
拝啓 お父様
今日もコルシカ島は快晴です。
色とりどりのお花が咲いています。
そのお花畑で、あの子に似合う黄色いお花を見つけました。
もうすっかり春ですね。
〝進化をやめた瞬間から、人間はテクノロジーなしでは生きられなくなった。
あるいは、テクノロジーに飼い慣らされることを選んだ瞬間から、人間の肉体は進化を捨てたのであろうか?
人々は今やそのどちらをも放棄してしまっている。
進化を諦めた先に待つのは衰退のみである。果たしてどれほどの人間がその危うさに気付いているだろうか。
進化を忘れてしまった身体を庇うように、脳は知的欲求に駆り立てられるままに、生き残る技術を進歩させていった。あらゆる思考、思想のもとに、技術進化の道は探られてきたのだ。
そう、かつて人間とは、そういう生き物だった。
――グレン・サンダース〟
ガサッと音を立てて、絵の具汚れのこびりついた手が古新聞を一束分ひっさらう。片隅に掲載された物好きなコラムには目もくれず、黒い髪の少年――道野ルカは新聞紙をざっと机に敷き広げ、さらにその上に慎重な手つきでキャンバスを横たえた。身につけている黒い無地のエプロンは、絵の具や洗浄液によってひどく汚れている。
「おにいちゃん、なにやってるの?」
「こら、邪魔しちゃダメでしょ」
おぼつかない足取りでルカの元までやってきた幼い少女を、母親が慌てて抱きかかえる。
「どうして紙に風をごーごーしてるの?」
「それがお仕事なのよ」
すみません、と頭を下げる母親に、ルカの父親である光太郎はほがらかに笑いかけた。
「好奇心旺盛なのはいいことですよ。ご依頼いただいた絵画はもうすぐ完成しますから、それまで自由に見学していってください」
「そんな、お構いなく!」
ルカはひと通り絵画の表面に風を吹きつけると、ブロワーのスイッチをOFFにした。紙に記された修復項目をはじめから入念にチェックし、漏れがないことを確認する。
作業自体はこれですべてだ。隣に立つ父の許可が降りた。あとは絵画を額縁に収めればおしまいだ。
「修復完了です。ご依頼ありがとうございました」
ルカは絵画をくるりと反転させて、母親にそれを手渡した。
木漏れ日の中で笑いあう親子の絵だ。自身の腰ほどしかない三人の子どもたちを、両手いっぱいに抱きすくめる母親。彼女たちはまるで幸せを体現したかのような笑顔を浮かべている。
埃や酸化、乾燥によって薄汚れ、ひび割れていた画面は、画家が筆を置いた時代にまでさかのぼり、新しく生まれ変わっていた。
道野修復工房には、こうして傷ついた絵画が運ばれてくる。時代とともに劣化する絵画を、あらゆる技術を駆使してもとの状態に戻すのが絵画修復家の仕事なのだ。
「おじちゃんたちはどうして絵をきれいにするの?」
無垢な瞳が、絵の具や洗浄液で汚れたエプロンを羽織る男を一心に見つめる。光太郎はやわらかく微笑み、少女と目線が同じ高さになるようしゃがみ込んだ。
「この絵が『治してよー』って、泣いていたからだよ」
少女はよく分からなかったのか、「ふーん」とあいまいな相槌をうつ。それから、母親のもとまで駆け足で戻っていった。母親は左手に少女の手を、右手に絵画を抱え、去り際に何度も頭を下げた。
枯れ草色に染まる牧草の向こう側に、真っ赤な太陽が落ちていく。高炉でドロドロに溶かされた鉄の塊のようだった。その上を飛んでいく王族鷲のつがい。丘を下った先に見えるぽつぽつとしたオレンジ色の屋根。煙突からひげ根のように立ち昇る白いけむり。
二人は工房の前に立ち、草原にのびる影が見えなくなるまでその背を見送った。
「父さんって、絵画の声が聞こえるの」
しばらくして、声変わりの始まっていない声が抑揚なく尋ねた。ゆるい風が、少年の黒髪を優しくなでる。
「ああ、さっきの。『絵画が泣いていた』って話かい?」
汚れを取り払われ美しさを取り戻した絵画は、ある特殊な装置にかけられる。そこで絵画のもつ美しさはArt Explosive Power――通称AEPに還元されるのだ。その発電力は原子力発電の数百倍にも及ぶと言われている。
AEP発電装置――オンファロスは、人間が自ら生み出したものがエネルギー源になるという、まさに夢のような装置だ。地球に埋蔵されたエネルギー源が枯渇してから、人類は生きるために必要な電力のほとんどをこのAEPでまかなっていた。
だから、修復を施すのは絵画がかわいそうだからではない。エネルギーを生み出すためなのである。
「ま、夢があっていいじゃないか」
「無責任だな」
エネルギーに還元されるとき、絵画は放出される力によって跡形もなく消し飛んでしまう。絵画の中で笑う親子の姿を見るのは、きっとあの母と幼い少女が最後になるのだろう。
かわいそうも何もあったもんじゃないよな、とルカは無表情の裏でぽつりと考えた。
ルカの朝は早い。
朝六時きっかりに目を覚まし、着古されたつぎはぎだらけのグレーのパジャマを脱いで、ポケットのたくさん付いたカーキ色のダボついたズボンに豚皮のベルトを通し、黒い長袖シャツとベージュのリネンシャツを頭から被る。
それから机の上に放り出されていたバスケットに、バゲットと山羊のチーズ、ヤマモモを手当たり次第に突っこんで、肩掛けカバンにスケッチブックと色鉛筆の入った缶を詰めこんで――。
主人の身支度の音に目を覚ましたコルシカ犬のレオが、ベッド下からのそのそとはい出てくる。レオはいまだ寝ぼけ眼のまま、空気の抜けたタイヤのような声で「わふっ」とひと声鳴いた。
「起きたか、ねぼすけ」
「はふっ」
ベッド脇にある小窓のカーテンをシャッと引く。窓の向こう、墨を塗りたくったような夜の端っこから、すでにグラデーションが始まっていた。
もうじき朝がくる。
コルシカ島に、朝がくる。
ルカと飼い犬のレオは家から飛び出し、明けはじめる闇の中を目的地に向かって一目散に駆け抜けた。朝露に濡れた草を踏むたび、緑の匂いが弾けとぶ。丘を下って牧草地を横切り、また少し登った先に、その場所はあった。
切り立った崖の端っこ。真向いには、岩肌をむき出しにした隆々たる山脈が、まだうす暗い空と黒い大地の間に横たわっていた。
ここは朝焼けを望むにはうってつけの場所で、村ではきっとルカとレオしか知らない特等席だ。
ルカは普段から座りすぎて草が少し薄れた場所に腰を下ろし、冴え冴えとした空気を肺いっぱいに吸いこんだ。隣に伏せたレオは、前足でカリカリとバスケットを引っかいている。目的はもちろん朝食用に持ってきたバゲットとフルーツだろう。
ルカは彼の頭を撫でながら、前方の空へと目を向けた。
それまでうす暗かった空が、みるみるうちに透き通ったピンク色に染められてゆく。牧草地の何十倍、何百倍もある広大な空が、何の抗いもなく、あっという間に。
父親は以前この朝焼けを目にしたとき、「空いっぱいの撫子色だ」と呟いた。
撫子。それは祖父の故郷、日本に咲く可憐な花の名前なのだという。
それを聞いたとき、ルカは確かにそうだ、と思った。きっと、身体を巡る四分の一の血がそう思わせたに違いない。
すべてが撫子色に染まった空と岩山の隙間に、チカッと閃光が走った。神が放った黄金の矢、あるいは秋の空の下でたなびく麦の穂のようにも見える。
真正面にそびえ立つバヴェラ鋭鋒の先端を貫き、黄金の太陽が生まれた瞬間、ルカの心は感電したかのようにじんわりとしびれた。
コルシカ島の朝は一枚の絵画から始まる。
それはすべての空を覆う撫子色のヴェール。
そしてそれを貫く一筋の黄金色。
人は、人が何かに触れたときに感じる感動を抑えることはできない。
その感情を形にしたあらゆる芸術もそうだ。誰にも止められやしない。もちろん、神でさえも。
「あ……スケッチ、また忘れた」
「くぅん」
明日もまた来ればいいか、とルカは悠長に朝食を食べはじめた。
焦らずとも、この島は消えたりしないのだから。
道野ルカ、十五歳。
修復家見習いの少年が運命の少女と出会う、前日のことである。
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1
人里離れたマキの群生する森の中では、生き物はおまけのようなもので、主役は植物だ。うっそうと生い茂る木や草々から放たれる、幾種類ものハーブが混ざり合ったような独特な匂いがあたり一帯に立ち込めている。大小様々な葉が折り重なってできた隙間から、太陽の光がちらちらと漏れていた。青みがかった緑や深緑の欠片と合間って、それらはまるで万華鏡のように幾千にも姿を変える。
「綺麗――」
ぽつりとこぼれた、掠れ気味の少女の声が森のざわめきに消えていった。少女は木の根元に座り込み、真紅のフードを目深に被っている。年齢はおろか瞳の色さえ分からないが、幼さの残る声をしていた。
少女は木々が織り成す自然の万華鏡にゆっくりと手を伸ばし、手のひらで何度か光を遮ってみせた。指の動きに合わせて陽だまりがまるで砕けた水晶の様に輝いた。
マキの香りはゆるく風に運ばれて、ひどく甘い――かと思えば爽やかな刺激を届ける。少女は柔らかな木漏れ日にまどろみながら、そっと目を伏せた。小鳥たちはそこかしこでさえずりあい、風に揺られて木の葉の擦れる音がそれらに重なった。
そこで少女は、この世界がとても美しい事を思い出した。
しかし、それだけだった。他は何も分からない。ここが何処で、今が何時なのか。目の前に広がるクリアな世界に反比例するように、頭の奥深くまで暗い霧が立ち込めているのが分かる。
「私は…………誰?」
誰ともなしに呟いた疑問は、晴れそうもない霧にのみ込まれ、答えを待たずに消えていった。
2
大きな葉をめくると、そこには弾けそうなルビー色の果実が五、六個連なっていた。
ルカは熟したトマトをもぎ取り、バスケットにしまい込んだ。今日の夕食は採れたてのトマト、それから先日仕留めた猪の煮込みと決めていたのだ。
小高い丘の上にぽつんと建てられた丸太小屋。その隣の土地にはちょっとした畑がある。絶壁の切っ先で朝飯をすませた後、畑の様子を覗きにくるのがルカの日課なのである。
食べごろの果実をすべて採り終えたルカは、目前に広がる急勾配の草原へと目をやった。茶褐色の毛並みの群れが悠々と草を食んでいる。放牧された羊たちだ。
「レオ、ムヴラたちの様子を見てきて」
ワンッと勢いよく吠えながら、レオはムヴラの群れに飛び込んでいった。見知った顔しかいないこの村で家の番をする必要は無い。だからレオはいつも牧羊犬としての仕事をこなしている。
広大な放牧場の先端には木で出来た策がずらりと並んでいる。更にその奥にはこれまた広大な小麦畑が広がっていて、秋になるとそれはブロンドの髪のように黄金色に輝く。この村の自然が見せる、四季ごとに異なる景色が、ルカはとても好きだった。
ピーヒョロロロロ――。
鳥類の鳴き声が山脈に木霊する。ふと、ルカは小高い丘の上に広がる大空を仰ぎ見た。澄みきった青空に、王族鷲が両翼を広げ旋回していた。
地中海に浮かぶコルシカ島。世界の評論家から「最後の楽園」や「最も美しい島」と評されるほど、この島には手付かずの自然が数多く残されている。
そんな中でも一際自然溢れる地区があった。険しい岩山連なる山間部アルタロッカ地方――そこに群する山村レヴィ。隆々とした峰にぐるりと囲まれた、狩猟と羊飼いの村である。
比較的傾斜の緩い土地に立ち並ぶ家々から離れ、広大な牧草地の頂にぽつんと立つ丸太小屋。それが、ルカが父親と二人で暮らしている家だった。隣には別棟として修復工房が建っている。
「おはよう、ルカ。今日も早いね……」
大きな欠伸をしながら、ルカの父親である光太郎が入り口からひょこりと顔を出す。真っ黒な髪の毛は寝癖によって爆発していた。
「母さん譲りだよ。その、日本のお役所さんみたいにきっちりかっちりしてるところはね。あんなに時間にしっかりしている人はこの島にはそうはいないよ」
「父さんと間逆だ」
「ついでに村一番のべっぴんさんだった」
妻の話をする時、光太郎は決まって幸せそうな笑顔を浮かべる。
ルカは時折、肖像画でしか見たことのない母親の姿を想像する。午後のまどろみのような柔らかい微笑みをたたえて、遠くからじっとこちらを見守っている――そんな姿を。数日前に修復を施した母親と子どもたちの絵画でも、たしかに母親はそのような表情を浮かべていた。
「……畑に水撒いてくるよ」
ルカは思考を振り切るようにして、ドアの横に転がっていたブリキのジョウロを鷲掴んだ。畑の横に飛び出た蛇口を捻る。ジャラジャラと音を立てて、ジョウロの中に冷たい水が溜まっていく。
「それが終わったら工房においで」
腕を組み、ドアの柱に寄りかかりながら、光太郎が優しげに声をかける。
「絵画の修理依頼? 調子いいね」
いつもよりハイペースだなとルカは思う。片田舎で個人経営する修復工房に舞い込む依頼など、多くても月に二、三がいいところだ。
うーん、と光太郎は曖昧に唸ってごまかす。
「あ、いや、そういえば一つ依頼が入ってたな。ご贔屓にしてくれてるポルトヴェッキオの商人さんがフランスで買い付けた、えーっと、なんだったかな……何かの種か――虫か――そういう類の油絵がね。今日届くんだったかな。まぁ、それは手伝ってもらうとして。いいかい、ルカ」
やけに勿体ぶった物言いに、ルカはそっと眉根を寄せた。
「大事な話があるんだよ」
光太郎の浮かべる笑顔は限りなく変わりのないいつものそれだったので、ルカは興醒めした。”大事な話”と前置かれて本当に大事だったことなど、ただの一度もない。
大事な話、は光太郎の口癖なのだ。
ルカは畑に戻り水を撒いた。濃い緑色の中にぽつぽつと混じる赤い丸が、水を弾いてキラキラと輝いている。すべての水を撒き終え、ジョウロを逆さまにしてトントンッと水滴を落としている時だった。
――コツン。
何かがルカの後頭部に当たった。
またか、と思ったが溜息をつく間もなくコツン、コツンと立て続けに背中や頭に同じような塊がぶつかってきた。足元を見れば手のひらサイズの小石が転がっている。
「ミチーノ! 子猫ちゃーん!」
中途半端に声変わりした少年の声がくねくねと裏返った。複数の野次が背中に次々と投げ掛けられる。
ルカは返答の代わりに声のする方へ振り返った。いつもの三人組がニヤニヤと下劣な笑みを浮かべて立っている。
真ん中でふんぞり返っているのは村長の息子であるダミアンだ。傲慢でひん曲がった性格をしているからか、小山のような鼻も上向きにひん曲がっている。左右を取り囲むのは少々育ちすぎて子豚のようなフランクに、枝みたいにみすぼらしい手足のマックス。彼らはさしずめダミアンの取り巻きといったところだろう。
ルカは石を投げた犯人であろうリーダー格のダミアンをじとりと睨みつけた。
その瞬間少年たちからヒュウ、と嬉しそうな歓声が上がる。
「子猫のくせに威嚇してるぜ」
「今日もススだらけの真っ黒ひじき頭だ」
「ちんちくりんの異民族!」
彼らは思いつく限りの罵声をやんやとわめき散らした。言われ慣れているルカには、彼らの嫌味など耳障りな雑音にしか聞こえない。
「ビビっちまって声も出せないか? 悔しいなら言い返してみろよ!」
鼻で小さくため息をついて、ルカはもう一度冷ややかに彼らを見つめた。物言わぬ冷めきった視線に気分を害したのか、ダミアンの上を向いた山形の鼻がひくついた。
「な……なんだよその目は。気味わりーな。お前のそういうとこが不気味なんだよ。村の端っこでこそこそ暮らしやがって。この村の誰もが思ってるんだぜ。お前らが変わり者の異民族だってな!」
その時、「こらァ!」と丘の向こう側から甲高い声が響いた。ダミアン達はびくりと肩を震わせて、揃って声の聞こえた方へ振り返る。
「ダミアン、フランク、マックス! またあなたたちなの?」
そこには丘の先から赤茶のおさげを忙しく揺らして走ってくる少女の姿があった。右腕にはバスケットかごを、両手にからし色のワンピースの裾を鷲掴んでいる。
「なんだよマリー、またこいつの味方かよ。しょうもない女だな」
