「アニメがもっとオモシロクなる」
mojitama book vol.06
モジタマ編集部がお届けする
クリエーターのためのベーシック
今回のテーマは『アニメ』です。
これを読んだら、
アニメがもっと面白くなるに違いありません。
「アニメ、アニメーションとは一体なんなのでしょうか」
マンガと一緒で1枚の絵。
しかし、マンガと違い、動きと時間があります。
映画と一緒で、動きや時間、空間があります。
辞書には、
[アニメーション(英語: animation)は、動画とも呼ばれ、コマ撮りなどによって複数の静止画像により動きを作る技術。連続して変化する絵や物により発生する仮現運動を利用した映像手法である。ラテン語で霊魂を意味するanima(アニマ)に由来しており、生命のない動かないものに命を与えて動かすことを意味する。]と書かれています。
しかし、絵がまるで命あるかのように動き、なぜ、アニメから喜怒哀楽を感じとれるのか
さっぱりわからないのです。
考えれば考えるほど、アニメの世界は広大に広がっていきます。
アニメは、マンガや映画とは別の感動を届けてくれます。
架空の世界だとわかっているにも関わらず、人物を含めたその世界を愛してしまうのです。
子どものころのアニメを見返すと、あっという間に童心に戻り、時間を忘れさせてくれます。
それはまるで、夜空を仰ぎ、果てしない宇宙に思いを馳せているかのようです。
もう「アニメはオタクのもの」と、一言ではかたづけられないのではないでしょうか。
子どものころ、宇宙を知りたいと思ったように
わたしたちは”アニマ"の"マニア"な部分まで知りたくて、宇宙へと飛び込みました。
本誌を通して、アニメとアニメーションの出発点からおもしろさや今をあなたに届けます。
あなたが『アニマ』を読み終えたとき、アニメを好きだった人はより好きに、
そうでなかった人もアニメに対する考え方が変わり
それぞれがアニメという宇宙を頭の中に広げ、想いを馳せてくれればよいなと思います。
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日本のメディア芸術を牽引するフェスティバルとして、また日本のみならず世界からも注目される文化庁メディア芸術祭( =JAPAN MEDIA ARTS FESTIVAL)。回を重ねる毎に世界各国から多くの優秀な応募作品が集まる祭典である。1996年の文化政策推進会議マルチメディア映像・音響芸術懇談会にはじまり、翌年の提言を経て、1998年2月に第1回文化庁メディア芸術祭が開催された。本年度(平成26年度) は18回目の開催にあたる。今回も世界各国から優秀な作品が集まり、厳正な審査の結果を経て、各受賞作品が発表された。ここでは受賞作品の中から日本のアニメーション作品を紹介したい。いずれも日本のアニメーション史に残る、業界を代表する注視すべき作品である。また、『文化庁メディア芸術祭』のアニメーション部門に注目することにより、そこで顕彰された作品から、あらためて日本のアニメーションの創造性と発展を知ることができるであろう。
「アニメーション」現状を検証すべく、文化庁メディア芸術祭実行委員会が主催となり開催しているメディア芸術の総合フェスティバルである「文化庁メディア芸術祭」を取り上げたい。今回は文化庁メディア芸術祭事務局に直接お話を伺うことができ第18回の受賞作品記者発表会からもレポートする。
文化庁メディア芸術祭は、アート、エンターテインメント、アニメーション、マンガの4部門において優れた作品を顕彰すると共に、受賞作品の鑑賞を提供するメディア芸術の総合フェスティバルだ。 このフェスティバルのアニメーション部門では過去に『もののけ姫』(平成9年度[第1回])、『千と千尋の神隠し』(平成13年度[第5回])、『時をかける少女』(平成18年度[第10回])、『魔法少女まどか☆マギカ』(平成23年度[第15回])など当時ブームを起こしたアニメ(劇場アニメーション)が大賞を受賞している。
第18回の応募は、世界71ヶ国・地域から3853作品が寄せられて、海外からの応募は4部門あわせて1818作品、日本からは2035作品の応募があった。各部門に応募された全作品を部門の審査委員が全て目を通し、厳正なる審査によって、大賞・優秀賞・新人賞が選ばれ、メディア芸術分野に貢献された方に功労賞が贈られている。
はじめに、文化庁文化部芸術文化課長、加藤敬氏は「メディア芸術は我が国から発信できる重要な芸術文化であると考え、この分野の振興を図って参ったところです。近年では受賞作品の海外の主要フェスティバルへの出展や、地方における展覧会の開催、アーティストやクリエイターの創作支援を実践するなど、受賞作家の新たな創作のバックアップを積極的に展開しているところです。このように、鑑賞者や作家との交流、創造活動を促進する総合的な事業を行うことで、メディア芸術祭は多様な芸術表現が集う次世代に継ぐ重要な基盤として成長したらと考えています。」(一部省略)と挨拶。文化庁メディア芸術祭事務局統括、脇本厚司氏に取材した際にも「創作活動の支援がこのフェスティバル関連事業の要でもあります。受賞したらそこで終わるのではなく、受賞後もサポートし、次のステップに進んでもらう機会が設けられている。」と述べていた。優秀な作品を選出するだけではなく、そのあとの作家の支援やバックアップと次世代に継ぐ基盤の成長に力を入れていることがよくわかる。文化庁がここまで大きくメディア芸術に対して力を入れていることに、このコンテンツが大きく期待されていることを感じさせた。
受賞作品の発表では、最初のアート部門で文化庁メディア芸術祭史上初となる「大賞は該当なし」という衝撃的な発表から始まった。理由として審査委員の三輪眞弘氏は「今年の応募作品のクオリティが低かったというわけではなく、例年と同様非常に高いクオリティではありました。(中略)昨年度の作品は1年の技術の進歩を通して、こういうことができるようになった。こんな問題定義をした。などという驚きがあったのですが、今年はどれもアップデートはされたが、視点そのものはあまり動いていない、ということを感じました。それで、審査委員の実感を率直に反映させた方がよいと思い、大賞は該当なしという結果になりました」と述べた。
エンターテインメント部門では『Ingress』(イングレス)が7年ぶり、5作品目のゲーム作品が大賞を受賞。マンガ部門では津原泰水氏の小説が、近藤ようこ氏によってマンガ化された『五色の舟』が大賞を受賞した。
アニメーション部門では『The Wound』(ザ ウーンド)が大賞を受賞。昨年度の『はちみつ色のユン』に続き、海外作品の受賞となる。
審査委員の小出正志氏は「文化庁メディア芸術祭のアニメーション部門はひとつの部門に過ぎませんが、ひとつのアニメーション映画祭と見ると、非常に国際的な広がりを見せてきた。日本の文化庁が主催しているからと言って、日本の作品のみが受賞しているわけではない」と述べ、このフェスティバルがいかに作品を厳選しているかがわかる。さらに、総評にて小出氏は、「アニメーションの賞では本来、短編や長編、あるいは国内外によって部門が分けられるが、それがないのが文化庁メディア芸術祭のアニメーション部門の特色のひとつだろう。」と述べた。
また、さらに日本のアニメに関する小出氏のコメントを抜粋すると、優秀賞を受賞した『映画クレヨンしんちゃん「ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん」』については、「毎年公開されるエンターテインメント性の高い作品ですが、このように珠玉の作品が出てきて賞を取るのも日本のアニメーションの力だと思います。」と述べた。『ジョバンニの島』については「普通のエンターテインメント性の高い作品とは違い、ドキュメンタリーに近い作品。過酷な運命を描いているのだが、子どもにも歴史がわかり、考えてもらえるような描き方をされている。このような、テーマにスポットを当てて、優れた表現としてまとめ上げるのも、同じく日本アニメーションの力だと思います。」と評価しており、日本のアニメーションの力が存分に発揮されたものが優秀賞4作品の中に2作品入っていることから、アニメは世界でも通用することが伺えるのではないだろうか。
新人賞に選ばれた『たまこラブストーリー』については、監督の山田尚子氏を「ベテランと思えるぐらい達者な作品を作られる。」と賞賛。「日本のアニメーションの多様性のひとつの特色を示す、“日常系”などと言われる優れた作品である。」と評価している。新人賞でも日本の特徴が最大限発揮された作品が受賞した形となった。
近年、文化庁は「アニメ(=アニメーション)」を含めたメディア芸術を今まで以上に支援し、応援している。特に新たな時代を築く新人作家の支援は、期待できる。徐々に、しかし間違いなく次世代に継ぐ重要なメディア芸術の基盤を築き、ますます日本の重要なフェスティバルになるのではないかと思う。この支援に、アニメを含めメディア芸術は今後より盛り上がりを見せるのではないだろうか。その動向に注目していきたい。
最後に文化庁メディア芸術祭事務局統括の脇本氏から「毎年2月に国立新美術館を中心に開催される文化庁メディア芸術祭の受賞作品展は、厳正な審査で選ばれた多様なジャンルの作品を一堂に見ることができるショーケースであるのみならず、新しい文化的価値を共有するプラットフォームです」とのこと。展示のみならずシンポジウムやプレゼンテーション、ワークショップ等のプログラムの参加はすべて無料。国内外の多彩なクリエイターやアーティストが集い、同時代の表現や創作の世界を紹介する、今年度を代表するメディア芸術に触れることができる貴重な12日間だ。
◉取材協力/資料提供:文化庁メディア芸術祭事務局
——子どものころ"アニメ"という言葉はまだなく、"漫画映画"だったんですよ。『のらくろ』のアニメーションがあり、それを学校の理科室を暗くして、16ミリで映写していたのを当時見ていまいした。アニメーションを始めたのは小学1年ですね。教科書の隅に、複葉機が勢いよく飛ぶパラパラ漫画を描いていました。お祭りでも写真のパラパラ漫画がありましたが、アニメーションではないと思いました。他にも、手で回す映写機もありましたね。その中に全部コマ撮りの絵の外国漫画映画があって、それの影響をずっと受けていました。だからと言って、自分で作りそれを仕事にしようという気はあまりありませんでしたね。
そして、昭和27年にテレビ局ができました。当時はテレビを持っている人がいなかったのですね。あのころの放送局はNHKと日本テレビだけでした。日本テレビではアメリカの漫画映画『トムとジェリー』『ポパイ』『ベティーちゃん』とか西洋のアニメが流れていました。そのとき、これからはアニメの時代だなとは思っていました。
昭和23年から昭和27年までは1コマの風刺漫画を描いたんです。二科展や漫画展もやっていました。風刺漫画が非常に流行っていて、田舎の本屋さん行くと4コマ漫画が多く置いてあるぐらいでした。そして、漫画家の先輩が「漫画家は東京のど真ん中にいなきゃ漫画描けないよ。田舎にいちゃいけない」と言われて、国会議事堂近くの平河町に引っ越したんです。
それから、昭和28年に日比谷の劇場でノーマン・マクラレンの短編アニメーション『線と色の即興詩』を劇場で見て驚いた記憶が今でもあります。他にも劇場で『羅生門』が放映していましたね。みんな漫画映画を作りたいと思っていたのですが、カメラもないし、当時作り方が全然わからず大変でした。だから、結婚して初めて漫画映画を作ろうと思ったんです。中古の8mmの撮影機を進駐軍で買いました。日本には高いカメラでないと、コマ撮りができるようなカメラがなかったんです。それで、漫画とかを積んだ上にカメラを置いて、8コマで撮っていました。ただ、そんなものではアニメにはならないんですよ。それで、芥川賞や直木賞と同じくらいビッグな文藝春秋漫画賞をいただき、平河町から隼町の方に引っ越ししました。その引っ越した5、6軒先に永六輔が住んでいたんです。永六輔の最初の原稿の絵はわたしが描いていたこともあり、そのときアニメーションを一緒に作りました。アニメーションを作っていることは誰にも知らせていなかったんですよ。しかし、広告代理店が知っていたみたいで、ミツワ石鹸の宣伝部長が家に来て「アニメーションでCM作ってくれないか」と言われたんです。だから、8㎜でアニメを制作し、それを部長に見せると「ああ面白い、でも久里さんテレビは8㎜じゃだめなんです。せめて16㎜でないと使えない」と言われたんですよ。でも、16mmのカメラ持っていませんと答えると20万いただいたんです。そのお金でロレックスの16mmを買い、ミツワ石鹸のアニメーションを作りました。制作に半年はかかりました。今半年かかったら怒られますが、当時は誰もやらないから催促がなかったんです。そのころ第1回CMコンクールがあり、ミツワ石鹸のアニメで第1回ACC漫画賞をもらいました。
そのときに、若い日本の会を作ろうというので、世に出ている石原慎太郎や曽野綾子、大江健三郎とか若いみんなで集まり結成したんですよ。情熱に燃えて良い時代でした。それで今の朝日放送が六本木にできたのですが、建物と番組のチャンネルがありはしたものの、放映する作品がなかったんですよ。今でいうゴールデンタイムの7時から30分の時間を、真鍋博と柳原良平さんとわたしに、奈良さんから「アニメやってくれないか」と言われたんです。柳原さんとは3度仕事をしていて、真鍋もよく朝日のコマーシャルを制作していました。アニメを特急で描き、それを放映していたのですが、テレビもビデオもないからどんなものが写ったのか全然わからなったですね。それから3人でなにかやらないかとなり、アニメーションをやろうということになったんです。それで「アニメーション3人の会」を結成しました。目標は「ただのアニメ」を作ろうという感じでしたね。アニメと言っても漫画のつもりで作っていました。東映も劇画の漫画アニメを流していたんです。ただ、自分たちでは物語は作れませんから。作るものはイメージアニメーションですよね。
アニメーションを作らなければいけないけど、16㎜のカメラしかなかったのでノーマン・マクラレンの『線と色の即興詩』を見てフィルムを削り、アニメにしました。フィルムを削ると現像代が浮くんです。もうみんなアニメーションとはなんだろうということになっていました。作った本人もよくわからないようなそんな時代だったんです。そして、草月アートセンターでフィルムを削って制作したアニメーションを放映すると超満員で、草月アートセンターが次をやろうということになっていたんですよ。
そしてそのころ、名古屋放送のラジオで放送していた武満徹さんの『愛』という曲がありまして。詩の編集は谷川俊太郎さんです。それを武満さんが使ってくれと言くれたんですよ。しかし、テープを聞いたら「うぅ、うぅ。おうっおうっ」と唸ってるだけで、アニメにならないんです。下に動物園があるという場面設定はいいのですが、サルや犬がわーわーといつも鳴いているんです。「ああ、そうだ、動物だったら」と思い、はじめはカエルが話している感じで作りました。しかし、カエルなんてただ怒鳴っているとどうしようもないと思ったんです。それで、動物園でも女と男を入れて男が女をいじめるのはどうだろうと思いました。しかしこれは普通だと思いまして。今でもそうですが、あのときもみんな暴力時代ですから女はいつでもいじめられる立場。だったら女を強くしたらいいと、女が男をいじめるアニメーションを作ったんです。それが『人間動物園』なんですよ。ただ、『人間動物園』はずっと人に見せないでしまっていたんです。
しかし、3人の会でフィルムがないのに2回目の上映を始めようとしたんですよ。1時間半ぐらいないとお金取れないから「なにかないか」と聞かれたので「くだらないのあるんだけど」と答えると、それでいいから出してと言われ『人間動物園』を出しました。もうくだらないから見るのが嫌で、劇場の外に出てて嫌だな思ってたいたんです。すると、すごい拍手が聞こえてきてなんのことだろうと思ったら、自分の作品のことでした。だから、そういうくだらないと思ったものが人気があります。それがきっかけで、今度は「久里さーん、フランスから日本のアニメーションだしてくれってきたんだけどどうする?」と言われたから「何もないよ」と答えたら「この間作ったのあるだろ人間動物園」と言われて第2回のアヌシー国際アニメーション映画祭に出したんです。それで短編部門審査員特別賞をいただいたんですね。
運が良かったんです。運は努力。努力は、結果を求めちゃダメです。努力してると、突然運がやってくる。運を求めようと思ってやっていたら運は来ませんよ。
そして、35mmの映写機が欲しくて貯金していたんです。その前に、ミッチェルのカメラを使いアニメの線画で作ったんです。16mmだと大体、テレビ用ですね。16mmで吉田製作所に頼んで、コマ撮りの線画で作ったんです。ただ、やはり35mmでないと。35mmのカメラが欲しかったのですが、日本にはないんですよ。そして、輸入代理店のヤナセ産業にドイツの「アルフレックス」というカメラがあったんです。しかし、輸出用に儲けることだったらいいけれど、儲けないようなものは輸入は禁止だと、通産省がドルは絶対使わせてくれなかったんですよ。ただ、運が良いことに、中学の同級生で輸入のことならいろいろ任せとけということでお願いしたんです。そして、輸入許可をもらい35mmカメラを買いました。
アニメーションは先に音から作ります。普通、ジブリはそういう漫画は後から作ります。だから、音の分析の機械も全部持っています。こういうアニメーションを作ろうではなくて、こういう音があり、ここからどういうアニメ作ろうという感じです。これが、"アートアニメーション"。全て音が第一に重要。さらに、機械の音を入れては駄目ですね。
『人間動物園』を見たヴェネチア映画祭が、うちにも出してくれと言われたので出したら、サンマルコ獅子賞をいただきました。たった3分のフィルムが、あっという間に全世界に回ったんです。だからすごいですよね。今でも向こうで、古典アニメとしてジョージ・ダニングとわたしのが流れています。
今はアニメーターが何万人といて、お金はかからないし、パソコンで簡単に作れるではないですか。だからみんないい加減で、そこにアイディアはないですね。作るのは作ったけど、なんの価値観もない。昔はフィルムが高いから冗談でもできませんから。ところが、今のアニメーターは漫画的な要素を勉強してないんですよ。漫画の基礎が必要なのに、ただ動きだけ考えている。手塚治虫や赤塚不二夫は子ども漫画を作っていたが、大人は子ども漫画は全然相手にしていませんでした。赤塚不二夫は売れないからよくペンネーム変えたいと言っていましたね。だけど、子どもがだんだんと下火になって来て。手塚にアニメを作るかと聞くと、作ると言い、『しずく』という初めてのアニメーションで作ったんですよ。
それから、手塚と一緒にいるときに、日本の商社マンのフィリピン男性が来て「久里さんね、『鉄腕アトム』をアニメーションにしたから今日見てくれる?」と言われたんです。手塚もいたから「お前も来る? お前の鉄腕アトムが動くんだって」とバカにして行きました。鉄腕アトムが1分くらい空を飛んでいるアニメだったのですが、まだテレビがモノクロで、カラーのない時代にシネスコサイズでカラーなんですよ。それは見て驚きましたね。そして、なにを考えたか『鉄腕アトムの』アニメーションを見てからふた月経ったときに「久里さん! 白黒で、10分くらいの鉄腕アトム作ったから。見に来る?」と言い、来たから「あんなの見たくねぇ」と返したんです。それでも、2本目も作ったから見てくれと言われましたが、また断りました。そして、それをフジテレビが目をつけ、放映を始めたんです。すると、今度は子ども漫画の需要が伸び始めたんです。だから、水木しげるのアニメーションと言い、今まで子ども漫画が下火だったが、全部アニメーションになるんですよ。そして、雑誌が売れなくなり、風刺漫画が今度はだんだん下火になって行ったんです。
しかし、子ども漫画はアートアニメーションではないんです。だから、アートアニメーションは需要がないんですね。子ども漫画の需要が伸びて、それで映像の需要も伸びました。テレビがもう全部子ども漫画を作ろうようになっていたんです。だから、テレビに乗っていない漫画は全部消えていく。本が売れないから漫画のページが減り、それでなくなりました。わたしはもう当時は『ひょこりひょうたん島』やNHKのみんなのうたで36本ほどアニメーションを作っていました。最近だと同じくNHKのみんなのうたで『われわれは宇宙人だ!』を制作しました。結構コマーシャルが多かったんです。だから、競争相手がいないから、コマーシャルを作る会社はみんな仕事の依頼に来ていましたね。誰もやらないことを登って行くことはとてもむずかしいことで、ひとつ成功するともう強いんです。だから今の生徒たちは、今の考え方ではだめだです。新しい考え方を持たないと。
手塚のアニメーションやジブリのアニメーションは撮影・原画・壁画・背景とみんな分業なんです。分業だから、自分の担当以外は全部知らないんですね。アートアニメーションは、全部1人でやらないといけませんから。人間で言うと、手があってそれぞれ5本の指が動かないと、アートアニメーションは成り立ちません。まず、シナリオがあります。これが書けないといけません。次に、背景。絵は描けないといけない。それからキャラクターは俳優です。だから、自分が芝居できないといけませんよね。その次は撮影。カメラマンの意思を持たないといけません。それと一番大事な編集。この5つのものが編集とアイデア。全部持っていないと、1本の映画が作れない。だから、非常にむずかしい。短編作家は文学で言うと芥川賞。長編漫画は直木賞という感じですね。だから、長編漫画を作る人は分業なんです。アニメーターは安い給料で、1月10万くらいしかもらえない。今のアニメーター会社の扱い方は蟹工船と同じで、奴隷みたいに使われている。絶対許されないですよ。全部自分でやらないといけません。それが一番アートアニメーションとしては大切です。その集まりが、アニメーションの映画なんです。
想像性です。今の人はほとんど想像性がありません。今の時代、いろいろコンピュータでできますが、最高のコンピュータでも想像性は作れないんです。衝動性は機械では絶対にできなんです。人間の日常の生活から生まれるヒント。今は記憶する必要はなくなりました。記憶はコンピュータが良く、何も覚えなくても全部コンピュータが出してくれますから。
ただ、想像性ではなくても、別の方向に行けばいいんです。例えば、発明。想像性を補って、新しい発見をして商売するのが一番いいんです。想像性での新しい発見はたくさんあります。例えば、歩くのを自然だと思っている。走っているのは自然と思うではないですか。だから、不思議に思いませんよね。そこに疑問をもたないといけないんです。同じところをぐるぐる回っているではないですか。あれはなにも想像性ないですよ。しかしそこで、なんで回るのかということを考えないといけないんです。右回りと左回りは実は違うと。左回りの人はいないんです。そこからなにか新しい発見をして、発明すればいいんです。アイディアはそういう疑問から湧いてきます。だから、アニメを作り、ただ動かすだけだと一生この業界で食っていけませんよ。
アニメーションやっている人はみんな、絶えず空想するといいですね。自分の見た夢を大切にしたらいいと思います。
久里 洋二 (くり ようじ)
1928年〜
画家、漫画家、イラストレータとして活躍しながら、アニメーションを芸術表現としてとらえ、数々の実検ア二メ作品を製作、発表。海外の映画祭にも多数出品し受賞するなど、高い評価を得ている。日本アニメーション協会名誉会員。
文化学院美術科卒業。
第4回文藝春秋漫画買受賞。二科展特選。
1962年にアニメーション『人間動物園』ヴェネチア映画祭サンマルコ獅子賞受賞。アヌシー国原ア二メ映画祭で特別書査員賞受賞。
1988年に『久里洋二スペースコラージュ展』パリ市立近代美術館で開催。その他、個展、グループ展、アニメーション展を多数開催。
1992年、紫綬褒章授章。1993年アヌシー国際アニメ映画祭で功労賞受賞。
放送開始当初から1970年代前半まで、『みんなのうた』の多くの楽曲映像を手掛けた。2014年、『われわれは宇宙人だ!』で、39年ぶりにみんなのうたの映像を手掛けることとなった。
●主な著書
「食前、キキ発」(新報社1984)
「久里洋二のユーモアの世界』(思索社1984)
「神様たちのスケジュール」(評伝社1990)
「どんじり」(いんなあとりっぷ社1991)
●久里洋二公式サイト/http://yojikuri.jp
音響効果はアニメーションや映画という総合芸術の中で、一番大事な最後の部分なんですよね。手掛ける人によってその作品の出来、不出来が決まるかもしれない。それくらい大事なパートの割に、あまり知られていないのがこの仕事です。
作業としては、真っ白な画用紙に絵を描くように音をつけていく、というものです。例えば、キャラクターが机を叩いた時、歩いた時にその動きに合わせて音をつけるんです。注意しなければいけないのは、見ている人にとって、動いた時に音がするのは当たり前のことなので、違和感を与えないような音作りをしなければならないということです。
テレビの場合、1回見て通り過ぎてしまえばもう見られないですよね。その時に「あれ、なんて言ったんだろう」とか「今のは何の音だったんだろう」とか、そういう疑問を与えてはいけない。見る人が「こういうことやってるんだな」ってわかってしまってもいけない。むしろ、わかられたくもないんです。だから、常に見ている人のことを意識して作っています。アニメ制作には絶対必要で、だけど知られていない。常に縁の下の力持ちで、隠れて作品を支えているのが音響効果なんです。
僕は小さいころから、映画と一緒に育ってきたんです。田舎の高知市で叔父が映画館を経営していたんですね。外でいくら泣いていても、あの暗がりに連れて行くとピタッと泣き止んでスクリーンを見てたって、そういう子どもでした。あと、昔は蓄音機というのがありましたよね。家に円盤の手回しの再生機があって、レコードをかけて聴いてたんです。ちょっと気を抜くとゼンマイが緩んで「あぁぁぁぁ〜」って下がってくるんですよ。そうなったら一生懸命ゼンマイを回して。すると「ぁぁぁああああ」って、上がっていく。その音の変化がたまらなく好きで面白くて、当時はわざと緩めたりとか、そういうことをしていました。そういう環境が今と関係あるかはわかりませんが。
もともとは音楽が好きで、本当はそちらをやりたかったんですよ。それは戦争のおかげで諦めてしまいました。小学校1年2年はドレミで覚えたのですが、戦争が始まると「ドレミファソラシドはアメリカ語だから使ってはだめだ!」と、代わりにイロハで教えられて。ドレミとイロハがごっちゃごちゃになちゃって、音符が全部嫌いになっちゃった。それが音楽から離れた原因なんです。
だけれど、どうしても映画の仕事をしたくて、高校を卒業した後、東京へ出てきて日本大学の映画科に入ったんです。その時の教授が新しくできた録音スタジオに関与していたのですが、当時のスタジオに映写免許証を持つ人が必要だったので、僕が高知にいた頃に取得したことを伝えました。それからは学生なのに毎日録音スタジオに行っていましたね。それが録音の世界へ入るきっかけになりました。
そのスタジオは少しユニークなところで、いろいろ実験的な映画等を多く録音していました。最初、音響効果ではなくて録音技術をマスターしようと思い、そちらを始めました。ですが、たまたまそこで『鉄腕アトム』の音響効果を手掛けた大野松雄さんや録音の師匠の大橋鉄矢さんと出会ったんです。彼らと一緒に仕事をしているうちに変わった音を作ることが面白くなって、どんどん、その技術を盗み取り、のめりこんでいったんです。
そのころ、手塚治虫先生がアニメーションを始めて『ある街角の物語』やアニメーションをそのスタジオで録音していました。ですが、当時はアニメーションには興味もないし、ただ大変だなと見ているだけでした。
やがて、『鉄腕アトム』をシリーズ化するということになったんです。その時に録音ミキサーをやっていた人が毎晩毎晩、徹夜でやらなくてはならないのでシリーズの2話くらいで「やってられないから降りる」という話になったんですね。そこで「誰か代わりにやる人間はいないか」となった時に、大野松雄さんが一緒に他の仕事をやっていた僕を録音ミキサーに推薦してくださったんです。それで『鉄腕アトム』という作品とつながったんです。それが初めてアニメーションの仕事に関わったきっかけでした。
『鉄腕アトム』では録音ミキサーというアフレコ作業や録音作業、最終ミキシング作業等を行う仕事をしていました。そこで効果音を作るのに、大野松雄さんが初めて電子音楽を使用したんです。作るのにはすごく時間がかかるんですよ。それで「手伝いにきてくれ」と言われて毎日のように彼のスタジオに行っていました。それから『鉄腕アトム』を制作している間、ずっと一緒に仕事していました。だんだん、僕が作った音も使ってくれるようになったんです。そこで、音作りをやっているうちに録音技術よりも音作りの方が、大変だけどとても面白い仕事だなと思ったんです。
最初は会社を辞めてフリーになろうと思っていました。ですが、当時勤めていたスタジオに申し入れた時に「辞めないで効果室を作るからそこでやれ」と言われたんです。「あ、これはちょうど勉強になっていいかな」と思って、それからその効果室で『マグマ大使』とか『悟空の大冒険』とかの効果音を作っていました。ですが、やっぱり、自分の個人の力を出したいという欲求が段々強くなったきたんです。なので、『悟空の大冒険』が終わった時に会社を辞めて、アニメーションの音響効果の仕事をスタートしました。それからずっとフリーで東京演劇音響研究所に所属して仕事をしています。
だから、最初っからやりたかったのではなく、うまい具合に結びついた仕事が音響効果だったんです。そこで、僕の一番いいところがもしあるとしたら、それと仕事がうまい具合につながったんですね。
フリーでやっている人はやった仕事を見られて、そのスタッフに「次の作品はこの人と一緒に仕事をしてみたい」などと思われることが大事なのです。なので、一つひとつの仕事を大切にしなくてはいけません。それ以上に、人とのつながりが一番大事なんです。
僕は昔、虫プロの関係者と仕事をすることが多かったんです。アニメーションとつながるきっかけは虫プロの『鉄腕アトム』でしたし、フリーになるきっかけも虫プロの『わんぱく探偵団』でした。その作品は、『鉄腕アトム』のミキサーをやっていたということで契約したんです。
『鉄腕アトム』に関わることができたというのはとても大きいですね。そのころのスタッフには『機動戦士ガンダム』の富野由悠季とか、杉井ギサブロー、りんたろう、といういわゆるトップクラスの監督がいたんです。そういった人たちと一緒に活動して、つながりもうまくできました。他にも『どろろ』や『佐武と市捕物控』、『ムーミン』も虫プロでやった仕事です。
『サザエさん』は虫プロではないのですが『鉄腕アトム』に関わっていたことでつながったんです。『鉄腕アトム』と『サザエさん』のプロデューサーが別所孝治さんという方でした。別所さんは『鉄腕アトム』のときにプロデューサーとアフレコ監督も兼用してやっていたので、すごく親しくなり『サザエさん』が始まる時に「柏原というのが昔一緒にやっていたから、あいつに頼もう」と言ってくれたんです。
その後の『ドラえもん』は制作会社がシンエイ動画株式会社で音響会社が株式会社APUスタジオで、その社長の浦上靖夫とか、あとは『宇宙戦艦ヤマト』の音響監督の田代敦巳も虫プロの出身なんですよ。そういう、人とのつながりで仕事や作品ともつながることができるんです。その時手がけた作品をきっかけにさらに多くの作品とつながることができる。だから、人とのつながりがとても一番大事なんです。
録音の世界は特に機材の変化がものすごいですね。僕が入った時にはオープンテープデッキがどーんと盛り上がり始めた時期でした。そのときはアンペックスっていうアメリカ製のかなり優秀な機材があって、日本製はそれと比べるとやっぱりランクが落ちる。なので、プロはなるべく高性能な方で録音していたんです。僕は今もオープンテープの機械を使って作業しています。でも、部品は新しく作られていないし、テープも日本はもちろん、海外でも作ってる会社がなくなってしまいました。どこかにある在庫をなんとか手に入れるとか、古いテープを消して使うとか、そういうことになっていくと思います。まあ僕もそんなに長くはないだろうから、テープがなくなるかこっちが現場降りるか、良い勝負かなと思っているんですけど(笑)。
それ以前の映画の場合には、フィルムに光学録音で直接音を入れるという作業しかなかったんです。そこから始まって6ミリテープと呼ばれるオープンテープになって。それが長い期間使われていました。だんだんマルチレコーダーで3チャンネル・4チャンネル・12チャンネル、とテープ幅が広くなったりとか。それから、デジタルになって今はFAライトとかPro toolsなどの機材が使われています。
僕自身は今のデジタル方式が嫌いというのもおかしいんですけど、使っていないんですね。というのも、人間の心を直接表現できないのではないかという考えが最初からあったからなんです。デジタルでも人間の気持ちは入るという反発はあるでしょうけどね。デジタルはすごく早いし、作業も楽だし、便利なんですよ。でも、人間楽になって便利になったら、ろくなことはないですから。だから今でもオープンテープを使っているんです。この機械が出始めたころはすぐエラーを起こすし、故障していました。だけど、そういう不便な機械だからこそ、もっと上にいくにはどうすればいいのか、いかに最大限使うか。100%ではなく、120%活用するにはどうしたらいいか、常に考えるじゃないですか。デジタルで便利になったことで考えるという作業が忘れられがちになったのではないか、と思います。
例えば、僕は編集作業にまだハサミを使ってるんです。テープを切ってテープとテープを貼る。切りそこなったらやり直しだし、落としたら探さなきゃいけない。デジタルだとNGが出てもすぐに元に戻りますよね。そういう意味では、デジタルは真剣味が薄いのではないかと思うんです。僕の信念として、この機材が使える間はこれでやろう、と。現役の音響効果屋さんでこれを使っているのは僕以外には誰もいないはずです。再生する機材も少ないですけれど、無理を言ってスタジオに整備された再生機を置いてもらって、それで再生したものをPro toolsに入れているんです。それ以降の作業はどうしようとミキサーさんがチェックしてやることなので、それはそれでいいんです。ただ、それ以前の作業は手作りで、そこで一つひとつ人間の心、気持ちが入ればいいかなと思います。
ひとつの例として『宇宙戦艦ヤマト2199』という作品があります。僕が40年前に作った音を「もう1回あの音が使いたい」と要求されて、今、現実に使われている。今のようにデジタルがない時代にそういう音を作り上げられたこと、それが今でも認められているというのは、とてもうれしいことですね。
絵や文章と違って、音というのは手に取って見ることができません。だから、一つひとつをていねいに作っていかなければならないんです。なおかつ、僕は「音の色」というんですけど、自分独自の色を表現したいのです。そこは作曲家と同じで、演出家が考えていることをくみ取り、どう表現するかというのはその人の素質であり、特性だと思います。
原則として、マイクで録った音はそのまま使わないで、何らかの手を加えます。今は効果音のライブラリーがありますよね。それをそのまま使ってしまうと、ほかの人がそれを使った時に同じ音になってしまう。僕は昔から人が作った音や録った音を自分の作品に使うのが嫌いなんです。例えば氷山が割れるような音を作る時にはテープを引っ張った時の「キュキュキュ」って音を録音して、スピードを変えたものをミックスしていく。
結局、アニメの場合は本当の音ではなくて、イメージ音なんです。大事なのは、省略と誇張。つまりデフォルメすることです。実際音がしている場合でもストーリーに合わせて違和感がないように音を省く。そういう省略というのもひとつのテクニックですね。
デフォルメの音でいうと『サザエさん』のタラオの足音ですね。家族は畳の上や廊下の上と、なるべくリアルな音をつけるんですけど、タラオが畳の上を歩いてその音がしても面白くないと思ったんです。その前に「ムーミン」で動く時に風を切るような音をつけていたので、タラオも可愛い音にした方が面白いと思ったんですよ。それでテープを短く切って、それを繋いで再生して、録音して、色々やってできたのが今のあの音なんです。長い間に多くの人の耳に入って有名になってしまいましたが、あくまでも最初は可愛く動くというイメージ音なんです。
