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Part2は、来るべきサティアサイババの再降臨に備えて、サイババさんの幼少時代から25歳までのエピソードを中心に、愛の化身サイババさんの教えを紐解いて行こうと思っています。世間的には、サイババというと手をクルクル回して、指輪などを物質化するトリックグルのようなイメージで捉えられていますが、実際のところサイババさんの栄光は幼少期からとどまるところを知らぬ程の神聖なパワーと英知で溢れており、その神聖な愛は私たち人類や、この地球の全ての生きとし生けるものにも注がれているのです。世界を破滅の危機から救う為に降臨された神の化身サイババさんの幼少期から二十五才までのエピソードを、サイタワーのパッドさんのご厚意により日本語で世に出すことが出来ました。原本は"Love is my form"です。御時間の取れる方は貴重な写真が七百枚以上も載せてある原本を手に取られることをお勧めいたします。それでは、ゴールデンエイジに向けての露払いシリーズ「サイババが帰って来るよ」Part5,6に満載しております神のリーラ(遊戯)を楽しんで下さいね。
ポニョ:さて皆さんにサイババさんが若者やった頃の事を紹介しようと思っています。
ヨシオ:俺たち還暦を迎えた胡散臭い野郎がこうして恥を忍んで爺臭い会話をしているのは、サイババさんが出て来られるのを知っているから、その露払いやねん。
サイババさんが空に現れた時、たくさんの人が彼のもとにやって来る。それで、今からサイババさんの事をもっとよく知っておいてもらおうと思っています。
ポニョ:再びこの世にサイババさんが姿を現された時に、たくさんの人々が空を指差して、あれは何だ。鳥か?飛行機か?いや、スーパーマンだ。普段は新聞記者であるケントは、事件が起きるとスーパーマンに変身して……早よ止めてくれる。
ずっと、やってしまうやんか。
ヨシオ:懐かしいなぁ。それ。めちゃ古いやんか。よう、そんな古いネタ持ってきたな。そのネタ知ってる人ほとんどこの世にもうおれへんで。ポニョ博物館は何でもあるんやな。
ポニョ:おいらに任しといて。サイババさんの古い話やらサイババさんの学生時代の同級生からインタビューした貴重な、今まで聞いたことがないような話もあるで。
ヨシオ:どうしたんや。そんな写真。まさかポニョ、あんた前からワープ、ワープばっかり言うとったから昔にワープしていろんな情報を集めてきたんと違うやろな。
ポニョ:あんたは、ワープの事何にも知らんやろ。ワープというのはテレポーションの事で、あんたが言うてるのはタイムマシンのことや。外れまくってるで。
これらの写真や情報は、パッドという人が昔のサイババさんの若い頃に近かった人達のところへ直接出向いて足で集めたもんやねん。
とても貴重な情報が詰まってるで。
サイババアシュラムのあるプッタパルティで、サイタワーというホテルと出版社を経営してはるんや。それで今回特別に、ポニョやったらええわ。記事でも写真でも使ってもええで。日本の人に伝えたってな、という許可をくれたんや。
世界で一番最初やで。許可くれたん。原本はLove is my formという本です。もし皆さんがこの本の記事を転載される場合は、必ず次のリンクを貼って下さいね。
http://saitowers.com/limf/
ヨシオ:ありがたいね。でも、ものすごく大きくて厚い本やな。普通の本の大きさの倍ぐらいあるでこれ。それに写真だらけで見やすいわ。どんだけ情報が詰まっとるんや。
ポニョ:700枚もの写真が入ってる。値段も良心的で手頃やし、直接インドから送ってくれるんや。送料込みで$66,63やて。
ヨシオ:それって悪魔のナンバーやんか。
ポニョ:あのね……。偶然でしょう。それでは、ポニョとヨシオのゴールデンエイジの為の露払いトーク。「サイババさんが、ガキやった頃」を始めます。
ヨシオ:ちょっと、ポニョよ。そのタイトル、サイの関係者が聞いたら怒りはるで。生真面目な人が多いから。ちょっと変えへんか。サイババの若かりし時代とかに。
ポニョ:一緒やんか。どう違うねん。
ヨシオ:あのね…これでポニョの育ちが分かるわ。
ポニョ:それではそろそろ始めよか。最初はサイババさんがアヴァターとして降臨するために選ばれた地、プッタパルティがどんなとこかを紹介します。
チトラバティ川岸に位置するプッタパルティは、以前はゴラパリと呼ばれていました。
ゴラパリという意味は、牛飼いたちの村という意味でとても豊かな牛が育む緑の草がいつも生い茂っているところでした。
ところが、ある日一人の牛飼いが、牛のミルクを誰かが盗んでいることに気がつきました。
というのも、牛の乳しぼりをしようとしてももう既に空だったからです。
それでその牛飼いは牛の後をつけて誰がミルクを盗んでいるのかを調べると、なんと牛は蟻塚の上に立ち止まり、そこから出て来たコブラにミルクを飲ましていたのです。
それで、牛飼いはそのコブラを殺したのですが、コブラは呪いをかけました。
それ以降、ゴラパリの土地はだんだんと痩せて行き、ついには牛飼いが出来なくなってしまいました。
その代わり、蟻塚がそこかしこに出来。蟻塚の村という意味のプッタパルティに変わってしまいました。
そのため、ベヌゴパラスワミイーという寺院を建立し、その呪いを許してもらおうとしました。
しきたりに従って、石を奉じましたが、その石には赤い線が付いていてまるで殺された蛇の血のようでした。
のちに、その奉じられた石の赤い線の反対側に、クリシュナの像が浮かび上がるようになってきました。
また、サッチャンマという土地の氏神様から、全ての牛飼いたちがこの土地から出て行けば蟻塚は消えてなくなるというお告げをもらい、牛飼いたちを土地から追い出しました。
すると、蟻塚も一つずつ消えてなくなりました。
当時、コンダマラジュというクシャトリアカースト出身で信仰心があり、禁欲の行をしている農夫がいました。
彼は、音楽を奏でたり、物語の役を演じるのに秀でていて、特にラーマヤーナのラクシュマの役を演じるのがうまいので有名でした。
ある日コンダマは氏神様サッチャンマが出てくる夢を見ました。その夢の中で、サッチャンマはクリシュナが来るのを待っていました。でもひどい雨の中をクリシュナが来るまで立ち続けなければいけないので、コンダマに雨よけするところを作るように頼みました。
コンダマは、このメッセージを理解し、すぐに氏神様のために大きな社を建立しました。
サイババさんのおじいちゃんコンダマさんには妹さんとお兄さんがいて、妹さんの娘イシュワランマと、自分の息子ペダヴェンカマラジュを結婚させたんや。だから、いとこ同士の結婚や。
サイババさんは、血が繋がっているもの同士の結婚は良くないと言っておられるけど、確かに変なスーパー子供が出て来よった。
近い親戚と結婚してはいけません。
血のつながっていない家族と結婚すれば、聡明な子供が生まれるでしょう。
近い親戚と結婚するならば、健康に問題がある知恵遅れの子供が生まれる可能性があります。
その家族の家系全体がある特定の病を持っているところや、無神論者が複数いる家庭の者と結婚してはなりません。PN
ヨシオ:変なは余計やろ。それを言うんやったら、アフロ神人とでも言えよ。
ポニョ:そっちの方が悪いわ。
ヨシオ:いずれにしても、神さんが選ばれた家族やから、いとこ同士の結婚でもなんでも関係無いやんか。
サイババさんの同級生へのインタビュー
サイババさんの思い出を何か一つ紹介してくれませんか?
昔はあいつのもじゃ頭の髪の毛に、ひっつき虫を投げて付けようと追いかけ回したったわ。でもあいつうまく逃げよるんや。
ヨシオ:悪ガキやな。あのサイババさんのもじゃ毛にひっついたら取るのん難しいで。
でも、俺がしそうな事やっとるで。俺もサイババさんの同級生やったら絶対やるやろな。
小学生の頃、野原がまだ大阪にいっぱいあった頃、ひっつき虫をたくさん集めて天神橋筋商店街に行くんや。それで冬やったら毛糸のセーターとか着てる人の後ろを歩いて背中にひっつき虫を投げるんや。
ひっつき虫が背中いっぱいになるまでや。そんな遊びを毎日してたで。面白かったな。誰も気付かないんやで。
ポニョ:その人、家に帰ってびっくりするやろうな。面白い。おいらも今度やってみようかな。
ヨシオ:アホ。よう言うわ。還暦のジジイが。でも、ちょっとだけやったらええんとちゃうか。バレンようにやれよ。それよりポニョよ。この写真は、イシュワランマさんの実家やろ。めちゃ小さい家やな。びっくりや。ものすごく質素に生活してはったんや。
ポニョ:でも、後ほど紹介するお兄さんの家も、もっと小さいで。そこにサイババさんは一緒に住んではったんや。後で、この家はバジャンホールになったようやね。
サイババさんのお母さんが、井戸に水汲みに行った時、青い光が丸くなって近づき、お母さんのイシュワランマさんの中に入って行ったと言う話しは有名や。
でも、こんな話もあるんや。
おじいちゃんのコンダマさんは、数頭の牛を持ってた。娘の孫娘でもあるイシュワランマに、餌になる草を取りに行くように命じた。
イシュワランマは、チットラバティ川の周辺で草を採って帰ろうとしたが、とても暑い日で喉が渇いた。それで、水を飲もうと干上がったチットラバティ川の砂を掘ると、濁った水が出て来た。それで、その最初に両手で水をすくった分は飲めないので捨て、二度目にすくったきれいな水を飲もうとしたら、突然光の球が現れ、そのまま飲もうとしていた水の中に入って行った。
まだ昼の最中で、太陽も照りつけているのにも関わらず、水の中の光の球は太陽の光よりも明るく水全体をキラキラ光らせていた。
恐れる気持ちなど少しもなく、逆にとても穏やかな、幸せな気分になってその水を飲み干した。
その後しばらくして、妊娠の兆候が出て来た。
臨月に近づいた時、突然、家に置いてあるドラムやタンブラーなどの楽器が音を立ててなり始めた。また、おじいちゃんのコンダマさんがお腹の大きいイシュワランマの近くを通った時に、お腹の中で子供が一人で話している声が聞こえてきた。
そして、1926年11月23日早朝に神の化身はこの世に姿を現した。
全世界を危機から救うために。
ヨシオ:今朝、息子が面白い動画があるって見せてくれたんや。ちょっと紹介してもええかな。
ポニョ:もちろんや。
ヨシオ:今、戦争したい奴らがあっちこっちで賑やかなことをしとるやろ。それで、アメリカで赤紙をもらった普通の一般市民が兵役に就いて海外に派兵されるんや。
ポニョ:家族を持ってるお父さんや息子が兵役に就くんやな。
ヨシオ:それで、兵役を終えて帰って来るんやけど、家族にはその事をワザと伝えずに、家族がなんかのスポーツの試合を観に行っている時を見計らって、何万人もの観衆の前で、XXさんのお父さんが兵役を終えて今帰りました。とみんなに紹介するんや。
それが、バスケットボールの試合の会場であったり、フットボールやいろんなスポーツのスタジアムやったりするんや。
それで、お父さんが出て来て感激の家族と対面するんや。
ポニョ:戦争を起こそうと企んでいるものにとって、家族の絆を悪意を持って断ち切ろうとするものにとって、こういうことを企画されると嫌やろな。
ヨシオ:そうやで。あの人らは兵士を人間扱いしてないし、もちろん一般市民も人間羊のように扱っている。昔、FRBを使ってアメリカを乗っ取るや否や、その強大な軍事力を背景にやりたい放題や。でも、兵士の中にも、目覚めてきている者も少なくない。現に、シリアの時でも紹介したけど、たくさんの兵士が戦うのを拒否したんや。
ポニョ:普通の家族がこうして陰謀に巻き込まれるのを見るとやりきれんようになるよな。
ヨシオ:でもこういう動画を見ると、みんな普通の市民や。みんな一緒や、と思うよな。何で俺たちが戦わなあかんねんって。一体、誰の為やって。「誰が為に鐘はなる」や。
動画はこちらからどうぞ。
http://m.youtube.com/watch?v=KowUs5Zg8HE
ポニョ:話が変わるけど、昔、岡本天明という人が神霊から受けたメッセージ日月神示や高橋信次さんのGLAを紹介させてもらうわ。おいらが子供の頃、丹後の田舎に連れて行ってくれた近所のおっちゃんも会員やった。
ヨシオ:あの、胃がんになって病院行かんと家で亡くなりはったおっちゃんか。その話、カヌーでの川下りの記事で紹介したよな。
ポニョ:そうやったな。その岡本天明が受けた日月神示にもたくさんの予言が記してあって、とても興味深い予言もあるんやで。また、たくさんの数字や記号が出てくるんやけど、これもあんたが家族で毎日唱えているヴェーダのルッドラムチャマカムの最終章とよく似てるんねん。これも、確かあんたのお母さんの東洋子さんの時に紹介したよな。その、岡本天明さんは中国のフーチという…。
ヨシオ:ああそれやったら知ってるで。扶乩(フーチ)って書くんやろ。台湾から道教の聖者が時々俺の家に信者を連れて来るんや。それで、そのフーチにはいろんなやり方があるんやけど、一つは二人の巫女さんがH型の、真ん中の棒から下に一本棒が出ている鉄を二人で持ち、灰の上に字を書いて行くんや。一文字書いては消していくんや。
ポニョ:神がかりになった巫女さんが二人で目をつぶって一つの字を書くって難しいやろな。
ヨシオ:しかも漢字は、巫女さんから見たら横向きや。それで、その書かれた字を順番に並べて行ったら、人では書けないぐらいの素晴らしい漢詩が出来上がってるんや。内容も、愛を持って生きなさいとか、すごくハートフルなメッセージやねん。それだけやないで。
そのあと、この漢詩がびっしり書かれた紙のある一点のところから、神がかりになったままの巫女さんがもう一度筆で、大きな一文字をその漢詩の上から書くんや。するとあら不思議、その漢詩がびっしり書かれた紙の上を、筆の後を辿って漢字を拾って行ってそれを並べると、また違う漢詩になるんや。言うてることが分かるか。
ポニョ:分からんな。さっぱりや。なんで二つの漢詩が出来るんや。一つ目は分かったけど。
ヨシオ:簡単に言うと、原稿用紙にびっしり漢字が書かれている。その原稿用紙の上から、用紙いっぱいに愛という字を書くんや。そして、そしてその筆の後を辿ってびっしり書かれている漢字を、拾い集めて順番に並べると、また別の漢詩が出来るんや。
ポニョ:おいら、昔から人より呑み込みが遅いんや。食べるのは早いけどな。まだよう理解できないけど、とにかく神業やって言いたいんやろ。
ヨシオ:そうや。それで、昔、そこから中国の道教の人たちはメッセージをもらったんや。例えば日本の東京に出来る限りたくさんの毛布を送れって。その当時、何百万人も道教信者がいてたから、金はすぐ集まり毛布を貨物船いっぱい積んで送って来たんやで。そのあとすぐに関東大震災が起こったんや。
ポニョ:こういうこと全然学校の教科書で教えないもんな。でも、ゴールデンエイジになったら俺が子供達に授業したるわ。
ヨシオ:ポニョやったら教えるのんうまいやろな。ポニョが一人芝居始めると、子供がすぐその気になりよるで。でも。親御さんが、学校で漫談しないで下さいと苦情が来るやろな。
ポニョ:いっぱいモンスターペアレンツがおるもんな。でも、ゴールデンエイジになったら、みんなの価値観が一つになるから大丈夫や。
さて、最後にサイババさんのホロスコープを紹介したいと思います。
①寿命はどれぐらいあるか分からない。
②たくさんの宝石を持っているが、一つとして自分の物としない。
③物質的な喜びを人生を通じて味わうことが出来る。
④絶え間無い喜びを味わうことが出来、世界中にその名を知れ渡らすようになる。
⑤貧しい者に、食べ物や教育を施し、それが、喜びにつながる。
⑥王のように扱われ、霊的な力を持つ。
以上でした。
ポニョ:あ、そうそう、サイババさんは真理を意味するサティヤ ナラヤナラジューと名付けられたのでした。

人の名前はその名前をつけられた人の気性に影響を及ぼします。
耳にしたときに楽しい気持ちを起こさせる名前がある一方で、恐怖と嫌悪の気持ちを起こさせるような名前もあります。
〜子供にはよく考えて名前をつけるべきです。
そういうわけで、人々は子供が生まれたときの星を考慮して名前をつけるのです。
私たちは良い名前を持つべきです。決して不適切な名前を持ってはいけません。
名前は安らぎや優しさを思い起こさせるようなものであるべきです。25/2/09
サイババさんの同級生のミニインタビュー
おいら達はとても仲が良くって、いつも一緒に座ったり、歩いたり、遊んだりしたよ。あの頃は、とても若かったのにも関わらず、彼から神聖な光が出ておったな。
他のやんちゃ連中が、どなり散らしても、いつも静かにしていたよ。
コンダッパ先生が、彼に踊って欲しいと何度か頼んだ時は、ガラスの瓶を頭の上に乗せて教室の中で、踊ったことも何回かあったな。
ポニョ:昨日の続きにいきなり入るぜよ。あんたは、しばらく休んでてもええで。
ヨシオ:そんなん言わんとちょっと寄せてえや。邪魔せえへんから。
ポニョ:チャチャ入れたらあかんぜよ。ほな行くぜよ。
サイババさんが生まれてから、イシュワランマの家ではいろんな奇跡が起こった。
最初に、有名なコブラによるゆりかご。コブラがサイババさんが寝かされている所の下にもぐり、赤ちゃんをゆりかごのように揺らしてたんや。
ヨシオ:そらびっくりこくで。家の人。噛み付いたらどうするんや。
ポニョ:コブラを見ていても全然噛み付きそうにないのでほっとらかしにしてたんやて。
ヨシオ:蛇も神さんやもんな。ナガサン(蛇の神さん)や。
ポニョ:また、土地の氏神さんを祀ってある祠から、赤ちゃんが生まれる少し前、きれいなシルクの服を着て、金の装飾品で飾り付けた女の子が歩きながらサイババさんのお父さんのペッダさんの家に入って行ったのが目撃されたんや。また、イシュワランマさんが赤ちゃんを抱いていたら、突然消え失せてしまい、次の瞬間また現れたんや。
誰か親戚の人が、ノンベジの食べ物をお祝いとかに持って来ても、しばらくするとベジタリアン料理に変わってしまったんや。
赤ちゃんを膝の上に乗してた時、赤ちゃんの身体の周りが突然明るくなり、オーラで包まれたこともあったようや。
キルリアン写真無しでオーラが見えるってすごいよな。あんたの東洋お母さん見たいやね……。返事がないな。カメラの前におれへんわ。退屈になってどっかに行ってしまいよったな。
まあ、ええわ。おいら一人の方が楽や。あいつすぐにチャチャ入れるし、二つも三つもなんか先を読んで落とし所作りよるから、すぐに引っかかるねん。あいつがおれへん方が早く進むからええわ。
さて、サティアの家の二軒隣にスバンマというその土地のブラミンカーストに属する女の人が住んでいました。
子供が出来なかったので、旦那さんは、二人目の奥さんをもらいました。
スバンマは、イシュワランマと仲良しで、もしどちらかに男の子が出来たらサティアナラヤナという名前にしようね。と約束していたのです。
サティアは、小さい時からいつもスバンマの家に行ってご飯を食べました。というのも、スバンマの家だけが、ベジタリアンだったからです。
村の人は、サティアは、まるでブラミンカーストの少年だね。と言ってました。
少し大きくなって、服を兄弟で分ける時も、みんなが自分の好きな服を取ってから、残り物を取りました。
お母さんは、そんなサティアを見て、お前は何か欲しいものはないのかい。と聞いても、答えはいつも微笑だけでした。
ある日、お母さんはたまらずサティアを抱きしめて本当に何か欲しいものはないのかい?
遠慮せずに言ってごらんと尋ねると、何も欲しいものなんてないんだ。お母さん。
あなたがくれるものは何でも喜んで受け取ります。と言った。
スバンマは、ベランダのある大きな家に住んでいて時々、サティアをベランダに呼びよせ、窓を開けて特別にこしらえたパコダスなどを窓越しに、口を開けさせて食べさせた。
2軒先にあるサティアの家の様子をスバンマはその窓を通じていつも見ていた。
ある日、何時ものように窓から見ているとサティアを見かけたので窓の下まで呼び寄せ、食べ物をサティアの口の中に入れようとサティアの開けた口の中を見ると、何と宇宙が見えた。それも、宇宙全体と言ってもよいほどのスケールで。
その日、スバンマは歓喜に包まれ夜まで気を失った。気を取り戻すや否や、スバンマはサティアの足を掴みそれを涙で濡らしたのだった。
サティアがまだハイハイしている時でさえ、乞食が空腹で泣いているのを聞くとすぐにバタバタとハイハイしながら玄関先まで出て行き、周りの大人に何かをあげてと訴えかける目をした。
誰かが、鶏の足を持って逆さ吊りにして歩いていたり、犬を蹴るのを見るととても悲しい顔をするのだった。
また、鳥が入っているカゴから、人が自分の食べる鳥を選びそれを手に取った途端、小さな子供であったサティアは走って行ってその鳥を大人の手から奪い、鳥を自分の小さな胸の中に抱え込むようにして両手で覆って守った。
大人たちは、そういうサティアの罪のない愛の行為を見て心を打たれて、鳥を殺すのをやめることにしたのだった。
また乞食が家の前を通りかかるとサッチャは自分の食べる物を乞食に差し出すのだった。
お母さんのイシュワランマが、そんな事をしたら自分の分がなくなると言っても言うことを聞かなかった。
時には一日中何も食べない時もあって、お母さんが心配してサッチャの様子を尋ねても、自分のふくらんだお腹を見せて、年寄りの叔父さんがもう食べさせてくれたんだと言っていた。
二つや三つになり、通りに出て歩けるようになると、サティアは盲目の人や、乞食や、身体障害者などを家に手を引いて連れてきて小麦などをあげるのだった。
サティアは近所の子供達からグルと呼ばれていた。
ラーマを讃えるお祭りの日に、突然サティアは家からいなくなり、家族中で心配していたところ夜中にラーマの大きな絵を掲げた山車にサティアは乗って家の前までやって来た事がある。
サティアが学校に行くようになっても、水汲みや買い物を手伝った。
特に、お父さんが雑貨屋さんをやっていた為に、四頭のドンキーを引き連れてたくさんの買い物を任されたが、金の支払いや、お釣りの受け取りを一度も間違えたことはなかったので、お父さんの信頼を大いに得た。
また、週末にはお母さんと一緒に小麦をドンキーに乗せて売りに行った。
それ以外にも、スッバンマの夫の仕事のために農夫との連絡係というアルバイトもやっていた。
寒い時期になって学校で困窮者の子供達が、充分な服が着られず震えているので、サティアは自分の家にある服などを出して来て与える為に家の人はそれらを箱に入れて鍵をかけなければならなくなった。
やがてサティアは、男の子のクラスメイトを十五人から二十人組織してパンダリ バジャングループを作った。
サティアの歌声やダンスはとても素人には見えず村の人々はとても喜んで迎えてくれた。
そして、村の集会場や公共の場所で子供達が歌い、彼らが来る前に人々は、自分の家だけでなく公共の場所をきれいに掃き清めるようになった。
当時、流行していたコレラはついに一度も村には流行することがなかった。
サティアは当時でも、とても小さくてグループの中で一番大きな声で歌い、どの子よりも高く飛び跳ねてダンスをしていても周りにいる子供達に隠れて見えなかった。
おじいちゃんのコンダマラジューが、サティアの神聖さに家族の中で気がついた最初の一人だった。財産分けの時にコンダマは、サティアだけをわしのそばに置いて欲しい。と頼んだ。
そして、サティアはコンダマと一緒にその後住むことになった。
サティアは、おじいちゃんの食事の世話をし、身の回りの世話をした。
コンダマは、サティアにわしが死ぬ時にはお前が死に水を取ってくれよ。と頼んだ
ヨシオ:昔、サイババさんが夜に近所の子供達を集めて家からランタンを持って来させて、みんなで夜空に向かってランタンを振るように言われた事がある。
ポニョ:何やて。それって面白い話やな。その理由は言われたんか。
ヨシオ:今、空を天使が横切っていると言われたんや。
ポニョ:天使か。もちろんみんなの目には見えんかったんやろな。UFOかもしれんで。
だって、サイババさんは彼らは世界で良い事をしている。と言っておられたからな。
ヨシオ:そうかもしれんな。俺も、ナロジンでベランダに寝っ転がって夜空を見てたんや。
周りに家も何もないから、毎晩、満天の星や。だから、夜道を歩いていても星を見たらすぐにどこに向かってるか方角がわかるんや。
ポニョ:南半球やから、南十字星が見えるんか。
ヨシオ:そうや。それの角度や方角を見れば時間も分かるんやで。だから、時計は要らないんや。それで、夜空を見てる時にUFOでも見たいな。と思ったんや。それでサイババさんにちょっとだけでええから、あなたのおもちゃであるUFOを見せてくれませんか。と頼んだ瞬間、大きな緑色のUFOが天頂に現れて三秒ぐらいであっという間に消えたんでびっくりしたことがあった。その後に綺麗な光の帯が残ってたわ。その後、夢にUFOが来て乗せたるから来い。と言われて中に入ってUFOの中をウロウロした夢を見たことがある。
ポニョ:おもろい経験しとるなあんたは。そのサイババさん言うてはる天使は多分UFOやったかもしれんな。
ということで、今日はサイババさんがいよいよ地元の小学校を卒業して、家からちょっと離れた上の学校へ通った頃の話をします。
ヨシオ:ちょっとポニョよ。離れてるってどれくらいの距離なんや。
ポニョ:ブッカパトナムやから…いや、違うわ。サイババさんの通学記録を見たらカマラプラムのお兄さんの奥さんの家に住んでたんやて。大きい二階建ての家や。だから、210kmぐらいや。
ヨシオ:えらい家から結構離れたところに行ってしまったんやな。
ポニョ:というのも、お兄さんのシェシャマさんにサティアの事を両親が頼んだんや。お兄さんはそこで先生をしてたんや。でも、大変な時がサティアを待ってたんや。
ヨシオ:恐怖の水汲みやろ。井戸から。
ポニョ:ところが違うねん。あんたはちょっとウラヴァコンダの水汲みと勘違いしてるわ。あれは、兄嫁さんにいじめられた時やろ。カマラプラムではクリシュナ運河から汲んで来るんや。
それでも、往復四キロもあるんやで。それも、朝夕二回もや。
ヨシオ:一日八キロもか。そら大変やんけ。雨の日も風の日も関係ないんやろ。小さい子供が出来るんか。そんな事。
ババはその当時の事を次のように言っておられま
家の家事が大変で学校の勉強まで手が回りませんでした。朝に起きるや否や僕は大きなツボを持って遠くのクリシュナ運河に水を汲みに行かねばならなかったのです。
水を汲んで家に戻った時には、もう9時になっていて、そのまますぐに学校直行しました。
毎日、学校以外の自分の時間は水汲みだけだったのです。
朝ごはんなんて物は無く、昨日の晩ご飯に水と塩を入れたものを食べていました。
もちろんスナックなんてものは有りませんでした。
前日の残りご飯にピクルスをつけて食べるというのが普通だったのです。
ヨシオ:大変な目にあってたんやな。可哀想や。自分で手をくるくる回してなんか出して食べたらええのにな。
ポニョ:そういうことは全て、帰依者の為にだけすると言って自分の為にはそういう事をされないんや。
ヨシオ:でも、この前の話では年寄りの叔父さんが食事を食べさせてくれたと言ってたで。それって、シルディババの事やろ。
ポニョ:そうやな。でもある程度大きくなられてからは、そういうことはされないんや。
そしてこの後、大きな試練がサッチャを待ち受けています。それは、牛のマーケットにおけるボランティアでした。
ヨシオ:これも有名な話やな。サティアが学級委員長やから、絶対行かなあかんと先生に言われるんや。それでみんなお揃いのカーキ色のシャツを着なくてはいけないんだけれど、サティアはお金を一銭も持ってなくて会場まで夜通しかけて歩いていかなあかんかってんやろ。
ポニョ:それに、シャツを買う金もないし。それを知っている金持ちの友達は、親にもう一セットシャツを欲しいと言って買ってもらってサティアにあげるんや。
でも、サティアはもし僕たちが長い友情をこれからも育んで行こうと思ってるんであれば、ギブ&テイクをしたらあかんよ。と諭すんや。それで、サティアは自分の使わない新品同様の教科書を貧しい子に売りに行ったんや。
「僕はもうこれらの教科書を使わないんだけど、君は来年使うよね。良かったら買ってくれませんか。」
「いいよ。でも、俺の家は見ての通り金持ちじゃないんで半額でもいいかい。」
「もちろんだよ。半額だったら十三アナだけど、僕がいるのは五アナだけなんだよ。だから五アナだけでいいよ。」
それで、その貧しい子はとてもハッピーで教科書を買った。でも当時は札ではなく、コインで支払ったのでそれをサティアの古いシャツでくるんで持って帰ろうとすると、シャツが破れて大きな音を立ててコインが散らばった。
それを聞きつけた、家の人が泥棒がお金を盗んだと思いサティアから金を奪い取った。
サティアはいくら説明しても聞く耳を持たず、手ぶらで帰って行った。
グループはもう出発したので、サッチャは夜道を十一キロも歩き会場に着いた。
八日間のフェスティバルは瞬く間に過ぎ、また歩いて帰った。
でも家にお土産を用意しなければ、当時の習慣で失礼なのでサティアは兄嫁さんに果物や花を詰めたセットを友達からお金を借りて買った。
家に帰ると、サティアの水汲みを誰かがしなければならないし、お兄さんも大変怒っていた。
ちょうどサティアが家に着いてお土産をお兄さんに渡した時、お兄さんは学校の残業をするために尺を使って線を引いていた。
サティアを見るとお兄さんはその尺でサティアの手の甲を叩いた。
サティアは、もう一つの手でかばったけれど尺が三つに折れるほどきつく叩いたので、手が真っ赤に腫れ上がったのだ。
ちょうど、客間にプッタパルティからお客さんが来ていたので、サティアにどうしたのかと聞いたがサティアは適当に答えて帰ってもらった。
でも、その人はプッタパルティに戻ってお父さんにサティアが大変な目にあってると告げた。
それを聞きつけてお父さんはすぐにやって来た。
そしてサティアの傷ついた手を持ち、涙を浮かべながら
「サティアもう帰ろう。お前が教育を受けられなくて食べ物を手に入れることが出来なくなった時には、お父さんが物乞いに行ってでもお前の食べる分ぐらいもらって来てやるよ。ここにいてはいけない。こんなに大変な目にあっているなんてお父さんは知らなかったんだよ。」と言った。
でもサティアは、「お父さん。あなたがここに来てそして、私と二人一緒にいなくなるのは良くないと思います。それに、兄嫁様も流産されてまだ十五日しか経っていません。ここは、あなた一人で帰って下さい。僕は、しばらくすればあなたの後を追って帰りますから。」と言った。
カマラプラムでのサティアはこのような酷い事ばかりではなかった。
ある日、コッテ スバンナという人が店でアーユルヴェーダの薬を売りたいのでサティアに宣伝をして欲しいと頼んで来た。
それで、サティアが素晴らしい薬の宣伝文を作り友達を集めて、宣伝の歌を歌って街を歩くと、人々がそれを求めにやって来てコッテは、お金をコッテりと儲けた。
サティアに宣伝費を渡すとサッチャは友達にそれらを分配したのだった。
兄嫁さんには、スッバ ラジュという兄弟がいてサティアと一緒に住んでいた。
ある日、サティアが居間にある揺り椅子に座って椅子を揺らして遊んでいると、そのスッバはサティアにそんな椅子に座って、王子様気取りだなお前は。と言った。
サティアは、あんたはまだ本当の僕のことを今のところは分かっていないようだけど、時が来れば、僕が王子様かそれとももっと高貴の魂か分かるようになるよ。このサティアは将来こんな椅子ではなく銀でできた玉座に座るんだよ。と言った。
スッバはその言葉に反論しようとした時に、サティアのお兄さんのシェシャマが居間に入って来たのでスッバは黙った。
のちに、スッバはサイババさんのアシュラムで、大きな銀の玉座がかってのサティアの為に運び込まれるのを見た。
スッバは、あの時のサティアの言葉が、目の前で実現するのを見て耐えきれなくなって泣いてしまった。あの時に、ほんのひとかけらでもサティアの神聖さを理解出来なかった自分が情けなかった。
そしてそれ以来、あの時のサティアとのやりとりを人々に伝えることにした。もちろん、サティアは誰にもその事を話した事は無かった。
サイババさんとパンダリバジャングループのメンバーだったクリシュナ ラジュさんは、「僕たちはプッタパルティだけではなく、近隣の村にもパフォーマンスをしに行ったんだ。パンドゥランガという神様を讃える歌をみんなで歌ったんだ。
でもミュージックに合わせてきちんと歌えなかったらサティアに叩かれるんやで。
パンダリバジャンでやるのって簡単やなかったわ。」
ポニョ:カマラープラムからプッタパルティに戻ったサッチャは…
ヨシオ:ちょっと待ってくれるか。ポニョよ。一つ忘れてるで。大事なこと。
ポニョ:なんか忘れたかな。
ヨシオ:ほら、変な白人のおっちゃんに大好きよ〜ってキスされた事件や。それって、カマラープラム駅やったんと違うの。
ポニョ:そうや。カマラープラムの駅での出来事やったな。汚そうなおっちゃんに抱き上げられて嫌やったろうな。ほんまに不気味なおっちゃんや。長いこと風呂も入っとれへんで。この人。
ヨシオ:メッシングという名前やな。略してメッシーさんや。
ポニョ:それは良くないわ。汚いっていう意味になるんと違うんか。ちょっと言い過ぎや。
ヨシオ:メッシーさんて呼ぶのは止めよか。今、ロシアでもメッシングが見直されてきて、テレビドラマにもなってるんやで。
ポニョ:結構有名になって来たんやな。
ヨシオ:今ではロシアでは誰でもメッシングのことを知ってるんや。
当代一のテレパシーの使い手。
ヒットラーの東行きは命取りになると予言した男。
スターリンに、赤軍の戦車がベルリンに攻めると予言した男。
ヒットラーに指名手配された男。
想念だけのパワーで銀行からお金を取れる男。
スターリン、フロイドを精神世界に導いた者。
アインシュタインが憧れた男などエピソードに事欠かない有名人になってしまったんや。
それでは、まず最初にその頃を回想されたサイババさんの御講話から見て行きましょう。
1917年から、ロシアにおいて、主にスターリンによって物質主義と無神論が奨励されました。
しかし、スターリンは反対勢力を完全に抑えることはできませんでした。
ウルフ・メッシングという名の強力なスピリチュアルな人物〔1899−1974年。特殊な能力を備えていたポーランド生まれのユダヤ人で、迫害を逃れて1939年にソ連に亡命した〕が現れ、浄化された意識と、神聖な特質によっての霊識を示したのです。スターリンはメッシングを引きずりおろすことを計画し、メッシングをヒトラーのもとに送還しました。メッシングは祈りました。
「主よ! 私はただひたすら、あなたの栄光を地上に広めようとしているのです。ですから、私はあのような邪悪な人々の戦略を恐れてはいません」
ヒトラーのもとに送還される途中、メッシングはウィーンでアインシュタインに出会い、また、心理学を研究していたフロイトにも出会いました。
フロイトは、メッシングのもつ力に驚き、自分の研究が浅いものであることに気づき、人間のもつ最高レベルの意識を探求することに興味が向きました。
スターリンはフロイトとメッシングに感化されましたが、これまで築いてきた自分のイメージを壊したくはありませんでした。
スターリンは、物質的、無神論的な状態に落ち着くという安易な道を歩み続け、若者たちの心に無宗教を植えつけました。
この体は、明日55歳に至ります。私は今日まで、この出来事を、どこにも、誰にも明かしませんでした。それは1937年のことでした。
この体はその時11歳でした。
私は当時、取り巻きの少年たちのグループと一日中行動を共にしていました。
私はそのころ、カダパ県のカマラープラムにいました。
その日、私は少年たちといっしょにカマラープラムの駅の近くにいました。
ある人物が私を見て、私のもとに駆け寄ってきました。そして、
「アイム ソー ハッピー、アイム ソー ハッピー」
と言いながら、私を腕に抱き、キスをしました。
頬には涙が伝っていました。その男は大喜びで狂ったように踊りながら、「アイ ラブ ユー、アイ ラブ ユー」と繰り返していました。
そのすべてを見ていた私の仲間たちは、こう怪しみました。
「この白人は誰だろう? どうも頭がおかしいようだ。最後には誘拐しようというのだろう」
私たちがそこを立ち去ると、その男はその場に立ちつくしたまま、私が視界から見えなくなるまで、物欲しげにずっと私を見つめていました。
それはメッシングでした。
メシングは、アートマ原理を確認して実感認識するためにインドに来ていました。
メッシングはそれを目的に、さまざまな霊性修行に着手しました。
その結果、メッシングは神のヴィジョンを得ました。
メッシングは、ガンガーや、ヒマラヤで苦行を積む大勢の聖人に会い、自分が切望していたものを勝ち得たことに満足して、自国に戻りました。
自分が探さなければならないものを知り、それを追い求める者だけが、ゴールに達することができます。
ブラフマンの本質を知るものだけが、ブラフマンの本質を認識することができます。
メッシングはずっとアートマを心に想っていたので、自分はその意識に到達したと公言できたのです。
メッシングは、スターリンの国は崩壊すると述べ、その予言どおり、その直後にフルシチョフが国を転換しました。
キリルという写真家も、その変革を助けました。
キリルは南ロシアの黒海沿岸にあった自分の現像所で多くの実験をしました。
キリルは、人間の体の周囲に存在する多色のオーラは、認識可能であり、写真に写せることを実証しました〔キルリアン写真〕。
キリルはオーラの存在を知らなかったため、既知の物理の限界を超えたところに到達しました。
人間のオーラ、植物のオーラ、昆虫のオーラ、石のオーラが、キリルのカメラによって捕らえられました。
キリルは、「このすべてはイーシュワラ〔至高神〕に包まれてというヴェーダの言明は真実であることを証明したのです。
あるとき、キリルは列車で旅をしているときに「空飛ぶ円盤」を見ました。
そして、人間の理解を超えた世界が存在するのだと断言しました。
キリルは遠くの惑星にも生命が存在すると断定しました。
キリルは天の川の近くの別の銀河系にも生命が存在すると主張したのでした。
こうした展開はすべて、片や物質主義が一般大衆の指示を得ている一方で、道徳性や人間性、スピリチュアリズムへのより深い確信も、同様に人々の心をつかんでいることを示しています。
何年かのうちに無神論者が有神論者に変わることに疑いはありません。SSS14p194
ヨシオ:突然変な汚いおっさんが来て抱き上げられてキスされたら誰でも驚くよな。
ポニョ:このあと、友達のラメーシュのお父さんが慌ててジープでサティアを自分の家に連れて帰り、家に閉じ込めてメッシングに会わさないようにしたんや。それでも、メッシングはジープを追いかけて一日中、ラメーシュの家の前でずっと待ってたんや。
窓からサティアが見えるとちょっと出て来いよ。おっちゃんはあんたと話しがしたいよ。
とか言ったり、サティアにサインを送ったりしてたんやけど、もちろん誰もサティアを外に出せへんかったんや。
メッシングは三日間も家の前で粘ってたんやけど、ついに諦めてドアのところにチョークで、この家の人はとても幸運やね。こんな神聖な子供と一緒におれて。俺はあんたらみたいに幸運に恵まれなかったわ。だからもう帰ります。ありがとさんでした。と書き置きを残してロシアへ帰って行ったんや。
それから、二十年の月日が経ってメッシングは、もう一度サティアに会おうとカマラープラムに直接やって来たんや。
今回は、キルリアン写真機も一緒に持ってきたんや。そのカメラで浄性な性質の人を撮ると白い光がその人の周りに写るんや。激してる人だと赤色。鈍性の人だと黒っぽく写るようにできてるんや。
それで、カマラープラムの人に昔、聖者みたいな子供がいてたけど知らんか。と聞いて回ったんや。それで人は、ああその子ならサイババという名前で今バンガロールかプッタパルティにいてはるよ。と言ったんで、すぐにバンガロールに行くとサイババさんがちょうどバンガロールでダルシャンをしてられたので対面することが出来たんや。
メッシングはすぐに、この人や。俺が二十年前に見た子供は。あの時と同じオーラしとる。と思ったんや。メッシングはバンガロールのカレッジの校長をしていたナレンドラとそのお父さんと義理のお父さんにあんたらサイババさんの身体だけ見てたら分かれへんやろうけど、彼は神さんなんやで。オーラを見たら分かるんや。と言ってベランダにおられたサイババさんの写真を撮ったら、白いオーラがそこらじゅうに広がっているのが写ってたんや。
夜になって、校長がメッシングにあんたの体験を学生たちに話したってくれるか。と頼まれてメッシングは演壇に立ったんや。
でも、メッシングの目はサイババさんがどこに座っておられるか見てたんや。
やがて、サイババさんを見つけると走り寄って我が君よ。我が君よ。あなたは私の全てです。私はあなたの道具です。と言ったんや。
彼は、10日間ほどサイババさんの元にいて、その間サイババさんは彼に神が人間の身体をとってこの世界に降臨すれば、神様も人間のように振るまわなければならないのだ。ということを話したんや。
メッシングは自分の書いた本をゴーカック博士にプレゼントしたが、博士はロシア語を読めないんや。その後、二三日してメッシングは誰にも言わずにインドを後にしたんや。
そして、しばらくしてからナレンドラはメッシングから、手紙を受け取ったんや。そこには、あんたはすごいラッキーやな。神様の元で先生として働けるなんて。もし良かったら、サイババの動静を知らせて欲しい。と書いてあったんや。
そのナレンドラが、サイババさんと二人きりでいた時、突然メッシングがその部屋に姿を現したことがあった。身体は離れていても神さんへの強い信仰心があったらこんなことも出来るんやな。
ヨシオ:それって、以前紹介した新入女子社員の話と一緒やな。
ポニョ:そうや。そんな話があったよな。想念を神様に集中したんやな。でも、こんな人が世の中にいてるってすごいよな。
ヨシオ:人類ってすごい生きもんや。それが、ゴールデンエイジになれば、こんな神のような人がうじゃうじゃとその辺におるんやろうな。
ポニョ:どんなんや。それって。半分霊界の中を歩いている感じなんやろか。面白い。
ヨシオ:でもどうやってオーラを写真に撮ったんやろな。
ポニョ:幾つかの方法があるんやけど、人のオーラを写真に撮る方法は、高電圧で低周波の電気を流して撮るんやて。
おいらは、エンジニアでも何でもないんでこれ以上聞かんといてな。
ポニョ:さてサティアがプッタパルティに戻り、ブッカパトナムにあるサミティ小学校に入学することになりました。
家から、四kmもあったけれど水汲みに朝早くから行ってた時と比べて、サティアにはとても楽な道のりでした。
学校への行き帰りはいつも何人かの子供達も一緒に登校していました。彼らは、サティアの髪の毛にひっつき虫を投げて遊ぶのが常でした。
サティアは十四歳になっていました。学校では、サティアはよくイジメにあっていました。
砂や水をかけられて、きれいな服を汚されました。
でも、サティアは決して彼らを悪く思ったりせず、スポーツを楽しんでいるようにして、微笑みを浮かべながら、そういういじめの行為と向き合っていました。
こんな風に学校でいじめにあっても、サティアはラーマ寺院の坊さんをしているビマラオの家で、夜学校をして他の生徒たちを教えていました。
町の外れには、女神チョウダマの寺院がありサティアはそこでいつも昼食をとっていました。
ラクシュミナラヤナ寺院に家族で住んでいたチッパンマは、ある日寺院の中にあるハヌマン寺の中でサティアを見つけました。
サティアは、座り込みながら何かをやっていました。
チッパンマは、静かにドアの横に立ってそれを気づかれないように見ていました。
するとサティアは手をくるくると回し始め、シルディババの写真を宙から出してそれを小さな祭壇に据えて、手のひらの上に火のついた樟脳を置き、アラティと呼ばれる儀式をしていました。
また、祭壇に捧げる果物や砂糖の混じった生姜の粉も物質化しました。
儀式が終わるとおもむろにそれらのものを自分の学校のカバンに入れ、寺から出て行きました。
チッパンマはそれらを見て、この子は普通の少年ではないことに気がつきました。
学校に戻ると、サティアはこれらの果物などを友達におすそ分けをしました。
友達がどこからこれらの果物を手に入れたのかを聞くと、氏神様のサッチャンマがくれたと答えていました。
その頃、チッパンマの娘ナガラクシュミが自宅でシルディババのお祈りをしていました。
サティアは学校が引けるといつもそのお祈りに花を捧げて参加していました。
チッパンマは、本当は花より花輪を捧げたかったのですが、時間がなかったのです。
でも次の日から、サティアは花輪を持って来ました。
サティアはひとクラス42人いる中で一番成績が良かったので、他の生徒の面倒を見る役をさせられていました。
ある日、クラス中が何かを上手く出来なかったという理由で、サティアは41人の同級生全員をピンタしなければならない立場に立たされました。
サティアは、とても背が低かったので椅子の上に立って叩かなければならなかったのです。
それで、一人ひとりの頬を撫でるようにピンタしましたが、そんなのはピンタと言わないんだ。
ピンタというのはこういう風にするんだ。と先生がサティアを41回強く叩きました。
そんなことがあってもサッチャは、それでも一度も不満を言いませんでした。
ヨシオ:ポニョよ。ご苦労さん。たくさん訳して大変やったな。ちょっと休憩しろや。
ポニョ:おう。そうするわ。なんか、棒読みでフィーリングが伝われへんやろ。
ヨシオ:いや。そんな事ないで。でも、サイババさんって子供の時いろいろ大変やったんやなと、つくづく思うよな。でもちょっとこの先公酷いと思えへんか。俺やったら、何にも悪い事してへんのに、41回もしばきやがったら、ただじゃおかんぜ。
ポニョ:本当や。よう辛抱してるよな。いくら、学級委員長やと言うても酷すぎるぜよ。
ヨシオ:俺も、学生時代に毎年学級委員長やってたけど、先生が俺の事を尊敬してたし信頼してたで。こんな風にやられたら生徒から嫌われるぜ。柄が悪い学校やったら大変や。
特に、俺の行ってたみたいな私立の男子校やったらそれこそえらい騒ぎになるな。
ポニョ:そこで、毎年学級委員長やってたんか。
ヨシオ:ああ。俺、高1の時から183センチもあって態度がでかくて柄が悪かったし。それも、一番悪い奴ばっかり集めたF組に三年間入れられたんや。お前やったらあいつらの事コントロール出来るやろって。悪ガキの面倒係やってたんや。ヤーさんの息子もおったで。
三人ぐらい少年院行ったわ。俺の名字が、張で、毎年学級委員長やから、組長ってあだ名になったんや。俺も少し箔をつけるために、俺の学校より柄の悪い浪商の学生から学校のバッチを取りに行ったことあるな。仕返しに来よったけど。
ポニョ:おいらも下町育ちでガラは良くないけど、こんなあんたみたいな柄の悪い野郎でも神さんに導かれるんやな。普通の人やったらあんたよりもっと神さんに近いとこに行けるんやろな。
ヨシオ:それどういう意味やねん。わいのどこが気に入らんねん。ポニョよりはマシやと思ってんねんけどな。
でも、例の大元教の出口王三郎も半分ヤクザみたいな生活しとったんやで。それで喧嘩に負けて、山の洞窟に逃げ込んで何日もおったら、ある時フット魑魅魍魎の世界に開眼したんや。だから、柄が悪いとかそんなん霊の世界に関係ないのんと違うか。
ポニョ:このブログにちょっと相応しくない話題になってきたからこの辺でやめよか。でもこんな先生、あんたの学校におったら大変やろうな。
ヨシオ:この先公多分ヒステリーやろな。クラスの生徒を自分が叩くと嫌われるからサティアに叩かしとるんや。それで、サティアがきつく叩かないのでサティアを叩くって卑怯や。だってその先生、サティアが優しいて知ってるはずや。
仕返ししたり恨めへんし、身体は小さいし叩いても大丈夫やと思ってるんや。好かん先生やな。性格歪んでるで。こういうタイプの先生どこでもおるけどな。でもサイババさん、この学校にいてる時有名なエピソードがあるんと違うのん。
ポニョ:そうや。ある日、カン先生がサティアのクラスの前を通りかかると、サティアが罰を受けて椅子の上に立たされているのを見てショックを受けたんや。
というのも、サティアは良い学生やからなんで罰を与えたんやと思って見てたんや。それに次の授業が始まるというのにサティアに罰を与えた先生はまだクラスにいて、次の先生に椅子を譲っていないのでカン先生は一体どういうことかと聞くと、他の先生が低い声で椅子がケツにひっついたまま離れないんやて。と言ったんや。
それで、サティアの事をよく知っているカン先生は罰を与えた先生に、サティアを座らせなさいとアドバイスをしたんや。すると、椅子もケツから離れたんや。
後に、サイババさんはこの件について、自分が意思してそういう風にしたんやけど、別に怒ってるわけでは無くて、皆に自分の神聖さを少しづつ披露して行く為にやった。と言っておられたんや。
ヨシオ:でも、このカン先生のアドバイスが無かったら大変やったな。ケツに椅子がひっついたままやで。
ポニョ:トイレなんかどうするんやろか。考えただけで恥ずかしわ。ズボンを脱いだら椅子も取れるんやろか。それともまだひっついてるんやろか。どうなってるんやろな。
ヨシオ:ポニョは何を想像しとるんや。あんたすぐに何でも想像するからな。
ポニョ:また、こんな事件もあった。英語の先生であるスバンナチャルは、授業中サティアが全然ノートを取らないことに気が付いた。そこで罰を与えようと手のひらを開けさせムチで叩こうとすると、手のひらにシルディサイババの絵が浮かび上がったのだ。
ヨシオ:それはびっくりやな。叩かれへんやんな。そんな聖者の絵が浮かび上がったら。
ポニョ:サティアは、学業だけではなくダンスなども飛び抜けてうまかった。
当時、プロのダンサーが地方を巡業していていて、あるダンサーのクライマックスがガラスの瓶を頭の上に乗せたまま踊りそして、床に顔を引っ付けるようにして床のハンカチを歯で挟んで拾い上げるという出し物だったけれど、サティアは同じように瓶を頭に乗せたまま床にある針をまつ毛で挟んで持ち上げたのだった。
ヨシオ:それはすごい。だって、まつ毛って目のところやろ。床に顔を正対させないとまつ毛で針なんか挟んで持ち上げられないで。
その間、どうやってガラスの瓶を頭の上に落ちんと置いとけるんやろか。
ポニョ:多分、サティアは一メートルぐらいの長いまつ毛を持ってたんやろか。
ヨシオ:アホやなあんた。そんなまつ毛を持って通りを歩いてたらバケモンに見られるで。
ポニョ:それから、学校の新しい校舎の建築資金を集める催しがあって、そこに有名なダンサーが来るはずやったんやけど、突然病気でキャンセルになったんや。
それで、サティアがそのダンサーと同じ踊りが出来るから、僕が代わりにやると言い出したんや
というのもそのダンサーはとても有名で、チケットも全部売り切れたし、地元の有力者も顔を出すことになってたから、今更そのリシュエンドラマニというダンサーは来ませんとは言えなかったんや。
そのダンサーが有名なのは、頭の上に瓶を置き、その上にオイルとそれに浸けたコヨリを乗せたお皿を置き、それに火をつけたまま難しいダンスを踊れるんや。
当日、サティア扮するプロダンサーは難しい踊りを難なく終え、満場の拍手を浴びたんや。そしてそれに感激したイギリス人の地方政府責任者がメダルを上程しようとステージに上がって来たんだけれど、当時の習慣で女性は見知らぬ男性に肌を触れさせてはいけないので、首にメダルをかけることが出来なかったんや。
それで仕方なく手渡しただけになったんや。イギリス人は美人のダンサーの首にメダルをかけれなくて失望の表情を隠せずステージを下りたんや。
翌日、学校側が建築資金を集める催し物が大成功に終わったので、全校をあげてダンサーに感謝する為にシルクのサリーをプレゼントをする催し物を開いたんや。
そのダンサーをまた一目みようと、たくさんの人が集まった。それを整理する警察まで来たんやで。
主宰者が、リシュエンドラマニの名を呼ぶとみんな大喝采で迎えたんや。
それで、サティアがステージに向かおうと歩き始めると、群衆整理のお巡りさんが止めたんや。
でも、校長先生がサッチャの手を引いてステージに上がり、みんなに事の顛末を伝えたんや。
いつもいじめられていたサティアは、その日ヒーローになった。
同級生の話
学校の中でもシルディサイババを祀る儀式を一人でよくやっとたな。花も持って来て。それで、本のページの間にはシルディサイババの写真がいっぱい入れとった。自分のポケットの中にも一枚持ってたな。
それで、時々ボーッとしてこの世界からおれへんようになったみたいな時もあった。
ポニョ:ブッカパトナムの学校に行っている間、サッチャは神である事を垣間見せてくれた事件があったんや。
ヨシオ:今度はどんな事件や。
ポニョ:手を真っ直ぐ空に向け、手のひらをも空に向けながら「雨よ。降るな。」と言われたんや。それだけで、今にも降り出しそうな空模様が突然雲が切れて晴れたんやで。
ヨシオ:カッコええやないの。雨よ、降るな。か。そんなんいっぺんやって見たいよな。
でも、神の力を見せびらかすためにやられたんと違うやろ。
ポニョ:もちろん違う。お姉ちゃんのヴェンカマさんが、チットラヴァティ川の向こう岸に家を建てるために日干しレンガを作ってたんやけど、レンガが乾くまでに雨が降るとレンガが元の泥になってしまうので、雨が降りかけていたのでみんなでさとうきびの葉っぱを泥レンガの上に乗せようと、一列になって運んでいたんや。もちろんサティアも一緒や。
でも間に合いそうになかった。
ヨシオ:それで、雨よ降るな。か。俺たち何か神話の世界に生きてるみたいやな。
ポニョ:ほんまや。それと、その頃のサティアは歌を作って友達と一緒によく歌ってたんや。
それもただ歌うだけではなくて、人の為、村の為になるような事をされてたんや。
ヨシオ:歌で、色々と村人を啓蒙されてたんやな。
ポニョ:こんな面白い歌も作りはったで。あの例のスッバンマさん。覚えてる?
ヨシオ:サイババさんの口に窓越しに食べ物を食べさせてあげた近所の人で、サイババさんがスッバンマさんが死んでたのに生き返らせたゾンビ婆ちゃんやろ。
ポニョ:あのな、あんたほんまにガラ悪いわ。ゾンビ婆あは、ないやろ。
ヨシオ:俺は、尊敬を込めておばあちゃんと言ったで。ポニョやんか。ババァというたんわ。
ポニョ:おいらは、全てに神さんを見てるからババというたんや。
ヨシオ:適当にごまかすなよ。ポニョは。話しが進めへんやないか。それで、ゾンビババァがどうしたんや。
ポニョ:最初より悪くなってる…。まあええわ。つまりそのゾンババの旦那が浮気をしよったんや。
ヨシオ:何〜!ゾンババが最初の嫁はんで子供が出来ないから、二人目のピカピカの嫁はんをもらい、その上にまだ外で、女つくってるんか。なんちゅうカリユガの男の象徴みたいなおっさんや。
ポニョ:男の象徴みたいなは余計やろ。それで、その頃サイババさんは以前にも紹介したけど、子供達を集めてパンダリバジャングループを組織していて、ゾンババの家のところで練習してたんや。
それで、そのスケベエ亭主が家にいる時にみんなでこんな歌を歌ったんや。
モラルの無いい男好きの女と関係を持つことを、避けやなあかんでしょ。
でないと、あんたは自分の品格を落としまっせ。
あんたの属しているカーストでは、それが許されるんか。
そんな事してたら、あんたの親戚も親戚付き合いしてくれへんで。
友達もあんたの事しばくかもしれんで。
スケベエ亭主はこれを聞いて顔を真っ赤にして怒ったんやけど、本当の事やし、どうしようもなかったんや。
サイババさんは、このように幼少の頃からとても男女関係について厳しくて厳格なんや。
インタビューを呼ばれる場合でも、絶対に女の人のグループだけを呼ばれないし、性に関する事について、人は自分のレベルの想念をサイババさんに投影するので誤解を招くことが多いんや。
例えば、サイババさんは男の子を弄んでいるとかという噂があるけど、それを流している人の想念が作り出している妄想や。
ヨシオ:サイババさんは、普通の人が理解出来ないくらいの純粋な愛の心を持っておられるので、なかなかそれを凡人が理解することは難しい。理解しようとしても自分のレベルでしか出来ないもんな。
俺の友達も、インタビューに呼ばれて一人だけ別室に呼ばれたんや。
それで、小さな部屋の片隅にサイババさんと二人っきりで立っていたんやけど、サイババさんは突然、ズボンのチャックを下ろし始めたんや。それで、彼は顔を真っ赤にして、スワミ…あの…僕は…と口ごもっていると、サイババさんはいつものように手をクルクル回したかと思うと、油のようなものを宙から取り出し、それを素早く横腹にこぼれないように擦り込むようにして塗られたんや。そして、ズボンを上げながらこのように言われた。
お前のヘルニアをこのまま放置したら1年以内に重度のヘルニアになり、とても危険な状態だったんだよ。これでもう大丈夫だ。ヘルニアがお前を悩ますことは一生無い。と。
彼は少し腰が痛い程度だったので誰にもその事を話してなかったんだ。そしてこの話を俺にした時に、ババの母親のような愛情を思い出して途中で涙声になり、話を続けることが出来なかったんだ。
サイババさんは愛の化身や。その愛の神さんに全てを委ねれば、全ての面倒を見てくれるんだ。
お母さんの千倍も俺たちを心から愛してられる神さんや。
その神がされることを詮索したり、理解しようとする必要もないんだ。だって、神様と愛は同じなんだから…。誰も、人を真に愛するのに理由なんていらないのと一緒や。
余談だけれど、一度インドの税務署が税務調査に来たことがあった。
もちろん何の問題もなく全てクリヤーしたけど、帰る前にサイババさんの自室で聞き取り調査をしたいと言い出したんや。
それで、サイババさんは彼らを呼び、自室へと案内されたんや。
サイババさんの部屋は質素で、何枚かのローブと身の回りのものを入れている衣装ダンスと簡易ソファーベッドだけしかない部屋なんや。
彼らが、話し始める前にサイババさんはその引き出しを開けるように言われたたんや。
それで、開けるとほどんど空だったんや。それでもう一度開けるように言われたので開けると、引き出しいっぱいに札束が詰まっていたんや。
同じように何度も引き出しを開けたり閉めたりしても、同じ結果だったんや。
それで、税務署員が呆然としていると、サイババさんは、私がこの世界の全ての富を創り出し、全ての富の持ち主です。その私から一体誰が税金を取れるのでしょう。と。
もちろん、サイオーガニゼーションは法に従い、払うべきところには公明正大に支払っている。
でも、サイババさんが亡くなった時に800億円の遺産を残したとか、いろんなマスゴミが流した与太者のニュースは嘘八百や。
でも、またサイババさんが再降臨された時には、このような嘘を悪性の下痢のように垂れ流している連中も全て、涙を流しながら後悔して神の方に向かって歩み出すんや。
ポニョ:神さんから税金を取るか。さっきのサイババさんが歌を作った話に戻るけど、この他にも西洋かぶれした成金の服や飾りをしているのをからかった歌や、その頃の世界情勢を歌った歌なども作ったんや。
これらの歌や話を、大阪弁は苦手やな。標準語で読みたいなぁ。と思っている人はサイオーガニゼーションが翻訳して発行してるHis storyという本に綺麗な日本語で載っていますのでお買い求めくださいね。http://www.amazon.co.jp/His-Story-
サイババさんの同級生の話
一度、サティアが、僕に右の手のひらを見せてくれたことがあった。そこには、(神の印である)スリヴァトサという星のサインが光り輝いていたんや。また、彼が有名になってから会いに行ったんやけど、僕が誰かの横にいて寝込んでしまった時に、サティアであったサイババが、そっと来て僕に毛布をわざわざかけに来てくれたんや。その話を僕が目を覚ました時に他の信者の人が教えてくれたんや
ポニョ:サティアもいよいよ高校生になったで。それでウラヴァコンダという角度によってコブラの頭に見える岩山のある、130kmも家から離れた街へ行くことになったんや。ウラヴァコンダとは、蛇の丘という意味やねん。
そのウラヴァコンダで、サティアはお兄さんと一緒に住むんだけれどそれが、めちゃ小さい家やねん。幅が1.8mで奥行きも5mぐらいしかないところやってん。
窓も何にもない家やねん。だから、晴れの日は、屋根に並べてある木の板を幾つかとって光を入れ、雨になればそれらを置いて雨を防いでたんや。
もちろん、雨漏りなんて普通や。家に入ると左の隅に洗濯用の四角いスペースがあり、部屋の奥には火焚き用の釜があるだけの家に、意地悪な兄嫁と一緒に住んでいたんや。
ヨシオ:なんでそんな小さい家やねん。インドは人が多過ぎて混み合っているからやろうな。表も混んでるけど、ウラヴァコンダるねんやろな。
ポニョ:それって、裏は混んでるって言いたいんやろ。着いて行くのがちょっとしんどかったな。今のダジャレは。
それでウラヴァコンダに着いてお兄さんはすぐに仕事を始めたけれど、サティアは学校が始まるまで半年近くも家の仕事をしてたんや。
今回も、水運びや。それも、往復6kmも行かないと、きれいな水が無いんや。
洗濯用の水は近くの井戸で汲めるけど、飲料用の水を汲みに竹竿の両側に大きなポットを紐で結んで行ったり来たりしてたんや。
近くの井戸も入れて一日六回もやで。それで、久しぶりにお母さんと会った時に、お母さんがサティアの肩が何か変やなと気づいたんや。
腫れて硬くなってた。竹の天秤棒を毎日担ぎ過ぎてたんや。それでお母さんは、サティアは水汲みさせにウラヴァコンダに行かしたんと違うのに何やこの様は。と言って悲しんだんや。
でもサティアは、僕の家の隣の二軒分のおうちの水汲みもしてるねん。
あの人たち、きれいな飲み水がいるんや。自分らで汲みに行かれへんから。僕があの人らの為に水汲みしたげてるねん。僕が、自分で喜んで奉仕してるだけやからお母さんは心配しなくてもいいよ。と言ったのでお母さんのイシュワランマさんは、何も言えなくなったんや。
兄嫁さんは、相変わらずヒステリー気味で何の悪いこともしていないのに、サティアのほおをしばきあげるんで、時々サティアの顔が腫れ上がってるのを近所の人に目撃されてたんや。
でも、不思議なことが起こった。兄嫁の赤ちゃんが、兄嫁がサティアをしばいた日のあくる日に死んでしまったんや。
その後、お兄さんのセシャマさんが1985年に74歳で亡くなられてから、サイババさんは兄嫁さんにアシュラムに住んだらええよ。部屋をあげるから、そこに住みや。と言って兄嫁さんの面倒をいろいろと見てこられたんやで。
ポニョ:お姉ちゃんのベンカマさんが息子を連れてウラヴァコンダに移り住む事になたんや。
それで、お兄ちゃん夫婦と共に住んだ。入り口を入ったとこの部屋にお姉ちゃんと従兄弟と三人で川の字になって寝てたんや。サティアの恐怖のサソリ物語が、ここウラヴァコンダから始まるで。
ヨシオ:なんか怖そうやな。この話、だんだんサスペンス風になって来たな。
ポニョ:ここからちょっと集中してしゃべるから黙って聞きや。お姉ちゃんが昔を回想して次のように言うてはるんや。怖いで〜。エクソシスト見たいやで。
ヨシオ:でもポニョは、いろいろいっぱいやって元気やな。鯉の世話から翻訳、それと…。
ポニョ:それだけや。なんで忙しいねん。さっきも言うたやろ。集中して話すから黙って聞いときって。でないといつまで経ってもウラヴァコンダのままになるやんか。
三月四日のシヴァラトリの日の夜、晩御飯を食べ終わってから三人でパンダリバジャンを通りでやってるから見に行った。
サティアは私にちょっと行きたいとこあるから、姉ちゃん行ってもええか。そんなに時間はかかれへんから。だから、家のドアの鍵かけんとってな。すぐに帰ってくる。と言って出かけた。
自分は息子と一緒にパンダリバジャンを見て、神様への捧げ物であるプラサーダルをもらった後、家に帰り床についた。夜中にふと起きてドアのところに行くと冷たい手に触れた。暗闇の中で目を大きく開けてみると、サティアが帰って来たところだった。
「なんやあんた、こんな遅く帰って来て。どこに行っとたんや。」と聞いたけど、サティアは、小さな声で「お兄ちゃん夫婦が起きてしまう。ブダガヴィのシヴァ寺院に行って潅水をしてたんや。お土産にプラサーダル持って帰って来たよ。」と言った。
それで、ヴェンカマはサティアに「きれいに手を洗っといで、夜食作ったるから」と言った。
夜食を食べているサティアに、「まだ何かいるか。」と聞くと、サティアは、「充分いただきました。」と言ってバスルームに入って行った。すると突然、「うわ〜!」と言う大きい声で叫んだ。
「どないしたんや」と聞くと「サソリに刺された。」と言った。
急いでオイルランプであちこちサソリを探したが、いなかった。
騒ぎで起きてきたお兄ちゃんにヴェンカマは、サティアがサソリに刺されたらしいと言った。シェシャマ兄ちゃんは、薬をつけてくれた。そして、マントラを唱えてくれた。
ヨシオ:静かにせいと言っときながら自分が大声だしてお兄ちゃんを起こしてしまいよった。
ポニョ:何か痛い目にあったら誰でも大きい声あげるやんか。あんたはちょっと黙っときと云うてるのに。
お姉ちゃんは、サティアにどっか痛いとこか、腫れてる感じのとこはないか。と聞くとサティアは別にどこも無い。と答えた。それで、安心してまた寝どこに戻って寝ることにした。
翌日の朝、ヴェンカマはサッチャの唇と手が震えてるのに気がついた。でも、もうサティアはお兄ちゃんに言いつけられていた買い物をウラヴァコンダマーケットまで行って帰って来ていた。
お兄ちゃんはヴェンカマにお母さんがいつも作ってる茄子とサツマイモが入ってるカレーを作るように言った。でも、サティアはサソリに刺されたからライスとラサムしか食べたらあかん。バターミルクも摂らん方がええな。と言った。でもお姉ちゃんは、サティアが可哀想なのでちょっとカレーをとっておいて後で食べさせた。
夜になって、サティアはサンクランマ寺院に行くと言って出て行った。帰って来ると、ちょうど晩御飯の時間だった。
ヴェンカマは、「ちょうど良かった。晩御飯食べや。」と言ってお皿におかずなどを盛ってサティアに渡した。
サティアは静かに座ったまま食事をしようとしなかった。
それで、ヴェンカマはサティアの手を掴んでお皿の上に置き、「食べや。」と言って席を立った。
しばらくして戻って来ると、サティアは全然手をつけずに先程と同じ格好で、手を皿の上に置いたまま座っていた。
「サティア食べなさい。」と言って手を掴むと、いきなりドスンという音を立ててサティアはひっくり返った。
ヴェンカマは泣き叫びながらお兄ちゃんのシェシャマを呼んだ。
シェシャマは、医者を呼びに走って行った。近所の人たちも何の騒ぎかとやって来た。そして、玄関横のベランダにサティアを運び、紙に火をつけてサティアの鼻の近くに持ってきて嗅がしたり、顔に冷たい水をかけたり、色々したが手と足はまるで丸太のように硬直していた。医者も何も出来なかった。口はきつく一文字に食い縛っていて開けるのも無理だった。
明くる朝、すぐにプッタパルティの両親に電報を送った。
その間、サティアが最後に行ったサンクランマ寺院の神様に供儀をしたり、マントラを唱えたりした。
近所に住むカシバトラマーティーは、とてもサティアのことが心配だったが、医者が命に別条はないと言ったので安心した。数時間ごとに一回、サソリの解毒剤を注射しているのを4回も見たが、全く効果は無かった。
夜遅くまで何度か注射をしたが、時々身体が痙攣していた。
近所の人は、氏神さんにココナッツを捧げてみたらどうかと言ったので、早速ココナッツを持って氏神さんの社の前で地面に叩きつけて割る儀式をした。
ちょうどその頃、サティアは昏睡状態から覚めて独り言のようにブツブツと「ココナッツが三つに割れた。」と言った。
周りにいた人たちは、一体何のことかさっぱり理解出来なかった。
心配して付きっ切りで世話をしていた近所に住むカシバトラマーティーに、サティアは「僕は心配ないよ。サイババが面倒見てくれてるから。」と言った。二回目に気を失った状態になってから12時間後、サティアは目を大きく開けて、突然偉大な詩人たちの作った詩を声を上げて唱え始めた。
そして、突然ベッドから飛び起きて、狂気のように振る舞うので常に六人から八人の人が付きっ切りでベッドの側にいなくてはならなかった。
そうしている間も、偉大な格調の高い詩を途切れなく唱えていた。
お兄ちゃんのシェシャマはテルグ語の先生で、テルグ文学に秀でていたので、弟が唱えている詩はとてもレベルの高いものであり、それを自作しているというのが分かった。自作の詩でないものも有ったが、それはとても有名な詩人が書いたもので、もちろんサティアがその本を読んだということことなど聞いたことがなかったので、とても驚いた。
シェシャマは、高校の生徒会長だったアブダルカデールに、五六人学生を集めてくれと頼んだ。
というのも、三時間ごとにサティアの身体に誰か屈強の男が乗り移ったみたいに暴れ出すので、みんなで身体中をベッドに押さえつけなければならなかったからだった。
そして、そんな状態が八日の間も毎日毎晩続いた。そして、ついに普通の前のようなサティアに戻った。お兄さんのシェシャマはとても喜び、早速サティアの手を引いて医者の元に行ったが、精神的なものなのでどうしようもないと言われた。
そうしてるうちに、お兄ちゃんは学生にプッタパルティに行って両親を連れてくるように言った。でもサティアは、そんな必要はない。僕らの両親は何時何分に到着するバスで来るよ。と言った。そして、その時間にバス停に行くと両親はバスから降りてきた。
サティアは、その頃近所に住むナラヤナシャストリさんがバガヴァッタムを、間違えて覚えているから正さなければならないので、ここに連れてきて欲しいと言った。
それを聞いたナラヤナシャストリさんはとても怒ってあんなガキにハムサギータの何が分かるんや。と言って取り合わなかったが、サティアのお父さんがわざわざ行ってお願いして二人は顔を合わした。
サティアは、ハムサギータの一番難しいパラグラフを易しい言葉で解説したので、ナラヤナシャストリさんはびっくりした。そして、この子は見かけは少年だが偉大な霊が取り付いていると思い、足元にひれ伏した。
また医者などが来てサティアの様子を見たが、ある占星術士はタントリックの治療をすれば良いと言ってやって来た。彼が家に入ると同時にサッチャは、「僕は全ての中にある全てなのだ。君は僕に何も出来ないのだ。帰りなさい。」と言った。
占星術士は、彼に取り憑いているのは幽霊なんかではない。神聖なものだ。と言って去った。
同級生の証言
彼はしばしば私のノートを借りにきたの。私はいやいや貸したげた。それで、サティアにあんたはいつも何にも準備もせんと学校に来るねんな。そんなんしてたら先生に叱られるで。明日からでもちゃんと準備してから学校においでや。と言ったんや。
ポニョ:それでは昨日の続きやけど、サティアが、自分がサイババやと宣言するまでいろんな事が起こったんやな。
ヨシオ:身近に居てたヴェンカマ姉ちゃんのおかげで、詳しい今まで知らんかった事がいろいろと明らかになった。でも、この後やろ。もっとひどい目に遭うのんは。
ポニョ:そうや。モプーワアパヤサミーという薬草療法する医者が、今までこういう精神異常の患者をたくさん見てきて治療に成功してると云う話を聞いて、その医者のところまでサティアを連れて行ったんや。
二日間に渡って、とても横では見ていられ無いほどの荒治療やったんや。それでお姉ちゃんは、もうこれで十分や。と言って自分が付けていたイヤリングを外して医者に手渡し、サティアを連れて帰ってきたんや。
ヨシオ:サイババさんはそういう酷いことをやられても全然痛みもなかったし、自分の神聖さを証明するためには、こういう治療を受けたんだと後で御講話で言うてはったな。
それは酷いもんやったな。俺が、話を聞いて覚えているだけでも、まず隣の村の散髪屋が来て頭を剃られた後、身体を縛られて頭から池の水を高いところから100杯以上もかけられたり、頭の皮膚を深く大きく十字形にナイフで切られて、いろんな薬草やヒリヒリするものを擦り込まれたり、目の中にチリのようなものを入れられて真っ赤に目が腫れたり、ひどいのは、地面に穴を掘って首まで埋められて牛糞や薬草を熱く煮ったやつを周りに入れられたり、まるで拷問みたいやった。
ポニョ:よう覚えてるな。そんなにたくさん。おいら何にも言うことなくなったで。
でも、実際そこに居てた人が、どんな風に言うてるか聞いて見よか。
ヨシオ:俺はあんまり気が乗れへんわ。そんなん可哀想で聞いてられへんな。でも知りたい。
ポニョ:どっちやねん。いったい。
でも、このひどい治療をして帰る途中に不思議なことがあったんや。
一つ目は、サティアが今度はサソリの時と違って、本当に蛇に噛まれたんや。周りについていた人は、その蛇をすぐに殺したんやけど、サティアはその蛇を生き返らせたんや。
そのあと大きなワシがどこからともなく飛んで来て、サティアのいたとこまで来たかと思うと3回クルクルクルとサティアの周りを飛んでどっかに行ってしまったんや。
それで、みんなワシに気を取られて見ていたんやけど、そのあとサティアを見ると、十字形に切られた頭の傷が消えて無くなっていたんやで。
家に到着してからも、サティアの奇行は続き、ベッドから起き上がったと思っても頭を垂れたままで、そのままベッドから転がり落ちたりしてたんや。
また、時折、誰も止められないほどの馬鹿力を出して暴れるので、とうとう部屋に鍵をかけて閉じ込めたんや。
それで、時々窓からご飯を差し入れた。
ヨシオ:ほんまに気狂い扱いやな。それぐらい酷かったんやな。家族の人はもう大変やったやろな。
ポニョ:叔父さんで薬草専門家のチャンドラモウリがやって来て、サティアが部屋に閉じ込められてるのを見たんや。それで、こんな事をしたら可哀想やと言ってみんなが反対しているのにも関わらず、ドアを開けて部屋に入って行ったんや。
そして、持って来た薬草をサティアに食べさそうと、サティアの手を掴んで押さえながら口に薬草を持って行こうとすると、サティアは自由に動かせる足でチャンドラモウリさんの顔を回し蹴りにして歯を二本折ったんやで。そのあと、長い間叔父さんは顔を腫らしてたんや。
ヨシオ:なんやて。回し蹴り?サイババさんは、非暴力の教えを自分で破ったらあかんやんか。
俺にも至近距離でキャンディをぶつけるし。
ポニョ:あんた結構執念深いのんと違うか。キャンディぶつけられた話もう随分前やのにまだ忘れてへんのか。
ヨシオ:俺は巳年やから執念深いで。でも何で愛の神さんがそんな事しはるんやろ。
ポニョ:多分、この時は神の大きな霊力が子供のサティアの持ってる霊体には大きすぎたんやろうな。それにその子供の霊体に入りはじめてる時で、まだ不安定やったんと違うか。
ヨシオ:そうかもしれんな。それともこのおじさん、神さんに回し蹴りにされるカルマを持ってたんやろか。それにしても回し蹴りはひどい。俺も色々喧嘩してきたけど、まだ若くてケツが青い時にチンピラに喧嘩を売られたんで、パンチして歯を六本折ったった事あるで。その時のパンチの反動で俺の肩も同時に脱臼したけど。(汗)サティアより俺の方が折った歯は四本多いな。ということで今回は俺の勝ちや。
ポニョ:そんなん自慢してどうするねん。非暴力の教えを守りましょう。
それでその叔父さん、後で恐るおそるサティアの部屋を覗いたら、サティアが自分の座っている木の板ごと部屋の真ん中で宙に浮かんでたんやて。
サティアの家の前に住んでいた、いとこの娘さんがこんなことを言ってる。
四週間にわたってサティアは誰とも話さなかったわ。彼の素行は気狂いそのものだったのよ。
頭はいつも垂れたままで、ベッドからもよく転げ落ちていたわね。
でも、ある日僕はもう食事をしたよと言って手を見せてくれたわ。その手からは、とても美味しそうなご馳走の匂いが残っていたわ。
また、自分の手を握って指を閉じ、君たちにこの指を動かして僕の手を広げれるかな。と言ったので、みんなで指を開こうとしたけどすごい力で、そこにいた誰も出来なかったのよ。そして、サティアが自分で手を広げるとそこには、花や、ココナッツのかけらや、ヴィブティや、キャンディがあったわ。
みんなは訝しがってサティアに、何でこんな事をするんや。あんたは一体誰やねん。と尋ねたら
サティアは、木曜日にシャワーを浴びて家を綺麗に掃き清めたら、その答えを言ってあげてもいいよ。と言ったけどその時は何も言ってくれなかったのよ。
サティアの噂を聞きつけて、プッタパルティ出身で名誉村民である弁護士のクリシュナマチャリがやって来た。そして、サティアと会いこう言った。
この子の身体は、とても強力な悪魔に乗っ取られとる。その辺の氏神さんや神さんでは、その悪魔を追い出すことなんて出来ん。こういうケースは、ナラシンハ神の寺院へ連れて行くしかないだろう。
と言って、その寺院までの地図を書き始めた途端、サティアは、「クリシュナマチャリの叔父さん。変なことを言わないで欲しいな。そのナラシンハ寺院に祀っている神さんって誰だか知ってるのかい。僕だよ。そこに僕を連れて行くって言うのかい。それじゃ、僕が僕を拝みに行くってことなんかい?」と言った。
そうしているうちに、気が狂った行為は影を潜め始めた。その代わり、以前のように詩を唱えたり、時々突然トランス状態になった。
そして、5月の23日がやって来た。記念すべきサティアが自分自身を神の化身だと宣言した日だ。
その日、お父さんのベッダさんは通りを歩いているとサティアのおじいさんのコンダマさんのベランダで、サティアが大勢の人に囲まれているのを見つけた。
ベッダさんは、名誉村民であるクリシュナマチャリが言った言葉を思い返していた。とても強力な悪魔に乗っ取られとる。ナラシンハ神にお願いして追い出してもらいなさい。
それは、とても良い考えのように思われたのに、サティアは自分がそのナラシンハ神やとぬかしよった。けしからん奴じゃ。ナラシンハ神を冒涜しとる。と考えていると怒りがこみ上げてきた。ワシのサティアを乗っ取った悪魔は誰じゃ。と思い、その辺に転がっていた杖を拾って頭にかざしながらサティアに詰め寄った。そして、サティアを押しながら、もうこの辺で馬鹿な劇はやめてもらおうやないか。お前は一体、幽霊か、ゴロツキか、それとも気狂いなのか。それともナラシンハ神なのか、ナーラーヤナ神なのか、自分で白状しろ。
この時に初めて、サティアは自分の真の名前を世に宣言したのです。
僕の名前は、サイババです。と。お父さんのベッダさんはそれを聞いて振り上げた杖を手から落としました。そして、ワシはお前がサイババであろうがハイババであろうが知ったことじゃない。一刻も早くワシの息子の身体から出て行け。そしてここからいなくなれ。と叫んだ。
それは出来ません。私はサイババなのです。私はアパスタンハストらに属しており、バラドゥワジャゴトラの……私がこの世に来たのは、ヴェンカアヴァドゥータや他の聖者の祈りに答えてやって来たのです。
私は、あなたを祝福します。そして、あなたに降りかかる全ての困難を取り除くでしょう。毎週木曜日のグルの日には、私を祀りなさい。そして、あなたの心と家をきれいに掃き清めなさい。と宣言したのです。
その日の午後、サティアはずっと、アバスタンハスト、パラドゥワジャゴトラと何度も何度も、聖者の名前を繰り返して唱えていた。
ポニョ:そしてこの後、いよいよ世界に向かって少しずつ僕はサイババや、と奇跡を見せて宣言し始めてるんや。前までは、お父さんに言っただけやろ。今回は違うねんで。
サティアは、やがてだんだんと普通に戻って行った。もうあの気狂いじみた振る舞いも過去のものとなった。
そんな時、サティアがシルディサイババだと宣言した噂を聞いて、ペヌコンダに住んでいるシルディサイババの信者のケシャヴァイヤという登記所の副係官をしている人がサティアの家にやって来た。
ケシャヴァイヤは、サティアに「お前のことは誰か俺はよく知っている。
お前は、ヴェンカパとイシュワランマのガキやないか。でも、お前が俺が礼拝しているシルディサイババと言うんやったら、ここに証拠を見せてみろ。」と挑戦した。
イシュワランマは、えらい傲慢な感じの人が家で話しているなと部屋に入って来た。
それを見て、サティアはお母さんに花を持って来るように頼んだ。ケシャヴァイヤもお母さんにお願いしますと一緒に頼んだ。イシュワランマが花を持ってくると、それらをサティアは素早く床にばら撒いきながら、「これが証明だ。」と言った。
そこには、床に散らばったはずの花びらがテルグ語でサイババと綴ってあった。
