築城400年でにぎわう2014年春の弘前城。
そこへやってきた中学教師・春奈と歴史クラブの生徒3人は、城門をくぐった瞬間、寛永年間の弘前城内へタイムスリップ。
なぜ?どうして?!
おりから城内は隠密さわぎの真っ最中。
剛腕目付、好色殿様、ヤンキー姫様に、忍者や陰陽師まで入り乱れて、城もブッとぶ大騒動!
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青森県の津軽地方の中心都市、城下町である弘前市。
桜の名所として知られる弘前公園は、かつての弘前城址が明治時代に一般に開放され公園となったものだ。
かつての津軽藩主の居城・弘前城は、御殿など城郭の主だった建物こそ失われたが、天守はじめ櫓・城門・堀、そして敷地はほぼそのままのかたちで公園となって残ったのだ。石高にしては破格の規模を誇った、雄大な城の跡だ。
東京ドーム十個が収まるほどの敷地に咲き乱れる、手入れの行き届いた二千六百本の桜の花を、よりいっそう引き立たせるのは、この敷地の城としての枠組みだ。くぐり、折れ曲がり、渡り、上り下る。人々は歩むほどに進むほどに、桜と、かつての城の豪華さと豊かさに酔いしれる。
桜ごしの天守の白壁、黒門に映える桜、堀に映る桜の影は、ここにしかない「日本のぜいたく」
を味わわせてくれる。
しかし、意外なことに、この桜は、明治期になって植えられたものなのだ。城が城としての役割を終えてから、全体として、いかにも日本の城に似つかわしい姿になったともいえる。
むろんそんなことはいっさいおかまいなく、知る必要性も感じず、花見客や観光客は、かつて御殿があった本丸あたりに花見の宴席を広げ、雪をいただく岩木山と、津軽の春をめでるのだ。
築城四百年を迎えたという2014年のこのとき、いましも春の盛り、桜の盛りの中を、一人の若い女と三人の生徒が、観光客の群れをかきわけ、本丸方面を目ざして、杉の大橋を渡って南内門へと向かっていた。
「ともかく今は危機なの。危機を救わなくちゃならないのよ。あなたたちはそのために招集された、いわば特命生徒というわけよ。」
「なんかカッコいい響きだけど、どこかヘンですよ。」
「私なんか、関係ないんじゃないですか」
「関係あるでしょう、導伝さん、アナタ、歌舞伎を見たって言ってたわね、過去に二回も。歌舞伎を見たらそれでもう歴史通よ。」
「このごろではルパン三世にハマッてますけど」
「で、小坂くんはもともと歴史オタクだし、副部長だったから今年は当然部長よ。」
「まあ、大河ドラマはしっかり見てますが」
「最高じゃない、もう完璧なレキオ(歴男)よ。そして合人くんはすばしっこいし。」
「すばしっこいのと歴史とどういう関係が…」
「アナタ、たしか、ギリギリの成績だったわね。つまりあなたが進学・卒業できるかどうかは、私のサジかげんにかかってるってわけよ。そして導伝さん、あなたアナタ、推薦入学を希望してるんですって?私ならあのヒヒジジイの校長に頼み込むのは可能だわ。というわけで、あなたたちを正式部員と認めます。」
「先生、もしかして、これって?」
「そう、いわゆる司法取引ってやつよ。」
「いや、それは違うんじゃ…なんかギリギリのヤバいことのような…。でも、そうまでして歴史を、いや、歴史部をを守ろうとするのはどうしてなんですか?」
「私が歴史部の担当顧問になってしまったからよ。あのズラ教頭めが、いやがらせに廃部寸前の部の担当にしやがった。」
「廃部にすりゃあいいでしょう」
「そんなことは私のプライドが許さないの。私が担当になったとたんに部員不足で廃部になるなんて、力の無さ丸出しの赤っ恥じゃない。私は自分の名誉が傷つけられるのは、絶対ガマンできない。ジョーダンじゃないっての。」
たいして名誉なんてないでしょう、と言おうとして、椎三は大人びたことに、思いとどまった。かわりに、
「歴史なんて先生むきじゃないですよね」
と言った。
「あたりまえよ」
春奈は意を得たりとばかりいきまいた。
「歴史なんて死んだ人のことばかりほじくり出してるんじゃない、そんなの葬儀屋の仕事よ。わかりきった、終わったことばかり。何が面白いっていうの。」
「先生はファッション部を新設すればいいと思います」
成代は春奈をしげしげと見ながら言った。
「ミニスカ部もいいと思うよ!」
合人がははしゃいだ。
「先生、俺らより厳しく服装チェックされてるよね」
「そうよ、まったく。あのズラ教め!」
「でも先生、男子には大人気だよ。今日は何色かなって」
「何よ?何色って!」
春奈も苦笑がちに頬がゆるむ。
一行は心が浮き立つ陽気の中を、人ごみを縫い、急ぎ足で歩いていた。
両側を黒い学生服の二人と紺色のセーラー服の二人に囲まれて、桜の花に合わせたというパールピンクのスーツは見事なまでに浮き上がって見える。その超ミニというより激ミニから伸びた脚を軽やかに動かして、春奈先生は杉の大橋を渡っていった。
「もちろん来年…いや、秋にはそんな部を創ってしっかり担当顧問におさまるわ。でも、今はとにかく、この歴史部を廃部から免れさせることが第一。歴史部を救うのよ。」
「歴史を救う…なんだかスゴいことのように思えてきた」
椎三があらためて言った。
「そのためには歴史部の歴史っぽいところを見せなきゃ。つまり、目の覚めるような、中学生ばなれしたリッパなレポートを発表するの。学会みたいにね。
手っ取り早いのはこの城ね、歩いて探せばきっと何かあるに違いない…」
「でも、大学とかで研究され尽くされてるんじゃ…」
椎三は冷静だ。
「石垣の石ひとつでもいい、天守閣の瓦一枚でもいいから、今まで知られていないことを探し出すの。」
「そういえば、市内の古道具屋をちらっとのぞいてみたとき、江戸時代に、この城下ではやったらしいというヘンな腕輪を見ました。母が着物の古着を探していたんですが、もうひとつ江戸時代のものだという、やたら丈の短い着物もあった…」
成代はやや肯定的にとらえてくれた。
「そんなのでもいい、とにかく私たちは歴史を救うという使命感に燃えて、この城の中を見直してみるのよ」
一行は混雑する南内門前を花見客をかきわけて進む。
外堀、追手門からここまで、豪華に咲き誇る桜に、花見客だれもが豊かな気分になっている。
緑色は癒し、黄色は落ち着き、ピンク色は満ち足りる。桜の弘前公園内では誰もが幸せだった。
しかし一行は、桜などには見向きもせず、豪壮な南内門をくぐって、二の丸へ入った。
部を破滅させるのは失敗だととられる。私の失敗を喜ぶやつらは校内に山ほどいる。喜ばせてなるものか。
私は、自他共に認めるミス(県内)私立中(教師部門)の御影春奈、〝ラブリー春奈〟なのだ。
しかし実際はバブリー春奈と呼ばれていた。ヘアスタイルもファッションも、好んであのバブル期のものをまねていたためだ。肩より長く顔半分が隠れるワンレングスボブの髪、ピンクのジャケットに同じ色のミニスカートは見事なボディコン。スーツに合わせた色のハイヒールとデコレーションのない長い爪。春奈が幼児のころの流行だが、雑誌で見たオールドファッションがすっかり気に入ってしまったのだ。
「あれ、どうしたんだろう?なんだか急に人が少なくなったみたいな…」
合人がつぶやいた。
「ほんとだ、静かになったな」
椎三も顔を上げる。
いつのまにか雑踏をすり抜けていて、いま歩いているのは彼ら四人だけだった。
「もしかして道をまちがえちゃったかな、桜がないところへ来たみたい。」
成代もあたりを見回す。
「ここ植物園?くぐったの別な門だった?」
「え?」
春奈も気づいて、一行は立ち止まった。
「でも、こっちは堀じゃない。あれは確かに南内門だし…なぜ桜がないの?まさか、もう散っちゃったなんて…」
二の丸は彼らが知っている弘前公園内二の丸と似ているようで、違っていた。
桜が一本も見当たらず、冬を終えたばかりの松の大木ばかりが、巨人の列のように林立している。寒々とした中に鳥の声ばかりがひびく。彼ら以外は人っ子ひとりいない…
「くせもの!くせもの!」
かん高い声がして、いきなり何人かが土煙をあげて走ってきたと思うま、着物姿の数人が一行の前にたちふさがった。
さらに後ろ、南内門方向からも何人かが叫びながら走ってきて、たちまち春奈一行は四方から取り囲まれてしまった。
「とまれ!止まれ!あやしい奴!」
男たちは口々に叫び、柴犬のようにわめき続ける。
サムライの格好のように見えたが、それぞれが同じ、やたらと地味な色の着物に、地味で短いハカマをつけ、額がハゲでもしたようにそりあげられて、頭頂に小さなマゲを乗せているのがなんとも貧相で、侍の中でも身分の低い足軽といった印象だった。しかし、腰に刀らしい大小を差し込んでいるのと、手に手に長い棒を振りかざしてくるさまには殺気が感じられた。
「なになに!これは!」
突然のことに、春奈一行は驚き、立ちすくんでしまった。
番人のような男たちは、まなじりを決し、怒りをこめたようすで六尺棒をむける。
生徒たちは、春奈の陰にかくれるように後ろへ回りこんだ。
「なんですか!あなたたちは!いきなり!」
春奈は驚きながらも生徒たちをかばい、目の前の男たちに抗議する。
「黙れ!怪しい奴!」
男たちは犯人を取り押さえる警官のように言う。
「怪しいのはあなたたちじゃない!」
敢然と反撃しようとする春奈に合人が言った。
「先生、これ時代劇じゃない?」
「時代劇って?!…あっ、そうか!時代劇のロケをやってたのね、このお城を使って!
