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猫談

山中麻弓

SiriusA2



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  この本はタチヨミ版です。



   目 次 (計十八篇)

     心の友 ニャンコ先生

     猫の名前

     夢の謎

     懺悔(ざんげ)

     単純な猫 複雑な犬

     犬を捨てる

     不条理の発見

     好きな臭い嫌いな匂い

     犬 猫 地 獄

     嘘つき

     日常のビザール

     運のいい犬悪い犬

     小さきものの逆襲

     馬鹿猫

     家畜の気持ち

     過去のある犬

     生きとし生けるもの

     天の皆様


  心の友 ニャンコ先生


 餌付けしたつもりもないのに、馬が合うのか、時々家に遊びに来る猫がいる。
 マンションが多い地区や都会ではあまりみかけなくなつたが、それでも、都内でも雑多な商店街や路地が多い住宅地では、こういう友達ができることが多い。
 下北沢のアパートに一人暮らしをしていた弟のところにも、よくキジトラの雌猫が通って来ていた。
 時々遊びに行っていた私も、この猫をチビと呼びかわいがつた。
 チビは、人間の腕枕で、いっしょに熟睡するほど馴れていた。
 ミルクをやると喜んで飲むが、煮干しなど与えても、クンクンとぐだけ嗅いですぐにそっぽを向いてしまう。身奇麗であまりがっついていないところをみると、やはりどこかにちゃんとした飼い主がいたのだろう。
 チビは必ず弟が仕事から帰る夜の十時以降か、休日の昼間にやって来た。電灯を消して眠ってしまってからも、玄関で、入れろ、と鳴いていた。
 明かりが消えていても弟がいることはちゃんと分かつていた。どこかで部屋に入るところを見ていたのだろうか? 未だに謎である。
 それにつけてもチビはものすごいおしゃべりだった。
 それもニャーと猫らしく鳴くのではなく、ニャッ、ニャーニャと抑揚をつけて、本当に人間がしゃべっているように鳴く。(この種の猫はけっこういるのだ、とテレビでタモリも話していた)
 玄関で、ニャニャという声がして「はいよ」と開けてやると、どうもどうも毎度と、しゃべりながら入ってくる。ほとんど駆け込んで来て、機関銃のようにしやべりながらひとしきり部屋中を歩き回り、やがて弟の万年床の枕元に落ち着く。
 そしてそこでしばらく、いつしょにテレビを見たり、毛繕けづくいをしたり、時にはミルクなど貰いながら時を過ごす。そうやって何の意味もなく一時を過ごした後、おもむろに「出せ」と鳴き、また玄関から帰っていく。
 時には一泊して、出勤する弟といっしょに、朝出て行くこともあった。
 ある日私は、用事があって都内に出たついでに、弟のところに泊まった。
 何かの飲み会があるとかで、帰宅が深夜になるから先に寝ていてほしい、と電話で弟は言ってきた。
 夜も十時を回ったので風呂に入り、さて寝ようかと布団に入ると、あのニャニャが聞こえた。
 私はドアを開けて入れてやり、しばらく鉛筆でじゃらしたりしていっしょに遊んだが、だんだんリラックスして眠くなってきたので布団に入った。けれどチビはもっと遊ぼうと枕元でなきまくっている。
「もうおしまい、もう寝るの」と、眠い目をこすりつつなだめながら、いつのまにか私は寝入ってしまった。
 どれくらい時間がたったのか、ふと目を覚ますとまだあのニャニャが続いている。
「うるさい猫だね。早く寝なさい」
 そう言って私はまた眠ってしまったのだった。
 二度目に起こされたのは、帰宅した弟の「ガーッ!」という悲鳴のせいだった。
 真夜中である。
「ガーッ、買ったばっかりなのにい」
 見ると床に置いてあった弟の新品のジャージのズボンが、柔らかな大便でぐしゃぐしゃになっていた。
 ズボンの尻の部分に大便をして、ご丁寧にその上から片足の部分をかぶせてあるので、汚れた場所は倍増されていた。
 さっきチビがしきりにしゃべっていたのは、大便がしたいから外に出してくれ、という意味なのであった。チビ語が解らない私は、それを無視し寝入っていたのだ。
 仕方なしに室内で用をたしたチビはすっきりしたのか、弟の驚愕をよそに枕元で寝息をたてていた。
「この糞たれ猫ーっ!」
 弟はチビを叩き起こして怒りまくった。
 チビは、耳を後ろに倒し目をしょぼつかせて、何でこんなに怒られなきゃなんないんだ、という顔をしながらサッシ窓をすごすごと出て行った。
 しばらくして弟に会うと、それからぷっつりとチビが来なくなったと言う。
 どうも同じアパートの二軒隣の、一人暮らしの女の人のところに通いだしたらしいという。
 あれから、チビと弟の信頼関係は、私の睡魔のせいでこっぱみじんに壊れてしまったのだった。

