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<筆者>
矢達侑子(やだつ・ゆうこ)
1992年生まれ、徳島県出身。神戸市外国語大学国際関係学科に在籍。2013年8月〜2014年8月まで休学し、ガーナ大学(ガーナ共和国・首都アクラ)へ留学。開発メディアganasのボランティア記者として「ガーナNOW!女子大生は見た」を連載。

<開発メディアganas>
「途上国を知る。世界が広がる。」をモットーに、開発のトレンドや国際協力NGOの取り組み、BOPビジネス、アジア・アフリカ情報などを発信しているNPOメディア。NPO法人開発メディアが運営。

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ガーナNOW!女子大生は見た【カラー版】

矢達侑子

NPO法人開発メディア



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

まえがき

1★baako 路上の物売りはなぜ減らないのか、経済成長の陰に深刻な「南北格差」

2★mmienu 大学で3週間のスト!正当性を考えてみた

3★mmiɛnsa 主食だけで10種類以上!気候の違いがバラエティを生む

4★ɛnan ガーナ料理の一番のスパイスは「おもてなし」!

5★enum 「ボク紛争」を考える、知れば知るほど複雑さに打ちのめされる

6★nsia アフリカンヘアに挑戦してみた!女子のオシャレは時間・体力・お金が欠かせない

7★nson 西アフリカで25万人暮らすレバノン商人、そのワケを調べてみた

8★nwɔtwe 経済発展の陰で悪化する「水問題」、蛇口をひねって出るのは週数回!?

9★nkron 金の違法採掘は中国人の仕業? 裏で利益を貪るガーナ人

10★edu これがガーナ流の水の飲み方だ!「ピュアウォーター」は500ミリリットル5円

11★du-baako ガーナのW杯は熱い! 仕事をサボって「ブラック・スターズ」を応援

12★du-mmienu インフレは日常茶飯事、友人の生活苦を思う

番外編★ 埼玉・草加のガーナレストラン「アフリカン・パレス」、在日アフリカ人の憩いの場!

番外編★ ガーナのバレンタインデーは「チョコの日」、セックスは控えましょ!

写真集★

あとがき

メダワセ -お世話になった方々へ-

まえがき

 本書は、私がガーナ大学(ガーナ共和国・首都アクラ)へ留学した2013年8月から14年8月までの約1年間に、NPOメディア「開発メディアganas」で連載した記事を集めたものです。タイトルは「ガーナNOW!女子大生は見た」。その名の通り、女子大生である私(当時20〜21歳)の視点から、等身大のガーナをつづっています。

 「ガーナ」や「アフリカ」について、みなさんはどんなイメージをおもちですか。エボラ出血熱、紛争、飢餓、貧困、汚職、エイズ、マラリア、奴隷貿易、植民地、音楽、ダンス、ジャングル‥‥。ネガティブな情報のほうが、ポジティブまたは中立な情報の量よりも圧倒的に多いのではないでしょうか。


 私も映画「ブラッド・ダイヤモンド」(06年)や書籍「世界最悪の紛争『コンゴ』」(10年)などに影響されて、「紛争」というアフリカの負の面に強い関心を抱きました。11年末、大学1年の冬でした。そして1年半後の13年夏、「アフリカの紛争を解決する方法を学びたい」との思いに駆られ、西アフリカのガーナへ留学したのです。その時点で私がアフリカに対してもっていた印象は「混沌」だけでした。

 ガーナは1957年に英国から独立後、大規模な武力紛争を経験しておらず、アフリカでも「優等生」と言われるほど比較的平和な国です。しかし周辺には紛争を経験した国々(ナイジェリア、コートジボワール、シエラレオネなど)が多いため、ガーナの大学では紛争解決学や平和構築論の研究が進んでいるのでは、と期待していました。

路上で私の大好物ハウサ・ココを売る少女たち。これは北部の伝統料理で、ミレット、生姜、スパイスから作るどろっとしたスープ(グレーター・アクラ州レゴン)


 ところが、実際にガーナで約1年間生活する中で見えてきたのは、「紛争」よりももっと多様な面を持つ国ガーナでした。路上で物を売る人々、国内の南北格差、豊かな食文化、オモテナシの文化、発展する都市部での不安定な水供給、気候変動、土地をめぐる争い、情熱あふれる起業家たち、仕立て屋のおばちゃん、激しいインフレ、頻発するストライキ、「拡大家族」という名のセーフティーネット‥‥。
 
