───────────────────────
───────────────────────
この本はタチヨミ版です。
「4階の業務局と編成局をつなぐ
廊下があるだろう、
あそこにある小部屋に、
とりあえず持って行ってくれないか」
課長に言われ、
アナログテレビのような
大きなデスクトップパソコンを抱えて、
私がそこへ向かったのは
今から10年くらい前のことだったと
思う。
すぐに廃棄業者に回せばいいものを、
会社はとかく無駄なことをしがちなものだ。
確かに
資料室と並んだところに、
何の表示もない戸があった。
こんなところに部屋があったとは知らなかった。
この区域はいつも通っているが、
気づかなかった。
戸が開いているのを
見たことがなかったせいかもしれない。
戸には表面にブラインドのような格子があり、
内側からはこっちが見えるが、
外からは中がうかがえないようになっている。
鍵がかかってはいず、
すぐに入れた。
それほど広くはない細長い部屋、
がらくたしかはいっていない物置に見えた。
薄暗く、
戸の向かい側に窓がひとつだけある。
部屋は衝立で半分に仕切られていて、
手前には
廃棄パソコンや廃棄テレビが無造作に置かれ、
奥は段ボールの大箱が積まれ、
かびくささが充満していた。
パソコンを置いて
さっさと出ようとすると、
戸が開かない。
ノブは回るのだが、
なぜか戸が開かない。
何度やってみても開かない。
ガチャガチャ強く回してみても
いっこうに開かない。
鍵はかかっていなかったはずだ。
戸の格子からは外の廊下が見える。
業務や編成の連中がしきりに行きかっている。
たぶんこの戸は故障していて、
外からだと開くのだろう。
「あの、ちょっと、そこの人…
この戸を開けてくれませんか…」
誰も気づかずに通り過ぎてゆく。
つい大声になった。
「ちょっと誰か!
…あっ、菅田さん!この戸を!
…豊道くん!ここだ!…」
まったく知らん顔で行ってしまう。
しまいには戸をゆすったりしてみたが、
何の反応もない。
ちょっと困ったぞ…
私はイライラしてきた。
ここに、
この妙にかびくさいところに
長くいたくなかった。
いくらか不安にもなってきて
落ち着かない。
くそっ、
こうなったら
体当たりでもしてみるか…
「中から開けるにはコツがあるんだ」
いきなり背後から声がして
私は飛び上がった。
振り返ると
人が一人いた。
誰もいない物置だと思っていたのに。
窓からの光でシルエットになっていたが、
枯れ木のように細い人だった。
しかし声にどこか聞き覚えがあった。
その人が
ぎこちない歩き方で
近づいてきた。
「臼波さん!
臼波さんじゃありませんか!」
臼波翔郎(うすばかけろう)は
定年までもう何年もない技術部員だった。
技術畑一筋で、
昇進することもなく
黙々と仕事をこなしてきた。
とっつきにくい人だが、
私が担当する番組にはよく協力してくれ、
たびたび
自前のサイホンで煎れる
コーヒーをふるまってもらったものだ。
病気がちだとのことで、
このところ顔を見ていなかった。
「いつの間に?
どうしてここにいるんです?!」
「じつはここは
臨時の俺の仕事部屋なんだ。
ちょくちょく来ては仕事をしてるのさ」
段ボールの陰に隠れていたが、
デスクとパソコンがあり、
前に臼波のメインの仕事場だった
主調整室に置かれていて、
疲れたときに横になっていた
私物のソファーもそのまま持ち込まれていた。
「意外に快適な俺だけの部屋だよ。
疲れたら寝ることもできる」
「それはいいけど、
体のほうは大丈夫なんですか?」
相変わらず顔色はあまりよくない。
前よりやせている。
「まあまあかな」
「病院のほうはいいんですか?」
「じつは抜け出して来てるんだ。
前は仕事の合間に透析、
今は透析の合間に仕事ってとこさ。
家にも行って庭いじりもしたりする」
「医者から注意されませんか?」
「ときたまバレるんだけど、
俺くらいになると、
先生もあきれて、あきらめているようでね…
ちょっと疲れたから座るよ」
長いすに体を投げかけた。
「いやね、
病院暮らしも長くなるとつらくてね。
好きでもなかった仕事、
文句ばかり言っていた会社だが、
病気をしてみると良さがわかるんだな。
あたりまえに会社で仕事をすることが
どれほどありがたいかがね。
会社で飲むコーヒーがどれほどうまいかも…
おっとそうだ、コーヒーを煎れよう、
久々に俺の城にやってきた客人を
もてなさなくちゃな」
さっと起き上がると、
サイホンでコーヒーを煎れはじめた。
おなじみのサイホンも持ち込んでいたのだ。
「こんなところで
臼波さんのコーヒーとは思いがけないな。
この味を恋しがる社員も大勢いますよ」
「社員のほとんどは知らないが、
ここに来て、
密かに技術部の仕事を
バックアップしてやってるんだ。
最近の放送事故のときも
及ばずながら手伝った」
「そうか、どうりで。
あんなに大きな事故だったのに、
意外と早く収束できたわけか。
あのときは調整室にいたのは
若手ばかりだった。
臼波さんのようなベテランが
陰で支えていたとは知らなかった。
表彰ものじゃないですか」
「事故がないのがあたりまえだからな。
事故を収めるのもあたりまえのことさ」
目立たないベテランの地道な働きによって
会社は支えられている。
「おっとそろそろ病院へもどる時間だ。
君も持ち場へもどったほうがいい」
「そうでした。
ドアが開かなかったんですよ。
どうにも開けにくいドアで」
「いいかい、こうすれば内側からドアが開く。
ノブを持ち上げるようにして、
左へ回すんだ」
臼波さんが実演してみせると、
ドアは簡単に開き、
私は押し出され、
お礼を言う間もなく、
ドアは閉じられてしまった。
何日かして、
もしかして今日あたり
また臼波さんが来ているかもしれないと、
あの小部屋の前へ行った。
中から話し声が聞こえる。
戸を開けると、
総務課長と技術部長はじめ何人かがいて、
荷物を整理している。
総務課の二人が長いすを運び出そうとしていた。
臼波さんの長いすだ。
「どうするんです?