作品づくりで大切なことは、一般観客の目、耳だと僕は考えます。つまり観客側に立って考える音作りをすることです。同様に、演出家のイメージも重要なことです。まずはシナリオ。絵コンテをもらって、そこから演出家のイメージは何かを考え、読み取り、そしてそのイメージに合った音作りをすることです。
例えば、『銀河鉄道の夜』という映画がありましたよね。普通の汽車の車内音だったら「ごとんごとん」ですむけれど、それだけでは宇宙空間を飛んでるようには聞こえません。感情を表現するようにだんだん大きくなっていくとか、そういうのを表現するためにレールのつなぎ目が絶対必要だと思っていたんです。杉井ギサブロー監督から最初に「人間の胎児が母親の心臓の鼓動を聞くような音が欲しい」と言われまして。そういうことを考えて作ったのが、あの音だったんです。絵と合わせた時に監督たちが「ああ、これだこれだ」と。監督の意図とうまく合う音が作れた瞬間ですね。
『宇宙戦艦ヤマト』の波動砲の音を作成した時は、最初の打ち合わせで「宇宙のエネルギーを集めてぶっ放すような音を作ってくれ」という注文しかなくて。フィルムを見てみると、発射するまでの時間が延々とある。しかも、音楽が入っていなかったんですね。ということは、その間に見ている人の気持ちがだんだん高まって、ためておいて最後にどーんと発射する音を作らなければならないと思ったんです。その時は、シンセサイザーで音を重ねて作りました。使用したミニムーグでは和音をつくることができないので、いい音ができたらそれをすぐ録音して、Aというテープを作ります。次の音を録音して、Bというテープを作ったら、A+Bを録音する。次にCとDを録音してC+Dを作って、さらにAB+CDのテープを作るというような作業でした。
そこで、ABがうまくいってもCDと混ぜた時の音がダメだったらそのテープは全部捨てて最初から新しく録り直さなければならないんです。次はABとCだけにして、とか。そういう引き算の考え方の時には、いかに捨てる勇気があるか、ということが重要ですよね。苦労して作った音ですから、なかなかそれができないんですよね。
それは絵に合わせた時も同じで、音がうまくいったと思っても「あ、この音いらないな」となったらそこで捨てる! これも勇気ですよね。他の音やセリフが混ざった時に「この音が邪魔してる」とか「この音がない方がいい」っていうのは感覚ですね。僕の時にも「もうそこの音は入らない。カットするからちょっと待ってろ」みたいな。
最初、この世界に入った時に日大の助教授から教わったのが、「映画というのは無駄の積み重ねである」ってことだったんですよ。つまり、いらないものは捨てろと。そういういらないもの、無駄になったものが積み重なって1本の映画ができるんです。昔の人はいろいろいいこと教えてくれてたんですよね。あとになって気づくんですけども。
これはどの仕事でもそうですが、手にとって「これはこうだよ」なんて教えることは絶対にしないんですよ。やっていることをそばで見て、どれだけ盗み取れるかなんです。だから、「何やってるんだ、馬鹿馬鹿しい」と思う人もいるし「ああ面白い!」と思う人もいる。この音響効果という仕事に関して言えば、音について興味がないとできない仕事です。もしかしたら、持って生まれた何かがあるのかもしれません。まだ音に関しては解明されていないことが多いですから。大事なことは常に職人としてのプライドを持ち、手作りの精神、子供のような新鮮な気持ち、そして遊び心、感動する心を忘れてはいけません。それがなくなったら、クリエイティブなことはできないですから。
柏原 満(かしわばら みつる)
1933年~
音響効果
映画の世界に憧れて上京。日本大学映画科からアオイスタジオ株式会社に入社、大野松雄や大橋鉄矢とともに『鉄腕アトム』の音響効果に携わる。その経験をきっかけに音作りの面白さを知り、その後フリーの音響効果マンとして独立。制作会社や監督、音響関係者、そして作品に恵まれる中、数多くのアニメーション映画の音響効果を手がける。手作りの精神、遊び心、感動する心を大切に、各作品の音の色を考え、常に作品にあった最良の効果音を作る努力を重ねてきた。音響機材の少ない時代からその不便さを補う為に試行錯誤を繰り返し、多岐にわたる音源を生み出した。デジタル作業の便利さや効果ライブラリーなどに頼らず職人としてのプライドを持ち、縁の下の力持ちとして作品を手掛けている。
●主な受賞歴
・東京アニメアワード第8回 功労顕彰者
・平成25年度(第17回)文化庁メディア芸術祭 功労賞
●主な作品
『キタキツネ物語』(1978年)、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(19年)、『象のない動物園』(1982年)、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』(1983年)、『ユニコ 魔法の島へ』(1983年)、映画『ドラえもん のび太の魔界大冒険』(1984年)、『銀河鉄道の夜』(1985年)、『オネアミスの翼 王立宇宙軍』(1987年)、『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)、映画『ドラえもん のび太の南海大冒険』(1998年)『サザエさん』(1969年~)
絵を描きたいと思う前に描いていましたね。幼稚園から絵画教室に通っていて、スケッチブックや画材などが家にあり、絵を描ける環境があったので、気づいたときには絵を描いていた。親の策略ですよ。両親が絵やアートが好きだったから、将来の職業として、絵を描くことをやらせたい気持ちがあったかもしれないですね。
絵を描くことが遊びでした。おもちゃもあまり買ってもらえませんでしたから、絵を描いて代わりのものを作る。『ドラゴンボール』とか『聖闘士星矢』『トランスフォーマー』のフィギュアや、変形もの、鎧を着せ替えたりできるおもちゃが流行っていた。スケッチブックに絵を描いたものをハサミで切って戦わせるとか。そういうことをよくやっていたので、自分の想像次第で楽しめるんだなという意識はありました。
小学校5年生から油絵を習うようになりましたけど、つまらなかったですよ。できあがっても「よし、うまく描けたぞ」としか思わないから。リンゴを描いていても、むずかししいな、赤の絵の具ってコントロールができないなぁ、と思いながら描いていました。テクニックでパッと表現しないといけないものは全然描けません。色々と模索していくうちに、絵が腐っていくんです。でも、籠の編み目は、めちゃくちゃうまく描けたりした。細々としていて仕事量が多いほど、実物の雰囲気に近づけられるモチーフのときには燃えるんです。細かいもの重ねてうまくいっていたのは、今の作風につながっていますね。
細胞をモチーフに決めたのは大学に入ってからですね。
浪人してすいどーばた美術学院という予備校に行っていた頃、40人くらいのクラスで講評会をするので、講評の時間がとても長かったのです。その間、スケッ
チ帳に落書きで「細々したものがワッと集まって、なにかになる」というのをよく描いていました。でも、それが細胞だという意識では描いていませんでした。なんとなく「このかたち面白いな」くらいでした。
予備校では、受験を勝ち抜く前なので、上手い人から下手な人までいます。その中で、自分は「割と上手い方」の分類に属していた。でも、大学に入るとみんな同じレベルの「上手い」になる。そこで怖くなっちゃった。元々、油絵とかでリンゴとか描くのが面倒くさいと思っていましたし、デッサンを描くモチベーションが、受験を勝ち抜くためだけにしかなかった。なので、受験生の時のような集中力でデッサンが描けなくなったのです。それに、まともにやっていても、こにいる人たちに勝てる気がしない。これ以上描写力が上達するようにも自分には思えなかった。そこで、人がやらないことをやろうと思い、面倒くさいことに時間をかけてやれば、テクニックがある人たちに対して、根性と時間で勝負できるのではと思った。それがああいう細密画を本格的にやりだした理由ですね。
そうやって描いていたものが細胞のような形だったので「あ、細胞って面白いな」と思った。同じ形のものがユニットで組み合わさって、何か別の形になっていく……その構造が面白いなと思って、どんどんハマって描くようになった。大学1年生のときはずっと平面で描いて面積を埋めることしか考えていなかったですね。B2とかB1サイズのイラストレーションボードを買ってきて、それを全部細胞で埋めるという。1枚描けたら、横につなげる。そうやってパネルを何枚も描いて、4年間かけて卒業制作を作ろうと思った。
それは僕の高校の美術の先生の教えの影響で「美大に合格したときに、2つのことをやりなさい」と言われました。一つは「教職免許を取ること」。もうひとつは「4年間かけて卒業制作でなにを作るか考えること」でした。
壁一面が黒っぽいなと思って近づいてみると「これ全部細かい絵だ!」とか、そういう風になると面白いと思ったのです。とにかく面積を埋めていくことを考えてやっていましたね。
それが、2年生になり、アニメーションと出会い、面積ではなくて枚数に移っていった。卒業制作はアニメーションにしようとそのときに切り替えました。
大学1年生のときは、「アニメーション=ジブリのような長編映画や、30分のテレビシリーズで放映されているもの」というイメージがあり、萌えキャラが人気になりだした頃で、美大で学ぶこと・創作することに「アニメーション」は、自分の中では含まれていませんでした。そんなときに、アニメーションの授業を担当されていた片山雅博先生から、授業内でクラシックな作品や海外の作品など、主に短編アニメーションを中心に沢山観せていただいたのです。それは、観たことないような表現ばかりだった。アニメーションはセル画に描くというイメージしかなかったけれど、油絵が動いたり、砂で描いた絵が動いたり、関節で繋がったパーツの紙が動く、切り絵が動く、実写の人間をコマ撮りする、フィルムに直接描く……本当にいろいろな表現があって「アニメーションはもっと自由なものなんだ」というのがそこでわかったんです。
自分が知っていたのは、アニメーションという大きなカテゴリーの中の一部分だけだったのだと。その時、すごく面白くてわくわくする気持ちになれたんです。僕は特撮映画が好きで『ゴジラ』や『ウルトラマン』、『スターウォーズ』を観ていて、あれはどうやって撮影しているのだろうかと興味を持っていた。それと同じような面白さや異質さを感じたのです。自分が見慣れたものではない、未知なものを見ているときのざわざわするあの感じです。
片山先生は出版社とつながりがあると知り、最初の授業が終わった後、自分で製本したイラスト集を渡しました。片山先生はすごくフレンドリーな方で「なんか面白そうなもの持ってるな」「面白い、面白い。すごく面白いよ」と、パーッと読んでくれたんです。出版社に紹介してもらえるかもと期待しながら、すごくドキドキしながら待っていた。そしたら「動いて見えるなー。これ動かしてほしいなー。俺にはもう動いて見えるんだよなー、お前これを動かせ、課題は。これをやれ」と言われたんです。それで、出版社に紹介してもらうのはこれを描いてから待とうと思って、かわりにアニメーションやり始めたら、どんどんはまってたということですね。結局、出版社は紹介してもらえませんでしたけど(笑)。
『FANTASTIC CELL』は1年と2ヶ月くらいかけてつくりました。大学2年生の6月くらいから始めて、ずっと描き続けました。
トータルで7千枚くらい描きました。しかし動きは単純なものを繰り返していて、細密画がアニメーションになっていることを凄みとして見せている作品なのです。もし、絵が細密じゃなくてフラットにすると、動きがしょぼく見えるんです。最近はもっともっとなめらかに動いて見えるよう、グラフィックを細かく描かないで枚数を増やすことをやるようになりました。今、昔の絵を見ると「うわ、こんな面倒くさいことやってたんだ。狂ってんな」と思いますよ(笑)。
最後の部分をカラーにしたのは、「音楽がパッと盛り上がる瞬間に合わせてカラーになると面白い」と思ったからです。古い『オズの魔法使い』の映画で、カンザスの田舎町にいるときは白黒で映される。そこから、オズの国に行って扉を開いた瞬間にカラーフィルムに変わる。モノクロから、一気にカラフルになる感動を作りたいと思ったのはありました。カラーの部分はラスト30秒あるかないかです。それまでの5分以上はずっとモノクロ。テーマやメッセージというよりは、音楽と映像の刺激によって人の気持ちが動いたりするところを何とかしたいという気持ちですね。
日本の短編アニメーションは、どんどん面白くなっていますよ。海外からは奇妙でカラフルという印象で見られています。ヨーロッパ的な美意識や映画の作り方をしていないので、ものすごく変なアニメーションがどんどんできていると注目されています。商業アニメーションはジブリや、押井守監督、細田守監督や湯浅政明監督に人気がある。だけど、そういう人たちのイメージとはまた違う、短編アニメーションというものの存在感が前に出ている時代なんですよね。
アニメーションを語る上で、ヨーロッパとは違う作り方で日本の作品が一つの価値観の中に入ってくるのは、とても大事なことだと思います。常に、表現というものは姿を変えていかないといけないから、風通しが悪くなると表現は面白くなくなっていく。「これがアニメーションだ」と決定づけてしまうと、表現としてはもうそこから先はないし、どんどん萎んでいくしかないと思います。だから、常に違うジャンルのものが入り込んで変容していくことが、表現としては大事です。異質なものとして新しい風を吹き込むこと。それによって、日本のアニメーションを見たヨーロッパの人たちが「こういう作り方、表現の仕方もあるんだ」と感じて、次にどういうものを作るかだと思います。その一役を担っているのかもしれないですね。
僕が2007年に初めてアヌシーに行ったときも、フランス人の学生のボランティアスタッフで短編アニメーションにすごく詳しい学生から、アジアでは中国、韓国が受賞し、スターも誕生していたときで「日本のアニメーションは、長編には宮崎駿や高畑勲、色々な人がいるけど、短編はいまだに山村浩二しかいないの」と言われたときは、すごく悔しかった。やばいぞって思いました。それから7年くらいの間でどんどん状況が変わってきている感じですね。
明らかに10年前とは環境が全く違うので、面白いと思います。最近はネットで作品の告知や発表をすることができるので、自分で色々なことができる時代になっています。その中で生き残れるかは別問題だけれど、やろうと思うことはやれる状況ではある。僕がアニメーションを始める前はそういう環境ができるとは思わなかったから、就職するか、できなかったらどうしようかとか、選択肢があるようでなかったです。今ではネット上で新しい仕組みができ、それを活用して自分の表現をどうやって発表するということをよく考えるようになりました。
これまでは、どこのスタジオに就職するか、どこから仕事をもらえるようにするかで、既にあるものの中から選択していたのが、今は「可能性は自分で作ることができる」ということをよく考える時代になったかな。たぶん、それはアニメーションだけではなくて、ほとんどの分野がそうなってきていると言えます。
例えば、Twitter、FaceBookなどを活用して告知もできちゃうし、noteを使えばもっと自分の考えをまとめて発信することができる。CAMPFIREを使うと資金を調達するための方法がクラウドファンディングでできたりとか。BASEという個人のネットショップを無料で開けるサイトがあったり、YouTubeで作品を発表することもできる。オンライン上であらゆるものができるようになってきているから、環境は整っていますよね。
そこでどう戦うかです。これまでは業界が狭くて小さいだけに、選択肢の少ない中で選ばないといけない絶望感みたいなのがありましたが、今はそれぞれのジャンルの間にあった壁が壊れて、横断がしやすくなってきているので、いろいろなことに挑戦してみるにはいい時代になってきたと思います。
人物は、アニメーション作家のヤン・シュヴァンクマイエル。そして芸術家の岡本太郎です。
ヤン・シュヴァンクマイエルの作品を観たのは大学1年の時です。入学して1ヶ月、毎日、先生が来ない教室でデッサンを描くというつまらない日々でした。その頃、足立区の竹ノ塚という東京の北部に住んでいたので、2時間半かけて大学へ行くのですが、途中の新宿駅で下車してしまう。街をぶらついて面白そうな映画あったら、一本観て帰ることが、多かった。その時に、新宿武蔵野館で、ヤン・シュヴァンクマイエルの映画に出会った。シュールなんですよね、作品が。特撮みたいな、実写の中にコマ撮りのアニメーションが混ざっている感じ。影響されて、大学でビデオカメラを借りて自分でコマ撮りをしたりしたのですよ。アニメーションよりは特撮を作っている感覚でした。最初は、それがアニメーションだとは思わなかったから。でも不思議な映像作品だという印象が残って、頭の中にずっと居続けて、1年後のアニメーションの授業で、「ああ、これはアニメーションだったんだ」と初めてつながった、そういう感じですかね。
岡本太郎は、僕がアニメーションを始めてからです。作風が似ていると言われることも影響しています。海外の映画祭でも、日本の美術を勉強してる人から「岡本太郎は好きですか」と聞かれたりします。どちらかというと、自分が色々なことを学んでからアニメーションの道で行くぞという時に、岡本太郎がやっていたこともを取り入れてしまおう、みたいな感じです。大学院を修了後、高校で非常勤講師をやることになったので、課外授業をやろうと考えて1年間に5カ所くらい美術館を回りました。その中に、岡本太郎美術館も入っていたのが直接のきっかけです。
岡本太郎の好きなところは、やっぱりスケールのデカさですね。人間はもちろん、作品のスケールと、ふてぶてとした、世の中に対してかしこまって作品を作りたくない「俺だぞ!!」と主張されたものがいい。そういうのを作品を見ていて感じましたね。ピカソが来日した時にピカソの絵と似たような絵を描いて持っていって「俺のほうがスゲーだろ」と言った逸話や、大阪万博で丹下健三の建築物の真ん中に穴を開けて、『太陽の塔』を建ててしまったりとか、痛快ですよね。
毎回ルールを決めてやっています。
『wonder』でのこだわりは「1日1秒発表して、それを1年間ずっとやる」。1秒間24枚絵を描いてやっていくから、トータルで作品の秒数が365秒、6分5秒になります。枚数的には8760枚という作品ですね。
テーマとしては、根源的な意味でアニメーションは「動く」であれば、動くことが止まらない状態だけで表現することも一つの見せ方で、それで1作品作ってみようということになり、テーマがメッセージ性のあるものではなくて、アニメーションの持つ運動性の中から人間がどういうことを感じるか、という実験の面もあります。
『modern』という幾何学のシリーズは、アイソメトリックの方眼紙のマス目状に沿ってなぞって形をつくるので、そのマス目ごとに線を引くことはできる。でも、マスとマスの間には線は引けないので、制御される。その中で、いかに動きのバリエーションをつくって見せられるか。アニメーションは何もないところからつくっていくので、やろうと思えば何でもできてしまうものなので、その中にルールとか秩序や決まりをつくって表現していくと、もっと面白くなるのではないかと思います。僕のような抽象的な作品の場合だと、見るときに一つのガイドや、目安ある意味のストーリーラインとういうのを意識しています。
アニメーションを作っているときは自分でルールを決めて、プレイヤーになってゲームをしているような感覚ですね。ゲームデザイナーの方と話すと盛り上がるときがあります。子どものときにおもちゃも買ってもらえなかったですし、ファミコンもなかった。自分でルールを決めて遊んでいたのが、やっていることは今の創作と全く同じです。一人遊びですね。
遊びみたいなものですかね。先ほども、一人遊びとは言いましたが、仕事しているのかどうかわからないときがよくありますから。今度こういうことしましょうとか色々な話はきます。例えば鉄腕アトムのサウンドデザイナーだった大野松雄さんと作品を作ろうということになり、11月下旬に京都まで会いに行きました。これはお金が生み出される作品ではないのです。しかし鉄腕アトムの足音の音を生み出し、手塚治虫と衝突もし、様々なサウンドデザインをしているような方と作品を作れるなんていうチャンスは今しかない。制作はお金のためだけではないのですよね。
アニメーションの悩ましいところは、作るのに莫大な時間がかかるので、作っている間に「あれやりたい」「これ作りたい」というのがどんどん浮かんでくるのに、すぐにそっちに取りかかれないというジレンマがあるんですよね。僕にとってはそういうものですし、人生を完全に狂わされています(笑)。
・『JAM』(2009年) 広島国際アニメーションフェスティバル2004・ノミネート、アニマニマ国際アニメーション映画祭2009(セルビア)・特別芸術賞作品
・『WONDER』(2014年) ベルリン映画祭2014(ドイツ)・ノミネート/アヌシー国際アニメーション映画祭2014(フランス)・CANAL+CREATIVE AID賞作品より
・『MODERN No.2』(2011年)
ヴェネチア映画祭2011・ノミネート、 アヌシー国際アニメーション映画祭2012(フランス)・SACEM賞作品
水江 未来 (みずえ みらい)
1981年〜
日本の短編アニメーション作家。
ベルリン映画祭、ヴェネチア映画祭へのノミネートや、アヌシー国際アニメーション映画祭で2度の賞に輝くなど、世界の映画祭シーンで活躍している。
2007年・多摩美術大学大学院デザイン専攻修了。
多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース・非常勤講師。京都精華大学映像コース・非常勤講師。
大原情報ビジネス専門学校・非常勤講師。
MIRAI FILM(ミライフィルム)代表。日本アニメーション協会・理事。ASIFA国際アニメーションフィルム協会日本支部・会員。
●審査員
MONSTRAリスボン国際アニメーション映画祭2013(ポルトガル)長編部門の審査員を務め(宮崎吾朗監督『コクリコ坂から』が特別賞授賞)、回顧上映と特別講演が行われた。 広島国際アニメーションフェスティバル2012、SICAFソウル国際漫画&アニメーション映画祭2010(韓国)の国際選考委員を務め、第17回〜20回・学生CGコンテスト、インディアニフェスト2011(韓国)、京都国際学生映画祭2012、東京学生映画祭2014では審査員を務める。
●オリジナル作品
『WONDER』(2014年) 『MODERN No.2』(2011年)
『AND AND』(2011年) 『TATAMP』(2011年)
『MODERN』(2010年) 『PLAYGROUND』(2010年) 『METROPOLIS』(2009年)『JAM』(2009年) 『DEVOUR DINNER』(2008年)『LOST UTOPIA』(2007年)
『FANTASTIC CELL』(2003年)
●水江未来の公式サイト/http://miraifilm.com
日動映画社を前身に、1956年、東映動画株式会社(現・東映アニメーション株式会社)は創立されました。現在まで数多くの作品を産み出し、その作品は日本だけではなく世界にも広がり世代を超えて地域を超えてたくさんのファンから支持されています。作品製作などの長い歴史とその転換期と思える出来事等を中心にお話しいただきました。
本当に歴史が長い中で、視点によってどれを転換期ととらえるかが変わってくるかと思いますが、大きく分けて5つのターニングポイントがあると思います。
まず、ひとつ目の転換期は「テレビシリーズ作品の製作」です。東映アニメの創立当初は『白蛇伝』を始めとする劇場作品を製作していました。そうした中でテレビが家庭に普及し始め、子供たちに向けた作品をということでテレビシリーズの製作を始めたのです。作品としては1963年にスタートした『狼少年ケン』という作品が初のテレビシリーズです。製作面から考えると、劇場作品は構想から製作、完成まで1年かそれ以上長い時間をかけて大勢の人が1本の作品を作る、という仕組みでした。ですが、テレビは毎週放送されるもので、ということは毎週30分番組を1本、一ヶ月で4~5本作っていかなければならないんです。そのための製作体制作りについて、当時スタジオ内でも相当もめたのではないでしょうか。そんな中でも果敢にテレビシリーズ製作に挑んだのだと思います。会社にとってまさに革命的な転換期だったかと思います。その後テレビアニメが黄金期に入っていくという意味でもやはり、時代を見据えた英断であったと思います。
ふたつ目に「マーチャンダイジング」の考えが生まれた、ということがあります。そのきっかけとなった作品は『マジンガーZ』です。分りやすく言うと、それまでは作品を作ってテレビで放送して放映権料をもらうだけでした。それが1972年に始まったこの作品が大人気となる中で、超合金などキャラクターのおもちゃが大ヒットしました。作品から派生した、玩具などの商品化展開から版権収入を大きく得られることに気付いたのです。我々にとっては、テレビシリーズの放映権料が当時から安かったのでその赤字を埋めるというか、そういう意味でも非常に大きな転換期になりました。ビジネスとしてその幅が広がっていくという可能性がここからスタートしていきました。
3つ目に「海外展開」があります。日本国内だけではなく海外でも売って行こう、海外の人に喜んでもらおうと考えていたことが本格的に動きだしたことです。それは現在、世界に営業拠点を設けて活発に動いている現在につながる大きな展開の幕開けですね。1975年に版権営業部が設立され、その部署が海外展開を開始しました。それ以前の劇場作品は親会社である東映が海外へアプローチしていたのですが、東映動画(現在の東映アニメーション)としては、1975年がほぼ最初だと思います。世界各地の国際見本市に行くなど、自分たちが作ってきた作品を自分たちでどんどん売るようになりました。その結果1970年代後半以降、例えばヨーロッパで『キャンディ・キャンディ』や『UFOロボ・グレンダイザー』が驚異的な視聴率を稼いで大ヒットするなど、日本の作品が海外でも売れるということが証明されていったのです。
4つ目に技術面としての「製作工程のデジタル化」です。セルにトレス線を引いて(写して)、絵の具で色を塗って、それを大きな撮影台の上に固定されたフィルムカメラで撮っていた。そういう「セル画制作」から、デジタルで色付けから撮影まで行い、もうフィルムは使わないという形になったのがもうひとつ大きな転換期ですね。
1997年に『ゲゲゲの鬼太郎(第4シリーズ)』の第64話からフィルム・セルを使わない製作を始めました。これは最初は非常に苦労が多く大変でした。例えば、色付けです。セル画と同じような色を選べば良いかと言えばそうではなく、セル画で使っていた絵の具の色は結局、照明に照らされて反射した光が、カメラのガラスレンズを通してフィルムに焼き付けられ、それが現像され、さらにそれが映写機から放送用のデジタルテープに取り込まれ、そのテープを再生してテレビ画面に写し出されることになります。ですから絵の具の色をそのままデジタルにすればいいというものではないんですね。その試行錯誤がずいぶん続いたんです。最初の頃の『ゲゲゲの鬼太郎』は特に、画面の色が妙に鮮やかすぎるなど、思ったように色がでないということに相当苦労しました。更に難しいのは、モニター画面によって発色が違うんですね。なので、スタッフ陣は当初なにを基準に色を決めていけばいいのか、どんな色を選べば思った通りのバランスの画面になるのかいろいろと苦労したんです。
最後に、同じデジタルでも、鉛筆で線を描くのではなく「CG(コンピュータグラフィックス)」を使って、作品を作る動きが始まったというのが五つ目の大きな転換点だと思います。
製作工程がデジタル化する少し前、1995年に東映アニメーション研究所という、次代の優秀なスタッフを育てる施設が出来ました。その中にデジタル映像製作室が設けられたのです。それ以前もデジタルの研究は続けられていたんですけれども、これを機に本格的に映像制作に乗り出していくことになりました。
CG作品のスタートとしては、1999年のテレビ作品『デジモンアドベンチャー』で、小さな可愛いデジモンが立派な大きいデジモンに進化するシーンが挙げられるかと思います。さらに、この作品が人気となって盛り上がっていく中、翌年の2000年にサンリオピューロランド内の体感映像アトラクションとして『デジモングランプリ』というCG映像を作りました。それは3D(立体視)作品で、部分ではなく映像丸ごとCGで作ったんです。このあたりがフルCGデジタル映像作品製作の始まりだと思います。
またこれから先、未来の大きな転換点はというと大泉スタジオですね。現在建て替え中ですので、約3年先に完成する新しいスタジオがどういうものになるか楽しみです。
そこが、我々としての新しいモノ創りの場になります。メインの売りは創造の場としての製作空間と一般の方々に楽しんでいただけるアニメギャラリーです。以前のスタジオにあったギャラリーがとても人気があったので、それを超えるような素晴らしい空間作りを検討中です。このスタジオの完成が、東映アニメーションにとって次のステップへ進むための新たな転換期になるのではないかと考えます。
フィルムを作るだけでは稼げず、新たな作品を作るのが厳しくなってしまうという課題をクリアしたこのマーチャンダイジングの仕組みは、『マジンガーZ』以降、良い形で展開し発展してきていると思います。
最初はおそらく、やってみたらたまたま当たったというところからのスタートだったかもしれません。どういうものをどういうタイミングで一緒に展開すればいいのか手探りの時期もあったでしょう。それが現在の『プリキュア』シリーズなどは、ここはこうやって仕掛ければきっと当たるぞ、というアイディアを製作スタート前から練り上げるようになりました。どのような展開をしていくのかしっかりプランを決めた上で、それに合わせてストーリー作りも行っています。そうしたマーチャンの仕掛けとアニメのストーリーとの連動が上手くいってるんです。
こうした展開というのは作ろうとしている話や世界観を、子どもたちがテレビの時間だけ楽しむだけではなく、番組終了後も現実の世界で想像力を膨らませて、キャラクターになりきって思い切り遊んでもらおう、というものです。それらは主人公の持つアイテム(商品)のアイディアをもとに展開を決めていくこともあります。ただ、「これ売ろうとしてるな」と見破られてしまうことが難点ですかね(笑) ですので、あまりにワンパターンでがちがちな展開になってしまうことは極力避けなければなりません。上手くさじ加減をしないと飽きられてしまいますし、(商品にお金を出す)お母さんどころかお子さんまでそっぽを向いてしまうんです。あくまでも作品を作る時には「こういう面白いものを作ってやろう」というのがまずないといけないんだな、と感じさせられます。
マーチャンダイジングの国内での展開は究極の形まで来ていると思います。一方、海外展開についてもその国の放送と合わせて商品も連動させようと現地営業スタッフは動いています。海外についてはまだまだ発展途上だと思います。どういうところと組んでどう展開していくのが一番いいのか、国ごとの取引先と試行錯誤しながら進めているという状況です。
これは当社の理念なのですが、世界中の子どもたちと人々に夢と希望を届ける、こと。そういった意味では、日本だけではなく世界の皆さんに作品を喜んでもらいたいという気持ちで海外輸出しています。皆さんに喜んでもらえた上で、我々も潤っていけたらいいかな、と。
あとはやはり日本の作品を海外で放送することで、日本人が見ているのと同じ作品をアメリカ人やフランス人も知っている、という状況になる。そうすると同じ作品を通じたコミュニケーションが日本と海外の間で可能となり、実際多く生まれてきています。そうした文化的な交流や人とのつながりが、大げさですけど世界の平和に微々たる形でも貢献できれば、と思いますね。
注意しなければならないのは国の文化の違いですかね。アニメは共通言語と言いつつも宗教や慣習などの違いはありますから、むやみに一方的に日本の作品を押し付けるような形になると、それは相手に対しても失礼になってしまいます。そのため、国によってはそういった宗教的意味合いを含んだととられそうな絵柄や、暴力的な表現を修正して輸出を行った作品もあります。
製作の現場は劇場作品からテレビシリーズを始めて、いろいろな種類の映像を日々作り出している訳ですね。現在もテレビが5ライン、6ラインあって、なおかつ劇場が年に数本ある。更にイベント映像やゲームの映像も作らなければならない。とにかく人手が足りないということがあります。テレビの作品を毎週毎週納品しなければならない。そのためたくさんの作品を一気に、猛スピードで生産しなければいけないんです。日本の中にいるアニメーターたちだけではどうしてもまわりきらない。
そこで、昔は韓国など、海外の会社に下請けをお願いしていました。ただ、どうしてもその都度海外の会社と取引すると、作業の流れやコミュニケーションを含め、不安定な面があるんですね。そういう意味では、やはり安定的にたくさんの作品を作れるような体制を整えることは大切です。そういう場所を、コスト面なども踏まえて上で、良い場所が無いかあちこち調査し、フィリピンに白羽の矢が立ったのだと思います。
1992年、合弁で会社を作ったのが最初ですね。そこから、フィリピン人のアニメーターを育て始めました。今は、作画、仕上げ(彩色)、背景チームとしては大泉スタジオを越えるほどのスタッフを抱えています。100名~200名規模のスタッフが常時、東映アニメーションの作品を作っています。動画・仕上げについて言えば、1日か2日そこらでテレビシリーズ一本全部終えてしまうくらいの生産能力がありますね。
フィリピンの人たちは勤勉で世話好き、そしておおらかだと思います。そういう人柄が日本人にとって仕事上のコミュニケーションがとりやすいというのもあったのかもしれません。家族ぐるみでやっていくではないですけれど、そういう、家族仲良くという形で現地の社長が上手く会社を束ねているかと思います。
営業拠点としてはアメリカのロサンゼルス、香港、パリ、にオフィスがあるのですが、製作そのものに関してはフィリピンのみです。それは、今後東映アニメとして、どうアニメを世界に広げていくかということが関わってくると思います。現状はフィリピンメインで活動を行っていますが、その他にも例えば他の国と共同で一つの作品を作る「合作」という試みがあります。これまでアメリカや韓国、フランスなどと組んでいて、お互いのクリエイティビティを競いながら一緒に作品を製作する取り組みはこれからも積極的にすすめていきたいと考えます。
それからCG部門ですが、東映アニメーションの中のCG制作部も規模が大きくなってきて100人以上います。そちらもこれからは日本のスタッフとだけではなく、海外にも目を向けたいと考えています。今、アジアもさまざまなスタジオができて米国のハリウッドとも組んでいたりしますので、そうした方々と一緒に提携してCGができないかという動きもあります。そうやって考えていくと、将来的にはフィリピンに限らず、他の地域・国でも製作するということはあり得るかな、と思います。
「合作」の定義にもよるのですが、例えば『出ましたっ! パワパフガールズZ』(アメリカ・カートゥーン)、『ロボディーズ(風雲編)』(アメリカ・ディズニー、CS放送)、『太極千字文』(韓国・日本未放送)などがあります。厳密には合作ではないのですが、中国で人気の『一休さん』を劇場版で新たに中国主導で製作したこともあります。
また、『うちの3姉妹』というファミリー向けの作品はシナリオやコンテ、キャラ設定といったプリプロダクションは日本なのですが、メインプロダクションは韓国のスタジオがメインで製作しました。フラッシュアニメーション製作をお願いしたのですが、何でもできるスタジオで、手描きの作画からCG、フラッシュを組み合わせてしまうんですよね。ものすごい技術力のある会社です。
また、合作というのは海外のパートナーにとっては、日本の特色を出してほしいということで組んでくださるんだと思います。アメリカ原作の作品であっても、どちらかというと日本人が考える面白さとかそういった要素を入れています。そういった意味では、むしろ合作の方が日本の色が濃く出ているかも知れません。
