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小坊主のちんねんが、お寺の南大門の前を、せっせと竹ぼうきで掃いています。
「あ~あ、いくら和尚さんの言いつけだからって、こんなにたくさんの落ち葉、いくら掃いてもきりがないよ」
じつはこの小坊主、タヌキであります。自称、ポン吉であります。
「そうだ! いい考えがある」
そう叫ぶなり、竹ぼうきを頭上でビュンビュンまわし、
「チチン、プイプイの、プ~イ!」
と呪文を唱えました。
すると、あらふしぎ。落ち葉がキラリンコと、小判に変わりました。
「へっへっへっ! あとはみんなが拾ってくれるのを待つだけ」
門前はあっというまにきれいになりました。
あくる朝、小坊主ちんねんことポン吉が、南門をぞうきんで拭いていると、お仙ちゃんが声を上げて泣きながら通りかかりました。
(あれれ、どうしたのかな)
お仙ちゃんは、ポン吉がひそかに想いをよせている女の子です。去年おっとうが病気で亡くなってから、おっかあとふたりで暮らしています。
ポン吉はあとをつけました。
お仙ちゃんは家に着くと、
「おっかあ、小判が落ち葉に変わっちまって、お薬、買えなかっただよお」
と言って、また泣きだしてしまいました。
戸口からのぞいていたポン吉も悲しくなりました。
お仙ちゃんのおっかあは、うすっぺらな布団のなかで、顔をこちらにむけました。
「いいんだよ、お仙」
ポン吉は逃げ出しました。涙が止まりません。
「ごめんな、お仙ちゃん」
それから数日して、お仙ちゃんのおっかあは亡くなりました。お仙ちゃんはひとりぼっちになりました。
その村はここ数年、長雨つづきで、村ざかいの橋がなんど作っても洪水で流されてしまいます。
そこで、村びとが集まって相談し、人柱を埋めることにしました。生け贄は、生娘で身寄りのないということで、お仙ちゃんに決まりました。
「お仙、わしらのために生け贄になってくれえ」
村おさはそう言うと、連れてきた若い衆に合図しました。屈強な男たちは、あっというまにお仙ちゃんを筵でくるみ、縄で縛りあげました。
お仙ちゃんは村はずれの神社の幣殿に、二日間供物として捧げられたあと、工事中の橋のたもとに埋められることになりました。
うすぐらい弊社で、お仙ちゃんはしくしく泣いていました。すると、カリカリカリ、カリカリカリっと、お腹のあたりで音がします。お仙ちゃんは目を凝らしました。タヌキでした。ポン吉です。
カリカリカリ……。
いましめをかみ切ると、ポン吉は小坊主のすがたになりました。
「まあ、ちんねんさん」
「お仙ちゃん、はやく逃げな。おいらが身代わりになるよ」
そして、チチン、プイプイの、プ~イ! と呪文を唱えました。
すると、あらふしぎ。ポン吉はお仙ちゃんになっていました。
「お仙ちゃん、山の上のほうに逃げな。もうじき洪水になるよ」
「ありがとう、ちんねんさん」
「おいら、ポン吉っていうんだ」
「ポン吉さん、ありがとう」
あくる朝、お仙ちゃんに化けたポン吉は、橋のたもとに埋められました。
ザザー、ザザザー……。
やがて、雨が激しく降り出しました。
逃げ出したお仙ちゃんは、となり村の山の上から橋を見ていました。
ザザー、ザザザー……。
川の流れはいきおいを増し、橋や人家を飲み込んでいきました。
「あっ、橋が流されていく」
ザザー、ザザザー……。
(ポン吉さん)
お仙ちゃんが、流されていく橋のゆくえを目で追っていると、
「あっ!」
むこうのほうで魚が一匹、高く飛び跳ねました。おおきな鯉、いや、茶色いしっぽが見えました。
「ポン吉さ~~ん、ありがとぉ~~!」
お仙ちゃんは叫びました。
ポン吉はもういちどおおきく跳ねると、しっぽをクルクルふって、お別れを告げました。
「しあわせになあ~! お仙ちゃ~~ん!」
「ありえない」
ぼそりとつぶやき、本にしおりを挟む。
机の上の置時計に目をやる。
八時五十三分。
すこし早いが、見回りに出るとするか。
カギ束と懐中電灯を手に持ち、サンダルをつっかけて宿直室を出る。
ペタンペタンとリノリウムの床が響く。
それにしても……。
さきほど読んでいた推理小説のストーリーが、あたまに浮かぶ。
あんなの、ありえないよな。
犯行の動機が単純なのだ。
本格推理小説ファンの私には、最近の若手作家の小説作法が理解できない。トリックは、まあまあ納得できるのだが……。
音楽室に着く。
廊下側の窓から懐中電灯で中を照らし、異常が無いことを確認する。
「ぎゃあっ!」
とつぜん、腰に激痛が走り、あっという間に体が前に五メートルほどふっとび、廊下に叩きつけられた。
「あ痛ぁ~!」
ふり向くまもなく、なにものかが馬乗りになってきた。
「おい、センコー!」
髪の毛をわしづかみにされる。
「てめえ、飯田センコーだよなあ!」
若い男の声。
ガンガンガンとおでこが床に叩きつけられる。
「なあ、飯田だろ? そうだよな?」
そう言うと男は、素早く立ち上がり、脇腹に蹴りを入れてきた。
「うぐっ!」
腹を抱えて体を丸め、どうにか横になって、声のするほうに顔を向ける。裏庭側の窓からもれる外灯のあかりが、男の顔を照らしていた。
あいつは、たしか……。
「お、おまえは……」
「山田だよ。今年、この中学を卒業した山田だよ。おまえのクラスにいた山田だよ。ダァアアー!」
山田が宙に舞った。
「トリャアアアアアー!」
「げぼっ!」
横っ腹にニードロップが落ちてきた。
そして、
「く、くくくくくくくくっ」
うしろから首締めしてきやがった。
なんだ、こいつは? なんでこんなことするんだ? 私になんの恨みがあるっていうんだ?
