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王木亡一朗自選短編集「アワーミュージック」

 短編集「他人のシュミを笑うな」「LaLaLaLIFE」「kappa」から、一作ずつ、月刊群雛04月号に掲載された「母の上京」、表題作の書き下ろし短編「アワーミュージック」を収録した短編集です。

「アワーミュージック」
——本を読まない人の言葉って、陳腐じゃないですか?
 母校である美大の修了制作展で、私は、とある女の子と出会う。
 彼女は、キャンパスいっぱいに、物語が綴られた作品を展示していた。
「母の上京」
 夏の終わりに電話をかけてきた母は、東京観光に連れて行って欲しいと、僕に言った。
 母と二人で出かけることに、多少の照れがあった僕だが、彼女を連れて、出かけることにした。
「明子先生の結婚」
 明子先生は、本当に良い先生だった。
 だから、彼女には、ずっとそのままでいて欲しかった。
「不揃いのカーテンレール」
 夏の日の夜、僕は耐えきれなくなって部屋のカーテンを引きちぎる!
「Any Day Now」
 人生お休み中の俺は、公園で孤独なガキに会う。

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アワーミュージック

王木亡一朗

ライトスタッフ!



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

 明子先生の結婚
 不揃いのカーテンレール
 Any day Now
 母の上京
 アワーミュージック
 あとがき
 著作リスト

 明子先生の結婚

 誰かが一人で食事をしているところを見ると、どうしようもなく切なくなってしまう。中学の頃、僕が所属していた剣道部の顧問で菊川先生というお爺ちゃん先生がいて、定年間際だから多分六十歳くらいだけど、どうみても七十代で、数年前に胃の手術をしているから痩せ細っていて、口調も舌足らずで入れ歯だから空気が抜けて、ひょにょひょにょ、ひゅっひゅっ、とした喋りで、生徒からはナメられていたけど一応体育の教師だから筋肉はあって、怒ると怖いっていう、まぁ、そんな先生がいて。地区大会の会場になっている五泉市の総合体育館の二階で、一人で細々とおにぎりを食べている菊川先生を見た時に、僕は初めて、その感情に襲われた。
 何故だろう? 『食べる』という行為が、ダイレクトに『生きる』という概念に結びつくからだろうか。一人でも、それでも生きようとする、その姿が健気に見えるからだろうか。小柄で痩せ細っているお爺ちゃん先生のその姿を見ている時に、中学生の僕の頭の中で「生きているんだ!」という力強くも儚い声が聞こえた。
 それからというものの、誰かが独りで何かを食べている場面を見ると、その力強くも儚い声が聞こえて来て、僕は切なくなってしまう。
 そんな性質(?)を持った僕だが、一つだけ例外がある。

