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天誅団
平成チャンバラフィクション
第三巻

北村恒太郎

北村恒太郎出版



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

第二十二章 屋上庭園の決闘(一)

第二十三章 屋上庭園の決闘(二)

第二十四章 屋上庭園の決闘(三)

第二十五章 屋上庭園の決闘(四)

第二十六章 公園の乱(一)

第二十七章 公園の乱(二)

第二十八章 襲撃の儀

第二十九章 市籠署騒動

第二十二章 屋上庭園の決闘(一)

 目が回るほど踊り場と階段を駆け巡り、ここが何階なのかわからなくなりかけてきたころ(それでも奴には追いつかない)、スポーツクラブでの鍛え方が足りない足腰は、感覚がなくなりはじめ、足ももつれだしてきた。
 駆け上がるつもりが、手すりにつかまってようやく一段づつ上ることができる程度になってきたとき、太いスチールの頑丈な柵が行く手に立ちふさがった。
 『関係者以外立ち入り禁止』と英語と日本語とフランス語と中国語で書かれたプレートが取り付けられている柵は、入り口がいかめしい扉式になっていたが、押すと抵抗もなく開いた。鍵はかかっていなかった。
 さらに進むと階段がいくらか狭くなり、ついに行く手をドアがふさいだ。さっきと同じ文句が 全面に書かれた、見るからに堅牢そうな鉄のドアだ。
 ここか? 
 むろん階段の進む先は一本道だった。この先しか行くところはない。奴はこのドアをくぐっていったのか?とても素手では破れそうもないドアで、取っ手の鍵穴には、客が入り込まないようにしっかり錠がおろされていることは確かだ。ほんとうにこの先へ行ったのだろうか?奴めどうやってここを開けて…と、いぶかしんだとき、あいつがボーイの格好をしていたことに思い当たった。奴はボーイに化けていた。とすれば合鍵を盗み持っていても不思議ではない。
 ドアノブをひく。
 ドアは簡単に開いた。やはり鍵は開けられていた。いましがた開けていったものなのだろう。再び施錠しなかったのは、あわてていたせいかもしれない。額から首から渓流のように汗を流しながらも、耕下は新たな気力がよみがえる思いで踏み出した。
 ドアの中は暗かった。あたりはさらに狭く、階段は急になっている。耕下は頂上間近の山道を踏破する思いでしゃにむに登った。かなりの高さなのだろう、心なしか空気も希薄になってきたような気がする。と、暗がりの中でも、広さが感じられるところに出た。
 壁面の一ヶ所に小さな明かりがあり、Rという文字が輝いているとこらから、ここにあるのはエレベーターで、ここは最上のエレベーターホールだとわかった。おそらくは業務用として、エレベーターも一基はここまできていたのだ。エレベーターの横、突き当りの壁らしいところに、その裏側に明るさが感じられ、その壁にあるドアが屋外に通じていることをうかがわせる。
 耕下は手探りで取っ手を探し当てると、油断なく身構えて、すっとドアを開けた。
 まばゆい光に一瞬目がくらんで何も見えなくなる。
 それほど強くはないが、予想外に冷たい風が頬をなでてくるのにたじろぎながら、目を細めて、あたりをすかして見た。その瞬間、耕下はふと我が目を疑い、いきなり異空間に迷い込んでしまったような違和感を覚えた。
 いつのまにか自分は、公園の真ん中にいた。
 あの、犯人とおぼしきボーイを追って、階段をかなりの高さまで駆け登ってきたはずだ。つまりここは、階段の果て、ホテルの屋上のはずなのだ。なのに自分は、このホテルの前に前庭よろしく広がっている、都が管理する広大な公園の中にいるではないか。
 目の前には、手入れが行き届いた生き生きとした緑の芝生が、とほうもなく幅広の長い帯のように、はるか先まで伸びていて、その帯の真ん中へんには、噴水がしつらえてあるらしい巨大な円形の池まである。長い緑の帯の両端は、装飾的な独特なカーブで縁取られている。
 まさしくフランス式庭園だった。
 あたりから、下のほうから、ほうはいとわきあがってくる車の騒音と、思わず呼吸を速めたくなるような、いかにも高層らしいよどみのない空気、前方に山脈のように浮かんで見えるビルの群れが、耕下を一瞬の幻惑から引き戻した。
 屋上庭園。