「しょうもなくて結構。ねぇダミアン、知ってる? お家の仕事を手伝わないでこんなところで寄ってたかってケチつけてる方がよっぽどしょうもない人間だって」
マリーと呼ばれた少女は、ダミアンとルカの間に割って入るようにずんと仁王立ちした。レーズンのような小ぶりなチョコレート色の瞳が、己よりも随分と背の高い少年のたじろぐ瞳を睨み付ける。
ややあって睨み合いに恨尽きたダミアンが視線を外すと、バツが悪そうに二人に背を向ける。
「けっ、どうかしてるぜ。こんなどこの血が混じってるかわからない奴と一緒にいたら厄介事が増えるだけって、わかんねーのかよ」
「厄介なのはあなたたちじゃない」
「フン。お前の父ちゃんに、お前がここで油売ってたこと言いつけてやる」
「どうぞご勝手に。私はれっきとしたお遣いでここに来てるもの。言いつけられて困るのはそっちでしょ?」
ダミアンはぐぬぬと歯を食いしばる。やがて盛大に鼻息を鳴らすと「行くぞ!」と声を荒げ、取り巻き二人を引き連れて丘の向こうへと消えていった。
「ありがとう、マリー」
仁王立ちのままダミアン達の消えた先を睨み付けていたマリーは、振り返るとにっこり笑みを浮かべた。
「本当に飽きないわよね、ダミアン。ルカも嫌だったらどんどん反論していいのよ。異民族なんて言いがかり、あんまりだわ。ルカはレヴィで生まれ育ったれっきとした島の民なのに」
先程のやり取りを思い出したのか興奮気味にまくし立てるマリーに、ルカは苦笑いを浮かべる。
「でも俺にはおじいちゃんの――日本の血が混じってる。ダミアンの言うことも間違いじゃないし、言い合う気はないよ」
「でも……」
「面倒臭いけど、別につらくない。マリーみたいな味方もいるし」
さっとマリーの頬に注した朱色の意味を、ルカはまだ怒っているんだなと解釈した。
「ルカって大人なのね」
マリーは柔らかに波打つ草の上に腰かけた。ルカもそれにならって隣に腰を下ろす。
「でもやっぱり異民族っていうのは違うと思うわ。だってこんなに綺麗な瑠璃色の瞳をしてるんだもの」
崖下の谷間から吹き上がった風が、ルカの前髪をふわっと揺らした。東洋人の持つ漆黒の髪の奥にきらめくのは、遥か彼方の青空さえも羨むほどの、瑠璃色の宝玉だった。
「この色、そんなにへんかな」
父親の瞳の色は少し茶色掛かった|鈍色《にびいろ》をしている。レヴィの村人たちも、思えば茶色や灰色が多く、たまに緑色を見かける程度だ。
マリーはぶんぶんと大げさに両手を振って否定した。
「全然変じゃないわ」
むしろ逆よと、前髪によって少し隠れてしまった瑠璃色の瞳をうっとりと眺めた。
「ルカの目の色はラピスラズリよ。昔々、この島はラピスラズリの産地で有名だったって、歴史の授業で習ったでしょう?」
ルカは何年も前の己の記憶を手繰り寄せて首をひねった。
確かに以前、この島ではラピスラズリという鉱石の発掘が盛んに行われていた。純度も高く、自然の中で育まれた美しさには高額の値がつけられた。世界中で需要が高騰した結果、ラピスラズリはコルシカ島から姿を消したのだ。もう五十年以上も昔の話である。
「ラピスラズリはコルシカの繁栄の象徴よ。あなたは失われた宝を受け継いだのだと思う。だから彼らの言うことなんか気にしないで。きっと自分にないものをたくさん持ってるルカに嫉妬してるだけなんだから」
そうなのだろうか。他人の心はよく分からない。嫉妬する意味も意義もルカには理解できなかったが、取りあえず曖昧に微笑んでおくことにした。
「そういえば今日はどうしたの?」
「ああ、そうね。うっかり忘れるところだったわ」
マリーは立ち上がりスカートに付いた細かな草を手で払うと、「はい」とバスケットから大きな紙袋を取り出してルカに手渡した。
「漁師の叔父さんが特別に採れたって言ってたわよ」
「ふのりか! そろそろ無くなりそうだったんだ」
紙袋を広げると新鮮な磯の香りがぶわりと立ちのぼる。中には半透明な紫色をした、細かい枝のような海藻が紙袋いっぱいに詰め込まれている。
マリーの叔父はポルトヴェッキオという港町で漁師を営んでいるらしい。たまにふのりを採ってはマリーによこしてくれるのだという。山の中にあって海など生まれてこの方目にしたこともないルカにとっては、海藻を分けてもらえるルートがあることはとても有難かった。
「ねぇ、いつも思うんだけど、そのヘンテコな海藻……食べられるの? 少しグロテスクよねぇ」
マリーは精一杯我慢しているようだが、眉間に寄った皺を隠しきれていない。
「これは修復作業で使うんだ」
「お父様のお仕事の? 海藻を使うの?」
「うん」
「なんだか想像つかないけど、大事なものなのね」
「これがないと作業できないから。いつも助かってるよ」
ルカはお礼にと先程採ったトマトと、丸太小屋の脇に生える栗の木から採った栗で作ったパンを、重くならない程度にマリーのバスケットに詰め込んだ。
「私、ルカの焼く栗のパンが本当に大好きなの。だからいつもゾンザからレヴィに向かう途中で、朝食や、昼食の想像をするのよ」
マリーは隣村ゾンザの村長の娘だ。もっと高級な栗のパンなどごまんと口にしているはずなのに、こうして質素なパンについて笑顔を欠かさず称賛してくれる。その気遣いがルカには嬉しかった。
「このトマトだってとっても甘そう。トマト嫌いな父さんも、これならきっと――」
「マリー」
不意に名前を呼ばれ、マリーはん、と口を噤んだ。
「今度、お礼に絵を描くよ」
「……いいの?」
ルカは頷いた。普段からマリーには十分過ぎる程お世話になっているのだ。お粗末なパンだけでは到底恩返しにならない。
「嬉しい! とっても嬉しいわ。本当に?」
ルカはもう一度頷いた後、大したものじゃないけど、と付け加えた。
「どんな絵が良いかな」
「ううん、そうね」
顎に手を添えて十分唸ったあと、つぶらな瞳をぱっちりと見開いて、明るい声で告げた。
「ルカの描きたいものが良いわ。それが一番素晴らしい絵になると思うの!」
「一番」
「飼ってるワンちゃんでも良いし、夢の中の風景でも良いわ。とにかく今一番描きたいものを描いてほしいの」
「考えてみる」
頷いた後、ふと思いたってルカは言葉を付け加えた。
「少しのエネルギーにもならなかったらごめん」
「そんなの、関係ないわ。その気持ちが嬉しいんだから」
まだ起こってもない残念な方の結末に対して謝る姿を見て、マリーはくすっと笑った。
3
カシャン、カシャンと肩からさげた空っぽの虫かごを鳴らせて、ルカはマキの森の中をさっそうと歩いていた。普段から感情の起伏に乏しいルカの瞳には珍しく、欲の輝きがともっていた。というのも、先程マリーから聞いた他愛もない世間話が発端となっていた。
『そう言えば今朝ゾンザにいらっしゃってる学者さんが、この付近の森で絶命したはずの昆虫を発見したって大騒ぎしてたの。こーんなに小さいのよ。そんなに喜ぶようなことかしら』
マリーは人差し指と親指で奇妙な虫の小ささを強調してみせた。マリーにとって絶滅した虫が実は生き残っていたことなどどうでも良いのだろう。
ルカにとっても虫の話はさして興味のある話題でもなかったが、それとはなしにどんな名前の虫なのかを尋ねることにした。
『なんだったかしら……確か、エンジュムシ?だったかなぁ』
『エンジムシだって?』
ルカの瞳に欲の輝きがともったのはその小さな虫の名を聞いた瞬間だった。いても立ってもいられない、という風に、ルカはお礼を告げて虫かご片手に意気揚々とマキの森の中へ入っていったのだった。
「男の子って分からないわ……」そんなマリーの呆れた声は本人の耳には到底届くはずもなかった。
そんな訳で、今まさしくルカはエンジムシというごくごく小さな希少虫を見つけるのに血眼になっている最中だった。マキという様々な種の植物群は色彩が濃く、コントラストもはっきりとしている。その為、探し物をするとなると強靭な集中力と並はずれた根気が必要になる。普通の人間ならば十分も探し続ければ諦めもつき、大人しく元来た道を引き返したことだろう。
しかし、この少年は普通の人間には持っていないものを持っていた。『強靭な集中力』と『並はずれた根気』だ。長年かけて培われてきた能力を、マキという大自然の中で存分に発揮している。
しばらく歩き続けると、ふいにマキの景色は終わりを告げた。そこに現れたのは、マキに護られるようにひっそりと佇む、いくつもの石によってできた遺跡のような場所だった。
「マキの森の中にこんな遺跡があったなんて――」
人が出入りした痕跡はない。湿気を帯びてじめじめとした空気によって、積み上げられた石の表面はびっしりと苔むしている。もうお昼過ぎだというのにこの遺跡一帯は薄暗く、どこか神秘的な雰囲気を保っている。まるでここだけ時間が止まっているみたいだ。風が凪いでいるからだろうか。
ルカはゆっくりと遺跡に足を踏み入れた。その時だった。
「……見つけた!」
ついに見つけたのだ。真っ赤な身体の小さな虫が数匹、岩肌にむした苔の上を這うように歩いていた。文献でしか見たことのなかったエンジムシは、その名の通り美しいえんじ色をしていた。
ルカは喜びに心躍らせた。見失わないようにエンジムシから一秒たりとも目線を外さず、そっと虫かごの蓋を開けた。そろそろと近づき、両手をゆっくりと近づける。ごくり、と生唾を飲み込んだ。
「きゃあ!」
あと少し、というところで思い切り何かにぶつかった。そのすぐ後に少女のような声。そして、地面に倒れるどさっという音が立て続けに聞こえた。
何が起こったのかその時のルカには直ぐには理解できなかった。そもそもこんなマキの森の中の、しかも誰にも見つけられていないような遺跡に、人などいるだろうか、と。
倒れているのが誰なのか、何なのか、確かめるために恐る恐る音のした方へ歩み寄る。石でできた壁にぽっかりと空いた穴――入口のようなものだろうか――を覗き込むと、確かにそこには人らしき影があった。
「いたたた」
しりもちをついているようで、倒れた時に打ったであろう腰の辺りをさすっているのが見える。膝丈程のワンピースは淡い黄色で、赤いフード付きのポンチョを羽織っている。眉上で揃えられた前髪と、肩より長いしなやかな髪の毛はこけた時の衝撃でいささか乱れている。
ルカはほっと胸を撫で下ろした。ただの女の子だ。
「あの、ぶつかってごめん」
ルカはとっさに手を差し伸べて、少女を引っ張り起こした。小さくて柔らかい手だった。それに透き通るほど白い。だけど病的じゃない白さだ。少女は微笑み、礼を言った。葉の間から射す木漏れ日に照らされてようやく少女の姿を見た瞬間、ルカは奇妙な感覚に襲われた。
――彼女を、どこかで見たことがあるような気がする。
しかし、いくら昔の記憶を辿ってみても出会った記憶など全くない。しかし忘れているということでも無さそうだ。何故ならば、少女の髪の毛は見たこともない美しい撫子色をしていたからだ。こんな髪色をした少女に会ったことがあるなら、忘れてしまうことなど到底無いように思われた。
だったらこの不可思議な既視感は何なのか。ただの思い違いなのかもしれない。ルカは頭をひねる。
「ねぇ、私たち――どこかで会ったことがある?」
どきり、とルカの鼓動が脈打った。まるで己の思考を見透かされているようだったからだ。それに、少女の問いを、そんなはずはない、と直ぐには否定できなかった。もともと左脳で物事を考えるタイプだったルカはオカルティックな現象には否定的な節があった。だから前世がどうとかスピリチュアルなオーラがなどと言われると、どうにも心から頷くことはできなかったし、信じようとも思わなかった。
なのにである。今まさに起こっている現象は、いささか不思議が過ぎる。
「会ったことは……無いんじゃないかな。記憶にない」
確証は無いが、出会ったことのある確率の方が確実に少ない。ルカが己の信念の元に選んだのは『記憶にない』という、なんとも歯切れの悪いフレーズだった。
「だよね。ごめんごめん、私の勘違いだったかも」
屈託なく笑う少女の動きに合わせて、撫子色の髪の毛がさらさらと揺れる。木漏れ日が当たった部分が黄金色に輝いた。そこで、ルカの頭に浮かんでいた疑問がようやくすとんと腑に落ちた。
「でも、その髪の毛の色には見覚えがある」
「え?」
――そうだ。ずっと見てきたんだ。
――晴れた日には欠かすことなく眺めたじゃないか。
――この島が作り出す芸術を。いつかキャンバスに描いて手にしたいと思っていた、あの景色を。
「この島の朝焼けの色が、君の髪の毛と同じ色なんだ」
空いっぱいの撫子色を。太陽が目を覚ます直前の刹那の色を。
3
それがいつの事だったのかは分からない。
海の見える高台のような場所には黄色くて小さい花が一面に咲いていて、時折潮風が吹いては可愛らしい花弁を宙に巻き上げた。海も花畑も軽々と覆ってしまう大空は、手なんか到底届きそうにない位高いところまで突き抜けているというのに、不透明に沸き立つ入道雲は目線の先にどっしりと構えている。手を伸ばせば届きそうな距離だ。
懐かしい景色。懐かしい香り。悲しいことなんて何も無い、楽園のような場所だった、と少女は思う。
ここが何処だったのかは思い出せない。
だけど確実に分かるのは、そこが大切な場所だったという事だけだ。
「――大丈夫?」
少女ははっと目を見開いた。そして心配そうに様子を伺う少年に、大丈夫と言って笑った。
辺りを見渡してみるとそこは深い森の中で、先程二人が出会った遺跡が木陰の向こうに見え隠れしている。白昼夢でも見ていたのだろうか。意識がはっきりしてくるのと比例して、先程脳裏に過った景色はまたしても深い霧に覆われて朧げに消えていった。思い出せないのなら仕方がない、と少女は先ほどの白昼夢について考えるのをすっぱりと諦めることにした。
「ねぇ君、名前は?」
けろりとした様子で少女が尋ねるので内心戸惑いつつも、ルカは質問に応えることにした。
「道野琉海」
「みちのるか」
「ルカでいいよ」
少女は嬉しそうにルカ、ルカと何度かオウム返しのように呟いた。
「良い名前だね。とても綺麗」
ルカは今度こそ戸惑って「え、」と発したまましばらく言葉に詰まってしまった。今までけなされることはあっても、名前を褒められた事など一度もなかったのだ。むず痒さを一掃する為にルカは咳払いをした。
「君は」
「私はね、二ノンっていうみたい」
「『みたい』?」
すると二ノンと名乗った少女は腰あたりのポケットから真っ白なハンカチを取り出して、顔の前で自慢げに広げてみせた。にっかりと笑いながら、ここを見て、と人差し指でハンカチの一角を指し示す。
「二ノン……って書いてある」
「そう、だから私の名前は二ノンなの。覚えてくれた?」
「ああ、うん。――じゃなくてさ」
頷いている場合じゃない。とルカは首をぶんと振った。自分の名前をハンカチで確認するなんて、それじゃあまるで――。
「覚えてないの。自分のことも、それ以外も」
ニノンはまるで他人事の様に明るい口調で言い放った。記憶喪失だ、と心の中でルカは呟いた。アメジストのような薄紫色の水晶体に、零れ落ちた陽だまりがきらきらと反射している。嘘をついている様には見えない。
「出身も、年齢も?」
ニノンは首を横に振った。
「考えようとするとね、こう、意識がモヤーっとしちゃうの。まるで霧のお化けが記憶を食べちゃうみたいに」
そう言いながら両手でヘビのような口を作ると、パクパクと動かして霧で出来た化け物の真似をした。「ああでも」と二ノンは思い出した様にハンカチの入っていたポケットをまさぐり、くしゃくしゃに丸められた紙切れを取り出した。
「ダニエラって人に会いたいんだけど、知ってる?」
ダニエラ。ルカはそんな名前を耳にしたことはなかった。少なくともレヴィにダニエラという人物が居ないことは確かだ。
「いや、分からないな」
「そう……ありがと!」
角をちぎった様な古紙には確かに殴り書きの後があった。覗き込んでみるとかなり手荒に《ダニエラに会いなさい》と書かれている。
「近くに町はある?」
「この森を真っ直ぐ抜けるとレヴィって村がある」
