Seeing is feeling.
───────────────────────
───────────────────────
真昼に宇宙から降り注ぐ流星群は、
ともすれば夜のそれよりも星数が多く、
空の隙間を縫ってこちらへ落ちてくる。
願いが結実した証左である、
甘く蠱惑的な葡萄の香りを微かに残して。
溺れるほど深い、海の底のような青。
細かな泡がこぽこぽと鼓膜を揺らし、
その一粒一粒に、好きという気持ちが隠されている。
好きが苦しいのは、溺れているのと一緒?
息もできなくなるくらい胸が詰まって、
地上にいるのに自分は鰓呼吸の生物なんじゃないかと錯覚するほど。
その瞬間、あのこぽこぽという気泡の音がどこからか聴こえてきて、
深海の青が目の前を包む。
ああ、好き、だなぁ。
ときどき、自分のことがとても嫌になる。
思ってもいないことを言い、知ったかぶりをし、
鋭利な言葉で人を傷付ける。
そのあと、激しい羞恥心と後悔に苛まれ、
心がぐちゃぐちゃになり、胸やけがする。
自分が悪いので涙は出ない。
ただ、一点に顔をうずめて、ここから逃れるように、暗闇の中に一時閉じ篭る。
自分が決して出来た人間でもなくて、いい人でもなくて、
醜いということを思い知らされる。
いや、それはもうずっと前から知っている。気付いている。
その分、世界は美しくなっているのかもしれない。
滔々とそんなことに思いを馳せながら、温かい布団にくるまって眠ると
翌朝には少し心は晴れている。
いつも心がけていることがある。
「理解しなくてもいいけど、存在を認めること。」
テレビ番組で、団体競技のチームキャプテンふたりが対談をしていた。
チーム内で意見のすれ違いがあったとき、
中立にたちお互いの主張を聞きながら、結論を出すのが
キャプテンの仕事。
ただその結論が、必ずしも両者納得するものになるとは限らない。
というか、お互いの主張がぶつかって、どちらも満額で納得する答えなんて
この世にはないと思っている。
どちらか、あるいは両者とも、不服を抱えながら結論を受け入れようとする。
対談でこんな言葉が飛び出した。
「妥協はしなくてもいい。ただ、チームに犠牲は必要」
これはとても胸に刺さる言葉だった。
自分の信念を曲げる必要はない。
ただ、違う答えが出たとして、理解できなくても、
その存在自体を受け入れること。
それは自分が犠牲になる場合、あるいは自分が誰かを犠牲にしなくてはならない場面で
ふと脳裏に蘇る言葉になりそうだ。
小さいのに、四本足なのに、無理にでも背中を伸ばして
遠くを見ようとするこの動物の姿を見ていると
自分の目に映したものだけが真実で、すべてなのだと
言わんがごとくである。
自分もそうありたいと思う。
そう考えると、たとえばとても楽しみにしていた映画の結末を
友人が何気なく漏らしてしまったとしても、
自分が見るまではどう感じるか分からないのだし
そんなに気にすることはないか、という気がしてくる。
…いや、やっぱりちょっと悔しいけど。

鎌倉の海には、東側にいつも大きな月が出る。
地球の形が完全な球ではなく、鎌倉のあたりが少し張り出していて
月に距離が近いのかもしれない。
そんなことを錯覚するくらい、大きな衛星を見る。
地球からしたら、あの小さくて取るに足らなさそうな星が
潮の満ち引きを操り、星の位置を惑わせるなんて
どれほどの力が秘められているのか分からない。
でも彼女は決してそれを大っぴらにすることはなく
いつだって自分の裏側の本音を隠して、私たちと接している。
ミステリアス。
ニュートラルで居続けることは、とても難しい。
自分の感情も、他人の考えも、これから起こる災いも、幸福も、
一緒くたにして、全部コントロールできればいいのに。
巷に溢れすぎて食傷気味の「自分らしさ」が何なのか
結局よく分からないし、
意味を求めてもいないけどそれとなく毎日暮らしている。
刺激がそれほどあるわけでもなく、ごく平凡な生活だけど、
1か月に1回くらい、ふとこの歩き慣れた道が