 このホテルには耕下が初めて見る、前代未聞の巨大な屋上庭園がしつらえてあったのだ。十字型に組まれたホテルの棟の、公園側に向かっている、高く長いほうは、全体が、地上にある都立公園の中心部分をそっくりまねたフランス式庭園となっていた。ありきたりな仕事中の場合~つまり捜査にかこつけて暇つぶしをしている場合~などであれば、耕下は、この、ビルの波間の、宙に浮く、庭園の景観に長いこと見とれていたことだろう。
 この広大さ。
 内側の、真ん中に池のある、緑の芝生をフィールドだとすれば、、そのまわりの、コンクリートの上を二重にめぐる太いパイプラインはトラックだ。ここは空中に浮かんだ陸上競技場と見えなくもない。
 しかし、そのトラック~パイプラインの横の通路~を悠然と、池の方へ向かって歩いていくのはアスリートではない。広い肩幅と長身を揺らしながら、影のように遠ざかっていくのは、まちがいなくあのボーイだった。
 耕下は腰の後ろに右手をやると、流れるような動作で銃を抜いた。
 「とまれ!そこで止まれ!聞こえただろう、止まれと言ってるんだ。日本語がわからなけりゃ、英語で言ってやろうか。アメリカのお巡りは、言いながら撃つらしいぞ」
 リボルバーの銃口は、ぴたりと男の背中の真ん中に向けられる。
 男は歩みをゆるめると、やがてその場に立ち止まった。
 そして深呼吸でもするように、胸を張って背筋を伸ばした。
 しかし、観念したように見えるポーズではない。両手はだらりとたらしたままだ。
 「よーし、それでいい。ききわけがいいというのはいいことだ。人間の持つ美徳の一つだな。では、そのまま、ゆっくりこっちを向くんだ。ゆっくりだ!」
 長身の男は、言われたとおりにゆっくりと、上体を揺らしながら、耕下に向きなおった。喪服のような黒い上下のスーツ、しみるような白いシャツ。もはやボーイ用のタイはしていないが、まちがいなくあのボーイだった。
 浅黒い金属的な長い顔。豊かな長髪が風に揺れて、その広い額にかかる。もはやあのぶ厚いだて眼鏡はない。かわりに、影のようにその顔を横切っているのは、細い、濃い色のサングラスだった。目の表情は読み取れないが、サングラスを通してもその鋭さが伝わってくる。高い鼻りょうと対を成して酷薄さを演出している薄い上唇は、直線的に引き結ばれてはいるが、心なしか、片方の端がゆがんでいるように見え、にやついているとも受け取れる。
 「逃げ足の速いボーイさん、やっと追いついたぞ。ではこんどはゆっくりと両手をあげてもらおうか」
 耕下のリボルバーの銃口は、いまは男の胸のど真ん中に向けられていて、標的をロックでもしてしまったかのように、いささかのゆるぎもない。
 男は、だらりとたらした両手をゆっくりゆっくり広げながら上げていった。
 丸腰だった。
 背にも腹にも全く武器らしいものは帯びてはいないとみとめた耕下は、いささか安堵して、ほっと息をついた。
 だがまだ油断するわけにはいかない。スーツのポケットに小型銃がしのばせてあるかもしれないし、耕下のように腰の後ろに、ベルトに銃をはさんでいるかもしれない。
 耕下の静止がないためか、男はなおも言われたまま、両手を上げ続け、肩よりもさらに高く上げ、完全なホールドアップの姿勢をとり終えても、なお上げ続けている。
 「そんなに高く上げなくてもいいぞ、手錠がかけにくくなるからな」
 男を見すえたまま、右手でリボルバーを構え、左手でポケットから手錠を出しつつ、静かに男に近づく。
 男は、耕下の言葉など聞こえていなかったかのように、機械仕掛けで動いているような、なんとも自動的な動きで、両手を頭の後ろへもっていく。もはや抵抗のつもりは全くない、という意味の意思表示のつもりなのだろう。と、シュルンと金属的な音がして、男の両手が、それまでの緩慢な動きが嘘のような突発的な動きを見せ、そして瞬時に停止した。
 耕下は何が起こったのかわからなかった。
 目をパチパチさせて、あらためて男を見つめる。
 男の両手は、その金属的な顔の横にあった。
 右手で拳をつくり、その下に左手で拳をつくっている。
 バッターがバットを構えるようなポーズだった。
 何かの拳法か、おまじないのつもりなのかと、あっけにとられていた耕下は、やがて男の顔の上に目がいって、息をのんだ。
 厚い雲を切り裂いて、一筋の陽光が寒々と地上に降り注ぐ。
 耕下と男はスポットライトを浴びるように、その陽光の中にいた。