「センコー! てめええ、よくもよくもおおお!」
「や、や、やめろ……」
「ぶっ殺してやるぅー!」
ぐいぐい締め上げてくる。
「な、なぜだ……わけが、わからん」
なんとか声を絞り出した。
すると、首にからまっていた腕がゆるんだ。
「なにぃー! センコー、てめえ、まさか……」
山田が驚いて立ち上がった。
「て、てめえ、わからねえって言うのか?」
窓を背にした山田の顔は見えなかったが、たぶん目を丸くしているのだろう。
「てめえ、それでもガッコのセンコーかあ? 覚えてねえっていうのかよー!」
「まったく、わからん」
息も絶えだえに答える。
「去年の二学期の、期末試験の最中だあ。てめえ、オレが落とした消しゴムを拾ったよな?」
「…………」
そんなことまで、覚えているわけがない。
「そんときだあ! センコー、てめえ、その消しゴムをオレに返す前に、机の上で二、三回こすって、消しゴムのカスを出したよなあ」
「…………」
「なんで、そんなことしたんだよお! 気に入っていた消しゴムなんだぞお!」
「ぐほっ!」
また一発、腹を蹴ってきた。
「どうして、そのまま返してくれなかったんだあ! このやろう、このやろう、このやろう!」
「ぐほっ ぐほっ! ぐほっ!」
涙をぬぐいながら、狂ったように腹を蹴ってきやがる。いや、実際、狂っている! そうとしか思えない。
「なにをしてるんじゃあ!」
廊下のつきあたりの昇降口のほうから、声がした。
あの声はたしか、用務員の中村さんだ。校庭の離れに住んでいる中村さんだ。
た、助かった。
「きさまあー!」
中村さんは走ってくるなり、
「エイヤアアーー!」
山田を背負い投げして廊下に叩きつけた。
「痛てててててて!」
中村さんは八十歳ちかいが、柔道五段、剣道三段、合気道七段の格闘家なのだ。
「先生、だいじょうぶですか?」
中村さんは私を助けおこしながら、うずくまっている山田をちらっと見た。
「あっ、お、おまえはあ!」
中村さんは叫ぶなり、私をほったらかして山田のほうにすっとんでいった。
「おまえ、山田だなあ? 今年の春卒業した、あの山田だなあ? ダアアア! ここで会ったが百年目ぇええ! ソリャアア! もう逃がさん! トリャアア! ……」
言いながら中村さんは、山田を何度も何度も投げ飛ばした。
背負い投げ、ともえ投げ、こまたすくい、岩石落とし……。
山田はとっくに気絶していた。
中村さんは、柔道の練習用人形を相手にするように、無抵抗の山田をひょいひょい投げ飛ばしている。
「な、中村さん。も、もう、いいじゃないですか」
「いやいや、許せん! こいつは、去年の十一月の体育の時間に、サッカーボールを蹴って、離れのワシの庭に干してあったふんどしにぶち当てたんじゃあ! オリャアアア! 気に入っていたふんどしなんじゃあ! トリャアアア! あのあと、洗濯しなおしたが、なかなか汚れが落ちなかったのじゃあああ。ウリャアアア!」
ともえ投げされた山田の体が、私の足もとに落ちた。
「ゲボッ」
山田が血を吐き、私の靴下にかかった。
「山田ぁあああああああ! てめええええええ!」
私は逆上し、渾身の力で目つぶしを喰らわした。
ずぴょおおおおおーー!