 日本にいると伝わってこないさまざまなことが現地では起きています。一言で「紛争」や「貧困」というラベルを貼り、片付けてしまうのは間違っていると私は思います。日本を含む先進国と同じように、ガーナでも日常生活の中に政治・経済的な問題があふれていて、また豊かな文化や国民性も共存しています。それはひとつの国・地域として当たり前の姿ではないでしょうか。ネガティブ、ポジティブ両方の面をバランスよく見つめて、それでやっとひとつの"地図"が完成するのです。

 本書には、ガーナに滞在していた時に執筆した12本の連載記事と帰国後に執筆した2本のコラムを掲載しています。なお、いくつかのデータは執筆当時と変わっていますが、そのままになっています。目次のタイトルの数字はガーナのチュイ語でも表記しました。

 最後に、私の連載は1話1話がガーナの人たちの協力なしには完成しませんでした。右も左も分からない土地のことをがむしゃらに知ろうとしていた私を、暖かく見守り、手を差し伸べてくれた優しい人たちに、心から感謝します。

 日本の人たちがアフリカに対してもっている「混沌とした大陸」という名の霧(ステレオタイプ)を、本書が少しでも晴らすことができればと願っています。

NPO法人開発メディア
矢達侑子

1★baako
路上の物売りはなぜ減らないのか、経済成長の陰に深刻な「南北格差」

車の間を歩く物売り。美味しそうなフルーツやスナックに、ついつい手が出てしまう(グレーター・アクラ州オッポングロ)

ガーナ大学に晴れて留学

 神戸市外国語大学で国際関係学を学んで3年、ついに憧れの大地、アフリカへ飛び出した。留学先はガーナ大学だ。13年8月1日、30時間の旅を終え、私はガーナの首都アクラに降り立った。生まれて初めてのアフリカは私にとってすべてが衝撃的。なかでも、私の目を最も引きつけたのは「路上の物売りたち」だった。

 渋滞する道路の真ん中で、車と車の間を縫うように歩く物売りたちの群れに私は圧倒された。頭の上にバナナを載せる中年女性、びんのジュースを両手に抱える青年、「ピュアウォーター!」と叫ぶ水売りの少女‥‥。果物やジュース、スナック菓子はもちろん、かばんや携帯電話、携帯電話のプリペイドカード、車の修理用具まで何でも手に入る。

 私は最初、車の窓に近寄ってくる物売りにどう対応していいかわからず戸惑った。だが3日もすれば、異様だと思った光景も日常茶飯事に。いまでは彼らから気軽に物を買うようになった。店に行くのと違い、車から降りる必要もないし、このうえなく便利だ。



ギャングのボスはいなかった

 路上の物売りについて私は、インドのスラムで育った少年を描いた映画「スラムドッグ$ミリオネア」のように、ギャングのボスがいて、子どもたちに商売させているとのイメージをもっていた。ところがガーナでは違うという。

 ガーナ大学の職員や友人に尋ねると、物売りのほとんどは個人事業主。自分で品物を仕入れ、売ったぶんがそのまま自分の収入になるという話だった。少数だが、小売業者(商品の販売業者)に雇われている者もいるとのことだ。

 私は実際、ガーナ大学のキャンパス内と大学近くの路上で、合計11人の物売り(14~40歳の男女)に話を聞いてみた。全員が個人事業主だった。市場や農家から商品を仕入れる人もいたが、母や祖母が作ったお菓子を売る人もいた。

信号で止まったバスに群がる物売り。お金や商品の受け渡しが間に合わず、走り出したバスを必死で追いかける物売りも(グレーター・アクラ州オッポングロ)

1日4000円売り上げる強者も

 1日当たりの売り上げは平均25セディ(約1000円)。ただ、最も少ない人はわずか5セディ(約200円)。その一方で、95セディ(約4000円)近く売る強者もいたことに私は驚いた。

 実は、ガーナでは路上の物売り(歩きながら販売するタイプと、道端に小さなスタンドを構えて販売するタイプに分類される)は法律で禁止されている。警察の取り締まりもある。ただ物売りの数が多すぎて、どうにもならないのが実態だ。