ケシャヴァイヤは、その後四日間プッタパルティにとどまり、帰る日にサティアに「お前は、俺より偉大な男になるやろうな。偉大なことが起こるやろう。世界中がお前の元にやってくるやろうな。お前の足元にひれ伏しに世界の支配者や、天使でさえもやって来るやろうな。」と言って去った。
サティアは、普通に戻ったとはいえまだまだ一般人のようにはいかなかった。夜中にさまよい歩いたりしたので、お姉ちゃんのヴェンカマはサティアとその友達数人を自分の家に呼び、夜中に彷徨わないように見張るように頼んだ。
しかし、夜中にサティアは、突然起き上がり何処かに行こうとしたので。数人かかってベッドに押さえつけた。
サティアは、ふと周りを見渡して「なんだ君達いつからここにいるんだい。バジャンをやってる最中じゃないか。今度は、君たちも一緒に参加すればいいよ。」と言った。
村の人々は、サティアは気が触れている少年だ。と言ったが、サティアは、「気が触れているのはあんたたちの方で、僕は正常だよ。」と言った。
サティアがサイババだということを人々に知られるようになって、シルディサイババを礼拝する会に人々が参加するようになってきた。
実際のところ、二人の叔父はサティアが、サイババだと宣言する以前からシルディサイババの信者で彼らはもちろんその会に参加していた。
サティアは、礼拝している時に時々トランス状態に陥っているのが見受けられた。
叔父たちは、声を上げてシルディサイババの伝記を読むと、サティアはその本のどのページのどの部分が実際とは違っているとコメントをしていた。
その会には、近所の悪ガキもサティアを試したり、いじめようと来ることもあった。
サティアは、何か美味しいものでも買っておいでと言って、宙からお金を出して与えたりしていた。また、彼らをチットラヴァティ川原へ連れて行って、何か欲しいものは無いのかい。と聞いて、砂の中からキャンディーやら色んなお菓子を出したり、手をクルクル回してヴィブティを出したりしてあげていたので、人がサティアの後をいつも着いて歩くようになった。
誰かが、マンゴーを欲しいと言った時にサティアは、マンゴーならガンガンマ寺院のタマリンドの木になってるよ。取りに行けばいいよ。と言ったので、みんなで行くと確かに熟れたマンゴーがたくさんタマリンドの木になっていた。
サイババの偉大な魂は、ゆっくりとサティアの身体の中に治まって行った。
のちになってある人が、どうしてサイババがサティアの身体の中に入る時にそんなにもいろんな苦しい目に合わなければならなかったのかということを聞いたことがある。
サティアであったサイババは、こう答えた。「その当時、私がすぐにサティアの身体の中に入ってサイババだと言っても誰も相手にしなかっただろう。だから、ゆっくりと時間をかけて入って行ったのだよ。それともう一つの理由は、私が身体の中に入って行く過程での苦しみに対して、どれほどの忍耐と愛を私が持っているのかという、一つの模範を人類に見せようとしたんだよ。」と言った。
これほどの奇跡が起こっても、兄のシェシャマは弟の言うことに対してとても懐疑的だった。
しかし、木曜日に行われるバジャンでシェシャマは、サティアのおでこにヴィブティが吹き出しているのを見た。また、サティアが座るために置いてある木の板がひとりでに動き出して、サティアの足元まで動いているのを見た。
また、ライムが宙から現れたり、ジャスミンの花が現れたり、ヴィブティが現れたりするのを見た。また、一ルピー札が自分で壁をよじ登って行って消えてしまうのも見た。
サティアは、木曜日になるとよく、トランス状態になっていた。
シェシャマは、こういうサティアの奇跡を見たりするうちに、だんだんサティアのことを理解し始めてきた。しかし、村の中で何もせずに将来、どのようにしサティアは生活を営んで行くのだろうか。弟を思うあまりシェシャマは、ある結論に達した。そうだ少なくとも教育は受けさせるべきだと。
それで、夏休みも終わり、サティアを自分の働いている学校に戻すことにした。
サティアを見送るために、イシュワランマはチットラヴァティ川を一緒に渡っていった。そしてもう自分だけの息子ではなく、世界中の教師として世界の全ての人のものになるであろうサティアに手を振った。
同級生の証言①
俺はあいつの事を全然神様だなんて信じてない。でもあいつがいろんな物質化現象をして物を出しているのを後ろからこっそり見たけどマジックとかではないぜ。本物だぜ。
同級生の証言②
毎週木曜日になると、サティアはいつも決まって先生の許可をもらってから早引けしてたな。
それで家に帰ってバジャンをするんやけど夜の9時までやってたで
ヨシオ:今日からポニョと交代して俺が翻訳します。翻訳してると、サイババさんが如何に愛の化身かって事が分かるので胸キュンになるよな。本当に愛の神様やなぁって分かるわ。
ポニョ:そうやな。これで、おいらもちょっと肩の荷が取れた。またいつでも交代したるで。
ヨシオ:よっしゃ。その時は頼むわ。それはそうと今回パースで、インド人の友達が出来たんや。とても愛がいっぱいで素晴らしい青年やったで。子供を産むために奥さんがインドに帰って、今はこちらで一人なんやけど、優しい子やった。ジャイナ教徒で、一緒に公園に行っても芝生の上を歩くと中に居てる虫さんを殺すから歩けへんねん。と言ってた。
もちろんベジタリアンで、美味しくて安いベジタリアンのランチセットを売ってるとこも教えてもらったわ。
ポニョ:ほう。どんなランチやった。
ヨシオ:そうくると思ったわ。口に入れる事やったら興味しんしんやな。二種類のカレーとご飯と二枚のナンが付いてて500円や。どうや参ったか。
ポニョ:参ったな。めちゃ買い得やないの。美味しかったか。
ヨシオ:そら最高やった。お湯で温めて食べたらええねんけど、電子レンジやったら五分で出来るけど、電磁波の問題があって良くないやろ。
ポニョ:そうや、食べ物も影響を受けるからあかんで。
ヨシオ:でもこのセットインドやったら30円で売ってるんやて。日本に輸入したらええ商売なるで。ベジタリアンやし。ちょっとでも菜食の人が増えるってええ事やろ。菜食のレトルトカレーも150円で売ってたわ。
ポニョ:それは安いやないの。後で製品のこと教えてといて。
ヨシオ:それで、その人は、両親を絶対に老人ホームに入れないって言ってたな。もし入れたら周りの社会が白い目で見て親戚一同の息子や娘の結婚話が壊れるらしい。
ポニョ:それはすごいな。それやったら老人ホームてないんと違うのん。
ヨシオ:最近になって少し出来たらしいけど、まだ無いのと一緒やって言うてたな。その人の家も一つ屋根に55人も住んでいて、必ずみんなでおじいちゃんおばあちゃんの面倒を死ぬまで見るっていうてた。
ポニョ:55人も家族がいてるんけ。多いな。
ヨシオ:14世代まで遡れる家系図があるって言ってたな。
それと気になったんは、やはりビルゲー出るツが大株主のモンサントがやはり悪い事をしていて遺伝子操作の綿のタネを役人を買収してそれしか使わないようにさせ、収穫が減ればまた、モンサントの製品を買わして土壌改悪をし、土地を土をめちゃくちゃにして収穫を減らして借金漬けにして倒産さすらしい。そのために、農家の人が三十万人も自殺してるんやて。
ポニョ:それはひどいな。
ヨシオ:その後ろには、今インドは不動産ブームで開発開発で、田舎の土地を地上げ屋が買いまくってるらしい。それで、倒産した農家から買い叩いているようや。
ポニョ:世界中で悪さをしとるな。でも、自殺したら良くないんやって以前、記事にも書いたよな。なんとかインドのみなさん立ち上がってがんばって下さいね。モンサントは、普通の種屋さんと違いまっせ。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/cdf3fcd0d88457447e0fe9ee235ca109
ヨシオ:その人と話していて面白かったんは、ホロスコープを見て嫁さんを探したんやて。それで、全部で38項目あって30から36項目が一緒やったら良い結婚生活出来るらしい。
逆に37とか8まで一緒やったら、似たもんすぎて良くないんやて。
俺とこなんか、全く性格が反対やから二つとか三つぐらいしか項目がマッチしてなかったと思うわ。
だって、嫁さんの事を理解するのに四十年かかったで。俺たち、若くして出会ったから。
インドでは、なんぼ美人の娘と出会っても二十ぐらいの項目しか合ってなかったら、すぐに違う人を探すって言っていた。
ポニョ:それってもったいないな。こっちに回してくれたらええのに。
ヨシオ:また、ポニョの妄想が始まった。それでは、ウラヴァコンダの中高校でのサイババさんの様子をお届けします。
ポニョ:ところでサティアは、何年生になったんや。
ヨシオ:八年生や。日本やったら中学二年生かな。とても良い生徒で先生からの信頼も高かった。
毎週木曜日になると早引けして、家でバジャンをした。
学校でも、神へ捧げる歌を歌ったりしてたので学校ではみんなの模範生となっていた。
先生も毎週木曜日に、サティアが早引けすることを止める先生は誰もいなかった。
バジャンは、夕方五時ごろに始まり八時か九時まで続いた。
バジャンが終わると、サティアはヴィブティや果物、お菓子などを物質化して皆に分け与えた。
そして、人々のよろず相談にも乗った。
学校でも、木曜日になるとサティアは友達の頭に手をかざして黄色い米を振りかけたりしたことがある。友達は、どこからこのような礼拝に使う米を出してくるのかと聞くと、手のひらの真ん中にロータスの絵があり、それを左手の指で指差してここから出てくると言った。
ポニョ:黄色い米って吉祥の印なんやろ。
ヨシオ:俺も、ダルシャンで座っていたら、サイババさんが俺の頭の上で手を振られたと思ったら、黄色い米がいっぱい手のひらから出て来たことがある。頭の毛の中や服の中とかが、黄色い米だらけになったけど、なんか意味があるんやろうか。周りの人が、米の取り合いしとったけど。
ポニョ:あんたに悪霊でも引っ付いとったんと違うか。除霊や。
ヨシオ:除霊やて?なんでやねん。ひどいこと言わんとってや。除霊やったら髪の毛を掴んでクルクル回しはるんと違うかったんか。俺に変な霊なんか付いてませんよ〜だ。除霊って条霊で禁止されてて霊儀知らずや。それは失霊で非霊や。
ポニョ:ほっといたらいつまでも言葉で遊べるねんな。あんたは。
ヨシオ:それで学校が引けると、サティアは友達を連れてスッブラマンニャン寺院へ行き、そこで社会に出たらモラルのある生活をしなくてはならないということを、教えて説いたんや。そのあと、みんなに、シルディババを讃える歌を教えた。
ポニョ:中学の一二年生がこんな事をするなんて考えられないな。子供の時から、モラルのある生活をしなさいと教えてはったんや。それが突然、幼児凌辱犯罪行為をしたり、お金を不正に貯めたりしてるってマスゴミやネットで反サイババキャンペーンを張られるなんて、サイババさんをよく知っている人から見たら滑稽な嘘つきキャンペーンてすぐ分かる。
サイババさんのやっておられる事、無料の病院や学校、困った人々への奉仕、家族を大切にしたり、目上の人や年寄りを尊敬して大切に扱うというような教えは、権力やマスゴミを握っていて、悪魔を信仰をしている者たちにとって、全く反対の教えであって受け入れられないんや。
ヨシオ:だから、金を出してでも反サイババキャンペーンをしているんやな。でも、こういうことがあって、嘘を信じてサイババさんから離れて行った人は、サイババさんが空に現れたりしたら慌てて戻って来るんやろうな。
ポニョ:後悔しながらな。それをサイババさんが狙ってはるんやろうな。信仰心が強固になって帰ってくるんや。
ヨシオ:さて、サティアは級友達といつも、バジャンやモラルの話を遅くまでしていたので、級友達は宿題をする時間がありませんでした。それで、何度も先生や家の人にぶたれたのです。
サティアも例外ではありませんでした。
意地悪な兄嫁さんは、あんたは自分の事をきちんとわきまえてるんか。いつもブラミンの子供達と出歩いて、自分がブラミンのカーストになったと思っているんと違うか。あの子らはな、別に勉強なんてしなくても、将来家から家へと渡ってムニャムニャお祈りを唱えてたら、食べるもんにありつけるんや。あんたは、ブラミンと違うからそんな托鉢なんかでけへんのやで。勉強をしっかりやらな、食うていかれへんで。分かってんのんかあんたは。と言っていつもしかれた。
同級生の証言
サティアはその辺に居てる普通の男の子やったで。ただ、背が低くて色も黒くなかったな。でも、とてもええ子やったな。静かであんまり喋らへんけどな。
ヨシオ:さて、その学校でサティアは幾つか興味ある奇跡をしました。一つは、イスラム教徒である馬車引きが、自分の商売道具である馬を逃がしてしまったのです。それで、餌を食べてない馬が、お腹をすかして何処かを彷徨っていると思いあちこち探したけれど、見つかりませんでした。
ある人が、よろず相談にのっているサティアのところに行けばいいよと教えたので、やって来ました。
サティアは、その馬なら、1,5km街外れの木立のあるところで草を食べてるよ。と教えました。
ポニョ:それって、シルディサイババの時のエピソードと一緒やんか。
ヨシオ:そうやな。次に、ある人が、高価なペンを無くしたので探して欲しいと相談に来ました。サティアは、そのペンならあんたの召使が盗んだよと教えました。でも、その人は召使に全幅の信頼を置いていたので信用しませんでした。でも、ある日意を決して、召使いがいない時を見計らって持ち物を調べましたが、ペンは無かったのです。それで、サティアに文句を言うと、サティアはそのペンならもうその召使がアナンタプールに住んでいる自分の息子に送ったと言いました。
それで、調べてみると確かに自分のペンをその息子が使っていたのでした。
このような奇跡の話が町中に広まりました。その結果、たくさんの人々が木曜日の礼拝の会にやって来るようになりました。
でも、お兄ちゃんのシェシャマは嬉しく思いませんでした。というのも、サティアがこんな事をしていたら学校を卒業出来なくなるのではないかと心配したからです。
サティアは、あのテルグ語の先生(兄の事)は僕のことを何にも分かってないんだ。と人に言っていました。
ある日、ヴェンカタラマナという科学の先生が、サティアを試しに来ました。先生は今からココナッツを割るけど、いくつになって割れるか分かるかい。と聞きました。
サティアは五つになって割れるよと言いました。地面にココナッツを叩き付けて割ると、確かに五つになって割れました。
でも、ヴェンカタラマナは、サティアのことを信用していませんでした。ある日、ヴェンカタラマナは、鋭い差し込むような胃痛で苦しんでいました。医者に行ったけど、治りませんでした。
他の先生方が、サティアのところに行って治してもらいなさいと言ったんだけど、自分の生徒のところに行って治して下さいとお願いすることは、先生としてのプライドが許さないと思っていたのです。
でもある日、先生の奥さんがサティアと会った時に、サティアは先生の胃痛の加減はどうですか。まだ痛みますか。先生にこれを飲むように言って下さい。と言ってビブティを宙から取り出し手渡した。そしてそれを飲んですぐ、ヴェンカタラマナの胃痛は消えてしまったのだった。
それ以来、この先生はサティアの熱心な帰依者になった。
校長先生のラクシュミパディは、毎週日曜日に自宅でバジャンをやっていた。サティアはそれにいつも参加して歌を歌い、バラの花を物質化して、奥さんにプレゼントしたりしていた。
生徒会長がサティアに会おうと木曜日の礼拝の会に行くと百五十人もの人が長い行列を作ってサティアのよろず相談に来ていた。
サティアに、いつ頃インドは独立出来るのか尋ねたところ、1947年8月15日と答えたんだけれど、誰もその事を信じなかった。でもその四年後にインドがイギリスの支配から抜け出して独立した時に初めて、その生徒会長はサティアの神聖さに気が付いたのだった。
サイババさんの同級生の証言
みんなは、あいつの身体に神さんが木曜日に入ったんやと言ってたな。
ヨシオ:サティアは、友達を連れてブッダガヴィのシヴァ寺院に行きました。そこで友達は、サティアの顔から光が溢れ出て来るのをみました。そして、その光はそこに祀ってある神の像の周りを巡った後再びサティアの元に戻って行くのを見ました。
アンジャネユルは、サティアととても親しい関係で、ある日サティアにシルディババの像を買い求めるように言われました。
しかし、当時、その地方でシルディババの像を手に入れるのは至難の技でした。
しかしサティアはアンジャネユルに、ペンノホビィリアムで開かれているマーケットに行けばシルディババの像が手に入ると教えました。
そして、そこに行くとサティアの言う通りシルディババの像が売りに出されていたのでした。
アンジャネユルは、シルディババの信者だったのでその像を自宅にある大きな丸い岩の上に虎の皮を敷きその上に据えました。
その岩は、後にサイババ岩と呼ばれるようになりました。
サティアは、アンジャネユルの家で毎週木曜日に行われるバジャン会に参加しました。
そこは、町外れにあってとても静かだったので人々は、少し遠いのにも関わらず喜んで参加しました。
息子のダス君はサティアの級友で当時の様子を次のように語っています。
サティアを連れて家に行き、クラスメイトを連れて来たよ、って家族のみんなに紹介したんだ。
すぐに、みんなサティアのことが一度に好きになったよ。
彼は、毎朝、学校に行く前に僕の家に寄ってくれて僕の両親に挨拶するんだ。
そして、二人で肩を並べて学校に通ったものさ。
時々、お父さんはサティアを食事に誘ったりしてた。それで、僕の家でサティアも一緒に来て喜んで食事をしたんだよ。
彼は、学校の制服である白いシャツとカーキ色の半ズボンをいつも履いていたんだけれど、ある日シャツのボタンが取れたのでお母さんに付けてくれるように頼んでたな。
でも、シャツが破れていたからお父さんが新しいのを買ってきて、サティアにプレゼントしたんだよ。本当に僕たちはいつも一緒だったんだ。
学校が引けると僕たちは他の友達も誘ってサッカーをして遊んだな。
サティアはいつもゴールキーパーをやっていた。
サッカーをしたって言っても、そんなに勝ち負けに必死になるんじゃなくて、もっとお互いをいたわり合った、愛のある試合だったよ
ある木曜日の夜、彼は学校から直接僕の家に来てシャワーを浴び、きれいなシルクの服を着てバジャン会に臨んだんだ。
そして、シルディババの像に向かって礼拝の儀式をした後、自分が作った二曲の歌を歌ったんだ。そして、みんなに一緒にコーラスのように彼に着いて歌うように言ったんだ。
一つ目は、マーナサバジャレでもう一つの曲は、ババ ラーヴァ サイババ ラーヴァだったよ。
そして、バジャン会の間、サティアは歌に集中していて三四時間の間、身体を前や後ろにゆっくりと揺らしていたな。光が彼の身体から出て来てたよ。
そして、バジャンの間にビヴティや、シルディババの着ていた服の切れ端やら、写真や花を信者の求めに応じて物質化してあげていたよ。
そして、果物やキャンディーをバジャンの最中に突然手を上に真っ直ぐ上げたと思ったら、手のひらの中にそれらのものを掴んでいて、みんなに配っていた。
そして、バジャン会が終わるとお供え物をみんなに配るんだけど、サティアはみなさん口を開けて下さい。と言って彼が自らお供え物を皆の口の中に皆の間を回って入れて食べさせてたよ。
他の捧げ物はそれぞれが持って帰った。
誰も、サティアがどの人に何をあげるかは、全く予想出来なかったんだ。
そして、そこに来ていた人に、日時と場所を指定してそこに来るように言ってインタビューを与えたりしていた。
そして、バジャン会の最後に僕はそろそろ行くのでアラティをしよう。というのが常だった。そして、ココナッツを床にぶつけて割るんだ。
そのあと、いつもサティアは気を失ってぶっ倒れるんだ。部屋のどこで倒れるか分からないので、僕たちは手分けして部屋のあちこちに立つんだよ。
それで、サティアが気を失って倒れると、お父さんがサティアの頭を膝に置いて、顔をうちわで扇ぐんだ。いつも、約十五分かそこらで気を取り戻すんだけれど、気を取り戻した時はとても疲れた様子で目が真っ赤に充血していたよ。
そして、お母さんにマンガラアラティをするように言っていた。
ある日、サティアは、お父さんに家の人だけに見せたいのでサティアが書き下ろした劇をするので舞台を作るように頼んだんだ。
お父さんは、八人の観客しかいない家族のために舞台を作ったんだよ。
それで、サティアはお母さんのサリーを着たんだけど、お父さんが着るのを手伝ったんだ。
僕の妹がディヴェンドルドゥの役をして、僕はなんとクリシュナの役だったんだ。
この劇の中でとても怖かったシーンが有ったんだ。
それは、サティアが演じるサティアバーマが、怒り狂ってクリシュナの頭を蹴るシーンなんだ。それで、僕が演じるクリシュナはそのあと、あなたの回し蹴りが僕の頭をかすったのでとても怖かった。というセリフがあるんだけれど、今から思い出してもあの時の回し蹴りはとても恐ろしくて、僕の頭を本当にかすったんだよ。
でも、今から考えるとあの時、クラスの仲間であった僕に、お前の罪を取るためだから私の足にひれ伏しなさい。という代わりに、神の化身自らが僕の罪を取り去るために、足を上げて僕の頭を触ってくださったって分かったんだ。
親友だった僕の為に、わざわざこんな劇を書いてくれて、そして、僕のカルマを取ってくれたサティアに今では感謝の気持ち以外何も出て来ません。
僕は、本当に祝福されていると今では思っています。
サイババさんの同級生の証言
俺が最初にサティアに会ったんは、学校の読書室やったな。俺は、サティアが変な風になって身体を取り押さえてくれるかと頼まれたんであいつの家まで最初の飛んで行ったうちの一人やねん。もうそら、めちゃくちゃやったで。自分の身体を傷つける事を平気でやるし。でも、医者が来て一週間ぐらいしてやっと普通に戻ったな。
ポニョ:昔、超能力を持ってるいろんな人がおもろいことをやってたな
ヨシオ:ほら、ユリゲラーのスプーン曲げとか、日本人の男の子の清田君とかもやってたよな。俺、昔、サイの会というところまで行って清田君のスプーン曲げを見に行ったことがある。
ポニョ:おいらもムーという雑誌でヨギが空中浮揚してる写真を見たことがあって、調べてみたら一見飛んでるみたいやけど、実際は跳ねて一番飛んだところを写真で撮っただけやったんや。
そんなこと全然知らんかったから、一生懸命あぐらを組んで跳ねてたら尾てい骨を打って笑泣きした事があったな。
ヨシオ:でも、俺の家に居候してた日本から来た高校の日本語教師は面白いこと言うてたで。
その人がインドのスリニガルというところでボートを湖に浮かべて漕いで湖の真ん中ぐらいに来た時に、前からやはりおっちゃんが一人で船を漕いでいてすれ違ったんや。
その時、そのおっちゃんは空を指差したんや。それで空になんかあるんやろうかと思って見るとおばちゃんがあぐら座りをして神様への賛歌を空中十メーターぐらいのところで歌っていたんやて。
その人はびっくりして、そのボートを漕いでいたおっちゃんに聞くと、毎週一回その人の信仰している神様の日に、湖の真ん中にボートで連れて行き、神への賛歌を歌い始めると自然に身体が宙に浮かび始め一時間ほどして迎えに行った時に降りてくるらしい。
ポニョ:それはすごい術や。一度そんな事やって見たいぜよ。
ヨシオ:でも、インドってすごい奥深いところやな。そんなおばちゃんがその辺にいてるんやもんな。
ポニョ:ということで、ババのストーリーに行きましょか。
ヨシオ:よっしゃー。サティアの学校の先生のタミラジュの奥さんのカメーシュワランマを、サティアは自分のお母さんのように慕っていて、いつもお母さんと呼んでいました。
クリシュナ神の誕生日に、サティアはカメーシュワランマやお姉さんのヴェンカマ達に、カメーシュワランマの家で神聖なヴィジョンを見せてあげようと言いました。
そのために、神が座る玉座を用意するように言いました。
彼がその玉座に座り、私達にその横に席を取るように言いました。
そして、サティアは自分の前世の姿や奇跡を見たくないか。とみんなに聞きました。
私たちは、もちろん見たいです。と答えました。それで、そこにいた全ての家族の人を呼び寄せ、彼らもそれを見ることを許しました。
次に、サティアは、自分を注視するように言いました。
私たちが、何が起こるんだろうかと興奮しながらサティアを見ていると、突然サティアの姿がヴィシュヌ神に変わり多くの頭のある大蛇の上に横になりながら乳海に浮かんでいるヴィジョンが見えました。
そして、どこからともなく声が聞こえてきて、次に見える神の姿を知らせてくれました。
それは、象の神ガジェンドラ神でした。その長い鼻を地平線の向こうにまで伸ばして、ヴィシュヌ神に挨拶をしているのが見えました。次のシーンに変わる前に声だけが何処からともなく聞こえて来て、次の神の御姿をアナウンスしてくれました。
そして、次に見えたのは牧童だったクリシュナ神が木にもたれながら、横笛を吹いているシーンでした。
その次は、クリシュナ神と一緒にいた牧童たちが、恐ろしい大蛇カリンガに飲み込まれるシーンでした。
その後も、次々とラーダとクリシュナ神、ラクシュミとナラヤナ神、パールバティとシヴァ神であるパラメーシュワラ、そしてサラスワティとブラフマ神も見ました。
その後も、シータとラーマ神、サッチャバーマ、モヒニ、そしてプラフラーダがヴィシュヌ神を讃えている様子が見えたと思った瞬間、ヒラニヤカシプがナラシンハ神に殺されたシーンが見えました。
そして、小人のヴァマナやプラシュラーマ、仏陀も見ることが出来ました。
また、ドローパティのサリーを剥がし取ろうとしたシシュパラ、サインダヴァや悪鬼ラクシャサを退治したシーンも見えました。
神がパリジャタの花を持ってこられるシーンもありました。
そして、シーンはパンドゥランガの一つに変わり、ナラダがヴィシュヌ神を讃えているシーン。そして子供の頃のクリシュナがバターを盗んでいるシーン。
アルジュナの息子、アビマンユが、悪者であるカウラヴァ兄弟達に殺されたシーンが見えたのです。
そして最後に、素晴らしいシルディババの御姿の像が現れました。
この奇跡がきっかけとなってサティアの名声は、不動のものとなったのです。
サティアの同級生の言葉
あいつは、普通に付き合っている限りは俺たちと別にそんなに変わったとこは無かったな。でも、俺たちはあいつが神さんの名前を唱えたりしてる時に、自分の世界に入って行ってしまって、なんかボーッとしてる時なんかを見るとちょっと変わった奴やと思っていたんや。
シルディババの写真も持っていたな。それで、神さんや女神さんを拝んでいる時のあいつを見ると、ほんまにこいつは心が純真な奴やと感じることが出来たんや。
やがて、ダセラ祭というお祭りが始まり、学校も少しの間お休みになりました。
その休みを利用して、お兄さんのシェシャマの意地悪嫁さんが、子供を2人連れて里に帰ることになりました。
里に帰って、暫くするとお兄さん宛に電報が届きました。その時、サティアとお兄さんは二人でウラヴァコンダの家に居てたのです。その電報には子供が病気になった。すぐに、実家に来て欲しい。と書いてありました。
そして、それを読んだ途端サティアは、トランス状態になり気を失いました。
しばらくして、気を取り戻すとお兄さんに僕たちが兄嫁さんのところに着いた頃には、子供は治っているよ。と言いました。
実際、兄嫁さんの実家に着いたら、子供達は元気に遊んでいました。
兄嫁さんは、子供が病気になって暫くしたら聖者の方が一人がやって来られたのよ。
午前十一時頃だったわね。多分、ボンベイとマドラス間を走っている汽車が来る頃だからそれに乗っておられたのかしら。それで、ヴィブティを出して子供に食べさせてくれたの。そうすると、見る間に子供が元気になったのよ。
私は、どちらの聖者様ですか?と聞いたら、シルディから来ました。と言っておられたわ。
シェシャマは、サティアがトランスに入った時間を思い出していた。そう、それは確かに午前十一時だった。
その後、サティアは兄嫁さんの実家に数日滞在してそこで、その地元の人たちに様々な奇跡を見せたのち、またウラヴァコンダに戻って行った。そして、バッラリーというところの地方長官であったラーマラージュがスワミに会いにやってきました。
ポニョ:その兄嫁さんの実家ってメッシングが来たカマラプラムの駅の近くやろ。
それと、揺り椅子に座ってたら、意地悪兄嫁の兄弟がサティアに意地悪なことを言った家や。
なんか、そこの家の人の性格ちょっと歪んでると思えへんか。
ヨシオ:そうやな。でもそういう役割をせなあかんようになっているんやろ。
そして、これからがいよいよ始まるで。サイババさんの神としての化身の仕事が。
これまでは、準備段階や。これからが本番や。
それで、ここからはサティアであるサイババさん御自身が御講話で語っておられるので、そのお言葉に耳を傾けて見ましょう。
それは、10月20日、月曜日〔註:西洋の暦では日曜日〕のことでした。これがその日の私の宣言です。
私がまさしくサイであると知りなさい
執着を捨て、私を引きとめるのをやめなさい
生来の血縁関係は終わりを遂げました
どれほどの地位にある者であろうとも
私の決意を変えることはできません
私がこう宣言したとき、タンミラージュ、ハヌマンタ ラーオ、ボージャラージュ、シェーシャマラージュの家族は皆、私が出て行くこと(家を出ること)を一様に反対しました。
それはウラヴァコンダでの出来事でした。一人の内に肉体意識と神の存在意識があるとき、そうした心の状態を示すためには、ある程度の冷静さと断念が必要です。
スワミがウラヴァコンダに住んでいたとき、バッラリーの地方長官であったラーマラージュがスワミに会いにやってきました。そのころ、スワミは親しみを込めて『ラージュ』と呼ばれていました。ラーマラージュはスワミを見ると、「この少年をバッラリーに連れて行って、休暇の間、預かりましょう」とシェーシャマラージュに言いました。そして、ラーマラージュはこう付け加えました。「シェーシャマラージュ! 君はこの少年を普通 の子どもだと思っているが、それは間違いだ。私はこの少年の顔に輝くまばゆい光と純粋さに胸を打たれた。この少年の内には神聖な光輝がある。惑わされてはいけない。よければ君も一緒に来て、私たちと休暇を過ごしたらどうかね」
地方長官はそこから私たちをハンピに連れて行きました。これから私が話すことを自慢話や作り話、あるいは誇張した話であると考えてはなりません。一行はヴィルーパークシャ寺院に入って行きました。
もし私が一行と一緒に寺院の中に入りたくないと言ったら、一行は腹を立てたか気を悪くしたでしょう。私はお腹が痛いので寺院の中には入りたくないと言いました。タンミラージュを始めとする同行者たちは全員寺院の中に入って行きました。全部で五十人か六十人はいました。ラーマラージュは神のことだけを思い、ほかのことは一切考えていませんでした。ラーマラージュは一緒に寺院の中に入ってほしいと何度も私に懇願しました。その時、私はまだほんの幼い少年でした。ラーマラージュは私の両手をとって熱心に頼みました。「どうかお願いです、一緒に来てください」けれども、私の決意が固いことがわかると、それ以上せがむことはありませんでした。
寺院の中では神にアーラティが捧げられていました。ところが、そこにはヴィルーパークシャ神の神像がありませんでした! 聖所にいたのはラージュでした! シェーシャマラージュは、これに腹を立てました。ラージュは、寺の中に入ることを拒んでおきながら、どうにかして寺の中に入って聖所に立ったのだと思ったのです。シェーシャマラージュはこれは神へのひどい冒涜であると考えました。シェーシャマラージュは怒りを抑えることができませんでした。一方、ラーマラージュはそのようには考えませんでした。「ラージュはヴィルーパークシャ神であり、ヴィルーパークシャ神はラージュなのだ」と思ったのです。
シェーシャマラージュは寺から出て来ると、木の下に座っている私を見つけました。セーシャマラージュはいつも物事を疑ってかかる人でした。シェーシャマラージュは、自分が外にいて木の下のラージュを見張っている間、寺の中にラージュがいるかどうか別 の人に見に行かせました。ところが、ラージュは木の下にも寺の中にもいたのです! シェーシャマラージュは、内心それをとても嬉しく感じましたが、そのことを私に話すことはなく、それは自分だけの特別 な体験であると思っていました。
それから一行は、私をバッラリーに連れて行きました。バッラリーに滞在していた数日間に、地方長官は私を様々な役人たちに紹介し、私をほめたたえました。そのころ私は、ただ「ラージュ」と呼ばれていただけで、「スワミ」とは呼ばれてはいませんでした。役人の中には、地方長官は私のような幼い少年をもてはやして、からかおうとしているとさえ感じた者もいたようです。私をバッラリーに連れてくる前に、地方長官は私のためにシャツと半ズボンを新調してくれました。私は今でも小柄ですから、当時の私がどれほど小さかったか想像できるでしょう。
そのころ、つまり50年前は、少年たちの間でシャツの襟に襟章をつけることが流行っていました。襟章はステイタス シンボルであり、裕福な印でした。地方長官は衣服のほかに何を私に贈ろうかと考えました。そして、金細工職人の所へ行き、私のために一時間で金の襟章を作らせました。地方長官はそれを私のシャツの襟に留めながら言いました。「ラージュ! あなたはこの襟章を身につけるたびに、私のことを思い出してくださるでしょうと。
私たちはバスでウラヴァコンダから戻ってきました。その二日後に新学期が始まりました。私は学校に向かって歩いていました。途中で、襟章がシャツから取れて落ちてしまいました。(それが見つかることはありませんでした。)襟章の紛失は、私を執着(世俗的なものへの執着)から解き放ちました。そして、私は歌を歌いました。
10月20日は月曜日だった
ハンピから戻って ババは学校へ行こうとした
襟章はなくなり 見つかることはなかった
あの日は まさに変容の日
襟章の紛失は 大きな変化の種
この世的な結びつきとの きずなが切れた
ハンピへの巡礼もまた その目的を果たした
マーヤーからの解放は遂げられた
その日、私は家を出ました。世俗的な対象への執着はマーヤー(幻)です。そうした対象を捨てたとき、マーヤーからの解放があるのです。
私はその日のうちに税査察官のアーンジャネーユル〔ハヌマンタ ラーオの別称〕の家に行きました。アーンジャネーユルはスワミを見て霊的衝動を感じた者の一人でした。アーンジャネーユルの家は学校から私の家に帰る道の途中にありました。アーンジャネーユルはよく何か食べ物を用意して、奥さんと一緒に私の帰りを待っていました。二人は自分の子どもたちが両親に対して何らかの感情を抱くことがないように、事前に子どもたちを部屋の中に入れるようにしていました。私が家に入るとすぐに二人は私の足に触れたものでした。私はよく二人に言いました。「あなたは私より年上です。そのあなたが私の足に触れるべきではありません」するとアーンジャネーユルは次のように答えました。「ラージュ、私たちは肉体という点からみれば、年上に見えるかもしれません。けれども、英知という点においては、私たちはとても幼いのです。あなたは、まさにクリシュナ神そのものです」。二人は私をそのように評していたのです。二人は人々から馬鹿にされないように、こっそりとそれを行っていました
10月20日のあの日、私は学校へは行きませんでした。私は学校で毎日、祈りのリードをとっていました。学校には数段高くなった演壇がありました。祈りの中には次のような歌がありました。
あなたの召命が絶えず響き渡る
あなたの愛しいお声に向かって
ヒンドゥー教徒、仏教徒、シーク教徒、ジャイナ教徒
パールシー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒は
東西からあなたの玉座に近づく
その当時でさえ、全宗教の一体性への認識はありました。けれども一部の教師たちは、どうしてこの少年はすべての宗教の一体性を触れ回っているのかといぶかしく思っていました。
その日、私が登校しなかったので、学校では皆が「ラージュはどこにいるんだ?」と言って大騒ぎになりました。少年たちはだれも祈りには出ませんでした。少年たちは皆アーンジャネーユルの家に駆けつけました。けれども私はだれにも会いませんでした。私はただ石の上に座っていました。
少年たちは話し合いました。「ラージュに何か変化が起こったんだ。いったいラージュに何が起こったんだろう? ハンピから戻ってから家で何か嫌なことが起きたのかもしれない」
そのとき、私は宣言しました。「もし、私がだれだか知りたいのであれば、私の写真を撮りなさい」写真を撮ってみると、私の前にシルディー ババの姿が写っていました。そのときは、だれ一人としてシルディー サイ ババがだれなのか知りませんでした。今日のこの集まりにアーンジャナイヤが来ています。アーンジャナイヤは今、サティヤ サイ オーガニゼーションのアナンタプール地区の会長をしています。アーンジャナイヤはその写真のことを知っています。
私は少年たちに、学校に戻って祈りを始めるように言いました。そうしている間に、シェーシャマラージュは、このウラヴァコンダでのこの一件について、プッタパルティーに電報を打ちました。
両親は、私をプッタパルティーに連れ帰ろうと、大急ぎでウラヴァコンダにやって来ました。当時はブッカパトナム行きのバスさえありませんでした。バスはペヌコンダまでしか走っていませんでした。ペヌコンダからは牛車で進まなければなりませんでした。少年たちは皆、ラージュと一緒に行きたいと主張しました。
ババの二人の級友を襲った悲劇
そのとき、悲しい事件が起こりました。学校では三人がけの机を使っていました。スワミが座っていた席の片側には裁判所の書記官の息子が座っていて、反対側には国税査察官の息子が座っていました。二人ともとても裕福な子どもでした。教室で私と絶えず付き合いがあったことで、二人のハートは変容していました。私が学校を去った日、二人は強い精神的打撃を受けました。二人は激しく苦悩して、「ラージュ、ラージュ」と泣き叫びました。バスに乗っている私を見て、書記官の息子は正気を失い、井戸に身を投げました。「僕はラージュがいなければ生きていけない」――これが彼の最後の言葉でした。もう一人の少年は、ずっと「ラージュ! ラージュ!」と泣き叫び、食べ物も飲み物も口にしませんでした。心の均衡を失ったこうした状態は、ウンマッタと呼ばれる霊的な現象です。けれども多くの人々は、こうした状態を、この世的な対象物を失うことに関係していると考えます。
この二人の少年の悲惨な最期を考慮して、その教室には鍵がかけられました。今もなお『サティヤ サイ ババの机』と名づけられたその机は、残っています。
ラクシュミーパティという名の校長がいました(ウラヴァコンダの学校の校長)。校長はいつも、私が登校するとすぐに、私を校長室に呼びました。この種の感情は、だれにでも起こるわけではありません。前世の善行によって祝福された人々だけが、そのような感情を抱くのです。校長は私が校長室に入るとすぐにドアを閉めるのでした。校長は私に椅子に座るようにと言い、自分は床に座って私の足のマッサージを始めたものでした。私はよく無邪気にこう言いました。「校長先生、こんなことはなさならいでください」。そしてラクシュミーパティはこのように言ったものでした。「あなたは理解していませんが、私にはわかっています。あなたの中には偉大なシャクティ(力)が備わっているのです」
こういった具合に、当時のウラヴァコンダではたくさんの出来事が起こったものです。
ウラヴァコンダでの著しい変化
10月20日(1940年)は、ウラヴァコンダに大変革がもたらされた日です。すべての学生たちに著しい変化がありました。学生たちがどれほど私に好意と愛をもっていたかを示す小さな例をあげてみましょう。私が学校を去った日の翌日、別 の少年が祈りを唱えるために壇上に上がりました。少年は祈り始めましたが、わっと泣き出してしまいました。少年はスワミを思い出し、それ以上続けることはできませんでした。少年が泣き出すと、礼拝堂にいた者はだれもが泣き出してしまいました。祈りは哀歌へと変わってしまいました。校長は言いました。「祈りを唱える必要はありません。この泣き声そのものが祈りです」その日から、礼拝堂には鍵がかけられました。その部屋は、のちに神聖な陳列室へと変えられました。
当時の学生たちは純粋さで満ちあふれていました。彼らには、今の学生たちのように批判や憶測にふける傾向はありませんでした。今の学生たちの間では、賢さや知力は向上していますが、善良な特質は低下しています。あのころは、賢さにおいては今より劣っていましたが、善良さにおいては勝っていました。
サティアの同級生の言葉
俺たちはサティアの奇跡的な力をからかう目的で、こんなん出来るかやってみろとか言ってけしかけたことがあったな。
さて、今日の話は少年サティアから神の化身サイババへと変身したのをその目で見た、いろんな人の証言を集めました。
ハンピの半端でない旅から戻って来たサティアは、すぐにシルディババの信者でサティアの学校の先生でもあるタミンラジュの家に直行しました。
しかし、サティア一人だけではありませんでした。25人もの人が着いてきていたのです。
サティアは、お母さんのように親しくしていたタミンラジュの奥さんカメシュワランマに、一行全部にコーヒーとティフィンというスナックを与えるように言いました。
カメシュワランマは驚いてサティアを見ました。というのもそんなに多さんの人のために作る材料など無かったからです。
でも、サティアは大丈夫だ。まずこれらの人たちから作ったのをあげなさい。と言いました。
そして、作り始めると全ての人々に行き渡っただけではなく、自分たちの家族全員にもあたりました
次の日は、1940年の10月20日でした。サティアの様子は朝から何かボーッとしていましたが、頭を回し蹴りされたナラシンハダスと一緒に学校に行きました。
でも、ずっと何か思いに耽っているような様子で半日ぐらいで学校を切り上げて家に帰りました。そして家に着くや否や、台所で粉挽きをしていて物音で表に出てきた兄嫁さんに、サティアは僕はもうサティアじゃないんだ。僕はサイなんだ。と言いました。
兄嫁さんは、その時サティアをまともに見れませんでした。というのもすごく眩しいほどの後光が頭の後ろから射していたのです。
それで、眩しさで目を開けていられなくなり、目を閉じるとサティアがこんなことを言ってるのが聞こえて来ました。
「僕はここから出て行きます。僕は、あなたのものではないんです。マーヤ(幻影)は、もう過去のものです。僕の信者たちが呼んでいるのです。僕は、僕の仕事があるのです。ここにもう住むことは出来なくなったのです。」
と言って、家から出て行こうとしましたが兄嫁さんは、出て行かないでと頼みました。
そうこうするうちに、お兄さんが慌てて学校から戻って来ました。
お兄さんに、「僕を癒そうとしなくてもいいよ。僕はサイなんだ。僕はもう、自分自身があなた達の一家に属してるって思っていないんです。」と言いました。
隣に住んでいるナラヤナサストリは、なんか隣の家が騒がしいなと思って聞き耳を立てていると、とても深刻な会話をしているようなので、慌てて家にやって来ました。
困惑している兄嫁さんが、ナラヤナさんにサティアを説得するように頼みました。
ナラヤナさんは、サティアを見るとサティアの頭から後光が射しているのが見えたのです。
それを見て、慌ててサティアの足に平伏しました。そして、サティアがこう言うのを聞きました。
「マーヤは過ぎ去った。僕の仕事が待っている。」と。
そしてお兄さんも、「僕は実は彼なのです。」と言ったのを聞きました。
それを聞いて、お兄さんはサティアはもう兄弟ではないと分かり始めました。
お兄さんはサティアに「あんたはいつまで俺たち家族のサティアでいてくれるんだ。」と聞きました。サティアは、「マーヤ(訳注:この世を本当だと見せかける力の事。ここでは両親)が来るまでだ。」と答えました。
サティアは、アンジャネーユルの庭の木立の間にある丸い岩の上に座りました。
人々は、サティアがサイババだと宣言したのを聞きつけて、そこに花や果物を持ってあらゆるところから集まってきました。
そして、サティアはそこで人々にマナサバジャレという曲を教えました
そして、この1940年10月20日という日は、世に神の化身がサイババという名で降臨したぜ。と宣言した記念すべき日となったのです。
話を聞いてサティアの級友たちもやって来ましたが、サティアがたくさんの信者たちに囲まれているのを見て部屋に入るのを躊躇していました。
でも、サティアが自分のそばに座るように彼らを呼び、皆と一緒に学校でサティアが彼らに教えた神への賛歌を歌いました。
プッタパルティの両親にも、サティアがサイババだと宣言したニュースが伝わり、両親は急いでウラヴァコンダにやって来ました。
そして、サティアが花輪や果物やそしてたくさんの人々に囲まれているのを見ました。
お兄さんは、両親をサティアの近くに連れて行こうとしましたが人混みをかき分けるのは一苦労でした。
ようやく、両親はサティアの近くまで来ることができました。
サティアは、両親を見ると、「マーヤが来た。」と言いました。お母さんは思わず泣き叫んでしまいました。そして、お父さんと一緒にサティアに「プッタパルティに帰ろう。」と頼みました。
サティアは、「誰が誰のものなんだろう。」と言いました。そして、「これらの事は全てがマーヤなんだ。」と独り言のように言い続けていました
お母さんは、サティアの全てがマーヤという考え方は気に入りませんでした。
お母さんの関心事は、ただサティアがもう昼ご飯を食べたかどうか、ここでの生活で、どんな物をサティアが喜んで食べているのか、そしてサティアがお腹をすかしていないかどうかということだけでした。
同級生の証言
木曜日になると、サティアはよくトランス状態になってたよ。学校の先生方もサティアの信者になったんだぜ。
ポニョ:以前の記事で霊力が肉体より上にあるとか言っていたけれど、これは出口王仁三郎が言ってた霊主体従と同じ事やろ。
ヨシオ:サイババさんの霊性博物館がインドにあるけれど、そこに行くと大きな木が逆さまになっているディスプレイがある。
これもそういうことを意味してるんや。つまり、木で例えると、地上の部分だけを見ると木は幹と枝葉っぱしか無いように見えるけれど、本当は地面から下の見えないところにある根っ子がそれらを支えているやろ。
それと同じで、この世で見えるものは見えない世界である霊が支えているんや。
だから、本当は、霊がこの世の物質的なものより上にあるということを知らせる為に、逆さまの木をディスプレイしてるんや。
ポニョ:あの木を何も知らない人が見たら、変な木や。作った人は木が触れてる人やと思われるやろな。
ヨシオ:あの〜木の字が間違っていますが…。
こんな話がある。自分の肉体から自由に抜け出ることが出来るぐらい高いレベルに達した聖者が、ガンジス川のほとりで瞑想をしていた。
暫らくすると、岸辺の辺りが騒がしいのでどうしたものかと見てみると、小さい男の子が溺れて土左衛門となって川岸に横たわっていた。
そして、その子供の両親が大きな声で泣いていた。
聖者は、泣き叫んでいる両親の事を哀れに思って土左衛門となって変わり果てた男の子の身体に入ることにした。
というのも、その聖者は自分の肉体に何の未練もなかったからだ。それで、男の子の魂が抜けた後の亡骸に入るにあたって、その死体が受けているダメージを一瞬にして霊力で癒したんや。
ポニョ:ということは、溺れてたから、肺に入った水を無くしたり、血液中の酸素を増やしたり、壊死してる脳細胞を蘇らさせたりするのを霊力の力で一瞬でしたんか。
ヨシオ:そういうことや。で、両親は聖者の魂が入ったと言う事を知らずに、生き返った息子を見てとても喜んだけれど、しばらくして、息子の態度が子供らしく無いのに気が付いた。というのも、一人で静かに座っていることが多いし、何をやっても欲しがらないし、全然子供らしくないんや。それで、ある聖者のところへ連れて行って見てもらうと、例の聖者があんたらのことを可哀想だと思って息子になっていると教えてくれたんや。
ポニョ:ショックやろな。そんなことを聞いたら。でも、この世に囚われさす力、マーヤはすごいパワフルやな。サイババさんも両親が心配して来られた時に、これは、マーヤだ。なんてずっと言うてたんやろ。
ヨシオ:このように霊力が肉体より上にあるという例は幾らでもある。
以前記事にした、死んだ犬を生き返らせた話もそうやし、
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/7ec6421e15475a5f9d2b951165115111
スッバンマさんが死んで丸一日も経って身体中蟻だらけになってなっているのに、サイババさんの一言で生き返ってゾンビ婆ちゃんになった話。http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/929fe8bc12a8638bc466d9c35a9b3f44
ポニョ:普通に考えたら、死んで丸一日も経ったらインドみたいな暑いところやったら遺体はすぐに傷むで。それが、目を開けて喋り始めるんやからびっくり仰天や。
ヨシオ:そんなにも傷んだ遺体を生き返らせるほどの力を霊力はあるっていうことや。
霊力てそれじゃ何やねんと思うけど、これは一言で言うと、もちろん神の力やけど、分かり易く云うと波動の力やねん。
神に近づくほど波動が細かい。物質、肉体が一番波動が荒いんや。
神の力=アートマンの力は、最初、光の放射として顕現する。光の放射が波動になる。
だから、光である神の力が放射して波動力になった時の波動はとても細かい波動やねん。それが悪霊とか憑依霊とかイルちゃんが人身御供して恐怖の想念を悪魔くんに捧げてもらって喜んでいるレベルの低い霊とかになると、その霊力の波動は荒い波動になり、とても肉体に近い波動を持った霊やねん。
でも彼らは、この物質世界より一つレベルの高い波動の細かいところにいてるから、人が持っていない能力、我々から見たら超能力を持っているので、一見神様みたいに見えるとサイババさんも言うてはる。だから、降霊会や、チャネリングなどで降りてくる霊は、ほとんどがこの類なので相手にしたらいかんで。と言っておられた。
神のフリとかが出来るから人を簡単に騙せるんや。
話を戻すと、波動が細かいと、荒いレベルの中に入って行けるけど逆は無理や。これが、霊力の秘密やねん。つまり、死体という波動の一番低い犬や人の死体を生き返らせられるのは、波動のもっと細かい高いレベルの霊力がその低いレベルの荒い波動の中に入って波動を活性化さして奇跡というものが起こるんや。
でも、肉体の一部の器官をいじくったり、浄化させたりして霊力を得るというのは妄想なんや。
霊的なことを知っていれば、本当は簡単なことやねん。だから、化学物質などで汚染されたり、癌になったりした肉体のような荒い波動を持っている器官を、癒したり、活性化さそうとすれば、もちろんそれを手術で取り除いたりしたら症状が改善したりするけれど、一番良いのはそれと同時に、いい環境に住んで肉のような低い動物的な想念の力が入った荒い波動の食品を口にせず、いつもニコニコとして何事もポジティブに考え
ていれば、どんな難病も癒すことが出来るんや。
船瀬俊介は、それを自然治癒力と呼んでいるけれど、彼の言っていることは霊的に見ても100%正しい。
霊力を得るためにそれより低くて荒い霊的波動を持っている肉体の器官を大きくしたり活性化したり、また物質である薬品に頼ったりして霊力を得ようと努力するのは、霊が肉体より上にあるという事を私は知りませんと言っているようなものなんや。
ポニョ:整形手術してダンボの耳をつけたら音はよく聞こえるけど、霊のささやきは聞こえへんやろな。
ヨシオ:いや、分からんで。ええ考えかもしれないな。ポニョが実験第一号でやってみ。
ダンボの耳のポニョって可愛いやろな。ということで、前座の続きはまた明日にしてサイババさんの話に戻ろうか。今日は、お母さんが心配して駆けつけた時からやったな。
ポニョ:お母さんにしてみたら、可愛い息子が突然僕は、サイババや。あんたとの関係はもう終わりや。それはただの、マーヤや。なんて言われたら悲しくなるよな。
そら、そんなサティアの言うことには簡単には同意できなくて当たり前やもんな。
ヨシオ:お母さんは、昔の事を色々思い出しては泣いてはったんや。サティアは特にとても素直で優しい子やったから、いろいろと良い思い出があったんや。
それで、サティアが二三日何も食べていないと聞いて、サティアに「私がお母さんとしてあんたにご飯作ったげるけど食べてくれるか。」と聞いたらサティアは、「食べる」って言ったんや。
それで、すぐにキッチンで作り始めた。
床にマットを敷いて座るところを作り、できたてのご飯やおかずを盛ってサティアを呼んだ。
サティアはご飯の前に座ったけれど、それほど食べることに興味はなさそうだった。
お母さんのイシュワランマは、近くに来てサティアが食べてくれるのを期待して待ってた。
やがて、サティアはおかずなどを全部一緒くたに混ぜ合わせて三つの団子を作った。
そして、お母さんの右手の手の中にそのうちの一つを渡した。そして、それをサティアは再び受け取って食べた。
後の二つも、同じようにして食べた。そして、小さな声で「マーヤは行った。マーヤは去った。」と囁いた。
そして、サティアはこの時から、イシュワランマとペッダの子供ではなくなり、全ての人々のものとなった。
友達のナラシンハダスは、その頃のサティアの事をこんなふうに述べている。
僕のお母さんは、ちょうどその頃女の赤ちゃんを産んだんです。それで、サティアがお母さんに「あなたの男の子はどこにいるんだい。」って聞いたんだ。
お母さんは、僕のことだと思って「息子はまだ学校から帰って来てません。」と言ったんだ。
すると、サティアは低い声で「違う。あなたの男の子はどこだって聞いているんだ。」と言ったんです。(訳注:ご主人のこと)
お父さんは近くでそれらの会話を聞いていて、慌てて走ってきて、「サティアよ。私の息子よ。一体どうしたっていうんだい。」て聞いたんだ。
そう言うや否や、サティアは「僕は、サティアじゃない。サイババなんだ。人類の為にこれから生きて行くことになるんだ。だからその仕事をさせてもらいたい。」と言った。
お父さんは、驚いてサティアを見た。するとサティアの身体から光りが放射されて来て、身体全体が光り輝いたんだ。
お父さんは,それを見て身体をサティアの前に投げ出して御足に触れたんです。
そして、僕たちの家の前にあった大きな丸い岩の上に虎の皮を敷いたんです。
サティアがその上に座ってから十分ほど経って、お父さんはサティアに「よかったらお昼ご飯を食べませんか。」と言ってお母さんが作ったモールセルを幾つか持ってくると、サティアはそれらを口にしたんです。
そのあと、丸二日間に渡ってサティアは沈黙したんです。
その後、バジャンをして神への捧げ物の儀式をしたんだけれど、サティアはまだ横になり沈黙したままだった。それで、お父さんは、枕をサティアの頭の下に持って来たんだ。
その後、アラティが終わるとサティアは目を開けて、「自分はプッタパルティに行きたいんだ。」と目を真っ赤にして言ったんだ。
そして、今からお兄さんの家に行くって言ったので、お父さんは「プッタパルティに行く前にうちのゲストとして昼ごはんを一緒に食べて下さい。」と頼んだんだ。
そして、サティアは彼らの要望に応えたあと、お兄さんの所へ向かった。
サティアの両親が来たのはその二三日後だった。
サティアのお母さんは、サティアの取り巻きがいない時を見計らってこんな事をサティアにお願いしていた。
「お前が言うように、私たちはマーヤに囚われているんだろう。そして、お前はそのマーヤから自由なんだろうね。そのことに関して、お母さんはお前と論じ合いたくない。
でもサティアよ。お前が、どこに行こうがそれはお前の自由だろうよ。でもね。ヒマラヤやら、どっかの洞窟やら、どこか遠い山とかに行ってしまうんではなく、プッタパルティにずっといておくれ。お前の信者とやらが来ても、私たちは歓迎するし、気持ち良く優しく迎えるからさ、頼むよ。」と言った。
サティアは、それに同意して「あなたの願いは叶えられた。でも、それはあなたにではなく、村全体、いや、世界に対して叶えたんだ。僕は、ここを離れて木曜日にプッタパルティに戻るよ。」と言った。
そして、サティアはお母さんに神を求めて世を捨てた人が着るオレンジ色のローブも暫くの間身につけないと約束した。
お母さんはとても嬉しかった。というのもこれからずっとサティアと一緒にプッタパルティで過ごせることが。
でもこのことが、お母さんが恥ずかしい思いをしなければならないようになる事になるとは思ってもみなかった。というのも、ある日ナラヤナサストリさんがやって来て、お母さんの足に触れ「スワミ(先生)のお母さん。」と呼んだからだ。
同級生の証言
ある日僕たちの家で神に捧げる儀式をしていたんだ。それでサティアは僕のお母さんと部屋の後ろの方に並んで座っていたんだ。そうしたらその当時この地方ではほとんど誰も知らなかったシルディババの写真がお母さんとサティアの間に何処からともなく落ちてきたんだ。
ヨシオ:この前、ダンボの耳の話やったけど、これは冗談ではなくて実際とても危険な事なんや。というのも、いろんなオカルトグループやイルちゃんが薬物を使ったり、身体のある器官に特別な意味を持たして儀式をしたりして、人を洗脳したりするんや。
ポニョ:ということは、危険なオカルトグループはみんなダンボの耳をしてるってことか。
ヨシオ:あのねポニョは、人の話を端折って聞かんといてくれるか。そんなんやったらそのカルトのメンバーになった人はみんな大きい耳を持っていてバレバレカルトやんか。
そうじゃなくて、例えば、LSDのような薬物で身体を麻痺させ、霊体が遊離しやすいようにする。そして頭が朦朧とした時を見計らって教祖に抱きしめてもらうんや。
だから、教祖に抱きしめてもらった時には、薬物のせいでもう半分すでに天国におるような気持ちになっているので、抱きしめられた途端に教祖が神さんみたいに思ってしまうんや。これは、薬を使ったマインドコントロールの一例や。
このように、霊的体験をするのにドラッグを使ったり、天才ばかりを集めて交わらせて優秀な人類を創るとか、特殊な染色体を持ったものだけで特別なグループを作るとか、そういう血統を持っているものだけで世界を征服するとかは全てイルちゃんが実際やってる事なんや。
ヒットラーのやってた優生学とか聞いたことがあるやろ。そんなことも全て繋がってるんや。
これらは全部、昨日説明した事、つまり霊が肉体や物質世界をコントロールしているという霊的法則の大原則を無視して、それとは反対の、ドラッグとか、血統とか、染色体とか、松果体とかをなんとかすれば、霊的な体験をしたり霊的な力を得ることが出来るという危険な考えと結びついとるんや。
こういう間違った思想を元にして、全く霊的な法則のABCを分かっていないイルちゃんたちが、世界を混乱に陥れているんや。
昔、スタニスラフ・グロフという人がLSDを使って至高体験を得る方法というのを研究し、それに感銘を受けたニューエイジ世代と言われる若者が影響を受け、薬の力を借りて霊的な体験をするということが、一時期ヒッピーなんかを中心に拡まったんや。
インドでもハッシッシのようなドラッグを使って、霊的体験をさそうとするヨギもいてるが、これはさっきも言ったように身体の機能を感覚をマヒさせ、霊体が肉体から出易いようにするだけの話で、霊性修行によってなし得る行為を薬物によって同じ体験をさそうとするものなんや。
そのため薬物を使えば誰でも肉体から半分抜け出ることが出来るので、霊的体験をしたように感じ、いわゆる至高体験の大安売りになってしまったんや。
サイババさんは、これらのドラッグを使って得られる霊的体験は良くないと言っておられる。というのも霊性修行によって五感をコントロールすれば、自分は肉体ではないということが実感出来る。それは霊性修行における自然のプロセスやねん。
ところが、ドラッグを使って、まだ感覚のコントロールも出来ていない人が、例えば性的欲望の強い人の霊が身体から離れてしまうと、そういう周りにウジャウジャいてる霊的レベルの低い霊たちの波動の中に取り込まれてしまう事になってとても危険なんや。
たとえ、肉体から離れることによって霊界を垣間見れたとしても、その人が持っている低いレベルの欲望を持っている低級な霊がやって来て悪さをされるか利用されるだけなんや。
というのも、そういう欲望をいっぱい持っている低級な霊たちは自分の欲望を満足さそうとして、似たような欲望を持っている人の身体を乗っ取ろうといつもチャンスを伺ってるんや。
このような体験は真の霊的体験とは程遠いことなんや。
ちょっとこの事とは状況は違うけど、バリ島で霊的修行している人の話を以前紹介したやんな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/3d1632c1115fe916e5d09b64c9f6a610
みんなは間違って霊的能力をつけるということは、テレパシーとか、浮揚力とか、トランスポーテーションとか、予知能力とか、マインドリーディングとかの能力をつける事だと思っているけれど全然違う。本当の霊的体験とは神を体験すること。
瞑想も一緒。神を体験することが瞑想なんや。
それに、ドラッグなどを使って自分は霊的体験をしても、次からドラッグを使わないとそういう体験は出来なくなるから、結局その人の霊的進歩を遅らせてしまうことになる。
また正しい方法で霊性修行をしてる人でも、五感をコントロールし霊性修行が進むに連れていろんな霊的能力が自然に身についてくるけど、これらの霊的能力を無視しないと終着駅つまり神さんの元にたどり着く前にこれらの霊的能力に魅了されてしまい、そこに留まってしまって途中下車をしたのと同じことになってしまうんや。
霊性修行を正しくしている人はそういう超能力と言われているものに興味はないし、得たいとも思っていない。彼の唇は、神の御名を唱えるのに忙しいんや。
だから、ラーマクリシュナパラマハンサはそういう霊的能力を用いて奇跡などをするグルから離れておきなさいとアドバイスをしたんや。つまり、その修行によって奇跡をする能力を身に付けたグルたちは途中下車した人たちやから。
だから、ラーマクリシュナの信者の人は奇跡をするサイババさんのことを、そういう類のグルだと勘違いしている人が多いんや。
でもサイババさんはそうでは無い。神の化身が執り行う奇跡は修行によって得られたものではなく、生まれながらにして持っている生得のものなんや。
それは、神が化身として降臨された時にくっついて来るもんなんや。
だから、神の化身であったクリシュナが村を守るために大きな岩山を持ち上げたり、ナラカという地球に衝突することになっていた小惑星を破壊したりしたこと、そういう事全てが、人類のために神様がお遊びでやっておられることなんや。
さっきも言ったように霊的な能力とは、日々の生活で如何に愛そのものである神を体験でき、そして、その体験した愛を自分の周りの人々に広めて行くことなんだけれど、そうすることによって自分自身の神聖さがどのようなものか、つまり本当の神の愛を体現しているかが自らの行為によって試されるんや。
そういうことが出来る人、自分が体現した神の愛を周りの人々に与える能力を持った人のことを霊的能力が高い人と言うんや。
つまりその人の見かけは普通の人やけど、神の化身と一緒なんや。
その人は生き神さんになったんや。
神さんと融合するのに身体を脱ぎ捨てるまで待つ必要は無い人なんや。
そういう人は、いろんな霊的能力を持っていても決して見せびらかしたりしないし、それを自分のためには使わない。
そういう人の毎日の生活の一つひとつが愛で溢れているし神を体現している。
また瞑想をしていても、瞑想の後に嫁さんと口喧嘩したり子供を怒鳴り散らしてたら瞑想をしてる意味がない。
愛がいっぱいで、いつもポジティブな生き方をし、ニコニコ顏の似合う人になりましょう。
真の瞑想とは、あらゆる場所{や人}の中に神の存在を認め、その意識を、私たちの行う小さな一つ一つの仕事の中にまで、表現することです。PN
ポニョ:また、前座が長くなってきて、サイババさんの話が出来なくなるから今日はこれくらいにしよか。
ヨシオ:ああごめん。もうやめるわ。それはそうと、自分はサイババさんだよ。と世界に宣言されたんでこの記事もこれからはサティア君からサイババさんに呼び名を変えますよ。
ポニョ:サティアの方が慣れてしまって、好きやったけどな。
ヨシオ:それでは今日の話は、シルディサイババさんの時の信者がやって来た話を一つ紹介します。
自分はサイババだ。と宣言するちょっと前に一人のおばあちゃんがやって来た。
サティアは、彼女を自分のそばに来させてこう言った。「子供よ。やっとやって来たね。」
彼女は、昔の記憶をたどるようにしてサイババさんに言った。「そんなにあなたは変わってませんね。話し方も、話す調子も一緒ですね。でも顔は若くなって違う顔になりましたね。」
彼女のお父さんはインドで最後の王朝と言われたハイデラバッドのニザム王朝の収集家で、シルディババの信者だったのだ。シルディババ自身が彼女の名前をシャラダと名付けた。
彼女は早く結婚し四人の子をもうけたが、四人とも亡くしていた。
両親と三つの時から幾度もシルディババの元を訪ね、シルディババに霊的な自由を下さい(神と合一)とお願いして来た。
シルディババは、私は、アンドラプラデーシュに生まれ変わるのでお前もそこに来れば良い。そしてそこでわしとずっと一緒におれるよ。と言われたのだ。
それは、1917年に事だった。ちょうどシルディババが、身体を離れる一年前の事だった。
その後、彼女はサイサダンという孤児院を運営し、それの運営費用を得る為のキャンペーン旅行をしている途中に、ウラヴァコンダでシルディババの生まれ変わりだと称する若者がいるという話を聞いてやって来たのだった。
サイババさんは、シャラダに「君はまだ私から16ルピーを返してないよ。」と言った。
シャラダは、全くサイババさんが何の事を言っているのかサッパリ分からなかった。頭の中はまっシャラダった。
それでサイババさんは、「ほら、シルディで君が40ルピーを引き出してダサラフェスティバルのために使おうとしたけど24ルピーしか使わなかったじゃないか。その残りの16ルピーを私は君からまだもらっていないよ。」と言った。
シャラダは驚いて、「ああそうやった。その事をすっかり忘れていました。でも、よく覚えていましたね。」と言うと。
「そんな金は別に返さなくてもいいよ。君に私がシルディババだったことを証明しようとしていただけなんだ。こういう事を君に示すことによって、私がシルディサイババだったと君が確信を持てるだろう。でないと君は、まだ私がシルディサイババだと確信していないでしょう。だって今君が私の横に座ったとき、私の足を触れなかったからね。」とシャラダの言葉であるヒンディー語でサイババさんは流暢に話しました。
その当時、この辺りでヒンディー語を話す人は少なかったので、シャラダはとても嬉しくなりました。
サイババさんは彼女をサイプラッバと名付け、彼女は1986年に亡くなるまでサイババさんのそばで過ごしました。
サティアの同級生の言葉
僕は、サティアとブッカパトナムの学校で6年生と7年生の時に一緒のクラスやったんや。僕らとても仲が良かったんやで。それで、時々あいつ僕の家に来て一緒に昼ごはん食べに来てくれたんや。
ポニョ:昨日は超能力の話をしたけど、確かに自分がそんな透視能力とか、瞬間移動とか、念力とか、空中浮揚のような普通の人が持っていない力を持てば、なんか自分が特別な存在に思えてきてエゴが膨らむよな。
ヨシオ:スプーンを曲げる力を持つより、曲げたスプーンを直す技術を身に付けた方が社会の役に立つやんな。
俺も、昔そんな超能力に憧れていろいろ自分でも試したり、またいわゆる超能力者のパフォーマンスを見に行ったこともあったけど、パフォーマンスの後、曲がったり折れたり、ちぎれたりして、散らばったスプーンを片付けるのを手伝いながら、こんな事して社会に何の役に立つんやろうと疑問に思ったことがあったな。
ポニョ:予知能力をつけて、未来を垣間見るよりも今現在、目の前で困っている人を助けた方がええ未来が待っているで。
自分の過去生を知っても過ぎたことやからどうしようもない。覆水盆に返らずや。
そんな事より、ホームレスの人にあったかいご飯を届けてあげた方が、過去生で作ったカルマは帳消しには出来ないけれど、良い未来を築くことが出来る。
テレパシーのような超能力を身につけて他の人の心の中を読むより、自分の心の中の思いを読んで、人を傷つける事や、嫉妬心や恨み、怒りや、貪欲などが心の中にあるかどうかチェックしてそれを無くして行く方が大切や。
今の自分のできる範囲でまず、自分の周りの人から少しずつ愛を広げて行ったら、やがてそれは大きな輪になる。
自分の周りの人達、お母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、子供や嫁さん、旦那さん、友達、一人ずつやがて死んでこの世からいなくなる。
いつまでも、自分の周りの人じゃない。みんなさよならとも言わないで、ある日突然、自分の目の前から消えて行ってしまうんや。
だから、自分の周りに居てる人から、毎日出来るだけ自分の愛を注いであげるようにしよう。
それが、結局自分の為になるんや。
ヨシオ:人は、他の人を恨んだり、悪口を言ったり、欠点をほじくったりする為に生まれたんやない。自分の中にある神の愛をこの社会に顕現する為に肉体をもらったんや。
昔、ガンで死んだ友達がいて死ぬ前にこう言ってた。
僕は、もうすぐしたら死んであの世に行くけど、一つだけ後悔してることがある。
それは、自分の今まで生きてきた人生で、この地球に生きてる七十億人の人のうち、ほんの僅かの人しか愛せなかったことや。
いろんなくせを持った人がいるけど、僕は、その人の欠点を見つけるのが上手かった。逆にその人の良いとこを見つければ、僕はもっとたくさんの人を愛することが出来たと思う。それを、今になって後悔してる。
六十億人は無理でも、縁があって出会った全ての人を愛してから死にたかった。もっともっといっぱい人を愛して死にたかった。と言ってた。
ポニョ:おいら達はまだ時間がある。まだ生きている間にもっと人を、生きとし生けるものを愛して死んで行きたいものやね。
ヨシオ:俺の娘婿も、子供の頃お母さんに連れられて車で買い物に行った時、一緒にいたお兄さんと兄弟喧嘩をしたんや。それで喧嘩したらあかんとお母さんに叱られたんやけど、そのあとすぐにお母さんは交通事故で亡くなったんや。
まだ、十歳になったばかりでお母さんとの最後の思い出が叱られた事だったので、あの時どうしてお兄ちゃんとあんなしょうもないことで喧嘩をしたのかずっと後悔してトラウマになったんや。
それ以来、怒らないように自分で気をつけているのでとても穏やかないい性格になった。
ここで有名な詩でみんなもう知っていると思うけど、幼い息子を交通事故でなくされたお母さんの詩を貼っておきます。
http://www.sanctuarybooks.jp/saigodato/
「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
ポニョ:この詩いつ読んでもお母さんの苦しい気持ちが伝わって来て涙が出そうになるな。
それに、おいら達も何年生きられるか分からんけど、さっきのあんたの友達みたいに死ぬ際になって後悔しないように出来るだけたくさんの人を好きになって死にたいよな。
ヨシオ:そういうふうに思って毎日を過ごせたら、ポニョみたいな心の優しいおっちゃんがいっぱいいてる、ええ世の中になるんやな。
ポニョ:それって、久々に褒めてくれたんと違うんか。でも、いつものように後で何か落とすことを考えてるんやろ。あんたやったらやりそうや。当たりか?
ヨシオ:ポニョはだんだん俺に似てきたな。素直さが無くなって来てるで。イルちゃんの事調べすぎてんのんと違うか。
さあ、それではサイババさんの話に入ろか。昨日までは長かったウラヴァコンダの日々が終わり、今日は、やっと生まれ故郷のプッタパルティに戻ることになった頃の話やったな。
シルディサイババの信者でマドラスにサイババの支部を持っているナラシンハスワミさんがやって来てお兄さんのシェシャマさんに、「自分はシルディサイババの教えを広めようとして長年努力してきたんだけど、あなたの息子のようにこんなにもサイババの名前を広めた事が無い。彼が本当にサイババかどうか時が経てば分かることなんだろうけど。」と言った。
ナラシンハダス君は級友だったサイババから、サイババとして宣言した時に座っていた丸い岩は実はとても神聖なものだったんだけれど、自分がその上に座って神の化身だと宣言したことによってその神聖さはもっと強まったんだ。
だから、誰でも、その岩を心から礼拝すればどんな願いでも叶うんだ。と言われたことがある。
ナラシンハダスの家族は仕事の関係で引っ越さなければならなかったんだけれど、その間子供のいない夫婦が僕たちの家に住んでいたんだ。
それで、お父さんがサイババさんから僕に言った事を、その夫婦に伝えたところ、その夫婦は真剣に男の子を授かりたいとその岩にお願いしたんだ。そして、その願いは叶って男の子を授かったんだ。
級友だったシェタラマラオは、サイババさんがプッタパルティに移り住むことを聞いてとても悲しく思ってた。
サイババさんは、シェタラマラオや他の旧友達に、「君たちはぼくのクラスメイトで、僕の仲間だったね。僕は、将来また君たちと一緒になって楽しむつもりなんだ。でも、ずっと後になってだけど。それは僕が白くて長いあごひげを生やしてやって来る時なんだ。」と言った。
(訳注:サティアサイババの次に生まれ変わってくるプレマサイババは、いつもあごひげをはやしているので、晩年のプレマサイババの頃だと思われる)
こうして、長くていろんな事が起こったウラヴァコンダでの滞在は、終わりを迎えた。
最後の日、ナラシンハダスの家族はサイババさんの家族を昼ごはんに招待した。
ナラシンハダスの両親はサイババさんと両親に花輪を捧げ、足に触れて挨拶した。
サイババさんは、シルディサイババの像を持って来るように言ったので、お母さんはそれをサイババさんに手渡した。
その後、記念写真を皆で撮り、お迎えのバスにサイババさんの家族は乗り込んで行った。
泣いていたお母さんにサイババさんは、悲しがる必要はない。僕はいつもあなたと一緒にいるんですよ。と言った。
そして、バスが出発する時に皆で神へ捧げる歌を歌った。
バスに乗っている間、サイババさんはトランス状態になっていたことが数回あった。
バスはやがてチットラヴァティ川のほとりについた。
ここから、皆は対岸のプッタパルティの村に向かって水が川幅いっぱいに広がっているチットラヴァティ川を歩いて渡らなければならなかった。
サイババさんは、とても早く渡ってしまってので、誰も後をついて行くことは出来なかった。
そして、川を歩いて渡ったのにも関わらず、サイババさんの服は乾いたままだった。
そして、シルディサイババの像の前で皆でバジャンをした。
サイババさんは、ヴィブティや、果物を物質化してその像に供えた。
昔からサイババさんのことをよく知っている友達のチンナさんはサイババさんに、あんた、こんなにもたくさんの神に捧げる歌をよくウラヴァコンダに居てる間に覚えてきたんやね〜。と感心して言った。
サイババさんは、お父さんの家で一緒に住むことになった。
その部屋で、サイババさんはシルディサイババの絵を飾って礼拝し、神の御名を唱え、お祈りをしていた。そして、一人で神の賛歌を歌っていた。
サイババさんの二人の従兄弟の姉妹が興味深げにやって来た。そして、サイババさんの後ろに座った。サイババさんは、君たちどうして歌を歌わないのと聞いた。
二人の姉妹は「私たちは歌を歌えないんです。」と言った。
でもサイババさんは、彼女たちに、「君たちは歌えるよ。ちょっと歌ってみようか。」と言った。彼女たちは、ゆっくりと上達し、後にとても熟練した歌い手となった。
サイババさんは、彼女達のことを歌姫たちと呼んでいた。
サイババさんの叔父さんたちもオルガンや太鼓を叩いてバジャンに参加した。
そのうちに、たくさんの村人達が、体の不調を訴えたり、黒魔術にかけられたので助けて欲しいとか、流産ばかりするので助けて欲しいとか、様々な悩みを抱えてやって来た。
サイババさんは、そうした全ての問題に対して愛で持って辛抱強く対処して助けた。
ある日、スパドランマという女性がサイババさんのことを聞きつけてやって来た。
というのも、過去に六回も流産をして一人も子供に恵まれないから、悪い霊に取り憑かれていると思ったのだ。
サイババさんは、彼女にバナナを物質化して食べさせ、水を飲ませた。そして、何の心配もいらない。次は安産だよと言って家に帰らせた。
スパドランマは、サイババさんの言うとおり、元気な男の子を産みサイババさんがその子にサイナタという名をつけて自ら名付け親となった。
また、サイババさんがお父さんと住んでいた頃、近くの村から手足を縛られた男が連れて来られた。というのも、ロープを解くと他の人を襲ったり、噛みついたりして手に負えなくなるからという。悪霊が取り憑いてしまってると皆は思っていた。
サイババさんは、その男のロープを取り、部屋に連れて行って戸を閉めた。そして三十分ほど経って出て来ると、男は全く正常に戻っていた。
ある日、村の長老たちがサイババさんが本当に神の力を持っているのかどうかを確かめにやって来た。サイババさんは、彼らを部屋に入れドアを閉めた。
そして、椅子に腰掛けたあと、彼らに「どうしたんだね。子供達よ。どんな証拠を私から見たいんだね。」と聞いた。
長老たちは、「何かあなたが神聖だという証拠を見せてほしい。」と頼んだ。
すると、ランプの火が勝手に消えて部屋の中は真っ暗闇になった。
そして、どこからともなく眩い光が部屋中を照らし出したかと思うと、突然サイババさんが、ヴィシュヌ神に変わり大きな幾つも頭のある大蛇の上で休んでいる姿が見えた。
その大蛇は見るからに恐ろしい姿をしていて、ウロコが動くたびに開き、口から二又に分かれた舌を出すたびにそこにいた人々は恐怖におののいたのだ。
それで、「もう十分です。これで充分です。元のサイババさんに戻って下さい。」と頼んだ。
すると、ランプの火が勝手に点きそこには、以前のようにサイババさんが椅子に座っていた。
人々は、畏敬の念に包まれて、サイババさんの足を触れて許しを乞おうとしたが、サイババさんは「長老ともあろう人達が、このような事をしてはいけません。」と言った。
同級生の言葉
ラジュ(サティアの事)はいつもハヌマン寺院からだと言って、捧げ物の残り物を物質化して僕にくれたんやで。
ヨシオ:近い将来世界にガタガタが来て人が頭を打ってからサイババさんが再び来られるんやけど、サイババさんには来て欲しいし、あんまりガタガタも嫌やし変な気分やな。
ポニョ:でもガタガタが無かったら、サイババさんが空に現れても何処かのエンターテイメントのエイジェントが来て、あの〜サイババさん。私こういうもんですが、あんたのその奇跡は金になりまっせ。私の会社と契約してちょっと一儲けしませんか?ヤンキースのマー君よりギャラは弾みマッセ。なんて言うてやって来るで。
また、息子に見てご覧。サイババさんが空に出て来てはるで。と言っても、今、ルフィーの兄弟が出て来ておもろいとこやねん。これ読んでから行くわ。とか言うやろな。
ヨシオ:それって情けないよな。神様を求める心が湧いたり、神様に来て欲しいと泣き叫ばないとあかんのんかなぁ。でないと、いつまで経っても金カネかねの世界やもんな。やっぱり、ドカーンと一発頭を打たなあかんのんかな。
ポニョ:問題はいつ頃ドカーンが起こるかやな。
ヨシオ:今年中に大きい事が起こると思うで。ババが空に現れるのは今年の末ぐらいかなと思うけどこればっかりは分からんな。
ポニョ:それじゃ、ババが現れるまでの間に世界はグチャグチャになるって事か?
ヨシオ:確かな事は分からんけどそのつもりで動いてるんや。ババしか正確な事は分からんし分からない方が良い場合が多い。俺たちはただやらないかんことをやるだけや。それじゃ、プッタパルティに戻ってからのサイババさんの話の続きです。
ポニョ:そういや、サイババさんは高校中退やったんやろ。プッタパルティに戻られた時は何才やったんや?
