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Sai's Messages for The Golden Age Part2

張 世潮

ポニョ出版



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Part2の項目

女性、所有、視力磁力、試練、白い草、信愛、進化、神界、人格、信仰、人口、人口のバランス、信者、真実、神性,神聖なエネルギー、神聖な道、人生、 神像、心臓、信念、真の愛、真の信者、真の知識、心配、新聞、進歩、真理、人類、水位とダルマ、睡眠、スウェーデン、少なく語る
ストライキ、スポーツ、スワミと一つ、スワミの教え、スワミの身体、スワミの願い
スワミの予言、政治、誠実、政治と女性、静寂、聖者と化身、精神病、政府、生命の本性
性欲と貪欲 、世界、世界を守る、世界の基盤、世界の指導者、世界は一つ、世間、背筋
世俗的な恩恵、世俗的成功、接触、絶食、潜在能力、全在、前進、前世、前世からの傾向、戦争、善人、善良、像、憎悪、創造の秘密、想念、束縛、外面と中身
大気汚染、大気中の力、胎教、体験、体現、胎児、太陽、他人、楽しみ、頼みごと、旅、食べ物
食べ過ぎ、魂、ダルシャン、ダルマ、探求、団結、男女、誕生、地球、知識、地軸、知性、地熱
忠告、中庸、長寿、直感、沈黙、追放、仕える、束の間、津波、罪、罪人、抵抗力、ディパバリー手紙、溺愛、敵、敵意、テスト、手伝う、テレビの害、天国、同一視、道具、道徳、糖尿病、動物時、毒、富、友、ドラマ
内閣、内在の霊、内的汚染、名前と姿、なまけぐせ、ナマスマラナ、悩む、ナラカ、肉食、肉体
憎む、二元化の原則、二元論、ニシカマカルマ、人間、人間の特権、妬み、寝る、年長者、農夫
罵る
俳優、バジャン、働きと休息、罰、ハート、波動、母、歯磨き、バラタ、反映、ヴィジョン、光
悲劇、ビジネス、ビタミン、人の下落、人の三位一体、人の力、美の形、肥満、病院、病気
非暴力、品位、不安、夫婦、不確実、服従、不二一元、プージャ、不純、侮辱、婦人、二つの事
復活、 物価の上昇、物質、物質化、物質世界、物質的反動、 プッタパルティ、ブッディ、不道徳腐敗した環境、不満、不眠、不滅、プラグニャーニャ、プラスチック、プラナーヤー
ブラフマン、プレマサイ、文化、平安、平常心、 ヴェーダ、ペット、ヘヤドライヤー、傍観者、奉仕、放射線、放射 波動 物質化、法律、欲しい物、ポジティブな思考、微笑み、本
マーヤー、慢心、満足、マントラ、身内、見栄張り、身代わり、三つ、御名、 耳、水、無関心、無執着、無神論者、息子、無知、村での奉仕、目、瞑想、盲目、盲目的に従う、目撃者、モークシャモンキーマインド、問題
約束、薬効成分、ヤグニャ、優しいハート、UFO、勇気、友人、幽霊、ユガと人、夢、許す心
良い行い、良い思い、良い感情、良い事と悪い事の原因、良い人、幼児の死、ヨーガ、欲望、四つの悪、四つのステージ、四つのタイプの人間、喜び
ラーマの統治、ラーマヤーナ、理解、利己心、離婚、リーダー、両親、良心、リンガム、倫理
ルッドラム、冷静、霊性、霊性教育、霊性修行、霊性の道、霊的愛、霊的距離、霊的光線
霊的初心者、霊的ヴィジョン、霊的波長、礼拝、霊媒、老人、若者、私、悪い考え、悪い習慣、悪い 仲間、悪口

序文

いよいよ、人類史に輝く一頁を刻むビッグイベントがすぐそこまでやって来ました。神の化身が、この地球を舞台にして、全ての人類を相手にお遊びをされるのです。神様は小さい子供と同じような純粋無垢な心を持っておられるので、人々をただ驚かせたいだけなんです。その為に御自分が一度身体を離れ死ぬように見せかけて、実は死んでませんよ。僕は神様ですよ。と言って出て来られるのです。それも、世界中の大空に現れ、全ての人に直接話しかけられるのです。神の無限の力、神聖な愛の力を目の辺りにして人々は畏敬の念を抱くことでしょう。そして、その後に千年至福の時代がやって来るのです。全ての人が神を愛し、お互いを兄弟と見做していたわり合うようになるのです。その為に現在、一部の者によってこのかけがえのない地球を破壊する事をお許しになられています。その非ダルマ(反正義)の行為は大きな反動のカルマとなって全地球を襲うでしょう。そして人々が神を求めて泣くその潮時を待っておられるのです。全ては、神の創造劇です。さあ、これから繰り広げられる神聖劇をサイババさんと共に楽しもうではありませんか!

目次

<あ行>
愛、愛国心、灯り、赤ん坊、悪、悪人、悪魔、悪霊、阿修羅、与える、頭、アートマン、アーナシャクティヨガ、あの世に持っていけるもの、アヴァター、油、雨、アメリカ、胃、怒り、生き方、医師、意識、意志の力、一体性、偉大と善良、五つの鞘、田舎と町、生命、祈り,インドと西洋、嘘、疑い、内なる声、内なる目、宇宙、宇宙飛行士、うつ病、うぬぼれ、ウパニシャッド、運命、映画、英知、笑顔、エゴ、エデュケア、エネルギー、エリート、大げさ、おしゃべり、汚染、恐れ、オゾン層、男の義務、お祭り、オームカーラ、思い、思いやり、オーラ、音楽、音響、恩寵
<か行>
害虫、顔、科学と霊性、核実験、学生、加工食品、過去世、過去の栄光の時代、家住者、微かな身体、家族、形、家庭、悲しみ、金、金持ち、神、神を捜す、神を体験する、神を騙す、神否定、神を忘れる、神からの預かり物、神から離れる、神と語る、神との友情、神に帰融、神に反抗、神の愛、神の意志、神の贈り物、神の恩寵、神の身体、髪の毛、神の計画、神の化身、神の欠点、神の言葉、神の原理、神の声、神の自覚、神の仕事、神の至福、神の姿、神の責任、神の助け、神のテスト、神のなさり方、神のヴィジョン、神の御足と御名、神の命令、神への愛、神への捧げ物、ガヤトリマントラ、身体、仮の宿、カリユガ、カルマ、カルマの原因、カレンダー、癌、感覚、歓喜、感謝、簡素、完璧なふり、願望、記憶と忘却、帰依、帰依者、危害、危機、傷つける、危険、犠牲、奇跡、喫煙、期待と欲望、君が必要、義務、逆境、休息、教育、狂気、供儀、教師、競争、共同体、恐怖、議論、空想、薬、口、苦痛、国を守る、グル、苦しみ、芸術、解脱、解脱した魂、決意、血縁関係、結婚、欠点、権威、喧嘩、謙虚、献血、健康、原子、原子爆弾、限度、健忘、権利と義務、権力、行為、口臭、抗生物質、光線、行動、幸福、高慢傲慢、公務員と給料、降霊会、五感、呼吸、心、乞食、個性の改善、子育て、言葉、五大元素、子供、胡麻、ゴールデンエイジ、殺す、コントロール、困難
<さ行>
最高のヨーギ、債権者、最後の呼吸、財産、サイと商売、災難、才能、サイの学生、サイの組織、裁判所、探す、魚、詐欺師の愛、サティヤナーラヤナ、サットサング、鞘、三位一体、残酷、惨事、三昧、死、幸せ、自活、時間、識別心、思考、自己犠牲、自己中心、仕事、自己認識した人、自殺、 持参金、詩人、自信、地震、自制、自然、自然災害、慈善事業、自然のコントロール、自然のバランス、自然の法則、自然への感謝、舌、実験、嫉妬、失望、慈悲、至福、邪悪、しゃべりすぎ、シャンカラ、シャンティ、自由&自由意志、社会、社会主義、集散主義、獣性、執着、集中、宿題、祝福、受刑者、主婦、寿命、シュルティ、純粋な心、小学校と婦人、賞賛、浄性、冗談、衝動
情熱、成就、情報集め、照覧者、食事、植物動物、食物 以上Part1、
女性、所有、視力、磁力、試練、白い草、信愛、進化、神界、人格、信仰、人口、人口のバランス、信者、真実、神性、神聖なエネルギー、神聖な道、人生、 神像、心臓、信念、真の愛、真の信者、真の知識、心配 、新聞、進歩、真理、人類、水位とダルマ、睡眠、スウェーデン、少なく語る、ストライキ、スポーツ、スワミと一つ、スワミの教え、スワミの身体、スワミの願い、スワミの予言、政治、誠実、政治と女性、静寂、聖者と化身、精神病、政府、生命の本性、性欲と貪欲 、世界、世界を守る、世界の基盤、世界の指導者、世界は一つ、世間、背筋、世俗的な恩恵、世俗的成功、接触、絶食、潜在能力、全在、前進、前世、前世からの傾向、戦争、善人、善良、像、憎悪、創造の秘密、想念、束縛、外面と中身
< た行>
大気汚染、大気中の力、胎教、体験、体現、胎児、太陽、他人、楽しみ、頼みごと、旅、食べ 物、食べ過ぎ、魂、ダルシャン、ダルマ、探求、団結、男女、誕生、地球、知識、地軸、知性、地熱、忠告、中庸、長寿、直感、沈黙、追放、仕える、束の間、津波、罪、罪人、抵抗力、ディパバリー、手紙、溺愛、敵、敵意、テスト、手伝う、テレビの害、天国、同一視、道具、道徳、糖尿病、動物、時、毒、富、友、ドラマ
<な行>
内閣、内在の霊、内的汚染、名前と姿、なまけぐせ、ナマスマラナ、悩む、ナラカ、肉食、肉体、憎む、二元化の原則、二元論、ニシカマカルマ、人間、人間の特権、妬み、寝る、年長者、農夫、罵る
<は行>
俳優、バジャン、働きと休息、罰、ハート、波動、母、歯磨き、バラタ、反映、ヴィジョン、光、悲劇、ビジネス、ビタミン、人の下落、人の三位一体、人の力、非難、美の形、肥満、病院、病気、非暴力、品位、不安、夫婦、不確実、服従、不二一元、プージャ、不純、侮辱、婦人、二つの事、復活、物価の上昇、物質、物質化、物質世界、物質的反動、プッタパルティ、ブッディ、不道徳、腐敗した環境、不満、不眠、不滅、プラグニャーニャ、プラスチック、プラナーヤーマ、ブラフマン、プレマサイ、文化、平安、平常心、 ヴェーダ、ペット、ヘヤドライヤー、傍観者、奉仕、放射線、放射 波動 物質化、法律、欲しい物、ポジティブな思考、微笑み、本
<ま行>
マーヤー、慢心、満足、マントラ、身内、見栄張り、身代わり、三つ、御名、耳、水、無関心、無執着、無神論者、息子、無知、村での奉仕、目、瞑想、盲目、盲目的に従う、目撃者、モークシャ、モンキーマインド、問題
< や行>
約束、薬効成分、ヤグニャ、優しいハート、UFO、勇気、友人、幽霊、ユガと人、夢、 許す心、良い行い、良い思い、良い感情、良い事と悪い事の原因、良い人、幼児の死、ヨーガ、欲望、四つの悪、四つのステージ、四つのタイプの人間、喜び
<ら&わ行>
ラーマの統治、ラーマヤーナ、理解、利己心、離婚、リーダー、両親、良心、リンガム、倫理、ルッドラム、冷静、霊性、霊性教育、霊性修行、霊性の道、霊的愛、霊的距離、霊的光線、霊的初心者、霊的ヴィジョン、霊的波長、礼拝、霊媒、老人、若者、私、悪い考え、悪い習慣、悪い 仲間、悪口

*女性(婦人の項目も参照)
女性は軽々しく扱われるべきではありません。『バガヴァッドギーター』は、女性には七種類の力が与えられているが、男性は三種類の力を持つのみであると述べています。女性を見下すのは罪深いことです。たとえば、このような事実を思い起こしてごらんなさい。死んだ夫をよみがえらせようと努力する女性、あるいは、死んだ夫の面影を大切に胸に抱いている女性は大勢います。その一方で、どれほどの男性が、自分の妻のために、それと同じようなことをしましたか? 多くの男性は、慌てて後妻となる女性を探しまわります! バーラタは、こうした女性の振る舞いにおいて、これまで世界の規範となってきたのです。
女性が尊ばれるところには、どこであれ、繁栄と幸福があります。女性は決して、軽い扱いを受けたり、軽蔑されたりすべきではありません。主婦が涙を流すような家庭には、繁栄は一切もたらされません。19/11/96
男性は、男は女よりも強くて力があると考えて、女性に対して横柄な態度を取るべきではありません。本当のことを言うなら、女性は男性よりも力があるのです。聖典は、男は三つの力を持っているだけなのに対して、女は五つの力を持っていると述べています。女性は夫のためなら自分の命さえ犠牲にする覚悟があります。サーヴィトリーは夫のために自分の命を投げ出す覚悟でした。しかし、男性にそれほどの犠牲の精神が見られるでしょうか? 妻が死ぬと、男は再婚する気でいます。けれども、女性はそんなことはありません。女性は、敬意、品位、犠牲、満足、繁栄という五つの徳の詰まった宝箱です。その一方で、男性は、怒り、頑固さ、愚かさという悪に陥る傾向にあります。女性は徳と高潔さの化身です。11-8-2000
プラクリティは神の女性の側面を象徴しています。プラクリティとプルシャは分かつことができないものです。女性たちはラクシュミー(富の女神)の化身ですから、世界は女性が敬われているときにのみ繁栄を得るのです。それゆえ、男性は敬意をもって女性を扱わなければなりません。そうすれば、同様に男性も敬われるでしょう。あなた方は自分でそれを見ることができます。人格のすぐれた女性がいるところには、あらゆる繁栄を見出します。あなた方は皆、二つの世界大戦の最中、多くの国が破壊を被ったことを知っていますね。バーラタの国が安全と無事を保っていられたのは、ひとえに徳高い女性たちがいたおかげです。バーラタの偉大さと栄光は、バーラタの女性たちのおかげです。ですから、女性を敬い、女性を幸せにしなさい。11-8-2000

*所有
人間の欲望には限りがありません。人間は物事に執着していますが、その中に自分が死ぬときにいっしょについて来るものは何もありません。人は、所有することや貯蓄することよりも、与えることに大きな喜びがあることに気づくべきです。捨てることは、得ることと同じように不可欠なものです。もし息を吸った後に吐かなければ、人は生きられないでしょう。
人の悲しみと不幸の原因は、所有感から生じる財産や地位への執着です。永続する幸福を味わうには、「私」と「私のもの」という感情を取り除くよう努力奮闘しなければなりません。すべてが順調に進んでいるように見えるとき、人は自分自身を含む一切を忘れます。そうして業績と獲得を得た結果、エゴが膨れ上がります。自分は、自分が所有している物の一時的な受取人に過ぎず、それらのどれ一つにも永久の所有権はないということに気づくべきです。人は、権力や地位を、それら自体に関連する義務を果たす責任を伴う、道徳的な任務と見なすべきです。あらゆる行為をこの道徳的責務の精神で行ったときにだけ、人は純粋な幸福と満足を味わうことができるのです。6/85

*視力
ときには、私が皆さんに話しかけないことがあります。皆さんは、「私たちは何か過ちを犯したのかもしれない。だからスワミは私たちに声をかけてくださらないのだ」と考えます。しかし、実を言えば、私には他者の欠点を探す性質はありません。私の視力は非常に神聖です。私は常にあなたの中の善を見ます。あなたが見る悪は、あなた自身の想像の産物です。あなたの中に悪があるために、あなたは他者の中にそれと同じものを見ているのです。しかし私には、悪さえも善に見えるのです。ですから、スワミに関して、いかなる疑いももたないようにしなさい。「疑いをもつ者は滅びます」堅い信仰をもちなさい。23/11/02

*磁力
あなた方は明らかに磁力です。しかし磁力を増大するためには自らを清めなければなりません。磁力を増大する清らかさとは、心、・言葉・身体の三つ一組の清らかさによって構成されます。30/8/93
人の心の想念は磁力を持っています。磁力から電気エネルギーが出ます。電気エネルギーは光や原子の力(atomic power)の源です。原子の力は思いと言葉の源で、磁力はすべてのものを形作る源です。この力は、話をしたり歌ったり、他のいろんな行為が出来る源です。SS3/95p61
磁力は地球全体に遍満しています。地上の生物と物体はすべて磁力を持っています。流れる川、そよ吹く風、咲き誇る花は皆磁力を持っています。信愛を持ち神に帰依全託している人の帰依心と信仰心によって、磁力は生じます。寺院の中でそうした帰依者が供える花や果物もこの磁力を備えています。
何千という帰依者がこのマンディールに集まるために、莫大な量の磁力がここに集積しています。それが益々信者が絶え間無く流れ込んでくるために、輝きを増して光り輝いています。マンディール自体は何も特別な力を持っていませんが、帰依者、一人ひとりの磁力が外に影響を及ぼしているのです。13/3/02
私の体内でリンガムの形成を容易にするために、私の身体は強力な磁力と化しました。そのため私はこの三日間歩行が困難でした。私の身体の磁力のために足が地面にくっついてしまったからです。また私が触ったものすべてが、私の手にくっついてしまいました。私の全身が磁気を帯びたのでそれはもっともなことです。このような引力は誰もが体験出来るものではありません。こうした極めて強力な磁力は神だけが持っているものです。これらのことを万人に明かすことは出来ません。神聖な磁力は全ての人の内にありますが、人には一定の限界があります。13/3/02
ブリジッドというロシア女性は、強力な磁力を持っていました。彼女が道を歩くと必ず鉄分を含んだ物体が彼女に引き寄せられました。彼女が店に入ると商品が彼女に引っ付くために入店を断られました。しかし磁力を備えるだけではなくそれをコントロールする力も必要です。彼女はそれができなかったために、食事も満足に摂れず早死にしてしまいました。13/3/02
磁力はあなたのあらゆる行いの基盤です。あなたが、怒り、嫉妬、憎しみにかられた時、あなたの中の多くの磁力は浪費されてしまいます。嗅覚、触覚、味覚といった感覚も磁力の作用です。あなたの内にもっと愛を育みなさい。愛の磁力がある時、あなたが学ぶものはすべて心に刻みつけられます。それが無いと、どれほど頑張っても報われません。それに自らの磁力を強めれば、勉強していても睡魔に襲われることもなくなるでしょう。13/3/02
ラーマは100%純然たる磁石でした。これがラーマがとてつもない弓を扱うことが出来た理由です。シータもまた純然たる磁石でした。磁石は錆びてほこりだらけであれば、一片の鉄も引き寄せません。鉄片や鉄の棒も、長い間磁石にくっついていれば磁石になります。これはヴェーダの詩節「ブラフマン知る者は、ついにはブラフマンになる」の意味するところです。あなたは、人生という鉄は世俗の欲で錆させてはいけない、ということを理解しなくてはなりません。さもなければ、人生は崩壊して終わってしまうことでしょう。STPS2p196
感覚的な欲望と霊的な欲望は、互いにしのぎを削っています。感覚はとても強くて、博識な学者でさえ、それに引きつけられて惑わされます。霊的にはこの力のことを有害な力と呼び、科学では磁力と呼びます。磁力は、この世のすべてのものに備わっています。
人の心のすべての想念もこの磁力を持っています。この磁力から電気が生まれます。電気は、光の力や原子の力の元になっています。原子の力は、想念や話す力を与えます。それ故磁力は、すべてのエネルギーの元となっているのです。それは、話したり、唄ったり他のいろいろな行為のもとになっているエネルギーです。SS4月95p,94
神は、全世界を引き付ける磁石に似ています。ある場所では、この引力が最大限に働きます。それは非常に特別 なものです。ここに一つの例があります。非常に多くの人々がここに集まっています。誰が招待状を送ったのでしょう? 皆さんをここに引き寄せたのは神の磁石です。この磁石はここにあるばかりでなく、あらゆる場所にあります。ここにも、そこにも、また、それ以外のあらゆる場所にも、神はアートマの姿で存在しています。あなたはここで、神の引力を経験することができます。そのような力は、単に要求するだけでは手に入れることができません。それは、愛を通 じて初めて手に入れることができるものです。愛は「根源」(source)から発生するものです。それは強制(force)によっては得ることができません。世俗的知識は詰め込むことができますが、愛は自然に内側から湧いてこなければなりません。愛は神です。愛のみが真の英知を授けることができます。「英知は解脱をもたらします」。1/3/03A
疑いなく、あなたの中には愛があります。しかし、あなたはその愛を正しく使ってはいません。あなたは永遠なる真の愛を体験しなければなりません。それによってハートとハートの関係が育ちます。そのような神聖な愛は万能です。それにはどのような制限もまったくありません。それはすべての人を引き付けます。今日、私は皆さんにとても重要なことを話したいと思います。私のこの体は頭のてっぺんからつま先まで引力で満ちています。それは神の磁力です。それは常に 私の中に存在しているのですが、シヴァラートリ以降、その力は日増しに強くなっています。この世の磁石は鉄を含有しているものしか引き付けないのに対して、この神の磁石は全世界を引き付けます。
皆さんは、スワミは足が痛くて歩くのに不自由している、という間違った考えをもっています。私にはどんな痛みも一切ありません。私の両足には強力な引力があるので、片方の足を前に出しても、もう片方の足が出した方の足を引っ張ってしまうのです。皆さんも知っているように地球にも引力があります。それはただ引っ張るだけで、痛みを引き起こすことはありません。スワミにはまったく痛みはありません。私の中のこの引力は日に日に強くなっています。私が触わったものは何でも手にくっついてしまいます。こうした磁力はすべての人の中に存在しています。神はヒランニャガルバの形をとってすべての人の中に存在しているのです。
~私はこれまで一度も痛みを経験したことがありません。私はいつもどおりに歩き回っています。けれども時折り地球の引力のせいで足を持ち上げるのが難しくなります。そのため、私はゆっくり歩いているのです。こうした事実を理解していないがゆえに、皆さんはスワミは足が痛いのだと思っているのです。繰り返しますが、私にはどのような痛みもありません。私には、苦痛も、心配も、不安もありません。私はいつも至福に満ちています。この世に私の至福を邪魔できる者 はいません。しかし、皆さんは現世的な感情を抱いているため、そうは考えません。
~今の状態では、この体はあまり速く歩くことはできません。力は日ごとに強くなっています。足を持ち上げようとするのですが、とても困難です。強く力を入れても足が地面から離れないのです。それは私のサンカルパ〔神の意志〕によってのみ離すことができます。神の原理を理解するのはとても難しいことです。だれにも神のサンカルパを理解することはできません。だれにも神の力を推し量ることはできません。人は自分の感情を基に神を理解しようと試みますが、その過程で結局間違った推測に行き着いてしまうのです。16/3/03
私が皆さんにバンガール(黄金)と呼びかけたのは、皆さんがヒランニャガルバの化身であるからです。人間の体には多量の金属が含まれています。それらがなければ体を維持することはできません。このことについて、医師や科学者に説明を求めてもかまいません。世界全体に存在している磁力があなたの体の中にも存在しているのです。
神の磁力を理解できない人もいます。彼らは「その『磁石』に引き付ける力があるというのなら、どうして我々を引き付けることができないのだ?」と反論します。さびついてほこりだらけの鉄片がどうやって磁石に引き付けられるでしょうか?さびとほこりが取り払われれば、鉄片は瞬時に磁石に引き寄せられます。それと同様に、神に引き付けられるためには心を洗って不純物をきれいに落とすべきです。肉体を痛めつける必要はありません。霊性修行は要求されません。ハートに愛を育てればそれで十分です。愛を通してのみ、超越的真理の本質に到達することができます。あなたは超越的真理に関するさまざまな書物を読んでいるかもしれません。けれども、それが何を意味しているかを真に理解している人はだれもいません。それは不変かつ偏在のアートマの原理です。そのような神聖な愛は神からのみ得ることができます。16/3/03

*試練
世の試練はあなたを浄化するための手段なのです。ヴィジャヤダサミの日1953
今の人は実に容易く執着や憎しみの餌食になってしまいます。「自分のもの」という思いに巻きこもれ、エゴに溢れています。今、人々がどんな状態か、何をしているか、よく見てご覧なさい。
この世で誰よりも自分が大事だと思っているでしょう。自分より偉い人は誰もいないと思いこんでいます。その為に正しくものを見極めることが出来ません。自分が混乱していることさえ気づかない有様です。何でも自分がやっていると思い、自分を喜ばすために世の中が回っているような気でいます。ところが世の中を動かしているのは自分ではありません。良いことでも悪いことをするにしても、自分にはたいした力などありません。この世界を創り守護している存在、この世界の父であり、母である存在、全世界の王である存在だけに世界を動かす力があるのです。
この宇宙の移ろいゆき、移ろうことの無いすべてを、ただ一つの存在が支配しています。それこそは、すべての人が悟らねばならない大事な真理なのです。一時の感情にとらわれて、怒って我を忘れてはいけません。怒れば心の平安は消えてしまいます。悲しみ、挫折、苦しみ、心配などは、どれも皆さんが弱さを乗り越えられるかどうかを試す試練です。
本当に神を信じているか、辛いことがあっても耐えられるか、それにとらわれないかどうかが試されているのです。学校の試験に合格するだけでは何もなりません。人生が与えてくれる試験に合格しなければならないのです。SGc34

*白い草
ガリカー(白い草)でヴィナーヤカを礼拝しなさい。ヴィナーヤカに供えた草を食べれば消化不良から解放されるでしょう。ペットに犬を飼っている人たちはこのことをよく知っています。犬を草むらに放すと、犬は白い草を探して食べます。このわけは何でしょう? 白い草は犬の消化器官に役立つのです。このことから、ヴィナーヤカに捧げられた供物はすべてのものの健康を保証することがわかります。10/9/02

 *信愛
信じる心はあなたの生来の性質です。信じる心は神が人類に与えた天賦の才なのです。けれども皆さんは自分以外の人を信じる心を持っていながら、神に対しては持ち合わせていないのです。
~それは、感覚的な快楽に溺れているからなのです。人々は、生来について無意味な不安を抱き、過度の欲望を持ち、空想にふけることが彼らの日常です。自らに相応しくない高い職階への野心や俗世に対する過度の執着、これらはすべて、人に神への信愛を抱かせることから遠のかせてしまいます。シーソーを見なさい。片方が上がればもう一方は沈みます。もし世俗的な物事に関心を寄せれば、神に対する信愛は減少するのです。逆もまた然りです。STPS2p52
真理、ダルマ、信愛、奉仕の道は、罪を犯すことを畏れ神を畏れる心の持ち主でないと、踏むことのできない道である。その道を歩む資格は、普通の人では得ることが出来ない。その道は至高の神が坐しておられる奥の院に到る道である。その道を行く者は、容易に神のおわす神殿に達することが出来る。
しかし、親戚と友人といった違いは確かにある。真理、ダルマ、プレマ、奉仕を発展させる人々は友人であり、燃えるような帰依の心を持って神の御名を唱え、御姿を憶念する者は神の親戚である。それが相違点である。御名と御姿を瞑想する事は、それらの属性を強めるのに役立つ。この基礎なしには、真理、ダルマ、信愛、奉仕の属性は、強く堅固で清らかである事は難しい。神の御名と御姿とは、人間の属性から汚れを取り除くのだ。SDMp115
大海を渡るために必要なものは、バクティ〔信愛〕という、恩寵の確約という、神の意志への全託という、小さな帆船です。あらゆる重荷を投げ捨てて、身軽になりなさい。そうすれば、一つの波頭から次の波頭へと一飛びで移動することができます。神が渡らせてくれるでしょう。悩む必要はまったくありません。神が一切を行うのであれば、誰が何を心配するというのでしょうか?18/7/70
信愛を他者への援助という形で表すのが望ましいのです。23/11/91
信愛があれば、完璧にオームの発音を唱えなくてもよいのです。母と子を結ぶ絆は愛です。子供が母を呼ぶのに、その呼び方が耳障りでも母親は気にしません。母は子供のところに駆けつけて面倒見ます。これと同じように、聖なる母は、あらゆるところにいてあなたに恩寵を与えようと待っているのです。全ての人にチャンスがあるのです。神への信愛が大切なのです。CWSSBJp170
神の恩寵を得るには、信愛以外に方法はありません。あなたの富、学識、権力、肉体的な特質によって神を喜ばすことは出来ません。神が調べるのは、あなたの信愛のみです。STPSp52
神性を追求するのであれば、人は皆、心のうちに純粋の思いと犠牲の精神を培わなければなりません。あなたの純粋な思いがあれば、信愛は無くても大丈夫です。あなたにとって、純粋な思いがあなたの信愛なのです。22/5/95
信愛と奉仕は同一の真理をあらわす。(テルグーの詩)人にとって信愛と奉仕は二つの翼であり、二つの翼を用いて太霊を実感認識する努力をせねばなりません。真理の探究とは実際、自分に内在する実在を発見することを意味します。この永遠の神聖な本性と機能は全てに充満しています。神を体験するためには、神聖な属性を培わねばなりません。21/11/95
多くの人は、恩寵と、愛と、信愛と、謙虚さを熱望しています。これらはすべてアートマ(神我)の姿です。神と信仰は異なるものではありません。信仰と神は同一です。愛は神です。信愛は神であり、それぞれ異なる存在ではありません。信愛とは何を意味するのでしょう? 信愛とは、信者の内なる視覚の中で、未顕現の神聖原理が自らを顕現できるようにするものです。そうなったとき、その信者にとって神以外何も存在しなくなります。 その段階に達するためには絶えず心に永遠の存在を保ちながら自分の義務を果たさなくてはなりません。皆さんは、小さな舟の助けを借りて俗世という広大で深い海を渡り、実体である無限の神性を享受することができます。その舟とは神の御名です。霊性の旅を初めた時は神の御名が進歩の基盤です。しかしずっとそれだけに頼れるような一生の支えとはならないでしょう。30/3/87
神はすべての創造物に内在しています。信者本人の気持ちを汲んで、神は信者が想う姿で現れます。ですから、本当の愛によってのみ、人は神を支配する権利を得て、神に到達することができるのです。信愛(バクティ)とは、心(マインド)と、この世のものへの執着と、欲望を、完全に制することを意味します。人が神性を体験することができるのは、信愛(バクティ)によってのみです。本当の信愛(バクティ)とは、全く無条件の愛を意味します。
ダイヤモンドは、ダイヤモンドでのみカットすることができます。信愛、すなわち、バクティは、「バジャ」という言葉から派生したものです。「バジャ」は、習練を通して主を礼拝することを意味します。信愛(バクティ)とは、礼拝すること、奉仕すること、幸せな気持ちでいること、他人を幸せな気持ちにさせることです。信愛の道を通って、多くの人が至福に到りました。24/4/96
信愛の道(バクティ ヨーガ)はとても容易であり、この道においては、肉体を酷使することも、お金も必要なく、必要とされるのはただ愛のみです。心(マインド)と五感を制するのは容易なことではありませんが、信愛(バクティ)を通じて神へと到った人は大勢います。多くの人がラージャ ヨーガやカルマ ヨーガといった別の道を歩みましたが、神に到ることはできませんでした。バイクに乗ることもそうですが、どんな冒険も初めは難しいものです。しかし、徐々にうまくできるようになります。バガヴァッドギーターには、「初めに習練ありき」とあります。正しい行いを重ねることによって、人は悪い性質を手放すことができるのです。そうすると、神のことを想い続けることができるようになります。それこそが真の繁栄であり、本当の富なのです。24/4/96

 *進化
どんなものでも石から植物、植物から動物、動物から人へと進化しようともがいています。人から動物への後戻りをしてはいけません。光り輝く神の方に向かって昇っていくのです。TEOLp75
小さな種が芽を出し、大きな木にゆっくりとなるように小さな善行、耳に優しい言葉、親切な行為が人を進化させ、神そのものとなってゆくのです。SSSvol4p368

 *神界(ブラフマローカ)
全て偉人とは人間として現れた神である。彼らは神界において一つの世界に属している。ストラバヒニ

*人格
人格は、霊性修行によって決定されます。人の運命は幸運であれ不運であれ、人格によって決定されます。よい行いを常に実践することによって、人格は磨き上げられます。一方、行為の基盤となるものはその人の想念と意図です。想念が心に浮かんだときそれが良い想念かどうか、社会に対し善であるか害であるかを調べなくてはなりません。充分に吟味した上で行為しなさい。
自分の不運を他の人のせいにするべきではありません。清らかな想念を持ちあらゆる行為を神への信仰を持って行う時、その人に神の恩恵が注がれます。世間の肩書きや名声、財産や家族は、いずれもはかないものです。生きている内に無くなってしまうかもしれません。災難や不運な目に遭えば、肩書きも名声も財産も家族も無くなります。
もっと大事なことは、皆さんが死んでしまったら、そのすべての関わりは消えて無くなってしまうのです。しかし良い人格、良い行い、アートマの知識、すぐれた徳性は皆さんを助けてくれます。生きている間だけでは無く、この人生が終わった後も強い味方であり続け、皆さんが神に達し、一つになるのを助けてくれるのです。SGc9
人生の流れの中で、もし前に進みたいのであれば、悲しみと罪という押し寄せる波をかき分けなくてはならないのです。子どもから大人まですべての人が、神の愛を獲得するために努力しなければなりません。この神の愛のための苦闘は人間の人格を形作ります。人格とは何を意味しているのでしょう? それは背丈や体重、強靭な体を意味するのでしょうか? いいえ、そう考えるのは間違っています。悲しみと困難に妨げられることなく、人は勇気をもって前進し、神の愛を獲得するために困難に挑まなくてはなりません。それが人格の本当の意味です。事実、神はすべての人にこのような人格をすでに与えているのです。不幸にも私たちはこの真実に気づかずにいます。
「Person/パーソン」(人)という言葉は、神から人に与えられた偉大な神の力、という意味を含んでいます。私たちの祖先はこの神の力を「Persona/ペルソナ」と呼びました。これは一人ひとりの人間に与えられた神の偉大な贈り物です。私たちはこのすばらしい宝を保護することができません。悲しみや困難は来ては去って行く雲のようなものです。なぜそれを恐れる必要があるでしょう? 私たちは人格の中に、内在する永遠なる神の本質をもっているのです。ですから、潜在する神性を絶えず意識している限り、まったく何も恐れる必要はないのです。勇気と信念をもって前進し、人生の目的に到達しなさい。皆さんが様々な不安の時を経験するのは、このような勇気を教え、神への信仰を強めるためにほかなりません。28/8/04
知性と共にまた、人格も磨かなければなりません。なぜなら知性だけを用いて社会に奉仕することは出来ないからです。他の人の苦しみを和らげるために、自分の楽しみをも犠牲にできることが、良い人格をつくる上でとても重要だからです。SSSVol10p49
たとえ三日しか生きられなくとも、あなたの人生は正しい有意義なものであるべきです。あなたの振る舞いは善良で立派なものであるべきです。もし、正しく振る舞わないのであれば、その人の高い地位や身分に意味はありません。もし、自分は偉大な学者であると主張しても、良い性質をほとんど持ち合わせていないのであれば、その人はどんな評判を得ることができますか? 無学文盲の人ですら、良い性質を持っていれば尊敬を勝ち取ることができます。学位は、人の心〔マインド〕を神にではなく富や会社に向けさせています。人格こそが教育の第一の目的であるべきです。教育を受けた人は、自らの振る舞いと性質のゆえに尊敬されるべきなのです。6/85
人格が伴わなければ、人は猿以下である。国の権威は、その国の道徳性にかかっている。高い道徳性と人格が真に保たれている国だけが、国と呼ばれるに値する。STPSp32
神を信じる人と信じない人の違いは、本当は信仰よりも、むしろその人の人格によって決まるのです。神を信じる人とは自分自身を信じる人、信念を持つ人のことをいいます。逆に神を信じない人とは、自分自身を信じていない人、信念を持てない人のことを言うのです。困ったときにだけ神を信じ、神に頼る人もいます。そんな人は、困難が過ぎ去れば、神のことを忘れてしまうのです。
~神を信じる人の生き方は、成長してから身につけるものではありません。生まれたときから始まるのです。~最初の段階で、執着と憎しみを、欲望と怒りを抑えるように努めて下さい。そうすれば内面から神の摂理が輝くようになります。SGc9

 *信仰
我が国の太古の聖賢たちは、神を理解するために深い研究と探求を行いました。最終的に、彼らは、「私は、10億の太陽の光をもって輝き、タマス(無知の暗闇)を超越した至高の存在を見た」と世界に宣言しました。彼らは、神のビジョンを得るようにと、人間に熱心に勧めました。そのときから、人間は神を信じるようになったのです。しかし、時の経過と共に、人間の信仰心は段々と弱まっていきました。人間は神を信じていないために、悲しみに支配されているのです。25/12/02
人は神の恩寵という助けによって、人生において何でも成就することができます。絶対的な信仰心をもって神の課すあらゆる試練に立ち向かい、自分の義務を果たすなら、必ず成功します。皆さんは海外の帰依者の信仰の深さを知っていますか?海外の帰依者の多くは、プッタパルティに来て、小さな宿舎で暮らします。それでも、とても幸せです。ひるむことのない信仰心の結果であるその幸福感を表現することは、だれにも不可能です。もし、あなたにそのような神への強い信仰心があったなら、あなたがどこにいようとも神はあなたの面倒を見るでしょう。22/8/07
愛するためには、絶対にまず信仰心がなければなりません。このことに疑いの余地はありません。自分の父親、母親、息子、妻、夫といった相手を完全に信じていなければ、あなたは、そのうちの誰をも信じることなど出来ないでしょう。もし信じる心がなければ、そしてそういった大切な人達のことを信じていなければ、一体どのようにしてその人達を愛せるのでしょうか。あなたは自分が疑っている人を愛せますか。ですから、まず信仰心があり、愛がその後に続くのです。STPSp273
絶望や失望の様なネガティブな感情に支配されないようにしなさい。神への信仰心を持つのです。あなたに与えられた義務を果たし、どんな状況においても勇気を持ってそれに対処しなさい。そうすれば自ずから良い結果が導かれることでしょう。愛はすべてです。愛は神です。愛に生きない。14/1/06
信仰心は、体験よりも先に位置するものであり、信仰心があって初めて体験することが出来るのです。体験するには揺るぎない信仰心を持っていなくてはなりません。信仰は基盤です。STPSp273
社会に奉仕する義務を認識せず、社会の安寧に関心を持たぬ者が、どうして全ての人の幸福を願う広大な願い(信仰)を持つことが出来るでしょうか?~信仰は神の一片.信仰がなければ神を意識することは出来ません。そして又、神を意識せぬ信仰は、アハンカーラ、エゴイズムを生むだけです。21/8/94
真の信仰心は無私の奉仕と愛が結びついたものなのです。SS春86p34

あなたのハートを純粋にしなさい。世俗的欲望の悪臭に付け入る隙を与えてはなりません。あなたのハートを美徳の芳香で満たしなさい。他の人々の心に毒を注ぐことを唯一の仕事とする邪悪な人の言葉を心に留めてはなりません。ただ単に本を読んだり講話を聴いたりするだけでは、あまり恩恵は得られません。第一に、自分の中に着実な心と神への愛を育てなさい。信仰があれば英知が得られます。22/7/02
今日、愛は人間の心の中に居場所を見つけることができません。それは、人の心が欲望に満ちているためです。信仰があるところに愛があります。愛があるところに平安があります。平安があるところに真実があります。真実があるところに神がいます。ですから、神への信仰心を育てなさい。22/8/07
きのう、ある人が私に、どうしたら信仰心を育てることができるかを尋ねました。私は、信仰心とは生き方そのものですと答えました。それは人間にとって自然なものに他なりません。「自分がいる」と感じること自体が信仰心を表しています。自分がいるということは、自分が存在しているということです。いるという感覚(存在感)そのものが信仰を表します。自分が存在していることを信じることができなければ、あなたはこの世に一瞬たりとも生きていることはできません。 28/7/99
神への信仰心の無い人と議論すると、討論や言い争いになるだけで時間の無駄です。CWSSBp99
すべては神の意志によって起こります。それゆえ、神の意志を知ることは人間の義務です。神の意志を信じる人は守られます。信仰を持たない人は人生を台無しにします。万事において信じることは不可欠です。今の人々は信仰という両眼を失い、盲人のような行動をしています。人は信仰をみずからの両眼のごとく守るべきです。全創造物を維持している根本的な原因はただ信仰のみです。人は信仰と愛によって何でも成就することができます。信仰と愛によって得ることのできないものは何もありません。
それゆえ、何よりもまず信仰を持つべきです。信仰と同様に、愛はまさしく必要不可欠なものです。信仰と愛を持って、初めて私たちはありとあらゆる方法で向上することができます。信仰は人間にとってとても重要です。信仰があるところには愛があります。信仰と愛の両方があれば、すべてを得ることができます。
篤い信仰心を持つべきです。信仰がなければ人生は無価値です。篤い信仰心があればすべてが可能です。自分の身体を変えることさえできます。信仰は人間に測り知れない可能性をもたらします。多くの信者は、信仰心はあっても愛に欠けています。愛がなければ信仰はほとんど役に立ちません。愛と信仰は電流のマイナスとプラスのようなものです。したがって、何かを成し遂げるには愛と信仰の両方が必要不可欠です。
人々の中には、自分の願望が叶えられたときだけ信仰を育てる者もいます。そして、願望が叶えられなかったときには信仰を失うのです。願いが叶おうが叶うまいが、篤い信仰心を持つべきです。しっかりと確実に信仰を保持すべきです。もし堅く信仰を持ち続けたなら、どこまでも向上することができます。信仰があれば、盲人であっても目が見えるようになり、唖者であっても話せるようになります。それゆえ、疑いに余地を与えてはなりません。26/12/07
真理を実感認識することが、サークシャートカーラ(神を実感認識すること)です。それゆえ、真理への信仰をもつようにしなさい。疑いなく、人々は信仰心をもっていますが、その信仰は揺れ動いています。信じるとおりに、結果はなります。もし、絶対的な信仰心をもっていれば、結果はすべての面において必ずよいものとなります。困難に直面すると信仰心を失いがちになります。何を失ってもかまいませんが、信仰心だけは失ってはなりません。信仰心を自分の命と考えるようにしなさい。これが、皆さんがたどるべき道です。皆さんは、自分の両親が自分の親であると強く信じています。あなたの両親はあなたの親ではない、と千人の人が言ったとしても、あなたはそれに同意しないでしょう。神に対してもそのような絶対的な信仰心をもたなければなりません。神に対する皆さんの信仰心は絶対的なものであるべきです。皆さんは多くの困難や苦しみに出会わなければならないかもしれませんが、信仰心は強く持ち続けるべきです。22/8/07
あなたが神を強く求める時、信仰心を持ちます。お腹の空いていない人はどんなに美味しいご馳走も美味しいと感じることはないでしょう。真善美pt2p123

 *人口
今日どうして人口が爆発的に増大しているかと言えば、それは人々の誤った行為のせいである。人々のその小さい胃袋を満たすために、神は沢山のものを人々に与えている。神は大量の米、大量のフルーツ、大量の小麦などを創造した。これほど沢山の食料があるのに、人々は肉や魚を摂る。そしてそれらのものを殺して食べて人の身体の中に取り込まれると、それらの魂は、人となって生まれ変わってくるのである。SSIB1977p,182
太古の人々は、神は遍在であるという完全な信仰を抱いて神を憶念し、礼拝したものでした。我々の太古の聖典によれば、神々の数は三千万にのぼると言われています。この神々とは誰のことでしょう? それほど多くの神がいるのでしょうか? 実はそれらの聖典が書かれた当時、世界の人口は三千万だったということです。この声明は、一人ひとりの人間を神の存在と見なして為されたのです。「サハッスラ シールシャー プルシャハ」(神には何千もの頭がある)という声明は、それより以前、世界人口が千人単位であった時のものです。今、世界の人口は五十八億です。その一人ひとりが皆、神性の具現です。人は皆、神の化身です。なぜ人はそれほど神聖で貴重な、人としての生を浪費しているのでしょうか? 神は特別な姿を取って、自分とは別に存在しているなどと考えるべきではありません。2/4/2003

 *人口のバランス
第二次大戦の際、ヨーロッパでは幾百万人の男性が兵士として戦死しました。戦争が終わって二年後に生まれた赤子は圧倒的に男の子が多かったのです。理由は何か?それは人口比率において男女のバランスを維持する必要があったからです。バランスが失えば人類は絶滅するでしょう。バランスを維持する力は神の意思です。21/5/92

 *真実
真実だけを話すようにすると、最初の内は、色々と難しいことも起こるでしょう。どんな困難に出会っても、ただ真実だけを話す道を守っていればいつかは悦びや幸せと共に真実の得に満たされるようになり、どんなに辛いことがあっても必ず乗り越えられるようになるでしょう。だからこそ、クリシュナはギーターの中で人間が幸せになるには、いつも真実を守らなければならないと教えているのです。真実は人生の最高の道なのであり,真実の道だけが世の中に正しい行いを広めていくのだとクリシュナは言うのです。SGc26
真実を語ることによって、何らかの危険が生ずる可能性があるときは、沈黙を守りなさい。12/3/02

 *信者
私は決して真の信者に話しかけない。それはどうしてだか分かりますか?私は彼らが私の名を愛で持ってメロディのように唱えているのを邪魔したくないのだ。それは私にとってまるできれいな音楽のように聞こえるのだ。もし私が彼らに話しかければ彼らのナマスマラナを邪魔することになるので、したくないのだ。人が初めてダルシャンに来たあと、何度もここに戻ってくる者は数多くの過去世で私となんらかの関係を持っていた者だ。それ以外の者はここに来られない。たとえ来ようとしても来られないか、来たいという欲望がない。
私は、この肉体から離れる前に、私の持っている霊的資産を真の信者に平等に分け与えるつもりだ。私は信者が何かを望んだらそれを拒むことなど一切しない。モクシャを望むものに対してもそれを与えるつもりだ。それはいつも私の手の中にあり、天国にいるような甘い体験ができる。とは言っても、そんなに簡単に人々にモクシャを与えることはよくない。P, 295 ANDI
神の信者も信者でない人も、その人の感じ方や信条について言っているだけです。神からすれば、いつも良い心のままで、良い言葉を語り、良いことをしていればたとえその人が神を信じていなくても、神はその人を大切にするでしょう。SGc9
  こんにちの帰依者たちは、プラフラーダとまったく対照的です。彼らの信仰心はとても弱いので、ほんのささいな困難に遭うだけでも心が乱れてしまいます。彼らは疑いを抱き始め、完全に信仰を失ってしまうのです。信仰(ヴィスワサ)を失うことは、生命の息吹(スワサ)そのものを失うことに匹敵します。いかなることがあっても、人は、微動だにしない信仰を持って自分の霊性修行を続けるべきです。これこそが真の帰依のしるしです。
帰依は、単にバジャンを歌ったり、儀式を行ったり、神の御名を唱えたりすることではありません。あなたは、ハートの中にしっかりと神を安置しなければなりません。あなたは、世俗的欲望が心に付け入る隙を見出さないよう、注意すべきです。すべての欲望を、英知の炎の中で、完全に焼き尽くして灰にしなさい。あなたの中に、たとえひとかけらでも世俗的な性質が残っていれば、それは何倍にも増えてあなたに道を誤らせるでしょう。よこしまな振る舞いや悪い習慣から自由になるには、自分の中に毛ほどの欲望もないように気をつけなさい。
ところが、カリ(暗黒)の時代の影響で、帰依者たちですら、心を欲望で満たすようになっています。欲望は、悪臭を放つ豚にたとえることができます。豚の悪臭は、離れたところからでも耐え難いものです。そうであれば、どうして人は、心の中にあれほどたくさんの「豚」の存在を許しているのでしょうか?22/7/02
如何なる者をも憎まぬものこそ、至高の神が愛しく思う信者です。どんな人をも憎まず、悪い仲間には近づかず離れていなさい。邪悪な人と付き合えば心が汚れます。悪い人と付き合ってはなりません。心は束縛の原因ともなり解脱の原因ともなります。心を神に向け無執着をつちかいなさい。心を俗世間に向けるなら、執着心が増大します。欲望は人生という旅に不必要な荷物です。
欲望を完全に捨てきることは不可能なことですが、せめて欲望を最小限にとどめなさい。人ー欲望=神です。欲望を、食べ物、衣服、家等の生活の維持に必用なことのみに限定しなさい。過剰の欲望を持てば心が落ち着きません。どのような仕事であれそれらを神への捧げものとして行うならば何ひとつ悩み事は湧き上がりません。これが真の霊性修行です。11/4/94
「あなたは(ここに)来て、それから帰宅途中の電車の中で考えていましたね。『なぜ スワミはこのようなことをなさるのだろう? スワミに愛はないのだろうか? スワミの愛はどこにあるのだろう? まったく愛がない! 』そのようにあなたは心の中で考えていました。これがあなたの最初の思いです。そして二番目の思いは、『ああ! スワミは最善をご存知だ! スワミはどうすればよいのかご存知だ。どうして私がスワミに疑 問を持つことなどできるだろう? 』そして、あなたは自分自身を慰めました。しかしな がら、そこには理解がありませんでした! あなたは理解することなく自分を慰めたの で、悲しかったのです」
スワミは続けておっしゃいました。
「今日、私はあなたに伝えるために来ました。あなたは最初の思いを持つべきではありませんでした。あなたの二番目の思い、『スワミはすべてをご存知だ!』「今日、私はあなたに伝えるために来ました。あなたは最初の思いを持つべきではありませんでした。あなたの二番目の思い、『スワミはすべてをご存知だ!』 を、最初に思うべきでした。私に疑念を持ったあなたの最初の思い、『なぜスワミはこのようなことをなさ るのだろう? 』は取り消されるべきでした。
私に疑 念を持つことなど、誰にもできません。理想的な帰依者は何も問うべきではありません。あなたの二番目の思い、『スワミはすべてをご存知だ!』が正しい思いです。それであなたの仕事は完結し、あなたは理想的な帰依者になります!ですから理想的な帰依者になるためには、グルに一切問うてはなりません!」ラニマーとの会話
神を信じる者で滅びた者がいたでしょうか?16/9/94
肉体を持つ彼がいかにして霊妙な意識を体験することが出来たのでしょうか?それは、物質で出来た身体を持たなければ、霊妙な我(チンマヤ)を体験することは出来ないのです。神と人の霊は異なるものではなく結びついているもので離すことが出来ない、という認識はどのようにして得られるのでしょうか?実は神と人の霊は実体と影のように結びついています。~この真理を認識出来るかどうかは、信仰の重要なしるしです。バクティとは奉仕という意味です。それはまた恐れを伴った友情をも意味します。
恐れがなければ、友情は堅固ではありません。~人は信者である時うやうやしい態度を示し服従します。単に友として扱われ、信者とみなされないならば、その人は自分のしたいようにふるまうでしょう。二者のバランスを保つために、クリシュナはアルジュナを、友であり信者であるものと言ったのです。21/8/94
「あなたの写真を見るだけで満足している信者もいます。」と問うと、スワミは「それが本当の信仰心なのだよ。その者は長年神を見て神と言葉を交わし神に触れてきた者より高いレベルにいるのだよ。」と言われた。p144 ANDI
神は信者によってのみ理解しうるものです。又、信者も神によってのみ理解してもらえるのです。他の人々には信者のことをわかってもらえません。それゆえ、神の信者でない人と神について議論をすべきではありません。そのような議論を重ねることによりあなた自身の信仰心が損なわれることになります。CPMp335
一度あなたが何か良いことをしようと決意したならば、いかなる理由があれ決してそれを覆してはなりません。あなたの命と置き換えてもそれを実現しなさい。それが真の信者の印です。SS1/94/p17

近頃、自分は信者だと名乗りながら、信じとしての行動を取らない人達が大勢います。今求められているのは、自らの言葉を忠実に守る人です。そうして初めて人は神の恩寵を得るにふさわしい者となるのです。ただ神を拝めるだけでは何の役にも立たないのです。人の姿を取った神によって定められた教えを理解し、それに従って行動しなさい。16/8/87
 世界中で、いわゆる帰依者と呼ばれる人々の数は増えています。今私は、いくつかの大事なポイントを皆さんに伝えるための時節が到来したと感じています。皆さんのハートに湧き上がる感情は、ガンジス河の水源地の水と同じくらい純粋でなければなりません。言葉だけでは充分ではありません。必要なのは行動です。思いと言葉と行動が一致していなければなりません。思いと言葉と行動が一致しない人はよこしまな人です。人間は人間について研究するべきです。こんにち私たちは、非真実の行いや、不正な行い、それに暴力的な行いの中にしか、思いと言葉と行動の一致を見かけなくなりました。崇高な思いを抱き、有徳の行いに携わるべき人間が、それとまったく逆のことをしています。
 中には、サイの名前を使って商売をしている人々がいます。彼らは、サイの帰依者を装って他者を騙しています。私は、そのような行動には賛成しません。彼らは帰依者などではありません。彼らは、国の内外を問わず、様々な場所に行ってサイの名前を使って金集めをしています。それは重大な犯罪です。私はただの1パイサも人に求めません。私は、決してそのような商売を承認することはありません。もし誰かが、そのような世俗的な意図を持ってあなたに近づいてきた場合は、それが誰であれ、すぐに出て行くように言いなさい。霊性の領域に商売が侵入するのを許してはなりません。人は、自分の家族を養うためには、自分の好きなことをして良いでしょう。しかし、誰一人として、サイの名前を使って商売をすべきではありません。
ところが、不幸なことに、そのような活動が増えてきています。多くの村々で、人々が個人的な利益のためにサイの名前を誤用しているのを見かけます。このようなことは、アメリカ、イギリス、日本、ドイツ、シンガポール、マレーシア等々、多くの諸外国でも起きています。そのような悪い人々と関係を持ってはなりません。あなたの心を純粋で神聖に保ちなさい。そうしなければ、あなたは生ける屍と同じになってしまいます。そのような人々を尊敬してはなりません。彼らの葬儀を執り行う方が良いのです!22/7/02

 *神性
人として生まれて来た本来の目的は、おのおのが生まれもって持っている神性さを体現さすことです.SS10/94p268
万物に浸透する意識は、神性と称されています。神性はすべての生物に内在するとも言われています。しかし、その遍在する神性を見た者は誰もいません。広大無辺な者を瞑想し、悟ることができるのは人間だけです。実のところ、人間の生命そのものが神の力の顕れなのです。しかし、人々の中にはこれを認めない者もいます。
神性はあらゆる生物の内に顕現しています。同一のアートマ タットワ(アートマの原理)が、人間の内だけでなく、宇宙の全生物の内に存在しているのです。しかし、この真理を悟るには、純粋で無私の心(ハート)を持っていなければなりません。この真理を悟るためには、誰も皆、絶えず神を黙想していなくてはなりません。そうすることによって、心は純粋で平安になります。その段階に達した瞬間に、必ず神は、はっきりと、あなたの内に顕れます。これが皆さんのサーダナ〔霊性修行〕でなければなりません。9/10/05
人間は意識が肉体化したものです。人間には活動性があり、知性があります。そのような人間が、人間的価値を忘れて人間として相応しくない生活を送れば、社会から非難されるということが分かりませんか。人間は神性の85%を持っているのに対して、動物は15%の神性しか顕在していません。
自らの神聖さを悟り、体験するチャンスを持っているのは人間だけです。高いところから落ちた石が、目に見えない引力によって地面に落下するように、目に見えない価値や美徳が人間を導くべきです。しかしこれには、決意が必要です。STPSp195
私たちの思いでもって、他の人々の病を癒やすことができる。良い思いを持てば良い人々との友人関係を築くことができる。良き仲間と一緒になることによって神性さを目覚めさすことが出来る。SS8/1993p213
皆さんは、悪魔の性質を身につけることを避け、本来の人間性を開花させなければなりません。人間性を伸ばし、そこから、神性のレベルに上がりなさい。いつも3つのことを覚えていなさい。それは、一体性、純粋性、神性です。一体性とは人類が一つであることを意味します。人類に一体性があるときに、神性は表出するのです。10/2/05
私の祝福を受け取りなさい。ヴェーダーンタ哲学を広める最善の方法は、それを生きることであり、他に王道はありません。 神に生きなさい。すべては正しいのです。他の人々も神に生きるようにさせなさい。すべては必ず良くなります。この真理を信じなさい。あなたは救われるでしょう。
 最も高等な人間だけでなく、最も下等な虫もまた、同じ神聖な性質を宿しています。虫は神性がマーヤー(迷妄)によってより多く覆い隠された下等な姿なのです。マーヤーに隠されている部分が最も少ないのが、最も高等な姿〔人間〕です。万物の背後には同一の神性が存在し、そこから道徳の原理が生じています。 あなたの神性を明言しなさい。完全な無意識状態に没入すれば、突然、小さな水泡がはじけ、それは自らが大海全体であることを悟ります。あなたは全体であり、無限であり、すべてなのです。あなたは神性そのものです。聖なるものの中で、最も聖なるものなのです。あなたにとって世界はもはや世界ではありません。あなたはすべてのすべて、言葉で表現できない最高の力であり、誰にも、どんな心にも、それを描写することはできません。あなたは純粋な「私」("I am")であり、それがあなたです。天国はあなたの内にあります。感覚の対象物の中に幸福を探してはなりません。その幸福は、あなたの内にあることを悟りなさい。 ND手紙

 *神聖なエネルギー
各人は神聖なエネルギーを与えられています。それを正しい目的の為に用いなさい。良心の命ずるままにしたがって、力を正しく用いねばなりません。良心が満足する時、エネルギーは神聖化されます。今日人々は神聖なエネルギーを利己的な目的の為に誤って用いています。18/12/95
全宇宙に神聖なエネルギーが充満しています。この偏在のエネルギーを経験するためには、一定の霊性修行をする必要があります。その一つは、あなたが何をしようが、何を認知しようが、何を体験しようが、そこに神を見ることです。21/11/95

*神聖な道
神は人間に、身体、心(マインド)、理知、心の要素(チッタ)を授けました。青年は、健康な身体、強靭な心、熟慮することができる鋭い理知を与えられていますが、それらを誤用しています。青年は、神を思ったり、手足を適切に使用したりする代わりに、感覚を誤用しています。これは大きな過ちです。青年の年齢において、人は、身体、心、理知の力を正しい用途に使うべきです。正しい用途とは何でしょうか? それは神聖な道を歩むことです。目が与えられているからといって、すべてを見る必要はありません。よいものだけを見るようにしなさい。他の人々の批判や不必要なものを耳に入れてはなりません。他者の批判を聞いたり悪いものを見ることは、大きな罪です。悪を見たときのみに悪が身につくのです。私たちは、よい言葉を聴こうとする代わりに、悪い話に耳を傾けています。
スールダースは盲目でした。しかしスールダースは、絶えずクリシュナ神の御名を唱えていました。それゆえクリシュナ神は、スールダースにダルシャンと人生の成就を与えました。なぜ神はあなたに舌を与えたのでしょうか? 一切合切すべての味を楽しむため、他の人々の悪口を言うためでしょうか? いいえ、そうではありません。舌は神の栄光を歌うために与えられました。神の栄光を聴くこと、神の栄光を歌うこと、神を憶念すること、神の蓮華の御足に奉仕すること、神を崇敬すること、神仏の像を礼拝すること、神の召し使いとして奉仕すること、神の親しい友となること、真我なる神に全託すること。人間はこれらの礼拝の方法(信愛の道)を実践することによって神を実現することができます。27/1/07

 *人生
ある意味で人生は、朝、昼、夜という三つの時期に区分することが出来ます。朝は両手両足を地面につけて這って歩く四つ足の幼児期です。昼は二本の足で歩く二本足の青年期です。夜は弱った二本の足を補助する杖をついて歩く三本足の老年期です。禁欲生活{学生期}は三階建ての建物の土台であり、その上に家長期という一階、林住期という二階、遊行期という最上階が建てられます。このように屋敷の土台は学生期です。
人は五十才になるまでに、五つの行動期間を完全に制御し、六十才までに欲望、怒り、貪欲、迷妄、傲慢、嫉妬という六つの弱点をすべて克服していなければなりません。弱点を克服すれば七十才には、七聖仙の一人のように、七つの音、七つの海のように尊ばれます。八十才にはヨーガの八段階をたどり終え、八方位を司る神のように輝きを放ちます。九十才には九つの信愛の道をたどり終え、九つの貴重な宝石のように光り輝きます。百才には五つの知覚器官を支配する者となり、神性を完全に体験し、神となります。STPSp250
教育の目的を、人生と、生計を立てるための両方に置くとき、初めてあなたの教育は意味のあるものになります。ですから、すべての人は人生の目的を頭に描いておかなければなりません。「私はMBA(取得が難しいとされている経営学修士号)の試験に合格した。私は多くの学位をもっている」と考えて自分の成功に有頂天になることが何の役に立つでしょう。これらの学位は正しく使わなければなりません。
人間だけが自分の人生の目的を理解する能力をもっています。もしあなたが、「私はこの世に生まれて教育を受け、お金を稼いだ。銀行に十分な預金があり、子どもたちには十分な教育を与え、より高い教育を受けさせるために海外に留学させた。」と考えて満足しているとしても、こうしたことだけが人生の目的なのではありません。あなたはなぜこの世に生まれてきたかという目的を決して忘れてはなりません。残念なことに今日、あなたは人生の目的を忘れてしまい、無意味な行動にふけっています。あなた方は生きている限り、最後の息を引き取るまで、平安を感じていなくてはなりません。あなたは真理と永遠の至福を手に入れるべきです。23/11/04
人間が生まれてきた究極の目的は、自分の本性を悟ることです。本当の自分を悟ることが不死への道です。人生はこの世と神の間の架け橋です。アートマ(神なる自己)と対話するための唯一の手段はプラナヴァ(オーム)という言語です。純粋で永遠なるアートマが入っている、肉体という骨と肉から成る衣服を着ているせいで、人は自分の幸福は物理的な環境の中にあるものと想像しています。これは妄想です。24/7/83
たとえ人が神を求めようとしなくても、少なくとも、シャーンティ、サントーシャ、スカム、スワタントラ、すなわち、平安、喜び、幸福、独立を求めることはできます。今、人はこれらのものさえ求めていません。どうしたらそれらを手に入れることができるかを学ぼうともしません。こまは休む間もなく回り続けます。人間もずっと骨を折って働き続け、その繰り返しから解放されることもありません。今手にしている平安と喜びは、束の間のものであり、今ここにあったと思っても次の瞬間には消え去ってしまいます。苦しみは喜びを消し止めてしまいます。喜びとは、苦しみのないことに他なりません。地上で重荷を背負い、何年も何年も大量の米と小麦を消費して、自分にも他人にも喜びと平安という見返りがないままに、なぜ人は何年も生きなければならないのか?
ペトロマックス〔圧力式ランタン〕の明かりは、ポンプでせっせと空気を入れて初めて明るく光ります。あなたの光は弱く、ほとんど消えているに等しいのですから、それと同じようにせっせと空気を入れなさい。つまり、霊性修行に精を出し、あなたの心をもっと輝かせて、あなたの近くにやって来たすべての人にその光を広げなさい。19/2/66
あなたが何をするにせよ、それはあなたの自己自身の満足の為であり、他の人の為ではありません。そしてその自己とは神であることを理解しなさい。あなたは人生という劇で自分の役をうまく演じなければなりません。スワミが演出家であなたが俳優です。願望成就を祈ってはなりません。神と共に、そして神とのみ在るようにと祈りなさい。そうすれば、他のすべてがあなたに与えられるでしょう。常に謙虚で礼儀正しくありなさい。STPSp250
暑さと寒さ、損と得のように対立する様々なものは、他のすべてのものと同じように、それぞれが世の中に役立っています。どんなものも目的があってこの世に生まれたのです。そのすべてを、自分の人生のために、自分の成長の段階にふさわしく、正しく活かしていくことが大切なのです?SGc2
世俗の世に生き、世間的な事柄にかかわる人にとって、正と邪、真理と非真等の対立している二元から避けて通れません。世俗の暮らしをしている以上,二元を逃れることは不可能です。平安と安全を苦楽の内に見つけねばなりません。喜びは悲しみと裏表の関係にあります。楽しみは二つの苦痛の合間にあります。人生は光と影の結合です。悲しみがなければ幸福もありません。暑い太陽に照らされて歩めばこそ、涼しい木陰を楽しむことが出来るのです。人生は常にこのような具合ですから、楽しみだけを享受するのは不可能です17/2/96

人生は、「私は召使いである。」という立場から始めるべきです。「私は誰か。」という絶え間ない問いで人生を満たしなさい。「私は神である。」個我と、神は同一であるという完全な悟りを開いて人生を終えなさい。これが正しい生き方です。人が本来必要としている幸福と平安は、この俗世界には存在していないことを悟るべきです。STPSp92
時は早く過ぎ去り、人の寿命は氷の塊が溶ける様に、刻々と無くなっていっていることに気付くべきである。人は自らの人生に幕を下ろすときでさえも、未だ自分がやらねばならなかった基本的なことでさえ見つけられていません。何が義務なのでしょうか?それは、人生の目標を見いだすことです。人は、富、快適さ、地位、幸せ、を探し求めています。それらは、結局のところ何だというのでしょうか?人がそれらの世俗的な幸せのみを求めることによって、神からの祝福を得られなくなっているのです。それらの、一時的なはかない物質的な喜びが、いったい何だというのでしょうか?SS8/95p199
皆さんの頭の中は、世間のどうでも良いような話題でいっぱいになっています。まずそれを空にして下さい。そうしてはじめて、神聖な気持ち、神聖な思いで満たされるようになります。沢山の人が目的の無い道を歩み、無意味な人生を歩んでいます。泣きながら生まれてきて、泣きながら死んでいくのです。
その間どうでも良いようなことで泣いたりわめいたりしています。皆さんはダルマの衰えを目にして涙を流すでしょうか。ダルマが衰えた時こそが、泣くに値するときです。力の限りを尽くしてダルマの衰えを改め、ダルマの衰えによって傷ついた部分を癒やしてあげなさい。SGc13
すべての人が、またすべての生き物が、平安と幸福を得ようと努めます。誰もが人生の目的を知ろうとしています。しかし、人々はその努力に成功することができないでいます。強い決意をもって、目標に到達するまであきらめない人は、百万人に一人です。限りある命をもつ普通の人は、それが自分の手に届かないものだと考えて、全くこの方面の努力をしません。彼らは、物質的なその場限りの快楽を追及することに一生を費やします。彼らは、衣・食・住こそが人生の三大目的であると勘違いしています。その人生は、妻子を中心としたものになっています。彼らは、人生にはこれよりも高い目的があるということに気がつきません。23/11/02
今日、人間は人生の目標を探求しません。人生の目標を知ろうと努める代わりに、人間は自分の世俗的生命を心配しています。動物や昆虫でさえ、自分たちの世俗的生存に関心をもっています。生命の秘密を知ることは大事なことではありません。人は、人生の目的を知らなければなりません。それはとても大事なことです。私たちの人生の目標は、アートマの原理に象徴された真理に他なりません。人生の目標を探求する代わりに、人間は生命の秘密を知ろうとしています。それは不毛な努力です。これを知るためには、何度生まれ変わっても十分ではありません。あなたの心を人生の目標に定めなさい。生命については心配する必要はありません。1/3/03A
人は、はかない物事の追求に深く捕らわれて人生を過ごします。人は、人生の各成長段階に特有の無益な思考に心を奪われます。そして人生の最後に、自分は貴重な人としての生を、実にくだらないことを追い求めることで浪費してしまったと気づくのです。これが人間の本性なのでしょうか? 人間が人生で学ぶべきことはこれなのでしょうか? これらの活動は、水の泡のような束の間のものです。それが人に永続する幸せをもたらすことはできません。そうした取るに足りないことを追い求めることで自らの時間を費やすことは、愚行にほかなりません。7/10/05

*審判
心が純粋であれば、神が姿を顕します。神は審判です。審判をだますことはできません。医者はあなたには熱がないと保証するかも知れませんが、体温計は嘘をつけません。たとえ医者があなたを動揺させないためにそのようなことを言ったとしても、体温計は真実を告げるのです。神は知っています。そして、神はあなたの価値に応じた扱いをするのです。そうであることを信じなさい。これまでに犯したすべての過ちを悔い改め、同じ過ちをけっして繰り返さないことを決意しなさい。そうすれば、神は恩寵を差し伸べてくれるのです。1008の宝石 P.125

 *新聞
今日人々はありとあらゆる知識を歪んだかたちで頭に詰め込み、狂人のようにふるまっています。聞くこと読むこと全てがこの世に関することのみで、彼の心はいっぱいになっています。朝起きるなり新聞を読み、世界各国でおきた事件を知って心はゴミくずでいっぱいになります。
彼は心を神聖な感情で満たすでしょうか。山のようなゴミを心に詰め込むのではなく、愛で心を満たすように努力すべきなのです。心に愛がなければ、人は新聞紙にすぎません。眼が覚めてから寝るまでの一日は、朝食と昼食、夕食で区切られます。毎日決まりきった三度の食事の繰り返しに意味がありますか?新たにすべきことは何でしょう?それは神への憶念です。あなたはその為の努力をしていますか?15/3/92
皆さんは朝一番に新聞を読みます。新聞は、私たちの文化とは完全に相反する、いかがわしい写真や記事でいっぱいです。バーラタの女性の行動規定は何と神聖なのでしょう!古より、女性たちがどれだけ高貴に私たちの伝統を崇めてきたことでしょう。あらゆるエネルギーは女性原理から生じます。この神聖な女性原理が、映画や雑誌によって、見苦しく不道徳な形へと、はなはだしく歪められています。そのような下品な写真や記事がバーラタ文化を破壊するのです。私たちは、自分たちの文化を守り、女性の振る舞いを元の正しい状態に戻さなくてはなりません。これを成し遂げるには、いくつかのしかるべき方法を探さなくてはなりません。
マスメディアにおける女性の真価と伝統を、復興し、維持するために、進んで適切な活動を提供できる人たちに、スワミは数10万ルピーを支援したいと思っています。もしもお金があるなら、皆さんはこのような価値のある目的を達成すべきです。この世では、お金で多くのことを果 たすことができますし、正義を守る仕事にお金を使うことに何ら害はありません。
 新聞や各種媒体から、あらゆるわいせつな記事や映像を排除しなければなりません。若者たちをそのような映像にさらすことは、彼らの思考に悪影響を及ぼし、人生を台無しにしさえします。このような風潮に抗して働くためなら、バーラタ文化を補強するためなら、私はいくらでも援助する準備ができています。真理は指し示され、正義は讃えられなければなりません。不正と悪は阻まれ、淫らなものは抹消されるべきです。そして、女性を尊び敬うことを守るべきです。バーラタ文化への敬意は女性に注がれる深い尊敬の念に基づいています。女性の幸福は真の意味でのバーラタの幸福です。しかし、私たちは幸福の女神たちを不品行の対象物へと変えつつあるのです。11/8/01

 *進歩
あなた自身をあなたが演じている役割と同一視しないことです。そのような同一視は、あなたの進歩を遅らせることになるだけです。SSSvol6p21

 *真理
真理をつらぬけば、敵をつくります。29/6/89
私たちはどのような思考を抱くべきでしょう? 思考は真理で充満しているべきです。思考が真理に即したものであるときにのみ、愛を体験することができます。それゆえ、愛をもって人生を送り、愛をもって人生を終えなさい。あなたが他者にすることは何でも、実際にはあなた自身にしているのです。それが良いことであれ悪いことであれ、助けであれ害であれ、すべてはあなた自身のサンカルパ(思考)の結果です。ですから、すべての人を愛しなさい。もし他者を愛することができないなら、ただ静かにしていなさい。その反対に他者をののしってはなりません。実際、他者を批判する権利は誰にもありません。すべての人には同一の愛が存在しています。愛が愛を批判することなどできますか?いいえ、できません。
愛は決して批判しません。愛はつねに、誰に対しても愛の体験を与えます。鳥や動物にすら愛はあります。人間は人類同胞を愛すべきではないのでしょうか?人間には数多くの良い性質が授けられているのですから、人は人類同胞を愛すべきです。そうして初めて、人は神の愛の受け手となることができるのです。だからこそすべての人を愛して神の愛を獲得しなさい。あなたの愛を真理と結合させなさい。決して真理でないものに関与してはなりません。真理を通してのみ愛を得ることができます。真理と愛のあるところには平安があります。平安のあるところには非暴力があります。ですから、人はまず真理と愛を育てるべきです。そうすれば、人が暴力に訴えることはなくなるでしょう。苦行やヤグニャやヨーガといったどんな霊性修行をするにしても、それらをすべて愛で満たしなさい。1/5/08
美徳の花は、真理(真実)です。単にあなたが真実を語ること、すなわち事実をあるがままに語ることは、現世的な真理もしくは相対的な真理でしかありません。実際、「真理」という言葉が意味するものはこのようなことではありません。この言葉は、はるかに深い意味を持っています。真理という言葉の本当の意味は、永遠に変わらないもの、いかなる時も変わらないものということです。それは永遠の真理です。現世的な真理は、もっと低い次元のものです。それは、その瞬間のみに真理であるもののことです。次の瞬間には、それはもはや正当性を失い、一瞬前にはそうであったものが、そうではなくなります。あなたの目に映る、この世のすべての物質は、一瞬一瞬絶えず変化を続けており、すべてがいつかは崩壌してしまいます。この変化してやまない移ろいやすい世界の中で、私たちが見たり聞いたりするもののうち、一体いかなるものが正当で永遠なる真理であり得るでしょうか?
 真理とは、本当は神のことなのです。これが礼拝の八番目の花です。真理は神の姿です。この世界と自然界の中で、私たちが真理として体験し、真理であると受け取るものは、相対的なものに過ぎません。化学や物理学の真理はどのくらい永続するでしょう? それらの正当性は、相対的な価値しかありません。その重要性は、相対的なものでしかありません。
 しかし、霊的な真理、すなわち神の真理は、永遠に正当性を持ち続けます。いかなる状況の下でも正しく、あなたがそこに火を持ってこようがどうしようが、決して変わることがありません。つまり、真理とは決して変わることのないものであり、永遠に同じであり続けるもののことです。それが真理であり、それが神なのです。 KSH
真と非真との間のこの世間にいるあなたは、真理に到達しそれを経験しなくてはなりません。SIP6-93
あなたは、死すべき肉体ではなく、肉体の内に住む、生まれることも死ぬこともない内在者です。内在者には、いかなる執着もありません。本当の自分を知れば、不滅の命を得ることができます。そして、一切の心配や欲望から解放されます。あなたは、「何の心配も欲望もない人がいるのですか?」と尋ねるかもしれません。それに関しては、私自身がその生きた手本です。私には、全く何の欲望もありません。すべてが私の手の中にあります。私は、あなたが求めるものを何でも与えることができます。しかしながら、私から物質的なものを求めてはなりません。それらは過ぎ行く雲のように、その場限りのものです。私からは永遠のものを求めなさい。世界全体が、真理と愛という一対の原理によって支えられています。それはすべての人の内に存在しています。私は、万物に内在する真理です。私は、万物に内在する愛です。真理と愛は万物に浸透しています。しかしながら、あなたは真理と愛を体験するための努力をしていません。23/11/05
決して人を傷つけるようなきつい言葉を使ってはなりません。決して嘘をついてはなりません。ときには、真実を語ることが危険につながる場合があります。そのような状況では、真実も嘘も語らずに、沈黙していなさい。皆さんは真実と非真実という二元性を超越しなければなりません。23/11/02
私たちは、外界と接触することによって、怒りや嫉妬や妬みや高慢といった性質を育てています。こうした性質を一掃したときにだけ、私たちは平安を味わうことができます。ですから、真理とダルマをもってサーダナを始めなければなりません。真理とダルマが共にあれば、平安が優勢となります。平安は愛をもたらします。平安のあるところに憎しみは存在できません。誰かに対して憎しみが生じたなら、それはハートの中の愛の泉が枯れてしまったことを意味します。ハートに愛があれば、誰かに非難されても人は怒りません。
 普通、人は怒りが生じると他の人のことを構わなくなります。多くの人が私のことを悪く言い、私を非難し、私を野次りさえしますが、私は心を乱されません。私はいつも幸せで至福に満ちています。それが本当の愛です。怒りと憎しみと嫉妬があるなら、それは愛がないことを意味します。ですから、「すべての人を愛し、すべての人に奉仕する」というモットーに常に従うようにしなさい。この行動規範に従うための基盤は真理とダルマです。いつも真理を話し、ダルマに従いなさい。ダルマに関するたくさんの講義が、ダルマを守っていない人々によって行われています!ダルマはそのような状況では存続することはできません。
真理を貫くこと以上に偉大なダルマはない。と言われています。真理とダルマは、人間の体の二本の手や、二本の足や、上下の唇と同じです。上下の二枚の唇がいっしょに働いたときにだけ、人は話をすることができます。同様に、真理とダルマが相伴って、初めて平安が優勢となることができるのです。ダルマのないところに愛はありません。このように、真理とダルマは、平安や愛や非暴力といった他の価値の基盤なのです。23/2/09

 *人類
今日人々は彼らのヴィジョンを神に向けない為に、多くの困難の餌食となりました。人は創造主が定められた法則に従わねばなりません。さもないと人類は滅亡します。14/1/94
私は,この世にはびこっている奇異な風習を一掃し、愛を人類の間に回復さすためにやってきました。人々は,私に虚偽と嫌悪がすべての国に蔓延し、人類が危機に瀕していると告げにやって来ます。私にそういうことを一切告げる必要はありません。というのも,私はそういうことを知った上で降臨しているのですから。世界が混乱に陥り、人々のハートが荒れ狂う嵐のようになったとき,アヴァターはそれを鎮めるために来るのです.SatyamSivamSundramPart4p20
憎しみ、悪意、妬み、慢心の感情という、同類である人間たちの間に分離を作り出すものは、自分と体を同一視することから生じます。あなたは自分を体だと思っています。あなたは自分の体は他の人の体とは分離していることを知っています。あなたの飢え、あなたの渇き、あなたの快感、あなたの家族、あなたの共同体、あなたの国――このように、あなたは自分の愛に領域をこしらえて、自分を狭い場所に閉じ込めて、その領域の外にあるものすべてを、敵であるとか、よそ者であるとか、ライバルとして扱っているのです。しかし、源は一つであり、支えは一つです。神が父であり、人類は子です。人類同朋よりも、父なる神に注意を向けなさい。そうすれば、あなたのハートの中でもっともっと人類同朋が強調され、無知から来る区別という毒が取り除かれます。20/12/67