 陽光を突き刺すように天空に向いて、白く輝いているのはまさしく、先が鋭く尖った細い刀。雲のかげんで陽光が揺らめいたとき、それは、表面がガラスのように研ぎ澄まされた鉛色の金属へと変わる、巨大なカミソリ、日本刀だった。男は日本刀を握りしめて、耕下と向かい合っていたのだ。いや、正確には握ってはいない、日本刀の刃は、刃だけが独立していた。男が握った拳の上数センチのところに、抜き身の刀がふわりと浮かんでいたのだ。
 「おい、おい、これはいったい何だ……?」
 耕下は深刻な状況の中に唐突にふってわいた珍妙な現象に、めんくらうと同時に、場違いなこっけいさも味わった。
 「おもしろい、面白いな。この場の雰囲気にふさわしい、気の利いたアトラクションってわけだ。マジックで、とげとげしい気分をやわらげてくれるつもりなんだな。やるじゃないか。」
 耕下の軽口にも、男は石のように表情を変えない。そして石のようにポーズも変えない。
 「それはどういう仕掛けになっているんだ?ピアノ線で吊ってるのか、磁石で浮かせているのか……?……ははあ、柄が透明になっているんだな。透明に見える布かなんかがあるってのは、どこかで聞いたことがある。柄も鍔も透明で、鞘も透明だったら、さぞや持ち運びには便利だろうな。空港の探知機では、ひっかかるかもしれんがな」
 耕下は、相手につけ入る一瞬のスキを見つけようとして、話しながらも、空中の刀身をちらちらと観察した。
 こいつはまちがいなく日本刀、正真正銘の真剣だ。しかもよく切れるワザもの。そして今しがた斬ってきたばかりだ。抜き身全体が濡れたように光っているのは、脂が乗っているためだ。おそらくは長官とSPたちの脂だろう。抜き身の刀の不気味さに、思わず怖じ気が、足もとから全身にはいあがる。それを見すかしたように、男は右足を一歩踏み出し、全身がずいと耕下に、わずかに近づいた。
 「動くな!動くんじゃない!俺が何を持っているのかわかっているのか!銃だぞ。お前がいくら使い手でも、いくら居合いの達人でも、刀の先が伸びる速度よりは、鉛の弾が飛ぶほうが速い。もう勝負はついてるんだ。お前が刀を使えるほど器用だってことはもうわかったから、さっさとそれを置け。これ以上手向かおうとするなら、本当に引き金を引かなきゃならなくなるぞ。」
 男は表情を変えない。
 黒メガネからは本当の表情がよみとれない。引き下がるそぶりも見せない。
 「たぶん、そいつで長官に手を下したんだろう。今までの、日本刀を使った殺しにも、お前は一役かっているはずだ。凶悪犯を撃つのに遠慮はいらない。俺の係長は反対するだろうがな」
 耕下は自分にも言い聞かせるように言った。
過去に犯人を撃ったことは二度、いずれも急所をはずして狙っている。
 男は耕下の言葉に何の関心も示さぬように、ぐっと顎を引いた。
 「やめろ!刀を捨てろ!」
 耕下の右手も、男の心臓から少しも狙いをはずそうとはしていない。
 男は勢いをつけるように刀を少し上げぎみに、後ろに引いた。
 まさしく斬りかかる寸前の構え。
 「ちっ!」
 耕下は舌打ちをしつつ、顔を歪めて引き金を引いた。
 轟音と火花と同時に煙が立ちこめ、火薬の臭いが鼻をつき、男は、胸に横綱の突き押しでもくらったように、もんどりうって倒れる……
 ことはなかった。
 何も起こらなかった。
 耕下の銃は、突然、石にでもなったように静まり返っていた。
 「え?!」
 あわてて右手の銃と男を見比べる。
 男はいよいよ刀を振り上げる。
 さらに男に向けて引き金を引いた。
 何も起こらない。銃はうんともすんとも言わない。
 さらに引き金を二度、三度引き絞る。
 引き金は動くが銃は発火しない。
 ここで気がついた。
 なんという間抜けだ。あきれるほど初歩的なミスだ。
 撃鉄を起こしていなかったのだ。
 耕下の銃はシングルアクションのリボルバーだ。一発撃つためには、一発ごとに撃鉄を起こしてシリンダーを回転させなければならないのだ。やたらと発砲しないため、一発ごとに頭を冷やすため、(そして撃った以上は相当な効果がみこめる大口径でもあるため)一動作多い、これにしていたのだが、係長の言うとおりダブルアクションのSWにしておくべきだった。男を追うのと、その突然の奇態な行動に目を奪われて、しかも経験のない勝負にいくらかあがっていて、撃鉄を起こすのを忘れていた。
 撃鉄を起こそうと、あせって親指を撃鉄にかけた瞬間、
 「せいぃ!」
 という気合の一声と、風を切る音がまじって、日本刀の刃が、裁断機のように、耕下の脳天めがけてまっさかさまに落ちてきた。

