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眠り姫の時間

石井まきこ

プリミティブ ファクトリー



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 ぼんやりとしか憶えていないが、誰かに優しく抱かれている夢だった。もう一度眠ってみようかとも一瞬思ったが、由紀は諦めた。
 朝は習慣という無愛想で親切な助け手が自分を運んでくれる。自動的に起き上がり、機械的にパンを焼き、コーヒーを淹れる。何を着るかということは少し考えるが、無意識に洗顔し化粧をする。
 マンションの前で管理人ににこやかに挨拶し、いつもの坂を下る。冬の間に身を縮めていた植物たちはそっと芽を出してみたあと、いまや目いっぱい指先までを伸ばし、街路樹や生垣、道端の草にいたるまで、一年でいちばん高い彩度を発している。空が澄み切った、この時期にはめずらしい晴天だからといって、行き先を変えるわけにはいかない。いつもと同じ方向の電車に乗って、いつもと同じ駅で降り、いつもの会社に行くだけだ。
 会社の自分のデスクに付いたあたりで、やっと由紀の頭は働き始めるのだ。熱いコーヒーを飲みながら、さて、今日はどんな順番で仕事を処理していくか。最短距離、最高の効率で仕事をこなすことが由紀の信条である。日々、多少の変化はありつつも会社という枠の中での作業は、由紀には好ましいものだ。
 月曜日は本社全員での朝礼となるが、本社全員とはいえ全社員よりずっと少ないのだ。ここでは統括的な業務をやっているだけで、各支店は支店でささやかな朝礼をしているはずだ。月曜日以外はそれぞれの部署でミーティングを行う。
 由紀は月曜日がいちばん気楽だった。それ以外の曜日は課のメンバーの前で自分も何か述べなければならないからだ。今日は給与の締日であるから云々とか定期的な備品の購入の予定など。もっとも、総務部長のように具体的な用件でもない御言葉を述べるよりは楽だと思う。
 「あの、佐伯さん、ちょっといいですか」
 朝礼が終わって席に戻るなりやってきたのは今年入社した広田静司だ。
 「なに?」
 答えてすぐ、由紀は広田が手にしている書類を見る。そうだった、広田の前の担当者は、たった二週間の引継ぎをして退職してしまったのだ。もうすぐ社会保険事務所への書類提出で、彼には初めての仕事がある。由紀はこの会社がまだ小規模だった頃に社会保険事務を担当していたことがあった。会社は時流に乗り、この十五年ほどで急成長したのだ。
 広田の質問を聞き、
 「ちょっと座って」
 と、由紀は近くの椅子を引き寄せて、広田を座らせる。広田は少し意外な様子だ。そうね、いつもはそんなに丁寧に説明しないものね。由紀は部下に仕事を手取り足取り教えるほうではない。過不足ない説明をして、あとは本人が考えて仕事をし、失敗もしてみるのが仕事を覚えるのに効率が良いと思っているからだ、他人に迷惑が掛からない限り。しかし、今回は処理する仕事量が多いので試行錯誤などさせられない。だから丁寧に説明しておくことにしたのだ。
 広田はこっそりと由紀の顔を見ながら、この人の若いころの写真を見てみたい、などと考えていた。今よりも更に美人だっただろう。会社のどこかに何かの写真でも残っていないものかなあ。
 自分の席に戻る広田の後姿を見ながら由紀は、若いっていいわね、と心の中で呟き、それを自分で可笑しいと思った。今日はどうも調子がおかしい。十歳で父を、二十一歳で母を亡くし、独身で四十歳になり、きょうだいも恋人もないから何だというのだ。食べるのに困らない仕事があり、少しばかりの蓄えもあり、守らなくてはいけないものなど何もない。
 穏やかで物事に動じないという周囲の人々の自分に対するイメージを由紀は熟知し、意識的に補強もしてきた。けれど由紀自身、自分の容姿が人目をひくことには気が付いていない。若い女のような輝きはないが、整った顔立ちと強い印象の目、それでいながら優しい印象の目元。可愛いとさえ言える唇。由紀の口調には抑揚があまりないが、その低い声は人を安心させるのだ。
 由紀はパソコンで作業しているときは三十分ごとに小さな音のアラームを鳴らして画面から目を離し、午前十時には席を離れてコーヒーを飲みながら窓の外の遠くの空や街を眺める。この、自分で決めたルールを律儀に守っているのは目を守るためだ。そして十二時にはきっぱりとパソコンの電源を落とす。
 「佐伯さん、お昼、外に食べに行きませんか?」
 後輩にして部下の女性社員、木下香が声を掛けてくる。香はひそかに由紀に憧れていた。合理的な仕事のスタイルが好きだったのだ。ビジネスライクでありながら冷たくはなく、落ち着いていながら意外にも愛嬌があるし、歩く姿や話し方も好きだった。
 「そうね、行こうか」
 由紀は答える。依田美穂も一緒だ。美穂は香の一年後に入社したが、この会社では年功序列の雰囲気は薄い。二十代後半の二人は由紀には丁寧な口調だが、食事に誘う気後れはない。むしろ香と美穂、二人だけのほうが気まずいのだ。原因は二人の先輩にあたる男性社員の存在である。中肉中背、仕事はできるが堅物というわけではなく、気さくでムードメーカー的な好青年。こういう「普通にいい男」というのは意外と少ない。当の本人の全く知らないところで、年齢的に微妙に焦りもある二人の恋の鞘当て的状態になっている。そのことに気づいている由紀は、本人たちの真剣さとは裏腹に、微笑ましいと感じていた。
