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天誅団 平成チャンバラフィクション 第二巻

北村恒太郎

北村恒太郎出版



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 目 次

第十章 達人の技

第十一章 局長の疑

第十二章 竜の怒

第十三章 反逆の徒

第十四章 民衆変質

第十五章 街路の襲

第十六章 極右の影

第十七章 予知警戒

第十八章 鉄人護衛

第十九章 回廊変事

第二十章 長官の避

第二十一章 階下憂乱

第十章 達人の技

 車は、目隠しでもするように長く伸びた枯れた葦を、カーテンをかきわけるようにじれったく進んだ。
 やがて視界が突然開け、明るくなる。
 シネマスコープの画面の端から端まで無駄なくうめ尽くすように、捜査員が広がってあわただしく動いている。
 「この風景も二度目だとなんだかなじんだものになってきたなあ」
 耕下がおもしろくなさそうに言った。
 前の事件の手がかりどころか、糸口へたどりつくきっかけさえつかめないうちに、なんと類似の事件が起きてしまった。自分たちのもたつきが模倣犯を呼んだのか、同一犯による、捜査をかいくぐった計画的なものか…どうにも展開が早過ぎる。
 馬子は口を一文字に引き結び、一言も答えずハンドルを握る。日ごろから表情の少ない娘ではある。もうすこし、先輩に対して、百歩譲って、先輩の経験というものだけに対しても、敬意を払う態度があってもいいのではないかと耕下は考える。あるいは馬子は、耕下などすぐ追い抜いてやると本気で思っているのかもしれない。馬子はたいそう有望な若手だそうだ。
 試験だけで昇進するのなら、私は十年後は警視総監になりたいと思います、馬子が舞網署に配属されたときに冗談めかして言ったことだ。
 馬子は、ごつごつした川原の石に揺られながらも、上手にハンドルをさばき、川から離れて呂洲署の車が三台止まっているところの後ろに駐車させた。
 ドアを開けると、上空から何機ものヘリコプターがいきかう音がいちだんと高く聞こえる。連続猟奇殺人事件となったいま、マスコミは本格的に騒ぎ出すことにしたようだ。
 「事件現場を上空から撮ることにどんな意味があるんでしょうね、ヘリなんか一機で十分なのに」馬子は上を見ながらうるさそうに言う。
 「アングルが変わっていいんだろ、警官の姿ばかりじゃ単調だ。ところで、そんな靴で石の上を歩けるのかい?」
 馬子は今日はシックなこげ茶のパンツスーツだったが、靴のかかとがやたらと高かった。
 「いえ、大丈夫」
 答えながら、ごつごつした川原の石の上を、長い髪をなびかせ平気で歩き出した。
背が高いので、モデルが撮影場所を目指して川原を歩いていくようにも見える。もうすこし肩がいかつくなく、もうすこし表情があったら、美人と言われるかもしれない。
 二人で歩くと、脚の長い馬子がいつも一足先になる。あとを行く耕下はよけいにさえなく、ずんぐりと見えることになる。
 呂洲署は舞網署が気後れするくらいの規模で捜査にあたっていた。
 川原といわず、川の中といわず、葦のしげみの根元といわず、捜査員たちが猟犬のように、事実、警察犬も何頭かいたが、それと鼻を並べてかぎまわっている。
 そのほぼ中心にいた、ベージュのコートを着た男が、二人をみとめたらしく、近づいてきた。
背が高く日焼けした精かんな顔立ち、同じ警部補だとういが、耕下よりはだいぶ若い。馬子と二人でいくときはたいていそうだが、相手はまず馬子を見てから耕下へ視線を移す。しかしこの警部補ははじめから耕下に視線をあわせ、
 「耕下警部補ですね、呂洲署機動捜査隊の河北です」
といって会釈してから、馬子に視線を移して目でうなずいた。こいつはわりあいしっかりしているようだ。しかし、
 「で、どうですか?」
 という耕下の問いには精かんな顔がくもった。
 「同一犯と思われます。舞網署管轄の事件との」
 「ということは…」
 「いまのところ手がかりはありません。残していないようです。じつに手際がいい、かなり洗練されてますよ。あそこに(土手の近くの葦原の中にぽつんと置かれていた大型のワゴン車を見やって)乗り捨てられていた護送車に残っていた指紋もガイシャのものだけでしたし、ガイシャが誘拐された裁判所にも目撃者はいない。縛られていた護送車の運転士も護送の警官も何も見ていない。同僚の誰かにいきなり腹を殴られたと思い込んでいたくらいですから」
 「腹を?」
 「『あてみ』です。適確に気を失わせています。国道を走る護送車は何人かに目撃されていますが、中の人物までは見ていない、ここでの殺害を見たものももちろん誰もいない。首の乗っていた白木の台は手作りのようでしたが、誰でも作れる程度のもので特徴はなく、もちろん指紋も残ってはいない」
 「確かに我々のヤマと似ている」
 ということは、呂洲署の捜査も耕下たち同様難航が予想されるということになる。呂洲署の捜査から、にわかに突破口が開ける可能性も低そうだ。
 「例のインターネットはどうです?」
 「掲示板ですからね、しかも特殊な技術で掲載した…特定するまではなかなか…」
 「河北さんの、ざっと見たかぎりの印象では、どうですか?」
 「プロか、それに近い連中のしわざでしょうね」
 「連中…と、いいますと?」
 「これだけのことを一人でやるのは無理です。周到な準備と慎重な計画が感じられます。ホシはすくなくとも二人以上いますよ。」
 「ガイシャの状況からはどうです?」
 河北は、河から離れた葦のしげみの前にある青いシートを見やって言った。
 「あそこに胴体があります。首のところをだいぶカラスにやられていますがね。まあ、妙といえば、両手を腹の上で組まされていたことでしょうかね。」
 「どういうことですか?」
 これは前の事件では見なかった現象だった。
 「あきらかに犯人が、殺したあとにやったんでしょう。死者に対する礼儀のつもりなのか、ブラックユーモアのつもりなのか…」
 「首のほうは?」
 河北は止まっている呂洲署の車の一台に向かって手を挙げ、さらにこっちへこいというように手招きした。鑑識係の一人が大きな発泡スチロールの箱をかかえて小走りにやってきた。
 「これですがね」
 河北は、いましがた捕った魚でも見せるように、スチロールのふたを開けて見せた。
 ドライアイスの煙とともに現れた九頭真吾の顔は、ワルでならしたおもかげの微塵もない悲惨なものだった。その表情はあの掲示板の写真にあったものよりさらにゆがみ、いまにも泣き出しそうにしわがよっている。しかも顔半分はカラスの宴会に供されたようで、皮がほとんど破られ、食いちぎられてぼろぼろだった。灰色みをおびた赤黒い肉がむき出しで、さらに鼻と額からは白い骨まで見えていた。
 うかうかとまともにのぞきこんでしまった馬子は、むごたらしさに思わず息を呑んだが、そのとき立ちのぼるドライアイスの煙とともに、死臭まで吸い込んでしまい、さしもの鉄面皮もたちまち気分が悪くなって、飛びのくようにその場を離れた。
 「おっと失礼、女性には刺激が強すぎたかな」
 河北はあわててふたを閉めた。
 「彼女は気を使ったのさ、あんまり見つめちゃ、首がきまり悪がるだろうと思ってね」
 耕下の軽口にむっときて、何か言い返そうとにらみつけたとき、けたたましく彼女の胸が鳴った。ほどよくウエストを絞った仕立てのいいスーツ、イタリア製かもしれない。スーツの下は明るい色のTシャツだ。これもブランドものにちがいない。馬子はジャケットの内側に手を入れると、Tシャツとコーディネートしたような明るい色の小さな携帯電話を取り出した。彼女の折りたたみ携帯は、片手の親指を動かすだけで、できのいい秘密道具のようにパカンと開いて大きくなる。
 頭を軽くふって、耳のあたりから柔らかい髪をどけて、携帯を押し当て、二言三言話したのち、
 「耕下警部補にです。」
 と携帯を差し出した。
 「誰から?」
 「前にも電話をいただいた方です」
 耕下は、まだ馬子の胸の温みの残る携帯を受け取ると、耳に押し当てた。彼女の快い肌の温もりが、耳から伝わっていこうとするのを、絹のようななめらかな声が妨げた。
 「どうだね、警部補、私の言ったとおりだろう。」
 辺田は名乗りもせずに切り出してきた。一度、しかも携帯でしか話したことがない、顔も知らない相手なのに、耕下が恩を感じなければならない先輩のような言い方をする。
 「どうだとはどういうことです」
 耕下もあいさつ抜きで、しかも辺田が言わんとしていることはわかっていながら、ことさらとぼけてぶっきらぼうに言った。
 対テロ高度対策室(TAHD)の特別捜査官・辺田和門は、人の話など受け流すように応答してくる。またしても、さも遠くから話しているような、雑音とともに高くなったり低くなったりする声。しかも今回はなめらかな声にひびが入るほどに割れている。耕下は3時の方向でホバリングしているヘリに乗っているに違いないとあたりをつけた。
 「変質者の仕業ではないってことさ。」
 「そんなことはわかりませんよ。呂洲署が捜査を始めてまだ3時間しかたっていないんですから」「君はこの新たな事件を聞いたとき、すぐわかったはずだ。そこに来て現場を見て確信したはずだよ。」
 辺田は見透かすように言い切る。
 「手口は同じ、犯行声明の仕方も同じ。何より現場に手がかりを残さない手際のよさだ。そんなことをしでかす大胆な奴は、世界広しといえども同じ奴しかいない。」
 耕下はヘリコプターの騒音にあおられるようにいらいらしてきた。現場を直接見てもいない、上司でもない人間の断定的な高説を聞き続けるいわれはない。
 「変質者だね。どう見ても変質者ですよ。同じ犯人かもしれないし、前の、俺たちのヤマを真似した野郎の仕業かもしれない。いずれにしても人騒がせな愉快犯だ、黒い警察きどりのね。」
 意地になって大声を張り上げたが、携帯の彼方の絹のような声の抑揚には変化はない。
 「愉快犯という説は悪くはない。しかし被疑者は愉快に感じてはいない。大事なのはここだ。犯行声明は芝居がかってはいるが、妙に淡々としているとは思わないかね。
 我らは天誅団、不埒者どもに天誅を加える…シンプルなキャッチコピーだ。宣伝会議で練り上げたような」
 絹のような声が説得力ありげに朗々と響くのがしゃくだった。
 「ガイシャは二人も殺していて裁判中でした。今回もガイシャに怨みを持つもののしかえしというセンも濃厚です。依頼された殺し屋による犯行ということも考えられる」
 「犯行の範囲が広く、大胆で、インターネットを自在に使ってくるなど起伏に富んでいることは、きわめて計画的で組織だっていることをうかがわせる」
 「あまりに場当たり的で我々が煙にまかれるという場合もありますよ。インターネットだって、今は珍しくない」
 「冷静沈着に人を殺し、つまり首を一刀の下に斬り、証拠を残さない犯行を連続させるというのは、並みの犯罪者ではない」
 「捜査官、両方とも現場を見てもいないのに、なぜそう断定的なことが言えるんです?」
 「見なくてもわかるさ、今私の膝の上にあるパソコンで、本庁にも舞網署にも呂洲署にもアクセスできる。私の身分を照会すれば、捜査報告書や資料をのぞかせてくれる。それに、ワイドショーと新聞と君の話しぶりも大いに参考になるしね。」
 「なるほど、車椅子の名探偵だったってわけですか。さっきからジージーいっているのは車イスの音だったんですね。そしていま私たちの上空にやってきたヘリに乗っているってわけだ。」
 「はずれ!確かに上空から現場のようすを見てはいるが、それはパソコンの中の、テレビ局のヘリが生中継している映像だ、ワイドショーでね。私は今、君とははるかに離れた場所にいるよ。しかも上空ではなく地面の下だ。ここはとほうもなく広い地下道なんだ。君、知っていたかね、国会議事堂や首相官邸、議員会館などは入り組んだ広い地下道で結ばれているんだ。地下鉄なみだよ。どこへでも行き来できる。近道であり、万一のときの避難場所であり、脱出口でもあるってわけさ。」
 捜査官の声は自慢話でもするようにはずんできた。
 「地下商店街ほど混み合っちゃいないが、適度な人の流れが常にある。なにしろ広いし、それなりの距離があるから、歩くよりは車に乗っているほうがいい。というわけで、ジージーいっているのは電気自動車の音だ。この車はわが部局ふたつめの備品だ。ちょっとした仕掛けもあるし、スピードも出てなかなか快適だ。用途は広い。今日は試運転の日なんだよ。」
 「新しいオモチャが手に入ってよかったですね。ところで今度のヤマは呂洲署の河北警部補の担当だ、河北くんにかわりましょうか」
 「いや君でいい、煩雑さをなくして小回りをきかせるために、すべての窓口は君にする。現在のところ事件のことを一番よく知っているのは君だ。君は私にとって有力な協力者でもある。今後とも協力をよろしく頼む。」
 耕下が辺田のスタッフに組み込まれてでもいるような言い方をする。
 「ちょっと待った、私は舞網署の生活安全課の所属だ。テロ対策室とは何の関係もない。」
 「だから協力を頼むと言っている。君はほかの普通の刑事より小回りがきくはずだ。5年前の不祥事にかかわる事件で上と対立して以来、昇進の道が断たれて、生活安全課という目立たない部署でひとり地道にこつこつやっている、そしてそこそこ腕利きだ。」
 「それもパソコン情報ですか、『そこそこ』というのを『かなり』に訂正してもらいたいね」
 「君の経歴を見て親しみがわいたよ」
 「こっちはあんたの声を聞くかぎりそれほどでもないよ。それにこのヤマはそのうち捜査一課に召し上げられる」
 「君はかなりいいところを言い当てた、『黒い警察』ということだ。」
 「スポーツ新聞に載ってましたよ、『現代の仕掛人』ってね。『法の届かない悪を一刀両断、悪党は眠れない、恐怖の天誅団』。まるで礼賛するような騒ぎだね」
 「それこそが奴らのねらいではないかという気がするんだ。手段はどうあれ、自分たちのやっていることは正しいと人々に納得させる、これは序曲だ…」
 「テロ対策室の捜査官という立場にこだわりすぎた思い込みじゃないですか、この時代に日本刀で何ができるというんです、時代錯誤の変態ですよ。」
 「なるほど、君は今回も日本刀による犯行と認めているわけだな。で、どう捜査する?」
 辺田はさりげなくつめよってくる。
 「まあ、前のヤマからの流れでいくと、とりあえず日本刀を持っていそうな右翼かな」
 「いいセンだ、それが一番有望だと思う。怨恨だの変質者だのという、ムダ足に終わるに違いない、こまごました方面の捜査は呂洲署の捜査官にまかせておけばいい」
 電話の声が聞かれるはずもないが、辺田の、呂洲署を軽く見ているような口ぶりを河北に聞かれてはと、思わず顔を上げた。
 河北たちは、長電話に没頭しているらしい耕下はさっさとうっちゃって、馬子と話していた。馬子は感心したようにしきりにうなずいている。
 ツーッと携帯が鳴り始めた。辺田からの電話はいつの間にか切れていた。今回もうかうかと相手をしてしまった。唐突に一方的に電話してきて、言いたいことだけ言うと一方的に切る。あの辺田という男はいったい何様なのだ。通話終わりのボタンをさがしてまごまごしていると、シャキンという音がして、いきなり自動的に携帯が折りたたまれて小さくなった。この携帯もどことなく辺田に似ているようだ。
 「馬子ちゃん、携帯をありがとう。」
 耕下は出遅れた思いで近づき、馬子に携帯を差し出した。
 「いや失礼、事件に関係あることではあるんですが、長電話してしまって」
 いくらかバツが悪そうに河北に言い訳めかして言う。
 馬子は、耕下などいてもいなくても気にするほどのことではないといったようすで、うるさそうに携帯を受け取ると、
 「河北警部補は、日本刀による犯行だとお考えのようです。この状況ではそれが有力な手がかりになる可能性があるとのお話です。」
 と、早くも河北に心酔しているような調子で言った。確かに河北の好男子ぶりに心酔しているのだろう。
 「それで、刀剣の専門家の方に来ていただいているんだそうです。」
 なるほど、河北は気のつく警部補ではある。
 「宮本さん」
 河北の声に、背を向けていた人物が振り返った。
 河北と同じような長いコートを着て、ひときわ寒さを感じるとでもいうように身を硬くしている。余裕のある顔立ちから警察関係者でないことは一目でわかる。丸々とはげあがった頭の両わきにわずかに灰色の髪が残っている。かなりの年輩と思えるが、ぴんと伸ばされた背筋はかくしゃくとした、機敏な印象を与えている。
 「地区抜刀道連盟の首席師範・宮元さんです。」
 河北の紹介とともに、丸い頭が耕下に向かって軽く下げられた。しかしその眉間にはしわがより、顔色がいくぶん青ざめている。
 「いや、殺人現場というのは初めてでして…。なかなか凄惨なものですね」
 死体をじっくり検分させられたらしい。
 「宮元さんのお考えを聞かせて下さい」
 河北にうながされ、宮元はうむと気をとりなおしたように顔を上げると、
 「日本刀とみてまちがいないでしょう」
 と、河北、馬子、耕下をかわるがわる見ながら、愉快でなさそうに言い切った。
 「切り口から見て、江戸中期の薩摩のものかもかもしれない」
 「そんなことまでわかるんですか」
 耕下が思わず言った。
 「単なる推測ですがね…薩摩の刀は重い、あれほど鮮やかに斬るには、それなりの重量がいります。一太刀でやるには重さもあり、幅もある薩摩の刀が最適です。」
 「では斬った犯人はどんな奴と推測されますか?」
 「もちろん居合い、剣道の心得のある人物と考えられますが…」
 「剣道の心得なら私もいくらかあります、真剣を持ったことはありませんが。で、さらに推測すると?」
 耕下はつりこまれた。
 「真剣を使うのはご存知のように居合道です、むろん登録された真剣をね。…それより、この人物、犯人は、天性のものを感じさせます。最初の一太刀で胸から背中へ抜けている。つまり、肋骨を断ち、肺と心臓を断ち、胴を両断している。さらに二太刀目で首を完全に斬っている。どちらも一刀のもとです。私よりかなり上手だ。
 首を断ち切るのは、相手が頑健な男であればなおのこと、刀が主役だった昔でも、容易なことではありませんでした、真ん中に脊柱骨という直径2、3センチの骨があるわけですから。たいていはナタをふるうように何度か叩いて叩き切るか、のこぎりのようにひいて切ったりしたものだそうです。一刀もとに切れるのは使い手のみです。
 しかも今回のこの人物には、ためらいも迷いも感じられない。一呼吸で適確に切っています。居合道で切るのは、据え物切りといって、丸めたワラの束です。私も何年も居合をやっているが、生き物を、まして人間など切ったりしたことは一度もない。江戸時代ではないのだからあたりまえです。しかし、切り口から見て、この犯人には熟練の腕を感じる…たいへんな使い手ですよ。」
 宮元は凄惨な殺人現場に脅えて青ざめていたのではない、犯人の腕前に畏怖していたのだ。宮元の解説に一同少しの間声を失っていた。日本刀の達人の殺人鬼…
 頭の中の犯人のイメージを振り切るように、耕下がきいた。
 「では、河北警部補は、まず手始めに、管轄内の居合道や剣道の関係者、刀剣の持ち主などを中心にあたっていく…?」
 「その前に、緊急に対策が必要なことがあります。ガイシャ・九頭真吾の親のことですよ。このまま黙っているはずがない」
 河北はため息まじりに答えた。