 *水位とダルマ
今日、国民の間にダルマは廃れました。ダルマのレベルが低下するにつれ、水位もまた低下するのです。人々の間によい属性が栄えるならば、水位もまた上昇します。時宣に叶う雨の降らぬことと作物の不作の理由は何でしょうか?自然災害の原因は、人々の間に道徳心が衰えたことです。神聖な思いを大切にせねばなりません。そうしてこそ人々の願いは満たされるのです。18/11/95
水は日毎に乏しくなります。理由は何でしょうか?人々の道徳の下落が原因で、水は世界中で不足しています。人の生活にとって、道徳は息吹です。道徳は人間らしさを開花させます。道徳が衰退した結果、水資源は乏しくなって来ました。12/7/95

 *睡眠
人は自らを眠りにつかす為や休息をとる為に,睡眠薬を飲みアルコールを飲むなど技巧的な手段に頼るようになりました。不自然な睡眠導入は恐ろしい副作用があり、睡眠不足と相まって心臓病や高血圧等の原因となります。SS11/93
2時間の睡眠の後得られる至福と活力とが、ほんの12分間のヨーガによって得られることが明らかにされました。SS11/93
睡眠は毎日の生活にとってとても必要なことです。睡眠無しに人や他の生き物は生きることが出来ません。世界中にある喜びの中で睡眠が一番の喜びなのです。SS10月1983p,231
もっと多く、そしてもっと早く、狂ったように生産をするためにアメリカ、ドイツ、フランスなどの先進国の農夫や労働者は睡眠時間をけずってでも働くことによって、健康を損ねています。現代的な生き方に見られるストレス、痛み、心配事、緊張や良くない環境によって、健康を損ねているのです。世界中の多くの人々が病気になり、精神病になってきています。SSIB93p90
人は、富をため込むことに狂乱して正しい睡眠の習慣を忘れてしまいました。人は睡眠薬を使って無理矢理に心配事でいっぱいな心を眠らせています。睡眠薬や薬は、その人の健康に、血圧異常や心不全といったもので大きなつけを払わせています。せっかちで貪欲にまみれた人々は、精神病患者の列に並ぼうとしているのです。SSIB93p89

 *スウェーデン
スウェーデンでは、政府が人々のすべての便宜を、はかっています。人々の生活で不便さは見当たりません。とは言うものの、自殺率は世界で一番高いのです。それだけでは無く、離婚率も最高です。その理由はなんでしょうか?それは、彼らが日々摂っている食べ物が、彼らに精神的な影響を与えているからなのです。SSN春1995p15

 *少なく語る
話すことを少なくすればするほど、あなたの心の力は強くなります。心の力が強くなるにつれて、識別心も強くなります。その結果、あなたは個人的な(狭い)識別力を捨て、(すべてを網羅する)根本的識別力を頼りとするようになります。それに伴い、あなたは自分個人の安寧よりも世界全体の善を考えるようになります。あなた方学生は、若いうちからそのような広い感情を培わねばなりません。24/5/92

 *ストライキ
仕事を快適にするために必要なことだと思っていても、ストライキや賠償などの手段に頼るべきではありません。~公衆に不便を与えるゆえにストライキは心無い行為です。このような闘争手段は英雄的ではありません。それは政治体制を破壊します。16/2/92

*スポーツ
本来スポーツというものは健康と力を与えるために奨励されました。身体を丈夫にする為や公衆に楽しみを与える為に人々は試合に参加しました。~不幸にも、今日音楽とスポーツは商業化しました。クリケットであれフットボールであれ、他のどのスポーツの試合であれ試合を見るのに金を払わねばなりません。試合と芝居が過去に保有していた神聖な性格は、金銭と関係を持つことによって汚染されました。~各人はスポーツに参加すべきです。参加するのみならず、スポーツと試合を支配する哲学、およびその本性と機能を自覚せねばなりません。スポーツの目的は勝利ではありません。誰が勝とうと他のものは兄弟愛を持ってそれを喜ばなければなりません。試合の規則を厳密に守りなさい。賞品は問題ではありません。大切なことは試合をよくやり終えたという満足感です。14/1/94
スポーツとゲームに美を付与するものは一体性の精神です。それにより参加者は羨望と憎悪の心を捨てて競技をします。人としての最高の徳は、他の人との個人的な相違を忘れ、平等と調和の心をもって他の人と働くことです。今日人々は、スポーツやゲームに参加して、身体のフィットネスと力のみを追求します。しかし人は身体のみで構成されているのではありません。人生の充実は、身体の健康と強さのみによってだけでは得られるものではありません。
胃袋がいっぱいでも、心は満足していません。したがって心の健康を促進する為の努力をせねばなりません。心と身体の両方が丈夫であってこそ幸福を体験することが出来ます。しかし今日若者は、身体の外見とフィットネスのみに関心があります。14/1/1996
スポーツと芸術は楽しみを与えるためのものです。しかし今日、スポーツと音楽は商業化されて価値が下落し、それと共に人間の値打ちも低下しました。14/1/93
西洋では、スポーツは食べすぎた食物を消化し、性的衝動を昇華さすための手段として称賛されています。スワミは感覚的な想念の領域とは完全に無縁で、非常に少量の食物を摂るだけで、運動は全く必要としていません。それでもこの身体はいたって健康です。仕事をしているものにとっては、仕事自体がスポーツです。スポーツをしよう、という思いは、往々にして普段から怠け者で、仕事に対する完全な責任を負おうとしない人に浮かぶものです。
人生において節度を設けることは必要です。そうしなければ、エネルギーの蓄えは無くなります。エネルギーを蓄える為には、食物が体内にしばらくの間残っていなければなりません。スポーツをし過ぎると、食物から生ずるエネルギーが、蓄えに回される前に使い果たされてしまいます。従って、それは何の益にもなりません。CWSSBJp205
健康な心のためには良い思いに満ちた健康な身体が必要です。スポーツと音楽は人に健康と幸福を与えるために作られたことを認識しなくてはなりません。しかし強靭な身体だけでは充分だといえません。心の健康も同様に大切です。鈍重な肉体とともに微かな身体にも配慮しなさい。それには霊性修行が必要です。14/1/91
もともと、スポーツというものは人々の健康と力を奨励するためのものでありました。人々は、ゲームに参加して自らの身体機能を高め、公衆を楽しませなさい。SS2月1994p,32
神はどのようにして、何故スポーツをしているのかは、神しか知り得ないのです。人はただそれを楽しみ、そこから益を引き出せばいいのです。SSvol11p180
スポーツやゲームをする目的は勝ち負けのためではなく、それらに参加することを通じてスポーツマンシップを教えることです。15/1/04

*スワミと一つ
すべては一つです。あなた方は皆、私の神性の一側面です。したがって、私と皆さんは一つであって、互いに分離してはいないのです。私は皆さんの内に、皆さんと共に、皆さんの上に、皆さんの下に、皆さんの周りにいます。この感覚を心に銘記し、幸福な人生を送りなさい。私が述べたことを理解しましたか? 自分の部屋に帰った時、スワミはどこかよそにいて、自分はスワミと離れているなどと考えてはなりません。「スワミは私と共に、私の内に、私の上に、私の下にいる」と、いつも思っていなさい。すべては一つです。26/12/07

 *スワミの教え
あなたがたは、スワミの訓戒をおろそかにします。あなたがたはスワミの言葉を大切にしません。31/3/96
「私は重要ではありません。重要なのは私の教えです」ラニマーとの会話
私が与えた指示に、できるだけ速く、そして最善の形で従うことができるよう努力しなさい。
私の教えに従うことで十分です。それは、極めて厳しい苦行をすることよりも、あなたのためになるでしょう。サティヤ(真理)、ダルマ(正義)、シャーンティ(平安)、プレーマ(愛)を実践しなさい。これらは私にとって大切なものです。これらの理想を、いつも自分の目の前に、あらゆる思いと言葉と行動の中に、留めておく決意をしなさい。それは、あなたに神性なる至高の実在との融合という、最高善を授けることができます。17/5/68

 *スワミの身体
私のこの身体は、普通の身体と同じです。全ての身体というものは、道具でしかありません。身体はつかの間のものです。身体は、生まれては死にます。身体に、内在の神は永遠です。それは、アートマンであり真のあなたなのです6/85
スワミのエネルギーは食物から摂取しているのではありません。私は朝食を何もとりません。午前十時に一杯の水を飲むだけです。私はほとんど食べません。私の食物は、貧者の食べ物であるラギー四国稗という雑穀です。皆さんは私がこの一年、夜は何も食べないのを見てきました。私はとても多くの仕事をします。私は帰依者一人ひとりと、じかに接します。誰も間には入れません。
私には秘密というものがありませんから、秘書も入りません。愛と愛、ハートとハートの結びつきがあるのみです。私のように仕事するには1500キロカロリーのエネルギーが必要と概算されます。けれども私が摂る食物は200キロカロリーもありません。では、私は必要なエネルギーをどこから得ているのでしょうか。食物からではありません。私自身がエネルギー、いやむしろエネルギーの源だということを知りなさい。STPS2p270
肉体的には私は、七十才です。ですが私は遠くからアリを見ることさえできます。私はメガネをかけていません。人々は四十代からメガネをかけ始めます。私はどんな音でも、どんな小さな音でも聞くことができます。私の歯はとても強く、よく噛むことができます。私には白髪一本ありません。私はもっともっと歩きたいのですが、そうしたら私が行く先々に大勢の人がついてきて皆さんに迷惑をかけてしまうでしょう。私は自分のことは自分でします。皆さんは私の五感の鋭さに驚くでしょう。STPS2p270

 *スワミの願い
彼らは皆、自分の願いがかなえられることを願ってスワミのところに来るのです。スワミが何を欲しているのか、それを知るために来るものは一人もいません。スワミの為に努力奮闘するものは、一体何人いるでしょうか?誰もが自分の利己的な動機のみでここに来ます。恩恵を享受してもそれに感謝を示さないことは、由々しい罪であるということを私は指摘したいのです。23/10/93

*スワミの予言
私がアヴァターとしてやって来たのは、何か小さい仕事をする為ではなく、全世界を霊的に高めるという偉大なことをなす為にきているのです。私の仕事はすべての人類を高みにもって行き、サッチャ、シャンティ、プレマ、サルマ、アヒムサの道に彼らを引き上げ、モクシャを願う者にはそれを叶えさせる、という途方も無く大きなことなのです。私の仕事を遂行するに当たり、私は何者をも恐れず、誰にも頼む必要は無いのです。というのも、私は真理そのものだからです。P, 66 ANDI
全世界が破滅することはないでしょう。しかし災害はやってきます。もし家の一部が壊れたとすれば、その家をすべて取り壊さず、その部分だけを修理するでしょう?そのように私もするのです。P, 109 ANDI
スワミは、最近40年以上先に起こる地球の変化の状況だ。と言われて将来の世界地図を物質化されました。(1973年)プッタパルティp19
この先皆さんは、さらに多くの栄光に満ちた出来事を目撃するでしょう。サティア・サイが成し遂げることのできないものは、何一つありません。(拍手)。実際、スワミはその行動によって、人々に畏敬と驚きの念を抱かせることもできます。しかし、スワミの唯一の目的は、すべての人々を幸せにすることです。「ローカ サマスター スキノー バヴァントゥー(全世界が幸せになりますように!)」。他者の幸福のために尽力する人は、決して困難には見舞われません。いかなる困難も彼らを動揺させることはできません。25/11/00
皆さんは将来、スワミの神聖なる栄光が徐々に表されていくのを目撃することになるでしょう。スワミは全世界を引き寄せます。立っている場所すらなくなるでしょう。どんなに大きな変化がこの1ヶ月に起こるかを、あなたはその目で見ることができます! あらゆる人々がどんどんスワミに引き寄せられています。愛は非常に強力です。16/3/03
皆さんには見ることができないかもしれませんが、私の目にははっきりと見えています。日が経つにつれ、今はスワミの真実に気づくことができないでいる人も、悔恨の涙を浮かべて私のもとにやって来て、私の神聖さを体験することになるでしょう。近い将来、それは世界的な現象となるでしょう。スワミは今、そのようになることを抑えています。しかしひとたびそのようになる事を許せば、全世界はプラシャーンティ・ニラヤム〔平安の館〕へと変容します。ですから、自分の目の前に掲げた理想を日常生活の中で実践することを決意したあなた方すべて、大きく手を振って堂々と前に向かって歩んで行きなさい。何年か後、今あなた方に与えられているような機会が得られなくなる時がやって来ます。こんなにも〔スワミの〕近くにいられる機会は持てなくなるでしょう。と云うのも何百万という人々がここに押し寄せ、集まってくるからです。近い将来そのようになります。ですから、奉仕活動を通じてスワミの慈悲と愛を獲得し、自分の人生を意味のあるものとしなさい。SSSVol15c55
近い将来、サイの栄光は世界中に広まるでしょう。それは千倍にもなって大きくなるでしょう。その理由はサイの使命が本質的に善に基づいているからです。どのような汚らわしさもありません。すべての行為は純粋な動機から出ています。サイのすべては真理にもとづいています。サイのすべての活動は誰か他の者に頼らず執り行われています。それでいて、すべては何の問題も無く、粛々と進められています。収穫が終わると籾取りが始まります。風は籾殻を吹き飛ばし、籾のみを残します。この例えのように残った籾とは真の信者のことなのです。そして信仰心の定まらぬ者は籾殻となって吹き飛んでいくのです。これが真の信者かどうか選り分ける過程なのです。SS12/93p333
世界は神の身体です。その身体に癌ができれば取り除かねばならない。利己主義の増大に対して物質的反動とある種の調整作用と整理が起こる。p129サイババ世界の危機を救う。
高度な物質生活の追及が社会を荒廃させた。P244(同)
知識や発明の才や富ではなく、人格が力となる賢明な知恵が国々の会議で尊重されるだろうP258(同)
アバターは最近、将来の世界地図を物質化した。そして地球表面にいくつか環境調整変動が起こるだろう。そしてそれに伴い人口が減少するだろう。といった。P259(同)
ゴールデンエイジが到来するでしょう。私が天空を横切り大空を講堂に使うときが来るでしょう。P400(同)    
インドでは長い間あなた方とは会えなくなる。外国に行くことになっているからだ。Miracles are my visiting card p152
プレマサイは3人のババの中でも、大変他と違って見えるであろう。そしてプレマサイ降臨の時までに、世界は今より良好な状態になっており、プレマサイは最初の20年間、誰にも名を明かさず、あごひげをつけた状態で動き回るだろう。P57神の化身SS Baba
近い内に全世界がここに来ることを、あなた方は見るでしょう。したがって、少なくとも今日から、あなたの私との接触する機会を最善に使って、今までの誤った生き方を償いなさい。11/7/95
神は人類に地球を破壊する事を許しています。人類は、完全な挫折を体験しないと神の方には向かないのです。~ヨハネの黙示録に登場する四騎手が馬にまたがり今まさに来ているのです。(子羊キリストが解く7つの封印の内、はじめの4つの封印が解かれた時に現れる四騎手は、それぞれが地上の4分の1を支配し、剣と飢餓と死と獣により地上の人間を殺す権威が与えられている。)2009/I,Tigret
今後、全世界は必ずプラシャンティニラヤムに集まります。プラシャンティニラヤムは心身の病を癒す神聖な治療殿堂となります。23/11/91
神の栄光は日増しに高まり、皆さんに喜びと至福をもたらします。まもなく地球上からあらゆる不安が根絶されます。今日、私たちは至る所で暴力行為を目にします。しかし、何が起こっていても、それはある意味ですべて皆さん自身のためです。だれもが神聖な思いをもつようになります。すべての人が神の至福を味わうでしょう。まもなく国中が平和と幸福を味わいます。困難も苦しみもなくなります。皆さんは苦難に遭うのではないかと考えて、恐れにうちひしがれています。実際には、悲しみや苦しみといったようなものは存在しないのです。どうしてそれらが皆さんを悩ますことなどできるでしょうか?16/3/03

バラタは神聖で栄光に輝く時期に入りました。必ず、多くの神聖な進展が生じます。国の繁栄と栄光は強大となります。28/7/92
困難はやって来るかもしれませんが、それらは最終的には幸福を引き起こします。ごく近いうちに、この世のすべての人が理想的な生活を送るようになります。愛は力で得られるものではなく、その「源」から自然に生じるべきものです。力は恐怖を引き起こし、愛を減少させます。自分の中から自然に神聖な思いを湧き上がらせましょう。自分の喜びを他の人と分かち合いなさい。16/3/03
まもなく、全ての国々が一つになるでしょう。全世界は一つになるでしょう。カーストや宗教や国籍という狭い考えは消え失せ、全ての人が一つになって神聖さを体験するでしょう。全ての人が愛の思いを深め、お互いを兄弟姉妹と考えるようになるでしょう。21/10/07
トロントでアシュラムをはじめなさい。そして、そこで人々は奇跡による数々のババの訪問を受けるだろう。また、そのアシュラムは、これから20年以降先に起こる社会動乱の際に、避難民キャンプとして役立つだろう。1983p121神の化身S,S,Baba
私は本を読みません。でも私はすべての宇宙の歴史を知っています。私は過去、現代、未来を見ることが出来ます。私は、時空を超えた存在です。あなたは私を同時に二つの違った場所で見て驚きましたが、将来、二つどころか何千もの身体を取って、同時にあらゆる場所に出現することでしょう。P, 66 ANDI
以前、ゴヴァルダナギリの丘が小さな少年によって高く持ち上げられた時、牛飼いの少年少女たちはクリシュナが神だと気づきました。今日、ゴヴァルダナギリのような丘ではなく、山脈全体を私が持ち上げるのをあなた方は目にすることでしょう。その時が来るまで我慢強く私を信じて待つのです。P 22cap5SSS,Vol3
私は96才までこの身体をとって生き、インド全国に18の重要な教育施設を次の46年間に創設する。(1976+46=2022)BBC SatyaSaipart2p85、6/76 at Kodai
私はこの人間の身体を2020年以降も存続させます。Life of Bhagavan Sri Sathya Sai p235 1971
アヴァターが歩むどの一歩も、その足跡もすでに決定されているのです。23/11/68
私を取り巻く群衆が多くなりすぎるので、車や飛行機を使ってさえ移動をすることになるでしょう。私は大空を横切って歩いて渡ります。そうです。そういうことが起こるのです。私を信じていなさい。SSSvol2chap18
私のオレンジローブが小さな点にしか見えないほど、遠くからしか私を見ることが出来ない時がやがて来ることを信じていなさい。あなたは私が大空を端から端まで歩き渡るのを目の辺りにしたとき、初めてスワミの栄光に気づくのです。ThapovananChp, 11
全世界のすべての国々がバラタ(インド)を尊敬するようになる日が来るのを、あなた方は見届ける日が来るでしょう。この身体があなた方の前に存在している間に、サッチャサイの名を崇拝する声が全世界に響き渡るのを聞くことでしょう。そして再びあなた方は、サナザナダルマのその真の本来あるべき地位が、非常に近い将来打ち立てられるのを見るでしょう。ヴェーダで述べられているダルマが世界中の人々の善のために、打ち立てられるのです。SSSvol10chap39
すべての人類が調和に満ちて生きるという時が近づいています。その時期は、人々が思うよりも早くやってくるでしょう。それは、誰も想像できないくらいです。それは、人の理解を超えています。私が今言えることは、そのときの美しさは、すべての人が見る夢よりも、もっと素晴らしいということです。SSS Balvikas9/1995vol15p9
私が、降臨したのは、太古の神への道を復興するためです。アヴァターが成功するかどうかということでは無く、アヴァターの意思が如何に成就し、アヴァターの計画が如何に成就するか?ということなのです。私は、人類の歴史のページに虚偽が消滅し、真理が勝利を収め、美徳がすべてに満ち渡るという黄金の一章を書き加えるつもりです。単なる知識や技術や富ではなく、人格が力を持つことになるであろう。英知が、国の議会の決定を左右することになるだろう。TEOLp174
訪問者;スワミが世界を平安に満ちた世界にするのであれば、プレマサイの仕事はあまりないのではないですか?
サイ;それは、今から40年あまり先の話だ。そのとき世界は平安になっている。プレマサイという名前の通り、すべては愛、愛、愛どこを見ても愛になっているのだ。My Baba & Ip189 12/1970
すべての人類が兄弟愛で満ち、神を父と呼ぶ日が、輝き美しさを増しながら、すぐ近くまで来ているのだ。SSSvol3chap18
全世界は今日、心配事や恐れで苦しんでいる。しかしすぐにその黒い雲は追い払われ、幸せな時代が全世界に訪れるのを、あなたが見届けられることを私は保証します。SSvol11chap28
もし変化があるとすれば、それは宇宙的規模の変化であって、地域的な変化ではない。それはあらゆるところで起こるのだ。MBAIp189
すべての人類が、真理、ダルマ、信愛、平安、非暴力の教えに正しく従って一つの大きな家族になったとき、それはSairashtraが構築されたときであり、それを見届けることができたものは、地上において天国を体験した者であり、果報者である。God descent on earth p, 37
あなた方は、これからすぐ間もなくスワミが今まで明らかにしてこなかった栄光を見ることになるであろう。そうなれば、ここは多くの人々がやってきて立錐の余地もないぐらいになるであろう。16/3/03
サイババを単に158cmの身長をした人間だと思わないようにしなさい。私の存在は世界中に知れ渡るでしょう。待ちなさい。ほんの少したてば、世界中がここにやってくるのです。SSSvol28chap19
アメリカだけではなくプッタパルティの名は、日本、ドイツ、イタリア、フランス等のすべての先進国の間に知れ渡るでしょう。すべての世界地図にプッタパルティは重要な場所として記しづけられるでしょう。19/10/99
ゴールデンエイジのサインは、サイの栄光が全世界に広まり、何千もの信者が増えることです。SS12/1993
ごく近い将来にあなたたちは神の栄光が日に日に増し、あなたに喜びと祝福が授けられるのを知ることになるでしょう。すべての不穏さはこの地上から消え去るでしょう。16/3/03
やがて、日がたてば今スワミの真実に気づいていない者でさえも、私を体験し、後悔の涙を流しながら私のもとへ戻ってくるでしょう。非常に近い将来こういうことが起こるのだ。スワミは現在こういうことを起こるのを制止しているが、しかし一旦それが起こることを私が許せば、全世界がプラシャンティニラヤムになるであろう。vol15Chap55
何百万人もの人々が、アヴァターの降臨から恩恵を受ける日が近づいてきています。私はあなた方に、多くの人々がやって来る前に私から恩寵や祝福を得て、あなたの宝物殿にしまっておくように忠告しておきます。SSSvol11chap41
全世界がサイオーガニゼーションとなり、サティアサイがすべての人のハートに宿るようになります。SS1/99p20
非常に近い将来プタパルティは大きな変化を遂げるでしょう。私は未だそれらが起こることを抑えています。このホールは小さすぎます。私はもっと大きなのを建てるつもりです。しかしそれさえも十分だとは言えなくなるのです。人々を収容する倉庫は、大空ぐらいの大きさのが必要になるでしょう。その時が来れば私は、車や飛行機を使って移動するでしょう。
それからのちは、私自分自身が自ら空を飛び、大空を駆け抜けるでしょう。すべての人はそのことを同時に見ることでしょう。誰も、何ものをも私について来られないでしょう。誰も私を裏切りだますことは出来ないでしょう。もし誰かがそんなことを企めば、そのもの達は自らの頭をぶつけて死ぬであろう。すべては私のものである。あなたがたは、召使いが間違いを犯しても謝ればすむように、間違いを犯しても良いと思っている。私はその時が来るまで警告を与え続けるが、その後に及んでは、後悔しても遅いのだ。というのもそのとき私は警告を発しないからだ。OTYRTNp276
実際のところ、今日であれ、あるいは数千年かけて、着実な苦行や熱心な探求をした後であれ、たとえ全人類がその努力を共にしたとしても、私の実体の本質を理解することはできません。けれども、皆さんは近いうちに、この神聖な名と神聖な姿をまとった神の本質によって降り注がれた至福を、認識することになるでしょう。皆さんにそのチャンスをもたらしてくれる幸運は、隠者や僧侶、聖賢や聖者、さらには、神の栄光の一面の体現者たちに手が届くものよりも、はるかに大きいものなのです。17/5/68
私は今日あなたに約束します。パキスタン、中国、ドイツ、ロシア等の全世界の国々の人々が一つになります。バラタの善が、この全一性を導くでしょう。SS9/02
 皆さんの受けている教育は、単に富を得るためのものではなく、善良な性質を獲得するためのものです。皆さんは、富や健康や友情を欲しますが、すぐれた人格を備えていなければ、それらを得ても少しも意味がありません。ですから、皆さんは人格を磨くべきです。世界中にバーラタの偉大さという紋章を飾りなさい。それにより世界全体がバーラタと一つになることでしょう。
この聖なるクリシュナ降誕祭の日に、私は皆さんに断言します。パキスタンであれ、中国であれ、ドイツであれ、ロシアであれ、この世界のその他の小さな国であれ、大きな国であれ、全世界がもうすぐ私たちの友となるということを。それを私たちの決意としましょう。私たちの「本来の善良さ」は、それを助けてくれる一つの要因です。それはこうした一体性を望む根本的な原因です。一体性には純粋さが含まれており、純粋さは神へと導きます。皆さんは、一体性と純粋さと神という三つ揃えを勝ち取るために懸命に努力すべきです。11/8/01
あなたがたは、プタパルティがマドゥーラナガラ(クリシュナの生誕地)になるのを目撃するでしょう。誰もこのことを止めたり、遅らせたりすることは出来ません。21/10/1961
プタパルティがやがて聖地であるティルパティのようになることを信じなさい。サナザナダルマの復活がこの地から始まるのです。真善美cp16
将来、人々が沢山やって来るので私は車や飛行機を使って、一つのところから他の場所に移動するでしょう。私は空を歩いて横切るでしょう。そうです。そういうことが起こるのです。私を信じていなさい。このプタパルティが、マドゥラになるのをあなたは見ることでしょう。誰もそれらが起こるのを早めたり、遅らせたりすることは出来ません。
私はあなたを見捨てることは無いですし、あなた方も私から離れていくことなど出来ないのです。例え、あなたが私への信仰を失ったとしても、あなたはそのことを悔いやんで大騒ぎしながら、またここへ戻ってくるでしょう。私は、この身体にあと58年間とどまります。(2022年=97才)このことはもうあなた方に約束しましたね。あなた方の人生は私のこの地球における生と絡み合っているのです。この偉大な特権を生かして行動するのです。SSSvol2p101
スワミの教えに従うことで、海外の帰依者も大勢変わってきています。私は、皆さんの前で宣言します。全世界はこれから18年以内に一つの家族のようになるでしょう。近いうちに、バーラタは世界の霊性のリーダーとして高名を博し、バーラタの文化と霊性は世界の隅々まで広がるでしょう。14/2/09
私はいつも健康です。96才まで私は今日のように元気でいます。私は何でも自分の望むとおりのことができますが、この肉体だけを見ている人にはスワミは老いていっているようにみえるでしょう。
若さと年を取ることは肉体に関係することであり、私には関係していません。私はいつも同じで、何でもする事が出来ます。ヴィジャヤダシャミー祭/2003
世界のすべての国々がバーラタに敬意を表するのを目にすることができる皆さんは、何と幸運でしょう! しかも皆さんは、来たるべき将来ではなく、この肉体が皆さんと共に、皆さんの目の前にあるうちに、サティヤ サイという名への崇敬が世界中で響き渡るのを耳にすることができるのです。
また、皆さんはやがて、サナータナ ダルマ〔太古よりの永遠の法〕、すなわち、世界のすべての人々のためにヴェーダに定められているダルマの、正当な本来の地位の復興を目の当たりにすることができます。人々を私のほうに引き寄せ、私のシャクティ(力)とサーマルティヤ(能力)を顕示することによって人々を魅了することだけでなく、ヴェーダのダルマを復興することも、サイのサンカルパ(サイが決意したこと)なのです。それはバラマ タットワム(迷妄の現象)ではありません。そのタットワム(現象)は、真理を支え、非真理を根こそぎにし、その勝利において、あなた方すべてを忘我の歓喜に浸らせます。これはサイのサンカルパ〔意志〕です。17/5/68

 *成功
成功するためには働くべきです。困難かもしれませんが、成功を得るのは望ましいことなのです。~「志は高く掲げよ。低い志は罪である。」~人というのは本質的に神聖であることを悟らねばなりません。人は神性に達しなければなりません。けれどもそれは思ったほど簡単な事でも単純な事でもありません。何といっても転落は容易であり、また速くもあります。~高いところから落ちて身を滅ぼすのは容易で、簡単でしかも速いのです。~人生において、あなたが払う努力の大きさが成功の度合いを決めます。STPSp110

*政治
今日あるものは、決して「政治的戦略」でも無く、悪意や妬みや憎しみから生じた「大乱戦」です。それらは品位の低下した政治なのです。STPSp73
理想的な政府にあっては、一人一人が自発的に国家の規則や規制を遵守します。誰もが自分の責任を果たします。「ゴッドメント」は「ガヴァメント」に勝ります。けれども今日では、人々は、自分の権利のために争い、自分の義務を怠っている姿が見られます。決して怠惰につけいる隙を与えてはなりません。雇われ人は皆、毎月受け取る給料に見合った正当な働きを、誠実に行うべきです。そうでなければ、同胞や国家をごまかしていることに、あるいは裏切っていることになります。人々は、融合性、協調性、一体性、同胞愛を育むべきです。STPSp113
今日、政治家以外の誰もが真理を悟ろうとしています。もし、政治家が真理を悟ることさえ出来れば全世界は繁栄するでしょう。私達が今、いたるところで目にしているあらゆる紛争の原因は政治です。政治は、一般大衆だけでなく、警察、軍隊、行政全体にも影響を及ぼしています。政治のせいで何人の人間が殺されたでしょう!それゆえ、政治を信用してはなりません。政治に従ってはなりません。しかし誰であれ、あなたに何か善いことを教えてくれる人なら、その人を受け入れて従いなさい。29/10/09
学生たちは政治に関わってはいけません。今日、学校や大学で生徒たちが政治に関わることで学生生活を無駄にしてしまっています。SSS7p, 227
多くの人々にとっては、お金が神であり、政治が神となっています。彼らが死んだ後、お金や政治が彼らについて来るでしょうか? 彼らは何を成し遂げることができるでしょうか? 人生の目的とは何でしょう?人間として生まれることができた以上は、取るに足りないものを追い求めて人生を無駄 にしてはなりません。社会のために役に立つ活動に参加しなさい。私がこれから言うことを誤解してはなりません。世界の汚染の根本原因は政治です。小さな子供たちの心まで政治に汚染されています。争いや煽動は今日の流行になっています。夫と妻の間にさえ一体性がありません。インドの独立以前は、人々はこれほどまでに苦しんではいませんでした。当時、対立は白人たちと有色人種の間にあっただけですが、今日では有色人種同士の間で派閥争いがあります。このような事態は、今の人々に期待されることではありません。邪悪な性質を慎んで、気高い感情を培いなさい。24/7/02

*誠実
シュラッダ(誠実さ)はとても大事です。「誠実さによって真理を勝ち取ることができる」のです。バガヴァッド ギーターの中で、クリシュナは、「誠実さをもった人は私を勝ち取ることができる」と言っています。彼はさらに、「私は誠実さの化身そのものである」と宣言しています。誠実さのない人は、小さな仕事すら達成することができません。とくに、霊性の領域においては、誠実さは大変重要です。強くゆるぎない信仰によって、誠実さがもたらされます。
ウパニシャッドは、さまざまな方法でシュラッダ(誠実さ)の原理を説明しています。誠実さによって獲得した英知は、ターラカム(解脱)です。誠実さの欠如は束縛(マーラカム)です。ターラカム(解脱)の永遠の原理は、理解され、実践され、広められなければなりません。これがタイティリヤ ウパニシャッドの根本的な教えです。タイティリヤ ウパニシャッドは、あらゆる職業において、誠実さを培う必要があることを強調しています。霊性においては、誠実さこそが解脱のマントラ(ターラカ マントラ)です。それは永遠不滅のものです。
人間は、シュラッダ(誠実)、サティアム(真実)、リタム(不変)、ヨーガム(合一)、マハータットワム(真我の原理)という五つの側面 を培ってハートを浄化したときに、初めて英知を獲得することができます。英知とは、書物によって得られる知識ではありません。「不二一元性の体験こそが英知です」。見かけの二元性の根底には、不二一元の原理が存在しています。これが、タイティリヤ ウパニシャッドが教える根本的な真理です。23/11/02

 *政治と女性
ラーマは政治に女性を関与させてはならない、と述べました。女性は家庭の中で尊敬されるべき役割があり、政治に関与してはいけないのです。大臣の席を女性に与えてはいけません。と言うのも、国家の名誉は女性にかかっているからです。女性が尊敬され名誉を与えられてこそ、その国は尊敬されるのです。女性が公衆の眼前で人目をはばからず、その姿をさらけ出して安売りするのは正しいことではありません。SS5月1995p,117~118

 *静寂
ハートを開き、口を閉じなければなりません。しかし、人々は全く反対のことをしています。それは神に対する裏切りです。出来うる限り沈黙を守りなさい。出来うる限りハートを開きなさい。太古の聖者はマウナム(絶対の沈黙)を霊性修行として実践しました。今日人々は些細なことでも重要なことに関してでも過剰に喋り過ぎます。沈黙を実践するならば至福はおのずと現れます。多く喋る者は、為すことが少ないのです。行為するものは語りません。8/3/97
人々は、公園や海岸のベンチに静かに座っている時に、良心のささやきに耳を貸さないために非常に価値のあるものを失っています。彼らは、一人きりになるのを恐れ、静寂でいることを何か忌まわしい物のように見なして避けています。しかし、自分自身の真理を見つけるのに一人で静寂にしている時にのみそれが可能なのです。SSSvol4p,160
身体に休息が必要なように、心もまた静寂が必要です。神への信仰をもたらすのは、精神的に静寂を保つのが一番良い方法なのです。人は、高潔な道を歩み、霊性修行を行い、社会奉仕活動に熱心に取り組まねばなりません。これら3つのことを受け入れ、好きになり、それを毎日の生活の中に取り込まなければなりません。SSSvol10p210 

*聖者と化身
唯一者があるのみ。賢者はそれを多くの名で呼ぶ。この偉大な真理を世に広めるために、多くの聖者と化身はバラタに降臨します。彼らは至高の霊についての完全な知識を持っています。そのように悟った魂の持ち主が、どうして現象世界に生まれるのか?現代の人々は現象世界の基盤にある真理を理解することが大切です。それらの悟った人々は人間として生まれる必要は無いのですが、教えと行為によって地上の人々の罪を清める為に、世に生まれることを選びました。完全なブラフマリシ、<ブラフマと一体となったもの>でない限り、他の人に真理を認めさせることは出来ません。それゆえ、彼らはこの世の人々の無知を追い払い、最高の英知を啓示するために化身として降臨しました。14/10/94

*精神病
マインドは記憶し、思い返し、思い巡らすものなり。この内的な働きは、決意を固めることと、その決意を撤回すること、すなわち、サンカルパとヴィカルパをもたらします。マインドは、縦糸と横糸にたとえて、断定と否定、するとしない、サンカルパとヴィカルパを有しています。これらを切り離してマインドは存在しません。眠りがマインドの活動を止めるまで、マインドはずっとそれらに従事しています。時たま、決意あるいは、その決意の背後にある決心の力が強くなりすぎると、マインドは自らの限度を超えてしまい、そうなった人は精神異常者という表現をされます。21/11/79
世界という精神病院には、あらゆるたぐいの精神病患者がいます。ある者は他人に唾を吐き、ある者は噛みつき、ある者は引っかき、ある者は石を投げ、またある者は暴言を浴びせます。現在の狂人は人の頭の上から爆弾を落とすこともします。このように世界は精神異常を患っている人達で溢れかえっていますが、実は、本当の狂人たちは病院の中ではなく病院の外にいます。突如として憎悪が国を包み込むと、普通の気の確かな人でさえ気が狂い、凶暴な者のように振る舞います。
一方、精神病院には時折、特殊な狂人もいます。その狂人は部屋の隅に座り込みじっとしたままで、他の患者の悪ふざけや乱暴な様子を眺めています。彼は誰からも世話をされる必要もないので、医者たちはその狂人のことををありがたく思うでしょう。彼は何の面倒も起こしません。彼の精神病の病名はうつ病か、グニャーナ(悟りを開いた人)かもしれません。神を目指す人はこれと似ています。実は、神と固く結びついている人だけが、この狂った世の中で唯一、気が確かな人なのです。24/5/62
恩寵への近道はありません。ナーマスマラナは安全な道です。もっと近道があるという人のことを信じてはいけません。彼らは、プラナヤーマ(呼吸法)や、ハタヨガ、の事を紹介するかもしれませんが注意しなさい。それらは危険をはらんでいます。それらに耳を貸したり、ヨーガの本を読んで実践したりしてはなりません。私はそういう本を読んで実践した結果、精神病や精神錯乱に陥った多くのケースを知っています。SSSVol2c34

 *政府
どのような政府が一番良いのでしょうか?答えは、私たちが自らを律せることが出来るように助けてくれる政府が一番良いのだ。あなた自身の良心をあなたの主として、他の誰にも頼らないようにしなさい。vol7p, 22

  *生命の本性
人間において大半を占める地の要素は、常に人を下方にひき下ろします。世俗のレベルからより高く上昇するためには、人は自らの地の要素を少なくし、その代わりに水・火・風・空の4要素を増さねばなりません。増大させねばならぬ火の要素は、英知の火です。それと同様に人は自らのうちのアパーナヴァーユを減らしサマーナヴァーユを増やさねばなりません。それが人の命の本性と機能をつちかうことです。
プラグニャーナの存在によって、生命力は体を動かすことができるのです。体は不活性なものの象徴です。生命力は体内で振動として働きます。この振動がプラグニャーナから力を運び、それは放射となって放出されます。
このようにして、体と生命力とプラグニャーナはすべての人間に内在しているのです。全宇宙はミニチュアとなって人間に内在しています。この三つの構成物質のおかげで、私たちには宇宙を見ること、他のさまざまなことを体験することが可能なのです。私たちにはあらゆる力が内在しています。外界は内にあるものの反映です。
これは要するに、真のマーナヴァートワム(人間性)はダイヴァットワム(神性)そのものであるということです。それゆえヴェーダは、「神は人間の姿をとって現れる」と宣言したのです。人は誰もが本来、神なのですが、体への執着のせいで、人は自分をただの人間だと思っているのです。
人体はいかにして生命力によって動かされているのでしょう? 生命力はどこから生じるのでしょう? 生命力はアートマ シャクティ(真我の力)から生じます。真我の力を使うことで、生命力はあらゆる活動を行うことができるのです。23/8/95

 *性欲と食欲
性欲と食欲という二つの欲望が、すべての人にとって克服すべきものであって、それらが残っている限り苦しみは消えることはないのです。Premavahini p, 72
神はマーヤのために人を形作りました。二つのマーヤの門があります。一つは性的欲望で、もう一つは舌の欲望です。これらの二つの欲望をすべての人は克服しなければなりません。さもないと、それらを持っている限り苦しみがその後から続いてやって来るからです。すべての世俗的な欲望は、この二つから派生しているのです。それ故この二つの欲望を克服した者だけが、この物質世界を成功裏に渡りきることが出来るのです。これらの欲望は、罪を作る元凶でもあります。そして罪はマーヤの根をもっと張っていくことになるのです。Prema vahinip, 96
あなたはどのような種類の食べ物を摂るか気をつけなければなりません。食欲と性欲は人を地獄に陥れます。舌の持っている貪欲さを満足させてはいけません。舌の味覚を満足さすという欲望に屈してはいけません。浄性な食べ物を摂り、浄性な仲間と集いなさい。中庸な食べ物を摂り、感覚器官を厳しくコントロールしなさい。SSvol4p, 242

 *世界
太古、世界は暗黒に包まれていました。数百万年の間、世界は重い雲に覆われていました。次に雨が降り始め、何千年もの間降り続きました。その後、大洋、山々、川、森が地上に形成されました。雲は徐々に消散し、世界を包む暗黒は追い払われました。次に太陽と星が地上から見えるようになりました。人間は宇宙で起きる現象から多くのことを学ばなければなりません。8/3/97
この世界は、心によって創り出されたイメージです。SSSVol1chp9
世界は、人が掛けている眼鏡の色に染まって見えます。あなたのヴィジョン(視覚)に欠陥がないよう確実にしなければなりません。しかし、他人の物の見方に苦しめられる必要はありません。この世界は十人十色です。ND
世界を変えようと努力する代わりに、人間は自分のものの見方を変える努力をすべきです。私たちは、物の見方を変えたとき、初めて真実を見ることができます。世界は何も悪くありません。神が創った世界は完全であり、誰もそれを別なものと取り替えることはできません。神は、何かを意志するだけで、この世界にどんなことでも引き起こすことができます。23/11/05
今、世界の抱える諸問題はより奇怪な姿をとり、より大規模になってきました。それはもはや個人的な問題でも無く、限られた地域の問題でもありません。規模は世界的であり、すべての人類に影響を及ぼします。人間は且つてないほど悪くなりました。彼らは、現在まで培って来た知性と技術を、残虐な行為につかっています。人は他の人に苦痛を与えるのを喜んでいます。
歴史の示すところによれば、過去5500年間の間に15000回の戦争が起こりました。この戦慄すべき災いが終わりを迎えるきざしは、全く見当たりません。目前に迫る核戦争の脅威は人類全体を滅亡さすだけの威力を持っています。これら一切の脅威と不安の原因は何でしょうか。それは、人の内にある獣性がはびこり、克服できていないことが原因です。この獣性の克服に成功してはじめて、インドの国は平安と歓喜を得ることが出来るのです。VVc10
ダルマはまさに世界の具現です。この世界自体が神の身体であるがゆえに、世界とは、道徳的秩序の別名に過ぎません。それを否定出来る人は、今も未来も一人もいないのです。DVJp27

真理から眼をそらすことなく、自分の根源的本質であるブラフマンに対して揺るぎない信仰を持っていたなら、外界をあなたの理想とする幸福な世界に作り変える必要などなくなり、サティヤダルマ真のダルマを達成することが出来ます。DVJp16
 喜びや苦しみは皆さん自身が作り出しているものです。喜びも苦しみも神が授けるものではありません。他の誰でもなく、あなた自身があなたの苦しみの原因です。この真理を知りなさい。霊的な視点から見るなら、苦しみもこの世の関係も幻です。それらは現実に存在するものではありません。人は明けても暮れても迷妄の生活を送っています。人として生まれたからには真理を体験すべきです。肉体は一定の期間成長し、その後、弱って老いぼれます。生まれることも成長することも、体という、現実には存在しないものと結びついています。けれども人は、体を現実に存在するものと思い、そのために苦しむのです。目を開いているときには大勢の人が見えます。けれども、目を閉じているときには一人も見えません。目を開けると見える大勢の人たちはどこから来たのですか?目を閉じたとき、その人たちはどこに行ってしまったのでしょうか?皆さんはそれを知りません。実際、皆さんは自分たちの源はどこなのか、自分がどこに歩もうとしているのか分かっていません。皆さんが苦しんでいるのはそのためです。自分は体ではなく、この世にあるすべてのものは何も自分のものではない、ということをひとたび悟ったなら、苦しむことはなくなるでしょう。この世のすべては皆さん自身が作り出しているものです。実在するものは何もありません。25/12/03
 世界は驚異と神秘に満ちています。人生と世界全体に働く法は人知の及ぶところではありません。神性の原理は肉眼では見えませんが、神性の原理とは、あなたが行為して、その結果 を経験するよう促すものです。 神の物語は驚くべきもの。それは三界の生きものの生活を清める。神の物語は世俗の束縛というツルを切る鎌のごときもの。困ったときに助けてくれる良き友人のごときもの。森で苦行する賢人と予言者にとっては避難所のごときもの21/7/05
私たちが、より強い愛で神に向けば向く程、この世界は小さく感じられて行き最後にはほとんど認知出来ないくらい小さくなってしまいます。実際のところこの世界はハート以外何も無いのです。CWSSBp99
微妙な心の世界は物質的世界の微妙な姿で、因果の世界は、それより更に微妙な姿であるとクリシュナは教えています。それぞれ互いに深く繋がっているこの三つの世界~目覚めている意識、夢を見ているときの意識、深い眠り時の意識~の中では因果の世界が最も微妙です。
因果の世界は、あらゆるものに満ちています。ところが、そのすべてを超えるもの、それが無限の神、究極の神の摂理です。神の摂理は、どんな微妙なものよりも微妙で、どんな小さなものよりも小さくどんな大きなものよりも大きいのです。神にはどんな力の強いものより強い力があります。神より大いなるものはありません。神を求めなさい。心の中に神が宿るようになれば必ず救われます。そしてあなたに気づいてもらいたいのはどんなに強いものより強いものとは皆さんの真の自己、アートマだということです。これこそが神の真理でありアートマの真理です。SGc9
実際、物質世界は、魔法使いの杖の一振りによって生じる、マンゴーの木のようなもので、心という魔術師によって創り出されたものです。粘土はこねられて皿や鍋の形になりますが、ある期間がすぎると再び元の形のない土に戻ります。この世の一切のものは、無相のサットチットアーナンダです。心が迷妄と無知によって曇っているために、無相がしばらくの間、相をもって顕現したのです。あるものは役に立ち、あるものは役に立ちません。JV
皆さんの生きている世界は、つかの間のはかないものです。どうすれば移ろいゆく世界に生きている小さくはかない生き物が、永遠の果てしない存在を悟ることが出来るでしょうか。永遠の存在を悟るためには、永遠の存在の内にある永遠の場にとどまらなくてはなりません。肉体も個性も人格もはかないものです。
~人の身体が物質的な世界全体では芥子粒に過ぎないのと同じように、この大きな物質的な世界全体も、心の世界の中では、それ自体が芥子粒のようなものです。更にこの信じがたいほど巨大な心の世界も、因果の世界では、やはり芥子粒のように小さいのです。
物質的な世界は、五つの物質の元素から出来ていて、五種類の知覚によって捕らえることが出来ます。ただ物質世界のすべてはたった五つの元素から出来ている以上、この世界はどうしても生命力の乏しい、動きの鈍いものであるほかありません。ところが、神の摂理は、まさにその物質的な世界の中にあるのです。神の摂理は、心の世界にも見られます。
心の世界もまた同じ五つの元素、ただしその繊細で微妙な姿から出来ている為に、やはり生命力の乏しい動きの鈍いものです。ただし神の摂理が「内なる存在」として物質としての身体に宿り、命の力を与えています。神の摂理の輝きは因果の世界から放たれています。因果の宇宙はこの限りない宇宙の中で、最も微妙な宇宙です。これを理解していただくために、鏡の反射を考えてみましょう。
鏡に映っている像は、像だけで存在しているのではありません。元のものが動いて、はじめて鏡に映っている像も動きます。この世で見られるものの輝きは、すべて因果の世界で生まれて、それからまるで鏡のように、心の世界と物質的な世界に映し出されます。太陽の光が月に映し出されるのと同じように、因果の世界における輝きは、微妙な心の状態に映し出され、それから物質的な状態に映し出されるのです。SGc22
私たちの欲望が存在する限り世界が存在します。世界とは内的な感覚の世界のことです。私たちは感覚を通じて世界を自覚します。これらの感覚は外にあるものと見なされます。感覚が作り出す妄想によって、肉体が存在するかのように見えるだけなのです。
~私たちがそこにいて世の中を見る時のみ、世界は存在します。我々が盲目であったり、気を失っていたりすれば私たちにとっては世界は存在しません。私たちにとっては、世界は見えるとおりのものです。世界は私たちが抱く観点のままの姿を取るのです。例えば、私たちがすべては神だ、と思えば見えるものすべてが神となるのです。CWSSBJp111
物質的な世界では、すべてのものは儚いのです。形あるものはみないつも変わっていきます。そんなは儚いもので、神の姿を捕らえるなど出来るはずはありません。神の移ろうことの無い清らかな姿を捕らえようと思うなら、清らかな心の内に捕らえるほか無いのです。~五つの元素はいつも変化しています。永遠の境地に達するためには、五つの元素をその変わりゆく姿を超えなければなりません。SGc22
人類の再建は、実に、世界の再建です。人間がより良くなって、初めて社会は幸福になり得るのです。政治的、経済的、社会的領域といった外的な進歩だけでは十分ではありません。人の心が改心させられなければなりません。これは食べ物を通してだけでは達成できません。人類の問題は衣食住を確保することで解決できると論じる唯物論者たちは、原子爆弾が爆発したときに自らの運命に直面することとなりました。人間は、物質と知性と霊性の進歩という三つの道筋のすべてを熱意をもって追求するときにのみ、完全性へと到ることができます。19/11/80

*世界を守る
あなたがサティアとダルマを守るなら、その見返りに神があなたを守ってくれます。神を礼拝し、神の恩寵を手に入れようとする代わりに、もし、あなたが真実と正義を守るなら、神はあなたの国だけではなく、世界全体をも守ってくれます。真実はあなたの命の息吹そのものです。正義はあなたの鎧です。ですから、真実を守り、正義を育みなさい。それで十分です。真実と正義は切り離すことはできません。片方なくして、もう一方が存在することはできないのです。6/9/04
「今、世界のどこにサティアとダルマはあるのですか? それは誰を守っているのですか?」と、皆さんは反論するかも知れません。これはまったく間違った議論です。もし、あなたがサティアとダルマを守るのなら、その見返りにサティアとダルマが前に立ち、あなたを守ります。真実と正義は神の具現そのものです。不幸にも今日、「サティアム ヴァダ」(真実を話すこと)と「ダルマム チャラ」(正義を実践すること)の代わりに、人々は「サティアム ヴァダー」(真実を殺すこと)と「ダルマム チェラ」(正義を封じ込めること)という歪んだ形に沿っています。これはまったくの曲解です。皆さんはサティアとダルマに基づいた人生を送り、その2つを自分の命よりも重要なものであると考えるべきです。6/9/04

 *世界の基盤
心はすべての基盤です。ですから、心は世界の基盤だと言われているのです。この世界は五大元素から成り立っていますが、それらは心から生まれたのです。87p68

 *世界の指導者
神のなさることは予測できません。あなた方は、自分自身の感情の反映である困難を神のせいにしてはいけません。それには自己探求が肝要です。真剣に神への道を歩みなさい。あなた方は世界の指導者になるでしょう。私はあなたがたの未来に関して高い期待を持っています。両親を敬い、社会に奉仕し、国を守りなさい。私が私の時間の4分の3を学生の為に費やしているのはそのような学生を生み出すためなのです。スワミの命令を実践しなさい。良い名声を得なさい。18/1/96
バガヴァッドギーター」が述べているように、悟りを得た魂たちは、世界が救われるようにと行動します。そのように、悟りを得たいと切望する者たちも、立ち上がらなくてはなりません。そうすれば、進歩することができるでしょう。21/11/69
偏見や激情、肉欲や貪欲、怒りや嫉妬心の無い清い心の持ち主によってのみ、世界の繁栄と平和を成就することが出来るのです。真善美p148

 *世界は一つ
まもなく全ての国が一つになるでしょう。そうです。全世界は一つになるのです。カーストや宗教や国籍という狭い考えは消え失せ、全ての人が一つになって神聖さを体験するでしょう。全ての人が愛の思いを深めお互いを兄弟姉妹と考えるようになるでしょう。21/10/07

 *世間
世の中のことを考えすぎないようにしなさい。対人関係や、世間との関係を考えて時間を浪費してはいけません。それらは全て、束の間の関係なのです。それらは身体と結びついています。6/1985
ただ一回限り、今世のみを生きなさい。あまりにこの世の魅力にとらわれてしまって喜びと悲しみから成るこの世に繰り返し生まれ変わるべきではありません。すこし身を引いて、世間に巻き込まれることなく、この世はすべて神をディレクターとする劇であると気づきなさい。でないと、あなたはあまりにもこの世間に巻き込まれ、逃れることが出来なくなってしまうでしょう。この世を犠牲、奉仕、あなたのハートを広げ、心をきれいにする修行の場とみなしなさい。実はそれこそがこの世の持つ価値なのです。2-62 SIP

 *背筋
科学的見地によると、背筋を曲げると血が頭までスムーズに回らない。血流は乱れて心も落ち着きがなくなります。それゆえ、背筋をまっすぐにして座らなければならない。そうすれば血流はスムーズになるし心も落ち着きを取り戻す。瞑想の時に両手もまっすぐにして腿の上に置くのは同じ理由からなのです。パドマサナのポーズでは足も、太ももの上に置かねばならないのです。P, 157 ANDI
背筋を伸ばして坐ることは大事です。九番目と十二番目の椎骨の間に生命エネルギーが宿っています。脊椎のこの部分が損傷すると、身体が麻痺します。もし身体が、一本の柱にくくり付けられているかのように真っすぐであれば、生命エネルギーはその真っ直ぐな身体を昇って、心に強い集中力を与えることができます。完全にまっすぐな身体は、神の力があなたの身体という神殿に入るための避雷針の伝導体のような役割を果たすのです。そして、神の力はあなたが神へ到着するためのエネルギーを与えるのです。CWSSBJp257
背中をいつも曲げているものは、英知、記憶力、エネルギーが欠乏するようになるでしょう。逆に背筋をまっすぐにして座っていれば、クンダリーニの力が昇ってきて、英知、記憶力、エネルギーがわいてくるでしょう。SSALp133
座っているとき、背筋をまっすぐに伸ばして下さい。お年寄りのように腰を曲げていてはいけません。身体を動かさずにまっすぐに座るのです。頭をまっすぐに伸ばして傾かないようにします。どちらか一方に片寄らないようにします。瞑想するために、まっすぐな姿勢で座るのはとても大事なことです。長いくぎを頭から垂直に打ち下ろしたとすれば、釘は、背骨の一番下辺りにある微妙なエネルギーの集中している部分に、まっすぐに降りていきます。そんなふうに、背骨全体を一本の線のようにするのです。そうすると根源的なエネルギーが背骨の下の中心部から、頭の上にある中心部まで滞りなく伝わっていくことが出来ます。SGc30

 *世俗的な恩恵
その人の人生や、エネルギーを霊的なことにのみ使っている人は、自動的に世俗的恩恵も授かるのです。SS5/94p126

 *世俗的成功
若い時に世俗的成功を望むのは、悪いことではない。P343サイババは世界の危機を救う。

 *接触
他人と接触すればその人の属性の影響を受けます。それゆえ次のように言われています。良い人と交わって無執着と独居を培いなさい。独居によって心を安定させなさい。心の安定によって一切の迷いから自由になりなさい。迷いからの脱却こそ解脱です。15/3/92
他の人の罪が、その人と接触することによって乗り移ってきます。それがあるヨギたちの足に触れてはいけない理由です。信仰心が大きく、強くなることによってすべての罪は燃え尽くされます。その時が来るまで、神への道を歩み始めたばかりの人には、良いものは良い、悪いものは悪いと教え導いた方が良いのです。やがて信仰心が強く育ち始めれば、悪も善に見えてきて、結局すべてが善に見えるのです。その時まで、肉体の接触だけではなく、精神的な接触も危険なのです。悪は人から人へと乗り移っていくのです。CWSSBp69

 *絶食
あなたが、旅の道中で食べ物にありつけず絶食したとしてもそれを「断食の行」と呼べません。また。それを為すことによって何か霊的効果でもあるのでしょうか。また病人も絶食しなければならないときがありますが、それもまた、「断食の行」と呼び、何かが得られる行為なのでしょうか。ウパヴァーサとは断食の意味ですが、ウパは、「近く」ヴァーサは「生きること」の意味で、その言葉通り神を自分の内に感じることが断食の真の意味であり、ただ単に食を絶つという意味ではないのです。
言い換えれば、断食とは神のそばに、近くに住むと言うことを意味しているのです。これは、人は内面に向かい、神を感じ絶えず神を思うべきであることを意味しています。これが本当の意味での断食です。人々が行う徹夜の勤行も、人がそうすることによって世俗的な幸福、感覚的な悦び、肉体的な快適さから離れているべきであるということを、示しているのです。世俗的な事がらには心を留めずに、内なる核であるアートマを呼び覚まし、寝ずに番をしているべきです。ところが人々は徹夜の勤行をしながら何をしているのでしょうか。STPS2p20
霊的修行者は定期的に適度な量の食事、睡眠を摂り、運動も心がけてするべきです。絶食は、英知の力を弱めさせ、善悪の判断の力を弱めさせます。SSSvol4p24
機械でさえ永久に動かせることは出来ず、定期的に止めて点検をします。ましてや、より繊細に創られている人の身体には、必ず休息が必要なのです。そのために、一週間に一日は絶食をしなさい。それは身体にも国家にも良いことなのです。すべての身体の中にある不純物を洗い流す為に、水だけ飲みなさい。SIPp214
真のバクタ(神を愛する者、信仰者、帰依者)は、自分たちの行う奉仕によって得られる一切の利益について考えない。もしあなたがあなたの妻と口論をして一日何も食べなかったとしても、神の記録書に、それが断食とは数えられることはない。また、一つの神を偉大であると褒め称えて、別の神を非難することも正しくない。こうした行為は、あなたが霊的修練(サーダナ)の初歩的なルールを知らないことを表している。19/8/64

 *潜在能力
神への信仰と善良な決意が結びつくことは、電流の陽極と陰極が交わるようなものです。その結びつきによって、どのような大きなことでも達成できるのです。私達は、人間の無限の潜在能力を自覚していません。人間は身体に関してだけでなく、知性の点でも地上の他のどのような生き物より遥かに優れています。人は、自分がそうしようと意志したことは何でも達成することが出来ます。それどころか全世界の主人になる事だって出来ます。21/7/86

*全在
神はどのような姿ででもやって来ます。すべての姿は神の姿です。スワミは誰か少年を通じて何かを言うかも知れません。スワミはアニール・クマールに何かを言うかも知れません。スワミは誰かを通してメッセージを送るかも知れません。ある人は蛇に咬まれて死ぬかも知れません。ある人は雷に打たれて死ぬかも知れません。またある人はすべってころんで死ぬかも知れません。人々は、「どうして彼はあのようにして死んだのか? なぜ、神は彼を救わなかったのか?」と考えるかも知れません。しかし、蛇と雷は神によって送られたのです。蛇も雷も神のメッセージにほかなりません。14/7/1992

*前進
あなた方は誰もがとても高貴なのです。あなた方は他の人々の理想となるべきです。悲しみに入り込む余地を与えてはなりません。つねに恐れを知らずにいなさい。他の人々の奴隷となる必要はありません。神がいつもあなたと共にいて、あなたを導き、あなたを守っていることを、固く信じていなさい。心の中に神をしっかりと据えて、神の御名を唇に保ち、ジェイ、ジェイ、ジェイ〔神よ!あなたを讃えます。〕と言いながら前進していきなさい。7/10/05

 *前世
人として生まれることは、多くの前世で善行を積まないと得られないことなのです。神々でさえも、人として生まれ変われる機会を待ち望んでいます。人として生まれることは、モークシャへの扉を開くことなのです。RRVp, 482
すでに無数の前世を経てきたあなたには、無数の母、父、妻、夫、息子、娘がいました。しかしそれらの人々とあなたの関係は、今も続いているのでしょうか。以前あなたの身内だった人たちは、あなたのことをまだ覚えているのでしょうか。あなたは、彼らにとってもう特別の人でも何でもありません。彼らは、あなたにとってもう無関係な人たちなのです。しかし、あなたと彼らとは、不変の親族として共通の神を持っています。神はあなたの前世から現世までを照覧しています。そのようなありがたい至高の神を忘れ去るとは何という悲劇でしょう。DVJp63

 *前世からの傾向
人が持っている清らかなハートと無私の行いは、人が繰り返し生きてきた前世の功徳によってもたらされたもので、人間として生まれてきた証といえましょう。愚かさ、高慢、貪欲等の属性は、羊、水牛、猫であった前世から引き続き持ち越してきた性質です。憎悪に駆られて人を攻撃し危害を加える性癖のある人は、犬であった前世の傾向をあらわします。心の安定が無く、一つのものから別のものへと心が飛び回る者は、嘗て猿だったという性質を反映しています。ヤグナを行うのは、そのような悪い属性を除去するためです。19/10/93
不浄の傾向は、低い欲望をかきたてるもの、例えば映画などを見たがったり、魚や肉などを食べたいと思ったり、人格を台無しにするアルコール類を飲みたいと思ったり、怒り、迷い、貪欲、自惚れ、欺瞞、憎悪、嫉妬などの念を生じさせます。
そのような不浄の傾向には、栄光、権力、個人的な栄耀栄華を手に入れようとする世俗に関する前世からの欲望傾向、世に名の聞こえた学者となり、同じ分野の競争相手を負かそうとする学問に関する前世からの傾向、美しい肉体、筋骨たくましく、なめらかな肌を愛し、それらが皺や筋肉の歪みで衰えるのを好まない身体に関する前世からの傾向の三つがあり、それらは、あなたを生々流転の浮世の車輪に縛り付けます。
そして、ハートに侵入して次々に悩みを作り出します。それは、過去の経験を思い起こさせ、快楽を思い出させるので、人はまたそれを味わいたいとの欲望を持ち始めるのです。心は執着という傾向を持つゆえに、物資と外界に引きつけられ物質のことを絶えず考えるようになり、物資の属性に囚われます。すべてそれは、心に前世からの傾向があるからなのです。心に前世からの傾向が無い人は、外界の事物によって影響を受けません。DVJp80~3

*戦争
二つの世界大戦の最中、多くの国が破壊を被ったことを知っていますね。バーラタの国が安全と無事を保っていられたのは、ひとえに徳高い女性たちがいたおかげです。バーラタの偉大さと栄光は、バーラタの女性たちのおかげです。ですから、女性を敬い、女性を幸せにしなさい。11-8-2000

*善と悪
すべての人間が、友愛に満ち、この世の幸福を願う人であることが求められています。しかし今日の人間には、そのような友情と愛の感情が欠如しています。ミツバチが花から蜜を吸うように、人間は、あらゆるものの中に善を見ることができなければなりません。皆さんは、悲しみの井戸からさえも、幸福の水を汲み上げることができなければなりません。それが愛の真の性質です。
楽しみは、苦痛と苦痛の中間点に過ぎません。神の創造物の中には、楽しみと苦痛が共存しています。たとえば、神がどのように人間の身体を作ったかを考えて見ましょう。美しく輝く顔の上には、真っ黒な髪の毛があります。しかし、実際は、黒い髪が顔の美しさを際立たせているのです。同様に、楽しさに価値があるのは、苦痛との関わりがあるときに限られます。あらゆるものの中に善と悪が共存しています。しかし今日、人間は善に引き付けられることがなく、あらゆるものの内に悪のみを見るのです。28/7/99

 *善人
私達は、他人からの批判に臆すること無く我々自身の正しい道や、英知そして決意を守り通さなければなりません。格言にもある通り、果物をつけた樹木だけが、通行人から石を投げられるのです。常に善人は悪人を刺激して中傷を招き、悪人は善人を中傷して物笑いの種とします。これがこの世の常道です。この世にそうしたことは起こらないと思う事にこそ、人は驚くべきです。
単なる善人は、至高の神がおわす神殿に到達する候補者となりうることは確かであるが、しかし帰依の念を持つ善人は、そこに達する権利を持っているのだ。SDMp115
良い思いを持つようにしましょう。全ての人を兄弟姉妹とみなしましょう。もし誰かが苦しんでいるなら、行って助けてその人に奉仕しましょう。わたしたちは自尊心と自信とを持ち続けるべきです。全ての人は自信を培うべきです。そうすれば人生は神のようになります。実際のところ、この世の全ての人は自信を培うことを望んでいます。何故でしょうか?何故わたしたちはこの世に生まれてきたのでしょうか。この世に誕生してから獲得したものは何でしょうか。人生の目的は何でしょうか。
それは、ただ単に食べたり、飲んだり、動き回ることではありません。動物も獣も鳥もまたそのようなことはしています。動物にはある理由があります。しかし、この世において、人間は不摂生をしています。その理由は人間の悪い性質によるものです。わたしたちは感覚を誤用しています。感覚は聖なるものですが、わたしたちは悪い性質のためにその真の実体から離れてしまっています。わたしたちがひとたびその感覚を善用するならば善人になるでしょう。15/7/01
人は欲望や執着や考えによって悪魔になってしまいます。人はある種の欲望だけを持つべきです。それは、神への愛です。罪への恐れです。この二つによって、あなたは善人になります。ラーマは真実のために自分の身を捧げました。真実を話し、ダルマに従いなさい。そうすれば善でいられます。何千年もの時が過ぎましたが、 ラーマは今日、いまだに尊敬を受けています。ラーマは人間の中にある神性を示し ました。神が人間の姿をとってやって来たのです。これが善です。16/7/97

*善良
 人は偉大な人ではなく善良な人となるべく努力をすべきです。今日至る所が汚染されています。わたしたちの考えも汚染されています。水も周囲の環境も空気も汚染されています。全てが汚染されています。心もまた汚染されています。どうしたらこの汚染された世界において善良でいられるでしょうか。
偉大な人でなく善い人になりなさい。偉大な人の状態は過ぎ行く雲のようなものです。人々は多くのお金を稼いで偉大な人になろうとしますが、最終的にはその人には何も残らず、偉大さも残りません。最後まで残るのは善良さだけです。従って、わたしたちが求めるべきものは善なる評価です。だれもが自分は善良なる人であるというべきです。バーラットの全ての人は善良なる人です。事実、全宇宙は善良な人々で満ちています。実際、あなたは善い評価を得て、善良な人間になるべきです。あなたが善いことをしていれば、悪評をうけることはありません。15/7/01
善であることと、偉大であることの違いは何でしょう? これらには大きな違いがあります。親は皆、世俗的な観点から、子どもに偉大になっ て欲しいと願います。親たちはわかっていないのです。親たちは、教育や高い地位 が、偉大であることの象徴であると考えています。善であろうとするのであれば、それは本当に良いことです。誰もそれを知ろうとはしません。人の中に神を見る人 は善人と考えてよいのです。善がなければ、偉大であることが何の役に立つという のでしょう? ですから、あなた方はまず最初に、善である必要があります。偉大 であることなど、どうでも良いのです。今日たくさんの偉大な人々がいます。しか し、この国のために何かの役に立っているのでしょうか?16/7/97

*像
重要なのは、永続的な効果を得られる可能性の高いヴィナーヤカへの礼拝の内的意味を知ることです。命の通っていない像への礼拝の意義は、その像の容姿に現されている微かな霊的存在への黙想へと導くことなのです。アートマ(真我)の悟りはこのようなプロセスによって生じます。7/10/97

*憎悪
今、皆さんがどこに行っても、人々が争い合っているのを目にします。一体性も清らかさも、どこにもありません。そこにあるのは憎悪です。誰に出くわしても、相手を怒りの目で見ます。どんな人にでも話をすると、その人は言ったことに対して反発することを言ってきます。それゆえ、怒り、嫉妬心、偽善といった悪い性質を追い払うようにしなさい。決してだれをも傷つけないようにしなさい。誰かに痛みを負わせないようにしなさい。つねに助け、決して傷つけてはなりません。何でも一体性を通じて達成することができます。ですから、いつも一体性という気高い道に留まっていなさい。憎悪はいつ生じるのでしょう? それはその人の心が利己心に覆われたときです。22/8/07

 *創造の秘密
私は天地創造の秘密をこの地上や天国にしまっているのではなく、この二つの境目のところにしまっているのです。あなた方は、それを瞑想などによって目覚めの状態と睡眠状態の間のかすかな隙間から一時的に見ることが出来ます。神はその創造の二元性を人の身体の中にしまっておきました。あなたはその二元性のうちのひとつでも見ることが出来ますか?P, 344 ANDI
全創造物が人の身体の内に宿しています。これは創造の神秘です。人の身体は、驚くべき創造物です。身体のすべての器官はそれぞれの役割を持っています。神のみが、そのような素晴らしい器官を創造することが出来るのです。アートマンはその身体の主人です。主人に決して逆らってはなりません。このような素晴らしい身体を授けてくださった神様に、感謝しなければなりません。SS5/95p127
不活性物質と純粋意識は全宇宙の二つの本質的要素であり、それは至高神と自然の関係に当たる。純粋意識の力が歓楽の思いを抱けば、この世界を現出する。そして、不活性物質は肉体となる。この両者とも私である。この事により、創造、維持、破壊をもたらすイーシュワラは私なのだということを覚えておくのだ。私以外の物質は存在しない。
私以外は、実体が無いのである。私は第一原因であり、根本物質である。私は唯一者である。その私が多となろう、といって私自身がスリシュティと呼ばれる多様性の形で自らを拡大することを決意したのである。その決断が、マーヤーシャクティに影響を及ぼして活性化させ、宇宙の原理が生まれた。それが自然界の進化の第一歩であった。物質的な目で見れば宇宙には多くのものが存在しているように見えるがそれは間違っている。
沢山の物が存在しているのでは無く、内的意識は常に唯一者に向けられている。それこそが真の視力である。内的視力が英知に満ちている時、世界すなわち宇宙はブラフマン(神)として映り、それ以外のものには見えない。GithaVahini c11
原初の創造の前に存在のみが存在していました。全くの虚無ではありませんでした。その存在はすべてに充満していました。存在は、マーヤーに映しだされて至高の神となりました。火、地、風の三元素よりなる宇宙として顕現するために、至高の神は原初の行為を執り行いました。UVc9
その昔、宇宙には何も存在していませんでした。最初は、太陽も月も地球も空も存在していませんでした。あるのは完全な暗闇のみでした。原子が組み合わさって、非常に密度の高い硬い物質が生まれました。その結果 、大量の熱が発生しました。そして突然、その硬い物質が「巨大な音(ビッグ・バン)」とともに大爆発を起こし、破片が辺り一面 に飛び散りました。これが宇宙創造の原因です。カーナーダはこのことも体験しました。ビッグバンが起きたときに発生した音が「プラナヴァ」です。それはオームという音(オームカーラ)であり、「原初の音」です。このプラナヴァの音は、あらゆるところに浸透しています。それは、最も小さな原子(パラマアヌ)から生まれました。この宇宙には、原子以外のものは存在していません。「人はどうすれば、このことを理解し、また実際にそれを知ることができるだろうか?」と考えて、カーナーダは答えを求め続けました。最終的に彼は、プラナヴァの原理に気づきました。人は解脱を得るためには、この原初の音を瞑想しなければなりません。
「まことに、原初の音であるプラナヴァは、最も小さな物より小さく最も大きな物より大きい神そのものである。それは万物に浸透しており、永遠の照覧者として存在している。」(テルグ語の詩)
 カーナーダは、この真理を広めました。太陽や月や地球や空等々は、このプラナヴァから生まれたのです。原子は宇宙全体の根本的な基盤です。すべての人は、原子の組合せにほかなりません。原子が無ければ、いかなる物質も存在しません。しかし、今の人間は原子の神秘を理解することができません。現代人は、太古の聖賢たちの教えを単なる物語とみなして、それを馬鹿にしています。彼らは、太古のバラティヤ文化(インド文化)の神聖さを理解する能力を持ち合わせていません。現代人は、自分に内在する真実を理解することができないのです。また、太古の聖賢や尊い魂たちに対する尊敬の印として、彼らの像を安置しますが、その教えを理解することも実践することもできないでいます。人は、外側にではなく、自分の心の中の祭壇に彼らの神聖な姿を祀り、その教えに従わなければなりません。
 カーナーダはいつの時代の人だったのでしょうか? 二万年前には、人は皆カーナーダを讃え、その教えを尊んでいました。カーナーダは、水素と酸素の原理を知っていました。科学者たちは、水素は水の原理を表し、酸素は火の原理を表すということに気がつきました。今日人々は、科学者の行った観察を大変価値のあるものと考えていますが、聖賢たちが経験から引き出して人々に教えた偉大な真理を理解することも、その素晴らしさを評価することもできません。
 人は、どうすれば原子の力を理解することができるでしょうか。原子は、肉眼には見えませんが至る所に存在しています。私たちが飲む水、食べる食物、語る言葉、聞く音、すべての物に原子が浸透しています。人間は、原子の上を歩き、原子を食べ、原子を飲んでいるにも関わらず、原子の神秘を理解することができません。人は、科学者だけが原子の性質を探ることができると考えています。原子のプロセスは、非常に神聖です。このことを正しく調べることによって、人は神を理解することができます。これがカーナーダの教えでした。しかし、今日誰も原子のプロセスを体験するための正しい探求を行っていません。人々は物質的な見解にしたがって生活しています。 
肉体はその中にソーハム(呼吸)がある限り尊重されます。「ソーハム」はプラナヴァの音に他なりません。それは原子に含まれているエネルギーです。このエネルギーは神を起源としています。誰もそれを創ることは出来ません。この真理はカーナーダによって広められました。原子の力を理解することは非常に困難です。
神は原子の形をしています。全世界は原子が顕現したものであり、空間と音は原子の表現です。ですから原子の原理を無視してはなりません。原子には偉大な力が備わっています。科学者たちは、昔からこの原理に関する実験を続けて来ました。原子が最初の状態に戻るには2200億年という時間が掛かります。原子の背後にある神秘を人間が解明できないのはむしろ不思議なことです。地球は地軸を中心として自転しており、太陽の周りを公転しています。これらの現象は誰が引き起こしているのでしょう? 誰もこれを説明することができません。
地球が地軸を中心に自転しているために昼と夜があります。また、地球が太陽の周囲を公転しているために、四季があり、我々の肉体を維持するのに必要な食物が得られるのです。このような全てのことを引き起こしているのは神の意志です。それは世界に恩恵を与えるための神の全体計画です。今に到るまで、誰も原子の力を完全に理解した人はいません。
人々は原子には生命がないと考えています。それは誤った考えです。全宇宙をつなぎ止めている生命力が、原子の中にも存在しています。だからこそ「神は大宇宙の中にも小宇宙の中にも存在している」と言われるのです。人間は宇宙の神秘を理解する努力をしなければなりません。人は自分の責任を知り、それに従って行動しなければなりません。
人間は、原子の原理を理解する必要があります。もしそれを理解できれば、それ以外のすべてを理解したことになります。なぜなら原子は神だからです。原子の中に存在する生命原理は、全宇宙に存在しています。カーナーダは、原子の原理を正しく理解すれば、神を理解できるようになると言いました。あなたが、拳を握れば多くの原子を掴まえることになります。手を開くと、それらの原子は様々な方向へと動いていきます。原子から生まれるプラナヴァの音は、その粒子と同じく大変小さなものです。24/7/02

 *想念
想念はとてもパワーがあり、我々が見聞きしたり、話したりしたことの事実を、歪めて伝えることも出来る。SSIB93p38
良い想念のみを持つことが出来る人の生活は清らかです。それゆえ人にとって大切なことは、良い想念を育て生活と行動とが良い想念によって導かれるように注意を払うことです。良い想念を育てるために何よりも必要なことは、よき人々との交わりです。官能の欲望を追い、世俗の快楽を追いかけて日を送るうちに人は道徳と善を見失いました。自分自身の所有する神聖さを見失ってしまったのです。
貪欲によって人々は互いに争います。悪い想念と過度な欲望の結果、今日の危機がかもし出されたのです。人々の想念と態度を正すことによりこの状況を変えなければならず、その為に私たちは一致協力して努力せねばなりません。何よりも大切なのは、人々が正しい行いをするための強い意思の力を養うことです。ひとたび意志力が確立すれば、その他の識別力、知性、強い記憶力、思想を明瞭に発信する力、分析力、熟慮、創造活動などは、自ずと発展します。強い意思が無ければ何事も成就しません。喫煙などの有害な習慣を改めるには、意思の力が必要です。意思によって一切の欲望は、コントロールできます。21/7/86
この世で私達が喜んだり悩んだりすることは、私達の想念の結果です。世の中の善も悪も人の行為の結果です。さてそれらの行為を促したものは何でしょう?それは想念です。ですから、良いことを思うときのみ、その人の人生は良いのです。想念はきわめて強い力を持ちます。想念はその人の死後も存続続けます。それゆえ心に悪い想念を抱かぬことが大切です。24/5/90
人の想念はかれの運命を決定します。したがって良い思いをつちかい、悪い感情を全て捨てなくてはなりません。28/8/94
悪い想念は、国家の歩む道を誤らさせ、やがて国家に災害をもたらすことでしょう。それ故、想念の力を軽くみて、侮ってはなりません。小さな種が大きな木になるように、悪い想念もやがて巨大なものとなっていくのです。SSIB93p38
想念と欲望は同じではありません。欲望ではない想念もたくさんあります。想念が対象物に深く入りすぎると、欲望が生じます。つまり、欲望の前に想念があるのです。CWSSBJp96
想念は心から生ずるのです。その為、直感が不二一元的であるのに対して、想念は二元的です。想念はあなたの都合によって湧き起こる場合が良くあります。一方、直感は、心と知性の両方を超越しています。直感は真理の直接認識です。ですから、直感は真理に基づく確信を意味します。つまり言葉を換えれば直感とは、人知の及ばない英知の発現ということが出来るでしょう。想念は、正しいことも間違っていることもあるでしょうが、直感の促しは真理以外の何ものでもありません。想念はほとんどの場合、感覚的で世俗的な性質を持っています。一方、直感は内なる声、つまり良心のささやきであり、神聖なるものです。理性により時折あなたは、人を疑ったり、怒ったりすることもあるかもしれませんが、良心つまり直感は、あなたの内なる純粋意識を呼び起こすのです。STPSp280
想念の波動は、人々の喜びと悲しみ、健康と病、幸福と苦悩、生と死の原因です。人の人生は、想念の波動の力を完全に理解することにより意味あるものとなります。全世界が精神的な波動により覆われています。実際のところ、すべての世界は波動によって創られたのです。それ故私たちの想念も、高貴な道へと向かわせなければならないのです。人々の心は高貴な思いや好ましい感情で満たされるならば純粋で煌びやかに輝くでしょう。この様に、純粋な心を培うことによってのみ、純粋な行動をとることが出来るのです。そして純粋な行動をとってのみ、純粋な結果を得ることができるのです。SSIB1993p,3
人は他の人を傷つけようと、沢山の悪い思いを心に抱きます。しかしこれらの、他の人を傷つける想念は10倍にもなってその人に返っていくのです。この真理を人々は気づいていません。~逆に我々の想念でもって他の人々の病を癒やすことも出来るのです。8/93p,211~3