 そう言えば、知り合いのマンション(それも三階)に入って来る、迷惑千万な猫もいる。
 猫の発情期はだいたい春先や秋口だが、その白猫は季節に関係なくやって来て、決まって目にもとまらぬ早業でマーキングをしていくのだ。以前その家でも何匹か猫を飼っていたのでにおいが染み付いているのかもしれない、と彼は言っていた。
 窓を開けておくと、いつのまにかす―っと入って来て、あっと言う間に、ちゃっちゃっちゃっと部屋の数箇所に小便をひっかけ、「こらーっ」と追い掛けるのだが、追いまくろうにも追い付けないもの凄いスピードで、小便を撤き散らしながら、風のごとくもと来た窓から去って行く。

「まったく走りながらシッコするなんて信じられない」とその知り合いは言う。
 窓をよく開けておく季節というのは限られているので、今度からは気を付けようといつも思うのだが、ほんのちょっとした隙にするりと家に入って来る。
 しばらく来ないので、もう他所に行ったのだろうと安心していると、今度は半年以上して忘れた頃に、また立て続けにやって来たりで、彼とこの猫との不毛な追っ駆けっこは、かれこれ四年以上続いている。

 私にも、今いる四匹の猫とは別に、忘れられない猫がいる。
 元気で暮らしているのだろうか、あの頃かなりの年配だったから今頃はもう寿命が尽きてこの世にはいないだろう、などと、時々思い出しては胸がキュンとなる。
 もうこの世にいないであろうその猫は、今から十云年前、私がまだ松本の実家にいた頃に知り合った猫である。
 年配の、恰幅のいい茶トラの牡猫で、私は彼をニャンコ先生と呼んでいた。
 彼とは中学から高校までの六年間、私が上京する直前まで、なかなか涼しいいい関係が続いた。
 「ニャンコ先生」とは、子供の頃読んだ漫画、「いなかっぺ大将」に出て来る主人公、風大左衛門に、柔の道を伝授する「ニャンコ先生」にそっくりで、しかもいかにも「先生」という風格があったからだ。
 ニャンコ先生は徹底して寡黙かもくだった。
 飼い猫だったことは確かだが、どこの猫なのか最後までわからなかった。
 目の小さな苦虫をかみつぶしたような無愛想な顔で、ニャーどころか、ゴロゴロのゴの字も聞いたことがなかった。
 今でも思いだすだに胸がキュンとするニャンコ先生だが、出会いのきっかけとなると、記憶のかなたに飛んでいってどうしても思い出せない。気が付いたらいつの間にかニャンコ先生がそばにいて、いっしょにうだうだしていたとしか言いようがない。
 ニャンコ先生はいつも決まって、三階の私の部屋の窓か、入れる状態の時は玄関から入って来た。三階も、玄関も閉まっている場合は、屋根を伝って私の部屋を覗き込み、前足で窓ガラスをガシガシとこすつて開けさせて入って来た。いずれの場合も黙ったままである。
 彼は、何かねだるわけでもなく、ただ私のベッドの上にこんもりと丸くなっていた。
 あまりに静かでいつ入って来たのかわからない。窓を開けたまま勉強していて、なんとなく振り向くとニャンコ先生がいた、などということがよくあつた。
 母は昔から猫が苦手で、たとえ飼える家に引っ越しても大はいいけど猫だけはダメ、と子供の頃から念を押されていた。だから憧れの猫と付き合うことは、私の大きな喜びだった。ニャンコ先生もよくわきまえていて、他の部屋には入ろうとはしなかった。
 急に近付いたりしてびっくりさせ、来なくなってしまってはつまらないと思い、最初は距離を保っていたのだが、あっと言う間に私達は親密になった。
 親密といってもとにかく無愛想な猫なので、添い寝をする程度である。
 じゃらしてもじゃれず、呼んでも返事もせず、何が気に入ったのかただムスッと何時間でも座っている。
 イニシエーションのように座っているニャンコ先生の横に寝転んで、私は漫画を読みながら時には眠ってしまい、ふと目覚めて目の前にあいかわらずニャンコ先生がいたりすると、何ともいえない幸福な気分になるのだった。
 夏休み、風鈴の音を聞きながら、私達はしょっちゅういっしょにごろごろしていた。
 近くの田んぼから若い稲の匂いがしていた。
 プール帰りの子供たちのはじゃぎ声が聞こえる昼下がり、私はベッドに寝転んでコーラを飲みつつ、映画雑誌や漫画を彼の前でパラパラとめくり、「これがオリビア・ハッセー」などと話しかけていた。聞いているのかいないのか、彼はそのたびしっぽをほんの少しピクッと振るのだった。
 私とニャンコ先生は「ナ?」「ウン!」の間柄だった。

