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本文中に登場する場所・人物・物語は架空のものです。
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家へ帰ろうと、夕暮れの町をとぼとぼと歩いていたとき、
その人は、歩道の奥まった暗がりに机を置いて座っていた
占い師に呼び止められた。
「もしもし、そこのあなた。あなたはいま、死にたいと思って
いますね」
「はあ…」
「あなたの顔にはシニタイ相があらわれている。
まあ、ここへきて、座りなさい。
話を聞こうじゃありませんか」
あまり気はすすまなかったが、急ぐ用があるわけでもない
ので、その人は、言われたとおり占い師の前に座った。
「どうしてシニタイのですか?」
「いや、これといって理由はありませんが、
とにかくシニタイのです。
妻にそう言ったら、葬式代も安くないからやめろと
言われました。
子供にも言ったら、僕が卒業するまでの
学費を払ってからにしてくれと言われました。
母親に言ったら、急に死んだりすると、いろいろ勘ぐられるし、
人聞きが悪いからやめてくれと言われました」
「じつは、ご家族の皆さんは、きっとあなたが大好きなのです。
あなたを失うのもいやだし、悲しい思いをするのもいやだから
止めているんですよ。
家族にとっては迷惑な話でもありますからね。
あなたの勝手で家族に迷惑をかけてもいけない。
それに、死ぬのは、きっと痛い思いや苦しい思いをしますよ。
なのにどうして、シニタイのですか?」
「ふと、生きていたくなくなったのです。
なにもかも終わりにしたい、そう思ったら、待ちきれなくて、
どうしてもそうしたくてしかたがなくなったんです。
病院へ行ったら、〝シニタイ病〟だと言われました。
直すには、生き続けるしかないと」
「すべての人、動物も、命あるものは、
できるだけ生きつづけようとがんばる。
それが、命あるものの役目ではありませんか」
「生きてどうするんです?」
「どうもこうも、生きることが命だから。
命は生きるためにあるんです。
火が燃えるためにあるのと同じですよ。
燃えるから、火なんです」
「私は命あるのに疲れました。
ばかばかしくなったんです」
「なるほど。
でもね、〝シニタイ〟さん、
死んで天国へいっても、天国でブラブラしてばかりでは、
退屈で、死にそうになりますよ。
地獄で鬼にいじめられてばかりでは、
苦しくて死にそうになるでしょう」
「私は、天国へも地獄へもいきたくなんかない。
なにもない、〝無〟になりたいんです」
「死んでも無になるかどうかなんて、わかりませんよ。
死の世界から帰ってきた人はいないんですから…
いや、無でないことを私は知っている。
よく聞け、じつは私は死神だ…」
占い師の顔はたちまち白くなり、
骨に黒い穴ぼこがあいたドクロになった。
その人はとても驚いたが、怖いとは思わなかった。
死神は目のかわりに黒い穴ぼこでその人を見つめて言った。
「私は生きもののすべての寿命を知っている。
それによると、おまえはまだまだ死なない。
いま死のうとしてもむだだ」
その人は、こう決めつけられて、
その突然のごう慢な言い方に、怒りがこみあげてきた。
「うそだ!寿命なんて自分で決められる、
死のうと思えばいつでも死ねる、私は死んでみせる!」
と、ぷいと死神占い師に背を向けて、
ふりきるようにさっさと歩きだした。
なんだか怒りがおさまらない。
「あいつは嘘を言っている。
きっと占い師というのも死神というのも嘘だ。
自分の命なんて自分でどうにでもできる。
よし、近いうちに、明日にでも、
きっと死んでみせてやるぞ…」
と、考えながら歩いていたため、
危険という立て札も目に入らなかったし、
そこのひと、入らないで下さい!
という声も聞こえなかったし、
それどころか、
目の前にあった柵を、
じゃまだとばかり乗り越えてしまったのだ。
吸い込まれるように落ちて、
体が固い底にぶつかり、
意識が遠くなっていったとき、
「私はいま死のうとしている。
なんだ、やっぱりちゃんと死ねるんじゃないか、
あいつの言ったことはやっぱり嘘だったんだ」
と思ったものだ。
その人は、目を覚ましたときは、
病院にねかされていた。
「…助かったのか…あいつの言ったとおり、
死ななかったのか…」
あたりを見回すと、
まわりには小さいベッドがたくさんあり、
それぞれに赤ん坊がねかされていた。
助かったにしても、
どれくらいケガをしたのだろうと、
そろそろ手を上げてみると、
手はかんたんに上がった。
しかし、やけに小さい、かわいい手だった。
なんと自分は赤ん坊になっていたのだ。
「どうだ、死んだ気分は?
これがおまえの、死んだあとの世界だ」
聞きなれた声がする方を見ると、
病室の窓のふちに、
一羽のカラスがとまっていて、
話しかけてきていた。
「…私は…生まれかわったのか…」
「そうだ。
裏表なのさ。
そっちで死ねば、すぐにこっちへ生まれる。
命はどこまでもつながっている。
しかし、まもなくおまえは、
生まれる前のことは、すべて忘れてしまう。
なにひとつ覚えてはいない赤ん坊になるんだ。
これを何度もくりかえす。
今から八十年生きたあとに、
おまえはまた死んで、
こんどはハエになり、
三ヶ月生きてから叩き殺され、
その次は樹になり、
身動きも、考えることもできず、千年生きる。
その次は…」
言い続けるカラスの顔は、
見る見る白いガイコツになり、
やがて占い師の顔になった。
「…どうかしましたか?
ぼんやりしておられたが…」
「え?!」
その人は占い師の前に座っていた。
なんだ、いまのは?!夢でも見たのか?!
「…ですから、私の占いでは、
あなたはまだまだ生きる、と出ています。
これでもまだシニタイですか?」
「…いや…それなら…それなら…生きてみます」
その人は不思議と晴れ晴れとした顔で言った。
「どうせなら、ついでのこと、
いまの状態をもう少し見てみたい。
ことによると、
ハエや樹よりは、
おもしろいこともあるのかもしれませんから」
「スイカ割りをやろう!」
五郎が言った。
「メロン割りのほうがいい」
ぼくは提案した。
杏ちゃんは、メロンがすきだと言っていた。
メロン割りのほうがめずらしいから、
おもしろそうだし、杏ちゃんもよろこぶだろう。
しかし五郎もスイカ割りと言いはってゆずらない。
五郎はクラスのボスだと、自分で思っているが、
太って大きいだけだ。
ぼくは五郎をライバルだとは思っていないが、
杏ちゃんも見ているので、
弱そうなところは見せたくない。
「じゃあ、競争をして、
勝ったほうのもの割りをやろう!」
と先生が言いだして、
砂浜に大きなグランドをかきはじめた。
クラスのみんなはグランドのまわりに集まってくる。
「きみたちふたりが、
それぞれスイカとメロンをかかえて、
ここを一周するんだ。
早くゴールしたほうが勝ちだ。
ゴールはあそこ、スタートはここにしよう。
じゃあ、よーい、ドン!」
ぼくと五郎は、めいめいメロンとスイカを
両手でおなかの前にかかえながら、
走りだした。
しかし、走るとなると、
メロンは意外に重くて、じゃまで、
しかも砂に足をとられて、砂浜はうまく走れない。
これは五郎も同じらしく、
たちまち抜きつ抜かれつのデッドヒートとなった。
グランドのまわりに集まったみんなは、
男子も女子も先生も、応援というより、
わいわいおもしろがって、はやしたてる。
ちょっと先になったぼくを、
五郎は鬼のような必死な顔で追ってきた。
ものすごく真剣だ。
ぼくは、はじめから、それほど必死じゃなかった。
夏休みの海辺での遊びじゃないか。
五郎はどうしてそんなにむきになるのだろう。
そんなにスイカ割りがしたいのか。
もしかして、
ずっと前からスイカ割りを楽しみにしていたのか。
もしぼくが勝てば、
五郎のたいせつな楽しみを
うばうことになってしまうのだろうか。
こう思って、ちょっと気おくれしたすきをつかれて、
抜かれてしまった。
負けるもんかと追いすがる。
ただ走るのだったらいいけれど、
メロンでもスイカでも、
丸くて大きなものをかかえて走るのって、
見ていて、カッコ悪いんじゃないだろうか。
きっとドタバタしていて、かなりカッコ悪いだろう。
杏ちゃんは、ぼくのことを、
ステキではないって思わないだろうか。
とくべつ仲がいいってほどでもないぼくのことを、
ほかのやつらよりキライにならないだろうか。
それに、もしかして、
杏ちゃんもスイカ割りのほうがすきだ、
なんてことはないだろうか。
スイカはいいけど、
スイカよりやわらかそうなメロンを、
棒でたたいたりするのは
やばんだと思ったりしないだろうか。
こんなことを思って、
走るのにちょっとためらいが出たとき、
五郎がスピードをあげ、
ぐんとひきはなされた。
しまったと、ぼくも全力で追う。
どうにか追いつきそうになり、
またまたデッドヒートになった。
みんなは、ぼくらの熱い戦いに
大喜びのようだ。
みんな声をはりあげて、
まるで陸上競技の応援でもしているように
さわぎたてる。
杏ちゃんは
どっちの応援をしているのだろう。
ぼくか?
