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ザ・ライトノベル・キマイラ

東来杜

東来杜出版



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ザ・ライトノベル・キマイラ


 そのうるささのあまり、目覚ましは幼馴染がよく投げていた。そんなもんだから、ここ数週間はずっとりんりんとも鳴らないままだ。いい加減にしろと俺は言ってやりたいんだが、どうにもそれを言うことは出来ない。情けない男ったらありゃしないってところか。
 おかげで今日は遅刻した。
「いやー、参ったもんだ」
 と言いつつも、そんなに内心は焦ってもいなかったんだが。あれだ、たまには俺も焦っている人間というものを演じてみたくなったりしたのさ。なんてな。そんなこともあったりするわけだ。なんてな。朝の道は明るい。ちょうど桜が散ったところの、この時期は街路樹に青葉がよく茂っている。涼しげにサラサラと音を出す。その一つ一つに聞き惚れていたいが、ごめんな、俺は今急いでいるんだ。そんな暇はどこにもないのさ。なんてな。
 俺は登校路を走っていく。ったく、あいつめ、俺を見捨てていきやがって……なんて息巻きながら、俺はまだ熱くないアスファルトを蹴り飛ばしていたのさ。そしたら、後ろから声が聞こえてきた。
「うわー、遅刻だー遅刻だー」
 マジかよって感じだ。今どき、そんなベタに遅刻だ―なんていうやつがこの世にいたのかっていうか、まあ、そんな感じ。で、俺がそんな間抜けはどこにいやがるんだって。振り返ってみたら案外近くにそいつは嫌がった。真後ろ。しかも、そいつの顔には妙に見覚えがあった。
 っちうか、それは幼馴染だった。
「はぁ!? マヒル? なんで俺の後ろで走ってやがるんだ、お前」
「え、なんでもなにも……リョウくんが私の前を走っているから、私がリョウくんの後ろを走っているんじゃない」
 ……俺が言いたいのはそういうことじゃない。
「違うわ、馬鹿! お前、俺より先に学校に行ったんじゃないのかよ」
「馬鹿とか言われたーひどいよー」
 マヒルは泣きだした。だから、そっちじゃなくて……
「お前はなんで、俺の後ろにいるんだ――――――――――――――――っ!!」