第十一章 局長の疑

  (二週間前)

 「…加害者であり、公判中でありながら、一転被害者になってしまった19歳の少年。その少年を有力な後継者とみなしていたと思われる、少年の親が組長をつとめる暴力団は、現在のところ沈黙を守り、私どもの取材にも一切応じていません。
 この暴力団は、このところ急速に勢力を拡大してきた新興のグループで、その躍進の過程で、さまざまなトラブルを起こしてきたと言われているだけに、敵対する勢力による犯行だと指摘する声もあります。そうだとすると、暴力団同士の大掛かりな抗争に発展するおそれもありますが、警察は、手口や犯行声明が酷似していることから、前の事例と同じ犯人による犯行だとの見方を強めており…」
 ここで急に電波状態が悪くなった。
 運転手はチャンネルボタンを押して、電波をのがすまいとする。このニュースを聞きたいらしい。どうにか音量を持ち直した。
 「…幕末、江戸時代の末期には暗殺が横行しました。各藩、各地にさまざまな思想集団、武力集団が形成され、その中の過激派は天誅と称しては、反対派に対する武力攻撃をしかけた。
 しかし現代と幕末を同一視するのは、飛躍しすぎです。幕末は幕府が統治能力を失い、時代の流れについていけなくなった。時代の変わり目で、国民の多くが、それを肌で感じることができた、カオスの時代でした。
 多くの若者は次の時代の国の行く末を真剣に考え、熱意と志にあふれていました。むろんそうでない者もいましたが。過激な暴力はその熱意の発露のひとつの形とみることもできます。
 今は、閉塞こそしているが、混沌の時代ではない。いまの若者は、平和でそこそこ平等に育まれたために、不足というものを実感したことがない。何があっても、政治や国家、体制というものに関心を向けることすら、少なくなっている。これはこれで、問題もあるのですが、そんな現代に、天誅などといって、容疑者をリンチにあわせても、これまた単なる犯罪でしかなく、天誅・幕末などと犯人がインターネット上で表現するのは、犯人の自己顕示欲に他ならないでしょう。
 この事件に影響を受けて誘発されたという、二、三の事件、名前をかたった脅迫、イタズラなどは、この種の事件にからんで必ず登場する、姑息な便乗犯による仕業に違いありません…。
 評論家の西川さんでした…」
 ここでまた音量が下がる。
 運転手は再びチャンネルボタンにさわり、電波をつかまえようとしているらしい。
 局長はうるさいニュースにいらいらしてきた。聞きたくもない話が勝手に耳から入ってくるのは不快だった。
 誰もかれもが、この自分を不快にさせまいと日ごろから気を使うのが当然のことなのに、たまに、自分の正体を(この私の価値というものを)知らない(知ったところで理解できまいが)輩が動かす、タクシーなどというやくざな乗り物に乗るとこのザマだ。江戸時代であれば家老クラスの、町民が顔さえおがめないような天上人の自分が、雲助がかつぐ籠もどきのタクシーに乗るとは、いまいましいかぎりの平成の御世だが、家老もお忍びのときはあるいはやむをえず雲助の籠に乗っていたかもしれない。
 運転手の努力のかいあってか、たちまち音量は回復した。
 「…当局をあざ笑うかのように不敵な声明文を発表する犯人の手がかりは、いまのところつかめていないもようです。社会を騒がせるのが目的の愉快犯か、猟奇的犯罪に執着する変質者か、正義を気どる狂信者か、いずれにせよ…」
 「ラジオを消してくれないか」
 局長は運転手の後頭部に向かって命じた。
 不愉快なニュースだった。ワイドショーネタの三面記事など聞きたい気分ではなかった。
 運転手は返事もせずにラジオを消した。つまり客に向かってお愛想のひとつもない。
こいつの態度もまた不愉快だ。
 今の局長に不愉快のネタは尽きることがない。ただでさえ不愉快なのに、不愉快なニュースや不愉快な運転手が不愉快を上乗せしてくる。さっき不愉快な記者を振り切ったばかりというのに、だ。人目もはばからず、つけまわされ、張込まれることほど不愉快なことはない。あんなダニのような記者が堂々と昼日中歩きまわれるというのが、民主国家の大きな欠点だ。独裁国家であれば、たちまち秘密警察のえじきになっているものを。
 国家的最高権力者に連なる自分が、こんな目にあっていいはずはない。いずれ、取材などというタカリを規制させる法案を党に本気で考えさせよう。
国家の最高権力者と同じ列に並ぶ、国を自在に左右することができる地位にいる~以前はこう考えることさえためらいがあった。とてもそんな資格はないと自覚していたからだ。
指導者の本質は能力よりも決断力や責任感のはずなのだが、自分にはそんなものは全くない。身に着けようと努力さえしなかった。むしろそんなものを避け続けるほうが地位にとどまる最良の方法だったのだ。
 この国は、中国で百年も前に廃止された「科挙」の制度が現在でも残っている世界で唯一の国だ。一回のペーパーテストさえ通れば、つまり記憶力さえよければ、国の指導的立場の席が用意され、とりたてて何もしなくてもまわりが勝手に動いてくれる。頼みもしないのに大店のボンボンの扱いをしてくれ、若殿なみのもてなしをしてくれる。創造性も決断も指導力も必要ない。ゆるぎないピラミッドシステムが完全にできあがっていた。権力が自動的に集中し、能力のいかんにかかわらず機構の歯車が自動的に回る。わが身の保身だけを考えているだけでもことはすむのだ。さらに、有力な先輩、前の局長の娘と結婚したことで、ライバルさえも出し抜くことができた。
 確かに以前は、自分の地位と能力のギャップにじくじたるものがあった。しかし、国が何年もこのシステムで動き(当初は効果を発揮した優れたシステムだったのだろう)、国民がそれを認めているとわかったとき、後ろめたさは消え、逆に、持てる権力をあやつることに快感を覚えるようになった。議員などは御用聞きでしかない…
 それでも心のどこかには、これは虚構の歯車であり、危機に対応できる能力はないのだという思いが残っていて、ときおり頭をもたげる。近頃の官邸や長官の動きを見るにつけ、思わぬところから馬脚が…
 あの、一部の記者どもはここをマークしてきている。やはりこれは用心しなくては…あの記者があちこち探りを入れ、しかもどこかで張っているために、まりなに逢いにくくなった。じつのところまりなに逢えないのが一番こたえる。
 「東アジアを結ぶ不透明な線」「官邸内の不可解な思惑」「指標改その疑い」「これでは不況推進策」…経済面でのスキャンダルは、「政策の一環」「公にすると混乱を招く恐れのある国家機密」のよろいを着せて、どうにか切り抜けられるが、まりなのことがマスコミに知られると、一気に世間の、経済や政治に興味のない大衆どもの耳目を集めてしまい、ほかの事まで、まだ局長さえ知らないほかの事まで明るみに引きずり出されてくる恐れがあった。
 以前なら黒塗りのセンチュリーをまりなのマンションに堂々と客船よろしく横付けしていたのに、みすぼらしいタクシーでこそこそと行かねばならないというのが、なんともいまいましかった。しかし手段はどうあれ、まりなに逢えると思うと胸が躍る。まりなのことを考えるだけで、ついえていた精力がよみがえってくる気がした。若者のように下半身が熱くなる。まりなはすべてがうまかった。自分から見れば孫のような若さで、まるで世間知らずのようなあどけなさなのに、技術は熟達したプロを思わせる水準だった。そのあとすぐに、続けざまに二度三度、四度とできるようにと、特異なマッサージをしてくれ、たちまち回復させてくれる。
 「足よ、局長。足の裏にカラダ全部の急所があるの。足を責められたらイチコロよ。こうやって、ここを押すと…」
 「おお、痛いよ、マリ、痛い…」
 「でもほら、また元気になってきた」
 まりなをよろこばせようと、今回は,新作だというヴィトンも用意した。
 マンションが見えてきた。
 今日こそ一週間ぶりにまりなの濃い吐息にひたろう。豪華な愛人は古来より権力者にのみ許される特権だ。選ばれた一部の階級のみが甘受できる当然のボーナスなのだ。
 タクシーは中世の城のような堅牢なマンション(むろんまりなに買ってやったものだ)の正面まできた。身体全体がまりなの上にのしかかる準備の体勢に入る。
 と、マンションは逃げるように横へ飛びのき、そのままぐんぐん後方へと遠ざかっていった。
 「君、どこへ行くんだ、あのマンションでいいんだ、道を間違えてるぞ」
 局長はあわてて運転手に言った。が、にぶい運転手はなかなか止めようとしない。
 「すぐ引き返せ、いや、いい、ここで止めろ、降りて歩いていく、もういい、止めるんだ!」
 運転手の帽子が乗ったブロンズ色と金色に染められた後頭部になかば叫びかけたが、運転手は振り返ろうとさえしない。
 「おい、君!聞こえないのか!」
 局長は運転席に身を乗り出しかげんに叫んだが、それと同時にタクシーはいきなりスピードをあげ、はずみで局長は後部座席に押し戻された。
 怒り狂い、もう一度ちんぴら運転手を怒鳴りつけようと身を乗り出したとき、ルームミラーに目がいった。
 ルームミラーからは底知れなく黒いサングラスが局長を見ていた。

第十二章 竜の怒

 三台の黒い大型RV車が真夜中の道を一列になって走っていた。猛スピードで走りながら車間距離を広げることも狭めることもなく、鎖のようにつながっていく。
三台ともコピーしたように同じ外見だった。タイヤがとほうもなく大きいため、車高がやたらと高い、ピカピカに磨かれたボディはどこか怪物じみて、戦車を思わせた。それが公道の真ん中を、自分の道でもあるかのように進んでいく。
 市街地に入ってもいっこうにスピードをゆるめない。
 深夜で交通量が少なく、白バイの姿も見えないとはいえ、この無頼ぶりは並大抵のことではない。対向車や先行している車は怖れてたちまち道をあけた。
 三台は当然のことのように赤信号も無視し、あやうく衝突をまぬがれてけたたましくクラクションを鳴らす軽自動車など目のすみにとらえることすらなく、ひたすら疾走する。
 夜の街路を我がもの顔に走っていたもうひとつの集団、耳障りな警笛をかき鳴らし、それぞれが二人乗りをして、奇声をあげながら蛇行運転を繰り返していたオートバイの、小規模の暴走族の一団が、いち早く、この、縄張りに侵入してきたライバルをみとめ、ことあれかしと、三台のRV車のまわりに群がってきた。
 RVの列を横や前方、後方から取り囲むように、同じようにスピードをあげて、奇声を発しながら、腕や、持った暴走族の代紋のつもりの旗をさかんに振り回して、止まれと合図をする。
 先頭のRVがスピードを落とすかわりに、サイドのウインドウをすーっと下げ、運転している者の姿が、暴走族の軽率な連中によく見えるようにした。助手席のほうも同じようにウインドウを下げ、中にいる者の姿をあらわにし、しかもその人物がにらみつけているということをわからせる。
 と、暴走族たちはたちまち反転したり、車線を変えたりしながらちりぢりにRV車のまわりから消え去った。それは一匹のサメに脅えたアジの群れが算を乱して逃げていくさまを思わせた。

 大通りを離れ、住宅地にさしかかってくると、三台のRV車はようやくスピードを落とし、それにあわせて爆音のようなエンジン音も低くなっていった。住宅地の奥へ進むにつれ、せまくなっていく道幅にあわせてさらにスピードを落としていく。小さな住宅が建て込んできた.
 ある角を曲がったところで、三台ともいっせいにライトを消し、忍び足のようなのろのろ運転になった。明日を信じて熟睡している羊の群れのような巷の人々の安らぎを妨げまいと気を使ってのことではない。秘密めかした目的があってのことだ。明かりを消した巨大な黒い車の列が、闇にまぎれて静かに進むさまは、どこか獣じみた危険さをおびていた。
 区画のはずれ、家の正面と片側を道路に囲まれた、なんのへんてつもない小さな住宅の前まできたとき、三台の車は、音もなく、かすかなブレーキ音さえなく止まった。
 確認するような一瞬の間があったのち、にぶい、ごく低いドアをあける音とともに、三台の車からあわせて十数の影がばらばらと躍り出、音もなく家の前庭に入っていった。手にはそれぞれ、長さのまちまちな棒のようなものを持っている。
 暗闇に踊る幽鬼のような影の中で、ひときわ大きい、樽を思わせる肥満した人影が、手を上げて合図をすると、四、五人が別集団となって分かれ、家の側面にあつらえられた小さな花壇を踏みつぶしながら、裏口へと向かった。残った正面入り口集団の、合図をした大柄な影のそばにいた付属品のような小さい影が、入り口のドアにかがみこみ、ポケットから針金のようなものを出すと、鍵穴をうかがう。
 大柄の影が左手に持っていたタバコの箱大のものが鳴り、
 「総長、裏口です。ガラスに穴をあけて鍵をあけました。」
 と、押し殺した電波に乗った声が聞こえてきた。大柄な影はさらに押し殺した声で、
 「よし、こっちをあけたら、合図するから同時に踏み込むんだ。どうせ寝込んでいると思うが、二人とも逃がすんじゃないぞ。いいか、殺すなよ、はかせるのが目的だからな」
 と命じた。
 鍵穴にかがんでいた男はやおら立ち上がった。
 「なんだ、どうも変だと思った、総長、鍵はかかっていません、あいてます。」
 「開いているだと、やはりジジイとババアだな、ボケてやがる。よし、お前とお前はここに残って外を見張れ、入るぞ、さっさとしめあげよう」
 総長にうながされ、その付属品のような小男がドアをあけようとノブに手を伸ばしたとき、バッと音がして、あたり一面に白い光が満ち満ちた。
 ネガからポジへの180度の転換に、そこにいた全員の目がくらんだ。
総長のまわりに衛兵のようにいた子分どもは、ミサイルか核弾頭でも炸裂したかと、その場に凍りつく。
 はじめは組長、そしてさきごろ会長から総長へと呼び名を変えたばかりの、ひときわ光をよく受けていた大男は、両手を目の前にかざして、どうにか光をさえぎろうとしながら、
 「なんだ、こいつはいったい何だ!?」
 と、鋭い光のおけげで口をきくのも容易でないといった調子で言った。
 水中からいきなり陸に投げ出された深海魚さながらに、全員がおろおろするだけのぶざまな姿なのは、裏口に待機していた別班の侵入者たちも同じだった。
白い光は、いままさに住宅になだれ込もうとしていた屈強な男たちの姿を、ステージ上の歌手のように鮮やかに浮き上がらせていた。
 正面入り口の中央にいた、一番大柄な、樽のような体型の総長は、黒い上下の戦闘服のようなものを着込んで、太りすぎて動きが散漫になった忍者のようなありさまだった。その配下らしいまわりの男たちは、総長と同じような黒の上下に、何人かの迷彩服と、格好は勇ましいが、迷子のイタチのようにまごまごしている。全員が手に手にバールかレンチのような金属の棒を持っていたが、いまは全員がその武器を顔の前にかざし、背をかがめぎみにして、光を防ごうとしている。
 「そこまでだ、九頭竜太!」
 かん高い声が神の声のように重々しく高圧的にスピーカーから響いてきた。
 「それ以上やると、住居不法侵入の現行犯だぞ。」
 侵入者たち、いや侵入を図っていた者たちは囲まれていた。
 住居の入り口正面の道には誰も、車の一台もいなかったはずだ。いましも彼らのRV車三台以外は姿が見えない。しかし、その道と交差する道には住宅の側面に隠れるように、そして、向かい側の住宅の側面にも、さらに裏口に通じる道にも、警察車両がひしめいていた。パトカー、機動隊の装甲車、そしてカタツムリのように大型ライトをしょった二台のサーチライト車が、油断なく九頭竜太の一味を取り巻いていたのだ。
 「お前は誰だ?!」
 黒いワイン樽のような戦闘服の上に乗った小さな頭~豚とネズミの遺伝子を操作して作り上げたような顔~が牙をむき出してうめいた。
 その形相に臆することもなく、スピーカーの声は朗々と語ってきた。
 「呂洲署の警部補、河北だ。おまえが真っ先にここへ来るだろうとは予想していた。ムダ足だったな、ここにはもう夫婦はいない。我々が別なところへ移した。」
 「何だと!何のつもりだ!」
 九頭竜太はかざした右手ごしにライトをにらみつける。
 「言うまでもない、お前たちから守るためさ。」
 「守るだと!なぜ守る必要がある!俺たちはただ話だ聞きたかっただけだ。教えてもらいたかっただけだ。」
 「話を聞くにしちゃ、ご大層じゃないか。夜の夜中に大勢やってきて、しかも手に持っているのは何だ」
 「真吾をやったのはここの奴らに決まってる、だから詳しい話をしてもらおうと思ってな。こいつは穏やかに話をしてもらうための道具だ。たいていの人間はこいつを見ると、逆らわないで、平和的に話してくれる」
 「ここのご夫婦はヤクザとは何の関係もないカタギの人間だ。第一、お前の息子の真吾に大切な息子を殺されて、まだ悲しみの中にいる最中なんだぞ」
 「だからよ!それをうらんで、ヒットマンを雇って、真吾に手を下したにちげえねえ!そのうえ、そのうえだ、あいつの身体を、首を、国じゅうのさらしものにしやがって!許せねえ、絶対許せねえ!何倍にもして返してやる!
殺してくださいと言うまで全身の骨をコナゴナに折ってやる!」
 竜太はたちまちいきり立って本音をあらわにした。
 「勝手な思い込みはやめろ。親なら、息子をなくしたという事実の痛みはわかったろう。今のお前と同じだ。察したらどうなんだ。」
 「うらみもよくわかるぜ、かばいだてしやがるお前らも同罪だ。真吾を殺した奴の仲間だ!」
 竜太は持っていたレンチで河北の声のほうを指すと、
 「くそやろう!」
 とレンチをライトに向かって投げつけた。
 レンチはライトまでは届かず、カランと音をたててアスファルトの上にころがった。
 竜太の挑発にも河北はいよいよ冷静だ。
 「口のきき方に気をつけたほうがいいな。威力業務妨害と警官侮辱罪も加わるぞ。このまま九頭竜一家全員で署まで遠足といくか?」
 ライトごしに人垣が現れ、それが竜太たちにじわじわ迫りはじめた。
機動隊員が戦闘態勢に入ったのだ。
 「このまま引き揚げろ。ここの夫婦は関係ない。」
 河北が最後通牒をつきつけるように宣告した。
 「だったら、どこのどいつが犯人なんだ?!」
 かん高い尊大な河北の声に変わって、すこし落ち着いた声がぼそぼそとスピーカーから流れてきた。
 「舞網署の耕下警部補だ。九頭真吾殺害犯は、前の、幼児殺害犯を殺した犯人と同一とみて、天誅団と名乗る犯人を捜査中だ。我々にまかせて、捜査の進展を見守ってもらいたい。」
 「見守るだと!お前らがそんなに悠長に構えてやがるから、俺たちが出張らなきゃならないんだろうが!」
 九頭竜太の白熱した興奮は冷めつつあった。耕下の間のびした言い方に気勢をそがれたたこともある。ここはお巡りに先手を打たれて一本とられてしまった。どうあがいてもムダだった。
ここは引き下がるしか手はない。ここでお巡りとことを起こしても真吾の敵討ちにはつながらない。「引き揚げだ、今日のところは引き揚げる」
 ついに竜太はライトを見据えたまま誰にともなく言った。
 気勢をそがれ、強力なライトに釘付けにされて、なすすべもなく立ちすくんでいた、九頭竜会の組員、武闘メンバーたちはいささかほっとして、しかし威厳を保とうと肩をいからせたまま、黙々と撤退の準備にかかった。
 子分たちがおとなしくRV車に分乗したあとでも、九頭竜太はひとり白色光の中に、ソロ歌手のように突っ立っていたが、やがてライトの後方の河北や耕下のいる方をきっと見すえ、まぶしさに顔をしかめることもなく、かっと目を見開き、きっぱりと宣言した。
 「真吾を殺した奴は必ず俺が見つける。そいつもそいつの仲間もみんな見つけ出して、しっかりしめしをつける。九頭竜会が総力をあげる。全員でいく。たとえ一人になっても、全滅しても、やりとげる」

