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編集者ライターへの道2015

米光講座シーズン6



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 目 次

 この本の成り立ち ………………… 416223036425060687280

 先輩インタビュー
  松永肇一 ……………………………………………………… 9
  畑菜穂子 ……………………………………………………… 17
  北川佑佳 ……………………………………………………… 23
  名久井梨香 …………………………………………………… 31
  与儀明子 ……………………………………………………… 37
  小川未来 ……………………………………………………… 43
  岸田浩和 ……………………………………………………… 51
  オグマナオト ………………………………………………… 61
  ミノシマタカコ ……………………………………………… 69
  鈴木夏希 ……………………………………………………… 73

 インタビューを終えて ……………………………………… 81

 インタビューの流れと練習インタビュー ………………… 85

 編集後記 ……………………………………………………… 94

この本の成り立ち1

 講座名が長すぎる。「宣伝会議 編集・ライター養成講座 上級コース プロフェッショナル・ライティングクラス」
 長いので専任講師の名をとって「米光講座」と呼ぶ。2010年からはじまり、2015年の1月10日にシーズン6がスタートした。
 米光講座は、「実際に作る」という方針がある。原稿をどんどん書く。いい原稿はどんどん発表する。
 本も作る。インタビューをどのようにやるのかという授業をざっくり習ったら、次は、もう実際にやってみる。
 講座6回目、インタビューの実践。
 米光講座の卒業生で、現在プロとして活躍している10人をゲストに招いた。およそ3人ずつ10チームの受講生が、ゲストを60分間じっくりとインタビューした。
 各自テープ起こしをしてインタビュー原稿を作成し、編集して、書籍化した。
 それが、この本だ。

            米光講座シーズン6専任講師 米光一成

写真/斉藤ハゼ

先輩インタビュー
























「先輩インタビュー」は、2015年3月9日、
宣伝会議セミナールームにて行われた。

写真/吉原恵美

松永肇一

聞き手/池田真理子 編集/吉原恵美

「銀河分の一」自分だけが知っていることを、みんながわかるように書く

エンジニア。漫画『スティーブズ』原作者。小学館『ビッグコミックスペリオール』連載。米光講座シーズン1受講。電子書籍を対面で売るプロジェクトで漫画家うめと『スティーブズ』を作成。
写真/吉原恵美


──仕事はエンジニアでなぜ編集ライター講座を受講したんですか?
 全然編集とかライティングとかやりたかったんじゃないんです。米光さんのブログが面白くていつも読んでいて。池袋のコミュニティカレッジに行って、うめさんと出会った。また新しい講座をやるというので行ってみようと思って。
 米光さん、怒らないからすごいなって思います。だから場ができる。人が集まると衝突が必ず起きて、維持していくのが大変だけど。すごくうまいなって思いますね。

──うめさんと活動をはじめたのは?
 2009年5月に文学フリマで同人誌を出しました。最初は格闘技のミステリー書きますとか言って。そのとき「米光の教え:銀河分の一」を思い出した! 自分だけが知ってることを、みんながわかるように書けって何度も言われて。格闘技好きだけど、詳しいやついっぱいいるよなって。何だろうなーってなったとき、ジョブズの話書こうって急に思った。書いたらうめさんがすごく気に入ってくれて。「あの原稿は金になる」って(笑)。半年に1回フリマがあって、ジョブズを主人公にして毎回書いた。ミステリー「密室のジョブズ」とか、SF「時間の国のビル・ゲイツ」とか……。

──ジョブズの伝記は多いですが
『スティーブズ』は熱がありますね。

 そこは狙ってやっています。ジョブズの話って決まってるじゃないですか。カリスマ性があって、いったんAppleを降ろされて。エキセントリックで、エレベータの中で目が合った社員をクビにするとか……。僕が富士通に入ったのが1983年。翌年1月にMacintoshが発表された。アメリカへソフトを依頼する仕事もしてて、海外の雑誌も多く読めた。リアルタイムで見てきたから、シンプルにこいつはすげーんだよ。ロックスターとしてジョブズを書こうと。

──今後のスティーブズの展開と、他にも何か活動されるんですか?
 この時期まで書いて欲しいってのがみんなからいろいろあって。Macの発表までは書きたいけど。最近ポール・アレンが戦艦武蔵を発見して、そこまで書くかー? って(笑)。
 あと、句会のプログラムを書きたいと思ってます。その場にいなくても、みんなで句会が開けるというのができたらいいな。あとは、スティーブズのゲームをつくりたいなと。まだ子どもにやらせたいって妄想段階。その2つを今年はやりたいなと思ってます。

            構成/池田真理子

エンジニア×興味×漫画×発信力=スティーブズ!!

米光講座1期生。エンジニアであり、小学館『ビックコミックスペリオール』連載の漫画『スティーブズ』の原作者。シーズン1で電書フリマのシステムを作成。Ruby on Railsを使いこなす。
写真/吉原恵美


──松永さんはエンジニアですよね。なぜ編集ライター講座に?
 実は、編集やライティングをしたかったんじゃないんですよ。その前の池袋の講座に行っていて、それが面白かったんです。
 池袋の講座は、テーマに興味があって参加しました。当時、技術的にはWEBやブログが立ち上がっていて。RSSなどから、情報を広げることができはじめていたんです。その中で、米光さんのブログを見つけました。
 ただ、奥さんには「子どもができて休日ゴロゴロできなくなったから講座に行ったんじゃないか」と言われています(笑)。

──連載中の『スティーブズ』の原作は小説ですが、なぜジョブズ小説を?
 講座は面白そうなテーマのときは、何年もずっと行ってました。その中で、たくさんの人とつながりができた。
 2009年5月の文学フリマで、米光講座の人たちに誘われて、同人誌『bnkr』を出しました。格闘技を題材にしようかと悩んだんですが、米光の教え「銀河分の一」を思い出して。自分だけが知っていることを、みんながわかるように書くと。それで、ジョブズの話を書こうって思ったんです。書いたら、うめさんが気に入ってくれた。「あの原稿は金になる」って(笑)。

──うめさんとは池袋の講座で出会われたのですね。
 うめさんとはわりと最初から仲よかったかな。大きく一緒に活動したのは、2010年。うめさんの漫画『青空ファインダーロック』のAmazon DTP対応です。休日に家にいたら、やりたいから来てって。で、うめさんの家に行ってやった。これがたぶん、日本で初めてのKindleでの漫画ですね。

──うめさんとの「インタラクション」によって、活動が広がっていますね。
 うめさんは、外に開いていく人ですね。いろんなこと考えたり、発信したり、どんどんしていきます。僕は、エンジニアだしわりと引きこもっちゃうほうなんだけど。
 でも、米光講座来て、うめさんと知り合えて、つながりができて。まさか、こんな年になって漫画原作書くとはって。

──今後の活動予定を教えてください。
 スティーブズは、まだ、どこまで続けるか考え中です。個人としては……あ、句会のプログラムを書きたいですね。その場にいない人もみんなで句会を開くことができたらいいなと思ってます。

             構成/吉原恵美

「人生で必要なことはすべて米光講座で学んだ」はじまりは池袋

漫画原作者。小学館『ビッグコミックスペリオール』にて『スティーブズ』を連載中。米光一成主催「電書フリマ」用に電子書籍配信サーバを開発。Ruby on Railsを使うエンジニア。
写真/吉原恵美


──漫画家のうめさんとは、池袋の米光講座で出会われたのですか?
 話が合ってわりと最初から仲がよかった。飲みに行ったり。ただ、すぐ漫画は読まなかったんです。もし好みじゃなかったら本人に言いづらいじゃないですか(笑)。でも、この人の書くものは絶対面白いだろうなと思って。読んだらやっぱり面白かった。

──お二人が一緒に何かをやり始めたきっかけは?
 2009年5月に文学フリマで同人誌を出しました。僕は格闘技のミステリーを書くとか言っていたけど、結果ジョブズになった。それをうめさんがすごく気に入ってくれて。「あの原稿は金になる」って。
 うめさんと大きくやったのは2010年の『青空ファインダーロック』かな。Amazon DTPで僕がKindle化して。これがたぶん、日本でほぼ初めてのKindleの漫画。スティーブズは2011年頃。一番最初に書いた小説をベースにうめさんが漫画にしてくれた。アプリを作ったんですが、Appleの申請が通らなくて。パブーで電書にしました。このころはまだ無料でしたね。

──お二人の相互関係で次々に展開していったんですね。
 うめさんは外に開いていて、どんどん発信していく系ですね。僕はわりと引きこもっちゃうほうなんだけど。電子書籍が売れる人って、うめさんみたいな人が多い。TwitterとかFacebookの発信力が強いっていうか。

──電書フリマについて教えてください。
 シーズン1で電書配信のプログラムを作ったんですよね。Kindleなど電書端末が日本に普及していない時代。対面販売でフリマをやることになった。誰が買いに来てくれるかもわからないし、のんびり売るつもりだった。でも当日は人が入りきらないほどで。
 実際反響がすごかったから、「電子書籍なら日本中に届けられる。すごく狭いコアな話題でも売れる、回していける」という米光さんの言葉はあるのかなと思いました。

──米光さんのブログでの冗談が印象的でした。
 人生で必要な事はすべて米光講座で学んだ(笑)。うめさんと知り合ったのも、同人誌を作るきっかけもそう。ジョブズを書こうと思ったのも米光さんの教えからの自問自答。米光講座にきてなかったら、絶対こんなことになってない、って思いますよ。

             構成/和賀有史

この本の成り立ち2

 インタビューはチームで行ったが原稿は各自それぞれが書いた。つまり同じインタビューから複数の原稿ができることになる。だから、この本には、同じ人の同じときのインタビューが複数個、並んでいる。
 もともとは「同じ話」なのにこんなに違う原稿になる。
 書き手が変わることで、どこをピックアップするのか、どう表現するのか、どう構成するのか、が変わる。
 ふつうは、ひとつのインタビューから生み出される原稿はひとつだから、これは講座ならではの珍しいケースだ。
 原稿が、書き手によって大きく変わるということも楽しんでもらえるだろう。
 ひとつのインタビューから生み出された複数の原稿、読み比べてみるとおもしろい。

写真/橋村望

畑菜穂子

聞き手/岡﨑彩 編集/久富佳子

幻の番組を手繰っていったら自分の仕事につながった

子供とお出かけ情報サイト「いこーよ」、「ガールズ健康ラボ」のメンバーとして「マイナビウーマン」に執筆中。米光講座で制作した電子書籍がきっかけで仕事につながった。
写真/橋村望


