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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

橋渡り 柊藤花

夏文 青空つばめ

星に願いを 藤井カスカ

願いよ、届け。声よ、響け。 藤井カスカ

優しく響いては消えていく 二丹菜刹那

願いごと 篠田らら

悪友の願い事 二三竣輔

表紙イラスト 尋隆

あとがき

「彼女は、先に行ってしまったんだね」

橋渡り

柊藤花

<新作読み切り・小説>

橋渡り

 白粉を叩いて紅を引いて、鏡を向いて髪を梳かれる。同じような姿をした何人もの女性が、私の周りを慌ただしく動いていた。
 私は彼女たちにされるがまま、鏡の中で変わっていく自分の姿を見ていた。自画自賛をするつもりはないが、自分の凡庸な語彙では言い表せないほどの変わりようだ。
「今夜は晴れると良いですね、笹蟹さま」
 私の髪を梳いていた右側の女性が、鏡越しに笑いかけた。
「そう、ですね。雨では、橋を渡ることが出来ませんものね」
 一瞬、笹蟹さまのお姿を目で探し、そういえば私が笹蟹さまなのだったと思い出した。言葉に少し詰まった私を見て、反対側の女性が気遣わしげに声をかけてくる。
「やはり、橋渡りは緊張いたしますか?」
「ええ、少しだけ。……おかしいかしら?」
 数千年前から橋渡りを行っている笹蟹さまにとったら、緊張するということは笹蟹さまらしくなかっただろうかと心配になってしまった。
「いいえ。笹蟹さまは、いつまでたっても慣れることはないとおっしゃっていましたわ」
 彼女は懐かしむような笑みを私に見せる。私はその言葉に安心して、緊張でこわばった顔を少しだけ緩めた。
「あなたち、織女が笹蟹さまに話しかけるなど、失礼に当たりますよ」
 障子の向こうから鋭い声が聞こえ、織女と呼ばれた彼女たちはピクリと肩を震わせた。すぅっと障子が開き、彼女たちより幾分か年かさのいった女性が静かに入ってくる。
「笹蟹さま、申し訳ございません」
 美しい所作で頭を下げる女性に、私は慌てて首を振った。まさか織女頭である彼女に、私がこのような態度を取られるとは想像もしていなかったからだ。
 織女とは、笹蟹さまの身の回りの世話をしている女性たちのことである。彼女たち一人一人の名前はなく、みんなが織女として呼ばれていた。そして、その織女たちを取りまとめている織女のことを、織女頭という。普通の織女にとって、笹蟹さま直々のお世話を任される織女でさえ接する機会はあまりないというのに、織女頭にいたっては笹蟹さま同様雲の上の存在なのである。
「いいえ。私こそ申し訳ありません。彼女たちは、私を和ませようとしてくれたのですから」
「笹蟹さま、わたくし共にそのような畏まった言葉遣いをせずとも構いません。今のあなたは織女ではなく、笹蟹さまなのですから」
 私が委縮したように謝ると、彼女は私に言い聞かせるようにゆっくりと言った。
 何を隠そう、私は数日前までは笹蟹さま付きですらない、ただの織女だったのだ。そんな私が、いきなり笹蟹さまとして高位の織女たちにかしずかれるなんて、簡単に慣れるようなものでもない。
「……わかった、わ。そのように努力いたします」
 ぎこちなく頷いた私に彼女は少しだけ困ったように笑いながら、再び障子の向こうへと消えていった。私は周りの織女たちに気づかれないように、小さく安堵のため息を漏らす。 
 そもそも、私は自分がなぜ笹蟹さまとなったのかすら、よくわかってはいなかった。天の羽衣との相性がどうだとか天の啓示がどうだとか聞いたが、私はそれを理解する間もなく橋渡りの日を迎えることになってしまったのだ。
 橋渡りとは、文字通り川にかかった橋を渡ることだ。年に一度七月七日の夜に、向こう岸にいらっしゃる天鼓さまと橋の真ん中で杯を交わすのだ。それは単なる逢瀬ということではなく、芸術と自然の融合という儀式的な意味が含まれていた。笹蟹さまと天鼓様が橋渡りをすることで、下界の人々は豊かになるらしい。というのは、私でなくとも誰もが知っていることだ。
「あの、先ほどのように話しかけていただいて構いませんよ」
 織女頭に注意されてから、萎れた花のように静かになってしまった織女たちに声をかける。渋っている様子の彼女たちに、あと一押しをする気持ちで笑いかけた。