なあんだ。これは失礼しました、おじゃましちゃったみたいね。でも、それならそうと、ちゃんと知らせて、ADかなんかが入場規制してくれなきゃだめでしょう…」
言っているうちに門番ふうの足軽の数はどんどん増えて、十人以上で春奈たちを取り囲むかたちとなった。しかも当初からのいかつい態度をくずしてこない。あくまでも
「何者だ!何者だ!」
と怒鳴り続ける。
春奈はエキストラたちの過剰演技にいらいらしてきた。
「だからゴメンって言ってるでしょう。いつまでもつきあっていられないから、帰るわね。しかたがない、今日はレポートはダメね。」
「ああっ、み、見ろ、この女!」
足軽のひとりがあらためて気づいたように叫んだ。
「この女、半被しか着ていないぞ!」
「ほんとだ!なんということだ!」
「なんたるふしだらな!」
口々に目をみはる。
「皆!見るな!見てはならん!」
と言いながら、全員の目はすっかり春奈の白い太ももにくぎづけになっている。
らちがあかないようすに春奈の怒りがつのってきた。
「いつまで何やってんの。アタマにきたわ、責任者呼んでよ、監督かプロデューサーか!」
「先生、この人たち本物ですよ、ホントの侍です」
春奈にそっとささやいたのは、椎三だった。
「時代劇だったら、どんな大河ドラマでも、俳優の頭の後ろのところにチョンマゲかつらのあとが出る。それが見えないということは、きっとこれは本物です。」
「どういうこと?」
「つまりタイムスリップというやつじゃありません?江戸時代へ。」
こんどは成代が足軽たちに目をやったままささやく。
「タイムスリップって、ドラマや小説で、やたら安易に,さかんにおこなわれるアレ?」
「どうやらそれです。僕の時計も見て下さい」
椎三が左手を上げた。
「僕のは電波時計なんだけど、ほら、表示が消えてしまってる」
「なにそれ!まさか…どうして?!どんなわけで私たちがそんな目にあうの!信じられないわ!原因は何!?」
足軽たちは春奈一行の当惑をかえりみる余裕はなさそうに、
「こやつ岡場所からきたのか!」
「いや、やはり間者…隠密だろう、色香で我々をたぶらかす〝くの一〟だ!」
などと口々に勝手なことを言いつのる。
そして何人かが、
「右門さまだ、大目付の右門さまを呼べ、早く!」
と悲鳴に近い声で叫び始めた。
それに応えるように、はるか本丸側から下乗橋を通って、一陣の黒い風が吹いてきた、ように見えた。
それほどその男は速く、風のように駆けて、たちまち春奈一行と足軽たちの前に姿を現わした。つき従う、豆まきイベントからかけつけたような肩衣と袴の裃侍姿の二人は、息を切らせてあとからようやく男に追いついてきた。
春奈一行を取り囲んでいた足軽の輪は、新参の男のためにさっとふたつに割れ、男と春奈たちがひたと向かい合う。
黒い影を思わせる大男が春奈を見下ろしていた。
その男は、見るからにその他大勢を思わせる足軽たちとはまるで違っていた。ただ一人でこの場の空気を圧倒する、誰もの目を一身に集める、千両役者の存在感、本物の侍の迫力があった。
「なかなかシブいオッサンですね」
思わず成代が春奈にささやいた。
「グラディエーターの人に似てるみたいですね」
と椎三も言い、「ケイタイ持ってくりゃよかったな」と合人がつぶやいた。
確かに三十がらみの、日焼けしたスポーツマンタイプの無精ひげの二枚目ではある。黒いなめし皮の小袖の着物と袴、それに黒いなめし皮の陣羽織をコーディネートし、やぼったいサカヤキはなく、豊かな黒髪を天を突く太いマゲにしている。右目の上の太い眉を両断する刀傷がスゴ味をきかせていた。
「でも、なんかヤな感じ…」
春奈は顔をしかめた。
男は刺すような眼光で一行をにらんでくる。
「あ、あなたは誰?ここはどこですか?」と言おうとした春奈だが、男に気圧されると同時に、その腰の、これ見よがしの朱鞘の大小の刀に目がいって、何も言えなくなった。
男はなめるように上から下まで春奈を見回すと、ふんと鼻をならし、足軽たちのように春奈のミニスカに心を動かされたようすもなく、腕を組んだまま四人をながめながら、そのまわりをゆっくりと回る。大蛇ににらまれているようで、四人はどうにも落ち着かなかった。
ぐるりと回って春奈の前に戻ってきた男は、通り過ぎざま、さっと春奈がかかえていた小さなハンドバッグを抜き取り、春奈が「あっ、何を!?」と言う間もなく、バッグを開けて中を調べはじめ、携帯電話を取り出してためつすがめつしたのち、「武具ではないな」と言って、バッグに放り込み、すぐさま春奈に放ってよこした。
どうにかバッグを落とさずにかかえた春奈を見てにやりと笑い、
「おもしろいな、面白い奴らが出てきたもんだ」
と、なめきったように、野太い声で言った。
「右門さま、この者ども、何者でしょう?」
足軽の一人が緊張したまま問いかける。
「やはり隠密では?」
「いや、そうではあるまい。隠密がこんな目だつ格好をしているか」
「それは確かに」
足軽たちもうなずく。
「こやつら、南内門から現れたと申したな」
「はい、ふいに南内門をくぐってやってきました。」
「ふん、だとすると、もしや…」
「右門どの!右門どの!」
裃姿のもうひとりの侍があたふたと走ってきて伝えた。
「ご家老が、直々にこの隠密どものぎんみをしたいと申されております。武芸所へ連れてくるようにと。」
「なに、ご家老が直々にとな。興を引かれたとみえるな。よかろう、ただちに武芸所へむかえ。」
「あ、あ、あのあのあの…」
春奈たちは抗議しようとしたが、いつのまにかさらに数が増えていた足軽たちは、がっちりと四人のまわりをかため、「さあ、とっとと歩け!」と、強引に促して、本丸へ誘導しはじめた。
教師と生徒の中学校グループ四人をしっかりと取り囲む二十人近い侍の一団が、二の丸の広い通りを折れ、前方に重臣の武家屋敷と、それと向かい合う下乗橋が見えかかったころ、しんがりを歩いていた右門と呼ばれた男がいきなり断じた。
「やはりお前は隠密だったな」
一行はびくりと立ち止まると、裃の侍たちは一歩下がって刀に手をかけ、足軽たちは六尺棒を構えなおして、たちまち春奈たちにつめよって、棒の柵で身動きできないようにしたうえで、
「そうでしたか!やはりこの者どもは隠密…」
「油断するな!」
「ほかの足軽組も呼べ!」
「徒士目付さま、足軽目付さまにもお知らせしろ!」
「もっと助勢を!」
などと騒ぎだした。
しかし右門は、いちばん後方で六尺棒を構えていた足軽につかつかと歩みよると、
「お前だ、お前。」
と話しかけた。
足軽ははっと向きなおる。
「はい」
「お前、名は何と言う?」
「小平太と申します」
「みんな、この者を知っておるか?」
右門の突然の問いかけに、どの足軽たちもきょとんとしている。
「この者はどの足軽組か知っておるものはいないか?」
さらなる問いかけに、足軽たちはわけがわからず、お互いに顔を見合わせたりした。が、やがて小平太をしげしげと見つめはじめ、またしてもキツネにつままれたような顔になる。
「おい、小平太とやら。お前だけ、なぜ足袋が違っておるのだ?」
右門の問いかけに、小平太はうつむきかげんになり、何も答えない。
「足軽のそろいの衣装がある納戸へ逃げ込んだまではよかったが、あわてて足袋だけ替えるのを忘れたといったところなんだろう?」
ビュン!
