この本はタチヨミ版です。
「雨は、好き?」
<学内発表作品・小説>
〈僕の答え〉
僕には居場所がない。そう、よく感じている。
いつからだろう、孤立が怖くて周りに合わせてばかりの毎日を送っているのは。自分を殺し、上辺だけで生きる。そのせいで、本当に親しい友人は一人もいない。
誰からか特別に想われているわけではないし、誰かを特別に想っているわけでもない。そんな僕は、背景や置物に近いんだと思う。ただ「いる」だけで、あってもなくても困らないような存在。
けれど、だからこそ傷付くことはなく、また誰かを傷付けることもない。少しの虚しさを我慢すれば、平穏な生活が送れるのだ。
一歩外へ踏み出す勇気はなくて、一方では居場所が欲しくて、そんなどうしようもない今の僕には、それを幸せだと思い込むしかなかった。
〈青春の色〉
一一月も半ばを過ぎてから、ぐっと冷え込む日々が続いた。
学生服のポケットに手を入れ、校舎横の長い坂道を登ぼる。途中、何人かのクラスメイトとすれ違い、その度に軽い挨拶をして歩いたが、頭ではまったく別のことを考えていた。
青春の色、それが何色なのかを想像する。抽象的なものに色を付けるのは難しい――と言うか無理だ。でも、少なくとも人間関係よりは考えていて楽しい代物だと思う。一応、僕は人と付き合うことに対して自分なりの回答を持っているし、受け入れたから、悩むことはもうない。それでも思い返して悩みそうになることがあるから、こうして関係のない、どこまでも続く果てしない想像をするのだ。
青春は、きっと文字通りの青色なのだろう。いや、燃えるような赤かもしれない。幸福の黄色かもしれない。それか希望の緑かも。どの色にしても、無色透明の僕には、いつまでも本当のことは分からないけれど。
――それでいい。
僕は、そう思えるようになっていた。
〈座席表落書き事件〉
今日はいつもより早く高校に着いた。昇降口には人影がほとんど見えない。
下駄箱で靴を履き替え、自分のクラスへと向かう。静まり返った廊下に響く自分の足音が、やけに大きく聞こえた。
三階の二年二組前に着くと、中から話し声がした。その声色は、どこか緊張感を孕んでいる。僕は後ろの戸から教室に入り、ひとまず廊下寄りの自席に鞄を置いてから、「どうかしたの?」と、教壇近くで話し合っている二人に声を掛けた。
「ああ、おはよう河瀬君。教室に来たら、こんなふうになっていて」
学級委員長の寺島さんは、言いながら一枚のプリントを見せてくれた。四角いマス目にクラスメイトの名前が書かれただけの簡単な座席表だ。
「これ、見て。クラスメイトの名前の部分が赤ペンで消されてるの」
寺島さんと一緒にいた葉山さんが、いかにも不愉快そうな口調で言った。
葉山さんの言った通り、生徒の名前だけが消されている。そして、僕も例外なく消されていた。どうして名前を消したのだろう。苗字が消されていないのも不思議だ。
「ねえ、河瀬君は心当たりない?」
「僕には分からないな。昨日も早くに教室を出たし、今日だって今来たばかりだからさ」
「そうね、一体誰がこんな悪戯――」
寺島さんは途中で言葉を切り、教室の後ろに視線を遣った。振り返ってみると、一人の女子生徒がいた。寺島さんは再び葉山さんと話し始めたが、僕はそのまま彼女を目で追った。視線には気付いていないようだ。
彼女は肩先までの黒い髪を手櫛で整え、静かに腰を下ろした。
清水凛子、僕は何故か彼女が気になる。
〈清水凛子と僕〉
それから、徐々に生徒たちが登校してきて、クラスは賑やかになっていった。
寺島さんたちはプリントを先生のもとへ持って行ったようだ。
僕は友達と他愛のない話をして朝のホームルームが始まるまでの時間を過ごすことにした。ただ、この他愛のない話は、僕にとってあまり楽しくない。話すこと自体は嫌いじゃないけれど、愛想笑いや、場の空気に合わせてばかりのせいで、本当の僕がいないような疎外感に襲われてしまうのだ。
――それでいい。