──講座を受講するきっかけは?
 25歳から4年間テレビ情報誌の編集アシスタントをやっていました。そこを辞めて、編集プロダクションに就職するまでの間、「総合コース」で、初めて米光さんのワークショップを体験しました。他の講義は、喋って聞く座学スタイルの講義や書いて添削されるものが多い中で、米光さんの授業だけはちょっと違ったんです。「自分マトリクス」「5分ぐらいでフリーペーパーのアイディアを書け」など。そういうのが面白くて。米光さんだけのコースが始まるっていうのを知って受講を決めました。

──畑さんが受講した米光講座S1では、電書フリマを開催されていたそうですね。
 実は講座の後半になっても、電書フリマのために執筆するテーマが決まらなかったんです。米光さんを捕まえて話をする、ということを繰り返していました。何度も自分マトリクスをやって、内容も変化し絞るコツもつかめてきた。そんな中、米光さんとの雑談で1985年に放送された『パックンたまご!』の話になりました。幼少期に観た『パックンたまご!』は幻だと思っていたので。驚いたし、うれしかったですね。

──『パックンたまご!』についての座談会も開催されたそうですね。
 国会図書館で、85年から86年放送時のテレビ情報誌とかを全部チェックしたら、ラテ欄にちっちゃく番組名があって。『宝島』や『SPA!』にも掲載記事がありました。情報はすごい少ないんですが、探せばあるんです。だんだん枠が見えてきて、宝探しみたいな気持ちでした。
「Youtubeの動画をアップしている人に連絡してみたら」などいろんな人からもアドバイスもらって、1人参加者を見つけたんです。
 当時お料理コーナーを担当されていたCUELのハギワラさんにも会えました。そのハギワラさんが、参加者2名も紹介してくださって。そこに米光さんと杉田さんが加わり座談会を開催し、電書にしました。
 これがきっかけで、WEBマガジン幻冬舎「お前の目玉は節穴かseason2」の執筆にもつながったんです。

──講座生にアドバイスをお願いします。
『パックンたまご!』もそうですが、何が仕事につながるかはわからないなと。だから妄想でも何でも書き留めておくといいと思います。困ったときは、米光さんを捕まえて話をするといいですよ。

              構成/岡﨑彩

記憶の断片が世界を広げる。情報はまるで宝探しのように

TV情報誌アシスタント、編集プロダクション勤務を経て、米光講座へ。1期生として受講。電子書籍部長となる。現在は1児の母として子育てのかたわらライター業をこなす。
写真/橋村望


──もともと80年代サブカルチャーに興味があったのですか?
 テレビ情報誌のアシスタントをしていた頃、雑談が仕事のうちみたいなもので、オトナの人の話が面白かったんですね。その人達のルーツが80年代。「自分は体験してるけど」みたいな感じで言われるのが結構悔しくて(笑)。当時のCDや本を貸してくれて、のめり込んでいったのがきっかけです。

──なぜテーマを80年代のTV番組『パックンたまご!』に?
 当時6歳でしたので番組の記憶は少なく、あれは幻だったのかと思っていました。ちょうど電書フリマのテーマを決めなくてはならなかった。80年代では広すぎるし、とても迷走していたんです。暇さえあれば自分マトリクスをして。ある時、米光さんに番組について尋ねたら「知ってるよ、見てたよ」と! 『パックンたまご!』(85年に半年間放送したポンキッキの裏番組)は子供番組なのに深夜番組のようなノリで。テーマ選びに苦労したわりにはポッと出てきたんです。

──そこから急展開に?
 米光さんに「その電書を作って、それを通してどういう人と友達になりたいか」と言われて、私は番組を知っている人に会って話をしたいなと思ったんです。

──座談会の資料では、リサーチの撃沈にも逆にわくわくしたとありましたね。
 情報の無さが逆に宝探しのようでした。国会図書館で調べたり、mixiのコミュニティやYoutubeにアップした人にもアクセスしたり。とうとう番組で料理を担当されていたCUELのハギワラさんに座談会に来ていただくことができたんです。その後、幻冬舎のWEBマガジンが若手ライターに記事を書かせるという仕事にもつながり、川瀬アナとディレクターにもお会いできました。

──私たち後輩にアドバイスを。
 このように、何がきっかけでつながるかわかりませんので、妄想でも何でも書き留めておくのはいいかもしれません。また、この講座に来ている以上は、米光さんとどれだけ話せるかということを大事にしていました。とりあえず、米光さんを捕まえて話をするとよいかと(笑)。

▲リサーチの際には国会図書館で当時のテレビ情報誌を全てチェック。ラテ欄に小さく書かれていたり、『宝島』や『SPA!』に記事があったりするのを見つけてうれしかったという。

構成/久富佳子

この本の成り立ち3

 語り手は、米光講座の卒業生でプロとして活躍している新人ライターや新人編集者。映像やデザインの方向に進んでいる者もいるが、とにかくフレッシュに活躍しはじめた者たちだ。聞き手は、いま講座で学んでいる受講生。
 だから、編集者ライターを目指し第一歩を踏み出した若者(っても、まあ、年齢はばらばらだけど)を、その第一歩を踏みだそうとあがいている若者(っても、こちらも、まあ、年齢ばらばらだけど)がインタビューした本になっている。後輩が先輩にインタビューしているという図式だ。
 そういう状況を想像して行間を読み取ってもらえると、またちょっと楽しみ方ができるだろう。

写真/高橋正之

北川佑佳

聞き手/澤田真佐美 編集/古川真一 撮影/高橋正之

夢を持ち行動したからこそ好きなことを仕事にできた

中央公論新社『婦人公論』編集部。海外営業、編集プロダクションを経て現職。特集班に所属。連載も担当。
写真/高橋正之


──出版業界を目指されたきっかけは?
 小さいころから本を読むのが好きでした。好きなことを仕事にできたらいいな、というのがありまして。この世界に飛び込む覚悟があるのかを見極めようと講座に通いました。すっごく楽しかったですね。
 総合コースの卒業制作での最優秀賞と電書の出版が自信になりました。卒業制作は「女の不倫はいじらしい」。電書のタイトルは「セックスを評価する女たち」。性愛とか恋愛とかを専門にできればと思っていました。高校生の頃から、母が時々買っていた婦人公論を読んでいた影響だと思います。

──未経験から編集の仕事へ転職された時のことを教えてください。
 転職活動は、とにかく未経験だったのでたくさんの企業を受けまくりました。電書を出版したとか、優秀賞を講座で獲ったとかもアピールして……。夢があったことが一番大きかったですね。
 実際に飛び込んでからも編集の仕事は楽しかったです。決して安くはない受講料を自分に投資してかなえた夢だったので。手がけた雑誌が形の残るものとして出来上がった時は感激でしたね。奥付を見て「ああ、私の名前が載ってる」みたいな。

──現在のお仕事に転職された経緯を教えてください。
 ステップアップをしたいと思い、再び転職活動をし始めたときに、募集がかかっているのを見つけたんです。10年以上読み続けてきて感じた「やってみたい思い」を応募書類にわーっと込めました。
 先日お仕事で、総合コースの時から憧れていた方にも会えたんですよ。当時、講師陣のお一人だった奈良原敦子さん。今の仕事のおかげで憧れた人に会えたんだ、あの時からようやくつながったんだって。現場では講座の時のことには触れませんでしたけど……心の中で感動してましたね。

──今後の夢を教えていただけますか。
 やっぱり本が好きなので、最終的には書籍の仕事がしたいと思っています。作家さんと二人三脚の関係で一緒に本を作っていけたらいいなと。
 先日取材した直木賞受賞作家の西加奈子さんもこうおっしゃってました。「作家は編集者がいないと成り立たない」って。書き手と編集者のそういう関係って理想だなと思っています。互いに協力し合って生み出した作品が、読者に伝わればいいな。そんな長期的な夢を持っています。

             構成/高橋正之

「自分の専門」が今の仕事に活きてくる

宣伝会議「編集ライター総合コース」「上級コース」を卒業後、編集プロダクションに転職。現在は、中央公論新社『婦人公論』編集部にて活躍。特集記事・海外情報コラムなどを担当。
写真/古川真一


──受講のきっかけは?
 前職は車やバイクのパーツをあつかう海外営業をしていました。楽しかったけれど、本当に好きなことを仕事にできたらいいなと悩んでいて。そんなとき、駅の講座パンフレットを見たんです。本が好きだったし、編集の仕事は楽しそうと思ったのがきっかけでした。でも、未経験なので本当に自分にできるのか。その覚悟があるのか不安で。だから見極めるために受講したんです。

──講座で印象に残っていることは?
 はじめに受けた総合コースはいろんな講師がこられて刺激的でした。企画を立てる課題では編集みたいなことができて楽しかった。だから、もっと学びたいと思って上級コースを受講したんです。米光講座では「これなら自分は誰にも負けないものを持て」と教わったことが心に残っています。

──何を専門にされたんですか?
 女性の性愛や恋愛についてです。総合コースの卒業制作のテーマは『女の不倫はいじらしい』でした。最優秀賞をいただき『編集会議』に掲載されたことで自信になりました。上級コースでは電書フリマに『セックスを評価する女たち』を書きました。「自分の専門」をつくることで、転職のときに強くアピールできると思います。

──今の職業は?
 車雑誌の編集プロダクションを経験したのち、今は『婦人公論』の編集者をしています。実は、卒業課題は『婦人公論』掲載を想定したルポなのです。昔から読んでいた大好きな雑誌でした。経験の浅かったわたしですが、熱意を伝えることができたと思います。

──未経験の受講生へアドバイスは?
 講座でのがんばりは転職のとき、心のよりどころになります。未経験の場合、少々ずうずうしいくらいがちょうどいいかも。先輩に業界のことを教えてもらったり、仕事を紹介してもらったり。人とのつながりは大切です。

──編集者に向いている人は?
 本をたくさん読んでいる人やいろんなことに興味がある人はぴったりです。そして何より大切なのは気配りができることですね。こまごまとした作業が苦にならず、空気が読めるまじめな人がいいと思います。

