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いつもより少しだけ早起きして朝食を終えると、家族にこれから北海道へでかけ三日後に戻ると通達した。
妹達に祖母と父の世話を頼んでおき、二人には直前まで内緒にしておいたのだ。
七時過ぎに家を出て羽田空港へ向かう。
そして九時半、定刻どおり飛行機は離陸した。
海と雲と空、ぼんやり霞んで境界線のない世界。
船がぽつり、ぽつりと庭に置かれた石のようだった。
しばらくすると残雪の山が見えて来た。
茨城、福島、そして大きな凹みは蔵王のお釜だと思う。
青森で再び海岸線の上空を飛び、津軽海峡を渡る。
始めての北海道は十七の時、『上野発の夜行列車』に大宮から乗車して、降り立ったのは青森駅。
その年で運行が廃止になる予定だった青函連絡船で函館へ。札幌、そして小樽まで。
二度目は北斗星。帯広、旭川、網走、知床と巡った。
三度目には夜行バスに青春一八きっぷ。札幌、白老から様似、平取。
二十三年ぶりの今回は、空路から。ニセコを目指す。
遠く見える白い山並みは日高山脈。
ほどなくして新千歳空港に着陸した。
早足でJRの駅へ急ぎ、小樽までの切符を買って列車に乗り込んだ。
窓の外、樺の林の下には笹が茂り小川を雪解け水が流れる。
熊笹それとも千島笹? と考えていたのだが、熊笹は俗称で縁取りと裏毛があるのは隈笹と言うのだそうだ。
東京ではひと月前に散ってしまった桜も札幌では今が見頃。
小樽へ近づくにつれ右手には海、左には斜面が迫り日陰には雪も残る。
蕗の薹、こぶしの白い花、そして木蓮も見える。
乗り継ぎの列車までに二時間ある。
運河を目指したけれど風がとにかく強い。
残雪もある時期なのにこの気温? 春一番のような生暖かい突風。
加えて砂が容赦なく飛んでくる。
昔アングラな喫茶店だった海猫屋はおしゃれなイタリアンになっているらしいとwebで見て知っていたので、とりあえず運河沿いを歩いてみた。
飲食店ばかりでどこもかしこも大きな集客のための看板に幟がはためいている。
さすがに三十年近く経っている訳で、堺町はガラス土産の店がひしめき原宿化していた。
日曜だということもあり、家族連れにカップル、グループに外国人観光客で通りは溢れていた。
訊くと北一ガラスの三号館、ランプのホールは残っていると言う。
そこまで歩いて一休みすることにした。
見覚えのある石造りの建物と屋号の提灯。
ホールへ足を踏み入れるとランプの油の匂い。
以前はランプだけ、もっと真っ暗闇だったのを覚えている。
駅近くのアーケード街も見覚えがあったけれど、大きな亀の剥製が記憶にある”純喫茶 光”は見つけられなかった。
おたる駅にもたくさんのランプがかけられていて、ホームの端を歩くとランプの匂いが鼻をかすめる。
人混みを避け夕暮れ時ランプの灯る小樽駅に着き、翌日は天気が良ければ青の洞窟、あるいは積丹半島めぐり、時間が無ければ天狗山から海を眺めるーーというのが良いプランかも。
次来ることがあったらそうしよう。
長万部行きの列車は一両編成だった。
ドドドドドドドドドドと音をたてて走ってゆく。
山間部に入ると少しずつ高度を上げ列車も辛そうに唸っている。
然別、白樺や唐松の林の中を雪解け水が川となって轟々流れてゆく。
その川とつかず離れず線路はゆき、銀山では唯一逆向きの列車とすれ違った。
やっとのことで倶知安、やはり遠かった。
北海道に来ると感じる人という存在の小ささ。
本来人間はこの感覚を持って生きるべきなのだろうと思う。
人が大地を覆い尽くしていることがどれだけ不自然な事であるか。
列車は二五分間停車すると告げられた。
日本語と英語で停車時に流れるアナウンスがずっとリピート再生されていた。
英語の"Oshamanbe"とPlease---〝〝〝〝___という言葉のイントネーションとリズムが脳に焼き付いてしまった。
