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fu diary 2 - around the world-

Rie fu

OTOTOY



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message from Rie fu

旅をするたびに歌を作り、それを記録していく。

今年のRie fuのテーマは、旅。

毎月世界のどこかの場所で音を録音し、
フィールドレコーディングで録音した歌をハイレゾ音源で配信していく、
fu diary 2、スタート。

 赤道のほぼ真上にあるこの国では、太陽の引力を強く感じる。四季がないかわりに、寒さに向けて身支度することも、春の訪れに心躍ることもない。海の上で暮らしているかのように、時々今が何月だとか、天気予報の意味とかを忘れそうになる。雲を読むようになり、通り雨のやむ時間も体感でだいたい予想できるようになってくる。


 2012年に半年間行った企画、fu diary第1弾。ちょうど自分のレーベル、事務所を立ち上げた頃で、初めてのセルフマネジメントを通して毎月感じたことを歌にしてリアルタイムで配信していった。


 あれから早いもので3年が経ち、その間に色々なことが起きた。結婚、そして旦那の仕事の転勤でシンガポールへの移住。移住にはあまり抵抗がなく、逆に環境の変化にわくわくした。まず、シンガポールの生活はどんな1日なのか、素朴にこんなテーマで書いていきたいと思う。

 毎朝暑くて目が覚めるぐらいなので、朝起きてまずシャワーは欠かせない。1日の流れは、事務的な仕事(メールなど)、家事(簡単に)、買い物(近所の市場に行くこともある)、そしてペインティングや曲づくり。会社勤めではないので時間割は決めていないが、その日によってバラバラなことが多い。

 シンガポールの家はわかりやすく3種類に分かれていて、公団住宅、外国人が多く住むコンドミニアム(ほぼ全てプール付き)、そして一軒家。我が家は小さなコンドミニアムだが、高層のものが多い中5階建てというこじんまりした建物。東海岸の近くにあり、海まで続くランニングコースが続いている。日中は日差しが強すぎるが、夕方以降涼しい風が吹いてくると、そのコースを走ったりサイクリングするのも気持ちいい。

 その東海岸から見える夜の貨物船が絶景だ。光が灯っていながら、横にずらっと並んでいるので、まるで地形線の摩天楼のように見える。まさにこの光景がシンガポールそのものを象徴しているとつくづく思う。様々な文化、人、思い出、情熱、夢、そんなものが交差し、停泊する場所。

 そんなシンガポールで、先日初めてのワンマンライブを開催した。きっかけは、ひとりの日本好きのシンガポール人の男の子がFacebookで連絡してくれたことから始まった。彼は自ら日本名のニックネームを付けるほどJPOP好きで、JPOP関連のイベントを何年も企画していて、私のイベントも企画してくれることになった。会場は、ライブステージもあるカフェバー。100人以上もの観客は、嬉しいことにほぼ現地の方ばかりで、大変貴重なライブになった。

 というのも、このライブはソングライティングワークショップという、今まで日本でも行ったことがなかったコンセプトがあったから。シンガポールでは、音楽の輸入があっても独自のソングライター文化はまだ発展途上。そんな中で、曲づくりとはどんなものか、自分がどんな想いでそれぞれの曲を作ってきたか、という解説を1曲ごとにお話しながら進めていった。ライブ後には質問コーナーもあったりして、現地の若いソングライターたちとの交流の機会にもなった。

 2014年にデビュー10周年を迎えてから、自分の中でも区切りができた。日本の外に移住して視野が広がり、新たなスタートラインに立った気分。10年も続けてきたことで、はっきりと見えて来たものがあるからだ。

『やめないこと』。

 この一言に尽きる。続けていれば、その都度自分の環境や経験に対して色々な答えが見えてくる。活動の環境やペースは変り続け、何層もの皮がはがれて本質が見えてくるように、どんどん物事の核心へと近づいて行く。もしかしたら行き着く先は、『なんだ、こんなことだったのか』というものすごく単純なことかもしれない。

 今年のテーマは沢山旅をすること。東南アジアに引っ越してからアクセスしやすくなった場所も沢山ある。ギターと録音機を持って、どこへでも行こう。

 その国に初めて訪れる際には、『第一印象』が大事だと思っている。本当に初めての遭遇の瞬間。それは飛行機で着陸するときに見下ろす街の眺めと、着陸後飛行機から降り立つ瞬間の空気。

