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MOJIの群レ(データ配信版)

三糸ひかり

枝筆書庵



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  この本はタチヨミ版です。


MOJIの群レ

【全般】データ配信版についての方針

・確認作業中に発見できた、明らかな誤字・脱字、間違いなどは改めます。
・配信用データを作成する都合上、冊子での表現をそのまま再現することが難しいと考えられる場合、同等の意図と考えられる別の表現へ変更します。
・それ以外については、冊子を踏襲します。

・改めて読むと稚拙だと考えられる表現や、このような書き方を今はしないであろうと断言できるものにも手を加えません。例としては、読点の乱発、「ように」の多用、などです。それらをも含めて、執筆当時の作品であると考えます。


『MOJIの群レ(データ配信版)』について

・『MOJIの群レ』(2008.5.11/2009.8.16)と『紙の束』(2011.6.12)との二冊をまとめたものです。


MOJIの群レ



 十二オンスの液体を持ち運んでいるエニグマティッケは緊張していた。古都で古い友人から受け渡されたこの液体は、いったい何なのだろうか。それは知らない方が君のためだ、などと言われたら、あらぬ方向へ想像が向いてしまうのも致し方ないことではあろう。だが、健康によくない。目玉の中にいる赤ん坊をしっかりと産み出さなければならないのだから。

        ◇

 これは足し算についての冷徹な考察をカリカチュラルに描いた作品である。本当は、微積分についての、である。もっとも、読むに際しては、オルメンクラッとその栄光、であっても何ら差し支えはない。ベクトルはあらぬ方向を指し示しており、行列は永遠に行列したままで、その行列を見かけた通りすがりがまた並ぶ。一般に、順列・組み合わせとはそういうもので、確率と必要条件との水素結合によって、配偶者控除が行われるのだ。

        ◇

 大通りを、腕を組んで陽気な歌をハミングしながら歩いていると、一つのモナドが私たちの前を横切った。細い路地に入ったところで、モナドは立ち止まって振り返った。私たちはモナドに誘われているような気がしたから、両側にあるアパルトマンの壁掃除をしながら、モナドの後を追いかけた。
 路地は迷路になっていて、私たちはいつの間にか、腕を組んだ黒い塊になっていた。モナドはちょっと行っては止まり、振り返って、まるで私たちが帰ってしまうことなどあってはいけないかのように、何としても自分についてこさせようとしているように思えた。帰ろうにも、モナドを追いかけてここまで来たのだから、帰り道がわからない。だから、帰りようがない。
 あなたは、これがうさぎを追いかけているんだったら、もっとおもしろかったかもしれないな、と言ったけれど、うさぎを追いかける話は、昔からあったことだし、私は今でもじゅうぶんにおもしろいし、もしも、うさぎを追いかけていた方がおもしろかったのに、などと考えているのがモナドにばれて、モナドが機嫌を損ねて、その場で消えてしまったら、取り返しのつかないことになってしまうから、そうかしら、と答えたけれど、あなたは私の返事を悪く受け取ったようで、不機嫌になってしまった。
 私は慌てて、モナドを追いかけるなんて、まだ誰もしたことがないんだから、こっちの方がおもしろいと思うわ、と付け加えると、あなたも、私と離れて腕を組んでいない黒い塊のまま、路地に残ってしまうのは嫌だとでも思ったのか、そうすると俺たちはモナドを捕まえた哲学者になれるし、モナドを分析した科学者にもなれるわけだ、とおもしろそうに言った。
 モナドはだいぶ先の方で、私たちのやりとりをオプティミスティックに眺めていた。

        ◇

 エニグマティッケは、自分の腹の中にある馬の耳について考えていた。十七と八の月に、駅前にある小さな本屋で、月刊誌の編集後記を集中して読み漁っていた時に、柱から飛び出してきたエメラルドが、鞄から舞踏会の招待状程度には大事な紙切れを奪っていった拍子に、エニグマティッケは自分の腹の中に馬の耳が七個入っているのに初めて気がついた。自分の腹の中に馬の耳がきれいに畳まれて入っているのに気付いてから、エニグマティッケは他人からそのことについて様々なことを言われるようになった。役所に行っても無駄だから、裁判所に行って、殺人を予告された断食芸人が、百年の秋の思い出を嘔吐しながら求めた外套に、大君の流刑地の都の話を密告してやれ。国家は数の真理に蜻蛉の寝覚めとして叫ばれているから、中二階で軽い手荷物の詐欺師を、百人の危ない美女と郵便的に探求した方がいい。腹の中身は馬の耳、アルプス越えはつまらない。六と黒の月にはケーニヒスベルクの橋がリヴァイアザンによって不気味なものに変身させられるので、アルケミストと一緒になって、裏窓をビザンチン風オムレツの首飾りにして蜂起しておかないと駄目だよ。
 頭にきたエニグマティッケは、馬脚を思い切り蹴飛ばしてやった。