第十三章 反逆の徒

 足よ、局長。足の裏には身体全部の急所があるの。足を責められたらイチコロよ。
 そのとおりだった。足を責められて、自分でも以外なほど簡単に参ってしまった。
 もちろん知っていることに限られたが、ベッドの上でまりなに話でもするようにやすやすと話してしまったのだ。
 
 道がまちがっているぞ、止めろと、身を乗り出して運転手に注意した瞬間、顔に衝撃を感じると、後部座席に吹っ飛んで、何もわからなくなった。アゴにいきなりパンチをくらったらしい。
 身体をゆすられてむりやり気づかされたとき、まだアゴが痛かった。
思わずアゴをさすろうとしたが、手が動かない。
 イスに~わりと頑丈なイスに両手を後ろ手に縛られ、座らせられていた。
 いまいる場所に見覚えはないが、タクシーの中でも、マンションのまりなの部屋でもないことは確かだ。暗闇だが、倉庫ののようなガランとした奥行きが感じられる。明かりは、彼のいるところに近い壁の上の方にある小さな窓の、破れたガラスの間からさしこむわずかな光線のみ。
 自分の境遇に気づき、はじめて恐怖を感じた。議員や大臣、財界のお歴々が部下を引き連れ、親しそうに、あるいは畏敬を感じているそぶりでやってくる自分のオフィスとはあきらかに違う。富裕な商店の息子だった昔から今に至るまで、経験したことのない冷たさと、殺風景さと、孤独感。ホコリとカビの臭い。自分の地位では予想だにしたこともなかった牢獄のような空間に置き去りにされ、縛られているというだけで、震えるほど不安になった。
 目が少し暗がりに慣れてきて、ここは使われていない倉庫か廃屋らしいということがわかってきたが、同時に目の前に四本の脚、二人の人間が立っているということに、あらためて気づいて、思わずうっと声をあげた。二人はずっと彼を見つづけていたのだ。
 上方からさしこむ光はスポットライトのように、イスに縛りつけられている局長を照らし、前の二人の人物は、膝から下だけがスポットライトの中に突き出ている。二人とも膝から上はシルエットだった。一人は黒いスラックスに黒い靴、もう一人はジーンズにスニーカーだった。
 「気がついたらしいな」
 声にぎくりとなった。前にいるどちらかが話している。男の声だ。
 「さっさと帰りたいだろう」
 局長に向かって話しているのだ。
 「帰りたいだろう、可愛い愛人のところへ」
 声に抑揚がなく、感情もない。落ち着きはらったロボットのようなしゃべり。
 「だったら話してもらおうか」
 相手の自分を見下した言い方に反射的に腹が立ってきた。彼を見下せる人間など国内に存在しないはずだ。最高権力者でさえ彼には気を使うのだ。世の仕組みを知らないならず者め。
 「君たちはいったい誰だ、何のためにこんなことをする、私は誰からも仕打ちを受ける覚えはない、すぐにこれをほどけ!」
 不安や声の震えをさとられまいと、必死になって言った。
 「これは拉致だ、誘拐だ、何のためだ!こんなことをしてただですむと思っているのか、私が誰だか知っているのか、君たちがしていることは大罪だぞ!」
 自分に原因はなくとも、何か事件に巻き込まれれば、それだけでエリートにとってはとてつもないマイナス要因となる。まっさらだった自分にマイナスポイントをつけてくれたこの二人にただならぬ怒りを感じ、なおかつ自分の言葉が、得体の知れない二人を逆上させはしまいかとハラハラしながら、尊大さをよそおって言った。
 しかし相手方は局長の抗議を、たたき売りの聞き慣れた口上をあしらうように聞き流して、落ち着いて続けた。
 「聞いているのはこっちだぜ、答えてもらいたいね」
 話しているのは黒ズボンのほうだ。
 「だから何のことだ、何を言ってるんだ!」
 相手の男はすこし間をおいて、効果をおしはかるように、局長がぎくりとすることをさりげなく言い出した。
 「週刊誌の記事が事実だということは知っている。知りたいのは誰がからんでいるかということだ。お前さんと何人かの部下だけじゃあるまい。どこまでつながっているのかを知りたい。」
 局長の背中を冷や汗が流れた。事態は自分が思っているよりも切迫しているのかもしれない。
「何のことだかわからないな、週刊誌って何だ、何を言っているんだ」
 相手は局長をより不安にさせるように話をはじめようとしない。たまらず局長は言った。
 「そうか、あのゴロツキ記者が書いたデッチ上げ記事のことか、あれこそ言いがかりだ、まったくの嘘八百だ!」
 相手は局長の返事をすっかり予想してでもいたかのように平然としている。
 「そうか、わかったぞ、お前たちはあのヤクザ記者の仲間だな、どこか田舎の右翼の政治ゴロなんだな、私を脅してゆすりのネタでも聞き出そうとしているんだろう、おあいにくだな、話すことは何もない、私をなめるんじゃない、私にしゃべらせたいならもっと大物を連れてきてもらいたいね、チンピラに話すことはない。そうとも、誰がお前たちのような下っぱに。もう口はきかん、一言もしゃべらんぞ!」
 しゃべっているうちに自分の言葉に勇気づけられ、得体の知れない誘拐犯にむかって開き直った。
 「いや、お前さんはしゃべるさ、喜んでしゃべるとも」
 黒ズボンは局長の反発にいらだつでもなく、同じ調子で平然と答えると、一歩下がってスポットライトの外に出た。
 変わってジーンズのほうが前に出、局長の右足の上にかがみこんで何かしはじめた。
 局長はこのとき、左足で思い切り蹴飛ばしてやればよかったと、あとで思った。そうすれば、あるいはひどい目にあわずにすみ、あるいは逃げられていたかもしれない。このときがチャンスだったのだ。(のちにもう一度同じチャンスがめぐってきたときはのがさなかったが)
 ジーンズのほうも男だった。体つきから若い男らしい。
顔が局長の右足の上におおいかぶさっているので、人相や表情は読みとれない。
明かりの中に浮かぶ茶色に染められた後頭部がやけに印象的だった。
 この後頭部には見覚えがあった。
 「君はタクシーの運転手だな…」
 と言ったとき、右足が急に寒くなり、足の裏がひやりと冷たいものを踏んだ。それは、あちこち破れてところどころ下のコンクリートがむき出しになっているリノリウムの床だった。局長は靴と靴下を脱がされていたのだ。さらに右足が冷たくなり、局長はうっと声をあげた。裸の右足全体に今度は水をかけられたのだ。いや、水ではない、この鼻をつくつんとくるにおいは…アルコールだった。
 「何をする気だ」
 と聞き返す間もなく、右足にチクリと別な冷たさのものが触れ、同時に茶髪がその右手を上に振り上げたようだった。と、一瞬のうちに振り上げた右手を局長の足にむかって振り下ろす。
 カーンという音がして、局長の右足にすさまじいい衝撃が走った。
 「ぐわああああ」
 反射的に意図せぬ悲鳴が局長の口からわきあがる。
 茶髪は再び右手を振り上げ、振り下ろす。
 カーン!
 脳天を突き抜けるような、ものすごい痛み。局長の全身が弓なりにしなる。
 「おおおおおお」
 悲痛な悲鳴にもおかまいなく、茶髪はなおも右手を振り上げ、持ったハンマーで局長の右足を打ちすえるのをやめようとしない。
 カーン!
 飛び上がるほどの痛みだったが、局長は飛び上がれなかった。右足が床にすいついていたためだ。
 右足の甲のほぼ中央に黒い点が見えていた。茶髪のハンマーはこの点を打ちすえていたのだ。いましも点のまわりには赤黒い血がふき出し、それが、打ちすえられるたびにあたりに飛び散る。茶髪は五寸釘で局長の右足を床に打ちつけていたのだ。
 四度打ちすえ、右足が床を離れなくなったとき、茶髪はハンマーを振り下ろすのをやめた。
 足が張り裂けそうな痛みが全身をかけめぐる。脂汗が滝のように流れ出し、全身がガタガタと震える。
 「痛い、痛い…なんて…なんてことをする…」
 局長は蚊のなくような弱々しい声でうめいた。両目から涙があふれ、鼻水が、だらしなくあいた口から出るよだれとまじりあった。思いもかけぬ事態で受けたショックと、経験したことのない痛み、それに虐待される屈辱もまじって、局長は子供のように泣いていた。
 「あんたがキリスト教の信者なら、あるいは主と同じ痛みを分かち合えたことに感謝するかもしれないが、実際の身の痛みとは耐え難いものだろう。どうだ、話す気になったか?」
 痛みで朦朧となった意識の中に、黒ズボンの声が響いてきた。
 「なんなら、さらにキリストに近づけてやろうか」
 その恐ろしい意味を理解して、局長はどうにか首を横に振ることができた。
 「いや、この人は話しますよ、もう十分でしょう、早いとこ手当てをしましょう」
 はじめて聞く茶髪の若者らしい声だった。
局長を痛めつけた本人のくせに、なぜか同情的で申し訳なさそうに聞こえた。
一人が脅し、一人がなだめる、ヤクザがよく使う手だとわかっていたが、今の局長にはそんなことはどうでもよかった。痛みで頭がおかしくなりそうだったのだ。
 茶髪はヤットコのようなものを取り出し、それで血まみれの釘の頭をつかむと、局長の右足をつらぬいて、床のリノリウムを突き抜け、コンクリートに刺さっていた五寸釘をすばやく引く抜いた。これもまた痛い。局長は再び短い悲鳴をあげた。茶髪はムダのない動作で再び消毒液らしい液体をふりかけ、ガーゼと包帯で簡単な血止めらしい手当てをしたのち、
 「化膿止めと感染症止め、痛み止め」
 と言って、慣れた手つきで局長の腕に二本の注射をした。
 痛みがしびれに変わって、しだいに右足の感覚がなくなっていったとき、おもむろに黒ズボンがうながし、局長は話しはじめた。だいたい黒ズボンの推測したとおりだと。
 どこまでかかわっているんだ?
 私以下、局内の直属の部下二人。彼らはみんな口が堅いし、真相が明るみに出ると、ただならぬ騒ぎになることを自覚している。
 あんたの上はどうだ?
 事務次官とそれに…ことは我々の独断によることではない。じつは長官から直々に内々の指示があって続けていたことだ。例の金融ビッグバンが失敗に帰することが確実となったころから。
 長官より上はどこまでからんでいる?
 長官より上のことは私は知らない。知らないほうが万一のときにも都合がいいだろうと思っていたので、知ろうとしなかった。だが…たぶん一番上までつながっているだろう。党の一部には以前から、今は緊急時、国のため、と称して、このようなやり方をとることをとなえている者がいた。
 うながされるまま抜け殻のようになって答えていた局長は、受けた衝撃が痛みとともに薄れていくにつれて、思考も正常にもどり、しだいに腹が立ってきた。
 この見ず知らずのノラ犬のような連中は、こともあろうにこの私を脅かした。
絶大な権力をふるうことのできる私を、国の財政を左右する力を持つ私を、無法に監禁し、脅迫し、傷害を与えたのだ。これは国家に対する反逆に等しい。私のような地位にある者に対する、卑劣で残忍な暴力は、それだけで万死に値する。こいつらには、償いをさせなければならない。痛めつけられたとはいえ、極秘事項をもらした自分のうかつさより、こいつらの危険性のほうがはるかに問題なのだ。こいつらは、わずかな金のために秘密を悪用するだろう。白昼堂々要人を誘拐する大胆さ、凶暴さは並でない。
 この連中は知らなくてもいいことを知った。できるだけ早く口をふさがなくては。国のために。公安を使ってもいい。どんな手を使っても、どこから手を回しても、この二人の奸賊の息の根を止めなくてはならない。
そのためには、まずここから逃げ出すことだ。参ったふりをしてすきをうかがうのだ。

第十四章 民衆変質

 「天誅団を名乗る人物によるものと思われる最初の犯行は、こちらの舞網署の管轄内で行われました。
 舞網署が逮捕した連続幼児誘拐殺害犯が、現場検証中に連れ去られ、頭部を切断された遺体となって発見されたのです…では、ここでお知らせをご覧ください…」
 舞網署の正面の入り口は、いくつかのテレビ局のカメラマンやレポーターでそれなりの賑わいをみせていた。捜査がたいした進展を見せないので、番組の項目には入れてみたものの、絵柄に困ったワイドショー制作班やニュース班が、署の建物を背景にレポートしてお茶をにごそうとしているためだ。
 しかし、どのレポーターもアナウンサーも、メモを見たり、ディレクターの言いつけを聞いたり、自分の話すコメントや髪型のカメラうつりをチェックするのに夢中で、彼らのわきをすり抜けて、正面入り口から出てきた、下っ端警官だか、交通違反の調書をとられにきたそこつ者コンビか、取材を断られて追い出された新聞記者だかわからない一組の男女に注意をはらうものはいなかった。
 「世間一般の高い関心にもかかわらず、捜査のほうは現在目立った進展を見せていないもようです。捜査本部の置かれています、ここ舞網署では…」
 「捜査本部ねえ」
 レポーターのわざとらしいしゃべりを横目にして歩きながら、耕下が言った。
 「俺たち二人のことを言うんだろうな」
 「まもなく捜査一課と刑事課が私たちに合流するらしいという話ですよ。」
 馬子がめずらしく気負って言った。
 「私たちのこれまでの捜査が基本になるわけでしょうし、そうなると、私たちが捜査本部の中心になるかもしれませんね。」
 「おいしいところだけさらわれるってことになるかもしれないぜ」
 「そうならないように、できるだけ私たちが主導権を握るように、すこしでもめぼしをつけておきましょう。」
 何事につけ無機的で無感動な馬子にしては、かつてないほどのやる気だ。
むろん自己顕示欲が、仕事そのものへの熱意をはるかに凌駕しているのはまちがいない。
 「馬子ちゃんは向上心が旺盛なんだね。いいことだよ、向上心はすべての進歩の源だ。この調子だと、俺を追い越すのは意外に早いかもしれない。」
 「私もそう思います」
 馬子は周知の事実でも告げるように悪びれずに言う。もとより耕下など問題にもしていないといった口ぶりだ。いかにも若者らしく人様への気配りは微塵もない。大柄な馬子が、明るいパンツスーツを着ているだけのアンドロイドに見えてくる。しかし、このスタイルの良さならそれもまあいいだろう。
 「ですから、昇進試験の成績だけじゃなく、実績も欲しいんです。お年寄りの先輩たちにしめしがつきませんからね。この事件は関心が高まってきているからうってつけです。いま一番の注目株かもしれない」
 「どうしてそう言い切れるんだい?」
 「この事件が社会に与えている影響の大きさですよ。スポーツ新聞を隅々まで読んで、ワイドショーをじっくり見て下さい。あきらかに影響を受けていると思われる事件が、このところ頻発してますよ。」
 「たとえば?」
 「先日都内で起こった一件で、子供をひき逃げされた父親が、捕まったひき逃げ犯が尋問を受けている取調室に、出前を装って忍び込んで、天誅!と叫んでひき逃げ犯の若者の首の後ろから果物ナイフで斬りつけた」
 「そういえばそんな話を聞いたな、果物ナイフというところがご愛嬌だが。」
 「でも、ひき逃げ犯の若者は脊髄を傷つけられて、半身不随になるほどの重症を負いました。そしてもうひとつ、この前、関西の病院で起こったのが、医療事故で身内が死亡した遺族集団に、病院長が釈明中に、院長の態度に怒った遺族数人が、天罰を受けろと院長の首をつかんで壁に押し付けた事件。」
 「ホントのつるし上げだな。」
 「院長は衝撃で首の骨が折れて死亡しました。現在、過失致死で取調べ中です。さらにけさのニュースとして、ボーイフレンドとのつきあいを父親にたしなめられた高校生が、ボーフレンドをそそのかして、カミソリで父親を襲わせて殺そうとした東北の事件も聞きました。しかし父親に逆襲されて、お前たちのような悪い子供は天誅を受ける必要があると、二人とも父親にハサミで両耳を切り落とされたそうです。」
 「察するに、その父親の職業は床屋だな」
 「あたりです。これらは影響されて一般人が引き起こしたと思われる事件ですが、天誅団の名をかたったり、類似の、犯人を装った、あきらかにイタズラとわかる事件は数えきれないほど起こっています。あの、『仏の判官』で有名な判事も…」
 「無罪常習の無責任判事か」
 「あの判事にも、腰抜けのお前の首を飛ばしてやるというイタズラ電話や手紙があいついでよせられて、判事は公判中だというのに、身の危険を感じるのでしばらく姿を隠すとして、裁判をほったらかして行方不明になってしまったそうです。また、あのドリームチームといわれる弁護士グループにも、同じようないやがらせの電話やメールが送りつけられて、全員警察に保護を求めているそうです。」
 「なるほどちょっとしたブームかもしれんな」
 「笑い事じゃありません。天誅団を名乗る犯人のおかげで、ただでさえよくない世の中が、混乱に拍車がかかっています。新世紀になってだいぶたつというのに、いまだに世紀末の様相ですよ、これは。」
 「まあ、そうとばかりも言えんさ。見方を変えれば、少しはいい面もあるんじゃないか。君の話した前の二つの事件は、どれも被害に遭ったものが自分でカタをつけようとしている。悪党にやられて泣いてばかりいる普通の人たちが、自分のことは自分で始末をつけようと、考え直しはじめてきているんじゃないかな。人に頼ってばかりいられないとね。自分の責任を自覚するのはいいことさ。」
 「おかげで事件が倍に増えるんじゃ、私たちはたまったもんじゃありません。このままほうっておくと、仇打ちの江戸時代に逆戻りですよ。つまるところは、警察は何をしているんだと非難が集中する。いずれにせよ、早くあの犯人を検挙しないと、社会の混乱の責任をすべて警察が負わされます。」
 意気ごみが現れているのか、耕下の気のない態度にいらだっているのか、めずらしく馬子は多弁だった。
 「江戸時代ねえ、平成幕末ってわけか」
 「犯人が二度にわたって使っている、その独特な用語から、何か手がかりがつかめないものでしょうか」
 「パフォーマンス好きな時代劇マニアだってこと以外にかい?」
 「日本史は弱いんですが、幕末や天誅という言葉とリンクするものはありませんか?」
 「俺だってそんなに歴史には詳しくはないが、天誅という言葉が流行したのは幕末だということぐらいは知ってるよ。当時は天誅の名のもとに暗殺が横行した。侍の時代だから、もちろん剣~日本刀による暗殺だ。プロの域に達した人斬りまでが登場し、要人に対するテロを行う。テロをテロで弾圧する公認のテロ部隊、新撰組や見廻組まで登場した時代だ。
 だがこのとき、人斬りたちが天誅をとなえて行ったことと、俺たちが相手にしている犯人の天誅団とは、やっていることが本質的に違う。
 幕末の人斬りたちが行ったのは、ほとんどが、政敵とみなした者に対するテロ行為~つまり政局がらみの話だ。だが、天誅団を名乗る犯人が今やっていることは、市井の犯罪者に対するリンチでしかない。」
 「なぜ、天誅団という名前を使うんでしょう?」
 「神様になったつもりで、悪人に天罰を与えているつもりなのか、だとすると、いよいよ狂信者か変質者のセンが濃くなるよね」
 「では、幕末との関連性でいくと?」
 「幕末とは、後になって、時代が変わってしまってから、使われるようになった言葉だ。当時を生きていた人々は、時代の末という自覚はなかったろうと思うよ。しかし、一種の世紀末感は抱いていたんじゃないかなと思う。制度が長く続きすぎ、腐って立ち行かなくなってしまっているのに、どうすることもできない、というところは一面現代と似ていなくもない。階級化や強力な中央集権体制もしかりだ。
 そして、世の中を変える原動力となるべき庶民は、努力を怠って、ええじゃないかと、安易に無気力や自嘲に逃げ込み続けるところも、そうだ。ま、しかし、どれも皮相的な一面でしかないけどね。」
 「現代を幕末に見立て、犯罪者を政敵に見立てて、犯人はテロを行っているつもりなんでしょうかね。となると、辺田捜査官の言っていることにつながっていきそうな…」
 「辺田捜査官は反社会的な行動が拡大していくのを警戒しているんだろう。天誅団のやることに、心の中で喝采を送る人もいるだろうからね。しかし、捜査官の推理は飛躍しすぎているよ。俺はやはり、自己顕示欲過多の変質者のセンで押したいところなんだが、それで、こうも手がかりがないとなあ…」
 「八方ふさがりですものね。唯一の手がかりかもしれない犯人の似顔絵も、通報の数のわりにさっぱりとは…」
 「サングラスにピアスで茶髪の若者といえば、世の若者全員だからな。甘く考えていたかもな…」
 「犯人が剣の達人というだけで、万事抜け目なさそうに思えてきますよね。河北さんたちはどうしているのかしら…」
 「彼もたいへんだ、九頭竜会の動きも警戒しなきゃならないからな」
 「で、これからどこへ?」
 「今度こそ本命さ。一番あやしい連中だ。」