第二十三章 屋上庭園の決闘(二)

 全身をゆるがす衝撃。
 耕下の額の上で火花が散った。
 あと0・05秒遅かったら、刀剣の先端は耕下の額の皮膚と肉を、薄手のハムでも切るように破り、あと0・1秒遅かったら、耕下の頭蓋骨を切り割り、前頭葉に達して、その時点であらゆる抵抗力を奪っていたろう。
 撃鉄を起こすより速く、とっさに左手で銃の先を持つと同時に、グリップを握ったままの右手も上げて、けんすいをするように、銃身を横にして、額の上にもっていったのは、単に本能のなせる技だった。
 刀身の中ほどが恐ろしい勢いで銃身と激突し、白昼でもそれとわかる細かい火花が散った。衝撃で、耕下の身体は、全身がコンクリートの床面にめりこんでしまうかと思われるほどに押しつけられる。銃身もすっぱり切られてしまうのではないかと思ったほどだ。男はそのまま上からのしかかるように刀を押しつけてくる。すさまじい腕力に耕下は押しまくられる。
 目の前数センチのところに、しみひとつなく光り、幅が広く身が厚い、長い刀の刃があった。ちょっとでも手をゆるめたら最後、頭をスイカのように割られる。
 1メートル近い刀身は、全体が凶器であるという、言わずもがなの殺気をひけらかす。触れただけで、肉や骨はレーザーで切られるよりもあざやかに斬られるだろう。耕下が気をゆるめたり、タイミングを誤れば、たちどころに耳や鼻が吹っ飛び、肉も骨もスライスされる。
 男は両手で空を握りしめ、男の手から数センチ離れたところに浮いている刃を、耕下が死に物狂いで受け止めているという、はたから見れば超現実的な眺めなのだが、もちろん耕下にはそんなことを思いやる余裕はない。刀は確かにこの使い手の黒服がしっかりと握っている。柄が見えないだけなのだ。
 男の力は強い。日本刀を使い慣れている、かなりの使い手の強さだった。
 耕下は必死でこらえる。
 男はかさにかかって押してくる。
 男の顔がすぐ前にあった。ウエーブのかかった長髪が無造作に額にかかっている。眉間にはタテのしわが小さく刻まれているが、表情は変わっていない。漆黒のサングラスの奥の目は、射抜くようにこちらの目を覗き込んでいることだろう。
 「ピースメーカーのシビリアンとは、ずいぶん時代がかった銃を使っているじゃないか、警部補」男は口の端をゆがめ、低い声であざけるように言った。
 耕下も両手に力をこめ、必死で押し返そうとしながら、くいしばった歯の隙間から言い返す。
 「いまの世の中に、日本刀を振り回して、チャンバラごっこをやるほど時代がかっちゃいないぜ」
 男はさっと刀を退いた。
 耕下は思わずまえにつんのめる。
 そこへ、男は右から、斜めに刀を薙いで、耕下の首と顔面を襲った。
 「わあっ!」
 と悲鳴のような声をあげながら、そのままの体勢で、銃身を、風を切って飛んでくる刀のほうに向ける。
 ギャリーン!
 再び衝撃と火花。
 どうにか受け止めた。
 男は刀が受け止められたと見るや、さっと刀身を銃身から離し、こんどは左側から耕下の首めがけて薙いできた。
 「わっ!」
 再び悲鳴とも掛け声ともつかない叫びとともに、銃身を横に、刀の前に突き出して防ぐ。
 耕下の全身が衝撃でゆさぶられる。
 男は、この耕下の防御も予期していたかのように、刀を退くと、今度は最初と同じ、正面から上段に耕下の頭を狙ってきた。