 香と美穂はたまに弁当を作ってくることがあったが、近くのコンビニエンスストアで昼食を買うことも多いし、近所のファストフード店で済ませてしまうことも多い。ただ、たまには外に出て少しちゃんとした店に行くのだが、そんなときは由美を誘うのだ。
三人がその日入ったのはカレー店だった。インド人とおぼしき店員の接客は愛想がないと感じられるがそれは日本人の感覚であろう、そんなことで避けるには勿体ない美味しい店だというのが、三人の共通の認識だった。銀の盆には丸い器が三つ載り、二つにはそれぞれ別の種類のカレー、もう一つにはサラダが入っており、その横に寝そべるナンは盆をはみ出している。カレーの種類も辛さも選べるし、飲み物はラッシーが美味しい。
 「佐伯さん、インドって、行ったことあります?」
 香が訊ねる。
 「うん、あるよ」
 「もしかして、インド一人旅とか」
 「そうね、インドには一人で行ったなあ」
 美穂は、「インドには」という言葉に引っ掛り、危うく「違う国は誰かと一緒なんですか?」と訊ねそうになって止めた。佐伯さんって、どうもよく分からないんだよなあ。今までに誰とも付き合ったことがない、ってことはありえない。これは直感。でも、今は男の気配がないのよね。そういえば先月は二、三日、休暇を取っていたけど、彼氏とお出かけって感じがしないのよね。不倫もないな。意外な人が不倫してたりするけど、佐伯さんはない。潔癖症って言うより、結婚なんてしがらみを持った男には興味なさそう。いや、男全般に興味なさそうなんだけど、この達観した感じって何かなあ。
 「いいなあ、旅行」
 香は無邪気に続ける。
 「私も行きたいけど、お金がなくて。寿貧乏ですよ。去年なんか、結婚式七つ。信じらんない! メンバーが被ってたり、季節がばらけてたりで、結局服も靴も新調だもの」
 「大変ねえ」
 由紀が人ごとのように、微笑みながら言う。
 「佐伯さんはどうしてたんですか?」
 美穂の言葉に、由紀は視線を上に向けて考えるしぐさ。
 「散財したわよ。まったく、何着買ったことか。でも、まあ、わりと力を抜ける結婚式なら、シルエットがきれいなシンプルなワンピースを着回す。まず、ワンピースに大きめのアクセサリーを合わせるでしょ。次には、大きなストールを羽織ったわね。黒い薄い生地に金の糸で刺繍がしてあるやつ。それから、寒い季節にはフェイクファーのボレロとも合わせたなあ。あと、ワンピースの裾からフリルがのぞくようにしたりね。フリルの丈は肩紐で調節できるやつ。ショッキングピンクとかが面白かった」
 香と美穂は顔を見合わせる。
 「意外!」
 「え? 何が?」
「佐伯さん、もっとその、シックな服が好きなのかと思ってた」
「だって結婚式だもの。花嫁にお付き合いしてあげるんだから、少しくらい、楽しませてもらわないとね。あ、でもやっぱり、同じ顔ぶれの女友達がいるときは着まわしは駄目よね。絶対バレる」
 香と美穂は大きく頷く。女同士のチェックの目は厳しいのだ。
 「佐伯さんは結婚しないんですか」
 香の言葉に美穂のほうが身が縮んだ。しかし由紀はこともなげに答える。
 「そうね、しないね。結婚しようと思った人はいたんだけど、結婚できなかった。だから、まあ、いいかなって。一人って楽だしね。って、二人はこんなになっちゃ駄目よ」
 と屈託なく笑う。
 それから話は香と美穂の服の話や結婚式の困った引き出物の話に移っていき、由紀はごく自然に黙って聞き役に回っていた。
 見かけ以上にボリュームのあったカレーを食べ終え、店を出て会社に向かって歩きながら、由紀はふと、新しい空き地に目を留めた。つい最近まで建物が建っていたはずなのに、何が建っていたのか思い出せない。空き地とは得てしてそういうものだ。その空き地の隣は古い商店なのだが、突如消えうせた隣の建物のせいで、商店の奥の生活空間が無防備のまま露わになっていた。花の終わったプランター、訳の分からないダンボール箱、洗濯物の下がった物干し竿、錆びたスコップ、おんぼろな子供用の自転車、そんな雑多なものが目に入る。
 歩いたまま見上げると晴れていて、うすっぺたい雲の切れ端が空の高いところに張り付いている。香と美穂に、買い物があるので先に帰ってくれるように言い、由紀はゆっくりと引き返した。
 鞄の中から一眼レフのカメラを取り出す。今は普通の店では扱っていないカメラだ。重いし大きいが、由紀にとっては相棒のような存在。いつからか一眼レフのカメラを持ち歩く女がめずらしくなくなって、由紀はそれを少しばかり悔しいような気分で見ていたが、自分が写真を撮っても誰も気に留めなくなったのはいいことだと思う。
 とはいえ、どちらにしろカメラを出してしまうと周囲など気にならないのだ。カメラを構えながらファインダーを覗きアングルを決める。ちょうどいい場所に電柱があったので、それに背中を預け、少し膝を曲げた姿勢で体を固定し、脇を締める。親指でフィルムを巻き上げる音が由紀は好きだった。シャッターを半押ししてピントを合わせ、シャッターを切る。以前はピントも肉眼で合わせるカメラを使っていたのだが、目が悪くなって諦めたのだ。露出は適正と思われるものと、オーバー、アンダーでも撮っておく。デジタルカメラではないから、撮ってしまってから簡単に補正や修正を加えることはできない。それに由紀は、そうやって補修してもいい写真にはならないと信じていた。少なくとも自分はそうだと。
 デジタルカメラのシャッターは軽い。フィルムのカメラのシャッターには重さがあるのだ。取り返しのつかなさ、という重さが。