ルカは村のある方向を指差した。気が付けば辺りは薄らとオレンジ色に染まり始めていた。耳を澄ませば鳥たちに交じってひぐらしが控えめに音を鳴らしている。
すると、村の方角から、ゴォンと金属のぶつかる鈍い音が立て続けに鳴り響いた。木陰からギャア、ギャアと不気味な鳴き声をしぼり出しながら野鳥が暮れの空へと飛び立った。
「ねぇ、ねぇルカ! へ、変な音がしたよ。しかも三回」
村の高台にある鐘塔の鐘の音だ。毎日夕刻になると鐘を三度鳴らすのが、アルタロッカ地方に点在する村々の習わしだった。外に働きに出ている村人たちにとっては帰路に就く大事な合図なので、この鐘の音の意味を知らない者は、この付近には存在しないはずだ。やはりこの少女は記憶が欠落している。もしくは、この地方ではないどこからか漂流してきたのかもしれない、とルカは思う。
「この鐘が鳴ったら、皆家に帰って夜ご飯を――」
そこで、ルカははたと気が付いた。
「まずい、すっかり忘れてた! 工房に行かなきゃならなかったのに」
「工房? 村に戻るの?」
ルカ焦りながらこくりと頷いた。――あれから何時間経っている? 時間に関して失敗を犯してこなかった実績に自信を持っていたルカのプライドは、ガラガラと音を立てて崩れ去った。
同じような乾いた音を立てる空っぽの虫かごがルカの目に入った。そこでまたしてもああ、と落胆の声が漏れる。「ため息ついてるの?」というニノンの呑気な言葉を受け流しながら、鋭い目つきで辺りをぐるりと見渡した。そこにはビリジアンの緑が広がるばかりで、どこにもエンジムシの鮮やかな朱色を見つけることはできなかった。
踏んだり蹴ったりとはまさにこの事だ。ルカはぞんざいにため息をついた。
「またため息」
「……君もとりあえずレヴィに来る?」
「いいの?」
ルカの放つ陰気くさいオーラも吹き飛ぶほどの眩しい笑顔だ。
「というか、森に一人放って置くのは罪悪感が残るし……第一危ないし」
「ありがとう、ルカって優しいね」
一般的な倫理観だと思うんだけど、とルカは心の中で呟いた。
「でも、あと少しだけこの辺りを調べることにするよ。自分のこと何か分かるかもしれないでしょ。それが終わったらルカの村に行ってもいい?」
本来なら手伝ってあげるべきなのだろうが、生憎ルカには先約がある。謝罪の気持ちも込めて、深く頷いた。
「食べ物と寝る場所なら用意できるから」
「うん。ありがとう。……急いでるよね? 大丈夫?」
「ああ、いや、うん。多分大丈夫」
と言いつつも徐々に暗くなる景色に焦りながら「また後で」と声を掛けると、ルカは森を後にした。
再び静けさを取り戻した森は思った以上に深く、寒々しい。さえずる小鳥達の鳴き声さえもどこか不気味に聞こえる。二ノンはぶるりと肩を震わせた。
「さー、ささっと調べちゃおっと」
無駄に大きな独り言を呟きつつ辺りの詮索を始めた。夕暮れ時は刻の移ろいが早い。そうこうしている内に森は強い赤みを帯びて、ニノンの視界を悪くする。ふしくれだつ古い巨木の根が地面から突出していることにも気付けないほどに。ニノンは足を捕られ盛大に転んでしまった。
「いたぁ……」
転んだ拍子にポケットにしまってあった紙切れが地面に転がり落ちた。――ああもう、無理だ。今日は大人しくルカの所へ行こう。そんなことを考えながら膝に付いた砂埃を払う。萎びた古紙を拾い上げようとした時、ふと違和感を覚え、伸ばした手を止めた。先程目にしていたものと同じような荒れた筆跡だ。しわが平らになるように優しく手で古紙を延ばしてみると、幾分か見やすくなった文字が紙上に現れた。橙色に染まる古ぼけた殴り書きを解明しようと目を凝らす。
「み……ちの……。……道野?」
ガバッと顔を上げ、少年が走り去った方向を凝視した。
少年の名前はルカ。ファミリーネームは『道野』。
心臓がどくりと脈打った。ざぁ、と風が森を吹き抜け木々を揺らす。ルカに、もう一度会わなければ。頭の中で思考が繋がった瞬間、弾かれるように少女は森を駆け出した。
「僕にはやっぱり絵を見る才能が無いみたいだよ。あの絵画の点々、何だと思う? 父さんは最初虫か種かと思ってたんだけど。どうやら――花びらみたいだ」
湯気の立つ猪のスペアリブにかぶりつきながら、光太郎が楽しげに話し掛ける。革張りのソファの向こう側にある小さなコーヒーテーブルの上にはトースト程の大きさの(正確に言うと、二十センチ四方の)小さなキャンバスが置かれている。描かれているのは色鮮やかなレモン色の花びらが舞う快晴の風景であって、決して虫が空を飛行していたり、誰かがかごに乗せた種をばらまいたような絵には見えない。
だがそんな事は、ルカにとってはどうでも良い話だった。走りすぎて荒げた呼吸はもうすっかり落ち着いたが、辛気臭いオーラは相変わらず辺りを漂い続けている。
「工房に行く事すっかり忘れてて、ごめん」
「え、そんなこと気にしてたのかい? 父さん別に怒ってないよ」
ルカは本当に真面目だなぁ、と笑いながら輪切りのトマトにフォークを刺した。光太郎の豪快な食べっぷりを余所に、ルカはもう一度コーヒーテーブルの上の絵画を眺めた。
絵画を修復するチャンスを逃してしまった。経験値を蓄える機会を自ら潰したことが一生悔やまれる対象なのであって、父が怒っているか否かというのはルカにとってはあまり重要事項ではない。
「おおい、ルカ。父さん本当に怒ってないからね。それとこのスペアリブ、ロザリーおばさんのお店のよりおいしいよ。お代わりしようかな」
深底の鍋からまだ熱をもったスペアリブを数本引き上げて骨だらけの皿に盛りつける。それを光太郎に手渡してから、ルカはそのままテーブルの上に置かれたキャンバスを手にとった。
薄く延ばされた空色の上に厚い雲がたなびいている。まるで生き物のようにざわめく草原、そして舞い散る花びら。どれくらい昔に描かれたのだろうか。鮮やかな色合いは時の流れを感じさせない。
小さなキャンバスの中で一迅の風が吹き抜ける。春が生きている。
「何度も何度も絵の具が塗り替えられていたよ、普通の人が描くよりもずっと沢山。よくよく調べていくと、構図は変えずに、同じ部分を同じように修正していたんだ。どうしてだと思う?」
夕食を終えて、残ったリブの骨をゴミ箱に移しながら光太郎は問いかけた。
修復の終わった絵画を一目見て「春の季節だ」と瞬時に理解できたのはなぜだろうか。ルカはまぶたを伏せて思考の海に沈む。それは、まるで生命の息吹を祝福するように、あまりにも色鮮やかに空や草や花々が描かれているからだ、と思い至った。
同じ構図を同じように修正しているなら、理由は一つしかない。
「色彩にこだわってたんだ」
正解、と光太郎は嬉しそうに指を鳴らした。
命が眠る冬の季節が長いヨーロッパでは、春の訪れは希望だった。春になれば人々は皆外へ出てお祭りを開き、陽気な陽射しに飲んで歌って大騒ぎする。喜びに溢れる季節を表現する為に幾度も修正を重ねて完成させた絵画なら、画家が最も大切にしていたのは色合いだ。
「今でこそ絵画はエネルギー源に使われているけれど、昔は純粋にアートとして人々に慕われていたんだよ」
地球に残るエネルギー源が枯渇し、絵画を源とした新たなエネルギーが誕生したのはおおよそ五十年ほど前の出来事だ。それまでは様々な画家があらゆる手法を駆使して表現を楽しみ、己の心で感じたものをキャンバスに描き残したという。
「現代じゃ近代以前のアーティストはタブー視されているだろう。大抵の人は生産性が無いと言うけどね。父さんはそういう人たちが描くものの方が、アートの本来の姿なんじゃないかと思うんだよ」
ルカは静かに耳を傾ける。そして、芸術家が付加価値を考えず、純粋に絵を描く世界に思いを馳せた。
「もちろん絵画が人類を助けたのは事実だし、僕らはきっちり恩恵を受けてる。こうやって普通の生活が続けられているんだからね」
よいしょ、と光太郎はパンパンに膨らんだ汚れたリュックサックを棚の脇から持ち出して、コーヒーテーブルの上にどさりと置いた。
「ルカはどう思う?」
自分の気持ちを言葉にするのがあまり得意ではないルカは、ゆっくりと、深く頷いた。父の隣で修復作業を補助していく中で、絵画一枚一枚に様々な画家の思いが込められていることを知った。そして長い歴史の果てに埋もれるはずだった思いを、自分たちの手で繋ぎ止められることも。
墨を水で溶いたような灰色の瞳が優しげに微笑んだ。そして、その右手薬指にはめられていた鈍色の指輪を取り外すと、ルカを手招きした。
「これを指にはめて」
「指輪?」
「代々受け継がれてきた、言わば道野家の宝みたいなものだよ」
幅が深くてくすんだ指輪は長い年月を経て傷だらけになっていた。表面には不思議な模様が刻まれている。しずくの上の部分がクロスしたような形だった。そして、しずくの中には寄り添うように二つの円が描かれている。薬指にはめるとそれは仕立てたようにぴたりとフィットした。
「この模様にはどういう意味があるの」
「ああ、これは」
と、光太郎はしずくの模様を眺めた。
「とある貴族の紋章だよ。僕らの家系と古くから繋がりがある」
指輪が鈍く光った。そんな話は聞いたことがない。
「大事な話を二つしよう」
急に声のトーンが下がったかと思うと、光太郎の視線がいつになく真剣味を帯びた。
ルカの心が妙にざわめく。今まで『大事な話』と前置いて大事だったことなど一度もなかったのに。
「もしも指輪と同じ紋章を持つ人が現れたら、何があっても護ること。――たとえ命に代えても」
ごくり、とルカの生唾を飲み込む音が響いた。
「って、僕も祖父に同じことを言われたよ。結局三十五年間生きてきてこの紋章を身に着けた人に出会ったことなんて一度もなかったけどね」
そう言って光太郎は軽快に笑った。どうも真剣に話し続けるのは向いてないようだ。一気に肩の力が抜けたルカは、はぁと小さなため息をついた。
「一応覚えとく。それで、もう一つは」
すると何故だか光太郎は急にそわそわと身じろぎをしだした。うんん、と小さく唸ったかと思えば何かを言いかけ、また口を噤む。そんな父の不審な行動も気になったけれど、ルカはもう一つ気になるものがあった。テーブルに置かれたパンパンに膨らんだリュックサックだ。
光太郎はゴホン、と咳払いをした。
「あー、父さんな、修復家を辞めることにしたんだ」
「そうなんだ…………え」
妙な単語が聞こえたな、聞き間違いだろうか、とルカは思った。
「えっと……今、なんて?」
「えー、本日をもちまして、私道野光太郎は修復家を辞めたいと思います」
「な――」
ただし! と、ルカが講義をするより早く光太郎は声を張り上げた。
「これからは、息子・ルカが修復家として跡を継ぎます。大事な話は以上!」
強引に話を終わらせて席を立とうとする光太郎の裾を、ルカは思いきり引っ張った。そして意味が分からないと瞳で訴える。
「ちょ、ちょっと待って、なんでいきなり、そんな」
「いきなりではないよ。ルカはもう十分一人立ちできるに値する知識と技術を持ってるし、良い頃合いだと思ったんだけどなぁ。それに――」
一旦言葉を切った光太郎は、ルカの方に向き直ると、無邪気な少年の様な笑顔を向けた。
「父さんには叶えたい夢があるんだ」
「夢……」
大人にも夢があるものなんだな、とルカは思った。
「父さんの叶えたい夢って?」
「もうすぐ分かるよ。ルカもきっと気に入る」
そんなに嬉しそうな顔をされるとさすがのルカも首を横に振ることなどできなかった。ただ、頷いた理由はそれだけではない。父の夢を見てみたいと、ルカも思ったからだった。
「芸術は何もエネルギーを生み出す為のものだけじゃない」
その言葉で一体どれだけの人を敵に回すだろう。五十年前のエネルギーショックを経験していないからだと年長者に罵られるだろうか。
「アートは、人の気持ちを仕舞っておくアルバムだよ」
光太郎の瞳はどこか遠い景色を見ているようだった。うっすらと微笑みをたたえて、遥か彼方を見つめている。
「忘れたくない記憶を鮮明に思い出すために、僕らは在るんだ。そしてそれを共有したいと願った画家の夢を実現させる為に。父さんはこの仕事を誇りに思うよ。ルカもそう思わないかい?」
現実に戻ってきた父の、やはり墨を水で溶いたような灰色の瞳を見つめながら、ルカは今一度深く頷いた。そして、やっぱりこの親子はどこか世間とはズレていて、浮いているのかもしれないと思った。
午前中ダミアンに言われた言葉を思い出して、ルカは笑った。
1
長時間修復の作業をしていると、光太郎はよく「腰が痛い」とぼやいたものだ。そんなに顔を歪めてうめくほどの痛さなのか、と当時は訝しげに思っていたルカだったが、今ならその苦悩がよく分かる気がする。
村人数人を乗せたおんぼろバスは険しい山道を遠慮のない速さで進んでいた。時折現れる窪みや石ころによって激しく車体が揺れ動く度、文字通りルカの体は浮き上がった。山に沿って作られた道はいくつもの急カーブの連続で、運転手が手慣れた手つきでスピードを落とさずに突っ込むので、乗客は幾度も遠心力に振り回された。予測のつかない衝撃の連続のおかげで体のあちこちが悲鳴を上げていた。
バスに乗車するのは初めての体験だ。だからいささか期待しすぎたのだろう――とルカは思うことにした。もしくはバスではなかったのだ。そう、まさにテーマパークにあるスリルを味わう為だけに作られたアトラクションだ。
険しい山道での滑走がしばらく続いたところでバスは急停車した。その反動でポールに捕まっていたにもかかわらず、ルカの体は座席からずり落ちた。どうやらやっと目的地に到着した様だ。
乗客の様子を伺うと、ほぼ全員が顔面蒼白でげっそりとやつれている。「恐ろしい目にあった……」と呟く老婆はしばらく腰を上げる気力も無さそうだ。
地獄の乗り物から解放され、晴れ晴れとした気持ちで地面に降り立った。その瞬間、ぶわりと独特の匂いが風に乗ってルカの鼻腔を掠めていった。
「すごい、潮の香りだ」
ふのりの詰まった紙袋を開けたときと同じ香り。しかし、紙袋から漂うものとは比べ物にならないくらいこの町は潮の香りで満ちている。ルカは浮足立つ気持ちを抑えて歩き出した。
高くそびえる松の木林を抜ける。目前に広がったのは真っ青に透き通る美しい水の帯だった。風にあおられて白く泡ぶく波や、滑らかに伸びるじゅうたんのような砂が、太陽の陽射しにあてられてキラキラと輝いた。
「これが本物の『海』か」
〈ポルトヴェッキオ〉――美しい海岸線の続く港町で、ルカは初めて大海原を目の当たりにしたのだった。
四角形の集合体の様な石造りの建物が立ち並ぶ路地はまるで迷路のごとく入り組んでいる。パンパンに膨らんだリュックサックを揺らしながら、ルカは手元のメモ用紙と目の前の三叉路を見比べわずかに眉根を寄せた。
メモには光太郎が書いたであろう地図と思しきものが記されていた。右手に描かれた海岸は分かる。ルカが初めて見た海岸線だ。そこから左手に進み幾つかの分岐路を曲がれば〈コルマンさんの家〉と書かれた、大きく丸印の付けられたお宅に到着する。そんな一見分かりやすい地図だ。
当初は五分もあれば到着するだろうと高をくくっていたが、路地に入り込んでから優に三十分は経過している。それもそのはず、メモに描かれている道は驚く程淘汰されているのだ。
「このメモ、三叉路ひとつも出てこないし」
ルカはうなだれ、ため息をこぼした。これほどまでに父親の頭の中を覗いてみたいと思ったことは無い。一体どう要約すればこんな地図が出来上がるのだろう。
光太郎の修復家引退発言から一夜明けた翌日のこと、ルカは早速父の仕事を引き継ぐ羽目になった。修復が完了した絵画を依頼主まで届けるといった内容だった。はじめはただ自分で運ぶのが億劫だったから息子に無理やり押し付けようと画策したのではないか、などという邪念が過ったりもしたが、ルカはすぐに思い直すことにした。己の目で本物の海を観ようと思い立ったのだ。届け先はポルトヴェッキオ。レヴィから一番近い、海の望める港町だ。