「むしろ、その方が私としては嬉しいのです。お話し相手がいなくなるのは、寂しいものですから」
 私がそう言うと、彼女たちはようやく顔をほころばせながら、口々にお礼を言いだした。それ程感謝されるとは思っていなかったので、少し驚いてしまう。
「ありがとうございます。私たち、てっきり笹蟹さまに嫌われてしまったのではないかとばかり思っておりました」
「そんなことありませんよ。どうしてですか?」
「織女頭のおっしゃったとおり、本来ならば笹蟹さまに織女が話しかけることは、ごく限られた者以外は原則として禁じられています」
 ですが、と彼女はつづけた。
「先代の笹蟹さまは、私たち織女に対しても気さくに接してくださった方でしたので。私たちも、つい今までのように笹蟹さまに接してしまったのです」
 織女たちの言う笹蟹さまの像に、私は共感してしまった。いつもそばにいる彼女たちからよそよそしくされるのは、何とも居心地が悪いことなのだろう。
「そういうことなら、今までどおりに気軽に接してくださいませ。私も、みなさんと仲良くなりたいのです」
 私が彼女たちを見まわすと、嬉しそうに笑ってくれた。私はその笑みを見て、彼女たちが織女なら私も笹蟹さまとしてやっていけるかもしれないと思った。
 笹蟹さまというのは、天の羽衣を織ることの出来る存在を指す。天の羽衣は、笹蟹さまにしか織ることが出来ない。笹蟹さまが機を織るための場所を機殿といい、笹蟹さまと織女たちが生活をする場でもあった。
 機殿で暮らす者は下界に出ることは許されていない。唯一、笹蟹さまだけが橋渡りの日だけは、下界に出ることを許されていた。
 この小さくて広い機殿だけが、世界の全て。年に一度は下界に出ることが出来るとはいえ、まともな話し相手がいないようでは、早々に気が狂ってしまいそうになるだろう。
 だからこそ、少しでもいいから織女たちと親しい関係を築いておきたかったのだ。
 ――ふわり
 どこか懐かしいような香りがして、私ははっとした。ふと鏡を見ると、天の羽衣が肩からかけられていた。
 これは、笹蟹さまの香りだ。笹蟹さまが好んでいた、白檀の香り。
 私はそっと息を吸い込んだ。幼いころに一度だけ、笹蟹さまに抱きしめてもらった時のことを思いだす。
 私が織女になったのは、物心がつく前のことだった。織女の中では珍しく、父親はおろか母親の顔さえも知らなかった。私は笹蟹さまのことよりも、周りにいた他の織女のことを姉様と慕っていたのである。
 そんなある日のことである。姉様たちとはぐれて機殿を探し回っていた際に、笹蟹さまの部屋に迷い込んでしまったのだ。私は姉様たちがいない不安で、はしたなくも大声をあげて泣いていた。突然現れて醜い姿をさらすといった無礼にも取れる行動を働いた私に対して、慰めるように抱きしめてくれたのである。天の羽衣が私の身体を優しく包み、甘く爽やかな香りが心を癒してくれた、
 これが母親という存在なのかもしれない。
 私は、笹蟹さまの腕の中でそう感じた。全ての織女にとって、笹蟹さまは母親のような絶対的な存在なのだ。
 私はその日から、笹蟹さまを崇敬するようになった。例え笹蟹さま付きの織女になれなかったとしても、笹蟹さまにお仕えすることが出来るというだけで幸せだった。
 そんな笹蟹さまが、今年の橋渡りの日の数日前に息を引き取った。去年の暮れから体調が悪くなり、今年の橋渡りが最期になるかもしれないと噂されていたのだ。しかし、それを前にして笹蟹さまは眠るように亡くなってしまったのである。
 機殿は悲しみにくれる暇もないほどの慌ただしさだった。それもそのはずである。橋渡りは必ず行わなければならないのである。織女たちは笹蟹さまの身の回りの世話をするのが一番の使命でもあるが、笹蟹さまの候補として機殿に捕らえられているのだった。
 そして選ばれたのが、この私というわけである。私は笹蟹さまとして、橋渡りを行わなければならない。
 しかし、私が天の羽衣を織る時間はなかった。本来ならば一年ほどかけて織る羽衣を、ほんの数日で作り上げることなど不可能なことなのだ。それゆえ、今年だけは先代が完成させた天の羽衣を纏うことになったのである。
「笹蟹さま、準備が整いましたわ」
 私は立ち上がって、織女が差し出した朱塗りの杯を受け取った。ここからは、笹蟹さまである私だけで橋渡りを行わなければならない。私は不安な面持ちで織女を見つめた。