     *
 彼女は白い寝具の海で目を覚ました。それを待ち構えていたように、ノックの音がする。
 「どうぞ」
 彼女は答える。老婦人が銀色の大きな盆を持って入ってくる。
 「おはようございます。今日もよいお天気ですよ。朝食はいつもどおり、窓辺になさいますね」
 そう言うと老婦人は更に進み、窓際の小ぶりの木のテーブルの端に盆を置き、リネンのクロスをテーブルに敷き、紅茶のポットとカップ、ミルクポット、クロワッサンの皿、マーマレードの器などを手際よく並べた。
 彼女はベッドから起き上がり、室内履きを履き、アンティークなライティングデスクの背に掛けたままの丈の長いカーディガンを取りあげた。
 「どうもありがとう。ほんとうにいい天気ね。散歩にちょうどよさそう。でも、帽子を被らなければいけないわね」
 レール編みのようなカーディガンにはたくさんのボタンが付いているため、彼女は上から順番にボタンを留め続けながら言う。
 「そうですね。日焼けしては大変です。ちゃんと帽子を被られなければ。それでは」
 老婦人はそう言うと部屋を出て行った。
 彼女は木の椅子に座る。この建物の中には木製の家具しかない。窓は少し開いていて、針葉樹と広葉樹の香りが溶けて流れ込んでくる。それは、ハーブやバラなど様々な花が植えられた庭をすっかり取り囲んでいる木々からだろう。鳥の声は甲高く澄んでいる。
 ポットの紅茶をカップに注ぎ、口に運ぶ。クロワッサンを千切る。彼女は外を向いたままゆっくりと食事をとった。
 クロワッサンの最後の一口を彼女が飲み込んだとき、軽いノックの音とともにドアが開き、一人の男が入ってくる。左手にカップの載ったソーサーを持ち、軽やかにテーブルに歩み寄った。
 「おはよう。遅いお目覚めだね」
 背が高く色白で細い身体、微笑を彼女に向け、椅子を引いて彼女の正面に座った。
 「そうかしら。この部屋には時計がないから分からないわ。でも確かに、ぐっすり眠ったわ。起きたのが久しぶりのような気がするの。でも、なにかしら、頭の一部分が滞っているみたい」
 ゆっくりと彼女は瞬きをしてみせた。
 「どれ?」
 彼は白い手を伸ばし、彼女の額を指先で触る。彼女は自然と目を閉じ、意識がすっと遠のき、数秒で再び目を開いた。
 「どう?」
 彼が尋ねる。
 「うん。そうね、なんだかすっきりしたわ。あなたの囚人は元気よ」
 彼女が笑顔を見せる。
 「失礼だね、囚人じゃないよ。君は自由なのだから」
「では、餌付けされた鳥ね」
 「ここは鳥かご?」
 「そう。今日は私、鳥かごの周りの庭の散歩をする」
 「それなら、まず、着替えないとね」
 彼にそう言われ、彼女はやっと自分の服装があまりにも無防備なことに気が付き、少しだけうろたえた。
 「そうするわ」
 彼女はそう言って席を立って彼をじっと見たが、彼は席を外すつもりはないらしく、素知らぬふりで紅茶のカップを少し持ち上げて見せた。