という風を切る音とともに、小平太は、春奈たちのほうに向けていた六尺棒を、いきなり逆方向、右門へ向けて振り下ろした。
「とうとう城内にまで忍び込んでくるとは、恐れを知らぬふとどきな奴。お前のほかにもいると思ったほうがいいか…」
右門の声が後方から聞こえてきた。難なく棒をかわして飛び退いていたのだ。
「くっ!」
小平太は歯をむき出すと、棒を長刀のように持ち直し、
「てーい!」
と右門をねらって振り下ろす。
右門はその切先をひらりとかわす。
小平太はすぐさま棒を逆方向へ振り、これもさらりとかわした右門へ、今度は槍よろしく突きを入れる。右門はこれもさっとよける。
春奈たちには牛と闘牛士の闘いに見えた。腕の差は明らかだった。
あせった小平太は、つづいて六尺棒を大上段に振りかざし、えーい!と右門の脳天めがけて叩きつけた。
右門は今度はよけず、左手ではっしと棒を受け止めた。
「お前のほかに何人が城内に忍び込んだ?何人いようともすべて捕らえるぞ」
右門は棒をしっかり握ったまま言い、右手をみずからの刀の柄にあてると、春奈たちには見えない動きで抜き放った。
カッ!カッ!と音を発した棒は、たちまち短い三つの破片になる。
「くそっ!」
小平太は棒を投げ捨て、次は大刀を抜いて右門に斬りかかる。
右門はこれも刀で軽くあしらい、
「無駄だ。いまここで斬られるのがいいか、責め殺されるのがいいか、選ぶのはお前だ。」
と宣告した。
あきれたことに、ここまで足軽や裃侍たちはなすすべもなくこのありさまをながめていただけだった。
不利を悟った小平太は、だっと右門の前を飛び退くと、大刀を振りかざして、足軽たちに襲いかかる。
「ひゃあ!」
足軽たちは思わずよける。
真ん中にいた春奈が小平太につかまった。
左手でがっしりと後方からはがいじめにし、右手に持った刀の先を春奈ののどに突きつける。
「ヒーッ!やめて!」
「よるな!のけっ!のかぬとこの女を殺すぞ!」
右門はまるで動じず、ずいと歩みよる。
「殺すがよかろう。どこの馬の骨ともわからぬ女だ」
「ちょ、ちょっと!そ、そ、それはないんじゃない、なんとかしてよ~!」
春奈は泣き声になる。
「合人くん、今だ、走れ!」
何の脈絡もなく椎三が叫んだ。
「え?!」
合人は意味がわからない。
「いいから、全力で門へ走れ!早く!」
「う、うん…」
合人はわけがわからないながらも走り出す。
「もっと速く!」
椎三はさらに叫ぶ。
「あ?!お、おまえたち、何を…」
小平太の注意が合人に向けられたとき、右門はまだまだ左手に持っていた棒の切れ端を小平太の額めがけて投げつけた。
「うっ!」
棒の一撃で昏倒しそうになった小平太は、大刀を落とし、春奈をはなす。春奈は飛び退いて、成代にしがみつく。
「ひー、怖かったよ、成代ちゃん、なんなのこれ、まったく冗談じゃない…」
すかさず右門が小平太に斬りかかる。
かろうじてかわした小平太が、懐に手を入れたとみるまに、ボーンと何かが爆発し、あたりは白煙につつまれた。たちまち足軽の何人かがむせはじめる。
「ちっ、煙り玉か、逃がすな、捜せ!」
右門の声にも足軽たちはなすすべもなく右往左往するだけだった。
煙が消えたとき、すでにそこに小平太の姿はなかった。
「取り逃がしたか…」
「右門さま、奴め、逃げおおせたようで、なんとすばしこい…」
右門は憮然と突っ立っていたが、やがて、つと思い出したようにしゃがみこむと、さきほど小平太に投げつけた棒の切れ端を拾い上げ、ふんと手の中でもてあそびはじめた。
と、その棒をいきなり、堀の端にそびえる松の大木に投げつけた。
棒はむなしく幹に当たってカランと落ちる。
腹立ちまぎれの八つ当たり、と足軽たちが思ったとき、その松の木の皮が一枚はがれ、中から小平太がころがり落ちてきた。
「くだらんまやかしを」
右門は鼻先で言った。さらに椎三に向かっては、
「小僧、お前はなかなかさといな。おかげでこやつにやたら手こずらされずにすんだ。」
と評価する言葉をかけたが、
「しかし、これでお前らも案外油断ならん奴らだということもわかったぞ。」
と断じてしまった。
すぐさま小平太は、その場で後ろ手に縛られ、右門にさるぐつわをかませられた。
城中から新たにやってきた裃姿の平侍たちも加えて、さらに厳しく警戒されながら、一行は下乗橋を渡って本丸へとひったてられることになった。
「ねえ、この天守、ヘンじゃない?なんだか違うような、私たちが知ってるのと。」
橋を渡りながら成代が気がついた。
常日ごろから下乗橋を渡るときは、自然に天守に目がいく。こんな状況でもそれはかわらなかった。しかしこのときは、桜のない二の丸のようす同様、天守も違って見えたのだ。
「ホント、なんだか大きく見えるね」
合人も同意する。
「見えるんじゃない、ホントに大きいんだ。五層もある」
椎三が正した。
「どういうことかしら?でも、リッパね。これだと姫路城なんかにもひけをとらないんじゃない。敷地のわりにずいぶんかわいい天守だねって、観光にきた大学時代の友達に言われてムッときたもんよ。これを見せてやりたいわ」
春奈は妙に感心し、そうだ写真にと、ケイタイを取り出そうとして、状況に気づいてやめた。
下乗橋を渡るとすぐに門があり、周囲に門番足軽や裃平侍が待機して四人をにらんでくる。
「こんなところに門なんてあったけ?」
「チャチい門ね、イベント会場の入口みたい。本丸のほうにもあるわ。ねえ、入場券売り場ってあんなだったっけ?」
「あれはきっと武者屯所ですよ…」
四人は初めて見る見慣れたはずの場所に、ついきょろきょろしながら連行されていった。
本丸へ上がる坂のあたりから、両側に、城内から出てきたらしい下男・下女・女中・侍女・中間・小者そして足軽や徒士侍たちが、とりどりの着物姿で見物人のように、四人を見るために群がってきていた。
「いよいよ時代劇っぽいわねえ」
春奈もまた、しげしげと彼らを観察する。
「エキストラだとしたら優秀だわ、着物が板についてるもの。」
天守を横目に流して本丸へ上がると、そこには四人が見たこともなかった光景が広がっていた。
白壁の壮大な建物がでんと腰を据えていたのだ。
瓦屋根が幾層かに折り重なって望めるところは、本丸せましと何棟か建てられているらしい。
「…ここ…ここって、宴会やるところですよね。広い芝生で、ゴザひいて、酔っ払ったオジさんや大学生が騒ぐ、あの…」
成代は目をみはった。
「これって何?!蔵?寺?二条城?それとも和風旅館?見て!ゴージャスなエントランスじゃない…なんで?なんでこんな見たことないものがあるの?」
春奈も驚く。
「だから城ですよ、江戸時代の弘前城です。」
椎三が冷静に解説する。
「えーっ?!急ごしらえのセットかなんかじゃないの!でなきゃCGとか、でなきゃ弘前城じゃない別なところだとか…」
春奈には容易にのみこめそうになかった。
「…やはりこれはタイムスリップだな…僕たちは21世紀から17世紀の江戸時代へとタイムスリップしたんです…ほんとうに。」
椎三が真剣に言った。
「…ふ、ふーん…そ、そう…そういうもの…まあ、さっきのチャンバラやまわりの連中からみても、状況はなんだかそうみたいだけどさ、信じられないわね。どうしてそんなスゴいことが安手のドラマみたいに簡単に起こるのよ。」
春奈は教師らしいさめた見解を示しておく必要があると思った。
「そうですよ、近頃のドラマときたら、SFもないのに何の説明もなくタイムスリップしすぎです。」
成代もこれには賛成する。
「しかも過去へばかりですよ」
「過去ってのはフェアじゃないよね、成り行きがわかってる現代が有利にきまってるんだから」
合人も加わってドラマ批評になる。
「映画だと、時間を越えるのって、スゴい装置が必要ってことになってるじゃないですか。プルトニウムとかスゴい量の電力とか。でも、私たちは南内門をくぐっただけで過去へきたことになる。これは安易すぎます…」
成代はタイムスリップはものものしく起きるべきだと思っている。