        ◇

 モナドを追いかけていくと、いつの間にか中央駅に着いた。私たちは真っ黒な塊で、もはや二人なのか一人なのか、一つなのか二つなのか、そもそも何なのか、わからなくなっていた。モナドはどんどん進んでいって、改札を通り抜けてしまっていた。私たちは大してお金を持っていなかった。というのも、ゆうべは地階でギターが手になったような人たちと、歌い、踊り、奏で、飲み、食べ、キスして、ハグして、おしゃべりしていたから。ただ思いつくままに弾いたり叩いたり吹いたりして、感じたことを歌って、怒鳴って、ささやいていた。
 私たちは地べたに腹ばいになって、モナドを追いかけた。モナドがそのまま、ちょうどホームに停まっていた特別急行に飛び乗ったから、私たちもあこがれの特別急行に飛び乗った。切符を持っていないことに気付いたのは、食堂車に転がっていった時だった。給仕が私たちを見て、誰だ、こんなところに赤ワインをこぼしたのは、と客には聞こえない声でつぶやいたのと同時だった。不可識別者同一の原理で、赤ワインはモナドを探した。モナドは、純白のテーブルクロスの上で物珍しそうに、流れゆく窓の外を眺めていた。

        ◇

 これは錯覚と幻想と誤認と黙秘についての作品である。ひょっとしたら、恋愛と結婚と性交と葬儀についての作品かもしれない。信じられないことだが、十五年ぐらい前では、親指とタイムスリップと神様と標本についてだと誤解されていた。

        ◇

 メビウスの輪、クラインの壺、ボロメオの環、ペンローズの三角形、ネッカーの立方体。ヤエミアな名前を持ったお菓子を作っているのは、特別急行のジョポンな途中駅から、坂道を流れていった先にある、マサイな楡の木の根本にボンゾマと空いた穴にあった、彼女の高価になりつつある黒いおしりに賭ける、という店のシュリマンとした運命の輪だ。カウンターに寄りかかりながら、モナドとピパポフォッチに言葉を交わしていた。音もなく近づいていくと、モナドはチッパン驚いたように見えた瞬間にガーサッスと飛んでいった。
 赤ワインは運命の輪からライプニッツクッキーを買った。モナドを追いかけようとしたけれど、翼がなかったので、ブドウに戻ってアロアロムッセと天を目指して育った。

        ◇

 エニグマティッケは、小さなチョコレートの箱を入れた、白い小さな紙袋を、茶色い紐の持ち手をつまむようにして持ち歩いていた。チョコレートには、過去の事件の忌まわしい記憶――事件解決に失敗したという記憶や、茶葉を運ぶ木箱であった頃に海に投げ入れられた記憶や、いずれ全てのものに対して審判を行わなければならない、面倒な予定が練り込まれていた。エニグマティッケは霧の都の空を見上げた。霧なのか雲なのか工場の煙なのか、どうにも判別しがたかった。ゆくゆくは鉄道が引かれて、労働者がこの都にも大量に流れ込んでくるのだろう。そうすれば、チョコレートは大いに愉快がられるに違いない。そうなれば、彼女たちを夢の世界に閉じこめておくための準備が整うわけだ。シルクハットは微笑んだ。ステッキはスキップをして、霧のせいで湿りきった、敷き詰められたレンガで足を滑らせた。チョコレートはエニグマティッケを紅茶の代わりに迎え入れた。香ばしい、甘美、彼女、満足、要求、謳い、喜び、疲労、眠り、口論。エニグマティッケは、帰りすがら、コーヒー豆を三袋買い込んだ。

        ◇

 地上がソエフォムミオになったころ、モナドは雲の上にリーアンと現われた城に入っていった。追いかけていくと、扉には鍵がかけられていて開かなかった。
 すると、どこからか馬のしっぽがオヨンと伸びてきて絡め取られてしまった。そのまま引っ張られていくうちに女郎花は男郎花になっていて、その根は腐っていた。
 城の中では王様のパンケーキをみんなに切り分けようとしていたけれど、ラプンツェルが足らないと駄々をこねた赤ん坊にみんなで手を焼いていた。仕方がないので、みんなで踊っていたら、お酢が足りなくなった会議室が、椅子をよこせと文句を言った。お城の中の人たちがそんなことをしている間に、ラプンツェルを育てている農民たちは、戦争を始めてしまって、あっという間に終えてしまった。老人は殺され、男は家畜にされ、女は雑巾にされた。
 王様のパンケーキが冷めてしまったのでみんなで山に登っていったら、こどもがいて、王様のパンケーキを石に変えてしまった。みんなは怒って、このこどもを死刑にしろ、とテニスコートで要求した。
 モナドはその隣で、リベルテ、エガリテ、フラテルニテと一緒になって、黄金のマスクの鼻の高さを測っていた。