ピクンっと体がはねる。
「この靴下、気に入ってるんだぞー! いなかのおふくろが送ってきてくれたんだあ。汚しやがってえええええ! このやろおおおおおおおおおお!」
目に指を突っ込んだまま、廊下を引きずり回す。
「おりゃおりゃおりゃおりゃ、おりゃああああ!」
指を抜き刺ししながら突き当たりの壁に頭をぶち当てる。
「おんどりゃああああああ!」
壁に穴があき、山田の頭がすっぽり入りこんだ。
「ウオオオオオオオオ……」
負けじと走ってきた中村さんが、山田の股間を蹴り上げた。
私はちょっと、不愉快になった。
彼女の家の前にクルマを停めた。
約束の十時きっかりに彼女が出てきた。白いワンピース姿。すぐにお母さんも出てきた。こちらは落ち着いたうぐいす色の着物。私は急いでクルマから降り、ふたりに会釈した。
お母さんが娘さんの前に出て、
「よろしくおねがいします」
と言いながら深々と頭を下げた。
「あっ、いえ、こ、こちらこそ、よ、よろよろしくおねがいします」
恐縮した私は、しどろもどろになった。
彼女を助手席に乗せ、ゆっくりクルマを走らせた。
バックミラーに目をやると、お母さんが家の前に立っているのが見えた。
「那須のほうに行きましょう」
「はい」
彼女とは一週間前、知り合いの紹介で見合いをした。同席したお互いの家族だけが、ずっとしゃべっていた。箱入り娘だということはわかった。
「いまごろは紅葉がきれいだとおもいますよ」
「そうですか」
会話が途絶えがちになる。お互い無口だ。彼女の足に目が吸い寄せられる。ミニだ。ナマ足を見せたいのかな、なんておもってみる。
「美智子さんって、スタイルいいですねえ」
とりあえず、ほめる。
「ええ~、そんなことないですよぉ。お世辞言ってえ~」
急に明るくなった。
「ほんとほんと。足もきれいだし」
「え~、そっかなあ。でもあたし、かくれデブだし~。二の腕だってほら、ぷるんぷるんって、たるんでるでしょ。それに二段腹だし~」
饒舌にもなった。
「またぁ。謙遜しちゃってぇ」
「ほんとよぉ。体脂肪率だって三十二もあるのよ。あたしっておデブちゃんなの」
「へえ~、そうなんだあ」
あわせておく。
「ちょっとぉ、なによアンタぁ!」
急にきつい口調になった。
「あたしがデブだって言うのぁ! ふざけないでよお!」
背中に冷たいものが走った。おいおい、冗談だろ、その豹変ぶり。
「あたし、サンドイッチつくってきたの」
急に話題が変わった。
「食べますぅ?」
「う、うん。いただこうかな」
彼女は足もとのランチボックスをひざにのせ、ふたをあけた。
「おくちにあうかしら」
サンドイッチを取り出し、私の左ほおのあたりに差し出した。ふわぁ~っと卵のにおいがしてくる。正面を見たまま、左手でサンドイッチを受け取り、くちに運ぶ。マヨネーズがほどよく効いている卵サンドだ。
「おいしい!」
お世辞でなく、言う。
「あら、そう。うれしい。ほかにもいろいろあるのよ。トマトサンドでしょ、ハムサンドでしょ、シーチキンサンドでしょ、えっとえっと、それから……あたし、デブじゃないわ!」
サンドイッチを吐き出してしまった。また背中に冷たいものが走る。
「ほんとはデブだとおもってるんでしょう?」
左ほおに息がかかるくらいの距離に顔を近づけている。
「ハムサンド、食べますぅ?」
猫なで声に変わる。
うす気味わるくなり、引き返すことにして、とりあえず交差点を左折した。
「あら、こっちは那須じゃないわよね」
「行くのやめた」
「ちょっとぉ~、なに言ってんのよぉ!」
ハンドルに右手をかけてゆすってきた。
「や、やめろよ。なにすんだよ」
クルマが蛇行する。
「なにやってんのよ。ほら、まっすぐ走りなさいよお。へたくそねえ。ほらほらほら……」
言いながらさらに激しくゆすり続ける。
「や、やめろお! 危ないだろう!」
どうにかハンドルを左に切ってクルマを路肩に寄せ、ブレーキを踏んだ。
「うわっ。なに止まってんの」
言うなり、白地にイチゴポイントのパンティ丸出しで中央にまたがり、ブレーキを踏んでいる私の右足のすねにかかと落としを喰らわせてきた。
「ぎぃえ~!」
そしてアクセルを踏んだ。
「わっ、わああああ」
クルマが急発進した。左タイヤ側面が縁石をこすってキシキシ鳴っている。
「ば、ばかあああ! なにやってんだよお!」
ブレーキを踏もうとするが、彼女の足ががっちりブロックしていてできない。両手で肩を押しやるがビクともしない。
「このやろうこのやろうこのやろう……」
足を何回殴ろうがツネろうがダメだ。
「うっぷ!」
反撃してきやがった。ひじてつがみぞおちに入った。いっしゅん息がつまる。
「ちょっとぉ~。止まりなさいよお」
言葉とは裏腹にアクセルをおもいっきり踏み続ける彼女。
「止まりなさい止まりなさい止まりなさい……」
な、なんだよ、このおんなあ!
「や、やめてくれえ、やめてくれよおおお」
「……止まりなさい止まりなさい止まりなさい……」
あっ! 交差点! 信号赤ぁ!
「わああああああああぁぁぁぁ……」
右から大型トレーラー!