「そう、相対性理論を前提にしたとしても、無理に時間を越えようとすると、大変な量のエネルギーがいるかもしれない。あるいは何らかの特異な自然現象…さらにもうひとつの可能性として、ある種の特殊能力…」
椎三は考えこむ。
「なぜ私たちなの?理由も原因もないじゃない。
あー、さっさとこんなところから、もとのところへ帰りたい。レポートのネタにはいいかもしれないけど、いごこち悪い、イバッた侍ばっかりで。明日は教職員全員会議もあるんだし…」
「僕はどうも、先生が言ってた〝歴史を救う〟って言葉がひっかかってるんですよ」
「それはいいけどさ、小坂、隠密ってなんだい?よくわからないんだけど」
合人の問いかけに、椎三はしばらく合人を見つめたのち、ため息とともに言った。
「そうだね、意外に知らないかもしれない。
江戸時代、日本は中央集権国家だった。今も似てるらしいんだけどね。当時の中央政府が一番恐れたのは、自分たちの力を脅かす地方の反乱だ。幕府は地方の力を弱めるために、なにかと理由をつけて、地方の大名を破産させる命令を下した。隠密というのは中央からのスパイで、地方のあら探しをして中央に告げ口する役目なのさ。こんなやたらリッパな城なんかも告げ口のネタになる。ぜいたくすぎて政府の方針に反するってね。金もちすぎると狙われるんだ…
この廊下もお金がかかっていそうで、リッパだな…」
彼らは本丸御殿群を横切って、ヒノキでできたらしい渡り廊下がある区画へ行きついていた。
廊下の先には広めの舞台のようなところがある。
「これは何?なにかのステージ?」
春奈はもちろん日本の古典芸能には詳しくない。
「能舞台ですよ」
椎三がガイドよろしく解説する。
「当時は能が娯楽でしょうからね。プライベートシアターみたいなもんかな。でもこんなリッパなものがあるとは、津軽藩はリッチだったんですね。隠密リストに載るわけだ。」
「そこで止まるな!こっちだ!」
と、彼らがつれてこられたのは、舞台の後方にある武芸所だった。
その名のとおり、御殿にくらべるとかなり質素に見える剣道練習場のような板の間に、縛られた隠密・小平太と、少し離れて春奈一行が、ひとかたまりに座らせられ、ほとんど春奈たちに、右門があれこれと質問をしかけてきた。
右門は四百年のギャップをものともせず、春奈たちの話に反論するでもなく怒るでもなく、淡々とベテラン刑事のように耳を傾ける。右門がそれを信じたかどうかはともかく、春奈たちがここまでつれてこられるまでのいきさつや、それぞれの平成の時代での日常生活まで、かいつまんで聞き出してしまったころ、なははだ威厳のあるずんぐりした年寄りが、徒士目付らしい裃姿の侍を伴って、ころころ転がるように武芸所に現れた。灰色の髪の小さなマゲに合わせたような、灰色の肩衣と袴の裃姿も、顔のしわも、大銀行の重役らしい雰囲気がある。
「わざわざのおはこび、またご家老みずからのご吟味とは恐れ入ります」
という右門のあいさつを聞くのももどかしく、
「おお、この者か、この者が城中に忍び込んだ隠密か!」
と、小平太をにらみながら感心したように言った。
「はっ、小平太と名乗っておりますが、そのようなものは城中にはおらず、番士らも足軽目付、徒士目付も、見たことのない者だと申しております」
右門は平伏して言う。
「よくやった、よく捕らえたぞ、右門。その方が早道大目付に就任して以来の目ざましい働きぶり、殿もいたくお喜びじゃ。近く直々にお言葉があろう。さすがはバイアンどのの推挙のおぬしじゃのう。それにしても、城中に忍び入るとは大胆な隠密じゃの。」
「しかり。藩内の忍びは一掃したと自負しておりましたに、まんまと城中に入られるとは、右門一生の不覚。この上はさらに城中を厳しくあらためまする。」
「この者を問いただすのは無理か?」
「忍びはいかように責めましょうとも、なまなかには口をわりません。舌を噛み切らぬようにさるぐつわをかませるくらいが、今できることにございます。」
「うーむ、そうか…」
ひとしきりうなった家老は、ようやく春奈たちに目を向けた。
「して、この異様な風体の者どもは…おおっ、なんとこのおなごは半被しか着ておらぬではないか!」
膝を折って板の間に正座している春奈を見て、あらためて気づいた。
「なんと脚がむき出しで…誰ぞ、この者にじゅばんなどを…」
「あー、時代劇ってタリい。イライラする…」
春奈は小声でうめいた。
「ほんとにこれって、参加型の新手のアトラクションじゃないの?」
「とりあえず、おとなしくしてましょうよ」
椎三がたしなめる。
「この者たちも隠密とみるか?」
家老が右門に正す。
「いや、とても忍びとは思えませぬ。その女の巾着をあらためましたが、武具らしいものはありませんでした。」
「では何者なのじゃ、なぜ城内におる?」
「さきほど問いただしましたところ、当人たちは先の世からやってきたと申しております。知らぬうちに来ていたと。」
「…ほう、先の世とな。ふむ、おもしろいの。それはおもしろい。出まかせにしてもおもしろいことを言う。ならば聞こう、先の世ではこの津軽藩はいかようになっておるか?」
家老は春奈たちにきっと正した。
「あと二百年は当津軽藩は安泰と申しております。」
右門がとりなした。
「なに!それは、なんとバイアンどのの話と同じではないか!するとこの者たちも易者か?!」
にわかに家老は動揺のそぶりを見せた。
「お殿様のおなりにございます!」
いきなり武芸所内にかん高い声が響き渡った。
城中の者なら知らぬものはない、殿様付きの上席中小姓の声だ。
右門と家老はハッと顔を見合わせると、たちまちその場に平伏した。ほかの侍たちもすぐさまそれにならう。どうやら城中一の大人物が、もったいぶった儀式もなくこの場にやってくるらしい。後ろ手に縛られている小平太でさえ、あぐらのままでことさらにうなだれている。
全員がうやうやしくかしこまっている中で、春奈たち四人だけが、むしろ首を伸ばしかげんに、事あれかしと成り行きを見守る。
まず武芸所入口からしずしずと現れたのは、家老と同じ灰色裃姿の殿様警護専門の御徒士侍だった。ぞろぞろ四人も続き、そのあとに、成代がジャニーズの仮装のようだと思った、明るい色の裃姿の中小姓二人が入ってきて、家老と右門が退いた上座に次々と席をとって正座し、引き続いてようやく戸口からするりと現れたのは、侍たちとは違う明るい緑色の絹の小袖に袴、よく光る黒い絹の羽織をまとった、歳のわりには若く見えると人から言われそうな男だった。ひょこひょこ歩くさまは、どこかつるりとしたにやけた印象があり、落語のお囃子でもかかれば若旦那に見えそうだった。しかしマゲと月代は誰よりも見事にセットされている。さらに続いて、家老と同じような年配の勘定奉行、寺社奉行、月代奉行らがついてきた。
「これはこれは、殿直々のおはこびとはまことに恐れ入りまする。」
家老は顔を伏せたまま言った。
「殿にお目通りがかなうのはお目見え以上の侍と心得おきましたに、かかるものどものためにわざわざおはこびいただくとは、ただただ恐れ入ります。」
右門もことさらにへりくだる。
「あー、よいよい、苦しゅうないぞ。世にも珍しき隠密が捕らえられたというので、直々に検分に参った。勘定奉行らも詮議したき儀があると申すので同道させた。」
中央に座した殿様が口を開いた。
「あれが殿さまなの?なんかチャラくない?」
春奈が小声で言う。
「殿様オーラ、ゼロっすね」
合人もつい本音を言ってしまい、
「ホント、二世議員かボンボンじゃない」
という春奈の同意をさそった。
彼らの話が聞こえてか聞こえずか、殿は待ちきれないように話しかけてきた。
「なるほど、その方か。格別に返答を許すぞ、苦しゅうない面を上げ…あ、もう上げておるか」
(ボケてくれるじゃない、殿さま。)
当然、殿の目は真っ先に春奈にいき、殿はあらためて目をみはった。
「なんと!聞いたとおり、このおなご、脚がむき出しじゃ!
おお、なんということ…だ、誰ぞ、このおなごに腰巻をもて…見るに耐えぬ…ことはないが…」
(ああ、もう、いいってのに!)