ヨシオ:まだ、十六歳の若者や。でも、人一倍背が低いからもっと若く見えたんや。
ポニョ:そんな若造が俺は神さんや。神の化身じゃ。と宣言しても、何をぬかしとるんじゃい。それやったらそれを証明してみんさい。とか村の人は思うやろうな。
ヨシオ:そうやろな。だから昔、サティアの口の中に食べ物を入れた時に、その中に宇宙を見た近くに住んでいるスッバンマさんも、この前の記事で紹介したサイババさんの神聖さを確かめに来た長老グループの中におったんやで。
ポニョ:サイババさんが、幾つも頭のある大蛇の上に座っているヴィジョンを見たグループやな。それに、スッバンマさんは死んで蟻が身体中はっていたのに生き返った人やろ。
ヨシオ:そうや。そんな人でも、サイババさんの神聖さを疑うんやな。ということで、そんな疑い深い人たちがそれ以外にもたくさん来ました。
その間、サイババさんは、お父さんのペッダさんの雑貨屋さんで寝泊まりしていました。
でも、家の人たちは、まだサッチャをサイババだと認めたわけではなく、サイババさんが私は誰にも属していません。と何度も言っていました。サイババさんは、いつも忙しくしていました。お姉ちゃんのヴェンカマさんの家に行っても忙しそうでいた。
それで、他の人が怒ったり、悲しんだりするのを見るととてもストレスが溜まったように見えました。
やがて人々がたくさんやって来ると、お姉ちゃんの家で人々と会っていましたがそこも狭くなってきたので、スッバマンさんが自分の家を使ってもええよ。と言ってくれたので、大きなスッバンマさんの家で人々と面会する事になりました。
バジャンも、一週間に一回、木曜日だけだったのが、少しずつ増えていきました。
スッバンマさんには子供が出来なかったので、第二夫人としてスッバンマさんの家に入ったカマランマさんはその頃のサイババさんの様子を次のように言っています。
サイババさんは、その頃半袖のシャツと半ズボンを履いていました。
サイババさんは、シャワーを浴びた後バスタオルを巻いて立っていました。
私とスッバンマは、サイババさんにココナッツを二つ渡すと、彼はそれをシルディババの写真の前でぶつけて割りました。
そして、サイババさんは、私はシルディサイババです。幽霊なんかじゃありません。と言った。
そして、お花や、バナナや、ココナッツのなどを物質化してシルディババの写真に捧げ、アラチを捧げた後横になった。
しばらくしてから、彼を起こし服を着てもらってから、晩ご飯に招待した。
彼は行かせてもらいます。と言った。
二三日してから、サイババさんはカマラプラムに住んでるお母さんの兄弟のスッバラジュと一緒にやって来た。
私たちは、彼らに晩ご飯を食べてもらったけれど、サイババさんは、全てのおかずを混ぜ合わせて食べ、何も残さずに全てを平らげてくれた。
そして、シルディババの写真をホールの真ん中の机の上に置いてあったんだけど、サイババさんは、私とスッバンマに、「あなた達は子供に恵まれないでしょう。その代わり私があなた達の子供になってあげます。これから、あなた達はいろんな困難を経験するでしょう。というのも私があなた達の子供になったからです。
でも、これだけは約束出来ます。あなた達はもう生まれ変わることは無いでしょう。」と言った。
その後、サイババさんは、スッバンマの家の中の小さい部屋を、のちになってインタビューと呼ばれるサイババさんとの会見のために使った。
スッバンマの家の真ん中には大きなホールがあり、四本の柱が立っていた。
サイババさんはその柱の真ん中にある椅子に座り、いろんな礼拝などは、そこで執り行われた。
信者たちは、それらの柱を綺麗に飾り付けた。
その日の礼拝などが終わると、サイババさんは、お父さんの家へ寝に帰ったのだった。
信者の数が増えてきて、スッバンマとカマランマは、台所で訪問者の食事作りに忙しかった。
その日に何人来るかわからないけれど、サイババさんは、来た人全てに食事を出すようにという指示を出していたので、手を抜くことが出来なかった。
しかし、作った料理以上の人が来た時、サイババさんは料理が入っている鍋や釜を祝福すると、中の料理が何倍にも増えたのだった。
その結果、いくら沢山の人が来ても全ての人が満足して食べれたのだった。そしてそれは、日が落ちて暗くなるまで続いたものだった。
その頃、スッバンマさんの家に泊まって世話になった年をとられた女性が次のように述べている。
サイババさんは、少し積まれたご飯とおかずが入っている鍋の上でココナッツを二つぶつけて割られました。
ココナッツは見事に綺麗に二つに割れ、中のココナッツ水をそれらの料理にかけられました。そしてそれは、その日に来た人々のお腹を満たすのに十分な量となったのです。
スッバンマの家の台所から、粉挽きの音が絶えることはありませんでした。それは、朝から夜中まで続いたのです。
ある日、ペヌコンダに住んでいるクリシュナマチャリが、友人の弁護士を一行を連れてやって来ました。
その弁護士は、サイババさんのことを全く信じていませんでした。
それで、もしサイババさんが純朴な村人を騙しているのであれば、訴訟も辞さないと言ってやって来たのです。
お父さんのペッダさんは、もし自分の子であるサティアの名前が傷ついたらどうしようと、困惑していました。
スッバンマさんが、彼ら一行をその当時お父さんのペッダさんと同居していたサイババさんの元に連れて来ました。
サイババさんは、スッバンマにシルディババの墓所を見たくないか。と聞きました。
スッバンマは、もちろん見たいです。と答えました。
サイババさんは、スッバンマを部屋の中に連れて入りました。
すると、そこは部屋の中ではなくシルディババが安眠している場所だったのです。
そこには、花が積まれ、線香の煙がもうもうと立っていました。また僧侶が部屋の隅でお経をあげているのが見えました。そしてサイババさんに言われて反対側を見ると、そこにはアンジャネヤ寺院と、そのもっと向こうには、マルゴサの木も見えました。
そしてその光景は、まるで地平線の向こうまで見えるようなパノラマとなってスッバンマの目の前に広がっていたのです。
畏敬に包まれて、部屋の外に出たスッバンマは、一行にも部屋の中に入って見るように勧めました。そして、サイババさんが一人ひとりを案内して連れて行きました。一行の全員がそれらを見て部屋から出て来ると、もうその人たちはつい先ほどと全く違う人になっていました。
彼らは、今までの非礼の許しをババに請い、サティアがサイババだと100%納得したのでした。
お父さんのペッダさんは、その件があって以来家族のみんなにサティアを、ただのお前たちの小さな兄弟と思ってはいけない。サティアの邪魔をしてはいけないと告げたのだ。
ヨシオ:タミンラジュたちは、一家でバイオスコープに行こうとサティアを誘っていました。バイオスコープとは、今も南アジアなどにある覗き窓、あるいは物見窓の事です。日本にも夜店などに行くと時々見かけませんか。
ポニョ:今の人、そんなん知ってるわけないやろ。とっくに博物館行きや。
ヨシオ:まあええわ。とにかくサティアの学校の先生であったタミンラジュ家の人たちと、サティアは行くことになりました。
ところが突然、みんなやっぱり映画を見に行こうという話に変わったのです。
サティアは、それやったら僕やめとくわ。と言ったのですが、家族のみんなが一緒に行こうぜ。と無理やり嫌がるサティアを連れて行きました。
それで、映画が始まる頃になって突然発電機が壊れたのです。
いくら待っても、修理できる様子ではないので全員サティア以外、肩を落として家に帰ってきました。
夜に長い間外の風に当たっていたので家族の一人が喘息になりましたが、サティアはヴィブティを物質化して飲ますと喘息は治まりました。
学校の自由時間に子供達は校舎の外にいました。サティアは、友達とここで遊ぼうよ。僕に着いておいで。と誘っていました。でも、そこはトゲやら、アザミが落ちているところでクラスメイト達はそこで遊びたくなかったのです。
それで、誰もサティアに着いて行きませんでした。
でも、サティアが飛び跳ねて行った足跡の後には、どこから持って来たのか、分厚いトゥルシの葉っぱが重なるように落ちていて、トゲから足の裏を守ることが出来るのを発見しました。
子供達は興奮して、その葉っぱの上を喜んで飛び跳ねながらサティアの後を着いて行きました。
同級生の証言
先生のシェシャ イェンガーは、俺や友達のことをサティアと仲良くしてるっていうことだけで、怒鳴り散らすんだぜ。それで、サティアにその事を言いつけてやったんだ。それで、サティアにあのイエンガーを発熱させ、痛い思いをさせようぜってけしかけたんや。
で、本当にあのイエンガーの先公が発熱しよったんや。
それで、イエンガーの奥さんが俺に会いに来て、うちの人がこんな風に発熱したのはあんた達に対して酷いことをした罪を支払っているんだと思っています。と言ったんや。
そして、それと同じことをサティアにも話したんや。
サティアは、イエンガーのところに行ってイエンガー先生を手でポンポンと叩くと、熱はあっという間に下がって平熱になったんや。
(訳注、最初に熱を出さそうと画策したことは誰にも言エンガー。)
ポニョ:あんたの駄洒落がなんで訳注やねん。
サティアの同級生達シリーズ ビンデラ君のこと。
ビンデラ君は、サティアに砂糖を投げつけとったんやで。校長先生はそらもう激怒して、ビンデラ君を叱っていたわ。食料をそこらへんにばら撒くなって。
でものちになって、ビンデラ君はサイババさんの信者になったわ。
ポニョ:こうしてここ数週間サイババさんの若かりし頃の話を聞いてたら、昔の田舎の人ってとても心がきれいで純粋やなと思うな。おいらが、カヌーで四万十川の川下りしてる時に出会ったいろんな人々を思い出すわ。
ヨシオ:そうやな。なんか人の反応が素直やな。サイババさんの神聖さを疑っているときは、疑っていると言うし、神聖さが分かった時は参りました。一本取られました。と言って兜を脱ぐし。
ポニョ:正直っていいよな。思ってる事と言ってることが一緒の人って少ないよな。
ヨシオ:とにかく誤解してたら、誤解しててごめん。と言ってすぐに自分の過ちを認めるなんて心がきれいな人でないと、難しいと思うで。みんな、プライドやエゴがあるから。
ポニョ:サイババさんが、神として降臨するために自ら選ばれた家族やから、それだけ良いもんを持ってはるんやな。
ヨシオ:特に、お母さんのイシュワランマさん。このお母さん、さすがに神の化身を産みはっただけの事はあるぐらい純粋な心を持ってはるで。
ある日、サイババさんがムンバイに行く時に一緒について行かれたんやけど、そんな大きな都市へ行くのは初めてやし、喜んでついて行きはったんや。そこではインドのビジネスキャピタル、商業の中心都市と言われてるから色んな良い物が安くて手に入るんや。
それで、お母さんがサイババさんに近所の人や孫たちにお土産を買いに行きたいから、小遣いくれへんか。と頼んではったんや。
そうしたら、サイババさんは、僕の着てるローブにはポケットが付いてないからお金や財布を入れるとこが無いやろ。だから、そんなん持てないねん。と言われたんや。
ポニョ:ちょっと、関西弁でサイババさんを喋らさんとってくれるか?イメージが崩れるわ。
ヨシオ:前にポニョもしてたやんか。あんたが訳してた時に。
ポニョ:そうか?覚えてないけど。でもまだ小さい時はええけど大きくなってはるんやから、関西弁はやめよ。
ヨシオ:わかった。それでお母さんは、あんたそんなこと言うても私は知ってるんやで。何遍も見てるんやで。あんたが、手をクルクル回しただけで何でも手から取り出せることを。私の目は節穴違うで。
早よ、もったいつけんと、手をクルクル回して小遣いちょうだいな。と言われたんや。
そういう会話を聞きながら、周りにいてた人はみんなニコニコしていたんや。
もちろん、その後でサイババさんはお母さんの願いを叶えはったんや。
ポニョ:神の化身やと言っても、こんなふうなやりとりを聞いていると、その辺にいてる親子の会話と一緒やな。もちろん、手をクルクル回して小遣いをお母さんにあげれる息子なんていないけどな。面白いな。
ヨシオ:みんなはサイババさんは、その辺にいてる人間見たいやな。なんて言ってるけど、実は反対なんや。みんなが、神の化身みたいやねん。その証拠にどこの家庭を見まわしても、お母さんは子供を愛してるやろ。
街に出ても人々はお互い気を使いながら込み入ったところを歩いている。誰も棒を振り回して歩いている人なんかいないやんか。
もしそんな人がおったら、やめときや、危ないで。と言って誰かが注意するやろ。
年寄りが通りでひっくり返っていたら、誰もほっとけへんやろ。
子供が、一人で夜道で泣いてたら、知らんふりして通り過ぎて行く人の方が少ないわ。
みんなは、こんな事は普通の町の風景やと思っているけど、実はこの世界はどこを見ても愛がいっぱいあるねん。
本当は、一人ひとりが、愛の化身なんや。人によって、その人の中に入っている霊のレベルによって動物的な要素が90%ある人や、10%の人やいろいろや。
でも例えて言えば、みんな神さんが頂上で待っている大きな霊的な山に登っている登山者なんや。
もちろん、一人ひとり登る道も違うし、ペースも違う。寄り道する人もいてるし、近道してる人もいてる。ヘリコプターで一気に五合目まで登っても、また降りてくる人もいてる。
人それぞれ違うんや。
早くから登り始めた人は、早くに人の姿を取った人で、動物から人に生まれ変わったばかりの人は今登り始めたばかりやから、言うて見たら登山の素人や。
熟練の登山者が、素人を批判しても仕方が無い。その人は、登り始めたばかりやから、まだマナーもルールも知らんので当たり前や。
熟練登山者はそんな素人登山者を批判する権利なんて無い。だって自分も一昔前は、素人登山者やってんから。
それより、熟練登山者は、こんなに人より早く登山を始めたのに、まだ頂上に着かんとその辺をウロウロ登ったり降りたりしてることを恥やなあかん。
それに自分の登山の事ばっかり考えやんと、素人登山者に正しいルートを教えたり、登山のマナーを教えたりするのが、熟練登山者としての義務や。
そういうことをしてお互い助け合って山登りをしているのを、山の管理者である神さんも見てたら嬉しい。
安全に、みんなが頂上を目指して一歩一歩ずつ助け合って登ろう。
余力がある人は、疲れている人の荷物を持ってあげよう。足をくじいた人がいたら手を引いてあげよう。喉が渇いている人がいたら、自分の水筒の水を分かち合おう。もうこんな山登りはしたくない、なんて言ってる人には、頑張って一緒に登ろうと声をかけ、山崩れの方に歩いているパーティーがいてるのを見つけたら、そっちは危ないで、山崩れのあるとこやで。と警告したげよう。
霊的な視点から見たら誰でもみんな一緒や。その魂が早く出発したか、遅いかだけや。
ポニョ:おいらは金子みすずの詩が好きやねんけど、こんな詩の部分があったな。みんな違って、みんないいって。おいら、そこのところ大好きやねん。
ヨシオ:みんな違って、みんないいか…。本当やな。神様が、俺たちを見守りながらいつも思っている気持ちと一緒やな、その言葉。だから、ポニョの心に、そして、みんなの心に響く言葉になったんやろな。ほんまに神様の気持ちを表している言葉や。
ポニョ:こういう言葉を胸に入れて人と接したら誰も批判出来なくなるな。その人の悪いとこが見えても実は、自分が素人登山者やった時の自分を見てるんや。結局は全て自分なんやて分かるマジックワードやな。
この言葉は、世界にはいろんなものがあるけど、その中にある一つのもの、つまり愛を全てのものの中に見なくてはいけないっていうことやな。多様性の中の一体性や。
おいらは、この言葉が何気なく好きやったけど、神さんの気持ちになれる言葉やと分かってもっと好きになったわ。この言葉を忘れへんと毎日生きてたら、いっぱい人を愛せそうな気がしてきた。
ヨシオ:というわけで、ポニョが神がかりになってしまったようなので、サイババさんの話に入ります。
私たちは、無知のために、宇宙の中に多様性のみを見ます。
表面的な多様性のみを見て、根本的な統一原理、すなわち神そのものである一体性を見る努力をしないのです。
私たちは俗事にどっぷりとつかり、世俗的な欲望を追い求める中で自分を見失っています。
私たちは、これらの世俗的欲望によっては決して満たされることがないので、俗事に嫌気がさして神の方を振り向きます。
「我々の世俗的欲望が幾分かでも満たされれば、神への帰依心は突然高まる。そして欲望がくじかれれば、我々の神への帰依心は、たちまち神への嫌悪へと変わってしまうのだ。」
世俗的な欲望を満たすことだけが人生の目的であるという誤った考えを抱き、神の遍在と人生の真の目的を忘れて、絶えず世俗の欲望に悩まされ、私たちは、持って生まれた力をすべて失い、自分は弱く、助けてくれるものもいないと感じています。
諸聖典が真理(真実)は一つである(エーカム=サット)と宣言しているにも関わらず、私たちは多様性という非真理の見かけに引きつけられ、それに騙されて、この多様性の背後にある、二元性を超えた神の真理を理解できないでいます。KSH
今日は、いろんな人がサイババさんに会いに来て、サティアが実はサイババさんだという印を見せてもらった話をします。
ある日、太陽が照っている昼の二時にサイババさんが、スッバンマの家の前で空を指差したら空一面に星が見えた。
そこにいた人々はびっくりして、自分たちはすっかり忘れていたけれど、昼間でも星は空にあったんだということを今思い知らされた。すごいものを見せてもらった。と言っていた。
また、カマラプラムから訪れていたお母さんの兄弟であるスッバラジュさんたち一行に、私の胸に耳を当ててご覧。と言った。それでみんながそれぞれ耳を当てると、クリシュナが演奏している横笛の音色が聞こえてきた。
スッバンマとカマランマは、自分たちの知り合いにサイババが生まれ変わったよ。会いにおいでと、手紙を送った。
それで、ある日、百六十キロメーターも離れたバンガロールからカマランマの知り合いのシャーマとサヴィトランマがやって来た。1943年の事だった。
サイババさんは彼らにメダルを物質化して与えた。
一緒にいたシャーマの娘でシャンタは、その時のことを思い出して語ってくれた。
私のお父さんは、皆とチットラヴァティ川に行きました。そして、バジャンを歌った後、サイババさんは、お父さん以外全員家に帰りなさいと言いました。
お父さんは、サイババさんに連れられて少し川の水に足をつけました。そしてそこでサイババさんは、水に写った自分の姿を見るようにお父さんに言いました。
お父さんは、サイババさんの周りに光が輝き始めたのを見ました。
そして、そのあとヴィシュヌ神が人の世に降臨した十種類の神の化身の姿をひとつずつ見たのでした。
最後は、今の世界であるカリユガの時代に現れるであろうカルキアヴァターが、白い馬に乗っているのを見ました。
そして、そのカルキアヴァターの顔は、サイババさん御自身だったのです。
それを見て、お父さんは遂に肉体から自由になれる許可を神から与えられたと思い、エクスタシーに陥りました。そして、サイババさんの御み足に平伏しました。
サイババさんは、お父さんに数珠を物質化して与えました。
そして、お父さんの命は短いことを告げました。お母さんにも後ほど、息子は授からないけれど、私を息子とみなしなさい。そして、娘さんは私が面倒見るから大丈夫だよ。と言いました。
同じくバンガロールから来たシャマンナの息子ラマスワミは、自分の妹をどんなふうにしてサイババさんが治癒したかを語りました。
私の妹の、ジャガダンバは一つの目が小さくなっていて見えないのです。それに、大腿骨の骨が脱臼していましたので、歩くことが出来なかったのです。
でも、八日間サイババさんのところに滞在している間、サイババさんが物質化されたヴィブティか、チットラヴァティの砂を関節に擦り込み、目にはサイババさんの写真にかけてあるジャスミンの花輪から取った花びらを、目に包帯でくっつけていました。
そして、驚くなかれ八日目の帰る日に妹は関節も目も完治していたのです。
それでサイババさんは、妹は結婚して長生きするだろうと言ってくれたのです。
数年後、サイババさんの言われた通り妹は結婚して子供を産みましたが、出産する日、夜中に産婦人科の病棟にサイババさんが現れて、寝ていた看護婦を起こして三十分後に患者が出産するので起きなさいと看護婦を起こされたんです。
看護婦は、男が、産婦人科病棟に入って来たと言って大騒ぎしていましたが。
ここで少しサイババさんのいとこのラトナカラムさんの話をします。
ラトナカラムさんのお父さんは、サイババさんのお父さんの兄弟で、まだ覚えておられる人もいると思いますが、薬草を食べさせようとして、気が触れていた頃のサイババに近寄り顔を回し蹴りにされて歯を二本だったか折られた人です。
彼は、サイババさんが組織したパンダリ バジャングループの一員で、早くからサイババさんの神聖さに気付いていた人です。
サイババさんがウラヴァコンダから帰って来た時も、すぐにバジャンの歌い手になり、タブラという太鼓も演奏していました。
サイババさんから、先ほど紹介しましたシルディババの墓所のヴィジョンを見せてもらったり、サイババさんがディーパヴァリのためにマイソールに出向いておられる時に、マンディールでサイババさんが蛇になって現れたのを見ました。
サイババさんからプッタパルティの建築の現場監督を任されて、労働者のために賃金を支払ったり、発電機やライトや音響設備の担当もやっていました。
サイババさんは、彼に妻を見つけて来て1956年に五日間に渡り結婚式をアシュラムで、サイババさんの指揮で執り行いました。もちろん、食事も全てが準備されました。
彼は、このサイババさんの記事の元になっている本を作るのに、四年間も著者に協力しました。
現在は、三女、二男のお父さんです。
サイババさんの同級生について
この同級生は、サイババさんと同じクラスメイトだけではなく、近所だったのでよく遊んだ。特に サイババさんは彼のことをサティアナラヤナと呼んでたな。
いつもクリケットして遊んどった。
ヨシオ:俺の、インド人の友達が毎日、自動翻訳にかけてブログを見てくれてるんやけど、仔牛の檻の写真だけ見て泣いたって言ってた。
そいつは、ジャイナ教徒なんやけど、関西弁やから自動翻訳にかけても上手く英語が出て来ないんで、多分仔牛の檻じゃないかなぁと推測してたんやけど、そうやったと分かったので泣いたんやて。三十過ぎのお父さんやけど、優しい人や。
このブログでポニョが紹介してたけど、豚肉を食べると傲慢になり、羊の肉を食べると識別心を無くし、鳥肉を食べると善悪の区別がつかなくなる。もちろん、牛肉を食べると牛の持っている頑固さなどが、食べた人の性格に影響するということやろ。
つまり、肉を食べるということは物質的なタンパク質とか脂肪を食べているだけではなく、動物の持っている霊的な身体も自分自身に取り込んでいるんや。
以前も言ったように、人の体や動物の肉体は、波動の一番荒いものから出来ている。
だから、その肉体にいろんな波動のレベルを持っている霊が入ることができる。
というのも、肉体が一番荒い波動で、霊体の波動は肉体より細かいので、どんなレベルの霊も肉体を取れるんや。
ポニョ:それって本当に面白いよな。だって身体という入れ物に、いろんなレベルの霊が入って同じ世界に住めるんや。
ヨシオ:だからこの世界は、ポニョがこの前言ったように「みんな違ってみんないい」という愛の世界だということを発見出来る、面白い世界なんや。
ポニョ:ということは霊界に行くと、それぞれの霊のレベル見合った波動を持つものとしか一緒になれない。
ヨシオ:まあ、それを霊の親和性と言うんやけど。でも、波動の細かい霊は下の波動の荒い低い界に行けて、導くことが出来る。だから、一番細かい波動を持った霊は神さんに近い。
神さんは、最初光り輝くものとしてこの世に姿を現し、それが波動になって物質を作った。
さっきも言ったように、細かい波動を持っている霊は、自らの意思で荒い波動の霊の中に入り込めるけど、逆は無理や。
でも気をつけやないかんことは、細かい波動を持っている人が荒い波動の中に入っていけるけどそこで影響を受けるんや。つまり、波動が荒くなる。
だから、下の波動の荒い界に行っても、自分の波動をさらに細かく出来るぐらいの高いところにいてる霊でないと導くのは難しいと言われている。
ポニョ:それは、常識で分かる。ギャンブルが好きな連中といるとそんな影響を受けるし、付き合ってる仲間の影響を受けるのは普通や。でも、その中で自分を更に高めれる人ってなかなかいないよな。普通は、周りから影響を受けるもんな。
ヨシオ:だから、アインシュタインはあなたの友達を紹介してくれたら、私は、あなたがどんな人か言ってあげようと言ったんやろな。でも、俺のジャイナ教徒の友達は毎週末にノンベジの友達と遊びに行くけど、レストランに行く時は必ず自分がみんなの会計を払ったげるんやて。
なんでそんな事をするんや。あんたも一介のサラリーマンで、ギリギリ金を回してるのに。と言ったら、いや菜食のレストランにみんなを連れて行ってやるんやて。そうしたら、それは、友達の健康のためにもええし、少しでも殺された動物が友達のお腹の中に入らないし、自分がみんなが行くノンベジのレストランで動物性オイルとか肉の臭いのするテーブルに座らんでもええから。と言っていた。
ポニョ:ええ奴やな。そいつ。おいらも友達になって一緒にレストランへ行きたいわ。
ヨシオ:あのな、ポニョは友達になる動機が不純や。また、レストランや公共の場所に行って誰かが以前、座っていた椅子に座っただけで、その前に座っていた人の想念が椅子に残っているから、それが波動となって人に影響を及ぼすんや。
ポニョ:ほう。それは面白い。じゃあ何か、おいらが座った椅子に座っていた奴の想念が波動となってその場に残ってるってことか。それに影響を受けるってあんた。悪いことを何か相談した奴らの席に座ったら、そいつらの影響を受けるんか。嫌やなそれって。
ヨシオ:また、握手をしたり、抱き合ったりしたら、すぐに波動の力の影響を受ける。違うレベルの霊を持っている人と接すれば影響を受けるんや。それが端的に現れるのが、肉食やねん。
ポニョ:つまり、その動物の霊体を自分の霊体の中に取り込んでしまって、動物のレベルの波動になってしまう。ということやろ。
ヨシオ:だから、霊的に見ると肉食は自分の霊体の波動を荒くして傷つけることになってしまうんや。
ポニョ:そして、さっきもあんたが言ったように、そのいろいろな動物の性格も自分に取り込んでしまうやろ。飯を普通に食ってただけで、こんなにいろいろと影響を受けるんやったらそら、注意せなあかんわ。
ヨシオ:でも、現代における一番大きな問題は、昨日の記事のように人間に一番近い動物である牛が、その牛としての徳を積んでから生を全うするのではなく、中途で人に殺されて食されるために、その牛の霊が未熟なままで人の身体を取ってるから、身体は人でも人として行動できないお邪魔虫人間がこの世にたくさん増えているんや。
これは、牛などを殺すのをやめないと、絶対に止められないんや。
だから、サイババさんが前のインドの首相バジパイに、お前が首相についている間に一つだけのことをしたらそれで十分や。それは、インド中の屠殺場を閉鎖することや。という指示を出したんや。でも、インドでは州によって法律が違うし大変な事なんや。
ポニョ:昔は、日本も、肉食をするなんて人はいなかったよね。
特に牛なんて誰も食べなかったズラ。
それが今、毎日の食卓に肉が乗らない日はないぐらい食べてる。
誰かが、言ってたけど、イルちゃんが牛耳っているマスゴミもそれを後押ししてる。
これは完全に仕組まれてるんや。
その証拠に、前大統領の栗金トン家族をはじめ、多くのイルちゃんたちは菜食主義者や。
それも、オーガニックの野菜しか食べない。
絶対に大豆とか、遺伝子操作された食品には、手を付けない。アルミの入っている塩やフッ素の入っている生水、そういうものにも口を付けないやろな。
そういうものに毒が入っていることを、人々に知らせないようにして自分たちだけ安全な食べ物を食べ、その他大勢の人を人間家畜にしようとしてる。
ヨシオ:ところがイルちゃんのように自分たちがエリートだと嘘ぶき、世界を創られた創造主を認めず、自分たちが創造主になろうとすること自体が、エゴを膨らませることになる。
その結果、真理から離れて行くばかりや。
これ以上、イルちゃんのことは言わないけれど、人が食するために罪もない動物を殺すことがどれだけ、自分の霊体に対しても、世界に対してもマイナスに働いているかということを知って欲しい。
俺が、プッタパルティにいた頃、世界中からいろんな人が来てた。
飯を食ってる時に、隣の人と話しているとその人はグリーンランドから来たエスキモーやったんや。それで、菜食主義者かと聞くとそうやという。どのようにして、菜食主義者になれるんや。と聞くと、あんたらが知っているエスキモーはテレビのエスキモーや。
本当の生活は物価は高いけど、カップ麺や乾燥野菜、根菜なんかはいつでも売ってるし、缶に入った野菜もある。菜食主義になるのは難しくないって言ってた。
でも、そんな事より大きな問題は、砂糖がいっぱい入ったジャンク食品が入って来ていて、若い人たちは、まともな食べ物を食べないから、若くて成人病になったりするって言ってた。
問題は、一人ひとりが、肉食をやめていけば世界が良くなって行くんだけど、どれだけこの世に食肉産業で利権を貪っていたりしている人がいるかってことや。
それに、過去百年に渡って食肉を半強制的に強いられてきた、日本人の食文化をひっくり返すのはとても難しいやろな。
俺たちは、自分たちが信じていることを世の中に問うのが役目で、あとはそれをどうして行くのかは、それぞれの人の問題や。
ポニョ:何か大きい事が起こらないと、難しいやろうなとおいらも思う。もう肉食が生活の一部になってしまってるもんな。
ヨシオ:今日はサイババさんが、初めてバンガロールに行かれた時の話の続きです。
サイババさんは、バンガロールに行くと、あちらこちらの家に呼ばれてとても忙しくしていました。
ある日、サイババさんはバンガロールの南にある古い都市であるマイソールでの結婚式に招待されました。もちろん、たくさんの信者達も付いて行きました。
しかし、スミトランマという名の花嫁は家が貧しかったので、花嫁にも関わらず何も宝石や、金銀などの飾り物を付けていなかったのです。
それで、可哀想に思ったサイババさんと一緒に来た女性たちは、自分たちが身に付けている飾り物を外して花嫁さんに付けてあげました。
サイババさんといつも一緒にいたおかげで、女性たちは自分のものであっても他の人と分かち合うということを学び始めていたのでした。
そしてサイババさん自らも、手を回して花嫁に贈り物をプレゼントしました。
ゴパールラオさんの娘である花嫁スミトランマさんは、この日の出来事について次のように回想していました。
サイババさんが、私の結婚式にやって来ました。彼は、普通のどこにでもいる少年のようでしたが、冗談がとても好きで、遊びまくっていて結婚式に参加している人たちは誰でも一度に彼の事が好きになってしまいました。
結婚式に来ていた子供達は、彼の周りに集まって来て、サイババさんが手のひらを使って作る影絵を見て喜んでいました。
結婚式の一日目に、サイババさんが来られて式場の片隅に座られた時、そこにいた誰もが彼の事を知りませんでした。でも、私の八十歳になるおばあちゃんは、サイババさんを見つけるや否や、慌てて飛んで行ってサイババさんの御足にひれ伏して、泣きはじめました。サイババさんは、足元にひれ伏しているおばあちゃんの頭を両手で優しく撫でていました。
それ以来、彼女の持病であった酷い頭痛は何処かに消え去って行きました。
サイババさんが、結婚式に招待されるのはいいんだけれど、問題は、そこに来た人々が結婚式のことなど二の次でサイババさんの周りが人だらけになることでした。
ある日、サイババさんはアナンタプールにある、ラオさんのお父さんの家を三日間ほど訪れました。そこは、大きな家にもかかわらずサイババさんは、家のことを全て知っていました。
そこに住んでいる娘さんと嫁さんは、悪い霊から影響を受けていました。
サイババさんは、彼女らの髪の毛を掴みクルクルと銀の棒に巻きつけて行きました。
なんと、いくら巻きつけても髪の毛は頭から何メートルも出てきました。
そして、サイババさんはそれを渦巻き状に回して引き抜きました。
女性たちはちっとも痛くない様子でした。そして、それらの髪の毛を銀でできたロケットの中に入れ、生涯首にかけておくように命じました。
その日の夜、家の人たちはいつになく良く熟睡出来ました。それで、みんな昼まえまで寝込んでしまいました。
しかし、その間サイババさんは、早朝から家中の掃除をし終えていました。
そして、玄関脇にココナッツなどを供え、礼拝をしました。
その後、風呂場でお湯を用意し、家の人たちが沐浴出来るようにしておきました。
サイババさんは、私は、この家にいた悪い霊を追っ払っておいた。彼らは、二度とここに戻って来ないので安心してこれから住めるよ。と言いました。
サイババさんがその家にいるのを聞きつけて、何百人もの人々が家の前に集まって来ていました。奥さんは、たくさんの料理を作ったんだけれど五十人分ぐらいが限度です。と言い家の門をこれ以上人が入れないように閉めました。
サイババさんは、奥さんに門を開けるように言いつけました。
そして、台所に行くと料理が入っている鍋の蓋を一つずつ開け、手を振って水を振りかけました。
その後それらの料理を、人々に分け与えるように言いました。
なんと、それはそこに来た全ての人が、満足するぐらいの料理が行き渡ったのです。
ブッカパトナムにあるサイババさんの小学校時代のコンダッパ先生が、ある日サイババさんにプッタパルティで一泊しませんかと言われて泊まったことがある。
その時に、サイババさんはコンダッパ先生に、当時誰も知らなかったシルディババの最初の十六年間の人生の話をした。
そして、コンダッパ先生はシルディババのヴィジョンも見た。
そして、コンダッパ先生サイババさんから聞いた話を本にしようとして、サイババさんに頼んだことがある。
「私は、君から聞いたシルディババの話を本にしようと思っています。その前に、君がいつも言っているように、君が本当にシルディババだという証拠を見せて欲しい。」と言った。
その当時、多くの人がコンダッパ先生のような事を願っていましたサイババさんは「こういう事は、全ての人に対して許可されるわけではないのです。というのも、それを見れる人はそれなりの特別な理由がある人だけなのです。」と言った。
やがて、本が刷り上がりババの元へも届けられて来た。
サイババさんは、みんなと一緒にチットラヴァティ川の川原へと行き、砂の上に腰を下ろしリーラさんに本を読むように言った。
リーラさんは、皆の前で最初のページから読み始め、「サティアが今、シルディババとなって生まれ変わったのだ。」というところを読むと、突然サイババさんがシルディババに姿を変えたんや。
それに気付いたリーラさんのお父さんのムダリアルさんは、「ババ〜!」と言ってかけ出して抱きついた。
そして、皆が、引き離そうとしても、とても強く抱きしめているので出来なかった。
でもやがて、シルディババが元のサイババさんに戻り、やっと手を離したんや。
そしてこのスリサイシュニチャリトラという本は、長年に渡ってサイババさんの伝記として読者に読まれたんや。
カスツーリ博士も、サッティアム、シヴァム、スンドラム(真、善、美)というサイババさんの伝記を書く時に、この本をよく参考にしたと言ってたんや。
サイババさんのマダヴァ君とサンカランマさんへの手紙
君達と一ヶ月半に渡って一緒に過ごした日々を今から思い出してみても、僕の心が溶けてしまいそうになるくらい幸せになるんだよ。
それで、あのような幸せだった日々が懐かしくって、もう一度あんな風に過ごせればいいなぁと思うんだ。
君達がまたここに来てくれることを心から望んでるよ。
ポニョ:昨日の菜食と動物の人間への生まれ変わりの話はとても大事やな。でも、地球の同じ住人である動物たちを殺すのを止めよって言っても、今の世界では難しいから少し落ち込むよな。
ヨシオ:人類がゴールデンエイジに向けて飛躍して行くにはいろんなハードルをクリヤーしていかないかんやろな。でも動物たちを殺して食することはゴールデンエイジでは絶対許されない事や。これは避けては通れない事やから、一人ひとりに神さんからどうするんやって問われているよな。
話題は変わるけど、ここパースに来た頃、毎日のように夕方海岸に行ってインド洋に沈む夕日を見に行った事がある。それで、夕日って赤いねんけど夕日を見て目の網膜に焼き付いた太陽を目をつぶって見ると、緑色に見える。
ポニョ:そら、赤の対色は緑やからやろ。赤の信号を見てて、色が消えた後、緑が見えるのと一緒やな。
ヨシオ:そうやろな。だからそれと一緒で、この世と霊界は対になってるから、霊界の太陽は緑色をしてるって言われているんや。岡本太郎は別府のビルの壁に緑の太陽と名付けた壁画を作ってるけど、でもそこにある太陽は赤色してるんや。でもその赤い太陽をずっと見て目を閉じたら緑の太陽に見えるんや。
ルドルフシュタイナーは緑のことを、死せる太陽の色と表現したことがある。
また日月神示では…
「お日様、赤いのでないぞ、赤いと思っていたであろうがな、まともにお日様みよ、みどりであるぞ。お日様もひとつでないぞ、ひとりまもられているのざぞ。さむさ狂うのざぞ。」
と記述されている。
霊界に行って面白いのは、霊界の太陽から霊的光線を受ける身体の位置が背中なんや。
というのも、脊髄にある第九番目から十二番目の椎骨までの間の領域に霊的なエネルギーの溜まり場があって、そこを損傷すると、全身が麻痺してしまうんや。
だから。霊界では、太陽に向かって背中を向けて日光浴をするんや。それで、太陽と背中を向けている霊の間を通ったり邪魔したりすると、霊界ではとても失礼なことやねん。
また、脊髄と霊に話に戻るけど、クンダリーニヨガという背骨に六つある生命を維持するシャド・チャクラつまりエネルギーの溜まり場を下の方のチャクラから背骨に沿って登って行く霊的な修行があるんやけど、背骨の間をくるくる螺旋状に登って行くもんやから蛇がそのヨガの象徴として描かれてるんや。
このヨガは、必ずヨガのマスターについてしないと呼吸を制御してするので、酸素不足になって脳や肺にダメージを受ける。経験不足のマスターに付くと間違った事を教えるので危ない。
それで、細かいことは飛ばすけど、背骨の一番下にある生命を維持するムーラーダーラー・チャクラにあるクンダリーニーシャクティという力を、呼吸法によって酸素の供給を制限して呼び起こすんや。
つまり、ゆっくりと規則正しく一定のリズムで呼吸を繰り返す事によって酸素が不足気味になってクンダリーニの霊的力を呼び起こすんや。
これは、とても危険なヨガで体にダメージを与えやすいんや。
これは、酸素が少ない高地でトレーニングしている人や、エベレストの登山をしている人が酸素不足になった時に、神を体験したとか、至高体験をしたという話を聞くけど、そのことを呼吸法によって実現することなんや。
素人はやったら危ないのでこれ以上は言わない。それにこれは、瞑想でもなんでもない。上手くやってたら寿命が伸びたりいろんな効用はあるけど、でも寿命を伸ばさんでも、今ある寿命をどのように愛で満たすかの方が大事や。
それで、このクンダリーニシャクティがさっきも言ったように、蛇のようにクルクルと背骨にある六つのチャクラを通って、頭の大泉門にあるサハスラーラチャクラに到着するんや。
そこには、神聖な光がありその周りを千枚の花弁が取り巻いているんや。それがはまるで、ハスの花のように見えるんや。
それで、人がいろんな欲望や怒りなどを持ったままそのヨガのレベルに到着すると、それらの花びらが真ん中の光に集まって来る。でも、人が神聖な気持ちで修行してこのヨガのレベルにまで来ると逆に神聖な光が大きくなって周りの花びらを包み込んで行くんや。
どちらのケースも一見、ヨガの霊的なパワーを手に入れることが出来たみたいやけど、一方は花びらに神聖な光がくっつくので、ヨガのパワーを得ることが出来るけど、神聖な光がくっついているだけで光そのものにはなれない。もう一方は、神聖な光が拡がって花びらを包み込み、光と花びらが一体となって、花びらが光そのものになることが出来るんや。
前者は、いろんな悪魔の儀式などを通じて、イルちゃんが得ようとしてるパワーなんや。
でも、イルちゃんでそこまで行ってる人はいない。やり方が間違っているし、このクンダリーニヨガはこの世界を神様がお遊びで創造されたと認識しているものでないと出来ないヨガなんや。
イルちゃんのようにこの世に囚われているものは絶対に無理や。
逆に、ヒラニヤカシプのような神に近い人やけど欲望をコントロール出来ないような者は苦行をしてこのヨガのパワーを手に入れることが出来るが、それを間違った目的に使うと神さんに正されることになる。
ポニョ:本来の瞑想とは以前紹介したみたいに、あらゆる場所(や人)の中に愛そのものである神を、おいらたちのする毎日の小さな一つ一つの仕事の中に顕現さすことなんやて言ってたよな。
ヨシオ:そうやったな。それはそうと、インド人の友達に最近男の子が出来て、Aarushて言う名前を付けたんやて。
その名前の意味は、朝陽から差し込む最初の光線っていう意味やねんて。
太陽が地平線から顔を出して差し込む最初の光はとても大事な重要な意味があるらしい。
昔の人は毎朝、一日の始まりには手を叩いて朝陽を拝んではったよな。朝日から出る光線を見るとその光線に含まれている霊的光線が霊体を刺激すると言われてる。
太陽というのは、実は水素やヘリウムガスなどで出来ている物質的な太陽だけではなく、人の身体の中に霊があるように太陽の中にも霊的な太陽があって、その霊的な光線が肉体の中にある霊体を刺激するんや。
ポニョ:何日か前に手の指とか、足を事故で無くした人がまだそこに指とか足があるのを感じるように、肉体の中に霊体があるって言ってたよな。
ヨシオ:こういう話をするとキリが無いけど、実は、俺たちの目の中からも何千万という霊的光線を発しているんや。だから、目が輝いている人っているやろ。キラキラしてる人。
ポニョ:おるおる。生き生きとして輝いてる人がいるな。
ヨシオ:太陽は、この宇宙を人に例えると、宇宙神人の眼と言われてるんや。天啓経典ヴェーダンダでは、スーリアという名の太陽神、エジプトではイルちゃんの好きなラーという神が太陽神なんや。
それで、この太陽神は人が愛に満ち溢れた良い行いをし、良いものを見た時にその霊的な光線を目の中に増やしてくれるんや。
逆に、人のあら探しをしたり、汚らわしいものや、不道徳、非真なものや卑猥なものなどを好んで見ていると、スーリア神は霊的な光線を人の目から人知れず奪って行かれるんや。
ポニョ:人知れず奪うって…。それってスリや。だから、スーリヤ神と言うんか。
ヨシオ:違うんだってばよ。だから、目を見ても、田舎の子はいつも神様の顕現してる自然の中で過ごしているから、見るものは神さんだらけやから、目が輝いている。霊的光線に満ち溢れたキラキラしたええ目をしてる子が多いやろ。
ポニョ:逆に、毎日のようにコンピューターゲームをして、人の荒さがしをし、アダルトサイトを見て喜んでいる人は霊的光線がかなり減少してる、死んだ目になってるな。
それに、お役所仕事で、自分の保身の事や出世のことしか考えていない人も、死んだ魚の目をしてるって、昔から言うもんな。
そう言えば、そんな映画を見たことがある。黒沢監督の「生きる」っていう映画や。ダラダラ生きていた公務員がガンと宣告されて、今まで死んだ魚みたいな目をして生きてきたのを後悔して、残りの人生を社会に役立つことをして歩むという感動的な映画やったな。
ヨシオ:ガンになってから頑張るって偉いけど、もっと早くから頑張っていれば良かったのにな。死んだ魚の目をしている人が突然生き生きした目になるのんは難しいやろな。長年、霊性修行してる人は、その人の目を見ただけで霊格が分かるんや。
ポニョ:そういや、名は体を表すとかいう言葉があるけど、目は霊格を表すということやな。
ヨシオ:それで、そういう芳しくないものばかり見てると、スーリヤ神が霊的な光線を奪っていき最後は失明するんや。
ポニョ:逆に、良いものだけを見て、良いことをしてる人はどんどん目がキラキラしてくるんやな。おいらみたいに。
ヨシオ:ポニョは鯉ばっかり見てるから、魚の目みたいになってるわ。
もう少し詳しく言うと、普段日光浴とかして太陽の光を浴びると、その霊的な光は目からだけではなく体にある無数の神経系統を伝ってハートの虚空に降り注ぐんや。
因みに霊的なハートは人の体の右側つまり心臓と反対側にあるんやけど、人の肉体が死を迎えた瞬間に心の支配下にある感覚器官を司っている霊的感覚は、霊体と融合してハートの虚空に達するんや。そしていよいよ死の瞬間を迎えた時に、魂はそのハートより上昇する極めて微かな一筋の霊的な神経系統を先ほどと逆に伝って霊的な太陽光線に赴き太陽界に旅立つんや。
太陽界に辿りついたあとは、魂の旅の終着点であるこの世界の創造主であるブラフマ神の界まで辿り着けば上がりや。
でも、心がアートマの放つ光で活動していることを知らない無知な魂は、五感の感覚を経てカルマの支配する界に赴くんや。月が明るいのは、月自体が光っているからだと思っているのが、無知や。だから、月の明るさに惑わされて月に行く。でも着いてみればそこは、太陽の光が反射していただけの荒涼としたカルマの世界であった。というわけやな。
ポニョ:はい、外れでした。ああ勘違いの世界ですよ。また生まれ変わってくださいね。
次は、太陽界に間違わずに行きましょうね。太陽界ですよ。ああそう界な。
お後がよろしいようで。
ヨシオ:お後はスペースが無いよ。誰かが喋りすぎるからや。
ポニョ:あんたやないの。明日も太陽の話をしよか?面白いわ。
あなたは、自分の目にどれほど膨大な力が潜んでいるかを知っているでしょうか? 目の中には、何千万もの光線が存在しています。太古の人々は、より良いものを見ることができるようにと、太陽神の恩寵を祈願したものでした。スーリヤ・ナマスカール(太陽神への礼拝)をしてその恩寵を祈るときには、あなたの目の中の光線はよりいっそう光輝を放ちます。一方、あなたが他者の過ちを詮索しているときには、太陽神はあなたの目からその光線を取り払い、あなたを盲目にしてしまいます。それゆえ、神によって与えられた諸器官を正しく用いなさい。19/11/02
心は自ら活動しない物質です。自ら活動しない水は、太陽の光を受けて輝きます。それと同じく、自ら活動しない物質である心もまた、内在の神霊の光輝を借りて光るので、あたかも意識あるかのように見えるのです。心の知性が、内在の神霊の光輝を照り返すので、心もまた知性を持つようにみえるのです。ただそれだけなのです。心の本性は無知です。DVJp97
ポニョ:昨日の太陽の話とチャクラとの関係、それにクンダリーニヨガ、霊的光線と太陽神スーリヤとの関係など盛りだくさんやったな。
ヨシオ:この話題をしたら、次から次からいろいろ出てくるから話題が拡がっていって収拾がつかなくなるよな。でも人類にとって大きな福音があるんやで。
前から言っているように、サイババさんの御講話を聞き流したらあかん。行間を読まないといけないんや。というのも、一言も余計な事を言われないから。
それで、次のような事が人類にもたらされる。とサイババさんが言ってられるんや。
それは、神さんからの人類への贈り物なんや。
人類は、太陽エネルギーの1500分の1しか使っていない。でも、それの割合をもっと増やすと人類に計り知れない便宜を与えることが出来る。
その太陽エネルギーを使って機械などを動かせば、エネルギー問題や環境汚染問題を解決出来るんや。
そういうことが実現すると、今グローバルエリートが世界中の鉱山会社を支配して地球や人々を収奪し、またロシアなどのエネルギーの狙ってウクライナで画策してることも無駄になるんや。
それぐらいの大発明が近い将来もたらせる。と言っておられるんやで。
それには、サイババ大学がその画期的な研究を完成させて、人類に大きな貢献をするだろうと言っておられるんや。
そのために、太陽光発電の専門家であったサンパット教授が引退する時に、あんたはまだやらなあかんことがある。エレクトロニクスと太陽エネルギーの研究を学生達に伝え、彼らが将来太陽エネルギーを使った新しい動力源を発見するためにここに留まりなさい。と言われたんや。
ポニョ:それは、すごい話やな。でも、そんな発明が仮に今されたとしても、今までそうやったように潰されるで。
ヨシオ:でも、神さんが言われたことやから、それは100%実現するんや。
エドガーケイシーも、巨大なクリスタルで太陽光を集めて電気に変換して使ってた時代があった。と言ってたな。
また、送電線を使わずに電気を送れるようになるらしい。オーストリア出身のニコラ・テスラはその時代に生れてくるには早すぎた天才で、高周波振動の電気的共鳴を利用して、巨大な電圧を発生させ電気の拡大送信機を作り、それによって地球が電気を帯びていることを証明したんや。
そしてこれによって、地球を媒介とする送電システムをつくれると思ったんや。
また雷放電を観測して、周波数の等しい波が干渉しあい波動がまったく動いていないように見える「地球定常波」を発見して、これに電気エネルギーをのせれば、エネルギーを減らすことなく、電気を地球全体に送れるやろと考えた。このように、時が来たらいろんな新しいテクノロジーが人類の役に立つやろな。
問題はタイミングやな。サイババさんが出て来られたあとかもしれんし、その前かもしれん。
ポニョ:その前やったら、既得権益を得てる連中がほっとけへんで。テスラも嵌められたし。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/df3076f1d58df19c34cacd2938597ddf
そら、イルちゃんがほとんどのエネルギー既得権益を持ってるから、大騒動になるやろな。例の、死者まで出したストップ!スタップ細胞事件も医療や製薬の既得権益者が、マスゴミ使って潰しにかかってるやろ。バレバレや。エネルギーの既得権益て言うたら、医療の既得権益と比べられないぐらい大きい。
ヨシオ:ということは、それらの発明がもたらせるのは、サイババさんが帰って来られてからということになるな。
ポニョ:帰って来られた時の手土産やな。
サイババ「久しぶりやな。ポニョはまた頭が薄くなって、お腹が出て来たな。わしはちょっと、あっちの世界に帰ってたんやけど、留守の間よう我慢したな。わしがいない間でも、しっかりわしの事をいつも思ってくれてて偉かった。
ほとんどの信者は、わしの言った空に現れるとか、山脈を持ち上げるとか、影分身の術を使うとかを冗談と思ってまともに取ってなかったけれど、お前たちはわしがこうしてサティアサイババの姿で戻って来ることを信じておったの。
余は満足じゃ。
それに、わしが帰ってくる為の露払いまでしてくれたんか。おかげで、たくさんの人がわしの事を良く知るようになって、わしもこれから仕事をし易いわ。
そやそや、これは、気持ちだけやけど、あんたらにお土産や。太陽光を使ったソーラーパネルなんてあるけど、そんなんと比べられないぐらい凄い太陽光を使って発電ができる装置や。これを使ったらガソリンを使わずに車も走らせるし、原子力発電も要らんようになる。きれいな空気、きれいな水、きれいな空が戻って来るで。全ての人類が神を崇める世の中には環境もきれいでないとな。でないと、ゴールデンエイジって呼ぶことが出来ないもんな。さあご苦労さんやった。さあ、いつでも、あっちの世界に連れて帰ったるで。こんな世界よりあっちの方がお前たちには、合ってるからな。そら、早よ帰りたいやろ。早い方がええもんな。」
と言っておいら達の首を二つ、ヴィシュヌ神の武器である円盤でシュバーッ!シュバーッ!と切り落とされるんや。そして、おいら達の首が、ころころとその辺に転がっていて、それを野良犬がペロペロしてるんや。
ヨシオ:あのな、ちょっと酷いでそれは!それやったら打ち首やないか。ついでに切腹もしろって言われたらどうするねん。ポニョに付き合ってら、ろくな人生が待ってないな。途中までポニョの話を気に入ってニコニコしながら聞いてたのに、突然首切りの刑やなんて酷い。
ポニョ:まあ話だけやから。カリ来るなよ。
ヨシオ:誰でも来るわ。ということで、やっと、サイババさんの話が出来ますね。お待たせしました。今日は、サイババさんはチビやけど怪力やったというお話です。
ポニョ:チビで怪力と言ったら、「怪力くり太郎」やないの。かっこ良かったな。おいら、もう楽しみで待ちきれへんかったわ。確か、小学一二年の頃やったな。
ヨシオ:そのこと知ってる人は、もう半分棺桶に入ってはるわ。ほんまにポニョ博物館には何でもあるんやな。
サイババさんは1945年にパミディに行きました。そこで、ラーマトゥダシというビジネスマンの家に泊まりました。
そして、夕方になるとみんなを連れて近くの川原に出かけて行きました。
スッバンマさんの家に第二夫人として嫁いだカマランマさんは当時のことを思い出して次のように述べています。
みんなで、歩いて川原の行く途中でご飯にしようという話になって、家で用意した弁当を井戸の近くに座ってみんなで食べ始めました。
ところが、スパイスが効きすぎていて、みんなヒーヒーと言って口の中から火が出そうでした。
それを見て、サイババさんがマイソールパックという甘いおやつを空中から取り出してくれたんだけど、とても熱くて手で持つのも難しかったんです。
でもようやくそれを口の中に入れると、とても甘くて、さっきのスパイスとちょうど中和して美味しかったです。
その旅に同行したアドリ博士の娘さんは、次のように回想しています。
私たちは、朝、サイババさんが起きてくるのを待っていましたが、六時間も部屋から出て来られなかったのです。それで、呼びに行くと、トランス状態になっておられて、信者の人を助けに行かねばならなかったんだ。と言ってました。
3日目には、私たちはパミティからイルアーに行こうとみんなで歩いていましたが、私のおばあちゃんは年がいって歩くのが難しいので、牛車に乗って行きました。
イルアーに行くには、川を渡らねばなりません。私たちは、牛車の前をゆっくりと歩いていたのですが、突然牛車に乗っているおばあちゃんが大きい声でサイババさんを呼んだんです。
振り返ると、牛車の車輪は川砂の中に埋れていて、牛も動きが取れなくなっていました。
それを見て、サイババさんはゆっくりと牛車の方に向かって歩き、たった一人でその牛車を川砂の中から引っ張り上げたんですよ!
サイババさんの同級生ラーマシャルマさんの証言
俺は、ブッカパトナムの小学校で奴と同じクラスやったんや。そこを卒業してから、1943年からヒンドゥプール中高へ進学して学んでたんやけど、人づてに奴がサイババと名乗ってるって聞いたんや。それで奴が俺の高校のあるヒンドゥプールに来るって聞いたから、学校をサボって駅まで行ったら奴がいてた。
それで、懐かしくなって、「おい、お前!俺や!」って呼んだんや。
すると、取り巻きの連中が俺を非難するような目で見るんや。その中には、奴をヒンドゥプールに招待した軍の入隊選抜官の偉いさんもいたんで、俺は慌てて「いや。悪気は無いんです。奴は、いやこの方は、俺の小学校の時の同級生なんです。と言ったんや。
奴は、俺がそんなふうに不躾に呼んだことを全然気にしてなかったんや。
それで、俺に近づくとニコニコして肩をポンポンと叩いてくれたんや。それで久しぶりで懐かしくて、昔の同級生たちの話に花が咲いたんや。
。
そうしてるうちに、軍の偉いさんが花で飾られた車を用意してくれて奴に乗るように言ったんや。
それに、音楽隊も一緒に来たんやで。
奴は、俺にも一緒に行こうって誘ってくれたんや。
それで、俺は軍の偉いさんの家までのパレードに音楽隊の人たちの中に混じって一緒に着いて行くことにしたんや。
そして、そこで、俺のような飛び入りの奴にも、お腹がいっぱいになるまで食事の世話をしてくれたんやで。
それで、そこに朝から夜までおって、またプッタパルティに帰って行った
当時の友人の証言
ババはジャバと呼ばれる長袖のシャツをバンガロールのピライ洋服店で作ったんや。それをカリロミルで縫ってもらった。ぱっと見は安もんのシルクの粗生地みたいやけどな。
それを、当時流行ったクリーム色がベースで塩と胡椒という名の黒い点々のあるデザインをプリントしてあった。
若かったサイババは、それを着てコマーシャル通りを時々歩いていたんや。
それで、大人たちに街を歩く時は皆にバレないように、俺の服を着て行ったらええでとアドバイスされてたから俺のを着てたな。
プッタパルティでは、俺たちが願望成就の丘から帰ってくる時、サイババはとても疲れているように見えたんで俺の肩を貸したったこともあったんやで。
そして、そのままチットラヴァティ川の川原まで行ったことが一度あった。
また、バンガロールで一緒に勉強会をしたこともあったで。それで、あいつに話しかけるのにテルグ語を使うんやけど、時々どうしても英語の単語が混じってしまうんや。英語の単語を混ぜて話した途端、あいつは俺たちの頭の後ろを叩くんや。
サイババさんからサンカランマさんへの手紙
ここ二三日僕の手の痛みはだんだんマシになってきたよ。でも、書き始めるとまた痛みは戻ってくる。それで、この手紙もゆっくりとちょっとずつ、ちょっとずつ書くようにしてる。
これからは、どんなに手が痛くても僕は自分で自分の手紙をあのバジャンを歌う少女や他の信者の人たちにも書くので伝えておいてくださいね。
サンパット教授は、エレクトロニクスを専攻しさらに、太陽エネルギーを用いて動力とする事に興味を持っています。バラタの国民は太陽を崇めます。太陽は、水素とヘリウムよりなる巨大な球です。太陽から地球に来る太陽エネルギーの一部を動力に用いる機会は豊富にあります。私は、わがサンパットがここに留まり彼の知識を用いて太陽エネルギーを利用してもらいたいのです。
太陽は光輝の具現です。太陽の光は何処からどのようにしてくるのでしょう?太陽光線が我々にどのように到来するかを発見した学者は一人もいません。それは神の力から来るのです。神は光輝にあふれています。神は幾十億の太陽を併せたほどの光輝を発します。今日人々は、一個の太陽エネルギーすら利用することが出来ません。そのような人間に、どうして幾十億の太陽の光輝を持つ唯一者の力を押し測る事が出来るでしょうか?
神の光輝に比べれば、太陽はろうそくの光のようなものです。太陽の源が神であることを実感認識し、太陽のエネルギーを動力に用いる為、サイ大学においてはエレクトロニクスと太陽エネルギーの研究を発展させて、特別の努力をしなくてはなりません。教授の持つ全ての知識をサイ大学の学生に与え、それによってプラシャンティニラヤムのサイ大学から新しい発見が生まれて国家に寄与することでしょう。5/93
太陽の発するエネルギーのうち、私達は3000分の2しか使っていません。まだ使われていない太陽エネルギーの量は膨大です。太陽エネルギーのごく微量を用いて機械を運転するならば人類は巨大な仕事を成就することが出来ます。そして全太陽エネルギーを人類の福祉の為に使うならば、人類の為に計り知れぬことを成就できるはずです。21/5/91
ヨシオ:今日は太陽の話ですが、朝陽とか夕陽を見られる時は網膜を痛めるので注意して下さいね。私たちの目は直接太陽の光を見れるようには、出来ていませんから。
俺も、太陽を見る時は、必ず地平線に太陽の一部がかかっている時だけにしてる。
ポニョ:いずれにしても、霊的な光線は前にあんたも言ったように、身体中の神経系統を通じて体の右側にある霊的なハートに降り注ぐので、体全体で霊的光線を受け止めたらええやんな。
太陽は、全ての生き物を支えてくれてる。太陽が無かったら、この星にある全ての生き物は死に絶える。
ヨシオ:それに、太陽は自分たちが実は肉体では無い事を悟らせてくれるんや。というのも、太陽はバケツの水にも、池にも川にも映るけど、それらの水が干上がって自分の姿が映らなくなったら、悲しむだろうか。また、太陽はガラスや鏡にもきれいに写るけど、これらの鏡が割れた時に悲しむだろうか。
ポニョ:もちろん、鏡の持ち主は悲しむやろうな。
ヨシオ:あのね、ポニョさん。今は太陽の話をしてるんですが。ちょっと話に集中してくれますか。
それと同じで、自分を肉体と思っていたら、この世のゴタゴタに巻き込まれて悲しんだりするけど、太陽のように自分がそこにただ写っているだけやと思ったら、何があっても太陽のように動じない。そういう事を太陽から学べる。
つまり泰然さやな。何事があっても動じないのは平然さ。言うのは簡単やけど、やるのんは難しいのは当然さ。
ポニョ:久しぶりにあんたの字余り言葉遊びが出たな。
おいらは沈む太陽を薄目で見るとプリズムの作用で、虹のように七色の光線が見えるんやけど、誰でもそんな風に見えるんやろうか。
でも、同じようにして他の光を見ても七色には見えない。
ヨシオ:人工的に作られた光のことか?
ポニョ:そうや。それだけではなく、ろうそくの火も七色には見えない。いろいろ試したけど、太陽の光だけが七色に見えるんや。やっぱり、太陽はスペシャルやなって思うわ。
その太陽神へのお祈りのマントラがガヤトリやろ。だから、太陽を見ながらそのマントラを唱えると凄い御利益があるんやろ。どんな御利益があるんやろか。
ヨシオ:ガヤトリマントラは、全てのマントラの中で一番強力なマントラなんや。それは、オームと唱えるプラナヴァマントラを精緻にしたマントラで、一日に朝昼晩と少なくとも3回唱えると良いとされている。
ポニョ:3回やったら簡単やな。それで、どんな御利益があるんや。おいらは、それをさっきから知りたいんや。
ヨシオ:あのね、ポニョは神さんにこういう霊的修行をしたから、こういう御利益をもらえるとか、神さんにこんなものを捧げたから、こういう願いを叶えて下さい。とかいうのはまだレベルが低いんやって。全ての、霊的修行は、以前も言ったように山登りをしているようなもので、山の頂上を目指さなあかんねん。それを、山の神さんに、昼飯を食べるからどっか眺めの良いところに導いて下さい。とか、清水の湧いているところを教えて下さいとか、美味しい果物が成ってる木のところを教えて下さいとかを頼んでるようなもんやねん。
ポニョ:でも、腹は減っては戦さは出来んて言うやんか。やっぱり、しっかり食べるもんは食べて、飲みもんもしっかりとって、昼寝もして、景色を楽しんで、一緒に登ってる人と会話も楽しんで、それから…。
ヨシオ:もう分かったって。ポニョは、人生を楽しみながらゆっくり登ったらええやんか。何にも悪くない。でも、今は、ガヤトリマントラの話やけど、このマントラはいまポニョが言ったように、全てのお願いを叶えてくれるパワーを持ってるんや。
これさえ唱えてたら、他の全てのマントラを唱える必要はないんや。
登山中のポニョをいろんな崖崩れや、落石や、落雷などから守ってくれるし、頂上への道も教えてくれるんや。
それに、このマントラを正しく唱え続けていると、自分の周囲のもの全てが光に満ち溢れて来るのが見えるんやで。
ポニョ:それって凄いな。それじゃ、周りが明るく見えたら、夜道も歩けるって事やな。
ヨシオ:違うって。ポニョはホンマに二つの目で見えるこの物質世界のことばっかりを基準にして話してるやろ。そうではなくて、光に溢れて来るのが見えるんは、第三の目が開いて来るからなんや。
ポニョ:なに〜!あの、シヴァ神の第三の目か!それは凄いぜよ。顔のどのあたりにそれが現れるんや。その瞬間を、携帯のカメラで撮れるんやろか。もし上手くカメラで撮れたらフェイスブックの表紙に貼ったら格好ええやろな。ポニョの第三の目です。とかなんと横に遠慮がちにちょこっと書いて、おいらのフェイスブックを見てる人はビックリするぜよ。
ヨシオ:さっきから、一人で興奮するなよ。ポニョはおもろいやっちゃ。何回も言ってるけど、そういう物質的な事ではなくて、ガヤトリマントラはポニョが本当は神さんやで。ということを悟らせてくれるマントラなんや。
だから、額に第三の目が現れるとかではなくて、本当の自分は誰かを考える力、識別する力に神聖な光を当ててくれるマントラなんや。心はいつも五つの感覚器官の横にひっついてるから、それらに影響を受けて、美味しい匂いがして来たら食べたいとか、人の噂話が聞こえて来たら聞き耳を立ててみたいとか、公開されたばかりの話題の映画を見に行きたいとか、そんな世俗的な事に振り回されるやろ。そうではなくて、心を感覚器官の方ではなくて、神さんの方に向けさすのがこのマントラなんや。そうすれば、心は鏡みたいなもので、自分自身だけでは光ることが出来ないけど、ガヤトリマントラの力で神さんを映し出すことができるんや。
神さんは前からこのブログでも言っているように、光そのもので、常に放射してるんや。その光輝は太陽が何十億個も集めたよりも明るいんや。
太陽のあの輝く光も、光輝く神さんの前では、ろうそくの火みたいなもんや。
ポニョ:そんなに明るいんか。何ルクスぐらいあるんやろうな。一度しっかり測って神さんの光輝が太陽の何倍か計算したいな。
ヨシオ:出来ないっちゅうに。してなんぼのもんやねん。意味ないやないか。それで、神さんの光輝を映し出した心は、自らが神さんのように光って全てを照らし出すことが出来る。
つまり、ポニョがその頭みたいに光り輝き、神さんのような人になるんや。
ポニョ:頭の毛が薄い人はいつも光ってるから、神さんに近いってことやな。
ヨシオ:そうや、良かったな。ポニョ。そう思っとき。あんただけ。
それで、ガヤトリマントラを唱えると第三の目が開いて光が見えるっていったけど、この第三の目という意味は内なる目、心の目のことで実はガヤトリマントラ自体が第三の目の作用をするんや。つまりこのマントラを唱えれば、第三の目として自分が実は神さんやったということを、心の鏡に映し出された光り輝く神である自分自身を、ポニョやったら頭の部分がより光っている神さんを見ることが出来るんや。
このマントラは、神さんが人類に下さった贈り物の中でも、一番大事な価値のある贈り物なんやで。
さて、ガヤトリマントラの紹介です。これを一人でも多く、みなさんで唱えて世界の波動を高めましょう。
ポニョ:ところでサイババさんの話はどうなってるんや。
ヨシオ:昨日 首切り落とされて野良犬にペロペロされたとこやから、今日はちょっと遠慮しとくわ。
オーム
(宇宙のはじまりのめでたき音)
ブール ブワッ スワハー
物質的な世界、心の世界、天界。〔そのすべてに満ちている〕
タット サヴィトゥール ワレーニャム
至高の「あの存在」のみなもとをたたえます。
バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒー
精神の光を、「あの存在」の聖なる真理を、深く瞑想いたします。
ディヨー ヨーナッ プラチョーダヤートゥ
知性によって、われらに光があたえられ、絶対の真理をさとることができますように。
(正しくものを見る目が開かれますように。神さまどうかお導き下さい。)
一日二回ガヤトリを唱えるならば、その日のうちに無意識に犯した罪や、払い終えてないカルマを燃やし尽くすことが出来る。〜毎日これを行えば、他のどんなマントラを唱える必要もない。あなたは自分の人生を神聖化することができる。ガヤトリは万能で、あなたを災害から守るだけではなく、あなたを賢くし、学ばせ、成功に導くのだ。P,177 ANDI
ガーヤトリー マントラは、いつでも、どこでも唱えてかまいませんが、心の清らかさだけは確保しなければなりません。私は皆さん方、若い人たちに、入浴時にガーヤトリー マントラを唱えることを勧めます。安っぽく、神聖を汚すような映画の主題歌は歌わずに、ガーヤトリー マントラを唱えなさい。入浴の際には体を清めますが、心と理知も清めるようにするのです。入浴時のほかにも、毎回食事の前、眠りから覚めたとき、そして、床に就くときにも、努めてガーヤトリー マントラを唱えるようにしなさい。加えて、最後に「シャーンティ」と三回唱えなさい。そうすれば、あなたの体と心と魂という三つの存在に、シャーンティ、すなわち平安をもたらしてくれる。20/6/1977
ヨシオ:今日は、サイババさんが有名になって来て、いろんな人達から妬まれたりして一時期、身を隠される話です。
サイババさんがだんだん有名になるに連れて、それを羨む声も同時に高くなってきた。
例えば、アナンタプールのアトマ ラマ ラオさんの家にいる時に、ある信者がサイババさんが誰かにもらった銀のプレートが付いている木のつっかけを履いているのを見て、何であんたはこんな銀のプレートが付いているような贅沢なつっかけを履いてるんや。と聞かれた事があった。
サイババさんは、その時にはそれには直接答えず夜中にそのつっかけを壊してしまったのです。
それで、周りにいた人たちに、私は信者が受け入れられないものを身につけたくない。と言ったんや。
また、たくさんの人がプッタパルティに来始めるので、スッバンマさんの家にいてたんやけど、スッバンマさんとこはブラミンで、本当は自分より低いカーストの人と触れてはいけないし、家に入れてもいけないんや。
なのに、サイババさんがその家にいつもいるし、台所にも出入りさせて料理を作らさせている。もっとひどいことには、サイババさんの信者であるというだけで低いカーストの人がブラミンの台所に入って調理をしてる。そういう絶対にしてはいけない事を村のブラミンの人たちが見て、タブーを破ってると言ってスッバンマさんやサイババさんを非難し始めたんや。
それで、ある日サイババさんはスッバンマに、私はしばらくの間、山にこもります。と言ってチットラヴァティ川の向こう岸のジャナカムパリの近くにある丘の洞窟の中に住まわれることになったんや。
そして、そこで六ヶ月間、ほとぼりが冷めるまで一人で洞窟生活をされたんや。
しかし、ある日遠くの方からヨギがやって来て、私のところへサイババを連れて行くと言ったので、スッバンマさんはそんな事をされると私のサイババさんがいなくなると思い、サイババさんにチットラヴァティ川の西岸にある私の土地に住んで下さいと、洞窟にいるサイババさんに頼みに行ったんや。
サイババさんは、その願いを叶えてその土地にある小さい小屋に住まわれることになったんや。
でも、それは解決には程遠かった。というのも、その当時タブーを犯したサイババさんに村をあげて反サイババの動きがあって、ある日サイババさんが寝ているところを狙って、ある人が小屋に火をつけて燃え上がらせたんや。
それを見ていたカマランマさんは、次のように言っている。燃え上がった小屋を突然激しい雨がその小屋だけを目がけるようにして降った。小屋の周りは一滴の雨も降らなかった。そして、火が消えたあと、何事もなかったように元に戻った。と言っていた。
また、誰かが丘の下の方にいたサイババさんに狙いをすませて、大きな岩を転がり落としたんや。もちろんサイババさんには当たらなかったけれど。
そういう事件の後、スッバンマとカマランマは相談して、その当時もう亡くなっていた夫の遺志である、寺院を村の人のために建てる為の土地をサイババさんに寄付することにしたんや。
そして、スッバンマとカマランマは手続きのためにサイババさんと一緒にブッカパトナムまで行こうと思ったんやけど、サイババさんはちょっと自分はいく気がしないのでここにいる。と言ったので、二人だけで行った。
手続きが終わり帰ってくると、サイババさんは2人から譲渡完了の書類を受け取り、御足を触れさせた。そして、彼女たちに「私は君たちをこれからも永遠に守ってあげるよ。」と言われたんや。
次の日1945年7月21日にスッバンマさんは、トゥンガやその他のサティアの仲間を呼び、私はサティアに土地を提供したので、お前たちは彼を手伝って小さな家を建ててあげて欲しい。と頼んだ。
サティアと、同級生たちはチットラヴァティ川向こうにあるエラコンダの丘に行って木材などを牛車に積み込み、小さな家を建て始めた。
家が建ち上がるとスッバンマは、村人を呼んで小さい棟上げ式をした。
そこに、人が遠くからもたくさんやって来るようになった。そのひと月のちに、バンガロールからやって来た信者がババに、家を建てる機会を与えて欲しいと頼んだ。ババはそれを許した。そして、その人はそこに四日間滞在し新しく建てる家の土台の石を据えた。
カマランマさんはその時の様子を次のように話しています。
新しく建てる礼拝堂の基礎工事をやっている時でした。誰かが、その土地の上でリンガムを見つけたんです。
すぐに、ババがやって来てそれを取り上げ、「これは私のものだ。ここで、多くの聖者達が昔、苦行をしていたので、これには霊的エネルギーが詰まっているのだ。」と言った。
何ヶ月もの建築期間の間、ババは建築現場にいて指揮を取っただけではなく、マイソールやバンガロールの信者の元を訪れていました。
そのうちの一人は、マイソールの王族でした。ババは、「私は王族よりも偉大になるだろう。」と述べていました。また、難病を癒して欲しいと言ってきた信者には銀の小さな板の上にサンスクリット語で呪文が書いてあるのを物質化して手渡していました。
また、アル中の男には、自分が着ていたローブのボタンセットをあげました。男はそれを自分のシャツに付けました。そしてその男は、自分が酒を飲む度にババからもらったボタンが濡れているのに気が付きました。
そして、その事をババに言うとババは「お前が酒を飲む度に私も飲まなければならないからそうなるのだ。」と言った。その言葉がアル中の男に重くのしかかり、酒を飲むのを辞めたのだった。
また、ある奥さんは今まで七人も子供を産んだのにも関わらず、その全てが生まれて数日で亡くなってしまっていた。それで、ババにお願いしたところ、「次の子は私が面倒を見るので大丈夫だ。丈夫な男の子が出来るよ。」と言われた。それで、1946年3月8日に男の子が出来、ババはその翌日、病院を訪れてその子を祝福した。
またサッカンマというコーヒー園の女性オーナーが礼拝をしている時に、背の高い聖者風の男(シルディババ)が、若い十代の男の子(サティアサイババ)が運転する車に乗って突然やって来た事があった。その車の車輪にはカイラス委員会と描いてあった。
そして、彼らはサッカンマにカイラス委員会に1000ルピーもの大金を寄付するように言った。サッカンマは、それに同意して支払約束書に署名した。男たちはあとでまた来るので、その時に支払えば良いと言って、車に乗り込むや否や二人とも消えてしまったのだ。
それから一年後、ババが自ら車を運転して現れ、サッカンマにあの時に約束した1000ルピーを支払って欲しいと言った。サッカンマは、あの時の若者だとすぐに分かった。そして、その若者はその一年前の時のシルディババと来た時の状況を事細かに話した。
命を延ばすか、縮めるかはあなた自身の手にかかっています。あなたが喜びに満ちていて、穏やかで純粋な思いで満ちているなら寿命は延びます。妬み、怒り、憎悪、慢心に満ちているなら寿命は縮みます。嫉妬深い人は全く睡眠を得られません。睡眠不足は、食べ物を欠く事よりも健康を害します。
妬みは終始人を苦しめます。これらの苦しみは人の命を縮めることにつながります。また、人は憎悪でいっぱいになると、敵対する人を見ることにも耐え難くなります。そして、身体と精神を消耗させる妄想に苦しむのです。21/7/93
私の見解では、敬虔な生涯は長寿より重要です。利己的な人が社会に何の奉仕もせず長生きしても何の役に立つでしょう?社会と国に奉仕する人だけが長生きすべきです。6/2/93
ヨシオ:俺はサイババさんのことを知ってから、毎日のようにサイババさんの教えをよく知ろうといろんな本を読んできて、自分では結構知ってるつもりでいたんやけど、ある日長男がまだ小学生の頃、俺にこんな質問をしたんや。
なんでサイババさんは至福やのに、この世界を創造されたんやって。
俺は、自分の知っている限りの答えを言ったんやけど、納得しよれへんねん。
なんで、サイババさんは幸せやったのに、幸せの化身やのに世界を創造せなあかんかったんや。
パパの言うてることは分かるけど、でも間違ってるよ。僕分かるねん。サイババさんの気持ちが。パパはこんなふうに、僕に何べんも説明してくれた。
ブラフマンが宇宙を創造した。この世界を創造した。創造する前は、自分一人やった。自分以外に何もなかった。至福に満ちていたけど、自分一人だけやった。自分が自分の存在を証明したいと思った。本当は、自分しかいてないと知っているのに、自分で自分を見たいと思った。
だから、ブラフマンは、二元論の象徴や。
この世界を見るものと見られるものに分けたんや。
だから、ブラフマンは自分では、自分しかいないことを知っているのに、もう一つ自分を見れる自分を創ったから、ブラフマンは鈍性と言われている。
逆に、ヴィシュヌ神はこの世を維持するのに忙しい。大きなマンションの管理人みたいや。いつもなんかゴタゴタがあるから面倒みないかん。だから、激性や。
そして、全てを破壊して、元の神さんやった状態に戻すシヴァ神は浄性や。
そういうことは、理屈として分かるけど、神さんは、宇宙をお遊びで創造されたって理屈では分かるけど、でも本当の理由はそうじゃないって僕は知ってるねん。て言ったんや。
それで、俺は、じゃぁ、お前が知ってるという神様が宇宙を創った理由てなんや。って聞いたんや。すると、まだ10歳になったばかりの子供がこう言った。
そんなん決まってるやないか。なんで大人はそんな簡単なことが分かれへんねん。
いくら、自分は至福に満ちていても、たった一人だけやったら寂しいやないか。
遊び相手が欲しいのん決まってるやないか。
だから、宇宙を創造したんや。ブラフマンは無知やとか、鈍性やとかいろいろ言ってるけど、パパはいっぱいサイババさんの教えを知ってるけど、サイババさんの気持ちを知らんやんか。
僕は、まだ子供やけど、サイババさんの気持ちはすぐに分かったわ。
寂しがりやねん。神様は、もっともっといっぱい遊びたいねん。みんなと楽しく僕が学校で遊んでるみたいに。誰でも、一人やったら嫌やねん。と言ったんや。
俺は、その時、頭をガーンと打った気がした。確かにサイババさんの教えを知っている。そのようにずっと努力して来たし、今もしている。
でも、サイババさんが自分の口では言われない、サイババさんの気持ちを理解しようとしたことがあったんかな。と思うと振り返って考えたら無かった。
ダルシャンで、サイババさんを見て心で何かお願いしてる時も、インタビュールームで話しかけられて、言葉を交わした時も、俺がいつも思ってたことは、あなたの元へ行かせて下さいとか、世界が平和になるようにとか、子供がまた生まれたので、祝福して下さい。とか自分をあなたの道具として使って下さい。とか頼み事ばかりやった。…。
それまで一度も、今まで一回も、俺はサイババさんの気持ちを察しようと努力した事は無かったことに気が付いたんや。お頼みごとばっかりやった。
今日の記事の終わりに掲載したサイババさんの手紙を翻訳しながらつくづく、息子の方が正しかった事が分かる。サイババさんは、子供の心を持っておられるから、子供の方が俺たち大人より神さんの事が分かるんやって事が…。
と言う訳で、サイババさんのお話しに移ります。今日は古い方のマンディール(礼拝堂)が完成した話からです。
そうこうしているうちに、礼拝堂は完成した。長さ六メートル幅三メートルの小さい礼拝堂だった。1945年12月14日にその完成式が執り行われた。そのための準備をするためにマドラスやバンガロールからも人々が集まって来た。
きれいにあちこちを飾り立てたり、写真を壁に吊ったりして働いた。ババも自らハシゴに登ったりして働いた。ババは「私はいつでも、こうしてどこでも出かけて、人々のために働きたいと思っています。そうすることが、私の喜びなんです。」と言った。
完成式の日、ババはスッバンマの家から礼拝堂まで、音楽隊に先導されて行進した。
そして、ババは祭壇の横に鎮座し、幸せそうにセレモニーを見守った。しかし、村人たちの中にはブラミンカーストの家に出入りし、そこで食事まで作ったというタブーを破ったババのことをまだ快く思っていない者も少なからぬいた。
それで、セレモニーの終わりには、お供え物を皆にお下がりとして分け与えるのが決まりだが、ババはあるお供え物の中には毒が入れてあるので、それを取り除き地面に穴を掘って埋めさせた。
そしてババは、礼拝堂の裏に回って少し広くなっているところにしゃがんで、手を地面に付けると、そこから泉が湧いて来た。
ババは、人にそこを掘って井戸を作るように命じた。その井戸は、夏になっても涸れず、一年中十分な量の水を全ての村人たちに提供したのだった。というのも、今まで村には飲料水用の井戸は無かったからなのだ。村人たち特に水汲みが仕事の女たちはこの井戸のおかげで、飲み水が年中近くで汲めるようになったのだった。
完成記念式典の数日前にチルマルラオが、鋭い胃の痛みを訴えた。それで、すぐに手術のためにマドラスに戻った。医者は、この手術はとても危険度が高いので失敗するかもしれないので、手術同意書に署名をするように言った。
でも、同じ死ぬならサイババさんのところで死にたいと言って、またプッタパルティに戻ってきたのだった。
その日、ババはチルマルラオにババの横のベッドで寝るように言った。朝、目を覚ますと驚いたことに、ベッドの周りが血だらけになっていた。そして、ベッドの近くには手術用のメスやらが散らばっていた。驚いて自分の痛かった胃を触ってみると手術した跡があった。でも、全く痛みを感じなかったのだった。
ババは、お前が寝ている間に手術をしたんだよ。もう大丈夫だと言った。
そして、記念式典に出てからとても嬉しそうに夫婦で帰って行った。
チルマルラオは、その後背中にも腫瘍が出来た。これも背骨の横にあり、しかもかなり大きいので、医者は危険度が大きすぎて手術をためらっていた。というのも、もし失敗して、背骨を傷つければ全身麻痺になる恐れがあったからだ。
それで、またババに手術をしてもらおうとプッタパルティにやって来た。ババは朝の八時に礼拝堂の中でチルマルラオの手術をした。当時ババはそういうことを毎朝やっていたのだ。
ババはチルマルラオにシャツを脱ぐように言って腹ばいにさせた。そして、水を持って来さした。やがて大きな腫瘍の周りを手で撫で始めると、チルマルラオは気を失った。
そして、その手を使ってバターを切る様な感じで皮膚を切って腫瘍を取り出して容器に入れた。
その間、手以外何も使わずに手術をし終わった。
そこら中が血だらけだった。綿などは使わない代わりに、濡れた古布で血を拭き取った。
そして、ヴィブティを物質化し患部に塗り、違う布を使って包帯のように巻いた。
そして、チルマルラオの意識を回復させて、痛みをひかすためにゆっくり休むように言った。
と、手術の一部始終を見ていたクルシュナクマールさんが述べていました。
当時の礼拝堂はとても小さくて、礼拝堂の両側にベランダがあり、そこに寝泊まりしたとしても五十人がやっと宿泊できるという大きさでした。
ババの部屋は、礼拝室の裏にあり洗面所から少し離れていました。これで、信者にいつも囲まれていたババには、プライバシーの確保なんてとても出来るものではありませんでした。
毎日、ババ自ら祭壇の掃除をし、礼拝を行っていました。
ババはよくこんな事をみんなに言ってました。
悪い事を見ても、無視しなさい。悪いことを聞いても、黙って聞き逃しなさい。人の為に何かをしてあげても、その人から何かをしてもらおうと思わないように。奉仕をしても見返りは期待してはいけません。
神の賛歌バジャンを歌う時間になると、ババは歌をリードして歌い、お姉ちゃんのヴェンカマさん達がその後をみんなで繰り返して歌いました。
ババはいつも小さいオームの印が付いているスレートの上に座っていました。
バジャンが終わるとココナッツの実を割り、中の水を参加者に撒いていました。最後に、アラティを自ら行い、ココナッツの実と砂糖を混ぜたものをお下がりとして人々に、これまた自ら配って歩かれました。
その後に、インタビューを与えていました。
このように神の化身は、人類の歴史の中でもとてもユニークな方法で、その人類に対する使命をこの小さな地図にも載っていない片田舎でスタートされたのです。
サッカンマさんへの手紙
僕の子供よ。あなたがくれた手紙は、僕を幸せの海へ突き落として溺れさせたんだよ。
そして、その幸せの海の上を僕はこうしてまだ浮かんだままなんだ。
でも僕のハートは、僕自身の涙の中に沈んでしまったままで、ペンを動かすことも出来ず手は便箋の上で止まったままなんだ。
特に、チルマルラオさん達がここに来た頃のことが懐かしくって…。
だって、みんな僕一人をおいて帰ってしまうんだもの…それが、寂しくて僕はとても傷ついてるんだよ。
サイババさんが自ら歌を歌っておられます。歌の意味は、もし人々が永遠に真理に基づいて生き、愛で持って人の本分を果たしながら平安に生きて行けば、母なる地球はどんなに喜ぶでしょうか?という意味です。
http://m.youtube.com/watch?v=HbEI2xq9OEw
人は、子供の時ですら喜びと平安の泉を心の内に持っています。SSSvol2p260
子供の無垢なハートには、より高い理想と目的に対して献身して傾倒するという潜在的能力が秘められています。この可能性は皆さん大人によって引き出され培われるものです。子供達は何も知らないとか、子供達を自分の思い通りに変えれると思ってはなりません。それは誤りです。
子供の素晴らしい可能性に気付きなさい。子供自身が提案したり、示唆したりする方法を採用しなさい。子供が神性へと到達し、自らの高邁な運命に気づくよう手助けするのです。子供のことを、幾分劣った存在であるとか、そのような高みへたどり着けるはずはないなどと考えるのはやめなさい。SSSVol9
もし、もう一度皆さん全員が子どもになることができれば私はとても幸せです。子どもは怒り、情欲、嫉妬、うぬ ぼれ、そしてエゴという悪い性質をもつことは決してありません。イエス キリストはいつも子どもたちの無垢な性質を喜んでいました。ある時、イエスは群集の中にいた一人の母親のひざから小さなこどもを抱き上げて言いました。「私はこの小さな子どもが大好きです。彼女は神のすべての資質をもっています。純粋でエゴもなく、完全な至福の中にいます」子どもは本質的に神です。大きくなるにつれ、子どもは過度の欲望、執着、怒り、嫉妬などといった悪い性質を育ててしまいます。年令を重ねるとともに、悲しみと困難もまた増します。
ですから、人は自分の欲望をコントロールできるよう努力すべきなのです。それは欲望に上限を設けること(節制)です。もし、このコントロールを身につけることができれば、あなたは神の力の影響下にあります。さもなければ、あなたは欲望の力に惑わされ、決して出ることができない渦巻きにはまってしまうことでしょう。単純で純粋無垢な子どもは、神への道です。
私はあなた方に、少なくとも一日に一分間、子どもになってほしいと思います。皆さんは子どもの特徴である気高い性質を見習うべきです。たとえば、あなたが欲望に悩まされているとすれば、欲望はあなたの気高い性質にふさわしくないとみなして追い払いなさい。そうして初めて、あなたは胸を張って歩けるのです。 28/8/04
ヨシオ:昨日の記事を自分で訳してて心がめちゃババの方に行ってしまったわ。特に、最後のババの手紙は、グサーッと来たな。俺、この手紙を十年ほど前に初めて読んだ時にも、三日間ぐらい普通の生活に戻れなかったのを訳してて思い出したんや。またそんなふうになったら困るなぁーて。
ポニョ:ババの方に行くってどういう意味や。
ヨシオ:もう、ババ以外のことには関心が無くなってしまい、他のことは何もしたくない、聞きたくない、話したくない、見たくないという気分になるねん。
一番ひどい時は、ババの写真も見れなくなるんやで。
ポニョ:ババ以外のことを知りたくない。見たくないって言ってるのになんで、ババの写真が見れなくなるんや。
ヨシオ:見たら、またあっちに行ってしまうんや。普通の生活に戻れなくなるやんか。
もう、インドに行くのは最後にしようて決めた時がそうやったんや。ホワイトフィールドでババがダルシャンを終えてゲートの中へ入って行かれたので、ババの後をついて行ってゲートの近くに座ってババを見ていたんや。
そして、ババがゲートの内側で長い列を作って待っているサイババ大学の学生たちに、ダルシャンを与えておられるのを見ていたんや。
一般人へのダルシャンは終わったので、ほとんどの人はもう帰り始めていて、周りに人は余りいなかったんや。
俺も、その日の朝にインタヴューに呼んでもらったし、インドから離れる前にあいさつだけしようと思ってゲートの中のサイババさんを見ていたんや。それで、サイババさんが遠くの方へ歩きながらダルシャンをされている後ろ姿を見ながら、今回も色々祝福してくれてありがとうございます。今日はこれから飛行場へ向かいます。さようなら。スワミ。と心の中で言ったんや。
すると、向こうの方へ歩かれていたサイババさんが突然止まり、首を回されて俺の方を見られたんや。
そのあと、早足で俺の方に歩いて戻って来られたんや。そしてゲートの近くで止まられて俺を見てくれたんで、俺にさようならを言いに来てくれたんやって分かってたから、右手を振りながらさよならって言ったんや。するとサイババさんは、左手を振ってくれた。俺は嬉しくなって両手を振ったんや。
すると、サイババさんも両手を振ってさよならをしてくれた。まるで、自分が映っている鏡みたいやったんや。もう夢中で手を振っていたのを覚えてたんやけど、あとは何にも覚えてない。
どうやって、そのあと飛行場に行って家に帰って来たのかも。
記憶から抜けてる。でも家には無事着いたんや。そのあと、どこへ行く時もサングラスをかけないといけないんや。というのも、ちょっとでもあの時のことを思い出すと涙が出て来て止まらなくなるんや。
だから、サイババさんの写真なんて絶対見れなかった。見たらおしまい。あっちに行ってしまってボーッとして何も出来なくなるんや。その頃、次男が生まれたばかりでボーッと出来ない時やろ。普通の生活が出来なかったら困るから、出来るだけババの写真も見ず、ババの事とかも考えないようにしていた。元に戻るのに三ヶ月ほどかかったな。
ポニョ:家の人は、何か言えへんかったんか。
ヨシオ:俺は気付かれないように出来るだけ、普通に振舞っていたけどな。今回も、少しそんなふうになりかけたな。この手紙は、神さんの愛がどんだけすごいかよく分かる。神さんに引きつけられる磁石みたいやったな。
ポニョ:ほんまに、神さんって子供の心を持ってはるんやな。
ヨシオ:この後、サイババさんは、ラオさんの家に数カ月も滞在されたんやで。
ポニョ:よっぽどラオさんは気に入られてたんや。そのラオさんって二回も手術してもらった人やろ。
ヨシオ:そう。手術した時は、まだ三十二歳やったんや。五十すぎで亡くなられたようやね。お子さんも二人いて、息子さんは俺の親父と同じ片足が短かったので、歩くことが出なかったんやけど、ババが癒されて歩けるようになったんや。
その時にババが癒すために物質化したお守りを今も大事に持ってられる。ラオさんはバンガロールで一番の造園家として有名で、正直者として知られてるんや。自分でもあちこちバンガロールに土地などを持ってられる。
よっぽど、神さんに気に入られるほどきれいな子供の心を持っておられたんやろうな。ババがラオさんの子供と一緒に遊んでいる写真が何枚かあるけどとても楽しそうや。
サイババさんは、信者がどれぐらい神を愛してるかによって、神もその信者を愛します。と言ってるから、すごい信仰心を持っておられるんやろうな。
ある時なんか、ラオさんの家族がプッタパルティにいる時に、ガネーシャのお祭りを祝うために家に戻らないといけないと言ったんやけど、ババはアシュラムから去らないで欲しい。ここにいて欲しいと何度も頼んでいたんや。それでも、毎年、そのお祭りに行ってるから行きますというと、ババはガネーシャならここにいるやんか。と言ってガネーシャの神像を物質化してラオさんにプレゼントされ、行かないで欲しいと頼まれていた。
ポニョ:それぐらい神様に愛されていたんや。そういやサイババさんは、君たちが神を愛していると言ってもそれは余り問題ではない。神が君たちをどれぐらい愛しているかの方が大切だ。と言われたことがある。どうしたら、そんなに神に愛される人になれるんやろうか。
ヨシオ:それは一人ひとりの神の信者に突きつけられた大きな課題やね。子供のようなきれいな心を持った人になるにはどうしたらええんやろうか。大人になるに連れて、心で思っていることと、話していること、やっていることがバラバラになって行く。この三つのことが子供のうちは一つやったのに。だんだん心が世俗的なことで汚れて行くんやろうな。エゴとかプライド、嫉妬や妬みなどで人生を満たして行くのが大人になって行く、という意味やったら寂しいね。大人になるって、神様から見たら後ろ向きに歩いているようなものなんやろうね。
ポニョ:神の方へ行くんではなくて、神様から離れて行ってるんか。それって神様から見たら悲しいよな。でも、流石にこのラオさんっていうおじさん、写真見てもくせのないええ顔してるやないの。頭もおいらみたいにそこそこ禿げてるし、ハゲ頭の人は神様に近いってことやろな。
それと比べたら、どっかの組長というあだ名を持ってる柄の悪いおっさんは人相が悪いわ。
ヨシオ:そうやな。俺も自分でそう思う。ラオさんって穏やかな顔をしてはるもんな。
ポニョ:あれ〜どうしたんや組長。反応がいつもと違うやないか。ちょっと身体の調子が悪いんか。あんたらしくないで。さあ元気だしてバンバン訳してや。
ヨシオ:スペースが無くなってきたけどな。ほな、頑張るわ。
ポニョ:なんや、気合が入ってないで。気合いだ!気合いだ!斬魄〜だ!
