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Sai

ポニョ

ポニョ出版



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スワミはどこにおられようと私達を、見守っておられます。
今、少しの間この世から姿を隠されていますが、近い将来もう一度、サッチャサイババの御姿で戻ってこられるでしょう。その時、 大空を駆けてダルシャンを与えてくれるそうです。
また山脈全体を持ち上げたり、何千もの分身となって同時に世界中で現れられると言っておら れます。その時が来れば、世界中の人々がスワミの御教えを求めてやって来るのでしょう。待ちどうしいものですね。それまでに自分がしなければならないことは、スワミの御教えをしっかり身 につけ、それを正しく人々に伝えることだと思ってこの御言葉集を編集しました。
近い将来、人類が地球 に対して好き放題やって来た環境破壊のつけが、地震、火山の噴火、旱魃、大嵐などとなって降 りかかって来るでしょう。また空から火の玉も降って来たり、地軸の移動による大洪水により、 反ダルマの地上の温床になっている大都市はすべて破壊されることでしょう。
そこには人の姿をしていますが、低級な霊達が、大都市の雑踏にその低俗な欲望を満たす為に、 徘徊していますが、彼等はもう一度動物に戻り、動物としての生を全うしなくてはならないので す。とは言っても、実は彼等も以前は人に食糧として殺戮された罪無き動物だったのです。その者達は霊的進化の途上で殺されたために、この生で人として生まれても十分に人としてダルマを為せるように機能出来ないのです。
アヴァターが降臨する時は、いつもその前に地上で悪がはびこるのは常なのです。それらは、すべて神が書かれたシナリオなのです。サイババさんはもう直ぐ、世界中の空に出現させて全人類を祝福し、世界を支配しようとしている者共に、一体誰が世界の真の主か見せつけるでしょう。
宇宙の創造主、至高の神の御姿を見て、すべての人々の目が歓喜の涙で溢れることでしょう。
やがてそうした大動乱の末、人類が待ち望んだゴールデンエイジがやって来ます。千年至福の時代が到来するのです。その 時にカリユガの神の化身、サイババの福音が人々の心の糧となるでしょう。この御言葉集は私の家族と友人達の為に、今まで私が親しんで来たスワミの本から抜粋したもの で、誰かの夢や瞑想中に伝えられたメッセージは除外し、スワミが直接口頭で、講演や個人に対 して話された御言葉の数々を選んで書き出しました。それでは、共にスワミの御教えを学びましょ う。そして、少しでも神の化身、サイババの良い道具となり、ゴールデンエイジに向かって働きま しょう。この御言葉集をスワミの蓮華の御足に捧げます
2014年4月15日
張 世 潮

☻まもなく、全ての国々が一つになるでしょう。全世界は一つになるでしょう。カーストや宗教や国籍という狭い考えは消え失せ、全ての人が一つになって神聖さを体験するでしょう。全ての人が愛の思いを深め、お互いを兄弟姉妹と考えるようになるでしょう。
☻私自分自身が空を飛び、大空を駆け抜けるだろう。すべての人はそのことを同時に見るだろう。
☻あなた達は、壮大で卓越した仕事を成就する為に生まれてきたことを、知らねばなりません。あなた達は神の子であり、英雄的な行為をなすためのカリの時代の戦士なのです。溢れんばかりの慈悲と神の愛の具現者であり、世界中に神を知らしめることを決意した魂たちなのです。
☻未来についてはあなた方にはよく分からないかもしれませんが、私には私の意図した計画が実現するのがはっきりと見えています. 私の神聖さを無視している連中も私の元にひれ伏すようになるでしょう。
☻間もなく、私の神聖さはすべてに知れ渡るようになるのです。私は意図的に私の神聖さが世界に広まるのを遅らせています。しかし、一度、私が私の真の姿を顕現すれば、すべての世界がプラシャンティニラヤムになることでしょう。
☻あなた方は、これからすぐ間もなく、スワミが今まで明らかにしてこなかった栄光を見ることになるであろう。そうなれば多くの人々がやってきて立錐の余地もないぐらいになるであろう。
☻神は人類に地球を破壊する事を許しています。人類は、完全な挫折を体験しないと神の方には向かないのです。
☻今、世界の抱える諸問題はより奇怪な姿をとり、より大規模になってきました。それはもはや個人的な問題でも無く、限られた地域の問題でもありません。規模は世界的であり、すべての人類に影響を及ぼします。人間は且つてないほど悪くなりました。彼らは、過去の歴史において用いた以上の知性と技術を、残虐な行為に使っています。その者たちは他の人々に苦痛を与えるのを喜んでいるのです。
☻今日どうして人口が爆発的に増大しているかと言えば、それは人々の誤った行為のせいである。動物や魚が殺され食されると、それらの魂は、人となって生まれ変わってくるのである。
☻邪悪と信愛という二つの要因は、どのアヴァターの降臨にもなくてはならないものなのです。このように、神の計画には霊妙な秘密が隠されているのです。
☻悪魔的人間は人間の守るべき道徳律を無視し、恥ずべき感覚の悦楽を追い、エゴと慢心に満ちて利己的な目的の為に他の人を傷つけることをなんとも思いません。彼は傍若無人に罪深い行動をし続けます。自己中心が彼の息吹であり執着は彼の背骨です。このような利己的な人を称して悪魔と言います。
☻今日の世界は争いばかりです。人間と悪魔を区別することが出来ません。動物から進化した人間は、神性に向かって歩まなければならないのに、また動物に逆戻りしています。
☻全世界のすべての国々がバラタ(インド)を尊敬するようになる日が来るのを、あなた方は見届ける日が来るでしょう。この身体があなた方の前に存在している間に、サッチャサイの名を崇拝する声が全世界に響き渡るのを聞くことでしょう。
☻サイババは最近、将来の世界地図を物質化した。そして地球表面にいくつか環境調整変動が起こるだろう。そしてそれに伴い人口が減少するだろう。と言われた。

<あ行>
愛、愛国心、灯り、赤ん坊、悪、悪人、悪魔、悪霊、阿修羅、与える、頭、アートマン、アーナシャクティヨガ、あの世に持っていけるもの、アヴァター、油、雨、アメリカ、胃、怒り、生き方、医師、意識、意志の力、一体性、偉大と善良、五つの鞘、田舎と町、生命、祈り,インドと西洋、嘘、疑い、内なる声、内なる目、宇宙、宇宙飛行士、うつ病、うぬぼれ、ウパニシャッド、運命、映画、英知、笑顔、エゴ、エデュケア、エネルギー、エリート、大げさ、おしゃべり、汚染、恐れ、オゾン層、男の義務、お祭り、オームカーラ、思い、思いやり、オーラ、音楽、音響、恩寵
<か行>
害虫、顔、科学と霊性、核実験、学生、加工食品、過去世、過去の栄光の時代、家住者、微かな身体、家族、形、家庭、悲しみ、金、金持ち、神、神を捜す、神を体験する、神を騙す、神否定、神を忘れる、神からの預かり物、神から離れる、神と語る、神との友情、神に帰融、神に反抗、神の愛、神の意志、神の贈り物、神の恩寵、神の身体、髪の毛、神の計画、神の化身、神の欠点、神の言葉、神の原理、神の声、神の自覚、神の仕事、神の至福、神の姿、神の責任、神の助け、神のテスト、神のなさり方、神のヴィジョン、神の御足と御名、神の命令、神への愛、神への捧げ物、ガヤトリマントラ、身体、仮の宿、カリユガ、カルマ、カルマの原因、カレンダー、癌、感覚、歓喜、感謝、簡素、完璧なふり、願望、記憶と忘却、帰依、帰依者、危害、危機、傷つける、危険、犠牲、奇跡、喫煙、期待と欲望、君が必要、義務、逆境、休息、教育、狂気、供儀、教師、競争、共同体、恐怖、議論、空想、薬、口、苦痛、国を守る、グル、苦しみ、芸術、解脱、解脱した魂、決意、血縁関係、結婚、欠点、権威、喧嘩、謙虚、献血、健康、原子、原子爆弾、限度、健忘、権利と義務、権力、行為、口臭、抗生物質、光線、行動、幸福、高慢傲慢、公務員と給料、降霊会、五感、呼吸、心、乞食、個性の改善、子育て、言葉、五大元素、子供、胡麻、ゴールデンエイジ、殺す、コントロール、困難
<さ行>
最高のヨーギ、債権者、最後の呼吸、財産、サイと商売、災難、才能、サイの学生、サイの組織、裁判所、探す、魚、詐欺師の愛、サティヤナーラヤナ、サットサング、鞘、三位一体、残酷、惨事、三昧、死、幸せ、自活、時間、識別心、思考、自己犠牲、自己中心、仕事、自己認識した人、自殺、 持参金、詩人、自信、地震、自制、自然、自然災害、慈善事業、自然のコントロール、自然のバランス、自然の法則、自然への感謝、舌、実験、嫉妬、失望、慈悲、至福、邪悪、しゃべりすぎ、シャンカラ、シャンティ、自由&自由意志、社会、社会主義、集散主義、獣性、執着、集中、宿題、祝福、受刑者、主婦、寿命、シュルティ、純粋な心、小学校と婦人、賞賛、浄性、冗談、衝動
情熱、成就、情報集め、照覧者、食事、植物動物、食物 以上Part1、
女性、所有、視力、磁力、試練、白い草、信愛、進化、神界、人格、信仰、人口、人口のバランス、信者、真実、神性、神聖なエネルギー、神聖な道、人生、 神像、心臓、信念、真の愛、真の信者、真の知識、心配 、新聞、進歩、真理、人類、水位とダルマ、睡眠、スウェーデン、少なく語る、ストライキ、スポーツ、スワミと一つ、スワミの教え、スワミの身体、スワミの願い、スワミの予言、政治、誠実、政治と女性、静寂、聖者と化身、精神病、政府、生命の本性、性欲と貪欲 、世界、世界を守る、世界の基盤、世界の指導者、世界は一つ、世間、背筋、世俗的な恩恵、世俗的成功、接触、絶食、潜在能力、全在、前進、前世、前世からの傾向、戦争、善人、善良、像、憎悪、創造の秘密、想念、束縛、外面と中身
< た行>
大気汚染、大気中の力、胎教、体験、体現、胎児、太陽、他人、楽しみ、頼みごと、旅、食べ 物、食べ過ぎ、魂、ダルシャン、ダルマ、探求、団結、男女、誕生、地球、知識、地軸、知性、地熱、忠告、中庸、長寿、直感、沈黙、追放、仕える、束の間、津波、罪、罪人、抵抗力、ディパバリー、手紙、溺愛、敵、敵意、テスト、手伝う、テレビの害、天国、同一視、道具、道徳、糖尿病、動物、時、毒、富、友、ドラマ
<な行>
内閣、内在の霊、内的汚染、名前と姿、なまけぐせ、ナマスマラナ、悩む、ナラカ、肉食、肉体、憎む、二元化の原則、二元論、ニシカマカルマ、人間、人間の特権、妬み、寝る、年長者、農夫、罵る
<は行>
俳優、バジャン、働きと休息、罰、ハート、波動、母、歯磨き、バラタ、反映、ヴィジョン、光、悲劇、ビジネス、ビタミン、人の下落、人の三位一体、人の力、非難、美の形、肥満、病院、病気、非暴力、品位、不安、夫婦、不確実、服従、不二一元、プージャ、不純、侮辱、婦人、二つの事、復活、物価の上昇、物質、物質化、物質世界、物質的反動、プッタパルティ、ブッディ、不道徳、腐敗した環境、不満、不眠、不滅、プラグニャーニャ、プラスチック、プラナーヤーマ、ブラフマン、プレマサイ、文化、平安、平常心、 ヴェーダ、ペット、ヘヤドライヤー、傍観者、奉仕、放射線、放射 波動 物質化、法律、欲しい物、ポジティブな思考、微笑み、本
<ま行>
マーヤー、慢心、満足、マントラ、身内、見栄張り、身代わり、三つ、御名、耳、水、無関心、無執着、無神論者、息子、無知、村での奉仕、目、瞑想、盲目、盲目的に従う、目撃者、モークシャ、モンキーマインド、問題
< や行>
約束、薬効成分、ヤグニャ、優しいハート、UFO、勇気、友人、幽霊、ユガと人、夢、 許す心、良い行い、良い思い、良い感情、良い事と悪い事の原因、良い人、幼児の死、ヨーガ、欲望、四つの悪、四つのステージ、四つのタイプの人間、喜び
<ら&わ行>
ラーマの統治、ラーマヤーナ、理解、利己心、離婚、リーダー、両親、良心、リンガム、倫理、ルッドラム、冷静、霊性、霊性教育、霊性修行、霊性の道、霊的愛、霊的距離、霊的光線、霊的初心者、霊的ヴィジョン、霊的波長、礼拝、霊媒、老人、若者、私、悪い考え、悪い習慣、悪い 仲間、悪口

*愛
一つの物体が他の物体と結びつく時、あるいは、一人の個人が他の個人と付き合わなければならないとすれば、愛が親和力の基本になります。全世界は愛で満たされています。世界は愛であり、愛は世界です。あらゆる人間には、気持ちの中に輝く光としての愛があります。愛は人生であり、人生は愛です。火にとっては燃やす力が自然であり、水にとっては冷やす力が自然であるほどにも、人間にとって愛は自然な性質です。愛なくしては、人はもはや人ではありません。25/12/93
神は愛の化身です。神は、神の愛によって全人類を守護しています。皆さんに愛がありさえすれば、それで十分です。そうすれば、皆さん全員が一つに結ばれるでしょう。言葉や行動によってお互いの間に距離を作るべきではありません。すべての人を愛によって自分の近くに引き寄せなさい。そうすれば、あなた方は皆、神のそばにいられるようになるでしょう。あなたが愛を込めて他の人を見るなら、神も愛を込めてあなたを見ます。どんな状況に置かれたとしても、決して怒りや嫉妬、偽善や虚栄を示してはなりません。他の人に怒りや憎しみをもって接してはなりません。あなたの愛を感じることによって、他の人々の中の愛も増大します。あなたが他の人に愛をもって接すれば、その人もあなたに愛を示すでしょう。これに対して、もし怒りを示すなら、その人もあなたに怒った態度をとるでしょう。27/1/07
霊的な全一性だけが、宇宙的な愛を育むことが出来ます。その愛のみが人々を結びつけるのです。この愛はハートの底から湧き上がってくるもので無ければなりません。そうして初めて全一性が成し遂げられるのです。SS12/93p312
愛だけがあなた方をより近く神のもとへと連れて行く唯一の特質です。愛よりも偉大なものはありません。それは神の属性です。愛は神です。愛の中に生きなさい。この高貴な性質を培うならば、あなたは人間と呼ばれるに値します。この神の愛はすべての人に、いいえ、すべての生き物の中に循環している血液のようなものです。もし、私たちがこの普遍なる愛を培うならば、すべての人間だけでなく生きとし生けるすべてのものを愛することができるのです。愛は神です。神は愛です。ですから、愛を込めてすべての人を心の中に受け入れなさい。誰に対しても怒りや嫌悪感を見せてはなりません。28/8/04
ウパニシャッドは、愛(プレーマ)を永遠なるものの特質、悪魔の性質(アスラットワム)を憎しみの特質、と見なしています。人は、神への愛を神聖な特質と見なして、神への愛を培い、強めるべきです。人は、自分の幸福と不幸の責任は自分だけにあることを悟るべきです。自分の苦境を神のせいにして神を非難してはなりません。神に好き嫌いはありません。思考は本人の態度や行為を決定する最も重要な要因であるがゆえ、善良で神聖な思いだけを抱くべきです。24/7/83
あなたは愛のためだけに生まれてきました。皆さんは、自分は愛は必要ない、とは言えません。愛を通じて神に至らなければなりません。それが人間として生まれた目的です。この目的を実現しなければ、人間として生まれてきたことが何の役に立つでしょうか?16/3/03
いかなる状況にあっても、決して愛を手放してはいけません。愛こそは皆さんの最大の宝物です。この宝物を忘れる人は、まったく人間ではありません!私たちは、自分の父親や母親や、兄弟姉妹を愛しています。こういったさまざまな関係は、神のドラマの中で人々が演じている役割に過ぎません。皆さんは真の愛を理解できるように努めなければなりません。実際、真の愛は絶えず私たちの内に存在しています。それを外側に探す必要はありません。不幸なことに、今日、私たちは真実でも永遠でもないものを追い求めています。 2/7/04
人間の愛は日々減少します。神の愛はこのようなものではありません。それは減ることもなければ増えることもありません。それこそが真理です。わたしたちは永遠の真理であるこの愛を持つべきです。あまりに多くの欲望のために、わたしたちは真理を知ることができないのです。私達はこの長い旅、即ち人生の乗客にすぎないのです。荷物が少なく気楽なことは旅を楽しくします。一旦あなたが欲望といった荷物を減らしたならば、不安が無くなるでしょう。苦しみも喜びも心が原因となっています。自由または束縛の責任は心にあります。15/7/01
 この世には、愛以上に素晴らしい美徳は存在しません。愛は真理であり、愛は正義であり、愛は富であります。この世は愛から生まれ、愛によって維持され、最後には愛に融合します。すべての原子が愛から生まれました。この世には、原子力、磁力等々、無数の力が存在していますが、愛の力はすべての力に勝っています。信仰と愛のない人生は無意味であり、無益です。この世に生きる人間にとって、愛こそが人生であり、愛がすべてです。五元素は愛から生まれました。すべての人の中にまぶしく輝いているものは、愛に他なりません。しかし人間は、愛の意義を理解できずに、愛が肉体的関係によって生じるものと考えています。子供に対する母親の愛は親愛であり、夫と妻の間の愛は愛着であり、友達や親戚との愛は執着であり物品に対する愛は欲望です。そして神に向けられた全的な愛がバクティ帰依です。
 全世界を包括し、全世界に遍満しているものが愛です。人間であれ、鳥獣であれ、昆虫であれ、いかなるものであっても、愛がなければただの一瞬も存在することができません。この愛こそは、神の姿そのものです。ところが人間は今日、この神聖な愛を、移りゆく世の中に向けることによって、無駄に使っています。決して愛の力を過小評価してはなりません。奥深い森の中に一人で住んでいた太古のリシ(聖者)たちは、野獣たちとさえも、調和して暮らすことができましたが、それは愛の力があったからに他なりません。
 この世には、愛によって達成できないことは何もありません。それは最も固い岩をも溶かすことができます。一人ひとりの人間の内にある愛の原理が一つに統合されたとき、それは宇宙的な愛(ヴィシュワ・プレマ)になります。あなたが愛の渇きを癒したいのであれば、神の恩寵を切望し、神を礼拝しなさい。至福を体験するためには、もっともっと愛を培うことです。愛を育てれば育てるほど、あなたはますます至福を体験するようになります。至福(アーナンダ)は、愛がなければ得られません。実際、至福という形をとっているのは、愛に他ならないのです。 28/7/99
愛は妬みや憎しみの力が如何に強大であっても、それらに屈服する事はありません。愛はそれらに打ち勝つことが出来るのです。他の人々を憎む者共は、ついには自らの憎しみによって消え去ってしまうのです。妬みでいっぱいの者も、自らの妬みの心の中で身を滅ぼしてしまうのです。仏陀p9
あなたは自分が愛を持っていると思っていますが、それは執着に過ぎません。愛と執着とでは大きな違いがあります。自分の子供に向けられた愛は情愛ヴァートサリヤで、妻への愛は愛欲アヌラーガで、世俗への愛はただの所有欲ママカーラです。友人への愛は友愛マイトゥリーです。
このように、愛は様々な方向に流れています。愛という真の意味からすればこれらはどれも本当の愛ではありません。これらはすべて、物質的で、世俗的で、常に変わっていく儚い愛です。真の愛は不変です。愛は無私で絶対的なものです。愛は霊的で神聖です。執着は奪い取ることばかりですが、愛は常に与え許します。愛は神です。神は愛です。愛に生きなさい。
執着は苦痛へと導く束縛です。執着は偏狭で、まったく利己的なものです。あなたに必要なことは愛を拡げることです。まず自分の家族を愛することから始め、次にあなたの親類に拡げ、それからゆっくりと、あなたの地域に、国に、最終的に全宇宙にまで拡げるのです。愛によってそして愛によってのみあなたは神を認識し、体験することが出来ます。愛は神が人に与えた自然な性質です。STPSp261
子供は愛と至福で溢れています。成長すると、子供はおもちゃを愛し始めます。それから遊ぶことを愛し、徐々に友達を愛するようになります。青年になると人生の伴侶を愛し、次に自分の家族を愛し、次第に職業や地位や財産への愛を持つようになります。
このように愛は様々な方向に流れるに任され、その為に愛は薄められ、ついには執着へとなり下がってしまうのです。神への愛は信愛であり、それはあなたが謙虚や従順といった徳を育むことを助け、あなたの生活を幸せに満ちたものにしてくれます。神への愛は、あなたが解脱に至るのを助けてくれます。今あなたに必要なことは、愛を拡げることです。STPSP262
  全世界は愛で満ちております。ここでいう世界とはあなたが見ている単に形のある世界を意味しているのではなく、愛に満ちた世界を意味しています。この愛はこの世では2つの形を取っております。一つは世俗的な愛であり、もう一つは精神的な愛であります。これらは異なるものではありません。あなた方はみんな愛の具現であります。あなたの愛はあなた自身が神性を帯びる助けとなるでしょう。
神の愛は無私の愛です。無私の愛のあるところには恐れはありません。第三の要素は、愛は愛のためだけにあって、それ以外の何のためにもないということです。しかしながら、世俗的な愛は利己心でいっぱいです。利己心のあるところには恐れがあります。世俗的な愛は物質的な目的があります。全世界は愛で満ちています。一つも良い性格を持っていない人でも愛だけは必ず持っています。この愛は人を引きつける力を持った磁石です。
私たちの間には愛ゆえに引きつける力があります。この愛の磁石は全ての人の中にあります。この世の中で愛のない人はいません。その愛こそが神の性質です。私たちはその愛を無私の心で用いなければなりません。神はひとかけらの利己心もありません。利己心とは愛の無いことであり、愛とは利己心の無いことであります。神は愛の中に生きること以外に人に何も望みません。神は特定の形ではありません。愛は神ですから、愛をもって生きなさい。
しかしながら、世俗的な感覚で、人はこの愛を家族、妻及び子供たちのために用いています。愛は神そのものの形です。愛は神の形であり、神は愛に満ちております。愛を愛と結びつけることは絶対的に必要なことです。もしもあなたがこの愛を強化すれば、あなたは神を体験し、神の英知を獲得するでしょう。あなたがたの中に愛があるから、あなたがた皆はここにいてバガヴァンを見ることができ、バガヴァンはあなた方に対する愛ゆえにダルシャンを与えているのです。あなたは単に人間だけではありません。あなたは宇宙の形です。あなたの中にある能力は誰も測り知れません。あなたがた各人の中には無限の可能性があるのです。しかし、あなたはその内在する能力を知ることができないのです。15/7/01

人間は、神を愛することによって、無限の力を得ることができます。しかし今日、人々は愛の原則を理解するための努力をいっさいしていません。人間の愛は、無限にして永遠の甘露のごとき神の愛に比べれば、一個の原子のようなものに過ぎません。人間が、愛の原則を理解してもいないのに、すべてを知っていると考えるのは、愚かさと無知の故です。 人間は、愛の目でものを見、愛の耳で聞き、愛の感情を培わなければなりません。30/5/99
もしあなたに愛があれば、それで十分です。他のすべてのものがあなたに自動的に付加されるでしょう。奉仕、犠牲、謙虚さ、信愛、自制というものはすべて愛に含まれています。あらゆる徳性をあなたから導き出し、霊的にあなたを高めてくれるのは愛だけです。愛のあるところには、エゴや憎しみや嫉妬といった、低級で卑劣な動物的性質はありません。STPSp114
人間として生まれた限りは、他の人を幸せにしなくてはなりません。これが愛というものです。あなたのハートは愛で一杯なのです。あなたはそれを他の人と分かち合わなければなりません。たくさんの食べ物があるとき、あなたは他の人と分け合うでしょう?そうでないと食べ物がいたむでしょう?それと同じで、あなたの愛を毎日少なくとも5人の人に分け与えるべきです。この神聖な愛をあなたは他の人と共に分かち合い、修行し、経験しなければなりません。SS2/94p53
愛によってのみ怒りを抑えることが出来る。放棄と犠牲の心によって欲望を抑えることが出来る。愛のあるところに怒りはありません。愛が充分にあれば、心に憎しみや怒りが入ることはありません。心は一人用の椅子に似ています。一つの特性だけがその場を占めることが出来るのです。愛はいつも惜しみなく与え、人の欠点や弱さを許すものです。~愛で輝いていれば、この世で出来ないことは何一つありません。愛があればどんな障害も乗り越えることが出来ます。怒りに対して勝利を収める為には、心を愛で満たし愛を人生の何よりも大きな力とすべきです。
自分の心の中に宿るものが、すべての人の心の中に宿っていることに気づいて下さい。自分が愛し、祀っている、心の最高の場所にいる神がすべての人の心の中にもいることに気づくのです。それが出来れば、誰に対しても怒ったり憎んだりすることは出来なくなります。ただ一つの神がすべての人の心にいることがわかったなら、人を見下すようなことが出来るはずなどありません。いつも愛の心でいて下さい。心の中に永遠の愛を打ち立てるのです。SGc10
愛が思いになれば、真理になります。愛が行動になれば正義になります。愛が気持ちになれば平安になります。平安とは愛のことです。愛を込めて理解すれば非暴力です。愛がすべての底に流れています。SGc8
信愛を持って話される言葉は真理です。愛を持ってなされる行為は、ダルマです。現在、起こっているあらゆる不正で不当な行為は、もっぱら愛の欠如によるものです。一方、愛で持ってなされた行為は、正義となります。愛がある時、あなたは平安を享受します。顔は心の指標であると言われています。心が不安か、穏やかか、動揺しているかは、その人の顔を見ればわかります。平安を味わっている時は、真理に基づいて話され、ダルマがなされます。
このように、愛の体験は、平安です。あなたは非難や中傷に影響を受けません。平安は愛に支えられている時、否定や非難を超越します。このことは、あなたがやがて、愛に満ちた心で会得出来る事であり、そうなれば、あなたは、決して誰をも傷つけることはなくなるでしょう。これをアヒムサと呼びます。このように、この世では、愛によって得られないものは無いのです。いったん、この神聖で普遍的な愛を育めば、あなたはすべての人間的美徳と人間的価値の体現者となることでしょう。STPS2p111
神を見たいと思うなら、自分の心を愛で満たせばよいのです。そうすれば必ず神と出会うことが出来ます。ただし、この愛が本当に確かなものになっていない限りは、バジャンやジャパによって神を敬うことが必要です。愛の心を育めば、そういった修行はいらなくなります。SGc5
神と一つになりたいと思うなら、神の気持ちになり、神の姿となって、神の徳性をすべて身につけなければなりません。その時はじめて神と一つになれるでしょう。神のすべての徳性が自分に現れるように求めることが大事なのです。「神様の様な大きな心を持てますように。神様の無私の気持ちを持てますように。神様の限りない愛を持てますように。」そのような気持ちを持つことが出来れば、「私と神は一つだ」という境地になるでしょう。SGc6
愛は無私の行為によってのみ知ることが出来る。25/5/91
昔の人のハートは穏やかで愛に満ちていました。愛は本来柔らかで慈悲深いのですが、状況によって愛は厳しくなります。つまり、愛の心から罰を与えることがあるのです。厳しい言葉も罰も、愛の心から出たものです。2/9/91
他の人があなたを愛さなくても気にしてはなりません。しかし、あなたは他の人を愛し、人々を自分の近くに引き寄せるべきです。もし、あなたが他の人を愛さないなら、人々はあなたから距離を置き続けるでしょう。それはどれぐらいの期間でしょうか?それは、あなたが他の人を愛さない間はずっと他の人たちはあなたから離れているでしょう。あなたが愛を与えた瞬間に、愛はあたかも電流のようにあなたの心から他の人の心に流れて行き、人々に変容をもたらすでしょう。私は、あなたの中にそのような変容が起こることを待っています。8/08

愛は神に到達するための王道です。愛以外のいかなる道も、あなたを神に連れて行くことは出来ません。神を獲得した全ての霊性修行者は、愛によってのみ神に到達できたのです。29/10/09
お腹がすいているときにご馳走を出されたらうれしく思いますが、そうでないときは、どんなに立派な食事でも美味しくは思いません。それは好きという気持ちも嫌いという気持ちも自分から来ていると言うことです。食べ物から来ているのではありません。悦びも苦しみもどんな感情も、自分の外から来るのでは無く、人の内側から来るのです。喜びや悲しみの原因は、ただ自分がその人を好きか嫌いかによります。大好きな人がいて深いつながりを感じていれば、どんなことをされたとしても、その人がずっと好きなのは変わりません。この何があっても変わらない気持ちはどこから来るのでしょう。どんないやなことを言われても、何をされても、やはりその人が好きなのは、何故でしょうか。それは、その人が本当に好きなら、その人から何を言われても、何をされても、やはりうれしいからです。
ある人のことを大切に思っているというのは、その人を愛しているということです。愛と呼ばれるこの特性は、自分以外の人にまっすぐに向かう気持ちであり執着の気持ちの一つです。愛も悦びも、執着となって現れている物は、どちらも自分自身から生まれています。その相手も同じ気持ちでいるとしても、そうでないとしても、そこで感じている気持ちは自分の内側だけから起こっています。他の人から来るのではありません。
~この世ではどの人も相手のためでは無く、自分自身のために人を愛するのです。ある物が大切だとしたら、其れはその物の為では無く、真の自己のために大切にしているのです。真の自己への清らかな愛が自分は肉体だという意識によって汚れると、執着やエゴに変わってしまいます。そうなれば結果的に人は苦しみを味わうことになるのです。SGc19
人を愛しなさい。そうすれば、嘘をついてその人を騙す必要はありません。愛する人には真実のみを語るべきである、とあなたは感じるでしょう。このように愛は大きな心労を取り除きます。SSSVol1chp7
愛は報酬を求めるものであってはなりません。返礼として何かを期待するのでは、真の愛とはいえません。完全に利己心の無い愛をつちかうことは、人間としての義務です。8/89
あなたが神を愛すれば愛するほど、祝福を受けるでしょう。神性さは、愛そのものなのです。愛は人々の心に、永遠の真理として光りを放っています。しかし、利己心が覆っている心には、それは眠っています。愛が光り輝くのは、その人の心に利己心がないときのみです。愛は、エゴや見せびらかしの心と、共に相容れないものなのです。愛は、あなたを神性さの最も高い極みへと連れて行ってくれるのです。SS6/95p162
「神は愛。愛は神。愛の内に生きなさい。」それはどのようにして可能なのでしょうか。あなたが愛しているのはせいぜい一人か二人でしょう。もし、あなたが愛そのものとなるなら、あなたは無限となり、すべてを愛せるようになります。ですから、愛する者になるのではなく、愛そのものとなりなさい。神は愛の化身ですから、あなたは愛を通じてのみ、神を悟ることができるのです。月は月の光でのみ見ることができる様に、あなたは、愛を通して愛そのものである神を体験し、その結果、至福を享受出来るのです。STPS2p239
今日、蟻を見つけて殺しても何とも思わないのに、神様の像を見ればその像に向かって拝んでいる人達がいます。言っていることとやっていることがまるで違うというのが、現代人の特徴です。その結果、人は、神様に近づくよりも、邪悪な人になりつつあるのです。それに対して、ギーターは心と言葉と行為を結びつけるのが本当の人間らしさだと教えています。それが出来れば神様のような人になれるでしょう。神を深く信じ、すべての生き物の中にただ一つの神を見るようにして下さい。愛を大きく拡げていくのです。愛は、皆さんが神である印であり、すべての生き物の中に神がいる証です。すべての人を愛と真心の目で見て下さい。そんなふうに人とふれあうことが出来なければ、どんな修行も無駄になります。神様をあがめながら自分の身近な人を傷つけていては、最高の目標に達することは出来ません。SGc27

*愛国心
愛国心とは、国の古来の文化を誇りに思い、決してそれらの価値を下落させないという決意を抱くことです。6/85

 *灯り
世俗のことにだけあなたの灯りを向けているならば、あなたは神の灯りを楽しむことは出来ません。MBAIp209

 *赤ん坊
赤ん坊が生まれ落ちると泣き始めます。赤ちゃんが泣けば血液が循環し始めます。それ故赤ちゃんが泣くのは良いことなのです。人の人生も泣くことから始まって祝福で終わらねばなりません。この世は、良いことと、悪いことが混じり合っています。我々は良いことのみを体現すべきであって、悪いことは受け流しましょう。不幸にも、我々は悪いことを人と共有して、良いことを他の人と共有しません。我々は他人の欠点を探し出そうとします。それよりも、自分の欠点を見つけ出しなさい。10/4/96
生まれたばかりの赤ん坊は泣き声を上げますが、成長した大人は微笑みながらこの世を去るべきです。どうして赤ん坊が泣くのか知っていますか。赤ん坊が泣くのは、これから待ち構えている長くて骨の折れる問題だらけの人生、という不幸が目の前に横たわっているからです。人は誰もが何度も何度も生まれ変わります。だから赤ん坊は泣くのです。、人生は「私は誰か。{コーハム}」という質問で始まり、一生が終わる前に「私は神である。{ソーハム}」という答えを見つけなければなりません。STPSp249
お母さんが赤ん坊にお乳を含ましながら優しく耳をマッサージするのは、赤ん坊が良くお乳を飲めるために良いのです。OTYRTNp211

 *悪
悪は何千もの罠を用いてあなたの心を捕らえようとします。あなたは、それに対して常に用心深く目を見張っていなければなりません。SSALp141
「舌の悪」、「心の悪」、「手の悪」を避けなさい。つまり、他人の名声を傷つけること、他人の利益を害すること、苦痛を引き起こすことをやめなさい。邪(よこしま)な感情や激情を断ちなさい。悪い行いから離れていなさい。これらの諸悪が存在しなくなったとき、初めてあなたの理想のディヤーナ〔瞑想〕が成功可能になります。こういった悪がわずかでもあれば、心を曇らせ、混乱と動揺を作り出すでしょう。
世の中には、善と悪の間に絶えざる戦いが続けられています。他者を妬んで、非難・中傷をする人々がたくさんいます。しかし、私たちは、そのような非難にまったく重きを置く必要はありません。賞賛や非難は、人類にはつきものです。バーラタ(インド)の国においても、その種の困難を経験し、忍耐によってそれを乗り越えた有名な人物が何人もいます。もし皆さんが真理と愛に生きているのであれば、決して危害を受けることはないでしょう。肉体はいつかは滅びます。ただ単に肉体を安全に守るために、悪いことを行ってはなりません。肉体は滅びますが、魂は永遠です。ですから、真理を求めなさい。真理よりも偉大なものは存在しません。23/11/2000
あなたが悪事を働くと、それは後ほど何倍にもなり、幾通りにもなってあなたに戻ってくるのです。SSN春1986p34
アートマは善悪を超越しており、何者もアートマに触れたり傷つけたりすることはできません。照覧者であるアートマは二元性を超越しています。たとえば、蓮は水と泥の中で花を咲かせます。水と泥が無ければ蓮は生きられませんが、水も泥も蓮に付着して存在しているわけではありません。泥は過去世でなした行為で、水は現在での行為の結果を象徴しています。
蓮の花はアートマで、過去と現在を超越しています。鳥は卵から生まれ、木は種から生じます。それと同じように、アートマの本質と人間性は相互関係にあり、互いを補い合っています。ですから、悪には注意を向けないことが悪を排除する方法です。悪を幻とみなしなさい。それでよいのです。STPS2p166-8

絶対的善は存在しますが、絶対的悪は存在しません。悪は変化するものであり、善の一つの側面を歪曲したものが悪なのです。しかし、普通、肉体意識にとらわれている人は、善と悪を一つと見なすことは出来ません。自分自身と他の人のうちに存在する神性意識を知った時に、私たちはじめて善と悪を同一視する事が出来るのです。
善のみが真実であり、目に見えるものがたとえ歪んでいても、本質的にはすべてが善であるという真理を、不断の態度としてあなたが培えば、非常な力を得ることができるでしょう。~全ての人は良い人なのですが、悪い行動が伴っているのです。作用と反作用の法則です。それゆえ、邪悪な事件の被害者に関していえば、すべては何の例外もなく起こるべくして起こるのです。CWSSBJp139
邪悪と信愛という二つの要因は、どのアヴァターの降臨にもなくてはならないものなのです。このように、神の計画には霊妙な秘密が隠されているのです。21/5/95
スワミが人と接する場合は、その人の善良な性質に目を向けて、悪い性質を無視します。それは、その人の善良な性質を増強するためです。~この世で生きて行く上でのスワミの教えの核心は、他者に内在する本質的性質である神を見て、その性質を愛し、それ以外の一切の行為、性質、不品行、悪い特質などに気を止めないことです。
私たちの接する相手の内におられる神に対して抱く愛は、霊的愛であって肉体的愛ではありません。それは、その人の世俗的な性質に神を見るということではありません。その人の世俗的行為の不品行を大目に見たり、褒めたりすることではなく、誤った行為を叱らないという意味でもありません。
その人に内在する神に真に集中し、それを愛するとはいえ、その人の欠点、誤った行為、短所などを叱ってそれに気づかせるべきです。そうすることは、その人を傷つけることでもありません。重要なことは、それをする動機です。CWSSBJp82
神聖な人々は、いつも善に目を向け、悪にとらわれることはありません。世の中に見られる悪い行為に関する思いで心を満たしてはいけません。あらゆる種類のサーダナの目的は、全てのものの内に神を見るように心を訓練することです。CWSSBJp275
最近は、憎しみ、妬み、見栄が蔓延しています。これらのものをすべて取り除き、愛の道をたどりなさい。あなたの望みが満たされても、そうでなくても、起こることはすべて、あなたにとって良いことだと考えなさい。あなたが困難に遭遇したときは、そのうちもっと良い日が来るのだと考えなさい。善と悪は常に隣り合わせです。ですから、善と悪の両方を同じ心で受け取りなさい。ギータは、『幸せも悲しみも、損も得も、勝利も敗北も、完全なる平常心を持って扱いなさい』と言っています。楽しみは、苦痛と苦痛の間の期間です。あなたの世俗的な欲望を減らしなさい。神を求める気持ちを育てなさい。神への愛を高め、それによって、さらに幸せになりなさい。もし欲望が大きくなると、あなたの苦しみもその分だけ大きくなり、幸せもそれに反比例して減っていきます。23/11/00
真の至福は外側の世界から手に入れることはできません。真の至福はあなた自身のハートの中にあります。実のところ、至福は全世界にあまねく広がっています。全世界に悪を見るのはあなたの心のゆがみが原因です。それゆえ、心を清めなさい。そのようにして初めて真の人間となることができます。
心が汚れているなら、あなたは自分を人間とは呼べません。価値のある行いをしなさい。よい言葉を話しなさい。神聖な生活を送りなさい。このようにして、あなたは生活の中に充足感を見いだすことができます。この世には悪は存在しません。あなたが見つける悪は何であれ、あなた自身の思いの反映に過ぎません。あなたの周りにあるものすべてはあなた自身の反映です。あなたが何かを 指差して「それは悪い」と言う場合、それはあなたの中の悪が外側に映し出されていることを示しています。決して悪い思いを心に抱いてはなりません。心を甘露のごとき思いで満たしなさい。そうすれば、あなたの人生は甘美なものとなるでしょう。16/3/03

 *悪人
悪人とは言葉を交わす必要はありません。彼らと大きな距離をとるのは、あなたにとって良いことです。もし必要なら、そういう人との関係を断ち切りなさい。TOSSSBp38
このサティヤサイババという化身においては、悪人は退治されるのではなく、矯正され、改められ、教育されて、正しい道に戻されるのです。シロアリのついた木は、切り倒さずそのままにしておかれます。また、この化身はリーラ、奇跡、教化のセンターとして、将来この地以外の地を選ぶことはありません。この木は移植しません。この木は大地から生じたこの場所で成長します。SSSVol1chp2
自分の欠点を指摘してくれた人に対して、感謝すべきです。その人に対して憎悪を抱いてはなりません。自分を悪くいう人を憎むことは、良い人を憎むことと同じく、悪いことなのです。善人を愛し、悪人とは交わりを断ちなさい。しかし、よく覚えていなさい。悪人とて憎んではなりません。悪人を避けなさい。DVJp102
私は、自分自身を私に全託する人々を救うために降臨しました。人々が『私はあなたのものです。それゆえ、あなたは私を救ってくださらなければなりません』と一度でも心の底から祈るなら、私はその人を受け入れ、行為と結果、生死の輪廻、という悪循環からその人を救い出します。実際、私の愛を理解していない人々は、なぜ私が悪事を働く人々を保護するのか不思議に思っています。もし私が罪びとを受け入れず、罪びとを変容させないなら、いったい誰がそれを行うというのですか? ND
悪人も含めすべての人々は兄弟なのですが、五感を通して悪い食物を摂っている人々から離れていなさい。魂は神の立場からは一つですが、彼らと肉体的にレベルでは交わってはなりません。CWSSBJp140

 *悪魔
悪魔的人間は人間の守るべき道徳律を無視し、恥ずべき感覚の悦楽を追い、エゴと慢心に満ちて利己的な目的の為に他の人を傷つけることをなんとも思いません。彼は傍若無人に罪深い行動をし続けます。自己中心が彼の息吹であり、執着は彼の背骨です。このような利己的な人を称して悪魔といいます。25/12/92
荒々しい言葉で話す者は、まさに悪魔です。あなたが他者の感情を傷つけたならば、あなたはその倍傷つけられることとなるでしょう。自分の行為の結果からは逃れられないのです。あなたは、その真実を心に留めなければなりません。他者を傷つけないという心構えをもちながら行為するとき、あなたの人生は神聖なものとなります。19/11/02
その人の行為によって、その人が人間か、悪魔か、神聖な人かわかります。その人が、悪い想念を持ち、口汚く、悪い行為にふけるなら、その人を悪魔と呼んで差し仕えありません。また、自分を助けてもらった人を傷つける人も、同様に悪魔と呼んでいいのです。SS6/1996p,143
この広大なバーラタの国において、現職の政治家の中にそのような崇高な理念の遂行に携わっている人が一人でもいるでしょうか? それどころか、彼らは慎みのない者のように他者の悪口を言い続けています。神聖な行為を邪魔しようとする人は、人間ではありません。そのような人は本当に魔物でしかありません。たとえ全世界がそのような魔物で一杯になったとしても、サイの決意は決して変わりません。(拍手)。一部の人々が、卑劣な考えから、サイババのイメージを汚そうと努めています。私は名声を求めません。ですから、いくら彼らが虚偽の敵対宣伝をしても、私が失うものは何もありません。私の栄光は日増しに高まっていくでしょう。たとえ彼らが全世界で派手に虚偽の敵対宣伝を繰り広げたとしても、その栄光は微塵も低下することはないでしょう。 一部の帰依者は、これらの虚偽の主張に惑わされているように見受けられます。そのような人は真の帰依者ではありません。サイの大いなる力を知ったのであれば、どうして「うるさいカラスたち」を恐れる必要があるでしょうか? 私たちは、あちこちの壁に書かれている内容や、政治的な会合における発言や、出版物となって出回っている下品な作り話などのために、自制心を失ってはなりません。真理と、正義と愛の原理を広めるのだと、固く心に決めようではありませんか。25/12/00
虚偽でもって人を陥れようとしている人々は、必ず破滅の憂き目に会います。虚偽のネガティブな宣伝を煽っている人々も、滅びの定めを避けることはできません。
お金は、正しい行いをするために活用すべきです。それを邪(よこしま)な目的に使ってはなりません。心からの愛と慈悲を込めて人類同胞に奉仕をしなさい。彼らに正しい道を進ませ、幸福の手助けをしてあげなさい。私は、人々が繰り広げるいかなる虚偽のネガティブな宣伝をも恐れません。真理と正義と愛の道を守っている私が、何を恐れる必要があるでしょうか? 人々には好きなことを言わせておきなさい。私の心は乱れません。25/12/00
一部の外国人たちが、彼女たちを買収してサティア・サイババを非難するための話を捏造させようとしています。スイスでは、女子大の卒業生に対して、ある人物が、サイババを陥れるための作り話を考えて欲しいと言って近づいたとき、彼女は烈火のごとく怒って、すぐさま自分の履いていた靴を脱いで手に取り、ほとんど相手を打ち据えるような勢いで「これがあなたの宗教の教えですか? これがあなたの宗教が広めようとする理想なのですか? 恥を知りなさい! ここを出て行きなさい!」と迫ってその人物を追い払いました。しかし中には、ユダのように買収されて、サイババを陥れる虚偽の攻撃をする裏切り者たちがいます。25/12/00
心の中では悪いことを考えていても、他人の前では愛想よく話す人々がいます。そのような人はまさに悪魔です。悪魔は夜になれば力を得ることで知られていますが、その夜とは、邪悪さと無知の暗闇の象徴です。昼はスグニャーナ(霊的知識)、夜はアグニャーナ(無知)の象徴です。無知の暗闇に沈むとき、あなたは至る所に邪悪さだけを見出します。そのような人を人間と呼ぶことはできません。その人はまさしく悪魔です。2/4/2003
人は欲望や執着や考えによって悪魔になってしまいます。人はある種の欲望だけを持つべきです。それは、神への愛です。罪への恐れです。この二つによって、あなたは善人になります。16/7/97
人間は、真のマーナヴァ(人間)らしい生活を送っていればそれで十分です。というのは、人間にはマーダヴァ(神)が内在しているからです。残念なことに、今日の人間はダーナヴァ(悪魔)のごとき生活を送っています。人間は頭のてっぺんからつま先まで、悪魔のようになっています。それでどのようにして幸せを得ることができるでしょうか?心を清め、その中に至福を体験し、あなたの幸せをあなたのまわりの人と分かち合いなさい。 時として、怒り、貪欲、嫉妬というような悪い性質があなたを打ち負かそうとするかもしれません。それらは過ぎていく雲のようなものです。それらに流されてはいけません。あなたのハートから生じる純粋なる永遠の意識をしっかりとつかんでいなさい。16/3/03
今日、人間は、自分が神の一つの様相であることを理解していません。人々は、神が自らの中にいるという事実に気付かず、自分を愛してくれる存在はいないと思いこんでいます。すべての人間が、神聖であり、慈悲に満ちているハートを持っているのです。神は、そのようなハートに住んでいます。しかし、今日、人は生来もっているはずの慈悲心を失ってしまい、薄情になっています。そのような人間を神の火花と呼ぶことはできません。彼は、まさに悪魔です。「永遠なる真我は『私』の一部である・・・」という神の宣言は、このような人間には当てはまりません。9/10/02

*悪霊
神が内在しているにも拘らず、人間はまるで悪魔の影響のもとにあるかのように振る舞います。何よりもまず、人間は、自分が神の火花であり、いかなる悪霊であれ自分を支配することはない、と悟るべきなのです。神は、あなたのハートに住んでいると語ります。ハートはただ一つの座席です。そこにあるのは、ただ一人のためのみの場所です。それゆえ、他の誰でもなく、神のみがあなたのハートに座るべきなのです。9/10/02

*阿修羅
阿修羅の特質を変容させて、甘露の如く純粋なものにすることのできる神の御名は実に万人にとって、世界にとっての平安の天国であります。御名を途切れることなく繰り返し唱えること、その御姿と御名を熱烈に愛すること、それこそがバクティ(神への愛、帰依)という呼び名にふさわしいものです。バクティとは、最高の愛が、そしてもっとも純粋な愛(プレマ)が、神に向けられていることを意味します。至高の平安 P.99

 *与える
あなたに覚えておいて欲しい事は、良いことをしてもらった人に対して、良いことをして返すという事は、別にたいしたことではないということです。これは単にギブ&テイクということだけです。あなたを傷つけた人に対して良いことをするというほうが、よっぽど素晴らしいことなのです。サイの召使であれば、与え、与えるということをモットーとすべきなのです。たとえその人から何も見返りが得られなくとも、与え、与えるということをすべきなのです。SSS Vol11p104

*頭
頭は、あらゆる力が位置する場所です。神聖な人の頭の周りに光輪が輝いて見えるのはそのためです。ですから、人は十分に気をつけて頭を保護しなければなりません。10/2/05

 *アートマン
何か困ったことに出会うと、人は絶望して泣き、神を非難さえします。しかし嘆く必要は全く無いのです。一切の悩み事は過ぎ行く雲。雲は永遠の太陽の光輝をいつまでも隠すことは出来ません。それと同様に、如何なるものもアートマンに影響することは出来ません。この絶対実在が自分であることを実感認識するのなら、あなたは嘆くことは無いのです。あなたは至福の権化なのです。19/10/93
人はこの世のあらゆるものを信じていますが、自分自身を信じていません。アートマン真我への信頼があれば真我への満足が生じ、真我への満足があれば、真我への犠牲と真我の悟りが生じます。土台がしっかりしていれば壁は安全であり、壁が安全であれば屋根は安心だというのは周知のとおりです。そのような家で、初めて人は無事に暮らすことができます。今、土台がしっかりしていません。それでどうやって壁が安全な状態を保っていられるでしょう? 人間の土台は真我への信頼であり、真我への満足が壁であり、真我への犠牲が屋根であり、真我の悟りが人生です。ですから、これら四つは完全無欠であるべきなのです。22/11/08
アートマンとの全一性を実感認識できる者のみが、無限の至福、即ち永遠の至福を経験することが出来ます。30/5/92
一つの同じアートマが、覚醒状態、夢見の状態、熟睡の状態という三つの状態のすべてに存在しています。覚醒状態では、肉体や心や知性と関連して働き、夢見の状態では、肉体はベッドに横たわって寝ている為に、すべては心の産物であり、心があなたをも造り出しています。熟睡状態では、肉体も心も知性も存在しません。~外界から得る衝撃や作用や影響は、心に取り込まれ、刻印されます。しかし、その一方で、肉体と心と知性を通じて働き、照覧する「チダーカーシャ」と呼ばれる「私」という感覚が存在します。これらの三つは、肉体、微細体、原因体に相当します。stps2p143
アートマンの至福はこの世俗的至福より、一兆倍の価値があります。一度このアートマンの至福を体験したら、他のことなど考えられません。人は、すべてを忘れて、アートマの至福と一体となりそれに浸ります。世界中にこの至福で満たされていないところはどこにもありません。この世の万物には、生来この至福が含まれているのです。SSNewsVol14
世間のものに心を奪われている限り、アートマの光が差すことはありません。ですから世間のものへの執着と憎しみを~惹かれることと反発することを~心から追い出してしまわなければなりません。それが出来ればアートマの知識が身につくでしょう。心にアートマの知識を抱くようになれば、平安な気持ちを味わうようになります。かぐわしい平安が周りに広がります。ところが悪い感情、悪い思い、悪い行動で溢れていると、心は汚れてしまい、周りの人にまで毒気を浴びせるようになります。良いことでも、悪い事でもどんなことでも、心に溢れる思いは周りの人に広がっていきます。そして周りの人はすぐにまた、よく似た感情を持つようになるのです。SGc9
人の心という小さい穴からこの世を見ると、多様な色とりどりの創造物が見えます。ところが、アートマンに関する知識が授かり、アートマンの大いなる光が注がれると、あなたはこの世は唯一の無限光によって満たされており、個々の創造物を見ることはもはや不可能になります。SDMp94
力がみなぎるこのアートマンの本性と機能は、かすかな姿をとって各人のうちに存在します。人は身体機能と心の機能を用いて富と世俗の物質を獲ることだけに夢中になっている為、この神聖な力を見ることが出来ません。全ての器官や道具を機能させるアートマンが存在しなければ、身体は価値のない肉と骨の塊です。それゆえ人の第一の義務は、まったく価値のない身体に価値を与えるアートマンを認識し、そしてこれらの道具としての身体の働きを正しく調整して人間として生を受けた目的を成就することです。25/5/91
アートマンの機能と本性は人類に愛の機能と本性を教えるために、天なる住居からこの世に降臨しました。したがって各人は愛の真の本性を学ばなければなりません。神への愛が強ければ強いほど、味わう至福も大きいのです。永続する至福を望むなら、神に対するひたむきな愛を、培わねばなりません。18/10/91
アートマは私たちの心という空で、月のように輝いています。けれども、時折、私たちの思考や欲という雲でアートマが覆われてしまうことがあります。季節によって厚い雲が出るときがあります。厚い雲が出ているときには、月を見ることはできません。同じように、アートマはすべての人に内在しています。自分の思考と欲という厚い雲のせいで、皆さんはアートマを見ることができないのです。ですから、自分の欲を抑えるようにしなさい。24/8/07
アートマの輝きにはただ一つの性質があるだけです。それは、すべての人を明るく輝かすことです。アートマの光はすべての人が同じように持っています。それは永遠の不滅の魂の光、と呼ばれます。それはすべての人に備わっている純粋な光であり、それだけを特徴としています。それに対して、人生というランプの炎は一人一人皆違っていて様々な変化と問題にさらされるのです。SGc31
二元性の感覚をもっている限り、あなたにとってこの世は存在します。熟睡状態のとき、あなたは真の至福を楽しみます。そのとき、あなたは自分の体も、心も、感情も、性質も、思考も意識しませんが、それでもあなたは存在しています。その同じ純粋な「あなた」は、覚醒状態でも、夢見状態でも、熟睡状態でも存在しています。肉体にも、微細体にも、原因体にも、「あなた」は存在しています。これらすべての状態と段階において、いかなる変化も受けずに存在し続けているもの、それがアートマの原理です。30/3/87

 *アーナシャクテイーヨガ
完全に利己心が無く、行為の結果を全く考えず、完全に集中して有能な仕事をし、しかも執着や欲望を待たず、全ての行為を神にささげる時、それがアーナシャクテイーヨガの実践です。アーナシャクテイーヨガはブッデイヨガよりはるかに優れ、中々凡人に出来ることではありません。しかし私達は、アーナシャクテイーヨガの境地に達する努力を放棄してはなりません。全力を挙げて努力し神の御加護があれば、一見不可能なことに見えることも成し遂げられます。6/86

*あの世に持っていけるもの
今までに1ナヤパイサ(インドのお金の単位 )でもあの世に持っていった人は一人でもいますか。あなたがこの地上を去るときお金を持っていくことはできません。もし人がこの世を去るときに砂を持っていくことができるとしたら、砂はこの世から全て無くなっているでしょう。わたしたちが持って行くものは善い行いと悪い行いだけです。わたしたちは善い評判を得るべきです。15/7/01

*油
ヴィナーヤカ チャトゥルティーの日、人々は特別料理としてクドゥムルとウンドラッルーを作ってヴィナーヤカに捧げます。これらは少しも油を使わずに蒸して作るという意味において特別で独特な料理です。ゴマと米粉とジャッガリー〔ココナッツ黒糖〕を混ぜ、団子状にし、蒸してヴィナーヤカに捧げます。皆さんはこのような供物を作る目的を調べるべきです。ゴマは目に良いのです。油を少しも使わずに蒸して調理した料理は消化器官に良いのです。このような料理を食べる人には血圧と血糖の問題がなくなり、ずっと健康と幸せを満喫できるでしょう。油を使って火で熱する調理法は、ジャタラーグニ(消化の火)に対して有害です。そうした料理はさまざまな病気を引き起こします。油を使った料理を食べなければ、長い人生、幸せで健康な人生を送ることができます。10/9/02

*雨
将来、あり余るほどの雨が降ることでしょう。だれも苦労することはなくなります。実際、私はあらゆる苦難から世界を救うためにやって来たのです。私は皆さんの欠点を直し、過ちを許すことによって、確実に皆さんに幸せを与えます。皆さんは一体性と愛のうちに生きなければなりません。20/3/07

*アメリカ
バーラタはダルマジャの立場で、アメリカはアルジュナにあたり、ロシアはビーマにあたります。ビーマとアルジュナがダルマジャの命令に従ったように、アメリカとロシアもバーラタに追随すべきです。
STPSp20
皆さんは新聞で、如何にアメリカがイランやイラクや他の国々と戦争をすることによって、金銭と資源の大きな浪費に耽ってきたかを見たに違いありません。そうすることでアメリカは一体何を得てきたというのでしょう。今、アメリカ経済は疲弊し国は不況にあえいでいます。それは、ひとえに彼らが資源を不適切に使ったことが原因です。29/8/09

*アヴァター
人は神の性質に気づくことができずにいます。アヴァターは、一人の役者としてこの世の舞台に降り立ってはいるものの、神は自らの役割を演じるのにふさわしい時を待っているのです。23/11/94
驚くべきことは、アヴァターが目の前にいるにもかかわらず惨めな気持ちをいだくことです。アヴァターのすぐ近くにいてアヴァターと一緒に移動し、歌を唄い、スポーツを一緒にしているのにアヴァターの真理を理解できないということは、驚くべき現象だといえるでしょう。あなたがアヴァターの原理を理解出来た時、あなたは真の祝福を味わうことが出来るでしょう。SS9/90p231
真実を言えば、アヴァターがまとう肉体は、個人の過去世における行為の質によって作られるカルマ デーハ〔行為によって得た肉体〕ではありません。アヴァターとしての神は、意のままにどのようにでも肉体を形成し変えることができます。神は、自らが意志した時に、意志したとおりに、肉体を生じさせたり捨て去ることができるのです。他のいかなる力も、いかなる人間も、それに影響を及ぼすことはできません。一切は、神が望むとおりに、神の決めたとおりに起こります。アヴァターを肉体と見るのは正しいことではありません。24/7/83
神が人間の姿で誕生するとき、神は他の人々のように母親の子宮から生まれるのか、それとも、自らの意志によって生まれるのかと、人々は疑問を持ちます。その真相は、神が人間の姿で誕生する際、神は両親を選定するということです。神は自分がまとった姿を用いて、アヴァターの使命を果たします。これはどの時代にも起こります。7/10/05
十番目のアヴァターであるカルキアヴァターは、シルディサイ、サッチャサイ、プレマサイと三つに分けました。このことはこれまでのユガでは見る事はできず、カリユガにだけで見ることが出来ます。サイアヴァターは初期のカリユガでも将来のカリユガにでも現れることはありません。シルディババであったころ私は食事の準備をしていました。人々は、シルディババはよく怒るといいますが、もし子供たちが食事の邪魔をすれば怒らざるを得ないでしょう?プレマサイアヴァターでは、すべての人が、神が用意した食事に楽しくありつくことが出来ます。P,67 ANDI
将来、あなた方は神の顕現をもっとたくさん見るでしょう。この至福は神の近くにいてはじめて経験できるものであり、その他の場所では経験できないということを理解しなさい。私があなた方と同じように話し、笑い、歩き、食べているからといって惑わされてはなりません。身体の感覚に惑わされてはなりません。私の行為はすべて無私、無私、無私です。私には利己心は全くありません。この真実を固く信じなさい。完全に信じるなら、たとえどこにいようとも、あなたの願いは求めずともかなえられます。完全な信仰を抱かない者のみが苦しむのです。自分への自信をもっと持ちなさい。これはあなたが最初に取りかからなければならない霊性修行です。15/2/99
ダルマを復興する為に、アヴァターが人間の肉体をとってやってきたのです。神があなたの目の前にいてそのための作業に従事しています。そうであるのに、あなた方はなぜ永遠の生命や解脱について議論しているのですか。君たちの人生は始まったばかりです。まず最初に、今世でのあなたの人生の目的が何であるか見定めなさい。
神ご自身がダルマを育むために降臨しているのです。君達も私と同じ作業に従事するのであれば、それは神を礼拝することになるのです。そうすればあなたは、神に奉仕し、神の帰依者と自分自身に奉仕することになるので、神の身近にいる者となり、神に愛される者となるのです。CWSSBJp75
私は神である。あなた達はこの私が来た機会を逃さずに、川を渡らねばならない。あなたがやらねばならぬ事は、船に乗ることである。私が船長で、あなた達が乗船して来るのを待っているのだ。次の二千年の間、誰もあなた方を今私がやっているように、対岸へ連れて行ってくれるお方はこの地上に来ないであろう。p260ANDI
なぜ私が地上に降臨してきたと思う?神は無相だ。どんな特質も神を捉える事は難しい。信者が私を知り、感じるのは難しいのだ。それゆえ、私はこの姿を取り、人々が礼拝できるように地上にやってきたのだ。そうすれば、後に人々が無相で無属性の神に融合出来るようになる。p158 ANDI
このアヴァターがこの世界から悪魔を退治し始めたら、誰もこの世界にいなくなってしまうでしょう。私はそれゆえ出来る限り、一歩一歩あなた方を霊的に高める為に来たのです。この素晴らしい機会を逃すことなく,あなた方の人生の目的を果たさねばなりません。後で後悔しても始まりませんから。その方法は簡単です。ただ神の御名を唱えることです。p256ANDI
ヴィビハヴァの化身(ラーマやクリシュナなど)はプールナアヴァターラ(神の完璧な顕現)です。アルチャアヴァタラはアムサアヴァターラ(部分的顕現)です.そのような化身は、インドのみならずあらゆる国にユガごとに化身として降臨します。7/9/96
私はこの一時的でつかの間の人間の姿にあと59年とどまり、このアバターの目的を必ず果たします。このことを疑ってはなりません。あなた方に関しては、私は私のペースで私の計画を遂行します。私はあなた方がせきたてるからといって急ぐことはできません。
時として、いっぺんに十の事を成し遂げることが出来るまで,私は待つかもしれません。まるで一台分の貨車の荷物を運ぶためには、貨車のエンジンをかけず、馬力に見合った十分な貨物が詰まれるのを待つのと同じです。けれども、私の言葉は決して人々を裏切りません。それは私が意思すればいつでも実現するのです。29/9/60
神の化身は皆、不思議な現象を示します。化身を化身として認識できないことも、又、不思議というほかありません。さらに驚くべきことは、化身が目の前にいるのに、化身を化身として体験する能力をもたぬ人がいる事です。最も驚くべきことは化身の面前にいながら、惨めに感じることです。化身の近くにいて化身とともに歩き回り化身とともに歌ったり遊んだりしながら、真実の化身であることを理解できないとは真に不思議であります。化身の本性と機能を理解するならば、あなた方は真の至福を体験します。14/8/90
何も心配することはありません。何を体験しようとも、そして何が起ころうとも、それはアヴァターが意図したことだと思いなさい。このアヴァターが地上に降臨し、そしてその使命を果たそうとするときに、それを遅らせるような力などこの世に存在しません。SS10/96Back Page

*胃
あなたが「頭痛の原因は何でしょうか?」と質問したとします。非難されるべきは頭ではありません。調子が悪いのは胃なのです! 皆さんが有しているさまざまな器官は、すべてこのような状態です。胃こそが重要な鍵なのです。胃は、何でも与えられたものを消化して、そのエキスをあらゆる器官に供給します。胃に授けられているこの消化力は、実際のところ、神から与えられたものです。そういうわけで、人は神を崇めて礼拝するのです。事実、神は消化力として生物の中に宿っており、それが体内のあらゆる生命過程を支配し動かしているのです。そのような神に対してあなたが捧げるべきものは何でしょう? 神には、人間が作ったものではなく、神が創造したものを贈るべきです! ですから、何であれ自然のままの状態で食べられるものは、神によって創造されたものをそのまま戴くという意味で、好ましいことなのです。8/10/83

*イエス
人間には二つの特徴が見出せます。一つ目は一般的なもので、自分は善人で多くの徳と理性と才能を備えていると勘違いしていることです。もう一つは余り見かけませんが、他人の善良な性質や功徳、能力や善行を認識してそれらを高く評価出来る人です。イエスは二つ目に属する人です。イエスは他人の良い性質を見て、他人の徳を嬉しく思い、そしてその自分の喜びを他人と分かち合いました。25/11/88

 *怒り
苦しみに陥った人に対しては、幸せだったときのことを思い出させてあげましょう。そうすれば苦しみは消えてゆくでしょう。同じように、霊的修行者が無知に覆われているときは、その人に霊的なことを問いかければよいのです。もし、あなたが怒っている時は、興奮して大きな声で話したり、行動をすぐに起こしたりしないようにしなければなりません。どうして怒りが出てきたのか?自らに問うことで怒りのスピードは遅くなっていくことでしょう。SSIB93p,101
どんな状況であれ、怒りによって自分を失ってはなりません。両親には従うべきです。自分を憎む人さえも愛するようにしなさい。人は愛のために自らの命さえも犠牲にすべきです。人生は人がそれを愛で満たして初めて価値あるものとなります。27/1/07
欲望はそれが満たされぬ時、怒りとなります。怒りは身体を弱くします。怒りは消化システムを損ない、老化をもたらすのです。OCSp139
サトヴァな人は、怒ってもほんの短い間だけで、怒りはすぐに消えてしまいます。そんな人こそが偉大な魂の人です。SGc13
アートマの悦びに満たされたいと願うなら、自分の欲望を戒めなければなりません。どんな思いが浮かんだときも、その思いがどんな性質のものかを考えてみてください。自分の胸に聞いてみるのです。「この気持ちは、私の成長にとって望ましいか、害になるか、どちらだろう。」神を信じる者にとってまず特に気をつけるべきは、自分の思いによこしまなものが無いかどうかです。何の思いも無くすことなど、普通の人には無理でしょう。ただせめて、悪い思いが浮かんだときに、何らかの手があるはずです。悪い思いにとらわれてはいけません。忘れなさい。
どんな思いも、すぐ良い思いに切り替えるのです。それから、いつも良いことだけをするように心がけなさい。そしてどんな場合もその仕事を神に捧げ、自分の務めを神様へのお勤めとしていくのです。すべての思いを尊い思いに変え、すべての務めを神様へのお勤めとする事によって、神への道を自然に進んでいけることでしょう。そうやって思いを正しいものにしていけば、怒りが生じても抑えることが出来るでしょう。怒りが生じそれを抑えようとする場合にどうすれば良いのか沢山の人が悩んでいます。
怒りを抑える優しい方法があります。自分の中に怒りが生じたことに気づいたなら大きな声で笑います。また浴室に行って冷たいシャワーを浴びます。水を一杯飲んで、涼しいところでくつろぐのもいいでしょう。怒りが生じたらすぐにその場所を離れ他の場所に移るというのはすぐれた効果があります。
これらの方法をみんなやってみて、それでも怒りを抑えることが出来なかったら、鏡の前に行って自分の顔をよく見てご覧なさい。自分の怒った顔を見れば、きっとうんざりしてすぐに怒りを抑えることが出来るはずです。こんなふうに、怒りに対して打つ手は色々あるのです。
もう一つ、怒りが生じたときに出来ることが一つあります。それは、どうして怒ったのか、その原因を振り返ってみるのです。果たして自分の怒りは正当化できるのでしょうか。自分が怒って誰かを傷つければそれは罪を犯すことになるし、自分のためにもなりません。こうした方法は、どれも普通の人には難しいかもしれません。ただ、怒ったときに口汚い言葉で人を罵ることをしなければ、まずはよしとして下さい。少し時間をかけてよく考えてご覧なさい。怒りはいろいろなやり方で修行を志す人を弱くしてしまいます。怒ったときにその怒りを抑える努力をすれば、身体も丈夫になるし心も清められるでしょう。SGc9
怒りが湧き上がりそうになったら、冷たい水を少しずつ飲み怒りがおさまり、自分の愚かさを笑える時まで、部屋のドアを閉めベッドに横になっていなさい。怒りに身を任せる事は危険なことで、のちのちずっと悔やむことになるからです。SIP6-30
人は女性に涙を流させないということに責任を持たなければなりません。女性が泣けば、家族は苦難に直面するでしょう。足の棘(とげ)は抜くことができますが、辛辣(しんらつ)な言葉でハートを傷つけてしまったら取り返しがつきません。ですから、決して辛辣な言葉を使ってはいけません。やさしく、穏やかに話しなさい。夫には、妻の間違いを注意する権利はありますが、辛辣な言葉を吐いて妻の気持ちを傷つける権利はありません。いつも親切でいることはできませんが、いつも親切に話すことはできます。ひとたび以上の原則を守るなら、家庭は平安と繁栄を得るでしょう。普通、怒りの要素は女性よりも男性に多く見られるものです。一度の怒りで、三ヶ月以上かかって食物から摂取したエネルギーを消失します。それだけでなく、怒りは血液を煮え立たせ、それが冷めるまでには三ヶ月近くもかかります。そういうわけですから、もし何回も癇癪を起こしていたら、あなたの運命はどうなるか、想像してごらんなさい。11-8-2000
あなたが三ヶ月間良い食べ物を摂ることで培ってきた力は、たった一瞬の怒りで無に帰してしまいます。怒りは私たちを衰弱させ善行の果報を奪い取るのみならず、体調にも悪影響を与えます。SSIBp209

怒りによって、血液は急激に脳に流れ込みます。血圧は上昇し、血液の構成成分が変化します。かなりの量の毒素が血液の中に入り込むために神経は傷つき、あなたを実際の年齢よりも老けさせてしまいます。また、母親が怒るとその乳に毒素が混入し、乳児に影響を与えるのです。SSSVol11p72
怒りを口にしてしまうと後々まで消えない問題を招きます。たとえ怒るのはもっともだとしても、たとえ真実を守ろうとしているのだとしても、どのようにして甘く優しい口調で思いやりのある態度で、人が受け入れてくれるやり方で、相手を傷つけずに真実を述べ伝えればよいのかを学ぶべきです。神を信じる人は、愛を育み心を愛で満たして、怒りを抑えるように心がけるべきです。SGc10
腹立ちやすい環境にいても、怒りをコントロールすることができるなら、それは見事な成就です。そのような環境でないところで、怒りの感情をコントロールしたといってもそれは意味のないことです。それゆえ、怒りや憎悪が起こりやすい世間の生活をしつつ、それらをコントロールすることを学ばねばなりません。SIP5-52
 怒りや妬み等の悪い性質が頭をもたげる時は、それに左右されてはなりません。それをコントロールしなさい。「怒りは悪い性質である。それは悪い行為をもたらし、最終的には私の破滅につながる」と、自らを戒め続けなさい。怒りが出たときはいつでも、一ヶ所に静かに座って冷たい水を飲みなさい。神の御名を唱えなさい。そうすれば徐々に怒りがおさまります。もし怒りが持続するようであれば、一人で静かな場所に行き、急ぎ足で半マイル(約800m)程歩きなさい。このように、怒りをコントロールするやさしい道はたくさんあります。しかし、今日の若者たちは怒りをコントロールする努力をまったくしていません。彼らは、怒りが出たときはいつでも、他者に悪口を浴びせるチャンスだと考えます。それは最悪の罪です。神への祈りと黙想によって、皆さんは自分の中の悪い性質をコントロールするよう努めなければなりません。5/7/01

*生き方
神に関係しない事項には関心を持たないようにしなさい。好ましい生き方をしていない人が自分に近づいて来ても、その人の欠点をあげつらったり、嘲笑、軽蔑の態度を示す必要もありません。その人に影響されず、自分のやるべきことをやっていれば良いのです。のぞましくない生き方をする者があっても、彼らのしたいようにさせておきなさい。それが、この世から影響を受けない生き方なのです。絶対者への愛が目覚めた者は、世俗のすべての物事に対してこのような態度、感情を持つのです。
たえず心にブラフマンという絶対実在と非実在である俗世間の関係を思い起こしなさい。悪人を避けると同時に、善人ともあまり親しくならないように気をつけなさい。この種の執着は、外部世界に人を引き込みます。名と姿を取るものは実は罠なので、それらへの執着を捨てなさい。ウダシーナダ物事によって影響を受けない態度を成就する時、ゆるぎなき心の平安、自己コントロール、心の清浄を得ることができます。SIP5-66

 *医師
不幸にして現代では、一切の活動と職業は商業主義的な考え方と、金儲けをするという欲望によって汚染されました。医師という神聖であるべき職業でさえ、ビジネスに下落しました。医師は犠牲、愛、慈悲という三位一体の徳を持って患者の治療にあたらねばなりません。しかし医師の中にはこれらの徳を全く備えていない者がいます。彼らは医師という神聖な職業を金儲けの手段に悪用しています。金は大切です。しかし金銭に対して分別を持ちなさい。あなた方は金持ちからは正しい料金を徴収しても良いのです。しかし、貧しい患者にはもっと思慮深く接しなさい。
貧しい人には無料で治療するように努めなさい。百万長者と乞食とを治療費の面で一様に扱うべきではありません。医師は神に等しい。という諺があります。至高の神が愛と慈悲を持つように、医師も又、至高の神と等しくこれらの徳を持つように努めなければなりません。それらの徳を持たぬ医師は、その者を医師と呼ぶことは絶対に出来ません。~医師が毎週二日間を無料診療の日として貧しい者に捧げる覚悟をすれば、人々はもっと健康になるでしょう。21/1/94
知識を用いて人類に奉仕することは医師の義務です。~サイ病院の医師は、神の御手に使われる道具である、という感情で働いています。23/1/94

*意識
すべてに広がり、あらゆる生物の中にある意識は、人間によってのみ理解され得ます。動物や鳥にはその能力はありません。それが神性です。神性によって、あなたは肉体に限定された「良心」(Conscience、コンシャンス)を得ることができま す。「意識がある」(Conscious、コンシャス)という言葉は感覚と関連しています。「意識」(Consciousness、コンシャスネス)はあらゆるところにあります。人はこの三つとも持っています。あなたはデハートマ バーヴァ(肉体を自己と考えるこ と)から、純粋なアートマ(意識)に昇華しなければなりません。良心は、あなたが誤った方向に進もうとすると警告を発します。自分の良心の指示に適わない思いは、決して心に抱くべきではありません。18/7/97

 *意志の力
意思の力は電気エネルギーと結合せねばなりません。例えば親指の周囲にはオーラがあります。このエネルギーがなければ身体は動くことが出来ません。それをチャイタニア<意思の力>と称します。この意思はあらゆるところに満ちわたる意識です。各人は、良心と称されるものをこの意識から得ます。良心は感覚器官を通じて作用する時、意識のある状態をもたらします。全ての行為は意識の状態に属します。全ての心的機能は良心にかかわります。ブッディ<知性>によってなされることは全て、意識<チャイタニア>と関わりを持ちます。
あらゆるところに満ちわたる意識は、人体のうちに頭のてっぺんから爪先に至るまでみなぎっています。この意識が存在するのにもかかわらず、人々はそれを誤って用い、あるいは全く用いていません。太陽エネルギーの僅か2%しか世の中で利用されていないのと同様に、人体の中にある神聖意識の極微量すら正しく用いられていません。社会を救う為に神聖意識を用いなさい。自分自身の為にのみ生きてはなりません。自分のエネルギーを社会の為に用いるならば、あなたの内にある神の力は溢れる程充電され、ほんの少しも減ることはありません。15/8/93
まず内在するアートマの意識を培うことから始めてから、意志を強化すれば、アートマの至福はきわめて容易に、自然に手に入ります。つまり、動機を持たぬこと、願望を持たぬこと、執着を持たぬこと、行為の果実を求めぬ事、などの修行を始めるのです。そうすれば、道徳的な行為なども容易になります。内なる霊性を高めることなしに、道徳等を教えてもそれは表面的な影響しか、もたらさないでしょう。忍耐強くありなさい。
熱意、信念、活気、歓喜を心のうちに育てなさい。いつも、自分のなしている努力の偉大な結果を目の前に掲げ、一切の誘惑を断固として退けなさい。誘惑は一時的なものであり、ちょっと忍耐すればそれは克服することができます。さもないと、手にいれた成果は一瞬のうちに消えてなくなるでしょう。DVJp40
意思の力を正しく用いる者は、有徳の人物として光を放ちます。しかし、意志を誤った方向に用いるなら、邪悪な人間となります。欲望を減らせば減らすほど、意志の力は強くなります。過剰の欲望を持ち続けるならば意志の力は弱くなります。喫煙、コーヒーを飲むなどのいくつかの習慣の内、その一つなりとも減らすことが出来るならば、意志の力は強くなり、知的な能力も増大します。7/4/93
意思は至高神の本性です。至高神はたんに意思するだけで、何事をも直ちにやり遂げます。しかし人間は意思したことを、思いのままに成し遂げることは出来ません。意思の力は、決定的な要因です。人間の意思は、一瞬にして物事を成就させる力を持ちません。
人が強い意思力を持つ事が出来れば、その時彼は至高神の力と等しい力を持つことになります。それを称して、神への帰融と言います。瞑想によって、神へ帰融することが可能になります。~内在のアートマの見地に立つことなしに意思と願望を培えば、揺れ動く心は、意思をしたり願望 をしたりする目的のものと交じり合ってしまいます。DVJp39

 *偉大と善良
私は偉大な人物になるのが重要だと思いません。善良さは偉大さに勝ります。偉大になることを目指すより、善良であるように努めなさい。良い人間になる方が、偉大な人になるよりもずっと大切です。両者の違いは何でしょうか。それは、偉大な人は神の内に人を見ますが、善良な人は人の内に神を見ます。STPSp111