やはりどの世界でもどの時代でも、人はまず外見で、着ているもので判断されるものだと春奈は実感した。椎三たちの学生服、成代のセーラー服もこの時代では初めて見るものなのだろうが、誰の目もまず春奈に集中するのだ。
まいまじと春奈を見つづける殿に、
「その者は御影春奈と名のる女にございます」
と右門が解説した。
「うむ、で、この者は?」
殿はようやく目を移した。
「小坂椎三と名のっております。なんと、侍とは見えぬこの者どもすべてに苗字があります」
「その鼻の上のギヤマンは何じゃ?」
「メガネというものではないかと。家康公もお使いになられたという南蛮渡来の。」
家老が付け加える。
「この者は?」
「為田合人と名のっております」
「この者、長生寺の小坊主に似ておるの。いやよく似ておる。」
チェッと合人は小さく舌打ちをした。じつは合人の家は長生寺の檀家で、平成の現代でも、寺の大きな行事があると、家族総出で手伝いに出ていたのだ。
「いまひとりのこちらのおなごは導伝成代と名のっております」
「ほほう、その方の袴は短かすぎるの。」
殿はセーラー服のことを言っていた。
「あ、あのー、私のスカートはこれで適正なんです。セーフなんです。今までの制服チェックで短いと言われたことは一度もありません。」
成代の必死の抗弁にも殿はキョトンとしている。
「殿、その者どもの申し出によりますと、いずれも、私立中学校なる学問所のものだとのことにございます。むろん藩校にはそのような学問所はございませんが。」
右門が注釈を入れる。
「御影春奈なるその女は、そこで国学を教える師範、他の者はその門弟だと申しております。」
「なんと師範とな。女だてらに師範とは、あっぱれな。春奈とやら、立ってみよ。」
「は?」
「立ち上がってみよというのじゃ。」
「はあ…」
春奈はしかたなく正座から膝を立てた。
見えそうになった下着にも、「おおっ!」とやや動揺した殿は、立ち上がった春奈に、さらに感じ入ったような視線を投げた。
「なんという長い脚…これほど姿よき脚は久しく見たことがない。見事じゃ。武者屯所の者どもまでが騒ぐわけじゃの。胴もくびれておるし、面立ちは異人のようでもある。
のう、隼人、なかなか良きおなごぶりではないか!」
「はあ…」
家老はしぶい顔をしている。
殿がついに感極まったように言った。
「のう、隼人、どうであろう、こ、この者を余の…」
「ご側室に、ということはかないませぬぞ。」
家老はあっさり制した。
側室って愛人じゃない、冗談じゃないよ、こんなチャラオヤジの!何をぬかす気!と春奈も言いそうになった。
「どこの何者とも定かならぬおなごではございませぬか。
それに、大奥がどれほど藩の財政を圧迫しておるかは何度も申し上げたはず。この前、藩を去った者どものことをお忘れですか…」
「あれは譜代と新参のいさかいでは…」
「いや、殿があまりに大奥にご執心ゆえ、藩を見限ったのでございますぞ。おかげで近頃は城門を守る門番にもことかくありさま。隠密にも忍び込まれるわけじゃ。
だいいち、なによりも、お方様や菊御前のただならぬ御不興は必定にございますぞ」
「わかった、わかったぞ。耳が痛いのう」
「しかし、さすがは殿にございますな」
右門が助け舟を出した。
「かかる異形のおなごにも臆することもなく、ましてや側室にご所望とは」
「うむ、余の見立てでは、この者どもは長崎から来た者に相違あるまい。これらは南蛮人の衣装であろう。」
「なるほど!長崎でございましたか!これは存じませなんだ。」
家老が感心した。
「彼の地には南蛮渡来のものがあふれておるようだからの」
「慧眼感服いたしましてございます」
右門もさらに頭を下げる。
「さもあろう、その方らは知らぬであろうからの。余は江戸育ちゆえよくわかる。江戸城では小姓にあがったころ、佐賀の鍋島どのとも懇意にしていての」
殿はたちまち上機嫌になって続けた。
「右門のこれまでの働き、まことに目ざましいものがある。その功により、近々その方に、選りすぐりの足軽を預ける。その者どもを支配し、忍び衆『早道之者』とせよ。そちは津軽の柳生となるのじゃ。」
「ははっ!ありがたき幸せ!」
「して、こちらの隠密じゃが」
殿は小平太を鋭く見ながら言った。
「何をつかもうとしていたのかの?」
「城中へ忍び入ったところをみると、やはり天守の探索かと」
「またか!五層の天守がそれほど公儀の気にさわるのか。さほどに大仰だというのか。若松城より少し違うだけではないか。なぜ今ごろになって、そこに目をつける」
「近ごろの豪奢な改修にござりまするよ、蔵や物置を主なる役目とすると公儀には知らせおきましたに、あれではまるで秀吉公や信長公の好みにございます。」
家老はしっかり解析している。
「少しでも大阪城や安土城に近づきたい、尊崇する秀吉公の時代に近づきたいという思いの表れじゃ。秀吉公は開祖の津軽領有を世に認めてくれた恩人じゃからの。」
「秀吉公は館神として城内に密やかに祭っておりますれば、それで十分。徳川の世に秀吉公を思い起こさせるものはなりません。かまえて、城をわずかに修理しただけで、所領没収・改易となった福島正則どのの例をお忘れめさるな。」
「わかっておる。しかし天守からの眺めは、まさに秀吉公にお見せしたかった天下一の景観じゃぞ。あそこから見る岩木の山は格別じゃ。朝な夕な、春の夕暮れなど、まさしく絶景といえるからの」
「そのうえ、にござります。」
ここで家老は語気を強めた。
「さらにそのうえ、なにゆえ、最上層の一角に、豪奢な寝所までお造りになられたのか。しかも、お菊さまとともに家中の目を忍んでそこにおもむかれるとは、なにごとにございましょう」
「いや、菊が喜ぶでの。秘めたるところで秘め事をしている気持ちがたまらんと言うての。しかも天守の上では誰に聞かれる気づかいもないと、それは大声を出すのじゃ、ああ、お殿さま、菊はいま天にのぼりまする、などとかわいい声で言うて」
「あー、オホン」
右門がせきばらいをしながら言った。
「いまだ世上定まらぬと公儀がみなす昨今、公儀は雄藩のとりつぶし策にいよいよ本腰を入れはじめたものと思われます。」
「あの火薬十樽も、知れたらことにございますぞ」
家老は小平太に聞こえないように、ことさら声をひそめて言った。
「うーむ…佐竹どのに請われての。買いすぎて処置に困っておると。どうにも断わりきれなんだ…しかと内北の郭に隠しておろうな」
「気にかかるのは、この小平太なる隠密を見かけたという知らせが、城下のみならず津軽一円からきているということでございます。岩木山の北側と西側、つまり田圃は少ないと公儀が思っているはずの裏側からも」
右門の報告に、家老はため息まじりに言った。
「隠密とてそれなりの確たる証拠はつかめまいが…まったくわが藩は、とりつぶしの口実にはことかかない…」
「あのー、座ってもよろしい?」
春奈の声に、額を集めて話し込んでいた三人は思わず顔を上げた。
「さっきから立ちっぱなしなので、もう座ってもよろしいかしら?」
「おおっ、そうであったな。そちを立たせたままであった。もうよい、楽にしてよいぞ」
殿は機嫌をとるように言って、あらためて気づいた。
「そちは持っている巾着も、珍しいものに見えるの。姫が見たら興を覚えそうな…ちと、それを見せてくれぬか」
逆らうひまもあたえず、またしても右門が春奈からバッグをひったくると、
「こうして開けます」と言って開いて、中を殿に向けた。
「ほう、なにやら見たことのないものばかり入っておるな」
「ホントにプライバシー侵害よね。個人情報なんて言ってもムダでしょうけど、この殿さんって、ヘンタイ系じゃない。」
春奈のつぶやきに、
「先生、シーッ!」と椎三たちがさかんに身ぶり手ぶりする。
「これは手鏡らしゅうございます。うつった者の顔が消えないという不可思議なところがあります」
右門が説明する。
「あたりまえでしょう、ケイタイカメラなんだから」
「こうやって使うようで、ここを押すと…」
「なるほど余の顔が…おお、離しても余の顔が…」
「消えませぬな。不可思議なカラクリにござりますな」
家老も感心する。
「こちらの品は何じゃ?」
「それは、よくわかりませぬが、見たところ火薬や刃物などなどは仕込まれてはいないようなので、危惧するにはあたらないかと」
「ここに短い輪のようなものが」
「はて、気がつきませなんだが」
「それを抜いちゃダメーッ!」
春奈の警告は一瞬遅かった。
殿はなにげなしに輪を引っぱってヒモを抜いてしまった。
瞬間、ピーッ!というすさまじい音が武芸所内にあふれかえり、さらに
「チカンですチカンですチカンですチカンですチカンです!ここにチカンがいます!」
という加工音が断続的に続いた。
「こっ、こっ、これは、何としたことじゃ!どうなったのじゃ!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「とっ、殿!それをおはなし下さい!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「はっ、隼人、その方つかわす!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「ご辞退申し上げる」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「遠慮するでない、それっ、つかめ!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「いっ、いや、右門、その方に一任する、受け取れ!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「拙者、その任にあらず!中小姓どのこそ適任かと!さしあげる!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「わっ、わたくしはまだ若年ゆえ、勘定奉行さまに進呈いたします!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「こ、こ、これは勘定できぬゆえ、寺社奉行どのにおゆずりいたす!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「なんと!神仏にとって災厄のような音!月代奉行、なんとかいたせ!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「髪は結えますが、これは結えませぬ!御徒士衆にお任せします!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「いっ、いや、いらぬのに!なんとうるさい、落ち着かない、足軽ども、なんとかいたせ!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「で、では、ご家老にお返しいたします!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「バッ、バカモノ!何をする!そうだ、殿!今こそご決断を!これをお受け取り下さい!」
ピーピーピーピーピー!ピーピーピーピーピー!