 朝っぱらには怒号はよく響いた。

 でもって、今は昼休み。
 え? 時間飛ばし過ぎだって? うぜぇな。いいだろ別に。そこまで時間を飛ばされると気になることがわからないって? あぁ、あぁ、分かったよ。分かったよ。じゃあ、必要なことだけ教えりゃいいんだろ。教えといてやるよ。
「俺とマヒルは相当、こってりと脂がギトギトになるまで担任から絞られた」
 大声で喧嘩(?)して近所迷惑だった分もまじってそれはこっぴどく叱られた。だがなー、ぶっちゃけ、そんなことはどうでもいいじゃん。別に。もう過ぎちまったことなんだ気にするなっての。朝のことなんて重要じゃないんだよそれに。重要なのは昼休みの弁当の時間でのことさ。俺は友達の山口や渡辺と一緒に弁当をつつきあっていたんだが、この弁当をつつきあっているときに大きな事件が起きたんだよ。だから、そこらへんから話をすることにする。
 ちょうど、その日の弁当のつつき合いでは、俺が俺の弁当から卵焼きを持って行こうとする不届き者を成敗していた。
「おい! てめぇ、俺の弁当から何勝手に卵焼き盗んでやがんだよ!」
「あ~、ちょっとちょと正木。ぎぶぎぶぎぶぎぶ。きついからキツイから」
「あんだてめぇ。俺のコブラツイストが辛いってか。辛いってのかアイアンクローが!」
 不届き者ってのは山口のことだ。こいつは、どうにも手癖が悪い。今回こそはと俺はとっちめることにしたわけさ。
「正木くん。そういうのよしなよ」
 俺を諌めようとしているこいつが渡辺。クラスでも女子に一番人気ってくらいの、肌の白い美少年だ。そんなやわな見た目と同じように、こいつは精神的にもとてもやわだった。人が暴力を受けていると必ず「やめましょう」だってさ。学級委員か! お前は!
 渡辺は実際に学級委員だった。人気が高いからな。自分で立候補せずとも、組織票であっさりと学級委員に就任できちまうってことさ。まあ、そんな学級委員様は山口のことを庇っているわけだ。
「あんだ、あんだ、あんだ――――――っ! 渡辺、お前この盗人のことを許すってのか。許せねぇだろ。人の弁当から卵焼き盗んでばっかりじゃねぇか。俺は好物なのによ。甘く甘く砂糖をぶち込んで作ったこれが好物なのによ! 知ってるくせに奪うんだぜ! 許すまじか! 即処刑に決まってんだろ!」
「処刑とか、やめなって。卵焼きくらいで」
「くらいじゃねぇ! 俺にとっては一生の宝だ!」
「一生の宝を毎日食べてるの?」
「おうよ!」
「卵程度で大袈裟なやつ」
 山口が呟いたので、俺は即チョークスリーパーを掛けることにした。山口にそれだけは言われたくねぇ。山口は必死で抵抗する。そりゃ、もう必死でもがく苦しんで、指先がグネグネと動いたもんさ。あいつの抵抗は相当なもんで、俺はチョークしながらも、山口の強い足取りに引っ張られて、教室の窓際まで引きずられた。
「早くオチちまえや……なあ、こっちも辛いんだよ」
「冗談、じゃ、ない、、、、、な。こっちだって、意地はあるッ」
 山口が強い力で、俺のチョークを外そうとしてくる。山口は俺ほどではないが、なかなかの怪力の持ち主だ。だから、俺のチョークも外れそうになる。だが、俺はそれをさらに無理やり封じようとする。力と力は拮抗した。山口と俺は首周りで激闘を繰り広げた。いうなれば、第三次肉体大戦だ。
「ぎぎぎぎぎぎぎ……」
「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ……」
「げげげげげげげげげげげげ……」
「ごごごごごごごごごごごご………」
 俺らは唸る。
 すると、渡辺が叫んだ。
「危ないっ!」
 何いってんだ、危ないことは承知でやってんだよ。と、俺が呆れようとしたその直後、窓の外から飛来するものに俺は気づいた。それは俺らの真正面までやってきていた。猛スピードで少女がこっちに向かって突っ込んできていた。
 ガシャーン。窓ガラスが割れる。音がバリバリバリィッて響いて、少女と俺たちは正面衝突しそうだった。とっさに山口を横に放り投げるのが精一杯だった。次の瞬間、俺は少女と衝突して一緒に教室の床に落ちた。
 落ちただけならいいんだが、猛スピードの少女の勢いは俺一人じゃ殺せなかったらしい。そのまま、教室をゴロゴロゴロゴロと勢い良く転がった。他の生徒が悲鳴を上げて、ぶっ飛ぶ俺から逃げる。俺は机の中にゴシャーンと突っ込んで止まった。
 そして、ムニュッと妙に柔らかい感触が唇にした。
 気づくと少女の唇が完全に俺の唇にくっついていた。
 教室が色んな意味で湧く。
「キャーセクハラっ!」
 なんて叫ぶ女子は一体なにを見ていたんだろうか。
「羨ましい!」
 とかいう野郎は俺の背中に走っている痛みを今すぐ俺のケリで再現してやるぜ。悶絶しても知らねぇから。……しかし、羨ましいってどういうことだよ。俺は目の前の少女をよく見てみる。顔は、まあ悪くはないけどさ、っちうか、かわいいんだけどさ。いや、俺はそれだけでなびくほど、軽い男じゃござんせんぜ。なんてな。
 と、
「不潔―――――――――――――――――――――――――っ」
 教室にざわめきをかき消して、そんな叫び声が響いた。マヒルだった。クラスメイトたちをかき分けて、ぐちゃぐちゃになった机を飛び越えたマヒルは、俺から少女を強引に引き剥がした。
「不潔だよっ。リョウくん。見損なった!」
「しょうがないだろ! 偶然なんだから!」
「だけど、……そ、その、ちゅ、ちゅ、ちゅちゅちゅちゅちゅ………ちゅぅ?」
 ちゅうって言うのが恥ずかしいなら言わなきゃいいのに、わざわざ言うあたりがマヒルくせぇ。と俺は思った。
「キスでいいだろ」
「そ、そう! その、キスしてから、だいぶずっとしてたじゃん! すぐに『うはぁっ!』とか言ってこの子を引き剥がさなかったじゃない! 不潔っ」
「それは、……まあ、ちょっと見とれてたからなぁ」
 マヒルのげんこつが飛んでくる。
 俺はそれを持ち前の運動神経で見切って受け止めた。
「不潔だよ! 最低、見損なった、リョウくん」
「しょうがないだろ! 周りが羨ましいとか言いやがるから……」
「羨ましいって言われたから続けたの? そ、そんなの、リョウくん、リョウくんじゃない! そんなエッチなこと考えるなんて、リョウくんじゃない。お前、誰だ!」
「俺はリョウだよ。正木リョウ。お前こそ、誰だよ。こんなにギャーギャー喚きやがってそれで本当にマヒルか!」
 そう言った途端に、マヒルの目から涙がこぼれた。売り言葉に買い言葉でついポロッといってしまったが、まずったなぁと俺は思った。マヒルはひくっひくっとしゃっくりを初めた。あちゃー泣いてやがる。そして、ぼそぼそとした声で「マヒルは、マヒルだよ。リョウくんのマヒルだよ……」と呟いた。
 気まずくなる。
「あーぁ、な~かせたっ」
 山口がうざったく言いやがる。
 それでなんだかむしゃくしゃして俺は、
「うぜぇ! そんなに言うんならマヒル、お前にもキスしてやろうか! あぁっ?」
 するとマヒルはいっぱいながら、俺を睨みつけて、