 初めてのバングラデシュへの到着は夜。ロンドンやニューヨークなど都心の夜景はどれも光々とオレンジの光が輝いているけど、バングラデシュのダッカは今まで見た首都の夜景の中でも1番明かりが少なく、空の上からも見えるのは街灯の明かりぐらいだった。そして飛行機から降りた瞬間の空気は、まるで身の回りのあらゆるものをバーベキューしたかのような、煙の匂い。慣れるまでは息苦しく感じるほどだった。

 素朴な夜景、煙の匂いの後に受けたダッカの印象は、とにかくクラクション。渋滞大国のバングラの道路は、カラフルに何度もペンキを塗りたくられたバスや、原付タクシートゥクトゥクなどが入り乱れ、信号もろくにない中、それぞれの車の存在をクラクションでアピールしまくり、そうやってひたすら追い抜き合って我先にと進んで行く。全ての車が同時にクラクションを鳴らしながら走っているので、不協和音が鳴り続けている。

 都市国家を除けば世界一の人口密度を持つ国と聞いて、狭苦しい貧困な暮らしをしているものとイメージしていたが、人々はバスやトラックの荷台にすし詰めになりながらも、不思議と暗い表情をした人を見かけない。


 植民地時代から独立などの歴史を経てたくましくなったこの国では、悲観している暇すらないのかもしれない。そして街中を観察してみると、女性の衣服は明るく派手な柄が多い。着るものでも明るさを大切にしているのがうかがえる。

 日本では、人々はモノトーンのスーツやユニフォームに身を包み、同じすし詰めでも日本の満員電車の人々の表情はどこか暗い。

『何が幸せ?』

先進国と途上国の大きなキーワードになりそう。

 主人は仕事柄アジアの20カ国以上に住んだ経験を持つのだが、このバングラデシュでの経験が人生を変えたと言う。彼が住んでいたのは20年前、まだ街が整備されていない時代で、今よりずっと貧しい国だった。そこで苦しい国の環境に相反して、人々の明るさに心を打たれたという。

 実際に20年前に主人と働いていたというバングラデシュ人のハサンが、その頃の職場の人たちを集めてパーティーを開いてくれた。会場は、会員制のクラブの建物。会員は繊維関係の仕事の人が多いという(バングラデシュでは生地や織物の工場が多い)。

 近代的といえるような建物ではなかったが、屋上に生バンドまで用意してくれて、私からのリクエストで現地の伝統的な4弦ギター奏者まで呼んでくれた。現地ではノリノリのインド歌謡で踊ったり一緒に歌ったりすることが音楽の楽しみ方のようで、陽気な雰囲気だった。歌ってと言われたのでギターを借りて歌ったが、自分の歌はしっとりめなので、もっとノリノリの曲を用意したかったと思ったぐらい。

ショヒド・ミナール

 ダッカの街を観光した中で印象的だった場所が、ショヒド・ミナール。1952年に起こったのベンガル言語運動の犠牲者を追悼する記念碑のある広場だ。

 イギリスの植民地からの独立、インドからの独立、そしてパキスタンからも独立とベンガル語という自分たちの言語を守る為に、ずっと闘って来たバングラデシュ。その歴史もまだ遠い昔のことではなく、案内してくれたハサンも子供の頃から街中でデモ隊とパキスタン政府の衝突を目撃してきたという。

 自分たちの国、土地、言語。

 日本人としては生まれもって来たように当たり前に思っていたものを勝ち取るために沢山の血が流れてきたバングラデシュの歴史。

 何事も当たり前にあるわけではない、自分たちの力で守って行くべきだということ、そしてそうやって手に入れたものに誇りを持つこと、

 そんなことを教えてもらった、バングラデシュへの旅だった。

 ちなみに今回の旅で、ふと立ち寄ったアンティークショップで、150年前のドアを購入した。まさかお土産にドアを買う日が来るとは思ってもみなかったけれど、そのお店にも縁があり、実は主人がダッカに住んでいたときによく通っていたというそのお店、20年後の今もまだあったので立ち寄ってみたら、店主もまだ同じ方で、感動の再会!