まさか五郎じゃないだろう。
砂の上にかかれたグランドを
半周したところで、
ぼくはさすがに疲れてきて、
足がもつれるようになって、
ついに五郎にはなされてしまった。
しかもメロンはどんどん重く感じられてくる。
そして知らず知らずに
メロンを持つ手が下がる。
どんどん下がる。
応援のみんなが叫んでいた。
悲鳴のような声も聞こえる。
メロンと一緒に
海パンも下がっていたのだ。
どんどん下がる。
ひざまで下がって脱げかかる。
「あーっ!」
全員の悲鳴。
ひざ下まで下がった海パンは、
足にからまって、
ついにぼくはその場に
うつぶせに倒れてしまった。
おしりは空にむけて丸出しだ。
全員がはじけるように大笑いした。
なんてことだ、最悪だ、
はずかしいなんてもんじゃない。
どうしよう…
このまま逃げたい…
ここからいなくなってしまいたい…
杏ちゃんも見ているだろうか。
見ているだろう。
笑っているだろうか…
ぼくのことをかわいそうに思って、
下をむいていてくれるかもしれない。
五郎はどんどん遠ざかる。
このままではぼくの負けは決定だ。
このままここから逃げれば、
負けたうえにさらにはずかしい、
くやしい思いをしてしまう。
ぼくはすぐさま決心すると、
メロンで前をかくして、
そのまま立ち上がった。
応援のみんなは一瞬静かになったが、
だれかが走れと言いだし、
ほかのみんなもそれにならって、
走れ、走れ、と合唱しはじめた。
「走れ、走れ、走れメロン!」
ぼくは半泣きになりながら、
歯をくいしばって走りだした。
これを見たみんなは
ワーッと拍手をする。
しかし、走りだすと、
海パンが足首にからまったままの
内股走りは、
見ていてどうにもおかしいらしく、
拍手をしながらもみんな大笑いしている。
この大騒ぎに、前をいく五郎も、
ついふりかえってみた。
そこに見えたのは、
顔をぐしゃぐしゃにして、
見たこともないおかしな走り方で
追ってくるぼくの姿だった。
あっけにとられていた五郎だが、
つづいてプーッと吹きだし、
こっちを見たまま後ろ向きに走りながら
大笑いをしはじめた。
「おまえ、なんだよ、そのかっこうは!」
しかし、後ろ向きに走ったために、
うっかり砂に足をとられて、
その場にころんでしまった。
いまだ!
ぼくは内股走りのままスピードをあげ、
五郎を追い抜いた。
我に返った五郎は、
しまったと立ち上がって、ぼくを追う。
ほとんど同時にゴールインしたが、
手前で飛び込んだぼくのほうが
ちょっと速かった。
砂煙をあげて、
勢いよくゴールにすべりこんだのだ。
勝った!
ぼくはこの苦しい戦いで
最後に強敵にうち勝ったのだ。
天は最後に、
努力するものに、
立ちなおるものに味方した。
しかし…しかし…
メロンはぼくのおなかの下で
割れてしまっていた。
結局、スイカ割りになった。
メロンは切られてみんなに配られ、
うまいうまいと食べられたが、
五郎が、
「チンチンの下になったメロンなんて
食えるもんか」
と言ったために、
女子はほとんどが、杏ちゃんも、
食べなかった。
「声帯をとればいいんだ。あいつは吠えすぎる。
うるさいし、ウザいんだよ。
吠える犬は危険だ。
前にえらい目にあわされたことがある」
ガン太は妙な雰囲気を感じとっていた。
坊ちゃんがあわれむような目で見てくるので、
不安が増した。
ガン太は、坊ちゃんが拾ってきた犬だった。
それほど犬ずきでもないご主人と奥様は、
しかたなくガン太を飼った。
しかし坊ちゃんは、オモチャにあきるように、
すぐにガン太にあきてしまった。
中型の雑種犬・ガン太は普通の犬だった。
とりえといえば、吠えることぐらいしかない。
「このままだと、もっともっと近所から苦情がくるぞ。
早いとこ鳴かない犬にしよう」
次の日の散歩の途中で、
いつもの道と違うコースを歩いていることに気づいた。
しかも奥様の引く手には、力がこもっている。
この先には、前に予防注射をされた病院があることを
思い出したガン太は、悪い予感がした。
通りの向かい側で、小さい犬がガン太に吠えてきた。
奥様の注意がそれたすきに、ガン太は思い切って
奥様をふりきり、逃げてしまった。
逃げてはみたものの、どこへもいくあてもなかった。
もう家には帰れない。
帰ったら、きっとまた病院へ連れていかれる。
犬というものは、飼い主の言うなりにしかできないものだ。
自分ひとりで生きていこうなどと考える犬はほとんどいない。
なにしろエサを食べさせてもらっている。
普通の犬は自分では食べ物をさがせないのだ。
つまり家出したガン太は食べ物がなくて、
たちまちフラフラになってしまった。
路地裏をさまよい、よその家の軒下で休み、
子供に追われ、飼い犬に追われ、野犬ときめつけられた。
野犬のまねをして、ゴミをあさってみたが、腐ったものを食べて、
吐き出してしまうという結果に終わった。
さまよい歩いて三日目で倒れる寸前となったガン太は、
おでんらしい、おいしそうなにおいにつられて、
ついふらりと、目の前にあっコンビニにはいってしまった。
おりしもそのコンビニでは、なにやら騒ぎが起きていた。
「レジをあけろ!早く!」
と、なんだか黒い棒を持った二人の男が大声をあげている。
レジ係はふるえてすくんでいた。
とっさにガン太はワンワン!と、二人の男に吠えかかった。
「あ、あにき、犬だ!」
ひとりの男がおびえた。
「早く、金をレジから出せ!こっちへよこせ!」
「あにき、犬がウザい、うるさい…」
ガン太は、あにきと呼ばれたほうに吠えた。
「お、おまえは!」
ガン太は飛びかかろうと身がまえた。
「逃げろ!」
ふたりそろって逃げ出した。
ガン太は吠えながらも、尻尾を振りつつ追いかける。
「しっ、しっ、ガン太、バカ犬め!あっちへ行け!」
あにきは振り向いて、おどしながら、
止めてあったオートバイに仲間とまたがり、
勢いよく発進させて、飛ぶように消えた。
ガン太のご主人だった。
三日ぶりでもなつかしく、飛びつきたかったのだ。
ガン太は強盗を追い払ったお手柄犬となった。
しかし、飼い主らしい人が見当たらないということで、
ひとまず交番にあずけられることになったが、
何日たっても飼い主は見つからない。
このまま保健所へ送るのはかわいそうと、
警察犬訓練所へ入れられることになった。
訓練所は優秀な犬ばかりで、
ガン太は当然落ちこぼれだった。
しかし食べ物はいいし、他の犬たちも親切だったため、
ガン太は訓練にはげんで、最低の成績ながら
卒業することができた。
ところが、見かけからして普通の犬のガン太は、
さすがに警察犬にはなれるほどではない。
警備会社へ番犬用として就職することになった。
が、やはりビルの警備などにあたるのは、
強そうなドーベルマンたちにかぎられる。
ガン太は一頭だけ、山あいの小さな村の畑へ、
見張りとして送られることになった。
そこはメロン泥棒のために、
大きな被害を受けていたのだ。
ガン太の役目は、広い畑を一頭で見張ることだった。
昼も夜も続くために、意外にきびしい仕事だった。
ある夜、この日も泥棒はあらわれず、
なにごともなく過ぎていたために、
油断して居眠りをしていたガン太は、
ヤブ蚊に鼻を刺されたおかげで、目をさました。
と、人の声がする。
足音をしのばせてそっちのほうへしのびよると、
二人の男の声がする。
暗い中、トラクターが引く荷台にメロンを運んでいた。
「あにきも手広くやるよね、
街だと思ったら、今度は田舎の山の中だ」
「おれは事業家だから いろんな盗みの事業をやる。
休まないで仕事をする働き者だ。
おっと、落とすなよ!
