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少年シーシュポス

八桑 柊二

大湊出版



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次



















  

「おかあさん・・・」和子は呼ばれたように感じ、目が覚めた。が、夢なのだ。
 今日からお盆、民夫が亡くなって七回忌を迎える。

  

 米国が日本に市場開放を迫り、日本経済は株価の高騰し、それは決して下がらないという"神話"が信じられていたバブル経済の真っ只中、東北新幹線が盛岡まで開通し、公害には目をつぶり、日本中が新幹線網でつながろうとしていたその時期、働く主婦が専業主婦を初めて上回り、女性の社会進出が中身はどうあれ、定着してきた一方、バブルの鬼子のような投資ジャーナル事件が起こり、日本人誰もがお金儲けに乗り遅れまいと、躍起になっていた頃のことである。

 中村家が東京から横浜に引越しを決めたのは年が明けてからであった。妻の和子は横浜と言えば、「海」とロマンチックな想像をしていた。夫の健一と息子らは海が近いと大喜びであった。
 引越しは家が手狭になったからだ。健一は息子らを広い住環境のなかで育てたいとの希望を抱いた。
 戦後世代は家庭をつくり、誰もが豊かな生活を求め、人前の、平均的日本人の幸福という"幻想"にほだされ、バスには乗り遅れまいと必死に追いかけていた。夢は思っていた通りに実現するかとみえたが、思いがけない"落とし穴"が隠れていた。

 次男である民夫引越しの準備に忙しかった。あらかた、持ち物を段ボールに詰め終わると、名残り惜しいのだろう、今日、引き払う部屋をぐるっとひと見回した。いつも座っていた椅子の座り心地をあらためて確かめるように腰かけた。机に向かい勉強している姿勢をとった。部屋は兄の師一郎とずっと協同で使用してきた。
 兄は先に持ち物を整理し、部屋にはいなかった。台所にでもいるのだろう。そろそろ、運送屋が来る頃なのだ。
 民夫は親しんできた部屋に「さよなら」だと思うと、寂しく感じる。破れた襖に目が止まった。兄とふざけて、負けまいとむきになって喧嘩した痕である。 記憶が蘇ってきた・・・母が止めたのだ。「馬鹿なことしないで、止めなさい! 民夫、何すんの!」彼は間違えて、母の脚を蹴ってしまった。母は民夫を睨むとすぐ、兄に向き直り、「師一郎、兄さんらしくしなさい、本気になる馬鹿がどこにいるの!」と、叱った。民夫は"ざまぁ、みろ"と得意になってはやし立てたが、すぐ、母に頭を小突かれた。今度は兄が得意顔ではやしたてる番なのだ。・・・

