福島県の甲状腺スクリーニング健診でがんと診断された子どもたちはたいへん多く、市民の不安が高まった。調査検討委員会の専門家は放射線被ばくが原因とは考えにくいとする一方で、統計的に有意とする学者もいるが今の時点で結論づけることはむずかしい。
そんな中で2014年6月、アメリカ合衆国が60余年前に太平洋マーシャル諸島で行った、水爆実験による放射性降下物で被ばくした島民たちのがんリスクに関する評価報告書のデジタルデータが利用可能になった。アメリカ国立衛生研究所報告「ビキニとエニウェトク核兵器実験からの放射性降下物と被ばくに関するマーシャル諸島の放射線量とがんリスク:概要」である。
アメリカ国立衛生研究所の報告書は、水爆実験の放射性降下物による被ばくを公式に認め、被ばく線量の増加につれ、がんリスクも増加したことを明確に記している。この報告書の中で、筆者が最も驚いたことは、高い被ばくを受けたとするロンゲラップ環礁周辺のセシウム137の沈着量が、今も人々が住む福島と同程度のレベルと図示されていることだった。
この本はタチヨミ版です。
第1章 太平洋ビキニ水爆実験と福島原発事故
1.福島と同程度のセシウム137の沈着図
2.ロンゲラップ島の放射能は福島の避難地域に匹敵する
第2章 福島県の甲状腺がん診断数は異常に多い
1.健康への影響はないと専門家会議中間取りまとめ
2.甲状腺がんの95%は放射線被ばくが原因
3.放射能は放射性降下物の微粒子の中にあった
第3章 最も特徴的な被ばく被害は甲状腺障害
1.ほかの被ばく地域には少ない甲状腺障害
2.住民の甲状腺障害についての証言
3.10歳以下の子どもたちに甲状腺障害が多発
4.3年後に地球上で最も放射線量が高い島に帰る
第4章 甲状腺機能障害による成長遅滞
1.被ばくの影響と思われる出産異常などは無視された
2.認定された被ばく者に払われた賠償金
第5章 アメリカ政府委員会に提出されたNIH報告書
1.放射能汚染の軽視を警告するNIH報告
2.NIH報告書の概要 Abstract について
第6章 サイモン博士への質問と返信の詳細
1.マジョロの研究所で会ったことがあるサイモン博士
2.甲状腺障害とヨウ素131の被ばく
3.ヨウ素131はロンゲラップと福島は同程度だった
第7章 高い内部被ばくを与えるベータ線源微粒子
1.固形の放射能密度は1000倍大きい
2.子どもの甲状腺被ばくは2万3000mGy
3.全領土の残留放射能を調べたマーシャル政府
第8章「中間取りまとめ」の甲状腺被ばく線量
1.解析値は過小評価だとする指摘もある
2.健康影響の予測は楽観的すぎる?
第9章 バイオアッセイで線量を推定した常総生協
1.茨城、千葉、東京方面に南下したヨウ素131
2.広い地域で放射線障害発生への備えが急務
第10章 オダ・ベッカー博士(独グリーンピース)の推定
1.陸に向けて吹いた風に乗った2回の大放出
2.大気放射能濃度を予測するHOTSPOTプログラム
3.ヨウ素131の吸入による内部被ばくは大きい
第11章 福島原発事故でできたホットパーティクル
1.ロンゲラップの放射性降下物粒子は大きい
2.つくば市で採取された放射性微粒子は小さい
3.鼻血問題で注目された放射性微粒子の影響
4.微粒子を甲状腺に蓄積して大きな内部被ばくを受けた
第12章 我々NIHは核実験の被ばくを認めた
1.「モルモットにされた」とロンゲラップ島民
2.低い基本調査問診票の回収率
3.「うわさ話・アネクドート」は重要な手掛かり
第13章 福島県の甲状腺スクリーニング結果
1.2014年にがんと診断が確定した子どもは87人
2.甲状腺がんの平均的患者数を超える確定診断数
3.濃縮された放射性微粒子の影響解明が鍵
アメリカが1950年代に太平洋で行った水爆実験の放射能がマーシャル諸島に降り注ぎ、島々に沈着した。このフォールアウト(放射性降下物)の分布図(図1)✽を目にしたとき、東京電力福島第一原発事故で生じた放射性降下物の沈着量が福島県と似ていることに驚かされた。
沈着量(堆積量または密度)の数字をよく見ると、ロンゲラップ環礁を含むマーシャル諸島北部のセシウム137の沈着量が、福島県西部の沈着図(図2)で高いレベルを示す濃いグレーから白(元図はカラーで青から黄色)の部分にほぼ匹敵するからだ。この図を見比べるかぎり、福島原発事故による放射能汚染は、甚大な放射線被ばく被害を出した「ビキニ事件」✽✽を上回るようなレベルとも言えそうだ。日本政府が言う被ばくした人々への「健康影響は考えにくい」という見方は時期尚早で、福島の放射能汚染はとても重大な事態であることに改めて気づかされた。
アメリカ国立衛生研究所(NIH)報告書の地図
マーシャル諸島のセシウム137の沈着図は、「ビキニ、エニウェトク核実験からの放射性降下物に被ばくしたマーシャル諸島に関する放射線線量とがんリスク:概要」という、アメリカ国立衛生研究所(National Institutes of Health=NIH)発行の調査報告書(NIH報告)✽✽✽に掲載されていたもの。
この図は核爆発で生じた放射性降下物の中でも、セシウム137の沈着密度(実験期間中)の地理的変異を示したものだ。最も高い沈着量を示す地域が、ロンゲラップ環礁の北部で、180k〜1300kBq/㎡(18万〜130万ベクレル・平方メートル)の汚染を示していた。ついで、50k〜180kBq/㎡(5万〜18万)の汚染地域、幅約400kmがアイリングナエ環礁からロンゲラップ環礁南部を経てロンゲリックより東の海上に広がっている。線量が低かったとされるウトリック環礁でも20k〜30kBq/㎡(2万〜3万)と記されている。
✽ 図1 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4042840/figure/F2/
✽✽ 太平洋を航行していた「第五福竜丸」などのマグロ漁船や他の船舶が、1954年3月1日にアメリカの水爆実験の放射性降下物で被ばくした事故を日本では「ビキニ事件」と呼ぶ。
✽✽✽ http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4042840/
NIHはアメリカ保健福祉省公衆衛生局傘下の国立衛生研究所で、報告書は同研究所と国立がん研究所、がん疫学・遺伝学部門による研究発表。米国エネルギー・天然資源委員会作成。
「RADIATION DOSES AND CANCER RISKS IN THE MARSHALL ISLANDS ASSOCIATED WITH EXPOSURE TO RADIOACTIVE FALLOUT FROM BIKINI AND ENEWETAK NUCLEAR WEAPONS TESTS : SUMMARY」
(最終版の発行が2010年8月、2014年6月よりPMCで利用可能文書となった。PMC=PubMed Central® (PMC) is a free full-text archive of biomedical and life sciences journal literature at the U.S. National Institutes of Health's National Library of Medicine [NIH/NLM])
マーシャル諸島の沈着量と福島原発事故で放出されたセシウム137の沈着量を比べてみると、ロゲラップの最も高い汚染を受けた地域(180k〜1300kBq/㎡)に匹敵するのが、よく目にするカラーの福島放射能汚染図の中では薄い青(本書では薄め目のグレー、100k〜300kBq/㎡)から黄色(白色部分、1000k〜3000kBq/㎡)にかかっていることがわかる(図2)。
この福島の白色部内側区域の大部分は20km圏内の避難区域と計画的避難区域が含まれ、被ばくした多くの県民が避難した。一方、ロンゲラップ環礁のこの汚染レベルに匹敵する北部地域には、住民がおらず被ばくした者はいなかった。
ところが、住民のいたロンゲラップ島やアイリングナエ環礁と、アメリカ軍の気象観測要員がいたロンゲリック環礁の島々のセシウム137の堆積レベルは、50k〜180kBq/㎡で、福島の堆積レベルで示すとほぼ60kBq/㎡以上の、濃いグレーで示された圏内に匹敵するともいえる。
ロンゲラップの被害は福島の未来を示唆するか?