 売られているものは、バングラデシュで解体されている廃船のパーツなどで、船の揺れに対応したキャンドルや、大きな舵など。そんな中で、主人と店主の感動の再会シーンの後、最近仕入れたというこのドアを見せてもらったものだから、これも何かのご縁かと、衝動買いしてしまったのだ。

 このドアにはすぐにとても気に入ったポイントがあって、それは刻まれた『手』の彫刻。それがなんともあたたかみと強さを含んでいて、その手に一目惚れしたのだ。そのドアは今家の階段の小さな踊り場に飾ってある。アンティーク特有の重々しい空気も発さず、とても自然に馴染んでくれている。

手の彫刻が彫られたドア

 ボルネオ島という存在を、この旅を計画するまで知らなかったというのはここだけの話。

 週明けに旦那がマレーシアのクアラルンプールに出張に行くので、週末にマレーシアのどこかに行ってみようということで、サラワク州のクチンという町への旅をブッキングした。

 予約した後に地図で場所を確認してみてびっくり、シンガポールよりもクアラルンプールから遠い、全く別の島だったのだ。マレーシアが二つの島に分かれているというのも実はこのときに初めて知った。


 ボルネオ島内には現在マレーシア、インドネシア、ブルネイの3つの国があるが、もともとは何種類もの先住民が土地を分けていて、中でもイバン族は今だに人口の多くを占めている。原住民が首狩りなどの野蛮な方法で互いに争っていた時代に、1839年にイギリス人の探検家ジェームズ・ブルックが現在のクチンであるサラワク王国を訪れた。当時のブルネイのスルタン(王)が彼にこの反乱の鎮圧を依頼し、それに成功すると、ブルックは“白人王 (White Raja)”の称号を与えられたとのことだ。

 クチンには町を南北に分ける大きな運河が流れていて、北側はその時代王族の敷地が中心だったという。今でも橋があまりかかっていないのが印象的で、まるで運河の向こう側の距離感にいまだに敬意をはらっているかのようだ。


 アジアを旅して行く中で、多くの国で目の当たりにする歴史が、イギリスやオランダの植民地時代。飛行機もない時代によくぞこんな僻地にまで来たなと思うぐらい、東南アジアの島々隅々まで植民地化の歴史があることに改めて驚く。故郷では名もない一人のイギリス人が、アジアの小さな国に来ると国民的スターになるという現象が起こるということも興味深い歴史の話だ。

 たとえば日本では誰もが知るペリー来航のペリー氏もアメリカやイギリスでは一般的に有名な名前ではないし、このサラワクの王にまでなったジェームズ・ブルックも、イギリス人で知っている人は相当な歴史好きぐらいだろう。

 でもその1人のイギリス人がこの島の歴史を大きく変えた。

今月は、このジェームズ・ブルックに興味を持ち、彼の心境(想像)とこの島の自然とのスピリチュアリズムを歌にしてみた。


 イギリスは現地人に対して不平等な条件で植民地化したのにも関わらず、現在でも植民地時代のイギリス人の名前が土地の名称になっていたり、英雄とされていることが多い。それに反してシンガポールやこのクチンをはじめ第二次世界大戦で日本に侵略された歴史をもつアジアの島々は、その時代を暗黒時代とし、日本の名残は一切残っていない。日本の歴史の授業でも学ばなかったこの実態は私を複雑な心境にさせ、時代の流れの不思議さと戦争や侵略の無意味さについて考えさせられる。

 話は逸れたが、サラワクの話。

 クチンの町はくたびれたシンガポールのようで、普段の日常から異なり、かといってとんでもなくさびれてもいなくてちょうどいい加減の雰囲気だった。ボルネオ島には世界でも有数の国立公園があり、ここでしか観れない動植物や大自然を味わう事ができる。

 旅の2日目にはクチンから車で30分程の、バコ国立公園を訪れた。小さなモーターボートで島の沿岸を進み、国立公園の入り口に到着。浅瀬なので靴を脱いで海に膝まで浸かって上陸する。昼間の太陽で海水はとてもあったかい。ちなみに海は泳ぐ事はできない。というのもこの海はクラゲの宝庫で、至るところでクラゲ釣りが行われていた。中国などに食料として売られるそうだ。

 思った以上に険しい道を進んで行くと、夜行性の動物が木の上で休んでいたり、この島特有のテングザルという巨大な鼻を持つ猿が高いヤシの木から真っ白な長いしっぽを垂れていた。巨大な岩たちは、面白いカタチをしている。四角いロボットの顔のような岩、さかさまのボートを乗っけたような、根元が削ぎ落とされた岩。