「民夫、運送屋さんが来たぞ!」父の声が居間から聞こえた。彼は椅子を入れ、手伝うために立ち上がった。
 運送屋は両親と挨拶していた。いよいよ、引越しがはじまる。
 作業は手際よく片付いた。トラックに大物を入れて、小物を詰める。
 民夫は運送屋が家財道具を丁寧に扱う姿に、さすがプロは違うと感心していた。積み合わると、直ちに、K町のアパートから横浜のマンションへ移動を開始するのだ。
 大型のオープン・トラック一台で済んだ。
 民夫と兄は運送屋へ、無理に頼み込んで、荷台の空きに乗り込んだ。両親は反対したが無理やり押し切った。
 憲二と和子は車で、トラックの後を追いかけることになった。
 新居へ移動中、民夫と師一郎は浮き浮きしていた。まるで、お祭り気分であった。自分らの車が前方車を追い越し、疾走するのは愉快であった。何か晴がましさを覚えたのだ。
 午後になり、横浜のK区にある開発したばかりの新興住宅街に着いた。
 ここはショッピングはもちろん、病院、学校も込みで、建築されていた。住民は計画された街で、生活の全てが賄える新しい街なのだ。
 集合住宅の町並みに面し、大きな池があった。魚はいなかった。水辺で、母と子が水遊びをしていた。
 集合住宅はひとつひとつ独立性が高く、個人住宅のように工夫されていた。個人のプライバシーが最大限に確保され建築なのだ。
建物群を巡る道路は赤茶色レンガを敷き詰め、広かった。樹木が植えられ、洒落た造りになっていた。集合住宅なのだが、入居者には持ち家のような、環境を整備した最新のつくりなのだ。
しかし、街路樹が植えてあるといっても、新興住宅街に特有のどこか、殺風景であった。同じような団地は日本各地に造成されつつあった。
 民夫はK町のアバートのような親近感はないと感じた。以前、父親と下見に来た時より、人は住みついていると民夫は思った。しかし、どことなく、寒々としたものを感じた。街路樹はまだ、十分、茂っていなかった。
 民夫は駅前から丘陵地を削って造った海沿いの街に車で近づいていくに従い、寂しい所だなぁと感じていた。左手に小高い丘を見ながら、幅広い環状道路を右折すると長い盛土の土手が連なっていた。それが切れるところは平地になり、その向こうに、アパート群がにょきにょきと恐ろしげに立ち並んでいた。彼はそのように感じた。左手には高層アパート群、右手は三、四階建ての集合住宅になっている。
 池の周囲は広場で、住民の憩いの場になっていた。人々が憩っている様子はなかった。この広場を取り囲むようショッピング・センターが設置してある。  病院は建物の内にあった。小学校は住宅に隣接していたが、外観は学校のイメージとはかけ離れた、普通の建物のようであった。むしろ、コンクリートの塊まりといった悪い印象であった。周囲の住宅と見間違える。わざと、そのように街に埋没するように建築したのか、やむを得ずそうなったのか定かではないのだが、こんなところに、"学校がある!"と、思わず叫びたくなるような建物なのだ。
 ちいさな運河のほとりには高等学校があった。

 民夫はいくらか寂しい気持ちで、我が家の前に到着した。運送屋が扉を開けるのを待たず、兄と共に車から飛び降りた。二人は"やれやれ"と屈伸をした。兄は部屋の番号を知っていたから、早速、マンションの方に駆けていった。