*束縛
アートマを見通すには、心の純粋さが最も必要です。では何が心の不純さを生じさせるのでしょうか。それは感覚を通じてのこの世のものへの執着です。感官がものや快楽のあとを追い求めるのを許してはなりません。それら一時的なものである物は、様々な方法で人を魅了します。人は誘惑の餌食になっているせいで、至福に逃げられるのです。物は確かに魅力的ですが、皆さんを縛りつけて罠に陥れます。束縛の深刻さは、最初のうちははっきり分かりません。24/5/95

 *外面と中身
神は外面と中身が同じ人を捜しています。私たちは,そのような人にならなくてはなりません。17/2/96

 *大気汚染
近代テクノロジーの進歩にともない大気は二酸化炭素ガスで汚染され、人類は脅威にさらされています。このガスは既に地球の上空にあって、太陽から来る有害な放射物から人類を守ってきたオゾン層の輪に穴をあけました。オゾン層が破壊されれば太陽の光線は破壊をもたらすでしょう。
全ての国家がこの脅威を心配しています。この危険を避けるために為すべきことは、自動車や工場の排出物が原因である大気汚染を減少することです。産業の無制限の発展を阻止しなさい。
発展は、世界共通の利益の為であり、全ての人の安寧を促進するものでなくてはなりません。ナバラトリの祝日は自然を尊び、人類の最善の利益の為に如何に資源を用いればよいのかを検討する機会です。水・空気・電力・鉱物を正しく用い、かりそめにも誤用や浪費は許されません。いかなる資源であれ、効率的に使用する事が大切です。大気汚染は多くの悪い結果を引き起こします。ナガラサンキルタンやバジャンの内なる意義は大気を神聖な波動と清らかな思いで満たすことにあります。11//92
大気は汚染されています。地・水・火・風・空のうちにある音の響きすら汚染されています。それらは如何に浄化されれば良いでしょう?各人は至高の神の御名を唱えることによって環境を清めなければいけません。人の発する響きは全て大気中のエーテル波に入って永遠に記録されます。今日の世界の音の響きが汚染されているとすればそれは人びとの発する不浄な言葉が原因です。至高の神の御名を唱えることにより大気中の音の響きは清められます。そして、それらの響きは大きな変容をもたらすでしょう。原爆は世界を破壊しうるといわれています。神聖な響きは世界の為に偉大なことを成就します。それは、新しい世界を創造します。15/8/93
大気を辛らつな言葉、スキャンダル、侮辱、中傷などの言葉で満たしてはいけません。もしそのような言葉が口をついて出そうになれば、口を閉じて静寂を保ちなさい。そうすれば、そのこと自体があなた自身と他の人への奉仕となります。SSN84p21

 *大気中の力
人々は大気中にある力を低く評価するべきではないのです。例えば、様々の放送局の発するラジオ波で満ちています。しかしラジオ波はそれぞれの局の波長を維持し,他の局の波長と衝突することはありません。この電波エネルギーは神です。それは創造の秘密の一つです。身体はラジオ受信機に例えられます。集中によって正しい波長に合わせなければ,正しい放送局を受信できないでしょう。何事をなすにも集中が必要です。18/1/96
心を善い思いで満たし、善い活動に携わりなさい。神の御名を唱えなさい。大気が神の御名の波動で満たされたなら、すべての環境が浄化されます。この浄化された空気を吸う人々は、清らかな思いを抱くでしょう。非暴力 P.41
宇宙に機能する力は何であれ人間の内に存在しています。あなたは世界のエネルギーの波を発見します。あなたは世界を照らす光線をも発見します。ラジオの波長も大気中に満ちています。目に見えないⅩ線の波長もまた存在しています。それぞれに異なる名前がついていますが、全ての放射は同一のエネルギーの異なる顕現です。太古の聖者はこれら様々の放射線を探検し、そこから得る至福を経験しました。彼らはそれらの力に関する知識を基に多くのことを成し遂げました。17/11/95

 *胎教
太古には、身ごもった婦人はプラフラダ、サティアヴァンらの聖者の物語を聞くのがつねでした。子供は、母の胎内にいる時からそのような物語に影響されて育ちました。ロシアやその他の諸国の経験は、人の摂取する食物が心の状態に影響することを明らかにしました。例えば妊娠中の母親がりんごジュースを好んで飲んでいたなら生まれた子供もりんごジュースを好みます。至高の神の御名を唱えれば、神聖な響きの波動が周囲の大気に吸収され、その結果その場の大気の浄化に役立ちます。3/3/92
  まず第一に、視覚と舌をコントロールしなさい。皆さんは、悪いものを見ることによって、多くの罪を犯しています。そして、必ずその結果 に直面しなければなりません。皆さんが悪いことのために感覚を使えば、皆さんに生まれる子供たちも悪い心を持つようになります。ですから、悪いものを見ず、悪いことを聞かず、悪いことを語らないようにしなさい。
昔の人々は、身ごもっている婦人が悪いものを見たり聞いたりしないように注意を払っていました。彼らは妊婦に、神の神聖な物語を話して聞かせ、良いものを食べさせ、善い知らせだけを伝えるようにしていました。彼らがそうしたのは、母親が善い感情を持っていれば、生まれてくる子供もまた善い心を持つようになることがわかっていたからです。両親が犯した罪は、間違いなく子供たちにも影響を与えます。5/7/01

 *体験
あなたの本当の体験に基づいたことだけを話し、曲解したり、大げさに話したり、ありもしない体験を話してはなりません。Compendium Teaching of SSB p332

 *体現
あなたが信者ならどのようにしてあなたの信仰心を体現させていくのでしょうか?私に言わせれば、神聖な性質、神聖な徳、神聖な愛、神聖な力を体現さすことです。そうすれば、あなたはサイになり、サイそのものとなるのです。SSSvol8p137
神へ近づくことによって、人は神のレベルにまで高められます。しかし多くの人 はそうすることができずに人生を無駄にしています。愛は一人ひとりの内にありま す。しかし、利己的なものへと向けられるために、執着になってしまうのです。あなた方は神の愛を体験しようと切望すべきです。この現代の世界にあって、青年たちは愛の本質を知らねばなりません。17/7/97

 *胎児
母体内の胎児は4ヶ月9日までは、ほんの丸いジェリーの塊にすぎません。次に波動力が胚に入ります。波動力はどこから来たのでしょう?ブラフマンの本性と機能から来ます。それが生命の本性と機能です。その瞬間から胎児は動き始めます。同時にブラフマンの本性と機能も胎児に入ります。胎内における、波動力と胚、この二つの結合がターラカムです。これは、ヴェーダンダの神秘の一つです。このプロセスは人間の形成現象として扱われますが、それは人間ではありません。それはブラフマンの現われなのです。31/7/1996

 *太陽
サンパット教授は、エレクトロニクスを専攻しさらに、太陽エネルギーを用いて動力とする事に興味を持っています。バラタの国民は太陽を崇めます。太陽は、水素とヘリウムよりなる巨大な球です。太陽から地球に来る太陽エネルギーの一部を動力に用いる機会は豊富にあります。私は、わがサンパットがここに留まり彼の知識を用いて太陽エネルギーを利用してもらいたいのです。
太陽は光輝の具現です。太陽の光は何処からどのようにしてくるのでしょう?太陽光線が我々にどのように到来するかを発見した学者は一人もいません。それは神の力から来るのです。神は光輝にあふれています。神は幾十億の太陽を併せたほどの光輝を発します。今日人々は、一個の太陽エネルギーすら利用することが出来ません。そのような人間に、どうして幾十億の太陽の光輝を持つ唯一者の力を押し測る事が出来るでしょうか?
神の光輝に比べれば、太陽はろうそくの光のようなものです。太陽の源が神であることを実感認識し、太陽のエネルギーを動力に用いる為、サイ大学においてはエレクトロニクスと太陽エネルギーの研究を発展させて、特別の努力をしなくてはなりません。教授の持つ全ての知識をサイ大学の学生に与え、それによってプラシャンティニラヤムのサイ大学から新しい発見が生まれて国家に寄与することでしょう。5/93
人間はすべてを超越する力を、自らが直接的に体験して証明することを探求しました。彼らはその証明を太陽に発見しました。太陽がなければ光はありません。太陽がなければ全てのものが存在しません。この世で植物をはじめ一切のものの成長の為には、酸素は無くてはならぬものです。太陽の主要な構成要素は酸素とヘリウムです。そして酸素とヘリウムが無ければ世界は存在できません。それゆえ太古の賢者は太陽こそ目に見える証明であるとの結論をだしました。そして彼らはガヤトリマントラにおいて最高の神として太陽を崇めました。
~例えば太陽の発するエネルギーのうち、私達は3000分の2しか使っていません。まだ使われていない太陽エネルギーの量は膨大です。太陽エネルギーのごく微量を用いて機械を運転するならば人類は巨大な仕事を成就することが出来ます。そして全太陽エネルギーを人類の福祉の為に使うならば、人類の為に計り知れぬことを成就できるはずです。21/5/91
あなたは太陽に向かって、どうか光って下さいとは頼まないでしょう。光ることは太陽の本性です。あなたがしなければならない事は、太陽とあなたの間にある、障壁を取り除くことである。そうすれば太陽の光はあなたに届くのだ。私、私のもの、という無知の障壁をそのままにして、日がささないと不平を言っても、太陽はどうしようもないのだ。SDMp79
太陽と月は世界を維持しています。太陽が無ければ生命は存在出来ません。太陽は私達に、光、季節、雨、食べ物をもたらせてくれます。多くの病気は、太陽の慈悲深い光線によって癒されます。電気でさえ太陽の光で作ることが出来ます。22/5/95
太陽は、鍋にも川にも鏡にも映る。しかし、太陽はそれらのものが太陽自身と感じるだろうか。また鍋が割れた時、川の水が干上がった時、鏡が割れた時、太陽は悲しむだろうか。それと同じで、あなたが、私は肉体であると思う時、悩みが生ずる。あなたが私は肉体でない、と思う時、あなたは一切の事情に関係無く、太陽のように光る。その上、あなたは至る所に内在するようになるでしょう。SDMp89

*戦う
若い青年男女の皆さんは、虚偽や不正義と戦うべきです。あなた方、若者は、この不安な状態に立ち向かうのに相応しい者たちです。ハートを神聖な思いで満たしなさい。両親を敬いなさい。年長者を敬いなさい。神を愛しなさい。あなた方にはこの三者に従うことが不可欠です。現代の世界では、子どもは自分の親を敬わず、親は自分の子どもの面倒を見ません。学生は教師を敬わず、教師は学生の将来につ いて考えません。友人同士、親類同士の間には敵意があります。このような状況に あって、若者は正しい方向を必要とします。17/7/97

 *他人
誰もが自分の過ちを棚に上げて、他人のせいにします。でもそうすべきではないのです。あなたのみが、あなたに降りかかる良いことや悪いことの責任を負っているのです。あなたはそれを他人のせいにしますが、そのことはあなた自身の弱さを露呈しているのです。SS9/95p227
他人がしていることや、その人が信じていることに興味を抱いたり、彼らの考えを改めようとしたり、その歩みを正そうと努めてはなりません。あなた自身の基盤である、真実である、アートマへの信仰を、しっかり確立すれば良いのです。DVJp49

*楽しみ
人はたくさんのお金を持って、「私は楽しんでいる」と言います。「楽しむ」とはどうい意味でしょう? それは便利さと快適さのことですか? いいえ、違います。「楽しむ(enjoy)」の正しい意味を知りなさい。楽しみを終わらせること(end joy)が真に楽しいことです。人は死の際にあってさえ神を想うことができないほどに、お金に執着して一生を過ごしています。お金は墓場までしか付いてきません。携えることができるのは神の御名のみです。あなたの旅に付いてくるのはただ、神の御名のみです。17/7/97

 *頼み事
神様に頼み事をするのは全く正しいことなのです。それは乞うことではありません。神に頼むのはあなたの義務なのです。言葉は声に出して言い、言葉は思いを反映したものであり、想念はそれに合致した言葉として口に出さねばなりません。神はすべてを知っておられるということは本当です。しかし、神は心からの心の思いにもとづいた言葉を話すことを求めています。CWSSBp42~3
あなたに金をくれと頼んできたとします。あなたは、その人が本当に必要としているものを施すべきです。お金はいけません。それによって人はお酒を買って家に帰り、自分と家族を困難に陥れるからです。あなたは、無分別にお金を施すことで人に害を与えていることになるのです。22/5/95
あなたが正しいことを願っているのであれば、私は必ずあなたを助けます。あなたが世俗的なものを望んだとしても、それもあなたに与えますが、再度あなたはマーヤーに巻き込まれるでしょう。しかし、あなたが望むのであれば、私はすべてが夢である(と自覚できる)経験をあなたに与えましょう。そして、それがあなたに影響を及ぼすことはないでしょう。ラニマーへのインタビュー

*旅
質素でいることは、この(霊性の)道に必須です! あなたの旅行カバンを軽くして、 (人生の)旅を心地よいものにしなさい! 多すぎる所有物は必要ありません。最小限にしなさい。あなたの人生に更に、更に(所有物を)加えてはなりません。あなたの霊性 の道にはそれ(多すぎる所有物)は障害になるからです。最小限に保ちなさい。そうすれば、あなたは心を様々なものに明け渡すことはないでしょう。ラニマーへのインタビュー

 *食べすぎ
食べすぎは、神経を弱め、高血圧を招くと述べています。人は、食べすぎにより興奮しやすくなります。SS11/93
人は過食気味で、精神の混乱につながる種類の食べ物を摂取する傾向にあります。人が食べる食べ物には、限度が設けられるべきです。もし限度を超えるなら、必ず苦しむことになります。体を守り保護するためには食べ物が必要です。しかし、こうした食べ物でさえ、体の維持に必要とされる特質に基づいて摂取するべきです。もし限度を超えるなら、あなたの状態、あなたの体に、不調が起こります。8/10/83
この国(インド)の南部では米が多く食されています。それは南インドの人の習慣です。米を食べれば食べるほど、ブドウ糖の含有量も増えていきます。そのため、南部の医師たちは、米の代わりに小麦を食べるよう忠告します。南部の人は小麦を食べ慣れていないため、小麦をたくさん食べる気にはなりません。北部の人は一般に小麦を食べる傾向にあります。しかし、小麦を食べ慣れているという事実が北部の人を糖尿病と無縁にさせているわけではありません。北部の人はどのような食餌制限をすべきでしょうか? 北部の人は米を食べるべきです。そうすれば、食べる量が少なくなり、糖の含有量も下がります。中心になる考えは、食べ物の量を制限すべし、ということです。
過食は精神の混乱をもたらします。限られた量の食事は喜びと幸福を授けます。食事と個人的習慣は、本当に長寿を授けることができるのです。おそらく、あなたの持っている制御する力を超えた一定の状況があなたに苦悩をもたらすかもしれませんが、それ以外は、病気にかかる原因は何一つありません。8/10/83

*食べ物
肉体には食べ物が必要だということは疑いようもありません。しかし、人生は食べ物だけのためにあるのではありません。この真実を忘れて、人間は食べ物と物質的快楽のために不正義な道を歩んでいます。肉体は五大元素でできており、一時的なものです。心は単なる思いと欲望の束です。私たちは身体と心に過度に執着するべきではありません。至福を体験するために努力すべきです。28/8/04

 *魂
(動物でも植物も鉱物も)魂の入っていないものはない。P348サイババは世界の危機

 *ダルシャン
お前たちは将来ダルシャンを得る機会が少なくなるだろう。~悲しんではいけない。遠く離れた場所からのダルシャンや、私の講話を印刷物で読む事はインタビューを得たことと同じくらい価値あることなのだ。私の責任は増し、私自身、新旧の信者から肉体的に距離を置かねばならないのだ。ANDIp270
私がヒマラヤで苦行に従事している者にダルシャンを与えるとき、たとえそれがほんの数秒であっても、彼らはその神のビジョンを得られたことでこの上 ない至福を感じます。そして、それをとてもすばらしい経験であると見なしま す。しかし、あなた方は皆、毎朝毎夕私のダルシャンを得ていながら、未だに その価値にまったく気づいていません9/98SNSarthi

 *ダルマ
この世とあの世の安寧を共に促進するためにはダルマの体系(道徳律)が樹立されねばなりません。21/5/92
ダルマは永遠であり、どの国に住もうと誰にとっても、常に普遍です。ダルマは内なるアートマの意義を示します。ダルマの生誕の地はハートです。ハートから湧いた清らかな思いを行為に移すことがダルマです。もっと判りやすく説明して欲しいというのですか?
あなたが他人からしてもらいたいことを他の人にしてあげなさい。それがダルマです。ダルマは、他のものを傷つけることを絶対しないことです。誰かが、あなたを幸せにしてくれたなら、あなたも他の人を幸せにしてあげなさい。他の人の行為が何かごたごたの原因となり、あるいは自分の行為が同様の難儀を他の人に及ぼすようなことがあれば、それを非ダルマと知りなさい。8/86
ダルマの法則には、社会で得た富は社会の福利の為に還元しなければならない、とあります。SS6/84
ダルマの基盤は真理である。真理は恐れも怒りも知りません。真理あるところに怒りは存在しません。真理が苦痛を負わせることはありません。真理に根ざしている人が暴力を振るうことはありません。それどころか 、その人は非暴力は自分のダルマであるとみなします。~自己のダルマに死ぬことは幸せであるが、他人のダルマを行なうことは危険である。STPS2p134
世界中で災害が荒れ狂っているのは、正義が否定されダルマに従って生きる重要性が信じられていないからです。それゆえ、人はダルマの本質をはっきり理解しなくてはなりません。DVJp2
人々の惨めさと困窮を除去することは、私の天命にとって付随的なことでしかありません。私の主要な仕事は全ての人のハートにダルマを再び構築することです。S,Sarathi10/95
化身ラーマにあっては最初にダルマがあり、つぎに歓喜がきました。クリシュナの場合は歓喜が最初にあり、つぎにダルマが来ました。14/8/90
各人のダルマ(行動規定)は、異なっていなければなりません。なぜなら、ダルマは、年齢、職業、地位、権威、学識といった変化する要因や、男か女か、教師か生徒か、主人か使用人か、子どもか若者か、父か息子か、扶養されているか独立しているかを考慮して、決められるからです。しかし、ダルマの根本的な本質は、サティヤ、プレーマ、サハナ、アヒムサー、つまり、真理、愛、堅忍不抜、非暴力です。さまざまな規則は、書かれていることや書かれていないことも、こうした根本的な本質の詳述にすぎません。18/5/68
もし皆さんが人に迷惑をかけることも無く、他の人の自由を妨げることもなければ、ダルマに従って行動していることになります。決して人のいやがることをしないのが、ダルマだと誰もが思えば、この世は平和と悦びと豊かさに溢れるようになるでしょう。他の人々に模範を示す為に行動し、ダルマの真の理想を支えること。そう生きるのが皆さんの本当の務めです。SGc26
ダルマには、太陽の光の色と同じように、七つの面があります。ダルマの光は、真実、良い人格、正しい行い、感覚の節度を守ること、修行の生活、執着を捨てること、非暴力という七つの光線からなっています。そのすべてを身につけて下さい。ギーターの詩句を覚えるより先に、その意味を良く理解するべきです。そしてそこに説かれているように、徳を高めてそれを実践するのです。SGc26
ダルマは私達を一定の限度内に縛りつけ、私達が正しい道を歩んで義務を果たすのを助けます。ダルマは人と人の間の振る舞いや、個人と社会の間における振る舞い等々の規範を定めています。ダルマは人間の価値が開花するのを助けます。ダルマが衰えると人間の価値もおろそかにされ、それが人生の破局へとつながって行きます。ダルマのない国は悪魔の国です。22/5/95
肉体感覚による生活はアダルマ〔非ダルマ〕です。霊的生活はダルマです。ダルマは、維持するもの、救うもの、神聖化するものです。自分は永遠なるものであるという知識を獲得することができるように、人間は、生まれ、人生という賃貸期間を与えられているのです。5/10/62

*ダルマラージャ
その結果を聞きなさい。死後、その少しの滞在のために、別の世界からの使者がダルマラージャを地獄に連れていく間、地獄の住人たちの吸っていた空気が、不意にさわやかなよい香りになり、これまで望みもしなかった不思議な安らぎと喜び、ワクワクするような、そしてウキウキするような気持ちを感じました。それは、その恐怖と拷問の世界に神聖な魂が近づいてきたことによるものでした。不幸な罪人たちは、ダルマラージャを見て気持ちを落ち着かせよう、楽になろうとして、まわりに集まってきました。
(自らの刑期がすぐに終わって)ダルマラージャが天国の方に向き直ると、もっと長くいてほしいと地獄の全住民が叫び声を上げました。灼熱と苦痛に戻るのが嫌だったのです。その哀れな嘆きを聞くと、ダルマラージャは、自分の天国行きをもたらした功徳のすべてを地獄の住民たちに引き渡すと宣言しました。ダルマラージャは彼らと共に留まることをいとわなかったのです! しかし、その偉大な放棄の行為は、苦しむ者たちのためになったばかりのみならず、ダルマラージャに天国での暮らしの延長と、天国の中でもさらに栄誉ある場所をもたらすこととなりました。命というものは、苦痛を和らげ、悩みを軽くし、平安と喜びを促すことに使うのが最善です。19/2/66

*探求
現実の生活において、人は生と死の秘密を理解できずにいます。多くの人が、死の特性を発見しよう、死後何が起こるのか、死の背後にある神秘とは何かを見出そうと試みましたが、答えを見つけることはできませんでした。そのため、深い探求心を授けられていた者たちは、すべての生き物の奥底には一つの力が存在し、その力は神から来ているという結論に至りました。彼らはその力を神と名づけたのです。そして、神の力が存在すること、そして、それは人間の理論を超えており、宇宙にみなぎっていると結論づけました。
その力は何なのでしょう? 人は目に見えないものをどうやって認識できますか? そのようなものを信じるべきなのでしょうか? そのようなものを知ることは不可能だと考える科学者もいます。一方、古代人たちは、太陽を神性という存在の実証できる明らかな証拠と見なしていました。そして、太陽がなければ世界は存在しないと思っていました。太陽がなければ何ものも成長することはできません。人間の営みは一切不可能となります。人が終わりなき暗黒を生き抜くことは不可能です。それゆえ、古代人たちは、この偉大な光とエネルギーの源は神の霊的な力の存在証明であると思っていました。
その後、その神聖原理は一つなのか、それとも複数であるのかという議論が生じました。古代人たちは、「エーカム サット」、すなわち、神は唯一者であり、唯一者でしかあり得ないという結論に達しました。ヴェーダも「エーコーハム バフスヤム」(私は多として顕現した唯一者である)と宣言しています。それによって、ヴェーダは神の一体性を宣言したのです。神は唯一なるものですが、異なる人々に多として顕現しているのです。聖仙や予見者たちがタパス(苦行)を行ったのは、こうした深い探求の精神によるものです。そして、その苦行と禁欲生活によって、彼らはすべての知識の源はプラナヴァ(オーム)であるということを発見しました。もしプラナヴァが存在していなければ、音も言葉も存在し得なかったでしょう。
同様に、「1」という数字はすべての数字の基です。あらゆる数は基の「1」に数字を加えていくことによって得られます。それゆえ、この「一なる性質」〔エーカットワ〕は神に不可欠な特質であり、この世で見える多様性は神の顕れにすぎないのです。神は顕現している宇宙の原初の種と見なされています。種が成長するには殻が必要です。殻は覆いであり、中身は種です。同様に、神という種の殻は宇宙です。種がなければ殻は存在できません。
この事実を認識し、マハリシ〔大聖賢〕たちは「イーシャーヴァースヤム イダム サルヴァム」(全宇宙は神で満ちている)と宣言しました。神性によって維持されているこの広大な宇宙が、神とは別のものだと見なすことができますか? 何であれ神と結びついているものは神の反映です。「プルシャ スークタム」(至高なる神人への讃歌)は神を千の頭と千の目と千の足をもっていると描写していますが、これは、神は無数の姿をとって宇宙にみなぎっていると宣言しているのです。また、これは、すべてのものは神の一部であるということを意味しており、無数の姿で構成されている宇宙は「ヴィシュワ ヴィラータ」、すなわち、宇宙的存在、宇宙的神人の姿です。
私たちは、この、一なる神聖実在の宇宙的顕現としての無数の存在を伴う、多面体である宇宙を観察しなければなりません。神聖原理は最も小さな体にも、宇宙全体にも内在しています。もし、個人の真理を理解できれば、宇宙についての真理もわかるでしょう。22/11/80

*団結
もうすぐ、全世界が団結するでしょう。学生たちは世界が一つになるために適切な努力を払うべきです。若い男女は丈夫な手足をもっています。そして、肉体的にも精神的にも霊的にもすぐれた力を授けられています。その力をすべて正しく活用すべきです。五感を誤用してはなりません。そうして初めて、皆さんは世界に多大な貢献ができるようになるのです。20/3/07

 *男女
男女の相違は性が異なるのみであり、一方は他方より弱いということはありません。女性が男性の助け無し働くことが出来ないのと同様に、男性もまた女性の助けがなければ機能しません。SS10/93

 *誕生
あなたがまたこの世に生まれたのは,ある科目が合格点に達しなかったからです。その科目に合格する為にいくつかまだやらねばならないことがあるのです。もしあなたが、自己実現の過程を通じて,自分が至高の存在だと確信した時、あなたはその試験に合格したことになるのです。TOSSSBp109
神に誕生はありません。神はゴールに到達する必要もありません。しかしながら、神は人々の心に信仰を植えつけるために化身するのです。誕生のあるところには死もなければなりません。しかし、神は誕生も死も超越しています。神には始まりも終わりもありません。神に誕生日があるというのは皆さんの妄想にすぎません。信者たちは、神を物理的な枠に押し込め、崇め誕生日を祝っています。それはすべて信者たちの想像の産物であり、真理とは相反するものです。この世では毎日、多くの人が生まれ、死んで行きます。誕生、そして、死とは何なのでしょう? 肉体を身にまとうことが誕生であり、その同じ肉体を脱ぎ捨てることが死です。錯覚のために、人間は誕生と死という二元性を体験するのです。25/12/03
霊性修行者が常に自覚せねばならぬことは、如何に生まれるかということではなく、如何に死ぬかということです。誕生はどのようにして死を迎えたか、その死に際の状態で決まるからです。まず死があり、誕生はその後です。人々は人間というものは死ぬために生まれ、死ぬからまた生まれるものだと信じています。それは誤った考えです。あなたが生まれたのは、再び生まれないようにするために生まれたのです。つまり人は再び生まれないように死ぬことが大切なのです。SIP4-10
今日、皆さんはスワミの誕生日を祝っています。事実、この肉体には誕生日があります。この肉体はすでに生まれて78年が経過し、79年目に入ったところです。しかし、私は79歳に見えますか? いいえ、そんな年齢には見えません。今だけではなく、80歳になっても、90歳になっても、私は今のままです。私は決して誰にも他の人には頼りません。私の目も歯も完璧な状態です。普通 は、79歳にもなると、歯は全部なくなってしまい、目は白内障にかかります。皮膚には皺が寄ります。しかし、私には皺一つありません。私は年をとりません。実際、私は老人ではありません。23/11/04
誕生も死も幻想が産み出したものです。この世では毎日、たくさんの生き物が生まれ、死んで行きます。誕生と死は、時と定めにしたがって起こります。生まれてから死ぬ までの間、人は肉体に惑わされ、肉体レベルでのさまざまな関係を築きます。人は自分を肉体と同一視し、「私」や「私のもの」という感情に心を奪われます。これは重大な過ちです。肉体が存続している限り、皆さんはだれかしらと関係があります。ひとたび肉体が朽ち果 てたなら、その関係はどうなりますか? 真の結びつきは、アートマ(真我、内なる神)のレベルで存在するのであって、肉体のレベルでは存在しません。
生まれる前、だれがだれと関係がありましたか? 死んだあとはどうなりますか? 実際には、誕生も死もブフラマー(妄想)の結果 であり、ブフラマー(妄想)のために、皆さんはブラフマー(神)を悟れずにいるのです。浮き世の網にかかっているために、高潔な原理を理解できずにいるのです。25/12/03

 *地球
地球の運行は季節の変化をもたらします。季節の変化は雨を降らせ作物の育成を可能にし、人々を快適に暮らさせます。地球はこのように無形の神が人の目に見えるかたちで現われておられるのです。太古の人々は地球をブーマータ(神聖なる母なる大地)と讃えました。生活に必要とするものは全て大地から取れます。地球はこのように、地球の義務を果たしているように、各人も自分の義務を果たすように教えているのです。20/3/96

 *知識
人間が生まれてきた究極の目的は、自分の本性を悟ることです。本当の自分を悟ることが不死への道です。人生はこの世と神の間の架け橋です。アートマ(神なる自己)と対話するための唯一の手段はプラナヴァ(オーム)という言語です。純粋で永遠なるアートマが入っている、肉体という骨と肉から成る衣服を着ているせいで、人は自分の幸福は物理的な環境の中にあるものと想像しています。これは妄想です。人間が幸福の探求において求めることのできる知識には二種類あります。一つはローカ・グニャーナ(世俗の知識)です。これは、音楽や美術、物理的な宇宙、植物学、化学、物理といったようなものの知識に関連しています。これらの知識はすべて、生計を立てるのに役立つのみです。その知識のすべては、常に移り変わっている、滅びやすいものに関連しています。
もう一種の知識はブラフマ・グニャーナ(至高なるものの知識)です。この知識は、宇宙の起源、発展、消滅がブラフマン(至高の実在)に起因することを明らかにします。ウパニシャッドは、それをアクシャヤヤ・ブラフマン(不滅なるブラフマン)と述べています。今日、人間はこの至高の知識を必要としています。この知識へと到るには三つの段階があります。一つ目は「バーヴァム」〔バーヴァ、思考、思い〕、二番目は「サーダナ」(霊性修行)、三番目は「ウパーサナ」〔礼拝〕です。24/7/83
世間の知識を身につければ、有名になり、この世の様々な欲望を満たすことが出来るでしょう。ところが、アートマの知識があれば神の恵みを受ける資格が得られるのです。究極の悦びを味わうことが出来るのです。SGc1
世間の知識は食べるものと住むところを与えてくれます。ところがアートマンの知識は、自分自身の真実を気づかせてくれるのです。世間のことを多少は知っておかなければ、不滅のものを知ることは出来ません。世間の知識を甘く考えてはいけません。世間の知識と神に向かう知識とのつり合いが大切なのです。学問と霊的探求を結び付けなさい。
人生という車は一輪では動きません。一輪の車はあまりにも危険です。片羽で飛べる鳥はいません。両翼を用いてこそ、自由に飛び回ることが出来るのです。世俗のことには俗世間の知識が必要であり、ブラフマヴィディア(霊的知識)は霊的安寧の為に必要です。両方の知識にもとづく生活を送りなさい。2/6/91

*地軸
ヒラニヤカシプは大科学者で、自然や四季や太陽系を研究していました。ある時、ヒラニヤカシプは、地軸が23,5度傾いていることに気づきました。そして、ヨーガで得た力によって、好奇心からその傾きの角度を変えてしまいました。その結果、大災害が起こり、ヒラニヤカシプは地軸をもとどおりに戻しました。ヒラニヤカシプは自らの意思の力によって、太陽と月の軌道も操ることができました。それゆえ、彼は自分を神だと思い込んでいたのです。26/5/95

 *知性
人間として生きることは、単なる平凡な暮らしをする事である。人の目標は神さながらに生きることです。しかし今日人々は欲望と憎悪のみを抱き、動物にも劣る生活をしています。欲望が満たされぬと彼は憎悪を持ちます。知性の導きに従い、気まぐれにさまよう心を捨てることです。何故知性は重要なのでしょう?感覚器官は身体の上位にあり、心は感覚器官の上位にあり、知性は心の上位にあります。 アートマンは知性の上位にあります。
このように、知性はアートマンの最も近くにあり,神我の力と光輝を最大限に受ける利点を持ちます。それゆえ神我を理解し体験する為に知性を用い、至福に満ちて生きるよう努力しなさい。25/5/93
知性の力は、今日正しい思考と、正しい態度が欠けている為に、誤用されています。才能は利己的な目的に使われています。人間は並外れた知的能力を持っているのに、それが間違った目的に使われているのです。利己主義と自分本位が、人間の見解をゆがめ正道から邪道へと導いています。正義と高潔さが軽んじられています。道徳基準は低下しています。
カーストや信条による差別が急速に広まっています。狭量な意見の相違が残虐な敵意や憎しみを生み出しています。霊的意識は弱まっています。妬みと憎悪が圧倒的に幅を利かしています。罪への恐れは影を潜め、逆に罪を造ること自体を楽しむ風潮に取って代わられました。霊的なものは何であれ軽く見られています。これら全ての原因は何でしょうか?
人間は感覚の欲望や世俗の楽しみに心を奪われ、道徳と善良さの感覚をすっかり失ってしまったのです。人間は自らの神聖な性質を忘れてしまったのです。貪欲が人間同士を敵対させているのです。悪い思考と悪意のある欲望が荒廃をもたらしているのです。私達は、人々の思考と態度に影響を与えることによって、この状況を変える為に協力しなければなりません。
今、根本的に必要なのは、人を正しいレール戻し意志の力を伸ばすことです。意思の力を育成すれば、識別力、知力、維持力、明瞭さ、分析力、黙想、創造的な行為といった他の力を発達させることが出来ます。強い意志が無ければ何一つ達成することは出来ません。意思の力は喫煙のような既得の習慣を取り除くのに必要とされます。意思の力を用いれば、あらゆる種類の欲望を抑制することが出来ます。221/7/86
知性を純粋にすることは、実際すべての目標の根本になるものです。ハートを純粋にすることなく、霊性修行をしたとしてもそれは全く無駄なことなのです。汚れた鍋で食事を準備しているようなものなのです。SS5/95p130

 *地熱
今日の科学者や技術者は、空、風、火、水、と地の五大元素の秘密をつかんだ。と誇りを持っています。しかし彼らは未だ、人々の毎日の生活とそれらとの間にどのような関係があるのかを知りません。過去の聖者たちはその神秘を探求し、世界にそれを明らかにしました。例えば彼らは鳥たちが毎夜、地面の上で休まないことに気づきました。
鳥たちは木の上で休みます。それは何故でしょうか?ヴェーダの時代の賢者たちは、鳥たちが地球が潜在的に持っている地熱が、彼らに影響を与えるのを避けるためであると明確に解説しています。人々は地熱の生き物への影響を知らないのですが、鳥たちは知っているのです。SSSvol11p279

*忠告
今や、誰か彼に忠告を撒き散らすのが流行りとなってしまいました。知識のない人もある人もこの流行に夢中です。そしてその忠告が守られるかどうかには御構い無しです。人々は単に優越感を味わおうとして、また他の人に威信を誇示しようとして忠告を与えるという尊大な態度を取ります。
自らの慢心によって目が見えなくなっています。これは、責めるべきというよりむしろ、哀れむべきことです。なぜなら、神に関する限り「これは絶対に正しい。」と主張することは、誰にも出来ないからです。DVJp77

*中庸
 皆さんは、中庸の習慣を身につけるべきです。私たちは、いかなる物事や行為においても、極端を避けなければなりません。膨大な恩恵の源であり、世界を養っている海でさえ、自分の領域を超えることはありません。肉体の維持に欠かせない食物でさえも、少しでも食べ過ぎれば、毒に変わって病気の原因となります。もうひとつ、ベテルの葉を噛む場合のことを考えてみましょう。それにライムを加えなければ、ベテルの葉をそのまま食べることはできず、役に立ちません。しかし、ライムが必要だからといって、その汁をふんだんに振りかければ、口の中が腫れてしまいます。ですから、ライムもまた、適切な限度をもって使われなければなりません。
  霊的な真理を宣言している諸聖典は、聖賢たちが自らの経験や手本を通 じてその正しさを証明してきたものですが、それが、「いかなる場合にも極端を避けなさい」と教えているのは、以上のような理由からです。たとえどのようなものであっても、それを食べ過ぎれば健康が損なわれます。しかしまた、食物をあまりにも少ししか食べない場合も、身体に害が及び、健康が損なわれてしまうでしょう。ですから皆さんは、常に「中庸」を守る必要があるのです。 KSH

 *長寿
長生きすべき人は誰でしょう。善人、正義の人、親切な人が長生きするならば、世の中は益を受けます。邪悪で心のねじけた人が長生きするならば、世の中は益々害を受けるでしょう。この理由から太古の聖者は無私の心で神に帰依するもののみが、長寿の為にヨーガの実践をすべきであると規定しました。彼らが長生きすることは、社会にはかり知れぬ益をもたらすからです。29/6/89

 *挑発
あなたは自分と同じレベルの人と話をしてもかまいませんが、他の誰とでも話をしても良いとは限らないのです。すべての人の話に応対し、その結果、自分の平安を見失うようであってはなりません。現実にもしあなたが、そうせざるを得ないのなら、次のような調子でその挑発に立ち向かいなさい。
「あなたは私がしているように皆を助けていますか。あなたは私がしてきたような福祉事業に従事してきましたか。あなたは私のように寛容ですか。あなたは今まで、幾人の人々に正しい生き方をするよう変容させ、働きかけてきましたか。」と。人間は健全な競争をすべきですが、取るに足りない、低級で卑劣な人を相手にすべきではありません。STPSp163

*直感
インド人のヨギの持つとてもセンシティブな内的視力の直感に基づくヴィジョンにより、宇宙のたくさんの秘密や過去や将来を、彼らの望む範囲内でのぞき見ることが出来た。現在、イギリス人がインドの支配を捨てて20年以上になろうとしている。このことは太古の聖者により、インドは西の果てからやって来る奇妙な人種の支配からナンダの年に自由になると5043年前に宣言されている。どのようにしてこのようなことが5043年前に分かり得ることが出来るのであろうか?
ビハールの地震は、地震の起こる2年前にバルナーシの占星術師により正確に予言されていた。何を基にして、天啓経典や占星術師はこのようなことをやってのけられるのであろうか?それは現代の科学者がよりどころとしている科学ではない。それは直感にもとづく霊的体験からである。SSSvol6p210
英知より霊妙なのはバラムです。バラムは力、堅忍、活気です。それは物質世界を照らし、直感を研ぎすませます。直感力とは、すべてのものの中にある「意識」を認識する力のことです。UVc9

*沈黙
アートマの光輝無しに、ただ口を閉ざしていることは、沈黙では無い。ある者は、沈黙の誓願を立てておきながら、紙や石版に文字を書いて意思を疎通させ、あるいはABCの文字を次々と指差して意思を示す。それでは、話すことと変わらない。沈黙はあなたの中にある。あなたが為さねばならぬ事は、沈黙を乱すあらゆるものわ除去すれば良いのだ。解脱を成就する霊性修行を外から邪魔するものと関わり合わぬ為に、口をつぐんで沈黙を守るならばあなたは、思想を発展させることができる。
他人からの非難を受けずにすみ、心が集中し、頭脳が不必要な思いから解放されて、どんどん進歩する。脳がそのように明瞭になれば、神の御名を憶念する事にもますます集中出来るのだ。SDMp86
私は沈黙を好みます。私はあなた方に話さなければならない時のみ話し、必要な人とのみ話すように忠告します。相手に伝える時には最小限の言葉を使い、その言葉も、出来るだけ甘く、心地よいものを使いなさい。SSVol22 1979
批判にあっても落ち着いて冷静でいなさい。そうしてはじめて平安でいられるのです。古代の聖者達は、自らの修行の一環として沈黙を守ったものです。沈黙を守ることは、霊性の道における進歩を促します。沈黙の行を実践する時、皆さんは容易に心の平安を体験することが出来るでしょう。愛は平安から生まれます。愛に満たされているなら、あなたに敵はいなくなるでしょう。ですから、愛を持って人生を送りなさい。愛によってのみ、私達は世界に平和を確立することが出来ます。11/08
「いいえ! あなたはダルマ ユッダ(正義の戦い)をしなければなりません! あなたは何も自分勝手な理 由で戦うわけではありません。これはあなたのグルのためです、あなたのグルへの服従です!
あなたは夫に話 して彼を教育しなければなりません。彼は知らないから です。あなたの夫にはグルがいないからです。
ですから 沈黙し続けていてはなりません! ダルマ(正義)が関 係している時には話しなさい。黙っていることは、ある意味であなたが自分勝手(利己的)でいるということです。自分が口論したくないからです。あなたはいかなる 犠牲を払っても、自分の平安が欲しいのです! それは 間違いです。なぜ『ギーター』は説かれたのでしょうか? それはダルマ ユッダ(正義 の戦い)のためです!
あなたは夫に説いていませんが、彼があなたを責める時は、何がダルマであるかを話さなければなりません! 説教をする必要はありません! しかし、 あなたが非難された時は、夫に知識を与えなければなりません! 」ラニマーとの会話

 *追放
もし誰かあなたの王国の中で過ちを犯したとしても罰してはいけません。彼を追放しなさい。それが、罰することになるのです。SS5p95

 *仕える
人にうまく仕える者だけが、人の上に立つことが出来るのだ。SSSvol1p194

*束の間
私たちは自分の小さな土地の周りに柵を立てるかもしれません。しかし、空の上まで柵を延ばすことができますか? あるいは、周囲の空気にまで柵を広げることができますか? では、なぜ私たちの霊的視野を制限するそのような狭量な考えを抱くのでしょう? 地位、知識、権力といった、私たちが所有する一切の財産は、どれも一時的な束の間のものです。私たちの命それ自体、いつ何時尽きるとも限りません。そのような状況の下で、人生を好き嫌いのために台無しにするのは、実に嘆かわしいことです。あなたに与えられた貴重な時間を、わずかなりとも無駄にすべきではありません。6/85

*津波
 先月、多くの人々が津波によって言語に絶する不幸と苦難に見舞われました。人の邪悪な行為こそがこのような大災害の原因となっているのです。ですから、私はあなた方に間違った行動や邪悪な行為にふけらないように忠告します。今年は去年に比べて、より多くの災難が起こる可能性があります。しかし、私たちはそのような災難に心を奪われることなく前向きに進まなければなりません。これらはすべて通 り過ぎ去る雲のようなものですから、これらの出来事に心を乱される必要はありません。臆することなく、勇気をもってこれらに立ち向かいなさい。
先月起きた津波の災害は、実は人によって起こったものです。これは、まったく神の意志などではありません。しかし、人は、このような困難は神が人に下したものだと感じます。絶対にそのようなことはありません! 神は人につねに幸せを与えます。神は怒りも憎しみももっていません。神の本質は愛です。では世界にはなぜこのような苦悩や困難があるのだろうという疑問が生じます。厳密にいうと、幸せは、苦悩がなければ何の価値もありません。人は何らかの困難を経験しなければ、幸せを体験することはできません。幸せと苦悩はお互いにからみ合っています。これらのどちらも、もう一方がなければ存在することができません。14/1/05

 *罪
身体、心、言葉の三位一体の清らかさを実践するものは、他に守護を求める必要はありません。罪があるから恐怖があります。恐怖がはびこれば、人は自らの安全を確保しようとする人が沢山います。それは何故でしょうか?彼らは恐怖に満ちているからです。
恐怖は罪意識から生ずるのです。汚れ無き者には恐れは無く、したがって守護を求める必要もありません。今日の人々は、自分のなした罪深い行為のゆえに四六時中恐怖に付きまとわれています。罪深い行為をしてはいけません。罪が無ければ恐怖とは無縁です。5/11/91
あなた自身を罪人とみなしてはいけません。罪とは単に過失に過ぎないものに誤ってつけられた名前です。心から後悔し、二度と再び悪事を働かないと決心するならば、私はあなたの一切の罪を許します。あなたが無知だった時、あなたを誘惑した悪習を克服する力を与えたまえと神に祈りなさい。真、善、美part2p111
今日、人の中にある罪への恐れは減少してしまった。それゆえ、人は結果を思い悩むことなく 邪悪な手段に頼っている。罪への恐れと神への愛が欠けているために、人のうちにある人間らしさは減少してしまった。これは世界平和にとって有害なことである。2/4/2003
我々はこの現象世界を真だと思い込むことによって、いろいろな罪を犯しています。罪を犯せばそれを償うときがやってきます。罪を恐れ、神を愛しなさい。我々は社会にモラルを根付かせなければなりません。罪を恐れ、神を愛し、社会にモラルを根付かせるという三つのことが、人の価値の中で基本的で重要なことなのです。
あなたが、平安で非暴力を経験出来るのは、あなたが罪を恐れることによってのみ可能なのです。あなたはまた、神を愛することによってのみ、真理や愛をはぐくむことが出来ます。我々のダルマと責任は、社会にモラルを確立することです。11/87p23
  皆さんは、世俗的な事物の中に、一時かぎりの幸せを追い求めていますが、仏陀は、真実にして永遠不滅の霊的領域における至福に到達するために精進しました。皆さんは、世欲に埋没しているので、不滅の生命との間に距離を作っています。皆さんは数々の罪を犯していながら、それらを罪とみなしていません。皆さんは、それが人間にとってまったく自然なことだと考えています。そして、過ちを犯し続けていながら、それが許されることを祈っています。
本当は、人は決して、犯した罪が許されることを願うべきではありません。私たちは、罰を受ける準備をしなければなりません。そうして始めて、人は欠陥から自由になれるのです。もし誰かが重大な罪を犯せば、その人は牢屋に入れられます。そして所定の期間、罰を受けた後にようやく解放されます。同様に、皆さんは自分の犯した罪を償ってしまえば釈放されます。このように、もしあなたが救いを求めるのであれば、自分の犯した過ちの罰を受ける準備をする必要があります。感覚をコントロールして、同じ過ちを繰り返さないように注意しなければなりません。5/7/01
パーパ(罪)とは何でしょう? 傷つけること、虐待すること、そして他人を殺すことが罪です。プンニャ(善行)とは何でしょう? 他人を助けることが善行です。ですから邪悪な行為に邪悪な行為で報復してはいけないのです。その代わり、犯罪者を許し、寛大であるべきです。6/9/04

*罪人
もしも、私が罪深い者に扉を閉ざしたならば、堕落した者や裏切り者はどこで救済されるのでしょうか。真善美p181

 *抵抗力
一日二回の定期的な祈りは、あなたに力と勇気を与え病気に対して抵抗力をつけます。神の祝福は、精神的な平安を与えるのでよく寝て心を休めなさい。神があなたを100%面倒見ておられると感じなさい。神はあなたを有害なことや怪我から守り、面倒見てくれるでしょう。SSSvol4p368

 *ディーパヴァリ
ディーパヴァリの祝日を科学見地から見れば、太古私達の祖先が極地に住んでいたことにまず注目する必要があります。極地では一年のうち6ヶ月が暗闇でした。太陽が十二宮の白羊宮にはいるメハシャンクランティの日(4月13日)に、太陽は現れます。太陽がてんびん座に入るトウラシャンカランティの日(11月15日)に太陽は沈みます。その2点を太陽が移動する期間が六ヶ月なのです。太陽がてんびん座に沈むと、暗黒の半年が始まります。
今日は、カルテイカの月の14日(チャトルダシ)です。それは新月の日(アマーヴァーシア)です.この月は、カウムデイと呼ばれています。極地の人々はその日から灯火に火をともすのが習慣でした。ランプに灯火をともすことにはそれ以外の意味もありました。長い間、暗闇の中で過ごす習慣があった彼らは、灯された灯火をニティアジョーティ(永遠の光明)と呼びました。5/11/91

 *手紙
隠遁者が、不良にからかわれたなら「もっとからかってもいいよ。そうすることによってあなたが楽しいならば。それが私の望むところでもあるのだよ。」と答えるであろう。誰かがあなたを罵るとき、それを無視すれば書留手紙が受取人不明の手紙として差出人に戻っていくように、それは彼らに戻っていくのだ。あなたの精神的な安らぎを壊さないために、手紙を受け取ったり内容を読んだりしないことです。受け取りを拒否しなさい。もしそれを受け取れば、あなたが間違った行動をとったり、その人たちの仲間に加わったりしてしまうような可能性も出てくるのです。と私は警告します。SSSvol8p, 229

 *溺愛
今日子供達の9割は両親から正しい教育をされていません。両親は、子供に対して正しいしつけを施していません。誤った行為がすぐさま矯正されるならば、子供は真直ぐに成長します。道からそれた子供を溺愛するべきではありません。誤った行為をする子供を放置しておくのは愛情のはきちがえです。6/5/87

*敵
一体性を理解し、あなたの愛をすべてのものと分かち合いなさい。だれをも敵と見なしてはなりません。皆さんは自分を愛してくれる人を友人と見なし、自分を嫌っている人を敵と見なします。実際には友人も敵もないのです。それは皆さんの想像にすぎません。25/12/03

 *敵意
他の人が、あなたに敵意を抱いても、それを気にしてはいけません。その人に対して友好的な態度をとりなさい。また他の人から罵られても無視しなさい。それは単にあなたの持っている罪を軽減するだけであり、あなたの罪を,あなたを罵った人に置き替えることになるのです。人が他の人を褒めるとき、褒めた人にその褒められた人の功徳が移転されるのです。あなたへのお世辞ではなく,あなたに向けられた批判を友としなさい。8/95p206SS

 *敵意
他の人が、あなたに敵意を抱いても、それを気にしてはいけません。その人に対して友好的な態度をとりなさい。また他の人から罵られても無視しなさい。それは単にあなたの持っている罪を軽減するだけであり、あなたの罪を,あなたを罵った人に置き替えることになるのです。人が他の人を褒めるとき、褒めた人にその褒められた人の功徳が移転されるのです。あなたへのお世辞ではなく,あなたに向けられた批判を友としなさい。8/95p206SS

*テスト
テストは歓迎されなければなりません。なぜなら、自信はテストによってのみ与えられるからです。壁に釘を打つ込むとき、まず少しだけ釘を打ってぐらつきが無いかをチェックして、釘がしっかり打ち込まれているかどうかを確かめます。それと同じようにどこであっても、テストは欠かせないものです。霊性の分野という、成功が一時的で永続しないことがよくあるところでは、なおさらです。20/6/1966

 *手伝う
人々の中に眠っている神性さを目覚めます為に、すべての神性な力を携えてこのサティアサイババがやってきたのです。私はあなた方を見捨てません。私はあなたを助け、抱え歩むでしょう。私は決してあなた方を見捨てません。私は自分の子供たちを助けるという義務を怠りませんが、子供たちであるあなた方一人一人が、私の仕事を手伝ってくれればそれは大変うれしいことです。MBAIp170

 *テレビの害
どの家にもテレビがあります。テレビは、金持ちの家には、各部屋に置かれています。テレビが出現してから、人の心は汚染されました。テレビの無かったころには心はそれほどは汚染されてはいませんでした。暴力行為も、以前にはそれほど多くはありませんでした。今日テレビはどの部屋にも置いてあります。人々は食事を取りながらテレビを見ます。その結果、テレビに映る下劣なことも(霊的身体にも取り入れて)消化します。テレビに集中することは、見る者の世界観に影響を及ぼします。テレビの見せる、感覚、思い、行為は見る人の心をいっぱいにします。知らず知らずのうちに苛立ちと悪い思いが人々の心に入ります。やがてそれらは心に根を張るでしょう。それゆえ、食事をしながら恐ろしい事件を話題にすべきではありません。心を興奮させる話題を食卓にのぼらしてはいけません。食事をしている間は静粛にしなさい。音響さえ心に侵入して影響を及ぼします。食事の時はテレビを見てはいけません。それは蜂蜜を塗った刃。蜂蜜をなめるなら、刃は舌を切ります。バラタのみではありません。全世界がテレビの悪影響に犯されています。世界には無秩序、不和、欲求不満が溢れています。テレビを見ることを完全に止めなさい。ことに食事中であれば尚のこと、仕事中であれば仕事に集中しなさい。15/1/1996

 *天国
人の身体は感覚的な欲望を満たすための物ではないのです。そして身体を、天国に行く為や、天国から舞い降りてきたおもちゃやそれを楽しむための道具として取り扱うべきではないのです。これらのことから持たされる喜びは、一時的なものに過ぎません。逆にそのことによって、生死の輪廻の輪の中に取り込まれてしまうのです。その結果これらの喜びは、苦しみをもたらすだけなのです。英知を持っていないものだけが、これらの感覚の喜びを追い求めるのです。~このような喜びは人にとっては毒にすぎません。RRVp, 482
解脱は天国の住人でさえ手の届かぬものなのです。天国も地獄も行為の結果であり、創られたものであり、それゆえ不滅ではありません。誕生、成長、衰退、死という条件によって縛られています。無始の始めから存在し続けたものではありません。それはつくられたものなのです。行為以前には、天国も地獄も存在しませんでした。過去に無かったもの、未来にも無いものは、現在にも無いのです。それは行為の報いによって、天国か地獄を与えるだけで、不滅の歓喜を与えるわけではないのです。UVc11
皆さんの中には、貧しい人に施しをしたり、儀式に出たり、苦行をしていれば、天国に行ける。と思っている人もいるはずです。ところがクリシュナは、天国など儚いものだといっています。「アルジュナ、天国よりはるかに偉大なものがあるのだ。儀式や苦行などは、止めた方が良いといっているのでは無い。むしろそういうことは、君の務めだと言っていい。ただしどんなことも世界の幸いのために行うのだ。自分のために働くのでは無い。全世界が平和で豊かで幸いであることだけを願って、どんなことも私欲を捨てて行うのだ。天国に行きたいなどと思ってはいけない。
天国をはるかに超えたもっと高い境地を願うのだ。天国は、前世で積んだ功徳がある間は続くだろう。だが功徳が無くなれば、君はまたこの地上に戻ってこなくてはならない。だから天国のような儚いものを求めてはいけないのだ。神に近づき、神に親しむのだ。そして神と一つになれ。本当に大事なことはそれだけだ。神の摂理は、天国よりもはるかに偉大なものだ。行為の本当の意味を知り、正しいものの見方と共に行為をすれば、神そのものを手に入れることが出来るのだ。」SGc32
神聖で淨らかな行為によって得る最高の賜物は、天国です。死後、天国に行く人の浮世から解放される期間は、他の人に比べて長いのですが、しかし天国にいる期間にも終わりが来ます。求道者は、天国に行くことを欲するのを止めなければなりません。UVc4

 *同一視
あなた自身をあなたが演じている役と同一視しないことです。そのような同一視は、あなたの進歩を遅らせることになるでしょう。SSSvol6p21
「あなた方は皆、役柄を演じているだけです! 役柄とはジーヴァ(一個人の存在)、 魂のようなものです。『私はだれそれ、何々だ! 』というのはエゴです。誤った識別(同一視)です。それは本当のあなたではありません。あなたは自分自身に言い聞かせねば なりません。『私は(自分の)役柄を演じていますが、私の本質はアートマ(真我)です。 スワミ、私はこのすべてを超越します』と。あなたは絶え間なくこの想いを瞑想してい なければなりません! そうしなければ、あなたは問題に屈することになります。苦しみ ます。不安になります。心配します。そうではなく、解毒剤のように、あなたは自分自 身を救わなければなりません。ですから、「これはすべて夢です、スワミ」と言い続けな さい。もしそう言っても気づきが与えられなければ、そのときは私に願いなさい。『スワ ミ、どうか私に気づきをお与えください』と。私は常にあなたが望むものは何であろう と与える用意があります! しかし、あなたは願わなければなりません! 私が勝手に、 あなたにそれを授けることはできないのです! 」ラニマーへのインタビュー

 *道具
すべてを彼に捧げなさい。すべてを彼に委ねなさい。彼の道具になりなさい。道具自体は、この仕事が好きだとか嫌いだとかは選択できません。彼の効率の良い道具になりなさい。SSSvol4p273

 *道徳
インドの国の嘆かわしい現状は、道徳の価値の下落が原因です。今日、3つのことが最も肝要です。
罪を恐れる。・神を信愛する。・社会道徳を尊ぶ。18/8/96
人々は今、たくさんのお金をた貯めています。しかし、何のために? 人々は死ぬ時に何を持っていくでしょう?人は手ぶらで逝かなければなりません。逝くときには体すら置いていかなければなりません。五元素は五元素に融合します。そのため、中味のなくなった肉体は火葬されます。ですから、自分の体や富に誇りをもつべきではありません。お金は得てもまた出ていきますが、道徳心は生じると育ちます。道徳心を育てるべきです。高度な教育にかかわらず、人は今、道徳心を失っています。道徳心を失った人はまったく人間ではありません。実に、そのような人は人間の姿をした悪魔です。
道徳心のないところに、人間性はありません。年長者を敬い、両親に感謝を示しなさい。ところが、人々は今、そうした感謝や敬意の気持ちに欠け、「どうして年長者を敬う必要があるんだ?どうして年長者を愛する必要があるんだ?」と考えています。人々がどこに行っても、渇望するものはお金、お金、お金です!私たちの真の富とは何でしょう?愛が真の富です。愛という富を手に入れたとき、すべてが手に入ります。雲さえその手でつかめるようになります。1/5/08
昔は、ある特定のグループや個人が開拓や奴隷獲得の方法及びそれらに必要な権力を独占しており、それが道徳的行動を衰退させる原因であった。そのため、それらのグループや個人を滅ぼしてしまえば、再び道徳を取り戻すことが出来た。今では邪悪は全世界的な特徴である。それゆえ私は人間の性格、態度、行動に革命をもたらし、人々にある修行を教えるために来た。人々は統一と調和、平和への道に戻らなくてはならない。宇宙のあらゆるものは神の顕現であることを認識することが一番の根本であり、それは完璧な内容であり、縦糸と横糸、糸と布地の関係のようなものである。これを認識することは人種、教義、階級、カーストに関係なく、万人の権利である。今のこの時代に生まれて私に出会う好運に恵まれ、しかも私がそれを与えるためにきた指導を受ける機会に恵まれたあなたは、実に幸運である。真善美pt139
日常の行動を識別して行う時、彼は道徳を守る人と言われます。道徳のない生活は、全く無益です。社会の威信は社会を構成する人々の道徳にかかっています。道徳を失った社会には、悲嘆が待ち受けます。国家であれ、社会であれ、人々の行為が道徳にそむくならば、彼らが営々と築いてきた文明は滅びます。財産、地位、権威等々を豊かに持っていようとも、それらは虚飾にすぎません。人としての価値を高めるものは、道徳のみです。17/9/92
神の恩寵を得なさい。それが真の霊的教育です。霊的教育を受けると共に、世間的な学業にも励みなさい。霊的・世間的学問に根本的に必要なものは、立派な人格です。何をするにしても道徳が役立ちます。行為が良くなければ社会から尊敬されません。17/9/92
人間社会にとって道徳こそ第一に必要であることを認識しなさい。23/11/92
常に助け、決して傷つけてはなりません。この真理を理解した時、あなたは、真の人間になります。人間という言葉の意味は何でしょう?人間とは道徳と人格を有する存在です。道徳の道を守るなら、苦難を被る事は無いでしょう。こうした教訓を人間に与えるために、神は地上に降臨するのです。29/10/09

*糖尿病
たとえば、ある人が血圧の問題を抱えているとしましょう。その人は将来、糖尿病になります。この二つ、高血圧と糖尿病は、双子と見なすことができます。一方は他方の歩みに従うのです。さらに、そこには奇妙なことがあります。糖尿病の薬を飲めば血圧は上がり、血圧の薬を飲めば糖尿病はひどくなるのです。というのは、この二つは正反対の組み合わせであり、薬で減らしたり制御することはできないからです。この二つの病気は、ひとたび忍び込んできたら、追い出すのは大変難しいものです。
では、どうすれば治せるのでしょうか? これに対する黄金の法則、すなわち最高の処方箋は、食餌療法です! 食べ物の摂取を制限しなさい、そうすれば、すべては良くなります。皆さんは体重を減らさなくてなりません。体は、山、すなわち堆積(たいせき)のようなものです。一ヶ月間毎日自分の家を掃いて塵(ちり)を集めれば、山になります。それと同じようにして、皆さんは不活性な肉体に、イドゥリやサンバル、ヴァダやドーサ〔いずれもインド料理〕といった食べ物の塵を積み上げてきました。一週間それらのどれも口に入れずにいなさい。そうすれば、体のサイズは目に見えて縮小するでしょう。体はタイヤのようなものです。空気を入れればタイヤは膨らみます。空気を抜けばタイヤに特有の危険性はなくなります。しかし、タイヤに空気を入れ続ければ、タイヤが破裂する危険性が付きまといます! 安全なものにしておくほうがよいのです。
人は、高血圧と糖尿病はありふれた病気だと考えています。これは非常に間違った考えです。この二つの病気は大変危険なものです。これらの病気はどちらも心臓に影響を及ぼし、心臓に作用します。二つのうちの一つは心臓を肥大化させ、もう一つは心臓の周辺を肥大化させる傾向にあります。この二つの病気が併発すれば心臓は肥大化します。血糖を正常な量にする要因は何でしょうか? それはインスリンです。インスリンが減少すれば、血糖値は上がります。血糖値は一定量でなければならないため、糖尿病患者はインスリンの注射を打つのです。血糖値が増減すれば、患者は意識不明になります。血液中の糖分を抑制するため、通常、医師は患者に小麦や他の穀物を摂るよう忠告します。食べたものは何であれ、すべて体内でグルコース〔ブドウ糖〕になります。8/10/83

 *動物
人が動物に生まれ変わる可能性はあります。しかしまれにしかそういうことが起こらないのです。徳の欠如による人の生まれ変わりの下降現象は、普通レベルの低い人間となって生まれ変わります。しかし、実はどの生まれ変わりの生においても、あなたはアートマンとして存在しているのです。MBAIp188
人間の偉大さは、意識的な努力によって彼の持っている悪を取り除くことができる点にあります。動物の場合は基本的能力が低いので、何か気に障ったりするとその原因を分析することなしに、いきなりパッと飛び上がったりするのです。SSSVol10p102
あなたが苦しんでいる人を見ているだけで助けないのであれば、あなたは人間と呼ばれる資格は有りません。たとえあなたが、解脱を望まなかったとしても、せめて人間らしくありなさい。人間であるというのは少なくとも動物でいるより良いのです。なぜなら、動物は過去を振り返ることも、将来の計画を立てることもないからです。牛は自分が種蒔きのために畑を耕している事も、刈り取りが終わり、自分がその収穫物を家に運んでいることも知りません。人間は、自分の頭の上に過去の行為の後悔と未来への心配、更にそれに保険を掛ける、という余分な荷物を乗せて歩きます。SSSVOL6p80
怒り、欲情、貪欲といったものは、人間の性質ではありません。動物の性質です。動物だけが他のものを恐れさせ、また反対に他のものを恐れるのです。あなた方は動物ではありません。あなた方は決して誰も恐れてはなりません。それらを超越しなさい。16/7/97
今日、人は、姿は人ですが、その中身は多くの動物の属性を備えています。人が自らの内に持っている神から戴いた神性さを体現さすには、神への愛を培い、罪を恐れ、社会的な道徳心を培わなければなりません。人が神を愛し罪を恐れるならば、人は社会的な道徳規律を破りません。それ故、社会的道徳規律は自動的に守られるのです。人として生まれてきたのにも関わらず、動物的な属性を追い求めるのは全く意味のないことです。7/94p169SS

 *時
私はあなたが活動的でいつも忙しくしていることを望みます。もしあなたが活動的でなかったら、時はあなたの肩に重くのしかかるでしょう。時は神の身体であるので、あなたの人生に割り当てられた少しの時も無駄にしてはなりません。SSSvol1p, 53
日常生活のすべての行為は、神に捧げることによって聖化することができます。すべての思考を神に捧げることにより、人は平安に達することができます。これを実行し始める為に、ふさわしい時を待つ必要はありません。時はあなた次第です。偉大な人は時を待ちません。偉大な人たちは、時間を自分の僕(しもべ)にします。人は神聖な体を授かっているにもかかわらず、体を誤用しています。竹には多くの節があるように、人間の一生には、富や妻や子への渇望という節があります。それらの節は取り除かなければなりません。1/1/98

 *毒
毒蛇やサソリといった多くの有毒な生き物がいます。神は、それらの生き物が自分の身を守るために、その毒を授けました。サソリが刺す場合、サソリには相手を害する意図はありません。サソリはただ自分が傷つけられるかも知れないという恐怖から刺すだけです。あなたが挑発しなければ、森に棲むトラでさえ危害を加えてくることはありません。あなたがトラを怒らせた時にだけ、トラはあなたを襲ってくるのです。このように、全てのものは反動、反映、反響なのです。29/10/09
身体は、中に入って来ようとする毒素をすぐに外に出そうとします。身体が自然に反応して毒素をはき出そうとしているときに、薬を飲んで吐き気を抑えようとするのは、正しいことではありません。薬を飲んだら、毒素を出せなくなってしまいます。毒は、胃から出ていかずにたちまち体中に回ってしまうでしょう。だから毒は出してしまうべきで、薬で抑えるようなことはしない方が良いのです。毒素を出してしまった後なら、薬を飲ましても良いでしょう。吐き気が収まっている頃には、身体も弱っていることでしょう。その時には、病人もおとなしくなり、忠告を受け入れてくれるはずです。毒素を出そうとしている人には、そうさすのが一番良いのです。
ひどく怒っている人がいて、その人が怒ることによって毒素を出そうとしている場合も、それと同じ事が言えます。その人が言いたいように言わしておけば良いのです。止めようとしないで気の済むまで言わせてほって置けば良いのです。その人が、すべてを言い尽くすまでは、こちらは静かに我慢しているほかはありません。こちらまで心を乱して頭に血を上らせてはいけないのです。怒らずに静かに耐えている内にやがて心は安らぎ、幸せな気持ちになるでしょう。それこそが天国の経験なのです。どうしてあなたは、自分の頭に血を上らせて天国の悦びを捨ててしまうのですか。耐える心はきわめて大事な特性です。人間の様々な特性の中でも、耐え、許す心は何よりも尊いものです。スワミは許す心こそ真実であり、正義であり、非暴力であり、幸せであると何度も話してきました。許す心とは本当はこの世で出会うすべての物の価値と等しいのです許す心さえあれば、心を静めることも、感覚の節度を守ることも、欲望を捨てることも、(世俗に)捕らわれないことも、信じて迷わぬ事も、心を定めることも、どんな特性も身につきます。これらの六つのすべてが、清らかな心を作ります。SGc33

 *富
餌を与えようとしている飼い主の手に噛みつき、知識を授けてくださった教師を罵る子供たちを育てる、というのが今日の教育の進歩だと言われているのですが、果たしてそれが進歩なのでしょうか?人々は良い人生を、高い仕事のポストを、そして富を求めます。しかし彼らは良い性格、正しい知識、そして正しい品行を求めません。富がすべてに渡って重要なものとなり、正義が薄れつつあります。
これが今日教育の進歩といわれているものなのです。人格や道徳は本の中に閉じ込められたままです。心は完全に汚染されてしまいました。すべての行為は、利己的な動機からなされます。これが今日のいわゆる教育の進歩といわれているものです。12/91p314
富が一箇所に蓄積される時、富に応じて慈善行為が行われなければならない。人の富を正しく使うことがドウラッヴァヤグニャである。富の正しい使い方とは何か?牛や土地や自らの技能を施し与えることが、ドウラッヴァヤグニャに含まれる。また、すべての肉体的、精神的活動と話す行為が、霊性修行として役立てられる時、それは、タボーヤグニャとなる。もしあなたが、絶食をした為に体力が無く、床に横になっていたとしたらどのようにしてタパス(苦行)が出来るだろう?行為に携わりながら、行為に縛られないことが、ヨーガヤグニャである。ギータバヒニ10章
もし永遠に続く幸福を味わいたいなら、その幸福の源を探さなければなりません。その源はプレーマ〔愛〕です。この世に愛より偉大なものはありません。あらゆるものには代価があります。永遠に続く幸福に対して支払うべき代価は、神聖なる愛です。愛がなければ、どんなものもあなたに真の幸福をもたらすことはできません。ですから、人にとって一番の富は愛です。誰もがその富を得ようと努めるべきです。その富を持てば、誰も皆、永遠に続く至福を味わうことができます。1/1/98
人は、おのれのカルマによって富を得る。それゆえ今自分の手に入るもので満足しなさい。8/9/96
富を狂気のように求める人々は、道徳と調和して一体となる暮らし方を忘れました。良からぬ手段で得た金は、ごみでしかありません。そのような富は役に立たないのです。蓄財しても役に立ちません。
不正に得た富は、実はその人のものではありません。それゆえ、そのような富を取り上げようと待ち構える貪欲な4つの実体があります。第一は政府です。税や法律の名目で政府は蓄積された財産を襲います。第二は火です。火は、どのようなところに不正な富があっても、そこに到達して焼き払います。第三は盗賊です。盗賊は隠された財産を狙います。盗賊はなんとしてもそれを盗み出します。第四は病気です。不正な富を奪い返そうと病気はその人をしっかりと捕まえて治療費の出費を余儀なくさせます。乞食に一円の施しさえしない吝嗇家(りんしょくか=けち)は、医者や薬代に金を払う羽目になります。このように不正な手段で手に入れた金は、結局以上のような手段で取り上げられるのです。2/6/91
多すぎる富を持つと、沢山の危険なことに対面することになります。多すぎる富を持つと、人は傲慢になり正しいことと間違ったことの識別心を無くしてしまいます。SS12/94p311
富を蓄えることによって欲望を増すと、それはあなたを、喜びと悲しみの連鎖の中にとり込んでしまいます。執着は喜びと悲しみの原因で、非執着はそこからあなたを救ってくれます。あなたの家族、家、土地や、あなたの車はすべて神の財産であって自分はその管理人だとみなし、明け渡しの通達を受け取るや否や、すぐに惑わず明け渡すことが出来る用意をしておきなさい。SSSvol4p94
人々は、世界中にこれまでここまで広まったことのないような邪悪な行動に走り、邪悪な考えを抱いています。人間は富と地位 へのとどまる所を知らない欲に駆られています。もちろん日々の必要のためにはお金が必要です。けれども、それさえも限度を設けるべきです。
広い海も、限度を超えて満ちたなら、災害をもたらします。肉体を維持していくために必要な食べ物も、量 をわきまえて摂るならば健康によいのです。食べ過ぎれば身体器官を害します。食べ物は満足感を与えることもあれば、毒になることもあります。人は食習慣によって病気の餌食となるのです。食べ物は必要ですが、健康によい量 だけに抑えて摂らなければなりません。
同じように、富は必要ですが、限度内にとどめるべきです。過剰な富は多くの危険を招きます。過剰な富をもつと、人は傲慢になり、善悪の区別 がつかなくなります。人は、カルナ(寛容さで知られる人物)ではなく、貪欲の典型であるドゥリヨーダナとなってしまいます。富と共に犠牲の精神も等しく育つべきです。持つ富が増えたなら、それらを奉仕のために使わなければなりません。今、富は増えていますが、そのような度量 は大きくなっていません。23/11/94

*友
神は人間の姿を好みます。神は、人々に神を体験さすために人の姿を取った。といわれています。友として、仲間として見られる時が神は最も満足します。おお、誰より親しい友よ。わたしのハートの愛しい友よ。と呼びかけるとき神は最も喜びます。SS8/89

*ドラマ
私たちは、自分の父親や母親や、兄弟姉妹を愛しています。こういったさまざまな関係は、神のドラマの中で人々が演じている役割に過ぎません。2/7/04

*内閣
私には自分自身の内閣があります。私は様々な大臣に、それぞれの仕事を任せています。大臣たちの仕事に口出しはしません。もし私が『スワミ、どうか雨を降らせてください』という祈りの手紙を受け取ったとしたら、私はその手紙を雨の神であるヴァルナに転送します。ヴァルナがそれを適切に扱うでしょう。しかし私には自分に直属する三つの部門があります。それは、愛、無私の奉仕、霊性修行、という三部門です。誰であれ、私を愛する者を私も愛します。私への愛だけで十分です。その人の性質や資格を調べたりはしません。また、誰であれ、私は何の見返りも求めずに奉仕する者の世話をします。最後に誰であれ、いつであれ、霊性修行の道を行く者は私の保護下に置きます。私はその人の世話をします。これら三つ以外の部門は私の大臣達がそれぞれの役割に応じて人々の面倒を見ています。ND

 *内在の霊
神は善の中にも悪の中にも、真理の中にも非真の中にも、功徳の中にも罪の中にも存在します。それでは、何が虚偽であり何が非ダルマであるかをどうして決めればよいのでしょうか?ギータは次のように宣言します。私は、生きとし生けるあらゆる物の中に内在する霊である。と。この真理を実感認識するものは平等感を経験します。17/2/96
サーダカ〔修行者〕に神を顕現させ得るのは、ディヤーナ(瞑想)の実践だけではありません。神は、人間に内在しているのと同じように、昆虫、鳥、動物にも内在者として存在しています。「今、神はどこにいるのだろう?」と問えば、神はあなたの内にも存在するという答えが、自然に得られるでしょう。そのような問いの答えを見出すために、ディヤーナ(瞑想)といったサーダナを行う人たちもいます。9/10/05
外に神を探す代わりに、自分に内在する神を実感認識するよう努めなさい。自分の中で、自分は誰かを探しなさい。肉体意識は脇へ置いておきなさい。自分を体と同一視してはなりません。「私」と「あなた」という問題が起こるのは、自分を体と同一視しているときだけです。「私」と「あなた」が一つに融合すれば、一体性が生じます。
しかし、不幸なことに、現代の人々は利己的な「私」を忘れられずにいます。どこを見ても、「私」の原理〔アートマタットワ〕があるのみであり、それはすべてに存在しています。ひとたび、同一のアートマ〔真我〕がすべての人の体に偏在していることを実感認識すれば、「私」と「あなた」の違いは消え去ります。ところが、皆さんは体と同一視する事を手放すことができずにいます。生まれたときから自分を体と同一視することに慣れてしまっているのです。21/3/04

 *内的汚染
この世界は、聞く、話す、見ると言う三つのことが歪められたことによって、邪悪になり汚染されてしまった。人の内的汚染が人の外的汚染に反映されている。すべてのことは、内的に存在するものの現れなのである。SSIB1993p, 29

*名前と姿
名前と姿は一時的なものです。人間は、真の自己を忘れて、名前と姿を実在するものと信じ、はかない世界を永遠のものと信じて人生を送っています。神はすべての特性と感情を超越しています。人が、神が特性や感情を備えていると考えるのは、むしろ不思議なことです。すべての人にとって、神の無限の愛と真理と慈悲を知るのは、何よりも大事なことです。人間は本質的には神でありながら、自己に内在する神性を忘れたために魔物のような振る舞いをしています。すべての人間には決断力と利発さという性質が備わっています。これらの美徳を崇高な目的のために活用する人のみが真の人間です。25/12/02

 *怠け癖
怠け癖がつくとそれは錆を出し始め、やがて人をして埃のようにしてしまいます。もし人が幸せで健康的な人生を望むなら、最初に人がしなければならないことは、心に浮かぶ悪い想念、感情、習慣を取り除くことです。次の段階は何でしょうか?それは、良い想念、良い習慣、良い感情を迎え入れることです。これらのことを、子供の頃から習慣付けなければなりません。SSSvol10p183

 *ナマスマラナ
ナマスマラナはカリユガにおいて人が解脱に達するのを助けるために規定された最高の方法です。10/9SS
あらゆる方角へ彷徨うとする心をナマスマラナ(と瞑想)によって集中させるならば、虫眼鏡で太陽光線を一点に集中させると炎となって燃え上がるように、知性と心の波が集中し、歓喜を照らす神聖光線として現れます。集中すれば、どんな困難なこともやってのけられるのです。人には、無限の力が備わっているのです。瞑想は心の集中の訓練をするプロセスです。DVJp6
悪の力がはびこって、善良な人々を皆滅ぼし神の帰依者でさえ、その邪悪な力の前に屈服してきています。このようなカリの時代においては、ただ神の御名のみが人々を救うことが出来るのです。このサイのマントラを一生を通じて唱えなさい。この名前こそあなた方全てを守り導くのです。10/3/80
毎日少なくとも五分を神の御名を唱える時間として捧げ、さらに数分を貧しい人や、寄る辺のない人びとへの祈りに捧げなさい。あなたの日々の祈りに、全世界の人びとの幸せを込めなさい。悪意や他人を傷付けることのない生活を送るように努力しなさい。これが霊性の規律であり、自分の人生を償うことであるとみなしなさい。神の名を唱えるだけで十分ではなく、神聖な行動に参加しなさい。SS3/90p60~1
ナマスマラナの火は心の中の不純物を燃やし尽くし最後には心を純粋なものにする。これが心の秘密です。P, 298 ANDI
毎日神の御名を唱えなさい。それだけであなたはいつも守られるでしょう。ちょうど空気がすべてに充満しているように、神はあなたの上に、あなたと共に、あなたの周りに、あなたの下に、あなたの上にいます。ですから、あなたはつねに神と接触しているべきです。神への信頼を育てれば、一体性は自然と得られるでしょう。その結果、憎しみの入り込む余地はなくなります。神の恩寵を得るために儀式をする必要はありません。心の底からナーマスマラナ(神の御名を唱えること)をするなら、それで十分です。21/7/05
生々流転するこの世において、私達は喜びや悲しみが繰り返す、人生の様々な浮き沈みに出会います。また、精神的にも身体的にも病に悩まされます。肉体は病気になり、心は心配事で一杯になります。不幸、混乱、悲惨さに直面しても、あなたにはそれらを避けることができる一つの道があります。
それは、サイへの道です。サイのみが、それらの困難や病気を取り除き、私たちに健康と平安と繁栄をもたらすことができるのです。
サイの名前を唱え続けている人は、生きながらの解脱者です。なぜなら、サイを常に憶念することによりエゴが小さくなって行き、永遠且つ、不変のアートマ真我への悟りがもたされるからです。サイの御名は帰依者とサイを繋ぐ絆です。その名前によって、帰依者はサイと向かい合い、自分が実はサイと一つであったという英知を得ることが出来るのです。29/3/81
罪への恐れは減少し、邪悪な行いが昨今の風潮になってしまった。神への信愛は消え失せてしまった。言語に絶する悪い行為が増え続けている。ああ、人間よ! 神の御名を唱えることだけが人に平安と幸福を授けられるということを理解せよ。2/4/2003

 *悩む
人々に対して良いことをしているならば、悩みはありません。悩みは心の錯乱です。私にはそのような悩みはありません。私は良いことをしています。それで何故悩まなければならないのですか?良い行いをしていないものは悩まなければなりません。17/11/1995

