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安倍晋三著「新しい国」を批判する

八桑 柊二

大湊出版



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 目 次

一 安倍晋三著「新しい国」を批判する

二 凡庸な総理 安倍晋三のレトリック

三 詩ー最高権力者aへの悪魔の囁き

四 付録ーー

 「安保法制懇」の報告書を批判する

安倍晋三著「新しい国」を批判する

安倍晋三氏の考え方の特色ーー著書「新しい国へ」から
                
                                              八桑 柊二

「新しい国へ」を読み、安倍晋三氏の考え方の特徴をあぶりだしたい。
①歴史的事実を途中、パスする。己の目的に合うように解釈する。
 以下、気になる箇所を述べたい。
 
 第一章わたしの原点ーーその時代に生きた国民の視点で歴史を見直すーーでは、〇戦前の軍部の独走に関して、新聞の強い同調を非難しているが、(それは非難される理由はある)、軍部の弾圧で、新聞の発行もできなくなる可能性に関して、一言も言わない。(p29)
〇「その時代に生きた国民の視点で、虚心に歴史を見つめなおしてみる」(p28)と述べているのだが、後世、むしろ、客観的に評価することもできるのではないか。その視点はない。
〇「自ら省みてなおくんば千万人といえども吾ゆかん」吉田松陰の言葉で、安倍晋三氏の信念である。もうひとつ「たじろがず、批判を覚悟で臨む」。チャーチルを例にあげて、政治家としてのモットーであるという。(p43-44)
 これらは立派な信念である。だからか、そのことを我田引水的に、だから、国民の非難を、無視し続けているのだろう。

第二章自立する国家ーー「個人の自由を担保しているのは国家なのである」(P67)
〇国はわたしたちに何をしてくれるのかーー例えば、公害訴訟の国家賠償請求訴訟において、原告が勝訴すると「国に勝った」と喝采するが、賠償費用は税金から拠出される。だから、加害責任者は被害者のみならず国民に対して責任がある。従って、"国家と国民は対立関係になく、相関関係だ"と安倍氏は繋げて理解する。(p69)つまり、ここでは、加害者責任者=国と短絡する。加害者責任者とは「行政官」であろう。この事は、時の政府の統治に誤りがあるという事である。

〇果たして国家は抑圧装置かーー安全保障を考えると、軍国主義につながり、自由と民主主義を破壊するとの倒錯した議論(p70)になる、と安倍氏が批判した後に、「問題なのは統治の形であって、国家のシステムではない」と結論づける。この議論では、国家の起源をパスしている。つまり、国家概念は統治概念より広義だが、限りなく統治機構が国家に相似してきたのだ。統治者が統治しやすいよう、民衆を抑圧する仕組みを構築してきたのだ。それを、安倍氏は見ない。

〇「靖国批判」はいつからはじまったかーー靖国問題は政教分離の問題であり、政治問題ではない。(p70-72)「A級戦犯」合祀されているからと中国がクレイムをつけるのは中曽根参拝が始まりである。靖国参拝をとらえて軍国主義の道を歩んでいるとみるのは誤解も甚だしい。と安倍氏は述べる。

〇「A級戦犯」は指導的立場にいたからA級と便宜的に呼んでいるだけで、罪の軽重とは関係ない、と安倍氏は解釈する。「A級戦犯」で後に赦免され、国会議員になった賀屋興宣、重光葵に関し、1951年、法務総裁(=大臣)は国内法で、彼らを犯罪者として扱うことは不適当。と答弁した。
 講和条約が発効した52年、各国の了解で、戦犯赦免の国会決議している。(安倍氏は赦免されたから、無罪放免なのだといわんばかりだが、赦免の決議がなされたからといって、彼らの犯罪行為は消えるものではない。ちなみに、祖父・岸信介氏を例にあげていない。)

〇靖国参拝と米国の国立墓地の参拝を比較し、それなら、米国の場合、奴隷制を擁護した南軍将校が米国の国立墓地には埋葬されているから、その参拝は奴隷制を正当化するものになりはしないかと、靖国参拝の軍国主義への懸念の声を非難する。(p78)しかし、靖国の慰霊は明治維以降、天皇制国家に直結した宗教的な施設である。それに比べ、米国国立墓地は特定の宗教色はなく、米国は人種の坩堝だから、それぞれの宗教を認める。

