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豊頃町の生涯学習施設「える夢館」の2階には、郷土資料を展示しているスペース「歴史の森」があります。10月に豊頃町で開かれる「全国報徳サミット」に向けて、現在は二宮尊親や興復社に関する史料を中心に展示されていますが、十勝の黎明(れいめい)期に入植や物流の拠点となった大津について解説されています。歴史の森や町内に残る史料などを紹介します。
[える夢館]
住:豊頃町茂岩本町166
開館時間:9時~21時(図書館は~18時)
休:月曜(祝日の場合は翌日休)
問:豊頃町教育委員会
TEL015・579・5801
祖父の尊徳が「報徳のおしえ」を短くまとめたもの。5つのことが述べられている。(牛首別報徳会所蔵)
[一]われわれ人間の肉体的生命は、父母祖先から子へ孫へと伝わり、終わることのない永遠のものである。
[二]この天から与えられた生命を支えているのは富貴である。富貴、すなわち衣食住に恵まれ、豊かな社会生活、文化生活を営むことができるのは、父母祖先の代々の勤労・善行のおかげであり、自分一代でできたり、無くなったりするものではない。よくこのことを感謝し、勤勉努力して子孫へ受け継いでゆかなければならない。
[三]その富貴のもとである生産は、田畑山林(自然)の恵みと、これに積極的に働きかける自己の勤労によるものである。
[四]昨年の生産で今年の豊かな生活ができ、今年の生産で来年の安全な生活が成りたつように、計画的な暮らし方(分度~推譲)をしなければならない。
[五]これを貫くためには、天地自然の恵みや、父母祖先をはじめ、多くの人々の社会的協力のおかげで現在の自分が存在することをよく自覚し、至誠をもって実行しなければならない。
北海道での開拓事業を決意し、二宮尊親は探見隊を組織し、1896年(明治29年)7月、福島県相馬市を出発。富良野平野や日高を調査したが適地を見つけられなかった。襟裳岬を経由し十勝に入り、アイヌに案内されて登った丸山(現在の報徳二宮神社付近)から、この双眼鏡で見渡し、この地での開拓を決意した(歴史の森)
1897年(明治30年)4月、福島県相馬の各地で募集した第1期移住民15戸が二宮地区に入植しました。福島県から新天地に向かうときに掲げられていたのぼりのレプリカ。牛首別報徳会が所蔵しているのぼりを基に、える夢館のオープン(2002年)に合わせ製作された
興復社ゆかりの物が多数残っている。名札には「社長 二宮尊親」が見える。出欠を確認するための物だと思われる。(名簿板とのぼりは、える夢館歴史の森に展示中)
豊頃町茂岩から二宮に向かうと「是より西 元興復社開拓 二宮農場」の標柱がある。興復社の事業では、1902年(明治35年)までに160戸が入植。08年(明治41年)までに農地として640ヘクタールを開墾し、ほかに宅地や農道などを合わせ843ヘクタールを開拓した。ほとんどの作業を人と馬で行った。
二宮尊徳にゆかりの深い全国の市町村関係者や住民が集う「第21回全国報徳サミット豊頃町大会」が、10月9日(金)、10日(土)に豊頃町える夢館(豊頃町茂岩本町166)で開かれます。サミットは、尊徳のおしえを後世に受け継いでいくため、全国各地で毎年、開かれています。大会の詳細は今後決まりますが、講演会や学習発表会、パネルディスカッションなどを予定しています。一般の方も参加できます。
問い合わせ 豊頃町教育委員会 TEL015・579・5801
この本の内容はフリーマガジンChai2015年5月号掲載時の情報です。営業時間や価格、消費税等は変更になっている場合があります。
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2015年5月12日 発行 初版
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