ヨシオ:最初の気合いだ。気合いだ。はレスリングのお父さんやろ。後のバンカイは黒崎一護か?ポニョの漫画博物館には何でも入ってるんやな。
サイババさんは、動物たちをとても大事にされていました。信者たちの数が増えてくるに連れて、何人かの信者たちがサイババさんに犬をプレゼントしました。
最初の犬は、サイババさんの神聖な日である木曜日になると、どういうわけか食事を取らず、水も飲みませんでした。
そして、新しい信者たちがアシュラムに着くと、彼らを沐浴が出来る川の場所に案内したり、洗濯をし終えるまで待って一緒に帰って来るのでした。
また、モティという名の犬は、他のもう一匹の犬と一緒にバジャンの時に現れて、2頭で一つずつ頭をサイババさんの膝の上に乗せて、静かにバジャンが終わるまでじっとして聞いていました。
ギータデヴィという王室の女性がマイソールから来た時に、その車を見張るためにそのうちの一匹が車の下で一晩中見張っていましたが、運転手が車を動かした時にその犬を誤って轢いていまいました。
でも背中の骨が折れ、半死の状態でなんとかサイババさんの元にたどり着き、サイババさんの御足に触れて死にました。
サイババさんは、犬を礼拝堂のすぐ近くに埋葬し、トゥルシの木をその上に植えました。
その当時、プッタパルティへの道は易しくはありませんでした。
まず、ペヌコンダの駅から牛車を雇うか、歩くかしてペヌコンダのバス停まで行かなければなりませんでした。
ペヌコンダのバス停から、不定期にやって来る蒸気バスに乗らなければなりませんでした。
このバスにはサスペンションは付いていませんでした。それに、後ろの方に乗るとむき出しの蒸気エンジンの横に座らねばならなかったのです。
バスの運転手も、サイババさんの信者だと分かると、とても無礼に扱いました。
バスは、ブッカパトナムまで行き、そのあとは牛車を雇ってデコボコ道を行き、ようやく、アシュラムのあるプッタパルティに着くのですが、そこへ行くのにチットラヴァティ川を歩いて渡らなければならなかったのです。
普段でも大変な道程なのに、雨期になれば道がぬかるんで乾期の三倍もの時間がかかりました。
でも、そんな苦しい旅も、ババの暖かい歓迎の言葉を聞いてすぐに忘れることが出来たのです。
サイババさんの手紙
最愛の信者であるマドジラオよ
私はお前にこうして書くことによって祝福を与える。
息子よ。
私は、お前がかって書かなかったようなことを書いてきたので驚いているよ。
お前は、手紙の中で私が貧しい人々への親切な心を失った。と書いてきているけれど、息子よ。そんな憶測や思いつきで私の事を簡単に結論づけないで欲しい。
何千人もの人たちがやって来るし、私がベッドに横になれるのは朝の4時半で、6時には朝ごはんの時間だ。それゆえ、私たちの間に会話をする時間は無いので(それが原因で工事が)遅れているのだ。
私は、金持ちにえこひいきするような事は絶対ない。お前がそう書いてきたので私は驚いているよ。
〜お前が望んだ台所と浴室は、部屋の後ろに完成したよ。ナラシムハルがお前に連絡してくるはずだよ。
ストレスをためないようにね。私が見たところ、お前はとても些細なことで悩んでいるよ。
私は28日の月曜日にチルパティに行く予定です。
この手紙はとり急いで書きました。お前の事を祝福します。
ポニョ:ちょっと聞くけど、あの背中を車で轢かれて死んだ犬ってサイババさんの小学生の時の同級生で、一緒に三人で一つの机に座っていた子供と違うのん。
ヨシオ:そうや。サイババさんが学校を離れた時、一人はサイババさんを慕って頭がおかしくなって井戸に飛び込み、もう一人も頭がおかしくなってサイババさんの名前を唱えながら食事や水を一滴も取らず亡くなったんや。
ポニョ:次の生では、サイババさんに仕える犬になって短い生を終えたんか。
ヨシオ:もう一頭もすぐに後を追うようにして死んだんやで。
ポニョ:霊的に見たらどう解釈するのか分からんけど、世の中不思議なことだらけやな。
ポニョ:ペヌコンダの駅に着いてからプッタパルティに着くまで、普通3日ぐらいかかったらしいね。
ヨシオ:世界から、隔離されたようなところをわざわざ選んで神の化身としてのミッションを始められたっていうのが、面白いよな。
その当時、プッタパルティは百人ちょっとぐらいの人口やったんや。十軒足らずの小屋のような家が建っていただけなんや。
ババは、周りの人たちに将来この村の人口は何人ぐらいになるでしょうか?と聞かれた時があった。
人は、千人とか色々言ってたけど、ババは残念でした。百万人都市になるんだよ。大都市だよ。と言われたんや。みんなそれを聞いて腰を抜かしたんや。そして誰もそれを信じなかったんや。
ポニョ:百万人都市か。サイババさんが空に現れたらそうなるやろな。
でもその当時、外の世界の情報なんて入って来ないところやから、人々の心も純真で素朴やね。
あんたの話を聞いてるとインドの田舎の人ってすぐに、人の言うことを間に受けてしまう。まるでおいらみたいやね。
ヨシオ:サイババさんは、一度だけ海外に行かれたことがあって、その時ババのお母さんのイシュワランマさんは、アフリカはとても怖いところやと思ってられたんや。
それで、サイババさんにそんな怖いところに行っていはいけないと説得されていた。
でもサイババさんはわざと、そこには大きな巨人が住んでいるとか言って、余計にお母さんを怖がらせて喜んでおられた。
ポニョ:意地悪やね。でもババは、そんなイケズな悪さをよくやられるんやろ。
ヨシオ:もう、一日中遊んではるって感じやね。みんなで、牛車に乗ってブッカパトナムに行ってる時も、みんなに分からないように牛車から飛び降りて変装し、小柄な女性の格好をして道の真ん中に現れその牛車に乗せてもらい、周りの人がやがてババがいなくなったのに気付いて慌てて探し始めるまで、そのままの格好で牛車に乗ってられたんや。
そして、みんなが、サイババさんが見つからないのでパニックになった頃を見計らって「ジャーン。僕はここですよ〜。」と言われたんや。一緒におったら、イタズラばかりしていつも遊んでおられたようやね。
ポニョ:一緒にいつも居てたら、遊ばれてばっかりで頭がおかしくなるやろな。
ヨシオ:サイババさんは、僕が一番嬉しいのは、信者の人が僕を神様だ。と言って祀り上げるのではなく、「うわー、サイババ君だ。僕の親友だ〜。と思ってくれる時や。」と言われたことがある。以前にクリシュナとしてやって来られた時も遠い親戚だけど、アルジュナという親友といつも一緒におられて神の物語を展開して行かれた。
ポニョ:そら宇宙を創造される前は一人で長いことおったから、あんたの息子が言うように寂しかったんやろうな。友達が欲しかったんやろな。なんか神さんの気持ちが分かるような気がしてきた。
ヨシオ:本当に子供と一緒やからな。神さんて。
昔、誰かが初めてポラロイドカメラを持って来て、サイババさんにあなたが手から写真を物質化されるみたいに、このカメラはすぐにボタンを押せば写真が出てくるんですよ。
と言って、サイババさんをカメラで撮ったことがある。
そして、しばらくすると、スルスルと写真がゆっくりと出たきたのを見て、サイババさんはうわ〜。と声を上げて大喜びされたんや。
そして、このカメラは僕と一緒のことが出来るって言って、これを借りてもいいかいと言ってフィルムが無くなるまであっちこっちを写しまくって、どっかに行ったきり帰って来られなかったこともある。
また、ある日、信者の一人がプロのマジシャンでいろんな手品やお手玉のような芸が出来るんだけど、それをサイババさんに披露した時、サイババさんは大声を上げて喜ばれ何度も同じ芸をしなければならなかったんや。
また、ニューヨークから来たある黒人の信者の人がやって来た時、君は何をやっている人なのと聞かれたんや。
その人は、実は僕は喋るのが上手いのでプロの噺家なんです。と言ったんや。でもちょっと鍼灸を学んでいて、それで人を治療し始めたんやけど、自分では上手くやっていたと思ってたんや。でも、サイババさんがそれで君の患者に施した鍼灸の治癒率はどれくらいなのと聞かれたんや。
それでその、黒人の人は八十パーセントぐらいですかね。と言った途端サイババさんはお腹を抱えて笑い始めて、しゃっくりするぐらい笑われて、終いには涙が目からちょちょぎれるくらいになって、一言、八十パーセントだって?君のあの治癒率が、八十パーセントだなんて大風呂敷もいい加減にしろよー。まだ誰も、癒した人なんていないじゃないか~と言って笑ったままインタビューが終わった時があった。
以上、子供に限りなく近い、いや子供そのものであるサイババさんのお話でした。
その当時、人々は礼拝堂の裏にババのベッドを真ん中にして、その両側に男女別々に寝ていました。
毎日、早朝三時にその日のスケジュールが始まりました。
皆が起きて沐浴をしその後、神様の108の名前を歌い上げたり、神様起きて下さいという歌を歌ってサイババさんに目を覚ましてもらいました。
以前の記事の手紙にもあったようにババは毎日一時間少々しか寝てられなかったのです。
ババはその日に誰が来るか、何人の人が来るかご存知だったので、その人たちの分まで料理を作って待っていました。でも、ババがキッチンに来られて鍋や釜を触れられただけで、自然に量が増え、その日一日、全ての人がお腹がいっぱいになるまで、食料は足りたのです。
ババは一日中とても忙しくされていました。というのも、結婚したばかりのカップルが、ババの祝福を受けようと周りの村からよくやって来るし、サソリやコブラに刺されたり、噛まれたりして救急を要する治療をしたりしていました。
コブラなどにやられた場合は、軽い症状の時は壁の祭壇にかけてある花輪の花を患部に擦りつけて癒していましたが、ひどい場合にはヴィブティを物質化して患部に塗り、残りを食べさせました。それで、皆、癒されて喜んで帰って行きました。
その中には、サイババさんにずっと反感を持ち反対している者も含まれていたのです。
皆で一日三食、ババも一緒に食事をしました。性的な事にはとても厳格なサイババさんの決まりで、食事の時も、バジャンの時も、寝る場所も、男女はいつも別々に分かれていました。
ある日、ババはウプマという食べ物を一人ひとりの両手の中に配りました。
そして、その食べ物の中に何が入っているのかなぁ。と言いました。
みんなは、手を開いて盛ってある食べ物の中を見ると驚くなかれ、食べ物の下からそれぞれの人が以前から欲しいなぁと思っていた物が出て来たのです。
ある者は、お菓子やお守り。ある者は、エメラルドのリンガム。またある者はロケットなどいろいろでした。
また、ある日バジャンをやっている最中に、ババは容器の上の花びらをガネーシャ神の像の上に振りかけました。すると、ガネーシャ神の首の周りに巻いてあった八十センチメートルほどの長さのペンダントが、突然、生命を持った蛇のようになって、曲に合わせて動き始めたのです。蛇が鎌首を上げるようにして、ガネーシャ神の像の周りを動き始めました。
それは、ババがもう一度花びらを神像に投げるまで続いたのでした。
また、サイババさんはバジャンを心から歌っていたので、サイババさんの顔から涙が流れ落ちるのが目撃されたのは一度や二度ではありませんでした。
バジャンによっては、サイババさん自身がそのバジャンで歌ってる神様などに姿を変えられました。ある日も、クリシュナとラーダの歌を歌っていると、サイババさんの姿は頭からベールを被っているラジャスタン地方の女性であるラーダに変わっていました。
そして、額の真ん中に付いている赤いクムクムの粉が額から溢れ出て来ました。
それを、拾い集めてバジャンの後、皆に配りました。
サイババさんのオイル浴の儀式も見ていて微笑ましいものでした。お母さんや他の年配の方々が頭の毛などにオイルを塗って行くんですが、その儀式が終わるや否やババは恥ずかしがって自分の部屋に飛んで帰って行くのでした。
ある日、チットラヴァティ川のほとりで、ある信者に君はどれくらいの割合でチルパティに巡礼に行くんだい。と聞きました。
そして、そこに祀ってあるヴィシュヌ神とラクシュミ女神が、ここに来ても君はまだチルパティに行くのかい。と言いながら二つの神像を砂の中から取り出したのです。
そして、この二つの神像の結婚式をヒンドゥー教の教えに基づいてやります。と宣言された。
新婦であるラクシュミ女神様のお母さん役には、スンドランマさんがやってもらいます。と指名された。
でも、スンドランマさんはまだそこには、到着していなかったのです。
しかし、しばらくするとババが言われたようにスンドランマさんが到着して、二つの神像の結婚式が始まりました。
でも、スンドランマさんは、どういうわけか終始不機嫌な様子でした。
ババは、結婚式の祭典が進むに連れて、新郎の神像には珊瑚で出来た花輪を物質化させて神像の首にかけ、花嫁の神像には結婚式に捧げる首飾りを物質化させて神像の首にかけられました。
そして、全ての祭典が滞りなくおこなわれたのち、ババはスンドランマさんの耳元で小さな声で、この結婚式は、あなたの為にしたんですよ。女神さんの神像にかけたネックレスをあなたがもらっておきなさい。と言われました。
というのも、スンドランマさんがここに来る途中、ペヌコンダの駅で彼女の結婚式にもらったネックレスを何処かに落として無くしていたのでした。そしてそれと同じ首飾りを、ババが今回、わざわざ神像の結婚式を執り行うというヒンドゥー教の儀式をして物質化してくれたのでした。
神は人間の姿を好みます。神は、人々に神を体験さすために人の姿を取った。といわれています。
友として、仲間として見られる時が神は最も満足します。
おお、誰より親しい友よ。わたしのハートの愛しい友よ。と呼びかけるとき神は最も喜びます。SS8/89
人は信者である時うやうやしい態度を示し服従します。
単に友として扱われ、信者とみなされないならば、その人は自分のしたいようにふるまうでしょう。
二者のバランスを保つために、クリシュナはアルジュナを、友であり信者であるものと言ったのです。21/8/94
ヨシオ:以前、波動の話をしていた時に、霊体は肉体よりは波動のレベルが高いのでどんなレベルの霊でも、肉体を取ることが出来るという話をしたことがあったな。
ポニョ:そうそう、それで、自殺をした人は人生を全うしていないので、自殺をした日から天命を全うするはずだった日までの間、浮かばれずに地縛霊となり他の地縛霊達にいじめられて、恐ろしい体験をする。ということも言ってたな。
ヨシオ:ポニョはいつの話をしてるんや。自殺の話なんかはもう、ずっと前やんか。
ポニョ:そうやったかいな。難しい話はみんな同じように聞こえるから面白い。
ヨシオ:何にも面白くない。ポニョだけ面白がってるやないの。
ポニョ:それで、ババが髪の毛を掴んで振り回して除霊するという話しもあったな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/3d1632c1115fe916e5d09b64c9f6a610
ヨシオ:それも、結構前の話やんか。
ポニョ:でもあの話、結構インパクトが有ったで。だっておいらみたいにあまり毛が無い人はどうやって、除霊をするんやろうって思ったりしたわ。
ヨシオ:ポニョは除霊なんかせんでも、食べる量を減らしただけで、胃にチャクラを持ってたレベルの低い霊が寄り付かなくなるで。
ポニョ:少し、聞きたいんやけどもし、相当霊的なレベルの高い人が、止むに止まれず自殺に追い込まれた場合なんかはどうなるんやろうか。
ヨシオ:そんな人やったら、多分自殺したらどうなるか知ってるから、自殺なんかしはれへんけど、万が一そういうことがあったらその人の霊体は結構、波動も細かいやろうし、その気になったらいろんな身体を乗っ取れるやろな。だって、その身体の主である霊は自分より波動のレベルが低いわけやから、もっと細かい波動を持っている自分自身の霊がその人の霊をコントロールするのは簡単や。
ポニョ:それって、恐ろしいよな。だって、そんなに細かい霊の波動を持っている人が悪人だったら、いろんな自分よりレベルの低い霊の肉体を乗っ取れるやんか。
ヨシオ:論理ではそういうことになるけど、実際はそんな風に上手く悪い霊が大活躍出来るということにはならないんや。
というのも、波動を細かくして、霊的なレベルが上の方になるっていうことは、自分のエゴや怒りや欲望をコントロールして初めて出来るんや。
だから、たくさんの欲望やチャクラの位置がまだ下の方にあるような人は、その人の霊的な波動がまだまだ荒い。例え、その人が不慮の事故や自殺したりして死んだとしても、その人の霊がまだ生きている人の体をコントロール出来るなんて難しい。よっぽどその乗っ取られる人が動物から生まれ変わったばかりの人か、動物の肉ばかりを食べたりして霊的波動が荒くなっている人でないとその人の身体を乗っ取るのは難しい。
それに、その霊的に波動が荒い人も自分の欲望を満たそうと一日中忙しくしていたら余計に難しい。一番簡単に体を乗っ取られる人は、もう自分の人生を諦めていたり、自分は役立たずやと思い込んでいたり、自分が嫌いになって自殺願望を持っていたり、自分に自信が無くて何をやってもダメやと悲観的になっていたりしてる人や。
ポニョ:そうか。あんたが自分の体を使わへんねんやったらおいらが使ったげるわ。ちょっとのいてんか。という感じやな。
ヨシオ:アメリカで、田舎に住んでる子が大都会に就職が決まって汽車で一人で旅立ったんや。
でもその子は大都会なんて行ったこともないし、とても不安で都会での生活に不安を感じてたんやけど、家の財政も助けやなあかんし仕方なく汽車に飛び乗ったんや。
しばらくして、会社からその子がまだ着いていないと家族に連絡があって、家族の人は手分けして探したら、途中下車していて駅前のレストランで働いていたんや。
それで、事情を聞くと全く喋り方も、態度も本人と違うし名前も誰か他人の名前を名乗ってたんや。それで、家に連れて帰り、しばらくしたら元に戻った。
このケースなんかも、自信が無くて嫌や嫌やと思い持って汽車に乗っている間に、体をどっかの霊に乗っ取られたというケースやな。
だから、毎日、しっかり自分がやらないといけない事を神への捧げ物としてやり、いつもハッピーで、自分だけのことを考えずに如何に社会に、人に、家族に役立つ人間になれるかな。と考えて毎日を生きてたら、絶対にそんな変な霊に体を乗っ取られるような事はない。
特に、肉を食べると動物の荒い霊的波動を自分の霊体に取り込んでしまうのでレベルの低い霊にコントロールされ易くなるし、心も落ち着かなくなって瞑想をしても時間の無駄になってしまう。
だから、菜食になっただけでかなり霊的波動は細かくなるので、病気にもかかりにくくなるんや。
だから、前から言ってるようにイルちゃんたちがやってることを、あるいはやろうとしていることを、過剰に恐れたり、失望したりすると自らの霊の波動が影響を受けて荒くなるので、コントロールされやすくなる。
そんな事より、毎日、神様からのプレゼントである、ガヤトリマントラやヴェーダを唱えていれば、世界中の大気を浄化し波動のレベルを上げるので地球全体、人類全体が益を得ることが出来るんや。
ヨシオ:さあ今日もドンとサイババさんの話しをやるで。
今日は、さっきまで話題にしていた憑依霊の話です。ちょっと怖いよ〜。
ババはとても悪戯好きで、誰かが美味しそうな料理を作っているところへ忍び寄って後ろから両手で目隠しをし、料理を作っている人が何処かの悪ガキだと思って怒るとババが美味しそうな匂いにつられて来たんだよ。と笑いながら言った。
また、残り物を捨てるのはもったいないので、残り物を全部を混ぜ合わせて夜道を歩きながら子供達に団子にして手渡しながら食べさせていると、誰かの手が伸びてきたので渡すと「美味しいなぁ」と聞き慣れた声で言ったので、よく顔をよく見るとババだったこともある。
また、ババは手術もよくやられた。ラーマチャンドランの家族がヘルニアになり激痛で悩まされているということを話しているのを聞いたババは、すぐにラーマチャンドランさんを自分の部屋に連れて行き、手術をされた。手術には麻酔とかを使わずに、メスやその他の手術用の器具を物質化して執刀したのだった。
手術が終わり、ババがその手を切り口の上をさっとかざしただけで、傷口が縫い合わさってありました。ババは家族にこれからはあのような痛みに襲われることは無いです。と言われました。
そして、次の日にはもう、手術での傷跡はすっかり無くなっていて、普通の生活が出来るようになっていたのです。
その頃ババは、悪霊に取り憑かれている人たちの除霊をしました。憑依された人は、ほとんどが女性でした。
そういう女性たちは、大人しくて、行儀もわきまえ、信仰心もあって、静かに話し、控えめな人が多いのですが、突然怒鳴るように金切り声をあげ、その行為も頭を船に乗ってるように、激しく揺すったり、話し方も、普段話しているような様子ではなく、全く違う誰かが話しているようになるのです。
ババは、そういう人たちが、取り憑かれた時はすぐに近くに行き、彼らが、そういう状況にならざるをえなくなったことに関しての質問を幾つかされます。
身体を憑依した霊は、ババに彼らが生きていた頃に、自殺などをして幽霊にならなければならなかったという大変な体験を話し始めるのです。
そして、彼らはいつどこで、どんな風にしてこの罪もない女性の身体に憑依したのかも語るのです。やがて、突然彼らは自分たちで作った歌を歌い始め、ババが神であると褒めたたえるのでした。
普通、こういうことがあると、ほとんどの霊たちは、自分たちはこうして神の御足にひれ伏す事が出来る機会を待っていたと述べていました。そして神が彼らを祝福し、安堵させて自由にしてくれることを願っているのでした。
このような時に、ババは普通、憑依されている女性の頭の中央付近の髪の毛をわしづかみにされ、そのうちの立っている一本の毛を抜いて、物質化したお守り袋の中にそれを入れ、首の周りにお守りを巻くのでした。そうするとその憑依された女性は、丸太のようにひっくり返るのでした。そして、そういう意識を全く失ったり、少しまだ意識がある状態が短くて数時間、長い場合だと、数日間もそういう状態が続くのでした。
除霊をされた女性はババに感謝の言葉をかけて家路に着くのでした。
時には、一人の人が二つか三つもの霊に憑依されている場合もありました。
また、憑依した霊の中には、偉大なナラシンハ神やハヌマンの信者もいました。
そういう偉大な霊は、神を讃える歌を自分で作曲したりするのですが、その憑依された人は無学でそういう事が全く出来ない人だったのです。
そういう時は、ババは憑依された人にナラシンハ神やハヌマンの像を物質化して与え、これらを信仰しなさい。と言ってアドバイスしていました。
しかし、そういう除霊をババがしておられるのは1950年以降見られなくなりました。
ババは、このことについて、とても興味深い説明をされています。
信者の数が増えて来るに連れて、私のパワーも増して来たのです。それはプラシャンティニラヤムのペヌンブラにまで達していました。
それゆえ、憑依された人がそこまで達すると、霊たちは慌てて身体から抜け出すのでした。
そして、私はそういう憑依霊が抜け出た人々にヴィブティを物質化して彼らを癒すのです。
ヴィジャヤクマリさんの証言
ババは、「君たちがどれぐらい力持ちか試したいので、思いっきり押してごらん。」と言われたので、私たちは、息を止めて思いっきりババが乗っているブランコを押しました。
すると、ババは「あのね、君たち。中が空洞になっている丸太を押してるんじゃないんだからさ。もっとしっかり押してくれる?まあいいや。ちょっと、離れておいてごらん。」と言ったかと思うと、力の限りブランコをこぎ始められたのです。ババは、ブランコのロープがかけてある木の枝に届くぐらい、高く高く上がって行きました。私たちは恐ろしくなって、自分たちが地面の上にいるのにも関わらず、悲鳴をあげ始めました。
するとババは、あんなに高く舞い上がったブランコの上から飛び降りられたのです。
ババは笑いながら、「なんだ怖かったのかい?君たち。」と言われました。私たちの心臓の鼓動はしばらくの間、激しく鳴ったままでした。
ある人を通じて私が話をするとか、その人を通じて私が質問に答えるなどという人がいます。
このような人々は、精神に異常をきたしているか、ヒステリー症か、あるいは亡霊に憑依されているか、またそうすることによって、何がしかのものを得ようと目論んでいるかのいずれかです。
彼らを通じて語っているのは私ではありません。私には霊媒は必要ありません。
代理人も補助者も、代行者も必要ないのです。私がそのような人に憑依したり、彼らを通じて話しをしたり、恩寵を授けると考えることは恥ずべきことです。
どうしてそのようなことを信じる人がいるのか不思議です。22/11/70
自分の家のスワミの写真から出たヴィブティだ、アムリタだと言って配布する人がいますが、やがてお金を要求するようになります。
またある人は、スワミが聖粉を用いて字を書いて交信し、それが私からのメッセージだと称していますが、仮に私が何処かへ行ったとしても、そのようなことは決してしません。
あなたが私を見ることができるように、直接行きます。この場所に行けば私のメッセージを受け取れるとか、あそこに行けばスワミに会えるなどのような特別な場所にあなたを呼び出すことはありません。14/5/71
多くの人々が、私が彼らに憑依していると他の人を惑わしています。
彼らは、身体を揺らしたり、震わしたりして色んなことを語り、私が彼らを通じて話をしているとかと言って、いろんな質問に答えたり物事を予言したりして金品を集めています。
また、ババが夢に現れてあなたにこうしろと言った、などと言う者がいますがすべてインチキです。29/3/65
ポニョ:昨日の話で面白かったのは、神さんのことを信じている細かい波動を持っている霊が、荒い波動を持っている霊の体の人を乗っ取って、その人をサイババさんにまで会いに来させたというところやな。
ヨシオ:そして、ついでにその人が作れるはずのない歌を作ってサイババさんを神やと讃えて歌ったことやろ。インド人の友達も言ってたけど、テルグ語などで歌を作るって簡単ではないらしい。まず詩を作ってから、それに合わせた音韻で歌うことなんやて。だから、即興で歌なんて作れる人は、その辺にゴロゴロいないんやて。とても、教養があってそういう素養がないと出来ないんやて。
ポニョ:そういう意味で、サイババさんがいつも御講話の後、即興で詩を作って歌われるけどおいら達が考えるほど簡単じゃないってことやな。
ヨシオ:昨日の話によると憑依された人に、神さんの像を物質化して渡され、それを拝みなさいと言われたらしいけど、もちろんそうしたら憑依している霊は嬉しいよな。
ポニョ:でも、された方は全然神様なんて信じてないのにそんな神像を拝むなんて。という気持ちやろうな。まあその人にとってはええことやけど。
ヨシオ:そういう霊的に高いところに居てた人が何らかの不慮の事故で亡くなって、この世を彷徨うということもあるんやな。でも、霊は人より一つ高い世界に、つまり波動が細かいとこにいるから人が出来ないような事や、知り得ない事を知ることが出来るので神さんのように振る舞えるから、騙されないように気をつけやないかんと、サイババさんが言われてる。
でもそういう霊は、みんながみんな悪気でやっている訳では無いんやけどな。
例えば、マレーシアで奇跡のバジャンセンターというところがあって、そこはとても有名なんやけど、そこのセンターのバジャンに出るとその人の頭の上から、バジャンの最中にペンダントやらネックレス、指輪などが何処からともなく落ちてくるんや。それで、マレーシアっていろんな奇跡が見れるところがたくさんあって、奇跡ツアー何かもあるんやけれど、そこもそのツアーの一つの立ち寄り先になってるんや。
ある日、そこに一人の日本人が噂を聞きつけてやって来たことがあったんやけど、ちょっと早く着き過ぎたんや。それで表で待ってたら、そこの家からおじいちゃんが出て来て、外で待たないで中に入って待ってたらええよ。と言って鍵を開けて中に入れてくれたんや。
それで、好意に甘えて中に入らせてもらって一人で待ってたら、そこの家の人が来てどのようにして鍵がかかっているドアから入って来たんやと聞かれたんや。
それで、そこにかけてある額の中にある写真のおじいちゃんが、入らせてくれたと言ったら、家の人は声を上げて驚いたんや。だってそのおじいちゃんはもう亡くなってたんや。
ポニョ:薄気味悪いなその話は。そしたら、そのいろんな奇跡はそのおじいちゃんがやっていたってことか?
ヨシオ:そういうことや。その声を上げて驚いた人とその奥さんが俺の家に来た時にそんな話をしてくれたんや。
ポニョ:でもマレーシアって面白いとこやな。奇跡ツアーってあるんやな。
ヨシオ:そのツアーに参加した友達はこんなことも言っていた。あるサイババセンターでは祭壇に自分のカップや入れ物を置いておくと、あくる日の朝になったらそのカップいっぱいにヴィブティが入ってるんやて。
それで、そのツアーの参加者がそれぞれ自分のカップを持ち寄って祭壇に置き、あくる日に見に行ったところ、ある一人の女性のカップ以外全部いっぱいになってたんや。そのツアーに参加した人の中で、実はその人だけサイババさんの帰依者ではなかったんや。その人は、以前にもこのブログで紹介した、霊道教の巫女さんで、神懸かりになっていろいろな御宣託を告げることが出来る女性やったんや。
それでその巫女さんは、私だけこのツアーでサイの帰依者ではないと知っている者が、夜中にそっとみんなのカップにヴィブティを入れ、わざと私のカップにだけ入れなかったんやろ。と言って大きな声で喚き散らし始めたんや。
でも、その瞬間、その人の手の平から大量のヴィブティが噴き出してきたんや。
そこにいた人は、大慌てで灰を拾い集める人や、写真を撮る人や、ヴィブティが出てる手にキスをしにいく人や、手をビニール袋でくるむ人や、足にひれ伏して泣く人やで、てんやわんやになったんや。それで、その巫女さんはごめんなさい。疑ってごめんなさい。と謝ったら噴き出すのが止まった。でもそこにいた人たちは皆、頭から足の先まで灰だらけになったんや。
ポニョ:猫灰だらけ、犬灰だらけ、お尻の…
ヨシオ:やめときって、ポニョは。下品な冗談言ったら、どっから灰が出て来るか分かれへんで。
ポニョ:ほんまや。やばいな。でもそれも、どっかの霊がやってるんやろうな。だって、サイの帰依者かどうか神さんから見たら関係ないやろ。その人がきれいな心でどんな神さんでも信じていたら、神さんは嬉しいってサイババさんは言うてるもんな。道教の巫女やからって差別するのんはおかしい。
ヨシオ:サイババさんは、あなたがキリスト教徒だったら素晴らしいキリスト教徒になりなさい。仏教徒もイスラム教徒も一緒。どの宗教もお互いを愛し、神を愛し、全てを愛しなさいと教えてる。それぞれの宗教の違いを見たらあかん。それぞれの宗教が興った歴史的背景も違うし、土地柄、風俗、社会的背景も様々や。だから、それぞれの宗教の中にある共通点を見ればいいんや。すると、多様性の中に共通点が見える。
ポニョ:Unity in diversity やな。
ヨシオ:あれ?英語が出て来たで。ポニョはオネ、ツー、スリーと違うかったんか。えらい高尚なエングィッシュやないの。
ポニョ:あのね、あれから努力したんぜよ。もう、大丈夫ズラなのだぜよ。
ヨシオ:全然大丈夫と違うやんか。えらい訛ってるで。話は戻るけど、ここオーストラリアでもバジャンの前に祭壇に神さんに聞きたいことを書いた手紙を置いて、バジャンが終わればそこに答えが書いてあるという奇跡が起こる家もあるけど、それは全部その家の関係者の霊がやってるんや。サイババさんじゃない。だからそういうところへは俺は行かないんや。だって、いろんな人の話を聞くと、その手紙に現れた答えは、サイババさんの教えと違うことが多々あるんや。そんなとこに行って、ありがたく訳の分からん霊から御宣託をもらうんやったら、もっと自分の中にいつもいておられる神さんの声にもっと耳を傾けるべきやと思う。神さんは、一人ひとりの中で良心の囁きとして、ツイートされてるんやから。
ポニョ:ハッハッハー。神さんツイッターやな。おいらも、アカウントを開いて情報という見えない柵をブチ破るニュースをつぶやくぜよ。って思ったけどツイッターの創始者のエヴァンとかいう輩もあっちの人やろ。
何か気乗りしないね。相手の土俵で相撲を取るみたいで。それに、この人、ビルゲー出るツと一緒に未来の肉屋さん会社を始めたな。
遺伝子操作の大豆をいっぱい使って肉もどきを作る会社や。大豆に含まれているイソフラポンは、70mg摂れば、なんと避妊薬と一緒の量になる。子供を生めなくさそうとしとる。ついでに、遺伝子組み換えによって毒を入れ人々をアルツハイマーにもさせようとしとる。一石二鳥やな。実は、オーガニックの大豆や他の豆類を使って作った肉屋さんが、世界中ですごい好評なんや。菜食主義者やヴィーガンの人に人気なんやけど、でもあの人たちが大きな金を出して作る会社は、そうしたオーガニックの豆で作った肉の市場を、もっと安く味の良いものを提供して遺伝子組み換え技術で作った毒の混ざってる大豆製で席巻しようとしとるんや。
ロシアは、遺伝子組み換え作物は、人類全体に対する生物化学兵器だと言ってる。今、彼らとまともに戦える国は世界を見回してもロシアは以外に無い。
そのロシアを奴らは飛行機事故をでっち上げて潰そうと動き始めている。
人間は7段階、神より低いレベルのところにいる。
悪霊と呼ばれているものたちは、6段階神より低いレベルのところにいる。
神のオーラはそのすべてのレベルに降り注いでいる。
それゆえ悪霊たちは人間より少しばかり多くの力を持っている。
それらの力を用いて、彼らは自らを神のような力があると見せかけて、振舞っているだけなのだ。p 294 ANDI
ヨシオ:俺が先日の霊の話で面白いと思ったのは、信者の数が増えてきたのでサイババさんのパワーも増えて来た。それでそのパワーに触れると憑依霊が慌てて憑依した人の体から抜け出した。というところや。
ポニョ:そうそう、そこんとこは面白かったな。それで憑依されてた人にヴィブティを物質化してあげるといっておられたな。おいらはその話を聞いて、ダルシャンでサイババさんがヴィブティをあげる人とあげない人がいるけど、どうしてかなと思っていたんやけど、おいら達が知ることが出来ない理由が背後にあったんやな。
ヨシオ:サイババさんがやられている事を俺たちが理解するのはとても難しい。まるで、大きな岩の上にいて、その岩の重さを量るようなもんやから。
そういや、こんな面白いことを言ってられたな。君たちの神に対する信仰心が大きくなるに連れて私のパワーも大きくなって来るって。また、こんな事も言っておられたな。この体の足の一歩一歩の上げ下げも難しくなって来た。というのも身体自体が強力な磁力を帯びてきて地球にくっついて離れなくなるからだ。と。
それで、そういう霊的なパワーがたくさん身に付くと、身体自体が磁力化して鉄だけではなくて何でもくっつくらしい。
ブリジッドというロシアの女性がショッピングに行くと身体中に鉄分が含まれた物がひっつくので買い物に行っても万引きと間違えられるので行けなくなった、という話をされてたな。食事もまともに摂ることも出来なくて、とても苦労されて早死にされたみたいやね。体の中にある磁力のパワーがコントロール出来ないとそんなふうになると、ババは言ってられた。
また、想念の力も磁力を持っていて、花も風も、この世にある全てのものは、磁力を持ってる。帰依の心や信仰心も祭壇に捧げる花や果物も全て磁力を持ってるんや。
それだけではなく、そういう帰依の心を持っている人たちが増えてくると磁力のパワーも増えて来て、神像や神様の絵や写真、そして、寺院や神殿も磁力のパワーをそなえるようになってくる。
霊力のある人がそういう場所を見ると光り輝くように見えるんや。
それに付け加えて言えば、人が体の中に持っている磁力は、全ての行為の基盤なんや。
人が怒り、嫉妬、憎しみにかられた時、人の中の多くの磁力のエネルギーは浪費されてしまう。それに嗅覚、触覚、味覚といった感覚も磁力の作用なんや。
人が育む愛と磁力は相関関係があって、愛の磁力があれば、人が学ぶものは全て心に刻まれるけど、逆にそれが無いといくら頑張っても報われることはない。覚えたうちからヒョイヒョイと忘れてしまう。例えテストの日まで覚えれたとしても、テストが終われば頭は空っぽになる。なんにも残らん。逆に自らの磁力を強めて行けば勉強中に眠くなるような事はないし、しっかり勉強したことが後あとまで頭に残る。
ポニョ:それじゃどのようにしてその身体の中の磁力を増やすことが出来るんやろか。おいらが簡単に思い付くのが、磁石の粉をお好み焼きの中に混ぜて、マヨネーズもタップリかけて食べると良いかも…下痢するかな。
ヨシオ:普通の人やったらな。ポニョは大丈夫やろ。一度やってみ。今度飛行機に乗る時にメタル検知器の警報が鳴って別室に連れて行かれるわ。
ポニョ:それはやばいな。体の中にたくさん磁石の粉を持ってウロウロしてたら、どんな店でも、図書館でも行くたびに、メタル探知機があるところはピーピー鳴るやろな。
ヨシオ:そんなんではなくて、磁力を増大するには、自分自身を浄化させればいいんや。身体を浄化して清らかにする方法とは、この前も言ったように心・言葉・身体の三つをひと組として浄化さすんや。
ポニョ:ああ、神さんに愛されるにはどうしたらええのかと聞いた時の答えやな。
ヨシオ:そうや。現代人は、これら三つが完全に乖離してるやろ。思ってることと、言ってること、そしてやってることがバラバラや。先づ、これらを一つにせなあかん。
ポニョ:そんな事してたら、この世で生きて行くのんが難しいで。すぐに人に騙されるし、裏をかかれる。また駆け引きも出来なくなる。アホと一緒やんか。
ヨシオ:アホでええやんか。俺たちいつ死ぬか誰も分かれへんで。明日の朝、心臓麻痺で死んで生きてるかどうかも分からん。今日が人生最後の日かもしれないで。だから、今まで悪いことや、権謀術策を弄してきた人も、明日死ぬんやと思って、今日一日だけでも真理を貫いて生きてみようや。そうしたら、真理そのもである神さんが全ての面倒を見てくれるんや。たった一日でも真理を貫く。思いと言葉と行為を一つにするという人生を歩もう。真理に生きるんや。
そうすれば、自分自身を浄化することになって、たくさんの霊的パワー霊的磁力が体に付く。
そうすれば病気もしなくなるし、今患っている病も治る。そしてその人は、神に愛される真理の人になれるんや。
ポニョ:霊的な磁力の増大方法が思いと言葉と行為の統一か。なんか、おいらにでも出来そうや。
ヨシオ:ポニョは生まれた時からそうして来てるやんか。
ポニョ:そうかな。おいらは、お腹が空いた時は空いたと言ってるだけやけど。霊的な磁力は鉄だけではなくて何でも身体にくっつくて面白いよな。霊の世界に行けば、霊の親和性で似たような霊が集まるのんと一緒やな。同じような波動を持ったものがくっついてくるのは自然な話や。だから、霊界の事をよく知っている人がよく使う言葉に同じ霊的な村から来たとか言うけどそのことなんやろうな。
ヨシオ:この地球の地磁気も地面に鉄だけではなく、全てのものをくっつかせてるやんか。それと一緒やろうね。それに、誰かのことを思ったらその人も思ってくれる、逆に嫌な奴やと思ってたら相手もそう思う。この世は全て、反響、反動、反映やから、自分の思いが全てに反映して帰って来るんや。それを、霊的磁力の作用と言ってもええんやろうな。
「自分の中に、あるから近寄ってくるのであるぞ。嫌なこと起こってくるのは、嫌なことが自分の中にあるからぢゃ。」(日月神示 黄金の巻 第六十六帖)
誰かが引き寄せの法則とか言ってるけど、引き寄せだけではなくて自分の想念で持って引き離すことも出来るんや。こういうことは、全て霊的な法則を理解すれば簡単に説明出来る。
ただ気をつけないといけないことは、何を引き寄せるということなんや。
世俗的なものを引き寄せてたんじゃ霊的に何の意味もない。波動のレベルが落ちるだけや。
そういう低俗な事をワザと広めて低い波動のレベルに、人を引き止めておこうと思っとる輩がイルちゃんやけどね。
まあそういう輩にもそういうお役目があるんやろね。つまり、全ては神さんの手のひらの上で起こってることなんや。全てはいい事なんや。
まあ、でも俺たちがこうして波動の話や、霊的な磁力の話をするのを一番嫌がってるのはあの人たちやろね。だって人々が、賢くなるのを恐れているからね。
自分が皆よりずば抜けて頭が良いと思っていたら、みんなが少々賢くなっても平気やろ。本当は、自分に自信が無いから他の人が賢くなって行くのを邪魔するために毒を入れたり,撒いたりして妨害するんや。
ポニョ:でも、真理は誰も隠せないぜよ。雲が太陽を隠せても一時的なんだったてばよ。すぐに明るいお天道様が顕れるんやで。嬉しいじゃんかよ!
ヨシオ:ポニョの話を聞いてたら、いろんな言葉が出てきて頭がおかしくなるわ。ちょっと一つに統一してくれる?
私の体内でリンガムの形成を容易にするために、私の身体は強力な磁力と化しました。そのため私はこの三日間歩行が困難でした。私の身体の磁力のために足が地面にくっついてしまったからです。
また私が触ったものすべてが、私の手にくっついてしまいました。
私の全身が磁気を帯びたのでそれはもっともなことです。
このような引力は誰もが体験出来るものではありません。
こうした極めて強力な磁力は神だけが持っているものです。
これらのことを万人に明かすことは出来ません。
神聖な磁力は全ての人の内にありますが、人には一定の限界があります。13/3/02
この世の磁石は鉄を含有しているものしか引き付けないのに対して、この神の磁石は全世界を引き付けます。16/3/03
神の磁力を理解できない人もいます。
彼らは「その『磁石』に引き付ける力があるというのなら、どうして我々を引き付けることができないのだ?」と反論します。
さびついてほこりだらけの鉄片がどうやって磁石に引き付けられるでしょうか?
さびとほこりが取り払われれば、鉄片は瞬時に磁石に引き寄せられます。
それと同様に、神に引き付けられるためには心を洗って不純物をきれいに落とすべきです。
肉体を痛めつける必要はありません。霊性修行は要求されません。
ハートに愛を育てればそれで十分です。
愛を通してのみ、超越的真理の本質に到達することができます。
16/3/03
ヨシオ:今日の話の中には、想念の力がいかに強いかがよく分かる話しがあります。想念の力が物の中にも蓄えてあって、それが何年も経ってるのにまだ、人々に大きな影響を与えるって凄いと思いませんか?
ある日、七人のグループが夜にやって来ました。ちょうどバジャンの最中でした。途中で道に迷い、タイヤもパンクしたので遅くなったのでした。
ババは、どうして遅くなったのか聞き、そして一人ひとりの名前を聞いた後、そこにいた人たちに言いました。
「ほら、僕が言った通りだろう。ハヌマン シングという人の七人の一行が夜に来るって言ったろ。そして、彼らは、道に迷いタイヤもパンクするって。さあ、朝から君たちの為に料理を用意して待ってたんだよ。」と。
翌日、ハヌマン シングは、沐浴をする為に川へ行きました。その時、彼はあまりババのことを知らなかったので、周りの人にあいつは一体誰なんだ。どうしてスカートのようなものを身に付けているんだ。と言いました。
周りの人たちは、ババのことを悪く言ってはいけないよ。と諭しました。
沐浴から帰って来ると、ババはハヌマン シングに僕は女の子に見えるのかい。と聞きました。
ハヌマンシングには、身体が不自由な息子がいました。ババに息子の事を話すと、ババは過去生からのカルマによってそのような身体になった。僕はそれを癒すことが出来るけど、次の生にまた同じような身体で生まれてしまう。今生でカルマを支払った方があなたの息子さんにとって良いでしょう。と言われた。
夜になって、ババは突然ハヌマン シングに君に贈り物があるから受け取ってくれるかい。でも、それを両手でしっかり受け取めるんだよ。いいかい?と言って物を物質化して手渡しました。ハヌマンシングはそれを、両手でしっかり握り締めました。
すると、突然ババは大笑いしながら、「この男は頭が少しおかしいよ。だってブドウをこんなにきつく握り締めて、グチャグチャにしてしまったよ。」と言いました。
その頃、カルナータナバパリというチットラヴァティ川の対岸にある村で不思議な事件が起きていました。
それはまるで、村中が呪われているように見えました。というのも、村のある地点を歩くと誰でも血を吐いて死んでしまうのでした。そこを歩いてたとえ死ななかったとしても、二三十年経てば背中が曲がってせむしになってしまうのでした。
また、たくさんの家族が二人目の子供が生まれるや否や、両親は命を落としました。
また、畑からは何も収穫出来ませんでした。村人たちは、そこに住み続けることをとても恐れて村を離れて行きました。
それで、その村から人々がやって来て、サイババさんに助けを求めました。
サイババさんは、ずっと昔そのスポットにイスラム教徒が神聖だとしている魂が入っている物が埋めてある。それは、金メッキされた銅の製品で手の形をしているとのことだった。そして、それを埋めたイスラム教の人はそれを神として崇めていて神聖なものだ。と言いました。そして、その神聖な物の上を間違って歩けばいろんなたたりに遭うとの事でした。サイババさんは、次の週の金曜日に村人達を引き連れてその場所へ行き、その地点に枝を刺して掘るように言いました。
掘り始めてしばらくすると、香ばしい匂いがして来ました。
そして、ある程度掘り進んで行くとサイババさんは、今、土と一緒に出て来たのがそうだ。と言いました。
そこには、銅製の板、銀製の小さな傘、そして小さな金メッキされた手がありました。
サイババさんが自ら穴の中に入り、それらを回収しました。そしてそれをバンガロールに持って行き手の形をした物を銀製の板にくっつけて村人に渡しました。
そして、それらを毎年一回礼拝するようにアドバイスをしました。今では、それはカルナータナガパリにあるサッチャムマ寺院の近くの宝石箱の中に納められていて、四月から五月に表に出されて礼拝されているとの事です。
近くにカンマヴァリパリという名の村がありました。そこの大きな井戸の水の中に発生したバクテリアによって汚染されていました。ナーラクルプルという伝染病は、皮膚が切れ始めたら、くっ付かなくなくなって三ヶ月後には死んでしまうという恐ろしい病気でした。
そして、一度その病気にかかると、身体の中に髪の毛のような細長いトゲのようなものがたくさん出来、それが死をもたらすのでした。
死ぬまでの間、そのトゲが身体中を冒し続けるので、その痛みとやらは大変なものでした。
村の長老たちは奇跡の少年の話を聞いて是非、村の危機を救って欲しいと頼みに来ました。
サイババさんは、その祈りに応えてその村まで歩いて行かれたのです。
村の人々は、楽器を演奏しながら喜びと希望に胸を膨らませて、ババと一緒に村までお供しました。
村に着くや否や、サイババさんは四つのココナッツをひとつずつ村はずれの四隅に埋めました。
そして、村中にヴィブティを撒かれたのです。
最後に、ババはもう一つのココナッツにヴィブティを物質化して塗り込み、井戸の中に投げ入れました。そして、村人に井戸の掃除をするように言いました。
その時、この伝染病にかかっている年をめした女性がサイババさんに駆け寄り、泣きながら病気を癒して欲しいと頼みました。ババはヴィブティを物質化して食べさせると、見る間に痛みは消えその老女は難病が癒されました。
それと同じくして、他の人たちも全てたちどころに、病が癒されたのです。
サイババさんは、村人たちにこれからは、もう二度とこの病があなた達の村を悩ますことはありません。安心して住めますよ。と言いました。
その村から帰る途中、サイババさんはチャヴァディというところに立ち寄られ、そこである夫婦と話されていました。その夫婦は25年間一人も子供が出来なかったのでした。
ババはその夫婦にレモンを物質化して与え、食べるように言いました。そして、奥さんの頭のてっぺんから、とても長い髪の毛を引き抜きました。それを、くるくる丸めて捨てられたのです。
その後、その夫婦には続けて男の子と女の子が授かりました。
M.L.Leelaさんの証言
サイババさんは何時ものピクニックスポットであるチットラヴァティ川の近くのバナボージャムにみんなをよく連れて行きました。
そこでみんな楽しく過ごし、子供達のダンスと共にいつも歌声が響き渡り、バジャンもしました。その後、みんなで昼ごはんを食べ、お菓子も振る舞われたのです。
そして普通なら、その後みんなでサイババさんが乗っているブランコを押したりして遊ぶのですがその日は違っていました。
その日の出来事をリーラさんは次のように証言されています。
バナボージャムでの事でした。確か昼の二時ごろだったと思います。突然前触れも無しに大雨が降って来たことがありました。
私たちは、傘も何も持っていませんでしたし、近くに雨宿りをするところもありませんでした。
私たちがいる森を抜け出たところには丘がありました。
サイババさんは、指を指し示されたところへ行くように言われました。そこは、岩山の斜面の横で少し窪地になっていて、一方の岩が壁のようになっているところでした。
そこは、ちょうど皆が立つことが出来るぐらいの広さでした。
でも、まだ大雨を防ぐことは出来なかったのです。やがて、ババは私たちの祈りに応えられました。
サイババさんは右腕を伸ばされて、手のひらを壁のようになっている岩に着けました。
すると、その部分の岩がスルスルと屋根のように伸びて来て、全ての人の頭の上を傘のように覆ったのでした。
ババの思い出
プドマプリヤさんの話
私たちの結婚式にサイババさんが来てくれたんです。その時、花嫁が結構式の時につけるネックレスを物質化して戴いたんですよ。そして、サイババさん御自身の写真も私と夫のために物質化して下さったんです。そこには、いつお祈りをすれば神からの祝福を得ることができるかが、書いてありました。
しばらくして、主人がボンベイに転勤を命じられました。その前に主人がやってきた仕事をチェックすると何と、一万ルピーが消えていたのでした。それで、その分主人が責任を取って支払うように言われたのです。
その時私たちは身に覚えのない嫌疑をかけられてとても困っていました。でもある日、サイババさんに捧げようと毎日少しすつコインを入れている貯金箱がヴィブティでいっぱいになったのです。
それで、それらをすぐに、出して礼拝の時に皆に配りました。私たちは、これがサイババさんのサインと分かりました。というのも、すぐその後に会社から電話があり、主人のせいで金が無くなったのではないという知らせが入ったからなんです。
私たちがボンベイに滞在している間、主人は一度競馬に行ったことがあります。その時、ババにもらった写真も持って行き、自分が賭けた馬が一番になるようにと、そのババの写真を見て願いを掛けたのです。ところが、そのようにお願いした途端、大事な写真が主人の手から消えてしまったのです。これは、後で聞いた話ですが、その頃サイババさんは帰依者たちと一緒におられたんですが、突然、手に写真を持っておられたんです。それで、帰依者の人がその写真はどうしたんですか。と聞くと、これは、昔ある人にプレゼントした写真なんだ。でも、その人は僕を競馬場へ連れて行ったんだよ。それが嫌で帰って来たんだ。と不満そうに言われたそうです。
ポニョ:呪われた村の話は少し不気味やったズラ。おいらはああいう話は、ちょっと苦手やね。
ヨシオ:俺も訳してて想念の力が凄いなと思ったわ。以前、クリタユガ、トレタユガ、などの四つのユガ期が順繰りと回って人類史が形成されているっていう記事があったね。
その時に、クリタユガでは人の魂は骸骨が朽ち果てるまでその骸骨に残るっていう話をしたよな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/1fa98efcc6180c18264bb33cef345c87
ポニョ:そうそう、シンドバットの虎の目大冒険や。骸骨が地面を破って、たけのこみたいに出てきて、剣を持って闘うんや。
ヨシオ:魂が骸骨の中に残るってそういう意味では無いけれど、骸骨が残ってる限り想念の力を保持していて、人の心や身体に働きかけることが出来るんや。
ポニョ:ああそうか。それと昨日の記事のイスラム教の聖者が魂を宿らせた手の形をした物と同じことやな。骸骨の中に魂が入っているのと、神像やお守り、形見の中に魂を入れることとは、同じなんや。
ヨシオ:自分の思いを物の中にも入れ込めたら、それ自体が想念のパワーを持つことが出来る。ただの物じゃなくなるって事や。
だから、その人がいつも身体に付けて持ち歩いている物や、愛着を持っている物には、その人の想念の力が取り込まれてあるので、霊力のある人はそういう物を手に取っただけで、その物の持ち主のことが分かるんや。つまり、どんな物にも大なり小なり程度の差はあっても想念のパワーを持ってるんや。だって神さんは自分の想像力、想念の力でこの世界を創造されたから、この世に見える全てのものは想念の力で出来てるんや。
ポニョ:それって凄い力やな。だから、昨日の話の中に出てきたけど大きな岩肌にて触れただけで、岩の一部がせり出して来て人々の頭を覆い、大雨によってずぶ濡れになるのを救われたんやな。
ヨシオ:俺も、毎日のようにこの本の翻訳を少しづつしてるけど、今まで聞いたことがないような凄い奇跡をされてるんやな。今日はどんな話が出てくるんやろうかと毎日が楽しみや。
ポニョ:でも、近い将来世界中の空に現れたり、影分身の術を使って何千のサイババさんがあっちこっちでウロウロされたり、山脈を持ち上げたりしたらびっくりするやろな。
ヨシオ:俺たちが、ここで紹介させてもらってるいろんな奇跡なんてちっぽけに見えるやろな。今から楽しみや。そういうことが起こるには、たくさんの人が神さんを求める思いを持ってそういう人の想念が神に向かう必要があるけど。
ポニョ:前の話で、帰依者の数が増えてきた為に、サイババさんのパワーも増えて来て、アシュラムの近くまで憑依された人が来ただけで除霊をすることが出来た。というのと一緒やな。
ヨシオ:もちろんサイババさんは、そういう人々の想念のパワーなんて使わなくても何でも出来るけど、自分が創られた法則に従われるんや。これから、人類史上でも最も壮大で神聖な出来事が起ころうとしてる。それらを見れなかった後世の人々は俺たちのことを、何という幸運な時代に生まれ変わった人達だったんだろう。と妬むぐらい凄いことが起きるんや。
ポニョ:そういうことが起こる前に、人々が神様を心から求めるようなことが起こらなければならない。帰依者の数が増えてきたのでサイババさんのパワーが増したように。
ヨシオ:ということは、しばらくの間、世界は暗闇に覆われるってことやな。
ポニョ:暗闇で覆われないと、人は灯りを求めない。それに一度暗闇を体験しないと、灯りのありがたみが分からない。
ヨシオ:そして、その暗闇がすぐそこまで来てる。大きな目で見れば、その暗闇も良いこと。神さんの創造された劇の一場面、登場人物に過ぎない。
ポニョ:そういう事を知らずに、人は目の前に繰り広げられる事件や出来事に喜怒哀楽するんや。
ヨシオ:そして、自分の思いをそういう出来事や人々の上に乗せてしまって、この世に囚われてしまう。自分の心の中にこの世の出来事を投影してしまう。
ポニョ:そして、悲しみや苦しみ、執着や妬みなどを心に刻み込んでしまって、生まれ変わりの原因を自分で作るんや。
カルマの法則が支配する世界にようこそ。ああ、あんたか?また帰って来たんか。いつまで、行ったり来たりするんでっか。もうそろそろ、神さんのとこへ行ってくれませんかの~。
同んなじ人が、いつも行ったと思ったらまた返ってくる。行くたびにこれで最後の旅にするわ。と言って出て行くのに、こんな嫌なことがあってん。とか悲しい事件に巻き込まれた。とか、あいつのことは絶対許されへんとか言うてまた帰ってくる。ちょっとええ加減にしてもらわないと、こっちもあんたの相手ばっかり出来ないんや。
何時までも、おんなじレベルでウロウロせんとちょっとは賢くなってくれませんか。せっかく、大元の神さんが、そっちに行かれて素晴らしい教えを説いてはるのに、ちょっとは耳を傾けないとあきまへんで。せっかく生まれ変わっても、生きてる間にこれがええとか間違ってるとか、傷ついたとか、やり返したるとか、そんな事を言うてる間にまた一つの人生が終わりや。
もっと、神さんの方を見て生きるようにして下さいな。でないと、こっちの仕事の量が増えて忙しすぎて大変なんや。前世でどんな悪い事をしたとか、良い事をしたとかを計りにかけて、次の人生を決めるって簡単やおまへんで。今度は、ほんまに次の生は、これで最後やという覚悟で送り出しまっせ。
あんたの顔はもう見飽きたわ。もう帰って来んといてや。と、言って大阪出身の閻魔さんがぼやいてる場面でした。
ヨシオ:なんで、閻魔さんが大阪出身やねん。名古屋やったらなんであかんねん。
ポニョ:だって、おいら名古屋弁知らんから。おーりゃーせんのう。ぐらいや。
ヨシオ:なんやそれ。三河弁やろ。それって。
ポニョ:もうちょっと知ってるんだもんで、喋るダラー。本当はたくさん知ってるだら~。しらばっくれるのやめに〜。育ちがバレるのが恥ずかしかったや〜。昔、豊橋に住んでただら〜。
ヨシオ:あのな。ええ加減にせえだらー。次にいこまい。
さて、今日の話は、ピクニックの話の続きです。
クリシュナクマールさんのババとの思い出。ピクニック編
その頃、チットラヴァティ川の周辺はタマリンドの木があっちこっちに茂り、自然に出来た庭のような美しい所でした。大きな樹々が木陰をつくっていました。
僕たちは、ババが選んだピクニックスポットに行くと、適当な木を選んでブランコのような僕たちが田舎の揺りかごと呼んでいるものを作りました。
二本のロープを適当な太さの木に掛けて作りました。
そして、そこにババに座ってもらいました。ババは、そこに座りブランコのようにしてこぎ始めました。
そして、ババはブランコをこぎながらお菓子を物質化して、一つずつ、みんなに投げ渡すのでした。それを一人一つずつ行き渡るまでババは次から次へとお菓子を物質化されたのです。
そして、それは普段、夕方の六時半ごろから始まり、八時まで続きました。
カルナンブラ ラママーティさんのババの思い出
サイババさんが私が住んでいるマイソールに来られると聞いて、私もババに会いに行くことにしました。ババが訪問される予定の家で待っていたところ、サッカンマさんと一時頃に来られました。
私は、すぐに立ち上がって用意していた花と果物を捧げようとしました。
ババは、着くや否や家に入って行かれて、家の中でその家の人と礼拝をされるので一緒に行こうとしましたが、召使いが来て私たちは中に入ってはいけないと言われました。
それで仕方なく外で待っていたところ、礼拝が終わったババが出て来られたので、御足に触れさせていただきました。
聞くところによると、ババはその日の夜にバンガロールへ戻られるとのことでした。
私は、静かにババに近づきバンガロールに戻られる途中に、私の家にも来て祝福して下さいと頼みました。ババは、快くいいよ。と返事して下さったのです。
それで、急いで家に戻りババが来られる準備をしました。そして、サッカンマさんのアドバイスに従って私の叔父にババを迎えに行ってもらいました。
ババは、ずっと待ってたんだよ。と叔父に言いました。外は、大雨でした。でもあのババが私の家にも来られたんです。
家の外に出て、ババにアラチ(火をかざす儀式)をし始めたら、ババはそのままスタスタと家の中に入って行かれて、二階に続く階段を上られてババのために用意してあったソファーに座られていたのでした。私たちは、急いで後に着いて行ってババに礼拝を捧げ、お菓子を食べていただきました。ゆっくりして頂きたかったんですが、ババはバンガロールにいそいで行かねばならないようだったので、そのまま表までお送りしました。
ババの車は、バンガロールに向けて出発しましたが、出発してすぐに私の家のすぐ近くのハルディンゲサークルというところで、ガス欠の為に立ち往生してしまったのです。
ババは、運転手にハルディンゲサークルにある噴水から水を汲んで来るように言いました。
そして、その水をガソリンタンクに入れると、車は何事も無かったように無事にバンガロールへ着いたのです。
深刻な病気の場合は、スワミに祈るのが一番です。これは大切なことです。
ビブーティは使っても使わなくても構いませんが、必ず祈りなさい。
~医者の診療を受け、同時にビブーティを使うこともできます。
しかし、信仰の度合いに関わらず、スワミの恩寵を求めて祈ることが一番良いのです。CWSSBJp264
ほとんどの病気は、簡素な生き方、軽い運動、そして舌を英知によってコントロールすることによって防ぐことが出来ます。
長生きして、これからこのアヴァターが執り行う、様々な奇跡や出来事の目撃者になりなさい。SSSvol11p151
薬に頼らずに病気を癒すには、瞑想こそ唯一の治療法です。
識別と洞察の力も強くなります。これによって、どのような深刻な病をも克服することができるのです。DVJp73
今日、人々がかかっている病気の多くは、不正な手段によって得られたものを食していたり、性格に問題がある料理人の悪い精神的波動によって、汚染されたものを食べる事が原因になっているということです。SSIBp113
あなたの義務は、人にそういうことをすると、このようになるよ。と、知らせるだけでよいのです。説得する必要はありません。SSSvol3p79
ヨシオ:その頃、サイババさんは主に、バンガロールやマイソールの帰依者の家に出掛けられてました。
ポニョ:その頃って、いつ頃やねん。
ヨシオ:1945年から1946年ぐらいやね。マドラスも行かれてたかな。
ポニョ:それって、戦争が終わりかけの頃やな。おいらが、硫黄島で戦っていた頃やないの。
ヨシオ:あのね。ポニョさん。硫黄島では、五万人の方が亡くなっていてほとんど生存者がいないぐらいの大変な戦いやったんやで。大体、あんたの年から逆算しても、その頃まだ生まれてないやないの。
ポニョ:それを、硫黄とう思ってたんや。
ヨシオ:あのね、遺族の方がこのブログ見てたら、ふざけるなって怒られるで、謝っとき。
ポニョ:ダジャレを言ってすみませんでした。
ヨシオ:それに、あくる日には、例の東京大空襲や。十万人以上も亡くなられたんやで。ついでに謝っとき。
ポニョ:すみませんでした……。なんで謝らなあかんねん?
でも、そんなにたくさんの人が壮絶な死を遂げておられる時に、大元の神さんはただ、自分の帰依者の家に行かれてお菓子食べて、ちょっと奇跡をしたりしてそれで終わりか。
大体、硫黄島の戦いではアメリカ軍も日本兵に劣らずたくさん亡くなったんやろ。
ヨシオ:神さんは何を考えておられるかは、誰も計り知りえない。でも、面白いのは、ポニョが今言った硫黄島や大空襲の頃、サイババさんは、例え帰依者の家に行かれていても、身体からよく離れておられたんや。
一日中離れられておられたこともあった。夜に、床につかれても翌日の夜まで身体に戻られなかったこともあったんや。だから、たくさん死者の霊を弔っておられたんかもしれんな。
ポニョ:たくさんの人が一度に亡くなり、霊界は大変やったやろな。まあ言えば、霊界の交通整理をしに戻られたんやろか。
ハイハイ、皆さんお帰りなさい。よく頑張って戦いましたね。皆さんは英霊として祀られるでしょう。アメリカ兵さんはこっちですよ。もう戦いは終わりました。不発の手榴弾をまだ持っておられる方、そんなものここでは役に立ちませんから置いてきてくださいね。
ちょっとあなた。私は、閻魔さんじゃないので、その火炎放射器はこっちに向けないでください。もし、この自慢のアフロヘアに火がついたらどうするんですか。地球に戻ったら笑われるではないですか。
はい。大空襲で亡くなられた皆さんもご苦労さんです。大変だったですね。残されたご家族の方を心配しておられるでしょうが、大丈夫ですよ。
誰にでも、死はたった一度だけしか訪れないのです。一度の人生に二回も三回も死が訪れたら、ゾンビの世界になってしまうでしょう。
さあ皆さん、思い出して下さいね。ここを旅立つ時のことを、そうです。あなたたちが生まれる時に送り出した時のことを。その時に、私はあなた方に亡くなる日付けを知らせておいたでしょう?そうです。思い出しましたか。それが今日この日だったんですよね。ね、思い出したでしょう。
だから、あの時、私があなたがたに言ったように、人生にどんな辛い死にたくなるようなひどい目にあっても、決してめげずに頑張って生きてください。決して、自殺などしないように、と言いましたよね。
そうです。どんなに辛い人生でも、その人の人生に死はたった一回しか訪れないのです。
そして、今日という日があなた達がここに戻ってくる日だったんです。
ですから、あなた方は十分天命を全うされたんですよ。安心して下さいね。これらは、私が創った物語の一場面ですから。後に残された家族や親類のことは、心配されなくてもいいですよ。全ては、なるべくしてなっているのですから。
それでは、あちらにいます天使さんの指示に従ってそれぞれの霊的レベルに合った世界に、戻って行きましょう。ご苦労さんでした。
と言ってから、サイババさんはまた、バンガロールの帰依者の家に戻って行かれたんやろか?
ヨシオ:ちょっと違うやろうけど、ポニョの霊界ではそうやったかもしれんな。
でも、今のポニョの一人芝居で、俺がええなと思ったんは、どんな人の人生でも死は、たった一回しか訪れない。というとこや。
ポニョ:おっ。久々に褒めてくれたんや。サンキューね。嬉しカルカル。
ヨシオ:俺はもう、いちいちポニョの変な言葉に反応しないけど、それって重要やと思う。だって、みんないろんなことを恐れるけど、死が一番怖いやろ。でも、人の死ぬ時って生まれる前からもう決まっていたことやったら、何にも恐れることなんてこの世に無いやんか。
しっかり、真理に元ずいて、愛を周りの人に広めて人生を歩んで行ったらええやんか。
ポニョがいろいろと、イルちゃんのやってることを警告してくれているけれど、食べるもんとか、薬とか身体に取り込む電磁波とかを普段の生活で注意したら、後は神さんにお任せして、楽しくいい事だけを見て、いい事だけを聞いて生きて行ったらいいと思う。
この世界で、人生で何も神さん以外の事で真剣に考える必要は無いんや。全ては、神さんがお遊びで創造されたんやから。
何が人生に起こっても、ポニョみたいにいつもニコニコしてたらええんや。
ということで、サイババさんの話に戻ります。
帰依者の家では、サイババさんは子供が出来ない夫婦に、リンゴを物質化されて食べてもらうと三人続けて男の子が出来たりしました。
また、あちらこちらと、車で移動しましたが同乗者のために手を叩いて、アティラサムというお菓子を物質化されて配られました。
アブダルサッターさんというベテラン運転手がサイババさんの車を運転していました。
ある日、カダルーというところへ行く途中サイババさんは、道を外れるように指示をしましたので、指示通りに道を行くと、綺麗なところへ出てきました。
そしてそこで、朝ごはんを食べることにしました。サイババさんは、手足を伸ばしに少し一人で歩いて何処かへ行かれました。サイババさんのお連れの方と私は、カーストが違うのでお連れの方達と一緒に食事が出来ないので、お連れの方が私の分の朝ごはんを下さった時に、自分たちから離れて食べるように言われました。
私は、すぐに皆さんと離れて一人で食事をし始めたのです。
そうこうしているうちに、サイババさんが戻って来られました。
そして、一人で食事をしている私を見つけて、車に戻るように言われましたので、私はもう直ぐに出発するのかと思い慌ててご飯をそこに残したまま、走ってサイババさんのところに戻りました。すると、サイババさんはそこで食事をしていた同乗者の皆さんにこう言いました。
「君たちは彼の事をどう思っているのですか?この世には、たった二つのカーストしかありません。それは、男性と女性です。私たちは、この世の全てのお父さんであり、お母さんであり、そしてその子供達なのですよ。」と言って、私を皆の中に座らせました。
そして、先ほど私にあちらに行って食べなさいと言った同乗者の方に命じて、私に皆と同じように、彼にも食事を与えなさいと言われました。
そして、私は、皆さんと同じように朝ご飯を食べたのです。
食事の後、サイババさんは私に後についてくるように言いました。私は、言われた通りに彼の後をついて行くと、誰も世話をしていない放置されたままになっている、野生のカスタードアップルの木の下に着きました。
サイババさんは、手を伸ばされて実がなっている枝を手元に引き寄せて、その実をもぎ取られました。そして、それを私に手渡しながらこれを切って皆と分けて食べなさいと言われました。
私はその実を見ると何と、あの大きな黒いタネがいっぱい詰まったカスタードアップルではなく、みんなに切って分けれるように普通のリンゴに変わっていたのでした。
自分は人類というカーストに属しているということを思い起こしなさい。
皆さんの真のカーストは、自分が生まれたときに手に入れたものではありません。
皆さんの真のカーストは人類というカーストです。
これは決して変えられることがありません。15/1/08
まもなく、全ての国々が一つになるでしょう。全世界は一つになるでしょう。
カーストや宗教や国籍という狭い考えは消え失せ、全ての人が一つになって神聖さを体験するでしょう。
全ての人が愛の思いを深め、お互いを兄弟姉妹と考えるようになるでしょう。
私は、宗教、カーストや、その他の障害を越えて、信者たちが、実はすべての世界が自分たちの家族の一員だった、と分かる宇宙大の愛を人類の間に築き上げたいと思っているのです。Sprit&The Mindp258
カースト制度の四つの階級は、それぞれの人びとの性質と活動によって定められました。
一つの木に実る果実が、あるものは青く、あるものは熟しているのと同じように、人々もその成熟した段階に応じて四つに分類されるのです。
各人の成熟段階はその行為と性格によって判断することができます。
その思想と行動が浄性なものは、バラモンに属し、ブラフマンへの道を歩みます。
激性の勝るものは、クシャトリアに属します。
このように心に深く染み込んだ属性をもって、階級を定める基盤としたのであって、それ以外の理由からでは無いのです。JV
おいらが、朝一番起きたらいつも聞く曲です。
http://m.youtube.com/watch?v=M1E67YWZbWU
ポニョ:カーストの低い運転手にまで気を使われて、優しいね。サイババさんは。
ヨシオ:サイババさんから見たら全ては自分の子供と一緒やから、あっち行って食べろという根性がたまらんかってんやろな。結構、カースト制度に関するタブーって色々とあるからインドも大変やね。
でも、昨日の記事で懐かしかったんが、サイババさんの一行はカダルーというところへ行く途中やったやろ?確か。そこに俺行ったことあるんや。
ポニョ:へ〜。どこにあるんや。そのカダルーってとこ。
ヨシオ:バンガロールから汽車に乗ってたから、具体的にどこか言えないけど、アガスティアの葉のところに行く途中やった。アガスティアの葉には余り興味はなく、行く気は無かったんやけど、ちょうどサイババさんのアシュラムで青やんに会っていろいろ話を聞いたら行く気になったんや。それで、カダルーやけど、確か、ポンディシェリーにも近かったように記憶してるけど。夜行やったから半分寝てて呆けてたけどな。結構大きな街で、駅弁が美味かったな。
ポニョ:アガスティアの葉にも行ったんか。どうやった。
ヨシオ:ほら、俺たくさん名前あるやろ。日本やったらヨシオやけど、漢字やったら世潮って書くから、中国へ行ったらシーチャオて呼ばれる。インドに行けばラーマ チャンバラゴッコやし、アフリカへ行ったらクチフォンツゥオ ホンマラヴィッキっていう名前やねん。
ポニョ:それはおいらでも嘘って分かるわ。あんたのジョークには、もう引っかからんで。
ヨシオ:本当やって。アフリカ人の人に名前をもらったんや。俺、割と何でも知らんこと一生懸命になって聞いたり学んだりするやろ。だから、「あなたから学びます。」という意味の名前をくれたんや。スワヒリ語で。
ポニョ:ちょっと信用出来んな。もういっぺん言えるんか。言えたら信じたるわ。
ヨシオ:クチフォンツゥオ ホンマラヴィッキや。フォンとヴィッキというところをアクセントをつけて発音するんやで。
ポニョ:なんかほんまポイから信用するぜよ。
ヨシオ:それで椰子の葉を読むリーダーの人が先ず俺の名が書いてある葉を探す為に、俺の名であろうと思われるいろいろな違う椰子の葉を読んでくれたんや。これですか。それですか。とか聞いてきよるんやけど、どの国の名前で呼ばれてもええように心構えをしていて、似たような名前が出て来たらそれや、とか言ったんや。でも一番最初に出てきたのは、スワヒリ語の名前に近かったんで、その葉が俺の葉やということになったんやけど、次に兄弟とか両親の名前がどの言語で出てくるか分かれへんし、それやとか、これやとか、いや違うとか言ってたら、もう最後には、こんがらがっきて、めちゃくちゃになってリーダーの人は六時間もやってくれたのに、こんな難しい顧客は初めてです。許してください。あなたの葉は見つけられなかったので他に行って下さい。金は要りませんから。二度と来ないでくれって頼まれたわ。多分、最初にスワヒリ語に近かった呼び名を、それは俺の名やと言ってしまったからやろな。
ポニョ:そら、あんたのせいや。リーダーの人も可哀想やったな。でも、あんたはどこに行っても冗談で生活しとるな。ジョークの化身みたいなやつや。
ヨシオ:でも、ムンバイにあるブリグのリーディングはすごいで。だって、アガスティアのリーダーみたいに質問して来なくて、その日のある時のポニョの影を測って椰子の葉を出してくるんやて。
俺はアガスティアで懲りたんで行ってないけど、星やんが行ったんで話してくれた。
それで、星やんは聞きたかったこと全てを、リーダーの人が読んでくれたんやて。それで満足したんで金も支払ってタクシーに乗って帰る途中、ああそうや、もう一つだけ聞き忘れたと言って、車をUターンさせて戻ったんや。
そうしたら、リーダーの人が椰子の葉を持って、外で待ってくれてたんやて。
リーダーの人が言うには、あなたに関するブリグの予言では、君は一度帰るが、すぐにまた戻って来るって書いてあるから、君が聞くであろうと思われる質問の答えが書いてある椰子の葉を持って待ってたんやて。
ポニョ:そら驚くよな。そんなことまで詳しく書いてあったんか。すごいな。ところで、何千年も前に聖者によって書かれたそういう一人ひとりの記録は、アガスティアだけではなくてあっちこっちにあるんか。今、聖者ブリグの話をしたけど。
ヨシオ:さっきも言ったけど、聖者ブリグのはムンバイにある。あと、スッカナディと言って聖者ヴィヤーサの息子さんの聖者スッカのリーディングもやってくれるところがバンガロールにある。俺が知ってるのは、その三つだけやけど、まだあるかもしれんな。
アガスティアのリーダーはアガスティアの椰子の葉は過去五千年間の間にあっちこっちに散らばったと言っていた。でも、あんたのはどこを探しても無いやろうな。アジア人でアフリカの名前を持ってる人なんて聞いた事が無いって言っていた。
ポニョ:当たり前や。少なくともアフリカの名前は忘れて、インド人の名前で行ったら良かったんや。それやったら沢山あるやろな。あんたのんは何やった?ラーマ チャンバラゴッコか?それもふざけてるやないの。何がチャンバラゴッコや。
ヨシオ:まあ、その名前は冗談やけど、すごいのはブリグやね。だってこのリーダーの人、カバンにものすごい数ある椰子の葉から百ぐらいだけを選んでアメリカへ行ったんや。それで人が、それだけしか持っていかないんかと聞いたら、私に聞きに来る人の葉しか持って行きませんて言ったんやで。
ポニョ:と言うことは何か?リーダーの人がアメリカに行き、そこでそのリーダーに聞きに来る人がもう五千年前に椰子の葉に書かれてるってことか。
ヨシオ:その通り。いつ聞きにくるか日付まで書いてあるんやて。だから、そのリーダーの人は、その頃にアメリカに行かなければならなかったんや。
ポニョ:何とも信じがたい話やね。それって、信じるかどうかはあなた次第です。やな。
ヨシオ:いや、本当の話やで。ある人がサイババさんのことが書かれた椰子の葉を読みに行ったことがあって、そこにいつどんな奇跡をされるか事細かに書いてあったと言ってた。でもその後、サイババさんはサイババさんについて書かれた葉を読みに行ってはいけない。という禁止令を出されたんや。
ポニョ:将来どんな奇跡をされるか秘密にしようってことかな。知られたくないんやろうか。その時にみんなを驚かせようと思って。
本当にサイババさんは、いつも遊んではるな。自分が将来人をびっくりさせようとしてることを、知らせたくないってまるで子供みたいや。
下記のリンクにアガスティアのサイババさんに関する予言の触りだけ紹介してあるけど。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/929fe8bc12a8638bc466d9c35a9b3f44
でも、禁止令が出るくらいその葉に書いてあることが正確っていうことなんかな。面白い。サイババさんの特別秘密法案みたいなもんやな。
ヨシオ:というわけで、サイババさんの話の続きに行きます。
タクシードライバーのサッターさんは次のように述べられています。
サイババさんはいつも前の席に座っておられました。やがて、帰依者の家に着くとサイババさんは椅子に腰掛けられるのですが、バジャンの前に人々がババの首に掛けようとたくさんの花輪を用意してあるのを、手に手に持って来てかけ始めるのです。
サイババさんは、みるみる花輪に埋まってしまって顔が少し花の中から見えるぐらいになってしまうのでした。
それでも、サイババさんは我慢されていて、バジャンの間中、ずっとそのままで大人しくされていました。やがて、バジャンが終わり、大量の花輪を取り除いてサイババさんを見ると、なんと頭から水をかぶったように汗をかいておられて、ローブがずぶ濡れになっていました。
やがて、車はカダルーに到着しました。ババはスリニヴァスさんの家に三泊されました。そこで、たくさんの地元の人たちが参加したバジャンが毎晩開かれました。
ある日のバジャンでは、サイババさんはバジャンの最中に突然立ち上がられて、台所に行かれキャンドル全部に火を灯されました。
そして、暖炉の中からアムマン女神様の像が彫ってある銀のコインと、小さな銀の傘、8cmぐらいの虎の爪と幾つかの小物を物質化されました。
それらの物の内、コインと銀の傘、そして、虎の爪は家の人にプレゼントされ、残りのものはガラスのコップに水を入れてその中に入れられ、その家の井戸の中に全部入れられました。
サンカランマさんへの手紙
私の親愛なる信者であるサンカランマよ。
君のグルであるババが祝福を与える。
子供よ。君のメッセージは僕の口が聞けなくなるほどの幸せな気分にしてくれたんだよ。
でも、最近の旅はあまり面白くなかったんだ。だって、誰とも話せなかったし、会うことだって出来なかったんだもの。僕は、幸せじゃなかったんだ。
でも、君の家が完成したら僕は直ぐに飛んで行って、何日も君の家で幸せに過ごすんだ。
〜君の義理の妹さんが再び、痛み出したって聞いてとても僕も心を痛めてるんだよ。
でも、少しずつ痛みは取れて行くからね。
でも四ヶ月から五ヶ月はベッドの上で横になる生活になるだろうけど、怖がらなくても大丈夫だよ。
あなたの、ご主人さんも少しずつ癒されて行くよ。
どうか、あなたの義理の妹さんや兄弟のケシャバ ラオさんの家族、そして、お医者さんの家族とバジャンの歌い手少女達にもよろしく伝えてくださいね。
祝福を込めて あなたのグル、ババより プッタパルティ
インド人のヨギの持つとてもセンシティブな内的視力の直感に基づくヴィジョンにより、宇宙のたくさんの秘密や過去や将来を、彼らの望む範囲内でのぞき見ることが出来た。
現在、イギリス人がインドの支配を捨てて20年以上になろうとしている。
このことは太古の聖者により、インドは西の果てからやって来る奇妙な人種の支配からナンダの年に自由になると5043年前に宣言されている。
どのようにしてこのようなことが5043年前に分かり得ることが出来るのであろうか?
ビハールの地震は、地震の起こる2年前にバルナーシの占星術師により正確に予言されていた。
何を基にして、天啓経典や占星術師はこのようなことをやってのけられるのであろうか?それは現代の科学者がよりどころとしている科学ではない。
それは直感にもとづく霊的体験からである。SSSvol6p210
皆さんには見ることができないかもしれませんが、私の目にははっきりと見えています。
日が経つにつれ、今はスワミの真実に気づくことができないでいる人も、悔恨の涙を浮かべて私のもとにやって来て、私の神聖さを体験することになるでしょう。
近い将来、それは世界的な現象となるでしょう。スワミは今、そのようになることを抑えています。
しかしひとたびそのようになる事を許せば、全世界はプラシャーンティ・ニラヤム〔平安の館〕へと変容します。
ですから、自分の目の前に掲げた理想を日常生活の中で実践することを決意したあなた方すべて、大きく手を振って堂々と前に向かって歩んで行きなさい。
何年か後、今あなた方に与えられているような機会が得られなくなる時がやって来ます。
こんなにも〔スワミの〕近くにいられる機会は持てなくなるでしょう。と云うのも何百万という人々がここに押し寄せ、集まってくるからです。
近い将来そのようになります。ですから、奉仕活動を通じてスワミの慈悲と愛を獲得し、自分の人生を意味のあるものとしなさい。SSSVol15c55
ポニョ:でも、いつ読んでもサイババさんの手紙は愛がいっぱいあるよな。
ヨシオ:どう言ったらええんやろうか。なんか、こう、人の心の奥底までグサ〜と来るようなものを持ってはるな。
ポニョ:このようなきれいな心を持つには、まず思いと、言葉と、行為を一つにせなあかんと言ってたけど、ババの愛はすごいよな。あの笑顔を見てみ。天真爛漫や。
ヨシオ:昔の友達がそんな笑顔をしていたな。俺が、どうしてそんなにきれいな笑顔をいつも出来るんやって聞いたことがあるんや。
そうしたら、自分たちは愛の化身やから、心の中の愛をどれだけ外に向けて発信出来るかということを考えやなあかん。毎日、どれだけの人にその愛を分け与えることが出来るか、自己中にならんと、どれだけ自分の中にある愛を他の人や動物たちや生きとし生けるものと分かちあえることが出来るのかが、人として生まれてきた限りそれぞれの人に問われている事なんや。と言っていた。
ポニョ:そらそういうことを、いつも考えていたらきれいな笑顔になるわな。
ヨシオ:それで具体的には、朝起きるとすぐにベッドから飛び出ないで、先ず、自分の中にある愛を呼び起こすんやて。
それは、愛のバロメーターみたいなものを、自分の中にイメージして、昨日までの経験で腹が立った奴とか、意地悪な奴とか、イケズなライバルとか、ちょっとキモい奴とかのイメージを払拭するんやて。どういうふうにするかと言うと、そのネガティブなイメージを持ってる人の良いところを一生懸命探し出すんや。
そして、その人のネガティブなイメージをポジティブなイメージに置き換えて行くんやて。
そうすれば、この世に嫌いなものや嫌なものが全て無くなってしまう。
イルちゃんみたいなどうしようもない悪ガキは、彼らを自分の出来の悪い子供や、放蕩息子と思えば良いと言っていた。
しゃーないやっちゃな。また悪さしよった。今度、お仕置きや。とかなんとか奴らの事を、自分の息子やと思っていたら多分イルちゃんに対してもネガティブな感情を抱かないはずや。
そういうふうにして、朝起きた時の愛のバロメーターを愛でフルチャージしてからベッドから起き上がると言っていた。
そうすれば、一日の初めから愛がいっぱいの心で、世界に出ていくことが出来ると言ってた。
ポニョ:それって、光明瞑想と同じやんか。光をイメージしてそれを身体の中に入れ、頭から順番に体のあちこちに光を回しながら、悪いものを見ないように、しないように、聞かないように、話さないように自分の身体を光で満たして行く瞑想や。そして、その光を最後に頭のてっぺんから出して、家族から始まり、社会、世界、宇宙へと大きく拡げて全てが光で包まれるようにイメージをするんや。
ヨシオ:そうやな。言われてみれば、よく似てる。どっちも自分の中にある愛や光を社会や友達や家族や世界に拡げていって、愛や光で全てを包むということやもんな。
でも、ポニョは、もう自然に頭が光り輝いているから、そんな光明瞑想なんてしなくても周りを照らし出せるやんか。
ポニョ:そういうことや。おいらの、この世での存在そのものがこの世に光を照らし出してるんや。まあ言えば、おいらは君たちと違って、限りなく神さんに近い存在やろな。
ヨシオ:今日は、俺の挑発に乗らんと一本取ってきよったな。成長したな、ポニョ。褒めてつかわすぞ。
ポニョ:あんたが紹介した全ての人の良いところだけを見て、愛で包むというやりかたやけど、以前あんたが紹介したシュタイナースクールの先生が、教室に朝一番入る前に子供達の良いところだけをイメージしてポジティブな心になってから、子供達と接するというやり方と似てるよな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/a4aee2970a946cd83ae9273ed644be47
ヨシオ:よく覚えてたな。そうそう、そんなこと言ったよな。とにかく、いろいろ大変なことが世界に起こってるけど、ポジティブに生きて行きたいよな。そういう意味で、先日、ポニョがツイートしてくれたミルクが出なくなった牛さん達を殺さずに、死ぬまで面倒みる牧場の話が良かったな。
あれは、感動した。牧場の人が牛たちが、天寿を全うして死ぬのを見れるのは嬉しい。誇りに思う。と言ってたな。それに、牛たちが、穏やかで且つ、とても嬉しそうに牧場で飛び跳ねていたな。あんな牛さん俺は見たことがない。
http://m.youtube.com/watch?v=kUZ1YLhIAg8
ポニョ:牧場主の人は、今までミルクを出して毎日人のために働いて来てくれたんやから、ミルクを出せなくなったら、牛の老後を死ぬまで面倒を見るのは人の義務やと言っていた。
もちろん、たくさんの人がそれに賛同して、カンパの金も来てるようやけど。
でも、普通は、ミルクが出せなくなった牛は、金食い虫やから全て屠殺場に連れて行くんやろうか。
ヨシオ:そうやろな。可哀想やな。
ポニョ:それやったら、おいらの奥さんなんか、最初からミルクが出ないから、とっくの昔に屠殺場行きやんか。
ヨシオ:もしもし。ポニョ君。あんたの奥さんと乳が出なくなった牛さんと一緒にしないでくれますか。牛さんが、気を悪くされますよ。
ポニョ:あのね。嫁さんに言いつけたるで今のコメント。おいらがいつもやられてるみたいに、卍固めとヤシの実割りで、あんたなんかイチコロや。
特に、卍固めをやられると、最初は痛いけどだんだん気持ちが良くなってきて、もっとやってと言ってしまうねん。
ヨシオ:それがあんたら夫婦が、仲がええ秘密か。付き合ってられないわ。ほんまに。でも、俺は久々に牛さんの幸せなニュースに接して心が軽くなった。
ということで、今日のサイババさんの話に入ります。
サイの帰依者が増えて来て、バンガロールで大きなホールでアカンダバジャンをすることになりました。アカンダバジャンをする為には、たくさんの歌い手が交代で24時間途切れなく歌い続けなければあかんだバジャンでした。
それで、その日、どれだけの人が来られているか不安に思って会場に行ったところ、もう既に百人以上のバジャンを歌える帰依者が会場に入ろうと入り口で列を作って待っていたのでした。
不思議に思って聞いてみると、皆、口々にサイババさんが夢に現れてここに来るように告げたと言いました。
アカンダバジャンは木曜日の朝八時からスタートし、あくる日の朝八時まで続きました。
その間、帰依者達がお腹が空かないように、食事係が食事の用意をしました。
そのキッチンにサイババさんが入って来て、ポットの中に入っている料理を点検した後、大きな声で「無限になれ!」と言われました。
そして、それらの料理は、何百人もの人々が来てお腹いっぱい食べても、ポットの底がいつまで経っても見えなかったのです。
そして、人々が食べ終えた後、サイババさんが再び台所に入って来られたかと思うと、あれだけ沢山あった料理がポットの中から消えていたのでした。
プッタパルティでは、初めてダセラ祭という大きなお祭りが祝われようとしていました。
ババは入れ物を持って来るように言われました。そして、両手を擦られると、滝のようにヴィブティがその入れ物の中に流れ込みました。
ババは、これらのヴィブティはシルディサイババが、火をいつもおこしていたところから持ってきたと言われました。
そして、お祭りを祝うための飾りや、いろいろな事に電気が必要なので誰かが、オイル発電機を持って来ましたが、残念なことに寒村であるプッタパルティにはガソリンが無かったのでした。
でも、ババがやって来て、水を入れれば良いと言われました。それで、その発電機の担当の人が水を入れると発電機は動き始めました。
こういうことに、もう慣れている帰依者たちは、発電機が水で動いているのを見ても誰も驚きませんでした。
そして、そのダセラ祭は九日間に渡って続けられたのでした。朝からバジャンが始まり、ババを乗せた山車が村を練り歩き、大変な賑わいでした。
山車は牛によって引かれるんですが、山車の前を歩いている多くの人々は、ババを見ながら歩きたいので、みんな後ろ向きに歩きました。
礼拝堂から出発した山車が、村を一回りしてまた礼拝堂に戻ってくるのは、夜中を過ぎていました。
でもある日、何時ものように山車が村にさしかかると、ババはもと来た道に戻るように指示をされたのです。言われた通りに戻ると、礼拝堂から慌てて二十人以上の泥棒たちが飛び出して逃げ出して行きました。
そのうちの幾人かは捕まりましたが、彼らは、自分たちは泥棒をする目的で来たんだけど、でも泥棒を職業としているわけではない。と言いました。
ババは彼らを両手で祝福されました。
山車のパレードに参加した人の話
山車が村を練り歩く時、人々は生き神様であるサイババさんを拝んだり、平伏したりするんです。
そしてサイババさんが、その人が普段お祈りを捧げている神に姿を変えて、その人を祝福されるんです。もちろん、そのお姿はその人だけが見ることが出来るのです。
でも、もし、その人がサイババさんを神だと信じて拝めば、びっくりすることが起きました。
それは、サイババさんがその人に、花輪から花をとってその人に投げられるんですが、その花が銀貨や金貨に化けるんですよ。
私は、まだ私に投げつけられた銀貨を大事に持っていますが、そこには、シルディサイババのポートレイトが刻まれてあるんです。
“全世界を包括し、全世界に遍満しているものが愛です。人間であれ、鳥獣であれ、昆虫であれ、いかなるものであっても、愛がなければただの一瞬も存在することができません。
この愛こそは、神の姿そのものです。
ところが人間は今日、この神聖な愛を、移りゆく世の中に向けることによって、無駄に使っています。決して愛の力を過小評価してはなりません。”28/7/1999
“神への愛は信愛であり、それはあなたが謙虚や従順といった徳を育むことを助け、あなたの生活を幸せに満ちたものにしてくれます。
神への愛は、あなたが解脱に至るのを助けてくれます。
今あなたに必要なことは、愛を拡げることです。STPSP262”
“人間として生まれた限りは、他の人を幸せにしなくてはなりません。
これが愛というものです。あなたのハートは愛で一杯なのです。
あなたはそれを他の人と分かち合わなければなりません。
たくさんの食べ物があるとき、あなたは他の人と分け合うでしょう?
そうでないと食べ物がいたむでしょう?
それと同じで、あなたの愛を毎日少なくとも5人の人に分け与えるべきです。
この神聖な愛をあなたは他の人と共に分かち合い、修行し、経験しなければなりません。SS2/94p53”
ポニョ:自分の中にある愛を拡げて世界を包むまで大きくしようと思っても、実際、やるとなったら難しいよな。だって、自分を傷つけようとしているものや、極端な話、自分の家族や会社の敵にまで愛を広げるって、大きな神のような心の持ち主でないと出来ないよな。
ヨシオ:ラーマクリシュナ パラマハンサという聖者がこんな話をされていた。
街を歩いていた人が、強盗にあって頭を殴られ、身ぐるみ剥がされて通りで血を流して横たわっていると、警察が来て顔についた血を拭き取りながらこう聞いた。
「おい。大丈夫か。誰にやられたんだ。強盗の顔を覚えているか。何を盗られたんだ。」と。
それで、男は「あなた様の中におられる神様がこうして、あなた様を通じて私を介抱して下さっていますが、その同じ神様が強盗の中におられて、私を殴って物を盗って行かれ私のカルマを取ってくれたのです。ありがたい話です。」と言ったんや。
ラーマクリシュナ パラマハンサは、このような態度を取れるものこそが、本当の神の信者だと言っておられた。
ポニョ:それってすごいよな。おいらには絶対無理な話だと思う。あんたよりましやけど、すぐにカーッって来るし、おいらはまだそのレベルじゃないな。でもそんな人って、以前記事にしたおいらが車で足を轢いた坊さんみたいやな。
ヨシオ:あんたよりましやけどは、余分やろ。全ての人の中におられる神さん。その神さんを見て生きて行くっていわば究極の帰依の心やな。
もし、そういうことが普通に出来れば、その人は誰をも傷つけなくなるし、その人にどんな災害が降りかかっても幸せな気持ちでいれるし、また、全ての人や小さな生き物でさえも愛することが出来るようになる。
ポニョ:それって、神の化身と一緒やんか。神さんって愛そのものやろ。だから、そういうふうに全てが愛って見れたら、その人は愛そのものになれるのと違うか。
ヨシオ:最初は誰でも、そんなレベルに行くのは無理やと思う。でも、自分の周りの人から、ほんの近くにいる人から始めてたらええ。人は、誰でもこの宇宙全てを愛せるだけの宇宙大の大きな愛を持っている。
愛は神さんそのもので、神さんは愛そのものや。自分の中にある愛を外に膨らませば膨らます程、その人はとてつもない神のパワーを得ることが出来る。
サイババさんは、私は自分が持っているこの愛の力をいつでも人々に分け与える用意があるけど、それを求める人は少ないって言ってられる。
ポニョ:でも、それって二律背反やな。
ヨシオ:おっ。なんか、ポニョが難しい言葉使いよったで。
ポニョ:ちゃかさんといてーな。たまには、おいらの涸れかけた英知の泉から湧き出て来る言葉を抑えきれない時だってあるんやから。
ヨシオ:涸れかけた、は余分やろ。禿げかけたやったら当たってるけど。それで、何が二律背反やねん。
ポニョ:だから、愛って自分のエゴを無くさないと出て来ないやろ。自己中の人が、他の人のことを考えないのと一緒や。だから、自分がしたとか、自分のものとか、という気持ちを無くして行けば行くほど、愛が増えるから、反比例してるやんか。一方を減らせば、もう一方が増える。
さっきの例で言えば、自分の中にある、自分と思っている自分であるエゴを減らせば減らすほど、本当の自分である愛そのものが大きく育って行くということやろ。
ヨシオ:すごいこと言えるねんな。でも、それって二律背反って言うんか。でも、ポニョはなんか聞いてたら、えらい哲学者の話を聞いているみたいやったで。すごいすごい。本当に、ポニョに言う通りやな。自分が自分と思っている間はあかんねん。それは、エゴやから。心の中にある椅子は一つだけしかない。全ての人は実は、その椅子を巡って椅子取りゲームを神さんとしてるんや。
クルクルと、椅子の周りを回りながら、音楽が止まると神さんか、それとも、自分のエゴかどっちかしか座れない椅子を取り合いをしてる。
その椅子を、神さんにどうぞ座ってください。と言って譲らないといけないのに、人は、神さんに座らさないように、自分が大きな顔をして椅子の上に踏ん反り返っている。
ポニョ:神さんと椅子取りゲームをして遊んでいるのが人生か。面白いな。最後には、絶対負けるゲームや。だって、その自分が争っている神さんが、本当の自分やったって気が付くんやろ。自分が、そっちやったって。こっちが自分やったって思ってたんは、鏡に映っていただけの自分やったってことが分かるから、最後はあっちが自分やてことは、自分が一つってことやろ。つまり、自分が、神さんやってことは……。
ヨシオ:そろそろストップしないと、耳の穴から煙が出て来てるで。頭の中がショートしてるわ。
もっと簡単に言えば、汚いエゴっていう水を含んでいるスポンジを絞って汚い水を出さないと、きれいな神さんの水をスポンジが吸えないってことや。
ポニョ:あっ。そっちの方が分かり易いわ。さっきのままやったら、なんか、自分がカントかデカルトとかソクラテスになりそうやった。
ヨシオ:なれるわけないやろ。ポニョは椅子取りゲームの達人にはなれるやろけどな。
というわけでサイババさんの話に移ります。
今日は、サイババさんが奇跡をされる前に、ちょっともったいつけてからされる話です。
その頃、クッパンというところから、クマールの一家がよくやって来るようになりました。
その一家の長男でクリシュナ君は、当時の様子を次のように話しています。
ババは、お祭りの季節だけれど、今年はお祭りを祝う行事はしないことにする。と言いました。私たちは、こんなに聖別された日を何もしないって考えられない。と文句を言いました。
ババは私たちと一緒に朝ごはんをいただいた後、昼ご飯の用意を誰もしてはいけませんよ。と言ってスッバンマさんの家に行かれました。
そして、十一時に戻って来られて、私たちを見回されてから、どうして礼拝とバジャンのための食べ物を用意していないのかをサヴィトランマさんに尋ねられたのです。
サヴィトランマさんは、あなたは祭りを祝わないので、戻って来られないと言われたんじゃなかったんでしょうか。と言い返しました。
ババは、その事と礼拝用の食べ物を用意をして礼拝に望む事とは別だ。と言われました。
それで、みんな急いで礼拝用の食べ物を用意して、礼拝に臨み、アラティも終わり礼拝が終了しました。
そして、ババはサヴィトランマさんに僕お腹が空いちゃったよ。と言いました。
サヴィトランマさんは遂に堪忍袋の尾が切れて、あなたは、一体どういう神経をされているんですか。さっきは作るなと言っておいて、今になってお腹が空いたなんて。昼ご飯を作っていないので料理が無いんです。今になって、一体どこからそんな料理が出て来るんでしょうかね。とババに食ってかかりました。
ババは、何も言わずに自分の部屋に入って行かれました。
しばらくして、また部屋から出て来たババは、サヴィトランマさんに、子供達にだけでも料理を作って上げれないかな。彼らは、遊びに行ってるから、お腹が空いているんだ。と言いました。
サヴィトランマさんはその言葉を聞くや否や、ババから顔を背けて飛び出して行ってしまいました。すると、それを見てババは「さあ!今から遊ぼうぜ。」と言って、私にいろんな鍋や入れ物をバジャンホールに持って来るように言ったのです。
ババは、それぞれの入れ物の上に手をかざして振ると、中に熱々の出来たての料理が現れたのでした。
それぞれの入れ物に違う種類の料理が出現しました。とても美味しそうな野菜カレーやラサーム、ライスなどが容器いっぱいになりました。そして、ババは鍋に蓋するように言って皆に、昼ご飯が出来たよ。と呼びに行かせたのです。
私が、サヴィトランマさんにご飯だよ。と言って呼びに行ったとき、サヴィトランマさんはどこにそんな昼ご飯の料理があるんや。と言いました。
私は、ババが物質化されたんですよ。と言うと慌ててバジャンホールに駆け出して行きました。
その時の、料理の味は今でも覚えていますが、まるで天国にいるような気になるような味でした。こんなに美味しく味付けてある料理は初めていただきました。
そして、皆が食べ終わった頃、容器の中を覗いてみると、きれいに全ての食べ物が無くなっていたのでした。
“もしあなたに愛があれば、それで十分です。他のすべてのものがあなたに自動的に付加されるでしょう。
奉仕、犠牲、謙虚さ、信愛、自制というものはすべて愛に含まれています。
あらゆる徳性をあなたから導き出し、霊的にあなたを高めてくれるのは愛だけです。
愛のあるところには、エゴや憎しみや嫉妬といった、低級で卑劣な動物的性質はありません。STPSp114”
“エゴはどこから生まれるのでしょう。どうしていつもエゴに悩まされるのでしょう。
人間の持つ無知によってエゴが起こります。
〜宇宙の大きさが分かっていたらエゴなど起こるはずはありません。
宇宙はどれほど大きくて、自分はそれに比べてどれほど小さいか忘れてしまったときに浅はかな考えが浮かぶのです。SGc31”
“エゴはどのようにしてあなたの心に入るのでしょう?