気を取り直し、改めて会話の中に混ざる。
横目で見た窓際の清水凛子は、一人で読書をしていた。彼女はいつだって一人でいる。みんながどう思っているかは知らないけれど、僕はそんな彼女が嫌いじゃない。ただ、周りの人間は誰一人として話しかけることはなかったから、僕もそうすることはなかった。
〈ホームルーム〉
担任の藤岡先生が教室に入ってきたのは、チャイムが鳴った五分後のことだった。教務日誌と一緒に今朝の座席表も持っている。
「君たちに一つ残念な知らせがある。……誰かが座席表に悪戯書きをしたようだ。もし、心当たりのある生徒がいたら、いつでもいい、先生のところに来なさい」
先生の口調は穏やかだった。怒っているものだと勝手に考えていたが、そうではなかったようだ。
教室内は少しだけざわついた。みんな、そこまで問題視していないのかもしれない。先生はホームルームを再開し、なんの滞りもなく執り行われた。
〈曇り空の下で〉
与えられた課題をこなし、一日の半分を終えた。普段の昼休みは友達と過ごしているけれど、今日は気が乗らない。朝から気分が深く沈んでいるのが原因だった。僕は誰にも告げず、一人で屋上に向かう。今にも雨が降りそうな曇り空ということもあるし、今日は空いているに違いないだろう。賑やかなクラスメイトの間をすり抜けて、屋上に続く階段を目指した。
外に出るための扉は立てつけが悪くて、開けるのに一苦労した。
まず初めに、暗い灰色の空が目に映る。
そして次に見えたのは、一人の女子生徒だった。こんな日にまさか誰かいるなんて。
独りで休めないことへ若干の不満を覚えながら、その人をよく見てみる。清水凛子だった。ひどく驚いたのと同時に、ひどく新鮮に思えた。彼女が屋上にいるところを見たことがなかったからだ。いや、そもそも四時間目が終わった途端、煙のようにどこかへ消えてしまう彼女と昼休みに出会ったからだ。
「ねえ」
彼女は僕の思考を遮って話しかけてきた。
「どうしてここに?」
なんとも答えづらい質問だ。僕はしばらく考えを巡らせてみたが、良い答えが見つからなかった。
「それは――」
「別に、答えたくなかったらいいよ。でも、遠い人間ほど、話しやすいこともあるでしょ」
どうして彼女がそう言ったのか、僕には分からない。けれど、なにもかもを話したい衝動に駆られた。他の誰も、こんな風に話しかけてくれる人はいないから。もしかしたら、彼女も僕と似た考えをしているのかもしれない。
「一人になりたかったんだ。誰にも気を遣わず、ゆっくりとしていたくて」
彼女は不思議そうな表情をしている。僕は構わず続けた。
「いつだって、自分には居場所がないって感じてるんだ。空気を読んだり、クラスメイトの輪から外れないようにするばかりで。それで、本当の僕はどこにいるのかって、ね」
噤んでいた唇を彼女は静かに解いた。
「私も、自分に居場所がないなって、いつも考えているよ。河瀬君とは気が合いそうだね」
そう言って、一歩だけ僕の方に歩み寄った。
「名前、知ってたんだ。同じクラスだけど、今日まで話したことなかったね」
「うん。前から気になってたんだ、こう、なにか抱えてるなって」
「そんなふうに見えてるんだ、気を付けなきゃ」
「たぶん、私だけ。他の人たちには気付けないよ」
小さく笑って、彼女は俯いた。
「清水さんは、つらくないの?」
僕は、素直に思ったことを聞いてみた。
「私は、別に。河瀬君こそ、辛くない? 大勢の中にいて、押しつぶされそうになったりしないの?」
「僕も、別に」
嘘を吐いた。まさに彼女の言う通りだった。強がる必要はなかったと思うけれど、なんとなく対等でいたかったのだ。
「ね、もっと別の話をしようよ」
彼女は柔らかな笑顔を浮かべて言った。
タチヨミ版はここまでとなります。
2015年5月27日 発行 初版
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