「な、何を決断せよと?!」
ピーピーピーピーピー!チカンですチカンですチカンです!ここにチカンがいます!…
殿はついつられて叫んだ。
「チカンだ!チカンだ!ここにチカンがおるぞ!チカンとは何じゃーっ?!」
「何あれ?ⅰポッド?」
あっけにとられて椎三が言った。
「防犯ベルよ。最新タイプ、高性能の。私くらいレベルが高いと、常に痴漢に注意する必要があるのよ。でも、鳴らしっぱなしだと、電池が早くなくなっちゃうじゃない」
春奈がため息まじりに言う。
「騒ぎになっちゃいましたよ、マズくないですか」
成代が困惑した。
「いや、チャンスだよ!みんなベルに気をとられてる。このすきに逃げよう!」
合人がすかさず提案した。
「合人くん、ナイス!」
春奈もパッと顔を輝かせ、防犯ベルを相手にパスもどきインターセプトもどきを連発させ、盛り上がるほどに騒ぎたてる城の人々たちを尻目に、
「みんな、急ぐのよ!」
と四人そろって武芸所の戸口へ向かったとき、
「待て待て、どこへ行く気だ」
と右門がすばやく立ちふさがった。
暗くなってきたために、この日の詮議はひとまず終わり、春奈たちは本丸の高台より低い、後方の内北の郭のはずれの番所に入れられた。牢よりはましだが、内北の郭を守る足軽たちが詰める、大きめの体のいい小屋のようなところで、土間と板の間しかない。内北の郭は米蔵、籾蔵などの種々の蔵のほか、薪小屋や鳥小屋までひしめく、いささかむさくるしいところで、番所は本丸へ上る鷹丘橋に近いところにあった。
春奈たち四人は小平太のように縛られることはなかったが、番所の中には、一行の目の前に二人、そして外には四人の足軽と、徒士頭と徒士目付の侍がいて、夜通し見張られるという厳重な監視下におかれることになった。
化けていた足軽衣装をはぎとられ、灰色の小袖の下男衣装になっていた小平太だけ、縛られたまま、あいかわらずさるぐつわのままで、春奈たちとは一線を画するようにみずから離れ、黙りこくってあぐらをかいている。
「どうやら夢でもドッキリカメラでもないみたいね」
疲れの出てきた春奈は、いらだたしそうに言った。
「もしこれが自然現象となると、きっと揺り返しみたいなものがあるはずですし、それがないとおかしい。このままだと歴史が変わってしまう。地球の一大事です。」
と椎三はことの重大さを指摘したが、春奈の思いは別なところにあった。
「あーっ、もうたくさんよ。こんなところさっさとオサラバして、家へ帰って風呂入ってビール飲みたい!明日の職員会議の服も考えなきゃならないし!」
とついにカンシャクを起こした。
「やっぱり先生の心配はそんなところですか」
ため息とともに椎三が言う。
「ちょいと、あんた!」
春奈は、無表情で彼らを見下ろしている足軽のひとりに話しかけた。
「もう、いいかげんに帰して。こんなことにはアキたわ。もういいでしょう、私たちを自由にしてよ!」
足軽は目をパチパチさせる。
「何だと?」
「いいから自由にして!」
「じゆ…とは何だ?カユのことか?粥にしてくれというのか?!なんというあつかましい奴だ、賊徒の分際で食膳に注文をつける気か!」
「いや、だから、そうじゃなくて…」
「先生、時代間ギャップですよ。江戸時代には自由という言葉はありません」
と椎三が諭したところで、いきなり番所の戸が開き、右門がひとりの老人を伴って入ってきた。
足軽たちは緊張してかしこまる。
烏帽子はかぶっていないが、落ちぶれた公家を思わせる、山吹色の狩衣と指貫の狩衣装束の老人だった。
のびほうだいの髪もヒゲも真っ白で、修行中の山伏のようにも見えるその老人は、春奈たちを見るなり、
「おおっ、これは!」
と驚きの声をあげた。
「どうですかな、バイアンどののしわざでしょう」
右門は落ち着きはらってわけ知り顔に言う。
「うーむ…」
老人はうめいたまま考えこんだ。
「やはりな。得体の知れないこの者どもの現われ方を見て、どうもそれがしのときと似たところがあると思い当たった。」
「…この衣装、見たこともない…よほど先のものか…」
老人はしきりに春奈の姿に感心したり驚いたりしているようだ。
「それがしというものがおりながら、なぜこのようなことをなさる?」
右門は問い詰め口調になった。
「い、いや…手助けにと思っての…」
「それがしでは役不足とお思いか?」
「いやあの、その、そういうわけでは…」
老人はしどろもどろになってきた。
「手助けなどいらぬ。それがしひとりですべて思うようにやってのける。」
「だから、それがまろには…さて、その…」
言葉につまった老人は、苦しまぎれに話をそらすように、春奈たちに向きなおって言った。
「そなたら、今が何年か存じておるか?知らぬであろうな。教えてしんぜよう、今は寛永十六年、徳川家康公が江戸幕府を開びゃくしてから二十四年、この弘前城が築城されてより十六年の月日が流れておる。そなたらのいた年は何年であるか?」
「え?えーと、あのー、平成二十三年ですけど…」
春奈はなにやらわけのわからないままに、なにやら怪しげな年よりに答えた。
「ヘイセイとな…?二十三年…?わからぬ…」
「あの、寛永十六年からですと、たぶん三百八十四年くらい先になると思います」
椎三がすばやく計算して答えた。
「なんと三百八十四年とな!…百二十年もずれてしまったか…メイジというらしい頃の救国の英傑を呼んだつもりだったに…」
「どういうこと?あのね、おじいさん、わけがわからないんですけど…」
春奈は問い返さずにはいられない。
「そなたたちをここへ呼びよせたのは、まろじゃ。まろが術を使って寛永の今へ来させた。
まろ自身、その昔、道摩法師におとしいれられて、朝敵にされての。北の果てまで逃げ、さらに術を使って、しつこい追手を振り切るため、時を超え、ここまで来たのじゃ。」
「なんですって?!なんだかよくわからないけど、あなたが原因なのね!」
「先生、この人、何か知ってるよ!」
合人も思わず叫ぶ。
「お願い!どうでもいいから、私たちをもとのところへ帰して!ここはもうたくさん、これ以上時代劇ゴッコにつきあわされるのは願い下げよ!」
春奈はつかみかからんばかりに老人につめよった。
「そ、そうじゃな、やはりもどさねばならぬ…」
老人はうろたえた。
「早くもどさぬと、そのままになるかも…。右門、そなたもじゃ。この右門もじつはの…」
「バイアンどの、よけいなことは言わぬがよい!」
右門が話をさえぎって一喝した。
「この者どもに言ったところで詮ないことだ。」
おそろしく険しい目で、刀の柄に手をかけたまま、老人にらむ。太い眉を断ち切るような、右目の上の刀傷がことさらスゴ味をおびる。
老人は震え上がり、たちまち口をつぐんだ。
「もうよかろう、用向きは済んだ。我らはこれにて帰るゆえ、おぬしらしっかり見張れよ!」
足軽番士たちに厳しく言いつけると、老人の背中を追いたてるように、戸口を出て姿を消した。
「あーっ、くそっ!なんてこと!よくわからないけど、なんとかなりそうだったのに!右門ってやつ、なんてイジワルなの!」
春奈は地団駄を踏みながら、まだ右門たちを見送ってかしこまっている足軽たちに問いかけずにはいられなかった。
「ねーねー、あのじいさんって何者なの?」
「じいさんなどと言うな!」
足軽番人のひとりが向きなおってたしなめる。
「バイアンさまは殿様のお覚えもめでたい、面松斎さま以来と言われるほどの易者さまだ。
おととし、あの方が南内門をくぐられて現われ、藩公のご長子さまが三代目の藩公になられると予言された。ご嫡男があまたおられる中で、お世継ぎがすんなり決まり、予言どおりになったご長子さまはたいそうお喜びになり、バイアンさまをおかかえの易者とされた。さらにバイアンさまは、隠密狩りの名人・右門さまを京から呼びよせられたのだ。」
「で、その右門ってのは?」
「気安く右門などと言うな!碁石瓦右門衛さまだ。もとは京でその名を天下にとどろかせた、腕利きの忍びであったという話だ。…そういえばあの方も、南内門をくぐってふいにお出ましになられたな…」
「おい、よけいなおしゃべりをすると右門さまにたしなめられ…」
もうひとりの足軽は、最後まで言い切れずに、いきなりその場につっぷした。
「おい、どうした、腹痛か?」
春奈と話していた足軽は、急にうずくまってしまった同僚に呼びかけた。その足軽は一瞬そちらに気をとられたが、すぐに、目の前に立ちふさがった影に気づき、はっと身構えた。
「おっ、お前は!?」
六尺棒を構え直すより、相手の手刀のほうが早かった。
足軽は首筋に強烈な一撃をくらい、悲鳴をあげるまもなく、その場にくずれおちた。
