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コナン・ドイルの海洋ミステリーI

コナン・ドイル

エイティエル出版



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  この本はタチヨミ版です。

 
 
   コナン・ドイルの海洋ミステリーI
 
コナン・ドイル著
 
明瀬 和弘訳
 
 
 
エイティエル出版
 
Cover@Boyan Dimittov / Dollar Photo Club
 
 
はじめに
 
 名探偵シャーロック・ホームズの生みの親、コナン・ドイルの本業は医者で、患者が少なくて暇な時間に小説を書きはじめたという話はよく知られている。
 彼はホームズ物以外にもさまざまな分野の小説を書いているのだが、その作品群は生前にテーマ別に整理され、ダーウィンの『種の起源』を出版したことでも知られるマレー社から刊行された。本書に収録した短編はそのうちの『海賊と青海原の物語』と題する一巻で「青海原」に分類されている六編である。幕末の横浜が舞台になっている作品も含まれていて見逃せない。
 船乗りだったという説もあるシェークスピアの『テンペスト』を持ち出すまでもなく、英国の海洋文学は質量ともにきわめて豊富だが、ドイルの海洋ものもその伝統に恥じない。
 それというのも、コナン・ドイルは医大生のときにアルバイトを兼ねて北大西洋の捕鯨船、卒業直後に西アフリカ航路の貨物船と、二度の長期航海に船医として乗りこんでおり、彼の海にまつわる話は、本で読んだだけの生半可な知識によるのではなく、実体験に裏打ちされているからである。
 本書に収録した六編にホームズのような名探偵は登場しないが、いずれもミステリー仕立てになっているところは、いかにもコナン・ドイルらしい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
               
 
コナン・ドイルの海洋ミステリーIの関係地図
 
① [ポールスター号の船長] 捕鯨船が氷原に閉じこめられたあたり。番号1の右側がスピッツベルゲン(諸島)、左側にあるのが世界最大の島、グリーンランド。
② [J.H.ジェフソンの陳述書、あの小さな四角い箱] アメリカ・ボストン付近。船はここから出港し欧州へ向かう。
③ [J.H.ジェフソンの陳述書] アフリカ西岸のブラン(ヌアディブー)岬付近。番号3の上側にある小さな島々がカナリア諸島。
④ [樽工場の悪魔]赤道直下のアフリカ・ロペス岬付近。ここから大陸を東に入るとガボン。ヨットは番号3あたりから陸沿いに南下して番号4のところまで来たという設定。
⑤ [縞模様の宝物箱] 南緯二十度、西経十度付近(原文には東経か西経かの記載はないので西経として推定した場所。ナポレオンが流されたセントヘレナ島も近い。
   なお、「ジェランドの航海」の舞台は横浜なので割愛。
 
 
   目次
 
   縞模様の宝物箱
   ポールスター号の船長
   樽工場の悪魔
   ジェランドの航海
   J・ハバクク・ジェフソンの陳述書
   あの小さな四角い箱
   訳者あとがき
 
 
 
 
 

   縞模様の宝物箱

 
 