 *ナラカ
五千年前、地球の周りを運行しているいくつかの惑星がありました。そのうちのいくつかは、時々消えてなくなります。地球の周りをまわるナラカという惑星がありました。それぞれの軌道を運行するナラカと月は、時として衝突するばかりに接近しました。あるときナラカは地球のすぐ傍まで接近しました。地球の住人は来るべき大災害に恐れおののきました。彼らは、間近に迫った破局を回避し守護したまえと至高の神に祈願しました。
その時、クリシュナ神はナラカを滅ぼすために超常の知識(プラニヤー)を用いました。クリシュナの持つこの超常の知識はサッティヤと呼ばれます。クリシュナはサッティヤを使ってナラカを退治しました。地球の住民はランプを灯してこの日を祝い、守護したもう至高の神を崇め、至高の神が勝利を収めたその日を祝日として祝うようになったのです。5/11/91

 *肉食
神の信者になろうとしている者は、肉食、アルコール、喫煙をやめなければならない。SS12/1994p315
今日、どうして人口の増加が起こっているかといえば、それは人々の行為のせいである。人々の小さな胃袋を満たす為に、神は世界に沢山の食料となる物を創造しました。大量の米、大量の小麦、大量の果物のような良い食料を神が与えているのにもかかわらず、人々は肉や魚などを摂っています。そしてそれらの人によって殺され食された魚(や動物たち)が,人として生まれ変わってくるのです。SSIB1977p182
人々の為に飲料水を提供する施設を創設し、同時に人々が動物を食料として殺しているのを止めさす、という二つのことが太古の栄光を取り戻す上で基本的に必要なことです。どんな形にせよ、罪のない動物を殺すということは暴力であり、悪であり、野蛮な行為なのです。SS12/94p323
真の信者になろうと思うならば、肉食を完全に止めなければならない。人は動物を殺しながら、どうして自らをサイやラーマやクリシュナの信者だと言えよう?そのような人は悪魔である。そのような人は、神の恩寵を決して受けることは出来ないであろう。誰であろうと、その人がインド人だろうが外国人だろうが、サイババの命に従わなければなりません。今すぐ肉食を止めなさい。SSN春95p33
肉を食することによって、精神的な安定や集中が出来なくなり、霊的な進展は望めません。食べ物によって心は左右されるのです。肉を食べることによって、動物的な思いが心に浮かんでくるのです。例えば、羊肉を食する前に羊はどのような性格の動物か調べてご覧なさい。羊は従う、従う、従うことだけです。それ故あなたは羊肉を食べることにより識別心を失うでしょう。豚肉を食べると、傲慢な豚の性格があなたにも現れます。このように肉食は我々の想念に悪い影響を与えるだけではなく、暴力的傾向も強くさせます。動物を殺すのは罪です。しかしあなたは、動物を殺すのは自分ではなく,肉屋だと主張するかもしれません。それは正しくありません。というのもあなたが肉を食するからこそ、動物が殺されるのです。もしあなたたちが皆、肉食を止めたならば、誰が動物たちを屠殺場へと連れて行くでしょうか?それゆえ罪を犯している者は、動物たちを屠殺しているものだけではなく食している者も含まれるのです。このように我々は正しい食生活をしていない為に人間的な価値を失い、獣的な性格を身につけて来ているのです。SSN春95p,16
 今日、自分をサイの帰依者であると思おうと思うまいと、だれもが肉食をやめるべきです。なぜでしょう? 肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。何を食するかによって何を考えるかが決まるのです。さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。人間と同じく五大元素でできている動物を食べることは、いかに罪深いことでしょう! 動物を食べることは、人に悪魔的性癖をもたせ、その上、動物への残虐行為という罪をも犯します。ですから、真に神の帰依者になろうと努める者は、非菜食の食べ物をやめなければなりません。自分たちをサイの帰依者であるとかラーマの帰依者であるとか言いながら、鳥や肉を食べて肥えている人たちがいます。それでどうして真の帰依者であると見なされるでしょう? それでどうして神がそのような人を帰依者として受け入れることができるでしょうか? ですからインド人であっても無くても、そうした肉食をやめるべきです。
 次に飲酒という問題があります。人が飲む水は生命の供給源です。水はシヴァ神の頭から流れています。水は神聖です。そうした健全な飲み物の代わりに酒を飲むことは誤りです。酒は人に自分の本性を忘れさせます。飲酒により人は不快な気分になり、酒飲みを堕落させます。酒は神を忘れさせます。酒飲みは自分が言うことも行うことも意識にのぼっていません。そのような人を見ると嫌気が催してきます。飲酒の弊害によりおびただしい数の家庭が崩壊しました。酒飲みはお金をすべて酒につぎ込んで、妻や子どもたちに貧苦を負わせています。そのような無責任な男がどうして社会の役に立つでしょう?
 酒に加えて、多くの人がタバコの喫煙にふけっています。今日では、タバコを吸うことが、喘息や肺癌、好酸球増多症や心臓病など、多くの病気の原因となっています。喫煙の害は容易に示すことができます。白いハンカチにタバコの煙を吹きかけると、吹きかけた部分は赤く変色します。タバコの煙が一枚の布切れにそのような害を生じさせ得るのであれば、その煙が血流に入ったときにはどれほどの害をもたらすことでしょう? タバコの煙は健康を損ない、寿命を縮めます。ですから、真の帰依者になりたいと願う者は、肉・酒・煙草を断たなければなりません。
 アルコール依存症は数々の悪の原因です。けれども、どの政府もそれを止めることができません。それはは個人のレベルで起こらなければなりません。個人の変化は、他人に説教された結果 としてではなく、その人の精神的な変容を通してのみ起こることができます。一人ひとりが以上の真理に気づき、自分自身を改善しなければなりません。 23/11/94

*肉体
私は今まで肉体を無視するように言ったことは一度もありません。肉体は道具であることを常に心に留めておきなさい。肉体は神を祀る神殿なのです。決して肉体を軽視してはなりません。欲望が常に肉体を汚しているわけではありません。ただ、大切なことは、良い欲望を持つべきです。私たちには、欲望、怒り、貪欲、執着、強欲、憎悪といった、人を滅ぼす六つの敵がいます。けれどもあなたは、それらの敵を滅ぼすことが出来るのです。
怒りを例にとってみましょう。外に向かう怒りは何の役にも立ちません。 けれども、もしあなたが自分の悪い振る舞いや、悪い思い、性癖に対して怒るならば、自分自身の向上を図る事が出来るでしょう。このように怒りを他の人に向けるのではなく、自分に向けなさい。次に欲について考えて見ましょう。制限の無い欲望を追い求めれば、いつも不満を抱いて生きていくことになります。これとは逆に、あなたが強く神を欲し、神に仕えたいと欲するなら、同じ欲望でもそれは崇高な欲となります。このように、人が利己的、自己中心的、感覚的、世俗的である間は、確かに肉体は霊性の向上の障害になります。しかし、肉体を自分の内なる神性を悟るための道具として使うなら、肉体は断じて障害とはならないのです。実のところ、肉体とは人が神を悟り、体験する為の神様からの贈り物なのです。STPS2p79
肉体は、今日生まれて、明日には死ぬかもしれません。しかし、皆さんは永遠です。皆さんには生も死もありません。いつも幸せでいなさい。それが私の望みです。私のもの、あなたのものといった相違が自分に近づくのを許してはなりません。15/12/07
私たちは困難に対して勇敢に立ち向かわなければなりません。私がこうした苦痛を自分の身に引き受けたのは、皆さんにこの不動の精神と勇気を教えるためにほかなりません。皆さんは私の理想に従わなければなりません。決して肉体の苦しみに重きをおいてはいけません。肉体への執着を手放しなさい。そして、肉体を正しい活動に従事させなさい。肉体を神への奉仕に携わらせなさい。私たちの肉体は神からの贈り物です。神はなぜ私たちに肉体を与えたのでしょう? それは神への奉仕に献身するためだけなのです。23/11/04
今、人間のハートは、怒りや憎しみ、貪欲、妬み、虚栄心といった悪い性質の巣窟になっています。こうしたネガティブな性質を追い出すことができるのは、愛だけです。欲望、怒り、貪欲、妬みといったようなものは、肉体への執着と食習慣から生じます。ですから、人は肉体への執着がないかどうかよく調べ、欲望を抑えなければなりません。「荷物を少なくして身軽になれば、旅は快適なものとなる」と言われています。人生という旅を快適なものにするために、欲望という荷物を減らしなさい。肉体への執着は、少しであれば、あってもかまいません。なぜなら、人生という旅は、肉体の助けがあってこそ始められるものだからです。家族や友人と生活していれば、肉体への執着を手放すのは不可能です。11/8/2000

この肉体とその中の血液循環は、私たちが摂取する食べ物のみにより栄養を与えられ、養育されているのです。もし、自分自身の体をコントロールできないのであれば、私たちの生きる目的とはいったい何なのでしょう? どこにいようとも私たちは肉体を自分のコントロール下に置かねばなりません。そうして初めて、私たちは本当の人間となり、神に近づくことができるのです。肉体と心をコントロールすればするほど、あなたは神の近くに、より行けるのです。28/8/04
人間が体験するあらゆる困難の根源は、人間が自分の霊的な実体を忘れて、自分を肉体と同一視していることです。肉体はその中に宿る神霊の衣にすぎません。肉体意識に浸ることによって、人間はエゴイズムと所有意識を募らせ、それが多くの悪い性質を生じさせているのです。人間は生来備わっている神性さを忘れ、自分が授かっている感覚と器官を神の目的のために使い損なっています。25/11/88
神をアートマの化身として崇めなさい。「彼」をアーカーラ(身体)だと見なしてはなりません。肉体意識を放棄してアートマの意識を育みなさい。霊的な生活を送るときにのみ、あなたはアートマの化身を思い描くことができるのです。皆さんが私をこの身体であると見なすなら、私はただの2歩すら歩むことはできません。身体だけを見てはなりません。私がアートマの化身であることを信じなさい。そのとき、私は常に健康でいるでしょう。5/10/03
 人間の生命はわたしたち自身の実態を知るために神から与えられた贈り物です。今日、わたしたちはそのように考えません。わたしたちは肉体を道具とみなさなければなりません。何度も何度も探求しなさい。肉体はたくさんの部品、例えば鼻、耳、目、手、足などを持っています。これらの手足なしにはこの肉体を持つことができません。肉体は自然の手足です。そしてこの人間の肉体は社会の手足です。社会なしには神性を見ることはできません。これは神性の手足です。全世界は手足と手足の結びつきが組み合わさったものです。もしも手足が分離されたら肉体は存在できません。今日の人間はそれを別 々の部分に分断しています。15/7/01
 今日、皆さんはスワミの誕生日を祝っています。事実、この肉体には誕生日があります。この肉体はすでに生まれて78年が経過し、79年目に入ったところです。しかし、私は79歳に見えますか? いいえ、そんな年齢には見えません。今だけではなく、80歳になっても、90歳になっても、私は今のままです。私は決して誰にも他の人には頼りません。私の目も歯も完璧な状態です。普通 の人は79歳にもなると、歯は全部なくなってしまい目は白内障にかかります。皮膚には皺が寄ります。しかし私には皺一つありません。私は年をとりません。実際私は老人ではありません。 同様に、皆さんもこのような勇気と自信を培わなければなりません。そうすれば必ずよい気分になります。私だけでなく、皆さん方全員がよい健康状態に恵まれるべきです。しかし、皆さんは自分で自分の健康を害しています。皆さんは、実にさまざまな面 において、肉体的な力を誤用しています。もし皆さんが、肉体を正しく使うようにすれば、スワミの恩寵によって栄えることができます。
皆さんは、健全な肉体と健全な精神をもっていれば、どれだけの人々にでも奉仕することができます。ですから、自分の美しさをひけらかすためではなく、他者に奉仕するために、皆さんの身体を健康に保たなければなりません。私でさえ、他の人々に奉仕するためにこの肉体が必要なのです。人類に奉仕するためには、私はどんなことでも、自分の命を犠牲にすることさえ覚悟しています。
同じように、皆さんもいつも他者に奉仕する心構えがなくてはなりません。決して肉体が一番大切だと考えてはなりません。そして、体力を無駄 に使ってはなりません。皆さんは肉体を正しく使わなければなりません。それと同時に精神力も十分に強くしなければなりません。よい学業成績を修めて、人類への奉仕をして人生を聖なるものにしなさい。人生のどのような場面 にも臆せず立ち向かう心構えを、つねにもっておきなさい。それこそが真の人間の本質です。どんなときでも、あなたの奉仕が必要とされれば、「いつでも準備が出来ています。いつでも行く用意ができています。」と言って即座に要求に答えなければなりません。このような勇気と自信を培って世の中に理想を示しなさい。23/11/04
人間の肉体は、人生のどこかの時点で必ず病気に悩まされ、苦しむものです。人はそのことに関して過度に心配すべきではありません。実際、肉体は様々な困難を通して生まれ、成長します。肉体は困難の数々をまぬがれませんが、それらを気にするべきではありません。人間の肉体にとって困難と苦痛は自然なことです。アートマにとって歓喜は自然なことです。肉体の性質にではなく、アートマの性質に従いなさい。肉体意識を放棄しなさい。体は汚物の巣窟(そうくつ) であり、病気に冒されやすい。体は時として変化を被る。体は輪廻(サムサーラ)の海を渡れない。「おお、心よ! 体が永遠のものであるという幻想を抱いてはならない。そうする代わりに、聖なる蓮華の御足に庇護を求めよ。」
なぜ、このような束の間の肉体について思い煩うのですか? そうする代わりに、神を想いなさい。肉体の苦痛は、流れ行く雲のように来ては去っていきます。それが人間の体(プラブリッティ、外界)の性質なのです。アートマ(ニブリッティ、内界)の性質は、人生の二元性を平等に扱います。肉体の不調は来ては去ります。2/4/2003
人間は、肉体的執着という束縛を断ち切ったときに、初めて神の姿を見ることができるのです。今日、人は学識があるにもかかわらず、無知に埋没しています。22/7/02
あなたは母親の肉体を通って生まれてきたので、母親と肉体的に繋がっており、その母親を生んだ祖母とも肉体的に繋がっています。姉妹や兄弟とは敬意を持って接するべきですが、母親や祖母以外の人々とは、肉体的な繋がりはないのです。CWSSBJp126
アートマンをアートマンとして知った人は本当の自分自身の事を知り、アートマンに融合する。しかし、未だに何らかのやるべきことや欲望を持っていれば、それらが消費され尽くすまで、彼らは肉体を持ってこの世を彷徨う。そのような人々を、人間の身体を取ってはいるが、同時に少しの神性さを持つ者と呼ばれる。これもまた、神の意思によって起こる。その者達は、肉体を持ってはいるが、その姿は霊妙であり、超肉体的解脱を得るまでの間だけその姿を保つのである。彼らの行為は水に書かれた線のように、それを書いている間しかその姿を見ることができる。その行為が終わるや否や、その者たちも消えていなくなる。その者達が行為をしている間だけあなたはそれに気付くが、次の瞬間には彼等は消えていなくなるのだ。SDMp87
肉体は神の住処です。肉体は人々が識別と無執着という二本のオールを漕ぎながら、それに乗って生々流転の大海を渡らねばならぬ舟なのです。そのために常に最善の状態に整えておかねばなりません。真、善、美part1p168
*憎む
すべてが神だと言いながら、あなたは他者を憎みます。これはまったくの偽善です。もし皆さんが誰かに対して反感を抱いているのであれば、黙ってその人から離れていなさい。その人を憎んではいけません。その人に対する愛を養うように努めなさい。誰をも批判したり憎んだりしないことです。23/11/00
誰をも憎んではなりません。憎しみはあなたの最悪の敵です。いったんあなたの中に愛を育めば、憎しみは自然に消え失せます。敵対しているライバルに出会ったら、愛をもって彼に挨拶をしなさい。彼もまた、同じ感情を返してくることでしょう。あなたが他者をまったく愛することなしに、どうして他者からの愛を期待できるでしょうか? 私が実践しているのも、伝えていることも、愛であり愛のみなのです。愛の力を理解するよう努めなさい。愛はあなたの最も偉大な富です。誰もその価値を見積もることができません。神はあなたから何を期待しているのでしょうか? あなたの愛のみです。愛は、神があなたに与えたすべてのものに対して、あなたが神に支払わなければならない税金なのです。5/10/03

 *ニ元論
二元論の根っ子には欲望があります。欲望が生じるのは自分と他のものという思いがあるからです。
欲望を持つ者と、欲望の対象物は異なる二者であるとの観念があります。しかし真の不二一元論は主体と客体が一体となることにより、二者の分離がなくなると説きます。8/9/96
二元性は日常生活の明らかな現実です。すべてのシャーストラ(霊性の科学)、プラーナ(叙事詩)、イティハーサ(古代の伝説)は、二元性を認め、その基盤の上に人間の生活を規制するよう求めてきました。どのような立場においてであれ、人が現象界での活動に没頭している限り、二元的な傾向は避けられません。聖典のあらゆる戒めは、現象上の一時的な世界における人間の振る舞いを規制するために書かれています。30/3/87

 *ニシカマカルマ
行為の成果を期待せずに為す行為をニシカマカルマ(欲望のない行為)と称します.それは又、無執着と結びついた喜びの行為と称されます。24/5/91

*肉体
人間の肉体は愛から現れました。ですから、私たちは食べ物のためではなく、神への愛のために一生を送るべきです。しかし、人はこの真実を理解していません。人は夜明けから夕暮れまで自分のお腹を満たすために大変苦労しています。人は肉体という贈り物を、本来の目的のためには使用していません。この肉体は汚物の巣窟であり、病気になりやすく、時々変化することがあります。そのような永遠ではない肉体に対して執着を育て、肉体的な喜びのために努力するのは何と馬鹿げたことでしょう?28/8/04
決して肉体を永遠のものと考えてはなりません。体は時間と状況に応じて現れます。ひとたび定められた時が過ぎれば体はただ消えるのみです。肉体によって得られた体験さえ消えてなくなります。23/2/09

 *人間
どうやったら限りある人間の力を限りない神の力に変えられるのでしょう?その為には、すべてを神に委ねるのです。SGc2
人間は体と意識の結合体です。人は霊性の第一歩として内省に取りかからなければなりません。そうして初めて、現実は理解され得るのです。誰も自省に着手していませんが、他者を非難する準備はできています。自分の過失について自分を省みて自分を罰する心構えのある人だけに、他者を判断する資格があります。7/10/97
あなたの力は宇宙の中にあり、宇宙の力はあなたの中にあります。皆さんは誰か他の人を偉大な人間だと思っています。けれども、あなたより偉大な人間など存在しません。あらゆる力と可能性はあなたの中にあるのです。引力と磁気エネルギー、電流、光、火、エックス線も生まれつきあなたに備わっているのです。すべての人はコンピュータであり、発電機であり、光源であり、無線局であり、あらゆるニュースも私たちの中にあるのです。20/5/95
人間の肉体が特別なのは、神の力の80%までがそこに内在しているからです。動物の体には15%位しか存在していません。人間は自らを高めて神と一体となることができますが、動物は、決して生まれ持った状態から自由になることは出来ません。CWSSBJp270
人間は、ほんの小さな存在であっても、神の大きな力とつながり、一つになれば、果てしない力、どんなことも出来る力が生まれます。SGc2
人間は確かに万物の長ですが、にもかかわらず、弱く、他者に依存する存在として生まれてきます。社会の文化と伝統、家、国、宗教、つまり歴史は、個々の人間の人生と思考に影響を与えます。歴史は人の個性を形作り、国家への忠誠心や親近感を与えます。それゆえ、人は孤立無援の存在としてではなく、万人に内在する神性を意識しながら成長するものであり、それによってついには一体性を体験することになるのです。21/11/85
人間は自分の力と知識を誤用しています。人々は、自分の本当の目的に注意を集中していません。人間には、非常に大きな力が備わっています。だからこそウパニシャッドは、「目を覚ましなさい。起きなさい。完全な理解を得るまでは立ち止まってはいけません」と力説しているのです。『おお、思慮の無い者よ! この無知の惰眠から覚めなさい。プラグニャーナ(絶えざる神意識)の光輝に目を向けなさい。鈍性(タマス)の性質を取り除きなさい。世俗的な欲望を手放しなさい。この世が移ろいゆく性質を持ったものであることを理解しなさい。』ヒラニヤカシプとヒラニヤクシャは、あらゆる力を自在に操ることができましたが、神の近くにいることはできませんでした。彼らは、宇宙の神秘を調べ、天体の位置すらも変えることができました。ところが、神の原理に関しては、少しも理解することができなかったのです。22/7/02
人間の肉体が重要なのは、それが目に見えない神を顕現できるからなのです。全宇宙の中で人間の生命、あるいは人間に似たような生命体が存在する所は、地球以外にありません。全宇宙に生命が存在しますが、生まれ変わりは全宇宙の中で、地球以外のところで起きることは決してありません。常に生まれ変わりは地上において起きるのです。
地球上での生命の進化方向は上方に向いているのです。つまり、人間を経て神に向かうのです。人間に生まれたおかげで、次のステップは完全な神実現の段階となるのです。人間としての生命は神聖であり、この上ない貴重な価値を持っているのだ、ということが認識されなければなりません。(宇宙の他の惑星も含めた)すべての生命は、人間に生まれ変わることを望むことは出来ます。そして人間に生まれることによって初めて、神実現が可能になるのです。CWSSBJp273

人は皆、人間の身体を持っているので、 誰でも同じような人間に見えます。けれども、皆さんが人間であるか否かは、皆さんの振る舞いや性質で決まるのです。皆さんは人間であるべきなのですが、皆さんは人間の生命の価値を忘れてしまったように見えます。身体、時間、行為、義務、人生の目的は、どれも誤用されていたり、誤った方向に向いていたり、浪費されていたしています。科学技術の目覚しい発達にもかかわらず、基本的な人間性は失われています。
いたるところに、怒りに満ちた雰囲気、苦痛に満ちた雰囲気、緊張に包まれた雰囲気、あるいは、不安に満ちた雰囲気、動揺した雰囲気、落ち着きのない雰囲気に満たされています。人間的価値を培うためには、「自制」と「規律」という二つの特質が最も重要です。「自制」には 非暴力、真理、他人の財産をほしがらないこと、誰からも何も受け取らず、要求もしない、禁欲という五つの行動指針があります。「規律」にも清浄、苦行、満足、霊的書物を読む、すべての行為を神に捧げる、という指針が五つあります。STPS2p127~130
真の人間に相応しい生き方をして下さい。人間の特性を磨くのです。自分は人間だと言いながら動物的な自由を楽しみたいと思うのは良くないことです。人間の持つ特性とは、犠牲の心、愛、真心、広く大きな心、思いやり、非暴力などの、尊い性質です。エゴ、怒り、むさぼり、憎しみ、ねたみ等の動物的性質を持っていてはいけません。SGc7
今日、虚偽と不正と邪悪は世界中に横行しています。人間らしさは、無に帰しました。人間の姿をとってはいるものの、人間らしい属性はありません。人間の価値は捨て去られました。人と人との間に愛はありません。愛が失われたならば一体何が残るでしょう?愛は命。愛のない人間は生きる屍といえましょう。20/4/94
身体を自分と考える者。彼らは~死を恐れます。~永続せぬ身体を自分自身と考えて、貴重な人生を無駄に過ごすのです。心を自分と考える者。彼らの心は、様々な想念や空想に揺れ動きます。彼らは過去に捕らわれ、未来について思い煩い、現在を無視して自らを混乱に陥れます。知性を神と崇め知性を自分と考える者。彼らは知性の力を借りて、様々の計画を立て知性の持つ神聖な力を浪費します。人生は、際限の無い探求と実験の内に無駄にすぎていきます。どれだけ探求と実験を続けようと、知性によって神を認識することは出来ません。
アンタカラナ(行為を為すためにある内在の道具)の力にたよる者。彼らは現象世界を自分とは分離したものと看做して、霊性の道を歩み神を認識するために努力します。私は全てであり、私と離れては何一つ存在しない。と宣言する人です。彼らは世界そのものが非真であると信じています。かれは、(私)に関するプラニャ(偏在の統合的自覚)の本性と機能を理解するものです。身体、心、知性、アンタカラナを統合して、超越する目標の認識を求める者は心、知性、アンタカラナを越え、目覚め、夢見、熟睡の境地を超越しなければなりません。その時始めて彼はプラニャの私の本性と機能を理解することが出来ます。身体、心、知性、アンタカラナは物質的現象に関わりを持ち、それらは、心に属する様々の機能です。神は心によって理解することは出来ません。心をコントロールする努力をしなさい。29/5/92
すべての生き物に優しくするのは、人間にとってとても大切です。物事を正しく見極めて、優しさを深め暮らしに活かす道を探らねばなりません。すべての生き物に優しくすると言うのは、苦しんでいる人や生き物の面倒を見て、助けようとすることです。他の生き物の痛みや苦しみを和らげるために、力を尽くして下さい。優しさという言葉を何度唱えても、それだけでは何にも役立ちません。優しさを身をもって示し、人生の一部とするのです。優しい心は神と同じだと信じて下さい。SGc27
完全に心〔マインド〕に従って生きる者は悪魔だと言われています。体の欲望に従う者は動物です。アートマ(真我)に従う者は神の力に恵まれています。体と心とアートマに頼る者は人間です。人間性は体と心とアートマの結合体です。人は神へと上昇するよう努めるべきであって、悪魔的性質や動物的性質へと落ちるべきではありません。23/8/95
人間性とは優しさのことです。神を信じる心には、様々な花が咲きます。その中でも大きな愛のある優しさの花を神は受け取るのです。~どうやって優しさの気持ちを表せば良いのでしょう。良いことさえしていればそれで良いのではありません。神を深く信じること、信じる心が限りなく拡がっていくことが大切です。自分の心を大きく変えていくのです。同じ神がすべての人の心にいると信じることが大切です。神はあらゆるところにいると深く信じて下さい。そうすれば、人の痛みや悲しみをまるで自分の事のように感じられる様になるのです。SGc27
今日、人は自分自身を偉大であると考えています。他方で、人間らしさが欠けている者はまったく人とは呼べません。真の人間とは人間らしさが現れている人のことです。真の人間とは、サティヤ(真実)、ダルマ(正義)、シャーンティ(平安)、プレーマ(愛)、アヒンサー(非暴力)という五つの人間的価値を実践し、それを他の人々に説く人のことです。これら五つの価値のうち、たとえひとつでも欠けていたならば、人間という名にふさわしくありません。実のところ、人間は非常に知的です。その知性は無限で無比なるものです。しかしそれが人間の振る舞いに反映されていません。17/2/07
この世のすべての人、すべてのものが価値を持っています。一人ひとり、一つひとつ、が固有の価値を持っています。この世に価値のないものはありません。哀れなことに、人間だけが今の世で自らの価値を失ってしまいました。何の価値もないまま人生が費やされています。その為、人間は動物より悪くなってしまいました。STPS2p108
人間が生きていけるのは、人間以外の被造物の利他的行為に依存させてもらっているからであるというのに、その人間自身が利己的に振る舞うとは、何とひどい話でしょう! 人は、いかなる情報、指導、ひらめきを得ようとも、いかなる財産、富、所有物を持っていようとも、それらを利他的な方法で他の人々と分かち合うべきです。これは人間の第一の義務です。20/11/79
皆さんには反省するという優れた能力があるから、いろいろなものを楽しむことが出来るのです。あらゆる力を尽くして、人間性とは何かを理解して下さい。まず欲望の力がどれほど決心をぐらつかせるかを良く理解するのです。もちろん多少の欲望はあるでしょう。何も欲望が無かったら、ほんの一瞬でも生きられません。ただしすべての欲望を良いことに向けるべきです。そうやって、他の人の模範になって下さい。そうすれば、真の人間性にかなった生き方が出来るでしょう。世の中のすべての人の幸せを人生の目標にするつもりで無かったら、それは真の人間性とは言えません。SGc21
何のために人間として生まれてきたのでしょうか。立派な教育を受けながら、それを生かそうとせずに、鳥や動物や虫が夢中になっているような程度の低い楽しみのために時間を使っていてどうするのですか。人間だけに特別に許されている理想とは何でしょう。人間として生まれることは、途方も無く難しいという言葉の深い意味は何でしょう。皆さんは動物のように振る舞うために生まれてきたのではありません。人間は神になるために生まれてきたのです。人間としての人生は、神の意識という最高の境地に達するために与えられたのです。SGc21

*人間の特権
 私たち自身が、サット・チット・アーナンダという三つの特性の化身なのです。あなたが自分のことを思うあなたは「サット」(真理)です。他の人があなたのことを思うあなたは「チット」(意識)です。本当の あなた自身は「アーナンダ」(至福)です。これらの三つの特性は、人間の特権です。それは人間に生まれながらにして備わっている権利です。それらは人間の本性です。実にそれらは、人間の本質的な特性なのです。
  この本質的な真理を忘れ、私たちは人間の尊厳に対して何の敬意も払わず、他者を非難し、嘲笑し、彼らの悪口を言います。他者を嘲笑することによって、私たちは彼らの罪の一部を我が身に負うことになります。決して他者を嘲笑して、彼らの心を傷つけてはなりません。もし誰かの欠点を見つけた場合は、優しく彼らに話して道理を説き、理解と愛を持って彼らに判らせ、正すように努めなさい。 KSH

 *妬み
他人をうらやむ者は寝つくことができない。睡眠不足は食事をしないことよりもっと健康に悪いのです。ねたみ心を持つ人はいつも苦しんでいます。ねたみ心は人の命をむしばみます。SS8月p203
妬みを持った人は、自分の妬みを隠して、害虫のように他者に害を及ぼします。これは邪悪なやり方です。しかしながら、私自身の観点から見れば、実は邪悪な人間は一人もいません。すべての邪悪な振る舞いは、遅かれ早かれ変化します。23/11/2000
妬みと憎しみはいつも一緒にいます。妬みが無ければ憎しみはありません。憎しみが見える場合には、必ず見えないところに妬みが隠れているのです。憎しみは形をとって表れます。その形は色々です。
妬みには決まった形はありません。どこか見えないところに隠れています。人を妬むことの無い人など、この世に誰もいないと言われています。どんな人にも少しは、妬み、嫉妬の気持ちはあるでしょう。妬みや憎しみの気持ちが起こらないように良く気をつけて、見返りを求めることの無い、私欲の無い愛の心でいて下さい。私欲の無い愛があれば、妬みや憎しみの入る隙はありません。妬みと憎しみが取り除かれれば、神の大いなる悦びと出会うでしょう。SGc25
神の過ちを見つけようとするのも妬みの一つです。妬み、嫉妬にはいろいろな兆しがあります。
自分よりも人望のある人やお金のある人を見ると、妬みの心がおこります。自分よりもきれいな、格好の良い人を見ても、妬ましく思います。自分より成績の良い学生がいれば、やはり妬みます。財産や地位、容姿、知性などの点で自分より勝っている人が現れると、たいていの人が妬みの心を芽生えさせます。妬みの気持ちが起こると、それまで皆さんが培ってきた徳はたちまち消えて無くなります。
妬みの心が湧き上がってくればただではすみません。その人の持っている徳は台無しになってしまいます。人間らしさは無くなって、悪魔のような性質、動物のような性質が強く現れるのです。妬みには善悪の見境がありません。良心のかけらもありません。だからまず何よりも、妬みのおこらないようによく気をつけなくてはなりません。他の人の成功を喜んで下さい。他の人の成長を、豊かさを喜んで下さい。それが徳というものです。自分以外の人の幸せを願うのは、すべての人が身につけるべき何より大切な徳であるというのがギーターの教えです。SGc25
もし妬みの気持ちが無ければ、神の現れである三つのグナは思いのままになります。実を言えば、もし本当に妬み、嫉妬から自由になればすべてを支配することが出来るのです。~皆さんは妬みは人を傷つけると思っているかもしれません。ところが、実は妬みというものは、他の人よりも自分を傷つけるのです。妬み、嫉妬をいだいていると、病気になってしまいます。よく眠れないし、美味しく食べられません。健康だった人も、人を妬んでいると、たちまちにいろいろな病気に罹ってしまいます。妬みは結核のようなものです。結核が少しずつ悪くなっていき身体をむしばんでいくように、妬みの気持ちは、本人の気づかないうちにその人をだめにしてしまいます。いろいろな方法で人の中に入ってきて、人を滅ぼすのです。妬みはとてもたちの悪い病気です。妬みに居場所を与えてはいけません。たとえ自分が相応しいと思う地位より低いところにいたとしても、それは神がそういう恵みを与えて下さっていると感じて下さい。他の人の幸せを喜んで下さい。人の成功を耳にしたら、その人には自分には無い才能があると思って、惨めになったりしないで、その人のために喜んであげて下さい。このカリユガにおいて、妬み、嫉妬はあらゆるところに蔓延っています。宗教的な人にも、世俗の人にも、病気の人にも、あらゆる人に、至る所に見られるのです。人々は多くの場合、妬みによって安らぎを失い、人生を無駄にしてしまいます。SGc25
冷たい妬みの心を捨て、他の人が幸せでいる時には、あなたも幸せになりなさい。それはマントラを唱えるよりも、神へ捧げる花よりも、御名を唱えたり、瞑想したりするよりも神を喜ばせるのです。SSSVol5p139
妬みや憎しみによって他の人を不愉快な思いにさせようとするのは、程度の低い行為です。それによって相手を苦しめることは出来ません。自分を苦しめるだけです。妬みに捕らわれた人は、いろいろな形で苦しむことになるのです。SGc25
人それぞれの心の中で、愛はいろいろな現れ方をします。愛に陰りが無く、満ち足りていて完全なものであれば、アートマの光りが現れ、すべてを明るく照らすでしょう。心の狭い、自分への愛しか無ければ、愛はまるで寝室の薄暗い電球の様でしょう。これは電流の問題ではありません。どんな量の電流も流せるようにすでに用意はしてあります。もっと強い光にするために電球を変えて下さい。妬みの心で溢れていれば、薄暗い灯りしか無いでしょう。私欲の無い愛が輝いていたら、まるで1000ワットの電球のような光を放つでしょう。だから愛を育みなさい。愛だけが神を悟らせてくれるのです。SGc25

 *寝る
スワミは寝ません。夜になれば灯りを消してベッドに横になりますが、それは灯りをつけておくと、信者たちが寄ってくるからです。スワミには、睡眠というものは必要ありません。しかし、人は少なくとも一日四時間の睡眠を取る必要があります。CWSSBp65
熟睡とサマーディ(三昧)の違いは、サマーディにおいては、その時に得た至福感がそれが生じた時に、知覚されることです。CWSSBp88

*年長者
年長者の本当の強さは、その知恵と高貴な考えにあります。若い世代のために年長者によって掲げられた理想には、もっとも価値があります。そうした価値を理解できずに、人々は役立たずとして年長者を無視します。今日、定年退職した科学者には多くの価値が備わっています。新発明に関する彼らの知性と情熱にかなうものはありません。しかし、彼らの尽力は、社会のために適切に利用されないままに浪費されています。実は社会、世間はこうした高齢者からおおいに利益を得ることができるのです。
年長者には社会のために役立てることができる非常に大きな力があります。今日、私たちは古代の聖賢たちに潜在していた強さと霊的な力を明らかにするために努力を払っています。高齢者はそうしたすばらしい理想の反映です。ですから、私たちは高齢者を無視すべきではありません。年長者の生み出す考えはどれも高尚で大きな価値をもっています。年長者と比較して、若者は考えやアイデアの小片さえ生み出すことができません。したがって、私たちは、彼ら年長者を価値ある財産とみなし、滋養、養生を施し、よくお世話をさせて頂かなくてはなりません。
年長者たちがどのようにして、配慮と情熱をもって正しい方法で自分の子どもを育てたかを、敬意をもって心に留めるべきです。あなたが年長者たちに与えたものは、10倍になって後々あなたに返ってくるでしょう。 10/2/05
私たちの先祖は、宗教の本当の意味を認識し、形式においても精神においてもそれに従いました。先祖たちはこの点において年長者を手本としていました。今でも、どこかの子どもに「だれが君にそう言ったんだね?」と尋ねれば、子どもたちは「私のおばあさんに言われました」「私のおじいさんに言われました」と答えます。年長者の忠告は決して無視してはなりません。年長者の忠告に従うなら、結果的にそうしてよかったということがわかるでしょう。
残念ながら、近ごろでは、だれも年長者のよい言葉に耳を傾けません。そのくせ、人はテープレコーダーから流れるさまざまな映画の歌に耳を傾けます。人はそうした歌をまねようとします。テープレコーダーからどんな曲が流れても、人はその曲をまねしようとします。人は今、人間らしく生活していません。人は単なるレコードかテープレコーダーになりつつあります。決して年長者の言葉を無視してはなりません。人は今、年長者の正しい忠告を聞かずに、人間の本性とは逆の行動を取っています。人々は、良いものを聞かず、あらゆる不要で不当な行為に浸っています。14/1/07

*農夫
額に汗しながらあなた方は土と汚物とを、人や獣の為に栄養のある美味しい食物に変えます。何と神聖な仕事にあなた方は毎日従事しているのでしょう。あなた方は数えきれない労苦を経てきて自分自身に揺るぎない信念を持っています。あなた方は青空の下で涼しい風に吹かれながら、緑の野山を歩き廻っています。野原を歩きながら、これらすべての美しいもの、満ち溢れているもの、荘厳なものの中に内在する神の栄光を讃える歌を歌えばどんなに素晴らしいでしょう。真、善、part2p98

 *罵る
他の人を罵るということほど重い罪はありません。あなたは、他の人の中に神をみるべきです。このような態度が人々の間に広まれば国家も繁栄するのです。SS4月1996p,94
たとえ誰かがあなたをののしったとしても、気にとめてはなりません。というのも、悪口を言う人は、あなたの真我をではなく、肉体をののしっているだけだからです。たとえば誰かがあなたを悪い人だと言ったとすれば、そう言われただけで、あなたが悪い人になるのでしょうか? 
もし実際に、あなたの中に悪い点があるとすれば、それを無くすように努めなさい。このカリの時代には、自分の望みがかなえられないという理由で、神の悪口を言う人がたくさんいます。これは、あらゆる国に共通した普遍的な習慣です。皆さんは、そのような清らかでない低劣な想いに負けてはなりません。例えば、ティヤーガラージャは、あなたが神に近付いた分だけ、またその近付き方に応じて、神はあなたに自分の姿を見せるのだと言っています。あなたがどのように考えようとも、神はあなたが考えるのと同じ姿をとります。もしあなたが良い感情を持っているのであれば、良い結果を得ることでしょう。23/11/00
もしだれかがあなたをののしったら、その人はあなたではなく、あなたの体だけをののしっているのだと受け取りなさい。もし彼らが人前であなたに罵倒を浴びせるなら、目に見えない空気に同化させてしまいなさい。一方で、もし彼らが静かにあなたをとがめるなら、それはあなたに届きません。彼らのことを思い悩んではなりません。神への信仰をしっかりと保っていなさい。それこそが皆さんの態度であるべきです。14/1/07

*俳優
生きとし生けるものはすべて、舞台の上で劇をする俳優です。彼らは色々な役を演じます。その舞台裏で役者たちに指示を与えるのが神です。指示を与える者は、舞台には登場しませんが、一切を心得ています。もし彼が俳優たちと一緒に舞台に上がり、指示を与えるならば、劇は劇でなくなってしまうでしょう。それゆえ、指示を与える神は舞台の影でスクリーンの後ろに立ち、全ての俳優たちに指示を与えるのです。そのように、神はこの世の物質世界というスクリーンの背後にいて、あなた達に指示を与えます。あなた達は常に神の声を聞こうと耳をそば立てて、神が与えるごく些細な指示をも捉えようと、熱心に気を配らなくてはなりません。
もしあなたが劇の筋書きやセリフを忘れ、つまり今生での役割を忘れ、スクリーンの後ろにおられて指示を与えようとしている神を無視して、舞台の上でぼんやりと立っていたなら、観客はあなたの間抜けさを嘲笑し、劇を台無しにしたと非難することでしょう。この世という舞台の上で、人としての役割を演じる俳優は最初に劇の筋書きを覚え、次にスクリーンの背後にいて指示を与える神に注意を向けることです。この集中と自覚は瞑想によってもたらされます。DVJp49
神は宇宙の舞台監督であり、脚本家であり、俳優です。神はあなたの姿をとって演じてさえいるのです。神は批判する者であり、批判される者です。神は泣く者であり、泣かせる者でもあるのです。それらが神の本質ならば、一体誰が神について何か断言できるような事を言えるのでしょうか。23/11/87
この世という舞台には、様々な登場人物がいます。人々は、それぞれの役割をきちんと演じることを学ばねばなりません。
監督である神の指示通りに従った時にのみ、その、演技を完成させることが出来ます。人生という劇において、登場人物が神の指示に背いてなす行為は何であれ、その人を価値のないものにし、孤独にさせます。エゴと執着という二つの要因が、人が監督の指示に背かすのです。PD32
朝、目を覚ました時、至高の神によってあなたに割り当てられた役割りを演じる舞台劇に登場した、と思いなさい。その役を上手く演じて神に褒められるように祈りなさい。夜、眠りに着く時は、舞台を降りて自分の演ずる役割の衣装を着たまま楽屋に居ると思いなさい。なぜなら、おそらくあなたの役は未だ終わっていないので、衣装を脱ぐことを許されていないからです。おそらく、あなたはまた翌朝舞台に立たねばならないでしょう。何も心配はありません。彼の意思に従いなさい。彼はすべてを知っています。彼が劇を書いたのです。そして、彼は劇がどのように終わるのか、どのように続いて行くのかを知っています。あなたはただ、与えられた役割を演じて退出すれば良いのです。OCSp12

 *バジャン
バジャンは、神を満足させたいという願いを持って全身全霊を込めて歌わねばなりません。神は才能の優れた音楽家と乞食を区別しません。信愛と真剣さがあればよいのです。バジャンに魂を溶け込ませなさい。バジャンを霊化させなさい。そうすればあなたは真の至福を体験します。6/3/97
バジャンにはとても大きな至福が伴います。バジャンで体験する至福は他では体験できません。それゆえ、バジャンを歌うことは不可欠です。あなたのバジャンを誰かが聞いているかどうか、気をもむことはありません。歌っていることの幸福感に集中しなさい。たとえ誰も自分の歌うバジャンについて来なくても、がっかりしないように。あなたは自分のために歌っているだけで良いのですから。1/1/08
大勢の人がバジャンに参加しにここに来ています。その人たちは皆、シュラッダー(固い信仰)とバクティ(信愛)をもっているのでしょうか? その人たちは皆、ムクティ(解脱)を得るのでしょうか? いいえ、まったくそのようなことはありません。その全員の中で、祈りが神に届くであろう人はわずか十人にすぎません。集団でのバジャンは、バジャンに参加している大勢の人の中で、せめて何人かの愛は神に届くであろうという願いをもとに催されました。バジャンには、集団全体の神への愛を育むことも意図されています。集団で歌う修行を始めたのはグル・ナーナクです。「ずいぶん多くの人がいっしょに歌っていますが、神はそのすべてを聴いているのですか?」と誰かが尋ねると、ナーナクは「少なくとも一人か二人の愛が神に届くことは可能だ。全員を守護するにはそれでこと足りる」と答えました。だからこそ、私たちはサマシュティ・バジャン(地域での讃歌)を催すべきなのです。サマシュティ(地域)はヴィヤシュティ(個人)で成り立っています。多くの個人が集まってグループを作るとき、個人のプシュティ(力)は増します。神はただの遊びで創造物を創造したのではありません。神は創造物すべての一体性を明らかにするためにそれを行ったのです。一体性は創造物の根底にある原理です。一体性には、すべてに内在する愛の原理を促進することが意図されています。1/5/08

 *働きと休息
人の身体は働かなくなると、機械のように錆び付いて来ます。それ故我々は働くべきです。働くべきだと言っても、限度をもうけるべきです。働きすぎると、機械であるこの身体は、病気になります。健康に影響を与えない範囲で働くべきです。休息しなくてはなりません。毎週日曜日に工場が休む理由は何でしょうか?もし、不活発な物質である機械でも休まさなければならないとしたら、この活発な生きている肉体を休ませない理由はありません。DD87p75
しっかり働きなさい。というのが私からのメッセージです。そしてそこから得られたものを他の人々と分かち合いなさい。しっかり働けばより多くのものを得ることが出来、そしてそれをまた他の人々とより多く分かち合えるでしょう。しっかり働き、他の人々と共に愛に育まれた関係を築くことが大切なことなのです。SSSvol10p237

 *罰
罰は必要です。たとえば、中東のある国ではもし盗人が罪を犯せば手を切り落とされます。もし人が罪を犯せば罰を与えなければなりません。MBAIp204
今日、神が正しきを守り悪を罰しようとしても、誰一人完璧に正しい人は見当たりません。すべての人は何か罰せられるものを持っています。もちろん悪を罰しなければなりません。今日なさねばならぬことは人を不正義の道から正義の道へ導くことです。それはどのようにして成し遂げられるのでしょうか?それは愛のみによって可能なのです。SS10/1994p260
神は、絶えず守護する者です。神は罰しません。人々は、この真理を理解することができずにいます。この真理を理解できないために、一部の人々は、本来人々を守護すべき神が、罪のない人々を苦しめているといって非難します。1010/05
罪を犯した人を殴り、罵る必要はありません。その人と話をしないことです。邪悪な道に落ちた者と話して何の役に立つでしょうか?私は自分の言葉を、そういう人たちと話すことによって無駄にしたくないのです。私の言葉は大きな価値を持っています。あなた方は知らないかもしれませんが、私は私の話す言葉の価値を知っています。私の一言の中にほんの少しでも利己的な要素はありません。私の為す、すべてのことはあなた方の為なのです。大きな心を持たず、自分の興味のあることにしか関心を持たない人に、どうして私が話しかけなければならないのでしょうか?自己中心の人間は神聖さを理解することすら出来ないのです。SS5/93p118

 *ハート
純粋で利他的なハートを持っている者は、嵐の中でも転がらない鉄球の様に揺るぎ無い信仰心を持っています。SS8/93p202
ハートが清らかであっても愛で満たされてなければ、神の御姿を映し出すことは出来ません。14/4/1993
ユニークな神聖な力が自らのうちに存在するにもかかわらず、人はそれを認識することが出来ません。何故でしょう?それは日常生活の中で人々が単に外的世界を見る目しか培わず、内面を見る目を育てる努力をしていないからです。正しい探求をなし、そして心とハートの清らかさを得るならば、人は自らのうちにブラフマンの本性と機能が存在するという真理を認識することが出来ます。計り知れぬ大きな力が自らのうちに潜み、全てに影響を与えようと待ち構えているにもかかわらず、人が自分自身を無力で弱い存在と考えるのは哀れなことではありませんか?大宇宙には神が浸透しています。しかしそれを認識できるのは、ハートが愛で満ちた者のみです.心が憎悪でいっぱいの人の見る世界は、憎しみだらけです。ハートに愛が培われる時,善と悪との二元を超越し神と一体となる歓喜を体験することが出来るのです。18/10/91

ハートが清ければ何事も成就できるのです。運命でさえ、人の意志によって変える事が可能です。1/1/93
ハートを清めるように努力しなさい。それにはどうすればよいでしょうか?一つ;神への瞑想によって。二つ;社会奉仕によって。この二つによってのみ、ハートを清めることが出来るのです。神の愛を得ることが出来たなら何事も叶うことが出来ます。あなたの内に神への信愛はあります。それを用いて神の愛を得なさい。4/97
この世で永遠のものは何か?人生の目的は何か?これらのことを自問する時、人は正しく答えることが出来ません。人々は幸福になろうとして、学び、仕事に就き、妻を娶り、子をもうけます。しかし彼らには平安がありません。それはなぜでしょうか?平安を享受できぬ原因は、欲望を持っているからです。ハートを清めなければ、全ての欲望はただあなたを不安へと連れてゆくだけなのです。そのうえ、ハートの不浄は多くの病気の源です。ハートが清らかであるならば、病気にかかりません。では、どうすればハートを清らかにすることが出来るでしょうか?神さながらの思いを培うことより他に、方法はありません。11/4/1997
ハートの清らかなものは誓約の言葉を必ず守ります。それゆえ、心の清い者の言ったことは必ず実現します。8/9/96
人は自らのハートを甘くソフトにする必要があります。他のいかなる方法でも無く、神の御名を唱えることによってのみ、このことが実現できるのです。DD87p120
神の光は彼を純粋な心で求めるものにのみ、光輝くのだ。SS4/96
もしあなたのハートが全くきれいであれば神と直接繋がることが出来ます。SS4月95p88
あなた自身の中に愛を培いなさい。一切の人類を父親のような感情で愛しなさい。全ての人を神の子と見なさい。誰に対しても悪意や憎悪を抱いてはなりません。他の人の感情を傷つけてはなりません。ハートの広さこそ、あなたに至福をもたらします。23/11/1990
あらゆる霊性修行は、ハートの清らかさとマインドの落ち着きがあるときにだけ、よい結果を生みます。もし神の恩寵があれば、あなたがこの世界で成し遂げられないことなど何もありません。神は死人を生き返らせることもできるのですから、神に不可能なことなどありますか? 神は天を地に、地を天に変えることもできますが、あなたが神の恩寵を得るには、清らかなハートで祈らなければなりません。つまらない噂話をしてはなりません。他人の悪口を言っているあなたに、神が願いを叶えてくれることなど期待できますか?11-8-2000
もしハートが純粋であるならば、すべては純粋となります。SS94p150
アートマはハートに宿っていると言う人々もいます。これもまた間違いです。フリダヤとアートマは一つであり、これらを別々の実体として見ることは誤りです。そうであれば、「なぜ人々は無知の暗闇に陥っているのか?」という問いが上がるかもしれません。それは、視野がアートマを超えて広がっていないからです。視野が心(マインド)を超えていないのです。
心を超えられない人は、無知の覆いから逃れることができません。このような状態から逃れる方は、心は月と太陽の関係のようにアートマから光を得ているがゆえ、目を太陽であるアートマへと向けるなら、月としての心はだんだん消えて失くなるか、光らなくなる、ということを悟ることです。19/11/87

 *波動
至高の神の御名を唱えることは、神聖な響きの波動が周りの大気に吸収され、その結果として大気の浄化に役立ちます。ラジオの電波が遠く離れた地点まで伝送され受信されることからも、音響の波動の力は明らかです。不浄の音響の波動の力によって汚された大気は、至高の神の御名を唱えることによって清められます。それと同様に、神聖な思い、清らかな言葉、清らかな行為はその他の汚染された要素を清めます。これにまさる浄化はありません。3/3/92
偉大な魂の持ち主から放射される正しい考えと豊かな英知の波動は、あらゆる障害を乗り越えて、他の人々の思想の波を作り変えることができるのです。真、善、美Part1p159

 *母
お前が(母親を泣かした為)今までの霊的修行で得たものはすべて,お前の母親の涙で流されてしまっている。P261ANDI
最近の子どもは、親の面倒を見ずに、自分の妻が一番大事だと考えています。そして、あらゆる苦労に耐えながら、自分を九ヶ月の間お腹の中で育ててくれ、産んでくれ、養育してくれた母親を忘れているのです。皆さんは妻を愛しているかもしれませんが、親のことも思いやりと敬意をもって扱うべきです。一番に親を大切にすべきです。親以外の関係は二の次です。何よりもまず、自分の母親を愛し、母親の言うことを聞くべきです。母親を幸せにして、初めて人生は幸福で平安に満ちたものになるでしょう。母親が泣けば、皆さんは必ず人生で苦しむことになります。母親を幸せにするなら、皆さんの一生は幸福で満たされるでしょう。
残念なことに、今、母親の愛に気づいていない人が大勢います。母親が何か言ってくると、自分は何でもわかっているのだから黙っているようにと口答えします。そして母親に、「僕はたくさんの学位を取ったんだ。こんなに多くの学位を持っている僕に、知らないことなんかあると思うの?」と言うのです。皆さんは多くのディグリー(学位)を持っているかもしれませんが、それによって得た知識は、わずかな科目に限られたものだけです。日常生活のためのディグリー(生活の知恵)はどこからもたらされましたか? 皆さんの両親からです。(大拍手)。どれほど高い学位を持っていたとしても、まず母親に奉仕し、母親を幸せにしなければなりません。そうして初めて、あなたの人生は幸せなものとなり得ます。自分が学ぶべきことをすべて学び、日々の生活において自分の義務をすべてきちんと果たすようにしなさい。このメッセージは、皆さんへの私のプレゼントです。15/1/08
この世のあらゆるものは移ろい行くものです。永続するものはダルマと名声のみです。どうすれば名声を得ることが出来るでしょうか?母を敬うことによって良い名前を得ることが出来ます。決して母の希望にそむいてはなりません。母を苦しめる息子は、決して幸せになれません。それゆえ母の祝福を得なさい。19/11/95
母親には重要な役割があります。母親よりも上位 にいる神はいません。ですから決して自分の母親を軽視してはならないのです。自分の母親を軽視する人は様々な困難に遭遇するでしょう。女性は尊敬され、愛され、感謝されるべきです。そのとき初めて男性と女性は賞賛される立場となるでしょう。皆さんは偉い人だと言われているかもしれません。高い教育を受けているかもしれません。あるいは無学かもしれません。しかし皆さんは第一の義務として自分の母親を尊敬し、母親の言葉を大切にしなければなりません。17/2/07
子どもは、母親が善良であるときにだけ善良になるからです。嫁が善良であれば、嫁ぎ先の家族全員が善良になります。私たちは皆、善良な性質を育てるよう努めなければなりません。皆さんが得ている教育は、お金を稼ぐためのものでも、仕事に就くためのものでもありません。徳を身に付けるためのものです。8-1977
母親に対する名誉と尊厳を守って初めて、真の息子と呼ばれる資格を与えられます。母親の愛を獲得できなかった人の人生は浪費にすぎません。ですから、私たちはまず第一に、母の愛を得るに値するようにならなければなりません。母の愛を言葉で説明しつくせる人などいません。母親の意志の強さがあってこそ、息子は人生で成功を収めます。ですから、人は自分の母親を敬い、愛するべきなのです。母親には最高の地位を与えなけれなければなりません。それができる人だけが、真に国をリードしていくことができます。神々は崇めても崇めなくてもかまいませんが、母は必ず神として崇めなければなりません。
決して自分の母親の愛を忘れてはなりません。母の愛は最高です。子どもの中にある神聖な思いは、唯一、母の愛によって発達します。気高い性質を備えた母親のいるところには、必ず平和と繁栄がもたらされるでしょう。自分の母親の愛を無視して人々の愛を切望するのは愚かなことです。それゆえ、人は母を崇め、尊ぶべきです。経験によって母の愛を知ろうと努めるべきです。
母親を尊敬し、母親の愛を獲得して初めて、人は真の意味で人間と呼ばれることができます。この世には母親より偉大な神はいません。残念なことに、今、人々はこの真理を忘れ、さまざまな場所に神を探しに行っています。目に見えない神を切望する代わりに、自分の目の前にいる生きた神に、礼拝し、奉仕すべきです。これをしないで、神の聖なるダルシャンを得ようと、苦行や聖地巡礼、礼拝や儀式といったさまざまな行いを始める人がいますが、それは無駄 です。まず自分の母親の愛を勝ち取らずして神の恩寵を勝ち取ることはできません。
 母の愛は底流としてすべての人の内に流れています。偉大な人物の歴史を調べてみれば、母の愛という助けがあったからこそ人生で高い地位 に達することができたことは明らかです。母親の気高い考えに従って人生を送るとき、あらゆる苦しみは取り除かれるでしょう。他の人のことは尊敬してもしなくてもかまいませんが、自分の母親のことは必ず尊敬しなければなりません。
人は自分の母親の愛を勝ち取るために一生を捧げるべきです。母の愛にはつねに私心がありません。私たちはそのような愛を育めるようにならなければなりません。どこに行こうとも、何を見ようとも、母の愛という祝福があってこそ繁栄を得ることができます。母の愛を勝ち取れないまま神の恩寵を勝ち取ることを望むことなどできますか? そんなことは出来ません。ですから、まず第一に、自分の母親の愛を勝ち取れるよう努力しなければなりません。母親の気持ちを傷つけるような仕事を引き受けるべきではありません。母の心は非常に傷つきやすいものです。ですから、母親の気持ちを傷つけないようにしなければなりません。6/5/05
人には皆、母親がいます。母を喜ばせることなく、その愛を受け取ることもない人は、真の息子ではありません。母を敬うことは、子どもの最大の義務です。あなたが朝起きて真っ先にすべきは、母の足に触れて礼拝をささげることです。この尊い習慣は、常にあなたを守り、あなたにあらゆる種類の富を授けます。6/5/03
彼女たちは、戒めの言葉によってのみならず、実践によって子どもたちを教えました。しかしながら、今日では、そのように理想的な母親を目にすることはなかなかできません。母親たちは、子どもを理想的な市民へと形成していくことよりも、子供達の収入に関心があるのです。子どもを理想的な方法で育てることさえできたならば、母親たちは国家を大いに助けることができるでしょう。
自分の子どもが、誰にも躾られることなく道に迷ってしまうならば、女性が仕事をもち収入を得る意味があるのでしょうか? それゆえ、何にも増して、女性は適切に家庭を守り、子どもたちの面倒を見なければなりません。女性は、家庭の義務を果たすために、十分な時間を捧げなければなりません。今日の教育ある女性たちは、家事をこなすために料理人やメイドを雇います。彼女たちは、自らの収入の多くを使用人の給料に費やします。19/11/02
皆さんは、自分の母親に感謝を示すためなら極限の犠牲さえいとわない、という心構えができていなければなりません。ラーマやクリシュナといったアヴァター〔神の化身〕でさえ、母親のおかげで降臨することができました。誰もが皆、善良な子どもを産んでくれる神聖な母親のために祈るべきです。世の中には悪い息子はいるかもしれませんが、悪い母親はまれにしかいません。今の母親の多くは、我が子の悪い振る舞いを嘆いています。自分の母親を悩ませた息子には、何もいいことはありません。テルグ語のことわざに、「母親が涙をこぼす家には、繁栄はあり得ない」というものがあります。今、私たちは母親を喜ばせる息子を必要としています。
母親は、母の役割として、子どもにいつも真実を話すよう教えるべきです。「どこに行っていたの?」と母親に尋ねられたら、子どもは言葉を濁してはいけません。真実を話し、もし何か悪いことをしていたら正直に言わなければなりません。今日では、親に真実を語る子どもはほとんどいません。そんな子どもたちのための教育が何の役に立つというのでしょう?6/5/96
あなたの母からの愛と情を失ってしまったら、あなたの人生は舵のない小船のように、行先を見失ってしまうでしょう。母親はあなたのあらゆる力の源です。ですから、あなたの母親を敬い、母親の言うことに従いなさい。もしあなたの母親があなたのことを喜んでいるなら、全世界があなたのことを喜ぶでしょう。もしあなたの母親があなたのことを喜んでいないなら、世界の目はあなたを見下すでしょう。あなたの若さ、美しさ、そして、体力に鼻を高くしてはなりません。あなたにもすぐに老いがやってくるということを、肝に銘じていなさい。今、自分の両親をおろそかにしているなら、あなたの子どももあなたをおろそかにするでしょう。11-8-2000
母を愛し、母に仕える息子や娘は、すべての罪を免れることが出来るのです。SSS87~8
知る知らずに関わらず誰もが過ちを侵すけれど、いかなる場合にも絶対に犯してはならない過ちは、母に対する感謝の念を忘れることです。いかなる失敗をしようとも母への愛はかれの罪を償います。~今あなたが両親に悲しい思いをさせるなら将来自分が年をとったときに自分の子供達から惨めな扱いを受けることを、覚えておきなさい。6/5/1987

母親は子供の人生の中で最も決定的な要因です。子供の将来は母によって形作られます。EHV
母の恩寵を得られなかった者、母の優しいまなざしを受けて幸せに思ったことがない者、母を満足させる努力をしない者、彼らは真に哀れむべき存在です。~つまりこのように、母親から愛しげに見守ってもらえなかった子供は、神のやさしい眼差しで見守られるにふさわしくない子供だという意味です。23/11/92
母胎は母なる大地と同じです。受胎時の母の思いが生まれてくる子供の良し悪しを決めるのです。徳高い模範的な、気高い子供を生みたいと願うなら、両親がダルマを実践して徳高い生き方をしなくてはなりません。6/5/93
母への愛のない子供は生きている値打ちがありません。6/5/93
母親が仕事のために家を離れるなら、家事をする親はどこにいるのでしょう。夫と妻が仕事にいくなら、子供の面倒は一体誰が見るのでしょう。母親が他人の子供を教えに学校に行くのであれば、誰が家で子供に教えるのでしょう。例え金銭面で楽になったとしても自分の家庭で別の問題が持ち上がってくるでしょう。 生活を快適にしようと働きに出かけた結果、家庭に空虚さをもたらすのです。Vision of Sai
太古の昔、母親のミルクで育った子供は良い人格者へと成長して行きました。今日、子供達は母乳では無く、缶ミルクで育てられています。その結果、子供達は缶ミルクに見あった心しか持ち合わせていません。SS Dec 1996
この世に母の子に対する愛より甘いものはありません。子供の幸せの為には、母は、自らの命さえも投げ出します。そのような甘い甘露は、神性さの化身である母のみにみられるのです。SS8/94p214
私はあなたにとっては母であり、あなたの母にとっても母であり、あなたの父にとっても母であり、あなたの妻にとっても母です。私の愛は、千の母の愛であり決して変わりません。Sai news6/7/2012p26

*歯磨き
通常、私は肉体の私について話すことを好みません。しかし、皆さんの指針として役立つことを期待して、私の日課のある側面 を明らかにすることにします。私は夜の間に四回起きます。普通、深夜零時にベッドから起き上がり、歯を磨き、また舌と口全体も洗浄します。そして再び同じ事を、一時半、三時、そして、四時半に繰り返します。夜、私の要求に応えるために私の部屋で眠っている青年たちは、眠りが邪魔される為に、時々それを不便に感じているかも知れません。けれども、私がこの決まりを厳格に守っているからこそ、私の舌と口と歯はいつも清潔なのです。舌と口が清潔であると私は幸せを感じます。清潔な舌は、体と心の清らかさを保つことを助けます。皆さんは私が毎日多くの人々に話しかけるのを目にしているでしょう。舌を清潔に保ち、口臭を放っていない人には、私は10分どころか20分でも話をするでしょう。一方、口臭のある人には2分も話をすることはありません。眠っている間にバクテリアが発生し、舌や歯、そして、口内全体に付着します。正しい歯磨きと、舌と口内を十分に清潔にすることで、バクテリアを除去しなくてはなりません。そうして初めて、私たちは健康で、幸せでいられるのです。 21/10/04
今、年長者も子どもも正しい歯磨きをしていません。そのため、私たちの間からさまざまな病気が広まっていくのです。良いことであれ、悪いことであれ、その両方の責任は私たち自身にあります。善悪はひとりでにはやって来ません。神聖な思いを育てるなら、良い報いを得るでしょう。神聖な思いを根づかせるには、良い習慣を育てなければなりません。6/5/05

 *バラタ
目を覚ましなさい!今はまどろんでいる時ではありません。母なるバラタが涙を流しているのが見えないのですか?何故、母なるバラタは涙を流して泣いているのでしょうか?息子たちが神聖な道を忘れ、人間以下の生き方をしているからです。道徳と全一性は捨て去られました。
母なるバラタの涙をぬぐうために、全てのバラタ国民はバラタの文化を大切にせねばなりません。学生は、平等・一体性・協力の3原則を守らねばなりません。お互いの尊敬と一体性が欠如しているために、インド国家は瓦解しようとしています。22/11/95
バーラタの国の名誉と賞賛を守る準備をしなさい! 皆さんはその努力において必ずや勝利するでしょう。今日、人々は世俗の分野、科学の分野において大きな進歩を遂げていますが、霊性の分野では前に進むことができずにいます。人は、他の分野以上に、霊性の分野で進歩しなければなりません。古代、人々は霊性の領域での進歩を大変重視していました。実に、それは人生のゴールでした。しかしながら、現代の人々の霊性に関する見解は低下しています。
近年、非宗教的、物質的、世俗的な事柄において進歩を得るために多大な努力が払われています。これらの領域においてどんな達成を遂げても、それは一時のはかないものにすぎません。それらは永遠のものではありません。人々は世界中で世俗的な領域において急速な進歩を遂げているのに対して、霊的進歩、道徳的進歩については重視しなくなっています。こうした傾向は古代のバーラタ文化とはまったく対照的です。15/1/09

*反映
外界で見ているものは自分の心の反映です。もし、皆さんが誰かを悪いと感じるならば、その悪は相手の中にあるのではなく、自分の心の反映であるにすぎません。善であれ悪であれ、自分自身の思いが、反映、反動、反響として、自分の外側に現れてているにすぎないのです。23/5/95
あなたが外界で見出すことのできるあらゆる力は、すべて人間に内在しています。人体は、それ自体が発電機です。人間のマインドはテレビに、ハートはラジオに喩えられます。デリーのラジオ局で発信される番組は、ラジオの周波数をきちんと合わせれば、同時に受信して聞くことができます。現代の人はラジオを持っていますが、昔の人は自分のハートをラジオと見なしていました。ですから、あなたのハートを清らかで神聖なものにしなさい。あなたが外界で見るものは、すべてあなたのマインドのスクリーンに映し出されます。つまり、マインドはそれ自体がテレビなのです。人間にはあらゆる力が潜在しているのです。あなたが外で見るものは、反映と反響にほかなりません。あなたが誰かを批判するとき、あるいは、ののしるとき、あなたは自分の悪い感情が相手に映っているのを見ているのです。善も悪もあなたの中から生じるのであって、外にあるわけではないのです。11-8-2000
何かドレスを着て鏡の前に立てば、鏡には同じドレスが映って見えます。自分の内にどんな良い思いや感情、あるいは、悪い思いや感情があったとしても、それと同じものが外界に映し出されます。すべては反応であり、反映であり、反響です。自分の生活の過ごし方が、そのまま自分に戻ってくるのです。何であれ私たちが見るものは自分自身の反映です。誰を見たとしてそれは実際には自分の姿です。自分が患う病気ですら自分の行為の結果(反映)によるものなのです。 1/1/08
皆さんは「自分は神我の化身ディヴィヤートマ スワルーパである」と考えなければなりません。この世のあらゆる人間の姿は、どれも私の反映にすぎません。私は、あたかも鏡であるかのようなそれらの体の中に、自分自身を見ることができます。あなたがこの段階に到達することができたとき、初めて皆さんは本当の平安を味わうでしょう。22/11/08
  平安の境地にある人の性質は、おのずから、波一つない鏡のごとき湖面 のようになります。貯水槽に水が入っていれば、風の動きによつて、水面にはさざ波が立っているのが見えるでしよう。水の表面 が振動していれば、水に映ったあなたの姿も揺れているはずです。泥が多く、濁った水に映ったあなたの姿は、はっきりせず、ぼんやりしたものになることでしょう。透明で波のない水の場合は、そこに映ったあなたの姿は、動くこともなく、はっきりと見えます。同様に、根本的な真理、すなわちアートマ(真我)の実質は、宇宙万物に遍在しており、唯一にして変わることがありません。
 ところが、それが反映された姿は、それを反映する媒体の純枠度と特質によって、アートマが反映される度合いが異なります。アートマがタモグナ(暗性。鈍性)に反映された場合、それはアヴィッディアすなわち無知という姿で表れます。アートマがラジョグナ(激性)に反映されれば、それはジーヴァ(個我。肉体を持った個別 の存在)として映ります。アートマが、純枠なサトワグナ(浄性)に映し出されれば、それはマヤとして、すなわち、神にまつわる幻影として映ります。マヤは、神がまとっている衣です。したがって、マヤは神聖な性質を持っています。サトウィックな(浄性の)反映は神意識です。ラジョグナ(激性)の反映はジーヴァであり、タモグナの反映は自然(宇宙)です。
 ですから、反映された姿は異なっているように見えても、それらはすべて同じ神聖な原理に由来しているものであるために、基本的には同じものであるということを認織しなければなりません。このように、神と人間と宇宙は、本質的には同じものなのです。したがって私たちは、万物の根源である、根本的な真理(ムーラダーラ=サティア)を理解するように努めなければなりません。KSH
外界はあなたの思考を反映します。愛をもって世界を見るなら、世界は愛に満ちて見えるでしょう。憎しみを持って世界を見るなら、すべてはあなたに敵対して見えるでしょう。愛に満ちた目は、明るさと快活さで輝いています。憎しみに満ちた目は、血走って恐ろしく見えます。自分の思考が自分の善悪の行為を決定するのです。24/7/83
二重の基準を持ってはなりません。すべての人をあなた自身として扱いなさい。つまり、あなたは自分を信用しなければならないということです。そうして初めて、他者を信用することができるのです。 あなたは自分を尊敬し、他の人々も尊敬しなければなりません。利己心は利他心の尺度です。人類は一つの共同体です。あなたが自分を傷つけるなら、それは、すべての人を傷つけることになります。あなたが他の人々を尊敬すれば、その行為によって、人々が逆にあなたを尊敬し始めるのです。あなたが他の人からこのようにして欲しいと期待する事が、あなたが他の人へするべき義務なのです。5/10/62
何を見ようと、誰に出くわそうと、すべての姿を神の顕現に他ならないものと見なしなさい。「私」と「あなた」という相違に付け入る隙を与えてはなりません。神の創造物の中に何を見ようとも、すべては反動、反映、反響です。皆さんは鏡をのぞき込み、自分は鏡の中にいると言います。実際は、あなたは鏡の中にはいません。鏡の中に見えるのはあなたの反映にすぎません。山の向こうに行って「おーい!」と叫べば、すぐさま同じ大声で誰かが叫び返してくることに気づくでしょう。実のところ、その声は他の誰のものでもなく、あなたの声にすぎません。
このように、今日、人は誤った印象に耽っています。外で見るものは何であれ、自分の内なる存在の反映にすぎません。皆さんは一体性を多様性と見なして過ちを犯しています。不幸なことに、今、人々は自分自身の本性を理解することができずにいます。21/3/04
実のところ、人の内に悲しみは存在しません。人はアーナンダスワルーパ、つまり、神聖なる至福の化身です。そうであるにもかかわらず、人が悲しみに苦しんでいるとしたら、それはその人の悪い性質が原因です。悲しみはどこからか突然降ってくるものではありません。悲しみは、その人の悪い性質の反動であり、反映であり、反響なのです。もしだれかがあなたを嘲るとしたら、それは、その人があなたを嘲ているのではなく、あなた自身の悪い感情が嘲りという形を取って自分に戻ってきたのだと理解しなさい。1/3/03朝
あなたはこの世界で多くのことを見たり聞いたり経験したりします。それらはあなたの内にあるものの反映と、反動と、反響以外の何ものでもありません。あなたが外側の世界に見るすべてのものは、実際にあなたの一部なのです。たとえば、あなたをひどく嫌っている人がいるとしましょう。実のところ、嫌悪という形でその人の中に現れたものは、あなたの中にある嫌悪なのです。それと同じように、お世辞も中傷も、善も悪も、あなた自身の反映です。あなたが外側の世界で見るもの、経験するものは、喜びであろうが苦しみであろうが、どれも実際にはあなたの中からやって来たのです。16/3/03

この世のすべてには、反動と反映と反響が伴います。あなたの中に憎しみの性質があるときにだけ、あなたは他人の中に憎しみを見ます。そして、たとえ誰もあなたを傷つけなくても、あなたは他人を傷つけようとするのです。あなたが他人に何をしようとも、あなたはその行為の結果を味わうことになります。あなたが何を聞こうとも、何を体験しようとも、そのすべては、あなた自身の行動や感情の反動と反映と反響によるものです。それは他人のせいではありません。
皆さんはこの単純な真理を忘れて、「誰々は私を非難している。誰々は私を苦しめている。誰々は私を傷つけている」等々と嘆きます。皆さんの善行や悪行はどちらも、誰の責任でもありません。それは神の創造物でもありません。なぜなら、神は、属性ニルグナムを持たず、純粋ニランジャナムで、究極の住処サナータナ ニケータナムであり、永遠ニッティヤで、汚れなく、目覚めたブッダ、解脱した、神聖さの化身であるからです。
皆さんは他人と争って相手を傷つけようとし続けています。そんなことでは、皆さんはまったく人間ではありません!いつも他人を助け、決して誰も傷つけてはなりません。つねに助け、決して傷つけてはなりません。人は他者に奉仕することで徳を積み、他者を傷つけることで罪を犯す。誰に挨拶しても、それは神に届く。誰を批判しても、それは神に届くと言われています。あなたは、自分は誰かを非難している、誰かをからかっていると思っています。それはすべてあなたの錯覚です。実際には、そうすることで、あなたはあなた自身を非難し、からかっているのです。すべての物事には、反動と反映と反響があります。良いことも悪いことも、その責任はあなた自身にあります。もし、あなたが人生で良いことを楽しみたいなら、まず第一に、他人に良いことをしなさい。14/1/09
人間は世界のあらゆる生き物の中で、もっとも神聖で評価の高い生き物です。けれども、人間は迷妄に浸っているために、自分の真の性質に気付くことができずにいます。この世には善も悪も存在しません。私たちは多くのことを見たり聞いたり経験します。そして、見ているのは目であり、聞いているのは耳であり、経験しているのは心であると思っています。実際はそうではありません。すべては反映、反動、反響なのです。16/3/03
あなたがアートマ(真我)の原理を理解したいのであれば、多様性に心を奪われてはなりません。あなたがこの世で見るものや聞くもののすべては、あなたの心の単なる反映、反応、反響に過ぎません。アートマとしての実体はあなた自身の中にあります。例えば私はここにたくさんの学生を見ます。彼らは一体どこから来たのでしょう?実は 彼らも私自身の反映に過ぎません。(唯一者である神が多になったという意味で)そうでなければ、彼らの姿を見ることはできません。同様に、すべての人も、すべての事物も、あなた自身の心の反映に過ぎないのです。
人生は、サムヨーガ(統合)とヴィヨーガ(分離)の波を持った海のようなものです。皆さんは、この二元性に対して、すべては一つであるという思いをもって対処すべきです。アートマの原理は、統合も分離も超えています。私にとっては、統合(サムヨーガ)も分離(ヴィヨーガ)も存在しません。分離は、統合の結果 として初めて存在し得るのです。それらの二元性はあなたの創り出した想像に過ぎません。アートマの原理に気づくためには、あなたが創り出した想像を取り除いて、「神は一つである(エーカム サット)」という信念を培わなければなりません。それは唯一であり、二つ目は存在しません。それは変化することなく、(過去・現在・未来という)あらゆるときに(覚醒・夢見・熟睡という)いかなる存在の状態においても、同じままであり続けるのです。あなたはこの真理を知る為にはサットサングに参加しなければなりません。1/3/03夕方
あなたが他の人に愛を示せば、他の人もあなたに愛を示してくるでしょう。逆に、あなたがある人を見た瞬間にその場を立ち去れば、その人もあなたに同じことをするでしょう。あなたの為す行為の通りのことが、その反動として起こるのです。それゆえ、人は確実に良い行いをするようにしなければなりません。実は世の中に悪い人はいないのです。すべての人は良い人です。自分に逆らう者はすべて悪人だ、とあなたは言います。もしあなたが悪い性質を表に出さなかったら、他の人はどうやって悪く振る舞うことができるでしょう? あなた自身の悪い性質が他の人に反映しているのです。ですから、すべての人が良い思いを育て、良い行為をしなければなりません。人は神の命令に背くことのない行動を取るべきです。そのようにして、初めて人はその人生で平安と安全を得るのです。 1/3/03朝
皆さんはそのように神聖で慈悲深いハートをもっています。それなのになぜ、悲しみにおぼれているのですか? 一切の悲しみは、あなたの内面 の感情の反射であり、反作用であり、反響なのです。皆さんは朝早くに新聞に目を通 します。紙面のどこを見ても、誰かが誰かを殺したとか、憎しみや、嫉妬や、怒りなど、不穏な記事ばかりです。こうしたニュースのすべてが、あなたを非常に悲しい汚れたムードにしてしまいます。夜ぐっすり眠ったあとでベッドから起き上がったとき、心は穏やかな状態でなければなりません。そうして初めて、あなたの生活に悲しみが入り込む余地はなくなります。
早朝からすぐに平安で幸せな生活を送らなければなりません。あなたは不幸や苦境に陥っているかもしれません。しかし、それらは来ては去り行く雲にすぎません。実にあなたはそうしたものに悩まされるべきではありません。そうしたものをハートに引き入れて、それに固執しているときにのみ、あなたは苦しむのです。それらを無視してしまえば悩まされることはなくなります。 1/3/03朝
もし神を見たいなら、自分は体ではないことを固く信じなくてはなりません。自分を体と同一視することは、まさに幻想です。学生たちはこのことを明瞭に理解しようと努めるべきです。外側に見えるものはすべて単なる反映であり、実体ではありません。皆さんはサイ ババを目の前に見ています。皆さんはサイ ババを体と同一視しています。けれども、私は体ではありません。私と皆さんは一つです。一旦この真理をはっきりと理解すれば、どんな相違もなくなるでしょう。もし誰かの頬を叩くなら、それは自分を叩いていることになります。もし他人を罵倒するなら、それは自分を罵倒しているのです。あなたは必ずや自分の行為の結果に直面することになります。あなたの苦楽の原因はあなたです。他人にはそれに対する責任はありません。実際、他人などいないのです。すべての人は一つです。21/3/04
どこにいても完全な調和をもって生きなさい。決して憎しみに余地を与えてはなりません。もし敵対する人に出くわしたら、愛をもって迎えなさい。相手も反射的に愛をもって応じてくるでしょう。なぜなら、全世界は、反動と、反映と、反響で満ちているからです。あなたの心に不安があるとしたら、それは、外的要因によるものではなく、あなた自身の欠陥や欠点が、不安という形となって反映しているのです。1/3/03朝
あなたはあなたが思うものとなる」。皆さんは、良かれ悪しかれ、自らの感情の反映、反応、反響という体験に束縛されているのです。あなたが他者の中に悪いものを見たとすれば、それは自分の悪い感情の反映に過ぎないのです。自分自身の過ちを無視して他者を非難することは誤りです。まず最初に、あなたの感情を清めなさい。あなたが邪悪だと見なしている人々さえも愛しなさい。実際、この世に邪悪な人間などいないのです。9/10/02

*ヴィジョン
真の信愛は感覚のコントロールを要求します。ラーマは感覚をコントロールしたゆえにシータを娶ることが出来ました。ヴィジョンをコントロールせぬ者は、物質世界の奴隷になります。16/4/97