海外は日本の持ち味を欲しがっているんですね。アメリカも『ベイマックス』『アナと雪の女王』などはいろいろな日本のアニメのエッセンスを勉強してそれを活かして見事に作り上げてしまっているんです。こちらにとっては悔しい状況ですよね。
日本のアニメーションの歴史とアメリカのアニメーションの歴史は違っていて、日本はマンガと一緒に育ち、発展してきたことが大きいと思います。表現の仕方もそうですが、日本のマンガのターゲットは小さいよちよち歩きの子から少し上の年齢の子や大人まで幅広いですよね。少し内容が過激な時もあるのですが、その一方で何でもいろんな要素を取り込んでいる自由さがあるんです。そういった言いたいこと、訴えたいこと含めて魅力的な要素がいっぱいつまってるものが日本のマンガであり、アニメーションでありの歴史にもなっているんです。一方でアメリカでは日本のように子どもが親の許可なく自由に手にとれるマンガの文化がなく、テレビも幼児向けと大人向けの時間枠がしっかり分かれており、出来る表現と出来ない表現がしっかり分かれてます。ですから、彼らの作品が持っていないもの(独特のキャラ、ストーリー、表現)を日本がいっぱい持ってるということで、常に研究しています。
『パワパフガールズ』などもアメリカ版のままでは日本にこれ以上入って行けないから、日本人好みのテイストを入れることでもっと多くの人にファンになってもらおうという彼らの思惑があるんです。
日本のアニメが、アニメとしてだけではなく実写化やリメイクをされるなど注目されることはウェルカムですし、ありがたいことですよね。日本で作られた作品が世界に広がって、皆に楽しんでもらえる、喜んでもらえるのは非常に嬉しいことだと思っています。
ただ注意しなければいけないのは、ビジネスの話なのですが、ハリウッドなどはやはり商売のプロですので下手をすると飲み込まれてしまうということです。あくまでもこれは自分たちの作品なんだという自分たちの著作権をしっかり確保して、尚かつ我々が作品展開の主導権を握っていけるような形を作っていきたいと思っています。
現在、『ガイキング』というオリジナル作品を実写化しようという動きがあります。ずいぶん前から動いているのですが、やはりすごく時間がかかるんですよね。今回は著作権が100%こちらのロボットアニメーションだったので、原案・原作の権利を持ちながら展開ができています。ですが、その辺の権利の確保というのが非常に難しいというのは、ハリウッドの場合絶対出てくる問題ですね。
それから、世界観やストーリーのコントロールというのも大変です。海外で日本のアニメーションや漫画などの作品が、実写化された映画をやっていますが「そんなふうに解釈されてしまうの」と疑問に思うことがあると思います。
それが良い方向へ向けば『トランスフォーマー』のような形になりますが、そうならない場合もあります。それが結果として悪い方向へ向くこともある訳です。そういった世界観のコントロールというのは、ハリウッドの実写化の場合はとても難しく、大変だと思いますね。
放送した当時とても人気があった作品なので、世代を超えて楽しんでもらおうという考えでリメイクし、放送しています。
最初の放送の時に見ていた子どもたちが親になり、今度は自分の子どもと一緒に楽しむことで家族の対話になっていると思います。そういった意味でも、これからも良い作品・面白い作品を作り続けて行きたいですし、核家族の時代ではありますが、おじいちゃんおばあちゃんも孫と会話できるような、まさに3世代で楽しめるようなキャラクターやお話を育てていければと思います。
リメイクするうえで大切なことは「なんでこの作品が面白いのか」という作品の魅力の核の部分は決して変えてはいけないということです。ですが、時代の流れがあるので世相とずれているとか、古いと感じるものはむしろ思い切って新しく変えて行く。そのバランスが一番難しいのですが、そこに気をつけてリメイクに取り組んでいます。
基本的には映画だったら劇場に足を運ばなければなりませんし、テレビはテレビの目の前で見ていなければいけない。これだけネットが広がるとパソコンもそうですが、スマートフォンを使えばどこでも持ち歩いて見ることができるようになりました。アニメーションの楽しみ方が変わってきたんです。作り手というよりは、楽しむ側の選択肢が広がってきたことでそれはそれで良いことだと受け止めています。が、これだけ配信とかネットでの展開が広がってくると、テレビをオンタイムで見てくれて、そこでCMとなっているスポンサーさんとの関係が崩れてしまうのでは、という懸念があります。今はまだかろうじてメディアの中心はテレビですけれども、近い将来大きく変化するかもしれません。
またネットの世界では、作品そのものの評判があっという間に広がります。テレビだと、テレビを見た翌日学校で話をして、盛り上がっていたのですが、配信だとその場でコメントをみんなバンバン入れて盛り上がれますよね。よほどいいものを作らないと、悪いコメントもタイムラグなくすぐ広がってしまう。良くも悪くも、作品の評価が一瞬で決まってしまうのがネットの世界の面白さであり、怖さだと思います。
テレビや劇場以外のアニメビジネスとして、ソーシャル・アプリゲーム等にも積極的に取り組んでいます。基本的なビジネスモデルは、「ライセンス」と「共同事業」という2種類で展開しています。
「ライセンス」で、アプリゲームの『ワンピース トレジャークルーズ』をバンダイナムコゲームスさんからリリースしています。現在1,000万ダウンロードを突破し、好調です。
また、パートナー会社との「共同事業」という形で、ソーシャルゲーム『聖闘士星矢 ギャラクシーカードバトル』、ブラウザゲーム『聖闘士星矢 ビッグバンコスモ』『ロボットガールズZ ONLINE』などを展開しています。今後は、スマートフォン向けのアプリゲームも事業化していくと思います。
当社の一番のビジネス上のメリットは、コンテンツの映像著作権を多数抱えていると言う事です。ソーシャルゲームやアプリゲーム等の新しいネットサービスが台頭してきたら、それらを上手く、最適なタイミングでキャッチアップしてビジネスにつなげています。そういった意味で、新しいサービスやプロダクトには常に注目して、良いタイミングがきたなと思ったらビジネスへ繋げています。
それはテレビ局との話ではあるのですが、放送する時間枠に合わせ、こういう層に向けて作品を作ろうとか、こういう層を取り込もうという相談をしながら作っています。 当然こちらも朝、昼、夕方、深夜などその時間に見る層によって、作る作品を変えていかなければいけません。その作品の内容や演出についても気をつかわなければならない部分があると思います。
東映アニメーションではあまり幼児向けの作品はやっていないのですが、例えば『プリキュア』みたいな作品であれば、小学校に入る前から小学校低学年の小さい女の子たちが憧れるものをテーマやネタとして提供していきます。なので、ファッションもそうだし、変身シーンも含めきらびやかな、キラキラしたイメージで製作しています。
逆に今度は夜、特に深夜になると小さいお子様は寝ているのでハイターゲット向けになります。また小さい頃アニメを見て育った世代、非常に目の肥えた世代が見ています。なので、そういった層に向けて、とがった作品を提供していきます。そのため、ネタ的にも大人の要素(恋愛描写、ハードアクション)を加味しながら製作していくというのはあると思います。そうした放送枠、ターゲットに合わせた作り方の違いというのがありますね。
また『ワンピース』は朝の時間帯、9時半に放送しているアニメですが、原作のファンも多く、番組を見ている世代の幅が広いですよね。そうした原作のファンの方を裏切らない作り方も心がけています。楽しく元気なキャラクターとシンプルで明快な「友情・努力・勝利」の要素は子どもたちが大好きです。その上で、大人のキャラクター陣が人間味溢れるドラマを展開するので、原作ファンも含めた上の年齢層もしっかり楽しめる訳です。そうした幅広い層が楽しめる要素をアニメ作りでも存分に入れ込んでいます。
直近だと、『プリキュアオールスターズ 春のカーニバル』が2015年3月14日から公開されます。今回映画に登場するキャラクターの中には、2015年2月1日からテレビ放映が始まる『プリキュア』シリーズ最新作『Go!プリンセスプリキュア』のキャラクターもいるんです。
また、劇場版『ドラゴンボールZ 復活の「F」』が2015年4月18日から公開されます。この『ドラゴンボールZ』は国内外、年齢層問わず様々な方から喜んで頂いてる作品だと思います。かつて『ドラゴンボール』シリーズというのは日本のテレビで放送して、その後ヨーロッパやアメリカなどに輸出され、海の向こうでも大人気を得ました。作品によってはこちらの国ではうけるけれどあちらの国ではうけない、というのがあるんですけれど、この作品は一番幅広くどの国でも親しまれています。
その質問は、要するに国内外で「マンガ」に惹かれる理由はなんですかという質問と非常に近いものだと考えています。文章ではなく絵、ビジュアルで表現されていることで我々は、インパクトを直感的にうけることができるんですね。実際の風景や人物よりも、より省略化され少し誇張されたような、カリカチュアというか、そういった表現の手段というのがある意味、日本も世界も関係なく万国共通で受け入れられる要素だという風に思います。
さらに、日本独自の個性的で魅力的なキャラクターやひねりを入れた奥深いストーリーが、世界のどこより秀でていることが大きな理由だと考えます。
会社の基本理念として「世界の子どもたちと人々に夢と希望を与える創発企業となる」という言葉があります。アニメーションとは、世界中のみなさんにお届けできる夢そのものであり、希望そのものでありたい、と考えます。そしてみなさんに届けられたアニメーションの世界が、今度は共通言語として世界中を繋ぐ架け橋になれば幸いです。
①ワンピース
フジテレビほかにて、毎週日曜朝9:30~放送中
※関東のみ。放送局ごとで時間が異なります。
https://one-piece.com/
②映画プリキュアオールスターズ 春のカーニバル♪
3月14日(土)ロードショー
http://www.precure-allstars.com/
③劇場版『ドラゴンボールZ 復活の「F」』
4月18日(土)全国公開!
http://www.dragonball2015.com/
④Go!プリンセスプリキュア
ABC・テレビ朝日系列にて、
毎週日曜朝8:30~放送中
http://www.toei-anim.co.jp/tv/princess_precure/
⑤ドラゴンボール改
フジテレビほかにて、毎週日曜朝9:00~放送中
※一部地域をのぞく
http://www.toei-anim.co.jp/tv/dragon_kai/
⑥美少女戦士セーラームーン Crystal
ニコニコ動画にて全世界同時配信中!
毎月第1・第3土曜日19:00~最新話配信!
http://sailormoon-official.com/animation/
⑦マジンボーン
テレビ東京系6局ネットにて、
毎週火曜夕方6:30~放送中
BSジャパンにて、
毎週木曜夕方5:30~放送中
http://www.toei-anim.co.jp/tv/majinbone/
⑧ワールドトリガー
テレビ朝日系列にて、
毎週日曜朝6:30~放送中
http://www.toei-anim.co.jp/tv/wt/
東 伊里彌(写真右)
東映アニメーション株式会社
経営戦略部 部長
●1986年4月、東映動画株式会社(現 東映アニメーション)入社。製作進行として「聖闘士星矢」等に携わった後、企画営業部に異動。プロデューサーとして「美少女戦士セーラームーン」「キューティーハニーF」「神風怪盗ジャンヌ」「勝負師伝説 哲也」「劇場版AIR」等を担当。2005年から2年間Toei Animation Inc.(米国LA)に出向。帰国後、モバイル事業などを経て、2012年より海外ライセンス事業部長。現在は経営戦略部部長を務める。
小林 夏生(写真左)
東映アニメーション株式会社
経営戦略部 課長
●2001年4月、東映アニメーション株式会社入社。版権事業部でライセンス業務を担当後、2013年4月に経営戦略部へ異動。
〒164-0001
●東京都中野区中野四丁目10番1号
中野セントラルパークイースト5階
◎経営理念
■世界の子どもと人々に「夢」と「希望」を与える“創発企業”となることを、目指す。
■21世紀映像世界の主軸としてのアニメ業界NO.1となることを、目指す。
■デジタル映像表現のディファクトスタンダードの位置づけとなることを、目指す。
◎設立/創立
■1948年(昭和23年)1月23日設立
■1956年(昭和31年)7月31日創立
◎事業内容
アニメーションを製作し、その映像を各種メディアに販売、また同時にその著作権をもとに、版権事業、関連事業を営んでいます。海外でも同様のビジネスを展開しています。
〈取材協力〉
●東映アニメーション株式会社(TOEI ANIMATION CO.,LTD.)
WIT STUDIOは、ProductionI.Gの6課でずっと仕事をしていた仲間と立ち上げました。自分たちは、とにかくいろいろな企画がやりたい。そして、新しいブランドをゼロから立ち上げてみたいと希望が膨らんだので、会社を立ち上げてやっていった方がいいだろうとWIT STUDIOを設立しました。そして、たくさんある企画の方向性の中でも「女の子の青春もの」をとにかく作りたかったんです。例えば『時をかける少女』や『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』などの女子の群像劇物が非常に好きで、そのジャンルに挑戦してみたいと思ったのが『ローリング☆ガールズ』を制作しようとした一番最初の動機ですね。
WIT STUDIOの目標は、歴史に残るアニメを作ることです。そして、WIT STUDIOという名前を聞いたときに日本だけではなく、世界中の人が「あの会社、いい作品作ってる」というように思って欲しい。それが今のゴールですね。
ある日、電車に乗ったときに『進撃の巨人』の中吊り広告を見たんです。そして、そのビジュアルに衝撃を受け「これちょっと読んでみよう」と思い、当時2巻まで出ていたのをまとめて買って読みました。そのときに、アニメ化したいと強く思ったんです。その理由はふたつあります。
ひとつ目がまずアニメーションにしたときに映像表現として戦える余地があるかどうか。『進撃の巨人』を見たときに立体機動装置の動きを見て、アニメーションにしたらすごく面白くなると思いました。
そして、ふたつ目は、多くの人に共感を得ることができるテーマかどうか。壁に囲まれた世界中で、外から来る脅威に対してどう立ち向かうかというのは万人の心の中にある原風景であり、多分共感できるテーマだと思うんです。
このふたつの要素から、この作品をアニメ化して多くの人に見せたいと強く思えたのが理由ですね。
原作物をアニメ化する上で大事なポイントは、ファンの想像をどう越えられるかです。そのためにはまず、その作品の視聴者と同じように制作者が原作を好きになること。そして、原作を好きになったスタッフ全員で、それぞれの得意分野を生かした共同作業で突き詰めていくのが、わたしたちの方法です。
昔と今では、アニメーションに求められているものが違うと感じています。例えば『ちびまる子ちゃん』『ドラえもん』『ポケットモンスター』などは基本的にあまり変わっていないと思うのですが、いわゆる「アニメファン」と呼ばれる人たちが非常に変わったと思っています。キャラクターの描写に関して、本当にシビアになりました。やはりパッケージとして映像が後々まで残り、繰り返し見るようになったことが要因としては大きいと思います。繰り返しの視聴に耐えうる映像、その命題に向けて日夜努力をしています。
近年、映画公開された『アメイジング・スパイダーマン』の主人公がいわゆる普通の青年になっていたんですよ。今までのハリウッド映画だと中々考えづらかったことです。でも、この形のヒーロー像がすごく受けました。10代の思春期の物語を描く話が世界中の人に通じるということを提示したのが、日本のアニメだと言われていますね。
青春の感覚というようなものを映像表現に持ち込んだところが、日本のアニメのよかったところで、ちょうど10代の子が自分が感情移入できる物語を探していた所、それをまさしく描いている日本のアニメにしっかりとはまったんですね。偉大な先人たちががんばってくれたおかげで、日本のアニメーションは世界で通用するんですよ。
要は、自分たちが面白いと思い作った映像が日本だけではなく、全世界に広がるマーケットがアニメーションにはありますから。アニメは自分たちが作ったものが多くの人に届けることができるんです。
日本のアニメは、多様さが違うと思います。こんなに多くのテーマを扱い、男の子が主人公でもあれば、女の子が主人公もあり、いろいろなジャンルがあるではないですか。これほど多種多様なものは、日本でしか生まれていないと思います。
ピクサーなどのアニメーションは、ファミリーのものというのが明確に定義された範囲の中で、非常にレベルの高い作品を作っている。ここが、日本と海外のアニメーションの違いだと思います。
今後は、王道の作品が求められていると思います。日本のアニメーションやマンガが全世界に広がり、土俵としてはみんなが共通理解できる価値観の基盤はで
きたので、この上求められているのが物語の強さなんです。それは、全世界の人たちが普遍にわかる物語の強さというのが求められており、次は恐らく、アメリ
カドラマやハリウッド映画などのようなジャンルで分
けるのではなく、上質な物語や映像表現をしているものとしていないものに分かれていく。作品そのものの勝負になってくるので、増々面白くなり、高度になっていくのではないかと思っています。なので、アニメーションはどんどん楽しくなると考えています。
アニメを好きになるきっかけはジブリ作品ですね。子どものころに『風邪の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『ルパン三世カリオストロの城』を見て育ちました。日本のアニメーションはすごく夢があったんですね。夢中になりました。そして、次に10代後半に『攻殻機動隊』や『機動警察パトレイバー』といったProductionI.Gの作品に出会ったときに、深く表現ができるんだなというのを知り、そこからもう1回段階夢中になりました。
結局、自分が10代の最初のころに出会ったものは、一生ついて回ると思います。今でも、こういう作品を作りたいと思い取り組んでいます。
また、今年アメリカやドイツ、イスラエルに行ったのですが、どの国の人にも『進撃の巨人』のことで「お前らすげーの作ったな」と言われると「あっ、アニメやってて良かった」と思いました。「お前『エヴァ』好き?」と言うとそれだけで友だちになれるんです。「『進撃』好き?」と言うと「好き好きー」ですぐに友だちになることができる、もう『アニメ』は共通言語ですね。
アニメは本当に奥が深くて、一生付き合うに足るものだと思っています。それは、やはり共同作業であるが故に、制作者が変わることにより全く違う作品ができて、作り方も変えることができる。そして、人が手で描くものなので、毎日上がってくるものが自分の想像を超えたものが見られるんですよ。
そう考えると本当に面白く興味深い対象だと思っています。
①劇場版「 進撃の巨人」 前編〜紅蓮の弓矢〜
原作 : 諌山創 監督 : 荒木哲郎
2015 年 1 月 20 現在 大ヒット公開中。
劇場版 「進撃の巨人」 後編〜自由の翼〜は2015 年 6 月 27 日から公開。
和田丈嗣 (わだ じょうじ)
1978年〜
慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、Production I.Gに入社。
20代で同社の企画室プロデューサーまで上り詰める『RD 潜脳調査室』『戦国BASARA』『ギルティクラウン』『PSYCHO-PASS サイコパス』など数々のアニメを手がける。
2012年6月1日、Production I.G6課のスタッフと共に、WIT STUDIOを設立し、代表取締役社長を務める。
●WIT STUDIOが手がけた主なアニメ作品
『ハル』(2013年放送)
『進撃の巨人』(2013年放送)
『鬼灯の冷徹』(2014年放送)
『ローリング☆ガールズ』(2015年現在放送中)
『終わりのセラフ』 (2015年4月 第1クール放送)(2015年10月 第2クール放送)
●WIT STUDIOの公式サイト/http://witstudio.co.jp
オリジナルの場合だと気を付けていることは、例えばかわいい女の子が出てきたらなんでもいい、かっこいい男の子がいればなんでもいいよという判断をプロデューサーがくだすのであれば、中身もなにもないよくあるドラマを書けばいいんです。今のハーレムもののアニメの構成はだいたい全部そうなっていますね。どうやら、僕(主人公)が好きらしいというので、全国からなぜか主人公の男の子が絶対好かれる。そんなことで好かれるわけがないという理由で、登場する女の子が好いてくれますから。
オリジナルを制作するときは、ファンに求められるものをいろいろなプロデューサーさんとざっくり話すのですが、よく仕事を一緒にさせてもらっているWIT STUDIOプロデューサーの和田丈嗣さんとは「1番心を打つのはドラマである」と話しますね。当然キャラクターデザインがかわいい、設定が面白いというのはありますが、よくSFアニメなどで陥りがちな、設定は面白いけれど中のドラマがいまいち詰め切れていないということがありますね。2〜3年前に放映された、2部構成のとあるアニメの1話を見たのですが、設定の話が多いのですよ。現在の状況はこれこれと。それも完全にオリジナルのハイファンタジーで、何々という国と国が、何々という騎士団が、これこれという理由でこう争っているという。1話見終えて、何も残りませんでした。恐らく、作り手側はこう提示したから、2話目以降からこことここの国が争っていても問題ないだろうということにして作られていると思うのですが、1話で説明したという理由を建前にし、全部一気に話を進めるのですよ。でも、そこにドラマがないとなにも入って来ません。オリジナルのときは特に設定ばかりに陥りにならないように、あくまで中心に添えるのはドラマです。
例えば、親を殺された復讐劇を書きたいとした場合、それを活かすための設定を考えます。仮に、吸血鬼という設定にする場合。考える順番は復讐劇を選んでから、吸血鬼が1番の素材だと判断したら、それを設定する。まず吸血鬼というのを設定してから、復讐劇を入れるということは割と多いのですが、基本的には絶対逆だと思います。
だから、オリジナルを書く上で1番気を付けていることは、描きたいドラマがあり、それを活かすための設定をあとから付けるということです。
原作がある場合。よく週刊誌を読み、今週つまんなかったね面白かったねという話を学校や友達とするではないですか。つまらない理由は、お話が動いていないからです。それは週刊でやっているから仕方なく、それこそ、この設定の話を入れておかないと、次週に繋がらないというのがあるから、そこに入れているのですけれど。
仮に、それが何かしら都合で2〜3週続いたとき、それらをぎゅっとまとめると20数分で1話の話数になりますが、それこそ設定だけの話になってしまうんですよ。そこはなんとか20数分視聴に耐えうるように、組み替えたり新しい要素を入れたりします。そして、やはり中心にくるのがドラマですね。その話数のドラマがしっかりと原作通りやって盛り上がっているのなら、そのままやります。逆に足りないところや明らかな矛盾は当然直し、あとは、教科書通りにオチの少し直前に見せ場があり、起承転、クライマックス結の順番になるように作っていきますね。
アニメーションの作家さんは1ページ1分強くらいになる書式で書くことが多いのですが、最初のころは3ページ3分ぐらい場所が変わらない脚本を書きまして。それを読んだ当時の師匠である櫻井圭記さんに「3ページ、柱が変わらないのはコレ見ている方からするとどうだ?」と言われました。
確かに、のび太君とドラえもんがずっとのび太君の部屋で話してても、どうなんだというのはあるではないですか。結果的に、3分間場所が変わらないというのはありますが、やはり普通のドラマなどを見ていると、過去の回想が入ったり、例えばアラスカに行きたいと誰かが言うと、風景が部屋からアラスカに行ったりしますよね。
シナリオの書式いうのは決まっていて、コンテストだと絶対それを守らないといけませんが、プロの現場になると守っている人の方が少ないです。平気で「間」とか書いてありますからね。本当は絶対にダメなのですが、これをコンテ化してくれる演出さんに伝われば良いという。実際の脚本の見たことないのですが『ドラゴンボール』の話で「以下5分戦闘」と書いてあるらしいんですよ。 だから、そこら辺は絵コンテさんに任せることになりますね。シナリオで書いてもいいのですが、仮にドラゴンボールの戦闘をシナリオで書けと言われても無理ではないですか。悟空がパンチして、フリーザがこう避けて、避けたとこでこうするとか、伝わらないですから。
とにかくこれはイメージするしかないですね。自分が想像する絵と、コンテマンさんが上げてきた絵が違うのは日常茶飯事で、一致する方が珍しいです。自分は俯瞰で撮っているつもりが、コンテマンさんはキャストの顔に寄っていたりなどあります。むしろそっちの方が多いですね。共同作業の楽しみとして、そこは良いところでもあり、悪いところでもありますね。延々想像して立ち戻り、極端な話お客さんに届けば、誤字脱字だらけでも良いわけですから。
作り手側の業界にいる人だったら、もう普通の目では映画とか絶対に観れないんですよ。自分だったらどうするか、ここがこうだから面白くないとか。だから、業界内同士で映画などを観に行ったりすると、そのあと絶対どこかの飯屋に入り、長々と話し合いますね。あぁでもない、こうでもないというのを永遠にやります。苦労も知っているのですがね。基本的には、いい映画やドラマを見たりというので、負けてられないといことで刺激になる。支えるのはそれの一点ですね。
あとは、一緒に苦しんでいる戦友がいるので、あの人も遊びに行けてないなと思ってそれでモチベーション維持をしています。
梅原 英司(うめはら えいじ)
1982年〜
脚本家
日本脚本家連盟会員
2005年、株式会社Production I.Gに入社
制作進行業務の傍ら、「シュヴァリエ」「獣の奏者エリン」などの現場で文芸業務を経験。
第5回アニマックス大賞「ゆめだまや奇談」脚色にて初脚本。
以降、様々なアニメーションやゲームの文芸、脚本に携わる。
2010年、株式会社Production I.Gを退社、フリーに。
・主な作品:『輪廻のラグランジェ』『べるぜバブ』
この業界に入ったのはいろいろな偶然が重なったからです。高校卒業後、プロカメラマンになりたくて青森から東京に出てきて写真の専門学校に入ったんです。でも、自分に才能がないことを目の当たりにし考えました。それから写真というのはお金がかかるんです。今みたいにデジタル時代ではなかったので、フィルム代、現像代、プリント代など。そういうことなどをすべて考えて、無理だなって思ったんです。プロカメラマンの道を諦めて、改めて自分のやりたい仕事を考えたとき、テレビ業界か映画業界か出版業界に行きたいと思いました。その中で、当時元気よく見えたのがテレビの“アニメ業界”だったんです。まだ家庭用のゲーム機が生まれる前でした。
あと、当時の写真専門学校の先生が、「プロカメラマンになったら、自分の好きな写真は撮るな」と教えてくれたんです。理由は明快で、自分の好きな分野だと、好きだから魅入ってしまいます。写真を撮ることは、その対象を研究して、どんなタイミングで、どんなレイアウトで撮るのがいいのかと研究が必要なんです。でも、大好なものって、魅入ってそれを忘れてしまう。だから「1番好きなものではなくて、2番目に好きなものをやれ」と。
18~19歳のときですから、その言葉が心に強く残りました。それを、自分なりにアレンジ(笑)して1番大好きな仕事を選ばないのが、もしかしたらいいんじゃないかって思ったんです。あの当時、僕は漫画が1番大好き、2番目が元気に見えたアニメでした。
高校時代に『動戦士ガンダム』『来少年コナン』『したのジョー2』『銀河鉄道999』などがあって。今、重鎮のベテランの崎駿さん、野由悠季さん達がまだ30代でした。その方たちが、面白いアニメをガンガン出すわけです。その衝撃をモロに受けました。
あのころ、映像業界の中でも1番アニメが面白く見えていたんです。それで、「よしアニメ!」ってなりました。中学校とか高校のときからアニメをやろうと思っていたわけではないんです。それで、就職雑誌でアニメの会社をいくつか見つけて、履歴書持って面接したら採用されたのが日本アニメーション。僕は、正規の4月入社でなくて12月入社です。だから、偶然の重なりで日本アニメーションに入った感じですね。
日本アニメーションには2年と少し在籍しました。当時、本当に安い給料でしたが、仕事が忙しくほとんど会社にいましたのでお金は使いませんでしたね(笑)。そのあとタジオジブリで2年ほど仕事をしました。ジブリのあとに、アニメの仕事から離れてガードマン関係のバイトをしたんです。そうしたら社員にならないかって誘われましたが、これは違うと思いました。そして、自分がやる仕事はあるのか?なにが正しい仕事なのか?迷っていましたし、悩みました。でも最終的にやはりアニメ作りが好きだということに行き着いたのです。アニメ業界で頑張ろうと決心しました。そうしたら式会社サンライズからお声がかかったんです。アニメ業界で頑張ると決めていたのでサンライズに入ったときは気持ちに迷いがなく、むしろアニメの仕事は使命と思えるくらい楽しかったんです、そのとき25歳です。
日本アニメーションに就職した当初から演出を目指していたのですが、その機会がなく、サンライズに入社後少しずつコンテを描くチャンスが生まれました。実際にやってみると絵コンテがなかなか描けないんです。描きたいのに、自分の頭のなかで考えていることを絵にできない。想像力も陳腐なのです。絵コンテは、テレビアニメ21分のフォーマットで大体300カットから350カット。ページ数にすると200ページとかになるんですが、そのコマを埋めることができなかった。
アニメは作りたい、アニメの仕事はやりたいけれど、演出では才能がないと気づいてしまうんです。「じゃあどうするんだ?」と考えて、自分の1番得意なものは何かを考えたのです。そのときは、制作進行から設定制作を経験していました。わたしは、設定制作の2年間がとても充実していました。天職かと思うこともありました。悩んで悩んで、設定制作の行き着く先の仕事を考えました。それは、プロデューサーでした。とある日、こんな自分がやりたいことが、プロデューサーかも知れないと思えるようになったんです。紆余曲折し、27歳のときにプロデューサーになりたいと決心したんです。
上司のプロデューサーに相談し「プロデューサーになります」と伝えました。そうしたら、「企画書書いて来い」と言われて、企画書に書くための要素を聞いて、まず電器屋にいってワープロを買い、そこから始めました(笑)。
それから徹夜して、1週間くらいで提出しました。上司は、企画書を読んで「次の『陽の勇者ファイバード』からお前デスクな」と言い、デスクになったんです。それでようやくプロデューサーの道がひらいたんです。いま思うと20歳から27歳まで、仕事において挫折つづきの負け人生のようでした。でも、これは必要な時期だったと思います。
僕は、サンライズがまだ8年目とか9年目の時代に入社しているのでが、その頃は小さな制作会社でした。会社が大きくなるにつれて自分も制作進行からデスク、アシスタントプロデューサー、プロデューサーと進んでいまに至ります。現場でアニメを作ることの楽しさ、各クリエイターやスポンサーと知り合い、企画をアニメにしていく醍醐味、いろいろなことを知りました。そんな“現場命”のような自分が、48歳のとき経営側のセクションに異動しました。仕事の違いに戸惑い、悩み、そして出した答えは、「現場でアニメの企画、制作をしたい」でした。そこで、一大決心し「株式会社おっどあいくりえいてぃぶ」を起業することにしました。いままでサンライズという素晴らしい会社にいましたので、自分が作った小さな小さな会社でアニメに携わっていくには大いなる荒波が待っていると思うのですが、そこには真摯に立ち向かって行くしかないのだと考えています。
プロデューサーの仕事は企画を作るとかいろいろあるんですけれど、1番の根本は「予算管理、スケジュール管理、クオリティコントロール」の3つの責任を負うということです。
制作デスク、制作進行の仕事も一緒ですが、立場が違うんです。作品の1番のリーダーは監督だと思いますが、プロデューサーはその監督を含めて全体のリーダーなんです。
プロデューサーはスポンサーや局との交渉や折衝、また監督やライターを選んでアニメーションの実現化、視聴率や売上など全ての責任を背負う立場なんです。
デスクは現場監督。スケジュールと予算を踏まえての現場コントロール。細かくは各話の原画マン、作画監督など選びます。プロデューサーはスポンサーに会いに行ったり次の企画を作ったりで忙しいので、現場で指示を出しより具現化していくサブリーダー、つまりプロデューサーの右腕です。それから若い進行たちの仕事も細かく見ている。いわゆる机に張り付いているからデスクなんだと信じています(笑)。
制作進行は、いわば担当する1話数分のプロデューサー。自分の担当話数を責任負って予算、スケジュール、クオリティを守って作る。ライフラインだって僕は言っています。君がいないと仕事が進まない、全部があなたを通ってモノが動いて行く。あなたが動かないとみんな死んでしまうよ!と。やり甲斐のある大切な仕事です。
改めて思うと、発想は大好きなモノの組み合わせが多いんです。
僕の母は、僕に子供のころから絵本の代わりに漫画を読ませてくれました。テレビも見せてくれました。母は、絵を描くのが好きで、特に塚歌劇団とか竹歌劇団のスターを昔描いたイラストとかも見せてくれました。その影響で、ノートにいろいろな絵を描いていましたね。いま思い出すと、空想癖のある、漫画やテレビ、SF小説などの好きな子供でした。
僕の企画・制作した代表作アニメ『-HiME』『舞-乙HiME』を考えるにあたり、大きなきっかけがあります。それは、2000年に妻から、「面白いから見ておいで!」と帝劇のミュージカル『リザベート』のチケットをもらって観劇に行きました。僕の心の声、「なんじゃこりゃあ~?すっげぇ!」っていうくらいインパクトがありました。ウィーンミュージカルなのですが、音楽が素晴らしく、芝居も凄くて圧倒されまくって、帰り道も妄想して帰りました。 極めつけは、2002年に帝劇のミュージカル『モーツァルト!』観てはまりました。『エリザベート』と同じスタッフだったのです。2002年秋に、『舞-HiME』の企画を作りました。この『舞-HiME』は、ミュージカル『モーツァルト!』からインスパイアされて作った企画です。テーマは「才能」です、裏話はたくさんありますので、話すと長くなりますよ(笑)。
第2弾として、2004年1月に『舞‐乙HiME』の企画を作り始めました。『舞-HiME』からのャラクタースターシステムで、女の子版の『銃士』をやりたいのは決まってたのですが、もうひとつオリジナリティがなかったのです。そんななか、またまた妻が、今度は宝塚のチケットを取り出して「行ってくれば」って。僕は「はぁ!?」ですよ。兵庫まで行くのかって。そしたら「有楽町にあるわよ」って。見に行って何を思ったかというと、宝塚の舞台にあがっている女性たちの笑顔が素敵なのです。男役としての芸があるのです。プロの姿を見たのです。見終わった後には「塚音楽学校をモチーフにしてやればいいじゃん」と思って。音楽学校卒業したら舞台に上がるっていうのを、銃士隊に入るための学校を卒業したら王族を守る女性三銃士になるっという風に作ればいいじゃんって思ったんです。
妻に、あの時になんでチケットくれたのか聞いたことも無いですけれど、いつもヒントをくれるから ものすごく感謝してます。あと、ミュージカルとアニメって音楽の扱いが似ているんですよ。ミュージカルで役者が自分の感情などで歌い出すことと、アニメのBGMはキャラクターの感情に付いている。そんな音楽が僕には違和感なく心地良かったのです。
企画を考える、作るということの大切な要素はなにか?