ロンゲラップ島民は核実験による放射性降下物で、世界でもまれな高レベルの放射線被ばくと健康に影響を受けたとされている。人が住んでいてロンゲラップよりも少し低い被ばくを受けたとするウトリック環礁のセシウム137の沈着量は20k〜30kBq/㎡で、ほぼ福島県の西側地域と東北、関東の一部にまでおよぶ。
甚大な放射線被ばく被害と犠牲者を出したマーシャル諸島核実験と、東京電力福島第一原発事故のセシウム137の堆積、被ばく線量が同じ程度のレベルにあるとすると、福島原発事故の被ばく影響はいったいどのようなものになるのであろうか。60余年前に起きたロンゲラップ島民の被害は福島の未来を示唆するのか。アメリカ政府機関の長年にわたる調査研究の結論を記したこの報告事例から、福島のリスクをひもとくことができないだろうか。
このような理由が本書の執筆の動機となったのだが、そのきっかけは、福島県内の子どもたちの甲状腺スクリーニング調査で、発表される甲状腺がんの発見数が異様に多いと思うようになったからである。2013年5月以降の発表では、検査対象となった18歳以下の子どもたちに甲状腺がんが見つかり、手術を受ける子どもたちが現れ始めた。その数はこれまでの発病率に比べて異常に多いと指摘する専門家もいた。これに対し、福島県などはスクリーニング効果✽による前倒しの発見だとか、被ばく後から診断までの期間(潜伏期)が短いことなどを理由に「放射線被ばくの影響は考えにくい」と表明した。
しかし、データは非公開で検証するすべがなく、スクリーニング効果では説明がつかないほど福島県内の有病率が全国と比べて高い、と指摘する疫学の専門家もおり問題になっていた。
✽ これまで検査をしていなかった人々に対して一気に幅広く検査を行うと、無症状で無自覚な病気や有所見〈正常とは異なる検査結果〉が高い頻度で見つかること。
2014年12月には甲状腺スクリーニングの結果も踏まえ、環境省の「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議中間取りまとめ」(以下「中間取りまとめ」)の発表があった。原発事故による放射線被ばく線量からしてがんが増えたり、遺伝性の健康影響が増える可能性は低いと判断した、というものだった
可能性はないというわけではなく、がんの罹患率が「統計的優位さを持って変化が検出できる可能性は低いと考える」とか、「遺伝性影響の増加が識別されるとは予想されないと判断する」という影響を過小評価した内容だった。これは現実に多くの病気が起きていても影響はないと決めつけてカウントせず、統計的に被ばくとの関係を示す数値が得られなければ問題なし、とする姿勢を浮き彫りするものだった(詳細は第8章1参照)。
影響事例はチェルノブイリだけではない
「中間取りまとめ」はまた、「不妊、胎児への影響のほか、心血管疾患、白内障を含む確定的影響(組織反応)が今後増加することも予想されない」ともしている。これは、ちまたにあふれている出産異常や若くしてこれらの病気で亡くなる人が増えたという「うわさ話」を調べようともせず、健康影響があっても放射線被ばくのせいかどうかわからないことにし、したがって、なかったことにしようとしているようにもみえる。
しかし、放射線被ばくと甲状腺の腫瘍やがんの関係は、チェルノブイリ原発事故後の放射線被ばく特有の疾患事例としてよく知られている。さらに歴史をさかのぼってみれば1940年代から50年代に(ほぼ60〜70年前)、太平洋のマーシャル諸島北部で行われたアメリカの核実験による放射性降下物で被ばくした人々がいた。世界でも有数な放射能汚染の影響を受けたロンゲラップ島民やその周辺住民の中から、多くの甲状腺障害やがんが発症した事実が明らになっている。1990年代の半ばには、これらの甲状腺障害やいくつかのがんは被ばくが原因と、アメリカ政府の研究機関によって証明されている。
ロンゲラップ島民が患った甲状腺の腫瘍やがんの95%は核実験放射性降下物からの被ばくが原因だったと、前述のNIH報告書に記されていることから、報告書執筆者の一人であるアメリカ国立がん研究所(NCI)✽のスティーブン・L・サイモン博士(Ph.D.Steven L. Simon. ssimon@mail.nih.gov)にメールして聞いてみた。
まず、マーシャル諸島の地理的パターンに示されたセシウム137の沈着量が、最も大きな被害を受けたロンゲラップ環礁周辺と福島県西部と同程度のレベルであることから、福島のセシウム137の沈着図を博士に送り、ここに住む福島の人々の将来の健康影響について聞いてみた。
✽ National Cancer Institute. Division of Cancer Epidemiology & Genetics,
Radiation Epidemiology Branch
福島の被ばく線量はロンゲラップ島民と同じか?
サイモン博士は返信で、
「ロンゲラップ島と同じレベルのセシウム137の沈着ゾーンに住んでいる福島の住民の被ばく線量は、ロンゲラップ島民と同じように見えるかもしれない。しかし『全く異なるとは断言できないが』福島の住民の被ばく線量はロンゲラップ島民より非常に少ないであろう」。
「ロンゲラップ島民の被ばく線量は大量で、多くの島民が甲状腺障害だけでなくいくつかの健康被害をこうむった。その原因は核兵器(原水爆)の大気中爆発でできるセシウム137以外の、半減期が短く高い線量の被ばくを与える放射性核種に被ばくしたからである」と記している。
そして、
「福島の住民は重大な被ばくの可能性が非常に早く認められたことから避難措置が取られた(ので被ばくした線量は非常に少ない)」というのである(返信の詳細は後述)。
ロンゲラップ島民の多くが甲状腺障害をこうむり、その原因は半減期が短く高い線量の被ばくを与える放射性核種によるものだというので、今度は、半減期の短い放射性ヨウ素131の福島の沈着図(図3)をメールで送り、福島の住民のヨウ素131の被ばく線量について聞いてみた。
博士からの返信は、
「添付された図版を見ると、ロンゲラップ島民が経験したヨウ素131の沈着密度(赤から緑の範囲、モノクロの場合は事故原発周辺の濃いグレーから白色を経て薄いグレーの範囲)は、福島と同程度のように思われる」が、「正式に質問に答える立場にないので、福島の人々の被ばく線量を推定したIAEAとWHOなどの専門家の報告を参照するよう勧める」という結びだった。
そうは言うものの「ロンゲラップ島民が被ばくした放射能は放射性降下物の微粒子の中にあり、それを島民は口から摂取(飲食)した。微粒子が食物に付着した『ゆえに飲み込まれ』」高い被ばくをきたしたとも指摘した。
また「添付された地図が示すところの福島で被ばくした人々のヨウ素131は、大部分は空気中にあったと考えられ、最初の被ばくは主に呼吸による吸入で被ばくが生じたのであろう『乳製品を汚染した可能性もあるが、それらの食品の大部分はほとんど人々に届いていない』」とも言う。
これに対し、「ロンゲラップ島民の場合、吸入から起きた被ばくはごく一部だ」としている。
その理由を、固形の放射性降下物粒子は空気(ガス状)より非常に放射能の密度が高く、およそ1000倍以上に濃縮されるものがある。したがって、空気中のヨウ素131の吸入は一般に固形の経口摂取より被ばく線量は非常に小さくなる。ゆえに、福島の人々のヨウ素131の被ばく線量がロンゲラップ島民より低かったかどうかという質問に答える立場にないが「私はそう信じる」というものだった(この場合の被ばくは「内部被ばく」を指す)。
ロンゲラップ島と福島のヨウ素131の沈着量は同程度
アメリカ政府の公的な研究機関が発表した報告書の執筆者の一人であるサイモン博士がはっきり示した認識は、ロンゲラップ島民がこうむった過剰な甲状腺障害などは核実験放射性降下物の被ばくによるものである。短い半減期の放射性降下物の経口摂取による内部被ばくが健康リスク増大の主な原因になった。福島の色分けされたヨウ素131の沈着図の赤から緑の範囲(前述参照)は、ロンゲラップ島の沈着密度(島民の身体に入った量ではない)と同程度とみられる、と理解することができる。福島との比較ではロンゲラップよりは被ばく線量は低いと言うものの明言は避けつつ、セシウムとヨウ素131の沈着は同程度と思われる所があると言っているのである。
健康影響は放射性微粒子の多寡に左右される?