 *光
霊性修行なしに、人は彼の内にある光を見つけることは不可能である。SS6/95
「私は光の中にいる。光は私の中にある。光は私である。私は光である」――この真理を悟った人はブラフマン〔神〕と一つになります。人間は絶えず平安〔安らぎ、平和〕を探し求めています。平安を探し求める人は、それをマタム(宗教)にではなく、マナム(心)の中に探さなくてはなりません。外界に平安を探し求めることが、この世のあらゆる不安の原因です。平安はまず、自分自身の内で確立されなくてはなりません。次に、家族へと拡大しなくてはなりません。そして、家族から村へ、地域へ、州へ、国家へと広がらなければなりません。今、起こっていることは、この過程とは逆のものです。争いと無秩序が、個人から家族へ、そして、国家にまで広がっているのです。24/11/87

*悲劇
悲劇を喜んで迎え、神聖な思いをよろいかぶととして、戦い抜きなさい。劇は神が創作し、それぞれの役割は神の贈り物。筋書きは神が書き、神がディレクターであり、衣装と飾りも神が与え、身振りと調子、入場と退場も神が決めます。割り当てられた役割を見事に演じ、幕が下りる時神から褒められるようにしなさい。技と熱意によって、より良い役を演じれる権利を勝ち取りなさい。それが人生の意味であり、目的なのです。
世間に執着しすぎてはなりません。人生における様々な出来事に巻き込まれてはなりません。常に感情をコントロールしなさい。逆巻く波は海の表面だけです。深い海底は鎮まっています。それと同様に、人は深く沈静するならば人生の波立ちと無関係でいられます。識別心を働かせて、何がガラクタで何が宝物かを見付け出しなさい。SIP5-70

*ビタミン
古代の人々は決してどんな病気にもかかりませんでした。彼らは質素な食べ物をとっていました。古代の人々がビタミンやタンパク質について気にせず、ビタミンAやBやCといった錠剤を飲んだことは一度もありませんでした。彼らは自分たちの食事を神に捧げていたために、必要なビタミンやタンパク質をとることができたのです。神への信仰を強めればあなたは人生において如何なる事も成し遂げることが出来ます。実際にあなたが神になるのです。あなたは神と異なるものではありません。13/3/02

 *人の下落
人は本来道徳、ダルマ、霊性の結合です。今日不幸にも自らの基盤であるこれらの属性を忘れ人々は道徳、ダルマ、霊性を失いました。人間として誕生したことが如何に神聖であるかを考えるならば、人が今日の状態にまで下落したことは、真に恥ずかしい事です。4/97

 *人の三位一体
宇宙のプロセスである創造、維持、帰融は各人の中に持っています。創造は思いの発露です。維持は創造物の守護です。帰融は、創造されたものが根源に溶け込むことです。創造、維持、帰融は、三属性である浄性、激性,鈍性と同一とみなされます。人は三属性の具現です。
三属性は三位一体(ブラフマ、ビシュヌ、マヘーシュワラ)を象徴します。三位一体は三つの世界を表します。三つの世界と三位一体は各人の中にあります。三つを一つとなし、シヴァムとして崇めねばなりません。シヴァムとは何か?シヴァムは吉祥の権化です.人が三位一体の統一された姿を認識する時、彼の人間性は吉祥を得ます。17/2/96

*人の力
人は大きな力を授けられており、全宇宙に、人が保有しているほどの力を有している者はいません。この理由から、神もまた、人間の姿をとって化身するのです。15/1/08

 *非難
もし誰かがあなたが間違っていると非難しても、いや私ではなく、それはあなただ。等と言い争いをし、その人に悪意を持ってはいけない。冷静に自分自身の行動を振り返り、あなた自身の行為を正してもらったことに感謝しなさい。CPNp332
神に信愛を持って礼拝しても、後に神に背く帰依者もいます。この心変わりの理由は、神に関する考えに起因しています。自分の祈りが応えられ、願望が叶えられると感じれば、彼らは神を崇めます。しかし、願望が叶えられないと感じれば、ありとあらゆる言葉で神を非難するのです。この種の信愛は私利私欲に基づいており、そこに神聖なものは何もありません。純粋な信愛は、環境や運命の変化によって影響を受けることはありません。真の愛は、いかなる条件に基づくものでもありません。真の愛は、幸福な時も不幸な時も同一であり、運命の浮き沈みによって影響されるものではないのです。24/7/83
誰かかあなたを非難したとしても、それを心に取り込まないことです。その人の舌が、何か音を発するのに動いていると思えば良いのです。あなた自身は、彼の発する音と何の関係もないのです。でも、その音を言葉としてみなして心に取り込めば、あなたは影響を受けるでしょう。そうしない限り、その音はあなたに何も出来ないのです。
また、あなたが誰かに殴られたとします。でも、殴れたのはただの肉体であって私ではない、と思えばよいのです。実際のところ、誰も本当のあなたを傷つけたり、害したりすることは出来ないのです。というのも、あなたは肉体ではないのですから。あなたがこのような強い信念を持っていれば、誰から侮辱されても、侮られても、怒ったり、その人のことを嫌いになったりする気持ちは、起こらないでしょう。それゆえ、強い信念が、平安を保つために一番重要なことなのです。30/3/06
蟻は砂と砂糖が混ざったものを見つけると、そこから砂糖だけ取り出し、砂は無視します。他の人の良いところだけを見て、悪いところは気に留めないようにしなさい。また、誰かがあなたを批判したり咎めたりするようなことがあるかもしれません。けれども、あなたは平静さを保ち、そうした言葉を心の中に入れないようにしなさい。締め出してしまいなさい。それらは、砂粒にすぎないのです。SSSVol7
すべての人の中に神がいると分かれば、揺れ動く諸々の感情を抑えることが出来るはずです。そうなればもう、心が乱れることは無いでしょう。それが出来れば、皆さんは神の恵みと一つになります。どれほど辛い運命に巻き込まれても必ず乗り越えられるようになるでしょう。
ただ一つの神がすべての人の心にいると強く信じれば、どんな障害も乗り越えることが出来ます。内なる神を完全に信じていれば、すべては思いどおりになります。信じる心が鍵です。信じる心が神に向かう生き方の基本です。内なる神を信じなさい。これこそは、皆さんの目標です。
木を切り倒すためには、枝や葉を切らなくても良いのです。根元を切ればそれで木は倒れます。神を捕らえることが出来れば、すべては思いのままです。普段の暮らしの中で神を捕らえる為には、すべての生き物に対して真心を持ってあたることです。そして内側と外側の汚れを取り除き、身も心も明るく清らかにするのです。
その時はじめて、あらゆるところにいつも神を悟ることが出来るでしょう。神を信じ、神に祈り、神にすべてを従うとき、すべての人の心にそれと同じ神がいることに気づくべきです。それゆえ人を非難しないように気をつけなくてはいけません。あなたが、誰かに対しても口汚く罵るなら、その言葉はその人の心の内なる神に対して、そっくりそのまま向けられることを、深く信じるのです。SGc27
あなたの限りない欲望があなたの一切の困難の原因です。原因がなければ結果はありません。種がないのに育つ若木はありません。ですから、大きな木に育つ種がなければなりません。誰に出くわしたとしても、その相手を自分自身だと考えなさい。自分と相手を同一視しなさい。この気持ちをもっともっと育てなさい。あなたは誰ですか?実際、全世界はブラフマンに満たされています。この世でブラフマンが内在していない人を見つけることはできません。
ですから、あなたが誰を批判しようと、誰を褒めようと、それは神に届くのです。神を批判しても、あなたがその結果から逃れることはできません。それゆえ、決して神を批判してはなりません。あなたのことを誰が何と言おうとも、言わせておきなさい。その人はあなたのことではなくその人自身を批判しているのだと考えなさい。その人が何を言おうとも、それは空に消えます。空に消える言葉に反応することが何になりますか?ハートに届くのは愛だけです。1/5/08
神を裏切ることは、あらゆる罪の中で最悪のものです。そのような裏切りは、何度生まれ変わっても決して償うことはできません。ですから、決して神を裏切ろうとしてはなりません。すべてを愛しなさい。皆さんを非難する人々にさえ挨拶をしなさい。なぜなら、神はすべての人の内に存在するからです。怒りに付け入る隙を与えて、心を汚してはなりません。愛を込めて神に祈りなさい。過去においても、すべての高貴な魂や神の化身たちは、非難に耐えなければなりませんでした。皆さんは、「いったいなぜ、あのような方が非難されるのだろうか?」と疑問に想うかもしれません。実はそれらの非難によって、彼らの栄光はかえって高まるばかりです。喜びは、苦しみと苦痛の間に訪れます。影は光についてきます。私たちは影を恐れてはなりません。影の中にさえ光があります。光と影は別々には存在できません。両者の間には一体性の原理が働いています。ですから、スワミに浴びせられるいかなる批判にも、あるいはまた誰か尊敬に値する人に対する非難にも、いちいち対応する必要はありません。ただ「そういうことは私に関係ありません」とだけ言って、それらを無視しなさい。
もし誰かがあなたの欠点を指摘する場合は、その指摘が的を得ていれば、もちろんそれを正せばよいことです。しかし、もし誰かがあなたに根拠のない攻撃を向けた場合は、それについて悩む必要はありません。幸せでいなさい。もし大声で非難されれば、それは大気の中に消えていくでしょう。もし誰かが心の中でそれを想っているとすれば、それはその人に返って行くだけです。そういうことに、どうして心を乱す必要があるでしょう? 誰にでも好きなことを言わせておきなさい。そして、平穏な気持ちを保ちなさい。いかなることが起きても、それはあなたのために良いことだと考えればよいのです。そのような平常心を持って、日々の生活を送りなさい。25/12/2000

 *美の形
美しいものは、悦びが形を顕したものです。美しいものがあれば自分も嬉しく思います。美しいものには永遠の悦びがあります。美しいとはどういうことでしょう。この世界が物を美しくしているのでしょうか。それとも美しさははじめから物の中にあるのでしょうか。これまで私たちは、あらゆる物がどれほど儚く移ろいでゆくか見てきました。
移ろいゆく物が、一体いつまで美しいままでいられるのか。よく考えてみて下さい。永遠のものだけが本当に美しいのです。ただ一つの永遠の存在、それは神です。神だけが本当に美しいのです。この世界で神より美しいものはありません。神を信じる者にとって何より大事な務めは、神の美しさからあふれ出る蜜を吸うことです。神は美しさに満ちています。この神を自分の中に取り入れ満たすには、良い特性を身につけなくてはなりません。この徳を高めるには、自分の中に巣くっている欠点や弱さを滅ぼさなければなりません。SGc25

*批判
同じアートマがすべての人に内在しています。アートマの原理を考慮に入れるなら、すべては一つです。このホールには大変大勢の人がいます。その人たちのすべてに内在するアートマは、一つであり同じです。空には一つの太陽があります。太陽は全世界に光を与えています。同じように、神は一人ひとりの命を照らす太陽のようなものです。
他人を批判するなら、あなたは闇に飲み込まれます。ですから、すべての人を愛し、すべての人に奉仕しなさい。もし誰かが私たちをののしるなら、そうさせておきなさい。罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)は空に消えていきます。ですから、誰にも自分を批判することはできないと、いつも思っていなさい。神がいつでも自分を守ってくれると信じていなさい。神に、ひるむことのない信仰を置いていなさい。神の存在を否定する大勢の人がいます。もし神が存在しないなら、皆さんはどこから来たのでしょう? 皆さんの源はどこでしょう? もし神への信仰をもっていないなら、人生はすべて無駄になります。
いつも神のことを思い起こしていなさい。ですから愛の化身である皆さん、真理と愛を育みなさい。真理と愛の両方をもっていれば、平安ももてるようになるでしょう。平安をもっていれば、全人生を幸せに過ごすことができるでしょう。誰に対しても嫌悪感をもつこともなくなるでしょう。愛と真理が欠けているときにだけ、嫌悪を抱くのです。人生の中で愛と真理を結びつけるようにしなさい。愛をもっていれば、あなたはすべての人を愛するようになるでしょう。すべての人を幸せにするようになるでしょう。ですから、愛と真理を大切にハート心に保ち、決してそれらを忘れてはなりません。夢の中でさえもです。夢は、起きているときの反応と、反映と、反響にすぎません。昼間に何をしたとしても、夜それは夢の中に入ってきます。夢は流れ行く雲のようなものです。夢のあとを追いかけてはなりません。真理であり、永遠であり、不変なる神につかまっていなさい。そうすれば、恐れも悩みもなくなるでしょう。
人には好きに話させなさい。気にしてはなりません。人は自分の体を批判しているのであって、自分自身を批判しているのではないと考えなさい。自分の体に過度の重要性を置いてはなりません。皆さんは体ではありません。皆さんが「これは私の体です」と言うなら、「私は誰か?」と自問すべきです。この「私」は個人的な「私」ではありません。この「私」は根源的な「私」です。この「私」は単に特定の個人のことを述べているのではありません。この「私」という意味は、すべての人の中に内在する「私」のことを述べているのです。1/5/08

*非暴力
非暴力とは何を意味するのでしょうか。人は、他人を傷つけ害することが暴力だと思っています。そうではなく、自分を害することも暴力です。不必要な話をすること、節度なく食べつずけること、働きすぎることなども暴力です。つまり、人は節度あるバランスの取れた生活を送るべきだということです。 限度を超えて行われることは、すべて暴力です。書き過ぎることさせそうなのです。限度を超えてなすということは、エネルギーを無駄にします。必要以上に話す事で、知性を消耗させてしまいます。非暴力とは、節度ある有益な道に沿った人の生活の規定であると言えるでしょう。30/5/95
第一の義務は、人の神聖な本質を探究することです。神は遍在であり、遍満しています。宇宙には五大元素が満ちわたっています。空気や水や土には無数の微生物がおり、私たちが空気を呼吸し、水を飲み、大地を踏みしめる中で殺されています。このような状況ですから、完全な非暴力は実行不可能です。私たちが努力すべきことは、どのような生き物にも、意識的、意図的には害を与えないようにすることです。これがアヒムサ〔非暴力〕です。非暴力を守るためには、一なる至高者が万物に宿っているという意識を育てなくてはなりません。この確信があれば、何者に対しても害を及ぼす傾向はなくなるでしょう。6/85

*肥満
食物をとりすぎると肥満になり、その結果、心臓には血液を送る際に大きな負担がかかります。血液は心臓の一鼓動ごとに体内を12,000マイル〔約19、300km〕流れます。肥満が進むと血液の循環が妨げられ、その結果、心臓の機能も阻害されます。したがって、人は自分の食習慣を管理すべきです。10/9/02

 *病院
これは(病院)巨大なプロジェクトです。一千年に渡って人々の役に立ちます。目的は最初に心臓に関する治療からはじめ、次には肺の治療をあつかい、第三は腎臓で、第四は神経学です。23/11/91
将来にはこのような病院が、この他に幾つもできるでしょう。私は誰にも、何の助けも頼みません。それは真理そのものの意志(サティア・サンカルパ)であり、私がやっていることは善いことなのです。もし人が何か善いことを手がけるのであれば、それは必ず実を結ばずにはおきません。あらゆる助力が集まってくるのは、私の善なる特性ゆえに他なりません。25/12/00
聖者は困難に遭ってもそれを歓迎し、嵐が幾たび来ようが常に平静でした。しかし人々はそのような聖者を嘲笑し狂人と蔑みました。しかし聖者は、自分がいわゆるこの世の病院ではなく、神の恩寵という名の病院にいることを知っていたのです。彼らは自分の運命を完全に信じ、神を心の底から信じていたのです。彼らは何度も苦難に遭っても彼らの神に対する熱意は変わらず、それらを微笑んで無視しました。彼らは自らの内に潜在するアートマの力を知っていたからです。SIP1-25
病院というところは、薬や医者を信用している人が行くところである。しかし、神の祝福なしに医者はいったい何が出来るというのだろう。人々が霊性修行をして、祝福を得、平安と至福に満ち、健康で病気をしなくなれば、病院も将来不必要なものとなる日が来る、というのは間違いのない話である。SSSvol5p54

 *病気
人々は、自らの無節制や無知が引き起こした病の責任をすべて神に負わせます。しかし、自分が受ける苦難において責められるべきは、自分自身です。苦難はもっぱら無知によって引き起こされます。身体的な病と身体的な苦痛を例に取れば、大部分の病気は、過食、もしくは間違った食習慣の結果と言えます。5/4/62
悩み、貪欲、不必要な興奮、不安などは、様々な病気の原因となります。病気は心に安らぎのないことから起こります。満ち足りた心こそ最良の薬です。力を吸い取る悪習に耽ったり、断食などの苦行をやり過ぎて、肉体を弱めてはいけません。書物、リーフレット、図解からヨーガの行法を学ぶことも心身の病気を引き起こす元となります。善をなし、喜びに満ち、大胆で、正直で、穏やかで、忍耐強くありなさい。それらは健康の原則です。良い性格は健康の最も価値ある源泉です。真善美part2p99
激情は束の間ではかない満足を与えるのみであり、それは深刻な情緒的混乱を招きます。それゆえ人は食事をしている時には激情の生じる隙を与えてはいけません。3つのPすなわちPurity清浄,Patience忍耐,Perseverance堅忍不抜を守るなら、永遠の幸福と無病息災が保証されます。人の健康を損ねるのは、抑制されぬ激情だけではありません。
不正な手段で手に入れた金銭で暮らすと、ある程度の病気の原因となり、また世の中にこれまであまり知られていない奇病になります。このような諺があります。心は食物しだい。思いは心しだい。行為は思い次第。健康は行為次第。というではありませんか。21/1/94
控えめに浄らかな食事を摂ることによって、心の安らぎは促進され健康も良くなります。バランスの取れた食事をしなさい。腹八分目に摂りなさい。タバコをやめれば、多くの病気にかからないでしょう。酒類や刺激物は心を波だてる傾向を持つゆえに有害です。少なめに食べ、話すことを少なくし、欲望を少なくすること、正直な勤労で得た僅かなもので満足すること、他人に奉仕し、あらゆる人々と喜びを分かつことに熱心であること、これらはどのような薬にまして強力な効果があり、健康を維持します。これらは、太古の健康の科学サナザナアーユルヴェーダに記されていることです。21/9/60
人間として生まれてきた以上、皆さんは神への奉仕に一生を捧げ、絶えず深く神を思うことに専念しなければなりません。もしそうするなら、いかなる身体の病気もあなたを悩ますことはないでしょう。23/11/04
数分前、皆さん全員が祭りの喜びに浸っている時、突然鼻血が出始めました。私は部屋の中に入って血を拭い、そして元気に、まるで何事もなかったかのように出てきました。どうしてこのような神聖なお祝いを、そのようなつまらない事によって中止できるでしょう? 私たちはそのような小さな肉体的不快さによって自信をなくすべきではありません。それらは本質的に束の間のものであり、そのようなものに心を惑わされるべきではありません。
病と苦しみは肉体にとって自然なものです。時々、太陽でさえ雲に覆われます。しかし雲は太陽の輝きを減らすことができるでしょうか? いいえ、そんなことはありません。太陽が雲に影響されないのと同じように、皆さんも病や苦しみに影響されずにいるべきです。そのような勇気と信念と決意を育てれば、皆さんはいかなる苦しみにも気が滅入ったり落胆したりすることはないでしょう。28/8/04
私たちは、私たち自身を救済するように人生を送らねばなりません。私たちは神を愛し、神だけを熱望するべきです。あなたの愛は神にのみ向けられるべきで、肉体に向けられるべきではありません。私たちの言葉、行為、そして呼吸そのものはアートマを体験するために意図されているのです。時々、肉体は病気に苦しむでしょう、しかしそれは過ぎ行く雲のようなものです。
人間はアートマの永遠なる真理に到達するために生まれました。人の一生はアンナーンヴェシャナ(食べ物の追求)ではなくアートマヴェシャナ(アートマの探求)のために意図されています。アンナーンヴェシャナは病気の原因を与えます。それは過ぎ行く雲のように来ては去ります。そのような過ぎ行く雲について落胆するのは、何と馬鹿げたことでしょう? 私たちはアートマの永遠なる至福を体験するために生まれてきたという真実を、絶対に忘れてはなりません。28/8/04
人はおしなべて、自分は健康であると思い、幸せな生活を送ろうとします。しかし実際には326の病気が日々人を苦しめています。過剰なヴァータやピッタやスレーシュマ〔註:人間の体質を形成する3つの身体エネルギー。それぞれ風、火、水に例えられる〕がさまざまな病気の原因です。ヴァータは80種類の、ピッタは82種類の、スレーシュマは164種類の病気を引き起こします。このような事態において、人はどうやって健康的な生活を楽しむことができるというのでしょうか? 人がアートマ意識を呼び覚まし、ヴァータとピッタとスレーシュマの悪影響から離れたときにのみ、人は健康でいることができます。5/7/03
人体は数多くの病気の餌食(えじき)となっています。人はそのすべてを肉体の病気と見なしています。しかし、すべてが肉体に関わる病気というわけではありません。純粋にそれが肉体上の病気であれば、薬で治療することができます。しかし、現代世界における病気のほとんどは、心〔マインド〕にその原因があるのです。心の逸脱が体に反応を引き起こし、さまざまな病気を生じさせているのです。人間の多くの病気の主な原因は、心に根を張っています。心と体は相互関係にあります。心が体に与える影響は「ネガティブ」〔否定的、陰性、マイナス思考、後ろ向き〕な性質です。この否定性は至福の体験とは反対のものです。
悪い思考と悪い感情は心の中からわき上がります。それと同時に、善い思考と善い感情というものもあります。悪い思考と悪い感情が取り除かれたとき、初めて人は健康を享受することができます。多くの病気は、心を満たしている思考にその原因があります。悪い思考は消化不良を引き起こし、心臓に悪い影響を与え、血圧を変化させます。心配は数多くの精神病の原因です。糖尿病と肺疾患は、精神的な原因に由来しています。25/2/98
人間は病気で死ぬのではありません。実は死への恐れが、人を死へ向かわせているのです。死亡原因の98%は死への恐怖に由来します。人の病気はほとんどの場合、精神的な原因と影響によって起こります。自分が興奮しているとき、心配しているとき、恐れているときに、脈拍と血圧を測ってご覧なさい。通常の値よりもずっと高くなっています。このように、病気は大方の場合、精神状態に原因があるからなのです。STPS2p67
一見すると頑丈な人は病気にかかっているようには見えません。しかし、実は呼吸をすることから食物を食べることにいたるまで、身体の隅々に病気が潜んでいます。身体は,その本性として最終的に朽ち果てるものです。しかし内在の霊は死ぬことはありません。永遠の霊は永続しない身体によって体験しなくてはなりません。人々は、永続する至福は霊から得られることを忘れ、感覚から得られる喜びに熱中しています。人は真の幸福は、神と一つになることによってのみ得られることを、実感認識しなくてはなりません。20/8/1996
より深刻な病気の場合は、スワミに祈るのが一番です。これは大切なことです。ビブーティは使っても使わなくても構いませんが、必ず祈りなさい。~医者の診療を受け、同時にビブーティを使うこともできます。しかし、信仰の度合いに関わらず、スワミの恩寵を求めて祈ることが一番良いのです。CWSSBJp264
ほとんどの病気は、簡素な生き方、軽い運動、そして舌を英知によってコントロールすることによって防ぐことが出来ます。長生きして、これからこのアヴァターが執り行う、様々な奇跡や出来事の目撃者になりなさい。SSSvol11p151
薬に頼らずに病気を癒すには、瞑想こそ唯一の治療法です。識別と洞察の力も強くなります。これによって、どのような深刻な病をも克服することができるのです。DVJp73
今日、人々がかかっている病気の多くは、不正な手段によって得られたものを食していたり、性格に問題がある料理人の悪い精神的波動によって、汚染されたものを食べる事が原因になっているということです。SSIBp113

 *品位
あなたの義務は、人にそういうことをすると、このようになるよ。と、知らせるだけでよいのです。説得する必要はありません。又、求職の為に誰かに頼んだりすると、本来人として持っている善という品位を落とすことになります。それゆえ人に頼んだり頼まれたりすることは、人間としての性分を恥ずかしめることなのです。SSSvol3p79

*不安
この世界では、多くの困難が私たちのもとにやって来ます。本当のことを言えば、それらは単に不安を引き起こすだけであって、あなた方に害を及ぼすことはできないのです。28/8/04

 *夫婦
献身的で信仰心の篤い従順な妻は、夫を神への道と神聖な徳の実践に導くことが出来ます。一方妻や夫が、それぞれのパートナーを神への道から引き離し、霊性から感覚のレベルに引きずり降ろすなら、それは家庭と呼ぶことは出来ない、亡霊や悪霊が大騒ぎしている地獄です。
夫と妻が偉大な理想のもとに、生涯を送る家庭、共に神の御名の栄光を歌い、良き行為に時間を使い、真理と平安と愛が行き渡っていて、毎日欠かさず神聖な書物が読まれ、感覚を支配し、あらゆる生き物は基本的に一つであるということを認識して、万物を平等に扱う家庭は、地上の天国です。DVJp34
自分のパティ<夫>を自分の命と考えて、ひたすら夫をよりどころとするものが、パティヴァラター(貞女)です。夫に言い返さないものがパティヴァラターです。
そのような女性には、ほんの小さな欠点さえ無くなるでしょう。パティヴァラターは、自分本位な望みは何も持っていません。パティヴァラターがすることは全て夫のためです。パティヴァラターは、自分の夫以外の男性の顔を見ることすらありませんでした。こうした女性だけが真のパティバラターと呼べるのです。
ところが現代の女性達は、自分の夫に従いません。夫の言うことを聞きません。妻が夫に従い、夫が妻に従い、夫と妻が調和を持って生活を送るなら、国全体が平安と繁栄を得るでしょう。夫と妻の不和と家庭内の分裂の為に、国は次から次へと困難に見舞われるのです。夫と妻は互いを理解し合い、共に相手に合わすべきです。夫の言うことを厳格に守るパティヴァラターには何でも出来ます。
もしパティヴァラターが塩辛い海の水を使って夫の為に料理をこしらえたとしても、その水は真水に変わるでしょう。もし妻が夫の言うことを守り、夫が妻の望みをかなえるなら、その家庭の将来は安全で確かなものとなるでしょう。もしそれとは反対なら、その家庭は大きな困難に陥るでしょう。
~妻が夫に従い、夫が妻に従う時その家庭には大いなる幸福があります。自分の家庭がそのような一体性と調和を得るように努めなさい。そうすればあなたの一生は何の心配事もない幸せで平安に満ちたものになるでしょう。あなたの心配事は全てあなた自身が作っているのです。心配事は神から与えられたものではありません。神は、離れた場所にいるのではありません。神はあなたの内にいます。この真実へのゆるぎない信念を持ちなさい。そうすれば、個人だけではなく、社会にも幸福が訪れるでしょう。純粋な心は神の社です。ですから、あなたの心に愛を育てなさい。そうすれば、人生で何事でも成し遂げることが出来るでしょう。夫と妻が同じ見解を分かち合っていたら、家庭に平安と幸せが訪れるでしょう。22/11/2010
結婚前は彼も、彼女も半身でした。女性は左半分で、男性は右半分です。今、結婚して一つの身体になりました。これからは、夫の悩みは妻の悩みとなり、妻の悩みも夫のものとなります。身体の一部が麻痺したら、他の部分もそれを感じられるのと同じことです。ですから、それぞれの痛みをお互い感じ合わなければなりません。二つの痛みはスワミによって取り除かれるでしょう。二人のどちらにもスワミがいます。夫は妻を、妻は夫を助けなければなりません。
時に、怒りやエゴ、短気や緊張が生まれるのは自然なことです。夫婦は譲り合い、理解し合わねばなりません。まず、理解し合うことです。それから、解決することです。九割の夫婦はまず問題を解決しようとすますが、順序が逆です。まず、お互いをよく理解しあうことが大切なのです。Divine Memories of Bhagavan Sri Sathya Sai Baba

 *不確実
私の不確実さを愛しなさい。そうすることは間違ったことではありません。それは私が意図し意思したことなのです。それを理解しようと思わなくても良いのです。理解できるようにと願わなくても良いのです。理解することを放棄しなさい。理解しようとする欲望も放棄しなさい。SathyamSivamSundaram Part3
*服従
「服従です。ある日、あなたが私のもとに来た時は、私 はとても優しくあなたを迎えて話をするでしょう。けれ ども他の日に来ても、私はこう尋ねるかもしれません。
『誰があなたに来るように言ったのですか? 帰ってください! 』 私は素っ気なく、不 愛想に接するかもしれません! あなたはその両方を平等に扱わなければなりません! 異なった受け止め方(扱い)があってはなりません! 両方の待遇に対して冷静でなけ ればなりません! 反応すべきではありません。私が優しいとあなたは幸せでしょう。 そして、私が優しくなければあなたは不幸でしょう! これは帰依者のラクシャナ(特 性)ではありません」
 *不二一元
信愛は二元的です。神と神を愛する人がいます。帰依者は神がいなければ価値はありません。同様に神も帰依者と結びついています。帰依者と神をつないでいるのが信愛です。一方、全託は不二一元です。ひとたび神に全託したなら、あなたはもはや自分自身のためには存在しません。自分自身のものと呼べるものは何も無くなるのです。自分自身を完全に神に全託している帰依者は、自分を神と別個の存在だとは考えないのです。これが真の全託であり、不二一元の精神なのです。STPSp272
60歳の降誕祭の祝典以来、私は霊的なサーダナ〔修行〕と不二一元のアプローチを強調してきました。私たちは、行為と礼拝を通過して、今や英知の段階へと進んで行かなければなりません。今後、皆さんは不二一元のアプローチに集中すべきです。24/11/87
物とそれが持っている性質は同一であり、異なる二つのものではないはずです。ものから離れて性質だけを見ることは可能だろうか。例えば砂糖から離れて甘さだけを、太陽から離れて光だけを見ることは可能だろうか。神には霊と物質という二つの特徴がありますが、実はそれらは一つなのです。神の本質は公に現れず、また逆に人々の目の前にあるのにも関わらず、それはただ各々の体験によってのみ知ることが出来ます。あなたが砂糖の甘みを味わうように。神が単に意思することによって宇宙が神を包み込みました。この神という唯一の存在が、普遍なるものと個なるものの基本であり、全体であるとともにその部分でもあるのです。顕現された全体としての宇宙、言い換えれば充満性は、目に見えない実在から生じましたが、それらは少しも減少することはないのです。真善美p148

 *プージャ
プージャが毎日行われている家庭では、プージャの場所を変えてはいけません。その同じ場所でプージャが六ヶ月間続けて行われると、シャクティが増大します。そこで願いごとをすると、それがかなう様になるのです。ANDI p85

 *不純
清らかな愛も肉体について関心や欲望を持ち始めると不純となります。5/85
神の領域にも幾種類かの引力が存在しています。私達のまわりに存在する創造物は、音の力、活動する力、永続し繁栄をもたらす力、マーヤの力やその他の様々な力を有しています。瞑想中は他人の身体に触れてはならないと言われているのは、この為です。これには他の理由もあります。
それは、汚れて不浄な空気には悪い不潔なバクテリアが存在し、一方空気が良くてきれいな清潔な場所には、清浄なバクテリアがいるのです。他人の不潔な身体に触れた時には、病原菌が入ってくる可能性があるのです。さらにその不純で不潔な身体は、その不浄さの一部を私たちに伝染させるかもしれません。この場合、身体と身体は磁石のように作用します。霊性修行者が不浄な物や環境から遠ざかるのはその為です。夏/1978

*侮辱
嘲(あざけ)りや侮辱は、喜びを伴った無関心さをもって対処しなければなりません。神の化身でさえ、狭量な心を持つ人々によるそういった愚かな行為から、まぬがれることは出来ませんでした。18/7/70

 *婦人
貞操は婦人を最高に美しく見せます。SSSvol3p70
年上の婦人は皆、自分の母であり、年下の女性は、皆、妹であると見なすべきです。そのような清らかな思いに見たされる時のみ、清らかな感覚を持つことができます。誰かが、あなたの母親や姉妹をよこしまな目で見つめていれば、自分がどれほど不愉快な思いをするか想像してごらんなさい。あなた方は、婦人に対して清らかな思いを抱かなければなりません。SSSVol18Chap31
まず、浄性の性質が婦人の中に無ければなりません。そして鈍生の性質が次に来るのです。ここでいう鈍生さとは食べたり飲んだりして怠惰になることではありません。それは謙虚で哀れみ深く、遠慮深いという意味です。彼女のこの謙虚さは、家庭や社会で夫によく仕える妻として讃えられるでしょう。それゆえ、アンドラ州では家を見ればその女性が分かるというのです。その家庭の善し悪しは、そこにいる婦人が決めるのです。19/11/1995
「バガヴァッドギーター」は、女性原理として七つの属性を挙げています。それは、名声、富、話す能力、英知、知性、不屈の精神、決断力です。母の原理は、これら七つの潜在力の具現であり、きわめて神聖なものです。6/5/96
女性の誠実な性格は、実に女性たちのタパス(苦行)です。ですから、そのような気高い女性たちは励まされ、尊敬されねばなりません。もし、あなたがこのような偉大な原理を実践することができるならば、あなたの人生は浄められます。自分の妻をひどく扱う者は決して幸せになることも、繁栄することもできません。もし男たちに、夫のために自分の命さえも犠牲にする準備ができている女性たちを守ることができないのであれば、男はいったい何のために存在しているのでしょう? 女性は各自の家庭において、最高の位置を占める女神です。私たちの第一の義務は、女性たちを守ることです。決して女性に涙を流させてはなりません。もし、女性が涙を流すなら、そのような家庭はただちに崩壊するでしょう。女性は社会の手本です。決して女性たちに苦しみの種を与えてはなりません。6/9/04

 *二つのこと
二つのことを覚えておきなさい。一つは、あなたが他の人にしてあげた良い事を忘れることです.他の人にしてあげた良い事を覚えていると、ついついお返しを期待し、ねたむ心が生じます。もう一つは、他の人によってあなたが被った害を忘れることです。他の人から受けた害をいつまでも覚えていると、憎悪と仕返しの念が生じるでしょう。忘れる事によって心は邪悪な想念から開放されます。24/5/09

 *復活
死から復活するという真の意義は何か?それは人の中に宿る神性の顕現である。28/2/1964

* 物価の上昇
物価の上昇についてですが、まず人自身はこの世のあらゆる富より貴重なのだということを知るべです。物価は人間的価値が下がるに連れて上がって来ました。人間的価値が上がれば物価は下がるでしょう。実際のところ、土地、宝石、お金、家といった財産や、肉体的な快適さや便利さは、もっぱら、人間のために価値を持っているのです。これらは人間が利用するから価値があるのであり、もし人間に使われなかったら何の役にも立ちません。もし誰も金や銀を買わなければ、金や銀を貴重品と呼ぶでしょうか。いいえ、呼びません。物資や品物や財産を貴重な物とするのも無価値とするのも人間です。人間が自らの価値を失った為に、様々な物価が上昇したのです。価格を下げるには、人間的価値を上げることを実践しなくてはなりません。STPSp115

*物質
物は変化します。永続しないそれら物質は永続する至福を人に与えることは出来ません。あなたに喜びを与えるものは移ろいやすく、そのような楽しみを味わう者もまた永続しません。永遠でない人間が、朽ちゆく物質によって永続する至福を得ることは出来ないのです。それゆえ、永遠で不滅の絶対実在を体験する資格を得るには、第一に移ろい行くものを忘れることです。12/9/91
実は物質的な強さというものは、ある意味では弱さとなり得るのです。神に支えられた力にだけ正義の力があり、それだけが真の強さです。SGc9
あなたを通じて為されていることすべては、神の意志である。という態度を信じる心は、変わりなく、誠実で、深く、揺るぎないもので無ければなりません。エゴの痕跡さえあってはなりません。もしそうであるならば、間違いなくその人は人生の最高の目標に達したのです。
その人はこの上なく祝福されています。その実態を人々に知らせなくてはなりません。その知識が人々の間に定着しなければなりません。私たちが体験するものすべてが実は神ご自身であって、自分はこの物質世界とは一切の関係もつながりも無く、それを超越しているという確信を持っている人こそは、真実の人(サッチャジーヴィ)であり、この世での逗留が価値あるものであった人です。12-5ギータバヒニ

  *物質化
私は物質化を通じて、私の心から溢れ出る愛を示してその受け取る人を喜ばせたり危険から守ったりします。あなたにたとえ何も物質化してあげなくとも、あなたが深い信仰心と帰依心を持っていたなら、いつ如何なる時や場所でもあなたの危機に際して助けに行きます。すべての神の姿が私なので、あなたが祈るどんな神の姿にもなってあなたの祈りに答えます。P66 ANDI
私は、ある物はこの物質宇宙を創造したのと全く同じやり方で創造します。また別のある物は、例えば時計などは既にできている物を持って来ます。物品を移動してスワミを助けるような、目に見えない意識体などはいません。スワミのサンカルパ、神の意志によって一瞬のうちに物品を現出させるのです。スワミの創造は、神が本来持っている無限の力の一つで、トリックなどではありません。CWSSBJp187

*物質世界
物質世界で私たちが見るすべてのもの、たとえばこのホールや、このパンダル〔ヤグニャのための祭壇〕や、まわりの建築物等々は、実際には物ではありません。人々は外形を見て惑わされ、よく、そのような考えに陥ります。普遍なるアートマ タットワが、これらすべての物に内在しているのです。その至高の真理を、ありのままに、自然に理解したのは、ゴーピカーたちだけです。ゴーピカーたちは、あらゆる人、あらゆる物の内に、クリシュナ神を見ることができました。
私たちは、世俗的な関係をもとにして自分以外の人々を私の息子、私の兄弟、私の父、私の母、私の妻などと呼びます。しかし、真実は、同一の神がそうしたあらゆる人々を介して顕れているのです。それゆえ、あらゆる人々を神性の化身であると見なさなければなりません。全宇宙にはブラフマ タットワが遍満しています。すべての名と姿はアートマ タットワに起因し、それは私たち自身が創造したものです。9/10/05

 *物質的反動
利己心の増大に伴い物質的反動がくるでしょう。幾ばくかの環境調整作用が地球上で作用し、ある部分は、きれいに掃き清められるでしょう。TEOLp225h

 *プッタパルティ
考えてもごらんなさい。かっては、人口僅か100人少々の村であったこのプッタパルティが,今や人口十万人を抱える町へと成長したのです。時が来れば判ることですが、近い将来、世界地図の上でもプッタパルティという地名が重要視されることでしょう。日本やドイツ、イタリア、フランスといった世界の主要な先進国すべてにおいて、プッタパルティという地名が一目置かれるようになるでしょう。世界中の人々が、重要な場所としてプッタパルティに注目することになるでしょう。19/10/99
「もしプッタパルティに来ることでインスピレーション(霊感)が得られるなら、来るべきです。しかし、来ることによって、心が乱されインスピレーションを得ることが出来なければ、来る必要はありません。なぜなら、この道は、絶えずインスピレーションが必要だからなのです。」ラニマーとの会話
もう二十年以上もあなた方はただ光を見るだけで、その温もりを感じていません。それは、私のそばに近づこうとしないからです。しかし私には、あなた方が私にもっと近づく日の来ることが、そしてあなた方が疑いと妄想を捨てて平和と幸福への道を歩み始めることを知っています。私を信じていなさい。このプタパルティはまもなく世界の神聖な中心になるのです。何千人というヨギ、僧侶、求道者が慰めと救済を求めてここに来るでしょう。太古の英知、サナザナダルマの再建はこの地から始まるのです。23/11/1961

*ブッディ
ブッディはアートマに非常に近いところにありますので、アートマのエネルギーと光明の90%を受ける位置にあります。心はその力をブッディから引き出し、諸感覚は心から、身体は諸感覚からその力を得ます。アートマから階段を追って身体まで力が流れる過程において、その力は量的にも質的にも徐々に減少するのです。 ~アートマの持っている純粋さも、それがブッディ、心、感覚を通って、最後に身体に到達するあいだに、次第に汚染されていきます。それにもかかわらず、努力によって、ブッディを神聖で清浄なものにし、ブッディが身体に直接影響を及ぼすのを助けることによって、この量的・質的減退を最小限にとどめることは可能です。ブリンダヴァンの慈雨 P.130~131
ブッディはマインドの願望の一切を監視していなければなりません。アートマンの輝きによってブッディが明るく照らされたときにのみ、ブッディはマインドを通じて感覚器官に行動を起こさせることができるのです。災いが生じるのは、ブッディが輝きを失っているとき、あるいは、マインドがブッディ抜きに一人歩きしたときです。あなたがしようとしている行為が、良いか悪いかの判断をする必要な時間をブッディに十分とらせなさい。あわてると無駄が生じます。無駄が生じると心配が生じます。ですから、性急に物事を運ばないようにしなさい。性急は混乱と失敗を起こし、それらは失望と怒りを引き起こします。怒りは、心を平安と静寂へと導くことによって、克服しなければいけません。「シャーンティ、シャーンティ、シャーンティヒ」のマントラは、怒りの波を静めます。21/11/79

 *不道徳
フランスのような当時たいへん豊かな国であっても、第一次世界大戦で敗れました。何故でしょうか。それは無謀な若者達と、その当時、社会にはびこっていた不道徳のせいです。今人々の間にそのような傾向が強まっています。人は「低い欲望を満たすために」生き、働いています。そうではなく、人は「理想」のために生きるべきです。STPSp109
不道徳な映画を見ることは性格形成の上で悪影響を及ぼします。お母さんのお腹の中に入っている赤ん坊にも影響を与えるのです。不幸なことに、生まれたての赤ちゃんやお母さんの子宮の中にいる赤ん坊にも悪い想念が影響し、そしてその赤ん坊が大きくなると、そのときに受けた悪い想念が増大してもっと邪悪な人間となってしまうのです。SRBMp103

*腐敗した環境
小さな子供でさえ眼鏡をかけ、若い人々が毛を染め、多くの人々が入れ歯をするというこれらの理由は、現代における家庭の雰囲気が、虚偽に満ちていて真理から程遠く、心配事やねたみ心がいっぱいで、人々は何事にも満足できず、高慢で見せびらかしや嘘や欺瞞に満ちているためである。このような腐敗した環境の中で育った者は病気になってあたりまえである。もし人々が満ち足りた平安の香ばしい香りのする家庭で育ったならば、そこに住んでいる人は幸せで健康であるはずです。そういう意味で、年長者は次世代者のために大きな責任を負っているのです。SSvol6p89

 *不満
人生で最も貴重なものは時であり、生命(プラーナ)より尊いのです。人は生命を省みず。多くのことを達成したいと望みます。成し遂げた業績がどんなに偉大であっても、人は不満を抱え、さらに偉大な業績を残そうと望みます。この満たされる事のない欲望への挑戦自体が、人の満足の源泉です。20/3/96

 *不眠
ダルマに基づく行為をしていれば、不眠や病気と無縁です。SSSvol7p198

*不滅
人々はよく、デーヴァ(神)とジーヴァ(個人)という二つの言葉を使います。実のところ、ジーヴァはまったく存在していません! すべて神の化身が存在するのみです。そこで、なぜ人は死ぬのかという疑問が生じます。人は、肉体に内在するアートマの不滅の性質を悟っていないため、死という言葉を使うのです。アートマに死は一切ありません! アートマは不滅です。この真理を悟った者は、神に融合します。この真理を悟ることができない者には、ジーヴァはジーヴァのまま、デーヴァはデーヴァのまま存在します。そして、二元的な感覚が残ります。9/10/05

*プラグニャーニャ
プラグニャーナとは、いかなるときにも万物の中に満ちていて、すべてを統合している意識のことです。この意識は、いついかなる時にも、あらゆるもの、すべての内にあって、生き生きと働いています。それは、物質世界・心の世界・魂の世界と、低次の領域・中間領域・高次の領域を活性化させ、さらには、人間以下の生き物・人間・人間を超えた存在にも活力を与えます。過去・現在・未来の三つの時間にも、地下界・地上界・天上界にも、浄性・激性・鈍性(善・情念・惰性、)という三つの存在様式にも、すべてにプラグニャーナ(常時遍在の統合意識)すなわち、チャイタンニャ(純粋意識)が行きわたっているのです。1/1/83

*プラスチック
教育の分野だけでなく、健康の領域でも悪い影響が及んできています。例えば以前、人々は地元の職人の作る陶器の水差しや皿や器を使っていました。その後しばらくすると、ステンレス製品が陶器にとって代わりました。ところが今は、プラスティックの水差しや皿や器が流行っています。そうしたプラスティック製品は人を大きな危険にさらしています。プラスティックの袋や製品は、生物分解されない大量のゴミを生じさせます。それらは土に埋めても分解されず、長い間そのままの形で残ります。広大な土地がプラスティックのゴミで損なわれています。そのような土地で育てられた野菜は人間に有害です。このようにして今、多くの有害な影響が人間の生活に及ぼしてきています。ですから、私たちは単に外国を模倣して自らの生活様式を変えてはいけません。教育の分野においてはなおさらです。22/8/07

 *プラナーヤーマ
呼吸の制御の修行はグルの管理と指導のもとに、正確で完全な方法で執り行わなければなりません。この修行には、三つの段階があります。一つ目は、吸息です。二つ目は息を止める保息。三つ目は呼息です。これら三つの段階に費やす時間は同じでなければなりません。人体の脊柱上には、シャド・チャクラと呼ばれる生命を維持する六つのポイントがあります。一番低いところに位置するのはムーラーダーラー・チャクラと呼ばれる、生命を維持する根本的、根源的なポイントです。プラーナーヤーマでは、二番目の段階である保息をしている間に、シャドチャクラを通過する空気の供給が欠乏するために、クンダリーニーが目覚め動き出して上昇し始めます。最上部には、サハスラーラチャクラすなわち「大泉門」があります。そこには花びらに囲まれた神聖な光りが存在しています。
サハスラーラーチャクラは、千枚の花弁がついた蓮華の花のようなものです。人が鬼のような性質を持つと、それらの花びらが中央の神聖な光りに触れます。逆に人が神の性質を持ち始めると、神聖な光りの方から花びらに触れ始めるのです。このように、霊性修行を行うとクンダリーニが、人体に影響を与えるのです。一日の呼吸回数の多い生き物は短命です。犬のようにたくさん呼吸すると、寿命は短くなるのです。蛇やマングースは一日に少ししか呼吸をしません。それゆえ蛇もマングースも長生きします。呼吸は寿命に影響を与えるのです。STPSp213
呼吸が鼻孔に入ったり出たりする過程に注意を向ける仏陀の方法は、初歩的なものにすぎず、瞑想を始める前の何分間か行うだけのものです。CWSSBp103
蓮華座を組んで座り、ムーラーダーラー・チャクラにあるクンダリーニーシャクティを呼び覚まし、、それを大泉門にあるサハスラーラーチャクラに導こうとすることは、真の瞑想ではありません。真の瞑想とは、あらゆる場所{や人}の中に神の存在を認め、その意識を、私たちの行う小さな一つ一つの仕事の中にまで、表現することです。PN
プラーナーヤーマとは、通常、吸う息と吐く息をコントロールし、規則的に呼吸することを意味します。このプラーナーヤーマは、この全宇宙を「実在しないもの」であると見なす者のみに可能なことなのです。PVp114

すべての条件が厳密に整っていなければ、プラナヤーマを実践する事は危険です。プラナヤーマを行う必要性もありませんし、スワミはそれを行わないことを勧めます。第九番目から十二番目の椎骨までの間の領域は特に敏感です。そこを損傷すると、全身が麻痺してしまう可能性があります。CWSSBJp252
多くのプラナーヤーマがありますが現代ではその多くは実践することができません。プラナーヤーマには二種類あり一つはマントラを唱え、もう一つは唱えません。マントラを唱えない方はせいぜい、健康を改善するだけです。一方唱えつつするほうは、心をも変えることができるのです。その方法は、2秒で息を吸い、8秒間息を止め、4秒間で吐きます。これを3ヶ月間注意深く繰り返します。その後、それらの持続時間を倍にします。それを6ヶ月続ければ 、感覚の動きは落ち着いてきます。信念を持って行わなければ、単なる体の健康が改善されるだけです。SIP5-9

*ブラフマン
至高の神は、一切の執着、憎悪、利己主義と所有欲をほんの少しも持たぬ清らかな知性によってのみ、知る事が出来ます。英知のみが神我顕現を可能にします。瞑想によって諸機能は集中が可能となり、集中によって、肉体を持ったまま英知を得ることが出来ます。ブラフマンは五つのプラナによって身体を活気づけます。内的意識がそれに必要な清らかさに達するや否や、ブラフマンはその者の身体に降臨して、自らの姿を現します。アートマンは内外の感覚に内在するからです。UVc4
ブラフマンの体験は、さまざまなサーダナを修得することで手に入るものではありません。神性は、ハートが純粋になって初めて悟ることができるものです。利己主義や高慢や憎しみに満ちたハートには、神性の余地はありません。24/7/83
ブラフマンの英知を知る者にとっては、ダルマと非ダルマ、徳と悪との対立はもはや存在しません。徳高い生活を送った者は、死後に高い国へ導かれ、不徳の生活を送った者は低い国へ赴きます。けれども無知を排除し真理を認識することを望む修行者にとっては、死後に赴くであろう高い国も低い国も束縛なのです。UVc8

*プレマサイ
このサッチャサイの身体は96才まで生き、その後一年間の空白期間を経てプレマサイが人の身体を取り、75年間君臨します。P, 65 ANDI
~は、スワミがプレマサイとして降臨するときスワミに奉仕する特権にあずかりたいと、先刻述べました。今、既に持っているものを十分大切にしなさい。未来の胎内にあるものを、何故大騒ぎして欲しがるのですか?未来を決定するものは現在です。現在を大切にしなさい。あなたの果たすべき義務を、今果たしなさい。8/11/95

*文化
皆さんは、人間の姿をしているからというだけで、自分を人間と呼ぶことはできません。足や手や目や鼻や口等々を持っているからというだけで、人間になれるわけではありません。手足は小さな虫でさえ持っています。私たちは虫のように生活を送るべきですか? いいえ、送るべきではありません。私たちは人生に高い理想を掲げるべきです。皆さんの振る舞いは真の人間性と文化を反映するものであるべきです。皆さんの真の文化は、理想となるべきものです。文化は、何をすべきか、そしてそれをどのようにすべきかを教えています。何が良くて何が悪いかを教えてくれるのは文化です。自分は人類というカーストに属しているということを思い起こしなさい。皆さんの真のカーストは、自分が生まれたときに手に入れたものではありません。皆さんの真のカーストは人類というカーストです。これは決して変えられることがありません。15/1/08

 *平安
朝起きてから、夜寝るまで人は外的な物のみを追い続けます。内的なヴィジョンを養うことなどしません。外的な物は一時的な喜びしか与えてくれないのです。これらの外的なものを追い求めることによって、人は貴重で神聖な人生を無駄にしているのです。外的なものを追い求めることによって、平安を得ることは決して出来ません。SS8月1993p,206
人はしばしば 平 安 がないと言います。なぜでしょう? それは、欲望を増大させているからです。欲望をなくした人は平安でいられます。あなたは善い思考だけを生み出し、すべての思いを超越して前進し、思いの寄せ集めにすぎない心が滅した状態に辿り着かなければなりません。18/7/97
一切の心の動揺が静まった結果として得られる平安を、常に体験していなさい。心があれこれと様々な事象を追いかけるのを許してはなりません。それを訓練して静かにさせておきなさい。外部世界との接触によって生じる心の反応から遠く離れていなさい。そうすれば君はサットと呼ばれる純粋な存在そのものになることができます。至高の平安 P.92
世界は、悲しみ、苦難、困難に満ちているということを、多くの人々がさまざまに語ります。しかし、実際には、この種のものは存在しません。存在しているとされているものは、人の妄想に他なりません。実は、この世に困難というものは存在せず、どこにも何の不安も見られません。どこであれ目を向けるところには、平安! 平安! 平安のみが、存在しています。心に平安があるとき、あらゆるところに平安を見るでしょう。これに対して、もし心に平安がなければ、あらゆるところで平安の欠如を見るでしょう。
平安の欠如、悲しみ、不安はすべて、自分自身の反応であり、反映であり、反響です。これらはすべて自分自身が作ったものであり、一切実在していません。つまり、反応と反射と反響は、自分自身の多種の妄想によって生じるのです。26/12/07
人が平安でいるのはスシュプティ(熟睡)している間だけであることがわかるでしょう。それは、熟睡中は、諸感覚が活動せず、心が不活発になり、感覚や感覚の対象物から離れているからです。したがって、諸感覚が心を外へ引きずり出すことをやめさせれば、人間は平安を得ることができるのです。諸感覚を外界から引っ張ってくること(ニヴリッティマールガ、内側へ向かう道)こそが、真のサーダナ〔霊性修行〕であり、基本のサーダナです。21/4/67
  私たちが平安をどのような時になくすのでしょうか?実は、平安はあなたが外の世界から得ることは出来ないのです。平安は、あなたの持っているよくない性格が原因となって失われる場合がほとんどです。純枠な想いがあれば、人間は純枠になります。不純な想いを抱いていれば、人間は悲しみの餌食になります。人間が、自分の持つすべての想いを崇高なものにすることができれば、平安に満ちた聖人賢者になることができます。私たちが、あらゆる想いから自由になり、善悪両方向の心のひずみがなくなったとき、平安が定着します。ですからあなたが、あらゆる想いと心の動揺を止めることができれば、平安を得ることができるのです。KSH
人々は平安を求めます。しかし平安はどのようにして確保できるでしょう?神を信じることが肝要です。神への信念は家庭に於いて生じさせなければなりません。そうすることによってのみ、子供達は崇高な思いを培います。19/11/96
地位、身分、学識、権力、富、名誉などを得たとしても、それは心の平安を与えてはくれません。心の平安は誰からも得ることは出来ませんし、どこかにあるわけでもありません。外界の物事や所有物があなたに心の平安を与えてはくれません。平安を失うそもそもの原因は、欲望の束です。~平安と幸福は、満足のうちにあります。最も裕福な人は誰でしょう。満足している人が最も裕福な人です。それでは最も貧しい人は誰でしょう。たくさんの欲望を抱えている人が最も貧しい人です。STPSp118
平安は奉仕を通してのみ、手に入れることができます。怠惰な人間は悪事に走ります。仕事で忙しくしていれば、心〔マインド〕に思考が生じる余地はありません。それゆえ、心に平安があるのです。穏やかな心は愛の住処です。
愛は人間に本来備わっているものですが、人間の中にある愛も、肥料と水で養分を施されなければならない種のように、サーダナ(献身的な奉仕)とプレーマ(愛)によって養われなくてはなりません。愛は神聖な性質です。愛は甘露のようなものです。神の愛の不滅の甘さを味わった人は、他に世の中のものは何一つ望まなくなります。人生は、絶え間ない愛の発露とならなければなりません。今、愛は、抑制された、利己的な方法で表されています。愛は社会への奉仕という形で表される必要があります。愛は、他の人々に捧げ、他の人々と分かち合わなければなりません。そうすることで、愛は互恵的な、絶えず拡大していく体験となるのです。24/11/87
あなたの周りを平安な雰囲気で包むようにしなさい。SSSvol4p268
私たちは、他の人が私たちを批判する際、その動機を探らねばなりません。どうして私たちを批判するのか?もしその動機が嫉妬やエゴからくるのであれば、そうすることがその人にとって普通のことなのです。彼は彼の性質に基づいてそういうことをしているだけだと思えばいいのです。でもそれらは私たちにとっては自然なことではないので、自分たちの持っている性質で対処すればいいのです。我々の自然な性質は平安です。私たちは平安の体現者なのです。SSN春86p32
平安は精神的に落ち込んだときの最良の薬です。実際のところ、あなたの内にある平安の泉をあなた自身によって無視する時に人は落ち込むのです。インドでは音楽が心に有効に働くと信じられています。それは、心の動揺と心配事という波立つ心を落ち着かせ、平常心を取り戻させます。音楽は、情熱をおさえ、感情をおさえ、衝動を高貴な目的に導きます。我々はこのような我々の文化の中の音楽が持っている偉大な役割を忘れてしまっています。SSSvol5p257

*平常心
 私たちが人間として生まれるのは、平安を得るためであって、権威ある地位 に就くためではありません。たとえあらゆる種類の富や快適さがそろっていても、平安を失えば、生きること自体何の意味もありません。世の中には、裕福で、高度の教育を受け、権威ある地位 に就いている人がたくさんいます。しかし、社会は彼らからどのような恩恵を受けているでしょうか? 彼らは、苦しんでいる人々の涙をぬぐう時間も、そういう気持ちも持ち合わせていません。
私たちは、どうすれば貧しい人々や虐げられた人々を助けることができるでしょう? 権力の座に就いている人々は、この点に心を砕かなければなりません。しかし、このような方向でものを考える人は、一人もいないように見えます。社会事業という名のもとに、人々は「人に見てもらうための仕事」をしているのが実情です。彼らは食べ物を求めて戸口に立つ乞食たちを追い払います。人間は、平安を得ようと思えば、慈善行為に携わらなければなりません。23/11/05

*ヴェーダ
『何千もの頭を持ち、何千もの足を……』というヴェーダの言葉が生まれたときは、世界の人口はわずか数千程しかありませんでした。ところが現在、人口は数十億に達しています。当時、人々はすべての人を神と見なしていました。彼らは、『すべての生き物に対する挨拶は神に届く』、『神は万物の内在者である』、『全宇宙に神が浸透している』という、ヴェーダの教えを信じていました。神は特定の場所のみに存在しているわけではありません。神はここにも、あそこにも存在し、あらゆる場所に存在します。皆さんは妄想によって様々な差異を作り出していますが、神は唯一者であり、無二の存在です。このような一体性の原理を広めることはグルの務めです。5/7/01
マントラは単なる言葉の寄せ集めではありません。マントラは多大な意味を含んだ一連の言葉です。マントラは人間の内なる力から生じます。力に満ちたマントラは、正確に発音されると、人間の内にある神聖な力を呼び起こします。マントラを唱えることで作り出されるバイブレーションは、宇宙のナーダ(原初の音)と結合して、普遍意識と一つになります。この宇宙のバイブレーションこそが、ヴェーダという姿をまとったのです。1/10/84
ヴェーダは軽視されてはなりません。全創造の神秘がヴェーダの中に含まれています。ヴェーダは人生の目的と目標を定めています。創造、維持、破壊に関するすべての事柄がヴェーダの中に含まれています。ブラフマチャーリヤ(学生期)、グリハスタ(家長期)、ヴァーナプラスタ(林住期)、サンニャーサ(遊行期)といったアーシュラマ(人生の段階)は、ヴェーダを起源としています。人々は今ヴェーダの栄光を認識することができます。皆さんがどこへ行こうとも、たとえ村の中にいたとしても、女性たちもヴェーダのマントラを唱えているのを皆さんは見ることでしょう。男性と女性では身体のつくりが異なるかもしれません。しかし、ことヴェーダの学習に関して言えば、まったく何の違いもありません。9/8/06
 プラシャーンティ ニラヤムでは、小学生でさえ上級生に加わってヴェーダを唱えている光景が見られます。しかし、彼らはそれらを実践に移すために必要な知識はもっていません。単にヴェーダを唱えることはあまり役には立ちません。ただ神のみがあらゆる所に、常に存在します。世界は幻影にすぎません。神はあらゆる場所に存在するという聖なる教えは、すべての人々に普及しなければなりません。多くのサーダカ(霊的求道者)たちがヴェーダを唱えたり、教えたりしています。カセットテープやCDは、ただ音を出すだけで、メロディーを体験することはありません。自分が教えていることを実践しなければ実りはありません。ですから、人は聖なる教えに気づき、理解してそれを実践しなくてはなりません。6/9/04

ヴェーダ以外の教えは、全てヴェーダ以後に始まった。4/80
ヴェーダの言うところの月は、各人のハートにあって機能する心と本性を言います。ヴェーダが太陽と宇宙原人の眼について言及したのは、人間の眼は太陽の光輝を持つという意味です。太陽の光輝を持つゆえに、人はあらゆるものに神を見ることができるのです。31/5/91
ヴェーダは過去世と未来世との関系を教え示しています。このように過去世と未来世の関係を詳しく明らかに示している宗教は他にありません。SSVp117
結果に捕らわれない行為とは何もしないという意味ではありません。何かをするときに誰に対しても変わらない態度で接し、自分の生み出すどんな結果も求めずに、自分のすることすべてを神に捧げれば、それは結果に捕らわれない行為になります。それは世の中の務めでも、儀式などの神様への勤めでも同じです。ヴェーダによれば、結果を求めて儀式をしても、せいぜい天国にまで行けるだけです。その天国にしても、いつまでもいられるわけではありません。ヴェーダは功徳を使い果たしたら、また天国から地上に戻ってこなくてはならない。といっています。
~いずれ時が来れば帰らなければなりません。功徳が残っている内は天国で楽しむことは出来ても、功徳を使い果たしたら、また地上に戻ってこなくてはならないのです。~皆さんのしていることは、泥棒が刑務所を出たり入ったりを繰り返しているのと似ています。皆さんはこの地上でいろいろなことをしています。そのうちに天国へも行けるでしょう。そしてそこで功徳を使い果たしてしまったら、また地上に戻ってくるのです。クリシュナは、そんなふうに上がったり、下ったりしてはいけないといっています。そしてアルジュナに、永遠の場所を求め、もう二度と戻ってくる必要の無い、永遠の真理の地にとどまるように聖なる教えを説きました。SGc31
ヴェーダの詠唱を聞くだけでも、心を清めることが出来るのです。18/10/93
ここにいるパンディト〔学僧〕と学者たちは、激しい苦悩の中で奮闘していました。なぜなら、彼らは、自分たちは見捨てられている、孤独であると感じていたからです。今、彼らを見てごらんなさい。結婚式の天蓋(てんがい)の下にいる花嫁のように、華やかに着飾って座り、顔に喜びを浮かべ、心に希望を抱いています。これまで彼らには、自分たちの誤りのない厳正なヴェーダのマントラ(真言)の暗唱を忍耐強く聞いてくれる人が誰一人いなかったのです。これからは、何も恐れる理由はありません。
私の任務は、「ヴェーダ サムラクシャナ」(ヴェーダの守護)、「ヴィドワト ポーシャナ」(ヴェーダ学者の育成)、「ダルマ スターパナ」(正義の確立)から成ります。この三つはすべて互いに依存し合っています。「ヴィドワト ポーシャナ」〔ヴェーダ学者の育成〕は、ヴェーダとダルマの両方を助けます。それゆえ私は、ヴェーダ学者達の知識や誠実さが報われずに終わることがないことを保証します。ヴェーダを軽視する時代は終わりを告げました。1/10/62
「アティ ルッドラ」は多くのナマカとチャマカよりなります。これらは人間の生活を維持します。どこからこの力は来たのでしょう? ナマカとチャマカはクリシュナ ヤジュル ヴェーダから引用されています。クリシュナ ヤジュル ヴェーダはすべてのヴェーダを包括しており、他のヴェーダやシャーストラ(聖典)、イティハーサ(伝承)やプラーナ(神話)はここから生まれました。
不幸なことに、今日、ヴェーダは十分に保護されていないため、その卓越した地位 を失っています。ヴェーダを真剣に学びヴェーダに含まれるマントラを定期的に唱える人が、とても少なくなってしまいました。ヴェーダを規則的に学びヴェーダの指示を実践するなら、人間はあらゆる種類の富を授かります。人の生活と運命を支配する基本的な原理がヴェーダには含まれています。ヴェーダは全人類の幸福のための神からの贈りものです。ヴェーダは宗教や身分や国籍をもとに区別 をするようなことはありません。ヴェーダのマントラはすべての人が唱えることができます。ヴェーダがすべての国に広がり、宗教や身分や国籍などによらず、すべての人がヴェーダを学び唱えることがスワミの望みです。
私たちはヴェーダをすべての人々に教えようと努めています。ヴェーダはあらゆる種類の悲しみを取り除きます。今執り行われているヤグニャは全人類の幸福のために行われています。少数の幸運な人たちがヴェーダを学び広めています。しかし、不運なことに多くの人々は、ヴェーダを学んでもヴェーダを教える努力をまったくしません。現在、シュリ サティヤ サイ教育機関のすべての生徒にヴェーダが教えられています。ヴェーダの学習の準備段階として、ヴェーダの言葉であるサンスクリットの知識を得なくてはなりません。9/8/06

*ペット
神と共にいることの至福が与える体験にまさるものは何もありません。あなたがすべてを愛すれば、すべてがあなたを愛します。犬や猿、猫とさえあなたの愛を分かち合いなさい。そうすれば、動物たちがどのようにあなたの愛に報いるかを知ることができるでしょう。人間は、犬でさえもがもっている感謝の念を忘れてしまいました。多くの外国人たちは、ペットとして犬や猫を飼っています。あなたが動物を愛せば、動物もまたそれに応えてあなたを愛します。9/10/02

*ヘヤドライヤー
9年前のある日、私は頭を洗ったあとに髪を乾かしたいと思いました。アメリカ人の医者の一人が私に愛を込めてヘアドライヤーをプレゼントしてくれたので、私はそれを使おうとしました。そのとき停電になりました。そして、私がちょうどドライヤーに目を近づけて見ていたときに電気が復旧しました。その結果 として、突如、熱風が私の目に当たり、網膜を傷つけたのです。私は少しもうろたえませんでした。この広い世界を見るにも片方の目で事足ります。5/7/03

 *傍観者
邪悪の行為が為されている場合、神さながらの人は沈黙の傍観者であってはなりません。真理の為に立ち上がらなければなりません。31/7/96

 *奉仕
あなたがたは皆、人間の身体は無私の奉仕をするためにのみ与えられたことを実感認識せねばなりません。そのような奉仕はハートを広くし、エゴを滅ぼし、至福を生じます。奉仕は又人々の間に兄弟愛と神への父性愛の意識を促進するのに役立ちます。しかしあなたのすべき仕事はそれで終わるのではありません。あなた方は同時に、全ての人類に霊性の発展の為に、一体性を培う教えを広めなければなりません。人類を、二元から不二一元に導かなければならないのです。21/11/95
皆さんが犠牲の精神で共に集まり、共に働くことは差し支えありません。しかし、こうしてさまざまな地域の人々がグラマセヴァのために集うなら、村にとって良いことは起こりません。各々が自らの思いをもっており、いっしょになることで堕落します。そうして、その場所はビジネスセンターになってしまいます。霊性はビジネス活動ではありません。霊性とは神聖な一つの館のようなものです。それは一体性につながっています。多様性における一体性こそが、皆さんに幸福をもたらします。皆さんがこの一体性の原理を培うことを、私は強く望みます。そのとき初めて、皆さんの従事する奉仕活動に価値が生まれ、神聖なものとなるでしょう。人々の間の違いを見ることにによって神聖な奉仕活動を汚してはなりません。1/1/03
あなたの奉仕を受ける人がどんな人であっても気にせず、その人が苦しんでいるかどうかだけを見て判断しなさい。彼らの他の人に対する行いが不適切なものであっても気に留めないようにしなさい。というのも、どんな人であってもあなたの愛によって彼らは間違いなく変容するからなのです。SSSVol7p198
奉仕は最も優れた霊性修行です。なぜなら、神御自身人類に奉仕するために、人間の姿をとって降臨し、それまで人が無関心でいた崇高な目的に導こうとされているからです。ですから、人が人に奉仕する時、神がどれほどお喜びになるかしれません。SSSvol6
奉仕を通してのみ、人は神の恩寵の受け手となることができます。奉仕活動に参加しなければ人生は無意味です。神を愛する一番の方法は神に奉仕することです。あなたたちはすべてのものの幸福を願い、愛と奉仕の道を歩むべきです。そうして初めて、あなたの人生は成就を得るのです。5/7/03
一体性の原理を理解した上で、社会に奉仕すべきです。そうして初めて、個人のレベルでの進歩が生まれます。ところが、もしあなたが、第一に自らの霊的進歩のみに集中するのであれば、決して奉仕における霊的側面 を理解することができないでしょう。22/7/02
賢い人は、お金と力、知性と技能、能力と機会を、他者を助けることに使い、自分の人生をより幸福なものとし神の恵みを得ます。なぜなら、セヴァ〔奉仕〕は礼拝の最高の形態だからです。飢える者、絶望している者、苦しんでいる者は何百万といます。貧しい人たちに食事を分け与えることができるよう、私は皆さんに食事の量を実際に必要なだけに限るよう指導しています。お金は、有害なことに浪費せず、他者を助けるために使いなさい。時間とエネルギーを無駄にしてはなりません。あなたの技能が他の人のためになるようにしなさい。21/11/85
なぜ私が人々に奉仕をしろ、というか分かりますか?それはもう一度生まれ変わってほしくないからです。たとえあなたの心がきれいでも、あなた自身の身体が充分働ききれていなければ、もう一度生まれ変わらなければならないのです。特にこの事は霊的に高いレベルの人に当てはまることです。あなたはもう一度生まれ変わらないようにしなければなりません。P, 315 ANDI
私が、信者は神への奉仕の方法として人類に無私の奉仕をしなくてはならないという時、それはあなたの利益とあなたの霊的向上の為にのみそう言うのです。何が永遠であり、何が束の間ではかないかを識別し、永遠の至福につながる道を歩みなさい。23/10/93
無私の奉仕に励みなさい。ひとかけらの利己心も無い奉仕をすることによってのみ、心は清められます。受け取ることよりも、与えることを喜びとしなさい。神がおられてあなたの必要とする全てを与えているのに、他の人に何かをしてもらうことを期待したり、物を貰うことを頼む必要があるのでしょうか?あなたの一切の行為はハートを清め、神を体験することを目的とするものでなくてはなりません。
ハートが清らかな時、英知の光が輝きます。自分を助けてくれた人を助けるのはもちろん良いことです。自分に危害を与えたものを助けることは、もっと良い事です。人は、さまざまな方法で世話になった社会に対して奉仕をしなくてはなりません。10/5/92
パローパカーラの意味は他者に奉仕する。ということですが実はもう一つの意味があります。それは、神に近づくという意味です。ですから、あなたにとってできる最も大きな奉仕は、他の人を神の近くに連れて行くことです。そうすればあなた自身も神に近づきます。これは良い行いと善い思いを通じて可能となります。STPS2p265
良いことをするのは身体を丈夫に保つよりはるかに大切です。他の人を助けるために身体を使わないのであれば、死んでいるのと変わりません。自分の欲望を満たすためにだけ身体を使うのでは無く、他の人への奉仕に身体を使って下さい。良い行為を重ねていけば人格のすべてが神聖なものになります。SG10
一方で神を思い、もう一方で世俗的な学問を追求しなさい。これら二つの調和によって、人生の甘味を味わいなさい。人生は他の人に奉仕するためにあります。決して他の人に苦しみをもたらさないように、よく注意をしなさい。私利私欲を満たすためだけ学ぶのはいけません。30/5/95
人は、肉体の病、心の病という二種類の病気にかかります。寛大な心、悲しみと損失にあっても不動でいる事、善を為すことに熱心である事、でき得る最善を尽くして奉仕すること、これらの徳は、身体も心をも丈夫にします。奉仕をすることによって得る喜びは、身体に良い影響を及ぼし、病気にかかりません。身体と心とは、このような密接な相関関係を持つのです。SSSVol1chp23
無私の心を持つ者のみが、社会へ奉仕することが出来ます。無私の心を持つ者のみが、神へ奉仕する資格をもつのです。SS8/89
わたしはセヴァサミティを始めました。この組織のメンバーになり無私の奉仕をすれば,彼自身が生死の輪廻から自由になれるだけではなく彼らの子供や孫も自由になれるのだ。でもその奉仕のテストは難しい。私は誰がこのテストに受かり最後に勝利を収めることが出来るのか見守るつもりだ。P,139 ANDI
この世での最も素晴らしい奉仕は、自分の母に仕えることだ。P,164 ANDI
もしあなたが丈夫で、お金がポケットにあるなら他の人に奉仕すべきです。もしあなたが、身体が弱くて貧しければ、他の人を傷つけないようにすべきです。もしあなたに他の人を助けるだけの力が無ければ静かにしなさい。他の人の幸せを願う事も奉仕です。他の人の欠点を洗い出さないようにしなさい。あなたは同じ間違いを何度も繰り返すという傾向を食い止めねばなりません。あなたの心が覚醒時に行った瞑想で神に集中できた時間と同じ長さの時間、夜寝ている間に神と融合できるのだ。P.294 ANDI
二日間の愛の奉仕は二ヶ月間の瞑想よりいいのだ。P325サイババは世界の危機を救う
エゴ、利己心を無くすには奉仕をするのが一番なのです。P335,343(同)

奉仕によってのみ利己心と自己中心主義から逃れる事ができるのであり、同胞への奉仕の決意をした者こそ至高の神の愛でる信者です。20/11/90
神への奉仕を通じて自らの利益をも求める者は、真の信者とはいえないのです。SSvol4p100
奉仕によって、奉仕の内にある偉大さが現れます。奉仕は、彼のハートを広くします。奉仕は奉仕者を歓喜で満たし一体性を促進します。奉仕はブラフマンの真理を宣言します。奉仕は人の内にある悪い属性を除去します。それゆえ奉仕を偉大な霊性修行と見なさい。あなたは、支配するために生まれてきたのではなく、奉仕するために生まれてきたのです。20/11/90
奉仕の努力は、他の人々の苦しみ、嘆き、を軽減されるために為さねばなりません。奉仕したことの結果にはこだわってはいけない。ということも覚えておかなければなりません。あなたができる限り効果的に、できる限り粛々と、そしてできる限り愛を持って奉仕をし、その結果は、この奉仕の機会を与えてくださった神にゆだねなければなりません。SSSvol6p, 125
皆さんは、自分は他人に奉仕を行っている、という間違った考えをもっています。そのような思いは捨て去るべきです。そのとき初めて、皆さんの行う奉仕は、厳密な意味で、真の奉仕となります。奉仕とは単に他の人を助けることではありません。神を愛する最良の方法は、すべての人を愛し、すべての人に尽くすことです。「奉仕」という行為は、愛の精神で溢れているべきです。愛という肯定的な側面 がなければ、皆さんの行うすべての奉仕は、現実には否定的なものとなってしまいます。1/1/03
私たちが地上で生活できる機会そのものが、短期間のものでしかありません。それにもかかわらず、私たちは、肉体をいつまでも生かしておくために、次々とさまざまな試みを重ねます。これは愚かなことです。命の長さは神の意志によって決まります。地上での生命は、神が肉体から私たちを引き離すときに終わりを告げるのです。地上で生きている間の私たちの務めは、私たちのエネルギーを、他の人々に対する無私の奉仕にささげることです。こうするためには、私たち自身の意識と心とを純粋で愛に満ちた状態に保っておかなければなりません。
あなたは、自らの生活の中で神の愛を顕現していかなければなりません。無私の奉仕は神です。機会あるごとに、無私の奉仕をするように最善の努力をしなさい。立派な人格を持った人々と、神についての平安に満ちた心の暖まる会話をすることは、非常に有意義なことです。あなたは、神は愛であるという信念と信頼とで、心を一杯にしていなければなりません。神は慈愛に満ちた方であるということを、決して忘れてはなりません。SIK P.114~115
神への信愛と全てのものに対する至高の愛で満たされた心は、何と清らかでしょう。そのような人々のみが、無私の奉仕をすることができるのです。その他の人々は、ただ口先だけの人であり、無私の精神で奉仕をしている振りをしているだけなのです。すべての人は皆神の子であり、神こそすべての内にあって行為を促している力であるという信念を固く持つもののみが、社会奉仕の真のメンバーであるということができるのです。JV
あなたが人を愛せないならば、あなたの心は神を愛せないということです。兄弟である人間を愛せないのに神を崇めることなど出来ません。もしそうしても、神はそのような偽善者を受け入れません。神は皆の心に宿っているのです。全ての人に仕えなさい。そうすれば、その奉仕はあなたの内なる神に届き、神があなたに恩寵をもたらします。無知、貧困、病気の苦しんでいる人を見て心が痛まない者は、悪魔のレッテルを貼らねばなりません。そのような人を獣と同じだと形容することは、獣を侮辱することになります。利己主義や刹那主義、そして欲望を捨てなさい。そして、無執着とアートマの栄光と愛で満たしなさい。それがあなた自身が有能な奉仕者になる為の方法なのです。SSSVol9p130
人間への奉仕は、あなた方が神への奉仕と呼んでいることよりも価値があります。神はあなた方の奉仕を必要としません。人を喜ばせなさい。それは神を喜ばせます。「プルシャ スークタム」は、神には千の頭と千の目と千の足があると詠っています。つまり、すべての人、頭と手と目を持っているものは、すべて神であるということです。皆、ばらばらではないのです。神には千の心臓があるとは言っていないことに注目しなさい。心臓は一つだけです。同じ一つの血液がすべての手と頭をめぐっているのです。すべての人は手足です。手足の世話をするとき、あなたは人の世話をしているのです。人に奉仕するとき、あなたは神に奉仕しているのです。19/2/66
外部の人々は、学生たちや帰依者たちの私に対する愛と献身を知りません。彼らは、私に奉仕するためであれば、自分たちの健康すら二の次に考えます。しかし、私はそのような奉仕は好みません。皆さんは十分に食事を取るべきです。皆さん自身の中にも神がいるのですから、自分を苦しめてはなりません。自分自身を幸せにしなさい。しかる後に社会に奉仕しなさい。皆さん方は、様々な村を訪れて、貧しい人々に奉仕をしています。これ以上に偉大な奉仕はありません。この奉仕という富は、何千万ルピーという金銭よりもはるかに偉大です。25/12/00
いつも自分の身体、家族、財産、快楽を考えている人はほんとに利己的な人です。そのような冷酷な心を洗い清める唯一の方法は、人に奉仕することです。人生は無私の奉仕、内在する神への奉仕のためにあることを理解する必要があります。SSNewsVol13
皆さんが純粋な心で行うことであれば,それが何であれ私は喜びます。私が望むのは皆さんの心の純粋さだけです。皆さんの心に純粋な愛があればどのような奉仕を行ってもよいのです。p39 一体性の実践
最初の奉仕は家庭の中で行われなければなりません。父親、母親、兄弟姉妹といった限定された間柄での奉仕は家庭という枠を超えたもっと大きな奉仕への準備となるのです。SS41989Back page
自らの良心を満足させるために奉仕をするのであって、他の人に褒めてもらう為ではありません。奉仕を神に捧げる行為だと見なしてしっかりやり遂げなさい。神があなた方の行為を一つ一つ見ておられるということを忘れてはなりません。あなた自身があなたの行為を精査しなさい。あなたのすべての行為が、あなたの良心を満足させるのであればそれは、あなたが自己実現の道をしっかり歩んでいるということが言えるでしょう。SS1/1996p26
もしも、空腹に苦しんでいる人の耳元で霊性を説いたとしても、それは相手の耳には入りません。空腹を満たすのが先です。そのような人には食べ物という形をとった神を与えなさい。衣類という形をとった神を与えなさい。不安を抱いて苦しんでいる人には、平安という形をとった神を与えなさい。病気で苦しんでいる人には、薬という形をとった神を与えなさい。何であれ、恐れと痛みと悲しみを和らげることのできるものの形をとった神を与えなさい。これらが為されたときにのみ、霊性は人のハートに染み込んでいくことができるのです。もしも、それとは逆のことをするならば、霊的な感情ではなく、無神論を助長することになってしまうでしょう。23/11/82
今、求められているのは、ただラーマやクリシュナやサイの御名を唱えることではなく、困っている人にはだれにでも、「親愛なるお方! 何が必要ですか? おなかは空いていませんか? これをお食べなさい」と言って助けてあげることです。皆さんの可能な範囲で食べ物を提供し、困っている人を助けるべきです。両親が共働きに行っている間、多くの幼い子どもが通りをうろついています。こうした子どもは多くの事故や危険にさらされています。私たちは、そのような子どもを助け、危険や災難から守るべきです。事故で怪我をする人たちもいます。怪我人を病院に運び、治療とその他の必要な援助を受けさせるべきです。貧しい人に親切にし助けなさい。病気で苦しんでいる人に治療の援助と手段を提供しなさい。弱っていて歩くことができない人に援助の手を伸ばしなさい。27/1/07
どうして奉仕を通して自我が変容できるのか、と疑問に思うかもしれません。奉仕を愛で満たすことにより、その作業は神への礼拝へと変えることができるのです。仕事が神にささげられるとき、それは礼拝へと神聖化されます。それにより自我のない奉仕活動になります。また成功に対する欲望や、失敗に対する恐れといった世俗的な煩悩から逃れることができます。
奉仕の仕事に最善の努力を払ったとき、礼拝が完全に行われたことになるのです。その礼拝を受けとめて、あなたにとって最高と思えるものを与えるのは神なのです。このような態度は奉仕の仕事から、自我に対する執着を取り去ります。この修行を規則正しく行うことが、意識を澄み切った純粋なものにするのです。そして更に意識の純化を促進させます。このような基本的な心の準備もしないで、どうして霊性の高みに昇ることが望めましょうか。過去多くの聖人たちは、自分たちの若い時代を意識を純化する修行に費やしています。どのようにあなたの仕事が期待されていようと、どのように心地よい生活の手段を備えていようと、また知性を活かしてどのように高い権力の座に昇ろうとも、すべての行動が、意識に内在する神聖な純粋さで満たされない限り、得るものはゼロに等しいのです。SSSvol10P.94
自分が肉体である。という考えを捨てた時のみ、人々に奉仕を行いたいという真の衝動とインスピレーションを感じる事が出来るのです。SSSVol5p44
あなたが、他の人に内在する神に捧げた、ただ一つの奉仕は、あなたが神に向かうために何年もして来た霊性修行と、同じだけの価値があるのです。SSSvol6p9
人に身体をあてがわれたのは、利己的な目的では無く、人が他の人々に奉仕をするためであると気付かねばなりません。あなたの持っている富、科学的な技術、医学的な知識は社会から与えてもらったものでしょう?あなたが社会から得た富や専門的な知識を、良い行いを通じて社会に還元しなさい。SS2/1994p41
万人が自分の身内であることを認識し、自分が持つ技能を人々と分け合うことにより、皆にとって最大の利益が生じるようにするのがあなた方の義務です。技能は預かり物であり、皆を助けるためのものです。身体障害者、精神障害者、知的障害者、犯罪者、孤児、難民の施設で行われる奉仕は、実に、有益であり、良い霊性修行(サーダナ)です。刑務所や病院における奉仕も同様です。このような施設に足しげく通い、人々を慰め元気づけなさい。施設に入っている人々の心の中に信愛の光を灯しなさい。そこでバジャンを歌い、家族に手紙を書くのを助け、読書できるような本をあげたり、本を読んで聞かせたりして、親戚や友人のいない人の拠りどころとなりなさい。あなたの微笑みは、彼らの心の暗闇に灯された、ろうそくの光となるでしょう。20/12/67
人間に与えられた人生の年数はごく短いものですが、人間が住む世界は広大であり、時の流れは永遠の昔から、遙(はる)かな未来に及びます。人がこの世で為(な)すべきわずかなことは、敏速に、自分が割り当てられた場所で、与えられた時間内に終わらさなければなりません。
さらに、人間には大変な使命があります。人がこの世に人間として生を受けるのは、いくつもの過去世(かこぜ)で積んできた徳の結果、こうして人間として生まれることができたのです。その使命とは、実に、人間の内に潜んでいる神性を顕現することです。その使命を達成するための、もっとも容易で、もっとも喜びが得られる手段は、セヴァ――つまり、献身と信愛の精神で行われる、人間への奉仕です。28/1/75
アートマがあらゆる場所に充満していることを悟り、万人への愛情を培うことが必要です。ヴィシュワ(宇宙)はヴィシュヌスワルーパ〔神の姿〕の投影です。遍在である神をどこであれ特定の場所で捜す必要はありません。格式張った宗教儀式や霊的学識が悟りをもたらすことはないでしょう。霊性修行で求められているのは、知的な卓越性ではありません。虚栄心の強い100人の知識人よりも、善良で優しい心を持った一人の人のほうがより良いのです。私たちは、価値ある任務を引き受けるにふさわしい、善良な人間になるように精進すべきです。もし、あなたの心が、憎しみや妬み、好き嫌いでいっぱいであれば、奉仕活動を始める資格はありません。
「奉仕を捧げて、愛を受け取る」――これが神性を体験するための処方箋です。ところが、今日、奉仕は真心から捧げられていません。愛を込めて奉仕をする人はほとんどおらず、それゆえ、神の恩寵を受け取る人もめったにいません。人々の愛は自分本位ですらあり、すべてを包み込むようなものではありません。愛は親類縁者だけに限定されるべきではありません。私たちの愛は、家族を超えて社会全体に広がり、それから国全体へ、そして最終的には、全世界を包み込まなければなりません。19/11/87

 *放射線
世界は今までいろいろと変化してきました。どんな力が宇宙にあるとしても、その力はすべてそれぞれの人が自らの内に持っています。あなたは、世界中に満ちているエネルギーの波長のことを知っているでしょう?あなたはまた、何種類もの違った光線が世界を照らし出していることも知っています。ラジオの電波もまた空間を飛びかっています。レーザー光線や、目に見えないX線もまた飛びかっています。 それぞれ違った名前をつけられていますが、一つのエネルギーから派生したものなのです。古代の聖者たちは、それらの違った放射線を探求し、そこから至福を味わいました。彼らは、これらの力の知識をもとにして沢山の事を成し遂げることが出来たのです。
悪いものを見ればそれは悪い食べ物を摂るのと同じです。鼻で悪臭がするものを嗅げば、それもまた悪い食べ物を摂っていることになります。悪いものに触れればそれもまた触覚をつうじて摂っているのです。科学の見地から触覚のことを見れば、何かに触れることにより私たちの身体のあらゆる小さい穴から、無数の小さい粒子があなたの身体の中に入って来るのです。
体内に入ってくるこれらの無数の粒子と放射線は、目に見えません。実は、これらは外部から放射されたものが体内に入って来るだけではなく、私たちの身体の内部からも、常に放射されているのです。これらの放射物、放射線は外に出て行くばかりでなく体内にも入っています。これらの理由により、あなたたちが好ましくないところに行けば、病気になる可能性があるのです。そういった不潔で汚い場所があなたの周りにあるのなら、そこをすぐに清潔にし、自らの身体も清めなければなりません。SRBM(J)p246~7

 *放射・波動・物質化
学生諸君は自然の中の神聖な音響を聴かなくてはなりません。良心は心を超越します。それは生命の波動です。言葉は心から発します。しかし、それは舌まで来ると異なる状況のもとで異なる発音へと変わります。言葉は心を超える時には真理そのものとなります。
ヴェーダではこの真理をプールと称します。それは放射です。人の霊が、物質化された身体に入るとこの真理は身体中にあまねく満ちわたり、良心という名で真理の波動となります。それゆえ放射から波動が生じ、波動から物質化が生じるのです。SS10/93
心は白紙。その上に人の過去の幾世にもわたる記録が記されています。それはチッタと称されます。心の中に潜んで記録をとり続けるものをチッタグブタ(隠れた記録者)と称します。その力はプラナシャクティ(放射)とも称されます。放射は身体が活発に機能することを助ける生命力(波動)を振動させます。SS10/93.