「……止まりなさい止まりなさい止まりな」
急に黙り、こっちを見た。
目が合う。
──静寂。
「もひとつ卵サンド、いかが?」
いらねえよお~。
「うちに遊びに来い」
社長に言われ、休日の昼間、社長宅におじゃました。
五百坪ほどの広い敷地に建つ、三階建て和洋折衷の豪邸。
お手伝いさんらしき女性に、一階の応接間に案内された。
ソファに腰をおろすと、「しばらくお待ちを」と言われ、ひとりにされた。
なにげなく庭をみると、二十五歳くらいの女性と十歳くらいの女の子が、ジャンケンをしてあそんでいた。
──ジャンケンぽん。パ・イ・ナ・ツ・プ・ル。
──ジャンケンぽん、あいこでしょ。グ・リ・コ。
なつかしいあそびだ。グーで勝てばグリコ、チョキならチヨコレイト、パーならパイナツプル。それぞれの文字数分、歩をすすめる。
ふたりとも活き活きとした笑顔。見ているこちらも楽しくなってくる。
年配の女性はとても美人だ。ここのお嬢さんかな、とおもって見入っていると、ドアが開いた。
社長と奥さんが入ってきた。立ち上がり、あいさつする。
「本日はお招きにあずかり、まことに恐縮至極。わたくし、この──」
「まあまあ、そう固くならずに。リラックスしてすわりたまえ」
「はっ、ではお言葉にあまえまして」
浅く腰をおろし、背筋を伸ばす。両手はこぶしにしてひざの上。
「うちの娘と、小さいほうは近所の女の子じゃ」
窓の外を見ながら、社長は訊いてもいないのに説明した。
「どうじゃ、うちの娘、気に入ったか?」
「はっ?」
ドキッとして社長と奥さんを交互に見る。
ふたりともニコニコしている。
「いや、それは、その、あの、わ、わたくしは、そのあの……」
「ははは、まんざらでもないようじゃな」
「ほほほほほ」
奥さんが口に手を添え、上品に笑う。
「美穂子っていうんじゃ。『美しい』に稲穂の『穂』じゃ。いい名じゃろ。二十七じゃ。きみと同い歳じゃ。付き合ってみんか?」
「は! わ、わ、わ、わたくしでいいんですか?」
「なにを言っとるんじゃ。わしはきみを買っとるんじゃ」
社長が言い終わらないうちに、奥さんが部屋を出た。
二分ほどしてドアが開き、奥さんと娘の美穂子さんが入ってきた。
あれ?
美穂子さんは車椅子にすわっていた。たしか、さっきは……。
と、いきなり、
『ジャンケンぽん!』
社長と美穂子さんがジャンケンをした。
美穂子さんがチョキで勝ったが、ちょっとあと出しくさかった。
美穂子さんはチョキの手を見てニンマリ笑うと、すっくと立ち上がった。
え?
そして「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」と言いながら歩をすすめ、わたしの正面のソファに腰をおろした。
?!
「娘はな、重度のグリコチヨコレイトパイナツプル症候群なんじゃあ!」
「え、え、えええええ?」
「幼少時にこうして仲良くあそんでいた姉が亡くなってな、それ以来、トラウマになって、この方法でしか歩行ができなくなったんじゃあ」
「な、な、なんですってえ──!」
「さあ、きみはもう娘の秘密、いや、わが家の秘密を知ってしまった。おい! 娘と付き合うんじゃろ! 娘もきみが気に入ったと言っておる」
部屋のシャッターが下りていった。
社長の手にはリモコンらしきものが握られている。
室内が暗くなっていくと、奥さんが壁際に移動してスイッチを押し、部屋の明りをつけた。
そっと上目遣いで見やると、美穂子さんははずかしそうにうつむいている。ひょっとしたら泣いているのかもしれない。
◇
『ジャンケンぽん!』
「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」
近所の大型スーパー内。
ぼくと美穂子は、ジャンケンをしながら買い物をしている。
「美穂子ぉーー、あんまり大股で進むなよーー。お腹の子がおどろくからさーー」
小学五年生まで、父が勤める会社の社宅に住んでいました。
そこの住人たちは、社員旅行とは別に、毎年夏になると、バス三、四台を借りきり、海水浴にでかけました。
場所はよく覚えていませんが、たぶん茨城の阿字ヶ浦だったとおもいます。まいご防止用に首に赤いスカーフみたいなものを巻いて、浅瀬で泳いだり、砂浜でスイカ割りや貝の埋めっこをしてあそびました。
小学二年生の夏、なぜかその砂浜の岩場に、ヤドカリが大量発生しました。わたしはかぶっていた水泳用の帽子を脱ぎ、そこにつかまえたヤドカリをたくさん入れました。二十匹以上いたでしょう。そしてバスにあったバス酔い嘔吐用のビニール袋に移して、持ち帰ることにしました。
うちについて袋をあけてみると、大量に死んでいて、生きていたのは八匹でした。それらをプラスチック製の水槽に入れ、飼いはじめました。
二センチくらい水道水を入れ、塩を加えました。えさはごはん粒とシラスだったとおもいます。
一カ月もすると飼うのに飽き、四、五日えさをやらないで、ある日おもいだしてのぞくと、五匹死んでいました。残りは三匹。しかもその三匹、おどろいたことに貝を背負っていませんでした。宿を捨てたヤドカリ。なんだかみすぼらしいかっこうです。まるでちいさなエビが尾っぽの外皮をはいだように、つるんとしていてみっともない姿です。うちにあった原色百科事典でしらべると、ヤドカリは体の成長にあわせて貝を引っ越していく、ということが分かりました。わたしはそれまで、背負っている貝もヤドカリとともに成長して大きくなっていくものとおもっていました。
さて、これでは飼えないぞ、とおもったわたしは、その生き残った三匹を近くの小川に放すことにしました。捨てるといったほうが正しいかもしれません。
そこは社宅の西側で、工場と引込み線にはさまれた田んぼのなかを流れる小川です。
「元気でなあ」といってわたしは、三匹をそっと放ちました。
幼いわたしにも、こんなところでは生きられない、ということは分かっていましたが、むりやりそうおもわないことにしました。
小学六年生になるちょっとまえ、わたしは引っ越しました。同じ市内の南の端です。社宅は北の端にありました。
それからさらに六年ほど経ち、原付バイクの免許を取ったわたしは、休日になると、それで市内をぶらぶらと走りまわりました。
ポカポカ陽気のなかを走っていると、そうだ、そういえばむかし暮していた社宅が、区画整理のために解体されるんだっけ、と市の回覧で読んだのをおもいだしました。
それで、そちらに足をむけました。
住んでいたボロい木造建物(まるで掘っ立て小屋)、そこの荒れ果てた庭(まるでジャングル)、よくあそんだ裏山、共同浴場などを見てまわりました。
住人はみんな引っ越したために無人で、ひっそりとしていて、時間が止まったようでした。まるで廃墟です。
ああ、ここらへん、みんな壊されて更地になっちゃうのかあ、と沈んだ気持ちになりました。
帰りに、社宅の西側の、田んぼのなかの道を走りました。
小川の近くに原付バイクを停め、立小便をしました。
ガサガサガサ……。
背中のほうでなにかうごめく音がし、うっとおどろき、おしっこが止まりかけました。出し切って、しまいながら、おそるおそるふりむきました。
ねずみの大量移動! いっしゅんそうおもいました。川辺が一面灰色で、小波のように動いているのです。
よく見るとそれらは、大量の塩ビ管の切れっ端でした。むこう側の工場の、フェンスの破れ目から漏れでた、廃材の塩化ビニールの管です。もしかしたらわざと不法投棄しているのかもしれません。それらの様々な径の、長さ二~五センチほどの塩ビ管の切れっ端が、まるで生きているかのように、ごちょごちょと動いているのです。しゃがんで、手にとって見入りました。
なかに生き物らしきものがいました。大小二本のハサミ、そして口からぶくぶくの泡。なんとそれは、ヤドカリだったのです!