これらの理解をもとに、NIH報告から福島の放射線被ばくによる健康影響、特に多くの内部被ばくをした可能性のある甲状腺の障害について、どのような影響が現れるのだろうか。
なお甲状腺障害について、チェルノブイリ原発事故の経験とこのNIH報告、またはブルックヘブン国立研究所✽、福島県民健康調査で報告されている事例を比べてみると、いくつかの相違点があることがわかってきた。その遠因はやはり、放射能放出発生当初の内部被ばく線量に大きく左右されることが推測される。つまり、福島の健康調査で甲状腺障害の発見例が多いのは、甲状腺への放射性微粒子による内部被ばくが非常に大きかったということであろう(その解明は専門家に取り組んでもらいたい課題である)。
✽ アメリカの国立原子物理学研究所。核実験当時、アメリカ原子力委員会=AECのもとで被ばくした島民の追跡調査を行ってきた研究所。後にアメリカエネルギー省=DOEに移管した。
筆者は1982年から1994年にかけて、被ばくしたロンゲラップ島から避難した島民達が住むマーシャル諸島共和国の首府マジョロや、アメリカ軍基地のあるクワジェリン環礁のイバイ島とメジャット島✽を訪ね、島民らにその体験を取材したことがある。その取材の中で、特に注目させられた健康被害が、島民らの間に頻繁に起きた甲状腺障害(機能障害による低身長症などの成長障害と腫瘍やがん)だった。
✽放射能に汚染されたロンゲラップ島がもう住むには耐えないと判断した島民は、1985年5月にメジャット島に全島民が移住した。移住費用をアメリカ政府やマーシャル自治政府から得られなかったので国際グリーンピースの船「レインボーウォリア」の協力を得て島から脱出した。同船はその年の7月10日、ニュージーランドのオークランドでフランス核実験の抗議航海を準備中にフランス諜報・破壊工作機関「対外治安総局」の工作員により爆破された。参照文献・拙著「南の島のヒバクシャ」1990年リベルタ出版。「ヒバクシャ・世界の核実験と核汚染」1995年草の根出版会)
そのほかにアメリカのネバダ核実験場近くの町セントジョージや、旧ソ連の核実験場セミパラチンスク、フランスのモルロア核実験場に労働者を送り込んだタヒチ、そして、イギリスやフランスの再処理工場周辺で放射能漏れの被害を受けた地域の住民にも取材したことがある。が、これらの地域で甲状腺障害が特異的に起きたとする証言は得られなかった(白血病やその他のがん、出産異常などは多かった)。例外はフランスの核実験場モルロア環礁の北にあるマルキーズ諸島で甲状腺傷害が増えたと聞いてはいたが詳細はわからなかった。
チェルノブイリ原発事故による健康影響についても1991年にキエフ、ゴメリ、ミンスクと現地取材をした。が、甲状腺腫瘍やがんなどが頻繁に診断されるようになる前で、まだその発症数は少なかった。ミンスクでは原発事故直後に喉や首の異変を訴え入院した子どもは多かった(この点も福島とは異なる)。
66回の核実験の影響を受けたマーシャル諸島
NIH報告ではマーシャル諸島の島民が放射性降下物の影響を受けた核実験の数は66回で、測定可能な放射性降下物の沈着を島々に起こした核実験は22回と推定している。そのうち、ロンゲラップ環礁などに最大の被ばくをもたらしたのが1954年3月1日の「ブラボーショット」という熱核兵器(水爆)実験の放射性降下物だった。
この水爆実験によりロンゲラップ環礁で被ばくした住民は64人(うち3人は妊婦。51時間後に避難)、アイリングナエ環礁18人(妊婦1人。58時間後に避難)、ロンゲリック環礁にいたアメリカ軍の気象観測兵28人(28〜34時間後に避難)、ウトリック環礁は157人(78時間後に避難)がいたのだった。
水爆実験の結果、ロンゲラップ島民に起きた健康被害のうち「甲状腺障害」が著しかったことが、取材から得られた証言でわかってきた。
1982年のことである。残留放射能の影響から逃れるかのように何人ものロンゲラップ島民は島から離れ、首都のマジョロやクワジェレン環礁のイバイ島などに住んでいた。このイバイ島でロンゲラップ島民にインタビューすることができた。
これまでに放射性降下物で被ばくした住民は、その直後にアメリカ軍によって写真を撮られていた。写真には放射性降下物の付着した皮膚表面、放射能の留まりやすい襟首や脇、足指などの周辺のベータ線火傷や頭髪の脱毛などが写されている。高線量被ばくによる確定的影響の現れだった。
これらは時間とともに回復し、取材当時、こうした傷跡はほとんど目には見えにくくなっていた。インタビューした島民の一人は、足指の周辺に火傷の跡があるといって見せてくれたが、褐色の皮膚の一部にそれらしき「傷跡」がかすかに見える程度だった。
これに対し、被ばくした女性たちの首の周辺に1本、または2本の、明らかにシワとは異なる筋状の傷跡があることに気づいた。当時、取材の通訳をしてくれたネルソン・アンジャインさん(故人)は「甲状腺の手術をしたからです」と言った。
甲状腺障害は、被ばくした島民達の間に現れた最も特徴的な障害で、後のNIH報告でも島民の90%にそれは起きたと記している。
したがって、この首筋の傷跡は放射性降下物による放射線被ばく障害の象徴といってもよさそうだ。幼いころに手術をした、あるいは術後何年も経ている場合は首筋に多いシワとは区別しにくいが、縦に大きな手術痕がある島民もいて障害の甚大さを感じさせられた。ちなみに、現在は甲状腺手術の技術水準が高まり、このような大きな傷跡を残すことはあまりないという。
福島とは異なり腫瘍やがんの発症は9年後のこと
甲状腺の異常が診断されるようになったのはブラボー水爆実験から9年後の1963年のことだった。定期的に島民の健康調査をアメリカ原子力委員会(AEC)✽の指示のもとに行ってきたブルックヘブン国立研究所の1967年報告(またはAEC報告)✽✽で初めて明らかになった。(以下、調査機関をブルックヘブン国立研究所またはAECと表記)。その前の1963年までには、調査の比較対象(対照群)になっていた被ばくしなかった女性に、自覚症状のない甲
状腺腫瘍が一例あっただけだという。(9年後の発見という点で、福島の子どもたちの甲状腺がんスクリーニングの結果と異なる)。
この報告書によると、1963年に最初の甲状腺異常が見つかったのは被ばく当時3歳の少女だった。1964年には被ばく当時3歳と4歳の2人の少女に異常が見つかっている。そのうちの一人は1982年にインタビューしたエルミタ・ボアスさんだった。彼女は1964年にグアムで甲状腺手術を受けたと言った。同報告書には、甲状腺腫(良性腫瘍)で甲状腺の全摘出手術が行われ、再発なしと記されている。
✽商用原子力の開発促進と安全規制を行うアメリカ政府の独立行政機関だったが、促進と規制が相反することから1974年に廃止された。現在、原子力推進はエネルギー省(DOE)、規制は原子力規制委員会(NRC)が担っている。(AEC=UNITED STATES ATOMIC ENERGY COMMISSION)。
✽✽「ロンゲラップ、ウトリック両島民に関する被ばく後11年目・12年目医学調査報告[1965年3月、1966年3月]」1967年4月発表。「MEDICAL SURVEY OF THE PEOPLE OF RONGELAP AND UTIRIK ISLANDS ELEVEN AND TWELVE YEARS AFTER EXPOSURE TO FALLOUT RADIATION (MARCH 1965 AND MARCH 1966」
1966年までの3年間に甲状腺異常は18人に見つかり、このうち16人は小結節を伴う甲状腺腫で、ほかの2人は甲状腺機能不全と成長障害。18人のうち、11人に外科手術(全摘出が3人)が行われ、子ども9人と大人1人は甲状腺腫で、大人1人が局部転移を伴った乳頭と濾胞の混合したがんだった。
注目すべきは、当時10歳以下で被ばく線量が大きかったロンゲラップ島の子どもたちの集団だけに、甲状腺異常が圧倒的多数を占めたと同報告書は指摘していることである(被ばく当時10歳以下の子どもは19人で、そのうちの15人が甲状腺に異常をきたした割合は78.9%となる)。また、同じ年齢層で被ばく線量が少なかったアイリンングナエの6人とウトリックの40人の子ど
もたちからは、当時まだ甲状腺異常は見つかっていなかった。アイリングナエの被ばくグループからは大人1人が甲状腺結節と診断された。
まとめてみると、1966年の被ばく後12年目までに甲状腺の異常を診断されたロンゲラップ島民は18人で、子どもが15人を占め手術した9人(女児が7人、男児が2人)は甲状腺腫だった。2人の男児は甲状腺機能不全で成長に遅滞が起きていたが甲状腺ホルモン療法による治療で回復したとされる。残る4人は小さな結節などだった。3人の大人のうち1人(女性42歳)は手術の結果がんと診断され、1人(男)は甲状腺腫で手術し、もう1人(男)は小結節が消えて無くなっていた。
1日で甲状腺に入ったヨウ素131は41万4400ベクレル