それは、あなたが真実の道を手放したときに、あなたの心に侵入するのです。
あなたが、真の自己を知らずに、世俗的な思いや感情を育てるときに、あなたは利己的になります。エゴを取り除くには、世俗的な思いや感情をコントロールしていなければなりません。”
“あなた自身が自らの身を正せば、他の人も正すのです。
なぜならあなたは、他の人を自分から分離したものとは考えないからです。
他の人の批判、あら探し、それはすべてあなたのエゴから出て来ていることなのです。
あなた自身の欠点を探しなさい。
あなたが他人に見る欠点は、あなた自身の性格が反映しているだけなのです。
些細なことにくよくよせず、心を至高の神に結びつけなさい。
そうなれば、あなたは良い人々とだけ交わるようになり、あなたの力も変わってくるでしょう。
すべての人を神の子どもと見、あなた自身の兄弟姉妹とみなしなさい。
愛の心を培い、常に人類の平和と繁栄を念頭に置きなさい。人を愛しなさい。”
ポニョ:最近アガスティアの事を記事にしたけど、サイババさんの事をアガスティアで調べるのをやめなさい。と言われると余計に知りたくなるよな。
ヨシオ:このブログで以前紹介したサイババさんに関するアガスティアの葉のリーディングの一部とは、次のようなものや。
「主は、現在の姿かたちで、自身をビジョンとしてお見せになるだろう。
それは 彼の現実の身体の、本物のビジョンだろう。
それは多くの者に目撃され、見た者は驚異の念に満たされるであろう。
〜シヴァ神は言われる。
ビジョンはインドだけで はなく、全世界で目撃されると。
それは同じ形で、色々な場所で目撃される。
多くの 人は驚きに満たされ、あそこで、ここで、彼を見たと言うだろう。
事実彼は、同じ時間に多くの場所で多くの人たちに目撃されるだろう。
主の到来は、雷をともなった大きな嵐を前触れにして起きるだろう。
それは非常に恐ろしく見えるが、嵐は突然止み、主のお姿が現れるだろう。
この日以降、偉大な出来事が増していくだろう。」
“Sacred Nadi Readings” シュリ ヴァサンタ サイ著
ポニョ:おいら達が言ってきてることが、しっかり予言してあるな。それも五千年以上も前にこんな事が書きとめられてあったなんて驚くよな。
ヨシオ:これらのことは、サイババさんがあまり世間に知られたくないことやねん。というのも、以前も言ったように今はローラーコースターを底まで落とす時期なんや。
ドンと落とすことによって、その後、高いところまで駆け上ることが出来るから。
ポニョ:ということは、サイババさんが亡くなってみんなが、なんやサイババ、サイババて言うてたけど、自分の病気も治せずに逝っちゃったやないか。
どこが奇跡をする神の化身やねん。とんでもアフロのイカサマ手品師やっただけや。騙された奴は間抜けな奴や。手をクルクル回して、物を出すこと自体が大体怪しかったんや。
それだけやない。ネットからの情報によれば、若い男の子を弄んでいたって話やないの。
トンデモない酷いグルがいてたもんや。
と普通の人は、そういうふうに思ってる人が多いやろな。
ヨシオ:でもこれらは、全て良い事なんや。今までこのブログでも紹介して来たけど、サイババさんて、とてもいたずら好きでいつも遊んでおられるやろ。
ちょっと世の中から身を隠されて、後で出て来てみんなをびっくりさそうとしてはるんや。
それを楽しみにしてられるんや。
ポニョ:子供みたいやな。だから、あとでびっくりさそうと企てていることがバレるのが嫌で、アガスティアに書いてあることを見に行かないでね。と言ってられるんやな。
ヨシオ:その通りや。ここで紹介してあるアガスティアの予言は、ほんの触りだけやけどとても重要なことが書いてあるやろ。
ポニョ:そうやな。まず人々が恐れるような大嵐が来て雷が鳴り響き、それが止んだと思ったら、空にサティアサイババさんが現れる。プレマサイババではないというとこが味噌やな。
しかも、世界中で現れる。全ての人がそれを同時に見る。という予言やな。
これって、まるっきし、おいら達が言って来てるのんと同じやんか。
ヨシオ:そうやな。だからその時が来たら、もう全ての人がババの方を向いて生きて行くようになるんや。だから、その時に今まで悪口とかを言ってきた人とかは、慌てて神の方へ戻ってくるんや。
また、今世界中でイルちゃんたちが悪さをしてるけど、彼らの長期計画もオジャンになるのは目に見えている。
ポニョ:イルちゃんもぶっ飛ぶやろね。イルちゃんどこに行ったのだい?まだその辺にいるちゃん?という感じかな。
ヨシオ:これからは、太陽を利用したフリーエネルギーも開発されるって、ババは言われてるし,既得権益で潤っているもの達も化けの皮が剥がされるやろね。
ポニョ:本当の意味での人類の歴史が始まるんや。つまり、人々が真理と愛にもとずいて生き、正義と非暴力を掲げた平安な世の中がやって来るんや。
ヨシオ:実はサイババさんが大元の神さんやったと、世界中が認識すれば全ての問題は解決して行く。
でも今のところ、ほとんどの人は、サイババってアフロヘヤーのグルで手を回して手品師のように物を出すのは知ってるんやけど、どんな事を説いておられるのか知らん人がほとんどや。
ポニョ:だから、このブログを立ち上げたんやったな。
ヨシオ:その為に、十年もかけてあのSai's Messages for The Golden Ageという本を作ったんや。
http://bccks.jp/bcck/121362/info
ポニョ:長期計画やな。でも実際このプロジェクトを始めたんは、もっと前やろ。
ヨシオ:そうやな。かれこれサイババさんが直接関与されてからやったら、もう25年になるかな。
ポニョ:直接関与って、サイの組織の偉いさんがあんたを訪ねて来た時のことか。
ヨシオ:そうやな。オーストラリアが属している世界統括地区の世話人とオーストラリアの会長が訪ねてきて、俺が持っているオーストラリアの写真を、サイババさんが探しているからインドに持って行きなさい。と言いに来た時や。
俺は、その時に驚いたけど、さすがババやな。って感心したわ。
ポニョ:それまで、オーストラリアのどこに行ったらいいのか分からなかったから、取り敢えずあちこち行って、行くたびにそこの場所の写真を撮って祭壇に捧げてたんやったな。
ヨシオ:そうや。詳しいことは、サイババが帰って来るよPart1に紹介してあるよな。
http://bccks.jp/bcck/120013
ポニョ:まあ、これから光り輝くゴールデン英二君の時代が始まるから楽しみや。
サイババさんが亡くなられた歳は太陰暦で数えたら96歳やから、予定より早く死んだのではない。これら全ては、想定内のことですよ。
あとは、サイババさんがプレマサイババとして帰って来るのを待ちましょう。サッチャサイババの使命はもう終わりました。
サイババさんは私たちの心の中におられるんです。
あの私たちが親しんだサイババさんのお姿では帰って来られませんよ。
山脈を持ち上げるとか、空に現れるとか、何千もの身体をとって同時に世界中に出現するとか言われていたんですが計画変更です。
それらの事はプレマサイババに引き継がれることになりました。というのがサイの組織の公式見解やけど、そういうふうに言いたいって気持ちは分かるけどね。でも、ちょっと違うと思う。
ヨシオ:大体、サイババさんの身体のすぐ近くにいつもいてると、ババが肉体やと思ってしまうよな。だから、ちょっと離れていた方が、ババのことが分かり易いのかもしれんね。
ポニョ:今は、サイの帰依者一人ひとりが、サイババさんの言われたことをどれだけ真剣に信じているか、神のテストが行われている時やろね。それに合格するかどうか裏でニコニコしながら見守っておられるんや。
ヨシオ:というわけで、これから、サイババさんの話に移ります。今日は、実はサイババさんは泳ぐのが好きだったという話です。
サイババさんは、よく男性の帰依者達と一緒に泳ぎに行かれました。ナガラバヴィという大きな井戸が礼拝堂の近くにあるんですが、そこに泳ぎに行かれたんです。
また、チットラヴァティの近くのシータラムバヴィなどにも出かけられました。
また、大きなサヘブチェルブ貯水池でも泳がれました。
ババは、水から上がり川原などに座っている時に、よく人々に足の裏を見せてヴィシュヌ神のシンボルであるコンチと車輪が描かれてあるのを見せました。
礼拝堂の近くに、ツルシの葉に覆われたツルシヴァナムという池がありました。
ババは男たちと一緒にそこへもよく行かれました。
女性の帰依者たちも、一緒に行ってババが泳ぐところを見たかったのですが、行けなかったのでとても残念に思いました。
でも、ある日ババがツルシヴァナムに行って来ます。と言って男たちと出かけた後を、女たちが着いて行きました。そして、雑木林の中を横切って先回りしようとしたのですが、道に迷ってしまって結局どこにも行けずに、遅くなって帰って来ました。
ババは、自分の身の丈にあった欲望だけを抱きなさい。それ以上の欲望は持ってはいけない。
私は、誰がいつ私の祝福を受け取ればよいか知っているので、全てを私に委ねなさい。と言われました。
まもなく、全ての国々が一つになるでしょう。全世界は一つになるでしょう。カーストや宗教や国籍という狭い考えは消え失せ、全ての人が一つになって神聖さを体験するでしょう。全ての人が愛の思いを深め、お互いを兄弟姉妹と考えるようになるでしょう。
人類の世界規模の変容はすでに始まっています。
短期間のうちに、すべての人間社会が一体となり、次のヴェーダの祈りの中で尊ばれている理想に沿って、平安と一体性のうちに生きていることに気づくことでしょう。
共に生きよう、共に成長しよう。共に知性を育もう。互いに仲良く暮らそう。
私は、黄金時代はとても近いと断言します。バーラタ(インド)、そして、全世界で、個人の対立、不和、同胞への憎しみは、過去の遺物となるでしょう。10/10/05
あなた達は、壮大で卓越した仕事を成就する為に生まれてきたことを、知らねばなりません。あなた達は神の子であり、英雄的な行為をなすためのカリの時代の戦士なのです。溢れんばかりの慈悲と神の愛の具現者であり、世界中に神を知らしめることを決意した魂たちなのです。
未来についてはあなた方にはよく分からないかもしれませんが、私には私の意図した計画が実現するのがはっきりと見えています. 私の神聖さを無視している連中も私の元にひれ伏すようになるでしょう。
間もなく、私の神聖さはすべてに知れ渡るようになるのです。私は意図的に私の神聖さが世界に広まるのを遅らせています。しかし、一度、私が私の真の姿を顕現すれば、すべての世界がプラシャンティニラヤムになることでしょう。
あなた方は、これからすぐ間もなく、スワミが今まで明らかにしてこなかった栄光を見ることになるであろう。そうなれば多くの人々がやってきて立錐の余地もないぐらいになるであろう。
神は人類に地球を破壊する事を許しています。人類は、完全な挫折を体験しないと神の方には向かないのです。
今日どうして人口が爆発的に増大しているかと言えば、それは人々の誤った行為のせいである。動物や魚が殺され食されると、それらの魂は、人となって生まれ変わってくるのである。
全世界のすべての国々がバラタ(インド)を尊敬するようになる日が来るのを、あなた方は見届ける日が来るでしょう。この身体があなた方の前に存在している間に、サッチャサイの名を崇拝する声が全世界に響き渡るのを聞くことでしょう。
サイババは最近、将来の世界地図を物質化した。そして地球表面にいくつか環境調整変動が起こるだろう。そしてそれに伴い人口が減少するだろう。と言われた。
ポニョ:昨日のサイババさんの話を聞いたら、本当にいつもいたずら好きで遊んでおられるって分かるな。
だって、その日に今日は昼ご飯を物質化してみんなに美味しい料理を食べさせてあげようと決められてるから、わざと料理担当の人を怒らせて、その人がいなくさせた隙をついて、さあ、遊ぼうぜ。とかなんとか言ってポンポンと鍋や釜を叩いたら、ホッカホッカの美味しい料理が出て来たんやろ。
ヨシオ:遊ばれた方は、やってられないよな。でも、本当は全部その人のことを思ってやってられるんやで。
というのも、実はその人は少し短気やからそれを戒める為にちょっと小細工されたんや。
この話以外にも、以前紹介したクッパンから来た家族のお母さんのご飯をババは好んで食べられてたんやけど、そのお母さんがみんなからすごく嫉妬されているのを知っておられたので、ある芝居を打たれたことがあった。
その話は、夜食が欲しい。お腹がすいちゃった。と言ってサイババさんがそのお母さんを夜中に起こした時から始まった。
目をこすりながら、お母さんはババのためにパンのようなものを幾つか作って食べさせた。
そして、ババはとても美味しそうにそれらを全部平らげた。
でも、あくる日胃が痛いと言って寝込まれた。それで、皆が心配してどうしたのか理由を聞くと、夜中にクッパンのお母さんが僕を起こして無理やりパンを食べさせた。と言った。
それを聞いて、皆はその母さんと家族に対して非難轟々の嵐を浴びせた。
お母さんは、泣きながら荷物をまとめて帰り支度を始めた。こんなにみんなから白い目で見られて立つ瀬がなかったし、弁解もしたくなかった。
すると、サイババさんがそっとやって来て、お母さんにこう言った。「怒っちゃったの?僕が、こういう劇をしなかったらもっとすごい嫉妬の念が来てたんだよ。君たち家族のことを愛してるからどうか帰らないで。」と。
ポニョ:愛の神様やから、何をされてもその人の為なんやな。結局、人生に何が起こっても、全てをいつもハッピーな気持ちで受け入れたらええんや。でも、意地悪やな。
ヨシオ:本当に、その人達のことを愛しているからこそ、そういうことが出来る。だって、その人達もこういう経験をした時に、どれだけ自分たちが神の化身であるババに帰依しているか試されるんや。
ポニョ:まあ、言ってみればテストやね。そんな目にあってもニコニコしてこういうふうに言えば、テストに合格なんやろな。
ハイ。皆さんごめんなさいね。ババの胃痛は、私が無理に夜中にパンを作って食べさせたからなんです。ということにしておきましょう。その胃痛は、いつうかご自分で、癒してくださいね。ああそうか。仮病やから、癒さんでも治す必要は無いんだっけ?それにしても、あんた憎そいガキやね。
ヨシオ:でも最後の、あんた憎そいガキやね。って言ったら、試験に落とされるやろな。
ポニョ:おいらも、昔あるプロジェクトで働いていた時に、チーフがとても性格が悪い人で誰も一緒に働きたくなかったんや。その人の下で働いた人はいじめれるし、こき使われるしやめた人も何人もいたんや。でも、ババの教え通り我慢してその人の良いところだけを見てやって行こうとしたけれど、とても難しい。でも、怒られたら、こちらに落ち度が無かってもすぐに謝ったり、チーフが喜びそうな質問をしたり、チーフが好きそうな会話をして出来るだけチーフの事を考えて接してたんや。それでも、いつも機嫌が悪いしもっと努力せなあかんと思っていたんや。
それである日、ババが言われたようにその人の事をもっと理解すればいいんじゃないかと思って、休みの時に家に遊びに行ったんや。
そうしたら、奥さんが「うちの人が、あなたの事をとても褒めてるからどんな人かとお会いするのを楽しみにしてたんですよ。うちの人、職人気質で難しいけど、あなたよくやってられるんですね。珍しいわ。うちの人と仲良く働ける人って。妻である私でも難しいのに。」と言われて、びっくりしたんや。
おいらのことを、いつも毎日、ボロクソに怒っているから気に入られてないと思ってたけど、実は気に入られてたんやと思って嬉しかった。
でも、途中で、何度もくじけそうになったで。腹立って勝手に休んだ時もあったし、涙したことも一度や二度じゃないで。
ヨシオ:へ〜。ポニョにそういう過去があったなんて知らんかったな。その人の中に神さんを見てるから、そういうふうに我慢してその人の信頼を勝ち取れたんやな。というわけで、今日のサイババさんの話は、ヒマラヤで修行しているヨガの行者がサイババさんに挑戦しに来た話です。
1947年に、背が高くて立派な体格をしているヨガの修行者がバドリナートゥから、ババを探してやって来ました。
彼は、ヒマラヤで長く苦しい修行を積んで来ただけあって、体から光輝を発していました。
そして、礼拝堂の近くにあるサッチャバーマ寺院の石細工の上に腰を下ろしました。
ババに対してよく思っていない幾人かの村人がこの修行者の周りに集まって、ババの鼻をあかそうと考えていました。
その修行者は、ヴィブティ、果物、お菓子などを物質化して集まって来た群衆に手渡していました。私もひとつ頂きました。
その、修行者はババに挑戦しようとして、「お前たちのグルをここに連れて来い。」と言いました。
その修行者がプッタパルティに到着する前に、ババは周りの人たちに、「修行者が来るが礼拝所に入れてはならない。」と言っていました。
次の日に、私が外に出ると、誰かが「あの男の子はサイババと一緒のところで寝泊まりしてる子だ。」と言ったので、その修行者が私を呼び止めました。
その当時、私は子供だったので、その修行者は私に、「ちょっとそこのガキ。こちらに来い。」と呼ばれました。そして、「お前のスワミに俺が会いに来たと言っとけ。」と言いました。
私は、頷きました。
それで、私はババに、「あの修行者があなたに会いたがっています。」と言いました。
ババは、「誰がお前にそこに行けと言ったんだ。ほっといていいから、お前は自分がせねばならないことだけをしなさい。」と言いました。
次の日に、外に出たところ、またあの修行者に呼び止められて、「お前のスワミに俺は会いに来たと伝えろ。」と言われたので首を縦に振ってババに伝えると、「ババはその修行者にバジャンセッションに来れば良いと伝えなさい。」と言われました。
バジャンが始まりました。ババは木製の楽器を演奏されていました。
その修行者は、TURUSIマーダムの近くに腰を下ろしました。ババは私に、その修行者に何曲かバジャンを歌うように伝えるように言いました。
その修行者は、バドリナトゥのバジャンを美しいメロディーで一時間近く歌い、その歌は心の琴線に触れるようでした。
そして、バジャンの終わりにアラティを私にやるように命じられて、バジャンは終わりました。
そして、私がアラティを終わるや否や、その修行者は床を飛び跳ね始めました。そして、「俺はバドリナトゥを見た。」と大声で叫んだのです。
そして、ババの足元にひれ伏して、その御足に触れて敬意を表しました。
その時、私は彼のすぐ横にいましたので、彼は私を引っ張り上げて彼の肩の上に乗せ、床を跳ね回りながら、「俺は自分が礼拝してる神を見た。」と叫びました。
その後、その修行者はサッチャバーマ寺院のところに座ったまま興奮し、法悦に浸っていました。修行者は私を見ると呼びつけて、「俺は、俺の神である、バドリナートゥ神を見たんだぜ。」と言いました。そして、次の日に「ここを離れるのでお前のスワミに伝えておいてくれ」と頼みました。
私は、ババにその事を伝えると、ババは修行者に「もう一日滞在するように」伝えるように言いました。
次の日に、ババはその修行者を食事に誘いました。その日の夜、ババは私に倉庫を掃除した時に「何か変わった物を見なかったか」聞かれました。
私は、そう言えば見かけない箱があって、その中には大きなルッドラクシャの実で作った数珠、椰子の古い葉の束、木で出来たサンダルが入っていました。
ババはその中から、私に数珠を持ってくるように言いましたので、それを持って行って渡しました。
その修行者は、ババから三メートルほど離れたところに座っていました。
ババは、そのルッドラクシャの数珠を修行者の方に向かって投げられました。
するとその数珠は、不思議なことにババの手元からスルスルと長く伸びて、三メートル離れた修行者のおへそにまで伸びて行ったのです。
その後、修行者はとても大人しくなり、誰にも告げずに静かにそっとここを離れて行きました。
信仰の目的とは、自らのハートにおわす神を認識する事、そしてその神の光と力をあなたの身体を通じて顕現さすことです。
これが成し遂げられたなら、この世の全てのものに対して投げかけられている神の愛があなたのハートの中から溢れ出てくることでしょう。
そうなれば、あなたの目はあらゆるものの中に神を見、あなたの手は万人のために良いことだけをするために使われ、そしてその結果、あなた自身が神の化身そのものとなり、至福に満ち、永遠の法悦を味わうことでしょう。
この状態にあっては、帰依者と神との違いは消え失せてしまいます。
「あなたの写真を見るだけで満足している信者もいます。」と問うと、
スワミは「それが本当の信仰心なのだよ。その者は長年神を見て神と言葉を交わし神に触れてきた者より高いレベルにいるのだよ。」と言われた。p144 ANDI”
私は偉大な人物になるのが重要だと思いません。
善良さは偉大さに勝ります。偉大になることを目指すより、善良であるように努めなさい。
良い人間になる方が、偉大な人になるよりもずっと大切です。
両者の違いは何でしょうか。
それは、偉大な人は神の内に人を見ますが、善良な人は人の内に神を見ます。STPSp111
ポニョ:鍋やポットの蓋をポンポンと叩いただけで、料理が出来るってすごいよな。おいらの嫁さんが聞いたら、そのパワーを手に入れる為にだけ、弟子にしてくださいって弟子入り入門の手続きをしに行きよるで。
ヨシオ:あんたも一緒やろ。二人で弟子入りや。でも、空気中のプラナから栄養を摂れるヨギなんかは、食事をしなくてもいいみたいやな。
ポニョ:それは、お食事しましょ。美味しいよ。という人生における楽しみの半分を自ら捨ててしまったようなもんやな。
ヨシオ:でも、カリユガの前の時代では、普通のことやったんやで。カリユガでは、人は食事をしないと死んでしまうけどな。
ポニョ:でもどうして、そんな事が出来るんやろか。普通に考えても食事をしなければ栄養が身体に行き渡らないし、当然の結果として死が待ち受けてるやろ。
ヨシオ:もちろん、自分が肉体やと思っているとそういう結論に達せざるをえないやろな。
でも、前から言っているように霊体が肉体を支配してるから、霊体が十分な活力を持っていたら食事を通じて栄養を取らなくても、肉体を維持することが出来るんや。
ポニョ:ということは、身体の中にラクダのように霊体の養分を蓄えられたらしばらくの間、食事をしなくても大丈夫ってことか。
ヨシオ:それだけではなく、さっきも言ったように空気中からプラナという霊的な栄養を摂ることが出来れば、一生涯食事をしなくてもええんや。
というのも、この世の物は全て波動で出来てるから、霊体が持っている波動の細かい霊的な食べ物を肉体のレベルにまで落とせば肉体を維持出来るんや。でも、逆は無理や。
ポニョ:荒い波動を細かくするのは、難しいってことやな。逆は出来ても。
ヨシオ:だって、細かい波動に行き着き先は、放射なんや。つまり神さんは光そのもので、光を放射されている。その放射された光が細かい波動になり、だんだん波動が荒くなるに連れて霊界の各段階が創造され、一番波動が荒くなった時に物質である五大元素が出来て、この世界が創造されたって前にも言ったよな。
だから、霊体の活力源であるプラナの波動数を荒くして、物質の波動のレベルにすれば簡単に身体の必要とする食物にすることが出来るんや。
ポニョ:あっ。そういうことやったんか。鍋をポンポコ叩いて美味しい料理を作りましょうの秘密は!なんや、それやったら弟子入りせんでも、出来そうな気がしてきたぜよ。
ヨシオ:無理やて。ポニョがなんぼひっくり返っても。何も無いところから物質化出来るのはアヴァターのレベルだけや。それ以外の物質化はただの物品移動や。
ポニョ:あのサイババさんに挑戦した行者も手から、果物やお菓子を物質化してるように見えたな。
ヨシオ:あの行者は、今も言ったように物質化してたんではなく、物品移動をしてただけなんや。他から品物を持って来ただけや。
ポニョ:それって、盗人やないの。でも、こんな霊力を身に付けるのに、どれだけ長い間修行をされたんやろな。
ヨシオ:だから、スワミヴィヴェカナンダは、そんなに長い間修行して果物を出せるようになっても意味がない。って言ったんや。以前こういう事を記事にしたよな。それに俺でも五分あったら同じことが出来るで。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/a8317688cfacbf4604ae1ed4bf38b5db
ポニョ:ほう。五分は早いな。それでどうやって果物を五分で?
ヨシオ:お金を持って果物屋さんへ買いに行ったらしまいやんか。
ポニョ:なんや、そんな事やったらうちの嫁さんがいつもやってるわ。値引きも上手いで。安い店も知ってるし。
ヨシオ:ヴィヴェカナンダは、果物や食べ物を物質移動したりするために、長い間苦行をする代わりに、一人でも困った人を助ける方が意義がある。と主張したんや。
果物を物質移動する為に修行するよりも、一生そんなことが出来なくても、その間にどれだけ沢山の虐げられた人、困窮者、差別されている人、社会的弱者の側に立って自分の手を差し伸べることが出来るんやろか。と疑問を投げかけたんや。
ポニョ:確かにその通りや。やっぱり、弟子入りするのはやめとくわ。それに、うちのお母ちゃんの料理はやっぱり世界最高や。インド人のグルに弟子入りして修行して物質移動出来ても、めちゃチリが入ってる辛いカレーばっかり出て来たら食べられへんもんな。
ヨシオ:弟子入りをやめる理由ってその事やったんか。ほんまにチャクラが胃にあるのが丸分かりやな、ポニョは。というわけで、ポニョは弟子入りを、めでたくやめたようですので、サイババさんの話に移ります。
1947年9月にナガンマさんという女性が知り合いの結婚式で、誤ってサリーに火が燃え移り、顔を大やけどする事故に遭いました。
ナガンマさんの顔は、見るも無残に腫れ上がり、視力には異常は無かったものの一体、目がどこにあるかも分かないぐらいのひどい火傷でした。
プッタパルティでサイババさんは、その火傷がどんなにひどいかを周りの人たちに話しておられました。
ナガンマさんは、ひどく腫れ上がった顔を夫や嫁入り先の人に見せたくなかったので、結婚式会場から直接、実家に戻りました。
ご主人は、その悲報を聞いてすぐに、ナガンマさんの実家に駆けつけましたが、自分の妻が誰かが分からないくらいひどい火傷をしており、妻はこのような顔で嫁入り先に戻りたくないと言い張ったので、仕方なく一人で戻って行きました。
サイババさんは、人を介してナガンマさんにプッタパルティに来るように言いました。
それを聞いて、ナガンマさんは牛車に乗ってやって来たのです。
ナガンマさんの事を知っている人たちは、ナガンマさんのお世話をしようと待っていましたが、ババが君たちはあんなにひどいやけどを見るに堪えなくなるから、ここにいてはいけない。部屋に帰って休みなさい。と言われてナガンマさんと会わせないようにしました。
夕食の後、暗くなってからナガンマさんを部屋に案内し、隣の部屋の人にご飯とラサムを持って来るように言いました。
そして、ナガンマさんに、「ナガンマさん。顔じゅうを宝石で飾り付けちゃったんだね。それって結婚式会場で自分で飾りつけたのかい?ところで今日は、何かもう食べたの。お腹は空いていないの。」と冗談を言われました。
そして、先ほどのご飯などや、物質化されたヴィブティを混ぜて顔に塗られたのです。
そして朝までゆっくり休みなさいね。と言って部屋を出て行かれました。
ナガンマさんが、次の朝自分の顔を見るとなんと火傷をする前の顔に戻っていたのでした。
そこにいた、全ての人が驚きの声を上げたのでした。
でも、ナガンマさんは手の指も火傷をしていたのでした。でも、ババはまた、ヴィブティを出されて指に塗ると元に戻りました。
1947年10月20日の事でした。イギリス人のアナンタプール市の代表が突然アシュラムへやって来たのでした。
でも、その五分前サイババさんはウパニシャッドの意味について礼拝堂で説明されていたのですが、突然話されるのをやめて部屋に入って行かれたのです。
そのイギリス人は、礼拝堂に入って来るや否やサイババさんの椅子に座りました。
イギリス人は狩りをしていて大きな虎を仕留めて帰る途中だったのですが、乗っていたジープのタイヤが砂に埋まってしまい動かなくなってしまったのでした。
途方にくれていると、地元の人が奇跡の少年が近くにいるから助けてもらいなさいとアドバイスをしてくれたので、アシュラムにやって来たのでした。
三十分ほどしてババが部屋から出て来られました。そしてイギリス人に、「なんて可哀想なことをしたんだ。二匹の生後一ヶ月の赤ちゃん虎が母親を求めて泣いているじゃないか。すぐに、見つけ出してバンガロールの動物園に連れて行ってあげなさい。」と言われたのです。
そして、そのイギリス人がどのようにしてお母さん虎を殺したかを、まるでそこにいたかのように詳しく話されたのでした。
イギリス人はそれを聞いて、慌てて立ち上がり、ババに実はジープが砂に埋まって動きが取れないのです。と言いました。
ババは、ヴィブティを物質化されてイギリス人に、これをジープに振りかければ、動くだろうと言われました。
イギリス人は、ジープに戻り言われた通りにすると、車は砂から抜け出すことが出来たのでした。
そして、そのままサイババさんのところへ乗りつけました。
お母さん虎の死骸はジープの後部座席に横たわっていました。
イギリス人は、必ず赤ちゃん虎を見つけ出して動物園に連れて行きます。と約束して帰って行きました。
しばらくして、お母さん虎をなめした皮がアシュラムに送り届けられてきたのでした。
ババは周りの人に、「あのジープは僕が砂の中に引きずりこんだんだよ。だって二匹の赤ちゃん虎が、死んだお母さんを探していて、可哀想だったんだ。」と言われたのです。
実際のところ植物も動物と同じような生を持っています。
しかし動物が持っているような心や神経系統というものは持っていません。
動物は、彼らが殺されるとき泣き叫びます。植物にはそういうことはありません。
動物を殺すことと、植物を刈り取ることを同様に見るのは間違った考えです。
付け加えて言えば、動物を殺してその肉を食べるとその動物の性質や振る舞いが、人の中に入り込み浸透していくのです。
その結果、動物的な性質つまり、牛や羊のような鈍生の性質を身につけてしまうのです。
それ故肉食は止めなければなりません。食物が人の心の性質を左右するのです。
心は思いを導き、思いは行為の結果を引き出します。
行為は、それに見合った結果や影響を引き出します。
我々の摂る食物と我々の行為の結果との連鎖は、肉食が、獣的な行為と悪い影響を人に与えるということに繋がることを教えています。SSALp, 132
どんな形にせよ、罪のない動物を殺すということは暴力であり、悪であり、野蛮な行為なのです。SS12/94p323
“ブラフマンは五つのプラナによって身体を活気づけます。
内的意識がそれに必要な清らかさに達するや否や、ブラフマンはその者の身体に降臨して、自らの姿を現します。
アートマンは内外の感覚に内在するからです。UVc4”
“心の中に潜んで記録をとり続けるものをチッタグブタ(隠れた記録者)と称します。
その力はプラナシャクティ(放射)とも称されます。
放射は身体が活発に機能することを助ける生命力(波動)を振動させます。SS10/93.”
ポニョ:サイババさんの話を聞いてると、帰依者たちの帰依する心ってすごいなあと思うよな。
ヨシオ:帰依の心は貯金のように前世から引き継いで来ることが出来るので、前世でも神さんの事を思って生きてきた人たちがこうしてまた、神さんの近くに生まれ変わられたんやろね。
ポニョ:でも、どうやってそんな帰依心を培えることが出来るんやろか。
ヨシオ:帰依の心ってきれいごとだけ言ってても、その人の中で育たないと思う。何でって、この世に生まれ変わってきた人は、例外なく全て何か不合格点があったから神さんのところへ行けなかった人ばかりや。
なのに、自分の不合格点を取った科目が何かを見つけようとせずに、他人の粗探しをする人が多い。他人の不合格点を取った科目なんて自分に何の関係もないのに。
自分の神さんに対する信仰心がどうしたら強くなれるか、それを、もっと突き詰めて考えないといつまでたっても同じ輪廻の輪の中でウロウロするばっかりや。
神さんのテストって自分が生まれ変わらなあかんかった原因に向き合わせてくれる事やと思う。自分が前世でどうしても克服出来なかったものを、また今世で向き合わないかんから、決してきれいごとでは済まされない。
それらはもっと自分の心の奥底にある、いわば、ブラックボックスの中にあるような、自分としてはこれだけは絶対に譲れないというエゴやプライドの塊なんや。
だから、ただバジャンをしたり、神さんの話をして、瞑想をしたぐらいでは、その自分のブラックボックスの中にあるドロドロとした自分のエゴやプライドと向き合うことが出来ないやろね。
だから、サイババさんがわざとその人がどれぐらいのプレッシャーでプッツン来るのか、どれぐらい自分が他人からモグラ叩きをされるとプライドが傷つくかを、いろんな人の中に入ってその人たちを使って、一人ひとりをテストされるんや。
だから昨日の話では、ポニョのチーフがポニョに意地悪したけど、実はサイババさんがどれくらいポニョの忍耐心があるか試されてたんやと思うで。
ポニョ:ところで、おいらはそのテストに合格したんやろうか。
ヨシオ:もちろんやんか。だから、そのチーフのおかみさんが、ポニョの事を褒めてくれたんやんか。そのおかみさんの中のサイババさんが褒められたんやんか。
ポニョ:何か嬉しくなって来たぜよ。
ヨシオ:ちょっとそのことに関係した話やけど、サイババさんが時々サイババさんの大学の卒業生のお見合いをされることもあるんや。
大体ババが紹介される人は、その人と正反対の性格を持っている人やねん。
だから、その人と最初から上手く結婚生活を一緒にやって行くなんてとても難しい。
それで、サイババさんが結婚相手を連れてきて紹介されると、みんなが結婚生活は大変やで〜。と言って脅かすんや。
俺がいつも泊まっていたホワイトフィールドの宿泊所のオーナーの夫妻が、二人ともサイ大学の卒業生で、ババが見合い結婚させた夫婦やけどそんな話をしてたな。
以前も言ったけど、俺のインド人の友達もホロスコープで38項目のうち30から35ぐらい相性が合わないと結婚相手に相応しくないって言ってたんや。
でも、サイババさんが紹介される人はさっきも言ったように正反対の性格を持っている人が多いので、結婚してからその人の事を徐々に理解して、その人とうまくやって行くこと自体が霊性修行となるねん。
だってその人との結婚生活でいっぱい、いろいろと自分では納得出来ない問題がその人との間に持ち上がるけど、それを二人で何とか一緒に解決していかなあかんから。
それは簡単な事ではない。お互いが持っているドロドロしたものが浮き彫りにされて、それらと向き合わないかんから。
でも、寛容と愛の心で助け合って神さんの元に行くのが結婚の本来の姿やから、途中でこんな結婚やーめた。なんて言ってられへんし。
ポニョ:その事はよく分かるけど、おいら達は二人とも胃にチャクラがあってお腹が空いた時はよくお互いもめるけど、でも飯を食ったらすぐに仲直り出来るで。
その反面あんたら夫婦はまるっきり正反対やもんな。
ヨシオ:そうやねん。インド人の友達が結婚相手の相性をホロスコープで探す。というプログラムを持ってるけど、俺たち夫婦に共通するものといえば、二つの目と、一つの口、二つの耳ぐらいやった。
ポニョ:なんやねん。それって。ちょっとひどすぎるやないの。
ヨシオ:そうやねん。俺はもう還暦を過ぎてるし、嫁さんと最初に出会ったんが高校生の時やったから、もうかれこれ44年前になるけど、やっと最近、嫁さんのことが理解出来るようになった。
ポニョ:えらく時間がかかったな。おいら達は、付き合い始めた時にすぐ、お互い同じ穴のムジナ人間やなって分かったわ。
でも、自分のブラックボックスの中を覗くってなかなか難しいよな。普通、人は猫被りをして、自分の悪いところを人に見せないようにするもんな。
ヨシオ:それを、いろんな機会に暴いてその人にブラックボックスの中にあるものと対峙させ、それらを克服することをサイババさんが期待されてるんや。
だから、料理担当の女の人を怒らせたり、クッパンのお母さんにプレッシャーを与えたり、普段その箱の近くにも行かず、蓋も開けようとしない人たちに、自分のブラックボックスの中身を見せつけることをされるんや。
ポニョ:つまり人がこの世に生まれ変わらなあかんかった理由を教えてくれて、それを克服して欲しいと思っておられるんやな。
でもいつもおいらが感じるのが、あんたみたいな組長ってあだ名が付くぐらい柄が悪い奴が、何で霊的な道を歩んでいるかが不思議でよく分からんかったけど、あんたが、サイババの帰依者になった頃に神さんが夢に来られた話が面白かったな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/91db6236e4e9cebc33802636fed46f05
ヨシオ:あれは、サイババさんが俺に一番最初にくれたメッセージやった。ブラックボックスの蓋を開けて俺にドロドロしたもんを見せてくれたんや。
その時は、何クソこの守護霊のおっさんと思ったけど、今になって見たら、この人生で克服しなくてはいけないものを教えてくれてすごく嬉しかった。感謝してる。
というわけで、今日もサイババさんの話に移ります。
クッパンから来た一家が是非サイババさんに家に来て欲しいとお願いしたので行くことになりました。
クッパンは約80kmバンガロールより東に位置する町でした。サイババさんは四日間滞在し、最後の日には悪い霊が家に入って来ないように夜中に銅板を物質化して玄関に据え付けられ、更にヴィブティも物質化して家の四方の隅に撒かれました。
ババは、これでどんな悪霊もこの家に入ることは出来ないと言いました。
1947年にラナジョーティ シングさんはバンガロールの警察長官に任命されたのをきっかけにサイババさんを家に招待しました。
プッタパルティから、バンガロールに向かう途中ポンディアックという大きな車がガス欠でエンストしました。
ババは何時ものように運転手に水を汲んで来るように言って、その水にちょっと触れました。
そして、運転手にその水を燃料タンクの中に入れるように言いましたが、運転手はそれを断りました。
ババは、ラナジョーティさんの顔を見ました。ラナジョーティさんは運転手にその水を車に入れるように命令しました。
それで、運転手はいやいやながらそれを車のガソリンタンクに注ぎ込みました。
そして、サイババさんは運転手の横に座り車のエンジンをスタートさせました。
もちろん、車は何の問題もなくバンガロールに着きました。
後ほど、運転手はラナジョーティさんとサイババさんは気が狂っていると思った。と言っていました。
その後、ラナジョーティさん一家はババを伴って、バンディプールの森へ行きました。そこで、ババはラナジョーティさんに大きなダイヤモンドの指輪をプレゼントされたのです。
でもその指輪はラナジョーティさんが亡くなると同時に宙にかき消えるようにして無くなったのです。
また、その森でcrotonという低い木があり、ババはシーツをその木にかけるように言いました。
そして次の瞬間シーツを取ると、なんと大きなリンゴがその木にたわわになっていたのでした。
そして、ババはラナジョーティさんの息子さんであるハヌマンさんにも、バナナを物質化されて食べるように言いました。というのも、彼には子供がいなかったからなのです。
でも、次の年ハヌマンさん宅に男の子が生まれたのでした。
ババは、ある時、ラナジョーティさん一家とウーティという避暑地に出かけられました。
そこから、クッパンの家族へ手紙を書いて送られました。
僕たちはここでとても素敵な時を過ごしているんだよ。毎日のようにあちらこちらへと出かけるんだけれど、決まって小さなボートに乗って湖に漕ぎ出すんだよ。
そこの景色はとてもきれいで、僕の目を釘付けにするんだ。そんな時、僕は決まって君たちの事を思ってしまうんだ。もし君たちも一緒にここにいたらもっと楽しいだろうなって。
ウーティに行く時に、僕はたくさんの象や鹿やいろんな動物を見たよ。
“神はあなたにさまざまなテストを受けさせます。それはあなたが想像しているような懲罰を目的とするものではありません。その目的はあなた信仰を強めることです。24/7/83”
“人生におけるテストや障害物は神の恩寵です。それは,神のあなたに対する怒りではないのです。SSSvol9p82”
“生徒は、試験を受けなければ、上の学年に進級することができません。人々は、試験に合格して面接を受けなければ、職に就くことができません。同様に神は帰依者の幸福と進歩の為にテストをします。テストは神の趣味です。23/11/99”
“霊性修行はあなたが試験に書く答案に似ています。もし、試験の点が5か6点であれば試験官はあなたに「5や6点とってどういうつもりかね。何の役にも立ちはしない。」と。しかし、得点が及第点スレスレで、あなたが日頃勤勉で、真面目な学生であれば,点を少し負けてもらって及第するでしょう。
良い行い、良い友人、良い思いを持つように務めなさい。人生の目標から目をそらせてはいけません。あなたは、まだこの化身出現の真義を悟っていません。SSSVol1chp5”
ポニョ:クッパンの家に行かれた時に、悪霊を家に入らせない為に銅の板を物質化されて玄関に据え付けられたけど、前のイスラム教徒の魂が入っていたお守りのようなものも銅で出来てたし、アシュラムにある瞑想の木の下にも銅板を物質化されて埋められたよな。
また、あちこちの礼拝堂や建物を建てる前に銅板を物質化されて、埋められることがあったな。
ヨシオ:そうそう、瞑想の木の下に埋められる時に、一定のレベルに達したヨガの行者だったら、この銅板の存在を感じることが出来る。そして瞑想の手助けが出来るって言われたね。
ポニョ:でも何で銅板なんやろか。なんか理由があるんやろうかな。まず、思い浮かぶのが銅って電気をよく通すよな。電気をよく通すってことは、分子の配列が整然としているからか?
ヨシオ:サイババさんは
“感覚的な欲望と霊的な欲望は、互いにしのぎを削っています。
感覚はとても強くて、博識な学者でさえ、それに引きつけられて惑わされます。
霊的にはこの力のことを有害な力と呼び、科学では磁力と呼びます。
磁力は、この世のすべてのものに備わっています。
人の心のすべての想念もこの磁力を持っています。
この磁力から電気が生まれます。
電気は、光の力や原子の力の元になっています。
原子の力は、想念や話す力を与えます。
それ故磁力は、すべてのエネルギーの元となっているのです。
それは、話したり、唄ったり他のいろいろな行為のもとになっているエネルギーです。
SS4月95p,94”
と仰ってる。つまり人の想念は磁力を持っていてそれが電気エネルギーに変換され、それが原子の力となり、その原子の力が想念に力を与えて物質に作用すると言ってられる。
ポニョ:ということは、想念の力というのは、電気エネルギーと深く結びついているから、電気をよく通す銅が使われるんか。面白い。
ヨシオ:ババが、この家には悪霊は入ってはいけない。という想念をその銅板に込められるんや。だから、その銅の板はただの板じゃなくなるって事や。全宇宙をその意志の力だけで創造された神さんやから、その想いを込めた銅の板が持っている想念の力って、半端な力じゃないで。
ポニョ:でもそれって、別に銅でなくてもええわけやろ。石の中にも電気石ってのがあって、電気を帯びてるんや。
ヨシオ:ヘェ〜。そんな石があるんか。知らんかったな。電池みたいなもんか?
ポニョ:その石を加工して宝飾品としていつも身につけていたら、しっかり想念の力が入るやろな。パワーストーンとか言うて売ってる店もあるけど。
また、あんたの住んでるオーストラリアのケアンズの海岸にゴム石というのがあって、その石は地面に投げつけたらゴムみたいに跳ねるんやて。ビデオ見たけど、ピョンピョンとカンガルーみたいに跳ねてたで。
ヨシオ:その石の次の生は、カンガルーなんか考るってしまうな。
ポニョ:ハイ、出ました。ダジャレ一発ファイト一発。でも、石って面白いな。おいらはいつもバイクに乗ってるけど、パリダカのラリーに出る選手は主催者から石をプレゼントされるんやで。そしてそれをレースの間中、肌身に付けとかなあかんねん。
ヨシオ:ほう〜。それも初耳や。
ポニョ:その石は転倒して怪我をした時に傷口に当てると、出て来た血を吸い取ってくれて怪我が早く治るんやて。
ヨシオ:それは、便利な石やな。血を吸う石やから、ドラキュラ石て言うんやろな。
でも、何と言ってもすごいのがリンガムやな。
サイババさんが宙から物質化したり、口から出したりしはるやろ。すごいパワーを持ってるで。
ある時、チットラヴァティ川の河原で、砂の中からたくさんの置物の台を出されたことがあって、周りにいてた人はそれは何ですか。と尋ねると、将来僕はたくさんのリンガム石を物質化するので、それらを置く台を今から作っておいた。と言われたんや。
友達のお母さんもサイババさんからもらって、毎日それを寝る前にコップに入れて水につけ、次の朝その水を飲むと病気が治ったり、病気にならないってサイババさんに言われたそうや。
以前このブログでも、アメリカ人のガンになった女性がサイババさんにリンガムをもらった話をしたよな。その記事をこのブログでは削除したけど、「サイババが帰って来るよ。Part1」に載ってる。
確か、息子さんが、お母さんが亡くなられたのがリンガム水しか飲まずにガンの治療を一切拒否したせいやって、サイババさんに怒鳴りこみに来たんやったな。
ポニョ:そう。それで、サイババさんが息子さんをインタビューに呼んだらそこに亡くなったはずのお母さんがいて、息子さんにこんなに幸せにババの近くで過ごしているのに邪魔しないで欲しいと言われたんやったかな。
ヨシオ:うん。それとリンガム水のおかげで、痛みが全然無くて身体から離れることが出来たって言われたんや。
ポニョ:でも、亡くなったお母さんがいきなりインタビュールームにおられたらびっくりするよな。
ヨシオ:そうや。その息子さんは、ダルシャンで大きな声を出してババに悪態をつくからみんなから嫌われてたんやけど、インタビューの後借りて来た猫みたいになって大人しく帰って行ったな。
ポニョ:なんかまるで、最近記事にした、サイババさんに挑戦したヒマラヤの行者みたいやな。静かになって帰って行くとこなんか。
ヨシオ:あのケースは、ババがルッドラクシャの数珠を長く、蛇のように伸ばして行者の丹田に当てて、その数珠を通じて行者のラジジャスティックな特性つまり、激性のエネルギーを抜かれたんや。
ポニョ:ふーん。そうやったんや。でもリンガムも、ぱっと見は普通の楕円形の石やけど、そんなすごいパワーを持ってるんやな。
ヨシオ:そういや、その聖者はバドリナートゥから来られたんやったな。そのバドリナートゥ寺院の地面に実は一万年以上も前に埋めたネトリリンガムというのがあるんやで。
ポニョ:何やねんそのネトリリンガムって。
ヨシオ:ネトリという意味は「目」という意味でリンガムに目がついてるんや。それも、第三の目やで。これを地面に埋めた時にバドリナートゥ寺院まで続く道が無かったので、当時の聖者は空を飛んであちこちと寺院を建立されてたんやて。それで、その一万年前に埋められたネトリリンガムをサイババさんがバドリナートゥに行かれた時に、見せてあげようと言って取り出されたんや。それも金で出来た何千ものハスの花びらと一緒に。それを見た人が言っていたけどそのネトリリンガムの目は人の目と一緒で生きているように動いていたんやて。
ポニョ:それって、めちゃグロいやないの。リンガムって楕円形の石のことやろ。その真ん中に目が付いていてそれがキョロキョロ動くなんて…!ちょっと耐えきれないな。その話は。ババの話の中で一番不気味じゃ。ところで、その話をどこで仕入れてきたんや。
ヨシオ:ヴィジャヤ クマーリさんが言っておられたよ。実際その目で見られたのだから説得力あるよな。
ポニョ:でも、その第三の目が付いているネトリリンガムを喉から手が出るぐらい欲している奴がこの世におるで。
ヨシオ:誰やねんそれは?
ポニョ:ピラミッドのてっぺんに第三の目をシンボルに付けているイルミナティの連中や。
ヨシオ:そら欲しいやろな。でもこの聖なるリンガムを邪悪なシンボルに使おうとすれば天誅が下るやろな。そんなにリンガムが欲しかったら無料でその辺に転がっているところを教えてあげよか。
ポニョ:何!リンガムがその辺に転がってるんか?おいらにも教えてくんろ。
ヨシオ:もちろんや。誰でも取りにいけるで。オーストラリアのアデレードの南にアルディンガというところがあるディンや。
俺も昔、そこに住んでたんやけど、近くの海岸にリンガム石がたくさん取れるところがあって、いつもそこに行って、キレイな楕円形の石を集めたもんや。友達にオーストラリアで取れるリンガムや、と言ってあげたら喜んでた。ババの物質化されたリンガムみたいに身体を癒すことは出来ない石やけど。金儲けばっかり考えている石よりましや。
ポニョ:それって、医師のことか?今日のオチは簡単すぎて面白くなかったで。それにオーストラリアではちょっと遠いな。どっか六甲山か生駒山ぐらいで取れるとこないんか。
ヨシオ:六甲山では逆立ちしても出て来ないやろな。ということで、お後がよろしいようで。それではサイババさんの話に入ります。
サイババさんとの体験談 ラクシュミ デヴァンマさんの話です。
1947年の頃ですが、ババは私たち十五人を連れて大きなワゴン車でマイソールとマチリパトナムへの旅をしました。
その途中みんなお腹が空いたので、ババは運転手にこの付近にあるきれいな飲み水があるところへ行って停車するように言いました。
運転手は、大きな岩があってきれいな飲み水がある井戸の近くに車を停めました。私たちは皆、大きな岩の上でババを囲んで座りました。
みんなの食事は大きな入れ物に、まとめて入っていました。
やがて、お皿に使う乾いた大きな葉っぱが一人ひとりに配られました。
そして、いよいよ大きな入れ物の蓋を開けて食事をしようとしたのですが、なんと入れ物の中は空っぽだったのです。
みんなは、お腹が空いていたのでとても失望しました。
ババはこの旅行の企画をした人に、どうして空っぽの入れ物なんか持って来たんだ。どこに、昼ご飯があるんだい。僕は、全然君が持って来たご飯に手を付けてないよ。ほら、お腹がぺちゃんこで何も食べてなんかいないよ。と言われました。
そして、蓋を閉められました。其の間、お皿に使う大きは乾いた葉っぱは風で何処かへ飛んで行きました。
サイババさんは、それらの葉っぱをみんなで集めるように指示されました。
私たちが、葉っぱを集めて戻って来ると、サイババさんは蓋を開けられました。
すると、先ほど空だったはずの入れ物に山盛りの料理が詰まっていたのです。
また、その旅行で海岸に皆で行ったことがありました。
サイババさんは、海の中に歩いて入って行かれました。そして、どんどん深みにまで入って行かれて頭しか見えなくなったのです。
皆は、パニックになって叫んだり、ある人は泣いたりしました。ある人は、たまらず、海の中へ駆けて行った人もいましたが、サイババさんはこちらに来ないように合図をされたんです。
そうしているうちに、ババはまた岸辺の方に戻って来られました。
不思議なことに、ババの服はちっとも濡れていませんでした。
ババは、海の水は僕に触れることができないんだ。と言われました。
そして、両手に水を持っていました。そして、一方の手に持っている水を数滴ずつ人々に配られて、その味を言うように言われました。
その味は、ライムジュースの味でした。ババは、どのようにして塩水がライムジュースになるんだろうね。と言われました。
そして、もう一方の手に持っている水を、先ほどと同じように皆に配りました。
そして、それを舐めるとなんとそれは蜂蜜の味(訳注:アムリタ=神の飲み物)だったんです。
“どんなものでも石から植物、植物から動物、動物から人へと進化しようともがいています。
人から動物への後戻りをしてはいけません。
光り輝く神の方に向かって昇っていくのです。TEOLp75”
“この金のリンガムは大きくて58,5gあり、実はみなさん一人ひとりの身体にこれだけの量の金が含まれています。
これはヒラニヤガルバと称され、人に内在するエネルギーの現れであり、人が輝く原因です。
皆さんは金が含まれている薬のことを聞いたことがあるでしょう。
目が見えたり、耳が聞こえたりさせているのはこの金のエッセンスです。
感覚器官は内在する磁力から力を得ています。
金のエッセンスは保護膜として全身を覆っています。
表皮のすぐ下には目には見えませんが、ホワイトスキンという薄い層があり、血液の保護膜として機能しています。
出血するのはホワイトスキンが傷つけられた時だけです。13/3/02”
“三種類のリンガムが顕現しています。
それは「ブール」と「ブワッ」と「スワハ」です。
「ブール」は体現(身体)を意味し、「ブワッ」は波動(プラーナ)を、そして「スワハ」は放射(アートマ)を意味しています。
私はしばしば、「あなた」は一人ではなく三人であると言ってきました。
すなわち、「あなたが自分だと思っているあなた(身体)、他の人があなただと思っているあなた(精神的な身体)、本当のあなた(アートマ)」です。
シヴァラトリにはいつも、この三つのリンガムが顕現していました。15/2/99”
お天道様に捧げる詩(うた)
幼子を抱え、残業に次ぐ残業に、愚痴もこぼさず耐えて耐えて働くお父さん。
そして内職やパートをして家計を助けるお母さん。
これだけ、一生懸命働いているのに苦しい家計。
どうなってるんだ。この国は!
その労働に対しての正当な給料も支払わない吝嗇(ケチ)な経営者。
いや、その経営者も、またその経営者に利益を吸い取られてるんだよ。
そして、その上の経営者もまた、その上の経営者に…
ずっとずっと辿っていくと、実は自分の国は自分の国ではなかったんだよ。
実は、誰かにとっくの昔に乗っ取られてたんだ。
自分たちの国が自分の国ではない証拠があるの?
あるよあるよ。大有りさ。
だって、自分の国なのに、どうして外国の軍隊の基地がこんなに沢山あるんだい?
おかしいじゃないか。ホント、おかしいよ。
みんなは、基地なんて要らないって言ってるんだけど、難癖をつけて出て行ってくれないんだよ。
おかげで、モラルのない基地の兵隊に俺たちの娘たちが犯されてるじゃないか。
自分たちの国が自分の国ではない証拠があるの?
あるよあるよ。大有りさ。
だって自分の国なのに、どうしてこんなに一生懸命に働いて貯めた国民の金で経済恐慌が来ると、二束三文の紙切れになる米国債を無理やり買わされるんだい。
おかしいじゃないか。ホント、おかしいよ。
おかげで、国民一人当たりの借金が九百万円だってさ。なんでそれが俺たちの借金になるんだよ。俺たちは、もう首が回らないぐらいピーピーした生活を送ってる。もう借金なんて要らないよ。
自分たちの国が自分の国ではない証拠があるの?
あるよあるよ。大有りさ。
だって自分の国なのに、どうして他の国の人がマスコミを牛耳ってるんだい?フジサンケイ、死愛映画の読売、骨抜き朝日に毎日と来たもんだ。少しまともな東京新聞は潰されようとしてるぜ。
おかしいじゃない。ホント、おかしいよ。
おかげで、マスコミは洗脳マシンになり、検察、警察による冤罪はやり放題だし、イラクのフセイン、リビアのカダフィーは冷血の独裁者だし、頭がプーチンは戦争したがりの悪魔呼ばわりだぜ。
自分たちの国が自分の国ではない証拠があるの?
あるよあるよ。大有りさ。
だって、自分の国なのに、どうして自分の国の代表を自分たちで選べないんだよ。あのムサシという選挙会社が俺たちが投票する前に、もう誰が勝つか決めてしまってるんだぜ。
おかしいじゃない。ホントおかしいよ。
おかげで、選挙は茶番になっちまって、特別秘密法案は簡単に通るし、原発の再稼働もやられるし、放射能を日本中にばら撒こうとしているし、海外派兵や徴兵もやろうとしているんだよ。
自分たちの国が自分の国ではない証拠があるの?
あるよあるよ。大有りさ。
だって自分の国なのに、どうして霞が関官僚は、アメリカにわざわざ行って洗脳されて帰って来るんだい。グローバリストのポチ君だらけになっちまったじゃないか。工作員だらけだよ。
おかしいじゃない。ホントおかしいよ。
おかげで、奴らの人口削減計画のために、予防注射の中に、ワクチンの中に、遺伝子組み換え作物の中に、人口甘味料の中に、精製塩の中に、水道水の中に毒を入れるのを認可したじゃないか。
自分たちの国だと思っていたのは勘違いだったのさ。おかげで、俺ら達は飼い殺しのモルモット。働かされて、働かされ、最後はボロ雑巾のように投げ捨てられる。
グローバルエリート達は、1パーセントで巨大な富を集め、俺たちは99パーセントの貧乏な人間羊だ。
だがちょっと待てよ。俺たちを人間扱いしない1パーセントの薄汚いおじさんたちよ。
俺たちを、ちょっと軽く見くびってやいませんか?
俺たちは、あんた達のような洒落た服も来ていなければ、お城のような家もない。コンビニの毒がいっぱい入っている弁当は食べるけど、フルコースの料理も食べたことはないし、味も知らない。でも、俺たちは、陰で人を陥れたりしない。
いつも、お天道様をまっすぐ見て歩いているんだぜ。あんた達のように、暗闇や影を選んで歩いていないんだ。
あんた達が如何に、俺たちに毒を混ぜた食品を食べさせようと、如何に、洗脳しようと俺たちには、あの光り輝いているお天道様がいつも一緒だぜ。
そのお天道様は、俺たちが知らず知らず取り込んだ毒を一瞬のうちに取り出してくれるんだぜ。
そのお天道様は、世界をあっという間に愛で満たしてくれるんだぜ。
そのお天道様は、俺たちに人としての生き様と、神様を愛することを教えてくれるんだぜ。
そのお天道様は、この世とあの世の真理を明らかにして平安へと導いてくれるんだぜ。
そのお天道様は、あんた達の嘘を、闇を、虚構を一瞬のうちに光輝で照らし出してくれるんだぜ
そして、そのお天道様は、俺たちを、そしてあんた達をも、実は、光り輝くお天道様そのものだってことを気付かせてくれるお方なんだぜ。
1947年8月から9月にかけてサイババさんは、カヌールに行かれました。しかし、ちょうどその頃二百人から三百人の人々が、プッタパルティの礼拝堂の外でババに会いたくてキャンプ生活をしていました。
ババは、カヌールの滞在を切り上げプッタパルティに戻ることにしました。
その上、ロカナタさんという帰依者がプッタパルティでマラリアになり、とてもひどい状態だったのです。
ババは、突然自分自身をプッタパルティに物質化させて、その信者にヴィブティを出して看病しました。
すぐに、ロカナタさんはマラリアから回復し、ババは消えていなくなりました。
その間、実際のババは車に乗ってプッタパルティに急いでおられたのです。
プッタパルティに行く途中、ババはそのマラリアになったロカナタさんの家を訪れ、家の人達にどうしてロカナタさんが家にいないのかと、とおどけて尋ねられました。
またある時、一人の女性が手のひらから肘にかけて皮膚が割れてくっつかなくなる風土病を癒してもらおうとやって来ました。足首から、膝にかけても同じ症状が見られました。
その女性は、ババに病気を治すお願いをする機会を待っていましたが、3日経っても無視され続けたのです。
それで、もう家に帰ろうと荷物をまとめ始めたところ、ババに呼ばれました。
ババは、「どうして帰る用意をしていたの?怒っちゃったのかな?」といたずらっぽく言いました。
そして、ババはオイルを物質化しました。そのオイルを患部に塗ってもらうと、次の日には傷は跡形もなく完治していました。
その女性は心からババにお礼を述べ、ババも笑顔いっぱいにその女性を送り出しました。その件があって、その女性の一家全員がサイババさんの帰依者になりました。
その頃、ウラヴァコンダの学校でババの数学の先生だったタムミラジュさんの息子さんが、警察官四人に警護されて公務員の給料である大金を運んでいました。
あくる日が給料日だったので、とりあえずお父さんの家の祭壇に金庫に入れて預かってもらう事にして、警察官たちと自分の家に戻って行きました。
お父さんが、食後の散歩から帰って来て家に近づくと、警備の人がインドではよくやる重い棒で地面を叩いている音がしました。
まだ警備の人がいるのかなぁと思い、祭壇の方に近づくと再びそのズシンズシンという音が聞こえたのです。
それで、そっと行って見ると誰もいない部屋の祭壇の上に、なんと息子たちが不注意で蓋が空いたままになっている金庫があったのです。
それで、慌てて袋の中の金を数えると一銭も無くなっていませんでした。
先生は、すぐにサイババさんがお金の番をしてくれたと分かり、涙を流して感謝しました。
それで、先生はサイババさんに感謝の言葉を伝えに行きました。
サイババさんは、「そうだよ。その日、僕は先生の家で警備をしてたんだ。前にも先生に言ったように、僕は、僕の帰依者の事を守ってあげるんだ。
あの金が少しでも無くなってたら、あなたの息子さんだけではなく、先生にも災難が降りかかって大変だったでしょうね。だから、僕はお金の警護をしていたんだ。実は僕、そこに50分もいたんだよ。
先生が、金庫の蓋を閉めて、その部屋の鍵をきちんとかけるのを見届けてから帰ったんだ。」この一件によって、タムミラジュさんはサイババさんが帰依者を守り導くという事がよく分かったのでした。
“この世のすべての人、すべてのものが価値を持っています。
一人ひとり、一つひとつ、が固有の価値を持っています。
この世に価値のないものはありません。
哀れなことに、人間だけが今の世で自らの価値を失ってしまいました。
何の価値もないまま人生が費やされています。
その為、人間は動物より悪くなってしまいました。STPS2p108”
“皆さんは人のことを悪く言う権利も、悪く考える権利もありません。
自分の至らないところを反省する方がずっと大切です。人の良いところを見て下さい。
そして自分の悪いところを改めるのです。
自分の内面を探求する力を深めていないのに、人のことを見抜けるはずは無いのです。
まず自分の人生を完成させなさい。
自分を救うことが出来て、はじめて人を救うことが出来ます。SGc17”
“今、世界の抱える諸問題はより奇怪な姿をとり、より大規模になってきました。
それはもはや個人的な問題でも無く、限られた地域の問題でもありません。
規模は世界的であり、すべての人類に影響を及ぼします。
人間は且つてないほど悪くなりました。
彼らは、過去の歴史において用いた以上の知性と技術を、残虐な行為に使っています。
その者たちは他の人々に苦痛を与えるのを喜んでいるのです。”
“食べ物とは、空腹という病を癒やす薬に過ぎません。
贅沢をして夢中になるようなものではありません。
今皆さんは次から次へと美味しそうなものを追い求めています。
病気を治すどころか悪くしているのです。
世間にあるお気に入りのものを、沢山見つけて喜んでいます。
しかしそこに本当の悦びはありません。
そんなことに夢中になっていると、いずれ必ずその報いを受けることになるのです。SGc10”
クリシュナダスさんの定番 「マウンテン」ダス。
http://m.youtube.com/watch?v=iS-c4k_4TAU
ヨシオ:昨日は久々にポニョの金子みすゞ風な詩が聞けたな。ポニョのあだ名を変えて、金子ミス夫にしよか。
ポニョ:ミス夫はないやろ。いつもミステイクしているみたいやないか。それに、金子ファンが怒りはるで。素人が言葉を並べてるだけの詩やのに、金子みすゞと比べるなって。
ヨシオ:それもそうやな。でも俺が一番ポニョの詩で気に入ったところは、どんなにいろんな毒を知らずに食べたり、予防注射やワクチンで身体に取り入れてしまっても、神の恩寵でそれらが消えてしまうってとこや。
ポニョ:今まで、おいらは塩にはアルミニウムが入っているよ。とか、人工甘味料は脳を溶かすよ。とか、ワクチンや予防注射には不妊にさす薬品が入っているよ。とか、ツイートして、皆さんに警告してるけどでも、もう子供に予防注射してしまった。とか、知らずにいろんな物を食べさせてしまってる。とか、フッ素を取りすぎてるんじゃないか。とか、松果体がもう石灰化してるんじゃないか。とか心配されている方が多いと思う。
ヨシオ:松果体が石灰化してもしょうかたいな。
ポニョ:またダジャレが出たよ。やってられへんな。でも、本当に心配されてる方が多いんやで。
ヨシオ:そらそうやろ。周りは、毒だらけやもんな。それに放射能汚染の食料が日本じゅうに出回ってるし、ダブルパンチや。
ポニョ:でも、それらの食料を身体に知らずに取り込んでしまっても。以前にも言ったようにそれらは物質のレベルやから波動が一番荒いんやったな。
だから決して、それらの毒素や放射能の波動がそれより高い人の霊体を汚染することは出来ないて言ってたよな。
だから、肉体のレベルの汚染だけやって。
ヨシオ:そう。付け加えて言うと、いろんなものに毒が入ってるけど、放射能も含めてそれらは五代元素のアースの中の鉱物の部類に入るから、その鉱物の微かな霊体を自分の霊体の中に取り込んでも、全く影響しない。もし影響するんやったら、人が死んで霊になって原発の炉心に行けば霊格が上がったり下がったりするんやろうか。
それに、実は核融合を常に起こしている太陽の中にも霊はいるんだけれど、そういう霊は核の影響を受けるのだろうか。そんな事は絶対にない。
人の霊体に影響を与える霊体は、人に近い動物の霊体やねん。だから、動物の肉を食べると、その食べた動物の持っている色々な特質が自分の霊体に取り込んでしまうんや。
ポニョ:ということは、逆にもっと高い細かい波動を肉体に与えれば、そういった毒による肉体の汚染も癒せるってことやな。
ヨシオ:そういうことや。だから、霊的な法則を知っている人は、しっかり毎日自分の霊的波動を高めていれば、そうそう毒を身体に入れても、それらに自分の霊体が影響を及ぼされることはないんや。
ポニョ:それじゃどうすれば、波動を高めることが出来るかっていう話になるよな。
ヨシオ:大事なことは、この世には変な人たちが、人口を減らそうといろいろ画策してるけど、毎日少なくとも二回、ガヤトリのようなとてつもない高い波動の力を持ったマントラを唱えていれば、それが最高のデトクシックになるってことや。
俺の認知症で亡くなった母親のように、ヴェーダのおかげで記憶が戻ったしな。
神様はその毒や放射能の中にでもおられる。普段の生活でそういう毒や放射能が含んだ食べ物などをできるだけ取らないようにしても、それでもまだ体に取り込んだ分は、ガヤトリマントラで波動を上げてデトクシックしてしまおう。
それに、サイババさんの話に出て来るように、いろんな人が地縛霊などに憑依されて影響されているけれど、これもシャワーを浴びながらガヤトリマントラを唱えると体に憑依していた霊が、そのマントラの波動に耐えきれなくなって身体から飛び出てくるんや。
ポニョ:そして前にあんたが言ってたけど、水って霊の波動に近いから、身体からマントラのパワーによって抜け出た霊が、シャワーから出て来る水が体の表面を伝っている時に水の中に入り込んで、排水口にそのまま流れて行ってさようなら〜。ってわけやな。
ヨシオ:だから、昔から人は滝壺で滝に打たれて除霊をするんや。実は、この世は全て神さんの神聖な想念で出来ている大きな劇場やねん。だから、自分の与えられた役割だけをしっかりして、愛で持って生きて行けば何も怖いものや恐れるもんなんて無いんや。
ポニョが言ったみたいに、そういう毒が入っているのを知りながら子供にそういうものを与えるのは良くないけど、もし万が一知らずに与えたりしても、毎日二回ガヤトリマントラを唱えていれば何も恐れることなく生きていける。
ポニョ:この世を、幸せに生きていけるために神さんが下さった、人類への最高の贈り物がガヤトリマントラやもんな。
この記事もどうぞ。マントラの解説が載っています。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/686dd680c35a06722dd5eee00861ccbb
ヨシオ:というわけで、今日のサイババさんの話は、サイババさんが蛇になって人を驚かした話です。
ある日、皆で牛車で出かけることになりました。そしてババは誰もランチを持って来てはいけない。その代わり鍋やポットを持ってくるように言いました。
その鍋やポットを牛車に積み込み、皆でバジャンを歌いながら丘を登ったり下ったりしました。
皆は、少し疲れてきました。そしてお腹も空いてきました。
ババは、じゃあここでお昼にしよう。と言われて、鍋やポットを牛車から降ろして一列に並べるように言いました。
ババは足元に転がっている小枝を拾い、鍋やポットの蓋を、一つひとつずつ料理の名前を言いながら叩いて行かれました。
そして、叩いた鍋やポットの中には、できたての美味しそうな料理が、出来たてのようにグツグツと音を立てて現れたのでした。
それらの料理の味は、今まででいただいた料理とは比べれれない程の美味しさで、その奇跡のランチを食べた後二日経ってもまだ満腹感が残っており、何も食べたくは無かったのでした。
1947年にババは、ヴァサナドゥという家が10軒しかない小さな村に行かれました。そこで、子供達とマンゴーの木登りをして遊びました。そして、マンゴーの実を幾つも木の上から人に投げて喜んでられました。
子供達はババが登った木の枝にロープを結びブランコのようなものを作り、ババをそこに乗せて皆で押したり引いたりして遊びました。
そして、村人が作ったオームの形をした揺り椅子に長い間座られたり、大蛇の形をした長椅子に横たわられました。
夜になり、ご自分の部屋に戻られた後も、その長椅子が気に入られた様子で、また部屋から出て来られてそこに横になられました。
そして、夜中じゅうその上で過ごされ、朝の六時になって、ようやくご自分の部屋に戻られたのです。
その村の人たちもババが大好きで、いつもババにまとわりついていました。でもババは、ある帰依者と話をしたかったのです。それでタオルを森に隠したのでみんなで探しに行く遊びを思いつきました。そして、その遊びをしている間は全員森の中へ駆けて行って誰もいなくなったのでした。
その隙に、その村の帰依者の部屋を訪れて、その帰依者とその両親と一緒に二時間もお話されていました。
ババは結局、その小さな村に一週間も滞在されたのでした。
その年のダセラ祭がプッタパルティで祝われることになりました。
大きな軍隊用のテントが簡易宿舎として運び込まれました。
その内の一つのテントは、サイババさんの部屋の前に、年を召されたお母さんと世話をされている娘さんのために設置するようにババが指示されました。
そして、そこのテントに身体の不自由なお母さんが運び込まれました。
しかし、マドラスから来た宝石屋が、誰の許可なく自分の荷物をそのテントの中に運び込み、お母さんのスペースを取ってしまったのです。
ダセラ祭が始まり、お母さんはテントの外でお祭りを見られてました。
やがて、宝石屋も戻って来て自分の寝るマットをテントに敷き始めましたが、なんとそこから蛇が出現したのでした。
宝石屋は金切り声をあげて逃げ出しました。それを聞きつけて人々が集まって来ました。
ババもご自分の部屋から出て来て、宝石屋に
あなたは、年を召されて身体の不自由なお母さんのテントに忍び込み、自分の荷物でテントを占拠してお母さんをテントから追い出して外に寝かせようとした。
僕は、このお母さんのような助けを必要としている、か弱き人々に奉仕することこそが神に対する奉仕なんだということを皆に教えるために、わざわざ蛇の姿に身を変えてお前の前に姿を現したんだよ。と言われました。
“神に到達するには、真偽、束の間のものと永遠のもの、非実在と実在を識別する力、そして、知性が非常に重要です。
だからこそ、まだ幼い年齢のうちに、少年たちに「ガーヤトリーマントラ」を教えるのです。
というのも、「ガーヤトリーマントラ」は、宇宙にみなぎる知性に向けて、小さな子どもの心に明かりを灯してください、そして、感覚の束縛から自由になれるよう、もっともっと有効に知性を使えるようにしてくださいと、懇願するからです。21/11/68”
“学生諸君は自然の中の神聖な音響を聴かなくてはなりません。
良心は心を超越します。
それは生命の波動です。言葉は心から発します。
しかし、それは舌まで来ると異なる状況のもとで異なる発音へと変わります。
言葉は心を超える時には真理そのものとなります。
ヴェーダではこの真理をプールと称します。
それは放射です。
人の霊が、物質化された身体に入るとこの真理は身体中にあまねく満ちわたり、良心という名で真理の波動となります。
それゆえ放射から波動が生じ、波動から物質化が生じるのです。SS10/93
“心は白紙。その上に人の過去の幾世にもわたる記録が記されています。
それはチッタと称されます。
心の中に潜んで記録をとり続けるものをチッタグブタ(隠れた記録者)と称します。
その力はプラナシャクティ(放射)とも称されます。
放射は身体が活発に機能することを助ける生命力(波動)を振動させます。SS10/93.”