▲『婦人公論』2015年3月10日号読者アンケート特集「私たちが見た天国と地獄」女性の性愛についての記事。ここでも専門性が活かされている。

構成/古川真一

営業の仕事から大好きだった雑誌の編集者へ。
熱意は伝わる。

中央公論新社『婦人公論』編集部。海外営業、編集プロダクションを経て、現職。特集班に所属し、連載も担当。
写真/古川真一


──宣伝会議の講座を受講したきっかけを教えてください。
 小さい頃から本を読むのが好きでした。一番好きな作家は浅田次郎さん。外国語を勉強するのも好きだったので、大学卒業後は、海外の人と関われる営業の仕事をしていました。本当に自分が大好きなものを仕事にしたい、好きなことを仕事にする覚悟が自分にあるのか確かめたくて、講座に通うことにしました。
 始まったら、すごく面白くて。それまでは自分でブログすら、書いたことがなかったんです。憧れだった業界の第一線で働く人にたくさん会えたのも刺激的でしたね。

──未経験からの転職活動は大変だったのでは?
 卒業制作として書いた取材記事で、最優秀賞をいただいたことは、その後の自分の人生を変えるきっかけになりました。不安だらけの未経験の世界へ、一歩踏み出す勇気と自信を与えてくれたんです。
 転職活動でうまくいかないときの心の支えでしたね。まだ大丈夫、まだがんばれると自分に言い聞かせました。
 最初は編集プロダクションに就職して。『婦人公論』の中央公論新社に転職する時は、高校生の頃からずっと好きな雑誌だったので、熱意を伝えました。経験が足りない部分は、熱意でカバーできると思います。

──今のお仕事のやりがいや将来の夢を教えてください。
 編集の仕事は、読者の反応を考えて、試行錯誤することがすごく面白い。大変なこともたくさんありますけど、大好きな雑誌に関わっていることにやりがいを感じます。自分が本からたくさん元気をもらったので、今度は読者に元気を届けたい。
 書籍の編集に携わるのが将来の夢です。書籍は作家と長期に渡って、二人三脚で作品を作るもの。作家と編集者の信頼関係に憧れます。
 去年は、講座で講師を務めておられた、憧れの女性編集者の方と仕事でお会いできて。これまでやってきたことがつながったなって。

──北川さんが思う編集者に向いている人とは?
 編集者はたくさんの仕事や人の調整役です。細かい気配りが自然にできて、まじめな人が向いていると思います。講座に通いながら人脈を築いて、少しずつきっかけを作っていくのも近道になると思います。

            構成/澤田真佐美

この本の成り立ち4

 米光講座は実践を重んじる。やらなきゃわからん。頭で考えても、口頭で教えを受けても、実際にやってみるまでは、本当のたいへんさはわからない。
 実際にやってみる。たいへんだし、思いもしなかったトラブルにみまわれる。それを乗り越える。いくつかは失敗する。どうにかそれをカバーする。カバーしきれないこともあるから、えいやとやっていく。経験を積む。完成させる。そのために何を犠牲にし、どう考えるべきかを体感していく。
 やった者だけがつかめる秘密がある。

写真/指宿大志

名久井梨香

聞き手/常軒貴美子 編集/宮下由布 撮影/指宿大志

ライターに必要なのは礼儀と愛嬌 メール返信は誰よりも早く

1989年生。大学卒業後、広告会社の営業職として1年間勤務。現在は、「LINE@お店ガイド」「ウーマンエキサイト」等で活躍中。趣味はサッカー観戦、旅行、映画鑑賞。吉祥寺在住。
写真/指宿大志


──ライターを目指した理由は?
 新卒で入った会社で広告営業をしていた2012年、ノマド全盛期でした。働きかたをあらためて考えて、フリーランスで生きていきたいと思ったんです。ちょうど地下鉄で宣伝会議のポスターを見つけて「あ、これじゃん!」と(笑)。「編集・ライター養成講座(総合コース)」に仕事をしながら通い、卒業制作の『会社不適合者であれ:会社員以外の道』で最優秀賞を受賞。実はこれ、退職した翌日、一気に書き上げたんです。その3か月後にライターデビューしました。

──米光講座を受講した理由は?
 デビューして半年たってもライターだけではやっていけなくて、そこから脱却したくて受講を決めたんです。初回講義で、駆け出しのライターってうじゃうじゃいるんだ、と気づいて焦りましたね。負けず嫌いな性格なので、なんとか上に行きたいと思っていましたし、先輩方からも刺激を受けました。回を重ねるうちに「ライターとして食っていくぞ!」とはっきり思いました。
──ブログに「だれでもライターになれる」と書いていらっしゃいますね。
 はい。ただし、ビジネススキルは必要ですね。「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」を常に心がけています。メール返信は誰よりも早い自信があります(笑)。
 編集者の中には「返信が早いからまずは名久井さんに」と言ってくれる人もいて。いただく仕事も、その会社の営業担当が頑張った結果だということを忘れないようにしています。
 そういう意識は会社員時代に学んだことです。あとは愛嬌。取材先でうまくやることも求められますから。

──現在の仕事と、将来の夢について教えてください。
 現在は、体験レポをはじめ、恋愛やライフスタイルなど女性向けの記事を主に書いています。顔出しオッケーの若い女性ライターは少ないので重宝されることが多いです。フットワークの軽さもウリにしているからか遠方取材も増えてきました。
 今は、25歳の自分だからこそ体験できること、感じたことを書いていきたいですね。米光講座でテーマに選んだ「吉祥寺」とはずっと関わっていきたいと思っています。今年から、武蔵野市の広報誌に編集として携われることになったんです。
 好きな映画について書きたいという夢もあります。あとは、海外取材もいつかしたいですね、経費で(笑)。

             構成/宮下由布

「会社不適合者」その後
~フリーランスとして生きる~

1989年生まれ。吉祥寺在住。東洋大学社会学部社会学科卒業後、マイナビに営業職として入社するも一年後に退職。その後フリーライターとして活動開始。主に恋愛、旅行や街情報を執筆。
写真/指宿大志


──宣伝会議さんの「編集・ライター総合講座」を受講されたきっかけは?
 学生時代はただ有名な会社に入りたくて、内定がゴールだった。でもいざ就職して社会人になってみると目標もなく、また無駄な会議などがいやだった。
 時は2012年、ちょうど「ノマド」全盛期。フリーランスで生きていくとしたらライターならいけるかもと思っていたところ、たまたま駅構内で『宣伝会議』のポスターを見つけ、「これだ!」と思い会社員をしながら通った。

──その講座で2013年に最優秀賞を受賞。テーマの選定の理由は?
「会社不適合者であれ~会社員以外の道~」というタイトルで、フリーランスの方や会社員をしながら副業をしている方を取材した記事を書いたのは、私自身が会社員を辞めたかったから。受賞した作品は締切日に1日で書き上げ、最優秀賞を受賞した。
 最優秀賞を受賞することはできたが、めっちゃ頑張ったというわけではない。人生で大学受験と就職活動以外で、頑張ったということはあまりない。かっこつけているわけではないが、やらなければならないことをやったまでという感じだ。

──米光講座の受講は2014年1月からでしたが。
 総合講座を受講した時は「ライターになれたらいいな」という気持ちだったが、米光講座の受講を決めたのは、会社を辞めた後ライターとして月5万円しか稼ぐことができない現状を打破したかったから。受講中にアルバイトも辞め「ライターで食っていくぞ」という気持ちが固まった。

──ライターって誰でもなれると思いますか。
 ライターで食っていくようになるためには、営業と一緒で愛嬌とビジネススキルが必要。電話がかかってくれば、必ず折り返しかける。文章のうまさに自信はないけど、メールの返信の早さには自信がある。いつも携帯を横に置いて寝て、鳴ればすぐに起きる。編集者からは「返信が早いから急なときはまずは名久井さんに依頼する」と言われたことがある。

──これから書いていきたい分野は。
 海外に行きたいと思ってライターになった。世界中どこでもいいので、経費で海外をまわりたい。また、専門ネタは吉祥寺なので、これからも吉祥寺について書いていく。

            構成/常軒貴美子

この本の成り立ち5

「米光講座に卒業はない」
 半分冗談で言っている。インタビューを受ける側としてゲストに来てもらったのは「卒業生」だ。メッセージのやりとりをしたり、いっしょに仕事をしている「卒業生」もいる。講座に遊びに来てもらって、新人としての立場で話をしてもらうこともある。
 講師が話しても伝わらなかったことが、近い存在である先輩が話すと「そうか!」と伝わったりする。
 だから、どんどん先輩に遊びにきてもらって、わいわいと交流できる講座にしているのだ。

写真/橋村望

与儀明子

聞き手/ぺらいしやま

書評好きからライターに。大切なのはあきらめずやり続けること。

エキレビライター。電書カプセル編集。トークイベント『思考ツールとしてのタロット』『木下古栗を読む』のテキスト化、電子書籍化を担当。最近の仕事に『小説すばる』での構成記事など。
写真/橋村望


──講座を受講したきっかけは?
 中学生のころから書評を読むのが好きでした。読むことで小説の印象ががらっと変わる。書評の力ってすごいなって。
 02年に、『ベストセラー本ゲーム化会議』が出たときは衝撃でしたね。ゲーム作家の米光一成さん、飯田和敏さん、麻野一哉さんがゲーム化の視点で小説を読み解くんです。そのころから米光さんのことは気になってました。
 その本の編集がアライユキコさん。今はエキレビというウェブ媒体の編集長です。講座のなかで、エキレビオーディションがあると知って。結婚して主婦になり、生活が安定した頃だったので、このタイミングだな、と思って受けました。

──講座を受講してよかったことは?
「今から3分間俺を観察して発表しろ」って米光さんに言われて。ただぼやっと見てたら面白いことは言えない。語尾や動きなどの切り口を意識すると気づきが生まれる。観察のしかたまで教える講座ってあまりないですよね。トークイベントの取材のときなどに役立っています。
 内面だけじゃなくて行動も変わりましたね。あるトークイベントの電書化をしないかって米光さんが講座生に呼びかけたんです。10人くらい手をあげた中で、最後まで原稿を完成させたのは私一人でした。米光さんに「雰囲気を言葉にするのがうまいね」と。
 得意なところを見つけてもらいました。それがきっかけとなってAmazonやiPhoneアプリ電書カプセルで、読書系トークイベントの書き起こしの本を出すようになりました。豊崎由美さんや長嶋有さん、細馬宏通さんなど、憧れの方々に「これを電書化させてください」って自分からお願いしにいってます。

──ライターを目指すうえで大切なこと、アドバイスがあれば教えてください。
 行動し続けること。米光さんは「講座は失敗していい場。どんどんやって失敗しろ」とよく言います。オーディションのあとも、米光さんを通してエキレビに原稿を送り続けました。10回出して落とされて、講座終了から半年後に「読み始めたら面白すぎて徹夜しちゃう。最強の「徹夜本」決定戦」という原稿でデビューしました。