ディーゼル運転から電車に変わる。
駅を出ると唐突に羊蹄山が現れた。どアップで。
ニセコ比羅夫、そしてニセコへ到着した。
迎えのバスに乗り宿へ向かう。
雪が残る春まだ浅い高原、けれども春分から一ヶ月たち日はのびて明るい空。
そして初夏を通り越して夏のような気温、妙な感覚を覚えた。
スキーシーズンも終わり空港からの直行バスもない。
ニセコには静けさが戻ったのもつかの間、GWからのグリーンシーズンの準備をしている所だ。
不便もあるけれど、むしろひとり旅には最適なシーズンなのかもしれない。
宿に着くととりあえず部屋をチェックし写真を撮った。
にわかホテル調査員の復活。
荷を解くと温泉へ直行。早く砂と汗を流したい。
温泉はぷんと硫黄の匂い。淡い茶褐色のにごり湯。
露天風呂はホテルの裏手、一面雪の残る白樺林に面していた。
のんびり湯に浸かっているとやっと気が緩んで来たような気がする。
旅の初日はせわしく、体内時計は東京のままだ。
来る前にたてた予定は返上して、明日はホテルの周りを散歩しよう。
続きはそれからだ。
六時起床。温泉へ。
朝食も一番乗り。メインの卵料理を断ると代わりに野菜とハムを用意してくれた。
この”北海道産カスラーハム”が特別美味しかった。とろける脂身。
部屋で一休みし、腹ごなしに太極拳の練習を。
今日は温泉三味しようと湯巡りパスをフロントで購入して散歩に出た。
ホテルからほど近い湧き水の甘露水を汲みにゆく。
あたりは森の中。木々の根元から雪が溶け、至る所水が流れている。
道の脇には蕗の薹。
レンタカーでドライブすれば遠くまで足を延ばせるけれど、歩かなければ足下の小さな花々を見つける事はできなかっただろう。
さて、ひと回りしてホテルち近くへ戻ったものの、温泉に入るにはまだ時間も早い。
Google Mapsで調べるととなりの温泉場、ニセコビレッジまで三・五km
ゆっくり歩いても二時間あれば着くだろう。
天気も良いし、このまま行くことにした。
雪の原から冷気が立ちのぼり、あたり一面靄がかかったようにうっすら白く見える。
鳥のさえずり、啄木鳥(アカゲラそれともクマゲラ?)の木を突く音が森に響く。
左手には藻岩山、ニセコアンヌプリ、右手には富士山の様な羊蹄山。
林道を右へ左へ足を止めては写真をパチリ。
そんな調子で歩くのでなかなか時間がかかる。
ああ失敗。
温泉に入るしちょっと散歩のつもりで出て来たので日焼け止めもつけてなかった。
何度目かのアップダウンに息が切れ始めた頃ニセコビレッジにある温泉に到着した。
問題は帰りの足をどうするか。
藻岩山麓のホテルまで宿のバスで戻るには比羅夫ウェルカムセンターへ一六時前に着く必要があった。
最悪タクシーを呼べばいいかと開き直っていたのだけれど、バス停に”にこっとBUS"の電話番号が。
地元の人の為のバスかと思い込んでいたのだけれど、観光客も利用できるようだ。
おそるおそる電話すると、ホテルまで行ってくれると言う。
三時間後に予約。これで安心してひと風呂浴びることができる。
温泉は塩化物泉。茶褐色の濁り湯。
露天風呂の前に池があり、からだを沈めると水面が続いているように見える。
正面には遮るものが何も無い。
羊蹄山を眺めながら湯に浸かっていると、ふと気配を感じた。
見ると池のふちに鯉が群がっていた。〝ギョギョッ〟と言ったとか言わないとか。
温泉から溢れる掛け流しの源泉にむかって口をパクパク開けているのだ。
鯉も温泉は好きなのだな。
〝にこっとBUS〟でホテルまで送ってもらい、月がのぼるまで部屋で休んだ。
今夜は通りを挟んで隣にある宿の温泉へ。
ここは昔ながらの観光ホテルなので湯船は大きめ、天井が高い。
夕食の時間帯なので露天風呂も貸し切りだった。
源泉の温度が高い為無色透明の温泉は甘露水で加水しているそう。
ガラス越しにライトアップされた森の梢には上限の月。
夜になって少し雲が出て来た。
西の方に赤く光る星があったけれど、多くの星は見えなかった。