まずは、スポンサーやクライアント、エンドユーザーがなにが欲しいのか?です。それを探します。あと、企画の柱の部分をみつけます、これは自分の好きなことを突き進めることになります。そして、キャラクターや物語に限らず、商売なども含めて斬新で新しい組み合わせを考えます。
僕の場合は、必ずと言っていいくらいに『総里見八犬伝』の要素は入れますね。血のつながっていない少年が8人、数奇な運命に導かれて義兄弟になるストーリーです。サノオノミコトと龍も大好き。だから龍も、どこかに入れることが多いです。2014年秋から放送中の『ロスアンジュ 天使と竜の輪舞(ロンド)』に竜がいっぱい出てくるのもそうだし、『舞‐HiME』『EAR戦士電童』にも竜が出てくる。『舞-乙HiME』『撃!マシンロボレスキュー』などは少年少女が集まるストーリー。
でも、プロデューサーが作る企画とは、本来物語とキャラクターを作る作業ではないんです。それらを考え作るのは、クリエイターたちです。プロデューサーの企画とは、アニメを作るための「きっかけ」を生み出すことではないかなと思うのです。魅力的なクリエイターを用意し、面白くなりそうなヒットしそうな物語とキャラクターの「きっかけ」を用意し、スポンサーをゲットするのが大いなる仕事です。
プロデューサーにも種類があり、色々な方がいます。物語やキャラクターを主に作るクリエイター色が濃い方もいます。また、それとは真逆でどうやってお金を引っ張って来られるのかと、メーカーの組み合わせ方など「組」を楽しんで作られる方もいますね。立場もノウハウも含めてやっぱり違っていて、それは面白いです。
ライターを目指しているその本人がどの分野に進みたいか、というのが大切なんです。長年プロデューサーやっていて思ったのは、オリジナルアニメを書けるライター、原作からアレンジして書けるアニメライター、実写オリジナル映画を書けるライターと原作からアレンジして書けるライター、実写のオリジナルテレビシリーズのライターと原作からアレンジして書けるライター、ゲームのライター、舞台のライター、小説家、漫画のため脚本を書くライターなどなど、これらは全部書き方が違うと思うのです。ノウハウやテクニックが違うのです。
つまり、ライターと言ってもジャンルがたくさんあるわけです。そのどれを自分が進む道なのか?ということだと思います。そして、自分が選んだジャンルを研究し、勉強し、たくさん書いてノウハウとテクニックを自分のものにしていくしかありません。アニメと実写、舞台とゲーム、コミックなどシナリオを書く行為は同じなのですが、そのジャンルに合わせてシナリオを最適化して最大限メリットを活かして、お客様、視聴者を喜ばせないといけません。似て非なる部分がある、そこに気がついて書き進めることが大切です。
どうやって業界に入るのか?これはライターとよく話をするんです。ある師匠格のライターの玄関前に何日もいて頼み込む、というやり方をした人がいるとか、たまたま知り合いの知り合いが監督で、ライターが辞めたか逃げたかで書き手がいなくなったときに、「そういえば一回会ったことがある新人がいたな」と声がかかるとか。
サンライズの場合は制作進行をやって、後に脚本を書く人は数名ですがいますね。『ロスアンジュ 天使と竜の』のシリーズ構成は、サンライズ制作進行出身のライターです。
変わり種では、世界史の先生をやりながらアニメ誌で記事を書いていて、そのアニメ誌の文章がすごくいいので紹介してもらって、そこから僕の仕事をやるようになったライターもいます。“世界史”というところがキーポイントです。世界史の先生だから知識豊富。さらに、アニメ誌で記事を書いていたので、大ヒットアニメの詳細を知っているわけです。総合的に見て、光っていたライターでした。
僕が今、一番若手で仕事を一緒にしているのは『ファイブレイン~神のパズル』の企画を一緒に作ったライターです、当時22~23歳でした。今『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』でもシナリオを書いています。『ファイ・ブレイン~神のパズル』も第1シリーズの6話からずっと第3シリーズの21話まで書いてくれました。彼は大学を卒業してすぐにテレビシリーズ数作のシナリオを数本書いています、そして『ファイ・ブレイン~神のパズル』を書いた。僕の知っているライターさんとの付き合いの中では一番若いですね。彼のお兄さんも特撮番組やテレビアニメなどでシナリオ書いているライターなんです。兄弟でライターをやってるわけです。
あと、監督、シナリオライター、小説家などをマネージメントしている会社があります。そこのマネージャーさんが「ウチにこんなライターが30人いるんだけれど、色々書けますよ!」と営業していたのです。わたしとしては「新しい企画をつくりたいので若手2、3人貸して欲しい」ということで新しいライターを知ることがありました。これは、新しいパターンでした。以前は、ベテランのライターが、若いライター候補たちを育てる。いわゆる弟子を何人も持って会社になっていることもありました。今は、そんな弟制度は少ないかなと思います。ですので、ライターのマネージメント会社みたいなところに所属するというのも新しい流れなのかなと思います。
でも、どこかに所属しているから、仕事が天から降ってくるわけではないのです。やはりライター自身が自分の力でとってくる必要はあります。大変ですが、自分をどのようにアピールするか?です。
クリエイター。いわゆる作り手として一番大事なのは、上手い人の側にいるということ。アニメーターはとても顕著です。上手い人の側にいて、いろいろなことを盗み見て真似るから上手くなる。多分、ライターも一緒だと思います。とにかく上手な人の横で盗まないと。
自分よりレベルが下の人と会話しても得るものが少ないと思いませんか?例えば、年齢が下でも、キャリアがあり自分より特化して何か突出したものを持っていたり、もう圧倒的にパワーがある、才能ある場合は、会話のなかから何か受け取れるでしょう?
絵コンテだって、「なんでこのコンテが面白いんだろう」って、僕もすごく考えるんですね。監督が変わったり絵コンテマンが変わったときに見て、「なんでこれカッコいいんだろう」って。僕は演出家ではないけれど、ありがたいことに上手い人の絵コンテを見続けてきたので、少なくとも良し悪しがわかるようになりました。20代は進行、デスクの目として、30代中盤から40代になってからはプロデューサーの目で吟味して勉強することで、少しずつ意見が言えるようになりました。僕は運良くジブリで天才秀才クラスのクリエイターを見ていたので、感謝しています。サンライズでも、メカ戦が超絶上手な演出家、アニメーターを見ていたので感謝です。今でもそういうチャンスがあるならばしっかり「見ます」ね。
でも、楽なんですよね。同レベルの人と一緒にいるのって。もっと言うと、自分よりも下のクラスの人といるのが一番楽なんです。自分が一番上でいられるから。でもそれって自分が偉ぶるだけで進歩がないんです。「オレすげえだろ?」って言って「すごいっすね、なんとかさん」みたいなところは、居心地はいいけれど何の進歩もない。たまには先輩とか、結構大人と付き合うといいと思います。
アニメーションのシナリオライターの仕事のことを話せばいいんですね。
うーん、どんな仕事か、ですか?アニメ映像を作るためのスタート地点で設計図を描くための文章を書くことかなと思います。そして、アニメーションにも短編映画、長編映画、テレビシリーズでも3分もの、5分もの、30分ものとたくさん種類があります。それらのジャンルに合わせて、プロデューサーや監督の意見、アイデアを聞いて、絵コンテを描くための文章で設計図を書くことがシナリオライターの仕事なのかなと思っています。舞台を考え、キャラクターを考え、そのキャラクターたちの対立、ドラマを生み出し描いていく。そして、絶対に必須なのが、視聴者の心を動かすためのアイデアを惜しみなく入れることかなと思います。
僕がサンライズにいたころ、入社1年目の新人の制作進行のなか、ライター志望の人が多い時期がありました。そのライター志望の彼らに問いかける質問があるんです。
テレビアニメのシナリオは、1本あたり20万円前後です(プロジェクトごとに差はあります)。つまり、月1本ペースで書いていると年間通して240万円くらいにしかなりません。月2本書けたとして480万円です。ライターは出来高制が多いです。そこで、ご飯を食べてくためには最低でも月2本ぐらいかけなきゃいけません。それで、「何歳までシナリオ書きたいですか?テレビアニメ、基本、30分ものを書き続けるとして、質問したその進行さんが25歳くらいだと計算して、60歳まで35年間、最低でも年24冊書くとして、計840本なんですよ。この数字を踏まえてどう思いますか?」と問いかけるんです。
わたしはワクワクして答えを待ちます。840本って聞いた瞬間にいやな顔をする人がいるんです。でも、もっともっとたくさん1000本から1500本書かないと、世の中のいわゆるボーナスもらって、ちゃんと部長とかになっていく人たちと、肩を並べられないんだよって話します。1000本超えないと無理だよって言った瞬間に、「1000本も書くの?」っていう人がいる。逆に間髪入れずに「え~古里さん、僕は1000本でも2000本でも書きますよ!!」という人もいるんです。答えは、確実にこの2つにわかれるんです。
もう明快なんですけれど、前者の人はライターになれない可能性大です。さらに、「習作でシナリオ書いたことあるの?」って聞くと、「ないです」と。「ん?ないの? え? 無いのにライターやりたいの?」「はい」とか言われて、「なんなのお前」って志の低さにがっかりするんです。「僕1000本でも書きたいです、800本、少ないですよ」って言った人は、習作もきちんと書いてるんです。本当にライターになるつもりでいるから、この数字を聞いたことで、リアリティが生まれるわけです。
もっとたくさん書きたいって言う人がいると僕も嬉しくなります。そんな人は、数年後にライターになっているんです。すごく分かりやすいので、この質問よくするんですよ。あと、ライターはとにかく書くことが好きではないと、好きだからこそたくさん書きたいと思って欲しいのです。
大事なのは、自分の思いだけで考えてはダメってことです。
相手がなにを望んでいるのか?相手の気持ちを考えて行動しないといけないということです。
企画書やシナリオを見る、読むのに時間も手間もかかる。そんな大切な時間を奪うわけなのです。
僕も企画書を書きますが、それを読んでもらわなければいけない。10ページくらいのモノでも皆、読まないんです。みんな忙しいから読めないんです。ですが、表紙だけは見てくれるかもしれません。表紙がインパクトがあれば間違って表紙をめくり1ページ目を見てくれるかもしれません。だからこそ、表紙と1ページ目に命をかけるんです(笑)。そこに興味を惹く情報をどれくらい入れられるか、2ページ目以降も読みたくなる仕掛けをし、結局最後まで読んでもらえることができるか?なのです。
企画書、それこそがエンターテインメントの始まりだと思っています。
僕は、アニメ業界、それもテレビアニメの世界で生きてきました。そして、エンターテインメント(大衆娯楽)が大好きなのです。だからこそスポンサーやメーカーの方々、彼らにどれだけこの企画書でも楽しんでもらえるか?です。そして、企画書から始まるアニメーションに3億、5億、10億出してもいいよって気分になってもらえるか!?、なんです。
スポンサーやメーカーの方々に喜んでもらえる、そしてユーザーにも喜んでもらう企画を作り、そこから新しい「アニメーション」を作っていきたいと思います。それが、自分の仕事です。
古里尚丈(ふるさとなおたけ)
1982年、日本アニメーションに制作進行として入社。1985年、スタジオジブリにて映画『天空の城ラピュタ』の制作進行を担当。1987年からサンライズにてTVアニメ『ミスター味っ子』『勇者エクスカイザー』『太陽の勇者ファイバード』『伝説の勇者ダ・ガーン』『勇者特急マイトガイン』『勇者警察ジェイデッカー』『黄金勇者ゴルドラン』等で、設定制作、制作進行、デスク、APを経験の後、1995年からプロデューサーとして活動。OVA『新世紀サイバーフォーミュラSAGA』TVアニメ『GEAR戦士電童』『出撃!マシンロボレスキュー』『舞-HiME』『舞-乙HiME』『アイドルマスターXENOGLOSSIA』『宇宙をかける少女』等、計14作品の企画・制作を手がける。2011年の2月をもってサンライズを退職し、「(株)おっどあいくりえいてぃぶ」の代表取締役及びプロデューサーとして活躍。2011年10月~2014年3月EテレTVアニメシリーズ『ファイ・ブレイン 神のパズル』にアニメーションプロデューサーとして、2014年10月『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(ロンド)』に企画プロデューサーとして参加している。
http://oddeyecreative.com/
幼いころから絵は描いていました。なにかが好きで描き始めたと言うよりは模写が好きでしたね。クラスに1人くらいいるマンガとか描いちゃう奴程度です。『小学1年生』などに載っている『ドラえもん』の絵など、そういうのを真似て描くのが好きで、みんなよりは上手かったんですね。褒められていました。
アニメーションは今でも、中学生のときに見た『AKIRA』がずっと心に残っています。なにより色が印象的でした。あと、生々しいところなどの気持ち悪い感じです。そこがショッキングで最初は嫌だったのですが、見たあとは気持ち悪いなと思っていても、気になるんですよ。他のアニメは綺麗なところだけ切り取り描写されているのですが『AKIRA』は街が汚く、血が出るし、人が倒れたらゴツッって痛そうな音がするんです。痛そうだけど、現実なんでしょうね。それが他のアニメとすごく違いました。
やはり作品にも影響してきて、日清の『FREEDOM』のOVAがそうであり、バイクで走っているシーンをオープニングでやろうとしたんです。『FREEDOM』のキャラクター原案が大友克羊さんで、彼の絵をどうやったら再現できるのかなと考えました。タイヤに直接回転しているようなテクスチャーを描き、走っているときの回転しているタイヤの感じなどは当時『FREEDOM』でやっていましたね。これは『AKIRA』を好きな人が集まって作りました。
中学、高校は『ハイスクール奇面組』が好きで、学校生活に影響は大きくしています。ふざけた奴らが全力でバカをやっている。これが好きでした。こんな中学、高校生活をおくりたいなという勘違いをしていましたね。アニメは放送していましたが、絵が違うところもあり、あまり好きではないんです。好きなマンガがアニメになったときに「ちょっと雰囲気が違う」と思わせないように差を埋めたいというのは、この辺りから始まっていたかもしれないですね。
そして、アニメーション業界を目指したきっかけは、STUDIO4℃の森本晃司さんの作られたMV(Music Video以下MV)です。それを見て「スゴい」と思いました。このMVは空間の中をカメラが進んだり、引いたりするんです。当時はこういう技術はなかったと思うんですよ。今はどのアニメ業界でもこういうことはやっているので、このときに作られた技術がずっと使われていると思います。元々は、あまり動かないし、少しコアな方がターゲットになってきているのでテレビアニメ自体はそんなに好きではないんです。だから、そこに興味はなく、このMVのようにかっこいいものにアニメーションが使われているところにすごい憧れました。それに取り組んでいる人がほぼいなかったんです。
神風動画ができるまで。「何で産まれたんですか?」と聞かれたら「気がついたら産まれてました」となるではないですか。それと同じように、10年ぐらい経ち「何で作ろうと思ったんですか?」とか聞かれるのは、その当時まったく想像していませんでした。それぐらい続くと思っておらず、なんで創設したかと聞かれてもわからないです。でも、1人だったら作っていませんでした。今も一緒に仕事をしているデザイナーの桟敷くんと、今YAMATOWORKSの森田くんと出会ったときに「あ、1人じゃできない何かができるようになったな」と思いました。そのときに、活動する上で一応看板をつけなくてはいけないことになったので「なんか尖ってて生意気で何やってるかわかりやすい社名が良いですね」ということになり、じゃあ世界に出たとき「日本のアニメーション作ってます」というのが伝わればいいかなと思いました。それが今の神風動画のスタイルを作ったと思いますね。
好きなもの作っているので全部好きですが、新しいものだと『すーぱーそに子』のエンディングです。そに子というキャラクターのデータを3Dプリンターで出力しているのですが、そに子自身が自分ができあがる様子を見ていて、この3Dプリンターのガラスカバーの表面に彼女が映り込んでいるんですよ。これは、企画を通したときにクライアントさんから「できあがるのを待っているそに子がいないと、このキャラクターが架空のものになるからこのままじゃダメ」という決まりがあったんです。「データがあって、このアニメのキャラのCGのフィギュアを作りましたよ」ということにすると、そに子が存在していないことになると言われました。だから、「自分のフィギュアが出てくる様子を見ているキャラクターをきちんと置きましょう」となりました。
あと、画面の端で仕上がるのを待っている間に寝ているところなど、こういう人が気がつかないような部分が大好きなところですね。最後の、そに子のフィギアを制作している映像は自分だったりします。(フィギュアの表面をやすりがけする部分は水崎さん本人が行っている)
他には『みんなのうた 図書館ロケット』ですね。飛行船に、上を飛んでいるロケットの影がきちんと落ちているところとか、こういう部分などは自分ですごいなと思います。犬型のロケットが降りるためにロケットを逆に噴射し、ブレーキかけようとするところの挙動はきちんと正しいんですよ。そして、そのとき降りてくると影もきちんとしている。(回りながら降下するシーンで)回転するために右脚だけ噴射させ
ているんです。姿勢制御して、トンと降りる。降りたときの床への反射具合も、落ちた影と床への反射みたいな。これはCGに映り込ませているのではなく、キャラクターのCGをy軸で反転させてるんです。こういう細かいこと好きですね。
それと、オレンジのひよこが本を置く感じが雑で良いんですよ。これが非常に可愛い。本の表紙とかも、ひとつ1つ描いています。また、ここ(ひよこがEXILEの『Choo Choo TRAIN』を踊っているシーン)は技術的にも良いんですよ。ひよこがふわふわしているし、大砲が発射されたときにひよこたちが吹っ飛ぶんですよ。ひよこがくるくる回っている部分は、EXILEが6人のころの『Choo Choo TRAIN』のPVを参考にしているんです。このカメラワークや、引っかかりながら回っていく感じなど、最初のモニターに映るんですよね。図書館ロケットの『Choo Choo TRAIN』もモニターの中でやろうと思いましたが、これだとそのままになるのでやめました。
でも、アニメからは引っ張って来ていないんですよ。つまり、こういう「人が持ってこない所から持ってくる」のが好きなんですよね。自由に作ったからというのもあり、図書館ロケットが自分の中で一番自分らしいなとは思います。「歌詞を聴いて2分間好きに表現してください。ただし、教育テレビらしく」という決まりはありましたけど「女の子の胸は大きくて、スカートはミニスカで」というのを作りたい人間ではないので、本当に作りたいのを作ったらこうなりました。
だからこれが一番好きです。原作や元ネタがあり、キャラクターが存在するものを作ることが多かったのですが、これに関しては話・構成・演出、全部自分から生み出したものなので気に入っています。
(ここから、神風動画スタッフの吉邉尚希さんにも加わっていただきました)
水崎:ネタを仕込むのが好きです。結局、おふざけの延長できた会社なので、ふざけるくらいしか能がないといいますか。アニメを作ることに関しては他の人に任せている部分が多いです。基本的にクライアントから情報を引き出してメンバーにパスするまでを自分の仕事にしているので、最近はメンバーにパスして、それからどうするのかというのはそれぞれに任せています。かっこいいものを作ろうとして始めたわけではないけれど、なぜか「かっこいい」という看板が付いていますね。
『ジョジョ奇妙な冒険』のオープニングの文字が出て、カメラが引く時に小さい「ィ」が出てくるではないですか。あれも遊び心で入れたんですよ。
吉邉:最初は単純にマンガの書体のようなのが良いのではないかと思いましたけど、水崎さんが「時々変なの入れた方が良い」と言いまして。
水崎:手書きにしたいなというのがありました。フォントをそのままベタッと置いてあるのはあまり好きではなかったんです。そこから、1人延々とガリガリ描くタイプの人間がいて、じゃあ「4枚パカパカさせるんだけど、4枚のうち1枚だけ遊んでいいよ」と言うと、それがその『ジョジョ奇妙な冒険』のオープニングまで膨らみに膨みました。
吉邉:元々は「ィィ」など荒木先生っぽいものを全部レタッチで置いていて隠さなかったのですが、クライアントさんに「ダメ」と言われたんです。でも、それを「ダメ」と言われたから全て消すわけではなく「じゃあ1フレームだけ入れよう」「2フレームならバレないだろう」という、それくらいの遊び心が逆にファンの心を刺激しました。隠されているから「あっ」という発見に繋がり、結果良かったですね。
水崎:第2部くらいから、クライアントの方が「あの表現またやってくれ」と言われました。抵抗で1枚残したのが逆に良かったですね。
吉邉:狙っている部分もあり、遊び心で入れたらそれ以上に評価されたというのもありますね。特に自分自身は、言うことを聞いている風に見せて聞かないみたいなことの方が多いですね。確かに聞いてはいるんです。そうは言ったし、その通りにしているけれど、それ以上にきちんと上乗せしていく。
水崎:なにかしらひとつ「見た人にこう思ってもらおう」というテーマは掲げて取り組むことにしています。『図書館ロケット』なら「かわいいかっこいい」ですね。NHKのみんなのうたはかわいいイメージがあるではないですか。しかし、「背景も淡くていいや。これくらいでいい」など、かわいいものをゆるく作るのが逃げに感じたんです。でも、緻密に書き込んだかわいいアニメもあってもいいだろと思い、制作したのが『図書館ロケット』ですね。こういう今までない取り組みというのは毎回やりますね。
『すーぱーそに子』では、3Dプリンターを出しています。3Dプリンターを出したいというよりは、CGモデルがあるとアニメができる。フィギュアができる。こんなにいろいろな多くのものができるんですよという、世間へのプレゼンテーションなんですよ。
吉邉:クライアントさん。アーティストさん、その人が喜ぶものを目指したいということがあり、上坂すみれさんの『革命的ブロードウェイ主義者同盟』は曲の印象だけではなく、ご本人様のプロフィールを見て好きなものを調べたりしました。上坂さんはロシア文化や中野文化を好まれていたので、そういうアーティストさんが好きなものを詰め込もうということです。
でも、その中で好きな物を入れたから好きでしょと思い、それ以外のところで遊んだりします。作画的にいろいろ遊びを入れたりなど、相手の好きな物を詰め込みつつ、自分の好きなテイストで作る。
水崎:こういうロシア文化は一歩間違うと、政治的なところに踏み込みかねない。自分はクライアントの向こうにいるお客さんさえ喜ばせればいいという考えでしたが、吉邉くんのクライアントを喜ばせるということは今の時代、そっちの方がいいなと思います。自分よりもクライアントさんにきちんと目が向いていますね。情報が拡散させる時代ではないですか。クライアントが気に入るとどんどん宣伝してくれ、見てもらえるきっかけが増える。見てもらえた回数で考えると、吉邉くんが手がけた『革命的ブロードウェイ主義者同盟』のマトリョーシカのところとか。このPVをチェックしたときに、マトリョーシカのところがセルの枚数が少なく、危ないように感じたのですが、日が経つとこれがいいですね。後半もすごいんですよ。急に少し雰囲気が変わるし、動きも怪しい。少しぱかぱかしていますが、きちんと動いてる感じがありますね。
水崎:日本人は少し繊細であり、丁寧で礼儀も正しい。海外から「アメージング」という表現がされているんですよ。そのニュアンスが本当に好きなんです。そう言われる国民性がもすごい好きです。やはり丁寧、繊細、あとは配慮がされているところ。そういう空気が、舞台や映画にも現れているのが好きですね。
ただ、日本の商業アニメは少しなめられているというのは、国内でもまだ起こっていることなんですよ。アニメ業界自体がなめられているというのはありますが、アニメはTVCMやMVで使われ出していますし、日々立場はどんどん良い方に向かっているのは目に見えています。ドラマのオープニングで、アニメが使われるということが、みるみる増えていますから。前ははっきりと分けられていましたけど、文化として結構普通になってきたと感じました。
ディズニーは技術的なところもすごいなと思いますが、大きいマーケットと国の支援があるところは羨ましいですね。FIX系や映画、映像に対しての力の入れ方みたいなものは日本にはないんですよ。『アナと雪の女王』もそうですね。作中の雪のシミュレーションや雪のベタツキ感とか、数値でコントロールできるんです。あれは「いいな」としか言いようがありません。ただ、オラフが奥から出てくるとき、影のあるところから出てくるのに明るいんですよ。オラフは明るいんだなと。もう少し暗くしたり、上にマスク乗せたいとか思うので、まだ改善の余地があると思います。
吉邉:日本は意外と変わらないと思います。例えば、4Kや8Kなど出てきているんですよ。でも、あまり乗る意味はないのかなと。
水崎:フルHDになりましたが、今だってアニメ会社からの納品物は解像度が小さいんです。フルHDで作っている会社はあまりありません。神風動画はなるべく1920dpi.とかにしますが、他は1440dpi.など一段階と狭いんですよ。急に4Kにされても、背景美術の下書きまで映ったりするんです。HDに対応した『ちびまるこちゃん』を見ていたら、背景美術の下書きの鉛筆の線が消えていないところが見えていたんです。そんな中で4Kが出ても、これに合わせた現場にはしないと思います。
吉邉:現場的なところもあるのですが、表現としてもやはり基本セル画でベタっとしたものに対して、解像度を変に上げても仕方がありません。4K、8Kに合わせたアニメの新しい表現の仕方がそのあと出てくるかもしれませんが、綺麗になりすぎて見えなくていいものが見えてしまうのは問題ですよね。
吉邉:演出としてアナログを使うときによく使う手法が、荒々しさだったり手描きだからできるランダム感、綺麗になりすぎないのを利用します。手描きの方が緻密にいけるときもあったりします。
水崎:CGは細かいところが潰れるんです。だから、手描きで潰れた中の線の数とかを減らすなど調整したり、見えやすくすることにより、細かい部分がきちんと形にできるということはあります。
吉邉:『ジョジョの奇妙な物語』のPVは手描きとCGを共存させており、ある程度演出意図が違う使い方をしてたりしています。演出ありきでそれに合う表現ができるという意味では、どちらかにこだわりすぎると、失うものがあるのではないかなと思います。
水崎:『ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン』作っていたころにピーンと来たんですよ。ひとつ1つの取り組む数が多すぎて、これでいいやと妥協したことがいくつかあったんですよ。それをあとで見ると直したくなるけど、世の中にゲームとして出回っている。取り返せないなら、妥協した部分は自分が死ぬまで背負って生きる。何度かそういう経験を経て、確実に自分の中に身に染みついていますね。「今やめたら、後からでは直せないよ、これ」という意味なんです。よく、妥協するぐらいなら死ぬみたいな捉えられ方もされていますけど。
吉邉:水崎さんは妥協の仕方が上手いなと思います。そのときの状況や時間、お金という制限ももちろんありますが、それでも求めたいクオリティがあるというところで、死んでも悔やまない妥協の仕方。現場の人間だとやはり真っ向から作っていく発想で「工数これだけかかるけどどうするの?」というところに「こうすればいい。あっちに道あるよ」といういろいろな局面で自分とは違う視点を持っている感じです。
水崎:「妥協したように見えない妥協」が上手いんですよ。それは自分でもあると思います。思い切ってこのキャラの登場やめようとか。かっこいい妥協は正義だと思います。
吉邉:期待されているうちはそれに応えたい。これだけは、ずっと思っています。
水崎:期待されると逆のことをしたくなるんですよ。手描きのアニメーターのカット袋山積みの中で、アニメーションを作っていくようなアニメーション会社が多いんです。そんな中、テレビ局や広告代理店など版権持っている人は、アニメ会社は下に見られているという印象が昔から拭えなかったんです。それを変えたいというのがあり、面白おかしい空間、現場の空気、作っている環境でみんながきちんと定時に帰る。そこを保つことによって、真っ向勝負ができる。
きちんとものを言って返せるような会社を作りたいというのがあり、今の段階までは順調という形にはしてきたんです。なので、次はアニメの予算はなんでこんなに安く設定されているところに対して解決をしにいきたい。良い原作をアニメの現場に、いい条件で回してくる。そもそも、アニメの現場が良い原作、いいストーリーを書け、マンガを描けたら強いのではないかということがあるので、そこを広げるのではなく、縦に伸ばす。上の方にもう少し差し込んでいくような会社の構造を作りたいというのが次の挑戦です。
水崎:今のアニメーション業界や映画の業界にない頭の良さ。例えるなら、パズルみたいに組み合わせて、ストーリーにのめり込み、最後の最後で「実はこうでした!」というのは会社の中ではありますね。『SAW』という映画が非常に好きで、オチにどんでん返しがあり、ずっと騙されていたんですね。これはすごいなと思いました。話全体の骨格の中で、最後の最後で「あ、お見事です」と言われるような作品にはしたいなと思います。
吉邉:見終わって、驚きだったり清々しさだったり何か変わって映画館の外に出て行けるものが良いと思います。個人的に、絵として挑戦したいことはいくつかありますね。
吉邉:見て気持ち良くなる。描いていて気持ち良かったりするものです。
水崎:輸出産業としての可能性を秘めたものだと思います。海外で売ればいいんです。日本は海外に対して売るものが少ないではないですか。黒字貿易の要ではないかと思っています。平和なうちはこれを売って生きていきたいですよね。
吉邉:生活必需品ではないけれども、それがあることが平和の象徴なのではないかと思います。日本でこれだけアニメが作られるということが、そういうことを表している気がします。
水崎:戦争が始まったら、真っ先になくなる商売だと思うんです。故にそれを売れるうちに売っていきたいです。
水崎 淳平(みずさき じゅんぺい)
1973~
神風動画代表取締役。DTPやゲーム制作、セルアニメーション業界を経て、メディアの壁を超えた作風を武器に有限会社神風動画を設立。
座右の銘は「妥協は死」。
●代表的な監督作
・TVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険』OP
・EXILE『BOW & ARROWS』 MV
・MV『FREEDOM』 OP
・『ドラゴンクエストIX』OP
・みんなのうた『図書館ロケット』など。
吉邉 尚希(よしべ なおき)
1985~
神風動画ディレクター・アニメーター。
●代表的な監督作品
・TVアニメ『ジョジョの奇妙な冒険』第二部、第三部 OP
・『GATCHAMAN-CROWDS』OP
・上坂すみれ『革命的ブロードウェイ主義者同盟』MV
・Sound Horizon『よだかの星』MV など。
●神風動画の公式サイト/ http://kamikazedouga.co.jp
最初のきっかけは高校3年生くらいから始めたバンドですね。
その頃から「音楽に映像をつけられたら面白いな」という思いを抱き始めて、「音楽と映像の融合」というものを作りたいと思うようになりました。
まもなく大学に進学したんですが、情報工学科というプログラミングを学ぶ科で。
もともと映画を観るのが好きだったので、大学に通っている間も課題そっちのけで好きな監督の作品を繰り返し観たりしていました。自分の作品を作りたいという思いはずっとありましたね。
大学2年生の頃、当時のアルバイト先の先輩から「こんな学校あるよ」とデジタルハリウッド専門学校を紹介してもらったんです。興味が湧いたので、資料請求をして学校にも見学に行って、これならイケると、思い切って大学を中退しました。
その先輩と出会わなかったらこの業界にはいなかったですね。
そこからデジハリ御茶ノ水本校で1年間、3DCGを勉強しました。授業は週2回だけだったんですが、学校自体は24時間開放していたので、ほとんどの学生が自主的に動いていましたね。課題提出に合わせて徹夜するときは寝袋を持ち込んだりして。
デジハリを卒業して、SEGAに就職しました。
SEGAでは『龍が如く』や『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』など、ゲームのオープニングムービーを作りましたね。TVCM会社でも1年くらい働きました。
影響を受けたのは主に映画のタイトルシーケンスです。特に『Seven』からは強い影響を受けたと思います。
この映画のタイトルシーケンスは、カイル・クーパーというディレクターが手掛けたもので、僕は彼の作品がとても好きなんです。細かい部分まですごく工夫されていて、俳優の名前が出てくるだけでひとつの映像作品として完成されている。文字の出し方ひとつに対しても、ただフェードアウトさせるだけではなく、フォントやタイミングなどにとてもこだわっています。
いまでも原点を忘れないために、たまに観たりしますね。
MVならミシェル・ゴンドリー監督の作品です。
ケミカル・ブラザーズの『Star Guiter』のMVが本当に好きです。
高校生になる前あたりから興味が出てきて、MTVなどで気になる監督の名前を検索しては、繰り返し観ていました。
映画のタイトルシーケンスもMVも、どちらも映像だけでは成り立たないんですよね。映像と音楽があって初めて、ひとつの作品として成り立っている。
「あの文字が出たときに、この音楽があるからカッコいい」と思えるし、そうやって融合して完成されていく。僕はこういうものが作りたいんです。
自分の好きなことだけをやっていきたいと思ったからです。
フリーランスの良いところは、自分のやりたいものを狙って、その仕事だけを受けていけるところ。
努力することに関してはフリーでも企業でも同じだと思いますが、企業では分業制が成り立っているんです。企業に勤めていた頃は、僕は3DCGデザイナーとして机に向かって作業していればよかった。何もしなくても仕事が入ってくるんですよ。営業してくれる人が別にいるから。でも、フリーランスになると、自分一人で全部やらなきゃいけない。パソコンに向かって作業しているだけじゃだめなんです。6~7割が制作で、残りは営業だったりお金の交渉だったり。