横たわる二人の前にぬっと立っていたのは小平太だ。
小平太は、縛られていた縄を切ったとおぼしき小刀を懐へしまいなおすと、灰色の下男衣装をさっと脱ぎ捨て、倒れている足軽の衣装をはぎ取ると、慣れたようすでそれを身にまとい、たちまち自然な着こなしの足軽番人に早がわりしてしまった。
「やれやれまた足軽だ、わしはよほど足軽にむいているらしいな」
と自嘲ぎみに言うと、
「さて、逃げるとするか。このままここにいりゃ、やられるからな」
と薄ら笑いをうかべて春奈たちに言った。
「お前らもとんだとばっちりだったな。お先にわしは行く」
と言い捨てて出て行こうとし、つと立ち止まると、捨てぜりふのように言った。
「お前らも早く逃げたほうがいいぜ。どうせお前らは隠密ってことにされる。隠密は捕まっても公けにされることはない。さんざん責められたあげく、人知れず葬られておしまいさ。公儀も、ことが不首尾に終わったときはなおさら隠密のことを認めない。誰からもどこからも、はじめからなかったことにされるのさ」
言い終わる前に戸口から姿は消えていた。
足軽の衣装が板についている小平太を疑うものはいない。そのなりきりぶりは、よほど間近で見ないかぎりは、仲間の誰かで通ったのだ。
のびた二人の足軽と春奈たち、そして戸口の外で見張っている四人の足軽番人をのこして、小平太は本丸方面へと悠々と消えていった。
「先生、いまあの人が言ったこと…」
成代はにわかに不安になった。それは春奈も同じだ。
「ど、ど、ど、どうしよう、合人くん、人知れずホームランだって?!」
「先生、ボケてる場合じゃないよ!」
「アセるとボケるものなのよ!」
「で、どうする?先生!」
番所の前に、戸口をはさんで両側に二人づつ立つ足軽番人は、さきほど中から出ていった仲間のひとりが、そしてその前に、早めの夕げをすませてくると言っていなくなってしまった徒士目付と徒士頭が、どちらも本丸方向から戻ってこないことを、さほど不思議とは思わなかった。どうせ殿中の御広間の大囲炉裏を囲んで、宿直番とムダ話をしたり持ち込んだ酒を飲んだりして怠けているのだろうし、なまけすぎて内堀に釣り糸をたらしていたとしても驚くにはあたらない。なにしろ堀には鯉がいるのだ。
しかし、番所の中からいきなり、やたら丈の短い純白の貫頭衣姿の女が出てきて、くるりと四人に向きなおると、むき出しの白い長い両腕を天に向かって広げて、にこやかに明るく
「イエ~イ!」
と言ったときには驚いた。
四人とも、天女がいきなり目の前に舞い降りてきたと思った。
白い貫頭衣は透けて、若い女の体の線がはっきり見える。なんとこれでは裸も同じではないか。四人の足軽はただただあっけにとられ、呆然と見つめるだけだ。
さらに天女は
「あらあ、デンセンしちゃったかも!」
とわざとらしく言って、短い貫頭衣をさらにまくりあげ、白い長い脚のつけ根のあたりをあらわにした。足軽たちの目は思わずそこに吸いよせられる。
この瞬間をのがさず、超ミニスリップ姿の春奈は、番所の中に向かっていきなり
「イケーッ!」
と叫んだ。
この合図で、三つの影が戸口からだっと飛び出すと、春奈とともに鷹丘橋を走りぬけ、本丸へと駆け上がった。春奈は成代がかかえていた自分のスーツを受け取りながら、
「二手に分かれましょ!追っ手をまくの!小坂くんたちはあっち!私と成代ちゃんはこっち!」
と指図する。全員が返事もせずにこれに従い、にわかにわきおこった
「にげたぞー」「おえー」
という声を聞き流し、椎三と合人は中奥方向へ、春奈と成代は大奥方向へと走り去る。
このころになってようやく、完全に虚を突かれてしまった足軽たちが、あたふたと追いかけだし、鷹丘橋を渡りはじめたのだ。
中奥御殿の壁を横目に、内堀を見下ろしながら走り、そこの番所の足軽たちが気づく前に走り抜け、本丸井戸の陰にうずくまった椎三と合人は、ようやくそこで呼吸を整えた。
中奥の建物の陰になって見えない御宝蔵の方から
「曲者ー」「捜せー」
と叫ぶ声が聞こえてくる。
「先生たち、逃げられたかな」
椎三が息を切らして言った。
「きっと大丈夫さ、ミニスカって走りやすそうだから」
合人が答える間に、
「曲者ー、くせものー」
の声が大きくなってきた。追っ手が近づいてきている。
「どっちへ逃げる?」
合人の問いに、
「そうだな…」
とちょっと考えた椎三は、
「南内門だ、とにかく南内門へ向かうことだ」
と決断した。
「でも、どっちが南内門だっけ…?」
その間にも追っ手の声はさらに大きく近くなってくる。
「小坂、お前は南内門へ向かえ!奴らは俺がひきつける!」
「何をする気だ、合人くん?!」
「俺が奴らをひきつけると言ってるんだ、お前は行け!
…どう?今の俺ってかなりカッコよくね?」
「あのね合人くん、アニメじゃないんだから。ムダなところでムダにカッコつけるのやめてくれないか」
と言って止めようとした椎三に、合人はにやりと笑って二本の指を額にあてて敬礼すると、だっと井戸の陰から飛び出し、単身天守の方へ走り出した。
「なんてどデカい旅館なの、フロントはどこよ!」
影から陰へと御宝蔵から戌亥櫓へ、這うように走って、大奥御殿へと進み、暗がりにひそんで、ホントにデンセンしちゃったと悪態をついてパンストを脱ぎ捨て、スーツを着直したところで、さすがにへばってきた春奈が言った。
「先生、ここはお城です」
成代は息を切らせながらも冷静に受ける。
「わかってるわよ、言ってみただけよ。この雰囲気、どっかの温泉旅館に似てたもんだから」
春奈がいまいましげに言ったとき、内堀の方から、こっちだぞー!という追っ手らしい声が聞こえてきた。
「小坂くんたち、まさか捕まったりしないでしょうね」
成代は心配そうに見やる。
「大丈夫よ、小坂くんはのろいけど、合人くんは素早いから。いまごろはもうあっけなく城の外に出てるか」
「あっけなく捕まっちゃってるか」
「成代ちゃんの欠点は楽観力がないところね。楽観力…いい新語だと思わない?私がいま考えたんだけど」
「いろいろな悪い場合を想定しておく必要があると思います。」
「じゃあ、今みたいに追っ手がすぐそこに迫ってきたらしい場合は」
「もちろん想定してます。」
「そんなときの対応は?」
「もちろん、逃げることです、でもどっちへ逃げるかは想定してません。」
「決まってるじゃない、奴らと反対のほうよ!」
言うなり春奈は、大奥御殿の壁に沿って奥へと走り出し、成代もこれに続いた。
城内はにわかに騒然となってきていた。彼方でどなる声が聞こえ、建物の中からもドタバタと廊下を走るらしい音が聞こえてくる。
と、春奈たちの行く手に人影が現われ、先頭の提灯をかかげた者に、二、三人が従って走ってきた。
春奈と成代はあわてて姿勢を低くし、とっさに目についた隠れ場所として、縁の下へもぐりこんだ。
危ういところで、二人の前を侍の一行が走り過ぎた。
そこは渡り廊下で、縁の下が広くなっていたのだ。
しかし春奈は、手や膝についた土をはらいつつ、悪態をつきながら縁の下から出てきた。
「なんてこと!こんなことばかり続けてると、スーツが汚れちゃうじゃない!」
「先生、また来そうだよ、あっち!」
成代が、人々が走る気配の方を見て言った。
「成代ちゃん、上にあがりましょ!」
「ええっ!?建物の中に入っちゃうと、見つかりやすくなりませんか?!」
「もう泥だらけになるのはごめんよ!」
春奈はさっさと渡り廊下に上がると、ヒールを脱いで両手に持ち、抜き足差し足で奥へ進みはじめた。成代もまたしぶしぶ従わざるをえない。
廊下もまた長く、次々に折れ曲がってどこがどこやらもちろんわからない。行く手にいくつも続いているらしい部屋は障子も暗く襖から明かりももれず、人の気配がしない。
と、すぐ横の障子がぽっと明るくなった。誰かが灯りをともしたのだ。それと同時に前方から急ぎ足の足音と話し声が聞こえてきた。
横の部屋に人がいる、そのうえ大勢がこっちへやってくる。
ふたりともあわてて回れ右をして引き返そうとしたとき、横の障子がすっと開き、さっと手が伸びて、春奈の腕をつかまえると、ぐいと部屋の中へ引っぱりこんだ。
「あっ、先生!」
成代もつい後を追って、部屋の中へ入ってしまった。
素早く障子が閉められたその部屋の前を、何人もの御殿女中が気づかずに通り過ぎた。
城中の騒ぎはいよいよ大きくなっていた。
はるか後方から、いたぞー、という声が小さく聞こえたかと思うと、それに呼応するように、めしとれー、という声が聞こえ、ほどなく、めしとったー、という声が喚声とともにあがった。