 中村家は五階なので、表札番号を探す。玄関にある郵便受けの部屋番号を見つけ、開けてみたが、何も入っていなかった。鍵は両親が持っている。
 運送屋の従業員は路上で一服していた。両親の車は後方からおいかけてくるはずであった。しかし、到着していなかった。
民夫は付近をぶらつこうと思った。すると、古型の車から手が見え、合図しているのに気づいた。両親の車だ。彼は小走りに、トラックの止まっているマンションの方に引き返した。
 彼が着いた時、父親が運送屋と搬入の相談をしていた。母は五階のベランダから周りの景色を眺めていた。
 民夫は、「お母さん!」と呼びかけた。母は気づかない様子だった。再び、呼びかけると、はじめて気づき、笑顔で、息子に向かって手を振った。母は新居に来て、うれしくて仕方ないのだ。
 民夫はK町を出発した自分のウキウキした気分はとっくに覚めていた。彼は息苦しいような(それが何かわからなかったが・・・)、何か、自分におおいかぶさってくる圧迫感を覚えた。彼はそれを振り払うかのように、手伝うため、五階に上がっていくのだ。
 住居の間取りは3DKで、玄関、洗面所と浴室と手洗いが込みになっていた。ダイニング・キッチンは十畳程あり、その他に六畳が二つに四畳半がひとつあった。
 民夫はてっきり、個室がもらえるものと思っていたのだが、六畳は兄一人では広すぎると、一緒の部屋に入れられた。父は「小学生で固執は贅沢だ」と息子に告げた。
「俺たちの頃は子供が個室をもらえるなんて考えられなかったぞ。子ども部屋をもらえるだけでもありがたいと思え」と付け加えた。民夫は引越し先で、兄とは別の部屋で、落ち着けると踏んでいたのだが、当てが外れた。彼はがっかりした。
「また、お前と一緒かよ」兄は愚痴をこぼしたが、民夫も同じ思いなのだ。
 六畳は寝室で、残りは父の書斎になった。父は己の"城"を持てると喜んでいたが、時が立つに従い、中村家の物置を兼ねるようになっていった。
 部屋の片付けが一段落した。運送屋は帰っていった。
 細かな片付けは残っていたが、日が暮れていたので、明日にすることになった。
 玄関に近所の店を探せる談話帳が置いてあった。その晩、一家は店ものをとって、済ました。
 夕食を済ませると、寝床だけは確保し、落ち着けない夜であったが、昼間の疲れで、皆、早めに寝た。
 翌日、父は、荷物の片付かない居間で朝食をとり、あわただしく出勤した。兄と民夫はまだ、転校手続きをしていなかったので、自室の片付けをした。
 母は役所に転居届けに行った。その時、転向の手続きを聞き、そのまま、学校に出向いた。
 次の週の初め、四年生の民夫は母に連れられてD小学校の新学期に初登校した。ここの生徒は近くの新興団地の子どもらがほとんどであった。言ってみれば、ほとんどの生徒が他学区からの転校生といってよかった。だからなのか、クラスのまとまりはなく、これからという事情なのだ。
 団地は新興の町であり、住民の自治意識は弱かった。県の端っこの東南部にあり、成績のよい中心学区に負けまいと、追いつき、追い越せという意識が強かった。
 