 「あうっ!」
 またも悲鳴のような叫び声をあげ、どうにか頭上で刀を受け止めた。
 短い銃を両手でささげ持ち、おかしな声を発しながら、慣れない踊りを必死で舞う、ぶざまな舞踊初心者のようなありさまなのだが、耕下の死に物狂いの防戦は功を奏し、日本刀は耕下をかすりもしない。
 じつを言えば、最初の一撃のあとで、男が左右そして正面から刀をくり出してくるであろうことは予想できた。一撃が受け止められた時点で、男は、耕下が簡単にはかたずかないと認め、攻撃法を変えたのだ。
 右へ左へ、そして上へと刀をくり出すのは誘いだった。
次の手が本気で耕下を仕留めようとしてくる。
 それはおろらく突きだ。
 と、耕下は予想した。
これまでになく鋭い必殺の一撃だろうが、そのときこちらにも反撃のチャンスがうかがえるはずだ。
 またしても二人は、刀と銃でがっちりと絡み合った。
 男の筋力の強靭さが、刀の先から銃を伝い、耕下の両手に伝わってくる。
耕下も足を踏ん張り、重量挙げの要領で刀を押し返そうとする。
 いきなり男は、刀ごと体を退いて後ろへ飛び退いた。
 つっかい棒をはずされたように、耕下はどうっと前につんのめる。
 そのとき、男はさがると見せかけて逆に踏み込んできたのだ。
 「とうっ!」
 と、耕下の胸の真ん中めがけ、刀の切先を突き出してきた。
 予期したとおりだった。耕下にも備えはできていた。
 一歩踏み出し、つんのめりかけたところで、その足を思い切り蹴り、自ら後ろへ飛び退いた。
同時に切先が胸をかすめる。刀は耕下まで届いてはいないが、耕下は弾き飛ばされたように床面に、逆転ぎみに背中から転がった。二回転、三回転、ごろごろ転がっても、目標を見失わないよう注意し、男の居る方角へめぼしをつけていた。
 男がさらに二、三歩踏み出してこなければ剣先が届かない位置まで転がったのち、はずみを利用して起き上がりざまに、右手のピースメーカーを男のほうに向ける。まだ引き金を引き絞ったままだった。と、同時に、左手の手のひらで撃鉄を激しく連打した。西部開拓時代のアメリカで見られた連射のテクニック『ファ二ング』だった。シリンダーの回転と激発がほぼ同時になされ、機関銃なみの速さで銃弾が発射できる。
 バババッ!
 超小型のガトリング砲と化したピースメーカーはうなりをあげ、
閃光が男をなぎ倒すべく尾を引いた。
 バチッ!
 ヒューン!
 と、石が砕ける音がし、屋上庭園の通路にあたるコンクリート面に火花が散った。
 銃弾は、しかし男をとらえてはいなかった。
 銃口の煙とコンクリートの塵が一時的に舞い上がった先には、男の姿はなかった。
 銃を構えなおし、向きなおる。
 男の姿は耕下の目の前から消えていた。
 「君も暇つぶし程度には相手になってくれるじゃないか、警部補。」
 視界の右上から声がした。
 男は一段高いところから耕下を見下ろしていた。
 屋上庭園の中央を走る、幅広の長い芝生の帯の上、コンクリートの通路より1メートルくらい高く設けられた花壇のようなところに、影のような黒服の男はいた。
 芝生の上をぶらぶら散歩でもしている途中のような、なにげない様子で、左手をだらりとたらし、右手を軽く上げているが、その拳の先にはあいかわらず、日本刀の刃のみが浮いている。汗まみれで息を切らしている耕下とは対照的に、すべからく他人事のような余裕だ。