第三章ーナショナリズムとはなにかーー若者らが自分の国を愛するようになるために、教育現場と地域で郷土愛をは育むことが必要だと、安倍氏は強調する。(p99)
「郷土愛」とは自然に生まれるもので、自分の生まれ育った土地が、愛着を持てる土地の姿をしていれば、そうなのである。それを、それらの自然環境を破壊してきたのが、歴代の自民党なのに、それをパスしている。
「国」とは統治機構を指すのではなく、悠久の歴史を持った日本という土地である。と安倍氏は述べるが、それは彼の頭の中の観念としての国であり、それを破壊してきたのが、歴代の自民党の統治なのである。そのことをバスしている。

〇天皇は歴史上ずっと「象徴」だったーー安倍氏は「日本の国柄を表す根幹が天皇制である」と述べる。(p105)しかし、天皇が権力をもった古代は勿論、中世での天皇の立ち位置をパスする。
〇「公」の言葉と「私」の感情ーー特攻隊の鷲尾克己少尉の遺書の文章、「はかなくも死せりと人の言わば言え、我が真心の一筋の道」(p112)を安倍氏は解釈して、「自分の死は後世の人に必ずしもほめられないかもしれない、・・・」とするのだが、どこに、ほめられないかもしれない、との解釈の語句があるのか理解に苦しむ。若干23歳で死なねばならない事に、はかないと、表現したのである。彼には、このような誤読、誤解が頻繁にあるのだ。

第四章日米同盟の構図ーーアメリカ人の信じる普遍的価値ーー独立宣言にもられた理想の気高さは神により運命づけられていると、建国の指導者は考え、ピューリタン的信仰と使命が米国の成立の源泉である、と安倍氏は述べる。(p116)しかし、こうした思想に影響を与えていた啓蒙思想をパスしている。つまり、時の権力者を批判した考えを無視する。

〇リベラルが穏健という訳ではないーー日本では、米国の民主党はソフトで、共和党は強硬路線だとのイメージがあるがこれは誤解である。
 ケネディの就任演説には「・・・いかなる代償も、いかなる負担も、いかなる困難も進んで直面し、・・いかなる敵とも戦う・・・」と好戦的な演説の内容がある。しかも、ケネディは民主党で、リベラルの代表者である、と安倍氏は述べる。だから、民主、共和の二歩人の理解は間違いといいたいのだろう。しかも、安倍氏はケネデイ氏をほめているのだが、彼のベトナム戦争に関与した事はパスしている。

〇憲法前文に示されたアメリカの意志ーー「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと務める国際社会において、名誉ある地位を占めたい」。この箇所を、安倍氏は「自分たちはそうした戦勝国か
ら、褒めてもらえるように頑張ります」という妙にへりくだった、いじましい文言と解釈する。(p126)しかし、何故、そんな解釈が成立するのか私は理解に苦しむ。むしろ、彼らより立派な国になるとの決意表明であろう。

〇日本とドイツそれぞれの道ーー安倍氏は、ドイツは軍隊をつくっても、奇跡的な経済復興したし、徴兵制をとり、ドイツ軍人の道徳的価値を認める、(p132)と述べるが、ドイツ憲法は戦前ときっぱりとした断絶がある。その前提があるのだ。しかし、日本国憲法には戦前と断絶していない。天皇制存続で、前を引きずっている。そのことを安倍氏はパスする。

第五章日本とアジアそして中国ー自由と民主主義の60年ーー中国の支柱のひとつ「結果の平等」との哲学は市場主義経済の導入で失われつつある。その代わりの役割は「経済成長」と「反日愛国主義」ではないか、と安倍氏は理解する。(p153)対中国貿易は日米貿易額を2004年上回った。日中の経済関係は不離の関係にある。安倍氏は日中の経済関係は政経分離という(p156)が、あちらは、政経分離出来ない国柄なのである。
(第六章は少子化関連の事実を語る)

第七章教育の再生ー学力回復より時間かかるモラルの回復ーー安倍氏はボランテイアの義務付けを主張する。入試の条件にすると述べる。義務化を、ボランティアは元々、自発だから、反対するむきはあろうと安倍氏は述べている。(p216)私も義務化はよいと思う。例えば、被災地に行き、現実を目の当たりにすると、若者は何かが変わるのだ。経験の重みは教室の学習にはないものだ。
ちなみに、安倍氏はサッチャー英首相の強引な教育改革を賞賛し、手本にする。
これには課題があろう。

〇「家族、この素晴らしきもの」という価値観ーーこれを教えていく必要がある。これを守り続けていくべきだと、安倍氏は述べる。(p219-221)この価値観(父母がいて、祖父母がいる幸せ家族像)に異論はないが、これを強調しす過ぎると、学校で、シングルマザー、片親だけの子供は肩身の狭い思いをしよう。それに対する、もちろん、安倍氏は配慮はない。