このメロンはすごい高級品なんだぞ」
ガン太は泥棒に吠えかかった。
「ワンワン、ワワン!」
「あ、あにき、犬だ!」
ひとりがおびえた。
「ワワワン!ワン!ワン!ワン!」
「あ、あにき、この犬、しつこい、ウザい…
あっ、こいつはこの前のウザワン!」
「なっ、なんだと!」
ガン太はあにきへ吠えかかった。
「お、おまえはガン太!なぜ、どうして、ここに…
くそっ、逃げろ!」
飛びかかるガン太を、どうにかかわしたあにきは、
メロンをほうりだしてトラクターに乗りこみ、
たちまち逃げ去った。
ガン太は尻尾をふっていた。
またまためぐりあったご主人がなつかしくて、
飛びついて、顔をなめてやりたかったのだ。
ガン太はトラクターが去ったほうに向かって、
ご主人に聞こえるように、長い長い遠吠えをした。
ガン太の遠吠えを聞いてかけつけた
メロン農場のあるじは、
ガン太が泥棒を追い払ったことを知った。
お手柄犬だ。さすがは警備犬。
農場主は、ほうびに、働きづめだったガン太に
骨休めをさせてやろうと、
さらに山奥の温泉へ連れて行くことにした。
そこは大きな旅館だった。
かなり有名な高級旅館であり、
たくさんの偉い人が泊まったことがあるそうで、
今も偉い小説家の先生が、
ここで執筆をしているという。
しかし、わたしどもの旅館では、
犬は温泉には入れません
と、番頭さんに言われ、
農場主もガン太もがっかりしてしまった。
じゃあ、わしだけでもちょっと入っていこう、
せっかく来たことだし、
と、農場主はガン太を庭先に残して、
調子よく旅館へ入ってしまった。
ガン太はおもしろくないが、ここで待つしかない。
と、旅館の中から、着物を着た、
髪もひげももじゃもじゃに長い男の人があらわれ、
ガン太に気づかずに通り過ぎた。
その後ろから、あわてて
ネクタイにスーツ姿の男が追いかけてゆく。
「先生、先生、どちらへ?」
「ちょっと散歩だ」
「出てもらっては困ります。おとなしくかくれ…
いや、かいて…原稿を書いていただかないと」
この声を聞いたガン太は、いきなり吠えて、
二人の後を追った。
「なんてことだ!あ、あにき、またあの犬だ!
ウザワンだ!」
「な、なにい!どうしてそんな…逃げろ!」
二人の男は坂道をかけ上がり、
どんどん山奥へと入ってゆく。
ガン太もそれを追う。
ちょうど崖へさしかかり、下り坂になったところで、
後ろのひとりが足をすべらせ、
前をゆくあにきにぶつかって、ふたりとも坂をすべり、
崖から下の池へころがり落ちた。
ガン太も続いて飛びこむ。
二人と一頭は池の中で
アップアップもがくことになった。
「あ、あにき、おれは泳げないんだ!」
「お、おれもだ、だれか助けて!」
ぬれてひげもかつらもとれたあにきは叫んだ。
「あ、あつい!あにき、この池熱い!」
「ほ、ほんとだ、にえるぞ、煮えてしまう!」
ガン太は犬かきでご主人に近づいて吠えだした。
うれしくてする遠吠えだ。
「そうだ、犬かきだ!犬かきで泳げ!
ガン太のまねをしろ!」
あにきは言い、二人の男は必死で犬かきをしながら、
これもガン太をまねて叫びはじめた。
「うおーい、助けてくれー!」
「あおーい、だれかー!たすけてー!」
「ウオーン!」
ガン太もあわせて合唱する。
騒ぎを聞きつけてやってきた旅館の人たちに、
一行はほどなく助け上げられた。
正体がすっかりばれて、
おまわりさんにつかまったガン太のご主人は、
ガン太にむかって
「今度ばかりはおまえの吠えるのに助けられた。
もうだれもおまえのことはウザワンとは言わないだろう。
おまえはいい犬だ。
でも、刑務所の中までこなくてもいいからな」
と言ったものだった。
ガン太たちが落ちた池は、露天風呂となり、
犬も喜ぶ温泉として有名になった。
町はずれに、ずっと気になっていた映画館があった。
ペンキも壁もところどころはがれた古い建物
〝ヴァンパイアシアター〟だ。
その名のとおり、吸血鬼ものの古い怪奇映画ばかりを
上映し続けていた。
それが今夜で閉館という張り紙を見た。
一度も行ったことがなかったので、なくなる前に
ぜひ行きたいと思った。
ぼくはお母さんとのふたりぐらし。
お母さんは今日もパートで遅い。
かんたんな夕食のあと、ぼくはアパートを抜け出し、
映画館へ向かった。
その建物は、昼はボロボロに見えたのに、
夜は、新しくりっぱに見えた。
ロビーも客席もお城のようにはなやかだった。
最後の上映というからだろう、
広い客席は混みあっていて、ほぼ満席だったが、
運よく、まるでぼくのためにあけてくれたように
一席だけあいていたので、そこに座った。
たちまち暗くなり、古い映画が次々に上映された。
『魔人吸血鬼』
『吸血鬼甦る』
『吸血鬼のたそがれ』…
古い白黒映画ばかりだが、とてもおもしろく、
ドキドキしながら見た。
こわい場面になると、客席からは拍手や歓声がおこって
たいへんなもりあがりだ。
「これでファイナルです。
この映画館はこれでおしまいになります」
とアナウンスがあって、はじまったのは、
映画ではなかった。
ステージ上に俳優らしい人が何人も登場してくる
舞台劇だった。
舞台は、古い大きな城のホールらしい。
そこで大勢の人が
豪華なパーティをくりひろげていたのだ。
ドレスや礼服を着た人々が音楽にあわせ、
舞台せましと優雅に踊っている。
結婚式の披露宴のようだった。
ひとしきり踊ったところで音楽が中断し、
舞台の中央にりっぱな身なりの老紳士があらわれた。
ぼくのとなりの客席で、
「伯爵だよ」
とささやく人がいた。
伯爵は舞台や客席にむかって話しかけた。
「わしは歳をとったので引退し、
この屋敷もみんなの代表という地位も、
むこにゆずることにする。
わしの娘のむこにな」
舞台や客席から大きな拍手と歓声がおこった。
「で、むこになるのはだれだね?」
伯爵は問いかけた。
「それは子爵のわたしです」
と、舞台のはしから、若いたくましい男が進み出た。
「わたしは十字架をおそれません、
ほれ、このとおり」
その声とともに、
子爵は十字架を取り出して手に持ち、
さらに子爵のけらいが何人も
十字架を持って舞台にあらわれ、
子爵といっしょに踊りはじめた。
客席も舞台も驚きの声をあげたが、
たちまち大きな拍手を送った。
「いやいや、男爵のわたしこそふさわしい」
と出てきたのは、とてもハンサムな男だった。
「見なさい、わたしは太陽さえもこわくはないのだ」
男爵はサングラスをかけると、
後ろに並んだけらいといっしょに、
太陽にみたてた、それはまぶしいライトの下で
陽気に踊りはじめた。
ほかの舞台の上の人々も観客も、
思わず目を細めたが、たちまち手を打ちだした。
「いちばんふさわしいのは、公爵のわたしですとも」
とあらわれたのは、とてつもなく大柄な男だった。
「わたしは血でなくとも飲める。
ごらんなさい、これはトマトジュースです」
と、赤い液体の入ったグラスをかかげ、
同じようにグラスを持ったけらいたちといっしょに、
グラスを持ったまま踊りながら飲みほした。
舞台も観客もあっけにとられていたが、
すぐにわれんばかりの拍手がみちあふれた。
「さてさて、みなさんりっぱなかたばかりだ」
老伯爵はうなりながら言った。
「だれがむこにふさわしいか、
わしにはとても決められん。
ここはやはり、
花嫁となるわしの娘に決めてもらおう」
するとステージ上の人垣が割れ、中央の奥から、
白い長いドレスの娘が進んできた。
くちびるがとても赤く、肌がすきとおるように白い、
とてもきれいな娘だった。
「みなさん、とてもすてき」
娘は言った。
「でも、わたしは仲間ではなく、人間を花むこにしたい。
ちょうどあの人のような」
と客席を指さした。
その人さし指は、
なぜがまっすぐにぼくにむけられていたのだ。
「おお、わが娘は新しいことをしようとしている。
みんな、娘の勇気をたたえよう!」
老伯爵が感激して言うと、
劇場全体が大きな拍手につつまれた。
同時に、ぼくのまわりの観客はいっせいにぼくを見て、
ステージにあがれあがれとうながしてくる。
ぼくはきまりが悪かったが、みんなの勢いにおされて
おずおずとステージへあがった。
すぐに花嫁が近づいてきた。
見たことがないくらいきれいな人だった。
客席から見たときは、おとなの女の人だと思っていたが、
近くで見ると、ぼくと同じくらいの年頃に見えてきた。
大きな目でぼくを見つめ、にっこり笑う。
ぼくもつられてにっこりする。
花嫁の歯は白くてきれいで、しかも長くとんがっていた。
「さあ、キスを」
老伯爵が言うと、
「キスを!キスを!」
と、劇場全体がはやしたてるように言った。
花嫁はどんどん近づいてきた。
「ここだ、この壁をぶち抜け」
「ステージはどうします?」
「もちろん全部こわせ、平らな床にするんだ。
そのぶん多くイスが並べられるからな」
男の声で目がさめた。
ぼくは劇場のイスのひとつで眠っていたらしい。
どうやら朝になっていたようだ。
入口のひとつがあいていて、そこからさしこむ日光が
やけにまぶしい。
見まわすと、なんだか劇場が古ぼけていた。
ゆうべあれほどきらびやかだった劇場は、
何年も人が住んでいない、
ボロボロの廃墟のように見える。
その中にヘルメットをかぶった二人の男が立っていた。
ひとりがしきりにさしずをしている。
気になる話の内容だった。
「あのう、ここをどうかするんですか?」
ぼくはおずおずと近よってたずねてみた。
「もちろん、全面的に改修してレストランにするのさ、
豪華でステキなふんいきのな…」
と言ってから、男ははじめてぼくに気づいたように、
「おや、きみはだれだ?どうしてここに?