「最低……だよ。私の気持ち知ってるくせに!」


 いや、知らねぇよ! 
 ……は。なに言ってやがるんだ、こいつ。そう思っている間に、マヒルが教室から出て行く。ちょっとマヒル! とか言って女子数人が追いかけていく。教室を出るとき、その女子たちの一人が俺に向かって「見損なった!」と言ってきた。
 いや、そもそも、お前ら俺にどんな過大評価をくだしてたんだよ。俺はこんなもんだろ。元から。
 マヒルが引き離したっきり、眠っている少女を前に俺は思う。いや、というか、そもそもの発端である。こいつはなんなんだよ。やたらかわいい顔してやがるけど。こいうt,さっきからちっとも動かないで目をつぶったまんまなんだが。
 死んでいることはないと思う。さっきのキスの感触は、その、温かったからな。
「謝りに行ったほうがいいよ」
 渡辺が俺に言う。うるせぇ、そんなことは俺だってわかってるよ。でも、なにを謝ればいいんだ。俺は悪く無いってのに! 全てはこいつが悪いんじゃねぇか。なのに、なんで俺が全面的に悪いみたいな話になっているんだ。……そうか、こいつがずっと目をつぶっているからだな。
 俺はそう気づいて、少女の目を覚まそうと少女の肩を持って、揺さぶった。
「なにしてるんだよ、正木」
「こいつが、元凶だろ。起こして事情聞いたほうがいいと思ってな。おい、起きろ起きろ!」
 バシッと額を叩く。少女の白い肌に赤い跡が残る。
 そして、少女がゆっくりと瞼を開けた。少女は金色の瞳をしていた。少女はしばらく意識が朦朧としていたのか、焦点が合わないまま俺を見つめていたが、やがてはっきりとし目で俺を見つめる。
「ここはどこだ」
「俺たちの教室の中だ」
「教室? ここは高校か」
 そう言って、彼女は周りを見る。徐に起き上がると、彼女は大声で笑った。なんだこいつ。危ない病院から抜け出してきたやつか? 
 笑いながら、少女は教室の机を足で蹴散らしていく。スコーンスコーンと気持ちいいくらいに机がふっとんで、少女の周りにはなんにもなくなった。その円周が少女の独壇場になる。
「人間たちよ! 初めまして。私はフロンドヴィリイピカイェ・ファッキン・フレンドサブシップサブミッション・アス・ブルシット・サブレンジ・ウーファーアンプリファーエッジ〈リトルチキン〉フラワーアセスメントトラック・バック・ループ・レック・レッグウォーマーだ!」
 教室中がしんとする。
 いや、こいつ、今イピカイェって言わなかった? ファッキンつったぞ。アス、ブルシットって。途中からなんか妙に音楽機材の臭いもしてやがるし。そして、〈リトルチキン〉とはなんぞ? なぜ途中で名前を〈 〉で括っているんだ? なぜ、こんなドラクエのふっかつのじゅもんよりも長い名前を羅列しているんだ。お前はピカソか! 寿限無か!
 そんな疑問が大きく教室内に漂っていた。
 俺は沈黙の教室の中を見渡す。
 もう様相としては、昼どころじゃないって感じだった。そりゃ、そうだろう。みんなの弁当とか、全部ぐしゃぐしゃに床にばら撒かれちまっている。お米の粒々がぐっちゃりだ。これじゃ食べる気になんてならない。それにこんなはた迷惑な馬鹿が、暴れている状況じゃあな。お代官様、無理ってものがありますぜ。なんてな。
「で、何のようなんだ、レッグウォーマー」
 俺は独壇場で踊る(比喩でもなんでもなく、本当に踊っていた。ずいぶんとふしぎなおどりだった)少女に話しかける。
「フロンドヴィリイピカイェ・ファッキン・フレンドサブシップサブミッション・アス・ブルシット・サブレンジ・ウーファーアンプリファーエッジ〈リトルチキン〉フラワーアセスメントトラック・バック・ループ・レック・レッグウォーマーだ。馬鹿者」
「わかってるよ、レッグウォーマー」
「ちぃがぁうのぉ。フロンドヴィリイピカイェ・ファッキン・フレンドサブシップサブミッション・アス・ブルシット・サブレンジ・ウーファーアンプリファーエッジ〈リトルチキン〉フラワーアセスメントトラック・バック・ループ・レック・レッグウォーマー。フロンドヴィリイピカイェ・ファッキン・フレンドサブシップサブミッション・アス・ブルシット・サブレンジ・ウーファーアンプリファーエッジ〈リトルチキン〉フラワーアセスメントトラック・バック・ループ・レック・レッグウォーマー。フロンドヴィリイピカイェ・ファッキン・フレンドサブシップサブミッション・アス・ブルシット・サブレンジ・ウーファーアンプリファーエッジ〈リトルチキン〉フラワーアセスメントトラック・バック・ループ・レック・レッグウォーマー。フロンドヴィリイピカイェ・ファッキン・フレンドサブシップサブミッション・アス・ブルシット・サブレンジ・ウーファーアンプリファーエッジ〈リトルチキン〉フラワーアセスメントトラック・バック・ループ・レック・レッグウォーマー」
「うぜぇ!」
「そんなふうに繰り返しているもんだから……昼休みが過ぎていって、瘤がひっこんじまった。キーンコーンカーンコーン。」
「寿限無かよ! 二度目だぞ、このツッコミ!」
 あと、この高校、そのチャイムじゃないよ。真面目な渡辺がちょろっと呟く。
「で、お前、何のようだ! こんなところで!」
「学校にゲルニカを起こしにやってきたんじゃぞ!」「語尾がおかしい! さっきと違うぞ」「こほんっ、ゲルニカを起こしにやってきた、というわけな~の~でっ! はははははははははははははははははははっ」再び少女は馬鹿みたいに大笑いする。顎が外れんばかりに口を大開にして、唾を飛ばしている。少し汚い。
 ともかくとして馬鹿みたいに笑う少女に耐え切れず、俺は手元を探すとちょうどよく、床に転がった湯気がモワッと立ったままの大きめの肉団子があったので、それを少女の額めがけて投げつけた。
「あてっ。あちっ。うあ。うあ。うあ。なにこれ。熱いじゃん! 超熱いじゃん、この肉団子」