“この世界には多数の生命体が存在しています。それらの生命体は840万種に分類されます。
そのうちの839万9999種は、未調理の食物を食べる傾向にあります。
それらの生命体は、自然なままの、自然界で入手できる食物を食べ、完全な健康を享受しています。しかし、もちろん、気候の変化や、自分では制御しきれない要因のために、これらの生命体も病気にかかることはあります。
とはいえ、最も多くの問題にさらされているのは人間だけです。
人間に関しては、かなりの数の病気が増えています。
その理由は、人間が神の創造物である食物、自然の状態で手に入る食物を食べることを好まないからです。
人間は味蕾(みらい)〔舌の粘膜にある無数の味覚器官〕の餌食になっています。
“人間はそのまま利用できるものを何でも自分の味覚に合わせて変えてしまい、その中に含まれている生命の精を殺しています。
今、人間は食物の中に存在する生気を与える力を完全に破壊しているせいで、増え続ける病に身をさらしているのです。
もし食物を自然のままの状態で食べようと努めれば、決して増加する病に身をさらされることはないでしょう。8/10/83
神に捧げられた食物は、微妙な形で人に害を及ぼす邪悪な波動を、打ち消す作用があります。
飢えた人に施され、食された食べ物にも、同様の恩恵があります。
食物は人間の感情や思いに微妙な影響を与えるため、あなた方は常に食物への警戒を怠ってはなりません。SSSVol10p38”
ポニョ:何日か前に、ゴールデン英二君がもうすぐ来るよ。という記事を出したやろ。
ヨシオ:うん。もうすぐしたら、サイババさんが全世界に現れて、影分身の術を使って何千ものサイババさんが人々の間を歩き回られるんや。
ポニョ:そして、ナルトとどちらがたくさん分身を作れるか、競争されるんやろ。
ヨシオ:それは、漫画の読みすぎや。それと、山脈を持ち上げられる事も言ってられたな。
ポニョ:いや実は、おいらそれらの奇跡を見にインドへ行きたいなと思ってるんぜよ。
ヨシオ:でも、サイババさんは世界中で奇跡が見れるって言ってられるんやろ。別にわざわざインドに行かなくっても。
ポニョ:でも、何百万人の人が押し寄せて来る前に一等席を確保したいなあ。と思ってるんや。
それに、泊まるところも一緒に。
ヨシオ:まあ、今は人が余りいないから、チャンスかもしれないけどな。
ポニョ:そうやろ。そう思って今のうちに行きたいねんずら。
それに、今紹介させてもらってる本の著者であるパッドさんにも会って挨拶したいしな。
あと、その本どれぐらい残ってるんや。
。
http://saitowers.com/limf/
ヨシオ:あと、四分の一ぐらいやな。これが終わったらちょっとこのブログも一服してもええけど。でも、本当はこの後、俺が今まで読んだサイババさんの事を紹介した本の中で一番素晴らしい本を皆さんに御紹介しようと思ってたんや。それで、少し準備しようかなと思ってたら、インドに住んでおられる読者の方が、すでにどなたか日本人の方が翻訳してインド限定で販売されてたんやて。その本はもう絶版になっているって教えてくれたんや。
それで、ここで皆さんにお願いがあるんやけど、もしどなたかその本を持っておられたらここで紹介したいと思いますので連絡して下さいませんか?よろしくお願いします。本のタイトルは「アンニャターシャラナム」です。サイババさんはこの本の著者に、将来あんたの子孫はこの本を祭壇に祀ることになるよ。そして彼らは、先祖であるあなたがどれだけサイババアヴァターに可愛がってもらったかと羨ましがるよ。と言ってられたんやて。それほどすごい本やで。
ポニョ:あんたが翻訳したらええやないの。
ヨシオ:俺とかポニョがやったら関西弁をしゃべるサイババさんになってしまうから皆さんのババに対するイメージが狂って良くないやんか。
それとさっきのインド行きの話やけど、ポニョが行くんやったら俺も一緒に行ってもええな。もう長い間行ってないし。そう言えば、俺もこの本を途中からポニョに代わって紹介させてもらっているけれど、この本を読んでたら、サイババさんの若かりし頃のいろんな場所に行って見たいなっていう気になるよな。
ポニョ:そうやろ。スッバンマさんの家やら、願望成就のタマリンドの木やら、チットラヴァティ川の河原。ブッカプタナムの学校や、ウラヴァコンダの井戸。そしてその井戸まで一度歩いて行って、サイババさんがどれぐらいの距離を毎日水汲みのために歩かれたのかも、自分の足で確かめて見たいな。それと、チットラヴァティ川の反対側にある呪われた村にも立ち寄って、その埋められてあったところを見てみたい。
ヨシオ:そんなとこを見てどうするんや。もうそこに、埋葬物は無いで。
ポニョ:だから、行って見るんやんか。そして、呪いを受けた気分になってその場所でのたうち回ったら、村の人が来て、大変だ。まだイスラム教徒の埋葬品のかけらがあるかもしれん。あのサイババさんでも見落とされたんやろか。とか言って苦しそうにゴロゴロ転がりまくっているおいらを介抱してくれるんや。それで、ハイみなさんこれは、ただのジョークでした。ワッハッハとか言ったら許してもらえるやろかな。
ヨシオ:いや。多分その掘り出したところの穴から、変なつるピンでお腹ポコポコの地縛霊が出たって埋め直されるやろな。
という訳で今日のサイババさんの話に移ります。
二人の帰依者がババに銀の椅子をプレゼントしましたが、それは長い間梱包したまま、ベランダに放置されたままだったのです。
皆は、是非この銀の椅子にお座り下さいと、ババに頼んでいたのですがババはその度に微笑まれるだけで、何も言わずに立ち去られるのでした。
しかし、ある日兄嫁の兄弟である スッバラジュさんがアシュラムに来られることになりました。
スッバラジュさんはババが神の化身だってことを、全く信じておられなかったのです。
そして、スッバラジュさんがアシュラムに到着した時に、ババはスッバラジュさんに梱包してある箱を開けて、きれいに拭いて下さい。と頼まれたのです。
スッバラジュさんは、一人で大きな箱を開けて拭き始めましたが、それを見ていた人たちは大きくて大変そうなので手伝おうとしましたが、ババは彼一人でやってもらいます。と言われたのでした。
やがて、椅子をきれいに拭き終わると、スッバラジュさんは泣き始めたのでした。
皆は一体何事が起こったんだろうと訝しがっていましたが、スッバラジュさんは落ち着きを取り戻してからこのような話をされたのでした。
あれは、ババがまだ中学校に入ったばかりの頃でした。
彼は、私の家に姉夫婦と一緒に住んでいました。でも、その地区には井戸が無かったので、ババがいつも遠くの井戸まで汲みにいってました。僕たちも行ったんですが、そのきつい仕事は、ババの仕事だ。みたいな暗黙の合意があったんです。
でも、ある日彼は水汲みに行きませんでしたので、私が行かねばならなかったんです。
井戸から帰って来て彼を見つけると、なんと居間で揺り椅子に乗って遊んでいたんです。それで、私は頭に来てババに、その揺り椅子は家に一つしか無いんだぞ。遊んで壊すなよ。と彼に怒鳴ってしまったのです。
すると、ババは「将来、僕は銀製の玉座に座るだろう。そして、君がその銀の椅子を一人できれいに拭き清めることになるだろう。」と言ったのです。そしてその予言が今ここに実現したんです。今になってやっとババの神聖さが理解出来た。と言いました。
ダセラ祭の夜にバジャンを歌うことになっていたスンダラムマさんは、二歳になる息子さんが高熱を出した上に、意識不明になってしまいました。
それで、ババにこんな状態で皆のバジャンをリードして行くのは難しいと言いましたが、ババは子供のことは気にしなくてもいいから、バジャンに参加しなさいと言われました。
そして、体温計で子供の体温を測ろうと口の中に体温計を入れると、子供はそれを噛んでしまって体温計が割れてしまったのです。
すぐに、ババは割れたガラスやら水銀を口から出しましたが、子供は少し水銀を飲んでしまった後だったのです。
スンダラムマさんは、サイババさんを全面的に信頼してはいましたが、思わずババに大きな声で怒りをぶつけてしまったのでした。
でも、その後スンダラムマさんは気を取り直してバジャンに参加しましたが、当のババはどういう訳かバジャンに出ずに、礼拝堂の横のツルシの木を植えてあるところに、静かに横たわっておられたのです。
バジャンが終わっても、誰も、どうしてババがバジャンに参加しなかったのか理解できずに、その日は夕食抜きで皆は床に就きました。
翌朝、十時ごろババは部屋から出て来られました。そして、スンダラムマさんの息子さんの様子を聞かれました。
息子さんは、もう容態がすっかり回復していました。
ババは、昨日の夜、僕は胃の中に入っていた水銀を全部だしておいたから大丈夫だよ。と言われました。
そして、昨日、僕は三つの仕事をしたんだよ。一つは、胃から水銀を取り出しただろう。二つ目は、バンガロールに住んでいる僕の帰依者が仕事を全て放り出して、僕の写真の前で一日中何も食べずに泣いてたんだ。だから、僕は助けに行ってあげたんだ。
最後の一つは、帰依者の旦那さんが激しい胃痛に襲われたんだ。でも、詳しいことはちょっと言えないんだ。だって、その奥さんがここにいるからね。と言われたのです。
その日の夕方、ババはクリシュナムルティさんの奥さんを呼んで、実は僕がさっき言った人ってあなたの旦那さんなんだよ。と言われました。
そして、バンガロールに行く人に果物やお供え物のお下がりを持って行くように、ことづけられました。
クリシュナムルティさんの話によると、確かにその夜、激しい胃痛に襲われたのですが、突然、幼友達が魔法瓶にコーヒーを入れて持ってきてくれたのでした。
そして、そのコーヒーを飲むと不思議にも痛みは消えてしまったのでした。
そしてその幼友達に後ほどお礼を言ったところ、その友達は君の家にコーヒーなんて持って行った覚えはないと言われたのでした。
スロチャナさんは、腹部の異常を訴えていました。ババは薬草の根っこを物質化してて与えていました。そのおかげで、痛みは消え失せたのですが、症状はどんどん悪化して行きました。
そして、容態が急変した時に、ババは彼女をバンガロールに連れ戻すように言いました。その二日後、10月25日にババはバンガロールに行かれ真っ直ぐスロチャナさんの家に行かれたのです。
そして、「君は、僕のことをずっと思ってくれてたんだよね。だから、僕も君のことを思ってこうしてやって来たんだよ。」スロチャナさんはとても霊感が鋭く、この世の世俗的な事には全く関心がなかったのです。
ババは、優しくスロチャナさんのベッドの横に座って霊的な叡智について話し始めました。
その時には、スロチャナさんはもう、一滴の水も飲めないぐらい衰弱してたのにも関わらず、ババは「君は、マサラドーサが大好物だったよね。」と言ってマサラドーサを物質化して食べさせてあげました。「そして、これは明日の分だ。」と言って、もう一枚のマサラドーサを物質化されました。
そして、神様が履かれたといわれる小さな銀のサンダルを物質化して
「これを枕の下に入れて寝ればいいよ。」と言われてそこを離れられました。
そして、午前10時半に皆がバジャンをしている時に、ババは「スロチャナが私のところへ戻って来た。」と言われました。
同じ頃バンガロールのスロチャナさんの家では、スロチャナさんが息を引き取られたのでした。
そして、息を引き取られたと同時に、銀のサンダルも消え失せてしまったのでした。
その頃、スロチャナさんのサイの帰依者である親友が、外国留学を終えてインドに帰って来てスロチャナさんの訃報を知りました。
彼女は親友を亡くしてとても落ち込んでいました。
ババは、ある日そんな親友を見て呼び寄せて言いました。
「友達に会いたいかい?じゃあ、ここを見てご覧。」と言うや否や、なんとあの亡くなったはずのスロチャナさんが、ニコニコ微笑みながらサイババさんが座っておられる椅子の後ろから顔を出したのでした。
“この世には、愛以上に素晴らしい美徳は存在しません。
愛は真理であり、愛は正義であり、愛は富であります。
この世は愛から生まれ、愛によって維持され、最後には愛に融合します。
すべての原子が愛から生まれました。
この世には、原子力、磁力等々、無数の力が存在していますが、愛の力はすべての力に勝っています。信仰と愛のない人生は無意味であり、無益です。
この世に生きる人間にとって、愛こそが人生であり、愛がすべてです。
五元素は愛から生まれました。
すべての人の中にまぶしく輝いているものは、愛に他なりません。
しかし人間は、愛の意義を理解できずに、愛が肉体的関係によって生じるものと考えています。
子供に対する母親の愛は親愛であり、夫と妻の間の愛は愛着であり、“友達や親戚との愛は執着であり物品に対する愛は欲望です。
そして神に向けられた全的な愛が帰依です。
“子供は愛と至福で溢れています。成長すると、子供はおもちゃを愛し始めます。
それから遊ぶことを愛し、徐々に友達を愛するようになります。
青年になると人生の伴侶を愛し、次に自分の家族を愛し、次第に職業や地位や財産への愛を持つようになります。
このように愛は様々な方向に流れるに任され、その為に愛は薄められ、ついには執着へとなり下がってしまうのです。
神への愛は信愛であり、それはあなたが謙虚や従順といった徳を育むことを助け、あなたの生活を幸せに満ちたものにしてくれます。
神への愛は、あなたが解脱に至るのを助けてくれます。
今あなたに必要なことは、愛を拡げることです。STPSP262”
“あなたは、神との友情を培うべきです。
もし神があなたの友人であれば、全世界をコントロールすることができます。
しかし今日、不運な人々は、神との友情を失いつつあります。
神と友達になるのは容易なことではありません。
しかしあなたは、このことにあらゆる努力を傾注すべきです。”
“愛を育むに連れてその愛が親戚や友達、社会へと大きくなっていきます。
愛というものは、人生の中でこのように膨れ上がっていくべきものなのです。p79ANDI”
ポニョ:驚くよな。いきなり死んだはずのお富さんがサイババさんの椅子の後ろから、ヌボーって出て来たら。その友達はその時、きゃーっとか言って気絶したんやろうか。それとも、やあ、久しぶりやね。なんで私がいない間に勝手に逝ってしもたの。友達付き合いが無い子やね。もう金輪際付き合うのんはやめさせてもらうわ。ちょっと、ちゃんと聞いてんの?ヘラヘラ笑って幽霊みたいな気持ち悪い子やねあんたは。とか言ったんやろか。
ヨシオ:どっちも外れてるやろな。それに、死んでる友達に文句言うて絶交してどうするんや。前にも、紹介させてもらったアメリカ人の男の子も、インタビュールームで亡くなったお母さんと対面したよな。
ポニョ:サイババさんは、あの世でも、この世でも関係なく自由に行き来されるし、両方の世界の親分やから何でも有りやな。人の死って、サイババさんから見たら蝶がサナギから抜け出て飛び立って行くようなものやろうな。
ヨシオ:そういうことや。でもええ表現やったな。蝶がサナギから抜け出て飛び立って行くって。さすが金子ミス夫や。
ポニョ:ミス夫はやめてくれる?でも、肉体の中にいてるって、芋虫のようなもんやろな。
サナギから抜け出る前は、芋虫で地上をノソノソ這いまくっていたのに、突然自由になれるんや。なんやったんや今までの人生は?なんであんなにのろまで地面を這いまわり、鳥や他の虫の餌食にならん様にビクビクしながら生きていたんやろうか。
本当の僕はこんなにきれいで自由やったのに。って思うんやろうな。
ヨシオ:そう言えば、俺の好きな黒沢の映画に、「夢」ってあるんやけど、その一場面に水車村での葬式が執り行われるシーンがある。
村人が総出で嬉しそうにパレードをして、音楽隊も楽しい曲を演奏しながら亡くなった人を讃えるんや。
俺も、それを見てて本当に葬式って黒い服を着て、悲しそうに亡くなった魂を見送るんではなく、逆に喜びで見送らないかん儀式やなぁって思ったわ。だって、苦しい人生を乗り越えてやっと自由になれたんやから。俺の、母親も最近亡くなったけど、身体から離れることが出来てとても嬉しそうやった。
ポニョ:そうやったんやろな。長い間、認知症で自分の思い通りにならない身体の中にいて、嫌やったと思うわ。
ヨシオ:俺の叔父貴も、亡くなる前に植物人間になってしまって、目を閉じたり開いたりぐらいでしか気持ちを表せなくなってしまってたんや。それに、元々うちの叔父貴は若い時からとてもハンサムで、性格もあっさりしていて、俺は、死ぬ時にはサッといてまうからな。グズグズしてるのんは大嫌いや。とかそんな男気が溢れている人やったんや。
俺が高校生になった時、お祝いに寿司を二人で食べに連れて行ってくれたんや。それで、「一週間のうち何をしてる時が一番楽しい」って聞いたから、親父を早く亡くしてる俺は、叔父貴が俺のことを自分の息子のように扱ってくれてとてもう嬉しかったんや。
それで「おっちゃんと、こうして寿司を食べに連れてくれる時や。」と言ったら、しばらくの間何も喋らなくなってその後、こう言ったんや。
「世潮(ヨシオ)これから、毎週末必ずおっちゃんが、寿司食いに連れてやるからな。でも約束してくれるか。絶対に二人だけの秘密やで。このことを、俺の嫁はんに知れたら殺されるからな。」
と言ってた。そんな素晴らしい叔父貴やったんや。でも、プライドが高くて人の世話になるのが嫌いやったな。
だから、自分が植物人間になってダラダラ生かされてるって一番苦しかったと思う。
そんな時、俺の妹が見舞いに行ったんや。
それで、妹が「おっちゃん。こんにちは。お久しぶりです。見舞いに来たよ。」って言ってヴィブティを口に入れたら突然、手足をバタバタ動かして興奮したので、看護婦さんも驚いたんや。
それで、妹も霊や魂の事もよく知ってるし、あのあっさりしたプライドが高いおっちゃんがなんでこんな目にあってるんや。と思って、「苦しいやろ。おっちゃん。かわいそうに。」と言ったら、叔父貴は目から涙がいっぱい出て来たんやて。
それを見て、人間ってこの身体という肉体に入っていること自体が、霊的修行をさせてもらっていることなんやと、よく分かった。と言ってたな。
ポニョ:おいらも、嫁さんが作ってくれたご飯を、美味しいな。嬉しいな。って感謝して食べるけど、しばらくしたら又、お腹が空いてきて、母ちゃん。ご飯まだか。なんて言ってるけど、自分で時々そんな自分が情けなくなる時があるな。そのあと、クソして寝て起きて、また飯食って…こんな事をいつまで繰り返してやるんやろかなって思う時があるな。
ヨシオ:なんか、飯の度に至福を味わっていたポニョが、飯を食って喜びを得ることに疑問を感じ始めたところで、サイババさんの話に移ります。
1947年10月にサイババさんは、カルーに行かれました。そこには、チェッティアさんがホストになりサイババさんが、その家に泊まることになっていました。
しかし、神を否定する無神論者の連中が神の化身であると宣言されたババを襲うことを計画していましたので、警察が郊外の寺院に一時的に避難するようにババを連れて行ったのです。
そして、ババを襲おうとしていたグループが検挙されてから、ババは真夜中にチェッティアさんの家を訪れました。
その頃、もうババの名声はとても広まっていて、近くの村や街からも人々はトラックなどに乗ってやって来たのでした。
次の日の朝を迎える頃、チェッティアさんの家の周りは、まるでお祭り騒ぎのようになっていて、たくさんの人々が、ババに捧げるために花を持ち寄っていました。
ババは家のベランダが付いている二階の部屋に滞在されていました。
ババはベランダに出られて、たくさんの人たちが道の真ん中でババを見るために待っているのを見ました。
ババは、ベランダから、こんなにたくさんの人が僕のためにやって来てくれているんだけれど、僕は心苦しいんだ。だって、あなた達はそんな混雑したところにいて、僕はベランダから話している。君たちの事を考えると僕は、君たちのところへ降りて行って、君たちが苦しんでいる一緒の条件で話がしたいんだ。と言いましたが、群衆は、そこにいて下さい。こちらに来ないで下さい。あなたがベランダに立っていただいた方があなたの事がよく見えます。と叫びながらババに頼みました。
それを聞いて、ババはベランダに立って話し始められたのです。先ず、自分の子供の頃に大変な目に遭った事などの話を皆にされました。そしてこれが、サイババさんの最初の世界に向けての御講話となったのでした。
そこに集まった聴衆は、ババの話をまるで魔法にかかったように一生懸命耳を傾けました。
ババは、その話の後、続けて正義の道を歩むことの大切さ、人々へ奉仕することの重要さ、そして神への賛歌を唄うバジャンへの参加を呼びかけました。
ババは、最後に講話の締めくくりとして、神は正義を守るために人の姿をとってこの世にやって来た、と宣言されたのです。
そこにいた人々は、初めて神の化身が公の場で話されるのを、とてもゾクゾクして聞いていました。御講話が終わりババは何人かの人を指名されて、質問をするように言いましたが、それらの人たちは何も質問せず静かに去って行きました。
人々はどうしてババがそれらの人々を指名されて質問する機会を与えたのか、理解出来ませんでした。
でも、後ほどそれらの人々は、無神論者でたくさんの質問を紙に書いて準備をし、サイババさんを大衆の前で恥をかかそうと企んでいた事が判明したのでした。
でも、彼らはサイババさんの講話を聞いてから気が変わり何も言えなくなって去って行ったのでした。
やがて、御講話も終わりましたが沢山の人々がババに自分達の家に来て下さいとお願いしていました。
ババは、それらの願いを叶える代わりに、皆の前で神を讃える歌、バジャンを歌い始められたのでした。そして、この日以来、ババは御講話の締めくくりにいつもバジャンを歌われるようになったのでした。
御講話が終わった後、たくさんの人々は通りに溢れたままでした。彼らの目は二階のベランダにおられるババに向けられていました。
ババがおられる建物の通りを挟んだところのビルの二階のベランダにプロの写真家が写真を撮ろうとしていました。
ババは、その写真家に写真を撮ってはいけないと合図をされました。
それでも、その写真家はババを撮ろうとしたので、ババはフィルムが入っていないカメラでどうして写真を撮るんだと言われました。
写真家は、いやフィルムは確かに入れたから問題ないと言いました。でも、カメラを開けてみると中はもぬけの空だったのです。
ババは、手を振ってフィルムを物質化し、フィルムならここにあるよ。と言いました。
通りを挟んでババと写真家のやりとりを見ていた大群衆は、ババが手からフィルムを物質化したのを見て、大きな声で歓声を上げたのでした。
そして、自分達にも、何か下さいとお願いしたので、ババは手を振られてキャンディーやペッパーミント、お守りなどを下にいる群衆に向かって、物質化されて雨あられのように手から降り注がれたのでした。
そして、病気の人にはお守りを物質化してあげ、先ほどの写真家にも何本かのフィルムを物質化してプレゼントされました。
カルーでのサイババさんの最初の御講話
僕の親愛なる子供達よ。
あなた達は僕のダルシャン(神の化身に見まえる)為にこうして、困難を克服して喜んで集まって来てくれましたね。
あなた達が蟻も這う隙間もないぐらいぎゅーぎゅー詰めで立ったままなのに、僕が今いるところは、あなた達より三メートルも高いところで、しかも広々としたところなんだ。
おまけに、風通しもよくってさ。
私の子供達であるあなた達が大変苦しい思いをして立っているのに、僕だけこんなにいいところにいるって、僕はとっても辛いんだよ。
もし、君たちが同意するんだったら、僕は今から下に降りて君たちと一緒のところへ行ってもいいかい。
(その瞬間、人々がダメだよ。こちらに降りて来ては!あなたは、そのベランダにいて下さい。その方があなたの御姿をよく見れるんです。という声が嵐のように湧き上がったのでした。それを聞いたサイババさんの顔は、喜びに光り輝いていたのでした。)
そしてサイババさんは、皆さんは私の幼少の頃の話を聞きたいという事だったので、今から話すことにしますが、余り上手く話せないかもしれませんが、トライしてみます。と言って話を始められたのです。
そして、ババが話しておられる間じゅう、人々はピクリともせず聞いていました。ババの幼少期にとても苦労されたことを知って、少なからぬ人々がほおを涙で濡らしていました。
最後の結びにサイババさんは、このように言われました。
子供達よ。神がこの世に人の姿を取ってきた理由は、神の信者の為です。
神が人の姿を取って悪を退治して、良き人々、優しい人々を助ける事でしょう。
あなた達は皆、この移り行く世界に生まれ変わった限りは、この世でのやるべき義務を果たさねばなりません。
その身体を使って、人類兄弟に役立つことの為に使わねばならず、そしてあなた達のその心は、神の御名を唱えたり、神の栄光を讃える歌を歌ったりして神に帰依し、人として生まれた幸運を生かさねばなりません。
毎日の生活において、欲望をつのらせたり、誰かを嫌ったり、正義の道から外れた生き方をして、地獄に落ちるような事をして時間を無駄にすることなく、 先に述べたような生き方をすれば、あなたの人生は祝福されるのです。
今日この日から、あなた達は、神のことを思い、人として生まれた目的を達することが出来るようにしましょう。と言われました。
ポニョ:カルーでのサイババさんの初めての公の場での人類へのメッセージ。これは、圧巻やったね。神は悪人を罰して善人を守るためにやって来たんだ。って凄いメッセージやったな。ところで、おいらは善人の部類に入っているんやろか。
ヨシオ:ちょっと危険ラインやろな。俺も、長い間サイババさんの講話を読んでるけど、講話の最初に自分が今いるところは広くて、風通しもいいところなのに、君たちがいるところは混んでいて立ちっぱなしで大変だから心が痛むので、自分もそこへ行って皆と一緒のところで話をしたい。て言われたのは、初めて知った。優しいね。
ポニョ:ちょっと待ってや。なんで、危険ラインやねん。黙って聞いてたら、ひどいこと言うね君。
ヨシオ:まあ、俺は時々正直になるから気にしないでいいよ。ほら、サイババさんって人智を超えたところで、いつも何か俺たちが理解が出来ない事をやられるやろ。今日の記事にも出て来るけど、わざわざサイババさんが、長旅をしてある人の家に行き、いろんな奇跡をされて、神像を鎮座されたりするんやけど、いつ、誰に、どういうことをされるって凡人にはさっぱり分からないもんな。だって、その旅だって運転手にわざわざ早く行かなければいけないと、指示を出しておられるんや。誰も、その理由が分からん。推測できるのは聖なる時間っていうのがあってそれは毎日違うんやけど、それに間に合うように行かれたと思う。でも、本当のところは誰も分からない。
ポニョ:そう言えば、おいらの知り合いの人なんかは、時々冗談で、サイババさんは神さんやから俺たちは彼のことを理解出来ないけど、人であるおいら達の気持ちもサイババさんは分からないやろなって。そういう冗談っていくら冗談でも、笑う気にはならないよな。
ヨシオ:この講話を始められる前に、混みいったところに立っている人々の事を気遣われる言葉に表されているよな。全てをご存知なんやってことが。
ポニョ:サイババさんは全ての人の心の中に宿っておられるから、その人の心の小さいひだまで読み取ることが出来るんや。
ヨシオ:俺の知り合いも、アシュラムの部屋でトランプをして遊んでいる時に、興奮して大きな声を出すので、隣の部屋の人に聞こえるで、うるさいって言われるで。と言ったんやけど、その人は大丈夫や。サイババさんは、神さんやから俺たちのようなこんなトランプゲームをやってるところまで付き合われないわ。と言ってたんやけど、次の日、インタビューに呼ばれて、部屋で大きい声を出すな。お前はうるさい。と怒られていた。
ポニョ:本当に何でもお見通しやな。そういや、サイ大学の学生がこんな話をしてた。ある学生が、トイレで隠れてタバコを吸ってたんや。それで、ある日みんなの前で、サイババさんがその学生を呼んでタバコを一本物質化して渡し、指をパチンとならすと指の先に火がついて、いつもトイレの中でやっていることを、ここでしてご覧。と言われたんや。
ヨシオ:すごいなそれって。俺も、サイババさんが学生たちに写真を物質化させて見せた話は聞いたことがある。その写真にはある学生が隠れてタバコを吸っているのが写っていたんや。
ポニョ:神様に何も隠し事は出来ないよな。神様はいつも自分の良心として、あなたの一挙一動を見ておられますぞよ。
ヨシオ:でも、昔イタリア人の人と一緒に働いたことがあるけど、その人はタバコ中毒でどこに行くのもタバコを離せなかったんや。いつも胸のポケットに一箱入れていて、アシュラムでも平気で部屋で吸っていたんや。
ある日、インタビューに呼ばれてサイババさんに注意されるかなと思っていたんやけど、サイババさんは、その人にしか聞こえないほどの小さい声で、そんなに人がすぐに見て分かるところにタバコを入れずに、どっか人が見ても分からないところに隠して持ち歩きなさい。と胸のポケットに入っているタバコの箱を上から押しながら言われたんや。
ポニョ:そのイタリア人の人がタバコ中毒ですぐにやめれないから、時間をかけてやめさそうとしてはったんかな。シンガポールから来た若い人にも、君はまだここに来て神への道を歩むには早すぎる。この金を使ってもうちょっと世俗的な欲望を満たしてから来なさい。と言われて大金を物質化されてその若者に渡されたことがある。
ヨシオ:フィリスクリスタルさんにも、君は魚を食べた方が身体に良いって言われたよな。
ババはそれぞれの人に合ったアドバイスをされるから、あゝだから、俺たちもタバコを吸ったりしてもいいんだ。欲望を果たしてから霊性修行に打ち込めばいいんだ。だからと言ってバジャンの前にカジノに行こう。とはならないよな。
ポニョ:まあ、人によっては、こういう話を聞くとババの教えを自分の都合のいいように解釈して、サイババさんの教えを歪めて理解し、欲望をどんどん膨らまして行くんや。
ヨシオ:人って、なかなか自分の欲望をコントロールするのが難しいよな。と、食欲をコントロール出来ないポニョが話を締めくくってくれましたので、サイババさんの話に移ります。
ポニョ:ちょっと待ってよ。なんでそこでおいらが出て来るんや。
ヨシオ:特別友情出演や。チェッティアさんの家の二階に滞在中、サイババさんはチェッティアさんの子供が泣き止まないのに気がつきました。階下におりてどうしたのかと聞くと、ひどい中耳炎になっていて、すごく痛がって泣いていました。
サイババさんは、ヴィブティを出されて耳の中に入れられて優しく撫でられると、すっかり中耳炎は治っていたのです。
カルーでのサイババさんは、多忙を極めました。というのも、出来るだけたくさんの人々の家を訪ねなくてはならなかったからです。それらのサイババさんを招待された家では、サイババさんの手土産を例外なく受け取ることが出来ました。
それは、神の神像であったり、リンガムであったりしました。ある家では、三十センチもあるガネーシャ神の神像を物質化されたのです。
ある家庭で、サイババさんはお守りを物質化させてそれをプレゼントされる時に、あなた達はこのお守りを大事に取り扱わなければならない。無くしたりしてはならない。
お守りをそのように扱っている間は、君たちの家庭は順調だろうけど、もし無くしてしまえば困難が待ち受けるだろう。と警告されたのでした。
ババの予言の通り、その家族はお守りを大事にしている間は、何事もなく全てが上手く回っていたのですが、ある日お守りを無くしてしまったのです。
それ以来、経済的にも、家庭の中においてでも困難な状況が襲って来たのでした。
サイババさんの名声はとどまる所を知りませんでした。
サイババさんが、滞在されておられる家の前では、一目でもサイババさんを見たい、少しでも話したいという人々が家の前の路上で寝泊まりし始めたのです。
というのも、家の前にいればいつかはババと言葉を交わす機会がめぐって来るので、その場所を離れることによって、その機会を失いたくなかったのです。
ババはウダルマルペットというところに住む帰依者から、招待を受けました。
その日の十時にババを乗せたバンが出発しました。出発するにあたりババは家の前にいた人々にタオルを振って挨拶されました。ババは運転手に急いで運転するように伝え、ラドゥという食べ物を物質化して皆に与えました。
途中にペルンパラムというところで、一行は休憩することにしました。ドライバーは、ガソリンがあとどれくらい残っているかチェックしていましたが、ババはガソリンを入れてはいけないと言われました。
ドライバーは、ガソリンがほとんど無いのにどうしてそういうことを言われるのか理解出来ませんでした。
それで、もう一台の伴走している車からガソリンをもらって来てバンに入れようとしましたが、やはりババがガソリンは入れなくても良いと言われたのです。
皆は、バンに乗り込みましたが、途中でガス欠になるのを恐れていました。しかし無事に目的地である帰依者の家に着いた途端、エンジンは止まったのでした。
その家のオーナーであるバラパッタビさんは、昼食用にババに銀の食器を用意していましたが、ババはバナナの葉っぱを持って来るように言いました。
そして、皆が食べ終わるとその葉っぱを穴の中に捨てるように言いました。
その後、ババは手を穴の上にかざすとトゥルシの木が忽然と現れたのでした。それと同時にサイババさんは元気に咲いている花をポットごと物質化させてトゥルシの木の横に置かれました。
その後、ババはある場所をきれいにして、花びらで神聖なパターンを描きなさいと言われました。
その上を物質化したヴィブティで清めれた後、手のひらを下に向けられると九つの宝石が手から出て来て下に落ちました。そして、もう一度手を振られるとその宝石は、自分の力で土の中にもぐって消えてしまったのでした。
その後、以前チットラヴァティ川の河原で砂の中から取り出して、バラパッタビさんにプレゼントされたラーマの神像を持って来るように言われました。
そして、それをその場所に鎮座させました。
その後、アラティ(火で清める儀式)をした後、玄関先でヒンドゥー教のしきたりであるココナッツを割って、ババをお送りしようとしたら、ババは玄関の戸を開けさせずに、そのココナッツを左手に持ち、右手の指でココナッツの周囲をなぞられました。すると、ココナッツは見事に二つに割れたのです。不思議な事に中に入っていた水は一滴もこぼれませんでした。
ババは、手を振ると金の九つの惑星の像が出現しました。そしてそれを二つに割れたココナッツの真ん中に置かれて、もう一つの割れたココナッツの半分を蓋のように上からかぶせられました。すると、割れたはずのココナッツが完全に一つになり、金の像が入ってるココナッツになりました。
ババは、それをハンカチでくるみ、玄関先に据えて礼拝をするように言いました。
その後もう一度アラティをして、ババはそこにいた全ての人と順番に話し、外にいた人にも挨拶をされてバンに乗り込まれたのでした。
貧しい人であれ、億万長者であれ、すべての人が神に祈らなければなりません。
というのも、食物や水を与えてくれるのは神だからです。
人間は自分だけの力で食物や水を創ることはできません。
人間は、健康的な生活を送るためには、どんな種類の食物が必要かということすら知りません。
人はそれを理解するよう努めるべきです。
何であれ、神のすることは世界の幸せのためなのです。
皆さんは、世界は神の姿そのものであることを理解しなければなりません。
創造主と被造物とは別々のものではありません。
人は、世俗的な欲望を満たすために神を礼拝すべきではありません。
私たちは、神に到達するために神に祈るべきです。
神は帰依者に恩寵を注ぎ、必要なものはすべて与えてくれます。
被造物にとって、何が役に立つかを知っているのは神のみです。
あなたが必要とするものは、時が満ちたときにすべて神が与えてくれます。
あなたが過度の努力をしなくても、神はあなたにふさわしいものを与えてくれます。
欲望が満たされないときに、落胆して神を責めるのは、真の帰依者の特質ではありません。
神の恩寵を得る方法を見つけて、神に到達する努力をするのが、帰依者の義務です。
神のやり方を理解することは、誰にもできません。
神の計画を理解したり説明したりできる人はどこにもいません。
神の計画を知って、それを明らかにできるのは神のみです。
神がいつ特定の個人に恩寵を注ぐかは、誰にも予測できません。
「誰が」、「いつ」、「どこで」、「何のために」、「どのように」といった疑問に対する答えを知っているのは、神のみです。
神を忘れて、エゴや自分がしているという意識を持てば、その人の努力は成功しません。
どんなことであれ、祈りによって達成することができます。
祈りよりも偉大なものはありません。
ですから、誰もが神に祈りを捧げなければなりません。
しかし、世俗的な利益を求めて祈るべきではありません。
「おお、神様!私はあなたの愛だけが欲しいのです。そのほかのものは何もいりません」
あなたは絶えずこのように祈り続けるべきです。
いったん神の愛を受けるようになりさえすれば、あなたは全世界を征服することができます。
あなたは、どんな仕事に携わってもかまいませんが、その仕事の達成を神に祈ってはなりません。
その代わり、すべてを神の意思に委ねなさい。
神は、あなたにとってよいことをしてくれるのだと、完全に信じていなさい。
「神様、人生の一瞬一瞬において、私たちの必要を満たしてください」と神に祈りなさい。
あなたがすべてを神の意思に委ねて自分の義務を果 たすとき、間違いなく仕事は成功するでしょう。
ポニョ:昨日の記事で、サイババさんが次から次へといろんな奇跡をされながら、その訪れた家の中にラーマの神像を安置されるところを清められたりされたんで、固唾を飲む間もなかったよな。
ヨシオ:俺が訳してても、頭の方がどんどん次を読みたいって思うけど翻訳の方が着いていかないんで、イライラするな。実際、本に書いてあることは、もっと詳しいんやで。それを、大事なところだけ端折って訳してるんやけど。それでも追っつかないな。
(原本を読みたい方は、http://saitowers.com/limf/ へどうぞ。送料込みで$67程です。)
この家のご主人も、ババが次々と奇跡をやられるので、横で見ていてもすごい迫力やったと言っておられた。
ポニョ:そうやろな。おいらが好きだったのは、ココナッツの周りを指でサーッとなぞったら、パカッと二つに割れたとこや。人間ハサミやんかそれって。指先からレーザー光線が出て来て岩でも何でも硬いもんでもスパーッて切れるってすごいよな。
でも、ちょっと分からんかったんは、何でココナッツの中に九つの惑星を現す宝石の付いた金の像を入れて玄関先に据え置かれたんやろか。
ヨシオ:カスツーリさんの本の中で、こんな記事があった。
サイババさんの部屋の戸の隙間から光が漏れていて何かなと思って中を覗くと、光り輝く聖霊たちがサイババさんを囲んで座っておられたんや。後ほど、サイババさんは七人の聖仙がやって来たと言われたんや。
この世界は、いろんなレベルの霊達が一緒に暮らしている。
その、バラパタッビさんの家もいつもヴェーダを唱え、礼拝をし、バジャンをしているのでかなりの高級霊がいつも出入りしていることが考えられるんや。
ポニョ:サイババさんのところへ挨拶にやって来た七人の聖仙のようにか。
六十代の終わりまでには六つの敵、すなわち情欲、怒り、貪欲、執着、高慢、憎悪を征服していなくてはなりません。七十代では七人の聖者、七つの海、太陽光線の七つの色に帰融していなくてはなりません。すなわち、霊性修行によって俗世間の欲望や理想をはるかに超越し、神への帰融のすぐ近くにまで達しなくてはならないのです。八十才になれば、属性においても性格においても神と対等な基本的八徳を司る“神々のレベルに達しなければなりません。九十才になれば九つの惑星の位置するより高い領域に昇らなければなりません。
ヨシオ:そういう高級霊が出入りするのに相応しい波動を持った場所にするために、ココナッツの中にそういうものを入れて据え置かれたんやろな。
それに、ああいうバラモンの人たちは元々七人の聖仙の子孫が多い。
ポニョ:では、九つの宝石は一体なんやねん。
ヨシオ:それらは、太陽系の九つの惑星をあらわしているんや。この太陽系を越えたところの霊的な世界に、人は最終的には赴かなければならないんや。
だから、そういう九つの宝石やその像を出してもらったその家の人はかなり高いところから来られている家族なんやろうな。
ポニョ:そんな高い霊界から来てる人でも、こうして地上に生まれ変わるって面白いな。
ヨシオ:どんな高い霊界にいても、永遠の喜びを得ることは出来ないんや。それは、神さんと一緒になることによってのみ可能なんや。
だから、どんなに高いレベルのところにいてる霊たちも、この地球に生まれ変わってからでないともう一段高く上がれないんや。
だから、どんな霊もこの人という体の中に入ることを望んでいるんや。
ポニョ:あの、光り輝く七人の聖仙もか?
ヨシオ:大元の神さんでさえアヴァターとして人の体をとってこの世に遊びに来られるから、どんな霊も人の体を取りたいねんやろな。
神さんと一緒になっていない霊は、最終的に神さんと一つになるまで、霊的進化の旅は続くんや。だって、霊界に行けば霊的親和性の影響で同じ波動のレベルの霊ばっかり集まって来るし、そこは想念の世界やから同じようなエゴや欲望などを持っている霊ばっかり集まってるんや。そんな半分自分みたいな霊ばっかりのところにいて、どうやって自分のエゴや欲望を無くすことが出来る?
なんでも、そうやけど、自分が映っている鏡ばっかり見てても、自分が他の人と違うところが見えないやんか。他の人と接しないと自分が人とどう違うということが分からない。
それと一緒で、肉体という入れ物に入って初めて、霊は他の違うレベルの霊と一緒に仕事が出来るし、交わることも出来る。そしてそうすることによって、同情心が生まれたり、友情が芽生えたり、親切心が湧いてくる。大事なのは、その自分が入っている肉体を使って、他の人たちのために汗をかくことが出来る。涙を拭ってやることが出来る。優しい言葉や励ましの言葉をかけてやることが出来る。
また、医療分野などの特別な訓練をしてきた人は、それらの能力を困っている人々のために使うことが出来る。
そういう無私無償の行為を通じて、つまり自分の為にではない行為を通じて、自分というエゴを減らして行くことが出来るんや。
その結果、次の生ではエゴが少なくなり、その分波動が細かくなって霊的に高いレベルに行けるんや。つまり、神様に一歩近づくことが出来るんや。
だから、大事な点は、何をやるにも自分というものを、一番最後に持ってくる事なんや。
全ての行為を、何の見返りのない行為としてやれば、その人の人生の成功は目に見えている。
だから、俺がサイババさんの組織を探し当てるまで、その自分が作った基準で探してたんや。
ポニョ:その基準ってなんやったんや。
ヨシオ:先ほども言ったように、自分というエゴをなくすには、何をやるにも自分というものを無くして、あるいは優先順位を最後に持って行くって言ったやろ。だから、無私無償の奉仕をしているか。というのが第一点。もう一つは、会費とか寄付金が強制されるかどうか。最後に、神様のことを愛そのものとして捉えて、その組織が愛で持って運営されているか。というのが自分なりの基準やったな。
ポニョ:それで、あるところでサイババさんの標語を見たんやったな。「全てを愛し、全てに奉仕する」って。
ヨシオ:そうやったな。それから、実際バジャンに参加したり、人と話したりしても、金は徴収されたことはないし、寄付金も強要ではないし、奉仕活動に熱心やし。そこに来てる子供もええ子が多かったな。何より、みんなそこに来てる人たちは自分たちの家族を大事にしてるし、おじいちゃんやおばあちゃんがとても皆から愛情ぶかく接せられてるのを見て嬉しかったな。
ポニョ:俺は、何か催し物がある度に、無料の本場の菜食インド料理が出て来るので嬉しかったな。特に、ひよこ豆を使ったカレーの味は絶品やし、その後に出て来るインドの甘いお菓子がまた、手が混んでいて美味しいのなんのって、一度、食べたらやめられへんかったな。ちょっと甘すぎるのもあったけどな。なんでもただってのがええやんか。でも、おいらの一番好きなマサラドーサは一度も出て来なかったけど、あれは、南インドでしか食べないんやろか。日本に住んでるインド人は南インドから来た人は少ないのんかな。
ヨシオ:食べ物の話はもう、これぐらいでええやろ。そろそろサイババさんの話に行くで。
今日は、昨日のバンを運転していた運転手の話です。
ポニョ:あの、ガソリンタンクが空のまま走った運ちゃんか?
ヨシオ:そうやったな。
ポニョ:それで、あのバン、目的地の家の前でエンストしたんや。でも、そのあと大変やろ。ガソリンスタンドまで歩いてガソリンを取りに行かなあかんから。いや、そうでもないか。だって、伴走車があったよな。そこからガソリンを抜き取って入れたらええもんな。でも、なんで今回は、水をガソリンに変える奇跡をされなかったんやろか…。ああそうか。もうサイの帰依者の人が車にガソリンの代わりに水を入れてしまう習慣が出来てしまって、ガソリンが無くなったら水を入れてしまうんや。それでエンジントラブルが多発していっぱい苦情が来たんやろな。
だって、みんなサイババさんがガソリンの代わりに水を入れるのを見過ぎて、車は水で走るものやと思い込んでしまってるんや。おもろいなそれって。
ヨシオ:あの〜。もしもし、もう車の心配はせんでもええから、ちょっと静かに願いますかポニョさん。次に進みたいのですが。
サイババさんの一行は、その家を離れ帰路につきました。途中である村の近くに停車するようにババは言いました。
ババも含めて全員バンから降りて村に向かって歩き始めました。
運転手は、バンから降りるとバンの後ろに回って、嗅ぎタバコを吸い始めました。
その運転手は、今までサイババさんの奇跡の話をたくさん聞いたり、実際、サイババさんの奇跡を自分の目で見ても、神さんなんて全く信じていない無神論者だったのです。
ババは、その運転手の近くに行かれて話し始められたのです。
「君の名前は何て言うんだい?」
「クマラサミーという名だよ。」と面倒臭そうに答えました。
「ヴィブティを付けるかい?」とババは聞かれました。
「なんでそんな事をしなくてはならないんだよ。ただ、見せびらかしてるだけじゃねーのか。」
「君は、ヴァーダを食べたことがあるかい?」
「この世にそれを食べたことがねーよ、なんて奴がいたらそいつの顔を拝んでやってもいいぜ。」
「じゃあ、君のお母さんが作ったヴァーダを食べたことがあるかい?」
「スワミ、言っとくけどね、俺には、かかあなんていねえんだよ。」
「ハッハッハ、じゃあ君はどっから生まれたんだ?君は、お母さんが亡くなった時の事を覚えてるの?」
「そんなに。あの時、俺はまだ四歳だったからな。」
「じゃあ、君が二歳半の時に、お母さんがヴァーダを油で揚げていた時に、君がお母さんに甘えて首に抱きついたこと覚えてるかい?」
「あのね、俺はもう、四十五歳なんだぜ。なんでそんな昔の事を覚えてられるんだよ。」と言い返しました。するとババは、
「じゃあこれは何なの?」と聞かれると同時に、運転手の右の腕をジャケットの上から触れられたのです。すると、その右腕に電気ショックが走りました。それで、運転手は着ていたジャケットを脱ぎました。
運転手の腕には、大きな火傷の跡が見て取れました。ババは、もう一度その火傷の跡を触れながら、
「君は、その時お母さんを抱きしめようとしたんだけれど、間違って、腕をオイルが煮立っている鍋の中に浸けてしまったんだ。この火傷の跡はその時に付いたんだよ。」と言われたのです。
それを聞いて、運転手はサイババさんの足に平伏しました。そして、もう立ち上がれないほど泣き始めたのでした。
運転手は、自分は無神論者だということを自他共に自負していて、友達も自分のような神を信じない友達ばかりと付き合っていました。
でも、今日この日から彼は生まれ変わったのでした。
運転手はずっと泣き続けていました。ババは、運転手を立たせましたが、彼は真っ直ぐ立つことができないくらい泣きじゃくっていたのです。
そして、ババはヴィブティを物質化して彼の額に塗りました。
その後、ババは彼のポケットから運転免許証を取り出して、運転手の写真の横に同じ大きさの御自分の写真を物質化して貼りました。
それを見て、運転手はまたサイババさんの足に平伏しました。
皆が席についた後、サイババさんは、「あっ日付を入れるのを忘れちゃったよ。」と言ってもう一度その運転免許証の写真に触れると、今日の日付が浮かび上がったのでした。
その後、ババは銀のお守りを物質化され運転手にプレゼントされたのです。
“この世には、愛以上に素晴らしい美徳は存在しません。
愛は真理であり、愛は正義であり、愛は富であります。
この世は愛から生まれ、愛によって維持され、最後には愛に融合します。
すべての原子が愛から生まれました。
この世には、原子力、磁力等々、無数の力が存在していますが、愛の力はすべての力に勝っています。
信仰と愛のない人生は無意味であり、無益です。
この世に生きる人間にとって、愛こそが人生であり、愛がすべてです。
五元素は愛から生まれました。
すべての人の中にまぶしく輝いているものは、愛に他なりません。
“神を味方に付けたとき、成し遂げられないものはありません。
あらゆる困難と苦しみはたちまちの内に消え去ります。
そのような全能の神が私たちに内在するというのに、なぜ私たちはとるに足らない事を心配する必要があるのでしょう?
愛は困難を克服するための勇気を私たちに与える神の力です。
愛の力で何ごとも成し遂げることができます。
私たちは罪を恐れるべきであって、困難を恐れるべきではありません。28/8/04”
“誰をも憎んではなりません。憎しみはあなたの最悪の敵です。
いったんあなたの中に愛を育めば、憎しみは自然に消え失せます。
敵対しているライバルに出会ったら、愛をもって彼に挨拶をしなさい。
彼もまた、同じ感情を返してくることでしょう。
あなたが他者をまったく愛することなしに、どうして他者からの愛を期待できるでしょうか? 私が実践しているのも、伝えていることも、愛であり愛のみなのです。
愛の力を理解するよう努めなさい。愛はあなたの最も偉大な富です。
誰もその価値を見積もることができません。
神はあなたから何を期待しているのでしょうか?
あなたの愛のみです。
愛は、神があなたに与えたすべてのものに対して、あなたが神に支払わなければならない税金なのです。
ポニョ:二三日前の記事で、女の子が亡くなる前にサイババさんが、銀のサンダルを物質化してプレゼントされたよな。そして、それを枕の下に入れておけばいいよって。
ヨシオ:それはパドゥカやね。
ポニョ:なんやねん。そのパドゥカって。昔、おいらはパブリカっていう車に乗ってたけど。
経済的で良く走る車やけど、古い中古車やったから床が錆びてて大きな穴が空いてるんや。
それで雨の日なんか、その当時、道が凸凹で水たまりがあっちこちにあったやろ。それらを避けきれなくて、水のしぶきが下から入って来るんや。着いたら、いつもズボンとかがボトボトに濡れてたわ。
ヨシオ:このブログはオンボロクラシックカーの試乗記の記事を載せるブログじゃないんやから、ちょっと静かにしてくれる?それにしても、ひどい車やな。そんなん聞いたことないわ。
それで、パブリカというのは…、違う。パドゥカや。ポニョが変なこと言うからどっちか分からん様になってしまったやないの。
だからそのパドゥカというのは、グルのサンダルを拝める儀式やねん。というのも、それを履いていたグルのシャクティて言うか、霊的なパワーがそのサンダルに溜まってるんや。
それは何故かというと、心臓から血が流れ出て足の先まで行くと足の指のところで血が反転して今度は心臓に戻るやろ。その血の流れの折り返し点が指先で、そこからその人の霊力が発散されるんや。
ポニョ:そう言えば、キルリアン写真で人の手のオーラを撮ると指先からオーラがいっぱい出てるな。
ヨシオ:以前、幽霊は靴箱にもいてるっていう話をしたよな。霊力がたくさん溜まっているところが、靴やサンダルなんや。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/248e6d25087f9fa2c38722d92469872d
でも今は、サンダルって言ったら合成皮革とかで作られてるやろ。その頃は木製や銀製が多かったんや。だから、霊力がもっと溜まりやすいんや。
ポニョ:銅に想念の力が溜まり易いって話をしたけど、銀も電気を通すからよく溜まるよな。それに蜘蛛の巣があるところに幽霊は来るっていうけど、木のような元々有機物にも霊力が宿るんやろうな。
ヨシオ:パドゥカ祭では、その霊力がいっぱい詰まったグルのサンダルを、グルそのものと見做して礼拝するんや。
ポニョ:そういや、ラーマヤーナの中にラーマが森へ追放された時に、兄弟のバラタがラーマが留守の間に国の王となって支配して下さいと言われたよな。でもバラタは、いや、ラーマが森に追放されていても彼が本当の王や。と言ってラーマの履いていたサンダルを玉座に据えた話は有名やな。
ヨシオ:そんな話もあったな。それで、パドゥカ祭ではそのサンダルやスリッパをグルと見做して礼拝して頭に乗せ、グルの神聖な霊力をちょっといただきましょう。という儀式なんや。
ポニョ:あゝそれで、銀のサンダルを物質化されて枕の下に入れておきなさい。と言われたんやな。でも、マセラドーサも二食分出されたよな。おいらの一番の好きなインド料理やねん。
ヨシオ:それは、その女の子が水さえも飲めなかった状態やったから、体力がなかったやろ。だから体力を付けて人生の残された二三日だけでも神の事だけを思って過ごしてもらう為やんか。
そんな事聞かんでも誰でも分かるやろ。マセラドーサの事が気になってたから聞いてきたんやろ。ポニョの事やから、大体そんなとこやろう。
ポニョ:ピンポーン。当たりでした。本当にあれ美味いよな。インドに行ったらマサラドーセを毎日食べても飽きないで。前世は、多分、おいらもインド人やったんかな。
ヨシオ:どんな国の料理でもポニョは美味しいって言って食べてるやんか。自分の好きな料理によってその人の前世が決まるんやったら、ポニョはどれだけの前世があるんやろうな。
ポニョ:前世では、八十日間世界一周、食べ歩きの旅の添乗員をしていてお客さんがご馳走を食べているのを横目で見ながら安もんの食べ物を食べてたんやろな。それで、今生はしっかり世界中の美味しいものを食べようと決意して生まれ変わってきたんや。
ヨシオ:多分そうやろう。目出たくポニョの前世が分かったところで、サイババさんの話に移ります。
二日に渡る旅を終え、サイババさんはまた、カルーの家に戻って来ました。
家の前は、サイババさんを一目見ようとする人々で溢れかえっていたので、場所を高校のグランドに移してサイババさんがダルシャンをしましたが、そのグランドも身動きが出来ない程の人がやって来たのでした。
そして、家に戻って来てもやって来る人は引きも切らず、夜中になってもババに会いたい人々が通りに集まって、大きな声でバジャンを歌い始めるのでした。
家の主人は、ババはもうお休みになっておられるので、明日の朝いらして下さいとお願いしたのですが、人々は、遠い道のりをやって来たので、是非一目だけでも会いたいと食い下がりました
そうこうしているうちに、突然、ババがお休みになられている二階のベランダに出て来られて、人々の前に姿を現されたのです。
通りで待っていた人々は、口では言い尽くせないほどの喜びようでした。
人々は、ベランダでサイババさんが立っておられるので、疲れるから是非、座るように言いました。
でも、ババは君達こそ疲れているじゃないか。僕は、全然疲れてやしないよ。と言われました。
では、今から、みんなでバジャンを歌おう。と言って次の一時間半に渡って人々と一緒に声を合わせて、バジャンを歌われたのでした。
人々は、神の化身と一緒に心からバジャンを歌い、歓喜の涙を流さなかった者は一人もいませんでした。
その後、サイババさんはそこにいた一人ひとりに、服地をプレゼントされました。
ババが、ようやく部屋に戻られた時、すでに夜が明けようとしていました。
次の日も、家の前は、大勢の人混みでごった返していました。
その日は帰る日だったので、人々がお別れの挨拶に来ていました。
サイババさんは、僕が皆に言ったことを守って生きて行きなさい。
そして、僕がここを離れる時も僕の車に押し寄せないで、きちんと規律を守るようにして下さいと言われました。
人々は、ババの言うとおり、誰も車に走り寄らずに整然と道の両側に並び、ババの車を静かに見送りました。
ババが街を離れてからも、街中がババの話題で持ち切りでした。
ババの一行はプッタパルティに戻って行く途中、トリッチィというところに寄りました。
サイババさんは、バグパイプと演奏隊の歓迎を受けました。その光景は、まるでサイババさんが皇帝のように見えました。
しかしこの後、悲劇が起こったのです。ババと一緒に旅をしていた車が、小さい子供を轢いてしまったのでした。その子供からは血が出ており意識不明の重症でした。仕方なく、近くの家のベランダに寝かして警察を呼ぶことになったのです。
ババは、車から降り、そのベランダで血を流したまま横たわっている子供のところへ行きました
そして、少し体に触れられただけでその少年の意識は戻り、元の元気な子供に戻ったので、警察が来てもまた何もせず帰って行きました。
サイババさんが帰って行った後も長い間、その奇跡の体験をした子は、みんなから羨ましく思われたのでした。
トリッチイでのサイババさんの栄光は、それで終わりではありませんでした。
サイババさんを歓迎する集会で、誰かがサイババさんを辱めようとマイクを奪って演台の上に立ち、サイババさんをこき下ろしました。
サイババさんは、介助人と一緒に来ていた聾唖で耳も不自由な障害者を演台に呼びマイクの前に立たせました。そして、「君の名前を言ってご覧」と問いかけられたのです。
すぐにその子は「僕の名前は、ヴェンカタナラヤンです。」と何千人もの聴衆の前で答えたのです。そのすぐ横でババを罵っていた人は、口を開けたままそれを見ていました。そして自分が馬鹿なことをしてしまった恥ずかしさで頭を垂れたままでした。
しかし、この後予期せぬことが起こったのでした。というのも、サイババさんの奇跡の治癒を聞きつけてたくさんの、聾唖や耳が不自由な人が通りを埋め尽くすぐらい押し寄せたのです。
そのため、サイババさんを村に招待した人たちは、ババを慌てて村から連れ出さなければならなかったのでした。
ババはその村に結局計五日間滞在し、あっちこっちの家から招待を受けて、大忙しでした。それで、車で移動していたのですが、運転手も心得ていてガソリンが無くなりかけると、水をバケツで汲んで来て入れていました。それは、別にババに頼まなくても運転手が自分の判断で水を入れれば全てガソリンになったのでした。
車に水を入れているところを村人によく見られましたが、ババは大抵、後部座席で居眠りをしていました。
ババがブッカパトナムの小学校に通ってた頃、学校が引けるとナガラクシュミさんの家で行われていたシルディババの礼拝に毎日行って花や花輪をお供えしていましたが、そのナガラクシュミさんはババに対して大変な怒りを覚えていました。
というのも、彼女はひどい皮膚病を患っていたのにも関わらず、ババがそれを癒してくれないことに、苛立っていたのでした。
「サイババが何だっていうの。彼は、私の皮膚病さえ癒してくれないじゃないの。」と言って、ついにはサイババさんに関する全てのものを自分の周りから葬り去ったのです。その中には、貴重なババからの手紙や、写真など様々なものが含まれていました。
その夜、ババはナガラクシュミさんの夢に現れました。でも、ババの姿で現れたらナガラクシュミさんはババのことを一瞥もしないので、ナガラクシュミさんの妹さんの姿をとってやって来たのです。
ナガラクシュミさんは妹の姿をとっているババにこう言いました。「なんであんたなんかを、礼拝しなくてはいけないのさ。ババの姿で私の近くに寄ったら承知しないわよ。私の皮膚病一つ癒せない奴なんて。」と。サイババさんは、ナガラクシュミさんがそう言い終わるや否や、ナガラクシュミさんの舌を引っ張り出して、オームスリ サイと三回、舌の上に書かれたのです。
次の日の朝、ナガラクシュミさんがベッドから起きて何かを喋ろうとしても、オームサイとしか言えなくなっていたのでした。
それで家族の人たちも、あれだけナガラクシュミさんが嫌ってたサイババさんの名前だけを彼女が唱えているのを見て大変驚きました。
ババは、妹さんへの手紙にこう記しておられます。
「あの日の夜、僕はナガラクシュミさんの夢の中へ出かけて行ったんだ。彼女は、もう生まれ変わることが無いんだよ。」と。
そして、ナガラクシュミさんはツルシ礼拝日に亡くなったのでした。
“神の御名が如何に強力であるか、自分自身で探求しなさい。”
“皆さんはいくつの霊性修行に取り組んでもかまいませんが、決して一瞬たりとも神の御名を忘れてはなりません。
そうしていれば、あなたは守られるしょう。
何であれ自分を神から引き離すことは決してしてはなりません。
あなたは祈りによって何でも実現させることができます。
大声で祈る必要はありません。
心の中で祈れば十分です。”
“どうして常に神の御名を唱えることが出来るか?とあなたは尋ねるでしょう。
そんな疑問の付け入る隙はありません。
あなたの為す一切の行為を神への捧げものと考えなさい。
全ての行為を、神への捧げものとして行いなさい。
神の恩寵を得るまではこれらのことが必要です。
恩寵を得た後は必要ではありません。31/7/1996”
“神の御名は原子爆弾よりも強力です。
神の御名は善を守護し、悪を懲らしめます。
ですから、皆さんが神を崇め続けるなら、間違いなく世界は守られるでしょう。9/8/06
少なくとも今日から御名を唱えなさい。
子供たちよ。あなたはそうすることによって喜びと平安を得ることが出来る。
どんな障害が来ても、神の御名は其れをきれいに掃き清めてくれるのだ。SSSvol8p234”
ポニョ:あの運転手の話やけど、ちょっと感激したな。ババは、全ての人のどんな小さな事でも知ってられるんやな。でも、一人ひとりの過去をいちいち覚えておくのんて大変やと思えへんか。
ヨシオ:過去だけではなくて未来も知ってられる。だって、神さんは全知って言うやろ。なんでかって言うたら、神様は、この宇宙に満ち満ちているアカーシャそのものやから。一人ひとりの、小さな心の動きや、心の小さなひだの動きまで知ってられるんや。だから、ババと一緒に行動されている人は、いつも心の中の動き、特にそれがネガティブな思いやったら、ババが鋭く突いて来られるので、大変な霊性修行になるって言ってた。
ポニョ:自分の心の中をいつも見通すことが出来る人といつも一緒にいるって本当に大変やろな。
ヨシオ:だから、ババは子供の心を持ってられる人といつも一緒におられるんや。つまり、自分の思いと言葉と、行為がいつも一緒の人でないと、ババの近くにいつもいることはとても難しいやろな。
ポニョ;サイババさんに適当に返事することなんて出来ないもんな。いつも正直に生きてる人でないと、口先だけの返事やら、顔だけニコニコしても心で何くそって思ってたらすぐにバレるもんな。
そういや、星やんもこの世に生きてて一番しんどい事は、人と接してその人のエゴや虚栄や、嘘と向き合わないかんことや。と言ってたな。あいつは、人の心が読めるし嘘を見抜く力があるから、毎日、普通の生活をして行くのんが大変やったやろなと今になって思うわ。早く逝って良かった。星やんには、プレマサイの時代の方が合ってる。でも、サイババさんはそんな事をいってられないもんな。毎日、色んな人に会って大変やろな。その人の全てのことを知ってるし。覚えておくことが出来るだけでもすごいよな。普通の人やったらメモリーバンクがパンクするやろうかな。
ヨシオ:ババさんに、ポニョと同じ質問をした女の人がいるんや。その時ババはその人に、あなたは自分の誕生日を覚えていますか?と尋ねられたんや。その人が、もちろんです。と答えると、じゃあ、あなたの娘さんの誕生日は?と聞かれると、もちろん覚えています。と答えたんやけど、次にババは、それじゃ聞くけど今年の二月十三日は何の日だったですか。と尋ねられたんや。
あなたは、十年以上も前の事だった娘の生まれた日まで覚えているんだったら、ほんの半年前の事ぐらい覚えていても不思議はないよね。さあ、思い出してご覧。とたくさんの人の前で聞かれたんや。
その女性は、しばらくの間思い出そうとしていましたが、諦めて「スワミ、半年前のことだったんでしょうけど、何も覚えていません。忘れてしまいました。だって、その日は、私たちの結婚記念日でもないし、身内の命日でもないし、何も特別な日では無い普通の日ですから、その日に何をしたのか覚えていません。と言いました。
それで、サイババさんは「いや、その日はあなたにとって、とても特別な日だったよ。なぜそうなのか言ってあげよう。その日の朝、あなたはご主人と子供の前で大げんかしました。そして、ご主人や子供達が学校に出かけた後も、まだ怒りがおさまっていなくて、そのままいつも行くショッピングセンターで買い物をしている時に、いくつかの品物を万引きをしたでしょう。これでもまだ思い出すことが出来ないのであれば、何を万引きしたか言ってあげましょうか?」
と言われたんや。
その人は、その国から来たグループのリーダー格の一人だったので皆はとても驚いたんや。
その女性はしばらく何も言わずに大きな目を開けてじっとしていましたが、突然、ごめんなさい。ちょっとした出来心でした。もう二度としません。と言って大声で泣き始めたんや。
ババは、「知ってるよ。そんな万引きなんてお前は、今まで一度だってしたことが無かった。
でも、その日の朝にご主人と喧嘩をしてその腹いせに、万引きをしてしまった。
お前のご主人は私のことを神とは認めてはいないけれど、とても心の優しい良い人だ。あの日も、元はと言えばお前の方が先に癇癪を落とした。これからはもっと怒りをコントロールし、ご主人の言うことをよく聞いて仲良く暮らして行くのです。」と言われたんや。サイババさんが話しておられる間もずっとその女性は泣きじゃくったままやったんや。
ポニョ:そらそうやろ。驚くよな。そんな事を皆の前でバラされたら。プライドなんてぶっ飛んでしまうで。
ヨシオ:これが、ババのやり方なんや。前にも記事にしたけど、その人の心の中の一番どす黒いドロドロしたものを、光に当てられるんや。
俺と一緒に三年間働いたインド人の青年もこんな話をしてくれた。
まだ9歳ぐらいの頃、お母さんの財布をタンスの中から見つけて、その中からたった十円だけ盗んでアイスクリームを買ったんや。それを、インタビュールームでみんなにバラされたんやて。その青年はいつも本当の事しか話さないし、心もとてもきれいなんやけど、今までの人生でその事だけが誰にも言えない彼だけの秘密やったんや。
ポニョ:それを、バラされたんや。ババは人の心の奥底にあるブラックボックスの蓋を開けられるんやな。それは、前世で克服出来なかった自分の悪い性格や性質、欲望や妬み、嫉妬などありとあらゆるドロドロしたものが詰まっている箱や。
ヨシオ:それらを、明るいところに出して、その人が、一体何をこの人生で克服していかなければならないかを教えてくれるんや。全ては愛で持ってやられてるんや。その人のためにと思ってやっておられるから、神さんから祝福をもらったのと一緒や。
ポニョ:まあ言ってみれば、ブラックボックスという名のおもちゃ箱を片付けましょう。ということやな。もう大きくなったからいつまで経っても同じおもちゃで遊ばんと、おもちゃ箱を整理してもっと上のレベルへ行きましょう。もう大学生にもなってるのに、いつまであんたはドラえもんの人形で遊んでるのん。ええ加減にしなさい。今度、ルフィーの人形を買ったげるから。という感じや。手が伸びるから、ゴムゴムのバズーカして遊べるで。おいらも一つ欲しいな。
ヨシオ:それやったら、全然進歩してないやないの。というわけで、ポニョのおもちゃ箱のお片付けがめでたく終わったところで、サイババさんの話に移りましょう。
今日の一番最初の話は、以前にこのブログでご紹介させて頂いた話ですがもう一度載せます。
ある日、バジャンの後、いつものように女性たちが花輪を作っていると、突然ババは、みんなに「僕に着いておいで、母なるガンガー女神がやって来るよ。」と言って礼拝堂の戸を開けて表に出て行かれて、両手を広げられました。そして、人々に「ここから前に行ってはいけないよ。」と言われたのです。
ババは「ほらガンガーがやって来たよ。」と言われて前の方を指差されました。そこには、大きな水の塊が洪水のようにこちらに迫って来るのが見えました。
人々は、とても恐怖に包まれました。やがて、洪水のような水の塊はすぐ近くにまで押し寄せて来て、ババの前で止まりました。
ババの周りは水だらけで、ババの背を大きく超えており、周りの木々でさえ水に隠れて見えないほどでした。
ババは、ガンガーを礼拝するために、ココナッツ、花、クムクム、ターマリックなどを持って来るように指示しました。
そして、ババはココナッツを割ってガンガーの水の中に入れました。そのあと、両手を水の表面に当ててこう言われたのです。「君が来てくれたんで、僕たちはとても嬉しいよ。さあ、もう帰ってもいいからね。」と。
すると、大水は押し寄せた時と同じように、帰って行きました。
不思議な事に周りの木や地面やすべてのものは、まるで何事も無かったかのように濡れていませんでした。
ババのローブも乾いたままだったのです。
ババは微笑まれながら、人々にババの足元を見るように言いました。
そこには、砂の上に横たわった大きなジャスミンの花で作られた花輪が、ババの御足に捧げてありました。
ババはその花輪を取り上げて、ジャスミンの花を一つずつ周りの帰依者達に配られました。
その、ジャスミンの花は今まで見たこともないぐらい大きくて、バラの花ぐらいありました。
そして、その香りはそこら中を良い香りで包んだのでした。
また、ある帰依者がツルシの葉っぱで、花輪を作っているとババはその人たちの間に座り、皆と一緒になって花輪を作り始められたのです。
そして、「誰でも、一番大きな花輪を作った人は僕の足を二回触れてもいいよ。」と言われたので、皆は競争して花輪を作り始めました。
その間、ババは何時ものように冗談を連発されていました。
でも、突然姿がみえなくなってしまったのでした。
それで、皆は花輪作り競争は、ただのババのお遊びだったと気付きました。
人々は、花輪作りをやめてババを探し始めましたが、どこを探しても見つけることが出来ませんでしたが、突然いたずらっ子のようにどこからともなく現れました。
そして、人を驚かすために顔や体にいろいろと塗りたくって、首にはご自分で作られた花輪を巻いておられたのです。
ババは全ての花輪を集めてぐるぐる巻にして、ボールのようにされました。
そして、男ばかりを一列に並べ、女ばかりをその反対側に並べて、ご自分はそれらの真ん中に立って、先ほど花輪で作った幾つかのボールをババの方に向かって投げるように言いました。
そして、みんなは争ってボールをいろんな方角からババに投げつけましたが、ババはそれらを一つも落とすことなく見事に受け取られたのです。
やがて、花のボールはあちらこちらへと飛び回ったので、人の列は自然に丸い円になりました。
そして、そのまま人々はクルクルとバジャンを歌いながら回り始めて、ババも一緒になって踊り始められたのです。
やがて、みんなは踊り疲れて、礼拝堂に戻って行きましたが、みんな、変な酔っ払ったように目眩がして頭がクラクラとしていました。
ある人は、ババと二人で踊ったよ。とかいや、私がババと二人だけで踊ったんだとか言ってもめ始めたんですが、ババは「これは、普通の目眩じゃなんかないんだよ。だって、僕は全ての人と一晩中踊ったんだから。」と言われました。
そして、こうも言われました。
「クリシュナは、ゴーピー(牧女)たち大勢と、体を沢山作り出して、一人ひとりのゴピーとダンスをして遊び、クリシュナは宇宙の創造主自身だということを証明しました。
それと同じことを、今、今日ここで君たちが体験したんだ。この体験は、非常に稀な体験なんだよ。あなたが喜びを感じたことは、最高の祝福だったんだ。だから、空中を浮いているような、そんな気分になったんだよ。甘美な思いは君たちを熱狂的で幸せな気持ちにさせたんだ。
君たちは、本当に幸運だったんだよ。
だって、このような体験をしたいって、君たちは何世代にも渡り、多くの転生を重ねながら神に願って来たことなんだ。
でも、今日のこのような経験は、神の持っている祝福の一つに過ぎないことなんだ。」
この夜人々が体験した不思議で神聖な気分はその後、長く人々の身体から消えることは無かった。
“あなたが神を愛すれば愛するほど、祝福を受けるでしょう。”
“赤ん坊が生まれ落ちると泣き始めます。
赤ちゃんが泣けば血液が循環し始めます。
それ故赤ちゃんが泣くのは良いことなのです。
人の人生も泣くことから始まって祝福で終わらねばなりません。”
“個々の霊は、その人生において、神から祝福されていることを自覚することが一時間だけあります。
最初の15分は死により肉体から抜け出る時です。
次の15分は、子宮から出て行くときです。
そして3番目の30分は結婚式の時です。
神は個々の霊と共に,これらの3つの機会に立ち会います。P290ANDI”
“神はただ、人の行為の成果の分配者にすぎないのです。
神はまた、人がどのような仕事をなしたかによって、その報いを決めます。
もしも良い行いをすることなくして、自分の利益になることばかり願っているならば、神はただあなたの願いを聞き流すだけで、神の祝福を与えたりしません。SSIB1979p10”
ポニョ:面白かったな。サイババさんとのキャッチボール。そして、その後、歌を歌いながら円を描いてみんなでくるくる回りながら、サイババさんとのダンス。想像しただけでもなんか、嬉しくなるような不思議な気分や。
ヨシオ:それも、ダンスの後、一人ひとりがサイババさんと二人で踊ったと思ってる。神さんはこの世界を楽しんで創造し、その自分の創られた世界に自分自身が入って行って、また、楽しんでおられる。本当に、いつも遊んでおられるって感じが分かるエピソードやったな。
ポニョ:100%ハッピーな、歓喜に満ち溢れておられるのが神さんなんや。
ヨシオ:だから、ババは神さんになろうとする者の第一番目の条件は、その者がハッピーであるかどうかやなんて言っておられたな。ポニョが、イルちゃんの事を色々教えてくれてるけど、彼らがやっている悪さも、全ては実は大きく来るべき素晴らしい世界を創る為の、礎なんや。つまり、ドンと落ちないと大きく跳ね返ってこないのと一緒で、悪さをすればするほど、後に素晴らしい世界がやって来るんや。だから、神さんの目から見たら全てはええ事なんや。
ポニョ:そういう風に見れば、何を見てもハッピーになれるな。つまり、神さんの見ておられる視点に自分を持って行けばええんやろ。
ヨシオ:そら、いろんな事件や出来事、ニュースなど見てたら憤ったり、悲しんだり、同情したりするけど、全てはなるべくしてなってる。
この世で起こる全てのことは、神さんがこの宇宙を創造される前からもう決められていたことなんや。
そうであれば、なんで私の息子が早く死んでしまったや。とか、なんで俺の会社が倒産したんや。とか、なんでこんなひどい目にみんなが遭わなあかんねん。とか言って悩むのは悩み損なんや。また、自分のせいで人に迷惑をかけてしまった。とか言って後悔している人も、今度から間違いを犯さないよ。これをきっかけにもっと気を付けるよ。と思って残りの人生をもっとマシな人間になるように努力して行けばそれでええんや。いつまでたってもくよくよと悩む必要なんかは全然ないんや。
でも、自殺だけはやったらいかん。
それは、大きなカルマを作ってしまう。
それに、今、ポニョが言ったように神さんの視点に自分を持って行けばこの世界に身を置いていても、この世のゴタゴタに巻き込まれない。
それに、この世の中にこれ以上の自己中の人間はいないという程の悪さをしてイルちゃんの事でさえ、神の視点で見ることが出来れば、人は神さんのテストに半分合格してるようなもんや。
ポニョ:その神さんのテストって、全てを神と見れるかどうかということか?
ヨシオ:そうや。最近、俺は俺の事を生まれた時から、死ぬまで自分の人生の全てをかけて愛してくれたお袋を亡くした。それで、あの、お袋の愛って何だったんやと考えたことがある。それで、分かったことは、神さんがお袋の体を通して俺を愛してくれてたんやって事や。
サイババさんは、皆さんは世界を見て、いろんな悪いことが起こっていると言うでしょう。でも、多分皆さんは私に同意しないと思うけど、私には全てが愛にしか見えない。とおっしゃったことがある。
インドの聖者ラーマクリシュナパラマハンサは、人はそれぞれ神性さが現れている程度が違う、と言われた。ある人は六割で、ある人は三割しか現れていない。街に出ると、いろんな人や犬や猫や歩いていて、花が咲いている。虹が出たかなと思ったら雨が降り出す。夕陽が沈んで星が見え出す。風が吹き始めて、木の葉を舞い上がらす。それらは全て愛なんや。神さんの愛から出て来てるんや。この地球で人が少しでも気持ち良く住んでもらいたいという神さんの愛なんや。
そして人の中にある、それぞれの人が違った割合でその人から出てくる愛。お袋の愛も一緒やった。それは神さんの愛やった。それらの愛を毎日の生活の中で見つけれるようになったら、人は神の視点を持った人になれる。この世の全てが愛に見える。全ては愛なんや。人は、この世に七十も八十億もいるけど、それぞれの人が、人によって割合は違うけど、神の愛を体現させて生きてるんや。
ポニョ:だから、その人が体現させている神の愛だけを見てたらええわけなんやな。
だって、みんな例外なしに誰でも肉体を持っているってことは、いろんな動物だった頃の影響を受けて当たり前やし、逆にそうでなかったら人って呼べないよな。ヒマラヤの洞窟に住んでいる聖者でさえ、息はするし、水も飲むし、少しは食べ物も摂っているし、目くそ鼻くそ糞もする。
ヨシオ:ちょっと汚いな、その例は。
ポニョ:プップップリプリーてオナラもする。
ヨシオ:もうやめとけって。
ポニョ:おいら達のように、こんな俗世間に生きているものなら、毎日の行為の中に動物的なものが現れていても、それは普通や。でも、それらをどれだけ少なくして行くか、という努力はしていかなあかんということやろ。
ヨシオ:そうやな。特に、ポニョの場合は食欲とオナラやな。
ポニョ:人のことほっといてんか。なんか今日は、難しいことばっかり言ってから腹減るのが早いわ。もうお腹が空いてきたな。というところで、サイババさんの話に移ってくれますか?
ヨシオ:はいはい、そうします。
その頃、大雨でチットラヴァティ川は、溢れ出し礼拝堂の入り口まで冠水しました。そのため、たくさんの帰依者達の持ち物が流されてしまったのでした。
サッカンマさんは、それを見てもっといい場所に礼拝堂を移すべきだと進言し、ババに3,86エーカーの土地を買ってサイババさんに寄付をしました。
そこは、とても高台にあって、川が氾濫しても大丈夫なところだったのです。
ババは、チットラヴァティ川の川原で砂の上に新しい礼拝堂の見取り図を皆に描いて示しました。そして、このように言われたのです。
世界の全ての場所からここに何十万人もの人たちがやって来るでしょう。
プッタパルティは、世界の巡礼の中心地になる事でしょう。
しかし、人が多すぎて、私の髪の毛一本見ることは出来ないでしょう。
しかし、周りでそのことを聞いていた人たちは、誰もババが言われたことを信じていませんでした。
礼拝堂の礎石が据え置かれたのが1948年1月14日でした。
百人を超える帰依者は音楽隊と一緒に祝賀行事に参加しました。
礼拝堂を建てられる予定の場所には穴が掘られていて、そこにババが真珠やその他の宝石を物質化させて穴に入れられました。
これが、プラシャンティニラヤム至高の住まいを意味するアシュラムの始まりでした。
その祝賀行事に参加した帰依者のためにババは大きなキャンディの塊を物質化して分け与えました。そして、将来の事をこう予言されました。
「時が来ると、あなた達は、私を小さなマッチ箱ぐらいの大きさにしか見ることが出来ないでしょう。そして、遠くから私の着ているものしか見ることが出来なくなるでしょう。」と言われました。
礼拝堂の設計士は、チットラヴァティ川の近くに18x30メーターもある大岩を見つけて、それを割って礼拝堂の建設に使うことに決めました。
それで、ダイナマイトを使って割ろうとしたらババが来られて、少し待つように言われました。すると、次の日に、雷が岩の上に落ちてあの大岩が真っ二つに割れたのでした。
礼拝堂は、石灰と砂を混ぜて作り始めました。セメントは使われなかったのです。
ババは、タオルを頭や首に巻いて建築現場を監督しに回られました。
一月三十日の午後ババは、数人の帰依者たちを連れられてチットラヴァティ川に来られていましたが、突然走って礼拝堂に戻って行かれてドアを閉め、鍵をかけて閉じこもられたのです。
その間、少し出て来ては、また入って行ったりという不思議な行為を繰り返しておられました。
ようやく、夜の7時半になって不思議な行為をやめられて部屋から出て来られ、帰依者たちに偉大な魂がこの世を去ったと言われました。
その頃、プッタパルティには、ニュースなどは届いておらず、誰も外の世界で一体何が起こっているのか知れるはずもありませんでした。
しかし、二三日してから、人々はマハトマガンディーがニューデリーで暗殺されたことを知ったのでした。
暗殺された時間は、夕方の五時半でしたので、ちょうど、ババが不思議な行為をされていた時と同じでした。
その頃マドラスでは、ガンディーの死を悼んで泣いていたリーラさんの目に雑菌のようなものが入り、炎症を起こしました。
医者に行ってペニシリンをもらいましたが、治りませんでした。
その日、ババから手紙が来ていました。それは、一週間前にプッタパルティで投函されたのですが、リーラさんの病状が書いてあり、そのままでいると、とても危険な状態になるので、ババがリーラさんの住んでいるマドラスの近くで行われる結婚式に参加するので、そこに急いで来なさい。と記してあったのです。
リーラさんは、父親に付き添われてババに会いに行き癒してもらったのですが、視力が元の視力より良くなっていたのでした。
“あなたはあなた以外の人々が幸せでないときに、あなただけ幸せを感じることはできません。
あなたは人類共同体の一構成部分なのです。
あなたの持っている富を他のものと分かち合いなさい。
そうすることにより他の者の苦痛を軽減してあげるのです。SSP34vol8”
“人間として生まれた限りは、他の人を幸せにしなくてはなりません。
これが愛というものです。
あなたのハートは愛で一杯なのです。
あなたはそれを他の人と分かち合わなければなりません。
たくさんの食べ物があるとき、あなたは他の人と分け合うでしょう?
そうでないと食べ物がいたむでしょう?それと同じで、あなたの愛を毎日少なくとも5人の人に分け与えるべきです。
この神聖な愛をあなたは他の人と共に分かち合い、修行し、経験しなければなりません。SS2/94p53”
“人は幸せを味わうためさまざまな努力をします。
幸せになりたくない人は世界中でほとんどいないでしょう。
しかし、幸せは外から得られるものではないことを理解しなければなりません。幸せは心ハートの中から生じます。
心が至福の源です。
私たちが楽しむ外側の世界の幸せは単に、内なる幸せの反応、反映、反響でしかありません。
この真理を理解できる人は非常に限られています。
今日、人が体験する外見上の喜びは人工的で一時的です。心の中から湧き出る幸せのみが永遠のものです。14/1/05”
ポニョ:昨日の話で面白かったんは、ダイナマイトで三十メートルもある大岩を爆破しようとしたら、ちょっと待てと言われて、そのあと雷が落ちてその大岩が真っ二つに割れたとこや。
凄いよな。それって。インドラ神が天界から雷の矢を放たれたんやな。
ヨシオ:それに、その大岩はその場所に多分雷が落ちるまで、何百万年もそのままの姿で居座っていたのに突然雷で真っ二つになったんやな。なんか、神話の世界に生きてるみたいや。
ポニョ:それと、マハトマガンディーが暗殺された日に、部屋に鍵をかけて出てきたり入ったりと、不思議な動きをされていた事が面白かった。何でそんな事をされたんやろか。
今か今かと、待ってたおられたんやろうかな。
ヨシオ:ガンディーが息を引き取る時に、ずっとラーマの名前を唱えながら亡くなったので、神の元へ辿り着かれたんやろな。
ポニョ:ということは、ガンディーが亡くなったのが五時半でサイババさんが部屋に閉じこもられたんが、昼過ぎやから数時間のギャップがある。ということはガンディーがラーマの御姿を浮かべてながら亡くなるってことをもう知っておられるので、ラーマになるために部屋でお色直しをされてたんや。多分そうや。おいらも、少し神さんの行為が読めるようになってきたぜよ。
ヨシオ:違うって。だって、その間、何遍も出たり入ったりされてたやないの。サイババさんは、今まで歴史に名前が刻まれているような、偉大な人は全てムーンロカから来た魂やと言ってられた。地球の重力を離れてそこまで達した魂は、地球にあと一回だけ生まれ変われば上がりの人達なんや。
地球に住んでいる人々の為に、生まれ変わる機会を待っている魂なんや。そして、その機会が来ればガンディーのように、人類のために身を犠牲にしてまでもこの地上に生まれ変わって来られるんや。
ポニョ:以前このブログで紹介したと思うけど、太陽の方に行かずに太陽の光を反射しているだけで、カルマの法則が支配する月の方に向かって行った魂は、また生まれ変わるって言ったよな。
ヨシオ:そうやったな。でもほとんどの場合、月の明るさに惹かれて月に向かって行った魂は、地球の引力を離れて月まで達する程波動が細かくないので、途中にあるいろんな波動のレベルの霊界に吸い寄せられてしまう。月まで到達出来る魂はよっぽど、地球のしがらみから自由になった魂だけや。
ポニョ:今は、この地球から少しの間身を隠しておられるけど、大元の神さんであるサイババさんが来られたんやから、その露払いに、たくさんの高級霊がムーンロカからサイババさんと一緒にやって来てるんやろな。
ヨシオ:以前にもこのブログでも言ったように、ヴィヴェカナンダの生まれ変わりの人が世界のリーダーになるんや。というのも、もうすぐまた同じ姿で戻って来られるサイババさんが、今度は96歳まで俺たちと共にこの地球で活動されるけど、その後、次のサイババであるプレマババが生まれ変わって来られるんや。でも、プレマサイババは二十歳ぐらいまで名を明かさず、常人に混じって生活されるんや。だからそれまでの、二十数年間を前世がヴィヴェカナンダやった人が世界の指導者になる、とサイババさんが言っておられる。
ポニョ:それは、何遍聞いても面白い話やな。それ以外にも、ムーンロカから来てサイババさんの仕事をされている方はいるのかな。
ヨシオ:たくさんいてる。もちろん、俺が本人に会って確かめたわけではないけれど、シャンカラチャリアも生まれ変わってるっていう話を聞いたな。インドラの息子のアルジュナも。
ポニョ:凄い面々やないの。おいら達の周りにそういう凄い魂が普通の人のように生活してるって信じられないけどな。
ヨシオ:南インドのある街で御講話されている時に、この会場に特別な人が来ている。彼は、インドラのように天気をコントロールする力を持っているというような事を言われた事がある。
ポニョ:でも、こうしてたくさんの高級霊が大元の神さんが来られた時を狙って、一緒に生まれ変わってくるって面白いよな。
ヨシオ:でも、このカリユガの悪が蔓延している世に中に生まれ変わっても、その悪の影響を受けている天使もいるって言ってられた。でも、この世にはたくさんの天使のような人が、大元の神さんが仕事をしやすいよう露払いをしたり、あるいはババの近くでアシュラムの運営のために働いたり、サイの学校や組織で、またインドから遠く離れた国でサイの教えを広めたりして、サイババさんの手足となって働いておられる。
特に、十九世紀から二十世紀にかけて、世界中でいろんな霊的能力を持った人が現れて、心霊ブームになったけど、それもサイババさんの梅雨払いに来られた高級霊達なんや。
ポニョ:そういや、さっき、名前が出たヴィヴェカナンダのグルのラーマクリシュナパラマハンサが不思議な事を言ってられたのを思い出したぜよ。誰かが、あなたは神の化身ですか。と聞かれた時に、もし私が本当の事を言えばここに誰もいなくなるって。おいら、その言葉の意味が分からなくて、長い間頭をひねっていたけど分からんかったぜよ。
ヨシオ:あんまり考え過ぎたら、また頭の中がショートして耳の穴から煙が出て来るで。
そうか、でもそんな、なぞなぞみたいな事を言われてたんか。でも、本当の事って多分神の化身は既に来ているよ。シルディというところにおられるよ。ということやったんやろな。だって、ラーマクリシュナパラマハンサとシルディババはほとんど同じ時代の人やもんな。カルカッタとシルディもそんなに遠くに離れてないし。
ポニョ:それに、サイババさんの近くで働いておられたカスツーリ博士は、ラーマクリシュナの帰依者やったけど初めてサイババさんに会いに来られた時、ババは君のグルのラーマクリシュナパラマハンサの霊が君を導いてここに連れてきてくれたんだよ。ラーマクリシュナパラマハンサはチットラヴァティ川を渡る直前まで君と一緒にいたんだよ。と言われたことがあったぜよ。でも、カスツーリさんは自分がラーマクリシュナパラマハンサの帰依者って誰にも言ったことはなかったんや。
ヨシオ:本当に、これからの世界の動きに目が離せなくなってきたな。俺たちは、すごい時代に生まれ変わっていると思うで。今のこの時代は、後世の人たちから見たら、ウワーすごいラッキーな時代に生まれ変わってられたんやなー。って羨ましがられる時代なんやで。
というわけで、今日はオチがつきませんでしたが、サイババさんの話に入ります。
ヴィジャヤ クマリさんのサイババさんとの神聖な友情
サイババさんと友達のようになって遊ぶのはとてもユニークでした。
一人が手をつないぐと、もう一人はシャツなどを掴んでいつも、ババとくっついていました。
ババと話す時は、無垢な子供になって話すようになってしまうのでした。
私たちはいつもサイババさんの後にくっついて歩いていました。ババと歩いている時、私たちは木の陰や茂みの後ろに身を隠して、こっちにおいでと叫ぶのでした。
ババを呼ぶのに叫び疲れて、茂みの後ろに座り込んだ時ババは私たちの後ろに突然現れて、バアー!と言って私たちの後ろから驚かされるのです。どのようにしてババは、突然私たちが気付かないようにして、後ろに来られたのかとても不思議でした。
ババは先を急ぐぜ。と言われたんですが姿は見えずとも声だけが聞こえるという状態だったのです。でも、見上げると木の一番高いところまで上られていて、大はしゃぎをしながら私たちを呼んでおられたのでした。
どのようにしてそんなに高いところにまで、一瞬のうちに登られたのか不思議に思う暇もなく、次の瞬間、もうババは私たちと一緒に歩いておられたのでした。
ババは、いつも活動的で一瞬たりともじっとされたことがありませんでした。
ババは、何にでもとても強い関心を持っておられたのです。
私たちは皆そろって、近くの丘の上にある、願望成就の木まで登って行きました。
登って行く途中で、子供達を押したり、年寄りを怖がらしたりして,とても楽しんでおられたのです。
とにかくいたずら好きで、いつも遊んでおられたのでした。一番早く木に登れるし、なんでも出来たのでした。ババはどこへ行こうと、何をされようと問題なく彼は、私たちのヒーローだったのです。
ババは私たちと丘の周りを三周して誰が一番か競争しようと言われました。それで、ババは用意、ドンと合図されたので私たちは駆け始めました。
二周目を回ったところで、ババは誰か帰依者の人と話をされていました。
三周目を終わりゴールに着き腰を降ろすと、なんともうババはとっくの昔に着いてられたのです。それで、みんなで、ババを担ぎ上げるとまるで、世界中のものを手に入れたように、とても喜んでおられました。
ババが私たちと徒競走されている時の飛んでいるような走り方は、まるでライオンが走っているみたいでした。
いや、ライオンでもババについて行くのは難しいかもしれません。
ババの力は言葉には出来ないぐらい強かったのです。
こういうババの神聖な離れ業を経験出来てとても幸運だったと思います。
このような事が再び経験出来るなんて決して想像もできません。
神よりも偉大な友はないことを認識しなさい。
人が神の期待に応えることに失敗した時も、神は彼を見捨てません。
それゆえ神は良き友といわれるのです。
神は誰からもいかなる贈り物も求めません。
にもかかわらず、人はそのような良き友をなかなか受け入れないのです。
そうではなく神を良い友人として受け入れる者のみが、神の友情の完璧な意味を理解することが出来るのです。
このような信念こそ真の知識です。14/1/91
あなたは、神との友情を培うべきです。
もし神があなたの友人であれば、全世界をコントロールすることができます。
しかし今日、不運な人々は、神との友情を失いつつあります。
神と友達になるのは容易なことではありません。
しかしあなたは、このことにあらゆる努力を傾注すべきです。
いったん神と友情を培うことができれば、サーダナ(霊性修行)を通じてそれを最大限に活用しなければなりません。
おしゃべりをして時間を無駄 にしてはなりません。23/11/02
ポニョ:ほんまに子供の心を持ってられるんや。サイババさんは。ヴィジャヤさん達と遊んでおられる様子が目に浮かんでくるな。だって、おいら達が昔、小さい頃遊んでいたことと同じような遊びをされて喜んでおられるんやもの。
ヨシオ:最初は空間も、時間も、物質も、何にも無く、ただ自分だけがいてた状態から、自分で宇宙や霊界を創り、そして自分を見れる自分をたくさん創って、その自分が創った自分と遊んでおられる。
ポニョ:でも、元々の「私」だけしかいなかった時は、帰依者とか信者がいなかったということは、神さんも存在してなかったって事になるな。だって、信者がいて初めて神さんって存在するやんか。
ヨシオ:最初は、全てを包括する「私」しかいなかったって事になるな。その「私」が「私」を見ようとして、ただ一つしかなかった「私」が無数の私になったんや。
ポニョ:ということは、エゴって何なんや。
ヨシオ:元々、一つの「私」しかこの世界に存在していないのに、自分を見る為に、たくさんの私を創られた。そのたくさんの私の一つが、大きな「私」と離れてしまって、小さい私の事を本当の「私」と勘違いすることをエゴって言うんやろうな。
ポニョ:昔のテレビ番組に私は誰でしょう。というのがあったな。なんか、黒いマントみたいなのを身体にまとって、みんなの前に出てくるんや。それで、そのマントをまとっているから、その人の元々の服が見えないんや。それで、周りの人がいろいろと質問してその人の職業ややってる事を当てる番組やったな。
ヨシオ:それって、めちゃ古い番組やで。俺が生まれた頃に高橋圭三っていうアナウンサーが、司会をやってた番組やろ。でも、マントを巻いて当てるのは、「私のひみつ」という番組と違うかったか?
ポニョ:ああそうやったかな。確か、チロリン村とクルミの木が終わってから見たような気がしてたんやけど。忘れたな。ところで、何でそんな古いテレビの話しになってるんや。
ヨシオ:ポニョがし始めたんやないの。ポニョの博物館から引っ張り出して来て。
ポニョ:ああそや。だから、おいらが言いたかった事は、最初の「私」から離れてしまった小さなたくさんの私が、自分はその小さい私が、「私」と思っているんやろ。だから、私は誰でしょうって一人ひとり自分に問いかけて、本当の私は全ての「私」でした。実は、この世で見る全てのものは自分でした。というのが、霊性修行によって気づいていかなあかんねんやろ。ということを言いたかったんや。
ヨシオ:神さんは、愛そのものや。って言うよな。でも、何で神さんは愛そのものや。って考える人って少ない。でも、今ポニョが言ったように、霊性修行というのは、自分が無数に顕現した大元の自分から離れた自分だと思っている小さい自分から、全てを包括する大元の自分が実は本当の自分やった。と悟ることや。
だから、全ては元々は一つやったんや。だから、多数に見えているけど、元々は一つなんだよ。という元々の「私」からのメッセージが、愛なんや。つまり、「私」は一つ、私は「私」やったと分かるこということ自体が愛なんや。
ポニョ:あんたの説明は難しいものを、余計に難しくしてしまってるやんか。もっと簡単に言ったら、大元の「私」っておいらの身体やと思ったらええんや。それで、身体のあちこちの器官が自分は身体の一部やのに、
いや違う、おいらは指や。身体とは違う。おいらがいないと、身体なんて維持出来ないぜ。
いや、何言うてんねん。俺は、お前に命令してる脳や。お前より偉いんじゃ。
何言うてけつかんねん。おいらがいないと、お前の手術は誰がするんじゃ。
じゃかーし!おのれは、鼻くそだけほじくってたらええんや。汚ねえ野郎や。
あのな、おいらに向かってそんな偉そうな口の聞き方したら、耳から指突っ込んで、お前の松果体をグリグリほじくったろか。
とか言って言い合いしてるのが、俺たちの住んでいるこのガタガタした世界やな。
ヨシオ:あのな、ポニョの一人芝居のおかげで、余計に何を話してるんか分かれへんようになったやないか。つまり、ポニョが言いたいことは、全てが一つの身体に属してるのに、俺は指やとか、いや違う脳やとか言っているのが、この世界やって言いたいんやろ。
ポニョ:おいらは、そう言ったつもりなんやけどね。
ヨシオ:そこで、なんで耳から指を突っ込まなあかんねん。まあええわ。だから、本当は一つの身体やから、指さんと脳さん、あんたらもめたらいかんよ。本当は僕たち一つの身体に属してるんやで。というのが愛の教えで、その身体自体が一つやから、神さんは愛そのものやって言うんや。
ポニョ:要するに、自分が自分の体の一部である指とか脳とかを嫌っても仕方ないもんな。だって自分の体の一部やし。誰も、自分の身体を愛さない人っていないもんな。神さんは愛やという理由は、全部が自分の身体やからやろ。自分を自分で愛するって当たり前やんか。
サイババさんは、人を愛しなさいって言われるけど、御自分は自分しか愛しておられない。
御自分が創られた自分で御自分を見ておられるけど、創られた自分が御自分以外を見ていると、それはエゴやとか、世俗の世界に囚われているとか言われる。それじゃ、御自分は御自分しか見ていないから、エゴの塊やんか。自分という大きなエゴが実は創造主やったて、なんかパロディみたいで面白い。
ヨシオ:あのね、ポニョよ。なんか今日は難しいトピックやから耳から煙を通り越して、火花が出て来てるで。大体、エゴというのは元々の「私」が、「私」を見る為に私を創った時に出来た言葉でそれまでは無かったの。
それに、さっきのポニョの例で言えば、おい身体の主よ。お前は、俺たちにお互いの身体の器官を愛し合いなさいって言ってるけど、お前はお前の身体しか愛してないやんけ。
それに、俺たちが、自分は指やとか思っていたら、お前はそれはエゴやという。お前だってお前の身体全部しか愛していないから、めちゃ大きいエゴの塊やんけ。と言っているようなもんや。
ポニョ:それって、ハチャメチャな論理やな。誰やそんないちゃもんつけとる奴は。
ヨシオ:ポニョやんか。自分でどんな意味のないこと言ってるかやっと分かったようやな。
俺たちは、体の違ったところにあって、違う役割をしている器官や。サイババさんは全てを愛しなさい、お互いを愛しなさいって言ってられるんや。本当は全ては一つ。賢者は、指や耳や髪の毛を見て、ああこれらは、人の一部や。これらの器官は全てが人を形作っていて人そのものなんや。と宣言するんや。それが、悟りと言われてる。
ポニョ:なんや。そんな難しくないやんか。いちいち宣言せんでも、分かり切った事やんか。自分の指が自分の身体の一部やってことぐらい。誰でも賢者になれるやんか。悟りって言うたら瞑想して、長いこと洞窟の中で座っていないと出来ないのかなと思ったけど、いつも鼻くそをほじくってる指が体の一部やと分かることなんや。
ヨシオ:ポニョにかかったら、なんでもメチャ簡単になるねんな。でも、そういうことが分からんと人はお互いいがみ合いしたり、殺し合いをしたりしてるんや。だから、多様性の中に一つを見るって大切なんや。
と、ポニョが鼻くそをほじくりながら悟りを開いたところで、サイババさんの話に移ります。
私のサイババさん体験記 ラダ クリシュナ セティさん
ほどんど毎日のように、夕方になれば、私たちはアシュラムからチットラヴァティ川まで歩きました。
丘が右手の方に過ぎ去り、やがて川が見え始めるとサイババさんは時々、消え去られてしまうのです。
そして、また現れてサイババさんは私たちに指を鳴らすように言われるんですが、とても難しくって。また、私たちの間を歩いておられるサイババさんが突然消えて、木のてっぺんに姿を現される事もあるんですよ。
私のサイババさん体験記 ヴェンカタギリの王様
一二回私は、サイババさんと一緒に願望成就の木のある丘に登りました。そこは、丘の頂上にあってチットラヴァティ川の近くにありました。
ババは、帰依者たちにどんな果物でもいいから言ってごらん。出してあげるよ。季節外れの果物でもいいよ。と言われました。
私は、真面目な性格なので季節外れの果物は、頼めませんでした。でも、他の人が季節外れの果物を頼んで頂いた時にそれを少し頂きました。
多くの人々は、何でも自分が欲しているものを望みました。そして、それらを得ることが出来たのです。
と言っても、サイババさんがそれらを直接、手渡すわけではなくて、木にくっついているのを自分で取りに行くんです。
サイババさんは、木からずっと離れたところにお座りになられていて、人々にどんな果物が欲しいか聞かれるんです。それで、人々が口々に好きな果物を言うと、サイババさんは、じゃあそれを木のところまで行ってもぎ取っておいでと言われるんです。
エゴはどこから生まれるのでしょう。
どうしていつもエゴに悩まされるのでしょう。
人間の持つ無知によってエゴが起こります。
〜宇宙の大きさが分かっていたらエゴなど起こるはずはありません。
宇宙はどれほど大きくて、自分はそれに比べてどれほど小さいか忘れてしまったときに浅はかな考えが浮かぶのです。SGc31
悲しみはエゴイズムから生まれます。
自分はこのような、悪い待遇を受けるべき人間ではない、あるいは自分を助け、分かってくれる人は誰もいない、などは、エゴイズムからこのような悲しみが生まれるのです。
エゴイズムが無くなれば、悲しみも消えてゆきます。
無知とは、自分自身を肉体と思い込むことです。SSSVol1chp4
他の人の批判、あら探し、それはすべてあなたのエゴから出て来ていることなのです。
あなた自身の欠点を探しなさい。
あなたが他人に見る欠点は、あなた自身の性格が反映しているだけなのです。
些細なことにくよくよせず、心を至高の神に結びつけなさい。
そうなれば、あなたは良い人々とだけ交わるようになり、あなたの力も変わってくるでしょう。
すべての人を神の子どもと見、あなた自身の兄弟姉妹とみなしなさい。
愛の心を培い、常に人類の平和と繁栄を念頭に置きなさい。人を愛しなさい。
そうすれば他人から愛されます。それは私の真義です。
私に到達したいなら愛を培いなさい。SSSVol1chp11
あなたが聖なる英知の炎を見ることができないのは、エゴがあるからです。
エゴはどのようにしてあなたの心に入るのでしょう?