ロンゲラップ島民の当時の被ばく線量の放射化学的分析に利用可能な、直接的データは水爆実験から15日後に採集された大人の尿のサンプルしかなかった。分析の結果、大人の甲状腺への被ばく線量はヨウ素131で150rad(ラド、概ね100rad≒1Sv)だったが、いくつかのヨウ素核種(同位体)の経口摂取と吸入があったために初期のデーターは160radと再計算された。1日にヨウ素131が甲状腺へ入った量は11.2μCi(マイクロキュリー、不確実性の幅は5.6〜22.4μCi)、41万4400Bq(ベクレル)と推定された。
4歳以下の子どもは、大人と比べ肺の機能や甲状腺が小さいことを考慮して計算され、それぞれ異なるヨウ素からの甲状腺への推定内部被ばく線量は1000rad、幅は700〜1400radで、平均1000radと大きかった。これらのヨウ素は放射性降下物があった時に飲んだ水とその後の食料の経口摂取によるものと考えられた。この数字は2010年のNIH報告で、内部被ばく線量が1500〜23000mGy(ミリグレイ≒mSv)に修正された(第5章2参照)。
また、放射性降下物が首に付着したことから甲状腺に175radのガンマ線による追加的な外部被ばくを受けた。「ほとんどのベータ線放射は甲状腺の奥に
まで入り込むには弱すぎることから、地表面に沈着した放射性核種からの甲状腺への追加的な被ばくは恐らくなかっただろう」と1967年AEC報告書は記している。
51時間後に全島民が他の島に避難
ブラボー水爆実験からの放射性降下物で被ばくした島民らは、ほぼ3日後にアメリカ軍の船でクワジェレンに避難させられ、軍の医療キャンプに収容された。ロンゲラップ島民は50時間と51時間後に避難し、アイリングナエでは58時間後、ウトリックでは55時間から78時間後に避難が終了した。この間の島の空中ガンマ線量は、ロンゲラップが175rad、アイリングナエが69rad、ウトリックが14radだった。
医療キャンプに収容された後、シャワーや海水で体を洗うなどの除染が行われたが、これといった治療は施されなかったとロンゲラップ島民らは証言している。一方、ブルックヘブン国立研究所の報告では、アメリカの医師団は能うかぎりの初期的トリートメントを施したと記している。しかし、症状を記録し経過を観察することが主な目的だったようで、医療的な処置に関する評価には島民との間に大きなギャップがあった。
ウトリックの住民は被ばく線量が低いという理由で3カ月後にもとの環礁に戻された。ロンゲラップ島民は脱毛や火傷などの重症な症状を示したことと、ロンゲラップ環礁の汚染が高いままであることからマジョロ環礁の島に移り、アメリカの医師団の観察を受け続けることになった。その後、ロンゲラップに帰島したのは3年後の1957年7月だった。
しかし、当時のロンゲラップには本書の冒頭に示したNIH報告にある、高レベルのセシウム137の沈着(5万〜18万Bq/㎡)した高汚染地帯だった。
その汚染レベルは福島原発事故後の(第一原発から飯舘村までの範囲を除く)浜通りと中通りの広範囲を覆ったセシウム137の沈着量とほぼ同じレベルだった。つまり、ロンゲラップ島民が帰って行った島と同じ程度の汚染が、原発事故後も人が住み続ける福島県およびその周辺にあるということである。
マーシャル諸島での核実験をコントロールしていたアメリカ原子力委員会(AEC)は、放射能汚染のレベルが地球上の他の住民のいるどの地域よりも高いことを知りながら、ロンゲラップ島は安全になったとして1957年に島民の帰島を許した。
そして、このような島に人々が暮らすことは人間に対する放射線に関する生態学上の極めて貴重なデーターを提供するとして、AECはブルックヘブン国立研究所に島民の健康を追跡調査するよう要請した。福島原発事故後に県民健康調査を行うことを目的に「福島国際医療科学センター 放射線医学県民健康管理センター」を設立したのは、AECのブルックヘブン国立研究所への調査要請と同様な措置だった。
1957年にロンゲラップ島民が帰島した時には被ばくした島民だけでなく、水爆実験当時、島にいなかった親類縁者の集団がロンゲラップ島に渡った。これらの人々は最初の放射性降下物による「被ばく者」(Exposed Population)と比較対照する「非被ばく者」✽の集団(Matching Control Population)二百数十人が研究対象として新たにAECに登録された。
✽ 放射能汚染の残る島に帰ったことからやがて被ばくするのだが、ここでは「非被ばく者」と表記する。
放射能汚染の残るロンゲラップ島に帰島してから数年の後、1960年代に入ると、若い母親たちの間で流産・死産が起こるようになった。ブルックヘブン国立研究所の報告では、1966年までに非被ばく者集団に流産が5件あり、2人の女性に奇形児の出産(水頭症とダウン症)があったと記されている(被ばく者集団の女性には両方ともなかった)。
このような出産異常が現れていたのだが、ブルックヘブン国立研究所は放射線被ばくによる妊娠・出産への影響はないとして調査対象としなかった。NIH報告書でも研究の範囲は、放射線被ばくですでに起きた、また将来発生するがんの数を推定することとしている。
しかし、甲状腺への重篤な被ばくから考えられる甲状腺機能不全(異常)は、被ばく当時10歳以下の子どもたちの成長と知能の発育障害として現れた。ブルックヘブン国立研究所の1967年報告でも被ばくした2人の男児の成長障害が1965年に見つかったと記されているが、汚染された島に住む非被ばく者の集団からも障害が発生した。
小人症の発生
成長や知能の発育に遅滞が起こり小人症などをきたすようになったのである。AECの報告書では被ばくした子どもたちに甲状腺ホルモンを投与して甲状腺小結節を減らし、子どもの成長を促進させる効果が上がりつつあると評価しているものの、実際には様々な障害を抱えた成長に問題のある子どもたちがいたのである。
ロンゲラップ島民自身が成長障害に気付くようになったのは、帰島後しばらくして2人の子どもの身長の伸びが止まった反面、太り始め顔が膨らみ手足がむくんできたことだった。被ばく当時1歳だった子どもの場合、12歳で甲状腺ホルモン剤の投与による治療を受ける前の身長は115cmで、非被ばく者集団の6歳くらいしかなかった。
治療を受けてからは身長は伸びたが知能の発達障害が現れた。この障害を甲状腺剤の過剰投与が原因だと島民らは言う。しかし、甲状腺機能障害による成長障害はしばしば知能の発育遅延を伴う。1歳の時被ばくしたもう一人の子どもの場合、9歳で突然成長が止まってしまった。その後甲状腺剤の投与による治療を受け身長は155cmまで成長した。
ブルックヘブン国立研究所による定期検診(年1〜2回)で成長障害が発見された子どもには甲状腺剤の投与などで治療され、小結節や腫瘍、がんなどが見つかるとアメリカなどの病院で手術がなされた。1994年までに甲状腺の摘出手術を受けた放射性降下物で被ばくした島民は86人のうち36人(42%)に上った。
甲状腺を全部取ってしまうと甲状腺ホルモンが生成されなくなる。生涯にわたり甲状腺剤の服用を続けることで暮らしていけるが、副作用で体調不良が起きたりすることがあり毎日の服用が煩わしくなることもある。これらの島民が暮らす島々には大量の甲状腺剤が常備されている。
研究対象にならない子どもの障害を放置
一方で、帰島(1957年)後に生まれた子どもで、甲状腺障害が原因で死んだと証言する島民もいた。ある子どもの場合「身長が伸びなくなって、7歳で死んだ。AECの医者にみせたが何の治療もしてくれなかった」と言う。もう1人の子どもの場合は、やはり成長障害が現れ、投薬や治療が行われたが医師は「カルシウム不足が原因」と言ったという。当時、ブルックヘブン国立研究所は帰島後に生まれた子どもたちの障害を放射線被ばくとは関係ないとしたことから、無視されたり治療が遅れた子どもたちが亡くなったのだった。
1976年に被ばくした両親からロンゲラップ島で生まれた少女にも成長障害が起こり、18歳になっても身長が120cmしかなく、知能も10歳以下の子どもと遊べる程度にしか発達しなかった。
このように、放射能汚染の残るロンゲラップ島に帰った親から生まれた「非被ばく者集団」の中からも甲状腺障害が現れるようになり、1982年までに11人が甲状腺の手術を受けている。
帰島後に生まれたジョージ・アンジャインなどが甲状腺障害を患ったのはロンゲラップ島に残留するセシウム137の甲状腺への蓄積被ばくの影響と考えられる。彼が手術を受けたのは1981年のことだった。ヨウ素131の甲状腺への蓄積が障害の原因と言われているので、半減期の短いヨウ素131はすでに無くなっていることから変だとは思っていた。が、チェルノブイリ原発事故によりセシウムが甲状腺へ蓄積され被ばくを与えることがわかり、残留セシウムによる内部被ばくが原因とも考えられそうだ。
高い甲状腺がん有病率
マーシャル諸島全体では1993年から1997年にかけ、放射性降下物に被ばくした可能性のある島民らの甲状腺検査がマーシャル政府によって行われた。1959年以前に生まれた4830人(被ばくが疑われる島民の約60%)が検査
を受け、甲状腺がんが疑われた43人に手術が行われた。