だめじゃないか、ここは立ち入り禁止だぞ、
早く出て行きなさい。まもなく工事がはじまるんだぞ!」
と命令してきた。
ぼくはなぜか腹が立ってきた。
そのまま入口へだっと走ると、戸をしっかり閉めた。
劇場は真っ暗になった。
「きみ、何をするんだ?!」
「さっさとそこを開けなさい!そして出ていくんだ!」
男たちは怒って言った。
「いや、開けない。あなたたちはここから出られない」
ぼくは言いながら、さっと右手をあげた。
すると劇場の天井に明かりが次々にともり、
ゆうべのようにこうこうと客席を照らしだした。
客席はゆうべのように、建てられたばかりのように、
新しくきらびやかに見えた。
男たちはあっけにとられ、不思議そうにそして不安そうに
あたりを見わたした。
ぼくの目は、こどもの目にしては、
男たちが見たこともないほど光っていたのだろうと思う。
ぼくが一歩男たちに近づくと、
男たちは顔をこわばらせてあとじさりをした。
「さあさあ、みなさん、新装オープンした
〝ヴァンパイアシアター〟へようこそ!
以前にも増して多くの吸血鬼映画をそろえております。
今夜は特別割引ロードショーです。
本日のプログラムは、傑作『吸血鬼の花婿』です。
なんと本日封切りです。
さらにこのたび、劇場の中に、豪華でステキな
ふんいきのレストランも新しくつくりました。
すばらしいごちそうをいろいろ用意しています。
ここだけの特製トマトジュースもおすすめですよ。
でも、あいすみません。
今夜は特別席は予約済みです。
この劇場のオーナーの母親が招待されてるんです。
つまり、ぼくの母がね」
$ 私は神だ。お前に罰を与える。
「メールが届きました、旦那さま」
という愛らしいメイドの声とともに送信されてきたのは、こんな文面だった。
近頃は、股間に一抹の虚しさを抱える匿名の人妻・三好順子や、ありえないアクロバットプレイが可能な本名はナイショのOL・佐藤麻衣だけではなく、こんなジャンクメールまでやってくるのだ。
これだからプリペイドは。
ちなみに着信音は、以前は以前は音楽=歌謡曲だったが、課長が得意げにプレゼン中に、元カノから着信して、「♪バカ言ってんじゃないよ~」と鳴ってしまってから効果音に変え、カッコいい機関銃音にしたのだが、バーガーショップで着信してテロだテロリストだと騒ぎになってから止め、続いて可愛い猫の鳴き声にしたのだが、今度は着信したとき近くにいた発情オス猫に飛びかかられて止め、ようやく現在のメイド声に落ち着いたものだ。
ケイタイの困ったところは、メールなり通話なりを受信すると、早く出なければならないという、いかにも小市民的な意味のない義務感にかられてしまうところだ。所かまわず出なければならないような気分になる。
いま現在は、けして通話に適当である場所にはいない。
こんなところで大声で話をしようものなら、(する人もいるかもしれないが)
いささかアブナイ人とは言われないまでも、それほど親しくはなりたくない、低レベル警戒ランクの人と受け取られる。
しかし、メールを見るのには不都合はないし、返信するのもさしつかえないだろう。手持ちぶさたなところではあるし、ちょうどいいといえばちょうどいい。
相手は明らかに不特定相手の迷惑メールの類だった。登録してある相手でもないし、非通知設定と出ている。
迷惑メールは即座に妥協の余地なく問答無用で一刀両断に削除、をケイタイを携帯する信条として守り続けてきた。返信したが最後、こちらのアドレスを知られるし、どんどんつけこまれて迷惑メールの嵐となり、メールどころではなくなるに違いない。俺は常日頃から、口車に乗って詐欺にひっかかるタイプではないし、危ないものに近よらない勇気があるタイプと自負しているのだ。
しかしこのときは生涯はじめて魔がさしたというのか、何十年に一度の気まぐれといったらいいのか、神や罰という言葉に触発されたのか、刺激的な断定文に反発してみたくなったのか、ついメル友(頻繁にメールをやりとりするほどのメル友はいないが)に返信するように、思わず返信してしまったのだ。
# 誰だか知らないが、
下手なイタズラはやめろ。
しかし、なぜ俺にメールをよこした?
なぜ俺のメールアドを知っているのか?
俺はどのサイトにも登録していないし、
誰にも教えてないぞ。
すぐに返事が返ってきた。
$ 神だから何でも知っている。
俺を知っていて、俺個人にメールしてきたような文面だ。さらに続く。
$ お前は、これまでしてきたことに対して
罰を受けねばならない。
つい気になることを言ってくる。これが手だとわかっていても、返信してみたくなる。
# 何の罰だ?
すかさず返信がくる。ずいぶんスムーズだ。マニュアルどおりのセールスなのだろうか。
$ なすべきことをしてこなかったこと
への罰だ。
しかしこれはわけがわからない。そうと言われれば心当たりはないこともない。
電車で、前に立ったばあさんに席を譲らず寝たふりもしたし、タバコを吸っている中学生らしい連中を見て見ぬふりもした。お局の山岸さんのスカートの後ろがめくれ上がって、ハデな下着丸出しで歩いていたのを見ても、注意しそびれた。
しかし、それらは俺でなくてもいいはずだ。それを罪というのは言いがかりだろう。
これはやはり反語を返信しておかなくては。
# ほかに罰を受けなきゃならん奴らが
大勢いるだろが。
無責任政治屋とか談合企業だとか
立小便おやじだとか。
我ながら効果的な反論だとは思ったが、相手はまったく意に介さないように返信してくる。
$ それらは法で裁かれる。
お前の罪はそれを罪と認識しなかったことで、
それへの罰だ。
神というだけに強引だ。断じるような文面だ。下手をすると言い負かされるかもしれない。このままこいつのペースに乗せられてしまって、何か買わされたり入会金でもとられるハメにでもなったら目も当てられない。もう潮時だ。
# かなりバカバカしくなってきたから、
そろそろオフるぞ。
最後通告を返信した。しかしすぐ思い立って、一文付け足す。
# でも参考までに、
どんな罰か聞いておこうかな。
すぐに決めつけるような返信がきた。
$ お前の大事なものを奪う。
ちょっとどきりとする一言だ。とらえ方によっては脅迫めいてさえいる。脅しにのって脅えるのは、ほんの少しでもしゃくだ。まぜっかえして斬り返しておかねば。
# 漠然としてるな。金ならないよ。
あんた、宗教か何かか?