▲下北沢の本屋B&Bで行われたトークイベント「ブックレビューLIVE:杉江VS米光のどっちが売れるか!?」の記事でエキレビデビュー。あきらめずにやり続けたことが実を結んだ。

              構成/橋村望

いろんな課題にこたえるうちに、自分の得意なことがわかっていった

米光講座シーズン3修了後エキレビライターに。電書カプセルの編集も手がける。『思考ツールとしてのタロット』をはじめ、イベントや対談記事のテキスト構成と電子書籍化を担当。
写真/橋村望


──講座を受けてどうでしたか?
 主婦生活から一変しました。エキレビでライターデビューして、『あまちゃん』ロケ地である岩手県久慈市まで行ってまめぶを調査したり、京都の『あまちゃん』イベントを取材したり。好きなことのためならこんなに動けるんだって知りました。トークイベントの電子書籍化もするようになりました。
 米光さんが提唱しているギジログ(イラストとテキストを使いリアルタイムで記録するライブパフォーマンス)の勉強も始めました。トークイベントで人前に立ってギジログをしています。

──講座が仕事で役立ったことは?
 レビューを書くこと以外にも興味の範囲が広がりました。いろいろな課題に応えているうちに、私はこれが好きなんだなって知っていった。米光さんが受講生に、あるトークイベントの電書化を呼びかけたんです。そのときに、取材→録音データの文字起こし→書き言葉に直して情報を圧縮する→文脈を考えて全体の流れを変える、という構成作業を初めて経験しました。言葉のパズルをしてるみたいで没頭してやりました。米光さんからうまいねって言われて。本当にいいときしか褒めない人だからうれしかった。
 それから対談の構成やトークイベントの書き起こしの仕事をするように。『小説すばる』1410月号では、3つの言葉から連想する単語を答えるパーティゲーム『想像と言葉』をプレイした様子をテキストに再現しました。

──ゲームの再現って難しそうです。
 みんながわいわい話してる空気感を伝えるのに苦戦しました。米光さんに見てもらったら「読んでもわくわくしない。俺だったらこうする」って手本を示してくれて。情報を圧縮しすぎず、あえてラフにすることで臨場感を出すっていうやり方が分かった。いい師匠にめぐりあえました。
 米光さんとのやりとりを通して、試行錯誤しながらノウハウが体にたまっていってます。3年間ずっと米光講座に通い続けてる気分です。

──米光さんからどんな指導が?
 勝手に要約して記録したら「そんなこと言ってない」って指摘されました。情報を圧縮しすぎちゃダメ。具体を書く。全部は書ききれないから、どんな具体をピックアップするか意識する。
 ギジログをやったイベントって、レポート原稿も楽に書けるんですよ。最終的に書くことにつながっているのは面白いですね。

           構成/ぺらいしやま

この本の成り立ち6

 米光講座では、講座そのものが教材となる。講座を受講した体験を、電子書籍としてまとめてみたりする。編集長を決め、方針を決めて、原稿を依頼し、集め、校正する。小さな編集部ができる。雑誌をつくる実践を積む。
 うまく作れる場合もあるし、失敗する場合もある。でも、実際にやったことは、力になる。「こうすればよかった」という思いがバネになる。
「講座マガジン」の編集経験を(もちろん、その他の経験も)活かして、この本はつくられた。

写真/服部いづみ

小川未来

聞き手/海辺暁子 編集/星野奈巳 撮影/服部いづみ

編集力で何でもできる
~広がる未来・可能性~

1991年生まれ。学生時代からフリーの編集者として経験を積む。文化交流イベントやSNS企画などにも積極的。4月からは就職し、企業の編集者として更なる飛躍を誓う23歳。
写真/服部いづみ


──4月から広告系企業に編集職として就職されるそうですが決め手は?
 一言で言うとメディア数が多いということですね。有料雑誌、フリーペーパー、店舗と色々運営していることに魅力を感じました。出版社はWEBに弱かったり、テレビ、ラジオはそれ専用のものしかなくて。
 例えば米光さんみたいに面白い人を取材したとします。そして編集をするというとき、メディアの数が多いといろいろできるんです。
 フリーでやれと周りから言われたこともありました。ただやはりマスな情報をマスな人に届けたいんです。そこが大きな会社を選んだ理由でもあります。

──具体的にはどういうことをやっていきたいですか?
 コンテンツで遊ぶのは難しい環境なので変化球で攻めたいと思っています。たとえば店舗でイベントを企画して、その集客をフリーペーパー上でやるとか。フリーペーパーをチケットにするとか。メディアがたくさんあるからこそいろいろ試してみたいですね。紙と電子両方で読んだら追加コンテンツが出てくるとか。会社のリソースを使って、編集の枠組みで遊んでみたいと思ってます。

──紙とWEBの融合も必須ですね。
 そうです。配属は紙になるのですが紙だけをやるつもりはまったくありません。WEBの記事を転載したり、紙でWEBの告知をしたり。今はそういうことができていないのでやっていきたいですね。

──個人の活動としては「モノ・コト」作りをしたいとのことですが。
 米光さんが紙媒体を作りたいと仰っていて。もしやるなら自分も入りたいと伝えています。印刷所とのやりとりやコスト感など一からプランニングしたいですね。コト作りでいうと、今スタディツアーの企画メンバーに入っています。対象はアートやカルチャーに触れる機会の少ないビジネスマン。徳島県の神山町(IT企業家やアーティストが集まる町)ツアーをするんです。いろんなセッションでアートとビジネスの中間地を探る、みたいな。
 アートや音楽をもっと楽しむ生活を編集を通じて伝えていきたいですね。

▲小川さんの年表。1991年の誕生から未来に向かって。


構成/海辺暁子

大学生でモノ・コトづくりにたどりついた未来少年

ソーシャルゲーム会社やWEBマガジン記事執筆の経験を積み、米国大統領選の日本初Twitter実況の試みなどメディアを駆使した編集に強い新社会人。つねに読者目線を忘れない。
写真/服部いづみ


──子どものころはどんな遊びをしていましたか。
 4歳の時ポケモンが初登場し、さっそくレッドとグリーンを買った時代の子です。友達と外で遊んだりもしましたが、やはり一番好きなのはゲームでしたね。父がゲーム会社を経営してましたので、とても身近なものでした。
 はじめて家族で盛り上がったのはストリートファイターⅡです。まさにスーパーファミコン世代です。

──当時、就きたい職業はありましたか?
 父の事業を継ごうかなと思っていました。小学生にありがちなパターンでお父さんの仕事にあこがれるみたいな。ゲームも好きでしたし。特に、ゲームも含めた表現ということに関心がありました。
 小学校高学年ぐらいから社長はメンドクさそうだなって、父を見てて思うようになりました。

──大学生のときに、ソーシャルゲームの会社でインターンをされたのですね。
 生まれてはじめて、ゲームとビジネスの関係を考えました。ソーシャルゲームは無料でアプリをダウンロードし、遊びながら課金をさせるというビジネスモデルです。デザイン的に、ここでイライラさせてお金をつぎ込ませるとか、3時間待たせるわけなどが組み込まれているのです。
 僕が幼稚園の時に抱いていたこととは違っていました。ゲーム会社の仕事になんとなく憧れていただけなんですね。どうやってゲームをつくるのかというビジネス的にきびしいところは見えてなかったのです。

──今春、大学を卒業し就職するわけですが、もうやりたいことが見えていますか?
 これまで僕はアーティストではなく、編集者としてモノづくり・コトづくりの一端を経験してきたので、ビジネスを無視して仕事をするなんてあり得ません。ビジネスを考えた上でどうやって遊びを持たせるかに頭を使う、クリエイティブな仕事をしたいと思っています。
 就職先はフリーペーパー、WEBやリアル店舗とメディアの多い会社なので、会社のリソースを使ってどう遊び、広告につなげるか。これまで、大手になかった「メディアを越境した編集者」という発想で新しいメディアを作っていきたいですね。
 いずれは、自分が提案したいコンセプトで読者ありきのメディアコンテンツ、そんなモノ・コトづくりをしていきたいです。

            構成/服部いづみ

大切なことは読者目線

10代で編集・ライター講座に参加。大学在学中、WEB番組企画や電子書籍制作など、編集業務に携わる。自らを越境的な編集者と位置づける。4月より企業の編集職に配属が決まった慶大生。
写真/服部いづみ


──米光講座ではどのような気づきを得ましたか。
 18歳の時に体験講座に参加し、半年後にシーズン2を受講しました。大学1年生の時です。
 講座で求められる専門分野探しで、自分は編集寄りだと気づきました。というのも、僕はけっこう深掘りができない人間。反対に、ビジネスへの展開や別の人につなげようと考えるタイプ。好奇心もあり、おもしろいモノに身をのりだす気持ちもあります。
 講座終了後、WEB・紙など枠組みを越えて編集する機会に恵まれました。イベント企画や電子書籍制作・編集などの経験です。
 いま興味があるのは、マスな情報をマスな人へ届けること。4月からはリクルートの編集職に配属が決まりました。

──就職される会社では、どのような編集者を目指しますか?
 雑誌・フリーペーパー・リアル店舗など保有メディア数が多い会社です。配属は紙ですが、枠組みを越えた取り組みに興味があります。
 たとえば、フリーペーパー内の記事をアプリに取り込み電子化する。紙とWEBの両記事を読むと追加コンテンツが出てくるアイデアなど。
 会社のリソースでどう遊べるか。ここに頭を使うのがビジネスマンのクリエイティブだと思っています。

──広告やWEBというと、ページビューが切り離せません。
 ページビュー主義的なことに向かい合うのが編集者の仕事だと思います。大切なのは、読者目線。いかにおもしろく読ませるか、そして広告効果をあげるのか。
 ページビュー主義が行き過ぎると、読者が置いていかれると感じます。きちんと編集を行い、広告を一つ一つ作っていく。その効果でページビューがアップするならば、僕は正しいと思うのです。だからページビュー主義を全否定はしません。

──4月から新社会人の小川さん。描いているキャリアパスとは?
 3年後に編集長か、または何かメディアを立ち上げるのが目標です。これは会社にも話していることです。3~4年で編集長を目指し、更に3~4年で成果がでているかどうか。メディアを変えられているか、新しいメディアをたちあげているか。ここで30歳ぐらいでしょうか。
 いずれは自分のミッションをみつけたい。コンセプトを自分の軸に置き換え、いろいろな編集をしていきたい。これが僕の目標です。