 
「あの船をどう思う、アラダイス」と、私はきいた。
 二等航海士は船尾にいる私のそばで、短く太い足を踏ん張っていた。嵐が過ぎ去った後もかなりのうねりが残り、船が横揺れするたびに船載ボート二隻が海面に接触しそうになるほどだったからだ。航海士はミズンシュラウド(横静索)で体を支えながら望遠鏡をのぞいていた。船は大波が来るたびに傾き、波の頂点で数秒は水平になるものの、また反対側に傾いた。航海士はじっと見ていた。その船の喫水は下がり、薄緑色の手すりがたまに見えるだけだった。
 二本マストで横帆のブリッグ型帆船だった。メインマストは甲板から十フィート付近で折れ、残骸を切り捨てるなどの作業が行われた形跡はなく、船の周囲には帆や帆桁などが傷ついたカモメの折れた翼のように漂っていた。前にあるフォアマストはまだ立っていたが、上のフォアトップスルは風にあおられ、何枚かの白いヘッドスルが長く伸びた槍のように前方になびいていた。私はこれほど乱暴な取り扱いをされた船を見たことがない。
 とはいえ、我々がそれに驚いているわけでもなかった。というのは、この三日間というもの、我々の縦帆と横帆を持つバーク型帆船にしてからが、再び陸地を見ることがあるだろうかと思うほどの状態にあったからだ。我々は三十六時間もの間、嵐と闘ってきた。メアリー・シンクレア号がこれまでにスコットランドのクライド川を出た船でも最高に耐航性のある船でなかったならば、本船も嵐をやり過ごすことはできなかったかもしれない。嵐が過ぎ去ったときには、船載の小型ボートと右舷のブルワーク(舷檣)の一部が失われただけで、本船はこうやってまだ浮かんでいた。だから、濃霧が晴れたとき、もっとひどい目にあった船が見えたとしても、本船ほどのツキに恵まれず、雲一つない青海原に瀕死の状態で、稲妻の閃光で目がくらんで見えなくなった男のように過ぎさった恐怖を伝えるために残されて漂っていたとしても驚きはしなかった。
 本船の乗組員たちはこの奇妙な船を見ようとブルワークやフォアシュラウドあたりに集まったりしていたが、スコットランド出身で動作は遅いが几帳面なアラダイスは、その小さな帆船をずっと観察していた。本船の位置は緯度二十度、経度十度(*1)で、大西洋の主要航路からは北にそれていたため、他の船と遭遇しただけで好奇心をそそられるのだ。なにしろ、この十日間というもの、本船は孤独な航海を続けていたのだ。
「遺棄された船でしょう」と、二等航海士が言った。
 私も同じ結論に達していた。というのは、甲板に生存者の気配がなく、こっちの乗組員が手を振っても何の反応もなかったからだ。あの船の乗組員はおそらく船がすぐに沈没すると思って放棄したのだろう。
「そう長くは持たないでしょうね」と、アラダイスは慎重に判断して続けた。「いまにも船首が沈んで船尾が持ち上がるかもしれません。手すりの縁まで水が上がってきています」
「旗はどうだ?」と私はきいた。
「それを確かめようとしているのですが、すべてよじれて、ハリヤードに絡まっています。ああ、いま、はっきり見えました。ブラジルの国旗ですが、逆さになってますね」
 乗組員たちは船を捨てる前に遭難を示す旗を揚げていったのだ。立ち去ってからそう時間は経っていないだろう。航海士から望遠鏡を受け取った私は、シケ気味の大海原を調べた。大西洋はまだ荒れていて白波が立っている。本船以外に人の姿はどこにも見えなかった。
「船に生存者がいるかもしれない」と、私は言った。
「積み荷を回収できるかもしれません」と二等航海士はつぶやいた。「あの船の風下で停船させましょう」
 向きを変えたとき、本船は相手の船から百ヤードと離れていないところにいた。バーク型帆船とブリッグ型帆船は舞踏会における二人の道化のように船首を上げ下げして会釈しあった。
「ボートを一隻下ろせ」と私は言った。「アラダイス、乗組員四名を連れて見てきてくれ」
 ちょうどそのとき一等航海士のアームストロングが甲板に上がってきた。七点鐘を打ったからだ。数分前に当直勤務が終わったところだ。私は遺棄された船に自分で行って乗りこむのも面白いだろうと思った。それで、アームストロングに後をまかせると、私も舷側を乗りこえてボートに滑りこんだ。
