この小説のタイトル『影と光の中に』はロマン・ロランの長編小説『魅せられたる魂』の中の、
『……彼の部屋の明暗の中に、一々の動作をつつむ影と光の中にいる。
人はもはや彼の顔や、彼の言葉を描く必要はない。
彼はわたしたちの呼吸に混じっている……』
という言葉からからとりました。
彼とは、主人公アンネットが後半生で出会った盟友、ブルノー伯爵のことですが、社会主義運動に身を投じ、消息の絶えたブルノーの死を、彼女はこのように予感します。
そして(その死によって)
『疲れを忍ぶ彼の姿を想像し、心配する必要がなくなった』、ことを理解します。
私が書きたかったこともそこにありました。
───────────────────────
───────────────────────
この本はタチヨミ版です。
『レクイエム・影と光の中に』は次のような小説です。
一章、(母と暮らした日)は、主人公(伴子)の子ども時代の追憶です。
二、三章、(ある旅立ちⅠ、Ⅱ)では余命を宣告された一人の人が、死を前にして変えられて行く姿を書きました。
この二、三章と、七章(この坂をのぼれば)を通して、子育てを終え、壮年に差しかかった主人公が、夫婦、親子の問題につまずきながら、立ち直っていく姿を書きました。
四章(木戸という人)では『自分の人生にどんな幕引きをするのか、恐れつつもまた一つの期待でもあるのです』という人の生き方を。
五、六章は幼い少女の死と青年医師の物語です。
不幸にして死というものが避けられなくなったときでも、輝いた生を全うすることができるということに、願いと祈りを込めて書きました。
一~八章で一つの物語です。
平凡な人の一生にもさまざまなことがあり、最後には自らの生き方を振り返ることになります。家族をはじめとした人との絆、かかわりも考えてみたかったことの一つです。
死の問題とともに、生きるということを見つめたいと思い、この小説を書きました。
その脇に萩のひとむらが風に揺れているのが見えた。 濃い緑の葉が白い葉裏を返して揺れるその茂みには見え隠れするように萩の花が咲いていた。
……人里を遠く離れたこんな場所で、いつ誰の目に止まるとも知らないで咲いている。そこに初秋の陽が降り注いでいた。そして小さな葉が風に揺れるたび、陽射しはちらちらと絶え間なく揺れて、地面にこぼれ落ちていた。(八章)
田代伴子はある冬の夜、両手にしびれるような硬直感を覚えて目を覚ました。
寒い夜で暖房の消えた室内は冷え、布団から外に出ていた手はこごえるほどだった。なにか夢を見ていたらしいとぼんやり思った。
このところうずくような胃の痛みと強い吐き気に襲われていた。仕事を持っていてその方は何とか続けていたが、病院に行くのは一日延ばしにしていた。そんなある日、大量に吐血をしてしまった。
驚いて病院に駆け込むと、医師は胃潰瘍だと診断した。
その夜、処方された薬を飲み自宅の部屋で眠っていた時、子どものころと同じ夢を見たように思った。あるいは夢ではなく、現実の中で不意にその記憶がよみがえったとでもいうべきなのかもしれない。
子どものころ風邪をひいて寝ていた時、以前飼っていた犬の後を追っている夢を見たことがある。
飼い犬だったホーリーが、伴子の呼ぶ声も聞かず遠くへ走ってゆく夢だった。
それはいつも散歩していた川沿いの道だった(土手が川と道とを隔てている……緩やかな細い坂道を駆け上がれば、土手の上に立つこともできた走りなれた道)。
――かすかに明かりが見え、その明かりが近づいてくる。飼い犬を追いかけながらいつの間にか町の中にいた。近づいてくるのはバスだ。いっぱいに光を乗せて走ってくる。
あの時、冷え切った自分の手を握る母の手のぬくもりを感じて、伴子は目を覚ましたのだった。続いて胸の方まではだけていた布団がえりもとまで引き上げられる気配がした。
薄目を明けるとすぐそばに母がいた。かすかな消毒の匂い。私、夢を見ていたんだ、と子どもだった伴子は思った。
「起こしちゃったね。ごめんね」と母は声をひそめて言った。
「どう、具合は」
母は額に手を当てながら聞いた。
「熱、下がったみたいね」
母の手の柔らかさを感じながら目を上げ、明かりを落とした電球の光をその肩越しに見ていた。母の表情は分からなかったが、母の指先からただよう消毒の匂い。
「お母さん、帰ってきたの?」
「そう、でもまた戻らなくちゃならない、仕事中だから」
まだ夜なのか、と思った。外では風の音がしていたっけ。
その日の朝から風は吹いていて、古いアパートの窓をがたがたとゆらしていた。熱を出していた伴子は風の音を聞きながらいつしか眠っていたのだ。
「風、まだ吹いているね」
「怖かった?」と母は風の音を伺った。
「ううん、平気」