             構成/星野奈巳

この本の成り立ち7

 BCCKSというネット上のサービスを使って、この本は作られている。電子書籍や紙の本をつくり、公開できるサービスだ。
 シーズン4から、講座のインタビュー本をつくっているので、この本で3冊目だ。
 これまでの本は、わりと米光が原稿を添削したり、書きなおしを指示したり、手を入れてきた。
 今回は、斉藤ハゼ編集長に、ほぼ任せてみた。
 ちょっと心配で、ドキドキしたが、えいやっと任せてみた。
 斉藤ハゼ編集長は、見事、ちゃんとやりとげた(と過去形で書いたが、この原稿を書いている時点では本当はできてない。でも、もうだいじょうぶ。完成が見えてきた。予言として過去形で書いとく)。

写真/塩沢哲

岸田浩和

聞き手/塩沢哲 編集/村中貴士 撮影/山川悠

押し固めていた気持ちをこじ開けた友人。長い道のりはこれからも続く。

1975年京都生まれ。専門誌への寄稿からライターとなり、現在は映像作家として活動。メルマガ「東北まぐ」、短編ドキュメンタリー『缶闘記』など震災以降の東北へ取材を続ける。
写真/山川悠


──学生時代から「越境新聞」など編集の活動をされていたそうですが……。
 明確にライターになろうと思ってたわけじゃなくて。当時はネット黎明期でバックパッカーの情報がなかった。そこで、現地の交通手段から紛争地域への入り方指南のような情報まで、学校のイントラの掲示板に「東南アジア情報」をバーっと書いたんです。反響はあったけど、大学には「学生を危険に巻きこむんじゃないっ!」とめちゃくちゃ怒られて。しかたないので壁新聞的に紙に書いて京都中の大学に貼ったのが始まり。大義名分とかはなくて、ただおもしろかった。

──ライターになったきっかけは?
 就職してから、久しぶりに大学時代の友人と飲んだんです。そいつは僕が会社員になったことに憤慨してて。学生のとき面白かったのになにしてんねん、ただちに会社を辞めろと(笑)。家帰って、酔った勢いで宣伝会議のライター講座に申し込んだんですよ。潜在的に会社員でいいのか?という迷いはあったんです。押し固めていた気持ちを友人がこじ開けて、ぶちまけた。講座に通い始めてからプロを意識しました。

──そこから映像・ドキュメンタリーへ。
 被災地の取材でレコーダーを忘れたんです。代わりに、持ってた一眼レフで動画を撮ったらキレイに撮れた。動画でええやん、と。それ以降、取材では動画も撮るようにして、撮影の基礎はワークショップに通って学びました。ドキュメンタリーを撮るようになったのも、ワークショップの課題がきっかけです。
 被災地を取材するなかで、震災の復旧に時間がかかるということを感じました。でも遠くから来る人は長期的に考える人がいない。この時間を共有することを描きたくて、映像のテーマにしました。『缶闘記』の最後にも「これからも続く長い道のりを共に」という言葉を入れたんです。

──受講生にアドバイスをお願いします。
「ライターになりたい」よりも「ライターです」と言い切ってスタートするのがいい。全部できるようになったらと思っていると、60歳くらいになっちゃう(笑)。「こういうのできます」と言えるようになっておくと「じゃぁやってよ」とチャンスになりやすい。ポートフォリオも大事。自分はどういう人で、なにをやりたくて、実際こういうの作ってますとA4の紙1枚にまとめておくといいです。
 0から1に実績を増やすのは時間もかかるし大変だけど、1個でも書くものがあればそこからすごい早いですね。

            構成/井上マサキ

私はライターです。

映像作家、写真記者。1975年京都市生まれ。編集ライター養成講座総合コース・上級コース修了。2012年、被災した缶詰会社の再建を追いかけた記録映像『缶闘記』を発表。
写真/山川悠


──酔った勢いでライター総合コースへ
 会社員になって9年ほどたったころ、大学時代の友だちと久しぶりに飲んだんですよ。そしたら、友達が途中からどんどん不機嫌になって、しまいには怒り出した。学生のときのおまえは結構おもしろいことしてたから楽しみにやって来たのに、その辺のおっさんになってるじゃないか。せめて過去の体験をブログとかに書いて、世に出せと言うんですよ。
 当時、会社員でいいのかという迷いが潜在的にあったんですよ。友人がそのふたを見事に開けてぶちまけてくれた。35歳にしてプロの書き手を目指そうと思ったんです。

──講座修了1か月後に東日本大震災
 講座を終えてもプロになれるのかがまったく見えてこなかった。1年も通ったのにと、愕然とした。その1か月後に震災が起きた。よし、いまだ! 表現者として被災地に関わっていこうと思ったんです。
 被災地で人にカメラを向けることには不安もありました。嫌がられるんじゃないか。怒られるんじゃないか。プロじゃないことを責められるんじゃないかって。でも取材中「とにかくいろんな人へこの現状を伝えてくれ」って現地の人に言われた。それからはあまり引っかりを感じなくなりました。
 目的をきちんと話せばほとんどの人は取材に協力的でした。テレビの撮影だったら大きいカメラを担いだカメラマンとスタッフ合わせて、3人くらいで現場に行くんですよ。取材を受ける方は威圧感を覚えると思いますよ。僕の場合は1人で一眼レフの上にマイクちょこんとついてるだけ。雑談みたいで警戒心は持たれなかったんじゃないですか。

──ライターと映像編集は似ている
 推敲と映像編集は似てますね。全体の中からこことここを選んで、順番はこうして……って感じで。『缶闘記』を作って思ったのは、見た人が推測しながら物語を考えてくれること。全部説明しなくても、こういうことじゃないかって思ってくれる。そのほうがのめり込める。文章も同じことが言えます。

──ライターデビューするということは
 最初のきっかけを見つけるのが大変でした。20代なら経験積んでコツコツやるのもいいけど、30過ぎてからだと何年も下積みに費やせないんです。そこは攻め方を考えないと。完璧じゃなくてもいいんです。自分のつくったコンテンツなり文章を、どんどん世に出していったらいい。ライター見習いですと謙遜するより、僕はライターですと自信を持って言い切る。講座でのつながりから仕事が来ることもある。とにかく、プロとしてスタートするんだという覚悟を持つことです。

              構成/山川悠

心を動かされたものを出さないと意味がない。

1975年京都生まれ。立命館大学在学中に『越境新聞』を創刊。光学メーカー勤務の傍らライター活動を開始。2012年、被災地の缶詰会社再建を追いかけた『缶闘記』で数々の映画祭に入賞。
写真/山川悠


──『越境新聞』について教えてください。
 大学生のとき、東南アジアをまわりました。まだインターネットがなかった時代。当時は宿にノートが置いてあって、旅行者自身が経験したローカルな情報を書いていたんですね。これを大学のイントラネット掲示板に書いたら、学生から大きな反響がありました。最終的に壁新聞のスタイルにして、京都中の大学に貼りました。これを見て学生が旅に行くんです。休みが終わって帰国した彼らから最新の情報が集まってくる。それをまとめて次の号を作っていました。

──なぜプロのライターを目指すようになったのですか?
 久しぶりに大学時代の友達と飲んだとき。彼は僕に「今のおまえの話はまったく面白くない。ただちに会社をやめるべきだ。」と言ってくれた。「学生時代の経験をアウトプットするだけでも、面白がってくれる人はいるはず。ブログかメルマガにまとめて世に出すべきだ」と。その時「ちゃんと書くってどういうことだろう?」と思い、酔った勢いで編集ライター講座に申し込みました。講座は2011年の2月に終了。でもまだ「どうして書くことを仕事にするか?」が見えてなかった。そんな中、震災が起きた。このテーマなら書けるんじゃないか、と。被災地を取材するジャーナリストの先輩に「同行させてください」と頼みました。

──それが『缶闘記』へつながっていく。
 最初は映像作品を作る目的じゃなかったんです。インタビューするときにレコーダーを忘れて、かわりに動画を撮ったのがきっかけ。それ以降、ライターの取材と同時に動画も撮るようになりました。必要最小限の撮り方はワークショップで勉強しました。当時テレビは「打ちひしがれて、悲しみにくれる被災者」という印象を作っていたでしょ? でも3、4か月経ち毎日そんなわけでもない。彼らは飯を食って普通に暮らしている。現地に行ってはじめて、日常に触れることができたんです。それが衝撃的で、撮った映像をまとめて『缶闘記』を作りました。

──編集者・ライターを目指す人にアドバイスをお願いします。
 やりたいことは7割くらいの完成度でも出していったほうがいい。よく「何書けるの?どういうの書きたいの?」と聞かれます。そのときベストマッチでなくても「こういうの書けます」と理由ふくめ90秒くらいで説明できるようにしておく。あとポートフォリオは大事。紙1枚で「私はこういう人です」と見せられると、次につながると思いますよ。

             構成/村中貴士

ミニコミ活動で大ヒンシュク! 映像作家の越境<はみ出し>青春時代

映像ドキュメンタリー作家。1975年京都出身。立命館大学卒業後、会社員生活を経て米光講座を受講。その後東日本大震災取材から映像ドキュメントの道を歩み海外での活動も豊富。
写真/山川悠


――バックパッカーとしても経験豊富な岸田さん、大学時代はけっこういろいろやらかしてたようで……。
 立命館に入学したら久しぶりに会った先輩が民族衣装みたいな格好してて。どうしたんですかーって聞くと「インドネシアに行ったら睡眠薬強盗に遭って身ぐるみはがされ、次の朝、目が覚めたら足の裏まで切られてた。いやーメチャおもろい経験したよ」って笑いながら話してくれたのがすんごい衝撃的だった(笑)。バックパッカーって面白そうだなあと。
 幼少期に兼高かおるの旅番組や川口浩探検隊をメチャ見てたし、中高生の時はベトナム戦争映画がはやってた。ベトコンを悪者にしてるアメリカの映画観て、そうじゃないだろと。実際のところを確かめてみたかったのが東南アジアに惹かれた理由かな。

──で、在学中に『越境新聞』というメディアを創刊されたと……。
 旅の情報や面白い体験をアウトプットしたくて大学の掲示板に壁新聞ぽく「東南アジア情報!」ってばーっと書いたのがはじまり。バックパッカーって当時はまだマイナーな存在、インターネットもなかったので、みんな「聞かしてくれー」ってすんごい反響。これメッチャおもろいって続けてたら、ちょっとヘンな友人が「岸田くぅん、ドイツから赤十字のバスでサラエボまで行けるらしいよぉ」ってヤバい情報教えてくれて(笑)。

――当時は内戦状態だったんですよね。
 そのネタを『越境新聞』に書いたところ大学の厚生課から「学生が死んだらどうすんねん、これ以上続けたらもう退学やぞ」みたいにめちゃ怒られて(笑)。だったら学外でやればいいと地下に潜って活動を続けるわけです(笑)。京都中の大学に貼り紙をするとその情報をもとに学生が旅してきてまた情報をもってきてくれる。それを集めて構成・編集するという状況ができてましたね。

――当時から現在に通じる活動をしてたんですね。「編集・ライター養成講座」受講後は東日本大震災の被災地に取材し動画作品『缶闘記』を制作、京都国際インディーズ映画祭でグランプリを受賞し映像ドキュメントへ進むきっかけとなりました。その後はどんな活動を?
 台湾や香港で政府と学生の衝突を映像に収め、現地のニュースにも取り上げられました。カメラ1台で単身とび込む取材スタイルも確立、今後も機動性をウリに現場の熱さを記録してゆきます!