 *法律
愛は、剣によらず統治します。愛は、法律によらずして人を結び付けます。6/85

*暴力
暴力が行われている場所からは離れていなさい。そこに行けば、あなたもまた傷を負ってしまうからです。もしできるのであれば、そのような暴力事件を収めるよう努力しなさい。それ以外には、そういった事件からは離れていなさい。あらゆる場所に平安の雰囲気を作り出すよう努めなさい。20/11/02

*欲しい物
是非とも欲しいと思う物を、全部書き出しなさい。そうしてそれらをよく見れば、自分の欲しがっている物がつまらぬ物であり、束の間の目立ち、移ろいゆく名声である事に気づくでしょう。本当に求めなければならないものは、自分を清め最高の霊的境地に高める神なのです。SIP6-31

 *ポジティブな思考
心の動揺、不安定、失望、気落ち、失敗はすべて、あなたの誤った考え方に原因があるのです。考え方が完全に間違った方向に向いているのです。人生に何が起ころうとも、あなたは、「これは私にとって良いことなのだ。」と考えるべきです。あなたに起こることすべては、結局あなた自身のためになると言うことを知るべきです。これがポジティブな考え方です。今、人はこれとは逆にネガティブな考えで頭がいっぱいです。あなたの身体と心と知性と感覚は完全にネガティブですが、魂や良心、すなわちアートマはポジティブです。神があなたの良心です。
どうしてあなたが、神を悟り、体験することが出来ないか知っていますか。それはあなたのネガティブ思考と姿勢のせいです。ですから、霊性の向上のためにはポジティブ思考と行動が必要不可欠なのです。そうして初めて、平安と悦びに満ち、成功することが出来るのです。私たちは、神聖な感情、神聖な考え、良い思いといった、あらゆるポジティブな思考で心を満たすべきです。そうして初めて、あなたは絶対的にポジティブなものである、「サット絶対実在、チット純粋意識、アーナンダ至福」すなわち神を体験することが出来るでしょう。困難は自分にとって良いことであると考えることが必要です。これがポジティブな考え方です。問題、困難、もめ事、失敗、損失、非難、その他諸々たとえどんなことがあったとしてもです。あなたは後に、それらはすべて自分のために起こったのだ、ということが分かるようになるでしょう。STPSp183
信者たちは、夜通し眠らずにシヴァ神の神聖な御名を唱えることとされています。他の方法で徹夜をしても無益です。神の御名を唱えて一夜を過ごすなら、人生は清められます。『バガヴァッドギーター』の中で、スティタプラグニャ〔超意識にある者〕は他の人々が眠っている時に目覚めており、その者にとっては、他の人々が起きている昼間は夜としての機能を果たすと述べられています。この内なる意味は、スティタプラグニャ(絶えざる統合意識の境地にあって悟りを得た人)は、他の人々が神を忘れている時に神を憶念している、ということです。
今、すべての人が関心を持つべき最も重要なことは、自分の心の中の「ネガティブ」な思考をどのようにして取り除くかということです。人間の六つの主要な敵――六つの根本的悪徳――は、人のハートの中に住処を見出しました。そのため、ハートに愛や優しさのための場所がありません。最も重要な作業は、ハートを愛で満たすことです。そうすれば、その人の人生は変容させられ、あらゆる行為は愛に満ちたものになるでしょう。愛は「ポジティブ」であり、人は「ポジティブ」な性質を育てるよう懸命に努力すべきです。人間であるならば、慈悲や寛容といった「ポジティブ」な性質を育てるべきです。
今、人の生涯は、感覚的な欲望を追いかけることによって無駄にされています。それらはすべて、本質的に「ネガティブ」なものです。そうではなく、人は「ポジティブ」な欲望を抱くべきです。それは人間にとって自然なことです。すべての欲望とすべての行為に神性を付与しなさい。
数多くの過去世(かこぜ)において人々と共にあった世俗事の追求は、少なくとも今生では、神性の追求に道を譲らなくてはなりません。多くの人は、自分の中にある神聖な潜在力を自覚していません。人には善い行為や悪い行為をする潜在能力があります。善い行為をすることによって、人は至福を体験します。常に助け、決して傷つけてはなりません。25/2/98

 *微笑み
信者はいつも微笑みをうかべていなさい。喜びを顔からにじみ出させなさい。その喜びは、あなたが内なる神性を体現したときにこそ出てくる喜びなのです。もしあなたが幸せでないとしたら、それはあなたがその神聖さを体現していないからなのです。SS8月p,203
平常心を養うために様々な方法があります。誰かが、あなたのことを罵ったり、中傷したり、無視しても、それらを笑顔で受け入れなさい。こういうことが起こるのは、この世界では普通のことなのですから。それは、基本的には感謝知らずで礼儀知らずな行為だけれども、結果的にはそういうことを通じてあなたを強くするのです。そのような体験をしても、怒ったり恨んだりせず自分自身を勇気づけながら、口元に静かに勝利の微笑みを浮かべれば良いのです。SSSvol8p229
人から人へと微笑みを広げなさい。あなたの嘆きや不幸を人に語って悲しい世の中を一層悲しくするのですか。あなた自身の悲しみを慰めるために神の御名を唱え、御姿を黙想しなさい。あなたが自分の悲しみに打ち勝って、他の人の模範となりなさい。真善美pt138

 *本
本というのは、あなたに方向性と指示を与えるものだけだと、覚えておきなさい。読書をすることであなたが人生の目標点に達することが出来るのでは無く、それは最初に踏み出す第一歩を指し示す路程表に過ぎないのです。本を読むことは、もっと多くの本を読むためではなく、読んだことを実践に移すためなのです。部屋の中に大量の本を持っている人がいますが、そういう人は知的な病を患っている人だと容易に想像できます。SSSvol, 6p, 181
人の気を憔悴さすものや、興奮さす本を読まないことです。また心を憔悴させたり、興奮させたりする映画も見ないようにしなさい.SSSvol7p113
二人の魔女が、若者を役立たずで軽薄な人生を歩む道に引きずり込もうとそそのかしています。一つは映画で、もう一つは小説です。映画は悪の種をその内に持っています。若者の純真な心を汚し、罪や暴力や傲慢を教えます。それは、基本的な人間性を破壊して、若者を動物のレベルに陥れます。世を捨てたヨギでさえ、知らぬまに少しずつ影響を受けて罪を犯します。~小説も同様にわいせつな絵や、獣的なレベルの記述を載せることによって腐敗しています。
これら二つとも、若者を数え切れないほどの悪に染め上げます。これらを書き、プロデュースしている者たちは、どのように若者たちを自立させ、自信を持たせ、そして自分のことは自分で出来る市民に育て上げるかを知らないし、そんなことに全く関心もないのである。このように、若者をどのように導くかという重要なことが、無視されてしまっているのである。SSSvol9p258
皆さんは浄性の食物を摂るだけでなく、良い本も読むべきです。決して悪い本を読んではなりません。悪い本は悪い思いを生じさせます。皆さんの一生は、良い食べ物と、良い思いと、良い仲間にかかっています。善良で、信心深い人たちと交際しなさい。気高い魂をもつ人々は皆、善書を読み、気高い思いを育みます。皆さんは、低俗な小説や物語といったくだらないものを読むべきではありません。そうした低俗本は、皆さんに悪い思いを生じさせ、心(マナス)を汚します。図書館に行ったときは、皆さんが良い性質と良い思いを育む助けとなる、偉人や高潔な人々の伝記を読むべきです。幼い心が汚れ、悪い思いが心に湧き上がる一つの原因は、さまざまな類の低俗な書物を読むことにあります。
実際には、良い思いや悪い思いの原因は、もっぱら心にあります。そのため心は人の束縛と解脱の原因であると言われているのです。残念ながら、今日では、悪い書物だけが評判の的になってしまいます。悪書は若者たちを誘惑する要素を備えています。良書は希少なものとなってしまいました。そうした優れた本はどこで手に入るのか?という疑問がわいてくるかもしれません。道徳と人類の霊的向上に取り組んでいる団体や組織の図書館に行きなさい。列車やバスで旅をしている人々が、駅のプラットホームやバスの停留所で入手できる無益な本を買って夢中になって読んでいるのをよく見かけます。そのような人たちは、退屈しのぎにそれらを読んでいるのだと言うかもしれません。彼らはそうした本がどれほど有害で、悪い思いを生み出し、心を汚染しているかを理解していません。ですから、皆さんはつねに、良い思いと良い人格を育む本を選ばなければなりません。人格はもっとも大切です。
もし、皆さんが良い思いと良い振る舞いを養いたいなら、良い本を読まなければなりません。今日、多くの学生は、安い値段で手に入る低俗な文学作品を読むことが流行であると考え、その結果、彼らの中に低俗な考え、低俗な振る舞いが生じています。彼らは無料で配られる本や低俗本を追いかけます。彼らには、そうした本が良いものか悪いものかを判断する識別力が、絶望的なくらい欠けています。それゆえ、彼らは自分の心が完全に汚染されてしまったあとで、自らの行為の結果に対面することになるのです。しかし、それでは後悔し、道を引き返すには遅すぎます。良い思いと良い振る舞いは、良い本を通してのみ養われるのです。22/10/05
心を神の愛の輝きで満たしなさい、単なる書物の知識を手に入れるだけでは何の役にも立ちません。皆さんが、今までに勉強して来たことは全体の知識のごく一部分に過ぎません。にもかかわらず、皆さんはそれを得意に思っています。皆さんの世俗的な教育は、神の英知に比べれば取るに足りないものでしかありません。教育や力や富によっては、神に到達することはできません。神は愛によってしか触れることができません。神は、愛を育てたときに初めて体験できるのです。帰依とは、神を心から愛することです。24/7/02

 *マーヤー
マーヤーに屈服するならば、人は自分自身がマーヤーになります。そのマーヤーは25番目の数のあらわす面です。マーヤーと神の間に存在する秘密を知る時,私達は、自分自身26番目の面である神となります。人は、5つの行為器官5つの認識器官5つの感覚を全てコントロールすることは出来ないでしょう。しかしそれらに一定の制限を設けることができたなら神を実感認識することが出来ます。たゆまず、僅かの気の緩みもなく、几帳面に定められた修行を守ることが大事なのです。SS10/93
神がマーヤーの主人である。神が迷わす力を持ち、そしてそれを破壊し、コントロール出来る力も神が持っている、という事を知っている者。そしてまた、真理とダルマを維持すべく努力する者。それらの者達の心はマーヤーによって曇らされることはない。だからその者達は何をも恐れることなく~神を讃える歌を唱って三界を自由に動き回ればよい。P176バガバッドバヒニ
マーヤーには、はっきりと言葉で言い表せれることの出来る起源はない。マーヤーは創造主の懐に創造主と共に存在する。それは無始である。マーヤーが如何に、このようにおびただしく自己顕現したのか、その原因は分からない。水の泡がそれ自体の力で水の中から生じるように、無限であり完全である至高の神から生じた力が、名と姿を持つことに至っただけなのだ。それだけなのだ。SDMp140
光りが射すと、先ほどまでそこにあった暗闇はどこに行ってしまったのでしょう。光りの不在が暗闇です。暗闇は出てくることもありませんし、何処かに行くこともしません。光りのために、暗闇に気づかないだけなのです。ひとたび光が消えれば、前と同じように暗くなります。
ここでは光りは英知であり、暗闇は無知でありマーヤーです。マーヤーは実は存在しません。それはあなたの創造物です。しかし、あなたがサーダナつまり霊性修行を止めると、マーヤーがあなたの人生の中に入ってくるのです。ですからサーダナこそが、あなたをマーヤーの影響を受けずに済む状態に保ってくれるのです。もし霊性修行を止めれば、あなたは再びマーヤーの餌食となってしまうでしょう。ですからあなたが生きている間は、決してあなたはマーヤーから逃れられないのです。持続的な霊性修行のみがあなたを助けてくれるのです。STPSp230
急に恐怖に捕らわれたのは、目の前の道に蛇がいると思ったからです。紐が蛇に変わって恐怖に捕らわれたのは、心の中の出来事です。蛇は本当にいたのでしょうか。いいえ蛇などいません。それならどうして、ただの紐がどうして蛇になってしまったのでしょうか。それは、マーヤーのせいです。どんな場合にマーヤーが現れ、それに捕らえられてしまうのでしょうか。薄暗がりや闇の中では、紐しか無いのに蛇が見えているように思い込んでしまいます。闇のせいでマーヤーが皆さんを捕らえてしまうのです。本当は、紐が蛇になることはありません。
迷いが人の心を曇らせ、正しくものを見る目を覆ってしまうのです。この迷いが、マーヤーです。懐中電灯を照らしてみれば、蛇などどこにもいなくて、ただ紐が落ちているだけだと分かるはずです。光りが射すとともに迷いが払われて、本当は何があるか分かるのです。現実にあるものは、いつでもそこにあります。消えて無くなることはないし、別のものに変わることもありません。少しも変化することはありません。現実を覆い隠しているマーヤーだけが現れたり消えたりするのです。
心の中でマーヤーが、形になったものが写し出す力と呼ばれるもので、マーヤーのもう一つの力です。変わることの無いものの上に、まるで違ったものを写し出します。この場合は蛇でしたが、別の状況ではまた違ったものになるでしょう。気分、楽しみ、苦しみは、どれも現れて消えていきます。親戚の人が家にやってきても、いつまでもいるわけではありません。それと同じように、マーヤーは、人を迷わせながら現れては消えていきます。心を迷わせて紐を見えなくさせるのが「覆い隠す力」です。
心の中で蛇のように見せている妄想が「うつし出す力」です。明かりがあれば、紐はただの紐でしか無いことが分かるでしょう。そうなれば蛇は消えてしまいます。マーヤーの二つの力は、闇とともに現れて、光りとともに消え去るのです。
「覆い隠す力」と「写し出す力」はいつも一緒に現れるのでしょうか。それとも別々に現れるのでしょうか。この二つの力は、普通同時に現れて消えていくものなのですが、熟睡状態では、「覆い隠す力」があるだけです。二つは別々に現れたり消えたりします。マーヤーは、言葉では説明し難いものです。いつ始まったとも言えず、いつ終わるとも言えません。マーヤーは、英知の光が輝くとともに消えて無くなります。その時、ただ一つの変わることの無い真実が姿を現すのです。SGc33
外に見るものはすべて幻想に基づいたものです。架空の世界に心を奪われないようにしなさい。そうして初めて平安を得、ついには「私は私である」という真理を悟ることができます。25/12/03
この世の愛は一時のものです。それは愛とは呼べません。本当の愛は不滅です。そのような愛を育てるべきです。肉体は成長し衰えます。一体どうやってそれを実在するものと見なすことができるでしょうか?実際には、この世にあるものはすべて現実には存在していません。迷妄の原因は肉体への執着です。それゆえ、徐々に肉体への執着を減らしていきなさい。これは、皆さんが始めなければならない一番大切なサーダナ(霊性修行)です。ジャパ(神の御名やマントラを繰り返し唱えること)、タパス(苦行)、ディヤーナ(瞑想)、ヨーガ(神との交流)といったものは、真の意味でのサーダナ(霊性修行)ではありません。皆さんが実在していると思っているものはすべて、実際には存在していません。実際に存在していないものは、すべて手放さなければなりません。まず第一に、この真理を理解しなければなりません。肉体への執着を手放すことはとても簡単です。どうして人々がそれをできないのか私には不思議でなりません!25/12/03
マーヤーは真の本性を覆い隠す力と、真の上に非真を投影する力によって、唯一無二の存在であるブラフマンを個我、神、物質世界という三者に分かれた存在をとらせました。マーヤーの力は潜在していますが、それが一度顕れる時は心として顕れます。その時、物質世界という巨木の種子は芽吹き始め、心の衝動という葉を茂らせ、心の意思という果実をつけます。従って、外界の全ては心の繁茂にすぎません。個我と神は心の繁茂によって捕らえられ、物質世界の中で離れ難く絡み合っています。
従って個我と神もまた、夢の世界の産物と同じなのです。個我と神と物質世界を、絵に描かれたものと想像して御覧なさい。物質世界を背景にして個我と神は描かれています。
同じ絵の具で書かれているにも関わらず、三つとも違う実態のように見えます。これらは心の産物で実は価値を持たないのです。覚醒時と夢の中ではこれらは現実味があります。しかし、熟睡時や気を失った時などは心は働かないので、これらは存在しません。それゆえ、人が英知を獲得した時に心の働きが無くなり、これら三つは消滅してしまうことが容易に理解できるでしょう。心の働きを分析して得られる英知のみが、マーヤーに終止符を打つことができるのです。マーヤーは、無知や識別力が欠如しているところに繁殖します。JV
物体はどのようにして生じるのでしょうか? 物体は意志の力によって創られます。(ここでスワミは黄金の鎖を物質化なさり、スワミがこれを意志したとおっしゃいました。)この鎖は、私の意志から生じ、意志する前には存在していませんでした。すべては神の意志によって生じます。神はマーヤー〔幻影〕の原因です。全創造物はマーヤーと神が結合したものです。マーヤーがなければ創造はあり得ません。それゆえ、マーヤーはすべての人に影のようにつきまといます。
人はマーヤーの影響のもとに人生を送ります。マーヤーは影と同じように私たちから去ることはありません。マーヤーはあらゆる迷妄の原因です。太陽が昇るとき、影はとても長くなっています。太陽が頭上にあるとき、影は足の真下にあります。このように、影は長くなったり短くなったりします。ですから、私たちは影を人生の基盤とするべきではありません。26/12/07
 喜びや苦しみは皆さん自身が作り出しているものです。喜びも苦しみも神が授けるものではありません。他の誰でもなく、あなた自身があなたの苦しみの原因です。この真理を知りなさい。霊的な視点から見るなら、苦しみもこの世の関係も幻です。それらは現実に存在するものではありません。人は明けても暮れても迷妄の生活を送っています。人として生まれたからには真理を体験すべきです。肉体は一定の期間成長し、その後、弱って老けていきます。生まれることも成長することも、体という、現実には存在しないものと結びついています。けれども人は、体を現実に存在するものと思い、そのために苦しむのです。
目を開いているときには大勢の人が見えます。けれども、目を閉じているときには一人も見えません。目を開けると見える大勢の人たちはどこから来たのですか?目を閉じたとき、その人たちはどこにいってしまうのですか?皆さんはそれを知りません。実際、皆さんは自分たちの源はどこなのか、自分の行き先はどこなのかを知りません。皆さんが苦しんでいるのはそのためです。自分は体ではなく、この世の何も自分に属してはいない、ということを一度悟ったなら、苦しむことはなくなるでしょう。この世のすべては皆さん自身が作り出しているものです。実在するものは何もありません。25/12/03

*慢心
至高の愛の境地を悟る過程で、いくつかの相手を打ち負かさなければなりません。その中でまず倒さなければならいのが「六つの敵」、すなわち、カーマ(情欲)、クローダ(怒り)、ローバ(貪欲)、モーハ(愛執)、マダ(高慢)、マーッツァルヤ(嫉妬)です。なんとかこの六つの敵を打ち負かすことができると、人は霊的進歩の道の行く手に立ちはだかる「八種の慢心」に直面させられます。これには、富への慢心、体力への慢心、若さへの慢心、美しさへの慢心、学識への慢心、権力への慢心、苦行への慢心があります。これらのさまざまな慢心は、人を真のゴールから遠ざけます。現代人は、これらのうちの一つあるいは複数の慢心でいっぱいになっています。
ですから人間にとって第一に必要なのは、慢心を取り払うことです。富を持っていない人が億万長者であるかのように見せかけ、学識のない人が学者であるかのような振りをしています。貧弱で虚弱な人がキングコング(レスラーのチャンピオン)のように肩をそびやかして歩いています。こうした慢心の基盤となっているものは何でしょうか? それはどのくらい長持ちしますか? 権力を振りかざしている人も、翌日には権力を失うかもしれません。
富や地位への慢心で得意満面になると、人は内なる神性を忘れます。そのような人々は、本質的には一時的で永続しないものに、依存しているのです。鳥は揺れる木の枝に止まっていても恐れがありません。なぜなら、鳥は枝に身の安全を頼っているのではなく、自分の羽に信頼を置いているからです。これに対して、人間は自分の内なる真我に信頼を置いていません。人間は他のものに頼っています。人間は地位や役職のためであれば自分の良心を裏切ることさえ厭いません。この嘆かわしい窮状の根本原因は、望ましくないものへの尽きることのない欲望です。5/86

 *満足
本当の悦びはただの満足とは違います。この二つの違いを理解していただくために、神への讃歌を歌う場合を見てみましょう。口から出てくるだけの歌と、心から湧き上がって出てくる見事な歌、大きな悦びが自然にあふれ出るような歌があります。それと同じように、目に見える物質的な世界で手に入るつかの間の楽しみと、心の底から湧き上がる本当の悦びがあります。
本当の悦びは、真実と結びついた永遠のものです。世間のはかない楽しみにとらわれることの無い魂は神と一つです。本当の悦びは移ろいゆくことがありません。そこに付け加えるものは何もありません。それ自体が満たされていて完全なのです。
この話の深い意味は、神を信じる者は世間のことに気を取られ、溺れてはいけないということです。時間をかけて、彷徨う心を抑え、静かな心でいるように努めるのです。本当の悦びは、静かで落ち着いた心からやって来るのです。勝ち負けや損と得、喜びと悲しみのどちらにも左右されない涼やかな心から生まれるのです。SGc3
解脱と神我顕現に入る門には、三人の門番が見張っていて、中に入ろうとするあなたが、信任状を携えているかどうかを調べます。信任状は、歓喜、満足、心の平安、探究心、識別心等です。門番のうちの一人と親しくなれば、他の二人の門番もあなたを喜んで中へ入れてくれます。
三人の門番のうち、最も重要な門番はあなたの満足感を調べる門番です。あなたが満足しているならば、歓喜と平安はあなたのものです。そして、満足は歓喜の最高の源泉であり、人にとって、最も価値ある財産なのです。心に満足感が無ければ愛欲は危険なまでにのさぼり始め、識別の力を失わせます。
欲望は貪欲となり、貪欲は惨めさと邪悪に人を引きずり込みます。欲望と愛欲は、尽きることのない感覚の欲望が満たされることを望んで、あれこれと世俗的なものを追い求めます。そのような人がどうして集中出来るでしょう。DVJp108
満足することを知りなさい。不満がある者はさまざまなことに失敗します。21/5/92

悪い想念は、心配、恐れ、そして緊張とともに病気をもたらします。すべてのこれらの原因は、貪欲から生じます。貪欲な人は権力や名声をもっと得たいと思います。貪欲の行き着く先は苦悩と絶望です。満足は霊性から得ることができます。この世の物質的な欲望とは手を切らねばなりません。自分のための仕事と神様のための仕事を区別してはいけません。すべての仕事はどのような結果が得られようと、それは神からの贈り物だと思わねばなりません。もしこのような態度をとることができるのであれば、苦悩や痛みは私達をタフにするだけではなく、神への道へと歩む助けにもなります。SSSvol,11p255
神はいつも満たされていて、完全な状態です。その神に近づくためには皆さんも本当に神を信じなくてはなりません。神が完全に満たされているのに、自分が不完全で満たされていない様では、神との絆が深まるはずはありません。神という、完全に満たされている愛の存在に達するのには、自分自身が満たされた心で神を信じ、愛することが大切です。疑いが強ければ、清らかな愛を持つ皆さんの天性を傷つけてしまいます。疑いは自分の心を傷つけます。SGc8
欲望が膨らまないように、良く気をつけて下さい。与えられたもので満ち足りるようにするのが一番良いのです。帰依の道の章でクリシュナは、神から大切にされる人の26の特性をあげています。その中でも特に満足することは、とりわけ大切です。
満足と言っても世間の楽しみを追いかけることではありません。皆さんは達成も安らぎも得られないまま、人生でいろいろな感覚的な楽しみや贅沢を味わっています。そんなことより、もうすでに持っているものを、これが私の必要なすべてのものだ。と思って満足した方が良いのです。~心から満足が消えてしまうと、後は不満しか残りません。
~欲望には限りが無く不満が募るばかりです。それに財産を持っているからといって安らぎは得られません。どんなものでも、与えられたもので充分に満足できるようにならなければなりません。皆さんの務めは、神の恵みによって戴いた財産を大切にして、いつも満ち足りていることです。SGc23
満足が人を怠け者にすることはありません。満足は真の、清らかな性格の持つ属性です。満足は常に心を至高神に向かわせます。満足は、心が利己的な欲望を満たそうとして揺れ動き、それによってわき起こる波を鎮めることができます。満足は人の才能や人格を高める方向に向かわす事が出来ます。心の満ち足りた人は、真実に立脚しているゆえに、常に内在の神霊と交流しています。DVJp109
この世で一番偉大な人は誰だろう。その答えはいつも満ち足りている人。そのような人こそが誰よりも偉大なのだ。いつも満足し,足ることを知るべきです。はかない悦びや、はかない財産や、地位や贅沢を求めて、この世で道を外してはいけません。生きている限りは悦びに出会い楽しむことは出来ます。
肉体への執着がある限り、国や地域に対する愛着はあるでしょう。この五つの元素で出来ている世界が真実と思っている限りは、同じ五つの元素で出来ている自分の身体の面倒を見なくてはなりません。
しかし本当はそんなものに捕らわれて時間を無駄にしてはいけないのです。いつも人生の最高の目標を忘れてはいけません。SGc23
あなたの家庭生活は如何ですか。あなたが苦難の時を経験してはじめて平凡な生活の良さが分かるのだ。熱い太陽の日が射してはじめて日陰のありがたさが分かるのと同じだ。実際のところ、あなたが困難なときに神はあなたの一番身近なところにいるのだ。苦しいことを思うともっと辛くなる。でも苦しみと楽しみは、竹竿で出来た天秤棒の両端につるした水のいっぱい入ったポットを肩で担いでいるようなもので、肩は、二つのポットの重さを均等に受け止めています。
あなたはあなたが持っているもので満足しなくてはならないのです。このことはとても大事なことなのです。満足をすることより偉大なことはありません。満足が無いところに口論が始まります。それが平安を得られない主な原因です。そんなことになると家庭生活は本当に地獄となります。もし夫婦がお互いに理解し合えば、憎しみ会うことも無くなるでしょう。OTYRTNp152 

 *マントラ
マントラは短いほうがよいのです。そうすれば、唱えるのが早くなります。それはまるで、発電機が速く回れば、早くバッテリーがチャージできるのと同じことです。P, 331 ANDI
人の身体には蓮の形をした六つの神経センターがあります。六つの蓮の花の一つひとつの花びらが、それぞれの文字と音を持っています。その蓮の花びらが動く時、それぞれの花びらは異なる音響を発します。あなたはそれは何によって動き、誰がそれを動かすのかと疑問を持つでしょう。そうです。花びらを動かす力は意識的な意思や努力無しに生じる原初の聖音、どのようなものとも区別出来ず、比較することもできない響きなのです。それはプラナヴァ(オウム)です。SIP4ー6
マントラの響きには、心の衝動と傾向を変える力があります。マントラという意味は、それを心の中で繰り返し唱える人を救うということです。絶えず心の中でマントラを唱えなさい。それによって心は途方もないおしゃべり、目的のない会話、無意味なゴシップやスキャンダルから距離をおくことができます。話さなければならないことだけを話し、出来るだけそれも簡潔に話しなさい。そして優しく話しなさい。また、話さなければならないことをわざと話さずに相手に誤解を与えたり、策を弄したりしないようにしなさい。SIP6-91
何時いかなる場合でも、出来る限り、信念と力を込めてこのマントラを唱えなさい。神への信仰を堅固に保ち、行動にあらわすならば、この世は荘厳なる地上の天国と化します。いかなる困難、難題に遭遇しようとも厳然と立ち向かう勇気と決意を持たなければなりません。
このマントラを唱えることにより、神への愛と、罪を恐れることをあなたは人々に知らせることが出来るのです。マントラ(神であるdevudunaadu)は、如何なる神の御名から取ったマントラより強力です。しかしどのマントラであれ単に機械的に繰り返し唱えるだけは何の役にも立ちません。
マントラの力やヤントラの力よりも強力なのは、清らかなハートです。信仰は、神の御座であるハートから生ずるものでなくてはなりません.今日、私が教えた5つのマントラをあなたの不断の同伴者とし神への信仰を強めなさい。それによってあなたは必ず神我顕現を得ることが出来ます。
神への不動の信念によって、霊力は強化され甘美な至福を享受することが出来ます。疑ってはなりません。人生において何事を成し遂げるにも、神への信念こそ肝要です。信念が無ければ、ごく平凡なことでさえ成し遂げられません。21/7/86
マントラを唱えているだけでは何の価値もありません。しかし、その意味をしっかり知って唱えれば、大きな効果があります。CWSSBp17
今、私たちはラジオやテレビの放送が電波によって全世界に送られていることを知っています。それと同じように、クリシュナ神が何人ものゴーピカー〔牧女〕たちの家に同時に現れることができたのは、信じられないことでしょうか? ヤントラ〔機械〕にさえ全世界に電波を送るようなことができるのであれば、マントラにはさらにどれほど大きな力があるのでしょうか? 神の御名と御姿の力はあらゆるものに浸透しています。大気中の電磁波は、音と姿を常時保持していることができます。
最近、スワミがハイダラーバードを訪れたとき、そこでのスワミの活動は、テレビを通じてインドのさまざまな地方で見ることができました。機械装置によってこのようなことができるのなら、マントラの神聖な力によってそれよりはるかに多くのことががなされ得るというのは、驚くべきことですか? 必要なのは、神の御霊(みたま)に周波数を合わせることなのですが、それはラジオやテレビの放送を受信する際に適切な周波数に合わせることが必要とされるのとよく似ています。
自分の心(ハート)をラジオの受信機と見なしなさい。あなたの集中力が、周波数を合わせる装置です。自分の心が正しく周波数を合わせたとき、あなたは神を体験するでしょう。これには、しっかりした、揺るぎない集中力が必要とされます。27/9/92午前

*身内
神はあなたの真の身内です。神はあなたの息子や娘、友人や他の身内という姿をとってあなたのところにやって来ます。神はあなたのあらゆる困難の中に存在する、あなたの真の身内です。神がアーパドバーンダヴァ(困難なときの友や身内)と呼ばれるのはそのためです。1/5/08

 *見栄張り
見栄張りは利己心の息子です。そして見栄張りと嫉妬心はうぬぼれ心の息子でもあります。あなたが第一にしなくてはならないことは、利己的なうぬぼれを心から取り除くことです。一切の悪は、利己的なうぬぼれから生まれます。5/85

*身代わり
この四日ほどの間、スワミが帰依者の身代わりとして苦しみを引き受けたことで、多くの帰依者たちが大変心配しています。スワミは、愛によってその苦しみを受け止めているので、スワミには何の苦しみもないということを理解しなさい。私が帰依者の苦しみを軽減しているときに、どうして私が苦しむことなどありえるでしょうか?
しかしながら、この種の状況に関しては、守るべき一定のルールや法則というものがあります。私は誰かの身代わりになりました。ですから私は、通常であればその人が苦しまなければならなかったのと同じ期間だけ、このような状態を甘んじて受けなければなりません。私は、いかなる困難も感じていません。もし私が、本当に痛みに苦しんでいるのであれば、これほど長時間にわたってこうしてお話しをすることができるでしょうか? 私はまったく苦しんでいません。
苦痛は私の愛の中に溶けてしまいました。皆さん方全員が幸せで、至福に満ち、快適に過ごすべきです。それが私の願いです。この件に関して、心配をしないでください。私には何の苦痛もありません。実際、私は皆さんのすべての苦しみを引き受ける準備ができています。いつも幸せでいなさい。22/7/02

*水
私たちが飲む水の粗雑な部分は尿となり、精妙な部分は血液となり、最も精妙な部分がプラーナとなります。水には確かにプラーナが含まれているのです。意識を失った人の顔に水をかけるのは、この理由によります。水はその中にプラーナを有するがゆえに、気絶した人を覚醒さすことができます。PSDp39
宇宙においては、神は最初に水として顕現しました。人間は水なしには生きていけません。水は地上の目に見えるところに在ったり、地下に伏流水として流れていたり、いたるところに存在しています。神は水として、生きとし生けるものすべてを護っています。SSSVol23Chp2

 *三つ
子供たちに次の三つのPを教えなさい。Purity純粋さ,Patience忍耐,Perseverance辛抱、これら3つの性質を備えれば国を軍隊や原爆で武装して守るより効果があります。SS8/94p205
物質的な世界は移ろいゆくとはいえ、その時の悦びを捨ててしまうことはありません。その時々の悦びを味わえば良いのです。それからゆっくり、少しずつ、永遠の悦びに向かう旅を続けて下さい。この旅には三つの段階があります。
一つ目は、偽りの中の偽り、二つ目は、真実の中の偽り、三つ目は、真実の中の真実と呼ばれます。この三つの段階は、それぞれ、物質の世界、微妙な心の世界、因果の世界という、三つの世界に対応しています。「偽りの中の偽り」は、感覚が捕らえる物質的な世界で見ることが出来ます。そこではすべてがはかないものばかりです。映し出されている像も偽りなら、映し出しているものも偽りです。
「真実の中の偽り」は心の世界で見られます。映し出された像は、はかない偽りであっても映し出しているものは永遠の真実です。「真実の中の真実」は因果の世界で見ることが出来ます。どんな偽りとも映し出された姿とも関わりの無い真実の結晶です。そこには変わることの無いアートマの光りが輝いているからです。SGc22
皆さん方は、誰もがこの世に来た本当の目的を忘れています。あなたがどこにいようとも、三つのことを必ず覚えていなければなりません。それは、あなたはどこから来たのか? 今、どこにいるのか? そして、何の目的でここに来たのか? ということです。~あなたはこの三つの質問のうち、最低一つは自分で答えを見つけなければなりません。そうでなければ、あなたの人生そのものが無駄になってしまいます。23/11/04

聖賢たちはヴェーダを簡潔に「トライー」と呼びました。「トライー」とは三という意味です。三は神聖なものを連想させる意味深い数字です。人間の属性、サットワ〔浄性〕、ラジャス〔激性〕、タマス〔鈍性〕の数は、三つです。人間の体の病気を引き起こしがちな場所は、頭、腹、足の三つです。礼拝においても、三には神聖な意味があります。シヴァ神にビルヴァ〔ベルの木〕の葉を捧げるとき、信者たちはシヴァ神を、三つの属性と三つの武器と三つの目を持つお方と表現します。時間にも、過去、現在、未来という三つの相があります。
今日の世界の混沌は、人々が現在を無視して、取り返すことのできない過去をくよくよ考えたり、予測できない未来を思い巡らせたりすることが原因です。人々が関心を持つべきものは、現在の自分の義務です。人の第一の義務は、自分に生来備わっている神性を発見し、人生を変容させ、神は創造世界の万物の中に浸透しているということに気づくことです。6/85
あなたは次の三つのことを心に銘記すべきです。1)一旦得たなら、決して失われることがないものとは何でしょう。それは、英知です。2)一旦失ったら、二度と得られないものは何でしょう。それは無知です。3)失うことも得ることもないものとは何でしょう。それはアートマです。STPS2p101
貪性による決意は悲しい結果をもたらします。浄らかな決意は、人の守るべき本分を促進して社会と個人の為に役立ちます。激性の決定は人を世俗という大洪水に突き落とします。UVc12
最終の帰滅期マハプララヤには、シヴァもまた存在しなくなる。そして創造主であるブラフマンのみが存在する。それゆえシヴァの意念がマーヤーの起源であるはずがない。そんなことはあり得ないのだ。この問題を見る時、ブラフマン、ビシュヌ、シヴァを三つの別々の実体と見なすべきでない。三つはただ一つの至高の神である。
つまり、三つの違う行為を為し、三つの姿を持つ、一つの実体に対して、三つの名前がつけてあるにすぎないのだ。創造期には、崩壊は無い。創造と崩壊が同時に共存し得るのは、無時間の場においてでる。時間と行為と原因の場に生きている人間は、無時間における創造と崩壊について理解出来ない。あなたが、三つの属性を超越した時、あなたもまた、創造と崩壊の共存の境地に達することが出来るが、それまでは不可能である。だから理解し得ない問題に無駄な時間を費やさず、今あなたにとって緊急に必要なこと、すなわち神に融合するモクシャへ至る道を歩みなさい。SDMp141
全世界はタマス、ラジャス、サトワという三つの属性を取り巻いて回転しています。人は誰もが扇風機の三枚の羽のような属性を備えています。けれども、ひとり一人の人の内では、他の二つの属性を圧倒する一つの属性が、その人の性質、全人格や、その人の運命さえも決めてしまうのです。
サトワな性質が他の二つを圧倒している人は立派な人です。ラジャスの性質の人は、感情的で、激しく、攻撃的です。タマスの性質を持っている人は、鈍く、不活発で、受動的です。属性グナは単独では存在しません。グナを機能させているのは神性です。けれども神の内にグナを見いだすことは出来ません。なぜなら神は属性を超越した者だからです。グナは変形可能です。
例えばあなたは、行為によってタマスの性質をラジャスに変容さすことが出来ます。ラジャスの本質は二元的です。それはあなたに、成功や失敗、利益や損失、賞賛や非難といったものを与えます。無私の行為を行うこと、行為の結果をすべて神に捧げること、各人の内なる神に奉仕し、内なる神性に気づくことによって人は実践的知識や経験にもとづいた知識を養うことが出来ます。この段階で、ラジャスの人はサトワな人になります。タマスな性質は、意思に基づく行為によってラジャスな性質に変容することが出来、ラジャスな性質は、信愛と英知によってサトワな性質へと変容することが出来るのです。STPSp219
次の三つの原理に従うなら、{科学、政治、倫理、宗教}といったすべての分野の発展が確実となります。間違いなく、個人的にも集団においても、あらゆる活動分野において向上するでしょう。最初の原理は、神への愛です。二番目は罪への恐れです。三番目は社会の道徳です。神を深く愛していない人は、罪を怖れることがありません。
罪への恐れによって、自動的に社会に道徳が確立されます。このように、三つの主要原理は互いに依存し合い、相互に関係しています。私はしばしば学生達に言います。「何をするときにも、それを行う前に次のことを自問するようにしなさい。スワミはこの行動に賛成するだろうか。これはスワミを喜ばすだろうか。」と。あなたのスワミへの強い愛は、あなたが間違ったことをするのを許しません。神への愛が罪への恐れをもたらすのは明白です。STPSp105
次の三つの格言を守りなさい。それは、「神への愛」、「罪への恐れ」、「社会の道徳」です。神への愛を育てるには、自分の一つひとつの行いが神を喜ばせるかどうかを見極めなくてはなりません。神を喜ばせるなら、罪への恐れを抱くことはなくなるでしょう。この二つがあるところには、社会の道徳は自然についてきます。今の世のあらゆる病(やまい)は、罪への恐れの欠如と、神への愛の減少に原因があります。人間的価値への敬意が低下したことが、世界の平和を徐々に蝕んできました。25/2/98
人に三つのタイプがあります。鈍性の人は鉄の塊のように、心を柔らげようとする如何なる影響も受けません。激性の人は綿のように、何でも吸い取りますが本性は決して変えません。浄性の人は他の人の喜びや悲しみを見たり、至高神の栄光を耳にすると、バターのようにすぐ心を溶かします。浄性の人々は同情心の泉に深く沈潜します。怒り、嫉妬、貪欲、短気はツボに開けられた多くの穴です。平安と幸福と満足という水はその穴から漏り、ツボは空になります。ツボは修繕し水漏れを止めなければなりません。27/9/60
この物質的な世界においても、様々な経験の奥にある三つの世界を一つのものにしている共通の要素を見いだすべきです。この三つの世界を、意識の三つの状態と比べて考えることも出来るでしょう。目の覚めている状態を物質的な世界に、夢を見ている状態を心の世界に、深い眠りの状態を因果の世界にそれぞれ見立てることが出来ます。この三つの状態を超え、そのすべてに満ちていてそのすべてに共通しているもの、それが四つ目の状態です。これが意識を超えた状態です。
深く眠っている状態では、永遠の本当の悦びを味わうことは出来ません。目の覚めた状態に戻ってから、どうやら安らぎを味わっていたようだと感じるだけです。意識を超えた状態では、常に意識のある状態でいながら、永遠の大いなる悦びを味わうことが出来るのです。SGc22
神を中傷する者には三つのタイプがあります。 第一の部類は、神を信じず、いつも神をののしることに耽っている人々です。信仰がなければ、どうして信愛があり得るでしょう? また、信愛がなければ、どうして愛があり得るでしょう? 愛がなければ、どうして人は人間と呼ばれ得るでしょう? このような人の言葉は価値がありません。第二の部類は、自分の願望が叶ったときには神を崇め、自分の願いが満たされないときには神を悪く言う人々です。彼らは、自分には神に頼みごとをする権利があると思っています。このような了見の狭い人々は神をののしります。彼らの願望は空のように高いのに、努力は最小限です。彼らの霊的な努力は取るに足りません。それにもかかわらず、彼らは自分の飽くなき欲望が満たされなければ神を批判します。第三の部類は、嫉妬から神に背を向ける人々です。彼らは(神がえこひいきしていると思っている)他人の地位や繁栄に我慢できません。ほとんどの病気には治療法がありますが、嫉妬という病気には何も治療法がありません。羨(うらや)む者は神への中傷にのめり込みます。今日、霊性や、愛という崇高な気持ちが見られなくなってしまったのは、こうした三種類の神に反する者たちがどこにでもいるからです。25/12/93
霊性修行における第一段階は貪性の資質を無くすることです。それは、分別なく頑固で、知性を欠き、意味のない問いや議論に浸りこむ傾向があります。激性の人は自分が望むものを手にした時に幸せを感じます。それによってエゴは増していきます。欲望が満たされない時には、憎しみが募ります。それゆえ、望みが満たされても、されなくても、結果は良くないものとなります。激性の人は怒りと苦々しさに溢れ、激しやすく、短気です。また浄性でさえもが、束縛となります。純粋で価値ある行為がすべて神への捧げ物としてなされる時に、浄性はその束縛を乗り越えることが出来るのです。この世のすべての人々は、これら三つの属性のうちの一つ、もしくは幾つかを合わせ持っているのです。PSDp28
ものの見方には、三つあります。一つ目は、肉体に向かうものです。この人は物事の上辺だけを見ています。まなざしは、すべて物質的な世界に向けられています。二つ目は、心に向かうものです。人の、外から見える特徴よりも、振る舞いや表情に表れた心に目を向けます。その人が心の中で何を感じ、頭の中で何を考えているか見抜こうとします。言い換えれば、心に向かうものの見方は、外面に目を向けながら。そこに映し出された内面を見抜こうとするのです。そういうものの見方が身についている人は、自分が感じ、そして思うとおりに話して行動するので、違えることは無いでしょう。三つ目はアートマに向かうものです。
この見方をすれば、人の外面的な姿にも、人の振る舞いや内面の感情にも限定されません。大きく、全体的に物事を見ています。身体や振る舞いは様々に違っても,ただ一つのもの内なるもの、すべての人の中に満ちている神の意志を見ているのです。感情や、思いや、振る舞いは、すべて変化してやまないことが分かっています。
ですから,人の見かけの姿や表現に対する関心も好き嫌いもありません。ただ内なる神だけを捕らえようとします。これが聖なるものの見方です。そんな大きな,優れたものの見方をする人が,神に大切にされるのです。SGc29
人間の生命の中では三つの属性が混ざり合っています。けれども、霊的、本源的、根本的には、人間の核は「絶対実在」と「純粋意識」と「至福」です。絶対実在と純粋意識が合わさって、至福をもたらすのです。
一つの例を挙げましょう。二つの異なる物質、水と砂糖があります。水と砂糖を混ぜると水でも砂糖でも無い砂糖水になります。これと同じように、絶対実在という水と純粋意識という砂糖を混ぜ合わせると、至福という砂糖水を作ります。三位一体-「三属性」と「絶対実在、純粋意識、至福」という基本的性質が「肉体」「心」「知性」と交わり、「現象世界」と相互に作用し合って、「アネーカトヴァ」すなわち「多様性、多、複数」という性質をもたらすのです。STPSp72
次の三つの理由で人は生まれ変わるのです。一つ目は、罪を犯すことによって。二つ目は、人にまだいくつか満たされていない欲望があることによって。三つ目は、知識の欠如や無知なことによって。これらの三つのことが原因となって人は生まれ変わるのです。SSIB74p243
人の心には自分では分からない自分ではどうしようもならない、ある種の力が潜んでいます。その力とは何なのかを深く考えそれが何なのか見つけようと努力すれば、人間の持つ三つのグナに繋がっていると分かるでしょう。それは浄性、激性、鈍性の三つです。
この三つのグナは食べ物と睡眠が育て支えています。三つのグナのうち、ラジャス、とタマスは人を誤った道に連れて行きがちです。ラジャスには、欲望という名の息子がいます。タマスには怒りという娘がいます。あらゆる決心を鈍らす何より激しい衝動が、ラジャスの息子、欲望です。欲望は、あらゆる悪い性質の代表となって活動しています。SGc21
舌が嘘で汚れていてはいけません。身体が暴力で汚れていてはいけません。心が悪い感情で汚れていてはいけません。舌と身体と心の三つがすべて神聖な物となるときに、はじめて聖なる神の姿を捕らえることが出来るのです。SGc13
取るに足らない束の間の楽しみのために、人々が人生で最も貴重なものを犠牲にしているのは、きわめて残念なことです。人は取るに足らないものを追いかけて、罪深い行いをしています。人は神を忘れています。罪深い行為の結果を回避することはできません。ですから、誰もが罪への恐れを抱くべきです。それと同様に、神への愛があるべきです。この二つがあれば、社会において真に道徳的な人となるでしょう。
それゆえ、すべての「アクティブ ワーカー」〔サイ・オーガニゼーションの活動的な働き手〕は、次の三つを心に留めておくべきです。それは、ダイヴァ プリーッティ(神への愛)、パーパ ビーッティ(罪への恐れ)、そして、サンガ ニーッティ(社会の道徳)です。この三つを持ち続けていれば、他の人間的価値もすべて実践するようになるでしょう。罪への恐れは、非暴力と平安をもたらします。神への愛は、真理を貫くこと、万物に愛を示すことを助長します。社会の道徳は、ダルマ(正義)そのものです。21/11/87
いつも神を思え、この世界は信じるに足りない、死を恐れるな、これらが人間の三つの大切なモットーです。SGc14
宇宙はすべて、三つのグナで成り立っています。皆さんの心に三つのグナがある限り、ものごとも良く理解出来ず、束縛されたままでしょう。三つのグナの内ラジャスとタマスが、皆さんの出会ういろいろな悩み、苦しみ、悲しみの原因です。
恐怖、怒り、怠惰、無気力、眠気、睡眠などは、すべてタマスのせいです。ラジャスのグナが力をふるうと、人間の特性は忘れられ、動物や悪魔の性質がむき出しになります。SGc30
タマスとラジャスは、我欲、怒り、むさぼり、おごり、憎しみ、妬みなどの形で心に深く根を張っています。この人間の六つの敵は、タマスとラジャスの申し子です。SGc30
人生の旅を行くときには、神を信じ、英知を身につけ、執着を捨てることによって、心をきれいにすることが大切です。ラジャスの性質を沢山持っている人は、何をするときも、慌ただしくしています。耐える心も許す心もありません。少しも落ち着いていられません。

大きな怒りをあらわにします。つきることのない欲望があります。~人の心にラジャスの性質が忍び込むと、身体も思いも落ち着かなくなって、いつも動き回ります。落ち着かないだけでは無く、妄想にとらわれてしまうのです。妄想があると、世間のものへの激しい欲望が生まれます。
心に欲望が生まれると、次は様々なものを自分のものにするために行動を起こします。この妄想、欲望、行動がラジャスの特徴です。SGc30
人には三つのタイプがあります。一人目は、他人の喜びを第一とし、それによって自分も喜びを得れる者。二人目は、他人の喜びを全く気にかけることなく、自分の喜びだけを追い求める者。三人目は、自分の喜びを犠牲にしてでも、他人が得る喜びを得させまいと妨害する者です。PD11
貪性の人は、恐ろしい怪談や邪悪な鬼のような人の話、不道徳に満ちた行為の話を聞いて喜び、残酷で身の毛もよだつような場面に見とれ、血に飢えた魔神を崇め、幽霊や邪悪な力を好むのです。GVCh26
三つのグナを滅ぼすにはどうすれば良いのでしょう。~まず、ラジャスのグナを使って、タマスのグナを取り除きます。それから、サトヴァのグナを使ってラジャスのグナを取り除きます。そして最後にサトヴァのグナも捨ててしまうのです。神を悟る世界に行く前に、三つのグナをみんな捨ててしまいなさい。
一つでも残っていたら解脱の世界に入る妨げになります。~三つのグナの最も大きな原因は、心です。揺れ動く心を抑え、落ち着かせない限り、人間の性質を超えて、自分の内なる神の特性に気づくことは出来ません。それゆえ、はじめの一歩は、心を神に捧げることです。神に心をすべて捧げてしまえば、神は本当にすべての面倒を見てくれます。SGc30
すべての人間は、サトワ{浄性}、ラジャス{激生}、タマス{鈍性}という三つの属性を持っています。その中で他の二つの属性よりも優位にある属性が、その人の考えや感情や行動を決定するのです。けれども、これら三つの属性を超越しない限り、真の意味で、神性を体験することは出来ません。STPS45
ラジャスとタマスのグナがある限り、心はいつも落ち着かないままです。一体どうして心というのはいつも落ち着かず、あちこちへと彷徨うのでしょう。それは、欲望があるからです。すべての欲望は肉体と結びついています。~心の井戸に何かの思いが浮かぶと、その思いは、身体の隅々にまで広がっていきます。何を考えたとしても、それはすぐに行動に表れます。だからいつも心に良いことだけを思うのが大切なのです。SGc30

*御名
神の御名と御姿は一つです。しかし御名の持つ甘美さは、御姿をみることによっては味わえません。例えばマンゴーという言葉を聞いて思い浮かべるのはその甘さです。その個別の形や、皮、繊維、種子などは思い浮かびません。神の御名と御姿にはこのような違いがあるのです。
御名には甘美さのエッセンスがあります。御姿を見るときは、尊敬に恐れの念が混じることがあります。そして、御名が御姿より慕われるのは、御名を唱えれば御姿が心に浮かぶという、御名という富の力です。この富の力を着実に蓄積さえしておけば、神は瞑想によって容易に認識することが出来ます。
御名を唱えるもう一つの利点は、人はヨーガや苦行によって様々な神秘的な力を手にすることが出来ますが、その力ゆえに人はエゴを膨らまし神を忘れ去って、修行で得たせっかくの成果を失ってしまうことがよくあるのです。しかし、御名、唱名、瞑想においてはこのような危険は全くありません。それらは、神への親愛を強くし、それによって平安を得ることが出来ます。ひとたび平安を得れたなら、その他の況位へはひとりでに到達することができます。ヨーガと苦行は、人に並外れた力を与えます。神を思い、名を唱え、瞑想することは、並外れた神への信愛を与えます。DVJp51~3
ものの名前を知れば、そのものを手に入れることが容易になります。それゆえ、途切れることなく、ためらうことなく、御名を繰り返し唱えなさい。御名を唱えていれば神への信愛が生じます。信愛によって、神を瞑想することができ、信愛が心に根付くことによって、信愛よりなる神はあなたのものになります。神を認識する道は数多くありますが、神の御名を休みなく唱えることより、易しい道は他にありません。不正、不道徳、虚偽などの凄まじい悪が、カリユガの今、世界を毒しています。それゆえ経典には繰り返し、熱意を込めて神の御名より他に救済の手段が無いことが、説かれているのです。DVJp56
今、神の御名を繰り返し唱えよ、という命令が神から出ています。あなたが言われた通りに神の御名を唱えていれば、神御自身がそれをどこでどのように用いれば良いのかを指示して下さるのです。心を思いのままコントロール出来るまで御名を絶えず唱え、御姿を常に心に浮かべ瞑想の行を続けなさい。瞑想の行をしている間、何が清くて、何が清らかでないかなどと考えることはありません。この世に清らかでないものなどなに一つ存在しません。
神はあらゆる物の中に存在します。外的な目からは清らかでないように見えるものがあったとしても、それは神の御名に触れた瞬間に清められます。DVJp55~61
御名を唱え、心を御名の甘美さに酔わせなさい。その時あなたは、全身が不思議な恍惚感で満たされるのを感じるでしょう。エゴと低級な欲望は完全に失せ、あなたはことごとく清められます。この修行を続けるならば、崇高な境地に達するでしょう。それゆえ、歩いている時も、座っている時も常に唇に御名を唱えなさい。徐々に、あなたは御名があなたとあなたの心を支配して、心がさまよわなくなっていくことに、気づくでしょう。御名を唱えることは、神と出会うことです。なぜならば、御名と神は異なるものでは無いからです。御名は神、神は御名です。OCSp151
御名を唱えることで神聖歓喜を味わったなら、もはや一刻たりとも、御名無しにいることは出来なくなります。そして、神の御名を、今、あなたの意識の中を占有させない。そうでないとあなたが亡くなる最後の瞬間に、あなたの心に浮かんでくるであろう情緒と想念のうねりの中に、神の御名は呑み込まれて思い起こすことが出来なくなってしまうでしょう。OCSp152

 *耳
人の名前はその名前をつけられた人の気性に影響を及ぼします。耳にしたときに楽しい気持ちを起こさせるたぐいの名前がある一方で、恐怖と嫌悪の気持ちを起こさせるような名前もあります。~子供にはよく考えて名前をつけるべきです。そういうわけで、人々は子供が生まれたときの星を考慮して名前をつけるのです。私たちは良い名前を持つべきです。決して不適切な名前を持ってはいけません。名前は安らぎや優しさを思い起こさせるようなものであるべきです。25/2/09

 *無関心
神聖な使命を遂行するものは誰であれ、成功や失敗に影響されず、歓喜にも悲しみにも影響されず、神の恩寵の受け手となります。クリシュナはそのような信者こそ、クリシュナにとって愛しいと宣言しました。そのような信者は一切の世俗の出来事に対して無執着をつちかい、現象世界の出来事についても無関心です。彼は賞賛にも非難にも、苦痛にも無関心です。3/10/96
私があなたのことに無関心だと思わないでください。私はあなたと言葉を交わさないかもしれませんが、そのことによってあなたを愛していないと思い込まないでください。
実際、私はあなたにダルシャンの機会を与える為にベランダを右へ左へと歩いているのです。私のすることは、すべてあなたの為であって私の為ではないのです。私が自分のものだといえるのは、何だか分かりますか?それはあなたなのです。SSSvol4p, 121

 *無執着
無執着の隠遁者は感覚の楽しみを追いません。一方、快楽を追うものは無執着を考えません。そのような訳で快楽を楽しむことと、無執着、あるいは犠牲とを結びつけることがどうして出来ましょうか?それに鑑みて、イーシャーワーシオパニシャッドは,一切の行為を私がしたという観念なしで行い、一切の楽しみが執着ないし欲望と無縁である時、楽しみと無執着とに区別はないと記しています。利己心と執着に結びついた楽しみは、全て犠牲を伴わない楽しみです。24/5/91
私は皆さんすべてが出家して一切を放棄するように望んでいる訳ではありません。私が望んでいることは、皆さんが自分の義務を果たし、神に全てを委ねて、万物の裏側には唯一の根本的な実体が潜んでいるということを悟ってもらいたいのです。この悟りを得るならば、無執着はひとりでに培われることでしょう。無執着は強制的に得らしめるものではありません。神への愛が大きくなるに連れて、俗世の物事に対する関心は自然に消え失せて行くものなのです。10/9/96
どんな人に対しても無執着の態度で接しなさい。このように人生を無執着の心で満たせば、私はあなたを常に守り導くでしょう。23/2/06
私があなた方に望むことは、実在を実感認識してもらいたいのです。あなた方がこれを実感認識するならば、無執着は自ずと生じます。無執着は強制されてできるものではありません。神への愛が強まるにつれ世俗の物事への無関心が自然に生じます。10/9/96

 *息子
息子を持ちたいと思う両親の正しい動機は、自らの息子が奉仕と正しい行為をすることによって社会に貢献させる為、というものでなくてはなりません。12/4/90,

*無神論者
至高の神は、何でも願ったものを人に与える神聖樹です。しかし求めるものを得るには、神聖樹に近づきお祈りせねばなりません。無神論者とは、樹から離れて遠くにいる人たちのことです。神を信じる者とは、樹のそばまで来た人たちのことをいいます。違いはそれだけなのです。樹は彼らを、何の区別もしません。樹はすべての人に恵みを与えます。もしあなたが神を認めなくても、拝まなくとも至高の神はあなたを罰することはありません。また至高の神は定まった礼拝の様式に頓着しません。SSSVol1chp9
愛は神です。愛は手段であり目的です。ですから、無神論者は存在しません。というのは、何らかの種類の愛なしには、どんな生き物も存在しないからです。そして、何らかの種類の愛、いくらかの愛は、神性の火花でもあります。愛は恐れを知りません。愛は真理を促します。愛は平安を見出します。愛は信仰を築きます。愛は調和を増進します。11/70
私たちは、真理という美徳を失っており、それを取り戻すためのいかなる努力もしないので、今日の世界にはとても多くの残酷な状況と苦しみがはびこっているのです。今日人々が、自分たちは神を信じていると言っても言わなくても、あるいは半分信じて半分信じていないと言おうが、すべての人に共通して同じ様な好ましくない態度や行動が見られます。しかし私たちが、少なくとも神を信じている人々に、美徳を奨励する手助けができるようになれば、世界に多くの貢献が出来、やがて世界から無神論者が一掃されることでしょう。 KSH

 *無知
無知に浸っている人は動物も同然です。そのような人の生活は、感覚の満足が中心です。自らの内なる神性の存在を知らぬゆえ、彼の思いは感覚器官を越えることはありません。かれは束の間ではかないこの世の快楽を天国の至福と思い違いし、識別力を持たずに迷いの生活をおくります。25/12/92  
エゴはどこから生まれるのでしょう。どうしていつもエゴに悩まされるのでしょう。人間の持つ無知によってエゴが起こります。~宇宙の大きさが分かっていたらエゴなど起こるはずはありません。宇宙は大きく、自分はそれに比べてどれほど小さいか忘れてしまったときに浅はかな考えが浮かぶのです。SGc31
無知と誕生の間には、密接な関係があります。人の誕生はカルマが原因です。行為は執着と怒りを生み、想像上の恐怖を生じさせます。これらの恐怖の究極の源は無知であり、無知は生まれることも死ぬこともありません。無知には特別の原因はありません。自らの神性を忘れ、人はマーヤーとマーヤーによって生じた恐怖でがんじがらめにされています。どうすればマーヤーから逃れることができるでしょうか?答えはシュリマイーを認識することです。シュリマイーとは何でしょうか?それは常に光輝を放ち、いつもはっきりと目覚められており、完全な自覚を持つ、内におられるお方のことです。29/5/92
 鳥が、全面を鏡で張った部屋に入ると、自分の姿が映った多くの映像を見ます。鳥は、そこには多くの鳥がいて、どれもが自分の競争相手だと想像します。そこで、その鳥は鏡に向かって体当たりを続け、鏡が割れて幾つもの破片が生じます。するとその鳥には、鏡の破片と同じ数だけの鳥が見えます。鏡がすべて粉々に砕けてしまうと、鳥の映像は見えなくなり、鳥はどこかへ飛んで行きます。これは無知の状態です。
  反対に、英知の人が部屋に入ると、その人は、そこに見えるすべての姿は自分自身の映像であると感じて、幸せになります。同様に、自分以外のあらゆる人の中に自分を見て、彼らを自分自身の姿と見なす人こそが、本当の人間です。外の世界に現れる、目に見える原理は、一人ひとりの内に存在している原理と同じものです。名前や姿や能力は、個別 のもののように感じられますが、それらは単なる映像に過ぎません。本当は、皆さんと私は同じなのです。神は皆さん自身の内にあり、皆さんと神は分離した存在ではありません。
また神は、神殿やモスク(回教寺院)などのような礼拝の場所だけに特別 に存在しているのでもありません。皆さんがモスクや神殿の中に見ようとしているものは、皆さんの中にあります。すべての霊性修行は、この内的実在を体験するために行われるのです。23/11/2000

 *村での奉仕
今ここに、教育を受けた学生が沢山います。彼らは大学卒業後には社会に奉仕すると誓約すべきです。都市での高給な仕事を探すのではなく、村に行き困っている人々に奉仕し、彼らの愛と感謝を得るよう努力せねばなりません。そうしてこそ、受けた教育が価値を持ちます。学生は村での質素で薄給な生活に満足せねばなりません。それは都市での多額の収入にまさる心の満足をもたらします。村では都市に住むよりも、もっと健康的な生活を送れるのです。18/11/95
村での作業を始める前に、あらかじめ、村の背景、財源と必要性、環境、社会経済事情について知っておかなければなりません。皆さんの中には三、四人で協力して起業する人もいるかもしれません。皆さんは無条件に妥協すること無く、基本的な人間的価値を掲げなければなりません。人はこれによってのみ評価されるのです。自分の国に必要とされていること、採用すべきシステム、従うべき手順、国の資源、国の発展を常に念頭に置いていなさい。STPSp144

*目
私には皆さんを矯正し、正しい道へ導く責任があるため、皆さんが「目の悪」から身を守るように忠告します。醜悪で、低俗な、自らを卑しめる、品位を下げるようなものを見て楽しんではなりません。あらゆる街角に貼り出されている忌まわしい映画のポスターといったものは、あなたを悪徳と犯罪行為に引き寄せます。また、スキャンダル〔醜聞〕や神への冒涜、憎悪や貪欲の報道、神を否定する邪悪な人々や、ハートに愛がなく、行いに兄弟愛のない人々が語る話を聞きたがる「耳の悪」も避けなくてはなりません。18/7/70
今日読まれた詩の中で、なぜ神様は人に外を見ることができる目を与えておいて、その目が外的なものばかりを見るといって非難されるのか?という疑問が提起されました。それは間違っています。目は外的なものばかりを見るわけではありません。目は、心のメッセンジャーとして振る舞っているだけです。もし心が目にあちこち見るなと命令すれば、目は従うはずです。先ほどの詩人はまた、神様は人に間抜けな心をなぜ与えたか?と非難していましたが、心は間抜けなんかではありません。
心は神と結びつけることもできれば解き放つこともできるのです。執着と自由は心によって影響されるのです。それらはあなた自身の選択です。心はただの道具であってどちらにも使えるのです。
それを使っている人を非難すべきであって、道具を非難すべきではありません。SSS5p283
目は神聖なものだけを見るべきです。あなたの見る目が神聖になったとき、全世界は変容するでしょう。1/1/98
人間が不浄なものを見たり感覚的快楽を追求するために、寿命が縮められています。そして、不浄なものを見る結果 、人の目に備わる何十万という光線が失われています。人間の目が悪くなっている原因はここにあります。今日、多くの人が白内障の手術を受けて、視力を取り戻そうとしています。医師は、白内障のために目が悪くなったと言うかも知れませんが、実は、その原因は不浄なものを見ることにあるのです。ですから、私たちは視覚を正しくコントロールしなければなりません。
どのような霊性修行をしても、視覚をコントロールしていなければ、修行の恩恵を得ることはできません。ジャパ、苦行、瞑想といったすべての霊性修行は、一時的な満足をもたらすのみです。このような修行をしても、視覚をコントロールする助けにはなりません。実は、全宇宙はあなたの視覚を基盤として存在しています。5/7/01
ダルマラージャはまさしくダルマの化身でした。ただ彼には、先を見る目が欠けていたのです。自分のしていることが、後になってどういう結果を招くかを考えられない人でした。事態が大きくなってからはじめて自分のしたことの結果に気がついて、辛い思いをします。後になって気づくばかりで、先の先まで読むことが出来ないのです。~先を見る目の無い人、正しい判断の出来ない人は、難しい場面で決断を迫られると、必ず自分のしたことを後悔するようになります。~アルジュナは戦争の結果が耐えがたいほどひどいものとなる事が分かっていたから、自分は戦わないといったのです。戦争が終わった後では、戦争の苦しみを感じませんでした。苦しんだのは戦争の前です。清らかの心をもっている人は行動の後では無く、行動する前に苦しみます。SGc15

 *瞑想
落ち着ける、安定した姿勢で座り、それから呼吸を整えて、五感の注意を外界の対象物からそらし(プラティヤーハーラ)、体内すべての器官を浄化する(アンガニャーサ)ようにします。光は最高の浄化器です。なぜなら、光はすべての闇を追い払うからです。光は体内を巡り、手足、感覚器官のすべてを清めます。光はハートの中にある蓮の花の中に安置されます。蓮の花の中には、集中(ダーラナ)を目的として、神の御姿の心象(バーヴァチットラ)が祀られ、それが瞑想へと導き、最終的には三昧(サマーディ)に到達させてくれるでしょう。21/11/79
マインドを落ち着かせ、安定した状態に保つには、霊性修行としての瞑想が処方されます。瞑想は、マインドの肯定的な面と否定的な面を消失させて整えるプロセスです。ニルヴィカルパ サマーディの段階(三昧という超意識状態の最高の段階)に達すると、人は無限の至福を味わいます。この味わいは、熟睡状態という、夢も見ておらず、願望や要求もなく、欲望や拒絶によって邪魔されることのない状態のときに、人に授けられます。瞑想によってニルヴィカルパの段階に到達したときの至福以上の満足感があるでしょうか! 私たちを満たすそのときの至福(アーナンダ)は、バーヴァーティータム、すなわち「想像を超えたもの」、トリグナ ラヒタム、すなわち「三属性を持たないもの」と描写されています。21/11/79
「トワム(あなた)」は、手と目と理性と心とが複雑に組み合わさっている存在(すなわち、肉体・感覚・心・理性の複合体)のことです。「トワム(あなた)」は、そのようなもののすべての複合体を内蔵している姿形を指しています。「タット(それ)」とは、そのようなあなたの核心部分であり、その純粋性、言い換えれば、あなたの内奥にある崇高な感情のことです。この二つのものが同じものであることに気づくためには、瞑想と呼ばれる霊性修行に頼らなければなりません。瞑想とは(感覚の領域に関わる)集中を昇華させて(心と理性の領域に関わる)黙想にいたり、そこから最終的に(論理も思考も想像力すらも届かない領域に関わる)本当の瞑想にまで到達するプロセスです。1/1/83
  善い性質を培うためには、根気強い努力が必要です。あなたはその過程で、幾つもの障害物を乗り越えなければなりません。美徳を培うことによって初めて、あなたの心は浄化され、集中力を獲得することができて、神の黙想や瞑想に没頭できるようになるのです。そのような善い性質が備わっていなければ、心は一時の間も静かにしていることができません。心に善い性質や善い想いが備わっていないのであれば、どうして心を瞑想だけに向けることができるでしょう? レンガや漆喰を準備しなければ、どうして家を建てることができるでしょう? ですからあなたが、瞑想に没頭したいと望むのであれば、まず初めに、善い性質と善い想いを身につけなければなりません。KSHより
何万という書物より得た学識より、瞑想から得られる一粒の英知の方が、遥かに価値高い。
どのような瞬間的であっても英知のひらめきは貴重である。それは倦まず努力してきた修行の賜物であり、他人が口を挟むことの出来ぬ正真正銘の体験である。一粒の英知をはぐくみ、育てていく時、矛盾と批判は消滅します。議論は全て下等な自己より生ずるのであって、それらは真理が明らかにされれば消えてゆきます。人が霊性修行を始めるに当たりなによりも肝要なのは、自分自身を信じることです。RV
人々はしばらくの間座って瞑想し、喜びの涙を流します。彼らは至福を体験したと言います。それは彼らの想像以外の何ものでもありません。至福とは、来たり去ったりするものではありません。それは永遠です。あなたがどのような状態にいようとも、覚醒・夢見・熟睡の違いを問わず、それを絶えず経験することができるようになりましょう。1/3/03
サーダナ(霊性修行)には三つの相があります。集中と黙想と瞑想です。今、あなたはこの姿を注視しています。それが集中です。そのうち、この姿が立ち去ると、皆さんは引き続き、この姿を心の目で思い浮かべます。それが黙想です。その行の結果、その姿は永遠にあなたの胸に焼き付きます。それが瞑想です。そのようにして瞑想を続けると、その姿はあなたの胸の中に永遠に留まります。
 今、皆さんは自分のサーダナを集中と黙想だけにとどめています。この二つの段階は一時的なものにすぎません。サーダナの最初のステップは集中であるというのは事実ですが、集中は黙想へ、それから瞑想へと変容を遂げなければなりません。瞑想の最終段階では、目をつぶっていても神の姿を見続けるようになります。太古の聖賢たちはこの瞑想の形を選びました。聖賢たちが望むと、いつも神が目の前に現れ、語りかけ、望みを叶えたのはそのためです。23/2/09
多くの人が、霊性修行として瞑想を始め、多くの時間を費やしています。しかし、実のところ、瞑想は朝から晩まで行っているほぼすべての活動の中に含まれているのです。瞑想は(集中という意味において)、食事をすること、仕事に行くこと、職務に精を出すこと等々、日常のあらゆる雑用や仕事に内在しています。人は、本を読んでいるとき、遊んでいるとき、買い物しているときに、瞑想しているのです。集中なくしては、どのような活動も行うことはできません。集中が神に対してなされる場合、それは霊的な瞑想となります。そうした瞑想は、特定の時間や場所を必要とするでしょうか? 瞑想に特別なテクニックはありません。人は瞑想に何らかの特別な名前を付けて、瞑想の真の意味を忘れています。たとえば、もし瞑想(一点集中)してスワミの講話を聞いていないなら、私の話したことは覚えていないでしょう。聞くことですら瞑想を必要とします。瞑想は特定の形をもちません。さまよう心では、瞑想は不可能です。
今日では、瞑想と称して人目を引くために数々の行為が行われています。猿のように落ち着きがなく、一つの思考から別の思考へと忙しく動き回る心をもったまま、瞑想と称して何時間も費やす代わりに、家庭や職場や社会での義務を、真面目に献身的に果たすことに集中した方が良いのです。これが瞑想ではないと言えますか? 一分も心を静止させておくことができないのに、一時間も「瞑想」に座って何の役に立つのですか?
日々の義務を果たしながら神を想いなさい。すべての仕事を神への神聖な捧げものと見なしなさい。自分が行うすべてのことの中に神を見なさい。この単純で易しい道を歩む代わりに、人はさまざまな瞑想を試して危険に身をさらしています。自分の義務に専念しなさい。瞑想は一つのものに限定されません。瞑想はあなたの行うすべての活動に染みわたるべきです。30/3/87
心を甘美さを与える神聖な事物と、神と交わって得られる甘美さに向けなくてはなりません。
もちろんそれには時間がかかります。どれくらいの時間かは、各自の想念や言葉と、それを促す動機によって違います。肝心なことは、その人が祈りのために使った金の額や、修行の年数、礼拝の儀式の仕方や祈りの回数とは関係なく、どれ位、心底から祈ったかが重要であり、成果を得られるまでにどれほど忍耐強かったか、世俗の喜びに対して執着を持たず、成果が上がらなかってもただ一筋の真心を持って神聖至福を希求したかが、大事なのです。DVJp12
黙って座って目を閉じている人がいます。自分は瞑想をしているとその人は言います。それは瞑想ではありません。黙って座っていても、心はさまよい、ありとあらゆることを考えていることがあります。心が揺れ動くことなく、しっかりと高次の実体に定まっていることだけが、瞑想と呼べるのです。瞑想は黙想の次の段階です。23/2/09
犠牲を払うことなく神を憶念しても無駄です。神を憶念すれば、おそらく何らかの精神的満足を得るかもしれません。しかし、それは無駄 なことです。1/1/04
神の御名を絶え間無く唱えることによって、神を常に思い起こすことが瞑想です。瞑想によってさまよう心は鎮まります。心が鎮まる時、人と絶対実在の間のヴェールが取り除かれます。絶え間ない神への思いは、深い信愛によって始めて出来るのです。御名を常に唱えなさい。御名はあなたを捉え、ある段階に達すると御名自体があなたを虜にするでしょう。そうなれば、あなたが御名を忘れようとしても忘れられなくなり、あなたの身体は神の神殿と変容するのです。OCSp156
よくあることですが、瞑想が深まってくると新たな欲望や意念が心に生ずるものです。しかし絶望する必要はありません。熱心に規則正しく修行を続ければ、心を滅却することができます。このような修行によって最後に得られる成果は、無限にして純粋の至福意識です。JV
比類のない帰依者であるゴピカたちのように、あなたもまた、神に対する全託の心を培うべきです。あなたは、「私は神様のものです。私はあなたの中に生きています。私はあなたに包まれ、あなたの中で成長しています。」と感じる心を持ち、そのような想いと共に、宇宙的なビジョンを養わなければなりません。宇宙的なビジョンとは、あなたも全宇宙も、共に神の中にあるというビジョンのことです。これこそが、真のディヤーナ(瞑想)のための正しい基盤であり、正しい態度なのです。KSH
瞑想中に眠気をもよおす原因は、食物の不消化であることが多いのです。食べ過ぎ、過度の運動による疲労、睡眠不足などによっても眠気が生じます。ですから普通は、瞑想の修行をする者は昼寝をすべきではないのですが、前の晩に眠りが足りない時は、昼寝を少し取るのも悪くありません。本当に空腹を感じるまでは、食事を摂ってはいけません。食事の量は控えめにしなさい。
腹が四分の三満たされたと感じたら、それ以上食べないように。つまり、もう少し食べれると思っても、そこで止めるのです。このようにすれば、胃袋を正しく振る舞うように教育することができるのです。運動のし過ぎも好ましくありません。歩くのも度を超えてはなりません。眠気が覚めるまで歩くのは良いのですが、眠気を追い払ったあとに、瞑想に入ることは出来ないことも忘れてはなりません。JV