風、好きだもの、それほど強い風でなければかえってがんばれって、勇気付けられる気がする。夢の中でもずっと風の音を聞いていたような気がした。
風の音を聞くと、小さいころ雑誌で読んだピノキオの挿絵のことを思い出す。
ピノキオが嵐の山の中で木にしばられている絵だ。そこに白いドレスを着た女神さまが現れ、ピノキオを助けてくれるのだ。
それはページの片隅に描かれた小さな挿絵だったが、森の木の緑と、女神の白い衣装とが鮮やかなコントラストになって瞼に残っている。
風が吹くと伴子はいつもその絵のことを思い出す。女神さまが助けに来てくれて本当によかったと、胸をなでおろした幼い日の自分を思い出す。
「お母さん、赤ちゃん、生まれた?」と伴子は聞いた。
「うん、生まれたよ、男の赤ちゃん、とっても元気だった。お風呂に入れてあげてね、 落ち着いたので伴子の様子見にきたのよ」
母は父と別れた一年後から準看の学校に通っていたが、その日は学校が休みで、近くの産院の手伝いに行っていたのだ。
お産があったらしかった。それで熱を出して寝ていた伴 子を気遣いながら、母は出かけて行ったのだ。
「熱、大分下がったみたいだけど何か食べられる?」と母は聞いた。
「ううん、いい。でも明日になったらみかんの缶詰が食べたい。お母さん、赤ちゃんかわいかった?」
「うん、かわいいよ、でもまだお猿さんみたい」
「お父さんは? 赤ちゃんの、来ていた?」
「ええ、来ていたわ」と母は答えた。
伴子はこの時の母との会話を思うと母にすまない気持になる。
母は父と別れる前に伴子の弟か妹かを流産していたのだ。それを知らなかった伴子は、母が産湯をつかわせた赤ん坊が、父親に愛されているのかということが気になったのだ。
だがそれはあまり意味のないことだとすぐに気が付いた。自分が生まれた時にも父は会いに来てくれたはずだから、赤ん坊の父親が来ても安心かどうかは分からないと醒めた思いで考えていたのだ。
「お母さん、私ね、今さっきホーリーの夢、見ていたんだよ。ホーリーと走っている夢」
一向にやまない風の音を聞きながら伴子は夢の話をした。
「ホーリーがね、どんどん走って行っちゃうの。私のこと忘れちゃったみたいに。すごく早く走るの。それ追いかけて行ったの、ずうっと遠くのほうまで」
そういうと伴子の目は涙でいっぱいになった。
ホーリーは父の家で飼っていた犬だった。母とともに父の家を出る時、別れてきた犬だった。
その夢の中で、自分の呼ぶ声も聞かずに走って行くホーリーを、伴子は必死で追いかけていたのだ。
「お母さん、ホーリー、どうしているだろう、私のこと忘れてないよね」
「大丈夫よ。ホーリーは今でも伴子のこと大好きでいるわよ。ホーリーは若いころはとても足が早かったのよ。元気だったんだもの」
「そうか、夢の中のホーリーは若かったんだね。お母さん、私ホーリーに会いたい、いつかまたホーリーに会える?」
「そうねえ、いつか、きっとね」と母は言った。
「ホーリー、おじいさんだけど死なないよね」
「大丈夫よ、ホーリーは丈夫な犬だから。きっと元気にしているよ」
そう言いながら母は伴子の枕もとの肌着とパジャマを重ね合わせて、
「それじゃ着替えしようか、汗かいちゃったみたいだから。お手洗いは?」
「行きたい。でものどかわいた」
伴子は起き上がって蓋つきの湯飲みに入った湯冷ましを飲んだ。
「そう、でもお手洗いがまんできれば、先に着替えようね、パジャマぬれちゃったみたいだから」
母の言う通り衣類はぐっしょりと汗でぬれていた。だが体は火照っていて冷たい空気が心地よいほどだった。夕方母が出かける時は体の節々が痛かったが、それがなくなって爽やかな感じさえする。
母は手早くさっき重ねていた肌着とパジャマを着せてくれた。そしてトイレから戻った伴子の胸と背中に、熱が出た時いつもそうするように二枚のタオルを挟み込み「汗をかいたら外すのよ」と言いながら、伴子を寝かせた。
それから枕もとに置いてある白い紙袋に入った菓子パンを見ながら「もし食べられるようだったら食べなさい。缶詰は帰ってきてからね」と言い部屋を出て行った。
あの時から四十年近くが経っている。伴子はしばらくの間、夢うつつのぼんやりした感覚の中にいた。
母は三年前に亡くなり、母の身体は遺言によって献体されていた。
遺骨は二年ほどして戻ってきたが、昨年のクリスマスに教会の共同墓地に埋葬したのだった。そのためだろうか、ことさらに母の存在を身近に感じる。
しかしあれは本当に母と自分とのことだったのかとも思う。そうでなく、母親になった自分が、十五歳で亡くなった娘のいずみと交わした会話のような気もしたのだ。
子どもだった自分と娘のいずみ、若かった母と信行やいずみの母親になったころの自分を混同するような時がある。そのことをいつか母に言ったら母は「でも、いずみは明るかったもの」と同意しなかった。