              構成/塩沢哲

この本の成り立ち8

 今回は96ページになるようだ。過去2冊と比べて、最も厚いインタビュー本になった。
 BCCKSは、48ページ、64ページ、96ページといったページ構成が基本らしく、こうなった。
「いろいろ削って、64ページにおさえようか」という相談もした。語り手の見出しページ(たとえば、この文章の左のページね)をナシにすれば、ぎりぎり64ページにおさまる。でも、そうすると、どこで人が変わったのかわかりにくい。というよりも、そもそも同じ人の別のインタビューが並ぶことはまずないので、なんだか変な構成であることがわかりにくく、混乱させてしまいそうだ。
 というわけで、無理しておかしなことにならないよう削るのはやめた。96ページにした。そうすると逆にページがあまってしまう。ので、あれこれオマケコンテンツがついている。

写真/森本隆裕

オグマナオト

聞き手/斉藤ハゼ 編集/anehimeP. 撮影/森本隆裕

「風車」と「エキレビ」が僕を突き動かした。

米光講座2期生。フリーライター。「エキレビ」「週刊野球太郎」レギュラーライター。構成を務めた「福島のおきて」など。
写真/森本隆裕


──広告のプロデューサーをされていたそうですが、米光講座に入ったきっかけや受講されている時の話を聞かせてください。
 広告があってんのかな……ってずっと疑問でした。プロデューサーって編集に似ているものがあるから、その仕事も考えてみようかなって思って。広告のプロデューサーはクライアントやクリエイティブチームからの上がりを待つことも仕事です。課題はその時間で書いていました。当時は自分がライターになれるかとかそんなに考えてなかったかも。
 講座がスタートするととにかく書く量が多い。書いた量は全部ちゃんと見てもらえる。やりがいのある場でできたっていうのはすごく良かったなぁ。
 講座で専門にした「風車」に興味を持ったのは大人になってから。風車畑みたいなのが結構壮観なんですよ。ロケーションとかたたずまいが特徴的であったり。旅の思い出に付属してというところが面白かったですね。

──実際のデビューにつながったきっかけと経緯については?
 今の講座にもありますけど、エキレビオーディション。当時は「風車」で書いたけどもうちょっとかなぐらいの評価で終わりました。講座が終わって半年ぐらい……『エキレビ!』の1周年パーティに参加して。スポーツ書ける人がひとりもいなかった。書いてもいいですかって言ったら「全然、何でも書いていいですよ。」って編集の人に言われて。当時「なでしこブーム」だったのでそれを書いたのが最初ですね。

──観てる人の目線で書かれていらっしゃいますよね。しかも「年間100本」で。
 もとはレビューするところですが、イベントレポとか料理本のレビューをやたらやった気がします。書く時間は空いている時間。ネタ探しは本屋さんやニュースのスポーツコーナーを見たり。イベントレポを書くときのスピードに勝てないし、僕は勝とうと思わない。ほかのレポで扱ってないところを掘り下げたり、目をつけていないところを書いたりするように心がけています。

──ちなみに構成のお仕事は具体的に何をされていたんですか?
 これはね、本によって全く違うんで一概には言えないですよね。たとえば編集の人と一緒に作っている感じなんで、ずっとディスカッションしていたり。「福島のおきて」は、ほぼ著者といってもいいくらい。基本的に福島県内の3つの地域(会津・中通り・浜通り)すべてに縁があるので、半分はもう自分史ですよ(笑)。

        構成/anehimeP.

広告プロデューサーはいかにしてライターになりしか? 

1977年生まれ。福島県出身の文化系スポーツライター。『エキレビ!』『週刊野球太郎』に寄稿。『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社)『福島のおきて』(泰文堂)の構成を担当。
写真/森本隆裕


──オグマさんは、広告プロデューサーとして働きながら米光講座を受講され、ライターへ転身されたと伺いました。実際に受講をされていかがでしたか。
 書く量が多くて、アウトプットをどんどんする場があったのは、すごく良かった。自分でやろうと思えば出来るけど、見てもらう場がないと意味がない。全部ちゃんと見てもらえる、やりがいのある場でどんどん出来たっていうのは、すごく良かった。

──実際のデビューにつながったのは、どういう経緯でしたか。
 講座が終わって半年ぐらいしてから、『エキレビ!』のパーティーがあって、そのときにスポーツネタ書ける人が一人もいないという話を聞いて。「書いていいですか」って言ったら、「何でも書いていいですよ」って、編集の人に言われて。ちょうど2011年春以降のなでしこブームで、「じゃ、書いていいですか。」って言って、なでしこ書いたのが最初ですね。

──その翌年、年100本記事を書かれたそうですが、時間の作りかたは。
 仕事の合間に、あいてる時間にやったり。でもちゃんと詰めてやるのは家帰ってからとか、土日とか。

──ネタ集めについて、その頃意識してやってたことは。
『エキレビ!』、もともとレビューコーナーなので、本屋さんに行って、スポーツコーナーを見て面白そうなものを探したり。スポーツニュースとかで、それをどうリンクさせるかっていうのを考える。あとはイベントレポの執筆依頼にどんどん手をあげる。

──イベントレポを書くときのコツとか気をつけることとかありますか。
 他のイベントレポで扱ってないところを掘り下げたり、目をつけてないところを書いたりするようには、こころがけてますね。一番象徴的な言葉いれて。現場って、本筋じゃないけど面白いやりとりが結構あるので、そういうところを盛り込んだりする。

──インタビューのコツを教えていただけますか。また質問項目って何個ぐらい作られますか。
 インタビューする相手の著作があればその著作、特にテーマとなる著作物を読む。余裕があれば過去の著作も全部読んだりする。
 質問項目は10個ぐらい。大項目3つあって、小項目3つですね。

             構成/森本隆裕

肩書は「文化系スポーツライター」

福島県出身、1977年生。文化系スポーツライター。『エキレビ!』や『野球太郎』への寄稿、書籍の構成、タレントやスポーツ選手のインタビューなど幅広く手がける。
写真/森本隆裕


――デビューのきっかけを教えてください。
 もともといろんなスポーツに興味があって。講座の最初の自分マトリクスでもスポーツや漫画、料理を挙げた。でもその辺は競争率が高いよって言われて、風車について書いていました。
 講座が終わったあと、2011年の『エキレビ!』の1周年記念パーティで「なでしこブームなのに、スポーツを書く人がいない」って聞いて。それでスポーツを書かせてください、とお願いしたのがきっかけです。

――スポーツ全般手広く書かれていますが、ネタ集めの方法は。
 『エキレビ!』は、ブックレビューがあるので書店のスポーツコーナーを見て面白そうなものを探したり。あとスポーツニュースとかで、それをどうリンクさせるか考えるぐらい。何を書こうというよりは、世間で何が盛り上がってるか、に合わせていく感じですね。

――野球雑誌ではどんな記事を書かれているんですか。
『野球太郎』は雑学っぽい話題ですね。野球を題材にしたスポーツ映画とか。北陸新幹線が開業したので、石川出身の野球選手だれ、とか。そんな、野球野球してないものを書いてることが多いです。

――構成のお仕事について教えてください。まずは『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』。
 似顔絵の得意な野球選手、木田さんの本をつくろう、という話からスタートして。編集の人とかも交えて選手名鑑という形式にしようと決めました。木田さんに取材して、名鑑に載せる選手と木田さんとの話を伺って内容を整理したり。あとイラストの整理もしたり。2、3か月の間、木田さんと週1で会うくらいがっつり取り組みました。

――続けて『福島のおきて』について教えてください。こちらも肩書は構成ですが。
 これは……基本、著者です。ネタの選定から書くところまですべてやりました。ほかのおきてシリーズのことはわかりませんが。リサーチ協力も地元の友達や親戚です。福島の三地域、中通り、浜通り、会津すべてに縁があります。比較的バランスよく配置した反面、半分はもう自分史ですよ。

――今後、やりたいことは。
 「文化系スポーツライター」というポジションを明確化していきたいです。野球マンガ評論やイベントへの出演、実況アナウンサーへのインタビューシリーズなど、いろいろ作戦を考えています。

             構成/斉藤ハゼ

この本の成り立ちv

 インタビューの実践講座は、インタビューする側だけじゃなくて、インタビューされる側も大きな学びになる。自分のことを聞かれるので、それまでにあれこれ自然と頭で、自分のこれまでの活動をふりかえる。整理する。どう話せば伝わるか考える。インタビューされる側に立つことで、「インタビューする」ということがどういうことか、よく理解できる。
 もうひとつインタビュー実践講座は、先輩と後輩が出会う場でもある。卒業生たちがひさしぶりに会う場でもある。そういう出会いが自然にできるのが嬉しい。仲間を見つけてもらって、切磋琢磨していってほしい。

写真/高橋正之

ミノシマタカコ

聞き手/佐々木沙絵子 編集/田原美奈子

ミノシマさんと狛犬の深い世界

米光講座5期生。フリーライター。「女子SPA!」「CHINTAI情報局」「マイナビウーマン」などで記事を担当。電書カプセルにて「狛犬かんたん分類辞典」を執筆。
写真/高橋正之


──狛犬を講座のプチ専門にした経緯は?
 元々好きだったものを設定しただけだったんですけど、珍しいらしくて。覚えてもらえたというのは利点でした。自分では珍しいと思ってなかったのですけど。

──狛犬の魅力について教えて下さい。
 狛犬の楽しみ方は人それぞれ。私は造形が好きで、見た目を愛でています。彫りの深さや痕が残っていて素敵とか。プラスアルファで歴史も絡んでくる。作られた年号や発端となった人物。誰が奉納したとか。詳しい人は、当時の物流の流れ、奉納に込められた願いまで詳しい。そういうことまで知ると、楽しみがどんどん深くなります。