狭い小道を曲がるたびに現れる石造りの建物はどれも似たような色や形をしているので、同じところをぐるぐると周回しているような気分になる。海岸通りの賑わいが嘘のように一歩路地に入れば人一人にさえすれ違わないので、道を尋ねることも適わない。
あんまり遅くなってはコルマンさんの機嫌を損ねてしまうのではないか、という事がルカの気掛かりだった。
気掛かりといえばもう一つ、ルカは昨夜から森で出会った少女の行方を気にしていた。
とうとうその夜、ニノンがルカの元を訪ねてくることは無かった。やはり無理にでも連れてくるべきだっただろうか。今頃まだ森の中をさまよっているのだろうか。良からぬ想像ばかりが掻き立てられるのも嫌だったルカは、翌朝こっそり家を飛び出して森に向かった。しかしそこでもニノンの姿を見つけることは出来なかったのだ。
いよいよ本格的に現在地が分からなくなったルカは、石造りの迷路の攻略を一旦諦めることにした。こう頭が煮詰まっている時は、時間を置いた方が効率が上がるものだ。むしろ一人でさまよい歩くより、大通りに戻って人に尋ねた方が利口だ。
脇道から顔を出した野良猫がニャァと啼いた。ポケットから栗のクッキーを取り出して、それを地面に置いてやる。美味しそうにクッキーを頬張る猫を眺めながら、取りあえずお昼ご飯を食べてからだな、とルカは思った。父親のマイペースな性格を少なからず自分も受け継いでいるということを、本人はまだ自覚していないのであった。
「エビ五尾!」
「おいこっちにムール貝、できるだけ沢山!」
「オーダー入りましたぁ、おまかせシーフードフライ三皿ァ」
海沿いのとある大衆レストランでは、野太い声や威勢の良い若手のコック、たまに気の抜けるようなホールスタッフの女の声が活気盛んに飛び交っていた。厨房と客席が繋がっていることもあって、シェフたちのやり取りが絶えず響き渡っている。海に面した壁は全て取り払われていて、食事をしながら海を眺めるには絶景のロケーションだ。港の町のレストランという元気な雰囲気も去ることながら、近海で獲れた新鮮なシーフードを使った料理はどれもこれも美味しいものばかりで、厨房から漂ってくる香ばしい匂いだけで涎が止まらなくなるほどだ。
賑わう人混みに身を隠すように、その少年はグリルされたシーフードを貪っていた。肩に届く程に伸ばされた鮮やかなオレンジ色の髪もこのレストランに入ってしまえばさほど目立つこともない。
ジューシーなエビの焼き身に舌鼓をうちながら、壁掛け時計に目をやった。時刻は正午過ぎ。一日で最も店が込み合う時間帯だ。しかも今日は天気が良いおかげで普段よりも客の入りが多い。
少年は自分の立てた計画が成功することを確信して、人知れずほくそ笑んだ。
「すみません」
「え! あ、な、何だよ」
急に声を掛けられて少年は思わずむせ込んだ。青い瞳が印象的な黒髪の少年――ルカは、もう一度「すみません」と頭を下げた。
「今食べてるメニューってどれですか」
「あ、これ? グリルだよグリル。ただのシーフードグリル」
少年はうっとおしそうに早口でメニュー名を告げた。ルカはお礼を言って、忙しなくホールを行き来するウェイターに少年と同じメニューを注文した。
――全く、ビビらせんなよな。
彼は今から壮絶なミッションを完遂しなければならないのだ。ありったけのシーフードをたしなんで、店内の賑わいに紛れてお店を後にするという、重大な任務が。いわゆる『食い逃げ』というやつだ。こんなところで見ず知らずのガキに計画を台無しにされたら堪ったもんじゃない、と少年は心の中で悪態をついた。
ルカの注文を厨房に持って行ったかと思えば、ウェイターはすぐさま引き返してきて、間髪入れずに山盛りのシーフードグリルを手荒くテーブルに置いた。ファーストフードも驚く程の提供の速さだ。
オレンジ色の髪の少年は最後の一口を食べ終え、ごくりとコップの水を飲みほした。後はこの賑わいに紛れて逃げるだけだ。そう、逃げるだけ――。
「おいてめぇ、さっきから何やってんだよ」
「エビって食べたことなくて、殻の剥き方が……」
先程から隣で孤軍奮闘するルカの姿がちらちらと視界に入っていた少年は、いっこうに食べ始める気配のない様子に痺れを切らして、つい口を挟んでしまったのだ。
「まず頭を捥ぐ。で、腹を裂く。それからこうやって片方の足を掴んでぐるっと一周」
「うわ、凄い」
「凄くないっつーの」
綺麗に剥かれたエビに余程感動したのかしばらく四方八方から眺め回しているルカに、早く食べろよと少年が急かす。ようやくかぶりついたエビをひたすら無言で食べ続けるルカは、しかし感嘆の声も上げない。口に合わなかったのだろうか。そんなことを思いながら少年は隣の顔を覗き込んだ。
「うめぇの?」
「うん、おいしい。すごく」
「あー、ああそうですか。そりゃ良かったねー」
俺は全然良くないけどな、と年甲斐もなく少年はふてくされた。
時刻は三十分を回ろうとしていた。少年は完全に店を出るタイミングを失った様だ。相変わらず寡黙に食事を続ける黒髪の少年を恨めしそうに睨んでから、次のタイミングを見計らう為に店内をぐるりと見渡した。
この店では過去二回食い逃げに成功している。二度あることは三度ある。プライドなどと言ってしまえば店のオーナーに殴られそうだが、少年は食い逃げについては確固たる自信とプライドを持っていた。
大金持ちになったらいずれ返しに来てやるよ、と失礼も甚だしいことを思いながら再びほくそ笑み、席を立とうとしたまさにその時だった。
「食い逃げとは良い度胸じゃねぇか、ええ?」
地鳴りのような男の声が店内に響き渡った。
――まさか! ばれたのか?
――いや、おかしいぞ。何故ばれたのだろう。何も失態はしてないはずだ。
少年の頭は真っ白になった。そもそも『食い』はしたが『逃げ』てはいない。混乱した少年は音を立てて席を立ち、声を張り上げたと思しき強面のコックに向かって叫んだ。
「ちょ、ちょっと待て、俺はまだ逃げてないぞ! ……って」
「お前もタダ食いしようってぇのか? ええ?」
見ると強面のシェフの目の前には赤いフードを被った小柄な少女が立ちすくんでいた。サァと少年の顔から血の気が引く。まさか自分以外にも食い逃げを企んでいる奴がいたとは、とんだ想定外。一貫の終わりだ――少年がそう悟った時、少女がずいと一歩前に出て「ねぇ」とシェフに話し掛けた。
「私タダで食べようなんて思ってないよ。だってほら、ちゃんとお金はあるもん」
少女は負けじとシェフに向かってコインの乗った両手を見せた。小さな銀貨が三枚と、銅貨が二枚。
「チップにもならんじゃねぇか!」
強面のシェフは一喝した。次に怒りの矛先が向いたのは少年だった。
「オレンジ頭もこっち来いや」
「く、くっそ……これも全部お前のせいだ! お前が、お前がエビの殻の剥き方を知らなかったから!」
とんだ言い掛かりだとルカが顔を上げれば、騒ぎの中心にいる少女の赤いフードが目に飛び込んできた。
「ニ、ニノン? どうしてここに」
「ルカ、ここにいたんだ! やっと見つけた」
そうして二ノンは呑気に手を振った。隣で仁王立ちしていたシェフがぎらりと目を光らせ、ルカを捉える。
「おい、そこのガキ。てめぇも食い逃げ犯の仲間だな」
「え、いや――え? 食い逃げって……俺、ちゃんとお金は」
払います、と言いかけた言葉はオレンジ色の髪の少年に腕を引かれたことで遮られてしまった。
「逃げるぞ」
「は?」
「おいコラァ、ガキども!」
気が付けばルカは少年とニノンと共に店を飛び出していた。強面のシェフが複数の雑用係を引き連れ、唸り声を上げながら追いかけてくる。何事かと振り返る町の人々の間をぬって少年たちは逃走した。
不服なことに食い逃げ犯の一員という濡れ衣を着せられる形で、ルカの誤解も解けぬまま三人はぐんぐんと走った。そうして例の石造りの路地に滑り込むと、少年を先頭にせまい小道を縦横無尽に駆け巡り、ついに三人は追っ手をまくことに成功した。強面のシェフの怒号もすっかり聞こえなくなった。
聞こえるのは三人の荒い息遣いだけだった。
「はぁ、良かったぜ。無事にまけて」
「はぁ、はぁ、全然――良くないよ、ハァ」
ルカは払うはずだったお金の重みをポケットに感じた。全然良くない。罪の被り損だし、逃げ損だ。
「お金ってこのコインのことじゃないの?」
ニノンは反省の色もなくしれっと手に握られていたコインを眺めた。
「ばっか。こんなの消費税だって払えねぇよ。何堂々と交渉しようとしてんだよ。おかげでこっちにまで被害が飛び火だ」
「なによ、私あなたみたいに悪いことしようって思ってしたんじゃないもん」
「結局は食い逃げなんだから良いも悪いもねぇっつーの」
「そんなことないもん!」
ヒートアップする二人の間に入ってまぁまぁとルカは落ち着かせることにした。
「取りあえず俺が三人分払う。お金は後で返してくれればいいし」
「って言っても多分あの量じゃ軽く三十五ユーロは超えてるな。んで、持ち金はいくらなの」
ルカはポケットから有り金全てを寄せ集め、石畳の上にぶちまけた。一ユーロ、二ユーロ、五ユーロ……。
「……十ユーロ」
「足りねぇじゃねーか」
ムッとしたルカは少年にも有り金を出すよう抗議した。しかし寄せ集めても二十ユーロ程にしかならず、食事代を支払うには到底足りない金額だった。
「私のお金も入れたら足りる?」
「あーそれはその辺の子猫にでもくれてやれば?」
言い合う二人を余所に、ルカは考え込んでいた。お金が無いなら作れば良い。せっかく『道具』も持ってきたことだし。
結論が出たらしいルカは立ち上がって、二人に告げた。
「三十ユーロ稼ぐ方法を思いついた」
「マジで」少年はののしるのを止めた。
「どうやって? マジックでもするの?」ニノンもわめくのを止めた。
でもその前に、と前置いてルカはポケットから光太郎のあべこべなメモ用紙を取り出して少年に渡した。
「コルマンさんって人に届けなきゃいけないものがあるから、それが終わってからだけど」
案内してよ、と言いながら少年を見つめた。
オレンジ頭の少年はその不親切な地図をしばらく眺めた後、ああ、とひとつ頷いた。
「この家なら知ってるぜ。案内すればきっちり三十ユーロ稼げるんだろうな」
「うまくいけばそれ以上」
マジかよ、と少年は呟いた。そしてにやけた口元を右手で隠すように抑えるとコホン、と咳払いをした。
「俺はアダム。アダム・ルソーだ。よろしくな」
そう言ってアダムは右手を差し出した。
「道野琉海。ルカでいいよ」
ルカは差し出された右手を握り返す。
「私のことはニノンって呼んで」
二人の握り合った手の上にニノンの両手を乗せ、ぎゅっと力を込めた。
「よっし、どんな作戦か分かんねぇけどガッポリ稼ごうぜ!」
「おー!」
盛り上がるアダムとニノンを尻目に、早速趣旨が変わっていることにルカは不安を隠しきれないルカなかった。
2
一行は昼下がりの細い路地をひたすら上へと歩いていた。時折通り過ぎる風が、向かい合った窓に掛けられた物干し竿の洗濯物を揺らした。
「ところで、ニノンはどうしてこの町にいたの」
森の中には一本しか道が無い。あの遺跡から歩けば十分足らずでレヴィに到着するはずだ。仮に道に迷ったとしても歩けば半日以上掛かるポルトヴェッキオに、偶然辿り着いたとは思いにくい。
「村は見つけたんだよ。偶然通りかかったおじさんに道野さんのお家はどこですかって聞いたら『ミチノは今日あたりに港町に行くって言ってたから、お家に行っても留守だと思う』って」
そこでご丁寧にポルトヴェッキオへの行き方まで詳しく教えてもらったニノンは、乗り心地の最悪なバスの最終便に飛び乗ってはるばるこの町までやって来たらしい。
「それ、名物のトムおじさんだよ」
呆れたようにルカは呟いた。レヴィには中途半端に情報を仕入れては道行く人にあることないことを吹き込む、困ったおじさんがいるのだ。本人に嘘を付いている自覚がないのが恐ろしいところだ。
「そうだ。私早くルカに会わなきゃと思ってたの」
ニノンはポケットから例の古紙を取り出して、新たに発見した文字が書かれた面を広げて見せた。
「え――ミチノって」
「ルカのファミリーネームでしょう」
ルカは目を白黒させた。道野という和名がこの辺りにゴロゴロと転がっているはずもない。己の名前が記された古紙を穴が開く程眺めると、身に覚えのない事実に首を捻った。
「二人はどういう繋がりなわけ? 同じ村出身とか?」
「違うよ。私とルカは昨日会ったばっかり」
「知り合い期間短ぇな」
「アダムより長いよ」
二人が稚劣なやり取りを行っている内に一行は入り組んだ路地を抜け、広々とした高台に抜けた。そびえるように密集していた石造りの建物が姿を消し、崖下に大きな湾を一望することができた。間近で見た海よりも深くて濃い青色をしているそれが、何より想像していたよりもずっと遠くまで広がっていることにルカはとても驚いた。
「ここがコルマンさんのお宅だ」
高台にポツンと建てられた白い石造りの家は、三階建てのアパートメントを二棟繋げた様な大きさだった。周りには植木鉢が並び、ピンクや黄色といった色とりどりの可愛らしい小花が咲き乱れている。
ルカは恐る恐る玄関先まで歩いていくと、建物と同じく白い石造りの柱に埋め込まれた呼び鈴のボタンを押した。
しばらくしてゆったりと玄関のドアが開かれた。
「どなたさんかな」
伸びやかな声と共に現れた男性の顔を見て、三人は飛び上がった。ドアから顔を覗かせたのが、先程苦労して捲いたはずの強面のシェフだったからだ。
「こ、この度はお騒がせして誠に申し訳ありません! あんなことするつもりじゃなかったんです、ただほんの出来心で……」
心にもない謝罪の言葉を並べてひたすら平謝りするアダムを前に、男はふくよかな体を揺すった。
「港のレストランで働いてるのはワシの息子だよ」
光栄なことによく間違われるのだと、コルマンはもう一度高らかに笑い声を上げた。
応接室に通された三人は、外観に劣らない豪華絢爛な内装に圧巻された。床一面に敷き詰められた深紅のじゅうたんには土埃ひとつなく、天井からは映画に出てきそうな巨大なシャンデリアが垂れ下がっていた。重厚な棚の上には溢れんばかりのカラフルな生花が活けられている。
おおよそ見る物も無くなってきたところで、盆にコーヒーカップと山盛りのチョコレートを乗せたコルマンがにこやかに戻ってきた。
「先週フランスへ仕事に行った際に買い付けたコーヒーだが、砂糖とミルクはいりますかな? ワシはしがない商人をやっとりまして、ええ。それでこのベルギーのチョコレートがまた非常にボーノ! な味わいで、ええ。これを食べたら他のものは食べられませんぞ。皆さん、チョコレートはお好きかな?」
ちょこれーとって何、と尋ねるニノンに向かってアダムが「この世の中で一番うまいもの」と随分ぞんざいな回答を投げた。ガチャガチャと並べられていく高級なティーセットと強面の満面の笑みを交互に見比べながら、ルカはそのギャップに気圧されて苦笑いを浮かべた。
「それで今日は、ミスターミチノは風邪か何かで?」
「あ、いえ。父は今手が離せないので、代わりに絵画を届けに来たんです」
ルカはトートバッグから慎重に絵画を取り出して依頼人へと手渡した。先日にも増して色鮮やかに見えるのは、絵画が金色の煌びやかな額縁に収められているからだろう。
「素晴らしい! この鮮やかな色合いはまさにこの画家の特徴。これなら修復前よりも数倍多くのエネルギーになるに違いないですぞ。ああ、本当に、何度見ても素晴らしい」
エネルギー。その単語が耳に入って、ルカは少し淋しい気持ちになった。修復とはもちろん絵画を本来の在るべき姿へ戻す作業だが、その目的は絵画をより美しい形で鑑賞したいからではない。絵画をより多くのエネルギーに還元する為なのだ。
「ミスターミチノは丁寧な上に仕事が速い。いつも助かっていると伝えてくだされ」
「ええ、きっと父も喜びます」
父が本当にやりたかったこととは何だろう。ふと昨夜の出来事を思い出してルカはぼんやりと机の上の絵画を見やった。それは、絵画の修復と関わりがあるのだろうか。