「あーあ、どうやら小坂くんたち捕まっちゃったみたいですよ」
成代がため息まじりに言った。
「私たちだって捕まっちゃったんだから同じよ」
春奈もげんなりつぶやいた。
ふたりの前に捕り縄を持った侍はいなかったが、若い女がひとりいた。
女は穴があくほどまじまじとふたりを見つめていた。
小顔に高い鼻、大きな瞳。
春奈と同じくらいの背丈だが、もしかすると自分をかなり上回る美人、と春奈が認めないわけにはいかないほどの女だった。
輝くような桜色の小袖の着物を着て、同じ色の光沢のある帯をしめ、裏地が金と銀の勾玉模様で表が深紅色という、おそろしく派手な打掛をはおり、腰まであるストレートの長い髪は、二、三か所鮮やかな色のひもで細く編まれている。
歳は私よりちょっと上、高校生くらいか、と成代は思った。打掛をマントのようにひるがえすさまは気位が高そうだった。
「そのほう、もそっと前に出よ」
と女は命令してきた。
春奈は一歩部屋の中央へ進み出る。成代もそれに続く。
「そのほうは、よい!そこにひかえておれ!」
春奈を見たまま、明らかに成代に向かって一喝した。成代はたちまち部屋のすみにかしこまる。
「その履き物をはくがよい」
言われたとおりにヒールをはいた春奈のまわりを、上から下までなめるように見回しながら、ぐるぐるまわりはじめたのち、春奈の左腕をとって、その手首にはめられている銀色の時計のピンクシェルの文字盤をのぞきこんでから、さらに近づくと、
「なるほど腰巻をしておらぬ、ゆもじもない。したが、これは半被ではない」
とつぶやき、
「どうなっておる?」
と、いきなり春奈のスカートをめくりあげた。
純白のパンティがむき出しになり、春奈は思わずギャッ!と悲鳴をあげる。
「ほう!」
と、女は感嘆すると、
「これはかなり艶めいておるな」
と納得したように言い、
「父上が言われたほど、おかしなものではない。まことおもしろい。見たこともないものじゃ。なにやら新しい、新しく見ゆるぞ。」
と、しきりに感心している。
「そりゃそうよ。あなたたちより四百年近く進んでるんだから」
と春奈はつぶやいた。
「これは南蛮の着物なのか?」
女は興味深げに聞いてくる。若いくせに口のききかたは殿様のようだ。
春奈は生徒に詰問されているような気がして、いらだってきて、軽くあしらいたくなってきた。
「まあ、確かに、南蛮といえば南蛮ね。フランスのシャネルだから」
このとき、ドーン!と建物に響くような爆発音に似た音がして、大奥から離れた中奥のほうに白い煙があがった。
春奈たちがいる大奥の御殿の別棟の奥に、御殿女中に囲まれて座っていた殿の前に、あたふたと家老が現われた。
「おお、どうじゃ、曲者は召し捕ったか?」
「申しわけございません。今すこし手間どっております」
「あの音は何じゃ?」
「隠密めが煙り玉のようなものを使ったよしにございます」
「隠密ども、それほど手ごわいのか?」
「いや、やっかいなのは小平太と申す者だけにございます。この者、ネズミのように逃げ回っているだけに、捕らえにくいだけにございます」
「ネズミにはネコじゃぞ。」
「ただ今、右門が追い回しておりまするゆえ、まもなくかと。
その右門の話しですが、小平太は追いつめられれば何をしでかすかわからぬゆえ、万一のことをおもんぱかり、大事をとって、殿には大奥を退去していただくのは、いかがかと。」
「…うーむ、やむをえぬかもしれぬな」
乳母を務めたこともある、姫様づきの御殿女中の月島は、殿様退去の一報を姫に伝え、姫にもどこか目だたない安全な場所へ退いてもらおうとしていたが、かんじんの姫の姿が見当たらない。最前から姫を探して大奥じゅうを走り回っていた。
渡り廊下を渡り、別棟へ入りかけたとき、
「月島、月島!」
と、声をかけられた。
振り返ると、障子を細く開け、そこから若い女が白い顔をのぞかせている。
「姫様!そこにおられましたか!探しましたぞ。なぜそのようなところに。早く…」
「月島、そこにはそなたしかおらぬな」
「はあ、姫さま、それより…」
と、言いかけて、気がついた。
「姫様、おぐしのようすがいささか…。どうなされました?」
サラサラの長い髪は変わっていないが、いつもは頭の中央で分けられていた髪が、片側に大きく寄せて分けられ、額の上に盛り上がりかげんに、顔半分にかかっていたのだ。
「それは近ごろ江戸ではやりはじめているという島田とやらですか?」
違う違う、三百八十年後に江戸からはじまって全国に広がる髪型よ。当時一時的に大流行したワンレンってやつよ。私も詳しくは知らないけど。
春奈は聞こえないようにつぶやいた。
「そなた、気がついたか」
姫は得意そうに言うと、
「髪だけではないぞ」
と言って障子を開け、するりと出て全身をあらわにした。
「ひええええーっ!ひ、姫さま!そのお姿は!?!」
月島はその場に尻もちをついてしまった。
姫は鮮やかなパールピンクの激ミニスーツを着ていた。
「ちと腹がきついが、わらわにぴったりと合っての」
帯ならぬスーツのジャケットのウエストはきつくしぼられていた。
「少し涼しいのじゃが」
つけ根のすぐ下から両太ももをむき出しにさせ、白い長い脚を誇らしげに春風になぶらせている。
「…なんという!?何という!?…信じられませぬ!」
「どうじゃ、もそっとよく見よ」
姫は月島の驚きにもまったく動じない。
「似つかわしいであろう」
ことさら脚を開いて、ふんぞりかえるように得意満面で言う。
「…気が遠くなりそうでございます…このお姿を殿様がご覧になったら…」
「このはきものがやっかいでの」
姫は月島の話を聞いていず、スーツと同じ色のヒールを指して言う。
「こんなにかかとの高い下駄ははじめてじゃ。しかしこれをはくと丈がだいぶ伸びて見えるであろう」
姫は堂々としているが、じつはどうにか立っているようだ。
「…た、た、確かに…。お似合いといえば、それなりに。そのお姿を見れば藩内の男どもすべての目の色が変わりましょう。将軍様とて驚かれます」
「見たそばから気になっての。着てみたく着てみたくて、どうしてもたまらなかったのじゃ。無理を言うて、取り替えた」
「おお、これは月島どの、ここにおったか」
渡り廊下をやって来たのは徒士目付だった。
「はて、そこで何を?姫はいずれに?」
と言いかけてぎょっとして叫んだ。
「そこにおったか!お前たち!見つけたぞ!逃がさぬぞ!」
と刀に手をやる。
「違う!違う!ようご覧下され!」
月島があわてて制した。
「なにが違うか!こいつめ!怪しい異形の者め!成敗してくれる…
…ああっ、!ち、違う!こ、これは姫!姫ではありませぬか!まさか、何としたことだ!」
「姫はおめしものをお替えになったのでございます」
やや落ち着きを取りもどした月島が言った。
「ええーっ!?なぜ、そのような?!」
「わらわの一存じゃ」
「わけがわかりませぬぞ、ではあの者どもは?!」
「はい、ここにいます」
と障子を広げて春奈と成代がしおらしく姿を現わした。
「おのれ曲者!」
徒士目付は刀の柄を持つ手に力をこめ、春奈たちをにらむ。
「やめよ!この者を捕らえるでない!この者は怪しい者ではない!」
姫はすっくと春奈たちの前に立ち、その姿に見とれがちになる目付に、厳然と命じた。
「この者は…春奈は、わらわの友じゃ。友のしるしに、わらわは…」
と手首をかかげ、そこに光る銀色の時計とともに手に持った口紅も披露した。
「この腕輪も紅も受け取った。腕輪は軽知恵という異人の作りしもの、紅は斜寝なる異人の手になるもので、ともにたいそう高価なものじゃそうな。見るがよい」
「ほう、これはまた見たこともない…」
月島も徒士目付もつい感心して、時計と口紅に見入る。
「欲しそうだったから、あげたのよ」
春奈はひとりごとのようにぶつぶつ言った。
この時代では、逆らったら切腹ですよと、成代に脅されたために、しぶしぶながらすべて姫の言うことを聞いたのだ。
「それにしても着物って重いのねー。よく着るよね。特に帯がきつくて重い。」
衣装をチェンジして、姫の小袖と打掛をそっくりまとった春奈は、ため息まじりに言った。
2015年2月13日 発行 初版
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屋根裏文士です。
青森県を舞台にしたホラー、アクション、コメディー、ファンタジーなどを中心に娯楽ものをいろいろ書いてます。
◇青火温泉 第一巻~第四巻
◇天誅団平成チャンバラアクション
第一巻~第四巻
◇姫様天下大変 上巻・下巻
◇無敵のダメダメオヤジ 第一巻~第三巻
◇アメブロ「残業は丑の刻に」