──狛犬をお仕事にはしないのですか?
 私はまだ石をみただけで判別できなくて。地理、歴史、文化、石の種類、材質も知らなきゃいけないし。神社の種類や、石工さんから研究を深めている人もいる。一人で何千社、何万社、見に行って研究されてるかたとか。研究成果の集大成を本にしているかたとか。先輩方がいらっしゃる研究会に去年は大ハマりしていました。みなさんの愛が半端ではないので、私はヘタに手を出せません(笑)。
 流行の仏像ガールだって、見た目の好みなど入口がある。でも彫り師や種類やレベルなど、次のステップに行き着けるのが仏像ガールじゃないかと。であれば、狛犬もそういうステージがあったらいいなと。目標としては、来たる東京オリンピックにて国外のかたが狛犬を見に行く。そんな文化が根付けばいいなと思います。

──ライター業で、狛犬以外でのお仕事は興味のあることですか?
 基本、依頼があって興味のないことはあまりないです。本当に興味の幅が広いので。知り合いの好きなものは気になって頭の端っこに引っかかってます。
 執筆する内容にすぐに影響される。年金に関する執筆をした際は生活をあらためたくなったり。自分の視野になかったことと出会うのが楽しいです。楽しいか楽しくないかは心の持ちようだと思います。

──ライターとしての理想像は?
 ライターという肩書きに固着しないように。ライターを軸にしながら、やれることは何でもやりたい。仕事の案件で引き受けたらその都度必要なスキルを学んだり。
 基本的に人も仕事も誰かとつながって、誰かにつなげる。自分がとった情報を書いて出す。誰かとつながって、誰かにつなげる、循環させたいなって思います。

           構成/佐々木沙絵子

この本の成り立ち10

 インタビューの依頼や、原稿のやりとりなども、各自がやる。メールのccで、ぼくも入れてもらうようにしているが、よっぽどのことがないかぎり口をはさまないようにした。
 もちろんここでもあれこれトラブルがあった。二度つづけて名前を間違えるといったミスも出てくる。連絡が途切れたりする。途中で抜ける奴も出てくる。
 起こるトラブルは小学生でも判断できるようなレベルのことだ。「わかっている」と「実際にできる」は違う。やった者だけが、次に進める。

写真/門脇文

鈴木夏希

聞き手/林麻美 編集/田平孝太郎 撮影/門脇文

一生懸命でいると誰かが見ていてくれる。

ライター&デザイナー。ブログがきっかけでライターを志す。ネット媒体を中心に記事を執筆中。デザインの仕事は雑誌・新聞広告など。ラジオ番組の広報担当を務めたこともある。
写真/門脇文

──ライターをしていくうえで、人とのつながりは重要になってきますか? 
 すごく生きますし、それがほとんどとも言えます。「米光講座」で実感しましたね。
 実は「米光講座シーズン2」で『エキレビ!』デビューしたのは私が一番最初なんです。その関係で『エキレビ!』一周年イベントで司会に抜擢され、そこで編集長のアライさんから作家さんを紹介してもらい、今度はその人からラジオの番組の担当ライターを任されました。そうしたら、次はその番組の作家さんが別局の仕事を紹介してくれたりと、どんどん仕事の話が広がっていったんです。

──人間関係のうまい駆け引きとかテクニックとかありますか? 
 特に駆け引きとかは考えていません。ただ、自分のためにやっていたことが実は結果として人間関係を深める材料になったということはありますね。
 たとえば「編集・ライター養成講座」の総合講座に通っていた時は、授業の議事録を作ってそれを先生に送ったりしていました。自分の頭を整理するためにやったことですが、結果として講師の方にも「自分の授業を聞いていてくれてたんだ」と好印象を持ってもらえますよね。
 それから、講座に休まず出続けること、課題をもれなく出すことは当然だと思っていました。
 米光講座内で行われた『エキレビ!』ライターオーディションでも、編集長のアライさんに課題原稿を何度も送り続けました。その姿勢が認めてもらえたからこそ今があるんだなと思います。

──今後はどのような仕事をしていきたいと思っていますか? 
 一生懸命にやっていると誰かしら見ていてくれる人がいるんですよ。これまでデザイナー・ライターとしてやってきましたが、実は今、それとは全く違う仕事にチャレンジしています。それは、今まで興味も実績もなかったこと。頑張っているのを見ていてもらい「君なら出来るんじゃない」と言って任せてもらえることになりました。
 本当に人とのつながりは大切。そういう良いつながりに巡り合うには、今ある仕事を一生懸命やっていることが絶対条件だと思っています。だからこれからもそういう気持ちで仕事に取り組んでいきたいですね。

▲鈴木さんは「編集・ライター総合講座」2012年秋の受講生募集広告のモデルも務めた。


              構成/門脇文

ライターとしての気の持ちかたは、生きる上でも役にたつこと

編集・ライター養成講座21期、米光講座シーズン2卒業生。12年秋には宣伝会議ポスターモデルも務めた。現在はデザイナー業とライター業を並行活動中。「マイナビウーマン」等で執筆。
写真/門脇文


──米光講座に通ったきっかけは? 
 アイドルグループ「嵐」の大野くんが大好きで、ファンブログをやっていたんです。これが結構アクセス数が良く、「もしかして私、才能あるのかも?」なんて勘違いをし始めたんです(笑)。
 講座を始めたころは、新卒から務めていたデザイン事務所を辞め、少し休憩と思って派遣で事務をしていた時期で。新しいことを始めてみようかなとネットで「ライター、講座」とワード検索したら、宣伝会議がヒットしたので、勢いで申し込みました。
 総合講座は、業界最前線で活躍している講師陣に教えてもらえる事は嬉しかったのですが、もっと細かい指導が欲しいと思いました。「米光講座」は総合講座の中で一番授業が面白かった米光さんが専任講師ということもあって、通い始めました。

──自分が仕事をする上で、授業で教わったことの中で生きていることは? 
 米光さんは「文章のイロハ・書き方」より「ライターとしての気の持ちよう」を教えてくれるタイプ。
 なかでも会議の進め方のポイント「Yes and」が印象的で。「Yes and」とは人の意見を「いや、それは違う」とただ否定するのではなく、「確かにそれもある、でも私は」といった風に、受け入れてから返す。そこから生まれることの可能性に気づいたことは、生きる上でも役立っています。
 あとライターとしては「感想と観察」の教えが生きています。「感想」だけだと日記のようだし、「観察」だけだと事実を羅列した記者的文章になってしまう。「感想」と「観察」をバランス良く入れると、プロのライターの文章ができる。最初に一撃必殺のインパクトを出す「書き出しを高くする」ことも意識しています。

──憧れの大野君への取材が実現したそうですがその時はどうでしたか? 
 雑誌『ダ・ヴィンチ』の記事で、大野くんと、彼が主演のドラマ原作者との対談の取材補助をしました。
 大野くんは、テレビではポーッとした人という印象ですが、仕事をこなしている数が違うのでしょう、気遣いや挨拶等プロ。
 今まで、アイドルは架空の存在と思い込みたかったところがあって、現実とのギャップに自分の気持ちとのバランスが崩れ、しばらくアイドルについて書くことに苦労しました。「好き」はライターとして武器になりますが、強すぎると弱みになることもある、そんなことに気づかされた体験でした。

              構成/林麻美

個性の組み合わせが唯一無二の存在感となる。

編集・ライター養成講座21期、米光講座シーズン2卒業生。現在はデザイナー業とライター業を並行活動中。「マイナビウーマン」「エキサイトニュース」等で執筆。
写真/門脇文


──デザイナーの視点がライター業に生きることは?
 そもそも職種がちがうので視点が生きるという言いかたはできません。ただ、仕事で生きてくることは多々あります。
 もともと、米光講座では新聞部をしていて講座で起こったことをまとめて、「米光講座新聞」を作っていました。自分で書いた文章と写真を、イラストレイターでレイアウトして作った完全オリジナルのものです。それがあって、初期から米光さんに名前を覚えてもらえました。
 ライターとしての仕事依頼を受けたクライアントさんから「デザインもできるならポスターも作ってください」「フライヤー作ってください」というようにデザインの仕事をいただくことは多いです。

──ライターとしてのプラスアルファ。それがないと厳しいと思ったことは?
 なにもなかったら無理だと思います。ライターを目指していたときですが私には「アイドルグループの嵐が好き」というわかりやすいプラスアルファがありました。
 自分で気づいていないプラスアルファがあるということに米光講座では気づかされました。当時は20代女性ということがプラスアルファになりました。

──年齢なんて自分にとってあたりまえすぎて気にする事はあまりないですし、強みだとは思えないですよね。
 昔から大好きだったラジオに関わる仕事をいくつかやらせていただきました。20代女性がターゲットのラジオ番組が多く作家は30代以上の男性がほとんど、という現場でした。
「ターゲット層にぴったりで、貴重なリスナー目線となる」という理由で採用していただけました。「20代女性」であることが決め手となったのです。それだけのことが、こんなにありがたがられるんだと驚かされましたね。
 アイドルのことが好き。そんな人は世の中にごまんといます。
「アイドルが好きで実家が自転車屋」
「アイドルが好きで東大に通っている」
個性は人それぞれに備わっています。しかし、その組み合わせこそが唯一無二の存在感となるんだと思います。

──知識の引き出しを多く持ったほうがいいですか? 
 引き出しが多いほうが仕事のチャンスは圧倒的に広がります。まずは自分の趣味を深めることをスタートとし徐々にジャンルを広げていくのがよいと思います。

            構成/田平孝太郎

この本の成り立ち11

 学びながら、追い立てられるようなスケジュールで作ったものなので、原稿を書いたみんなや編集長は、「もっとこうしたかった」「もっと書き直したい」と忸怩たる思いもあるだろう。インタビューに答えてくれたフレッシュな新人のみんなも「もっとうまく答えたかった」と思ってるだろう。
 だが、それでいい。それがいい。
 これはプロセスの中のひとつの区切りでしかない。区切りとして、成果物を作ったことが「もっと」という気持ちを生み出すのだ。欠けたところもあるだろう、でも全力で、何かを形にした。それは、もっと手を伸ばすための、もっと自由でいるための、次のステップにつながっている。もっと! もっと書いていってください。