     *
 由紀は会社のデスクを完璧に片付け、翌日の予定をメモした付箋紙を端に貼り、自分に対してその日の仕事の終了を宣言すると、その瞬間に仕事のことはきれいさっぱり忘れることができる。これを由紀は自分の最も有用な才能だと思っていた。
 金曜日の夜のファミリーレストランは子ども連れの家族で混み合っているうえに、駅に近いこの店は狭いので余計にごちゃごちゃと落ち着かなかった。由紀はここで高校時代の友人である知美と食事をしていた。夫が子ども達を連れて実家に泊りがけで行ったという。あちらの親たちは孫に会いたいのよ、私がいないほうが気兼ねなく孫の世話を焼けるから、私が行かないほうがいいの。あなたは結婚しないの? 由紀は美人だから、今からだって十分間に合うよ。でも、結婚しないで正解かも。主婦なんて自由に使えるお金も時間もないもの。
 確かに知美自身が言うように、自分にはあまりお金は掛けられないのかもしれない、と由紀は思う。結婚するまでは、いや、子どもを産むまではいつでも隙のない服装に念入りな化粧をしていた和美が、今はありふれた服を着て、髪の毛は艶がなく痛んでいるようだ。けれど、由紀には知美が、自分には持ち得ない落ち着きとか自信のようなものを持つようにも見えた。
 さらに知美が語る内容は、由紀には縁のないものだった。上の娘は小学生で、自分はクラスの役員を引き受けなければならなかった。同じ役員に常識のないママがいて困る。息子は幼稚園の年長でスイミングスクールに通っている。小学生になったら塾に行かせたいが費用が掛かる、子どもたちの将来のために貯蓄しなければならない。夫は帰りが遅いので育児の助けにはならないが、しっかり稼いでもらわないと困る。それにしても夫のいびきがうるさくて、蹴飛ばしたくなることがある。休日は居間に寝そべる姿がトドのようだ。食事の支度はメニューが思い浮かばない。洗濯物は毎日膨大な量であり、部屋は散らかり放題で片付けてもすぐ散らかり、どこからともなくホコリは発生し床で渦を巻く、そういう日々の雑用をこなすだけで毎日が過ぎていき、一人でのんびりする時間もない、などなど。
 知美の話は由紀には何も共感できないものだった。なにしろ由紀には経験のないことばかりだ。たぶん一生、経験することはないだろうし、それは自分が決めたことだからかまわない。知美のような生活を送ること自体が自分には無理だろう。それでも内心で何かが燻る。結婚していろいろ大変だとしても生活は安泰ではないか、少なくとも私よりは。夫がお金を稼いでいるし、最悪かどうかは知らないが夫が死んでしまっても生命保険くらいは入っているだろう。私は自分だけが頼りなのだ。けれど由紀はさらに考える。知美は日々の生活にくたびれながらも自分が幸せであることを自覚して、それでもやはり、こんなはずではなかった、自分には別の人生もあったのではないか、と苛立ちのようなものがあるのかもしれない。人は何かを選ばなくてはならない。知美は結婚生活を選んだ。でも、私に選ぶ機会は、余地はあっただろうか。決して譲れないのなら、選べないのと同じだ。それならやはり、私に悔いはない。
 知美は食事のあとに友達と酒を飲みに行くのだと言った。由紀とも共通の友人で既に結婚している。夫が仕事から帰ってきたら子どもを任せて出て来るのだそうだ。子どもが小学校の高学年だから可能なのだという。由紀も誘われたが、同じ主婦どうしで気兼ねなく話したいこともあるだろうと自分は遠慮することにして、ちょっと都合が悪いと言うと、それ以上は誘われなかった。
 店の前でお互いに手を振り合う。友人との待ち合わせに向かう知美の後ろ姿を見送った由紀は、駅に向かう人の流れに合流し、混みあった電車の窓の暗い風景を瞳に映した。
 自分の部屋に戻った由紀は、自分が疲れていることに気がついた。厳密には身体の疲れではない。息が詰まって、胸に何かがつかえているような感覚だ。
 こういうときに由紀は、風呂に入ることにしている。バスタブに湯を溜め、ドライハーブと岩塩の入浴剤を入れる。アロマテラピー用のエッセンシャルオイルはブレンドしても香りが尖っている気がするのだ。熱めの湯の中で由紀はぼんやり考える。綺麗にパッケージされた入浴剤を買うのが今は精一杯だ。本当は小さくてもいいから庭のある一軒屋でハーブだけでも自給自足したい。ラベンダーとミント、レモンバームなど。カモミールを育ててハーブティにしようというのはナンセンスだ、花だけのお茶なのだから、少し育てたくらいでは、お茶一杯で終わってしまう。育てやすいハーブを数種類、それから、月桂樹と枇杷と金木犀を植えたい。家を買うのなら中古でいいのだが、会社から遠すぎても近すぎても困る。何年も会社員を続けてきたから住宅ローンを組むことも可能かもしれないが、踏ん切りもつかない。そもそも買う必要もないかもしれない、誰に残すわけでなし。借家の一軒屋で、小さな家と広めの庭。条件が多すぎるだろうか。それに今のマンションの、エントランスにオートロックのドアと宅配ボックスのある、コンパクトで機能的なこの住環境を手放せるかのか。
 いつの間にか現実的な連想になって、由紀はなんだか損をした気分になった。けれど、のぼせる前に湯からあがることにする。
 ゆるい服を着て、丸い木の椅子をソファーの横に運び、その上に赤ワインのボトルとグラスを置く。ステレオにCDをセットする。曲にこだわりはないけれど、邪魔にならないほうがいい。バッハのピアノ曲。
 部屋の灯りを消してろうそくに火をつける。窓に向かう。レースのカーテンから透けて見える街頭は蛍光灯で軽薄そうに見える。由紀の部屋は二階だ。建物の四階以上を住居にする人たちは随分と自信家だと思う。人生何が起こるか分かったものではないというのに。その気などなくとも衝動的に窓から身を放ってしまうようなことは決してないという自信があるのだろうか。それとも、自分の人生に何事も起こらないと確信しているのだろうか。そんなことを考えながら、厚いほうのカーテンをひいた。
 ソファーの上に胡坐をかいて、ワインを飲む。呼吸が楽になって、気が緩んでくる。神経が疲れているときは、普通の明かりでも眩しく、暗い中でやっと呼吸が楽になる。音楽を小さく鳴らすのは、無音だと却ってうるさいからだ。この暗い空間が自分が生息するのに合った場所だとさえ思う。暖かい闇の底に棲む生物。ぼんやりと過去を思い出す。実現しなかった幻の現在は、眩しくて見られない。