■「日本の欠点を語ることに生きがいを求めるのではなく、日本の明日のために何をすべきかを語り合おうではないか」(p230)と終わりに語っているように、安倍氏は歴史の事実を都合よく、パスする特徴があるのだ。

最終章ーー「戦後レジーム」からの脱却が日本にとって最大のテーマであると安倍晋三氏は考えている。だから、国民投票法の改正、NSCの新設、特定秘密保護法案、集団自衛権行使の憲法解釈、原発再稼働等等にとりくんでいるのだ。                   (2014・5・28)


  凡庸な総理・安倍晋三のレトリック
                       
                          
1、彼は「憲法改正」をしたい。これは自由民主党の合同以来の彼岸と述べる。

2、「美しい日本」、己のノスタルジックな日本像に固執する。しかし、この日本像は美しいイメージと強い国、世界に誇る、冠たる日本国像を人々に想起させるので、かなり支持される可能性はある。
 世界一とか他国より優れているという言説に国民は酔うものだ。悪い気はしない。(サッカーで、他国に勝てば喜こぶのに似ている。悪い例はナチス・ドイツの優秀なアーリア人種の神話の宣伝。)
「美しい国」の再生はよいとして、後述する経済施策で、「美しい国」づくりの施策は皆無。だから、言葉遊びなのだ。

3、凡庸さゆえ、彼の、よいことづくめのレトリックはそれだけをみれば、悪くはない。ただ、己の都合のよい内容の言葉だけをつなげている演説なので、現実との乖離を逃れない。ただ、彼自身、知ってか知らずか?それを意に介さない。 また、その特色は、言い切る演説に顕著である。(「原発事故は完全にコントロールされている」というものなど。)

4、彼のいいことづくめの演説を、努力目標とよく、解釈する連中がいるかもしれない。この流れは危険だ。官僚たちは「集団自衛権容認の閣議決定」を受け、その方向に流れができる懸念がある。そこを、安倍氏は狙っているのであろう。

5、「特定秘密保護法案」、「NSCの新設」「教育委員会改革」、「TPPP」交渉、「農協の見直し」「集団自衛権の容認」、「武器輸出」の拡大、「原発の輸出」などの矢継ぎ早の歴史を逆回しするかのような施策はおおいなるつけを残そう。

6、戦前には戻れないから、安倍氏は日本を東京オリンピツクの頃に戻したいのではないか。それは「幻想」である。

7、安倍晋三は日本が欧米列国と同じに軍隊を持ち、そして、国連安保理の常任理事国になりたいのだ。そのためにも軍隊を「国連軍」の一翼として派遣できるようにしたいのだろう。
 彼は「憲法九条」の普遍的な意味を理解しない。列強のように軍隊を持たないのに不安を覚える。持たないのは欠点とさえ考えているのだろう。
 唯一、軍隊を持たず、交戦権を放棄する、との列強との違いに心は落ち着かないのだ。他人と同じでなければ"不安"という、子供じみたところがあるのかもしれない。

8、米国の顔色を伺うのに、きゅうきゅうとし、自衛隊の次期戦闘機など米軍のいうなりの値段で買うという状態である。英国との潜水艦の技術開発、仏との武器の協同開発と、「武器輸出国」になりたい。経済政策の一貫だが、これは政治・軍事面での欧米並の国を目指したい。

9、外国への原発売り込みは、日本では新設が無理なので、財界に押され、トルコ、べトナム、サウジアラビアに売り込んでいる。

10、安倍晋三は国家主義者である。しかも、デマゴーグだ。

11、アベノミクスの三本の矢で、デフレを脱却したいと考えているのだが、経済振興も大企業優先である。

12、これからの安倍政権の行く末を予想する。
「集団自衛権の容認」で、人口の三分の一と言われる中高年層のかなりの部分にそっぽむかれる。年金制度、介護保険で、自助努力の強化で、そっぽむかれる。
 農協関係では、TPPで、農民層にそっぽむかれる。既に、見放されている。
 消費税増税で、サラリーマン層にそっぽむかれる。
 雇用、子育ての分野で、若い母親層、女性の働き手にそっぽむかれる。
 自衛隊の派遣ということになれば、自衛隊員からそっぽむかれる。その家族にも同様だ。
 消費税増税で、中小企業者、商店主などにそっぽむかれる。
 自民離れはこれから想定されるので、そのためにも公明党には、自民は譲歩している。(ちなみに、公明党は昔からだが、創価学会員しか、選挙ではとりこめない。今度の一件で、中間層の票の取り込みは不可能になろう。)