振り返ると少し違く見えたりするんだ。
「もう死ぬかと思ったー」「死ぬほどつらい」「好きすぎて死ぬ」なんかよく聞く。
だけど、この世界に本当の意味で「死ぬ」ことを理解している人間はいない。
だって死んだことがないのだから。
たまに「死」について思いを馳せる。
それは決して暗い思考ではなくて、生きているものがみな等しく向かっていく場所への
純粋な好奇心。
でもまったく想像は付かない。
思考していること自体がもう次元が違う気がする。
生きていることと死ぬことの事象に共有点はない。
呼吸をしているあいだは、生のサークルの中にしかいられない。
自分を終えるとき、どんな風に感じるのだろう。
何を思い出すのだろう。
それほどの時間があるのかも分からない。
終えたあと、自分の行先はどこで、残された世界はどうなるのだろう。
今すぐそうありたいと願うわけでもないし、叶わないことだとも分かっているけど、
生きているうちに知れたら、とても面白いと思う。
人は時々、傷ついていることをアピールせずにはいられない。
特に女性特有のそれは、たとえフリであっても、
身体のどこかにさりげなく傷跡を貼り付けて、
誰かに気付いてもらえるのをじっと待っている。
それが悪いということではなくて、
ただ時々、愛しいと思う。
夏が大好き。
すべてがキラキラして見えるからか、
あの暑さの中にある気だるさも、
地面から立ち昇る陽炎も、
日陰の一瞬の幻のような涼しさも、
とにかく愛おしい。
小さいときは両親の故郷に連れて行ってもらって、
夏休みには海、山ととにかくたくさん自然に触れた。
あの頃は、庭の畑によくいたトンボを素手で捕まえるなんて
造作もなかったのに・・・
太陽の光の中にいるのも好き。
暑いし、焼けるし、嫌だけど、好き。
ひまわりみたいに、いつでも太陽と向き合っていたい。
あまり気分が浮かないときは、
「次の一秒は今よりもっと良くなる」と唱える。
唱え続ければ、足し算だから。
増えていくばかりだから。
増えていくという感覚は、つまり上向きになることだから、
悪い気分ではない。
次の一秒は、前の一秒よりきっと素晴らしい。
何かの模様のように付けられた傷のあとは、簡単に消えるものじゃない。
それでも心臓が動く限り、秘めた想いが失われることはない。
それが「生きていく」ということ。
これを書いた私も、
これを読んでくれた貴方も、
もう少しこの世界で生きていく。
最後まで読んでくださった貴方へ。
たくさんの感謝と、ほんの少しの変化を。
表紙≪ 東京都 新宿区 新宿御苑 桜園地
1≪ 群馬県 館林市 つつじが岡公園
2≪ 神奈川県 鎌倉市 東慶寺
3-4≪ 長崎県 五島市 高浜海水浴場
5≪ 東京都 多摩氏 聖蹟桜ヶ丘
6≪ 東京都 新宿区 新宿御苑
フランス式整形庭園
7≪ 山梨県 甲州市勝沼
8≪ ドイツ マインツ
ザンクト・シュテファン教会
9≪ スペイン アンダルシア地方
フリヒリアーナ
10≪ ドイツ ウルム ドナウ川
11≪ 埼玉県 南埼玉郡 東武動物公園
12≪ 神奈川県 鎌倉市 由比ヶ浜
13≪ 千葉県 九十九里浜 南四天木海岸
14≪ スペイン グラナダ
15≪ ドイツ ウルム
16≪ 静岡県 清水 三保の松原
17≪ 神奈川県 横浜市 港の見える丘公園
18≪ 東京都 多摩市 聖蹟桜ヶ丘
桜ヶ丘公園
19≪ 神奈川県 鎌倉市 明月院
20≪ 山梨県 北杜市 明野
21≪ 長崎県 長崎市 伊王島
22≪ 長崎県 五島市 高浜海水浴場
23≪ 北海道 知床 オロンコ岩
2014年11月4日 発行 初版
bb_B_00129136
bcck: http://bccks.jp/bcck/00129136/info
user: http://bccks.jp/user/129150
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
Seeing is discovering.