「ひっくり返されたお弁当の恨みの分だ! 馬鹿! 喰らいやがれ!」俺はそう言い捨ててから「笑ってないでとっとと喋れよ! もったいぶるな。てめぇ、バカか。アホか。ノータ(自主規制)か。(規制)イか。(規制)か。(規制)じゃないのか!」
「あう……」
 少女は肩を落とした。そこまで罵詈雑言を浴びせられると落ち込むらしい。〈イピカイェ・ファッキン・フレンドサブシップサブミッション・アス・ブルシット〉がなに気にしてやがんだかなあ!
「おい、落ち込むなよ。悪かったから……で、何のようだって?」
 ぴくりと少女の耳が動く。
「ゲルニカを起こしにやってきたんじゃー!」
 そして、少女を中心にでかい爆発が起きた。教室の中にいた、俺たちは一斉に吹き飛ばされて壁に磔になってしまう。なんだこれ。机が全部窓の外へと飛んでいった。椅子がガツンガツンと天井にあたって穴を開けた。天井がボロボロになっているじゃねぇか。お前、あとで校長先生にこっぴどく絞られても知らねぇぞ!
 そうして磔になった俺らを眺めながら少女は言う。
「これからみなさんには、ジェノサイドを味わってもらいます」
 殺しあってもらうんじゃないんだ……、と俺は場違いにもそんなことを思った。
「私は死の天使です。あなたがた全員を天へ導くために現れました」
「はぁ?」
「あなたがたはなんとも運がいいです。私によって死へ運ばれるということは、人間が感じる限界までの痛みと憎しみと絶望と怒りを感じて死ねるというわけです。自らの限界を達した感情を感じることが出来るなんて人生一度っきり。体験しない人も多い体験です。それが出来るなんて羨ましい」
 言ってることが無茶苦茶だと思った。そんな苦痛味わうのなんて嫌に決まっているだろ。ふざけやがって。冗談じゃねぇ。しかし、本当の本当で、それは冗談じゃなかった。この少女は俺たちのことを殺そうとしているのは嫌でも分かった。
 みんなが苦しそうに呻き声を上げ始めたからだ。クラスのみんな苦しそうにぎぃぎぃいってやがった。痛い痛い痛いっと近くに磔にされていた渡辺が呻く。
 真面目なこいつがここまで呻くんだ。これは相当なものに違いない。
 なんてこった。本当にジェノサイドしようってのか、この教室を。教室中からやかましく叫び声が響く。母親の名前を呼んでいるやつもいた。クラスの誰かの名前を呼んでいるやつもいた。パニクっているやつもいた。死にたいと掠れた声で呟くやつもいた。
 で、俺は、というと――不思議と平気だった。
 クラスのみんなが苦しむ中、俺にだけ、なぜかその苦しみがやってこない。痛くない、苦しくない、辛くない。なぜだ。
「なんで? なんで!」
 少女も不思議らしく、俺を睨みつけている。
「なんで、あなたは平気そうな顔をしているんだ。なんで、あなたは、手も足も指先も足の甲も太ももも腕も胸も全てが平然としている。なんでその表情で笑っている。――表情が、表情じゃなくなったとでもいうの。そんなバカな話はないわ。――きっとおそらく。――違う。――そんなわけはない。――私は信じない。――なぜ、あなたは平気なのかしら。――なにこの陳腐な文章表現」
「知るかっ!」
 俺は不思議と磔にされていたはずの体が、自由に動き回れるようになっていることに気づいた。そして、俺は爆風の中、爆心地である少女へとまっすぐ向かっていく。
「うおおおおおおおおおおおお!」
「やる気か! こいつ。蹴りか殴りか。どっちに来るつもりだ!」
 少女は身構える。俺は猛然と走って少女に対して拳を構える。殴りか、と察した少女が上段に腕を構えた。
 そして、俺はおおきく振りかぶって、少女の頭をガッチリと掴んだ。
「へぶっ。はえっ。何してんの」
 そして、そのままアイアンクローを食らわせた。めりめりと指が頭に食い込む。
「ぎゃっは――っ。痛い、待って、待って、マジで痛いから。マジで痛いから。冗談じゃないから。あつつつつつつ、頭蓋骨が折れる。頭蓋骨が、あ、頭に蝶々が飛んでる! すごーいすごーい。ぱちぱちしてあげないと。ペンギンさんが歌ってるー。うあ。カバさんが尻尾を振り回しながら糞してる。あそこではぞうさんが鼻で倒立してる。チンパジーがチンパンジー食べちゃってる。あふひゃは。あふふひゃ。パンダさんがやってきてお茶会をしているわ! 蝶々が花粉と鱗粉をばら撒いている。すごーい。すごーい。……は! ヤバいッ」
 少女はもう一度大きく爆発した。俺がまた吹き飛ばされる。どうも、この爆風には俺は耐えられないらしい。でも、爆風の轟く中でも、自在に体は動かせた。なぜだ。
「くそっ。どうしちゃったのよ! なんであいつ、私の力を中途半端に凌駕できるの!」
「それは凌駕してるっていうのか」
「うるさい。うるさーい! あんた、一体何したのよ。私に毒でも盛ったの。いたいけな乙女の体になにをしたっていうのよ!」
「知るか! 俺だってなんで動けているのかよく分からん! きづいたら、動けた!」
 少女は大きく舌打ちをして、俺に手をかざす。あぁ、不味いなと思った俺は、力いっぱいに足を振り絞った。ぽーんと一気に少女の元まで体が吹っ飛んだ。自分の脚力で。なんじゃこりゃ。
「なんじゃ、そりゃー!」
 少女が思わず叫ぶ。
 構わずに俺はもう一度、少女にアイアンクローを食らわせた。
「あははははははははっ。嘘みたーい。ぷっぷーがいっぱいはしってるー。わんわんがどこにもいるー。にゃんにゃんかわいい。なでなでするのー。うひゃは。うひゃは。きらきらいっぱいー。うれしー。ふにゅね。ふにゅね。あひふふふふ。――あ」
 二度目の意識混濁の中から、少女は自分を取り戻すと大声で泣き喚いた。と同時に、また爆発して俺の体も吹き飛ぶ。「うわーん。もうやだー。この仕事やだー。やめるー。絶対、やめてやるー」と言って少女は教室から駆けていく。仕事だったのか。
 爆風は消え、あのヘンテコな術は解け、教室は静謐に戻った。
 まだ泣いているクラスメイトのしゃっくりが、ただただ静かに響いていた。
 とりあえず、全員無事みてぇだ。