*一体性
誰が言ったとしても、それが良いことであれば喜んで受け入れるべきです。互いに協力し、調和を持って働くべきです。誰に対しても優越感を抱くべきではありません。そうでなければ、他の人に対する優越感から分派、派閥、競争、論争、対立が起きます。その結果、その場から完全に愛の精神が消えてしまいます。五本の指すべてが結束しなければ、何も出来ません。分かりますね。もし人々の間に協力、調和、そして、一体性が無ければ、決して社会が発展することはありません。STPSp75
私は一人ですが、私はあらゆる姿をしたすべての人に内在しています。私の創造物には一体性がありますが、皆さんの間違った見方のせいで多様性のみをみています。創造物の中に一体性を見るようにしなさい。自分の見方だけにもとずいて判断してはなりません。皆さんの目は良いものと悪いものの両方を見ます。見方に欠陥があると、一つのものを見る代わりに二つのものを見てしまいます。欠陥は皆さんの見方にあるのです。本当に、神は一つなのです。どんな御名を唱えてもかまいませんが、愛を込めて唱えなさい。愛を込めて神の御名を唱えるなら、あらゆる場所で愛を感じるでしょう。1/5/08
多くの人は神を求め,神を崇め、あるいは神を憶念します。神はそれらの手段によって実感認識できません。それらの活動は全て自分自身を神から分離したものと考えるからです。必要なものは神との一体感です。それはどうすれば得ることが出来るでしょうか?私とあなたは一つという感情を培えば、神との一体感を得ることが出来ます。この一体感は心によっても感覚によっても理解することが出来ません。感覚を越えるものを体験できるものは、ブッディ(英知)のみです。神との一体感を実感認識するために苦行やジャパをする必要はありません。ただ信愛さえあれば、それで充分です。5/9/96
人間は人類同胞を愛していません。人々の間に一体性がないことがバーラタの現在の問題の根本原因です。家庭にも、社会にも、国にも一体性がありません。一体性のあるところには純粋性が現れ、純粋性のあるところには神性が現れます。今、必要なのは一体性と純粋性と神性です。今の科学者たちはさまざまなものを考案しています。二階建ての飛行機が空を飛んでいます。しかしながら、科学技術による大きな進歩と共に、人間の生活の質もまた大きく失われています。昔はこのようなことはありえませんでした。何人もの人が同じ屋根の下で安らかに幸せに共に暮らしていました。何かを恐れて生活するなど考えも及ばないことでした。しかし、今はあらゆるところに恐れが浸透しています。恐れはどこから生じるのでしょう? 自信の欠如がその原因です。人は内なる真我を信じていないのです。22/11/08
皆さんは生まれもっている神性を忘れ、外の世界に神を探しています。あなた自身が神なのです。自分を外の世界に探すことは愚かなことではありませんか? 内を見なさい。そうして初めて神を見つけることができます。こうした一体性を理解するのはとても簡単です。まず第一に、強い信念をもつことです。神と自分は別個の存在ではないと信じるべきです。深く探求するなら、神は皆さんの内にも外にもいることを実感するでしょう。25/12/03
神はただの戯れで創造物(スルシュティ)を創造したのではありません。神は創造物すべての一体性を明らかにするためにそれを行ったのです。一体性は創造物の根底にある原理です。一体性には、すべてに内在する愛の原理を促進することが意図されています。 ところが残念なことに、今の政党は人々を党の路線別に分離させています。一家族の四人が四つの異なる方法をとり、家を四分割しています。これはとても悪いことです。たとえ一家族に四百人いたとしても、人々の間には一体性があるべきです。誰もが近隣の人を助けるべきです。すべての人が互いに助け合うべきです。そうして初めて、創造物に調和が芽生えることができます。さもなければ、創造物は自らの目的を失ってしまいます。1/5/08
神への信仰によって、一体性を促進することが出来ます。このホールには多種多様の人々がいます。教義も異なり、国籍も異なる大勢の人がいます。しかし全てのものがスワミへの共通の恭順の念で一体となっています。神への信念という唯一の感情によって一体性は成し遂げられます。分裂は、神への信念の無いことが原因です。1/1/96
皆さんの内にある愛と、私のうちにある愛とは、同じ一つのものです。しかし、皆さんの愛は、物質的なものへの欲望によって汚染されています。私には、物質的な富に対する欲望はまったくありません。私の愛はこの上なく純粋です。皆さんの内にある愛は、欲望に汚染されて否定的なものに変化しています。私の中には、まったく否定的な性質はありません。それはすべて肯定的なものです。ですから、皆さんの持っているネガティブな自我意識を私の肯定的な性質と結びつけて、ポジティブに変え一体性を認識出来るようにしなさい。そうすれば、皆さんは言葉では言い尽くすことができない様な至福を体験することができるでしょう。
それはどのような至福でしょうか? それは、ブラフマーナンダ(神の至福)に他なりません。このブラフマーナンダを経験すると、皆さんは神(ブラフマン)と一つになります。この段階に達すれば、皆さんはいかなる霊性修行(サーダナ)も必要なくなります。23/11/00

熱心な探求と深い内的経験によって神を理解しなさい。しかしあなたがこの物質世界に暮らし、世間的な義務を果たさねばならぬ限り、神との一体感を表現することは容易なことではありません。それを認識しなさい。生活の神聖化というものは徐々にすすむプロセスにより成就されます。27/5/92
皆さんは、すべての中に均一に存在している愛の原理を自分はどの程度まで理解しているか、自問しなければなりません。相違は私たちの知覚と感情のゆえに生じます。人間は最初から体との同一視に心を奪われており、そのせいで万物に多様性を知覚するのです。実際、多様に見えるものの中にあるのは一体性のみです。どのような違いが見えようとも、それは心の創造物にすぎません。そうした相違を取り除いて多様性の中の一体性を悟ろうとするなら、まず自分の本性を悟らなければなりません。この一体性という事実を知覚が認識出来ないと、あなたは多様性を体験します。ですから、自分の認識能力を一体性の原理に向けなさい。私はこの体ではなく、私は「私」であり、同一の私がすべての人の中に存在しています。皆さんが私をこの体をまとっている私と同一視するなら、皆さんと私は別々になります。感覚におけるこうした違いが、人と人の間の相違を作り出しているのです。「私」の原理は、すべての生きものの中に存在する唯一の基盤をなす原理です。個々人は鏡のようなものであり、同一の「私」が万人の中に映し出されているのです。鏡はそれぞれ異なりますが、映っているものは同じです。皆さんはこの一体性の事実を悟らなければなりません。21/3/04

*五つの鞘
自分がサット・チット・アーナンダの化身であることを絶えず思い起こしていれば、やがてアーナンダ(至福)を体験するでしょう。人間は五つの鞘、すなわち、アンナマヤ〔食物〕、プラーナマヤ〔生気〕、マノーマヤ〔心理〕、ヴィグニャーナマヤ〔理知〕、アーナンダマヤ〔歓喜〕というコーシャ〔鞘(さや)〕に覆われています。第一の鞘は粗大な鞘であり、後に続く鞘はそれぞれ先行する鞘よりも繊細な鞘になります。人間は粗大な鞘から最も霊妙な至福の鞘に到るまで進んでいかなくてはなりません。アンナマヤの鞘は肉体です。肉体は滅びゆくものですが、生きている限りは健康を維持していかなければなりません。肉体にかかわる義務は果たされなくてはなりません。肉体を動かしているのは生気鞘(プラーナーマヤ コーシャ)の振動です。その振動は心(マナスの鞘、マノーマヤ コーシャ)の振動によって制御されます。心を超越したところにあるのがヴィグニャーナマヤ コーシャで、これは人間の中にある「絶えざる統合意識」(般若、CIA Constant Intergrated Awaness)に相当します。この境地に達すれば、人はさほど努力しなくても、次のアーナンダ〔至福〕へと進むことができます。至福の体験は自然に湧(わ)き上がってくることでしょう。俗世の快楽と悲嘆に溺れる代わりに神聖な運命に向かって上昇することができるよう、人が人間性を授かっていることはこのことからも明らかです。それによって、人は自分が獣や鳥よりも優れていることを実証するのです。25/2/98

*田舎と町
村では、神の祝福、神の優しさ、神の愛などを通じて、いつも神とコンタクトをとることができます。逆に都会では、生活は人工的なものとなっています。田舎では、ラジオや放送などを見聞きができないかもしれませんが、日の出時の鳥のさえずりを聞き、真っ青に澄んだ空から降り注ぐ太陽の恵みを浴することができます。SSSvol,9p231 
村と都会を比べてみると、都会の住人より村人たちのほうがずっと病気が少ないのです。というのは、都市や町に住んでいる人たちは、きれいな空気を吸えず、清浄な水を手に入れられず、食べるべき清浄な食物を得られていないからです。都市の住人が持つ外見的なイメージは確かに健全なものです。しかし、実際彼らが摂っている食べ物は、害のある物なのです。現在広く使われている化学肥料は欠陥だらけです。その結果、皆さんは数多くの癌の症例や心臓疾患を目にしているのです。8/10/83
バーラタのいにしえの文化は、村には今も残存していますが、町や都会では失われてしまいました。実のところ、都会ではあらゆる方法によって私たちの文化が汚されています。それゆえ、村に行き、村人たちが何を必要としているのかを知り、村人たちの苦しみを和らげるような奉仕をしなさい。今、快適さや贅沢を求めて町や都会に移り住む人々がいます。そうして彼らが最後にたどり着くのは悲しみや困難です。こうした結果 は彼らが自分で作り出したものです。「幸せは、幸せからは得られない」―幸せは、苦しみを経へて初めて得ることができるものです。1/1/04
村は国家にとって最も価値ある資産です。もし、皆さんが村人に適切に奉仕をすることができるのなら、それに勝る偉大な奉仕はありません。「村への奉仕は、ラーマ(神)への奉仕」です。町や都市で行われる奉仕には満足できるものはありません。都会の人々は、無関心で自己中心的です。たとえ隣家に泥棒が侵入しても、彼らは気にしません。一方、村では、ほんの小さな事件でも村人全員が集まります。そのような種類の一体性と同朋意識が、村にはまだ存在しています。
一体性のあるところに神性があります。神性があるところに至福があります。ですから、皆さんは今住んでいる村の発展のために誠実に働きなさい。このようにして、皆さん全員がそれぞれの村の発展のために働くべきです。皆さんの活動は政治的活動のようになってはなりません。さまざまな種類の人々と関わることによって、それは政治的活動に変わります。私はそのような状態を好ましく思っていません。どこにいても、バジャンに集い、分離状態を許してはなりません。すべてが一つになるべきです。どこにいても、協力と一体性の精神で奉仕活動に従事しなさい。不調和を起こしてはなりません。1/1/03
村に出向き、見てごらんなさい。村に入るとすぐに、素朴な村人が尋ねます。「ようこそ! どこから来られましたか? お国はどちらですか?」村人たちは尊敬の念をもって話しかけ、あなたのことを気遣います。しかし、都会にあっては親子間でさえもそうした気遣いをすることはありません。人々は非常に機械的な態度で日々の決まった仕事をこなし、お互いを気遣うことはありません。こうした状況を招いた原因は現代の教育にあります。
「教育の目的は人格を培うことにある」といわれます。今日の人々が高貴な人格を失ってしまったために、尊敬や崇敬の心もまた次第に失われつつあります。親でさえもこうした状況を生み出す原因の一端となっています。村の親の中には子どもを都会の学校に送り出す人もいます。そうした親は子どもに高等教育を受けさせ、学位をとらせたいと願うのです。親の動機は間違いなく良いものですが、子どもたちは都会で悪い道に入ってしまいます。村にいたときは年長者を敬い親に従順であった子どもたちも、高等教育を求めて都会に入ったとたんに、故郷で培ってきた尊敬・崇敬・良き人格・謙虚さといったすべての善良な資質を失ってしまうのです。今、学生は高潔な生活の価値を忘れてしまっています。親の目の前であってもタバコを吸うことをためらわないのです。悪い習慣がますますはびこりつつあります。
しかし、村の状況はいささか異なります。村の子どもたちは年長者や両親の前で自制して行動します。親の健全なしつけが村ではまだ機能しています。町中や都会ではそうしたしつけは見られません。青年は、喫煙し、友人にタバコを差し出し、映画館に行って非常に多くの悪癖に耽るのです。彼らを自制させ、悪癖から引き離すものは何もありません。なぜ彼らはこのような振る舞いをするのでしょう? それは現代の教育が原因なのです。彼らは年長者・両親・社会に対する尊敬の念をもっていません。誰かに間違いを指摘されると、「なぜ間違いの罪を恐れなくてはいけないんだ? 私のタバコを私が吸うのは私の勝手だ」といって議論をし始めるのです。20/11/02

 *生命
生命そのものは真実です。そうした真実である生命からなりたっているこの世界の生き物は、絶えず移ろいゆく、真実では無いものが顕現したものなのです。だからこの世界は、真実とそうでないものが一緒に流れている川のようなものだというのです。真実が、真実でないものや変化するものと繋がっています。ヴェーダンダはこれを「真実と真実でないものが混然となった状態」と形容しています。SGc4
熟れた果実は全て枝から離れ地に落ちます。この事実は人生の根底にある重要な秘密を示します。人がそのために生まれた目的、時間、仕事が終わると、身体は活気を失い生命のない状態になって崩れ落ちます。25/5/91

 *祈り
寝る前に、「神様、朝起きてから私の行為がよかったのか悪かったのか分かりません。それゆえ今日一日の行為を、すべてあなたに捧げます。明朝、未だ私が生きている保障はありません。私をお守りください。あなたに帰依します。」そして朝起きると、「神様、あなたの祝福により私は未だ生きています。私は、今日一日何をするのか分かっていません。どうか、罪を犯さないように英知を授けてください。あなたに帰依します。」と信仰心を持って祈ります。このような祈りを毎日捧げるだけで十分です。P285ANDI
「神よ、私に至高の平安をお与えください。おお神よ、私に至福をお授けくださ い。おお神よ、私に至高の平安をお与えください」こういったものを神に祈るべきです。今日の祈りには全く限度がありません。人 は好き勝手なものを祈っています。あなたは自分の幸福というものを知りませんが、 神はそれを知っています。ですから、神はあなたの欲望を聞き入れないのです。神 はあなたのためになることなら何でもします。人はこの真理を理解できずにいます。神は永遠の目撃者です。神はいつでもあなたの幸福を理解しています。ですから、すべてを神に捧げなさい。神があなたに与えるものを受け取りなさい。17/7/97
貧しい人であれ、億万長者であれ、すべての人が神に祈らなければなりません。というのも、食物や水を与えてくれるのは神だからです。人間は自分だけの力で食物や水を創ることはできません。人間は、健康的な生活を送るためには、どんな種類の食物が必要かということすら知りません。人はそれを理解するよう努めるべきです。何であれ、神のすることは世界の幸せのためなのです。皆さんは、世界は神の姿そのものであることを理解しなければなりません。創造主と被造物とは別々のものではありません。人は、世俗的な欲望を満たすために神を礼拝すべきではありません。私たちは、神に到達するために神に祈るべきです。神は帰依者に恩寵を注ぎ、必要なものはすべて与えてくれます。被造物にとって、何が役に立つかを知っているのは神のみです。
あなたが必要とするものは、時が満ちたときにすべて神が与えてくれます。あなたが過度の努力をしなくても、神はあなたにふさわしいものを与えてくれます。欲望が満たされないときに、落胆して神を責めるのは、真の帰依者の特質ではありません。神の恩寵を得る方法を見つけて、神に到達する努力をするのが、帰依者の義務です。神のやり方を理解することは、誰にもできません。
神の計画を理解したり説明したりできる人はどこにもいません。神の計画を知って、それを明らかにできるのは神のみです。神がいつ特定の個人に恩寵を注ぐかは、誰にも予測できません。「誰が」、「いつ」、「どこで」、「何のために」、「どのように」といった疑問に対する答えを知っているのは、神のみです。神を忘れて、エゴや自分がしているという意識を持てば、その人の努力は成功しません。どんなことであれ、祈りによって達成することができます。祈りよりも偉大なものはありません。ですから、誰もが神に祈りを捧げなければなりません。しかし、世俗的な利益を求めて祈るべきではありません。「おお、神様!私はあなたの愛だけが欲しいのです。そのほかのものは何もいりません」あなたは絶えずこのように祈り続けるべきです。いったん神の愛を受けるようになりさえすれば、あなたは全世界を征服することができます。
あなたは、どんな仕事に携わってもかまいませんが、その仕事の達成を神に祈ってはなりません。その代わり、すべてを神の意思に委ねなさい。神は、あなたにとってよいことをしてくれるのだと、完全に信じていなさい。「神様、人生の一瞬一瞬において、私たちの必要を満たしてください」と神に祈りなさい。あなたがすべてを神の意思に委ねて自分の義務を果 たすとき、間違いなく仕事は成功するでしょう。しかし、スワミの意志は、何の促しも計画もなく、ちょうどよいときに形となって現れます。何であれ、スワミが必要とするものは、頼まなくてもおのずとやって来ます。
しかし、ここでもうひとつはっきり言っておきたいことがあります。それは、頼まなくてもものごとがおのずと整うとき、他の人々にも役に立つようなやり方で、その状況を活用すべきだということです。スワミは、何ひとつ欲しいと思いません! スワミの望みはただひとつ、皆さんがこの機会を最大限に活かして、皆さんの人生を、幸せで、神聖なやり方で過ごすようになってほしいということです。皆さんは私のためには何一つ与える必要はありません。スワミはいつでも、皆さんの望みをかなえる準備ができています。しかし、皆さんの望みを口に出す前に、自分が本当にそれを受け取る資格があるかどうかを自問しなければなりません。
どんな大きな仕事でも、祈りによって成し遂げることができます。ですから、心の中で神に祈りなさい。ちっぽけな欲望を満たすために祈ってはなりません。すべての欲望を手放して、愛を込めて心から神に祈りなさい。そうすれば必ず人生は満たされたものになります。愛を通 して初めて、神を理解し、神を経験することができます。
中には、「スワミ、私たちが絶えず祈り続けても神は助けに来てくれません」と文句を言う人があります。私は彼らに「間違っているのは神ではなく、あなたの祈りです」と言います。あなたの祈りが誠実なものであれば、その祈りは必ずかなえられます。神には、できないことは何もありません。
スワミの愛は力です。愛よりも偉大なものはありません。あなたが愛を培えば、人生の課題に容易に取り組むことができ、勝利を収めることができるでしょう。神の愛は常に皆さんと共にあります。神の愛は、皆さんの中にも、周囲にもあって、皆さんの面倒を見てくれます。どれほど大きな仕事でも、祈りによって成し遂げることができます。しかし、皆さんの祈りは、真心の込もったものでなければなりません。思いと言葉と行動が一つでなければなりません。スワミが皆さんの内にいて、いつも皆さんの祈りに耳を傾けているのだということを、固く信じなさい。 もし皆さんが、スワミは自分の外にいると考えるのであれば、皆さんの祈りはどうやってスワミに届くのでしょうか?25/12/04

お祈りの場を設けて、そこで少なくとも一日二回、短い時間でいいのでお祈りをしなさい。それが、霊へのエネルギーの注入となります。SSSvol2p175
今、あなたは、あなたの祈りが私を通して、あなたの導き手となっていることに気づいていません。私は、あなた方すべてを作り替えるまで休息しません。基礎部分の私の仕事は完了しました。次は、骨組みを組みあげます。私は一人で、手回り品も持たず宣伝もせず、全世界を駆け巡ります。というのも、私は私自身の栄光と真理を打ち立てねばならないからです。私は、あなた方すべてとアートマンのレベルでつながっています。それ故、私は常に何をしても成功するのです。SSSvol3p99
 皆さんはいくつの霊性修行に取り組んでもかまいませんが、決して一瞬たりとも神の御名を忘れてはなりません。そうしていれば、あなたは守られるしょう。何であれ自分を神から引き離すことは決してしてはなりません。あなたは祈りによって何でも実現させることができます。大声で祈る必要はありません。心の中で祈れば十分です。大声で祈らなければ神は助けに来てくれないと誤解をしている人たちがいます。
神はあなたの心の中に住んでいます。神はあなたの祈りを聞いています。もし、神の恩寵を得ることを望むなら、絶え間なく神を憶念しなければなりません。俗世の問題は来ては去ります。それらに重きを置くべきではありません。一方、人は祈りによってどんな問題も克服することができます。神の恩寵だけが真実であり永遠です。人は神の恩寵を得るよう努力すべきです。21/7/05

人生においては、一切があなた自身の思いと前世の行為の反映に過ぎません。あなたは誰も自分の行為や思いに気づくまいと考えて、うまく周りの人々を偽ります。けれども、あなたの内なる神は、あなたの考えも感情も行為もすべてご存知です。神はあらゆる場所におられます。神には何も隠し事は出来ないのです。
いつの日か、あなたは自分の行為の結果に直面しなければなりません。これは至上の真理です。あなたは、誰かを自分の困難の原因と考えて、その人を非難しますがそれは完全な間違いです。良いことであれ悪い事であれ、人生であなたが体験することすべてはあなたの行為が原因です。神は人間のすべての行為の永遠の照覧者です。
神はこの世界を創造し、人間にそれを楽しめるようにと、この世界を与えました。けれども人間は自らの行為の結果に直面しなければなりません。神は郵便配達人のようなもので、人々に配る手紙の内容には少しも気にかけません。もしあなたが誰かから脅迫状を受け取ったとしても、あなたはそれを郵便配達人のせいにしません。
彼はただの道具です。その一方で、あなたの祈りはあなたが、困難や問題に勇気を持って立ち向かうの助けてくれます。心からの真剣な祈り、深い神への信愛、強い信仰、心からの悔い改め、絶えず神を求める気持ち、そして、至高の神への愛は、あなたが人生で出会う一連の出来事を変更することが出来ます。それらは神の意志を正反対のものにすることさえ出来ます。あなたの過去世における悪業の結果、あなたが苦しむ運命にあり、困難に直面する定めにあるとしても、神はあなたの真摯な祈りと悔い改めに応え、あなたの人生の行路を変え、あなたを苦しみから救うでしょう。神は、あなたの神への一途な信愛を悦び、あなたに特別な恩寵を授けるのです。STPSp236~8
お祈りは、同じ場所でいつも決まった時間にするのが良いのです。アートマ自らがそのような規律を守っている霊的修行者を支えて、力と堅実さを与えるでしょう。Jahna Vahini p10
あなた方は神に、至福や平安を下さいと祈るべきですが、人々は何でも好き勝手なものを神に祈っています。あなたは自分自身にとっての幸福とは一体何かを知りません。神はあなたにとっての幸福を知っています。ですから、神はあなたの願い事を聞き遂げないのです。神はあなたの幸福を知っていますから全てを神に捧げなさい。そして、神があなたに与えるものを受け取りなさい。17/7/97

*インドと西洋
西洋諸国の宗教では、身体、心、知性に重きをおいています。それらのうち、知性が最も高いレベルで、その人自身あるいはアートマを代表していることになっています。西側諸国の宗教は以上のような観点から人生をいろいろな角度から捕らえます。
それに対してインドでは、身体、心、知性というものを別個のものとして捕らえ、それぞれが人の意識や内なるハートに付け加えられるものだとみています。インド文化では、アートマ自身を最も高い概念であるパラマートマと一つである、と認めるのが究極の探求であるということを重要視しています。インドでの宗教はこのような観点で人生の様々な局面を見ているのです。SSIB73p,8
西洋の言葉では、人は命を捨てると言います。しかしインドでは、人は身体を捨てると言います。西洋人は人は身体を持ち、身体には魂があるといいます。インドではそうは言いません。バラタ国民は、人は魂があり、魂は一時的に身体に包まれていると言います。それゆえ、バラタ国民は感覚による快楽と世間的な栄光を求める文明と文化は砂上の楼閣であり、崩壊するまでの間、ほんの少し輝いているに過ぎないと感じます。VVc14

*牛
牛は、牛乳、バター、カード〔ヨーグルト〕、ギーという、どれも栄養価の高いものを人間に与えてくれます。牛は草だけをは食み、人間には飲めないようなものを飲んで、人間がしてくれた世話と親切への恩返しに、生気を与えて力を維持する食物を人に与えてくれるのです! それに感謝するには、人が牛たちを軽視したり傷つけたりしないことが要されます。同様に、人は、自分が育てている植物や木々が、飢えや渇きに苦しんで干からびて枯れるのを放置すべきではありません。皆さんは人々が蟻塚の入り口に砂糖や小麦粉を置いているのを見たことがあるはずです。この行為は普遍的な慈愛の一光であり、それによって人のハートが特徴づけられなければならないものす。この行為は、与え手に報いることはなくとも、牛の世話と同じく「ブータ ヤグニャ」です。11/70

 *嘘
「カリユガでは嘘をつくものだけが成功を勝ち得ることが出来る。」と言われています。しかし、カリユガではそのように言われているとしても、正直さを保つということは一番重要なことなのです。あなたが一度嘘をつくと、その嘘によって嘘まみれになってしまうが、真理に基づいた行為は愛に満ち簡素で安全である。公言しなければならないことだけを公言し、話そうと思ったことだけを話す。あなたが、経験したことだけを話すようにする。それ以下でも、それ以上でもない。SSSvol5p106
人間性を高め、神聖さを磨く為には、真実、良い人格、良い行為、を自分自身の支えにしなくてはなりません。子供のうちからその為の努力をして下さい。子供というのは、わざとかどうかに関わらず色々と小さな過ちを犯しがちなものです。大人に知られて、叱られるのを怖れて、その過ちを隠そうとします。そうやってごく幼い内から嘘を言う習慣が身についてしまうのです。この習慣は、いずれ人生の基礎を崩していくでしょう。偽りは人の良さを台無しにしてしまうのです。ですから、いつもどんなことがあっても、何も怖れること無く、結果に捕らわれること無く、そのことのために良い結果になっても、逆に非難されることになってもいつも真実のみを話すように心に誓うべきです。
~もしも子供が未だ幼い内から嘘を言ってもいいように思い、偽りの心を持っているとその癖は、後になればなるほど大きくなっていきます。逆に幼い内から、真実こそは人生の基本だと教えていれば、子供は立派な人格者に育ち多くの偉大なことを成し遂げるでしょう。SGc26

*疑い
外部に現れたものと関わる限り、疑いや信仰の弱さという重荷を運ばなければなりません。〔そうであれば〕不必要な物事に巻き込まれるのを避けることはできないでしょう。信仰心は活火山のようなものです。活発な火山で発芽する種子はありません。疑いは種子のようなものです。疑いが増えるなら、それはあなたの信仰心が弱く、不安定であることを意味しています。そのような信仰心は死火山のようなものです。信仰心が強ければ、どんな疑いも生じることはありません。疑いのあるところに信仰心はありません。
疑いを持つ原因は、自分にあるのみです。神は目撃者としてのみ行動します。神はあなたに真我の悟り〔自己実現〕の道を示します。あなたの疑いは、あなたの過去のカルマ(行為)ゆえに生じたり消えたりします。神性を悟るには、まず一切の疑いを取り除かなければなりません。その時々に、神はあなたにさまざまなテストを受けさせます。それはあなたが想像しているような懲罰を目的とするものではありません。その目的はあなた信仰を強めることです。24/7/83
アートマ(真我)という実体を持った人間の尊厳と、神の遍在とを、絶えず揺るぎない心で信じていなければなりません。信ずる心の欠如は破滅につながります。疑いは、魔物の特質であり、私たちは決してそれが心に入り込んでそこに居座ることを許してはなりません。猜疑心に取りつかれた人は、眠ることすらできず、心の平安を得ることもできません。疑いは、愛という花を食い荒らす害虫のようなものです。KSH

 *内なる声
我々が、「私の内なる声がこれを決めました。」と言うとき、それはブッディのことを指しているのです。ブッディは又、内なる私とも呼ばれています。人の身体でもっともレベルの低い位置にあるのが肉体です。それより上なのが感覚器官で、それは五つの行動器官と五感で、心はその上にあり、ブッディはさらにその上で中核にあるアートマのすぐ近くに位置しているのです。SSSvol,10p,280
内なる声に耳を傾けさえすれば、霊性修行サーダナにおいて多くの進歩を遂げるでしょう。心の奥底から生じたものはすべて、あなたにとって良いことです。良心の命じることに反するもとはすべて世俗的であり、内なる声、すなわち、良心は霊的です。「つねに助け、決して傷つけない」ことは、極めて重要な霊性の行動規範です。内なる声に従う人は誰も皆、いつも安全です。決して内なる声に反してはなりません。それが真の霊性です。14/1/09

 *内なる目
偏在する神を絶えず唱念することこそ、内なる目を育てる最善の方法です。しかし内なる目を持つ人はめったにいません。偉大な学識者でさえ、外界のみを見ています。6//1987

 *宇宙
 たとえば、父親や母親への愛や、兄弟姉妹に対する愛というように、愛という性質は、相手によって異なった形を取りますが、そのすべてが愛と呼ばれています。こうした人々が集まって、家族が形成されています。皆さんの愛を、自分の家族だけに向けるのでは十分ではありません。全宇宙が一つの家族のように生活しなければなりません。誰に会っても、合掌して、「ナマスカール! ナマスカール!」と挨拶をしなさい。これ以上に崇高な感情に出会うことがあるでしょうか? 皆さんがこの世界で出会う、すべての形あるものは、神の化身です。この宇宙には、神でないものは何一つ存在しません。皆さんは宇宙に存在する様々な対象を、ただの物体と見なしています。それではいけません。それらのものを「神の化身」と見なしなさい。不幸なことに、今日、私たちは愚かになって、どこか遠く離れた場所に神を見つけようとしています。どこを見ても、そこには神がいます。ですから、宇宙に存在するすべてのものを「神の化身」と見なすことは、この上なく崇高な感情です。
 宇宙は、神の姿以外の何物でもありません! 神はあらゆる形をとって顕れています。そのような遍在の神性を神と見なしなさい。いかなる対象物であれ、外側の形を信じることなく、そこに内在している神の力を固く信じなさい。私たちが日々の行動において経験しているものは、神以外の何物でもありません。たとえば、私たちは喉が渇きます。喉の渇きは、火元素として現れた神です。私たちは、水を飲むことによって渇きを癒しますが、水は神のもう一つの現れに他なりません。
 このように、宇宙に存在する五元素や、5つの感覚、5つの鞘、そして身体の中の5つの生気のすべては、神の顕れなのです。今日、私たちは感覚の使い方を誤っています。これは非常に大きなで罪です。すべての感覚は純粋で、神聖で、私心がありません。感覚には、身分、教条、宗教、国籍等々の区別 はありません。そのような崇高な性質を自分の内に有しながら、私たちは外側の世界に神を捜し求めています。何と哀れなことでしょう! 皆さんは、人間的価値とは何だと思いますか? それは神の性質に他なりません。神は、分離した特性をもっているわけではありません。神性そのものが、唯一の特性です。私たちは、特性のない神性を、誤って、特性をもった神として見ているのです。2/7/04
宇宙とは神がかたちをなしたものです。~この途方も無く大きな「物質的な宇宙」のすべてを持ってきたところで、それは「微妙な宇宙ー心の宇宙」のほんの小さな部分でしかありません。「微妙な宇宙」の中では皆さんの知っている「物質的な宇宙」は、芥子粒ほどの大きさしかないのです。

「物質的な宇宙」と比べれば、口では言い表せないほど巨大な「微妙な宇宙」の全体も、更にもっと大きな「因果の宇宙」の小さなかけらでしかありません。~この最も高度な宇宙から、「物質的な宇宙」や「微妙な宇宙」が生まれたのです。~ところがそのすべてを超えたもの~として神の摂理があります。SGc2
全宇宙は神の意志によって創造されました。神は宇宙を創造し、宇宙を維持します。宇宙は、最終的に、そもそもの根源である神に融合します。神の意志によって生まれた宇宙は、ヴィシュワという名で呼ばれています。ヴィシュワという言葉は、正確に言えば、「自ら拡張して、至福に満ちているもの」という意味です。神は、一つの目的をもって宇宙を創りましたが、人間はその目的に反する行動をしています。宇宙は、単なる物質の顕現ではありません。宇宙は神が直接顕現したものです。宇宙は、普遍的な存在〔プルシャ〕が手足を持って顕れた具現にほかなりません。宇宙は神の拡張する特質を象徴していますが、このことは、識別 力を働かせることによって、初めて理解できるものです。神は時間と原因を超越しています。
 物質世界は、いわゆる道理によって動いていますが、神の意志は道理によって縛られることはありません。神は宇宙の背後にある根源的な原因です。宇宙は神の反映です。ヴィシュワ(宇宙)とヴィシュヌ神は、別 々のものではありません。ヴィシュヌ(Visnu)という名前の中の「V」という文字はヴィヴェーカ〔識別力〕とヴィシュタラ(拡張)を象徴しています。ですから、宇宙は、ヴィシュヌ神の姿そのものにほかなりません。全宇宙がは神の体のさまざまな部分を構成されています。13/7/03
生命は宇宙に満ちあふれています。創造には終わりがないのです。この宇宙で人間のような生命やそれに似たような生命体はないのです。
転生は宇宙の他の星に生ずることはありません。すべての生命は、人として生まれ変わるのを望んでいます。というのも、人として生まれ変われたものだけが生死の輪廻の鎖から抜け出ることが出来、神を完全に体現出来る、という二つのことを実現できる機会を持っているからです。それはこの地球だけで起こりえることなのです。他の星や、言葉に出来ないくらいこの広い宇宙のどこにもそのような機会は存在していないのです。ですからこの地球に人として生まれるという事は、とてもユニークなのです。CWSSB
肉体が死ぬと、人が内に持っている宇宙的神聖さが、外にある宇宙の力と一緒になるのだ。SSIB93p,3
この世界のすべては神が創ったものなのです。全世界が神の意志で満たされています。神はあらゆるところにいます。誰に対しても悪い思いを抱いてはいけません。感覚の節度を守り、良いことだけを思うのです。年老いた人も、若い人も、良いことだけを思うようにして下さい。素晴らしい人生を迎えるようにいつも願って下さい。それが本当の人間らしさというものです。人間とは、本当は滅びることの無い、いつかは神に還っていく存在です。人間とは不滅の子供なのです。SGc14
過去は過去です。未来は不確かなものです。ただ「今」だけが私たちの手の中にあります。今を生き、自らの喜びを同胞と分かち合うことが人間の第一の義務です。実のところ、人間はあらゆる生物の中で最も幸運な存在です。
この全宇宙に比べれば、人は原子のように極めて小さなものですが、にもかかわらず、人はその創造の広大さを理解することができるのです。これはまさに驚くべきことです。人は、小宇宙と大宇宙が一つであることを理解することによって不滅へと至ります。15/2/99
アルジュナは神の宇宙普遍相とは、物質的な世界、心の世界、因果の世界が一つに結びついたことだと分かったのです。神の宇宙普遍相を見てからは、いつでも目を閉じれば心の中の不滅の経験としてクリシュナの姿がよみがえるのでした。アルジュナはそれまで目で見ていたものは、物質的な世界のものだと分かりました。
それから、目を閉じれば心の中に何があったとしても、内面で何が見えたとしても、それは心の世界のものだと分かりました。更に心の中に不滅の印象が残っていれば、それは因果の世界のものだと分かったのです。クリシュナの宇宙普遍相はアルジュナの心の中に、永遠の印象として残ったのです。アルジュナは自分の物質的な身体は、クリシュナの教えに従う為にのみあると分かっていました。それこそが、真の英知ある人の、理想の姿です。SGc22
宇宙創造は私の意思の投影である。それは実体を持たない。p175バガバッドバヒニ
私は、宗教、カーストや、その他の障害を越えて、信者たちが、実はすべての世界が自分たちの家族の一員だった、と分かる宇宙大の愛を人類の間に築き上げたいと思っているのです。Sprit&The Mindp258
 すべての行動が神にコントロールされています。地球は、毎秒18.5マイルの速度で自転しています。それは、一年かかって太陽の周りを一周します。光は、毎秒186,284マイルという驚くべき速さで動きます。光が全宇宙を一周するのには、2200億年かかります。『ヴィシュヌ サハスラナマ ストートラ』によれば、全宇宙がヴィシュヌ神の御姿そのものに他なりません(Viswam Vishnuswarupam)。たとえ人間が光の速さで動いたとしても、ヴィシュヌ神の周りを回って礼拝するためには、2200億年もの歳月がかかります。いったい誰がそんなに長く生きることができるでしょう? カリユガの邪悪な影響により、人間は2200億年はおろか、100年すらも生きることができません!
  ところが、ヴィシュワ スワルーパ(Viswa Swarupa=宇宙の姿をした神)の周りを1秒で回ることが可能なのです。それを可能にするのは愛です。愛の速度は非常に速いので、全宇宙を1秒で一回りすることができます。光の速度を測ることはできるかもしれませんが、愛の速度を測ることはできません。しかし人間は、そのような超越的で無限の愛の周囲に障壁を張り巡らし、それを取るに足りない目的のために使っています。
今日、世界が混沌に陥っているのはそのためです。世界に平和と安全が欠如している原因を、人々は様々に考えるかもしれません。しかし、最大の原因は、人間が心の中に愛を育てることができないからなのです。人々は、自分たちの中に、無限で不滅の、甘露のごとき愛が内在していることを自覚するための努力を何ひとつしていません。想いと言葉と行動を愛で満たしなさい。あなたの人生を愛で満たしなさい。
 神の御姿(サクシャットカーラ)を見るためには、それ以外に何ひとつ必要なものはありません。愛は神です。愛に生きなさい。28/7/99
苦しみや惨めさは、宇宙のドラマでは避けられないものです。神はそれらの災難を定めたわけではありません。しかし人々が自らの悪行の報いとしてそれらを招いているのです。The Blitz interview 9月1976

 *宇宙飛行士
最初の宇宙飛行士であるガガーリンは、宇宙においても神を見つけることが出来なかったと述べました。彼は機械のみに頼ってそのような結論に致ったのです。彼は心を使って神を探すことをしなかったのです。真理を知りたければ、目で見えるものを超えたところにあるものを探し求めねばなりません。肉体の目で見えるものは、真の知識とはなり得ないのです。SSSvol11p28 

*うつ病
学生と帰依者たちは、感覚の制御はいたって単純であるということに気づくべきです。必要なのは、否定的な感情がわいてきたときに、それを焚き付ける代わりに肯定的な態度を取ることです。たとえば、ブッダは悪魔の怒りに愛を返して、悪魔を変容させました。今の多くの学生は、鬱うつになりやすく、心が混乱しています。その理由は、自信の欠如による弱さです。神に対する完全な信仰があれば、鬱が付け入る隙すきはなくなるでしょう。7/10/97

 *うぬぼれ
何らかの成果が上がるとそれを自分の手柄として自惚れるべきではありません。この種の利己心を捨てなさい。このような執着と利己的な感情は束縛の原因となります。24/5/91
自惚れや自己愛を取り除くことは、困難な仕事です。人はずっと昔から心が好きな方に向かうのを放っておきました。それゆえ、今さら新たな方向へ心を向かわせることは、大変困難です。自己愛に溺れた人は、他の人に権威を押し付けることがたいそう好きです。そのような人は、自己愛こそあなたを束縛している原因である、という人の意見に賛成しません。
というのも、それが他の人の主張する意見だからです。彼らはすべてを、利己心と自己愛で燻されたメガネによって見るのです。「私の言葉は正しい」「私の意見は正しい」「私の行為は間違っていない」と彼らは考え、そのような考えに基づいて暮らしています。そのような態度は修行者にとってとても危険です。彼は、自分に有益な批判、示唆、助言をいかなる分野の人からも熱心に求めなければなりません。DVJp105

 *ウパニシャッド
今日の学生は、ウパニシャッドを無視します.それは何故でしょう?理由はウパニシャッドの教えが、日々の生活に関わりのあることを学生に教える教師がいないからです。今日我々の目撃する科学とテクノロジーの目覚しい発達は、ウパニシャッドのエッセンスです。ウパニシャッドは、ヴェーダの結びとなる部分であるゆえにヴェーダンダと称されます。31/5/91
色々違うように見えても、本当はただ一つです。誤ったものの見方を正さねばなりません。ウパニシャッドは、様々なものの中にただ一つのものを見るように教えています。どうすれば、すべては一つという体験が得られるのでしょう。自分は肉体だという思い込みを捨てたときにはじめて得られます。そうなればすべては一つであると言うことを体験するでしょう。SGc21
物質に関する科学によって学ぶことが出来ず、ウパニシャッドによって理解することが出来る多くのことがあります。科学がこれまで発見したことはごくわずかでしかありません。霊性はマイクロコズムの中にマクロコズムがあることを肯定します。31/5/91

*運命
運命とは、それ自体がまだ生まれない内から、あなたがそれに対して形や人格を持たせているのだろうか。四六時中、運命が運命が・・・と口癖のように言って、運命に大きな力を持たせてはいけない。あなたが意思し、願い、行動をしなければ、どうして運を実らせることができようか。運命がどうであれ、行動し続けることが大切なのである。運命さえも行為なしに成就しない。果物を持っているだけで、絞らなかったらその甘い果汁は味わうことは出来ない。何もしないで運命のせいで果汁を飲むことができないと不平をいうのは、馬鹿もよいところだ。
運命はあなたの手中に果物を与えた。行為のみこそ、あなたが果汁を味わえる手段なのだ。行為は義務であり、運命は結果である。行為無しに結果を得ることは出来ない。あなたは自分の力を過小評価してはならない。力の限りを尽くしなさい。その後で気のすむまで運命について話しても良い。運命のせいにして為すべき行為もなさないというのは間違いである。全力をあげて努力すれば、運命さえも逃げてゆくのだ。SDMp72

 *映画
たとえこの映画は教育的で、感動を与えると宣伝されていても見るべきではありません。製作者は、儲けを得たいという欲から、下品で堕落したシーンをわざと入れ、人生経験の無い、初心な心を喜ばせます。悪徳のウイルスをあなたの頭に入り込ませてはいけません。もしそれを許せば、あなたは野獣より低いレベルに落ちていくでしょう。p,210SaiVandana
少し考えてもみなさい。皆さんが映画館に入る前より出てからの方が平安で、英雄的で、純粋で、高潔になったのかどうかを。答えはNOです。あなたの熱情はほとばしり、あなたの獣的性質は増大し、あなたの低いレベルの欲望が鎌首を持ち上げ始めています。あなた自身を豊かにするような静寂や祈り、神との融合などを与えてはくれません。vol3p128
妊婦が良くない不道徳な映画を見ると、子宮の中にいる赤ん坊までも影響を受けるのです。お母さんのお腹の中でそのような悪い影響を受けた子は、年を取るにつれてもっと悪い思いを持ち、悪い性格の子となって育っていくのです。SRBMp103

 *英知
英知を手に入れれば、人は、感覚の手の届かない上の段階にいくことが出来ると言われています。それ故、人は英知によって導かれなくてはなりません。英知の下は心で、心の下は感覚で、感覚の下は肉体です。SSS5/95p134
真のグニャーニ(叡智を得た人)とは自分の肉体と心と知性を神に捧げる人のことです。真のグニャーニは神だけを想い、その他のことは何も考えません。真のグニャーニは神を喜ばすという唯一の目的のためだけに行動します。10/9/02
英知は信愛から生じます。神への愛は神の御名を唱えるという、高尚で献身的な行いによって高めることができます。神は神に関する知識を信者に与えます。神は神自身によって覆いを掛けられたヴェールを取り除きます。真善美p148
二つの知識があります。一つは神に向かう知識、もう一つは物質的な世界の知識です。物の様々な性質を知ることは世間の普通の知識です。それに対して内なる原理を知り、この世のあらゆる物の中にいつも潜んでいる基礎と目的を認めるのが、神に向かう知識です。それは英知と呼ばれます。英知が無く、神聖なことがわからなければ、この世界のことは本当にわかりません。だから世間の深い意味を知るためにも、神に向かう知識がどうしても必要なのです。SGc8
覚者は善行をなそうと決意したり、その促しと目的を掲げることにより、ある特別の力を授かります。この力によって、彼は望みのものを何でも得ることができるのです。英知を得たものが、如何に偉大な境地にあるかは想像を絶し、到底言葉によって記述することは出来ません。それは至高神自身の光輝と威容に等しいのです。そうです。彼は自分がずっとそうであり続けたブラフマンになったのです。JV

感覚を正すのは英知の道にとって、とても大事です。感覚を正すことが出来れば、帰依の道も、奉仕の道も、英知の道も、他のどんな道も、容易く成し遂げることが出来るでしょう。SGc17
あらゆるものは、はかなく移ろいゆくものと分かれば、感覚器官を正し、執着を捨てることが出来ます。皆さんは徳の無い人ではありません。徳のある人です。正しい道に進んで、自分の内にある神聖なものを磨くのです。自分の中で英知の光りが絶えること無く輝いていれば、良い思い、良いものの見方、良い助言によって人を助けることが出来ます。
そんな人はまさしく神様です。その反対の性格を顕している人が悪魔です。悪魔は闇を好みます。闇を払い、光で満たされていて下さい。光ある道を選ぶなら、過去に何があったとしても、神は皆さんを受け入れてくれます。SGc17
五つの元素を超えるものは、ただ一つしかありません。それは神です。求めるべきものは神なのです。英知はあらゆるところにある、ただ一つの存在を求めます。それはアートマです。このただ一つのものを求め、いつも目を離さないで下さい。すべての行為がアートマに支えられていれば、何をしても清らかで神聖な行為となります。すべての行為をアートマのために、神を喜ばすためだけにしていれば、英知に満ちた神聖な人になれるでしょう。SGc18
英知は世間の知識によって身につくものでしょうか。そうではありません。英知は外面的、物質的な世界に関わるものではありません。内面的な経験だけに通じるものです。自分自身を信じるときに、はじめて神を深く信じることが出来ます。自分自身を信じられないのに、本当に神を信じることなど出来るはずはありません。自分を深く信じているからこそ神を信じることが出来ます。自分を深く信じるには、いつも内面を探求する修行に取り組まなければなりません。SGc20
自分の感覚器官を正すことが出来れば、真の英知の人です。喜びと悲しみ、暑さと寒さ、損と得、名誉と恥などの二つの対立するものを、静かで落ち着いた心で受け止め、その態度が充分身につけば、英知ある人の特性が得られます。どんなことも変わらない心で受け入れることが、英知ある人の特性です。感覚器官の正体に気がつけば、真の英知ある人になれる道を進むのは、何も難しいことではありません。ところが、自分がアートマであると思わずに、自分は肉体だと思い込んだままでは、高い境地に達することは決して出来ません。SGc18
真の英知ある人はどんな状態にいたとしても、思いも感情も変わることはありません。いつも揺るぎない心で神を思っています。SGc22
真に教育ある人は、その知識を他の人々の善の為に使います。かれは、ニャーニ(英知の人)と呼ばれるに値します。感覚の楽しみの為や、世間的な欲望を満足させるために用いられる知識はニャーニではありません。22/5/92
英知の人は自分以外の何者にも依存する必要は無く、自分だけでこの上なく幸福である。かれは、無為の中に行為を見、行為の中に無為を見る。彼は行為に携わっているかもしれないが、いささかもそれによって影響を受けることも無く、行為の結果にいささかも関心を持たない。
あなたは英知の人にはどうしてそれが出来るのか、と尋ねるかもしれない。聞きなさい。彼はいつも満ち足りている。満ち足りた人は自由であり、他の人やものに依存することは無い。彼は媒体という感覚に左右されない。そして良いことであれ、悪いことであれ、何が起きても起きたことに満足している。
というのも彼は何事においても、主の意志により行われると確信しているからだ。彼の心は揺さぶられることがなく安定している。そしていつも喜びに満ちている。満足感に欠けているのは無知の人のしるしである。人生の目標を諦めて、怠慢の道を歩く人々は、どうして何が起きても幸せといえるだろうか?満足は、英知の人のみが勝ち得ることが出来る宝物である。
願いの上に願いを重ね、次々に計画を立てて、たえず何かを追い求め、思い悩み、貪欲によって心を燃やす無知の人は、満足を勝ち取ることは出来ない。ギータバヒニ10章
知性が決めたことを、心が命じ、感覚器官がその通りに働きます。それが感覚を抑える正しい道筋です。 低次の心に従って生きている人は、やがては身を滅ぼし動物以下に身を落とすことになります。英知の人は、高次の心、知性、分別、判断、直感を人生のよりどころとします。知性にしたがっていれば本当に素晴らしい人になれるでしょう。
人生が知性に支えられていれば、最高の目標まで導いてもらえます。反対にもし低次の心だけを頼りに生きていれば、何か新しいことがおこるたびに予想もしなかったこととして目の前に現れるでしょう。なにが起こるのか、どこに行き着くのか、全く分かりません。SGc17

*笑顔
人の真の本性は歓喜です。それゆえ、人は常に明るい顔をしていなければなりません。2/4/2003

 *エゴ
エゴはどこから生まれるのでしょう。どうしていつもエゴに悩まされるのでしょう。人間の持つ無知によってエゴが起こります。~宇宙の大きさが分かっていたらエゴなど起こるはずはありません。宇宙はどれほど大きくて、自分はそれに比べてどれほど小さいか忘れてしまったときに浅はかな考えが浮かぶのです。SGc31
エゴと執着を取り除かない限り、人生で何かを成し遂げることはできません。謙虚さと忠実さがあれば、どんなことでも成し遂げることができます。道徳、霊性、肉体、さらには政治といった人生のあらゆる領域において、人は献身的に振る舞わねばなりません。そのとき初めて、成し遂げた仕事が栄光のうちに輝くことでしょう。17/2/07
よく銘記しなくてはならぬことは偉大な人や聖者の悪口を言ってはならない、ということです。それはあなたのエゴの表れであり、自分が偉いと思い込むことから生じる生意気な心なのです。SSSVol1chp9
私たちの認知している世界のすべては、実は私たちが創り出しているといわれていますが、それには例外が一つだけあります。
外から人間の中に入ってくるものが一つだけ存在するのです。それは、外的な対象物に執着することによって発生するエゴです。この世俗的な欲望を切り取ってしまえば、エゴは自動的に消滅します。外界から受けた印象を自分の中に取り込んで、それを真実と見なしてしまうのは有害です。人間は外で見たものを自分の中で複製して作り出すことができるので、自分が再び創ったと勘違いするからです。ところが、実は、外界で見るものは、すでにその人の中にある(アートマ)の記憶を呼び起こすだけなのです。CWSSBp110
あなたが聖なる英知の炎を見ることができないのは、エゴがあるからです。エゴはどのようにしてあなたの心に入るのでしょう? それは、あなたが真実の道を手放したときに、あなたの心に侵入するのです。あなたが、真の自己を知らずに、世俗的な思いや感情を育てるときに、あなたは利己的になります。エゴを取り除くには、世俗的な思いや感情をコントロールしていなければなりません。エゴを取り除かないままに英知を獲得することはできません。アートマ(真我)のまばゆい光を見るには、心を覆っているエゴというすすを取り除かなければなりません。23/1102

*エデュケア
教育機関における現代の学校教育は「エデュケーション」と称されますが、ハートに響く霊的な教育は「エデュケア」と呼ばれます。エデュケアとは、人に生来備わっている神性を引き出し、全世界の理想としてそれを確立することです。現代の教育は単なる本の知識に終始しており、書物に書かれていることに限定されています。一方、エデュケアは書物には関係しません。エデュケアはあらゆる知識の源についての教えに関係します。そして、その源は一人ひとりのハートの中にあります。それゆえ、この種の教育を基礎とすることが、今日非常に必要とされているのです。人々は霊的でない分野での高等教育を推し進めています。しかし、それだけでは十分ではありません。真実・正しい行い・平安・愛・非暴力といった人間的価値を教える霊性教育もまた進めなくてはなりません。それによってハートの変容がもたらされるのです。
霊的教育と世俗的教育の調和のとれた混合が、今日の世界にかなった理想なのです。前者は内界の教えすなわち内なる気づきであり、後者は外界すなわち世俗に関する教えです。世俗的な教えは物質的な世界に関わるものです。それらはマイナス極をあらわします。一方で、内なる気づきに結び付いた教えはプラス極です。愛を例にとってみましょう。愛の形を定義できる人がいるでしょうか? 愛を定義するための最善の方法は、人を愛し、人から愛されること、それによって愛の至福を体験することです。内なる気づきに結び付いたそのような教えが、今、至急必要とされています。エデュケアは、人と人の間に愛と親近感を確立します。今日、他の人の心の内は誰にもわかりません。思いと言葉と行動が一致していない人の場合はなおさらです。そのような人は、何かを思い、その思いとは違うことを話し、それから、まったく違った行動をとります。これは真の教育の特質ではありません。あなたが思ったことを話し、言葉として表現したことを行動に移しなさい。思いと言葉と行動の間に一致が見られないために、現代人は、「マハートマ(偉大な魂)」のレベルに到達することがなく、「ドゥラートマ(不道徳な人)」になりつつあります。次のように言われています。20/11/02
現代科学は偉大です。しかし、皆さんの感覚は低いレベルにあります。科学の発達と共に、感覚もまた高いレベルに引き上げなければなりません。現代にあって、私たちは高い生活水準を維持しながら、低いレベルの感覚に甘んじています。これは「エデュケア」の意味するものではないはずです。エデュケアとは、人に生来内在している神性を引き出すことです。皆さんの口から発せられるいかなる言葉に対しても、それが皆さんの受けた「エデュケーション」の結果 なのか、それとも「エデュケア」の結果なのかを「Watch(ウォッチ、注意)」しなくてはなりません。20/11/02

 *エネルギー
若者は、内なる力に注目せねばなりません。それは一種の電気エネルギーに例えられます。内なるエネルギーは、目によって物を見させます。あなたは、自分のビジョンが清く神聖で好ましいものであることを確実にせねばなりません。
好ましくないものを見ることにより、視力を汚染してはなりません。いかなるものであれ悪意で見てはいけません。目は誤用すればだめになります。そして、全身を循環する磁性のエネルギーがあります。このエネルギーは、身体のいたるところにみなぎっていますが、ことに手に顕著に存在します。それゆえ両手を良い目的の為に用いなさい。手は他の人を害したり傷つけたりするために用いるべきではありません。その上、身体には、光を放射する光線があります。身体の電気エネルギーは、丁度ラジオ波のように、全身にこの光線を伝導しています。
人々は、これらのエネルギーを正しい目的の為に用いてはいません。耳は噂話や中傷や悪い話を聞きます.その結果聞く力は汚染されました。それから、話す力があります。この力は音響波として現れます。この力を注意深く用いねばなりません。話すときは他の人を興奮させたり,腹立たせたり、怒らせたりしないように気をつけねばなりません。人を傷つける言葉を言えばそれは2倍の強さで話した人に返ってきます。それゆえ話す言葉は優しく甘美でなければなりません。14/1/1996
エネルギーと結合した物質は神であることを理解せねばなりません。この世のものを、全ては神の創造物であるとの自覚を持って用い、あらゆるものの中に神をみて感謝しなさい。快適さを求める欲望を含め、全てに限度を設けなさい。五大元素すら、限度内で用いなければなりません。さもないと五大元素は危険を伴います。30/5/95

*エリート
教育を受けていない一般の人々よりも重大な罪を犯している人は、いわゆる「教育を受けたエリート」です。彼らこそが国に対して大きな損害を与えているのです。教育を受けていない村人たちは尊敬に値する生活をし、他の模範となっています。たとえば、教育を受け、大変な知識人だと考えられている人々は都会で贅沢に暮らしています。
一方、粗野で無学な鈍才だと考えられている人々は村で暮らしています。彼らは、極めて質素で、幸せで、足るを知る生活をしています。今日、さまざまな学校や大学が都会に創設されていますが、これらの教育機関のキャンパスでは絶え間ない不安と動揺が見られます。他方、そうした高等教育機関のない村々には、そのような動揺はほとんど見られません。こうした状況を生み出す原因とは何でしょうか? 原因の多くは、いわゆる現代の教育と呼ばれているものにあります!20/11/02

 *大げさ
一つのほんの小さな小石がご飯に混じって歯の間に詰まっただけで、あなたは小石ではなくそれをご飯すべてのせいにします。人の元々備わった性質として、自分の受けた印象を大げさに伝える傾向があります。我々は喜びをそれは偶然で意味の無いものと見なし、悲しみや苦しみを大げさに伝えようとするのです。SSSvol5p233

 *おしゃべり
過度に、度を超えて話してはなりません。話過ぎれば、世間の人は、あなたをおしゃべりで、口の軽い人だと言うでしょう。過度の話は、人を狂わせると言うではありませんか。寡黙な人は他の人を幸福にします。なぜなら、嘘をついたり、批判したり、噂話をしたり、無駄口をたたいたりしなくなるからです。際限なく話せば、人から尊敬を受けなくなります。その上、記憶力も低下します。エネルギーも失います。
もし、ラジオのスイッチを入れて、長時間ボリュームを大きくしたままにしておくと、たくさんの電力が消費されてしまいませんか。それと同じように長時間話し続けると、あなたのエネルギーも、、また消費してしまうのです。神の声が聞こえるのは、常に静寂の中である。ということを覚えておきなさい。もし誰かが、あなたに「こんにちは」と挨拶してきたら、「こんにちは」と返しなさい。「さようなら」と言ってきたら「さようなら」と返事をしなさい。それで十分です。必要なときに必要とされるだけ話せば良いのです。STPS2p15
 きつい言葉を使って他者に苦痛を与えてはなりません。実際、他者は他者ではなく、あなた自身に他なりません。なぜなら、同一のアートマの原理が万物のうちに存在しているからです。苦痛を与える者と、それによって苦しむ者とは同一の存在に他なりません。ですから、決して他者を傷つけるような話し方をしてはなりません。私が皆さんに、しばしばおしゃべりを控えなさいと言うのはそのためです。しかし、皆さんは私の言葉を真剣に受け止めていません。皆さんは、話し過ぎることが将来どれほどの災いをもたらすかを理解できません。5/7/01
低俗な小説を読んだり、淫らな写真を見たり、テレビや映画を見て、あなたのエネルギーを無駄にしてはなりません。もちろん、良いものを見ることはかまいません。悪いことを考えること、悪いものを見ること、悪いことを聞くこと、悪いことを話すことによって、多くのエネルギーが無駄にされています。必要な分だけ話しなさい。おしゃべりに耽る人は愚か者です。
礼拝の集まりに参加しに来る多くの人は、自分の近くにいた人と不必要にしゃべり続けます。不必要な話はエネルギーの浪費につながり、本人に悪い評判をもたらすことに彼らは気づいていません。神はシャブダ ブラフマンと呼ばれています。これは、神は音〔シャブダ〕という形で存在するという意味です。音を誤用してはなりません。今日、人々は淫らな写真を見ることに関心を抱いています。そこから一体どんな恩恵を得ていますか? まったく何の恩恵も得ていません。ですから、悪いものを見てはなりません。24/11/2000
心には、計画と会話という二つの活動があります。二つはそれぞれ異なる道を歩みます。計画は、心に浮かぶ諸問題を解決することに熱心です。一方、会話は道を踏み外させ、問題を複雑化させ、解決に至る道筋を混乱させます。
内心で、ああでもない、こうでもないというおしゃべりは、朝から晩まで、心が疲れて眠りこけるまで続けられます。それは、病気の原因となり早く老けさせます。おしゃべりの話題は、主として他人の欠点や失敗、幸不幸です。この絶え間ない会話があらゆる惨めさの根本にあります。それは心を厚い暗闇で覆い、ますます速いスピードで厚くさせ、人としての純粋な価値を落としていくのです。VVc18
人に奉仕をする事によって利己心は無くなって行きます。思いを良い行いをすることに向ければ、心は内心のおしゃべりから遠ざかるのです。VVc18
おしゃべりの人は、すぐに他の人の噂話を垂れ流します。話好きな事と舌がスキャンダルを垂れ流す事は、双子なのです。それらは、お互いに共に仕事をするのです。~他の人の悪口を言う事は、とても大きな罪なのです。11/87
皆さんが気をつけなければならないもう一つの側面は、話です。話のしすぎは大変な悪です。余計な話にふけってはなりません。そのような癖は直すよう努めなさい。可能な限り沈黙を保ち、静かにしていなさい。必要なことだけを話しなさい。要点だけ答えなさい。もし、それ以上話すなら「おしゃべりな人」というレッテルを貼られることになるでしょう。健康の観点からも、話しすぎはよくありません。これは大変重要なことです。子どもの場合はなおさらです。23/2/09
人間の身体は、過度のおしゃべりに耐える事は出来ません。ある国会議員の場合、彼は二時間話し続けたあと、目眩を覚えました。耐えず話し続けることができる人はいません。何年もそうし続けているスワミ以外には。CWSSBJp205
しゃべり過ぎてはいけない。君たちの持っている神の力はおしゃべりで消耗してしまう。しゃべってばかりいると記憶力も鈍るし、身体も弱くなる。早い内から老け込んでしまうばかりか、自分自身の評判も下げてします。皆さんが持っている聖なる神の力はそのような果てしないおしゃべりで消耗していきます。朝目が覚めて夜寝るまで、たとえ声には出していなくても頭の中でもおしゃべりは続いています。SGc7

 *汚染
今日、呼吸する空気、飲料水、耳で聞く音、摂取する食物、全てが汚染されています。あらゆるものが汚染されているゆえに、人の健康は悪影響を受けています。また、人の心も汚染され、人は病気になりやすいのです。静かで清らかな生活をするように、熱心に努力しなさい。21/1/94
今、食べるものも、飲む水も、吸う空気も、すべてが汚染されています。人間自身もひどく汚染されています。それは、自分のマインドを悪い感情で満たしているからです。悪い感情とは、悪い欲にほかなりません。当然、人間には欲があるものですが、欲には限度がなければなりません。ペンのインクが青ければ、あなたが書く文字も青くなります。インクが赤ければ、書く文字も赤くなります。これと同じように、もしあなたのハートがネガティブな感情で満たされていれば、あなたが見るものも、聞くことも、言うことも、すべてがネガティブなものになります。ですから、まずあなたのハートを愛で満たしなさい。そうすれば、あなたが見るもの、聞くこと、言うこと、行うことは、すべて愛がいっぱいに詰まったものなります。11-8-2000
健康を謳歌したいものは、飲料水、食物、そして空気が汚染されていないものを摂るべきである。SS3/94p64
今日、教育の高潔さは、科学的な知識の誤用のために衰えています。科学者は、自然の法則を変えることに尽力しています。もし木に実がなったとしたら、それは木が注射をされているからです。もし牛がこれまでより多くの乳を出したとしたら、それは虐殺した別の動物の臓器を餌として与えられているからです。科学者たちは、動物の局部を牛に食べさせると、牛は強くなって、より多くの牛乳を出すと考えています。
近ごろは、水さえも汚染されています。汚水こそが、人間が患うあらゆる病気の原因です。どんな果 物を見ても、虫やバクテリアがついています。以前、「いちじく」はすこぶる食に適したものでした。ところが、今では、いちじくにさえバクテリアと汚染物質がついています。この原因は何でしょう?それはまさに、植物に与えられる汚水です。人々は、水を浄化し、沸騰させてからでないと、水が飲めません。14/1/07
今日、至る所が汚染されています。わたしたちの考えも汚染されています。水も周囲の環境も空気も汚染されています。全てが汚染されています。心もまた汚染されています。どうしたらこの汚染された世界において善良でいられるでしょうか。
偉大な人でなく善い人になりなさい。偉大な人の状態は過ぎ行く雲のようなものです。人々は多くのお金を稼いで偉大な人になろうとしますが、最終的にはその人には何も残らず、偉大さも残りません。最後まで残るのは善良さだけです。従って、わたしたちが求めるべきものは善なる評価です。だれもが自分は善良なる人であるというべきです。バーラットの全ての人は善良なる人です。事実、全宇宙は善良な人々で満ちています。実際、あなたは善い評価を得て、善良な人間になるべきです。あなたが善いことをしていれば、悪評をうけることはありません。5/7/01
見境なく技術を使うことで、空気も水も食べ物も、世界中のすべてが汚染され、毒されています。幸いにも、バーラタの国はこの世界規模の汚染を免れています。私たちは科学や技術を追いかけるべきではありません。人間性を欠いた科学は人間の存在そのものに対する大きな危機をはらんでいます。22/11/08

*恐れ
 恐れのない人になりなさい。たとえ頭に雷が落ちても、恐がってはなりません。死がやって来るのはたったの一度きりで、二度とはやってきません。それはいつか必ずやって来ます。ですから、死を恐れないことです。いかなることがあっても良いような準備をしておきなさい。真理を守ることを恐れてはなりません。あなたの人生を愛で満たしなさい。そうしてはじめて、あなたの人生は神聖なものとなります。もしあなたが、真理と愛を守らないとすれば、ジャパ(神の御名を繰り返し唱えること)や瞑想のような、いかなる霊性修行をしても、あなたの人生は救われないでしょう。いかなることが起きようとも、構わずにこれらの価値を守り続けなさい。これらの価値のみが、全世界に幸福と繁栄をもたらすことができるのです。愛をますます育てて行きなさい。他者の批判を気に留めてはなりません。なぜなら、皆さんはいかなる過ちも犯しているわけではないからです。
人がもし、本当に神を愛しているとすれば、いったいどのような過ちが起こり得るでしょうか? 皆さんの呼吸が止まる最後の瞬間まで、神への揺るぎない愛を持ち続けなさい。対立や疑念の介入する隙を与えてはなりません。すべての人が、自分の行動の結果 に直面しなければなりません。それがいつどのようにやってくるかは、誰も予測できませんが、人間は必ずそれらの結果 に直面します。
しかし、あなたが絶えず神のことを考えているのであれば、決して苦しみにさいなまれることはありません。神はあなたをすべての苦しみから守るでしょう。神は常に、あなたの中に、またあなたの周囲にいて、あなたを安全に守るでしょう。邪な感情の付け入る余地を与えてはなりません。あなたは、神をイエスとして、あるいはラーマやクリシュナ等々として崇めても良いのですが、神は一つであることを覚えておきなさい。目標は一つ、真理は一つ、愛は一つであることを忘れてはなりません。このことを固く信じていなさい。取るに足りないことを求めて、あなたの愛を断片化してはなりません。
一体性の原理を理解し、それにしっかりとつかまっていなさい。そうすれば、あなたがどこにいようとも、たとえそれが森の中でも空の上でも、町の中でも村の中でも、あるいは山の頂上でも深い海の中でも、神が必ずあなたの面 倒を見るでしょう。いかなる人もあなたの神を否定する権利はありません。カリユガの影響のために、人々は、金銭を追いかけて邪悪な道をたどっています。彼らは、金のために人を殺すようなことまでしています。彼らにとっては、金銭がすべてです。私たちは、争ってお金を得ようとすべきではありません。人は、愛という財産を獲得するために努力しなければなりません。25/12/2000
今日の世界は、解決策の見つからない諸問題や、急速に広がりつつある恐怖にさいなまれています。戦争への恐れ、飢饉への恐れ、悪魔のようなテロリストへの恐れ、民族的、宗教的、地域的争いという問題、経済復興、経済存続の問題、学生たちのしつけの問題、教義の衝突の問題、狂乱や狂信の問題、権力の横領と極端な利己主義の問題。徐々に広まりつつあるこうした恐れへの 対応策は、ヴァイラーギャ(無執着)という態度を取ることです。
体と心から成るものと、「私」と「私のもの」という限られたものに執着するなら、恐れは回避できません。アドワイタ(不二一元論)的な意識、すなわち、自分が目撃しているものは実在の上にある自分の心に焼き付いているものに他ならない、という意識こそが最良の治療薬であり、そして奉仕はもっとも効果的なサーダナ(霊性修行)です。行為は自らの動機をあばき、動機は自らの習慣を形作り、習慣は自らの人格を決め、人格は自らの行方を定めます。21/11/85

 *オゾン層
大気中には太陽の放射する有害な影響から人類を守るオゾン層があります。テクノロジーが進歩した結果、大気中に有害なガスを生じる工場が建てられました。その結果オゾン層は薄くなりました。これが制止されずこのまま続けるならば、恐るべき災害を招くでしょう。科学者達はオゾン層の破壊を食い止めようと努力していますが、解決法はまだ発見されていません。
本来ならば、木や草が二酸化炭素を吸収し、光合成という自然のプロセスによって酸素を供給するはずなのですが、多量の二酸化炭素が、大気中に放射されることが実際の原因です。森林が極端に危険なレベルまで伐採された結果、大気中の二酸化炭素はかなり増加しました。それゆえ、現状の状態にたいする解決法は集中的な植林、各地にもっと木を植えること、伐採することなく森林を守ることです。このように、人、自然、神の関係はきわめて密接ですが、科学者はそれを実感認識できません。21/1/93
現代の技術の進歩は、大気を二酸化炭素のガスで汚染することによって、地上の生命体に脅威を与えています。すでに、このガスは、太陽からの有害な放射能を遮断する働きをしている地球上空のオゾン層に穴を開けてしまっています。もし、オゾン層が破壊されれば、太陽光線の影響によって、悲惨な結果がもたらされるかも知れません。今や、すべての国がこの脅威を心配しています。この危険を回避するために必要とされることは、自動車や工業製品や工場から排出されるガスによる大気汚染を減らすことです。制限なくなされている製造業の開発は、チェックしなければなりません。開発は、公共の利益にかなう、万人の福祉を促進するものでなければなりません。
これらは最も有益な方法で資源を利用できるかを考える良い機会です。水、空気、エネルギー、鉱物などは、正しく使うべきであり、誤用されたり、無駄に使われたりすべきではありません。あらゆる天然資源の使用を節約することは、非常に大切です。大気汚染は数々の悪い結果を引き起こします。ナガラ サンキールタンやバジャンをすることの内的意義は、大気を神聖なバイブレーションと聖なる想いで満たすことにあります。27/9/92午前

*男の義務
男は真実と正義に基づいた人生を送るべきです。そうして初めて男は国を守ることができ、真の男と呼ばれるに値する者になるのです。そうでなければ、どうして英雄的な男性になることができるでしょう? 多くの人が寺院に行きます。寺院を訪れるときには、女性を敬い守るという誓いを立てなさい。そうして初めて女性たちは守られるでしょう。女性が安全であって初めて世界全体が幸せになるのです。ですから、もし、世界のダルマを守りたいと望むのであれば、皆さんはまず女性に対するダルマを守らなければなりません。
自分を女性の立場に置き換えて、何人かの男たちがあなたを苦しめている状況を想像してご覧なさい。何という惨めさと無力さをあなたは感じることでしょう! 女性は夫のために自分たちの命さえも犠牲にする準備ができています。しかし、男性はそのような犠牲の精神をもち合わせてはいません。男性もまた女性のように、そのような犠牲の精神を培うべきです。そうして初めてあなたは男と呼ばれるに値するのです。そうでなければ、あなたは男らしさの欠如した形だけの男となるでしょう。皆さんは女性をアバラ(弱い)と考えています。しかし、実は女性はシャクティ スワルーパ(力強さと力の体現者)なのです。ただ私だけが夫を失った女性たちの苦境を知っています。そのような女性たちを守るのは私たちの義務です。もし、この義務を正しく果 たすのなら、皆さんは一生を通して幸せでいるでしょう。6/9/04
男性に関しては、女性を守ろうとすることは偉大でも新しいことでもありません。それは男性の義務なのです。女性の義務は、家族全体を1つにまとめ、世話をし、維持することです。もし、女性が守られるならば、その代わりに女性たちが世界全体を守ることでしょう。決して女性を軽んじたり、単なる慰みものとして扱ってはなりません。私は、男性の皆さん全員が、少なくとも将来、女性の尊厳と名誉を守ることを始め、それによって自らの尊厳と名誉を守ることを望んでいます。
自分の妻をひどく扱う者は決して幸せになることも、繁栄することもできません。もし男たちに、夫のために自分の命さえも犠牲にする準備ができている女性たちを守ることができないのであれば、男はいったい何のために存在しているのでしょう? 6/9/04

*お祭り
自分がアートマンということを忘れずにそこから力を引き出しなさい。あなたに自信を持たせ、信念から湧く力と忍耐力を与えるのが私の使命です。失望は衰退の主な原因です。ですから誰もが楽しくなれる雰囲気を作らなくてはなりません。満ち足りた心の持ち主にとって、人生は一つの長いお祭りのようなものです。嫉妬は元気を無くさせ、全身に毒を広がらせます。喜びも悲しみもすべて神に捧げなさい。それが満ち足りた心でいる秘訣で、何物にもまさる宝です。真善美pt2p144

*オームカーラ
すべてのマントラにとっての根源的なマントラであり、属性を持たぬもの、すなわち遍在なる至高我を内に秘めているものが、オームカーラ〔聖音オーム〕です。オームカーラはその音の姿の中に至高なるブラフマンを包含しているのです。この音を司(つかさど)る神はサラスワティー〔弁才天〕です。一般に、サラスワティーはブラフマー〔創造神〕の妃(きさき)であると考えられています。ブラフマーとサラスワティーが一体となったものが、この世の知識の一切の源です。ブラフマーとはいったい何者で、サラスワティーとはいったい何者なのでしょうか? サラスワティーは、一般に、話し言葉の女神として、また、知識を手に入れたいときに機嫌をとるべき女神として、礼拝されます。さらに、サラスワティーは、ヴァラデー(願いを叶える者)やカーマルーピニー(どんな姿でもとれる者)とも呼ばれています。けれども、サラスワティーはこれらの描写に合致する者ではありません。サラスワティーは話し言葉の女神として生あるものすべてに内在しているのです。体はブラフマーであり、舌はサラスワティーであり、ハートから発せられるバイブレーションは体と舌が一つになって生み出されるものである、と考えれられています。文字と言葉はたくさんありますが、その首位の座を占め、それらの土台となっているアクシャラム〔音、文字、語〕は、オームカーラです。『バガヴァッドギーター』は、オーミッティエーカークシャラム ブランマー〔オームの一音はブラフマンそのもの〕〔バガヴァッドギーター8章13節より〕と述べています。オーム以外の文字と言葉は、すべて言語の創造物であり、「オーム」の比類なき神聖さや、神の特質は有していません。
オームカーラに形はありません。オームカーラはブラフマンが音となって顕現したものです。オームカーラは一切の創造物に内在しています。オームカーラは光り輝いています。オームカーラは話し言葉の一切に内在しています。オームカーラはつねに至福に満ちています。
オームカーラと他の一切の音との違いは何でしょうか? オームカーラには、その発音のされ方と、それが表している目的において、比類のない特有の性質があります。他の文字を発音するときには、唇と舌と頬(ほお)と顎(あご)が動きます。けれども、オームカーラを発音するときには、そのどれも、まったく動きません。これはオームカーラの類(たぐい)希(まれ)な特徴です。それゆえ、オームだけは「不滅なるもの(アクシャラム)」と見なされ得るのです。他の音はすべて、さまざまな言語表現です。
オームカーラはヴェーダの土台です。オームカーラという遍満なるものの重要性を完全に把握するには、人にも同種の自制が要され、それには感覚器官を支配下に置くための訓練をしなければなりません。どのマントラを唱えるにしても、首位はオームにあるということを頭に入れておくべきです。「ナマハ」という言葉によって意味づけられる礼拝の姿勢は、もし、各マントラの頭に「オーム」という語が使われなければ、失われてしまいます。最初に「オーム」、そして、最後に「ナマハ」が唱えられて、初めてそのマントラの意図するものが完全に引き出されるのです。「オーム」と「ナマハ」の欠かすことのできない関係を理解すべきです。「ナマハ」はプラクリティ〔物質界、現象界、自然界〕を象徴しています。通常、「ナマハ」はナマスカーラム(お辞儀〔平伏〕)を意味していると理解されています。
しかし、「ナマハ」にはもっと広い意味があります。「ナマハ」はプラクリティを意味します。「オーム」はプルシャ(神性)を内包しています。このマントラの目的はプラクリティとプルシャの関係を明らかにすることにあります。もし「オーム ケーシャヴァーヤ ナマハ」というマントラの「ケーシャヴァ」を省いて、「オーム ナマハ」と唱えると、シヴァとシャクティ(プルシャとプラクリティ)の一体性が確立され、このマントラの中に存在する二元性が取り除かれます。このマントラは、「私はケーシャヴァに平伏を捧げます」と言明し、そうすることによって二つの存在を据え、それに加えて、平伏するという行為自体が第三の構成要素となっています。
この二元性を除去するのに、マントラ シャーストラは、もし「ナマハ」の代わりに「ナ ママ」(私のためではなく)を用いるなら、礼拝する者と礼拝される者の同一性が確立される、と定めています。「オーム ケーシャヴァーヤ ナ ママ」は、「私のためでなく、ケーシャヴァのために」という意味になります。このプロセスによって、エゴ〔アハンカーラ、〕は破壊されます。そして、エゴを取り除くことによってのみ、属性のないブラフマンを悟ることができるのです。1/10/84
オームカーラを21回唱えると、スダルシャナ・チャクラ(ヴィシュヌの円盤)と呼ばれる聖なる武器があなたの頭の上に作り出されます。そしてそれは頭上に留まり、残りの一日の間あなたを守護します

 *思い
快楽も苦痛も全ては人の思いが根源です。~人の思いは眼に見えず微かですが全宇宙の中に潜在的に潜んでいます.原子は小宇宙です。~人の思いはその人の行為の基盤です。それゆえ自分の思いを常に見張っていなさい。人は願いが叶うと満足し、願いが成就しないと失望します。しかし彼は、願いが成就しない時その原因を探求しようとしません。失敗は自分に欠点があるからです。ハートが清らかであるならば行為は良い結果を生みます。ハートこそ努力の成否を決定する原因です。
それゆえ思いを正しく用いなさい。人が世界に関して抱くビジョンは、彼が世界をどう見るかによって決まります。人は自分が感じるままの人になる、といわれています。想いが崇高であれば、結果もまた崇高です。10/5/92
あなたの思いはすべて、あなた自身の反映です。それは 神とは何の関係もありません。ですから、自分の考えは外界の反作用、反映、反響 にすぎないと知るべきです。神は、反作用を超えており、反映を超えており、反響を超えています。神は唯一なる神聖な響きを有しています。それは真理です。神は 不変なる真理です。しかし、それを理解する者はいません。それは、道徳と誠実さ という正義の道を歩んで、初めて理解することができるのです。17/7/97
思いには強い力と勢いがあります。世の中のどんなものより強いと言っていいでしょう。人は生まれ落ちるや否やすぐに考え始めます。思いは大変微妙なものから出来ています。思いは食べたものから生まれます。神聖なものだけ食べていれば、神聖なことを思うようになります。SGcc9
日常生活の中で、人は計画を立ててそれを実行します。純粋な思いで、そして他人に害を与えないようにそれを続けるベキです。そのうち予想もしないような神聖な想いが計画することなく湧いてきます。そして、このような聖なる衝動が継続して出てくるようになるでしょう。CWSSBp106
どんな思いがあなたに浮かんだとしても、それはこだまのようにあなたに戻ってきます。それゆえ、あなたの思いや行為が、良いか悪いかを識別するのが基本的なことなのです。
あなたが経験する全てのことは、それが良い悪いに関わらず、それはあなたの過去の思い、言葉、行為の結果なのです。悪い想念があなたの心の中に浮かべば、すぐにそれを掃いて捨ててしまいなさい。もしあなたが、そのようにするように心がければ、神の真の信者となることが出来、解脱を得ることができるのです。30/3/06
どんな人であれ、大きな仕事を達成するには他の人々の協力を得なければなりません。一体性があるところには、至福があります。このカリの時代においては、もはや人々は一体性の精神を持ち合わせてはいません。一体性も純粋さもありません。
その為人の心には敵対心が侵入し、問題や混乱の原因になっています。実際今の時代に一番必要とされているのは、一体性です。人類の真の力は、一体性の中にあります。思考はそのまま行動に表れます。行動はそのまま結果となって現れます。今日人々が人生のゴールに到達できないのは、神聖な思考を抱かないからです。何よりも先に人は神聖な思いを抱かねばなりません。13/7/03

*思いやり
アートマン探求の第一歩は、あなたが苦痛だと思うのは他の人も苦痛であり、あなたに喜びを与えるものは、他の人にとっても喜びを与えるものだ、という真理を実践することです。自分が他人にしてもらって嬉しいことを、他の人にもしてあげなさい。自分がされて辛いことは、他の人にしてはいけません。このようなお互いに、思いやりの関係が育てられれば、やがてあなたは他の人が喜んでいる時、自分も歓喜に震え、他の人が悲しんでいる時、自分も身震いする心の持ち主となります。この感情は共感の相手が自分の愛する者、あるいは自分の肉親縁者であるからではありません。もしそうであれば、それは迷いの印です。そうではなく、歓喜と悲哀を分かち合う心は、自然に沸き起こる感情であり不変的です。それはその人が霊的に高い境地に達したことの印です。その時、彼は自分が大洋の一部分であることを知ります。すべての波は大洋と同じ味を持ち、大洋がつかの間に顕している姿にすぎないことを知るのです。他の人は、あなた自身の一部分です。あなたは、他の人の事を心配する必要はありません。自分自身のことだけ心配しなさい。それで十分です。あなた自身が自らの身を正せば、他の人も正すのです。なぜならあなたは、他の人を自分から分離したものとは考えないからです。
他の人の批判、あら探し、それはすべてあなたのエゴから出て来ていることなのです。あなた自身の欠点を探しなさい。あなたが他人に見る欠点は、あなた自身の性格が反映しているだけなのです。些細なことにくよくよせず、心を至高の神に結びつけなさい。そうなれば、あなたは良い人々とだけ交わるようになり、あなたの力も変わってくるでしょう。すべての人を神の子どもと見、あなた自身の兄弟姉妹とみなしなさい。愛の心を培い、常に人類の平和と繁栄を念頭に置きなさい。人を愛しなさい。そうすれば他人から愛されます。それは私の真義です。私に到達したいなら愛を培いなさい。SSSVol1chp11