工場から小川に不法廃棄される塩素系の廃液と、いろいろなサイズの塩ビ管、そして田んぼや小川に生息する無数の昆虫や稚魚。その海辺さながら(?)の環境に適応し、ヤドカリが繁殖したようです。かるく一万匹、いや、ひょっとすると十万匹を越えているかもしれません。
まさか、むかしわたしが捨てたヤドカリが……。しばらくたたずんで見ていると、よこで水音とともに水しぶきがあがりました。見ると、原付バイクが小川のふちに倒れ込んでいて、塩ビのヤドカリがたかりはじめています。そして、あれよあれよというまに灰色の山になりました。
ああ、原チャリが食われる! 駆け寄ろうとしましたが動けません。いつのまにか腰の辺りまで塩ビのヤドカリが這い登ってきています。いや、そんな生やさしい状態ではありません。まるで塩ビ管の海におぼれているかのようです。あたり一面ねずみ色の塩ビ管だらけ。
からだがどんどん沈んで……。あ……ああ、ぬけだせない、たすけてくれええ……。
パート勤めの美弥子は、定期健診のため、近所の病院へ行った。
窓口で、「では、最初に尿をとってきてください」と言われ、検尿用の紙コップを渡された。
トイレでがんばったが、尿は一滴も出なかった。家を出てくる前に排尿してしまったのだ。
しかたなく、「すみません。出ないんですけど」と窓口で告げると、となりの診察室のドアが乱暴に開いた。
「なんじゃとおお、けしからーん」
一九〇センチ強の白衣の老人が、足音を響かせて近づいてきた。
「貴様ぁ、それでも大和撫子かあ」
老人はごっつい手で美弥子の手首をつかむと、引きずるようにして診察室にひっぱっていった。
窓口のおばちゃんがあわてて小窓から顔を出し、美弥子の背中に叫んだ。
「ああ、今日は若先生、小学校の予防注射に行ってまーすのよおー。そのかたは、お祖父様の剛蔵様でーすのよおー」
診察室の奥につれていかれた美弥子は、そこにいた二人の看護婦によって、たちまち素っ裸にひんむかれた。
「ひさしぶりじゃのう、うっひょっひょっ」
剛蔵はにやりと笑い、壁を覆っている赤いカーテンを勢いよく引いた。
そこには、X型の十字架があった。鉄製で黒光りしている。
美弥子は抵抗むなしく、十字架に押し付けられると、手首と足首を革バンドで拘束された。
剛蔵は壁にたてかけてある槍を手にした。三メートルほどある。
美弥子のすぐ前でよこをむき、槍を水平にかまえ、きゅっきゅっとしごいたあと、
「エイッ! ソレッ! ダアアーー!」
と三度、前後させた。
剛蔵は槍を垂直に持ち、美弥子を真正面にみた。
五歩さがり、槍を水平にかまえた。
美弥子はふるえていて、声も出せない。
「覚悟はいいな。いくぞお」
からだを沈め、槍をちょっと引いた。
「エイヤアアーー!」
槍の穂先は、美弥子の、みぎ脇腹よこ三センチの壁に突き刺さった。
美弥子の内腿を、黄色い液体がつたっていった。
そばにいた看護婦がすばやく、美弥子の股間に紙コップをあてがった。
「アッハッハ。出た出た」
「さとるー、おばあちゃんのこと、さがしてきてくれない?」
「またかよぉ」
ランドセルを机に置いて、さあこれから友だちと外であそぶぞぉってときなのに。ママはいっつもぼくに、用事をいいつけるんだ。それも、きょうはよりによって、ばあちゃんさがしかよ。かんべんしてくれよ。
「おねえちゃんにたのんでよ。ぼく、いそがしいんだ」
「おねえちゃん、きょうは塾なのよ」
へへ~んってんだ。おねえちゃんは、ぜ~んぜん上達しない、ピアノのおけいこですかあ~。それじゃあ、しょうがないですねえ~~だ。
ばあちゃん、どこにいっちゃったのかなあ。こまっちゃうなあ。
きのうは、大雨のなか、ハスの葉を傘代わりにして帰ってきたよな。そのまえは、工場の中をてくてくあるいているところを、守衛さんにみつけられて、知り合いの工場長さんの自動車に乗っけられて帰ってきたよな。そのまえは、お墓のおまんじゅうをたべているところを、おしょうさんにみつけられて、電話されて、パパがむかえにいったよな。それから、吉岡商店でおかねを払わずに酢イカをたべちゃったり、線路ぞいの枯れ草でたき火をして電車を止めちゃったり、ぜんぜん関係ない小学校の母親参観に出席したり……。まいるよなあ。
パパにいわせれば、「ほーんと、せわがやける」ばあちゃんだよ。
でも、ばあちゃんは、ボケるまえ、ぼくにいろいろなことをおしえてくれた。戦争中に防空壕に入ってお手玉したこと。うちのまえの道を、りくぐんしょうこうさんが馬に乗って行進したこと。たけやりで、B29をつっつこうとしたこと。パパを背負って、戦火のまちを逃げまわったこと。ほかにも、笑っちゃうこと、泣けちゃうこと、くびをかしげること……、いっぱい、いーっぱい。