「フリーランスになって制作だけに集中できるぞ!」と思いきや、実は逆です。純粋に制作だけしていたい人は、企業に勤めている方が良い。
フリーランスのデメリットは、制作以外のことにも時間を使わなければいけないことですね。打ち合わせとか、交渉事も全部自分でこなすことになるんです。
今では楽しんでやっていますけど、慣れるまでは「こんなに手間がかかる仕事、こんな金額で受けてしまった」ということもありました。
その反面、時間には自由が効くので、バンド活動など好きにスケジュールが組めるのは、大きなメリットのひとつですね。
メリットとデメリットどちらもありますが、フリーランスに転向したことを、今のところ後悔はしていません。
映像が独りよがりにならないようにする、ということは常に心掛けています。
自分が持っている技術をたくさん詰め込んで「こんなこともできますよ!」と張り切って作ったものって、CGクリエイターからの評価は高いかもしれないですが、作品そのものを伝えることに繋がっていないと思うんです。
作品の良さを伝えるためにCGというツールを使うのであって、CGの技術を魅せたいわけではない。もちろん、映像作品として「すごい」という評価も大事なんですが、MVであれば根本は音楽を魅せたい、音楽の色を伝えたい。だから映像が独りよがりになってはだめなんです。
飽くまでCGは脇役で、作品を良くするためにそこに存在するべきものだと思っています。
制作にあたって、まずはクライアントから出来上がりのイメージをもらい、そこから作業に入ります。ここは企業でもフリーランスでも変わらないところですね。自分の色を出しつつ、誰にでも伝わるものを作るのは難しい。かといって、自分の色を消してしまったら、ただ言う通りに作ったつまらないものになってしまう。そのバランスを考えながら、地道に作業を進めていきます。雰囲気の違いなどは、ベースとなる絵コンテの段階で指摘されます。最終段階まで進んでから言われることは滅多にないですが、そうなるとかなり焦ります(笑)
納期には必ず間に合わせなければいけないので、事故がないようにしっかり打ち合わせをしますね。もちろん、問題なくスムーズに進むこともありますよ。
個人作品は自分のペースで進められますが、仕事として受ける場合はイメージのすり合わせやコミュニケーションがとても重要になってきます。実際に映像を作る段階では、リズムに合わせてアニメーションを展開していくことが重要だと思います。CGはもちろん、編集するときにも音のテンポに気持ちよく合わせることを心掛けていますね。
演出面では、サカナクションさんを参考にさせてもらうことがあります。映像と音楽の融合で、ひとつのエンターテインメントを作り出しているので、僕のやりたいことに近いものを感じています。andropさんの音楽と映像も好きですね。
バラバラですが、だいたいは一ヵ月以内のものが多いです。一ヵ月半あると少し長いかな。
TV関連の仕事は特に、納期の短いものが多くて、2週間くらいで作らなければいけないことがほとんどです。その分、尺が短かったり、チェックが1回でよかったり、様々ですね。MVも納期が短いです。今の時代、音楽にお金をかける人が少なくなってきたのもあって、低予算だし人員も割けない。そのなかでも僕は、限られた人材と予算をフルに活用して、時代に合った売り方やプロモーションのかけ方を模索していきたいと思っています。
フリーランスになってから、一本一本の仕事が短いイメージはありますね。
SEGAで働いていた頃は、一本のゲームタイトルを作るのに最低でも半年くらいの期間がありました。『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』も、ひとつ終わったらすぐに次の仕事がくる。でも、発売されるのは1年半後だったりするんですよ。
色々な仕事に携わってきてわかったのは、僕には納期の短い仕事の方が合っているなということ。
音楽関係の仕事がしたいという思いが強いので、おのずと納期は短くなりますが、そこをメインにやっていきたいです。
結成当時、MVをどういうものにしようか話し合っているとき、僕の中に「プロジェクターを使って近未来的なイメージにしたい」という完成形が浮かんでいたんです。MVを撮り終えた頃は、ライブ会場でプロジェクターを使うことは考えていませんでした。
他のバンドと同じように、ライブハウスの照明だけでライブをしていたんです。でも「もっとバンドの色を出したい」という思いと「せっかく買ったし、ライブで使ったら面白いんじゃない?」という意見も出たので、メンバー皆で話し合ってプロジェクターでの投影を始めました。壁が白くないと綺麗に映らないので、ライブハウスによっては出来ないこともあります。黒い壁だったら白い布を持って行ったりもしますね。
こういう仕掛けがあるとバンドの色が伝わりやすくなるかなと思ったのが始めたきっかけです。
僕個人としては、音楽系の仕事のフィールドをもっと広げていきたい。
企業相手でもしっかりと自分の色を出して認めてもらえるようになりたいです。
SONALIOでは、プロジェクションマッピングを取り入れてみたいですね。いままで大きい規模でしか実現されていないものを、ライブハウスみたいな狭い場所でもっと身近に感じることができたら面白いなと思います。音楽だけじゃなく映像でも注目されて夏フェスなんかに出られたら最高ですね。
① SONALIO「personal innerspace 」 ©TakutoYamamori Dir/ 山守拓人 Camera/ 田中一成
「このときばかりは僕も演奏者なので、知り合いのカメラマンさんに撮影をお願いしました(笑)SONALIO の MV に関しては、映像制作からディレクション、編集まで僕がすべて行っています。撮影に使ったプロジェクターはバンドで購入しました。ライブ会場でプロジェクター投影をしているバンドはなかなかいないので、かなり目立っていますね」
②センチグラム「イナイナイバァ」
「バンド同士で仲が良いので、直接依頼された MV 制作の仕事です。これは僕が絵コンテから撮影、編集まですべてやっています。2 週間くらいで完成させましたね。 新曲『スーパーノヴァレディオ』の MV も撮り終えて、こちらは全国発売に合わせてスペースシャワー TV で放送されました」
③天才てれびくんシリーズ
挑戦コーナーのオープニングタイトルモーション
2010 年 9 月 6 日〜 2010 年 12 月 1 日放送。
「フル CG で、実写 NG でというクライアントからの要望で、番組のオープニングに使われる 10 ~ 15 秒ほどの映像を作りました。これは僕自身が絵コンテからすべて描いてすり合わせをして、一人で作ったものですね」
③天才てれびくんシリーズ
挑戦コーナーのオープニングタイトルモーション
2010 年 9 月 6 日〜 2010 年 12 月 1 日放送。
「フル CG で、実写 NG でというクライアントからの要望で、番組のオープニングに使われる 10 ~ 15 秒ほどの映像を作りました。これは僕自身が絵コンテからすべて描いてすり合わせをして、一人で作ったものですね」
④シューズブランド『TIMAI』
「これは 3 人で作ったものです。 アニメ調のキャラクターデザインはスタジオ 4°Cの方が担当で、僕は 3DCG 部分を制作しました。ブランドのコンセプトである「履いたとき、イカを踏んだように足にフィットする」ということを強調するために、たくさんイカを出したり、TIMAI さんの要望を取り入れつつ、3 人それぞれの色を出せた作品だと思います。制作期間は 3 週間くらいですね」
● MONOBRIGHT 『COME TOGETHER』
「MV 制作をメインの仕事にしている田辺秀伸さんという、すごい監督からお話をいただいて実現した仕事です。「アニメのデザインやディレクションはやったけど、フル CG となると物量が大きくなるので、一人ではできない」ということで、僕に話が来たという流れです。内容は田辺さんと相談しながら詰めていって、3DCG は僕がメインで制作しました」
●ゆず 『HAMO』
「撮影はカメラマンさんにお願いして、僕は宙に浮いている 3DCGオブジェクトの作成と、3D シーン の 合 成 を 担 当 し て い ま す。『HAMO』 は MONOBRIGHT でお世話になった田辺さんと、名和晃平さん、僕の 3 人で作った作品です」
山守 拓人(やまもり たくと)
3月22日生まれ
3DCGデザイナー。インディーズバンドSONALIO Bass。
高校時代、組んだバンドをきっかけに「音楽と映像の融合」を思案するようになる。大学2年の時、大学を中退しデジタルハリウッド専門学校に入学。3DCGクリエイターとしての道を歩み始める。卒業後、(株)SEGAや映像制作会社TANGRAMに勤務し、フリーランスに転身する。以降、MV、TVオープニング映像、展示用映像の制作を中心に活動中。
2014年12月31日、東京都目黒区円融寺で行われた「除夜の鐘~プロジェクションマッピング奉納~」に映像制作として参加した。
●主な作品
SONALIO「personal innterspace」MV
SONALIO「connected contrast Live PV」
MONOBRIHT「COME TOGETHER」MV
ゆず「HAMO」PV
シューズブランド「TIMAI」PV
●公式HP
http://takutoyamamori.main.jp/
いろいろな背景が考えられますが、最大の理由は日本が科学技術立国だったからです。あまり指摘されていませんが、アニメの発展と高度成長期はほぼリンクしているんです。『鉄腕アトム』が作られたのは1964年の東京オリンピックの前年(1963年)で、ちょうど高度成長期のピークです。生活も環境も、日本全体が変わっていった時期です。技術立国として世界中に認められ、加工貿易で外貨も稼いで「もはや戦後ではない」とまで言われていました。オリンピックに合わせて新幹線が開通して高速道路もできた。戦争に負けた国がようやく新時代を迎えた象徴にテレビアニメが位置づけられます。
これはテレビの普及時期とも重なっていますが、ディズニーのようなフルアニメーションだと基本は1コマ撮りか2コマ撮りで、時間・費用的にテレビでは難しかった。そのために省略が進みます。3コマ単位にするとか、セルをストックして使い回しをするとか、カメラワークで見せるなど、テレビの制約条件の中でいろんな工夫を重ねた結果、それまでになかった独特なアニメーションができた。原作者の手塚治虫先生も「アトムは略語の“アニメ”だ」と言っていたそうです。この日本式アニメの誕生により、テレビでもアニメ番組が量産されるようになりました。
当時は一極集中が進み、団地に代表される核家族が増えていました。ライフスタイルも大きく変化していく中で、従来なら祖父母が子守りを担当して昔話を聞かせていたところが、テレビでアニメを見せる文化に推移していく。1960年代のアニメが子どもを育てる薬品や食品菓子、飲料水などの商品と連動しているのは、そのためです。
放送は万人向けと定義されていて、「子ども向け」という絞られた年齢には向かないとされています。アニメはテレビに乗らないものだし、そこは今でも変わっていません。ただし、そこを広告代理店のような新しいビジネスをつくる会社がスポンサーをつないで、何とかやってきたのが実情です。今でも深夜で放映しているアニメは、無理を可能としている裏技が時代とともに推移して、奇跡的に50年間続いた果てにある状態です。
深夜という一般人は起きていない夜中、本来はテレフォンショッピングの枠に、「こんなアニメができました。良ければビデオソフトを買ってください」と30分間丸ごとのコマーシャルとして成立しているものです。『鉄腕アトム』の時代とは、ビジネス的にまったく別のメカニズムでできていますね。
きちんと認識してほしいのは、放送にアニメを載せるのは無理だという点。その無理を、知恵と工夫でひっくり返している点は、実に日本らしいと思います。2020年の東京オリンピックまではもつだろうけど、その先はいつ消えてもおかしくないでしょう。
やはり日本人は職人芸的な気質を持っていて、テレビアニメ半世紀の歴史にもよくそれが現れています。限定された厳しい条件の中で、ありえないような研ぎ澄ませ方をする。歴史的に見ても、日本のアニメは日本刀や零戦のようなものに似ていると思います。
技術的に枚数を使えないのだったら「トメ絵」を一生懸命に描き、それをたっぷり見せる。歌舞伎の見得みたいに。ドラマの盛りあがりときちんと連動していれば、そこで目が離せなくなる。海外が2秒間で48枚ぐらい使って、ゆっくりと動かすのよりは、ピタッと止まった方が切れ味もいいし美しいでしょうと。
日本の代表的な文化や技術と同じDNAと頭脳が発明してることなんです。日本のアニメは歌舞伎、日本刀、零戦と同じ仲間だという話は、なかなか語られていないです。
一番の理由は、アニメでないとできない表現、伝えられない感動があるからです。小説やマンガも、それぞれに特化した素晴らしい感動がありますが、アニメはそれとはまったく違うベクトルの感動なんです。あるリズムや抑揚などをつけながら、固定された時間の中で、いろいろな人間の記憶や感情を刺激する。一番近いのは音楽でしょう。映画自体が始まったときから、ずっとそういうことを目指しています。色合いや明暗を含んだビジュアルの推移が全部ストーリーと同期して展開していくので、そこも先端的な芸術であると思います。
そして、画面の中にしかない完全な虚構の世界がある。しかし、虚構だからこそ本当らしさを感じさせられる。映画が始まったとき、「起きている時に見る夢みたいだ」と言われていました。人間は普段の生活で、座って立つという動作から始まり、固い柔らかいという質感など、いろんなものに縛られています。自由そうでいて、けっこう不自由なのが日常なんです。そこから観客を解放して、もう一度お帰しすることにより、現実というのをものすごく輝かせてくれる可能性が、アニメにあると思います。
多くの人は、アニメの表現のどこが特別で、何が面白いのかという理由をきちんと理解していないと思います。「アニメだから」が理由にならない理由で、それなのに「こうすればヒットする」「海外に通じる」と簡単に言われますが、そんな単純なことではありません。
もうひとつ、普通の生活では気がつかないことに気づかせてくれる「異化効果」という言葉がありますが、普通の生活だと見過ごしてしまいそうなことを、アニメのクリエイターが強調して伝えることで、現実も意外と驚きに満ちていることを教えてくれる。すべて作り物で構成されるアニメは、そんな感動を提供しやすいこともあって、日本ではこういう方向性を目指していますね。そこが外国と一番違うところでしょう。架空であるがゆえの真実みたいなところが、日本のアニメがもつ魅力ではないでしょうか。
美意識です。美を見立てられる心。日本のアニメは俳句みたいなものです。「古池や 蛙飛びこむ 水の音」とたったの17文字で美しい世界が表現できるんです。
「古池や」で舞台ができてそこに「蛙」というキャラクターがでてきて「飛びこむ」はアクションです。そして「水の音」というと、もうそこに蛙はいないということを表現しています。「池」と「蛙」と「音」の作用で、そこに時空間が発生しているんです。それと同じメカニズムで、日本のアニメはできています。
だから想像させる余地をいっぱい空けて、そこをどう使うかということがこの50年の中でアニメがめざしてきたことです。
狭い国土の住む日本人が得意としてきた凝縮していく能力や、無駄を削ぎ落とし研ぐ能力が、その根本にあります。海外の方から見たら「古い池」とか「蛙」が自分になにか関係あるのかと思うところを「古池」と言った瞬間、その池の歴史が想像できるとか、「蛙」だって生きているから自分たちと同じ生き物なんだとか。それが飛びこんだということに、何か自分の人生の一部を見立てたりもできます。
俳句は言葉を軸に想像力を昇華して、自分の人生と比較しながら、あたかもその場に立ち会っていたかのようにする作法ですよね。アニメについても、似たようなことを一流の監督は常に考えています。宮崎アニメや『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』はもちろん、『それいけ!アンパンマン』にしても、そういう考え方で作られています。
アンパンは食べるものだから、人間が支配していると西洋の人は対立構造で考えます。でも食べられるものにだって、命があるという考え方は実に日本らしい。そんな風に周囲のものをトンチで少しひねり、様式で見方を変えるという手法。日本のアニメは、同様に絵に置き換えることで、普段の気持ちを切り替えたり視点の角度を変え、現実を照らし出すためのものとしての考え方が徹底しています。アニメを作るということはすでにそういうことなのだと、クリエイターの共通認識があると思います。
海外は少し違うと思います。「架空のキャラクターは非現実だから、非現実の世界で非現実の活躍をする」という感じでしょうか。たとえば日本のキャラクターで目を大きめに描くということにも同じようなことが言えます。もともと女性を見たときに目の周りに注目がいくし、可愛い動物、特に幼体は目が大きく、庇護したいという考えをみんな持っているでしょう。その共通認識が記号化につながっていって、目が大きいことが可愛いんだという様式に高まっていく。
こういうことの積みかさねで、様式を重視したアニメに日本人特有の色がつくのではないかと思います。こうしたことは、方程式的なテクノロジーとして輸出できないものだと思いますし、逆に、今話したような日本的特徴を明文化できていないということも、大きく抜け落ちている部分だと思います。
海外でアニメが人気を得た一番の理由は、他の国では作れないエキゾチックさがあるからです。しかし、日本人自身はそのように認識していないところと、違いを言語化できる人が皆無なことが問題です。それなのに「近年アニメが海外で評価されている」と言う人が多いのも問題です。
その理由は、日本が精神的な「鎖国」をしているからですね。本当のことを知ろうとせず、評価を海外に丸投げです。すでに20年前の"クールジャパン"のような言葉がいまだ新しいと思い、政府が打ち出したりしている。本来、海外にも調査団を派遣するなどして、市場や現状を調査すべきでしょう。海外からはすでに評価されていて、たとえば日本で巨大ロボット映画を作らないならこちらで作りますと、『パシフィック・リム』が制作されたのが象徴的です。日本発の玩具が原作の『トランスフォーマー』にしても、儲けているのはアメリカでしょう。そのことを日本の業界は悔しいとも思っていなさそうです。周回遅れもいいところで、評価されてきた時代は終わり、もう海外に美味しいところは抜かれているんです。でも、鎖国日本では深夜アニメが栄えているから、いまだに海外で評価されていると思いこんでいますが、評価しているのは海外のオタクで一般的な拡がりはないです。
『アナと雪の女王』や『ベイマックス』も日本的な作り方、ジブリ的な作り方をかなり参考にしていますしね。ダークなところもある意外な展開や悲劇的なヒロインなど、これまでと全然違うものにしているところもそうですね。昔のディズニーが作らないようなものを作っているのは、日本のアニメの影響でしょう。
結局、勝者はハリウッドなんです。日本人も向こうに足をはこんで「こういう形で自分たちも乗りたい」と英語で話すことが必要です。海外は日本のものを取り入れ、20年ぐらいかけて何百億円儲かるようなところまで持っていきました。問題の根は日本と海外の文化的な価値観の違いにあると思います。
もちろん監督のジョン・ラセターや俳優のキアヌ・リーブス、レオナルド・ディカプリオのような、本当に日本の作品を愛している人もいるので、まったく悲観的というわけではないです。しかし、そんな日本のことが大好きな外国人の需要に、きちんと答えられているかと言えば疑問ですね。今でも評価されていると思っていること自体がまず間違いであり、評価されていたのは過去のことだと思わないといけない。大勢としてはクールジャパンブームも終わって久しいと思われていて、むしろ日本的な要素を方程式的に分解し、世界に出すかをハリウッドは考えています。
これはアニメだけではなく、たとえば香港映画のワイヤーアクションはハリウッドでは、作れないから、ジョン・ウー監督たちを実際にハリウッドへ呼んだんです。彼らはハリウッドのルールにしたがい、『ミッション・インポッシブル2』などを制作しましたね。そして彼らのルールに加えて、ワイヤーアクションやバイクアクションなど、ハリウッドでは危険すぎるスタントをやってのけて、成功しています。最近では中国がブームを作り、人材として海外に送ろうとしています。日本が鎖国しているなら、「文化の上澄み」だけいただこうかというのが現状だと思います。
では、これをどう打開すればいいかというと、まず英語を話せるようになることです。この話をすると、8割9割の人に苦い顔をされるのですが、通訳ではなく自前の英語で交渉できるようにする。国際的なルールをしっかりと理解し、英語でコンタクトできる人が今の10倍になれば変わるでしょう。
そうならない理由は"ガラパゴス"と言われているように、アニメが島国日本の中で全部循環してしまっているからです。だから、危機意識を持ちようがない。これは江戸時代からの特徴でしょう。アニメも日本という閉じられた世界で発展した江戸文化の末裔ですから、ガラパゴスでいいんだという人もいます。でも、ガラパゴスケータイがどうなったかみなさん御存知ですよね。では逆にグローバルスタンダードをとりいれればいいかというと、そうでもない。なぜなら中国などで作られるアニメと差別化がなくなるから。
対海外の話には、常にアンビバレンツな要素が含まれている。だったら、どうしたいか最初に決めないといけない。日本独自の表現を研ぎ澄ますのであれば、今のままでいいんです。その場合、海外の話をしないことです。しかし、海外でもっと儲けたいということを言うのなら、ローバルスタンダードを理解し、相手の懐に飛び込んで同じ交渉のテーブルへつくべきなんです。逆に「海外の人が日本まで来ればいい」と言う人もいますが、そこまで魅力的なものかどうか。日本に来させるだけのものがあればいいですが、日本のアニメはハリウッドやディズニーの真似から始まっていますし。
まず世界的な観点をもち、バランスをきちんととった方がいいと思います。ネットによる情報も妙にいびつですから、どこまで信用できるのか現実を見るべきです。
いまだに"ジャパニアニメーション"という言葉を使っている人たちがいますよね。実際に海外に行くと、ほとんど耳にしない言葉です。「Anime」か「Japanese Animation」のどちらかです。使われていない言葉を、日本人が誇らしく思っているのは象徴的ですね。なぜジャパニメーションという言葉が好まれるかと言うと、「日本のアニメはAnimeと呼ばれて世界で大評判」と書いても、記事になりづらいからです。検索すれば" Anime"の方が圧倒的に多いのに。"Animeは世界共通語なんです。
まず最初に、みんなが思っているほど海外でアニメは作られていません。日本のアニメ産業は自国内で成立していますが、それはレアケースです。
最大の理由は、海外では大人がマンガを読まないからです。日本でアニメが発達したのは、90年代に650万部を売った『週刊少年ジャンプ』を頂点として、マンガが大量に発行・消費されているからで、それで層に厚みができたんです。青年・少女マンガや生活マンガ、4コママンガと非常にバリエーション豊かなので、マンガ文化をベースとしたアニメ文化の豊かさという構造があります。諸外国でそうなったのは中国だけでしょう。
だから中国への影響がもっとも大きいし、これから脅威になると思います。4年前くらい前に中国へ行ったときは、中国のアニメはそれほどクオリティが高くありませんでした。ところが最近、中国の映画『THE GOD HUNTER』の予告編がYouTubeに上がりましたが、赤いジャケットを着た孫悟空のアクションアニメで、日本の先端のアニメ会社が作っているかと思ったほどのレベルなんです。この数年間、国策としてアニメ開発に力を入れてきているので、レベルアップしてもおかしくない時期でしょう。彼らは日本のアニメやハリウッドのアクションをサンプリングして作っています。日本のアニメに優位性があったとしても、結局はテクロノジーの産物ですから、ある程度コピーできるんです。日本のアニメも中国含め東南アジア圏に外注していますしね。
アメリカでは、キッズアニメとしての『ポケットモンスター』以降『遊戯王』『デジモンアドベンチャー』は浸透しました。そこで日本でもよく使われる、「顔に縦線が入る」「冷や汗タラリ」という表現は、米国のカートゥーンにも影響をあたえました。ディズニーを真似した手塚治虫さんから発展していき、それが向こうのカートゥーンに戻っていく。こういう文化の連鎖は面白いですよね。
アニメが影響を与えているのは、やはり実写のSF超大作映画でしょう。一番大きく影響を与えたのは『トランスフォーマー』でしょう。アメコミ原作の一連のマーベル映画などもミサイルを連続発射する映像は、『超時空要塞マクロス』あたりから影響を受け手いると思いますし、明らかに海外のクリエイターは参考にしています。物語的には、新作のほうの『ギャラクティカ』は、富野アニメっぽい要素が多いし。ただ、日本のアニメもハリウッド映画を真似したことろが多々あり、お互いさまかもしれません。
中でもアニメの影響で特筆すべき実写映画は、『パシフィック・リム』でしょう。巨大ロボットが怪獣と戦ったり、そもそも2足歩行のロボット自体が日本人にしか出せない発想だと言われていたのに、多額の費用をかけて本格的に作った。これは衝撃的でした。
日本のロボットアニメは、そのままアメリカで量産されるのではなく、もう少しリアルCGを使ったゲーム文化のようなものを仲介として、実写に影響をあたえていったものだと思います。
世界的には、フルCGが主流でしょう。アメリカでは、一般観客は手描きのアニメーションに入場料を払わないのではないかという判断を、10年くらい前につけています。そしてディズニー伝統の2Dアニメーターたちを解雇し、CGに大転換しました。そのあとディズニーのCGアニメが調子が良くないときにピクサーのジョン・ラセターを呼んで、ラセターは『プリンセスと魔法のキス』で1回2Dに戻したり、2Dのアニメーションと実写の合成『魔法にかけられて』を打ち出しました。2Dでも良い作品は作れると揺り戻しがありましたが、続いてないですよね。一方で『塔の上のラプンツェル』『アナと雪の女王』みたいに、2Dだとできなかったようなデリケートな感じも表現できるようになってきているので、なかなか2Dは作られないかもしれません。
日本でのフルCGアニメは「セルルック」が特徴で、10年ぐらい前に『アップルシード』という長編が制作されました。セルアニメみたいなアウトラインがあり、ベタ塗りのキャラクターをモーション・キャプチャーという技術を使い、人間の動きをトレスする。そうすれば、2Dライクのアニメができるのではないかということです。すぐにもそうした制作方法が主流になるかと思っていましたが、10年ぐらいかかりました。今はモーション・キャプチャーはほとんど使わず、手付けが主流になっています。硬いと言われていたキャラクターもリグという技術を使い、表情筋や眼球をもっと自然に動かす技術が、だんだん進歩してきていますね。2013年から2014にかけて『蒼き鋼のアルペジオ』『シドニアの騎士』『楽園追放』と、ルルックのフルCGアニメが評判になったので、ブレイクが近いのではないでしょうか。
CGにしても50年位の手描きアニメの歴史を踏まえて、日本らしい進化が出始めていると思います。そういう意味では日本のアニメ文化は、決して悲観的ではないです。同時に手描きのアニメーターは、諸事情によって人がそれほど増えることはないだろうとされています。手描きとCGの利害得失というものをきちんと踏まえたばかりだから、まだ発展的な部分は多いと思います。手描きのアニメとは少し違う進化と発展の積みかさねがあり、そこに新たな日本人らしさが宿る結果となるのではないでしょうか。
ただ、そこに関わってくるのは「リクープ」という言い方をしますが、投資の回収です。世界的にパッケージビジネスが崩壊してから、かなり時間が経っています。その状況下でアニメは他に比べて減少分が低いというところで、まだ続きはすると思います。しかし、増える見込みはもうないでしょう。だから、別の方法で稼がなくてはいけない。それは現在、いろいろな会社が様々な工夫をしているところです。それにも注目していきたいと思っています。
アニメの永続については、決して予断は許さない状況が続いていくと思います。そもそも誰かがものを見立て、ある美意識で良し悪しを判断しながら動きを積みかさねていくのがアニメですから、CGになってもそこは変わらないと思います。ただ、絵は描けないけど動きを見るセンスがあるとか、実写的なカメラを構えられる人が、CGの戦力としてはいってくることで、多少の伸びしろがあるところに期待したいです。
アニメとマンガの一番の違いは、実時間があるかないかです。マンガはページをめくり、見開き単位で読むものです。見開き全体をつかんでから右上から入り、左へ向かって抜けていくという入りと出があり、コマの流れがあります。そこの中でいろいろな事件が起きていくわけですが、実時間と実空間はないわけです。時間を使って空間を作りあげていくという映画の作法を模擬しているのが、日本のアニメの作り方の基本です。背景で描かれているものの中に空間があり、そこをキャラクターが動くことでその空間が信じられるものとなる。アニメに本当のカメラはないけれど、カメラが撮ったという意識で絵作りをしていて、時間と空間の連続性をつよく主張する手法です。
時間を使い空間を描くことを積みかさねると何ができるかというと、世界が構築できるんです。マンガのコマも映画を模していますから、このような手法で奥行きを意識してコマを作っていますが、もう少しゆるいものです。マンガは過去と未来が同一平面上にあり、バックワードに読み返しもできる。一番わかりやすいアニメとの違いは、ページをめくったときに大ゴマを見せたり、キャラクターがコマを何段かに突き破ぶっているなど、迫力を出す表現でしょうか。それはフレームが固定されているアニメではできないことです。アニメには実時間があって固定フレームであるということと、文字の記号ではない本当の音や声がついて、音楽が流れるというところが大きな違いです。
マンガもアニメも仮想的な空間を描いていますが、アニメではキャラクター設定と呼ばれているものは必ず三面図を描きます。それは演出家がこの場所に立つようにと指示をした上で、様々なアングルから撮るために立体情報が必要だからです。キャラクターの全体像を立体的に把握する必要がある。マンガの場合はそこまで厳密でなくても、台詞と流れでなんとなくつながっていく。三面図の描けないキャラクターは数多くあると思います。
たとえば鉄腕アトムはツノが2本あり、絶対に交わらないように描かれています。本物の立体にしたとき、キャラクターを回転させたら重なる角度が出ますが、マンガでは重ならないように描けるんですね。『あしたのジョー』の矢吹丈というキャラクターも髪が前に飛び出ているので、右側に向いているときには左に出ているけど、振り向いたら逆向きになるんです。そんな風に印象的なポーズだけを描いていってもマンガの場合は成立しますが、アニメだと違和感が出るものなんです。アニメ化されたときも苦労して、なんとか描いていましたね。
「マンガ原作を忠実にアニメにしてほしい」という方々は、そのような差違がよくわかっていないんだと思います。
もちろん、アニメへのコンバートの成功事例も多々あります。最近だと『四月は君の嘘』がそうですね。原作で成立している音楽のシーンを、どのように移植するのか。アニメでは実際の音楽がもつ実時間にしばられますし、さらに感動的な名演奏だと言ったら、本当の名演奏を聴かせないといけなくなる。これはかなり難易度の高い課題ですが、それを乗り越えることで、何か突き抜けた表現になり得るわけです。そうした挑戦の姿勢と意欲をもったマンガのアニメ化には、大きな意味があると思います。
マンガのアニメ化には、映像化の方法論にきちんとした答えを持っているものがヒットしていて、『ちはやふる』もその代表例です。カルタのシーンにバトル系が得意な川尻善昭監督がコンテを切るなど、緊張感をしっかりとフィルムに定着させることで成立していると思います。『進撃の巨人』にしても『DEATH NOTE』を制作した荒木哲郎監督が、原作でそれほど具象化されていない部分をアニメにする際、細かく設定しています。巨人は何メートルサイズで建物との比率はどれぐらいで、街並みの家屋の並び方や、空中機動ではどれぐらいの高さから落下したときどういうGがかかり、どれぐらいのガスを噴出する必要があるかなど、リアルに突きつめている感じがします。面倒な作業をしっかりと積みかさねただけの効果は出ています。
あらゆるマンガが、アニメにならないと言っているわけではありません。基本的には特性が違うということをもっと理解してほしいし、うまい変換手法には拍手をおくってほしいんです。マンガでは、新しい文法としてのコマ割り手法が次々と生み出されていって、映画的なるものから離れたものも多いですから。
なぜアニメを面白いと思えるのか、感動するのか。その根本が不思議ですし、突きつめて考えても容易に答えの出ないところが一番好きですね。
40年くらい前に『宇宙戦艦ヤマト』の現場にお邪魔して、セル画を初めて見たときにまったく違うふたつのことを思いました。
ひとつ目は、色やツヤ、描き込まれているィテールが、ナマの素材だと非常にきれいだと思いました。ふたつ目はこれと逆に、なぜこの小さいサイズで薄く、止めてしまうとペラペラの平面的なものなのに、大きな世界観が見えたり、生きているように思える感動が生じるのか。ここの間にある落差は、いったい何なのかということがわからなかったんです。
ほとんどの観客はアニメを見終えたあと、キャラクターと物語だけしか覚えていないものです。そのため、アニメでしか起こせない感動だとか、映像を媒介として物語やキャラクターが際立っているところを、ほとんど忘れてしまう。実際、アニメについて語られている文章に関しても、キャラクターか物語か、どちらかしか語られていないケースが多く、それをあまり不思議に思っていないところが不思議ですね。
アニメは研究すればするほど、わからなくなります。アニメが動いて見える原理も「目の錯覚」と雑に言われていますが、今まさにニメーション学会でそういう議論が行われているように、そこからして怪しいんです。静止画の連続が動いて見えるのは、脳の機能であることに間違いはないのですが、人間は何百ミリセカンドか先のことを過去と参照しながら、マッチするかということを探っています。常に未来を脳で手繰り寄せながら、常にどうなるかということを予想している。その予想と合うかどうかという脳の判断が、動きの認識に結びついています。視覚情報はそれだけ処理が重たいので、音声情報よりも遅れて届いたりするわけです。調べれば調べるほど、アニメの絵が生きてみえるのはなぜか、本当にわからなくなります。こうした分析から、人間そのものの本質が浮かび上がってくる。そういうところに本当の面白さがあると思います。