明らかにこいつは宗教めいて、予言者ぶっている。どうも気にいらない方向へいきそうだ。
しかし敵は、俺の斬り返しを歯牙にもかけず、さらに踏みこんだ警告らしきものをよこした。しゃくななことに、こっちのほうこそより最後通告らしく見える。
$ 今お前がいちばん必要としているものを奪う。
前を見ろ。
はじめて具体的に行動まで指図してきやがった。このムカつく命令調は何だ。
しかし情けないことに、返信するのも忘れ、ついつい前を見てしまう。
こんなところで何を見ろってんだ。見るべきものは何もない。目の前は壁、つるんとした白い壁だけだ。四方が壁だけの狭い部屋だ。他には何もない…何もない…
何もないって?!
何もないことが問題だった。
あわててカバーを上げて見る。
何もない!芯だけだ!
上の棚、上の棚に予備があるはず…棚そのものがない!
何もない!大事なものが、この場面でいちばん大事なものがない!
まさか?!なぜはじめに気がつかなかった?!自分のうかつを呪っても遅い。
ポケットを探っても、
ない!俺はそんなに用意がいいほいうじゃない。
確かにメールの神が言う、いちばん必要としているものがないのだ!こんなときにカミがいない、いやカミがない!カミが存在しないなんて!おお、カミさま!
「なんで!なんでここのコンビニのトイレは紙が切れてるんだ?!」
翌日またあのメールがきた。
またしてもせっぱつまったところにやってきた。
無視すればよかったがついつい見てしまった。麻里ちゃんからのメールかもしれないと思ったのだ。もしかしたら麻里ちゃんはまだ俺のことを、と。
$ 私は神だ。
お前に罰を与える。お前の大事なものを奪う。
この野郎、今度は〝罰〟と〝奪う〟を一文に入れやがった。なんてあつかましい奴だ。この場で反撃返信を打たずにおれるか。
# いいかげんにしろ!
コンビニのバカ店員には
厳しく注意しておいたぞ。
お前は誰だ、何のためだ。
迷惑メールってのは
どこへ届け出るんだっけな。
見ろ!迷惑メールと決めつけてやったぞ、少しはビビったろう、変態ストーカーメール野郎め!
たちまち無表情な返信がくる。
$ お前の大事なものを奪う。
くそっ!しつこい奴だ、今にみてろ!と気の利いた反撃の文句を考えて気をそらしたすきに、快速列車が発車してしまい、乗り遅れた。
過ぎ行く列車を見送りながら、
お前の大事なものを奪う。
という文句が残像となってダブる。
めずらしく課長に怒られはしなかったが、減給対象になった。
遅れたおかげで仕事をこなすのも遅れ、ランチの時間もやや遅れて、いつもの店に並ぶのも遅れた。
いやな予感が当たって、ちょうど俺の番で「すみません、本日のランチは品切れ終了となりました。」と言われた。特に熱望するほどではないが、そこそこの値段でまずまずの味の、近所ではとりあえずいちばんマシなランチを食いそびれた。これは近年でもめずらしい事態だった。
ふとあの文面が頭をよぎる。
お前の大事なものを奪う。
そんなバカな、偶然だろう…
会社の帰り、これもいやな予感がして、早めに手を打とうと、ついに決断し、(思えばあの〝奪う神〟のおかげで決断できたのだ、手に入れたらせいぜい神に感謝するとしよう)急ぎ足でショップへ向かった。
息を切らせてガラスケースの中を見る。
そんな…まさか!
ない!
やっぱりない!
店員に聞いた。
「ああ、そこにないってことは売り切れですね。在庫のみですから。」
なんて無慈悲な店員なんだ。こんな重大事をもったいもつけずにあっさり言いきりやがった。
目の前が真っ暗になる、ほどではないが、暗い気持ちになったのは確かだ。
俺にとってはちょっとした決断だった。ようやくの決心だった。
決意と覚悟はあっさりかわされた。
なかった。
かなり魅かれていた、あのセクシーな美少女フィギュアが。
またまたあの文面が浮かぶ。
お前の大事なものを奪う。
こんなの偶然さ、偶然に決まってる。
ギャンブルの負けと同じだ。ついていないことは連続することがある。
これ以上続くことはあるまいし、もっと大きくなることもあるまい。
そう無理に決めつけても、心の中に少しずつ暗雲が広がっていくのを感じる。
「メールが届きました、旦那さま」
翌日、同じような時間にまたメールだ。
無視しようとはしなかった。しっかり見てやった。
思ったとおり同じ文面だ。ワンパターン野郎め。
$ 私は神だ。お前に罰を与える。お前の大事なものを奪う。
こっちだって神も驚く神がかり的な早打ちで文面を打ち、即刻返信する。
# 待っていたぞ、この野郎!(叫)
毎度同じ手に乗るもんかい!
なにかい、あんた、俺のストーカーか何かか。
どっかでいつも俺を見張ってるのか?!(怒)
何が目的なんだ。
今日はな、早起きして快速にも間に合った。
もう会社のビルの前さ。
俺はもうお前さんとのメール遊びに飽きた。
これでおさらばするよ。
ばいばいヘンタイ(笑)
決まった、決まったぞ。もうグーの音も出まい。
恐れ入れ、邪神よ、イタズラ神よ。
しかし返信は、またもムカつく無表情な同じ文面だった。
$ お前の大事なものを奪う。
古ぼけた小さな雑居ビルのオフィスの入口に同僚が大勢集まっていた。
まもなく就業時間だというのに、なぜか社内に入っていない。みんな困惑した、真剣な表情だ。ちょっと不安になって聞いた。
「どうしたんですか?」
「見てよこれ、この張り紙…」
お局の山岸さんが道をあけるようにどいて、指さしたところに一枚の小さな紙が貼りつけてあり、
『当社は本日より営業を停止しました』
と書かれていた。
「どういうことです?」
「早く言えば倒産らしい。前から噂は小耳にはさんではいたが、まさか本当だとは…」
定年で退職金をもらうのが何より楽しみだと言っていた本郷さんがつぶやくように言った。
錠がおろされた自動ドアからのぞいてみても中は暗く、もぬけの殻だった。
先輩の田所さんが当惑といらだちが入り混じった声で言う。
「社長や取締役とは連絡がとれない。家にいた管理職を問いただしても、知らぬ存ぜぬだ。」
「課長は?」
「こっちが名のる前に電話を切られた。あとは何度電話しても出やしない。」
「そんな…俺たちはどうなるんです?」
ここに至ってようやく事態がのみこめてきた。
「失業者になるのさ…組合もなかったしな…」
田所さんがドアの奥を見たままうつろに言う。
お前の大事なものを奪う。
会社は確かに給料をくれるところとしてだけ大事だったし、何より給料が大事だった。
罰を与える。
ほんの少しだけ信じる気になった。
これまで神を名のる奴の予言は、偶然の一致だとは思うものの、現実になっている。やはり不気味ではある。
はじめてこちらからメールをする気になった。
着信暦に神のアドレスが残っている。神にアドレスがあったとは。住所は天界一番地なのだろうか。
立ちつくしている一団から離れて廊下のすみへいき、神の着信音とはどんななのだろう、やはり賛美歌なのだろうかなどど思いながらメール文を打ち、送信する。
# どこの誰だか知らないが、神と名のるお前。
世の中お前の言うとおりになってるぜ。
確かに俺の大事なものがいくつかなくなった。
神からすぐに返事メールがきた。
こいつ待っていやがったのか、いつでもメールが打てるほどにヒマな奴なのか。
$ 私のことを信じる気になったか?
ふざけるなこの野郎とばかり返信する。
# 信じるわけがない。
あんたは奇跡を起こしているわけじゃない。
怒りにまかせて打ってしまって、これはまずかったかもしれないと後悔した。
案の定、
$ ならば、もっとお前に罰を与えよう、
さらに大事なものを奪おう。
と返信してきた。
冗談じゃない、もう勘弁してくれ!
情けなくも、思わず白旗めいた返信をしてしまう。
# いや結構、もうたくさんだ。
何が何だかわからないが、これ以上の不運はもうごめんだった。
ここは下手に出てようすを見よう。
$ では、私を信じるか?
と、すぐに神から返事がくる。神の文はいつも神のごとく短い。
# とりあえず、いまのところは、わかった。
信じよう。
否応もない、こう打たざるをえない。ひとまず降参だ。
$ ならば、お前を許そう。お前の罰は終わった。
返事は意外なほどあっけなかった。ホントなのか?
# ずいぶん簡単なんだな。
つい、こう返信してしまう。しかし相手はこっちの返事なんか聞き流すように、まるっきりマイペースで返信してくる。
$ お前は今困っているか?