部屋に戻ると予約してあったマッサージを受け、夕食のパスタを作る。
甘露水で作った地元のお豆腐も買って来たのでみそ汁に。
にがりが効いたつるりとした食感。昔懐かしいお豆腐の味がした。
今朝は五時起きしてミッションを。
それから温泉で朝風呂。
指先がふやけるまで露天の湯船で過ごした。
卵料理抜きの朝食、今朝も美味しくいただいた。
荷物を出来る限りパックしてフロントで宅急便に出しチェックアウト。
長期滞在のことをいろいろ尋ねてまた来る事を夢想する。
湯めぐりパスはもう一回分残っている。有効期限は十月。
ボトルコーヒーをボディバックに入れて、身軽にでかけよう。
札幌でもきっと歩き通しになるだろう。
同じバスで駅までやってきた子供連れの家族がいた。
写真を頼まれて、それから電車が来るまでの間話をした。
シンガポールから涼しい気候を楽しむために一家はやって来た。
奥さんは十年ほど前JALでキャビンアテンダントとして働いていたのだそう。
私のブロークンな英語と、彼女の忘れかけの日本語とチャンポンで会話は続く。
彼女たちは〝マタタン〟が母語だけれど、多民族国家なので学校や仕事では英語、バイリンガルが普通。それにマンダリンや日本語でトリリンガルの人も多いと言う。
文法について尋ねると、マタタンは時制が複雑ではないので、そういう意味では日本語は英語に近いと感じると彼女は言った。
札幌育ちの友人に教えてもらった散歩コース、北海道神宮を目指す。
昨日のローカルニュースでも、大通り公園、丸山公園ともに桜が満開だと言っていた。
しかし今日は全身筋肉痛。
札幌駅からずっと歩くのは無理なので、大通公園まで地下鉄に乗り、そこから西一一丁目まで一駅歩く。
大通り公園は木が大きくていい。
けやきも桜も立派だった。
札幌の桜は山桜や八重桜、バラエティに富んでいる。
東京のようにソメイヨシノ一辺倒ではないようだ。
とうきび売りの屋台を横目にふたたび地下に潜り、西二八丁目で降りた。
神宮に参拝したいので表参道から行く事にしたのだ。
北の都の桜は立ち姿が奥ゆかしい。
北海道神宮の桜は特に山桜系だからなのか、木が若いからなのか線が細かった。
手が届きそうな一本の桜の木の下で、ひとりでお花見に来ていたお婆さんと言葉を交わした。
「随分と可愛らしい桜ですね」
社殿ではなく、その手前の門に変わった注連縄が。
戻ってから気になって調べてみた。
産経ニュース『北海道神宮百話』によると、このしめ縄は昭和三四年に初めて奉納され、以後富良野で造られ、四年に一度奉納・架け替えがされているのだそうだ。
この特徴ある端の結び目の由来については調べてもわからなかった。
しかし、〝フラヌイ大注連縄〟 と名付けられていることからなんとなくわかった気がした。
フラヌイとはアイヌ語で富良野のこと。
ならばねじりの少ないこの太く立派なしめ縄は、舟を象ったものなのではないだろうか。
舟に米俵を載せて運ぶ。そして俵の上には幣あるいはイナウ。神に奉納する米あるいは麦を運ぶ舟。
アイヌの人々の舟は丸太を刳り貫いて作るもので、この注連縄の形に良く似ている。
チプサンケという舟おろしの儀式もある。
当時の町の人々のなかにこの伝統を大切にする人がいたのだろうと想像できる。
参拝を終え、御朱印をいただいた。
ご祭神は四柱、明治天皇と開拓三神だそう。
境内にかけられている絵馬の絵柄がリラックマだったりして、色んな意味において北海道の自由な気風を感じないでもない。
梅園から円山公園に抜けようと思っていたのだが、どうにもできなかった。
仕方なく来た参道を戻り、二八丁目駅へ向かう事にした。
後はお土産を買って帰るだけなので、この近くにお魚やさんがないか調べてみた。
近所にスーパーがあることがわかったので寄ってみることにした。
ごちゃっとした地方のスーパーだけれど、品揃えにこだわりがあるみたい。