でも、ぼくがいちばん知りたかったことは、じいちゃんとの出会い──なれそめっていうのかな──だったんだけど、おしえてくれるまえに、ボケちゃったんだよな。
「ばあちゃ~ん、ばあちゃ~ん」
このあき地かな。
「ばあちゃ~ん、ばあちゃ~ん」
あっ、いた! あんなところに、しゃがんじゃって、なにやってんのかな。
「ばあちゃん、ばあちゃん」
「ああ、ゲンちゃん、みつかっちゃったね」
「ぼくだよ、さとるだよ」
「こんどは、わたしがオニだよ」
「ばあちゃん、ぼくだよ、ぼく。さーとーる。だれだい、ゲンちゃんって?」
「ゲンちゃん、かくれないのかい?」
「ほら、かえるよ」
「かえるのかい? じゃあ、おんぶしておくれよ」
「いいよ。ほら。よいっしょっと」
あ、けっこう重いんだな、ばあちゃんって。
「ゲンちゃん」
だーかーらー。だれだよ、ゲンちゃんって?
あっ、ゲンちゃんって、去年死んだゲンゾウじいちゃんのことだね。
「ゲンちゃん、あしたもあそびましょ」
「うん、そうしよう」
ばあちゃん。
幼なじみのじいちゃんと、いっしょになれたんだね。
よかったね、ばあちゃん。
「ああ、ゲンちゃんの背中、あったかいよ」
わたしは二十代半ばに転職した。そこで社内イジメにあって悩んでいたときに、二歳上の先輩に薦められて読んだのがこれ。
読後、先輩に感謝した。ああ、こんな腐った社会にも人間がいるのだなあ、とおもった。
あらすじはこんな感じだ。
第二次世界大戦下に鉱山技師として満州に派遣された主人公の梶が、人間の尊厳について悩み、最後はおのれの信念を貫いて野垂れ死にする。
特に印象に残ったのは、こんな場面だ。
梶の勤める鉱山で、七人の反抗的な中国人労働者が刑場に引き出され、次々と首をはねられていく。梶はその蛮行を阻止したいのだが、なかなか勇気が湧いてこない。さあ行け! 動け! 何も考えるな! 動くだけだ! 踏み出すだけだ! 恐れるな! お前はこの山に何しに来た!
三人目の中国人の首が地上にころがったとき、梶は遂に一歩を踏み出した。
「待て!」
叫んで、飛び出すように進み出た。
「やめて頂く」
はっきり云ったつもりだが、自分の声がまるで借りものとしか聞こえなかった。
「どけ! 出しゃばると貴様も叩っ斬るぞ」
首切り役の憲兵が怒鳴りつける。
「それが恐くていままで動けなかった」
その後騒ぎが大きくなることを恐れた現場責任者のひとことで、どうにか処刑は中止される。
梶はこの騒動の責任を取らされて日本帝国軍に編入され、軍人として数々の理不尽を経験していく。
話は前後するが、この処刑に先立ち、中国特殊工人(ほぼ捕虜)のインテリ(知識人)の王享立が梶に長い手記を渡す。
そこには、中国人の現状や人間の尊厳などについて書かれてあった。十二ページほど。たいへん興味深い内容だがここでは割愛する。
その手記を梶が読み終えた頃、王が梶に云う。
「日本の憲兵と梶さんの違いを、梶さん自身が意識しているなら、その違いを発展させるか、消滅させるかで、あんたの人間が決まるのではないだろうか? どちらを選ぶかは、あんたの随意だが。…………。人間のこういう種類の精神機能は、発展させることを怠ると、無駄に消滅してしまう。人間は誰でも二十歳前後には多少ともヒューマニストで、真理を愛するが、三十を越すと、たいてい実利を取るようになるし、四十を過ぎると、私利私欲だけに走るようになる。つまり、発展させることを怠るからだ」
王はその後逃亡する。
この本はわたしの原点だ。
毎春一度だけふしぎな夢を見ます。登場人物が同じなのです。みんないい人です。ま、ちょっといじわるなやつもいますが。
一年ぶりに見る彼らは、一年分歳をとっています。花屋の香奈枝さんは、酒屋の陽太さんと同棲をはじめていました。結婚はまだのようです。小学六年生だったツトムくんは、中学一年生になっていました。制服がぶかぶかです。酔っ払って傷害事件を起こした政夫さんは、出所して町工場でまじめに働いていました。いまのところ禁酒しているようです。医師の国家試験に挑戦していた信太郎さんは……、あ、もうやめておきます。夢の住人たちにもプライバシーはありますからね。
彼らは僕が目覚める寸前に(というか目覚める前兆として)、舞台の幕前のような所に整列します。そしてあいさつするのです。
「今年もわたしたちの夢を見てくれてありがとうございます。今回はこの辺で失礼します。次回もまたよろしくお願いします」