13、来年の九月末に安倍総裁の任期が切れる。自民党の総裁選が行われる。そこまで、安倍政権はもつか?
 4月には統一地方選があるから、その結果で、安倍政権の命運が決まろう。
                                           2014・7・2

最高権力者aへの
「悪魔の囁き」

                       
                             
俺はaをたきつけた
人間は褒めると、図に乗る
お前は、「選ばれた 数少ない人間だ」
「それを生かさない手はない」
「毛並みも申し分ない」
 そして、最後に
「父はもちろん、祖父も超えられる」と、言った
 歴史に名を残せると 俺はaに教えてやった
 権力者はこの手の誘惑に弱い
そのために、仕事をしているようなものだ

 俺のおべっかを aは真に受けたけたようだ。

つぎに 俺は教えてやった
安全保障は 一箇所にまとめたほうがよい
管理と決定は限らた人数でするのがよい
秘密を守れるし、決定もスムーズにいく、と。

そうして aは「NSC」をつくった

加えて 肝心なのは 情報を遮断することだ と言った
「コントロールできればしめたものだ」

そうすると aは「特定秘密保護法案」をつくった

お前が戦争したいのはわかってる
そのように準備をしろ と俺はaに言った
aは憲法を変えるには 人数が足りないと 愚痴をこぼした
何か手立てはある と 俺はほのめかした
すると aは憲法解釈で 何とかすると言った

俺はaをさらに 焚きつけた。
個別的自衛権の容認は既に 憲法解釈だ
だから 憲法再解釈は悪くない

それを狙っていると aは言った
すると、集団自衛権行使の容認を 仲間と相談した
それは形式的で 儀式みたいなものだ
aはk党は権力が好きだと 知っていた
結局 そこを攻めれば、
言いくるめられると踏んだ
そして その通りになった。

言い忘れたが 戦争するには 優れた武器は必要だ
俺は 自前の武器を売れるようにしたら?と、いった
aは喜んで 経営者のボスからも言われているから と
武器を移動させる基準
いつもの手だが
官僚言葉で誤魔化し 姑息に
武器輸出の禁止を緩和した

まあ やることは沢山あろうが・・・

色々、屁理屈つけ、誤魔化し
aは己の願望を遂げられる
瀬戸際まできている

あとは、細かな法律を改正すればよい と言った
これは 何とかなると aは言った。
時間には限りがある それをうまく利用し
時間切れで 法律を通過させられると
aは踏んでいる

だが ここにきて、暗雲が立ちこめてきた
果たして どうなるやら・・・

俺には一切 責任はない
奴がひとりで決めたことだ                               2014・7

 付録

「安保法制懇」の報告書を批判する
 「集団自衛権行使」は認められない
                      
 憲法解釈はしてきたが・・・

 集団自衛権の行使に関して、安倍総理は憲法解釈して、行使を容認させたいらしい。
そもそも、憲法解釈は第九条を厳密に読めば、「自衛権」は書いてないというだけで、解釈として、「個別的自衛権」は認めましょう、という消極的な意味に過ぎない。その意味で、既に、憲法解釈はしてきている。だから、安倍総理が勝手に憲法解釈しているという批判は当たらない。歴代自民が解釈してきたのであるし、それを一応、国民は「よし」としてきた。そして、その適用を、憲法に乗っ取り、限定してきたのだ。つまり、「国際紛争」を武力で解決しない、という原則を適用してきたのだ。
「憲法解釈の変遷」で、砂川事件の最高裁判決に、集団自衛権を含むという解釈は、当時の状況を考えれば、無理がある。強引な解釈である。

 「集団自衛権」、「集団安全保障」の考えには「戦争する」が含意

 ところで「集団自衛権」であるが、この権利は欧米では当然である。それは戦争の歴史をみればわかる。そこで、日本の憲法の「戦争放棄」条項は世界に稀な憲法である。歴史上未曾有の憲法なのだ。それだから、欧米の国のように当たり前の国になるという論理はこの稀有な憲法の意味を理解していない。それが嫌なら、憲法改正しかないのだ。だが、今のところ、この憲法を国民は容認・支持している。
「集団自衛権の行使」は自国だけでは守れないから、集団安全保障をかけるということで、殊更、紛争に巻き込まれない「抑止」のためという理屈も成立しないわけではないが、このことは元から考えねばならない。
「集団自衛権」の考えには、既に、「紛争」に巻き込まれるというのを含意しているのだ。だから、その紛争に巻き込まれないように、条件を厳しく設定しなければならない。「個別的自衛権」で認められていることをはみ出してはならない。つまり、国際紛争に巻き込まれる可能性のある状況は避けねばならないのだ。
 今、日米安保で、日本は守られているが、二国間の安全保障は双務条約である。だから、厳密に条件を提示し、お互い納得したものにすべきだ。そうすれば、条約相手国の支援はその限定内での支援になる。その条件はいわば、「個別的自衛権」に毛が生えた様なもの、つまり、日本の施政権のある地域に限定されるのである。