あたりまえだ。
お前の言っていることが事実なら、お前のおかげでこんなになったんだ。
# 困っているよ。
失業保険がおりるまでも間があるし、
退職金もない。
今日の食費をどうすればいいんだ…
と、ここは本当のことを打って送る。切実なぼやきだ。
すると神は、意外ではあるが、いかにも神らしいことを送信してきた。
$ ならば、お前に救いの手を差しのべよう。
からかって遊んでいやがるのか、こいつは。
さすがにあきれて返信する。
# 罰の次は助ける、か。
あんたホントは何者なんだ?
しかし神は間髪を入れず、疑問をさしはさむ余地さえ与えない素早さで返信してきた。
$ 困難にぶつかったときは前を見ろ。
前にお前の求める答えがある。
また前か…。
いまトイレットペーパーがあってもしょうがないが…
まるであてにしないまま漠然と前を見る。
前にあるのは廊下の壁。そして…窓だ。
窓の外には上半分は空、下半分には街並みが広がる。
ビルの七階から見渡す街並みの彼方に、ひときわ目を引く看板が突き出ていた。
コンビニの看板。
あそこはこの前のトイレのときの、神からメールがきたときの…
ともかく、言われたとおり、前を見て目に入った、コンビニの前までいってみた。
『従業員募集』の張り紙が正面のウインドウの片隅にあった。
このコンビニの店員になれってことか。これが救いの手なのか。確かにさし迫って必要なのは、職と給料だ。
しかし世はいつ果てるとも知れぬ不景気、就職難だった。
なんと他に希望者が5人もいて、結局別室で就職試験ということになった。
筆記試験は簡単な常識問題で、みんな通ったが、個別に行われる面接試験はその場で結果が言い渡され、落第者は次々帰されるというハリウッドなみの冷酷なオーディションとなっていた。
このとき、神かららしいメールが届いていたことはわかっていたが、(胸から旦那さまの声が聞こえていた)今はそれどころではない。
試験に、立会いとして出てきていたのは、あのときの、トイレットぺーパーを忘れた気の利かない店員ではなく、初老の店長だった。あのときの店員は気の利かなさのあまりクビになり、それで欠員が出たのかもしれない。
世相についての軽い雑談ののち、今度は面接試験の試験管となったこの店の店長から直接問題が出た。
「これからのコンビニ店に一番必要なものは何だと思いますか?」
店長はにこやかだが、いかにも管理者らしい、俯瞰するような雰囲気で言った。
どんな答えだと合格なのだろう?
カップ麺の新製品かレアもののチケットか、何とでも答えられる。どういう意味なんだろう、経済的側面か、社会的見地なのか。さしあたって頭に浮かぶのはトイレットペーパーぐらいしかない。
このとき、もしやと思い当たって、すいません、メールが届いたみたいなんで、ちょっとだけチェックを、と言って懐からケイタイを取り出し、素早くメールを一べつした。
思ったとおり神からのメールが届いていた。
しかしがっかりしたことに、メールの文面は、
$ 困難にぶつかったときは前を見ろ。
前にお前の求める答えがある。
という、前と同じようなものだった。
そんなに前ばかり見せてどうする気だ。今前に見えるのは、今度こそ何の解決にもならない、質問してくる店長その人ではないか。
いや、まてよ、前にいるのは店長…もしかして、これか?まさかこのことか?
「…はい、えーと、あの、店長だと思います。」
苦しまぎれに答えてしまった。
「何だって?」
店長は眉をよせ、秘密警察官のような雰囲気で問い直した。
「…はい、店長です。パートの従業員ばかりはでなく、商品のことを何でも知っていて、地域の情報にも詳しい店長です。お客さんどんな質問にも答えられる店長が常時いれば、店の信頼度はアップすると思います。」
とっさの思いつきだった。単に店長のご機嫌をとって、この場をとりつくろうためだけの、いわば出まかせだった。
そして俺は合格した。
コンビニ店員としての生活がはじまり、俺と店長は息の合ったコンビとなった。
すっかり店員の仕事に馴染んだと判断したころ、俺は、店長のご機嫌を損ねないように(なんといってもこの人は俺の雇い主なのだから)細心の注意を払いながら、かねてよりの疑問をあくまでもさりげなく切り出した。
「店長、もしかしたら店長だったんじゃないですか?」
「何のことだね?」
店長は忠実な部下に仕事を教える気安さで問い直してくる。
次の質問が大事だった。非難がましくならないように、共謀者に秘密を打ち明けてもらうような調子で聞くのだ。
「神様を名乗って俺にメールを出した人のことですよ。
俺のケイタイは以前ここで買ったプリペイドで、店長は携帯番号と俺の名前を知ることができる立場にあった。携帯番号とメールアドレスは同じ人がいるし、俺もそうだ。
最初にメールを受け取ったのはここのトイレの中だし、このコンビニの親会社は、俺の前の会社の取引先で、経営状態の情報なんかも得やすかったでしょう。」
冷静に分析すればそういうことだ。フィギュアやランチは偶然と確率の問題でしかない。
店長はにやりと笑った。
正直、意外なことに図星らしい。
そして、店長の次の言葉はさらに意外だった。
「君もなかなかやるねえ。今度はこっちが罰を受ける番かな。
しかしね、言い訳すると、じつは私も君のとそっくり同じようなメールを受け取って、半分神様を信じ込まされて、君をここの店員にするように仕向けられたんだ。」
「ほう、ネズミ講方式だったってわけですか…すると店長も神様の正体をご存知ない…」
「何が目的なのか見当もつかんよ。」
嘘ではなさそうだ。
一緒に働いて見てわかったのだが、店長は商売熱心ではあるが、狡猾なほうでも抜け目がないというほうでもない。神なるものに振り回された身として、心細く、同じ仲間か相談相手が必要だったのだ。俺はちょうどいい被害者仲間=味方か援軍にさせられたのだ。
「なにかの陰謀でしょうか?なぜ我々なんだろう?同じ地区に住んでいるということ以外に共通点はありませんよね。面識もなかったに等しいし…」
「…うん、昔どこかで会っているような気もするんだが…」
店長は何かひっかかるような顔で言った。
「どこかで顔を合わせてはいるでしょう、同じ地区なんだから。」
「…うーむ、単なる、いたずら好きのメールマニアの、神様ごっこだったんだろうか…」
店長と俺は想像をたくましくして、対策を練ろうとした。
このとき双方のケイタイのメール着信音が同時に鳴った。
二人はそろってケイタイを見、そして顔を見合わせた。
そしてお互いのケイタイを見せ合った。
同じ文面だった。
$ 私は神だ。
やがてお前たちはここで知ることになるだろう。
「あのー、すみません、聞こえてきたんですけど、いまメールとか神様とかおっしゃっていませんでしたか?」
いきなり問いかけてきたのは、かなり前から店内で雑誌を物色していた女性客だった。
& あなたは何者?
なぜ私のメールアドレスを知っているの?
私はどのサイトにも登録していないし、
この、この前買ったばかりのケイタイのアドレスは
誰にも教えていない。
(これだからプリペイドってやつは!)
* やった!返事がきた!嬉しい!よろしく!
& 私の質問に答えなさい、でないとすぐに消去します。
* すみません、謝ります。
あてずっぽうにデタラメなアドレスで
片っ端から出したものですから。
返事はあなたがはじめてです。
お願いします、どうか僕に回答を下さい。
& 察するにこれは新手の詐欺か押し売りか、
いずれにしても迷惑メールね。
やっぱり返信するんじゃなかった。
ついまちがって返信してしまった。
元カレと勘違いした私がうかつだった。
もうこのケイタイはダメね。
いいわ、どうせプリペイドだし。
さよなら。
* 待って下さい、違います。
誰にも相談する人がいなくて、
どうしていいかわからなくて…
誰でもいいから答えてくれる人がいい
と思ってメールしました。
誰か親切な人に当たったらいいと思って。
ほんとに誰かにアドバイスしてもらいたいんです。
& だったら
掲示板か書き込みサイトにすればいいでしょう、
一億ぐらい返事がくるよ。
* 僕が欲しいのはそんな返事じゃない、
無責任な面白半分の答えじゃないんです。
偶然のように降って来る、
神の声のような返事なんです。
彼女はちょっとだけ心を動かされた。
これって都会の孤独ってやつ?友達も話し相手もいないこんなやつってホントにいるんだ。
もちろん、ちょっとアブナイやつにきまってるから、深入りは禁物だけど、こいつ、何かしでかすつもりなら、とりあえず止めなくちゃ。
& まあ、聞いてから消しても捨ててもいいわけだし、
消して捨てるのを前提にして聞きましょう。
手短に用件を言って。
* 僕は迷ってるんです。
彼女と別れるべきかどうか真剣に迷ってます。
彼女とつきあって三年になりますが、
まだ手をつないだこともありません。
でも彼女はいろいろなことを要求してきます。
ブランドものや高級レストラン、お金まで。
最近はとくによそよそしくなって、
しかも要求の内容はますますレベルが上がっています。
弟が病気だと言って、
はっきりと期限を決めてお金のことを言ってきます。
僕はどうすればいいんでしょう。
ほんとうに好きなら、愛しているなら、
どこまでも要求に応えればいいんでしょうか。
彼女は金やものだけが目当てなんでしょうか。
いっそ別れるべきなんでしょうか?
