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この本はタチヨミ版です。
口語訳
老水夫行
サミュエル・テイラー・コールリッジ 著
明瀬 和弘 訳
『老水夫行(The Rime of the Ancient Mariner)』は、十八世紀後半のイングランドに生まれ、産業革命の時代を生きたサミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge)の幻想的な長編詩である。
英詩として最も有名な作品の一つであるものの、「誰もが知っているが実際に読み通した人はほとんどいない」という典型例でもある。これは、すでに古典となった名作が共通してたどる宿命なのかもしれない。日本でも『源氏物語』を知らない人はいないだろうが、あの五十四帖すべてを読み通した人がほとんどいないのと同じだ。
学校の授業で、辞書を引き引き、文法や解釈で先生に叱られつつ、重箱の隅をつつくような「鑑賞」をやった作品を、もう一度、読んでみようという気にならないのも当然ではある。
とはいえ、源氏物語についても多くの作家が現代語訳に何度も取り組んでいるように、古典には現代にも通じるものがあり、読んだ者がそれを人に語らずにはいられない魅力(魔力?)があるのも事実である。だから古典として生き残っているわけだし、これを神棚に祭り上げてしまって素通りするのはもったいない。
この長詩に出てくる罪と罰を象徴するアホウドリや幽霊船のイメージは、現代にも広く浸透している。詩に出てくる船も船乗りも海賊とは直接の関係はないのだが、この幽霊船のイメージは、製作側が意識するにしろ無意識であったにしろ、ディズニー映画の『パイレーツ・オブ・カリビアン』やアニメの『ワンピース』にも通じているところがある。
というより、その根底にある生と死、罪と罰、呪いと復讐、魂の叫びと救済には共通したものがある、とさえ言える。
酒の席の潤滑油たる雑学ないしトリビアとして言うと、コールリッジの同時代人だったシェリー夫人が書いた『フランケンシュタイン』にも、この老水夫が引用されている。自分は霧と雪の国へ行くが、コールリッジの老水夫のようにアホウドリを殺したりはしないので心配しないように、といった風に。
訳者個人としては、この『老水夫行』は、ロッド・スチュワートのヒット曲『セイリング』("Sailing")のイメージと重なる。
セイリングといっても、若い世代はあまりピンとこないかもしれないが、一九七〇年代に大ヒットしたブリティッシュロックの傑作だ(インターネットの動画サイトなどでは歌詞の字幕付で視聴もできるようだ)。正確に言うと、オリジナルはサザランド・ブラザースというイギリスのデュオの曲で、数年後にロッド・スチュワートがカバーして世界的な大ヒットになった。
歌詞は、世界を放浪していた男が最後に、船に乗って海を越え(1番)、鳥のように空を渡り(2番)、故国へ(あなたの元へ)帰る、というものだ。この「あなたの元へ」は、ラブソングであれば恋人か妻か、はたまた母親かとなるところだが、いきなり夜の闇に沈んで死にかけている「私の声が聞こえますか」という呼びかけに転じ、「おお神よ、あなたの元へ」となって終わる。
男と女や母と子の心の絆を歌っているのかと思って聞いていると、最後になって神に救いを求める者の心の叫びだったとわかる仕掛けになっている。
東洋の非キリスト教徒たる訳者にとっては意外な展開に思えたが、コールリッジの『老水夫行』を読んだとき、「ああ、このイメージだったのか」と納得したものである。
この古典となったロマン主義の詩とポピューラソングの歌詞の共通性を論じた説は寡聞にして知らないので、これは訳者の勝手な思い込みにすぎないのかもしれない。とはいえ、帆船と吉兆を示す鳥、嵐というイメージは、それほどにも一般的なものとして定着しているということだ。
とまあ、つい、こういう面倒くさい能書きを言いたくなる作品なのだが、細かいことは「あとがき」をご覧いただくとして、まずは全体を読んでみてほしい。
現代の読者の琴線にふれるところが少しでもあれば幸いである(こういう表現もくどいね。ま、絶対に損はしないから、読んでみてください!)。
二〇一四年十二月
訳者
底本
The Rime of the Ancient Mariner, Sibylline Leaves: A Collection of Poems, Samuel Talor Coleridge, 1817
老水夫行
全七部
はじめに
題辞
第一部
第二部
第三部
第四部
第五部
第六部
第七部
あとがき
原文(1817年版)
この世の事物には、目に見えるものより見えないものの方が多く存在する、と思わざるをえない。だが、そのような存在すべての系統を誰が説明してくれるだろうか? それぞれの階層や関係、違いを示す特徴や属性は? 目に見えないものは何をしているのか? どこに生息しているのか? 人間の知性は絶えずそれを知ろうとしているが、まだ解答は得られていない。その一方、精神が日常生活のささいな出来事に心を奪われ縮んでしまわないように、些少なことに拘泥してしまわないように、時には、もっと大きな、もっと優れた世界をノートに描くように表現してみるのも精神的に益があることを、私は否定するものではない。しかし、同時に、私どもは、真実に気を配り、調和した感覚を保っていなければならない。確実なことと不確実なこと、昼と夜を区別できるように。
[トマス・バーネット (1635?年-1715年)、哲学的考古学(1692年)68ページ]
主題
赤道を通過して南下した船が、嵐のため、いかに南極の方へ、寒い国へと吹き流されたか。そこから、船がいかにして太平洋の熱帯地方まで戻ってきたか。そうして遭遇した奇妙な出来事と、老いた船乗りがいかにして故国に戻ってきたか。
老いた船乗りが、婚礼に招かれ、めかしこんでやってきた三人の若者と出会い、一人を引きとめる。
老水夫だった。
三人連れのうちの一人を立ち止まらせたのは。
「ひげ面で、目をぎらつかせた爺さんよ、
なんで俺をとめるんだ?」
「花婿の家の扉が広く開けられているだろ、
俺は新郎の親戚なんだ。
客が招待されて披露宴があるんだ。
にぎやかな声が聞こえるだろ」
老人は骨ばった手で若者をつかんだままだ。
「船があったんだよ」と、老人が言った。
「離せよ! 手を離せって、ひげ面の爺さんよ!」
すると、老人は手を離した。
婚礼の客は、老いた船乗りの目に射すくめられ、老人の話に耳を傾けざるをえない。
老人はぎらつく目で若者を射すくめた――
婚礼の客はその場に立ちつくし、
三歳児のように耳を傾ける。
老水夫は若者を意のままに操った。
婚礼の客は、路傍の石に腰をおろす。
老人の話に耳を傾けざるを得ない。
そこで、老人は語り始める、
目を輝かせて。
「船は歓呼の声に送られて港を出たのだ。
自分達は高揚した気分のまま
教会の下を、丘の麓を、
そうして、灯台の下を通りすぎていった。
老いた船乗りは、船がいかに順風と晴天にめぐまれて南へと向かい、赤道まで達したかについて語る。
太陽は左手の、
海から昇ってきた。
太陽は明るく輝き、やがて右手の
海に没した。

タチヨミ版はここまでとなります。
2014年12月16日 発行 初版
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