 それが、明子先生だ。

 高校二年の、思春期真っ盛りの僕たち男子は、クラスの女子にかわいい子が一人もいなくて腐っていた。しかし、副担任になった明子先生を見て、僕たちは歓喜した。
 明子先生は大学を卒業して、一年間、新津市の臨時職員をしてから、秋陵高校に来て、僕たちの副担任になった。だから当時二十三歳くらいで、顔なんか今で言うと堀北真希とかに似ていて、可愛らしく聡明だけど、ちょっとおっちょこちょいみたいな、とにかく僕らは先生に夢中だった。
 何故、僕たちが彼女のことを明子先生と呼ぶかと言うと、彼女のフルネームは鈴木明子で、他にも鈴木という国語の男性教師がいて(一般企業に就職した後、そこを辞めて教師になったヤツ)、そいつと区別するために、名前で呼んでいたのだ。
 ある時、僕は前日に家に忘れた世界史の課題を提出するために、昼休みに社会科準備室に行った。ノックをして、失礼します、と言いながら部屋に入ると、明子先生しかいなくて、先生は手作りのお弁当を食べていた。
 一人で藤色のお弁当箱をつついている明子先生は、何故か笑顔で、実際には歌っていなかったけれど、鼻歌が聴こえそうなくらい上機嫌で携帯電話を片手にお弁当を食べていた。
「明子先生、これ、出しに来ました」
「ありがとう」明子先生は唇に付いたご飯粒を左手の人差し指で口に入れて、箸を置く。
「先生、何か良いことあったんですか?」
「ううん。なんで?」
「いや、機嫌良さそうだから」
「そう? 全然なんでもないよ」そう言いながらもほくそ笑む明子先生は、素晴らしくキュートで、いや、キューティ吉川ひなのなんて目じゃないイザムさよならセプテンバーラブ、みたいな感じで僕の頭はクラクラしちゃうほどだった。
「ウソだぁ、なんか良いことあったでしょう? 顔見れば分かるよぉ」先生と生徒ながら歳も近いこともあり、僕は明子先生に、わりとくだけた口調で接していた。先生の方も、それを咎めなかった。
「実はね、来週、こーちゃん、あ、彼氏が新潟に帰って来るの。今ね、メール来てた」満面の笑み、キューティスマイル。
「あ、そうなんすか。良かったすね」僕は、頭を掻く。
 明子先生の彼氏は東京にいて、役者を目指していると言う。ずっと幼馴染みで、同じ大学に進学した時にやっと付き合ったが、卒業後に彼氏が東京に行ったため、遠距離恋愛中だ。初めはみんな、明子先生に彼氏がいることを信じなかった。恐らく、僕たちに対する予防線だろう、と思っていたからだ。僕もこの時まで、そう思っていたけれど、こんなに嬉しそうな明子先生を見てしまうと、本当に彼氏がいるんだな、と信じざるを得ない。
 明子先生は、授業の進め方がとても上手だった。毎回、必ず前回の振り返りを行い、そこで気づきとか、感想とかを何人かに聞く。そうして僕たちが言ったことに対してフィードバック(明子先生がそう教えてくれた)をして、内容をより理解出来るようにしてくれる。最初こそ、そのやり方に戸惑ったものの、明子先生が僕たちの言ったことを踏まえて何かしら返してくれるので、僕たち男子は、特に積極的に発言するようになった。他の教師とは違って、一方的に喋るのではなく、合間合間に会話をしながら進むので、明子先生の授業で寝てるヤツは全然いなかったし、テンポも良く、明子先生の頭の良さと言うか、回転の速さみたいなのも窺えて、僕はそういうところも好きになっていた。
 明子先生は映画もよく見るらしく、職業柄、史実ものをたくさん見ているようだった。先生の知っている映画の中から、授業で扱っている範囲にちょうど良い映画があれば、授業としてみんなで見たりもした。僕は明子先生が奨めてくれる映画がとても好きで、個人的にも先生に、面白い映画を教えてもらって、自分でレンタルして見たりもしていた。
 ある時、授業で『鬼が来た!』という日中合作の戦争映画を見た時、終盤のちょっとショッキングなシーンに差し掛かったところで、クラスの女子が、気持ち悪い、と言って保健室に行く、という出来事が起こった。確かに、あれは少しグロテスクというかショッキングではあったけれど、映画としてはとても良い物だったし、僕はますます先生のことを好きになった。
 でも後日、その保健室に行った女子の親から、学校側にクレームが入った。詳しい内容は分からないけれど、その女子は、その映画を見てトラウマになったそうだ。大袈裟だな、と僕は思ったけれど、他の女子達も口を揃えて、あの映画は授業には相応しくない、などと明子先生を攻めるようなムードになっていた。そして、しまいにはPTAの間で、『反日感情を煽る映画を観せた左翼教師』みたいな言われ方をし始め、その女生徒があの日以来、学校を休んでいるということもあるが、なんだか問題が大きくなっていた。
 僕は、そんな風に明子先生の人となりも知らないで、ましてやその映画も見たことの無い連中が、勝手に明子先生を悪く言っているのが許せなかった。明子先生は反日感情を煽ろうとしたのではなく(実際、ウチの高校にいた祖山という社会科教師は、君が代斉唱を拒否したりするヤツで、そういう人はいるけれど)、もっと普遍的な、同調圧力下の人間性と言うか、戦争が人を変えてしまう、ということを伝えたかったのだろうと思う。