なめらかに破綻なく動くのが「良い動き」だと思われがちですが、決してそういうことではないのです。観客を数コマ単位でどっちに持っていくか、アニメーターが実感をこめて描き、感情をコントロールしている。だからこそ感動が誘発されるのです。この意味で「錯覚」と片づけられないものがあるんです。アニメの映像は虚像と言えば虚像ですが、その「虚」にこそ本当のこと、「実」が宿るという一見矛盾したところが、一番面白い部分だと思います。
人間という、よくわからないものの本質をつかむための「鏡」みたいなものでしょうか。人間は案外人間自身のことをわかっていないということでもありますが、アニメという省略と誇張の方法論を通すことで、本質が浮かぶことがある。たとえば人の仕草をアニメにすることで、普段気にとめていないことも「あ、言われてみれば、こういう感情のときこういうことをするかもね」と思ったりする。「人が人を知る」というのは、あまりにも普遍的すぎて、なかなか難しいことでもあります。その難しさを乗り越えて、わかりづらいことを上手に表現できたりすると、他人のこともわかるし、自分のこともわかる。そういう瞬間が一番面白いですね。
●氷川竜介
アニメ・特撮研究家。明治大学大学院客員教授。1958年兵庫県生まれ、東京工業大学卒。文化庁メディア芸術祭審査委員、毎日映画コンクール審査委員などを歴任。日本SF作家クラブ会員。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズ』のオフィシャル文執筆、ニコニコ生放送「日本アニメ(ーター)見本市 同トレス」解説者など多方面で活躍中。海外での展示会・映画祭での講演経験多数。文化庁向けに「日本特撮に関する調査報告書」「日本アニメーションガイド ロボットアニメ編」を執筆。
●主な著書・論文
「20年目のザンボット3」(太田出版)、「アニメ新世紀王道秘伝書」(徳間書店)、「フィルムとしてのガンダム」(太田出版)、「アキラ・アーカイヴ」(講談社)、「安彦良和アニメーション原画集『機動戦士ガンダム』」(KADOKAWA)など。ニメ編』共著(文化庁メディア芸術カレントコンテンツ)
「このアーティストの、あの曲のPVいいよね!」「ねぇ、あのビデオクリップ観た?」なんて楽しそうな声を、ふと立ち寄ったCDショップで良く聞く。
街ではビルの大画面からミュージシャンの本人像だけでなく、CGを駆使した映像が当たり前に大音量とともに映しだされている。
今やミュージックシーンの中でCGの役割は大きいが中でもアニメーションを起用したPVやMVが目を引くのは、今回のこのアニメ企画の本を制作しているから? いやそれだけのことでもないかもしれない。
音と映像の表現でアニメーションと言えば、まず思いだすのはNHKの『みんなのうた』だ。5分間という短い、この短いという時間自体の受けとりからが大人時間かもしれないが。さて、この当時のこどもの時間だが、画面に釘つけになり、体が思わず自然と動きだすワクワクする時間であったことを思いだす。
今回の取材で久里洋二先生の仕事場にお話しをお伺いしにお邪魔したとき、先生の作品がとてもなつかしく思えた。それもしかりで、幼少期にテレビで見たワクワクした時間そのものがそこにあったからだ。
ところでNHKの『みんなのうた』の歴史を調べてみると、日本放送協会(NHK)がテレビとラジオの各チャンネル(日本国外向けのチャンネルを含む)にて放送し、テレビ版・ラジオ版ともに1961年4月3日が放送開始だ。『おかあさんといっしょ』『きょうの料理』『きょうの健康』などとともにNHKを代表する長寿番組として広く親しまれていて、これまでに1300曲を超える歌が紹介、放送されているという。
1980年代になると当時放送されていたNHKのテレビアニメの主題歌を「みんなのうた」の曲として放送していた。『未来少年コナン』から山路ゆう子・鎌田直純の「幸せの予感」『スプーンおばさん』から飯島真理の「リンゴの森の子猫たち」『子鹿物語』から戸田恵子の「ハロー・トゥモロー」『ニルスのふしぎな旅』から加橋かつみの「ニルスのふしぎな旅」『キャプテン・フューチャー』からヒデ夕樹の「夢の舟乗り」『川の光』から遊佐未森の「I'm here with you」(映像は堀口忠彦制作のアニメ)などなどである。
それから『みんなのうた』は今回の取材で神風動画の水崎さんのところへお話をお伺いしたときも話題に乗っていた。
この番組から多くのアニメーターがその番組から育ち、多くのリスナーや視聴者が育っていったと言っていいかもしれない。
そんな背景に現代のミュージックシーンのMV、PVがあると思うのは私だけではないと思う。
ここでわたしのオススメのMVを紹介したい。『SONALIO「kokoro konoha」』と『嵐「Zero-G」』だ。
CGも取り入れられたこの二つのMVは、ぼんやりとしていたイメージが鮮やかさを纏い、アーティストのカラーと相まって、観ていて「楽しい」と思わせてくれる。
それと「東京TDC賞2014」TDC賞受賞を受賞した『HaKU「everything but the love」(TBS系列ボクシング中継2013テーマソング)』だ。ジョットコースターのように勢いがあり、動きに合わせて歌詞が流れる「不思議だけど面白い」そんな作品である。
これからも様々な進化を続けるMVやPVに、あなたもちょっと寄り道してみてはいかがだろうか。
「結果も流れもわかっているのに同じ映画を見る意味はない」
そう思っていた時期がある。同じ作品をもう一度見るくらいなら新たに作品を見るとか、勉強や読書といった他のことをするとか、その方が時間の無駄なく活動できて良いと考えていたからだ。その考えが変わったのは、高校生のことである。
『となりのトトロ』といえば世代を超えて親しまれている、知らない人はいないくらいに有名な作品だ。ス
タジオジブリが製作し、1988年に東宝系で公開されて以来、現在もたびたびテレビで放送されている。
小学生当時の私もテレビで放映されたものを見ていた。田舎に引っ越してきたサツキとメイの姉妹が出会う「トトロ」や「ネコバス」ら不思議な生き物たち。雨粒の滴る音に驚きながらもそれを楽しむ様子や、もふもふと暖かそうなバスの中……その、どこか怖くもあり、だけれどカワイイキャタクターたちに心奪われたのを今でも覚えている。当時の私はファンタジーの世界、キャラクターたちそのものに強く惹かれたのである。
私が再び「トトロ」と出会うのは高校生になってからのことだ。他にすることもなく、たまたまチャンネルが回っていたので何気なく見ていた。そのときに見た『となりのトトロ』は幼い頃のそれとは全く別の作品のようだった。ファンタジーの世界観やキャラクターから受ける印象はそのまま、それ以外にキャラクターの感情や行動にも目が行き、心が動かされるようになったのである。特に、病気の母にトウモロコシを届けようと 1 人病院へ向かったまま帰ってこない 4 歳の妹メイを姉のサツキが必死に探すシーン。母を思う気持ちや相手を心配する気持ちから喧嘩していた 2 人だが、家族としてやはりお互いを大事に思っていることが伝わってくる。メイを探すサツキは姉として、母が不在の中をしっかりと支えてきた。そんな彼女が感情を吐き出すところでは、彼女自身もまだ子供であり、今までずっとこらえて頑張ってきたことがわかる。そして、そんな彼女とメイを心配する周りの人々の心の温かさも伝わってきた。
幼いころよりもキャラクターの感情や行動を深く理解できるようになっていたのである。時間が経ち、私が成長したことが大きな要因なのだろうが、しかし、期間をあけて改めて作品を見るということは、新たな視点や考えを持って見ることができるということではないだろうか。その結果、当時得ることができなかった新たな作品の魅力に気づくことができるのだ。
期間をあけなくても、何度も見たい作品もある。今回の取材でよりそれを感じたのは、神風動画を取材したとき、作り手側の演出が随所にちりばめられていることを知ったのだ。それまではストーリーやキャラクターに注目していて、背景やスタッフロールにはさほど目を向けていなかった。しかし、『ジョジョの奇妙な冒険』のオープニングでは、原作で描かれている特徴的な効果音の描写をスタッフの名前を表示する際に用いている。さらに、『図書館ロケット』では作中の本の表紙一つひとつにまで絵が描かれていたり、ロケットの着地動作やキャラクターの影が描かれていたり、と細かい点までしっかりと楽しい要素があるのだ。そういった演出を1カ所見つけてしまうと「他の場所にもあるんじゃないか?」と気になってしまう。
劇場の長編作品では『アナと雪の女王』が挙げられる。雪やキャラクターの仕草。視線がその後のフラグになっているものまである。また、ネットでも話題になったが、ディズニー作品の他のキャラクターが登場している。それを知らずに鑑賞し、後から知って画像で見た人も多いのではないだろうか。
それら、制作側の細やかな演出の要素は様々な場所に目をやらなければならないため、一度だけですべてを見つけることはむずかしいはずだ。見つけたり、気がついたりしなくとも作品を楽しむことはできる。しかし、見つけることによってさらにその作品を楽しめることは間違いない。
作品を 1 度見ただけで満足するのはもったいない。そこにはまだまだ制作した人たちがこめた「面白い!」が詰まっているかもしれないのだ。そうした発見をし、周りに話し、その人の発見を聞く。そういったコミュニケーションがさらなる新たな発見につながり、作品の面白さを生む。
だからこそ、私は思う。同じ作品を 回、それ以上見たって決して時間の無駄にはならないのだ。結果や流れがわかっているからこそ、それ以外の所に目を向けることができる。
もう一度あの映画を見たら。何か新たな発見があるかもしれない。
最初にも述べたように、わたしたはアニメという宇宙を知りたくて飛び込んだ。本誌の制作を通してほんの一部だが、宇宙を知ることができた。しかし、その宇宙はまだまだ広く奥が深かい。そう思えた理由のひとつとして「不気味の谷現象」というのがある。
名前からして怪しい現象だが、これはロボット工学者で東京工業大学名誉教授の森政弘が1970年に提唱した説だ。ロボットやCGキャラクターの外見がリアルに近い、つまり本物の人間に近ければ近いほど好感的、共感的になる。しかし、それがある時点で突然強い嫌悪感に変わるのだ。そして、人間の外観や動作と見分けがつかなくなると再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになる。その感情的反応の差をグラフ化した際に現れる、強い嫌悪感を表す谷を「不気味の谷」と言い、この現象を「不気味の谷現象」と呼ぶ。
ただ、この説は実験に基づいた説ではないため、しばしば科学的ではないと批判され仮説に過ぎなかった。しかし、2011年にカリフォルニア大学サン・ディエーゴ校の認知科学者で準教授の研究チームが、不気味の谷の存在を脳科学的アプローチで確かめることに成功した。
この現象はよく、ロボットを使って説明されるが、CGアニメーションにもこの現象は起きる。2点ほど「不気味の谷現象」が見られるアニメーションを紹介する。
・『トイ・ストーリー』では、人形の頭でこの現象が見られる。それらは本質的には動くデフォルメされた人間の頭であるため、これらのキャラクターの頭も子どもに恐ろしく感じられることがある。たとえそれが恐ろしく感じられなくても、それほど人間に似ていないという理由で、たいていの子どもあまり好かない。
・『ポーラー・エクスプレス』はモーションキャプチャーを使ったアニメーション映画。俳優に付けられたマーカーは顔だけで150個とかなり多い。そのため、人間に近いリアルなキャラクターになっているのだが、それが返って不気味の谷の現象を生みだした。
いずれもアニメではないが、CGアニメーションでもこのような現象が起こるのである。それがアニメで起こらない理由としては、アニメはリアルとは真反対であり、ビジュアル面での追求はしていないからだ。
CGアニメーションは日々グラフィックを綺麗にし、リアリティを求めて来た。そしてそれは観客も望んでいることに違いない。特にアメリカではそうであろう。にも関わらず、人間にある程度近づくと人は嫌悪を感じるのである。逆に、アニメのようにデフォルメされたキャラクタ―でも、人間らしい動作や感情を感じると観客はそのキャラクターに共感し、愛着を持つのである。さらに、人によってはあたかも現実にいるかのように扱い、そのキャラクターの誕生日をケーキまで用意し、本当に祝う。
ビジュアルのリアリティは日々求められているにも関わらず、最終的にたどり着く先は中身なのである。そして、本誌でインタビューした方もおっしゃっていたが、日本のアニメは心理描写や人の言動が細かく再現されており、尚かつそれを重んじているところがある。海外だと、ピクサーなどのキャラクターは、人ではないがそういう描写が入っているように思える。(このピクサーの件に関しては、あくまでピクサーを見たわたしの意見である)
アニメーションの由来が魂や霊魂を意味する「anima」であるように、アニメーション・アニメに必要なのはビジュアルよりも魂なのだろう。わたしがここで伝えたいことは「見た目にこだわり過ぎて、中身がない」ということではなく、中身が大切なことは本質的にわかっているはずなのに、それでもビジュアルを求め、そしてある点まで行くと嫌悪を感じる人の不思議さである。
この「不気味の谷現象」を知ったのは本誌の完成近くなってからなのだが、このことを知り最後の最後でわたしはさらにアニメの奥底へ迷い込んだ。氷川さんが「アニメは研究すればするほど未知の部分が見えてくる」とおっしゃっていたが、本当にアニメーション・アニメはまだまだわたしたちの知らない宇宙があるということだろう。わたしは、引き続きこの宇宙を探っていきたい。
監督:水島精二
脚本:虚淵玄(ニトロプラス)
アニメ制作において長い歴史とその歴史に基づく技術をもつ東映アニメーション。彼らと『魔法少女まどか☆マギカ』や『PSYCHO-PAS』など人気作品に多く関わっているニトロプラスの2社が合作し、手掛けたフルCG劇場アニメーション作品が2014年11月に公開された。それが『楽園追放 –Expelled from Paradise–』である。
監督は『機動戦士ガンダムOO』などで知られる水島精児。脚本は前述の作品の脚本などを行っている虚淵玄が担当している。そのスタッフと、釘宮理恵ら人気の高い声優などからアニメファンからも注目されていた作品だ。
ナノハザードにより荒廃した地球。人類のほとんどが地上と自らの肉体を捨て、データとして電脳世界“ディーヴァ”で暮らしていた。ディーヴァはデータの容量によって市民のランクが左右される。主人公アンジェラはそんな世界の保安要員を務めていた。現状、3等官である彼女は、よりよい生活を送るため、上の地位を目指すために生活していた。そんなある時、ディーヴァは謎のハッカー“フロンティアセッター”からハッキングを受ける。その内容は「外宇宙探索の同志を探している」というもの。そのハッキングが地上からであると突き詰めた保安局、アンジェラたち保安要員は生身の体をまとい、地上へと向かう。
この、未来的な世界観は、しかし、どこか自分たちのいる世界を彷彿とさせる。例えば、データの容量によって出来ることが異なる。これは現在のスマートフォンやPCなどとおなじではないだろうか。だからこそ、「もしかしたら将来こんな風になるのかも」と思わずにはいられない。
地上に降りたアンジェラは地上調査員エージェントのディンゴと出会う。電脳世界での制限の多い生活を拒み、地上で生活している彼との出会いが、電脳世界しか知らなかったアンジェラを変えることとなる。電脳世界という大きな世界は、しかし、その多くの人々を情報として支えるため、多くの文化――例えば、ロックなどの音楽、書物――がなくなってしまっている。普段生活するうえでは特に意識していないが、やはりないとどこか寂しさを感じてしまう。アンジェラはそんな失われた文化に触れ、彼らとの出会いを通じて電脳世界に少し疑問を感じ始める……。
物語の見せ場は、むろん“フロンティアセッター”なのだが、もう一つ、注目してほしいところがある。それは、CGによる戦闘シーンだ。
ロボットたちが織り成す銃撃戦は、手描きにはない機械感を感じされられた。光の軌道を描き、銃を撃ち撃たれ、弾がなくなれば切りかかる。この辺りは、やはり少しガンダムらしさもあるのかもしれない。キャラクターのCGに少し違和感があったが、この戦闘シーンではそれらが全て吹っ飛んでしまった。
電脳世界と地上、どちらも長所短所あるなかで、アンジェラがどちらを選ぶのか。自分だったらどちらを選ぶか、考えながら見て欲しい作品である。
TEXT:村林里美
原作・脚本・監督:高畑勲
1994年に公開された『平成狸合戦ぽんぽこ』。スタジオジブリの古株である高畑勲氏が原作、脚本、監督まで手掛けた作品だ。高畑氏といえば、『火垂るの墓(1998年)』や『おもひでぽろぽろ(1991年)』で脚本・監督を務め、最近では8年もの歳月をかけて制作された『かぐや姫の物語(2013年)』が有名。そんな高畑氏が手掛けたにも関わらず、意外にも知らない人が多い。
この『平成狸合戦ぽんぽこ』の見所は、タイトルにもいるようにタヌキたちだ。様々な事象に対して、タヌキたちが何を考え、どう行動していくのか。人間くささもあり、しかし自分たちの種族を忘れないタヌキたち。彼らは高畑監督に生態をしっかり研究され、個性的なキャラクターになっている。
物語の舞台は、東京・多摩丘陵。古くからその地に棲んでいたタヌキたちは、都市部の住居難を解消するために計画されたニュータウン開発によって、棲み処を追われることになってしまう。餌を求めるタヌキ同士の戦が起こるなか、おろく婆が群れのリーダーたちを集め、協力し合わなければならないと告げる。
自分達の故郷を守り、また生きていく為に、タヌキたちは忘れられていた秘術・化け学を復活させ、人間に反撃を開始した。過激派が行った人間撃退作戦で、大木に化けての進行妨害やトラックを崖に落とされるなど、死者をも出す打撃を与えられた人間側は、タヌキの所為だと知らないまま計画のあり方について疑問をもった報道をする。上手くいったと思うのも束の間、過激派リーダーである権太が大けがを負ってしまい、作戦は終わってしまう。再び開発が進み、遺された穏健派のタヌキたちは、化け学を駆使し怪奇現象で人間たちを脅かしはじめた。しかし、それは「ニュータウンの怪」として面白おかしく報道されるだけで、開発が止まることはなかった。それでも、タヌキたちは掟を破ってでも開発を止めようと奮闘していく。
本作はタヌキたちを魅せるため、圧倒的にコミカルに描かれる場面が多いが、環境破壊などの社会問題もしっかりと描かれている。そのため、ニュースなどで報道されたとき、ふと思い出すことがある。キャッチコピーである「タヌキだってがんばってるんだよォ」という言葉は、愛らしさを表現すると共に、開発によって人間たちは便利だと感じていく裏で、棲み処を追われた動物たちのことを考えずにはいられないものだ。
もし時間がゆるすのであれば、一度目は何も考えずに、二度目からはタヌキの気持ちになったり、ちょっと視点を変えながら、観ていただきたいと思う。
TEXT:飯島 未季
脚本・監督:佐藤竜雄
2014年10月に放送開始されたTVアニメーション『魔弾の王と戦姫(ヴァナディース) 』は、最近では珍しい壮大でリアルな戦(いくさ)を描く王道ファンタジー戦記だ。『千の魔剣と盾の乙女』等の川口士氏のライトノベルが原作で、『機動戦艦ナデシコ』『学園戦記ムリョウ』『宇宙のステルヴィア』等で知られるベテラン、佐藤竜雄氏が脚本・監督を手掛けている。
主人公のティグルは、ブリューヌ王国北部の辺境の地・アルサスを治める十六歳の若き伯爵。二年前に亡くなった父から領主の座を継ぎ、家臣や領民に支えられて責務をこなしている。幼少期から狩りをして育ち、弓の扱いに長けているが、自分の国では弓は臆病者の武器とされ、認められないものだった。ある日、隣国ジスタート王国との戦に駆り出され、ティグルはそこで「七戦姫」と呼ばれる敵国の公主の一人、エレンと出会う。ジスタートには、自ら持ち主を選ぶ七つの超常武具「竜具(ヴィラルト)」を操る七人の少女がいた。銀の髪をなびかせ、「風を操る長剣(アリファール)」を操って風を纏い、先陣を切る姿から「銀閃の風姫(シルヴフラウ)」と呼ばれているエレンは、怯むこと無く彼女に撃ち掛かったティグルを気に入り、彼を自国へ連れ帰る。ここから、辺境でのんびり暮らしていたティグルの運命が大きく変わって行く事になる。
こうした英雄譚は、昔からある普遍的なストーリーだ。自国内の謀略、内乱。敵国との関係。父の言葉。民を守りたいという思い。代々伝わる家宝の「黒き弓」。必中の弓を授けられ、王となった「魔弾の王」の伝説。
様々に張りめぐらされた伏線の中を、ティグルは悩み、考えながら真っ直ぐに事態に立ち向かって行く。それを見つめ、やがて共に戦って行くことになるエレン。次々と押し寄せる状況の中、ティグルが動き、エレンが動き、やがて二人は「銀の流星軍」と言われる新たな流れを作って行く事になる。彼らは何処に向うのか。そして二人と他の戦姫達との関係はどうなって行くのか、興味は尽きない。
戦の場面も多く、大軍同士がぶつかる戦の場面では、CGで地形や軍の動きをチェスの盤上の様に作って、視聴者が混乱せずに観られる様に考えられている。馬に跨がって大軍の中を颯爽と駆けるエレンの姿、「風を操る長剣」を始めとする様々な「竜具」の発動のシーン、各々のそれを振るう残りの戦姫の姿と思惑も魅力的だ。
普遍的で、良くある王道ファンタジーと言われればそれまでだが、それを多々の新しい手法やキャラクターで見せてくれる。王道はやはり王道。常に見る者を魅了し、新しい。ゲーム等でファンタジーの世界に馴染んだ者には、やはり胸踊らせながら観られる作品である。
TEXT:福田航也
■魔弾の王と戦姫
http://madan-anime.jp/
監督:今石洋之
シリーズ構成;中島かずき
2007年の春から半年にわたって放送された『天元突破グレンラガン』。(全27話)『新世紀エヴァンゲリオン』や『トップをねらえ!』などで有名なGAINAXがアニメーション制作を行っている。現在、今石監督はGAINAXから独立しTRIGGERを設立。『キルラキル』(原作TRIGGER、;中島かずき 脚本・シリーズ構成:中島かずき)などが記憶に新しいところだ。
また、『天元突破グレンラガン』は2007年には文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞、東京国際アニメフェア2008年・第7回東京アニメアワードテレビ部門優秀賞・個人賞(キャラクターデザイン)受賞もしている。
一言でこの作品グレンラガンを現すなら「熱い!」。この言葉に尽きるだろう。
世の中にロボットアニメは数あれど、終始メインの武器がドリルという異色の作品だ。穴掘りしか能のない少年シモンと、彼にアニキと慕われるカミナが住む地中の村・ジーハ村に、巨大な二等身ロボット「ガンメン」とそれを倒そうとする少女・ヨーコが現れ、村が荒らされるところからこの壮大な物語の幕が上がる。
シモンは偶然掘り当てた小型ガンメン「ラガン」で村を襲うガンメンを撃退。おとぎ話と思われていた地上の存在を知ったシモンとカミナは、自分たちをグレン団と名乗り、ヨーコとともに地上での旅を始める。そこには人間を弾圧し地下に追いやった螺旋王という存在や、彼が従える獣人という敵と戦うシモンたちがいた。ときに新たな仲間と出会い、別れ、そして失い、それでも決して諦めることなくひた向きに歩む、汗臭く泥臭い彼らは、まさに地中を進むドリルのようだ。
王道的なストーリーもさることながら、強く惹かれるキャラクターたちもまた、この作品を語るうえで欠かすことのできない重要なポイントだ。
物語の序盤で「キタン」という青年がグレン団に加わる。彼はカミナほどのカリスマ性は持っていない。カミナの行動は“勇猛さ”に満ち溢れている。しかし彼のそれから感じられるのは“無謀”、この二文字だ。終盤、敵を倒しに向かう旅路の途中、グレン団は敵の罠にはまってしまう。身動きは取れず、このまま死を待つのみかと思われたその時、キタンは再び無謀な行動に出る。一行の身動きを封じる罠を破壊しに向かったのだ。もう仲間の元へは生きて帰ることはできない。しかし彼は罠を破壊すると満足そうな表情で散っていった。
そのシーンを見て私は気がついた。彼がしたことは“無謀”などではなく“雄々しい蛮勇”なのだと。
「俺のドリルは天を突くドリルだ!」
作中でカミナとシモンが口にしたセリフだ。ガタガタと武骨で乱暴に回る彼らは、敵も味方も、生き残った者も散っていった者たちも、何から何までその螺旋に巻き込んで、窮屈な天井を壊しに上へ上へと突き進む。自由を求める野郎共の生き様に、果たして憧れない男がいるのだろうか。
シモンという少年の、いや、グレン団全員の、“絆”と“試練”と“成長”を、ぜひともその目で確かめてほしい。
TEXT:石井勇気
■『天元突破グレンラガン
http://www.gurren-lagann.net/
監督:加藤久仁生
脚本:平田研也
『つみきのいえ』は2008年に加藤久仁生監督の作品。独特の世界観と強いメッセージ性が話題を呼び、第81回アカデミー賞 短編アニメ賞、アヌシー国際アニメーション映画祭 アヌシー・クリスタル賞(最高賞)、こども審査員賞第12回広島国際アニメーションフェスティバル ヒロシマ賞、観客賞、第12回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞受賞他、国内外10の映画祭で14の賞を受賞している。
アニメに詳しい人はもちろん、それほど興味がないと言う人も作品の名前は聞いたことがあるだろう。
内容は「生きる」ということについて考えさせられるもの。話は、海の底に水没した町から始まる。その町には、まるで積み木を積み上げたかのような家に住む一人の老人がいた。彼は海面が上昇するたび、家の上に部屋を建て増して難を逃れていたのだ。
そして物語は、老人が愛用のパイプを海に落としてしまうことで転機を迎える。彼はパイプを探すためにダイビングスーツを着込み、海へ潜る。海中には、かつて彼が過ごした思い出の家が沈んでいた。人々が町を去っていく中、彼だけは町に残ったのだ。
物語終盤、彼はパイプをきっかけに、家族との懐かしい日々を思い出して行く。
まず、積み木を積み上げたかのような家に住む一人というこの独特の世界観がぐっと観客を惹きつける。海に沈んだ世界というだけでも話が一つ作れそうだ。加藤監督は過酷な環境で生きる老人を通して、人間の力強さを描こうとしているかもしれない。画面の鉛筆が生みだす質感も彼の世界観によく合っている。
水没してしまったことで人々が去ってしまうという場面の絶妙な見せ方も加藤監督のうまいところだ。彼はこの場面で人の記憶が欠けていくことを暗示している。小さな記憶は海の底に沈み、大きな山を作っていく。そして一つ思い出せば次から次へと全体が見えてくるのだ。
作中の世界、監督の意図について想像を膨らませられて作品に引き込まれていくのも魅力のひとつになっている。観客は老人を通して日々の美しさ、日常の記憶の儚さを思い知らされる。
そして最後の場面は、主人公の老人は妻のワイングラスと乾杯して終わる。
物足りないような終わり方さえ、計算され尽くしているように思える。この後どうなったのか、彼がどうするのかは一切描かれていない。この余韻が鑑賞後に深い感動と充実感を味あわせてくれるのだ。
セリフもなく、絵と音楽、ストーリーだけで心に訴えてくる。感傷に浸りながらでも十分に楽しむことができる。
わずか12分3秒で加藤監督は人の心を揺り動かした。記憶の埋没、孤独、困難、それでも町に残る意思。老人の生き方から「生きる」というものが少しずつ見えてくる。
アニメを見慣れていない人には大人向けの短編小説として。見慣れている人は普段とは異なる作品として。とにかく一度見てほしい。「生きる」とはなにか、それを考えるきっかけになる作品だと思う。
TEXT:池田 翔
■「つみきのいえ」
公式ホームページ:
http://www.hakusensha.co.jp/tsumiki/
「つみきのいえ」
YouTube版:https://www.youtube.com/watch?v=kpngwJJs0PQ
●……世界のアニメーション賞
■……日本国内のアニメーション賞
●アカデミー長編アニメ映画賞
アカデミー長編アニメ賞(Academy Award for Best Animated Feature)は、アカデミー賞の部門の一つで、その年アメリカで上映されたもっとも優れた長編アニメーション映画に与えられる。2001年から始まった。アカデミー長編アニメ賞(Academy Award for Best Animated Feature)は、アカデミー賞の部門の一つで、その年アメリカで上映されたもっとも優れた長編アニメーション映画に与えられる。2001年から始まった。
●アカデミー短編アニメ賞
アカデミー短編アニメ賞(Academy Award for Animated Short Film)はアカデミー賞の部門の一つで、その年アメリカで上映されたもっとも優れた短編アニメーション映画にあたえられる。1932年の第5回アカデミー賞(1931年から1932年の作品が対象)から始まった。
■アニメーション神戸
アニメーション神戸は、神戸市とアニメーション神戸実行委員会が毎年、開催しているアニメーションなどの振興事業。授賞式の司会は、地元ラジオ局のパーソナリティがおこなう。
■アニメグランプリ
アニメグランプリは、アニメ雑誌『アニメージュ』が主催する日本のアニメーション作品を対象とした賞である。読者の人気投票によって各部門の受賞が決定される。
●アヌシー・アニメーション国際映画祭
アヌシー国際アニメーション映画祭 (Festival International du Film d'Animation d'Annecy)は、毎年6月にフランスのアヌシーで開催されるアニメーションを専門に扱う国際映画祭である。1960年にカンヌ国際映画祭からアニメーション部門を独立させ、設立された。
●アニフェスト・アニメーション国際映画祭
アニフェスト・アニメーション国際映画祭は、毎年4月にチェコで開催される国際アニメーション映画祭。る本映画祭は世界各国から応募された作品を上映する9つのコンペティション部門と非コンペの招待作上映が行われます。 コンペティション部門ではインディペンデント映画や学生映画の上映も行われるため、若手アニメーターにとっては自身の作品を披露したり、世界各国からやって来た他のクリエイターとの交流をはかることのできる機会になっています。
●英国アカデミー賞 アニメ映画賞
英国アカデミー賞におけるアニメ映画賞(BAFTA Award for Best Animated Film)は、英国映画テレビ芸術アカデミーがアニメーション映画に贈る賞であり、2006年度より開始された。
●エスピーニョ・アニメーション国際映画祭
エスピーニョ・アニメーション国際映画祭は1976年に設立されてから、ポルトガル最大級のアニメの祭典です。「シンアニマ」の愛称で親しまれ、毎年11月の1週間、ポルトガルの都市エスピーニョで開催されます。世界各地から応募された作品は長編部門、短編部門に分かれてコンペを競い合い、優れた作品へ賞が授与されます。
本映画祭は、国際アニメーション映画協会(ASIFA)公認の映画祭であり、世界的にも認知度が高く数多くの個性豊かなアニメーターを輩出してきました。2012年度は日本から水尻自子監督の「布団」やYuanyuan Hu監督の「SUNSET FLOWER BLOOMING」、吉田まほ監督の「就活狂想曲」 が正式出品され、2011年度は山村浩二監督の「マイブリッジの糸」が審査員特別賞を受賞。
●エチューダ&アニマ国際映画祭
エチューダ&アニマ国際映画祭は1994年にはじまったポーランド最大のアニメーションの祭典です。開催当初は映画監督志望のクリエーターや美術学校の学生の作品に上映の機会を与え、人材の発掘と育成を目的に行われていましたが、現在ではプロも参加した国際的な映画祭となっています。
●オランダ・アニメーション映画祭
オランダ・アニメーション映画祭は、「上質なアニメーション映画を多くの映画ファンに届けると共に、アニメーション作品の可能性を広く探求する」ことを目的に、オランダのユトレヒトで開催されている国際映画祭です。物語ベースのアニメーション作品だけではなく、実験的アニメーション、先鋭的アニメーションなど多岐にわたるジャンルが集められ、新しいスタイルの作品の推進にも努めています。
■大藤信郎賞
大藤信郎賞は、「毎日映画コンクール」において、日本のアニメーションの先駆者である大藤信郎を称え、1962年に創設された賞。略して「大藤賞」とも呼ばれる。選定委員による討議と多数決により、アニメーション映画の製作領域で、その年度内に特に成果をあげたと思われる個人またはグループに贈られる。1989年度より、毎日映画コンクール内に大藤賞とは別に、アニメーション映画賞が設けられ、棲み分けが行なわれるようになった。
●オタワ国際アニメーションフェスティバル
オタワ・アニメーション国際映画祭
オタワ国際アニメーション映画祭(Ottawa International Animation Festival / OIAF)は、毎年9月にカナダの首都、オタワで開催される北米最大級のアニメーション・フェスティバルである。ASIFA(International Animated Film Association / 国際アニメーション映画協会)公認の国際映画祭であり、アヌシー・ザグレブ・広島と並ぶ世界4大アニメーションフェスティバルとして知られている。1976年の開催当初は隔年で開催されていたが、2005年より毎年行われている。
●カタロニア・アニメーション国際映画祭
カタロニア・アニメーション国際映画祭は、スペインのカタロニア州リェイダ市議会によって開催される国際的なアニメーションの祭典です。1996年に映画誕生100周年を記念した「シネマジック96:国際アニメーション映画祭」としてスタートし、翌1997年、名称を「アニマック:国際アニメーション映画祭」に変えて現在まで続く映画祭の第1回を開催、そして2006年に現在の「アニマック:カタロニア・アニメーション国際映画祭」に再び名称を変更。
●金竜賞
金竜賞は中華人民共和国で2004年に創出されたマンガ・アニメーション関連最大のコンペティション(金竜奨原創漫画動画芸術大賽,Golden Dragon Award Original Comic & Animation Compentition OACC')で授与される賞。中国国際漫画節組織委員会が主催するマンガ・アニメーション関連の優秀な人材の発掘と創作作品に対する表彰を目的とし、広東省広州市に本社を置く漫友雑誌社に委託し開催される。
●ゴールデングローブ賞 アニメ映画賞
2009年11月17日、ハリウッド外国人映画記者協会はノミネート選考対象作品が13作以上あれば5作、9作以上あれば3作品、8作以下なら作品賞で選考するという新ルールを発表した。また、長編アニメ映画を「本編が70分以上で、実写パートが25%未満の作品」と定義した[2]。