その結果36人が甲状腺がん(乳頭がん33人、濾胞がん3人)と1329人が良性腫瘍と診断された。検査を受けた20人は以前に甲状腺がんの手術を受けていた。1954年の水爆実験以前に生まれた年齢層の甲状腺がん有病率は1.5%と極めて高く、推定被ばく線量との関連を示唆する証拠が認められた。(出典:日本外科学会雑誌第100巻、他)
こうした事態に対し、ロンゲラップ島民は帰島後の島に残る放射能からも被ばくを受けたとして、損害賠償を支払うよう求めたが、AECは非被ばく者集団から帰島後に発生した甲状腺障害は、放射線被ばくとは無関係だとして賠償の対象にはしていない。一方では、放射性降下物の被ばく者として登録され、甲状腺手術を受けた島民には2万5000ドルの見舞金(当時)を支払った。それ以外の甲状腺障害患者には1ドルも支払われていない。
その後、1982年に締結したアメリカとの自由連合協定で、マーシャル諸島島民の核実験被害に対し損害賠償が裁判のもとに支払われるようになったが近年は資金不足で支払いが滞っている。
ロンゲラップとウトリック島民などが受けた放射線被ばくによると思われる障害には、死産や流産、奇形児の出生や水頭症、ダウン症、多指症、兎唇や口蓋裂、糖尿病の発症などがあげられているが、白血病やがん以外は賠償の対象になっていない。
アメリカ政府の拠出金で賠償する障害例と金額
1.白血病(慢性リンパ性白血病以外) 125,000ドル
2.甲状腺がん
a.再発または複数の手術的処置や切除 75,000ドル
b.再発なし 50,000ドル
3.乳がん
a.再発または乳房切除 100,000ドル
b.再発せず乳腺腫瘤摘出 75,000ドル
4.咽頭がん 100,000ドル
5.食道がん 125,000ドル
6.胃がん 125,000ドル
7.小腸がん 125,000ドル
8.すい臓がん 125,000ドル
9.多発性骨髄腫 125,000ドル
10.リンパ腫(ホジキン病以外)100,000ドル
11.胆管がん 125,000ドル
12.胆嚢がん 125,000ドル
13.肝臓(肝硬変またはB型肝炎罹病以外)がん 125,000ドル
14.大腸がん 75,000ドル
15.膀胱がん 75,000ドル
16.唾液腺の腫瘍
a.悪性 50,000ドル
b.良性で要手術 37,500ドル
c.良性で手術不要 12,500ドル
17.甲状腺の非悪性結節疾患(限定的な潜在性結節を除く)
a.要甲状腺全摘出術 50,000ドル
b.要甲状腺部分的摘出術 37,500ドル
c.甲状腺摘出術不要 12,500ドル
18.卵巣がん 125,000ドル
19.原因不明の甲状腺機能不全症 (甲状腺炎を除く) 37,500ドル
20.甲状腺障害による重篤な成長遅滞 100,000ドル
21.原因不明の骨髄不全 125,000ドル
22.髄膜腫 100,000ドル
23.1946年6月30日と1958年8月18日の間に診断された
放射線病(吐き気等)12,500ドル
24.1946年6月20日と1958年8月18日の間に診断された
ベータ線火傷 12,500ドル
25.高度の精神遅滞
(1954年5月と9月の間の生まれで母親が1954年3月に
ロンゲラップまたはウトリク環礁にいた場合) 100,000ドル
26.原因不明の副甲状腺機能亢進症 12,500ドル
27.副甲状腺腫瘍
a.悪性 50,000ドル
b.良性で手術不要 37,500ドル
c.良性で要手術 12,500ドル
28.気管支がん(肺と系統のがんを含む) 37,500ドル
29.脳のがん 125,000ドル
30.中央神経系のがん 125,000ドル
31.腎臓がん 75,000ドル
32.直腸がん 75,000ドル
33.盲腸がん 75,000ドル
34.非黒色腫皮膚がん
(24.のベーター線火傷と診断された個人) 37,000ドル
<マーシャル諸島核賠償裁判所からの各種疾患に対する賠償数>
1983年6月、アメリカ合衆国とマーシャル諸島政府は、核実験実施の結果として生じたマーシャル島民の犠牲と寄与をアメリカが認める正式な協定を結んだ。核実験が原因と考えられる身体障害に対する賠償金を支払うためにマーシャル諸島核賠償裁判所✽が1988年に設置された。1997年12月31日までに、1549人の人々、またはその代理人に6312万7000ドルが支払われた。
出典:AMERICA EXPERIENCE
http://www.pbs.org/wgbh/amex/bomb/filmmore/reference/primary/tribunal.html
✽Marshall Islands Nuclear Claims Tribunal(大意は「マーシャル諸島核実験被害補償裁判所」または「核賠償裁判所」本部マジュロ)。
アメリカ政府は、自国の核実験による放射線被ばく被害をマーシャル諸島住民に与えたことを権益維持のために正式に認め、マーシャル諸島自治政府との間で健康被害を賠償する自由連合協定を1982年に結んだ。1990年に独立(信託統治の終了)したマーシャル政府は領土のすべての環境中の放射能と放射線レベル、住民の健康被害(特に甲状腺障害)の調査を始めた。これらの調査結果の報告書が、アメリカ下院委員会の「資源と国際関係委員会」の審理を通じて2005年5月に発表された。
その後、「異なる環礁(地域)の住民と年齢ごとの、外部と内部の被ばく放射線量のより現実的推定を導き出すためにモデルとデーター分析を改善し」2010年8月に最終版として発表された詳細な報告書が米国エネルギー・天然資源委員会で作成され、このNIH報告書[Summary]となったわけである。報告書は当時、内外の関係機関に公表され、これらのデジタル・データ[概要]がアーカイブ(PubMed Central=PMC)より一般に公開され利用可能となったのは2014年6月3日である。
NIH報告書に示されたマーシャル諸島のセシウム137の沈着図と、今も人の住む福島県の汚染レベルが酷似しているともいえるこの放射能汚染図は、福島の放射能汚染を過小に評価してはならないと警告しているようにも思える。(以下は報告書の要旨)
NIH報告のイントロダクション
(筆者訳、()内と✽印は筆者注、[]内は原文の注)
マーシャル諸島は1947年から国連信託統治領としてアメリカ合衆国政府に統治され、1986年にアメリカとの自由連合協定により主権国家マーシャル諸島共和国(以下、マーシャル政府)となった。その前の時代は国際連盟の委任統治領として日本により統治された。そのため、第二次世界大戦でマーシャル諸島の多くは太平洋の重要な戦場となった。第二次世界大戦の後、アメリカはここに太平洋核実験場を設置した。
1946〜1958年の間に65回のアメリカの核実験(7シリーズ)がマーシャル諸島のビキニとエニウェトク(Bikini、Enewetak)環礁で行われ、1回の追加的な実験はビキニ西方100kmで行われた。合計で66回(67回、または熱核反応装置などを含め69回とする説もある)の実験の爆発威力の合計は、およそ100Mt(メガトン)であった[1億トンのトリニトロトルエン・TNTに相当する]。アメリカのネバダ核実験場での大気中核実験の合計威力の約100倍となる。
爆発から生じて大気中に拡散した放射性破片(debris)は、いつも吹いている東の風がマーシャル諸島の西に開けている海に吹き飛ばした。最終的に地面に落ちた放射性破片は、放射性降下物と呼ばれる。それが、この報告に記されたマーシャル諸島島民の被ばくの唯一の原因となった。そして、我々の分析の結果、マーシャル諸島で行われた66回の核実験のうち20回は、マーシャル諸島内で測定可能な放射性降下物をもたらした。
このうち特別に重要だったのは、1954年3月1日にビキニ環礁で行われた、コードネームをキャッスルブラボー(Castle Bravo)✽と呼ばれ、マーシャル諸島で最大の爆発となった15Mtの熱核装置(水爆)実験だった。
✽作戦名をキャッスル(Operation Castle)、実験名がブラボー(Bravo Test)。この水爆の爆発をブラボー・ショット(Bravo Shot)とも言う。
予想外の風の急変現象(ウインドシア)✽✽の結果、爆発した水爆ブラボーの原子雲から重い放射性降下物が、近くの環礁の住民に予想しなかった高い放射線被ばくを起こした。この時、ビキニ、エニウェトク環礁の住民は事前に移転(避難)していたが、他の環礁の住民の避難はブラボー実験の後になった。東の環礁への放射性降下物の結果、爆発後の約2日以内に、ロンゲラップ[一時的にアイリングナエにいたロンゲラップ住民を含む]とウトリックの島民だけでなくロンゲリック環礁にいたアメリカ軍の気象観測者も被ばくし続けることを避けるために避難した。避難先で島民らの除染と急性被ばく症状に対する応急処置が行われた。