 ああいうのを至福の時というのだろう。
 やがて高校を卒業した私は、予備校に通うため上京することになった。
 引っ越しのその日まで、ニャンコ先生に別れを告げたくて待っていたのだが、彼はついに現れなかった。
 東京から電話するたびに「ニャンコ先生来てる?」と聞いてみたのだが、「よくわからないけど、あんたがいないと来ないみたいよ」と、母は言っていた。
 結局その年の夏休みには帰郷できず、帰ったのはほぼ一年たった春休みだった。
 私は待った。風の音にも耳をそばだて、寒くても窓を開け放って待った。けれど彼はついに来なかった。
 もう私のことなど忘れてしまったのだろう、所詮畜生とはこんなものよ、と私は振られた女のように捨鉢に思ったのだった。
 短大に入学した一年目の夏休みは帰郷せず、次に帰ったのは正月だった。
 東京での自由な生活に目を奪われていた私は、心の友ニャンコ先生のことなどその頃にはもうすっかり忘れていた。
 確か夕方から二階にたむろしていた、高校生だった弟の友人たちが、夜更けになったので帰ろうとしていた時だった。
 この年の正月は暮れから続く大雪だった。おとそに酔った高校生たちが、ぞろぞろと玄関を出ようとドアを開けたとたん、 一人がおつ? と声をあげた。
「ああ、びっくりした」などと口々に言っている。
 玄関先では、しんしんとぼたん雪が降っていた。
「なんか猫いるよ」
「この猫汚ねえ― っ」
 見ると白い道路を背景に、茶色い猫がちょこんと座っている。
 雪明かりの中に浮かび上がったささくれだった毛、しょばしょぼとした小さい日、猫にあるまじき外股のだらしない座り方……。
「おーっ!」と、私は胸の中で叫んだ。その汚らしい姿は、紛れもなく心の友ニャンコ先生ではないか。生きていたのか、私を覚えていてくれたのか……。
 ニャンコ先生は、弟たちが開けたドアをひょいと前足で払って、悠然と雪と泥で汚れたまま部屋に入って来た。
「この猫はまあ」
 こたつで呆れる母をうっちゃって、ニャンコ先生は私の背中側の石油ストープの前に座り、いきなリペロペロと後ろ足を嘗めた。
 私は半身をこたつに静めたまま、背中でニャンコ先生を感じていることにした。
 私達の関係は、ああ愛しやと抱擁しあうような仲ではけしてない。「♪また会う約束などすることもなく、それじゃあまたなと別れる」、ような間柄であったから、私はさっきと同じように日本酒など呑みながら、雑誌をめくりつつ、テレビもけっ放しで寝転がっていた。そして時々ちらっと振り向いて彼を確認し、何とも言えずにしみじみしてしまうのだった。
 私はその晩、至福の中で酔っ払い、こたつに入ったまま寝てしまった。
 次の朝日覚めると、ニャンコ先生はもういなかった。あれは夢だったのだろうか? と母に聞いてみると、玄関をカリカリ掻くので開けてやったら出て行った、と言った。
 これが私とニャンコ先生との最後だった。その年の夏休みから、彼はきっぱり来なくなった。
「あんたにさよならを言いにきたのかもよ」などと、母は気になるようなことを言っていた。
 それから彼がどうなったのか……。
 また玄関に来てみたけれど、私がいないのでうなだれて帰ったことがあつたかもしれない。実は飼い猫などではなく、正真正銘のノラで、餌をやる人がいなくなって他所よその街に行ってしまったのかもしれない、などと考えるだに気にかかった。いろいろ考えるとつらくなるので、きっと寿命で大往生を遂げたのだと無理やり思いこんで、今に至っている。