     *
 彼女は窓のほうを向いて腰掛け、机の上に本を置いて読んでいた。雨の音は室内までは入ってこない。雨の日に屋内にいるのは、晴れた日に家の中にいるよりも幸せを感じると彼女は思う。閉じ込められ守られているようだ。すぐ隣では彼も本を読んでいる。彼らの背後の壁がずいぶんと後ろにあるのは壁一面が本棚だからで、窓からの光は本棚まで届かない。ここは本のための部屋。
 彼女が読んでいるのはプルーストの本で、適当な箇所を開いて読んでいたのは、すでに読み通したことがあるからだった。彼が何を読んでいるのか彼女は気になり、彼の肩に寄りかかり本を覗き込むが、彼女には見慣れない文字で書かれていたので何語かすら分からない。
 「ねえ、何を読んでるの?」
 「秘密」
 彼は本から顔も上げない。
 「ねえ、それ、どこの言葉なの」
 「秘密」 
 彼の言葉にむくれて彼女は立ち上がり、本を強引に奪い取った。仕方なく彼は彼女に向き直る。
 「まったく、もう。仕方ないなあ。君、本を読むのに飽きたんだね」
 「飽きたというよりね、少し疲れたの」
 彼は立ち上がり、自然な動きで彼女の背後に回った。そして背後から彼女を抱きかかえる。彼女はするりと力が抜けてしまい、体の重さを彼に預けきってしまう。まるで大きな翼に包まれているみたい。意識が遠のく。そのまま、どれくらい時が経ったのか見当がつかないまま、再び彼女の意識は戻ってきたけれど、しばらくじっとしている。彼は彼女の両肩を持って立たせてからゆっくりと離れ、彼女に向き合う。
「まだ疲れてる?」 
「ううん、ぜんぜん。ねえ、私になにをしたの。時間の感覚があいまいだわ。時間と空間。そうだ、相対性理論って何? 分かりやすく説明してみて」
 彼女は机の上に座り、彼を見上げる。彼は隣の椅子に座りながら、
「僕だってよく知らないよ」
 と、笑ってみせる。
「なんだ、つまらない」
 彼女はわざと横を向く。
「じゃあ、そうだな。世界を説明するための方便。陰陽五行説と同じだよ」
「ぜんぜん違うじゃない」
彼女はさらに不機嫌な声を出して見せるが、目は笑って次の言葉を待っている。
「この世界が実際に、木火土金水で出来てるわけじゃないけれど、とりあえずそう考えると便利だったんだよ。それによって身体の不調を説明して薬や食べ物を選んで、ちゃんとつじつまが合うんだから。それと同じ。
 人間が自分の身体器官で知覚できる世界を説明するには、いわゆるニュートンの物理学で十分だったんだ。でも、アインシュタインが見つけたのは、人間が身体では知覚できない世界をも包括する説明。量子論と相対性理論、それから精密な観測機器で、人間は多くのことを説明できるようになってきた。でも、もっと範囲を広げた新しい説明だって作られるかもしれないね。
 とにかく、空間のひずみや時間の流れる速さの違いを自分の身体で知覚できる人間はいない。でも、実際に理論は役に立って………」
 彼の目を見ていた彼女は、その瞳の深さに吸い込まれたままだ。
 「………いるけど、僕には関係ないな」
 彼の目が悲しそうに見えた気がして、彼女は困惑した。
 「ねえ、お茶にしましょう。今日はハーブを摘めないけど、ドライハーブがあるの。時間も空間も関係なく、お茶はおいしいわ。今日は雨だから、さっぱりと、レモンバームとミントのブレンドはいかが?」
 彼は笑って「そうだね」と答えた。
 雨はとうぶん止みそうにない。この部屋の本の匂いは親しみが持てるのはなぜかしら、古い本の匂いがあっても馴染めない部屋もあるのに。馴染めない部屋? ここ以外のどこかについて考えようとすると、彼女の思考は透明の膜に当たったようにするりと跳ね返り方向を変える。古い本って、優しい。彼も優しい。ときどき憎らしいけど。

     *
 木曜日の夜、弥生との待ち合わせは駅の近く、いつもの居酒屋だった。由紀は入り口で靴を脱いでレトロな下駄箱に入れ、店員に案内された席に行く。弥生はすでにポテトフライをつまみながらビールを飲んでいた。
 「おつかれ」
 弥生は上機嫌だ。
 「ほんと、疲れた。あ、私もビールをお願いします、中ジョッキで」
 由紀は店員に向かって言いながら、弥生の向かいに腰を下ろした。チェーン店であり、小さな個室に区切られた居酒屋は余計な音楽も掛かっていないし、周囲の音も気にならないのでゆっくり話すのにはちょうどいいのだ。由紀と弥生は会社帰りに待ち合わせるときは、いつもこの店で会う。
 「さあさあ、夕飯も食べなくちゃね」
 と、弥生はメニューに手を伸ばし、由紀の前に広げて自分も覗き込む。
 二週連続で誰かと会うというのは由紀にしては珍しかった。しかし、弥生と会うのは疲れるどころか却って気分転換になるのだ。
 由紀は知美と会ったときの話をした。主婦というのも大変らしい、と。若いころは主婦は楽だろうと思ったが、この歳になるとつくづく自分たちには無理だと思う。会社で女が働くというのは現在でも「女だけど仕事はできます」というアピールが必要だが、足場を固めればずいぶんと楽になる。それにしても、馬鹿な男ほど、女は馬鹿だと思いたがる。
 そんな話をしているうちに、いつもよりも飲みすぎてしまった。二人ともほぼ同時に、楽しい話題に切り替えようと思った。   
 弥生も独身なので年に一度くらい一緒に旅行する。今年の夏休みはどこに行こうかという話になった。由紀は一人旅が圧倒的に多いが、弥生は相手に過剰に干渉してくるタイプではなく、お互いにちょうどいい距離がとれるので一緒に旅行するのは楽しい。それに数日間、続けて夜に話し相手がいるというのは、やはり気持ちが和む。
 「温故知新ってことで、北海道に行きたい」
 と弥生は宣言する。
 「なにそれ」
 由紀がビールを持ったままそっけなく訊ねると、
 「北海道はね、関東大震災の被害を受けてないでしょ。だから、古い建築がけっこう残ってるのよ」
 弥生は建築物マニアであるし、そういう関係の仕事をしているのだ。
 「北海道か。いいわね」
 由紀は本当に乗り気になっていた。
 「由紀ったら、また大荷物になるんでしょ。っていうか、重い」
 「いや、そこそこにするけど。一人で行くときは、ほんとに大荷物になっちゃう」
 「ねえ」と、弥生は改まったように言う。
 「会社、辞めないの? あなた、サエキユキでしょ」
 「規則正しい会社員生活があってこその、サエキユキなの」
 由紀が真面目に答えたので、弥生は少し肩をすくめて見せてから、
 「そっかあ。まあ、そうかもね」
 と、あっさり引き下がる。そんなものかもしれない、と思ったのだ。話題を変えることにした。
 「そういえば、この前のゼミの飲み会に長井君が来てたよ」
 その手に乗るものかと思いながら、由紀は訊ねずにはいられない。
 「長井君、元気で変わりなかった?」
 「うん。相変わらず、家庭円満、仕事は忙しいみたい。あ、ごめん、由紀は元気か、って訊かれたんだった」
 「ふうん」
 由紀は関心なさそうに聞こえるように努めてみた。
 あの人ならば、仕事もうまくこなすだろう。周囲の人に可愛がられるタイプだ。設計士だがしばしば現場の職人さんに話しかけ、気に入られて「ここだけの話だけどね」などと、いろいろと聞きだせる人はそれほど多くないだろう。永井は誰に対しても屈託なく教えを請う。プライドがとても高いがゆえに、自分にこだわらないのだ。不完全な現在の自分をどんどん脱ぎ捨てて、いろいろな人から話を聞き、自分を変えていこうとする。強固なプライドが謙虚さを生んでいるという、一見矛盾するようなことが長井には自然なことなのだ。私ほど長井という人間を知っている者は他にはいないだろう。けれどそれは昔の長井であって、今のあの人を私は知らない。
 「やっぱり気になるんでしょ」
 弥生が由紀の顔を覗き込む。
 「まあね」
 由紀は正直に答える。
 「なんで別れちゃったのかしらねえ。いまさら言っても仕方ないけど。あなたの方から振ったんでしょ」  
 「いいの。長井君はね、日の当たる世界を普通に生きるのがいいのよ」
 「なに、その、私は日陰者なのよ的な発言」
 「そういうんじゃない。私が臆病者なだけ」
 そのまま由紀が言葉を切ったのは、長井と別れた頃のことを考えていたからだ。自分が長井と結婚して家族になったら、長井は自分の両親のように命を失うのではないか、私の前から消えるために。そんなことはないと頭では分かっているが、きっと自分は怯え続ける。それは相手が誰であっても変わらないだろう、私が愛する人である限り。
 由紀が両親を亡くしていることを知っている弥生は、目の前の友人の考えていることの見当がついていて、人差し指で由紀の眉間を軽く押した。
 「それじゃあ、一生ひとりでいるつもり? まあ、私も人のこと、言えないけどさ。そうだ、私たちが二人とも独身のまま歳をとったら、一緒に暮らそうよ。その前に由紀は、死んでもいい相手を探して一緒に暮らしてみること。分かった?」
 「なんか、ひどい提案ね」
 そう答えながら由紀はこの友人がますます好きになった。本当に一緒に暮らせたらいいのだけれど。けれど自分の不安は消えないかもしれない。両親が死んでしまったことだけが原因ではない。なぜだろう、自分が望むものは手に入らないのだという確信が消えない。私は幸福を持っているが、それは本気で望まなかった形のものだからだ。心からの、一番の私の望みは叶わない。だから私は、あの人が幸せに暮らしていれば、それでいい。愛する家族に囲まれて幸せに暮らしていれば。
 それでも由紀は、長井と結婚して暮らしている自分をこっそり想像せずにはいられなかった。結婚を申し込まれたときのこと、自分が一方的に別れを決めて告げた日の空を、映像としてくっきり思い出した。
 翌日は仕事だったので二人は夜十時すぎには店を出た。旅行のことはメールで相談することにする。弥生は行きたい建築物を選んでおくという。由紀の目的の場所は、そこに実際に立つまで分からない。
 マンションに帰ると、宅配ボックスに荷物が届いていた。差出人を見れば中身は分かった。走りたくなる自分を抑えて廊下を歩く。
 由紀は部屋に戻るとまずコーヒーを入れて座り、包みの封を開け、中から取り出したもののページをゆっくりとめくった。すっかり満ち足りた気分になる。
 そして、ぐっすりと眠り、朝が来る。