✽✽ 実験当日の気象観測では、「ビキニ東方の小環礁郡の北方に放射性降下物が運ばれる」との予報があった。が、実験は実行された。これより前、1946年の核実験ではロンゲラップ住民の移転が一時的に行われたがブラボー実験では実施されなかった。これらのことから島民らに意図的な被ばくを与え、身体への影響を調べる実験を行ったとする指摘もある。島民の被ばくが伝えられるとアメリカで組織されたブルックヘブン国立研究所などの医師団がマーシャルに派遣され、被ばく島民のメディカル・ケアの実施と同時に健康影響の研究がはじめられたからである。コードネームを「プロジェクト4.1」とする秘密研究という指摘もある。医師団による島民の健康調査はその後も継続され、60年後のまとめが本NIH報告書ともいえる。
およそ2週間後にロンゲラップとアイリングナエ、ロンゲリックにいて被ばくした大人から尿(小水)が集められ、放射性降下物の中でも重要な核種であるヨウ素131が測定された。この測定データは、それぞれの島民グループの内部被ばく線量の再現に重要な意義を持っていた。ブルックヘブン国立研究所は他のデータと仮説だけでなく、尿中放射能の測定を通じてロンゲラップ、アイリングナエとウトリックで被ばくした島民達の甲状腺内部被ばく線量を推定した。ロンゲラップとウトリックに残る長寿命の放射性核種からの内部被ばく線量は、ブラボー実験後の数年に集められ全身測定と生物学的試験(bioassay)データを使って推定された。
アメリカ政府は、被ばくした島民に対し、ブルックヘブン国立研究所や他の機関を通して、数十年にわたる看護(medical care)と健康監視(health surveillance)を提供し、これらの高度に被ばくしたマーシャル諸島島民の健康影響を記録した。しかし、疫学研究は甲状腺疾患のみ(1987年)と、甲状腺疾患と甲状腺がん(1997年と2001年)の二つが行われただけだった。それまで、放射性降下物からの被ばくに起因するがんと他の重病の総数を確定するためのマーシャル諸島島民の幅広い疫学研究はなかった。幅広い一般的な記録が得られるようになったのは核実験が終わってからだった。
2004年に、「米国上院エネルギー・天然資源委員会」(Senate Committee on Energy and Natural Resources)は国立がん研究所(National Cancer Institute=NCI)に、マーシャル諸島核実験による放射線関連の病気とがんのベースラインの推定数について「専門家の意見」を求めた。その結果、NCIのがん疫学と遺伝学の部門(Division of Cancer Epidemiology and Genetics=DCEG)は、放射線疫学研究プログラムの開発と、長年の研究実績をもとに放射性降下物による被ばく線量の再現、そしてがんリスクを評価する研究計画を作る重大な任務を課された。そのため我々(NIH)は、大まかな放射線誘発がんの数と放射線線量の推定を以下に基づいて作成した。
(1)1954年にロンゲラップとアイリングナエで被ばくした大人から、ブラボー実験の後に集められた尿中から測定されたヨウ素131。
(2)1957年(ロンゲラップ)と1954年(ウトリック)にそれぞれの環礁に戻ったロンゲラップとウトリックの住民と、1957〜1977に測定されたそれぞれの住民のセシウム137と他の放射性核種の身体含有量。
(3)1994年に完了したマーシャル政府が実施した全ての環礁に対する放射線学調査によって得られた、それぞれの環礁の土壌中のセシウム137とプルトニウムの合計測定値。
これらの要素(elements)を合わせた単純な分析的アプローチを用いて、1954年にマーシャル諸島に住んでいた人々の放射線誘発と考えられる大まかながんの発生数を推定した。これは、我々の知る限りでは、マーシャル諸島の領域全体にわたって系統的な方法で、被ばく放射線線量と放射線誘発がんの数を最初に推定したものである。
また、この大まかな推定は全般的に保守的で、発生する可能性のあるがんの数の過小評価を避けることを意図した。
これらの最初の結果は、2005年5月にアメリカ政府の「資源下院委員会」と「国際関係委員会」の合同公聴会で発表された。その後、がんリスク推定の改善だけでなく、歴年と環礁、年齢ごとの、外部と内部被ばくの放射線線量のより現実的な推定を得るために、モデルとデータ分析を改善した。それらの基礎となるがんリスクの推定と方法が、この論文概要とそのコンパニオン(手引き)論文の主題である。
(中略)
そして、この報告書の目的は、査読した論文として利用できるものとし、ビキニとエニウェトクの核実験から各々のマーシャル諸島の環礁に堆積する放射性降下物の詳細分析、放射線線量の改善された推定値と放射性降下物に被ばくしたことにより起きたがんリスクの改善された推定値など、線量再現に役立つ最も重要なデータの概要を公開するものである。(以下、技術説明につき略)
調査結果報告の概要(Abstract)はNIH報告の始めの項に記されている。ここでは事件の経過を知るために報告書の導入部分(Introduction)を先に記したが、報告書の概要の要旨は次のようなものである。
まず、マーシャル諸島の住民が被ばくしたことは、ビキニとエニウェトクの両環礁で行われた核実験からの放射性降下物の結果であると、NIH報告書は明確に記している。
「本論文は、その住民の、被ばく時年齢と年度、居住した環礁とがんになるリスクの関連を、徹底的で体系的な放射線被ばくの再構築によって得た結果を概略したものである」として、詳細な方法と結果について記している。また、マーシャル諸島を北部と中部、南部に分けて被ばく線量やがんリスクを比較評価することに重きを置いている。
63種の放射性降下物による被ばく線量
NIH報告は66回の核実験のうちの20回が、マーシャル諸島で測定可能な放射性降下物の沈着をもたらしたと結論している。そして、「マーシャル諸島の32の環礁と珊瑚礁の小島で、被ばくに寄与する全ての重要な放射性核種の沈着密度[kBq/㎡]を推定した」。
マーシャル諸島の核実験の結果、「それぞれの環礁には各々の核実験から生じた63種の放射性核種の沈着が推定された」(NIH報告書Table4✽、『この研究で考慮した20回の実験から急性摂取による内部被ばく線量と沈着の推計の際に考慮した63の放射性核種のリスト』参照)。
✽ http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4042840/table/T4/
「放射性降下物のあった後に報告された様々な時点の放射線量の測定値が、環礁や島の居住者の赤色骨髄(造血機能を有する骨髄)、甲状腺、胃内壁と結腸内壁への外部と内部の両方の放射線吸収線量の推定に使われた」としており、ここでは外部被ばくだけでなく内部被ばくが考慮されていることを明記している。毎年の被ばく線量は新生児から大人まで、年齢ごとに6つの集団に分けて推定された。
前述のサイモン博士の返信メールにも、放射性降下物の中の核種に注目するよう指摘しており、核実験の場合は福島原発事故とは異なり半減期の短い核種がロンゲラップ島民などに大きな被ばくを与えた、としているがどう違うのだろうか。
報告書の「概要」(要旨)
(以下引用、筆者訳)
調査の結果、アメリカ国立衛生研究所が見出したことは、セシウム137の全沈着量、外部被ばく線量、臓器の内部被ばく線量とがんリスクが、人口が多く被ばく線量が低い南の環礁ほど(リスクが)低くなるという地理的パターンに従っていることだった。
その推定被ばく線量は、核実験の開始時に成人していた南環礁の定住者は、平均して5〜12mGy(ミリグレイ≒ミリシーベルト)の外部被ばくを受けた。中緯度の環礁の大人への外部被ばく線量は、平均して、22〜59mGyにおよんだ。これに対し北環礁の居住者は数百〜1000mGy以上の外部被ばくを受けた。
一方、内部被ばく線量は、被ばく時にいた場所、年齢、臓器ごとに著しく異なった。甲状腺への内部被ばくを除いて、外部被ばくは一般に臓器被ばく、特に赤色骨髄と胃内壁の被ばくの主な原因だった。
南および中緯度環礁住民の胃内壁と赤色骨髄への内部被ばく線量は同程度で、だいたい1~7mGyだった。しかしながら、北地域にある環礁のウトリックとロンゲラップ島の大人は、短寿命の放射性核種の摂取(intakes)により赤色骨髄と胃内壁に20〜500mGy以上の非常に高い内部被ばくを受けた。一般に、結腸内壁への内部被ばく線量は赤色骨髄のそれより4~10倍大きく、甲状腺への内部被ばく線量は赤色骨髄より20~30倍大きかった。
ウトリック住民とロンゲラップ住民の大人の甲状腺の内部被ばく線量は、それぞれ約760mGyと7600mGyであった。最も高い甲状腺への被ばく線量は、1954年3月1日のブラボー(Castle Bravo)実験時にロンゲラップで被ばくした幼児で大人よりおよそ3倍高かった(2万3000mGy)。
環境中の残留放射能(長寿命放射性核種)から慢性的に摂取する内部被ばく線量は、放射性核種の直接摂取または降下物の沈着のすぐ後におきた急激な被ばくに比べて一般的に低かった。
それぞれの環礁の各年の線量と住民数は、核実験期間中に住んでいただけでなく、実験前または実験後に移転した全てのマーシャル諸島住民のがんリスクの推定を得るために用いられた。