「子どもの時、伴子にはそれだけ寂しい思いをさせてしまったからね」と言われたのだった。
「伴子は小さいころから自分よりも相手のことを考えちゃって、自分の考えをなかなか言わなかったでしょ。我慢しちゃったでしょ」
そんなふうに母は言っていたのだが、子どものころ、自分が格別何かを我慢していたというような思いは持っていない。母が自分を愛していてくれることが何よりの安心だったと思う。
母ひとり子ひとりの生活は寂しくはあったが、そんな時いつも本を開くと別の世界が広がり、その中に引き込まれた。現実を離れた物語の世界に生きていた気がする。
ただひとつ、夕暮れに灯りをともしたバスを見るとなぜかいつも涙があふれた。あのバスに乗れば、自分が残してきた父の家での暮らしにたどりつける気がしたのかもしれない。
そんな思いで子ども時代を過ごした伴子に比べて、娘のいずみは明るく屈託のない子どもだったから、やはり母の言葉は正しかったのかもしれない。
伴子は二十三歳で田代と結婚してから、信行といずみという二人の子どもを生んだ。
だが中学生だったいずみを病気で亡くし、信行は結婚し別に居を構えている。
娘いずみの死から十二年、母が亡くなってからも三年が経っている。
夫、田代は何年も単身赴任中で、伴子は月に二度夫が赴任先から戻る時以外は一人暮らしをしている。こうして体調を崩すまでは会社勤めをしていた。
不調が長引き心身の限界を感じて仕事を止めたが、今はかつて伴子を育てていたころの母の年令を超えていた。伴子は五十三歳だった。
夜半、次第に覚醒される中で伴子は考えていた。
あの夜、母が勤務に戻った後伴子は再び眠り、朝方にはすっかり熱が下がって、用意されたものをおいしいと言って食べたのだった。
こうした幼い日のいくつかの出来事を、伴子は鮮明に記憶している。その時々のあたりの風景、人の言葉や風のざわめきなどが映像として残っている。
その時母の腕の中で、自分の髪の毛のもつれる音を聞いたこともはっきりと記憶している。
あのころは母が自分を守ってくれていた暮らしがすべてだったと思う。母も何ものにも代えがたいほど伴子を大切に思ってくれていた。
夜半、伴子は布団の上に起き上がって亡くなった母を思い、いつからか私は自分を見失っていた、と思ったのだった。
物心ついたころ伴子のまわりには大勢の人たちがいた。父が先々代からの事業を引き継ぎ、婦人服の縫製会社を経営していたからである。
家族は両親と父方の祖父と伴子の四人で、祖母は両親の結婚後他界していた。
他にアパレル関連の上場企業に勤めている父の弟がいたが、彼は都心のマンションにひとりで住んでいた。休みになると実家である伴子の家にきて、祖父や父と食事をしたり酒を飲んだりしていたが、叔父は優しい人で伴子をかわいがってくれた。
父の会社の工場は自宅に隣接していた。
経営は順調で小規模ながら株式会社組織になっており、本社と呼ばれた事務所もその一角にあった。
心臓に持病を抱えた祖父は、会社の経理だけには目を通したが、他のことは息子や他の社員に経営を任せ、孫娘の幼稚園の送迎や庭木の手入れなどをして過ごしていた。園芸の好きな祖父は広い庭に四季折々の花を咲かせていた。
この他、駅前の通りには工場の製品とは違う婦人服の仕立てと婦人用品を扱う店舗があった。
母は通いの年配の女性に家事の手伝いを頼み、日中は駅前の店の女主人として働いていた。母はきれいな布地をあざやかな手つきで裁き、店の奥にしつらえた大型ミシンに向かっていることが多かった。
伴子は幼稚園から戻るとよく母の働いている店に出かけて行った。店の隅でひとりで本を読んだり人形遊びなどをして過ごした。
父と結婚してから本格的に洋裁の勉強を始めたという母は、持ち前の器用さから瞬く間に腕を上げ、繊細なサテンやジョーゼットなどの洋服も巧みに縫い上げた。たくさんの顧客がいてその人たちからの評判もよかった。また、にこやかに客と話していることもあった。伴子はそんな母の姿を見るのが好きだった。
タチヨミ版はここまでとなります。
2014年8月20日 発行 初版
bb_B_00124568
bcck: http://bccks.jp/bcck/00124568/info
user: http://bccks.jp/user/129055
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
中学生だった娘を病で亡くしてから、生と死ということが人生の変わらぬテーマになりました。
その闘病の様子を綴った『遠く広き国へ、わが子を天に送って』(新教出版社)が著書にあります。
小説を書いたのは、ある出来事を経験して、創作という方法でしか表現できない真実があると思えたからでした。