 会社では、本当にいつも通りの朝。入社以来ずっと繰り返されるほとんど変わらぬ日常に由紀は安心感を覚えるのだ。いつからか由紀は二日酔いというものになっていないし、寝不足も感じない。どんなに疲れていても、朝に目を覚ますと頭も体もすっきりしている。
 「佐伯君、ちょっといい?」
 朝のミーティングが終わるとすぐ、部長の山岡が由紀に声を掛け、小さな会議室のドアに視線を向ける。
 「はい」
 由紀はこの山岡に好感を持っていた。長身でてきぱきとしているが、切れ者という雰囲気をわざわざ発したりしない。いつも軽い感じだが、おそらくは浮気など決してしない愛妻家であろうと思っている。以前に一度、休みの日に山岡とその妻に遭遇したときのことを思い出すと愉快になる。山岡が妻を由紀に紹介し、妻に由紀を紹介したとき、彼の妻は、「ああ、佐伯さん。夫がお世話になっております」と微笑んだのだ。この「ああ」には、「ああ、あの佐伯さん」という響きがあって、彼が自分のことを妻に話しているのは明らかだった。どんな話をされているのか見当もつかないが、好意的に話されているのは確かだと由紀は感じた。実際、山岡は家で夕食のとき、その日に会社で起こったことをおもしろ可笑しく妻に話して聞かせるのを日課にしていたのである。そんな山岡を、社会人になった息子と大学生の娘は冷ややかに見ているものの、内心は嫌ではない。そんなことまでは由紀の知らないことであるが、由紀はこの山岡を見ていると、そういう家庭の雰囲気は感じるのだった。
 会議室に入るなり、山岡は由紀に、
 「佐伯君、実は頼みがあってね」
 「嫌です」
 すかさず由紀が答える。
 「いや、まだ何も言ってないけどさ」
 お約束のやりとりである。
 「なんでしょう」
 「実はね、経理の村田さん、知ってるよね」
 「はい。うわさは」
 村田は半年前に中途入社してきた三十代の男である。由紀は、背が高く丸っこい体型で縁なしの眼鏡を掛け、ふわふわ、という形容詞しか思いつかないような歩き方をする姿をすぐに思い浮かべた。縁故入社であったが、その縁故が会社の上の人間ではなく取引先の「先生」だった。政治家ではないが、教師でもない。だから村田は簡単に辞めさせるこのできない、いわば預かりものであった。
 「またやったらしいんだ。今度はね、勝手に銀行口座を変えたらしい」
 「は?」
 「たまたま外線を取ってね、それで、引き落とし口座を勝手に入れ替えちゃったんだよ。銀行から問い合わせがあって三沢さんが驚いてね。彼のポジションでいったいどうやってそんなミスが出来たんだか不思議なんだけどさ」
 そう言う山岡は、明らかに面白がっていた。
 「それはすごいですね」
 「そうなんだよ。今度ばかりは常務の耳にもはいって、カンカンだって。でも、直接村田さんを怒るわけにもいかず、三沢さんに、管理がなってない、って怒ったわけ」
 「あらまあ」
 なるほど、昨日の経理課の険悪なムードはそのせいだったかと納得しながら、由紀は三沢を気の毒に思った。
 「それで、なんだけどね」
 その言葉で、由紀は我が身に降りかかりつつある厄介ごとの見当がついたのだった。
 「まさか」
 「そうなんだ。三沢さん、キレちゃってね、自分はもう面倒は見られない。総務で引き取ってくれって。だから、佐伯君、村田さんを預かってほしいんだけどね」
 由紀はこっそりため息をついた。やっぱり。
 「常務からのお達しは、村田さんに外線電話を取らせないこと。外部と接触させないこと。そのかわり、戦力としてはカウントしないから、ってさ」
 山岡はまたしても楽しそうである。
 「うちも人は足りてますしね。広田君はまだ仕事に慣れていませんし」
 無駄と知りつつ由紀は反論してみる。
 「ほら、給料明細を封筒に詰めるとか、そんな仕事でいいんだよ」
 「そんな仕事、月に一度しかありませんよ」
 「だよね。ただ、村田さん、異様に仕事が遅いらしいんだ。その日の日報をその日に書かずに、翌朝に書くらしいんだけど、それに昼まで掛かるんだって」
 「はあ」
 「ね、すごいだろ」
 「そうですね」
 仕事をしていなければ日報に書くことなどなさそうだが、それに時間が掛かるとは、確かにすごい。とはいえ、由紀には信じられないというほどではなかった。村田の履歴書は由紀も見たが、世間的に言うならば高学歴といえるだろう。だが、由紀の学生時代のアルバイト先や以前勤めていた会社、取引先などの、いわゆる大企業の本社や研究所にも、とてつもなく絶望的に仕事ができない人というのはいたのだ。男女比は関係ないらしい。一体どうやったらこんなミスができるんだ、と周囲を呆れさせる人物というのは、どの会社にも一定数はいるらしい。
 「村田さんは、パソコンはどうなんですか」
 「僕と似たり寄ったりだろうな」
 「得意、ではないんですね」
 「うん。そう」
 「じゃあ、広報でどうですか。依田さんならうまくやってくれそうですが」
 「広報?」
 山岡は驚いて訊ね返す。
 「はい。まず、ウェブサイトも依田さんが管理してますけど、そこにはタッチできないようにしましょう。管理者画面にログインできないようにしておけばいいし。外線を取らないように、というのは村田さん本人に言うしかありませんね」
 もともと依田美穂の専門はコンピューターだったのだ。
 「なるほど。でも、じゃあ村田さんには、何をやってもらうの?」
 「社内広報担当、ということで、社内報の校正をやってもらえばいいかと」
 この会社では月に一度、社内報を発行していた。二つ折りのごく簡単なもので、各支店のメンバー紹介や身辺雑記のようなもの、社内行事の連絡などを美穂がパソコンで作って社内でコピーしている。
 「校正って、何をやるわけ?」
 「実は、そんなに仕事はないはずです。社内報は依田さんが、支店の人に原稿を依頼してメールで送ってもらい、ちゃっちゃと作っているんですけど。
 昔は、『写植』といって、手書きの原稿を、別の人が打っていたんだそうです。原稿を見ながら打つから、どうしてもミスが出ますよね。打ちあがった写植の文章が、元の手書きの文章と食い違ってないかを確認するのが、そもそも校正だったんです」
 「それじゃ、今は?」
 「今は、データで受け取りますから、食い違いはないですね。原稿そのものの変更への対応が主だと思うんですけど、社内報は原稿をもらったら、もらいっぱなしです。だから、頂いた原稿の打ち間違いや漢字の変換ミスの確認だけですね。校正って本当は結構、面倒な仕事なのですけれど。四色の印刷の色も………」
 そこまで言って由紀は言葉を濁した。
 「佐伯君、詳しいね」
 山岡はふと、由紀が別の職業も持っているような錯覚を自覚した。佐伯由紀は自分同様、定時に退社し、有給休暇もきれいに消化し、ごくたまにだが私用で姿を消すことも連想したのだ。
 「それほどでも。とにかく、印刷前の原稿を読んでいてもらう、というのはどうですか」
 「うん。それ、いいね。でも、依田君には、事情を話さなきゃなあ。いや、全員に話さないと駄目か。外線を取らせちゃいけない訳だし」
 由紀は笑顔で答える。
「話すしかないですよ。でも、みんな納得すると思いますよ。村田さんの噂って、こっちにもすぐに流れてきます。村田さんはすでに有名人ですよ。次はどんなミスをするのか、みんな楽しみにしてるくらいです」
 これには山岡は苦笑いした。
 「対岸の火事だったわけだ。明日は我が身ってやつだね」