「とりあえず、追いかけていきなよ。二人とも」
 なんでそうなるんだか、よく分からないが、五分くらいして落ち着いてから、渡辺が俺にそう声をかけてきた。僕らも一緒に行くからさ、とへらへら笑っていうが、いやー一緒についてこられたほうが足手まといになると思うんだけどなぁ。まあ、善意は認めるけど。それに、だいたいなんで、わざわざ危ないところへいかなくちゃならないんだ。
 そりゃ、同じ教室から出て行った方でも、マヒルの件は分かる。教室がぐしゃぐしゃになった今、マヒル、及び彼女を追いかけにいった女子群はどうなっているんだという不安があるからだ。でも、
「なんで、あの死の天使とか言うやつまで、気を使わなくちゃならないんだ」
「いやー、泣かせちゃったかぎりは、泣かせた男が迎えに行くもんだと思うよ」
「それ、意図している言葉の意味が、だいぶ違うだろ」
「それはそうなんだけどね」
 渡辺はニッコリと笑う。なんで、笑えるんだかなー。お前、さっきまで苦しんでたじゃん。もうちょっとは恨まないもんかね。実際、クラスメイトの中にはまだ怖くてガクガク震えているやつと、怒りで目ン玉燃やしてるやつがいるってのに。人が良すぎる人というのも考えものだ。
「まあ、とりあえず、行こうぜ。マヒルが心配だったりするだろ」
 山口がいつの間にか教室の扉のところに立っていて、言う。
「ちょっと待て。お前も行くのかよ」
「当然、二人だけじゃ頼りないだろ」
 磔にされてたやつになに言われても説得力がまるでない。
「それに、どうせ、お前一人でマヒルと会話してたら、あれだろ? どうせ、お前またマヒルを泣かせるに決まってるじゃん。そこらへんをちゃんとフォローしてやるからさ」
 それは一理あった。でも、お前はついてくるなよ。本当に面倒くさいんだから。俺はそんなことを思っていたのだけれど、結果的に、山口も渡辺も、俺と一緒に教室を出て行くことになった。なんでこんなことになったんだろうかなぁ。
 俺、口が苦手なんだ。だから、言いくるめられるときは思った以上にあっさりと言いくるめられちまう。廊下は思った以上に騒然としていた。色んな教室の生徒達が、廊下に出てきては「一体、さっきの音はなに?」「どこ? どこ?」って顔をして、キョロキョロと見回している。
 俺たちのクラスで騒動が起こったということは、まだ分かっていないらしい。まあ、そりゃそうだろうな。こんな混雑の中だと、情報も色々錯綜するに違いない。教室が三度も爆発するなんて非日常的な現象はまずありえないから、きっと人々の反応なんてこんなものであってもおかしくはないはずだ、でそのとおり、こうなっているというわけだ。こんな状況だと、こんなものが、こうなっている、というわけなのだぜ。なんてな。
 それはともかくとして、さて、外へ出たはいいんだけれども、俺らはどこへ向かえばいいんだ。マヒルはどこに行っちまったんだかなぁ。頭を俺は掻きむしる。俺には分からねぇぞ。
「マヒルちゃんが行きそうなところくらい、正木なら分かっていると思ったんだけどなぁ」
「あのな、俺とマヒルをなんだと思っているんだ。ただの幼馴染だぞ。ただの幼馴染。別に体触りあってる仲でもなんでもないんだぜ。なのに、どうしてそんなことが俺に分かるっていうんだよ。えぇ。気は確かか?」
「お前、言い過ぎだぞ。その言い草」
 山口に裏拳を噛ますが綺麗に避けられてしまう。
「お前さ、不思議だよなぁ。あんなにぴょーんとか平気で跳べてたくせに、今はいつもどおりの強さなんだな。爆風の中で走っていった姿が嘘みたいだ」
「うるせぇなぁ。知らねぇよ。俺もなんであんなことになったのかはサッパリ分からん」
 渡辺が言い合う俺たちを、はいはい、はいはいっと熟れたように制した。
「そういう場合じゃないからね。今はマヒルちゃんを探すことが先決でしょ。……で、やっぱりマヒルちゃんの行きそうなところに心当たりはないの」
「ないな」
「そんなに仲良くないの?」
「んん~。いや、そういうつもりじゃないんだけどなぁ。最近、ウチにやってきて目覚まし時計をぶっ壊したし、あいつ」
「どういう仲だよそれ」
 山口が眉をひそめて言う。
「こういう仲だよ」
 俺はそう言った。渡辺が皮肉なのか、小さい声で、だけれども、はっきりと俺に聞こえる声で、「向こうはそういう仲のつもりじゃなかったみたいだけどね……」と呟いた。
 俺は渡辺を睨む。
「事実だよ」渡辺は健やか笑顔でそう言った。「あぁ、マヒルちゃん、どういう苦労してたんだろうなぁ」
 ついでとばかりに、渡辺はわざとらしくそう呟いた。うるせぇ。そんなこと俺にだって分かってるわ。今となれば、の話だが。そりゃ、なんも分かってなかったさ。あいつの態度には驚いたものさ。だから、どうしたんだよ。知らなかったんだよ。しょうがないだろ。あいつの態度にそんなものなんて微塵もなかったし、知らなかったんだよ。
 そんでもって、しょうがなかったので、俺は大声でマヒルを呼ぶことにした。
「オ―――――――――イ。オーイ。マヒル! どこに居るんだマヒル! どこ行っちゃったんだ、マヒル! ちょっと顔出してくれないか、マヒル! マヒル! マヒル! マヒル――――――――――――っ」
 わりと全校生徒の邪魔になるような音量で叫んだのだけれど、あいつはすっ飛んででもやってこなかった。おかしいな。これだけの音量で叫べば、恥ずかしいから急いですっ飛んでくるはずだと計算していたのに。
「オ―――――――――イ。オーイ。マヒル! どこに居るんだマヒル! どこ行っちゃったんだ、マヒル! 俺が悪かった――っ! 謝るから出てきておくれ――――っと、まだ出てこないのか。オ―――――――――イ。マヒル――――っわりと俺が悪かったと思うから! 本当にいや、お冠ってのは分かるから。だから出てきてくれないかな――――っ」
 叫べども叫べども、レスポンスはひとつもない。いや、実のところは、興味本意で野次馬しに来たやつらが俺を見て「あいつ、ばっかでねぇの」と嬉しそうに笑って、指さしてくるというレスポンスはあったのだけれど。そんなものは換算に入れるはずがない。
 それで俺はようやく事態が思った以上に深刻なことに気がついた。
「あいつ、相当、怒っているんだなぁ」
「って、おい。今さらなに言ってるんだ」
 山口が耳を塞ぎながらも、器用に俺の言葉だけを聞いて、思わず呆れ返る。
「こんなことやったら、余計に出てこなくなっちゃうよ。マヒルちゃん」
 渡辺の言葉に素直に反省する。確かにそれはそうかもしれなかった。