第十五章 街路の襲

 局長は慎重に外の様子をうかがいながら、用心しいしいノブを回した。
 ノブはなめらかに回った。鍵はかかっていなかったのだ。
 ほかに仲間はいはしないかとおそるおそる戸を開けた。
 誰もいなかった。そこも同じようにガランとして、人の気配のない、ほこりだらけの広々とした部屋だった。それでも部屋全体がおぼろげに見渡せるのは、向かい側の壁の真ん中にあるドアのまわりのすき間から白々と光がもれてきているせいだった。
 右足をひきずりながら、あせって転んで大きな音をたてたりせぬように、気を配りながら、それでも自然と早足になりながら、部屋の中央を滑るように横切る。緊張で胸の音が太鼓のように高鳴って聞こえる。早足になると右足の痛みが少し大きくなる。
 どうにか対岸のドアにたどりつき、ノブを回した。
ノブは簡単に回った。これも鍵がかかっていない。奴らはあきらかに油断していた。逃げられまいとタカをくくっていたのだ。
 いかなる悪党にもつけいるスキというものはある。悪党が気の緩む一瞬のスキをねらうのだ。自身の油断が悪党にとってこそ命取りにつながる。ひよわな平和主義者~体力のない平安貴族に見える局長は、機転をきかせて、見事に凶暴な悪党を出し抜いてやったのだ。あれだけ痛めつければ何もできまい、するまいと黒ズボンは思ったにちがいない。インテリ階級や高位に安住する者は、現実の肉体的暴力に直面したときは女々しいだけだと。
 黒ズボンの油断に加えて、思ったとおり茶髪の若者は気がきかなかった。言いつけどおりやるだけの子分でしかなかったのだ。コンビニの店員同様、茶髪というやつは悪党中にあっても、局長にとって何より幸いだったことに、やはり間抜けでしかなかったのだ。
 一連の過酷な尋問の後で、イスに座ったまましばらくはぐったりとうなだれたままでいた。
黒ズボンは若者を残し、いなくなった。気配から外に出ていったらしい。局長と向かい合うように、どこからかイスを持ち出して座り、暗がりから局長を見張っていた若者は、しばらくして居眠りをはじめた。薄茶色いシルエットになっている頭の部分が、こくりこくりと下へうなだれはじめる。
 局長は眠ってはいなかった。若者が完全に眠りこけたと見定めたとき、
 「君、君、」
 と声をかけた。
 若者は浅い寝息をたてただけで、聞こえた様子はない。
 「おい、君っ!」
 局長は語気を強めた。
 寝入りばなを起こされた若者は、電流でも流されたようにびくっとなり、寝ぼけた様子であたりを見回してから、ようやく局長を見とめた。
 「君、トイレへいきたいんだが、こいつをほどいてくれないか」
 局長は縛られたままの両手をもそもそ動かした。
 若者はまだ寝ぼけた様子で、しばらく局長を見ているふうだったが、
 「トイレか…」
 と言ってイスから立ち上がると、指示でもあおぐようにあたりを見回した。
やがて黒ズボンがいないことに思いあたると、ようやく決心したように、
 「トイレだったら仕方がないな」
 と言って、局長の後ろにまわると、局長の両手のヒモをほどきはじめた。
いましめを解かれた局長は若者と同じくらい自由になった。
だが、ハンディがあるので慎重にふるまう。
 「トイレはどこにあるんだね?」
 イスから立ち上がろうとしたとき、思わず
 「うっ、痛たっ!」
 とうめいて再びイスに沈みこんでしまった。
 「大丈夫か?」
 若者が親切ごかしの声をかけた。
 「足が、足が痛くて…」
 局長は傷つけられた右足の、膝のあたりを両手でつかんで、さも痛そうに顔をゆがめる。
 「痛み止めが切れたか…、包帯を替えたほうがいいかもしれないな。どれ、傷を見てやるよ」
 若者はちょっとさがって、薬箱らしいものから包帯とガーゼを取り出すと、局長の足もとにかがみこんだ。見抜いたとおり、彼を痛めつけたこの若者は、人の言いつけだけを聞く、考えのない若者だった。自分の管理下にある、しかも自分より年上の老いぼれた人間が自分にはむかうことなど思ってもいない。
 局長は座ったまま左足で思い切り若者の顔を蹴り上げた。
 若者は勢いよくのけぞって、吹っ飛んだ。
 床にころがりながら、何が起こったかを悟って、それでもとにかく局長を取りおさえようと、這いつつ、局長の足をつかまえようと、右手をのばしてきた若者のアゴを、立ち上がった局長のいま一度の効果的な左足キックがとらえた。若者はうめき声も出さず完全にのびてしまった。
 
 ノブをつかんで静かにドアを押す。
かすかなきしみ音をあげながらドアはゆっくり開いた。
 強烈な光が目を射抜いた。しかしそれは今まで暗がりにいたために感じる強烈さで、実際にはそれほど強い光ではなかった。かなり離れたところに小さくにじんで見える街灯の光だった。
 うしろから音が聞こえたような気がして、ぎくりとなった。茶髪が息を吹き返したか。
 おそるおそる背後をうかがうが、暗闇の空間に動きはない。茶髪はのびたままなのだ。
 ほっと息をつくと、そっとドアから頭を出し、あたりをうかがった。
 そこは人一人がやっと通れるくらいの、壁とコンクリートに囲まれた狭い通路だった。
人はいない。通路の先にも、あの黒ズボンの男の姿は見えない。
 用心しいしい外へ出た。外気の寒さに思わず身震いする。外は薄暗かった。
ロレックスをすかして見ると、針は六時を回っている。明け方か。一晩閉じ込められていたことになるのか。
 寒さがしみる右足をひきずりながら、通路を歩き出した。ここはどうやら廃ビルの裏手らしい。
出口を離れるにつれ、あたりが少し明るくなり、どこか遠くの車の音らしいのも聞こえてきた。行き止まり先にほの見える明かりを目指して通路を曲がると、いきなり街灯が並ぶ広い通りに出た。
早朝のこの時間、ここには車も人通りも全くなく、別世界のように静まりかえっていたが、この通りには見覚えがあった。どこだろうといぶかしがるうち、通りのむこうにそびえるビルに目がいった。あれは…あれは、まりなのマンションでないか…。
 まちがいない確かにまりなのマンションだ。なんとこんな近いところにいたのか。
 ともかくも誰かに早く助けを求めなければ。まず医者に、右足を早くしっかり治療してくれと。いや、その前に警察に、自分は誘拐されたと。いや、その前に長官に知らせなければ、自分はやむを得ずしゃべってしまったと。そして早く手を打たねばと、知らせなければ。
 しかし、何よりも前に、とにかくまりなに会いたい…。
 局長は、はやる心をおさえて冷静になった。誰にも知られないに越したことはない。あるいはことはすべて秘密裏に行わなければならないかもしれないのだ。秘密裏にあの誘拐犯どもの始末をつけなければならないかも。この姿を誰にも見られないほうがいい。
 ともかくまりなの部屋まで行って、まりなに手当てをしてもらいながら考えをまとめよう。
幸いにまだ人も車もいない。見られる気づかいはない。右足をひきずりながらも滑るような早足でまりなのマンションへと向かった。まりなの部屋の暗証番号を思い出す。若いまりなはマネージャーと浮気さえしていなければ部屋にいるはずだ。
 マンションの五十メートルくらい前まで来たとき、ふいに前方に人影を見とめてはっとした。いましがたマンションから出てきたようにも、ずっとそこにいたようにも見える。人に見られるのはよくはないが、まあ一人ぐらいはしかたがないだろう。できるだけ関心をひかぬように、顔を伏せがちにしてすれ違おう。
 近づくにつれ、前方の人影が、男らしいことに気づいた。太った男ではないが、がっしりと背が
高い。影のように黒い、礼服のようなスーツに身を固め、あらぬ方向を見ている。
長髪ぎみの豊かな髪が波打っている。なぜか見覚えがあるような…
 局長はぎょっとした。それと同時に横を向いていた男は、薄暗がりの中でも、お互いの確認ができるようにとでも言いたげに、局長に向き直った。
 長身の男の、波打つ長髪は、影よりも色のサングラスにたれかかっている。サングラスの奥には鋭い目があり、局長を凝視していることだろう。直線的な鼻と薄い唇。金属的な顔だ。顔が明るいのは白いシャツが反射している反射しているためなのだろう。シャツは唯一浮き上がっているように明るい。まわりがひときわ黒いためだ。
 影の色のジャケットに、闇のような黒のスラックス…局長は思わず立ち止まった。
 この男はまさか、あの黒ズボンの男…
 少なくとも足もとは似ている。
 男は飲み友達でも相手にするような慣れたそぶりで、局長を見すえる。
 こいつだ…
 局長は我知らず一歩さがっていた。
 男は突然、右手を首の後ろにおいて、頭のうしろをかくようなしぐさをすると、その右手を垂直に立ててから、まっすぐ水平に横にのばした。そのときシュルンと低い金属的な音がした。
 男の、固く握ったこぶしの上に目がいったとき、局長は息を呑んだ。
 こぶしの上に細く長い金属が浮かんでいたのだ。
 それは昇りはじめた太陽を受けて、その細長い片方の側を白く光らせはじめる。
 研ぎすまされた日本刀だった。
 柄の部分はよく見えないが、この男は確かに右手に日本刀の抜き身を持っていいる。
 恐怖が局長の足もとからはいあがった。
 と、男は、右手のこぶしとその先にある刀を自分の顔の右側にもってきて、さらに左手でこぶしをつくり、右手の下のほうにおいた。バットを持つバッターの構え、八双の構えだ。
 この男は待ちかまえていた。そしてあの刀で自分に向かってこようとしている。奴らが使う武器は釘だけではなかったのだ。
 「おあああああ、わわわわわ」
 局長は取り乱し、恐怖にかられてだらしない叫び声をあげながら、後じさりすると、たちまち男に背を向けて一目散に逃げ出した。が、右足をひきずりながらなので、それほど早くは走れない。
 カカカカカカ…とすかさず後ろから追いすがる音に、振り返って見ると、あの男は、刀を構えたまま、獲物に迫るチータのように素早く追ってくるではないか。
 「ひええええええ」
 局長はかつて経験したことのない恐怖にかられ、しゃにむに走った。
 しかし背後の音は着実に近づいてくる。
 「誰か、だれか、だれか、助けてくれ…」
 人に見られたくないと思ってはいたが、もはやそれどころではない。
 彼の叫びが通じたように、つごうよく、はるか前方の路肩に小さなオレンジ色の車がちょこんと止まっているのが目に入った。
 しめた!これは助かるかもしれない。
 「だれか…」
 局長は前方の車に悲鳴で叫びかけた。
 必死のアピールのかいあってか、前の車は後方の動きに気づいたらしく、局長に答えるように
運転席のドアがあき、運転手が顔を出した。
 局長はすこし元気づけられ、
 「おーい、た、た、たのむ、助けてくれ…」
 とその若い男に叫んだ。
 男は異変に気づいたようでもあるが、ただ驚いているのか、じっとこっちを見つめている。
 かなり離れていても、その色白の顔と、黒いサングラスが鮮やかな対照をなしているのがわかる。もっと鮮やかなのは、金色のような茶色に染められた髪だった。
 局長は走っていきながら、不可解な思いにとらわれた。
 いま前方にいるこの男は、もしかしたらさっき私が蹴飛ばした茶髪の若者ではないか。
 思わずちゅうちょして、走る速度が一瞬にぶったそのすきに、横をすりぬけるように、刀を持った黒服が、だっと飛んで追い越したかと思うと、刀を構えたまま、着地するようにぴたりと止まった。
 局長は黒服から離れていなくてはまずいと思ったが、はずみがついているので簡単に走りは止められない。黒服の横を通り抜けて追い越してしまった。
 このとき、男は刀を振りおろした。
 刀は局長の肩から背中にかけて、けさがけに一閃した。
 あざやかな一太刀だった。
  鋭く重い鉄の刃は、局長の左の鎖骨を断ち切り、その下の肩甲骨を両断し、左の肺とそのまわりを取り囲んでいる八本の肋骨を一緒に、チーズケーキでもカットするように、真っ二つにした。局長は肩を強く叩かれたような気がしたが、痛みは感じなかった。追い越した以上はできるだけ男から遠ざかろうという思いで、走りを早めたつもりだった。しかし、どうも自分の走りがおかしい。思うようにスピードが出ない。足だけ動かしても体がついてこれない感じだった。
 やがて、身体の右半分は前に行くが、左半分は後ろへ下がりがちなのだということに気づいた。そして、ようやく自分の身体は二つに別れようとしていることに思い当たった。左腕を含む身体の左半分は、後ろへ下へと、むかれたバナナの皮のように垂れ下がろうとしていることがわかった局長は、恐怖と衝撃でくたくたとその場に倒れこんで、そのまま意識を失ってしまったため、局長をこんな目にあわせた黒服が乗り込んだ、あのオレンジ色の車が走り去るのを知ることはなかった。