およそ170件の過剰ながん(放射線関連の症例)が、2万5000人以上(半分が1948年以前生まれ)のマーシャル諸島住民に発生すると予測されるが、約65件を除いてそれらのがんはすでに発現したと推定される。この170の過剰ながん発症は、マーシャル諸島の同じ集団の中で放射性降下物とは無関係に自然発生的に生じる約1万600件のがんとの比較である。(引用終り)
研究の範囲 Scope of the study(要旨)
NIH報告は健康影響を予測する研究対象にした放射性核種や、内部被ばくを受ける特定の器官と臓器を以下の理由で選んでいる。(以下引用)
甲状腺
甲状腺は核兵器の爆発によって大量に作られる放射性ヨウ素を、他のどんな器官よりもはるか多く濃縮する。
赤色骨髄
赤色骨髄内の造血細胞の被ばくは、ガンマ線放出核種による外部被ばくだけでなく、放射性ストロンチウムからの内部被ばくも主な原因となり、白血病のリスクの増大が予想される。白血病は多くの疫学研究で、放射線被ばくとの特に強い関係が明らかにされている。
核分裂で作られた放射性核種の多くはあまり溶解せず(不溶性)、それが胃と結腸を通過しながら消化管に放射線を照射するので、胃内壁と結腸内壁が放射性降下物の摂取後に高度に被ばくする。
皮膚
皮膚は放射性降下物の放射線に被ばくする可能性のある組織である。マーシャル諸島島民は有意な量の放射性降下物を直接その体に受けた。例えば、ロンゲラップ島民には皮膚の「火傷」が観察され、主に放射能の崩壊時に放射されるベータ粒子から皮膚に高い線量を受けた。
今回の分析では、放射性降下物の結果として生じる皮膚がんの数または皮膚への被ばく線量の推定を二つの理由から行わなかった。
その1は、がんの数を推定するために必要な非黒色腫皮膚がんのベースラインデーターがなかったこと。その2は、マーシャルの核賠償裁判所(Nuclear Claims Tribunal)の、皮膚がんの判決が1件だけだったからである。2004年6月までの2046件の判決で、皮膚火傷が認められたは72件だったが皮膚がんの賠償支払いの判決は1件だけだった。マーシャル島民の少数の人々に皮膚への高い被ばくを受けた可能性があったが、皮膚がんのリスクがマーシャル島民の間で大きいという証拠は少ないようにみえる。(引用終わり)
NIH報告は前記の概要と前述の導入部に続いて、研究の範囲や調査方法、被ばく線量や健康リスクなどを北と南の環礁と比して記している。したがって、以下では福島原発事故により被ばくした福島県と周辺住民の甲状腺への影響をみるために、特に高線量の放射性ヨウ素の被ばくを受けたロンゲラップ島民に関する事項に焦点を絞る。
NIH報告では、ロンゲラップ島のセシウム137の沈着量が福島と同程度で、ロンゲラップ島民が大きな被ばく被害を受けたと記されていることから、福島の人々の被ばく線量と健康影響について、前述のサイモン博士に質問した返信メールの概要は以下のようなものだった。
[質問]
NIH報告の中にあるTable5✽は、ロンゲラップ島のセシウム137の沈着量を180kBq/㎡と見積もっています(不確実性の幅100k〜280kBq/㎡)。この放射能レベルは福島原発事故の放射能で汚染された福島県の中央部のセシウム137の沈着量とほぼ同じです。
このように汚染された福島県の西部と伊達市、福島市、二本松市、本宮市、郡山市から南の地域には約100万人の人々が避難せずに住んでいます。
事故から3年経ちましたが、セシウム137の減少は僅かだと考えられます。その他にプルトニウム239+240も福島市で23.5Bq/㎡もあります。これらの地域に住んでいる人々の被ばく線量はロンがラップ島民と同じくらいと言えるのでしょうか。
✽http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4042840/table/T5/
[REPLY]
明らかにあなたは、福島に住む人々がロンゲラップ島民と同様な放射線量を蓄積するかどうか懸念している。あなたから送られた情報(福島のセシウム137の沈着図)によればロンゲラップと同様なセシウム137の沈着ゾーンに福島の人々が住んでいるように見える。
この二つのグループの被ばくが同じように見えるかもしれないが、実際にはそれらは非常に異なるものになるであろう。いくらかの線量は将来にわたって蓄積するので、「全く異なる」と言うのはためらうが、すでに蓄積されたので「かなり異なるであろう」。福島に住む人々が受ける放射線量は非常に少ないだろう。
周知のように、ロンゲラップの人々の被ばく線量は大量で、高い割合の甲状腺異常だけでなくいくつかの他の健康影響をこうむった。ロンゲラップ島民の被ばくの大部分はセシウム137以外の、特に非常に短い半減期の放射性核種から起きた。セシウム137の半減期は30年。原子炉事故ではいつもかなり大量に放出される。
しかし、核兵器の大気中爆発では、たくさんの放射性核種(200以上)が瞬時に生成され拡散する。事故により原子炉から放出されるのはわずかな同位体(核種)である。
あなたが参照した私の報告書のTable4(第5章2参照)に、核実験からの重要な放射性核種が記載されており、その多くは「何十年ではなく」数時間から数日間でしか測れない短い半減期のものであることがわかる。最も高い線量の被ばくを与える放射性核種は短命のグループのものである。
また、国際放射線保護団体(国際放射線防護委員会etc,)が、あなたが懸念する重大な被ばくの可能性があった福島の放射線量を慎重に調べ、非常に早くそれを認めたことから被ばくを緩和するための処置がとられた。(以上)
質問のメールを送ったNCIのサイモン博士には、1994年にマーシャル諸島を訪れた際に、マジョロにある放射線研究所の所長をしていたのでお目にかかったことがある。環境中の放射線量や核種などについて聞いたのだが、まだ結論には至っていないということだった。しかし覚えてはいないだろう。
メールに添付して送った情報とは、福島原発事故によるセシウム137の沈着量を記した地図(図3、第2章2参照)である。
同様なマーシャルの汚染図(図1、第1章1参照)では、人が住んでいて高度に被ばくしたロンゲラップ島の汚染レベルは50k〜180kBq/㎡(最も汚染の高い同環礁の北部地域は180k〜1300kBq/㎡だが無人だった)であることから、福島では同程度のレベルの地域に多くの人々が暮らすことで被ばくする影響について聞いたのである。
大きな被ばくは半減期の短い核種による
サイモン博士の返信は、福島の人々がロンゲラップと同様なセシウム137の沈着ゾーンに住んでいるように見え、被ばく線量も同じように見えるかもしれないが、実際には非常に異なる。「全く異なる」と断定はできないとしながらも、「かなり異なるであろう」と答えている。
その理由を、ロンゲラップ島民が被ばくした主な核種は、セシウム137ではなく「最も高い線量の被ばくを与えた放射性核種は短寿命のグループのもの」、つまり半減期の短い核種だったとしている。原子炉から放出されるこれら短寿命の核種はわずかで、福島では住民が被ばくする可能性が認められたことから、被ばくを軽減する処置が素早くとれらた。したがって、ロンゲラップ島民が受けた被ばく状況とはかなり異なり、影響は非常に少ないだろうという返答だった。
「ほとんどのがんは放射線被ばくと関連づけられる」
半減期の短い放射性核種についてNIH報告は次のように記している(以下引用の抜粋)。
「これらの63の核種が、各核実験の放射性降下物からの急性摂取による内部被ばく線量の98%を占めることが調査によって推定された。これに加えて、長寿命の5核種(半減期の長い鉄55、コバルト60、亜鉛65、ストロンチウム90、セシウム137)が慢性摂取による内部被ばくに影響を与えたと考えられた。プルトニウム239+240の沈着による累積的な線量による急性および慢性的な被ばくも考慮した」。
「ほとんどの種類のがんは放射線被ばくと関係づけることができるが、特定の器官(臓器)は放射線の影響でがんを引き起こす効果を受けやすいようである」。
がんのほぼ半分以上は被ばくが原因
「そのためNCI(国立がん研究所)は、これらの核種から推定された放射線量に基づいて、被ばくの影響により発症するリスクの最も高い4つのがんを検討することにした。それらは、甲状腺と白血病、胃と結腸のがんだった。放射性降下物の被ばくが原因で起こるがんの割合は、最も高い被ばくを受けたロンゲラップでは甲状腺がんの95%、白血病の78%、胃がんの48%、結腸がんの64%で、すべてのがんでは55%が被ばくによる、という予測だった」(各がんのうち、被ばくが原因とされたがんの割合)。
放射線被ばくによるがん発病率の最も高い器官が甲状腺であると、NIH報告は指摘している。サイモン博士の返信では、短寿命の放射降下物からの被ばくがロンゲラップ島民に大きな影響を与え、セシウム137が主ではないとしていることから、甲状腺がんの主な原因となったとする短寿命の核種、放射性ヨウ素131についてメールを送って再度質問した。
[質問]