 「国連安全保障」を憲章の適用外はおかしい

 上記の前提で、安倍総理のいう、具体例の矛盾を指摘していきたい。
まず、「安保法制懇」の文章に「憲法に制約せされない」というのが憲法解釈の根拠に書かれている。国連の集団安全保障措置に関してである。しかし、憲法とは別に国連憲章があるかのごとくはおかしなことだ。憲法は国際協調を含んで制定されるものである。主権国家の連合である国連はあたかも、主権の根拠と別に存在しているという考えは理解し難い。国家主権は国連の大前提である。
「軍事的措置を伴う集団安全保障措置への参加」の項で、「安保法制懇」は98条二項を持ち出し、国連の集団安全保障に積極的貢献を勧めるが、同一項には「憲法は最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部はその効力を有しない」と釘を指している。「安保法制懇」はこれを無視している。

 「安保法制懇」の具体例への批判

「安保法制懇」が示す事例で、①米国を狙った弾道ミサイルの抑擊ーー現実的でない。北朝鮮の米国本土へのミサイルは北周りで日本上空は通過しない。更に、中長距離ミサイルを打ち落とす能力は自衛隊にはない。➁近隣有事の公海上の米艦船の防護ーー有事になれば、米軍は臨戦態勢であり、日本の支援を受けるまでもないだろう。米軍は支援の必要などいらない前提で戦略を構築している。
〇多国籍軍への参戦ーー認められない。何故なら、国際紛争を武力で解決してはならない。国連憲章でもうたっている。ただ、履行されていないだけだ。
〇シーレーンの機雷掃海ーー湾岸戦争の時、したのは戦争終結後であった。そういうことより、日本の石油備蓄はこうした場合の対処であり、それを、更に、充実させるのが大事である。その地域で戦争が起これば、石油の積出も滞りがちになるのではないか?
 石油の輸入先を中東以外に開拓していくことが肝心だ。
 戦争継続中に掃海をすれば、妨害が起こり、他国と戦争状態になるので、それは認められない。それ以前、アルムズ海峡は国連海洋法条約により船舶の自由航行が保障されている。もし、機雷設置すれば、それは国連安保理の問題になる。
〇米国が攻撃を受けた際の船舶の検査ーー周辺事態法で、武器・弾薬以外の臨検を武器なく執行出来る。
〇多国籍軍の後方支援ーーこれは従来通りでよい。

〇PKOなどの協力と武器使用ーー「駆けつけ警護」や「妨害排除」の武器使用は「安保法制懇」の見解とは違い「武力の行使」であるが、現地の緊急時に即して、法制の整備は必要であろう。
 〇テロリスト対策ーー「在外自国民の保護救出」に関して、特別な組織を編成する手も考えられないことはない。議論が必要だ。ただ、原則は現地の治安組織が対応するのだし、救出されて、邦人の現地内の移送、船舶による本国への輸送は今の改正自衛隊法で出来る。
 テロリスト対策はまず、そんな事態が起こらないよう、他国への平和貢献活動を整備、充実するのが肝心である。在外公館も合わせ、日常的に努力しなければならない。テロリストと国家は分けて考えねばならない。

グレーゾーンの対処の問題
 〇外国潜水艦の不退去の問題ーー日常に、施政権のある領海で、普段の警戒すべきである。そのような事態が起こらないようにするのが先決である。
 〇武装集団の離島の占拠や海賊行為ーー後者は警察力で排除できないのか?前者の場合も海上警備の充実、航空機による警戒を含め、日頃から警戒するのが望ましい。
 海自を即時派遣するのを考えるより、近くの島に自衛隊の駐屯地を設営するのは抑止になろう。自衛隊の配備には近隣国を刺激するリスクが伴うのは致し方ない。設営するとしても、島民の同意を得る必要がある。

結論ーー安倍総理が目論んでいる「集団自衛権の行使」は認められない。
テロリストの対策は別個に考えねばならない。
孤島占拠の可能性は「個別的自衛権」の範囲でする。
                                           2014・5・18

安倍晋三著「新しい国」を批判する

2014年9月2日 発行 初版

著  者:八桑 柊二
発  行:大湊出版

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八桑 柊二

1946年、生まれ。明治大学文学部卒、業界紙・誌に勤める。今は無職。

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