第十六章 極右の影

 耕下は少なからず圧倒される思いだった。この一等地にこれほどのビルを持っている。
このビルは丸ごとこいつの持ち物なのだろうか。きっとそうだろう。
 さらに誇示するように、部屋全体が磨かれた重厚なマホガニー張りの壁だ。広い壁の中央に凝ったマホガニー材の装飾で縁どりされた大きな鏡もある。その上、部屋の主が肘をついている巨大な机も、コーヒーテーブルもマホガニー製だ。まるで英国の大臣執務室だった。
 耕下はさも珍しそうに、田舎者のように傍若無人に、コーヒーテーブルの上の重々しい大理石の箱のフタをとった。中には太い長い葉巻が何本も、さも当然のことのようにおさまっていた。
 「一本どうです、いや一本といわずいくら持っていってもいいよ。刑事さんの署のお友達にプレゼントにどうぞ。見たことはないでしょう、キューバ直送の最高級品だ。」
 井上は穏やかな、しかし好意はカケラも感じられない口調で言った。
 「キューバからそんなに簡単に輸入できるとはね。この葉巻、メーカーの名前もなけりゃ、刻印もない。」
 耕下のささやかなあてこすりなどまったく相手にする様子もなく、井上は、机の上で両手を組み合わせて山型をつくり、その上にアゴをのせている。
 豊かな長髪をオールバックになでつけた、健康的に日焼けしたスポーツマンのような、朝黒い顔の男だった。目だけは鋭く耕下を見すえている。金属のように鋭角的で、好みじゃないけど、二枚目といえるかもしれないと馬子は思った。薄い唇がなんとも酷薄な印象を与えている。
 「このビルにこの部屋、右翼ってそんなに儲かるものなのかい?いったい何で金をかせいでいるんだね?」
 「右翼とは古めかしい言い方だな。俺たちが行っているのは、企業間の運営をスムーズに運ばせる代理店行為だぜ。正確には政治経済団体だ。」
 「じゃあなんで右翼の看板をあげ、自他共に右翼を標榜してるんだい?」
 「看板はあげていない、あんたがたが勝手にそう認定しているだけだ。我々は一定の思想を持つ人間だ。思想に基づいて行動すれば、活動はスムーズに進む。企業ももっと思想を持つべきだ。」
 「思想に基づいて株主総会で幅をきかせてるってわけか。金を稼ぐのも思想のひとつなんだろうな。ビルや車の税金はちゃんと納めてるかい?そのスーツにも税金はかかりそうだな。」
 「あんたには生涯縁のない仕立てだろうな、刑事さん。金持ちのまわりを、犬のように地べたに鼻をつけて嗅ぎまわるだけの仕事ってのは、バカバカしくないかね」
 「どんなにいい服を着ても、いい家に住んでも、腐った臭いですぐわかる」
 「何だと?」
 「ばあさんがよく言ってたよ、どんなに着飾って格好をつけても、どんないいところにいても、ヤクザ者は腐ったニオイがするから、すぐわかる。ニオイはけして消えないものだ。ニオイをさせてるやつは自分では気がつかない。普通の人は臭いニオイはきらいだ。だからお前もヤクザ者にだけはなるなってね。」
 「俺たちはヤクザではない。」
 「でもぷんぷんにおうな。あんたがたの、いきがって金品を身につけるさまは、自分をわかっていないだけに、成金よりもまだこっけいだよ。」
 「何しに来たんだね、あんた?」
 井上の言葉が少しいらだちを帯びてきた。
 耕下は、井上の反応などはなから気にとめない様子で、問いかけさえ無視して、壁や天井を見やり、散歩でもするようにぶらぶら歩き出しながら言った。
 「井上月昭という名前からすると、もしかして子孫にあたるんですか?」
 「いや、俺の本名は昭という。まあ、日昭と同じだが。だからあやかって号にした。
先人の気概に敬意を表して、名前をまねた。もちろん月盟社という名前もそうです。」
 井上は、耕下が意外にも近代史を知っていそうなので、いくらか気分をやわらげた。
 しかし耕下はバカにしたような調子で言う。
 「いまどき血盟団なんて知っている人もいないと思うけどね」
 「知らなくてけっこう。俺がまねたのは名前だけだ。思想は全く違う。社会が違うし、もはやファシズムなぞ誰も見向きもしない。俺は日蓮宗でもないし、国家主義者でもない。だから武力による国家改革など唱えたことは一度もない。だいいち、一人一殺なぞ効率が悪すぎると思いませんかね。」
 井上はにやりと笑いながら馬子を見た。
 耕下はさりげなく部屋の中を歩いて、マホガニーのドアを見たり、鏡をのぞきこんだりしているが、馬子は軽く腕組みをして、電柱のように突っ立ったまま、ばくぜんと井上のほうを見ている。はなからお互いを敵とみなして、険悪な雲行きの耕下と井上を前にしても、別にハラハラしたりしていない。度胸がすわった印象の馬子に、井上は意識せずに目がいった。パンツスーツにつつまれた馬子の長い脚を値踏みするような井上の視線に、馬子はいつもの無感動さで、抽象絵画でも見るような視線で答える。
 井上はいささかしらけた思いで言った。
 「いつも我々を気にかけてくれるのは公安三課じゃなかったかね。まさか地方の、どこっていったっけ、舞網署?どこにあるのか知らんが、地方の刑事さんが来るとは思わなかったね。」
 「その公安三課に聞いて来たのさ。このところ月盟社は静かすぎる、何かたくらんでいるのかもしれないってね」
 「何も企んでいないから静かなのさ」
 「確かにこの三年間はやけにおとなしいじゃないか。大量の日本刀の不法所持であげられたのは三年前だったな」
 「コレクションですよ、刑事さん。ただのコレクターだったのさ。今はもうやめてるよ。」
 「コレクターだったなら日本刀に詳しいはずだな。それを使う人間にも詳しいんだろうな。あんた自身、剣道の心得があるそうだが」
 「居合もやりますよ、刑事さん。刑事さんの足の配りを見ても、刑事さんが前に剣道をやっていたこともわかる。」
 「なるほど、日本刀に詳しく、剣道の心得もある。そこでうかがいたい、このところ世間を騒がせている、刀剣を使った殺人犯に何か心当たりは?」
 「やっぱりそれか。あの天誅団というやつか。ないね、まったく心当たりはない。」
 「部下や門下生にきいても同じかな?」
 「俺のまわりにそんな行動に走る奴がいるわけがない。俺は過激な暴力を奨励したりしない。」
 「あんたの思想とやらをいちばんよく著わしているというのは、確か著書の『武士道にかえれ』だったな。武士道といえばファシズムより古くて過激じゃないかね。あらゆることが剣に帰結する。単純な奴なら、剣がすべてを解決すると思いかねない」
 「じっくり本を読んでくれ、刑事さん。武士道は日本人が長い間かかって究めた人を律する道だ。永遠の行動規範となりうるものだ。」
 「じいさんが言ってたよ、ずるい奴ほど理屈はもっともらしいってね」
 「ようするに俺たちがあやしいと言いたいわけだな。天誅団から、月盟社のもとになった名前の血盟団を連想してるってわけだ。短絡的すぎないかね。俺たちは企業の代理人だ。利益は追求するが、一文にもならない殺しなどに興味はない。」
 「武士道華やかな時代には、刀剣好きの中には、試し斬りのための辻斬りというのもあったそうだがな」
 「嗅ぎまわる場所が違うと犬に教えるにはどうすればいいんだろう」
 「ばあさんが言ってたよ、ダニは何をやってもダニでしかないってね。」
 「犬は逆立ちしても犬でしかない。疑うには証拠がいるぜ。嗅ぎまわっても何も出てこない。つまり公安三課は、田舎お巡りを使ってゆさぶりをかけてきたってわけだな。もうけっこうだ、俺は朝から忙しいんだ」
 井上はすっくと立ち上がって、耕下にむかった。
 立ち上がると、井上は思っていたよりもはるかに背が高い。浅黒い金属的な顔とあいまって、見るからに強じんそうで、腕力が強そうだった。
 つかつかと耕下の前へいき、かみつくような勢いでにらみつける。丸のみでもしそうに見下ろす、といったほうが正確かもしれない。ずんぐり小さく見える耕下も、負けずにぐっと井上を見上げる。
 耕下から視線をそらさないまま、やにわに井上は左手をあげると、
 「レイジ、客人がお帰りだ。お見送りしろ。」
 と鏡に向かって合図した。
 鏡のとなりにあった、マホガニー製のぶ厚い重そうなドアがさっと開き、四人の男たちが流れるように出てくると、たちまち井上、耕下、馬子を四方から取り囲んだ。
 耕下は、この井上の部下の急襲を、たかってくるハエでも見つめるように平然と見ていたが、居住まいを正すように一歩下がって、馬子を自分の背の陰に隠すようにするのを忘れなかった。
 思ったとおりだった。あの鏡はマジックミラーになっていて、この部屋のどこかにマイクが仕込んである。となりの部屋にはいつも部下が待機していて、合図ひとつで、親玉に狼ぜきを働く不心得者をつまみ出すというわけだ。
 四人の部下たちは、好んで井上をまねているのか、井上がそうしろと命じているのか、こっけいなほど井上にそっくりな格好をしていた。井上と同じくらい仕立てのいいスーツに、シワひとつないシャツ、きっちりしめられたブランドもののネクタイも、身についた豪華さは高級ホストクラブなみだが、全員の目が冷たく、全く表情がない。
 三人が長髪をオールバックになでつけていたが、五人目の男がドアから出てきて、井上をガードするようにその横に立ったとき、耕下も馬子もオヤと思い、顔を見合わせるところだった。
 部下たちはいずれも井上より年下のようだったが、この男はひときわ若い。井上より少し背が低く見える、スーツ姿もほっそりした若者だった。色白の卵型の顔はなにやらアイドルめいて、二枚目といえるほどだったが、軽く縮れたその髪は、茶色に染められていたのだ。
 耕下は榊をつれてこなかったことを悔やんだ。榊であれば、ニセ鑑識係の茶髪の男をその目で見ている。馬子もまた、榊の証言をもとに作られた似顔絵に、目の前の若者の顔をダブらせようとしていた。もしかしたらこれは手がかりか…
 「わかった」
 耕下は、茶髪の若者をしげしげと観察しながら言った。
 「きょうのところは引き揚げるよ、どうやらお忙しいようだしな。でも念のためにアリバイを聞かせてはもらえませんかね?」
 「何のアリバイを?」
 井上が抑揚のない声で答える。
 「もちろん天誅団を名乗る犯人が、事件を起こしたときの、あんたがたのアリバイさ…」
 このとき、部屋の空気の流れを断ち切るように、似つかわしくない音楽が鳴り響いた。
 馬子はすばやくジャケットの内側に片手を入れ、小さな携帯を取り出すと、チャキンと軽快な音をあげさせて開き、そのままくるりと一同に背を向けるて、あたりをはばかるように話しはじめた。若い女の、いかなる状況にも左右されることのない、誰に気を回すでもないいつもの行動に、男たちの動きは一瞬空白になる。
 と、馬子の驚いた声がひときわ、緊迫しかかった空間に大きく響いた。
 「…えっ…また、またですか?!………わかりました、はい、ちょっと待ってください……警部補にです」
 いちだんと険しい表情になって、耕下にずいと携帯を差し出した。
 戦意をあらわにしかけている右翼団体の構成員たちに取り囲まれているという状態も、心落ち着くものではないが、電話の内容もまた心休まるものではなさそうだ。
 携帯を耳にあてた耕下も、声がたちまち大きくなる。
 「…なに、また斬られただと!?……いつ?……どこでだ!……うーん……関連ねえ……とにかくただちにそちらへむかう…」
 耕下と馬子の様子を注意深くうかがっていた井上は、どこかに笑いを含んだ、余裕のある調子で言った。
 「どうやら、そちらもお忙しいらしいな。察するにまた事件だな。誰かが日本刀か何かで斬られたってわけだ。さっきアリバイとか言ったな。いまのどこかの事件に関してはアリバイがあるかもな。あんたたちが証人だ。事件があったとき、俺はあんたたちと話をしていたんだからな。」
 「現場に行ってみなきゃ、犯行時間はわからん」
 「見当違いだって言ってるだろう。こうしてるまにもホンボシはもっと何かやらかすぜ。」
 「あんたたちもきっと何かやらかす。きっとまた会うぞ。」

第十七章 予知警戒

 耕下と馬子が現場へ着いたとき、もちろんガイシャはとっくに救急車で病院へ送られていたが、路肩に残ったおびただしい血の跡が、ガイシャの傷の深さを知らせてくれた。
 あたりは、同じ刃物事件でも、これまで耕下と馬子が出向いた川原とは、だいぶ違って、一種活況を呈していた。街中の、しかも昼日中とあって、テレビカメラだけでなく、見物人が押しかけ、遠巻きにして現場検証をながめていたのだ。
 現場捜査にあたっていたのは、市籠署の、耕下より小柄で、耕下より小太りの、頭も丸々とはげた谷という刑事だった。あと一息で定年というところで、やっかいそうな事件がふってわいたものだとぶつぶつ言いながら、鑑識の様子を見守っていた。
 耕下は簡単に自己紹介すると、同じ署の長年の同僚のように、気安く声をかけた。
警察の機構の屋台骨は、目だたない職人の日々の仕事でささえられている。いたるとろに耕下の同類はいる。
 「目撃者はどうですか?」
 「いないね。ここの通りはひととおり聞き込みは終わった。朝早くのことだったようだし、ことはごく短時間で起こったらしい。あっというまに切り伏せられ、犯人はあというまに逃げたってわけだ。遺留品もない。やってきた清掃車がはじめて見つけて、大騒ぎになった。」
 「ガイシャの様子はどうですか?」
 「かなり深手だったが、俺が見たときはまだ息があった。だが、あの傷と出血では難しいかもしれないな」
 「傷はどんなぐあいなんです?」
 「なかなかすごい。左の肩から腰のあたりまで、鋭い刃物らしいもので、いっきに切り下がられている。犯人はかなり力のある奴だ。」
 「別な言い方をすれば、かなり腕が立つ、かな。凶器は日本刀でしょうか?」
 「かもしれない」
 「我々がいま捜査している天誅団と名乗る犯人と同一の可能性はありそうですか?」
 「いまのところはインターネットに犯行声明などは出てないし、特定できるような遺留品も、目撃者もなし。そいつらをまねた模倣犯の可能性も捨てきれないよ。ガイシャの家族の話によると、昨夜一晩帰ってこなかったそうなんで~残業と称して、よく家をあけるそうなんだが~一晩監禁されていたふしもうかがえるんだが、きみたちのヤマの天誅団と違って、こっちは被害にあったのが犯罪者でないから、むしろやっかいなんだ…」
 谷はここで言葉を切って、さらにうんざりしたように続けた。
 「本庁も動き出している。我々の捜査に加わりたいそうだ」
 「誰なんです、ガイシャは?」
 「大物さ、大蔵省の主計局長だよ。だから捜査内容は秘密に、マスコミには細心の注意を払えってことだ。」
 「そのわけは?」
 「なにしろ超高級官僚だからね、国家の機密にもかかわってくる。」
 と言ってから、少し声をひそめて続けた。
 「じつは怨恨説がある。局長の行状はじつは局内では知る人ぞ知るといったものだったんだ。…コレさ。」
 谷は小指を立てながら、アゴをしゃくってむこうを指した。
 「愛人があのマンションにいる。よくかよってたんだそうだ。その愛人というのが曲者で、何人もの掛け持ちをしていてね。ガイシャが受けた傷からは、深い恨みめいた陰湿さが感じられる…スキャンダルになりそうなんだよ、これは。ガイシャは足にも傷を負っていた…痛めつけられていた可能性もあるんだ……」
 谷の説明にさして注意をはらう様子もなく、無言のままひたすらアスファルトにしみ込んだ血のあとを見つめていた馬子はぼそっと耕下に言った。
 「私はやはり同一犯の可能性が大きいと思います。
今の世の中にけさがけで、生きている人間を一刀のもとに斬れる者なぞ、そんなにいるわけがない。しかも、どの仕事~あえて仕事と言いますが~どの仕事も冷静で確実です。気まぐれで雑なところなどカケラもない。ヤクザのヒットマンでもこれほどの手際はムリでしょう。
 警部補、じつは私なりに、パソコンとインターネットで犯人像を推理してみたんですが…」
 耕下に向き直って言った。あいかわらず無表情だが,目は真剣だ。
 「まず、剣の達人…剣道と居合道にわたっているかもしれません。そして、冷静に殺しという仕事をこなす技術を持っている人物、すなわち戦いのプロ…つまり軍人です。警察官やヤクザはこれにあたりません。
 私はねらいを軍人にしぼってみました。つまり剣道の達人である、優秀な自衛隊員、そしてもと隊員を中心にあたってみたんですが…」
 このとき、話の腰を折るいつものテーマ曲ともいうべき音楽が高らかに鳴り響いた。
 いまやおなじみとなった馬子の携帯の音だ。
 今度ばかりは、さすがの馬子も自分の携帯にむっとして、無造作にジャケットの内側から携帯を取り出すと、ぶっきらぼうに応対に出た。ちょっと気のない返事をしたのち、むっとしたまま、お決まりの儀式でもあるかのように耕下に携帯を差し出した。
 「警部補にです、あの方です。」
 耕下も馬子の話に興味をひかれはじめていただけに、いささか鼻白んで携帯を耳にあてる。
 「どうだい、警部補、今回は前の二件と同一犯だと思うかい?」
 朗々と響き渡る声。今回は特にエコーがかかっている。もう事件の概要を知っているらしい。
 「似てはいますね、でも何とも言えません。犯行声明がないし、ターゲットが犯罪者ではないという点が大きく違う…」
 「だとすれば、私の当初の予想どおり、これは要人へのテロだ。前の件は前座で、ついに本性を現わしたと言えるのかもしれん。私の予想より展開が早い。こちらも何らかの手をうたなくては」
 辺田捜査官は耕下の言うことなど聞いてはいない。なんだか得意そうでもある。
 「今回は声が遠いですね、今度は湾内の海上からですか。ホバークラフトででもパトロールしてるんでしょう。」
 「それは来週の予定だ。じつは今から楽しみにしている。君も一緒に来ないかね、海はいい、一番得意な分野だからな。」
 「捜査官は保安庁の出身ですか?」
 「そう。しかし今回は格納庫の中だ。この前言ったように、ヘリに機銃を取り付ける作業中だ。」
 「オモチャ好きですね」
 「たいしたオモチャさ、これがあれば装甲車にもたちうちできるし、普通の車なぞ真っ二つだ。映画で見たことがあるだろう、ミニガンってやつさ。六本の銃身を回転させて一分間で六千発撃てる。こいつで撃たれても痛みを感じない。脳が痛みを感知する前に死んでいるからな。撃たれる側への気配りも行き届いた殺しのブランド品ってわけだ。
 バルカン砲の小型版なんだが、この小さなヘリではこれぐらいのものしか積めない。しかし刃物を振り回すだけのテロリストなら、この程度で足りるだろう。」
 「捜査官は、事件をどうしてもテロリストの仕業にしたいようですが、テロだとすれば、誰の、何のためのテロなんです?」
 「テロに目的などないさ。いつでも、どこにでもいる反社会的な思想の持ち主が、やみくもに一般人を恐怖に陥れようと企てるのがテロだ。」
 (あんたも、やみくもにテロ事件にしたがってるじゃないか。しかも無理にでも戦いたがっている。要するに、捜査官は、なんらかの根拠があってテロだと決めてかかっているわけではないのだ。なんでもいいから仕事をでっちあげて、できたばかりの自分の部署の活動を誇示したいだけなのだ)
 「前の二件もそうでしたが、この件に関しても怨恨のセンがありそうですよ。」
 「どういうことだね?」
 「かの局長さんには、足しげくかよっていた愛人がいたそうで、そのマンションがこの近くなんです。この愛人がまたかなりのやり手だという話で…」
 辺田の落胆のため息がかすかに聞こえてきた。
 「主義も思想も宗教も関係ない、いちばん素朴な事件だったってわけか、単なる模倣犯による。しかし、凶器は日本刀であることはまちがいないんだろう、前の事件と同じに。」
 「そのような傷だったということです。しかし、傷つけ方が尋常でないので、こもった恨みのようなものを感じると、担当の刑事が話してました。」
 あえて馬子の見解にはふれない。
 「そうか…」
 辺田捜査官は、気のない返答になってきた。捜査官の期待を裏切ってやるのははなはだ愉快だった。毎回俺に電話をかけてくるあんたは、あきらかに張り切り過ぎだよ。もうすこし頭を冷やすべきだ。
 「局長は、刃物で切りつけられる前にも、痛めつけられていた可能性もあるとのことです。右足の甲にキリで刺されたような、故意によるらしい、かなり深い傷があったそうなんですよ。これは一応応急手当がしてあったそうなんですが、このあたりも不可解な…」
 辺田は完全に沈黙した。辺田にとっては何の収穫もない捜査状況の報告にあきて、電話を放り出して、機関砲のほうに関心を向けたのかもしれない。
 「もしもし?」
 応答なし。
 「じゃ、失礼しますよ。何か進展があったら、今度はこちらからかけるようにしますんで…」
 耕下が通話終了のボタンを押そうとしたとき、
 「ちょっと待て警部補」
 と、辺田がいきなりうなるように言った。
 「それはちがう、それはちがうぞ」
 「何が違うんですか?」
 「その足の傷、と言ったな……
それは拷問だ、拷問による傷だ。局長は何者かに拷問されていたんだ。足へ五寸釘を打つのは拷問の手だ。犯人は拷問で目的を達成したので、傷の手当てをしてやったんだ。拷問の目的は何だ?奴らは局長を痛めつけて何かを聞き出したんだ。何だ?いったい何を?」
 辺田は耕下が思いもかけないことを話し出していた。
 「そんな…拷問だなんて…江戸時代じゃあるまいし」
 と言って、耕下はハッとした。
 「そうさ、これはやはり奴だろう。この、時代がかったやり方は首切り魔と同一犯だ。局長の容態は?」
 「かなり危ないそうです。」
 「となると、局長本人から聞くのは無理だな。聞けたとしても、機密にかかわることでは話しそうもないしな。拷問で吐かせるくらいだから、かなり重要なはなしだ。愛人の感度を良くするツボの場所のことなどではあるまい。高度な機密がらみ…不祥事か、陰謀か…経済面だとすれば、あるいは政策がらみ…だとすると上につながっていく…やはりこれは発展するぞ…」
 辺田の声はしだいに緊張を帯び、こもったような言い方になってきた。
 「ともかく、たった今からでも用心だけはしておかないと…まず、局長の上というと…長官か!ちょっと待て!そこにいてくれ、タガシタくん!」
 辺田が耕下のことを名前で呼んだのは、これがはじめてだった。辺田はにわかにあわてている。ガタガタ、ガシャガシャと耳ざわりな雑音が聞こえ、続いてタッタッタと走る足音、車らしいドアの開く音、またしてもゴソゴソと聞き苦しい雑音ののち、カタカタと小さな軽快な音がそれにおおいかぶさる。パソコンのキーを叩いているのだ。
 「…長官…長官…経企庁長官、と…今、ホテルにいる、今日の午前中は財界人と経済諮問会議なのか……ここからだと…遠いな。警部補、君のほうが近い。君が今からすぐ行ってくれ。君が長官にじかに会って、局長の件を話し、ご自身が身辺に気をつけるように言うんだ。もちろん、今すぐ私から長官には電話を入れて、君が行くことを告げておく」
 耕下はあきれていた。捜査官はなんとも突発的に自分自身を緊急事態モードにしてしまった。しかもほとんど根拠のない思い込みで、自分本位の行動をとろうとしているのだ。この、あまりに本能的なダッシュは、耕下をはるかに凌駕する。平気で周囲を自分のペースに巻き込んでしまって、省みることがない。
 耕下は、「勝手に暴走すると、大恥をかくだけじゃすまないぞ」とたしなめようとしたが、辺田のほうはすでに全く聞く耳を持っていない。大声で誰かにわめきはじめていた。
 「まだ時間がかかるのか!…なんてことだ。…見ろ!弾がないぞ。弾がなきゃ機関砲も文鎮とかわりない。どでかい文鎮をぶら下げて飛ぶヘリがどこにある!もちろんすぐ撃てるようにしたほうがいいさ…ベルトは八本だ、四千発セットだろう…
 警部補、こっちはもうちょっと時間がかかる。できしだい、私もこれでホテルへむかう。君は一刻も早く行って、長官についていてくれ。奴の、日本刀つかいの犯人のことを、まがりなりにも一番良く知っているのは君だけなんだ。よけいな心配かもしれん、しかし、あらゆるまさかの時に備えて用意だけはしておく」
 耕下に言い返す間を与えず、電話は切れた。
 ひとりよがりかもしれないが、辺田は確かに決断と行動は素早い。
テロという、常人の感覚の及ばない敵と戦う新しい機関のリーダーに抜擢されたのは、ここを買われたからなのかもしれない。
 耕下はちょっとの間迷ったが、結局辺田に言われたようにしようと決めた。自分の、経験からつちかわれた猟犬的なカンではなく、他人の本能に動かされる~それも上役でもない男に使い走りの役をさせられる~のは、しゃくなところもあったが、電話から辺田の危機感と不安感が伝染したためでもある。
 捜査官の妄想に近い思い込みには抵抗があるが、何者かによる局長襲撃が現実のもである今、長官襲撃も考えられないことではない。相手がもし天誅団を名乗る者であればなおのことだ。杞憂であれば、それでよし。辺田と俺が恥をかいて、始末書でも書けばいいことだ。
 珍しく憂い顔で、辛抱強く辺田とのやりとりを聞いていた馬子に、
 「ここはとりあえず君にまかせる。急な用事ができたんだ。辺田捜査官の聖なるカンに従って、経企庁長官に忠告しに行ってくる」
 と言い残して車に乗った。