 *オーラ
様々な人が様々の考えを持っています。それゆえ人の考えは皆違うのです。これらの相違によって、心もまた異なる色を持ちます。例えば怒りに満ちた心は赤い色をしています。利己的な心は、茶色です。自分中心の心はオレンジ色です。神に捧げた心は純白です。私達は心を色々な色に染めています。色は、外から来るのではありません。心に特定の色をつけたのはその人の想念です。それゆえ心が良い想念で満たされている時のみ、その人の人生は平安で安全なのです。24/5/9?
意思の力は電気の力と一体となっています。例えば、私の足の親指の周りにはオーラがありますが、もしこのエネルギーが無ければ歩き回ることは出来ないでしょう。15/8/93
物質的には身体は肉体的な姿をとっています。でも霊的な視点から見ると、すべての身体の周りにオーラが見えるのです。それは、霊的なエネルギーから生ずる輝きなのです。このエネルギーは波動を発しています。それ故、神を見ることにより、すべての罪が消され、神と話すことにより、すべての苦しみが癒やされ、神に触れることにより、罪から解放される。といわれているのです。信者が神に触れると、それはまるでマイナスとプラスの電気がつながるように神のエネルギーが流れ込むのです。SS1月1995p16
神の化身が地上を歩くとその土地を神聖化する、といわれるその御足に触れること自体に霊的な意義があるのです。科学的に見ても神の御足に触れることは、次のような理由で意味があります。血流は足から頭へと流れます。人がつま先に触れるとその流れを感じることができます。それが神のエネルギーなのです。物質的な目でみると身体は肉体です。しかし霊的にみるとオーラがどの身体の周りにもあるのです。それは霊的なエネルギーが輝いているのです。このエネルギーは波動からもたらせます。それ故、「神を見たものは罪を帳消しに出来る。神と言葉を交わしたものは苦しみを打ち消すことが出来る。神の御足に触れたものは自らの行為の結果から免れることが出来る。」と言われているのです。信者が神の御足に触れると、それはまるでプラスとマイナスの電極が触れるようなもので、神のエネルギーを引き寄せることができるのです。この結合はハートとハートの関係でなくてはなりません。そうして始めて神のエネルギーが注ぎ込むことができるのです。その結果、神と信者は一つになります。18/12/94

 *音楽
インドでは音楽が心に有効に働くと信じられています。それは、心の動揺と心配事という波立つ心を落ち着かせ、平常心を取り戻させます。音楽は、情熱をおさえ、感情をおさえ、衝動を高貴な目的に導きます。我々は、このような我々の文化の中の音楽が持っている偉大な役割を忘れてしまっています。SSSvol5p,257
メロディとリズムに注意して、至高の神の御名を歌うことには特別の功徳があります。至高の神は音楽を愛します。その上、その歌が熱心に歌われるなら、それは全ての悪い想念を心から追い払うことに役立ちます。妙なる音楽は至高の神の心を動かし、聞き入る人々を感動させることが出来ます。~清らかなハートで神の賛美の歌を歌うなら、あなたは環境を、国家を、世界を清めるでしょう。11/4/97
音楽を,神に帰融するパスポートとしなさい。音楽は神への捧げものです。23/11/96

*音響
音響のない瞬間はなく、どんな小さな出来事にも音響が伴います。ただあなたの耳がそれらのかすかな音を捉える力を持たないのです。まぶたを閉じるときや、花びらに露のしずくが落ちる時にも音がしているのです。静寂を乱す、ごく微かな波立ちにも音が伴うのです。宇宙創成の原初の動きによって自らを生じさせたマーヤーが、ブラフマンを覆った時にプラナヴァ(オウム)の音響が響きわたりました。ガヤトリ マントラはプラナヴァを精緻にしたものであり、極めて神々しく価値あるものと崇められ、霊的生活の秘儀伝授にあたっては、先ずプラナヴァ瞑想から始めることになっています。SIP4-11

*恩寵
神の恩寵はあなたの持っている徳に応分して与えられます。あなたは神への信愛の心を持っているでしょうが、義務を遂行することこそ、あなたの第一の関心事でなくてはなりません。1/1/93
前世で作ったカルマは、今世で支払わなければならない。とあなたは誰かにそう言われたのでしょうが、しかし私はカルマの法則をそのように捉えなくてもいいと保証します。あなたが激しい痛みに襲われた時、医者はあなたにモルヒネを注射します。そうすれば未だ痛みの原因が身体の中にあるのにも関わらず、あなたは痛みを感じません。それと同じように、神の恩寵はモルヒネのようです。カルマによる苦痛を受容しなくてはいけないのにもかかわらず、あなたは痛みを感じないですむのです。
神の恩寵は、あなたが受けなければならないカルマの悪果を取り除くことができるのです。ここに服用期限のきれた薬があります。期限が過ぎた薬は効果がないのと同じです。そうです。支払い請求書は来ていて、支払いをせねばならないのに、カルマが無くなってしまうのです。至高の神は、カルマの報いから信者を完全に救う事が出来るのです。OCSp126
どうして常に神の御名を唱えることが出来るか?とあなたは尋ねるでしょう。そんな疑問の付け入る隙はありません。あなたの為す一切の行為を神への捧げものと考えなさい。全ての行為を、神への捧げものとして行いなさい。神の恩寵を得るまではこれらのことが必要です。恩寵を得た後は必要ではありません。31/7/1996
あなたは、私の恩寵がなければ進歩することが出来ない、というかもしれません。しかし私のハートはバターのように柔らかいとは言え、あなたの祈りにある程度の温かさがあるときにのみ初めて溶けるのです。あなたが何らかの規律ある努力、何らかの霊性修行をするのでない限り、恩寵が注がれることはありません。切実なる願いと、目標が達成できない苦悩こそが、私のハートを溶かす熱なのです。これこそが恩寵を勝ち得る為の苦行なのです。SaiBaba&Psychiatrist
神はその人の受けるにふさわしい程度に応じて恩寵を授けます。神は愛の権化です。悪い属性は、神の恩寵を実感認識する事を防げます。欠陥は人の方にあり、神が悪いのではありません。21/8/94
今日人々が無数のトラブルと悩みに苦しんでいる状態が見られます。いかなる行政機関も権威もそれらの問題を解決することはできません。神のみが人類を救うことができます。人は太霊への信念を培わねばなりません。今日人は神の恩寵を獲得しなければなりません。全人類が神の恩寵を必要としています。恩寵を得るためには、各人はハートを愛で満たし,同胞に奉仕し,それによって自分の人生を清めなければなりません。14/4/96
神から与えられた仕事を自分が成し遂げられるか?と疑うものは弱くて無力な者です。したがって何事を成就するにも堅固な信念が必要です。疑いを追い払いなさい。何事であれ、起きることは全て自分にとって良いことであるとみなしなさい。それが神の恩寵に預かる資格です。スワミの言葉に憶測をめぐらすことは狂気の沙汰です。14/10/1995
聖者たちは、熱心に神に祈り、心の底から神の愛を求めました。サキュバイやミーラが神と離れていることに耐え切れずに泣いたように、神を求めて泣きなさい。彼らが神の御姿を見ることができ、神の恩寵をいただくことができたのは、そのような熱烈な願いがあったからに他なりません。しかし、カリユガ(暗黒の時代)の影響によって、人々は、まったく何の努力もせずに神の恩寵を得たいと思っています。神への愛が減少しているために、邪悪さ、悲しみ、暴力が増大しています。皆さんの妬みや怒りのようなよこしまな性質を、すべて愛に変えてしまいなさい。28/7/99
神の恩寵を得るならば、過去の行為の報いは緩和されます。神の恩寵を確保する方法は、真理、ダルマ、信愛、慈悲、堅忍不抜などの属性をつちかうことです。これらの属性を持っていたら人生は美しい花園となり、たえず歓喜を享受します。悪い想念と悪い行為でいっぱいの人の人生は、暗く汚いヴァイタリニ河に例えられます。各人は自分の生活を自ら律しなければなりません。各人は自分自身の照覧者です。悪人は外見を取り繕うことにより、善人を騙すことも出来るでしょう。しかし、悪人は心のうちでは、自分の本性を知っています。12/7/95
神からの恩寵を、お金に例えると、あなたが善行をなしていれば、すなわち、口座にいくらかの預金があれば、将来あなたは神の恩寵というお金を引き出すことが出来ます。もし、現在そのような預金が無くても、せめて過去に幾ばくかの善行を積んでいれば、つまり、固定資産を銀行へ抵当に入れていれば、お金を受け取る資格が与えられます。これら二つの善行を積んでいなかったとしても、もし裕福な人、すなわち、神やアヴァターやグルが保証人になってくれれば、あなたは銀行から融資を受ける資格を得ることができます。このように過去の功徳か現在の功徳があるか、裕福な人が保証人や担保人になってくれれば、あなたは神の恩寵を得ることが出来るのです。それ以外に方法はありません。STPS2p148

金によって得られるものと神の恩寵は比較することすら出来ません。全世界の全ての富よりも大きな宝である神の恩寵、それのみ、人は求めるべきです。6/5/87
今日、人々はお金のためであればどんな低劣なことでもしようとします。人は、神の偉大な帰依者であることを装って、人々をだまそうとします。人間がなすべきこととはこのようなことなのでしょうか?いいえそうではありません。人は欲望を克服し感覚をコントロールしなければなりません。5/7/01
あなたに神への完全な信仰があるなら、あなたの心は必ず変容します。ババの役割はあなたの心を変えることではなく、あなたをあなたの行為の結果から救い出すことです。誰も皆、この真理を認識し、それに従って行動しなさい。手始めに、自分の欠点をなくし、帰依心を強めて、固く、揺るぎのないものにしなさい。それは、プルシャ プラヤタナ(万人がなすべき努力)です。そうすれば、あなたはダイヴァ アヌグラハ(神の恩寵)を得るでしょう。グニャーナ(霊的叡智)の道を横切るこの真理の小道に入って、あなた自身を神に融合させなさい。6/10/92

*害虫
家に入ってくる害虫は駆除しなければなりません。自分たちの家をこのような小さな生き物から守ることは、何も問題ありません。でも、それは自分たちの生活圏の範囲だけであり、自分たちの身の回りだけのことです。その外側ではいけません。CWSSBJp269

 *顔
いつも喜びを周囲に振りまいていなさい。自分の苦悩や心配事を他の人の耳に入れてはいけません。あなたと会う人が皆良い気分になれるように、いつも微笑んでいなさい.また、他の人に自分の成功を語る時、その目的は相手に嫉妬心を抱かすことだ、ということも覚えておきなさい。24/2/65
古の聖者や真理の探求者たちも、絶えず神を思い、神の命ずることに常に忠実に従いました。その結果 として、彼らの顔は神聖な輝きを放ったのです。9/10/02

 *科学と霊性
過去二百年間,科学を追求した結果、人は多くの目覚しいが、危険を伴う業績が成し遂げられました。地球資源を開発する人々は自らの成果を自慢します。彼らは恐ろしい破壊をもたらす原爆を製造しました。世界を破滅する力を自慢することが英知のしるしでしょうか?
それは悪魔のすることです。西欧諸国は、今、自らの恐るべき発見の結果に悩んでいます。科学の発達には、それに相応する識別力が伴わねばなりません。科学の必要性は明白ですが、しかし科学はプラニャーナと結びつかねばならないのです。プラニャーナ抜きの科学を追及した結果、人々は自らの存在を愚弄しているのです。SS5/93
最近、科学者たちは一つの小宇宙的な力が全宇宙に浸透していると主張して、複雑な実験をしています。世界には物質とエネルギーという二つの構成要素しかありません。ひとつが欠ければもう一つは存在出来ません。
科学は、この物質とエネルギーの相互作用、感官が理解できる物質世界を研究しています。霊性は一人ひとりのうちに存在する力は、同一のアートマであることを教えています。科学者はこの発見をするのに、何千年も要しました。ヴェーダンダは、「ああ、愚かな科学者よ!すべては、汝の手の中にあるのだ!」と宣言しています。30/5/95
科学技術はあなたに多くの快適さと便利さをもたらすことが出来ますが、平安と至福を与えることは出来ません。科学とは何でしょう。霊性とは何でしょう。科学と霊性の違いは何でしょう。科学は五感の下に位置します。霊性は、あなたを世俗から神に連れて行ってくれます。霊性はあなたにこの世の中で、神性を感じさせ体験させてくれます。
これが科学と霊性を統合する方法です。霊性は目に見える電子機器や科学的な装置や設備の背後にある、目に見えない原理なのです。霊性は五感の上で働きます。科学が目の前にあり、目に見えるものに注意を向けるのに対して、霊性は遙かな遠くにあり、目に見えぬものに集中します。科学は物質を取り扱い、霊性は至高のものを求めます。科学は不活発なものを取り扱い、霊性は、意識を扱います。科学は物として現れたものを研究し、霊性はそれが現れる元に照準を合わします。科学が「愛の破片」スプリットなのに対し、霊性は「愛の神霊」スピリットです。
科学は外の世界を扱い、霊性は直感的なものを扱います。科学が目に見える物を視覚化できるのに対し、霊性はその背後に隠されたものを見つけ出します。あなたは科学を肉眼で学ぶことが出来ますが、霊性を理解するには、英知の眼が必要です。科学はあなたの頭に詰め込まれた事実を集めたものです。その反面、霊性はきわめて抽象的であり、あなたの心に触れます。科学は、ある一点から始まり別の点で止まるCという文字のように不完全です。
霊性はOという字のように完全です。科学はあなたに道具を供給します。霊性はあなたにそれをどのようにして使うか示してくれます。科学が陰であるのに対し、霊性は陽です。創造物が陰であるのに対し、創造主は陽です。水槽を水で満たすように、あなたの心を陽である霊性で満たしなさい。感覚器官はあなたが愛という水を汲む為の道具です。科学は事実を明確に示すことが出来ますが、霊性は、不変なる真理を指し示すことが出来るのです。STPSp266~8 
真の教育は道徳と人格と霊性を培わねばなりません。科学とテクノロジーは、快適な暮らしをするために必要です。それは明白です。しかし、物質世界の基礎に、目に見えない力があります。今日の学生は生活の為の知識と、生命を維持するものを理解する霊的知識との両方を学ばなくてはなりません。この二つが結びついて、人間性の開花をもたらします。22/11/95

 *核実験
幾度か行われた太平洋での核実験のつけは、ニュージーランドにおいて特に顕著に現れるであろう。人々が海産物を摂ると、食物連鎖の結果、心臓麻痺や身体のあちこちに癌を発病することになる。7千万トンもの魚が毎年捕獲された結果、魚の量が減り、魚による海洋浄化が進まなくなった結果、海洋を不健康にして汚染度を増大させている。SSALp,46
核実験による核爆発のせいで海水が汚染されています。それにともなって、海の生き物がその核物質で汚染され、それらを人が食すると人も汚染されます。それにより、がんを引き起こすのです。27/7/02

*学生
学生にとっての第一の義務は、親を愛すること、親に感謝することです。現代の学生の不品行は、親に大きな責任があります。親は子どもたちを十分に監督していません。子どもが生まれると、人はそれを祝います。しかし、本当のお祝いは、子どもが良い評判を得て、両親に名誉をもたらした時なのです。子どもを正しく育てられない両親は、親という名に値しません。子どもへの愛情とは、子どもの堕落を許すということではありません。そのような親は、子どもたちに好き勝手にやらせて最終的に大きな災難に直面したドリタラーシュトラ〔百兄弟の父親〕と同じです。5/86

 *加工食品
苦行の力は、我々が摂っている食物と生活習慣を見ればわかる。今日の我々の摂っている食物や生活習慣は、中身の無い物となってしまっている。我々の摂る加工食品は。瞑想を落ち着いて出来なくしてしまっている。それ故、我々の霊的修行は役に立たないものとなってしまっているのだ。16/4/96

 *過去世
過去世での特徴は間違いなく次の世に伝えられます。それは、ヴァーサナあるいはサムスカーラすなわち「過去世での特質」と呼ぶことが出来ます。良いサムスカーラを持っている人々は、良い仲間と過ごすこと、神の栄光を歌うこと、良い思いを心に抱くこと、良い行いをすること、良い話し合いをすることといった神聖な方法で人生を過ごします。それに対して、悪いサムスカーラを持っている人々は、悪い行いにふけること、悪い思いを抱くこと、嘘を語ることによって一生を神聖で無いものにしてしまいます。サムスカーラは身体が死んでも死にません。それは、次の世まであなたについてくるのです。STPSp216

*過去の栄光の時代
過去の栄光に輝く時代を再び取り戻すのは容易ではありません。あなた方青年は1袋の米が4ルピーで買えた時代や人に襲われる心配なく自由に人々が歩きまわれた時代、また家に鍵をかけなくてもよかった時代を知りません。今日、恐怖が国中に横行しています。誰一人安全なものはいません。これら全ての邪悪の原因は満足を知らぬ金銭への欲望です。悪の傾向はドワパラユガにはじまりました。今日、悪の傾向は恐るべきレベルにまで達しました。富への欲望は、嫉妬や高慢などその他の多くの邪悪をもたらしました。14/1/96

 *家住者
家住者の中にもブラフマチャリア(ブラフマの内に動く)はいます。彼は妻のみと肉体関係を持ちます。節操の無い異性関係を持つ既婚者はブラフマチャリアを守っているといえません。思いと見るものにおいて、情欲を抑えるべきです。18/1/96
自分の内に経験するのと同じアートマ(真我)の原理を、他者の中にも見る人は、たとえ家住者であっても隠遁者であっても、神を理解することができます。そのような人の中には、神がしっかりと確立されています。彼は、神そのものになるのです。23/11/2000
誠心誠意自分の義務を果たしなさい。それが、本当の霊性修行(サーダナ)です。あなたが職場に居る時は、職場だけに集中しなさい。自分の家族のことを考えてはなりません。同様に、家に居る時は妻や子供の必要を満たしてあげなさい。あなたの家を職場にしてはなりません。ところが今日、職務があまりにも多いために、人々は職場の書類を家に持ち帰って片付けようとします。このように人々は、職務と家の仕事を混同し、商売と霊性を混同しているために、様々な困難に直面 しています。24/7/02

*カースト制度
ブラーミンの特質は英知、美徳、そして最も気高く有益なカルマを自ら手本を示すことによって、美徳を広めることです。クシャトリアは、請け負った仕事を能率的にこなし、英雄的資質と勇気を持ち、悪人を罰し、高潔な人を保護しようとする冒険心と熱意を持っていること。ヴァイシャは、国々を一つの共同体へと結びつける伝達の輪を創り上げる為、商業が円滑に、また速やかに流れるように務めなければなりません。そして、世界に何倍もの富をもたらさなければなりません。
また、民族間の協約は守られるように保証し、自らの財産を捧げて、学校や病院を設立することによって、美徳と正義を育て上げるのです。シュードラは、ダルマの道を外れることなく価値あるものを生産して収穫し、常に真剣に人間として生きる目的を知ろうと努力し、共通の利益のために生産されたものを、知性を持って蓄え、守り、さらに多くのものを生み出すように励まねばなりません。
このようにして蓄積されたものは、真の英知を広げて行くために、また高徳な人を支え助ける為に、惜しむことなく活用されなければなりません。このように、これら四種類のカーストの人々の努力を結び合わせるならば、富は大いに増して何倍にもなり、人々は幸福を享受出来るでしょう。四つのカーストの人々は、この制度は世界のダルマの維持という目的のために創られたということを、実感せねばなりません。DVJp107~9
カースト制度の四つの階級は、それぞれの人びとの性質と活動によって定められました。一つの木に実る果実が、あるものは青く、あるものは熟しているのと同じように、人々もその成熟した段階に応じて四つに分類されるのです。各人の成熟段階はその行為と性格によって判断することができます。その思想と行動が浄性なものは、バラモンに属し、ブラフマンへの道を歩みます。激性の勝るものは、クシャトリアに属します。このように心に深く染み込んだ属性をもって、階級を定める基盤としたのであって、それ以外の理由からでは無いのです。JV

 *微かな身体
人には、身体、微かな身体、基因体の3つの身体があります。身体と微かな身体は双子のようにそっくりで、音とその響き、物体とそれが映っているものに例えることができます。9/89

*家族
自分の家族の面倒を見なさい。そのことに何も悪いことはありません。誰もあなたの世俗の義務を断念するように、という人はいません。世俗の中で生き、自分の義務を果たしなさい。けれども、常に神聖な気持ちを抱いているようにしなさい。22/11/10
社会が正しく進歩するには、家族が幸福で調和し一体でなければなりません。家族が一体となる為には、家庭を構成する個人が犠牲の心を持たねばなりません。28/3/96
家庭は何の為にあるのでしょう。それは神を静かに見つめる事によって得られる至福を享受する為、すなわち、誰にも邪魔されずに神を瞑想する機会を得るためです。各人の真のダルマとは、絶対者との融合という至福を味わい、真の自由を獲得することです。DVJp16
困難や不幸は、全て去来する雲でしかありません。過去世での家族や親戚縁者であった人々を私達は覚えているでしょうか?生まれるたびに、家族や親戚は変わります。しかし常に変わらないものは、神のみです。不変の愛に執着しなさい。変化してやまぬその他の関係に執着することをやめなさい。SS8/89

*形
形のあるものと無いもの(ニラーカーラとサーカーラ)という二つの実体があり ます。氷には形がありますが、水になると形は無くなります。形あるものと無いも のが一つになったときにのみ、あなたは解脱を得ることができます。これは、水素と酸素が、ある形態で結合すると水ができるのと同じようなものです。18/7/97

*家庭
家庭はダルマの住居であり、国を守り保護します。家庭は世界を照らし支える灯台です。女性の最も大切な義務は、教養や地位とは関わりなく「家庭を守る」ということなのだと認識せねばなりません。学校へと通う多くの学生や子どもたちにとって、母親は最初の教師です。誰にとっても、母親は生まれた瞬間から教師です。教師である母親が、家庭を離れて他の子どもたちを教えに学校へ行ってしまったら、自分の子どもは誰が教育するのでしょうか?
バーラタの女性にとっての第一の義務は、家庭をより善いものにし、理想的に営んでいくことです。全世界において、家庭と家族は社会の基本となる構成単位です。家庭がより善くなれば、世界全体がより善くなるでしょう。この現象世界では、人々がどこからどのような喜びや満足感を引き出してこようとも、家庭に喜びがなければ、家庭はまさに地獄となってしまいます。本来、家庭は天国です。家庭を天国として維持していくことが女性の義務です。19/11/96

*悲しみ
神ながらの生活をしようと心に決めたならば、世の人の手本となりなさい。不安、恐怖、無知がそこから生まれる根本の原因を取り除きなさい。その時はじめて真の人格は光を放ちます。不安は、至高の神を信じることによって除去されます。身に降りかかる一切の出来事は神のお計らいによって、自分にとって良かろう、と思われて為されたことであり、その御心は、必ず成就することをあなたは知るでしょう。何事もあるがままに率直に受け取る心こそ、不安に対する最善の武装です。それは弱い人間が、見せる諦めの態度でもなく、英雄のみに可能な勇敢さに満ちた受容です。
悲しみはエゴイズムから生まれます。自分はこのような、悪い待遇を受けるべき人間ではない、あるいは自分を助け、分かってくれる人は誰もいない、などは、エゴイズムからこのような悲しみが生まれるのです。エゴイズムが無くなれば、悲しみも消えてゆきます。無知とは、自分自身を肉体と思い込むことです。SSSVol1chp4
神だけがずっと私たちといっしょにいます。すべては神です。いつも神のことを思い起こしていなさい。一瞬も無駄にしてはなりません。たとえ一瞬であれ、時を無駄にすることは大きな浪費です。たとえ一瞬でも神を想うなら、とても多くの至福を感じるでしょう。悲しみにとらえられているときには、目を閉じて神を思い起こしなさい。そのことはあなたに平安をもたらすでしょう。何に対しても、悲しんだり惨めになったりしてはなりません。勇気と根気であらゆる状況に立ち向かいなさい。勇気と根気が皆さんの真の力です。神の帰依者であるからには、そのようにして人生の毎瞬毎瞬、神を黙想すべきです。1/5/08
神は悲しみをあらかじめ定めておきました。というのも人は悲しみが無くては神にすがろうとしないからです。薬の効果を補うために、医者が処方する食事療法などの制限に似ています。真善美pt2p123
全世界が至福に満ちています。どこにも悲しみの痕跡はありません。しかし、あなたは私に同 意しないでしょう。「スワミ、あなたには悲しみは見えないでしょうが、私たちには至る所に悲しみが見えます」とあなたは言います。あなたに見えるにせよ、私に見えるにせよ、本当はどこもかしこもあるのは至福だけなのです。至福を忘れ、悲しいことだけを考えているから、あなたは悲しみしか見つけられないのです。それに反して、私はどこにも悲しみを見つけはしません。私は、至福、至福、と、ただ至福だけを見ます。
私たちが神の化身であるならば、いったいどうして悲しみにさいなまれることなどできるでしょうか? あなたが悲しみにさいなまれているのは、この世のはかない移り変わる性質を理解していないためです。あなたが見たり経験したりすることは、すべて神の反映に過ぎません。だれをも批判してはなりません。なぜなら、他の人を批判することは、あなたが崇める神を批判することに等しいからです。16/3/03

 *金
人間の身体の中では常に血液が循環していなければならないように、社会の中ではお金が循環しているべきです。お金は少数の人々の手の中で停滞しているべきではありません。血液が循環しなくなれば、身体におできや腫瘍が出来ます。お金が無くなればやりくりをするのが困難になります。その反面多すぎるお金は人をだめにします。~お金はその人にとって少なすぎても多すぎてもいけません。STPSp97
 イエスには12人の弟子がいました。ユダは12番目の弟子であり、最後にはイエスを裏切りました。その当時は、ユダは一人しかいませんでしたが、今の時代には、そのような「ユダたち」がたくさんいます。今日世界が不穏に包まれているのは、ユダのような裏切り者の数が増えたためです。彼らは心が実に低劣なので、お金によって容易に誘惑されるのです。ユダは、たった何枚かの銀貨のためにイエスを売りました。すでに2000年前においてさえ、お金が人間の主要な目的となっていたのです。人々は、金銭に対する貪欲さのために、邪悪で不正な方法に訴え、真実を歪めて、偽りの敵対宣伝をしました。これはその当時の話しですが、その状況は今に到っても変わりません。誰も、そのような虚偽の申し立てを恐れる必要はありません。どうして人間が自分の犯していない過ちを恐れなければならないのですか? 過去において、多くの邪悪な心の持ち主が、真理と正義の教えを説いて世界的な名声を博した神人たちを妬みました。現代においてさえも、そのような邪(よこしま)な人々の数は決して減ってはいないのです。25/12/00
お金も地位も権力も、それ以外のものはすべ てこの世で手に入れるでしょう。あなたが欲しがれば、私はそれを与えましょう! しかし、それらすべてが手に入れば入るほど、あなたはさらに平安を失うでしょう! さらに問題が増えるでしょう。ですからそれらを求めてはなりません!あなたが賢い人で、善い帰依者であるならば、黄金を求めなさい! 平安が黄金です。平安があれば、それによって何でも手に入れることが できます。ですから黄金の平安を求めなさい。純粋な黄金です! この平安は純正の黄金です! それは私があなた方全員に与えるためにやってきたもの ― 至高の平安です。ラニマー女史との会話
人の一生は、道徳と霊性とダルマの複合体です。今、全世界がお金中心になっています。私はしばしば皆さんに、お金は来ては去りますが、道徳性は来ると育ちますと言っています。お金は流れゆく雲のようなものです。当然ながら、お金はあなたがこの世で生きていくのに必要なものです。けれども、お金は人生の究極の目的ではありません。昔の人々は、「ダルマ ムーラム イダム ジャガト」(ダルマが世界の基盤を形成している)ということを信じていました。現代人は、「ダナ ムーラム イダム ジャガト」(富が世界の基盤を形成している)と考えています。ダルマだけがあなたに平安と至福を授けてくれるということを理解しなさい。あなたを守ってくれるのはダルマだけです。11-8-2000
コミック、ホラー、ピストルを持った男の絵、映画のポスターや映画といったものは、人をして自分が肉体だと思わせます。これらのものは人をヒーローからゼロに陥れることがあります。子供は金や金銭で売買するということに対して信仰心のようなものを持ち、同情心や愛といったものを養う代わりに、残酷さやずるさのようなものに対してあこがれるようになります。それ故、家庭、学校、そして社会という三つの領域においてこの偉大な国の将来の為に、こういうことに対して戦わなければなりません。SS5p362
金儲けは、生活に必要な範囲だけにとどめておきなさい。金儲けというのは、人の本当の義務でしょうか?人として生まれ、人として人生を送る上でそのような浅はかな道を歩み、あなたは人生を無駄にしているのではないでしょうか?DD87p146
経済的な問題があるのは、利己主義が増大しているからなのです。富が一カ所によどんだ水のように蓄積されています。血液が身体の中を巡っているように、金も回らなければ経済は停滞します。21/4/1996
くじは、貪欲によって動かされる人々からお金を集めます。くじは一攫千金の期待をいだかせ、邪な魂胆で人を誘惑します。くじを売り、賞金を配った残りのお金を(バジャンホールの建設)に使っても、それは汚れたお金なのです。良い目的のために使うと思えば、その手段も清らかでなければなりません。渋々出されたお金、あるいは信愛以外の何らかの狙いがあって出されたお金は、受け取ってはいけません。11/7/1957

武器の製造のためにお金を浪費すべきではありません。中には国の防衛のために、多額のお金をつぎ込んでいる国があります。その結果、その国に住む人々は食べ物が無くて苦しんでいます。神の愛と恩寵だけが国を守ることが出来るのであって、武器で守ることは出来ません。28/7/99
現代の人々は狂ったようにお金を追い求めています。もちろんお金は大事ですが、それはある程度までの話です。一旦あなたが神への愛を抱くなら、お金の方から自然にやって来るでしょう。25/9/00
子供が悪い道に入る99%が、お金と自由を与えすぎる親にあります。親たちは思い違いをして、もし自由を束縛してしまうと子供達は傷つくかもしれない、と勝手に思い込んでいます。子供には正しい行いのみに限定した自由を与えるべきであり、正しい道から外れたときには、罰を与えなければなりません。両親が自分の子供に自由を与えるときには、子供がそれによってどのような行為をするのかを、注意深く見守るべきです。そうすれば子供も正しい道を歩むことでしょう。子供たちが正しい道を歩むかどうかの第一の責任は、母親にあります。通常娘が道を踏み外せばそれは母親のせいであり、息子が堕落すれば、それは父親の責任です。21/11/11
この金のリンガムは大きくて58,5gあり、実はみなさん一人ひとりの身体にこれだけの量の金が含まれています。これはヒラニヤガルバと称され、人に内在するエネルギーの現れであり、人が輝く原因です。皆さんは金が含まれている薬のことを聞いたことがあるでしょう。目が見えたり、耳が聞こえたりさせているのはこの金のエッセンスです。感覚器官は内在する磁力から力を得ています。金のエッセンスは保護膜として全身を覆っています。表皮のすぐ下には目には見えませんが、ホワイトスキンという薄い層があり、血液の保護膜として機能しています。出血するのはホワイトスキンが傷つけられた時だけです。13/3/02
今日、病気が増えているのは、医者が頭の中で、お金のことばかり考えているからです。5/7/03
人々は、もっともっとお金を儲けたいと思っています。しかし稼いだお金は何かの役に立っているのでしょうか。人々は自分の稼いだお金をすべて価値の無い無駄なことに使っています。稼いだお金は、社会のためになる有益なことに使わねばなりません。1/1/2004
実際には、あなたが手に入れた富の本当の持ち主は神です。あなたが稼いだお金は、神から預かっているだけです。神がその本当の持ち主です。神を信頼して、あなたが持っているお金を使いなさい。お金をもっと欲しいと思ったり、他の人の財を手に入れたいと思ってはいけません。1/1/04
カリの時代の影響で、人々はお金を求めて邪悪な手段を取ります。お金のために人殺しまでする始末です。そのような人にとってはお金がすべてです。お金を得るために懸命になる必要はありません。それよりも、愛という富を得るために奮闘しなさい。愛という富を所有していれば、決して苦しむことは無いでしょう。25/12/00
お金は確かに必要ですが、ある程度の限度を設けるべきです。お金を多く持ちすぎれば、多くの過ちを犯すようになります。18/11/99
お金も血液と同じように循環しなくてはなりません。さもないと病気の原因となります。信愛を深めるためにお金を使うこと以上の良いお金の使い方はありません。なぜならそうすれば、それによって個人も社会も、すべての体系が利益を受けるからです。お金をしまい込んで循環させなければ、社会的な腫れ物が出来、おそらくその腫れ物は化膿して破れるでしょう。11/7/57
人はお金の奴隷となってしまいました。見かけばかりで中身の無い生活を送っています。これは実に嘆かわしいことです。人は生活していくのに必要なだけのお金しか持たないようにするべきです。その人が所有すべき財産の額は、その人が履く靴の大きさにたとえられます。小さすぎれば痛いし、大きすぎれば歩くのに不便です。
お金もまた心身共快適に暮らしていけるだけの額を持つべきで、それより多く持てばおごりや怠け心、他の人に対するさげすみの心を生む元になります。お金を追い求めていくうちに、人々は自らを獣のレベルにまで身を貶めます。お金は肥やしのようなもので、一カ所に積み上げれば、周りの空気が臭くなります。それより周りに広く散らして、畑全体に巻けば豊作が約束されるでしょう。それと同じようにお金を良い目的のために使うならば、お金は満足と幸せを生みます。17/7/81
稼いだお金は、人類の幸せの為に使いなさい。自分の富を誇ってはなりません。偉大さは、犠牲の中にしか存在しないのです。20/11/98
もしあなたの妻も、外に出てお金を稼ぐようになれば、経済的には楽になるでしょうが、家の中に多く問題が生じるでしょう。23/11/02
奉仕をするのに沢山のお金を使う必要はありません。愛のこもった奉仕をして、人生を神聖化しなさい。1/1/04

 *金持ち
純粋な平等心を持った金持ちしか,私の許に来ることはできない。だから、アシュラムで一緒に働き~共通の修行をしている。p311サイババは世界の危機を救う。
金持ちが貧しい人と一緒に生活し、貧乏人と一緒に食事をし、貧しい人々の問題や苦しみを和らげることに取り組むことは、とても難しいことで普通では見られないことである。しかし私はあなた方にそういうことをしなさい、といっているのだ。貧しい人のところへ行き、貧者やよりどころのなく、苦しんでいる人々に奉仕しなさい。Sprit&mind p,214
青年時代というものは、悪にほんの少し傾いただけで災いとなるような時期です。思いはその者の一生を決定します。あなた方は金持ち達は、とても幸せであると考えて、あなたも多くの富を得ようとします。金持ちは食べ物が十分にあっても食欲はありません。金持ちは、他人に権力を振るえても自分は病気に怯えています。金持ちは召使いがたくさんいても、平安に暮らせません。ですから、美徳と良い理想を持ち、帰依と献身の心を持って生活することが豊かな生活だと見做しなさい。優れた人格を持つことが豊かだといえるのです。真理を固く守ること、欲望の自制、信愛、無私の奉仕、これらは人格形成に不可欠の要素です。良心の指示に従いなさい。そうすれば決して道を外すことはありません。SSSVol11
金持ちといわれている国の人々に精神的な平安はありますか?彼らは恐れ、緊張、心配事、不満足というものをその国から追い出しましたか?そうではないでしょう?金持ちというのは、これらのことに関して気にとめないのです。SSSvol6p125
裕福な人に、幸せですかと尋ねると、どんな答えが返ってくるでしょうか? おそらくその人は、次のように答えることでしょう。「私にはお金がたくさんあって、子どもたちも安定した生活を送っています。私の家にはさまざまな家具や、便利で快適な設備が整っています。生活に必要なものは何でもそろっていますが、心の平安だけはありません」。どうすれば心の平安が得られるのでしょう? 自分の神性に気づいたときに、初めて心の平安が得られるのです。
私たちはどうして平安を体験することができないのでしょう? どこが間違っているのでしょう? 私たちは、いつも他者に向かって「あなたは誰ですか?」と尋ねますが、「私は誰だろう?」と、自らに問いかける努力をしていません。そこが間違っているのです。いったん私たちが本当の自分に気がつけば、苦しみや困難から永久に解放されます。ですから、何よりも先に、私たちは本当の自分を知るための努力をすべきです。本当の自分を知らないままに、それ以外のすべてのことを知っても、それがいったい何の役に立つでしょう?23/11/05

*神
神を見ることができないからといって神を否定するのではなく、神の存在を想像しなければなりません。人々は、神の存在は信じないのに、自分が直接見ていないことを報道する新聞やニュースは信じます。自分の目で見えるものや心で経験したことよりも、耳で聞くことを信じているのです。盲人は暗闇の中にいますが、彼が光の存在を否定したとしても、それが何だというんでしょう。19/2/1966
主なる神がすべての原因であり、源であると知っていれば、あなたはすべての人を謙虚に敬意をもって扱います。それぞあなたを早くゴールへと到らせてくれる道なのです。20/2/66
完全さの化身である神性は、あらゆる人の中に内在しています。しかし、不運にも人は内在する神性を理解しようとする努力を少しもしていません。熟睡しているときに、身体を保護しているのは誰でしょうか?身体についての知識がなくても身体が完全に機能するのはどうしてでしょうか?答えは誰も知りません。創造・保護・維持、すべてを担っているのは神です。そのような神聖な力がすべての人に内在しているのです。それにもかかわらず、人は困難に遭うと落ち込み、喜びのときには得意になります。
人生のゴールとは、喜びや悲しみに左右されることなく、いかなるときにあっても完全な平静の状態を保つことです。喜びとは、二つの悲しみの狭間のことです。それゆえ喜びを探しに出かける必要はありません。それはまさに私たちの中にあります。実際、皆さん自身が至福の化身なのです。1/1/03
すべてが神なのです。この真理を理解するためには、あなたは人間のレベルから神のレベルへと昇らなければなりません。多様性の根底にあるサット(絶対実在)の原理を知らなければなりません。姿、形(アカーラ)に基づいた相違性に付け入る隙を与えてはなりません。あなたは、神と共にいることによって、至福を体験すべきです。神こそがあなたの真の財産です。あなたが至福を経験するとき、あなた自身が神になるのです。他との違いという思いを手放しなさい。すべては神の中にあります。この一体性を心に留めておきなさい。1/3/03A
全世界が神の手の中にあるのです。ですから、神があなたの中にいると言うのは正しくありません。あなたが神の中にいるのです。すべてが神の中にいます。世界そのものが神の館です。これが超越的真理です。これが変わることのない真理です。シヴァムという言葉は真理の象徴です。ここで、真理とはあなたの移りゆく身体のことではありません。それは変化することのない永遠の実在サットのことです。今日、人々は物質的で世俗的な意味を基準にしています。その結果 、心を汚しているのです。1/3/03

*神を裏切る
神を売ることは、あらゆる罪の中で最悪のものです。そのような裏切りは、何度生まれ変わっても決して償うことはできません。ですから、決して神を裏切ろうとしてはなりません。すべてを愛しなさい。皆さんを非難する人々にさえ挨拶をしなさい。なぜなら、神はすべての人の内に存在するからです。怒りに付け入る隙を与えて、心を汚してはなりません。愛を込めて神に祈りなさい。
過去においても、すべての高貴な魂や神の化身たちは、非難に耐えなければなりませんでした。皆さんは、「いったいなぜ、そのような非難が生ずるのだろうか?」と疑問に想うかもしれません。実は非難によって、彼らの栄光はかえって高まるだけなのです。幸せは、苦痛と苦痛の間に訪れます。影は光についてきます。私たちは影を恐れてはなりません。影の中にさえ光があります。光と影は別 々には存在できません。両者の間には一体性の原理が働いています。ですから、スワミに浴びせられるいかなる批判にも、あるいはまた、尊敬に値するいかなる人に対する非難にも反応してはなりません。ただ「そんなことは私に関係ありません」とだけ言って、それを無視しなさい。
もし誰かがあなたの欠点を指摘する場合は、もちろんそれを正せばよいことです。しかし、もし誰かがあなたに根拠のない攻撃を向けた場合は、それについて心配する必要はありません。幸せでいなさい。もし大声で非難がなされるとすれば、それは大気の中に消えていくでしょう。もし誰かが心の中でそれを想っているとすれば、それはその人に返るだけです。そういうことですから、どうして心を乱す必要があるでしょう? 誰にでも好きなことを言わせておきなさい。そして、平穏な気持ちを保ちなさい。いかなることが起きても、それはあなたのために良いことだと考えなさい。そのような平常心を持って、日々の生活を送りなさい。25/11/00

*神を探す
神を探す必要などないのです。なぜ神を探すのですか?それをするのは、自分自身の中に聖なるものが無いからではないですか?自分の中に優しさがないから、どこかに愛の化身を求めにいくのでしょう?もしあなたが優しい心を持っていたなら、愛の化身は私たちの前に下に上に家の中に外にと、いつも私たちと一緒にいるはずです。その人自身が自らの内に持っているものを外に探しに行きますか?あなたがそれを持っていないからこそそれを探しに行くのでしょう?17/2/96
神は、生物・無生物の別なく、万物の内に存在しています。大宇宙から小宇宙に到るまで、神は全宇宙に満ち満ちています。この宇宙は、神の姿です。朝から晩まで、私たちはこのような神の姿を体験していますが、この事実に気付くことができないでいます。皆さんの眼で見ているもののすべてが神の姿なのです。皆さんが聞くすべての音にも神が遍満しています。皆さんの心にある思いさえも、神の姿です。心から放射される至福もまた神なのです。見えるもの、聞こえるもの、体験されるもの、喜ばれるもののすべてが神であるとき、それ以外の場所に神を探そうとするのは、何と愚かなことでしょう。
皆さんは、世界という姿の神をした神を、毎瞬毎瞬見ています。皆さんは、神聖な感情が欠けているために、世界を神として見るのではなく、神を世界として見ているのです。いったん皆さんが宇宙はヴィシュヌ神の姿であるということを理解しさえすれば、必ず世界を神として見ることができるようになります。『感じる通りの結果が生まれる』のです。神は、全宇宙に遍満しています。神がある特定の場所にいて、他の所にはいないという感じ方をしてはなりません。神はいたるところにいます。あなたが神を見つけようと思えば、どこを探しても、そこに神がいます。まず皆さんは世俗的な思いを手放して、自分の視点を神聖な感情で満たさなければなりません。そうして初めて、皆さんは、『全宇宙に神が遍満している』というヴェーダの教えを理解し、体験することができるのです。
神を特定の名前や姿に限定してはなりません。神は、真我の原理として、すべての存在とすべての姿に内在しています。実際皆さんは、神の力によって、見聞きし、話し、体験し、喜ぶことができるのです。そうであれば、困難や、心配や、不幸もまた神であるのかという疑問が生じるかもしれません。実は本当にそうなのです!それらもまた神の姿なのです。 23/11/99
人間が目の前に見るものは、世界ではなく、まさしく神なのです。しかし、無知ゆえに人間はこの真理を理解できず、外側の世界に神を探そうと努めます。あなたが自分の前に見つけるものすべてが、まさに神の姿なのです。あなたはすぐ目の前に神を見ているのに、まだ自分は神を探し当てていないと思っているのです。何と愚かなことでしょうか! あらゆるものが神の顕れであるという堅い信念を育てれば、あなたは確実にすべての人の中に神を見いだすことでしょう。16/3/03
神の存在を発見することは、各人の能力の範囲内にあります。必要なのは、創造の神秘を追求するために努力することです。目に見える世界の下には、目に見えない神性が横たわっているのです。実は現代人が知っていることは、無に等しいのです。探求、探求、探求です。確固たる努力を払いなさい。霊的探求を緩めてはなりません。認識に必要なのは、根本原因の原理を追求することです。必要なのはそれに対する心の中の渇望です。それは霊的探求へと変容を遂げます。渇望が無ければ、神の探求は長続きしません。30/5/95
人間の理想とは、全てのものの内に神を見ることです。まずあなたが好む何か一つのものの内に神を見なさい。次に、それ以外のものの内に神を見ていきなさい。そのようにして一歩ずつ歩んで行くのです。あなたの魂の周りには、永遠の生命がとりまいているのです。あなたのペースで進んで行けば、やがて目標に到達することができるでしょう。PD41

 *神を体験する
神を体験したいなら自らの義務と行為を通じて体験しなさい。それは容易なことではありません。理想の生き方をするように努力しなさい。日々の行為に少しも改善が見られないなら、あなたのしている霊性修行は無意味です。1/1/91
信仰の目的とは、自らのハートにおわす神を認識する事、そしてその神の光と力をあなたの身体を通じて顕現さすことです。これが成し遂げられたなら、この世の全てのものに対して投げかけられている神の愛があなたのハートの中から溢れ出てくることでしょう。そうなれば、あなたの目はあらゆるものの中に神を見、あなたの手は万人のために良いことだけをするために使われ、そしてその結果、あなた自身が神の化身そのものとなり、至福に満ち、永遠の法悦を味わうことでしょう。この状態にあっては、帰依者と神との違いは消え失せてしまいます。常に神を憶念し、神に全託することによって帰依者は神自身となります。それゆえ、あなたが常に神を思うなら、あなたは神の似姿となるのです。その時、永遠の歓喜と平安を味わうのは他でもなく、あなた自身なのです。PD42
あなたは眠りに着きました。時間は午前1時35分です。あなたは夢の中に入っていきました。夢であなたは、自分が大人になり、教育を身につけ、職を得て、結婚し、息子ができ、それから、その息子と遊んでいるのを見ました。夢の中で子どもが泣き始めました。そこで目が覚めました。あなたは時計を見ました。午前1時40分でした。たった5分の夢の間に、あなたは人生におけるとても多くの段階を体験しました。現実の生活での40年近くをです。
それと同じように、もしあなたがトゥリーヤヴァスタという超越的な状態を経験することができれば、ほんの一瞬のうちに神を体験することができます。あなたは「そんなことが可能なのか?」と驚くかもしれません。では、現実の生活では40年かかることが夢では5分で可能だということを、誰か説明できますか? 誰にもできません。同じように、誰にも説明できませんが、神性さを文字通り一瞬のうちに体験することは可能なのです。23/5/2000
あなたは、あなたと私との関係は、肉体のみに関係するものではないことに気づかなければなりません。私との肉体上の関係だけを考えて、人生を無駄にすべきではありません。肉体は過ぎゆくものです。そうでは無く、永続し、時間と空間の制限を越えているものに到達することに集中しなければなりません。あなたはここに来て、自分の目でアヴァターを見て確かめ、体験しました。その体験を持ち帰り、自分の内でそれを思い起こし、大きくしていかなくてはなりません。24/7/83
五元素を肉体から取り去ってしまえば、肉体は存在しなくなります。いったん生命が去ってしまえば、肉体は埋葬するか焼却しなければなりません。五つの元素は解体されてもとの姿に戻ります。ですから肉体が消滅する前に、内なる神を体験するためにあらゆる努力をしなさい。私たちは肉体を通してのみ神を体験することが出来ます。したがって、肉体を正しく管理しなければなりません。23/11/99

*神を騙す
 神は、あなたがしていることをすべて見ています。あなたは、他の人は誰もあなたが何を考えているかを知らないだろうと想うかも知れません。あなたは他の人々を騙せるかもしれませんが、神を騙すことができるでしょうか? 神はすべてを知っています。ですから常に善いことをしなさい。
あなたが感覚を正しく使うようになれば、あなたの犯した罪はすべて償われます。皆さんは、怒りに襲われれば、一切の識別力を失って人間らしからぬ行動をとります。ですから、腹が立ったときは、必ずすぐにその場を離れるようにしなさい。罪を犯した後でそのことを悔やむよりも、最初から罪を犯さないほうが良いのです。5/7/01

*神を否定
神を否定することによって、人が悲しみと苦しみから逃れ、喜びと平安を確かなものとすることができるというのなら、神を中傷するというのも選択肢の一つでしょう。しかし、神を信じない人にも、無神論者にも、苦悩や悲しみ、苦しみはあります。無神論は有神論よりも有利であるということはありません。無神論者は、頭に載せていた重荷を肩に移すことによって、自分に重荷があることを認めません。その重荷は彼がもともと堪え忍ばなければならないものであり、しかもそれは、神を否定することによってもっと大きな辛苦となって返ってくるのです。19/2/66

*神を冒涜
「神は万物の内在者である」「宇宙全体に神は遍満している」と聖典に書かれています。人間としてこの世に生まれたのは、もって生まれた神性を体験するためであって、世間的な楽しみを満喫するためだけではない、ということに私たちは気づかなければなりません。もって生まれた神性を体験するためには、霊性の道を歩まなければなりません。霊的道を歩もうとしない人は、人間と呼ばれる資格がありません。実際それは神を冒涜することに等しいのです。神は皆さんが神を崇めることを期待しているわけではありません。神が期待しているのは、皆さんが理想的で有意義な人生を送ることです。23/11/05

*神を忘れる
ああ、人間よ! 神を忘れて、朝から晩まで自分の腹を満たすための努力に一切の時間を費やして、一体どんな素晴らしい幸福を手に入れたのか。一度、自分自身で検証してみなさい。2/4/2003

 *神からの預かりもの
あなたの財産や資産を神からの預かりものだと見なしなさい。家族でさえそれは神から託せられ、愛を持って養い導くべき神性なものだと見なしなさい。そうすれば、あなたの執着心は信仰心に昇華して、霊的進歩のための道具となるのです。SSvol,4p,155

*神からの贈り物
あなたがこの世の事物に執着する限り、どのように神を崇めようと神我認識に達することは出来ません。あなたは全て捨てる必要はないのですが一切を神からの送り物としてありがたく思い、一切を神に捧げればよいのです。全ては神の現われです。それを自覚すれば、あなたは全てのことをありがたく思うようになるでしょう。13/4/1990

 *神から離れる
プタパルティに来られる人は、私がその者のここに来るための障害という宿命を、きれいに拭い去った者しかこれないのだ~(プタパルティで奉仕したいという医者に対して、)奉仕は自分が住んでいる場所でやるのだ。お前の身体ではなく心を私の近くに持ってきなさい。ハエや蚊は私の身体の近くにいつもいるが、それらはモクシャに達せれるかね?p278ANDI
ハヌマーンは「私はラーマ様の僕だ」という一途な気持ちによって大きな悦びを味わっていました。ただその気持ちはいつまで続くでしょう。それは神の恵みを受け、神の近くにいるときだけです。神と別れてしまったら大変苦しむことになるはずです。「私は神」の段階になれば苦しみの問題は全く起こりません。高度な段階になれば、いつも神と一つなのですから、神と別れたり苦しんだりすることはありません。「神の僕」の段階では、神と僕が別れてしまう事もあるが「私は神」の段階では悦びが途切れることはありません。二つに分かれることは決して無いからです。SGc9
神を忘れるのは人間です。神は決して信者から離れていることはありません。信者が神から離れているだけです。あなたは神があなたから離れていると思っています。しかし全くそうではありません。あなたは神を忘れ、神があなたを忘れたと宣言していますが、実はあなた自身の感情があなたに反映されているだけなのです。14/1/96
現代人はすべての物事に関して疑います。このような猜疑心は、自分が神から離れた存在だと思うことから生じるのです。23/2/06
私はあなた方に告げます。神から逃げることは出来ない、と。一切の生物は長い途を行くか、短い途を行くかの違いはあっても、いつの日か必ず神に到達せねばならないのです。ヴィジャヤダサミの日1953
あなたにとってこの世で神よりも近くにいるものはありません。14/1/91
宇宙には神よりも優れたものは存在せず、神と異なるものも、神から離れたものも存在しません。「タット(それ)」とは神のことです。それは遍在であり、永遠の純粋意識であるチャイタンニャです。また、私たちは神を遠く離れた存在であると想像しているので、神は「タット(それ)」と呼ばれています。一体、どこから遠く離れているのでしょうか? そうです、あなたの肉体と感覚と理性の機能から遠く離れているのです。これらの機能は、限られた能力しか備えていません。しかし、いったん直感的な意識が働き始めると、「遠く離れたもの」が「非常に近くにあるもの」となるのです。1/1/83

 *神と語る
アシュラムの中ではスワミと直接話すことができます。アメリカにいる時は、答えを求めて祈り、そのあと客観的に探求すれば、30分で答えが得られるでしょう。何が正しいか分かっている時は、私に聞くことなく実行しなさい。それがあなたの自信であり、神の力なのです。すべての人間関係を考慮に入れず、ただその仕事が正しいかどうかを考えるのです。~まず最初に、何が正しくて何が間違っているか見極めなさい。それが正しいことであれば、それについてあなたが満足できることし、その確信がなければ、確信を持てるまで何もしないことです。CWSSBp106~7
あなたの中にいる神と語りなさい。そして神から勇気と霊感を引き出しなさい。神こそあなたの進歩に最も関心を持っているのです。p319サイババは世界の危機を救う。
人は、自分が神の帰依者だと信じています。しかし神が自分に対して、愛を抱いているか、一旦立ち止まって神に尋ねてみたりはしません。それを知りたいと切望する人は稀にしかいません。こうすることは、まさに霊的に成功を収める為の真の尺度なのです。DVJp22
あなたの至福が私の食事なのです。私はあなたに話しかけたいなどとは思いません。ただ、私の喜びをあなた達に伝え、あなた達の喜びと、交流したいと望むだけです。このように、私達が(霊的に)交わることによってお互いに満たされることが、最も大切なのです。身体を使って話したり聞いたりする事は、(私たちの間柄にとっては)付随的なことなのです。SSSVol5p96
もしスワミと語りたいという欲求が熱意を伴って充分強く、あなたの心が静まっていればスワミはあなたと語ることができるでしょう。しかし問題は、あなたにはその熱意が十分に備わっていないということです。CWSSBp103

*神との友情
神よりも偉大な友はないことを認識しなさい。人が神の期待に応えることに失敗した時も、神は彼を見捨てません。それゆえ神は良き友といわれるのです。神は誰からもいかなる贈り物も求めません。にもかかわらず、人はそのような良き友をなかなか受け入れないのです。そうではなく神を良い友人として受け入れる者のみが、神の友情の完璧な意味を理解することが出来るのです。このような信念こそ真の知識です。14/1/91
あなたは、神との友情を培うべきです。もし神があなたの友人であれば、全世界をコントロールすることができます。しかし今日、不運な人々は、神との友情を失いつつあります。神と友達になるのは容易なことではありません。しかしあなたは、このことにあらゆる努力を傾注すべきです。いったん神と友情を培うことができれば、サーダナ(霊性修行)を通じてそれを最大限に活用しなければなりません。おしゃべりをして時間を無駄 にしてはなりません。23/11/02

 *神に帰融
神と一度の人生だけで帰融出来るかどうかは、その人の信仰の程度によります。しかしなぜあなたはアトマ シャクシャートカへの欲望があるのですか?それは、あなたにたった五分間だけ至福をもたらすだけです。それにその経験のあと、あなたの身体は21日間しか生き延びる事が出来ません。あなたの時間を、いつも瞑想とバジャンに費やしているほうがよいのです。P,304 ANDI
心から神を信じるとはどういうことでしょう。それは神に向かう一筋の愛の流れです。愛がはかないものに流れているなら、信じる心とは言えません。それは執着の姿でしかありません。
愛が永遠の存在に向かって流れていくことが、神を信じる心です。信じる心は「私は神の僕」という気持ちから始まります。そのあとで、自分は神そのものだと思う段階に進みます。そうなれば、「私は神だ。神と私はひとつ。」という言葉があふれ出てくるでしょう。SGc8
牧女は至高の神への一筋の信愛によって帰融し、ラダは<エカートマバーヴァア>霊的な完全一致感によって至高の神に帰融しました。全ての者は帰融します。しかし、個々の場合によって到達のレベルは異なります。30/8/93
あなたは自分が人間であって、神のもとに行くのだと考えてはいけません。それよりもあなたはもともと神で、人間になったと考えるほうが良いのです。そのように考えることにより、神のさまざまな属性があなたを通じて現れてくることでしょう。神であったあなたは人として下界し、そしてまた、最終的にもと来たところに戻っていくのだということを覚えておきなさい。MBAIp94
究極の段階である、完全に神の中に入り、神と一つになるまでは、休息も安らぎも、満ち足りた思いも持つことは出来ません。SGc6

*神に反抗
神に反抗する人間には四つの種類があります。第一は、神は存在しないと主張する無神論者です。第二に、他の人々が自分たちよりも良い境遇にあるために、妬みの心から神に反抗する言葉を語る者がいます。第三は、自分たちには名声を手に入れる力がないのに、他者が名声を博していることを嘆く者たちです。そして四番目は、自分の欲望が満たされないときに幻滅を感じる者たちです。彼らは、不正で低劣な手段に訴えて自分たちの目的を果 たします。23/11/2000

 *神の愛
この世の人生で手にすることの出来る真の価値のあるただ一つで永遠のもの、それは神の愛です。SGc3
何より大事なのは神から愛されているかどうかです。自分は神を信じ、愛しているつもりでも神が愛してくれなければたいして遠くへ行けません。それではどうすれば神から愛されるようになるのでしょうか?その答えはバガバッドギーターの帰依の道を説く章に見られます。
帰依の道とは、いつも神と一つに繋がっているということです。どんな時もゆらぎの無い心で実践することを帰依の道は教えています。強い決意を持ち、暮らしの中でひたむきに教えを実践すること、そしていつも悦びに満ち足りていることです。SGc3
私は賞賛も嘲笑も、尊敬も軽蔑も、怒りも幸福も、超越しています。私には、徹頭徹尾、一つの属性があるのみです。それは私の愛です。私は私を憎む者をも愛します。私は私に対する悪い宣伝に耽る人さえ愛します。私は誰のことも敵とは見なしません。すべての人は私のものです。私は母親のように、皆さん全員に気を配っています。私の愛は一人の母の愛ではありません。私の愛は千人の母の愛です。サイの愛は千人の母の愛です。ひとえにその愛ゆえに、私は皆さんのあらゆる過ちを顧みず、前を見て歩んでいるのです。誰かが過ちを犯したときはいつも、私は本人を呼び、声を高めてその人を正します。ですが、私はその人に怒りを示すことはしません。私は誰に対しても怒りはありません。実際、私には怒りという感情はまったくありません。23/11/08
神の行うことには利己心のかけらもありません。神の愛の真の性質を理解することができる人はわずかしかいません。人間は自分の愛と神の愛を比べようとします。人間は、自分の愛が、自分の好きなものや、いつも自分が楽しんでいるものへの執着に基づいていることに気づいていません。人を引きつける力やその逆の力は、対象物それ自体の中に本来備わっているものではなく、個々人に関係のあるヴァーサナー(過去の印象に基づいた欲求)に備わっているものです。7/10/97
人間として生まれた目的は何でしょう?それは神の愛を体験することです。神の愛を受け取った人だけが、世界に変革をもたらすことが出来ます。現代社会は不安と悲しみに満ちています。どこを見ても悲しみ以外何もありません。洪水などの自然災害の多くは、大変な惨状を引き起こします。これらは神によって引き起こされるものではありません。人間の苦しみの原因はすべて人間にあります。29/10/09
世俗的な愛は彼の執着する心の反映でしかないために、月日が経つに連れてだんだん冷めてくるものなのです。しかし神の愛は、絶えることなく不変です。それは、永遠にして神聖、無私のもですが、誰でもこれを理解できるというわけではありません。人は自分達の欲望が満たされなければ、この愛を誤解し、神を非難さえします。17/7/97
愛に満ちたヴィジョンを持つ人は、全宇宙に絶対実在(ブラフママヤム)が浸透しているのを見ます。肉眼で世界を見るならば生まれてから死ぬまで世界は惨めの束と見えます。神への愛は、惨めさから逃れる唯一の道です。神への愛が無い人は、少なくともこの瞬間から神への愛を培いなさい。4/4/92
欲望とむさぼりを戒め、いつも満ち足りていて、神の愛を受け取ることが出来るように努める。ただ神様を愛しているだけでは足りません。どうすれば神様から愛されるか。どうすれば神の恵みを得られるか。どうすれば神の愛をじかに得られるか。それを良く理解せねばなりません。神は自分のものだと言って泣いたり叫んだりしても何もなりません。おまえは私のものだと言ってもらうように願うべきです。SGc23

*神の意志
だれが創造主ですか? あなたは自分の意志で生まれてくることができましたか? いいえ、できませんでした。それは神の意志です。神があなたに体を授けました。神への奉仕と神への崇拝に体を使い、体を神聖にすべきです。世界に理想を示すべきです。すべての人の平安と幸福のために働きなさい。他の人にしてほしいことを、他の人にしなさい。苦しみたくなければ、他の人の苦しみを和らげるよう努めなさい。あなたの平安と幸福を他の人と分かち合いなさい。すべ ての人の幸福を祈りなさい。16/3/03
神は自分が創造した世界に住む、いかなる生き物にも痛みを与えるようなことはしません。すべての悲しみと困難は人間自身が作っているのです。神はすべての生き物の保護者です。神はすべてのものに平安と幸せを与えます。「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥー」(世界のすべての人が幸せでありますように)。これが神の意志なのに、どうして神が人類に対して苦悩を与えることなどありうるでしょうか? あなたは、神の意志を理解できないために、神が苦悩をもたらすのだと言って神を非難します。もしあなたが神の意志を知ることができたとすれば、すべてはあなたのためであることに気がつくことでしょう。私たちは皆、至福の化身です。毎日、朝から晩まで、至福を体験し、他者とそれを分かち合いなさい。そして初めて、至福はより大きなものとなります。14/1/05

*神の贈り物
 誰が皆さんをここに招待したのでしょう? 皆さん方は、スワミへの愛によってここに来たのです。この愛のみによって、何十万人もの人々がここに来たのです。バガヴァンはここにいて、皆さんに連れて帰られるのを待っています。皆さんの好きなようにスワミを連れて帰りなさい。スワミは完全に、バガヴァンを心から愛する人のものです。
バガヴァンが皆さんに望むものは、皆さんの心を込めた無条件の愛のみです。この真理を心に留めて、愛に満ちた人生を送りなさい。これを、スワミから皆さんへの贈り物として受け止めなさい。いかなる人をも憎んではなりません。いかなる人を憎んでも、神自身を憎むのと同じです。あなた自身のすべてと、一切の持ち物を神に全託しなさい。混じり気のない神の至福を経験しなさい。23/11/99
神もまた、時にはあなたに困難を課します。しかし、それはただあなたのために、それがあなたにとって良いことであるからこそするのです。喜びも悲しみも神の贈り物です。それらは神の恩寵です。だれにも神のリーラ〔遊戯〕を理解することはできません。1/3/03朝
幸福を体験するための能力は、神からのたくさんの贈り物のうちの一つです。しかしながら、人は自分の限られた能力のせいで、幸福を享受するために、それを最低限しか使っていません。人はいつもただのマーナヴァーナンダに甘んじがちです。これはいけません。風船が破裂して、中に入っていた空気が外の空気と混ざり合うように、人は人間の束縛から脱け出して、ブラフマーナンダのレベルに上昇しなければなりません。23/5/00

 *神の恩寵
人生におけるテストや障害物は神の恩寵です。それは,神のあなたに対する怒りではないのです。SSSvol9p82
心の底から真剣に悔いるのであれば、あらゆる罪を洗い流すことができます。神の恩寵がそれに応えるのです。もし神が赦す意志を持てば、いかなるものもそれを防ぐことは出来ません。
すべてのカルマが消されてしまうのです。すべての霊的な行為には、反作用がありませんが、そのような行為の根底には、愛の種子があるのです。過去に冒した罪が何であれ、深い悔い改めの気持ちと、神への愛があれば、罪は洗い流され、その人の性質は浄化されます。CWSSBJp199
神の恩寵と神の意志は、あらゆるものを変えることが出来ます。神は愛です。神の限りない慈悲により、あなたの過去世での行為の結果を神は変えることが出来るのです。帰依者は、ハートという刑務所の中に神を捕らえることが出来ます。この世では信愛を持って達成出来ないことはありません。
神の恩寵は、あなたのあらゆる過去世からの悪い影響やカルマをキャンセルすることが出来ます。どのような不幸もあなたに降りかかることはありません。STPSp58
あなたは人生の中で、あなたがどれだけこの世のはかないものに執着しているか、あなたがどれだけ神を渇望しているかをテストされます。もし、神に対するあなたの愛が、浮世のものに抱いている愛の何十分の一しかなかったとしたら、神があなたに恩寵を注いでくれることがどうやって期待できるでしょう?7/10/97
ペットの犬に毎日えさを与えていると、餌をやる時間になれば、犬は必ずあなたのところにやって来るでしょう。そうではありませんか。定期的にそれを行うことで犬がそれに応えるのなら、なぜ神は人に対してそういうことをしないということがあるでしょうか。定期的にあなたが霊性修行を行えば、神の恩寵を確実に受け取ることが出来るでしょう。STPSp59

*神の影
いつも、自分は神の影にすぎない、神の写像にすぎないという意識でいなさい。そうすれば、どんな障害もあなたを妨げることはできません。神は真理という王道を歩いています。神の両足にしがみ付く神の影は、谷にも山にも、火にも水にも、ちりにも埃にも映ります。ですから、もしあなたが神の御足にしがみ付いていれば、影と同様に、人生の浮き沈みに影響されずにいることができます。19/11/68

*神の身体
一つの血流が体の隅々まで巡ります。一つの神性原理がすべての国とすべての人々を巡ります。宇宙は神の体です。神は、肌の黒い人であれ白い人であれ、大地であれ海であれ、風であれ空間であれ、何かがぴくりと動いても、あらゆる生き物のどんな小さな痛みも、そのすべてを知り、感じます。16/5/68

*髪の毛
古代、聖賢たちは髪の毛を切りませんでした。というのも、霊的に毛髪は非常に神聖で、力があると考えられていたからです。この体(スワミの肉体)は、もうすぐ80歳になります。にもかかわらず、今日まで私の頭髪は非常に強く、ずっと強力なままです。私はくしを使いません。私が髪にブラシをあてようものなら、髪はブラシにからまってしまうでしょう。私の髪はとても太くて強いのです。もし、だれかが私の髪の毛を一本抜いてみたいと思ったとしても、不可能です。それは神の化身の毛髪の特質です。私だけでなく、人はだれもがある種の神聖な力をもっています。人はそうした力を伸ばすよう努めるべきです。今、若者たちは神に授けられた力を保つための努力を払っていません。若者たちはその神聖な力をありとあらゆることで無駄 にしています。若者は日々多くの力を浪費しエネルギーを失って早く老けてしまうという結果 に陥っています。 10/2/05

*神の計画
あなたが神を強く愛するならば、何でも成し遂げることが出来ます。人間が努力を積み重ねるにつれ、神の恩寵もまたその努力に力と強さを添えて、最終的に人を成功へと導くのです。STPSp61
まず第一に優しいハートを育てるべきです。神の贈り物である今回の人間としての生を無駄にすべきではありません。神には神の計画があり、そのために神はあなた方全員に命を授けたのです。神は、各人がそれぞれ他の人々の理想となることを意図しています。あなたはその理想を知るよう努力すべきです。その理想は、純粋かつ神聖です。人間のハートの重要性は、ハートの純粋さと神聖さにあります。不純な思いが入ってくると、ハートは不純になり、行動は邪道に陥ります。あなたの想念や欲望はすべて全身に広がりませんか? 自分が言っていることと別の行動を取るのは正しいことですか?PN

*神の化身
人と神の間の愛を促進するために、神はしばしば地上に降臨します。降臨の目的は何でしょうか?それは愛の本性と機能を促進することが、化身降臨の主要な目的です。30/5/92
神は純粋で、属性を持ちません。属性のない穢れなき神性は、すべての人間に内在しています。すべての人間は、実のところ、遍在する神性の反映なのです。そのため、すべての人間は神性の化身と見なされ、敬われなければなりません。神は、遍在であるにもかかわらず、特定の姿をとって、さまざまな方法で人間に奉仕します。今こそ、この瞬間に、すべての名と姿は神のものであるという真理に気付きなさい。誰を見かけても、神性の化身であると見なしなさい。そのような態度を育めば、どこであれ、あらゆる場所で、神を見ることができます。9/10/05
神の化身(アヴァター)は、子どもたちの中では子どもであり、男性の中では男性であり、女性の中では女性です。そうすれば、相手の喜びや悲しみに反応して、相手を慰め、相手の意気消沈したハートに自信と勇気を吹き込むことができるからです。神の化身(アヴァター)は人間たちの中にやって来ます。その理由は、鳥や獣や木々などは、自然の法則に則って生きており人間のような不自然な状態に陥ることなどないからです。
世俗の幸福と感覚の悦楽という、人を惑わすものを追いかけて、自分が地上にやってきた目的である務めを忘れてしまうのは、人間だけです。神は、ダルマを復興させて、人間を徳と英知の道に連れ戻すために人間の姿を取ったのですから、ダルマを厳格に守ることほど神を満足させることはありません。もし自分が見るもの、聞くもの、触れるもの、味わうもの一切の中の神を意識するなら、人はダルマの道から離れることなく進むことができます。それは、人生のあらゆる瞬間を真我顕現の感動で満たしてくれることでしょう。11/70
私が皆さんと共に動き回り、皆さんのように食べ、皆さんと話をするために、皆さんは私が普通の人間のようであると信じて惑わされています。しかしそうした間違いを犯さないよう警戒していなさい。私は皆さんと共に歌い、皆さんと共に話し、皆さんと共に行動することで、皆さんを惑わしています。
けれども、いついかなる瞬間に私の神性が顔を出すかもしれません。皆さんはその瞬間に備え、準備を整えておかなければなりません。神性は人間性という覆いに包まれています。ですから、皆さんは、神性が皆さんの目に触れないように隠しているマーヤーを克服しようと努めなければなりません。17/5/68
神がこの地上に降りてきたからといって、神はその人間的な姿に制限されてはいないのです。CWSSBJp167
至高の神は無数の姿をとりえます。~至高の神の力を越える者はありません。人間の姿をとる神を見て人々は至高の神が自分達と同じ身体をもっているので、はたして化身が不思議な御業をする力を持っているだろうかと疑います。彼らはアートマンの全一性を認めません。人間の姿をとる神を認識することは難しいのです。28/8/94
神は如何なる時にも如何なる姿にでもなることが出来る。しかし、神の本性を人類に示さねばならぬ時、神は人間の姿をとって降臨しなければならない。しかし、人は心が汚れている為に人間の姿をとった神を認識できない。~神のなさり方は、無限であり、不可解です。神が如何に行動するかを決め、神に指示できるものはいません。神はなんであれ、瞬時に変更することが出来るのです。28/8/94
疑いがあなたの気をそらせるのを許してはなりません。あなたの心の祭壇に、私の神性に対する固い信心を据えさえすれば、私の実体を見ることを勝ち得ることができます。そうする代わりにもし、時計の振り子のように揺れ動き、あるときは信じ、あるときは信じないなら、決して真理を理解することも、至福を得ることもできません。あなた方は今、今生で、サルヴァダイヴァットワスワルーパ〔すべての神のすべての姿の化身〕を見るという至福を味わうチャンスを得たのですから大変幸運なのです。
もう一つ、皆さんに注目してもらいたい事実があります。これまで神が地上に化身したときには、明らかにそれは神の恩寵だとわかる証拠の数々にもかかわらず、その化身が神であることを知る喜びは、化身の肉体がこの世を去って初めて与えられました。化身たちが集めた、人々の忠誠心や信愛は、化身たちの超人的な力や御業、あるいは厳格な最高の権威に対する、恐怖や畏敬を通して生まれたものでした。一方、このサティヤ サイの化身についてしばし考えてみてごらんなさい。物質主義がはびこる、強い不信と不敬の時代に、この化身の何が、世界中から数百万もの人々の崇敬を集めているのでしょう? その根本的な理由は、人の姿の内にある私のこの世を超越した神性にあるという事実を理解すれば、皆さんも納得することでしょう。17/5/68

 *神の欠点
神の行為には何ひとつ汚点がありません。神は全く清らかであって、汚れのないものの権化です。それゆえ神に欠点があるというとき、それはそのように批判する者の持つ欠点が投影されているのです。その者の見方に欠陥があるゆえに、創造物に本来存在しない欠陥を見るのです。22/5/90

*神の言葉
最初は、神は姿を持つものとして認識されます。次に、神のその御姿が至る所見られるようになります。それから神を無形のものとして認識することが出来るようになります。というのも、すべての形は永遠のものではないからです。例えば、子供が象という字を読むことは出来ませんが、ゾウという言葉を聞くことによって、ゾウが何であるか知ります。子供が字を読めるようになると、象という言葉だけが残り、その言葉によって象を理解することが出来ます。
象の姿、形は一時的なものですが、言語が続く限り象という言葉は残ります。象という単語は無形の状態での象を象徴しています。同様に、帰依者が一旦、神の言語を学んでしまえば、神を視覚化する必要はなくなります。言語だけで充分なのです。しかし、人間は形と名前を通じて神について学ぶのです。CWSSBJp113
第一に必要なのは、神の言葉への信心を深めることです。書物の知識や人間の知性によって神を知ることはできません。神が人間の姿をとって降臨するとき、神の計り知れない力は、神の年齢や体格や無邪気な振る舞いを見ることによって判断されることはありません。そのような判断は、神をさらに大きく誤解することにつながるだけでしょう。24/7/83

*神の原理
日常生活のほとんどすべてのものが、神を指し示しています。サトウキビの甘さ、唐辛子の辛さ、タマリンドの酸っぱさ、ニームの苦さなどは、すべて神の存在を示すものです。空の星、太陽の明るさ、月の涼しさ、寄せては返す海の波の動きなどもまた、神の原理を指し示しています。それらはどれも、神そのものを直接に見せてくれるものではありませんが、神の原理が存在することを示す証拠となるものです。23/11/2000

*神の声
神意は良心という姿を取って存在し、あなたに自らの義務を思い出させます。これが内なる声です。けれどもあなたは内なる声を無視し、その呼びかけやメッセージに注意を払いません。
そしてその為に苦しむのです。心を内に向け、知性を根本原理に向かわせ、感覚を厳しく管理することによって、内なる声という、他ならぬ神の声を、はっきりと聞くことが出来るのです。神意とは神によるマスタープランなのです。STPSp271

*神の自覚
個々の霊は、その人生において、神から祝福されていることを自覚することが一時間だけあります。最初の15分は死により肉体から抜け出る時です。次の15分は、子宮から出て行くときです。そして3番目の30分は結婚式の時です。神は個々の霊と共に,これらの3つの機会に立ち会います。P290ANDI
神の自覚は外部から得られるものではありません。神の自覚(ブラフマニャーナ)は、各人の内にあります。人を包む分離感という迷いが去れば、燦然たる光輝を放つ神の自覚が現れます。その他の知識は全て外界と関わるものであり、内なる存在を反映するものでしかありません。
物質(プラクリティ)の探求によって内なる絶対実在に関する知識を得られると想像するのは完全な間違いです。現象世界を理解することによって遍満する太霊を認識することはできません。
人はパラマートマ(遍満する太霊)から生まれました。この真理を理解しなさい。一切の知識の源泉はあなたの中にあります。賢者は偉大な書物による知識の持ち主でもなく、物質世界の知識の持ち主でもありません。
真の英知者とは、自らの内なる神霊を自覚しそれにふさわしく生きる人のことを言います。大勢の人が神の栄光を能弁に講釈します。しかし、彼らは神ながらの生き方をしていません。
経典の知識が何の役に立つでしょう?自分の教えることを自分自身実践しない教師は、他の人に教える権利はあるのでしょうか?イエスは群集から石を投げられる女を見て「心の中でも罪を犯したことの無い者のみが、その人に石をなげさせなさい。」と説きました。2/3/92

 *神の仕事
役にも立たないことをして時間を無駄にしてはなりません。社会的に役立つことをしなさい。これは識別心の基本です。しかしながら、今このような広い心を持つ者はいません。
あなたがどのようにすれば霊的に進歩するか考えなさい。すべての仕事を神の仕事と見なしてやりなさい。そうしないとそれは不完全なものとなります。その仕事が神の仕事と見なせば失敗をすることはありません。それゆえ、強い信仰心を持ってすべては神の仕事だと思って成し遂げなさい。21/4/96
私には務めがあります。それは、全人類を啓蒙して彼ら全てに至福に満ちた人生を約束することです。私には誓いがあります。それは、道を外れてさまよっている人々を、再び善の道に立ち戻らさせて救うことです。
私は自分の仕事に愛着をもっています。それは、貧しい人々の苦しみを取り除き、彼らに必要なものを与えることです。私には誇りに思うことがあります。それは、私は私を崇め、私を敬愛する全ての人々を救うからです。
私は私が期待する帰依の定義があります。それは、喜びと悲しみ、利益と損失を同じ平常心の心で受け入れなければなりません。以上のことは、私は私を愛する帰依者を決して見離さないということです。 兄セーシャマに宛てた手紙より
あらゆる行為を神への捧げものとして行いなさい。これは「私の仕事」、これは「神の仕事」と区別してはなりません。すべての仕事は神のものです。神がインスピレーションを与え、神が助け、神が実行し、神が楽しみ、神が喜び、神が刈り取り、神が種を蒔きます。存在しているのは神だけです。なぜなら、この多種多様なる一切は、自然という鏡に映って見える神にほかならないからです!
一切は、至高神に到達するという高次の目的に役立てるためにあるのです。何事もそれ以外に使われるべきものは一つもありません。サイ バクタ〔サイの信者〕にとっては、これが唯一の正しい生き方です。パダールタ(利己的な対象物)は存在しません。一切はパラールタ(利己心の無い目的)です。そして、その目的とは、実在、すなわち、アートマ、神を実現させることです!18/7/70

*神の至福
世俗的な生活の中で、愛は、母と息子の間の愛、夫婦間の愛、肉親同士の愛など、さまざまな形で現れています。これらの愛は、利己的な動機や私利から生じる身体的な関係を基盤としています。けれども、神の愛には私利私欲の片鱗(へんりん)さえありません。それは愛のためのみの愛です。これはバクティ(信愛)と呼ばれます。
この愛の第一の特徴は、与えて受け取らないことです。第二に、恐れを知らないことです。第三に、利己的な動機のためにではなく、信愛のためにのみ愛するということです。これら三つの愛のアングルがすべて合わさるとプラパッティ(全託)を意味するものとなります。このプラパッティをおおいに楽しむとき、人は神の至福を体験します。そのためには、まずクシャマ(許し)が必要です。
このクシャマ(許し)という姿勢を有する人だけが、神聖な愛を授けられていると見なされ得ます。クシャマという姿勢は教科書から学べるものではありません。
また、教師や誰か他の人から得られるものでもありません。クシャマという姿勢は、人が余儀なく遭わせられる苦しみの時、試練の時、苦難の時に、自分自身で養うものです。大きな悲しみや惨めさをもたらす問題や苦難に直面して、初めて寛容や許しという性質は根を生やす余地を得ることができるのです。問題や苦難に出会った時、あなたは落ち込んで鬱(うつ)の餌食(えじき)になるべきではありません。それは弱さの表れです。
そのような状況に陥った時には、寛大と許しの姿勢を祈りへと昇華すべきであり、動揺して怒りや憎しみや復讐心を募らせるべきではありません。あなたは強さの具現であり、弱さの具現ではありません。ですから、絶望の時には、寛容の気持ちで心を満たし、許し、忘れることができるようにすべきなのです。こうしたクシャマ(許し)の性質は、人間にとって最も偉大な力です。もし、この力を失ってしまったら、その人は悪魔のごとき人間となります。1/1/94