民夫は母と職員室に出向き、和子は担任の男の教師に、「よろしく、お願いします」と、深々と頭を下げた。
「たいへん、勉強ができますね。期待していますよ」先生は優しく言った。民夫ははにかんだ。
「すぐ、始まりますから、教室に行って下さい」先生は民夫を促した。
 職員室を出ると、和子は「じゃ、ター君、帰るけど、しっかりね」と励ました。民夫は「大丈夫だって、帰っていいよ」と言った。母はひとまず、安心して、帰宅した。
 今日は、新学期の始まりなので、校庭で、校長先生は全生徒に話をした。
「今日から、新学期です。皆さんはお兄さん。新しい一年生は今日から、学校でのお勉強が始まります。クラスのお友達と仲良く、一生懸命、勉強してください。よく、学校の規則を守って、先生のいうことを聞いてください。お兄さん、お姉さん達は下級生のめんどうをみてください。上の学年になって、少し勉強が難しくなります。先生のいうことをよく聞いて、努力してください。身体を健康に、みんな仲良く、勉強に励みましょう」校長先生は勉強するを強調した。また、規則を守るようにと強調した。
 民夫達は教室に入った。彼は直感的に、教室の雰囲気がS校とは違うなと感じた。クラス全員が転校生であるのを後、知ったのだが、東京から来たものは少なかった。ほとんどがK県からの転居組みなのだ。
 皆は好奇の目で、また、転校生が来たという位にしか、関心がないようであった。民夫は温かくないものを感じた。皆、どことくな警戒しているようであった。どことなく、クラスはまとまりがないと民夫は感じた。
 黒板に男の先生が自分の名前を書いた。そして、簡単な自己紹介をした。
 民夫の席は黒板に向かって右の二列目、前から三番目であった。右隣に太っちょの男の子、左隣はおさげ髪のおとなしそうな女の子であった。
 一時間目は国語であった。民夫は隣の子に、遠慮がちに教科書を見せてやった。その子は教科書を忘れてきた。太っちょの男の子はじろじろ民夫を見て、変な顔をしていた。民夫に何かいいたげなのだが、民夫は無視を決め込んだ。太っちょは諦めたのか、不満けな顔で教科書に見入った。民夫はできるだけ無関心を装つていた。彼の斜め後ろの席に、一見、おとなしそうな男の子が民夫の方をちらっと見た。民夫に関心がある様子だった。T君である。後に民夫の友達になる子であった。
 チャイムが鳴った。子供達はバッタがとびはねるように、校庭に飛び出していった。
 民夫はクラスの連中が遊んでいるのを、校庭の隅で眺めていた。
 灰色のコンクリートの二階建ての校舎は校庭を囲むように建っていた。校庭はアスファルトで固めてあった。彼は"雰囲気"が随分、前の学校違っていると感じた。先ほどの太っちょが民夫に近づいて、話しかけてきた。「この近くか?」民は「すぐ、近くのマンションだ」と答えた。太っちょは「俺は隣のアパートにいる」と言った。太っちょは民夫をからかいにきたのだ。民夫は胡散臭い奴だなと思った。嫌な感じだ。
「お前、となりの女と仲いいじゃん」太っちょはにやにやしながら言った。
「優しい子だよ」民夫はそっけなく言った。彼は太っちょがあっちへいけばよいと思っていたが、簡単に離れる様子ではなかった。
「あの子はg子というんだ。お前、g子、好きか」突然、太っちょが言った。民夫は顔を赤らめた。『なぜ、そんなことを聞くのだろう』と思った。、g子は鉄棒のある砂場近くで、女の子同士縄跳びをしていた。
 民夫は『うるさい奴だ』と思った。太っちょにそんな民夫の態度が伝播したのか、彼はゆっくり、振り返りながら、離れていった。
「お前、勉強できるんだ
って」、「ちびだなぁ」、とか言って男の子がからかいにきた。民夫はいちいち返事するのが面倒臭く、適当にあしらっていた。
「付き合えよ」と、遊びに誘う子もいた。他の幾人かは「俺たちはI区から来た」と言った。K町から来たものはいなかった。『東京からこっちにひっ越してくる者はいないのだ』彼は不安を覚えた。
 あっちこっちから民夫は誘われたが、何か小突き回されているように感じた。彼は疲れてしまい、「いいったら!」と思わず、大声を出した。突然の大声に、子供らは一斉に民夫の方に振り向いた。あたりが一瞬、白けた。周囲の生徒らは"嫌だ"という風に遠目に見ていた。民夫はみんなの冷たい視線を感じた。民夫は疲れてしまった。その時、始業のチャイムが鳴った。彼は救われた思いで、教室に入った。
 学校での授業が終わり、帰宅した時、母は「学校、どうだった?」と聞いた。第一印象は芳しくなかったが、民夫はそのことを告げず、「みんな親切だった」と言った。母に心配をかけたくなかった。母はごまかされた訳だが、「今度、学校は近いから、いいわね」と言った。民夫は"よい"とは思わなかった。学校でのわだかまりがまだ、後を引いていたのだ。
「友達、出来そう、つくらなくちゃね」母は心配気に聞いた。民夫はこの時、どうでもよい、と感じていた。『心配性だなぁ』と内心、民夫は母を思った。
 民夫はK町にいた時、学校は歩いて二十分位の所だった。帰宅の途中、寄り道ができ、面白かった。ここでは、帰宅に三分とかからない。忘れ物をした時は(民夫はめったにしないが・・・)都合がよいと思った。他方、学校帰り、寄り道のしようがないので、つまらないと感じた。
 彼は前の学校で忘れ物をした時のことを思い出した。
 文房具を教室に忘れて、わざわざ、学校にもどり、取りに行ったのだ。表門は閉まっていたから、裏門から、宿直の年取ったおじさんのいる部屋の前を通り、人っ子ひとりいない教室にとって返すのだ。教室は昼間と随分違っていた。奇異な感じがした。
 彼一人だけの誰もいない部屋。机と椅子だけが整然と並んでいる。ここにいてはいけないかのように、静まり返った教室。何か怖いような感じた。彼は用事を済ませると一目散に教室を飛び出し、用務員のおじさんに「ありがとうございます」と言って。裏門を出た。