 それで、俺らがマヒル(とおまけ)を探していると、急にどこかのクラスの女子が話しかけてきた。彼女はマヒルたちを見掛けたというのだ。まじでか。俺はそう叫ぶと彼女の肩を揺すって話を聞いた。首ががっくんがっくんしながらも、あうっあうっとか言いながらも、俺に全てを話してくれた。
 マヒルは屋上の方に走っていったということだった。うむ。そうか。そうか。それで俺たちは走って屋上へと向かった。屋上の扉をバッツーンと勢い良く開けて、青空のもとへと躍り出る。
「マヒル! いるのか?」
 叫ぶ。
 俺が見た光景は、マヒルが少女に捕まっているという光景だった。死の天使の小さな手が気絶しているマヒルの首元を触っている。俺はマヒルが危ないと思って、駆け出そうとする。と、強い声で呼び止められた。
「待ちなさい! この子殺されてもいいのかしら?」
 いいわけがない。俺は悔しくてしょうがないが足を止める。悔しさで掌を握り締めた。バキバキ、バキバイバキバキィッと関節が強く鳴る。死の天使はその音を聞いて怯えたように少し肩を竦ませた。よほどアイアンクローが恐ろしかったらしい。
「わ、私にもう一度それやったら、この子の喉元から肺を抉り出すからね。絶対、やめてよ。それ、絶対やめてよ」
「わあってらあ。わあってらあ」
「分かってない人の返事だ」
 少女はマヒルの喉元を少し押した。くそ。
「わかってます」
「それでよろしい」
 それでいいのか。
「それにしても、お前どうしたんだ? 仕事やめるんじゃなかったっけ?」
 俺がそう言うと、少女はぴくぴくと眉を動かした。そして、突然やさぐれたようになって、「あーぁ、あーぁ」とか呻きはじめた。大丈夫なんだろうか。こいつ。なんか、精神的な病気なんだろうか。
「仕事、やめたいわよ。っていうか、やめますって言ったわよ」
「じゃあ、なんで、お前マヒル人質にとってるんだよ。仕事辞めるんなら、別にそんなことしなくたっていいだろ」
「あのねぇ……やめますって言って、その場ですぐ仕事をやめられたら苦労なんてしないのよ! たいてい、引き継ぎのために一ヶ月くらい働かされるんだから! そういう経営事情なんだから仕方ないのよ! だから、今はまだ仕事の最中なのよ!」
 少女は少女という見た目には似つかわしくなく、そんな愚痴を次々と吐き出した。天使の経営事情って言われても、なんか狐に化かされたみたいな印象しか出てこねぇな。
「そういうわけなので、私はあなたを倒します」
「そのための人質か」
「そうよ。そう。そのとおりよ。卑怯かしら、卑屈かしら、非道かしら、とんでもかしら、でも、私のあなたに勝つにはこれしかないのよ。なにが悪い。どんなことが悪い。悪いけど、しょうがないじゃない。仕事なんだもの。仕事として、ジェノサイドを起こすためには、一番の障害であるあなたを真っ先に排除するしかないのよ」
 まあ、まっとうな主張だわな。俺は両手を上げて降参のポーズを取った。
「お、おい正木!」
「いいの?」
 二人が俺に尋ねる。いいんだよ、っていうか、こうするしかねぇんだよ。マヒルが人質に取られているから。
「いい子ねぇ。いい子ね」
 少女が小馬鹿にしたように笑う。
 そして、あいつは気絶しているマヒルの顔を掴むと、俺の方向へと向けた。
「じゃあ、あんた、こいつとキスしなさい」
「はぁ?」
 マヒルの唇がこっちにぷりっと向くように、少女はマヒルの体を揺らす。
「お前、なに言ってるんだ」
「あのね、なんであんたが私の魔法内で自由自在に動けるのか原因をよぉく考えてみたのね。なんで魔法が効かないのかって。私の魔法はほとんどの人が食らうものなんだけど、唯一、魔法をまったく食らわない存在っていうのもいくつかいるのよ。私の上司とか、同僚のうざいやつとか、全員効かないんだけど。それと、もう一つ、自分自身にも魔法はかからないのよ」
「まあ、爆発のときもお前は爆発していなかったしな」
「あんまり、生意気な口効かないでくれる?」
 マヒルの首元に少女は、そっと掌を添えた。脅しだ。
 俺は口を噤む。
「いい子ねー」と笑った。まったくもってムカツク笑顔だった。まあ、ムカツカせるつもりで言っているんだろうから、そのとおりにムカツクのは負けなので、顔にはなるべくなにも出さないようにした。
「で、私にも魔法は効かないのよ。それでね、もう一つ魔法が効かない人達がいて、それは私が特例的に殺すべきでないと判断した人たちのことなのよ。人類の中でも特例的に狂った人だったり、特例的に天才だったりする人は必要だから生かしておく必要があるのね。そのために、私と特殊な接触を図らせるの。その特殊な接触を持った人は魔法を効かなくなる」
 だんだん、少女が言わんとしていることが分かった。俺が、そんな理解の縁に立ったことが分かったのか、少女は急に目を大きく光らせると、
「乙女の純情を奪ったウラミハラサデオクベキカ! 魔法の解除には、異性のキス! ファンタジーの基本を守ってもらうんじゃー」
 少はそう叫びながら、マヒルを俺に向けて投げつけてきた。唇が迫ってくる。俺は避けることもできた。が、しかし、受け止めないとマヒルが危ない。だけれど、手で受け止められるようなほどの時間がない。
 結果、マヒルの顔面が俺の顔面にぶつかった。
「キスした? キスした? ねぇねぇ、キス? しちゃった。きゃは。しっちゃったの~? 本当に? 本当にぃ? ちゅーってしちゃったの。ちゅーちゅーちゅー。げはははは。げきゃはは。きゃははは。ひゃふきゃは」
 死の天使は嬉しそうに声を明るくしている。いや、キスなんかしてねぇぜ。寸前でちょっと顔をずらして避けたさ。――と言いたいが、実際はバッチリしちまっていた。唇の下にある白いエナメル質同士がカコーンとぶつかっていたので、とても歯が痛いし、これのどこがキスだよと思ったけど、していた。してしまったのだ。
 俺たちはそのまま、屋上に倒れ込む。
 そして、次の瞬間にはマヒルが目を覚ました。
「へぶっ」って言いながら、痛そうに口元を抑えている。俺も痛くてその場を転がった。
 そして、少女は再び大きく爆発した。痛いまま、俺は屋上から吹き飛ばされる。風がびゅぅぅぅと頬を殴った。心臓の底から全身がヒヤッとした。冷たいというより、凍みるみたいな。
「キャ――――っ。リョウくん!」
 マヒルが俺の名前を叫ぶ。マヒルも吹き飛ばされていたのだ。渡辺と山口は爆発を予見していたのか、屋上の柵にギリギリで掴まっている。マヒルと俺だけが空中に投げ出されていた。おい、これどうするよ。
 いきなり地上から二十メートルはありそうなここから真っ逆さまに落ちるなんて、ありか。そんなの。ありなわけがない。絶対、絶対、俺は死ぬに決まっているマヒルは死ぬに決まっている。
 死の天使の幼げな笑い声が爆風のざわめきからそっと聞こえた。あんにゃろ、こっちのこと笑ってやがんな。俺がぶっ飛ばせないのをいいことにやりたいだけやりやがったって感じか。っちうか、やっぱり、俺にはその笑い声はムカツク。納得行かねぇ。
 マヒルごとふっとばされちまった今だ。怒りは抑えなくていい。最高潮にブチ切れながら、落ちながら、俺は叫ぶ。
「バカヤロ――――っ。てめぇなんて、もう一度、幼児退行起こしてあばばばばばばばばばばって言ってりゃいいんだよ。そのどうしようもない体型に見合ってるから、どこかのお兄さんが御人形遊びしてくれるぜ。このちくしょう!」
「落ちている最中なのに、やたら、セリフの長いやつだ!」
 知るか。俺は空中を泳いで、投げ出されたマヒルを腰から抱きしめた。
「りょ、リョウくん? な、なにやっているの?」
「あーあのさ、お前さ、その、勘違いしてるんじゃないだろうな。これは、別に深い意味は無いんだ。女の子だろ? だから、せめて、体が傷まないように俺が庇ってやるからってそれだけのことだ」
「……この状況じゃ、深い意味しか受け取れないよ」
「まあ、そうだな」
 このまま、落ちちまうのかと俺は少し落胆を覚える。これでいいのか。マヒルがじっと俺を見つめている。俺も自然とマヒルを見つめる。それは二人が通じ合った瞬間。仲直りの瞬間だった。少なくとも俺はそう感じた。
 いいのか。いいのか。本当にいいのか。
 いいわけねぇだろ。ここで物語は終わりか。ふざけんじゃなぇ。こんな中途半端に終わらせてたまるか、こんなあっさりと終わっていいものか。よくない。よくない。まったくよくない。落ちるにしたがって、肌が逆剥けるように痛くなってきた。ヒリヒリする。地面が近づいてくる。怖いな。なんで、俺がこんな思いしなきゃならない。
 あいつのせいだ。屋上にいるあのバカの、とんでも天使のせいだ。この恐怖も、悲しみも、怒りも全てあいつが作ったんだ。
 なんだか腹の底が煮えたぎった。
 そして、俺は地面へ落ちた。
 マヒルを両手に抱きしめたまま、地面にガツンと両足から落っこちて――俺は不思議とそのまま凝然としていた。無事だった。落ちたのに、全く痛みはなかった。むしろ、なぜか力が湧いているような気がした。
「リョウくん?」
 マヒルがじっと俺を見つめている。
 俺はなぜだか、このまま地面を蹴り飛ばすと屋上へもう一度戻れる気がして、地面を蹴り飛ばした。マヒルとともに、体がギューンと急上昇する。俺のハイジャンプだった。そして、気づくと屋上に俺は着地していた。
「なんじゃ、そりゃ?」
 死の天使が驚いた顔で俺を見ている。
「俺も不思議だ。なんだ、この力」
「あの……あれはおそらく……。どうなさいますか、サブラズ」
「確実に『生まれ』てしまったな。シュウトロメール。だが、喜べ。今回は好都合だ」
「それもそう、かもしれません。いや、かもしれませんではなく、そうですね」
 爆風に巻き込まれている渡辺と山口がそう言葉を交わすのが聞こえる。生まれたとはどういうことだろうか。マヒルがキョロキョロと周りを見つめる。それから、ここが屋上であることを確認して「どうしちゃったの? リョウくん」と俺にもう一度尋ねた。
 その声は、びょぅぅぅぅという、爆風の中にかき消されていたけど、それでも俺にはハッキリと聞こえた。
「俺は、なんなんだろうな……」
「おい! おい! 正木。『生まれ』たお前のことだ。今は俺たちの声も聞こえているんだろう」
 急に耳元から声が聞こえる感覚がして驚く。渡辺の声だった。普段とは想像もつかないほど粗雑な口調だった。
「なんだよ、渡辺」
「渡辺じゃない、俺はサブラズだ。お前を長い間保護していた、メシュカリュフトだ」
「メシュカリュフト?」
「概念を説明している暇はない。端的に言う、お前は、死にかけたせいで目覚めちまったんだよ、えっと、そうだな、地球の言葉で言うところの超人に」
「俺が超人」
「その高さを飛べたら、超人だろ。違うか? まあいいんだ。ともかく、お前の力は今最強だ。ハイパワー状態で目覚めている。こんな事態は避けたかったんだが、イレギュラーな存在――まさか実在しているなんて想像もしなかったが――天使のご登壇があったとなっては仕方ないことかもしれない。ともかく、正木、今のお前なら天使だって倒せるはずだ。行け!」
 そんな超展開ありなのかよって思ったけど、これがありなんだなー。なんてな。
 ともかくとして、俺はマヒルを抱きしめたまま、ひとっ飛びで天使のもとへ。
 天使は唖然とした顔のまま、爆風を発生させ続けている。俺はそのポカーンとしたままの顔を、ガッチリと指で握りしめた。へびゃ、って言った後、天使はものすごく抵抗をした。暴れるだけ暴れた。
「やめなさい。おやめなさい!」
「知るか!」
 俺は思いっきり力を入れた。
 一応、見た目かよわい女の子なので手加減はしてやったつもりだ。
「今すぐ仕事やめてやる――――っ」という彼女の嘆きには、少し同情もした。

