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新版 電脳田舎暮らしのススメ

岸田啓

エイティエル出版



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  この本はタチヨミ版です。

 

 

 

 

 

新版 電脳田舎暮らしのススメ

 

 

 

                             岸田 啓

 

 

 

新版の序

 

 二〇一四年五月に日本創世会議が公表した「二〇四〇年には全国八九六市区町村が消滅の危機に直面する」という試算結果は日本の社会に衝撃を与えた。

 誰もがうすうす感じていたことを、「若年女性の流出」という切り口で、首都圏への人口集中と地方の人口減少がもたらす弊害として鮮やかに描いてみせたからだ。あえて目をそらして見ないようにしていたのに「ほら、こうじゃないか」と目の前に突きつけられてしまったわけである。

 日本ほど政治のみならず経済や文化も首都である東京とその周辺に一極集中している国は、世界でも珍しい。

 とはいえ、少子化による人口減少と東京一極集中がここで論じられているわけではない。

 田舎暮らしの本は数多いが、昔ながらの晴耕雨読を無条件に賛美したり、地方に住む人々の生態を上から目線でおもしろおかしく描いたりするものが大半である。都市に住む生活者の実感とあまりにかけはなれている。

 現代社会は、インターネットをはじめとするネットワークが張り巡らされた高度な情報社会である。日常の生活においても、コンピューターとは切っても切り離せない――にもかかわらず、そういうハイテク技術の恩恵には背を向けて「日本昔ばなし」の世界に閉じこもってしまう。これでは将来に対する展望は開けない。

 

 その意味で、電脳田舎暮らしの著者のスタンスは明確だ。

 

 まず海というキーワードがあり、東京にはヨットで気軽に行ける島がないから生活の場として地方を選択する。土地に余裕があり物価も安い田舎に住み、海を享受しながら、ハイテク(電脳)を駆使して東京にいるときと同じ仕事をし、東京並みの報酬を得る、というわけである。

 この本が最初に出版されたのは十数年前である。スマートフォンやタブレットはまだ存在せず、フェイスブックやツイッター、ラインなどの影も形もないころから、コンピューターネットワークを駆使して田舎暮らしを実現させている。その内容は今日でもまったく古くなっていない。

 

 今回の電子書籍版では、構成を全面的に見直した。

 第一章から第四章までの生活篇をそれぞれ「田舎暮らしの日々――春、夏、秋、冬」として独立させ、二〇一四年現在の視点からの注を随時挿入する形で加筆・補足を行った。

 さらに第五章を「電脳田舎暮らし自由自在」とし、「海に浮かぶ移動オフィス」に加えて、「海抜ゼロメートルからの山歩き」と「ひとつの石斧」を新たに収めた。

 二〇〇一年版のハイテク技術篇は第六章以下にまとめた。このようなハイテク技術は、ファッションや流行と同様に、その時代に最先端であったものから古くなっていくためである。いまでもさほど違和感なく読めると思われるが、この部分は「へぇ、昔はこうだったんだ」くらいの軽い気持ちで読み飛ばしてもらえばよい。

 

仕事をしながら田舎暮らしがしたい――はじめに

 

 

 

 私は島に住んでいる。

 島と聞くと、晴耕雨読や自給自足を連想する人が多いようで、ひとしきり田園生活賛美を聞かされたりする。

「いやあ、うらやましい。私も自然が好きでね、退職したら田舎でのんびり暮らすのが夢なんですよ」といった調子だ。

 山奥の今にも崩れ落ちそうなワラぶき屋根の一軒家での禁欲的な自給自足の生活とか、あるいは逆に、雑誌のグラビアに出てくるようなログハウスでの優雅な生活などを連想するらしい。

 どちらも少し違っている。

 まず、島といっても絶海の孤島ではない。

 九州西岸の有明海に栓をするように散らばった天草諸島の一つで、国立公園に指定されている穏やかな箱庭風の多島海である。かつては離島だったが、現在は九州本土の宇土半島まで、六つの島にかかる六本の橋を飛び石のように伝って行くことができる。

 といっても、熊本市までは、そこからさらに一時間以上必要なので、家を出て県庁所在地に着くまで制限速度を少々こえて車を走らせてもたっぷり二時間はかかってしまう。

 仕事は翻訳である。

 いわゆる文芸書やノンフィクションなどの書籍の翻訳とは少し違っている。実務翻訳とか技術翻訳と呼ばれる領域のものである。法学部出身なので契約書の英訳と和訳が専門だが、外資系企業の内部文書やコンピューターのマニュアル、雑誌の記事など、ビジネス関連のさまざまな文書が入り混じっているのが実情である。一件ごとの請負契約で、サラリーマンとして毎月決まった額の給料を貰うという生活の経験は一度もない。