*神の姿
人間は自分の肉体の姿に惑わされ、自分自身を単なる人間であると思い込んでいます。私たちが見るものすべてが神の姿なのです。神は至福の具現です。16/3/03
無形の神が形をとった時、その姿を瞑想し、礼拝するのは人間にとって自然なことです。人々はそうすることで至福を体験します。それは、姿があるうちはまったく構いません。けれども、ひとたびその神聖な姿が消滅してしまったら、あなたはどうするのですか? 神の特定の姿を礼拝することによって引き出す幸福と至福は、もともと、あなたの幻想の産物なのです。
決して肉体を永遠のものと考えてはいけない。肉の衣は一時の間だけ存在し、暫くすると消滅します。後に、神性は異なった姿をとります。たとえば、今、皆さんはこの肉体〔ババのお体〕に執着しています。皆さんはこの体を礼拝し、そうすることによって大きな満足と至福を引き出しています。けれども、そのうちこの体も、過去のアヴァター同様消えてなくなります。その時、皆さんは悲しむべきではありません。この肉体をまとった神性アートマが自らの永遠の住処に戻ったならば、それは喜ぶべきことであり、悲しむべきことではありません。23/2/09

 *神の責任
人間のあらゆる迷妄の原因は人間自身にあります。皆さんは自分が悲しみに捕らわれていると考えています。しかし、その悲しみは本人が創ったものであって、神が与えたものではありません。
全ては本人の思考が創造したものです。神に責任はありません。あなたのどんな苦しみも、神のせいだと考えてはなりません。神はただ、幸福を授けるのみです。29/10/09

 *神の助け
神は直接神の姿をとって、人々を助けることはしません。彼は人の姿を取ってことを為すのです。そのため、あなたは乞食からも助けてもらうかもしれません。それゆえ、他の人から助けてもらうことを拒んではいけないのです。P109ANDI

*神のテスト
生徒は、試験を受けなければ、上の学年に進級することができません。人々は、試験に合格して面接を受けなければ、職に就くことができません。同様に神は帰依者の幸福と進歩の為にテストをします。テストは神の趣味です。23/11/99
あなたの中にある愛の火花は、神に到達することができるよう、大切に養われ、油を注がれなければなりません。そうすれば、すべての存在は神になり、すべての行為は神聖になり、外界からあなたが得るすべての反応は、プレーマ〔愛〕に満たされ、その甘露によって甘くなることでしょう。あなたがあらゆる存在の中にいる神を愛するとき、あらゆる存在にいる神は愛を込めて応えます。神を愛しなさい、たとえ苦難があなたの運命であったとしても。神を愛しなさい、たとえ拒絶され、叱責(しっせき)されたとしても。なぜなら、厳しい試練という坩堝(るつぼ)の中でのみ、金属は純化され、汚れは取り除かれるからです。神への崇敬は一つの御名と御姿を通してなされねばなりません。しかし、だからといって、あなたの忠誠心がその特定の範囲のみに限定されるべきではありません。18/7/70

*神のなさり方
神のなさり方は正しく理解せねばなりません。神はただ一つの国や社会のために来られたわけではありません。神がこの世に来られたのは、すべての人類のためです。各自はそれぞれの欲望の程度に応じて神から得ることができます。各自の行為に応じて、行為の果実を得ることができます。
それ故、何か事をなす前にそれが正しいか間違っているかを考えねばなりません。
その行為によって、誰かを傷つけることがないかどうかを検証しなくてはなりません。これは肉体的な快楽に執着している者にとっては簡単なことではありません。すべての苦悩は身体と世俗的な欲望に関係しているのです.8/1996p,218
神のなさり方についても、私たちは不愉快なことを経験します。私たちは善の内側に悪を見つけることが出来ます。神の行為は善悪の組み合わせです。悲しみがなければ誰も幸福に価値を見出さないでしょう。その為アヴァターの降臨する前には、この世で損失や悲惨さや、困難さが先行するのです。21/5/95
神は人に何か特別のことをせよ、と申し立てたりしません。神はただ、人の行為の成果の分配者にすぎないのです。神はまた、人がどのような仕事をなしたかによって、その報いを決めます。もしも良い行いをすることなくして、自分の利益になることばかり願っているならば、神はただあなたの願いを聞き流すだけで、神の祝福を与えたりしません。SSIB1979p10
何が起こってもそれはあなたの為だ、という事を信じなさい。神だけが、何を、いつ、どのように、なぜ、誰に行えば良いかを知っています。スワミの行動の一つひとつはすべてあなたのためです。スワミは、ある人にはすぐに話しかけ、ある人には長い間話しかけないかもしれません。このことはあなた達の観点から見ると時間に関わることです。けれども、スワミは時間と空間を超越していますSTPS2p272
神を理解することは誰にも不可能です。神がある瞬間に行う事と、次の瞬間に行う事とは相反するように見えるかもしれません。神の行為は不可解で、時間と空間と人間の理性を超えています。スワミがよく言うように、「理由はなく、時に縛られない!」のです。ですから、神の行為を分析することや解釈することは無意味であり、適切なことでもありません。もし、神が「イエス」と言うのなら、それはその通りになるのです。もし、神が「ノー」と言うのなら、それはその通りになるのです。これが運命です! あなたはそのすべてを受け入れなければならず、異議を唱えてはなりません。神の行為に疑問をもつことは、信仰心の欠如という意味を含んでいます。23/5/2000
「私は神を愛しているのに、神は私に報いてくださらない」と言って嘆いてはいけません。神は反響し、反応し、反映します。神は、あなたが神に捧げた愛を十倍にして返します。求めなさい、捧げなさい、全託しなさい。着実にやり続けなさい。今日は二歩前進し、明日は二歩後退する、といった具合ではいけません。蟻のような貧弱でちっぽけな生き物でさえ、ただ目標だけを意識して、行く手を阻む障害物を乗り越えながら、一列で途切れることのない流れとなって移動します。18/7/70
信じようと信じまいと、スワミには頭のテッペンからつま先まで、利己心のかけらもありません。スワミが何をし、何を言おうとも、それはあなたのためなのです。スワミはなぜ、時たま厳しくするのでしょう。それも皆さんへの愛なのです。スワミは皆さんを調べて変容させるために、厳しいふり、深刻なふりをするのです。
もしスワミが、皆さんはスワミのものであると思っていなかったとしたら、なぜ、スワミはわざわざ皆さんを正さなければならないのでしょうか。みなさんはスワミのものであるからこそ、間違っている時に正すのはスワミの義務です。私が話しかけないと皆さんが悲しくなるのは、皆さんが私の言葉を尊重しているからなのです。STPS2p274

神が行おうとすることに対して、時間、場所、距離、複雑さはいっさい障害になりません。神を制限したり、妨害したりすることのできる物や人は存在しないのです。神にはまったく私心がありません。神の行動は、皆さんには快く感じられようが、不快に感じられようが、すべて神聖です。学生たちは、時々混乱することがあります。彼らは、もしスワミが神であれば、神がこんなことをするだろうか?あんなことをするだろうか?と感じるのです。どうして皆さんが、神が何をすべきかを決めることができるでしょう?神の力に疑問を呈する事の出来る程の人は誰もいません。神のみが、いっさいに関して、恩寵を与えるべきか、罰すべきか、守るべきか、破壊すべきかを決定します。
 神は時代から時代へと生まれ変わり、ダルマが衰退するときはいつでも、悪を滅ぼし、正しき者を守ります。真理は支持されるべきであり、非真は滅びるべきです。ダルマ(法)は守られるべきであり、不法は滅びるべきです。23/11/99

 *神のヴィジョン
誰であれスワミの教えを完全な不動の信念で実践するものは、一瞬において神の直接のヴィジョンを得ることが出来ます。31/7/96
世界中の人々は皆、神のヴィジョンを得ること〔実際に神を見ること〕を願っています。それだけでなく、神の聖なる光輝に融合する類まれな機会を切望しています。この偉大な恩恵への熱烈な渇望は、何も目新しいことではありません。それは人類がこの世に誕生して以来ずっと続いています。11/10/05
人は神を見ることを渇望しなければなりません。そうあるときにのみ、人間という地位に就いている資格があるのです。マーナヴァ人間(マーナヴァ)は神(マーダヴァ)に到達しなければなりません。人間は心を征服しなければなりません。人間は心(マナス)の支配者であって、心(マナス)の奴隷ではありません。5/63
あなたにゆるぎない信仰と帰依があり、重ねてしっかりとした純粋なハートを持っていれば、あなたは神を自分の前に出現させることができます。22/7/02
神のヴィジョンは、霊性修行と神の恩寵の結果得られます。神のヴィジョンを得た人と神を完全に実現した人との違いは、後者では、どんな状況下でも、自分を肉体と同一視する事はありません。そして、その人の内にはいつも神のヴィジョンのみがあり、肉体には何の注意も払わないため肉体は消耗され日乾びてしまいます。水や食べ物のことを全く考えないし、思い浮かぶことさえありません。
その結果、このような状況下で生命が肉体にとどまれるのは、21日間だけです。食物や飲み物も無理強いせねば摂る事はありません。神のヴィジョンを得た人は、ある程度まで肉体と自分を同一視しており、肉体を持って生き続けます。ジャーナカ王は、何年間もラージャヨーギとして国を統治しました。深い瞑想やサマーディの様々なレベルの中で、数時間もしくは一日かそこらだけ持続する、一時的な神我顕現もありますが、それは永久的なものではなく、神との融合ではありません。CWSSBJp183
神の御姿を完全に心の中でイメージしてそこに心をそそぎ込むようにすべきです。神の御姿が、外界に見られる時、それは条件付き二元論です。心の中で見れる時、それは条件付き一元論です。
神の御姿が、アートマに吸収された時、それは不二一元論となります。外界で見れる神の御姿は、まず第一に心に吸収されて、次に魂に吸収されなければなりません。自分で選んだ神のイメージに集中して、他に心を揺らすべきではありません。心を御姿の型に流し込むことによって、心が神の御姿になるのです。CWSSBJp117
愛を込めて神の御名を唱えなさい。神は人の姿を愛します。それだからこそ、化身は人間の姿をとって降臨しました。人として守るべき本分の道を歩んでいるならば、あなたは神のヴィジョンを体験することが出来ます。SS8/89

 *神の御足と御名
神の御足にはあなたが想像も出来ないくらい とてつもなく大きな力があるのです。その神の御足の炎に触れればいったい何が起こるでしょうか?それは、あなたの悪い想念や悪い行為が灰となって消え失せるのです。SS5/92p97
ケーシャヴァという神の御名は、様々な神の名前の中でも最も重要なものです。すべての哲学の本質は、この名前に含まれています。それは、三つの音節から成っています。すなわち、「カ」+「イーシャ」+「ヴァ」であって、それぞれ、ブラフマ、イーシュワラ、ヴィシュヌを表しています。ですから、ケーシャヴァは、創造(ブラフマ)と維持(ヴィシュヌ)と破壊(イーシュワラ)の原理を象徴しています。人間は、ケーシャヴァという神の御名を黙想し、その意義を理解すれば、真の自己(真我)を理解することができます。25/12/02
神の御名が如何に強力であるか、自分自身で探求しなさい。~一切は神から来ました。普通の人は、全てのものの根源をさかのぼって見極めるという基礎的な探求をしません。しかし、科学者でさえ今やこの基盤を発見しようと研究に励んでいます。実際、神の御名は全宇宙の基盤です。御名とは、如何なる者をも等しく神と見る手段です。それゆえ神を認識し、御姿のヴィジョンを拝する最善の方法は御名の憶念です。2/3/92
至高の神の御名が如何に甘美で神聖であるかを、言葉によって表現することは不可能です。あなたが帰依の心でもって唱える神の御名は、その熱意に比例してあなたに恵みを授け歓喜を与えます。声を合わせて、神の御名を唱えるように努力しなさい。今日、空、風,火、水、地という世界の五大要素は汚染されています。清らかな水、澄んだ空気を得ることは出来ません。耳にする音も汚染されています。大地も汚染されています。カリユガはカルマシアユガ(不浄の時代)になりました。これらを清めるためには至高の神の御名を唱えるのが唯一の手段です。
今日の人々は、多くの時間をテレビやビデオ映画を見ることに費やします。このような時代に生まれた子供達はテレビ時代の申し子といっても差し支えないでしょう。子供たちは幼い時からテレビタレントのように振る舞い、人目を引くことを好き勝手にしたがります。それは両親の責任です。3/3/92
何であれ、あなたが死に際に抱いた思いが、あなたが来生で得る姿です。自分の人生において長年、憶念してきたものが、死後のあなたの唯一の装飾品となるのです。生涯を通じて神の御名を憶念していれば、最後の瞬間に御名を思い起こすのは容易なことでしょう。24/5/95
憎しみ、おごり、怒り、むさぼり、妬み、我欲は、人生の六つの敵です。そんなものを支えとしてはいけません。人生のすべてをいつも神の恵みに支えられているようにするのです。
英知の意味を深く考え、英知の理解のために力を尽くし、神の恵みを願うのです。そうやって世界中の人々の模範となって下さい。いつどこにいても、いつも神を思うこと、それを忘れないで下さい。このカリユガにおいて、これに勝る修行はありません。いつでも神の聖なる御名を唱え心の奥にいつでも神がいる人になるのです。SGc14
神の御名を唱えると欲望は減少します。そして神への正しい願いは叶うのです。SS2/95p36
神は遍在です。神を信じないものは、自分自身を信じることが出来ません。自信をつちかいなさい。自信こそ国家の進歩の基礎です。信念という基盤の上に至福の壁を建てなさい。その上に、無執着という天井を作りなさい。犠牲という屋根の下に住みなさい。これこそ神我認識の方法です。心の平安とハートの清らかさを確実にするために、至高の神の御名を唱えなさい。そうすれば神さながらの生き方を知ることが出来ます。23/11/92
神の御名は原子爆弾よりも強力です。神の御名は善を守護し、悪を懲らしめます。ですから、皆さんが神を崇め続けるなら、間違いなく世界は守られるでしょう。9/8/06
少なくとも今日から御名を唱えなさい。子供たちよ。あなたはそうすることによって喜びと平安を得ることが出来る。どんな障害が来ても、神の御名は其れをきれいに掃き清めてくれるのだ。SSSvol8p234

 *神の命令
いつも静かで落ち着いた心のまま、我欲にも執着にもとらわれないでいるのは、ごく普通に神を求める人にはたいそう難しいことです。特に家族のある人にとっては、まず無理だといっても良いでしょう。
神の命じる意思と自分の意思とを区別している限り、我欲をなくすのはひどく難しいことなのです。あらゆるものの中にただ一つの神が満ちている事を悟るなら、神に従うことは少しも難しくなくなります。神があらゆるところ、すべての人の内に永遠の光りとして輝いていることがわかれば、我欲と執着を捨て去ることが出来ます。SGc5
彼らはスワミ の命令を無視しています。そのようなことで、どうしてスワミを得られるとでもいうのでしょうか。スワミの命令というものはスワミ自身よりも重要で価値がある。という認識に基づいて行動するように努めれば、スワミは容易に彼らのものとなるでしょう。
節度のない無駄話をし、傲慢な態度を取り、よこしまな目で見、悪い行為をする。そのようなことをしなければ、悪意に満ちた汚れた心は存在できません。健康的でない、望ましくない思いが心に浮かんだとしても、それは過ちではありません。あなた自身がその悪い思いでもって行動を起こさぬ限りは。PD31
若者は躊躇することなく神の命に従うべきです。神の指示に対して、疑いを持つこと、異議を申し立てること、背くこと、非難することが決してないようにしなさい。神の指示を厳格に守ることは、全託と呼ばれます。これを育めば、人生における成功は必須です。stps2p180
もしあなたが、神の命令に従わなければ役に立ちません。それは神のもので、これは自分のものという思いを断ち切りなさい。そのような思いを持っている者は半分、盲目と同じなのです。それ故、神のもの、私のものというパートナーシップのような関係を神との間で築いてはなりません。神と信者の関係は神聖な関係なのです。8/4/96  

*神へ捧げる
神は決して、誰にも、何も求めません。けれども人々が神に誠意を持って捧げ物をするならば、神はそれを千倍にして返します。もし神から何かを得たいのであれば、まず何かを捧げなければなりません。これは神の法です。たとえ、それが小さな取るに足りないようなものであっても良いのです。28/5/95

*神への愛
神への愛は利己的な利益とは全く無縁です。神への愛は、愛するための愛です。それを信愛と称します。神への愛の一つの特徴は、与えることであり受け取ることではありません。第二の特徴は神への愛は恐れを知りません。第三は、神への愛は愛そのものであって、利己的な動機を持ちません。
この3つの愛はプラパッティ(帰依)を構成します。帰依する思いでもって歓喜する時、その人は神の至福を体験します。そのために必要なものはクシャマ(寛大さ、許すこころ)です。1/1/94
 あなた方一人ひとりの内に愛は存在します、しかし、あなた方はその愛をこの世的(物質的)な関係に向けています。あなた方はいまだ、真の愛を味わったことがありません。神を心の底から愛しなさい。それが真の愛です。人々は来ては去りますが、神は来ることも去ることもありません。神はつねに存在します。悲しみに巻き込まれたときは、幸せを思いなさい。確実に幸せを体感できるでしょう。
 あなたは愛に満ちています。実際、あなたの心ハートは愛にあふれています。しかし、あなたはこの愛が外に溢れ出ることを邪魔しています。本来、愛には障壁や障害はまったくありません! 絶え間なく、深く神を思い続けなさい。そうすれば、あなたは、肉体的にも、精神的にも、霊的にも、つねに幸せでいられます。
残念なことに、今日、あなたは数々の欲望のせいで、このような至福の神聖な性質を失っています。もしこうした欲望を切り離すことができれば、あなたはつねに至福に満たされているでしょう。たとえば、ここに白い布があります。白さがこの布の本質です。しかし、いつも使っていることにより、この布は汚れます。同じように、あなたの心ハートもつねに純粋で、明るく、至福に満ちています。しかし、心は欲望によって汚れます。ですから、愛を培い、心をつねに純粋にしておきなさい。そうすれば、あなたは人生のいかなる瞬間においても至福に満たされるでしょう。しかし、あなたは、至福の内なる本質を忘れてしまい、つねに、悩みと不幸に浸っています。14/1/05
神はすべての人々から愛されています。すべての人はただ愛だけで生きているのです。実のところ、愛を持たない人は人間ではありません。神と人の愛は、父と息子の間にある愛に似ています。そのような純粋で無垢な愛から悪意を生じさせるとは、なんとひどい罪なのでしょう。実のところそれは、社会に浸透している悪癖が原因 です。
すべての人間には生まれながらにして神聖な性質を持っているということが認識されたとき、全ては一つに感じられるでしょう。すべてはひとつです。すべての人に対し平等に接しなさい。私たちは人生においてそのような変容を成し遂げなければなりません。皆さんは何冊かの教科書を勉強します。ただ本を読むだけでは十分ではありません。それは決して皆さんを助けることはないでしょう。それらの文言の中に含まれている真実を悟り、体験しなくてはなりません。17/2/07
サイを手に入れるのはそれほど簡単ではありません。あなたは私を愛しているというかもしれません。しかしどうして私はあなたを信じることが出来るでしょうか。あなたの愛には、犠牲の精神があるのでしょうか。あなたの言葉と行動には一貫性がありません。あなたは何かを約束しても、次の日にはその約束を破ります。そのような詐欺師の愛をどうやって信じることが出来るのでしょうか。
真の永遠の愛はハートから生まれます。真の愛はハートとハートの関係です。13/7/03
心はいつも神を思うようにしましょう。強い集中力を常に持っているべきです。でも、なぜあなたはこのような努力を神を得るためにしなければならないのでしょう。それはあなたに神を求める心も無く、神への執着心も無く、神への愛も無いからです。しかし、努力を続ければそれらを手に入れることができるでしょう。3-52 SIP
神はあらゆる愛の源です。神を愛しなさい。世界を神の衣以外の何ものでもないものとして愛しなさい。愛により、あなたは愛の大海へと融合することができます。愛は、狭い心、憎しみ、貪欲を癒します。愛は束縛を解き放ち、生と死の苦しみから人間を救います。愛はやさしく穏やかに調和を奏でながら、あらゆる心を結びつけます。愛の目から見れば、すべての生あるものは美しく、すべての行いは献身的で、すべての考えは純粋です。世界は一つの大きな家族なのです。1008の宝石 P.40

*ガヤトリ マントラ
一日二回ガヤトリを唱えるならば、その日のうちに無意識に犯した罪や、払い終えてないカルマを燃やし尽くすことが出来る。~毎日これを行えば、他のどんなマントラを唱える必要もない。あなたは自分の人生を神聖化することができる。ガヤトリは万能で、あなたを災害から守るだけではなく、あなたを賢くし、学ばせ、成功に導くのだ。P,177 ANDI
決してガーヤトリー マントラをやめてはなりません。他のマントラは、やめても、無視してもかまいませんが、ガーヤトリー マントラは少なくとも一日数回唱えるべきです。ガーヤトリー マントラは、あなたがどこにいても、旅行しているときも、家で働いているときも、あなたを危害から守ってくれます。西洋人はガーヤトリー マントラによって生み出されるバイブレーションを調査して、ガーヤトリー マントラがヴェーダで規定されている通りの正しいアクセントで唱えられると周囲が目に見えて光に満ちあふれてくることを発見しました。
つまり、ガーヤトリー マントラを唱えるとき、ブラフマプラカーシャ、すなわち神の光輝が、あなたに降り注ぎ、あなたの理知を照らし、あなたの道を明るくしてくれるのです。ガーヤトリーは、アンナプールナー〔食を与える女神〕、すなわち聖母であり、すべての命を生かす維持力です。ですから、ガーヤトリーをおろそかにしてはなりません。20/6/1977
心は接触し難いものです。というのも、心は感覚器官に付随しているからです。感覚器官を制御しなさい。感覚器官にあなたを対象の世界に引きずり込ませないようにさせるのです。この方法によって、心を妄想の道具ではなく、照明の道具にすることができます。そうすれば、アートマはブラフマンであるという真理の夜明けがやって来ます。この意識の輝きは無知の暗闇を追い払います。ジョーティ(光)あるところにタマス(無知)は存在できません。アートマ(真我)はジョーティ(自ら光を発するもの)です。
ガーヤトリーマントラは、思考の機能であるブッディ(理智)を照らしてくださいと太陽の輝きに祈願することによって、無知を根こそぎにする助けになります。その輝きは、自分すなわちアヤム アートマ(個人の真我)と、ブラフマン(宇宙的な神我)は同一であるという真理を明らかにします。1/1/83
ガーヤトリーマントラは、あらゆる力と能力を授けてもらうための神への祈りなのです。サルヴァ ローガ ニヴァーリニ ガーヤットリー(ガーヤトリーはあらゆる病の救い主)サルヴァ デュッカ パリヴァーリニ ガーヤットリー(ガーヤトリーはあらゆる不幸を追い払う)サルヴァ ヴァーンチャ パラシュリー ガーヤットリー(ガーヤトリーはあらゆる望みをかなえるもの)ガーヤトリーマントラは、有益なあらゆるものを授けます。ガーヤトリーマントラが唱えられると、さまざまな力がその人の内側から浮上してきます。ですから、ガーヤトリーマントラを不用意に扱うべきではありません。23/8/95
ガーヤトリー マントラ(理知を照らすためのヴェーダの祈り)は、人類最古の聖典ヴェーダ〔「リグヴェーダ」3.63.10〕に収められている普遍的な祈りの言葉です。ガーヤトリー マントラは内なる超越的な神に向けられており、その神には「サヴィタ」という名前が付けられています。サヴィタには「このすべてがそこから生じたところ」という意味があります。ガーヤトリー マントラには三つの部分があると考えられています。それは(1)賞賛、(2)瞑想(3)祈りです。この神は、まず賞賛され、次に畏敬の念をもって瞑想され、最後に人間の識別の機能である理知を目覚めさせ、強めてくださいと請願されます。
ガーヤトリー マントラは、ヴェーダ シャラ、すなわち「ヴェーダの教えの真髄」であると考えられています。ヴェーダは英知を意味し、この祈り〔ガーヤトリー マントラ〕は英知をもたらす力を育み研ぎ澄まします。ガーヤトリー マントラは、通常、夜明けと正午と夕暮れに唱えられています。けれどもこの祈りを唱えるのに、三つの時間帯に縛られる必要はないのです。ガーヤトリー マントラは、いつでも、どこでも唱えてかまいませんが、心の清らかさだけは確保しなければなりません。私は皆さん方、若い人たちに、入浴時にガーヤトリー マントラを唱えることを勧めます。安っぽく、神聖を汚すような映画の主題歌は歌わずに、ガーヤトリー マントラを唱えなさい。入浴の際には体を清めますが、心と理知も清めるようにするのです。入浴時のほかにも、毎回食事の前、眠りから覚めたとき、そして、床に就くときにも、努めてガーヤトリー マントラを唱えるようにしなさい。加えて、最後に「シャーンティ」と三回唱えなさい。そうすれば、あなたの体と心と魂という三つの存在に、シャーンティ、すなわち平安をもたらしてくれるか20/6/1977
可能な限り多くガーヤトリー マントラを唱えなさい。入浴中に唱えれば、あなたの入浴は神聖化されます。同様に、食べ物を食べる前に唱えれば、その食べ物は神への捧げものとなります。神への心からの信愛をもちなさい。23/8/95
神に到達するには、真偽、束の間のものと永遠のもの、非実在と実在を識別する力、そして、知性が非常に重要です。だからこそ、まだ幼い年齢のうちに、少年たちに「ガーヤトリーマントラ」を教えるのです。というのも、「ガーヤトリーマントラ」は、宇宙にみなぎる知性に向けて、小さな子どもの心に明かりを灯してください、そして、感覚の束縛から自由になれるよう、もっともっと有効に知性を使えるようにしてくださいと、懇願するからです。21/11/68
皆さんの二つの目には、皆さんに魂の領域の壮大さや壮麗さを明かすことは不可能です。二つの目は、物質世界と、そこでの束の間の生活に焦点を合わせます。そのため、ガーヤトリー マントラは、内なる目を開いてブラフマンを実感認識することができるよう、第三の目として皆さんに授けられたのです。20/6/1977

 *身体
体は良い状態に保たれていなければなりません。というのも、人間の体という仮の住まいの中にいるときにだけ、人間は神を顕現させることができるからです。5/10/67
身体は至福の境地に達するために用いる乗り物です。それゆえ高い目的地をめざして、安全で健康に保ちなさい。身体はあなたが幾度となく繰り返した過去生で積み重ねた功徳のおかげで授かった霊性修行のための道具です。体というものは一瞬ごとに崩壊しています。それゆえ空しい物質を追い求めて時を無駄にしてはいけません。体こそ人生であり、自分が存在する目的だなどと思わず、むしろつまらないもので卑小なものだ。と思う方が良いのです。体を、服問いう包帯でグルグル巻きにせねばならぬ傷として見なさい。食べ物という薬を処方し、飲み物で傷口を洗っていると思いなさい。そうすることによって、過度の執着から脱することが出来るでしょう。2-51 SIP
体は水で洗えば清潔になり、言葉は真理を染み込ませれば清められ、生活はタパス〔苦行〕で聖化すれば浄化され、知性はグニャーナ(霊的英知)で汚れを落とせばきれいにすることができます。そして、何にもまして、自分は体ではなく、体に住んでいる者であるという確信が育たなければなりません。もしもあなたが、自分の体と自分を同一視するなら、あなたを祝福しようとして待ち構えている喜びや平安の代わりに、あなたを覆いつくそうとする悲しみや苦しみを招くことになります。21/11/79
身体は、永遠の霊の住む神殿である。それゆえ、身体を正しく用いなさい。よい属性を培いなさい。善行の宝庫となりなさい。神殿の清らかさの程度に応じて神は現れます。18/10/91
「君は、いつまでこの私の体を追いかけるつもりですか? いつまで私をこの肉体の中に閉じ込めておくつもりですか? この体そのものを動かしている、目に見えない力を見ることを学びなさい! 」 「帰依者がこの目に見えない力、永遠の神の力と結びつく唯一の方法、最も容易な方法、最も素晴らしい方法は、愛です」 サイギリダールへのインタビュー
キリストは、体は中に宿っている神霊を知るために使われるべきであり、体自体を守るために使われるべきものではないとも説きました。体を過度に大事にして体の中の神霊をなおざりにするのは無知の印です。25/11/88
人の身体を見れば、その人が如何なる感情を持っているかが分かります。身体の外観から、内なる感情を知ることが出来ます。身体の態度と心とは密接な関係のあることが知られています。DVJp15
人間の身体を作り上げている分子は、七年ごとにすべて入れ替わります。SGc17
アートマがあなたの生命そのものであることを理解しなさい。あなた方すべてに、神のエネルギーが与えられています。しかし、皆さんはそれを誤って用いています。あなたの人生そのものはあなたの手の中にあります。あなたは身体ではありません。あなたは生命の原理なのです。身体はあなたが真理を探求する道具として用いられるためにあるのです。5/10/03
身体は病気の束、あかと汚い排泄物の貯蔵所です。身体は生々流転する人生という大海を渡る助けにはなりません。身体は子供時代、思春期、青年期、成人、老人、そしてついに死というふうに変化します。人は自分がいつ、どこで、いかに死ぬかを知りません。14/4/94
  肉体それ自身に命がないのであれば、私たちはどのようにして様々な器官をコントロールすれば良いのでしょう? 身体の諸器官は、興奮を呼ぶ反抗的な冒険に使われるべきではありません。もしくは、それらを悲しみに合わせてもなりません。そうすることは目的に添わないからです。悲しみや嘆きは人間にとって自然なものではありません。至福こそが人間の本性なのです。至福こそが人間の生来の性質であるのに、人は悲しみこそが自分の定めだと妄想して、何の目的もなく悲しみに身を委ねます。
  もし私たちが諸器官を不要な興奮や悲しみにさらせば、我々の力とエネルギーは損なわれ、弱ってしまいます。心の動揺と興奮のために、身体に病気が生じます。人間が興奮と悲しみに 身を委ねるために、あまりにも早いうちから老化が始まります。私たちの貴重な人生が浪費される理由は、感覚が正しくコントロールされていないことに尽きます。ですから、美徳の二番目の花である、感覚の制御・感覚のコントロールによって神を礼拝することが大切なのです。KSH
皆さんは人体の特質について分析したことがありますか? 衰え行く体を誇ることに何があるというのでしょう? 人は、そのようにはかない人間の体の本質に気づき、体を最大限に活用しなくてはなりません。神がなぜ人間の体を与えたのか知っていますか? よこしまな行為にふけって貴重な人生を無駄にするためでしょうか? いいえ、そうではありません。体は、悪用するためではなく、人が神に到達することができるよう努力するために与えられたのです。皆さんは、どのような神聖な目的のために体を使うべきかを自分自身で気づくべきです。起床してから夜就寝するまで、人の時間は世俗的な事柄のために費やされています。床に就く前でさえ神を想う時間はありません。
人間の体は神に与えられた神聖な道具であり、少なくとも一日に一度か二度は神を憶念して体を清めなくてはなりません。人が幸せと喜びを得るためには、どのような活動を始めればよいのでしょうか? この問いに対する最も適切な答えは、感覚を絶え間なく神の憶念に従事させるべきである、というものです。目は常によいものを見ていなくてはなりません。耳はよいことを聞いていなければなりません。舌には常に優しく品位 のある言葉を話させるようにしなくてはなりません。舌は神の御名を唱えるべきです。要するに、体のどの部位 も、正しい用途に使われ、清められなければならないのです。21/10/04
あなたと私の間に何の違いもありません。私は自らの中にすべての力を具有しています。しかし、あなたは私の身体としての姿を見ることで惑わされています。私の行為は、何であれ、ただ医者と帰依者たちを満足させるためのものです。実際のところ、私に病気の気配はいっさいありません。私はいつも健康です。今日だけに限らず、96才になるまで、私は健康であり続けるでしょう。私は、自分で望むどんなことでもできます。しかし、この肉体だけを見る人々は、スワミは老化していると考えます。若さや老いは身体に関連することであり、「私」には関係ないことです。私はいつでも変わりません。私は何でもすることができます。しかし、この身体は皆さんのものです。この身体は皆さんのためにやって来たのです。皆さんは、私の身体を好きなように変えることができます。皆さんが、スワミは強く健康だ、と思うなら、そのように「彼」はなるのです。私に何ら弱さは存在しません。5/10/03
束の間の肉体に執着してはなりません。身体を道具として扱いなさい。身体をして、意志に従順に従わせなさい。かりそめにも身体の欲望に屈しては、なりません。いつでも身体を捨てる覚悟でいなさい。良質の清らかな食物を一定の時刻に適量に摂取し、身体の運動を欠かさず実行しなさい。DVJp76~7
五感は肉体にのみ備わっており微細体にはありません。人間には肉体、微細体、原因体の三つの身体があり、肉体が死ぬと肉体と微細体は消滅しますが、原因体は残ります。また五つの鞘のうち、食物の鞘、生気の鞘、心の鞘は一時的なものにすぎませんが、理知の鞘と至福の鞘は残ります。肉体は土です。土から万物が育ちます。肉体だけが死ぬのです。生命とすべての感覚は心に融合します。心は英知に融合し、英知は至福に融合し神に融合します。五つの鞘はそのようになっているのです。CWSSBJp130
神への愛無しに神の命令を遵守することは、効果がありません。それと同様に、至高の神の命令を守らずに信仰のみでは役に立ちません。至高の神は薬で、神の命令は食事制限。内在の神が顕現するにはその両方がなければなりません。今日、世界で見られる一切の難儀、混乱、不和は、利己主義と自己中心を生む身体への執着がその根本原因です。身体への関心はある程度までは必要でしょう。
しかし、身体の欲求に過剰に執着することには、害があります。なぜならば、身体は本質的にもろく出来ており、いつ如何なる時にも如何なる場所でも壊れてしまうかもしれないのです。もちろん、身体は守護すべきであり、休息とレクリエーションが必要です。しかし、それら全ては身体が義務を果たすことが出来るようにとの目的の為にのみなされるべきです。21/8/94
人はまず、身体を与えられたのは利己的な目的ではなく、他の人に奉仕するためであるとの真理を実感認識しなくてはなりません。~素晴らしい神の創造物の中でも、身体の機能は最も素晴らしいのです。23/1/94
人間は放射、振動、物質という三つの力の結合によって機能します。身体は単なる物質にすぎません。身体はプラクリティと称され、プラーナシャクティによって振動させられます。振動は意識(自覚)であるプラニャシャクティによって支配されます。このように人の生命は意識、生気、物質が結合したものです。この事実を実感認識せず、人は全ての力は身体にあるものと思い違いをして、いつも身体のことばかり気にかけます。21/1/93
アメリカでは心臓病による死亡が多いのです。スウェーデンでは自殺者が多く離婚率も高いのです。その原因は物質的な便利さの欠如ではなく、そのような環境に必要な霊的見解が欠けていることにあります。彼らは永続せぬはかない身体を自分と考え、永続し永遠の実体である真実の内在の霊に関して無知であることが原因といえましょう。彼らはうわべだけの、中身のない生活を送っているのです。21/1/93
皆さんは自分の身体に自信があるかもしれません。ところが身体とは、五つの元素から出来ているものに過ぎません。肉体はやがて滅びます。内なる存在だけが永遠なのです。内なる存在は生まれることも死ぬことも、成長も老衰もありません。あらゆるところで輝いています。
世界のすべてにこの輝きがあります。平和で無いところにも平安はあるといわれているのは、あらゆるものの奥に、この輝きがあるからです。輝きこそは、永遠の内なる光、動きの鈍い身体に宿る内なる存在です。この内なる存在に目を向けていればおごりやエゴに惑わされることはありません。
~肉体は様々な病気に冒され、変わり果てていきます。肉体だけでは世間の海を渡り、生き延びることは出来ません。肉体はただの物質です。バケツ七杯分の水と五センチの釘四本分の鉄分、マッチ1100本分の燐、鉛筆四本と石けん二つ分の炭素にすぎません。これらを他の雑多なものと一緒にして一つにまとめると身体になります。ですから肉体はただの物質ですが、中に内なる存在がいるおかげで動いて生きているのです。SGc31

*仮の宿
四つのプルシャールタ(人生の目的)である、ダルマ、アルタ(富)、カーマ(欲)、モークシャ(解脱)は、ダルマによってアルタを得るということ、カーマはモークシャへと向けるべきであるということを、人間に教えるために敷かれています。ところが、人はダルマとモークシャを無視し、カーマをアルタへと向けています。価値の感覚が逆になっているのです。
たとえば、人は太陽が昇ると喜び、太陽が沈むと幸せを感じます。なぜなら、昼間は働くことができ、夜は休むことができるからです。人は、太陽が日々昇っては沈むことによって自分が地上に存在する時間を短くしていることに気づいていません。地上は、自分が所有していると主張するものをすべて置き去りにして発たなければならない大きな宿泊所であるということを、人は自覚していないのです。21/11/85

*カリユガ
カリユガ(暗黒の時代=現代のこと)の影響のために、人々は、金銭を追いかけて邪悪な道をたどっています。彼らは、金のために人を殺すようなことまでやってのけます。彼らにとっては、金銭がすべてです。私たちは、争ってお金を得ようとすべきではありません。人は、愛という財産を獲得するために努力しなければなりません。25/12/00
このカリの時代にあっては、すべてのことに反応・反響・反射が返ってきます。優しく甘美に話せば、同じことが返ってきます。無作法な態度で人に接すれば、無作法な態度で振る舞われることになります。したがってすべての人が、年齢や国の別 にかかわらず、優しく甘美に話さなければなりません。教育を受けていようが、無学であろうが、人は優しく甘美に話さなければなりません。人は謙虚さを備えていなければなりません。20/11/02

 *カルマ
行為の結果(カルマ)は人を束縛する。~しかし神への捧げものとしてなされた行為はカルマの束縛を受けない。常に神に心をつなぎとめておきなさい心を感覚の悦楽と、物質的行為に向けないようにするためには、これより他に方法はない。バガバッドバヒニp176
到着先はもうすでに決められていて変わらないのです。あなたはそこに行き着くまでのルートのみを選択できるのです。~そして一度行為を為せば、結果はあなたの手から取り上げられます。カルマの法則が、あなたの行為に伴う受け取り分や結果を決めるのです。SSAVp39
あなたは悪い行いを今日したのに、まだそのカルマが返ってきていないと思っています。誤解してはなりません。あなたは、今日種を蒔いたのですからそれの果物はのちほど出来るのです。
この基本的な真理を忘れてはなりません。そして蒔いた種は後ほど何百もの果物になって返ってくることも忘れてはなりません。SSN春1986p34
人は、ただの肉体ではありません。レコードは、ただの溝を刻まれた円盤ではありません。それぞれのレコードは溝が刻まれているという点では同じですが、それぞれの溝はいろいろな声や言葉、歌が刻まれているのです。人も同じです。いろいろなカルマをその中に隠し持っているのです。
実は、川や星や山等、我々が見るものすべては、私たちの中にあるのです。過去、現代、未来さえ私たちの中に持っているのです。私たちは昔、それらのものと一つだった様に、現在も、そして未来もそうなのです。SSSvol11p,236
カルマを支払い、奉仕や霊性修行を行う上で、あなたは様々な困難に出合います。しかし、それはあなたが生きているこの世界では自然なことです。この世界には善と悪、喜びと悲しみ、光と影といったように二面性を持っています。それらのことにあまり重きを置かないようにしなさい。あなたに降りかかるものを、あなたの義務として神への祈りと共に受け入れることです。そしてその結果については神の御手にゆだねなさい。SS11/1996
あなたの行為はすべて、必ず結果を伴います。どれほど小さな取るに足りないものであってもです。たとえば、小さな針に糸を通して服を繕(つくろ)っているとします。針は小さいかもしれませんが、もし針があなたの指を刺せば、すぐに血が流れるという結果が起こります。この場合、行為と結果はほぼ同時に起こりました。
あなたが食べた食べ物は、消化するのに少なくとも二時間は掛かります。この場合、行為と結果の間には二時間の隔たりがあります。あなたが蒔(ま)いた種は、苗木に育つまで少なくとも一週間は掛かります。それと同じく、行為には、数ヶ月後、数年後、あるいは、何世か先の人生で結果をもたらすものもあります。誰であろうとも、人は自分の行為の結果に直面しなければなりません。
しかしながら、過去の悪行の結果からは逃れられないと考えて、落胆したり、意気消沈したりする必要はありません。ハートに愛を育てることによって神の恩寵を勝ち取るならば、必ずそれらの結果から逃れることができます。あらゆる結果は、あなたの思いと行為に基づいています。自分の体を神聖にするためには、神聖な活動に着手しなければなりません。邪悪な意図を持って善行を始めても無意味です。 あなたが心の内で蒔く種は、「木」に成長して「実」をつけます。邪悪な動機を内に秘めておきながら、善良な覆いでそれを隠している人々もいます。そのような偽りの態度は、決して肯定的な結果をもたらしません。まず第一に、心の中に神聖な思いの種を蒔かなくてはなりません。2/4/2003
良い行いは、誤った行いによる悪い結果を取り消すことが出来るという考えは、貸し借りの発想です。神の貸借対照表は、それと種類が違います。神は善行善果、悪行悪果と言った具合に、あなたが自分の行為の結果に直面するようにします。神は人のどのような行為の結果にも、足し引きはしません。STPS2p153
皆さんは、神の恩寵を得るにふさわしくなるために、正しい行いをして、功徳を積まねばなりません。生まれ出たるとき、皆さんは首もとに何の花輪もかけてはいません。しかし、良かれ悪しかれ、すべての過去の行為の結果 という目に見えない花輪をかけているのです。そのカルマ(行為の結果)の首輪なしにこの世に生まれ出る者は一人としてありません。しかし、人はこの真実を忘れ、常に快楽と富を追い求めます。世俗的な喜びがどれほど長く続き得るでしょうか? 若者たちは、自らの若さや富を誇りに感じます。しかし、それらは一時的なものなのです。この真理を悟り、私たちは、神の恩寵という富を蓄えなければなりません。6/5/03
カルマは過ぎ行く雲のようなものです。カルマについて心配してはなりません。避けられない雲もありますが、それらはやがて方向を変えて消え去ります。カルマも同じです。ただカルマに向かって叫んでも、カルマは消えません。それらの雲を追い払うことができるのは、修行だけです。要するに、カルマはカルマの結果から心を自由にするために為されなくてはならないのです。2/10/62
 皆さんは、カルマの結果から逃れる方法はあるのだろうかと思っているかもしれません。方法はあります。神の恩寵を得た人々には可能です。ひとたび神の恩寵の受取人になれば、カルマ・パラの影響を受けることはなくなります。ですから、神の恩寵が得られるよう努力すべきです。カルマから逃れるのは不可能だ、と学者は言います。学者の言っていることもある程度は真実です。けれども、ひとたび神の恩寵を得たならば、たとえカルマの結果 を被らなければならないとしても、もはやその痛みを感じなくなるのです。
薬が入ったビンを例にあげましょう。ビンには薬の有効期限が記してあります。有効期限を過ぎれば、薬の効き目はなくなります。それと同じように、神の恩寵はカルマ・パラを「期限切れ」にします。つまり、神の恩寵はカルマの結果 を無効にするのです。ですから、カルマの結果から逃れることは可能なのです。人間は神の恩寵を受けるに値することができるように、必要な強さと意志の力を培うべきです。ひとたび神の恩寵を得たならば、カルマの足かせから解放されるのです。21/7/05
あなたがたも、やがては父となり母となるでしょう。現在、皆さんが両親を愛し敬ってこそ、皆さんも自分の子どもたちから愛し敬われるのです。皆さんは、自分の行為の反応、反響、反映に直面することになるのです。両親を敬うなら、将来皆さんには良いカルマがもたらされることでしょう。6/5/03
霊的叡智は他人から受け取れるものではありません。それは自分の内側から開花しなければなりません。誰も皆、自分で努力して信仰心を育てなければなりません。信仰心の欠如は己を神から遠ざけます。信仰心に欠ける主な原因は、本人の過去世の行為です。
多くの人がここ(プラシャーンティ・ニラヤム)で何年か過ごします。しかし、何らかの理由により、ここを出て行きます。それは本人のカルマの影響によるものです。自分の行為の結果から逃れられる者はいません。6/10/92
世界に蔓延しているあらゆる混乱や争いの原因は、人々の思いや考えです。だれかがあなたを批判したときに腹を立てたり、だれかがあなたを傷つけたときに仕返しを考えたりすることは、それらに対する正しい反応ではありません。あなたに良いことが起ころうとも悪いことが起ころうとも、起こることはすべて自分の行為の結果 であると考えなさい。それらを神の仕業だと考えてはなりません。23/11/94

 *カルマの原因
私達の知らねばならぬ根本的なことは、次のことです。この世に誕生する根本原因は、カルマです.カルマの原因は、悲しみです。悲しみの原因は無知です。無知はブラフマから生じます。5/85

*カレンダー
バーラタ(インド)の太古の文明の栄光は言葉では言い尽くせません。バーラタの輝かしい伝統はインドの住民のみでなく、全世界が誇りにするべきものです。しかしながら、時の経過や、増大する西洋文明の影響のため、この偉大な伝統は忘れ去られています。例えば、プラバーヴァ、ヴィバーヴァ、シュークラ、プラモドゥータ、プラジョーッパティ、等のヒンドゥー暦(註:木星の公転周期をもとに作られた60年周期の暦、60の年から成る)の各年の呼び名は深い意味をもっています。しかし、人々はこれらの名前を忘れ去り、一月、二月、等から成る西洋のカレンダーに従っています。18/2/04

 *がん
癌はしばしば小さな吹き出物が変異してできます。炎症や幾ばくかのガスから癌が発生するのです。CWSSBp137
たばこの煙が血管の中に入ればどれほどのダメージを及ぼすでしょうか?それはその人の健康を損ね、寿命を短くします。それ故、神の真の信者になろうと目指している者は、肉食、酒、たばこをやめなければなりません。SS12/94/p315
今日まで、癌の治癒を考えついた医者は誰一人いません。癌の原因は何でしょう? キンマの葉を食べることが原因だという人がいるかもしれません。癌はビーディー〔インドの手巻き煙草〕や煙草を吸うことが直接の結果だという人々もいます。さらには、周りの空気が汚れているから癌になるのだと言う人もいるかもしれません。要するに、理解しなければならないことは、限られた範囲内においては、これらの要因はいくらかはその一因となり得るだろうということです。しかし、これらは癌の主な原因ではありません。
癌の主な原因は砂糖です。市販の砂糖を作る際、製造過程において、骨粉等、多くの化学処理された物質が使われています。そうした物質は、砂糖を摂取していくうちに、体内のどこかに詰まって、問題を生じさせます。人は白血球と赤血球という二種類の血球を有していますが、白血球が詰まって、特定の部分をふさぎ、それが癌へと成長することがあり得るのです。それをグルコーマと呼んでいる人たちもいます。このグルコーマが癌に手を貸している主な要因です。このグルコーマが砂糖という化学製品のようなものの主な問題です。水、空気、公害、喫煙――これらは主要因とはなり得ません。主要因は砂糖です。古きよき時代、砂糖はどういった形で食されていましたか? 今のような人工的で合成されたものではなく、健康的な形のジャガリー(椰子糖)でした。料理に甘みをつけるときには、それが使われていました。しかし、今日、皆さんは、自分が食べるあらゆる食べ物に、化学調味料や他の人工的な物質が含まれていることを見出すでしょう。このすべては、ただ、お金を儲けるためです。人々はそのような数多くのいかがわしい物を食べ物に添加して、その結果、病気が増加しているのです。8/10/83

 *感覚
すべての感覚は人のエネルギーが物質世界で束縛される方向に向かう身体の出口です。感覚は心によって誘導され外界に出て行き、対象物に付着します。識別力を持つ知性に心を服従させなさい。そうすれば、心は害を与えるものではなくなり、逆に助けてくれるようになるでしょう。2-45 SIP
学生は神を固く信じ欲望を最小限に減らさねばなりません。あなた方は感覚の悦楽を軽蔑せねばなりません。世俗の欲望が心に湧いた時、ただ捨てさらねばならぬゴミとみなしなさい。このようにするならば学生諸君は清浄の道に入ります。そのとき神はあなたを歓迎し、あなたを至福で満たします。これより偉大な目的地はなく、これより高い運命はありません。22/6/96
今日、人々は「見る力」をまったくコントロールすることができていません。人々は、見るべきでないものを見ています。人間が見るものは、何であれ心に刻み込まれます。ですから、神聖なものを見るようにしなさい。人間の目には、400万本の光線があります。ところが、良くないものを見ることよって、それらの輝きは失われてしまいます。皆さんが良くないものを見るとき、目の輝きの素晴らしい力が損なわれるのです。
舌には300万の味蕾があります。ところが、悪いことを話すと、それが損なわれるのです。ですから、まず第一に、見る機能と舌を制御する必要があります。そうでなければ、私たちは人間性を失い、ついには人生を台無しにしてしまうかもしれません。正しいものを見、正しいことを語ると同時に、私たちは正しい聞き方を身に付ける必要があります。もしあなたのいる所で、誰かが悪いことを話す時は、直ちにその場を離れなさい。
正しいものを見ることによって、二重の恩恵があります。それは、意思力を強め、眼の光の力を増大させます。仏陀は、このような真理を理解したので、感覚をコントロールするための具体的な努力をしました。瞑想や苦行は、 一時的な幸せしかもたらしません。永遠の幸福は、感覚のコントロールによって初めて得られます。仏陀は皇太子であり、一国を支配する力を持っていましたが、すべてを捨てて、 自分の感覚をコントロールすることに打ち込みました。彼は、感覚をコントロールした後 に、初めて至福を体験し、涅槃に達することができたのです。31/5/99
感覚を正しく使うことによって、アートマの知識が得られます。賢者パタンジャリは言いました。「感覚の制御こそが真のヨーガである」 これに優る霊性修行はありません。感覚を制御しないのであれば、神の御名を繰り返し唱えることや、苦行といった霊性修行はすべて、全く無益なものとなります。あなた方は、人が感覚を制御することなど不可能なことだと感じているかもしれません。ここで言う制御とは、「完全に停止させる」という意味ではありません。あなたの義務を遂行しなさい。しかし、たとえ何をしようとも、神を喜ばせようという気持ちで行いなさい。一旦このような気持ちを育めば、あらゆる感覚は自然に制御されることでしょう。15/2/99
世の中には、感覚の楽しみを誘う様々なものがあります。心の弱い者は、感覚の楽しみをひきつけるものが究極的には毒と化して、識別心と穏やかな心を奪うことを実感認識せず、感覚の悦楽を次から次へと求めて、さ迷い歩きます。その結果、彼は一生の間、終わりのない悩みに突き落とされます。それをアスタクレナム<不安定な心が原因のコンプレックス>と称します。25/5/93
あなたは目を用いずに見、耳によらず聞き、舌を用いずに話すことが出来ます。また鼻によらず匂いを嗅ぎ、身体を用いずに触れ、足によらず歩くことが出来ます。そうです。常に心によらずに体験しなさい。五感はすべて心に固く結びついています。心は五感を一つひとつ機能させ、感覚がとらえてものによって反応します。普通の人は心と結びついた肉体の目によって見るので過ちを冒します。しかし英知を得たものは、神ながらのヴィジョンを与えられ神の目を持ちます。彼は感覚によらず見聞きすることができるのです。JV
各人の属性が何であれ、感覚の補助無しにはそれ自身を表現する事は出来ない。属性は感覚の中で育つのだ。行動の感覚は五つあり、認知の感覚も五つあり、これら十の感覚が心によって執着を生じさすのだ。さもなければ、属性と感覚の融合はあり得ない。マーヤーに生まれマーヤーに育つ人間が、マーヤーを支配することがその使命だ、と言われているのです。そのように感覚に生じ、感覚の中で育った物質=ブラフマンの英知は感覚を超越しなくてはならない。それが物質=英知の本分である。SDMp110
心は感覚器官や感覚的なものに魅せられがちなものだが、執着を捨てるというのはそうしたものに捕らわれないことなのです。感覚器官や感覚的なものの奴隷で無くなれば心は清められ、迷いに捕らわれることも無くなります。この世のどんなものも、はかなく移ろいゆくことがわかれば、心は清らかになるでしょう。SGc12
衝動と本能によって動く人は、正と邪、真実と虚偽を識別する能力を持たず、酒に酔った人のようにこの世をさまよい歩きます。動物的な本能の持つ影響力はたいそう強く、彼らは本能によって動かされる結果、どのような悲惨な結果に陥るかも分かっていません。彼らは恥知らずで、誰をも恐れず、ひたすら世俗の快楽を追い続け、快適な世俗的な生活を求めて、贅沢を追い求めることに熱心です。
このような衝動に身を任す者は、自らの理性を働かすこともありませんし、機能もしないでしょう。絶えず感覚の悦楽を追い求めることにより、心の中の欲望傾向は更に強固となり、より深くしっかりと、根を張って行くのです。其の者たちは、欲望を満たすために行為をするので、高慢になり、うぬぼれて自分の果たした行為の結果を、人びとに誇らしげに見せびらかします。欲望に縛られた結果、自らがその奴隷となり、満足するまで富と金を得る為に、最下等の悪い行為ですら平気でやってのけます。彼らは、富を<神>とみなして崇めます。DVJp87
感覚によって、私たちにとってそれが良いことか、悪いことかがもたらせるのである。それゆえ、感覚をコントロールすることが私たちにとって一番の課題なのである。あなた方はしばしば「こんなことが自分達にできるのだろうか。」と弱音を吐くけれど、私は、君達が強い決意で持って取り組めば出来るのだ、ということを強調したいと思います。神の意に沿った喜ばしい行為をし、祝福を得れば感覚のコントロールなどさほど難しい事ではないのです。感覚というものはとても些細なものから成り立っているにすぎないからなのです。感覚がコントロールできないようではあなたは、自分自身を人と呼べないのです。23/2/06
経典は感覚をコントロールする者のみが真の人間であり、物質の枠の中に閉じ込められた人間が無限の力を持って生きることは、感覚のコントロール無しには不可能であると述べています。SS10/9/93
感覚をコントロールする事により、長寿を得られると信じられています。29/6/89
愛を通じて信仰を培い、信仰と熱意によって英知を得ます。英知によって霊性修行を深め、目標に達するのです。それゆえ、霊性修行を実践するには英知が必要とされ、英知を得るには信仰と熱意が必要とされます。そして、信仰と熱意を得るには愛を育まねばならないのです。すなわち愛こそが道であり、そのためにあなた方は、感覚をコントロールしなければならないのです。少しずつ欲望を減らしていけば、感覚をコントロールしていくことが出来るようになるでしょう。SSS29/12/85
感覚の要求を調和させる方法があります。それは、善と悪を等しくみなす態度を養うことです。~このような忍耐と泰然自若の態度を取ることができる人はごく僅かです。神への献身と信愛によってのみ、このような忍耐心と泰然たる心的態度を身につけることが出来ます。感覚のコントロールなんて出来そうにもないと思って意気消沈する必要はありません。一筋の献身をつちかうことにより、感覚をコントロールする事が出来ます。
~第一に、感覚を好き勝手にふるまわせてはなりません。感覚による悦楽はつかのまのものであって、最後は悲嘆に終わるものであると認識しなさい。感覚が正しい方向に向かって常に忙しくしているならば、感覚によって悩まされることはありません。22/5/90
平安という意味は、感覚の虜になっている活動をやめることである。PVp34
自らの真の自己、真の本質に気づかず、神がどこか他の場所にいるものと考える人は、プッタパルティに行きたいという幻想を抱きます。これは、その人の心が不安定で脆弱であることを示しています。
至福の世界は、各自の内にしか存在しないのです。しかしながら、それを目で見ることはできません。
その唯一の原因は、感覚を基盤として感覚にまみれた生活にあります。PD40
真の平安は、感覚のコントロールによってのみ得ることができる。PVp4
人は感覚の奴隷に成り下がりました。人は朝から晩まで感覚の奴隷です。肉体の感覚に支配された人が、どのようにして内的な身体を支配することが出来るでしょうか?内的な敵に屈服した者が、どのようにして外的な敵を征服出来るのだろうか?と言うではありませんか?自らの感覚に屈服した結果、人は悲しみと苦しみを味わうことになるのです。SSIB1993p,79

今日、人口の99%の人々は霊的な喜びではなく感覚的な欲望を追い求めています。今日の教育も、主として感覚的なことを追求しています。すべての職業も感覚的な欲望を満たすためにある、といっても過言では無いでしょう。
富を蓄えることでさえ、些細な感覚的な欲望を満足さすためであります。Preyas(世俗的な欲望)に関与することは、肉体と心を感覚の喜びと結びつけることです。肉体的な快適さを求めることについては、疑問を呈さねばなりません。もちろんダルマを実現するためには肉体はかかせません。身体を維持するためのものは満たさねばなりません。
社会に奉仕をし、家族への責任は履行しなくてはなりません。これらが、身体の基本的な役割です。しかしこれらのことは人生の究極の目標ではありません。以上のことは、外的な現象世界に関することであり、世俗的な欲望に結びついたことであります。これらのことを踏まえた上で、高い霊的人生を目指さねばなりません。
Preyas(世俗的欲望)はネガティブで、Sreyas(高い霊的人生)は、ポジティブです。このポジティブに関わらなければPreyasは意味が無くなります。もちろん物質的な物も必要でしょう。しかし、Sreyasを欲することを通じて初めて、Preyasも充足さすことが出来るのです。感覚的な欲望と、霊的渇望は人類にとって互いに相容れないものです。感覚はとても強い力を持っており、博識な学者でさえ感覚の誘惑の虜になります。霊的な言葉で言えば、これは有害な力と呼ばれるものであり、そして科学者はそれを磁力と呼んでいます。SS4/1995p,94
神があなたの全てであり、唯一のよるべき存在であるとみなし、あなたの感覚を全て彼に捧げなさい。これが、神に見まえることが出来る易しい方法なのです。これによって、あなたは解脱を得ることができるのです。23/2/06
感覚器官が感覚的なものに触れたときにはじめて喜びや悲しみが起こるのです。世の中に感覚的なものは沢山あります。ただ感覚器官がいろいろなものに触れすぎないように気をつけた方が良いのです。
感覚的なものははかなく移り変わります。小さなものに捕らわれているから、人生のすべてが小さく汚れてしまうのです。ご存知のように、たいていの生き物は、一つか二つの感覚にとらわれています。
~ところが人間は五つの感覚器官すべてに捕らわれてしまうのですから、人間こそ、あらゆる生き物の中で何よりももろい存在と言えるのです。SGc17
感覚の節度を守る為には、大きなものの見方をすることが必要です。内面を探求し、何が真の自己で何が偽りの自己なのか見極めるのです。正しくものを見極める力があれば、目標から目をそらさないで無事に世の中を渡ることが出来るでしょう。SGc17
すべての感覚の働きを正すのです。私は何度も、あまりいろいろなものを見たり聞いたりしすぎないように言っています。何かを見たり聞いたりすれば、そのことを思うようになります。思っていれば、そのものへの執着が深まり、自分のものにしたくなります。
あるものについて話していると、その姿を思い浮かべるでしょう。ですから、どんなものについても、最初にこう考えて下さい。「それはどこかに欠点があるはずだ。」と。欠点に気がつけばもうそれに捕らわれることは無いはずです。SGc17
  悪いものを見ずに、良いものを見なさい。そうして初めて、あなたの目は、神の普遍的な姿を見ることのできる聖なる力を獲得します。もし感覚をコントロールすれば、霊性修行によって、いっそう大きな成果 が得られるようになります。感覚の力を知らず、それを正しく使うこともせず、人間は、物質的かつ世俗的な様々な行為によって、大いなる報酬を得ることができるという妄想にとりつかれています。しかし実際は人間はそのような行為からは、一時的な満足以外の何ものも得ることはできないのです。 何よりも先に、人は感覚をコントロールしなければなりません。
決してよこしまな内容に耳を傾けてはなりません。もしそういう場に出くわした時は、直ちにその場を立ち去りなさい。悪いことを聞かず、悪いものを見ず、悪いことを語らないようにしなさい。あらゆる努力を払って、悪から離れていなさい。そうして初めて、あなたの霊的な力は段々と高まっていきます。5/7/01
感覚の悦びは、束の間で儚いものです。感覚の悦びは、あなたを困難に陥れ、弱くさせます。あなたは自分は感覚器官を使って楽しんでいると思っているのでしょうが、実は感覚の方があなたを傷つけて楽しんでいるのです。その証拠にあなたが感覚器官を使って楽しむと、あなたは疲れて弱くなり、力も失います。そして、老け込んでしまうでしょう。
もしあなたが主体的になって、感覚を使って楽しんでいるという見方が正しいのであれば、あなたは、感覚を使って楽しんだ後でも、もっと生き生きとし、熱意も持っているはずです。ところが実際はそうではありません。あなたは感覚器官を使うことによって悪い影響を受けているのです。ですから、感覚器官を使うことによって、あなたは感覚のおもちゃとなり、病気になり、老け、弱くなるのであって、実はあなたが感覚にもて遊ばれているのだということを、はっきり理解しなさい。STPS2p61
本当に楽しんでいたのは目や耳や舌などの感覚器官です。感覚器官は人を食い尽くしていきます。身体が弱って病気になり老け込むのはあっという間です。もしも自分が主体となって、感覚的なものを楽しんでいたのなら何の問題も無く、健康で身体の調子も良いはずです。ところが感覚的なものに遊ばれているばかりでは、身体をこわし寿命を縮めるだけです。SGc18
  感覚をコントロールすることなしには、すべての霊性修行は不毛です。どうして皆さんは、舌を悪い言葉を語るために使わずに、ラーマ、クリシュナ、ゴーヴィンダ等の神の御名を唱えないのですか? 皆さんは感覚の誤用のために、罪を重ねています。あなたがこれまで重ねて来た罪は、肉眼には見えないかもしれませんが、それは必ずあなたを苦しめることになります。目に見えないものが、あなた自身の行動の果実を食べるように仕向けます。おお人よ、このカルマの秘密を理解しなさい。5/7/01
心の中から悦びがあふれ出ているのに、皆さんは感覚的なものや感覚器官から悦びを得ていると思っています。それは間違いです。すべての悦びは、自分の内から来ているのに、皆さんはそれが外から来ていると思っているのです。聖典は神の妙なる悦びについて語っています。この妙なる悦びに比べたら、感覚が感覚的なものに触れて味わう悦びなどほんのわずかなものでしかありません。感覚の悦びなど、神の妙なる悦びという大海原のひとしずくでしかありません。
ところが、神の妙なる悦びという大きな海も、皆さんの心からあふれ出る際限の無い悦びと比べれば芥子粒のように小さいのです。すべての悦びの源は皆さんの心です。心は、すべてを照らし出す、何よりもまばゆい光りです。この清らかな精神の光りは、あらゆるものに満ちている永遠の輝きです。これを知るために人は、力を尽くすのです。SGc19
心が感覚器官の虜になってしまったら、心は汚れてしまいます。ところが感覚器官から離れて、感覚の影響を無くしてしまえば汚れの無い心にまた戻るのです。汚れた心と汚れの無い心の違いはそう理解することが出来ます。心が感覚器官のために汚れていなければ汚れの無い心と言えます。
心が感覚器官に捕らわれてしまうとそれは汚れた心になるのです。汚れた心は様々な思いの寄せ集めです。考える働きそのものです。心は考えるうちに汚れてしまいます。汚れた印象を感覚器官から取り入れると、汚れた心になるのです。汚れた心には決まった形はありません。ただ考えるだけです。
汚れた心は感覚器官の印象から生まれます。感覚器官から離れて心を神に向ければ、汚れた心から生まれるどんな苦しみや問題からも解放されます。だから感覚器官から離れて、思いを神に向ける様努力をすべきです。
これが瞑想であり、神と一つになる道です。汚れた心をきれいにして、再び汚れの無い心に戻る道です。心には安らぎが必要です。身体に休息が必要なのと同じように、心には平安が必要です。
どうすれば平安な心になれるでしょう。思いを落ち着かせ、心の動きを鎮めれば平安でいられます。心はいつでも感覚器官を通って、いろいろな感覚的なものを求めて外に出て行きます。
それが考える働きとなります。外に向かおうとする心の働きを、内なる神に向ければ汚れた思いは無くなっていきます。そうなれば、正しく心を働かせ、心を静めることが出来るでしょう。
これが修行を続けるという意味です。SGc20
クリシュナはアルジュナに「君は普通の暮らしの中に幸せと安らぎがあると思っている。
そこには本当の悦びは無い。君の求めている悦びは、感覚的なものによっては、得られない。感覚器官の節度を守るときに、はじめて幸せと安らぎが得られるのだ。」神を信じる人も、信じていない人も感覚の節度を守る点では同じです。感覚を高ぶらせると、いろいろな欠点が現れて、そのうちに神の事を忘れてしまいます。感覚の言いなりになるのを止めて、神に心を定めるのです。神の恵みが無ければ力は失せ、良い仕事など出来なくなってしまいます。SGc20
皆さん一人一人の身体の中にいる神は、ただ一つなのです。この真理が分かれば、感覚を正すのは難しいことではなくなります。他人に言うことを聞かせようとするよりも、自分自身を正すようになるはずです。一体誰のために、誰に向かって、力をふるい偉いところを見せつけようとするのでしょう。欠点は誰にでもあります。失敗は誰でもします。人が間違ったことをしたときに、正しいやり方をやってみせるのが皆さんの務めなのかもしれません。ただし、何よりも大切なことは、すべての人の中に神がいることを忘れずに、自ら正しく振る舞い、自分に授かった仕事をすることです。SGc20

 *歓喜
修行者は常に真実のこと、喜ばしいことを求めなさい。悲しく気落ちするような事柄は避けるべきです。陰鬱、疑い,自惚れは霊性修行者にとって避けるべきものです。神への献身が強固になれば、たとえそれらが現れようとも、容易に捨て去ることが出来ます。それらは、霊性修行の邪魔です。
更にいっそう重要なことは、いかなる状況の下にあっても霊性修行者は、歓喜に満ち微笑みをたたえ熱心であらなければなりません。この態度を身につけたものは、真っ先に目的地に達するに値します。いかなる時にも歓喜に満ちた心的態度を持つという性質は、繰り返されてきた前世からの善行の果実に他なりません。いつも心配し、気が沈み、疑っているならば、たとえどのような霊性修行を行おうとも至福に達することは出来ません。プレマバヒニ
悲嘆と歓喜は心の波立ちでしかありません。心は身体と感覚に関わり合う時にのみ、影響され、波立ち、変化します。酒に酔えば痛みは感じないと言われていますが、その時、心は身体から離れているので、身体の感じる苦痛や不快を気に留めないからです。それと同じく、覚者の心はアートマンにどっぷり浸っています。彼は心を訓練して心の平安と静寂とを確立することが出来るのです。覚者は自分自身のアートマンから完全な至福を得ます。彼は、彼以外のいずこからも至福を求めることはありません。実際、彼は外界のいかなるものの中にも歓喜を見出そうと望んだり、外部に歓喜を見つけようと計画することすらありません。彼は自分の手に入れた内なる歓喜に満足しています。JV
心に歓喜が満ちて調和の取れたものである時、それはあなたが求め続けて来た人生の目的地である、神ながらの況位に他なりません。人は普通、その況位の持つ至高の魅力について何ひとつ知らないので、それを求めようとしないのです。瞑想はその至福への、最初の導きなのです。DVJp33

*感謝
あなたは毎日毎日、神の恩寵を享受しています。神がこれまでずっとあなたのためにし続けている一切に対して、あなたはどのようにして神に感謝を示していますか? 神はあなたに何一つ要求しません。しかしあなたは、感謝を表すことによって、自分の義務を果たさなくてはなりません。恩知らずな人間は、残虐な動物より悪いものです。あなたが人生で活躍できるのは、両親のおかげです。2/4/2003
良い仲間と交わり、良い思いを育てなければなりません。嫉妬心や、怒りや、エゴをもってはいけません。それだけではありません。他の人がしてくれた良いことすべてに対して、感謝の気持ちをもつべきです。感謝はとても大切です。感謝の気持ちのある人は、どこにいても善果を得るでしょう。中には、自分に良いことをしてくれた人たちすら裏切るような人もいます。これは良いことではありません。
自分がしてもらった良いことには、たとえ小さなことでも感謝をすべきです。感謝の気持ちが欠けていれば、あなたの人生はまったく無駄なものとなります。良い性質を育てなさい。どこへ行こうとも、良い思いをもって行動し、すべての人に奉仕しなさい。たとえ自分に敵対する人に出くわしたとしても、挨拶をすべきです。そうすれば、相手も同じように返してくるでしょう。
反対に、もし不遜な態度で話しかければ、相手も不遜な態度を示してくるでしょう。全人生は、反応であり、反映であり、反響です。もし良い結果を手にしたいのであれば、良い生き方をするようにしなさい。一生懸命頑張って、よく勉強すれば、一番のランクの成績を取ることができるでしょう。しかし、もしあまり勉強しないなら、どうやって良い点数を取ることができるでしょうか?あまり勉強もせずに良い点数を取れば、人々はあなたがテストでカンニングしたと疑うかもしれません。あなたが良い点数を取ったのは立派な答案を書いたからだということは、あなたの良心が証明してくれます。ですから、良い行いをして良い状態を体験しなさい。そうして初めて、人としての生は意味のあるものになるのです。人として生を送りなさい。
神に守護を祈る必要はありません。あなたの善良さがあなたを守ってくれるでしょう。あなたの善良さが、あなたの人生の真の支えなのです。7/3/08

 *簡素
簡素さは、神聖さのサインです。見せびらかしたり、びっくりさせたり、まじないや、訳の分からない呪文などは、真の宗教にとって意味の無いことです。それらは、神を独占したり、汚したりしようとする下心のある人々によるトリックなのです。SSSvol6p,104
バラタの文化の持っている謙虚さ、誠実さ、一体性が、感情的な過ちをいやすために重要だといわれています。必要以上の贅沢さ、競争心をあおる物欲、富や権力の追求などは、一時的なものですぐに消え失せてしまいます。簡素な生活やインドの聖者たちによる高潔な思いは、幸せで大きな平安をもたらしてくれるでしょう。SSvol9p207

*完璧なふり
あなたがイバラだらけの道を歩いた為にひどい傷を足に負い、その同じ道に人が近づいて来ているのを見た時、あなたはその人に手招きしてイバラの道を歩かせ、自分と同じ目に合わせるでしょうか。無論それは良い行為ではありません。それともあなたはその人に声をかけて、そこにイバラがたくさんあることを知らせ、警告すべきでしょうか。
もし人が謙虚さを持ち、自分の欠点に気付いてそれを正すのであれば、それによって他人も助かり、自分自身も助かることになります。自分を完璧に見せかけながら、他人にどう振る舞うかを教え、自分はそのように正しく振る舞っているので完璧だ、という振りをするのは、大きな罪です。
というのも、それが他の人々に危害を及ぼすからではなく、(真理を述べなかったという意味で)あなた自身に大きな危害を及ぼすのです。CWSSBJp85

*願望
あと少しの努力で最も巨大なものが手に入るとき、小さなものを切望してはいけません。人間には、巨大なもの、至高なるのもの、無限なるものと一つになりたいという自然な願望があります。というのは、ハートの奥深くには、それと同一の至高なるものが存在しているからです。20/2/66

 *記憶と忘却
人は記憶する能力と共に忘却の能力も与えられている。これら二つとも役に立つ能力だ。ひょっとすると忘却の能力の方が、記憶する能力より重要かもしれない。人は何百万の前世の中で、何百万の親と親類を失い、その度ごとに泣き悲しんできた。人はこの世で受けたすべての侮辱やけがや苦しみなどを覚えているのだろうか?そうではなく、彼はほとんどのことを忘れ去っているのである。
彼が覚えていることと言えば、結婚した日時や、金を貸した相手など、彼にとって重要なことに限られるのだ。悲劇的なことは、この地球に生きていく上で一番重要で大事なこと、幸せで自由になるための鍵である彼の自らの真の名前と身元を、すっかり忘れ去っていることである。SSSvol5p28

 *帰依
帰依の道から学ぶことで何よりも大切なのは、神を愛するだけで無く、生きとし生けるものすべてを愛すること、どの人も神様だと信じて接することです。神をあがめながら人を傷つけているようでは、神を信じる心を持っているとはいえません。SGc3
神は一つです。目標は一つです。それと同じことが、次の言葉で伝えられています。「私は光の中にいます。光は私の中にあります。私は光です」。ここでの「私」は、愛と帰依を象徴しています。そして、光は英知を表しています。あなたが、「私は光の中にいます」と言うとき、それは、帰依は英知の中にあるという意味です。「光は私の中にあります」という言葉は、英知は帰依の中に含まれているという真理を反映しています。光と愛、あなたは、この二つのものの一体性を理解しなければなりません。帰依は、真理を知るための欠くことのできない前提条件です。あなたはますます帰依心を育て、最終的にそれを英知に変えなければなりません。あなたは心の気まぐれに従ってはなりません。何があっても、あなたの意識はアートマの上にしっかりと固定されていなければなりません。1/3/03A
帰依と、英知と、無執着は、霊的進歩を表す三つの段階です。帰依とは、小学生の段階で、人を高校生の段階である神聖な英知へと導きます。英知によってすべてのものがブラフマン、神と認識できるようになり、無執着の態度が確立されるのです。それはアートマの教育においては、大学の段階といえるでしょう。サイラムニュースNo,99/2004
人は問題が生じると神を非難し、自分は神に帰依しているのに平安が得られないと不平を言います。彼は帰依の概念を誤って解釈しています。真に神に帰依しているならば,何事が起きようとも悩むべきではありません。自分と神は別々という感覚を捨てなさい。分離感がある限り神を認識することは出来ません。27/5/92
思いのすべてに愛を込めてください。そうすれば自然に心に真理が現れます。すべての行為に愛を込めてください。そうすればどんな行為にも自然に正義が現れます。気持ちのすべてに愛を込めてください。そうなれば、限りない平安を味わえます。理解のすべてに愛を込めてください。そうすれば誰をもにくむことも無く傷つけることも無いでしょう。
愛は心の平安を支えています。愛は真理の生まれるところです。愛は正義と非暴力のよりどころです。だからババはいつも「愛は神であり、神は愛だ」と。帰依の道の教えで何より大切なのは愛を育み実践することです。愛を実践すれば広く大きな心を持つことになるでしょう。そうやって内にある偉大なものを磨いていくのです。SGc8
身体に対する執着を取り除きなさい。聖典は、人とは神に帰依する者とあります。帰依するとは何を意味するのでしょうか?自分は身体であるという感覚から脱し、神を思うことです。帰依するというのは、あなたの価値のない肉体や永遠のものでない財産を神に捧げることではないのです。そのようなものを捧げても何の意味もないのです。SS4月96p96

*帰依者
いわゆる帰依者と呼ばれる人々のうち、約90%は、実は欺瞞に満ちています。昔は、今とはずいぶん様子が違っていました。帰依者の数は少なかったのですが、彼らは皆、純粋な帰依者たちでした。最近では、帰依者の姿を装った利己的な意図を持ったペテン師たちが多すぎます。彼らは朝一番に額にヴィブーティを付けて首にスカーフを巻き、帰依者を装って自由にあたりを歩き回ります。そのような偽の帰依者たちよりも、食べ物を捜し歩く野良犬の方が優れています!22/7/02
帰依者一人一人が、それぞれ二人の人に良い影響を与えることができたなら、すぐに全世界が改善されることでしょう。SS1993
 神は、信愛と完全な全託以外、帰依者から何も必要とはしません。神は帰依者に、神聖な体、神聖な言葉、神聖な見方、そして、無私の行動を期待します。帰依者がこれらを神に捧げるならば、神は自らを帰依者に与えます。人の体と心と行いはいつも清らかでなくてはなりません。そうであれば神はその人に引きつけられます。神の恩寵は、さまざまな形の礼拝や儀式によって手に入るのではありません。母親でさえ子どもが純粋な心を育てることを期待しています。単に自分の胃袋を満たすために苦労することがいかに無益であるかを皆さんに気づかせるために、私はたびたび次の詩を紹介します。
おぉ、人間よ! 汝はただ腹を満たすために苦労している 。汝はさまざまな分野の多くの知識を獲得する 。神を忘れて 夜明けから日暮れまで世俗の知識と富を獲得することに、すべての時間を費やしていったいどれほど大きな幸福を得たのかと、汝自身内省し問うがよい21/10/04
完璧な帰依者はこの世にいますが、彼らはその帰依心を心の中にだけ秘めています。時折、その帰依心が表に現れ出てくることがあると、世間の人達は、彼らを精神異常者だと思うのです。スワミは彼らにインタヴューを与えませんが、彼らは、喜びに溢れた人生を送っています。CWSSBJp193
帰依者は私を欲するが、帰依者の願望はどれも世俗のことに関するものだ。そのような心構えで、どうして私に到達できるか? もし、行先が別の間違った列車に乗ったなら、どうやって目的地にたどり着くことができるのか? 帰依者は私を欲するが、私を悟る努力はしない。私のところにやって来る多くの者の中で、私を悟ろうと真に努力する者は、千人に一人しかいない。
帰依者といわれる者の心は、間違った方向を向いている。自分の願望が満たされると、彼らは私を賞賛する。しかし、望みが実現しないと、私を罵(ののし)りさえもする。私を理解しようと試みている間でさえ、頭の天辺から足のつま先まで疑いを抱いている。世俗的な望みが叶わなければ、私から去っていく者さえいる。こうした者たちは、まったく誠実な帰依者ではない。実に、彼らは最悪の罪人だ。そのような者たちが、どのようにして私に到達できるのだろうか?6/10/92
道徳を尊び、自らの言葉を守って行動し見た通りに語る人、また人の悲しみに心を動かし、人の喜びに自分も歓喜するような人は、誰でも神の帰依者です。26/2/61
自分は立派な帰依者だと主張する多くの人が、いつかは離脱していきます。彼らは実は本当の帰依者ではなかったと、いうのが真実です。すべては見せかけです。帰依心というものは消え失せるものではなく、帰依する心の無いところに帰依心は生じません。これはつまり、最初から帰依心は無かったということを意味します。「スワミは私たちのすべてです」と言って、よく自分の帰依心を公言していた人は、実際には帰依心などまったく持っていなかったのです。それはまったく上辺だけだったのです。本当の帰依者は決してスワミから離れません。離れる人は決して真の帰依者ではありません。この点に関して、帰依心の真の性質は誰にも理解できない、ということを認識しなければなりません。
(詩) 死の遣いが待っている。親類縁者が皆、泣いている。その最期の瞬間に、神の御名を心に浮かべ ることができようか?生涯を通じて神に帰依してこなかったなら。 神は揺らぐことのない、固い帰依心にのみ動かされるのだ。
人生の早い時期からひたむきな帰依心があったときにのみ、帰依心はしっかりと、変わらずにあり続けます。利己的で、自己中心的な人の帰依心はぐらつきます。神への完全な愛を伴う帰依心は決して変わりません。それは揺らぐことのない帰依心です。それほどの神への切なる思いがあれば、ハートは溶けます。神はそのような固い帰依心に動かされます。これが、万人が抱くべき帰依の心です。6/10/92
今日、人々は自分のことを帰依者と呼んでいますが、彼らの行動はその主張に見合ったものではありません。彼らの思いと言葉と行動は、虚偽と不正に満ちています。彼らの愛は利己心と自己中心的な事柄によって汚染されています。彼らは帰依者であることを装って、世界を回り、さまざまなよこしまな行為に携わっています。外見的には、彼らは敬虔に見えますが、内面的にはよこしまな傾向に満ちています。彼らは、お金のために人生を台無しにします。あなたはそのような人に注意し、彼らに近づかないようにしなければなりません。彼らの顔を見るだけでも罪になります。23/11/02