小豆菜あずきの風味がするもので、『わたしが一番好きな山菜!』とポップに書いてあったのでカゴに入れた。
地元産千島笹のタケノコも見つけた。まだ早いので薬指くらいに小さい穂先。
それから道内産紫のアスパラ。函館産のグリーンアスパラ。
無謀かなと思いつつ、魚屋さんがあったので槍イカをお造りにしてもらい、ボタン蝦も。大きな保冷剤をつけてもらって保冷袋に山菜と一緒に詰めて持ち帰ることにした。
レジ横にあったオランダせんべいはもちろん私のおやつに。
スーパーの向かいにあったカフェでひとやすみ。
豆売りもしていて、軽食メニューもある。
なのにマスターひとりで切り盛りしているらしく、注文から会計まで忙しそうだ。
ちょっと昔風だけど、近所の人が次々吸い込まれるように店内へ。
買い物のついでについ寄ってしまうみたい。
黒板に”カフェマッキアート”とか”エスプレッソ”の”ドッピオ”とか書いてあるからと言って、”カフェルンゴ”が通じると思ってはいけない。
普通のコーヒーが飲みたかっただけなのだけど、一番上の”ブレンド”の文字がちょうど隠れて見えなかったのだ。
意味不明なやりとりを交わしたあげくブレンドを注文し、飲み干すとその店を出た。
このあたりは高級住宅街らしく、大きな家が多い。
今日も歩き疲れてそろそろ風呂に入りたいと思っていたら、温泉という名の銭湯の前を通りかかった!
お刺身を持って銭湯に寄る訳にも行かずあきらめたけれど、おかしくて笑ってしまった。
予定より早いけれど、地下街はラッシュアワーで人の波。
そろそろ空港へ向かおう。
次はライラックかラベンダーの咲く頃に・・・
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高校三年の冬、共通一次試験の休みを使って青函連絡船に乗る為に北海道へ。
母が駅まで見送りに来てくれ、お弁当を買って持たせてくれた。
母方の祖母が北海道出身だったからなのか、私が真冬の北海道へ行くと言っても驚かなかった。
大宮二一時四五分発『急行八甲田』に乗り、盛岡まで行くという女性の隣に座らせてもらった。
列車がホームを離れると、母を見て涙が出そうになった。
当時は自分でもよくわかっていなかったのだけれど、青函連絡船に執着があったのではなく、古くからあった何かがなくなる、終わってしまうと聞くと後ろ髪ひかれるものがあった。
まち並み、民芸・手工芸品、土地の風習、ことば。
〝なくなる前にこの目で見ておかなければ〟という焦りに似た気持ち。
それと遠くへ行きたいという三つ子の魂的なものが私を突き動かしたのだ。
何より北海道には憧れもあり、縁を感じてもいた。
青森に着き、連絡船に乗る。
凪の海は穏やかに光っていた。
函館に着くと頭に浮かんだのは『津軽海峡冬景色』の歌詞とメロディだった。
そのまま特急に乗って札幌をめざしていた。
函館から札幌まで特急で四時間もかかるとは、スケジュールを立てる時に判ってはいたものの、実際移動してみると本当に広い。
五日間の予定で行ける精一杯の距離だった。
真っ白な雪の原、大沼のあたりの景色を今でも覚えている。
札幌に着いたのは六時過ぎだった。
札幌ユースホステルで相部屋になったのはオーストラリアから来ていた女性Lianだった。
何をどう喋ったのかほとんど覚えていないのだが、彼女がスーツケースから取り出したコアラのクリップ型マスコットを五〇〇円で買った。
(滞在費を節約する為の彼女なりのアイデアだったのだろう)
私はと言えば、翌朝起きたら一緒に写真を撮って手紙と一緒に送る為の住所を聞こうと頭の中で何度も練習した。
翌朝、チェックアウトするLianとフロントで写真に収まった。
お別れすると私は北海道立美術館へ。
ルネ・ラリックのガラス作品を初めて見た。
オパールガラスの美しさに魅せられてしまった。
そこから電車に乗って閉館前の道立図書館へと急ぎ、なんとか間に合った。
この旅のもうひとつの目的であった『知里幸恵ノート』。