 原住民のカルチャービレッジを訪れると、伝統的な工芸や音楽を観ることができた。竹を使った高床式住居や、ヤシの葉で編んだ魚釣りのかごなど、日本の古代の文化に通じるものも垣間みれた。

 ボルネオ島特有の楽器はサペというギターで、沖縄音楽のような五音音階のスケールと、胴長のボディーが特徴的だ。伝統的にはトランス状態になるための儀式に使われていたとのこと。

 東南アジアの島々は、バリなども同様に、このトランスの為の音楽という文化を強く感じる。豊かな大地と一体化したくなるような音楽のインスピレーションを受けた。

 6月は、中国の3カ所を巡るライブを行った。香港、北京、上海。

 それぞれ全く違う街の雰囲気だったけど、お客さんは一貫してあたたかく歓迎してくれた。

 この中国ライブは私の人生の中でも本当に大きなイベントになったと思う。感無量とはこういうこ

とか、というほど、全てにおいて素晴らしい体験になった。

 香港に行くのは4回目で、前回来たときはライブ会場を下見しに来た。イギリス人の義理姉が住んでいる地でもあり、また個人的にもイギリスに住んでいた頃は沢山の香港人がまわりにいた。

 今回会場に選んだのは、クラブやバーが並ぶLan Kwai Fongという地域にある、古い倉庫を改装したレンガづくりの可愛い建物。会場名はFringe Dairy。

 Dairyとは乳製品のことで、なんと牛乳の倉庫だったという。タイルの床とおしゃれな豆電球の照明で、パリのカフェのようなレトロな内装。グランドピアノもあって、アコースティックライブにはぴったりの雰囲気だ。夜になると、このエリアのバーは西洋人の駐在員のことを指すexpatエックスパットたちで賑わう。


 そんな会場にて、開演時間は21時と遅めのスタート。(理由は、隣の劇場にて直前まで公演が行われているからだという)客層は、大学生から20代前半ぐらいまでの、若い客層で、男女比は同じぐらい。

 始めは緊張気味でギターとループマシーンで数曲歌い、MCで簡単な自己紹介をした。

 そう、このMCがここ最近ライブでとても大事にしていること。特に海外だと、歌は音源で聴いてもらっているけど、実際に対面するのは初めて。たとえば歌の成り立ちや、お客さんとのコミュニケーション、笑いを取ること、それらのトークでライブの雰囲気ががらっと変わってくる。英語だとよりストレートに話せるし、より人間性を知ってもらいたいと思いながら、話す内容も入念に準備する。更には香港以外の会場では中国語でも全てMCができるように、言いたいフレーズも準備してきた。

 アニメの主題歌を歌うと彼らの目がパッと明るくなるのが分かり、ライブ後、話してみると、それらのアニメを観て育った若者たちばかりだ。日本独特の文化を通して、自分の歌が海を超えて伝わっていたことに、ただただ胸がいっぱいになった夜だった。

 香港から日本にいったん戻り、日本のバンドとリハーサルをして、いざバンドと共に中国本土のツアーへ。

 初日は北京に前乗りし、会場の近くを散策。大きなショッピングモールも、マックもユニクロもある。マックの前でココナッツ売りが居たが、このような風景はシンガポールでもよく見かける。夕食には本場の北京ダックも堪能した。

 自称晴れ女なのだが、中国でも力を発揮できたようだ。滞在中は快晴で空気も澄んでいた。

 ライブ当日、会場の大きさを観てびっくり。来てくれるかな? と直前迄半信半疑でいたのも束の間、開演してみると会場満員のお客さんに圧倒された。日本のライブの10倍ほどものお客さんが集まってくれるとは、現実味がなかなか湧かないような不思議な感覚だった。

 中国は人口が多いからか、アニメの人気が大きいのか、また日本人の公演もなかなか珍しいからか、、(私の前に来た日本人のアーティストはなんとSMAPで、しかも4年前だったらしい)とにかく信じられない光景に、感謝と感激でいっぱいだった。

 翌日は朝4時起きで6時間の電車移動で上海へ向かう、というなかなかの強行スケジュールだったが、ライブはそんな疲れが一瞬で吹き飛ぶような最高の時間になった。

 普段の自分のライブではまず見かけない、サイリウムで曲調に合わせて手を動かしてくれるファンや、手作りのポスターなど掲げてくれるお客さんもいて、驚くほど熱狂的な雰囲気だった。