第72回より風立ちぬ (2013年の映画)の影響で、アメリカ国内で公開されていないアニメ作品は選考対象外としていたが、制作国で上映されていれば同賞にノミネートされる権利を得ることができるよう改正されることになった。
●シュトゥットガルト・アニメーション国際映画祭
シュトゥットガルト・アニメーション国際映画祭はドイツの都市シュトゥットガルトで、毎年5月上旬に開催される国際映画祭です。年々規模を拡大しており、2014年度は参加者総数8万5千人を記録し、世界4大アニメーション映画祭のアヌシー、ザグレブ、オタワ、広島に次ぐ映画祭として知られています。国際アニメーションフィルム協会公認や映画芸術科学アカデミー公認の映画祭
子監督の「布団」が特別賞をそれぞれ受賞しています。
●ザグレブ国際アニメーション映画祭
ザグレブ・アニメーション世界映画祭は1972年から開催されているヨーロッパにおける最古の国際映画祭の1つです。「アニマフェスト」の愛称で親しまれており、毎年6月にクロアチアの首都ザグレブで開催されています。世界各地から集まったアニメーション作品がコンペと非コンペに別れ上映され、2005年から奇数年には長編作品が、偶数年には短編作品が上映されてきましたが、2015年度から長編と短編が合わせて上映されます。本映画祭は、国際アニメーション映画協会(ASIFA)公認の映画祭で、アヌシー、オタワ、広島と並ぶ世界4大アニメーションフェスティバル。
■TBS DigiCon6
TBS DigiCon6(ティービーエス デジコンシックス)は、TBSが主催する映像作家を発掘・育成するためのプロジェクト名称。デジコン6とも表記される。アジア各地域(日本、中国、台湾、香港、インド、韓国、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ)で展開されている。2000年に始まった当初は「The DigiCon」がコンテストの名称で、第2回は「The DigiCon2」、第3回は「The DigiCon3」というように数字は回数を表していた。2004年の第6回から現在の名称になったが、2007年までは「TBS DigiCon6+1」、「TBS DigiCon6+2」のように表記された。
■東京アニメアワード
東京アニメアワード(とうきょうアニメアワード)とは東京アニメアワードフェスティバル実行委員会と一般社団法人日本動画協会が主催するアニメーションに関する賞である。過去1年間に制作されたアニメ作品やアニメ関係者を分野別に表彰するものとして誕生(この名称が付けられたのは2005年度から)。2013年までは東京国際アニメフェア内で開催されていた。2014年からは東京国際アニメフェアがアニメ コンテンツ エキスポと統合、AnimeJapanとして開催されるのを受けて、東京国際アニメフェアから分離し、従来までのアワードを継承・発展させた国際アニメーション映画祭「東京アニメアワードフェスティバル」として、東京・日本橋にて開催されている。。尚長編アニメーション作品の国際コンペティション専門部門が設置されているのは、日本ではこの東京アニメアワードフェスティバルのみ。
●ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 アニメ映画賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞アニメ映画賞(ナショナル・ボード・オブ・レビューしょうアニメえいがしょう、National Board of Review Award for Best Animated Film)は、ナショナル・ボード・オブ・レビューが与える映画賞のひとつで、2000年より設置された。
●ニューヨーク映画批評家協会賞 アニメ映画賞
ニューヨーク映画批評家協会賞 アニメ映画賞(ニューヨークえいがひひょうかきょうかいしょう アニメえいがしょう、New York Film Critics Circle Award for Best Animated Film) は、ニューヨーク映画批評家協会によって、優れたアニメ映画に贈られる賞である。
■飛騨国際メルヘンアニメ映像祭
飛騨国際メルヘンアニメ映像祭 (ひだこくさいメルヘンアニメえいぞうさい、Hida International Animation Festibal of Folktales and Fables )は、毎年12月に岐阜県高山市で開催されるアニメーションを専門に扱う国際映画祭である。「心にひびく、良質で物語性ゆたかなアニメーション」をテーマに毎年実施されている。主要な賞はグランプリと子供たちが選んだ子どもメルヘン大賞。
■広島国際アニメーションフェスティバル
広島国際アニメーションフェスティバルは広島県広島市で2年に一度、8月に開かれる国際アニメーションフィルム協会公認の映画祭である。
主催は広島国際アニメーションフェスティバル実行委員会、広島市、広島市文化財団である。共催として国際アニメーションフィルム協会日本支部(ASIFA-Japan)も係わっている。アヌシー、オタワ、ザグレブと並ぶ世界4大アニメーションフェスティバルの一つで、国際アニメーションフィルム協会(ASIFA、en:International Animated Film Association)公認フェスティバルである。 第1回は1985年に開催。
■文化庁メディア芸術祭アニメーション部門
文化庁メディア芸術祭アニメーション部門は、日本の文化庁が主催する文化庁メディア芸術祭の一部門として1997年から開催されているアニメーション賞である。2002年までは文化庁メディア芸術祭マンガ部門と同一審査員にて審査されていたが、それ以後は分かれて審査されている。また、公募制である。
●放送映画批評家協会賞 アニメ映画賞
アメリカの放送映画批評家協会賞 アニメ映画賞(Critics' Choice Movie Award for Best Animated Feature)は、放送映画批評家協会賞のアニメ映画に対する賞であり、放送映画批評家協会がその年の優れたアニメーション映画に贈る映画賞である。1998年より設置された。
●ブリュッセル・アニメーション映画祭
今回で35回目を迎えるベルギーのブリュッセル・アニメーション映画祭は通称「 アニマ」と呼ばれ、子供から大人まで多くのアニメ・漫画ファンに親しまれている国際映画祭です。本映画祭は様々なジャンルのアニメーションを世界に広げると共に、映像制作者たちとその観客、また映画・テレビ配給者との交流の場として、アニメーションに対する意識を向上していく機会を提供することを目的としています。
●マドリード国際アニメーション映画祭
マドリード国際アニメーション映画祭(Festival Internacional de Imagen Animada de Pozuelo de Alarcón - Comunidad de Madrid)は、毎年9月にスペインのマドリード自治州、ポスエロ・デ・アラルコン市で開催されるアニメーション作品を専門に扱う国際映画祭である。広く「アニマドリード(ANIMADRID)」という愛称で知られている。「アニマドリッド」とも表記されるが本項ではマドリード州観光局の日本語表記にならい「アニマドリード」の表記を用いる。
●メルボルン・アニメーション国際映画祭
今年14回目を迎えるメルボルン・アニメーション国際映画祭は、世界最大級のアニメーションフェスティバルの1つであり、オーストラリア最大のアニメの祭典です。30ヶ国以上から応募される、2,000作品の中から厳選された350作品から400作品が8日間にわたり上映されます。プレミア上映や最新作品が数多くプログラムされることから、映画ファンや業界関係者からの注目度も高く、昨年度の参加者数は過去最高を記録。
●ロサンゼルス映画批評家協会賞 アニメ映画賞
ロサンゼルス映画批評家協会賞 アニメ映画賞(Los Angeles Film Critics Association Award for Best Animated Film)は、ロサンゼルス映画批評家協会によって毎年贈られる、アニメ映画を対象とした賞である。1989年(第15回)より始まった。
※アイソメトリック
インテリアの俯瞰図など、イメージなどを表現する場合によく使われる投影図法。
※『蒼き鋼のアルペジオ』
作者・Ark Performance。2009年からヤングキングアワーズで連載中。
※赤塚不二夫
(1935~2008年)
漫画家。1956年貸本マンガ『嵐をこえて』でデビュー。そのあと石森章太郎を慕い、トキワ荘に入居。それ以降『おそ松くん』(1962年)『ひみつのアッコちゃん』(1962年)『天才バカボン』(1967年)などの制作を手がけたマンガは爆発的なヒットとなった。
※『AKIRA』
1982年~1990年まで週刊ヤングマガジンにて連載されていた、大友克洋制作のマンガ。近未来の荒廃した世界を描いた本格SF作品であり、緻密でリアルな描写や演出などが話題となる。劇場映画化もされ、大ヒットを記録した。
※芥川賞
芥川龍之介の名を記念して、直木賞と同時に昭和10年に制定された。各新聞・雑誌(同人雑誌を含む)に発表された純文学短編作品中最も優秀なるものに呈する賞
※『あしたのジョー』
1968年から1973年にかけて週刊少年マガジンにて連載されていた高森朝雄(梶原一騎)原作、ちばてつや画の漫画。
※『アップルシード』
APPLESEED
作者・士郎正宗。全4巻で未完のまま凍結。OVA版が1988年、劇場版が2004年に公開された。
※『アナと雪の女王』
Frozen.
監督・クリス・バック、ジェニファー・リー。2013年公開。ディズニー初のダブルヒロインを主人公とした映画。2013年度アカデミー長編アニメーション映画賞を受賞。
※アニメーション学会
1998年7月にて設立。日本で唯一のアニメーション領域における学術研究団体。
※『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。』
監督・長井龍雪、脚本岡田麿里。A-1Pictures制作の、日本のテレビアニメ作品。2013年に劇場版も公開されている。また、小説・漫画・ゲーム化されている。
※『アメイジングスパイダーマン』
The AmazingbSpider-Man
監督・マーク・ウェブ。製作・マーベル・エンターテインメント。2012年公開。映画『スパイダーマン』のリブート作品。
※荒木哲郎
(1976年~ )
日本のアニメーション演出家・監督。2005年、OVA『おとぎ銃士 赤ずきん』にて監督デビュー。他に監督として『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』(2010年)『ギルティクラウン』(2011年)などを手掛けた。
※アルフレックス
1951年にイタリアで誕生したインテリアメーカー。 建築家マルコ・ザヌーゾとアルフレックスが発表したソファ「レディ」は、国際美術展「トリエンナーレ」で金賞を受賞した、イタリア・モダンデザインの旗手となった歴史的な1脚。
※『ある街角の物語』
手塚治虫が原案・構成・制作を手掛けたアニメーション作品。1963年17回芸術奨励賞や第13回ブルーリボン教育文化映画賞などを受賞している。
※androp
2007年にメジャーデビューした日本のロックバンド。『アルクアラウンド』が第14回文化庁メディア芸術祭エンターテイメント部門優勝賞を受賞。
※『それいけ! アンパンマン』
作者・やなせたかし。アニメ映画・ゲームソフトなど多く展開している。その中でテレビアニメは長期にわたり放映されており、また一貫して同じ主題歌が使用されているため認知度が高い。
※アンビバレンツ
同じ物事に対して、相反する感情を同時に抱くこと。
※アンペックス
AMPEX
1944年に設立されたアメリカ合衆国のエレクトロニクス会社。放送用ビデオ機材の大手メーカーでもある。
※石原慎太郎
小説家・政治家。太陽の季節』で文学界新人賞・芥川賞を受賞。衆議院議員となり、環境庁長官・運輸大臣、東京都知事を務めた。
※『一休さん』
1975年10月から放送が始まり、82年まで放送していた東映アニメーションの作品。視聴率も高く、296本の長寿作品。
※上坂すみれ
声優。TVアニメ『パパのいうことを聞きなさい!』の小鳥遊空役で本格的な声優デビューを果たす。TVアニメ『中二病でも恋がしたい!』凸守早苗役や『ガールズ&パンツァー』ノンナ役などの声を担当した。
※『うちの3姉妹』
東堂いづみ監督のテレビアニメーション作品。原作は松本ぷりっつによるブログ、それをまとめたエッセイ。また、竹書房の雑誌に掲載されている完全マンガ形式でのコミックエッセイ。
※『宇宙戦艦ヤマト』
1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で放送された、松本零士監督のテレビアニメ作品。1977年には劇場公開されており、その後もリメイクや関連企画として小説化されている。
※『宇宙戦艦ヤマト2199』
宇宙戦艦ヤマトシリーズのテレビアニメ版作品のひとつ。『宇宙戦艦ヤマト第1作を原典とするリメイク作品であり、素材は完全新作アニメーションとして制作された。
※映写機
光源とレンズの働きにより,フィルムの画像をスクリーン上に拡大して映し出すもの。
※映写免許証
フィルムに燃えやすい素材を使用していた昭和初期まで、映写をするスタッフが取得していた危険物第四種の免許。
※永六輔
(1933年~ )
昭和後期-平成時代の放送作家,エッセイスト。作詞家として『上を向いて歩こう』などのヒット曲を多数生む。26年旅番組「遠くへ行きたい」などテレビ・ラジオへの長年の功績で毎日芸術賞特別賞を受賞。
※絵コンテ
映画、アニメ、TVドラマ、CM、MVなどの映像作品の撮影前に用意されるイラストによる表であり、映像の設計図といえるものである。画コンテと表記されることもある。
※『エリザベート』
1997年より宝塚劇場で上演されているミュージカル。
※大江健三郎
(1935年~ )
日本の小説家。東大仏文科卒。在学中に『奇妙な仕事』が平野謙に認められ、翌年『飼育』で芥川賞を受賞する。ノーベル文学賞受賞。
※『狼少年ケン』
東映動画初のテレビアニメ作品。モノクロ。日本初の原作のないオリジナルアニメーション。
※大友克弘
漫画家。近年では映画監督としての活動がメイン。アニメ映画史上最大の製作費の24億円をかけた『スチームボーイ』を発表。代表作は『童夢』『AKIRA』。
※大野松雄
(1930年~ )
日本の音響デザイナー。シンセサイザーのない時代に電子音で『鉄腕アトム』のアトムの足音やビームの音を作り出した。
※大橋鉄矢
(1927年~ )
アオイスタジオ株式会社などで映画録音の仕事に携わる。『細雪』や『犬神家の一族』など、市川崑の作品について多く録音や調音を担当している。2009年、文化庁映画賞受賞。"
※オープンテープ
音響機器のひとつ。テープを巻いたリールが単体で存在しているもの。
※OVA
オリジナル・ビデオ・アニメーションの略。劇場公開やTV放送ではなく、ソフト販売を一次使用とするリリース形式のこと。
※岡本太郎
(1911年~1996年)
芸術家。主な作品として『太陽の塔』や『明日の神話』等があるほか「芸術は爆発だ」などの名言も残している。
※押井守
(1951年~ )
アニメや実写映画を中心に活動している映画監督。他にもゲームクリエイター、小説家、脚本家など幅広く活動している。代表作は『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』など。
※『オズの魔法使い』
ライマン・フランク・ボームが著した児童文学作品。アニメ化や映画化など、様々な展開がされている。
※オラフ
『アナと雪の女王』に出てくる、雪だるまのキャラクター。
※カートゥーン
(正式名称・カートゥーンネットワーク・スタジオ)
CARTOON NETWORK STUDIO
アメリカ合衆国のアニメーション・スタジオ。カートゥーンネットワークで放送するテレビアニメーションの制作を行っている。代表作として『パワーパフガールズ』『ベン10(シリーズ)』などがある。
※『ガイキング』
1976年から1977年まで放送されていたロボットアニメ『大空魔竜ガイキング』を原典として、主役メカ・大空魔竜・一部のキャラクター名称以外の人物、世界観、ストーリーを一新した完全オリジナル作品。
※『革命的ブロードウェイ主義者同盟』
上坂すみれの1stアルバム。本作で上坂は自身の2013年の活動を総括であり、いろいろなクリエイター陣を迎え、自らの美意識と、あまりにも幅広くまた唯一無二のキャリアを強烈なまでに反映させた1枚。
※『風の谷のナウシカ』
原作・宮崎駿。1982年よりアニメージュで連載し、1984年には劇場版アニメが公開された。海外でも翻訳・出版されている。
※片山雅博
(1955年~2011年)
イラストレーター、マンガ家、アニメーション作家。前日本アニメーション協会事務局長、元日本漫画家協会事務局長、アニメーション学会理事などをつとめ、さらには飛騨国際メルヘン映像祭審査員、広島国際アニメーションフェスティバル実行委員などを歴任するなど、広い範囲で多彩な活動を行った。
※株式会社おっどあいくりえいてぃぶ
2011年2月7日発足。アニメーション企画・制作を中心に活動する企画会社。
※株式会社サンライズ
アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業内容としている企業。
※株式会社APUスタジオ
(株式会社オーディオ・プランニング・ユー)
アニメーションの音響制作を手掛ける日本の企業。日本音声製作者連盟加盟社。『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『それいけ! アンパンマン』など数多くの有名作品を製作している。
※ガラパゴス
独自の進化をすること。IT技術などで国際規格とは異なる方向で進化をすることを「ガラパゴス化」という。
※カリカチュア
主に人物の性格や特徴を際立たせるため(しばしばグロテスクな)誇張・歪曲を施した人物画のことを指す。
※川尻善昭
アニメーター、アニメーション監督。虫プロダクションを経て、マッドハウス設立時からアニメーターとして参加。日米合作となった『バンパイアハンターD』ではアメリカで先行上映され、DVDが好セールスを記録するなど、海外で好評を博した。
※『GEAR戦士電童』
2000年から2001年まで放送されたロボットアニメ。古里尚丈氏がプロデューサーを務めている。
※キアヌ・リーブス
本名 キアヌ・チャールズ・リーヴス
Keanu Charles Reeves
(1967年~ )
アメリカの俳優、プロデューサー。『ドリーム・トゥ・ビリーヴ』で映画デビュー。代表作はマトリックスシリーズ
※『機動戦士ガンダム』
日本サンライズ(サンライズの旧社名)制作のロボットアニメ。1979年からシリーズがスタートし、今なお続く人気作品。
※『機動警察パトレイバー』
原作・ヘッドギア。1988年より漫画、アニメが開始。メディアミックスの先駆的作品。
※『機動戦士ガンダム』
原作・矢立肇、富野由悠季。日本サンライズ制作の日本のロボットアニメ。現在も新シリーズが生み出されるなど、人気が高い。
※キャラクタースターシステム
宝塚のスターシステムと漫画におけるキャラクターシステムを合わせた古里尚丈氏による造語。同じ絵柄のキャラクターをあたかも俳優のように扱い、異なる作品中に様々な役柄で登場させる表現方法のこと。
※『キャンディ・キャンディ』
原作を水木杏子、原画をいがらしゆみこが手掛ける少女マンガ作品。1976年10月の放送開始からから1979年の2月まで全115話が放送された。
※『ギャラクティカ』
アメリカにて2003年に放映したミニシリーズ、及び2004年から開始されたTVドラマシリーズである。『宇宙空母ギャラクティカ』のリ・イマジネーション作品。
※『銀河鉄道の夜』
宮沢賢治の童話作品。アニメーション化のほか、映画化や演劇化のほかプラネタリウム番組なども製作されている。
※『銀河鉄道999』
松本零士作のSF漫画。1977年から1981年にかけて少年画報社「少年キング」にて連載され、アニメ化された際の記録的大ヒットによってアニメブームの火付け役ともなった。
※クールジャパン
日本の文化面でのソフト領域が国際的に評価されている現象や、それらのコンテンツそのもの、または日本政府による対外文化宣伝・輸出政策で使用される用語。
※『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(ロンド)』
2015年1月現在放送中のサンライズ制作のアニメ『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』。古里尚丈が企画プロデューサーを務める。
※『ゲゲゲの鬼太郎』
水木しげるによるマンガ作品を東映アニメーションがアニメ化した。1968年に第1シリーズが放送開始され、2009年に第5シリーズが放送された。
※ケミカル・ブラザーズ
The Chemical Brothers
イギリスのテクノ・エレクトロニック・ミュージックバンド。1994年活動休止。
※光学録音
映画フィルムなどで、音声の信号を光に変えてフィルム上に面積の大小や濃淡など通過光量の変化として記録する録音方式。光録音。
※『攻殻機動隊』
作者・士郎正宗。1989年、ヤングマガジン海賊版にて連載。アニメ化だけでなく、様々なジャンルに展開している。
※工数
ある課題を達成するのに要する作業量。
※『悟空の大冒険』
1967年に放映された日本のテレビアニメ作品。手塚治虫のマンガ『ぼくのそんごくう』を元に作られた。『西遊記』を現代風に風刺した作品となっている。
※『ゴジラ』(GODZILLA)
1954年に東宝が公開した特撮怪獣映画。1955年『ゴジラの逆襲』をはじめ、数多くのシリーズ作品がある。また、アメリカでもリメイクされている。
※コマ撮り
ストップモーションアニメーションと呼ばれる撮影技法のことです。 静止している被写体を撮影するたびに少しずつ動かし、それを連続再生することで動いているように見せる。
※コンテ(コンテマン)
映画、テレビドラマ、CMなどの映像作品の撮影前に用意されるイラストによる表であり、映像の設計図。
※座組
歌舞伎・人形浄瑠璃・新派劇・寄席などの構成。転じて、参加者の組み合わせなど。
※『THE GOD HUNTER』
中国のアニメーション会社VasoonAnimationの新作劇場アニメーション作品。2015年公開予定。『西遊記』のその後を描いている。
※『サザエさん』
長谷川町子のマンガを原作としたアニメ。1969年の放送開始から現在まで続く長寿アニメ。
※『佐武と市捕物控』
石ノ森章太郎のマンガ作品を原作としたアニメ作品。テレビドラマ化、小説化されている。
※『三銃士』
アレクサンドル・デュマ・ペールによる、フランスの小説。何度も映画化、アニメ化されている。
※サンマルコ獅子賞
ヴェネチア国際映画祭の賞のひとつ。
※三面図
正面図(前から見た図)、平面図(上から見た図)、側面図(横から見た図)から構成された図面。設定資料としてよくこの構図が使われる。また3Dモデリングの下絵としても使われることがある。
※G
万有引力定数。
※CG
コンピュータグラフィックスの略称。コンピュータを用いて作成される画像作品。
※『四月は君の嘘』
作者・新川直司。2011年から月刊少年マガジンで連載中。
※『しずく』
手塚治虫自身が背景画まで全て自分で描いた自主製作シンプル・ギャグアニメーション。
※『シドニアの騎士』
作者・弐瓶勉。2009年から月刊アフタヌーンで連載中。2014年にはテレビアニメが放送された。
※シネスコ・サイズ
映画やテレビの映像サイズの一つ。正式にはシネマスコープ・サイズ。横が縦の倍以上と、非常に横に長い。アクション映画のように迫力を求める場合にこのサイズが利用されることがあるが、あまり多くはない。
※ジブリ
株式会社スタジオジブリ。アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業として活躍している日本の企業。日本動画協会準会員。『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』など。
※ジャパンアニメーション
"japan"と"animation"から成る合成語。「日本製のアニメーション」を意味する。
※『週刊少年ジャンプ』
1968年より集英社が発行する少年誌。数多くの人気作品を世に送り出している。
※『出撃! マシンロボレスキュー』
2003年から2004年にかけてテレビ東京系列で放送されたロボットアニメ。古里尚丈氏がプロデューサーを務めている。
※小学1年生
1925年から小学館から創刊されている小学1年生を対象とした総合雑誌。
※松竹歌劇団
宝塚歌劇団、OSK日本歌劇団と並ぶ日本の三大少女歌劇のひとつとしてかつて存在していた劇団。浅草・国際劇場を本拠地とし、「西の宝塚・東の松竹」と呼ばれ戦前・戦後を通して一時代を築いた。
※ジョージ・ダニング
George Dunning
(1908年~2000年)
アメリカの映画監督。代表作は『イエローサブマリン』
※『ジョジョの奇妙な冒険』
1987年に『週間少年ジャンプ』にて連載されていた荒木飛呂彦制作のマンガ。名前を変えて現在も『ウルトラジャンプ』で連載中である。
※ジョン・ラセター
本名 ジョン・アラン・ラセター
John Alan Lasseter
(1957年~)
アニメーション映画監督、プロデューサー、脚本家。ディズニー、インダストリアル・ライト・アンド・マジック社を経て、1985年にピクサーの設立に参加。『トイ・ストーリー』の監督を務める。
※ジョン・ウー
John Woo
(1946年~)
香港出身の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。73年の「カラテ愚連隊」で監督デビュー。『ブロークン・アロー』『フェイス/オフ』『M:I-2 ミッション:インポッシブル2』といったアクション大作を次々と世に送り出している。
※シンエイ動画株式会社
アニメーションの企画・制作を主な事業とする日本の企業。日本動画協会正会員。故・楠部大吉郎が創業した「エイプロダクション」を礎として、昭和51年9月に組織を改組して発足した。主な作品として『となりの関くん』『オバケのQ太郎』『ドラえもん』など。
※『進撃の巨人』
作者・諫山創。別冊少年マガジンで連載中。テレビアニメ・小説・映画など様々なジャンルに展開している。
※『新世紀エヴァンゲリオン』
原作・庵野秀明、GAINAX。1995年よりテレビアニメが放送。2006年からは新たな設定・ストーリーで『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ全4作の制作が発表された。
※『新世紀エヴァンゲリオン』
原作・庵野秀明、GAINAX。1995年よりテレビアニメが放送。2006年からは新たな設定・ストーリーで『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ全4作の制作が発表された。
※進駐軍
他国に進軍して、そこに駐屯している軍隊。ここでは日本第二次大戦後、日本に駐留していたアメリカ軍のことをさす。
※ずいどーばた美術学院
芸大美大などの受験のための美術予備校。
※『すーぱーそに子』
アダルトゲーム・デザイン「ニトロプラス」のイメージキャラクター。現在は音楽CDやフィギュアなどの方面での活動している。
※杉井ギサブロー(1940年~)
アニメーション監督・日本画家。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。代表作は『タッチ』『銀河鉄道の夜』『あらしのよるに』など。
※スサノオノミコト
日本神話に登場する神。アマテラスオオミカミの弟神とされる。
※『スターウォーズ』
Star Wars
ジョージ・ルーカスの構想をもとに映画化されたスペースオペラ作品。
※『StarGuitar』
ケミカル・ブラザーズ2002年の曲。
※STUDIO4℃
スタジオジブリの「となりのトトロ」「魔女の宅急便」のラインプロデューサーを務めた田中栄子が主宰するアニメーション製作会社。『鉄筋コンクリート』『デトロイトメタルシティ』などのアニメ化を手がける。
※スタジオジブリ
アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業内容としている企業。
※3Dプリンター
樹脂を空間に吐出して、デジタルデータを立体造形物として簡便に実体化・可視化することができるプリンター。
※3DCG
3次元コンピュータグラフィックス。
コンピュータの演算によって3次元空間内の仮想的な立体物を2次元である平面上の情報に変換することで奥行き感(立体感)のある画像を作る手法である。
※『聖闘士聖矢』
『週刊少年ジャンプ』で連載されていた車田正美によるマンガ作品。テレビアニメ化されており、2014年にはフル3DCGアニメの劇場作品が公開されている。
※『聖闘士星矢 ギャラクシーカードバトル』
人気マンガ・アニメ『聖闘士星矢』について、DeNAが運営するMobageよりサービスを配信したフィーチャーフォン向けソーシャルゲーム。カードを手に入れ、オリジナルデッキに組み込みほかのプレイヤーと戦う、カードRPG。
※『聖闘士星矢 ビックバンコスモ』
車田正美のマンガ、それを原作としたアニメ『聖闘士星矢』をもとにした、2014年4月に配信したYahoo! Mobage用ソーシャルゲーム。
※SEGA
1960年アメリカで設立された。数多くのヒット作品を生み出し、世界中で人気がある。信念は「創造は生命」
※『Seven』
猟奇殺人を描いた1995年のアメリカ映画。監督はデヴィッド・フィンチャー。 キリスト教の「七つの大罪」をモチーフにした連続猟奇殺人事件と、その事件を追う刑事たちの姿を描いたサイコ・サスペンス。
※セル
セルアニメ製作過程において用いられる透明な画材。
※セル画
セルと呼ばれる透明なシートに描かれた絵のこと。デジタル化された現在では、それに相当するオブジェクト名としても用いられている。現在、セル画用のシートは生産されておらず、一部を除きほぼ全ての作画がコンピューター・グラフィックスによるデジタル作画に置き換えられている。
※セルルック
3DCGをセル画(2D)のように表現する手法。テクスチャーの塗り分けで輪郭線を浮かび上がらせる。
※『線と色の即興詩』
Blinkity Blank
ノーマン・マクラレンの作品。この作品は一切カメラを使用せず、真っ黒のネガフィルムを直接引っ掻いて着色し、その傷の動きを楽しむシネカリ作品。
※『SAW』
2004年に公開されたサイコスリラー映画。シリーズ作品で、全作目で完結している。
※SONALIO
ポップ・ミュージックバンド。Meridian Rogue、メリディアンローグに改名、2013年に現在の名称に再改名。自ら設立した会社にて音源配信サイト「Frekul」(フリクル)を運営。2011年以降、音源を無料配信しつつ収益化を図る音楽活動に転じた。
※『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』
2006年より(株)SEGAより発売されたビデオゲームのタイトル、キャラクター名。
※曽野綾子
(1931年~)
小説家。本名、三浦知寿子。各国を取材し、戦争・社会・宗教など幅広いテーマで執筆。2003年文化功労者。
※『太極千字文』
(たいちせんじもん)
韓国で放送された、漢字を題材にしたテレビアニメ作品。全39話。日韓の合作作品。
※タイトル・シーケンス
映画やテレビドラマなどの映像作品において、オープニングやエンディングなどで、タイトルの題字やスタッフクレジットが入っている部分のこと。
特に、テーマ音楽とともに作品の世界観をイントロダクションとして表現したり、エピローグとして作品の印象を残したりするパート。
※『太陽の塔』
1970年に大阪府で開催された日本万国博覧会の会場に岡本太郎が制作した芸術作品であり建造物。
※『太陽の勇者ファイバード』
1990年から1998年まで放送されていたロボットアニメ作品シリーズ。タイトル中に必ず「勇者」という文字が入る。シリーズのうち6作品のプロデューサーを古里尚丈氏が務めている。
※高畑勲
(1935年~)
映画監督、アニメーション演出家、プロデューサー、翻訳家。株式会社スタジオジブリ所属、畑事務所代表、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事。代表作は『太陽の王子 ホルスの大冒険』『狼少年ケン』『かぐや姫の物語』など。
※宝塚歌劇団
世界でも珍しい女性だけの歌劇団。本拠地は兵庫県の宝塚市。
※宝塚音楽学校
2年制の宝塚歌劇団団員養成所。校訓にもある「清く 正しく 美しく」は有名な宝塚の言葉である。
※武満徹
(1930年~1996年)
日本を代表する作曲家。西洋の前衛的な手法を取り入れつつ、「水」「鳥」「庭」といった自然のイメージを内包した独自の音楽は、没後10年を過ぎた今なお、世界的にも評価が高い。
※田代敦巳
音響監督。『千夜一夜物語』『どろろ』『宇宙戦艦ヤマト』などを手掛けた。
※谷川俊太郎
(1931年~)
日本の詩人、文筆業。17歳頃から詩を書き始め、1952年、21歳のとき処女詩集『二十億光年の孤独』でデビュー。『鉄腕アトム』の主題歌の作詞など、詩以外にも多くの作品を手がける。
※丹下健三
(1913年~2005年)
建築家、都市計画家、一級建築士。日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍、認知された。寛め平和記念公園などを手掛けた。
※『ちはやふる』
作者・末次由紀。2008年からBE・LOVEで連載中。
※『ちびまる子ちゃん』
作者・さくらももこ。りぼん、東京新聞などで連載。テレビアニメ放送中。
主人公の小学生まる子と、その周囲の人々の日常を描くほのぼのコメディアニメ。現在では、国民的アニメのひとつである。
※『Choo Choo TRAIN』
日本の音楽グループZOOによってリリースされた楽曲。本誌ではその曲をEXILEがカバーした方の曲を指す。
※『超時空要塞マクロス』
1982年より毎日放送で放映された。『マクロスシリーズ』の第一作目。
※2D
2-Dimensions(2次元)の略。次元とは空間を表現するのに必要な成分のことである。平面は縦と横の2つの成分で表現できるので2Dである
※帝国劇場
東京都千代田区丸の内三丁目に存在する東宝の直営劇場。通称「帝劇」。
※ディティール
全体の中の細かい部分。建築物などの詳細図。
※デジタルハリウッド専門学校
社会人対象に、Web・デザイン・Webデザイナーやクリエイターの通学スクール。
※『デジモンアドベンチャー』
1999年から放送されたテレビアニメ。8人の子どもたちがデジタル世界でパートナーデジモンと共に困難を乗り越えていく。
ゲームなどさまざまなメディア展開を繰り広げている。
※『デジモングランプリ』
(デジモンアドベンチャー3D デジモングランプリ!)