 相手の船までは少し距離があり、到達するまでに多少の時間がかかった。うねりが大きく何度も波の谷間に沈んだ。そうなると母船のバーク型帆船も、目指すブリッグ型帆船も見えなくなった。沈みつつある太陽はまだ海中に没しきっていなかったが、波の谷間になると暗くて寒くなり、大波が通り過ぎるたびに自分の乗ったボートが持ち上げられ日光をあびると暖かさを感じた。暗い谷間から白波のたつ頂点までボートが持ち上げられたとき、長い薄緑色のラインやブリッグ型帆船のフォアマストが上下しているのが見えた。船に乗りこみやすい場所を調べるため、ボートを帆船の船尾側にまわらせた。海水がしたたり落ちている船尾突出部にノサ・セーノラ・ダ・ヴィットリアという船名が書いてあるのが見えた。
「風上側に着けます」と二等航海士が言った。「船大工はボートフックを持って待機してくれ!」 我々はすぐに自分たちのボートと高さがあまり変わらない手すりを飛びこえて、遺棄された帆船の甲板に立った。
 船が沈没する可能性が高いので、まず我々自身の安全を確保することを考えた。そのため、ボートを帆船の側面から離し、ボートの船首につけたロープを乗員のうち二名に持たせておいた。万一の場合、すぐにボートを引き寄せるためだ。浸水状態を調べ、いまも増水しているのか確かめるため、船大工に見に行かせた。その間に、もう一人の船員とアラダイス、それに私とで船内の様子と積み荷を大急ぎで調べた。
 甲板には残骸や鶏かごが散らばっていたが、かごの鶏は死んで波に洗われていた。船載のボートは、壊れたものを除いてすべて消えていたので、乗組員たちがこの船を捨てたのは間違いなかった。船室は甲板上にあり、片側は荒波に打たれている。アラダイスと私は船室に入り、船長の机を見つけたが、スペイン語かポルトガル語で書かれた本や書類が散乱し、いたるところにタバコの灰が落ちていた。航海日誌を探したが、見つけることはできなかった。
「航海日誌はつけていなかったのかもしれません」とアラダイスが言った。南米航路の貿易船は何でも適当だし、最低限のことしかしませんからね。かりに航海日誌があったとしても、船長が持ったままボートで逃げたはずですよ」
「この本や書類はすべて持っていきたい」と私は言った。「船が沈むまであとどれくらい時間の余裕があるか船大工に聞いてみてくれ」
 船大工の報告ははっきりしていた。船内は水びたしだが、浮力のある積み荷もあり、すぐに沈む危険はない。おそらく沈没することはなく、航路標識もないような、多くの船が海底に沈んでいるおそろしい暗礁地帯のどこかにでも漂着することだろう。
「とすれば、君が下に降りて行っても危険はないはずだ、アラダイス」と私は言った。「何ができるか、どれくらの積み荷を持ち出せるのか調べてくれ。君が下に行っている間に、私はこの書類を調べてみるから」
 机の上にある船荷証券、メモ、手紙類は、ブラジル船籍のブリッグ型帆船ノサ・セーノラ・ダ・ヴィットリア号が一ヵ月前にブラジルのバイアを出たことを証明していた。船長の名前はテシェイラだったが、乗組員数についての記載はなかった。仕向地はロンドンだった。それに船荷証券を見ただけで、積み荷を持ち出しても大した儲けになりそうもないことはすぐにわかった。積み荷はナッツや生姜、材木だったし、材木は貴重な熱帯産の成木が丸太のまま積みこまれており、間違いなくこの呪われた船が沈むのを防いでくれていた。丸太は大きすぎて引き出すことはできない。また、婦人帽子製造の装飾に用いる大量の小鳥や数百ケースの保存処理した果物などの小物類も記載されていた。さらに書類のページを繰っていて、短い英語のメモが目についたのだが、それが気になった。
「各種の古いスペインや原住民の珍品類は」と、メモには書かれていた。「サンタレンの収集品であり、ロンドンのオックスフォード街、プロントフット&ノイマン社宛に配送委託されたものである。非常に貴重で他に類を見ないため、損傷するおそれのない場所に保管すること。ドン・ラミレス・ディ・レイラの宝物箱には特に注意し、決して人の手の届くところには置かないこと」