それから深く腰を折っておじぎをし、顔を上げてから決まっていっせいに叫ぶのです。
「わあっ!」
その声におどろいて、僕は目を覚ますのです。
ああ、来春が待ち遠しいなあ。
会社を長期欠勤している弟の様子をみに、彼のアパートに行った。弟はむかしと変わらぬ笑顔で私を迎え入れると、急いで机にむかった。説教してやろうと口をひらきかけると、こちらをむき、もうすぐ完成なんだ、と言って足もとの座卓を指さした。卓上には三十冊ほどの文庫本があった。
「こっちのやつから下の角めくってみて」
腰を下ろし、言われたとおりにしてみる。
連続した絵、パラパラ漫画だ。2Bぐらいの濃いえんぴつで描かれている。眠っている赤ちゃん、両親に囲まれ……、小犬とたわむれ……。
決してうまい絵ではないが、なぜかひきつけられる。次から次へとめくっていく。えんぴつ画の少女はさまざまな困難を乗りこえ、やがて成人する。
すべての文庫本をパラパラやった私は、不覚にも泣いていた。
「なあ、このあとどうなんだよ」
顔を上げると、弟の姿はなかった。
机の上にはえんぴつと一冊の文庫本。角をパラパラとやってみる。
なんの前ぶれもなく、成人した少女のよこに弟が立っている。ふたりは見つめあい、手を取りあい、こちらに背をむけ、丘に続く一本道をどこまでも歩いていって、点になり、消えた。
震災後、一時帰宅が許され、群馬の避難所から東北の自宅へ、パパの車で向かった。
「パパ、あれなに?」もうすぐ到着って時、ずっと前方の上空に、蛇のようなものがうねってた。「連凧だろ」すると横で眠ってたじいちゃんが、とつぜん起きて話し出した。
「馬乗りって遊び、知っとるか? 二組に分かれ、一方は一列に並んで前の人の足の間に頭を入れてつながる。もう一方の組は一人ずつその背にとび乗る。全員乗ったら前の人同士がジャンケンする。え、知っとるか。
あれはわしが小学三年の冬じゃった。昼休みに校庭で馬乗りをやっとった。気づくとわしら、何かに憑かれたようにそこいらの馬の尻に頭つっこんどった。どんどん合体して長くなっていった。驚いて出てきた先生たちも吸い込まれるように馬の尻に頭つっこんだ。校門を出ると前の方が宙に浮いた。先頭はわしじゃった。あわてたのなんの。
村中をねり歩いた。村人みんな出てきて尻にひっついた。さいごに最長老の万屋の爺様がひっつくと、全体が浮き上がった。晴れ渡った冬の大空をくねくねと気持ちよく飛び回った。眼下に村が見えた。田畑は荒れていた。その年は台風を三度も喰らって、収穫はさんざんじゃった。みんな落ち込んどった。
ふと前を見ると、万屋の爺様が誘うように自分の尻を両手で叩いとった。それ見るなりわし、爺様の尻めがけて突進していった。わしの頭が爺様の尻の下に入った。するとどうじゃ、ビビビっと体じゅうに電流が走り、力がみなぎった。そしてわしらに連帯感が生まれた。わしら輪っかは回り続け、翌朝自宅の寝床で目覚めた。
その日からみんなで力を合わせ、復興に汗を流した。翌年は豊作じゃった。
あとでお年寄りたちが言っとった。あん時わしら、輪っ竜人になったんじゃ、と」
車が停まり、じいちゃんがドアを開けた。
「さあ急ぐんだ。みんな待っとる」
僕らは竜人のしっぽめざして走り出した。
母が末期癌で入院していたときのこと。
床ずれがひどかったので、ぼくは母をよこにして背中をさすっていました。
すると、
「あ、じいちゃんがむかえにきた」
母が言ったのです。
じいちゃんというのは、前年に亡くなった母の父のことです。
「なに言ってんだよ母ちゃん、そんなことないよ」
ぼくは言い返しました。直後バタンッと音がしました。ぼくは反射的にドアのほうをみました。だれもいませんでした。
すこしして、ドアがゆっくり開きました。
「なんだ姉ちゃんかよ」
入ってきた姉は、真っ青な顔をしていました。
葬式が終わって、数日経って、姉が教えてくれたのです。
「あのとき、じいちゃんが母ちゃんの背中さすってた」
近所の公園でよく遊びます。
てつぼう、ジャングルジム、すべり台など、ひととおりそろっています。とくに砂場がお気に入りです。入ってすぐ左にあります。
夏はともだち三、四人と、大の字にねて雲をながめたり、水泳のまねごとをしたりして遊びます。ふしぎに砂はいつも冷たくて気持ちがいいです。
いま、ひこうき雲をみています。ぼくの肩に小石が当たりました。こんぺいとうくらいの大きさです。小石おばばのしわざです。
公園は子供の胸くらいの高さの低い木で囲まれています。そのむこうは砂利道です。