第十八章 鉄人護衛

 このホテルの特徴はやはり重厚さだろう。
都下の最一等地に、セントラルパークともいうべき、都を代表する公園を付属品のようにたずさえてそびえる威容は、王の宮殿を思わせる。事実、宮城もすぐ近くにあった。建物自体は渋い灰色のビルなのだが、そのそびえ方に、さりげなく創業百年の伝統から醸し出される威厳が感じられ、どこか山脈のように一種神々しい。長方体が交差して、上から見ると十字型の建物なのだが、直角に交わる壁面は、そそり立つ巨大な断崖を思わせた。
 外と同じように、内部もまた徹底した重厚さでつらぬかれている。外資系のホテルの、きらびやかな光に満ちた派手さはないが、光をおさえた薄暗さで、陰の持つ高級感を演出していた。
 回転ドアを抜けると、秋の草原のような絨毯に続いて、フロントの巨大大理石風呂を思わせるカウンター。向かい側には革張りの椅子が無数に並ぶロビーが広がる。ロビーを行きかう人々も、建物にふさわしく、重厚な雰囲気の連中ばかりだ。恰幅のいいヨーロッパ人、身なりのいい、やたら大柄なアメリカ人。どいつもこいつも大企業の重役に見える、落ちつきはらった、貧乏人から見れば優雅に見える動きをしている。
 こんなに高級感があふれるところで、とにかく高い地位にある人種が出入りしそうなところなのに、格別のチェックもなしで、誰でも入ってこられるというのが、このホテルの最大の欠点だな、と耕下は思った。ホテルジャックなどをしても何の意味もないが、犯罪の意味などはいつも、いかれた犯罪者が勝手にでっちあげるものだ。なにごともより高いセキュリティを心がけるに越したことはない。金属探知機が回転ドアのどこかに仕込まれていて、腕っぷしの強い警備員が柱の陰にひそんでいるのかもしれないが、その程度ではプロにとっては障害にならないだろう。
 
 カウンターの前にたむろす、全員が耕下より大柄でその上耕下より金を持っていそうな連中の中から、ひときわ大柄で胸板の厚い男が、悠然と滑るように歩いてきて、カウンター嬢に何事か聞いた。カウンター嬢が、柱によりかかっている耕下のほうを片手で示したので、この男が長官づきのSPのひとりだとわかった。
 SPは急ぐでもなく、耕下の前にやってくると、馬子以上に表情のない顔で耕下を見下ろして、
 「SPの西島です」
 と言った。
 自己紹介しなくても、SPの看板をつけて歩いているような男だった。
鍛え抜かれたレスラーのような体型、長い間要人のSPをしていることから身につく尊大な態度。耕下はちょっと気おくれした。
 「舞網署の耕下といいます。テロ対策室の辺田捜査官の伝言を、長官に伝えにおうかがいしたのですが」
 「さきほど長官が、辺田捜査官から電話を受けられまして、趣旨はわかっています。」
 「局長のことがあるので、長官にはくれぐれもお気をつけるようにと」
 「長官にお伝えしておきます。わざわざご苦労様でした。」
 SPは軽く頭を下げると、くるりと背を向けた。
 耕下はあっけにとられた。自分は電話で済む用事を繰り返しに来たわけではない。
 「あの、私からじかに長官にご説明したほうがいいとのことなんですが…」
 SPは耕下に向きなおったが、耕下の言い分は完全に無視し去っている。
 「本庁の捜査一課はどうしているんです、矢立警視は?なぜ…そのう、舞網署の警部補が…?」
 そういうことか、『地方』の警部補程度では役不足というわけだ。SPと話ができるのは『中央』の課長級以上らしい。
 「私は、天誅団を名乗る犯人の捜査を最初から担当していました。事件が起こったのがうちの署の管轄だったからです。今回の、局長を襲った犯人も、手口から同一犯と思われるふしがありますので、辺田捜査官は、要人を狙ったテロの疑いもあると、犯行に詳しい私から、長官に注意を呼びかけるようにとのことで…」
 「犯人のほうの捜査は進展しているんですか?」
 「現在、あらゆる方面から捜査を続けています。」
 「犯人のめぼしなどは?」
 「まだ絞りこみには至っていません。抜け目のない奴です」
 「ただの変質者かもしれない」
 「まあ、それもありえます」
 「テロの疑いというのも、辺田捜査官ひとりの個人的な見解のようですね。個人の思い込みでまわりを振り回しているというわけだ。はっきり言って、私はあの部署そのものがよくわからない。突然誰かが、お茶をにごすためだけにでっちあげたようなところだ。実態は何もない名前だけの部署でしょう。単なる就任先(天下り先)かもしれない。それが、我々に直接、しかも舞網署の警部補を通して指図してくるのは、どういうわけなのかな」
 「辺田捜査官の部署については私からは何とも申し上げようがない。しかし、何につけ用心に越したことはないでしょう。」
 「我々は常に用心していますよ、これ以上ないというくらいにね。それが我々の仕事なんですから。警部補が寝ているときも、デスクで空き巣被害の報告書を書いているときも、長官から目を離さない。」
 「空き巣被害は俺の担当じゃない」
 「自転車盗難ですかな?とにかく我々は現場で臨戦態勢で対応している。遠くにいて、長官に会ったこともないないような捜査官とはわけがちがう。我々がガードするかぎり…」
 心なしか胸を張った。左の脇の下には、マガジンを満杯にして薬室にまで一発入っているごついワルサーP99オートマチックがぶら下がっているのだろう。
 「…あやしい者は、長官に触れるどころか近づくことさえできない。」
 耕下はイライラしてきた。この野郎はどうにかして俺をないがしろにしようとしている。SPってのはそんなに偉いのかい、そもそもこいつはどんな階級なんだ、警部補より上なのか、どう見たって俺より若いじゃないか、若くても試験勉強が得意で、階級が上のやつらはゴマンといるが、経験を積んで重ねた年齢というものを軽んじていいはずがない。本庁では、『中央』の威厳を保つために、常に『地方』のお巡りを見下すよう指令でも出しているのだろうか。
 てこでも動かない、小山のようにそびえる体躯を、ぐっとそり返って見上げ、さらに言い返してくい下がろうとしたとき、
 「どうしました?」
 と、細い声がして、半白の髪を見事にセットした、小柄な初老の男が大柄な男と連れ立って歩いてきた。テレビで見たのとそっくりの顔というよりも、仕立てのいい高級スーツを自然に着こなし、大物らしい余裕のある動きをするというところで長官とわかった。
もうひとりは、目の前の尊大なSP・西島と双子かと見まちがえるほど、そっくりな外見をしている。色も同じ濃い紺色のスーツに、同じ色のネクタイ。胸のやたらと厚い、逆三角型の小山のような体型。そり返って人を見下すところも同じだ。いわずと知れた西島の同僚ってわけだ。確かにこの二人がいたのでは、気弱なテロリストは、近づくことさえためらうだろう。機関銃を持って突撃してきても、たちまちひねり伏せられ、全身の骨を砕かれるかもしれない。SPというより用心棒だ。
 「舞網署の耕下警部補です。電話で辺田捜査官が伝えたことを繰り返すために、来たそうです。」
 西島が無礼な紹介をした。しかし耕下は、生まれて初めて政府の要人と間近に会ったため、西島をにらむ余裕はなく、ちょっと緊張して長官に頭を下げた。
 「これはこれは、わざわざご苦労様です。」
 長官は気さくに頭を下げた。
 「長官、会議のほうは…」
 西島が、長官が耕下ふぜいと気安く口をきくのはけしからんとばかりにさえぎった。
 「今、終わったところです。」
 長官は、何があっても動じない穏やかさと、親しみやすさをたたえているが、目には油断のならない知性がある。
 「それで、どうなんですか、局長の容態は?」
 耕下にきいた。
 「きわめて重篤な状態が続いています。」
 「そうですか、どうにも心配ですね…どうしてこんなことに?」
 「怨恨のセンが濃厚だと、捜査にあたっている市籠署の担当が言ってました。」
 「なんと、怨恨とは……あの局長にかぎってね……ほかには?」
 「ほか、といいますと?」
 「ほかに何か、襲われるような、原因になるようなことはなかったんでしょうかな」
 長官の目が一瞬光ったが、あわてて
 「いや、私は、あの局長が人から恨みを買うなどとは考えにくかったものですから」
 とつけ加えた。
 局長にはなにかとあったそうで…と、言いかけて、耕下はふと、(辺田の、局長は拷問されていたんだ、と言ったことに)思い当たり、思わず聞いた。
 「長官は何か心当たりがおありですか、局長が襲われたことについて?」
 長官のかわりに答えたのは西島だった。
 「長官に心当たりがおありなわけないでしょう、失礼なことを言うもんじゃない」
 これまで黙っていた西島の相棒がじれたように言った。
 「なぜ舞網署の警部補がここに?」
 「例のテロ対策室の捜査官の伝言を伝えるんだそうだ。」
 「あれか。いったいあの御仁は何なんだね、警察の人間でもないのに、ひとりで騒いでいるようだが」
 二人の大男は公然のないしょ話をするように、顔を見合わせて苦笑いをした。
 「失礼ですが、長官はいらっしゃいますか?」
 一同の目がついと後方へいく。
 背の高い、といっても長官のSPと比べるときゃしゃに見えるボーイが立っていた。ボーイは長官が自分をみとめたのを悟ると、目でうやうやしく会釈した。さすがにこれほどの格式のホテルともなると、ボーイでさえ重厚なものだった。一ヶ所のシワもないジャケットがぴったりと長身になじみ、ズボンの折り目も、髪のウエーブも重厚だった。さらにふちなし眼鏡のレンズまで、重そうで厚かった。
 「長官にお電話が入っております。」
 と、いんぎんに言ってから、見覚えがあると感じさせるほどの親しげな動作で、長官に歩みより、耳もとで何かささやいた。VIPへの伝言専門のボーイ長といったところだ。こんなホテルにはVIP専用の重厚な茶坊主までいるのだ。
 「私にですか?」
 と言っていた長官は、やがて
 「え」
 と小さくうめいた。
 「総理から?」
 「はい、急いでお話ししたいことがおありだそうで、ただいま510号室に部屋をおとりしました。そちらのほうに電話を回します。」
 長官は思い当たることがあるらしく、
 「わかりました、すぐまいりましょう。」
 と、急に気もそぞろに言って、
 「それではこれで失礼します。局長の回復を祈ってますよ」
 と、耕下の前から離れ、SPを引き連れて、あわただしくロビーを横切ってエレベーターへとむかった。耕下もあわててあとを追う。
 「あの、私もお供します」
 これを聞いて、二人のSPはがっしりと踏みとどまり、二人そろって振り返って、耕下を左右から囲んだ。
 「なぜですか、どうして警部補が我々といっしょに」
 西島が鉄仮面をつけたままのような表情で言った。
 「それは、私も辺田捜査官に、長官をお守りするように言われているからです。」
 「それはすこし筋が違うんじゃないですか。だいいち辺田捜査官に采配の権限があるとは聞いていないし、あなたの任務は捜査のはずだ。警護の任務は我々ですよ、お互いの任務に努めるのが分相応というものでしょう。」
 「しかし、私は刀を使った犯人の手口を見ていて、知っているつもりです。」
 「でも、手がかりさえつかんでいなけりゃ同じですよ。」
 「それにテロだと騒いでいるのは辺田捜査官ひとりなんでしょう」
 西島の相棒が援護するように言った。
 「根拠もなしに勝手なことをしないでほしいな。それに、よしんばテロ行為だったとしても、我々は警護のプロです。いつもそれなりの準備をしている」
 と、防弾チョッキをジャケットの上からなでてから、
 「銃の腕もあなたよりだいぶ上ですよ。」
 と、左の脇の下の、どっしりしたワルサーP99のふくらみをおさえた。
 「とにかくプロにまかせてもらいたいな。素人に首をつっこまれると、素人さんにまで警護の幅を広げなきゃならなくなる。そこまでめんどうみきれない、迷惑なんですよ。」
 西島がダメを押すように言った。
 その態度が耕下の神経を大いに逆立たせた。
 「つまらん縄張り意識に固まっているとだな…」
 「まあ、まあ…」
 見かねていた長官がとうとう割って入ってきた。
 「警部補さん、お気持ちはほんとうにありがたい。でも、私はこのとおり大丈夫です。この二人はかつて、鉄パイプで襲ってきた右翼の男を、二年も警察病院で療養させたほどのつわものなんです。ご心配には及びません。今日のところはお引き取りください、辺田捜査官にもよろしく。それでは私は急ぎますので」
 と、あっさり言い残すと、そそくさとエレベーターに乗り込んでしまった。二人のSPもたちまち耕下をうっちゃり、長官の左右半歩前というエレベーター内警護バージョンの定位置におさまる。エレベーターのドアが閉まる前に、二人のSPが目配せしてにやりと笑っているのが見えた。

 所詮はこんなもんさ。
 回転ドアをくぐって外へ出ながら、耕下は思った。
はりきってやって来て、見事に肩すかしをくらわされた。ひとりよがりの突出した行動というものはけして共感は呼ばないものだ。耕下は、目ざすものがなくてお使いに失敗した子供のような気分だった。これからやってくる辺田も、おそらく同じことを言われて、スゴスゴ帰るのだろう。辺田も自分も、葬式で漫才をやってるくらいに間抜けに思えてきた。まったく俺は何をしていたんだ。
 ホテルの前の通りを行きかう車の列、そのむこうの公園を歩く人々の姿は、いつもとなんら変わらない日常の風景だ。一見してこの平和な景観のどこにも犯罪が隠れている形跡はない。しかし、犯罪というものは常に、全く思いもかけないところで起こり、ゆえに未然に防ぐことは難しいものなのだ。この自覚がないと、つい虚をつかれる。

