。
ーーそこでは、こうしよう。現在の時点から過去を批判的に描くことは、むしろ、求められていることだから、君の案でいこう。
 監督は脚本家にそう言うと、かたわらに座っていた、胸の大きな噂の娘を抱き寄せた。彼女は正真正銘の人間で、彼らの居座るバー「ホモ・サピエンス」はアンドロイド専用の店であった。
                                                                                (了)
 


 



  タチヨミ版はここまでとなります。


解読できません・・・

2014年6月27日 発行 初版

著  者:八桑 柊二
発  行:大湊出版

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八桑 柊二

1946年、生まれ。明治大学文学部卒、業界紙・誌に勤める。今は無職。

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