 母が夕食のしたくをしている時、民夫は居間のソフアに座って、予習をしていた。部屋は兄が占領しているから、彼は煩わしいと、居間の椅子を利用して勉強していた。兄は部屋で、勉強するでもなく、漫画本を読んでいたのだが、幾度も民夫に話しかけ、勉強を邪魔していたのだ。
 兄は学校のクラブで野球部に入りたかったのだが、その部はなく、同じ球ならという単純な理由で、バスケット部に入っていた。球の大きさは随分違うなと、民夫は思ったが、兄はそんなことを気にかける様子もなかった。部屋でシュートの真似をし、騒がしくく動き回っていた。民夫は幾度も文句を言ったのだが、兄は聞き入れないかった。民夫が退散したのだ。
 師一郎は弟を馬鹿にしている節があった。『兄貴づらをされるのはたまらない』と、民夫は感じていた。しかし、兄弟は仲悪い訳ではなかった。ともに部屋でふざけて、母に怒られることも何度もあった。

 

 夫の中村憲二と妻と和子は見合い結婚式であった。憲二にガール・フレンドはいたのだが、知り合いの勧めにより、彼女と都内のホテルでお見合いをした。
 森下和子は(後に憲二は知った)二度目の見合いだった。和子が結婚後、大分たってから告白したところでは、憲二の第一印象はよくなかった。しかし、和子の結婚の理想は真面目で、優しく、学歴と収入よりも人柄であったので、その点では不可ではなかつたに過ぎなかった。
 他方、憲二の方は和子は明るく、時に、口を大開に、のどちんこが見えるばかりに、げらげらと笑ったのには驚いたが、本人はそのことに屈託なかったので、それを愛嬌のひとつと見ていた。彼女は丸顔よりは細めで、目鼻立ちはほどよく整っていた。髪はショートカットにまとめ、それがぽっちゃりとした感じを与えていた。腰は太めでしっかりしていた。憲二は和子は安産型だな、と独り合点していた。脚はすらっとしていた。要するに、憲二は彼女を気に入ったのである。
 彼女はテニスをしたのだが、憲二は大学時代、軟式テニスの同好会に入ったが、ほとんど出席しなかった。からっきしなのだ。笑い話として、憲二は彼女に話をしたが、和子は苦笑した。「わたしもうまくはないのです」と、遠慮がちに相槌を打った。
 憲二は和子を何度もデートに誘った。彼女は喜んでという訳ではなかったが、断る理由も見当たらなかった。友達として付き合いだしたのだ。
 憲二は彼女と付き合っているうちに、和子の良さがわかってきた。和子は結構、実際肌で、短大に通っている時、タイプの夜学にも通っていた。この堅実さを憲二は好ましく思った。彼女は単に時間を持て余し、遊びに行っている訳ではなかった。家庭の事情も、彼女を呑気に遊ばせてはおかなかったのだ。
 彼女の方は、憲二の誠実さが伝わっていた。彼は真面目一本ではなく、ミーハー的なところもあった。だが、彼の明るい振る舞いは軽薄とは映らなかった。
和子は卒業して、すぐに勤めた。都心にある中堅の貿易会社であった。三年目に入っていた。会社では、好きになった男性もいたのだが、片思いに終わった。彼は和子を見向きもしなかった。その男は大いに女性にもてていた。誰が彼のハートを射止めるのかと、女子社員は食事時、その話でもちきりであった。当人は何人かの女子社員と遊んだのだが、取引先の女性とさっさとお見合い結婚してしまった。聞くところによると、父親がガンで急逝したので、東海地方にあった実家にもどり、家業をついだと言う。早々の退職なので、女子社員はそれぞれの思いで、落胆した。その一人が和子であったという訳である。彼女は短大のコンパで知り合った男性と付き合っていたのだが、今ひとつ、相手が煮え切らなかったので、見切りをつけて、別れたのだ。
 和子は恋愛映画をみれば憧れはするが、しゃにむに行動するというタイプではなかった。そのような時期、憲一が現れたのだ。
 彼女は社ではベテラン社員の部類に入っていた。同年輩の友人が結婚するのを聞く度に、プレッシャーを感じていたのだ。
 初めての見合いは断り続けていたのだが、上司の紹介で、義理を果たすつもりでしたのだ。何故、上司が和子に白羽の矢を当てたのかは、彼女が適齢期を過ぎようとしていた位しか思い当たらない。そんなであったから、和子はのっけから期待していなかったのだか、思いがけず、美男で、しかも家柄もよかった。一流大学をでており、和子には過ぎたくらいなのだ。ただ、一回合ったきりであった。彼女ハゲラケラ笑いで、断られたと、今では思っていた。彼女の家は平凡な公務員努めで、彼女は次女だ。
 和子は思い出すたびに、ゲラゲラ笑いを直さねばと思うのだが、突発的に、ちょっとしたきっかけで自然と出てしまうので、防ぎようがなかった。今では和子は諦めている。というのは、短大の友人に合う機会があり、見合いのことが話題にのぼった折り、和子は思わず、例の笑いが起こりかけたので、我慢し、こらえた。すると、友人はその表情は"顔が歪んで醜いよ"と忠告したものだから、それ以来、彼は自然のままがいいのだと、決めたのだ。
 今にして思うと、憲二は、まさか、和子の笑いで結婚した訳ではなかろうが、欠点と思っていたものが、かえって"よい"といってくれたのは、ほっとしたと同時に嬉しかったのだ。和子は「蓼食う虫も好き好きだ」と、一人ほくそ笑むのだ。