日々の瞑想において、自分がどの程度集中出来たのか、心が彷徨うのをどの程度制することが出来たのか、神の御姿にどれだけ深く沈潜出来たのかを自分自身で検討してみれば、自分の瞑想段階について知ることが出来る。あなたが何をいつ授かるかは、神の御加護によるのだ。SDMp129
辛抱強く待つこともまた、瞑想という苦行の一部なのです。DVJp13
心と知性のコントロールに成功したなら、どこにいようと、ベッドであろうと岩の上であろうと、座っていようと、馬車の上であろうと瞑想することができます。DVJp16
瞑想が成功する秘訣は、その人の心がどれほど清らかかによります。正しい行動を取ることをどれ程重要だと考えるのかに比例して、成果が上がります。DVJp19
瞑想によって人は、心の生み出すつかの間の事物を夢まぼろしとして捨て去り、彼のうちにある、天国の記憶を甦らせることができるのです。一切の創造物は、あなたの心の産物です。DVJp23
正しい放送局に波長を合わせることが瞑想です。「ニュース」すなわち神の御姿を目にすることができるように集中して、心の波長を神の放送局に合わせなさい。20/5/95
ひとたび真理に到達した時、そこにはもはや瞑想も無く、瞑想するものもいません。すべては一つにとけ込みました。それが照明された、という経験です。彼のうちなる純粋英知に歓喜する修行者は、ただ内在する神霊の至福のみを自覚します。それが目的地であり、不滅という果実なのです。超越的体験をした修行者は、瞑想を終え、燦然たる神聖の光輝を放ちます。ヴェーダはかれにおいて完全に顕現しました。彼は純粋な人間に変容しました。瞑想のみが運命の栄枯盛衰を超越する人物をつくる力を持ちます。瞑想のみが如何なる環境下であっても、泰然たる心を失わぬ人物を作る力を持っています。瞑想の奥義を極めた人は、彼自身がもう一人の創造主であるかのように、変容します。DVJp24
瞑想の時間を変えてはいけない。SDMp130
身体も心も魂も健全な修行者は、内なる世界をじっと見ては内的歓喜に包まれて大喜びするのです。そしてすべての想念、言葉、行為は内的世界に関する知識を完全に意識して、そこから発するものでなければなりません。知性はさ迷う事なく、常に内なる世界に安住していなくてはなりません。それが、内なる目なのです。瞑想はそれを得るための、最も重要な道具なのです。DVJp26
瞑想のために座っていながら、様々な感覚の対象や、感覚の喜びのことを考えているのは馬鹿げています。それは単なる時間の無駄です。慈善活動をしなさい。実際、真の瞑想であれば、瞑想中「私は瞑想している」という思いはなくなります。「瞑想するもの」「瞑想する対象」「瞑想の過程」の三つが一つになるべきです。これは、トリプッティと呼ばれます。重要なことを一つ心に止めておきなさい。
実は、あなたが、私から離れていると思う分だけ、私から遠くにいるのです。私が近くにいることを常に実感し、最終的には自分と神は一つと思うべきです。瞑想が成功するかどうかは、そこにかかっています。神はあらゆるところに存在するという確信を持ち、すべてを愛し、すべてに奉仕し、利己主義と私欲を捨てることによって、あなたは真の瞑想の恩恵を体験し、自分の真の実態が、アートマであることを知るでしょう。STPS2p89
無相の神に帰融することが出来るのは、自分の姿を忘れる時です。神は瞑想によってもジャパによっても体験することは出来ません。瞑想とジャパをすれば神を体験できると考えるのは無知です。それらによって束の間の心の安らぎを体験することが出来るかもしれません。しかし、永続する歓喜とアートマンの知識を得るためには、あなた自身の神性をつちかわなければなりません。そのためには、環境もそれにふさわしいものでなければなりません。瞑想とジャパの為の清らかで神聖な波動に包まれた場所を確保しなさい。14/8/90
神聖な英知をすぐに心に悟ろうとしても、まず食事の手順を踏むように順序だててしなければ無理です。身体を使って良いことをして欲望を燃やし尽くし、神を求める願いに昇華させなければなりません。それによって最高の知識を悟ることが出来ます。正しい瞑想の修行とは、ゆらぐことなく、少しずつゆっくりと欲望を抑えてゆくものなのです。感覚器官を戒め欲望を抑えることによって、どんなこともごく自然に、自分から進んで奉仕し、そこから何の見返りも求めなくなるでしょう。SGc8
すべてを超えて神を愛することを瞑想と言っていいでしょう。世間で言う瞑想とは、何か物に意識を集中して、それによって究極の存在に達することを言います。瞑想への正しい近づき方だとは言えません。瞑想の本来の意味は、ただ神だけを思うことです。だから瞑想と信じる心は、同じものなのです。SGc8
人々はどんな場所でも瞑想をしても構わないと思っています。しかし、エネルギーの流れや意思力が、瞑想者のまわりを取り巻いています。大地には強力なエネルギーが流れ込んでいます。このため、大地からは極めて強い引力が発せられています。瞑想においては、この流れから自分を遮断することが好ましいのです。それゆえ、瞑想者たちは、木切れの上に座り、ウールの肩掛けで肩を覆います。その人が瞑想に上達してしまえば、どこに座って瞑想しても、影響を受けなくなります。~睡眠と覚醒状態の間の隙間を捉えることが出来るように訓練し続けなさい。愛を持って実践しなさい。CWSSBJp246~7
夢を見ている人の身体と夢の中の身体は同一です。意識の一つの状態において身体は静止しもう一つの意識状態においては動いています。ヴェーダンタは人の身体は肉体的状態においては動きがあるがブラフマンの状態においては不動であると宣言しました。それゆえ瞑想の目的は、ブラフマンの境地即ち意識の不動の状態に達する事にあります。1/1/1991
いつも神の御名を瞑想していなさい。黙想や集中ではなく。瞑想には神への愛が染み込んでいるべきです。愛がなければ、あなたの瞑想が望ましい結果を得ることはないでしょう。あなたの神への愛は昼夜を通して続いているべきです。願いを叶えてほしいと神に祈り、物事がその反対になると、皆さんは怒って神への憎しみを抱くこともあります。しかし、それは霊性とは何の関係もないことです。皆さんの生来の性質と神への愛は、決して変化を被るべきではありません。
 神の御名と結合し続けていなさい。それが本当の瞑想です。深い瞑想に入ると、たとえ目を開いても、外界のものは何も目に入らなくなります。23/2/09
毎日、数分を瞑想にあてなさい。それを続けていくと、平安の感動を味わう時間が長くなります。日の出前の身体と心のエネルギーが散逸していない時が瞑想に良いのです。自分の座りやすい方法で、ロウソクの炎の前に坐りじっと見つめなさい。それから目を閉じ、炎が眉間にあるように感じるように努めなさい。眉間から炎が身体の通路を照らしながらハートにある蓮華まで下ろしてきて、胸の中央にあるハートの蓮華に入ると、花びらが一枚づつ開くのを心に描きなさい。そして、あらゆる思いと感情、情緒、衝動が、光明に包まれ暗黒が拭い去られるように心に描くのです。そして、その光明がさらに輝きを増すことを想像し、愛の光輝であなたやすべての人を包むのです。混乱した世界にいるあなたは、このようにして高い霊的平安を求めなければなりません。SIP5-20
他人から罵られても、静かに微笑み、落ち着いていなさい。それは、あなたの瞑想が速やかに効果をあげているしるしです。SIP5-30
勉強の目的は何でしょう。それは身体と心を落ち着かせるためです。運動しているとき以外は、あまり身体を動かしすぎない方が良いのです。話しているときや歌っているときも、あまり身体を動かさないようにすべきです。そうやって子供の時から、身体の動きを抑えるように心がけていれば、瞑想が出来るようになるのに役立つでしょう。SGc30
日の出前のブラフマムフルタムの時である早朝に起床し、未だ精神的な活動が制限されているときに瞑想を始めるのが正しいことです。その時間帯では、心が澄んでいるだけでは無く、環境もまた平安です。沐浴しなければならないとか世俗的な重要な仕事があるとかなどの厳しい現実から抜けだし、あなた自身の内面に集中して神の名を唱えなさい。そうしてはじめて心は清らかになるのです。
求道者は、愛は神であり、愛に生きなさい。と言うでしょう。愛より偉大なものは無いのです。愛があれば、世界は神の光で満たされるのです。愛にのみ生きるのです。愛でもって一日を始め、愛でもって一日を送り、愛でもって生き、愛でもって一日を終える、これが神への道です。OTYRTNp325

 *盲目。
その少年は失明したままで大人になることでしょう。しかし、もし彼がよく考え始めて、彼が過去に行った悪い行為のために盲目になった事を理解し、今の自分の過去世から受け継いだ悪い性格を反省して神に祈り、許しを請い心から自分を変えようと努力をするならば、ババは彼の過去に犯したカルマを許し、視力を回復させるかもしれません。CWSSBp78

*盲目的に従う
賛否両論のあらゆる意見をよく考えなさい。あなた自身の体験を元に考えなさい。それから判断するのです。他の人々の言うこと、また私の言うことにも盲目的に従ってはいけません。真善美pt2p146

 *目撃者
神は目撃者であり、彼は人々のそれぞれの欲望に基づく行為の結果を手渡しているだけです。しかしその行為の結果があまりにもひどい場合には、彼はしかるべき処置をとり、苦痛を少し取り除くという介入をすることもあります。そのような権利を神は持っています。SS4/95p89

 *モクシャ
どんなことでも定められた時というものがあります。モクシャを願うというのも欲望の一つです。それゆえ何かを願うという代わりに、いつも私のことを思っていなさい。そうすればあなたはモクシャを得ることが出来ます。P, 75 ANDI
人はモークシャを求めます。どうすればモークシャは自分のものになるのでしょう? モークシャの特質とは何ですか? ダルマの道を歩んでいる間に、人はアルタ、つまり富を求めます。ダルマの道を歩み、正当な手段でアルタすなわち富を手に入れることで、人は第三ステップである欲望や熱望へと至ります。そこでも、それらにはダルマの要素が染み込んでいなければなりません。
ダルマに欠ける富とダルマに欠ける欲望は、あなたをモークシャの確保を手に入れるに値する人間、あるいはそれを願うに値する人間にすることはできません。もし、ダルマとアルタとカーマがしかるべき方法で果たされていたなら、人間は今のように、増加するストレスや、疾患や、さまざまな病気にさらされることはなかったでしょう。ダルマとアルタとカーマの三つを支配する主要なものは食べ物なのです。8/10/83

*モンキーマインド
一体性の原理を見なさい。そうすることだけが、自分に本当の幸福をもたらせるのです。あらゆる悲しみや困難は、いっときのものにすぎません。最後には、すべての物事は良いものに変じます。困難は、最終的にはあなたに幸福を与えるようにできているのです。喜びとは、二つの苦しみの間のことです。この世には善もあれば悪もあります。善悪の両方を等しい心で見ることが、人間の根本的な義務です。食べ物と行いと習慣のせいで、人の心(マインド、マナス)に多くの変化が生じています。心は狂った猿のようなものです。普通の猿ではなく、狂った猿です!私たちは人類に属しているのですから、私たちの心は思いやりに満ちてるべきです。ところが私たちは心を猿の心に変えているのです。1/1/08

*問題
皆さんは多くの問題に直面するかもしれません。問題で頭がいっぱいになるのを許してはなりません。日々の活動の時間割りを作りなさい。夕刻の三十分か一時間を、自分の問題を熟考するために取っておきなさい。そうすれば、問題の解決策を見出すことができるでしょう。もし四六時中心配ばかりしていれば、あなたは時間を無駄にし、問題は解決できないでしょう。6/85

 *約束
一度スワミが約束すると、彼はどんなことがあってもそれを守ります。私は、約束を破ったことがありません。20/10/02

 *薬効成分
食べ物とは、実は薬なのです。皆さんは色々なごちそうを作ってそれがおいしいと思っているかもしれません。それは間違いです。口に合うように薬に甘い成分が混ぜられていることがあるのと同じです。空腹という病のために、色々なごちそうを用意したとしても、本当はどの食べ物もただの薬に過ぎません。のどの渇きも病の一種です。SGc5
一つ一つの言葉の中にマントラがあり、それぞれの植物の中に薬効成分があり、一人一人の人間は貴重な存在です。真の人はこの真理に基づいて生きるべきなのです。SSSepp, 226

*ヤグニャ
今回のヤグニャは世界の幸福のために執り行われています。このヤグニャにはとても重要な面 があります。アティ ルッドラ マハー ヤグニャは人間の内にある神聖な性質を守り育み、悪魔的な性質をはねつけ減らします。このように、このヤグニャは人類に幸福をもたらします。このヤグニャは人類の幸福に関心のある人なら誰でも執り行うことができす。 アティ ルッドラ マハー ヤグニャは偉大で、非常に神聖で、きわめて効験があります。このヤグニャを執り行う人々の生活は清められるでしょう。それぞれのホーマクンダ(護摩壇)には儀式を執り行う11人のリトウィック(僧侶)がおり、そうしたホーマクンダが11あります。したがって、全部で121人のリトウィックがこのヤグニャ中にさまざまな儀式を執り行います。またそれぞれのホーマクンダには一人の担当者がいて、儀式にかかわるすべての事柄の面倒をみます。このようにして、このヤグニャにかかわるすべての人々が、ヤグニャを成功させるために一体となって働きます。どのようなことも一体性によってのみ成し遂げられます。一体性から純粋性が生まれ、純粋性から神性が現れます。ですから、皆、兄弟姉妹のように振る舞うべきです。9/8/06
皆さんは、自分の利益と自分の幸福、そして人類全体の幸福のために、この神聖なヤグニャに参加しました。このヤグニャは、ほんの一握りの人のためになされたのではなく、世界全体のためになされました。ここで唱えられたマントラは、空中で混ざり合い、全宇宙に広がっています。これらの神聖な音は、私たちの心ハートに入り、清めました。ですから、このヤグニャで唱えられたマントラはこの場所だけに限定されている、と考えてはなりません。マントラは全世界に広がっています。このヤグニャは、インドのためだけになされたのではなく、世界のすべての国のためになされたのです。異なる国では、話される言葉も違うかもしれません。しかし、バーヴァ(感情)には何の違いもありません。アメリカ、ロシア、アフリカ等、多くの国の人々が、たいへん熱心にこのヤグニャに参加しました。彼らもまた、ヴェーダのマントラを学んでいます。こうしたマントラを唱えることには、少しも利己主義は存在しません。
これらのマントラは、人類全体のためのものです。これらのマントラは、あらゆる人の幸福に欠かせないものです。ヴェーダは個人(ヴィヤシティ)を超えて、共同体(サマシティ スワルーパ)に関係しています。西洋人でさえも、ヴェーダのメッセージをすべての国の人々に広めるために、現在ヴェーダのテキストを出版しています。西洋人にとって、ヴェーダのマントラを唱えることは確かに難しいことです。なぜなら、西洋人にはさまざまな音節を発音するのが困難だからです。マントラの中には発音のややこしいものもあります。しかし、真剣な努力によって、西洋人はそうしたマントラを正しく唱えることを学んでいます。固い決意さえもっていれば人は何でも成し遂げることができます。9/8/06

*優しいハート
ハートは柔らかく、心は甘く、時間は神聖である、と言われています。その状態の下で、一体どこから欠陥が生じるのでしょう? あなたの心が神聖で、純粋で、柔らかく、甘い思いに満ちていることを確実にする必要があります。偉大なサーダカでさえ、まず第一に優しいハートを育てるべきです。神の贈り物である今回の人間としての生を無駄にすべきではありません。神には神の計画があり、そのために神はあなた方全員に命を授けたのです。神は、各人がそれぞれ他の人々の理想となることを意図しています。あなたはその理想を知るよう努力すべきです。その理想は、純粋かつ神聖です。人間のハートの重要性は、ハートの純粋さと神聖さにあります。不純な思いが入ってくると、ハートは不純になり、行動は邪道に陥ります。あなたの想念や欲望はすべて全身に広がりませんか? 自分が言っていることと別の行動を取るのは正しいことですか?
言うことと考えることの出所は別ではありません。体の各部へと向かう流動体の流れの源は一つであり、それはハートです。ハートを愛で満たすなら、あなたの発言と行動は純粋で神聖なものになります。五つのインドリヤ〔五感〕は、主要タンクから給水される複数の蛇口のようなものです。もし、主要タンクが純粋な思いという水で満ちていれば、どうして不純な思いや行動が生じることなどあるでしょう? ハートが純粋な愛に満ちていれば、舌が不純な言葉を発することはなく、目が淫らなものを見ることもありません。また耳は神聖さを汚す音を聞くことを避けるでしょう。24/11/00

 *UFO
彼ら(UFO)は多くのいい活動をしている。P40サイババ世界の危機を救う

*勇気
決して将来起こることを案じてはなりません。勇気があれば何でも成し遂げることができます。勇気がなければ、すべてを失ってしまうでしょう。それゆえ、決して勇気をなくしてはなりません。勇気はエネルギーです。全宇宙の基盤である五大元素を形作っているのはエネルギーです。同じ五大元素が皆さんの中にあるのです。実に、すべては皆さんの内にあります。外から来たものは何もありません。ならば、外界で何かを探す必要がどこにあるでしょう? 
人は六つの悪い性質のために苦しみます。それは、人を打ち負かしている、カーマ(欲望)、クローダ(怒り)、ローバ(貪欲)、モーハ(愛執)、マダ(高慢)、マーツァルヤ(嫉妬)です。皆さんはたくさんの欲望を持っています。自分の中にすべてがあるというのに、なぜ何かを欲しがる必要があるでしょう? 皆さんは自分の力でこの真理を理解すべきです。決して自分には何かが欠けていると考えてはなりません。すべては皆さんの内にあります。内側にあるものが外側に映っているのです。外に映って見えるものは、本当に皆さんの中にあるのです。ですから、心の中の清らかさを保つようにしなさい。そうして初めて、あらゆる努力が実を結ぶでしょう。自分の内側にある実在を忘れて、外側の世俗的な対象物を渇望するのは、大きな誤りです。15/1/08

 *友人
私は、たとえ友人からでも、誰からも、何一つ受け取るべきではないと考えます。友人同士の間に、ギブアンドテイクの関係が存在すべきではありません。さもないと友情は壊れてしまうでしょう。27/9/09
 邪悪な傾向は、霊性の道における障害です。まず第一に、人間はすべての邪悪な行為から自らを遠ざけ、善い行為をしなければなりません。そのときに初めて、彼は、自らを人間と呼ぶ権利をもちます。人生は、極めて神聖なものなのです。『ウパニシャッド』は、人間の人生をまことに神聖なものであると見なしています。人間は、すべての属性を凌駕するこの真我の原理を忘れてしまったために、自分自身を弱きものと考えているのです。その邪悪な資質、不徳な行い、不品行が、彼をこの憐れむべき状況に引きずりこんでいます。人の思いは、付き合う友人の影響を受けます。それが、「あなたの友人を教えてください。私は、あなたがどのような人間であるかを言い当ててみせましょう」と言われる由縁です。9/10/02
私たちの感覚はすべてトリグナ(三属性)に左右されます。同様に、トリグナは摂取する食物に左右されます。ですから、もし、浄性の食物を食べ、浄性の行いをし、浄性の友人と行動すること、を始めるなら、皆さんは必ず自分を浄性の人間に変容させることができます。皆さんの悪い性質はすべて、悪い仲間と間違った食事のせいです。もし、皆さんが良い性質を育てたいなら、浄性の食事を摂って、良い仲間をもたなければなりません。若いときに浄性の友人をもち、ずっとその仲間と行動をともにすることが、絶対に必要です。良い友だちといっしょにいると、良い思いを抱くようになる、と言われています。22/10/05
誰にも辛辣な言葉を使ってはなりません。実際には、この世のどこにも敵はいません。誰かを敵と見なして、その男性、あるいは女性に暴言を吐くべきではありません。その日はあなたの敵であっても、別の日には友人になるかも知れません。誰かを自分とは違うと見なすべきではありません。すべての人は友人です。9/10/05

 *幽霊
髪の毛、爪の切りかす、埃、くもの糸、タバコの煙、そして壁の落書きのあるところに幽霊は来やすいのだ。神はきれいなところに来るのだ。~暗闇の帳りが降りる前に、家に明かりを灯さねば幽霊が入ってくる。P270ANDI
自殺をした人、事故等で早死にした人達の魂は、亡霊となって彷徨っている。悪霊は精神的に強い人の近くに寄りつくことも出来ないが、逆に、弱い人の近くに行き,その人をからかったりするのだ。時には妻を亡くし再婚した元夫のところへ行き、自らの果たせなかった欲望を満たす為に、後妻の心を乗っ取って悪さをするのだ。またある場合は、人が沢山の財産をもっている場合、その財産の後継者が早くその財産を手に入れるために魔術師を雇って、その財産家の気を狂わすケースもある。OTYRTNp41
英知の人は、子ども、狂人、幽霊でもある。と言われます。英知の人、子ども、狂人、幽霊という四者は、よく似た心の状態にあります。この四者には罪がありません。というのは、皆、故意に何かをすることがないからです。最初の人は万人の中に神を見る英知の人です。二番目の人は無邪気な子どもです。三番目は何も自覚していない狂人です。四番目は肉体を持たない幽霊です。しかし、「ウンマッタ シェーカラ」(最も偉大な狂人)であるヴィナーヤカを礼拝する目的は何でしょうか? 泥沼にはまり込んでいる人を救出するには、泥沼の外にいなければなりません。そうであってこそ、助けることができるのです。罪のない者だけが、罪のある者を救うことができます。8/1977

 *ユガと人
クリタユガにおいては、人間は何百年も生きるのが普通のことでした。その上身体は、今日のように小さくありませんでした。腕の長さも6フィート以上もある巨大な身体をしていました。彼らはどのような暮らしをしていたのでしょうか?クリタユガにおいては、骨が完全である限り命がありました。
骨以外の身体の部分が崩壊しても、生命は骨格内に残りました。トレタユガでは、人間の背の高さはクリタユガよりも小さかったのです。筋肉と肉が残っている限り、身体に生命は残りました。ドワパラユガでは、生命は身体に血液が循環している限り、残っていました。ビーシュマがクルシュエトラの戦場で負傷した後、矢のむしろに横たわっていたことはよく知られています。身体に血液が流れている間は、彼は生きていました。彼は56日も生きながらえました。
カリユガでは生命は身体に食物が入っている間続きます。食物が亡くなれば人は、生きながらえることはできません。クリタユガとトレタユガでは、人は神と密接な関係にありました。食物はさほど重要ではありませんでした。ドワパラユガでは頭が重要になりました。
クリタとトレタユガでは、ダルマが最大の重要事でした。(宇宙はダルマに基盤を持ちます。)ドワパラユガになってダルマの衰退が始まり富が何より重要になりました。(世界は富の上に築かれる。)カウラヴァとパンダヴァの戦争は、所有権をめぐる争いでした。カリユガでは、ダルマもダーナ(富)も、ダヤ(慈悲)ほどに重要ではありません。今日の世界が無数のトラブルに苦しんでいることは、慈悲の欠如が原因です。7/9/96

 *夢
あなたが私のことを思ったからといって私があなたの夢に来るわけではありません。私があなたのことを思ったときにのみ、私はあなたの夢に来るのです。P293ANDI
「夢を見ているとき、あなたはいつ自分が夢を見ている ことを自覚しますか? 」
「目覚めるまでは、あなたは自分がその夢と一体になっていませんか? 」 「はい(なっています)」と、私は言いました。わかりますか。スワミが意味されていたのは、眠っているとき、私たちは自分が夢を 見ていることに気づいていないということです。夢の中では、あなたは夢が現実(事実) だと感じています。もう一人の「私」がベッドの上で眠って夢を見ているとは気づかないのです! 二人の「私」は存在しません。一人だけです! スワミはおっしゃいました。「同様に今、あなたは夢を見ているのです」「これらの問題はすべて夢の領域に分類されます。ですから、あなたが自分自身に言い聞かせなければならないことが何であるか、わかりますか?『スワミ、それはすべて白昼夢です!』です」あなたがそのように言えば、その問題 はあなたに何ら影響を及ぼしません! しかし、起こっていることが何であれ、あなた 自身が(夢と現実を)同一視すれば、あなたは苦しむことになります。それゆえ、あなたは(自分に与えられた)役柄を、ただ演じなければならないのです」ラニマーへのインタビュー
夢見ている時、人は衝動を追い求め、求めた物を手にいれて満足します。感覚世界が人を引きつけ、目的の事物を追い求めさせる魅力は、目覚めている状態と夢見る状態の両方に存在します。心は常に波立ち騒ぎます。その波立ちこそが潜在する衝動因を育て、繁殖させ、根をはびこらせる肥沃な畑なのです。実際、一切の創造主の背後にあって創造生じさせるものは、波立つ心に他なりません。UVc5
夢は、起きているときの反応と、反映と、反響にすぎません。昼間に何をしたとしても、夜それは夢の中に入ってきます。夢は流れ行く雲のようなものです。夢のあとを追いかけてはなりません。真理で永遠で不変なる神につかまっていなさい。そうすれば、恐れも悩みもなくなるでしょう。1/5/08
時、目的、環境条件に左右されないのは夢での経験の特徴です。目覚めている時には、時、目的、環境条件の存在を証明することが出来ます。31/5/91
目の覚めている状態で執着に捕らわれると、夢を見ている状態や熟睡状態の、最も微妙な姿でも執着が現れます。夢を見ている状態とは、鏡に映った像のようなものです。目の覚めた状態でどんなことを経験しても心が受け取ったものが映った姿として夢の中に現れます。目の覚めた状態と、夢を見ている状態は物と鏡に映し出された物の像に似ています。
目の覚めている状態で正しい道を選び、真実を知り、真実の光りの中で行動していれば、夢を見ている状態でも正しい道を歩んでいけます。目覚めの道を進むためには、感覚的な物の欠点に気づいて、少しずつその欠点を乗り越えて、執着を捨てていくことが大切なのです。SGc13
夢の中でライオンに追いかけられるなら、あなたはすぐに目を覚まし、目覚めのレベルに戻って来ます。夢の中で生じたことは、あなたを目覚めさせる力を持ちます。そのように目が覚めている時、あなたがそれを夢と見做すならば、神の恩寵によってあなたは目覚めの世界から、突然に英知の世界に導かれるかもしれません。怖いライオンの夢を見て、人は夢の世界から目覚めの世界へ返りました。あなたが目覚めの世界を夢とみるなら、その時、英知の世界は夢からの覚醒に当たります。それゆえ、聖者や賢者達は私達に目覚めよ、起きよ、悟れよ、と呼びかけてきたのです。SSIB1972
夢の状態では、四つ(理由、時、行為、義務)の状態は全て存在しません。25/12/92
あなたは、目覚めの時は夢は存在していないので、夢は真理を仄めかしていることを知りません。あなたが、真の英知を得たときに目覚めの時の経験も非存在となります。その時まで、この目覚め時の体験を本当だと思い込みますが、真の英知を得た後はこの目覚め時の体験に対して少しの価値を付与するだけとなるでしょう。SSSvol4p, 117
夢の世界を照らしているものは何でしょう。深い眠りの状態では、全くの暗闇になります。タマスのグナがあるだけです。その状態では、知識も英知もありません。ところでどうしてそこが暗闇だと分かるのでしょうか。どういった認識の光りでそこが暗闇だと分かるのでしょうか。深い眠りの状態は意識の無い状態、夢を見ている状態は潜在意識の状態、目の覚めているときは顕在意識の状態だと言えます。その三つを超えた四つ目の状態があります。それを意識を超えた状態と呼んでいいでしょう。意識を超えた状態では、あらゆるもの、あらゆるところを見ると共に究極の悦びを味わいます。一体何がこの悦びの状態に灯りを照らし、完全な悦びを経験させているのでしょう。それはアートマの放つ光です。この光が、他の三つの状態を照らし出し、皆さんにその姿を見せてくれているのです。~暗闇を暗闇と認識できるのは、暗闇さえも認めることの出来る意識の光りがあるからです。それがアートマの光りです。このすべてを超えた光りがあるからこそ、他のすべての光りは輝くことが出来るのです。
~目の覚めた状態で見えるものは、夢を見ている状態ではみんな消えて無くなります。夢を見ている状態で味わう悦び、悲しみも目の覚めた状態に戻ったときに無くなります。目の覚めた状態で見える人も物も、夢を見ている状態では、移りゆく影のようなものです。深い眠りの状態では、それも完全に消えて無くなります。そんな風に悦びは、意識の状態によって変わっていきます。皆さんは、この世の悦びがいつまでも続くと思っているかもしれませんが、それはいつか、大きな苦難となって皆さんに辛い思いをさせるでしょう。SGc19
誕生も死も、肉体と関係するものであり、人間の魂と関係するものではありません。その両方の原因は心です。すべてのものは人間が自分で作り出したものです。人生は夢です。夢に出てくるものがどうして本物であり得るでしょう? すべては幻想にすぎません。幻想に浸っている限り、ブラフマー(神)のヴィジョン(視野、視力、姿)を得ることはできません。幻想という足かせをはずして初めて実在するものを体験することができます。25/12/03
心の世界は夢を見ている状態で経験します。目の覚めている状態では、太陽や月の照らす灯りでものを見ることが出来ます。夢を見ている状態では、太陽や月のようなものはありません。心の世界から照らされる光のおかげで、ものが見えるのです。SGc22
夢を見ている状態では、時間も、活動も、目的も、結果もありません。そのすべてが無いのです。さて眠りについて誰かに起こされたとします。起きてみるとほんの五分ほどしか眠っていません。その五分の間に、夢を見てマドラスに行っていたというわけです。どうしてそんなことが出来るのでしょうか。普通の状態ならこんな事は起こりません。それは心の中にだけで起こったことです。肉体も感覚も、何も活動していません。この心の経験は微妙な世界の出来事です。時間、活動、目的、結果の四つの要素を経験するのは物質としての身体です。夢を見ている微妙な世界では、その四つとも経験していません。心によるからくりが世界を創り出していたのです。SGc31
神は人の内にいるにもかかわらず、人は神に気づくことができずにいます。人は夢を見ているときに死を体験して悲しく感じることがあります。そして夢からさめて、それはただの夢だったことを知りほっとするのです。では、夢の中で死んだのはだれだったのでしょう?夢は心の創造物にすぎません。同じように、目が覚めているときの体験もすべて心の創造物です。
私のお父さん、私のお母さん、私の妻、私の子ども、といった感覚はすべて迷妄から生まれます。それらは現実ではありません。迷妄のために、人は肉体的な結びつきを作り出し、自らを苦しめているのです。純粋で汚れのない愛を育むなら、人は痛みや苦しみを感じることはなくなるでしょう。肉体への愛はにせ物で束の間のものです。真我への愛は本物で永遠なるものです。本当の自分を知るためには、内的探求をすべきです。25/12/03

 *許す心
何よりも、気持ちが清らかであるように努めるべきです。愛をけがれの無いものにするのです。その為には許す心を持つことが大切です。許す心とは、どんなことがあっても静かに耐え忍び、自分を抑えられることです。そして誰に対しても{例え自分を傷つけようとする相手にさえ}よいことだけをします。許す心ほど偉大なものはありません。SGc5
クシャマ(許す心)を持つ者のみが神聖な愛を持つといわれています。それは書物から学んで得られるものでもなく、教師や他の人に教えられて獲得するものでもありません。それは、困難、試練、浮世の荒波にもまれて、自分自身がつちかうものなのです。嘆きや惨めさを生んだ苦難や困難に直面しなければ、堅忍不抜と寛大さは心に根付く事は出来ません。苦難や困難に出会ったとき、立腹しうろたえてはなりません。又、弱さのしるしである気落ちや落胆の餌食になるべきでもありません。
たとえそのような状況であっても、忍耐と寛大な心でもって、怒り、憎悪、復讐心を抑え、心を波立ててはなりません。あなたは強さの具現であって、弱さの具現ではないのです。それゆえ、絶望した時には、堅忍不抜の念で心を満たし、許し、忘れなさい。クシャマ(寛大、許すこころ)は人間にとって最高の力です。この属性を失うならば、人は悪魔となります。1/1/94
私に許してほしいと、祈ってはいけません。あなたは、「神様、私の犯した間違いの結果に伴うすべての苦痛を、あなたの元へ早くたどり着ける為にお与えください。」と祈るべきです。もしあなたが犯した過ちの許しを請うならば、それはあなたのしている霊的修行の防げになるでしょう。p293 ANDI
平安と許すことは大切です。許すことは、真理であり、ダルマでもあります。それはヴェーダの本質です。それはまた、非暴力であり犠牲でもあります。それは喜びの涙であり、すべてなのです。許すことはすべての人々にとって、第三の目なのです。SS8月1996p,212
許す心は、本を読んで学べるものではありません。先生に教わって身につくものでもありません。市場で買えるものでもありません。辛い環境で修行にひたむきに取り組むことによって、許す心ははじめて身につきます。試練を迎えているとき、問題や困難が山のようにあるときにこそ、許す心は身につくのです。人間はいろいろな欠点を内に持っています。試練に遭ったとき、隠れていた弱さが、怒り、恐怖、おごり、憎しみとなって現れます。そんなときこそ許す心を学ばねばなりません。許す心が身についていなければ、人生に安らぎはないし、ひどい苦難に出会うでしょう。許す心が無ければ誤った道に進むことになります。だから許す心の大事さに気づかなくてはなりません。許す心が無ければ、学歴や力や名声があったとしても何にもなりません。
激しい修行によって様々な力を身につけた人はいますが、許す心に欠けているために、なかなかその成果を味わうことが出来ないでいるのです。~この徳が人々の中で輝くようにならなければ、人類は滅びてしまいます。~ただしどんなことがあっても絶対に許さなければならない、と言うわけではありません。許す場合には、全体の条件を注意深く考えて正しく判断すべきです。~恐れている人、慎ましやかな人、悔い改めている人、意識を失っている人、酔いつぶれている人、悲しんでいる人、許しを請うている人、そして女を殺さず許さねばならないとドロパティーは言いました。~感謝を知らない人間は、蛇のようです。感謝を知らない相手を許したところで何にもなりません。ただしそれは世間での話です。神に向かう世界では、許す心を知るのはとても大切です。許す心は、神の境地に達するのにどうしても欠かせない徳であり、いつでも実践すべきものです。SGc25
柔らかな舌が周りの歯に傷つけられることがしばしばあります。しかし、舌が歯 に傷つけられたからといって、歯を罰することはありません。なぜでしょう? 歯 も舌も自分のものだからです。同じように、他人が自分に危害を与え、非難したと しても、それでも、その人たちを許すべきです。青年にとって、この「許す」という精神はとても重要です。青年時代はカッとしやすい時期なので、もし誰かがあなたに何か気分を壊すを言えば、すぐに怒るでしょう。これは大きな誤りです。怒りは人間の性質で はありません。平安と忍耐を培うべきです。自制は真理であり、許すことは正義で す。忍耐はヴェーダです。寛容は非暴力であり、神聖な礼拝です。寛容によって、 あらゆる幸せが得られます。寛容の精神は、他の人々に実践することによって培う 必要があります。寛容を身につけることは、真のダルマです。私たちはこの正義の 道を歩むべきです。16/7/97

*良い行い
あなたはよい行いをしていますか? あなたは他の人が自分によくしてくれるように と望みます。では、あなたは他の人によくしていますか? もし自分の良心の指示に反する行動をしていたなら、どうして幸せになることを望めるでしょうか? あなたの行いは自分の願望を踏まえたものであるべきです。よい行いは確実によい結果を生みます。今日、人々はすっかりアーダムバラ(尊大)になっています。どうしてそのような人々がアーナンダ〔至福〕を得られるでしょうか?16/3/03

*良い思い
心の中の小さな想念は、池に投げ込まれた小石のように乱れを作り出し、心全体に広がって、さらにそこから全身に広がっていきます。全身はその想念の性質の影響を受けます。目はその想念に促されたとおりの光景を探します。手はその想念の波の影響で、その想念とよく似た性質の行為をします。同様に、足も感化されて、心にある想念に促された場所へと向かいます。
ですから、心に純粋で神聖な思いを育てるべきなのです。純粋な思いが心からハートに入ると、それは体の隅々にまでに広がって全身を清めます。反対に、思いが不純でも、同じように全身がその不純物の影響を受けます。もし、国中の人が純粋な思いでいるならば、国中が神聖になります。それゆえ、神聖な思いを育てることが重要なのです。もし、すべての人のハートに良い思いがあれば、人類は慈悲深くなります。それと同じように、人生も甘美なものになります。近ごろでは、人の心もハートも、汚れた不純な思いでいっぱいです。不純がはびこる原因は何でしょう? 悪い想念こそが悪の源です。いつも自らの心を検証し、その思いが正しいか間違っているか、純粋なものか汚れたものかを、まず最初に調べなさい。24/11/00
目は善いものだけを見るべきです。手は善い行いをすべきです。耳は悪いことを聞かず、善いことだけを聞くべきです。悪いことを話してはなりません。善いことだけを話しなさい。悪いことを考えてはなりません。善いことだけを考えなさい。悪いことをしてはなりません。善いことだけをしなさい。これが神に到る道です。1/1/98

*良い感情
良い感情を持つことが、何にも増して重要です。常に良い感情を抱くならば、死に際が安らかです。疑いと疑心に悩むものは、とどのつまり自分自身の疑いの餌食となります。死は生より遥かに重要であることを実感認識せねばなりません。死に様はその人が如何に生きてきたかを示します。15/8/93

 *良い事と悪い事の原因
あなた方は、あなたが向き合う苦しみや惨めさは、あなた自身の悪い想念が原因だと知るべきです。誰もが自分の被る色々な困難は、他の人が原因だと思っています。そうではないのです。あなた自身が、あなたに降りかかる良い事や悪い事の原因なのです。あなたは、それを他の人の責任に転嫁しますが、それはあなたの弱さの現れなのです。SS9/1995p227
人は自分に何が起ころうとも、それを神からの贈り物として扱うべきなのです。喜びも苦しみも、神からの贈り物として同等に扱うようにしなさい。そのプロセスには比類のない喜びがあります。日常生活において、私たちは、失敗や損失や悲しみを不幸としてとらえがちです。しかし、この世で何も原因なく起こるべきことはありません。ものを食べる原因は空腹です。水を飲む原因は喉の渇きです。悲しみの原因は苦難です。もし永遠に続く幸福を味わいたいなら、その幸福の源を探さなければなりません。その源はプレーマ〔愛〕です。1/1/98

 *良い人
今日、神は良い人を探しています。各人は思い、言葉、行為において、真摯であるよう努力しなさい。そうすれば神を探しまわる必要はありません。神があなたを見つけてくれます。17/2/96

 *幼児の死
どのような子供が死ぬと生まれ変わらなくてもよいのか?それは、病気等で亡くなった子供の両親が健康で病気ではないこと。その子供自身も、なんら先天性の病気も無く健康で生まれたこと。もしそのような子供が死ぬとその子は生まれ変わってこないのです。15歳までは貪欲、怒りなどは子供たちの心を毒さないので、15歳になるまでは健康だった子供が死んだ場合、その子は生まれ変わってこない。
また、もしヨギがいくばくかのカルマを持って生まれ変わってきた場合、その魂が子宮の中にいる間や,子供時代を不憫に過ごすなどして短期間にカルマを支払ってから死ぬ。その場合,それが最後の生まれ変わりとなる。P290ANDI

 *ヨーガ
二時間の邪魔の入らない熟睡によって得られる喜びは、12分間のヨガのトレーニングで得られるのです。SSIB1993
人々の健康が損なわれているところは、その社会自体に苛立ちと落ち着きの無さがみられます。ドイツではサルに対する実験の結果、霊長類は毎日3,4時間静かに座らすと、まもなくたいそう知的になり記憶力も増大したこと、場合によってはきわめて熱心になり、その程度は人間に勝るものであったとの発表がありました。SS11/93
吸気と排気と息を止めるのは同じ長さの時間でなければなりません。これを行う過程においては、すべてが無理なく自然に行われなければなりません。~肺と脳がダメージを受けないようにしなければなりません。SSIB1993p, 92

 *欲望
あなたの経験する喜びは、欲望に反比例します。欲望が大きければ大きいほど、経験する幸福は少なくなります。それゆえ、常に欲望を少なくするよう努力しなさい。人生の旅は汽車の旅行と同じです。携帯する荷物が(欲望)少なければ少ないほど、旅は快適になるのです。24/3/93
世俗の欲望が満たされなくとも、自分の信じる神をけなしてはいけない。欲望と神への帰依とは、何の関係も無いのだ。SDMp62
自分の欲望を欲しいままにしてはいけません。あなたの感覚がそれを欲した時に、まず最初にすべきことはそれが良いことかどうか識別することです。良いことでなければ関与してはいけません。良いことのみをしなさい。3-27 SIP
人間の欲望には限りがありません。人間は物事に執着していますが、その中に自分が死ぬときにいっしょについて来るものは何もありません。人は、所有することや貯蓄することよりも、与えることに大きな喜びがあることに気づくべきです。捨てることは、得ることと同じように不可欠なものです。もし息を吸った後に吐かなければ、人は生きられないでしょう。5/86
欲望がつのり執着心が増せば、記憶力と知的能力が弱くなります。知的能力が衰えれば、人間と呼ばれなくなります。それゆえ欲望は我々の人生を破壊してしまう可能性をもっているのです。
もしあなたが欲望というものが何であるか真に理解すればそれはあなたの前から瞬時に消え失せてしまうでしょう。SSIB1973p181
欲望というのは、心が他と比較をするという傾向から生じます。それは主に目のヴィジョンを使うことによって心が比較をするという機会を得ます。しかし彼女は盲目なので、心は比較をするということをしないので心は忙しくなりません。それゆえ欲望も湧いてこないのです。P205MBAI
皆さんの誰もが、今の世界が混沌とした状態にあることを知っていますね。無秩序と暴力があらゆるところで暴れまわっています。平和と安全はどこにも見つかりません。平和はどこで見つけられるでしょう? 平和は私たちの内にあります。安全も私たちの内にあります。どうすれば不安を取り除いて安心を確保することができるのでしょう? 欲望を捨てることです。23/8/95
生命力という強力な衝動つまり、生きたいという欲望が存在します。それが好ましい分野においての行動となれば、愛と呼べるでしょう。そうでなければ、それは欲望のまま残ります。
愛から英知が生まれ、至福へと導きます。このように、欲望の中に存在する力、エネルギー、動機は神なのです。その欲望の善悪は、時、ところ、人に関係しています。例えば、世俗的なことを達成したいという欲望は、若い時には好ましいかもしれませんが、年を取るとそれは害になるかもしれません。CWSSBJp163  
あなたは神に近づき、神への愛によって神にとって愛しい人とならねばなりません。その時欲望は消失します。31/7/96
強い決意を貫けないのは、強い欲望のせいです。~すべての言葉、すべての力、すべての美しさ、すべての能力は、それを誰が見たとしても元はただ一つなのです。あらゆるところにただ一つの神がいます。様々な特性の中にただ一つのものが潜んでいることに気づいて下さい。すべてが一つだと分かったら、様々な違いは消えてゆきます。様々な違いが消えてゆけば、欲望もなくなるでしょう。欲望が無くなれば、怒りもおこりません。そして欲望と怒りをなくせば、神の英知が身につくのです。SGc21
欲望とは、世俗の欲望に基盤を持つ束の間の快楽を意味します。4/10/92
私たちは、無知のために、宇宙の中に多様性のみを見ます。表面的な多様性のみを見て、根本的な統一原理、すなわち神そのものである一体性を見る努力をしないのです。私たちは俗事にどっぷりとつかり、世俗的な欲望を追い求める中で自分を見失っています。私たちは、これらの世俗的欲望によっては決して満たされることがないので、俗事に嫌気がさして神の方を振り向きます。
「我々の世俗的欲望が幾分かでも満たされれば、神への帰依心は突然高まる。そして欲望がくじかれれば、我々の神への帰依心は、たちまち神への嫌悪へと変わってしまうのだ。」世俗的な欲望を満たすことだけが人生の目的であるという誤った考えを抱き、神の遍在と人生の真の目的を忘れて、絶えず世俗の欲望に悩まされ、私たちは、持って生まれた力をすべて失い、自分は弱く、助けてくれるものもいないと感じています。諸聖典が真理(真実)は一つである(エーカム=サット)と宣言しているにも関わらず、私たちは多様性という非真理の見かけに引きつけられ、それに騙されて、この多様性の背後にある、二元性を超えた神の真理を理解できないでいます。KSH
欲望を克服するためには、必ずしも大変な霊性修行をする必要はありません。皆さんが人生の内的な意味を理解すれば、欲望に悩まされることはなくなります。今日、人々はお金のためであれば、どんな低劣なことでもしようとします。人は、神の偉大な帰依者であることを装って、人々をだまそうとします。人間がなすべきこととはこのようなことなのでしょうか? いいえ、そうではありません。人は欲望を克服し、感覚をコントロールしなければなりません。5/7/01
学生は、欲望を減らすことにより如何に多くを得ることが出来るか実感しなければなりません。コーヒーの消費を減らすという小さなことでもそれを実感認識できます。そのとき彼は記憶力が強化されたことに気付くでしょう。欲望を減らすにつれて、意志力が強化されます。意思の力は今日害されています。その結果行為する力もまた減少しています。そして英知の力も失われました。18/1/96
今日行われていることは神の御名を呼びつつも実際には悪魔を拝めているのです。一切の世俗の欲望は悪魔と関係があり神とは関係がありません。欲望をコントロールするにつれて人は至福に満ちるのです。22/10/95
皆さん方は、今日の世界がどのような混乱状態にあるかを良く知っているでしょう。
無秩序と暴力はいたるところにはびこっています。平安と安寧はどこにも見られません。平安はどこに見出すことが出来るでしょうか?平安は各人の内にあります。安寧も各人の内にあります。安寧を如何に確立すればよいでしょうか?それは欲望を捨てることによって可能です。バラタの太古の言葉では、それをヴァイラーギアと称しました。それは家族を捨てて森に隠遁することを意味するのではありません。ヴァイラーギアとは、欲望を減らすことを言います。家庭の主人であるあなたは、家族の必要を満たすために、自分の欲望を制限しなくてはなりません。学生は、勉学に専念し励みなさい。職業人は職業における義務を立派に果たしなさい。しかしいかなる事であれ、過度な行いを慎みなさい。23/8/95
単に人間のみならず、生きとし生けるもの全ては欲望、怒り、痴情,貪欲、自惚れ、嫉妬という六つの敵に取り囲まれています。六つの中で最も強力な敵は欲望と怒りです。欲望と怒りは異なるものとみなされますが、怒りは欲望より生じます。貪欲、痴情、自惚れ、嫉妬もまた欲望の結果です。28/9/90
欲望を減らすことによって、満足度を増やすことができる。SS7月1995p,170
真に世俗的欲望を放棄するということは、欲望、怒り、貪欲などの悪い性格を改めることです。SS8/1988p203
すべての苦しみは、身体と世俗的欲望に関連しています。SS8/96p218
苦しみと痛みは、欲望が原因です。それを癒やす方法は、その欲望を神の方へと向けることです。神を欲することです。そうすれば、痛みの原因がなくなり、すぐに痛みは消え失せるでしょう。CWSSBp68
低いレベルの欲望を満足さそうとするのは悪の根っ子の部分です。その心の衝動は、ゆっくりと静かに、夜半にやってくる泥棒のようにあなたを捕まえに来るでしょう。SSALp, 141
すべての感覚器官は、欲望のシンボルです。SSIB74p120
 人々は、欲望を満たすことによって幸福が得られるという誤った認識に陥っています。実際は、幸福は欲望が満たされたときではなく、それがコントロールされたときにもたらされるのです。人は欲望をコントロールすることによって至福の状態を味わうことができます。自分の欲望を満たしたいと強く願う人は、いつも落ち着きがありません。欲望は外側に向かう道(プラヴリッティ)に対応していますが、そこにはひとかけらの幸福も存在しません。皆さんは、世の中に幸福があると考えて迷妄に陥っていますが、そうすることによって、内に向かう道(ニヴリッティ)からますます離れていくのです。5/7/01

いつかはすべての欲望を手放さなければなりません。ですから、心と自分とを、同じものだと考えてはなりません。今日の人間は、際限のない欲望をもっています。そのような人の心は、一瞬一瞬揺れ動くので、猿のような心(モンキーマインド)と呼ばれます。あなたの心が猿のように振る舞うことを許してはなりません。あなたは人類の一員です。ですから、いつも安定した心を保ちなさい。絶えず、自分は人間であることを思い出しなさい。「神は人間の姿の内にあります」肉体意識を手放して、絶えずあなたが神であることを意識しながら生きるようにしなさい。23/11/05
欲望を減らすことにより意思の力を増すことができます。この意思の力を今日人々は軽く見ています。その結果、行為を成し遂げる能力も低下し最終的に英知の力も失っているのです。SS3/96p73
あなたの持っているすべての欲望は、神の方へ向かうようにしなければならない。その欲望一つひとつが神様を喜ばさなければならない。例えば、あなたは誰かを愛しているとしても、その人をただの人間だと見るのではなく、その人の中におられる神を見て取らねばならないのです。23/2/06
バジャンを歌い、霊的な事柄に関する講演を行うけれども、世俗的欲望という悪臭を取り除くことのできない人々が沢山います。彼らが世俗的欲望を取り除かない限り、彼らは純粋な状態に到達することはできません。彼らは物質的な人生に慣れ親しんでいます。彼らは、世俗的な願望を満たそうと思って、バジャンや瞑想などを行うのです。彼らは、水気の混じったバターにたとえることができます。霊的な道にあっては、人は世俗的欲望という悪臭に付け入る隙を与えてはなりません。
中には、自分自身を帰依者と呼びながら、欲望のためによこしまな人間になっていく人がいます。そのような人を帰依者と呼ぶことができるでしょうか? いいえ。それはできません。もし彼らが真の帰依者であるのなら、どうして彼らから悪臭が漂うのでしょう? 彼らの身体も、心も、知性も、またその行動も、不純さに汚されています。22/7/02

 *4つの悪
食事を制限することが必要です。なぜなら、摂取する食事は思いに影響するからです。喫煙と飲酒をやめなさい。それらは健康を損ないます。肉食も辞めねばなりません。なぜならば動物の肉を食べることにより、動物的な傾向が助長されるからです。やめるべき第4の悪はギャンブルです。霊性修行の道を歩む者はこの4つの悪い傾向を避けなければなりません。食べるために弱い動物を殺すことは罪ある行為です。21/11/95

 *4つのステージ
4つの霊的段階があります。その一つ一つのステージで神は人を援助します。一つ目は困難に遭遇している段階で、二つ目は、富を追い求めている段階。三つ目は真理を探究している段階で、4つ目は英知を得た段階です。そして、4つ目を超えると超意識というステージに入ることが出来ます。そこは、神性意識で満たされたところで神のみが存在するところです。CWSSBp24

 *4つのタイプの人間
4つのタイプの人間がいます。一つ目は死人で彼らは神を否定し、自分だけが存在し独立し自由であって何でも決めて行うことが出来ると信じている。次は病人で、何か災害が彼に降りかかったときのみ神を求める。そして、困難な時に神が助けに来るのが当たり前だと思っている。3番目は、鈍い人で、神は永遠に彼といて、いつも彼を見守ってくれていることを知ってはいるが、しかしそういう思いは、たまにしか湧いてこない人のことである。最後は、健康人で神に対して揺るぎのない信仰心を持ち、神の創造した世界の中で神と共にいつも快適に生活している人である。
あなたは死から生へ、病から健康へと、この世界を生きる経験を積みながら自分自身を高めていかなければならない。この世界は英知という子供を生む為に苦痛を伴った探求をするところであって、人の啓蒙課程における非常に重要な部分である。苦悩は人の生き方を新しくさせるためのサインであり、実は役立つものです。SSSvol?p4
神を信じる人について四つのタイプがあります。一つは苦しんでいる人、二つは、物質的な物を願う人、三つ目は神に向かう知識を求める人、四つ目は、賢い人です。長い時間をかけて、一人の人がこのすべての段階を進んでいきます。SGc12
神を信じる人には四つのタイプがあります。一つ目は、悩みや苦しみのあるときに神に祈る人。困ったときや、人生の試練にであったときにだけ神に祈る人です。二つ目は、富や財産や権力を神に祈る人です。長寿や子孫の繁栄を祈り、財産や牛や、宝石や金などを願う人です。~たいていの人は、そういう俗世間の願い事ばかりしています。三つ目は神の節理を知りたいと努力する人です。神はどこにいるのだろう。神とは何だろう。どうすれば神に達することが出来るのか。私と神はどんな風に繋がっているのか。私とは何か。等の知識を身につけようとします。~これらの知識が身についたとき、四つ目の英知の人の段階にたどり着きます。英知とは世間一般の知識では無くて神に向かう知識、すべてを超えた知識を言います。英知とは、すべては一つだと悟ることです。~世間の知識は、何をしてもそれは自分に戻ってきます。何を言っても、何を考えても、結局は自分自身に返ってくるのです。
ところが神に向かう世界には、触れるものも、見るものも、聞くものも、何の反応もありません。ただすべてを超えた知識があるだけです。これこそは真の知識です。そこには反応するものも、響き渡る音も、映し出される姿もありません。そこには二つ目のものが無いからです。そこではすべては一つです。二つのものがあるところには、一方を手に入れたいという思いか、一方を退けたいと思う思いがいつでもおこります。つまり欲望か、恐怖の感情がいつも起こるのです。
けれども、真の知識に満ちていれば、他の人も他のものも経験する事はありません。他のものなどどこにもありません。そうなれば、欲望も恐怖もおこらないでしょう。それこそは英知、最高の知識と呼ばれるに相応しいものです。高度な意識の状態では、何を見ることも、何を聞くこともありません。ただ究極の悦びに満たされています。これこそが、「完全存在、完全知、完全至福」と呼ばれる、永遠の悦びなのです。SGc14
自分たちの欲が満たされないと、善の道を離れて神に反抗し始める人々がいます。しかし、過ちは彼らにあるのであって、神にあるのではありません。神に反抗する人間には四つの種類があります。第一は、神は存在しないと主張する無神論者です。第二に、他の人々が自分たちよりも良い境遇にあるために、妬みの心から神に反抗する言葉を語る者がいます。第三は、自分たちには名声を手に入れる力がないのに、他者が名声を博していることを嘆く者たちです。四番目は、自分の欲望が満たされない時に幻滅を感じる者たちです。彼らは、不正で低劣な手段に訴えて自分たちの目的を果たします。23/11/2000
すべての人は四つの構成要素を有しています。それは、体、心、知性、アートマ〔真我〕です。体は、各人の義務を果たすこと(ダルマサーダナ)のための道具です。体が動くのは、心の促しによってのみ可能です。しかし、体を動かした結果を楽しむのは心です。
しかし、心が感覚の動きから引き出せるのは、束の間の喜びにすぎません。たとえば、空腹なとき、何か食べて飢えが満たされれば、心は満足します。心を超越しているものは、ブッディ、すなわち知性です。ブッディは識別力を備えています。ブッディは、体にとって何が健全であるか、何が望ましくないか、あるいは何が悪いものかを指摘します。ブッディに導かれるなら、心は純粋な喜びを体験します。どんな行為を行うときも、それが良い結果をもたらすか、悪い結果をもたらすか、事前によく考えてみるべきです。識別がなされなければ、心は言わば盲目になります。24/11/87

 *悦び
世間のものはいつも移ろいゆきます。いつかは影も形も無くなってしまいます。それがわかったら、世間のものを手に入れるのに熱を上げることもないし、そこから永遠の悦びを得ようとするはずも無いでしょう。食べ物とは、空腹という病を癒やす薬に過ぎません。贅沢をして夢中になるようなものではありません。今皆さんは次から次へと美味しそうなものを追い求めています。
病気を治すどころか悪くしているのです。世間にあるお気に入りのものを、沢山見つけて喜んでいます。しかしそこに本当の悦びはありません。そんなことに夢中になっていると、いずれ必ずその報いを受けることになるのです。SGc10
私はあなた方に、他の人を幸せにするために、そして、快適に生活する手助けをするために、他の人に善いことをするように勧めてきました。これはサット カルマ(有益な行為)と呼ばれます。さて、嘘を並べて糧としている新聞は、道徳性の低い人々からわずかなお金をかき集めることができます。これもまた利益を生み出す行為であり、でっち上げの馬鹿げた考えを広めている人々は、それが誤りであり、自分の頭の中で作り上げたことだと知りながら、それを行って喜んでいます。彼らを止めることはしないでおきなさい。なぜなら、一銭も使うことなく、あなた方は今、彼らに喜びを与えているのですから。泥沼の中でどんちゃん騒ぎをさせておきなさい。喜びは自分の心(マインド)から生じてくるものです。心が邪悪なとき、心は邪悪なものごとから喜びを引き出します。心が清らかなとき、心に喜びをもたらすことができるのは清らかさだけです。20/2/66
つかの間の楽しみはすべて、心の奥にある本当の悦びが、頭の中で輝いて映し出されたものでしかありません。誰かのことや、何かあるものについて何度も考えていると、心は元の場所を離れその相手やものにまで彷徨い、その人やものとなって、まるでそれを楽しんでいる気になります。それは本当の悦びではありません。頭の中で作り上げたごく限られた楽しみです。
あらゆる悦びの元である内なる本当の悦びの影に過ぎません。例えば、赤ん坊が指をしゃぶっていますが、赤ん坊はお乳を飲んでいると思って喜んでいますが、実はそれは唾ですし、指からでは無く自分の口から出ているのです。赤ん坊は悦びは外から来ていると思い込んでいるのです。それと同じように無知の人は、感覚的なものから悦びを味わっていると信じています。悦びはごく限られたものでありしかも外から来たのではありません。本当の悦びは心の中にいつもあります。
この変わることの無い悦びが何かのものに重なり合うと、まるでそのものが悦びの元であるような気になります。そうやって世間のものから悦びを得ていると思い込んでいます。ところがその悦びは、内に秘められている限りない悦びの小さな影に過ぎません。外部の世界で味わっている楽しみが本当の経験で内なる世界から来る悦びが幻だと思い込んでしまうと、執着を捨てる修行などしたくなくなってしまうでしょう。
そうなると、すべてを超えた悦びを求めるのを止めてしまって、感覚的なものから得られそうな世間の楽しみばかり追い求めるようになります。もしもこの世の物から本当に悦びが得られるなら、その悦びは誰にとっても同じはずです。ところがそうでないことは分かっているでしょう。ある物を喜ぶ人もいますし、嫌いな人もいます。物に悦びが備わっているなら人によって違うはずは無いのです。~どうしてある人は好み、他の人は嫌うのでしょうか。それはどんな悦びもそのものと繋がっていないからです。物に悦びが備わっていると思うのは間違いです。悦びは内からやってきます。それはつきることの無い内なる悦びなのです。SGc19
喜びはどこからやって来るのでしょうか? 苦しみが取り除かれれば、喜びが確保されます。喜びと苦しみを神の贈り物として等しく扱いなさい。私たちの国の繁栄と貧困の相続人は、今の若い青年男女です。将来の国の発展は、彼らにかかっています。ですから、国家の真の宝は青年男女なのです。人は、自分が喜びと悲しみの設計者だということを悟らねばなりません。したがって、良いことであれ悪いことであれ、あなたに何が起ころうとも、いつも平静にそれらに面と向かうようにしなさい。1/1/98
愛の心を育みなさい。だれをも嫌ってはなりません。起こることはすべて自分のためだと信じなさい。いついかなる困難や苦しみが降りかかってきたとしても、その原因は自分自身にあります。他の人を敬いなさい。その行為自体があなたを守ってくれるでしょう。反対に、もしだれかを侮辱したなら、その行為自体があなたを罰するでしょう。喜びも苦しみもあなた自身が作り出したものです。あなたが積んだ徳や犯した罪は影のようにあなたについてきます。現代人は他人に説教をしながら自分ではその教えを守ってはいません。そのような教えにどんな価値があるというのでしょう?
そうしたものはすべて欺瞞にすぎません。どんな教えを読もうとも、どんな教えを聞こうとも、それを実践しなければ、その教えが役に立つことは決してありません。少なくとも、小さな形で人類同胞を助けなさい。そうした行為そのものが皆さんを助けてくれるでしょう。自分が遭遇する困難を他人のせいにしてはなりません。決して人をののしってはなりません。すべてを愛しなさい。すべての人を兄弟姉妹として扱いなさい。神が父であり人類は同胞であると感じる心を育てなさい。1/1/04

 *ラーマの統治
ラーマの王国では未亡人は一人もいませんでした。普通、親は子供より早く死にます。子供が親より早く死ぬのは異常です。ラーマの王国では、そのようなケースは一つもありませんでした。若者が早死になどしなかったのです。誰も病気で苦しみませんでした。誰も貧困で苦しみませんでした。雨期は毎年決まった時期にやってきました。収穫は十分あり、食料が足りなくなることなどありませんでした。人を犯罪で捕まえる様なこともありませんでした。すべての人々は、幸せで平安に満たされていました。ラーマが統治をしている間、どこにも争いはみられませんでした。人々は、お互いを責め合ったりしませんでした。王国に住むすべての人々は、他の人から助けてもらったことに感謝し、そして自分たちもそれにお返しをしようという、親切な心で満ちあふれていました。SS6/1996p.142

 *ラーマヤーナ
シータは言った。ラーマヤーナは私によって演出されたものです。私がラーマで私がすべてなのです。外見は違って見えますが、内にあるかすかな姿は一つで同じなのです。P138 ANDI

 *理解
人々の間の調和や不和について考えるとき、はっきりと覚えておかねばならぬ事が一つあります。不和の理由はなんでしょうか。今日では、人と人との間に理解がありません。理解が無いことが、あらゆる争い、敵対心、不和の主な原因です。その為に人々は、他人と協調しません。理解さえあれば協調することが出来ます。ところが今日、人々は反対の行動をとっています。人は協調するのが先で、その後お互いを理解することが出来ると考えています。けれども、これは間違っています。初めに相手を理解しなければなりません。そうすれば協調することが容易になります。STPSp27

*利己心
今日世界は暴力と恐怖で充満しています。それら全ての根本原因は利己心です。真理に立脚しなさい。真理はあなたの息吹、真理は時のカテゴリーを超越します。真理は普遍、真理は無敵です。22/11/96
今日、ほとんどの人が清らかではありません。あなたが信じようと信じまいと、私には利己心のかけらすらありません。私は、この人やあの人に何かをしてあげようと熱心です。しかし自分自身には全く関心がありません。このような態度をつちかいなさい。そうすればあなたは自らが神であるということを体験するでしょう。17/11/95
ぐっすり眠るためには心が平 安でなければなりません。外側に付いている手足(五つの行動器官)や感覚器官だけでなく、内側にある道具である、身体(五つの鞘)、心(マナス)、意志の力(チッタ)、エゴ(アハンカーラ)、これらすべてが平安へと向かっていなければなりません。これは神聖な愛を育むことによってのみ為し得ることです。神聖な愛とは、無私の愛であり、常に与え、決して受け取らない愛です。これに対し、世俗的な愛は獲得することに熱中し、やがて忘れてしまう愛です。神の愛に匹敵するものは存在 しません。神の愛は至高の存在です。神の愛に恐れはありません。世俗的な愛が恐 れに満ちているのに対し、神の愛に恐れがないのは、そこに利己心がないからです。 もし愛が欲しいのであれば、愛を求めて祈りなさい。なぜなら、愛は神と共にある からです。神に世俗的なものを求めるべきではありません。17/7/97
この世のすべての人々は、利己的な目的で物や人や神さえも愛します。誰も神のために神を愛する人などいないのです。SS7/95p186
人は、かりそめの喜びや、移ろいゆく幸福に浸る為に生まれて来たのではありません。そう信じるのは狂気の沙汰です。自分自身をわたしという思いと同一化し、私のものに執着すること、それが悲哀と無知の根本原因です。利己心が無ければ、外界を認識することができません。
外界を認識していなければ、利己心は存在することができません。それゆえ賢者は、彼自身をこの世から離れたものとみなし、至高神の代理として行動するのです。この世にあって、この世とは関わりの無い者として存在するのです。JV
愛は利己心の無い人のハートの中にのみ、光を放つのです。SS6/95p112
苦しみや喜び、愛や嫌悪、また物理的欲望の原因は心の誘惑心です。これは私のもので、あれは神のもの、という二元的な感覚は、心の欲望と誘惑心が引き起こしているのです。この二元性の根本原因は利己心です。人々はとても利己的になっていて、他の人のことを全く気にとめないし自分の得になる事以外は全然興味も示しません。Vos2RitaPrincep228
人々の中の利己心がどんどん増大している反面、利他主義や他人を助けようという心は縮小してきています。心はますます荒れ果ててきており、知能は進歩してきている反面、善良な性格は退歩してきています。この世界におけるいろいろな混乱や平安の欠如はもとはといえば人々が摂る食物が原因なのです。SSIB1077p172
人類は今日、物質的、社会的な分野で素晴らしい進歩を遂げています。しかし、モラルの面や霊的には、狭い考えや低いレベルにとどまっています。どうしてこのようになってしまったのでしょうか。それは、これまで多くの生を経て来て利己心を培ってきたからなのです。人々の人生のすべての局面において、行動を促してきたのは利己的な興味だけなのです。人は、利己心に踊らされてきたのです。何に関心を持とうと、誰を愛しようと、自らの利己的な思いが根本にあるのであって、そのものの為であるとか、その人の為に愛するというわけでは無いのです。人は、自分の興味の無いものに対しては少しでも関心を持とうとしません。SS5/96p113
絶え間なく利己的な追求に没頭してきた人が、どうして神の恩寵を獲得できるでしょう? それゆえ、まず手始めに、万人に生来備わっていて、全宇宙に浸透している神性を実感認識しなければなりません。神性の本質を理解するためには、多様性を包含する一体性を理解しなくてはなりません。神性への理解がないかぎり、人間性への理解もあり得ないでしょう。
利己心を取り除きなさい。利己心は、二元性、および、喜びと悲しみ、好き嫌い等々の二元性の相対を生じさせます。利己主義者は自分の本性を理解することができません。ましてや、他人の神性さを理解する事などできないことは言うまでもありません。それゆえ、まず自分自身の真我を理解することが第一歩です。誰もが「私」と言いますが、「私」はどこに位置していますか? また、「私」はどこから顕れましたか? 太古の聖典は、アハムカーラ(自我)の座をフリダヤ(ハート)と表現しています。これは「私」が身体のどこかに存在しているという念を抱かせるかもしれません。しかし、それは正しくありません。フリダヤは遍在です。フリダヤはアートマとも呼ばれています。19/11/87

*離婚
「家族内のトラブルは、双方とも感情を高ぶらせた夫と妻が関わった時にのみ、爆発します。」そしてスワミは手を叩かれたので、「パン」という音がしました。そして左手を脇に置いて、手を叩こうとされました。音はせず、涼しい風の波がきました。 「このように、両手が触れ合う時に、トラブルを表す大きな音がするのです。しかし、片方の手だけを振ってみても音はせず、涼しい風だけが起ります。同様に、私たちの生活に於いても、妻と夫の間で意見の相違がある時は、たとえ一方が険悪な状態にあったとしても、もう一方が忍耐を持っていれば、喧嘩が起こる可能性は絶対にありません。ですから、心を落ち着けて理解するよう心がけなさい。すでに火が燃えているところに、短気を起こして燃料を注ぐようなことをしてはいけません。そんなことをすれば、あなたの家は燃えてしまうでしょう!火を燃え上がらせる代わりにしばらく静寂を保ち、あなたを支配している感情を静めるようにしなさい。家庭内の幸せと平安は、その家の女性(主婦)が幸せである時のみ保たれる、主婦の緊張とストレスを解きほぐす努力をすることが、夫であれ、子どもたちであれ、他の家族全員の義務である。結婚とは、基本的にお互いの理解の問題であり、それ以外の何ものでもありません。」28/4/63

 *リーダー
すべてのリーダーが持つべき資質は、主に二つあります。それは、個人としての徳性と、国民としての徳性です。もし、個人としての徳性を備えていなければ、それが誰であろうと、その人をリーダーと呼ぶことは出来ません。~リーダーはまず、自分が公言したように「なる」必要があり、次に公言したことを「実行」しなければなりません。そうして初めて、人に「語る」権利が得られるのです。理想的なリーダーは、自分が良い行いをすることによって、人に善良であれと教えられるのです。こういった理由で私は「善であれ、善を為せ、善を見よ」というのです。STPSp140
不幸なことに、今日、世界には適切なリーダーが不足しているため、現在のような悲惨な状況に陥っています。教育、政治、宗教、霊性をはじめとするすべての分野においてよいリーダーがいなくてはなりません。しかし、今日ではどの分野においても、めったによいリーダーは見られません。どこを見ても、あらゆる人間の行いがお金で汚染されています。すべてがビジネスになっています。9/8/06
誰が良きリーダーとなれるのでしょう? 思い・言葉・行いに調和のある人のみが、善良で有能なリーダーになれるのです。その人の思いは純粋で、その思いの源は欲望・怒り・執着・貪欲・利己主義・妬みとは何ら関係をもちません。彼は思ったことを語り、そこに裏表はありません。語ったことを実行し、そこに不誠実や偽善はありません。つまり、彼は言葉と行いにおいて包み隠しのない実直な人なのです。サイの理想 P.247

*両親
両親からの贈り物、師からの贈り物、神からの贈り物は受け取ってよろしい。それは、アパリグラハの規則の例外といえましょう。この四人からは、何を貰っても良いのです。しかし、たとえ両親であっても、無理強いし、あるいは訴訟を起こしても物を貰うべきではありません。愛を込めて両親から贈られたものは、愛を持って受け取らねばなりません。両親から受け取る場合にも限度があります。しかし、神から受け取るものには限度がありません。神からは何を受け取っても良いのです。なぜなら、かれはあらゆるものの至高の神なのですから。彼はあなたを罪から自由にし、悪行の報いからあなたの罪をあがないます。18/1/96
いつも愛と敬意をもって両親に接しなさい。実に、両親はあなたの最初の教師です。両親を敬いなさい。両親に迷惑をかけるなら、どれだけ良い仕事をしても無価値です。それは決して良い仕事とは見なされません。それは一時、いくらかの利益をもたらすように見えるかも知れませんが、その仕事の結果は大変悪いものになるでしょう。ですから、両親に迷惑をかけたり、両親を悲しませる原因にならないようにしなさい。両親に迷惑をかければかけるほど、あなたは苦しむことになるでしょう。17/1/09
 肉体的または精神的な苦しみに遭遇したときはいつでも落ち着きを失ってはなりません。落胆してはなりません。代わりに、その問題に真正面 から立ち向かい、あなたに勇気と自信の感覚を教え込むようにしなさい。間違いなく人生には、悲しみや困難を経験しなくてはならない状況が起こります。愛する両親がこの世を去るとき、私たちは深く悲しみます。そのような困難な状況において、取り乱す代わりに、この肉体という贈り物を与えてもらったことへの感謝を両親に表し、勇気をもってその試練に向き合うことを勧めます。28/8/04
父親は教訓を垂れるよりも模範を示すことによって、息子のやる気を引き出すべきです。SSSVol4
両親が、家庭の祭壇の前で礼拝したり、静かに瞑想したり、他人の過ちを許したり、苦痛や悲しみに同情する姿が子供達の目に入らなくてはなりません。そうではなく、両親が子供達に 頼るべき神はなく、頼みとする力も勇気も無く、心配したり、絶望したり、不平不満を言ったり、ふさぎこんだりする様子を見せてはいけません。EHV
「母は神なり、父も神なり」というヴェーダの教えに従わなければなりません。誰もが自分の親を尊敬し、愛し、仕えること、そして、親に深く感謝することを求めています。もしあなたが、両親を軽視するなら、あなたも自分の子供の手によって同じ目に合わされるでしょう。
親を泣かせれば、あなたの子供はあなたに自分の親と同じ運命を引き継がせるのです。親を尊敬する人は皆から尊敬されるようになります。逆に親を尊敬しない人は誰からも尊敬されることはないでしょう。すべての人は親に奉仕しなければなりません。
あなたは常に親からの祝福が必要です。子供であるあなたは、自分の親が何を好むか、また親を喜ばせるには何をすれば良いのかを知っているはずです。あなたはこの世に生を受けてからずっと両親と一緒にいました。もしあなたがあなたの両親を喜ばすことが出来なければ、あなたが一度も見たことのない神様を喜ばせることなど、どうしてできるのでしょうか。あなたは、あなたが何をすることを神が望んでいるのかも、あなたが何をすべきなのかも知りません。親は神聖です。Parentという言葉を分析すればPay Rentつまり、「家賃を支払いなさい」という意味です。これは、生命を戴いた両親に対して感謝の気持ちを常に持ち続けなければならないという意味なのです。STPS2p117~9

子供をダメにする原因は親にあります。現代の親たちは子供の育て方を知りません。息子がテレビを見ていたら、母親は台所から食べ物を持ってきて、そこで食べさせます。親たちはテレビの前に皿を置き、子供達に作法や行儀を教えません。この世で作法を心得ている人は、人間と呼ばれます。自制心を備えている人は、神への帰依者と見なされ、残りの人々は霊的に単なる子供と同じレベルの人たちです。親たちは、子供が外国に行き良い職業につけさすために教育熱心です。親たちは、子供が重要な仕事につくこと、お金を稼ぐこと、外国に行くこと、金持ちの娘と結婚することなどを望んでいます。また、ある両親は来客があると、父は不在だと言いなさい。と言う両親もいます。子供を理想的な市民へと育て上げる全責任は、両親にあります。娘が悪ければ母親が責められるべきです。逆に息子が道を外せば父親に責任があるのです。STPS2p114
両親は子供たちを健康に育て上げ、教育を受けさせ、仕事につかせ、適切なパートナーと結婚させてはじめてその義務は終わるのです。p90ANDI
両親は子供が犯した過ちの4分の3の責任があります。~両親が自分の子供たちが誤った道を歩むのを許せば、しばらくして両親も又、苦しみを味わうでしょう。このカリユガでは、子供たちが自由に自分で自分の道を歩むというのが一種の流行になってしまいました。両親は子供にそうしないと、ひょっとして子供たちが家から出て行き、自殺でも図るのではないかと心配しています。そのような子供たちがたとえそのようなことをしても、それが何だというのでしょうか?今日の両親はここまでモラルが堕ちて来ているのです。彼らは詰まるところ、自分たちの子供の悪い噂を聞きながら、人生の終わりを失望の中で迎えることになるのです。SS5/96p119
自分は高い水準の生活を楽しんでいながら、両親をおろそかにし、両親が弱って苦しんでいるのを放置している者は、誰であれサイオーガニゼーションの会員には値しません。なぜなら、私はいつも、「母を神と見なしなさい(マートゥル デーヴォー バヴァ)、父を神と見なしなさい(ピトゥル デーヴォー バヴァ)」というヴェーダの指示を力説しているからです。これに反する悪しき行為に身に覚えのある者は、心してこの指示に従い自らを矯正しなさい。サティヤ・サイ・ファミリーは、両親を養い介護するという家族の責任を果たしている人々で構成されなければなりません。21/11/69
あなたの母親は、九ヶ月間あなたを胎内に宿し、あなたを産み、数々の困難に遭いながらあなたを育ててくれました。お母さんがしてくれたことに対して、あなたはどれほど感謝しなくてはならないことでしょう! それと同じように、あなたの父親は自分の楽しみを犠牲にし、愛と気遣いをもってあなたの面倒を見てくれました。あなたはお父さんに対してどんな風に感謝を示していますか? あなたの子どもは、あなたが自分の両親に対して取扱って来たのと同じようにして、あなたに接するでしょう。2/4/2003