緩く湯気の立つコーヒーカップに口をつける。爽やかな苦みが心地よい。最高級のコーヒーに、窓から眺める絶景。本来ならばもう少し穏やかに午後の一時を満喫することができたに違いない。――隣で無神経にチョコレートを頬張るアダムとニノンさえ視界に映らなければ。
ルカは二人に聞こえるように咳払いをした。
「つかぬ事をお聞きしますが」
「何ですかな、ミチノジュニア」
ミチノジュニア……。間違ってはいないが少し複雑な気分だ。
「ル、ルカです。コルマンさん、この絵画の他に何か困っていることはありませんか」
「困っていること、ですか」
コルマンは強面に似合わない可愛らしく整えられた鼻下の髭を指で撫で付けた。そして、考える間もなくきゅっと表情を引き締めると、仰々しい口調で話し始めた。
「ありますとも。それも非常に重大で、難解な困りごとが」
人通りの多い大通りへ戻ってきた三人は、様々に首を捻ったり顎に手をあてたりして突きつけられた難題について考えていた。
「まさかあの強面シェフの見合いの説得をする羽目になるとはな。これがお前の言う『三十ユーロ稼ぐ方法』ってか?」
とんだ茶番劇だぜ、と皮肉を言うアダムの横でルカは苦笑いを浮かべるしかなかった。
当初はコルマンの所有する別の絵画を修復することで報酬を得るという算段だった。それが一体全体どうして息子に関する人生相談に転じてしまったのだろう。
「ゴーレムみたいな面して怒りっぽいときたらそりゃモテないだろ。俺が女だったらご免だね。そもそも、本人がお見合いしたくないって言ってんだから放っておきゃ良いのによ」
「アダムってば、声大きい。誰かに聞かれたりしたら――」
「あの……すみません」
突如消え入るような女性のか細い声が背後から聞こえて、アダムとニノンは肩を強張らせた。
振り返るとそこにはほっそりとした白いワンピース姿の女性が立っていた。腰まで伸びた艶やかな亜麻色の髪が、風にさらわれて揺れている。健康的な肌色なのに目元がすっきりしている為か随分と涼やかな印象を受ける。
ルカを押しのけアダムがずい、と一歩前に出る。
「素敵なワンピースですね。僕たちに何かご用でも?」
女性に見えない所でニノンがルカの裾を引っ張り、「僕たちだって!」と笑いをこらえながら訴えた。
白いワンピースの女性はひっそりと頬を桃色に染めたかと思うと、囁くように尋ねた。
「先ほど父にお会いしていた方々ですよね」
「ええ、まぁ。――父? あなた、コルマン氏の娘さんなんですか?」
「はい。サラ・コルマンです」
頷くサラを、アダムは上から下まで今一度凝視した。橋の下で赤子を拾ってきたなんてよくある話を今なら鵜呑みにできる程、サラの容姿は父親のそれとはかけ離れていた。
「お姉さん、コルマンさんとその息子さんとは随分似てないのね」
「ええ。よく言われます。私は母親似なので」
そこで一旦会話を切ったサラは、非常に気まずそうに俯いた。
「どうかしたの?」と、ニノンが尋ねる。
「――父に、兄の事を何か頼まれませんでしたか?」
俯いたままのサラに、ルカはコルマンから息子を見合いに出るよう説得してほしいと頼まれた事を話した。サラはやや青ざめた様子でその一部始終を聞き、最後に「ああ、やっぱり」とため息を漏らした。
「いつもそうなんです。三十を過ぎても一向に女性と交際する気配を見せない兄に父の方が焦りを感じていて。最近は自分だけに留まらず、こうして見ず知らずの方々にまでご迷惑を」
サラは顔を伏せてさめざめと謝った。
「顔をあげて。サラちゃんが悪い訳じゃないんだからさ」
アダムは壊れ物を扱うように優しく声を掛けた。
「どうか、どうか父の頼まれ事はお忘れください。そして兄の――セドリックのことはそっとしてやってください」
「俺もそう思うよ。恋ってのは無理にするもんじゃない。いつの間にか落ちちゃうもんさ。サラちゃんの兄さんもあんな顔だけどさ、運命の人に出会っちまえば案外早いもんだぜ」
若干失礼な単語を交えつつも励ましの言葉をかけるアダムに、サラは表情を暗くしたまま頷いた。
「だと良いのですけど。兄には忘れられない女性がいますから……今でも部屋の壁に張り付けた古ぼけたポスターを眺めては、ため息をついているくらいですし」
「げ、兄さん、もしかして女優とかそういう手の届かない系の女性を狙ってるの? そりゃあ無理だ、頑張っても無理だ。説得した方が良いなそりゃ」
「ロマンが無いなぁ、アダムは。大丈夫だよ。愛があればなんとかなるって」
「ならねっつーの。愛だけじゃ住む世界の格差はカバーできねぇの」
言い合うアダムとニノンの間に割って入るとルカは二人を両脇に押しのけ、サラの深く沈んだ琥珀色の瞳を見据えた。
「その話、詳しく教えてもらえませんか」
大通りから一歩入った裏路地に佇むカフェでは、午後三時を回っているにもかかわらず随分と落ち着いた雰囲気を醸し出していた。知る人ぞ知る隠れ家なのだろう。
品の良さそうなウェイターが、分厚いリサイクルグラスのコップに並々と注がれたぶどうジュースをテーブルに運ぶ。あまり車窓から景色を眺められるほどの心地よい道中ではなかったが、ポルトヴェッキオに近づくにつれてぶどう畑が広がっていた光景を、ルカは頭の片隅でぼんやり思い出した。
「この辺りではぶどうの栽培が盛んなのでワイナリーが多いんですよ。実はこのぶどうジュース、ここのカフェのオリジナルなんです」
艶やかでいて澄んだ赤紫色の液体からは芳醇なコンコードの香りが絶えず立ち上っている。
絞りたての新鮮なぶどうジュースをそれぞれが一様に楽しんだ後、サラはぽつり、ぽつりと話し始めた。
「もう十年も前のことだったと思います。兄が厨房に立って調理を任され始めた頃、とある商人がイタリアから一人の若い踊り子を連れてきたんです」
踊り子の名はビアンカと言った。気の強そうな大きな瞳をいつも吊り上げて、どこか肩を張って生きているような女性だった。彼女はポルトヴェッキオに着くとすぐに町で有名なキャバレーで働きはじめた。セドリックは間もなくしてそのお店でビアンカと出会ったという。
「はぁん、なるほどね。そこで踊り子にハートを打ち抜かれたお兄さんは、今も片思いを続けてると」
悲しい恋物語だねぇ、とアダムがこめかみに右手を抑える様を冷ややかにルカが見つめる。
「一目惚れというより……ビアンカさんと初めて会った時、兄は彼女と喧嘩したらしいんです」
「は? なんだそりゃ」
「詳しいことは聞いてないんですが、彼女の態度がどうも高飛車というか、金を払っている客に取る態度じゃなかったみたいで。兄も一応シェフをやっていますから。思うところはあったんじゃないでしょうか」
サラは話を戻した。それから一月以上の時が流れ、二人が再会を果たした場所はセドリックの働くレストランだった。プライドの高い彼女が単身で賑やかな大衆のレストランを訪れたことに大変驚いたセドリックは、その夜再度キャバレーを訪れる。もちろんビアンカに会うために。
「駆け出しが上手くいかなかった彼女は、態度にも表れていたのでしょうが、稼ぎも悪くなる一方で。そんな彼女を放っておけなかったんだと思います。兄はこっそりまかないを作っては彼女に食べさせてやるようになりました」
それからほどなくして二人は互いに惹かれあい、愛するようになったという。
「え。結ばれちゃうの」
拍子抜けした、という風にアダムは突っ込みを入れる。
「ええ、一度は恋仲に。喧嘩も多かったですが同じくらい深く愛し合っていた様に私には見えました」
しかし、とサラは続ける。幸せな時間は永遠ではなかった。二人が出会って三年後、その時は一隻の商船と共にやって来た。フランスから訪れていたとある商人がビアンカをいたく気に入り、彼女をパリ一と称されるキャバレーに勧誘したのだ。
そんな話など露知らず、その日もセドリックは愛するビアンカの為にディナーを作って彼女が帰ってくるのを待っていた。彼女の大好物であるアクアパッツァを眺めながら、ずっとずっと。
しかし、とうとう彼女がセドリックの元へ帰ることはなかった。
「それからというもの、兄は女の人を信用しなくなりました」
「結構キツイ話だな、そりゃ。初めてお兄さんに同情したよ」
「ビアンカさん、愛する人を捨て置いて違う人に付いていくなんて……本当に愛してたのかな。ねぇ、ルカはどう思う?」
ニノンが話を振ると、ルカは最後のぶどうジュースを飲みほしてサラに質問を投げかけた。
「サラさん、最初に言ってた壁のポスターっていうのは、ビアンカさんですか」
「ええ、フランスの商船に乗っていた有名な画家の方が、キャバレーの踊り子を専門に描いていたみたいで。ビアンカさんを描いたポスターを、兄が記念にと購入したんです」
それも今では兄に睨み付けられる為だけに貼られているのですが、とサラは気の毒そうに付け加えた。先ほどまで興味のない素振りを一貫してきたルカの瞳に、エンジムシを追いかけていた時のような欲の焔がともった。
「それ、見せてください」
「え? あの、でも、そのポスターは兄の部屋に――」
「だったらお兄さんに交渉してきます」
セドリックの悲劇の物語を聞いている最中は地蔵のように全く動かなかったルカが、問答無用で相手を気圧す様を目の当たりにし、アダムは大層驚いた。なんなんだろう、こいつのやる気スイッチが入るタイミングの分からなさは、と。
「ちょ、ちょい待てって。何でポスターにこだわる訳? そこ責めてもお兄さんに恋人ができる訳じゃあるまいし」
「――その、ポスターを描いた画家」
「うん?」
「すごく有名な人かも。だったら一度この目で見てみたい」
それ、完全に個人的な欲求なんですが。アダムが心の中で突っ込みを入れたところで瑠璃色の瞳にともる青い焔は一向に衰える様子を見せなかった。
「私もルカに付いてく」
「は? お前まで何言い出しちゃってんだよ。そんなポスターのどこに解決の糸口があるっての」
「勘」
ニノンはすっぱりと言い切った。どうやら二人が今から再びあの強面を拝みに行く気満々らしい事にアダムは額を抑えた。
空っぽになったグラスがウェイターによって片づけられたのを合図に、苦労して逃げ遂せたのに自ら捕まりに行くほど俺は馬鹿じゃないぞと言い残してアダムは席を立った。
「アダム、どこ行くの?」
「ちょっと情報収集にな。俺はあんな恐いシェフにのこのこ会いに行って報復されるのはごめんだぜ」
そう言い捨てると右手でひらひらと手を振ってお店を後にした。
「サラちゃん、ぶどうジュースのお礼にお兄さんのトラウマきっちり克服させてもらうぜ」
最後にそんな捨て台詞を吐いて。
3
その衝撃は突如としてルカの体を襲った。目前に鬼のような形相が迫っている。
「さっき払わなかった代金三人分、きっちり耳揃えてきたんだろうなァ、ええ?」
筋骨隆々の腕で胸ぐらを捕まれれば、同年代に比べて小柄なルカの体はいとも容易く宙に浮き上がった。
「ま、待ってください……話があるんです、セドリックさん」
「どうして俺の名前を」
セドリックは腕の力を緩めその小さな体を解放した。すかさずニノンは駆け寄り、苦しそうにむせ込むルカの背中をさすってやる。
レストランはピーク時を乗り切り、扉には『CLOSED』の看板が掛けられていた。本日の夜間営業が材料切れにより休業になったからだ。従業員たちは制服を脱ぎ捨て、舞い込んできた午後のフリータイムの使い道を思い思いに考えながら帰路に着いていた。
がらんとした店内にはルカとニノン、そしてセドリックしかいない。
「あなたのお部屋に飾ってあるポスターを見せてほしいの」
「――誰から聞いた」
セドリックの怪物のような腕がニノンに伸びる。その時、騒々しい音を立てて店の扉が開かれた。
「兄さん、私が話したのよ」
「サラ! 余計な事を。乞食の女にまんまと引っかかった間抜けな兄貴を笑いにきたのか?」
「お願い兄さん、この人たちにポスターを見せてあげて」
それは悲痛な叫び声にも聞こえた。どうしてそこまでして、そんな反論がセドリックの表情に現れていたのだろう。サラは返答を待たずに続けた。
「こんなに真剣に話を聞いてくれた人たちは初めてなの。きっと何か変わるんじゃないかって――そんな気がして」
店内がしんと静まり返った。時計の秒針がコチコチと時を刻む音だけが響く。しばらくの沈黙の後、セドリックは苦虫を噛み潰したような顔をして、「ついて来い」とぶっきらぼうに言い放った。ルカとニノンは顔を見合わせ、ほっと一息ついた。そして、サラが店に来てくれて本当に良かった、と思ったのだった。
セドリックの部屋はレストランの上階に設けられていた。幅の狭い階段を上りきるとそこには申し訳程度の廊下と、廊下に面した五つの扉があった。部屋はみな同じ大きさで、他の四部屋は住込みの従業員に割り当てられているという。
「おじさんはどうしてあの大きい豪邸に住まないの?」
豪邸の部屋数からして空きが無いわけではないのに、わざわざ六、七畳ほどの古めかしい部屋に住む必要があるだろうか。
「人の勝手だろうが。慣れれば過ごしやすい広さだ」
開かれた扉の向こう、目的のポスターはすぐに目に飛び込んできた。ルカは思わずベッド脇に駆け寄った。
「やっぱり――ボードレールだ」
非常に劣化の進んだそのポスターは、剥き出しの状態で四隅を画鋲により留めらていた。画の中央には深いブラウンのドレスを身に纏った女性が振り向きざまに妖美な微笑みを称えている。
しかし全体的にもの暗く、傷んでいるのが一目で分かった。でこぼこと波打った版画用紙、色褪せた色彩、そしてひび割れの目立つ素肌の部分に乗せられた絵具。煌びやかで艶めかしいはずのキャバレーの女からは、どこか寂びれた物悲しい印象を受ける。
「ボードレールって?」
ポスターを眺めるルカにニノンが尋ねる。
「有名な画家だよ。キャバレーで働く女性を描いたポスター画を多く手掛けてる。まさか本物をこの目で見られるなんて」
しかし、とルカは眉根を寄せた。他の絵画と違って額縁に収めることのないポスター画は、傷みやすい運命を背負ってはいる。このポスターはそんな事情を差し引いても些か損傷が酷いように思えた。
「そんなに気に入ったなら持ってけや。俺には必要のねぇ代物だからな」
「そういう訳にはいきません」
ルカは間髪入れずに断りを入れ、だけど、と続ける。
「もし良ければ、俺にこのポスターを修復させてもらえませんか」
「修復ったって、もう捨てようと思ってたモンだ。いらねぇよ。第一このポスターにそんな義理はねェ」
セドリックがポスターの画鋲を抜こうとした時、少女の凛とした声が室内に響いた。
「じゃあどうしてずっと部屋に貼ってあったの?」
「それは、」
セドリックは言葉を詰まらせる。
「せっかく買ったモンだし、剥がすのも面倒だったから――捨てなかっただけだ」
「違うよ」
たじろぐセドリックを二ノンはばっさりと切り捨てた。
「おじさんは捨てなかったんじゃない、捨てられなかったんだよ」
「お前に何が分かるってんだ、ええ?」
ニノンは自身に被さる影をものともせず、己よりも遥かに背の高い大男をきっと睨み付けた。
「分かるよ。だってそのポスターから聞こえるんだもん。『捨てないで』、『私を見て』って。おじさんもそんな視線を感じていたんでしょう?」
そうしてニノンはポスターの中のビアンカに優しい眼差しを向け「ルカがなんとかしてくれるから、大丈夫だよ」と語りかけた。
一同は騒然とその様子を見つめていた。絵画が何かを語るはずがない。だけれども、何故かニノンの言葉には説得力がある。まるで絵画と対話をしているようだ。信じられないことだが、彼女を介して物言わぬ静止のビアンカの叫びが確かに聞こえたような気がした。
沈黙を破ったのはルカだった。
「そういう訳で、修復を任せてはもらえませんか? 必ず本来の姿に戻してみせます」
セドリックはポスターの中の女性を見つめた。
――なんの断りも無く自分を捨てた女。
――そして、かつて自分が愛した女。