閲覧申請をし、一部コピーを撮ってもらった。
彼女が神謡の音をローマ字に起こし、日本語の意味を書き留めたノートである。
岩波文庫『アイヌ神謡集』知里幸恵編訳 の編集付記に”北海道立図書館北方資料室所蔵の「知里幸恵ノート」を閲覧して補訂した”と書いてあったのを手がかりに探しに来た。
そもそも私がアイヌ語に興味を持ったのは、小学校の国語の教科書で知里幸恵さんの生涯の話とカムイユカルの一節を読んだことからだった。
『シロカニペ ランラン ピシカン』『コンカニペ ランラン ピシカン』
教科書ではカタカナ表記だったけれど、歌として伝承してきたこの物語をいったいどんな節で謡うのだろうか。
『銀のしずく降る降るまわりに
金のしずく降る降るまわりに』
という美しい和訳から膨らんだイメージ、そして北の国 北海道。
それらのことが私の心から消えることはなかった。
『知里幸恵ノート』には書かれた当時
『あたりに降る降る銀の水
あたりに降る降る金の水』
と訳されていた。
そういう発見や、注釈に書かれた彼女のユーカルに対する素直な想いなどを知る事ができて嬉しかった。
夕方、高速バスに乗り小樽へ移動した。
天狗山行きのバスに乗換え、ユースホステルへ直行した。
夕飯は鮭のホイル焼き、お風呂はびっくりするくらい熱かった。
朝、宿の隣にあった〝ザ・グラススタジオ・イン・小樽〟 で地元作家のグラスを鑑賞。
そのまま街へ降りた。
駅のバス乗り場から運河を目指す途中、〝光〟という喫茶店に入った。
大きな亀が壁にかけられていた。
天気が刻々と変わる。
運河まで来て、何度もウロウロしたあげく、煉瓦の倉庫を改装した〝海猫屋〟に入った。
私の他に客はいなかった。
〝夏は混むけど、夏にもまた来てください〟とマスターが言った。
そこから北一ガラスへと国道沿いを歩き、ランプのホールで昼食を食べた。
手元が見えないくらい暗闇での食事だった。
土産にとガラスを探したけれど気に入ったものが無く、結局天狗山へタクシーで戻ることに。
山の上から海が見えるーーそんな場所にたったのは初めてだった。
パノラマモードなど無かった時で、なんとかこの景色をフレームに収めようと苦戦していたら、
タクシーのおじさんがアドヴァイスしてくれ、記念に一枚私も入れてシャッターを押してくれた。
雪のちらつく街の向こうに海が見える。
それだけで満たされた気持ちになった。
帰りも連絡船に乗るため、函館へ。
到着した夜、路面電車の降りる停留所を間違えて、吹雪の中宿を探して歩いた。
風が〝地肌〟を吹き抜ける。
積もった雪も蹴ると粉になって飛んでゆく。
温泉はしょっぱかった。
着いたばかりだと言うのに、九時にはストーブを消さなければならなかった。
ふとんに入っても寒くて目が冴えてしまい、まったく眠れない。
押し入れから余っている布団と毛布を出して重ねて再び眠ろうと頑張った。
朝、布団から出る決心がなかなかつかない。
やっと起きて出かけてみたが、その日は日曜で朝市は休みだった。
函館は坂の街。
坂の上から海が、並木道が、屋根が、、何でも見える。
最後に入った雑貨や土産を売る小さな店のおばさんが、「ゆっくりして行きなさいよ」とお茶を淹れてくれた。
当時開通直前だった青函トンネルを堀った時に出た土や粘度を使ったお土産がたくさんあった。
雲は暗く低く立ちこめている。
予感どおり帰りの海はかなり荒れた。
連絡船はエレベーターのように昇降して、席に座ってみたり横になったりしてみるが落ち着かない。
風が止んで波がおさまるのを必死で祈りながら、ただただ耐えるのみだった。
2015年4月30日 発行 初版
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1970年4月21日生
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