「さて、僕らも行かなくちゃな」
 天使をあっさりとやっつけた後で渡辺と山口がそう言った。――あ、こいつら、サブラズとシュルトロメールだっけ? いいや、メンドクセ。見た目が渡辺で山口なんだから、渡辺、山口で十分だ。
「なんだよ。お前ら行くってどこに行くんだよ」
「まだ目覚めてないエピスミルドムを見張りにね。正木の場合は、天使のおかげで目覚めの瞬間が却って役に立ったけど、たいていの場合は困ったことにしかならないのさ。暴走する力ってやつはね」
「で、俺を見張らなくていいって理由は?」
「その力は三分経つと、体からしゅるしゅるって抜けちゃうんだよ。――ほら、今、ちょうど三分」
 俺は二の句が告げなくなった。次の言葉が出ないほど、口が、体が、手が、足が、ぐったりと疲れてしまったのだ。ふらり、とよろけてそのまま俺は倒れようになる。すんでのところで、マヒルが俺を支えた。
「リョウくん!」
「ほら、抜けただろ」
 あぁ、見事に抜けた。
「じゃあな、正木。まあ、お前のお守りはとても辛かったぜ、とだけ言っておく」
 渡辺がすっかり変わってしまった口調で言う。
「それでは、正木さん。またの機会があれば」
 山口は逆にやったら丁寧な敬語に治っていたのが、なんだかとても変で、少し苦笑いした。俺の口から返事は出ない。出るだけの力もなかった。
 倒れている俺は、首を上げることもできなかった。ずっと空だけを見つめた。
「消えた……」
 マヒルが呟く。二人とも行ってしまったのか。
「リョウくん、行っちゃったよ」
 そうだな。あいつら行っちゃったな。
 しばらく二人で静かにしていた。感慨が胸を打っていたらよかったんだが、この怒涛の展開というやつにいまいち体がついていけない。ふわふわと浮いているみたいな、ぼんやりとしたところにいた。
 マヒルはそんな俺を見守るようにずっと黙して、なにも語らなかった。
 不思議だ。あぁ、不思議だ。