        ◇
 
 彼は彼女のあそこがお気に入りだった。
 彼女は彼のあれがお気に入りだった。
 彼女のは、彼女たちのより優れていた。 
 彼のは、彼らの内で、最も優れていた。
 あれを、あそこに、ああすると、どのようにでもなった。 
 あちらでこれをこうしてあんなあれをそうしながらああしていると、どうにでもなった。
 彼は彼女の長い髪がお気に入りだった。 
 彼女は彼のまなざしがお気に入りだった。 
 彼女の髪は、世界で一番美しかった。 
 ああ、間違えたよ。

        ◇

 以上は『ラプンツェル・ライプニッツ・ラプソディー (Rapunzel Leibniz Rhapsody)』という作品である。

        ◇

 エニグマティッケは出張先で、どういうわけだか、異空間トンネルに落っこちてしまったらしく、王様のパンケーキの上で尻餅をついていた。パンケーキを取り囲んでおこぼれに与ろうとしていた貴族たちは、エニグマティッケに対して激烈な怒りを表明した。エニグマティッケは教授資格を思う存分発揮し、貴族たちを内在化させることに成功して事なきを得たが、おしりにべったりとついてしまったパンケーキばかりはどうすることもできず、部屋の隅で待機していたメイドに洗濯をしてくれるよう頼んだ。メイドは、どこにそんな力があるのかと驚くほどの軽々しさで、エニグマティッケを抱え上げて洗い場へ向かった。洗い場に着くと、エニグマティッケはあっというまに泡まみれにされて、ぱちんとはじけて、消失してしまった。

        ◇

 これは、流れゆく時の流れを測ろうとした、ある老博士の夢である。その夢は、雨が三日間ぶっ続けで降った時に、新しい人々の頭の中に現れて、様々な境界を打ち壊していく。打ち壊されて粉々になったものに対して、価値を見いだせる者が、性器の難問を解き明かすことができるのである。なぜなら、打ち壊されたという事態事実事象を、誰も理解していないからである。

        ◇

 改題の結果、『運命の巫女は植物園にたたずむ』とされた。

        ◇

 ここ最近、満足な睡眠とあまり関わっていない。寝付きが悪い。一時間、あるいはそれ以上を、眠ろうと思っていても眠れないで、布団の中で過ごしているのがほとんどだ。疲れ果てていて、枕に頭を載せた途端に寝入ったような場合は、目が覚めてもなお疲れている。
 眠りが浅い。近くの幹線道路を、改造した典雅さのかけらもない連中が何回通ったか、明確に答えられる自信がある。微弱な地震があったかどうかもわかる。地震がなくても私は常に揺れていると認識する。夢見が悪い。悪夢だ。
 起きるにも一苦労する。まず、目が開かない。気合いで見開いても、焦点が合わない。野良猫のように目脂がひどい。頭はさっぱり知性的生産的な活動をせず、かろうじてそれが可能になるのは、各駅停車で十五分揺られ、複雑な巨大ターミナルである中央駅を乗り換えのために横断して、地下鉄に九分詰め込まれて、急な坂道を登った先にある勤め先に着く頃だ。朝食はちゃんと摂る。それでいてその有様だから、自分でもほとほと困る。ほとには女郎蜘蛛の巣が張り巡らされている。だから夢見が悪いのかもしれない。背中一面の女郎蜘蛛の刺青だったらよかったのかもしれない。
 消化器が弱いから、よく噛むように心掛けている。よく噛んで脳に刺激を与えているのに、どうして、眠ったままなんだろう。いつでも、よく噛んで食べるから、誰かと食事に行くと、誰かが食べ終わる頃でも、私のお皿は三分の二を確実に通過していない。みんなが噛まなすぎるのか、私が噛みすぎるのか、それとも、何をするにもみんなはそつなくこなせるのに、私がもたもたしているのか。昔から、マンガや小説では、飛び起きてから十分で家を飛び出る、という場面がある。私にはとてもじゃないけれど、そんなことはできない。眠りから覚めて、ヤカンを火にかけて、パンをオーブンに入れて、顔を洗い終えた頃、既に十分が経過している。



  タチヨミ版はここまでとなります。


MOJIの群レ(データ配信版)

2015年1月11日 発行 初版

著  者:三糸ひかり
発  行:枝筆書庵

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