 明子先生は、そんな中で、見た目にも元気がなくなっていた。祖山なんかは明子先生を応援しているみたいだけど、そういうことじゃないのだ。文民統制について、民主主義について、戦争の罪悪について。熱くも、客観的な視点を忘れずに語りつつも、僕たちの意見も上手に取り入れながら、授業を進める明子先生。政治やニュースに関心を持っていなかった僕たちに、自然と興味を持たせてくれた素晴らしい先生だ。端から見れば、左翼的に映るのかもしれないけれど、そうじゃないことは僕たちには良くわかっていた。ましてや、反日感情なんて一切無い。外野の連中がバカなことを言っているのが、僕はとても許せなかった。
 そんな明子先生をなんとか元気づけたくて、僕は社会科準備室に向かった。ノックをして、ドアを開ける。そこには、肩を落とす、小さな先生の後ろ姿があった。僕は、失礼します、と言って先生に話しかける。
「あの……、先生」僕は話しかけたものの、なんて言って良いか全然分からなかった。言いたいことは山ほどあるはずなのに、具体的な言葉になって出て来なかった。先生は良い先生だよ、PTAの言うバカげたことなんて全然気にする必要無いよ。そう、僕は言ってあげたかった。
「比嘉澤くん……、どうしたの?」先生は、ほとんど箸を付けていないお弁当から顔を上げて、僕にそう言った。
 ダメだ。
 ダメだよ。
 僕は、一人でお弁当を食べる明子先生を見てしまった。
 肩を落として、寂しそうに。
 僕の頭の中で、例の声が聞こえそうになる。
 いや、ダメだ。
 聞こえちゃダメなのだ。
 明子先生は、
 笑いながら、
 鼻歌でも歌いながら、
 そのお弁当を食べていなくちゃいけないんだ。
 明子先生に、こんな食べ方をさせちゃいけないんだ。
「いえ、元気なさそうだったから、その……」僕は居たたまれなくなって、「失礼します」と言って、社会科準備室を出た。何より、頭の中の声が今にも聞こえそうで、先生に対して、あの感情だけは抱きたくなかった。そして、僕は走って教室まで戻る。
「時田ぁ!」僕は教室でメロンパンを齧っていた同じクラスの時田に駆け寄る。
「なんだよ……?」
「いや、その……」僕は切れている息を整える。「さっき、明子先生と話したんだけど、すごい落ち込んでた」
「そんなん授業見てりゃ分かるよ。例のあれだろ、映画の件。まだ、ごちゃごちゃやってるらしいな」
「そうなんだよ。それでさ、俺たちになんか出来ることってないかな?」
「出来ることって? 何するのさ?」
「だから、それを考えるんだって。なんかこう、先生を元気づけるっていうかさ」
「あー、でもなー、ぶっちゃけ俺たちに何が出来るよ?」
「いや、なんていうかさ、明子先生ってすごく良い先生じゃん?」
「まあな」
「それが、映画のことでさ、教師失格みたいな言われ方すんの、スゲー悔しいじゃん。そうじゃないってことをさ、ちゃんと分かってほしいていうか」
「誰によ?」
「決まってんだろ、悪く言ってるヤツらにだよ」
「PTA?」
「まぁ、そいつらとか」
「そうは言ってもな……。一生徒に何が出来るよ?」
「だから、それを考えようって言ってんじゃん!」
「うーん……、どうするかな……」
 時田はしばらく黙って考えた後、「そうだ!」と言って立ち上がった。
「何?」
「俺この前さ、村上龍の『69』って読んだんだけど……」
「え、うん」
「バリ封やろうぜ?」
「ばりふう?」
「バリケード封鎖。屋上をさ、机とか椅子でバリケード作って封鎖すんの。それで、垂れ幕にさ、明子先生は素晴らしい教師だって書いて、俺たちの主張をすんだよ!」
「マジか? てか大丈夫かよ、そんなことして」
「大丈夫だろ。他にも何人か声かけてさ……」
「いや、そうじゃなくて、そんなことしたら余計、明子先生の立場が悪くならないか?」
「あぁ、それもそうか……、じゃあどうしようか?」なんか、あてになんないな、と思いつつも時田は真剣に悩んでいるようだ。僕は近くにいた橋本に声をかける。
「なあ、橋本、どうすれば良いと思う?」
「何が?」
「いや、聞いてんかった? 明子先生のことだよ」
「あぁ。そうだな……」橋本は腕を組み、天井をぼんやりと見ながら考えているようだ。「そういえばさ……」と言って、橋本は結構重要なことを淡々と話す。おいおい、もっと早く教えてくれよ。
「それ、マジか? 橋本」
「さあ。俺も聞いた話だし、確証はないよ」
「じゃあ、ちょっと今日の放課後、一緒に井田んち行こうや」井田というのは、例の明子先生の見せたビデオでショックを受けて、この一週間学校を休んでいる女子生徒だ。
「いや、俺はいいよ」橋本は本当に興味なさそうに、顔を背ける。
「んだよ! お前、明子先生心配じゃないんか!」僕は橋本に詰め寄るが、時田に制される。
「いいよ、比嘉澤。俺とお前で行こうぜ」時田がそう言うとチャイムが鳴った。
 僕はその後、悶々とした気持ちのまま、五限と六限の授業を受けた。放課後、井田と仲の良い須川清美からなんとか井田の家の場所を聞き出すと、時田と一緒に真っ直ぐに井田の家に向かった。
 井田の家は、新津駅からほど近い美幸町の一角にあって、僕らはチャリで本町を抜けて駅の高架を通って、井田の家の前に付いた。
「なぁ、比嘉澤。来たは良いけど、どうする?」時田は僕の顔を見る。でも、そんなの僕だってし知らない。
「と、とにかく押すべ」僕は、何も考えないまま、突撃の心境でインターホンを押す。