 ライブ後のサイン会には200人もの長蛇の列。グッズを持って来たスーツケースが軽くなった分、抱えきれないほどの沢山の幸福感をもらった。


 ここまで連れてきてくれた歌への感謝の気持ちと、これからさらに進んで行くための燃料に満ちあふれ、南国シンガポールへと戻って来た。

 ちなみにジャケットに描いた万里の長城へは今回はスケジュールの都合で行けなかったけれど、また中国の歴史を巡る旅ができたらいいな。

そんなことを考えながら、最近習い始めた中国語の教科書を開いている。(ちなみに今月の曲、「How nice.」のhowは、中国語の好(ハオ)にかけている。また、抑揚豊かな中国語の発音をもとに、メロディーも上下していくフレージングを創ってみた)

 今月の旅は、世界で1番便利な国、日本への帰国。

 シンガポールに移住してから頻繁に帰国しているが、毎回日本への愛着が増す。日本に帰るとまるで水を得た魚のように行きたかった場所に行き、会いたかった人と食べたかったものを食べ、コンビニとかそういった何気ないものに感激する。

 大学時代にイギリスに留学していたときも同じ現象が起きたが、なんともいえないこの愛国心、自分の芝を隣から見てみて初めて蒼さに気付く現象というか、そんなことだろうか。それでも日本以外の国の出身だったら同じ風には思わないはず。そのぐらい日本は特殊で、特別な国なのだ。


 とはいえこの企画は"-around the world-"と題し、日本以外の国への旅がテーマなので、今月は半年前に行ったインドネシアのバリについてお届けする。

 神様、自然、そして人の融合を大切にしているバリ。町中のあちこち寺院やお供えものが見られ、豊かな自然と文化の融合で、音楽も溢れている。中でも芸術の村と呼ばれているウブドには、沢山の工芸品や、寺院でのガムラン演奏や舞踊を鑑賞できる。

 このウブドでとても気に入った美術館があった。ARMA (Agung Rai Museum of Art)。エントランスをくぐると、噴水の向こうに広い庭園が広がる。

 そしてその素晴らしい庭園の先にはいくつかの美術館の建物があり、それぞれを繋ぐ石畳の脇にも、豊かな植物や石像が並ぶ。

 美術館の展示品には、20世紀初頭から現代アートまでのバリ絵画が展示してあり、鮮やかな色合いだけでなく、神話や人々の暮らしぶりの歴史などが絵のモチーフからもよく物語られていた。この敷地内には宿泊できるリゾート施設まであり、次の滞在は一日中ここにいてもいいと思うぐらいの癒しの空間だった。

 ここを作ったアグン・ライさんはもともと貧しい農家の出身で、美術商として一代で膨大なコレクションを築き上げたという。そんな同氏は自らの功績を地元の農業に還元し、次世代の教育にも力を注いでいるとのことだ。


 バリの自然や文化を愛する気持ちとそれを守って行く姿勢が感じ取られる、力強く豊かなパワーがみなぎる場所だった。


 夜は近くの寺院でガムラン音楽とバリ舞踊のショーがあるというので観に行った。静まり返った夜の寺院の中、小さなオープンステージに光が灯る。会社に通勤するかのように慣れた様子で、男性陣がステージ両側に設置されたガムラン楽器の前にぞろぞろと座り、子供の頃から身近に演奏してきたかのように気負いもなく息の合った演奏が始まる。

 ゆっくりしたテンポから劇の展開に合わせて高鳴る鼓動のように速くなり、青銅のあたたかい独特の響きが神秘的な世界へと導く。

 鮮やかなゴールドや赤の衣装とメイクで登場する踊り子たちの目がギョロギョロと、指先まで繊細に動く。この目の動きはバリ舞踊の特徴のようで、このような表現は他のダンスでは観たことがなかったので、とても刺激的だった。

 後で調べてみると、この舞踊は、もとは宗教儀礼だった舞踊が、20世紀初頭頃から観光客向けに変えられていったダイジェスト版のようなものらしい。宗教と生活が密接な文化が根付いていると同時に、それらの貴重な文化が、観光によって食い潰されつつあるような印象も受けた。実際に観光客の増加で、バリの海のゴミ問題も近年深刻になっているという。

 伝統も芸術も、お金に換えられることを知ったとたん人々には欲が出て来てしまう。欲が出てきては芸術は芸術ではなくなる。そんなことを、島の神様が嘆いているようだった。

 といいつつも、またいつでも行きたい場所、バリ。今住むシンガポールからは飛行機で2時間半で行ける。近くの国々を訪れておもしろい発見は、例えば染め物や音楽の音階など、細かいところに日本との共通点が見られるところ。東南アジア、まだまだ奥が深そうだ。

 さぁそして来月は、ヨーロッパまで足を伸ばし、地球を半周するよくばりプラン、とっておきの旅が待っている…!