あの頃の自分は彼女を幸せに出来ていただろうか。色褪せたポスターのビアンカに、舞台で輝けず一人傷付いていた頃の彼女が重なった。セドリックはポスターから目を外し、ルカの前で頭を下げた。
「頼む。こいつを綺麗な姿に戻してやってくれ」
「確かにご依頼、承りました」
ルカも胸に手を当て小さくお辞儀をした。その様子を見届けて、ニノンとサラは顔を見合わせにこりと微笑んだ。
絵具や洗浄液などで酷く汚れた黒地のエプロンを手馴れた手付きで身に着けると、ルカは邪魔にならないように両袖をぐいっとまくし上げた。レストランから拝借した大きな机の上に布を被せ、丁寧にボードレールのポスターを横たえる。
そして、深く深呼吸を一つ。ルカは頭を下げ「宜しくお願いします」と挨拶をした。道野家は代々続く修復の家系だった。独自の修復方法や道具など、あらゆる技術は後世に受け継がれる。そして、日本流のこのあいさつもそれらのうちの一つ、曽祖父から受け継がれる修復作業の合図だった。
リュックの中から取り出され机に並べられた道具の中から大きな筆をルカの右手が掴み取る。空気を存分に含んだ柔らかな毛先を使い、表面のホコリを取り払ってゆく。
「二ノン、そこの大瓶取って」
「はい。これ何?」
「ふのりだよ」
ふのりを煮詰めて作るゲル状の液体は僅かに黄ばんだ透明色をしている。道野家が代々愛用してきた糊だ。そしてそれは曾祖父の故郷《日本》に根付く伝統的な技術でもある。
先の細い筆にたっぷりとふのりをつけると、それをビアンカのバリバリに割れてしまった肌の隙間へと滑らせた。枯れた素肌はあっという間に溝が埋められ、艶やかな若い女性のそれを取り戻してゆく。
次にルカは持ち手のついた小さな機械を手に取ると、ポスターの上を流れるように浮かせてなぞった。温かい蒸気が辺り一帯をじんわりと蒸らしていく。
「す、凄いわ。あんなにでこぼこしていたポスターが、自ら真っ直ぐに……!」
サラが感嘆の言葉を漏らした。版画紙がぴしりと姿勢を正して伸びゆく様はまるで奇術そのものだった。
一同が呆気にとられている間にもルカは作業の手を止めない。今度はポスターの表面を幾らかメスで削り取り、先程よりも大きな機械を使って何やら作業をし始めた。時折「へぇ」やら「なるほど」などの独り言が呟かれるのを、サラ達は訳も分からぬまま見守るしかなかった。
ほどなくしてルカはがばりと顔を上げた。何事か、とニノンがルカを見やると、その瞳は驚きと少しの興奮に円く見開かれていた。
「貰ってきてほしいものがあるんだ」
「何を貰って来れば良いの?」
「カフェでぶどうの皮を――それも、たくさん」
「皮? お腹減ってるなら食べられるもの丸ごと買ってくるけど……」
意外なリクエストに冗談を込めてニノンが返すと、ルカは首を横に振って、皮だけで良いんだ、と繰り返した。
まるで自身の身体に天才画家ボードレールの魂が乗り移ったかのように、ルカには彼の意志が画上に鮮明に見えた。
彼の描きたかったもの。
彼女が描いてほしかったもの。
ボードレールが十年前にポルトヴェッキオのしがないキャバレーで見た光景を、一抹の夢を追いかける情熱的な女性を蘇らせる為に必要不可欠なもの。
「それがあれば、修復は完了だ」
「一つ聞いて良いか」
薬剤を染み込ませた麺棒でポスターの表面を撫でるように汚れを取っているルカに、セドリックがぽつりと言葉をかけた。サラもニノンも部屋を出て行ったきりだったので、反応を示す者はいない。
「どうして見ず知らずの俺の為にこんな面倒な事をするんだ」
くるりくるりと表面を踊る麺棒の動きは止まらない。そこから目線を外さずにルカは答えた。
「別にセドリックさんの為じゃないです」
「猪口才な。俺は人間ってぇのは何か裏のある生きモンだと思ってんだ」
「確かに。正直言うと、これはお昼の食事代の代わりです」
「フン、やっぱりな」
腕を組んでむくれるセドリックを見て、ルカはくすりと笑みを零した。
「嘘です。それも半分ありますけど」
「だったら残り半分はなんだってんだ」
セドリックの鋭い目つきに対してルカは、それじゃあ聞きますが、と前置いた。
「セドリックさんはどうしてビアンカさんを助けたんです」
その言葉にセドリックは押し黙った。この男は容姿とはまるで正反対の中身をしているのだな、とルカは思った。
「このポスターの為ですよ。だって俺は――」
クリーニングされ本来の輝きを取り戻しつつあるビアンカが、ポスターの中から色めいた視線を放つ。その右手に握られたオリジナルラベルのボトルも今や汚れが取り払われ、ラベルの文字までがくっきりと読めるほどに鮮明に蘇っていた。
「ただいま! たっくさん貰ってきたよ」
その時、騒々しい音を立ててニノンたちが戻ってきた。彼女たちに続いてオレンジ色の髪の毛もひょっこりと現れる。
「ルカ、お前陰気くせぇ恰好で地味に何をやってんだよ」
「また失礼なこと言ってる! 修復してるんだよ、ポスターの」
ルカの代わりにニノンが応戦する。どうやら街中をふらふらしていたアダムをとっ捕まえて、重たい荷物運びを任せたようだ。
「絵画修復って今はもうほとんど誰もやってないって聞いてたけど、まさかお前、修復家なの」
「修復家というか、この前まで見習いだったんだけど」
それより運んできたぶどうの皮を早くよこせとばかりにルカはアダムに皮の入った袋を机に置くよう促した。用意された白いボウルの上で膨大なぶどうの皮をひたすら絞り込んでゆく。それを見ていたニノンが、サラが、そしてアダムやセドリックまでもが傍らに集まり無心で皮を絞った。
紫色の液体はあっという間にボウル一杯になった。
ルカは軽く息を整えた。ここからは寸分の乱れも許されない。ずり落ちてきた両袖を再度まくり上げる。そして、光太郎から譲り受けた竹の柄の筆を握った。ちゃぽり、と音を立てて筆先を紫色の液体に沈ませると、ルカは一気に動き出した。
「…………!」
傲慢さなど一欠けらもない。だけど躊躇もない――そんな筆さばきが画上を踊る。ビアンカを包み込むブラウンのドレスに色が舞い戻ってゆく。深みのある妖艶なヴァイオレットが画面に返り咲いた。
あまりにも無駄のない華麗な動きに一同は魅了された。
そこにいたのは紛れもなく、ボードレールそのものだったのだ。
最後の一筆を終え、ルカは静かに竹の柄から指を離した。そして、始まりと同じ深い一礼をポスターに向けた。
「修復完了です。ありがとうございました」
「すげぇ、まるで違う作品みたいだ」
「ビアンカさん、綺麗……」
そこには彼女の本来の姿が映し出されていた。陶器のような滑らかな素肌に、上気した薔薇色の頬。誘う真っ赤なリップや挑発的な微笑みは、まるでそこに今でも彼女が生きているかのような錯覚を起させた。そして、何よりも違ったものは。
「こんなに美しい紫色のドレスを着ていたのね」
サラはうっとりと呟いた。それはぶどう色の美しいロングドレスだった。
「ボードレールは普段ポスターには普通の油絵具を使う。油絵具はあまり劣化しないんだ。この絵は比較的新しい物なのに、傷みが激しいからおかしいなと思って」
「どうして傷みが激しかったの?」
ニノンの問いに、ルカは先ほど皆で絞ったぶどうの汁を示して見せた。
「ドレスの表面からアントシアニンが検出されたんだ」
「あんとしあにん?」
それはぶどうの皮等に含まれる紫色の色素の名称であった。空気中に触れることで徐々に蝕まれ、茶色く濁った色になる。説明を聞いても頭上に疑問符を浮かべ続けるニノンに「つまり、元々傷みやすい素材を使ってたってことだよ」と簡略的に答えた。
「でも、わざわざそんな素材を使ったのは何でなんだろうな」
アダムの素朴な疑問に答える代わりに、ルカは修復を終えたポスターを手に、呆然としているセドリックにそれを掲げて見せた。
「ボードレールは、キャバレーという、世の中から見れば決して良くは思われない場所で働く女性の秘めた輝きを見つけるのが上手だったんです」
滑稽だと笑われる時もあっただろう。だけど日が暮れ夜に包まれた世界で、そこは彼女達のメインステージとなった。一度扉を開けば煌びやかなライトに彩られた世界は男たちを魅了し、一夜の夢に現実は姿を消す。光を浴びるために、狭い世界で必死になった。そんな彼女たちの生き様を、ボードレールはポスターに描き留めたのだ。
ぶどうの皮を使ったのも、ポルトヴェッキオのキャバレーでしきりに美味い酒を呑んだ思い出を形にして残したかった為だろう。ビアンカに酒とぶどうの紫は良く似合った。
「この辺りでは店々でオリジナルのぶどう酒を出すと聞きました。キャバレーでは高級酒を扱ってるとばかり思ってましたが」
セドリックははっと目を見開いて、ルカからポスターを奪い取り、画面を凝視した。ビアンカの持つワインボトルのラベルには、確かにセドリックが働く店の名前が記されている。
どうして、とセドリックは呟いた。こんな大衆レストランの作るワインを、キャバレーが仕入れるはずがない。
「絵画にはその人の本来の姿が現れます」
二人の間にあったのは偽りでも何でもない。紛れもない愛に違いなかったというのに。
「俺は……どうすれば良いんだ。捨てられたんだぞ、あの女に! 恰好の悪い最低な男じゃねぇか。愛してたならどうして――何故行っちまったんだ、ビアンカ」
皮の分厚い人差し指がビアンカの頬を撫でた。
「ビアンカさんに罪悪感が無かったとでも思ってるの、おじさん?」
静まり返った部屋にニノンの鋭く尖った言葉が響いた。
「おじさんと一緒に過ごす日々は幸せだったけど、それを捨ててまで叶えたかった夢があったんだよ。おじさんも気付いてたんでしょ? いつか自分の元から居なくなる日が来るってこと」
「恋人を捨ててまで叶えたかった夢――やっぱり、愛してなかったんだよ、そんな理由で捨てられるってことは」
「人生は一度きりしかないんだよ!」
ニノンの剣幕に、セドリックはおろかルカたちも彼女を凝視した。ニノンの口から突いて出る言葉には意志がある。ポスターに宿ったビアンカの意志が。
「辛い選択をして、夢に向かって歩いていく決意をした人を、いつまでも疑ってうじうじして。そんなことしてる方がよっぽど格好悪いよ」
ニノンの、ビアンカの言葉が胸に突き刺さる。セドリックはずるずると床に崩れ落ちた。最愛の人、ビアンカの、悩める胸中に気が付けなかった自分が情けなくて仕方ない。肩を落とすセドリックの傍まで近づいたニノンは、目線を合わすようにしゃがむと、優しい声色でやんわりと語りかけた。
「ビアンカさんが何も言わずにフランスに行っちゃったのは、おじさんに期待を持たせない為だったんだよ。嫌いになった方が吹っ切れるって、思ったんじゃないかな」
セドリックは二人で過ごした楽しかった日々を思い出した。
勝ち気で自信家な彼女の振る舞いは、時に高飛車で傲慢な印象を持たれ兼ねない。しかしセドリックは、ビアンカがその心の裏に優しさと不器用な気遣いを備え持っていることをちゃんと分かっていた。いや、分かっているつもりだった。
「おい、おっさん。聞いて喜べ」
影を落とすセドリックの耳に聞こえたのは、自信に満ち溢れたアダムの声。
「ビアンカさんは今、パリで一番有名なキャバレーで人気の踊り子になってるそうだぜ」
そうして「良かったじゃねえか」と笑った。遠い地で彼女はしっかりと己の信念を貫き、夢を叶えていたのだ。
「それを聞きに色んなお店をほっつき歩いてたの?」
「ほっつき歩いてたって、失礼な。れっきとした『調査』だよ『調査』」
「私たちに出会った時町の女の人に連絡先聞いてたのも『調査』?」
「お前、そんなとこまで聞いてたのかよ! ちょっとは俺の成果を褒めろよ」
そんな賑やかなやり取りに、セドリックはふっと笑いを漏らした。
「確かによォ、終わったことでうじうじしすぎたな、俺は。行っちまった女今更引きずって、ちゃんちゃらおかしいぜ」
「兄さん……!」
涙ぐむ兄妹をにこやかに眺めていたルカの元へ、ニノンとアダムがそっとやってきた。
「どうやら絵画だけじゃなくて、あいつらのことも修復しちまったみたいだな」
「俺が修復したのは絵画だけだよ」
そう言ってニノンに目線を送った。恥ずかしげに頬を掻く少女の不思議な言動には疑問が残るが、今は一件落着したのだ。昼食代もクリアしたことだし、難しい話は後回しにしよう。
「皆さん本当に、本当にありがとうございます、何とお礼を言ってよいのやら」
「良いって良いって。サラちゃんが笑顔になったんだから」
安い言葉にまんざらでもなく頬を染めるサラを見て、ニノンは彼女の恋愛事情についても少々不安を募らせた。
「ポスター修復をかって出てくれて本当にありがとな」
「そのポスター、これからどうするんですか」
輝きを取り戻したボードレールの秀作『ビアンカ』を眺めるルカとセドリック。もはや寂れた物悲しさなど微塵も感じさせないような華やかな画だ。
「AEP発電所に送ってやるんだ」
「そう、ですか」
〈AEP発電所〉とは、AEP――Art Explosive Power、つまり絵画を還元して作られるエネルギーを発電する場所のことだ。近年のほぼすべての画家はエネルギー還元の為に絵画を描く。まれに存在する絵画修復家は、過去に描かれたエネルギー還元の高そうな絵画を、より還元率が高くなるように修復するのだ。
「こんな狭っ苦しい部屋に貼られてたかだか一人の男に見つめられるより、こいつなら世界に評価される方が嬉しいだろうからな」
なるほど、とルカは頷いた。この世には様々な考えが溢れかえっているはずで、己の意志を貫くならば、そのどれもが正しいのだろう。
そしてセドリックの判断は、本人にとっても、絵画にとっても正しい選択なのだろうとルカは思った。
「もう行っちまうのか」
当初は鬼の形相だったセドリックの表情は今や生まれ変わった様に柔和で、その笑顔は父親にそっくりだった。
「ポルトヴェッキオでの用事も済んだので」
「おじさん、きっとまた素敵な出会いがあるよ。頑張ってね」
「サラちゃんとお別れになるのは寂しいけどな」
「アダムさん、皆さんも、どうかお元気で……」
日の暮れかかった空は明るいオレンジ色から徐々に闇色が混じり始めていた。ヨットハーバーに留まる無数の船の穂先が影絵のように連なって、寂しげに映る。
「そういえば、さっき言い忘れてたんですが」
ルカはセドリックに向き直った。どうして見ず知らずの他人をそこまで助けようとするのか。ルカは手助けをしたつもりなど毛頭なかった。
「傷ついた絵画がそこにあったから修復した。それだけです。――これでも修復家の端くれなので」
セドリックは揺るがない信念が瑠璃色の瞳に映り込むのを見た。こいつはいつか何かを成し遂げる。そんな予感を感じさせた。
ルカはそんな蒼穹をまぶたで閉じ、彼らを背に歩き出した。
「おい、今度この町来た時ァ腹いっぱい俺の店で食ってけや! 食い逃げなんざ企まなくても、いくらでもタダで食わしてやらァ」
「とか言って、またあんな恐ぇ顔で追いかけてこないでくれよ?」
「てめぇは別だ!」
「なんでだよ!」
別れは賑やかな方が良い。きっと彼らはこれから自分の道を歩いていくだろう。少し先の再会を、早くも楽しみに思うルカ達だった。
「さ、行こうぜ」
「……ん?」
日が暮れちまうだろ、と急かすアダムに違和感を覚えてルカははた、と立ち止まる。
「いやいや、なんでアダムも付いてくるの」
「はっ、確かに。アダムは私たちと関係ない人だったね」
「そんな寂しい事言うなよ。なぁ、ルカ?」
馴れ馴れしく肩を組んでくるアダムの顔には何かを企んだような卑しい笑顔がへばりついている。馬鹿らしい言い合いを避けたいルカは、やんわり組まれた腕をほどいて断った。
「分かった。交渉しよう。次の町まで同行させてくれよ」
「お家があるなら帰りなよ、お父さんお母さんが心配する前にさ」
「違うっつーの。俺は旅人なの!」
ニノンは驚き、それ以上反論する言葉が見つからないようだった。
「良い条件だと思うぜ。だってもう二度とあんなオンボロバスに乗りたくないだろ?」