*危害
今日多くの人々は他の人に危害を加えています。しかしそういう行為によって、自分が他の人に与えた危害が何倍にもなって我が身に返ってくることを知りません。24/5/1990

 *危機
今日、人類の直面する問題は、科学と科学技術で解決することは出来ません。人間の性格を変換することによってのみ、現代の危機は解決できるのです。人間は人間と呼ぶに相応しくなるように努力し、さらに神性を目指して努力しなければなりません。20/5/1991

*危険
例え山のような危険があろうとも、人の思いが神に集中しているならば、危険は、氷が溶けるようになくなります。14/1/96

 *傷つける
あなたが人から、あなたが傷つくようなことを聞いたとき、なぜそのことについてまた誰か第三者の人と相談したりして、その人を傷つけるのですか?無責任で嘘にまみれた話に接すれば誰でも傷つきます。あなたは、どうしてそれを誰かと分かち合うのですか?それを自分の中にしまい込んで静かにしておきなさい。そして自分の心からそれを取り除くのです。そのような話を、あなたが愛している人や尊敬している人に伝えて、彼らの感情を傷つけてはいけません。
人が犯す最も大きな他の人への打撃は、その人を誹謗中傷することです。あなたは、当初そのような不愉快な話や人を批判するような場に居合わすべきでは無いのです。たとえ、あなたがうっかりしてそういう場に居合わせたとしても、それらを無視しなさい。決して間違っても、郵便局のように他の第三者の人に伝えるようなことをしてはなりません。DGp38

 *犠牲
今日、人の主要な義務は犠牲を自らの王位につけることです。犠牲が統治してこそ、信愛は本来の姿となります。あなたに潜む一切の潜在的能力は自ずと現れます。そしてあなたが為す全ての正しい仕事に成功するでしょう。信愛が統治の原則となれば、悲しみも失望も消えてゆきます。それゆえ、ヴェーダは犠牲のみが不滅の至福を得るカギである、と宣言しました。23/11/96
今日、皆さんは世界中どこにも平安(Peace)を見出すことはできません。断片(Pieces)が見えるだけです!実際、人々はハートを壊して断片化しています。それゆえ、どうして平安を得ることができるでしょうか?この問題には、ただ一つの解決策があるだけです。神を愛しなさい。神を信じなさい。神に全託しなさい。あなたの人生のすべてを神に捧げ、あなたのすべての行動を、神への捧げ物として進めなさい。あなたのすべての行動を、他の人の役に立つものにしなさい。常に助けなさい。決して傷つけてはなりません。あなたは、自分が問題のない人生を送っていると言うことはできません。次の瞬間に何があなたを待ち構えているか、誰も予測することはできません!
もしあなたが、常に幸せでありたいのであれば、他の人々の幸せを祈りなさい。これこそが真のサーダナです。霊性とは、単にバジャンを歌い、何らかの礼拝の儀式を行うことではありません。崇高な性質を培いなさい。常に他の人々の役に立ち、善い評判を得るようにしなさい。イエスは、自分の肉体を十字架の上で犠牲に捧げたことで、あれほどの名声を得ました。皆さんもまた、そのような大いなる犠牲の準備を整えておかなければなりません。もしあなたが、犠牲(ティヤーガ)をあきらめて感覚の快楽(ボーガ)に浸っていれば、病気(ローガ)になってしまいます。実際、ティヤーガ(犠牲)こそは真のヨーガ(神との合一)であり、ボーガ(感覚の快楽)はローガ(病気)なのです。ローガの犠牲者になってはいけません。ティヤーガ(犠牲)を培い、ヨーガ(神との合一)を達成しなさい。25/12/02
ラーマクリシュナは「お前は家族のために涙を流し、事業や富のために苦しい思いをしている。しかし、神のビジョンを得たいと涙を流したり、切に願ったりすることがあるかね?そのように熱烈に神を求めてごらん。そうすれば、間違いなく神を見ることができるのだ!私はどんなときにも神の姿のみを求めて心を焦がしている。だから私には、いつも神の姿が、すべての人々の中に見えるのだ。」と言いました。私たちが生まれた目的は、他のすべてを犠牲にして達成しなければなりません。だからこそヴェーダは、『犠牲のみが不滅の命を約束してくれる』と言うのです。
私たちは、息を吸います。もし息を吐かなければ、肺は正常に機能することができません。私たちはものを食べます。もし排泄をしなければ、腹の調子がおかしくなります。同様に、私たちの循環器系統の中で、血液は毎日大変な距離を移動しています。この経路の中のどこか一箇所で、少しでも通り道がふさがれるようなことがあれば、血の固まりができます。血液の流れは、体内でできた様々な毒素を取り除く役割を果 たし、それを対外に排出するのを助けます。身体から不健康な物質を取り除かない限り、健康を保つことはできません。
犠牲には満足が伴います。実際、犠牲には至福が伴うのです。今日の実利主義の人々は、犠牲の有用性を疑問視します。人間は自分のことしか考えないので、飢えている乞食に対してさえも、一握りの食べ物を与えることすらしません。飢えた人の空腹を満たしてあげることができたとき、私たちはどれほど大きな幸せを味わえることでしょう!おなかをすかせた人々に食物が与えられるとき、あなたは喜びを感じずにおれるでしょうか?人間社会においては、心の狭い利己主義がはびこっています。23/11/99
真我の悟りは犠牲を通じてのみ獲得することが出来ます。しかし中には喫煙や非菜食をやめることができない人々もいます。もし、このような良くない小さいことでさえ犠牲にできないのであれば、どのようにして犠牲の精神を培うことができるのでしょうか。17/2/89
霊性修行の最高で最良の方法は犠牲であることを、常に心にとめておきなさい。あなたは、時間、お金、資質、エネルギーを犠牲にしなければなりません。礼拝では少なくとも一枚のバジルの葉を神に捧げなさい。このように「人は犠牲によって不死を獲得する」のです。
犠牲は霊性修行です。愛は犠牲によって表れます。犠牲の伴わない愛は、無意味であり、まったく利己的なものです。あなたは肉体感覚や肉体への執着を犠牲にしなくてはなりません。邪な思いと悪い感情を犠牲にしなければなりません。犠牲を払うことがあなたの本質です。犠牲は人間に授けられた神聖な特質です。実際には、あなたは犠牲を払うことで何か特別で高尚なことをしている訳ではありません。あなたは自分自身のために犠牲を払っているのです。「人の身体は犠牲を払うために作られている」のです。
礼拝やバジャンといった活動は、奉仕や犠牲より劣ります。神の愛は信愛であり、それは犠牲として表現されなければなりません。~「犠牲から得られる実践的な英知は、解脱への唯一の道である。」と言われています。これは心を超越したプロセスであり、肉体によって行われる活動をも超越しています。このようにして初めてあなたは、至福という成果にたどり着くことが出来るのです。STPSp159
欲望に勝つためには、犠牲の心を持つことが必要です。強い放棄の心を持つべきです。SGc10
知性と知識を持つ人間は、犠牲の精神をあらわしません。自分がもうけたものは全て自分の為、家族と親族の為に蓄え、全く犠牲を払いません。其の結果、ありとあらゆる難題が降りかかってきます。様々な病気の餌食となります。鳥も獣もそのような病気を知りません。彼らは、得たものに満足して生きています。しかし人間は様々な食べ物を食べ、様々な病気になります。20/2/92
神の性質について確かなことを言える人は、一人もいません。人と神の関係は霊的なものであり、それはアートマとアートマの関係です。ところが、この邪悪なカリの時代においては、多くの人が、肉体的な姿に心を奪われているために、疑いの餌食になってしまいます。これは人々が、物質的な物のみに知覚を集中しているからです。プラクリティー(現象界)は感覚的な経験に満ちています。霊的生活はティヤーガ〔無執着、犠牲〕を基盤としています。永続的な至福は、犠牲すなわち無執着があるときにのみ、経験できるのです。
今日の人間は、犠牲を払う準備ができていません。それどころか、その欲望は飽くことを知らず、人は人間的な性質を失っています。心は汚染され、真実はめったに見られなくなりました。人間は、一歩足を踏み出すごとに、誤った行為にふけっています。崇高な思いは、人々から離れてしまいました。妬みと憎しみがはびこっています。人間は心(ハート)の声に従い、良心の促しに沿って行動することを学ぶべきです。良心は宇宙意識につながっているのです。27/9/92
ヴェーダによれば、犠牲がすべてであり、犠牲を通じてのみ、我々は神のヴィジョンを見ることが出来るのです。創造とその維持は犠牲によって成り立っているのです。もし犠牲が無ければ社会は完全さを保てないでしょう。SSIB1964p12
バガヴァットギーターにおいてクリシュナは行為の果実を犠牲にすることが、神を実感認識する最善にしてもっとも容易な方法である、と宣言しました。今日、犠牲は全く見られません。人々は世俗の楽しみにのみ関心を持ちます。世俗の楽しみは病気をもたらします。犠牲は解脱に達する方法です。4/9/94
昔、人々が他の人々のためや国家の繁栄のために,自分のすべてを犠牲にする覚悟が出来ている時代がありました。今日、この精神が欠けています。利己主義が蔓延っています。今日の教育制度にも,このような状況になってしまった責任があります。
教育は学生に仕事探しではなく、奉仕する心を植え付けなければいけないのです。両親もこのことについてはその義務があります。彼らは、彼らの子供を自らが模範となって育てなければならないのです。あなたは、国のためにどんな犠牲も厭わない準備をすべきです。犠牲を喜んで受け入れ、快楽を追求することに別れを告げましょう。犠牲を払うことによって得られる喜びを見つけなさい。SS3/95p73

 *奇跡
多くの人々は、スワミが指輪、腕時計などを物質化しているが、それには何か現世的な意味があると解釈している。しかし、それは大きな間違いである。そのように解釈してはいけません。それらのものは、明るい理想的な未来に上るための梯子としてあるのです。あなたがその神聖なものを保持している以上、高貴な思いのみが心に浮かぶようにすべきなのです。16/6/96
ヴィブティを生み出すことは、神の栄光のほんの一部にすぎませんが、私はほんのわずかしか顕さないようにしているのです。~人々に注目されようとして奇跡を見せびらかすことは、私の本性ではありません。私は何の目的もなく、ただ喜びを分け与えるのです。私が不思議な御業を楽しんでいるのはその為なのです。真善美p,152
私はどんな難しい問題も解決する能力を持っていますが、それをあたかも持っていない振りをしているだけなのに、それを見て私が単に奇跡を行う人で、それ以上の存在ではないと見るのは大変愚かなことです。SSIB1974c32

 *期待と欲望
身体とこころと知性を持つ人間が全く欲望を持たずにいられるでしょうか?それは不可能です。しかし意思を強くすることによって、そのような心的状態を実現することが出来ます。世の中には、次々と欲望を追う人が大勢います。彼らの歩む道は快楽を求める道です。これに対して感覚を超越し、自己実現の道があります。それはより高い、正しい道と称されますます。この道は全ての人が理解しうる道ではなく全ての人が近寄ることの出来る道でもありません。20/11/90

 *喫煙
喫煙は心臓麻痺と肺がんの原因です。肺と神経が健康を損なうと、疾病をコントロールするのが難しくなります。やがて身体機能が退化し、ぜんそくや他の病気を引き起こします。アルコール飲料の中に含まれている沢山の化学物質も、身体を毒化し、神経系統を鈍くします。アルコール飲料によって人々は、自らの聡明さや記憶力を失い神経過敏になります。それらは、喫煙とアルコール摂取により、100%ダメージを受けるのです。SSN春95p15  
インタビューに呼ばれた人が心に留めて置かなければならない重要なことが一つあります。私がこのように清らかで神聖な体を携えてインタビュールームに入るのに反して、そこにグループで座っている人の何人かに喫煙の習慣があることに気づくことがあります。私が喫煙を許可していないことに注意してください。私は喫煙の習慣を断固として許しません。私は即座に喫煙の習慣のある者を捕まえて、出て行くように言います。喫煙者の妻が私に懇願することがあります。「スワミ!彼は私の夫です。スワミが夫を追い出すのであれば、私はスワミに何と言って抗議したらよいでしょう?」私はきっぱり答えます。「夫であろうと息子であろうと、だれであろうと、悪臭とタバコの臭いを漂わせながら私の部屋に入ってはなりません。出て行って、口を洗浄してから戻ってくるように言いなさい。そうしたら、私は彼と話をすることにします」そのような人々はすぐに部屋を出て行き、体をきれいにしてから十分以内に戻って来ます。そして私は彼らに愛情を込めて話しかけるのです。 21/10/04

*君が必要
私には君たちだけが必要なのだ。どうして君たちはあれがほしい、これがほしいと思い悩むのか?
Miracles are my visiting card p178

*義務
  自分に内在する真我(アートマ)と同じ真我が、自分以外のすべての生き物の中に存在していることに気づいた人は、常に神の近くにいる状態を経験してそれを喜びます。隠遁者であれ、家長であれ、宗教上の誓いによって独身を通す人であれ、世の中に深く関わっている人であれ、真我の原理に気づいた人は、神の近くにいることこそが最高の財産であるという深い確信を持って生活します。人間の一番の義務は何でしょう? 人はまず、「万物に浸透する手足と、目、頭、口、耳を持って、神は全宇宙に遍満している」というギーターの教えを理解する努力をすべきです。皆さんは、すべての生き物に内在している真我の原理は、同じ一つのものであるという真理に気づかなければなりません。人間は、自分の真の性質を理解することができないために、人生で様々な問題に出会うのです。人は、「自分は肉体である」という思いに惑わされています。その結果、彼は真の自己を忘れ、時間とエネルギーを浪費しています。22/7/02

 *逆境
真の信者であれば、人生の逆境時に落ち込んではなりません。その信者の信仰心が本物かどうかは、その信者の逆境時における態度でわかるのです。SS7月1988p195

 *休息
休息をとらなければ、呼吸が早くなります。早い呼吸をすれば肺が害されます。血液の循環もまた早くなり、その結果血圧も高くなります。医学はそれを完全に治療することが出来ません。それゆえヨーガが処方されます。SS11/93

 *給料
今日青年は給料袋の中身にのみ関心があり、社会奉仕の為に働くことに関心を持ちません。社会から何を得ようと考えるより、社会からどのような恩を受けてきたかを考えなさい。自分の報酬にのみ関心を持つのは、たいそう利己的です。14/1/1996

 *教育
インドの経済が危機的な局面にあることは周知の事実です。しかし、それは道徳と人格の衰退に比較すれば、さして深刻な問題ではありません。今日の道徳の衰退が向上せぬ限り教育は完全に滅びます。それゆえ、学生は道徳と倫理を促進するよう努力しなさい。それ無しには、国家全体が滅びます。SS5/93
自分に敵対している人にさえ害を与えてはなりません。決して傷つけてはなりません。他の人にはほんのわずかな迷惑さえかけてはなりません。これが本当の教育です。14/1/09
今日、書物の学習から得られる知識が「教育」と称されています。これは私たちが得るべき真の教育ではありません。真の教育とは「エデュケア」であり、「エデュケア」によって私たちの中にある気高い性質が日常生活で現されます。これは、だれかが何か外部にあるものを使って手取り足取り教えるものではなく、自分自身の努力によってなされます。それによって人は神聖な生活を送ることができます。神聖な生活は神の恩寵によってのみ得られるのであり、他のいかなる手段によっても得られません。"どこでも、どんなときにも、どんな状況にあっても、神を憶念せよ。"の格言どおり、人はつねに神を黙想すべきです。それが真の信愛です。9/8/06
教育は売り物ではありません。教育とは、知識を分かち、伝えることです。人は実践し、体験し、他の人もまた体験できるよう手助けしなければなりません。これはただ機械的に暗記したり、単に聞いたりするだけで得られるものではありません。皆さんは知識を身につけ、他人もそうできるように助けなければなりません。人は、無知やアシャーンティ(平安のない状態)という病気を根こそぎにして、それらの病気が再発しないよう注意しなければなりません。
学生は黄金のようなものです。学生を励まし、勇気づけることのできる教師を有することが絶対に不可欠です。教師にそれができなければ、教師も学生も共に幸福ではありません。ただ書物からの引用を学生たちに機械的に反復させるだけの人たちが、何の役に立つでしょう? 学生は、父親にとっては念願の息子ですが、教師にとっては愛の息子です。この真理を知り、それに従って行動する者だけが教師です。そうではありませんか?スワミからの手紙1982
教育を受けた人は、受けていない人を教え、彼らの心を開き、知識の視野を広げさせるべきです。教育を受けた人の中には、医者や弁護士、実業家などがいるかもしれません。医者は進んで貧しい人々のために無償の医療サービスを施しましょう。弁護士は、法的な助けが必要としているものの、弁護料を払う余裕のない人々を援助しましょう。実業家は、自分に必要な、ほどほどの生活費だけで満足し、余ったお金を慈善事業に役立たせるべきです。SS1/91
今日、スワミに何かを言われると、10の質問が湧いてきます。質問と並んで、帰依者たちは頭の天辺から足のつま先まで疑念にさいなまされています。これは、元をたどれば現代の教育の影響によるものです。現代の教育システムは、人間的価値を信じる心を蝕(むしば)んでいます。人からどんな助けを受けても、感謝の一言さえありません。自分が人にしてもらった良いことはすっかり忘れて、自分がされた悪いことだけは覚えています。その結果、人類に悪魔的性質が育っているのです。
昔は、少なくとも、人は人間性を保っていました。今の人は、姿だけは人間ですが、動物のように振舞っています。人の欲求はすべて利己的です。自分の望みが叶うと人は笑顔でやって来て、「ババ!」と言いますが、望みが叶わないと別の態度を取ります。そのような獣のような生き物に、どうやってババへの帰依心が存在し得るでしょう? 動物の性質を捨てたとき初めて人は人間になるのです。6/10/92
真に学ぶべきことはいかにして他の人々に役立つかであって、いかにして真我を認識するかでなくてはなりません。教育は、生きとし生けるものが一つであるということを認識させるものでなければなりません。23/11/91
教育課程を終えることは難しいことではありません。ある程度の努力で合格点を取ることが出来ます。しかしそんなことでは、知的開花もなく、良い属性が花開くこともないのです。よい成績を取ること、あるいは上位の成績を収めることは、たいしたことはありません。重要なのは心の変容です。教育は学んだことの実践が肝要です。教育から得ることが出来る現世的な利益には、それと同量の損失が伴います。それは直感と識別の力が失われるのです。何が善であるか、何が有意義であるか、何が英知であるかについての知識が失われます。人は感覚の奴隷になります。カタウパニシャッドは感覚の奴隷は愚か者であり、感覚を制御する者のみが英雄であると宣言しました。21/5/92
第一に感覚をコントロールしなさい。感覚のコントロールの出来た学生のみが人生の英雄となり、ダイアモンドのように強固で光輝を発します。感覚の奴隷となったものは俗世間の奴隷です。自己抑制こそ、教育の主要な目的でなくてはなりません。21/5/92
今日教育を受けたものは皆、利己的な欲望の追及にのみ関心を持っています。他人への奉仕をしようと思わず、国益も念頭にありません。卒業しないうちから就職を心配します。教育と就職のつながりを、きっぱりと断ち切りなさい。教育は人生のためであり、食べるためではありません。21/5/92
カリユガ〔末世〕の影響と現代的な教育が増進しているせいで、人の理知は道を外れつつあります。人格の伴わない教養を得ることに意味はありません。世俗的な教養は書物の知識から成っており、決して神聖な生活を送る助けにはなりません。むろん、世俗的な教養は必要ですが、それと同時に霊的な教養も身に付けなればなりません。10/2/00
今日、皆さんが受けている教育は世俗的(すなわち価値を問題としていないもの)です。しかし単なる世俗的な学問では十分ではありません。教育は霊性教育によって補われなければなりません。皆さんは愛の原理を身に付け、真実の道を歩まなければなりません。真の教育とは、愛と真実で満たされたものです。真実がなければ愛は価値を失い、無力なものとなります。世俗的な教育は生計を立てるためのものですが、霊的な教育は人生のゴールに到達するためのものです。それゆえ、世俗的な教育と霊的な教育を調和させることは、教育者のみならず学生にとっての義務でもあります。今や多くの人々が教育のこの2つの側面 、世俗と霊性の調和のとれた関係の重要性を認識しています。20/11/02

 *狂気
ヨガを行うその人の感覚の力が未だ相当に強い場合、その人の感情と熱情をそのままにしてヨガをすれば、悲惨な結果を生むことになるでしょう。その人は狂気に陥り、自分自身や他の人にばかげたことや下劣なことを言ったり書いたりします。
私は、このように道に迷った多くの修行者を知っています。それゆえ感覚をコントロールし、あなたの中にある感情や熱情をコントロールし、心が外的なものを追いかけさせないようにさせ、寒さや暑さ、悲しみや喜び、得たり失ったりしても平常心でいられる力を得なさい。経典に記されていることや、聖者たちの体験を信頼しなさい。それゆえ何事にも動じない心、忍耐心が、(神と融合するという)大志を抱く者の必要条件だと強調されてきたのです。SSvol10p118

 *供儀
供儀は人類の安寧の為、神の力を顕現さすために考案されました。供儀は暇つぶしではありません。マントラから発する宇宙エネルギーは供儀の火壇の火から立ち上る炎と共に上昇し、全世界に広がり大気を清めます。19/10/92

*教師
教師はかんしゃくを起こしてはなりません。常に感情をコントロールし、落胆や憂鬱、心の動揺を表に出さない様にすべきです。SSSVol10
教師は、周りからの試練に立ち向かって行く準備をし、いつも穏やかでなければなりません。万策尽きて子供や親に厳しい話し方をしなくてはならなくなった時も、心は優しさに溢れるようにしておきなさい。偏見や憎しみで心を頑なにさせてはなりません。規則正しく誠実に日々の霊性修行を行うことによって、奉仕という任務をやり遂げなさい。
A Recapitulation of Baba's Divine Teachings
教師は労働時間にこだわってはいけません。必要であれば何時間でも居残って生徒たちの疑問を解き明かし、彼らが課題を完成するのを助けてあげなければなりません。これは教師のダルマです。EHV

*競争
私は競争や争いを好みません。これは、賞を取ることや、ランク争いを通じてエゴを助長するからです。ここにいる誰もがプライドが傷つき、落胆することによって自分をだめにしたくないでしょう。失敗や勝利を冷静に受け取りなさい。負けた者がほんの少し努力していたならば、その者が賞を取っていたかもしれないのです。負けた者が一生懸命走ったからこそ、あなたが負けたくないと思い、早く走って勝利を手にしたのです。
敗者の皆さん!自信を喪失してはなりません。勝ったり負けたりすることに、大きな比重を置いてはなりません。~たとえテストに落ちても落胆し、絶望して自分の命を絶とうなどと馬鹿なことを思ってはいけません。命はもっとこんなことより貴重なのです。あなたが生まれたのは、こんな試験に通るよりも偉大なことのためなのです。勇気と忍耐を持ち合わせていなさい。あなたの知性の一面だけをテストする試験に不合格になったからといってすべてを失ったとはいえないのです。あなたの運命はテストのマークによって決めることはできないのです。それは、人格、意思の力、神からの祝福によって決まるのです。SSvol1p,151

 *共同体
あなたはあなた以外の人々が幸せでないときに、あなただけ幸せを感じることはできません。あなたは人類共同体の一構成部分なのです。あなたの持っている富を他のものと分かち合いなさい。そうすることにより他の者の苦痛を軽減してあげるのです。SSP34vol8

 *恐怖
人生の中で勝ち得た幸せですら、恐怖がついて回ります。恐怖から逃れることは出来ません。ではどうすればよいのでしょう?執着がなければ恐怖もありません。この境地にはどうすれば達せるでしょう?それは、神の近くにいることです。10/9/96
他の人が存在しなければ、他の人を欺くことを誰もできません。虚偽の原因は恐怖です。他に自分と異なるものがない時、恐怖は存在しません。誰でも他の何人よりも自分を愛します。それゆえ、あらゆる人が自分と同じ自分であるならば、誰でも自分が自分を愛するように、あらゆる人を愛するでしょう。他人に危害を加えないという点についても、すべての人が皆、ただ一人の「わたし神」である以上、誰が誰に危害を加えることが出来るというのでしょう。SSSVol1chp4
今日世界は恐怖に満ちています。家にいても町にいても恐怖に付きまとわれます。このようにいたるところに恐怖があるのは、人の心に清らかで神聖な想念のないことが根本の原因です。24/5/90
愛を育むに連れてその愛が親戚や友達、社会へと大きくなっていきます。愛というものは、人生の中でこのように膨れ上がっていくものであっていくべきものなのです。p79ANDI
どんな人に対しても、どんなものに対しても、神を見ることが出来ないとき、そこに恐怖が生まれる。宇宙のあらゆるところに存在する、様々な名前と姿のあるものはすべて五つの元素の組み合わせに過ぎない。そして五つの元素がどんな形をとっていたとしても、それを支え助けているのは神だ。そのことに気づきそれを深く信じるならば、恐怖はその足場を失う。そうなれば恐怖から永遠に解放されるだろう。SGc28
恐怖に克つというのを、ただ恐れを知らない事と思ってはいけません。この二つは違ったものです。恐怖の状態も、恐怖を知らないだけの状態も自分は肉体だ、という意識と繋がっています。恐怖が無い状態は、例えば自分の身体が傷つけられそうな状況下で、ただ単に不注意だったと言うこともあるでしょう。それに対して恐怖に克つというのは、自分は肉体だという意識を超えた状態です。
ただ一つの神がすべての人の心の中に至福に満ちておられるという真理を悟るとき、はじめて恐怖に克つことが出来ます。「恐怖に克った者は一度死ぬだけだが、恐怖に捕らわれた者は一歩ごとに死んでいる。」という言葉があります。クリシュナは、「アルジュナ、恐怖を乗り越え、見事に恐怖に克つのだ。」と言っています。恐怖に克った人だけが偉大な勝利に達することが出来ます。本当に恐怖に克った人はこの世のものへの執着をすべて捨てて、神と一つになるでしょう。ところが、自分の肉体のこと事ばかり考え、世間で成功することしか頭に無い人には、いつも恐怖がついてまわります。この世のものに執着し、我欲に捕らわれている限りは、恐怖から解放された人のような悦びはとうてい得られません。SGc28
人間の心には果てしない力があるのです。そんな力があるのに、自分自身を信じられないのです。何故でしょうか。自分が他のものと違う存在だと思っているからです。自分は神と違う存在だと思っているからです。本当は神は、皆さんの核心として、皆さん一人一人の中にいつもいます。それと同じ神が、宇宙のすべてに満ちているのです。神を深く信じれば怖れるものは何一つありません。
自分の敬う神が、あらゆるところ、すべての人、あらゆる物の中にいて、自分自身の中にもいることが必ず分かるでしょう。そう信じれば、恐怖は跡形も無く消え去ります。~恐怖に打ち勝つ手がかりは、神があらゆるところにいると信じることです。信じられなくなったときに恐怖は大きくなります。自分自身の真実を忘れたときに、心配が起こります。
~自分自身を信じアートマに気づけば、感覚を制した人になります。そうした気高い精神を持っていないと感覚を抑えられないのです。その人達は魔物と変わりません。二種類の人間がいます。平安な気持ちで満たされている人と、不安な気持ちで溢れている人です。人間と呼ぶのに相応しい人と、人間とは名ばかりの人です。自分を真の人間と呼ぶに値する人生を歩んで下さい。この神聖な人間として生を受けたという、素晴らしい神様からの贈り物に相応しい高い理想を生きるのです。SGc28

*清らかな心
現代のあらゆる不安を取り除き、永遠の真実に立脚するためには、新しい社会秩序や新しい社会は必要ではありません。新しい宗教や新しい手順が必要でもありません。たった一つ必要なものがあります。清らかな心を持った人々を欠かすことはできません。清らかな心を持った人々が居れば、一国全体が神聖なものとなり、繁栄が約束されます。その国には純粋さと品格が存在するので、これらの高貴な魂の持ち主たちは栄えることができるのです。
心の純粋さと品格が輝きを発するためには道徳心が必要です。霊性の存在しない所では道徳はすたれてしまいます。霊性という土台の上に道徳の壁を築き、道徳という壁の上に純粋さという屋根を葺かなければなりません。それが人生の手順です。壁を築くだけでは充分ではありません。土台を作るだけでも不十分です。屋根まで葺いて初めて人生は完全なものとなるのです。言い方を変えれば、自信が土台で、満足が壁、犠牲が屋根で、自己実現こそが人生であるのです。22/7/94

 *議論
いつも他の人の意見や、他の人の見方を尊重しなさい。少しの意見の相違で人と言い争いしてはなりません。その人が正しくあなたが間違っているかもしれないのです。その議論によっては、彼の方がその件についてもっと知っているかもしれないのです。又、あなたもその人もその件に関しては、偏見を持っているかもしれないし、双方ともあまり知らないことかもしれないのです。又、彼との意見の違いは個人的な嫌悪に結びつかないことも覚えていなさい。GAp129

 *空想
空想はあなたの心の力を吸い取ってしまいます。大学にいる間は学業にひたすら集中しなさい。非現実的な空想上の願いを一切持ってはなりません。現在こそ最も重要です。24/5/92

*苦行
何人もの女性が重い心で私のもとにやって来て言います。 「スワミ! 夫の死により、私は深い悲しみと苦悩にさいなまれています。どのようにしてこの苦難に耐えればよいのでしょう?」そこで私は「あなたの夫が亡くなったのですか? 私はとても幸せです」と言います。彼女たちは私の態度をとても悲しく思い「どういうことですか、スワミ? 私の夫が亡くなったとお聞きになって、そんなにスワミは幸せなのですか?」と言います。しかし、私は何と言ったらよいのでしょう? 私は常に幸せなのです。私は悲しみとは何かを知りません。私は常に私の義務を果たしているのです。神はすべての人を守る唯一の者です。ですから、常に神に祈りなさい。神を忘れ、人間の慈悲に頼るとは何という狂気でしょう!皆さんは人生のすべてを神に頼らねばなりません。それが本当のタパス(苦行)なのです。6/9/04
タパスとは、まず、心の中のあらゆる不純な想いを取り除くことを意味します。タパスとは、実際的には、想いと言葉と行動を一致させることです。私たちの想いと言葉と行動を調和させることです。私たちの心に浮かんだ想いを、ありのままに言葉で表現し、それを忠実に行動に移すこと、それがタパスの意味するところです。このような意味において、想いと言葉と行動が調和して、一致している人こそがマハトマ(偉大な魂)であるという諺があるのです。KSH

 *薬
あなたは、食事をとって楽しんでいると思っているのでしょうが、実はそうではなくて薬を摂っているのです。のどが乾くことも病気の一種です。冷たい水を飲むことによってのどの渇きという病は癒やされます。同じように人の6つ敵である怒り、羨み、嫉妬、エゴ、嫌悪そして傲慢も病気の一種です。
それらに対しては、いくつかの行為が薬となります。あなたは、自分でいろんな行為を楽しんでいると思っているのでしょうが、実はそれも病気なのです。あなたが自らの内におられる神を見つけるまで、それらの病に冒し続けられ、苦痛を受けるのです。DGBGp, 29
神の恩寵に全託することを決意しなさい。そうすれば、あなたは今この瞬間から病気と無縁になります。薬に対する信頼を神への信念に置き換えなさい。錠剤や水薬を服用している人が大変多いので私は驚いています。祈りと霊性修行に頼りなさい。ジャパムと瞑想に頼りなさい。祈り、ジャパム、霊性修行、瞑想はあなたに必要なビタミンです。それらによってあなたは元気を取り戻します。SIP1-20
薬に頼りすぎる事は、有害です。あなたが持っている自然の回復力で精一杯病気と闘って、あなたの体調を回復させなさい。自然療法の原則をより多く取り入れ、医者のあとを追い回すことを止めなさい。汚染された空気と水は有害なウイルスや細菌で満ちているので出来るだけ避けなさい。SS3/80

 *口
心を開いて口を閉じなさい。今日、人はまったく意味のないことを話しています。人々の心は、嫉妬、高慢、妬み、等で一杯です。私はあなたが心を拡げ、これらの心を汚す感情をすべて無くし、口を閉じる事を望みます。人生を奉仕に捧げなさい。神をあなたの究極の目標としなさい。これが私の言う「手は社会の中に、頭は森の中に」という言葉の意味するところです。STPSp32

*苦痛
苦悩の原因を調べれば、すべて無知から来ていることに気づくでしょう。それでは、無知の原因は何でしょう。無知の原因はエゴです。エゴとは何でしょう。それは執着です。それでは、執着とは何でしょうか。執着とは肉体意識です。
このように苦しみは、人が自分を肉体と同一視する肉体意識が原因なのです。一方で、人が自分で感覚をコントロール出来ているとき、肉体的にも精神的にも幸福でいることが出来ます。苦しみは、祈ることと、霊性の道を歩むことによってのみ取り除くことが出来ます。あなたが、自分の感覚の赴くままに行動するならば、感覚は日ごとに強くなり、最終的にあなたは感覚の奴隷となり人間とは呼ばれなくなります。STPS2p32
私たちのあらゆる苦痛と悲しみの原因は何でしょう? 私たち自身の、善からぬ 不浄な想いが、私たちの苦痛と悲しみの原因です。KSH
あなたが自分の苦痛を取り除くために神の恩寵を切望しているのと同じぐらい、私はあなたの苦痛を取り除きたいと切望しています。それはあなたは気付いていませんが、私はあなたの苦痛を感じることが出来るからなのです。4/3/62
苦痛については諦めなさい。すべては神があなたのために仕組んだことなのです。苦痛を通じてあなたの利己心を無くすことが神の意図なのだ。p344サイババは世界の危機を救う
あなた方は、なぜ私のダルシャンを得た後も苦悩を経験しなければならないのか?と思う者もあるだろう。それは、いくつもの前世で積み上げたカルマを支払っているからなのだ。~私のダルシャンを得た後、次の世で良い人生が待っている。良い人生であれば間違いを犯すことはない。そして、間違いを犯さなければ、再び生まれ変わることも無い。これは単純明解な真理なのだ。P260ANDI
私は人間に四分の三の幸福と、四分の一の苦痛を与えている。~私は時々、人々に少しだけ苦痛を与えます。そうしなければ人々の心は、神のほうに向かないだろう。このことを理解せず、人は神をののしるのだ。P, 298 ANDI
自分の苦悩は神のせいではなく、苦悩の唯一の原因は自分自身であり、苦悩の原因は他の誰のせいでもないこと。そして自分自身が苦悩の原因を作り、その報いを受けていること。自分は思いのままに未来を形作ることができることを人が実感認識出来た時初めて、彼はより堅固な足取りと、より明瞭な心を持って神に近づくことが出来るのです。3/90
何事であれ、嘆きが何かの役に立つでしょうか?一切は過ぎ行く雲。永続するものは何ひとつありません。では何故損失を嘆くのですか?何かを失った故に、心を乱すのを辞めなさい。それが化身の教えです。これから起きるかもしれないことについて悩むのを止めなさい。
どのような苦痛があろうとも、その後に喜びが来ます。喜びは二つの苦しみの間にあるのです。このことを念頭において暮らしなさい。日々の生活で出会う些細な苦痛は愛によって乗り越えられることが出来ます。ひとたび愛をつちかうならば、あなたはいかなる困難をも克服することが出来るのです。神の恩寵を得るために努力しなさい。14/8/90
何が起こっても悲しみに打ちのべされてはなりません。すべての苦しみの後には喜びがくるのです。喜びは二つの苦しみの間にあるのです。このことを肝に銘じて人生を歩んでいきなさい。SS9/1990p,230
あなたが面している苦しみの原因は、あなたの感じ方と受け止め方によるのです。あなたが一旦所有物を手放せば、所有者としての思いは消えるでしょう。非執着という原理を理解しなさい。
あなたは夢を見ている間や熟睡している間においても、執着心や何かに取り込まれている、という思いを抱いてはなりません。もしあなたが目覚めている間に何かに執着すれば、それはかすかな姿をとって夢の中や熟睡時にあらわれるのです。DBGp76
人類を縛っている一番大きなことは、人類が自分の本質を知らないということです。人が自分自身を真に知らない間は苦しみから逃れることはできません。人が苦しみを持っている限り、至福を味わうことは出来ないのです。SSN夏95p2
楽しみと苦しみは常に同時にあり二つを分け隔てることは不可能です。誰もそれを出来ません。もしあなたが苦しみから自由になれるとしたら、それは喜びであなたを満たすことなのです。SSN夏95p3
苦行とは自分が神と別れてしまっていると感じるときの辛い気持ちのことです。神と別れているという苦しみがあれば、何時どこにいてもそれは苦行をしているのです。
苦しみを感じながら神を熱烈に求めていけば、三つのグナの魔力に捕らわれなくなります。その時、三つのグナは融け合って一つになります。~それが出来れば、言葉に尽くしがたい大いなる悦びがやってきます。本当の苦行とは、三つのグナが融け合って、永遠の悦びとなることを言うのです。~そうなれば、どんな苦しみも悦びに変わります。生命の力と精神の力を、苦行と悦びに変えることが出来るのです。SGc11
私のものという気持ちのあるところに苦しみが起こります。その気持ちが無ければ何ものにも捕らわれることはないし、苦しむこともありません。束縛、苦しみ、悲しみのすべては、私、私のものという気持ちからおこります。~この世のものを捨ててしまわなくても良いし、行為を止めてしまう必要もありません。執着を捨て、世間と自分の行為に対する執着を捨てればいいのです。SGc12
あなたは私が理由もなくあなたに痛みを与えると思いますか。あなたが今楽しみに対して心を開いているように、痛みにも心を開きなさい。というのもその痛みは私の意思であり、あなたのために私が与えたものであるからです。痛みを歓迎することをあなたの課題としなさい。
それから逃げてはいけません。内を向いてそれに耐え、そこから恩恵を受ける力を引き出しなさい。それらは全て私が計画したことなのです。願いが叶えられないという苦しみを経て、私の声を聞くことを切望するようにあなたをし向けているのです。私の声が聞こえれば、あなたのエゴや心も消え去るのです。サイババと精神科医c16

 *国を守る
人々は今、国を守ることについて議論を交わしています。実は国を守る必要はないのです。もしあなたが、真理とダルマを重んじれば国は自動的に守られるのです。SS12/1993p, 314
バーラタの統治者たちは、王位に就くために暴力や不正な手段に訴えたことは決してありませんでした。「サティヤム ヴァダ、ダルマム チャラ」(真実を話し、正義に従う)。これは古のバーラタ人の二つの基本的な教義です。彼らはその二つを自分の二つの目と見なしていました。今日では、その規則は逆になっています。「真実を葬り、正義を封じる」となっているのです。今は偽りの時代です。非正義が主だった道徳律となっています。こうした傾向のせいで、今日のバーラタは無秩序の餌食となっています。
 一人ひとりが、真理と正義を実践し、真理と正義を守るべきです。これはバーラタの国民一人ひとりが必ず果 たさなければならない義務です。これはバーラタの国民一人ひとりが国家にしなければならない奉仕です。国は武器や最新の兵器によって守られるものではありません。もし、人々が真理と正義を保護するなら、真理と正義が国と世界を守るでしょう。23/11/94
サティアとダルマ(真実と正義)はインド文化の最もすばらしい特徴です。もし、この2つが守られるなら、国は堕落から免れることができます。もし、皆さんが自分の国を守りたいのなら、軍隊に加わり戦う必要はありません。皆さんが生まれながらにしてもっている真実と正義が保護されるなら、それ自体が国を守ります。戦争で敵を殺すことは偉大なことではありません。まず第一に、皆さんの中にある真実と正義を守りなさい。国は自動的に守られるでしょう。
インド文化は「サティアム ヴァダ」(真実を話すこと)と「ダルマム チャラ」(正義を実践すること)を奨励しています。ねばり強くこれを行えば、皆さんは偉大な英雄になるでしょう。あなたがサティアとダルマを守るなら、その見返りに神があなたを守ってくれます。神を礼拝し、神の恩寵を手に入れようとする代わりに、もし、あなたが真実と正義を守るなら、神はあなたの国だけではなく、世界全体をも守ってくれます。真実はあなたの命の息吹そのものです。正義はあなたの鎧です。ですから、真実を守り、正義を育みなさい。それで十分です。真実と正義は切り離すことはできません。片方なくして、もう一方が存在することはできないのです。6/9/04

*クリシュナ
実際にはクリシュナはいつ生まれたのでしょうか? クリシュナはキリスト紀元前3228年7月20日、午前3時に生まれました〔インドでは日の出とともに日付が変わるため、日本での日付は7月21日となる〕。今年は2001年ですから、今日クリシュナは5229歳を迎えることになります。吉祥なるシュラーヴァナ月の、バフラパクシャ(月が満ちていく2週間)の、アシュタミの日(月の相の第8日目)、ローヒニーの星の下、聖なる幼子は誕生しました。このアシュタミとローヒニーの組み合わせは、多くの驚くべき出来事を引き起こしました。11/8/01
あなたは宇宙万物に対して、同砲意識と愛を培わなければなりません。全宇宙があなた自身の心とつながっているという確信を持ち、そのように感じるようでなければなりません。クリシュナ神はアルジュナに宇宙普遍相と呼ばれる神の普遍的な姿を見せました。私たちがこのことの意義を理解しようと努めれば、全宇宙が神に包まれていて、宇宙全体が神の中のみに存在することに気づきます。
  アルジュナはクリシュナに何を見たのでしよう? クリシュナの姿の中に、アルジュナは、すべての海洋と、すべての山々と、すべての生き物と、そして全宇宙を見ることができたのです。宇宙万物が神のみの中に存在しているために、宇宙は本質的には、神と同じものであるということになります。
 もしあなたが、クリシュナ神はあなたのものであると感じるとすれば、あなたは、神を自分の心の範囲内に閉じこめようとしているのであり、それは賢いことでもなければ、正しいことでもありません。正しい態度とは、あなたが神のものであると感じることです。もしあなたが、神はあなたのものであると感じているとすれば、それはまったくのエゴです。ところが反対に、あなたが、自分は神のものであると感じるのであれば、それは純枠な「パラ=バクティ」、すなわち帰依心の高次の形です。KSH
 クリシュナは言いました。 「ラーデー、私は宇宙の主だ。何でも欲しいものを願いなさい。すぐにそれを授けよう」 ラーダーは答えました。「あなたから欲しいものはありません」 クリシュナは言いました。 「私の愛さえ欲しくないというのか? 」 すると、ラーダーは「私は自分があなたを愛していることを知っています。あなたが私のものであることも、この先ずっと私のものであることも、永遠に私のものであることも知っています。あなたが私を愛していようと、愛していまいと、それは問題ではありません」 クリシュナは、初めてひざまずくと、母なるラーダーの手を取って言いました。「ラーデー、私は自分の全創造において、今、初めて自分の帰依者からあるものを受け取った。それは無条件の愛である」 と。 サイギリダール氏へのインタビュー

*グル
すべてのグルと呼ばれている人を誠実という試金石で試しなさい。単に言葉の上だけではなく、実際の行動上で各々がどれくらい煩悩を捨てているか御覧なさい。試した上で、彼らの忠告を受け入れ、それをあなたの日々の行為に取り入れなさい。重要なことは、実践であって学識ではありません。真善美pt2p115

*苦しみ
私たちは生命のこの世における滞在期間中、自分は神であるということを充分に感じながら生きなければなりません。わかりやすくいうならば、もしあなたが探求するならば、苦しみが入り込む余地が無いことがわかります。いかなる悲しみも入り込む余地はありません。
実際、至福はあなたの中にあります。物質的世界と感覚的喜びのために、あなたは不幸になっているのです。あなたは得をしても損をしても、また幸せでも不幸せでも心の平静を保つべきです。私たちの心は喜びや苦しみに反応します。自分たちの欲望が満たされないとき悲しくなります。そして、その欲望が満たされたとき、あなたは至福に浸ります。決してあなた自身を喜びや悲しみの奴隷にしてはいけません。あらゆること、そしてあらゆる目的には真理の原理が働いているのです。真理の点からあらゆるものが創造されるのです。あらゆる創造物は真理に帰融します。15/7/01
人間性とはすべての行為の結果を放棄することにあります。人に苦しみをもたらすものは、結果への期待です。人が被るこうしたあらゆる苦しみは、神によって与えられたものではありません。それは自分自身の愚かさの結果です。起こることはすべて自分にとって良いことだと考えるようにしなさい。そうした前向きな思いで人生を歩むなら、悲しみが隙き入る余地はなくなるでしょう。15/1/08
問題が起きたとき、問題のことを考えてはなりません。ただ『これはすべてアニッ ティヤム(非真実)だ。それはこの世の次元に属していることだ。私はこれをすべて超 越している』と考えなさい。そして、私の名前を唱え続けなさい。そうすれば、私はそ れに立ち向かう強さをあなたに授けましょう。ラニマーへのインタビュー
私たちは、この世であらゆる苦しみと悲しみを目撃します。しかし、そのどれ一つとして永久に続くものはありません。どんな苦しみの日々も、必ずその後には喜びがやって来ます。喜びの体験は、先立つ苦しみによって純化され、いっそう強められるのです。金をるつぼで溶かして精錬するように苦しみはその後にやって来る喜びを神聖化します。1/1/98
すべての人は真理を起源としています。人は真理によって維持されています。そして、人は真理に帰融します。人は真理の化身です。すべての人が真理を認識するなら、全世界に真理が浸透するでしょう。今、人が探し求めるべきものは喜びではありません。また、悲しみが人の目標なわけでもありません。人は喜びや苦痛の原因を自分の支配下に置くべきです。喜びよりも苦しみが人の英知を呼び覚ますのです。もし、偉人の生涯を研究するなら、困難と苦しみから英知を見出したことがわかるでしょう。悲しみがなければ英知はもたらされません。苦しみこそが、人に多くの賢明な教訓を与えてくれるのです。
この深遠なる真理を悟ることなく、人は際限なく喜びを追い求めています。人が幸せになる必要があるのは当然のことです。しかし、幸せはどのようにして得ることができるのでしょうか? 人は、悲しみを克服して、初めて幸福になることができるのです。ですから、人は誰もが、幸福を迎えるのと同じ気持ちで悲しみを歓迎すべきです。1/1/98

 *芸術
今日芸術という語は真の意味を失いました。真の芸術は、ハートの発露でなくてはなりません。芸術的表現はハートにあるものを表現しなくてはなりません。音楽、絵画、ダンスなどの全ての芸術は、神聖な行為として培わなければなりません。17/11/95

 *解脱
あなたは解脱への扉をたたいているのか、それとも執着への扉をたたいているのか。奥に神がいる扉をたたいているのか、それとも悪魔が潜んでいる扉をたたいているのか。一体誰のところに行きたいのでしょう。誰に救いを求めているのでしょう。誰よりも思いやりのある人、人間の姿でやってきて自ら模範を示している人に求めているのでしょうか。宇宙の母に願っているのでしょうか。
宇宙の母に食べ物を求めているのか、悪魔に求めているのか、どちらなのでしょうか。皆さんは神様の方を見ているようでも、神そのものを求めてないのです。確かに神様に祈ってはいます。ところが皆さんは取るに足らない物質的なものや、世間のことばかり願っています。願いがかなう木の下にいて、わずかばかりのインスタントコーヒーの素を願っているのです。願いがかなう木に向かって、すべてを超えた摂理を求め、永遠の悦びに満たされるように祈らなければなりません。SGc5c23
あなたは光です。それと同じ光が、他の人の中にもあることが実感出来るでしょう。意識が肉体から離れ、あなた自身が光そのものとなります。それが解脱です。CWSSBJp260
誰もがムクティ(解放、解脱)を求めています。いったい誰のために、ムクティは求められているのでしょうか? 体のためですか? あるいは、心のため、知性のため、感覚のためですか? こういった問いが検討されるなら、最初に出てくる答えは、ムクティは心と知性と感覚のために手に入れなければならない、というものです。
人はまず、心の気まぐれから自分を解放しなくてはなりません。病気から解放されることは、ムクティの一種です。人はさまざまな困難のために心の平安を失っています。その状況を克服して、心の平安を手に入れることは、別の種類のムクティです。飢えの苦痛を取り除くために食物をとることも、また別の種類のムクティです。日常生活の試練と苦難を取り除くことも、ムクティの別の様相です。これらあらゆるムクティは、人間が生きている間に手に入れなければなりません。ムクティは死後に獲得する境地だと想像することは間違っています。
今、手に入れるべき種々のムクティは、体と関係しています。それらの悩みの種は、人が体に執着している限り在らざるを得ません。それらはすべて、人間の中にある「ネガティブ」な思考から生じています。人が求めるべきムクティは、心の平安です。もし平安が得られれば、簡単に他の一切を手に入れることができます。平安はどのようにして得られるでしょう? それは神を敬う生活を送ることによって得られます。
もし、ハートが「ネガティブ」な感情に満ち、マインド〔心や頭〕が「ネガティブ」な思考でいっぱいなら、どんな形の礼拝も役に立ちません。マインドが「ネガティブ」な思いでいっぱいであれば、目や耳や舌といったさまざまな感覚器官によって行われる行為は、すべて汚されます。人間の中の六つの邪悪な性質――情欲、怒り、貪欲、妄想(愛執)、高慢、嫉妬は、深く根を張っている人間の敵です。これら邪悪な要素を取り除いて、そこに良い性質を据えつける唯一の方法は、プレーマ タットワ(愛の原理)を育てることです。ハートが愛で満たされていれば、行うことはすべて「ポジティブ」〔肯定的、陽性、プラス思考、前向き〕なものになるでしょう。あらゆる善い行いは愛から生まれます。サット・チット・アーナンダは愛から生じます。慈悲と優しさは愛から生まれます。あらゆる崇高な人間的価値は、愛にその起源があります。もし愛に満ちあふれていれば、その人は他の霊性修行や儀式的礼拝を行う必要はありません。25/2/98
解脱は、天から降るものではない。解脱は黄泉の国にあるのでもなく、地上にあるのでもない。それはハートに結び目を作る欲望を除去することによってのみ得られる。~全ての欲望を完全に除去することは不可能です。しかし欲望を必要最低限に抑えなさい。欲望を持たぬ者こそ最も裕福です。常識的な身の回りの必要をまかなう程度の稼ぎは必要ですが、過剰の富は望ましくありません。24/3/93
解脱の世界に行くには、神の恵みがどうしても必要です。~神の恵みに加えて、自分自身の内なる魂の恵みも必要です。贈り物をあげようと人が思っても、もらう側に受け取る能力が無ければなりません。解脱の世界に進むためには、神の愛と共に、皆さんの修行の成果が現れていなくてはなりません。この両方があってはじめて解脱に達することが出来るのです。SGc23
村への奉仕をシュリラーマへ捧げる奉仕と見なす時、あなたが得る安寧は経済的にも社会的にも道徳的にも霊的にも高められます。其の時あなたは、特に解脱を求める必要も無くなるのです。村への奉仕それ自体が解脱を保障します。この真理を心に刻み、それに従って日々の生活を実践しなさい。16/2/92
解脱とは特別に手に入れなくてはならないものではありません。サンキヤダルシャナは、実際解脱に達するために特別の努力は要らないとはっきりと宣言します。人が自分の真実の相を実感認識する時、彼は解脱します。モハ(迷い)をクシャ(滅ぼす)ことがモクシャ(解脱)です。数からみればサンキヤダルシャナは24の面と神我(プルシャの面)と説明します。真実を極めることが出来るのは、彼がこの24と25を越えて上位の心に達する時です。それは神の心であり、神聖です。この段階から照明された心に行くことが出来ます。そこではより上位の心のみを見、他のものは見えません。SS10/93
人々は解脱について話します。彼らは何から自由になりたいと願っているのでしょうか?家族からですか?富からですか?それとも地位からですか?それらから自由になることはたやすいことです。しかし、解脱とは、身体を自分とみなすことから解き放つことを意味します。身体は単なる道具であり、真の我ではありません。22/10/95
ダルマ、アルタ、カーマ、モークシャ(人生の四つの目標、プルシャールタ)という人間の責任を果たすためには、健康が不可欠です。最初の三つ、ダルマとアルタ〔富〕とカーマ〔欲〕はこの世に属しています。しかし、モークシャ、すなわち解脱は、この世を超越した世界で訪れるものです。人生の第一の目的、あるいは目標は何でしょうか? それはカイヴァッリャ、すなわち解脱です。解脱は人間の目標であり、運命であり、人間という存在の神秘そのものです。あなたは重要な地位に就いて、自分が夢見ていた以上の富を得て、責任と権威を有しているかもしれません。しかし、あなたが自分の目的地に到達できない限り、それらは無益です。8/10/83
解脱を得るための修行は次の三つよりなります。欲望を捨てること。心を無くすこと。絶対実在を理解すること。三つのうちどれか一つだけでは、十分ではありません。本能と衝動は非常に強く、ちょっとやそっとでは鎮まりません。それらは感覚を活発に貪欲にし、人をますます束縛するのです。従って感覚と感覚の背後にあって、それらの活動を促すものを、昇華し征服しなさい。
心があなたを支配することの無いように、克己心、理性、識別心を培いなさい。心を克服することは、英知の曙の先触れです。感覚はいつ何時、再び鎌首をもたげてくるか分からないのです。特に世間に出て、人と交わる時にはその危険が高いのです。JV
アートマン、ブッディ、こころは三位一体です。三つが一つに結びついた意識は、わたし、わたしのものという観念を超越します。それを称してアハムと言います。アハムとは意識という意味です。アハムはアートマンの中に微かな実体として住みます。アハムが姿を持つ時、アハンカーラ(小我)となります。アハムとアハンカーラは違うのです。それを理解しなさい。
アハムを肉体と同一視することによってアハンカーラ(小我)即ち(私、私の者)の観念が生まれます。アハムはアハンカーラを超越します。真我を肉体と同一視することが無くなれば、ヴェーダの大格言アハムブラムマーシミ(私は、ブラフマン)の境地を理解することが出来ます。ブラフマンとアートマンは同一のブラフマンであり、生きとし生けるあらゆるものに遍満する普遍意識をさします。
身体の内にある意識がアートマンであり良心と称されます。良心と普遍意識の違いに注意しなさい。良心は普遍意識を反映しているのです。良心,換言すればアートマンが身体を離れる時それは普遍意識に帰滅し、溶け込んで一体となります。この過程は気球の中の空気が外部の空気にとけこんで一つになることになぞらえられます。これは、多が一に溶け込む過程です。個人の霊はブータアートマであり、遍満する神はパアラアートマです。一つの身体に閉じ込められた神霊は,気球の中に詰められた空気に例えられます。
個人の霊が肉体への執着を捨て普遍的な愛をつちかう時、身体という制限を越えることが出来るのです。それは広大で無限の愛と一つになります。この帰融を、ムクティ、モクシャ、解脱と称します。最高のこの境地をあらわす正しい呼称はサユージャム(普遍との一体)です。それは川が本来の源である大洋に流れ込んで大洋と一つになることに例えられます。
ひとたび普遍意識に溶け込んだなら、もはや後戻りすることはありません。個人の霊は普遍となりました。それは、一滴の雨水が大洋に落ちて大洋と一つになることに例えられるでしょう。個人の霊が身体にしがみつき、普遍と分離している限り、生死の輪廻からまぬがれることは出来ません。しかし分離感を捨て、遍満する太霊と一つになるならば生死の輪廻に巻き込まれることはもはやないのです。2/3/92

 *解脱した魂
神性をそなえた人はブラフマーシュタ,即ち内在のアートマンを憶念してアートマンの至福を享受し、善行をなして生活の一瞬一瞬を神聖化する人です。かれは同一のアートマンが一切のものの内に内在の神我アンタラアートマとして存在することを認識し、利己的な思いを捨て至福に満ちた生活を送る人です。かれは、ブラムマニャーニ、換言すればアートマニャーニ、解脱した魂の持ち主です。
彼は他の人を尊敬するということは至高の神を尊敬することであり、他の人を傷つけることは、即ち至高の神を傷つけることであるとの真理を自覚しています。このような人は人間の肉体を持って生きつつ、神性さをも体現している人です。25/12/p95
生きながら解脱した人は、如何なる人にも、如何なるもの、執着を持ちません。執着されることもありません。彼は陽が沈めば静かに横になって休みます。彼は人に認められようとせず。また認められることを避けようともせず、人知れず、人に気づかれず、群衆に交じって生活しています。UVc12
知性の浄化された人は、鏡を見るように、この世にアートマンを見ることができます。創造主、ブラフマンは、英知を求める者が知ることが出来ます。また、ブラフマンは、そこに到達しようと欲する者が到達することが出来ます。英知を得た者は、ブラフマンを観ることにより解脱します。
しかし修行をしてブラフマンに到達しようとする者は、死後、ブラフマローカ、ブラフマンの世界へ行きます。彼は、ブラフマローカでヒラニヤガルバ宇宙卵に融合し、ブラフマ神の一代の終わりにヒラニヤガルバと共に解脱します。UVc3
人類を向上させるために神から遣わされた聖なる救い主たちは、神の本質と完全に一つになっています。彼らは、体験を通 して神の荘厳さの本質を知っているのです。彼らは、自分自身の存在の三つのレベルにおいて、はっきりと神を見ています。彼らの肉体からは、神の愛があふれています。彼らの心は、神の愛がほとばしり出ている川です。彼らは絶えず、神の無限の広がりである純粋な愛という究極的な意識に憩っています。SIK P.106

*決意
決意すべきことを決意したら、 成功するまでそれにしがみつきなさい。望むべきことを望んだら、望みがかなうまでそれを手放してはなりません。求めるべきことを求めたら、それが得られるまであきらめてはなりません。 考えるべきことを考えたら、 成功するまでその考えを捨ててはなりません。 柔らかなハートをもつ神は、あなたの祈りに負けるに違いありません。 不屈の精神をもちなさい。粘り強くありなさい。 決してあきらめてはなりません。 なぜなら、自分の決意を撤回したり弱めたりすることは、 帰依者の性質では決してないからです。19/8/06

*血縁関係
母親は体力がある限り子どもを養います。子どもも同じように自分の母親を養うべきです。神は、お互いを養い育むために、私たちに人間としての生を授けました。兄弟姉妹といった血縁関係は何のためにあるのでしょう? 資産や財産分与のためだけにあるのではありません。これらの血縁関係は、愛を育むため、そして、互いに愛を分かち合うためにあります。愛を互いに分かち合う人が、真の血縁です。愛を失ったこの世の血縁関係は無益です。
丈夫で力のある人は、弱く無力な人を守るべきです。だれか困っている人を見かけたら、その人に思いやりを示し、涙をぬぐってあげるよう努めなさい。これが真の慈愛です。このような慈愛は正義です。それは愛です。私たちが自分の愛を拡大したとき、全世界に幸福をもたらすことができます。ですから、愛を育みなさい。もし貧しい人や病人、困っている人に出会ったら、何であれあなたができる援助を施しなさい。あなたがそのような人々に助けを差し伸べるとき、神は神の愛をあなたに降り注ぐでしょう。神はすべての人間の内に、愛という姿で存在しています。この愛を無駄 にしたり誤用したりすべきではありません。今日、私たちは勝手気ままにあらゆるものに愛を示しています。好ましくないものを愛することによって、私たちは誤った道をたどり、惨めな状況に陥ります。
外の人には大きな愛を示すけれども、家の母親や父親には同様の愛を示さない人もいます。まず両親を愛し、それから他の人を愛すべきです。しかし、愛を友人や血縁のみに限定せず、すべての人を愛すべきです。そうして初めて、神は神の愛を降り注いでくれるでしょう。道で困っている人や怪我している人を見たら、知らん顔をしてはなりません。どれほど緊急の仕事があったとしても、そうした人の苦しみを取り除くよう努めるべきです。そうすれば、神が自ら直接私たちにエネルギーを注いでくれるでしょう。神よりも大きな愛を与えられる者はこの世にいません。
私たちはただ神の愛を得るために、バジャンや奉仕活動を行います。神の愛は私たちを大きなエネルギーで満たします。このエネルギーを与えられるのは神のみです。ですから、神を愛し、まさに神の子どもたちである万人を愛しなさい。孤児になる子どももいます。皆さんは孤児たちの苦しみを軽減させるべきです。そうして初めて、皆さんの人間としての生は価値あるものになります。困っている人を見て、何の思いやりも示さずに立ち去ったとします。これより大きな罪はありません。その翌日、あなたが困難に陥るかもしれません。そのときあなたの友人たちは同様にあなたを無視し、あざけるでしょう。それゆえ、他の人を愛し、他の人の愛を受け取りなさい。慈善と親切はダルマ(正義)の重要な一部分です。27/1/07

 *結婚
結婚はあなたの人生そのものであり、終生共にすべきであって2、3日や2,3週間また、2,3年一緒に生活すればいいものではありません。結婚はその人の人格を意味します。結婚は、上着を着替えるように、伴侶をころころ換えてはいけません。永遠に結びつくべきなのです。JTG Part2p248
結婚はダルマにもとづく生活を追求する為にあるのであって、世俗的な楽しみの為ではありません。もし世俗的な楽しみが結婚の目的ならその辺りの野良犬と同じです。それを幸せというのですか?SS5/1996p21
昔は結婚の縁組を決める前に家系の履歴を十分調査しました。しかし今日ではそれらの要素は無視されています。人々はドッグショウでは犬の血統に興味を示すのにもかかわらず、結婚に際しては家族の背景に関しては無関心です。血統に関する無関心さは、多くの結婚が短い期間に終わってしまうことの証明になります。このようなことがあってはなりません。結婚相手は一生変わらぬパートナーでなくてはなりません。18/12/95
今日自分の伴侶を選ぶには、まず外面的な美しさや姿を考慮します。次にくるのが経済状況です。どれほど金持ちか?どれだけ稼いでいるか?どれほど教育を受け家族の社会的地位はどの程度か?というものです。外見の虚飾やみかけをもとにして結婚生活を始めると,惨めで破壊的な結末が待っているのです。家庭は、このような貧弱な基盤の上に築くと安定的な家庭生活は望めません。
重要なことは伴侶になる人が良い性格を持ち,辛抱強く、忍耐を持ち、奉仕の精神を伴った理想を持っているかを見なくてはなりません。美しさが年を経るに連れて陰り始め、金銭も底をついてくると家族の結びつきも弱くなります。SSvol8p266
近い親戚と結婚してはいけません。血のつながっていない家族と結婚すれば、聡明な子供が生まれるでしょう。近い親戚と結婚するならば、健康に問題がある知恵遅れの子供が生まれる可能性があります。その家族の家系全体がある特定の病を持っているところや、無神論者が複数いる家庭の者と結婚してはなりません。PN
あなた方(若い女性)ほとんどは、結婚して家庭を持ち、守るという重要な責任を負うでしょう。それはとても価値のある仕事なのです。あなたが他人に対する好きや嫌いという感情をコントロールし、犠牲と奉仕の精神をそこから学びなさい。あなたが義理のお母さんに対して怒りを向ければ、それはあなたが将来、自分の義理の娘から同じようになって返ってくるということを忘れてはなりません。
義理のお母さんの考え方を理解するように努めなさい。義理のお母さんの方が先を読んでいるかもしれないのです。あなたより多くの経験があって責任感があり、他の人々のいろいろなことについて、あなたより知識があることも考えられるでしょう。SSSvol3p69
娘の結婚は適齢期になれば、粛々と執り行わねばならない。適齢期を逃してからでは遅いのです。子供達は、両親が老いるまでに結婚しなければならない。両親が六十才を過ぎ、未婚の子供が家にいるのは、両親にとってとても負担な事なのだ。昔は、娘が十三から四で嫁に出したものだ。それが良い考えかどうか私に問うならば、私はそれは良い習慣だと答えるでしょう。OTYRTNp117

*欠点
あなたが嫁いで行く夫の家は、あなたにとって良い霊性修行の場です。姑等に欠点を指摘されてもカッとなってはいけません。自らの行いを振り返り、自分のどこが悪かったかを考えなさい。
内省は、自己改善と平安への第一歩です。他人の欠点を大袈裟に捉えずに、取るに足らないものと大目に見なさい。逆に自分の欠点は大きなものと見て、すぐにそれを無くすように努力しなさい。欠点を指摘してくれる人は皆、あなたの友人か好意を寄せてくれている人とみなしなさい。なぜなら、彼らはあなたの欠点がもとで、大きな問題が起こる前にそれを、警告してくれているのですから。SSSVol3

*権威
今、豊かさは増しましたが、人間はますます欲深くなっています。その結果 、人は人間本来の性質を忘れてしまいました。正しい方法で稼いだお金が必ずしも幸福をもたらすわけではないとしたら、どうして不正な手段で手に入れたお金で幸福を得ることを期待できるでしょう? ですから、決して過大な富が平安や幸福をもたらすことはできないということを理解するようにしなさい。もし、あなたが多額の財産をもっているなら、他の人を助けるためのよい活動にそれを差し出しなさい。そうすることで、あなたは充足感を得るでしょう。
 第二の悪は力への渇望です。村人から都会でトップの地位にいる人まで、だれもが力を追い求めています。力には制限と義務が伴います。力には五つの種類があります。それは、情報の力、知性の力、名声の力、人格の力、犠牲の力です。この五つの力をすべてもっている人だけが、権威ある地位 を望むべきです。
 昨今、人は権威の使い方を理解することなく、権力のある地位に就いて行動しています。村落の五人会議の議長から国の政府の長に至るまで、あらゆる人が力のある地位 を求めます。力を追求する中で、人は道徳と正義を犠牲にする一方で、進んでありとあらゆる手段を使います。力を確保するためにあらゆる種類の不正行為が行われています。法と秩序はむしばまれつつあります。
 このような具合に、人間本来の性質は忘れ去られつつあります。これは非常に危険な状態です。地位 と権威を求める人はそれらの義務を知っておくべきです。そうした地位にある人は、制限を守ることに対して当然払うべき注意を払って、力を行使すべきです。「制限のないところでは偉大なことは何も達せられ得ない。」このように、富と力はどちらも制限付きで使われるべきです。しかし、今やそうした制限は破られています。
今日、国が抱えている混乱やもめごとはすべて、そうした違反行為によるものです。人は神の性質に気づくことができずにいます。一人の役者としてこの世の舞台に降り立ってはいるものの、神は自らの役割を演じるのにふさわしい時を待っているのです。果 物が熟すのには時を要します。果物は熟すと自然に落ちます。それと同じように、自分の行為の報いを得るための機が熟したとき、人は行為の本質に従って報いを得る準備ができていなければなりません。悪い結果 や良い結果へと導くのは自分自身の行為です。それゆえ聖典は、人間の心が輪廻や解脱の原因であると宣言しているのです。23/11/94

 *喧嘩
たとえ誰かがあなたを怒らせたとしても、その人と喧嘩をしてはなりません。人と喧嘩をすることによって、実は自分自身を傷つけていることを理解しなさい。自分の思考を制御しなさい。これが真に教育のある人の特徴です。これはエデュケアと呼ばれています。22/11/10

*謙虚
今日の人間社会には利己主義がはびこっています。至る所に虚栄が見られます。そのような環境の中で平和と安全が保障され得るでしょうか?そのような状態の中で神の恩寵が流れることができるでしょうか? いいえ、できません。学識や富がどれほどのものであろうとも、アハンカーラ(利己主義)がある限り神の恩寵が流れることはありません。恩寵は水のように、高いレベルから低いレベルへと流れます。神の恩寵は謙虚さと規律を備えた人に注がれます。神の恩寵を確実なものとするためには謙虚さが不可欠です。年長者を敬いなさい。自分の持っているものに満足しなさい。すべての人に対する好意を育てなさい。だれに対しても悪い感情を抱いてはなりません。だれからも愛されたいと願うのであれば、だれをも等しく愛するべきです。23/11/94

*献血
子供達はただ親の稼いだお金を無駄 使いしているだけです。子供達は親の評判を悪くしています。そのようなことは子供に期待されていることではありません。子供は親から与えられたお金を正しく使うべきです。実際に、皆さんの血液の一滴一滴は両親からの贈りものです。皆さんがこの世に在るのは両親の愛のおかげです。ですから、献血が必要とされているときには、いつでも自分の血を差し出すようにしなさい。そうすることで、親と社会に対する義務を果たしなさい。決して私利私欲のために働いてはなりません。実のところ、人類をおとしめている主な原因は利己心と利己主義なのです。1/1/04

 *健康
身体を健康に保たねばなりません。健康な心は健康な身体にのみ宿ります。健康な心の持ち主のみが歓喜をもたらす行為に携わることが出来ます。18/12/95
いつも良い思いだけをもつようにしなさい。それは健康へと導いてくれます。すべての人を愛するべきです。すべての人を愛し、すべての人に奉仕しなさい。この原則に従うなら、いつも健康でいられるでしょう。健康であることは人に必要なことです。健康は肉体に限ったものではなく、精神の健康も含みます。決して不適切な食べ物を食べてはいけません。良いもの、神聖なもの、そして、神に捧げることで清められた食品だけを食べるようにしなさい。不適切な食物を神に捧げてはいけません。神聖でサットウィックな(純粋な、浄性の)食べ物だけを、清潔な器で神に捧げなさい。あなたは自分が捧げた供物に見合った結果を受け取ります。自分の行いに応じた結果を手にするのです。悪行を為して善果を手に入れることは不可能です。ですから、良い行いをして、善果を味わうようにしなさい。そうして初めて、健康でいられるのです。良い食べ物を食べれば、良い思いを抱きます。しかし、今の人々は、言うこととすることがバラバラです。7/3/08
真の喜びというものは奉仕から来るものであり、それは身体に影響を及ぼし病気知らずとなる。身体と心というのは、実はお互いにとても影響しあっているのだ。SIPp, 179
健康的な身体は、健康な心の元になるものです。そして、健康な心も健康な身体を約束します。寛大な心、苦痛や喪失の体験時における忍耐心、良いことをなそうという熱心さ、自分の出来る範囲で奉仕をなそうと思うこと、これらのことにより、心だけではなく身体も鍛えることができます。
真の喜びは奉仕から得られそれが身体に影響して病気知らずとなるのです。このように、身体と心は互いに関係しあっているのです。SIPp179
(詩) 善い思い、善い言葉、善い行い、また、善良で望ましい一切のことを聞く傾向。善いものと健全な光景だけを目に入れること善い特徴と善い振る舞い。これらだけが、健康と善良な生き方をもたらすこのサイの言葉は、まさしく真理の道 。
この私たちの世界で人は言葉では言い尽くせないほどの富を楽しみ味わうことに浸っています。しかしあらゆる種類の富の中で、皆さんが得ることのできる最も価値ある財産、それは健康です。「健康は財産なり」と言われています。この世でも、この世を超越した世界でも、その両方で最も必要なものは、健康です。人は、例えようもないほどの財産とお金を所有すること、権威ある地位や重要な地位を有することができます。しかし、もし健康でなければ、地位も権威も富も、取るに足りないものでしょう。まず健康であって始めて、人は富を良い目的のために使うことが出来る立場にたてるのです。8/10/83
私がこれまで話してきたことの要点は第一に、健康は最も重要なものであるということ。第二に、それは何のため、誰のためか? ということです。それは皆さんがアートマ〔真我〕のアーナンダ〔至福〕を体験できるようにするためです。自分は誰なのか、自分の実体を理解するよう努めなさい。もし自分が誰であるかを理解できないのなら、この世で生きていても何の役に立つでしょう? この世のものと、この世を超越しているものとを区別してはなりません。あなたは二つを一つにし、自分の本性を悟って、神聖なアーナンダを体験しなくてはならないということに気づきなさい。そしてさらに、人間に与えられているもの、すなわち愛を体験しなくてはならないということに。狭量な心や、狭い了見に余地を与えてはなりません。他者を傷つけず、害さない方法で身を処するよう努めなさい。そうして初めて、あなたは自分自身と自分の存在を神聖化することができるでしょう。8/10/83

 *原子
ニヤヤダルシャナは二つの原子構造の相違を説明します。しかし、サンキヤダルシャナは、全創造物はマイクロコズムのレベルにおいては同じ原子からなっていることを説明しています。それゆえ何故それぞれ違った原子構造について探求するのですか?神はこのマイクロコズムです。それがヴェーダの宣言であるところの神は極微よりも小さく、極大より大きいという意味なのです。SS10/93
原子が動いてその配置を換えれば、原子で出来ているそのものの形もそれに応じて変わってきます。すべてのものの中にある原子は、その配置を急速に変えています。あるものの変化がいつ起きるかは、誰にも分かりません。変化はいつも起こっているからです。
人間を作り上げている原子は、他のあらゆるものの原子と同じように、あらゆる瞬間において変わっており、その為に人の身体は、絶えず変化しているのです。~絶えず形を変え一つになっていく過程、変化と同化の過程は、いつまでも続きます。これこそは物質的な世界の特性です。SGc22
 カーナーダは、神がすべてに遍満しているという真理を体験し、それを伝えた人でした。「神は最も小さい物よりも小さく、最も大きな物より大きい」のです。カーナーダは、あらゆる原子の中に存在している神に気づきました。彼は、神をアヌスワルーパ(原子の姿そのもの)であるとさえ説明しました。この世は、原子が無ければ存在しません。その昔、宇宙には何も存在していませんでした。最初は、太陽も月も地球も空も存在していませんでした。あるのは完全な暗闇のみでした。原子が組み合わさって、非常に密度の高い硬い物質が生まれました。その結果 、大量の熱が発生しました。そして突然、その硬い物質が「巨大な音(ビッグ・バン)」とともに大爆発を起こし、破片が辺り一面に飛び散りました。これが宇宙創造の原因です。カーナーダはこのことも体験しました。ビッグバンが起きたときに発生した音が「プラナヴァ」です。それはオームという音(オームカーラ)であり、「原初の音」です。このプラナヴァの音は、あらゆるところに浸透しています。それは、最も小さな原子(パラマアヌ)から生まれました。この宇宙には、原子以外のものは存在していません。「人はどうすれば、このことを理解し、また実際にそれを知ることができるだろうか?」と考えて、カーナーダは答えを求め続けました。最終的に彼は、プラナヴァの原理に気づきました。人は解脱を得るためには、この原初の音を瞑想しなければなりません。
「まことに、原初の音であるプラナヴァは、最も小さな物より小さく最も大きな物より大きい神そのものである。それは万物に浸透しており、永遠の照覧者として存在している。」
カーナーダは、この真理を広めました。太陽や月や地球や空等々は、このプラナヴァから生まれたのです。原子は宇宙全体の根本的な基盤です。すべての人は、原子の組合せにほかなりません。原子が無ければ、いかなる物質も存在しません。しかし、今の人間は原子の神秘を理解することができません。現代人は、太古の聖賢たちの教えを単なる物語とみなして、それを馬鹿にしています。彼らは、太古のバラティヤ文化(インド文化)の神聖さを理解する能力を持ち合わせていません。現代人は、自分に内在する真実を理解することができないのです。また、太古の聖賢や尊い魂たちに対する尊敬の印として、彼らの像を安置しますが、その教えを理解することも実践することもできないでいます。人は、外側にではなく、自分の心の中の祭壇に彼らの神聖な姿を祀り、その教えに従わなければなりません。
カーナーダはいつの時代の人だったのでしょうか? 二万年前には、人は皆カーナーダを讃え、その教えを尊んでいました。カーナーダは、水素と酸素の原理を知っていました。科学者たちは、水素は水の原理を表し、酸素は火の原理を表すということに気がつきました。今日人々は、科学者の行った観察を大変価値のあるものと考えていますが、聖賢たちが経験から引き出して人々に教えた偉大な真理を理解することも、その素晴らしさを評価することもできません。
人は、どうすれば原子の力を理解することができるでしょうか。原子は、肉眼には見えませんが至る所に存在しています。私たちが飲む水、食べる食物、語る言葉、聞く音、すべての物に原子が浸透しています。人間は、原子の上を歩き、原子を食べ、原子を飲んでいるにも関わらず、原子の神秘を理解することができません。人は、科学者だけが原子の性質を探ることができると考えています。原子のプロセスは、非常に神聖です。このことを正しく調べることによって、人は神を理解することができます。これがカーナーダの教えでした。しかし、今日誰も原子のプロセスを体験するための正しい探求を行っていません。人々は物質的な見解にしたがって生活しています。24/7/02
原子の力を理解することは非常に困難です。神は原子の形をしています。全世界は原子が顕現したものであり、空間と音は原子の表現です。ですから原子の原理を無視してはなりません。原子には偉大な力が備わっています。科学者たちは、昔からこの原理に関する実験を続けて来ました。原子が最初の状態に戻るには2200億年という時間が掛かります。原子の背後にある神秘を人間が解明できないのはむしろ不思議なことです。24/7/02
今に到るまで、誰も原子の力を完全に理解した人はいません。人々は原子には生命がないと考えています。それは誤った考えです。全宇宙をつなぎ止めている生命力が、原子の中にも存在しています。だからこそ「神は大宇宙の中にも小宇宙の中にも存在している」と言われるのです。人間は宇宙の神秘を理解する努力をしなければなりません。人は自分の責任を知り、それに従って行動しなければなりません。人間は、原子の原理を理解する必要があります。もしそれを理解できれば、それ以外のすべてを理解したことになります。なぜなら原子は神だからです。
原子の中に存在する生命原理は、全宇宙に存在しています。カーナーダは、原子の原理を正しく理解すれば、神を理解できるようになると言いました。あなたが、拳を握れば多くの原子を掴まえることになります。手を開くと、それらの原子は様々な方向へと動いていきます。原子から生まれるプラナヴァの音は、その粒子と同じく大変小さなものです。24/7/02
その昔、聖人や賢者たちは、様々な種類の霊性修行を実践しました。カーナーダもまた苦行を行いました。最終的に彼は、自分が原子から生まれ、そこに帰融することに気づきました。彼は、肉体への執着を手放しました。今日、人々は物質的な生活を送り、自分自身の利己的目的のために努力しています。人間の内に利己心がある限り、原子の神聖な原理を理解することができません。人はジャパや瞑想や苦行を実践するかも知れませんが、心は絶えず原子の原理に向けられていなければなりません。あらゆるものが原子の中に含まれています。私たちの肉体も心も知性等も、神そのものである原子の表れ以外の何物でもありません。24/7/02