& そのことへのアドバイスが欲しいわけ?
見ず知らずの人へよくも身の上相談ができたものね。
そんなのラジオ身の上相談のジャンルじゃない。
でも、いいわ、答えましょう。
簡単です、あなたは騙されています。
はっきり言います、すぐ別れなさい。
彼女が欲しいのはもちろんお金。
弟みたいなヒモがいて、
そいつが借金を返すように催促されてんのよ。
けっこう適当な答えだとは思ったが、見ず知らずの相手だし、思い切って言ってやった。
こいつの言っていることが本当だとすれば、私の推測はまちがっていないはずだ。
* わかりました。アドバイスありがとうございます。
やれやれとんだ迷惑メールだわね。
何日かして、またあいつからメールがきた。
* ありがとうございます。
あなたの言ったとおりでした。
彼女には僕のほかにボーイフレンドがいて、
そいつが先日警察に捕まりました。
彼女も事情聴取されているそうです。
あぶないところでした。
あなたのアドバイスがなかったら、
僕は会社の金に手をつけていたところでした。
よく救ってくださいました。
あなたはほんとうに神様のような人です。
推測的中だったようで、ちょっと気持ちいいが、おせじは気持ちが悪い。
& やめてよ。
で、メールはこれっきりにしてね、じゃあ。
* お気を悪くなさったらすみません。
では、僕にとっては神様みたいに思える人と
言いなおします。
僕は物事を決めるのが苦手で、
いつもどうしていいかわからなくなるんです。
& しっかりしてよ、情けない人ね、じゃあ。
さっさと消えてくれ、バカボン。
* あの、もうひとつだけ。
僕は買い物でも悩んでいます。
テレビドラマ「トウキョウアイランド」の
DVDBOXを買うべきか、
人気小説を映画化した刑事ドラマ
「原宿鮫」の
DVDBOXを買うべきか…
言うにこと欠いて、今度は何だと、買い物だと。
ホントにバカね、こいつ。イライラしてくる。
しかし何を買うべきかというのは、貨幣経済というものがはじまって以来の、人間の永遠の課題なのだ。私だって決断へ向けてのアドバイスが欲しいときがある。
& ズバリ言えば、両方やめたほうが利口ね。
「トウキョウアイランド」は「ロストアウエイ」の
パクリでしかないし、「原宿鮫」は姉妹作の
「新橋鮫」と同じくらいちゃちでありきたり。
そんなもの買うくらいなら、
映画「ドミネーター」を別バージョンでテレビ化した
「サラマンダー・クロニクルズ」DVDBOXのほうが
まだいい。力作で確実に面白いからね。
* ありがとうございました。決心しました。
なんて素直なボーヤなんでしょう。
何日かして、またあいつからメールがきた。
* ありがとうございました。
「ドミネーター サラマンダー・クロニクルズ」
は最高でした。ワクワクしました。
ほんとに神様はなんでもご存知なんですね。
大変お世話になりっぱなしで、
何かお礼をしたいんですが…
お礼をしたいという心がけは殊勝だ。
はじめはイライラしたが、言葉づかい(文字づかい)はていねいなほうかもしれない。
しかし、答えはひとつしかない。
& お礼のつもりで、もうメールはしないでちょうだい。
* わかりました。
では、最後にひとつだけ。
僕の母は田舎へ帰れと言ってきています。
帰ったほうがいいでしょうか?
最後までくいさがる気だよ、こいつ。
これだと、アドバイス料もらってもいいんじゃない。
& もちろん、そうしなさい。
お母さんを安心させてあげなさい。
そして私のメールアドレスも忘れてね。
* 帰るときに、大きな仕事をして、
母を喜ばせるべきでしょうか?
そうそう、親孝行はいいことよ。
いいかげん答えるのがめんどうくさくなってきた。
& 好きなようにしなさい。それでは。
またあいつからメールだ。まだ田舎に帰っていなかったのか。
* 失敗しました。
神様のアドバイスのとおり、
やりたいようにやったら、
会社に穴をあけてしまいました。
僕は、母に、小さな会社の社長だと
言ってあったんです。
田舎に帰るときは、
それを少しでもほんとに近づけたいと思って、
ちょっとだけ会社の金を使わせてもらって、
あのIT会社に投資したら、
株が下がりました。
何?何?どういうこと!?
こいつ何をしたの?
金を使わせてもらってって、それ一般的には横領って言うんじゃない。
〝神様のアドバイス〟って何だよ!まるで私が指示したみたいな言い方で!
私は神様じゃない!
こんなとき神様って言われるとムカつく。
& 何をしたの?それも私のせいだっての?!
* いや、神様のせいじゃない。
神様はただ好きなようにしなさいと
言っただけ。
僕のせいだ。
あたりまえだ、そこまでわかってりゃ上等よ。少なくとも自分がわかってる。
神様に迷惑かけるんじゃないよ、バカボンボン!
& で、どうする気なの?
少し安心したが、ボーヤが何をしでかす気なのか気になる。
* 後始末は自分でつけます。
世話になった会社に迷惑はかけられない。
明日までになんとか金を都合します。
行きつけのコンビニで借ります。
あの横町の角。あそこにはATMが置いてある。
コンビニだから、ナイフだってあるし、
あそこは画期的なことに、
ドリルなんかの工具類まで売ってるんです。
なんだって!?こいつやっぱりバカだ。
やっぱり異常なバカボンだったんだ!何をどう飛躍させようっていうの?!
& ちょっと、何考えてんの!
短絡的なマネをしようってんじゃ
ないでしょうね?!
焦って興奮して、神ワザ的な早打ちメールになっていた。
相手はじらすように間をとって、これまでとはうって変わったクールな文面がゆっくり出てくる。
* これは神様には関係ありません。
僕個人のことです。
神様の名前やメールアドレスを
出すつもりもありません。
では。
何が〝では〟だ。こんなときにクールにかっこよくキメるんじゃない!
& 冗談じゃないわよ!
何する気なの!
ウスバカの半人前のボンボンめ!
ATM荒らしでもやろうっての!?
返信はない。
一方的に電源もオフりやがったにちがいない。
行ってしまった…ことをしでかしに…。
こいつが失敗したら(ウスバカボンの安易な企みがうまくいくわけがない)、ケイタイが警察の手に渡る。証拠品のひとつになる。着信暦から私のアドレスも知られる。
ケイタイ会社でアドレスをたどれば、私の住所も名前も知られる。
警官が聞きに来る。
私の名前やアドレスを世間に出されてたまるもんですか!ヤバいことに関わりあうのはまっぴら。来月には課長昇進だってのに。
なんとかあのボーヤを止めなくちゃ!
ATMはともかく、あいつのケイタイを取り上げて、叩き壊さなきゃ!
でも、そもそもこいつ、どこの誰?どこに住んでるの?北の果て?南の端?まさか近所じゃないでしょう。こいつの行きつけのコンビニってどこ?
私の知っている横町のコンビニといえばあそこしかない。
まさかあそこじゃ…いや、もしかして…あそこかもしれない。そういえばあそこでは工具類も売っていた、珍しいコンビニだと思ったものだ…それに…ATMもあった!