第十九章 回廊変事

 510号室。三部屋続きがそれ以上に思えるゆったりとしたスイートだ。
眼下には公園の樹木が広がり、いるだけで豊かな気分にさせられる豪華な部屋だが、こんなところを使う人間のほとんどにとってはあたりまえのことであり、ことさらに味わったりしない。当然のことながら、完璧なまでの防音がほどこされ、外部の音も内部の音もいっさい漏れることはない。窓の外でミサイルが炸裂しても、隣の部屋でマシンガンを乱射しても、この部屋では瞑想にふけることができる。ここだと言葉の端を聞きかじられることもなく、大事な話もじっくりできる…はずなのだが、かんじんの話し相手がいない、つまり電話がかかってこない。
 長官はイライラしていた。ボーイの話では、すぐにでも、かの最高権力者の声が電気のワイヤをくぐって鮮明に聞こえてくる、と思っていたのに。
 部屋の外では、西島とその相棒が、足を踏ん張り、両手を後ろにまわして、軍の衛兵のように立っていた。両手を振り上げてポーズをとったら、山門を守る金剛力士といったところだ。二人のいる廊下は、さすがに、これまた豪華ホテルの威容で、並みのホテルの倍近い広さがあり、床にはこれまた、秋の草原ふうの毛足の長い絨毯が敷きつめられ、あらゆるものの音を吸収するしくみだ。天井の明かりは、わざと明るさがセーブされ、廊下全体をクラシックなセピア色に染めている。廊下は北から南へのびるものと、東から西へのびるのものとが、この先のあたりで交差しており、彼らがいる部屋は西へむかう棟の中間部あたりだった。あのボーイの個人的な気配りか、上からの指令でか、お偉方の内密の会話だということに気を回して、人の少ないフロアの部屋を選んでくれたらしく、この時間は他の部屋に出入りする客も、廊下を歩く客も誰ひとり見かけない。
 と、廊下が交差している角から人影がひとつ現れて、こちらへ向かいはじめた。人影は老人のような歩き方で、廊下の中央をゆっくりゆっくり一歩一歩進んでくる。全体が影のようで、どういう人物かはっきりしなかったが、紺色らしいスーツを着た、男らしい。
 影が現れた当初から、そちらを注視し、油断なく見守っていた二人のSPは、人影が見きわめられるくらいに近づいてきた時点で、二人ともふんと鼻を鳴らし、視線を正面の虚空にもどした。
 さっき、一行をここの部屋まで案内してきた、例のボーイだったのだ。
今度は別な部屋の用事なのだろう、もっとてきぱき歩けばいいものを、今回はやけにゆっくりしている。あまりに動きが遅いので、相棒よりボーイに近いほうに立っていた西島は、つい再び目を向けた。
 ボーイの様子は、さっきとは少し変わっているような気がした。西島はすこししてから、ボーイはいまはあのぶ厚い眼鏡をかけていないのだということに気づいた。しかもその目は、なんとも鋭く西島を見つめている。
 ボーイの様子はどこか尋常ではなかった。西島の視線を受けながら、ボーイは両手をだらりと下げ、ゆっくりゆっくり近づく。西島は妙な気分にとらわれた。男の歩いてくるさまは、かつて見た映画の、テレビから抜け出してきて、見ている人間に近づく妖怪に似ていた。あれは確か、呪いの力で目の前の人間に危害を…
 この、ボーイの姿をしている男は、何ひとつ危険な武器らしいものは身につけてはいないが、西島は、そしてその相棒も、不安になった。
 「おい、きみ!」
 西島は鋭くとがめるように言った。
 それを合図ととったかのように、ボーイはバッとその場に立ち膝になると、右手を頭の後ろにおいた。と、シュルンと金属がこすれる音がして、マジックのように光るものが現れた。同時にボーイはたちまち立ち上がり、拳を握った右手を高々とあげると、左手の拳をその下にすえた。
 西島は大きく目を見開いた。
 ボーイの両の拳の上にある、光る、薄く細長い金属は、まぎれもなく日本刀の刀身。ボーイの手もとはなぜかよく見えないが、その上にある、巨大なカミソリのようなものは、確かに殺気に満ちた日本刀だった。
 ボーイは、右上段の構えから、すっと両の拳を自分の顔の右側にもってくる八双の構えに移った。刀の刃先は全体が西島に向いている。
 「私は刀を使った犯人の手口を知っているつもり…」
 西島は耕下の言葉を思い出しざま、左手でジャケットの前を開き、右手を左脇の下のホルスターに収まっているワルサーのグリップへ伸ばした。
 「つぇい!」
 というボーイの声とともに、八双の構えからそのまま振り下ろした剣先が、西島の懐にめり込むほうが、西島の右手が、ワルサーを握りしめてホルスターから出し、引き金を引くより一瞬早かった。
 ザヒュッ!
 という皮膚と肉を断ち切る音がし、日本刀の剣先は、西島の防弾チョッキの襟の隙間から入り込み、西島の皮膚と皮下脂肪と増幅筋と胸筋を両断し、鎖骨と肋骨を断ち、あわせて防弾チョッキをも切り裂いた。
 目を大きく見開いてボーイを見たまま、何が起こったのか実感がないまま、ワルサーを握った右手をボーイのほうに向けたまま、西島はどうっと前のめりに、ボーイのほうに倒れこんだ。
 ボーイはさっと身を引いて、西島の巨体をよけざまに、左手を剣の根もとから離し、西島が持っていたワルサーを、銃身の部分をつかんでひょいと奪い取った。西島は赤い霧のような細かい血煙をあげて、物体のようにころがった。
 「お、おまえ、何をする…」
 西島の相棒は、予想もしていなかった急襲と、同僚の受難がにわかには信じられず、取り乱し、色を失いながらも、意外に慣れた動作で、危機のさいに無意識にとる行動規範にのっとって、右手をジャケットの内側につっこみ、ワルサーのグリップをつかんだ。
 ボーイはそのままの姿勢で飛ぶように突進し、西島の相棒に激突した。はずみで相棒は、ドアのわきの、赤と金の唐草模様で色取られたシックな壁紙がはられた壁に背中を叩きつけられる。
 ボーイは両腕の腹で西島の相棒の胸を押しつけ、握った両の拳で相棒の顔をおさえつける。日本刀の刃は相棒SPの顔の近くにはない。しかしボーイの拳の間には、目には見えないが、確かに棒のようなものがあった。刀の柄の部分だ。
 その見えない柄で相棒の顔をぎゅうぎゅう押しつけてくる。相棒の口と鼻、アゴが押されてひん曲がる。両手を封じ込める押さえ技に、ワルサーのグリップを握った手は懐から出せない。背丈は同じくらいの長身だが、巨漢のSPに比べれば、半分くらいにきゃしゃに見えるボーイなのだが、腕力はすさまじい。しかもその金属的な顔には余裕がある。
 「どうしたい?警視庁が誇るSPさん、そんな調子じゃ赤頭巾ちゃんも守れないぜ。」
 銃を抜こうと必死で押し戻そうとする西島の相棒SPの努力を嘲笑うように言う。言うが早いか、いきなりボーイは飛びのいて、廊下の向かい側の壁すれすれまで退いた。強烈ないましめを突然解かれたSPは、思わずあっけにとられる。その手は懐で銃を握ったままだ。
 ボーイは、口の端をゆがめた笑みを絶やさないまま、闇の中から獲物を狙うは虫類のような冷酷な目でにらみ、刀の剣先を下にさげて後方へもってゆき、刀を背後に隠すような脇構えの型をとった。さらに右足をすっと後ろへ引く。
 「どうだ、これでおあいこだぜ、同じ条件ってわけだ。試してみようぜ、お前が抜いて引き金を引くのが早いか、俺の刀が早いか」
 もはや胸を押さえつけられてはいないのに、西島の相棒は胸が苦しかった。この男は決闘をしかけているのだ。
 脂汗が額から幾筋も糸を引く。
 オートマチック銃と日本刀ではいうまでもなく銃が勝る。
 しかしこの条件ではどうだろう。
こっちをのんでかかっている余裕からも、この男の腕は並ではない。床につっぷしてぴくりとも動かない西島を見るだに、いままで一度も感じたことのなかった恐怖が膝をはいあがってくる。
 しかし自分は選び抜かれたプロなのだ。右翼をとりおさえたこともある。修練も積んでいる。相棒がどうなろうと、自分がどうなろうと粛々と長官を守り抜かねばならない。
 「いくぜ」
 ボーイが言った。
 西島の相棒SPは、この先もし自分が無事だったら、この時のこの男の顔は生涯忘れないだろうと思った。ウエーブがかかった豊かな長めの髪と、浅黒い金属的な面長な顔。重くたれたまぶたの下の細い目。
 西島の相棒SPが懐からワルサーを引き抜くと同時に、ボーイは頭から床に飛び込むように、床の上をSPに向かって一回転した。
 西島の相棒SPが、ワルサーの銃口を向けた先には誰もいず、向かい側の壁があるだけ。あのボーイの姿はなかった。
 敵は逃げたと思った瞬間、胸に重い衝撃を感じた。
 床を一回転ころがって、起きる勢いを利用して、はずみをつけた剣先が、刃を横に、水平になって迫ってきて、ジャケットごと防弾チョッキと皮膚を貫いて、胸筋を突き抜け、肋骨の間をするりと抜けて、心臓の上をかすめたのだ。
 SPは、自分がされたことへの衝撃と驚きで、大きく目を見開いたのち、あっという間に意識が遠のき、銃を持ったまま、立ち上がって向きなおったボーイのほうへ倒れかかって、意図せず自分の体重のせいで、さらに深く刀を自分の胸に刺し入れるところだったが、ボーイは左足を上げて、その巨体の腹のあたりを足でおさえ、ボーイ側に向かって倒れこむのを制すると、足に力を込め、ドア側の壁に蹴りつけた。
 刀身は血の奔流とともにSPの胸から引き抜かれ、SPの力のない巨体は、背中を壁にぶっつけたのち、ずるずると床に崩れ落ちていったが、ボーイは、倒れる前に、SPの右手から、引き金が引かれる間がなかったワルサーをひょいとむしり取ることを忘れなかった。

第二十章 長官の避

 耕下が思い直してホテルの駐車場から引き返したのは、やはり辺田のこと、辺田の言ったことに思いがめぐってきたためである。あのSPたちの口調からすると、辺田はどうにもこうにも浮いた存在のようだ。いかにも急ごしらえで、でっちあげの印象のある部署では無理もない。しかし、辺田の実体はよくわからないという点を差し引きしても、まわりからうとまれながらも、ともかくぬけぬけと仕事をこなしているらしい様子は、いささか耕下の共感を呼ぶところがある。自分にも似たところがあったじゃないか、以前は。いや今も。
 目下のところ辺田には部下らしい部下というものはいないようだ。だとすれば耕下が辺田の意をくんで動ける唯一の人間なのかもしれない。辺田には、他の組織に対しても命令できる権限などなさそうだが、頼まれた手前、責任を感じる。一応信頼されていた自分が、何ひとつ果たせず、おめおめ引き下がったというのは自分のプライドにもかかわる。まもなく辺田は、どうやってどこに降りるのか知らないが、ヘリでここまでやってくるという。そのとき耕下がいないのを知ったら、どう思うだろう。
 耕下は、辺田という人物に一度も会っていなかった。電話でばかり一方的なことを言い立ててくる、つまりタイミングよく茶々を入れてくる辺田とはどんな人物なのか見てみたい。なぜテロ対策室なるものがあり、どんな組織なのかも確認したい。
 また、よしんば辺田の言うとおり、長官に危機が迫っているとしたら、犯人が局長襲撃犯と同一だとしたら、なにやら抜け目のなさそうな犯人のことだけに、どうにかして長官に近づき、あるいはSPなども容易にあしらってしまうかもしれない。そこに思い至ったとき、回転ドアをくぐる足が早まった。ともかく長官の近くで辺田が来るのを待とう。またあのSPたちにつまみ出されるかもしれないが、奴らには奴らの理屈があるように、こちらにも理屈はあるのだ。いちいち気後れすることはない。
 フロントを過ぎて、エレベーターへ向かう。
 たしか510号室と言っていた。
 
 ドアチャイムの鳴る音に、ドアスコープからのぞいて見ると、例の、ここへ案内してきた、長身のボーイが威儀を正してこちらを向いている。
 「何か用ですか?」
 「コーヒーをお持ちしました。」
 なるほどワゴンには銀の盆にのせたポットとコーヒーカップがある。
 長官はコーヒーなぞ飲みたい気分ではなかったが、待っている総理からの電話もなかなかかかってこないこともあったので、
 「いま開けます」
 とドアを開けた。
 ワゴンを押すボーイを部屋に入れ、ドアノブを放して、ドアがひとりでに閉まったとき、ふと、戸の外にいるはずの二人のSPはどうしたんだろうと、いささかいぶかしく思った。二人ともいなかったようだが…いや、すこしドアから離れた、視線から外れたところに立っているのだろう。
ボーイは盆をコーヒーテーブルに移す。長官は再びベッドサイドのクラシックな電話台に乗っているクラシックスタイルの電話の前にもどった。
 「総理からの電話、まだこないんですよ。あなたがとりついでくれましたよね。ちょっと遅いんじゃないかな…」
 ボーイに軽く不満を言うが、ボーイは無言でカップにコーヒーを注ぎ続ける。
 「ねえ、ちょっと君…」
 と、無視するボーイをたしなめかけたとき、
 「局長があんたのことを話してくれた」
 と声がした。
 長官ははじめ、どこから聞こえた声だろうととまどったが、ここには二人しかいないし、ボーイの声に似ている。
 無関心そうにコーヒーを注いでいたボーイは、注ぎ終えると、ゆっくり顔を上げた。重くたれたまぶたの下の細い目が、長官を刺すように見る。そしてがらりと変えた重い口調で言った。
 「局長はあんたの指示で動いていたと言っていた。詳しいことが知りたければ、あんたに聞くといいとアドバイスしてくれた。だから聞きに来た。」
 「君は?君は誰だ?」
 長官は驚きの目でボーイを見ながらも、ちらりとドアのほうを見やる。
 「SPなら来ないぜ、となりの部屋へ放り込んでおいた。俺はボーイだからな、どの部屋でも開けられる。」
 長官はさっと受話器をとった。ボーイが長身を折り曲げるように身をかがめ、右手を背中にやるのと同時だった。
 きらりと一筋の光があり、バンッ!と音がすると、クラシックな木製の電話台の上に細長い包丁がめり込んでいた。それが日本刀の刃であり、電話台とともに電話線も切断していたことに気づいた長官は、衝撃を受け、受話器を落としてしまった。
 ボーイはカッと音をさせ、めり込んだ刀を軽々と引き抜く。日本刀のギラギラ光る抜き身は、ボーイの握りしめた右手に先に、刃だけが宙に浮いている。しかし長官は、さし迫る危機を前にして、その不思議な現象に驚いている余裕はなかった。
 「だっ、だっ、誰だ!君は、いったい…」
 「知りたがりやさ」
 言うなり、ボーイは左手で長官の胸ぐらをつかまえ、荷物でも運ぶようにぐいと持ち上げると、そのままソファーに投げ落とした。
 叩きつけられた長官は、全身がソファーの底に沈みそうになる。
 「さあ、教えてもらおうか」
 「……おっ、教えるって……な、何を……?」
 ボーイは、いいかげんにしろとでも言うようにふんと鼻を鳴らした。ウエーブのかかった長髪が額にたれかかる。その奥の目は、オパールのように表情がない。
 「局長が俺に話したことは事実かどうかさ」
 「……何を…何を言っているのかわからないな…。…局長の言ったことと私と、何の関係があるんだ…」
 「あんたも局長と同じように人見知りするタイプのようだな。局長は足に五寸釘を打ってやったら、急にうちとけて、まるで愛人にでも話すように親しげに、洗いざらい話してくれたぜ」
 「ご、拷問か…拷問したのか…局長を、拷問したのか…なんというひどい…」
 「あんたの場合、どこまでいったら、俺にタメ口をきいてくれるのかな」
 暖房がきき過ぎているわけでもないのに、長官の額には汗がさかんに露を結びはじめる。
 「局長は何を話したんだ…」
 長官が空気が抜けるように言った。
 「局長が担当している仕事の方面のことさ。台所事情の話だな、週刊誌の小さな記事に端を発する。」
 「だっ、誰か!…」
 叫んで立ち上がろうとした長官の下腹を、ボーイは左足で踏みつけて制した。
 「動くな」
 そのまま足に力をこめ、長官が痛さにうめき声をあげるようになるまで、急所にめり込ませる。そして、長官には一メートルほどにも見える刃渡りを、ゆっくり長官の顔に近づけてきた。
 「…な、何が…何が知りたいんだ…」
 「事実か否か」
 切先の少し下、ふくらから横手の部分の刃を長官の右目の下にあて、ゆっくり下に向けて頬を這わせる。皮膚の上から汗が削ぎとられる。
 「床屋じゃないからな、カミソリは得意じゃない。手もとが狂ったら許してくれ」
 「……ああああああ……」
 長官は悲鳴に近いうめき声をあげる。
 「わかってくれたようだな、長官。親友になろうぜ、隠し事のない親友に。」
 長官は目でうなずいた。
 ボーイはすっと刀を長官の顔から離し、自分の背後に隠すように刀を後ろへもっていった。同時に足も退いて、長官を圧迫から解放する。長官は電気の供給が遮断されたかのようにぐったりとなった。
 「で?」
 ボーイは事務的な口調になった。
 「上はどこまでいってるんだ?」
 長官はボーイの顔を見ずにうつろに話し出した。
 「……おそらくは外務大臣…防衛庁長官……そして…そして…もちろん総理だ……総理は、まちがいない…大本だ……ほかに何人かの閣僚も知っているかもしれない……党の三役の誰かもかんでいるらしい…言い出したのは党の連中らしいからな……具体的な方針…はっきり言えば、計画と言うべきか…おおざっぱなものだが……計画らしきものは、防衛庁長官の側近だ……」
 「財政上の問題との関連は?」
 「…むろんそれに起因している」
 「毒を皿にまで広げたってわけか」
 長官は無言でうなだれている。
 「証拠が欲しいな」
 「…え…?」
 「証拠になるものを残しているはずだ」
 長官は我に返ったように背筋を伸ばした。
 「…脅す気なのか?恐喝が目的だったのか…?!」
 「まあな」
 「そうだったのか、証拠をネタにゆすろうとする政治ゴロだったのか!?」
 長官は怒りと軽蔑をあらわにした。
 「政治研究社といってもらいたいね」
 「正体を明かしたボーイはぬけぬけと悪びれない。
 「なんて奴だ、誰がお前のような者に…」
 ふいに長官の頭の右側面が冷たくなった。目の脇に白く光る壁がある。ボーイの刀は目にもとまらぬ早わざで、長官の頭に当てられていた。それがむずむず動き、長官の右耳のつけ根に刃が当たる。長官は再び息をのんだ。
 「ディ…ディスクがあるはずだ…」
 長官はあわてて白状した。
 「…官邸の中にディスクがあると思う…た、たぶん総理の執務室に保管されている…。…計画の骨子…初期から発展した場合の対応を網羅したものだ…。…バ…バランスシートのディスクもそこにあるかもしれない…」
 「執務室のどこだね?」
 「…た、たぶん金庫…し、しかし、注意しておくと…他の人間は開けられないぞ。官邸を新しくしたときに、最新のものにしているはずだ。…私でも、君にも無理だ」
 「たぶん網膜か、手のひらで個人を確認するというたぐいだな」
 「…その上、官邸は警備も最新で、厳重だ。いかに君たちが大胆でも歯が立つまい。私のようなものには手出しができても、総理や官邸となると無理だ。あきらめて退散したほうがいい、りこうな人間ならそうするね…」
 「なるほど、しかたがない、そうするか。いい話を聞かせてもらった」
 ボーイはいともあっさり言うと、心もち頭を下げ、左手を首の後ろにもっていき、ささえるように構えると、右手の刀をひるがえして、首の後ろを刺すようなしぐさをする。
 パチンと音がして、刀が見えなくなった。
 ボーイはしばらく長官を見下ろし、にらんでいたが、やがてあきらめてように両手を広げると、くるりと踵を返してドアに向かった。
 助かった……
 長官は全身から力が抜け、椅子に沈み込んでしまった。にわかには信じられないが、とにかく奴は引き下がったのだ。凶暴な刺客をどうにかあしらうことができた。今を切り抜けられればどうにでもなる。この恐喝者の正体も見当がついた。必ず逮捕させて、この仕返しをしてやる。奴の顔だって、しっかり記憶に焼きつけた。逃がしはしない。
 長官は去っていくボーイのうしろ姿をにらんだ。長官の心の中の歯ぎしりが聞こえたかのように、ボーイはドアを開けようとノブに手を伸ばしながら立ち止まって、背中を向けたまま言った。
 「ところで聞くが、長官。あんたはこの件を知っていて、その前からもいろいろ知り、かかわっていたようだな。なんとも思わなかったのか?自分としての判断はないのか?」
 元気を回復しつつあった長官はいまいましそうに言った。
 「私は内閣の一員にすぎない。決断は総理が行うことだ。私はどうこう言う立場にない。」
 「立場にない…か。いつか総理の椅子にふんぞり返って座っていたペテン師野郎があみ出した、便利な無責任用語だな。やっぱり御用学者ってのは御用聞きの茶坊主でしかないってわけだ。ふざけた野郎だ、お前なんぞ、その地位にいる立場にないぜ」
 ボーイはくるりと振り返ると、右手を首の後ろにあて、長官に向かって突進した。
 驚いて立ち上がろうとする長官の頭に、ボーイが居合い抜きに抜き放った刀が激突した。
 刀は頭皮を破り、頭蓋の前頭骨にめり込んで、大脳新皮質を傷つけた。