 *原子爆弾
今日、私たちは世界の平和について語ります。しかしどのように外の世界で平和が見出すことが出来るでしょうか?平和は自分の内に見出さねばなりません。バラバラ状態にある世界の中で、どうやって平和を見出されるのでしょう?
片手に原子爆弾を持ちながら、平和について語ることに何か意味があるのでしょうか?自分が恐れというものに取り付かれているというのに、どうやって平和が体験できるでしょう?原子爆弾を破棄して初めて、皆さんは真の平和を体験することが出来るのです。そして世俗に関する思いが神への思いと入れ変わった時、初めて真の平和が訪れます。神は平和の創造者であり、維持する者です。神をよりどころとしてこそ、私達は真の平和を体験できるのです。21/7/86
愛国心は今、行き過ぎた熱狂さによって翻弄されています。それは、核爆弾を作らせ、他の国の何百万という人を死に追いやる道に導こうとしています。その国を守るのは愛なのです。嫌悪やエゴイズムは宗教によってもたらせられたのではありません。宗教が残酷な原爆を作る原因なのですか?そうではないでしょう?SSSvol7/97

*限度
正常な体温は36度9分ほどです。体温がこの限度を超えると熱が出はじめます。同様に、人間の正常な血圧は120/80ですが、たとえば急に150/90に上がったりすれば害になります。それと同じように、すべてのものは一定の限度以下であるべきです。あなたの話や行いも一定の限度内であるべきです。自分の力量に見合った行いをしなさい。何かの活動を引き受ける前に、それはいつ、どこで、どのようにやらなければならないのか尋ねなさい。もしこうした決まりを守らないなら、問題を招くことになるでしょう。11-8-2000

 *健忘
この身体は83年目に入ろうとしています。私はこれまでのことを、一つとして忘れてはいません。ところが、中には私が何かを忘れているように見える人もいるらしく,スワミはかくかくしかじかのことをお忘れだ。といっているようです。しかし、私には,ほんの僅かの健忘もありません。8/08

*権利と義務
すべての人を愛しなさい。すべての人を敬いなさい。すべての人に奉仕しなさい。しかし、すべての人が等しい権利や、義務や、任務を持っていると信じてはなりません。18/5/68

 *権力
西側諸国では、多くのリーダーが権力を取るために暴力という手段を取っている。バラタでもイスラム教徒の間では、自らの父親や親戚を権力を取るために牢に入れたり、殺したりする事例が後を絶ちません。このような権力に対する強欲は、人をして獣のレベルに陥れることにほかなりません。SS12/1994p,313
歴史の上では、人々が暴力や詐欺的行為をもちいて権力をつかむという事例が、山ほどあります。共産国の間やイスラム諸国の間でも、自分が権力を得るために知り合いや、親戚の人を牢に閉じ込めてしまうのを、躊躇しない事例が沢山あります。しかしバラタでは、一般的にそういうことがありません。それは、ラーマが弟のバラタに、どのようにして政府を運営していけばいいのか、という栄光に輝いた教えが生き続いているからです。SS5月1995p,117~118
ソクラテスは権力を振るう資格があるものは、信愛と献身を有する者だけであると、若者達に語りました。統治者は真理を守り、神に感謝を示すべきでありエゴで膨れ上がって、全能の神を忘れるようではなりません。25/12/90

 *行為
変容については、心の重要性を正しく理解せねばなりません。なぜならば、心は束縛の原因であり、又解脱の原因でもあるからです。あなたが幸福であるか、悲しい重いに閉ざされているかは、あなたの行為が原因です。自分の幸、不幸について他人を責めるべきではありません。思い、言葉、行為には反映、反響そして反動が続きます。自分のトラブルを他人のせいにするのは、弱さのしるしです。
自分の行為の結果を忍受しなさい。苦しみが耐えられぬほど辛ければ、楽にしてくださいと神に祈りなさい。そのような時、楽にしてくれるのは神のみです。神は全能です。それゆえ神をよりどころとしなさい。8/3/97
あなたが今現在、直面していることは、過去のあなたの行為の結果なのです。そして、未来にあなたが直面する出来事は、現在の行為の結果なのです。SSN春1986p21
神聖なことだけ思っていれば何をしても神聖な行為になるし、その人の言葉もまた、神聖なものになるでしょう。神聖な思いは、鋭い刃物のようなものです。良い思いによって悪い思い、感情、行為を見つけ出し、断ち切ることが出来ます。SGc9
皆さんの首飾りは沢山の過去世で為してきたこと、過去の行為の結果で出来ています。その首飾りは、皆さんが創造神から授かったものです。たとえ目には見えなくとも、確かにそれは首にかけられています。どんな行為をしてもその報いはあるという真理を知る人は、良い行為だけをし、良い報いのある行為のために一生を過ごすでしょう。それこそ神を信じる者にとって本当に大事な修行だとギーターは教えています。SGc11
神は全世界を創造し、人類が幸福でいられるように、そして、人類が自由に活用出来るように、全世界を与えました。ただし神は条件付きで人類に与えたのです。「人間よ。何でも自分のしたいことをすれば良い。しかし自分の行為の結果を受ける覚悟をしておきなさい。
おまえたちは自分の行為の結果から逃げることはできない。このことをよく理解していれば、この世界でどんなことでも、思い通りの事が出来る。」というわけで、あなたに降りかかる良いことも悪いこともすべて、あなたの行為に原因があるのです。それではあなたはどうして神に帰依しなくてはならないのかと、疑問に思うかもしれません。あなたの行う、日々の祈り、奉仕活動、瞑想、礼拝といった霊生修行は、あなたが直面しなければならない「過去の行為の結果」の強さと大きさを軽減するのです。またその苦しみを耐え抜く、勇気と忍耐をも与えてくれるのです。STPS2p139
今君が捕らわれている執着も、何かをほしがる欲望も、昨日や今日で身についたものでは無い。これまでの沢山の過去世で身につけたものだ。そしてこの執着と欲望が、今君が味わっている苦しみの原因なのだ。そんなに深いところから来ている苦しみをいつ断ち切れることが出来るのか。
それは君には分からない。ただ過ぎたことを悔やむ必要は無い。それよりも、これからやって来る苦しみを乗り切る道を探る方がよほど大事だ。~遙かな昔から、内から来る敵は、人類を征服し苦しめてきました。我欲と執着に捕らわれている限り、苦しみからは逃れられません。苦しみは、悪い事をするから起こるのです。それでは何もしない方が良いのでしょうか。そうではありません。誰でも何かをするほかは無いのです。何らかの行為をしなければならないし、どんなことも楽しみながらすることは出来ます。ただしどんなことも正しいやり方でするべきです。正しい行為の内にある、本質を理解することが大切なのです。行為は人間の様々な働きです。
人は皆何かをしながら生まれ、何かをしながら成長し、何かをしながら死んでいきます。良いことも悪いことも、功徳も罪も、損も得も、喜びも悲しみも、その人のしてきた行為が原因です。人間として生まれるのも、行為によります。行為が人間を創り出すのです。ですから自分のする行為を軽々しく考えてはなりません。人生のすべては自分のする行為に大きく関わっています。自分のする行為の大切さを良く理解して、正しいことをして下さい。SGc31
行いこそが運命の根です。それらは死後、また来世で芽を出します。自分が生まれてくる家族や社会はそれぞれの道徳律を通して人を導き、ゴールに到達したときに旅は終わります。21/11/85
あらゆる悲しみと喜びの裏にある原因は、行為です。神はその応報を授ける者です。人間には行為を行う権利があります。しかし、人間は神から与えられるその応報を拒む権利は持っていません。人間は、自分が行為者であると思い込んでいます。もし、人間が行為を操る権限を持っているなら、なぜ自分の行うことのすべてを成功させることができないのですか?
クリシュナが『バガヴァッド ギーター』の中で述べたのは、「マ パレーシュ」であり、「ナ パレーシュ」ではありませんから、「行為の応報に対する権利はないが、応報がないということではない」という意味を含んでいるのです。人は行為をすべきですが、その応報への権利を主張すべきではないのです。ただし、行為を完全に拒絶するわけにはいきません。神が与えるものは何かの行いの応報として受け取らなくてはなりません。幸福は神が授ける恵みです。悲しみも神が授けます。医者は感染性の病気をわずらう患者に苦い錠剤を与えます。患者が癒されて、初めてその薬の効き目がわかります。それゆえ、神が与えてくれるものは何でも自分のためになるものとして受け取らなければなりません。8-1977
欲望を捨て、我欲も持たずに仕事をしていれば、それが奉仕の道になります。我欲を捨てなさい。我欲を払い、結果を求める欲望を断ち切るのです。そんなふうに仕事が出来れば、仕事は真の犠牲の心で行う「神様への勤め」となり、苦行となり、神への道となります。この三つ、神への勤め、苦行、神への道は同じ理想に行き着きます。すべての行為を、こうした神聖なものにすべきです。息を吸って吐くことさえ行為であり、仕事です。何らかの行為をしなければ、この世で一瞬でも生きることは出来ません。 ところがその行為が我欲に結びつくと、必ず、心の狭い危険なものになってしまいます。
ですからどんなことも犠牲の心で行うべきなのです。良い結果になるか、悪い結果になるかは、どんな行為をするかによって決まります。どんな行為をするかは、どんな気持ちでするかによって決まります。どんな気持ちでするかは、何を思うかによって決まります。
何を思うかはどんなものを食べているかによって決まります。だから食べ物が思いを作り、思いが気持ちを作り、気持ちが行為を作り、行為が最後に結果を作るというふうに繋がっているのです。こうしてみれば、サトヴァ(純粋で清らかな)ものを食べることが如何に大切か分かるはずです。SGc31
行為の結果など、儚いものだ。そんなものを求めるよりも、この宇宙で最高の神を求めるべきだ。その神までたどり着けば、もう二度とここに戻ってこなくても良いのだから。行ったり、戻ったりしているばかりでは、いつまでたっても永遠の目標に達することは出来ないのだ。SGc31
この世で何もしない人はいません。誰にでも行為をするための身体が与えられています。身体を神聖なものにするためには、良いことだけをすべきです。何をしても結果はついてまわります。
ただし仕事の結果から得られる悦びよりも、仕事そのものから得られる悦びの方がずっと素晴らしいことに気づかなくてはなりません。SGc32
良い行為だけが悪い性質を無くしてくれる。心を清めるために良いことだけをするようにギーターは教えています。しかしそれだけではありません。本当に心を清めるためには、すべての行為を神に捧げなければなりません。皆さんの行為をすべて神に捧げて下さい。その時はじめて本当に心は清められます。SGc33
その人がどんな人かは、その人の行為を見れば分かります。結果に捕らわれない行為が大切なのはその為なのです。鏡を見れば、自分がどんな顔つきか分かります。
それと同じように何をしているかによってその人の心があらわになるのです。人と接しているとき、相手がどんなことをしているかを見れば、その人がどんな人かが容易に分かります。サトヴァな感じで、立派な犠牲の心を持っているように見えて、神聖な心を持っている人かなと思っても、実は、まるで違うことをやっている人かもしれません。動物の性質や悪魔の性質の表れのようなことをしているかもしれません。その人のしている行為によってその本性が分かるのです。逆に思いやりなど全くなさそうな人もいます。礼儀もわきまえないし、慎みも無く、立派な品格も感じられません。ところが、その人の行為を見ると、真心があり、いろいろな德性が表れています。それならその人は、浄性な人だということになります。~行為はその人の性格を見事に顕します。SGc33
過去世での行為の結果人は、身体を授かることが出来ました。身体は行為とじかに繋がっています。
行為から離れてしまったら身体に意味はありません。身体とは行為のことであり、行為とは身体のことです。身体は様々な行為をする場所です。それに対して、神はダルマを行う場所、神聖な行為をする場所です。行為をする場所と時間は自然界の中にあります。行為をするときに、神と自然と人が一つになるのです。この世界のどんなことも、行為の結果起こります。
だからこそ、ウパニシャッドは、こう言っているのです。「すべての行為を捧げ物にするのだ。」良いことも悪いことも、得になることも罪になることも、すべての行為は神の力の現れです。だからこそ修行者は、それが好ましいかどうかを少しも気にせず、すべては神の意志だと受け入れ、正しいことをするのが何よりも大事な務めだと信じるのです。
あらゆる行為の目的は、人生を、神聖なものにすることです。神の恵みがあるからこそ、正しいことをする機会が与えられ、それによって人生を神聖なものにすることが出来るのです。神の教えに従えば、この聖なる機会を得て、自分の進むべき方向が分かるでしょう。SGc34
人々は自分の幸せや悲しみは神のせいだと思っています。けれども神は幸せも悲しみも与えません。どちらも神のせいではありません。そうとは思えないとしたらそれはあなたの妄想です。もし今日あなたが誰かをぶてば、あなたは後で、その人か、あるいは別の人にぶたれるでしょう。もしあなたが、今誰かを傷つけたなら、あなたも同じように傷つけられるでしょう。つまり、人は誰もが自分の行為の報いを受けることになっているのです。あなたが体験することはすべて、あなたがしたことの反作用、反映、反響以外の何ものでもありません。神はそれに何の関係もありません。あなたがすることはすべてあなたに返ってきます。ですから善を見て、善を為し、善を味わいなさい。
神は何もあなたに与えませんし、何もあなたから受け取りません。神は何にもどんな時にも干渉しません。あなたの悪い行いが、あなたの難儀の原因です。この真理を理解すること無く、人は自分の受難について神を責めます。あなたの損失と獲得、幸せと悲しみ、生と死を神のせいだと考えるのは大間違いです。神は永遠の照覧者です。何についても神を責めてはいけません。あなたの望みが叶うのも、叶わないのも、あなた自身に責任があるのです。人は皆、自分が体験することはすべて、自分に責任があると考えなければなりません。30/1/10

 *口臭
口臭をさすのを止めなさい。口腔がきれいでないと健康にも影響します。不健康だと胃もしっかり働きません。あなたの霊的修行にも影響を与えるでしょう。SSN秋1984p,33
近頃、なぜ十六才の若者が六十才のようにやつれて見えるのでしょうか。それは毎日の生活の不健康な習慣のせいです。朝起きたらすぐに口を洗い、歯の内側と外側をよく洗い、舌の表面もきれいにしなさい。口は身体の正面玄関であり、あらゆる病気の入り口だからです。互いに話をしている時は、口臭にも気をつけなさい。27/5/02
舌を清潔に保ち、口臭を放っていない人には、私は10分どころか20分でも話をするでしょう。一方、口臭のある人には2分も話をすることはありません。眠っている間にバクテリアが発生し、舌や歯、そして、口内全体に付着します。正しい歯磨きと、舌と口内を十分に清潔にすることで、バクテリアを除去しなくてはなりません。そうして初めて、私たちは健康で、幸せでいられるのです。 21/10/04

*香水
 体から発している悪臭を、香水を使って覆い隠そうとする人々がいます。人間はいつも自然で清らかであるべきです。派手な服を着たり、香水や色をつけたりすることで人工的であるべきではありません。そういったものも、ある程度は必要かもしれません。けれども、体が悪臭に満ちているときに香水をつけることが、いったい何の役に立つというのでしょうか? 私の体はいつも自然な光輝と神の芳香を放っています。なぜなら、私は決して悪い思いを抱かないからです。
「健全な心は健全な体に宿る」が、私の従う信条です。そのようなよい習慣を他の人々に教えるために、私は常に私の体と心を清らかで汚れのない状態に維持しています。私は時々、私の部屋で眠っている青年を夜中の12時に起こし、また1時にも起こしてしまいます。そのことで青年たちに迷惑をかけているかも知れません。青年たちは、起こされた瞬間は少しばかり迷惑に感じているかもしれませんが、すぐにそのことを忘れてスワミの要求に応えてくれます。このように、体は神によって与えられた神聖な道具なのですから、常に清潔で健康な状態に保たれていなくてはなりません。私が体の清潔さをこの上なく重視しているので、他の人々も私を見習いたいと思うでしょう。私のよい習慣を手本とし、私と共に歩むことによって、人々は社会で尊敬を得ます。21/10/04

 *抗生物質
太古に聖者バラドワジャという医学と外科の巨匠がいました。かれは世界に外科術を教え、又生命の科学アーユルヴェーダを著しました。現代の人々はアーユルヴェーダは即効が無いと考え,病気をすぐに治すことばかり考えます。しかし、即効には両用の作用があります。今日抗生物質が使われ、ほんの2,3滴で熱が下がりますがその後又熱が上がります。抗生物質は副作用を伴います。
太古の聖者が苦行により得たアーユルヴェーダにはそのような副作用はありません。苦行により聖者のヴィジョンは場所の遠近と関係がありませんでした。彼らは自然の力と直接に会話することが出来ました。今日、電気通信、ラジオ、テレビに巨額の金が使われています。太古にはそのようなことはありませんでした。心が清らかで神さながらであった聖者らは、人間以上の力を与えられました。21/5/91

*光線
あなたは、自分の目にどれほど膨大な力が潜んでいるかを知っているでしょうか? 目の中には、何千万もの光線が存在しています。太古の人々は、より良いものを見ることができるようにと、太陽神の恩寵を祈願したものでした。スーリヤ・ナマスカール(太陽神への礼拝)をしてその恩寵を祈るときには、あなたの目の中の光線はよりいっそう光輝を放ちます。一方、あなたが他者の過ちを詮索しているときには、太陽神はあなたの目からその光線を取り払い、あなたを盲目にしてしまいます。それゆえ、神によって与えられた諸器官を正しく用いなさい。19/11/02

*行動
 世界中で、いわゆる帰依者と呼ばれる人々の数は増えています。今私は、いくつかの大事なポイントを皆さんに伝えるための時節が到来したと感じています。皆さんのハートに湧き上がる感情は、ガンジス河の水源地の水と同じくらい純粋でなければなりません。言葉だけでは充分ではありません。必要なのは行動です。思いと言葉と行動が一致していなければなりません。思いと言葉と行動が一致しない人はよこしまな人です。人間は人間について研究するべきです。こんにち私たちは、非真実の行いや、不正な行い、それに暴力的な行いの中にしか、思いと言葉と行動の一致を見かけなくなりました。崇高な思いを抱き、有徳の行いに携わるべき人間が、それとまったく逆のことをしています。22/7/02

 *幸福
真の幸福とは、神と融合することです。これはあなたが、内なる神聖との関係を確立することによって、育むことが出来ます。言い換えるなら、内なる神聖に気づいていれば、世俗にまみれていても幸せでいることが出来るのです。幸福とは、自分の好きなことをすることによってではなく、自分がやるべき義務を好きになることによって得られるのです。~また、心を神の方へ向けるなら、人は幸せになり、心を世俗の方へ向けると人は永続した幸福を得られません。STPS2p37
あなたの持っているもので満足しなさい。幸福の秘訣は、自分の好き勝手をすることではなく、あなたがしなければならないことを好きになることです。6/1985
真の幸福は、神と一つになることです。それを実感認識しなさい。21/11/95
人生は絶えざる幸福の追及です。人は自己の真の本性を認識する時、初めて真実の幸福を味わうことが出来るのです。特定の肉体ないし名前を自分と考える限り、幸福は彼を避けていきます。5/1/91
不変の実体と変化する実体の結合は幸福(アーナンダ)を生じます。神の愛を得るのは愛をつちかうことによって可能です。1/4/94
真の幸福は感覚のコントロールとアートマンの至福によって得られます。学生にとって何より重要なのは感覚のコントロールです。22/11/91
真の幸福は犠牲を払うことによって味わうことが出来ることを認識しなくてはなりません。人が幸福を味わうことが出来ないのは、何が原因でしょうか?それは、五つの悩みが妨害するために幸福を享受することが出来ないのです。第一の悩みは無知、次は、信念が堅固でなく揺らぐこと。第三は、未熟、第四は執着で五番目は嫌悪です。これらの五つの悩みが人々を苦しめます。
無知は身体を自分であると考える人です。~欲望を捨て、心の欲求を無視する事に成功した人は至福を味わうことができます。心が定まらず、心があらゆるものに食指を動かし、束の間である感覚の快楽を享受すると悩みが生まれます。嫌悪が原因である悩みは、自分の期待することをその人が与えてくれない時に生じます。それは利己心と自己の利益をのみ求めたことによる帰結です。20/2/92

*公務員と給料
今日、教育は高給取りをたくさん創出している。その結果、政府は公務員の給料引き上げのために財政支出を余儀なくしている。より多くの給料を得るためにストライキが頻発し、給料を上げるために税金も上げなければならないようになってきている。その結果、物価も上昇し人々の不満も高まっている。物価を下げるためには、人々が物欲を節制し、物への欲を減らせなければならない。SSSvol1p82

*高慢、傲慢
高慢な者は、どんなに努力をしても成功することはない。高慢な者は罪を犯し、万人から愚弄されるだろう。高慢な者は仲間に見捨てられ、すべての財産と尊敬を失う。高慢さは、その者自身を完璧に破滅させるだろう。 17/2/07
 傲慢や嫉妬等々はすべて悪い性質です。それらは良い性質を追い出してしまいます。それらはあなたを害し、社会を害します。ですから、他の人に対して、善であり、善をなし、善を行いなさい。もし、誰かが困難な状況にいたら、自分の仕事を犠牲にしてでも、全力で助けなさい。これは人間の第一の義務です。「つねに助け、決して傷つけない」がモットーであるべきです。もし、この二つの指示をつねに心に留めていれば、それで十分です。
皆さんは、家では両親を苦しめ、職場に行けば同僚に利己的な力を示し、皆さんが仕事や責任と称するもので高い給料を手にしています。これは大きな過ちです。出世すればするほど、年を重ねれば重ねるほど、皆さんの傲慢と嫉妬は減少しなければなりません。そうして初めて、皆さんはすべての人の尊敬を得るでしょう。14/1/09

*降霊会
降霊会を信じてはならない。それを学び実行してはならない。あなたがそれを通じて見られるのは悪霊なのだ。神はそういうところには簡単には出てこない。神というのは徳性の化身であるから、そういう低いレベルのところに下りてきて話したりする事は決してない。人間は7段階、神より低いレベルのところにいる。悪霊と呼ばれているものたちは、6段階神より低いレベルのところにいる。神のオーラはそのすべてのレベルに降り注いでいる。それゆえ悪霊たちは人間より少しばかり多くの力を持っている。それらの力を用いて、彼らは自らを神のような力があると見せかけて、振舞っているだけなのだ。p 294 ANDI

*五感
自分の五感の力を伸ばすようにしなさい。それは皆さんが五感を制御しているときにのみ、可能です。しかし、今、自制はどこにも見られません。私たちは五感を野放しにしています。商店街に行けば、何でも見ています。五感の制御は、勉強のためだけでなく、生活の中での理想的な振る舞いのためにも必要不可欠です。神が皆さんに五感を与えたのですから、五感は正しく使いなさい。五感の制御なしに、プシュティ(体力)とサントゥシュティ(幸福感)を得ることはできません。
神が皆さんに五感を与えたのは、他の生き物と同じようにただ勝手気ままにこの世にあるものを楽しむためではありません。同じことは鳥や動物や小さな虫さえしています。子どもを作って子育てをすることは、蟻にもできます。人は家族を養うためだけに多くのお金を蓄える必要はありません。すべての生き物を創造した者には、すべての生き物に生計を与えることもできるということを、人は信じているべきです。ですから、皆さんは食べ物や生活必需品のために心配しすぎる必要はありません。15/1/08

*呼吸
呼吸の頻度が速くなればなるほど、寿命は短くなり、ゆっくりなればなるほど長生きします。呼吸はどのような方法で規則的にすればよいのでしょう?呼吸を静かにし、鼻孔のすぐ下に軽い粉末を置いても、その粉が少しも飛び散らないほど、静かな呼吸をしなさい。ヨーガの修行は、ゆっくりと呼吸をする事に役立ちます。29/6/89 
呼吸で一息吐くごとに、寿命の一部が逃げていきます。5/10/67
一日に21600回呼吸するというのは、人間の一生を通じての平均的な回数です。激しく活動している時や、ストレスを感じている時は、呼吸は非常に速くなります。熟練したヨーギの一分間の平均呼吸数は、十五回ではなく、六回から七回まで下がっている場合もあります。呼吸が遅ければ遅いほど寿命が長いのです。寿命が短い猿は一分間に四十回呼吸します。寿命が長い蛇は、三、四回しかしません。CWSSBJp253
ゆっくりとした呼吸は情緒を鎮めます。ソーハム呼吸によって気分をリラックスさせることは、瞑想で成果をあげる上での前提条件です。SIP5-74

*こころ
神の宇宙普遍相は「物質的な世界」と同じものです。これが心の世界と繋がれば、神は繊細で微妙な姿を取るでしょう。それが、「微妙な世界」です。物質的な世界と微妙な世界では感覚や心が働いています。感覚も心も超えているのが「因果の世界」です。目の覚めている状態では、感覚と心が激しく動いています。夢を見ている状態では感覚に左右されることは無いけれど、心の影響はあります。深い眠りの中にある因果の状態では、心も消え去ります。物質的な世界は感覚器官と結びついています。
微妙な世界は夢を見ている状態と結びついた、心の世界です。因果の世界は感覚も心も無い深い眠りの状態です。深い眠りの状態で、心も感覚も働いていないときに、はじめて形も性質も無い神を経験することが出来ます。SGc3
世俗の欲望と感覚の快楽を満たしたいと願う心をコントロールするには、欲望を神という気高い概念に置き換えれば良いのです。心に神を思わせ、徐々に世俗の欲望から引き離せなさい。しかし今日の人々は、それに成功しません。失敗して惨めになります。実際、欲望と執着が心にはびこっているのが現代の特徴です。知性ですら、心を充分にコントロールすることができません。このような状態では、世間から離れて独居するか、神聖な団体に入って良いことのみを心に思って、心を滅することのいずれかを実践しなくてはなりません。SIP6-8
あなたがたは、自分の執着と憎悪(ラーガとドウェシャ)の感情、およびアハムカーラとママカーラ「私」と「私のもの」の意識の主な原因は食物にあるということを理解せねばなりません。あなたがたの食物習慣を規制することは、自分の心と理知の健康な機能にきわめて重要であります。心の働き方は実に謎が多いものです。聖典の判断は、人間が感覚の言いなりになると動物になるということです。
人間が心によって導かれるときには、彼は人間らしい人間になります。ブッディに従って行動する人は偉大な人物になり、アートマに導かれる人はブラフマンになります。あなたがたがブッディに従うことができないならば、少なくとも心に従って、自分の人間レベルを保つようにするべきです。しかし、あなたがたの多くは、心そのものが悪い傾向に流れはしないかと疑い、もしそうであればどうやって心を信頼したらよいかと思っています。
実をいえば、心はそれ自体が純粋なのです。心が不純になるのは、心が盲目的に諸感覚に従うことによってです。諸感覚が持ってくるものを無差別に消費するのではなく、心が感覚の取り入れたものをすべて精査のためにブッディの前に提出し、ブッディの裁定に従って行動するならば、心は汚されることがなく、その原初の純粋さを保持するでしょう。ブリンダヴァンの慈雨 P.150~151
用語に関して少し混乱が生じています。というのも、心自体が存在しないからです。心とは欲望が織り重ねられたものです。心の平安とは欲望がないということであり、その状態において心は存在しません。いわば、心とは滅するものです。心の平安が真に意味しているのは純粋性、すなわち意識が完全に純粋であるということなのです。SSSVol1P.172
フリ(そこにあるもの) + ダヤ(慈悲) = フリダヤ(心)なのです。慈悲に満ちているものが、フリダヤです。しかし、今日、人間はそのように慈悲に満ちた心をもっていません。人は荒々しい言葉を発し、それゆえに評判を落とします。皆さんは、優しく甘く話すべきです。荒々しく話すことで他者の感情を傷つけてはなりません。19/11/02
身体の中にあって、対象物を理解する能力は心と呼ばれます。心は、感覚器官を通って身体の外に出、対象物に接触し、対象物の形を取ります。心は知性を持ちません。UVc8
心の消滅には二種類あり、心のパターン消滅と心そのものの消滅です。前者は生きながら解脱を得た聖者の況位であり、もう一つは、死によって身体が縛られる況位です。あなたは今、心のパターンを無くすことのみが可能です。それによって人は、ブラフマンと自らが等しいとの体験を得て、至福に浸ることが出来るのです。心は人を束縛するものであり、克服しなくてはなりません。JV
識別心は躁の状態や鬱の時には、失われてしまうことがよくあります。識別心が弱まると、心は誤った道を歩み始めることがあります。そういうことの無いように、あなたは心の事をもっと知らなければなりません。
そもそも心というのは、生命原理の上部にあり、ブッディつまり理智の下に位置しています。これらふたつとも、火の原理と結びついています。そして心はそれらの間にあるのです。ヴェーダは月は心を司る神であると述べています。また、月は水分を含む星であるとも考えられています。そのため、上下ふたつの火の間に位置している心は安定しないのです。13/3/88
心はアートマンの衣服としてアートマンの近くにいるので、修行者は自分の心はアートマンを認識したと信じ込み、その体験を繰り返したいと願います。UVc8
永遠なる果実にいつも集中していなさい。それは普遍的で、霊的なものです。それより劣る目標を追いかけてはなりません。世界にダルマを復興するための神の計画に沿うように、心を活用しなさい。あなたの取るに足りない知性を使って、いったい何が計画できますか?4/10/62

心は決して落ち着きません。これは自然なことです。体にとって、じっとしているのは容易ですが、動くことや走ることは面倒です。心はこれと反対です。心にとってじっとしているのは困難ですが、動いたり変化したりすることは容易です。身体は不活発です。一方心は意識(チャイタニヤ)です。あなたがベッドに寝ている時も心は様々な場所を彷徨います。ここで注目すべき重要なことがあります。心には、独立した実体というものがありません。心は体を通じてのみ機能するのです。
様々なところを徘徊する心は、誰にも迎え入れられたり、返答されたりしません。心の行動に対して、誰も親切に対応したり、反応したりしません。それゆえ心はいつかまた、身体に戻ってこなければならないのです。ですから、バジャンであれ瞑想であれ、絶対に霊性修行をやめてはなりません。そうしていれば心は徐々に静まって落ち着いてくることでしょう。木の葉は風が吹くとざわめきます。しかしひとたび風が止めば、葉は静まって動かなくなります。心も同じことなのです。STPS2p90
心は束縛されていて、ものを欲しがり、人中へ出たがリ、この場所あの場所と好き嫌いします。執着は束縛です。無執着は解脱です。欲しがることは獄に閉じ込められることであり、死ぬことと同じです。心を一切の執着から引き離すことは、自由になることであり、永遠の生を得ます。JV
心を扱う上で正しい方法は、心の活動を良い行いや、良い思いに向け、また神の御名を繰り返し唱えることに心を向けて、有害な対象や、有害な思いや行ないに心を向けないことです。
そうすることにより、何かに没頭するという心の自然な傾向は満たされ、しかも、心が悪事に紛れ込むこともありません。心を有害な活動から引き離すための、もう一つの重要な手段は仕事です。人間は一生懸命働く様に創られており、仕事をしていれば、心は無価値で気儘な想念に没頭する時間がなくなります。何も仕事がないのであれば、瞑想や御名を唱える、良い書物を読む、善人と交わるなどの霊的努力を続けるべきです。神に全託する事は難しいと感じる人もいるかもしれませんが、すべての人は時間に全託しています。そして時間は神なのです。一日ごとに人の命は縮まっており、私たちはその時間に、自分の一生を託しています。時間は人間の命を征服します。
そしてその時間は神なのです。ですから、第一に仕事があり、それから英知、次に愛があります。仕事そのものが愛、いや神になる時がいつかやってくるでしょう。CWSSBp102~3
心は、一つの思いから他の思いへとすばやく飛び移ります。少しの間、あるものに愛着を示したかと思うと、次の瞬間にはそれを見捨ててしまいます。口を閉ざしておくことは出来ても、心を閉じたままにさせることはまず不可能でしょう。心とはそのようなものです。
心は欲望という糸で織られた反物なのです。五感を通じて外界に飛び出して行くのです。しかし、人は修行によって心を慣らし、役立たせることができます。もし私たちが人に役立つ仕事や良い事をし、普遍的、絶対的、永遠なものである神に、いつでも思いを寄せていれば道に迷ったり破滅したりしません。心は五感の支配者なので感覚より強い力を持っています。知性が心の支配者で、個々の魂が知性の支配者で、神が個霊の支配者なのです。感覚が心と結合し、心と知性とが結合し、知性が個霊に従う時、あなたは至高神との一体感を味わうことができます。SSnewsVol14
心の力を表現することなどとても出来ません。思考の速度は、光や風やこの世界の何よりも速いのです。人にこのような計り知れない力を与えられているというのに、人は自分で弱いものだと思い込んでしまうことは悲しいことです。また、心と肉体の心臓とは何の関係もありません。SS3/90
欲望をのさばらさせて欲望を満たすことに貴重な時間を浪費すべきではありません。 一つの欲望が満たされると、また新たな欲望が沸き起こります。心は一旦、捨てたはずのものを、幾たびも繰り返し追い求めます。ですから、心の気まぐれに負けてはなりません。感覚の執着から、力ずくでも心を引き戻しなさい。心をさまようままに任せるならば、祈ることさえ出来ないではありませんか。いつも、決まった場所で、同じ時に祈りなさい。そのように励む修行者を、アートマン自ら支え、力と堅忍不抜さとを与えます。JV
心の波立ちをそれを見る者として、傍観者として眺め、それに対して何かを決意や決心をするとか、嫌いだとか、好きだとかという感情を起こさず、自分の心とその動きを制御しなさい。UVc12
一日の内、何時間は沈黙を守るようにして下さい。そうすれば打ち寄せる言葉や思いの波からいくらかでも心は休まります。神聖な名前を唱えたり、神の事を思うのも休ませる訓練になります。SGc12
皆さんの出来ることで一つ素晴らしい力を持ち、めざましい働きをなすものがあります。それは、皆さんの心の中に私が永遠に住むようになることです。心に私を住まわせば、他のどんな行いも、取るに足らない物に見えるでしょう。SGc8
心は自ら活動しない物質です。自ら活動しない水は、太陽の光を受けて輝きます。それと同じく、自ら活動しない物質である心もまた、内在の神霊の光輝を借りて光るので、あたかも意識あるかのように見えるのです。心の知性が、内在の神霊の光輝を照り返すので、心もまた知性を持つようにみえるのです。ただそれだけなのです。心の本性は無知です。DVJp97
皆さんは、ここプラシャンティニラヤムに一時間ほどいるだけです。ところがこれは、帰ってからも消えることの無い永遠の経験になるのです。最初に目の覚めた状態で経験したことは因果の世界に何時までも残り、それがあとになって心の微妙な世界で思い出すことが出来るのです。SG
感覚の欲望を満たすための外的な行為をしないだけでは十分ではなく、心の中でそれを切望することさえ根絶しなくてはならないのです。JV
人の心は非常に精妙なので無限に拡大する傾向を持っています。しかし感覚のせいで、心は様々な物や人に引き寄せられます。それらのことで心がいっぱいになると、心の拡大傾向はにぶってきます。
心がものに対して引き寄せられる力が少なくなればなるほど、心は拡大してゆくことが出来るのです。~目をコントロールしなさい。目があちこちと、自由に見ることが出来ることによって、舌が制限無く活動し始めます。舌がおしゃべりを始めることで、目も何でも見ようとし始めます。この二つの器官が無制限に活動を始めると、人の人生は取り返しがつかなくなってしまいます。それ故、あなたの目は、良いものだけを見るようにしなさい。あなたがあなたの目や舌をコントロール出来るようになれば、他の器官も容易にコントロール出来るようになるのです。LIAD by Joy Thomas p164~166
私があなたを見る時、あなたがたのハートの中をまるで透き通ったガラスの中を見ているように様に見えます。あなたは私に何も隠し事は出来ません。ある人々のハートは暗闇に包まれています。私はそういう人たちには、何もしません。またある人たちのハートは光り輝いています。
私はその人たちの人生にも干渉しません。またある人たちのハートはろうそくの光のように弱々しく灯っています。私の仕事はその弱々しい光を明るく輝かすことです。P344 ANDI
自分自身の真実を知るのは、神を知るのと同じです。どちらも同じ英知の輝きであり、ただ一つの神を悟ることです。この知識があれば、皆さんを取り巻く様々なものが、一つになっていく様を捕らえることが出来ます。世間で経験するものをはるかに超えて、皆さんが求めてきた不滅のものに達することができるのです。この最高の知識を手に入れるには、何をよりどころとすれば良いのでしょう。
それは清らかな心です。心は神聖な行為によって清められます。神を信じる人達と付き合い、毎日の生活で良いことをするように心がけ、良い仕事をしていれば、心は清らかになります。SGc1
心が清らかになればなる程、人は若さに満ちあふれます。その人はいかなる病気にも罹りません。心の清らかさを保つことを目標としなさい。それを達成することは、神への愛によって可能です。29/6/89
現象的宇宙は広大で無限の館。しかし、館は正しい基礎の上に建てなければなりません。
堅固な基盤がなければ、館は崩壊するでしょう。世界という広大で強力な物質より成る鈍重な館にとって、霊妙で無限で強力な心がその基盤です。したがって人は心の強さの程度に応じて、力を得る事が出来ます。~現代人は欲求不満、気落ち、失望によって抑圧されています。
その理由は何か?今日の人々の欲求不満と平安のなさは、心の神聖な力を用いることに失敗したからです。人と人との分離は、増大する一方です。これらの分離感は被害の伴う争いの生ずる原因です。それゆえ、第一になさねばならぬことは、心の力を正しく用いることです。今日人の心は、感覚の言うなりになっている為、まるで酔っ払いのようです。今日世界は二種類の酔っ払いがいます。
一つは富から発生したもの。もう一つは力から生じたものです。この二つは、互いに異なるものではありません。それはひとつの種を二つに割ったようなものといえましょう。富によって人は権力の地位を得、得た権力によって富を手に入れます。今日人々の生活は、力と金銭という二つのものに基盤をもちます。この二つのいずれかを手に入れるなら、彼の自惚れは留まるところを知りません。
その両方を持つ人の状態はいまさら言葉で言うまでもないでしょう。人間らしさを忘れ、獣的な属性をほしいままにし、人は悪魔的な性質を身につけるのです。今日、人は心の力の偉大さを実感認識する努力をしません。その努力をせず、世間的な行動に没頭し、人は自分の人生を無駄にしてしまうのです。6/5/94
自らの心を完璧にコントロールした者のみが、真の人だと言えます。SSIB93p79
宇宙に満ち、それを構成するすべてのものは、心が創り出したものです。それゆえ、その真理を認識するためには心をコントロールし、あちこちへ向かう空想を鎮めなくてはなりません。JV
識別と捨離の実践によって、心を感覚の世界から離して内に向けなさい。そうするとあなたは、心の無い体験をします。また、感覚によって知る世界をはっきりと理解することなしに、単に心をコントロールしようと努力しても、それは価値のない努力であって、執着は去らず心の波立ちは、たやすく鎮まらないということです。というのも、きっかけさえあれば、心はすぐに波立つからです。
熟睡している時のように心を不活発の状態に保ちなさい。感覚によって体験する一切が真実でないという確信を十分把握するならば、心はもはや外界に気を散らす力を持ちません。UVc5
欲望に満ちた心は鈍性の属性を持ちます。鈍性の属性が優位であるところに暗黒があります。欲望が満たされる時、心は涼しくなり、満たされなければ心は落ち着きをなくします。しかし、心が熱くなることはありません。それが心の本性です。4/4/92
心自体は認知の力を持ちません。心が物を認知するには、眼や耳などの認知器官によらねばなりません。感覚が弱まり感覚を通じて得る印象が誤り、不確かとなれば心もそれによって影響を受けます。心は、誤った印象によって影響を受けます。それゆえ霊的な場においては、良い人と交わることの重要性が強調されるのです。21/11/90
人間というものは手持ち無沙汰な時、心があちこちにさまよいます。8/3/86
人間は心という独特の道具を持つ唯一の存在です。心をコントロールすることの出来る人こそ、人生においても成功を収めることが出来ます。心の奴隷になった人は、幸福を得ることも平安を得ることも出来ません。
~人々は普通、心を身体と密接に結びついたものと見なします。彼らは5大元素よりなる身体を真実で永遠のものと信じ、身体を完全に健康に維持するためには時を惜しまず努力をします。
人生は世俗の物事を追って浪費されます。しかし、最高の大成就は、ブッデイを用いてより高い英知を得、得た英知によって心をコントロールすることです。~それは良い想念を抱くことによってのみ可能です。8/19/86
想念を減らすにつれ心は力を失います。内在の神霊を信じるためには、身体、心、知性の力の全てを内在の神霊に向けねばなりません。いかなる想いが心に浮かぼうとも、それはアートマンに向けられねばなりません。それが真のサーユジャ(神と一つになること)です。人が神に帰融するとき、神との一体感を認識し多様性の感覚は消えます。23/5/91
心は本能と衝動が束になったものです。心は実は世界そのものです。心は人にとっては全世界です。熟睡している間は心は機能せず、世界は彼にとっては事実上存在しないのです。心の認知力いかんによって、世界は生まれ、すなわち意識にのぼり、あるいは消滅、すなわち意識から姿を消します。それゆえ心を滅する時、世界も又滅し、人は自由となります。彼は束縛から解き放たれるのです。JV

自分の心を変えることを、ババに祈るべきではありません。自分の心を変えるのは、その人の義務です。何から何までババにしてもらおうと期待するなら、一体あなた自身は何をするのですか?
神は、そのような怠け者は要りません。自分の霊性修行を実践し前進しなさい。自らの本分を果たす人を神は助けます。義務を果たし、結果を神にゆだねなさい。これをしてください。あれをしてください。と神に頼むのは弱さの証拠です。神を完全に信じていれば、心はおのずから変わります。ババの役割は、あなたの心を変えることではなくて、行為の結果からあなたを救済することです。
各人はこれを認識し、この真理に基づいて行為しなさい。まず、自分自身の内にある欠点を正し、神への信愛を強め、信念を堅固にゆるぎないものとしなさい。これがプルシャプラヤトラ<全ての人の為すべき努力>です。そうすれば、あなたは神の恩寵を得ることが出来ます。11/92
アーユルヴェーダは心の清らかさこそ健康の為に肝要であると確信し、一方アロパシーの医者は心をさほど重要とはみなしません。彼らは、病気の原因となった病原菌の撲滅を重要視し、それを病気治療の唯一の手段と考えます。病気を撲滅するために、心と霊の果たす役割を考慮しません。~抗生物質は非常に強力ですみやかに病状を改善しますが、しかし病気を治す一方で危険な副作用も伴います。6/2/93

心は人を最高の高所に高める事も出来、最低の深みに沈めることも出来ます。心を正しくコントロールする事こそ,今日人類の直面する挑戦的課題だといえよう。人は身体的・宗教的・霊的に、人生のあらゆる面において、高尚な理想と感情を持たねばなりません。彼は束の間ではかない感覚の悦楽を捨て、惨めさを引きずって生きる生活から脱却しなくてはなりません。向上するのも堕落するのも心次第です。心の気まぐれな命令のままに性急な行動に走ってはいけません。修行をつんだ者は、善悪,正邪を良く考えてから行動します。
そのような人は、究極的に神我を実感認識する目標に到達します。25/5/93
霊性修行により、あなたの心は静まり穏やかで落ち着いたバランスの取れた人にならなければなりません。あなたの心を月光のように涼やかで快適なものにしなさい。というのも、こころを支配している神は月だからです。静かな言葉で話しなさい。悪意や揚げ足取りや賞賛に対しては、静かに反応しなさい。感覚、情熱、感情、気分、衝動が落ち着いたものであること、それが真の平安です。神は次のように警告しています。疑いや無意味な議論によって、私から離れてはなりません。あなたはどのようにしてこれらのことを成し遂げることが出来るのか?そもそもそんなことが自分に出来うるのか?などという疑問を持ってはなりません。    (サイババと精神科医)
どの人にも心が与えられています。心は神秘なものです。心は完全に静止しているように見えながら、光速より速く移動します。人は何度も生まれ変わって名と姿をどのように変えようとも、心は変わらず彼と共に付いて来ます。心は人の輪廻転生と共について回ります。それが心の独特の行動です。28/3/96
人は、心の性質を理解したときに人間の真の性質がわかるのです。では、心とは何か?それは悪いものではないのです。それは良いものなのです。それは、アートマンの力、想念の力を顕しているのです。どんな遠いところへでも行くことが出来、アートマンの力を探求出来、過去、現在、未来という時にもとづいた真理を理解する力を持っています。それ故心は人々の毎日の生活の基になるものであり、人生の基礎となるものでもあります。すべての力の源でもあります。今日、人々は心の重要性について無関心です。SS7/1995p, 170
心は、身体の感覚器官と結びつかないうちは害を及ぼしません。たとえて言えば、心は想念の劇場を持っているようなものです。その劇場自体は何も害を与えません。しかし、心が身体をそそのかして自分の劇場に連れて行くと、それが映画になり、登場人物になり、そしてそれを見て人は感情的になり、またそれがその人の概念になり、そして結局のところ人は平安を失います。心を身体と結びつけさせてはいけません。身体の感覚は、身体の保持に必要とすることのみに限定させておかねばなりません。心も真理、集中、平安、愛、祝福といった五つの心の作用につなぎ止めておかねばなりません。心をこのようにつなぎ止めることができれば、すべてはうまく進み人々は幸せで平安になれるのです。CWSSBp55
人は忙しく仕事をするように出来ています。そしてもし人が忙しくいろいろと神のために働けば、心は役にも立たない色々な想念を浮かべることはなくなるでしょう。CWSSBp56
心をきれいにするには、高貴さを養い、神聖な思いを身につけ、多の人々に奉仕しなくてはならない。誰も他の人々を傷つけず、人類同胞に対して愛情や同情を持つ人は偉大な人である。SSN秋1995p,18
自己探求と自己反省は、自己実現のために重要です。もし悪い想念が湧き起こってきたら、次のように考えれば良い。「間違った食物を摂ってしまったからこんな想念が浮かんできたのだ。今日から断食してこれらの思いを取り除こう。」と、これが心を罰する最良な方法なのだ。これが自己改善であり、こうして人は、心をコントロール下におかねばならないのです。Thought of the Day 8/12/1987
心というのは、思いや想像のかたまりです。このような思いは、少しずつ減らしていかなければなりません。思いが減ってくると、心はねじが巻かれていない時計のように、自然にコントロールされていくものなのです。心の活動が減少してくると、アートマンの力が顕現してきます。その結果、英知の力が感覚を支配し始めるのです。話すことや心がコントロールされると、完全なる沈黙の領域に達することが出来るのです。SS3月1994p,58
心は様々なものを創り出します。心にはそういう特別な力があります。どんなものでも、創り出し、滅ぼしてしまう途方も無い力があるのです。すべての行為の原因は心にあります。この強力な心を神に捧げればすべての行為も神に捧げられることになります。神を思うことに心を使えば、すべてが聖なる行為になるのです。SGc31
人間の霊性修行は、すべて心のレベルで行われています。そうした方法でアートマを悟ることはできません。心も言葉も、アートマの性質を理解することはできません。心は感覚器官によって外側に向きを変えさせられます。心を感覚の対象物から退しりぞかせることによってのみ、心に内なる視力を向上させることができるのです。30/3/87
君の身体の中には聖なる心がある。その心の中には神がいる。それとともに、君の身体の中には一人の存在としての魂がある。この二つ~神と一人の存在としての魂~は、身体の中では別々のものとして現れ、大いなる物語における役割をともに演じている。この物語の作者の命ずるままに、この二つは、一つに出会ったり別れたりする。作者は良い方と悪方のそれぞれの役割を決める。
だが本当は、すべての役を演じているのは、ただ一人の神なのだ。肉体の側から考えれば、内にひとつの魂があり、そのまた心の奥に、神がいることになる。肉体に捕らわれていれば、二つは別々の存在のまま、それぞれの役を演じているように思うだろう。だが自分は肉体だというまやかしが消えれば、この二つは一つになる。そうなれば神の意識を悟り、永遠の悦びを味わうことが出来るだろう。
~すべては一つなのだ。感覚にとらわれて、このすべては一つという気持ちを忘れ、落ち着きを無くしてはいけない。悲しみと喜びから、執着と憎しみから心を自由にするのだ。褒められても、とがめられてもそれにとらわれてはいけない。誰に対しても変わらない態度で接するのだ。~この宇宙のすべてのものが神の現れだと信じれば、最高の英知あるものとなる。SGc34
皆さんは、過去を回想し、恐ろしい未来を思い描くことによって、悲しみを倍増させています。皆さんは、過去を思い返し、これからの出来事をあれこれ考えることで、今この瞬間を大きな恐怖で満たしています! 蓄音機の針はレコード盤の上を走って音楽を奏でます。レコードは動かない物体です。心(蓄音機の針)が自然界と関わりを持ち、自然界と接触すると、喜びと悲しみの歌が聞こえてきます。過ちは、自然界にあるのでも、心にあるのでもなく、接触することにあります! 離れていなさい、無関心でいなさい。そうすれば、何の反応も生じません。これが、心の平安を手に入れる方法です。21/11/69

*乞食
外では多くの物乞いを見かけます。物乞いにはお金を与えてはなりません。物乞いはあなたが与えたお金を悪いことに使うかも知れません。あなたは最初に尋ねなくてはなりません。「友よ、何が必要なのですか?」と。もし空腹だというのなら食べ物を与えなさい。必要なものだけを与えるべきです。度を超えた寛大さは危険につながります。24/11/2000

 *個性の改善
あなたの個性を改善している間、私はあなたと違う道を行きます。その間、あなたは私があなたを避けているように思うでしょう。しかし、それは真実ではありません。私はあなたとの関係が少しでも早く神聖なものとなるように、わざとそうしているのです。P, 298ANDI

 *子育て
今日世界中の親は、我が子の行動に悩み、幸福でいられません。彼らは自分の子供の行為を嘆きますが、実は非難されるべきは自分自身であることに気がつきません。正しい道に従って子供を育てていたならば、子供達が道を踏み外すことはなかったはずです。甘やかされた子供達は、迷い犬のようにうろつきます。彼らを改めることは不可能です。富めば富むほど人は横柄になり、道徳は廃ります。6/5/92
親には、子どもに浄性の食べ物の有効性を教え、幼少期からそれを習慣づけるという大きな責任があります。反対に、もし家庭で親が肉や魚の入った激性や鈍性の食事を作って出すならば、どうやって子どもがサトワ グナを伸ばすことを望めるでしょうか? 子どもたちは、激性と鈍性の食物を摂ることをやめ、親に浄性の食物のみを要求すべきであると、私は考えます。人は浄性の食物だけを食べる習慣を意識的に養うべきです。こうした浄性の習慣を身につけて生活を送って、初めて私たちは浄性の特質を育むことができるようになります。つまり、霊性の道における進歩は、浄性の食物を摂って初めて可能なものとなるのです。22/10/05
自分自身と生まれる子どもが神聖であることを望むなら、絶えず神を憶念していなさい。子どもは、親が善良で気高い生活を送っているときにだけ、善良で気高くなるのです。ですから、まず第一に親が善良でなければなりません。残念なことに、今の親は自分の子どもに手本を見せることができません。その結果 として、子どもが悪い習慣を身につけてしまうのです。6/5/05
子供が道を外すのをそのまま見過ごす親は、いつか必ず報いを受けます。カリユガにおいて、子供を好き勝手にさす事が流行となりました。親は、そうしないと子供達が家出するか自殺するかと恐れるのです。そのような劣等な人格の子供に何が起ころうと、それが何だと言うのですか?親は今日、この種の道徳的勇気を持ち合わしていません。そのような親は子供達に関する悪いニュースを耳にし続け、絶望の内に死ぬのです。31/3/96
今日、親たちは自分の子供たちに制限のない自由を与えており,それが大きな災難となって降りかかっています。もし子供たちを小さい頃からコントロールしなければ、大きくなってからコントロールするのは不可能ですSSIB1993p109
生まれて最初の5年間は,母親が子供の世話をしなければなりません。~今日、金持ちや高学歴の親を持った子供は,(子供を召使いや、保育所に預けるという意味で)とても大きなハンディキャップを持っていると言わざるを得ません。SSSvol2p204

 *五大元素
人間の肉体は、地、水、風、火、空の五大元素で構成されています。肉体は自力で動くことが出来ません。私たちは肉体に空気を吸い込みます。また体内には火があって、肉体を温かく保ち、食物の消化を助けます。体内には空もあり、人間の身体のあらゆる部位の調節をしています。
体内にはたくさんの水もあります。このように外界にある五元素はすべてあなたの内にもあるのです。誰もが同じ割合で五元素を有しています。あなたが持っているものすべては、他の人も同じように持っているのです。
それならば、なぜあなたは施しを求めて他の人に手を伸ばすのですか。何のために。他の人が持っていて、あなたが持っていないものって何ですか。元来、そのようなものは、何もありません。これが「多様性の中の一体性」の原理です。この一体性とは神性です。この霊的な一体性の体験が、あなたを解脱に導くのに対し、多という性質、複数という性質、そして、多様性という感覚は、束縛であり、二元性であり執着です。STPSp68
 愛をもってすればあなたはあらゆることを達成できます。5大元素の全ては愛をもって制御できます。あなたが一旦5大元素を制御したなら、あなたは全世界を制御できます。決してあなた自身を小さな存在と思ってはいけません。あなたは巨大な存在です。あなたの無知があなた自身を卑しい存在と思わせているのです。あなたから無知のヴェールを取り除くのを手助けしてくれるのは愛です。愛は神で、神は愛です。もしも一旦わたしたちがこの単純な真理を発展させたなら、全世界を一つにすることができるでしょう。15/7/01
 五元素は、人間の苦楽や善悪の原因です。五元素は、人がそれをどのように使うかによって、幸せや悲しみをもたらします。五元素は、名前や姿は単純に見えるかもしれませんが、非常に大きな力を持っています。
 人間は、この世に生を受けて何年かの間生き、最終的には肉体を離れます。人間の誕生・成長・死は、五元素が原因で起こります。五元素は、微細な世界から極大の世界にまで広がっています。それは、人間の頭の上から足の爪先に到るまで人体のあらゆる部分に存在しています。ですから、人間はこれらの元素の秘密を必ず知っておかなければなりません。五大元素の重要性を十分に理解した仏陀は、自らの五感をコントロールすることができるように集中的な努力を行いました。5/7/01
五大元素を誤って使う事はとても大きな犯罪です。もともとは,すべて神だからです。それゆえ注意深く使いなさい。水を飲みすぎると呼吸をするのが難しくなります。
エネルギーを使いすぎるとやけどをします。空気を汚染すると精神病になります。自分が必要とする以上な物を熱望するのは間違っています。快楽を過剰に求めることもまた間違っていることです。あなたが欲張りだと今まで手に入れたものまでも失うでしょう。大食漢のように大食いしたり、汚い場所で食べたりしてはいけません。
自分や家族の生活を支えることが出来る以上の土地や耕地を、買い占めてはいけません。あなたが話し仕事をしている時に、大きな声を出してはいけません。必要以上に大きな声を出さないように。器を置くときでさえ静かに置きなさい。騒音を生み出すことも罪なのです。神は静寂なり。p276ANDI

 *言葉
私は意味のない言葉は一言も言わない。2/108の名前
人が死んだ後も、彼の語った言葉はエーテル中の電波という相において存続します。29/5/92

心と言葉と行為が一つに結びついた時皆さんは偉大な魂の人になるでしょう。SGc5
 *子供
人は、子供の時ですら喜びと平安の泉を心の内に持っています。SSSvol2p260
子供の無垢なハートには、より高い理想と目的に対して献身して傾倒するという潜在的能力が秘められています。この可能性は皆さん大人によって引き出され培われるものです。子供達は何も知らないとか、子供達を自分の思い通りに変えれると思ってはなりません。それは誤りです。
子供の素晴らしい可能性に気付きなさい。子供自身が提案したり、示唆したりする方法を採用しなさい。子供が神性へと到達し、自らの高邁な運命に気づくよう手助けするのです。子供のことを、幾分劣った存在であるとか、そのような高みへたどり着けるはずはないなどと考えるのはやめなさい。SSSVol9
もし、もう一度皆さん全員が子どもになることができれば私はとても幸せです。子どもは怒り、情欲、嫉妬、うぬ ぼれ、そしてエゴという悪い性質をもつことは決してありません。イエス キリストはいつも子どもたちの無垢な性質を喜んでいました。ある時、イエスは群集の中にいた一人の母親のひざから小さなこどもを抱き上げて言いました。「私はこの小さな子どもが大好きです。彼女は神のすべての資質をもっています。純粋でエゴもなく、完全な至福の中にいます」子どもは本質的に神です。大きくなるにつれ、子どもは過度の欲望、執着、怒り、嫉妬などといった悪い性質を育ててしまいます。年令を重ねるとともに、悲しみと困難もまた増します。
ですから、人は自分の欲望をコントロールできるよう努力すべきなのです。それは欲望に上限を設けること(節制)です。もし、このコントロールを身につけることができれば、あなたは神の力の影響下にあります。さもなければ、あなたは欲望の力に惑わされ、決して出ることができない渦巻きにはまってしまうことでしょう。単純で純粋無垢な子どもは、神への道です。
私はあなた方に、少なくとも一日に一分間、子どもになってほしいと思います。皆さんは子どもの特徴である気高い性質を見習うべきです。たとえば、あなたが欲望に悩まされているとすれば、欲望はあなたの気高い性質にふさわしくないとみなして追い払いなさい。そうして初めて、あなたは胸を張って歩けるのです。 28/8/04
皆さんが学んだ道徳的価値は、どのようなものでも、自分の子どもたちに教えなければなりません。学んだことのすべては、子どもの成長のために用いたときにのみ、価値をもちます。教育は、一人ひとりの内なる可能性を引き出すためにあるのです。19/11/02
子供は神の申し子と言われています。子供のうちは、憎しみや怒りや嫉妬に駆られることはありません。イエスは、子供にはどこにも悪いところが無いのだから、子供は神のようだと言っています。子供のうちは、心にも身体にも何も悪いところはありません。悪い心からおこる悪い感情が無いから、子供は美しいのです。大きくなるにつれて、子供達に少しずつ悪い性質が身についてきます。そうなると、子供の持っている美しいものが失われてしまいます。悪い心は、悪い言葉と悪い行いとなって、子供の美しさを無くしてしまうのです。人の持っている美しさは、少しずつ無くなっていきます。
そういったはかない美しさは、永遠の悦びを与えてくれません。ロバだって生まれたばかりの時はかわいいものです。それが大きくなってくると、腹が出てきて醜い姿になってしまいます。悪いところが無いうちはどんなものでも美しく見えます。ですからこの世界では、どんな人もどんなものも美しさは限られています。
ということはそこから生まれる悦びも限られているのです。美しさと悦びはいつも一緒にやってきます。美しいけれどつまらないものなどどこにも無いし、おぞましい姿の楽しいものも見ることはありません。永遠に喜ばしく、永遠に美しいただ一つの摂理は何でしょう。
それはアートマです。アートマは変わることも移ろうこともありません。それどころか、アートマには何の姿も無いのです。美しさと悦びが、アートマの姿です。SGc19
子供達は何もしていないのに、何かを受け取ることがないように教えなさい。自分が欲しいものは、子供達が自分たちで働いて手に入れさすようにさせなさい。Gems of Wisdom
親は、子供が聞いているところで他の人の欠点を指摘したり、子供達の敏感な心を前にして、他人への妬みや憎しみを表してはいけません。SSSVol4
まず第一に、視覚と舌をコントロールしなさい。皆さんは、悪いものを見ることによって、多くの罪を犯しています。そして、必ずその結果 に直面しなければなりません。皆さんが悪いことのために感覚を使えば、皆さんに生まれる子供たちも悪い心を持つようになります。ですから、悪いものを見ず、悪いことを聞かず、悪いことを語らないようにしなさい。
昔の人々は、身ごもっている婦人が悪いものを見たり聞いたりしないように注意を払っていました。彼らは妊婦に、神の神聖な物語を話して聞かせ、良いものを食べさせ、善い知らせだけを伝えるようにしていました。彼らがそうしたのは、母親が善い感情を持っていれば、生まれてくる子供もまた善い心を持つようになることがわかっていたからです。両親が犯した罪は、間違いなく子供たちにも影響を与えます。5/7/01
喜びに満ちた真理の道に沿って子どもたちを導きなさい。子どもたちの幸せそうな顔を見ることによって得られる至福から湧き上がる笑顔を、いつもあなたの顔にたたえていなさい。怒り、嫉妬、慢心の罠に陥ってはなりません。これらの罠は、あなた方が着手した務めに、しっかりと、誠実に目を向けることによって、免れることができます。あなた方が奉仕している子どもたちが、母国の太古の栄光を復興させる英雄たちとなりますように。21/11/79

 *ゴマ
胡麻には肺と眼の病気を癒す成分が含まれています。31/8/92

 *ゴールデンエイジ
ゴールデンエイジになれば、世界中が調和で満たされどこかしこも愛であふれるでしょう。今日、どこを見ても混乱、争い、騙しあい、悪徳,などのネガティブな状況が優位を占めているので、あなた達はそのようなすばらしい世界を想像出来ないでしょう。しかし、最終的に変化はやってくるのです。今日、種はまだ土の中にあり、それがゆっくりと芽を出すように、神の教えは世界中の人々の心に浸透し広まりつつあります。間もなくこれらの種は成長をはじめ、たくさんの人々にその絶対真理の美が届き始め、明るく輝き始めることでしょう。時間は少しかかるかもしれませんが、新しいゴールデンエイジはゆっくりとやってきているのです。あなた達の中にある神聖さを輝かせ、ビーコンのひとつとなって世界に明かりを灯し、ゴールデンエイジを少しでも早くこの世界にもたらそうではありませんか。今日、幾人かのすでに啓発された、神を悟ったステージに達している魂たちが、来たるべき新しい時代を導いていくことでしょう。P41 Sai Vandana
アヴァターの使命は人類の心に変容をもたらすことです。皆さんは一つの事実に気づくことができなければなりません。人類の世界規模の変容はすでに始まっています。短期間のうちに、すべての人間社会が一体となり、次のヴェーダの祈りの中で尊ばれている理想に沿って、平安と一体性のうちに生きていることに気づくことでしょう。共に生きよう、共に成長しよう。共に知性を育もう。互いに仲良く暮らそう。私は、黄金時代はとても近いと断言します。バーラタ(インド)、そして、全世界で、個人の対立、不和、同胞への憎しみは、過去の遺物となるでしょう。10/10/05
どこへ行こうと、与えられた義務を常に果たしなさい。そして私があなたのうちにいてあなたの1歩1歩を導いていることを知りなさい。これから先あなた方は、さまざまな姿をとって現れる私を体験します。あなたは私のもの。私にとってあなたは、何よりもいとしいものです。まぶたが眼球を守るように私はあなたを守護します。私は決してあなたから離れず、あなたも私から離れることはありません。今この瞬間から他のものを追いかけず、一切を神と見て揺るがぬ信愛を持って義務を果たしなさい。
忍耐していなさい。やがてあなたに一切が与えられます。幸福でいなさい。何事に関しても、心配する必要はありません。何を経験しようとも何が起きようとも、それを神の意思と知りなさい。この化身が降臨した天命の実現を遅らせる力はこの世にはありません。あなたがたは皆神聖な魂です。あなた方は来るべき新しい黄金時代に展開するドラマにそれぞれの役割を持っています。SSBack Cover page10/96
あなた達の多くは健康上の問題や精神的な心配事を抱えてここにやって来ます。それらは、あなた達をここに呼び寄せて神の祝福を与え、あなたの信仰心を強固にする為に私が用意したものだったのです。問題や心配事は、あなたに謙譲や謙遜の心を教えるいい機会でこれを歓迎すべきです。しかし、あなた方が築き上げて来たものに対しての執着心をずっと持ち続ける事は出来ません。
いつかそれらはあなたの手のひらから滑り落ちて無くしてしまうことでしょう。あなたはいつの日か、チトラヴァティの川床のみが、世界中からここへ来た人々の座れる場所で、空のみが、彼らが座っている場所の天井となりえるのを見ることでしょう。多くの人々は、彼らの人生が好転し、幸せで喜びに満ちたゴールデンエイジがやってくることを信じるのを躊躇しています。私はこのサイババが口先だけで言っているのではないと保証します。この人類に降りかかるであろう危機を回避することに私は成功することでしょう。P303 chap48 SSS Vol 4
大災害は避けられるであろう。新しいゴールデンエイジの時代がやってくるのです。私はそのことに失敗しない。神の化身は失敗したりしないのだ。TEOLp225
多くの人々は今日の状況が好転し、多くの人々が喜びにあふれて幸せに暮らす黄金の時代がやって来るということを、なかなか信じようとしません。私は、このダルマの化身である神聖な身体が、取るに足らないことのためにこの地上にやってきたのでは無いことを保証します。私は、人類に降り注ぐ危機を取り除くことに成功するでしょう。PN1968
私が自ら自分自身の像を祀るのは実に楽しいことです。私は極めて正当な理由からそうしているのです。今日は黄金の文字で刻まれる価値のある日です。今日のこの行事は、サティヤサイ時代という新しい時代が始まる日であり、サイはフルダヤ・スチャイすなわち万人に内在する推進者となるのです。神の化身が神像を祀った過去の出来事としては、ラーマがラメスワラムに悪魔を滅ぼす手始めとしてリンガを祀りました。私は全世界にダルマを樹立する手始めに私の神像を祀ったのです。25/2/1961

 *殺す
自分の身体を守るというのは、とても大事な義務です。どんなことをしても自分を守らねばなりません。誰かがあなたを攻撃してきたらその人を殺す、ということも、それが唯一あなたを守る方法であるならばそうしなさい。しかし、そうする以外に他にたくさんの他の方法で、それを防ぐ手立てもあるということも知っておくべきです。もし八方手を尽くして、もう他に手が無い場合のみ、襲ってくるものを殺す、という極端な選択があるのです。MBAIp197
誰か抜け目のない人が、「行為を神に捧げ、その神の名のもとに、人を殺したり、傷つけても良いのですか?」と、尋ねるかもしれません。一体どうして思いと言葉と行為が純粋で無いなら、あらゆる行為を神に捧げることが出来るでしょうか。愛、平安、正義、非暴力が神に仕える者の美徳です。DVJp20
殺人者を殺すというのは、ダルマではありません。SSSvol1p124

*コントロール
「人間の束縛と解放をもたらす原因は心です」。心が揺れ動くのは、あなたが欲望を抱えているからです。ですからあなたは、欲望を手放したときに、初めて平安を手に入れることができるのです。ただ単に慈善行為をするだけでは、崇高な人物になることはできません。一心に帰依をして、自らを神に捧げなさい。そうして初めて、平安と幸福を手に入れることができます。あなたの欲望をコントロールしなさい。あなたの思いをコントロールしなさい。そうすれば、すべてをコントロールできるようになります。23/11/05

 *困難
人々は私に、困難と損失を全て取り除いてくださいと祈願します。それは完全に誤った祈願です。困難を歓迎し克服しなさい。困難を乗り越えてこそ、神を体験することが出来ます。2/9/91
身体が困難に陥っているときのみ、愛の甘いジュースが流れることができるのだ。身体が災難に遭わず、心が苦しみを味わうことなく、そして感情をコントロールせずして、どうして神を体験することができるのであろうか?人は、今日このような苦しみを経ずして,真の自由を勝ち得たいと望んでいる。
神の愛を得ることは、そんな容易なことではないのだ。貴重な宝石は,犠牲という市場でのみ買い求めることができるのだ。SS1994p, 2
どんな困難がやって来ても、それを神の意志として受け入れなさい。何のために神が困難を与えているのかを知る者は誰もいません。困難は自分の幸せのためだと考えなさい。1/5/08
あらゆる困難や苦難は人の想像にすぎません。困難のない幸福などあり得ません。喜びは苦しみと苦しみの合間にあるものです。困難は皆さんに幸福を与えるように意図されたものであり、より多くの悲しみによって不幸にするためのものではありません。ですから、自分に何が起ころうとも、それを神の贈り物と考えて、幸せでいなさい。自分を苦しめるために与えられたものだと考えてはなりません。お腹が痛くなったとしましょう。医者は何をするでしょう? もし、医者が手術をするなら、それは苦痛を与えるためではありません。医者が与える苦痛は、苦しみを取り除くためのものです。ですから、困難は自分の苦しみをなくすための手段であると考えなさい。15/12/07
困難を体験せずに幸せを体験することはできません。「誰も幸せから幸せを引き出すことはできない」。幸せは困難に出会って価値を得るのです。克服できそうもない困難でさえ、勇気と自信をもって立ち向かえば、それらはまるで薄い霧のように消え行くことでしょう。問題は山のように見えるかもしれませんが、皆さんの心の中に恐れと不安が入り込む余地を与えてはなりません。心は狂ったサルのようなものです。それは困難によって簡単に動揺します。ですから、やって来る困難を払いのけなさい。決してそれが優勢になるのを許してはなりません。
28/8/04
神聖な行為を行うことによって、私たちの時間を神聖にするべきです。これが今日、私たちが学ばなくてはならない霊的な教えです。訪れる困難と苦しみを克服して初めて、私たちは超越的な至福を体験することができるのです。決して困難を恐れてはなりません。勇気をもってそれに立ち向かいなさい。そうして初めて皆さんの中に人間性が開花するのです。一度、アートマの至福を体験すれば、困難や苦しみに悩まされることはなくなります。28/8/04
困難がなければ決して幸福を得ることはできません。幸福から幸福は得られないのです。逆に困難にだけ陥る苦難もありません。困難が無ければ決して喜びの価値を知ることはできないでしょう。自分の家族が不死ならば、母親でさえ我が子を愛せなくなるでしょう。今あなたの味わっている幸福は、将来不幸をもたらすかもしれませんし、また不幸は幸福をもたらすのです。絶対的な幸福や不幸をもたらすものはありません。
冬に着るコートは夏に着れば不快になるように、幸不幸は時間と状況と場所によって変わってくるのです。喜びとは二つの苦しみの合間のことであり、苦しみは二つの喜びの合間のことです。悲しい時に、困難や苦しみの辛さを思うと、その苦痛は二倍になります。不運な時には幸福だった日々やその時のことを思い返すべきです。そうすれば苦しみの辛さは軽減されるでしょう。苦難を神の試練と見なして、あらゆる困難に立ち向かいなさい。STPS2p164
様々な困難を経てはじめて、あなたは人生の中で自分自身を高めることが出来るのです。SS5/1995p124
私たちは神の恩寵を獲得するために努力すべきであり、困難と損失によって妨げられてはなりません。神を味方に付けたとき、成し遂げられないものはありません。あらゆる困難と苦しみはたちまちの内に消え去ります。そのような全能の神が私たちに内在するというのに、なぜ私たちはとるに足らない事を心配する必要があるのでしょう? 愛は困難を克服するための勇気を私たちに与える神の力です。愛の力で何ごとも成し遂げることができます。私たちは罪を恐れるべきであって、困難を恐れるべきではありません。28/8/04
困難に直面しても悲しまないように。あなたはその時、神を体験しているのです。SS5/95p124
私、私のもの、という思いが、人が直面するすべての困難の原因です。もちろんあなたは執着心や所有欲をすべて捨て去ることは出来ません。しかし、それらに限度をもうけることは出来るでしょう?欲望をとりとめもなく追いかけることが、心に平安を保てなくなる一番の原因なのです。SS9/95p230
人々はよく、他人を助ける前に、まず自分自身が完璧である必要があると考えますが、そんなことはありません。自分に何らかの欠点や弱点がある場合、他の人に対して自分にあるのと同じ短所を指摘することができます。
その時、相手の人が「私の振る舞いを注意する前に、自分の振る舞いを正したらどうですか。」というのであれば、自分はこのような誤った行いによる苦痛を身にしみて知っているので、自分が体験したのと同じ困難を、あなたが避けることが出来れば良いと願っていることを伝えたいのです。それによって、自分の問題を克服する助けにもなるし、このことで悪い影響を受けるはずだった十人もの人が、それによって助かるのです。CWSSBJp84
他者の幸福のために尽力する人は、決して困難には見舞われません。いかなる困難も彼らを動揺させることはできません。25/12/2000
 最近は、憎しみ、妬み、見栄が蔓延しています。これらのものをすべて取り除き、愛の道をたどりなさい。あなたの望みが満たされても、そうでなくても、起きていることはすべて、あなたにとって良いことだと考えなさい。
あなたが困難に遭遇したときは、常に、そのうちもっと良い日が来るのだと考えなさい。善と悪は常に隣り合わせです。ですから、善と悪の両方を同じ心で受け取りなさい。ギータは、『幸せも悲しみも、損も得も、勝利も敗北も、完全なる平常心を持って扱いなさい』と言っています。
楽しみは、苦痛と苦痛の間の期間です。あなたの世俗的な欲望を減らしなさい。神を求める気持ちを育てなさい。神への愛を高め、それによって、さらに幸せになりなさい。もし欲望が大きくなると、あなたの苦しみもその分だけ大きくなり、幸せもそれに反比例して減っていきます。23/11/2000
私はあなたの中にいます。あなたは私の神性の火花に過ぎないのです」。そうならば、人が困難や悲しみに影響される必要などあるのでしょうか? このように探求すれば、あなたにその影響をもたらしているのは、自らの中の悪魔的、獣的な傾向であることに気が付くでしょう。邪悪な資質を捨て去らない限り、あなたは永遠なるアートマの真理を体験することができません。9/10/02
人間はよく、「ああ神様、なぜ私にこのような困難が降りかかるのですか? なぜ私はこんなにも非難され、傷つけられるのでしょう? どうして私に善いことをしてくださらないのですか?」と言って神を責めます。しかし、神はそうした困難を与えることを望んでいるわけではありません。人が経験する善悪はすべて、自分自身の行いに原因があります。自分の思考が自分の現状の原因なのです。郵便配達人は、あなたに手紙を配達するだけです。郵便配達人は手紙の内容も差出人も知りません。引力と重力は地球の有する特質です。引力が届く範囲内にあるものは、何であれこの自然の法則に従わなくてはなりません。この性質を拒むこと、超越することができる者は誰もいません。それと同じように、神は人の行いに応じた果報を手渡すのです。8/1977

 *最高のヨーギ
「自分が万人の内にあるという意識を育て、万人が自分の内にあるという一体感を培うのだ。そうすれば、お前は全てのヨーガに取り組んで、成功を収めることができるだろう。その時お前は、私と他人、アートマと神我などのようなあらゆる区別からも開放される。そうなれば、他者の喜びや悲しみが自分のものとして感じられるようになり、決して他者を傷つけることが出来なくなる。その時、あらゆるものは神である、という自覚の上に立つことが出来、全てのものを愛することが出来るのだ。」クリシュナ神は、このようなビジョンを得ることが出来た者こそは、最高のヨーギであると宣言しました。11章ギータバヒニ

 *債権者
あなた自身を債権者と見なして、あなたの富や才能を他の人のために使いなさい。いろいろな機会をとらえて他の人を助けなさい。哀れみ深くありなさい。SS31996p, 267

 *最後の呼吸
私のことをいつも思っている人、私のことをいつも思い出す人、そういう人が最後の時を迎え、頭の中央から最後の息として抜け出す時、彼は私に到達するのです。私は、彼が私のそばにいつもいたように、私も彼のそばにいつもいるのです。GVp156
人生の終わりに際して、自分の歩んできた人生を振り返り後悔し懺悔しても、それは自らが犯した罪を清めてはくれない、ということに気づかねばならないのだけれど、それはとても難しいことなのです。自分の人生において、罪を犯し続けて悪いことをし続けてきた人が、最後の息を引き取る時になって懺悔をしても、それは意味を持たないのです。懺悔が、今までのすべての罪を消し去ることが出来ると考えることは、間違っています。ああ、懺悔というのは、罪を犯してから長い時を経てから行われるもので、もう遅すぎて誰に対しても何の意味も持たないのです。SSIB77p119
感情、情念、衝動、態度、反応を浄化しなさい。それこそが、あらゆる宗教で定められている霊性修行の本質です。心と思いを点検しなさい。過ちの多い人間を求めてはなりません。純粋なるものだけを求めなさい。いかなる人の悪口をも言ってはなりません。だれをもはずかしめてはなりません。長所を見てその人を敬いなさい。あなたの行いに対する人々の嘆きは、あなたが息を引き取るとき心につきまとって離れません。1008の宝石 P.97

*財産
もし、スワミが望むなら、全宇宙を変容する力がスワミにはあります。なのに、なぜスワミがこうした一切を行っているかというと、それはあなた方全員に、人生を有意義なものにするチャンスを与えるためです。世界に裕福な人は大勢いますが、犠牲を払うという考えや発想はその全員が得られるわけではありません。それが得られないのは、過去何生にもわたって蓄積された不幸です。
死ぬ時には一握りの土さえ持って行くことはできないのなら、どれほどの財産があっても何の役に立つでしょう! 精を出して財を蓄え、そのすべてを銀行に預け、その上、不正所得までため込んでいても、神聖な目的のために私財を犠牲にしようという思いに駆り立てられる人は一人もいません。隠し財産は汚物同然です。そんな財産は必要ありません。ハートは純粋で神聖であるべきです。そうなるためには、あなたの犠牲は神への犠牲であるべきです。24/11/2000

*サイと商売
中には、サイの名前を使って商売をしている人々がいます。彼らは、サイの帰依者を装って他者を騙しています。私は、そのような行動には賛成しません。彼らは帰依者などではありません。彼らは、国の内外を問わず、様々な場所に行ってサイの名前を使って金集めをしています。それは重大な犯罪です。私はただの1パイサも人に求めません。私は、決してそのような商売を承認することはありません。もし誰かが、そのような世俗的な意図を持ってあなたに近づいてきた場合は、それが誰であれ、すぐに出て行くように言いなさい。
霊性の領域に商売が侵入するのを許してはなりません。人は、自分の家族を養うためには、自分の好きなことをして良いでしょう。しかし、誰一人として、サイの名前を使って商売をすべきではありません。ところが、不幸なことに、そのような活動が増えてきています。多くの村々で、人々が個人的な利益のためにサイの名前を誤用しているのを見かけます。このようなことは、アメリカ、イギリス、日本、ドイツ、シンガポール、マレーシア等々、多くの諸外国でも起きています。そのような悪い人々と関係を持ってはなりません。あなたの心を純粋で神聖に保ちなさい。そうしなければ、あなたは生ける屍と同じになってしまいます。そのような人々を尊敬してはなりません。彼らの葬儀を執り行う方が良いのです!22/7/02
彼らはただ、虚飾に満ちた高尚な哲学を説くだけでしかありません。そのような状況がはびこっているのはインド国内ばかりではありません。世界中どこでも同じことです。イギリス、日本、ドイツ、どこに行っても同種の商売が行われています。あらゆるところから、そのような取引のニュースが届いています。バガヴァンにはそのような情報がたくさん伝えられています。
私は、このようなことをすべて迷惑に思っています。このような種類の情報は、バガヴァンが聞きたいと思っているものではありません。バガヴァンが一番聞きたいのは、すべての人が元気で、幸福と至福を味わっているという報せです。バガヴァンの名前を使って商売をすることは、非常に不快で、嘆かわしいことです。帰依に関する事柄に商売が関係してはなりません。塩辛い海の水ですら飲む水に使えるかもしれませんが、この種の帰依には何の価値もありません。22/7/02
バガヴァンは寺院もレストハウスも必要としていません。あなたの心の寺院だけで充分です。バガヴァンは喜んでそこに留まりましょう。いわゆる寺院と呼ばれる施設から届くニュースを、私は非常に嘆かわしく思っています。このようなもののために私が経験する苦悩は、皆さんの想像を超えています。神の名のもとに悪い行いをしてはなりません。もしあなたが善を行うことができないのであれば、少なくとも静かに邪魔をしないでいなさい。皆さんは様々な派手な約束をする必要など、まったくありません。沈黙と愛のうちに神の至福を味わいなさい。
ここには世界中から人々が集まっているので、私はこのような厳しい言葉を語らなければなりませんでした。サイの名前のもとに商売の取り引きを行っている人々とは、一切関わりを持たないようにしなさい。そのような人は、合掌をして追い払いなさい。もし皆さんに何か必要なものがあるときは、私に頼みなさい。
~決して私が真実に反することを語ることはありません。私は、そのような好ましくない行為が、純粋な帰依者の身には、いっさい降りかかることがないことを望んでいます。昔は、私がムンバイを訪れると、人々が、場所も時間も構わずに、空港においてまでもバジャンやナガラサンキールタンを行うのを見かけたものでした。こんにちでは、公の場所で神の御名を唱える人すら、ほとんど見ることができなくなりました。もちろん、帰依者の数はとてもたくさんいます。ところが、彼らはナマスマラナをすることを恥ずかしがっています。私は昔、チェンナイ、ムンバイ、ハイデラバードといった、様々な都市を訪れていました。しかし最近、私はどこにも行きたくありません。そういう所はどこも、そのようなよこしまな人々だらけです。彼らを排除して、信仰心の厚い人々を励ますことは、とても大事なことなのです。22/7/02