 それから、しばらくして授業のチャイムが聞こえてきて、「そうか、まだ昼休みだったのか」と俺は急に思い出した。力がすっかり抜けて、へなへなしていた体もどうにか治ってきた。俺はどうにか自力で立ち上がる。筋肉痛でギシギシと体がいった。
 マヒルは、横でぼんやりとしている。色んなことがあったから、頭の中でその色んなことを整理しているのかもしれない。
「で、リョウくん」
 空を見上げていた彼女がぼけーっと呟く。
「クラスに戻る?」
 俺は「う~ん」と唸った。
「とても授業がやるとは思えねぇし、それに俺は授業が嫌いだ」
「そっか……帰る? 二人で」
 マヒルがじっと俺を見つめる。
 俺は彼女の、妙にキラキラとした瞳に目がいった。ふむ。どうしたもんかなぁ。体疲れているし、帰ったほうがいいかもな。今回くらいは別に勝手に帰ったって許されるだろう。あ、でも、クラスの連中に心配させちゃまずい気がするんだけど、どうしたもんかなぁ。
 屋上からは俺たちのクラスが見える。
 鞄、あそこに置いてきたまんまだな。
「とりあえず、クラスに帰ろう」
「二人で?」
「う~ん? あ、あぁ、そうだな。うん。そうだ」
 俺は頷いた。マヒルは嬉しそうだった。

終わり!

ザ・ライトノベル・キマイラ

2015年1月1日 発行 初版

著  者:東来杜
発  行:東来杜出版

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