  猫の名前


 猫や犬といったポピュラーなペット以外の生き物の名は、案外ぞんざいについてしまうことが多いらしい。
 例えば、松田聖子が挙式した時、かの聖サレデオ教会にたくさんの白い鳩が舞ったが、あの鳩を貸し出した家に飼われていた孔雀は、「クワオーッ」と鳴くためクワオといった。
 沖縄、慶良間けらま諸島の、あるダイビングポイントには、「あけみ」という名の大ウツボが昔から住んでいる。
 牡なのか雌なのかも定かではないのに、何故「あけみ」なのかというと、慶良間の民宿にあけみちゃんというよく太った女の子がバイトに来ていて、「あけみ」の第一発見者が海中で一抱えもあるその見事な姿態に遭遇した時、「すごい! アケミの太股ふとももほどもある」と、胸中で叫んだからだという。
 私も一度だけ「あけみ」に会ったことがある。
 ウツボという魚は、だいたい普段は岩場や珊瑚の陰に隠れていて頭だけ出しているものだがこの頭が胴回りに比べてかなり小さい。頭だけ見て大したことはない、と高をくくっていたのだが、餌に釣られて岩場から出て来て全身を現した時、初めてその巨大さに愕然とした。
 なるほど「あけみ」は立派なウツボであった。胴の直径が優に二十センチはあったと思う。
「あけみ」はすっかり有名人(魚?)で餌付けもされていたせいか、インストラクターが顎の下を撫でたりすると、猫のように気持ち良さそうにしていた。
 そういう様子を見るうちに、「あけみ」という名が、いかにもこのウツボにぴったりに思えてきたから不思議である。
 ダイバーの間では、「あけみに茄で卵をやりに行く」と聞けば、ああ、あのポイントに行くのかと分かるほど、有名なウツボである。

「世の中に、子猫に名前をつけるほど難しいことはない」と、昔の偉い人は言ったそうだ。猫の個性や、何というか飼い主の、いっしょにやっていこうというヤル気のようなもの、言葉やユーモアのセンスが総合して見えてしまうのが、猫の名前である。ひどいところでは、知人の家で飼われている茶色と黒と白がぐしゃぐしゃっとなったブチ猫の名が、可哀相に「ウンチ」という。 確かにちり紙でつかんだような、微妙ないい色具合ではある。こんな名前をつけられたせいか、いつもウンチは情けないような顔をしている。
 以前、雑誌で、舞踊家の長嶺ヤス子さんが、猫を何十匹も飼っておられる記事を読んだが、彼女はその猫たちに「音節の名」をつけていらした。「ア」とか「ポ」とかいう名前である。
 あれだけたくさんいたら、そうするほうが猫も飼い主も楽なのかもしれない。ウチの猫たちも、かなり安易な名付けをされている。
 まず、現在未亡人の、母猫モヘアである。モヘは十二年前、やっと乳離れした生後一カ月の頃に、鳴り物入りで我が家にやって来た猫だ。
 ところで、モヘについて書く前に、彼女の亡き夫についてもふれておこう。
 モヘがやって来た当時、ウチにはブンタと言う体重七キロというもの凄くデブの牡猫がいた。ブンタは漫画家の野上けいさんからいただいた猫だった。
 野上さんは猫のブリーダーのような趣味を持っていて、「長毛で顔もかわいい猫」の繁殖に命をかけていた。



  タチヨミ版はここまでとなります。


猫談

2016年3月18日 発行 初版

著  者:山中麻弓
発  行:SiriusA2

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©M.Baruka

山中麻弓


本書は「猫談」(1996新潮社刊)のリニューアル電子版です。

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