 シンガポールから飛行機で13時間、ロンドンへ。ロンドンに1週間滞在したのち、更に飛行機で8時間。大西洋を渡り、ニューヨークへ着いた。

 1度の旅でこんなに大移動するのは初めて。時差でしばらくフラフラしていた。ロンドンからニューヨークへ渡るという経緯もまた初

めてのルート。500年前に同じルートでコロンブスがアメリカ大陸へ渡ったことを考えてみる。小さな東南アジアの半島からロンドンとニューヨークに行くと、途端にせわしない気持ちになる。

 ニューヨークでは毎日美術館に行った。フェルメールからドガまで最高の名画が並ぶフリックコ

レクション、メトロポリタン、グッゲンハイム、MOMA。ロンドンで美術館を観て来てから、ヨーロッパ絵画がアメリカにどのようにして来たのかを知り、展示の仕方を比べるのも興味深い。

 例えば印象派の絵画が多数あるメトロポリタンでは、1872年の開館当初、印象絵画は真新しいものだった。そこに目をつけたのはヨーロッパ人よりもむしろアメリカ人のコレクターが多かったという。同じ現代アートの展示にしても、ロンドンのテートモダンは作品のストーリーやコンセプトに重点を置くが、ニューヨークのMOMAは見た目のインパクト勝負、という印象。

スケッチ

 ニューヨークを舞台にした映画といえば、『ゴーストバスターズ』や『メン・イン・ブラック』。街中で人間観察をしていると、通りの角にひとり、地下鉄のホームには3人ぐらい、必ずそんなエイリアンみたいな風貌で独り言を言っている人を見かけた。

 実際に地下鉄に乗ってきたある男は、自分の半生を大声で語り散らしては小銭をせびっていた。刑務所から出てきたはいいけど仕事も家族もないというような内容だった。周りの人たちは彼に気付かないふりをするのにも慣れたそぶりだ。ここに暮らしていたら毎日のようにそんな人たちに遭遇するのだろう。

 私は『見える』タイプでは全然ないが、感覚的に霊的なものもあちらこちらにいるような気がした。どれも映画の影響ということにしておこう。

 今月の歌は、街角で見かけたそんな独特の人々のストーリーを語るような、ビリージョエル風のピアノ曲にしてみた。また、街で録音してきた音源も、ロンドンの地下鉄からニューヨークの地下鉄へ、それぞれのストリートミュージシャンや電車の中の話し声など、面白い特徴を比べられる内容になっていてとても気に入っている。

 この前にニューヨークに来たのは5年前。1人旅で3週間滞在して、毎日人と会ったり色んなライブハウスをまわって、ここに住みたいとも思った。不思議と今回の旅では特に住みたいと思わなかった。ニューヨークは刺激的だけど全然落ち着かなそうだな、と5年経って思う。

1番気になったのはゴミとアンモニアの臭い。都会なんだからトイレで用を足してほしい。変なことだけど、これは実は1番気になったこと。結婚してから、将来の家族にとって良い居住環境のことを考えるようになった。空気と水が綺麗なところに住みたいな、と切実に思っている。

 以前ネットで私の音楽を気に入ってくれて知り合ったアメリカ人のアーティストの友人が、ニューヨーク在住のシンガー・ソングライターのベンジャミンをメールで紹介してくれた。少し怪しい繋がりではあるが、主人と旅していたので心配もなかったので、滞在中に2人で彼に会ってみた。

 まわりの人間への評価が非常に厳しい皮肉家イギリス人気質の主人が、意外なことにその彼と意気投合していた。ユダヤ系ニューヨーカーのベンはイギリスの音楽やコメディにも興味があり、ニューヨークはアメリカで唯一アメリカらしくない場所だ、と言っていたのが印象的だった。