 憲二は一浪して私立大学に入った。彼が卒業する時期は学園紛争の炎が全国の大学に波及していた。
 憲二の卒論の進み具合もかんばしくはなかっが、このどさくさで、大学当局は、不十分なまま、学生を卒業させていた。
 ところで、彼はノンポリであった。文学部の集会に参加したこともあった。彼は全共闘系のデモに参加したのだが、理論的なアジは理解できなかった。彼のいる文学部はセクトの連中が牛耳っていたから、たまたま、そうなっただけなのだ。セクトの活動は目立ったから、その活動に惹かれたのだ。
 夏休みを経て、紛争が長引いてくると、紛争の主体が見えにくくなっていった。"厭戦気分"も影響していたのだろう。
 結局、大学当局は学生にロックアウトされていた校舎の解除に、機動隊を導入した。そして、表向き正常な学園の秩序を取り戻した。
 憲二はセクトの連中と行動をともにするといった立場ではなく、いつのまにか、学園に戻り、アルバイトにも精を出した。図書館に通い、卒論を仕上げたのだ。
 学校当局は四年生を留年させるのはためらった。就職を控えているし、案の定、粗悪品でも、トコロテンを押し出すように、卒業させていった。

憲二は二十四歳になっていた。広告代理店に就職した。業務部で、媒体ー新聞、雑誌、電波部門のテレビ局とラジオ局との広告の空き確保し、埋める仕事であった。彼は主に新聞を担当した。地味な仕事だ。
 新聞社の広告担当者が広告枠を埋めるよう、社を来訪するのだが、その際、彼は係長と対応した。憲二は一流新聞の広告担当者は見た目よりも、格好悪いと思った。彼らを連れて、夜、高級クラブに招待した。彼らはこんな店にはめったに来ないのであろう、美人ホステスに囲まれて、まんざらでもなく遊んでいた。憲二は楽しく飲める気分ではなかったが、座を白けさせまいと、率先し、"太鼓持ち"をかってでたのだ。しかし、小用で座を外し、豪華な装飾の施した真っ白い陶器の便器に小便をしていると、そこに当たる排出物の心地よい響きを聞きながらも、仕事とはいえ、『俺は何故、こんなところで、愚劣なことをしているのか?』と自問せずにはおれないのだ。そして、自席にもどると、いつも、深酒になるのだった。

 和子は周囲からのブレッシャーを感じていたから、憲二が結婚を申し込んだ際、即答ではなかったが、電話で、承諾した。彼女の上に姉が一人いたが、姉より先に結婚することにらなるのを遠慮したのではなかった。
 彼女は手放しで、決断したのではない。だが、憲二は四人兄弟の三男であったから、その点、気楽ではあったのだ。
 憲二は結婚したら専業主婦になつて欲しいというニュアンスを匂わせたことがあった。和子は仕事を、たとえ、会社をやめることになっても、子育てが終わつて一段落したら、働きたいとの希望を抱いていた。そのことが、頭の済にらひっかかっていた。彼女は深く考えずに、その時になったら考えようと、ある種、安易に考えていた節もあった。後、彼女は経済的な理由から働かざるを得なくなるのだが・・・。



  タチヨミ版はここまでとなります。


少年シーシュポス

2014年11月14日 発行 初版

著  者:八桑 柊二
発  行:大湊出版

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八桑 柊二

1946年、生まれ。明治大学文学部卒、業界紙・誌に勤める。今は無職。

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