あのコンビニへ行ってみよう。あるいは、あいつがやってくるかもしれない。
もし来たら…
どうせ、あいつはきっとチビでヤセの青白いオタクだ。
見ればすぐにわかる…
「なるほど、それでその人が危ないことをするのを止めに来られた、というんですね。」
俺は納得した。
彼女の話のとおりだとすると、このコンビニ危機が迫っているということになる。
何が起こるかわからない世の中、バカ者は何をしでかすかわからない。
「今のところ、それらしい人物は店内には見えませんが、とりあえず警察に連絡しましょうか、店長?」
俺は不安になったが、店長はさすがに冷静だった。
「いや、たしかにウチは横町の角のコンビニで、ATMもあるが、そんなところは全国にある。この街だという確証もないし、それにそのメールがほんとうかどうかも…」
俺はふと別なことに思い当たった。
「しかし、私と店長が受けたメールとは神様のありようが違いますが、これで、神がらみのメールで、三人が同じところで顔を合わせたということになりますね。偶然でしょうか?」
「偶然でしょう。」
彼女は即座に否定した。
「なぜこの三人で、なぜこのコンビニで、しかもなぜ今夜なの?お互いに面識も共通点もないのに。」
確かにそのとおり、しかし俺にはどうも釈然としないところがある。
この偶然には何かがひっかかる。
意外にも、店長にも俺と同じ思いがあるらしい。
「共通点は同じ地区に住んでいるってことだけですか…。
でも、私は、お客さんにも、新入りの君にも、どこか見覚えがあるような気がするんだけど…」
何かひっかかるらしいのだ。
「ちょっといいかな?」
額を集めて考えあぐねていた俺たち三人は、店にほかの客が入っていたことに気づかなかった。いつの間にか何人かの客がいたのだ。
見ると、その中のひとり、身なりはいいが、どこか野卑な感じの男が話しかけている。
「失礼しました、いらっしゃいませ。お客さま、何かお探しでしょうか?」
俺はあわてて新しい客に向かい合った。
「いや、ちょっと知らせたくてね。お宅のコンビニの監視カメラ、ありゃきっと故障してるぜ。俺のダチがいま故障させてるからな。」
俺も店長も、この客が何のことを言っているのかわからなかった。
しかし、監視カメラの方を見やってびっくり。
なんと、男の仲間らしい、身なりはいいがガラの悪い男が、似たようなもうひとりを肩車して、天井に据え付けられた監視カメラの横腹に、店内にある売り物のドライバーを何本も突き立てようとしているではないか!
カメラはたちまちショートしたらしく、火花が出はじめる。
「ちょっと、お客さま!何をなさいます!おやめ下さい!」
俺はあわてて叫ぶように言った。
店長も色を失う。
「騒ぐな!このコンビニはたった今、俺たちがおさえた。今から三十分くらいはおとなしくしてろ!」
男が凄みをきかせて言った。
店内には明らかに男の仲間らしいのが、ほかに三人はいた。
手に手に店の売り物であるナイフや、ライターオイルやライターをふりかざしている。棚から勝手に取りあげたものだ。
なんと店内にいる客のほとんどは賊の仲間だったのだ。
ほんとうの客らしいのは、ドリンク棚の前でふらふらしている、けばけばしい衣装と化粧の女性だけだ。
店の外にも仲間らしいのがいた。入口付近にたむろしている二人は、入ろうとする客を止める役らしい。
ただでさえ人気の少ない真夜中のこと、コンビニは無法の一団に完全に占拠されてしまっていたのだ。
話しかけてきた、身なりも容貌もいいが、どこかに下卑た鋭さを秘めた男が、堂々と演説でもするように言い放った。
「メールを送って、お前たちを今夜ここへ集めたのは、俺だ。
自己紹介しよう、俺が神だ。そして神を求める迷える者だ。
がっかりしたかい、店長。イメージと違ったか、失業くん。でも、実際の神もこんなもんだろう。OLさん、たよりないオタク坊やでなくて悪かったな。メールじゃ姿はわからんもんさ。
さて、お三人さん、はじめまして、と言いたいところだが、じつは俺たちは、前に会っている。十年も前のことだし、お互い外見がだいぶ変わっているから、思い出せないかもしれんがな。
かつてここはコンビニじゃなかった。小さなスーパーだった。
そしてスケバンどものたまり場だった。
ある日、スケバンの中でもとりわけたちの悪いのが、店の品物を万引きしようとした。
そのようすを、気の弱いまじめな男子中学生が見ていた。
じつをいうと、万引きに気づいていたのはその中学生だけじゃなく、あと二人いた。そこにい合わせた女子中学生ともうひとりの男子中学生だ。
見られたと思ったスケバンは、とっさにそのまじめな中学生に盗んだものを押しつけ、進んでこの中学生が万引きしたと騒ぎ立てた。気弱な中学生は口もきけず、おろおろするばかりだ。
女子中学生と男子中学生は、かかわりを恐れて、何も言わずに見ているだけだった。
かけつけた店員も、スケバンのほうが怪しいと感ずいていたものの、スケバンの仕返しを恐れて、気弱な中学生が万引き犯だと決めつけた。
この一件で、まじめな中学生の将来は、本人の思いもしなかった方向へ向かうことになった。
ま、考え方によっちゃ、いい方へ変わったとも言えるがね。
保護観察中に、同類の友達ができて、そいつからいろいろなことを教わるとともに、たくましくもなった。
おかげで今じゃ、ご覧のとおり、何人かの部下を使って手広く仕事をしてるってわけだ。ごたいそうな名前までつけられてな。」
「連続コンビニ強盗303号!あんたが!?」
店長は思わず叫んだ。
「そのとおり。
言うまでもないことだが、そのときの店員が、店長、お前さんで、女子中学生と男子中学生がお前らだってわけだ。お互いずいぶん大人になったよな。
さんざん荒らし回って、このコンビニがまだだってことに気づいたとき、せっかくだからついでにささやかな同窓会でもやろうかって思いついたってわけさ。つごうよくお前ら、まだこの街にいたしな。
お前らの名前と住所はあのときから忘れもしないし、ずっと追跡してある。
さらに、俺のチームのもうひとつの得意技は、これからの俺の仕事の主力、メールなんかの個人情報の捜索と売買ときてる。ケイタイのデータを、本人が気づかないうちにそっくり盗み取る、なんてのは得意中の得意技だ。」
男はさらに鋭い目になって、俺たち三人ににじり寄ってきた。
店長、俺、彼女の三人はそろって思わず後じさりする。
「ま、まて!まて!昔の仕返しをする気か?!
君はまちがってるぞ!だいいち、いちばん悪いのは我々じゃなく、そのスケバンじゃないか!」
追いつめられた店長は、苦しまぎれにあがくように言った。
しかし、男はこの反論を当然予期していたように続ける。
「そうとも、だからあのときのスケバンにも来てもらった。」
男はやおら、ドリンク棚によりかかっていた女性を捕まえて引き寄せた。
「俺が今夜買った、このベロベロに酔っ払ったババアを見ろ。スケバンの成れの果てが、アル中の格安売女とはたいした出世じゃないか。」
女は、不必要なくらいの厚化粧で、どうにも似合わないけばけばしいスーツに、どうにも時代遅れな髪型を乱れさせているさまは、それほどな年齢でもないのだろうが、くたびれきった中年女に見えた。しかも目の焦点が定まっていない。
「…離しておくれよ、何わけのわかんないこと言ってんのさ。あたいがスケバンだったころは、そりゃあならしたもんさ。カツアゲなんて毎日だったから、誰が誰だか覚えちゃいないよ…」
女は男の話をところどころ理解していたらしく、ろくにまわらない口で、自慢するように、薄ら笑いをうかべながら言った。
「そうか、じゃあしっかり覚えさせてやる。」
言うや、男は女の顔面に猛烈なパンチをくらわせた。
女は歯を何本か飛び散らせてぶっ飛び、カップラーメンの棚に激突してから、カップラーメンもろとも床に転がった。
男はなおも女の胸ぐらをつかんで引き起こし、さらにパンチをくらわせる。
たちまち女は顔じゅう血だらけになって、完全にのびた。
「ババアめ、総入れ歯を出し入れするたびに俺のことを思い出すんだぞ!」
見ていた俺たちは震え上がり、身動きもできなくなってしまった。
この騒ぎに関係なく、店内では、男の部下たちが、店の売り物のドリルや自分たちが持ち込んだ器具を使って、手馴れた作業ぶりでATMの解体を進めている。
「さて、今度はお前たちだ。」
男はズタ袋のようになってしまった女を放り出し、にやにやしながらあらためてこっちに迫ってきた。
俺たち三人は身を寄せ合って固まった。
「お前たちがするのは、十年前と同じこと。
見てるだけで何もしないことさ。
つまり神様と同じことをすりゃいいんだ。すべてを見ているが、何もしない。
わかったか、これでお前らこそ神だ!」
2015年2月13日 発行 初版
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屋根裏文士です。
青森県を舞台にしたホラー、アクション、コメディー、ファンタジーなどを中心に娯楽ものをいろいろ書いてます。
◇青火温泉 第一巻~第四巻
◇天誅団平成チャンバラアクション
第一巻~第四巻
◇姫様天下大変 上巻・下巻
◇無敵のダメダメオヤジ 第一巻~第三巻
◇アメブロ「残業は丑の刻に」