 男は、上空を吹くゆるやかな風に、豊かな長めの髪をなびかせると、顔見知りにでも近づくような調子で、ひょいと芝生から下り、耕下と向かい合った。
 耕下は思わず身構え、右手を上げると、親指で撃鉄を起こしつつ、銃口を男の顔に向けた。男は、それが見えなかったかのように、一歩踏み出し、耕下に近づこうとする。
 耕下は男を見すえ、銃を構えなおす。
 「ムダだよ、警部補。さっき、銃声に続いて空のシリンダーを叩く音が聞こえた。もう弾はないはずだ。」
 男はさらに一歩近づく。
 耕下は引き金を引いた。
 カチッ!
 撃鉄が落ちて、空の薬きょうを叩く、なんともむなしい音がした。男の言ったとおりだった。エレベーターで3発、さっきの連射で3発。弾を入れ替えているひまはなかった。耕下の銃はいまや役立たずの鉄のおもりでしかなかった。
 「ほらな」
 男は表情を変えないながらも、口の端をゆがめ、得意そうに、右手とその先の刀を上げる。耕下は破れかぶれに腹が立ってきた。
 「ちくしょう、くそやろう!」
 いきなり右手を振り上げると、男の顔めがけ銃を勢いよく投げつけた。
 くるくる回りながら、それでもかなりの勢いで、男に向かって飛んでいった銃は、男がひょいと右手を動かしただけで、日本刀の背で簡単にはたき落とされ、カランと音をたてて、コンクリートの通路に死んだカラスのようにころがった。
 耕下にはまったく武器はなくなった。
 そして、浮いている日本刀は男の手の延長のように一体化している。
 男はまっすぐに伸ばした右手を、ついと肩の高さまで上げた。手とその先の刀が、水平線のように一直線になる。
 そのまま耕下に向かって一歩踏み出した。
 同時に、耕下の足は、連動しているように一歩さがる。
 さらに一歩踏み出す。耕下もまた一歩さがる。
 回を繰り返すごとにこの動作がすこしづつ速くなる。
 後ろが見えない耕下は、ぎこちなくよろめきだし、芝生花壇に沿ってコンクリートの通路を尻餅をつきそうになるまで後退し続けたあげく、こらえきれずに言った。
 「ま、待て、話し合おうじゃないか、あんたとは、そのう、わかり合えそうな気がするんだ。話し合って、妥協点を見いだしたほうが、こうやっていがみ合っているよりも、お互いの人生にプラスになるんじゃ……」
 我ながら情けない、意味のないたわごとを言っているとわかっていたが、もはや言うべきことも打つ手も思いつかない。しかし軽口もユーモアも通じる相手でもなさそうだった。



  タチヨミ版はここまでとなります。


天誅団 平成チャンバラフィクション 第三巻

2015年2月6日 発行 初版

著  者:北村恒太郎
発  行:北村恒太郎出版

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北村恒太郎

屋根裏文士です。
青森県を舞台にしたホラー、アクション、コメディー、ファンタジーなどを中心に娯楽ものをいろいろ書いてます。
◇青火温泉 第一巻~第四巻
◇天誅団平成チャンバラアクション
 第一巻~第四巻
◇姫様天下大変 上巻・下巻
◇無敵のダメダメオヤジ 第一巻~第三巻
◇アメブロ「残業は丑の刻に」

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