 交通の妨げにもなるのでどうしても物売りを排除したいアクラ市議会(Accra Metropolitan Assembly、アクラ市を管轄する地方政府)は07年、アクラの幹線道路の交差点であり、最も多くの物売りが集まるクワメ・ンクルマサークルに「歩行者用ショッピングモール」を建設。莫大な費用をかけ、4000人の物売りを収容可能にした。アクラ市議会から承認された物売りは、このモールに自分のブースを構え、商品を販売することができる。

 しかし、ガーナ大学地理資源開発学科の教授らによると、「歩行者用ショッピングモール」に移ってから1週間ほどすると、物売りたちの多くはまた路上へ戻ってしまったという。路上の方が売り上げが良いからだそうだ。

 ガーナ大学の友人も「物売りの数はあまり減っていないよ。路上ビジネスは、売店よりも高い価格を設定できるから儲かるのさ。客にとっても、わざわざ車を停めて店に行かなくて済むから、多少高くても路上で買うんだよ」と説明する。

 物売りと客の利害関係は意外にもウィンウィンなのだ。

タオルやハンカチ、ティッシュなどを売る物売り(左)。商品は頭の上に乗せるのが基本だ(グレーター・アクラ州アクラ)
机まで売っている。ただ、実際に机を買っている人は一度も見たことがない(グレーター・アクラ州バチョナー)
なかなか客がつかまらないのか、休憩する物売り。炎天下のなか立ちっぱなしで商売をするのには、かなり体力がいるだろう(グレーター・アクラ州アクラ)

雨が少ない北部は長い農閑期

 アクラの路上で物を売る人の多くが地方出身者。西部、中部、東部、北部と、ガーナ全土からやってくる。特に多いのが北部だといわれる。

 その大きな理由は、気候に恵まれていないこと。ガーナ気象庁によると、南部では1年間に雨量のピークが5月か6月、そして10月の2回ある。このため作物の栽培期間を長く確保できる。対照的に北部は、雨量のピークは8月か9月の1回だけ。農閑期は長く、収入を補てんするために、アクラをはじめ南部へ出稼ぎに行く人は後を絶たない。職を求めて、南部の都市に移り住む人も多い。

 また、海岸に面する南部は貿易で発展してきたが、内陸に位置する北部は経済発展から取り残されている。ガーナ大学の職員(40代前半)いわく「北部へ通じる道路はまったく整備されていない。だから国内の投資家がアクセスできないんだよ。投資が入ってこなければ、発展しないし、仕事も生まれない」。

 北部最大の都市タマレには空港があり、南部の大都市であるアクラやクマシへは1時間程度で飛べる。ただ、陸路に比べると値段が15倍近く高いため、比較的豊かな人か、海外の投資家や援助機関の職員など、限られた人しかアクセスできないのが現状だ。

 物売りではないが、アクラの市場には、買い物客の荷物を頭に載せて運ぶ「カヤイエ」と呼ばれる女性がいる。彼女らのほとんども北部出身だ。

市場で荷物を運ぶカヤイエ。若年から中年女性まで、年齢層はさまざまだ(グレーター・アクラ州マディナ)

GDP成長率は14%なのに

 ガーナはいま、経済成長が世界で最も著しい国のひとつだ。11年の国内総生産(GDP)成長率は13.6%。ただ急成長をけん引するのは、金やカカオの価格高騰と、07年に発見された石油。ガーナ経済は資源への依存度が高い。

 経済成長の陰で、依然として減らない路上の物売り。地元紙のデイリー・ガイドによると、路上の物売りを含むインフォーマルセクターは雇用全体の7割を占める。ガーナ政府は、さまざまな雇用創出策を打ち出しているようだが、教育を受けていない若者にとって、インフォーマルでない職を得るのは至難の業と聞く。

 ガーナに来て2週間。まだ何も知らないけれど、ちょっと見聞きしただけで、経済発展ありきではインクルーシブ(包摂的)な成長は難しいのではと実感した。投資先や市場として注目を集めるアフリカだが、私は、庶民の生活をもっと見ていきたいと思う。



  タチヨミ版はここまでとなります。


ガーナNOW!女子大生は見た【カラー版】

2015年4月5日 発行 初版

著  者:矢達侑子
発  行:NPO法人開発メディア

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