小石おばばは、散歩の途中、いつも小石を拾って投げます。だから小石おばばというのです。
腰の曲がった、ちっちゃいお婆さんです。ぼくよりちっちゃいです。腰を伸ばせば、ぼくより大きいかもしれません。うす茶の地味な和服を着ています。つえをついています。巾着袋をぶらさげています。ぞうりをはいています。五センチくらいの歩幅でちょこちょこ歩きます。
上級生のおにいさんたちが言うには、もう何十年も前からそのかっこうで、一日一個小石を投げ入れるのだそうです。ぼくのお母さんは、身寄りのないかわいそうなお婆さんなのよ、と言いました。
ぼくは小石おばばにちょくせつ聞きました。
「なんで砂場に小石投げんの」
すると小石おばばは、くしゃくしゃな顔をもっとくしゃくしゃにして、首をかしげました。しばらく考えてから、「はあ、わすれちまったあ」と言いました。
二十年ほど経ちました。
区画整理の土木工事で、砂場の下のほうから白骨が出てきました。
二体、成人男性と幼児のです。
「子供の頃、社宅に住んでたんだ。両親と姉と僕との四人で、六畳の部屋に、川の字になって寝た。足元の壁際には、箪笥と机があったから、だいぶ狭かったよ。南側いっぱいに硝子戸四枚、外に縁側、あいだに雨戸があった。南から父、姉、僕、母の並びで寝た。西枕だね。実を言うと僕は、小学五年まで、母と同じ蒲団で寝た。ま、それはどうでもいいんだけど。
お盆中はね、一日中雨戸を閉めて過ごしたよ。御先祖様の霊が居心地のいいようにね。雨戸の隙間や節穴から陽が漏れて、うっすらと明るかったなあ。
でね、立っちゃいけないんだ。寝てるか、座ってるか、どちらかなんだ。移動するときはね、でんぐり返るんだよ、ごろりんって。御先祖様への御辞儀を兼ねてるんだ。
僕は新聞を取りにいく係でね。早朝、バイクの音がすると、起きだす。母のお腹をごろりんと乗り越え、四畳半の茶の間や廊下をごろりんと通って、玄関におりる。ドアを開けてごろりんと外に出、すばやく蛙跳びをして、新聞受けから新聞を取る。それを口に咥え、でんぐり返りながら寝床にもどったよ。姉は牛乳係だった。
トイレや台所にいくときも、家族みんな、でんぐり返ってたよ。なつかしいなあ」
妻の実家に初めて泊まった、お盆休みの朝、僕は横で寝ている妻に、以上のように語った。
すると妻は、「あら、うちは今でもやってるわ。ちょっとスタイルが違うけど」と言って、寝床を出ると、猛烈な勢いで寝室をいったりきたりしはじめた。レスリングの、ブリッジの格好で。
空から綱が無数に垂れている。唯一の移動具だ。等間隔に滑り防止の結びこぶがある。横はぶうらん移動、縦はするりん移動。
遥か下は海だ。穏やかだが稀に荒れ狂う。
家屋は複数の綱で吊られている。
主食は魚介類だ。老人と幼児は日中、縁側に座って釣り糸を垂れている。冷凍保存はせず、その日食べる分だけ釣る。
ぼくは来年小学生。天井から下がっている紐で毎日、ぶうらん移動の練習にあけくれる。
じいじとばあばと縁側でお昼を食べていると、ただいまあ、にいにが庭をぶうらんしていった。玄関の戸が開く音がして居間にやってくる。はやいね、にいに。期末試験で半ドンだ。ぼくの皿からおにぎりをつかみとり、かぶりついた。
夕方、病院勤めのかあかが帰ってきて夕飯の仕度にかかる。わあい野菜サラダだ。五人で卓袱台を囲む。とうとは上の世界にいる。奇数月が労働期間だ。あさって帰ってくる。
積み木遊びをしながら、勉強中のにいにに聞く。とうとのお仕事ってなに。そんなこと知らなくていい。なんで。いいからいいんだ。にいにににらまれ、ぼくは黙る。
夜中、トイレにおきると、にいにが玄関にいた。どっかいくの。静かに。上だよ。え。探検だ。内緒だぞ。そっと戸を開け、お腹の安全フックを綱にかけてするりんしていく。
轟音がして部屋が揺れ、傾いた。みんな茶の間の隅まで転がった。海が吠えとるとじいじ。にいにがいないとかあかがさわぐ。その頃にいには、暴れ綱から振り落とされ、銭湯のトタン屋根を突き破って湯船に落ちた。
明け方に嵐はおさまり、昼前ににいにがぶうらんしてこっそり戻ってきた。
お昼のサイレンが鳴り止むと、修復隊とともにとうとが一日はやく帰ってきた。とうと! 抱きつくと頭をなでてくれた。いい子にしてたか。うん。にいにがねえ──。わああ。にいにもとうとに抱きついた。
<了>
2014年6月30日/2015年10月9日 発行 初版/第二版
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