 そんな感じで盛り上がり、翌日ブルックリンのバーでライブするから1曲歌っていいよ、と言ってくれたので翌日そのバーへ向かった。ブルックリンはマンハッタンよりも驚くほど静かで通りも綺麗だった。どんどん住宅環境も変わってきているようだ。横長の小さなバーには地元の人たちがふらっと来ては飲んでいて、音楽が始まると会話をやめて耳を傾けていた。

 1曲ベンジャミンのギターを借りて、ニューヨークだけど『ロンドン』という歌を歌った。始めは談笑していたお客さんたちも、次第に静かに聴いてくれる。歌った後も酔っぱらいながら気さくに話してくれる。人付き合いのように音楽と自然に関わる生活がそこにあった。音楽だけでなくクリエイティブなこと、ポエトリーやコメディもそうだが、そういったパフォーマンスを受け入れる視野が広い。

 週末にはセントラルパークで伝説的なブルーズ・ピアニスト、Dr.Johnの無料ライブが行われていた。ライブエリアに囲いはあるが、みんなそれぞれ自由に踊ったり飲んだりしていて、真夏の青空と音楽の最高の組み合わせだった。

 エイリアンとお化け、臭い、アート、そしてやっぱり最高な音楽。まとめるとこんなニューヨークだった。

 2週間で3大都市を巡る旅。旅の大きな楽しみは美術館巡り。

歴史を遡る名画で溢れるロンドン、現代アートがよく似合うニューヨーク、そして3都市目は、街自体が巨大な博物館であるローマに辿り着いた。

 石畳の路地を歩くと至る所に遺跡がゴロゴロ、色あせた壁の建物はパレットナイフで何度も色を重ねたような味わい深いテクスチャー。 


 ローマでの滞在はホテルではなく、今どき流行のAir bnbでアパートを借りたのだが、トレビの泉のすぐ裏のイタリアン・レストランの上で、ローマの休日感溢れる素晴らしいロケーションだった。石造りのすり減った階段や、テラコッタのバルコニーから建物の歴史を感じる。夜には下のレストランからアコーディオン奏者の音色が聴こえてきた。

 ガイドブックも見ずに、ローマ市内からバチカン市国まで一周している乗り降り放題のバスで、気になった所で降りてみた。はじめに降りたのは、サンタマリアマッジョーレ大聖堂。聖母マリアの教会ということで、カトリックの厳格な空気感の教会と比べて、母性を感じる優しい暖色のモザイクが敷き詰められた内装だった。

 1500年もの歴史を持つこの教会だが、驚くことに改修工事の際に更にその歴史を遡る遺跡が発見されたという。その遺跡が見られる教会の地下に降りてみると、2千年かけて色あせた、古代ローマ時代のカレンダーの壁画の一部、グラディエーターの壁の落書きなどを見ることができた。

 感激だったのは、司祭が住む大聖堂の2階部分を見せてもらったこと。建物の横の階段を昇り、踊り場に現れた何代目だかのローマ教皇の立派な彫刻を横目に、巨大な観音開きのドアの鍵を案内人に開けて貰うと、見事なモザイク画が壁と天井全体に広がり、バルコニーからは東側に続く街一帯を眺められるようになっていた。ふと、濃い色のマントを着た修道士が階段を降りて行く。時間が少しの間止まったような気がした。

 その後はバチカン市国の聖ピエトロ寺院へ。以前ローマに来たのは中学生のときで、この寺院が心地よすぎて何度も通ったことを覚えている。真夏の暑さをしのげる、大理石のひんやりした空気が気に入ったというのもあるが、ミケランジェロのピエタ像に魅了され、システィーナ礼拝堂の天井画に圧倒されたのを鮮明に覚えている。

 家族旅行で来ていた私たちは、ホテルの前で日本人ガイドに声をかけられ、はじめは怪しいと思いながらも申し込んだツアーがとても良くて、ローマの歴史を知り尽くすガイドの『歴史おじさん』(と家族で呼んでいた)に、教会の建築様式の種類から、アッピア街道のどこに2千年前の石畳が残っているかまで、こと細かく案内してもらった記憶がある。

 約15年前と比べて、寺院の入り口は長いセキュリティチェックの列が出来ていて(正面の広い階段からは出入りできなくなっていた)ピエタ像も厳重なガラス張りで近くには寄れなくなっていたのが、少し残念だった。