それは、あなたが真実の道を手放したときに、あなたの心に侵入するのです。
あなたが、真の自己を知らずに、世俗的な思いや感情を育てるときに、あなたは利己的になります。エゴを取り除くには、世俗的な思いや感情をコントロールしていなければなりません。
エゴを取り除かないままに英知を獲得することはできません。
アートマ(真我)のまばゆい光を見るには、心を覆っているエゴというすすを取り除かなければなりません。23/1102
ポニョ:先日の記事に舌に三回オーム サイと書いたら、オーム サイとしか言えなくなったって話があったよな。
ヨシオ:ああ、皮膚病を治してもらえなかったからババを恨んで、ババの写真や手紙を全部捨ててしまわれた人やったな。ババは理由があって癒されないんやろ。
ポニョ:ババが夢に出て来られてやられた事は、目が覚めてからも現実になるって面白い。でも、この人もう生まれ変わらなくてもいいよ、なんて言われたよな。こんなに、ババのことを嫌いやったのに、ババと一緒になれるって不思議や。
ヨシオ:クリシュナの時も、クリシュナをとても嫌っていたシシュパラという人がいたけど、嫌いだからこそ、いつもその嫌いなクリシュナの事を恨んで考える。だから、神さんの恩寵を得たんや。つまり、神さんはご自分の事を嫌いであろうが、好きであろうが、いつも思ってくれていたらそれで、嬉しいんや。
ポニョ:ということは、昨日の例で言ったら、指や脳がいつも自分が属している身体のことを思っていたら、俺は身体が嫌いや、とか好きやとかの思いに関係なく身体の持ち主は嬉しいってわけやな。
ヨシオ:いつも神さんを心に思うって難しいけど、それって大事なんや。だって、自分の霊的なレベルを神さんと同じレベルに持っていけるから。その神さんを好きであろうが嫌いであろうが関係ない。
ポニョ:それって、面白いよな。嫌いな神さんを思ったらその神さんの元に行ける。で、その神さんのところに着いたら、その神さんは実は自分自身やった。なんて、なんか小説を読んでるような不思議な話やな。それに、さっきのサイババさんの名前しか言えなくなった人の話やけど、家族の人は驚いたやろな。
ちょっとものを取ってくれる。と言おうとしたら、オームサイラムって言ってしまうんやろ。
周りの、人は困るよな。例えば、買い物に行っても、奥さん今日は新鮮なオクラがたくさん入ってますよ。どうですか。と八百屋に聞かれても、オームサイラムって言うんやろ。なんやねんこの奥さん。ってなるやろな。
ヨシオ:でも、神さんが人に舌を与えられたのは、神さんの名前を唱えれるようにする為やねん。だって、この世に生まれて来た本当の理由は、神さんのところに戻って行くためやろ。
その自分の終着点で、神さんが早く私のところに帰っておいでや。こっちに帰って来るんやで、と言って手を広げて待っておられる方へ行かんと、あっちこっち寄り道しているのが俺たちやから。
ポニョ:それじゃ、神さんの名前を唱えるって自分が帰る故郷の名前をいつも思い出すようなものなんや。故郷の名前をいつも覚えてないと、帰れないもんな。まるで、アルツハイマー病の人が自分の家に帰れないようなものや。
ヨシオ:特に、この俺たちが生きているカリユガ時代では、神さんの名前を唱えることだけが、唯一、神さんの元へ行ける方法なんや。それまでは、瞑想をするとか、礼拝を捧げるとかいろいろあったけど、今の時代は神さんの名前をいつも唱えることだけしか残っていないんや。
ポニョ:なんでやねん。それって。
ヨシオ:一つの理由は、この時代は他の時代より寿命がとても短くなっているから、悠長に長い間森や洞窟の中に何十年も籠って瞑想をやってられへん。
すぐに、寿命が尽きてしまう。あのマハーバラータの登場人物は、クルクケーシュトラの戦いの時に、すでに八十歳ぐらいやったんや。ビーシュマなんかとっくに百歳を超えていたんやで。それぐらい寿命が長かったんや。
ポニョ:今やったら、ヨボヨボのおじんやな。でも何で、そんなに長く生きれたんやろかな。
ヨシオ:それは、当時の地球の大気がもっと厚くって気圧が高かったから心臓の負担が少なかったからではないかと言われている。それに、みんな神さんに近い魂ばかりやったから、霊的パワーもとても強いものを持ってたんやろな。
ポニョ:でもさっきの人の話やけど、死ぬまで神の名前を強制的に言わされて、すごい神さんからの祝福を受けておられるよな。おいらがもしそんな事になったら、サイラムという言葉自体は変えて言えないから、イントネーションを付けて言ったり、音程を変えながら言ったりして、自分の意思を伝えるやろな。
ヨシオ:気持ち悪いでそれって。人間ってさっきも言ったように、毎日、神さんの事だけを思って、神さんの名前だけを唱えて生活して行けばいいんやけど、人の悪口を言ったり、仕事や上司の不満を言ったり、噂話をしたりして余計な事に舌を使い過ぎてる。
ポニョ:将来、ゴールデンエイジになったら、小さな舌の裏につけれるようなチップが売りに出されたりしたらええな。それで、それを付けたら神さんの名前しか言えなくなるんや。
ヨシオ:でも、もし、その人が神さんの事を信じてなかったら意味無いやんか。神さんの名前もその人にとっては、ただの音の配列に過ぎないやんか。
ポニョ:そんな事ないで、サイババさんは、お祈りの時に唱えるマントラとかヴェーダは横にいてそれを聞いている鳥や動物にも良い影響を与える。と言ってられるで。あんたのお袋さんもルッドラムを横で聞いてられるだけで、アルツハイマー病やったのに癒されたやないの。
でも、心から意味も分かって唱えたらの話やけど。、、、、やっぱり、あかんかな。
それで、そのマイクロチップをおいらの鯉や犬や猫にも付けるんや。そうしたら家じゅうどこに行っても、サイラム、サイラムという神さんを呼ぶ声しか聞こえない。…ちょっと不気味やろか。
ヨシオ:特に鯉が口を開ける度にサイラムって言ったら気持ち悪いやろな。
ポニョ:ああそや。鯉に舌なんか無かったわ。あんたアホやな。
ヨシオ:何言うてるのん。ポニョから先に言い出したんやないの。というところでサイババさんの話に移ります。
今日は、結婚式のお話です。以前から御紹介してますヴィジャヤクマーリさんが、いよいよ結婚する事になりました。
ポニョ:ヴィジャクマさんて、サイババさんと駆けっこしたり、ヤモリがケッケッとか言ってババに試験の答えを教えてもらった人やろ。
ヨシオ:それに、以前紹介したアンニャンタシャラナンの著者や。
ポニョ:サイババさんの若かりし頃のエピソードをたくさん経験されておられて幸運な方やな。
ヨシオ:この世には、何も偶然は無いし前世で、クリシュナの時代の牧女のようにとても神に近い魂やったんやろな。二月二十一日に、ヴィジャヤさんの二人の兄弟がサイババさんを車で迎えに来ました。
でも、結婚式に参列した人達は夜の十一時まで、サイババさんが来るのを待たなくてはいけなかったのです。
その夜、全ての人々が寝静まってから、家族の人達は、どうしてこんなに遅くに着いたんだ、と兄弟に聞きました。
兄弟は、このように説明しました。僕たちが、ババを車に乗せて家に向かう途中、孔雀と鹿を見つけたんだ。それで、ババがそれらを追いかけて行って帰って来なかったんだよ。
長い間待ったんだけど。ようやく戻って来たけれど、もう遅くなっていたので、みんなで軽食でも食べようって話になって、食事をしてたんだけれど、料理がおもいっきり辛くってさ。何か甘い物でも注文しようとしたら、ババがこの水を飲めばいいだろう。って言うんだよ。
僕は、嫌だよ。そんな普通の水を飲んでも、この辛さは癒せはしないって言ったんだけど、どうしても飲めって言うんで飲んだら、とっても甘い椰子の水みたいだったんだ。
断じて言うけど、それまでババはその水が入った容器に一回も手を触れてなかったんだ。
それで、近くに、水を汲める所なんて何処にも無いのに、水の容器はその甘い水で一杯だったんだ。そうこうしているうちに、着くのが遅くなったっていう訳なんだ。
そして、結婚式当日、ババは花嫁に結婚の印の首飾りを物質化して、花婿に花嫁の首にかけるように言いました。
そして、夜になって披露宴が始まりました。ババは、新郎新婦の為にミュージックバンドを後ろに控えさせて、神の化身による披露宴コンサートをされたのです。
先ず、ガネーシャ神への祈りから始まり、南インドの有名な詩人ティアガラジャが作曲した詩を歌い上げ、そのあと全部で九曲も歌われたのでした。
そして、とても心がこもった歌い方をされたので、涙流さずして聞けた者などはいなかったのです。
そして、この結婚式に以前紹介した目に細菌が入ったリーラさんが、お父さんと駆けつけて来たのでした。
また、次のような結婚式もありました。ババはある帰依者に、もし、あなたが死んでも僕は、あなたの残された子供の面倒を見るから心配しなくていいよと謎のような言葉を言われていました。
ババが言われた通り、その帰依者は亡くなってしまったのでした。
その当時、ババは十七歳だったのにも関わらず、帰依者の娘のシャンタさんの父親代わりになったのでした。
そして、1948年三月にプッタパルティで、初めて結婚式が執り行われたのでした。
結婚式に遡ること五年、当時十一歳だったシャンタさんの家に世話になっていた、男の子がシャンタさん家族と一緒に牛車に乗ってプッタパルティにやって来ました。
ババは、よく花嫁と花婿が仲良く座ってる。とか言ってからかっていました。
でも、シャンタさんが十四歳の時に、これは冗談ではないんだよ。彼が、君の旦那さんになる人だよって打ち明けました。
シャンタさんは、嫌がっていましたが、ババがこの結婚は神が望んでいるんだよ。と言ったので、二年後この二つの家族は結婚に同意しました。
結婚式は、しきたりに従って粛々と執り行われ、ババは花嫁のためにネックレスを物質化させてプレゼントをしたり、父親のように双方の家族の中に入って一緒に食事をしたり、冗談を連発して皆を笑かしたりして、とても忙しくされていたのでした。
結婚前は彼も、彼女も半身でした。女性は左半分で、男性は右半分です。
今、結婚して一つの身体になりました。
これからは、夫の悩みは妻の悩みとなり、妻の悩みも夫のものとなります。
身体の一部が麻痺したら、他の部分もそれを感じられるのと同じことです。
ですから、それぞれの痛みをお互い感じ合わなければなりません。
二つの痛みはスワミによって取り除かれるでしょう。
二人のどちらにもスワミがいます。夫は妻を、妻は夫を助けなければなりません。
時に、怒りやエゴ、短気や緊張が生まれるのは自然なことです。
夫婦は譲り合い、理解し合わねばなりません。まず、理解し合うことです。
それから、解決することです。九割の夫婦はまず問題を解決しようとすますが、順序が逆です。
まず、お互いをよく理解しあうことが大切なのです。Divine Memories of Bhagavan Sri Sathya Sai Baba
家族内のトラブルは、双方とも感情を高ぶらせた夫と妻が関わった時にのみ、爆発します。
(そしてスワミは手を叩かれたので、「パン」という音がしました。そして左手を脇に置いて、手を叩こうとされました。音はせず、涼しい風の波がきました。 )
このように、両手が触れ合う時に、トラブルを表す大きな音がするのです。
しかし、片方の手だけを振ってみても音はせず、涼しい風だけが起ります。
同様に、私たちの生活に於いても、妻と夫の間で意見の相違がある時は、たとえ一方が険悪な状態にあったとしても、もう一方が忍耐を持っていれば、喧嘩が起こる可能性は絶対にありません。ですから、心を落ち着けて理解するよう心がけなさい。
すでに火が燃えているところに、短気を起こして燃料を注ぐようなことをしてはいけません。
そんなことをすれば、あなたの家は燃えてしまうでしょう!
火を燃え上がらせる代わりにしばらく静寂を保ち、あなたを支配している感情を静めるようにしなさい。
家庭内の幸せと平安は、その家の女性(主婦)が幸せである時のみ保たれる。
主婦の緊張とストレスを解きほぐす努力をすることが、夫であれ、子どもたちであれ、他の家族全員の義務である。
結婚とは、基本的にお互いの理解の問題であり、それ以外の何ものでもありません。」28/4/63
ポニョ:サイババさんが、結婚式でバンドを背にコンサートしたって昨日の記事で言ってたけど、めちゃ面白いな。おいらも聞きたかった。
ヨシオ:九曲も歌われたんやな。聞いてた人が、感激して涙したって言ってたけど、すごい迫力やったんやろな。
ポニョ:みんな元気かーい。今日もどんどん行くぜ〜。俺の曲にしっかり乗って楽しんでくれよな〜。じゃあ最初の曲は、象さんの頭を持ってるガネーシャさんの曲だぜ。さあ行くぜ〜。みんないいかい〜。イエーッ!という感じでコンサートを始められたんかな。
ヨシオ:多分、ポニョの霊界ではそうなんやろな。
ポニョ:Saibaba Singというカセットテープが、サッチャサイブックトラストから売りに出てるけど、その中でサイババさんは素晴らしいバンドを背にして歌ってられるで。
ヨシオ:あれは、御講話の前に一人で歌われた歌に、後でバンドっていうか楽器を一つ一つ重ね録りしていったんや。
ポニョ:でも、そのテープはプロフェッショナルな出来栄えやな。それに、クラリネットかフルートとかめちゃ上手いで。
ヨシオ:これは、俺の推測やけどあの有名なクラリネット奏者である、ケニージーが噛んでるんやないかと思ってるんや。
ポニョ:ケニージーがか?あんだけの、テクニックでいろんな楽器を吹きならせるって、世界にそうそういてないもんな。でも、あの人、サイババさんの帰依者なんか?
ヨシオ:ハリウッドには、たくさんいてるで。俺がアシュラムにいる時も、エリザベステーラーが来てたし、MJもそうやし、Sワンダーもやし、いっぱいいてるんや。
エリザベスか来た時、サイババさんは、ちょうど車に乗って何処かへ出かけられる時やったんや。それで、それを見つけてエリザベスは車に駆け寄って、「ババ。私です。エリザベスです。あなたに会いに来ました。」と言ったんや。ババは、車の中から微笑まれてそのまま行ってしまわれた。次の日から、エリザベスは普通の帰依者たちに混じってダルシャンに出て、大人しく座っておられたな。
ポニョ:そう言えば、エリザベスさんとMJは友達やったな。
でも、それは知らんかったな。そういえば、おいらがインドにいてた時に、サイババさんの降誕祭が有ったんやけど、ヒルビュースタジアムで、サイババさんが象のサイギーターと一緒に出て来られた時、ケニージーの曲が流れてたな。
ヨシオ:オーストラリアでも、若い帰依者達が中心になって週に一回ほど、FMサイラジオを放送してたことがある。その放送が始まる時の曲を、ケニージーの曲にしようって決めて流してたんやけど、その時に誰もケニージーがサイババさんの帰依者やって知らんかったんや。
それで、そのラジオ放送をしているグループが、サイババさんのところにツアーを組んで行ったんやけど、最初のダルシャンの日に最初にかかった曲が、自分達が選んでラジオ放送の前にかけていたケニージーの曲やったんで、みんな感激したんや。
ポニョ:多分、ババがその曲をかけろって言われたんやろうな。でも、そんなすごいクオリティーの曲がカセットテープでしか売ってないって、ちょっと寂しいな。値段はただみたいやったけどな。少なくてもCDぐらいで聴きたいよな。
ヨシオ:これらの曲は全部ネットで聞けるから問題ないよ。素晴らしい動画や画像付きで。
#サイババさんが直接ガヤトリマントラを唱えられてから、八、九曲ほど続けて歌っておられます。
http://m.youtube.com/watch?v=ZcI1eN9ll64
ポニョ:でも、ケニージーがこれらの曲に関与してたって聞くと、やっぱりなって思える。
神の化身と共演した世界最強のミュージシャンの組み合わせって、最高やな。もう一度、聞いてみようかな。もし、本当にそれがケニージーやったらええな。
ヨシオ:YouTubeで、画像付きで43分以上の演奏が入っている曲が聞けるのがあるし、探したらもっとあるかもしれないな。俺たちが毎日、紹介させてもらっているサイババさんの若い時の話に出て来る古いサイの帰依者の人も、今ではかなりのお年になっておられるけど、死んで行く時にはこのテープを聞きながら身体を離れたいって言ってられた方がいたな。
ポニョ:おいらもそうしようかな。ついでに、美味しそうな天ぷらやお好み焼きの匂いを嗅ぎながら、逝けたら最高やね。
ヨシオ:ポニョは病気一つしたこともないやろ。ほっといたらまだ五十年以上も生きる男がそんな簡単に死ぬかいな。お好み焼きの匂いを嗅ぎながら死ぬやて。何いうてるねん。ほんまにおもろいやっちゃ。と今日は久々に軽く、ミュージックの話が出たところでサイババさんの話に移ります。
サンドゥルというところに、王朝が有って、そこの王妃様がある日、夢を見ました。
その夢で、その王家が自分たちのグルだと信じている、ヒラライ マハラジとシルディサイババそしてサッチャサイババは一つであるというメッセージをもらいました。
それで、プッタパルティにおられるサイババさんに手紙を書き、使いの者をやりました。その手紙には、ババに会いたいのだが、いつ頃プッタパルティに行けば良いか、サイババさんに尋ねる内容の手紙でした。
その使いの者が、ブッカパトナムからバスに乗ってババのところへ向かっていたところ、前から一台の車が来ました。
その車は、バスに止まるように合図をしました。それで、バスが止まると、ババが使いの者にバスから降りるように言われました。そして、ババに王妃から預かっている手紙を渡すように言い、さらに手紙の封を開けずに王妃にいつ来ても良い、と伝えるように言われたのです。そして、ババはそのままマイソールに出かけて行かれました。
バスの乗客達は、自分達のバスに、王妃の使いの者が手紙を持って乗っているのを、ババが知っておられたので驚きました。
そして、その後、王様と王妃様は、突然プッタパルティにやって来たのですが、もちろんババはそのことを知っておられたので、部屋から食事まで全て、既に用意されてありました。
そして、彼らにここで一泊するように勧められました。
それ以来、彼らはアシュラム詣でをするようになりました。それに伴い、ペンダントや神像などたくさんの物質化したものをババから頂いたのでした。
ババも、サンドゥルにある宮殿に招待されました。ババは、大きなクリシュナの像を物質化してプレゼントしましたが、バスタオルを持って来るように言いました。
そして、その像をバスタオルの中に入れられました。というのも、それはものすごく熱くて誰も触れることは出来ませんでした。
皆は、ババがバスタオルを持って来るまでの間、どのようにしてそんなに熱いものを素手で持つことが出来たのか、不思議がっていました。
ババは宮殿に置いてある王座の椅子を直ぐに違う場所に移させました。そして、新しい場所に移した後、王様に頼まれてその玉座に座り、そうすることによってその王室を祝福されたのでした。
しかし、その頃、インドでは王政再編が始まっていて、王室の存続は危機に瀕していました。ババは、お前たちはマンガン鉱のビジネスをすれば良い。そうすれば、王室制度が無くなっても、速やかに民間人になって行けるであろうとアドバイスされました。
でも、当時、マンガン鉱のビジネスは社会から余り良く思われていない仕事でした。しかし、ババに帰依していた二人は、迷うことなくそれを始めました。
今では、インドでは知らない人がいないほど、彼らのビジネスは有名になっています。
王様と王妃様は、イスラム教徒のジャバーというお付きの警護人を持っていました。
でも、ジャバーはサイババさんの事を神の化身だと全く信じていませんでした。
ある日、ババはジャバーをインタビューに呼びました。そして、着ていたローブの胸のボタンを外し、ジャバーにご自分の胸元を見せました。何とそこには、ジャバーが使っている言語で、金色の文字が浮かび上がっていたのです。それは、アッラーは神だ。と書いてありました。
ジャバーはそれを見た途端、余りのパワーを受け、気絶して倒れてしまいました。
ババは、彼を抱き起こして額にヴィブティを物質化して塗りました。
その事件以来、ジャバーは奥さん共々、熱心なババの帰依者になったのでした。
“インドでは音楽が心に有効に働くと信じられています。
それは、心の動揺と心配事という波立つ心を落ち着かせ、平常心を取り戻させます。
音楽は、情熱をおさえ、感情をおさえ、衝動を高貴な目的に導きます。
我々は、このような我々の文化の中の音楽が持っている偉大な役割を忘れてしまっています。SSSvol5p,257
メロディとリズムに注意して、至高の神の御名を歌うことには特別の功徳があります。
至高の神は音楽を愛します。
その上、その歌が熱心に歌われるなら、それは全ての悪い想念を心から追い払うことに役立ちます。妙なる音楽は至高の神の心を動かし、聞き入る人々を感動させることが出来ます。
〜清らかなハートで神の賛美の歌を歌うなら、あなたは環境を、国家を、世界を清めるでしょう。11/4/97
“音響のない瞬間はなく、どんな小さな出来事にも音響が伴います。
ただあなたの耳がそれらのかすかな音を捉える力を持たないのです。
まぶたを閉じるときや、花びらに露のしずくが落ちる時にも音がしているのです。
静寂を乱す、ごく微かな波立ちにも音が伴うのです。
SIP4-11”
“私は決して真の信者に話しかけない。
それはどうしてだか分かりますか?
私は彼らが私の名を愛で持ってメロディのように唱えているのを邪魔したくないのだ。
それは私にとってまるできれいな音楽のように聞こえるのだ。
もし私が彼らに話しかければ、彼らのナマスマラナを邪魔することになるのでしたくないのだ。”
ケニーGさんのモーメントです。
http://m.youtube.com/watch?v=vx6xsCNS3nI
ポニョ:昨日の記事もそうやけど、もう奇跡をたくさん知りすぎてマヒしてしまっているわ。サイババさんの奇跡っていうたら、手をくるくる回して指輪とかヴィブティを出すだけやと思っていたら、こんだけたくさんの奇跡を普通にされたんやな。
今回も、大きな誰も触れないような熱いクリシュナの像を物質化されたんやな。
ヨシオ:俺がインタビュールームで見た奇跡の中で一番すごかったのは、シルディサイババの銀の像を物質化された時やった。俺は、サイババさんの真横に座っていてよく見えたんやけど、その時は手を何時ものようにクルクル回されないで、手のひらを上に向けておられただけやった。
俺は、一体何をされるんかなと思ってその手のひらを見てたら、手のひらの真ん中に光るものがぽつっと出て来たんや。そして、それがだんだん大きくなって、頭が出て来てその後、三秒ぐらいかかって二十センチくらいの像の全体がスルスルという感じで出て来たんや。
ポニョ:まるで筍みたいやな。普通、手をくるくる回して出て来るんやけど、何も手を動かさないで物質化さすってトリックの余地は無いよな。
ヨシオ:宇宙を創られた時と同じテクニックを使って物質化すると言ってられたな。だから、物質化するまでに何を物質化するかを頭の中で想像するんやて。
ポニョ:でも、時計とか物質化されたんを見たことあるけど、ラドーとかセイコーとか企業ブランドが書いてあったで。それって、どこからか持って来ておられるんやろか。
seikoの代わりにsaikoになってたやつもあったな。
ヨシオ:SaibabaやからSEIKOではなくてSAIKOか、それって最…
ポニョ:やめときって。最高って言いたいんやろ。簡単すぎて面白くないから。そんなダジャレ。
ヨシオ:サイババさんは、瞬時に自分の身体をあちこちに現せられる事が出来るし、このブログを見てくれている人ならもう知っておられると思うけど、サイババさん自身は光そのもので、放射されているから、どんな波動を持った肉体にでも入って行ってコントロールされることが出来る。
だから、その辺の、通行人の体に入って時計を買い求めて、その時計を瞬時にインタビュールームに移動されて、帰依者にプレゼントされるんや。
ポニョ:それで、買い物をした本人は何も覚えていないっていう事が、度々このブログで紹介したよな。でも、時計を買ったんやから、財布の中の金は減ってるやろ。
ヨシオ:心配ない。全てはなるべくしてなっている。もしその人の財布の金を使われたんであれば、その金を使われた人は、その使われた分の金を何らかの理由で余分に持っていた人やねんやろな。
ポニョ:だから取っていかれたんか。そういえば、自分が不正に貯めたり、騙して盗ったり、自分が受け取る以上の金を受け取っていたりしたら、神は四つの方法を使ってその人の財布の中からそれらの余分の金を取り戻すと言ってられたな。
一つは、病気になって医者に金を支払う事によって。
二つ目は、泥棒によって
三つ目は、火事などの自然災害によって
四つ目は、税務署によって
これらの、四つの方法で、自分が不正に、あるいは持つべき以上の金を余計に持っていたら、奪って行かれる。ということを言われていたな。
ヨシオ:この世で人は生きて行くためにお金は必要や。そのために、働いて家族を養ったり、家を建てたり買ったり、または、借りやないかん。
毎日、額に汗して真面目に働いて得たお金で生活をして行く、慎ましやかに生きて行く。そしてそういう毎日の平凡な生活の中に、子育ての中に、年取った両親の世話をする中で幸せを見出していく。身近な人々の中に神様の偏在性を見つけて行くってことが幸せに繋がって行くんや。
ポニョ:でも、人によっては真面目に働いても、貧乏のままやし、全然働かなくても、金をたくさん持って豪華な生活してる人もいてるで。それって、やっぱりカルマの法則が働いているんやろな。おいらなんか、若い時から、いつもピーピーやけど。それもカルマかな。
ヨシオ:ポニョは、金が出来たら将来のことを考えんと気前良くパッと全部使ってしまうからや。
ポニョ:あんたの方がひどいやないの。奥さん良く我慢してると思うで。
ヨシオ:と、今日も一本取られました。それではサイババさんの話に移ります。
1948年の中頃、ババはバンガロールのセティさんの家で帰依者たちにダルシャンを与えておられました。
そこに、その前の年に息子を亡くして、悲しみから立ち直れない夫婦とお婆ちゃんと娘がやって来ました。
その一家は、セティさんの家にとてもたくさんの人々がいてるのを見て、せっかくババに初めて会ったにも関わらず、余り強い印象を得ずに帰って行きました。
それで、彼が、次にババに会ったのが、翌年の七月でした。
彼は、バンガロールにある中等カレッジで歴史を教えているカスツーリ教授でした。
次の七月に、カスツーリはババと話す機会が有りました。
ババは、あなたの仕事はこれから、良い方向に向いて来ます。そして、あなたの娘さんはあなたの友人のバラチャンドランさんの孫と結婚するでしょう。そして、あなたが大学を退職したら、私と一緒に住んで私の伝記を書くことでしょう。と言われました。
その後、カスツーリはババと何回か会う機会が有りました。そして、次の年にはババが娘さんの結婚式を執り行いました。その後、カスツーリはババと一緒にプッタパルティに居を定めサイババさんの伝記を書くことになったのでした。
ちょうど、その頃ババは神の化身としての新たな使命の為に自らの身体をより強くするための調整期に入っていました。
そのために、プッタパルティにあまり帰らずにバンガロールのセティさんの家で英気を養っておられたのです。
ババは、私は自分で自分をワザと病気のようにしているのです。と言われました。しかし、噂が噂を呼んでもうサイババは終わりだとか、ババの使命がもうこれで終わった。などと人々は言い始めていました。ババはこのままサマディを迎えられるなんて言う人も出てきたのです。
それで、スッカンマさん達はババの御足に触れながらこのまま逝くような事をしないで下さい。私たちと一緒に長くこの世界で暮らして下さい。と頼みました。
ババは、君たちの悲しみを取り除いてあげようと言われました。そして、このような事は必要な事なのだと言って帰依者たちを安心させられていました。
カスツーリは、その頃のババの様子を次のように述べています。
私が初めてお会いした頃のスワミは、体がやっと普通の状態になった頃であったにも関わらず、彼の声は、震えていて力がなく、歩き方もフラフラしていて今にも倒れそうでした。それに、彼のモップのような髪の毛はその細い首に比べると、大きすぎるように見えました。
しかし、その年の十一月のサイババさんの誕生日祝賀祭が近づいて来ると、ババのからだも徐々に元に戻って来ました。
そして、ババはプッタパルティに戻られて降誕祭を帰依者たちと祝われました。
その年は、礼拝堂の建設で明け暮れしましたが、ババはほとんどの日をバンガロールで過ごされました。
しかし、来るべき年はカスツーリ教授と一緒になって、「真、善、美」という伝記や、ヴァヒニシリーズ、そして、月刊誌の発行などを始められるのです。
私のババとの神聖体験 クリシュナンマさん
ある日の夕暮れ時に、ババは突然丘のてっぺんにおられました。私たちは、丘の麓に集まって腰を下ろしていました。
次の瞬間、彼の身体の周りが明るくなりそれは光の輝きとなって、大きく輝き始めました。
ババは、私たちに向かって僕が見えるかいと、叫んでおられました。
その後、その光はだんだん明るさを増し、眩しくて目を開けて見てはいられないぐらいになったのです。
ババは、このような光りを三度もその夜に見せてくれました。そして、三度目に見せてもらった光はくるくる回っていたのでした。
三回見た光のうち、最初の光だけがババの姿をその中に見れましたが、他は眩しすぎてババの姿は見えませんでした。
私は物質化を通じて、私の心から溢れ出る愛を示してその受け取る人を喜ばせたり危険から守ったりします。
あなたにたとえ何も物質化してあげなくとも、あなたが深い信仰心と帰依心を持っていたなら、いつ如何なる時や場所でもあなたの危機に際して助けに行きます。
すべての神の姿が私なので、あなたが祈るどんな神の姿にもなってあなたの祈りに答えます。P66 ANDI
私は、ある物はこの物質宇宙を創造したのと全く同じやり方で創造します。
また別のある物は、例えば時計などは既にできている物を持って来ます。
物品を移動してスワミを助けるような、目に見えない意識体などはいません。
スワミのサンカルパ、神の意志によって一瞬のうちに物品を現出させるのです。
スワミの創造は、神が本来持っている無限の力の一つで、トリックなどではありません。CWSSBJp187
もう二十年以上もあなた方はただ光を見るだけで、その温もりを感じていません。
それは、私のそばに近づこうとしないからです。
しかし私には、あなた方が私にもっと近づく日の来ることが、そしてあなた方が疑いと妄想を捨てて平和と幸福への道を歩み始めることを知っています。
私を信じていなさい。このプタパルティはまもなく世界の神聖な中心になるのです。
何千人というヨギ、僧侶、求道者が慰めと救済を求めてここに来るでしょう。
太古の英知、サナザナダルマの再建はこの地から始まるのです。23/11/1961
霊性修行なしに、人は彼の内にある光を見つけることは不可能である。SS6/95
「私は光の中にいる。光は私の中にある。光は私である。私は光である」
この真理を悟った人はブラフマン〔神〕と一つになります。
人間は絶えず平安〔安らぎ、平和〕を探し求めています。
平安を探し求める人は、それをマタム(宗教)にではなく、マナム(心)の中に探さなくてはなりません。
外界に平安を探し求めることが、この世のあらゆる不安の原因です。
平安はまず、自分自身の内で確立されなくてはなりません。
次に、家族へと拡大しなくてはなりません。
そして、家族から村へ、地域へ、州へ、国家へと広がらなければなりません。
今、起こっていることは、この過程とは逆のものです。
争いと無秩序が、個人から家族へ、そして、国家にまで広がっているのです。24/11/87
ポニョ:カスツーリさんと言えば、長い間サイババさんの通訳として活躍されてきた人やな。
ヨシオ:もちろん、サイババさんは通訳なんて要らないけれど、そういう役をされていたな。
俺も、サイババさんの通訳を少しやったことがあるんや。日本人グループがインタビューに呼ばれた時、丁度一緒やったし、俺はババの横に座っていたから、ババが英語で話されている事を伝えたことがある。面白かったんは、ババがある人に話しかけられたんやけど、その人は、それに応える代わりに手紙をババに読んでもらおうと差し出されたんや。
それで、ババがその日本語で書かれた手紙を封筒から出されて読み始められたんやけど、俺はその縦書きの手紙を右からちゃんと読んでおられるんやろか。それとも、読んでいる振りをされているだけなんやろかと思って、ババのアフロに顔をつけて目の動きを見てたら、きちんと読んでおられたけど、君、ちょっと…邪魔やけど、という感じで横目で睨まれた。
ポニョ:あの、君。私はちゃんと読んでるんやけど、その長い馬面を私に引っ付けないでくれますか。君といたら、馬小屋にいるような気になってきましたって具合やな。
ヨシオ:その長い馬面は関係ないやろ。
ポニョ:そういや、星やんは、ババが話されている事が、頭の中に、直接日本語で入って来たって言ってたな。それも、星やんがいつも話す関西弁で聞こえたって言ってた。後で周りにいた人に、ババの言葉であるテルグ語がよく分かるねんな。ババがテルグ語で話されてるのを日本語で返事してたけど。と言って感心されたと言ってたけど、本人にはババの言葉が日本語に聞こえたって言ってたな。
ヨシオ:そのような例は、幾つもある。俺の知り合いのイタリア人やアフリカ人も、ババはイタリア語やスワヒリ語を上手く話せる。なんて言ってたら、周りの人が、いやババはあんたにテルグ語で話しかけて、あんたがイタリア語で返事してたよ。って言われたと言っていたな。
ポニョ:フーン。面白い。星やんの時と一緒やな。ババは、世の中には本当はただ一つの言葉しかない。それは、ハートから出る言葉だ。とおっしゃってるけど、その人の心の中に直接語りかけられるんやろな。おいらもそんな事を経験したかったな。
ヨシオ:心配しなくても、そのような体験を実は、世界中の人が近々体験するんやで。
ポニョ:ええ本当か?慰めで適当に言ってるんやないやろな。
ヨシオ:違う。そういうことが、本当に起こるんや。サイババさんが近々、世界中の空に現れられるんやけど、その時に世界中の人々にメッセージを伝えられるんや。
ポニョ:なに。それは本当か。世界中の空に現れられるだけではなくて、一人ひとりにメッセージを伝えられるって凄いことやな。
ヨシオ:その時に、一人ひとりの心の中に直接話しかけられるんや。しかも、その人の言葉で。
ポニョ:それって凄いことが起こるんや。アシュラムにいる時に、なんでババは同じ人ばかりをインタビューに呼ばれて、おいらは呼ばれないんやろう。とか思ったけど、ババが空に現れた時は、一人ひとりが心の中のババと直接対話出来る機会を与えて下さるんやな。おいらが待ち望んだプライベートインタビューやな。嬉しいな。待ち遠しいぜよ。
ヨシオ:そういうことが、ほんの近いうちに起こる。そうすれば、世界中が愛に包まれるんや。そして、それが起こるのは、人々が思っているより早くやって来るんや。しかも、そういうことが起これば、世界中に平和が訪れるのはあっという間や。
日本でも、今やったらプッタパルティて何処ですか?と聞くと、ババの事をよく知っている人でも、ああ、何年か前に亡くなったサイババさんのアシュラムやね。あの、女流将棋士の人が逃避されたとこや。ぐらいの知識やろうけど、それが、どの世界地図を見ても、その国の首都と同じくらい太くて大きな字で地図にのるってババは言ってられるんや。しかも、日本でもそういう事が起こるって。
ポニョ:サイババさんが、物質化された将来の世界地図には日本が無かったけど、日本でもプッタパルティは重要な場所として地図に印が付けられるってことは、そういう天変地異が起こるまでに、サイババさんが世界中に現れるって事なんかな。
ヨシオ:そうかもしれん。だから、全ての人は救われるんや。その人が、どの国にいようが、山の中にいようが、孤島にいようが関係ない。全ての人は神さんの子供やから、その神さんが一人ひとりの命に責任を持っておられるんや。だから、日本がその未来の地図に載っていないからと言って、何も心配する必要は無いんや。
ポニョ:何が自分の行くてに待っていても、それが自分に一番良い事やということやな。全てはなるべくしてなるって事や。
ヨシオ:ババは、私は天を地に、地を天に変えるぐらいのことは朝飯前や。と言ってられる。もちろん、宇宙を創造されたぐらいやから、そんな事は簡単なことや。だから、地軸が傾いて世界中に津波が押し寄せて来た時に、人々をフッとワープされることだって出来るし、国を持ち上げることも出来る。俺たちがしなければならないことは、そういう天変地異が起ころうが起こるまいが関係なく、何が起こっても全てが神の意のままに起こっていることだと受け入れることや。
何が起こっても、神さんの名前をいつも唱えておけば大丈夫や。以前にもこのブログで紹介した、バンガロール空港で着陸に失敗して炎上破壊した飛行機に乗っていた、サイの帰依者の人の話。その人が目を閉じながらイヤホンでバジャンを聞いていて、ひどいランディングだと思って目を開けたら周りに死体が転がっていた。というようにいつも、神の事を思っていたら神さんは人を守ってくれはるんや。
その人が、仏教徒やったら御仏の事を思ってたらええし、キリスト教徒やったらイエス様のことを思ってたらええんや。全ての神様は大元の神の違った現れに過ぎないから自分が好んでいる神を拝めばええんや。
ポニョ:おいら達、一人ひとりが、さっきも言ったように神さんの子供やから、神さんに全てを託したら全ての面倒を見てくるんやな。嬉しカルカルや。
ヨシオ:なんやねんそれって。どこから、見つけてきたんや。古いギャグやな。涙出てきたわ。
と言うわけで、サイババさんの話に入りカルカル。
マドラスでババは、ヴァガバッドギーターについて話されていましたが、突然喉の一部が腫れてきて、咳を始められたのです。主催者は、昼ご飯が辛すぎたのではないかと心配していました。
その、喉の腫れ物は夜になっても治らず、咳も出たままでした。
すると、突然うがいをするような音がしたかと思うと、いきなり口から銀のクリシュナ神の像が飛び出して来たのでした。
それを、ハイデラバッドの王妃様にプレゼントされ、笑いながら腫れ物は無くなったよ。と言って喉を皆に見せられたのでした。
ババはマドラスの近くに建設されたシルディサイ寺院に行かれて、ガネーシャ神の像を物質化され、そのあと、九つの宝石をガネーシャ神の像の下に入れられてから、金のツンミの花を物質化されて、これらを礼拝しなさいと言われました。
そして、寺院のホールに入られると、ホールの片隅に行かれ、今から神像に神のパワーを入れるから見なさいと、皆に言われました。
それで、皆で息をのんで神像を見ていたところ、その神像は神聖な神のパワーが入り始めると、なんと宙に浮き始めたのです。そして、、エネルギーを入れ終わった後、また静かに元の位置に降りて行ったのでした。
一緒に同行していたリーラさんは、そのあと、ババと宿泊先に向かい、そこでババが突然十分間ほどトランス状態になるのを見ました。
その後、白い布を足の下に敷くように言われました。すると、そこにババよりも大きな足跡が布の上に現れたのでした。
ババはこれは、シルディババの足跡で、これを先ほど行ったシルディババの寺院に奉納するように言われました。
そして、それは今でもその寺院にあります。
サイババさんは、「あなた達は、神の足跡を、美徳、善、謙虚、正義、真理、信愛、平安のあるところなら、どこでも見つけれることが出来ます。
そして、その足音は、心が静けさに沈潜している時にのみ聞くことが出来るでしょう。」と言われました。
サイババさんとの神聖な思い出。パドマさん
ガネーシャのお祭りが近づいて来ましたので、私たち女性ばかり五人ほどで、聖なる木トゥルシの葉っぱを集めに行きました。
皆であちこち探したのですが、トゥルシの木は見つからなかったので、いろいろな種類の葉っぱをカゴに集めて帰って来ました。すると、ババは、「なんだ君達、どこにトゥルシの葉っぱがあるんだよ。一枚もカゴに入ってないじゃないか。」と言われたのです。
それで、「一生懸命探したんですけどトゥルシの木は見つかりませんでした。」というと、
「後ろを見てご覧」と言われたので見てみると、その辺りの木が全てトゥルシの木に変わっていたのでした。それで、私達は、それらの木から葉っぱを集めて戻って来たのですが、ナガラクシュミさんが「そんな少しの葉っぱでどうやって、花輪を作るのさ。」と言われたのです。
それを、聞いてサイババさんは、「何を言ってるんだ。ナガラクシュミは。」と言いながら、カゴの中に手を入れられて二三枚のトゥルシの葉っぱを手に取られました。
そして、それをまた、カゴの中に放り込まれるや否や、トゥルシの葉っぱがカゴから溢れるほど出現したのでした。
☻まもなく、全ての国々が一つになるでしょう。全世界は一つになるでしょう。カーストや宗教や国籍という狭い考えは消え失せ、全ての人が一つになって神聖さを体験するでしょう。全ての人が愛の思いを深め、お互いを兄弟姉妹と考えるようになるでしょう。
☻私自身が空を飛び、大空を駆け抜けるだろう。すべての人はそのことを同時に見るだろう。
☻あなた達は、壮大で卓越した仕事を成就する為に生まれてきたことを、知らねばなりません。あなた達は神の子であり、英雄的な行為をなすためのカリの時代の戦士なのです。溢れんばかりの慈悲と神の愛の具現者であり、世界中に神を知らしめることを決意した魂たちなのです。
☻未来についてはあなた方にはよく分からないかもしれませんが、私には私の意図した計画が実現するのがはっきりと見えています. 私の神聖さを無視している連中も私の元にひれ伏すようになるでしょう。
☻ 間もなく、私の神聖さはすべてに知れ渡るようになるのです。私は意図的に私の神聖さが世界に広まるのを遅らせています。しかし、一度、私が私の真の姿を顕現すれば、すべての世界がプラシャンティニラヤムになることでしょう。
☻あなた方は、これからすぐ間もなく、スワミが今まで明らかにしてこなかった栄光を見ることになるであろう。そうなれば多くの人々がやってきて立錐の余地もないぐらいになるであろう。
ポニョ:二三日前の記事で少し気になったのがあって、言いそびれてたけど、サイババさんは病気のような状態になっておられたんや。それで、皆はもう死なれるんじゃないかなと心配してたんやったな。
ヨシオ:実際のところ、半年以上ゆっくりされていて、親しい信者の人にババは、サマディになりたいって言っておられたんや。
ポニョ:サマディって体から離れるってことやろ。まだ、二十四五歳の頃やったんと違うのん。ちょっと早すぎるやんかな。
ヨシオ:これも、いつものババのお遊びや。だって同じ頃にカスツーリさんに、君は僕の伝記を将来書く仕事があるよって言われてたから、サマディなんてなるわけは無いけど少しは思っておられたかもしれん。
ポニョ:でもいくらお遊びでも、なんでそんな長いこと療養されてたんやろな。
ヨシオ:これだけは、後世の「神の化身の傾向と対策」を分析する専門家がいろいろと論文を書くやろうけど、今俺が言えることはバッテリーの容量と出力の関係かな。
ポニョ:なんやねん突然。このブログはユアサバッテリーのホームページと違うで。
ヨシオ:俺が言いたいことは、ババの霊力が帰依者が増えるに連れてどんどん増えて行くけど、それに伴ってババの肉体も調整していくって事やねん。
だって、普通の人間の肉体はその人の霊体を保持して毎日の生活を送って行く事には何の問題もないけど、宇宙を創造された神さんのとてつもなく大きな容量の霊力を保持するには小さすぎるんや。
ポニョ:ああそれで、バッテリーの容量と出力の関係って言ったんか。なんか分かったような気がしてきたぜよ。だから、あんたが言いたいことはその容量を大きくする為に療養しないといけないと言う事やねんやろ。というのもその普通の人の肉体では神の大きな霊力を受け入れることが難しいからや。
ヨシオ:人間の身体の内にある霊体も、実は俺たちが食べる食料で維持されてるんや。
その食料の波動が荒い部分は肉体の栄養となって身体を維持し、その食料の精妙な部分である霊力を俺たちの霊体が自分の中に取り込んでるんや。
だから、普通の人だったら食事をして食物の霊力をゆっくりと霊体に取り込むけど神の化身では宇宙を創造するほどのとてつもなく巨大な霊力を取り込んだりするので身体が持たないんかもしれん。時々ディスチャージしたりしないといけないんやろな。
クリタユガ期、トレタユガ期、またはドワパラユガ期では、人の体も今の何倍も大きかったし、霊界との繋がりも強くて半神半人みたいな霊体か肉体か分からん用なモンスター人間がたくさんいてたけど、このカリユガ期では人は食料を身体に取り込まなかったら三週間以内に死んでしまう。もちろんその中の霊体も体からすぐ離れてしまう。
昔やったら、神のような強力な霊体が入っていたから肉体が死んでも骨が朽ち果てるまで、霊体が骨の中に残っていて、一見骨やけど実は生命力がその中に宿っていたんや。
ポニョ:以前、そのこと記事にしたよな。その中に想念のパワーが入っていて人をも殺すことが出来るんや。それに、ガイコツ踊りのシンドバット虎の目大冒険の話もあったな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/da6a3020dd4bcb91dde2bb8ecaac8047
ヨシオ:でも今では、そんな神さんの巨大で強力な霊体を入れれるような器を人は持っていないので少し療養して英気を養っておられたんやろな。
ポニョ:ババはシヴァラトリの日に、身体を磁石化したので足が地面にくっついて歩くのが難しいて言われたやろ。肉体も大変や、そんな強力な霊力を持っていたら。
ヨシオ:サイババさんのように神の力を全て持って来ておられるアヴァターは、肉体の中に入り込むと色々と不都合が出て来るんや。だから、霊体だけやったら、いくらでも大きな霊力が入ろうが簡単に調整出来るけど、肉体は少しの調整期間が必要になってくるんや。
ポニョ:でも、本当はババが意思すれば、一瞬のうちに身体を調整して大きな霊力が入るようにされることだって可能やろ。
ヨシオ:もちろんポニョの言う通りや。でもババは、こう言っておられる。一度人の身体をとってこの世界に来た以上、この世界の法則に従う、と。
ポニョ:つまり、おいら達が、もし大きな霊力を身体に取り込むんやったら、いろんな不都合が肉体に起こるけど神の化身やからと言って、それを避けて通りません。と言うておられるんやろ。だから、子供の時にも大きな霊力が入る時に、なんか気狂いみたいになったりして大変な目に遭われたんやったな。
ヨシオ:その通りや。ババは、肉体をとるってとても面倒臭いことや。と言ってられる。本当は、人の身体なんか取らなくてもいろんな事が出来るしそっちの方がやり易いんや。でも、人に神さんを愛してもらって親しんでもらう為に、人間の身体をとって人間のように振る舞って、わざわざ大変な道を選んで歩んでおられるんやで。だから、ババは療養中に親しい帰依者に、僕は本当はサマディをしたい、とおっしゃたんや。だって身体を離れて霊体だけになった方がもっと楽にいろいろ出来る。だから、ババがやっておられる事は頭のてっぺんから足の先まで、一点の曇りもない無私の愛そのものなんや。ババがやっておられること全ては、愛なんや。だから愛の化身と呼ばれているんや。
ポニョ:そう言うたら、私がこうして皆さんの前を歩いてダルシャンを与えているだけでもあなた達の為にとっていい事なのに、それを分かっていない。あなた達はインタビューばかり望んでいる。と言われたことがあるな。
ヨシオ:今回も、肉体から一時的に離れられているけれど、それは大きな神の計画の一部なんや。というのも、これからサイババさんは世界中の空に現れたり、全ての人のハートに直接話しかけたり、また、何千、何万と身体を分けて人々の前に現したり山脈を持ち上げられたりされると予言されている。
ポニョ:それってすごい霊力を使うやろな。
ヨシオ:だからやねん。肉体を離れられた一つの理由は。もうすぐしたら人類の歴史上、比類なき奇跡が連続して俺たちの目の前で展開されるんや。
だから、そのためにもいろいろと制限のある肉体を投げ捨てられて、霊体だけとなって神の無限の霊力を全人類の目の前に現されるんや。今までいろんなアヴァターがこの世に生まれ変わって来てくれたけど、これほどすごい力を人類に示されるアヴァターは初めてなんや。
そういうことを理解すれば、今こうしてこの時代に生きているって事が、どれほどラッキーなのかが分かるはずだ。
ポニョ:すげ〜。鳥肌が立ってきたぜよ。おいら達は本当にすごい時代に生きてるんやな。なんか、めちゃ嬉しくなってきたぜよ。
ヨシオ:それではポニョが興奮して鳥肌が立ってきたところで、サイババさんの話に入ります。
双子でインドの古典音楽の有名な歌手が、マドラスのシルディババ寺院に招かれて、歌を何曲か歌いました。ババも、一緒になって歌いましたが、あまりにも上手いので、その双子の歌手は驚きました。
ババは彼らをプッタパルティで祝われるシヴァラトリ祭に招かれました。
サイババさんは、祭りの最中に口からシヴァリンガムを物質化されました。
人々が、たくさん押し寄せてくるので、村の人たちは彼らを相手にサトウキビジュースを売って生計を立てれるように、ババの祝福があるように祈りました。
シヴァラトリ祭は、一晩中神へ捧げる歌を歌いますが、双子の歌手も一緒に歌い人々を感動させました。その頃には、双子の歌手もとても熱心なサイの帰依者になっていました。
祭りが終わった後、ババは一人のマイソールから来た男に声をかけました。
「そこの君は、軍で働いていたよね。」
「はい。その通りでございます。」
「今、君が抱えている問題は、そこから派生してるんだよ。この件について君にもう少し詳しく、君が帰るまでに話してあげよう。」と言われました。
その男は、マイソールの鉄道局で働いていたのでしたがシムラというところの軍の仕事に応募して働き、契約期間が終わって帰って来たところでした。
しかし、シムラに単身赴任だったのにも関わらず家族手当を申請し、不審に思った規律監督局から調査員が来て調べが入っているのでした。彼が、プッタパルティに来たのはそれから逃れるためだったのでした。
ババは、次の日「あの男はどこに行ったんだ。すぐに家に帰らさなければならない。」と言われたので人々は彼を探しに行こうとしました。
「あっ川にいた。ちょっと待てよ。来た来た。あいつが帰って来た。」と言われました。そして、男が戻ってくるとこう言われました。
「これはお前が犯した初めての誤りだったな。今回は、許してやろう。規律監督局の人間がお前を捕まえようとやって来てる。お前は今から家に戻るが良い。心配するな。僕が全部面倒を見てあげるよ。」
と言って男の額にヴィブティを物質化して付けられました。
家に戻ってから、男はドキドキしながら毎日お祈りをしていました。
するとある日、シムラで一緒に働いていた友達から手紙が来ました。
そこには「どういう訳かシムラの規律監督局の人たちは誰も君の一件について、何も覚えていないんだ。だから何も心配することはないよ。」と書いてありました。
男は、妻を連れてババに感謝しに戻ってきました。
ババは、「君のあのような問題を私が解決してあげたのは、お前の奥さんがずっと純潔を守って暮らしているからなんだよ。」と言われたのです。
ゴールデンエイジになれば、世界中が調和で満たされどこかしこも愛であふれるでしょう。
今日、どこを見ても混乱、争い、騙しあい、悪徳,などのネガティブな状況が優位を占めているので、あなた達はそのようなすばらしい世界を想像出来ないでしょう。
しかし、最終的に変化はやってくるのです。
〜あなた達の中にある神聖さを輝かせ、ビーコンのひとつとなって世界に明かりを灯し、ゴールデンエイジを少しでも早くこの世界にもたらそうではありませんか。
今日、幾人かのすでに啓発された、神を悟ったステージに達している魂たちが、来たるべき新しい時代を導いていくことでしょう。P41 Sai Vandana
アヴァターの使命は人類の心に変容をもたらすことです。
皆さんは一つの事実に気づくことができなければなりません。
人類の世界規模の変容はすでに始まっています。
短期間のうちに、すべての人間社会が一体となり、次のヴェーダの祈りの中で尊ばれている理想に沿って、平安と一体性のうちに生きていることに気づくことでしょう。
共に生きよう、共に成長しよう。共に知性を育もう。
互いに仲良く暮らそう。私は、黄金時代はとても近いと断言します。
バーラタ(インド)、そして、全世界で、個人の対立、不和、同胞への憎しみは、過去の遺物となるでしょう。10/10/05
どこへ行こうと、与えられた義務を常に果たしなさい。
そして私があなたのうちにいてあなたの1歩1歩を導いていることを知りなさい。
これから先あなた方は、さまざまな姿をとって現れる私を体験します。
あなたは私のもの。私にとってあなたは、何よりもいとしいものです。
まぶたが眼球を守るように私はあなたを守護します。
私は決してあなたから離れず、あなたも私から離れることはありません。
今この瞬間から他のものを追いかけず、一切を神と見て揺るがぬ信愛を持って義務を果たしなさい。
忍耐していなさい。やがてあなたに一切が与えられます。
幸福でいなさい。何事に関しても、心配する必要はありません。
何を経験しようとも何が起きようとも、それを神の意思と知りなさい。
この化身が降臨した天命の実現を遅らせる力はこの世にはありません。
あなたがたは皆神聖な魂です。
あなた方は来るべき新しい黄金時代に展開するドラマにそれぞれの役割を持っています。SSBack Cover page10/96
ポニョ:本当に次から次へといろんな奇跡の話が出て来るよな。時々、これらの話は現実にこの世界で起こってたなんて信じられないな。
ヨシオ:神さんが、ご自分の想像力を使ってこの世を創造された。この世界で見れるもの全ては、神様の想念の力で出来ているから、神さんが意図すればこの世の全てのものは、どんなものにでも変えることが出来るんや。
ポニョ:だから、私は天を地に、地を天に変えるのは簡単や。と言ってられるんやな。
でも、同時に私と同じ力を君たちも持っているんだよ。それに気付きなさいと言ってられるよな。
ヨシオ:でも、全く同じという訳では無いんやけど、その事についてはまたの機会に紹介するわ。
ポニョ:ところで、以前紹介して本のパート1にも載っている星やんの話も、願望成就の木の話やったな。それを少し紹介してみよかな。「サイババが帰って来るよ。Part1」より。
ヨシオは日本に行けば、是非会ってみたい男がいた。
何でも、いつも神のことだけを思い、あまり世俗の者どもとは交じりたがらない、インドキチガイらしい。彼の事を仮に星やんとでも呼んでおこう。
ヨシオは、その男にまつわる興味深い話を風の頼りに聞いていた。
なんでも星やんは、インドに行くのが夢で特にリシケシュやべナーレスなどの聖地巡礼をしたいと思っていた。
やがてその夢がかない、インドで汽車のコンパートメントに乗っていると、聖者が弟子を二三人引き連れて、同じコンパートメントに乗り込んできた。
そして星やんの正面に腰掛けると、おもむろに右手の親指を星やんの眉間にあてた。
すると身体中が至福で満たされ、気を失ってしまったのだ。
しばらくして気がつくと、汽車は次の駅にまだ到着していないにもかかわらず、その聖者と弟子たちは、星やんが車中をくまなく探したのにもかかわらず、跡形もなく消えてしまっていたのだ。
その後サイババさんにインタビューに呼ばれた時、「あの時の聖者は私だった。
お前をここに導くために、ほんの少し天上の至福を体験させたのだ。」と明かされた。
また、スワミがホワイトフィールドにおられた時に、是非、まだ見ぬプタパルティを見たい。スワミが若い時、幾つもの奇跡を執り行った聖地を見たいと思い、その日のダルシャンに出れない後ろめたさに、後ろ髪を引かれる思いで早朝タクシーを飛ばして、プタパルティに日帰りで行った。
スワミがタマリンドの木から、いろいろな違う種類の果物を出された岩山の麓に来ると、親切な地元の少年がその願望成就の木のあるところまで案内をかって出てくれた。
そして岩山の頂上まで来るとそこには、スワミの奇跡を執り行った記念の神の祠が木のそばにあり、その子は、「ここで地面に頭を付けて、祠に祀ってある神に祈りなさい。」と言ったのでそれに従うと、男の子は「そんなんではない。心から神に帰依して祈れ!」と命令口調で言った。
星やんは少しむかっとしたが子供の言う通りに従った。
しかしその子は更にもっと命令口調で、「そんなのは帰依とは言わないのだ!心から神に祈れ!もっともっと帰依するのだ!」と言って星やんの頭を、上から手でグイグイと岩に押し付けた。
「もっとだ!もっとだ!」と力任せに固い岩に顔を押し続けたので、せっかく今回の旅のために新調した金縁のメガネのフレームが曲がってしまったのだ。
さすがに星やんもこれ以上堪えきれなくなり、「あのな、このガキ!」と言おうとして手を払いのけると、男の子は「それで十分だよ。さて、どんな果物をお望みかい?」と問うた。
星やんは、こんなガキがサイババさんの真似事してけしからん。
一つ懲らしめてやろうと思い、その時期には日本でも手に入らないし、もちろん熱帯のインドでは見かけない「日本の柿を出してみろ。」と言った。
するとその子は、大きな、丸いが少し押しつ潰したような日本の柿を、何処からともなく出して星やんに手渡した。
星やんは夢でも見ているような気になったが、気を取り戻して、「君は誰だい?どこに住んでいるの?」と尋ねた。
男の子は「僕はここにいるんだ。」と祠を指差し、あっという間に丘の下の方へ消えて行った。手にはよく熟れた柿があった。
それを見つめて、初めてその子が若い時のサイババさんだと分かった。
というのもタクシーの中で「あと五十年早くここに来ていれば若い時のサイババさんに会えて、願望成就の木から好きな果物を出してもらえたのに、残念だ。」と仲間と話をしていたのを思い出したのだ。
そのあと、その柿を頬張りながら号泣したのは言うまでもない。
ちなみにその日の朝のダルシャンは、キャンセルになっていた。
そのあとサイババさんにインタビューに呼んでもらい、「君はいいメガネをしているね。」と曲がったメガネのフレームを触られた。それ以来、めまいがするようになった。
星やんは曲がったフレームのせいで焦点が合わなくなったと思い、日本に帰るや否や、メガネ屋へフレームの修理に持って行った。
メガネ屋は、しばらくメガネを手にしてから星やんにメガネを返してこう言った。
「このメガネはうちで売った覚えはありません。うちのは金縁やけれど軽合金の金縁や。」
「これは、ほんまの純金でできたメガネや。こんな重たいメガネをかけてたら、誰でも頭痛になるのは当たり前や。お客さん、もっとお金は賢く使わなあきませんな。」
以上「サイババが帰って来るよPart1」より
ポニョ:日本人で、こういう奇跡を体験された人って少ないよな。
ヨシオ:俺も、この話を星やんから聞いた時、正直言ってとても驚いた。それに、その柿をアルミホイールに包んで冷凍し、大事に保存してあったのを、俺たちに食べさせてくれたやろ。あれには感動したな。
ポニョ:めちゃ甘い柿やったな。あの味絶対に忘れへんわ。口の中でとろけるようやったな。こんな話をしてたら、また柿を食べたくなってきたな。でもまだ、柿の季節と違うからもうちょっとまたなあかんな。でも食べたいな。
ヨシオ:ポニョの食欲が湧いてきたところで、サイババさんの話に移ります。
プッタパルティの礼拝堂の建設は、資金が入って来てはスタートし、底をつけばストップするという状態で遅々として進みませんでした。
しかし、帰依者たちが二つのドラマを舞台で演ずることによって、資金集めをすることになりました。ドラマは大盛況でチケットも完売し、当時のお金では大金の4000ルピーも集まったのでした。
ある日、プッタパルティに二人の学生がマドラスからやって来ました。
というのも、サイババさんが彼らの夢に現れて、プッタパルティに神の化身として降臨しているという事を伝えたからなのでした。
彼らが到着した時はもう夜になっていて、外は真っ暗でした。でも、ババに会う前に身体をきれいにした方が良いとアドバイスを受け、チットラヴァティ川に沐浴に行きました。
でも、外は真っ暗なので右も左も分からない状態だったのですが、突然、足首に鈴や宝石を着けた子供が歩いているような足音が聞こえました。
そして、その足音について行くと川に出たのです。そして、彼らが川で水浴びをしたり、服を洗っている間、その小さな友達は、その辺りを飛び回って遊んでいるようでした。
そして、彼らが水浴びが終わると、再び、足首に付いている宝石などの音を鳴らしながら、礼拝堂に彼らを案内しました。そうです。その小さい子供は、クリシュナだったのでした。
礼拝堂では、ババが彼らの到着を待っていました。
彼らが礼拝堂に入り、ババを見つけるや否や、泣きながらババに走り寄って行き、ババに抱き付きました。
ババは、微笑みながら立ち上がられました。
それを見ていた人々は一体何が起こったのか、さっぱり理解出来ませんでした。
ババはしっかり抱きついたままの彼らの手から自由になろうと、もがいておられたんですが、とてもきつく抱きついていたので、そこから逃れることが出来ずにいました。
そして、一人の学生がババに向かって泣きながらこう言いました。
「あなた様は私たちの心を盗られた盗人です。どこにおられるのかと思ったら、こんなところに隠れておられたんですか。今のあなた様は、シヴァ神のように見受けられます。
でも、その尊厳ある風格はラーマ神のようでもありますが、召されている服だけを見ますとクリシュナ神のようにもお見受けすることが出来ます。
あなた様のことを私たちは一体どのようにお呼びすれば良いのでしょうか?
クリシュナ神よ。人の姿を取られて私どもはとても嬉しゅうございます。」
そして、唖然としていてそれらを見ていた人々の方を振り返り、その学生はこう言いました。
「この方は、クリシュナ神でおられるのだぞ。彼から離れてはいけない。この機会を逃すことなく、あなた達がこの世に生まれた目的を果たすのだ。私は、この方の事をとてもよく知っておるのだ。」
それを聞いて、そこにいた全ての人々は泣きはじめました。
ババだけは、いたずらっぽい笑顏を浮かべながらこう言われました。
「こいつは、ただの気狂い男なのに、どうしてこんな奴の話を聞いてみんな泣いているんだい。」実は、その日、ババは皆に、今日二人の偉大な信者がやって来るという事を明かしておられたのでした。
しばらくしてからババは彼らを慰められました。そして、彼らが落ち着きを取り戻した後、ババと三人で一つのお皿で食事をし、ババの部屋に三人で仲良く消えて行かれたのです。
思いのすべてに愛を込めてください。そうすれば自然に心に真理が現れます。
すべての行為に愛を込めてください。
そうすればどんな行為にも自然に正義が現れます。
気持ちのすべてに愛を込めてください。
そうなれば、限りない平安を味わえます。
理解のすべてに愛を込めてください。
そうすれば誰をもにくむことも無く傷つけることも無いでしょう。
愛は心の平安を支えています。
愛は真理の生まれるところです。愛は正義と非暴力のよりどころです。
だからババはいつも「愛は神であり、神は愛だ」と。
帰依の道の教えで何より大切なのは愛を育み実践することです。
愛を実践すれば広く大きな心を持つことになるでしょう。
そうやって内にある偉大なものを磨いていくのです。SGc8
帰依者一人一人が、それぞれ二人の人に良い影響を与えることができたなら、すぐに全世界が改善されることでしょう。SS1993
単に自分の胃袋を満たすために苦労することがいかに無益であるかを皆さんに気づかせるために、私はたびたび次の詩を紹介します。
おぉ、人間よ! 汝はただ腹を満たすために苦労している 。
汝はさまざまな分野の多くの知識を獲得する 。
神を忘れて 夜明けから日暮れまで世俗の知識と富を獲得することに、すべての時間を費やしていったいどれほど大きな幸福を得たのかと、汝自身内省し問うがよい21/10/04
完璧な帰依者はこの世にいますが、彼らはその帰依心を心の中にだけ秘めています。
時折、その帰依心が表に現れ出てくることがあると、世間の人達は、彼らを精神異常者だと思うのです。
スワミは彼らにインタヴューを与えませんが、彼らは、喜びに溢れた人生を送っています。CWSSBJp193
自分は立派な帰依者だと主張する多くの人が、いつかは離脱していきます。
彼らは実は本当の帰依者ではなかったと、いうのが真実です。
すべては見せかけです。
帰依心というものは消え失せるものではなく、帰依する心の無いところに帰依心は生じません。これはつまり、最初から帰依心は無かったということを意味します6/10/92
ポニョ:でも、昨日の学生さん二人。すごい帰依心やったな。迫力が伝わってきたわ。
ヨシオ:あれぐらいの帰依心を持っている人は、それが外に出てくると普通の生活が送れなくなるんや。また元に戻るまで人によって違うけど、或いはどの程度、表に出てきたかにもよるけど、時間がかかる。だから、普段、自分の信仰心を人に見せたり、外に現されないんや。
でも、一旦出てくるとこんな風に鬱積された神への感情が、洪水のように出て来て、すごい迫力となってそれを見ている人を圧倒するんや。
ポニョ:それって詩人みたいやな。詩人て、心の中の神への思いが堰き止められた水のように貯まって、それが一気に心から溢れ出して来て、言葉として表現出来る人たちやもんな。
ヨシオ:このブログにも出て来たけど、サイババさんが結婚式の時に歌われた詩を作ったティアガラジャという人や、インドの国歌を作詞されたタゴールの詩を読んでたら心が締め付けられるような、パワーを感じることが出来る。まさしく、魂の叫びって感じやな。
ポニョ:実は、おいらも若い頃、インドにあるタゴールが設立した大学に留学したかったんや。田舎にある、のんびりとした学校で芸術大学やけど、そこで学ぶのが夢やった。
毎日、夕方には村人と夕涼みをしたり、村のお祝い事やお祭りに参加したり、夜店も開いてるしとてもリラックスしながら学べる大学やねん。
ヨシオ:そうか。ポニョもそんな夢を持ってたんやな。でも、ポニョの事やから夜店でなんか食べるもんをあさろうと期待してたんやろ。
ポニョ:昔から、夜店って言うたらワクワクしたよな。カステーラと言って丸いふわふわしたカステラとか、パチンコをやって玉が入った穴に書いてある数字の分だけ、自分で団子みたいなコロッケを串で刺して食べた東京コロッケ。あの薄いソースが最高やったな。
夏やったら、割り箸にアイスを棒状にして固めて、ストロベリーとかパインとかの液体をかけて食べたのを覚えてる。食べた後、口の周りや、舌が真っ赤っかになってた。もちろん、綿菓子はいつも、夜店の定番やったな。
ヨシオ:なんや、ポニョの夜店の思い出って食べることばっかりやんか。金魚すくいとか、カブトムシを買ったとか、風鈴を買ったとかいう思い出は無いんかい。ほんまにポニョらしいわ。
ポニョ:話は変わるけど、あの学生さん、ババのところに行って泣きながらババに抱きついたって言ってたけど、ババに初めて会うまでにもう、帰依の心が十分に育ってたんやな。
普通の人やったら、ババがヴィブティを出したんを目の前で見ても、トリックと違うかとか言って疑い深い目を向ける人が多いけど。
そういや、あんたも初めてアシュラムに着いた時、タクシーから飛び降りてババのおられたマンディール(礼拝堂)に走って行ったって言うてたな。
ヨシオ:そうやったな。ババに挨拶したかったんや。でも、警護をしてるボランティアの人に、ここから入っては行けないって止められたので、仕方なしにそのゲートのところで五体投地しながら、やっとあなたの事を見つけたで。やっとあなたのところに来れた。もう絶対死ぬまであなたから離れへんからな。ここまで到達するのに寄り道をいっぱいして、遅くなってごめんって謝りながら泣いたんは、ええ思い出やな。
あの学生さんみたいにババを両手で抱きしめながら言えたら最高やったんやけどな。
ポニョ:あんたみたいな人相の悪いのが抱きついて来たら、周りの警護の人に取り押さえられるで。それで、そのあとの最初のダルシャンで、ババの居られるところから出て来た見知らぬおじいさんに、お前はラッキーなやっちゃって言われたんやったな。
ヨシオ:その次の週はケララ州のお祭りがあって、人がたくさんアシュラムに来てたんや。
息子と二人でダルシャン行くために、広場で列を作って待ってたんやけど、俺は、出来る限りババを見たいから、礼拝堂の方をずっと見てたらおじいちゃんが出て来て、周りに人がいっぱいいてるのに、俺の方だけ見ながら歩いてきたんや。
俺も、不思議やったからそのおじいちゃんを見てたんや。
すると、俺の横で立ち止まり、俺の肩を叩くんや。俺は、インドでの知り合いはサイババさんだけしか知らんけど、誰でっかあんたさんは?という感じやったな。
そして、おじいちゃんは俺に、あんたはめちゃラッキーな男やな。と言われたんや。
ポニョ:でも、見ず知らずの人からそんなん言われても戸惑うよな。
ヨシオ:俺は、どう返事して良いのか分からなかった。でも、このおじいさんこの後、どの列から先に中に入るかを決めるトークンを持っている人と話しておられたと思ったら、俺が並んでた列に先に入れって言われたんや。それで、一番良いところに座れた。
ポニョ:そのあと、サイババさんが真っ直ぐにあんたとこに来られたんやったな。
ヨシオ:それも、俺の目をじっと見据えながら来られたんや。ちょっとびびったな。それから、俺の前に立たれて、人から頼まれてババに渡す手紙の束を、ごそっと俺の手から取られたんや。俺はそのあと、何をして良いのか分からんかったからボーッとババの顔見てたんや。そうしたら周りの人が御足に触れなさいって言われたんで、御足を触らせてもらって挨拶させてもらった。小さなきれいな足やったな。
ポニョ:多分、ババが顔の長い柄の悪そうな兄ちゃんが来てるから、あんたがアシュラムで面倒を起こす前に御足に触れさせて、あんたから生気を抜かれたんと思う。
ヨシオ:俺もそう思うわ。ということで、ババの話に入ります。
カマラサラティという女性がプッタパルティにやって来ました。当初一週間だけの滞在の予定だったのですが、ババに一ヶ月いなさいと言われたので、予定を変更してババの元に滞在していました。その間、いろんな奇跡なども見ましたが、別に彼女の心を動かすまではいかなかったのでした。
そして、人は来て、帰って行くのを何度も見ました。人々が、帰って行く時、サイババさんは子供を抱きかかえて牛車に乗せたり、人の世話をされていました。そして、必ずと言っていいほど、別れ際に皆が、サイババさんとの別れを惜しんで泣いていました。
ババは、人々が牛車に揺られて丘の向こうに見えなくなるまで、そこに立って手を振っておられました。
そういう光景を毎回見ていたカマラさんはとても不思議に思いました。というのも、彼らは、別にサイババさんの親戚でも友達でもないのにも関わらず、どうして別れる時になるとあれほど泣けるのだろうと考えました。
そこで、思いついたのは多分、サイババさんの神聖な愛が彼らの心の琴線に触れたのかな。という思いでした。
カマラさんがそう思った瞬間、サイババさんがカマラさんの後ろからこう囁かれました。
「カマラサラティよ。今、お前が思いついた事は、正しい方向に向いているんだよ。その正しい方向に向かって歩んで行くんだ。そうすれば、お前は真理に辿り着けるから。」と。
その頃、カマラさんの甥っ子もやって来ました。彼は、写真家でした。早速、彼はサイババさんの写真を五枚撮りました。しかし、普通、ババの写真を撮る時はババに許可してもらわないと、写らないのです。
ババは「今、君は五回シャッターを押したね。それらは、写っていないからね。でも、僕はここに座った時にシャッターを押してご覧。そう。その三枚はきちんと映ってるから。」と言われたのです。
その、甥っ子は半信半疑のまま、フィルムを現像しましたが、ババが言われた通り、最初の五枚は真っ黒で残りの三枚はきれいに写っていました。
ある日の夜、カマラさんは眠りから起こされました。というのも、礼拝堂の中にある祭壇から不思議な光が漏れていたからです。
祭壇には、カーテンがかけられていて、その中には光が出るようなものは無かったのです。それで、そっと見てみると、ババが手を上げてられるのがカーテンに映っていました。
それで、男性側で寝ておられるババのベッドを見てみるとババはそのベッドに横になっておられたのでした。
また、カマラさんが帰る前に、ババはカマラさんの霊的進歩の一番大きな妨げになっているのが、自分の子供への執着心だと言われました。それで、娘さんの健康を心配しているかもしれないけれど、これを持って帰りなさいと言ってお守りを渡しました。
そして、娘さんがそれを肌身に付けてからは、病気一つしない丈夫な身体になったのでした。
ある日、バジャンを始めようとしている時に、こんなこともありました。
外である女性が、何処かに水を飲めるところがありますか、と聞いて来たので、川の方を指差すとそのまま行ってしまいました。
そして、しばらくすると川から戻って来て礼拝堂の中を覗かれたのです。そこには、どういうわけかババが立たれたまま、鍋のふちを噛んでいました。
それを、見た途端その女性は、「オー私のヤティラジャ、ヤティラジャがいる。」と悲鳴を上げたのです。
そして、気を失ってしまいました。
しばらくして、気がつくと「あなた様は、私の心を盗まれた盗っ人です。今まで、どこにおられたんでしょうか?」と言ってサイババさんを掴みました。
ババは、つい立ての後ろにお隠れになりました。その女性は、追いかけようとしましたが、ババを見失ってしまいました。そして、またクリシュナ、クリシュナと叫びながら気を失ったのです。
ババは、つい立てから、すぐに出て来られて水を顔にかけ、ヴィブティを額に塗られました。
そして、周りにいた女性たちに、うちわで扇ぐように指示されました。
その後、すぐに気を取り戻しましたが、ババの方へ走って行く途中でまた気を失ったのです。
その女性のご主人はとても怒って、祭壇にある神像の霊的なパワーがこのような影響を、自分の奥さんに及ぼしていると勘違いして奥さんに怒鳴りました。
サイババさんは、そうではないとご主人に言いました。
その夜から朝にかけて、その女性は一睡もしませんでした。ある帰依者がその女性に、一体どういうことになっているんでしょうか。と聞くと、その女性は、あそこにいらっしゃるのは、クリシュナ神、ご自身なのですよ。と言いました。
翌日、サイババさんはご主人を呼ばれてこう言いました。「あなたの奥さんは、この生が最後の生なのですよ。奥さんは、あと十五日間しか生き延びられません。あなたが出来ることは、その間、奥さんの邪魔をしない事です。」と言われました。
後で分かった事なんですが、その女性は、女神アンダールを十二年間、礼拝していて女神様にクリシュナ神を見たいとずっとお願いしていたのでした。
“神と一度の人生だけで帰融出来るかどうかは、その人の信仰の程度によります。
しかしなぜあなたはアトマ シャクシャートカへの欲望があるのですか?(訳注:先ほどの女性が体験した至福)
それは、あなたにたった五分間だけ至福をもたらすだけです。
それにその経験のあと、あなたの身体は21日間しか生き延びる事が出来ません。
あなたの時間を、いつも瞑想とバジャンに費やしているほうがよいのです。P,304 ANDI”
“心から神を信じるとはどういうことでしょう。
それは神に向かう一筋の愛の流れです。
愛がはかないものに流れているなら、信じる心とは言えません。
それは執着の姿でしかありません。
愛が永遠の存在に向かって流れていくことが、神を信じる心です。
信じる心は「私は神の僕」という気持ちから始まります。
そのあとで、自分は神そのものだと思う段階に進みます。
そうなれば、「私は神だ。神と私はひとつ。」という言葉があふれ出てくるでしょう。SGc8
“あなたは自分が人間であって、神のもとに行くのだと考えてはいけません。
それよりもあなたはもともと神で、人間になったと考えるほうが良いのです。
そのように考えることにより、神のさまざまな属性があなたを通じて現れてくることでしょう。神であったあなたは人として下界し、そしてまた、最終的にもと来たところに戻っていくのだということを覚えておきなさい。MBAIp94
ポニョ:最近の話の中で一番面白かったのが神の化身の霊力が帰依者が増えると共に増して行くってとこやな。
増えて来た帰依者たちの神を思う想念の力、つまり霊力も相乗的に神の化身の霊力に加算されて増えて行くんやろ。
そして、神の化身が選んだ肉体が元々持っている霊体では、そのだんだん増えてきた巨大な霊力を受け入れられることが出来ないので、しばらく療養されて霊体の容量を大きくされる。ってとこやな。
ヨシオ:人間の身体を外見からだけ見てたら、ただの肉体しか見えないけど、本当はその中には肉体も含めて五つの身体があると言われているんや。
一つは、いつも見て慣れ親しんでいる髪の毛が薄くなってきたポニョの肉体や。
ポニョ:人のことほっといてんか。
ヨシオ:これは説明しなくても誰でも分かる。人が摂る食料の波動の一番荒い部分を取り入れてその体を維持してる。
ポニョ:そして、取り入れた食料は糞となって出てくる。
ヨシオ:汚いことを言うなよ。ポニョは。
二番目の身体は、生気とも言われている霊的な身体で肉体と全く同じ形をしてる。霊体と一般に呼ばれている。これは、食べ物が持っている霊力で維持されている。
ポニョ:なるほど。それで、この生命力又は生気を維持するのにインスタント食品のような肉体を維持するカロリーは入っているけれど、霊力が入っていないものばかり食べていると生気の力を失ってしまうって言うわけか。
ヨシオ:一番、霊体に良い食べ物は、生野菜や豆類など火を通して無いものなんや。一度食べ物に火を通すと野菜などの中にある霊体が損傷を受け人の身体の中に摂りこんでも、生気や生命力の栄養にならないんや。野生の鳥や獣が病気をしないのは、霊体がしっかり入った火を通していない生の物を食しているからやねん。
ポニョ:だから、霊力が全然入っていないインスタント食品ばかり食べてる貧乏学生は、いつも生気の無い顔をしてキャンパスの中をウロウロしてるんや。昔のおいらみたいに。
ヨシオ:昨日もジャイナ教徒のインド人友達が、周りのヴェジタリアンを見ても子供が出来ん人が多いのでみんな困っている。という話をしてたので、あんたは一体普段どんなものを食べるんやって聞いたら、ほとんどが火を通したりインスタントのカレーで生野菜は食べないって言っていた。それで、周りの人もほとんど一緒やって言ってたので、あんたの精子は霊力が少なくて元気がないので、寝る前に二つ三つ煎ってない生のアーモンドを寝る前にコップに水を入れて一晩寝かし、あくる日の朝、水を捨ててアーモンドだけを食べたら霊力が付いて、三ヶ月間それを続けたらきっと子供が授かると言っておいた。というのも霊体は肉体より波動が細かいので肉体をコントロールしている。だから、この生気、生命力また、霊体と呼ばれている身体がきちんと食べ物から霊力を摂っていないと肉体もすぐに影響を受けて精子に元気が無くなったり病気になるんや。
ポニョ:そういや、食べ物には生きてる食べ物と、死んでる食べ物があるって聞いたな。
ヨシオ:霊力がたくさん入っているのが生きてる食べ物で、入っていないのが死んでる食べ物ってことか。
ポニョ:パンやお菓子なんかは、すぐ死んだ食べ物って分かるよな。うどんやラーメンもとっくに霊体は抜け出てるし、ご飯も白飯は一番霊体が詰まってる胚芽を取ってるし、普段食べてるもんってほとんど霊力が抜けてるもんばっかりやな。そら人は弱くなって病気ばっかりするはずや。
おいらがアクアポニックスという農法で作っている野菜やけど、魚の糞や尿をバクテリアが分解してそれが窒素などの植物が摂る栄養素となって育つのでとても自然やし、肥料や殺虫剤や土壌改良剤などを使わないのでしっかり霊力が入ってるで。栽培する台の中にはミミズも入れとくともっとええな。
あんたがさっき言ったアーモンドのような豆類も霊力を増すことが出来る。でも同じ豆類でも大豆は、テンペーとか納豆とか発酵してるものは大丈夫やけど、気をつけやなあかんねん。
実は枝豆や豆腐など畑の肉とか言って人口削減を画策してるものがプロモーションしてるけど、大豆にはイソフラポンが大量に入っているから一日に70mg摂ると避妊用のピルと同じ量になるから注意せなあかん。子供が出来ないようになるんや。
まあ、生野菜は出来るだけ生で食べた方が霊体に取り込まれる霊力が増えて肉体も元気になる。
ヨシオ:ポニョが教えてくれたおかげで、俺もアクアポニックスを始めてるけどプチトマトだらけになって食べきれないわ。こんな新鮮な物を食べて霊力が増してきてたらええな。
ポニョ:サイババさんも確かゴアに行かれた時、ある帰依者の病気を自分の体に持って来られて一週間ほど休まれた時があったけど、その時に身体の霊体がゆがんでいるので真っ直ぐにしなくてはいけない。と言われたことがあったな。
これも霊体が肉体をコントロールしてる証拠やな。
ヨシオ:人の身体の霊体なんて一朝一夕に増やしたりするなんて難しい。
ポニョ:でも、減らすのは簡単やろ。ババは人は二時間以上話すと頭がクラクラして目眩がするので喋り過ぎないようにと言ってられる。またスポーツも、し過ぎると霊力がたまらないから良くないと言ってられた。
ヨシオ:普通の人でもこれだけ霊力の管理に気を付けなくてはいけないのに神の化身の場合、普通の人の肉体でどの程度巨大な神の霊力を保持出来るかが問題となってくるんやろうな。時々、肉体のためにディスチャージして細胞をリセットしないとダメなのかもしれないな。
ポニョ:フーム。それで半年近くも療養されてたんやろな。
ヨシオ:三番目の体は心の体やねん。これは生気の体より波動が細かいので心によって霊体や肉体をコントロール出来るんや。
ポニョ:聖者が自分の意思で死ぬことが出来たりすることからも分かるよな。ヨガナンダもその日に体から離れると言って離れられたよな。あんたのお母さんもそうやったな。
ヨシオ:お袋が亡くなって霊になった時少し話したけど、もう肉体に戻るのは嫌だったから帰らなかった。突然死んでごめんって謝ってたな。医者も死因が特定できないと言ってた。
ポニョ:死んで謝るってあんたのお母さんらしいな。それより病は気からという言葉もあるぐらいやから、自分の中の自然治癒力つまり想念の力を使って病気を治して行くのがこれからの未来の医療の基本になるやろな。その為には自分の霊体の為になる食べ物を摂らないといけないよな。
今日の話を聞いてたら、おいら達は霊力の入っていないカスみたいなもんばっかりやな食べてるんやな。
ヨシオ:そういう霊体にとって良い食べ物なんて、絶対に学校や大学でも教えてくれないし、教えないようにしてるんやろな。だって、みんなが健康になったら医者は儲からんからな。
というわけで、しっかり生野菜を食べて霊体に霊力を与えてあげましょう。
霊力が弱まればすぐに風邪を引いたり、病気がちになりますよ。瞑想もきちんと出来なくなりますよ。というわけで、サイババさんの話に入ります。
人間は五つの鞘、すなわち、アンナマヤ〔食物〕、プラーナマヤ〔生気〕、マノーマヤ〔心理〕、ヴィグニャーナマヤ〔理知〕、アーナンダマヤ〔歓喜〕というコーシャ〔鞘(さや)〕に覆われています。
第一の鞘は粗大な鞘であり、後に続く鞘はそれぞれ先行する鞘よりも繊細な鞘になります。
人間は粗大な鞘から最も霊妙な至福の鞘に到るまで進んでいかなくてはなりません。
アンナマヤの鞘は肉体です。
肉体は滅びゆくものですが、生きている限りは健康を維持していかなければなりません。
肉体にかかわる義務は果たされなくてはなりません。
肉体を動かしているのは生気鞘(プラーナーマヤ コーシャ)の振動です。
その振動は心(マナスの鞘、マノーマヤ コーシャ)の振動によって制御されます。
心を超越したところにあるのがヴィグニャーナマヤ コーシャで、これは人間の中にある「絶えざる統合意識」(般若 Constant Intergrated Awaness)に相当します。
この境地に達すれば、人はさほど努力しなくても、次のアーナンダ〔至福〕へと進むことができます。
至福の体験は自然に湧(わ)き上がってくることでしょう。
俗世の快楽と悲嘆に溺れる代わりに神聖な運命に向かって上昇することができるよう、人が人間性を授かっていることはこのことからも明らかです。
それによって、人は自分が獣や鳥よりも優れていることを実証するのです。25/2/98
ヨシオ:今日は、ダセラ祭というお祭りの話からです。
1949年のダセラ祭が近づいて来ました。ババは600人分の食事を用意されました。そして、その日に、お講話もされたのです。
たくさんの人たちの為に食事を準備していましたが、砂糖が足りなくなってきたのです。
それで、その事をババに告げると、「何?砂糖が足りないって?チットラヴァティ川の川原へ行って、袋いっぱい砂を入れて来なさい。」と言われました。
それで、食事係が袋いっぱいの砂を抱えて帰って来ると、ババは袋を軽く叩かれると、砂が砂糖に変わっていたのでした。
ある帰依者は、その日の夜のことを次のように話してました。
夜の八時にババは部屋に戻られましたが、その前に「川が氾濫するよ。」と言われました。
自分たちは、とたん屋根の倉庫のようなところに寝ていました。
朝四時ごろだったでしょうか、水が近くで流れているような音がしたので目を覚ましました。
蛇や樹木やその他の動物たちが激流に押し流されているのを見ました。
私は、何処か安全なところに逃げようと慌てていました。
半時間の間に、水は私の膝まで達していました。そして、まだまだ、水かさが増しそうな勢いでした。
朝の八時には、もう私の腰までに達していました。
それで、全員でサイババさんの部屋近くに押しかけました。
ババは、外の門のところに立っておられました。水位はババの胸にまで達していたと思います。
私たちはババのあとについて行きました。
ババは全ての持ち物をバジャンホールの中に置いておくように言われました。
ババはダセラ祭の礼拝に使うクムクムを手で取られて、水に浮かしさせ流れるままにさせておかれました。
そして、少し手を振られると、樟脳が水の上をババの方に引き寄せられてきました。
それに、どのようにしてか知りませんが、魔法のように火を灯されたんです。
そして、その樟脳の火が水面を水の流れに任せて漂っていました。
すると、激流だった水の勢いが落ちてきたのでした。
ババは私たちを引き連れて、新しい礼拝堂の建築現場に連れて行きました。
そこには、雨のため料理を作れなかったので食事にありつけず、お腹を減らしている作業員たちがいました。
ババは、二つのポットを持ってくるように言われ、それらを手で触られると一つにはライス。もうに一つにはおかずが鍋いっぱい入っていたのです。
不正な手段で手に入れた金銭で暮らすと、ある程度の病気の原因となり、また世の中にこれまであまり知られていない奇病になります。
このような諺があります。心は食物しだい。思いは心しだい。行為は思い次第。健康は行為次第。というではありませんか。21/1/94
控えめに浄らかな食事を摂ることによって、心の安らぎは促進され健康も良くなります。
バランスの取れた食事をしなさい。
腹八分目に摂りなさい。タバコをやめれば、多くの病気にかからないでしょう。
酒類や刺激物は心を波だてる傾向を持つゆえに有害です。
少なめに食べ、話すことを少なくし、欲望を少なくすること、正直な勤労で得た僅かなもので満足すること、他人に奉仕し、あらゆる人々と喜びを分かつことに熱心であること、これらはどのような薬にまして強力な効果があり、健康を維持します。
これらは、太古の健康の科学サナザナアーユルヴェーダに記されていることです。21/9/60
人間として生まれてきた以上、皆さんは神への奉仕に一生を捧げ、絶えず深く神を思うことに専念しなければなりません。
もしそうするなら、いかなる身体の病気もあなたを悩ますことはないでしょう。23/11/04
人体は数多くの病気の餌食(えじき)となっています。
人はそのすべてを肉体の病気と見なしています。
しかし、すべてが肉体に関わる病気というわけではありません。
純粋にそれが肉体上の病気であれば、薬で治療することができます。
しかし、現代世界における病気のほとんどは、心〔マインド〕にその原因があるのです。
心の逸脱が体に反応を引き起こし、さまざまな病気を生じさせているのです。
人間の多くの病気の主な原因は、心に根を張っています。心と体は相互関係にあります。
心が体に与える影響は「ネガティブ」〔否定的、陰性、マイナス思考、後ろ向き〕な性質です。
この否定性は至福の体験とは反対のものです。
悪い思考と悪い感情は心の中からわき上がります。
それと同時に、善い思考と善い感情というものもあります。
悪い思考と悪い感情が取り除かれたとき、初めて人は健康を享受することができます。
多くの病気は、心を満たしている思考にその原因があります。
悪い思考は消化不良を引き起こし、心臓に悪い影響を与え、血圧を変化させます。
心配は数多くの精神病の原因です。糖尿病と肺疾患は、精神的な原因に由来しています。25/2/98
ポニョ:それでは、いきなりサイババさんの話から入ってもらいます。
ヨシオ:サイババさんの25歳までの話の本の最後の年、1950年4月14日の出来事をヴァラドゥという帰依者の方がこう述べています。
その夜、ババと私ともう一人の帰依者と三人、部屋にいました。そして、9時ごろにサイババさんは、私たちを見られたのです。
その、ババの表情によって私たちは、ババがご自分の部屋に入りたいという事がこれまでの経験ですぐに分かりました。
それで、もう一人の帰依者と私と三人でババの部屋に入りました。そして、ドアを閉めるや否や、サイバは意識を失われて倒れられたのです。
私は、それを予期していましたから、倒れて来るババをしっかり受け止めることが出来ました。
私ともう一人の帰依者はそれぞれババの手を持って、ゆっくりと床にババの身体を寝かせようとしました。
すると、ババの身体は、私たちの手から離れて宙に浮き上がって来たのです。
ババの身体は、板のように硬くなっていました。
そして、何かをつぶやいていました。よく聞くと、マハリシが私の蓮華の足にやって来た。と言っておられました。(訳注:ラマナマハリシは、"Who I am ?"と問い続けて瞑想をする南インドの有名な聖者でした。)
その後、ババの右足の足の裏から、とてもいい香りのする綺麗なヴィブティが二kgも出て来て私たちの足がヴィブティで覆われてしまいました。
私は、それらのヴィブティを拾い集めていましたが、その間もババの身体は宙に浮いたままだったんです。
その後、しばらくしてからババの身体はゆっくりと降りて行きました。そしてババが元に戻られてから、私にババが身体を離れている間に何を言ったか聞かれましたので、私はラマナマハリシが亡くなって私の蓮華の足にたどり着いた。と言われたと言いました。
そして、これらのヴィブティがあなたの足から吹き出して来たんですよと言うと、ババはそれらを皆に分け与えなさい。と言われました。
そして、二三日後、私は新聞でラマナマハリシがババが身体を離れられた時と同じ時に、亡くなられたことを知ったのです。それによると、亡くなられたのは八時四十七分でした。
その頃、マンディールの建設は、その年のサイババさんの25歳の誕生日に合わせて建立するために、急ピッチで進められていました。
そのために、12mの梁が礼拝所の為に運び込んで来なければならなかったのです。
そして、ペヌコンダ駅から36kmの曲がりくねったガタガタ道をどうやって運んで来るのかが、大きな問題でした。
それに、途中にあるブッカパトナムの村の中を通っている道はとても細くて、家々が道に張り付いている状態だったのです。
その上、途中に何度も水が流れるところを越え、最後に柔らかい砂の河原が広がっているチットラヴァティの河原をも越えなくてはならなかったのです。
技術者たちは、これらをクリアーするのは不可能なので、ババに礼拝室の屋根の設計変更を提案しましたが、ババはその提案をはね除けたのです。
ある日、サイの帰依者で道路交通局の家の前で大きなクレーンが立ち往生していました。
そのクレーンはダム建設に使っていたのですが、運転手は、クレーンは故障して動かなくなったと言ってました。
それで、道路交通局の人はババに、もしそのクレーンを直すことが出来ればそのクレーンで梁を運ぶことが出来るとババに進言しに行きました。
ババは手からヴィブティを出して、その人に与えクレーンのエンジンに振りかけてこするように言いました 。
そして、そのようにするとクレーンは生き返ったのでした。運転手は早速クレーンで梁を運び始めましたが、途中の村人は誰もこんな大きな機械を見たことは無かったので沿道は人だかりでした。
クレーンは、途中の丘までは上手く運べたんですがそこでエンコしてしまいました。
サイババさんはそのエンコしたクレーンまで出向いて行きました。
そして、運転手の横に乗り込んで自らクレーンを操縦して河原も横切り、建築現場まで梁を運ばれたのです。
しかし問題はこれからでした。それらの大きな長い梁を持ち上げて屋根に据えるのにウインチなどで持ち上げるのですが、重すぎて中途で止まってしまったのでした。
一度、無理に持ち上げようとしたのですが重みで傾いてしまい建築中のマンディールの一部を壊してしまったのでした。
それでこのまま中途で梁をぶら下げたままにしておけないので降ろそうとしましたが、それも途中の壁などに引っかかって降ろせなくなったのです。
それで、急遽ババのところに人が派遣されて事情を説明しに行きました。
というのも、その頃ババは身体の療養の為にほとんどプッタパルティに帰っておらず、バンガロールのセティさんの家におられたからなのでした。
それでも、無理を押してプッタパルティにやって来たババは、作業員に梁を上げなさいと指示を出されました。
そして、再び作業を開始すると今回はなんと目に止まらぬ速さで梁は所定の位置に設置されていたのです。
その時ババは別に作業員を手伝ってロープを引いたりせず、ただ指示を出されただけなのでした。その次の梁も全く問題なく全て順調に設置することが出来たのです。
サイババさんの神聖な思い出
バラパタビさんの話
1945年の事でした。
ロビンという卒業したての若者がバンガロールから来ていました。
そして写真を撮っていましたが、フィルムが無くなってしまったのです。
約十五人ぐらいそこにいたんですが、ババはロビンにどのような種類のフィルムが君のカメラにいるんだい。と聞かれて、それと同じフィルムを手を一振りして物質化されました。
それを、ロビンに渡されて写真を撮るように言われました。
そして、ロビンが何枚か撮ったあとフィルムを抜いてババに渡しました。
ババは左手でそのフィルムを持ち右手でトントンと叩かれると、現像された写真が次から次へと手から現れて1枚づつ下に落ちて行きました。
皆は、それをキョトンと見ていました。
“ダルマ(正義)が衰えアダルマ(反正義)が増すとき、私はダルマを確立するために化身する。
今日の世界では、正義が衰え、真理が忘れられています。
全世界は不正行為と無秩序と邪悪な振る舞いに満ちています。
このような混沌とした状態に対しては、神への信仰だけが永続的な改善策です。
真理のみが拠り所です。なぜなら真理は神だからです。
愛は神です。愛に生きなさい。愛がなくては人は生きることができません。
ですから、人は神を愛し、神から愛という贈りものを受け取らなくてはなりません。
愛によってのみ神に到達することができます。
“私は探しています。ずっとずっと探し続けています。
私は当時も探しました。私は今も探しています。
私はずっと、真の、そして、正義にかなった人間を捜し続けているのです。”
ヨシオ:さて、ブッカパトナムでは、8月8日にサッチャサイババ高校が開校式を迎えていました。
ババはその学校の建設になんと、当時のお金で15000ルピーも寄付をされていたのでした。
その当日、ババはマドラスにおられたのですが、開校式の為に長い道のりをやって来られたのでした。
この学校は、カリユガに生きる人々にダルマを打ち立てるため、ババが将来計画されている幾つもの学校設立の第一歩でした。
現在、プッタパルティにある小学校から大学までの一貫校、バンガロール、アナンタプールにある大学。そして、インドの様々な都市や世界中にあるサイババスクールを見ればその当日ババが、この地方の小さな村で出席された開校式がどれほど大きな意味を持っているか分かるのです。
開校式にはヴェンカタギリの王様がこの開校式に招かれていました。
王様は、この帰りにババと一緒にプッタパルティのマンディールの建築現場も覗かれました。
王様はこのマンディールがその年の十一月のババの降誕祭までに完成するとは信じられませんでした。
そして、バジャンホールの大きさに驚かれババに、どうしてこんなに大きなホールがいるのかと聞かれましたが、ババは意味ありげな含み笑いしかされませんでした。
後に、王様はこのサイズのホールでも小さすぎるほどたくさんの人々がやって来るのを、その目で見た時にサイババさんの含み笑いの意味が分かったのでした。
ヴェンカタギリの王様は、是非サイババさんに宮殿に来て頂きたいとお願いしました。
ババはそれを受け入れられました。そして、その年の9月第一週に行くことになりました。
しきたりで、王様の息子がプッタパルティまでにババを迎えに行かなければならないのですが、息子はそういうグルや修行者の事を嫌がっていました。彼は、その時の事をこのように述べています。
僕は、このように言ったんだよ。なんでプッタパルティみたいな368kmも離れたところに行かなくてはならないなんて嫌なこった。
大体、僕はババだとか、スワミだとか、神だとかに全く興味なんて無いんだからさ。誰か違う人をよこしてよ。と言ったんだ。
すると、お父さんがじゃあ誰か親戚の者に行ってもらおうか。と言ったんだ。それで、次の日の朝に車が出ることになっていて、僕はそのままベッドに入って寝たんだけどすぐにサイババさんが夢に来られて、僕に二つのマンゴーをくれたんだ。マンゴーは僕の大好物で目がないんだよ。
それで、喜んで食べたんだけどとても美味しかったんだ。
その夢を見た後、時間は夜中の12時半だったんだけど起きちゃったんだ。そうなんだよ。いまでも時間をはっきり覚えているんだ。
それでどういうわけか、突然ババのいるプッタパルティに行きたくて仕方がなくなったんだ。
それで、急いで寝ているお父さんの寝室に飛び込んで行って、お父さん、僕やっぱり行くよって言ったんだ。お父さんには、その夢の話はしなかったんだ。それであくる日の朝、宮殿を出てプッタパルティに着いたのが翌朝の11時から12時の間ぐらいだったかな。
プッタパルティに続く最後の道が道路って呼べない程のガタガタ道でさ、本当にひどかったよ。
やっとサイババさんのアシュラムに着いた途端に、サイババさんが古い方のマンディールから出て来られたんだ。
それで、僕を見て冗談を言うように、バンガルー(金鉱石)よ。お前は、プッタパルティに来たくなかったんだけど、あの二つのマンゴーがお前を来たいと思わせたんだよな。と言われたんです。
これって、サイババさんが全在である証拠だと思いませんか。
僕が、サイババさんのマンゴーの夢を見た事なんて誰にも行ってないし、もちろんその夢のおかげでババのところに行きたくなり、そうしてついにこうしてババに会えることが出来たんだ。
そして、最初の質問があれだもんね。本当に…。
その頃、王様は電報を打って息子にいつサイババさんたちが宮殿にやって来るか問い合わせていました。というのも、いろいろなお迎えする準備をしなければいけなかったからなのです。
息子は、電報を打つところがプッタパルティに無いので、ブッカパトナムまで行って打とうとしましたがババに止められたのです。
そして、電報を打つことなく二三日後に宮殿へババを乗せて旅立ちました。
息子は,再びこのように述べています。
僕たちは、昼ご飯以外何処にも止まらずに走ったんだ。一つか二つの空の入れ物を持って行ったんだけど、サイババさんが、ちょっと触れただけで入れ物の中に食べ物がいっぱいになるんだ。
それを、みんなでお腹がいっぱいになるまで食べたんだ。
ヴェンカタギリにある僕たちの宮殿はとても大きくて部屋がたくさんあるんだ。ババは一度も行かれたことはないんだけど、宮殿の中にある部屋の事についてなんでも知っておられたんだ。その中には、そこに住んでいる僕でも知らない部屋の事も知っておられたんだ。
やがて、車が宮殿があるヴェンカタギリに近づくと、なんともう音楽隊などの歓迎準備が整っていて宮殿は飾り立ててあるし、歓迎のエスコートの車まで用意してあったんだ。
それで、自分は電報を打っていないのに、どのようにして到着時間を知ったのかと王様に聞くと、王様は礼拝を終えてから机の上を見ると五時半に到着するという電報がサイババさんから来てたんだ。と言った。
それで、ヴェンカタギリの郵便局に問い合わせても誰もそんな電報のことは知らないし、記録にも残っていなかった。
九月七日に宮殿で、人々のためにバジャンが開かれました。
王様は、礼拝室で独自にお祈りをされていました。
バジャンの最中にババは突然バジャンホールから立ち上がられて、王様がいる礼拝室に入って行かれたのです。
その頃、王様は丁度お祈りが終わって目を開けられるところでした。そして目を開けるとそこにはラーマ神が立っていたのでした。
サイババさんが自らをラーマ神の姿に変えられていたのでした。王様はこの信じられない奇跡を見て喜びで身体が震えていました。
ラーマ神であるババは王様の手を取って立ち上がらせて、礼拝室から一緒に手を取って出て行きました。
ババは十五分間ラーマ神の御姿で王様にダルシャンを与えた後、トランス状態になり意識を失われました。
丁度その頃プッタパルティの礼拝堂では、サイババさんの写真からサイババさんが現れ出て来られるという奇跡が起こっていました。
写真から出て来られたサイババさんは、バジャンやダルシャン、アラティさえ受けられたのでした。
また、ヴェンカタギリの宮殿の礼拝室で歌を歌っておられる時、多くの人がババの髪の毛のから光が立ち上っているのを見たのです。
その時に、即興で歌われた歌が次のような歌でした。
起きなさい。起きなさい。このまやかしの世を忘れてしまいなさい
夜が明け染め、鳥が鳴き、カンカンカンと寺院の鐘が甘く聞こえて来るでしょう
早くおいで、早くおいで、サイのダルシャン始まるよ
プッタパルティに着いてすぐに我慢が出来ずにブツブツと文句を言わないで
ダルシャンに出れなかっても嘆かないで
君の家族が君にダルシャンに行かせなくても家族を責めないで
君がここに来たなら辛抱強くダルシャンを待ち、それを得たなら満足して家路に着きましょう
サイのことを嫌いになったり、怒ったりしないでね
君たちがお互い嫉妬心を抱かないようにね
サイは貧乏人と金持ちの違いなんて考慮に入れないよ
この事を理解せずサイを責めないでね
サイは過去生で良いことをした人達を、自分の周りにはべらす事を許すんだ
それを理解出来ない人達は、ネガティブな思いを抱くだろう
ババを得たいなら君の帰依心を通じてのみ得られるんだよ
こちらにおいで、こちらにおいで、神聖なる者たちよ、帰依者たちよ、来るんだ、早く、早く
サイのハートを勝ち得る誠実な帰依者は出ておいで
サイはいつも帰依者を自分自身とみなして守ってあげるよ
彼は、帰依者たちをまぶたが目を守るように守るんだ
たとえ彼が食事や寝る時間を犠牲にしてまでも
彼が、何をしてもそれは帰依者の為になることなんだよ
それを分かってね、分かってね、そして無知から目覚めるんだ!
