Seeing is moving.
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人は誰しもいくつかのドアを持っていて
その向こうに隠したいものを隠したり、違うと感じる別の何かを閉じ込めたり、
あるいは大事に仕舞っておきたい思い出を保存している。
それをどこまで他人に見せられるのか、あるいはこちらから見に行くのか、は人次第。
そのことに良いも悪いもないけれど、時折それはすごく怖い。怖いと感じる。
でも、その怖さに打ち克って初めて得るものもきっとある。
無理して開けなくてもいい、大切な人には開けてもいい。
ドアが少しだけ開いていたら、空気を転換するためにこちらから開けてみるのもいい。
向こう側に何が見えますか?
学者とか政治家とか、そういう偉い肩書の人でも、
きっと明日の天気予報は信じるし、神社でおみくじも引くし、
たまたま淹れたお茶に茶柱が立ったら喜ぶ。
世の中は不確定なことばかりだ。
それを確定に変えるための仕事をしている人こそ、
そんな不確定さも受け入れて楽しんでいる…気がする。妄想だけど。
気まぐれや予感、そんなもので世の中は出来ていて、
きっと全てを論理的に明らかにすることはできない。
だからこそ、面白い。
「群青」という言葉があるように、青は群れるのだ。
空も海も、花も魚も蝶も鳥も、青という光の集合体。
群れて大きな色を成す。何者も太刀打ちできないほど壮大な。
その大きさに抱かれて眠るうちに、やがて私も群れていく。
【明鏡止水】めいきょう―しすい
(くもりのない鏡と静かな水との意から)
邪念がなく、静かに澄んだ心境。
<広辞苑 第五版より>
ガラスのハートは、繊細で、恋に傷つきやすい心の持ち主を言うことが多い。
でもよく考えると、言い得て妙な表現で、
ガラスは割れてしまえばその破片で他人を傷つけることもある。
自分が傷つくと、相手も少なからず傷ついているということ。
(ただし相手もそう考えてくれているかは別物)
それが恋なのかも。
この写真、見れば見るほど不思議になる。
透き通った水の底を覗いているはずなのに、少し目線を右に移せば
青い空が網膜に飛び込み、空に落ちていくかのように錯覚する。
下を覗き込んでいるはずなのに、上へ落ちていく。
静岡県、富士の混じり気ない雪解け水が流れ辿りつく柿田川の湧水。
「綺麗な水は青い」ということを、身をもって教えてくれる場所だ。
溜め池の水は底まではっきりと見え、全体的に海とも空とも違う青色を帯びている。
空に落ち、水底を飛ぶような感覚には思わず唾を飲む。
偽善、という言葉に卑屈になりすぎてはいけない、と思う。
もちろん「善」は本物の「善」がいい。それに越したことはない。
でも、偽りの善がすべて悪いとは思わない。
それが誰かにとっての善になるなら、それは善でもいい。
下心があったり、見返りを求めたり、そういうのは尽きない。
本当は、無償の愛が理想形。でも、不純物0%にはできないのが人間。
その不純物を、少しだけ胸の奥底に抱えながら、他人から言われる「ありがとう」は
後ろめたさがあっても、ちくりと痛くても、相手が良かったなら良かったんだと思う。
(もちろんそれが、後で相手に迷惑をかけることであってはならないけど)
「偽善者」でも、「善を起こす」ことができるのなら、それはもう一歩踏み出している証拠。
誰かのために、自分のすべてを懸けることは、余程でなければ出来ない。
でも、そうじゃなくても、誰かのためにやれることはきっとある。
この世界の質量は、いつも一定に保たれているのかもしれない。
人は死んだとき、魂の質量分身体が軽くなるという。
その重さ、21g。
同じとき、別の場所で、どこかの誰かがそれを埋めてくれるだろう。
たとえばデリの店員が、サービスでグリーンサラダを少し多めに盛ってくれるかもしれない。
たとえば少し酔いたくて、テキーラ濃い目のマルガリータを作ってもらうかもしれない。
たとえばいつもはブラックコーヒーしか飲まないあの人が、
ほんの気まぐれで角砂糖を一粒、そこに落としてくれているかもしれない。
そうやって、知らない間に、欠けた部分は元通り。
そうやって、この世界の秩序は保たれる。
誰かがきっと、埋めてくれる。
動物園や水族館で、トップを争うほどの人気者がペンギン。
よちよちとたどたどしく歩く陸上と、疾風迅雷のように駆け抜けていく水中のギャップも魅力。
飛べない鳥の代表格。
…「飛べない鳥」って何だ?