     *
 彼女は白い寝具のベッドに仰向けに横になり、隣にいる彼の手を握っていた。
 「なんでこんなに眠いのかしら」
 目を閉じたまま、彼女は呟く。
 「庭を歩きすぎたんだよ。今日は陽も照っていたしね」
 「眠りたくないの。眠ってしまったら、暗い暗い淵に落ちて、二度と出られない気がするんだもの」
 「それは違うよ」
 彼は彼女の手を握り返す。
 努力して目を開けた彼女は、彼のほうに首を向ける。
 「ひとりにしないで」
 それから、独り言のように、寂しいのは嫌だわと言うと、そのまま眠り込んでしまった。彼は彼女の手を放して体を起こし、もう一度彼女の手を握りなおす。もう片方の手で彼女の髪を撫で、額に手を当てて彼女を見つめ続けていた。

     *
 目を覚ました由紀は、自分の目が濡れているのに驚いた。夢でも見て泣いたとしか考えられないが何も思い出せない。携帯電話に手を伸ばし、時間を見て更に驚いたのは、あと数分で会社で朝礼が始まる時間だったからで、なぜ目覚ましのアラームが鳴らなかったのかは見当もつかなかった。突然由紀は会社を休もうと決心した。先週末の退社前、机の上に貼ったメモの内容を一生懸命思い出す。それらに急ぎの仕事はないことを確認する。総務課に引き受けた村田もこの二週間、大きなトラブルも起こしていないし、大丈夫だろう。会社に電話を入れることにした。さあ、休む理由は何にしようか。体調が悪いというのが無難だろう。嘘をつくというのはエネルギーを使うし面倒だ。だから、嘘を付かないために、多くのことを黙っている。けれど、それはそれで後ろめたさを感じるのだから、可笑しなものだと思う。
 電話に出たのは幸い広田だった。体調が悪いので今日は休むと山岡に伝言を頼む。相手が広田なら、詳しく言い訳などしなくてもよかった。明日会社に行けば、すでにうやむやになっているだろう。
 冷蔵庫の中には、幸運なことにキャベツとベーコンがあった。パスタを茹で、炒めたキャベツとベーコン、コンソメの素と合わせる。
 食べ終わるころには、由紀は出掛けることに決めていた。顔を洗い簡単な化粧をして、コットンのパンツと帽子、最低限の荷物を入れた鞄にヒールのない靴。不思議とカメラを持っていく気にはならなかった。
 マンションのエントランスを出て坂道を下る。しばらく前まで貪欲に成長していた植物たちは、いまや葉に日光を受けることを楽しみ、風に揺れて緩やかに踊っている。初夏の陽気。由紀は寒さが苦手で、若いころは暴力的な真夏の暑さがいちばん好きだったが、いつの間にか夏をノスタルジックな季節に感じるようになっていて、しかもノスタルジックな物や出来事が好きではなくなった。だから真夏でなはなくこの季節が由紀にとって、最も好きな季節と言えそうだった。
 平日にいつもと違う時間に駅に行き、会社とは反対方向の電車に乗るというだけで、日常から逸れているという、逃避行のような冒険のようなくすぐったさと自由の気分で心が弾んだ。
 列車の中の席は最初は埋まっていたのだが、徐々に空席が増えていく。ドアの前には若い女と幼い女の子が立っていた。普通に考えて母娘に見える。女の子は左手でポールを掴み、ドアのガラスにへばりついて外を眺めている。母親は左手でポールと握り、右手は女の子の肩を軽く抱えるようにしている。由紀はこの二人を眺めた。仮に自分が結婚して子どもを産んでいた場合の数年前の姿という発想は浮かばず、完全な他者として二人を見ていた。この母娘がこれからどこに行くのか想像してみる。例えば母親の実家。そこには女の子の祖母がいて、子どもの喜びそうなお菓子と昼食も用意して二人が来るのを楽しみにしているのだと想像してみる。
 母娘が電車を降りた頃には座席もほとんどが空席になっていた。由紀は体をずらして窓の外を眺める。洗練された建物は見当たらなくなり、駅の規模も小さくなっていた。駅と駅の間は住宅地や商店街、公園、そして小さな畑、といった具合に窓の外の緑が多くなってゆく。里山というのだろうか、と由紀は考える。箱庭のごとく小さな山がポツリと残っていたりする。やはり最終的には植物がこの地を覆うだろう。
 先進国の中には、人工授精によってなんとか人口を維持している国もあると聞く。この国も少子高齢化と言われて久しい。私も子どもを産まなかったけれど、独身であったり結婚しても子のいない友人も多い。人口は減り、廃墟が増えていく。世界の終末の危機を描いた映画などでは地球が滅茶苦茶になるけれど、あんなことはきっと起こらないだろう。ヒトが滅びても植物は残るはずだ。植物が完全に滅びたらヒトも絶滅するしかないけど、ヒトが先に絶滅すれば、植物はどんどん地上を覆う。
 ヒト自身が地上にばら撒いた放射性物質の影響を一番深刻に受けるのはヒト自身のはずだ。なぜならヒトはその能力を脳と手に特化したんだもの。精密なものほどエラーには弱い。生命ができたときから空から注いでいた放射線に対しての防御はできても、地上で作られた放射性物質に対する防御システムをヒトが得る時間が残っているとは思えない。放射線が原因とは限らず、いずれ人は自分で自分の首を絞めるようにして滅びるだろう、人は欲深いから。人類の滅亡はきっと劇的なものではなくて、何百年か何千年を掛けゆっくりと滅びるだろう。
 そう、やっぱり、人が造った建物も街も、やがては植物に侵食され、飲み込まれていくのだ。機械音やエンジン音も消えて、鳥の声と虫の音が響き、木や草はますます生い茂る。きっとこれが終末の姿だ。
 由紀にとってそれは、悲劇的未来ではなく、むしろ夢のように思える。苦しいことや悲惨なことがあっても、長い長い時間が経ってしまえば全て消えうせる。すべてに終わりがあり、すべては流れ去る。そこに安らぎを感じるのだ。
 電車が停車した駅でついにこれ以上先に線路がなくなり、由紀は駅の改札を出た。それからコンビニエンスストアでペットボトルのサイダーを買う。
 目の前の道路を渡るための横断歩道はなく、代わりに地下道がある。以前に来たときよりも綺麗に整備されているようだと由紀は感じた。道路の真下を過ぎ、地下道の坂を上りきると海だった。
 海が青いのは晴れているからだ。以前に由紀が来たときは曇りだったので、海も青みがかった灰色だった。けれど今、目の前に広がる穏やかな海は青く澄み、凪いでいる。
 海水浴のシーズンには少しだけ早いが、砂浜や階段に点々と人が座り、皆、海のほうを眺めている。砂浜を歩いている人もいるし、沖にはサーフィンをする人たち、そして更に遠くに霞む小さな漁船。
 靴が砂にめり込んで歩きにくい。小さな流木や生乾きの海草が落ちている。なるほど、潮の匂いというのは、湿った海草の匂いだったのだと由紀は思った。
 砂浜で靴を脱ぎ、靴下を靴の中に突っ込んだ。それから海に近づき、足を濡らす。透明で冷たい水が薄く広く押し寄せる。くるぶしまで濡れるくらいのところに立つ。水がするすると寄せてまた去っていくと、その度に足の指のあたりの砂をさらっていくものだから、足が少しずつ砂浜に沈む。いや、沈むというのは大げさだ。ときどき由紀は走った。波のリズムは一定ではなくて、数回おきにとても遠くまで水が滑り込んでくるので、服を濡らさないように逃げなければならなかったのだ。
 やがて由紀は靴のところまで戻り、少し熱い砂の上に座った。細かくて暖かい砂を海水で濡れた足に振り掛け、それから砂を払い、また乾いた砂を掛ける、それを繰り返すと足は乾いた。それから、サイダーのボトルも鞄から取り出し、体から離してゆっくりと栓をひねる。しゅうう、と炭酸が抜けたが、こぼれることはなかった。
 サイダーを飲みながら、由紀は海を眺めて幸せを感じていた。波の音に掴みどころがないのは音源があまりにも大きいからだろうし、だから大きく安定した呼吸のようで、自分の精神が肉体の枠を超えて広がり、同化しているような心地よさ。視界いっぱいの青。海と空の接する場所が実在する気がする。

 翌日、会社に行くと由紀は滑らかに日常に滑り込んだ。前日に休んだために仕事が少し多かった。木下香も依田美穂も今日は弁当を持ってきており、由紀にしては珍しく少しだけ気が焦って落ち着かず、近所のコーヒーショップでサンドイッチのようなものを食べて簡単に済ませてしまった。
 今日も残業をしなくて済みそうだという由紀の予想は、意外なことで外れてしまった。村田がアクロバティックなミスをしたことが午後四時過ぎに発覚して、その対応に追われたのだ。
 なんとか仕事を終えて会社を出たものの、昼食が軽かったので由紀はとても空腹だった。いい加減な食事を摂ると、人生のうちの一回分の食事を損した気分になるのだが、それでもつい魔が差してファストフードでハンバーガーを胃袋に入れた。店を出て電車に乗り、窓の外の灯りが素早く次々と流れ去るのを見つめ、いつもの駅で降りる。
歩行者用信号が青になるのを待ちながら由紀は、家に帰ったら何かちゃんとしたものを食べようと考えていた。軽くても少し手間の掛かったもの。冷蔵庫の中身を思い出す。ああ、何もない。家の近所のスーパーに寄ろう。信号が青になったので歩き出す。
 突然、大きなブレーキ音と右側からの衝撃。由紀には何が起こったのか分からないまま、宙に放り上げられていた。時間の流れが異様に遅くなる。もう一度全身に衝撃。視界は真っ暗で何も見えず、音も何も聞こえない。痛みも、身体の感覚もない。なぜか自分の部屋が思い浮かび、弥生との旅行の約束のことを思い出し、なんで、という言葉と、やっぱり、という言葉が由紀の頭に浮かんだ。やがて視界は真っ白になった。