 *才能
もしあなたが大きな仕事が出来るような才能を持っていたなら、それを神の栄光を讃え、人類を高める為に使いなさい。vol4p, 190

*サイの学生
他の人々がどう言おうとも、我々の学生たちは黄金のように素晴らしいのです。彼らの足跡の埃でさえ、他の人々の不正を阻止することができるでしょう。私たちの教育機関の卒業生たちは、男子も女子も神聖で見本的な人生を送っています。我々の女子大学の卒業生が作っている「サティア・サイの使者」と呼ばれる組織は、様々な国において幾多の奉仕活動を行っています。彼女たちは、夫を感化して奉仕の道を歩かせることまでしています。我々の学校の卒業生たちは、スイス、アメリカ、日本、ロシアといった様々な国々で活躍しています。一部の外国人たちが、彼女たちを買収してサティア・サイババを非難するための話を捏造(ねつぞう)させようとしています。スイスでは、女子大の卒業生に対して、ある人物が、サイババを陥れるための作り話を考えて欲しいと言って近づいたとき、彼女は烈火のごとく怒って、すぐさま自分の履いていた靴を脱いで手に取り、ほとんど相手を打ち据えるような勢いで「これがあなたの宗教の教えですか? これがあなたの宗教が広めようとする理想なのですか? 恥を知りなさい! ここを出て行きなさい!」と迫ってその人物を追い払いました。しかし中には、ユダのように買収されて、サイババを陥れる虚偽の攻撃をする裏切り者たちがいます。25/12/20000

 *サイの組織
ここで、はっきりと言わなければなりませんが、あなた方の中の100人のうち90人は、私があなた方にオーガニゼーションを結成することを許した目的を、まだ明瞭に思い描けていません。それは誰かに権威や権力を与えるためでも、私に名声と知名度を確保するためでもありません。それは、地上において、しっかりとした基盤の上に、神を父とする人類の同胞愛を築き上げることです。あなた方はこのことをしっかりと把握していなければなりません。あなた方は、オーガニゼーションを通じての社会奉仕に携わっているのではなく、あなた自身の奉仕に携わっているのです。どの仕事の項目もすべて、あなたのハートを拡大して浄化することを意図します。21/11/68
サイの組織においては、自己を律する、ということをしなければなりません。行動を通じてそれを促進する、ということが大事です。少なくとも今日から、あなたの行為を通じて人々の模範となり、人々を導きなさい。これが私があなた方に望んでいることなのです。SS4月1994p92
ダイヤモンドは多面体にカットされ、カット数が多くなればなるほど、輝きの美しさは増し、値段はつり上がります。オーガニゼーションの発展、オーガニゼーションが体現し展開しているサイの原則に耐えることができない人は、非難や中傷をしたり、あざ笑ったり、妨害したりするかもしれません。しかし、このムーブメントが弱まることはありません。障害が大きくなればなるほど、さらに意気揚々と前進するでしょう。そうした障害は、拡大と輝きを助長させ、役立つことになるのみです。憎しみはアスーヤ〔妬みや悪意〕という邪悪な性質から生じますが、このムーブメントはアナスーヤ〔妬みや悪意がないこと〕を基盤としています。ですから、障害に注意を払っていてはなりません。定められた理想と義務を守り、オーガニゼーションと、オーガニゼーションのプログラムに専心しなさい。23/11/82
責任者たちは、正しい方向に向けて必要な手立てを講じるべきであり、それができなければ、その役を辞任した方が良いのです。私たちが自らその責任を負いましょう。
サイ・オーガニゼーションの全インド統括は、そのような人々に厳しく対処するべきです。全インド統括は、彼らの重責を直ちに軽減してあげるようにすべきです。私は、我々のオーガニゼーションの現状について、深く悩んでいます。私の中には、ずいぶん前からこのような感情が存在していましたが、それを表明する適切な時節を待っていたのです。今日この場に、世界の多くの場所から、これほど多くの人々が集まって来たので、これは私の思いを表明するのに最も適した機会だと感じたのです。22/7/02
今日、この文化が育ち繁栄したこの国自体において、不道徳と腐敗が幸福と平安を破壊しています。多くの人がこのことを非難していますが、非難している悪事を行っているのは、その人たち自身です。人々を導くと宣告している人たちは、堕落への誘惑によって自分自身が間違った道に導かれています。ですから、これらの組織を設立して運営するとき、胸に刻まなければならない第一の規範は、「ステイタス、権力、地位を切望しないこと。虚飾や誇示を許さないこと。知名度、世間の注目、賞賛を求めて競い合わないこと」です。
義務は神です。義務をなし、満足していなさい。あなた方は、自己権力を拡大させようという欲を抱き、それを実現させようと計画しているかもしれません。役員の地位を獲得するために、すでにさまざまな目論見(もくろみ)をしている人々がいることを私は知っています。しかし、そのような欲望は抑えて滅ぼさなければなりません。異議を唱えず、私の指示に従うことが、最も良い計画です。21/4/67

 *裁判所
今日の裁判所はマヌの定めた法に従っていない。正義は、時、状況、金銭により左右されてしまっている。ダルマは空間、時、状況を超越したところにあるのだ。SS8p, 200

*探す
私は探しています。ずっとずっと探し続けています。私は当時も探しました。私は今も探しています。私はずっと、真の、そして、正義にかなった人間を捜し続けているのです。19/8/06

*魚
魚は、たとえ黄金の器に入れられても、自分が引き上げられた海へ戻るために死に物狂いでもがきます。魚は、生まれ故郷に到着するまで激しい苦悶の中にあります。魚は、幸せに生きるために水に囲まれていることを望むのです。同様に、人間の本質はアーナンダであり、それゆえ、人はアーナンダなしでは生き延びることはできません。人間はアムリタ スワルーパ(不死の化身)です。それゆえ、いつか自分の肉体が崩れ落ち、死が必定であることを想像することは、人間にとって難しいことであるのです。人間は、自分の目をエゴイズムで目隠しをし、暗闇はとても自分の性分に合っていると言います。物事の複雑な形をぼんやりと見て、そのぼやけた形を真実と受け取っているのです。1/10/62

*詐欺師の愛
ここでスワミが強く言っておきたいのは、サイを手に入れるのはそれほど簡単なことではない、ということです。あなたは私を愛していると言うかもしれません。しかし、どうして私はあなたを信じることができるでしょう? あなたの愛には犠牲の精神があるでしょうか? あなたの言葉と行動には一貫性がありません。あなたは何かを約束しても、次の日にはその約束を破ります。そのような詐欺師の愛をどうやって信じることができるでしょう?13/7/03

 *サティヤナーラヤナ
サティヤナーラヤナは普通の人々の間を歩き幸せに話しかけ人々を幸福にします。サティヤナーラーヤナは普通の人間のように見えますが、並外れた至上の力を有しています。質素で平凡に見えてもその力と栄光を説明できる人は誰もいません。サティヤナーラヤナはヴィシュヌ神に他なりません。サティヤナーラーヤナは普通の人間ではありません.8/08

*サットサング
あなたは、「どうすれば神のビジョンを得ることができるだろう?」と疑問に思うかもしれません。おお、おばかさん! あなたは神を捜す必要はありません。あなたがどこを見ても神はそこにいます。神はすべての事物の中に浸透しています。あなたが神を見ることができないのは、外的な見かけに惑わされているからです。「外観だけに頼るのは動物です」。あなたが何を見ても、あなたが何を経験しても、それはすべて神の現れに他なりません。事実、あなた自身が神なのです。ですから、ヴェーダは人間に、「私は神であり、神は私以外のものではない」という信念を育てるようにと教えています。名前と姿はたくさんありますが、神は一つです。「まことに、このすべてはブラフマンなのです」。そのような神における一体性を認識しなければなりません。目に見える多様性の根底には一体性があります。
サットサングとは一体性を経験することです。 今日、人々は、サットサングとは霊的求道者の集まりだと考えています。人々はそのような集まりに参加して、自分たちはサットサングをしていると考えます。しかし、本当の意味では、それはサットサングではありません。というのも、あなたが善いと思っている人々は、悪くなってしまうかもしれないからです。彼らは必ず変化します。どうしてそのような一時的な交わりが、永遠の幸福を与えることができるでしょう? それは不可能です。今日に至るまで、人々はサットサングの真の意味とその意義を理解していません。
「あなたの仲間が誰かを教えてくれれば、私はあなたがどんな人かを言い当てましょう」。あなたが、自分をはかない事物と結び付ければ、その結果 もまた一時的なものにならざるを得ません。あなたは、神との友情を培わなければなりません。神との友情のみが真実で永遠です。神はあなたの中に存在しています。あなたはそれを外側に見つけることはできません。外の世界は変化に支配されています。世界は物質の組み合わせ以外の何物でもありません。この世に存在するものすべてが一時的なものです。永遠のものは何ひとつ存在しません。この世に見えるものはすべて幻影です。目に見えない真我の原理のみが真実で永遠なのです。1/3/03A

*鞘
 今日のグルプールニマの日から、神聖な感情を培い、至高の平安と至福を楽しみなさい。すべての人が至福(アーナンダ)を得ようと願っています。どうすればそれを手に入れることができるのでしょうか? 人間には、食物鞘、生気鞘、心理鞘、英知鞘、歓喜鞘という五つの鞘があります。あらゆる努力を注いで英知鞘に到達しなさい。そうして初めて歓喜鞘に到ることができます。幸福で至福に満ちた人生を送り、幸せを人々と分かち合いなさい。皆さんは、この至福がどれほど大きなものであるかを知りません。小さな木片が、火に触れると火になるのと同じように、あなたが心の中で私に近づくとあなたは神聖になります。あなたの心は光に照らされ、無知は追い払われてしまいます。5/7/01
人間は、五つの鞘(さや)、すなわちコーシャを有して生まれてきます。その五つとは、アンナマヤコーシャ〔食物鞘〕、プラーナマヤコーシャ〔生気鞘〕、マノーマヤコーシャ〔心理鞘〕、ヴィグニャーナマヤコーシャ〔理智鞘〕、アーナンダマヤコーシャ〔歓喜鞘〕です。この五つのうち、三つは肉体に属し、二つはこの世を超越した世界に属しています。その二つを見分けることはできません。
皆さんがこの世とこの世を超越した世界で探求しようとしているものは繋がっており、切り離せないものです。私たちは神をサット・チット・アーナンダ〔絶対実在・純粋意識・至福〕と呼びます。名と姿という一時的で束の間の媒体を通して、人は持続する永遠のサット・チット・アーナンダを体験することができます。地上における人間の存在の総体は、アンナマヤ、プラーナマヤ、マノーマヤという三つの鞘が一体となったもので構成されています。皆さんはそうした人間の存在次元を乗り越えて、神と一つになるまで上昇していきます。そのためには、ヴィグニャーナマヤ・コーシャとアーナンダマヤ・コーシャの助けが必要になります。
この彼方の目標を前方に定めない限り、この世での存在は無意味なものになります。なぜ健康を守り、保持する必要があるのでしょうか? それは、あなたのこの世での存在のためではなく、アートマーナンダ〔真我の至福〕を体験するためです。8/10/83

*3位1体
心、言葉の力、身体は、霊性・道徳・ダルマによって清められます。この3位1体の清浄を成し遂げたもののみが、神を実感認識することが出来ます。この3つのうちのどれか1つでも清浄を欠くならば、神を実感認識することは出来ません。1/1/96

 *残酷
(世界は残酷)というようにわざと創ってあるのです。この世界の目的は人の不満をつのらせることにあります。そういう傾向に人を持っていかねばならないのです。それが充分強くなった時に初めて、人は神を捜し求めるのです。Interview with New York devotee
ひとたび内に目を向けるなら、平安を見つけることができます。内なる平安が外に現れてくるのです。そのように内を見る人だけが、本当の意味での人間と呼ばれ得るのです。一方、動物にはそのように内を見ることはできず、識別力を持った知性も備わっていません。そのために動物は残酷さを示すのです。皆さんは動物ではありません。皆さんは人間です。ですから、人間の生活にふさわしい生活を送りなさい。皆さんは自分は人間だと言いますが、残酷な動物の生活を送っています。それでどうやって自分を人間と呼べるでしょう? 本当の人間らしく生活しなさい。22/11/08

 *賛辞
いにしえの賢者やヨーギは賛辞を用いて神に祈願しました。このような賛辞は神をうんざりさせます。そのため彼らは神のヴィジョンを得るまでに幾百年もの間苦行をせざるを得なかったのです。8/89/SS

*三昧
三昧の秘訣は、目覚めている時もあなたの深いところで眠っているときのように「存在」することです。眠りはマーヤーにおおわれています。マーヤーから目を覚ますと同時にあなた自身を眠りに浸すのです。それが三昧(サマーディ)です。SIP5-76

 *死
太陽エネルギーは人の無数の神経系統を通って降り注いでいます。感覚は死の瞬間、心に融合します。心によって制約されながらも、このことを認識した者の魂は、神経を通ってハートの虚空にたどり着き、ついに身体が死ぬ瞬間、魂はハートより上昇するきわめて微かな一筋の神経通路に沿って太陽光線に赴き、さらに太陽界へと旅立つのです。しかし、旅はそこで終わるのではありません。
魂は更にブラフマ神の司る界へと赴くのです。しかし、無知な者の魂は、心の働きを、心そのものが為していると思い込み、目や耳やその他の感覚を経て、カルマの支配する界へ赴くのです。熟睡した人が、目覚めたのちでないと満ち足りた喜びに気づかぬのは、彼の魂がまだ無知によって包まれているからです。UVc9
皆さんの幸せや悲しみは、皆さんの中から何が生じるかによります。この世のものはすべて、皆さん自身の思いが創り出したものです。皆さんはここにどれくらい長く留まることができますか?皆さんは自分に課せられた役割が終わるまで、この世に留まります。その後は、すべてを置いて、行かなければなりません。ですから、この真理を認識し、それに従って行動することが絶対に必要です。この世に永遠のものは何もありません。それゆえ、そのように来ては去っていく一時の物事について、心配する必要はありません。だれかの死を嘆き悲しむ必要もなければ、だれかの誕生を大喜びする必要もありません。
今日誰かが生まれても、明日その子に何が起こるかはわかりません。実に、昨日も今日も明日も、すべては同一です。何の違いもありません。それと同じように過去も現在も未来も同一のものですが、三つの時間における私たちの体験は異なります。過去をくよくよすべきではありません。過去は過ぎたことであり、戻ってはきません。未来は不確かです。一方、現在は単なる現在(presentプレゼント)ではありません。現在は遍在(omnipresentオムニプレゼント)です。この遍在には、過去も未来も含まれています。ですから、過去も現在も未来も一つのものと見なし、至福を感じるようにすべきです。15/1/08
何度も何度も生まれては死ぬことを まぬがられないというのはどういうことか、分析しなければなりません。デーハ(体)は生死の繰り返しを被りますが、アートマは永遠です。アートマが内在者として体の中に留まっている限り、体には意識があります。アートマが体を離れた瞬間に、体はジャダ(不活性)になります。この現象が死と呼ばれているものです。この真理を悟ることができずに、人は自らを悲しみにさらしているのです。生と死は外側の姿形だけのものであり、アートマのものではありません。20/10/04
ババの姉の夫が亡くなり悲しみの泣き声をあげている時、ババはくすくす笑いながら咎めるように言いました。「なぜ騒ぐのですか、死も無く、誕生も無ければ私はどのようにして時を過ごせば良いのでしょう。」真、善、美part2p70
死ぬための準備ができていない者は不幸な運命に遭遇します。人生の最後の時を迎えたときにオウムのマントラを唱えることができるように熱心に修行しなさい。誰であれ死に際してプラナヴァ(オウム)を唱えるものは私に達するとクリシュナは言いました。息を引き取る時にオウムを繰り返して唱えなさい。至高の神を常に思い 起こすことは、あなたの今生と来世での幸福を至高の神に委ねる力を持つのです。SIP4ー5
スワミは皆さんに霊性修行をするよう強く勧めているのです。ナガラ・サンキールタンは帰依者に処方されているサーダナの一つです。いつ自分の死が近づいてくるかはだれも知りません。縄を投げるとき、ヤマはその人がそのとき何をしているか、それが良いことか悪いことかは考慮しません。ナガラ・サンキールタンをしている最中でさえ死ぬ ことはあるのです。ですから、人は神の御名を唱えて、いつヤマに会ってもいいように準備をしているべきです。カルマ・パラから自由になれるよう、霊性修行を始めて神の恩寵を得るようにしなさい。がっかりして自分の運命を甘んじて受ける必要はありません。人は真摯な祈りによって容易に運命に打ち勝つことができるのです。すべては神の恩寵しだいです。21/7/05
現代人の悲しむべき現状は、死に瀕していながらも、人は大騒ぎをし、空しい快楽のために貴重な瞬間を無駄にしていることです。何がそういう間違いをさせるのかというと、それは自分と体を同一視していることにあります。体は自分が住んでいる場所であり、乗り物であり、器にすぎません。自分を体の住人と見なしなさい。そうすれば、あなたの悲痛はほとんど消え去ってしまうでしょう。そして、自己中心的なところが減るでしょう。それは、他の体の住人である他者との親近感を感じるようになるからです。20/2/66
運命に従って、起こるべきことは何であれ起こるのです。ならば、どうしてそのことを気にしたり、悲しんだりするのですか? 生死は自然なことです。生死はすべてのものに共通であり、特にこの人にはあるが、あの人にはない、というものではありません。ですから、人は平然と運命の審判に向き合い、何が起こっても落ち着きをもって受け入れなさい。人は運命のせいで苦しむのではなく、欲望と執着のせいで苦しむのです。もし、この世のものへの執着があるなら、あなたは必ず喜びと悲しみを交互に体験することになります。苦楽は二元的な世界の切っても切れない部分なのです。すべてのものごとは神の意志によって起こります。神が望むものを、神が望むときに、神は与え、神は取り戻します。皆さんは気づいていないでしょうが、体がこの世に送られてきたとき、体に返却日が押されます。その日が来れば体は元の場所に戻っていく――それだけです。このように、生があれば死もあります。二つが自然な一組を形成しているのです。ですから、人は死のために悲しみに道をゆずるべきではありません。23/5/2000
恐れのない人になりなさい。たとえ頭に雷が落ちても、恐がってはなりません。死がやって来るのはたったの一度きりで、二度とはやってきません。それはいつか必ずやって来ます。ですから、死を恐れないことです。いかなることがあっても良いような準備をしておきなさい。
真理を守ることを恐れてはなりません。あなたの人生を愛で満たしなさい。そうしてはじめて、あなたの人生は神聖なものとなります。もしあなたが、真理と愛を守らないとすれば、ジャパ(神の御名を繰り返し唱えること)や瞑想のような、いかなる霊性修行をしても、あなたの人生は救われないでしょう。いかなることが起きようとも、構わずにこれらの価値を守り続けなさい。これらの価値のみが、全世界に幸福と繁栄をもたらすことができるのです。愛をますます育てて行きなさい。
他者の批判を気に留めてはなりません。なぜなら、皆さんはいかなる過ちも犯しているわけではないからです。人がもし、本当に神を愛しているとすれば、いったいどのような過ちが起こり得るでしょうか? 皆さんの呼吸が止まる最後の瞬間まで、神への揺るぎない愛を持ち続けなさい。対立や疑念の介入する隙を与えてはなりません。すべての人が、自分の行動の結果 に直面しなければなりません。それがいつどのようにやってくるかは、誰も予測できませんが、人間は必ずそれらの結果 に直面します。
しかし、あなたが絶えず神のことを考えているのであれば、決して苦しみにさいなまれることはありません。神はあなたをすべての苦しみから守るでしょう。神は常に、あなたの中に、またあなたの周囲にいて、あなたを安全に守るでしょう。邪な感情の付け入る余地を与えてはなりません。25/12/00
子供が亡くなった時は、「この子が生まれたのは、私の為だったのだろうか。」と自らに問いなさい。その子は、果たすべき自らの定め、自分自身で完成すべき魂の為に来たのです。仏陀p40
良い行いをしようと決めても、人はそれをするのを後回しにしがちです。と言うのも、何かがその人に、「今しなくても良いではないか、お前はこれから先まだずっと生きているのだから、急いでやる必要など無いではないか」と囁きます。ところが人は何か悪い事を企むと、即座に実行にうつします。「明日はもう生きていないかもしれないので、早くしておこう。」と感じるからです。このことからもわかるように、悪い行いはすべて死をもたらし、良い行いは不死をもたらすのです。21/11/70
死は存在しません。死ぬのは肉体です。しかし、「アートマ」すなわち肉体に内在するものは不滅です。アートマは永遠の真理です。あなたの幸福こそが天国であり、あなたの不幸が地獄なのです。この二つは、実はこの世にあるのです。この天国と地獄の二つともあなたから離れて存在しているわけでは無いのです。~死への恐怖を克服できる方は、ただ一つ、勇気のみです。あなたは、死はいつかはやって来る避けられないものであることを理解すべきです。死を免れることは出来無いと悟りなさい。
そのことを十分に勇気を持って自覚出来たとき、死に対する恐怖は無くなるのです。STPS2p66~8
人の誕生と死、ある界から別の界へ移動すると考えること、それらはすべて真ではありません。そのように見えるだけなのです。UVc5
識別力を使えば、死も無く、生も無いことが分かるはずだ。動き回る肉体を称して生きている、と言い。動かなくなった肉体を称して死んでいる、と言う。夢を見ている時に生きている肉体や、死んだ肉体を見ようとも、目が覚めればそれらは存在しない。同様に、活動し、静止するこの世も、実は存在しないのだ。死とは、私という意識が消え去ったことを意味する。転生とは私という意識が再び現れた時に生じる。これが生と死なのだ。私という意識がある時あなたはもちろん存在する。私という意識が無くてもあなたはやはり存在する。あなたは意識の基盤であって意識そのものでは無い。あなた自身から分離した私という意識を払拭し、すべては一つであるとあなたが感じた時にモクシャ解脱となる。SDMp82
如何なる人も、いつか必ず死にます。その瞬間が苦悩に満ちたものであってはなりません。優雅に微笑みを浮かべて軽く会釈をして世を去りましょう。そうすることが出来る為には、大変な準備をしなくてはなりません。長い一生の間蓄積してきたものを、後に残して死ぬのは大変なのです。
たった今から、一つまた一つと執着心を捨て、死ぬ日に備えて準備を始めましょう。あなたは夢の中で様々なものを手に入れます。権力、金、地位、名声等を。夢を見ている間はそれ等は現実であり、あなたに満足と喜びを与えてくれました。目が覚めて、それが実は夢だったとわかっても、あなたはそれらを失ったっことを、嘆きません。「なんだ、夢だったのか。」と一人つぶやくだけです。
人生を歩んでいる間に集めた物を、夢と同じように無造作に扱えないのは何故でしょうか。無執着という性質を培えば、この夢の国という舞台に幕が降ろされる時、あなたは、微笑みを浮かべて去ることが出来るのです。SSSVol1chp3
 神には悪い性質は存在し得ません。ですから、あなたは純粋で着実な私心の無い生活を送らなければなりません。善を見、善を語り、善を行いなさい。あなたは万人にとっての理想となるべきです。心を清めなければ、礼拝からは何の恩恵も得られません。あなたはスワミを崇拝して、何年間にもわたってスワミのもとを訪れています。しかし、あなたの中で、何らかの変革が起きているでしょうか? あなたは何の目標も持たずに、ここに来ては去って行きます。そのような人は、ここに来る必要など全くありません。どこにいても、あなたが居る場所で霊性修行をしなさい。あなたがここに来る時は、神聖な感情を吸収し、神聖な人間にならなければなりません。この世に対する執着を段々と減らして行きなさい。あなたが死ぬ 時、この世はあなたと一緒に来てはくれません。あなたは一握りの土さえも持って行くことができません。あなたは自分で培った美徳しか持って行くことができないのです。あなたの先生と目上の人と両親を敬いなさい。「母親を神として敬いなさい。父親を神として敬いなさい。教師を神として敬いなさい。客人を神として敬いなさい。」すべての人を神と見なしなさい。犬の中にすら神は存在します。神が万物に浸透していることを堅く信じなさい。これ以上に偉大な霊性修行は存在しません。人々がこのような信念を育てたとき、国家全体が豊穣と繁栄とあらゆる吉祥に恵まれます。あなたのハートを神聖な感情で満たしなさい。これが、あなたが今日学ぶべきことです。24/7/02
死は誕生より重要だということを知りなさい。人の死にざまには、その人がどのように生きてきたかが現れるのです。ですからあなたのハートと心を良い思いと考えで満たしなさい。SSSVol26p309
肉体はあなたを乗せて死に向かって走る車です。あなたは何時、死に直面するか分かりません。ひょっとしたら木に激突したり、水路などに突っ込んでしまうと死に至るでしょう。だから、死を忘れないでいなさい。あなたが生きている一瞬ごとに時間が無くなりつつあることを、忘れないでいなさい。
そうすれば、くだらないおしゃべりや快楽、悪ふざけや低俗な欲望を満たす行為をする気が失せるでしょう。慎重にゆっくりと、同じ道を行く他の者たちにも注意を払いながら車を走らせなさい。
他の車を追い越そうとやっきになったり、スピードを競ったりせず道路の制限速度を守りなさい。そうすれば、事故に遭う事もなく、あなたにとっても他の人にとっても楽しい体験が出来るドライブとなるでしょう。SSSVol3p105~6

 *幸せ
私は、不幸な重荷を持っている人がここに来たときが一番幸せです。その人は私から得るものを最も必要としているからです。P347サイババは世界の危機を救う
神を実現する為には、幸せであることが欠かせません。幸せでいることは、神に至る幾つかの重要な門の一つです。人が幸せでないことは、単なる一つの欠陥であるに留まらず、それは、あらゆる欠陥の中で最も重大なものです。幸せでないことは、自己実現への障害です。人々は世俗的な追求、執着、楽しみなどのために不幸になります。CWSSBJp123
すべての人、すべての生き物は愛の具現です。あらゆる鳥や動物や昆虫は、人間と同じように幸せを手に入れたいと望んでいます。それらも人間同様に幸せを味わうのです。けれども、それらが楽しむ幸せと人間が楽しむ幸せには違いがあります。鳥や動物や昆虫は、幸せによって有頂天になることもなければ、悲しみによって落胆することもありません。幸せと悲しみを平静に受け取ります。しかし、人間は平静さに欠けています。人間は欲望が満たされると有頂天になり、満たされないと欲求不満に陥ります。欲望と怒りは人生という木を枯らす害虫のようなものです。2/4/2203
人は幸せを味わうためさまざまな努力をします。幸せになりたくない人は世界中でほとんどいないでしょう。しかし、幸せは外から得られるものではないことを理解しなければなりません。幸せは心ハートの中から生じます。心が至福の源です。私たちが楽しむ外側の世界の幸せは単に、内なる幸せの反応、反映、反響でしかありません。この真理を理解できる人は非常に限られています。今日、人が体験する外見上の喜びは人工的で一時的です。心の中から湧き出る幸せのみが永遠のものです。14/1/05

 *自活
他の人に頼らないように。自ら持っている力と技能に頼りなさい。自分が稼いだものや、もっているもので生活しなさい。自分自身に頼ることは、若者にとって成長するための最高の食事です。SSSvol8p231

 *時間
君は自分の時間も私自身の時間も無駄にしている。自分の父を尊敬せず、父に乱暴な口をきくと、君がここに来ても二人の(私との)時間を無駄にするという問題が起こるのだ。Miracles are my visiting cardp98
夢ならば実際には五十年かかって経験する事を、ほんの二分間の夢で見ます。そのように神に属する時間の尺度、神聖な環境における時間の尺度においては、私たちが普段使っている時間の尺度は、あてになりません。私たちが普段の暮らしで使い慣れている時間と空間の尺度は、神の世界では意味を持たないのです。SSIB1972
人々は自分の欲望を満たし、目の前にある快楽を追いかけるのに夢中で、自分のすぐ後ろに何がひそんでいて何が襲いかかろうとしているのか、少しも考えようとしません。いずれ自分に降りかかる災いに気づかぬまま時間を無駄に使っています。何時どこでどんな場面でどんな危険が待っているかは知りようがありません。だから今自分の時間を神聖なものにせねばなりません。正しく時間を使って、時間というものがどれほど神聖でかけがえのないものかに気づくべきなのです。
~時間を正しく使えば人生の成功を勝ち取ることが出来ます。時間の流れが持っている様々な面によく気をつけて、時間というものがどれほど大事かに気づいて下さい。これから先、何が起きようとしているのか考えながら、人生の目標から目をいつもそらさないでいなさい。SGc14
 あなたがたは、意味のないものを追い求めることによって多くの時間を浪費しています。時間の浪費は人生の浪費です。私たちの祖先は、ただの一分さえも、決して時間を無駄にしませんでした。彼らは、神を時間の化身であると見なし、次のように称えました。「時の化身にひれ伏します。時を制するものに、時を越えるものに、時を定めるものに、ひれ伏します」
あなたがたは、なぜ、時間がまさに神であるという真理を忘れてしまったのですか? 皆さんは、日曜日を、リラックスして楽しむことができると思いつつ待ちわびます。実際のところ、日曜日に何の仕事もしないことによって時間を無駄にしていることを悲しむべきなのです。皆さんは、自分の時間を適切な方法で活用すべきです。仕事が何もないときは、社会奉仕を引き受けなさい。仲間を助けなさい。母国のためにいかなる犠牲をも払う覚悟でいなさい。19/11/02

 *識別心
感覚は、厳格に識別心と取捨の心でもってコントロールしなければなりません。この二つの能力が、人をして人と為すのです。識別心はあなたに相応しい仕事を選択させ、あなたに良い仲間を選びます。それは選択する際に重要なヒントを与えてくれるのです。取捨の心は、あなたを執着心と、物のとりこになることから手助けし、得意げになったり、絶望したりすることから解放してくれます。TOSSBTp97
神は人間のうちに存在する識別心という力を通じて働きかけます。識別力は何が正しく何が間違っているか知っています。悪い欲望とは、マーヤによって覆い隠された神であり、識別心とは、マーヤによって覆い隠された部分がより少ない神なのです。CWSSBJp163
識別力も持たなければなりません。識別力がないと、自分がしてはまずかったことをしてしまうかもしれません。理性や知力はそれほど重要ではありません。識別心こそが、必要不可欠です。自分にとって必要なものを手に入れるべきです。暗闇の中にいるときには懐中電灯を持っているべきです。明るい昼間には懐中電灯を持ち運ぶ必要はありません。正しい方法で生活を送るために自分に不可欠なものだけを、手に入れなさい。皆さんが学習して育まなければならないことは、単なる本の知識や体力ではありません。それらは来ては去るでしょう。識別力という、永久に残るものを育むようにしなさい。何を見ても、「これは良いか、悪いか? これは有用か、無用か?」と判断できるようになるべきです。このようにして、自分の人間性を育てるようにしなさい。仕事に取りかかる前に、「自分はこれをやるべきか、やらざるべきか?」と考えなければなりません。15/1/08
この世をあるがままに受け止めなさい。自分の欲求や価値観に世の中が合わせることを期待してはなりません。マーヤーは悪い欠点で善をくるみ、悪を善の光輝で光らせます。出来る限り識別しなさい。識別力を培いなさい。SIP6-96
神の境地の達したいと望む修行者は、マーヤ(世界から)の影響を受けてはなりません。では影響されないようにするにはどうすれば良いのでしょうか。分析し、推論し、ためらわずに探求して、純粋な理性を持つことにより、それは可能です。こうした識別心を得るためには、生きとしいけるすべてのものの安寧を促進する仕事に参加することが、なによりもだいじです。DVJp28
たえず変化するこころの誘惑に屈してはなりません。為すべきことを識別しなさい。今自分のしたいと思うことが、正しいことかそうでないかを調べ、知性によって行為を導きなさい。瞬発的な衝動にしたがってはなりません。27/5/92
人が滅ぼされる運命にあるとき、その識別心はうまく働かない。19/8/03
あなたを助けてくれた人を助けるだけではなく、あなたを傷つけた人をも助けるということは、すばらしいことである。しかし、今日の社会では、あなたを傷つけた人をも助けるということは、あなた自身を危険な状況に置きかねない。それ故、私たちはその人を助ける前に、自分の識別心を使って、その人が助けるに値する人かどうかを判断しなくてはならない。 SSN夏1994p31
識別心は、英知からのみ生じます。識別心無しに解脱は、なし得ることは出来ないのです。SDMp88
信仰の篤い困窮者だけを助けなさい。人々が殴り合いの喧嘩をしているとします。ある人が誰かをひどく殴りつけています。あなたはそのような時、殴られている人を助けに行きますか。助けようと行動を起こす前に、識別心を働かさなければなりません。22/5/95

*資源
この世の資源は、役に立つ形にしてこの世に返しなさい。役に立たないものなど、どこにも存在しません。私たちは地面に落ちてる小枝を見て、このようなものは役に立たないと思うでしょうが、小枝でも楊枝として役立つのです。しかし人間は、今、役立たずで無用の長物となっています。なぜでしょう?それは、人間は自分自身の価値をわかっていないからなのです。人間の価値とは何でしょう。人間は自らの価値の基礎を、地位、名声、学位、富の上に誤って置いています。無論これらを欲しても、構わないのですが、限度を設けなさい。限度を超えると、喜びの代わりに危険なものとなるでしょう。同じように五大元素(資源)も、限度内で使わなければなりません。30/5/95

*思考
体は、心(マインド)が心の機能と成長のために身に付けた衣服です。心には、さまざまな過去世(かこぜ)での思考と経験が刻み込まれています。心が良い思考で満たされていれば、心に手の届かないものは何もありません。思考は行動を引き起こします。行動は習慣を作り出します。習慣はその人の人格を形成します。そして、人格は人の運命を決定します――良い運命であれ、悪い運命であれ。ですから、人の不幸と喜びの基(もと)は、思考なのです。良い思考を抱くことほど素晴らしい祝福はありません。善良な人々との交わりは、良い思考を増大させてくれます。思考は意志を強くする手助けをします。意志力は、識別心、知力、決断力、雄弁さ、探求心といった諸性質を手に入れるための基盤です。しかしながら、万人の内にある意志の力は、限りない欲望の増大によって弱められています。意志が薄弱では平安と至福を楽しむことはできません。煙草(たばこ)やお酒の中毒になっている人が、煙草などの量を減らす場合、意志の強さが要ることは万人の経験からも明らかです。21/11/87

 *自己犠牲
自己犠牲の精神は大切なことです。信仰心を高めるのに、自己犠牲抜きでは意味のないことです。SS6月1994p,6

*自己探求
自己探求によって自分の性質を良くすること、変えることが出来ます。心が揺れ動いたり、寝過ぎたり、暴飲暴食をしたり、低級な動物的な欲望が現れたなら、すぐ自分に向かって「私は人間だ。獣ではない。」と少なくとも十回は、言いなさい。そうすればそうした性質を克服することが出来るでしょう。あなたがすることすべて、人は見ていなかったとしても、神は見ておられるのだと言うことを、いつも固く信じていなさい。愛をこめて義務を果たしなさい。STPSp220

*自己中心
誰にも痛みを加えたり、傷をつけてはなりません。すべての人を愛しなさい。すべての人に奉仕しなさい。皆さんはそのことから莫大な利益を得るでしょう。もし誰かを助けたとしたら、その手助けそれ自体があなた自身を助けてくれるでしょう。この種の手助けは今の世の中では見られません。どこに行っても、あるものは、自分、自分、自分、私のもの、私のもの、私のものです!人はあまりにも自己中心的になってしまい、自分と自分に近しい人、自分の大切な人以外の人のことは忘れています。1/5/08

 *仕事
もし、あなたの仕事とその結果をすべて神に捧げるならば、あなたの仕事は礼拝へと変容します。職場で同僚と意見が合わないこともあるかもしれません。あなたの性格と同僚の性格が合わず、口論や内輪もめになり、その結果、心の平安を失ってしまうこともあるかもしれません。ですからあまり多くの人と親しくしすぎてはなりません。あなたの周りの人に「こんにちは」と言い、出会った人には「ご機嫌いかがですか」と尋ね、そして別れ際には「さようなら」と言えば十分です。これ以上の付き合いは必要ありません。STPSp221
仕事上で出席しなければならない重要な会議がある場合は、たとえ気分がすぐれないとしても、行ける状態ならば、体調に関わらず責任を果たすべきです。SS1/95
仕事についたなら、少なくとも三年から四年は続けるのが正しいのです。そうすれば、あなたはその仕事によって、自ずと人から認められるようになります。SS7/95
仕事のカテゴリーを二つに分け、この仕事は神の仕事で、それは自分の仕事だとするのは罪である。とヴェーダは述べています。私たちがこの人生で仕事をして行く中で、自分の仕事と呼べるものは何一つないのです。すべてが神の仕事なのです。SSIB1974
額に汗して、こつこつと一生懸命働いて稼ぎなさい。そうして初めてあなたは、家族と共に何不自由なく、幸せに暮らすことが出来るのです。SSSVol15
医師が良い給料を提示されるとすぐに別の病院へ移ります。労働者までも同様に良い給料を求めて職場を転々とします。正しいのは、一つの勤め先に三、四年は続けて仕事をすることです。そうすれば自ずとあなたの仕事は評価されるでしょう。3/6/95
雇用主と社員との関係は、父と息子の絆のように密接なものであるべきです。お互いにこのような親愛と尊敬の念が広まって、社員の間に兄弟のような雰囲気が醸し出されてお互いに対する奉仕と助け合いの精神が花開くのです。そのような状態にあれば、一人ひとりが喜びと平安を持って義務を果たすことが出来るようになりのです。Sai Avatar

*自己認識した人
自己認識した人とは、目に見えぬ太霊を認識した人、自分がアートマンであると自覚し至福にひたる人,神を体験して恍惚となった人をさします。23/5/91

 *自殺
すべての人間は、決められた寿命を持っています。それは借家契約している家に住んでいるようなものです。その家を出る前にあなたは新しい家を探さなくてはなりません。同様に、人がその身体から離れる前に、その人のカルマに応じて神は別の身体と寿命を用意します。
もし、死が独断的に刑罰によってもたらされた場合、あなたは、カルマを支払って高いレベルの境地へ恒久的に行ける機会を逃すことになります。自殺の場合は、あなたは中途で立ち往生した状態となります。それは、あなたにとって恐ろしい状態となります。この自然界には空白というものは存在しません。神は、霊魂やその他の目に見えぬ霊体達でこの世界を満たしています。自殺を図ると、それらの者たちがあなたのところにやって来るので、あなたは恐怖におちいるでしょう。それゆえ、自分で神様から戴いた命を絶ってはならないのです。正義に基づいて人生を送りなさい。人生の中で困難にぶつかってもいつも神を思い、落ち着いて乗り切ればいつの日か必ず神の祝福を得ることが出来るでしょう。
この真理を疑ってはなりません。神への信仰を持ちつつ,それらの困難に立ち向かいなさい。P290ANDI
 人間は死にますが、心は死にません。人間が一生の間にすることはすべて心に焼き付けられて、次の一生まで持ち越されます。誰も心の性質を理解することはできません。中には、自分の経験するすべての問題に終止符を打つための方法は、自殺しかないと考える人が居ます。彼らは「私の苦しみの原因は心である。それに終止符を打とう」と考えるのです。自殺は最大の罪です! 心はそれほど簡単には殺すことができません。そのような低劣な考えを抱くべきではありません。人は、いかなる困難にも根気強く立ち向かい、自分の人生を神聖なものにする用意ができていなければなりません。24/7/02
人間は死にますが、心は死にません。人間が一生の間にすることはすべて心に焼き付けられて、次の一生まで持ち越されます。誰も心の性質を理解することはできません。中には、自分の経験するすべての問題に終止符を打つための方法は、自殺しかないと考える人が居ます。彼らは「私の苦しみの原因は心である。それに終止符を打とう」と考えるのです。自殺は最大の罪です! 心はそれほど簡単には殺すことができません。そのような低劣な考えを抱くべきではありません。人は、いかなる困難にも根気強く立ち向かい、自分の人生を神聖なものにする用意ができていなければなりません。24/7/02
ここで言う「私」とは、万物の中に存在する「私」、つまり、原子の中にも神の化身(アヴァター)の中にも存在する、真の「私」であるアートマのことです。自殺しようと考えている人でさえ、「私は死ぬしかない。そうすれば、一切の悩みから逃れて、幸せになれるのだ!」と断言します。肉体が剥(は)がれ落ちたときに解放される「私」は、アートマです。11/70

 *持参金
アパリグラハの語にはある種の微妙な意味が含まれています。それは自分の叔父からも義理の叔父からも、あるいは自分の兄弟からさえ、贈り物を貰ってはいけないという意味です。彼ら親戚から贈り物を貰った時は同等の価値のあるプレゼントを返さねばなりません。今日ではアパリグラハの規則は破られています。例えば青年は学校を出ると結婚しますが、そのとき妻の側から持参金を貰います。
それはたいそう間違ったことです。それは罪を犯すことに近いのです。大切に育てられた他家の娘さんを妻として迎えるのですから、それ自体大きな贈り物です。何故花嫁を迎える以外に、金銭まで要求するのですか?花嫁の親は、娘の為に選んだ品々を持たせ嫁つがせます。しかし、花婿は何一つ期待し受け取ってはなりません。18/1/96

 *詩人
誰も神の愛の性質について述べることは出来ません。それは詩人でさえも表現できないものです。神の愛の中に頭の先まで浸かった者は、その体験を誰にも話すことが不可能になってしまいます。しかし首までしか浸かっていない者は、まだ何がしかの言葉を発することができるかもしれません。
神について話せる者がいても、それはその者のうわべだけの経験であり、真に神の祝福を受けた者はそれを言葉にして表すことが出来なくなるのです。それゆえヴェーダは神性さは、心や言葉を超えたところにあると宣言しているのです。SS2月1995p37~8

 *自信
あなたは貴重な経験と価値ある体験を他者に伝えるべきです。サイのメッセージを他の人々と共有すべきです。まず、自分自身を信じなさい。そうすれば神を信頼することが出来ます。現代における問題の本当の原因はここにあるのです。人は自分自身を信じていません。人は自信を持っていないのです。STPSp33
まず、自信を培いなさい。自信がないと多くの困難を体験することでしょう。自信とは神を信じる事です。信仰心を持っている人は何の問題も抱えていません。自信がないと記憶力も低下します。逆に、自信があると、記憶力も増大します。まず、自分自身を信じなさい。自分を信じることは、神を信じることです。自分を信じることが出来ないなら、人生は価値を失います。あなたは、神と別箇の存在ではありません。自分を信じることと、神を信じることは同じなのです。29/5/95
自信を持って取り組んだ仕事には、成功が約束されます。ですから、すべての人にとって、自信は絶対に欠かせません。もし皆さんが、他の人々から尊敬され、愛されることを期待するのであれば、まず皆さんが彼らを尊敬し、愛さなければなりません。他者を尊敬し、愛することなしには、それに類似した感情を彼らから期待することはできません。同様に、もし皆さんが神を愛すれば、神も皆さんを愛するでしょう。人生は、反作用、反響、反映によって構成されています。皆さんには、自分が他者に対して行うこととまったく同じことが返ってくるのです。23/11/2000

*地震
ババ; これから話すことが、まさに、そうした災害を克服するために、人の内に宿る神として化身することによって、私が行っていることです。アヴァターには人々を助けることのできる二つの方法があります。片方が瞬時に解決する方法であるのに対して、もう片方は長い時間をかける方法です。瞬時の解決策を用いれば、自然そのものの根本的な性質にも、因果応報というカルマの法則にも反することになります。大多数の人は、カルマの法則に支配された、欲とエゴに満ちた俗世に生きています。そのような人たちは自らの行為の報いを受けます。行為の報いは、その人たちに進化や退化をもたらします。もし、その人たちの問題を即刻解決するためにアヴァターがそこに介入したなら、すべての行為、進歩、そして、進化すら停止してしまうでしょう。この解決策を認めることはできません。なぜなら、これは自然の法則をことごとく無視しているからです。
もう一方のより効果的な方法は、長期的な解決策であり、それによってアヴァターは、人々が霊性の法則の真理を理解することができるよう、人を高次の意識レベルへと導きます。そうすることで、人々は正義へと向き直り、より良い状態になるためにしっかりと働くことができるようになります。この方法は、人々を自然、および、因果応報というカルマの法則に再び結び付けます。すると人々は、今、自分たちが被害者として巻きこまれている因果応報のサイクルを超越し、それによって、あなたの言ったような災害を未然に防ぐことができるよう、自然の力を調整するようになるでしょう。
問い:  つまり、あなたは、今、人類が自らの運命を制することができるよう、人類の意識を神に近い状態に引き上げているということですか?
ババ; その通り。 人類は私のサンカルパ シャクティ(神の力、宇宙エネルギー)のシェアホルダー(分かち持っている者、株主)です。私は人類を通して働き、人類に宿る神を目覚めさせ、人類が自然の法則と力を支配することができるよう徐々に人類をより高次の実体へと進化させなければなりません。もし、私が何でも即座に治して人々を今のレベルに留まらせていれば、人々はすぐに、すべてをめちゃくちゃにし、また互いにいがみ合い、その結果、世界は前と同じ混沌とした状態になってしまうでしょう。
苦難も困難も、宇宙のドラマの避けることのできない一幕です。そうした災害は、神が定めたものではなく、人間が自らの悪業(あくごう)の報いとして招いたものです。それは人間を矯正するための罰です。そうした罰は、人間が「サット・チット・アーナンダ」(絶対実在・純粋意識・至福)、すなわち英知と至福を有する神に近い状態を体験できるよう、人々に悪の道を歩むのをやめさせ、正しい道へと連れ戻します。これらはすべて、大いなる統合の一部であり、そこではネガティブなもの(負・陰)はポジティブなもの(正・陽)の栄光に服従します。そのようにして、死は不死を称え、無知は英知を称え、苦は至福を称え、夜は夜明けを称えます。
ですから、結論として、もし、あなたが言ったように、即時の終焉をもたらすためにアヴァターが災難を引き起こすとしたら――私にはそれができますし、どうしても必要とあらばそれを行いますが――カルマの法則にのっとった、創造のドラマ全体が崩壊してしまうでしょう。そうした災難は、神が人間にもたらしたものではなく、まさしく人間が人間にもたらしたものであるということを覚えておきなさい。ですから、人間は、カルマ的なものを超越して指揮権を持つことができるよう、エゴを滅ぼし、代わりに超越的な意識を持つことによって、自らを壊して作り変えなければなりません。MBAIp95-p96
科学者と科学技術者たちは、利己的な興味や名声を追い求め、社会と国家の安全と幸福にはまったく注意を払わず、自然のバランスを崩して社会全般に災害や損害や苦痛を招いています。
 たとえば、海水には地球で必要とされる10年分以上の空気が含まれています。空の一回の雷は全世界で必要とされる電力のゆうに20年分を放出します。一箇所に巨大なダムを建設して莫大な量の水を貯蔵することで、その土地の地盤が沈下し、その結果、シーソーのように別の土地の地盤が上昇します。科学者と科学技術者による、鉱物、雲母、石炭、石油といった油を掘り出すための各種鉱山等の天然資源の無差別な開発は、五大元素の不均衡と汚染を引き起こし、地震や噴火といった大災害をもたらします。工業、工場、自動車などの急激で過度の増加は、大気汚染と共に、好酸球増多症、喘息、聴覚障害、肺炎、腸チフスなどの発病の増加を招きます。しかしながら、科学それ自体は悪くありません。人間に必要なのは、思慮分別をもって科学を正しく使うことです。SSSVol.25p192-p193
ジャガ; 地震や津波などによってもたらされる大規模な窮状と苦しみについて、神はどうご説明になりますか?
ババ; すべては神です! 地震は神です! 津波は神です! そして、神なるものは善です。(ババは不思議そうな表情で私を見つめた)苦しみは存在しません!
ジャガ; バガヴァン(神なるお方)、それはバガヴァンの言い分です! 一方で、そうした大災害のせいで苦しんでいる人々が何百万人もいるのです。
ババ; それらは自然の摂理です。医者が腹痛の患者を治すためには、刃物を使い、腹を切って開け、痛みの元を取り除かなければなりません。そのようにして、医者は痛みを取るために痛みを与えなければならないのです。これは神のやり方でもあります。(それからババは私を力づけるようなまなざしで見つめ、言った)苦は存在せず、「魂」が苦しむことはありません。
ジャガ; (私はしばし黙って座ったまま、その驚くべき回答について考えた。とどのつまり、神は、はかない外側の殻である「肉体」の痛みや苦しみを気にかけたり、それらを正当なものと認めることはないのだということを私は悟った。神が気にかけているのは主に「魂」のことなのだ)Journey to Godp54 
「プレマ・サイババが誕生する頃には、世界は愛と平和に満ちているだろう」とも言っておられます。 私が「現代社会に見られる様々な非人間的な出来事や論争などを見ていると、その言葉はすぐには信じ難いのですが」と申し上げると、ババは「はるか遠い海の上で嵐が起きると、嵐が消えた後になっても海上で発生した大波は海岸まで旅をして浜辺に打ち寄せる。それと同じことで、今の世界が経験している様々な波乱は、嵐が消えたあとの余波に過ぎない。嵐自体は既に消えてしまっている」CWSSB
残念ながら、今、科学技術の進歩の結果として人間性が衰退し、世界は楽しむためにあると人は考えています。そのため、世界に脅威を引き起こす形で自然の力が使われています。世界は単なる楽しみのために創造されたのではありません。 自然の資源を乱用し、自分の根本的な人間性を忘れて、人は創造の目的に反しています。多くの天災は完全に人間の振る舞いのせいです。地震、火山の噴火、戦争、洪水、飢饉(ききん)といった災難は、自然が深刻な異常をきたしている結果です。
こうした異常は、もとをたどれば人間の行いが原因です。人間は人類と自然界との切っても切れない関係に気づいていません。人体においては、目や耳や口といったあらゆる器官は互いに完全に結びついています。人間にとってこうした器官が重要であるのと同じように、社会にとって個人は社会有機体の手足として等しく重要です。個人は人間社会の一部です。人類は自然の一部です。自然は神の手足です。人間はこうした相互関係に気づいていません。Sathya Sai Speaks Vol.25 C37
今、自然は世界の多くの地域で、地震、飢饉、洪水、火山の噴火といったさまざまな災害を引き起こしています。その理由は何でしょう? 人間の精神の堕落がそうした災害の原因です。心(人間のハート)の乱れは地震に反映されます。よい思いで心(マインド)を満たし、よい行いをしなさい。神の御名を唱えなさい。空気が神の御名のバイブレーションで充電されると、環境全体が浄化されます。そうした神聖化された空気を吸う人は、純粋な思いを抱くようになります。大気を浄化しなさい。今、大気は汚染されています。SSSVol.26” C31
人は欲に限度を設けるべきです。人間の行いが本末転倒しているために、今日、自然災害が起きているのです。皆さんはグジャラート州で起こった地震による惨害を知っていますね。何万という人が命を落としました。このようなことが起こる原因は、人が過度の欲望を心に抱いていることにあります。神は自らが創造した宇宙の完全なバランスを保っています。神の創造物の中で、大地と海はバランスが授けられています。
ところが、人間は地球の天然資源を無分別に採取して、石油を採掘しています。毎日何万トンもの魚介類が海で捕獲されています。このような天然資源の無差別な収奪が地球のバランスを失わせ、人間の生活を破綻させています。心の不安定さ(カムパム)から解放されたとき、初めて人は地震(ブーカムパム)に悩まされることがなくなります。SSS Vol.34C3
私はグジャラート地震の被災者たちのために、トラック何台分もの米や豆などを送りました。中には、「スワミ、どうしてそんなに多額のお金をかけて、グジャラート州に救援物資をお送りになるような手間をとられるのですか?最初から地震をお止めになればよかったではありませんか」と尋ねた人々がいました。私は答えました。「愛しい者よ、人間は地震が起きたことに関して自らを反省しなければなりません。過度に富を追い求めるあまり、人間は地球のバランスを崩しています。だからこそ地震が起きたのです。それが自然の掟(おきて)です」と。SSS Vol.34C3
今日、科学者たちは新しい発明に興味をもっています。科学技術の進歩もまた、自然界のバランスを崩しています。その結果、地震が起こったり、必要なときに雨が降らないという事態が起きています。科学は必要な範囲内で活用すべきです。科学には制限があり、限度を超えると危険です。SSS Vol.34 C3

*自制
あなたが思考しているときはそれを心と呼び、考えや意向を持っていないときは平静な状態ではそれを意識と呼び、また識別心を働かしているときは理智、そして自己紹介するときや、自分の事を「私」と呼ぶときは自我意識というように、まったく同一の機能が異なる名前を持っているのです。
これらはすべて一つですが、働きごとに異なって呼ばれるのです。制御されるべきものは心です。あなたに自制心があれば、神の恩寵を得ます。一旦あなたがそれを何か邪悪なものだと思ったら、それを心に入り込むことを許してはなりません。木や動物は自然の法則によって統御されています。神の命に背いているのは人間だけです。人間は堕落してしまいました。この解決策はただ一つだけです。
~身体という願望成就の牝牛を、プレマ信愛という縄を使って、神の御名という復唱の柱につなぎ止めておきなさい。それだけであなたは心を制御することが出来ます。そうすれば、思考の騒がしさを逃れた意識の上に神の御姿を刻み込むことが出来ます。理智ブッディは根本的な識別を請け負っています。
利己的だった「私」がアートマとしてその真の本質を認識し、あらゆる生物のうちに秘められた真我を認識すること。これが霊性です。STPSp209

*自然
人は自然を分析し理解して学ばねばならない。それはまるで、お母さんの膝の上で生き方を学ぶ子供のようなものである。自然はまた、人にどのようにして平安を得ることが出来るのかをも教えてくれます。もしあなたが自然の掟を破ると、彼女はあなたを平手打ちにし、彼女の命令に従って警告に耳を貸す様にあなたを導き、あなたが不滅の遺産を継ぐに値する様に導くでしょう。
それ故に神をあなたの導き手、守り手とし、ダルマの法に従いなさい、と言われ続けているのです。SSSvol2p164
人は生まれてから死ぬまで、明け方から夜まで、人は自然を収奪し、略奪し、その神聖さを汚すことによって束の間の喜びを追い求めます。そして、自然は創造主である神の財産であり、それに対してなされる如何なる損害も厳罰に値するほどの神への冒涜であるという真理を無視しています。PD12
自然は神の衣です。不死なる存在が死の衣をまとっているのです。新生児の中にも老齢は潜んでいます。暗闇は光の母胎の中に眠っており、光は夜の中に隠れています。真実が基盤です。それは認識されていない基盤であり、一切の現象の魅惑ときらびやかさの基盤です。純粋性という大海は、攪拌(かくはん)されて不死の甘露を生じさせましたが、猛毒のハラーハラも吐き出し、その毒は三界を破壊の脅威に陥(おとしい)れました。18/7/70
肉体と自然界に繋がっている行為と、人間の内面に繋がっている感情、神に繋がっている悦び、この三つが一つになるとき人間と自然と神が一つに出会うのです。この世界、自然は行為をする場所だと言っていいでしょう。自然は人間に、行為を聖なるものにすることによって最高の目標に達する機会を与えてくれます。~数え切れないほどよいことをしていれば深い悦び、つきることの無い幸せな感情を、一度か二度味わうことが出来ます。そして数え切れないほどの良い感情を味わうことによって、はじめてアートマの永遠の悦びに達することが出来るのです。ですから良いことを沢山しなさい。
皆さんは良いことをするという目的のためにこの身体を授かったのです。~どんな見返りも期待せず様々な行為をする、奉仕の道、結果に捕らわれずに仕事をする道を歩むのです。SGc31
人生の目的は、ただ食べる為に生きたり、役立たずで地球の重荷になる事や、獣の様に感覚の奴隷になることではありません。きつい仕事を避け、脂肪で身体を膨らし、巨大な身体を持て余している怠け者の群れに加わる事によっては、何の恩恵も得ることはできません。
また人は、神から戴いて消費し楽しんでいる、全ての贈り物に対して感謝の気持ちも持たず創造主を無視し、また知性と識別力を使わず宝の持ち腐れにしてはなりません。
自然は、「これは、私のものだ。あれもそうだ。それも私の身内のものだ。」などと言いながら自然を喰い物にする者共を罰します。自然は、自然界の掟を破るものたちを厳しく罰します。GVc12

 *自然災害
科学者は無制限に自然を探求、開発して、自然災害の原因となる恐るべき不均衡を作り出し、人類を危険にさらけ出しています。この事に関して科学者を責めることは出来ません。識別心を用いること無く、科学の発見を無分別に運用する人間こそ責められるべきです。
彼らは、天然資源を過剰に撮り尽くせば如何なる結果が発生するかについて、深く考えることをしません。~自然は人間よりも一段上のレベルにあり、その自然を保護するために自然の開発には限度を設けなければなりません。人間が無思慮に自然に干渉するならば、自然は人間に逆らい問題が生じます。自然を守るために欲望に限度をもうけねばなりません。自然が人間に対して不利益をもたらさぬように十分に配慮しなさい。この点に関して、科学者達は彼らの発明が社会にもたらす有害な影響については全く無関心です。21/1/93
最近、自然が災害という形で反旗を翻しているのをよく目にします。それは人が自然の資源を強奪する際に、あらゆる限度を無視しているからです。豪雨、干ばつ、地震、洪水は人間の貪欲に対する反作用です。科学の進歩を理由に、科学者たちは世界の幸福を考慮する事なく、ますます利己的になっています。科学者たちは、自然を報復へと駆り立てているのです。 25/5/95
多くの自然災害は人為的なものなのです。地震、火山の噴火、戦争、洪水、飢饉や他の災害は厳重な自然の乱れの結果です。それらの乱れは人の行為の帰結なのです。人は、未だに人と自然の関係を完全に理解していないのです。SSvol25chap37

*慈善事業
私たちが人間として生まれるのは、平安を得るためであって、権威ある地位 に就くためではありません。たとえあらゆる種類の富や快適さがそろっていても、平安を失えば、生きること自体何の意味もありません。世の中には、裕福で、高度の教育を受け、権威ある地位 に就いている人がたくさんいます。しかし、社会は彼らからどのような恩恵を受けているでしょうか? 彼らは、苦しんでいる人々の涙をぬぐう時間も、そういう気持ちも持ち合わせていません。
私たちは、どうすれば貧しい人々や虐げられた人々を助けることができるでしょう? 権力の座に就いている人々は、この点に心を砕かなければなりません。しかし、このような方向でものを考える人は、一人もいないように見えます。社会事業という名のもとに、人々は「人に見てもらうための仕事」をしているのが実情です。彼らは食べ物を求めて戸口に立つ乞食たちを追い払います。人間は、平安を得ようと思えば、慈善行為に携わらなければなりません。23/11/05
慈善に関しては、他人に慈善を行えば行うほど、あなたは後で利益を受け取ることになるでしょう。ですから、いつも他人を助けるよう努めなさい。自分のできるどんな種類の奉仕セヴァでも行いなさい。そのようにして他人を助け続ければ、あなたは真理の道において進歩するでしょう。
真理の道を旅するなら、ダルマは自動的に付いてきます。真理サティヤとダルマが共にあるところには、平安が君臨します。すると愛プレーマが付いてきます。愛のあるところには、憎しみは存在できません。そうなるとあなたに敵はいなくなります。もっぱら、あなたの心の愛の泉が枯れたときに、あなたは他人を苦しめようとするのです。ですから、万人への愛を育てなさい。真理サティヤ、ダルマ、平安、愛、非暴力は人間の性質です。
今、世界のあらゆるところで暴力が猛威をふるっています。人々は自分の家でさえ一人でいるのを怖がっています。世界中で多くの変化が起こっています。以前、アメリカは超大国で豊かな国と思われていましたが、今、そうした栄光は失われてしまいました。その結果、前は職場に車で通勤していた人も、今は歩いて通っています。14/1/09

 *自然のコントロール
意思の力は想いから生じます。意思の力は知的な力、識別の能力等々のいくつかの力の源です。意思の力を培うためには、女神様を崇めなければなりません。その為には、無執着の精神を培うことが必要です。例えば、幾種類もの飲み物を飲みたいという欲望が浮かんだとします。
その時最初にその幾種類の飲み物の内の一つを選んで、それに対する欲望を捨てます。そうすることによって意思の力を増し、他の沢山の種類の飲み物も飲みたい、という欲望をコントロールする事が容易に出来るようになります。ヴェーダンダの用語では、それをヴァイラギア<一切の執着を捨て去る。>と称します。ヴァイラギアは家庭を捨て、森へ入ることを意味することではありません。それは神さながらの思いをつちかい、世俗の感情を捨てるという意味です。中庸な生活をうまく保って実践するならば、自然力をコントロールする事が出来ます.自然力をコントロールすれば,人の心の力は強化されます。4/10/92

 *自然のバランス
地球は一つの球です。球を安定な状態にしておくには、バランスをとらねばなりません。今、限度も無く天然資源を消費し、バランスが崩されています。21/1/93
私達は、創造物をただの物質とみなして自然界を規制し、多様の構成物に正しいバランスを与える知覚ある機能と本性を無視して創造物を無造作に扱いがちです。科学者と科学技術者は、利己的な関心と名声を追うことに熱心なあまり、世界の国家の安全と安寧を完全に無視し、自然界のバランスを崩しています。その結果,さまざまな事故、災害、損失、惨めさが大規模に人々を襲います。
例えば、大洋は地球の必要とする酸素の10年分以上を含んでいます。一回の稲光りは、全世界が必要とする電気の20年分を放ちます。巨大ダムを建設し,膨大な量の水を蓄える事によって、その地域には地盤沈下が生じ、その結果、シーソーのように他の地域の地盤が上昇します。科学者や科学技術者によるミネラル,雲母、石炭、石油およびその他のオイルを発掘するためのさまざまの鉱山等の無分別な開拓は、五大原素のバランスを乱し、汚染して、地震、火山爆発などの災害の原因になります。
産業、工場、自動車などの急激で大量の増加は大気汚染を生じ、エオシン、喘息、聴力生涯、肺炎、チブスなどの病気が増える原因となります。しかし科学それ自体は悪くはありません。人間にとって必要なことは、科学を正しく賢明な方法で用いることです。26/5/1992
今日不幸にも科学とテクノロジーの進歩の結果、人間らしさは衰え,人々は世界が自分達の楽しみの為にのみあると考えます。その結果、自然の力は世界を大きな脅威にさらす様になってきました。世界は単に人間が楽しむために創造されたのではありません。自然資源を乱費し、人間性を無くしてしまった人間は創造の目的に背いています。このような人間の行動が原因で、数多くの大自然災害が引き起こされました。地震・火山爆発・戦争・洪水・飢饉などの災害は、自然界の由々しい混乱の結果です。これらの混乱はもとをただせば人間の行動が原因です。人は、人間と自然界とが円満な関係でなくてはならないことを認識していません。人は自然界の出来事に関して、一種の舞台監督であるといえましょう。
この責任を忘れて人々は権利を主張して争います。深く熟考するならば、この世界に人間が権利を欲求しうるものなどは何一つないということがわかるはずです。人間には義務があるのみで、権利はありません。義務を果たさず権利を主張して争うのは愚かなことです。世界の混乱と争闘は、全て人間が義務を忘れたことから生じました。全ての人が自らの義務を果たすなら、世界は平安で繁栄します。22/11/92

*自然の法則
あなた方は自然界の法則に基づいて如何に自らの活動を調節すべきかを学び、自然の法則に逆らうべきでないことを学ばねばなりません。人間には創造主の創られたものを享受する自由があります。
しかし、どのようなことをすれば恩恵を受け取れなくなるのか、という識別力を働かせることが必要です。あらゆるものを享受しても良いという事は、それらを好きなように使って良いと言う訳ではありません。というのも、自然に対して何をしようとその反作用が必ず伴うからです。あなたはその結果から逃げることは出来ません。結果を気にせず、それに直面する覚悟があれば好きにしなさい。
しかし、実際には当初、人は喜んで何でも好き放題しますが、後になってその悪い反作用に苦しみ、嘆くのです。それは、心が弱い証拠です。~それゆえ自然界の領域では、あなたが何をなそうとも遅かれ早かれその結果から逃れることは出来ません。22/5/92
人間を除く全てのものは、自然の法則にしたがって生きています。明日を、思い煩うこともなく、あるがままに満ち足りた生活を営んでいます。自然は、創造物に何の不足もないように面倒を見ます。
然るに人間は、例えどのように多くのものを持とうとも、どのような安楽を享受しようとも満足を知りません。彼はさまざまな物を欲しがり、そして物を欲しがる心を愛と考えます。
一旦そのような執着心が身につくと、欲望を追う衝動は止どまることを知りません。そのような愛は、自分の利益と自己中心的な心に根ざしていることを、彼は気付かないのです。今日の世の中で愛といわれているものは、実は利己心と自分の利益のみを考える心に他ならないことを、はっきり知っておかねばなりません。
彼のどの想念、どの言葉、どの行為をとってみても、利己心という悪魔が存在します。人間は利己的衝動によってもてあそばれています。利己心によってがんじがらめに縛られた人生は、迷妄にとらわれた人生といえます。彼は、利己心という牢獄にとらわれた囚人です。そのような人は、真の実在について経験することは出来ません。6/1985

 *自然への感謝
人は自然から数え切れないほどの借りを作り、いろいろな面で自然から恩恵を得て楽しんでいます。しかし彼はどのような感謝の気持ちを神に捧げているのでしょうか?彼は、すべてをお与えになっておられる神を忘れ去っています。それが原因で、人は様々な困難や災難の犠牲になるのです。SSvol21chap19

 *舌
舌は何が健全な食べ物であり、何が有害な食べ物かを判断して健康を促進し、優しく語ることによって他人に喜びを与え、心に潜む思いを他の人に伝えるために人体に備えられています。これらの意義ある目的の為に、人に与えられた舌は今日では、はなはだ誤って用いられています。舌は睡眠薬を飲み、動物の肉を食べ、喫煙をし、他人の悪口を言い、噂話をし、辛らつな言葉を吐き、他人に苦痛を与えます。このような具合に、神の処方する限界を無視し、神の命令を守っていません。その結果、人は数え切れないほどの困難に直面しています。22/5/90
舌がいつも良いことを願い、どんなことも容易く進めていくためには、舌を正しく使いこなせば良いのです。言い換えれば沈黙を守ることです。ただ黙っていれば良いのではありません。言葉の上で沈黙を守るだけでは無く心も静かに沈黙を保つべきです。心にどんな思いも無いこと。それが本当の沈黙です。SGc7
舌を洗ってきれいにすることも大事ですが、同時に舌を神聖で清らかな言葉を話すことに従事させなくてはなりません。この行動原則に従い、私は自分自身を神聖な活動に従事させることによって、舌を正しく用いるようにしています。21/10/04
分別無くものを食べ、それが良いものか悪いものかを考えようとせず、ただ空腹を満たし、舌の先を喜ばすことに夢中になっていると、感情や執着を戒めることなどとても出来ません。弱くなってしまうばかりです。批判や中傷を受けると、たちまち自信をなくしてしまい周りはみんな敵だらけだと思い始めるのです。ほんの少しでも悪くいわれると、幸せはどこかに飛んで行ってしまいます。
悲しみにうちひしがれて、「生きていてもしょうが無い」などと考えてしまうのです。逆に自分の事を褒めてくれる人がいると、たちまちエゴとおごりの気持ちがふくれ上がります。落ち着かせようとしてもとても無理です。どうしてこうも不安定なのでしょう。そのただ一つの大きな理由は、どんなものを食べているかということです。SGc7
視覚のコントロールと共に、舌をコントロールする必要があります。舌には30万の味蕾(みらい)があります。人間は、味の奴隷になってしまったので、様々なおいしいものを食べ、その過程で舌を駄 目にしてしまいます。そればかりでなく、人は舌を使って良くない言葉を語り、その上きつい言葉で他者を傷つけます。このように舌を誤用することによって、人の寿命はさらに縮められます。同様に、すべての感覚が誤用されているので、その力が損なわれ、寿命が縮められています。
ですから、まず最初に、人は目と舌を制御しなければなりません。この二つをコントロールすれば、人間のエネルギーは再び活性化されます。人々が何年もかけて苦行を続けても得ることのできない力が、目と舌を神聖な使い方をすることによって獲得できます。5/7/01
舌には話す、味わうという二つの力があります。だからこそ、舌を正しく使いこなすように努めなければなりません。皆さんは人のことを悪く言う権利も、悪く考える権利もありません。自分の至らないところを反省する方がずっと大切です。人の良いところを見て下さい。そして自分の悪いところを改めるのです。自分の内面を探求する力を深めていないのに、人のことを見抜けるはずは無いのです。まず自分の人生を完成させなさい。自分を救うことが出来て、はじめて人を救うことが出来ます。SGc17

 *実験
科学者は実験を行いますが、霊性の求道者の神性体験が実験室で為されることなどあり得ません。言葉を超えている神性を伝えることが、どうして出来るでしょうか。人の理解を超越している神性をどのように想像すれば良いのでしょう。推理と五感を超越している神性をどうやって研究し、実験によって証明出来るのでしょう。科学は実験に基づいており、宗教は体験に基づいています。科学では分析し{アナライズ}、宗教では悟る{リアライズ}のです。STPSp52

*実践
教えは、日常生活の中で簡単に実践できるものです。教えが単純だからといって、軽く扱ってはなりません。これらの教えは単純なものに思えるかもしれませんが、あなたを解脱に導きます。ものを見るために目を授けられていることは、あなたにとって幸運(アドリシュタム)です。アドリシュタムとは、何でしょうか? ア(できない)+ ドリシュタム(見ること) = 見ることができないもの、という意味です。自らの価値ある行いの結果を見ることはできないかもしれません。しかし、それらは、やがてはあなたにあらゆる幸福と慰めをもたらしてくれるのです。それが、アドリシュタムです。肉眼では見えない多くのものが、あなたの行く先々について来ます。19/11/02

*嫉妬
嫉妬するものは究極的には、自分自身が滅びます。1/1/94
今日、人はだれもが嫉妬と憎しみという病に苦しんでいます。実のところ、人がもっているあらゆる悪い性質のそもそもの原因は嫉妬心なのです。嫉妬は怒りを招きます。嫉妬と憎しみは人を完全に破滅させることができるのです。嫉妬と憎しみをなくしてしまえば、人は真に大きな幸せを享受することができます。実際に、人間は本来至福の化身なのです。至福が人の生来の本質です。悲しむことが人の本性なのではありません。人は愛と平安と至福の化身です。では、どうして人は苦しんでいるのでしょうか? それは神の命令に逆らっているからです。それは神の意思に背いていることへの反動です。このような不幸な出来事への反動、反映、反響が人のあらゆる悲しみの根本原因です。1/3/03朝

*失望
今日人は気高い思いを持たぬゆえ、失望の餌食になりました。何故人は失望するのでしょうか?それは彼が期待に期待を重ねているからです。期待の心を持たずに義務を果たすなら、失望はありません。義務は神。働くことは、神を崇めること。結果は自ずと現れます。心の弱いものは失敗にあいます。強い心の持ち主は、望むままに何事もやってのけます。心を神に向けなさい。束縛から自由になります。常に世俗のものを追いかけるので、あなたは束縛されるのです。4/4/92

*慈悲
愛によって、この世の何でも成就できます。愛をアートマそのものと見なしなさい。どれほど多くの聖典を読み、どれほど多くの霊性修行をしても、自分のハートが慈悲で溶けるのを許さないなら、あなたの人生はまったくの無駄になるでしょう。ハートが優しさと愛であふれることができるよう、すべての修行をあなたのハートを柔らかくすることに向けなければなりません。慈悲の感情を育て、その慈悲を十分に流れさせ世界中のすべての人の間に広げなさい。30/3/87

 *至福
神の愛は霊的なものでありこの上なく貴重です。それは次から次へと変化することはありません。神聖な愛の大洋に浸った者はその偉大さと甘美さを表現する言葉を知らないでしょう。彼は沈黙という言葉で語ります。彼は無駄なおしゃべりや議論を避けます。神の愛の至福を経験した者は、どのような困難に会おうとも、内なる歓喜に満たされているのです。15/8/93
  神の特質は、サット(真理)・チット(知識・理性・意識)・アーナンダ(至福)であると言われています。ところが、これらの諸特質は、万物の本来の性質であり、程度の差こそあれ、すべてのものに顕現されている特質でもあるのです。私たちが真理の道(サット)を歩み、真理に基づいた行動を通 じて、霊的な知識や科学的な知識(チット)を獲得しようと努めるとき、おのずから至福(アーナンダ)が訪れます。
  真理は、生まれついたときから私たちに備わっています。知識もまたその通 りです。至福という様相もまた、潜在的に私たちに備わっています。それもまた、私たちの生来の特質なのです。私たちが絶えず至福を求めるのには、そのような理由があるのです。もし至福が私たち自身の性質でないとすれば、私たちは、いかなるときにも、アーナンダ(至福)を要求することができません。もしアーナンダ(至福)がすでに私たちの生来の特性でないとすれば、私たちは、アーナンダを得るのにふさわしくなく、そのための資格もないことになります。KSH
思いと言葉と行動が純粋であることこそが真の英知です。あなたは、それ以外のいかなる霊性修行も行う必要はありません。人々は、さまざまな霊性修行を行います。しかし、それはただ、一時的な満足をもたらすだけです。一方、思いと言葉と行為が純粋であれば、あなたは永遠の幸福を味わうことができます。2002年11月23日 77歳御降誕祭の御講話
聖なる至福への境地に至には、「外的な感覚と内的な感覚を制御すること」「安心立命」「探求」「良い仲間」の四つが必要不可欠です。これらは求道者に神聖な至福を授けます。人間の身体そのものは、束の間のものであり、魂ほどの価値はありません。あなたは、その最も貴重な神の至福がどのようにしてあなたの身体の中に包含されているかを知らなければなりません。
身体は、バケツ二杯の水と、バケツ一杯の石灰、二寸釘四本ほどの鉄、鉛筆六本分の鉛、マッチ棒920本分の燐、ラックスの石けん四個分の油脂で出来ています。その中に神聖な魂アートマが存在しているのです。聖なる至福には、そうした身体の内にある核すなわちアートマを探求し、実感し、体験することによって到達することが出来るのです。STPS2p70
一日24時間のうちの5分間を神を拝めることに捧げれば、大きな至福を得るでしょう。13/4/96
ラーマやクリシュナへの帰依は、その教えを実践しない限り無意味です。至高の神への礼拝は神さながらの生き方を伴わなければなりません。その時にのみ、至福を体験することが出来るのです。21/8/94

 *邪悪
西洋社会では、男が女を見つめ、女が男を見つめ返すことによって、両者の関係を築くという悪い習慣があります。このような習慣は動物的なのです。これは又、悪魔的な習慣へと発展していきます。このような傾向は若い男女の間に見られます。あなたが、最初にやるべきことは、目で何を見るのかをコントロールしなさい。他の人を邪悪な目で見るよりも、視力を全く失った方がましなのです。SSN秋1984
邪悪な想念は一体どこから生じるのかと、あなたは尋ねるかもしれません。邪悪な想念は、物質的な生活、外的な生活、世俗的な生活から生じます。それゆえ、人は何としてもプラクリティ〔自然界〕の否定的な面を避けるべきなのです。24/11/2000
ダルマが衰えアダルマが増すとき、私はダルマを確立するために化身する。今日の世界では、正義が衰え、真理が忘れられています。全世界は不正行為と無秩序と邪悪な振る舞いに満ちています。このような混沌とした状態に対しては、神への信仰だけが永続的な改善策です。真理のみが拠り所です。なぜなら真理は神だからです。愛は神です。愛に生きなさい。愛がなくては人は生きることができません。ですから、人は神を愛し、神から愛という贈りものを受け取らなくてはなりません。愛によってのみ神に到達することができます。9/8/06
虚偽の告発に手を染めている人々は、必ず破滅の憂き目に会います。そのような虚偽の敵対宣伝を煽っている人々も、滅びの定めを避けることはできません。お金は、正しい行いをするために活用すべきです。それを邪悪な目的に使ってはなりません。心からの愛と慈悲を込めて人類同胞に奉仕をしなさい。彼らに正しい道を進ませ、幸福の手助けをしてあげなさい。私は、人々が繰り広げるいかなる虚偽の敵対宣伝をも恐れません。真理と正義と愛の道を守っている私が、何を恐れる必要があるでしょうか? 人々には好きなことを言わせておきなさい。私の心は乱れません。25/12/2000