 ピンポーン!

 別に普通の音量だったはずだけど、僕の耳には、それはとても大きく響いた。しばらくして、女の人の声で、はーい、という声が聞こえた。
 出て来たのは、井田のお母さんで、突然現れた男子二人に、多少驚いているようだった。
「あの、僕たちは、井田さんの……、いや、巫史さんと同じクラスの者で、比嘉澤と言います。で、こっちは時田です」僕は、隣の時田に目をやるが、何故か完全に固まっている。まったく、ここぞと言う時に頼りにならないヤツだ。
「はぁ、なんの御用ですか?」
「いや、あの、その……、巫史さん、近頃学校休んでるんで、どうしてるかな、と思いまして……」僕はしどろもどろになりながらも、井田のお母さんに言う。「あの、巫史さんは、いらっしゃいますか?」僕は我ながら『いらっしゃいますか?』と丁寧に言えた自分に少しだけ満足をする。
「いえ、あの、巫史は、具合が悪くて部屋で寝ています。あの、知ってるかとも思いますが、あの、学校で……」井田のお母さんは申し訳なさそうに、僕たちに言う。
「あ、はい。もちろん知っています。というか、そのことで巫史さんに、聞きたいことがあって来たんです、実は……」僕がそう言うと、今まで申し訳なさそうな顔をしていた井田のお母さんの顔が一瞬厳しくなる。
「なんですか? なんの用なんですか?」
「いや、あの、本当に大した用事じゃないんですけど、聞きたいことがあって、それで……」
「あの、すみませんが、また改めてくれませんでしょうか。本当に、あの子、落ち込んでるんです。そっとしておいてください」井田のお母さんは、穏やかさを装いつつも、僕らの訪問に何らかの意図があると読み取ったようで、鋭い目つきで、そう言った。
「いや、あの、本当に少しなんで、巫史さんに会わせてもらえませんか?」
「すみません。あの子、寝てるので……」
「いや、でも、もう一週間ですよ?」
「一週間とかそんなの関係ありません。あの、知ってるでしょ? あの子は変な授業のせいで、ショックを受けてるんです」僕は、一瞬だけ、カチンと来たが、事情を知らない人から見たら、そういう捉え方しか出来ないであろうことを想像して、自分を落ち着ける。
「でも、あの、ちょっとで良いので。本当に大した用じゃないんです」
「でしたら、また今度でもいいでしょう? あんたら、ちょっとしつこいよ?」ここで、井田のお母さんの声が少しだけ大きくなる。それもそうだ。端から見たら、非常識なのは僕らの方だろう。けれど、僕もここで引き下がるわけにはいかないのだ。
「いや、ダメなんです。なんていうか、きっと巫史さんは明子先生となんらかの行き違いがあって……」
「行き違いって何? あの子はね、あの先生のせいで……」井田のお母さんは、そこで少しずつヒステリックなニュアンスを混じらせてくる。
「なしたね?」奥の部屋から、玄関の騒ぎを聞きつけたのか、男の人が出て来た。恐らくは井田のお父さんだ。
 まさか井田のお父さんがいるとは思わなかった。僕はよりいっそう緊張する。
「あの、僕たち巫史さんと同じクラスの者です。ちょっと巫史さんとお話したいことがあって」
「なに? 巫史なら寝てるけど?」
「いや、あの、ほんのちょっとで良いんです」
「寝てるって言ってるだろ」
「いや、でも誤解を解きたいと言うか……。あの、明子先生は、本当に良い先生なんです。それで……」僕がそう言いかけると、井田のお父さんのボルテージは一気に上がる。
「何が良い先生か! お前ら、あの教師の回し者か! あの教師のせいで巫史がどれだけ傷ついたと思ってるんだ!」
「いやー、あの、ですからね、それは行き違いと言うか誤解と言うか……」
「誤解? 何が誤解か! ふざけるな! お前らはあの教師に洗脳でもされてんのか?」
「洗脳なんてされてません。ただ……」
「いいから帰ってくれ。こっちはな、反日教師のくだらない授業のせいで、迷惑極まり無いんだ。これ以上続けるなら、このことも学校側に報告するぞ。勝手に人の家に来て、わけのわからないことを喚きやがって」
「ですから、その……」

「バカやろう!!!」



  タチヨミ版はここまでとなります。


アワーミュージック

2015年4月14日 発行 初版

著  者:王木亡一朗
発  行:ライトスタッフ!

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王木亡一朗

新潟県生れ。 現在は新潟と東京それぞれで半分ずつ過ごすような生活。 2014年2月、連作短編「他人のシュミを笑うな」をKindleストアにて発表。 2014年3月、「LaLaLaLIFE」を発表。

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