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天を掘る 日本書紀編

小島 佐則



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  この本はタチヨミ版です。

天を掘る 日本書紀編


目次
プロローグ
はじめに
日本書紀と古代天動説編
1   天孫降臨説
2   天鈿女命(あめのうずめ:デネブ)
3   天動説
4   古代天動説
4-1  古代天動説の実例
4-2  歳差カレンダー
4-3  絶対年代
5   天(アマノ)岩戸(イワト)伝説
5-1  天岩戸伝説発見の経緯
5-2  夏の大三角の移動
5-3  夏の大三角の移動と天岩戸伝説の符合
5-4 「建国神話」と夏の大三角の2つの三角関係
6   三種の神器
7   日本書紀の成立
8   雑記
提案
あとがき
謝辞
参考文献

プロローグ

 日本書紀と古事記は日本で最も古い書物とされ、多くの人々が色々な解釈をつけて説明されております。
 その中には「天照大御神」は卑弥呼ではないか、いや実在した人物ではないのかと言われており、そのために邪馬台国は北九州説と奈良盆地説などに分かれて未だ決着がついておりません。
 更に、「天岩戸伝説」については日食や月食ではないかなどと訳の分からない解説で、日本書紀や古事記が何であるのかも不明となっております。
 そんな中で、この二つの記紀は天動説で書かれているのではないかと言われております。
 天動説にしても古代中国や古代エジプトの天蓋説、古代メソポタミアの四面海説、インドの須弥山説などと色々とありますが、これらは「天動感」であり、感覚の世界の域を出ていません。
 次にメソポタミア地域を含む地中海周辺地域で、古代、中世を支配した天動説は「プトレマイオス説」でした。その内容は次の内容です。「地球は静止して宇宙の中心にあり、全ての天体が地球の周りを公転している」とする地球中心説の宇宙論でした。
 しかし15世紀になるとコペルニクスやガリレオによって、上記の天動説では説明がつかなくなり、更には彗星の発見により、
 従来の天動説は否定され「地動説」が台頭してきました。
 この「地動説」は判り易く、近代天文学の基礎となりました。
 更にガリレオの発明とされる望遠鏡が進歩し、現在の自然科学の天文学分野へと発展してきました。
 しかし、ここで考えてください。どこかおかしくはないでしょうか。そうです。神話や神様がでてきていません。
 ギリシャ神話やエジプト神話、北欧神話などに見られる神様が何処かへ行ってしまいました。
 そこで、再度Wikipediaを調べてみますと
 「古代ギリシャ・古代ローマ文明と同等の天動説は未だ発見されていない。メソポタミア文明では、詳しい惑星の位置観測結果が粘土板として出土しているが、この文明がどのような世界観を持っていたのかは不明である」
 と書かれており、もう一つの天動説が存在することが判りました。
 この説は数千年前から失われているようです。
 しかし、そこで、『日本の建国史である日本書紀・「天岩戸伝説、天孫降臨説」を見てみますと失われた天動説で書かれています』と言ったら皆さんはビックリされると思います。
 「それではどうしてそのようなことが言えるのか、その根拠は何か」と言う説明に、私の理論を楽しんで頂ければ幸いです。
 またこの説は誰に教わったわけでもなく、私の夢に次から次へと現れて「寝たくても寝させてもらえず」出来上がったものです。
 現在でも新しい問題が発生し、なかなか寝かせてもらえません。
 でも、一時よりは楽になりました。
 敬具

はじめに

 今回、この本を書くにあたって非常に光栄に感じております。
 それは日本の宝物と思える「日本書紀と古代天動説」を紹介できるからです。日本書紀の神代紀は日本の建国神話であり、過去に失われた古代天動説で書かれていると考えるからです。
 もともとは、「五千年前の大洪水」を作業仮説として進めていましたが、どうしても一万年以上の暦が必要となりました。
 それゆえ、歳差運動の歳差暦を使用することとなりました。
 しかし、実際は星の観測をすることができません。
 わたしの胸は、いつもその根底になるものが無く心配でたまりませんでした。つまり証明とは、再現もしくは実験で立証するかの二通りしかないからです。
 そこへ、2013年の初めに星を観測することができるパソコン・ソフトを購入しました。その観測をしていた時、偶然その軌跡が、天岩戸伝説に見えました。
 その詳細を調べ説明会を開き大勢の人に説明し、わたしの理論を確かにしました。
 私の天動説は簡単なのです。
 詳細は内容を見て皆さんに判断をお任せします。
 こんな簡単なことをなぜ気が付かなかったのか。
 確かにパソコンソフトを使用できないとわかりません。
 それにしても、私はラッキーというよりほかありません。
 いずれ誰かが、このような理論を発表する時がくるかもしれませんが、取り敢えず私が、古代天動説の日本書紀・神代紀の説明ができる喜びに感謝します。
 皆さんも私の古代天動説を堪能していただければ幸いです。
 注*古代天動説:ほかの天動説と区別するために以下「古代天動説」と称します。

読むにあたって
 この本はWikipediaを多用しております。
 実際には沢山の方の本を読ませて頂いております。
 しかし、ここに書かれている古代天動説は既に忘れられた文化となっており、従来通説と言われていることが視点を変えると違った解釈となります。
 そうなると、本の名前や著者の批判になる恐れもありますので、ここでは一般に判り易いWikipediaに頼ることにしました。
 また、ここでは数字を扱いますので演繹法の説明となります。
ご容赦願います。

「天を掘る」
日本書紀と古代天動説編

1 天孫降臨説

天孫降臨説と道祖神
 皆さんも家の周りを散策されますと、道祖神、八衢(やちまた)祖神、猿田彦などの石碑を見かけると思います。これらの言葉は日本書紀・神代紀の天孫降臨説に出てきます。
 その内容は『天照大御神の孫・ニニギノミコトが地上に降りてきて日本を建国しました』と言っています。

双体道祖神
八衢祖神

 そこで「ヤチマタ」については、下図のような所と思います。
 東アジアでは珍しい、四方、八方に伸びる放射線状の道です。

 ここが、天上界と地上界の分かれ道であり、猿田彦が待っていて、地上界を案内します。
 このヤチマタとはどこへでも行ける道であり、それでは何処から現れたのかと言えば、天から降りてきたと言う以外にありません。これは立体空間を意識し、八衢に降臨するという実感が溢れています。
 素晴らしい表現と感心します。

 また、昔の部落は一族で暮らしていたと思われます。つまり道祖神は一族の神であり、この神はニニギノミコトと共に天より舞い降りたこととしています。従いまして、日本人は全て天孫(てんそん)一族となります。
 しかし『これらの具体的な由来や説明は残っておらず、不明とされております。』 
 まず、私はこれを歴史的事実に基づいて説明したいと思います。
 日本書紀の神代紀は、全て「神が天より降りてきました」から始まる古代天動説で書かれていると思われます。

 天動説の詳細は、長くなるので、ここでは後述とさせて頂きます。天孫降臨説の前に、天岩戸(あまのいわと)伝説が書かれています。この説の詳細も後述させてもらい、ここでは要約し、その歴史的事実に絞ってお話しします。



  タチヨミ版はここまでとなります。


天を掘る 日本書紀編

2015年3月9日 発行 初版

著  者:小島 佐則

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プロフィール

名前:小島 佐則(すけのり)
1948年 神奈川県に産まれる。
1966年 県立厚木高校卒業
1970年 東京理科大学 理工学部卒業

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