第二十一章 階下憂乱

 エレベーターホールには、三基のエレベーターが向かい合って、合計六基ものエレベーターのドアが並んでいるが、どれも素早く機能的に動いているような割には、稼動階数の表示が空しく点滅し続け、なかなか耕下のいるところまでやってこない。
 やっと開いたドアにいち早く乗り込んだが、そこは声高に自国語をわめきちらす台湾人らしい一団でぎゅうぎゅう詰めの状態だった。ボタンを押す間もなく、五階でもないところまで運ばれ、一団の波にのまれてそこで降りるはめになる。あせった耕下は、そこでちょうど時を同じくして扉を開けた、向かい側の一基のエレベーターに滑り込む。しかしそれは、こんどは日本人の団体客らしいのを満載していた。「五階を…」と言うひまもなく、今度は下へ連れていかれる。
 急ぐときに起こりがちなささやかなすったもんだのあげく、ようやく五階のエレベーターホールまでたどりついたが、向かい合ったエレベーターを乗り降りしたおかげで、一瞬方向を見失った。
 この建物は、細長い巨大なモノリスのような棟が交差して組み合わさってできており、上空から見ると、十字架のかたちになっている。エレベーターホールからすこし歩くと、ビルの中心、廊下が十字路になっている部分に行き着いた。
 中央に立つと、廊下が四方に放射状に果てしなくのびているように見えた。どこに510号室があるのか見当もつかない。一べつしたところ、どの廊下も深夜の巨大客船内なみに静まりかえり、人影らしいものは見えない。長官がいるであろう部屋のドアの両側に番犬よろしく立っているはずのSPの姿らしいものも見当たらない。各部屋が広いせいか、個室のドアとドアの間隔も大きく保たれている。
 いらだってきた耕下は、やみくもにいちばん近くにあったドアに近づいた。ドアの中央に505と浮き出た金文字が見えた。この先か。次のドアへ進む。次のドアはなんと504だった。ちがった。逆だったのか。振り向いたとき、離れたところにすらりとした人影が見えた。エレベーターに乗ろうとしているらしく、こちらへ向かってくる。
 近づくにつれ、あのボーイだとわかった。長官への電話を取り次ぎにきた、背の高い、ぶ厚いレンズの眼鏡の,一流らしいいんぎんさを身につけたボーイだ。ボーイはすぐに耕下をみとめ、すべての客に対してするように、口もとにわずかな笑みをたたえながら、温かみのこもった軽い会釈をして、耕下のわきを通り過ぎようとした。耕下は、とまどっていたところでいささか見知った人間にあったため、ほっとして話しかける。
 「ちょうどよかった、長官がお入りになった部屋はどちらですか?」
 「え?」
 はじめ耕下が誰か気がつかないふうだったが、すぐに、
 「ああ、さきほど長官とお話ししておられた…」
 と、思い当たってくれた。
 「長官にもう一度お会いしたい用事ができたて、引き返してきたんですが、ここは広いので、どの部屋かわからなくて」
 「こちらです。」
 間髪をおかず、耕下の意図を理解したボーイは、右手をあげ、右側へと伸びている廊下の奥を指した。
 「長官はまだいらっしゃいますか?」
 「おられます。」
 「ありがとう」
 耕下はすばやく言い捨てて、示された方向、今いる廊下と交差している廊下の方へと早足で向かいかけたが、つと立ち止まって振り返った。
 「ちょっと待った、こちらの部屋は530号室からはじまっている。510号室の部屋があるのはこっちの廊下なんじゃないですか?」
 と、いままでいた廊下に続く方向を指す。
 「はあ……?」
 ボーイは、耕下の言っていることが理解できないといったけげんな顔をしている。
 「どうもよくわからないな、ボーイさん、悪いが510号室の前まで案内してくれませんか?」
 ボーイはけげんな表情からとまどいの色をあらわにした。
 「あの、私、今、急ぎでフロントに呼ばれておりまして…恐れ入りますが、少しの間お待ちいただくわけにはまいりませんでしょうか?すぐに別の者をよこしますので」
 「それだけじゃないんだよな」
 耕下はかまわず、ボーイを見すえて一歩近づいた。
 「お巡りが犬と呼ばれるのには一理ある。この仕事をしていると、自然と鼻が犬なみになるんだ。特にある種の臭いに対しては敏感になる。ボーイさん、今そこであんたとすれ違ったとき、ふっと何度か現場でかいだことのある臭いがした。血の臭いだ」
 ボーイの顔にはますますとまどいの表情が広がる。急に耕下に問い詰められて脅えてもいるようだ。
 「…それでしたら、あの、私、たった今、540号室のお客様に、昼食のステーキをお持ちいたしましたので…レアのステーキですが…」
 「いやちがう」
 耕下はさらに近づき、ボーイと真正面に向かい合った。
 「こいつは牛の血の臭いじゃない、人の血だ。しかも出たての血だ。」
 さっきまでボーイの顔にはりついていた、とまどいや脅えはすでに消え、かわって何の表情もない、浅黒い金属的な顔になっている。ぶ厚い眼鏡の奥にある、重たそうな両のまぶたがゆっくりと下がり、細められた両目がじっと耕下を見つめる。背の高いボーイは、ずんぐりした耕下を見下ろす形となった。エレベーターホールの真ん中で、二人の男は、瞬間的に石にでもなったように、無言で見合った。
 と、片側のエレベーター扉の列の真ん中の扉が開いて、小太りの、上品そうな白髪の婦人が現れた。婦人は、目の前でホテルのボーイと客がにらみ合っているのを見て、はっとした。婦人のことなどまったく眼中にない、真剣で険悪なその場の空気に、見るからに人のよさそうな丸顔の老婦人は、一瞬、なんとも気まずくなり、ともかくこの場をとりつくろうと、思わず
 「きょうは雨が降りそうもないので、傘を部屋までおきにきましたの」
 と、手に持った傘を軽く上げ、誰にともなく言って、二人の間をすり抜けようとした。
 次の瞬間、ボーイの両手が目に見えない速さで動き、婦人の丸々とした体をがっきと捕らえると、背中からはがいじめにするように、自分の胸に抱きとめた。哀れな老婦人は悲鳴をあげる間もなく、ボーイの付属品のようになって、耕下のほうを向かされる。
 「さすがだな、警部補。鼻が利くじゃないか。おっと動くな、手を後ろへやるな!」
 しまった、こいつ本人ばかりに気を取られていた。思ったより動きの素早い奴だ。
 「その人を放せ!関係ない人を巻き添えにするな!」
 「そうはいかんな、警部補。おかしなまねをするなよ、もう一歩近づいたら、この奥さんの首が折れるぞ」
 いつの間にかボーイの右手が婦人の側頭部に当てられていた。婦人の顔がいきなり真横に傾く。婦人がかけていた金縁の眼鏡が吹っ飛んだ。何が起こったか理解できず、叫び声もあげられなかった老婦人は、ここでようやく、自分が生命の危機に陥っているらしいというただならぬ事態に気づき、目を恐怖に見開いて、ひいいいいいい…と悲鳴をあげた。
 「その人を放すんだ!」
 耕下は身構えたまま、横から飛びかかろうとする。
 「よるなと言ったろう!」
 ボーイは、耕下の突進を防ぐように、盾にした婦人を左右に振り回す。婦人の悲鳴は、さらに首が強烈に曲げられたため、か細くなる。ボーイは、全身にバネのようなしなやかさと屈強さを秘めている。もうちょっと力をこめただけで、婦人の首は細い枯れ枝のように折れるだろう。
 急がねば…
 いきなり婦人が耕下に飛びかかってきた。ボーイが、物でも放り投げるように、突き飛ばしたのだ。婦人はボウリングのボールのように耕下に激突し、耕下を巻き込んでどうっと床にころがった。
 「助けて、助けて、誰か助けてください、どうかやめてください…」
 婦人は半狂乱に手足をばたつかせ、耕下の上で泣きわめき続ける。
 「奥さん、落ち着いて、落ち着いて下さい、そして私の上からどいて下さい…」
 コビトカバにのしかかられたカメよろしく、床の上でもがいていた耕下は、しばし婦人の体重に閉口しながらも、どうにかすり抜けるように婦人を押しのけた。床の上でけいれんするようにふるえ続ける婦人を尻目に、ボーイの姿を捜す。婦人が降りてきたエレベーターのドアがぴたりと閉まるところだった。
 逃がすものか。
 エレベーターのドアの上の階数表示はたちまち下の階へと進みはじめる。正面から出て行く気だ。
 残り五基のエレベーターの乗降ボタンを素早く押しまくる。やはりこのエレベーターはどれも、早いようで実は遅いのだということを実感した。やっと来たと思った一基は通過して行ってしまった。業を煮やした耕下は、非常階段を探してあたりを見渡した。が、非常口の表示はどこにも見当たらない。廊下の端か、そこまで走るのか……あった!右端のエレベーターのドアの脇の、ホールの天井近くに、EXITの表示が見えた。ホテルのムードとそぐわない、まるで建物の危険性をアピールするかのような、つや消しで不体裁な非常口の表示は巧みに壁に溶け込ませられていたのだ。
 取っ手らしい小さな金属のつまみを起こして回し、その壁面を押す。壁が開いて、意外に広い階段が現れた。だっと飛び込んで駆け下りる。
 途中まで降りたとき、はっと思い直して、来た階段を駆け上って引き返した。まだ呆然としている婦人が座り込んでいるホールに出て、エレベーターの階数表示を見る。
 やっぱり!
 奴が乗っているはずのエレベーターの階数表示は、下ではなく、いまや上へと向かいはじめている。下ると見せかけて逆へ行く…人を食った奴だ。こんなふざけた野郎には、強引な態度で臨むのが一番だ。
 あたりを見渡す。
 あいかわらず空気が抜けたように放心したままの婦人と、婦人が落とした傘がころがっていた。素早く傘を取り拾い、エレベーターのドアに向かって突進する。傘の先端をエレベーターの扉の真ん中の隙間に無理やり押し込み、先がもぐり込むと、さらにぐいぐい押し込みながら、扉をこじ開けようとする。傘は柄の近くまでもぐりこんだ。開いた隙間に左手を突っ込み、傘を持った右手も力まかせに押す。扉は中が見えるほどに開いてきた。さらに力を込めて押し開き、上を見上げる。
 むき出しの鋼鉄とコンクリートの臭いが、エレベーターシャフトの乾いた風に乗って、下から突き上げてくる。奴を乗せたエレベーターの箱の底部が、ぐんぐんとうなりをあげて、上へ上へと遠のいていくのが見えた。
 身体をドアの中に半分入れ、体重でドアを開けながら、右手を後ろにまわした。
 警官に限らず銃を携帯する者は、脇の下か、腰の横または後ろにホルスターを吊るし、それに銃を入れている。抜きやすいためと、暴発したりしたときに被害が少ないようにと、銃口は常に下を向くように身体にセットするのがふつうだ。ところが耕下はこのきまりに従っていない。銃がいくらか長めであるということもあるが、ベルトと垂直に交差させてホルスターを取り付けるのではなく、ベルトに沿って、つまり銃身がベルトと平行するように、腰に横向きのホルスターをくくり付けている。常に背中から隣の人を狙うように、銃身は横を向いているわけなのだが、耕下の銃は旧タイプのシングルアクションリボルバーで、撃鉄を起こさない限り暴発の心配はないし、暴発したときの用心に、ホルスターの底は厚い皮で何重にも覆っていた。その上、銃がずり落ちないように、ホルスターの口の部分がバネ仕掛けで留め金になるという仕掛けを特注することも忘れていなかった。なによりも、こうして背中の腰のあたりにセットしておくのが、耕下にとって一番都合がいいのだ。銃の重さや長さに気を取られることなく動きやすいし、急ぐときに意外と抜きやすい。
 ちょうど今のようなときに。
 耕下はするりと銃を抜き取ると、エレベーターシャフトの中に右手を構えた。
 耕下はためらわなかった。
 あいつが血の臭いをさせていたということは、長官がやられたということを意味する。
二人のSPも同じだろう。苦もなくやってのけたとすると、相当な奴にちがいない。しかし、奴がどんなに手ごわく抜け目のない奴であろうと、自分は犯人のすぐそばにいた、すぐ近くにいながら、まんまと犯行を許してしまったのだ。阻止することができたはずなのに、してやられた。しかも自分は犯人と向かい合った。天誅団とおぼしき連続殺人犯の姿を見た。(見たことのない顔だった。あの井上月昭と似てはいるが、おそらく違うだろう。とらえどころのない殺気がある)
 奴は未曾有の凶悪犯だ。このまま逃がすわけにはいかない。辺田の言ったとおり、事態はテロの様相を呈しつつある。ここで捕らえなければ凶行が続くかもしれない…
 いや、それよりも何よりも……野郎!コケにしやがって!何が何でも、死骸にしてでも、ここで決着をつけてやる!
 撃鉄を起こすと、上昇していくエレベーターの底部分、ワイヤーのあたりへ向けて引き金を絞った。
 がぁん!がぁん!がぁん!と轟音がシャフト内にこだまする。
 エレベーターの底に、きぃん!きぃん!という音とともに火花が散った。
 
 静かに上昇していたエレベーターだが、どこか遠くでくぐもった音が聞こえ、ボーイは、立っている床に何かがこんこんと当たる気配を感じたかと思うと、がくんといきなりエレベーターが止まった。降りるべき17階でもないのに。
 そのひょうしに、エレベーターの室内灯がふっと消えて、またすぐに灯った。しかしエレベーターは止まったきりだ。すぐに動き出そうとはしない。どうやら警部補の仕業らしい。やる気十分ってわけだ。
 ボーイは表情を変えず、襟のボーイ用タイをむしり取ると、ぶ厚いレンズのだて眼鏡も放り投げ、ぐっとエレベーター室内の狭い天井を見上げた。天井全体が蛍光灯の照明になっているが、どこかを押せば、保守点検用の天窓が見つかるかもしれない。

 奴をエレベーターの箱の中に閉じ込めることができた。
 ここから見ると、どうやら八階のあたりだろう。このまま故障しててくれ。八階までいってから、見張りながらフロントに連絡し、エレベーターを動かしてもらって、八階のドアの前あたりで、気どったポーズで銃を構えて、ドアが開くのを待つとしよう。
 耕下は再びくだんの非常階段にとって返し、八階までいっきに駆け上がった。
 八階のエレベーターホールに出ようとしたとき、続きになっている階段の、はるか上のほうを駆け上がっていくらしい足音を聞きつけた。
 奴だ。
 エレベーターの箱から抜け出し、八階のドアをこじ開けて、エレベーターホールに出、この非常階段をいち早く駆け上がって、耕下に先んじて上の階を進んでいるというわけだ。
 大柄に見えたが、リスのようにすばしこい奴ではないか。
 耕下はちゅうちょせず、非常階段をさらに上へと駆け上がった。

天誅団 平成チャンバラフィクション 第二巻

2015年2月6日 発行 初版

著  者:北村恒太郎
発  行:北村恒太郎出版

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北村恒太郎

屋根裏文士です。
青森県を舞台にしたホラー、アクション、コメディー、ファンタジーなどを中心に娯楽ものをいろいろ書いてます。
◇青火温泉 第一巻~第四巻
◇天誅団平成チャンバラアクション
 第一巻~第四巻
◇姫様天下大変 上巻・下巻
◇無敵のダメダメオヤジ 第一巻~第三巻
◇アメブロ「残業は丑の刻に」

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