「私にうまく、出来るかしら」
「大丈夫ですわ、笹蟹さま。だって、私たちの笹蟹さまですもの」
 織女たちはそう言いながら、勇気づけるようににっこりと笑った。
 そうか。彼女たちにとっては、私は笹蟹さまという絶対的な存在なのだ。私が笹蟹さまに抱いていたように、彼女たちもまた、私に憧れを抱いている。
 そう思うと少しだけ怖くなったが、私は笹蟹さまとしてふるまわなければならない。
 私は背筋を伸ばしながら、ゆっくりと橋の方に歩きだした。今夜は驚くほどに星がきれいに瞬いている。橋までの道のりを、明るく照らしてくれていた。
 橋の向こう側に、小さく人影が見える。きっとあの方が、天鼓さまだ。私は天鼓さまの顔を知らない。どんな方なのか、まったく分からなかった。しかし、笹蟹さまは天鼓さまと何千年もまえから夫婦なのである。
 私はぐっとお腹に力を入れて、橋の真ん中まで渡っていった。
「お久しぶりでございます、天鼓さま。お会いしとうございました」
 私の口から、無意識に言葉が紡がれた。目の前に現れた天鼓さまは、少しだけ驚いたような顔をしたものの、すぐに優しい笑みを浮かべた。しかし、その顔には無数のしわが刻まれている。
「私も、笹蟹に会いたくて仕方がなかったよ」
 天鼓さまは、私の頭を愛おしそうになでた。姉様たちがたまに話していた、父親のような感じだろうか。いや、どちらかというとお祖父ちゃんのような雰囲気だ。
 年齢は私と随分と離れているものの、天鼓さまはとても優しそうなお方だ。私は安心しながら、橋渡りの儀式を進めていった。
「彼女は、先に行ってしまったんだね」
 全ての工程を終え、後は再び来た道を戻るだけというところになって、天鼓さまが悲しそうに呟いた。私は胸が締め付けられるような思いがして、足を止めた。
 この方は、儀式としてだけでなく、心から笹蟹さまをお慕いしていたのだ。
「ええ。ですが、この羽衣は笹蟹さまが織ったものです」
 あなたが愛した、彼女のものです。
 私はそっと、羽衣を天鼓さまに差し出した。天鼓さまはそれを受け取ると、一筋の涙を零した。
「本当だ。懐かしい、彼女の香りがするね」
 天鼓さまは懐かしむように羽衣を胸に抱く。私はそれを見て、泣き出してしまった。私だって、笹蟹さまの死を悲しむ暇がなかったのだ。
 私たちは互いに笹蟹さまを思いながら、しばらくの間涙を流していた。
 ようやく涙が枯れてきたころ、天鼓さまが羽衣を私に返してきた。
「本当なら持ち帰ってしまいたいけれど。そうしたら帰れなくなってしまうのでしょう?」
 天鼓さまは名残惜しそうにそう言う。天の羽衣がないと、笹蟹さまは下界に行くことも機殿に帰ることも出来ないのだ。
 私は小さく頷いた。
「来年にまた、お会いできる日を楽しみにしております」
「私も、来年の七月七日を楽しみに過ごすよ」
 天鼓さまは私の手を優しく包む。そして、私たちは再び来た道を戻っていった。
 それから3度目の橋渡りで、あの天鼓さまには会うことが出来なくなってしまった。私はこの時と同じように、橋の真ん中で天鼓さまと二人で泣き合ったのだった。

〈了〉



  タチヨミ版はここまでとなります。


別冊澪標 七夕号

2015年7月7日 発行 初版

著  者:小桜店子(編) 柊藤花(著) 青空つばめ(著) 藤井カスカ(著・イラスト) 二丹菜刹那(著) 篠田らら(著) 二三竣輔(著) 尋隆(表紙イラスト)
発  行:身を尽くす会

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身を尽くす会では電子書籍・同人雑誌といった形式で小説雑誌を制作・販売しています。また、会員の相互協力によって、従来の手法では出版が困難な作品の制作支援、著者の知名度向上や作品頒布の促進など、未来の出版文化の振興に貢献することを目的としています。主に制作・販売している小説雑誌は『澪標(みおつくし)』で、船の航路を示す同名の標識が誌名の由来です。澪標が航行可能な道を示した標識であったように、『澪標』も著者と読者をつなぐ道として機能することを願っています。
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