部屋を移動するんですか?」
私の問いに対する総務課長の答えに
耳を疑った。
「…ああ、
今朝ご家族から知らせがあってね。
昨日の夜に
臼波さんが病院で亡くなったそうだ」
「長いこと寝たきりだったから、
心配してたんだが…
仕事熱心な人だったなあ、
起き上がれなくなってからも、
会社のことを心配していたよ」
技術部長も沈んで答える。
「これも臼波さんのものですか?」
総務課の一人が聞いた。
「そうだ、
彼の愛用のサイホンだ。
これで煎れてくれたコ―ヒーはうまかったなあ」
技術部長はほこりだらけのサイホンを手に取って
しみじみ言った。
「…ここに臼波さんの持ち物があったんで、
引き揚げてご家族に渡そうと思ってね…」
私の衝撃におかまいなく、
総務の連中は粛々と仕事をすすめ、
臼波さんの持ち物を段ボール箱につめてゆく。
しかし、
長いすを運び出そうとしていた二人が
ドアの前で手間取っていた。
「…おかしいな、
開かないぞ、
どうしたんだ…」
しきりにノブをガチャガチャやり、
ドアを押したり引いたりしている。
事態がよくのみこめず、
呆然としていた私は、
つい言ったものだ。
「ノブを持ち上げるようにして、
左へ回すんです」
春霞 金太(はるか かなた)は
65歳で定年となった。
平社員のまま昇進もせずに終わった。
とりたてて有能というほどではないが、
まじめでいちずに仕事をこなした。
目立たないが誰からも好かれた。
名物社員だった。
編成・放送実施・総務と本社勤務だが、
年とともにどんどん仕事は軽くなり、
最後は総務とは名ばかりの
何でも屋の小間使いだった。
心のこもった送別会が行われ、
金太は感激して涙を流し、
同僚や上役に何度も礼を言った。
課の社員のほかにも多くの社員が
出口でその後ろ姿を見送った。
金太は何度も頭をさげて去った。
しかし金太は翌日再びやってきた。
「離れがたくてね、名残惜しくてたまらなくて」
「そういうもんだろうね、ゆっくりしていけばいいよ」
同僚たちはやさしかった。
金太はいつものように
同僚や親しい顔見知りとよもやま話をして
退社時間までいて帰った。
「あの人は心底会社好きだね。
さびしいんだろうな」
社員たちはしみじみ言ったものだ。
金太はその翌日もやってきた。
「また来たのかい」
「暇でね。家にいてもすることがないんだよ」
もう金太のデスクはなかったが、
社内をぶらぶらし、
退社時間まで時間をつぶして帰った。
そしてその翌日もやって来たのだ。
9時にやって来てまたも社内をうろつき、
5時に帰る。
社員は皆違和感を覚えるようになった。
さらに翌日も当然のことのようにやって来た。
社員たちは閉口してきた。
うるさくもなってくる。
何よりも尋常ならざるものを感じて
ちょっと怖くなる。
「ここはもう忘れて
次の仕事とか趣味とか探したらどうだい?
せっかくの第二の人生じゃないか」
「年金があるからお金は足りてるんだ。
タチヨミ版はここまでとなります。
2015年3月3日 発行 初版
bb_B_00132767
bcck: http://bccks.jp/bcck/00132767/info
user: http://bccks.jp/user/131794
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
屋根裏文士です。青森県を舞台にしたホラー、アクション、コメディー、ファンタジーなどを中心に娯楽ものをいろいろ書いてます。◇青火温泉第一巻~第四巻◇天誅団平成チャンバラアクション第一巻~第四巻◇姫様天下大変上巻・下巻◇無敵のダメダメオヤジ第一巻~第三巻
◇ブログ「残業は丑の刻に」