その通りだった。ルカはこの後に待ち受ける地獄の再来に密かに恐怖していた。焦らすアダムに眉根を寄せて視線を投げかける。
するとアダムはポケットからチャリンと音を鳴らして細長い鍵を取り出した。
「俺、車持ってるんだよね」
「のった」
「ええ!」
ルカの回答は即答だった。背に腹は代えられないといったところだろう。絶叫アトラクションにも引けを取らない醜悪な公共交通機関を人知れず楽しんでいたニノンにとっては残念な締結だった。
「で、どこに向かうわけ」
「とりあえずレヴィに戻る。父さんに報告しなきゃ」
「はいはいあの山のふもとのド田舎村ね。了解っと。言っとくけど俺の運転、すっげぇ快適だから。寝るなよお前ら」
「寝ちゃだめなのは、アダムが寂しがり屋だから?」
「おい、あんま調子乗ってっと乗せねーぞ」
賑やかな会話を引き連れて、一行はアルタロッカ地方、ルカの故郷レヴィを目指す。
1
その日は珍しく小雨の降りしきる、どんよりとした空模様だった。
ずいぶんと肌寒く感じるのは、止まない雨が気温を下げているせいでもあるし、その少女の頭をすっぽりと覆う真っ赤なフードがぐっしょりと雨に濡れてしまっているせいでもあった。
少女はその場にしゃがみ込んだまま重たい首をもたげた。石でできた様々な形をした十字架の群れが見渡す限り広がっている。その他に建造物や連なる山脈は見えない。あるのは広大な墓地を覆い尽くすようにして立ち込める灰色の雲だけである。少女は目の前に佇む大きな石造りの十字架を見上げた。周りのシンプルなものとは違って中央に大きなラピスラズリが埋め込まれている。助けを求めるようにその宝石を見つめたが、返ってくるのは降り注ぐ小雨が地面を打ち付ける音だけだ。
ここではない何処かへ行ってしまいたい――フードから染みてきた雨水がまるで涙のように頬を伝う。心の中が寒くて凍え死んでしまいそうだった。
『二ノン。やっぱりここにいた』
いつの間にやって来たのか、ふと幼い少年の声が少女にかけられた。
『風邪ひいちゃうよ。それに、ダニエラさんに怒られる』
少年は少女の冷えきった手を掴むと墓地を出口へと歩き出した。
『手、つめたいし』
たまらずに少年は呟いた。少女は指の先のじんわりとした温もりを感じて、思い出した。悲しい時はいつだって、自分を励ましてくれる人がいたということを。
『ありがとう、――の手はいつもあったかいね』
『家へ帰ろう、皆が心配してる』
気がつけばすっかり寒さも薄らいで、雨が降っていることも全く気にならなくなっていた。この温もりは自分にとってとても大切なものなのだ、と少女は思った。それなのに、手を引く少年の顔は黒く塗りつぶされている。つい先ほど聞いたはずなのに彼の声がどんなものだったのか思い出すことができない。
『ねぇ、君の名前って――』
「…………!」
びくりと体を揺らして起き上がった二ノンに気がついて、ルカはちらりと後部座席を見た。辺りを見渡す二ノンは夢見が悪かったのかびっしょりと汗をかいている様だった。
「で、ルカは見ず知らずの記憶喪失少女をかくまってやってる訳か。そんな物語みたいな話あるか? お前、騙されてるんじゃねぇの?」
途中から聞きかじった話だが、どうやら自分の悪口を言われている事に気がついた二ノンは、目の前のヘッドシートを激しく揺すった。
「おい、バカやめろ! いつの間に起きた!」
「たった今!」
日もすっかり暮れた頃、一行はアダムの所有する紅色のビートルという車に揺られながら山道を走っていた。紅色と言ってもかなり乗り古されたボディは所々剥げており、砂や埃にまみれてぼやけた色合いになってしまっていた。内装もずいぶん古くシートの皮が擦り切れそうになっていたが、ルカは行きのバスの乗り心地を思い出し、なんて快適な旅だろうと思った。そして、隣でハンドルを握るアダムに初めて感謝の念を抱いた。
「将来バスの運転手になれば良いのに」
「同じ道を行ったり来たりの人生なんてごめんだね」
アダムはルカより三つ年上で、身長もルカより頭一つ分以上は高い、顔立ちの整った少年だった。
コルシカ島の北西に位置する〈カルヴィ〉という港町で育った事や、弟妹が七人もいるという事、そして今は愛車のビートルと共に村々を回って旅をしている事などを、アダムは二ノンが寝息を立てはじめてからもルカに聞かせていた。
そんな彼の身の上話を聞いている内に、ルカはアダムが意外とまともな人間なのかもしれないなと感じ始めていた。
「それに、どうせ見るならでかい夢の方がいい」
「アダムの夢ってなに?」
二ノンが二つのヘッドシートの間から頭を突き出して尋ねた。
「あ、俺の夢? まぁ強いて言うなら――」
「!」
その時、ヘッドライトが暗がりの道の先で人影を捉えた。アダムはとっさにブレーキペダルを踏み込む。タイヤがもの凄い勢いで地面と摩擦を起こし、キキィ、と耳をつんざくような鋭い摩擦音を山道に響かせた。
急停車の反動で前につんのめった三人は、しかし、それ以上に残酷な衝撃を受けずにすんだ。
「あっ、ぶね……」
突然の事態に固くつむった目を薄っすらと開けば、その人影は健在で、両手を大の字に広げた格好でヘッドライトに照らし出されていた。少年が歯を食いしばってこちらをぎっと睨んでいる。しかし、ルカが目を見張ったのはその少年があまりにも恐ろしい形相をしていたからだけではない。上にひん曲がった山形の鼻を、幾度となく目にしたことがあったからだ。
「ダミアン……?」
ルカはドアを開けて外に飛び出した。
「どうしてこんなことを――何かあったのか?」
ところがダミアンは握りこぶしをぶるぶると震わせて、質問に答える代わりにルカの左頬を思いきり殴った。地面に倒れ込んだルカに、ダミアンは容赦なく覆い被さった。
「おい、何やってんだよ、やめろって!」
運転席から飛び出したアダムは、もう一発殴ろうと振りかぶったダミアンの右手を掴んでルカから引っぺがした。
「やっぱりお前とかかわるとろくなことがない! さっさとレヴィから出てっちまえ!」
「暴れるなって、おい」
殴られた左頬は既に腫れていて、触るとじんじんと痛みが広がった。
アダムに両腕を拘束されながらも必死に足をバタつかせ、罵倒を繰り返すダミアン。彼の様子がおかしいのは明白だった。
「ダミアン、一体何が……」
言いかけたルカの言葉を呑み込むように「だから、」とダミアンは声を張り上げた。
「マリーが誘拐されたんだよ!」
「何だって?」
「お前を探してる連中がっ、マリーを人質として誘拐したんだよ!」
――誰が?
――何のために?
――どうしてマリーを?
様々な疑問と共に、昨日交わしたマリーとの会話や、丘の上で見た彼女の笑顔が脳裏をよぎる。ルカは全身の血の気が引いていくのを感じた。
2
ビートルはその車体を荒々しく揺らしながら猛スピードで山道を駆け抜けていた。フロントガラスにバチバチと雨粒がぶつかり始めた。山の天気は変わりやすいのだ。
ルカの後ろに位置する後部座席で、むすりとした顔のままダミアンは話しはじめた。
「今日の夕方、マリーが俺の家にお使いに来た時のことだよ。帰りがけにあいつがお前ん家に寄るって言ってたから、後ろを着いてったんだ。そうしたらさ」
ダミアンはまたも拳を握りしめた。行き場のない怒りがぶるぶるとその手を震えさせる。
「そうしたら?」
二ノンが優しく聞き返す。促されたダミアンは、言葉を詰まらせながらも話を続けた。
「黒いマントの男が突然やってきて、マリーをさらったんだ。不気味な白い仮面を付けてたから顔までは分からなかったけど、マリーより背は高かった――ちょうど運転してるアンタくらいさ。そいつは『ミチノルカを探している』って言ったんだ。それと、マリーとルカが一緒にいるところも見たって。だからマリーはさらわれたんだ……お前をおびき寄せる人質として!」
「不気味な白い仮面だって?」
声を上げたのはアダムだった。驚きにハンドルが滑ったのか、車体がいっそう激しく揺れた。
「何か心当たりが?」
ルカが尋ねる。
「そいつはきっと『ベニスの仮面』さ」
「ベニスの仮面?」
今度はダミアンが聞き返す。アダムは頷き、こう続けた。
「絵画を狙う怪盗集団だよ。各地を旅してるとさ、たまに絵画が盗難にあったって話を耳にすることがある。そんな時はいつも目撃証言に黒いマントと不気味な仮面があがるってわけ。だから、巷ではそいつらのことを『ベニスの仮面』って呼んでる」
地球に埋蔵されるエネルギーが枯渇するなど、遠い未来の様に感じられていた昔のこと。イタリア、水の都〈ヴェネチア〉では町中が仮面を付けた人々で溢れかえる日があった。謝肉祭だ。時は過ぎヴェネチアで祭りが開かれなくなった今でも、そのお祭りに使われていた仮面は『ベニスの仮面』としてコルシカのとある町で売られているのである。
「ルカん家は修復家だったよな。ってことは修復途中の絵画が狙われたのか?」
そんなはずはない。光太郎が修復した絵画はコルマンから依頼を受けたものが最後のはずだ、とルカは首をかしげた。
「それにしたって変だな」
「何が変なの?」
スピードを落とさないままハンドルが切られた。四人の体が遠心力に持って行かれそうになる。レヴィに差し掛かる最後の急カーブが、雨の打ち付けるフロントガラスの先に現れた。
「俺が聞いた話だと、ベニスの仮面は絵画をエネルギーに還元する気のない、物好きな所有者のところから盗みをはたらくらしい。修復に出すってことは発電所に送る気があるってことだろ? そんな家が盗みに入られたなんて、聞いたことねぇけどな」
「ねぇアダム、そのエネルギーとか発電所って何なの? 絵画とどう関係あるの?」
二ノンが質問をぶつけ終わったところでビートルは急停車した。ヘッドライトが『レヴィ』と書かれた木製の看板を照らし出している。
「悪ぃが、質問の解答は後回しだぜ」
車が停車したのとほぼ同時に、ルカとダミアンは飛び出した。強くなる雨足が不吉な予感をあおり立てている様だった。ぬかるんだ地面を気にもとめずに全速力で駆けてゆく二人の後を、アダムと二ノンも追う。
「きっとあの不気味な仮面野郎は、お前の家にいる!」
全身びしょ濡れになりながらダミアンが叫んだ。
雨でへばりつく前髪をどかしながら、ルカは降りしきる雨をものともせず走る。村の外れに丸太小屋が建っていることを、こんなにもわずらわしく思ったのは初めてだった。
やがて見えてきた丘の上の丸太小屋には灯りが灯っていて、ルカはその灯りを目にした時、父の存在を思い出した。
――父さんは無事だろうか。
――なぜ相手はミチノルカを探していたのか。
溢れ出す疑問を胸に、ルカはバタン! とけたたましい音を立ててドアを開けた。
「マリー!」と、叫びながらダミアンもその後に続いた。
その瞬間、ルカの足は思わずすくんだ。わずかに漂う鉄のにおい。床に転がる一人の男。得体の知れない恐怖が喉元をせり上がってくる。
「――父さん!」
ルカは床にうずくまる光太郎に駆け寄った。四肢を折り曲げ、苦しそうに表情を歪めている。そのこめかみには脂汗が玉のようにいくつも吹き出している。見ると、光太郎が右手で抑えている腹部から鮮やかな赤色の液体が滲み出ていた。
「父さん、父さん、しっかり!」
必死に声を掛けると、光太郎は腹が痛むのかわずかに呻き声を上げた。
「こう……う……」
「え? 父さん?」
僅かに空いた口から吐かれる言葉を必死に聞き取ろうと、ルカは口元に耳を寄せた。
「工房に、行くんだ……マリーが……」
その時、息を切らせてアダムと二ノンもずぶ濡れになりながら小屋へやって来た。
「おっさん、大丈夫か!」
床に転がる光太郎に気が付いたアダムはとっさに側に駆け寄った。
「アダム、二ノン。父さんの手当てを頼む」
「ルカはどうするの?」
その言葉に、ルカとダミアンは示し合わせた様に頷いた。
「工房に――マリーを救出しに行く」
二人は再び小屋を飛び出した。もはや一刻の猶予も許されない。ルカは雨にさらされながら、マリーの無事を祈るほかなかった。
3
「マリー! 無事か!」
ダミアンは勢いよく工房の扉を開け放った。丸太小屋と同じくらいの大きさを有する工房は作業部屋と保管部屋の二つにわかれていて、入り口に通じているのは作業部屋の方だ。部屋の大半を占める大きな作業台には筆や瓶が散らばっている。
その作業台の下で、見慣れた茶色い毛並みの犬がぐったりと倒れているのを見つけたルカは「レオ!」と叫び駆け寄った。
ハァハァと肩で息をしているレオは、力の入らない体を主人に預け、それでも僅かに短いしっぽを振ってみせた。
「レオ……ゆっくり休んでな」
そうしてルカは小さな頭を優しく撫でてやった。ほどなくして静かに立ち上がると、奥の部屋に続く扉を見やる。光が漏れていることを確認した二人は、ごくりと生唾を飲み込んだ。そして、保管部屋への扉を勢いよく開けた。
「マリー!」
天井から吊るされた裸電球が倉庫のような部屋を照らし出す。その灯りのたもとに、マリーが両腕を後ろ手に縛られ状態で立たされている。口元は布で縛られ、喉奥からくぐもった呻き声が漏れる。ルカの姿を認めた瞬間、目一杯開かれた小さな瞳からぼろぼろとボタンの様な涙がこぼれ落ちた。痛々しい姿に、ルカとダミアンはぎゅうっと拳を握りしめた。
「道野琉海だ。その子を解放してくれ」
マリーの後ろに影のように佇んでいる不気味な仮面の男が、全身を包み込むほど長い漆黒のマントを揺らした。
「遅いよ……あんまり気長な方じゃないんだ、俺は」
「ンン、」
「おい、仮面野郎、マリーに手出すんじゃねぇ!」
ダミアンが憤怒した。
仮面の奥から発せられた男の声は意外にも若く、しかしどこか掠れた、抑揚のない冷めた声色をしていた。
「俺に用があるんじゃないのか」
「そう。ミチノルカ、お前に用がある」
「だったらマリーとダミアンは関係ないだろう」
しばらく間をあけて、仮面の男はマリーをぞんざいに放り投げた。芋虫の様に床を転がったマリーに駆け寄りダミアンは震える体を力強く抱きしめる。そして、その怒りを内包した瞳でぎっと男を睨み付けた。
「てめぇの仮面を引っぺがして、ぶん殴ってやる」
「お前らに用はない。邪魔だからさっさと出ていけ。それからこれを言うのは二回目だが――俺はあんまり気長な方じゃない」
目の部分がくり抜かれただけの真っ白な仮面が、左に数回、キリキリと奇怪にその顔を捻った。表情の見えない仮面は薄暗い部屋でぼうっと浮かんでいるように見える。まるで亡霊だ。ダミアンは前身がぞわぞわと粟立つのを感じた。
「ダミアン。マリーを頼むよ」
ダミアンは震えながら頷いた。そして、マリーを抱きしめながら這いずるようにして工房を出ていった。
外はいよいよ大降りで、窓を叩きつける雨音だけが響いている。保管部屋にある唯一の光源がひどく頼りなげに室内を照らし出していた。閉鎖的な空間が、目の前の仮面の男をいっそう不気味にみせる。
「単刀直入に言おう」
口火を切ったのは仮面の男だった。
「地下室の扉を開けろ」
「地下室……?」
心当たりのない要求に、ルカは訝しげにその男を見つめた。ルカの知っている道野家の敷地には広大な放牧場や麦畑、丸太小屋や工房があるだけで、地下室なんてものは存在しない。そもそもこの建物を建てたのは光太郎であって、ルカではない。聞く相手がおかしい。
タンタンと地面を踏み鳴らす音が忙しなく雨音に交じった。中々口を開かないルカに苛立たしさを募らせているのだ。
「地下室なんてものは知らない」
「知ってるか、知ってないか? ――そんな話をしてるんじゃない」
男は黒いマントを翻し部屋の隅にしゃがみ込んだ。使い古された紺色の絨毯を手荒くどかすと、手を揺らめかせながら床をなぞり始めた。そして次の瞬間、男は床に扮した扉をがばりと開いてみせた。砂埃が宙に舞う。ルカは思わず袖で口元を覆った。
「俺は『開けろ』と言ったんだ」
ルカは目を見張った。今までただの床だと思っていた所に突如出現した、正方形にくり抜かれた穴。薄暗闇の穴の中には地下へと続く石造りの階段が続いている。
――こんなものがどうしてここに?