     *
 由紀は白い寝具の海で目を覚ました。見覚えのある天井。自分の手を眺め、それから両手を合わせてみる。手を握り、開き、もう一度自分の手のひらを眺める。それから、両手で自分の頬を触り、ゆっくりと起き上がり、時間を掛けてベッドから離れた。
 窓辺には木のテーブル。窓の外にはハーブとバラの庭。そして、目の前にひとりの男。
 由紀は言葉を失ったまま彼を見つめていた。彼は黙って彼女を見返す。その表情は読めない。
 「こういうことだったのね」
 やっと彼女が口を開く。
 「私は死んだのでしょう? ここは現実の世界ではないんでしょう」
 「そうだよ」
 彼が少し悲しそうな顔で答える。
 「あなた、知っていたのでしょう、私が死ぬって。なんで教えてくれなかったのよ。私が最後に食べたものが何だか分かる? ハンバーガーとポテトよ。その前は………そんなことはどうでもいい」
 彼女の怒りは収まらない。
 「説明して。いったいどうなっているの? ここはバーチャルな世界なのでしょ」
 伏せ加減だった顔をまっすぐ上げ、彼は話し始める。
 「バーチャルな世界、と言われるのは少し不本意だな。せめてスピリチュアルな世界と言ってほしいのだけど。ここは長い間、君の夢の中とつながっていたんだ。眠っているあいだ中、夢を見せるわけにはいかない、脳がもたないし身体の調整もできない。だからいつも、睡眠中の君の時間だけ早く流していたんだけど」
 「そのせいで私は早く死んだんじゃないでしょうね」
 彼を見つめる彼女の目は少し心細げになった。
 「もちろん、そんなことはないよ。君は、君の実際の生活には釣り合わないほどに健康だったはずだ。
僕にはどうにもできなかった。運命にもいろんな重さがある。生まれたら必ず死ぬという運命と、石につまずいて転ぶ運命が同じ重さじゃないようにね。とりあえず、座って」
 彼は椅子をひき、彼女の両肩を支えて椅子に座らせた。
 「あなたは何者なの? まさか悪魔?」
 由紀の言葉に、彼は驚いた顔をしてみせた。
 「心外だな。本気で言っているの? 僕は天使だよ。君は、人生の豊かさと人生の長さは単純に比例すると思っているの」
 「ずいぶんと無機的な言い方ね」
 そう答えてから、由紀はしばらく黙り込んだまま、身動きをしなかった。
「ううん、思ってないわ。私はたぶん、幸運だったのね。満足しているかもしれない。最後の一冊になっちゃったけど、あれが間に合ってよかったと言えるのかもしれない」
 窓の外を眺めながら彼女は答える。
 「ねえ、なんで君はここで写真を撮ろうと思わなかった?」
 由紀は振り返り、彼の目を見ながら答える。
 「だってここは、楽園なのだもの」

     *
 森本信也は依頼された追悼文をパソコンで書いていた。

 サエキユキは不思議な存在である。最初の作品を発表して二十年になるが、この写真家の素顔を知る者はとても少ない。私自身も幸福な偶然がなければ彼女と知り合うことはなかっただろう。公式には本名、プロフィールも公表せず私生活についても全く語らなかったし、ポートレイトもない。彼女の言葉はいつも詩の形で出されるのが常であった。しかし実は、少なくない人々が彼女を目にしていたのである。休日にサエキユキの写真展で受付に座っていた女性こそが写真家本人だと気づいた人間はいないだろう。
 彼女の写真もまた、写真家の存在を感じさせないものだ。被写体に人物の姿はなく、しかし自然を主役に据えたものもなく、写し撮られているのは常に、濃厚な人の気配だ。一瞬前まで人がいた場所、もう少しのところで人が見えない場所、今はたまたま人の姿はないが常に人が生活している場所。人間を愛しながらも眩しすぎて直接に人を見ることができない妖精の視点を思わせる。それはサエキユキの独特のアングルによってもたらされる印象であるが、彼女という存在の在りかたが編み出したものでもあるだろう。
 この写真家の最後の写真集となった『遥か遠い未来 Far Distant Future』は、それまでの作品と少しだけ趣きを異にする。そこに人物は写っていないが、すでにずっと以前から存在しないのである。人が去ってその痕跡は植物に侵食され覆われ、そこに微かに残る人の気配を集めた風景。滅びた人類を悼み慈しむような視線。そう考えると、この写真集において初めて、写真家は「他者」と同じ場所にいるのである。
 突然に命を落とさなければ、今後、どのような写真を撮っていただろうか。それは

 ここまで一気に書いて森本は手を止めた。正直に言うならば、サエキユキの作品を初期のものから順番に見ると、最後の写真集は彼女の写真家としての人生を完結させているように思えてならないのだった。長編小説なら、完結した最終巻。しかし、それをそのまま書くには、その死は突然でしかも早すぎる。暗い道の横断歩道を渡ろうとして、信号無視でスピードを出した車にはねられたと聞いている。
 また、生身の彼女のことを書いたほうがよいのかも分からない。写真集の打ち合わせのために初めて会ったサエキユキに森本は驚いた。写真家にもカメラマンにも見えなかった。あえて言うならばキャリアウーマンという古臭い言葉しか浮かばず、実際、会社を途中で抜けてきたのだと言っていた。いちど、なぜ会社員を続けるのかと訊ねると、自分にはどこかに所属しているという実感が必要なのだと言っていた。打ち解けて話してみると屈託のないお嬢様のようなところもあり、写真家としては間違いなくプロだった。合理的な大人の人格の陰に、少女の人格が隠れているという印象だったのだ。彼女は間違いなく芸術家だった。「自分は風景の美しさには興味がない。自分の内側にある強烈な憧れと共鳴する空気を切り取って収集している」と言っていたのを思い出す。
 彼女の素顔は、そのまま秘密にしておきたい気がした。


     *
 彼女は、テーブルの上のカメラを見た。使い慣れた一番気に入っているカメラだ。
 「写真、撮ればいいよ。暗室もあるんだ」
 彼はいたずらっぽく笑い、由紀は思わず表情をやわらげる。
 「そうね。今ならば、ここで写真を撮るのも悪くないわ。あなたに感謝しなくちゃね。私はここで幸せだったんだもの」
 彼を見ながら彼女が呟く。
 「でも、何故なの? これは全ての人に与えられたサービス? それとも、私があまりにも可哀想だったからなのかしら、そうとも思えないけど」
 老婦人が銀のトレイを持って部屋に入ってくる。ティーポット、カップとソーサーが二組。皿のスコーンは微かに湯気が立ち、ゆるく立てたクリームとブルーベリージャムが添えられている。
 老婦人はテーブルの上のカメラを見て、それから彼女の顔に視線を移し、テーブルにお茶とスコーン、ナイフとフォークを置いた。
 「さあ、召し上がれ。夕食はちゃんとしたものを食べさせてあげます。私は料理がとても得意なの。永遠にお料理をしてもいいっていう約束をもらっているのよ」
 そう言って、彼と彼女に微笑みかけ、部屋を出ていった。
 「天使も絶望するんだよ」
 唐突に彼が言葉を発した。
 「僕は物質としての形を持たないで存在し、世界に絶望していたんだ。
君が通りかかったんだよ。僕は君の中に入って、君の目を通して世界を見た。君は空を見たんだ。そして心の中で言ったんだよ」
 彼女は確信した。ああ、あの空だ。あの人に別れを告げた日の空。太陽は傾き始めていて、厚くて小さい雲の陰になった。けれどその雲は太陽の光で金色に縁取られ、空全体もまた、金色に光っていたのだ。そして、心の中で呟いたのだ。
 この空を見るためだけにでも、生きている価値がある。
 「あのときから、ずっと僕は君と一緒なんだよ」
 彼は正面から彼女を見た。
 「そして、これからも離れないのでしょう?」
 彼女の言葉に、彼は笑って頷いた。














                                                       (終わり)

眠り姫の時間

2014年10月27日 発行 初版

著  者:石井まきこ
発  行:プリミティブ ファクトリー

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