核爆発では半減期の短いヨウ素131が大量に生成されます。これをロンゲラップ島民が甲状腺に蓄積し、大きな被害を受けたことを私たちは知っています。福島原発事故でも大量のヨウ素131が壊れた原子炉から放出されました。東京電力によると、ヨウ素131の放出量は、2011年3月14~15日の間で100PBqです。しかし、この放射能の大きい放出がある前に、事故原発の近くにいたすべての人々が遅れずに避難できたわけではありませんでした。
また、アメリカのエネルギー省(DOE)の航空測定結果からの解析により、2011年4月3日のヨウ素131の地表面沈着量がわかりました。この時点のヨウ素131の地表面沈着量を示した地図(前出の図3)を添付します。このヨウ素131に被ばくした人々の放射線量は、ロンゲラップの人々よりも低かったのですか。
[REPLY]
あなたの新しい質問はヨウ素131だけに焦点を当てている。私が答えられることは限られた情報についてだけで、あなたの質問に十分に答えられるかは確かでない。
添付された地図の、福島市近くの赤から緑の地域(前述、第2章2参照)のヨウ素131の沈着密度[Bq/㎡]は、ロンゲラップの人々が経験した沈着密度と同程度のように思われる。しかしながら、それは個人の被ばく線量を左右する環境中のヨウ素131の量で人の中に入った(摂取された)量ではない。
ロンゲラップの人々が被ばくした放射能は、彼らのかなり素朴(primitive)な生活様式による食物を口から摂取し飲み込んだ放射性降下物の微粒子の中にあった。空気中のヨウ素131を吸入して起きた彼らの被ばくの割合は小さかった。固形型の放射性降下物の粒子は空気中のヨウ素131より非常に放射能の密度が高く、はるかに多く濃縮されおよそ1000倍以上になる。
あなたが送った地図に示されたところにいた福島の人々は、ヨウ素131に被ばくしたのであろう。私が考えるには、大部分は空気中からで、[そして、おそらく汚染された乳製品の摂取も考えられるが、しかしその場合はそれらの食材のほとんどは人々に届いていなかった]。それゆえに、直接の被ばくは主として吸入によって生じたのであろう。私が説明したように、吸入による被ばく線量は一般に、直接の経口摂取より非常に低い値となる。
あなたは福島の人々のヨウ素131による被ばく線量がロンゲラップの人々より低いかどうか私に聞いたわけだが、私はそう信じる。しかし、私はあなたのその質問に答える正式な立場にはない。したがって、福島の人々の被ばく線量を推定したWHOとIAEAによって集められた専門家グループの報告を参照するよう私は勧める。その後に、私の出版物で示したロンゲラップと福島の人々の推定被ばく線量を比較することができる。これは私が推奨する方法であり役立つことを願っている。(以上)
というわけで、福島のヨウ素131の被ばく線量がロンゲラップを上回ることはないと「信じる」とはいうものの、正式に答える立場にはないのでWHO報告などを参照しろといい、はっきりしない。
サイモン博士に送った情報というのは、ヨウ素131の地表面の沈着量を記した地図である。これは、アメリカのエネルギー省(DOE)が福島原発事故後の4月2〜3日にかけて南北に約120km、東西に約50kmの範囲で航空機によるセシウム137のモニタリングを行い、このデーターをもとに日本原子力研究開発機構(JAEA)が日米共同研究で解析したというヨウ素131の沈着図だった。セシウム137の沈着に比べて南のいわき市の半ばにまで濃いヨウ素131の沈着範囲がおよんでいる。
NIH報告には、ロンゲラップ島のヨウ素131の沈着量について情報がなかったことから、福島と比較したアメリカの研究者の評価を得たかったのだ。ヨウ素131についての博士の返信は、多くの人々が避難した福島と比べて「ロンゲラップの人々が経験した沈着密度と同程度のように思われる」と述べている。ヨウ素131が地表に降下して漂った量と沈着量は同じではないが、沈着量がロンゲラップと同じ程度であれば、同じレベルの場所にいた福島の人々の被ばく線量も同程度だったのではないだろうか。
しかし、一方ではロンゲラップ島民のヨウ素131の被ばくは粒子状になった放射性降下物を食べたり飲んだりしたから高く、福島の場合は空気中のヨウ素131の吸入によるのものなので被ばく線量は低いと「信じる」とも言う。
ロンゲラップ島民は51時間後には全員避難した
そうであってほしいものだが、放射線量の高いロンゲラップ島に島民がいた時間は、長くて51時間である。その後に全島民は船で避難させられ完全に汚染地域から離れ除染を受けたことになっている。
一方、福島原発事故での避難指示は原発から半径3km圏内で3月11日21時頃から始まり、半径20km圏内のすべての住民の避難は15日14時頃に完了したとなっている。が、大規模な爆発のあと放射性降下物が広がった地域に避難していたり、線量が高いことを知らされずに留まった人々もいた。数日間から何日にもわたって多くの人々が、レベルの高い放射能に接していたことが予想されるが詳細は未だわかっていない。その上、福島で被ばくした人々の人口は非常に多く、受けた被ばくの影響範囲は計り知れない。
ロンゲラップ島民の内部被ばくの特徴について、サイモン博士は返信の中でいくつか指摘している。
島民のプリミティブ(素朴)な生活様式とは、アメリカの統治下になってから若干西洋化したものの、食物の大部分が自然由来の採集漁労生活に近い「地産地消」で飲料水は雨だった。服装や家屋はシンプルで外部からの放射線被ばくを防ぐほどの効果はなかった。
サイモン博士はロンゲラップ島民の大きな内部被ばくの原因を、放射性降下物中の微粒子(固形)が付着した食物を食べて、放射能を経口摂取したことにあるとしている。また、空気中にあったヨウ素131を吸入したりもしたが、それは被ばくのごく一部だったという。そして、飲み込んだ固形の放射性微粒子の放射能密度は、空気中のものよりも1000倍大きいとしている。
これについて、筆者のロンゲラップ島民への取材では、放射性降下物は「雪」(白い粉)のように降り、飲料水の雨水やコーヒーの中に溶け込み、これを危険と知らずに飲んだ、と聞いたことがある。食べ物について放射性降下物が始まって避難するまでの約50時間、島にとどまる間に何かしらのものを食べたであろうが、それについて特に言及はなかった。この時の自覚症状について、白い粉の入ったコーヒーを飲んだ後、喉が痛くなったという。
子どもたちはこの粉の中で遊び、目に入ったり口に入ると目や喉が痛くなった。体に付着するとやがて皮膚は赤く腫れ火傷をしたようになった。しばらくすると船酔いをしたように気分が悪くなり頭痛がして、嘔吐や下痢をする子どももいたという。これらのことから、飲み物や食べ物から摂取する以外に、呼吸で自然に吸い込んだ放射能があったと考えられる。
福島では顔が「日焼けした」という「うわさ話」もある
一方、福島原発事故で飛散した放射能が降下した地域では、多くの人々がまだ生活を続けていた。しかし、「粉」のような放射性降下物が原発近くの一部の地域で見られたものの、目に見えるものが広範囲に降ったとする「うわさ話」は聞かれない。また、放射能が直接付着した食品の摂取も、事故当時はまだ冬の季節だったことから、露地栽培の野菜類は出回っていないので放射性降下物のついた野菜を食べたことは考えにくい。
露地栽培の野菜類の地域的な出荷制限も行われた。しかし、4月に入ってからは家庭菜園の野菜が食べられた可能性はある。また、放射能検査の遅れた水道水からの摂取は十分考えられる。
そして、何よりも冬の季節の服装が外部被ばくから戸外にいた人々をかなり守ったともいえる。というのも、熱帯に暮らすロンゲラップ島民の服装は極めて軽装で、帽子も被ることのない生活スタイルだった。放射性降下物が直接肌や頭髪に付着し、首筋や脇の下など垢のたまりやすいところに留まった。そのため、ベータ線を発する核種が直近の肌の表面に強いエネルギーを与え「放射性火傷」を起こし、脱毛や皮膚の剥落を起したのだった(3章2の写真参照)。同じ水爆実験で被ばくした第五福竜丸の乗り組員らの症状も、皮膚の火傷と脱毛がよく知られている。
冬の福島の戸外では長靴を履き手袋をして帽子やマフラーで頭部を覆い、身体が直接外気に触れる肌の露出の少ない服装の人が多かったことが報道映像からわかる。したがって放射性物質の肌への付着はあまりなかったと考えられる。しかし、避難した人々の映像からは、マスク(フルフェイスではない)をした人もいたが、していない人も多かった。そのため、空気中のやエアロゾル化した放射能や微粒子の付着で被ばくした人々の中には「冬なのに日焼けした」とか、他人から「顔が赤い」と指摘されたり「湿疹や水疱ができた」、あるいは無帽だった人が頭皮に紅斑が出て脱毛した、という「うわさ話」は多い。
タチヨミ版はここまでとなります。
2015年5月10日 発行 初版
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フリーランス・フォトジャーナリスト。環境問題(放射能汚染・気候変動)をメインとする取材・執筆・編集。