 *社会
社会において各人が、物質的なことのみを追い求めている間は、その社会にハーモニーと平安は確立できないでしょう。SSN冬1983p19
皆さんは、人間として生まれた以上、社会の幸福のために力を尽くさなければなりません。皆さんは社会の一員であり、あなたの幸せは社会の幸せに左右されます。ですから、社会のためになる活動に携わりなさい。23/11/05
真の社会は、利己心のない人々の集合体です。理想的な社会は人間的な価値を尊び、すべての住民がモラルを守っていきている社会のことをいいます。社会の中に非ダルマや非モラルが蔓延ると、その国全体が崩壊します。SSIB1979p65
皆さんは、社会で生まれ、社会で育ち、社会で生きています。もしあなたが属している社会が、何を必要としているかわからないのであれば、その社会が、あなたを永遠に面倒見てくれるとでも思っているのですか。あなたが、社会を通して身につけることが出来た教育によって、この世のすべての人々の平和と安全に寄与しなさい。葉の上に落ちた一滴の油のような孤立した生活を送るべきではありません。 すべての人々と調和と一体性を持って生活しなさい。他人の苦しみや痛み理解し、それを和らげるように努力しなさい。そうすることであなたの純粋性が増し、人生が意味あるものとなるのです。29/5/95
いつも社会と社会の幸福のことを心に留めていなさい。皆さんは社会の一員なのですから、社会的責任があるのです。皆さんがあるのは社会のおかげです。同様に、社会は皆さんと別のものではありません。人が社会を作っているのです。皆さんと社会は分かつことのできないものであり、互いに依存しています。社会の同胞が繁栄しているときにだけ、皆さんも繁栄するでしょう。14/1/09
あなた方全員が立派なリーダーになるべきです。今、国は危機的状況を通過しています。国民は誰が自分たちのリーダーになるべきかについて非常に懸念しています。ですから皆さんが良いリーダーになって、一般大衆の元へ行き必要な励ましを与え、社会を正しい状態にすべきなのです。
私たちの社会に多くの悪がにじり寄ってきていることに皆さんも気づいているはずです。多くの教育者達は、社会のために働くと言っておきながら何もしていません。社会は神を固く信じている者によってのみ、正しい状態にすることが出来ます。学生達に神聖な教えを授け、社会奉仕に参加することを奨励すべきです。そうしてはじめて世界に平和がもたされるのです。14/2/09
社会を作り上げているのは共同体や個人の集団です。~理想の社会には何が必要とされるでしょう。それは、一体性、協調、統合、同胞愛、平等などです。これらが理想的社会の持つ特徴です。社会は変わるべきだと人は言います。けれども私の意見ではそれは間違いです。もし一人一人の人間が変われば、社会は自動的に変わるでしょう。~個人の幸福は、社会の幸福に依存していることを、すべての人は知るべきです。人間の幸福、発展、繁栄は社会にかかっています。STPSp64

*社会主義
社会主義というのは、すべての人々が他の人々と同じように平等であるべきであるという理念を持っているが、このような理念はずっと昔にインドでもうすでにあったことなのです。~ラーマが統治していた時代には、すべての人の意見は同じ重みを持っていたのです。SSSvol7p229
あなた方は社会主義の理念は、物質や贅沢品、人生における楽しみ、富や金などを平等に分け与えるべきだと言っています。それらは確かに高尚な考えですが、現実的には不可能です。あなた方は、確かに富や楽しみ、贅沢品などを平等に分配出来るかもしれませんが、希望や大志も平等に分け与えることが出来ますか?希望や大志を公正に分配出来て初めて真の平等が得られるのです。SSN夏1989p18

 *しゃべりすぎ
しゃべりすぎないようにしなさい。しゃべりすぎることにより、あなたの内にある神聖な力を失ってしまいます。話過ぎることにより、記憶力も薄れ、あなたの身体も弱くなっていくのです。その結果早く老け込むでしょう。それだけではなく、あなたの名声も地に落ちていくでしょう。早く老ける一番大きな原因は、話過ぎることです。話しすぎは良くありません。静寂の中にいなさい。生まれてこのかた、あなたは静寂の中に浸ったことがありますか? 今日からそれを実践しなさい。DBGp45
あなたがしゃべりつづけることにより、沢山のエネルギーを消費します。エネルギーのレベルが低下することにより、あなたはアレルギー症になります。エネルギーが無くなると、心も弱くなります。心が弱くなることにより、精神病を患い易くなります。このことが理由で、西洋諸国では多くの精神病患者が発生しているのです。彼らは、ほんの少しの間だけでも心をじっと落ち着けることができないのです。SSN秋1984p30

*シャンカラ
昔、シャンカラは、人は無限なる全能の神であるということへの信心を人々の心に取り戻させよう努力しました。シャンカラは、人が自らの実体へと向かうことができるよう、人の心に居座っている邪悪な特性を取り除こうとしました。自らの実体をちらりと見ただけで、人のエゴ〔自我意識、アハンカーラ〕はなくなり、慢心と失意もなくなります。そうなると、賞賛されて喜ぶことも、非難に悲しむこともなくなります。そして、どんな嵐でも揺らすことができない山の頂のように、人は堅固になり、揺らくごとはなくなります。映画館のスクリーンのように、中傷の火や賞賛の雨の影響を受けることもなくなります。20/2/1966

 *シャンティ
私達は、シャンティ シャンティ シャンティと3回繰り返しますが、それは身体・心・霊の平安を祈る言葉です。ある人々は、この祈りの言葉を30年間唱え続けていますが、彼らはまだ平安を見つけていません。それは、彼らがハートに平安を祀っていないからです。優しく静かに話すことを学びなさい。15/1/1996
いつもアラティやバージャンの後に3回シャンティと唱えるのは、何か意味があるのでしょうか?最初のシャンティは、この肉体が平安を楽しみますように、という意味です。あなたの肉体を嫌悪、嫉妬、執着などのような感覚によって熱くさせてはいけません。あなたが聞くニュースが良い悪いに関わらず、平安な心でそのニュースを受け取るようにしなさい。それゆえ、肉体の平安と調和が必要なのです。もしあなたが平安を失えば、身体は病気になります。二度目のシャンティは心が平安になりますようにという意味です。それは心にとって自然なことで真理です。あなた方は、そのことを理解せねばなりません。心が平安を保つのは、心にとって本質的なことなのです。私の心の中に無いものは、決して私のものでは無い。と、言うべきです。
人々があなたのもとにやってきて、あなたの中に元々存在しないものに対して批判しても、それはあなたとは全く関係無いことなのに、その人を嫌悪する必要は無いのです。どうして、心に平安のない人に批判されることによって、あなたは自分の中の平安を手放すのですか?このような間違いを犯すことによって、人は平安を失ってしまうのです。SSN1986p,35~36春

 *自由
真に自由になるということは、欲望から解放されることです。SS1月p4
あなたの祈りは間違っています。そんな風に祈ることはできません。あなたが私を礼拝する自由を持っているのと同様に、他の人々にも私を非難する自由があります。私は賞賛と非難のどちらからも影響を受けません。私は自分の仕事をし、自分の考えに従って生きています。私は常に完璧です。私は愛です。私はただ愛によってのみ動かされます。私は人々を傷つけたり、害を与えたりすることはありません。誰も私を傷つけたり、害を与えたりすることはできません。あなたは他人の自由を取り上げるよう私に祈ることはできないのです。ND
至高の神は宇宙の全てを創造しましたが、何ひとつ自分の為に取って置くことをしません。全て創造されたものは完全な自由を与えられています。各人は好むものを自由に享受してよいのです。しかし、一つの制限があります。如何なる行為にも、それに相関する反作用があります。この規則に従うならば好きなことを自由にして良いのです。与えられた自由を邪悪な行為に用いるならば、結果は必然的に悪いのです。悪い結果は神が与えるのではありません。至高の神は、誰に対しても危害を与えません。あなたが体験する全てのことは、あなた自身の思いと行為が原因です。20/2/92
西洋人は自由について自分が満足する行動をし、好きなことをする事と思っていますが、それはとんでもない間違いです。真の自由とは、自らの感覚を制御することです。人はお酒を飲みたがりその結果酔っぱらって我を失います。さて、その人の自由はどこに消えたのでしょうか。その人は、もともと持っていたひとかけらの分別さえ無くしてしまいました。自由は放縦にあるのではありません。真の自由は、真我の悟りから生まれるのです。英知の目的は自由なのです。17/2/89
無知が解脱の体験を防げています。無知が消える瞬間、あなたは束縛から解放され真のあなたを認識することができます。あなたは自由です。その瞬間までは、あなたは本来自由であるのにも関わらず、自分が束縛されていると思い込み、束縛されているかのように行動します。人々は無知ゆえに成果を欲して行為をします。望みの成果が得られないと、失望のあまりますます欲望はつのり、束縛から自由になることが出来ません。UVc11
あなたが本当に自由であるのは、普遍で無限のダルマに照らされた道に従って歩を進める時に限られます。本当の意味で自由を獲得した人はほとんどいません。自分は肉体であるという意識を持ってなされた行為は、すべて束縛を受けます。なぜならその間、人は感覚のおもちゃになるからです。DVJp12
人間は自由でないという考えは間違っています。人生が、遺伝、環境、前世からの傾向といったものの影響に左右されるのは、ある一定の段階までのことでしかありません。その後は、人間はそのような影響を乗り切り、自由になれるのです。CWSSBJp266

 *自由意志
神は完全に自由です。それゆえ自由意思、すなわち神意を持っているのは神のみなのです。今日、すべての人が自分は自由意思を持っていると称して何でも自分で決められると思っています。しかしそうした意思は、今日と明日とでは違っているかもしれません。それに反して、神の意志は決して変わりません。あなたがあなたの自由意思を用いる限りは、それが成功するときもあれば失敗することもまた勝つことも負けることもあるでしょう。もし成功すれば、あなたは高慢で利己的になります。
もし失敗すれば、落胆して失望します。けれども神の意志は超越的なものです。あなたがすべきことは、ただ神の意志に委ねることだけです。そのことが良いことであれ、悪い事であれ、人生に何が起きようと、それは自分にとって最も良い事だと思い、喜んで受け入れることなのです。神からの贈り物として受け入れなければなりません。そうすることが真の英知であり、信愛なのです。
実際あなたは自分にとって何が良いのか知りません。神のみがその人にとって、最善の時、理由、内容、方法を知っています。すべては神の意志、すなわち神意により起こります。このことを知り、それを心から信じ、ひとたび神の意志に全託するならば、得意になったり利己的になったり、高慢になったり、落胆して落ち込んだり失望することも決してありません。STPSp270
自由意志を持つものは神のみです。人には意志が与えられていますが、それは自由意志ではありません。神の意志が働く時、人の意志もまた動きます。一本の木には無数の葉がついていますが、どの葉も風が吹かなければ動きません。葉には自由意志は無く、そよ風が吹く時にのみ風に揺られて動きます。それが葉の意思といっても良いでしょう。人生を木に例えれば人は葉です。
神の意志という風が吹く時のみ、人間の意志も動き始めます。このように神の意志と人の意志が、共に結びつく必要があります。 神の意志と人の意志が結びつく時、人間の本性が花開きます。人は自らの努力のみでは、何事も成就することはできません。そうかと思えば、あまり努力しなくても出来ることもあるでしょう?又、最善の努力を払っても出来ないこともあります。その理由は、神の意志が働いているかどうかによるのです1/1/93
王や有力者たちは、富や世間的な栄誉を得ているのにもかかわらず不幸です。なぜなら彼らには、慈悲深い神の深い摂理に対する信仰心が無いからです。皆さんのハートにおられる、この世を統べる全能の神が唯一の行為者なのです。あなたは単なる操り人形にすぎないのです。
神がその自らの御意志のままに、あなたを操るのです。それに委ねなさい。あなたは、神に対してなぜそのようなことをするのか?と尋ねれる立場にないのです。困難や心配事は、外的な要因によって生じるのではありません。それは、神に全託していない心によって引き起こされるのです。PD6
クリシュナはアルジュナに必要とされる忠告をすべて与え、アルジュナの捨てたエゴを受け取ったあと自らの意思のままに行為する自由を与えました。アルジュナの意思は完全にクリシュナのものとなったからです。このようなレベルに達した弟子には自由を与えなければなりません。VVc12

 *集産主儀
バラタは個人主義の概念とは反対に、集産主義の理想を掲げてきました。個人が歌うよりも、人々が共にバジャンを歌うことを好みました。共同の行為が促進されました。ヴェーダもまた共同の精神をたたえました。共に集まって歌うことを始めたのは、グルナナクです。22/11/95

*囚人
牢獄にいる囚人は、自分の着ている服を自分の物ということは出来ません。あなたは牢獄に入れられ、定められた刑期に服しているのです。あなたは、自分のものと呼ぶべきものを何一つ持ち合わせていません。神があなたに食べ物と衣服を与えます。神はあなたが刑期を終えれば、釈放の許可を与えます。もし、あなたの獄中での服役態度が良く、神のお気に入りであれば、あなたは予定より早く出獄を許可されることもあるでしょう。SSSVol1chp3

 *獣性
目覚めという鈍重な状態においても夢見という霊妙な状態においても、あなたの心は動き回り落ち着きがありません。あちこち飛び回る心を、如何にすれば安定な状態に変化させることが出来るのでしょうか?それは、目覚めの時に,獣性に触れぬように注意していれば、獣性は夢の中にさえ入ってきません。24/5/92

 *しゃべりすぎ
しゃべりすぎないようにしなさい。しゃべりすぎることにより、あなたの内にある神聖な力を失ってしまいます。話過ぎることにより、記憶力も薄れ、あなたの身体も弱くなっていくのです。その結果早く老け込むでしょう。それだけではなく、あなたの名声も地に落ちていくでしょう。早く老ける一番大きな原因は、話過ぎることです。話しすぎは良くありません。静寂の中にいなさい。生まれてこのかた、あなたは静寂の中に浸ったことがありますか? 今日からそれを実践しなさい。DBGp45
あなたがしゃべりつづけることにより、沢山のエネルギーを消費します。エネルギーのレベルが低下することにより、あなたはアレルギー症になります。エネルギーが無くなると、心も弱くなります。心が弱くなることにより、精神病を患い易くなります。このことが理由で、西洋諸国では多くの精神病患者が発生しているのです。彼らは、ほんの少しの間だけでも心をじっと落ち着けることができないのです。SSN秋1984p30

*シャンカラ
昔、シャンカラは、人は無限なる全能の神であるということへの信心を人々の心に取り戻させよう努力しました。シャンカラは、人が自らの実体へと向かうことができるよう、人の心に居座っている邪悪な特性を取り除こうとしました。自らの実体をちらりと見ただけで、人のエゴ〔自我意識、アハンカーラ〕はなくなり、慢心と失意もなくなります。そうなると、賞賛されて喜ぶことも、非難に悲しむこともなくなります。そして、どんな嵐でも揺らすことができない山の頂のように、人は堅固になり、揺らくごとはなくなります。映画館のスクリーンのように、中傷の火や賞賛の雨の影響を受けることもなくなります。20/2/1966

 *シャンティ
私達は、シャンティ シャンティ シャンティと3回繰り返しますが、それは身体・心・霊の平安を祈る言葉です。ある人々は、この祈りの言葉を30年間唱え続けていますが、彼らはまだ平安を見つけていません。それは、彼らがハートに平安を祀っていないからです。優しく静かに話すことを学びなさい。15/1/1996
いつもアラティやバージャンの後に3回シャンティと唱えるのは、何か意味があるのでしょうか?最初のシャンティは、この肉体が平安を楽しみますように、という意味です。あなたの肉体を嫌悪、嫉妬、執着などのような感覚によって熱くさせてはいけません。あなたが聞くニュースが良い悪いに関わらず、平安な心でそのニュースを受け取るようにしなさい。それゆえ、肉体の平安と調和が必要なのです。もしあなたが平安を失えば、身体は病気になります。二度目のシャンティは心が平安になりますようにという意味です。それは心にとって自然なことで真理です。あなた方は、そのことを理解せねばなりません。心が平安を保つのは、心にとって本質的なことなのです。私の心の中に無いものは、決して私のものでは無い。と、言うべきです。
人々があなたのもとにやってきて、あなたの中に元々存在しないものに対して批判しても、それはあなたとは全く関係無いことなのに、その人を嫌悪する必要は無いのです。どうして、心に平安のない人に批判されることによって、あなたは自分の中の平安を手放すのですか?このような間違いを犯すことによって、人は平安を失ってしまうのです。SSN1986p,35~36春

 *自由
真に自由になるということは、欲望から解放されることです。SS1月p4
あなたの祈りは間違っています。そんな風に祈ることはできません。あなたが私を礼拝する自由を持っているのと同様に、他の人々にも私を非難する自由があります。私は賞賛と非難のどちらからも影響を受けません。私は自分の仕事をし、自分の考えに従って生きています。私は常に完璧です。私は愛です。私はただ愛によってのみ動かされます。私は人々を傷つけたり、害を与えたりすることはありません。誰も私を傷つけたり、害を与えたりすることはできません。あなたは他人の自由を取り上げるよう私に祈ることはできないのです。ND
至高の神は宇宙の全てを創造しましたが、何ひとつ自分の為に取って置くことをしません。全て創造されたものは完全な自由を与えられています。各人は好むものを自由に享受してよいのです。しかし、一つの制限があります。如何なる行為にも、それに相関する反作用があります。この規則に従うならば好きなことを自由にして良いのです。与えられた自由を邪悪な行為に用いるならば、結果は必然的に悪いのです。悪い結果は神が与えるのではありません。至高の神は、誰に対しても危害を与えません。あなたが体験する全てのことは、あなた自身の思いと行為が原因です。20/2/92
西洋人は自由について自分が満足する行動をし、好きなことをする事と思っていますが、それはとんでもない間違いです。真の自由とは、自らの感覚を制御することです。人はお酒を飲みたがりその結果酔っぱらって我を失います。さて、その人の自由はどこに消えたのでしょうか。その人は、もともと持っていたひとかけらの分別さえ無くしてしまいました。自由は放縦にあるのではありません。真の自由は、真我の悟りから生まれるのです。英知の目的は自由なのです。17/2/89
無知が解脱の体験を防げています。無知が消える瞬間、あなたは束縛から解放され真のあなたを認識することができます。あなたは自由です。その瞬間までは、あなたは本来自由であるのにも関わらず、自分が束縛されていると思い込み、束縛されているかのように行動します。人々は無知ゆえに成果を欲して行為をします。望みの成果が得られないと、失望のあまりますます欲望はつのり、束縛から自由になることが出来ません。UVc11
あなたが本当に自由であるのは、普遍で無限のダルマに照らされた道に従って歩を進める時に限られます。本当の意味で自由を獲得した人はほとんどいません。自分は肉体であるという意識を持ってなされた行為は、すべて束縛を受けます。なぜならその間、人は感覚のおもちゃになるからです。DVJp12
人間は自由でないという考えは間違っています。人生が、遺伝、環境、前世からの傾向といったものの影響に左右されるのは、ある一定の段階までのことでしかありません。その後は、人間はそのような影響を乗り切り、自由になれるのです。CWSSBJp266

 *自由意志
神は完全に自由です。それゆえ自由意思、すなわち神意を持っているのは神のみなのです。今日、すべての人が自分は自由意思を持っていると称して何でも自分で決められると思っています。しかしそうした意思は、今日と明日とでは違っているかもしれません。それに反して、神の意志は決して変わりません。あなたがあなたの自由意思を用いる限りは、それが成功するときもあれば失敗することもまた勝つことも負けることもあるでしょう。もし成功すれば、あなたは高慢で利己的になります。
もし失敗すれば、落胆して失望します。けれども神の意志は超越的なものです。あなたがすべきことは、ただ神の意志に委ねることだけです。そのことが良いことであれ、悪い事であれ、人生に何が起きようと、それは自分にとって最も良い事だと思い、喜んで受け入れることなのです。神からの贈り物として受け入れなければなりません。そうすることが真の英知であり、信愛なのです。
実際あなたは自分にとって何が良いのか知りません。神のみがその人にとって、最善の時、理由、内容、方法を知っています。すべては神の意志、すなわち神意により起こります。このことを知り、それを心から信じ、ひとたび神の意志に全託するならば、得意になったり利己的になったり、高慢になったり、落胆して落ち込んだり失望することも決してありません。STPSp270
自由意志を持つものは神のみです。人には意志が与えられていますが、それは自由意志ではありません。神の意志が働く時、人の意志もまた動きます。一本の木には無数の葉がついていますが、どの葉も風が吹かなければ動きません。葉には自由意志は無く、そよ風が吹く時にのみ風に揺られて動きます。それが葉の意思といっても良いでしょう。人生を木に例えれば人は葉です。
神の意志という風が吹く時のみ、人間の意志も動き始めます。このように神の意志と人の意志が、共に結びつく必要があります。 神の意志と人の意志が結びつく時、人間の本性が花開きます。人は自らの努力のみでは、何事も成就することはできません。そうかと思えば、あまり努力しなくても出来ることもあるでしょう?又、最善の努力を払っても出来ないこともあります。その理由は、神の意志が働いているかどうかによるのです1/1/93
王や有力者たちは、富や世間的な栄誉を得ているのにもかかわらず不幸です。なぜなら彼らには、慈悲深い神の深い摂理に対する信仰心が無いからです。皆さんのハートにおられる、この世を統べる全能の神が唯一の行為者なのです。あなたは単なる操り人形にすぎないのです。
神がその自らの御意志のままに、あなたを操るのです。それに委ねなさい。あなたは、神に対してなぜそのようなことをするのか?と尋ねれる立場にないのです。困難や心配事は、外的な要因によって生じるのではありません。それは、神に全託していない心によって引き起こされるのです。PD6
クリシュナはアルジュナに必要とされる忠告をすべて与え、アルジュナの捨てたエゴを受け取ったあと自らの意思のままに行為する自由を与えました。アルジュナの意思は完全にクリシュナのものとなったからです。このようなレベルに達した弟子には自由を与えなければなりません。VVc12

 *集産主儀
バラタは個人主義の概念とは反対に、集産主義の理想を掲げてきました。個人が歌うよりも、人々が共にバジャンを歌うことを好みました。共同の行為が促進されました。ヴェーダもまた共同の精神をたたえました。共に集まって歌うことを始めたのは、グルナナクです。22/11/95

*囚人
牢獄にいる囚人は、自分の着ている服を自分の物ということは出来ません。あなたは牢獄に入れられ、定められた刑期に服しているのです。あなたは、自分のものと呼ぶべきものを何一つ持ち合わせていません。神があなたに食べ物と衣服を与えます。神はあなたが刑期を終えれば、釈放の許可を与えます。もし、あなたの獄中での服役態度が良く、神のお気に入りであれば、あなたは予定より早く出獄を許可されることもあるでしょう。SSSVol1chp3

 *獣性
目覚めという鈍重な状態においても夢見という霊妙な状態においても、あなたの心は動き回り落ち着きがありません。あちこち飛び回る心を、如何にすれば安定な状態に変化させることが出来るのでしょうか?それは、目覚めの時に,獣性に触れぬように注意していれば、獣性は夢の中にさえ入ってきません。24/5/92

 *宿題
今の人間はアートマの原理以外,すべてを知ろうと努力しています。人間は空を飛ぶことが出来るし多くの星々の記録をつけていますが、自分自身を知るという、神様から与えられた宿題が出来ていません。人間は真の自己を知ろうとしない為に、邪悪な道を歩んでいるのです。29/10/09

 *祝福
神の祝福はいつもそこにあります。まるで、太陽の光がすべての人々にそそぐように、誰にでも降りそそぐのです。しかし、太陽の光は障害物の後ろでは影になってしまうのと同様に、私の祝福は私の名と姿にとても固執している人に注がれ、これらに興味がない人には注がれることはないのです。
しかし、すべての個霊はそれぞれの人生の中で、少なくとも一度は神の祝福を受ける機会を持っています。P, 302 ANDI
あなたがスワミに完全に従うならば、あなたがあなた自身の中に祝福があるのを見つけることができるでしょう。それだけではなくて、あなたがどこに行こうと、祝福があなたについて回ることにあなたは気づくでしょう。
物質的な世界から祝福を得ることはできないのです。祝福はあなた自身の中にあるのです。いついかなる状況の時でもあなた自身の中に神聖さを見なさい。そうすれば、あなたは神と一つになるでしょう。あなたの心を神の方に向けると、神の祝福を体験出来るのです。SS8月1996p,201

 *受刑者
受刑者に対して、哀れみを持ちなさい。それが彼らを立ちなおさせる最上の方法です。彼らの信仰心を強めなさい。人々が元々持っている善良さに対する信仰心です。そうすれば、彼らは反社会的な活動をしなくなるでしょう。SSSvol6p203

 *主婦
婦人の名誉が尊ばれるところには、繁栄と幸福があります。決して婦人を軽視し、軽蔑的に扱うべきではありません。主婦の泣声が聞こえる家庭からは、全ての繁栄が奪われます。19/11/96

 *寿命
人が百歳になる前に死ぬ理由は、傲慢、嫉妬、邪悪な思い、悪行、等々によって生命がずたずたに裁断されるからです。邪悪な性向がその人の寿命を短くします。生活を良い思いと善行で満たすならば、百年の寿命を享受することが出来ます。太古の聖者の長寿の秘訣は、良い思いと善行でした。1/6/91
その者の寿命が長くなるか短くなるかは、その者によって決まります。あなたの寿命はあなたが喜びにあふれ、冷静で、純粋な思いで満たされていれば長くなります。逆にねたみ,怒り、嫌悪、うぬぼれなどは、あなたの寿命を短くします。人を羨ましがる者は、夜寝ることも出来ません。睡眠不足は食事を抜くより健康に害を及ぼします。うらやむ心は人を常時苦しめます。これらのトラブルが人の命を縮めるのです。8/93p203
人の力は怒りによってかなり減少します。寿命は、ねたみと怒りと憎悪という大きな刃によって短く切りきざまれます。妬みは人の寿命を短くさせる主な原因です。怒ると身体全体が震えます。血液が熱くなります。血液が冷めるまで3ヶ月かかります。一瞬の怒りは、6ヶ月間食事で得たエネルギーを消耗してしまうのです。10/8/83
一回の呼吸にかける時間を長くすることで、寿命を延ばせることが明らかにされています。呼吸のプロセスが早くなるほど寿命は短くなります。このことを以下に例をあげて示してみましょう。象と人間は1分間に12回から13回呼吸をします。この回数で計算すると、人は百年生きることが期待できます。蛇と亀は1分間に7回から8回の割合で息をします。その結果、蛇と亀の寿命は二百年から三百年に及びます。猿、犬、猫は一分間に30回から40回の頻度で息をします。そのため、平均寿命は12年から13年を越えることはありません。ウサギは1分間に40回から50回の頻度で息をします。
ウサギの寿命は5~6年です。呼吸の早さが早いほど寿命は短く、遅いほど寿命は長いのです。呼吸はどのようにコントロールすべきでしょうか?呼吸は、鼻孔の下に粉をつけて、その粉が飛ばないくらい大変ゆっくり行うべきです。29/6/89
命を延ばすか、縮めるかはあなた自身の手にかかっています。あなたが喜びに満ちていて、穏やかで純粋な思いで満ちているなら寿命は延びます。妬み、怒り、憎悪、慢心に満ちているなら寿命は縮みます。嫉妬深い人は全く睡眠を得られません。睡眠不足は、食べ物を欠く事よりも健康を害します。
妬みは終始人を苦しめます。これらの苦しみは人の命を縮めることにつながります。また、人は憎悪でいっぱいになると、敵対する人を見ることにも耐え難くなります。そして、身体と精神を消耗させる妄想に苦しむのです。21/7/93
私の見解では、敬虔な生涯は長寿より重要です。利己的な人が社会に何の奉仕もせず長生きしても何の役に立つでしょう?社会と国に奉仕する人だけが長生きすべきです。6/2/93
クリタユガの人間は何百年も生きました。その上、人々の身体は今の時代のように小さくありませんでした。人々は巨大で、腕は6フィートありました。人々の命については、クリタユガでは骨が残っている限り身体に生命が留まっていました。骨以外の部分が崩壊しても,生命は骸骨の中に留まっていたのです。トレタユガでは、人間の背は低くなり寿命も縮まりました。
生命は筋肉と肉が残っている限り体に留まっていました。ドワパラユガでは、血液が循環している限り身体に生命が留まっていました。~ビーシュマは56日間生きながらえました。今のカリユガでは、身体の中に食べ物がある限り生命は存続します。食べ物が無ければ人は生きられません。7/9/96
人は、長寿を望んでいます。しかし、長寿は重要ではありません。短くても、神性に満ちた人生の方がより望ましいのです。神聖な人生はたとえ一瞬であっても、永続する至福と、名声をもたらすのです。世俗的な教養に満足していてはなりません。アートマの知識も獲得しなさい。30/5/95
嫌悪は怒りより危険です。それは神を体験することを妨げる多くの邪悪な性質を呼び起こします。人は本来100年間生きることができますが、これらの邪悪な性質のために人の寿命は短くなっています。このような邪悪な性質が完全に制圧されれば、人は永く幸せな人生を謳歌することができます。
たとえ大きな事故に遭遇しても命を失わないでしょう。人は自分自身の邪悪な性質の反射と反応と反響によって苦しめられています。欲望と怒りと嫌悪は人間の性質ではなく、獣の特質です。自分にこれらの邪悪な性質に支配されることを許せば、人は獣になります。人は絶えず自分は人間であって獣ではないと自分自身に言い聞かせるべきです。このようにして、人は獣の性質を抑制することができます。不幸なことに、今日の青年は過大な欲望を抱いており、結果的に自分たちの将来を悲惨なものにしています。10/9/02

*シュルティ
シュルティとは、古代の聖者達によって神聖な音として「聞かれたもの」という意味です。グルがヴェーダの讃歌を唱え、弟子達はそれを一心に聞き、同じ声の調子でそれを再生するのです。こうした過程は、弟子が各讃歌をマスターするまで繰り返されます。
Leela Kaivalya Vahini p8
シュルティは神聖です。心は、人間的、世俗的であり、あなたの進歩を左右します。シュルティは知性を支配し、根本的な識別力を備え付けます。心は個人のレベルで機能します。人間には、人間の法、国政の法、神の法という三つの原理が作用しています。人間の階級や運命は従う法によって左右されます。たとえばビーシュマは、ダルマジャに王の道を教えました。また、ビーシュマは神の法に従って、ダルマジャに有名なヴィシュヌ神の千の御名を伝授しました。
しかし彼は、総司令官として戦っていたとき神聖なシュルティを忘れ識別心を無くしてしまいました。その結果、彼は個人的な自分の心に従い、長い間矢のベッドの上で身を横たえなければならなかったのです。
また、アビマンニュ母親に敵を打ち負かして凱旋できるように祝福してもらいました。これは国政の法です。このように、人間の法は個人の心から行動の合図を得ますが、神聖なシュルティは知性を刺激して根本的な識別をさせるのです。そうした行動を取ったアビマンニュは英雄らしく死にました。これと同じように人それぞれの人生において、善人は善人のみと出会い、悪人は必然的に悪人のみに遭遇します。この法則は決して無効になることはありませんSTPSp204

 *純粋な心
人が純粋な心を持っていて、スワミの教え通りに生きているのであれば、スワミの恩寵は自動的に与えられるでしょう。如何なるカルマもそれを防げることは出来ません。CWSSBJp195
神聖さ、純粋性、信仰、普遍的な愛という性質を培いなさい。そうすれば神はあなたを慰め、元気づけ、救うために歩み寄ります! ハートの純粋さと感覚のコントロール、もしこの二つの資格を身につけたなら恩寵はあなたのものとなるでしょう。1978年11月23日 御降誕祭での御講話
一体性を欠いていたら、どうやって純粋性を得ることができるでしょうか? ですから、純粋性を得たいのであれば一体性がなければなりません。仮に誰かがあなたを批判しているとしましょう。あなたはそれも自分のためだと考えるべきです。他の人が何をしようとも、それはすべて自分のためなのだと思いなさい。すべての行為を、自分の人生を修復することを目的として行うようにしなさい。人間性を失わないように気をつけなさい。たとえ財産を失ったとしても、人間性という財産は失わないようにしなさい。
つねに笑顔で、至福に満ちながら、人生を送るようにしなさい。とはいえ、不必要に笑うことも良いことではありません。すべての行為を良い意図をもって行うようにしなさい。良い行いをすれば、あなたの思いも良いものとなります。心が良い思いで満たされれば、悪い思いはすべて消え去ります。ですから、いつも良い思いだけをもつようにしなさい。それは健康へと導いてくれます。すべての人を愛するべきです。すべての人を愛し、すべての人に奉仕しなさい。この原則に従うなら、いつも健康でいられるでしょう。7/3/08
アートマンは英知を研ぎ澄ませることと、純粋な心でつかむことが出来る。ではどのようにして心をきれいにするのであろうか?
それは、例えばおなかがすいているからといって悪い食べ物、つまり世俗的なものでおなかを満たすより、良い食べ物、つまり神のことを思うことで空腹を満たすことである。英知も、何が一時的で、何が永遠なものかを識別することによって研ぎ澄ませることが出来る。
あなたの思いを神の御名と御姿に集中させてみよう。そうすればあなたは、純粋で永遠なものとずっと一緒だったと気づき、そこから喜びを引き出されることができるであろう。このような理由で私はナマスマラナという霊的修行の重要性にこだわっているのです。SSSvol5p9
純粋なハートは真理を映し出す最高の鏡です。それゆえあらゆる修行はハートを浄化するためのものなのです。ハートが純粋になるやいなやすべての真理が一瞬の内にハートに映し出されます。あなたが本当に純粋であるならば宇宙に存在するすべての真理があなたのハートに顕れ出ることでしょう。プレーマ ダーラ P.47
神はどうしたら体験できるのでしょう? 第一の必要条件はハートの純粋さです。すべての宗教は、純粋さが根本的に重要であることを確言してきました。すべての霊性修行の目的は平安に到達することです。あらゆる生き物に対する慈悲は神への信愛です。30/3/87
感情が純粋でなければ、いくら財産があっても救われません。また、なにも所有していなくても、もしハートが純粋であれば、その人は最上のものを手にすることができるのです。ハートが純粋な人が見たものや触れたものは、すべて黄金に変わります。反対に、純粋さに欠け、正しい方向への努力をしない人にとっては、もっている杖でさえも、ヘビに変わってしまうのです。サイラム ニューズ77号P.24
私たちの行う行為は全て跳ね返ってきます。良い行いをすれば幸せを得ることができ、悪い行いをすれば不幸せになります。あなたの内には真の幸せがあり、神聖甘露の光の海が広がっているのです。
あなたは自分自身のうちにそれを見つけ出し、感じ、解き放ちなさい。
あなたの真の自己はそれなのです。それは、身体でも、心でも、知性や頭脳でもありません。
それはまた、欲望でも無く、それを抱く事でもなく無く、また、欲望の対象でもありません。あなたはこれらを全て超越した所にいるのです。これらは、単なる現れにすぎません。あなたは、優しく咲く花々、キラキラと瞬く星々なのです。それらを通じてこの世界にあなたは現れるのです。これらすべての素晴らしいものがあなた自身であるというのに、あなたは何かまだ、この世界に欲しいものがあるというのですか。ゴールにたどり着けるのは純粋なハートの持ち主だけです。あなたのハートに従いなさい。純粋なハートは知性を超越して探求します。純粋なハートは、神から直接インスピレーションを得ることが出来るのです。PD26
三つの性質、即ち、純粋さと忍耐と不撓不屈の精神を養いなさい。これらを備えていれば、あなたは何事でも達成することができます。もしも忍耐を失いそして純粋さがなくなったとするならばその理由は信仰を失ったからです。チャイタニア ジョーティのパンフレットより
各人の良心こそは、自分自身の証人です。否定的な批判にエネルギーを消耗してはなりません。皆さんは決して、信仰と自信を手放してはなりません。一部の人は、他の人々の成長や繁栄を妬ましく感じます。妬みは危険な害虫です。
妬みを持った人は、自分の妬みを隠して、害虫のように他者に害を及ぼします。これは邪悪なやり方です。しかしながら、私の考えでは、邪悪な人間は一人もいません。すべての邪悪な振る舞いは、遅かれ早かれ変化します。バガヴァンの真実は一つです。すべてがバガヴァンのものであり、バガヴァンはすべてのものです。 私の唯一の財産は愛です。私はすべての人を愛で包みます。心に憎しみを持って私のところに来る人さえも、私は愛しく感じます。私は皆さんの欠陥を探すことはしません。
私は愛の原理に基づいています。すべての人が、バガヴァンの平常心に注目し、一体性の原理に従うべきです。純粋さは一体性によって生じ、純粋さから神に到達することができます。神に到達するためには、純粋さを培わなければなりません。純粋さを育てるためには、すべての人と調和して生きなければなりません。そうしてはじめて、皆さんは良い結果 を得ることができるのです。23/11/00
最善の努力をしているのに、思いどおりの結果にならないと感じている人々がいますが、これは、その人の感情と意図が純粋でないことが主な原因です。サイラム ニューズ77号 P.24
純粋なハートは真理を映し出す最高の鏡です。それゆえ、あらゆる修行はハートを浄化するためのものなのです。ハートが純粋になるや否や、すべての真理が一瞬のうちにハートに映し出されます。あなたが本当に純粋であるならば、宇宙に存在する真理があなたのハートに現れ出ることでしょう。
状況が困難であればある程、その環境が辛いものであればあるほど、それを克服して人は強くなって行くのです。PD39
純粋になるにはどうすれば良いか?心を高尚な思いと気高い理想で満たしなさい。心の中を、日夜そのように保つことで、偉大な成果 が生まれます。不純なことを語るのではなく、自分は純粋であると言いなさい。あなたたちは、自分はちっぽけで、生まれ、死にゆくものであり、常に恐れの状態の中で生きていると自分自身に暗示をかけてしまっています。愛しい子供たち! あなたたちのサイはいつもあなたたちと共に、あなたたちの内に、あなたたちの周りにいます。恐れてはなりません。幸せでいなさい。サイの理想 P.4~5
あなたにゆるぎない信仰と帰依があり、重ねてしっかりとした純粋なハートを持っていれば、あなたは神を自分の前に出現させることができます。22/7/02
純粋な心に持ち主とは、心が愛で満たされている人のことです。~神は心の純粋さを見るのです。CWSSBJp134
あなたのハートを純粋にしなさい。世俗的欲望の悪臭に付け入る隙を与えてはなりません。あなたのハートを美徳の芳香で満たしなさい。他の人々の心に毒を注ぐことを唯一の仕事とする邪悪な人の言葉を心に留めてはなりません。ただ単に本を読んだり講話を聴いたりするだけでは、あまり恩恵は得られません。第一に、自分の中に着実な心と神への愛を育てなさい。信仰があれば英知が得られます。22/7/02
ハートを純粋にするために努力をしなさい。このことにあなたの最大の努力を傾けなさい。ハートが純粋であれば、どのようなことでも成し遂げることができます。ハートを純粋にするには、神聖な食物を食べなければなりません。食物を調理する人は神聖な感情をもっていなければなりません。昔は、正統のブラーミンは、自分の妻が調理した食物にしか手をつけませんでした。その理由は、主婦は、家族全体の幸福を願って食事の準備をしたからです。一方、料理人を雇えば、彼らがどんな感情で食事を作るかは、神のみぞ知るところです!
料理人の不浄な思いが料理に入れば、それはあなたの心を毒します。アンナム ブラムハ(食事は神)です。ですから、食事は神聖な気持ちで調理すべきです。物理的な清潔さのみでは不十分です。心もまた純粋でなければなりません。料理に使う野菜は、正しい方法で手に入れたものであるように気をつけるべきです。例えば、夫が市場から野菜を持って帰ります。彼は、職権を乱用して、お金を払わずにそれを持ち帰ったのかも知れず、あるいは、小売り業者自身が、不正な手段でその野菜を手に入れたのかも知れません。そのような野菜を食べれば、あなたの心は汚染されます。あなたは、自分が食べる食物があなたの行動の原因であることに気づきません。不浄な食物は、人に神聖でない行動をとらせます。23/11/02

 *小学校と婦人
世界中の小学校で何が起きているかについて、真摯で誠実な探求をするならば、学校の責任者が婦人の場合には全てが良い具合になされて、児童は良い教育を受けています。婦人教師は教育の道からそれることなく義務に集中しています。したがって彼女達のしていることは、見ていても聞いていても好ましく、ハートに感動を与えます。14/1/94
たくさんの小学校で男性の教師や女性の教師が働いていますが、男性の教師は女性の教師ほどの熱心さと真面目さをもって働いてはいません。一例をあげるなら、女性は生まれながらに幼い子どもたちを育てることや教えることに慣れており、男性の教師が教えている学校よりも、女性の教師が教えている学校のほうが、生徒たちの成績はずっと良いのです。25/12/93

 *賞賛
恐れることなく至高神に近ずく権利、本来あなたに授けられるための遺産を要求する権利を手に入れなさい。至高神に近づいた時、神を賞賛する言葉が口をついてでるようならば、まだあなたは完全に解脱したとはいえません。賞賛の言葉は、神に対して距離を置き、恐れのある証拠です。3/58

*浄性
浄性なものを聞くということは、神を求め、神を実感認識した聖者の経験やメッセージを聞くことです。浄性なものを見るということは、至高の神を崇めるものを見、寺院の祝賀行事に参加することを指します。激性なものを見るということは、贅沢な光景、感覚の悦楽を描いた絵、派手なお祭り騒ぎ、権力や地位の見せびらかし、利己的な権威の誇示を見ることを指します。感覚を刺激する光景や、そのような出来事の描写、権力と権威の誇示、力と武勇を見せびらかした描写などは激性を聞くことに分類されます。不気味な冒険、邪悪な食人鬼や冒涜行為の物語を喜んで聞く者は、鈍性の人間です。彼らは残虐と恐ろしい手管に感嘆し、そのような絵を飾って楽しみます。彼らは血に飢えた悪魔のような神々を崇め、幽鬼や魔性の力を描く昔話を聞いて喜びます。SIP9-2

 *冗談
多くの人々は、私の言葉を重視せず軽く取っています。これは正しいことではありません。私が話すことは、例え私が軽い調子で話し、冗談として話したとしても、全て真理であり真理のみなのです。しかし、人々はそのことに気付いていません。
肉体的にスワミの近くにいる人でさえも、このことを正確には理解していません。その結果しばしばスワミの言うことを無視しています。私の言葉を真剣には受け取らず、スワミは軽い調子で話をしたのだと思っています。そして、私の言葉が真理である事を後でそれが現実となった時にようやく気付くのです。人は未来のことを何も知らないので、私の言葉を軽く受け取ります。けれども、私の言うことが全て本当だということが将来判明するでしょう。
そうして初めて、人は私の言葉を理解することが出来るのです。眼の前で、私が歩き、話しているのを見、起こっている事を全て目撃しているのにもかかわらず、人々は私の言葉を理解することも、私の神聖さを認識することも出来ずにいます。人々の多くは、私の言葉を冗談でかたづけます。8/08

*衝動
まず初めに、あらゆる不純な衝動を手放し純粋な衝動を培いなさい。その先は、一歩一歩進むように心掛け、この純粋な衝動すらも手放して、心の対象をなくしなさい。このようにして得られた平安は、光輝いて平安に満ち、英知と結びついています。実にそれは神そのものの体験です。至高の平安 P.39

 *情熱
情熱は悪い性質です。情熱、無知、エゴ、はすべて幻想から生まれます。情熱は死をもたらし、非執着の心は自由をもたらします。これが英知です。プラシャンティ バヒニp35

*成就
物事を成就するには、カーラ(時)、カルマ(行為)、カーラナ(原因)、カルタッヴィヤ(道徳的責務)が適切に結合する必要があります。私は物事に着手している間、つねにこれらを念頭に置いています。20/3/07

*情報集め
単なる情報集めに時間を無駄にしてはなりません。皆さんは、眠ることさえ忘れて、日夜勉強しています。そういうやり方では健康を損ないかねません。所定の時間にだけ勉強するようにしなさい。必要なことだけ読みなさい。必要でないことを読んで時間を無駄にしてはなりません。
人々はあらゆるところから本を手に入れます。また、本という名の付いたあらゆるゴミを道端で買っています。それは皆さんが読むべきものではありません。皆さんはまず、映画のストーリーといったゴミのような作品を読むことで頭に溜め込んだがらくたを、すべて捨てるようにしなさい。そういった無益な本を読めば、皆さんに対する敬意も評判も失われるでしょう。どんな新聞でも開いて見てごらんなさい。映画の写真と宣伝であふれています。そこから得られるものは何もありません。本当の教養は皆さんの内なる声から生じます。それこそ、皆さんが従うべきものです。良心の声に従うなら、真の人間性を得るでしょう。15/1/08

*照覧者
照覧者を一度見た個人が照覧者になることはできません。個人はまず、照覧者に変化してからでなくては、わたしはブラフマンであると認識出来ないのです。そのためには照覧者の態度を取る練習から始めなくてはなりません。
事実、あなたにわたしというエゴが存在する限り照覧者の況位に達することは、不可能です。自らを神であるとの観念を得るには、自己を限定された個人と考える観念を克服しなくてはなりません。乞食が自らを王だと認識するためには、彼のカラダを忘れなければいけないのです。JV

 *食事
馬に栄養のあるものを食べさせて杭につないでおいたら、ひどく気が荒くなります。静かにさせようとしても無理でしょう。栄養のあるものを食べさせたら適度な運動をさせることが必要です。人間も栄養のあるものを摂ってあまり働かず、運動もしないでいると、いらだちが増し落ち着かなくなって来て、エゴやわがままや、おごりが強くなります。
適当な運動をすれば、身体も丈夫になるし、好ましくない性質も押さえられます。修行の大切な目的の一つは、食べたものを世の中のために役立てることです。いつも良いことをしようという強い決意を持ってください。辛いことがあったときに風にゆらぐ炎のようであってはいけません。自分自身を信じるのです。SGc7
私は体をきちんと洗ってからでないと自分の部屋を出ません。私が部屋を出るまでに、台所を管理している一人の青年がラギー〔四国稗〕の薄粥を運んで来てくれます。私はその粥を食べると大いなる幸せと活力に満ちるのを感じます。私はこのラギーの薄粥以外、早朝には何も食べません。私は朝食(現代のインド人はよく朝食としてサモサやイドリーやウプマといったインドのスナック類)をとりません。薄粥を食べたあと、もう一度口をきれいにします。それから、新鮮な水をいくらか飲み、下に降りて行きます。
私が朝食に何を食べるのだろうかと好奇心を抱いている人たちも何人かいるかも知れません。私は何も食べません。私はスナック類はまったく好みません! 私がほしいのはコップ一杯の冷たい水だけです。そのあと、私はダルシャンを与え、何人かの帰依者と話しながら、その人たちと幸せなひと時を過ごします。選ばれた人たちにインタビューを与えることもします。私の体と心はいつも清らかです。私の言葉は清らかであり、私の思いは清らかであり、私の行動は清らかで神聖です。21/10/04
アハムカーラ(利己心)もママカーラ(執着心)も、不適当な食物を消費する結果 です。悪い種類の食物や、不正な手段で手に入れた食物は、いくつかの点で人間を無知の底に落とし、純粋な思いが浮かぶのを押えつけます。そのような人は、誰とどこで、いつ、どのように、何を話したらよいのかを忘れてしまうでしょう。ブリンダヴァンの慈雨 P.147
今日、自らを帰依者だと思う人もそうでない人も、肉食を止めなければなりません。何故でしょうか? 肉食は動物的な性質だけを育てるからです。摂取する食物がその人の思考を決定すると言われています。様々な動物の肉を食べることによって、動物の性質を吸収しているのです。人間と同様に五大元素で維持されている動物を食べるとは、何と罪深いことでしょう! それは、動物に残虐な行為をするという罪を犯すだけでなく、人を悪魔的な傾向に導くものです。それゆえ、純粋に神の帰依者となることを求める者は、非菜食の食物を口にしてはなりません。非暴力 P.30
肉食は人間の身体の必要と相入れません。医者達は肉食には蛋白質があるようなことを言いますが、実は野菜、豆類、ミルク、カードなどにはもっと良質の蛋白質が含まれているのです。ブリンダヴァンの慈雨p48
きれいな心で食事の準備をしなさい。というのも食事の準備をしている時の想念が、それを食べている人の心の中に取り入れられてしまうからです。P, 74 ANDI
食べ過ぎてはいけません。食べるのは生きるためであって、決して食べるために生きているわけではありません。食べ過ぎは鈍性の性質です。~口当たりの良いバランスのとれた浄性の食べ物を適度に食べると、高潔な浄性の心が育まれます。香辛料の効いた辛い激性の食べ物を食べると、感情的で興奮しやすい激性の心になります。
肉やお酒といった鈍性の食べ物を食べると、獣のような鈍感で不活発な鈍性の心になります。このように、心を形作るのは食べ物であり、行いはその心に作用され、その心に見合った結果がもたされるのです。~更に食後も食前と同じように身体が軽く感じられるようで無ければなりません。一番良いのは、胃の半分を空にしておくことです。残りの半分は水と食べ物で満たすようにしなさい。塊茎類は身体に良くありません。全乳を飲むべきではありません。牛乳は、水で薄めてから飲むようにしなさい。
食事と食事の間は最低四時間は置くべきです。摂る食べ物は、身体が必要とする十分なカロリーを摂取すべきです。油っぽいカレーや油で揚げてあるカレーは、あまり食べ過ぎないようにしなさい。昼食の後は少し寝て、夕食の後は一マイル{1,6キロメートル}歩きなさい。よく働き、正しい食事を摂るようにしなさい。STPSp153
あなたは、どのような食べ物を摂るか気をつけなければいけません。食欲と性欲を満たそうと切望するという二つのことは、人の敵なのです。その二つの事の虜になってしますと、あなたは身の破滅を招きます。欲どうしい舌に食べ物を運ぶのをやめなさい。欲の犠牲また舌の犠牲になってはいけません。P242chap39vol4
断食をすれば身体は健康になり、心には悦びが訪れます。度を超えた不規則な食事は、神を信じる者にとっては害になります。おいしい食べ物に夢中になっていると、怠惰で無気力なタマスの性質に向かうでしょう。一方で美味しいものを食べ放題に食べ、神を喜ばせ、神のそばにいる悦びを味わいたいと思う事は、ひどく愚かなことです。食べ物に夢中になることと、神に近づいていく事、この二つは決して相容れないことなのです。SGc7
今日人々は手に入れるものを全て食べ、何処で手に入れたものでも食べ、その結果健康を害します。食べ物は健康の維持の為に主要な役割を果たします。摂取する食べ物が過度の脂肪分を含まないように注意しなさい。多量の脂肪は健康に害を及ぼすのみならず、心の健康にも有害です。肉とアルコール飲料は健康に重税を課し、多くの病気の原因となります。
~心臓病の中には薬の服用によって治療できるものもあります。食べ物とその他の習慣を規制する事によって、心臓病を防ぐことが各人の主要な責任であると私は考えます。~非菜食主義の人アルコールを飲む人は菜食主義者に比べて心臓病にかかる傾向が高いとの調査があります。バランスの取れた健全な菜食を取るためには、にんじん等に含まれるビタミンCやビタミンEがたっぷり含まれている野菜を摂りなさい。
それらのビタミンは心臓病を予防するのに大いに役立ちます。~鳥や獣は人々を悩ませる心臓病や消化器の疾患にかかりません。その理由は、味覚の奴隷となってあらゆる種類の揚げ物や調理食品を摂る人間と違って、鳥や獣は自然物を食べているからなのです。~心の緊張は健康に最も有害です。それゆえ人はストレスと緊張をもたらす激情と情緒をコントロールする技術を学ばねばなりません。食事の時には心を静かに平安に保つことが重要です。心を動揺させ、興奮させ、心の平安の妨げとなる話題を食事中に議論すべきではありません。心の緊張は病気の原因となります。又食事の時には、テレビ、ビデオ等を見てはなりません。それらは心の混乱を招くからです。今日人々は悩み事の餌食です。悩みの原因は何でしょうか?原因は満足をしないことです。金持ちは、山のような財産を持っているのにも関わらず不満を抱いています。悩みは焦りを生み、悩みと焦りは結合して病気を生みます。それゆえ,悩み、焦り、カレー(油っこい食べ物)は心臓病の根本原因です。大量の脂を摂ることは心臓血管病の原因となります。医師は、脂っこい食物を摂ることは体重を増加させ、それによって心臓病にかかりやすくすると警告しています。毒素の存在も又同様の害をもたらします。それゆえ、健康を守るには正しい種類の食物を中庸で持って摂取し、アルコール飲料を避けなさい。50才を過ぎたら食べ物の量を減らしなさい。~食べ物の量を減らしても、カロリーが減るとは限りません。21/1/94
あなたはデーハ(身体)のために、シャリーラ アハーラ(身体のための食物)であるコーヒータイム、朝食、昼食、お茶の時間、夕食にどれほどの時間を費やしているのですか! 5 回の食事の時間を身体のために費やしているのです! いつなりと捨て去らなくてはならない身体のために! しかしあなたの本質であるアートマ(真我、魂) はあなたに真の祝福をもたらし、あなたに平安と幸せをもたらすことができます。アートマ(真我)レベルだけが、あなたにそれをもたらすことができ、シャリーラ(身体)レベルでは、それを与えることはできません。しかし、あなたはそのために一度も(霊 性修行に座る)時間を取らなかったのですね? それなのに私の恩寵が欲しいのですか? どうしてあなたに恩寵を授けることができるでしょう? 」「いいですか、人々は私の恩寵を欲してはいても、私の指示には従わないのです」「アートマ アハーラ(魂の食事)はシャリーラ アハーラ(身体の食事)よりも大切です」スワミが何をするよう彼に言われたかはわかりませんが、仮にスワミが一時間ガーヤトリー(マントラ)を唱えるように言われたなら、その人はそれを最優先すべきです。
「皆さんは自分のしたいことではなく、私の指示を最優先しなければなりません」
「シャリーラ アハーラ(身体の食事)をあきらめても、アートマ アハーラ(真我の食事)を止めてはなりません。 アートマ(真我、魂)に食事を与えないなら、あなたが目覚めることはないでしょう。それ(アートマ)はバガヴァン(神)が宿るあなたの魂であり、あなたが常にシャリーラ(身体)に食事を与えてばかりいるなら、アートマ(真我)は飢えているので、あなたは(神の祝福を)手に入れることはできないでしょう! 」「スワミの指示に従わないのであれば、あなたのアートマは飢えるでしょう。あなたは自分の身体への食事を優先し、魂についてはまったく重視しませんでした。それでどうして私があなたを助けられますか? 私の助けがほしいなら、私があなたに告げたことを行わなければなりません。それをあなたの最優先事項にすべきです」ラニマーへのインタビュー

アルコール飲料と肉を口にしてはいけません。人の思い、感情、行為はその人の摂取する食物によって決まります。正しい行為をするために食物に関する規則を注意深く守らねばならないのです。良い思いを保つためには、清らかな食物のみをとることが大切です。~生活を清らかに保つためには、食物に関するタブーを厳格に守らねばなりません。6/10/86
疲労を感じた時は、一日の最後の瞑想を終えたのち、水に浸してやわらかくしたピーナッツかアーモンドを数粒食べると良いでしょう。身体が涼しくなり、力が湧いてきます。DVJp78
食事は軽く食べなさい。定められた時間以外に食事をしてはいけません。27/5/02
蒸し菓子、もちは消化に良いので、医師たちはそれを手術後の食餌として勧めています。黒砂糖にはまた、ガスの発生をコントロールする性質があります。この蒸し菓子は(ヒヨコマメの粉に黒砂糖や胡椒を混ぜ合わせ、粉から作るパスタで出来た皮でくるみ、油を用いずに蒸して作る食べ物。)眼の疾患を軽減し消化不良を防ぎます。9/9/94
多くの医師はたんぱく質の価値を強調し、肉や卵等を摂るように勧めます。しかし肉や卵のたんぱく質は単に肉体の形成に役立つのみであり、かなりの害を心に及ぼします。医師は主として粗なる身体に関心を持ち、心の状態という霊妙な相には注意を払いません。今日世界にはびこる病気の多くは心に関係があります。心の病気は、肉体の病気より多いのです。21/7/93
私たちが摂る食事によって、将来、どのような道が開けるか決まるのです。摂取する食物の種類に応じて、どんな考えが私たちの中からわき起こってくるのか決まります。食事中に興奮すれば、それに関する言葉が心に浮かんできます。以上のことから学べることは、私たちが入浴しているときや、瞑想しているとき、また食事をしているときに他のことを考えたり、思ったりしてはいけないと言うことです。特に食事をしているときにしゃべり過ぎると,あなたを傷つける原因となります。食事をするときは、何も話さないことです。SSN夏1995p29~30
ベジタリアンでない人、アルコールを飲む人は、ベジタリアンよりも心臓病にかかりやすい、とある調査があります。バランスのとれた健全な菜食をするには、人参のような野菜に含まれているビタミンCやEが豊富に含まれている食事を摂るべきです。これらのビタミンを摂ることによって、心臓病は予防できます。鳥や獣は人間のように心臓病や消化器系の疾患にかかることはありません。
その理由は、味覚の奴隷となって、揚げたり調理したあらゆる食物を食べる人間とは異なり、鳥や獣は自然のままの物を食べているからです。現代人は、多くの人口的な食品や様々なアルコール飲料を摂取していますが、それらは健康に害を与えています。SS2/94p37
妊婦が様々なビタミンを摂取すれば、胎児の心臓が丈夫になります。骨を造るために、もっと人参を食べなさい。胡麻を摂ると動脈を清め視力を向上させます。沸騰させて冷ました水を食事中ではなく、その前後に充分飲みなさい。蒸した食べ物は消化に良いのです。サイ病院では心臓病関係の手術の翌日、 油を用いた料理は出しません。消化に良いイドリー(蒸しパン)を出します。SS3/93,4/93,9/97,Vol9p111
心の動揺は病の原因であります。それ故に、食事中にテレビやビデオを見ると、心を活発化させる作用が働くので止めるべきである。SSN夏1994p3

 *植物と動物
実際のところ植物も動物と同じような生を持っています。しかし動物が持っているような心や神経系統というものは持っていません。動物は、彼らが殺されるとき泣き叫びます。植物にはそういうことはありません。動物を殺すことと、植物を刈り取ることを同様に見るのは間違った考えです。
付け加えて言えば、動物を殺してその肉を食べるとその動物の性質や振る舞いが、人の中に入り込み浸透していくのです。その結果、動物的な性質つまり、牛や羊のような鈍生の性質を身につけてしまうのです。それ故肉食は止めなければなりません。食物が人の心の性質を左右するのです。心は思いを導き、思いは行為の結果を引き出します。行為は、それに見合った結果や影響を引き出します。我々の摂る食物と我々の行為の結果との連鎖は、肉食が、獣的な行為と悪い影響を人に与えるということに繋がることを教えています。SSALp, 132

 *食物
苦行で得る力は我々の摂る食物と生活習慣を見れば分かる。今日の我々の摂る食物や生活習慣は、上辺だけのものとなっている。我々が摂る加工食品は、瞑想をきちんとできなくさせている。それゆえ我々の霊的修行は無益なものになってしまっているのだ。16/4/96
調理していない食物、木の実、果物、発芽している豆類が最良の食べ物です。これらのものを少なくとも一日に一度は夕食などで食べなさい。それによってあなたの長寿は約束されます。ココナッツの実や、ココナッツ水、発芽した豆類、生か少しだけ火を通した野菜や青菜類が健康に良い食物です。SSVol15p115~7
家庭で行うプージャ(供養)ヴェーダの朗唱、バジャンはすべて周りの雰囲気を清め清潔にする波動を発し、あなたの摂る食物を清めます。SIP8-16
霊的に良いビタミンは、ビタミンB12です。SSVol8p38
浄性の食物とは、身体と同様に心も強める事ができるものです。それは塩辛すぎず、辛過ぎず、甘過ぎず、酸っぱ過ぎないことです。湯気が立ち昇るくらい熱いうちは、口にするべきではありません。喉の渇きを煽る食べ物は避けるべきです。原則は、中庸を守り自制することです。スープ類は次の日まで取りおかないようにしなさい。身体に有害なものとなります。油で揚げた物はいやな匂いを放つ前までに食べてしまわなくてはなりません。GVCh26
この世界には多数の生命体が存在しています。それらの生命体は840万種に分類されます。そのうちの839万9999種は、未調理の食物を食べる傾向にあります。それらの生命体は、自然なままの、自然界で入手できる食物を食べ、完全な健康を享受しています。しかし、もちろん、気候の変化や、自分では制御しきれない要因のために、これらの生命体も病気にかかることはあります。
とはいえ、最も多くの問題にさらされているのは人間だけです。人間に関しては、かなりの数の病気が増えています。その理由は、人間が神の創造物である食物、自然の状態で手に入る食物を食べることを好まないからです。人間は味蕾(みらい)〔舌の粘膜にある無数の味覚器官〕の餌食になっています。人間はそのまま利用できるものを何でも自分の味覚に合わせて変えてしまい、その中に含まれている生命の精を殺しています。 今、人間は食物の中に存在する生気を与える力を完全に破壊しているせいで、増え続ける病に身をさらしているのです。もし食物を自然のままの状態で食べようと努めれば、決して増加する病に身をさらされることはないでしょう。8/10/83
神に捧げられた食物は、微妙な形で人に害を及ぼす邪悪な波動を、打ち消す作用があります。飢えた人に施され、食された食べ物にも、同様の恩恵があります。食物は人間の感情や思いに微妙な影響を与えるため、あなた方は常に食物への警戒を怠ってはなりません。SSSVol10p38
家庭の祭壇で執り行うプージャ、ヴェーダ、バジャンは環境を浄化する波動を生み出し、あなたが摂取する食物を聖化させます。SIP p217
インド人は料理の風味付けにタマリンドを大量に使用します。しかし、タマリンドは健康に良くないのです。このようにして現代人は、神経衰弱や高血圧の餌食となっています。精神の不安定や緊張、心配が高血圧の原因です。今日の世界で見られる混沌、混乱、動乱や激変は、病んだ健康状態から引き起こされるのです。SSIB1993p91
今日、人間が食べている物は、人間の活力を維持する本来の力をまるで持ち合わせていません。体を維持するにはビタミンとたんぱく質が必要です。あるビタミンは目に力を与え、視力を良くします。あるビタミンは血液を浄化し、補強します。三つ目のビタミンは骨を強くします。たんぱく質は絶対に必要です。たんぱく質、すなわちプロテインとは、「あなたを守るもの」(プロテクトするもの)という意味です。食物に含まれているたんぱく質を見てみると、未調理のものには大量のたんぱく質が含まれています。ムング豆、レンズ豆、大豆といった食用の豆類を例にとりましょう。インド人はヒヨコ豆を誇らしげに「インドの大豆」と呼びます。ヒヨコ豆にはたんぱく質がかなり含まれています。ヒヨコ豆の食べ方は、水に浸して、噛むことができるほどになったら食べるというものです。そうすれば、その栄養素はあなたのところにやって来ます。ところが、味覚や舌、自分の嗜好、気まぐれや好みの餌食となったばかりに、人は何をしているでしょう? たんぱく質をすべて取り除いているのです! ヒヨコ豆をグツグツ煮ています! 油や他のいろいろな材料を加えて、ヒヨコ豆をさまざまな変化にさらしています。その過程で、ヒヨコ豆に元々含まれていたものを奪い、それらが人に与えることのできるものを奪っているのです。
果物を例にとりましょう。果物にはビタミンが含まれています。野菜もそうです。果物や野菜は皆さんにいくらでも力を与えることができます。しかし、人が今、摂取しているものは「人工のビタミン」と呼べるようなものです。そして、そのような野菜の人工的な形態を通して、あらゆる種類の病気があふれているのです。かつて、村ではさまざまな野菜を収穫していました。一般の習慣では、天然の肥料、つまり牛糞という形態の肥料が、植物に施されていました。オクラやキュウリといったものを自然な状態で収穫することができました。大きさは小さかったかもしれませんが、含まれている栄養素は豊富でした。
あるいは、赤唐辛子を例にとってみましょう。赤唐辛子は、小さくても一本あれば、鍋いっぱいのサンバルに香りを添えるのに十分でした。今、赤唐辛子は釣り合いを失って膨れ上がり、巨大な、大きな赤唐辛子になっているのを目にします。人はそうした赤唐辛子を大量に手に入れて、小さなカップ一杯のラッサムに入れています。それでも、赤唐辛子の風味を味わうことができずにいます! その理由は何でしょう? 赤唐辛子は今、人工の肥料で栽培されており、本来持っているべき固有の力を実際には備えていないからです。8/10/83
人は、身体を維持するために、何らかのものを食べなければなりません。時々、あなたは悪夢を見たり、瞑想中に悪いものを見たりすることがあります。これは、清らかでない食物をとった結果 です。あなたは、調理をする前に、食材が神聖な手段によって得られたものかどうかを調べなければなりません。そうであるときに初めて、食物は食べるのに適したものとなるのです。食事を食べる前に、神聖なマントラを唱えなさい。そうすれば、あなたのハートには、神聖でないものが入ることはありません。
「アンナム ブランマー、 ラソー ヴィシュヌフー、 ボークタデーヴォー マヘーシュワラ」(食物はブラフマであり、エッセンスはヴィシュヌ、食事を摂る者はマヘーシュワラである)。この三つは、それぞれ肉体と心と行動に対応しています。思いと言葉と行動が純粋であることこそが真の英知です。あなたは、それ以外のいかなる霊性修行も行う必要はありません。人々は、さまざまなサーダナ(霊性修行)を行います。しかし、それはただ、一時的な満足をもたらすだけです。一方、思いと言葉と行為が純粋であれば、あなたは永遠の幸福を味わうことができます。23/11/02

ガルーダプラナからの抜粋

(ガルーダプラナは、聖者ヴィヤーサによって6000年前にサンスクリット語で記され、ヴィヤーサに内在する神が、彼に明らかにしたことを記録した聖典で,聖典の基礎であるといえよう。)極悪人でさえ、自らの罪を心から後悔し神に帰依するならば、その者のハートはたちまちに清められ、純粋になるであろう。p9 
神には二つの重要な側面があります。一つは情け深い師として、もう一つは、情け深い正義の王としてです。我々が心のうちにおられる神に正しい道を示すように心から祈ると、私たちに、正しい道を指し示して下さいます。これが情け深い師の側面です。そして、すべての行為にはしばらくの時を経てからその行為に対する結果が伴います。幸せは、良い行為から得ることが出来、不幸せは、悪い行為からもたらされます。これが情け深い正義の王の側面です。P18
  個霊や魂と一緒にいる微かな身体は、スクシャマスと呼ばれる死によっても滅びること無く、個霊と共にどこにでもついてくるし、その個霊が最終目的地である宇宙霊と融合するまで消え去ることは無い。P27
 あなたは、何百万もの生を経て徳を積み重ねた結果、人として生まれ変われることが出来たのだ。人として生まれ変わるのは、その次の段階では解脱に達することが出来るという意味で大変難しいが、しかしその解脱を人として生まれてもそれを求めずに過ごすというのは、もっと罪深いことなのである。P29
 840万種類ある生き物の中で、「神はすべての物の中に内在する魂である」という英知を得ることが出来るのは、人としての生でしか出来ないことなのである。P29
 もし解脱を求めて修行している人が殺されると、また生まれ変わって最初から修行をやり直さねばならない。それゆえ、その人の解脱の時期は先延ばしになる。また、人として生まれたのにも関わらず、解脱を求めず悪い行いをしてその生を終えると、次の生は動物として生まれ変わる。その結果、その人の解脱する時は先延ばしされるのである。解脱を求めるのを途中で止めた修行者は、解脱を求めつつも殺されてそれを達することが出来なかった修行者と同じように、大成就は先延ばしされるのだ。P30
 沢山の愛着や執着が心に出来るとそれと同じ数だけの痛みが弓矢のようにハートの突き刺さるのだP45
 すべての執着物から自由になるのは不可能なことです。それは偉大な人と関係を持つことによって成し遂げられます。それらの偉大な人々はあなたにとって執着心をなくすための特効薬のようなものですP49
 この世の世俗的な楽しみを求める一方、自分はもう至高の神に到達していると嘘ぶき、この世での義務や神を瞑想することは卒業したとほざいている者は、この世界から放り捨てれば良いのだ。P53
 「神はすべてのものに内在する魂である」という真理を理解していなければ、巡礼、神の御名を唱える務を果たす、信仰する、ヴェーダやアガマスを学ぶなどの行為は時間の無駄である。P69
 今あなた方に、「神はすべてのものに内在している魂である」ということを悟っている者が、最後の時をどのように迎えるべきであるか述べよう。彼はそのことにより、至高の太霊と融合し解脱する境地に達することが出来るのだ。
まず、人が最後の時を迎えるにあたり、死というものを怖れてはならない。無執着という武器を使って自らの身体や、親族に対しての愛着を断ち切りなさい。そして家を出て心地よい場所を見つけ、聖地から汲んできた水で沐浴して自らを聖化し、経典に述べられている手順に従って座って準備をしなさい。そしてAUMのマントラの一つ一つの語を正確に心の中で唱えなさい。これらの一つ一つの音を唱念することにより呼吸と心をコントロールしなさい。
英知を使って心を制御する御者とし、そして感覚器官をそれらを刺激さすものから遠ざけなさい。心も様々な行為によって影響されるので、神からの祝福の方にだけ向けなさい。「私は神で至高の存在だ」「私は神で至高の段階に到達した」と、自らの個霊にこれらの思いを植え付けるのだ。神とグルを思い起こさすOMのマントラを唱えるとき、あなたは肉体を離れ至高の神の下に旅立つことであろう。P71~5
 賢人と呼ばれている人は、悪事に関与せず、自らの内なるアートマへの思念をよりどころとし、プライドもなく、世俗ごとに惑わされることも無い。そして感覚的な欲望を引き起こす物事から距離を置き、楽しみや苦しみからも自由になっていて、そういう人は生きながらえつつすでに解脱に達しているのである。P75
 世俗的な欲望を強い意志でもって放棄し、他の誰でも無く、神とグルの御名のみを唱え、内省が出来る目と、心に平安がある者に解脱が約束されているのだ。P77
 「神はすべてのものに内在している魂」であると悟っている者は、解脱できる段階に到達しています。正義を重んずる者は天国へ行き、罪深い者は悲惨な状態の境地へ落ち、鳥や他の生き物に生まれ変わって生死を繰り返すのである。P79
 自分がすべての者の照覧者と同じだと気づくことが、自己実現の秘密だ。自己実現は、私自身が真理である、私は自分自身が誰だか知っている、すべてが一つのアートマである、個人と宇宙は同じである、等の英知を授かったときに実現するのだ。P226 
 ヨガの聖典は、性的エネルギーをコントロール出来れば、それは霊的エネルギーに変換されると述べている。それゆえ霊性修行の第一歩は禁欲生活である。カンナダ語のことわざで、神のおわすところに欲は無く、欲があるところに神は無いとある。P78
チャクラは脳と脊髄にありそれは頭蓋骨と背骨の中に位置している。その脳や脊髄の部分が損傷を受けると感覚神経や運動神経に影響を及ぼし、弱体化し脊髄の周辺にある感覚を麻痺してしまうのだ。P79
 受精時における両親の想念がそのまま魂に影響して卵子の中に入り込み、赤ん坊の性格が形作られるのである。P29
 精子の中に理知の鞘として存在する魂の想念が、両親の想念と似通っていればそれに影響される。良い性格を持っている人は、その性格の特性を理知の鞘の中に宿していて、それを次の世にまでに引き継いでいくことが出来る。それは、悪い性格を持っている人にも同じ事が言える。これはよく似た思いを持っている人同士が、お互い引き寄せられることで知られている。
もし両親が強い正義感をもっていれば、理知の鞘の中に存在している魂もそのような想念に惹かれて、自分もそのような特質をもっている子宮の中に宿りたいと思うのだ。それゆえ、自分の息子や娘が良い性格になるかどうかは、両親がどれほど正しい生き方をして幸せかどうかに係っており、それがまた将来生まれ来る子孫の人生に影響を与えていくのである。正しい想念をもって性的交渉を為すというアドバイスは、将来にわたって正義に基づいた生活を送れる家族を作れるかどうかを決定していくので、とても重要なことなのである。P30
 宇宙のどこでいつなにが起ころうともそれは、時間と空間が、均等に釣り合って起こるものであって、計算され尽くされたものである。占星術では、時間というものは日、月齢、ナクシャタ、ヨガ、カラナというものを基にして計算される。それらは地球、月、太陽の動きと関連している。天文学的には、8640万太陽年に一度、この目に見える世界は地震などによって崩壊し、新しい世界が創造される。そしてこの崩壊するまでの一期間のことをカルパといいます。このカルパが36000回繰り返された後、この目に見える世界や霊界などすべてが崩壊しますが、これがブラフマの創造の一回分の長さにあたります。時間というものはそもそもこのブラフマ神による創造が始まった時点からどれくらいかを示すものなのです。P34
 自らの身体に執着している人は内省するという習慣が無いので、そのような人々が解脱を得るためには、神への信仰心を高めることによって得るというのが良いのだ。P103
 霊的に恵まれた良い家庭に生まれた者は、過去世で徳を積んだ結果得られたのであり、更なる霊的向上のためにこの良い環境が役立つのである。P23
このすべての世界山々、島々、海洋、太陽そして星々もすべて霊的な身体の中に包含されているのだ。P61
 もし手足を取り除けば人の身体というのは、卵形をしています。この卵の上半分の球を貫く軸は、幼児の前頭頂に明らかに見られる大泉門を通っていて、そこは霊的な身体の中で最も重要な穴である。もし魂が肉体から離脱する際にこの穴から出て行くとすれば、その魂はすべての世俗的な執着を捨て去った神そのものとなっているはずだ。P22
 魂は前世の肉体を脱ぎ捨ててから、新しい身体を取るまでの七ヶ月間は意識の無い状態となります。霊界から肉体に入るまでの期間は七ヶ月です。ババは魂が肉体に入った最初の二ヶ月間は父親の身体の中にとどまり、受精した後十ヶ月間は母親の胎内にいて、合計十二ヶ月かかって地上に顔を出すと述べられました。この十二ヶ月という期間は、魂が身体を離れて物質世界から霊界に戻る際に要する期間と同じです。P31
 死後に、身体から抜けていく魂の大きさは、親指ほどの大きさだとカトパニシャッド等や、他の多くのウパニシャッドに記してあります。244-12,13
 生命は常に精子の中に種として存在していて、性的欲望が湧いてくると、その欲望をもたらした心と精子が一つになり子宮に向かって突き進んで行きます。そして精子と卵子が一つになり受精が起こるのだ。P33
 空間は宇宙エネルギーで満ちあふれている。音響と思考の波動が宇宙エネルギーだと言えるだろう。これらのエネルギーは不可視のため宇宙は空洞のように見える。重力、磁力、引力、精神的力なども宇宙エネルギーの現れである。これらのエネルギーは不可視のため、その存在さえ疑われてきたが、これらの音響、思念、空間、引力、疑念が宇宙の特性である。P46
 人が活動している間に何度も祈りを捧げると、人が世俗にまみれて生活し、カルマを創り出すことによって汚れた心を浄化することが出来る。それゆえ宗教は一日に何度も神に祈りを捧げるように勧めているのだ。P101
 排卵後七日以内に受精すると低いレベルの魂が宿るのだ。八日目に受精すると、男の子が生まれる。偶数日に受精すると男の子が、奇数日には女の子が生まれるのだ。それゆえ排卵日から七日以内は受精を避けなければいけないのだ。そうすれば八日目には偶数日となり、男の子の魂が宿る。排卵日を第一日目として、月経の周期を数えると良い。P25
 ガルーダプラーナは、性交渉はよい子を授かるための行為であって、性的な楽しみのためでは無いと忠告しています。性交渉は、良い魂を家族に迎え入れるための聖なる行為として捉えなければならないということなのです。P29
 あなたは滅び行く肉体ではありません。またあなたは移ろいゆく心でもありません。あなたはアートマであり神そのものなのです。P12
 一つ一つの細胞の中心に生命の源である魂が宿り、また精子の一つ一つの中にも魂が宿っている。これらのことはウイルスから、人に至までの数え切れないくらいの生き物に共通していることなのである。P27
 人は人生で、様々な喜びや悲しみを経験した後、肉体や霊体を脱ぎ捨てやがてそれらは崩壊してしまう。しかし魂は依然、英知と微かな霊体に覆われていて、これらが次の世へと人を導いていくと、ブリハダランヤカ ウパニシャッドは述べている。(3-9-28-7)しかし、これら二つの霊体も一定の時期が来れば崩壊してしまうのだ。ただ、すべての行為や性質は微かな身体の中に刻み込まれていて、経験する事はすべて微かな身体がそれをどのように感じるか、ということがもとになって自らの中に刻み込むのだ。これが微かな身体と呼ばれるゆえんである。
~人は前世での行為の結果をこの世で摘み取らなければならない。人の魂は、このように定められた時の車輪に向かって歩み始めるのである。そして再びこの世に肉体をとって生まれ変わるにあたり、宇宙創造に使われたのと同じ五大元素が、魂の中にある自我にもとづいて新たな身体を形作っていくのである。P30
 空、空気、雲などを通じて地上に生をもたらす雨水が生成される。そしてその雨水が植物に吸収され、それらの植物の種である米、Meiz、ダル等が生成される。やがてそれらを人が食し消化されて、精子などの生殖器官に取り込まれるのである。人に食されない場合は、何度でもそれらの過程が繰り返されるのである。これが植物から人への進化のプロセスである。P30
 プラナは、宇宙の生成から消滅までの期間は、31,104x10の十乗倍であると述べている。これはくしくも光が100年間かけて進む距離と同じである。宇宙での一秒は、地上の十万年にあたる。宇宙が一度創造され消滅する間に、この物質世界と二つの霊界は(Bhu,Bhuvah,Suvah)36000回にわたって破壊されそして創造されるのだ。これは、432x10の七乗年と等しいのです。これらを称して宇宙の一日と呼びます。そしてそれが百年経たときにこの物質宇宙も霊界も消滅します。宇宙が消滅した後、時というものも無くなります。時、空間、物質、等は同時に創造されます。P3
 月経が始まって最初の四日間は、汚濁物が身体の中で形成されるため、女性は人目につくところにいてならない。四日目以降、沐浴して衣服も身体も浄化される。五日目には、甘いものを食しなければならない。収斂剤(主にタンニン)、刺激物、苦いもの、辛いものは避けなければならない。七日目より神を拝め、御名を唱え始めるのだ。P25~27

出典略号

ANDI Anandadai
CWSSB(J) Conversations with Sathya-SaiBaba(日本語 版)
DD Discourses of Sathya SaiBaba 19~24/11/1987&10/1988
DG Divine Glory
DVJ Dhyana Vahini 日本語版
DBG Discourses on Bagavad-Gita
GA Golden Age
GV Geetha Vahini
JTG. Journey to God
JV Jnana Vahini
KSH 神に捧げる真の花
LV リーラカイラヴァリアヴァヒニ
LIAD Life is a Dream,Realize it.
LG       Loving God
MBAI My Baba & I
ND ナイジェンダイアフ氏への言葉
OCS 恩寵のサイ
OTYRTN Other than you refuge there is none
PV Prashanthivahini
PN From various discourses-given at Prashanthi
RRV Ramakatha Rasa Vahini
SDM 平安 瞑想 大成就
SRBM Summer Roses on Blue Mountains
SSS    Sathya Sai Speaks
SIK サイババイエスを語る
SIP Sahdana the Inward Path
SSIB Summer Showers in Brindavan
SG Sai Baba Geetha //Summer Discourse in Brindavan
SS     Sanathana Sarathi
SSN Sathya Sai News Letter 
SSAL Sathya Sai Avater of Love 
STPS、STPS2 サティヨーパニシャッド 上、下
TOSSSB Teaching of SriSathyaSai
TEOL The Embodiment of Love
UV Upanishads Vahini
VV VIDYA VAHINI

Sai's Messages for The Golden Age

2014年9月14日 発行 初版

著  者:張 世潮
発  行:ポニョ出版

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ポニョ

アクアポニックスという魚を使った自然農法をやりながら、千年至福の時代を待ちわびております。

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