驚きを隠せないルカの腕を乱暴に掴むと、男はマントの中に忍ばせていたエネルギー式のランプを掲げ、地下室へと下って行った。
階段の終わりには石板の様な扉が一つあるだけだった。周りは剥き出しの土の壁で、雨の影響か少し湿っている。灯りをともすランプも見当たらない。
「ただの石でできた扉に見えるだろう?」
古びた一枚岩の扉は、細工も何も施されていない簡素な造りであると言える。その右端に取り付けられた奇妙な機械以外は。
「五十年前に封印されたロストテクノロジーの類が、なぜこんな山奥の村にある?」
仮面の男は誰ともなしに呟いた。
――ロストテクノロジー? 何のことを言っているんだ。
ルカは顔をしかめた。箱型の機械の表面には雲母のようなプレートが張り付けられている。それも加工的な、四:三の綺麗に揃えられた長方形だ。確かにその小さな箱のようにも見える機械は石の扉や土壁からは浮いているように見える。どこかこの時代とはかけ離れた神秘性を帯びているのだ。
「コータローは役立たずだったが、あるいは役に立ったかもしれない。息子の名前を出せば簡単に情報を漏らすんだからな」
父の名前を耳にし、ルカは男の横顔を睨み付けた。そんなルカの視線をものともせずに、仮面の男はルカの右手を捻りあげた。
「いた……ッ」
ランプの光に照らされて、右手薬指にはめられた指輪がにぶく光る。
「これが『ベルナールの指輪』……」
「え?」
聞き返すルカの言葉はもう男の耳には入っていない様子だった。捻りあげたままの腕を乱暴に機械に近付けると、雲母のようなプレートに指輪をかざしてみせた。その途端、機械からは青白くまばゆい光が発せられ、その光は一瞬にして石の扉を駆け巡った。ルカが瞬き一つもしないうちにその光は消えおおせ、やがて辺りは元の暗闇に包まれた。
呆気にとられたまま動けないルカを尻目に男は石の扉に触れた。先程までびくともしなかったその扉は、少々力を込めて押すだけでいともたやすく開かれた。僅かな隙間から油のような臭いが漏れ出している。
ふらりと開かれた大穴の奥へ足を踏み出す男を見て、ルカは今だ、と思った。この石の扉を閉めてしまえば――。
「言っておくが俺は、怪盗『団』だ。一人じゃない。地上には他の仲間もいる……分かるよな?」
抑揚のない氷のような声が暗闇に木霊する。ルカは押し黙った。
「そう。良い子だ。さぁこっちに」
仮面の男は手招きをしながら、壁に設置されたスイッチを押した。天井から吊るされた、保管部屋と同じ大きさの裸電球がぼんやりと地下室を照らし出す。そこは地下にくり抜かれた洞窟の様な場所だった。ごつごつとした壁は何かで塗り固められているらしく、土がむき出しになっているようなことはない。湿度も温度もまるで感じない不思議な空間だった。小さな木製の机の下にはいくつかのブリキのバケツが転がっていて、上には何も置かれていない。ただその奥に、薄汚れた布に包まれた『何か』がある。
ルカは視線を中央に戻した。部屋の真ん中にぽつんと置かれた木製の椅子。それに向かい合うようにして置かれたイーゼルと、布のかけられたキャンバス。
なんて寂しい場所だろう、とルカは思った。そして同時に、地下室に充満する油の臭いの正体がイーゼルに乗せられた絵画から発せられていることに気が付く。
「あれが『白金の乙女』か?」
男はキャンバスに掛けられた布を鷲掴むと、脇へと投げ捨てた。そこに現れたのは一人の女性が描かれたキャンバスだった。肩に届かないほどのくせっ毛は栗色で、太陽の光を浴びた部分が少しオレンジ色に輝いている。すもも色の衣服を身に纏い、レモンの様に水々しい、弾けそうな笑顔をこちらに向けている。
道野マリア――ルカを産み落とした時、その命を代わりに失くした、光太郎の妻。
「これじゃない。どこだ? 絶対ここにあるはずだ。一体どこに――」
さまよう男の視線がある一点を見つけてはた、と止まった。マリアが描かれたキャンバスよりも一回りほど大きい、布に包まれた『何か』。男は吸い寄せられるようにしてそこに近付き、そっと薄汚れた布を取り払う。
「これは……」
古びたキャンバスは半分以上が欠落していた。正確に言えば切断されていた。天使のような白いシルクのローブに身を包んだ少女の、微笑んだ口元が描かれている。しかしそれ以上の情報は、この不完全なキャンバスからは読み取ることができない。
男はその歪な絵画を再び布で包み直すと、防水用の袋に丁寧に仕舞い込み、仮面の奥から不敵な笑い声を漏らした。
「まぁ良い。これで白金の乙女は手に入った。あとは、」
男はマントの中から同じ闇色のグローブをはめた指でルカを指差した。
「右手に光る『ベルナールの指輪』をいただこう」
「!」
ルカはとっさに左手で指輪を覆い隠すように右手を握りこんだ。仮面の奥の表情が見えないせいで、徐々にルカの心に焦りが積もる。
「ああ、分かった。従う。でもそれは、地上で皆が無事かどうか確かめてからだ」
「俺たちは抵抗しない相手には手をあげない」
「アンタの言葉は信用できない」
父を刺しておいてよく言う、とルカは心の中で悪態をついた。
すると男は不気味な仮面を震わせてけたけたと笑い始めた。
「これを言うのは三回目だ……分かるよな? あんまり気長じゃないんだ」
一瞬仮面に空いた穴の向こうにぎらりと光る瞳が見えた。悪魔のような恐ろしい目だ。その瞬間、ルカは地下室を飛び出し階段を駆け上がっていた。後から亡霊のように仮面の男が追う。
土砂降りの中、見えない視界に、それでも灯りを目指してルカは走った。光太郎を連れて、マリーを連れて、とにかく住宅地の方へ逃げなければ。
その時、聞きなれた少女の声がルカの名を叫んだ。ニノンがこちらに向かって走ってくる。
「ニノン、何やってるんだ、戻れ!」
「あの扉を開けちゃダメなの! お父さんが――きゃあっ!」
気が付けば目前にまで迫っていた仮面の男が、ニノンの長い髪の毛を鷲掴みにしていた。
「ニノン!」
「この少女か、その指輪か、どちらかをくれてやるよ」
そう言って男は掴んだ髪の毛を上に引っ張り上げた。激しい雨音に混じってニノンの叫び声が響く。
「分かった。従うから――その子に乱暴するな」
ルカは男に見えるように右手から指輪を抜き取ると、ぬかるんだ地面を一歩ずつ進んだ。
「お前は中々頭がいい。コータローみたいに馬鹿な真似はしようと思うな。同じナイフで同じようにされたくなければな」
男はマントに忍ばせた小ぶりのナイフを取り出しちらつかせる。ニノンは息を呑んでぴたりと喚くのを止めた。
独り立ちして丸一日。父から受け継いだものをこうも早く手放すことになろうとは、ルカ本人でさえも考えてもみなかっただろう。しかし。雨風に滲む視界でも、ニノンの怯えた表情がはっきりと分かる。ルカは息を吐いた。こんな指輪が他人の命より大切なはずがない。
あと数歩で男の手に指輪が渡る。そうすれば皆助かる。その時だった。
「! 何を」
突然の出来事だった。ニノンは後ろ髪を鷲掴みにされたまま飛び上がった。そして、刃を上に向けられていたナイフを使って己の後ろ髪をばっさりと切り落としたのだ。
驚きに男が滑らせた絵画の入った袋を拾い上げたニノンは、一目散にルカの元へと駆け戻った。
「ルカ、走ろう!」
二人は顔にぶつかる雨粒に、目も開けられないまま無我夢中で走った。とにかく光太郎たちを連れて住宅地へ避難しなければならない。けれど、ルカは不安でいっぱいだった。この村で道野家はのけ者の様に扱われていたからだ。変わり者、異民族――。このまま逃げて、誰かが助けてくれるのだろうか、と。
そんな時だった。丸太小屋までもうすぐというところで、丘の向こうからたくさんの怒号が響き渡ったのだ。
「ルカー! 親父たちを連れてきた! そいつをとっ捕まえるぞ!」
「ダミアン……」
そこにいたのはレヴィの村人たちだった。各々がクワやスコップなどを手に、土砂降りの中津波の様に駆け下りてくる。
「くっ」
観念したのか、男はマントを翻して元来た方向と逆へ走り出した。闇夜と同じマントの色は、少し距離が離れるだけで水に垂らしたインクのようにその姿を夜の森へと溶け込ませた。この大雨の中で闇に潜む男の姿を見つけるのは至難の技だ。
村人たちは男が走り去った闇の向こうへ罵声を浴びせ続けた。
「逃げられちまったか」
ずぶ濡れのダミアンが、しかし少し誇らしげに胸を張って言った。
「ありがとうダミアン」
「別にお前の為じゃねーよ。マリーの敵討だ」
「うん。でも、ありがとう」
それはルカの本心の言葉だった。ダミアンはフン、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「礼を言うなら、トムおじさんにも言っとけよ」
「え?」
聞くと、トムは午前中からあやしい男を見かけていたという。そんな話を村人に話して回ったが、普段ほらばかり吹くトムの言葉に耳を貸す者はいなかった。しかし、村中にその情報を話して回っていたおかげで、夜中にもかかわらずダミアンが助けを求めた時、村人は皆その話が本当だったことをすんなりと理解したのだ。
「最初にトムおじさんが話して回ってなかったら、こんなに早くに村中の人たちをここには集められなかった」
辺りを見渡せば大勢の大人たちが口々に「良かった、良かった」と話している。レヴィにこれほどの人間が住んでいたことに、ルカは驚きを隠せなかった。そして考えた。もしかしたら壁を作っていたのは村人ではなく、自分自身だったのかもしれないと。
ルカがほっと胸をなで下ろした頃だった。
「あのー、すみません、医者です。通して通して!」
人混みをかき分け、ひ弱そうな声を上げて男がルカの前までやって来た。ぶかぶかの白衣を羽織り、ハンチング帽を目深に被ったその男はほっそりと背が高く、そばかすが鼻や頬に点々としている。瞳は分厚い牛乳瓶の底のようなめがねによって隠されてしまっている。
「医者……ああ、もしかして、父を診に?」
「ええ、そうです。まさしくその通り! 息子のルカさんに頼まれまして」
「え?」
そこでルカは男を凝視した。
「ルカは俺ですが――医者なんか呼んでません」
その返答に、男はへらりと笑った。そして瞬く間に白衣を脱ぎ捨てニノンとルカに被せると、高らかに笑い声を上げた。
「そう、僕は医者じゃない! でもこの仮面は昔お医者さんが身に着けていたもの。だから医者って言うのはあながち間違っちゃいない! ヒャヒャヒャ!」
先ほど消えた男と同じ黒いマントを身にまとい、その顔は鼻の部分が下に伸びた、カラスのような形をしたマスクに覆われていた。
「あっ、絵画が無くなってる!」
ニノンが声を上げた。
「あの男……」
「ペストだよ! 宝の持ち腐れなんてもったいないことは、これからしないようにね! ヒャヒャ!」
「待て!」
ペストと名乗った仮面の男は、白い仮面の男が消えた方向に、同じようにして溶け込んで見えなくなった。雨足の変わらない真っ黒な空を見つめて、ルカは拳を握りしめることしか出来なかった。
4
一夜が明け、嵐のような雨は過ぎ去った。窓から朝を告げる柔らかな日差しが射し込み、栗の木にとまった小鳥たちは可愛らしい声でさえずりを繰り返していた。
「まぁ、その。無事で良かったよ」
アダムは慎重に言葉を選び、ぎこちなくルカに話しかけた。
「二ノンは髪の毛が――なんつーか、勿体無かったけどさ。まぁ今の方が可愛いよ。割と本気で」
二ノンはその膝に寝息を立ててぐったりしているレオを乗せ、ゆるゆると頭を撫でていた。前髪の横に垂れる長い髪を残して後ろ部分がばっさり無くなってしまった彼女の顔に笑顔が浮かぶはずもない。
「絵画……取り返せるかな?」
どうやら最後に絵画を奪われたことが未だに心に引っかかっている様だ。
「二ノンのせいじゃないよ」
ルカはまぶたを閉じて横たわる光太郎の手をぎゅっと握った。ベッドを囲む様にアダム、二ノン、ルカは丸椅子に腰掛け、光太郎が目覚めるのを待っていた。ダミアンはマリーをゾンザまで送り届けるため、つい先ほどレヴィを出たところだった。
「ルカ……これからどうするんだ?」
問われたルカは昨夜の出来事を思い出していた。なぜ工房の地下にあんな部屋があったのか。扉に備え付けられていた謎の機械は何なのか。ベルナールの指輪とは一体何なのか。そして、破損した絵画が盗まれた謎――。
ルカは覚えている限りを、なるべく鮮明に説明した。
「父さんが起きてみないと何とも言えないけど。でも絵画が盗まれたのは俺のせいだから、取り戻したいんだ」
そして、見るに堪えない傷み方をしていたあの絵画を助けてやりたい。そうルカは心から思ったのだ。
「ねぇルカ、その指輪の模様なんだけど」
先ほどから話に耳を傾けていた二ノンが、おずおずと口を開いた。どうしたんだろうとルカが二ノンを見やる。二ノンは胸元をごそごそと漁り、首にかかった首飾りを取り出した。右手に握られていたのはうずら卵大の真っ青な宝石だった。
それは空をずっとずっと上に行ったところの宇宙との境目の色。或いは、海を深く潜った先で見上げる、蒼い水の色。もしくは、道野琉海が持つ両眼の瑠璃色だ。
「こんなに大きなラピスラズリ、初めて見たぜ」
アダムが感嘆の声を上げる横で、二ノンはそれをくるりと回転させた。ルカはあっと驚きの声を上げた。そこに掘られていた模様が、ルカの持つ指輪の模様と完全に一致していたからだ。
「同じ模様だよね」
『もしも指輪と同じ紋章を持つ人が現れたら、何があっても護ること。――たとえ命に代えても』
光太郎の言葉が脳裏に過る。ルカは、何か大きな渦のようなものに流されていくのを感じた。そして、おそらくそれが運命というものなのではないか――と、柄にもなくそんなことを考えたのだった。
2014年9月17日 発行 初版
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いつかコルシカ島を歩いてみたいと思いながら物語を綴っています。「コルシカの修復家」は現在、小説家になろうにて更新中です。