鳥の定義の一部には「飛ぶ」って入っていないのか?
生物学の専門的なことは分からないけど、ちょっと不思議な語感。
物事を説明するのに、カテゴリーに分ける作業は必要だと思うし、便利でもある。
でも、ちゃんと勉強している人は別だけど、大抵の場合それはかなり曖昧模糊。
よく言う、「実際の土地に国境というラインが引かれているわけではない」と同じ。
線引きをしたつもりでも、例外はたくさん存在するし、逆に別の種類の何かが当てはまってしまうこともある。
要は何かって言うと、
線引きを意識し、利用することはとても大切だけど、
時には誰かの引いた見えないラインに囚われすぎないで行こう、という話。
子供のころ、「それいつの話?」と人に尋ねるとき結構な確率で使う謎の共通語。
もちろん向こうはこちらをからかう、
あるいは詰まらせるために言ってきているわけだが、
存外この回答は奥深い。と大人になってから気付く。
「地球が何回回ったころ?」って、そもそも公転のことなのか、自転のことなのか。
公転だとしても、1年に1回まわるわけだから、40億回以上は達している。
自転のことだとしたら…1兆5億回くらいになるわけか?
昔、これの答えを明確に言えたら超かっこいいだろうなと思ったことがある。
今もそう思う。
科学者の先生、ぜひお子さんに教えてあげてください。
胸を張れ!
根拠がなくたっていい。
事実がなくたっていい。
何もないところから、自信が生まれて何が悪い?
いつか本当にしてやれば、あのとき胸を張った自分にまた胸を張れる。
二人は、最大限の個人で、最小限のグループ。
生まれ変わってもまた会いたいとか、こっ恥ずかしいことも言えちゃうし、
隣で眠れば寝息の呼吸のリズムだけでいることが分かる。
いつしかお互いの中に、書斎のように落ち着ける居場所ができる。
自分だけの。貴方だけの。
ふたりは、たったひとりの存在。
自分だけの。貴方だけの。
絵巻のように展開される眼前の景色を見て
「日本には四季があって良かったな」と、
「日本には四季を愛でる心があって良かったな」と、思う。
埼玉県神川町には、秋に咲く桜がある。
「十月桜」と名付けられたその桜は、「春の花」という概念を覆し、
小ぶりの八重の花を枝いっぱいに咲かせる。
つまり、紅葉との共演を楽しめる。
秋の紅葉の赤、春の桜の薄紅色。
四季を彩る色がある。
夏の深緑、冬の灰色も見逃せない。
変わる心を楽しめる、日本人の情感豊かさと懐の広さと言ったら。
四つの季節は、巡り巡って、いつも私たちの奥深くに入っていく。
歌うように軽やかに
スプーン一杯分の夜を転がっていこうよ。
どこまでも どこまでも
転がって 転がって
動きは止まらない
月明かりの下でダンス
転がって 転がって 夜を越えていこうよ。
表紙≪ ドイツ デュイスブルク
ラントシャフトシュパーク
1-2≪ 神奈川県 藤沢市 新江ノ島水族館
3≪ 香川県 豊島 唐櫃
4≪ 山梨県 北杜市 実相寺
5≪ 岩手県 三陸鉄道北リアス線 島越
6≪ スペイン グラナダ
7≪ スペイン アンダルシア地方
フリヒリアーナ
8≪ ドイツ ドレスデン ツヴィンガー宮殿
数理物理学博物館
9≪ 茨城県 ひたちなか市 ひたち海浜公園
10≪ 東京都 豊島区
サンシャインシティ水族館
11≪ 山梨県 甲府市 昇仙峡
12≪ 東京都 新宿区 新宿御苑
13≪ 埼玉県 川越市 川越氷川神社
14≪ 静岡県 駿東郡 柿田川湧水公園
15≪ ドイツ マインツ
ザンクト・シュテファン教会
16≪ ドイツ デュイスブルク
Tiger & Turtle
17≪ 神奈川県 鎌倉市 明月院
18≪ 長野県 長野市 戸隠
19≪ 埼玉県 南埼玉郡 東武動物公園
20≪ ドイツ ベルリン 自然科学博物館
21≪ ドイツ デュッセルドルフ ラインタワー
22≪ 東京都 豊島区
サンシャインシティ水族館
23≪ 東京都 台東区 上野動物園
24≪ 北海道 美瑛町 四季彩の丘
25≪ 埼玉県 神川町 城峯公園
26≪ 静岡県 御殿場市 時之栖
2015年2月22日 発行 初版
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