 海外を含む島外のいくつかの翻訳会社から仕事の依頼を受け、コンピューターのキーボードをたたいて原稿を書き、電子メールで返送する。東京にいても地方にいても手順は変わらない。パソコンと電話回線があれば、どこででも仕事はできる。報酬は銀行口座に振り込んでもらう。電話で内容や納期の打ち合わせをすることもあるので担当者の声は知っているが、実際に会ったことはない。こういう仕事を始めたのはずいぶん前になるが、田舎に住み、仕事に電子メールを使いはじめたのが十六年前、完全にこれだけで生活するようになってからは五年ほどにな

る。

 

【2014年現在】

 電子メールを使いはじめてからほぼ三十年、完全にこれだけで生活するようになって二十年ほどになる。もうこれがなければ仕事が成立しない。

 

 横文字とにらめっこしながらパソコンのキーをたたくのが仕事なので、一度に何時間も続けてはできない。目が疲れるし、能率も落ちてしまう。そうなると、ミスも出やすくなる。そこで、少し疲れると、気分転換と称して散歩に出る。

 私の家は東南に向いた狭い谷間の中腹にあり、二階の寝室や仕事場の窓を開ければ小さな港が見える。狭い海峡を隔てて、対岸の島も見えている。自宅からその港まで歩いて五分ほどなので、散歩のついでに立ち寄ることもよくある。そこに遊びの船を置いている。

 公共の交通機関はバスしかなく便数は滅る一方なので、島での生活に車は欠かせないが、もう一つ大事なのが船である。田舎には、ディズニーランドのように受身でいてもいたれりつくせりで楽しませてくれるテーマパークといったものはないので、自分のほうから積極的に楽しめる仕掛けを作っておかないと退屈で干からびてしまう。

 船といっても、車の屋根に載せて運べるくらいの手こぎボートやシーカヤックでも十分に楽しめるし、船外機付きの釣り舟でもあれば、およそ退屈するということはない。

 私の場合、釣りは魚を食べたくなったときにするだけなので小型ヨットにしている。二隻あり、小さい方は海水浴場の貸ボートに帆をつけたようなディンギーと呼ばれるもので、春先から秋口まで天気のいいときに乗って遊ぶだけだが、もう一方には小さいながらも船室があり、夜間航海の灯火用にバッテリーを積んでいるので、ノート型パソコンを持ちこんで仕事場として使うこともできる。

 全長七メートル程度の中古艇で艇置料も安いので、田舎でヨットやボー卜遊びするのに、たいしてお金はかからない。

 このあたりは遠浅の内海で、プラスチックやビニールのごみも多く、たまに赤潮が発生したりもするのだが、それでもコンクリートのテトラポッドで固めた護岸に目をつぶって遠くを眺めていれば、景色としては、そう悪くない。

 散歩のついでに船をつなぎとめているもやいロープを点検したり、窓を開けて船室に風を通したりしているうちに、コーヒーを飲みたくなってカセットコンロでお湯を沸かすこともある。天気がよければ、そのまま海の散歩に出てしまうこともある。

 海で船に乗って遊ぶといっても、暇だからちょっとパチンコでもするかという感じに近い。その意味で、テレビや雑誌などのマスメディアに登場する豪華なヨットのイメージとはずいぶん違っている。

 田舎暮らしのいいところは、そうした自然との距離感が小さいことである。距離感には、そこに到達するまでの時間や空間といった物理的な尺度以外の、客観的な数値では表現できない心理的な要素も含まれている。つまり、ちょっと暇だから海で遊ぼうとか、退屈だから裏山にでも登ってみるかとか、そういった意味の敷居の低さである。

 一口に田舎と言っても千差万別で、人によって抱くイメージも違っているだろう。私の住んでいるところは、交通の便でいうと、羽田から熊本空港まで飛行機で一時間半、空港から県庁所在地の中心部まで四十分、そこから私の住んでいるところまでは、さらに車で二時間──乗り継ぎの時間を入れると一日がかりになる。成田からソウルや北京やグアムに飛ぶほうがずっと早いし体も疲れない。

 だから、ここは相当な田舎には違いないが、といって湧き水にランプというような生活でもない。

 単に東京から地理的に遠いというだけのことで、家には電気、水道、都市ガスも来ているし、野菜や魚はスーパーで買える。衛星放送でオリンピックやワールドカップの生中継を見たりもするし、その意味では、日常の生活は大都市近郊の建売住宅や団地に住むのとたいして変わりはないだろう。

 

 田舎に暮らす、というとイメージされる古典がある。

 

 ソローの『ウォールデン(森の生活)』。

 

 一九世紀の米国を代表する知性であったエマーソンが米国東部のボストン近郊にあるウォールデン池畔の土地を開発防止のために購入し、そこに彼の哲学を実践すべくヘンリー・デビッド・ソローが小屋を建てて自給自足で二年ほど暮らしたのは今から百五十年ほど前のことだが、いまさらその真似をするのも無理がある。



  タチヨミ版はここまでとなります。


新版電脳田舎暮らしのススメ

2015年10月20日 発行 初版

著  者:岸田啓
発  行:エイティエル出版

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