 *良心
五感の下で働くのが潜在意識で、良心は五感の上にあります。そして意識はそのすべてに充満しています。人に内在する神性が良心であるのに対して、万人にある神性というすべてに遍満し、集合的で、偏在するものが意識です。STPSp277
ダルマは真我の満足を促進します。それは真我の意識の表れです。その神聖な意識の促しを信用しなさい。誰も自分の良心の指示に背いた行動をすべきではありません。良心に反する行動は悪です。良心に基づいた行動は正です。それゆえ、真の礼拝とは、良心に命じられたとおりに正しい行いをすることにあります。思いと言葉がばらばらであるのは神を否定することです。思いと言葉と行動には完全な一致があるべきです。23/11/88
物質、生命力そして良心を一つと見なしなさい。常に真実を告げる良心の声に注意していなさい。良心の声に従えばあなたは決して誤った道へ迷い込むことはありません。SS21/1/93
神はあなたのなす行為の一つ一つを、じっと見ています。このことを覚えておきなさい。自分自身の照覧者となり、自分のなすことを精査しなさい。あなたがあらゆる行為を、自分の良心を満足さすためにするならば,あなたは神我実感認識への正しい道を歩んでいるといえます。21/11/95
人の想念は理想で満ちています。しかし彼は理想にのっとる生き方をする努力をしません。思いと言葉、行為も一致しません。その結果、ありとあらゆる悲しみと不調和に悩まされます。それは彼が自らの良心を満足させることが出来なかったからなのです。自分自身に満足出来ない人間には平安がありません。思いと言葉と行為が統一されていて調和している人ならば、その人は感じるままを語り、言ったことを行い自分自身に満足して安らかでいられます。10/5/92
各人は悪いことを見たり、聞いたり、話したり、思ったり、言ったりして、心につけ入る隙を与えてはなりません。何を悪とみなすか?良心と相談しなさい。良心の命ずることに背く行為をすれば、悪い報いを受けます。良心はどの人のうちにも存在する神の相です。何をするにしても、良心はそれが良いか悪いか告げます。しかし良心の指示を確実にするためには、暫く待たねばなりません。急ぐことは禁物です。何かを言おうと思うときには、それが正しいかどうかちょっと考えてから話しなさい。何かを聞きたいと思ったら、聞くことが良いか悪いかを調べて、それから正しい判断を下しなさい。18/1/96
他人が褒めようとけなそうと、そんなことはどうでも良いのです。自分の良心が自分がしようと思うことが善であるというなら、親族であれ友人であれ他の人がなんと言おうが前向きに進みなさい。恐怖や脅威に屈服してはなりません。20/11/91
真理は純粋で汚れのない心から、良心のささやきとして聞こえて来るのです。SS3/96p, 70
人間の内面には良心というものがあり、つねに正しいアドバイスをささやき、正しくない行動を止めようとします。人間はこの良心の声をほとんど黙らせてきましたが、それは神の声であり、その声を黙らせることはできません。子どもたちに良心の声を意識させなさい。ケーララ州の田舎では、長老たちが周りの子どもたちを集めて毎晩一時間ほど神を讃えるストートラ〔讃歌〕を唱える習慣が、嬉しいことにいまだに残っています。このような習慣をよ蘇らせるのは大事なことです。こうして過ごす時間はいきた時間であり、平安と喜びを豊かに与えてくれます。果物の木を植えれば、その木には果物が実ります。ニームの木を植えてオレンジが実ることは期待できません! 嘘、恐れ、不和を植えれば、同じものが実ります。20/12/65
動機の純粋さは、あなたが平安を得る上で最高の保証となります。良心の呵責とは、慈悲の心が苦しむことです。正しい行いをしていれば、眠りが妨げられたり、健康が害されたりするような、悪い影響を受けることはありません。1008の宝石 P.24

*リンガム
これは皆さん一人一人の霊的なハート(フリダヤ)の内に存在するものであり、身体の右側に位 置するものです。ヒラニヤガルバの原理は身体全体に行き渡っています。私がそう意志した時、それが形をまとうのです。このリンガムが現われ出るその時に、このリンガムを見た者は、再生することはないでしょう。このリンガムが現われ出る時に、その姿を見なければなりません。
あなた方の人生を神聖なものとするために、このような神聖な顕現が時折あなた方に示される必要があります。そうしてはじめて、あなた方は人間の内にある神性を理解することができるのです。このリンガムは、高いところから力をこめて落としたとしても、壊れることはありません。これは不滅です。これは不変です。このような顕現は、決して他の場所で見られるものではありません。神とともにある時にのみ、はじめて可能となるのです。
実はこれだけでなく、他に三種類のリンガムが顕現していました。それは「ブール」と「ブワッ」と「スワハ」です。「ブール」は体現(身体)を意味し、「ブワッ」は振動(プラーナ)を、そして「スワハ」は放射(アートマ)を意味しています。私はしばしば、「あなた」は一人ではなく三人であると言ってきました。すなわち、「あなたが自分だと思っているあなた(身体)、他の人があなただと思っているあなた(精神的な身体)、本当のあなた(アートマ)」です。シヴァラトリにはいつも、この三つのリンガムが顕現していました。15/2/99

*倫理
ニーティ(倫理)は、自分を人間と呼ぶすべての人にとって最も重要なものです。倫理には多くの性質が含まれています。倫理には、社会への敬意、人の人格を尊重すること、愛国心、健康への配慮、親類縁者への愛、知識への渇望が含まれます。これらは人間にとっての五つの生気と見なされるべきです。しかし、今日、これらはほとんど存在していません。6/85

*ルッドラム
「アティ ルッドラ」は多くのナマカとチャマカよりなります。これらは人間の生活を維持します。どこからこの力は来たのでしょう? ナマカとチャマカはクリシュナ ヤジュル ヴェーダから引用されています。クリシュナ ヤジュル ヴェーダはすべてのヴェーダを包括しており、他のヴェーダやシャーストラ(聖典)、イティハーサ(伝承)やプラーナ(神話)はここから生まれました。
ヴェーダは非常に神聖です。特に、アティ ルッドラの箇所はとても重要なところです。「ルッドラム」は、一般 的にイーシュワラ神の別称であると考えられています。実際、ルッドラムは、リグ ヴェーダ、ヤジュル ヴェーダ、サーマ ヴェーダ、アタルヴァナ ヴェーダといったすべてのヴェーダの真髄です。ルッドラムのもう一つの重要な特徴は、ナマカとチャマカという二つのパートの間にあるエーカットワ(一体性)です。ナマカが無執着という側面 を強調するのに対して、チャマカは願望という側面を強調します。しかし、どちらも本質はいっしょです。何を捨てて、何を望むべきでしょうか? 悪いものを捨てて、よいものを望むべきです。どちらも大切です。ナマカがヴィラクティ(無執着)に重きを置いているのに対し、チャマカはあれこれの願望について述べています。9/8/06
このアティ ルッドラ マハー ヤグニャは、将来、さまざまな場所で行われなければなりません。このヤグニャはすべての人に関係します。このヤグニャは、一つの国、一つの宗教、あるいは一つのカーストに限定されません。このヤグニャは全世界の幸福のために行われます。もし皆さんがこのヤグニャを行い続けるなら、じきに全世界の人が一つになるでしょう。19/8/06

 *冷静
失敗してもそれを冷静に受け止め、成功してもおごらない。このようなことを精神的に受け入れるのは、特に成功してもおごらないことはとても難しいのです。SSvol1p152

 *霊性
不幸にして今日霊性は衰えています。多くの人々は霊性をあざけります。しかしこの世俗の世で、些細なことで心を乱すのは往々にして霊性をあざけた人たちなのです。この世が永続せず価値の無いものであることを知る者にとっては、霊性は光輝を放つ貴重な装飾です。そのような宝石を身に着ける努力をしなさい。そのとき初めて人生は、神聖化されます。23/5/91
  今日、人間は自分の個人的な進歩を最優先しています。しかる後に、社会に注意を向けます。そして最後に、霊性の道に入るのです。これは重大な過ちです。人間が真理に気づくことができずに様々な困難に直面 するのは、このためです。サイ(SAI)のメッセージとは何でしょう? 「S」は霊性(Spirituality)を表し、「A」は結びつき(Association)を、「I」は個人(Individual)を表します。それは、皆さんが霊性を最優先し、次に社会(結びつき)を、そして個人的な興味を最後に考えるべきである、ということを意味しています。ところが今日、人はその順番を逆にしています。つまり、社会的責任よりも個人的な興味を優先し、霊性を最も軽視しています。その結果 、人は神から遠ざかっています。このようにして、人は時間を無駄にしています。時間は貴重です。実は、時間は神なのです。22/7/02
世界中にいる何十億人の人々の中で、一体何人の人が神を体験するために、ここへ来ることが出来るのでしょうか。あなた方は、祝福された幸運な数少ない人たちなのです。この幸運を最大限活かして、自分を神のごとき人へと変容させ、それから周りの人々が変容するのを助けなさい。いつも幸せでいなさい。あなたの喜びを周りの人々にも分け与えなさい。これが真の霊性です。覚えておきなさい。愛は神です。愛の中に生きるのです。真理は神です。真理の中に生きなさい。恐れてはいけません。神はあなたといつも一緒です。神は私といつも一緒にいて、私は神様の中にいるんだ。という確信を持って生きていくなら、あなたは何も恐れることは無いでしょう。このように行動することによって、皆さんがそれぞれの国で平安と調和を広めて行くことを、私は望みます。17/2/89
物質科学があるように、霊の科学があります。霊のやり方があり、霊の専門家がいて権威ある論題があります。霊性修行によってのみ、物質や心の神秘を知り得て理解することが出来、それを善用出来るのです。OCSp42
バガヴァンの傍にいてせっかく吸収した霊的な性質を、世俗の雰囲気によって影響されたままにしておいてはなりません。どこに行こうともその場の雰囲気を霊化することが出来るならあなたの霊性は清らかであり続けます。それゆえ常に良い人々神ながらの人々と共にいなさい。21/5/91

50年前には科学者達は原子エネルギーよりも強力な力は無いと信じていました。彼らは原子力がさらに分裂すれば恐ろしい破滅が生じるとの恐怖を発表しました.しかし50年間の探求と研究の結果、科学者は、原子力より強力な力を発見しました。それと同様に、今神を体験していない人も、10年後には神を経験しているかもしれません。神は、あらゆるところに遍在します。このことを固く信じなさい。神への信仰がなければ人生を浪費してしまいます。物理化学を学ぶと同時に、少なくともある程度の霊性科学を理解する努力をしなさい。26/5/92
バジャンを歌うことが霊性でしょうか?あるいは、シュリラーマと繰り返しとなえ、あるいは寺院に巡礼に行くことでしょうか?それらはみな人間の弱さのしるしです。真実の霊性は,人間の持つ獣性を全て除去し、内なる神聖な光を顕すことです。これこそ霊性の真義です。17/9/92
霊性の道を歩む人は、神の原理を理解し経験してそれを広めるための努力をしなければなりません。13/7/03
一度、到達した霊性の段階は、決して失われることはありません。CWSSBJp92

*霊性教育
全世界で、従来のカリキュラムに加えて、霊性教育が施され始めています。霊性とは最近発見されたものではなく、太古からの英知であるという真実を人々は認識しています。しかしながら、この原理の重要性は、霊性を提示し、教えることだけに限定されています。実際、日常生活で霊性を実践することは少なくなっているのです。したがって、実践的な教育が、今日、最も重要なのです。実践なき教育は平安を乱すことにつながります。20/11/02

*霊性修行
精神の修行はすべて、身体の助けを借りてはじめて行うことが出来ます。教育を受けるために身体の助けは必要です。神の果てしなく大きな徳性も身体の働きを通して学びます。自分の身体を基礎として、内なる神を捕らえるように努めてください。SGc5
あなた方が従事しなければならない霊性修行には三つの範疇があります。それは、個人的修行、社会的修行、宇宙的修行です。一輪の花で花輪を作ることはできず、一本の木で森を作ることはできず、一人の人間で社会を作ることはできません。個人の霊的成功、有益な性質、美徳は、多くの人がいっしょに持ち寄れば、社会の富、すべての人の共通の財産となります。どの人も、すべての人を敬い、すべての人に奉仕しなければなりません。個人の内なる神性はどれも、無限の神性という概念へと持ち寄られます。21/11/79
霊性修行はあなたが試験に書く答案に似ています。もし、試験の点が5か6点であれば試験官はあなたに「5や6点とってどういうつもりかね。何の役にも立ちはしない。」と。しかし、得点が及第点スレスレで、あなたが日頃勤勉で、真面目な学生であれば,点を少し負けてもらって及第するでしょう。
良い行い、良い友人、良い思いを持つように務めなさい。人生の目標から目をそらせてはいけません。あなたは、まだこの化身出現の真義を悟っていません。SSSVol1chp5
結婚し家住者として暮らす者も、それによって神我を実感認識する道が阻まれることはありません。妻と子を神からの預かり物として尽くしなさい。五十才になれば純潔な暮らしをしサーダナを実践しなさい。五十才に達するまでに五感を制御する事に成功しなければなりません。六十代の終わりまでには六つの敵、すなわち情欲、怒り、貪欲、執着、高慢、憎悪を征服していなくてはなりません。七十代では七人の聖者、七つの海、太陽光線の七つの色に帰融していなくてはなりません。すなわち、霊性修行によって俗世間の欲望や理想をはるかに超越し、神への帰融のすぐ近くにまで達しなくてはならないのです。八十才になれば、属性においても性格においても神と対等な基本的八徳を司る神々のレベルに達しなければなりません。九十才になれば九つの惑星の位置するより高い領域に昇らなければなりません。百才になれば、人は五つの行為器官の感覚と、五つの認識器官の感覚をコントロールして自分が行為者であるとの思いを微塵も抱かず、行為の果実も欲することのない英知の権化となっていなくてはなりません。もう、その時点では彼と絶対者は一つであり、分離することはありません。SIP2-14
エゴを持ち続けている限り、どのような霊性修行も実践できません。あなたが行ってきた様々な霊性修行が心やエゴ、すなわち「私という意識」を伴って行われたために、あなたは今まで向上できなかったのです。中には「私は肉体である」として、自分を肉体と同一視しながら霊性修行をしている人もいますが、そのような修行はあなたを真の目的地に連れて行ってくれないでしょう。ラーヴァナ、カンサ、バスマースラといった者達はこの部類に属します。~生きとし生けるものすべてのものの内に同じ神聖さを感じ、体験することが真の愛です。STPSp196
あなたの決断がかなえられるまで、根気強くありなさい。これが帰依者の誓いです。これこそが、真の苦行(タパス)と呼べるものです。23/11/00
この世を面白おかしく暮らしている人は大勢いる。あなた方も、嘗て楽しかったし、今も楽しいでしょう。しかし誰もがいつかはこの世を去らねばならないときが来るのだ。そのときは、必ず来ます。そうなのだ。それゆえあなた方は、楽しみばかり求めるべきでなく、もっと別のもの、即ち心の平安を求め、世の手本となるべき理想的な生き方を求めなければならない。
人として生まれた以上、本来持っている人間というユニークな本性を自ら放棄するようなことがあってはならない。人は一瞬たりとも、人間という清らかな特性を忘れてはならない。あるいは、獣のレベルに下落してはならない。さらに、低劣な悪鬼にまで落ちるべきではない。人はしっかりと、自分は堕落しないと決意しなくてはならないのだ。霊性修行のみがこのような決意を喚起し維持し、そのような希求を目覚めさせ、強化することが出来るのだ。LV
あなたは自分が正しいかどうかを常に自分自身に問いかける実践をしなくてはなりません。それが霊的修行です。それにより、自由の本性である思い・言葉・行為の調和一致を理解することが出来ます。自由は本質的に思い・言葉・行為の完全な調和一致を維持することからなります。15/8/93
人は人生の黄昏を迎え、自分のしてきたことのむなしさに気づいてから、ようやく修行を始めようとするのです。~強い決意と共に修行に取り組むには、若い時が一番です。~若いうちから修行に取り組み、修行に親しんでいれば、年をとってからでも大きな進歩が期待できるでしょう。SGc13
いろいろな霊性修行の中で、神の御名を唱えるのが一番効果があります。もしそれが出来ないのであれば、カルマヨガが次に効果があります。それも出来ないというのであれば、神を愛するということだけでもよいのです。神を愛するということだけなら、別に特別な霊的修行や苦行をしなくても良いのです。神を愛するだけで十分です。CWSSBp, 33
成果を一切念頭に置かず行為するということが、解脱の行為の特色です。無私無欲の行為の修行には、真理、ダルマ、平安、信愛を培うことが含まれます。無私無欲の行為を行いつつ至高の神の御名を唱えれば、彼は大きな歓喜と至福を手に入れるでしょう。無上の満足を与えます。この神聖な道を歩めば、至高神おんみずからその人の必要とするもの平安などをすべて、与えてくれるのです。DVJp3
霊性修行することによってのみ霊的解放がもたらせるわけではありません。それは、激性や鈍性の性質を静穏化してコントロールするだけです。浄性の性質はいつも霊的解放への欲望を持っています。人が自らの内に持っている浄性の性質がコントロールされたとき、霊的解放がもたらされるのです。CWSSBp95
如何なる行為をなすにせよ、神への捧げ物として行うことこそ最高の霊性修行です。どのような良い行いをしても、愛で満ちた行為でなければそれは価値を持ちません。30/5/92
全てのものに神を見るならば、あなたは3日のうちに自分の中に潜む神聖な感情が育ち始めるのを感じることが出来ます。さもないと、30回生まれ変わって霊性修行に励んでも何の役に立ちません。11/93SS
神を求める人は、内面を探求する修行に取り組まなければなりません。皆さんが取り組む修行の四分の三の時間を、その為に当てて下さい。そうすれば十分な成果が得られるでしょう。時間を正しく使い、身体と行いを聖なるものにすることで、初めて最高の目標に達することが出来ます。感覚の持つ欠点があらゆる苦しみを生み出す何よりの大きな理由です。感覚の節度を厳しく守り、心を正しい道に向かわせ、強い決意を持つのです。~感覚の節度を守るべきだと言っても、感覚をなくしてしまえとは言っていません。仕事を辞めろと言っていなくて、仕事の結果を求めてはいけないと言っているのです。SGc20
霊性修行を続けていくと、あなたの内からある時、ある種のヨギの力が顕現してくることに気づくでしょうが、それらの力を一切無視しなさい。ひとたびあなたが、アートマの原理を霊性修行において理解することが出来たなら、あなたはそうした力も含めて、一切を手に入れることができるのです。アートマの原理はただ一つしかありません。アートマ原理以外のものを追い求めようとすればれば、真実でないものを求めることであり、流れる雲を追いかけるようなものなのです。23/6/5
神を知ろうと努める人は、侮辱と傷害と責め苦を微笑んで耐えることを、堅く決意しなければなりません。神への道を歩み、そのプロセスに身を投じた人で、中傷と虐待から逃れられた人は誰もいません。16/5/68
三つの霊性修行があります。一つ目は身体の修行で、良いことをする為に自分の肉体を使うことです。二つ目は、言葉の苦行です。神を思い、神だけに心を定めるのです。神の持つ輝かしい特性を讃えるために、上手に舌を使って下さい。本当に人の為になる言葉を話して下さい。人に正しい道を示すために話をするのです。自分が経験した偉大な素晴らしい出来事を、人に話してあげて下さい。人が良くない道に進もうとしていたら、美しい言葉と、甘くまろやかな話し方で、その人の誤りを正してあげて下さい。
心にも言葉にも、ほんのわずかな偽りも混じらせ無い、と言う信念を持って下さい。真実と非暴力を身につけるのです。偽りを口にしてはいけません。とは言っても本当のことを言えないときもあります。言葉の修行に取り組む人にはそういう難しいことも起こりうるでしょう。嘘を言わなくてもすむ道を何とか見つけ出して下さい。どんな事情があっても嘘を言ってはいけません。本当のことが言えない場合は、黙って静かにしているのが一番です。嘘を言うよりはるかに良いでしょう。
三つ目は心の修行です。心の修行によって良い特性を磨いて下さい。心にどんな思いが浮かんでもそれは顔に表れます。だから顔つきは心の窓と言われるのです。どんな思いも顔に表れます。悲しみに打ちひしがれていれば、その気持ちが顔に出るでしょう。そんな風に、心はそのまま顔に出るのです。神聖な思い、神聖な気持ち、神聖な理想に溢れているときにはじめて悦びに満ちた幸せな人生を生きることが出来ます。悪い思いにとらわれているときに、誰かに話しかけられて、微笑みを返したところで、それは作り物の笑顔でしか無いでしょう。
ぎこちない笑顔は、心の乱れをさらけ出してしまいます。心を乱してはいけません。いつも幸せなことを思うのです。どんな時に幸せな楽しい気持ちでいられるのでしょうか。それは神聖な良いことを思うときです。その為にはできる限り心を落ち着かせることが大切です。SGc12
あなた方は多くのサーダ ナ(霊性修行)を行ってきました! あなた方は 行ってきたすべてのサーダナにより、大変高い段階にまで到達していなければなりません! あなた方の日課は、吟唱、バジャン、読書、と霊的な活動がぎっしり詰め込まれています。しかしこれ らすべての霊性修行にもかかわらず、あなた方はまだ到達すべき段階に到達していません。なぜでしょう? わかりますか? 「サーダナ(霊性修行)そのものがあなた方をその段階に連れて行くことはできません。それは自己分析(自己内観)とサーダナ(霊性修行)の両方によって成就すべきものです。霊性修行は自己分析と結びつかなければなりません。なぜなら自己分析のみが、 あなたが人間としてどこで道を誤ったかを指摘してくれるからです」私たちはアートマ(真我・魂)のレベルから行動していません。
「自己分析(自己内観)はあなたの過ちを指摘し、霊的にどこが欠けているかを指摘する手助けになります。自己分析をしないのなら、進歩することはできないでしょう。 今、あなたは霊性修行を 4 分の 1 に減らし、(残りの)4 分の 3 は自己分析しなければなりません。そうすればあなたは急速に進歩するでしょう! 」「あなたがどのように話し、何を聞き、何を行うか、何を食べるか、人生のすべての 歩みを細かく分析(注意して検討)しなければなりません! 私は正しいことをしている だろうか? それは霊的に大丈夫だろうか? 私は正しく考えているだろうか? 正しく 話しているだろうか? 正しいことを行っているだろうか? 」ラニマーへのインタビュー

 *霊性の道
最初に毎日の生活を必要最小限でいいので、充足さすことです。毎日の生活を充足させることが出来なければ、霊性の道を歩む事は出来ません。食べ物や衣服が不足している状況で、どうしてあなたは神のことを思うことが出来るでしょうか?それゆえ私は、私の信者が食べ物や衣服に困らないように気をかけているのです。かといって、そうすることで周囲の人々の困窮に鈍感にならないように、彼らが身に余る資産を持つことはさせません。P, 337 ANDI

 霊性について理解することができない範囲にまで深入りする必要はありません。私たちの日常生活において生命の本質は一つで同じです。貧乏人から億万長者まで、愛の原理は一つで同じです。愛の具現である私たちは、自分が基本的には神であるということを知るべきです。あなたが一旦、自分が神の火花であるということを知ったなら、あなたはあなた自身を救うでしょう。
この自然界に名前と形があるために、私たちはこれに内在する神性を忘れてしまいました。全宇宙が神で満ちているならば、神の社を築くことが可能でしょうか。あなたのハートが神の社です。そこであなたは神の顕現を見ることができます。それは簡単な道です。億万長者といえども衣食住で満足すべきです。彼は金を食べることはありません。だから、私たちが必要とするのは食物です。食物は神です。食物は肉体を維持するために必要です。心的な事柄は幻想と空想に満ちています。今日の人間生活は妄想で満ちています。欲望がその根本的な原因です。15/7/01
今日多くの両親は、子供達が誤った道を歩むことに対して責任があります。また子供も両親から霊性の道を歩むことに反対されても、両親の忠告に逆らう権利があることを心に銘記しなさい。息子と息子の抱く神への信愛の念との間に父親が立ちはだかる時、息子は父に背いてもよろしい。世間的な事柄では息子は父の言葉に従いますが、しかし神との関係においては、あなたはあなた自身の道を歩まねばなりません。結婚に際して花嫁と花婿はダルマの行為、物質的利益、世俗の欲望等々に関しては一致して行為します。しかし解脱に達するためには、妻と夫はそれぞれ独自の道を歩まねばならないのです。27/5/1992

 *霊的愛
真の霊的愛とは一体何でしょう?それは、一切のものを神の現われとみなし、いささかの報酬も求めず、無私の愛を注ぐことです。それが霊的愛です。6/85

*霊的革命
人は人間社会を全面崩壊の寸前にまで追い込んでいます。人はその知性を使って、土地と大気と水を汚染しています。また解脱の道具である心を自分を縛る鎖に変えました。人は、教育、法、政治、商売、科学を通して自らを偏見や、教条主義や、国家エゴの中に閉じ込めてきました。
通信技術の発達に伴い、世界はますます小さくなってきましたが、隣人への愛はどこにも見られません。人類がこれまでに体験した、いかなる革命よりももっと強力で 政治的、経済的、科学的、技術的よりもっと深く普遍的に広まる 根源的な革命が今進行しつつあります。それは霊的革命です。それは、人間の内的視力を研ぎ澄まさせてアートマに関する真実を見ることができるようにします。その影響は、必ずや人類社会全体を包んで豊かにし、人々を神性という無限の海に向けて流れる求道者たちの中に放り込むことでしょう。インドはこの霊的革命を先導するのです。
この革命の手段と目的は愛です。それは世界中の教育、道徳、法律、政治、商業、科学の分野に、愛の泉を呼び覚まします。それは、父なる神と人類同胞という意識を人々にもたらして同胞に奉仕するよう啓発するでしょう。どんな人でも、どこにいようが、どのような身分であろうが、また何を信仰していようともこの霊的革命に加わって、人類を無知から解放するための道具になることができます。Prema Dhara2

*霊的距離
あなたが、内にいるグルに近づけば近づく程、外にいるグルから距離的に遠くなって行くでしょう。「私が霊的に近づくとき、私は肉体的にはあなたと非常に距離を置くでしょう。なぜならあなたは、真の性質(本質)を認知したからです。そのために私は来たのです。
私の主な任務とは、あなたの内なるグルを目覚めさせることです。内なるグルは外にはいません。
外にいるグルが、あなたの霊的道を歩み始めるのを助けますが、その外にいるグルが内なるグルに導くのです。ラニマーとの会話
*霊的光線
人間を構成する霊的光線が、限界のあるエゴでは無く、無限の世界に投射されるという意味は、世界が意識から消え去った時、至福を感じた時、また一時的な幸福を味わった時の状態を掴んでそれを維持し、エゴの感情や思いに再び戻らないようにし、歓喜と至福の性質を持つ霊的光線を発しなさいという意味です。すべての人は実は、真理を知っているのです。あなたがしなければならなことは、その真理を実践して、顕現することです。私たち人間の人間性とは、この歓喜の霊的光線のことに他なりません。CWSSBJp123
私から発生する光線は、三つのグレードがあります。鈍重な光線はプラシャンティを満たします。霊妙な光線は地球全体に満ちわたります。基因の光線は全宇宙を覆います。アシュラムに住めるという特権を持っているものはとても幸運です。なぜならば、そのもの達はキラナ(光線)にもっとも近いからです。鈍重なキラナは人を霊性修行者にします。霊妙なキラナは人をマハトマ偉人にし、基因のキラナは人をパラマハンサ英知の人に変えます。それゆえ、世俗の欲望と野心と、それを達成しようとしてここにいる時間を無駄にしてはなりません。OCSp29

*霊的初心者
  皆さんは、あらゆるものを神と見なし、あなたの行う一つひとつの些細な行為をも神と見なすべきです。これこそがバクティ(帰依)の道です。あなたが、まだ霊的な道の初心者に過ぎない初期の段階においては、神の象徴として、神像や絵や写 真を使っても良いでしょう。しかし皆さんは、徐々にその状態を超越するよう努めるべきです。あなたは、写 真を神として崇めることができます。しかし、神を写真として崇めてはいけません。神の無限の姿を、あなたの小さな写 真の中にのみ限定してはなりません。あなたは、自分が帰依を始めたときの、初歩の段階から、より高い段階へと成長しようと努力すべきです。
  最初の段階は花のつぼみのようなものです。それは一般 的によく見られる初歩的な段階であり、サハジャ=バクティと呼ばれています。それよりも高い段階は花にたとえることができ、ヴィセーシャ=バクティと呼ばれます。そして、それよりもさらに高度の、美徳を通 じて礼拝を行なう、果実にたとえるべき段階があります。これがパラバクティです。花芽がなければ花はなく、花がなければ果実もない。 したがってその三つのものは帰依の道における 自然な段階であり、順々に熟していくものである。KSH

 *霊的生活
愛<プレマ>を身体、感覚、心、知性と関係を持たせることは出来ません。これらと関わりあうものは全て執着であり情愛です。霊的生活のみが愛に満ちる生活です。それゆえ、身体、感覚、心、知性に従属する生活でなく、霊的な生活を送りなさい。身体、感覚、心、知性に関係する生活は利己心、自惚れ、虚栄に必ず束縛されます。21/8/92

 *霊的ヴィジョン
身体への執着と迷いからエゴの本性と機能は益々強められます。エゴが増大するにつれ霊的な希求は弱められます。しかし、霊は衰えることがありません。実際何が起きるかといえば、彼の霊的<アートマン>のヴィジョンが薄れるのです。これから見ても、身体の衝動をコントロールする為のたえざる努力の必要がわかります。27/5/92

 *霊的波長
機械によってそのようなことが出来るのであれば、マントラの持つ神聖な力がより以上のことが出来るとしても不思議ではありません。それには、テレビやラジオの放送を視聴するために正しい波長にあわせることが必要なように、神霊に波長を合わせることが必要なのです。ハートを受信機と観なさい。波長を合わせる道具は集中です。ハートを正しく調節すれば神を体験することが出来ます。それは堅固でゆるぎない集中が必要とされます。27/9/92

*礼拝
バラタにおいては、花をささげ、16種類の奉仕を行うことによって神を礼拝する伝統があります。ところが、この通 常のありふれた礼拝方法よりも優れた、神への礼拝の仕方があるのです。その高度の礼拝方法とは、善良で純粋な想いと、善良で純枠な行動によって神を崇めることです。これは、はるかに優れた種類の帰依であるために、「パラ=バクティ」とも呼ばれています。そのようなやり方を身につけずに、花や物質的な品物だけを用いる、次元の低い礼拝ばかりを続ける人は、いつまでも低い段階のみに留まって、霊的道において先に進むことはできません。とはいえ、初期の段階においては、そのような礼拝の仕方は非常に重要であって、大変有益でもあるのです。しかしこの同じ初歩的な状態にいつまでも留まってより高い段階へと進むことができないとすればそれは善いことではなく、本当に不幸なことであると言えましょう。SSOJHP 「KSH」
古代の聖典で使われている言葉には、すべて内的な深い意味があります。この深遠さはバーラタ〔インド〕の霊的遺産の特徴です。この深遠さを探求することに興味を持っている人はごくわずかしかいません。ほとんどの人は、毎日短い時間、形式的な礼拝をするに留まっています。彼らは何のためにそうした礼拝の儀式を行っているのかを知ろうともしません。祈りの目的と人生の目的を理解することなく礼拝の儀式を行うことは、何の意味もありません。あらゆる霊性修行の究極の目的は、愛の原理(神の愛)を悟ることです。愛を培うことが、あらゆる霊的努力の目的です。どのような状況にあろうとも、愛を放棄すること、無視することがあってはなりません。愛のあるところには、憎しみも、嘆きも、不足もあり得ません。時は過ぎていきます。
あなたたちは皆、年々成長しています。しかし、あなたたちの態度は、わずかしか変わっていません。清らかな思考は、清らかな知識と英知をもたらします。悟りはグニャーナ(霊的英知)を通してのみ、生じ得ます。世の中では多くの人が富や名声や地位を獲得しています。しかし、人生の目的という意味においては、彼らは何を達成したのでしょうか? 彼らの失敗は、一見多様に見えることの下に隠れている一体性を理解できなかったことに原因があります。あらゆる人の中に神聖さを見出すことは、霊的に善良であることの印です。1/1/98

*霊媒
ある人を通じて私が話をするとか、その人を通じて私が質問に答えるなどという人がいます。このような人々は、精神に異常をきたしているか、ヒステリー症か、あるいは亡霊に憑依されているか、またそうすることによって、何がしかのものを得ようと目論んでいるかのいずれかです。
彼らを通じて語っているのは私ではありません。私には霊媒は必要ありません。代理人も補助者も、代行者も必要ないのです。私がそのような人に憑依したり、彼らを通じて話しをしたり、恩寵を授けると考えることは恥ずべきことです。どうしてそのようなことを信じる人がいるのか不思議です。22/11/70
自分の家のスワミの写真から出たヴィブティだ、アムリタだと言って配布する人がいますが、やがてお金を要求するようになります。またある人は、スワミが聖粉を用いて字を書いて交信し、それが私からのメッセージだと称していますが、仮に私が何処かへ行ったとしても、そのようなことは決してしません。あなたが私を見ることができるように、直接行きます。この場所に行けば私のメッセージを受け取れるとか、あそこに行けばスワミに会えるなどのような特別な場所にあなたを呼び出すことはありません。14/5/71
多くの人々が、私が彼らに憑依していると他の人を惑わしています。彼らは、身体を揺らしたり、震わしたりして色んなことを語り、私が彼らを通じて話をしているとかと言って、いろんな質問に答えたり物事を予言したりして金品を集めています。また、ババが夢に現れてあなたにこうしろと言った、などと言う者がいますがすべてインチキです。29/3/65

*老人
一般に、子どもたちは、70歳を過ぎた人間は役立たずで、社会でも家でもお荷物だという印象をもっています。しかし、実際はそうではありません。実に、熱意、勇気、そして、精神的な強さは70歳を越えると増加します。心的能力とアートマの強さは、人が70歳を越えて初めて頂点に達するのです。それまで人は並みの人間のように振る舞い、他の人の手本となる努力をすることはありません。人間の内なる心的能力、神聖な力、意志の力は、70歳を過ぎてから完全に表出し、人が人生において新しい目標を定めることを促すのです。その結果 、老人は人生について熟考し、その神秘を探求するようになります。老人に潜在している神聖な力は、若者がもっている能力を上回っています。その神聖な力は老人の行動においてありとあらゆる形で現れます。 10/2/05

 *若者
他の人に頼るべきでは無く、自らの力と技量に頼りなさい。あなた自身の収入や資産に頼りなさい。自分自身に依存することは、若者が成長する上で一番良い方法です。名誉ある一日の方が、何十年も悪名を冠して生きるよりも良いのです。短命な聖なる白鳥として生きる方が、人に嫌われ石を投げられながら百年生きるカラスよりいいのです。他人の資産をあてにし、不正な手段や不法なやり方で物を得てはなりません。あなたが額に汗して働いたもので生活するならば、誇りと幸せを得ることが出来るでしょう。Vol8p231
青年は、奉仕による真の愛の精神を培い生活を清らかにせねばなりません。移ろい行く享楽と安寧を追うことにより人生をむなしく浪費すべきではありません。6/85
朝早くから夜寝床に就くまで良い活動に従事するなら、それは自然にその人の習慣となるでしょう。まさに、国はそのような若者を必要としています。若者とはだれでしょう? 一般に人々は、18歳から20歳の年齢にある少年少女が若者であると考えています。これは正しくありません。気高い考えを抱いている人だけが若者と見なされるのです。ですから、人は高貴な考えを培わなければなりません。6/5/05

現代の青年が目標としなければならぬことは、信愛の種をまき、忍耐の食物を育てて平安の果実を献身的な奉仕によって社会に配ることです。平安の秘密は外界にあるのではなく、各人の内にあります。全宇宙には神が浸透していることを実感認識せねばなりません。今日世界は争いばかりです。人間と悪魔を区別することが出来ません。動物から進化した人間は、神性に向かって前進するどころか、動物に逆戻りしています。人間の主要な義務は真理、ダルマ、平安、信愛という人間の価値を掲げることです。16/8/96
十六歳から三十歳までの年齢は極めて重要です。というのも、この時期に人生は甘味さを増し、才能と技術と良い態度が備わり、洗練され、そして神聖なものとなるからです。この時期に無私の奉仕という強壮剤を心に投与するなら、青年たちの人生は成功裡に導かれるでしょう。EHV
不正な手段によって貯えられた富は、貧困者の血肉を搾取した結果です。青年たちはそのような不正の奴隷となり、生活の手段として弱者を搾取するような事をしてはなりません。神ですら、そのような利己的な搾取による生活は許しません。享受するだけで、他の人々と富を分かち合わず、貯め込むだけの者は、死後その過ちを強く問われることになるのです。Satya Sai Vahini
今日の青年は、規律のない無益な人生を送っています。青年たちは、どのような規範にも従わず、尊敬と感謝の念に欠けています。犬でさえ深い感謝の念を持っているというのに、青年は年長者を敬わず、自分の親に感謝を示しません。そのような人間に教育は無駄です。そのような人間でも、生計を立てることはできるかもしれませんが、教育を受けていない道端の物乞いでさえ、生きていくための金銭を十分稼いでいます。単に生計を立てるだけなら教育は必要ありません。たとえ三日しか生きられなくとも、あなたの人生は正しい有意義なものであるべきです。
あなたの振る舞いは善良で立派なものであるべきです。もし、正しく振る舞わないのであれば、その人の高い地位や身分に意味はありません。もし、自分は偉大な学者であると主張しても、良い性質をほとんど持ち合わせていないのであれば、その人はどんな評判を得ることができますか? 無学文盲の人ですら、良い性質を持っていれば尊敬を勝ち取ることができます。学位は、人の心〔マインド〕を神にではなく富や社会に向けさせています。人格こそが教育の第一の目的であるべきです。教育を受けた人は、自らの振る舞いと性格のゆえに尊敬されるべきなのです。5/86
柔らかな舌が周りの歯に傷つけられることがしばしばあります。しかし、舌が歯 に傷つけられたからといって、歯を罰することはありません。なぜでしょう? 歯 も舌も自分のものだからです。同じように、他人が自分に危害を与え、非難したと しても、それでも、その人たちを許すべきです。青年にとって、この「許す」とい う精神はとても重要です。青年時代はカッとしやすい時期なので、もし誰かが何か を言えば、すぐに怒ってしまいます。これは大きな誤りです。怒りは人間の性質で はありません。平安と忍耐を培うべきです。自制は真理であり、許すことは正義です。忍耐はヴェーダです。寛容は非暴力であり、神聖な礼拝です。寛容によって、あらゆる幸せが得られます。寛容の精神は、他の人々に実践することによって培う 必要があります。寛容を身につけることは、真のダルマです。私たちはこの正義の 道を歩むべきです。16/7/97

 *私
私が私自身を愛するとき、それはあなたを愛しているということなのです。あなたがあなた自身を愛しているとき、それは私を愛しているということなのです。実は、我々は一つなのです。私は、私自身を私から切り離してはじめて、私自身を愛することが出来るのです。Living Godp358
私たちは、感覚の対象物から喜びを得ることが出来ます。しかし、それらを味わっても、これは私のものだ、という感覚を持たないようにすべきです。すべては、神のものです。私は神の所有物をどのように使わせていただけるのかと、問わなければなりません。27/5/95
心は純粋な愛で満たされるべきです。感覚の対象への執着を育ててはなりません。自分自身の心を汚してはなりません。そうして初めて本当の幸福を体験するのです。この世界のすべての人々は、自分自身のために、何を変革し、何を正さなくてはならないか、何を達成せねばならないのかを細かく検討しなくてはなりません。それに応じて身を処さなければならないのです。そうして初めて人は本当の人間らしさに気づくのです。
「私」と呼ばれる神は、あらゆる人間に内在しています。この「私」という神が、ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神として受け取られることはありません。これらは、神を認識するために人間が神に帰せた名前です。名はそれほど重要ではありません。本当の神は「私」なのです。「私は私である」。 私たちはブラフマー神を創造者、ヴィシュヌは維持者、そしてシヴァは破壊者と考えています。私達が憶念するその神の姿で、神はそれぞれの人にダルシャンを与えるのです。17/2/07
個我の「私」は、自分が限定されたものであると信じていますが、それは錯覚です。個我の「私」は、自分を有限のものだと思っていますが、普遍なる神霊と同一です。この気づきは、英知のひらめき、あるいは、普遍的な愛の閃光を通して、人にもたらされることができます。これは、自分は愛そのものだったんだ。と気付く自己確認の行為なのです。11/70
あなたを身体と同一視することは大きな誤りです。身体への執着を放棄し、アートマの意識を育みなさい。そのときにのみ、あなたは自分の真の姿、すなわちアートマを理解し体験するでしょう。そうでなければ、胃痛や頭痛などの実にささいな身体の不調でさえもが、あなたを不安に落し入れるでしょう。身体の病は過ぎゆく雲のようなものです。あなたが肉体意識に惑わされている限り、あなたはその意識に影響されるでしょう。いったん身体への執着を放棄すれば、あなたはもはや身体やその限界に縛られることがありません。
瞑想して座っているとき、あなたは身体を忘れます。瞑想とは、身体への執着を放棄しアートマの意識を育むことを意味します。すべての人は、自分自身のことを言い表すときにアートマの原理である「私」という言葉を用います。それゆえ、あなたは身体に結びついているのではありません。身体は単なる道具です。「私」があなたの真の自己です。あなたは、「私」と何度も繰り返すかもしれませんが、それでもなお、「私」は単数のままです。そのような一体性の原理が、すべてのものの中に存在します。それは、あなたにとっても私にとっても同じことです。何の違いもありません。
あなたが、身体への執着を手放さないなら、あなたが受けるすべての教育は虚しいものとなるでしょう。自分は身体ではない、ということを理解しなさい。あなたは「私」です。この真理を決して忘れてはなりません。肉体としての姿は移ろいゆくものなのです。5/10/03
私という意識と、感覚や肉体との間には何の関係も無いのだ。私は肉体からも心からも分離しているのだ。私とは、自分が肉体であるとの意識、あるいは心の内的行動なのである。人が、それ自身の上に、実は何の関係もないものを付託して私は元気です、と言う。感覚に関しても同じ過ちをして、私は口がきけない、と言う。人は、これが欲しいあれが欲しいと言い、それ自身の上に心の活動を付託する。全てこれらのことは、単なる付託投影なのだ。根本的真理は、永遠、真理、パラムジョーティ、パラマートマ、アートマン、唯一者のみがあるだけなのだ。SDMp70
さあ皆さん、私のうちに、あなた自身を見なさい。なぜなら私は、あなた方全ての内に私自身を見ているのだから。あなたは、私の生命であり、私の息吹、私の魂…あなた方は皆、私の化身なのです。私があなたを愛する時、私は自分自身を愛しているのです。あなたが自分自身を愛する時、あなたは私を愛しているのです。私は私自身でいられるように、私自身から私を分離したのです。私は私自身でいられるように、私自身から私自身を分けて、この世の全てのものとなったのです。 私は私自身になりたかった。私自身 、それは至福の化身、愛の化身…それが、本当の私であり、私はそれになりたかったのです。どうすれば私は至福の化身、愛の化身になれるのでしょうか。どうすれば至福を得て、それを与えることが出来るのでしょう。私は誰に至福を与え、誰に愛を与えることが出来るのでしょうか。それゆえ私はこのようなことをしたのです。つまり、私は私自身から私を分かれさせて、この世の全てのものとなったのです。PD27
二つの私があります。一つはエゴであり、それは常に自分が私であると主張しています。もう一つの私は、永遠の照覧者であり、それはスワミに他なりません。もしあなたが、照覧者を意識することができれば、エゴであるもう一つの私に邪魔されることはなくなり、そのエゴの存在があまり気にならなくなります。CWSSBJp265
「私は肉体ではない。私のものなど何もない」――これが皆さんが知るべきことです。「私はだれか?」と自らに問いなさい。皆さんは「私は私である」という回答を得るでしょう。この真理を理解し、体験したなら、だれも皆さんを苦しめることはできません。自分はただの人間にすぎず、神と自分は別個のものだ――という二元論的な感覚に浸っている限り、苦しみから逃れることはできません。私とあなたは別のものである――という感覚は、皆さんが作り出したものです。「私」と「あなた」が結合すると、「私たち」になります。けれども「私たち」+「神」は、不変なる「神」となるのみです。「私」と「あなた」は常に変化し続けます。25/12/03
人の悲しみと不幸の原因は、所有感から生じる財産や地位への執着です。永続する幸福を味わうには、「私」と「私のもの」という感情を取り除くよう努力奮闘しなければなりません。すべてが順調に進んでいるように見えるとき、人は自分自身を含む一切を忘れます。そうして業績と獲得を得た結果、エゴが膨れ上がります。 自分は、自分が所有している物の一時的な受取人に過ぎず、それらのどれ一つにも永久の所有権はないということに気づくべきです。
人は、権力や地位を、それら自体に関連する義務を果たす責任を伴う、道徳的な任務と見なすべきです。あらゆる行為をこの道徳的責務の精神で行ったときにだけ、人は純粋な幸福と満足を味わうことができるのです。5/86
「私」の原理はあらゆる場所に存在しています。その原理は神自身と共に始まりました。最初の言葉はアハム「私」でした。プラナーヴァ(オーム)でさえ、アハムの後に生じました。あらゆる創造の前に、アハムだけが存在していました。そのアハムは多になりました。
普遍的なアハムと自分が「私」と見なすものが同一であると悟る者のみが、自らの真実を知っています。普遍的な「私」は、時間と状況に応じて、さまざまな体のさまざまな名と姿をとって現れます。同一人物であっても、一生のうちに外観や人間関係に多くの変化をもたらします。しかし、「私」は変わることなく留まります。それは俳優がさまざまな扮装をするようなものですが、俳優自身は同一人物です。「私」(アートマ)という変化しない普遍的人格を実現することこそ、霊的探求の最も重要な目的なのです。30/3/87
二元性の感覚は、「私」(アハム)が特定の名と姿を身につけたときに生じます。アハムカーラ(エゴの感覚)は、姿形の変化の結果です。名と姿から自分を引き離したとき、初めて人は自らの真の神我を発見できるのです。本質的な神性を忘れて、自分を変化する一時的な姿と同一視していることが、束縛と悲しみの原因です。この不当な同一視の原因は心です。それは、心が外界と関わるため、感覚器官を通じて受け取る印象と関わるためです。心の仕組みを理解すれば、心を超越しているアートマの実体を、一つの遍在なる不変の原理として体験するでしょう。30/3/87

 *悪い考え
たとえほんのわずかでも悪い考えを心に、入らせないように気をつけなくてはいけません。心をほんの少しでも汚してはいけないのです。汚れたものが居座ろうとしたら、直ちに追い出すべきです。たいしたことは無いから大丈夫だろうと考えて、汚れたものを居座らせてしまうと、それは害をもたらし、心の中でみるみる大きくなってしまいます。
ですから感覚器官の働きを良く知って、その正しい扱い方を心得れば必す皆さんのためになります。そうなればもう感覚器官に惑わされることは無くなります。感覚器官の虜になってしまったら、安らぎも悦びも味わうことは出来ません。SGc17
悪い思いや行いが自分を幸せにすると思っている間は、あなたはその考えを持ち続けます。けれども、それらが危険だと分かれば、あなたはそれを欲しがらなくなるでしょう。ですから、まず、自分の悪い性質を見つけ、次に自分が完璧になるまでその悪い性質を一つずつ徐々に捨てていきなさい。
また奇妙なことに、求道者の中には一定の期間激しい規律に耐え、その間はほんのわずかな悪いところも無い完璧な生活を送っていたのにも関わらず、自分で公言したその修行期間を過ぎると、昔の悪い習慣が倍になって戻ってしまう人もいます。これは大きな間違いです。
一定の期間だけ人を捕らえるものはまがいものです。この場合、その人が悪い習慣をから抜け出したのは、その悪い影響について気づいたからではありません。起こりえる弊害と悪い影響悪い影響に関する十分な知識を身につけて、自分の悪い習慣を取り除くようにしなさい。STPSp212

私は、皆さんの信仰を再確認、再構築し、回復させなければなりません。皆さんが幸福でダルマに基づいた人生を送れるように、正しく強い基盤を敷かなければなりません。皆さんが世俗的で、官能的な快楽の犠牲にならないように、アートマへの信頼を打ち立てなければなりません。
皆さんの祈りは世界平和をもたらさないかもしれませんが、あなた方一人ひとりが自分に貪欲や暴力と言った悪い性質があるかどうか検証しなさい。この道は厳しく、険しく、困難な道です。しかし、皆さんはこの道を辿らなくてはなりません。これ以上グズグズしていてはなりません。あなた自身やあなたの人生について把握するために、皆さんがこれまで長い間、野放図にして来た悪い性質を許してはなりません。すぐにそれを手放しなさい。STPS2p275

*悪い習慣
小さいことをおろそかにしてはいけません。あなたが、瞬間、瞬間に行う幾万という小さいことが習慣となり、性格や個性を歪ませます。それらはあなたの知性、見解、理想、志望を形作ります。悪い傾向の奴隷とならないうちにそれらに立ち向かいなさい。真剣に努力すれば成功は確実です。真善美pt2p136

*悪い仲間
悪い人たちには、決して心を向けないようにしなさい。悪事を企む人々や悪行に耽る人々と関わらないようにしなさい。腹黒い人や品行の悪い人とは、絶対に友情関係を持たないようにしなさい。あなたは次の四つの特質(友情、慈悲、他者の進歩に幸せを感じること、無執着)によって人生の目的を達成することが出来ます。ですから、自分と同じレベルの人々とは友好的に接し、貧者や困窮者には哀れみぶかく接し、他者の進歩を自分のことのように喜び、悪い人には近づかないようにしなさい。これらの四つの特質が実は人生の目的だとも言えるのです。これら四つの特質を培うには心の純粋さが必要です。心の純粋さを育むには、偏在する神をあらゆる創造物、生き物の内におられるということを感じとることです。STPS2p73
神もまた、悪い人の仲間に加わる人を罰します。だからこそ、『急いで悪い仲間から離れなさい。そして善い仲間に加わり、日夜有徳の行為に携わりなさい』と言うでしょう?5/7/01
他人の誤りについて考えると、あなたにもその人の誤りが生じます。悪い人と向き合い、敵対すればあなたはその人を負かそうとして、その人より更に悪くなってしまいます。、他人の誤りを指摘することさえ避けなければなりません。あなたが、他人の誤りを指し示すとき、残りの三本の指は、あなたを指すというではありませんか。悪い事と、善を切り離すことをヴィバーカヨーガと呼びます。
悪い事や好ましくないこととは、袂を分かつべきなのです。日本には、京都という街があります。そこで一人の女性が、汚れた着物の束をきれいな白い風呂敷に包んで通りを歩いていました。ある人がその包みの中身を尋ねたところ、その女性は、「私は、人にきれいなものだけを見てもらいたいので、こうして汚れた着物を白い風呂敷に包んでいるのです。」と答えました。他人の欠点を見つけ、他人を物笑いの種にしたり批判することは、決してしてはならないことなのです。STPS2p16
人は特定の場所や人と関係を持つことに注意しなければならない。悪い仲間との関係は断ち切らねばならない。悪がはびこっている場所から離れなければならない。悪いバイブレーションを発している人から、人は影響を受けるのだ。学生諸君は悪い仲間と絶対付き合ってはいけません。悪い特性は、伝染しやすいので良い人々と交わるように努めなさい。人は生まれてきたとき創造主から首飾りをかけられていました。それを忘れてはいけません。首飾りは、彼が前世でなした善行と悪行の果実から出来ています。常に良い事を思い、良いことを行いなさい。神が与えてくださった全てのものに対していつも感謝しなさい。24/5/90
まず、悪い仲間との交際を絶たねばなりません。心が道徳的に賢固になれば、誰と交わっても大丈夫です。しかし、今の皆さんはハートがやわらかく心が十分に発達しきっていないのですから、誰とでも自由に交わってはいけません。霊的に未熟なあなた方は、全ての人と一様に交わるべきではありません。SS5/93
今日の世界に見られる動揺や不安の原因は、人間の邪悪な思考にあります。悪い思考を取り除くには、まず悪い仲間から逃れなくてはなりません。そして、善い仲間に加わるようにしなさい。そうすれば、自分の周りのすべての人に善のみを見るようになるでしょう。
あなたを憎んでいる人にばったり出くわしても、悪い感情を返してはなりません。互いに相手に怒りと憎しみを示すなら、緊張感が高まるでしょう。そうする代わりに、愛をもって挨拶(あいさつ)しなさい。そうすれば、相手も愛情を返してきて、あなたの友となることでしょう。話す言葉は、友情の絆(きずな)を強める上できわめて重要な役割を果たします。ですから、穏やかに、優しく話しなさい。快い話によって、この世界に行き渡っている憎しみと怒りを鎮圧することができます。愛は愛をもたらします。2/4/2003
 善良に見え、優しく話しはするものの、その心の中は邪悪な感情で溢れている人々がいます。そのような人々に対しては注意し、遠ざけていなさい。実はそのような人々のために、現代社会は混乱に陥っているのです。9/10/02

 *悪口
他の人の悪口を言うことは,とりもなおさず神の悪口を言うことです18/8/96
人の悪口を言ってはいけません。どうしてもその人のことを話さなければならないときは、その人のいいことのみを話しなさい。すべては良いことなのです。もしあなたが欠点を他の人の中に見たなら、それは自分の中に同じものがあるからなのです。もし誰か、関わりたくない人がいるのなら、その人と距離を置きなさい。しかしその人の名を汚すようなことを他の人に話したり、それに関する話をしたりしてはいけません。Vol7 SSSp49
皆さんは人々を助ける事によって何らかの困難を体験しなければならないとしても、それをすべきです。また、決して他の人々の悪口を言ってはなりません。それは、同じアートマが、すべての生き物に浸透しているからです。もしあなたが、他の人を罵れば、それは自分自身を罵ることと同じです。もしあなたが彼らを好きでないのなら、彼らから離れていなさい。しかし、決して彼らをののしってはなりません。もしあなたが自らの悪い性質を取り除かなかったとすれば、どれだけ善い事をしても何の役にも立ちません。もしあなたが他の人々に善い事をすることができないのであれば、少なくとも、親切な話し方をしなさい。あなたは他の人にいつも親切なことをしてあげられなくとも、親切な話し方ぐらいはできるはずです。
もし誰かが苦しんでいるのを見つけたら、その人を助けるように努めなさい。きょうはその人が苦しんでいますが、明日になればあなたの苦しむ番かもしれません。このことをいつも心に留めておきなさい。いかなる人も、痛みや苦しみを避けることはできません。常に万人の幸せのために祈りなさい。そういうことを心に命じて、初めてローカ サマスター スキノー バヴァントゥー(世界のすべての人々が幸せでありますように!)という祈りが唱えられることが出来るのです。25/12/02
古代から延々と続くこの国の神聖な文化は、他の人の成功や富や進歩に我慢が出来ないという人々の不純さによって汚されてしまいました。もしあなた方が人を助けることが出来なかったとしても、人を苦しめたり傷つけたりしないようにしなさい。それだけでも大きな奉仕だといえるのです。
他の人の過ちをとがめ、悪口を言う権利があなたにあるのですか?あなたが、神の意思以外にこの地球に起こりえることは何もない、といって口先が乾かないうちに、どうしてイライラしたり怒ったりするのですか?あなたの義務は、あなた自身とあなたの内的な純粋さを浄化さすことでしょう?そのように努力すれば、あなたは良い人々と結びつくことが出来、あなたの内からあふれ出す力と喜びを見い出すことになるでしょう。SSSvol1p72
たとえ誰かがあなたを罵ったとしても、気にとめてはなりません。というのも、悪口を言う人は、あなたの真我をではなく、肉体を罵っているだけだからです。たとえば誰かがあなたを悪い人だと言ったとすれば、そう言われただけで、あなたが悪い人になるのでしょうか? 
もし実際に、あなたの中に悪い点があるとすれば、それを無くすように努めなさい。このカリの時代には、自分の望みがかなえられないという理由で、神の悪口を言う人がたくさんいます。これは、あらゆる国に共通した普遍的な出来事です。皆さんは、そのような清らかでない低劣な想いに負けてはなりません。23/11/2000

神様の約束

ババは、2020年を過ぎるまで人間の姿をして留まることを私たちに確約して下さいました。
The Life of Bhagavan Sri Sathya Sai Baba クストゥーリ1971年
私の言葉は決して間違いません。必ず私が意思したことが起こるのです。
SSS1-31
ババは次のように述べておられます。

@プレマサイが生まれる時は、世界は既に平和になっている。
@スワミはゴールデンエイジを導きますが、それは予期するより早くやってくるでしょう。その、ゴールデンエイジの美しさは、誰も想像することが出来ません。それは、あらゆる夢より遥かに素晴らしいものとなるでしょう。
@変化は普遍的なもので、あらゆる場所で起こるでしょう。
@サイの国が創られるでしょう。その地上の天国を体験出来る人々は本当に恵まれています。
@全ての争いが、間も無く地球から一掃されてしまうでしょう。誰もが神聖な気持ちを持つことになるでしょう。全ての人が、神の至福を楽しめるようになるのです。間も無く、国中が平和と幸福を享受出来るでしょう。いかなる困難や苦しみも消え去ってしまうでしょう。
@全ての国の人々が、一致団結する事でしょう。
@スワミの名と姿が、あらゆる場所で受け入れられるようになるでしょう。それは世界のどんなに小さな街角でも、くまなく占める事になるのです。
@サイの集会に行けば立錐の余地さえ無くなってしまう事でしょう。
@サイの組織の会員は将来大きな利点を得るでしょう。サイの集会はたくさんの人が集まり過ぎて一般の人々は、入れなくなるかもしれません。サイの会員だけが出席出来るようになるでしょう。
@全世界がサイの組織に変わって行くことでしょう。そして、このサイが全ての人々の心の中に祀られるようになるでしょう。
@全ての国々がインドに敬意を表するようになるでしょう。インドは、文化的、政治的、社会的、経済的に、あらゆる面で世界のリーダーとなるでしょう。
@将来全世界がプラシャンティニラヤムに来ざるを得なくなるでしょう。
@私たちは皆、プッタパルティがクリシュナの生誕の地のような聖地となるのを見るでしょう。世界のどの国が発行する世界地図にも、プッタパルティを重要な場所として表記するようになるでしょう。
また、事態は改善され多くの人々の人生は、幸せで喜びに満ちたものとなるでしょう。
多くの人々は、世界の事態が改善されゴールデンエイジがやって来ることに疑問を持っているかもしれませんが、このダルマの化身の肉体は、ただの小さな仕事のためにやって来たのでは無いと断言します。この化身は人類を襲う危機を回避する事に成功するでしょう。SAPp31
人々が目覚める日はすぐそこに来ています。その時が来れば、神の本当の力を目にすることでしょう。というのも世界中で神が現れるからです。
SSSAFH by Satya Pal Ruhela

ノストラダムスも、
三つの水が合う場所が一人の人を生む
彼は木曜日を彼の聖日に選ぶ
彼の言葉、支配 、力は、東の嵐のただ中を、陸と海を越えて広がるだろう
予言四行詩1巻:第 50

全ての人々が、木曜日に礼拝にやって来る時
大地と空は大量の水を凍らすだろう
世界の隅々から彼を礼拝するためにやって来る
そして且つて無かった美しい光景を見るだろう予言四行詩10-71

三つの海とはサイババさんが生まれ育った南インドがインド洋、ベンガル湾、アラビア海の三つの海に挟まれていることだと思われます。
そして、もちろんサイババさんの日は毎週木曜日です。そして、人々は見たこともないような美しい光景を見ることでしょう。


また、聖書も、
その時、人の子のしるしが天に現れるであろう。またその時、地の全ての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とを持って、人の子が天の雲に乗って来るのを見るであろう。また、彼は大いなるラッパの音と共に御使いたちを遣わして、天の果てから果てに到るまで、四方からその選民を呼び集められるであろう。マタイ24/30~31
すなわち、主が自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下って来られる。テサロニケ第一の手紙4-16
見よ、彼は、雲に乗って来られる。全ての人の目、ことに、彼を刺し通した者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また、地上の諸族は皆、彼ゆえに胸を打って嘆くであろう。然り、アーメン。ヨハネの黙示録1-7
だから目を覚ましていなさい。いつの日にあなた方の主が来られるのか、あなた方には分からないからである。マタイ24-44
その日その時は、誰も知らない。天にいる御使いたちも、また子も知らない。ただ父だけが知っている。マルコ13-32
ちょうど稲妻が東から西に閃き渡るように、人の子も現れるであろう。マタイ24-27
その時、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。マルコ13-26

ここで言う人の子とは、人の形をした者の事です。サイババさんも、空に現れると言っておられる。

ヨハネの黙示録にも次のようにサイババさんの事を次のように表現してる。
また私が見ていると、天が開かれ。見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っておられるお方は、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦う方である。その目は燃え盛る炎のようで、頭には多くの王冠があった。また彼以外には誰も知らない名がその身に記されてあった。彼は、血染めの服をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。そして、天の軍勢が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗り、彼に従った。その口からは、諸国民を打つために、鋭い剣が出ていた。彼は鉄の杖を持って諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。その書物にも、「王の王、主の王」という名が記されていた。ヨハネの黙示録19-11-16

サイババさんは別名カルキアヴァターと言い、白い馬になって現れることになっています。だから、アシュラムの降誕祭では、いつも白い馬に山車を引かしておられます。
そして、サイババさんはこの世界を千年に渡って金と権力、不正と虚偽で支配して来た者共を次のようにされると言っておられます。

また私が見ていると、一人の御使いが、底知れぬところの鍵と大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経た蛇を捕まえて千年の間つなぎおき、そして、そこ知れぬところに投げ込み、入り口を閉じてその上に封印し千年の期間が終わるまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。ヨハネの黙示録20-1-3

イエス御自身もこのようにサイババさんの事を言っておられる。


私には、あなた方に言うべきことがまだ多くあるが、あなた方は今はそれには耐えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなた方をあらゆる真理に導いてくれるであろう。ヨハネ16-12-13

サイババさんの本当の名前は、サッチャサイババ。つまり真理を意味する。

また、一時期ブームになったアガスティアの葉の予言にも、 スワミの再臨について述べた以下のような記述がある。
主は、現在の姿かたちで、自身をビジョンとしてお見せになるだろう。それは彼の現実の身体の本物のビジョンだろう。それは多くの者に目撃され、見たものは驚異の念に満たされるであろう。(中略)シヴァ神は言われる。ビジョンはインドだけではなく、全世界で目撃されると。それは同じ形で、色々な場所で目撃される。多くの人は驚きに満たされて、あそこで、ここで彼を見たと言うだろう。事実彼は、同じ時間に多くの場所で多くの人達に目撃されるだろう。
主の到来は、雷を伴った大きな嵐を前触れにして起きるだろう。それは非常に恐ろしく見えるが、風は突然止み、主の御姿が現れるだろう。この日以降、偉大な出来事が増して行くだろう。
“Sacred Nadi Readings” シュリ ヴァサンタ サイ著


間もなく、私に名前と姿が至る所で見られるようになるでしょう。地上の全ての場所をそれらが覆いつくされることでしょう。“God Descends of Earth” p. 37
あなたは、将来スワミの栄光を目撃する事でしょう。スワミは全世界を引きつけます。会場は、立錐の余地さえ無くなるでしょう。16/3/03
サイババを、単なる身長1m60cmの人と見てはなりません。ババの存在が全世界に存在することを感じれるでしょう。待っているのです。間も無く世界中がやって来るでしょう。19章28巻
アメリカは言うまでもなく、日本、ドイツ、イタリア、フランスなど、主要な先進国において、プッタパルティは無視出来ない場所とみなされるでしょう。どこに行ってもプッタパルティは世界地図に重要な場所として示されるでしょう。19/11/1999
ゴールデンエイジが始まる印は何でしょうか、という質問にはサイの栄光が世界の隅々にまで広がります。それは今の千倍にもなる事でしょう。サナザナサラチ12/1993
間もなくすれば、皆さんにも分かるでしょう。神の栄光が日を追って高まり皆さんに喜びと至福を与えるでしょう。あらゆる騒乱は地上から一掃されるでしょう。16/3/2003
アヴァターから恩恵を受けようとして何百万人もの人々が集まってくる日が急速に近づいています。私は皆さんに、あらゆる恩寵とあらゆる至福を出来るうちに手に入れておくようにと助言します。SSSvol11chap41

また、サイの組織についても
サイオーガニゼーションは、今は規模が限られているかもしれませんが、時が経つに連れて、多くの人を引き付けるようになり、一般の人々を会合に収容しきれないようになるでしょう。利用できる空間は、全てサイオーガニゼーションの会員に割り当てられるようになるでしょう。ですから、サイオーガニゼーションのメンバーでれば機会が手に入ります。MBAI
全世界がサイオーガニゼーションへと変わって、サティアサイは全ての人のハートの中に祀られることになるでしょう。SS1/1999

また、六千年近く前に記された有名なインドの叙事詩マハーラータの一節にサイババさんの事が予言してあります。
悪がこの地上にはびこる時、私は徳の高い人物の家庭に生まれ、人間の身体をまとい、全ての悪を根絶して平穏を回復させるであろう。正しさと道徳を保護するために、行動する時節が到来すれば、私は人には想像できない人間の姿を取る。罪の時代であるカリユガにおいて、私は肌の色の濃いアヴァターの姿を取って、南インドの家庭に生まれるであろう。このアヴァターは、大いなるエネルギーと、素晴らしい知性と、偉大な力を備えているだろう。このアヴァターは、使命遂行に必要なものは、彼が思うとたちまち、意のままに手にするであろう。彼は美徳の力によって勝利を収めるであろう。彼は世界に秩序と平和を取り戻す。このアヴァターは真実の時代の新しい扉を開け、スピリチュアルな人々に取り囲まれる事になるだろう。
彼はスピリチュアルな人々から賛美を受けながら、地球の上を歩き回るだろう。

忍耐強くしていなさい。時が来ればあらゆるものがあなたに与えられる事でしょう。
幸せでいなさい。何も心配する必要はありません。
皆さん全てが聖なる魂なのです。そして、来るべき新たなゴールデンエイジの幕が上がる時、皆さんはそれぞれの役割を演じることになるでしょう。SS10/1996

この世界には、神の御名ほど強力な守護の力は存在しないことを覚えておきなさい。世界を救うのは武器や爆弾ではありません。神の恩寵のみで世界を守るようにするべきです。
神の恩寵を求めて祈ることこそは、人としての第一の義務です。祈りはこの上なく重要です。SSS24
純粋な祈りを通じて、山のような悪も粉砕され取り除かれます。SSS13chap26

何も心配する必要はありません。何を体験しても、何が起きても、このアヴァターがそのように意志したのです。このアヴァターがやって来た使命を、一瞬たりとも遅らせることができる力は、この地球上に存在しません。SS10/1996

サイババさんに食事や自分の家を提供し、多くの仕事をする機会を得たスッバンマは、サイババさんに一つのお願いをしていました。
サイババさんはそれを必ずやるとスッバンマに約束しました。
その願いとは、死水を取ることでした。でも、スッバンマが亡くなった時にはサイババさんは来られなかったのです。
丸一日経ってから、来たのはいいけど手遅れでした。火葬の木も積み上げられていて、蟻が身体中を這っていました。
サイババさんが到着した時、スッバンマの家族はサイババさんの顔を睨みました。
スッバンマはあなたの事だけに人生を捧げて来たんです。亡くなる直前まであなたの事を思い、あなたの名を呼んでいました。
あなたがスッバンマに約束した事は果たせません。もう手遅れです。と泣きながら言いました。

でも、神さんが言葉として発しられた音は必ず実現するのです。
言霊なのです。空に現れる事も、何千もの姿をとって世界中に現れる事も、至福の千年をもたらすことも、世界中の人に食されている罪なき生き物が苦しみから逃れられることも、全ての人が神を愛し、人類愛に満ち、愛に生きていく時代がやって来るのです。
そのようになると神さんが私たちに約束されたのです。
そうです。私たちは救われたのです。
神さんがスッバンマとの約束を守られたように…。
スワミ、あなたのスッバンマが、昨夜亡くなりました、と言いながら人々が駆け寄って来ました。
すぐに私は車の向きを変えて真っ直ぐブッカパトナムに駆けつけました。彼女の遺体はベランダに安置されて、布がかけられていました。
家全体が悲しみに沈んでいました。スワミは一旦約束をしたら、どんな事があってもそれを守ります。私は遺体を覆ってある布を取りました。彼女は昨晩亡くなっていたので、全身を蟻が這っていました。
私が、「スッバンマ」と呼ぶと、彼女は眼を開けました。このニュースは、たちまち野火のように広まりました。
ブッカパトナムの人々が、スッバンマが生き返ったと言いながら、その場に詰めかけ始めました。
スッバンマの母親は、当時100才でした。私は彼女に、コップに水を入れて、その中に一枚のトゥルシの葉を浸して持って来るように言いました。
私は、トゥルシの葉をスッバンマの口の中に入れて、水を少し飲ませました。私は「スッバンマ、私は約束を守ったよ。さあ、安らかに眠るがいい」と言いました。彼女は、「スワミ、これ以上何が必要でしょうか?私は至福に満ちてあちらへ参ります。」と言いました。
そして、歓喜の涙を流しながら、私の両手を取って、息を引き取ったのです。
私はこのように、いかなる状況の許でも必ず約束を守ります。このように、私は決して約束を破りません。20/10/2002
今はスワミの真実を認識出来ない人々も、日が経つに連れて、後悔の涙を浮かべて戻って来てスワミを体験しなければならないでしょう。
間もなく、これは世界的なものとなります。スワミは今、こうした事を起こるのを抑えています。
しかし、一旦それが起こることを許されれば、全世界がプラシャンティニラヤムに変わるでしょう。SSS15-55

1976年6月 ウータカマンドでの御講話


(スワミは、インドの地図とサンスクリット語が描いてある直径10センチメートルほどの銀のメダルを物質化された後、講話を始められた。)
 このメダルには、これから将来にわたってインド各州に設立されるであろう大学や記念塔などが描いてあります。この身体はあと46年間生き続けます。(2022年)そしてその間、インドで何が起こるかが、このメダルに示してあります。このメダルにはまた、インド各州のリーダーになるであろうサイ大学の学生達の名前も書いてあります。
~近い将来、インドの霊的遺産を、ここにいる若者達が世界中に広めるであろう。学生達を出来るだけ簡素に保っておけば、私が彼らを世界のリーダーに育て上げるであろう。このメダルには未来における世界のリーダーの資質や、性格、赴き先などが書き記してあります。ここにいる若者達は、自分にどのような未来が待っているのか案じているが、私はこのメダルに、将来においての各自の指針を書いておいたので、これらの指針に注意深く従い、他の者の模範となって欲しいと思っています。
近い将来、あなた方はスワミが様々な姿を取ってあなた方の前に現れるのを見るであろう。このような素晴らしい機会を逸しないように、努力して私の教えに従いなさい。神の計画を世界に顕す為に、私はこのような教育機関を設立したのです。
ごく近い将来、あなたは私がマンディールにいる同じ時に、別の私をあなたのクラスルームで見るでしょう。そして私がクラスルームにいる間に、人々は別の私が講堂にいるのを見るでしょう。私が講堂で講話をしているときに信者達は、私がマンディールでアラティを受けているのを見るでしょう。あなた達はそのような体験を近い将来するのです。あなたはこのような体験をし、その体験によって得た至福を世界中に広めるでしょう。これが、この教育機関を設立した主な目的です。私はインドの伝統的な文化、古代からの叡知を現代に甦らすでしょう。こういうことがもうすぐ起こるのです。甦ったバラタの古代の叡知はこれからずっと続き、あなたがたは世界中にダルマを教え広めるという機会が与えられるのです。勝利はどんどん近づいてきており、あなた方は必ずその使命を成し遂げるでしょう。
未来については、あなた方にはよく分からないかもしれませんが、私には私の意図した計画が、実現するのがはっきりと見えています。今、私の神聖さを無視している連中も、私の元にひれ伏すようになるでしょう。間もなく、私の神聖さはすべてに知れ渡るようになるのです。私は意図的に私の神聖さが世界に広まるのを遅らせています。しかし、一度、私が私の真の姿を顕現すれば、すべての世界がプラシャンティニラヤムになることでしょう。
少なくとも、今日この日からスワミの神性な教えに従いなさい。今日この日からあなたはスワミの教えに従い、堂々と胸を張って世の中を渡っていくのです。将来、あなたはこのような機会を得ることが難しくなるかもしれません。また、私に近づくことさえ叶わなくなるかもしれません。何十万人もの人々がここにやって来るからなのです。そのようなときに備えて、あなたの人生を、スワミの愛が得られるように奉仕と愛で満たしていなさい。
人は、ダイヤモンドを小さなかけらにカットします。小さなかけらとなってもダイヤはとても高価です。花を剪定すればよりきれいな花が咲きます。剪定をしたことにより、花の美しさは極まり、それを見る私たちも幸せになります。同じように、サイの組織や教えも邪悪な者どもの嫉妬心により妨害を受けたり、批判をされたり、侮辱されたりします。しかしこれらのことは、一時的なものです。そのような邪悪な者達の妨害にもかかわらず、私の使命は滞りなく成し遂げられるでしょう。
そのような妨害は、逆にこの神の化身の偉大さを際立たせるだけなのです。嫉妬心に駆られた者どもが、いろいろな虚偽をふりまくのです。そのような虚偽に惑わされず、サイの組織に関わる者は、自らに与えられた義務をまじめに、そして献身的に果たしていかねばなりません。そうすれば、あなた方は祝福され、サイの神聖な使命の一翼を担うことが出来るようになるのです。私の言葉をあなたの心の中にしっかりと刻み込み、あなたに課せられた義務を果たしなさい。

出典略号

ANDI Anandadai
CWSSB(J) Conversations with Sathya-SaiBaba(日本語 版)
DD Discourses of Sathya SaiBaba 19~24/11/1987&10/1988
DG Divine Glory
DVJ Dhyana Vahini 日本語版
DBG Discourses on Bagavad-Gita
GA Golden Age
GV Geetha Vahini
JTG. Journey to God
JV Jnana Vahini
KSH 神に捧げる真の花
LV リーラカイラヴァリアヴァヒニ
LIAD Life is a Dream,Realize it.
LG       Loving God
MBAI My Baba & I
ND ナイジェンダイアフ氏への言葉
OCS 恩寵のサイ
OTYRTN Other than you refuge there is none
PV Prashanthivahini
PN From various discourses-given at Prashanthi
RRV Ramakatha Rasa Vahini
SDM 平安 瞑想 大成就
SRBM Summer Roses on Blue Mountains
SSS    Sathya Sai Speaks
SIK サイババイエスを語る
SIP Sahdana the Inward Path
SSIB Summer Showers in Brindavan
SG Sai Baba Geetha //Summer Discourse in Brindavan
SS     Sanathana Sarathi
SSN Sathya Sai News Letter 
SSAL Sathya Sai Avater of Love 
STPS、STPS2 サティヨーパニシャッド 上、下
TOSSSB Teaching of SriSathyaSai
TEOL The Embodiment of Love
UV Upanishads Vahini
VV VIDYA VAHINI

彼が帰って来るよ

目を醒ませ!目を醒まして!目を醒ますんだ!
彼が、戻って来るよ!帰って来るよ!
なのに君は、何時まで世俗にまみれた、このような生活を続けるんだい?
エエッ!誰が戻って来るって?
彼だよ!彼!サチャ サイババだよ!
彼がまた、サチャサイババの身体を身に付けて戻って来るんだ!
そして、彼は大空を駈け抜け、彼の真の姿を顕して人びとにダルシャンを与えるんだ!
なのに君は、一体何時になれば目を醒まして、真理への道を歩み始めるんだい?

起きろ!起きて!起きるんだ!
彼が、戻って来るよ!帰って来るよ!
なのに君は、何時まで世俗にまみれた、このような生活を続けるんだい?
エエッ!どうしてまた戻って来るの?
僕たちへの約束を果たす為に!
この世界を支配しようとする悪を滅びし、ダルマの王国を打ち立てる為に!
なのに君は、一体何時になれば目を醒まして、真理への道を歩み始めるんだい?


警告!警告が!警告が出てるんだ!
彼が、戻って来るよ!帰って来るよ!
なのに君は、何時まで世俗にまみれた、このような生活を続けるんだい?
アアー!それでは僕はどうすればいいんだ!
彼は大津波から町や村を救うために、山脈を持ち上げるだろう!
そして、何千万人もの人びとが彼の下に救いを求めてやって来るだろう!
なのに君は、一体何時になれば目を醒まして、真理への道を歩み始めるんだい?

祈れ!祈って!祈るんだ!
彼が、戻って来るよ!帰って来るよ!
なのに君は、何時まで世俗にまみれた、このような生活を続けるんだい?
アアー!僕は救われるんだろうか?
サイの栄光を讃えよ!サイの御名をとなえよ!
古代預言者の言葉、"彼のこの世での最後の10年は世界の王として君臨するであろう。"が成就するだろう。
そして僕たちは偉大な神の御業を目撃するんだ!
なのに君は、一体何時になれば目を醒まして、真理への道を歩み始めるんだい?

Sai's Messages for The Golden Age Part2

2014年8月18日 発行 初版

著  者:張 世潮
発  行:ポニョ出版

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ポニョ

アクアポニックスという魚を使った自然農法をやりながら、千年至福の時代を待ちわびております。

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