 ニューヨークで現代アートを観たあとにローマに来ると、美術作品の技術と完成度は現代の方がはるかに退化しているような印象を受けてしまう。そのぐらいミケランジェロや、イタリアを代表する十六世紀の彫刻家ジャン・ロレンツオ・ベルニーニの作品は、人間が作ったものとは思えないほど、どこから観ても完璧な作りだった。

 若い頃から工房に弟子入りして技を磨くほど、美術品が職人技重視だった時代。自己表現よりもパトロンからの制作の依頼で名誉をはかり、そもそもアートの概念が全く違っていた時代。

 なかでもベルニーニの1625年作『アポロとダフネ』の彫刻は、今まで観た彫刻の中で一番美しいものだった。

ジャン・ロレンツオ・ベルニーニ「アポロとダフネ」デッサン



 作品のもとになったギリシャ神話はこんなものだ。

 恋の神様エロスは、その矢が刺さると恋に落ちてしまう『黄金の矢』と、刺さると愛情を拒絶してしまう『鉛の矢』で、とある悪戯をしかける。黄金の矢を太陽神アポロンに、鉛の矢を美しい娘ダフネに射たのだ。必死にダフネを追いかけるアポロンと、必死に彼を拒絶するダフネ。ダフネは嫌がるあまり、テッサリアの河神である父ペーネイオスに助けを求めた。追いつめたアポロンがダフネの腕に触れかけたとき、娘の苦痛を聞き入れたペーネイオスにより、ダフネの5本の指は茂る枝葉へと変貌し、足先からは根が生え、見る見るうちに月桂樹へと姿を変えたのだった。

 恋をテーマにした、情緒溢れるこの美しい物語を、ベルニーニは見事に彫刻に再現した。

 大理石の重さとは思えない、繊細で躍動感溢れる布や髪、今にも動き出しそうな表情、触ったら柔らかく掴めそうな肌、指先から広がる月桂樹の枝や葉。彫刻という概念を覆すような、素晴らしい作品だった。

 この作品が置いてあるのは、豊かな緑溢れるボルゲーゼ公園の一角にあるボルゲーゼ美術館。決して大きくはないが、ルネサンスからバロック美術までの豪華絢爛なコレクションが見られる。膨大なコレクションを集めたのはボルゲーゼ枢機卿(Cardinal、カトリック教皇の最高顧問)で、自らの権力を利用して、ときに強引な手段を使って気に入った作品を奪ったという。

 そんな裏話から、イタリアの芸術界とカトリック教会との繋がりがかなり大きかったことも知る。

 今月の曲は、この旅で1番印象に残ったこの『アポロとダフネ』の物語を中心に、美しい歴史溢れるローマの旋律を描いてみた。



『fu diary2 - around the world-』も最終回。始めから計画していたわけではないが、今年は本当に沢山の国に行く機会に恵まれている。

街の音を記録するのも、写真と同じように楽しい習慣になってきた。

現地の人の話し声、ストリートミュージシャン、土地独特の鳥の鳴き声、車のクラクション、、音で伝わる空気感にワクワクする。

そんな、訪れた場所ごとの空気感を音のコード感、声の重ね方、アレンジに込めるのが楽しかった。

普段の曲づくりとは違う冒険ができた企画になった。

fu diaryパート2まで行わせていただいたOTOTOYさんに、心より感謝。

旅はまだまだ続く。
明日からははベトナムのホーチミン市へ行く予定だ。

Rie fu

シンガーソングライター / 油彩画家

日本語と英語がミックスされた歌詞や、カレン・カーペンターに影響を受けた歌声が特徴。幼少期をアメリカで過ごし、現地で賛美歌などに触れた事がきっかけで歌に興味を持ち始める。2004年デビューと同時にロンドンに渡り絵画を学び、現地のミュージシャンとも親交を深める。07年ロンドン芸術大学卒。以後、音楽活動と合わせて定期的に個展を開く等、アートと音楽を繋げる活動を続けている。近年では、ものづくりの過程が垣間みられる工事現場をテーマとした絵画を描く『工事現場フェチ画家』としても制作を続けている。ピアノ・ギターを演奏し、他アーティストとのコラボレーションやCM音楽制作等、活動の幅を広げている。シンガポール在住。

Official HP
http://riefu.com/

fu diary 2 - around the world-

2015年4月1日 発行 初版

著  者:Rie fu
発  行:OTOTOY出版

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