 ドン・ラミレスの宝物箱! またとない貴重な品々! となれば回収しない手はない! スコットランド人の航海士が戸口まで戻って来たとき、私はすでに書類を手にして立ち上がっていた。
「この船はおかしなことになっていますよ」と彼が言った。元々いかつい顔をしているのだが、表情には驚きが見てとれた。
「どうした?」
「人が死んでます、船長。頭をたたき割られた男がいました」
「嵐でやられたのか」と私が言った。
「かもしれません。ただ、自分の目でご覧になれば、そうはおっしゃらないだろうと思います」
「場所はどこだ?」
「こちらです。甲板室です」
 このブリッグ型帆船には甲板室の下に部屋はないようだった。というのは、ここに船長用の船尾船室と、主昇降口の近くにもう一つ厨房のついた後部船室があり、船員用の部屋は船首楼にあった。航海士が案内したのは中央の部屋だった。入ると厨房があり、右手にはひっくり返った鍋や汚れた皿が散乱し、左手には上級船員用の寝床が二つある小さな部屋があった。さらに奧に約十二平方フィートくらいの空間があり、旗や予備の帆布類が散らかっていた。周囲の壁には多くの粗い布地の小袋が積み上げられ、木部に厳重にくくりつけてあった。一方の端には赤と白の縞模様の大きな箱があった。赤は色あせていて、白い部分は汚れているため、光が直接当たっているところだけ色が見分けられた。この箱は、その後に採寸したところ、長さ四フィート三インチ、高さ三フィート二インチ、幅三フィートで、船乗りが持ち運ぶ箱としてはかなり大きかった。
 とはいえ、この物置部屋に入ったとき、私の目にとまったのは、あるいは気になったのは、この箱ではなかった。床に、小柄で色黒の、短く縮れたヒゲをはやした男が倒れていたからだ。男は箱から可能な限り離れた位置に、足を箱の方に投げだし、頭を反対側にして倒れていた。男の頭が載っている白い布には赤い染みができていた。日焼けした首のまわりには赤い血が細くリボンのように流れて床まで垂れていたが、私の見るところ、男に傷はなく、顔は眠っている子供のように穏やかだった。
 男の傷に気がついたのはかがんだときで、私は恐怖に悲鳴をあげ顔をそむけた。明らかに、背後に立っている何者かに斧で殴られていた。頭頂部へのおそろしい一撃が脳にまで深く食いこんでいた。顔が穏やかなのも道理で、即死だったに違いない。傷の場所からすると、傷を負わせた相手を見ることもできなかったと思われた。
「犯罪でしょうか、それとも事故でしょうか、バークレイ船長」と二等航海士がきいた。
「君がさっき言った通りだよ、アラダイス。この男は殺されたんだ。重く鋭利な武器で上から一撃されてね。だが、そいつは誰なんだ、なぜ殺したんだ?」
「犠牲者は普通の船乗りのようです」と航海士が言った。「指を見ればわかりますよ」 彼はそう言って男のポケットを探り、カードを一束、タールを塗ったヒモ、ブラジル製たばこをひとつかみ取り出した。
「おや、これを見てください!」と彼が言った。
 航海士が床から拾い上げたのは大型の刃に硬いバネのついたナイフだった。鋼は曇りもなく輝いていたので、そのナイフと今回の犯罪とを結びつけるのは無理だが、手の届くところにあったところからすると、この死んだ男は殴り倒された時、明らかにこのナイフを手にしていたのだ。
「自分がおそわれると知っていたようですね。だからナイフを手にしていたんでしょう」と航海士が言った。「でも、こうなってしまってはどうしようもありません。こういうのが壁にくくりつけてある理由もわかりません。偶像や武器や骨董品はすべて古い麻布で包んであるようです」



  タチヨミ版はここまでとなります。


コナン・ドイルの海洋ミステリーI

2015年3月8日 発行 初版

著  者:コナン・ドイル
発  行:エイティエル出版

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