2000年7月にサンリオピューロランド、ハーモニーランドで上映された3DCG映画。原案を本郷あきよし、脚本を前川淳、演出を細田守が手がけている。
※『DEATH NOTE』
原作・大場つぐみ。作画・小畑健。2003年から週刊少年ジャンプで連載していた。アニメ、実写映画化、ミュージカル化など幅広く展開している。
※手塚治虫
(1928年~1989年)
日本の漫画家、アニメーター、アニメーション監督。医学博士。『鉄腕アトム』や『ブラック・ジャック』、『火の鳥』など、数多くの傑作を生み出している。
※『鉄腕アトム』
手塚治虫のSFマンガ。また、それを原作としたテレビアニメ、特撮テレビアニメ。作品の主人公である架空のロボットの名称でもある。
※dpi
解像度の指数。解像度が高いほど、画面は綺麗に映る。
※『でました! パワパフガールズZ』
クレイグ・マクラッケン原作のテレビアニメ『パワパフガールズ』のリメイク作品。東映アニメーションの創立50周年記念作品でもある。
※『天空の城タピュタ』
監督・宮崎駿。制作・スタジオジブリ。長編アニメーション作品。1986年公開。19世紀後半、産業革命期のヨーロッパをモデルとした冒険活劇。
※東京音響演劇研究所
演劇、映画、アニメなどの音響効果の制作並びにその演出を行う日本の制作プロダクション。
※『塔の上のラプンツェル』
Tangled.
監督・ネイサン・グレノ、パイロン・ハワード。2010年公開。グリム童話『ラプンツェル』を原作としている。またディズニー長編アニメーション第50作目の作品。ディズニー初の3Dで描かれるプリンセスストーリー。原作はグリム童話の『ラプンツェル(髪長姫)』
※『時をかける少女』
筒井康隆の少女向け小説。アニメ化だけではなく、映画・ドラマ・コミックなど様々なジャンルで親しまれている。
※『図書館ロケット』
畑亜貴が作曲・歌唱を担当したNHKみんのうたで放送された楽曲。
※徒弟制度
親方・職人・徒弟の3階層にわかれる技能教育のこと。あるいは弟子をとる制度のこと。
※『となりのトトロ』
監督・宮崎駿。制作・スタジオジブリ。長編アニメーション作品。1988年公開。昭和30年代前半の日本を舞台にしたファンタジー。
※富野由悠季
(1941年~)
アニメーション監督・演出家・脚本家・作詞家小説家。現在は『ガンダムGのレコンギスタ』にて総監督を務める。
※『トムとジェリー』
Tom and Jerry
アメリカで制作されたアニメ。体の大きいおっちょこちょいな猫のトムと、小柄ながらも頭脳明晰なネズミのジェリーが繰り広げるドタバタコメディアニメ。
※『ドラえもん』
藤子・F・不二雄の児童マンガ・SFマンガ。小学館系の雑誌で連載され1973年に初めてテレビアニメ化された。漫画やアニメだけでなく、教材にも使われることが多い。国内だけでなく、海外でも人気がある。
※『ドラゴンボール』
DRAGON BALL
『週刊少年ジャンプ』で連載されていた鳥山明(BIRD STUDIO)によるマンガ作品。テレビアニメ化されている。海外での人気も高く、ハリウッドで実写映画も製作された。連載終了後もグッズやゲームソフトなどが生み出され、発行部数は全世界累計で2億3000万部を越える。
※『ドラゴンクエスト 少年ヤンガスと不思議のダンジョン』
ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズのひとつ。『ドラゴンクエストVIII』のキャラクターヤンガスの少年時代のエピソード。
※『トランスフォーマー』
TRANSFORMERS
タカラトミーより発売されている変形ロボットおもちゃシリーズの総称。アニメ化や実写映画化など様々な世界的商業展開が行われている。
※トレス
製図や絵画、イラストなどにおいて、元にする図を何らかの方法を用いて透かせ、それをなぞることによって写しとる図法のこと。セルアニメーションの製作過程において、欠かせない作業。
※『どろろ』
手塚治虫による少年マンガ作品。それを原作としてテレビアニメ、実写映画化や小説化もされている。
※直木賞
直木三十五の名を記念して、芥川賞と同時に昭和10年に制定された。各新聞・雑誌(同人雑誌を含む)あるいは単行本として発表された短編および長編の大衆文芸作品中最も優秀なるものに呈する賞
※『南総里見八犬伝』
江戸時代に曲亭馬琴によって書かれた物語。何度も映画化、アニメ化されている。
※二科展
二科会(1914年に新しい美術の確立を標榜して、石井柏亭・梅原龍三郎・有島生馬・坂本繁二郎らが文部省展覧会から分離して、在野の美術団体として結成された会)が開催している展覧会。大正3年に第1回二科美術展覧会を上野竹の台陳列館にて開催した。
※日本アニメーション
1975年に設立されたアニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主に行う企業。
※ノーマン・マクラレン
Norman McLaren
(1914年~1987年)
実験アニメーションの巨匠。エイゼンシュテインの理論と作品に耽溺し、「まづは隗より始めよ!」の精神でパラパラ漫画を発展させたような動画を次々撮っていく。30年代から80年代までの50年間に、約70作品を制作。200あまりの国際賞を獲得している。代表作は『線と色の即興詩』(1955年)
※『のらくろ』
田河水泡の漫画、およびその主人公である野良犬の名前。現在の講談社である大日本雄辯會講談社の雑誌「少年倶楽部」にて連載していた。
※『ハイスクール奇面組』
1982年~1972年まで『週刊少年ジャンプ』にて連載されていた、新沢基栄制作の学園ドタバタギャグ・コメディマンガ。
※ハイファンタジー
ファンタジー小説のジャンルの一つ。「異世界ファンタジー」と呼ばれる事もある。
※『白蛇伝』
中国の四台民間説話のひとつ『白蛇伝』を題材にした作品。日本最初のカラー長編漫画映画(アニメ映画)。
※『パシフィック・リム』
Pacific Rim
監督・ギレルモ・デル・トロ。
※8mm/16mm
8mm幅のフィルム。16mm幅のフィルム。
※パッケージビジネス
店名、ロゴなどの商標・サービスマークの付与、店舗デザイン、メニュー、厨房設備を一体化させたコンセプトの提供、そして一定の地域での独占権の付与等をまとめてパッケージにして一定の対価と引き換えに使用許諾(ライセンス)契約を結ぶビジネス方式を言う。
※『パワパフガールズ』
(パワーパフガールズ)
The Powerpuff Girls
世界178ヵ国で放送され、世界中で人気のアニメ作品。クレイグ・マクラッケンが原作・総監督を務めた。
※バンダイナムコゲームス
家庭用ゲームコンテンツや業務用ゲーム機器モバイルコンテンツの企画開発販売等を主な業務とする。
※PV
ここでは、プロモーションビデオを指す。楽曲の発表に際して制作される、楽曲を含む映像作品。
※ピカソ
パブロ・ピカソ
Pablo Picasso
(1881年~1973年)
スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。最も多作な美術家としてギネスブックに記されている。
※ピクサー
正式名称 ピクサー・アニメーション・スタジオ
Pixar Animation Studios
アメリカの映像制作会社。CGを用いたアニメーションを得意とする。ウォルト・ディズニー・カンパニーの完全子会社。
※『ひょっこりひょうたん島』
NHK総合テレビで放送された人形劇。個性豊かなキャラクターたちがミュージカル形式で笑いと風刺、冒険の物語を繰り広げる。
※『ファイブレイン~神のパズル』
2011年から2014年まで放送されていたパズルファンタジーアニメ。古里尚丈氏がアニメーションプロデューサーを務めている。
※FIX
画面を固定して撮影すること。
※フィルムカメラ
この場合は、フィルムを用いて動画をとるカメラのこと。8ミリなど、フィルムには様々な種類がある。
※風刺漫画
社会や人物の欠点・罪悪を遠回しに批判、または批判を嘲笑的に表現したマンガ。
※複葉機
飛行機のうち、左右の両側にそれぞれ2枚以上の主翼を持つもの。
※フラッシュアニメーション
Adobe Sysstems社のwebコンテンツ製作ツール「Adobe Flash」を用いて作られたアニメーション。
※『FREEDOM』
本当の自由を求める少年たちを物語としたオリジナルビデオ。2006年から日清カップヌードルCMシリーズを皮切りとした、FREEDOM-PROJECTのひとつ。
※『プリキュア』
東映アニメーションが手がける女児向けアニメーション作品。シリーズ第一作目となる『ふたりはプリキュア』は2004年2月から放送。以来、1年ごとにシリーズの最新作が発表。放送されている。
※『プリンセスと魔法のキス』
The Princess and the Frog.
監督・ジョン・マスカー、ロン・クラメンツ。2009年公開。
※フルアニメーション
1秒あたり12枚(1枚の絵を2コマずつ撮影)以上の絵を費やして制作されるアニメーション.
※フルCG
製作のすべてがCGなどのコンピューター技術によって作られたアニメーションのこと。セルアニメーションと呼ばれる
※フルHD
画面の解像度を表す。解像度が高いほど、画面は綺麗になる。横約1920×縦約1080ピクセル。
※フレーム
動画を構成するひとつ一つの静止画像。1秒間あたりの静止画像数をfpsを付けて表す。
※ProductionI.G
アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業としている日本の企業。株式会社IGポートの連結子会社である。日本動画協会正会員。
※Pro tools
アメリカのアビッド・テクノロジー社が設計開発及び販売しているパソコンを核としたデジタル・オーディオ・ワークステーション用のソフトウェアの名称。
※文藝春秋漫画賞
文藝春秋が主催の漫画賞。受賞作品はギャグ漫画・4コマ漫画・1コマ漫画・風刺漫画が多く、他の漫画賞とは一味違った作品が選ばれている。第47回の発表を最後に2002年に終了する。
※『ベイマックス』
ジョン・ラセターが製作総指揮をつとめた作品。
※別所考治
(1935年~2006年)
テレビプロデューサー。フジテレビジョンでテレビアニメの企画、特撮ヒーロー番組の編成や映画事業の企画・プロデューサーをつとめた。『鉄腕アトム』、『あしたのジョー』『マジンガーZ』など。
※『ベティーちゃん』
(ベティ・ブープ)
Betty Boop
『ベティーちゃん』は日本の呼び方で、ベティーブープが正式名称。アニメ製作会社フライシャー・スタジオが製作し、1930年にアメリカでリリースされたアニメーション。『Dizzy Dishes』に初めて登場した。
※『ポケットモンスター』
任天堂、ポケモンから発売しているロールプレイングゲーム。アニメ化だけでなく、海外でも様々なジャンルに展開している。
※細田守
(1967年~)
元アニメーターのアニメ監督。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。『おおかみこどもの雨と雪』の第36回日本アカデミー賞最終週作品賞受賞など、数々の賞を受賞している。他の代表作は『時をかける少女』『サマーウォーズ』など。
※『ポパイ』
Popye
アメリカン・コミック・カートゥーン作品
※マーチャンダイジング
商品計画・商品化計画。消費者に対し、ものを買ってもらうために商品の企画から販売方法などの立案、価格設定まで、セン\略的に行う活動のこと。
※マーベル
マーベルコミックス(Marvel Comics)アメリカのマンガ出版社。2000年代からは自社のマンガ作品を実写化している。主な作品は『スパイダーマン』『バットマン』など。
※『舞‐HiME』・『舞‐乙HiME』
サンライズ制作のオリジナルアニメであり、古里尚丈氏がプロデューサーを務めている。
※『マグマ大使』
手塚治虫のマンガ作品。また、それを原作にした実写の特撮テレビ番組およびOVA。少年月刊誌『少年画報』に1965年5月号から1967年8月号まで連載されていた。
※『マジンガーZ』
永井豪のマンガ作品、それを原作とするテレビアニメ作品。日本アニメやそのキャラクタービジネスにとって重要なターニングポイントになった作品。
※マスク
ここで指すのは、画像などの不要な部分を隠すことができるグラフィックソフトの機能を指す。
※真鍋博
アニメーション3人の会の1人。イラストレーター・エッセイスト。『絵でみる20年後の日本』〈日本生産性本部〉など著書多数。60年に第1回講談社さしえ賞受賞。
※『魔法使いサリー』
横山光輝のマンガを原作としたアニメ作品。日本初の少女向けアニメ作品であり、魔法少女系ジャンルの先駆けとなった。
※『魔法にかけられて』
Enchanted.
監督ケヴィン・リマ。2007年公開。セルアニメと実写で描かれている。
※マルチレコーダー
録音用機器のひとつ。テープやディスク媒体を用いて、2トラック以上の複数の録音トラックの録音再生を行うことができる。通常のステレオ録音再生機と異なり、それぞれのトラックに対して個別に録音、再生を選択することができるのが特徴。
※漫画映画
主に戦前から戦後にかけて製作されたものを指す。「アニメーション」という言葉が使われる以前に用いられていた言葉。
※ミキサー
録音スタジオ、劇場、放送局などでミキシング・コンソールを操作し音響のバランスをとる技術者やその職種の名称。
※ミシェル・ゴンドリー
Michel Gondry
(1963年~)
フランスの映画監督・脚本家・映像作家。
※水木しげる(1922年~)
漫画家。妖怪のマンガの第一人者で代表作は『ゲゲゲの鬼太郎』。2010年文化功労者を受賞。
※『ミッション・インポッシブル2』
Mission:Impossible
監督・ジョン・ウー。『ミッション・インポッシブル』シリーズ第2作目。2000年公開。2015年にはシリーズ最新作が公開予定。
※ミッチェル
アメリカの撮影機の製造企業。
※ミニムーグ
アメリカの電子工学博士であるロバート・モーグが開発したアナログシンセサイザーおよびその製品群。
※宮崎駿
映画監督。アニメ―ション作家。1985年にスタジオジブリを設立し、それ以降『となりのトトロ』『天空の城ラピュタ』など次々にヒット作品を出す。
※MV
ミュージックビデオの略。作品としてその音源にマッチする映像を撮影したもの。
※MTV
Music Televisionの略称。NYとロンドンに本部をおく、アメリカの若者向けケーブルテレビ・チャンネル。24時間ポピュラー音楽のビデオクリップを流し続ける音楽専門チャンネルとして誕生し、この形態の音楽番組の代名詞的存在となった。そのため、MTVはケーブルテレビの音楽専門チャンネルの通称として使われることもある。
※『未来少年コナン』
1978年に放送された日本アニメーション制作の冒険ファンタジーアニメ。監督及びシリーズ構成を宮崎駿が担当している。
※『ムーミン』
フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの小説および末弟ラルス・ヤンソンと共に描いたマンガ作品の総称。第27話以降最終話まで虫プロダクションがアニメーションを制作した。
※虫プロ
株式会社虫プロダクション日本のアニメーション制作会社で、マンガ家でアニメーターの手塚治虫が関係したアニメーション専門プロダクションである。『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』など。
※モーション・キャプチャー
3DCGにおける手法のひとつ。人間などの動きを測定してコンピューターに取り込む技法のことである。コンピュータグラフィックスの動作データや各種シミュレーションに用いられる。
※『モーツァルト!』
2002年より帝国劇場で上演されているミュージカル。
※柳原良平
アニメーション3人の会の1人。イラストレーター・画家・漫画家。トリスウイスキーのキャラクター『アンクルトリス』の産みの親。そのキャラクターが人気となり、毎日産業デザイン賞、電通賞などを受賞
※YAMATOWORKS
アニメーション・CGに関する企画・制作を主な事業内容とするアニメーション制作会社。『FREEDOM』の制作を手がけた。
※山村浩二
(1964年~)
個人アニメーション作家。ヤマムラアニメーション有限会社代表取締役。代表作は『パクシ』『頭山』など。
※ヤン・シュヴァングマイエル
Jan Švankmajer
(1934年~)
チェコスロバキア・プラハ生まれ。シュルレアリストの芸術家、アニメーション・映像作家、映画監督。主な作品に『アリス』や『悦楽共犯者』等がある。
※湯浅政明
(1965年~)
アニメーション監督、脚本家、デザイナー、アニメーター。『四畳半神話大系』『ピンポン THE ANIMATION』『マインド・ゲーム』など。
※『遊☆戯☆王』
作者・高橋和希。週刊少年ジャンプで連載していた。カードゲームは実際に世界大会が開かれるなど、多くのファンがいる。
※『UFOロボ・グレンダイザー』
永井豪原作のマンガ。1975年10月から1977年2月まで放送されたロボットアニメ。
※4K/8K
画面の解像度を表す。解像度が高いほど、画面は綺麗になる。4Kは横約4000×縦約4000ピクセル。8Kは横約8000×縦約4000ピクセル。フルHD(1920×1080)の約16倍、約4倍の画素数にあたる。
※『楽園追放』
監督・水島精二。東映アニメーションとニトロプラス合作によるアニメーション映画。2014年公開。
※『羅生門』
ここでは、黒澤明監督が制作した映画を指す。1950年に公開。芥川龍之介の小説が原作である。
※リクープ
損失などを取り戻すこと。費用を回収すること。
※『龍が如く』
2005年より(株)SEGAより発売されたゲームソフト。
※りんたろう
(1941年~)
アニメーション監督。マッドハウス所属。日本映画監督協会会員。京都精華大学漫画学部客員教授。代表作は『銀河鉄道999』や『メトロポリス』など。
※『ルパン三世カリオストロの城』
原作・モンキー・パンチ。アニメ『ルパン三世』の劇場映画第2作目。宮崎駿の映画初監督作品。1979年公開。
※レオナルド・ディカプリオ
Leonardo DiCaprio
(1947年~)
アメリカの俳優、プロデューサー。『ロミオ&ジュリエット』(1996年)でベルリン国際映画祭の最優秀男優賞を受賞。『タイタニック』(1997年)では主人公を演じた。
※『ロボディーズ(風雲編)』
東映アニメーションとウォルト・ディズニー・ジャパンが共同制作したフルCGアニメ作品。
※『ロボットガールズZ ONLINE』
2014年に東映チャンネルで放映された、東映ロボットアニメやマジンガーシリーズの主役ロボットたちが美少女キャラクターとなって活躍するアニメについて、USER JOY JAPANにてサービスが開始されたソーシャルゲーム。Yahoo!ゲームやハンゲームなどでもサービスが行われている。
※ワイヤーアクション
俳優やスタントマンがワイヤーロープによって吊られた状態で演技をする、映画や舞台ドラマの特殊撮影の一種。ワイヤーアクションとは日本での呼称。
※『わんぱく探偵団』
虫プロダクション制作の少年向けアニメ。同プロダクション初、原作を手塚治虫以外が手掛けている作品。
※『ONE PIECE』・『ONE PIECE トレージャークルーズ』
尾田栄一郎が『週刊少年ジャンプ』で連載中の少年マンガ。それを原作として1999年よりテレビアニメーションの放送が開始。2013年には600話を突破するなど常に高い人気を誇る。アニメの他、ゲーム、小説など数多くの関連作品、商品、イベント等がある。
○人生で初めての、価値を付ける出版物の発行は、不安と好奇心でいっぱいでした。最初の頃、色々と提案しては全部やろうと意気込んでましたが、後半に体調を崩してしまい反省点が山積みになりました。この本でやり残したことも、やりきったことも、すべて肝に銘じてこれからの為にしていきたいと思います。今回、mojitamaに関わってくださったすべての皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
飯島 未季
○初の出版物作製は不安だらけでした。反省点は沢山ありますが、それらを今後の製作や活動に必ず活かしたいと考えています。
アニメという誰もが目にするジャンルは、しかし、それ故にあまり深く知らないという事に気がつきました。今回mojitamaを通してアニメのあれこれを知る事ができてとても良かったです。ご協力いただいた方々には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
村林 里美
○わたしはこの本誌を制作するにあたり、編集長という主人公になりました。
ただ、力のないわたしは自分で進むことができず、ただの静止画でした。
しかし、編集部のみんながコマを送り、足りない部分は描き足してくれ、進むことができました。
それでも、力のない自分は立ち止まることもありました。逃げそうになることもありました。
そんな中でも、編集部のみなさんはわたしを主人公として立てて、支えて、次へと進めてくれました。
この本が完結できたのは、編集部のみんながいてこそからだと思っております。
そして、この本誌の制作にあたり、抜けたメンバーのおかげでもあります。ふたりにも本当に感謝しています。
特に、実家に帰ってしまったメンバーにはこの感謝の言葉がこの本誌を通して届くことを祈っています。
取材に協力していただいた方含め、多くの人に支えられ完成した本誌。
本の製作は非常に大変だということを知りましたが、それ以上に楽しさを知ることができました。
わたしが主人公のこの人生の物語はまだまだ続きますが、この本はもう終わります。
しかし、みなさんがこの本をめくる度に、この本は息を吹き返します。
未熟な編集部で制作された本ですが、どうか、この本をよろしくお願いします。
菊池 将徳
○ 文化庁メディア芸術祭 脇本 厚司 様
国内だけでなく国外からも応募を受け付け、平等に審査することで、最新の技術や感性に触れることができる文化庁メディア芸術祭を取材させていただきました。大変ご多忙の中にも関わらず、とても拙い取材を優しくお応えいただき、誠にありがとうございました。〈Iijima〉
○ 久里 洋二 様
漫画映画からアニメーションまでの歴史をじっくりお話していただき、ありがとうございました。久里様だからこそ知っているエピソードなどが聞け、あっという間に時間が過ぎ去りました。また、お時間がありましたら、お話をお伺いさせていただきたいと思いました。〈Kikuchi〉
○ 柏原 満 様
今まで意識していなかったアニメの音。その奥深さや面白さの再発見へつながりました。また、人との出会いが大切、など取材中のお言葉が大変印象深かったです。拙い取材にも快くお応えいただき、誠にありがとうございました。〈Murabayashi〉
○ 水江 未来 様
何か1つのことでも、それをやりきれば誇れる作品が生み出せることを教えていただきました。これからの日本の短編アニメーションの可能性をとても丁寧に説明してくださり、もっと色々な作品を観てみようと思えました。本誌の表紙のために作品を寄稿いただきました、誠にありがとうございました。〈Iijima〉
○ 東映アニメーション株式会社 様
世代を超えたコミュニケーションツールとしてのアニメなど、長い歴史がある東映様にしか出来ないお話を伺いました。取材を通してアニメの歴史に触れ、アニメをより理解することが出来たように思います。誠にありがとうございました。〈Murabayashi〉
○ WIT STUDIO 和田様 梅原様
今回、別々の取材となりました。和田様は次のお仕事がまだあるにも関わらず、取材をお受けしていただきありがとうございました。緊張していたわたしを、和ませていただきリラックスしながら取材することができました。梅原様は、答えづらいような質問でもわたしたちにわかるように丁寧に答えていだきました。本当にありがとうございました。〈Kikuchi〉
○ 古里 尚丈 様
インタビューを快く引き受けて下さった古里様、ありがとうございました。一番感銘を受けたのは、すごく上手い師匠格の人にダメだしをされる事が一番の上達になるというお言葉でした。この学校で先生方に見てもらう事が一番の上達と知り、この学校でよりいっそう頑張ろうと思いました。〈Fukuda〉
○ 神風動画 水崎 様 吉邉 様
mojitamaとしてもわたしとしても初めての取材であり、おどおどし、答えづらい質問をしていました。しかし、それにも快く答えてくださり、非常に有意義な取材となりました。お忙しいところ、社内まで案内していただきましてありがとうございました。〈Kikuchi〉
○ 山守 拓人 様
主役として見られがちのアニメーションも、時として脇役に徹すること重要性を教えていただきました。今までとは見方ががらりと変わったように思います。とても拙い取材でしたが、快く応えていただきありがとうございました。〈Iijima〉
○ 氷川 竜介 様
お忙しにも関わらず、時間を取っていただき、短い間でしたが非常に濃い貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。こちらの実力と勉強不足により、氷川様には答えづらい質問をし、校正にいたるまでご迷惑をおかけいたしました。アニメも編集のこともこれからより勉強していく次第です。〈Kikuchi〉
●Editor in chief
菊池 将徳 Kikuchi,Masanori
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●Editor in subsection chief
村林 里美 Murabayashi,Satomi
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●Editor
飯島 未季 Iijima,Miki
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●Assistant
吉田 悟 Yoshida,Satoru
赤嶺 美力 Akamine,Yoshichika
福田 航也 Fukuda,Kazuya
根岸 航太郎 Negishi,Kortato
池田 翔 Ikeda,Sho
———————————————————
●PARAPARA Animation
荒川 悠太 Arakawa,Yuta
清水 粋佳 Shimizu,Kiyoka
本間 理莉 Honma,Satori
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●Direction&Advice
荒井 良子 Arai,Yoshiko
遠藤 たか Endo,Taka
2015年2月7日 発行 初版
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