サイを自分のものとしなさい
それを、手放してしまったら彼の御足を礼拝する機会を得ることが出来なくなるんだよ
彼は君に信仰心、洗礼を神の力によって与えることを許し、君を自由にされるんだよ
サイを惑いなく信仰しなさい
誰か他の人に着いて行って自分をダメにしないようにね
良い習慣を付けてカルマを和らげましょう
ヴェンカタギリの王室のためにサイババさんは、宮殿の近くの川の河原の砂にラーマの絵を描きそして、そこを掘り起こすとその絵と同じクリスタルで出来た神像が砂の中から出て来たのです。
また。金属製のガネーシャ神像も物質化して与えました。そしてこの神像は少しずつ重さが増えて来ていて、それは今日まで変わらなく続いているのです。
ある帰依者がババを招待して食事を作って待っていましたが、ババは来られなかったのです。しかし、家人が油断している間に子牛が家の中に入って来て、ババのために用意してあった食事を食べてしまいました。
それで、家の人はその牛を鞭で叩いて家から追い出したのです。
翌日、ババがその家にもう一度呼ばれて行きました。ババはローブをめくって背中の傷をその家の人に見せて、昨日たくさんよばれたので今日は要りません。と言われました。
ヨガの聖典は、性的エネルギーをコントロール出来れば、それは霊的エネルギーに変換されると述べている。
それゆえ霊性修行の第一歩は禁欲生活である。
カンナダ語のことわざで、神のおわすところに欲は無く、欲があるところに神は無いとある。P78
チャクラは脳と脊髄にありそれは頭蓋骨と背骨の中に位置している。
その脳や脊髄の部分が損傷を受けると感覚神経や運動神経に影響を及ぼし、弱体化し脊髄の周辺にある感覚を麻痺してしまうのだ。ガルーダプラーナP79
受精時における両親の想念がそのまま魂に影響して卵子の中に入り込み、赤ん坊の性格が形作られるのである。ガルーダプラーナP29
精子の中に理知の鞘として存在する魂の想念が、両親の想念と似通っていればそれに影響される。
良い性格を持っている人は、その性格の特性を理知の鞘の中に宿していて、それを次の世にまでに引き継いでいくことが出来る。
それは、悪い性格を持っている人にも同じ事が言える。
これはよく似た思いを持っている人同士が、お互い引き寄せられることで知られている。
もし両親が強い正義感をもっていれば、理知の鞘の中に存在している魂もそのような想念に惹かれて、自分もそのような特質をもっている子宮の中に宿りたいと思うのだ。
それゆえ、自分の息子や娘が良い性格になるかどうかは、両親がどれほど正しい生き方をして幸せかどうかに係っており、それがまた将来生まれ来る子孫の人生に影響を与えていくのである。
正しい想念をもって性的交渉を為すというアドバイスは、将来にわたって正義に基づいた生活を送れる家族を作れるかどうかを決定していくので、とても重要なことなのである。ガルーダプラーナP30
ヨシオ:王様の話の続きです。王様のテルグ語の学者が丁度その時に所用でいなかったのですが、ババは王様に彼は洪水のために来れないけれど、明日帰って来るよ。と言われたのです。
それまで、誰もその学者の話をババにしていなかったので、ババがどうして彼のことを知っているのか皆不思議に思いました。
そして、ババが言われたとおりその学者は次の日にやって来ました。ババが学者が遅れて来るけれど洪水によるものだと言われていたことを聞いて、どうして洪水ことを知っておられたのかとても不思議に思いました。
学者は急いで宮殿に直行しババに会いました。
サイババさんは彼を抱きしめながら私がここに来たのは実はお前の為だったんだよ。私はお前が信仰してるデヴィ女神なのだ。と言われたのです。
次の日にサイババさんは、その学者のチルマラチャルさんの家をお訪れましたがその学者の娘さんはその日の事を次のように述べておられました。
サイババさんが家に来られたとき、ペンダントを物質化されました。
そのペンダントには、女神様、ラーマクリシュナ パラマハンサ、そしてサイババさんの姿が刻まれていました。サイババさんのお姿の胸の部分には、父の姿も刻まれてあったのです。
その後、サイババさんは父にあなたの家族の平均寿命はどれくらいだね。と聞かれましたので、父は55歳ぐらいです。と答えるとババは、あなたの場合は違ったものになるでしょう。と言われたのです。
ババは、その後父に私はあなたに三十二年の命を更に付け加えてあげようと言われました。
実際、次の三十二年間の間父は毎年プッタパルティに赴きダセラ祭を祝うことが出来ました。
ある年に、父が少し具合が悪くてプッタパルティに行けない時も、ババは一日ダセラ祭を遅らせてでも父の回復を待ってお祭りを祝われたのでした。
その頃、カスツーリと奥さんがプッタパルティにやって来て、娘さんの結婚式の件でサイババさんと打ち合わせをしました。
サイババさんも、カスツーリの提案に同意されて簡素な式をここプッタパルティで挙げることになりました。
ババは、礼拝堂から二三歩出て来られてトゥルシの木を祀ってある横まで来ると、こう言われました。
結婚式をこの倉庫で執り行う。食事はここでする。料理の準備はこの壁の横でする。そして、サイババさんは自分のお父さんのペッダさんを呼ばれました。お父さんは直ぐにやって来ました。そして、お父さんにヴィジャヤ ダサミの日にバンガロールからカスツーリが三十人ほどが結婚式の為にやって来ます。その日に必要な物で、ここでは手に入れにくい野菜や果物を全て事前に用意しておきなさい。と言われました。
そして、カスツーリの方に向き直って、その他にいるものがあれば、買い物リストを作り前金を払っておきなさい。そうすれば、父はダルマヴァラムやヒンドゥプールに行って買い物が出来ます。
あなたはそれらを父に注文書を書いて渡しなさい。また、何か他に要る物があれば父に注文し、あなた達がここを離れるまでにお金を支払ってあげなさい。と言われました。
結婚式の前に興味深い出来事がありました。礼拝堂で女神様を祀る儀式をしていたのですが、その儀式で既婚で夫がいる女性が女神様に貢物をするのですが、一体誰がそれをするか皆で低い声で相談していました。
そして、それをババのお母さんのイシュワランマさんにしてもらおうと決めました。
それを、後ろの方で座って聞いていたサイババさんが、君たちは一体何をこそこそと話しているんだい。どうしてイシュワランマに決めたんだい。僕がそれをみんな一人ひとりから受け取るよ。と言われました。
女性たちは、少し驚いてお互いに顔を見合わせました。次の瞬間ババが白いサリーを着た女神様に変身していたのでした。
しかも、たくさんの宝石や花やクムクムを付けておられました。
女性たちは次々に、その女神様の御足に触れ挨拶しました。やがて、女神様の姿はババに戻りました。
しかし一人の女性が、もう一度女神様を見たいとババに頼みました。
それで、ババは先ほどの女神様になった時の写真を物質化して与えました。
ババは、私は昔のようなパールヴァティでは現れないよ。と言って現代版のパールヴァティの写真を出されたのです。そこには、シルクのサリーにネックレス、腕輪を付けた女神様が写っていました。そして、冗談好きなサイババさんらしく、その現代版の女神様はなんとメガネをかけていたのでした。
それを、頼んだ女性は自分の欲望が満たせたといって泣きながら、ババの足に平伏しました。
礼拝の後、食事が用意されていましたがサイババさんは百人もの人々に食事を一緒にするように言われたのですが、実際は十五から二十人分しか用意をしていなかったのです。
でも、サイババさんは食事係の人に心配しなくてもいいよと言われました。そして、全ての人々に料理を配るように言われました。
ナガンマさんが全ての人々に食事を配り終えるとババは、次はあなたが食べる番だと言われてサイババさんが自らナガンマさんに給仕されたのです。
カスツーリさんの娘さんの結婚式が始まりました。
ババは、その式でこのようにスピーチされました。
妻の道はダルマ(正義)です。夫の道は神へと続いています。
二人が人生を歩んで行く中で、お互いを理解しあって、愛し合って行くことを望んでいます。
全ての結婚はシヴァ神とその力であるシャクティの結合だと言うではありませんか。
理想的な結婚生活を送り、これからの時代の子供たちを導くようにしなさい。
そして、あなたが生まれた家庭や嫁いで行く家庭に、名声をもたらすようにしなさい。
あなたの身体を、神聖な奉仕活動に使いなさい。
英知の光の方に近づいて行くのです。そして、あなた自身が英知を得て悟りを開くのです。
そして、あなたの結婚生活を通じて、家庭で富を守りダルマを守っている妻という名に恥じない生き方を、どのような犠牲を払ってでもしなさい。
その話を聞いていた帰依者の人たちは、たった25歳の青年が夫婦に向かって、ダルマの教えを垂れるのを聞いて驚かない人はいなかったのでした。
そして、次の月、いよいよ十一月のマンディール落成式に向かって、神の化身としての使命の幕が切って落とされるのでした。
その巨大な建物は荒野の真ん中に忽然と姿を現しつつありました。
どうして、こんなに辺鄙な何もないところに、こんなに大きなマンディールを建てなければいけないのかという疑問を心の中に持っていた帰依者の人と、プッタパルティの村外れの丘を歩いていた時に、サイババさんは南の方を指差して言われました。
このサイの降臨は、この地方を最高の平安の場所に変えるであろう。
多くの建物が建ち並び百万人もの人々がインド中いや、世界中の人々が私のダルシャンを求めてやって来るであろう。
君は将来ここに立ち、そして私があのマンディールのポーチにいるのを(人が多すぎて)ほんのかいましか見れなくなった時に、今のこの私の言葉を信じるであろう。
さあ、いよいよマンディールが予定通り、ババの25歳の誕生日に完成しました。
この、今ご紹介している本はサイババさんの二十五才までのお話やからもうすぐ終わりに近づいてきましたよ。
早朝六時から十日間に渡る落成式典が始まりました。
サイババさんは式辞の中で、先ずこのマンディールをプラシャンティ ニラヤム(至高の平安)と名付けられました。そして、続けてこう言われました。
ここは、悪い思いもなく、新しく生まれた子供のような心を君たちに与えるでしょう。
人としての身体は、たくさんの動物などの生を経て取ることが出来たのです。
あなたの、思いが次のあなたの生を決定するのです。
プッタパルティという名はテルグ語でプッタつまり誕生、とパルティつまり変化もしくは無いという二つに分けることが出来ます。
つまり、誰でもここプラシャンティニラヤムに滞在して、瞑想やバジャンや他の霊性活動をする者は生まれ変わることは無いのです。と。
ババは、バラやジャスミンの花で飾られたお神輿に乗られ、村の道を帰依者たちと練り歩かれました。
ブッカパトナムから音楽隊が駆けつけて来ており、バグパイプなども一緒に演奏されて人々は大きな声でバジャンを歌いながら歩きました。
そして、多くの人たちはババの眉間に、まるでシヴァ神の第三の眼のようなとても明るい光るものを見つけたのでした。
そのお神輿に乗っておられる間、ババはお神輿に付けてある花から花びらをむしり取って手の中にたくさん集め、遊んでおられるように見えました。
しかし、ババがそれらの花びらを帰依者たちに投げられると、それらは宙でシルディババとサッチャサイババの像が描かれた銀のロケットや、指輪、ペンダント、キャンディ、干しぶどう、ナッツなど、様々なババからの帰依者へのお土産と変化したのです。
神輿が、昼の一時にプラシャンティ ニラヤムに戻って来ました。
お神輿を下ろそうとするとサイババさんは、ちょっと待つように合図されました。
そして、今まで花から花びらをむしり取られていた花弁を、神輿の上から下にいる帰依者たちに放り投げられたのです。
その、数え切れないほどのたくさんの花びらは、なんと宙で銀貨に変わったのでした。
それらの銀貨には一様にサイババさんの絵と、インドのあらゆる言語と英語で私がここにいるのに何を恐れることなどあろうか。と刻まれてあったのです。
それらの奇跡は、そこにいた全ての人々を興奮のルツボに陥れたのでした。
降誕祭で、とても印象的だったのはサイババさんがジョーラという吊りソファーに座られて、ゆっくりと前後に揺られながら落成式典を見られていることでした。
その間、詩人たちが自分の作った詩を披露したあと、ババから銀の宝石箱を与えられたり、マンディールの建築労働者達にもいろんな物をプレゼントしておられました。
男性には、男用の腰巻を、女性にはサリーやブラウスをプレゼントされました。
エンジニアリングの会社から二十台近くのモーターバイクの寄付がありましたが、これらは全て建築労働者に寄贈されました。
そして、様々なアーティストたちが音楽などを演奏して、ババから鈴のついた鎖を物質化して与えられていました。
また、ある帰依者のカップルがその日に結婚式を挙げましたので、花嫁に神聖なネックレスを物質化して与えました。
この神聖な首飾りは本当は誰の手にも渡したりしてはならないのに、様々な人たちが見せて欲しいと押しかけてきて人が触れた途端、消え失せてしまったのでした。
もう一度、物資化して欲しいとババに懇願したのですが、これをきっかけにあなたはもっと注意深くならなければなりません。と言って与えられませんでした。
また、このような出来事もありました。
マドラスからやって来たアーティストに君はシータの劇を披露してくれるかい。と言って席に着かれて見る用意をされました。
でも、その人は、まだ音楽家達が全員そろっていないからそれを披露するのは無理だったのです。それで、大観衆の前で両手を上げてサイババ〜と言って泣き始めたのです。
サイババさんは、席を立たれて観衆の中をウロウロされて四五人の人たちを選び、舞台に行くように指示されました。
その人たちは、お互い全く知り合いでも何でもなかったのですが、そのアーティストがいるはずだったヴァイオリニストや、歌手、ドラムなどの音楽家だったのです。
そして、観衆が固唾を飲んで見守る中寄せ集めのパフォーマンスが始まりました。
その劇の一場面にシータの結婚式のシーンがありますが、アーティストの人がババにあなたがシータに結婚式の首飾りをかけて下さいませんかと尋ねました。
するとババは、その首飾りは用意してあるの?と尋ねられてから、自ら観衆の前で首飾りを出されました。
そして、その首飾りのペンダントには何も描かれていなかったのですが、ババがそれを両手で握ってから開くと、一面はババの画像でもう一面はヴィシュヌの劇をプラシャンティニラヤムでサラスパティバイによって演じられた。と刻まれていました。
そして、ババはラーマの役になってシータに結婚式用の首飾りを首にかけられたのでした。
マンディールが完成してから、サイババさんは毎日のスケジュールに追い回されていました。
帰依者と一緒にバジャンを歌ったり、花輪を作ったり、壁や天井を飾り付けるために梯子に上って遊ばれたりもしました。
そして、チットラヴァティ川を渡ってやって来たり、帰って行く帰依者の荷物や子供を抱いて一緒に渡ったりしました。牛車に荷物や子供を乗せるのを手伝ったりもしました。
また、食事の準備を手伝ったり、水を汲んで来たり、食事の準備で忙しい時にはその間子供の世話もされていました。
また、近くの村からやって来た人には、バジャンが終わって外が真っ暗になると、自らオイルランプを持って行く道を照らしながらその人たちを隣村まで送って行かれたことなどは、一度や二度ではありませんでした。
また、ある帰依者が若くして寡婦になり、生きる望みを失った為に自殺しようと森の中を一晩中彷徨い歩き、毒蛇を踏んで噛まれてそのまま森の中で横たわって死んでしまうところを、ババに翌朝助けられてババが自ら食事を作られてその未亡人に食べさせました。
そしてそれは、その夫人がこの世を去るまで続いたのでした。
ババは、いろんな方法で自らの帰依者たちを守りました。ある日、財産のことで裁判沙汰になり、帰依者が裁判に出ることになりました。その裁判で偽の証拠を突きつけその帰依者に不利になるように働きかけようとして裁判所へ行こうとした二人の男が乗ったバスの前にヘビが現れたのです。
そのヘビは鎌首を上げて踊っているように見えました。バスの運転手はバスを止めた途端その蛇がバスの中に入って来て、その二人の前に立ちはだかって動きがとれないようにしたのです。
そして、一時間後ヘビは何処へともなく消えて行きました。その後二人は急いで裁判所へ行きましたが、すでに帰依者に有利な判決が出ていて手遅れでした。
その後、ババはその帰依者にババが蛇になってその帰依者を救ってあげたと言われたのです。
サイババさんに神聖な光を見ました。クマーリさんの話
全ての信者たちが、丘の麓に集まってババを見ていました。
すでに、陽は地平線に沈んでいてサイババさんは皆から見えるところにおられました。
すると、ババの頭の後ろから赤い光が見え始めました。まるで夕日の光のようだったんです。そうしてるうちに、その光はゆっくり消えて行きました。
でも、その代わり太陽の何百万倍もの強い光線が蛇の頭にダイアモンドが光っているような感じで輝き始めたのです。
その強い光に耐えきれず二人の人が気を失って地面に倒れてしまいました。
他の人々は、この凄い光景を見逃すまいとして歓喜に満ち、大きく目を開けながら見ていました。光が突然消え失せ、辺りは暗闇に戻りました。
眩しい光を見ていた後、突然暗闇になったおかげで、しばらくの間盲目状態になって何も見ることが出来ませんでした。
でも、ゆっくりと視力は回復して行きました。
そして、周りがはっきりと見えるようになったと思ったら、サイババさんが目の前におられて大声で笑っておられたんです。
私たちみんなも幸せな気分になりました。
そして、気絶している帰依者のところへ行きヴィブティを額につけられました。
彼らは気がつくや否やサイババさんに平伏していました。
私が推測するに、私たちがいたところから、ババが立っておられた丘の頂上まで六十m程あったと思います。
最後にこのような話もありました。サイババさんの食事を作っていた年を召された女性がいました。ある晩、彼女はメガネをかけてクリシュナのヴァガバットギータを読んでいました。
すると、突然ババがその年を召された女性の膝の上に乗り、そのシワだらけの頬を撫ぜられて、メガネを顔から取り上げられたのです。
その女性はそれが無かったら私はこの本を読めないではないですか。返して下さい。と頼みました。
ババは、どうしてギータなんて読みたいんだい?と聞かれました。その女性は、私は、クリシュナが言われた事を学んで悟りを開きたいのです。と言いました。すると、ババは僕がその本の中でギータを説いたクリシュナなんだよ。そのクリシュナがあなたの目の前にこうしているのに、何で本なんか読むんだよ。と言われたのです。
“何も心配することはありません。
何を体験しようとも、そして何が起ころうとも、それはアヴァターが意図したことだと思いなさい。
このアヴァターが地上に降臨し、そしてその使命を果たそうとするときに、それを遅らせるような力などこの世に存在しません。”
“私は神である。
あなた達はこの私が来た機会を逃さずに、川を渡らねばならない。
あなたがやらねばならぬ事は、船に乗ることである。
私が船長で、あなた達が乗船して来るのを待っているのだ。
次の二千年の間、誰もあなた方を今私がやっているように、対岸へ連れて行ってくれるお方はこの地上に来ないであろう。”
“私があなた方と同じように話し、笑い、歩き、食べているからといって惑わされてはなりません。
身体の感覚に惑わされてはなりません。私の行為はすべて無私、無私、無私です。
私には利己心は全くありません。
この真実を固く信じなさい。
完全に信じるなら、たとえどこにいようとも、あなたの願いは求めずともかなえられます。
完全な信仰を抱かない者のみが苦しむのです。
自分への自信をもっと持ちなさい。
これはあなたが最初に取りかからなければならない霊性修行です。”
ポニョ:昔、栗金とん大統領がサイババさんに会いに行った前後から、世界の主要メディアは口を合わせたように、反サイババキャンペーンを始めたな。
ヨシオ:日本でも主要マスゴミや嘘付きパンダを使って出版社がアンチサイババキャンペーンを始めたな。俺がアシュラムにいる時もイルちゃんの元締めの皇室からチャー留守 交代し殿下がババに会いたいってバンガロールまで来てた。
奴らは悪い事をしてババの教えと正反対の事をしてるのに会いたいって面白いな。
ポニョ:それは、ババが言ってられる世界の宗教は一つしかない。愛の宗教や。という教えを世界の宗教を否定して自分達の都合の良いドグマで人をコントロールしようとしている事と結びつけようとしたんやろ。
ヨシオ:つまりババを利用しようと思ったんやな。そういや、ユダヤ人のたくさん住んでいる西洋の国ではサイババさんのシンボルであるザルバダルマに六芒星を付けても良いと言われたな。
ポニョ:それを見てあいつらババを利用できるって思ったんやろ。それで、実際ババのところに行って会ってみたら利用出来るなんてトンデモの話やったんや。
ヨシオ:それで逆切れして暗殺しようとしたり、アンチサイババキャンペーンをしたりしたんやな。サイババさんの運転手は殺されたよな。YouTubeなんかサイババって入れた途端、酷い嘘ばっかりの動画がここ二十年近く一番トップに出て来るもんな。
ポニョ:実はサイの組織の中でもこういう反サイババキャンペーンは誰かが後ろで糸を引いているっていう情報が入っているんや。その記事が日本のサイラムニュースに出てたな。
それに、グーローバルエリートの総本山であるスイスに留学してるサイ大学の学生達が大金を積まれてサイババさんの悪口を作って言うように仕向けられたんや。
もちろんほとんどの人は断ってるけど、中にはイエスを裏切ったユダのように金に目が眩んだ人もいてるようやね。
それにフェイスブックもツイッターもYouTubeもGメールも全部奴らの支配下やから一度そういう嘘の情報を流そうとしたらあっと言う間に世界中に広まってしまう。
実はサイババさんが自分は神の化身やと宣言されてる事と、奴らが信じている人は神になれると言う理論はとても似てるんや。
ババも最終的には人は神になるって言われてるやろ。でも、根本的なところで全然違うんや。
先ず、奴らは宇宙の創造主の存在を認めてない。自分達自身が創造主になれるって思ってる。だから、神の祝福や恩寵なんて要る訳が無い。
ババはそれとは逆に創造主がいてそれは実は私たちだから、それに気付きましょう。悟りを開きましょう。創造主である神さんから祝福や恩寵を頂ければ自分が実は神さんだったて気付く事が出来ますよ。姿が見えず声も聞こえない神さんが時々この世に人の姿をとって私たちに奇跡を見せて自分達も実は神さんだったて事を教えに来てくれますよ。
それには、私、私の物というエゴを無くさなければなりませんよ。という教えやろ。
ヨシオ:一つは俺が創造主だ。お前たちは低いレベルの家畜人間だ。俺のように高見に来れないのだ。だから下々の者よ、俺に従え。お前らは俺の奴隷だ。毒を食わしてやる。毒の入っている注射やワクチンを体に取り込め、電磁波だらけのところに住め、病気をすればゆっくり財布の中身がからになるまでゆっくりと殺す治療をしてあげよう。甘いものをしっかり食べれば脳を溶かしてあげよう。お前たちは羊人間だ。選ばれた人間に従うのだ。
もう一つは、そうでは無い。全ての人は実は創造主だ。神を愛し、全てを愛し全てに奉仕してエゴを無くし、神の元へ行きましょう。
ポニョ:ほんまに正反対やな。俺たちのブログを潰そうとあんたの事を朝鮮人とかババが変態とか言って死愛映画、金を出して、人々を間違った方向に導こうとしてるブログがあるけど、奴らがサイババさんの情報を得たところが何とインドにあるのアメリカ大使館やったんや。
ヨシオ:その米大使館はサイババ関係のブログや組織を潰そうと企てている総本山やな。世界中のアメリカ大使館はスパイや情報活動のメッカや。スノー田も日本で収集活動をしていた死愛映画派遣したスパイだったと最近認めた。
俺のインド人の友達も、米大使館は腐ってるって言ってたな。
というのも、アメリカのビザを発行する窓口をわざと少なくして長蛇の列を作らし、並びたくない人達は別に$200払えば少し離れたところのラウンジに案内されてお茶を飲みながら少し待ってたらバスが迎えに来て別の特別窓口に案内されるんやて。そして、それらは違法やから別の会社を設立してそんな汚いことをして金儲けをしてるんやて。
見積もっただけでも少なくても年間何億円以上もの裏金を作ってるんや。でも、新しいインドの首相はアメリカ嫌いやからそういう悪い事は続けられなくなるやろね。
オーストラリアなんかはネットでビザ申請出来るから問題ない。
まあ、サイババさんが世紀のトリック魔術師という大嘘をマスゴミがでっち上げて、それを信じて騙されている人ばっかりやけどな。人間羊さんがまた騙されましたって裏で高笑いしてるんやろな。
ポニョ:それぐらいマスゴミの影響は強いってことや。サイババはクルクル手を回して物を出す代わりに目を回して自分の病気も治せずに死にましたよ。今まで神の化身やと思ってサイババさんに帰依して来た人はご苦労さん。アホでしたね君たち。って感じかな。
ヨシオ:そういう人達も、サイババさんが帰って来たらびっくりするんやろな。
ポニョ:おいら達がこうしてババは嘘つきではありませんよ。トリックの名人でも、手品師でもありませんよ。96歳まで生きるって言われてますから、必ずそのようになりますよ。今のところは一時期だけちょっと霊界に帰ってられてるだけですよ。直ぐに戻って来られますよ。
そして、世界中の空に現れたり、山脈を持ち上げたり、何千もの身体になってあちこちに現れたりして世界中が愛で満たされますよ。世界が平和になりますよ。
グロエリはグロエリ巻きトカゲになっていなくなりますよ。とか言ってるけど、普通の人はあの人達、変な人や。今頃なんでサイババやねん。とっくにブームも終わったし精神状態がおかしい人なんと違うか?そんな絵空事ばっかり言ってアホな奴や。と思われてるやろな。
ヨシオ:人が俺たちの事をどう思おうがそんな事はどっちでもええねん。それより、神さんが俺たちの事をどう思っているのかを、いつも考えないといけないんや。
俺たちが言ってることが真理であるか、やってる事が正しい事なのかというような事をいつも検証しながら物事を進めなくてはいけないんや。
だから、俺たちがやっている事を人がどう判断するのかは、その人と神さんの問題なんや。俺たちは俺たちが信じている真理を世に示すだけで良くって、人を説得する必要も無い。
サイババさんは神様ですよ。
もうすぐしたら帰って来られますよ。
正しい生き方をしましょうね。
動物などを殺して食べるのは、大変なカルマを作っているんですよ。
地球の大掃除が始まりますよ。
グロエリ達がもうすぐ悪さを始めますよ。
あなたが知っている、生活してるこの世界はある日、全く違う世界になりますよ。
そのあと、素晴らしい世界が待っていますよ。
などと言うメッセージを発信して来たよね。
ということでいきなりババの話を始めまーす。
サイババさんは、金持ちと貧乏人を区別されることはありませんでした。
ある日、ナラヤナスワミという人がバンガロールから家族連れで1950年12月にやって来ました。
最初、家族は古い方の礼拝堂に行ったのですがそこはもう人がいっぱいで場所がないと言われたので仕方なく、新しい方のマンディールに行きました。
そこでも、ナラヤナさんは場所がないと言われたのです。でも、サイババさんはそのやりとりを見たわけではないのにも関わらず、人を遣わして彼らに泊まる場所を提供しました。
ちょうどそこでは、十人ほどの人々がパーダプージャという儀式について話し合っていました。
ナラヤナさんは、その儀式について全く知りませんでした。しかし、花だけは買わないといけないと思い、少し離れたブッカパトナムまでわざわざ出かけて果物や花を一たばを買って来て古新聞に包んで持って帰って来ました。そして、帰って来た時に金持ちの家族が綺麗な盆に花や果物を載せ飾り付けられたお供え物をパーダプージャのために用意しているのを見ました。
ババは二階から降りてこられて、金持ちの綺麗な盆だけをナラヤナさんに渡して、ナラヤナさんが買ってきたものを乗せて、それでパーダプージャをしなさいと言われたのです。
でも、ナラヤナさんはパーダプージャのことは何も知りませんでした。
それで、ババが手取り足取り丁寧にどのように礼拝をするかナラヤナさんに教示されたのでした。ババは、その後このように言われました。私はこの世のレベルでは誰とも特別な関係を持っていません。私とあなたの関係は霊的な関係でそれは永遠なのです。
あなた方は、私を楽しめば良いのです。あなたが甘いサトウキビジュースを飲むように。
サトウキビの搾りかすは甘くはありません。あなたは、別にここに来なくてもあなたの住んでいる家で私を楽しめるんです。
サイババさんの姿 M,L,Leelaさん
二三ヶ月サイババさんのところに滞在して私たちは、ラーマやナラシンハや、ヴァーマ、そしてシルディババなどの神の化身の御姿を少し見ることが出来ました。
一番感動したのは、ラクシュミ女神を見れた事でした。それは大きくはありませんでしたが、とても美しかったのです。
女神様は、ハスの花の上に座っておられました。そして、ザリという金のパターン飾りの模様の付いたピンクのサリーを着ておられ、濃紺のブラウスに孔雀のデザインが入っている金のパターン飾りを身につけておられたのです。
また腕輪も一つひとつのパターンが違っていて素晴らしかったです。そしてそれらが微細に渡って見ることが出来ました。
また、もうひとつ印象に残ったことがありました。
その前に、ババは私たちに警告をされました。
丘を下ってダルシャンを与えたときに、誰も私の近くに来たり足を触れに来てはならないという警告でした。
私たちは、川べりに着くとババはいなくなりました。
丘の方を見ますと、ババが大きな声で、僕が見えるかい?と聞かれました。
すると、ババが丘ぐらい大きくなっていて、まるで映画の中のシーンを見ているようでした。
私は、胸の部分しか見れなかったんですが、信仰心の篤い人によっては蓮華の花のような御足も見た人もいました。
私の両親と叔母のラリアンマは全身を見ることが出来ました。
私の叔母はそれを見た途端、丘に向かって駆け出してババの御足に平伏しようとしました。
その瞬間、叔母の身体は硬直し、死んだようになったのです。
そして、その目は閉じてられており、たくさんの汗をかいていました。
ババは、ラリアンマ!起きるんだ。起きろ!と叫ばれたんですが反応はありませんでした。
すぐに、ババは叔母の顔に水をかけ、少し飲まされました。
そして、ヴィブティを額に付けて一部を口の中に入れられました。
五分ほど経って叔母は少し元に戻り始めました。
私たちは彼女が座るのを助けました。礼拝堂に戻る時も、二人の人が両横について歩かなければならなかったのです。
礼拝堂に到着しても、叔母はまだ半分気を失ったままでした。
その後、数日の間このような状態でほとんど、一日中寝てばかりでした。
叔母が元に戻ってから、一体どうしたのか聞いてみると叔母は、あの時に駆け出して行ってババの足に触れた途端、電気の通っている電線に触れたようなショックを受けたと言いました。
その、電気ショックを受けた後、一体何が起こったのかさっぱり記憶がなかったのです。
でもその体験は、彼女にとって新しく生まれ変わったような感じを抱かせる体験だったのです。
それはサイババさんが、彼女に新しい命を与えたようなものだったのです。
しかし、ババはその奇跡を見せられる前に、光が現れた時に絶対にババに触れてはならないと警告されていたので本当は触れてはいけなかった事なのでした。
あっと驚いたババの奇跡
水が噴き出たよ
ある日、ガンガーを見たいですか。とある帰依者に聞かれました。そして、つま先で地面をこすられました。するとそこから泉のように水が吹き出てきたのでした。
“一部の外国人たちが、彼女たち(サイ女子大学卒業生)を買収してサティア・サイババを非難するための話を捏造させようとしています。
スイスでは、女子大の卒業生に対して、ある人物が、サイババを陥れるための作り話を考えて欲しいと言って近づいたとき、彼女は烈火のごとく怒って、すぐさま自分の履いていた靴を脱いで手に取り、ほとんど相手を打ち据えるような勢いで「これがあなたの宗教の教えですか? これがあなたの宗教が広めようとする理想なのですか? 恥を知りなさい! ここを出て行きなさい!」と迫ってその人物を追い払いました。
しかし中には、ユダのように買収されて、サイババを陥れる虚偽の攻撃をする裏切り者たちがいます。25/12/00”
“私は、人々が繰り広げるいかなる虚偽のネガティブな宣伝をも恐れません。
真理と正義と愛の道を守っている私が、何を恐れる必要があるでしょうか?
人々には好きなことを言わせておきなさい。私の心は乱れません。”
“神聖な行為を邪魔しようとする人は、人間ではありません。
そのような人は本当に魔物でしかありません。
たとえ全世界がそのような魔物で一杯になったとしても、サイの決意は決して変わりません。(拍手)
一部の人々が、卑劣な考えから、サイババのイメージを汚そうと努めています。私は名声を求めません。
ですから、いくら彼らが虚偽の敵対宣伝をしても、私が失うものは何もありません。
私の栄光は日増しに高まっていくでしょう。
たとえ彼らが全世界で派手に虚偽の敵対宣伝を繰り広げたとしても、その栄光は微塵も低下することはないでしょう。 一部の帰依者は、これらの虚偽の主張に惑わされているように見受けられます。そのような人は真の帰依者ではありません。
サイの大いなる力を知ったのであれば、どうして「うるさいカラスたち」を恐れる必要があるでしょうか?
“私たちは、あちこちの壁に書かれている内容や、政治的な会合における発言や、出版物となって出回っている下品な作り話などのために、自制心を失ってはなりません。
真理と、正義と愛の原理を広めるのだと、固く心に決めようではありませんか。25/12/00
虚偽でもって人を陥れようとしている人々は、必ず破滅の憂き目に会います。虚偽のネガティブな宣伝を煽っている人々も、滅びの定めを避けることはできません。”
ポニョ:昨日は久々に言いたいことを言ったな。たくさんの人たちがサイババさんのネガティブキャンペーンに騙されているから、本当の事を言いたくなったんや。
ヨシオ:ポニョは正義感が強いから嘘とか聞いたらほっとけないタイプやもんな。
ポニョ:あんたが訳してくれたサイババさんの話を聞いてても、ババが何をやられても人様の為やのにこれだけ嘘いっぱいの悪口をマスゴミに流されて腹立ってたんや。
ヨシオ:しかも、96才で亡くなるって言われてたのに予定より早く亡くなられたし、ババはアフロのトリック嘘つきグルやったなんて思っている人ばっかりや。
ポニョ:その上、サイの組織のこの件についての見解も、太陰暦ではババは96歳で亡くなりましたから嘘つきではありませんやて。
ヨシオ:でも、ババの通訳をされていたアニールさんは、ババが帰って来るということも、帰って来ないということも言えるなんて、ややこしい事を言ってられるな。
ポニョ:何で、俺たちみたいにハッキリと帰って来るって言われないのか分からんな。ババが今まで言われて来たこと全てが真理やから、将来空に現れるよ。山脈を持ち上げるよ。サッチャサイババが何千もの身体になって世界中に現れるよ。世界中に平和が訪れるよ。ゴールデンエイジがすぐそばまで来てるよ。というような予言が全て実現するのにな。
ヨシオ:そういうふうに信じている人って少数やろな。
“多くの人々は、私の言葉を重視せず軽く取っています。これは正しいことではありません。私が話すことは、例え私が軽い調子で話し、冗談として話したとしても、全て真理であり真理のみなのです。しかし、人々はそのことに気付いていません。
肉体的にスワミの近くにいる人でさえも、このことを正確には理解していません。その結果しばしばスワミの言うことを無視しています。私の言葉を真剣には受け取らず、スワミは軽い調子で話をしたのだと思っています。そして、私の言葉が真理である事を後でそれが現実となった時にようやく気付くのです。人は未来のことを何も知らないので、私の言葉を軽く受け取ります。けれども、私の言うことが全て本当だということが将来判明するでしょう。
“そうして初めて、人は私の言葉を理解することが出来るのです。眼の前で、私が歩き、話しているのを見、起こっている事を全て目撃しているのにもかかわらず、人々は私の言葉を理解することも、私の神聖さを認識することも出来ずにいます。人々の多くは、私の言葉を冗談でかたづけます。
ポニョ:だから、おいら達がこのブログを立ち上げたんや。しかも、サイババさんはグロエリの誹謗中傷の的になっているってことも伝えたかったしな。
ヨシオ:昨日の記事にもあったけど、表には出て来ないけど、いろんな暗殺未遂事件があったんや。
俺が聞いた話しだけでも三つぐらいあるな。
ポニョ:何やねんそれって。
ヨシオ:ダルシャンでサイババさんはヴィブティを出されたり、指輪やいろんなものを物質化して人にプレゼントされるやろ。
でも、あるインド人の人の前で手のひらを上に向けて指を動かしてその人から何かを受け取ろうとされてたんや。
しかも怖い怒った顔をされて。
ポニョ:それって逆やもんな。手紙は取られるけど、いつも、あげることしかされないのに人から何かもらおうと催促されるって聞いたことがない。
ヨシオ:それでその人は下を向いたままで、サイババさんの要求を無視されてたんや。でもサイババさんがそこを立ち去られずに何度もその人に催促されてたもんやから、周りの人たちはその人が何を出すのか注視してたんや。するとおもむろにその人はシャツの内側から拳銃を出してサイババさんに渡したんで周りの人はびっくりしたんや。
いつも、ババは手紙を受け取った後、一緒に歩いてるお付きの人に、それらを渡しておられるやろ。
その時はお付きの人に拳銃を渡されたんで、そのお付きの人がとても驚いたその取り乱した様子が、横で見ていてもめちゃ可笑しかったとそれを見てた人が言っていたな。
もちろんその人はすぐに警察が来て連行されてたな。
ポニョ:サイババさんを殺そうと思ってたんやな。
ヨシオ:また、何十万人が集まったサイババさんの降誕祭がヒルヴュースタジアムであったんやけど、ババは近くにいた人にあの丘の木の近くにこういう服を着た人がいてる。その人は狙撃手やから捕まえるように言われたんや。
ポニョ:ババを狙撃しようとしても難しいやろな。だって、それを画策した人の中にもおられるし、それを実行しようとしている人の中にもおられるし、弾丸の中にもおられるから、例え狙撃手が弾を撃ったとしてもババの身体に当たる前に飴玉になってしまうやろな。
でも、飴玉でも水飴やったらローブにぺちゃんとついて、ネタネタになって取れへんし気持ち悪いよな。それで、それを取ろうとして舌でペローって舐めたりしてたら、ヒルヴュースタジアムにまで神の化身を見に来た人の半分ぐらいはサイババさんに幻滅して家に帰ってしまうかもしれん。
ヨシオ:なんでそういう風になるんや。久々にポニョの妄想が始まったな。
それでは今日はサイババさんとの会話を御紹介しましょう。
サイババとの会話
1948年5月のラマムルティさんとの会話です。
どうして、亡くなった人たちの霊を祀らなければならないのでしょうか?
サイババ:それは、私たちがラーマやクリシュナを祀るのと同じ理由で、亡くなった人を祀るのです。献上された牛の尻尾を持つことによって亡くなった人が三途の川を渡るのを助けるって言われていますが、誰かそれを見た人がいるのでしょうか?(訳注そんな牛はいない)
その人が信仰心を持って(訳注カルマの法則を知っているからこそ)全てのカルマがその人にくっついて行くのです。
カルマ何て無いと思っている人は無神論者になるのです。
ババ、小さい子供が亡くなると生まれ変わらなくてもいいって聞きましたが本当ですか?
サイババ:その通りです。でも、両親が健康であることが条件です。
どんな子供も十五歳になるまでに亡くなれば、その子供は生まれ変わることはありません。
というのも、欲望や怒りがその子供に影響していないからなのです。何人かのヨギは、少し残っているカルマを払い終えるために生まれ変わることがあります。
どうして、神像を礼拝しなくてはならないのでしょうか?
サイババ:この事によって心が一点に集中出来るからです。それが大事なのであって、神像は重要ではありません。
人生で困難な時、自殺を考えてしまう事もありますがどう思われますか?
サイババ:生き続けて、その困難と戦わねばなりません。自殺を考えてはなりません。
あなたは、自殺をした人にどんな大変なことが待っているか知らないでしょう。
子宮の中で過ごしている間も大変な時なのですよ。
自然死の場合、亡くなる前に次の身体を見つけなければなりません。
それは、今住んでいる家を出る前に引っ越し先を決めるようなものです。そうでないと、あなたは路上に迷うでしょう?これは、冗談ではないのです。
自殺した人たちは、幽霊になってしまうんですよ。
至福は、この世に産まれ出てくる十五分前と、亡くなってからの十五分間に体験することが出来るのです。
ある日、夕食を頂いてから皆で座っていました。ババはその時このような話をされました。
ヒマラヤでヨギが瞑想中に、ナラヤナ神が私は地上に降りてくるが、それは西の方だと言われたので、ヨギが神様をあちこち探しながらバンガロールにやって来ました。
そこで、サイババさんが家から出て来るのを見つけて、ババに向かって走って行き、泣きながら抱き付きました。
そして、二度と離れたくないと言いましたが、ババはあなたの帰依者たちが待っているので帰りなさいと言ってそのヨギを帰されたのです。
ヨギはババの元から離れて帰って行きました。周りの人々は一体何が起きたのか理解出来ませんでした。ババは将来、彼をまた呼び戻すつもりだと言われました。
誰かが、ババに神が人の姿をとって降臨した時に、どうして一部の人々だけを祝福して大部分の人たちを祝福されないのですか?それって良くないと思いませんか?
サイババ:そんな事はないよ。君にはそういう事が良くないように見えるだけなんだよ。神は、実は全ての人を公平に扱っているんだよ。
寝たふりが得意なんだ
少し前の話になりますが、ババの事を自分の息子のように思っていた帰依者のサッカンマさんは、ババに少しお昼寝でもしなさいと言いに来ました。ババは、二つのまくらを毛布の中に入れて、まるで人が寝ているような形にしてから、外に飛び出して子供たちと遊びに行かれて、散々遊んだあとスッカンマさんの前で目をこすってあくびをし、よく寝たふりをされこともありました。
“自分の中で英知の光りが絶えること無く輝いていれば、良い思い、良いものの見方、良い助言によって人を助けることが出来ます。
そんな人はまさしく神様です。その反対の性格を顕している人が悪魔です。悪魔は闇を好みます。
闇を払い、光で満たされていて下さい。光ある道を選ぶなら、過去に何があったとしても、神は皆さんを受け入れてくれます。”
“若者は、内なる力に注目せねばなりません。それは一種の電気エネルギーに例えられます。内なるエネルギーは、目によって物を見させます。
あなたは、自分のビジョンが清く神聖で好ましいものであることを確実にせねばなりません。
好ましくないものを見ることにより、視力を汚染してはなりません。いかなるものであれ悪意で見てはいけません。目は誤用すればだめになります。
そして、全身を循環する磁性のエネルギーがあります。このエネルギーは、身体のいたるところにみなぎっていますが、ことに手に顕著に存在します。
それゆえ両手を良い目的の為に用いなさい。手は他の人を害したり傷つけたりするために用いるべきではありません。
その上、身体には、光を放射する光線があります。身体の電気エネルギーは、丁度ラジオ波のように、全身にこの光線を伝導しています。
“人々は、これらのエネルギーを正しい目的の為に用いてはいません。耳は噂話や中傷や悪い話を聞きます.その結果聞く力は汚染されました。
それから、話す力があります。この力は音響波として現れます。この力を注意深く用いねばなりません。
話すときは他の人を興奮させたり,腹立たせたり、怒らせたりしないように気をつけねばなりません。
人を傷つける言葉を言えばそれは2倍の強さで話した人に返ってきます。それゆえ話す言葉は優しく甘美でなければなりません。”
以下の記事は次の本から頂きました。
http://saitowers.com/limf/
ポニョ:今日でこのLove is my formという本のご紹介は終わりです。
著者のパッドさんありがとうございました。
皆さんサイババさんの若い時のお話しを楽しんでもらえましたか?最後のエピソードは第三の目は怖いのお話です。
プルナイヤさんの話
ある日、チットラヴァティ川の河原にいた時、ババは川の水を両手で汲まれて私に受け取りなさいと言って私の手の中に注がれました。
でも、その水は金のお守りに変わったのです。ババはこれを首の周りに付けておけば、これから誰もあなたを傷つけることは出来ないと言われました。
また、チットラヴァティ川を横切っている時、ババは川砂を手で掴まれてそれを、強い風に向かってサラサラと手からこぼされていました。
砂が全部風に吹き飛ばされたと思ったら、手には誕生石のついた美しい指輪がありました。
そして、それを息子にプレゼントされてこれをいつもはめていれば、悪いものはお前に近付くことが出来ず、神の祝福が常に降り注ぐであろうと言われたのです。
第三の目 ヴィジャヤ クマーリ
ある日、私たちは何時ものように歩いていると、突然ババがいなくなりました。
あちこちと探していると上の方から手を叩く音がして来ました。そっちの方を見るとババが丘の頂上におられたのです。
そして、僕は丘のてっぺんにいるぜ。と叫ばれました。夕方の六時ごろでした。
太陽は西に沈み、空は暗い毛布で覆われつつあるようでした。空は全天雲で覆われていました。
ババは、今から太陽を見せてあげるからね。と叫ばれました。
私たちは、ババがどのようにしてもう雲の後ろに沈んでしまった太陽を見せることが出来るんだと不思議に思っていました。
すると、柔らかい光の筋がサイババさんの頭の後ろから出て来たのです。
空は青色の雲で覆われていました。その光線は赤色に変わり鋭く明るくなり始めました。
そして、それらは大きく拡がり始めたのです。
私たちは、だんだん熱くなってきて汗をかきはじめました。
ババ〜。太陽の熱さに我慢出来ないよ〜。と叫びました。
ババの御技によってその熱さは消え失せてしまいました。熱くなくなったので私たちは安心しました。
すると、また今からお月さんを見せてあげるね。とババが叫ばれる声が聞こえてきました。
するとババの後ろから優しい蜂蜜の色をした金の光が現れ、それが白い色に変わりました。
そのうちとても寒くなって来て、身体が震え始めました。
寒過ぎて歯もガチガチと音を鳴り始めて我慢出来なくなったので、ババにちょっと寒過ぎるよ〜。と言うと、だんだんと寒さが和らいできましたので、ちょっと落ち着きました。
私たちは、次に一体何事が起こるんだろうかと、構えて待っていました。するとババは、僕の第三の目を見せてあげるよ。注意して僕を見るんだよ。と言われました。
私たちは、どんな風に第三の目を見せてくれるんだろうと話し合っていました。すると、ババがそこから消えてしまわれたのです。
でも、消えてしまったのはババの体だけでした。頭はまだ残っていて、それがだんだん大きくなって髪の毛も広がってきたのです。
そして、その巨大になった顔に目が釘付けになっていると、額の部分が割れてオレンジ色の赤い炎がそこから出て来るのが見えました。
それはそれは、すごいシーンだったので必死で見ていましたが、その炎の光が眩しくて目が眩みました。
そして、だんだん恐ろしくなりました。それにババがどんな風になってしまうのかも心配にもなって来ました。
炎は、時々鋭く飛び出して来ました。私たちの周りの人を見回すと、すでに多くの人達が気絶していました。
もう、我慢出来なくなるぐらい怖くなってきました。それで、もう一度丘の頂上を見るとそこにはババがおられませんでした。
でも、次の瞬間ババは私たちの中に立っておられたのです。
ババは、私たちの肩を叩かれて、何が起こったんだい?どうして泣いているんだい?なぜあの人たちは気絶しているんだい?と次から次へと質問をされる度に私たちはもっと泣きはじめました。あなたは大丈夫なんですか?あなたの身体が見えなかったんだよ。と言って泣きながら抱きつくと、ババは君たち気が狂ったんじゃないの?僕はこの通りなんともないさ。と言いながらヴィブティを出されて私たちの額に付けて下さいました。
気絶した人たちも、ゆっくりと立ち上がって来ました。
彼らはとても不思議な感じを体験しました。というのも、血液を全て入れ替えたような感じがして、身体が浮いてフワフワしているような足が地につかない不思議な体験でした。
その体験の甘い感じはまだ残っています。その不思議な感じも残ったままなんです。そしてその体験は、いまだに私の目の前に生き生きと映し出すことが出来るんです。
その後私たちは、歩いてはいるんですが、でもその足取りは地面に付かず、おぼつかないものでした。
ある者は、酔っ払いのようにフラフラしていました。彼らはまだ、その体験に酔っていました。
私たち全員礼拝堂に着き、バジャンが始まりましたが誰も上手く歌える人はいませんでした。
私たちは、目が回ったままで魔法にかかったようだったのです。
甘い体験に気を失ったような感じでした。そして、そうしているうちにプッタパルティの一日が過ぎて行ったのです。
サイババさんの手紙
たくさんの人々がここにやって来てるんだ。倉庫にはもうどこにも空いているような場所は無いんだよ。
僕自身も一体昼間も夜もどこで何をしているのさっぱり分からないんだ。
食事だってろくに摂れやしないし、寝るとこだって無いんだよ。僕は帰依者のことだけを考えてやっているんだ。
どんな小さな事であっても、僕がやっているのは全て帰依者の為なんだ。
僕自身は大変なんだけど、帰依者たちが快適で幸せになってもらわなければならないからね。
“間もなく、私の神聖さはすべてに知れ渡るようになるのです。
私は意図的に私の神聖さが世界に広まるのを遅らせています。
しかし、一度、私が私の真の姿を顕現すれば、すべての世界がプラシャンティニラヤムになることでしょう。”
ポニョ:昨日のクマーリさんの見た輝く光や第三の眼は凄かったな。あんなに大きな顔になって額から火がボーッと出て来たら誰でもびっくらこいて気絶するよな。
ヨシオ:実はこの後ババに第三の眼の話を聞いたら、あんたらが何回も生まれ変わる度に第三の眼を見たいってお願いしてたから見せたげたんや。それに、本当はこの前見せた千倍以上の光輝が出せるんやけれど、君たちが気絶してしまったからちょっとだけ光っただけやったんや。と言われたんや。
ポニョ:千倍以上ってあんた。網膜が焼けてしまうやないの。
ヨシオ:後世の人から見たら今のこの世界は神話の時代なんやで。もうすぐしたら、クマーリさんが見られた何百倍もの奇跡が見れる。それも一部だけの人たちだけではなくて、世界中の全ての人たちが見れるんや。
今までラーマ神やクリシュナ神などが神の全ての力を持って降臨してきたけど、その神の力を見れた幸運な人々はその周りにいてた人だけなんや。
ところが、サイババさんが降臨されて大きな奇跡をされるけど、それらは全ての人々が見れるとても人類史上稀有な出来事なんや。だから、俺たちはとてもラッキーなんや。
ポニョ:ほんまにそういう話を聞くと嬉しカルカルになってしまうよな。
長生きして良かったな。
ヨシオ:でも、喜んでばっかりいてられないんや。普段俺たちは、自分がこの肉体やって思い込んでるやろ。だから、そう思ってる限り悲しみは付いて回るって仰ってる。
ある日ババは、御講話の中で俺たちにクイズを出されたことがあるんや。
こんなクイズやった。
私がこの世界にラーマ神として降臨した時は、ダルマが先で、後にハッピーが来た。
私がクリシュナ神として降臨した時は、最初にハッピーがあってダルマが来た。それではこのサイアヴァターの場合はどうなんでしょうか。
というクイズや。ポニョはどう思う?
ポニョ:うーん。ハッピーって幸せの事やろ。なんで幸せがダルマの前や後ろに来るんやろうか。だるまさんは、どっちに転んでも起き上がるから前でも後ろでも関係ないしな。
ヨシオ:ここでいうところのハッピーのヒントは黒澤の映画「夢」や。
ポニョ:ああ前にあったよな。水車村のおじいちゃんが、葬式は悲しいもんと違う。死ぬって本当は喜ばないかん事や。と言ったシーンがあって、おいらが死ぬって肉体の束縛から離れてサナギから抜け出て蝶々になることや、なんて言ったよな。
ということは、死ぬってハッピーな事という事はダルマの前後に死ぬってことか。何やねんそれって。
ヨシオ:ババがダルシャンを与えておられる時に、一人息子を事故で亡くされて悲しんでいるお母さんが泣きながら、「息子が亡くなりました。スワミ。」と言ってババの足に抱きつかれたんやけど、ババは「ハッピーだよ。私はハッピーですよ。」と言って去って行かれたんで、そのお母さんは、ぽけ〜としておられた。
“何人もの女性が重い心で私のもとにやって来て言います。
「スワミ! 夫の死により、私は深い悲しみと苦悩にさいなまれています。
どのようにしてこの苦難に耐えればよいのでしょう?」
そこで私は「あなたの夫が亡くなったのですか? 私はとても幸せです」と言います。
彼女たちは私の態度をとても悲しく思い「どういうことですか、スワミ? 私の夫が亡くなったとお聞きになって、そんなにスワミは幸せなのですか?」と言います。
しかし、私は何と言ったらよいのでしょう? 私は常に幸せなのです。
私は悲しみとは何かを知りません。”
だから、ラーマ神の時で言うとその当時、ラーマが生まれた王国はダルマによって支配されており、早死にして親を悲します子供もいなければ、旱魃や大雨で農夫を悩ます事もなかったんや。でも、ラヴァナがシータを誘拐し、大戦争になって多くの人が死んで肉体から離れた。だから、最初にダルマがあって後にハッピーが来たって言われたんや。
ポニョ:そういうことか。それやったら、クリシュナの時は、こういうことやな。つまり、最初にクルクケショータラの戦いがあって、それで平和になりダルマがやって来たって事や。
ヨシオ:その戦いは、ポニョも知っているように国土を二分する程の大きな戦いで、何百万人もの人が亡くなったんや。少し本題から外れるけど、この戦いにも伏線があって、実はナラカという地球にはもう一つ月があって長い楕円形の軌道で何千年もかけて地球の周りを回っているんやけど、それがある年地球に衝突しかけたんや。
毎晩、そのナラカが地球に近づいて来て大きく大きくなって来たので、人々は、特に星々の動きを研究してる占星術士や聖者が神に大きな天変地異を防いでくださいと祈ってたんや。
その時に、この世界を維持管理するヴィシュヌ神がクリシュナとなってこのナラカを破壊されたんや。
ポニョ:フーンそんな事があったんか。そんなニュースは新聞に載ってなかったけどな。
ヨシオ:載るわけないやろ。
ポニョ:それって、地球が持っている地球自身のカルマやろ。それを取られたんや。
ヨシオ:もし、そのナラカが衝突してたら何百万人が命を落としていたと考えられるんやけどそれって犬死やろ。だから、ヴィシュヌ神はマハバラータの話を作ってダルマとは何か、ということを後世に残されたんや。
ポニョ:つまり、そのマハバラータの戦いで亡くなった何百万人の人は、本当はナラカの衝突で亡くなるべき人やったって訳か。面白い。
ヨシオ:だから、何もこの世界に偶然って無いんや。全てはなるべくしてなる。だからさっきの続きやけど、今回のサイババとしての神の化身の場合はハッピーが来てダルマが後に来るんや。
ポニョ:つまり、天変地異で多くの人が亡くなるって事がハッピーということで、そのあとダルマの法が支配するゴールデンエイジがやって来るんや。
ヨシオ:その天変地異が起こる前にサイババさんが空に現れるんや。
ポニョ:そうでないと、世界中の国で日本も含めインドの小さな町であるプッタパルティが重要な場所として地図の上で印を付けられると言われないもんな。それで次に生まれ変わる時代がゴールデンエイジになっているので、とても幸せな生活が待っているんや。
ヨシオ:昨日の記事で紹介したクマーリさんが見た第三の眼の話にあるように、世界中にサイババさんが現れる時にはあの様に自らの御姿を巨大にさせて現れられるんや。しかも、前に言ったように一人ひとりの心の中に話しかけられるんや。
ポニョ:ということは、クマーリさんたちが体験した奇跡の何万倍もの大きな規模で見れるって事やな。クマーリさん達の前に現れられたのはちょっとした予行演習みたいなもんやな。
それってすごい時代になるな。全く想像なんて出来ないよな。でも、その後の地球規模の災害の後の復興事業で大変な仕事が待っているんやろうな。東北の大津波だけでも大変やったのに、今回は世界中やもんな。
ヨシオ:まあ、大変やろな。毎日自分が出来ること、つまり自分の持ってる悪い性格や短所を直し、周りの人々に愛を広めて、神さんへの愛を養って行けば人生に何があっても恐れるものなんてない。
ポニョ:全知全能全在の神さんが、愛そのものである神さんがあなたの事を導いて見守ってくれるでしょう。
ヨシオ:ポニョから去年の暮れにそろそろブログを立ち上げるプロジェクトをスタートする時期が来たと連絡があったのが半年前って信じられへんな。
最初は一ヶ月だけしようと言っていたのに、もう六カ月も経った。
でも、俺たちが思った通りここ数ヶ月でそろそろ世界の政治や経済がドンと落ちそうやな。
ポニョ:あちこちで火山が爆発したり地震も多くなって来たしな。世界に暗雲が立ち込めて来よったな。でも、そんなに長い間じゃない。ほんの一時的だけや。そのあとすごい時代が待ってるで。それまでにおいら達がやらねばならないことは、清く正しく神さんの事を思って名前を唱えて生きて行くってことやな。
それでは読者の皆さん本当に長い間アクセスして頂いて本当にありがとうございました。これからは過去記事を少しの間載せます。合間に単発で新しい記事をアップして行きますので、その時には宜しくお願い致します。最後まで読んで頂いてありがとうございました。感謝、感謝です。
最後に過去記事の一部を抜粋して最終回としたいと思っています。ありがとうございました!
六千年近く前に記された有名なインドの叙事詩マハバラータの一節にサイババさんの事が予言してあります。
悪がこの地球上にはびこるとき、私は徳の高い人物の家庭に生まれ、人間の身体をまとい、すべての悪を根絶して、平穏を回復させるであろう。正しさと道徳を保護するために、行動する時節が到来すれば、私は人には想像できない人間の姿を取る。罪の時代 であるカリユガにおいて、私は肌の色の濃いアヴァターの姿を取って、南インドの家庭 に生まれるだろう。
このアヴァターは大いなるエネルギーと、素晴らしい知性と、偉大 な力を備えているだろう。このアヴァターは、使命遂行に必要な物は、彼が思うとたち まち、意のままに手にするであろう。
彼は美徳の力によって勝利を収めるであろう。彼 は世界に秩序と平和を取り戻す。このアヴァターは真実の時代の新しい扉を開け、スピ リチャルな人々に取り囲まれることだろう。
彼はスピリチャルな人々から賛美を受けな がら、地球の上を歩き回るであろう。
ヨシオ:誰もアフロヘアで来られと思ってないもんな。俺も、生まれる前に顔の下半分しか見せてもらえなかったから、びっくりや。
ポニョ:誰でも神さんがこんなお姿で来られるとは、思っても見ないもんな。
ヨシオ:神さんがこの世に正義の世を取り戻すために来られた。そしてそれが、もうすぐ始まる。神さんが全ての面倒を見ておられるんや。何にも心配なんかいらんのや。
忍耐強くしていなさい。時が来ればあらゆるものがあなたに与えられることでしょう。 幸せでいなさい。何も心配する必要はありません。
皆さん方の全員が聖なる魂な のです。そして、来たるべき新たな黄金時代の幕が上がる時、皆さんはそれぞれの役 割を演じることになるでしょう。『サナタナ サラティ』誌 1996 年 10 月号 裏表紙
ポニョ:自分たちがしなければいけないことは、神の御名を唱えること。これだけや。
ヨシオ:来るべき大嵐に吹き飛ばされないようにな。神の御名は、マントラやから、パワーいっぱいあるで。
この世界には、神の御名ほど強力な守護の力は存在しないことを覚えておきなさい。世界を救うのは武器や爆弾ではありません。神の恩寵のみで世界を守るようにするべきです。
神の恩寵を求めて祈ることこそは、人間の第一の義務です。祈りはこの上なく重要です。『サティヤ サイ スピークス(第 24 巻)』第 4 章
純粋な祈りを通して、山のような悪も粉砕され、取り除かれます。『サティヤ サイ スピークス(第 13 巻)』第 26 章
何も心配する必要はありません。何を体験しても、何が起きても、このアヴァターがそのように意志したのです。このアヴァターがやって来た使命を、一瞬たりとも遅らせることが出来る力は地球上に存在しないことを知りなさい。
『サナタナ サラティ』誌 1996 年 10 月号 裏表紙
今、ちょうどサイババさんの若かりし頃の記事を連載していますが、その当時サイババさんに食事や自分の家を提供し、多くの仕事をする機会を得たスッバンマは、サイババさんに一つのお願いをしていました。
サイババさんはそれを必ず守るとスッバンマに約束しました。
その願いとは、死水を取ることでした。でも、スッバンマが亡くなった時にはサイババさんは来られなかったのです。
丸一日経ってから、来たのはいいけど手遅れでした。火葬の木も積み上げられていて、蟻が身体中を這っていました。
サイババさんが到着した時、スッバンマの家族はサイババさんの顔を睨みました。
スッバンマはあなたの事だけに人生を捧げて来たんです。亡くなる直前まであなたの事を思い、あなたの名を呼んでいました。
あなたがスッバンマに約束した事は果たせません。もう手遅れです。と泣きながら言いました。
でも、神さんが言葉として発しられた音は必ず実現するのです。
神さんは常に真実、真理しか話されません。ですから、神さんの言葉は言霊なのです。空に現れる事も、山脈を持ち上げられることも、何千もの姿をとって世界中に現れる事も、至福の千年をもたらすことも、世界中の人に食されている罪なき生き物が苦しみから逃れられることも、残忍な戦争という名の殺戮から自由になり、一部の者どもが世界を牛耳り、世界を破壊しようという試みは失敗に終わるのです。そして全ての人が神を愛し、人類愛に満ち、愛に生きていく時代がやって来るのです。輝かしい人類の歴史が始まるのです。
そのようになると、ゴールデンエイジをもたらすと、神さんが私たちに約束されたのです。
そうです。私たちは救われたのです。
神さんがスッバンマとの約束を守られたように…。
スワミ、あなたのスッバンマが、昨夜亡くなりました」と言いながら、人々が 駆け寄って来ました。
すぐに私は車の向きを変えて真っ直ぐブッカパトナムに行きまし た。彼女の身体はベランダに安置されて、布がかけられていました。
家全体が悲しみに 沈んでいました。スワミはいったん約束をしたら、どんなことがあってもそれを守り ます。
私は身体を覆っている布を取りました。彼女は前の晩に亡くなったので、全身 に蟻が這っていました。
私が、「スッバンマ」と呼ぶと、彼女は眼を開きました。この ニュースは、たちまち野火のように広まりました。
ブッカパトナムの人々が、スッバン マが生き返ったと言いながら、その場に詰めかけ始めました。
スッバンマの母親は、当 時 100 歳でした。私は彼女に、コップに水を入れて、その中に一枚のトゥルシの葉を 浸して持って来るように言いました。
私はトゥルシの葉をスッバンマの口に入れて、水 を少し飲ませました。私は、「スッバンマ、私は約束を守ったよ。
さあ、安らかに眠る といい」と言いました。彼女は、「スワミ、これ以上何が必要でしょう? 私は至福に満 ちてあちらへ参ります」と言いました。
歓喜の涙を流しながら、彼女は私の両手を取っ て、息を引き取りました。
私はこのように、いかなる状況の許でも必ず約束を守りま す。このように、私は決して約束を破りません。2002 年 10 月 20 日の御講話
今はスワミの真実を認識できない人々も、日が経つにつれて、悔悟の涙を浮かべて近づ いてスワミを体験しなければならなくなるでしょう。
間もなく、これは世界的なものと なります。スワミは今、こうした展開を抑えています。いったんそれが許されれば、 全世界がプラシャーンティ ニラヤムに変わるでしょう。
“あなたは私のもの。私にとってあなたは、何よりもいとしいものです。まぶたが眼球を守るように私はあなたを守護します。
私は決してあなたから離れず、あなたも私から離れることはありません。今この瞬間から他のものを追いかけず、一切を神と見て揺るがぬ信愛を持って義務を果たしなさい。
忍耐していなさい。やがてあなたに一切が与えられます。幸福でいなさい。何事に関しても、心配する必要はありません。
何を経験しようとも何が起きようとも、それを神の意思と知りなさい。この化身が降臨した天命の実現を遅らせる力はこの世にはありません。
あなたがたは皆神聖な魂です。あなた方は来るべき新しい黄金時代に展開するドラマにそれぞれの役割を持っています。”
サイババさんの手紙
僕は君のことを僕の心の中のスクリーンにしっかりと焼き付けているんだ。
僕は君のことをこれから忘れたりしないし、今までだってひと時も君のことを忘れたことなんて無いんだよ。
だから、気を落とさないでね。いつも、元気を出してね。僕は、僕たちの間の全ての事を上手く解決して行くし、君のことを置き去りなんてしないから......。
ポニョ:サイババさんの若かりし頃のストーリーの中で大きな役割を占めているのが、クッパンから来られたクマーリさん一家やね。
ヨシオ:次女のヴィジャヤさんはまだ十代半ばで、ババは十九才の頃やったから帰依者の数も少ないしババの奇跡をたくさん見れたやろね。
ポニョ:最初に行かれたのは何年ぐらいやってんやろ。
ヨシオ:1945年やな。家族全員で行かれたんやけど、四日ぐらいかかったっていう話やったな。
ポニョ:それは大変やったな。交通機関も整って無いし、道も悪いし、近辺の村の人々はサイババさんに対してヒンドゥー教のタブーを犯したとか言って評判悪いし、サイババさんに会いに行くと分かっただけで意地悪をするし、大変な旅やったやろな。
ヨシオ:ああ、例のブラミンというカーストでもないのにブラミンの家で料理を作ったり、低カーストの家に行って食事をしたりされたことやな。
ポニョ:以前はサイババさんのところに向かう車を通行させないように、村を通る道の真ん中に大きな岩を置いたりして邪魔をしていたみたいやね。
ヨシオ:それは大変や。でもそんな困難をもろともせず、やっと10軒にも満たない小さな村外れにある礼拝所にたどり着いた時の気持ちって感激ものやろな。
ポニョ:おいらやったら、チットラヴァティ川の増水期を狙ってカヌーで行くけどな。途中で何泊も河原でテントを張りながら美味しいコーヒーを沸かしてきれいな風景を楽しみながら、地元の人と世間話でもしながら神の化身に会いに行くんや。こんな素晴らしいカヌーの川下りってないやろな。
「そこの、カヌーに乗っておられるお方、どこまで下って行かれるんですかな。」
「プッタパルティ村まで下って行くんです。あとどれくらいでしょうか。」
「そうやな、川を下って行けば二日もあれば充分でっしゃろ。でも気を付けなはれや。この辺は虎が生息しているから夜になれば焚き火を一晩中してないと、カヌーの持ち主は虎さんの胃袋の中に収まってしまうよ。それにあそこの村にはブラックマジックを使う若者がおってな、何でも聞くところによると手からいろんな物を出して、人々をたぶらかしてるっていう話や。」
「その若者ってサイババさんと違いますか。そのお方に会いに行くんですわ。そんなおじさんが思っているような変なお方やおまへんで。もうすぐしたら世界中の人が押しかけて来まっせ。神さんが人の姿をとってこの世に来られたんやで。おじさんも、人が少ない今の間に会いに行かれた方がよろしいやろね。もうすぐしたら、チラリとしか見れなくなりまっせ。それでは、川の流れに逆らってこれ以上逆さパドルをしてるのがきついから、行かせてもらいまっせ〜。サイナラ〜」
とかなんとか言って下るんや。
ヨシオ:ところで、インドの田舎のおっさんがポニョの大阪弁が分かるんか?でも川下りって本当に面白そうやな。今度一緒に俺も連れてってくれるか。
ポニョ:残念ながら、もう辺り一面森やったのに木を切って雨が降っても木の根っこによる保水力が無いから川には水がなくなってしまったようやで。
ヨシオ:それは残念やな。ところで、最近そのヴィジャヤさんのインタビューの動画を見たけどまだまだお元気やね。今年で確か83才やけど頭はしっかりしてられるし、字も読めるし、歌もしっかり歌われるし、顔にシワがそんなにないし、スーパー婆ちゃんやったで。何と言っても心のきれいさが顔に出ているな。神々しいお顔やったな。いつも笑顔を浮かべて、インタビューする人が変な質問しても辛抱強く丁寧に答えておられたな。
ポニョ:ほう。それで何か面白いエピソードを言っておられたか。
ヨシオ:そうやな。ババはどんな人でしたか?と尋ねた時、メチャいたずら好きな青年やったと言ってたな。大きな蟻を捕まえてきて昼寝をしている女の帰依者の髪の毛の中に入れたり、同じく昼寝をしている髪の毛の長い女性の帰依者同志の髪の毛を結んだりして、喜ばれていたようや。
ポニョ:ほんまにやんちゃやな。あんたよりひどいわ。でも、亡くなられた時ショックやったやろな。
ヨシオ:ババが亡くなられた時ちょうどテレビを見ておられたんやけど、ショックで一時間ぐらい気を失い家族の人は生命反応が無いので死んだと思ったらしい。
でも、気を取り戻してから、自分は素晴らしい平和な気持ちのところに行っていた。でも、ババは自分の命だから、精神的な打撃は計り知れなかった。しかしババが亡くなったのもババのお遊び、リーラと思うと言われてたな。
ポニョ:確かにその通りやな。お遊びでサイババさんは、身体から一時的に離れられてるんや。多分ビジャヤさんはその事を分かっておられると思う。
世界が一部のグローバルエリート、略してグロエリ達が好き放題ダルマに反する事をやる事をお許しになっておられるからな。確かに世界がかなり荒れてきたな。ババの出番が近い証拠や。でも、パレスチナ人の人は可哀想やな。
ヨシオ:もちろん何の偶然もないけど、気をつけやなあかんことは、俺たちがこの地球に肉体を持って生まれ変わった限りは常に、人を助けて憎んだらいけないということなんや。
例えば、ポニョが目の不自由な人と一緒に歩いていて、道の真ん中にマンホールの蓋が外れているのを見つけたとするとどうする?
ポニョ:もちろん、その人に危ないよ。よけて歩きやと言うやろな。
ヨシオ:そらそうするのが当たり前やんかな。でも、マンホールにハマってしまうのはこの人のカルマやから仕方が無いから黙っておこう。何て思わないよな。それと同じことやねん。少しだけ人より遠くが見えている俺たちがこのブログを始めた理由も。
ポニョ:このまま世界が進んで行きますと、大きな穴に落ちマッセ。危ないよ。だから、神さんの名前を唱えて神さんの方を見て行きて行きましょう。と言いたいんやろ。
ヨシオ:そうやな。でも、俺たちは人を説得する必要はないんや。ただ、このままの生活をして行ったらこうなりますよ。もっと神さんの方を向きましょう。やがて、神さん御自身がやって来られて助けてくれるでしょうね。今のような拝金主義と正反対の素晴らしい世の中が来るよ。権力、金、名誉、地位などにしがみついていたらあかんで。そんなんは全部ぶっ飛んでしまうで。というメッセージだけを伝えればええんや。
ポニョ:簡単に言ってるけどそれってすごいメッセージやで。今までのおいら達の価値観がひっくり返るってことやもんな。
ヨシオ:実は、今の世の中がひっくり返っている世界やから、それが元に戻るだけなんや。
とにかく、こんだけ世の中がひどい状態になってきてるのは、さっきも言ったようにサイババさんの再臨に向けての準備が整ってきてる証拠やな。大きい目で見たらええことや。
ポニョ:さっきの川で会ったおじさんのように今はサイババさんの事は、トリックのばれたアフログルぐらいの認識でしかないけれど、本当はとてつもなくすごい神聖なパワーを持っておられる神様そのものや。
ヨシオ:あの川のおっさんがプッタパルティにあんだけ近くにいるのに、ババの事をよく分かっていなかったけど、俺たちも今のうちからしっかりとババの事を理解して、時が来たら少しでもゴールデンエイジで役に立つ仕事をしたいよな。
ポニョ:あんたはその前にもうちょっとガラが悪いのを直した方がええと思うけど…。
ヨシオ:ほっとけ、人のこと。
ポニョ:ほら、まだ昔と一緒やんか。どこがゴールデンエイジやねん。
世界は神の身体です。その身体に癌ができれば取り除かねばならない。利己主義の増大に対して物質的反動とある種の調整作用と整理が起こる。p129サイババ世界の危機を救う。
今日、ゴヴァルダナギリのような丘ではなく、山脈全体を私が持ち上げるのをあなた方は目にすることでしょう。その時が来るまで我慢強く私を信じて待つのです。P 22cap5SSS,Vol3
アヴァターが歩むどの一歩も、その足跡もすでに決定されているのです。23/11/68
私のオレンジローブが小さな点にしか見えないほど、遠くからしか私を見ることが出来ない時がやがて来ることを信じていなさい。あなたは私が大空を端から端まで歩き渡るのを目の辺りにしたとき、初めてスワミの栄光に気づくのです。ThapovananChp, 11
すべての人類が調和に満ちて生きるという時が近づいています。その時期は、人々が思うよりも早くやってくるでしょう。それは、誰も想像できないくらいです。それは、人の理解を超えています。私が今言えることは、そのときの美しさは、すべての人が見る夢よりも、もっと素晴らしいということです。SSS Balvikas9/1995vol15p9
全世界は今日、心配事や恐れで苦しんでいる。しかしすぐにその黒い雲は追い払われ、幸せな時代が全世界に訪れるのを、あなたが見届けられることを私は保証します。SSvol11chap28
彼が帰って来るよ!
目を醒ませ!目を醒まして!目を醒ますんだ!
彼が、戻って来るよ!帰って来るよ!
なのに君は、何時まで世俗にまみれた、このような生活を続けるんだい?
エエッ!誰が戻って来るって?
彼だよ!彼!サチャ サイババだよ!
彼がまた、サチャサイババの身体を身に付けて戻って来るんだ!
そして、彼は大空を駈け抜け、彼の真の姿を顕して人びとにダルシャンを与えるんだ!
なのに君は、一体何時になれば目を醒まして、真理への道を歩み始めるんだい?
起きろ!起きて!起きるんだ!
彼が、戻って来るよ!帰って来るよ!
なのに君は、何時まで世俗にまみれた、このような生活を続けるんだい?
エエッ!どうしてまた戻って来るの?
僕たちへの約束を果たす為に!
この世界を支配しようとする悪を滅びし、ダルマの王国を打ち立てる為に!
なのに君は、一体何時になれば目を醒まして、真理への道を歩み始めるんだい?
警告!警告が!警告が出てるんだ!
彼が、戻って来るよ!帰って来るよ!
なのに君は、何時まで世俗にまみれた、このような生活を続けるんだい?
アアー!それでは僕はどうすればいいんだ!
彼は大津波から町や村を救うために、山脈を持ち上げるだろう!
そして、何千万人もの人びとが彼の下に救いを求めてやって来るだろう!
なのに君は、一体何時になれば目を醒まして、真理への道を歩み始めるんだい?
祈れ!祈って!祈るんだ!
彼が、戻って来るよ!帰って来るよ!
なのに君は、何時まで世俗にまみれた、このような生活を続けるんだい?
アアー!僕は救われるんだろうか?
サイの栄光を讃えよ!サイの御名をとなえよ!
古代預言者の言葉、"彼のこの世での最後の10年は世界の王として君臨するであろう。"が成就するだろう。
そして僕たちは偉大な神の御業を目撃するんだ!
なのに君は、一体何時になれば目を醒まして、真理への道を歩み始めるんだい?
2014年8月14日 発行 初版
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アクアポニックスという魚を使った自然農法をやりながら、千年至福の時代を待ちわびております。