写真/斉藤ハゼ

インタビューを終えて

先輩インタビューを終えて


塩沢哲
 映像ドキュメンタリー作家・岸田浩和さんのインタビューを担当。入念に下調べをして質問も練り、準備を整えて臨んだ。岸田さんはとても気さくな方だった。ネットにもないような学生時代のエピソードも聞くことができた。編集者役の村中さん、カメラマンの山川さんも満足していた。
 そのあと岸田さんからインタビューの感想をいただいた。
「先にストーリーをつくってしまい、強引に答えを当てはめているようだ」
 無理に回答を誘導している意識はまったくなかった。「ミャンマー留学」「映像制作に目覚める」「光学機器メーカー勤務」。これらの事前情報に頼りすぎた。質問もそれに沿った流れになっていたのだろう。
 先回りして相手の話をまとめて、はやく次にいこうとあせってしまった。会話のグルーヴを意識して、インタビュイーの話をもっと広げられればよかった。

宮下由布
 頭の中でラフを切る。いくつかの枠ができていく。中身を集める。ほかの切り口を探る……。普段の仕事(広告編集)では念入りな調査分析と打ち合わせをする。対象への理解も情報もすでに持っているからこそ、このやり方が成り立つのだ。
 今回の一番の反省は、課題の完成を第一に考えてしまったことだ。50分で「ライター・名久井梨香」というページのラフを描いただけ。その線はぼんやりしている。もっと本音を聞き出したかった。
 打ち上げが終わり、名久井さんと井の頭線で帰った。映画の話、旅の話、そして書くこと。聞きたいことがたくさん出てきた。しかし相手はプロのライター。矢継ぎ早に私に質問を投げかけてくる。明大前駅到着、本日2度目のタイムアップ。一人になって反省する。今日のラフはいったん壊そう。つくるのはそれからだ。

高橋正之
 雑誌「婦人公論」の編集者、北川佑佳さんへのインタビュー。カメラマンとして参加した。
 北川さんはプチ専門と現在の仕事が見事にリンクしている。当時作った電書は「セックスを評価する女たち」。質問がその内容に至るにつれ、きっといい表情をしてくれるはず。
 ところがいざインタビューが始まってみると、声がまったく聞きとれない。会場の大きさや、10チームの同時インタビューという状況。それらを考えれば容易に想像できたことだ。人や机の位置、余計なものが写りこまないか。当日現場で確認すべきことは山ほどある。いい段取りには想像力が必要だとわかった。
 インタビュー記事のいいところ。それは現場でダメでも原稿でリカバリできるところとオグマナオトさん。写真もデジタル補正である程度はとりかえせる。講義での失敗は前向きにとらえ、想像の幅を広げる力に変えたい。

初出 編集ライター養成講座上級コースseason6 米光講座マガジンvol.6

写真/anehimeP.

インタビューの流れと
練習インタビュー

インタビュー記事作成の流れとポイント

役割分担
 先輩インタビューは3人チームで行った。

ライター(インタビュアー)

主に話をする。相手の話を引きだす話術が必要。

編集者

全体の構成を考えながら進行を補助。

カメラマン

写真を撮る。最近はライターや編集者が兼務することも。


依頼のポイント
 取材依頼時のメール文面が第一印象を左右。失礼な文章になってはいけないが、敬語が大げさになってもいけない。

下調べ
 WEBに載っている情報はかならず調べる。名前で記事を検索する。
 すでに話をしているが、まだ掘り下げられていないこと。ココをもう少しつっこんで聞けば面白いかな、という内容を調べる。
 過去の雑誌に掲載されたインタビューなどは大宅壮一文庫で調べる。入手困難な書籍は国会図書館を利用する。
 インタビューの成否は8割が事前調査で決まる。先方のことはしっかり調べる。たくさん調べると、相手に心が伝わる。


質問づくり、事前準備
 漠然とした質問は避ける。しぼり込みすぎると周辺のおもしろい談話を取りこぼす場合もある。質問はディープ過ぎず、広すぎず。
 1時間インタビューの場合、最低でも質問数は10。1問1答になってしまうと原稿化しづらい。
 バラバラの質問にはしない。1、2個の軸になる質問と、それにつらなる残りの質問を組み立てる。つながりのある質問はグルーヴを生み出し、味気ない内容や誘導する会話を防ぐ。
 インタビュー対象者の著作や関連する物などがあると、先方が安心する。


インタビュー本番
 インタビューのときは、事前に質問内容を覚えておく。メモは見ない。
 通常は相手の話の流れにそって聞いていく。用意した質問を使わないこともある。記事を構成するうえで最低限必要な項目はかならず聞く。聞く、答える、対話、で語り手に話してもらう。
 質問を組み立てる前提がくつがえったときが、対話のチャンス。
 いきなり尋問っぽくなってしまうと話してくれない。聞く側が緊張すると、話す側も緊張する。たくさん調べておけば、自分が緊張しなくてすむ。
 相手の沈黙をおそれない。相手の思考を止めずに待つ。しかし反応はするように。相手の話をよく聞く。
 録音機器、カメラは2つ用意する。スマートフォンなどで予備を撮って(録って)もよい。


記事作成
 文字起こしはインタビュー直後に行う。原則、すべてを文字起こしする。
 全体を内容ごとにブロックに分ける。全体を見通して、そのブロックを入れ替え、記事の内容を整理する。
 インタビューは「失敗だった」と最初は思う。しかし原稿でカバーできる。
 最後に取材対象者のかたに原稿をチェックしてもらう。修正のやり取りをして完成。

 
この記事は編集ライター養成講座上級コースseason6 米光講座マガジンvol.4~6より内容を一部抜粋、再構成をおこなった。

句会という場への信頼
~会って出すことがおもしろい~

米光一成/ゲームクリエイター、ライター。発想力や編集・ライティングの講師を務める。2011年より公開句会『東京マッハ』に参加。電書カプセルにて『句集 舌多数用意して』をリリース。
写真/anehimeP.

――『全員が~』の句、これを知って私も俳句やってみようかなーと思ったんです。
 あー。

全員が全長52メートル
    (東京マッハ1 2010年6月12日)


――最近は『全員が~』系の句はあまり作られてないように感じます。『ねまちゅかねまちゅか』あたりが、ラストのような。

架空のブランドねまちゅかねまちゅか
    (東京マッハ4 2012年7月10日)

 いやいや、作ってないこと、ないよ。
『813』とかも、本のタイトルってわからなければ、なんのことやらっていう。

813続813なつやすみ
    (東京マッハ11 2014年7月17日)

『全長52メートル』みたいな句とか出しても『東京マッハ』のメンバーは「俳句じゃない」って頭から否定しないっていう信頼がある。場の力学で、どれぐらい踏み外せるか。
『ねまちゅかねまちゅか』は、おいおい踏み出しすぎちゃっただろうって面白さだから、繰り返すと、ただのお調子もんになっちゃう。ので、また別の踏み出し方を考えないといけないなー、と。


――別の踏み出しかたといえば『初富士や』は、すごく俳句らしい句だと感じました。

初富士や新幹線の椅子の青
    (東京マッハ13 2015年1月12日)


――昨年の『ひのきのぼう』の句、これは初期の『きのぼうし』との対応みたいで、最近はまた作風が初期に帰ってきてるのかな、という印象をうけます。

きのぼうしかぶらず九月の風を受く
        (ユリイカ2011年10月号)

ひのきのぼう拾って寂し秋の道
    (東京マッハ12 2014年1012日)

 ゲーム句は、ずっと作り続けてる。ゲーム好きだから。


――『東京マッハ』以外の句会には参加されていますか?
 池袋コミュニティカレッジの『表現道場』で、ゲームとしての俳句っていう講義をやりました。次回は句会をやります。
 句会はとてもゲームのルールとしてもすぐれているので、句会そのものを学校の授業とかでもやればいいのになあと思っています。


構成/斉藤ハゼ

初インタビューの反省点

 2015年3月7日。先輩インタビューに先立つこと1週間前、練習インタビューをさせていただいた。
 あらためて自分の音声を聞き直す。声が上ずっている。語り手に答えてもらうべきところを、私が話している。米光さんの俳句が好きだからと選んだ題材だが、好きすぎるのも問題だ。
 沈黙は怖くなかった。けれど考えを待つべき沈黙なのか、こっちが話を切り替えるべき沈黙なのかの差はわからなかった。
 時間は10分と限られていた。時間内ぴったりに収めることはできたが、締めの質問をしそびれた。おかげでインタビュー記事はぼんやりした締めになっている。
 あらかじめ下調べした資料や関連書籍を持っていったのはよかった。それらを見てもらうことによって、こちらがあやふやでもいくらか話が引きだせたと思う。
 質問を受けるかたができごとを覚えていると勘違いしたのは失敗だった。米光さんにとっては10年以上前のできこともある。覚えているとはかぎらない。組み立てていた話の算段がくるってしまい、しどろもどろになった。下調べに頼りすぎるのもよくない。
 反省しかない初インタビュー。最初からうまくできるとは思っていなかった。失敗は予定されていたものでもある。だから練習があるのだ。しかし練習でもいたたまれなくはある。この気持ちとともに、次はもう少しだけできるように。

                        文/斉藤ハゼ

編集後記

 「編集者ライターへの道2015」
 歴代の先輩たちから受け継いだタイトルだ。
 この本を作る過程は2つの意味で編集者、ライターへの道であった。
 1つめは、技術や経験を得るための道のり。
 オファー、下調べ、打ち合わせ、質問の作成。
 取材、撮影、文字起こし、記事の作成。
 話をうかがった方に記事の確認をいただく。
 提出した記事が組版される。正しく反映されているかのチェック。
 組版後も一行、一文字単位の調整のため、原稿のやり取りが続く。「写真が小さい」なんて理由で再提出を求められた人もいる。
 最後に校正をして、やっと校了だ。
 これだけ多くの工程を経験できるのは、インタビュー記事だけではないか。
 2つめは、私たちがこの後どうなるか。先へいたる道しるべ。
 この本は後輩による先輩へのインタビュー集である。講座を終えたあと、私たちはどのように編集者、ライターになるか。それを知る方法として直接聞く以上の手段はないだろう。
 編集者、ライターとして進み始めた受講生の作った本だ。未熟なところも多くある。それでも、いつかこの本を懐かしく読む日が来るだろう。
 この本は米光講座6期生のマイルストーンだ。

                     編集担当 斉藤ハゼ

編集者ライターへの道2015

2015年5月9日 発行 初版

著  者:米光講座シーズン6

編  集:斉藤ハゼ
編集協力:与儀明子、池田真理子、宮下由布、高橋正之
表紙写真:斉藤ハゼ、森本隆裕、指宿大志
監  修:米光一成
発  行:米光講座シーズン6

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